Soranoha

茶話

ちゃばなし

薄田 泣菫

栃木の横綱2・16(夕)

栃木山の横綱初土俵入が、常陸山会の主催で、十四日午後二時から出羽海部屋で行はれた事は昨日きのふの新聞に詳しく載つてゐた。

幾年かむかし、栃木山と一緒に附出つけだしとなつて初めて土俵の砂を踏んだ力士すまふとりが十幾人かある。そのなかで、づば抜けて出世をしたのが栃木山で、それに次いでは東の幕下十枚目に羽州山うしうざんがゐる。

栃木山が幕下から初めて幕内へ飛び上つて来た時、彼は贔屓客に貰つた御祝儀のなかから幾らかを無雑作に包んで羽州山の前に出した。

「ほんの僅わづかだが、こゝに三十円ばかしあるから以前の朋輩衆と何処どつかで一口やつて呉れないか、俺がこんな出世をしたのも、つまりみんなのお蔭だからな。」

羽州山は蟹のやうに顔をしかめて泣出しさうになつた。

「有り難う、それぢや遠慮なく貰つて一杯遣やるよ。俺達も君にあやかりたいからな。」

羽州山は砂のへばり着いた掌面てのひらに三十円を鷲掴みにして、急いで控部屋に帰つて往つた。鷲掴みにしたのに何の不思議があらう、勝負附しようぶづけの星は一度取逃がしても、また取返す時機があるが、褌担ふんどしかつぎの身には三十円は一度取落したが最期、二度とめぐり会ふ折があらうとも思はれなかつた。

栃木山はその後鰻上うなぎのぼりに三役に入いつた。そしてその時も羽州山を呼んで、懐中ふところから紙包みを取り出した。

「俺もお蔭で三役に入つたよ。こゝに五十円ばかしあるから、以前の朋輩衆と何処どつかで一杯やつて呉れないか、ほんの心祝ひだからな。」

羽州山はまた泣き出しさうな顔をして、その金包かねづつみを受取つた。そして栃木の出世にあやかるやうにと言つて、鱈腹たらふく飲んだり、食つたりした。実をいふと、人間といふものは胃の腑が充満くちくならないと、滅多に他ひとの事まで喜ばうとしないものだ。皆は蛙のやうに膨らまつた腹を抱へて、栃木の前途を祝福した。

お蔭で栃木は今度いよ〱横綱を張る事になつた。羽州山の大きな掌面には、また新しい紙包みが載つかつた。

「さあ、また一杯飲めるぞ、初めの時には馬を食つた。二度目には牛を食つた。今度は何にするかな。」

羽州山は空つぽの頭を抱へ込んでゐる。考へ込むまでもない、人を食ふ事さ、相撲に勝たうとするには、先づ相手を食つてかゝらなければならぬ。

演題と五十仙セント2・18(夕)

政治家ブライアン氏が先日こなひだ米国南部のある市まちへ講演に出掛けた事があつた。ブライアン氏は名高い雄弁家だが、さうかといつて、余り褒め過ぎる事だけは控へて置きたい、何故といつて、私はブライアン氏に劣らぬ雄弁家を今一人知つてゐるから。それは蘆屋あしやにゐる谷本富とめり博士の事で、鸚鵡あうむとカナリヤとが同じお喋舌しやべりである場合、私達は大抵柄がらの小さいカナリヤに味方をしなければならぬ義理合ぎりあひになつてゐる。

汽車がその市まちへ着くと、ブライアン氏は幾年か前に自分がそこへ来て、講演をした事があるのを懐おもひ出した。

「どんな講演をしたつけか。想ひ出したいもんだな。」

この政治家は禿げあがつた前額まへひたひを押へてじつと考へ込んだ。凡すべての講演家には、それ〲定きまつた出し物がある。知らないで、同じ土地ところで同じ出し物を繰返すなどは余り気の利いた話でもなかつた。

自動車はこの政治家を載せて、講演のある大きな建物に走つた。そして広々とした玄関前にぴたりと止まると、ブライアン氏は以前の会場もやはりここだつたなと思つた。そこに衝立つゝたつてゐた門番の爺さんは、にこ〱もので出て来て、丁寧に白髪しらが頭を下げた。

「これは〱旦那様でいらつしやいますか。お久し振にお目に懸ります。」

その瞬間、ブライアン氏の頭に一筋の光明ひかりが射した。で、この雄弁家は今日まで自分の方でも相手の皺くちやな顔をよく覚えてゐるやうな調子で話しかけた。

「お前も達者でいゝな。確か以前私がここでお喋舌をした事があつたが、あれからずつと此処ここに勤めてるのかい。」

「はい、よく覚えとりますでございます。」爺さんはまた頭を下げた。「あの頃からずつと引続いて勤めさせて戴いとります。」

「さうだつたか。ところで……」とブライアン氏は眩しさうな眼つきで爺さんの顔を見た。「お前覚えてはなからうね、その折私が此処で何をやつたかつて事を。」

「はい、〱。よく覚えとりますでございます。」爺さんは溶とろけさうな顔になつた。「旦那様はあの折、手前に五十仙下さいましたつけ。」

ブライアンは仕方がなくポケツトからまた五十仙を出して、爺さんの掌面てのひらに載せてやつた。――だが、以前の演題はとうと思ひ出せなかつた。

春葉の弟子2・19(夕)

亡くなつた柳川春葉氏には別にいゝ弟子も居なかつた。春葉氏はかなり世話好きな性質たちだつたので、小猫や狗いぬころを可愛かあいがつたやうに、若い書生の面倒を見ない事もなかつたが、どうしても弟子が長続きがしなかつた。

どんな職業者にも、弟子好きと、弟子嫌ひとはあるもので、徳富蘆花氏などは、大の弟子嫌ひで、偶たまに田舎出の青年などが、弟子入を頼むと、大きな色眼鏡越しに相手の面附つらつきをじろりと見て、

「子芋が出来ると、親芋の味がなくなります。私は子芋を拵へようとは思ひません。」と親芋のやうな土だらけの頭を掉ふつて、きつぱり拒絶はねつけてしまふ事にきめてゐる。春葉氏は蘆花氏と違つて、別段子芋の出来るのを厭がらなかつたが、性急せつかちな小芋は味の出るまで親の側そばで辛抱出来なかつた。

だが、春葉氏が亡くなると、小芋達は言ひ合はせたやうにぞろぞろと帰つて来た。そして葬式万端から台所まはりの事まで、頼まれもせぬのに色々とこまめに骨を折つた。春葉氏の未亡人は、良人をつとの亡くなる二三箇月前ぜんからどうやら姙娠してゐたらしいので、それを気づいた子芋達は、

「世間は口うるさいものですよ。後あとになつて何とか噂されぬやうに、今のうちに知らせてお置きになるがよろしいでせう。」

と言つて、てんでに未亡人が良人の生前から姙娠してゐた事を吹聴した。

そして他人ひとに会つて、故人の談話はなしでもする時には、精々悲しさうな顔をして、

「先生には色々御厄介をかけたものですよ。かう言つては何なんのやうですが、先生もお弟子のなかでは、一番僕を頼りになすつたやうです。」

と言ひ言ひしてゐる。

不思議なのは、その弟子達のなかには、未亡人の少しも顔を見知らない、よしんば春葉氏自身を連れ出して来たところで、名前なぞ迚とても知つて居なささうな人達の交まじつてゐる事で、未亡人はそんな人達を見る度に、

「主人うちのひととは長年連添つてたが、一度だつて、こんな人達の名前なぞ聞いた事はなかつたわ。してみると、頭のなかは随分忙しかつたらしいんだわ。」

と今更のやうに故人の生活なぞ考へるらしかつた。

だが、不思議な事は少しもない。春葉氏は色々の新聞雑誌に未完のまゝ書き残した小説が幾つかある。名を知らない弟子達は、「お弟子だ」といふ名義一つで、その後あとを書き継がせて貰ひたさに、のこのこ出掛けてゐるのだ。

世智辛せちからい世間のならひではある。

和田垣博士と試験問題2・21(夕)

法学博士和田垣謙三氏といへば、学生の試験答案を爪先で一つ一つ跳ね飛ばしてみて一番遠くへけし飛んだのへ満点をつけたといふ、立派な採点法を発明したので名高い先生である。

試験制度といふものは、手取り早く言つてみれば運不運の占ひだが、運不運の占ひならば、何も夜更よふかししてまで克明に答案を調べるにも及ばない、爪先で一々跳ね飛ばしてもよく判る筈なので、それを発明した和田垣博士の効績てがらは、立派な天才の事業である。

いつだつたか博士は早稲田大学の卒業試験に、受験学生一同から、試験問題は是非とも筆記ノオトのなかから出して欲しいといふ交渉を受けた。博士は二つ返事で承知した。学生はお蔭で、やつと胸を撫でおろす事が出来た。実際博士は経済政策の試験問題に、クレオパトラの鼻の高さを問はないとも限らない男だし、さういふ筆記ノオト以外の事で頭の利く学生は、その頃から早稲田には居なかつた。

学生はてんでに筆記ノオトを暗記して、試験場へ出て来た。そして渡された経済政策の問題を見ると、はつとして互に顔を見合はせた。

問題は幾つか有つたが、みんな応用問題で、どこに一つ筆記ノオトに載つてゐるやうなものはなかつた。

何処からとも無く蜂のやうにぶつ〱呟ぼやく声が聞え出した。暫くすると、尻に針を持つたらしい一人の学生が衝立つゝたつて博士を呼んだ。

「先生、私達は貴方が嘘を仰有る方だとは信じたくありません。」その男はじつと博士の顔を見た。その眼つきは成るべく博士の口から真実ほんとうの事も聞きたくないやうな怯おびえた色が見えた。「先生は先日こなひだ私達の前で、試験問題は筆記ノオトのなかから出す事をお約束なすつた。それにこれで見ると……」

「なる程そんな約束をした事は確たしかにあつた。」博士は両手を卓子テエブルの上に支つゝかひ棒ぼうにして、その上に膨れた顔を載せて平気で言つた。「そんな事も確にあつたが、しかし問題を筆記ノオトの間なかから出して、唐辛たうがらしのやうな辛い点をつけるか、それとも応用問題を出して氷砂糖のやうな甘い点をつけるかは吾輩の考へ一つにある事だ。いいか、判つたか。」

衝立つてゐた学生は、急ににやにや笑ひ出した。そして四辺あたりを見まはした。

「どうだ、諸君、吾々のために氷砂糖を下さらうていふ和田垣先生の健康を祝さうぢやないか。」

「よからう、大いに祝さう。」

「和田垣博士万歳!」

皆は獣けものの如やうな声を合せて叫んだ。博士はそのお礼に氷砂糖のやうな点をつけるのを忘れなかつた。

お菓子の如やうな前大統領2・22(夕)

米国の前大統領タフト氏は法律事務でよく旅をするが、旅先きで滅多に故障に出会つた事もなく、おまけにいつの旅立にもお天気が多いので、

「乃公おれほど旅の間まが好いい者はたんとあるまい。」

と、あの大きな図体を揺ゆすぶつて、ひとりで嬉しがつてゐる。

最近に西の方へ汽車旅行をした事があるが、その時何どうした間違か、鉄道に故障があつて、汽車は寂しい田舎町に停つたまゝ前さきへ進まなくなつた。

「乃公おれが乗込んでる汽車だ、こんな筈は無いんだがな。」

と、タフト氏はぶつ〱呟ぼやきながら、動物園の獣のやうに大きな顔を列車の窓から出して、其辺そこらを見まはしたが、ビスケツトの空缶あきくわんのやうな小ちつぽけな停車場ていしやぢやうには、タフト氏の好きな神様なぞ居ようとは思はれなかつた。

タフト氏は大きな旅鞄を提さげて、のつそり列車のなかから出て来た。そして停車場ていしやぢやう前の薄汚い旅籠屋はたごやに尻を落ちつける事にした。線路の修復はかなり手間が取れるので、汽車は明日あすの朝までは迚とても出さうになかつたからである。

旅籠屋の亭主は入つて来たお客の、大きな図体を見て、変な顔をしたが、お客の名前を聞くと、慌てて叮嚀にお辞儀をした。そして名高い前大統領に一夜の宿を貸す事の出来た自分の仕合せを心から喜んだ。

その次ぎの瞬間、亭主は自分の家うちに持合せの寝台が、いづれも安物づくめな、脆やにつこい出来であるのを思ひ出して、当惑さうな顔をした。で、早速の気転で、お客の重みで寝台ねだいが押し潰れないやうに、鉄線はりがねでもつて、方々を蜘蛛の巣のやうに絡からめにかゝつた。

夜よがあけて、タフト氏が朝餐あさめしの席につくと、亭主は揉もみ手でをしながら御機嫌伺ひに出て来た。

「檀那様、いかゞでございました。よくお寝やすみになられましてございましたか。」

「有難う。いや、よく眠れたよ。」と前さきの大統領は何だか思ひ出し笑ひをするらしく、顔を歪めた。「だがの、今朝眼がさめて自分の寝相ねさうを見ると、乃公わしの身体からだが寝台ねだいの外に食はみ出してゐて、まるでワツフル(お菓子)のやうだつたよ、はゝゝゝ……」

人間は時々自分をナポレオンやソクラテスに比べるやうに、お菓子や眼薬めぐすりの壜にも比べてみる必要がある。自分がお菓子に似てゐるなと思ふのは、英雄に肖にてゐると思ふよりも、何どうかすると心強い感じを与へるものだ。

襲名興行2・23(夕)

中村雀右衛門じやくゑもんに次いで、尾上多見蔵たみざうの襲名があり、春の道頓堀では嵐徳三郎が、亡父の二十五年忌を機しほに、四代目璃寛りくわんの名跡みやうせきを相続するとの噂がある。行ゆき詰つまつた俳優連が襲名によつて人気を新しくし、それと同時に自分の技芸にも一飛躍を企てようとするのは、強あながち間違つた仕方でもない。

徳三郎の父親てゝおや、三代目璃寛は、鏡山のお初が得意だつたので、今度徳三郎の襲名興行にも鏡山を出す事になるかも知れないが、その三代目璃寛のお初については哀れな逸話が残つてゐる。

璃寛が万延元年道頓堀筑後の芝居で、和わ三郎らうから初めて徳三郎になつた折の事、ある日北船場きたせんばの物持ものもち平野屋の一族が、西桟敷の幾つかを買ひ切つて、見物に来てゐたが、そのなかに別家べつけの一人娘お常といふのがゐて、徳三郎の優姿やさすがたを見初みそめて、顔を杏あんずのやうに赧あかくした。

それから二月つき三月つきして、徳三郎はまた堀江の芝居にかゝつた。出し物は鏡山のお初で、大阪中は引繰返るやうな人気が立つた。お常はそれを聞くと、もう起たつても居てもゐられなくなつた。お常には許嫁いひなづけがあつたが、恋をする身には許嫁などは、文久銭ほどの価値ねうちもなかつた。

お常は三十日の芝居を、十八日まで続つゞけ様さまに、通ひ詰めたが何どうしても徳三郎と言葉を交かはす事が出来なかつた。会つて言葉を交かはしたところで相手が俳優やくしやの事だ、飴あめん玉だまか京白粉きやうおしろいの話でもして、にやつと笑ふ位の事しか出来なかつたが、それでもお常はその一言に生命いのちまでもと思ひ込んだ。

お常はとうと恋病こひやまひに取つ憑かれた。徳三郎がお初の似顔絵を抱だいたまゝ、焦こがれ死じにに死にかゝつた。娘の不心得を怒いかつた両親も、末期まつごの哀れさに、伝手つてをもとめて徳三郎を招いた。そして末期の水をその手から掬くませると、娘は小鳥のやうな口許くちもとをして水を飲んだが、その儘息が絶えてしまつた。

今の徳三郎がお初を演やるとしたら、どんな事になるだらう、恋女こひをんなを焦れ死させる代りに、事によつたら劇評家を気絶させるかも知れない。

鼠に噛かまれた英雄の心臓2・28(夕)

独逸の軍隊が、仏蘭西の国境深く入いり込んでゐるにつけて、巴里パリーつ子は、何ぞと言つては大ナポレオンを想ひ出してゐる。ナポレオンを想ひ出すにつけて、またしても繰返されるのは、この英雄の心臓の話である。

心臓の話といふのは外でもない、――忘れもせぬ、一八二一年五月、この英雄の死骸なきがらが棺に納められようといふ時、側そばにゐた一人の軍医は馴れた手際で死骸から心臓を切り離した。

軍医は切り取つた心の臓を洋盃コツプのなかに入れて、卓子テーブルの上においた。多くの軍人の血と、多くの美人の涙にも、平気で堪へる事の出来た心の臓は、透すき徹とほつた硝子がらすの底で蛙のやうに顫ふるへてゐた。軍医はこの心の臓にお通夜をするつもりで、じつと眼を瞪みはつて、洋盃コツプのなかを見つめてゐた。

ふと硝子の砕ける音がしたので、軍医は吃驚びつくりして眼をあけた。知らぬ間まについうとうと居睡ゐねむつてゐたものらしい。見ると、床に落ちて、粉々こな〱に砕けてゐる洋盃コツプの側そばを、大きな灰色の鼠が血だらけな英雄の心の臓を咥くはへて小走りに逃げのびようとしてゐる。

ジヨセフインの柔かい手でも、英国海軍の大きな力でも、何どうする事も出来なかつた英雄の心の臓を、鼠はたつた一口に頬張つて、その儘逃げ出さうとしてゐるのだ。軍医は猫になつたやうな気持で、慌てて鼠に飛びかゝつた。実際尻つ尾の持合せがあつたら、軍医はその儘猫になつたかも知れなかつた。

軍医はやつと心の臓を取り返す事が出来た。鼠が吐き出した英雄の心の臓は、失恋でもしたやうに所々ところ〲破けてゐたさうだ。

「実際吃驚びつくりしたよ。でも、まあ漸やつと取り返すには取り返したがね……」

軍医は後々のち〱になるまで、何ぞと言つては、その夜よの話をしたものだ。

だが、噂によると、取り返された心の臓は、ぐぢやぐぢやに噛み潰されてゐるので、それをナポレオンの心の臓だといつて、神様の前に差し出すわけにも往ゆかなかつた。で、軍医はこつそり羊の心の臓を切り取つて、それを酒精アルコール漬づけにして銀の壺に密封したまゝ、棺のなかに納めたのださうだ。

険呑けんのんな世の中だ、七人の女に心臓を約束した男よ、汝は何よりも先きに鼠を要心えうじんしなければならぬ。

人間の大小3・2(夕)

今度の戦争で、聯合軍側の大立者は、何といつても英国首相ロイド・ジヨウジ氏を第一に推さなければならぬ。その大立者のロイド・ジヨウジ氏が威爾斯エエルス生れの、身長せいの低い、漸やつと五尺そこそこの小男だとは知らぬ人が多い。

昨年の春だつたか、ロイド・ジヨウジ氏が南威爾斯のある都市まちへ演説に出掛けた事があつた。無論戦争に関する演説で、自惚うぬぼれ好きな英国人が、首相の口から直接独逸文明の、安物の外套のやうに裏は襤褸ぼろつ切きれであるのを聴くための催しであつた。

その演説会の司会者といふのは、大のロイド・ジヨウジ崇拝者で、この政治家の試みた演説は、どんな詰らぬものでも、みんな新聞を切りぬいて手文庫へしまつて置くといふ風の男だつた。だが、これまで一度も自分の崇拝する人に出会つた事がなかつたので、その日は朝から胸をわく〱させて待つてゐた。

会場には聴衆がぎつしり詰まつてゐた。当日の演説家を案内して、会場へ入つて来た背せの高い司会者は、先づ起たつて、この名高い政治家を聴衆に紹介ひきあはしたが、そのなかに次ぎのやうな言葉があつた。

「私はふだんからこの偉人を崇拝して居をりましたが、正直に申しますと、身体からだのもつと大きい、見掛けの堂々たるお方だとばかし思つてゐましたので、今日初めてお目にかゝつて、実は驚いたやうな始末で……」

次いで起たつたロイド・ジヨウジ氏は、小さいが、しかし胡桃くるみのやうなかつちりした体躯からだを演壇に運んだ。

「唯今承はりますと、今日の司会者は、私にお会ひになつて、甚ひどく失望がつかりせられたやうな御容子ようすで、誠にお気の毒に堪へません。」と首相は脊高のつぽの司会者の方へ皮肉な目つきを投げた。「だが、今承はつて初めて気づいたのは、吾々の生れた北威爾斯と此方こちらとでは、人間を測るのに、標準めやすが異ちがつてゐるといふ事で、南威爾斯では、人間を頤おとがひから下の大きさで測るらしいが、私共の北威爾斯では反対あべこべに頤から上の大きさで大小を定きめる事になつてゐるのです。」

かう言つて、ロイド・ジヨウジ氏は、自慢の大きな頭を肩の上で揮ふつてみせた。聴衆は訳もなく嬉しがつて、頤あごから下の馬鹿に大きい体躯からだを揺ゆすぶつて喝采した。

各国元首の収入3・4(夕)

アメリカといへばあの通り金持の大国だから、那国あすこの大統領は、定めし素晴しい俸給を取る事だらうと、大抵の人は思つてるらしいが、打明けていふと年俸七五・〇〇〇弗ドルと、出張旅行費年額二五・〇〇〇弗を受取るに過ぎない。こんなぽつちりした俸給では、定めし生活くらしも難むつかしからうといふ訳でもあるまいが、白堊館ホワイトハウスの家賃だけは、別に取立てない事にしてある。

英国皇室の費用は、これまで年額三・一〇五・〇〇〇弗といふ事になつてゐたが、これだけでは迚とても足りないといふので、最近議会の協賛を経て一年に六五・〇〇〇弗づつ増額する事になつてゐる。

独逸皇帝は、あの通り八方に手を延ばすので、入費いりめも従つて多いと見えて、皇室費の事ではいつも不足を言つてゐる。尤も独逸帝国の皇帝としては定きまつた報酬といふものはなく、唯年額六五〇・〇〇〇弗の収入があるに過ぎないが、皇帝は別に普魯西プロシヤ王として、年額三・一五〇・〇〇〇弗といふ収入がある。それでもまだ十分ではないと見えて、皇帝は話が金銭かねの事になると、いつも「足りない、足りない。」と言つて歎こぼしてゐる。

伊太利イタリーの王室費は三・二〇〇・〇〇〇弗といふ事になつてゐるが、五六年このかた、経費多端で不足がちだといふ事を聞いてゐる。その外ほか欧洲各国の王室費では西班牙スペインのが一・八五〇・〇〇〇弗、白耳義ベルジユームのが八七五・〇〇〇弗、丁抹デンマークのが三四五・〇〇〇弗、和蘭オランダのが五二五・〇〇〇弗といふ事だ。

かういふ元首連に比べて、最も有福いうふくだつたのは、露西亜の廃帝で、廃帝は莫大な私有財産を有もつてゐたのみならず、皇室費もまた殆ほとんど無類で、年額八・一七九・〇〇〇弗といふ高に上のぼつてゐたのを思ふと、今の貧しい、不自由な生活が気の毒でならない。

仏蘭西の大統領は年俸二四〇・〇〇〇弗で、交際費とか出張旅費とかも、みんなこのなかから支弁する事になつてゐる。――これで見ると、一番金持の多い米国の大統領が、一番懐中ふところ加減が寒い勘定になる。だからさ、従つて言ふ事に一番真理が多い。

女房かないの通弁3・11(夕)

森村商事会社の取締役村井保固やすかた氏は、なが〱米国へ渡つてゐて、那地あちらで会社の地位を据ゑたのは、全くこの人一人の骨折だと言はれてゐる男である。それ丈だけに村井氏自身も米国にはかなり深入りしたと見えて、夫人には、髪の毛の金色な米国婦人を迎へてゐる。

結婚をした男といふ男は大抵みなアダムを羨ましがるものだ。何故といつて、彼にはイヴの阿母おふくろといふものが居て絶えず口うるさく世話を焼く心配が無かつたから。実際男にとつて、女房かないの里方のおせつかい程小こうるさいものはないが、それを思ふと、村井氏が米国婦人を妻に迎へて帰つたのは悧巧な仕方だつた。

女房かないの里方が日本に無いのを忘れない村井氏は、ちよい〱夫人を連れて、あちこちと旅をする。そして何処どこと当所あてどもない折には、日光へ往ゆく事に定きめてゐる。日光と芸者とは西洋人にとつて日本の二大驚異であるが、芸者は夫婦者にとつては山よりも険呑な所が多いので、村井氏はそれで日光へ往ゆく事に定きめてゐるのだ。

ある時日光へ往つての帰途かへりみちに、夫人は誰かに買つて帰るつもりで、土産物を売つてゐる一軒の小店こみせへ入つた。村井氏は葉巻を咥くはへたまゝ後あとからのつそり蹤ついて往つた。夫人は番頭が取り出して来る色々な土産物を弄ひねくりまはしてゐたが、そのなかから通草蔓あけびかづらの手籠を二つ三つ買ひ取つた。

夫人は財布を出して、言はれるだけの金額たかを払つた。その金は基督教信者クリスチヤンの森村市左衛門氏が、聖書に書いてある事と、書いてない事とを巧く按排あんばいして商売するので儲かつた金の一部分であつた。

村井氏は相変らず葉巻を咥へたまゝ、夫人の後あとからのつそりと店を出ようとした。すると後うしろから低声こごゑで、

「もし、もし。」

と呼ぶ者がある。見ると番頭だ。番頭はたつた今夫人に見せた叮嚀な素振とは打つて変つた気取つた態度ものごしで、

「僅わづかだが……」

と言つて、幾らかの金銭かねを村井氏の掌面てのひらに握らせた。

村井氏は森村組のため使ひ尽して、幾らか空つぽになつた頭を傾かしげた。

「ははあ、俺を通弁と間違へたな、女房かないがアメリカ人だもんだから。」

さう気がつくと、氏は軽く頷いてその小銭こぜにをその儘自分の懐中ふところに納めてしまつた。そしてこんな不意な儲けをするのも、自分の女房かないの見立みたてが善かつたからだと思つて、満足さうに煙けぶりをぱつと鼻の穴から吹き出した。

新発明の書物消毒3・12(夕)

すべての公開図書館で、管理者が頭を悩ますものは、図書の購入かひいれや、保存ばかりではない、その他たに図書の消毒といふ一大事がある。尤も数多い図書館の管理者には、書棚に樟脳や、ナフタリンをちよつぴり包んで、それで結構消毒の目的は達せられてゐるやうに思つてゐる向むきもあるが、そんな事では消毒にも何なんにもならない。

沢山な閲覧者のなかには、書物からいろんな毒を吸ひ取つて帰る代りに、書物の小口こぐちに目に見えない病毒を残して往ゆくのがある。この病毒を何どう始末するかが、図書管理者の問題なので、サヴアナロオラのやうに、そんな書物は火をつけて焼いてしまつたら、一番面倒がないのだが、さうさうきつぱりした処置も取り兼ねるから困る。

東京のある大きな私立図書館に老人の管理者があつた。先日こなひだ職をやめて書肆ほんやを開業したさうだが、図書館に居る間うちは、朝から晩まで、この書物の消毒にひどく頭を使つたものだ。

余程気になつたと見えて、ある時わざ〱懇意な医者を訪ねて訊いてみた。

「先生、書物にへばりついてる毒つてえのは、一体どんな物なんですね。」

医者は老人としよりに了解のみこめるやうに話すには、なか〱骨が折れた。大抵の真理といふものは、老人としよりのためには拵へてない場合が多かつたから。

「それは黴菌ばいきんさ。手つ取り早く言つたら眼に見えない虫だね。」

医者はかう言つて、牧師のやうに胡散臭うさんくさい顔をした。

「虫ですかい、眼に見えない……」

老管理者は慌てて老眼鏡を鼻の上に押しあげた。そしてじつと手を組んだ儘考へ込んでゐたが、暫くすると、立派な消毒法を思ひついたので、その儘医者の家うちを飛び出して来た。

老管理者は途みちで金物屋に寄つて、金槌かなづちを一挺ちやう買つて帰つた。そして図書庫としよぐらに入ると、手垢てあかと塵埃ほこりとに塗まみれた書物を一冊づつ取り出しては、いやといふ程叩きつけたものだ。

お蔭で書物は綴とぢが切れたり、表紙が凹へこんだりして泣き出しさうな顔になつた。やつとそれに気づいた図書館の保護者が理由わけを訊くと、この勇敢な老管理者は、勝ち誇つたやうに、禿げかゝつた前額まへひたひをてかてかさせた。

「はい、消毒しましたので。怖ろしい黴菌とやらを、これでこつ酷ぴどく擲なぐりつけてやりましたよ。」

と言つて、懐中ふところから大事の金槌を一寸ちよつと取り出して見せた。

女房かないの手紙3・18(夕)

亭主といふものは、女房かないを里帰りさせるか、それとも自分が遠くへ旅立でもしなければ、滅多に女房かないの手紙を読む機会に出会でくはさない。だから、もし自分の宅うちで女房かないから手紙を投げつけられるやうな事があつたら、大抵の亭主は、小鳥のやうに顫ふるへあがるに極きまつてゐる。

米国は紐育ニユーヨークのある大会社の社員が、先日こなひだの事、出勤時間が来たので、慌てて家うちを飛び出さうとすると、戸口で女房かないに呼びとめられて一本の手紙をつきつけられた。

「貴方、これを会社へお着きになつてから読んでみて下さい、途中で御覧になるんぢやありませんよ。」

女房はいつになく真面目な調子で言つた。

亭主はぎよつとして手紙を受取つた。そして何か訊き返さうとして口をもぐ〱させてゐたが、ふと時計の針が目に入いると、その儘慌てて飛び出した。そして途々みち〱手紙の封を切らうとして幾度かポケツトに手を突込んだが、その都度女房かないの言ひつけを思ひ出して、それなりポケツトの奥へ押し込んでしまつた。――実際女房かないの言ひつけと、薬の処方箋とは、言葉通りに解釈した方が、男にとつて危険が少かつた。

会社の入口いりくちを入ると、男は急いで手紙の封を切つて読み下くだした。

「貴方に御心配を掛ける事だとは知つてますが、私としてはお話し致さなくては済まされません。それは私の義務なんですからね。私は先日中こなひだぢゆうから、こんな事になるだらうと思つてましたが、今日まで凝じつと辛抱がまんして来ました。所がとうと大変な事になりました。私はもう隠してばかりは居られなくなりました。愈々いよ〱あけすけに申し上げますから御免下さい。貴方はそれをお聞きになると、屹度顫へ上つておしまひになります。……」

「いよ〱お互の身の破滅だ。忍しのび男をとこでも出来たんだな……」と思ふと、男は髪の毛が逆立さかだちになるやうに思つた。そして急いで後あとを読み次いだ。

「あなた、石炭がもう悉皆みなになりましたのよ。どうぞ正午ひるまでに宅に届けて呉れるやうに電話をお掛け下さいな。――吃驚びつくりさせて済みませんが、かうでもしなけりや、貴方がお忘れになると思つてね。」

男は吻ほつと息をついた。そして謹んで電話をかけて石炭を催促した。石炭と女房かないと――双方どちらとも回復とりかへしたやうな嬉しさを感じたのは、それから物ものの十分も経つてからだつた。

羅馬ローマ字普及3・22(夕)

大阪大学病院の桜根孝之進さくらねかうのしん博士は、ふしだらな病人達には、皮華ひくわ科のお医者さんとして知られてゐるが、健康たつしやで、お行儀のいゝ人達には、熱心な羅馬字普及論者として知られてゐる。

現代日本の文化を進めるには、麺麭パンにジヤムをつけて噛じるのもよい、また覆盆子いちごに牛乳ミルクをぶつ掛けて啜すゝるのもよいが、それよりもずつと効力ききめがあるのは、羅馬字を普及させる事だと信じてゐる博士は、カルテは無論の事、手紙から日記に到るまで、すべて羅馬字で書く事に定きめてゐる。

大学病院の皮華科には、いろんな患者が集まつて来る。役人、商人あきんど、芸妓、学生……さういふ連中れんぢゆうは大事な瀬戸物を毀こはしでもしたやうに、てんでに頭を掻き掻き、博士の前へ出て来る。博士はそれを一々叮嚀に診察しながら、羅馬字で一杯詰まつた頭をじつと傾かしげて、極きまつたやうに軽い溜息を吐つく。

そして時々は、真つ赤になつた患者の顔を、穴の開あく程見つめて、

「困つた事さ。だが、これも羅馬字が普及しないからの事なんだ。」

と、つい呟ぼやくやうにいふ事がある。自分の病気を不品行ふしだらの故せゐだとばかし思つてゐる患者は、それが羅馬字と関係があると聞いて、大抵は一寸吃驚びつくりする。

「先生、羅馬字が何どうか致しましたか。」

「いや、なに矢張り羅馬字に限るといふ事ですよ。」

と、博士はインキ壺のやうに落おちつき払つて済ましてゐる。

博士の説によると、日本に科学の智識が行き渡らないのは、仮名文字や漢字がのさばつてゐるからで、便利な羅馬字さへ普及してゐれば、男にも女にも、猫にも、鰯にも科学思想が行き渡つて、みんな身持がよくなるといふのだ。――実際結構な話で、さう聞いて居ると、誰だつて羅馬字が使つてみたいが、唯気の毒なのは、さうした結構な世の中になると、博士のやうな皮華科のお医者さんの入用いりようが無くなるといふ事だ。

卵を一つ3・23(夕)

ある時、発明家のトーマス・エヂソンの実験室を、若い婦人客が訪ねて来た事があつた。すべて天才の事業を認めて心よりそれを崇拝するものは男よりも女に多いものだ。こんな時に、男はどうかすると、嫉妬に駆られて、けちを附けたがるものだが、女は割合に素直な心を持つてゐる。

エヂソンは美しい女客のために、自分が今実験に取りかゝつてゐる色々の仕事を解り易く説き聞かせた。丁度夏の午ひる前の事で、女客は顔の汗を拭き〱感心したやうに幾度いくたびか首を掉ふつて聴きき惚とれてゐたが、暫くすると発明家の顔を振り向いて訊いた。

「承はつてみますと、何もかも結構だらけですわ。これまで先生には、こんなに幾つもの立派な発明をなすつて居らつしやりながら、まだ何か知ら仕遂げてみたいと思つてらつしやる事業しごとがおありなんですか。」

「有りますとも。」発明家は女客の顔をじつと見詰めながら言つた。「もしか貴女あなたが誰にも洩らさないつて事を約束して下さると、私が取つて置きの希望をお話してもよい。」

「お約束致しますとも。屹度誰にも話しは致しませんわ。」と若い女客は幾らか顔を赧あからめながら身体からだを乗り出すやうにして言つた。女にしてみれば、この偉い発明家が何か知ら内証事ないしようごとを、自分にだけ打明けて呉れるといふ事が、何よりも嬉しかつたのだ。「私承はる事が出来たら、それが一日も早く成功するやうに神様にお願掛ぐわんがけしますわ。」

「有り難う、厚くお礼を申しておきます。」エヂソンは真面目な口を利いた。そして他人ひとに立聴たちぎきでもされるのを気遣ふやうに、幾らか声を落して言つた。「私の行やつてみたいつて事はね、御覧なさい、那処あすこに煽風器せんぷうきが廻つてるでせう……」と部屋の隅つこにある煽風器を指ざした。「あの煽風器に卵を一つ投げつけてみたいんです。唯それだけでさ。」

駱駝の襦袢シヤツ3・24(夕)

東京工科大学の鳳おほとり秀太郎博士は、与謝野晶子女史の兄さんとして、電気工学の大家として聞えてゐる学者である。

博士は昨年末、大学から年末賞与として百円を貰つた。年末賞与といへば、幾千円か幾万円かとばかし思ひ込んでゐる大阪の実業家達は、こんな話を聞くと、鼻の上に皺をよせて、

「たつた百円? それ許ばかしのお金が賞与といへまつかいな。」

と、馬のやうにくすくす笑ひ出すかも知れないが、これまで年末賞与なぞ、つひぞ貰つた事の無い大学教授にとつては、百円の金もお粗末には出来なかつた。

博士はその賞与を掌面てのひらに握つたまゝ、何に費つかつたものかと小首を傾かしげた。その瞬間専門の電気エレキのやうに博士の頭の中を突走とつぱしつたものがあつた。それは他でもない駱駝のシヤツであつた。

博士はいつだつたか、洒落者の多い実業家の会合で、駱駝のシヤツの話を聞いた。それを着込むと、どんな寒中でも風邪を引かないばかりか、色々の書物に載つてゐない善いい考へが浮んで来るといふ事だつた。

「一つその駱駝のシヤツといふ奴を購かはう、幸ひ百円といふ大金が手に入いつたのだから。」

博士はかう思ひきめて、ポケツトを膨ふくらましながら銀座へ出て往つた。

博士は雑貨屋の番頭から、上等の駱駝のシヤツと股引下ズボンしたとを手に受取つた。番頭は小腰を屈かゞめた。

「これで上下うへした揃ひまして八十円でございます。」

「八十円?」博士は思はず掌面からシヤツを取り落した。

「へい〱、お値段の所は精々勉強いたしてございます。」番頭は櫛の目の立つた頭髪あたまへ一寸手をやつた。

「八十円!」博士は口のうちで呟ぼやきながら、服の前のシヤツと股引下ズボンしたとを見つめてゐたが、そのまゝ黙つてふいと外へ出た。

「八十円! 怪けしからん値段ぢや。そんなものを買ひ込んだら、後あとには二十円しか残らなくなる。」

博士は胸算用むなさんようをしながら、暴やけに洋杖ステツキを揮ふりまはした。洋杖ステツキが何かに当つたやうに思つてよく見ると、それは電信柱であつた。電信柱はこの寒空さむそらに大学教授と同じやうに駱駝のシヤツも着ないで、素つ裸のまゝ反身そりみにじつと衝立つゝたつてゐた。

独帝カイゼルの拳骨げんこ3・28(夕)

戦争いくさになつてからは、さう暢気のんきな事も出来ないが、伯林ベルリンの市中では、いつも大晦日おほみそかの夜よは、市街まちを歩く人達が、出会頭であひがしらに誰彼の容捨はなく、いきなり拳こぶしを固めて帽子の頭をぽかりと擲なぐりつける事が流行はやる。

今の独帝カイゼルは人一倍この遊びが好きで、皇帝の位に即ついてからも、大晦日の晩になるとこつそりお忍びで市街まちへ浮れ出し、擦れ違ひざまに他人ひとの隙を見ては、ぽかりぽかりと擲りつけたものだ。

誰彼の容捨なく、他人ひとの帽子を擲りつけるといふのは、年中頭ばかり下げて暮してゐる人達にとつて、実際胸の透く遊戯に相違なからうが、独帝カイゼルのやうに、朝から晩まで内閣の大臣連にお辞儀をさせ通しにさせてゐる者は、もつと他ほかの遊びを好いてもよかりさうなものだ。

しかし独帝カイゼルは好きな事をするのに、誰に遠慮は持たない性分である。その上一つ間違つたら、相手から自分の帽子を擲りつけられるといふ心配があつてみれば、独帝カイゼルは何どうしてもこの遊びを捨てる訳に往ゆかなかつた。

ある歳としの大晦日の晩、独帝カイゼルはいつものやうにお忍びでこつそり市街まちへ飛び出した。明るく灯ひの入つた市街まちには、自分の頭を庇かばひ立てるやうにして、尻目に他人ひとの帽子を覗ねらつてゐる人達がうようよしてゐた。独帝カイゼルは急ぎの用事でもあるらしい顔附で、そのなかに紛れ込んで往つたが、擦れ違ひざま牛のやうな呆とぼけた顔の男を見ると、いきなり拳をあげてぽかりと帽子を叩きつけた。

その瞬間独帝カイゼルは真青になつて、帽子から拳を引き外した、見ると、白い手首に真紅まつかな血がたらたらと流れてゐる。独帝カイゼルは恨めしさうにその男の帽子を覗き込むだ。帽子の山からは釘が二三本頭を覗けてゐた。その男は釘仕掛を発見めつけられると慌てて帽子を脱いで小脇に抱へ込んだ。そしてセルロイド製のやうな禿頭をふりふり群衆ひとごみに紛れ込んだ。

独帝カイゼルはぶつぶつ呟ぼやきながら宮城に引きかへした。そして侍医の鼻先に血だらけな拳骨げんこをぐつと突き出した。侍医は叮嚀に繃帯をした。

天国に結婚のない理由わけ3・29(夕)

結婚といふ事は、人間のする仕事のうちでは余り立派なものではない。あれは賭博ばくちや編物と同じやうに、外に何も仕事のない時にするほんの閑潰ひまつぶしで、歌を咏よむとか、画ゑを描かくとか、そんな結構な仕事を知つてゐる人達にとつては、結婚なぞ成るべくしない方がいい。だから、基督も天国では「娶めとらず、嫁ゆかず」だと言つてゐる。天国のやうな結構づくめなところでは、結婚は賭博ばくちと一緒に御法度となつてゐるのだ。

説教家としては米国で第一人者と言はれたビイチヤアが、ある時教会でお得意の説教をした。説教はいつに異かはらず面白く出来たので、ビイチヤアは上機嫌で教会を出ようとした。

すると、それまで出口に衝立つゝたつてゐた妙齢としごろの美しい娘が、一寸会釈をしてこの説教家を呼びとめた。

「先生、ちよいとお伺ひ致しますが――」娘は嬌あまえたやうな身振をした。「天国には結婚が無いやうに福音書に書いてありますが、あれは真実まつたくなんでございませうか。」

ビイチヤアはじつと娘の顔を見つめた。娘はチヨコレエトよりも、接吻きつすよりも、一番「結婚」が好きらしい口もとをしてゐた。

「真実まつたくですよ。天国には結婚なんてものはありません。」

「何故でございます。」

娘はこの世で結婚をした上に、天国でも今一度結婚をしたさうな口風くちぶりで訊きかへした。

「それは、何でせう――」と牧師は皮肉な返事をした。「天国には女といふものが居ないからでせうて。」

「天国には女が居ませんて――」娘は軍鶏しやもの牝めすのやうに屹きつとなつて顔をあげた。「違ひますよ、先生、そんな理由わけで天国に結婚が無いんぢやございますまい。」

「ぢや、どんな理由わけで?」

雄弁な牧師は覗き込むやうにして訊いた。

「それはね、かうなんでございますよ。」と娘は石のやうな白い歯を見せてきつぱり言つた。「天国ではお嫁入しようにも、肝腎の式をあげて下さる牧師さんなんて方は一人も居ないからなんでせうよ。」

原敬氏の頭で大発見3・30(夕)

阪神急行電車の小林一三氏は、この一二年来めつきり頭に白髪しらがが殖えて来たので、それが気になつて堪らない。で何かの会合で知合に出会でつくはすと、鼻先を見る前に(実業家といふものは、狗いねと同じで、鼻先さへ見ればその日の機嫌がわかるものだ)先づ頭髪あたまへ気をつける。そして相手の顳顬こめかみに白髪しらがでも発見めつけると、にこにこもので愛嬌口をきくが、さもないと、急に厭な顔をする。

その小林氏が最近東京へ往つた折、知合の結婚式に招かれた事があつた。来合はせたお客は、いつ迄も美しい新夫婦の顔から眼を離さなかつたが、小林氏は尻目にちらと若い二人の姿を見ると、そのまゝ眼を移して皆の頭を見た。皆は鴉からすのやうな真つ黒な頭髪あたまを持つてゐた。

小林氏はそわそわして料理も咽喉へ通らない風だつた。

「みんな言ひ合せたやうに真つ黒な頭をしてやがる。屹度何だらう、己おれを苛いぢめようと思つて鬘かづらでも被かぶつてるのだらう。」

さう思つて見ると、皆の黒い頭が鴉からすのやうにあんぐり口を開あけて、一度に笑ひ出しさうにも思はれた。

すると、その途端、今まで隣の大男の影になつてゐた白髪しらが頭がふと眼についた。白髪しらがも白髪しらがも米利堅粉めりけんこをふり撒いたやうな白髪しらがで、顔は蟹のやうに赧あかかつた。小林氏はビフテキを切りさした儘、じつとその頭に見惚みとれた。この素敵な頭の持主は政友会の原敬氏だつた。

鴉のやうな仲間のなかに、白鷺のやうな原敬氏を見めつけた小林氏は、大威張でかちかち皿を鳴らしてゐたが、暫くすると妙な事に気がついた。

「どうも原さんの顔が険相に見えてならん、何となく人が悪さうだ。何故だらう。」

小林氏は胡麻塩ごましほの頭をじつと傾かしげて考へ込んでゐたが、皿が済んで紅茶が出る頃になつて、漸やつとその理由わけが判つた。

「頭が白いからだ。それであんなに顔が険相に見える。」小林氏は腹の中でこんな事を思ひながら、おつかな吃驚びつくりにそつと頭へ手をやつた。「今日まで原さんが首相になれないのも、事によつたらあの頭の故せゐかも知れんて。もしかあれが寺内のやうに禿げてでも居ようものなら、夙とつくに首相になつてたかも知れない。」

さう思ふと小林氏は一層自分の胡麻塩頭が気に懸つてならなかつた。で、友達の禿頭でも見ると、羨しさうに舌打して、

「いい恰好だ、何となく愛嬌がある。」

と言ひ言ひしてゐる。

入場料の倹約3・31(夕)

アルマ・グルツク女史といへば米国で名高い高調子の歌手ソプラノ・シンガアで、欧羅巴ヨーロツパの本場仕込しこみでなくて、グランド・オペラの一流株になつたのは、女史が皮切かはきりだといふ、米国ではちやきちやきの歌手うたひてである。

いつだつたか女史がミシガン州のある市まちに演奏に出掛けた事があつた。何しろ名高い高調子の歌手ソプラノ・シンガアが顔出しをするのだといつて、市まちは引つくりかへる程の騒ぎだつた。一体音楽といふものは、いろんな芸事のなかで、一等解わかり難にくいものだが、あれを解らないといふと、馬に比べられる心配があるので、大抵の人は辛抱がまんして解つたやうな顔をしたり、面白い面白いといつて騒ぎ廻つたりするものだ。

演奏のある日の午ひる過ぎ、アルマ・グルツク女史は好きな菓子を買ひに大通おほどほりの店屋に入つて往つた。番頭は朋輩を相手に頻りとその晩の演奏会の事を噂してゐた。

「演奏会といへば、大した人気ださうぢやありませんか。」

女史は何喰はぬ顔をして口を出した。

番頭は初めて気が注ついたやうに身装みなりのりうとしたこの婦人客を見た。

「どうも素晴しい人気でございますよ。」

「貴方も今晩は入いらしつて?」

女史は世間並の挨拶などするには惜しいやうな美しい声で言つた。

「へい、参り度いとは思つてゐるのでございますが――」番頭は一寸頭へ手をやつた。「実を申しますと、音楽は余り好きでもございませんが、唯噂の高いアルマ・グルツクさんといふ方のお顔を見たいと思ひましてね。」

「それぢや、眼をあけてようく御覧よ。」女史は幾らか中ちゆうつ腹ぱらの気味で鵞鳥のやうにぐつと首を前に突き出した。「そして入場料だけ倹約しまつしとくといいわ。」

番頭は呆気あつけに取られて、女客の顔を見た。そしてこの女がその晩の名高い歌手うたひてである事に気が往つくと、じつと眼を皿のやうに睜みはつた。――で、言はれた通りに入場料だけは倹約しまつをする事にした。

愕堂の日本料理談4・1(夕)

仏蘭西通の稲畑勝太郎いなはたかつたらう氏が先日こなひだ何かの用事で尾崎行雄氏を訪ねた事があつた。談話はなしが済むと、尾崎氏はお客を連れて、自分の宅うちの食堂に入つて往つた。

「別に何もないが、女房かないの手料理といふところを味はつてくれ給へ。」

尾崎氏は議会で、寺内首相の「手料理」を小ツ酷くこき下した同じ口でかう言つたが、その口振から察すると、テオドラ夫人の庖丁加減が大分だいぶん自慢らしかつた。

実際テオドラ夫人の手料理は美味うまかつた。尾崎氏は肉汁スープで汚れた胡麻白ごまじろの口髯を捻ひねりながら、料理について色々な事を話した。

「一体これまでの日本料理は、見た眼にはなかなか美しいが、味はつてみると一向うまくありませんね。」と尾崎氏は聴衆ききてが少いのが物足りないやうに、卓上テーブルに並んだ薬味台や洋酒の壜をじつと見比べた。「あれは徳川氏が自分の政策上から、あんな料理法を拵へ上げたので、一体吾々の食べる魚肉といふものは、皮肉ひにくの間あひだが膩あぶらが乗つて一番うまいものなんです。ところが、徳川氏は、諸大名を肉体的に衰へさせるには、そんな結構な所を食べさせてはならないといふので、今に伝はつてるやうな見た眼に美しい料理法を奨励する事になりました……」

「成程面白い御観察で……」

稲畑氏は感心したやうに小首を傾かしげた。

「その政策はまんまと当つて、諸大名は見た眼の美しい料理ばかりを好くやうになつた結果肉体の力が衰へて、野心も何も無くなつてしまひました。」と尾崎氏は自分でもその観察の奇抜なのに感心したやうにとんと軽く卓子テーブルの上を叩いた。ビフテキは吃驚びつくりしたやうに皿のなかで顫ふるへた。「ところが、妙なもので、その徳川氏自身がいつの間にかそんな料理に舌鼓したつゞみを打つやうになつたものですから、段々精力が衰へてとうと自滅するやうな運命になりました。」

「しますると……」稲畑氏は肉刀ナイフをかちかち言はせながら調子を合はせた。「日本人を新しく拵こさへ上げるには、今迄の料理法から遠ざかつて、皮肉の間を食べるやうにしなければなりませんね。」

「さやう〱。」尾崎氏は気に入つたやうに頷いた。そしてテオドラ夫人の手料理は、とりわけその点によく気を注つけてあるやうに、猫のやうな口もとをして勢ひよくビフテキに噛かじりついた。

結構な議論で、尾崎氏としては少し出来過ぎてゐるやうだが、テオドラ夫人の受売うけうりだと思へば面白くない事もない。女房の女帽ボンネツトを借りたのなら人笑ひだが、意見の受売なら少しも可笑をかしくない。

画ゑの接吻キツス4・2(夕)

サアゼントといへば、女優のエレン・テリイがマクベス夫人に扮装した、あの名高い画の作者だと知らぬものもないが、この画家がシヤヷンヌやエドヰン・アベエなどと一緒に暮斯敦ボストンの公立図書館の装飾画を頼まれて、米国へ渡つた事があつた。

その折サアゼントは或る知合の午餐会に招よばれて往つて、ひどく自分を崇拝してゐる一人の娘に出会つた。娘は食卓テーブル越しに、じつとこの画家の姿に見惚みとれてゐたが、暫くすると漸やつと重い口を開いた。

「先生、わたし先日こなひだ或る所で貴方の御製作を拝見して、覚えず絵に接吻キツスしましたわ。」

「ほゝう、何だつてまた接吻キツスなぞなさいましたね。」

画家ゑかきは幾らかお愛想あいさうのつもりで訊きかへした。

「だつて、そのなかの一人が先生にそつくりなんですもの。」

娘はかう言つて、皿のなかの桜んぼのやうに紅あかくなつた。

「それは有難う。」画家ゑかきは一寸頭を下げる真似をしたが、急に真面目くさつた顔になつて、「そしてその画が御返礼に貴女あなたを接吻キツスでも致しましたかね。」

「いゝえ先生、だつて、相手は画なんぢやございませんか。まさか……」

と言つて、娘は蓮葉はすはに額で一寸睨にらめるやうな真似をした。

「まあ、さうでしたか。そんな失礼な事を……」画家ゑかきはにや〱笑ひ出した。「それぢやお嬢さん、私にそつくりだと言へませんよ、私なら……」と、今でも喜んで接吻キツスをしさうな顔をした。

眼鏡4・3(夕)

東京駿河台に前田珍男子ちんだんしといふ眼医者がある。アメリカ帰りの男で、現代人の多くは神経衰弱症に罹かゝつてゐる、そしてその神経衰弱は大抵眼から来てゐるのだから、現代人を救ふには、も一つ大きく言ふと、現代文明の廃頽的傾向を済すくふには、是非眼を療治しなければならぬと言つて、鵙もずのやうにきいきい騒いでゐる。

ところが、実際世間には眼から来た神経衰弱に苦しんでゐる人達も少くない。さういふ人達は、前田氏の説を聞いてみると、何だか気に懸る節ふしが無いでもない。で、つい手近の眼医者にかゝるやうな事になる。お蔭でそんぢよそこらの眼医者は、

「前田めが、きい〱騒ぎ立てるので、つい自宅うちの患者までが殖えるやうだ。もつと我鳴り立てて呉れるといゝがな。」

と、前田氏が日本人といふ日本人をみんな眼病患者のやうに言ひ立てて呉れるのを待ち設けてゐる。

前田氏の神経衰弱の治療法は至極簡単である。それは度に合つた眼鏡さへ懸ければ、それでいゝので、現に有島生馬いくま氏などは、長年の神経衰弱を、眼鏡の力ですつかり治してゐる。

さうした眼医者の家うちだけに、前田氏の病院は、助手から、看護婦から、受附から、俥曳くるまひきに到る迄、みんな言ひ合はしたやうに眼鏡をはめてゐる。

「幾ら厭だ厭だと言つても、院長さんが首根ツこを押へつけて、眼鏡をかけさせずには置かないんだから仕方がない。」

と、彼等は揃ひも揃つて低い鼻の上に、眼鏡をかけて、ぶつぶつ呟ぼやいてゐる。もしか飼猫でも居ようものなら、前田氏は権柄づくでそれにも眼鏡を一つ押売するかも知れない。

可笑をかしいのは、その前田氏がちやんと眼鏡をかけてゐながら、それで居て近頃神経衰弱に困つてゐる事だ。そして何が原因もとの神経衰弱かと訊くと、あんまり他人ひとの眼鏡を気に懸け過ぎるからださうだ。

画家の活躍4・4(夕)

二日の夜よ大阪ホテルで催された洋画家鹿子木孟郎かのこぎたけしらう氏の歓迎会の席上、鹿子木氏が近頃流行の“Camouflageカムウフラアジ”といふ語を口に出すと、居合せた大阪の洋画家連は、いづれも初耳らしく、兎のやうに耳を引つ立ててゐた。美術家でさへそれだから、一般の人達は何の事だか、知らぬ向むきも多からうから、今日は一寸この事に就いてお話する。

Camouflage といふのは、仏蘭西の劇場しばゐの通語で、舞台の背景に深い溝とか道とかを描かく、それを言ひ馴らはせて来たものだが、西部戦線における仏蘭西画家の働きは、この語をもつと一般的にした。

召集されて戦線に立つた画家連は、恰ちやうど舞台の背景画家がするやうに、敵の目を晦くらますために、戦場に色々な背景を拵へ上げることを考へついた。そこらにある火薬庫を灰色の絵具で塗り立てて、大きな巌いはほのやうに、また平つたい野原のやうに見えるやうにする。

怖ろしい榴弾砲や臼きう砲やを敵の砲兵に見つからないやうに、枯木や、木の株のやうに彩色する一方では、壊れた荷馬車や樹の幹やを、大砲のやうに見せかけて、成るべく敵の砲弾を無駄費むだづかひさせるやうな事をたくらむ。軍用自動車などは青や、紫や、藍でめちやめちやに塗りくつて、何処を通つてゐようと、外ほかの物に紛れて滅多に見つからないやうにしてしまふ。――恰ちやうど女優の貞奴さだやつこが額の皺くちやを塗りつぶして桃介さんの眼をごまかすやうな恰好に。

かうした仕事を彼等は Camouflage と呼んでゐるが、暢気のんきなやうで実はなか〱危あぶなつかしい。時には仕事の出来栄を見るために、飛行機に乗つて空高く飛ばねばならぬ事もあるし、事によると、第一線まで出掛けて往つて、夜よの間あひだに巌いはや枯木に似せた哨兵の弾丸除たまよけを拵へ上げねばならぬ事もある。

ダヌンチオのやうに飛行機へ乗つて飛び廻るのみでなく、美術家は美術家で、習ひ覚えた芸でその一部を働いてゐるところに、今度の戦争の面白味はあるのだ。

仏国領事4・5(夕)

役人といふものは、何処の国でも兎角気むつかしく出来てゐるもので、個人としては交際上手な仏蘭西人でも、役人となると得て気むつかしやが多い。

近く孟買ボンベイに栄転する筈の、神戸駐紮ちゆうさつ仏国領事などもその一人にんで、この人は今だに領事館に電話を引かうとしない。この忙がしい世の中に何どうした理由からだと訊くと、領事は気難きむつかしい顔を一層険しくして、

「電話を引くと、他ほかからうるさく用事を言つて来るから困る。私わしに用事があるなら、領事館まで出掛けて来たらいゝ筈だ。」

と言つてゐる。

領事は飼猫や将棋の駒やと同じやうに自分の名前を一つ有もつてゐる。それはシヤルパンチエーといふ名で、結構な名前だが、このシヤルパンチエーは英語でいふと、カアペンタア、言霊ことだまの幸さちはふ日本語では、「大工」といつて、朝から晩から金鎚を叩いて暮してゐる、紺の法被はつぴに鉢巻をした男の事である。

そんな訳で、領事はどんな事があつても、自分の領事館のなかでは「大工シヤルパンチエー」といふ語ことばを使ふ事を許さない。仏蘭西語でシヤルパンチエーといふのは、天にも地にも自分一人のために拵へられた固有名詞で、普通名詞として燕つばくろのやうな紺の法被を着た大工を呼ぶなどは、以ての外だと思つてゐるのだ。

ある時、館員の一人が門の毀こはれを繕つくろはうとして領事の前へ出た。そして何の気もなく、

「御覧の通り門がひどく痛んだやうですから大工シヤルパンチエーを呼びたいんですが。」

と、うつかり口を滑らすと、領事は苦味丁幾クミチンキを飲んだやうに苦い顔をして、外そつ方ぽうを向いた。そして、

「門の修繕ていれなど何どうだつていいよ。」

と一言いつたきり石のやうに黙りこくつてしまつた。

で、それに懲りた館員は、仏蘭西語の辞書をいろいろ捜し廻した揚句、今では「大工」の事を、

「Menuisierムニユイジエー」

と呼ぶ事に定きめてゐる。「ムニユイジエー」は指物師の事だが、さういふと、領事は二つ返事で直ぐ承知して、門の修繕ていれは愚おろかな事、齲歯むしばの手当から、臍の掃除まで指物師にさし兼ねない程にこ〱顔である。

牛の価4・6(夕)

今病気で臥ふせつてゐるルウズヴエルト氏が、ずつと以前紐育ニユーヨーク州の知事をしてゐた頃、一人の農夫爺ひやくしやうおやぢをよく知つてゐた。ル氏は毎日馬に騎のつて役所に出掛けたものだが、農夫爺ひやくしやうおやぢの家うちはその途中にあるので、馬に騎のり倦あいたル氏は、時々鞍から下りて爺さんの家で休んだりしたものだ。

ある朝、ル氏がいつものやうに馬に騎つて出掛けると、爺さんは窓に凭もたれて、紐育の新聞を読んでゐたが、予かねて聞き馴れた馬の蹄ひづめがぽかぽか鳴るので、じつと眼を離して外を見た。街道には利かぬ気の知事が笑顔をして馬に跨またがつてゐた。

「よい所へ御座らしつたな、檀那……」爺さんは窓から巌丈な身体からだを乗り出すやうにして言つた。「ちよつくら檀那にお訊き申すべいが、市まちの新聞つてえ奴は、えら嘘吐つくだね。」

「嘘を吐つくつていふのか、新聞が。」ルウズヴエルト氏は蟹の様に顰しかめつ面つらをした。「何だつてそんな事を訊くんだな。」

爺さんは窓越しに今まで読むでゐた新聞を見せて、何処かを太い指頭ゆびさきで押へるらしかつた。

「私わしたつた今読むだばかしだが、ここにこんねえな話が載つとるだよ。何でもはあ、市まちの富豪ものもちが牝牛めうし一匹の画ゑに一万四千弗とか払つたつてこんだ。嘘吐つくにも程があるだよ。」

「何だつて、それが嘘なんだ。」

ルウズヴエルト氏は可笑をかしさうに訊いた。馬は牝牛が法外の値で取引されたのを聞くと、何だか面白くなささうな顔をして、頻りに瞬きをしてゐた。

「何だつて、檀那様……」農夫爺ひやくしやうおやぢは解りの遅い知事をもどかしがるやうに声を高めた。「なんぼ広い紐育の市まちだつて、まさか牛乳ちゝの絞れねえ牝牛に大枚一万四千弗もおツ投ぽり出す馬鹿者も御座りましねえからの。」

栖鳳氏の画かいた雀や筍たけのこの値段を、この爺おやぢさんに聞かせたら何と言ふだらうて。

塹壕戦の賭博4・7(夕)

西部戦線では敵味方の間に色々面白い事柄が起きるが、或日の事英軍と独軍との塹壕の間なかにある空地に、一匹の牝牛めうしがひよつくり飛び出して来た。敵味方とも牛乳ミルクや新しい肉に饑かつゑてゐるので、何どうとかして、自分達の塹壕に引張り込まうとするが、ひよつくり頭でも出すと、直ぐ弾丸たまが鳴つて来るので、そんな険呑けんのんな真似も出来なかつた。

すると、英軍の塹壕から、小石を包くるんだ紙片かみぎれが一つ、独軍の塹壕に投ほり込まれた。なかにはこんな文句があつた。

「君の方で銀貨マルクを一つ空に投ほり上げて呉れ、すると此方こつちから狙ねらひ撃うちをする。うまく中あたつたら牝牛は己達おれだちのものだ。若もしか狙ひそくなつたら、此方こつちで銀貨シルリングを一つ投ほり上げる。君の方でうまくそれを狙ひ撃ちしたら、牝牛は君達のものになる。」

暫くすると、独軍の塹壕から、

“O. K.”(承知した)

といふ合図があつて、一マルクの銀貨が一つ空に光つた。英軍から小銃の弾丸たまが一つ飛び出したが、うまく逸それてしまつた。

すると今度は英軍の塹壕から、一シルリングの銀貨が一つ空に投ほり上げられた。独軍の塹壕で矢庭に小銃の爆はぜる音がしたが、弾丸たまは外そつ方ぽうへ逸れてしまつた。――かうして暫くの間まに五マルクと五シルリングの銀貨は無駄に投ほり出された。

独軍の塹壕から六マルク目の銀貨が光つたと思ふと、英軍はぱちりと巧くそれを狙ひあてた。すると先方むかうから合図があつた。

「約束通り、牝牛は君達の方に呉れてやるが、己おれ達の銀貨だけは返してくれ。」

そこで英軍の塹壕から、剽軽へうきんな男が一人のこ〱這ひ出して、やつとこさで牝牛を連れ帰つた後のち、そこらに散らばつた銀貨を一つ宛づつ克明に拾ひ上げた。そしてその中うちの六マルクだけを態々わざ〱独軍の塹壕に持つて往つたものだ。すると、相手方は、

「うまく狙つたな。これは御褒美だよ。」

と言つて、麦酒ビールを半打ダース持出して来た。剽軽な英吉利兵は麦酒壜を両腋に抱へ込むで、自分の塹壕へ転げ込むださうだ。

労働者としての鼠4・11(夕)

世の中に鼠ほどうるさい物はないが、何事にも倹約しまつな蘇格蘭スコツトランド人のハトンといふ男は、近頃普通の家鼠かそを馴らして、糸紡ぎをさせる事を思ひ付いた。

ハトンは自分の物置の隅つこから、鼠をたんと駆り集めて、色々試してみると、大抵の鼠は一日平均十一哩マイル半は走れる、なかには平気で十八哩も走れるのがあるといふ事を発見した。

「こんな速力を持つてるものを、むざむざ天井裏ばかり駈けさせとくのは勿体ない。」

と言つて、それを糸紡ぎに利用する事を考へ出したのだ。

鼠も糸を紡いでみれば、一つぱしの労働者である。労働者にはそれ〲生活を保証してやらなければならぬ。所で、鼠の餌は大分だいぶん安上りで、この労働者ひとりを丁度宜よい加減に肥らせるには、五週間にざつと六銭のオートミールを食べさせればそれで十分だつたが、その間に鼠は三百六十二哩ほど走つた。

ハトンはこの小さな労働者を収容する紡績小屋を建てた。そして仕事に掛らせてみると、鼠はこまめに立働いて一日に百本から二百二十本の糸を紡いだ。で、根気よく一箇年かねんほど、この工場こうばの仕事を続けてみると、五週間に六銭の食費で、鼠一匹の稼ぎ高が、廿五吋インチの長さの糸を三千三百五十本紡いだといふ勘定になつた。

普通の紡績職工に払ふ割合で、鼠に貸金を仕払ふ事になると、ざつと一週間に六銭を遣やらなければならないのだから、五週間に六銭の食費で済むと、差引四週間分だけは只儲けといふ事になる。で、機械や小舎こやの修繕ていれなどを見込むと、鼠一頭の純益が一年に彼是かれこれ三円はあるさうだ。

鉄斎老人の書を4・12(夕)

京都の富岡鉄斎氏のところへ、先日こなひだ宮内省の属官某なにがしといふ男がひよつくり訪ねて来た。属官は山鳩のやうにぐつと胸を反らして座敷に通つた。

鉄斎老人は耳が遠いからといふので、息子さんの謙蔵氏が代りに会ふ事になつた。属官はちよつぴりした口髯を捻ひねり上げながら、精々勿体をつけて用事の趣おもむきを伝へた。――用事といふのは、本省で何かに使ふ木標もくへうの文字を鉄斎翁に書いて貰ひたいといふのだ。

「彼是人選にんせんの結果が、とうと御老人が指名せられる事になりました。何しろ一代の誉ほまれといふものです。一つ奮つて御揮毫が願ひたい。」

属官はかう言つて、またしても勿体らしく髯を引張つた。肉の薄い唇は蛙のやうな口元になつた。

「いや有難い仕儀で……」と謙蔵氏は叮嚀に頭を下げた。「ですが、あなたの方には日高秩父ちゝぶさんといふ立派な書家がいらつしやるぢやありませんか。」

「日高さんですか……」と属官は謙蔵氏の高い鼻を見た。

「日高さんは無論居をられますが、お仕事の方がつい忙がしいもんだで……」

「いかさま……」東洋史専攻の謙蔵氏は、だしぬけに東洋中に響き渡るやうな疳高かんだかな調子で言つた。

属官は吃驚びつくりして眼を円くした。

「忙しいといへば、宅の老人なども貧乏閑ひまなしで、迚とてもお望みに副そふ事は難むつかしからうと思ひますよ。」

「でも御座らうが、政府おかみの御用で、この上もない御老人の御名誉といふものですから……」属官は何でも彼かでも名誉の一点張りで押しつけようとする積りらしかつた。「御承知の通り、政府おかみの事ですから、別にお礼といつては出ないが、その代りいつ迄も御家おいへの誉れになる事でせうよ。」

癇かんの強い東洋史の専門家はにやりと笑つた。

「ぢや、手つ取り早く言つたら、その筋の御用だから、唯働たゞばたらきしろと仰有るんですね。」

「ま、そんなものです。何しろ政府おかみの御用で、名誉の次第ですからな。」

「ぢや、一寸伺ひますが……」東洋史の専門家は皮肉に出た。「貴方方あなたがたは、しよつちゆう政府おかみの御用を仕してゐられる名誉の御境涯だから、別に知行ちぎやうなぞはお貰ひになりますまいな。」

「さ……」と属官は行ゆき詰つまつたやうな顔をして、知行の有無あるなしを一寸考へるらしい風だつた。それに何の無理があらう、考へでもしなければ思ひ出せない程、ちよつぴりした知行取ちぎやうどりだつたのだから。

商品の景物に捕虜を4・14(夕)

瑞西スヰスに商人あきんどがあつた。これまで重おもに独逸から商品を輸入してゐたが、先日こなひだの事予かねて取引をしつけてゐる独逸の註文取が久し振にすつと店に入つて来た。註文取はたつぷり愛嬌笑ひを見せながら、これまで通り取引を続けて欲しいと頼むだが、瑞西の商人は苦り切つた顔をしてきつぱり謝絶ことわつた。

「何かこれまで願つて来た取引に御不足でもお有りなんですか。それとも仏蘭西の方から、お仕入になるお積りかも知れませんが……」註文取は一寸白い歯を見せた。「彼地あちらの出来だと、同じ品で値段がざつと十割方かたも張る事を御辛抱なさらなければなりません。」

瑞西の商人あきんどは弾はじきかへすやうに言つた。

「そんな事位我慢しまさ。」

「飛んでもないお考へ違ひで……」と独逸の註文取りはなかなか絶念あきらめようとはしなかつた。「仏蘭西出来だと、値段がお高い上に、私共のやうな品は迚とても揃つてはありませんからね。」

「それも承知してまさ。」と瑞西の商人あきんどは吐き出すやうに言つた。

「そんなに仰有るからには、此方こちら様は何でも仏蘭西の兵隊さんにお近づきでもお有りになるんぢやありませんか。」

「有りますよ。」と商人あきんどは艴むくれ気味ぎみに言つた。「甥をひが一人お国に捕虜になつてまさ。」

「それはどうもお気の毒さまで……」と註文取は自分が悪戯いたづらでもしたやうに謝つた。「それぢや、どうか従前通これまでどほり御註文を下すつて、尋ついでに甥御をひご様のお名前をもれ聞かせ下さいまし。すると近いうちに屹度御放免になるやうにお取計らひ致しますから。」

瑞西の商人あきんどはあやふやには思ひながら、兎に角註文は出す事にした。そして普魯西プロシヤで捕虜とりこになつてゐる甥の名前と収容所の所書ところがきとを渡すと、それから一週間ほど経つて、甥は不具かたはになつた捕虜の幾人いくたりと一緒に瑞西に送り帰されて来た。商人あきんどは商品を調べるやうにして身体からだを調べて見たが、何処に創きず一つあるではなく、達者でぴちぴちしてゐた。

馬は美人に害あり4・15(夕)

梅田女学校の生徒が、荷駄馬にだばに蹴飛ばされてこのかた、馬といふものは人を蹴るものだといふ事に気が注ついて、急にその取締とりしまりが厳しくなつて来たのは喜ばしい事だ。

馬は女を蹴飛ばすのみならず、その上に女を不縹緻ぶきりやうにさへするものだ。蹴飛ばされて、息が絶える位ならまだ辛抱がまんが出来るが、不縹緻にまでされては迚とても溜つたものではない。美しいといふ事は、生命いのちがあるといふ事以上に大切だいじなのを思ふと、馬は男と一緒に女にとつては目の敵かたきである。

伊太利イタリーのヴエニスには美しい女が多い。世界中のどこの都に比べても、美しい女にかけては決して負ひけを取らない。何故ヴエニスに限つて、そんなだらうと理由わけを訊いてみると、医学者の返事は極ごくはつきりしてゐる。それはヴエニスは音に名高い水の都で、馬が居ないからださうだ。

大抵の都会では、ざつと十分おきには、屹度荷馬車ががたぴしと地響きをさせて通るものだ。騒々しいその物音は人に厭な気持を起させるばかしか、安眠を妨げる事が夥おびたゞしい。安眠は何よりも容色かほかたちを美しくするものだといふ事を思ふと、荷馬車の音も聞かないで、ぐつすり眠る事の出来るヴエニス女の美しいのに何の不思議はない筈だ。

米国のある女学校で、生理の教師が安眠は何よりも健康のお薬だと言つて聞かせると、生徒の一人が衝立つゝたつて質問をした事がある。

「先生人間は一体幾時間ほど眠つたらいゝんですの。」

先生は厳しかつべらしく答へた。

「男子をとこが六時間、女子をんなが八時間、そして馬鹿者が十時間。」

女生徒は嬉しさうに叫んだ。

「いゝわ、私女でゐて、おまけに馬鹿だから、これから十八時間眠る事にするわ。」

その小娘が世界中の一番縹緻きりやうよしだつたか、どうかは私も知らない。

内田博士の時計4・17(夕)

今度欧米漫遊をする事に定きまつた京都大学の諸教授のなかに、文学博士内田銀蔵氏がゐる。内田氏は何事にも念に念を入れて、駄目を押さないと承知出来ない性たちだから、今一度言つておくが、今度洋行を命ぜられたのは、内田氏自身で、内田氏の履はきものでも、外套でもない。

内田氏が以前欧洲留学に出かけた折、仏蘭西から瑞西スヰツツルに旅をした事があつた。ベルンの市街まちを歩きながら、氏は瑞西スヰツツル製の懐中時計が世界に名高い事を思ひ出して記念のため一つ購かつて置きたいと思つた。

「だが、待てよ、ほんとに瑞西スヰツツル製の時計が善よいのか知ら。一体誰だつたらう、自分にそんな事を教へてくれたのは。」

内田氏は頭のなかでプルタアクの英雄伝や何かを引繰返してみたが、どの本にも瑞西スヰツツルの時計の事は書いてないらしかつた。暫くして、氏は小学校の教科書のなかに、確かそんな事が載つてゐたのを思ひ出した。

漸やつと安心をした内田氏は、ベルン一番の時計屋に入つて往つた。そして色々時計を持ち出させた上、一番手丈夫てぢやうぶさうなのを選よつて購ふ事にした。時計は悪叮嚀わるていねいな持主に当てつけたやうに、白い眼をむいて、くつくつ笑つてゐた。

四五日経つと、内田氏は折角の時計が停つてゐるのに気がついた。時計は二時三十分のところで両手をさし上げた儘、懶惰者なまけものの大学生のやうに昼寝をしてゐた。

「これだから困る。こんな事で世界一もないものだ。」

内田氏はぶつ〱呟ぼやきながら、時計屋に修繕なほさせに出掛けて往つた。

内田氏は叮嚀な独逸語で、自分が何よりも正直な日本人である事から、先日こなひだこの店で買つた懐中時計が、漸やつと四五日経つたばかしなのに、もう機械が毀こはれた事を話し出した。

「いかゞ致したものでせう、一つ大急ぎにお繕なほし下さらないものでせうか知ら。」

時計屋の番頭は、そんな筈はないと言つたやうな顔をして、正直な日本人の手から懐中時計を受取つた。そして克明に機械を調べてみたが、どこにも故障はなかつた。

「機械には故障はありませんが、唯螺旋ぜんまいが巻いてないやうでございますね。」

と言つて、指頭ゆびさきで器用にぜんまいを捲いた。すると、時計はまたくつくつと笑ひ出した。

「あ、さうでしたか。螺旋ぜんまいを巻くのを忘れてたんですね。」

正直な日本人は、心持顔を赤めながら、慇懃いんぎんに帽子を脱いでお辞儀をした。そして懐中ポケツトから手帖を取り出して次のやうな文字を書き込んだ。

「時計は捩子ねぢを捲くを忘るべからず、然らざれば二時三十分に到りて停る事あるべし。」

観樹老人の嘘4・18(夕)

十六日京都に入つて来た三浦観樹老人が、一代の狸爺たぬきおやぢたるは知らぬ人もあるまい。

この前観樹老人がこつそり京都へやつて来た時、ある通信社の記者が、それを嗅ぎ出して寝起きを押へようと、朝つぱらからその旅館に出掛けて往つた。老人はもう起き直つて、厚ぼつたい座蒲団の上にちよこなんと坐つてゐた。

訪問記者は漸やつと狸の居どころを突きとめたやうに得意になつて訊いた。

「今度は何の御用事でお下くだりになつたんですね。」

「とうと掴まつたか。」老人は態わざとらしく困つたやうな顔をした。「君達に会つては迚とても叶かなはんよ。実は今度は秘密の用事で誰にも知らさないで、こつそり出て来たんだが……」

「秘密の用事と仰在おつしやると、――矢張り寺内内閣の……」

若い通信社の記者は獲物を嗅ぎつけた狗いぬのやうに鼻をぴくぴくさせた。

「どうだかな。実は今朝これから田中村の西園寺さいをんじの許とこに出掛けて往ゆく筈なんだが……」

老人は軒の燕つばめに立聞たちぎきでもされるのを気遣ふやうに、態わざと声を落した。

「談話はなしの都合では、今晩あたり原(敬)めがまた遣やつて来るかも知れんぞ。」

「原さんがですか……」

若い記者は誰よりも先きに、こんな大事件を聞き出した嬉しさに、胸をわくわくさせながら言つた。

「さうだよ、原が来るかも知れん。するといづれは内閣の話も出さうなもんだ。」

老人はかう言つて、じつと相手の顔を見つめた。若い記者は、こゝまで聞けばもう十分だ、あとは大抵想像で見当がつく、何よりも大事なのは他ほかの同業者を出し抜く事だといつたやうに、慌ててお辞儀をして座を立たうとした。

「まあ待つた〱。」老人は狸のやうな手つきをして客を呼びとめた。「といつたら、君達は喜ぶかも知れないが、今言つた事は皆嘘だよ、俺は嘘を吐つくのが大好きでね。」

若い記者は度胆を抜かれたやうな顔をしてまた坐り込んだ。老人はそれを見ると、嬉しさに堪へられぬやうに声を立ててからからと笑つた。

「若い者に嘘をつくのと、若い女を可愛かあいがるのはまた格別なもんだね。」

国旗に接吻4・22(夕)

桑港サンフランシスコには露西亜生れの労働者がたんと居る。そのなかの一人がある日仕事先で手を泥だらけにしたものだ。一体手といふものは、よく汚れるもので、マコウレエの談話はなしによると、英吉利のある鍛冶屋は、泥棒に頼まれて金物かなものの贓品ざうひんを火に溶かす折には、手で触つては汚れるからといつて、態わざと長火箸を使つたといふ事だ。結構な考へだ。

その露西亜人は汚れた手先を綺麗に水で洗つたが、さて濡手ぬれてを拭かうにも手帛ハンケチ一つ持ち合はさなかつたので、両手をぶら下げたまゝきよろ〱其辺そこらを見まはしてゐた。ふと気がつくと、何かの旗日はたびだと見えて、頭の上に米国の国旗が一つ動いてゐた。

露西亜人は両手を伸ばして国旗の片隅を押へたと思ふと、器用にさつと手先を拭いた。そして何喰はぬ顔で仕事場に帰らうとすると、後から、

「もし〱。」

と呼ぶ者がある。露西亜人は拭いたばかしの両手を洋袴ヅボンの隠しに突込んで、後方うしろを振り向いた。そこには七面鳥のやうに、ぱつと裾を広げたアメリカ女が立つてゐた。

「もし〱。今見てゐると、お前さんはこの国旗の布片きれで濡手を拭きなすつたやうだね。」

女はきい〱した声で突つゝかゝつて来た。露西亜の労働者は呻うめくやうに言つた。

「拭いただよ。それが何どうしただ。」

「お前さん、これを何なんと思つてるの。」

「国旗だと思つとるだよ。」

「国旗を何なんと思つてるの。」

「唯の布片きれだと思つとるだよ。」

露西亜人はトルストイのやうな毛むくじやらの顔を、平気でにや〱させてゐた。

「まあ、何といふ没分暁漢わからずやなんだらうね。」女は七面鳥のやうに顔色を変へて、我鳴り立てた。「私達の兄弟は、今ではこの国旗のために戦つてゐるのぢやありませんか、それも原因もとはと訊たゞせば、お前さんの国が火元なんぢやありませんか。それに、それに……」

女は息が詰つたやうに苦しがつてゐたが、その儘駈け出して往つて巡査を呼んで来た。

巡査は件くだんの露西亜人を警察署に連れ込むだ。暫くすると、さつき手を拭いたばかしの米国国旗が、その前に持ち出された。巡査は厳しかつべらしく言ひ渡した。

「この国旗へ接吻キツスしなさい。」

労働者は獣けもののやうな悲しさうな眼つきをして、毛むくじやらな口で国旗に接吻キツスした。

「それでよし。今度は此方こつちへ来た。」

巡査は労働者をその儘薄暗い拘留所のなかに投ほり込んで、がちやりと重い錠前の音をさせた。

木堂と湖南4・25(夕)

自党の政党員を減らす事にかけて、一種の天才を持つてゐる犬養木堂も、書物だけはどんどん買ひ殖やす事が好きらしい。

犬養氏が長年の間、閑暇ひまと鑑識めがねにまかせて購かひ集めた書物が、二階の一室まにぎつしり詰まつた時、氏は目尻を皺くちやにして喜んだが、それを見てたつた一人そつと溜息を吐ついた人がある。他でもない、それは犬養夫人であつた。

ある朝、犬養氏が鼠のやうな口元をして味噌汁を吸つてゐると、夫人は側そばから呼びかけた。

「貴方、天井が危あぶなかありますまいか。」

味噌汁の味と支那の事とをごちやごちやに考へてゐた氏は、きよとんとした眼つきで夫人の顔を見た。

「天井がどうしたと言ふのかな。」

「危かなからうかと伺つたんですよ。」夫人は心配さうな眼をして天井を見た。「あんなにぎつしり書物が載つかつてるんで御座いませう。ひよつとかすると梁はりが折れやしないかと思つて。」

「まさか。ははは……」犬養氏は声を立てて笑つた。そして女といふものは、詰らぬ心配をするものだと思つたが、直ぐまた急に生真面目になつて、支那の事を心配し出した。犬養氏の考へによると、女は天国や天井の事を気遣つても差支ないが、男は唯もう支那の事だけ心配して居をればいゝ事になつてゐる。

こんな談話はなしが取とり更かはされてから、物の十日も経たぬうち、犬養氏に出入の古本屋の店では、二階に積み重ねた書物の重みで、天井の梁が折れて、店にゐた亭主と番頭とは、その下敷になつて、したゝか背骨を痛めた事があつた。

「そら、御覧なさい、用心しないと、宅うちでもあんな事が起きないとも限りませんよ。」

夫人はこの機会を取り外さなかつた。書物ほんといふものは、人の頭を悪くするばかりか、どうかすると背骨を折る事もあるものだと知つた犬養氏は、夫人に説きつけられて、渋々書庫を建てる事にした。

「これでもう天井の落ちる心配もなくなつた。」書庫が出来上ると、犬養氏は夜着よぎのなかで、安心して蛙かはづのやうに両脚を踏み延ばした。「だが、内藤(湖南)の宅うちは剣呑けんのんだな、あすこの二階には俺とこ以上にぎつしり書物ほんが詰まつてるんだからな。」と眼をぱちくりさせながら天井を見つめてゐたが、「今度内藤に逢つたら、何でも一つ庫くらを建てるやうに勧めてやらう、庫くらさへあつたら安心して支那の事が心配出来るんだからな。」

内証ないしようで内藤氏に知らせる。天井を落すまいとするには何も書庫を建てる必要はない。時々二階にある書物を売払ふ事だ。書物を売るといふ事は、書物を買ふのと同じやうに人間を賢くするものである。

長井博士の道楽4・26(夕)

日本薬学大会だいくわいに大阪に来てゐた長井長義博士には、妙な癖がある。それはどんな日本座敷に通つても、きちんと坐ることをしないで、其辺そこらにある机や碁盤をえつちらをつちら持ち出して来て、平気でそれに腰を掛ける事で、几帳面な主人は、大抵が苦りきつて顔を顰しかめる。

だから滅多に日本式の宴会には出席しようとしない。偶たまに退引のつぴきならぬ義理で、日本座敷の宴会に招かれると、博士は二三杯の酒で紅茸べにたけのやうに紅あかくなつた顔をにこにこさせながら、

「もう徐々そろ〱始めようかな。」

と、側そばに居る者に直ぐもうお得意はこの押売をしようとする。

博士の隠し芸といふのは、外でもない国歌の独唱である。博士は少しお酒が入ると、場所柄には頓着とんぢやくなく、直ぐ起たつて国歌を唱うたひ出す。相手の人達も何しろ国歌の事なので、魚のやうに座敷に寝そべつてばかしゐる訳にも往ゆかないで、ついのこのこと起き上つて来る。

ところが、博士の「君が代」の節といつたら、誰一人真似手のない変なもので、どんな楽天家でも、一度その節廻しを聞くと、急に世の中が厭になるばかしか、結構な自分の国までが、石塊いしころのやうに無益やくざなものに思はれて来る。

で、これを弁わきまへてゐる人達は、側そばについてゐて、博士が成るべく腰掛から腰を持ち上げない事ばかりにやきもきしてゐる。博士がじつと尻を落ちつけてゐて、国歌をさへ唱はうとしなければ、一座は陽気に、日本は御婚礼の式場のやうに晴れやかなものになつて来るのだ。

博士は国歌の外に、今一つ隠し芸を持つてゐる。それはワグネル物の一節を音譜おんふなしで弾くといふ事だ。だが、これは博士自身の自慢で、誰一人その弾奏を聴いた者は居ないのだから確たしかに証明は出来ない。尤も博士は知合の誰にでも、

「是非一度聴いてくれ給へ。」

と、言ひ言ひしてはゐるが、博士の国歌を知つてゐる者は、誰だつて進んで聴かうとは言はないから仕方がない。

詩人と握手4・27(夕)

オセロは自分の女房かないの手を握つて、厭にむつちりと脂ぎつてゐると皮肉を言つたが、それでも柔かい掌面てのひらを握つただけは幸福しあはせと言はなければならぬ、世の中には女の前に愛に充みちた手を出して、その儘外そつ方ぽうを向かれてしまふ男がある。皇帝ツアールの位から滑り落ちたニコラス二世以上に惨みじめだと言つていゝ。愛は露西亜帝国よりもずつと大きいからである。

偉人と名のつく人達に、一度(それも、たつた一度きり)握手をして貰つて、生涯の思ひ出とする物好きがある。スヰンバアンといへば英国の名高い詩人だが、その愛読者の一人に、何とかして一度この詩人と握手して、その心持を一生の自慢にしたいと思つてゐた男があつた。

その男は、詩人が毎朝のやうに其辺そこらの森へ散歩に出かける癖があるのを聞いたので、度々たび〱こゝぞと思ふところへ待伏せして、漸やつと一週間目に、かねて写真版で顔昵懇かほなじみのこの詩人が、向ふからてく〱歩いて来るのに出会でくはす事が出来た。

その男は樹蔭こかげから猟師のやうに飛び出した。そして慌てて帽子を脱いだ。

「ちよいと伺ひますが、あなたはスヰンバアン先生ぢやありませんか。」

詩人は変な顔をして、一寸うなづいた。

「それぢや、どうか握手させて戴きませう。」

男は脂ぎつた掌面を前に差し出した。詩人と握手するよりも、熊と掴み合つた方が恰好なと思はれる程大きな掌面だつた。

「うむ……」と詩人は呻うめくやうな声をして、少し後退あとじさりした。まるで見知らぬ男の掌面に怖気おぢけづいたやうだつた。

その瞬間、件くだんの男は詩人が聾つんぼだつたのに気がついて、一段と声を張りあげた。

「先生、私はあなたに握手がして戴きたいばかりに、一週間ばかし毎日のやうにこゝでお待ち受けしてたのでございます。」

「あ、さうでしたか。」

詩人はにやりともしなかつた。そして痩せた手を出して、その男の大きな掌面を握つたが、その一刹那小娘のやうに心持顔をぽつと赧あかくした。

「私はこんな事には馴れてないものですからな。」

襲名興行の口上4・28(夕)

嵐徳三郎が今度璃寛を襲名するについて、仕打しうちの松竹まつたけ合名社から口上役について、徳三郎の許もとへ相談に往つたものだ。松竹の考へでは延若や雀右衛門や多見蔵のそれと同じやうに、鴈治郎に口上が言はせたかつたのだ。

「誰はんがよろしおまつしやろ。」

仕打は探さぐるやうな眼附をして徳三郎の顔を見た。

「さあ、誰はんがよろしおまつしやろな。」

徳三郎も同じやうな事を言つて、狐のやうな眼附で仕打を見かへした。

「大阪に深い馴染のある方やないとあきまへんな。」

「さうだすとも、大阪に深い馴染のある方やないとあきまへん。」

徳三郎はまた同じやうな事を言つて、擽くすぐつたさうな顔をした。

二人は火鉢をなかに差向ひに坐つて、互に顔を見つめてゐた。仕打は蟷螂かまきりのやうな顔の小ちつぽけな俳優やくしやだなと思つた。俳優やくしやはまた蟋蟀こほろぎのやうな色の黒い仕打だなと思つた。仕打はとうと切り出した。

「成駒なりこま屋はどうだつしやろ。」

「成駒屋はんだつか。」徳三郎は初めて気が注ついたやうに言つた。「成程成駒屋やと申し分はおまへんな。そやけど出て呉れはりまつしやろか。」

「出やはりますとも。そりや出やはりますぜ。」仕打は漸やつと安心したやうに膝を進めた。「成駒屋はんは口上が上手やし、それに縁喜えんぎがよろしおまんがな、延若さんのも雀右衛門さんのも大入続きだしたよつてな。それではさう決めときまへうかいな。」

「まあ、待つとくんなはれ、一度阿母おかはんに聞いてみますよつて。」

徳三郎は奥にゐる母親おふくろを喚よんだ。母親おふくろはのこのこ出て来た。そして訳を聞いた。

「結構だんな。」母親は魚のやうな眼をして仕打の顔を見た。「そやけど、私わてはもう先のない身体からだだすやろ、冥途あのよで良人うちのに会うて、忰せがれは名前替なまへがへに誰に口上言うて貰ふたんやと訊かれた時、成駒屋はんやでは良人うちのが知りまへんやろ、あの人は一代だい俳優やくしやだすよつて……。」

「成程な……」仕打は不足さうな返事をした。徳三郎は尖とがつた鼻の孔あなから煙けぶりをすうと吐き出した。

「やはり仁左衛門まつしまやにしとくなはれ、あの人やと良人うちのも知つてますよつてな……」

母親はお念仏を言ふやうに頼んだ。

で、とうと璃寛の襲名興行の口上は仁左衛門にざゑもんに定きめられた。

三哩マイルの言語ことば4・29(夕)

英軍が今度の戦争で発明した新しい武器に亀の甲のやうな“Tankタンク”があるのは知らぬ人もあるまい。英語ではたつた四文字で出来てゐるこの戦車が、独逸へ往ゆくと Schützengräbenvernichtungsautomobil といふ、怖ろしい長い名前に変つてゐる。独逸人は何によらず、鼠の尻つ尾のやうな長い名前をつけるのが好きな国民である。

だが、英語にも随分長い言葉はある。英語で一番綴りの長い語ことばは何だらうといふ事は、往時むかしからよく無駄話の材料たねにされたもので、ある人は。“Disproportionableness”といふ二十一文字で出来てゐるのが一番長いといふと、いや、さうぢやない、その外にまだ“Disestablishmentarianism”といふ二十四字で出来てゐる語ことばもあるといつて議論したものだ。

科学者がよく拵へるお手製の複合語には、“Dichlorhydroquinonedisulphonic”といふ卅文字で出来た語ことばもあるが、しかし語ことばの製造にかけては、どんな科学者も小説家には叶はない。チヤアルズ・キングスレエの『ウオタア・ベビイス』といふ子供の読み本を覗いた事のある人は、もつと〱長い、まるで蛇のやうな語ことばに出会でくはして、ぎよつとした事がある筈だ。その語は、“Necrobionepaleonthydrochthonanthropopithekology”といふ、四十七文字で出来てゐる語ことばだ。もしか一息にこの語ことばを発音する人があつたなら、褒美として独逸帝国を半分進上してもいい。

洒落好きな和田垣謙三博士は、大学の教室で学生を前に、英語で一番長い語ことばは何だとよく訊いたものだ。学生が返事に困つて、顔を見合はせてゐると、博士は満足さうににやりとして、

「Smiles だよ。SとSとの間が一哩マイルあるぢやないか。」

と言つて、声を立てて笑つたものだ。

だが、それは博士が無学だからで、英語にはもつと長い語ことばがある。外でもない、

“Beleaguered”

といふ語ことはで、Be と red との間が一リイグある。一リイグは約およそ三哩の長さである。

林檎の冤罪ゑんざい4・30(夕)

エデンの花園くわゑんで、蛇に欺だまされてイヴが食べた果実くだものを、大抵の人は林檎だと思つてゐるらしいが、それは大きな間違で、あの果実が林檎で無かつたのは、誰よりかも私がよく知つてゐる。

歴史家の考証するところに拠よると、エデンの花園くわゑんといふのは、確たしかにバビロニヤの事だつた。ところが、バビロニヤには林檎といふものが無かつた。丁度寺内首相の頭に髪の毛が無いと同じやうに。

だが、よく調べてみると、旧約聖書には、何処にもイヴが林檎を食つたといふ事は載つてゐない。唯樹の実を食つたといふ事だけは確に出てゐる。聖書学者の説によると、樹の実といふのは、

“Fructum”

といふ語ことばだつたが、いつとなくそれが、

“Pomum”

といふ語に書き更へられてゐた。”Pomum”には普通たゞの樹の実と、林檎と、二つの意味があるので、いつの間にかイヴが食つたのは林檎だつたといふ事になつたのだ。

林檎にしてみれば、いゝ迷惑な話で、人間堕落の原因が、イヴの食つた樹の実にある以上、顔を真つ赤にしても、この点だけは言ひ争つて置かなければならぬ。唯林檎には口が無い。そして友達に弁護士も居なかつたので、今日まで黙つてゐたのに過ぎなかつた。

昨日は英語で一番綴りの長い語ことばの事を言つたが、今日は林檎の冤罪を雪そゝいだお剰まけに、世界中で一番長い名前をお知らせする。それは英国の洗濯せんだく屋アアサア・ペツパアといふ男の一人娘の名前で、附けも附けたり、

Anna Bertha Cecilia Diana Emily Fanny Gertrude Hypatia Inez Jane Kate Louisa Mauda Nora Ophelia Quince Rebecca Sarah Teresa Ulysses Venus Winifred Xenophon Yetty Zeus Pepper.

といふ長つたらしいものだ。アルフワベツトが順々に頭文字に置おき列ならべてある所が一寸面白い。

頓陳漢5・2(夕)

政友会の三土つち忠造ちゆうざう氏が、会の本部で退屈凌しのぎに、ズウデルマンの『マグダ』を読んでゐた事があつた。『マグダ』は言ふ迄もなく、松井須磨子の出世狂言として名高い劇しばゐである。三土氏は拾い読みをしながら、七面鳥のやうに顔を顰しかめたり、笑つたりした。

そこへ米利堅粉めりけんこの粉袋のやうな、真つ白な頭がぬつと入つて来て、後からじつと書物を覗き込んでゐたが、暫くすると、三土氏の肩越しに長い手を出して、書物の表紙をめくつた。三土氏は驚いて後を振り向いた。そこには総裁の原敬氏が衝立つゝたつてゐた。

「マグダと言ふんだな。何処かの政治家の伝記かな。」

原氏は独語ひとりごとのやうに言つて、のつそりとまた室へやを出て往つた。

入れ違ひに床次とこなみ竹二郎氏がその室へやに入つて来た。そして同じやうに三士氏の肩越しに、この名高い独逸の脚本を覗き込んでゐたが、暫くすると、

「マグダだね。政治家もこんな書物ほんまで読まなくつちやならなくなつたかな。」

と、半分は三土氏を冷かすやうに、半分はつひぞそんな本を読んだ事の無い自分を非難けなすやうに言つた。そして又のつそりと出て往つた。

これと似よつた話は海老名弾正えびなだんじやう氏にもある。ある日の夕方、海老名氏は麺麭パンと味噌汁と林檎とで一杯になつた腹を抱へて、明日の日曜日のお説教を考へ込んでゐたが、ふと襖越しに子息むすこの一雄氏の声を聞きつけると、声を立てて喚よんだ。

「一雄、訊きたい事があるから、一寸来て呉れ。」

一雄氏は新聞記者である。牧師の子息むすこが新聞記者になつて悪いといふ法はない、牧師の子息むすこは、唯牧師にはならない方が善いいだけの事である。

一雄氏は入つて来た。

「お喚よびですか。」

「一寸お前に訊きたいんだが……」海老名氏は旧約聖書の神様から貰ひ受けたやうな長い顎髯を扱しごきながら言つた。「近頃荒尾譲介君は何どうしてるか、知らないかね。」

一雄氏は眼を白黒させた。荒尾譲介は言ふ迄もなく、小説『金色夜叉』に出て来る老壮士である。で、善よい加減な返事でごまかす事にした。

「相変らず貧乏で困つてるやうですな。」

「さうか、気の毒なもんぢやな。」

と海老名氏は実際気の毒で溜らないやうに言つた。そして譲介氏が自分と近づきでないのは、あの男にとつて一生の損であるやうな顔をした。

古代更紗で大尽だいじん遊び5・3(夕)

平岡熙氏といへば、例の運動好きの平岡寅之助氏の兄さんで、平岡大尽の名を取つた大通だいつうである。

六十三歳の今日こんにちまで、色々な道楽を仕しつくした人だけあつて、書画骨董もかなり目星めぼしい物を集めてゐる。言ふ迄もなく鑑識めがね自慢で、値段よりも自分の眼で買つたものだけに、素性すじやうの立派なのに比べて、金は余り掛けてゐない。

江戸つ子に生れ合はせたのを何よりも誇りとしてゐる平岡氏は、飽きつぽい事にかけても立派な江戸つ子で、近頃所蔵の骨董物こつとうものにつくづく飽きが来て、望のぞみ人てさへあつたら、今が今でも譲り度いやうな事を言ひ出した。骨董好きの多い今の世の中だ、もつと正直に言つたら、骨董で儲ける事の好きな世の中だ、それを聞くと、一度所蔵品目録を見せて欲しいと申し込んで来る者が引きも切らなかつた。

「所蔵品目録だつて」平岡氏は出て来る骨董屋の顔をじろりと横目で睨にらみながら、巻舌まきしたで言つた。「江戸つ子がそんな目録つきで品物の取引なぞして溜るもんかい。欲しかつたら不見転みずてんの事さ。」

「へへへ、不見転と申しますと……」

骨董屋は贋物いかものらしいてらてらした前額ひたひを撫でながら言つた。

「さうさね。まあ、十万円といふ所かな。」

平岡氏は何どうといふ見当もつけないで、大ざつぱに言つて退のけた。骨董屋はそれを聞くと、急に冷たい顔をして、煙草入たばこいれを腰にさして、てんでに引下ひきさがつて往つた。

「胆つ玉の小さな輩てあひだ。」

と平岡氏は、一度は骨董屋の懐中ふところの小さなのを笑つたが、来る客も来る客もが、黙つて引下つて往ゆくのを見ては、流石にいゝ気持はしなかつた。で、算盤の見当をつける為めに、先日このあひだ某華族の売立会があつたのを機しほに、持合せのなかから古代更紗を三反ばかし取出して、その間なかに交ぜて知らぬ顔をしてゐた。

古代更紗は好者すきしやの目を牽ひいて、皆で二万一千円の高値に取引された。

「それ見た事か、たつたあれだけでもう二万円といふ値段だ。やつぱり俺の目は高かつたな。」

と平岡氏は皺くちやな鼻を動かせながら得意になつたが、考へてみると、古代更紗が唯たつた三反で二万円だとすると自分の所蔵品そつくりを十万円は、大分だいぶん安過ぎるやうだ。平岡氏はそれ以後二度と十万円を口に出さなくなつた。

だが、平岡氏は江戸つ子である。江戸つ子が更紗を二万円に売つてほく〱もので居るのは気が咎めてならない。

「俺も江戸つ子だ、一反分だけ吐き出して一つ陽気に騒いでやらう。」

かう心に決めた平岡氏は、その遊び方として芸者幇間たいこを連れて東海道五十三次を東から西へ繰出さうといふ事にした。

「いゝ事を思ひ注ついたもんだ。往時むかしから俺の頭は善かつたが、今だに善いと見えるて。」

平岡氏は満足さうに首を掉ふつて喜んだ。で、会ふ人毎に東海道行きを勧めてみるが、誰一人連れ立つて往ゆかうといふ者がゐない。

俘虜ふりよの紹介状5・4(夕)

英国の陸軍将校をたんとぶち込んでゐる独逸の俘虜収容所に、一人の軍曹がある。神信心の深い方で、

「汝の敵を愛せよ。」

と言つた耶蘇の言葉を文字通りに取つて、気の毒な俘虜を並外れて労いたはるところから、いつとなく其処そこにゐる人達と懇意になつて、毎朝顔を見合はすと、仲のいい友達のやうに、につと笑ふ程の間なかになつた。

ある朝の事、軍曹は洋袴ヅボンの隠しに両手を挿さし込んだ儘、妙に悄気しよげた顔をして入つて来た。それを見た俘虜の一人にんが訊いた。

「何どうしたい、ひどく滅入めいつてるぢやないか。」

「いよ〱お別れが来ました。二三日中ぢゆうに貴方方あなたがたと別れなくつちやならんかも知れん。」軍曹は狗いぬのやうに悲しさうな眼つきをして言つた。

理由わけを聞くと、自分はいつ迄も収容所にゐて、気の毒な「敵を愛し」たいのだが、今度愈々いよ〱戦地へ送り出されて、前戦へ立たなければならなくなつたといふのだ。

「僕は戦線へ立つと、屹度俘虜になるやうな気がしてならない。」軍曹は玩具おもちやの笛のやうな悲しさうな声で言つた。「で、貴方方に一つお願ひがあるんだが肯きいては貰へまいか知ら。」

「願ひといふと……」将校の一人が営養不良の顔を突出しながら訊いた。

「外でもない、紹介状が書いて貰ひたいんです。俘虜になつた折の……」軍曹は言ひ難にくさうに頼んだ。「収容所にぶち込まれても、僕だけは成るべく別取扱ひがして貰へるやうに……」

英国の将校達は顔を見合せて笑つた。そして言ふ事が面白いからと言つて、早速英語の紹介状を一通書いて渡した。軍曹は無論英語は読めなかつたが、にこにこもので、幾度いくたびか礼を言つてポケツトに押し込んだ。

軍曹は戦線へ出ると、案の定蘇格蘭スコツトランド兵と戦つて俘虜になつた。軍曹は将校の前へ引出されると、待設まちまうけてゐたやうに内ポケツトから、例の紹介状を出した。将校は不審さうに眉を顰ひそめて、それを読み下くだしてゐたが、暫くすると腹の底から揺ゆすり上げるやうに笑ひ出した。手紙にはかう書いてあつた。

「この男はLといふ軍曹です。悪い奴ぢやありません。別扱ひにして欲しいと言ひますから、一度に撃ち殺さないで、ゆつくり苛いぢめ殺してやつて下さい。」

三弗で5・6(夕)

罪のない子役のませた仕草しぐさは、涙脆なみだもろい桟敷さじきの婦人をんな客を直ぐ泣かせる事が出来るので、横着な興行師しうちや俳優やくしややは、成るべく年端としはも往ゆかない、柄の小さい子役を舞台に立たせようとする。

波蘭ポーランド生れのピアノ弾き、ヨセフ・ホフマンは六歳の時にピアノの初演奏をしたといふ程あつて、早熟者の多い音楽家のなかでも、とりわけ早熟の天才として名高い男だつた。演奏をしに米国へ渡つたのは、確か十歳頃だつたと覚えてゐるが悪戯盛いたづらさかりの子供が汗を垂らして難曲に無中になつてゐる容子ようすが、余りにいぢらしいといつて、幼児虐待防止会から抗議の申込があつた程だつた。

そのホフマンが(無論大人になつてからの事だ)ある時、往ゆきつけの料理屋で晩食ばんめしを食つた。勘定を済ましてそろ〱出掛けようとすると、向ふの卓子テーブルに居た五六人の客のなかから、剽軽者へうきんものらしい一人の男が呼びかけた。

「ちよいと、ホフマンさん、暫くお待ち下さいませんか。」

音楽家は黙つて、後方うしろを振りかへつた。そこには五六人の客が居合はせたが、誰一人見知みしり越こしの男は居なかつた。剽軽な男は椅子の上から、身体からだを伸のばしざま、ホフマンに言つた。

「よくお待ち下さいました。別に用事と言つては無いんですが、もしか私が今お喚よびとめしなかつたら、貴方はどこまで真直にお出掛けになるお積りだつたんです。」

皆は声を揃へて笑ひ出した。剽軽な男は名高い音楽家に調弄からかつた嬉しさに、鼻をくん〱言はせて喜んだ。

ホフマンは眉毛一本動かさうとしなかつた。棒杭ぼうぐひのやうに突立つて、じつと剽軽な男の顔を見つめてゐた。そこらの卓子テーブルに居合はせた人達は、じつと鳴りを鎮めて、この音楽家の返答を待つてゐた。ホフマンは静かな声で言つた。

「よくお喚びとめ下すつた。世界中に私が喜んで呼びとめられるのは、先づ貴方位のもんでせうよ。」かう言つて、音楽家はポケツトから財布を取り出して見せた。「御覧の通りここに三弗入つてます、この金で往ゆかれるところまで往ゆくのでさ。」

梅玉ばいぎよくと桜島5・8(夕)

仁左衛門が大阪に乗込んだのと、擦れ違ひざま、岡山へ発たつた鴈治郎梅玉一座は、中国から九州各地を打つて廻つて、最後に鹿児島へ入るさうだが、その鹿児島の興行だけは、俳優には内証ないしようで、今だに談話はなしが伏せてある。

尤も俳優の誰彼は、夙とつくに鹿児島行きを聞き込んで、楽みにしてゐるらしいが、たつた一人梅玉だけは熊本の興行を打うち留どめに、真つ直に帰つて来るものだと思つてゐる。

いつだつたかの九州行きに、うつかり鹿児島乗込の事をこの老人に話した事があつた。すると老人は所剥ところはげのした白粉おしろいの顔を急に横に振り出した。

「鹿児島へ往くんだすか、そやつたら勝手を言うて済みまへんが、私わて一人脱けさして貰ひませう。」

興行師しうちは呆気にとられて梅玉の顔を見た。

「そない仰有らんと、一つお出掛が願へまへんやろか、お聞きの通り、途方もない前景気だすよつてな。」

「いや、鹿児島やつたらお断りしまんね。」梅玉の返事には膠にべも艶つやもなかつた。

「なんで、そない鹿児島がお嫌ひだんね。」興行師しうちはよなひで済む事なら、済ませたいやうな口振くちぶりだつた。

「そやかて見なはれ、鹿児島には桜島がおまつしやろ。」梅玉は肩を揺ゆすぶつて義歯いればをかち〱言はせた。「桜島がまた爆発でもしてみなはれ、生命いのちが危あぶなうおまんがな。」

興行師しうちが何と言つても、梅玉は桜島が恐こはいと言つて、いつかな鹿児島行を肯きき入れなかつた。

桜島は今だに鹿児島湾のなかに突立つきたつて、暢気坊のんきばうのやうにすぱり〱と煙けぶりを吹いてゐる。梅玉が今度の巡業に、何どう言いひ賺すかされて鹿児島へ乗込むかは一寸見物みものである。悪戯いたづら好きな桜島は、相手が老人だからと言つて少しも容捨はしないだらう。

観樹老と末松夫人5・9(夕)

今京都に泊つて、山県やまがた公や西園寺侯を訪ねては、持前の無駄口を利いてゐる三浦観樹老は、生れつきの悪戯いたづらつ児こで、自分の遊戯慾さへ満足させる事が出来たなら、他人ひとの迷惑などは一向構はないといつた風な性たちだ。狸にはよくかういふのがある。

話は古いが、御大典の当時、二条離宮で群臣に大饗おほあへを賜つた。その折婦人溜たまり所しよには、父親や財産のおかげで、結構な亭主を持つ事の出来た多くの婦人達が、紙雛かみひなのやうにきちんと、そしてまた紙雛のやうに何一つ考へないで立つてゐた。

恰ちやうどそこへ通りかゝつたのが三浦観樹老だつた。老人は京の底冷そこびえに、風邪でも引いたかして、泡のやうな洟みづはなを啜すゝつてゐたが、ふと自分が今通りかゝつてゐるのは、婦人溜所の前だなと気が注つくと、ひよいと歩あしをとめてその方へ振向いた。

「いよう大分だいぶん揃つてゐるな。」

と老人はその中に見知越みしりごしの顔を見つけ出さうと、狡こすさうな眼つきで皆の顔を見比べた。すると、一番前に末松謙澄けんちよう氏夫人が立つてゐるのが見つかつた。老人は鼻を鳴らして喜んだ。

「末松さん、あんたも其処そこに居なすつたのかい。」

末松夫人は先刻きつきから悪い者が通りかゝつたと思つて、身体からだを乾葡萄ほしぶだうのやうに平べつたくして、成るべく見つからないやうにしてゐたが、老人に呼びかけられて、強ひて捩ねぢ曲げるやうに笑顔を作つた。

「まあ、三浦さん、相変らずお達者で何よりでございますわね。」

「あんたもお婆さんになつたもんだな。」老人は夫人の挨拶などは耳に入いらぬらしく、態わざと調子を高めて皮肉を言つた。「以前よく宅うちへ運びに来ては、乃公わしの膝で小便垂おしつこたれをしたもんだが……」

老人はかう言つて、得意さうに居並んだ婦人達の顔を見た。

末松夫人は酸漿ほほづきのやうに真まつ紅かになつた。そして泣き顔をして両手で老人を拝むやうな真似をした。その手は枢密院顧問官の良人をつとを、首根つこで押へつけて家鴨あひるのやうに鳴かす事の出来る立派な掌面てのひらである。

「三浦さん、拝みますよ、どうぞ何なんにも言はないで下さいまし。」

老人はそれを見ると、初めて老年としよりの偉さを皆に見せつける事が出来たやうに、咽喉をころころ鳴らしながら、跑だくを踏むやうな歩あしつきで前を通つて往つた。

馬の慈善事業5・10(夕)

波蘭ポーランドの滅亡史を読んだ事のある者で、国士コスチウスコオの思ひせまつた苦衷に、涙を流さないものはたんとあるまい。

コスチウスコオは性来うまれつき慈悲深い男だつた。慈悲深いといふのは、美しい指環のはまつた手で慈善音楽会の切符を押売する事を言ふのでは無い。場合によつたら、他人ひとのためにその美しい手から血を流す事をいふのだ。

コスチウスコオがある時、隣り村の僧侶ばうさんの許ところへ葡萄酒の進物をしようとした事があつた。その使者つかひとして馬丁べつたうが呼び出された。馬丁べつたうは御主人の命令いひつけで、その飼馬かひうまを引き出してそれに乗る事にした。

馬丁べつたうは葡萄酒の罎びんを引つ抱へて、鞍の上で大威張に踏ふん反ぞりかへつてゐた。一体馬の尻について歩くのと、馬の背中に反りかへつてゐるのとでは、大分だいぶん人生観が異ちがつて来るもので、馬丁べつたうは哲学書の二三冊も読んだらしい気取つた顔つきで、じろじろ附近あたりの人を見下みおろしてゐた。

すると、町の角から貧乏人が一人のそ〱這ひ出して来て馬の側そばに立つた。

「旦那、お手の内を戴かせて貰ひませう。」

馬丁べつたうは素知らぬ顔で外そつ方ぽうを向いてゐたが、馬はそこに突立つて一足も前に乗り出さうとしなかつた。で、馬丁べつたうは無けなしの財布から幾らか摘つまみ出して貧乏人の掌面てのひらに載つけてやつた。すると馬は納得したやうにぽか〱歩き出した。

物の五町と歩かないうちに馬丁べつたうの財布は空つぽになつた。でも、馬は貧乏人と見ると、立停つて動かないので、馬丁べつたうもとうと善い事を発明した。それは何か知ら、施しを呉れてやる真似をする事で、さうすると、馬は安心してまた歩き出した。

馬丁べつたうは使ひ先から帰つて来ると、いきなり旦那の室へやへ駈込んで来た。

「旦那、もう貴方様の馬に乗る事だけは御免を蒙りやす。たつて乗らなければならないものなら、旦那の財布も一緒にお貸かしなすつて下さい。」

コスチウスコオが、貧乏人さへ見れば施しを呉れてやつたのは、別段賞める程でもないが、馬が徳川家達いへさと公と一緒に、貧民救助が好きだつたのは偉いと言はなければならぬ。馬が華族でなかつたのは何よりも残念である。

実業家の漢語5・11(夕)

勝田しようだ蔵相が最近大阪に乗込んで来た時、その旅館は御機嫌伺ひに頭を下げに往つた実業家で一杯になつたが、なかに大阪の某銀行の頭取だといふ爺さんが交まじつてゐた。

頭取はそこらに蝦蟇かへるのやうに蹲踞つくばつてゐる人達を掻き分けるやうにして前へ膝行にじり出した。

「閣下、私はA銀行の頭取某なにがしと申します者でございます。」頭取は掌面てのひら一杯の大きな名刺を取り出して、直訴でもするやうに前に突き出した。「御案内でもございませうが、A銀行もすつかりと整理が出来上りまして、お蔭で営業も至極順調に赴いて参りました……。」

頭取はかう言つて、それが蔵相のお蔭ででもあるやうに鄭寧ていねいに頭を下げたが、その一刹那、何か難かしい漢語でも使つて、自分が一ぱし物識ものしりだといふ事を、居合はす皆の前で吹聴したかつた。で、一段と調子を張りあげて、

「今ではまるで門前雀羅を張るといつたやうな好景気でございまして……」

居合はす実業家達は、頭取がかうした気の利いた漢語を知つてゐるのが羨ましさうな眼つきをして、互に顔を見合はせた。たつた一人勝田蔵相ばかりは流石に一寸吹き出さうとしたが、その瞬間大臣といふものは、滅多に笑つてはならない事を思ひ出して、強ひて顔を捩ぢ曲げるやうにして笑ひを噛み殺した。

そこへひよつくりと顔を出したのは、神戸の山下亀三郎氏だつた。戦時利得税をうんと背負しよはなければならない筈の山下氏は、それだけ他人ひとより大きな声を張り上げる資格がある者のやうに、図技けた牛のやうな調子で蔵相に挨拶した。

「閣下、大阪も結構ですが、神戸にもお出掛けが願へますまいか、つい眼と鼻の先の間でございますから、是非一つ吾々のために犬馬の労が取つて戴きたいもんで……」

居合はす実業家達は、この難むつかしい漢語ことばを聞くと、また感心したやうに一斉に首を掉ふつた。勝田蔵相は苦し紛れに「犬馬」のやうにあんぐり口を開あけて笑つた。――暫くして客がどやどや帰つて往ゆくと、蔵相は両手をさしあげて、大きな欠伸あくびをした。

「上方の実業家と応対するのは、なか〱骨が折れるわい。いろんな漢語の使ひ方を弁わきまへてゐなくちやならんからな。」

名文句5・13(夕)

米国の勃士敦ボストンにペン先きの製造業者がある。数多い同業者を圧倒おしたふして、店のペン先きを売うり弘ひろめようとするには、何でも広告を利用する外には良い方法は無かつた。で、一千弗ドルの懸賞附きで、ペンに関する独創的な名文句を募集する事に定きめた。

懸賞附きの広告が発表せられると、方々から応募原稿が山のやうに集まつて来た。整理掛せいりがかりが汗みづくになつて、それを取り調べてゐると、なかに一通大判な用紙に、剣先で書いたかと思はれるやうな太い文字で、

「ペンは剣よりも偉大なり。」

と認したゝめてあるのがあつた。そして御叮嚀に附箋までして、

「一寸都合がありますから、懸賞金は電報為替でお送り下さるやうに。」

と添そへ書がきまでしてあつた。

整理掛せいりがかりは、それを見て一寸調弄からかつてみたくなつた。で、早速手紙を出して、貴方の応募原稿は素晴しく立派に出来てゐるが、あれだけの名文句が貴方の独創であるといふ証拠さへあつたら、懸賞金は直ぐにお届けしようと言つてやつた。

すると、折り返して返事が来た。一体直ぢきに手紙の返事を寄よこす人には神信心の厚い、正直者が多いものだが、この応募者も察する所、正直者だつたに相違ない。返事にはかうあつた。

「私の送つた文句は、私が何処かで読み覚えたものか、それとも自分の頭から出たものか、はつきりとは申し上げられません。然し私は今日迄本といつては、国民読本こくみんとくほんと旧約聖書の箴言しんげんしか読んだ事がありませんから、この二つの本に無い文句なら、私の拵へたものとしても差支ない筈です。重ねて申します、懸賞金を折返し電報為替で送つて下さい。」

だが、笑つては可いけない、この応募者は読本と箴言と――書物を二冊も読んでゐる。書物を二冊も読むといふ事は、日本では贅沢の沙汰だとしてある。

応挙の蕎麦屋5・14(夕)

美術批評家の坂井犀水せいすい氏が、京都へ来て、竹内栖鳳氏を訪ねた事があつた。夫人と二人で紙治かみぢの芝居を演やる位さばけた画家ゑかきの事だ、きつと面白い気の利いた談話はなしがあるだらうと、犀水氏は楽みにして出かけたものだ。

犀水氏は栖鳳氏の玄関に立つた。玄関には何処かの註文だと見えて、素晴しい六曲金屏風が立てかけてあつた。屏風には墨絵の山水が描かきかけてあつたが、何処か気に入らぬ節があつたと見えて、太い墨筆で、惜し気もなくさつと十文字に塗り消してあつた。

犀水氏は主人の画室に通された。栖鳳氏は側そばに拡げた紙本しぼんに一箇つ百円もしさうな唐茄子たうなすを描かきかけてゐたが、客が入つて来たのを見ると、絵筆を投げて此方こつちに向き直つた。

「や、お出でなさい、よく入いらつしやいました……。」

かう言つて、絵の作家と批評家とは向き合つた。大抵の場合、作家と批評家とが向き合ふと、表うはつ面つらは互に感心したやうな事を言つて、腹のなかでは孰方どつちからも馬鹿にし合つてゐるものなのだ。二人は持合せのお世辞を取り交した。もしかお互に狐のやうな尻つ尾を持つてゐたなら、犀水氏は立派な画家ゑかきは皆尻つ尾を持つてるものだと言ふだらうし、栖鳳氏も傑すぐれた批評家は大抵さうだとお愛相あいそを言つたに相違なかつた。

談話の途中で、腰を折曲げるやうにして執事が入つて来た。手には幾通かの紙包を持つてゐた。

「今朝方から註文がまたこない参りまして、……」執事は紙包を画家の前に押し並べた。包みには五百円とか千円とか書いてあつた。「一応お断りしましたんやが、それでも無理矢理に置いて参りましてな。」

「そないお預りしといたかて迚とても描かけへんさかい、一々あとからお返しして。」

画家ゑかきは汚い物のやうに、態わざと外そつ方ぽうを向いて言つた。

それを目の前で見せつけられた犀水氏は、宿に帰つて、一部始終を相宿あひやどの黒田清輝氏と岩村透氏とに話した。二人は仏蘭西仕込しこみの、悪戯いたづらにかけては誰に負ひけを取らない人達である。

「それは面白い、一度そんな紙包を俺達にも見せて貰はうぢやないか。」

二人は早速あとからまた栖鳳氏の許もとを訪ねて往つた。

だが、今度は執事は何物も持出さなかつた、いや、持出さなかつたのではない、紙包みの代りに羊羹の入つた菓子器を持ち出して、叮嚀に頭を下げて引きさがつた。――暫く経つて、黒田氏と岩村氏とは失望して外へ出た。口の悪い岩村氏は黒田氏に言つた。

「まるで応挙がお蕎麦屋の店を出してるやうぢやないか。」

黒田氏は何の事だか、よくは判らなかつたが、「フフン」と言つて唯笑つて置いた。凡すべてよく判らぬ事は、笑つておくに限る。

女の顎髯5・17(夕)

戦争と顎髯――といふと、何の事だらうと、変に小首を傾かしげる人があるかも知れないが、戦争では平素ふだんの様に、さう〱顔を剃そる事も出来ないので、顎髯は伸び放題に伸びる。それが戦争後もずつとその儘生はやして置かれるか、何どうかといふ事が、後方あちらでは今好事家かうずか仲間の話題になつてゐる。

日露戦争後、生き残つた兵士の多くが鼻の下にちよつぴり記念の髯を生やしてゐたのは、誰もがよく覚えてゐる事だ。一体髯を生やしたり、剃つたりするのは、何かの機会きつかけがないと一寸行やり難にくいもので、米国でも南北戦争以前までは、今の米国人のやうに、顔を綺麗に剃つたものだが、戦争後は顎髯を伸ばす事が流行はやつて、一頻りそれが無いものは肩身の狭いやうな思ひをする事さへあつた。

それにつけて、今度の戦争が済むで暫くは、屹度顎髯の流行する時代が来るだらうと、予言してゐる者がある。――少くとも顎髯のないものは、戦争の洗礼を受けなかつた者として、婦人をんな達から蔑さげすまれるに相違ない。婦人をんなに蔑まれまい為には、男子をとこといふ男子をとこは、蛙の様にとんぼ返りまでもするものである。顎髯を伸ばす位は何でもない事である。

顎髯といへば、女にもそれを持つてゐた人達は少くない。日耳曼ゼルマン皇帝マキシミリヤン一世の娘に長い顎髯を持つてゐるのがあつたのは名高い話だ。一七〇九年プルトワの戦役で、捕虜になつた或る婦人が、一尺五寸もある顎髯を生やしてゐるといふので、態々わざ〱彼得ピイタア大帝の前に引張り出されて、御感にあづかつた事があつた。――やくざな男すら、顎髯を生やさうといふ世の中である。女がそれを真似たところで少しの差支もない。

先日こなひだの茶話で神戸の山下亀三郎氏が勝田蔵相にうつかり「犬馬の労を取つて欲しい」と言つたといふ事を書いた。すると、山下氏の事業に干たづさはつてゐる箕輪益夫みのわますを氏から、態々わざ〱正誤書が来た。それに拠よると、山下氏はいつも漢詩を弄ひねくつてゐる位だから、そんな間違はない筈だといふのである。山下氏が漢詩人だとは初耳で、結構な事である。茶話子は詩人と婦人と木兎みゝづくとは大好きだから、この三者からの申込みだつたらどんな事でも信用する。

巻煙草の吸ひ殻5・20(夕)

青楼ちややへ遊びにゆく客といふものは、大抵見え坊で、内証ないしようはぴいぴいでも、懐中ふところには山を購かひ、邸やしきを購ひ、馬を購ひ、郵便切手を購ひ、お剰つりで若い妓をんなの微笑わらひを購ふ位の財貨かねは、いつも持合はせてゐるらしい顔つきをしてゐるものだ。

青楼ちややの煙草盆には、たつた一口か二口か喫すつたばかしの巻煙草が、無造作に灰のなかに突きさゝれてゐるのが多い。一寸見ちよつとみは贅沢なやうだが、精々二十銭やそこいらの金で、若い妓をんなの前に男の虚栄心を満足さす事が出来るなら、こんな廉やすい贅沢はない筈だ。

南地みなみに相応かなりな青楼ちややがある。そこの主人はしよつちゆう塩原多助の講談を愛読してゐて、自分も多助のやうに道に落ちた草履でも拾つてみたく思つたが、草履には土がへばり着いてゐるので、少し穢苦むさくるしかつた。で、お坐敷から下りて来る煙草盆の中から、お客が喫ひさしの巻煙草を一つ一つ拾ひ上げる事にした。尤もそれを拾ふには、仲居なかゐといふ良い役があつた。自分は唯懐手ふところでをして見てゐればいいので、こんな結構な多助は無いと、主人は思つた。

主人は月の二十一日には、定きまつたやうにお大師参りをする。お大師参りの途中には、薄汚い、物貰ひが居て、蝦蟇がまのやうに土の上にかい蹲踞つくばつてゐた。青楼ちややの主人は、それを見る度に何がな施して遣やりたいとは思つてゐたが、どうしても恰好な物が思ひ当らなかつた。お鳥目てうもくといふものもあつたが、主人の考へでは、あれは他ひとから貰ふもので、他ひとに呉れてやるものではなかつた。――所が、ふと思ひついたのは件くだんの巻煙草で、主人はせつせと拾い溜めた。そして途みちで、物貰ひを見掛けると、そのなかから、五六本づつ取り出しては恵んでやつた。

「お乞食め、あない喜んでら。」青楼ちややの主人は嬉しさうな物貰ひの顔を見て心底から満足した。「吾ながら善い事を思ひついたもんだて。お大師さんかて、こない発明やなかつたかも知れんな。」

物の値段は青楼ちややの主人には相談なしに騰あがつて来た。十銭の煙草は十二銭になつた。遊びに来る客は相変らず山を購ひ、邸を購ひ、馬を購ひ、郵便切手を購ひ、お剰で若い妓の微笑が購へさうな顔をしてゐるが、喫ひさしの煙草は段々短くなつて来た。青楼ちややの主人は煙草盆を覗き込みながら情なさけなささうに呟ぼやいた。

「吝しみつたれやな、こんなやとお菰こもに施しも出来でけへんがな。」

それから一月経つた。二月経つた。三月四月経つた。煙草盆のなかの喫ひさしは段々また長くなつた。すると、一たん悄気しよげかへつた青楼ちややの主人の顔はまた晴々しくなつた。さうして月の二十一日が来ると、朝早く家うちを出て、途々みち〱乞食を見ると、袂から例のを撮つまみ出して、まるで慈悲深い王様ででもあるやうに反りかへつてゐる。

原敬氏と鯛の盆5・22(夕)

政友会総裁原敬氏が、最近北国遊説の途みちすがら、越中高岡の商品陳列所へ往つた事があつた。名士といはれる人達が、かういふ所へ出掛けると、記念のため何か購かひ取らなければならないのを原敬氏はよく知つてゐた。

羽織袴で出迎へた陳列所の関係者達は、名高い政友会の総裁が、どんな素晴しい買物をするだらうかと興味を持つて待設けた。事によつたら陳列所の品物全部を、根こそぎ買ひ取らうとでも言ひ出しはしなからうかと思つて、内心怯々びく〱ものでゐた。

原氏は五人前一円五十銭の煎茶茶碗を買つた。一組二円の吸物椀を買つた。硯箱、巻煙草入、灰落し……やくざな政党員のやうな安物ばかり買取つた。そして正札三十円と値段のついた七宝ぽうの花瓶が目につくと、まるで仲違なかたがひの加藤高明氏にでも出会つたやうに、顔を反そむけてそつと通り過ぎた。

ふと欅けやきの刳くり盆ぼんが原氏の目にとまつた。それは田舎の村長などの好きさうな鯛の恰好をしたもので二円三十銭といふ札が付いてゐた。

「高橋君……」原氏は秘書役の高橋光威氏を振りかへつた。「あの盆を一つ買つておいてくれ。」

「盆でございますか、あの鯛の恰好をした……」

高橋氏は変な眼つきをしてその盆を見た。高橋氏は原氏の夫人から言ひつかつてゐる事がある。それは原氏が旅へ出ると、いつも無益やくざな買物ばかりするので、成るべく側そばにゐて留とめ立だてして欲しいといふ事なのだ。高橋氏は頭のなかに、原夫人の険しい顔を思ひ浮べた。

そこへのつそりやつて来たのは小林源蔵氏だつた。小林氏は猟師のやうな眼付をして一寸その盆を見たが、すぐ吐き出すやうに言つた。

「これは可いかん。この鯛はまるで死んどる。」

「死んでたつて可いいぢやないか。」強情な原氏は小林氏を尻目にかけた。「腐つても鯛といふ事がある。」

小林氏は行詰ゆきつまつたやうに、口をもぐもぐさせた。そこへ煎茶茶碗や、吸物椀や、灰落しのやうな、安物の政友会代議士が五六人どやどやと入つて来た。そして鯛の刳り盆を見ると、てんでに言ひ合はせたやうに首をひねつた。

「これは可いけませんね。幾ら何だつて総裁のお買物ぢやありませんよ。」

「それが輿論よろんか……」原氏は髯のない口元をへし曲げるやうにして、皮肉な笑ひを見せた。「輿論なら仕方がない、それぢや買はない事にしよう。」

皆は手を拍うつて喜んだ。いつも総裁の言ふが儘になつてゐる彼等にとつては、こんな事で強情つ張りな総裁の言ひ分を捨てさせたのが何よりも嬉しかつたのだ。

だが、それは糠喜ぬかよろこびであつた。原氏は夕方宿へ着くと、こつそり高橋氏を陳列所にやつた。そして態々わざ〱件くだんの鯛の刳盆を買ひ取らせて来た。高橋氏は原夫人の険しい顔を思ひ浮べながら二円三十銭を仕払つた。

お祖母ばあ様と黒猩々くろしやう〲5・24(夕)

最近西部戦線で、独軍の砲弾の破片かけらに撃たれた仏蘭西娘の一人が巴里パリーの病院に収容された。傷は程なく癒いえたが、困つた事にはすつかり記憶を失なくしてしまつて、何を訊いても返事一つ出来ない。

「阿父おとうさんの名は何といふの。」

医者は猫のやうな物柔かな声で訊いた。娘は睫毛まつげ一つ動かさうとしなかつた。

「それぢや阿母おつかさんは何といふの、覚えてゐるだらう。」

医者は娘の顔を覗き込むやうにして訊いた。娘はつんと済ましきつて外そつ方ぽうを向いた。

医者は何とかして口を利かせたいものだと、頭を絞つて色々の手段てだてを試してみたが、小娘は髪の毛一つ動かさない済ました顔で、石のやうに黙りこくつてゐる。かうしてさんざ焦慮じらしぬいた末、

「馬鹿!」

と、一声喚わめきでもしたら面白かつたのだが、小娘は実際医者の馬鹿なのを知らなかつたかして、いつ迄も黙りこくつた儘で居た。

医者はとうと善い事を考へついて、小娘を動物園に連れて往つた。人間に出来ない事で、動物には手もなく出来る事がよくあるものだ。小娘は獅子を見た。虎を見た。新聞記者のやうに忙しさうにしてゐる豹を見た。弁護士のやうに喋舌ぺちやくつてゐる小鳥を見たが、何一つ興味を牽ひかなかつたらしく、相変らず生真面目な顔を仕続しつゞけてゐる。

失望がつかりした医者は、最後に小娘を連れて、黒猩々の檻の前に立つた。猩々は手に食物たべものの破片かけらを持つて、お婆さんのやうに留とまり木ぎの上に、ちよこなんと坐つてゐた。実際ぺたんこな鼻の恰好から、黒味がちな円まつちい眼は、お婆さんそつくりだつた。

小娘は猩々を見ると、いきなり檻に駈け寄つた。そして獣の唸うなるやうな声で、

「お祖母ちやん、お祖母ちやん……」

と呼び立てながら、懐かしさうに顔を檻に擦りつけた。猩々はそれを見ると、自分が親身のお祖母さんででもあるやうに、留り木からのつそり降りて来た。そして檻の内なかから手を伸ばして娘の肩を撫でた。娘は嬉しさうにきやつ〱軽躁はしやぎながら色々な事を猩々に話しかけた。猩々はまた黙つて小娘のお喋舌しやべりに耳を傾けてゐたが、暫くすると、娘をいたはるやうに手に持つた食物たべものの破片かけらをそつと呉れてやつた。

それ以後唖おしのやうだつた小娘は、また物を言ひ出した。だが、話す事といつたら、唯もうお祖母さんと、黒猩々の事ばかしである。――実際気の毒な話だが、お祖母さんにだけはそつと内証ないしようにして置きたい。さもないと、腹を立てるかも知れないから。

苦力クリーと料理人の喧嘩5・25(夕)

ながく支那に居て、彼国あちらの事情によく通じてゐる加奈陀カナダ出身の青年将校が、西部戦線の後方勤務に支那苦力を使つたらといふので、その募集に最近支那へ派遣せられて往つた。

金銭かねさへ儲かつたら、地獄へでも下りて往ゆくのが支那人の慣ならはしである。手当が良いといふので、苦力は苦もなく集まつた。青年将校はそれを一纏まとめに船に乗せて、馬耳塞マルセーユをさして海へ出た。

船が印度洋を通りかゝつた頃、青年将校は苦力と賄まかなひ方との間に激しい喧嘩がおつ始ぱじまつてゐるのに気が注ついた。賄ひ方は広東カントン人だつた。鵞鳥のやうに口を尖らして我鳴り立ててゐた苦力は、将校の姿を見ると、慌ててお辞儀をした。

「旦那、此奴こいつあ、怪しからん奴なんです。これから皆で叩き殺してやらうと思つてる所なんです。どうか其処そこで見てゐて下さい。」

なかの一人はかう言つて肩を聳そびやかした。

「賄方をやつつけるんだつて。」青年将校は強ひて気を落ちつけるやうに薄い鼻髯を引張つた。「それも面白からう、だが、前もつて腹をきめて置かんければならんのは、賄方を殺すと、馬耳塞へ着くまで、お前達は飲まず食はずに居なければならんぞ。」

それを聞くと、苦力達だちは驚いたやうに顔を見合はせた。将校は苦力の人夫頭を顎でしやくつた。

「どうしたつて言ふんだ。賄が良くないつて言ふのかい。」

「いいえ、賄は別に悪かありません。」人夫頭は頭を下げた。

「それぢや賄の分量かさが足りないとでも言ふのか。」

「いいえ、賄は十分にありますので。」

「はてな。」将校は小首を傾かしげた。「ぢや、料理が不味まづいとでも言ふんだな。」

「いいえ、お料理はなかなか巧く出来上つとります。」

「それぢや、何だつて賄方を殺すなんて騒ぎ立てるんだ。」若い将校は額に癇癪筋をおつ立てた。「馬鹿者めが……」

「はい……」人夫頭は面目めんもくなささうに頭へ手をやつた。「何だつて申しますと、此奴こいつの拵へるお料理は、どうもお腹なかに持堪もちこたへがなくつて、直ぐ腹が空いちまふもんですからね。」

賄方の、余り庖丁加減が上手なので、食物たべものの消化こなれが良すぎたのだつた。

喜田きた博士の笑顔5・26(夕)

文学博士喜田貞吉さだきち氏は国史の専攻学者である。一体歴史家といふものは、この世界に起きた事は、どんな些細なものでも、神様がみんな自分達に相談して出来でかしたかのやうに吹聴するものである。

ところが、神様は歴史家の喜田博士に相談しないで、色々な悪戯いたづらをし出した。悪戯いたづらとはこの二三年来、仲のよかつた友達や、手塩にかけた門下生が、次ぎから次ぎへと死んで往ゆく事である。文学士小林庄次郎氏も亡くなつた。史料編纂官の藤田明氏も亡くなつた。女子高等師範の須藤求馬もとめ氏も亡くなつた。文部編修官の重田しげた定一氏も亡くなつた。岡部精一、吉田東伍二氏も前後あとさきになつて死んで往つた。

「何だつて乃公おれに断りなしに皆を引ひつ浚さらつて往ゆくのだらう。こんな筈ぢやなかつたのだがな。」

喜田博士は一度神様に出会つたら、思ふ様さま油を取る考へらしかつた。だが、神様は別段博士の伯父でも無かつたかして、途みちで擦れ違つても、態わざと素知らぬ顔をしてゐた。

亡くなつた人達には、皆若い夫人があつた。博士は、亡友に尽すつもりで、出来るだけその人達の世話を焼いた。若い未亡人達が博士の許うちを訪ねて来る事もあれば、また博士の方から、出掛けて往ゆく事もあつた。

相手は若い未亡人達である。なかには花のやうな色香の残つてゐるのもあつた。こんな人達と繁々しげ〱往来ゆききをすれば、兎角浮名うきなの立つ世間である。喜田博士は歴史家だけに、そんな事はよく弁わきまへてゐた。

「世間め、どんな取沙汰をしてるだらうな。ほんとに蒼蠅うるさいつたらありやしない。」

博士は呟ぼやきながら眉をしかめたが、そんな取沙汰を思ふと、まん更ざら悪い気持もしないらしかつた。

だが、正直な事をいふと、世間は何の取沙汰もしなかつた。それと知つた博士は何だか少し物足らないらしかつた。で、友達に会ふと、いつも定きまつたやうに訊いてみた。

「僕が友人の未亡人ごけさん達の世話を焼いてるのを、何とか言つてる人もあるさうなが、君は聴かんかい。」

「結構ぢやないか、相手は君だあね、誰が何といふもんかね。」

「さうかなあ、それで漸やつと安心した。」

博士は安心したらしく言つたが、腹の中では少しは何とか言つて貰ひたかつた。

「世間め、何だつて取沙汰しないんだらうな。ほんとに間抜まぬけつたらありやしない。」

博士は呟ぼやきながら、その理由わけを考へた。理由わけは直ぐ分つた。それに拠よると、博士は歴史家である。そして女の多くは大抵歴史を持つてゐるので、それを見透みとほされるのが厭さに歴史家を嫌ふに相違ない。世間はそんな消息を知つてるらしかつた。

だが、実をいふと、さうでも無かつた。――博士はお婆さんのやうに、顔を皺めていつもにこ〱笑つてゐる。お婆さんのやうな笑顔――それが女に好かれる筈がない。正直なもので、口喧くちやかましい世間も黙つてゐるのだ。

常春藤きづたの葉5・27(夕)

西部戦線の聯合軍を援たすけに、最近本国から巴里パリーへ渡つた米国青年士官の二人があつた。仏蘭西の婦人達は持前のお愛嬌と行き届いた接待とで、この遠来のお客をもてなした。

米国人にとつて、巴里はある意味において天国で、仏蘭西娘はまた羽の生えた天使エンゼルである。その天使エンゼルの一人が、ある日の事二人の士官を案内して、ヴエルサイユの宮殿へ見物に出掛けて往つたものだ。

ヴエルサイユには名高い庭園がある。仏蘭西娘はその繁みのなかへ、二人の士官を引張つて往つた。

「そこに常春藤が植わつててよ。往つて葉はつ葉ぱの小さいのを捜して入いらつしやいよ。常春藤の葉つ葉は、小さければ小さい程愛情おもひが深いんですつて。貴郎あなた方も成るだけ小さいのを摘んで来て、お国に待つてらつしやる方に送つて上げるといゝわ。」

娘はかう言つて、幾度か常春藤の葉の小さいのを捜したらしい眼を細めて、眩しさうに二人の顔を見た。

「さうか、そんな言いひ慣ならはしが有つたつけか。ぢや、往つて葉つ葉を捜して来るかな。」

二人の青年士官は元気よく繁みのなかへ入つて往つた。娘はパラソルの先きで戦争いくさに出てゐる恋しい男の名前を地面ぢづらに書いては、踏み消したりなぞしてゐた。

暫くすると、士官の一人が口笛を吹きながら帰つて来た。手には素晴しく大きな常春藤の葉を摘むでゐた。

「まあ、大きな葉つ葉だわね。」娘は吃驚びつくりして眼を睜みはつた。「誰にお送りになるの。わたし成るだけ小さいのを捜してらつしやいと言つたぢやないの。」

「そんなに聞きました。」士官は気けもなく言つた。「だが、私の送るのは、家うちの養母なんですからね。」

「まあ……」

と言つて娘は金糸雀かなりやのやうに声を立てて笑つた。

すると、その途端今一人の士官が元気よく大跨おほまたに繁みのなかから飛び出して来た。手には友達のよかずつと大きな葉つ葉を摘むで、自慢さうにそれを二人にひけらかした。

「まあ、貴方のはづば抜けて大きいわね。誰にお上げになるの。」娘はくす〱笑ひながら訊いた。

「私の好きな人。」士官は眼で笑ひを返した。

「だあれ。」娘は嬌あまえるやうな態度しなをした。

「独帝カイゼルでさ。」

士官は吐き出すやうに言つて、葉つ葉を地面ぢづらに投げ捨てた。そして思ひきり強く履くつの踵かゞとで踏みにじつた。

鴈治郎と仁佐にざ5・29(夕)

浪花節の雲右衛門がまだ全盛を極めてゐた頃、ある時東京の実業家Kの座敷で、鴈治郎、延若、福助と一緒になつた事があつた。

酒が一頻りまはると、お上手ものの鴈治郎は髪の長い雲右衛門を振りかへつた。

「雲右衛門さん、私わてあんたの浪花節を聴く度に、いつも思うてまんのやで。」と、ぐつと飲み干した盃を雲右衛門にさした。「一度あんたの出語でがたりで、私わしが大石良雄を演やつてみたら何どうやらうと思うてな。」

それを聞くと、延若と福助とは、「そらまた例いつもの成駒屋のお上手が始まつた。」と、互に顔を見合はせて首を竦すくめたが、正直者の雲右衛門は急に蜂蜜のやうに溶とろけさうな顔になつた。

「そりや面白うごわすな、一つ演やつてみようぢやごわりませんか。」安物の武士道の鼓吹者は血を啜すゝるやうな気持で、ぐつと熱燗あつかんの酒を呷飲あふつた。「お互に一世せ一代の積りでな。」

「そりや、もう一世一代だんがな。」鴈治郎は相手が直ぐに乗気になつて出たので、少々尻込みをし出した。「そやけど、そない芝居をするとなると、仕打の白井さんは当あてにならんし、劇場こやから借りん事にはあきまへんぜ……」

「劇場こやなら乃公わしが心配しよう。」それ迄黙つて二人の談話はなしを聴いてゐた実業家は、横つちよから口を出した。「折角の企てぢや、劇場こやは乃公わしが何とか心配する事にしようが、出し物が大石なら、尋ついでに喜剣を河内屋に附き合つて貰つたら何どうぢや。」

「そやつたら、私あて喜んで出まんがな。」悪戯者いたづらものの延若は鴈治郎の困るのが面白さに一膝前へ乗り出して来た。そして喜剣と岡平と九太夫とをごつちやにしたやうな表情をしながら鴈治郎に言つた。「兄さん、いつ頃演やらはりまんね、私わても出るとなると身体からだの都合をしとかんなりまへんさかいな。」

「そやなあ……」鴈治郎は武士道の鼓吹者から受取つた盃を唇に当てたまゝ小鳥のやうに狼狽うろたへた眼つきをした。火のやうな酒が咽喉を滑つて、胃の腑へ落ちたと思ふと、鴈治郎は急に自分が胃の腑を持つてる事に気がついた。「私わてこの頃胃が悪うおますよつてな。この方が癒なほり次第演やる事にしまへうかいな。」

談話はなしはそれなりになつた。喜剣をする筈の延若は、その後のち福助に会つて笑ひ話をした。

「成駒屋も正直やなあ、あれが仁左衛門まつしまややつて見なはれ、稽古にかゝつてから、そない語り口やと乃公わしが出られへんと小言かすを食はせて、あべこべに雲の方から謝らせまんがな。」

成程鴈治郎は正直者かも知れない、延若のやうな不正直者の多い今の世の中では……。

婦人運転手と将軍5・30(夕)

西部戦線における米国派遣軍の司令官、パーシング将軍が、最近軍事上の要務で倫敦ロンドンを訪れて往つた事があつた。将軍を自動車でその旅館まで送りとどけたのは、金髪の美しい婦人運転手であつた。

将軍は婦人運転手のかひがひしい働き風ぶりに心から感心した。で、倫敦に居るうちは同じ事なら、かうした美しく、加之おまけに気の利いた運転手の厄介になりたいものだなと思つた。将軍は運転手を呼び戻した。

「明日あす朝六時に陸軍省まで出掛けたいと思ふが、その時間きつちりにこゝまで出迎へに来て貰へまいかの。」

「畏かしこまりました。」婦人運転手は愛相あいさうよく答へた。「それ迄に屹度お迎へにあがります。」

将軍がその夜の夢に、苦りきつたヒンデンブルグ元帥の顔を見たか、それとも金髪の婦人運転手の笑顔を見たか何どうかは知らないが、夜よが明けて六時前になると、将軍はちやんと軍服を着込んで、旅館の階段に立つてゐた。すべて軍人といふものにはこれといつて別に取柄のないのが多いが、唯一つ、きちん〱と時間を守るのだけは賞めて置かなければならぬ。

将軍はポケツトから時計を引張り出して見た。ちやうど今六時が打つた。将軍は眇すがめのやうな眼つきをして市街まちを見た。そこには自動車の影も見えなかつた。一分経つた。二分経つた。将軍はもじ〱身体からだを動かせながら呟ぼやいてゐる。やがて三分経つたと思ふと、美しい金髪を波のやうに吹かせながら、昨日きのふの婦人運転手が、勢ひよく自動車を乗りつけて来た。

将軍は流石に顔の筋一つ動かさなかつたが、唯片眼を梟ふくろのやうに、ぱちりと瞬きした。そして今迄見つめてゐた時計をポケツトにしまひ込みながら、娘に言つた。

「お前さん、約束よか三分遅れたな。」

「はあ、三分遅れましたか……」勝気な娘は、梟ふくろのやうな瞬きが気に入らなかつた。で、思ひ切つた皮肉を投げつけた。「でも、貴下あなたが三年ばかし遅れて往らしたのに比べると、何でもありませんわ。」

米国の出兵を丁度よい潮時だと思ひ込むでゐた将軍は、それを三年ばかし遅れてゐると聞いて眼を円くして驚いた。

小林急山人きふさんじんの失敗6・1(夕)

宝塚の少女歌劇は、東京の初舞台で、素晴しい人気を呼んでゐるらしいが、その少女歌劇の創始者の一人、小林一三氏が最近東京へ往つた折、こんな失策しくじりをした事があつた。

あらためて言つておくが、小林氏は阪神急行電車の重役である。電車は大阪神戸といつたやうな、二つの都市の最も速い交通機関であるのみならず、また地獄への捷径ちかみちである事をも知つてゐる小林氏は、電車ほど人生にとつて必要なものは無いと信じてゐる。で、東京へ往つても、自動車や俥くるまやには乗らないで、大抵電車に乗る事に極きめてゐる。

ある日の事、小林氏は築地の旅館やどを出て、三宅坂に知辺しるべの人を訪ねた。帰りは夜に入つた。一杯機嫌で知辺の門口を出た小林氏は、直ぐ眼の前を古箪笥のやうな物が、のろつこい足取で急いでゐるのを見た。よく見ると電車である。柳行李と同じやうに人生の旅に無くて叶かなはない電車である。

小林氏は雨蛙のやうな恰好をして、ぴよいと電車に飛び乗つた。そして吾ながら飛乗りの巧く往つたのに感心して、居合はす人達の顔を見た。皆は西班牙スペインの王様の事でも考へてゐるらしい悲しさうな顔つきをして、誰一人三宅坂の上で起きた大事件に気が注つたものは無いらしかつた。小林氏は少々物足りなかつた。

電車は赤坂見附で停まつた。小林氏は車掌に催促されて、慌ててまた飛び下りたが、その一刹那自分でも雨蛙のやうな恰好だなと思つたらしかつた。――小林氏は築地行きの乗替切符を持つて、きよと〱四辺あたりを見廻したが、何処にもそれらしい電車は見られなかつた。来る車はこも来る車はこもが、他々よそ〱しい眼つきでこの小柄な重役を見かへしながら、逃げるやうにさつさと駈けて往つた。小林氏はべそを掻き出さうとした。

ふと四五人の散歩客が前を通つた。小林氏は慌てて帽子を脱いだ。

「一寸伺ひますが、築地行きの電車には何処で乗つたものでせう。」

散歩客は立停つた。そして薄暗い電燈の灯影ほかげで、小柄な小林氏を透すやうに見下みおろしながら、何やら話し出した。それを聞いて小林氏は吃驚びつくりした。言葉は擬まがひつ気けのない支那語だつた。

電鉄の重役は、人もあらうに支那人に電車路でんしやみちを訊いたのだつた。それに気がつくと、小林氏は小豆のやうに真ツ赤になつて、暗やみのなかを転がり廻つて逃げて来た。そして街を幾曲りかして、明るい通りで俥を拾ふ迄は生きた気持もしなかつた。

七十二歳の下士官6・2(夕)

米国のある陸軍将校が、最近仏蘭西軍の兵站へいたん部を訪ねると、そこに居合はせた司令官の一人にん、四十恰好の髯の美しい陸軍大佐は、愛想あいさうよく出迎へて、何くれとなく打明けて話してくれた。

すると、そこへ袖口に下士の星章一つ附けた老人としよりが入つて来た。鬚も頭髪あたまのかみも雪のやうに真白だつたが、丈夫な性たちだと見えて、顔は鮭の切肉きりみのやうな色をしてゐた。老人は隠しから一通の書類を取り出して、司令官に手渡しすると、慇懃いんぎんな言葉で訊いた。

「何か外に御用事はございませんでせうか。」

「さあ、差し当つて……」司令官は労いたはるやうな眼附で、老人の下士を見かへつた。そして不思議な程鄭寧ていねいな言葉つきで言つた。「差し当つて用事といつては無いやうです。」

老人は一寸手を挙げて挨拶すると踵かゞとの上でくるりと身体からだの向むきを更かへて、元気よく引き下つて往つた。

老人の姿が見えなくなると、司令官は米国の将校の方へ向き直つた。而そして変な笑わらひ様やうをした。

「あの男が誰だかつて事がお判りですかい。」

「いや、判りません。」

客は不思議さうに返事した。

「親父おやぢですよ、私の……」

司令官はかう言つて屹きつと口を結んだ。米国将校はその口元に胡桃くるみの殻のやうな真面目さを見て取つた。

司令官の話によると、親父おやぢさんは当年七十二歳で、多年働いてゐた実業方面をも、二三年前より退ひいて、気楽に日を送つてゐたが、戦争が始まつてから以来このかたといふもの、非常な煩悶はんもんに陥つた。で、とうと思ひ立つて従軍を願ひ出たが、それには余りに老ふけ過ぎてゐるので、当局者は容易に肯きき入れなかつた。親父おやぢさん躍起になつて運動した結果、漸やつと許されて割合に仕事の楽な兵站部に働く事になつたが、不思議にも朝夕顔を合はせる上長官は、自分の子息むすこであつた。

「戦争は色々な不思議を見せてくれます。」

司令官はかう言つて、苦しさうに笑つて見せた。その不思議こそ米国人の何よりも見たがつてゐる「道楽」である。

内田博士の靴6・5(夕)

近く欧米各国を視察に出掛ける筈の、京大文科教授内田銀蔵氏は、足に靴を穿はいてゐる。水を泳ぐ水鳥は、脚に水掻をつけなければならない世の中だ。学者のために途みちに花を降らさうともしない実世間の世渡りには、大学教授も足に靴を穿かなければならない。――尤もソクラテスは跣足はだしで雅典アゼンスの市まちを説教し歩いたやうだが、家うちに荊棘いばらのやうな女房かないを持つてゐた身には、雅典の街は羽蒲団のやうに踏み心地がよかつたに相違ない。

内田氏は足に靴を穿いてゐる。――ある日の事、その靴を足から脱いで、叮嚀に小包郵便に包くるまうとしてゐるのを見て取つた学生の一人にんは、不思議さうに訊いた。

「先生、何だつてそんなに靴をお包みになるんです。」

「東京の靴屋へ送りたいと思つて……」内田氏は包くるみかけた小包をまた解ほぐして、そのなかから穿き減らした靴を取り出して見せた。「蹠うらがこんなに痛んでるでせう、直しにやらうと思つてゐるのです。」

成程靴の蹠うらは学者の生活ほど惨めに擦り減らされてゐた。馬の道も学者の道も、たつた一本しか用意してない日本の市街まちでは、何の無理も無かつた。

「それにしても、何だつて態々わざ〱東京までお送りになるんです。」

学生は腑に落ちなささうに訊いた。

内田氏は黙つて学生の顔を見た。大学の学生ともあらうものが、この位の事が解らないやうでは、いつそ首でも絞くゝつた方が愈ましだと思つたらしかつた。学者はそつと溜息をついた。

「何だつて、貴方、東京で購かつた靴ですから東京へ送り返すのです。製こしらへた店でなくつちや、直しやうがないぢやありませんか。」

学生は声を立てて笑つた。

「何を仰有るのです、先生、靴の修繕つくろひ位だつたら、何処の靴屋にも出来るぢやありませんか。」

「え……」歴史家は皿のやうに眼を睜みはつた。アメリカを発見したのはコロンブスぢやない、あれは質屋の番頭だつたと言つた所で、これ程には吃驚びつくりすまいと思はれる程だつた。内田氏は事実を確めるために一層言葉を叮嚀にした。「真実ほんとうの事なんですか、唯今承はつたのは。実際東京で購つた靴の手入が、京都でも出来ますでせうか知ら。」

「出来ますとも。」学生はじつと可笑をかしさを噛み殺した。真理を説く者は、フロツクコオトを着てゐた方が都合がいいといふ事は、大学の講堂で平素ふだんから気が注ついてゐたので、破けた背広だけは幾らか気が咎めた。「京都の靴屋でも立派に手入れは出来ますよ。恰ちやうど学問の仕入が京都大学でも出来るやうなものでさ。」

「さうでしたか、些ちつとも知りませんでした。」

歴史家は例いつものやうに隠しから古びた手帳を取り出した。そして学生の言ふ通りに、京都の目星めぼしい靴屋の名前を一々克明に書き取つて、最後にアメリカ大陸発見にも比べられる記録の正確さを持つて、

「……年……月……日午後三時発見の事」

と書き足した。

吝嗇家しみつたれ6・6(夕)

俳優中村梅玉の楽みは、金を蓄ためるのと、夕方庭の石燈籠に灯ひを入れて、ゆつくりお茶を啜すゝるのと、この二つださうだ。尤も梅玉は石燈籠の灯を、いつまでも点燈ともしあかしにするやうな贅沢な真似はしない。いゝ加減見て娯しむと、自分から起たつて往つて、ふつと灯あかりを吹き消してしまふ。

英国の富豪かねもちにトウマス・ガイといふ男があつた。俳優はしなかつたが、梅玉と同じやうに金を蓄める事は大変好きだつた。聖書の出版を始めて、しこたま懐中ふところを膨らましただけあつて、かなり慈善事業にも手を出したが、聖書に書いてある事を、そつくり実行もしなかつたと見えて、金は蓄まる一方だつた。

同じ頃ホプキンスといふ倹約家があつた。恐ろしい吝嗇家しみつたれで、金を蓄める為めには、どんな苦しい思ひをするのも厭いとはなかつた。もしか「霊魂たましひ」を銀貨一つに取り替へて呉れるものがあつたら、ホプキンスは喜んで「霊魂たましひ」を売物にしたに相違なかつた。

ホプキンスは英吉利中で自分程倹約しまつな者は無からうと思つて、それをたつた一つの自慢にしてゐたが、他人ひとの噂に聞くと、トオマス・ガイといふ男は、自分にも劣らない程の吝嗇家しみつたれらしかつた。さういふ吝嗇家しみつたれがこの世に今一人住んでゐるといふ事は、ホプキンスに取つて生き甲斐がある事に相違なかつた。ホプキンスは態々わざ〱ガイを訪ねてみようと思つた。

ガイを訪ねたのは夜分だつた。主人は墨汁壺インキつぼのやうな真つ暗な部室へやにもぐもぐしてゐたが、客が来たと気がつくと、のつそり立つて往つて、蝋燭に灯ひをつけた。蝋燭は黄疸わうだん病やみのやうな黄色い光りを四辺あたりに投げた。その瞬間ホプキンスは入口いりくちに立つて叮嚀にお辞儀をした。

「ガイさん、貴方にはすつかり参つちまひましたよ、私だつて蝋燭の倹約しまつまでは思ひつきませんでした。いや有難うございました。」

ホプキンスは幾度か頷きながらその儘帰つて往つた。

蝋マツチ6・7(夕)

米国と支那との貿易といへば、随分と夥おびたゞしい金高に上のぼる事だらうが、その夥しい貿易が、もとは蝋マツチ一本から出た事だと聞いては、誰だつてまさかと小首を傾かしげぬ者もあるまい。だがそれは全くの事実で、生命いのちまでもと思ひ込んだ男女の恋なかが、もとは落した手巾ハンカチを拾つてやつた位の事に過ぎないのは世間によくある事だ。

五十年前といへば、支那人は欧米人を夷えびす扱ひにして、酷ひどく毛嫌ひしたものだが、その頃支那に渡つて貿易業を始めたばかりの紐育ニユーヨーク生れの商人あきんどがあつた。何一つ取引は出来ない上に、市街まちへ出れば通りすがりの支那人から白い歯を見せられるので、商人あきんどは涙さへあつたら泣き出したい思ひをしたのだ。だが、仕合せな事には、紐育生れのこの商人あきんどは、大阪生れの商人あきんどと同じやうに涙はほんの三粒程しか持合はさなかつた。

ある日商人あきんどは、市街まちの関羽くわんうの廟べうで行はれるお祭りを見に往つた。居合はす人達は各自てんでに蝋燭を持つて、それを振りかざして何かの式をするらしかつた。紐育生れの商人あきんどは、それを見ながら、ポケツトから一本の葉巻を取り出して、蝋マツチを擦つて、ぱつとそれに火をつけた。

蝋燭を振つてゐた支那人連は、一斉に商人あきんどの方を見かへつて険しい眼つきをした。商人あきんどは慌てて蝋マツチの火を消さうとして二三度手を振つて見たが、それも無駄だつた。商人あきんどは暴やけになつて強くマツチを振つた。火はどうしても消えなかつた。すると、支那人のなかから予かねて顔馴染の男がづかづか近寄つて来た。

「やあ、貴方もお祭りの儀式をしてらつしやるんですね。」支那人の険しい眼つきは、いつの間にか面白さうに笑つてゐた。「でもマツチでは可いけませんよ、こゝに蝋燭があるから差し上げませう。」

居合はす支那人は、すつかりこの商人あきんどにいゝ感じを持つ様になつた。お蔭で貿易全体が都合よく運ぶやうになつた。

「何もかも、あの蝋マツチ一本の故せゐだ。」

と、商人あきんどは後々のち〱になつて、往時むかしを想ひ出す度に、それを言ひ言ひした。

英国首相恐縮す6・8(夕)

英国の首相ロイド・ジヨージ氏が、まだ田舎弁護士でぴいぴいしてゐた頃、ある日訴訟用の出先から一頭立の軽馬車を駆つて自宅うちに帰りかゝつてゐた。もう半時間もしたら自分の住まつてゐる田舎町に入らうとする頃、ロイド・ジヨージは寂しい野道で、とぼ〱歩いてゐる一人の小娘に邂逅であつた。よく見ると同じ町にゐて、かねて見知越みしりごしのさる商人あきんどの娘だつた。

ロイド・ジヨージは車を停めて、娘をも一緒に乗せてやつた。馬は一日駆けづり廻つて、もうかなり疲れてゐるので、情深い主人の仕打を変な眼つきで見てゐた。実際娘を曳いて帰るのは馬の仕事だつたが、さうかと言つて馬が慈善家だと賞められる訳でもなかつた。従来これまでも馬は度々たび〱そんな目に出会つて懲りてはゐたが、それが世間だと絶念あきらめをつけてゐるらしく、黙つてまた駆け出した。

未来の英国首相は、娘を喜ばせようと思つて、色々の談話はなしを持ち出した。角のある龍りようや、乾魚ひもののやうに痩せた学校教師や、白鳥のお嫁になつたお姫様や、そんな面白い話を幾つとなく聴かせたが、娘は黙つて聴いてゐて、時々「はい」とか、「いゝえ」とか応答うけこたへをするに過ぎなかつた。ロイド・ジヨージは変に思つて、終しまひには自分も黙つてしまつた。

二三日経つて、ロイド・ジヨージは娘の母親に出会つたので、その折の事を話し出して訊いてみた。

「お宅のお嬢さんは、よつぽど沈黙家むつゝりやでいらつしやるんですね。」

「まあ、先生、その事なんですわ。」と母親は笑ひ笑ひ言つた。「娘が帰つて来て、そのお話をするもんですから、何だつてお前そんなに黙つてたんだと訊きますとね、娘の返事はかうなんですよ。『だつて、お母さん、あなたあの叔父さんとお話をなさると、いつでも鑑定料とかいふものを取られていらつしやるんでせう、でも、私その折お金あしを一文も持つてなかつたんですもの。』と言つてね。」

未来の首相は頭をかいて恐縮した。――語を寄す、日本の弁護士連、ついでに君達も恐縮した方が善くはなからうか。

接吻キツスか二十弗か6・9(夕)

メリー・ガアデン嬢といへば、今は巴里パリーに住んでる、米国で名うての首歌妓プリマドンナだが、ある時劇場しばゐの稽古場で、大事の宝を失なくしてしまつた。一体劇場しばゐの稽古場といふところは、よく物を失くしたり、拾つたりするところで、坪内逍遙博士が一枚看板の女優を失くしたのも、島村抱月氏が大事な「恋」を拾つたのもみんな劇場しばゐの稽古場だといふ事である。

メリー・ガアデン嬢が失くしたのは、恋でも母親おふくろでもなかつた。女優の身では何どうかすると恋よりも母親おふくろよりも大事にしなければならぬ筈の大粒の真珠であつた。嬢は血眼ちまなこになつて捜したが、かいくれ分らなかつた。で、一座の者に申し渡しをして、真珠を拾つてくれた者には、接吻キツスか、二十弗か、どちらかをお礼にしようといふ事に取とり極きめた。

「接吻キツスがして貰へる……」

皆は熱病を患わづらつた様な眼つきをして、稽古場を捜し廻つた。すると、年の若い道具方の一人が、小道具のなかで件くだんの真珠を発見めつけた。女優はにこ〱ものでそれを受取つて身につけた。

「有難う。お礼は孰方どちらにした方が良いいの。接吻キツス?」女優は美しい眼で道具方の顔を見た。化粧石鹸しやぼんでよく洗つた上に、香水でも振りかけなければ、迚とても接吻キツスが出来さうな顔ではなかつた。「それとも二十弗の方にするの。」

「へへへ……、手前接吻キツスは大の好物なんでげすが…」道具方は、薔薇のやうな女優の唇を見て、狗いぬのやうに卑しい眼つきをした。「でも、お腹なかには代へられやせん、二十弗の方を戴きやせう。」

それから二三日経つて、メリー・ガアデン嬢は、富豪かねもちのアンドリウ・カアネギー氏に出会つて、この話をした。

「道具方め、若いに感心な男ぢや。」カーネギー氏は、美しい女優の唇にちらと眼をやりながら言つた。「二十弗受取つてみれば、この後のち接吻キツスするにも、精々大事にしませうからの。」

カーネギー氏は良い事を知つてゐるが、しかし道具方はもつと〱良い事を知つてゐたのだ。それは二十弗あつたら、接吻キツスと、酒と、今一つ料理さへ味はふ事の出来る安値あんちよくな世界がこの世の中にあるといふ事である。

女に踏ふみ躙にじらる6・10(夕)

夏目漱石氏が、まだ達者で生きてゐた頃、或日若いMといふ門弟と、令嬢二人を相手に、卓子テーブルを囲んで、色々の世間話に興じてゐた事があつた。

漱石氏は文章も巧かつたが、どうかすると文章よりも坐談の方が巧くは無からうかと思はれるやうな事があつた。それほど坐談が巧かつたのだ。

若い門弟と美しい令嬢二人は、漱石氏の面白い話し風にじつと聴きとれながら、時々出る剽軽へうきんな皮肉に若い胸をはつと躍らせてゐた。一体女といふものは、自分の頭に降つて来ない限りにおいて、ひどく皮肉を好くもので、男の口から自分ひとりを別物に、外の九百九十九人に皮肉を聞く事が出来たなら、初めて生きた気持がするものなのだ。

若い令嬢二人は、漱石氏の口から軽い皮肉が転がり出る度にかうした阿父様おとうさまを持つ事が出来た自分達の仕合せを喜んでゐるらしかつた。若い門弟はまた美しい女達の笑ふのを見るのが、何よりも愉快で溜らなかつたのだ。

若い門弟は一寸令嬢の一人に悪戯いたづらがして見たくなつた。実をいふと、その門弟は大分だいぶん前から二人のうちの姉さんを想つてゐたのだ。で、おつかな吃驚びつくりに卓子テーブルの下から足を伸ばして、恋人の足の甲をそつと踏んでみた。足の甲は三毛猫の背せなのやうに柔かかつた。

若い門弟は身体からだぢゆうが痺れたやうな気味で、そつと足を引つ込めようとした。返礼はすぐに来た。猫のやうな柔かい足は、素晴しい勢ひで門弟の足の甲を蹂躙ふみにじつた。蹂躙つたといふよりも、踏潰したと言つた方が相応ふさはしかつたかも知れない。若い男はその一瞬間自分の身体ぢゆうが、女の足の裏で鯛煎餅たひせんべいのやうに平べつたくなつたやうに思つた。

「あ、痛いたつ……」

男は思はず叫んで、椅子の上から飛び上つた。そして恐る〱卓子テーブルの下を覗き込んで見ると、自分が調弄からかひ気味ぎみにそつと触つたのは、おとなしい姉娘のと思ひの外、お侠きやんな妹娘の足であつた。

若い門弟は梅桃ゆすらうめのやうに真紅まつかになつた。漱石氏はじつとそれを見つめながら、にやりと笑つた。そして学者の皮肉よりも、女の脚はもつと辛辣なものだと初めて気がついたらしかつた。

新近江八景6・14(夕)

滋賀の森知事は、これまでの近江八景が、新時代の風景としては規模が小さ過ぎるからといつて、新しく一般投票で新時代の八景を募集したといふ事だ。飲んだくれの村長や、やくざな衆議院議員を拵へるために設けられた投票を、景色の選択にまで持つて来たのは知事の思ひつきで、投票人に納税価額の制限をもつけないで、一般投票としたのは、新時代の知事として、森氏の規模の小さくない所かも知れない。

名古屋に近江八景の見物を年頃の志願にしてゐる団体がある。旅費と閑暇ひまとはかなり持合はせてゐる人達の事とて、それぞれの名所を言ひ伝への文句通りに見物しようといふのだ。石山いしやまには名月の夜よ態々わざ〱訪ねて往つた。月は県知事のやうにぽかんとした顔をして空をうろついてゐた。比良ひらに雪が降つたといふ記事を新聞で見て、慌てて汽車で駈けつけてみると、山には瘡蓋かさぶたのやうな雪がちよつぴり残つてゐた。名古屋生れの見物衆は、

「まるで画ゑのやうやなも。」

と言つて喜んだ。

勢田せたでは風邪でも引込んでるらしい血走つた眼をした夕陽を見た。矢走やばせでは破けた帆かけ船を見た。三井寺ゐでらでは汽車の都合があるからといつて、態々わざ〱頼んで十五分程早目に時の鐘を撞ついて貰つた。鐘は鉄面皮にもいつもよりは大きい声で、喚わめくやうに鳴つた。困つたのは堅田かただの落雁らくがんで、幾度往つて見ても雁はそこらに見えなかつた。雁はこの人達のやうに有り余る程な旅費と閑暇ひまとを持合さなかつたのだ。ところが、丁度折よく鴉が三羽そこを通り合はせた。皆は、雁の代りに鴉で辛抱する事にした。女房を辛抱する事の出来る人達が、雁の代りを鴉で間に合はせないといふ法は無かつた。

一番困つたのは唐崎からさきの夜よの雨だつた。名古屋を雨の日に立つと唐崎の夜よはいつも霽はれてゐた。思ひ立つて、漸やつと三年目に初めて雨の夜よに出会でくはす事が出来た。皆は松の下でぐしよ濡れになりながら、

「よろしなあ、恰まるで画のやうやなも。」

と言つて喜び合つた。所がその後ごになつて、妙な事を聞き出して来た者があつた。それは唐崎の夜雨やうといふのは、夜更けて松の葉のこぼれるのが雨の音に似てゐるからの事で、何も雨に濡れなくともいゝのだといふ事なのだ。皆は変な顔をして、今一度唐崎へ往つたものか、何どうかといふ事を決め兼ねてゐる。

新しい近江八景を選ぶのもいゝが、何処かに一つ宛づつ雁がんや雨やを配あしらつて欲しいものだ。

婦人の病気6・15(夕)

医者の診察室には、病人も来れば健康たつしやな人も来る。医者は一々それを診みて、病人には病気でないやうな気安めを、健康たつしやな人には病気がある様な言葉をかけなければならぬ。それが出来ないと、その診察室は兎角評判がよくない。

英国にジヨン・アバアネシイといふ名高い外科医があつた。長らく聖セントバアソロミウ医院に勤めてゐたが、物言はずの沈黙家むつつりやと不作法なのとで聞えた男だつた。ある時若い貴婦人がこの医者の診察室に入つて来た。婦人の手首は一寸腫はれ上つて熱を持つてるやうだつた。医者は碌ろくすつぽ診ようともしないで、ぶつきら棒に訊いた。

「熱ほてりますか。」

「づきづき痛むんですわ。」貴婦人は美しい眉を顰ひそめながら言つた。

「罨法あんばふなさい。」

医者は一言言つたきり、鉛筆のやうに突立ち上つた。貴婦人は不安心さうな眼つきをして帰つて往つた。

次ぎの日、婦人はまた診察室に入つて来た。医者はじろりと横目で睨んだ。

「癒なほりましたか。」

「いゝえ、昨日きのふよか悪いやうですわ。」

貴婦人は狆ちんころのやうな悲しさうな目つきをした。

「もつと罨法なさい。」

医者はさう言つた儘、この美しい患者を置いてきぼりにして外へ出た。

それから二日目にまた貴婦人が診察室に入つて来た。今度は打つて変つて、世界が花びらになつたやうな笑顔をしてゐた。医者は訊いた。

「癒りましたか。」

「はい、お蔭ですつかり快よくなりました。」

婦人が象牙のやうな手首をつきつけるのを、医者は見向きもしなかつた。

「何でもなかつたんでさ、貴女あなたの神経からだつたんです。」

金が物言ふ6・16(夕)

岸和田紡績の寺田甚与茂じんよも氏は金銭かねを出すのが何よりも嫌ひな老人である。今の実業家で自動車に乗りつけないやうな人は滅多にあるまいが、寺田氏はその一人にんである。偶々たま〱人が自動車を勧めると、寺田氏は綿屑で一杯詰つたやうな頭を強く掉ふつて、

「あれに乗るとな、金銭かねが逃げる様な気持がしますわい。」

と言ひ言ひしてゐる。

その寺田氏が最近仕方なく自動車に乗つた事がある。何でも親戚みうちの者が播州垂水たるみで結婚をするその式に顔出ししなければならないので、時間の都合で岸和田から垂水まで自動車を走らせる事になつた。寺田氏は革の財布の口をしつかり紐で括くゝつて自動車に乗込んだ。

乗つて見ると、案外気持がよかつた。だが、気持の良いものに油断をしないといふのが、この爺さんの主義である。

「へつ、自動車の奴め、俺を胡麻化ごまかさうたつて、さうは往ゆくもんかい。」

爺さんは態わざと苦り切つた顔をしてゐたが、自動車はそんな事には頓着なく、鼻を鳴らしながら駈けて往つた。

自動車が飛田とびたの附近あたりへ来ると、汚むさい豚小舎ぶたごやのやうな家うちから、一人の若者が転がり出して、車の前に大の字なりになつた。寺田氏ははつとなつて、覚えず革の財布を握り締めたが、その一刹那運転手は手際よくぴたりと自動車を停めた。

「さあ、轢しきやがれ、轢しきやがらんかい。」

転がつた無頼漢ならずものは、埃のなかで蛙のやうに手足をばたばたさせながら喚わめいた。附近あたりには同じやうな無気味の輩てあひがぞろぞろ集たかつて来た。

物に馴れた運転手は余り騒がなかつた。静かに車の中の爺さんをふりかへつた。

「いかゞ取り計らひませう。幾らかお与やり下さいませんでせうか。」

「手の内をかい、いけないよ、そんな事は。」

「でも、金が物言ふといふ事がございます、別わけてこんな輩てあひには……」

「なに、金が物を言ふ?……」爺さんは胡散うさんさうな眼つきで運転手の顔を見た。「成程お金は物を言ふよ。大抵の場合、さやうなら! と言つて、さつさと出て往ゆくもんだよ。」

道では無頼漢ならずものが朋輩から貰つた煙草の吸殻をふかしふかし相変らずばたばたしてゐる。運転手はぶつくさ言ひながら車を後に引き返した。そして大廻りに廻り路をして、日の暮方にやつと垂水に着いた。爺さんは革の財布を握り締めながら、やつとこなと自動車から下りた。そして独語ひとりごとのやうに言つた。

「速い速いといふが、この分ぢや自動車も余り速くはないな。」

学校長6・17(夕)

米国大統領ウヰルソン氏が、タフト氏の次ぎに、初めて大統領候補者として打つて出た頃、ミシガン大学の総長某氏が地方を旅行した事があつた。某氏は同じ大学総長仲間といふのでウヰルソン氏とも昵懇ぢつこんの間柄だつた。

汽車でも喫煙室では選挙談が頻りに取り交されてゐた。なかに一人ちよつぴり鼻の尖つた狐のやうな表情をした、商人あきんどらしい男が、口汚くウヰルソンを罵のゝしるのが、殊更ことさら耳立みゝだつて聞えた。総長某氏は癪しやくにさへて口を出した。

「最前から承はるところでは、貴方はウヰルソン君がお嫌ひなやうですね。」

商人あきんどは胡散さうな限つきで総長を見かへした。

「ウヰルソン氏ですか、無論好きません。」

「何故です。」

「理由は簡単てみじかです、あの人が大学の総長だつたからです。」商人あきんどは口に入れてゐた噛しがみ護謨ごむの滓かすをペツと床に吐き出した。「私は一体学校長といふものを信じません、あの輩てあひに一人だつて碌な人間が居る筈はありませんよ。」

総長は煙草の脂やにでも嘗なめさせられたやうな、苦い顔をして、その儘黙りこくつて了つた。

京都大学の荒木総長が、まだ医科大学長をしてゐた頃、ある夏の日盛りに白ワイシヤツ一枚になつて、大学の図書館に入つて来た。そして其処そこに居合はせてゐた図書館長S氏の顔を見ると、だしぬけに喚わめいた。

「S君、君は図書館長、僕はまた医科大学長、お互に長の名のつくものに碌な物は無いね。」

「成程……」S氏は頭のなかで長と名のつくものを数へ立ててみた。村長、郡長、駅長、署長……実際長と名のつくものに碌なのは無かつた。「考へてみると、そんなもんですな。」

すると、丁度そこらの書物のなかから、鼬いたちのやうにひよつくりと禿頭を持ち上げたものがあつた。荒木氏はその方へ目を遣やつてはつと思つた。かねて顔馴染の某中学校長であつた。荒木氏は冬瓜とうがんのやうな大きな頭へ手をやつた。

「だが、S君、そのなかでも中学校長は別物だね。中学校長には、偶たま〱偉いのがあるよ。」

それを聞くと、件くだんの中学校長は気恥しさうにひよつくりと頭を下げた。辞書は校長を庇かばふやうに両肩を怒いからして、禿頭を隠し立てをした。

将軍の舅しうと6・18(夕)

遣欧米軍の司令官パアシング将軍の舅は、今米国のワイオミング州にゐる地方切つての富豪ものもちである。州の首府シヤイエンにだけでも四十六軒の家作を持つてゐる。それが孰いづれも素晴しく立派なものづくめである。

そのシヤイエンの市街まちに一人の老としとつた小学校の校長が住んでゐる。長い一生を振ふり顧かへつてみても、何一つ碌な事は仕出来しでかしてゐないので、この頃では他ひとと話す時には、いつもパアシング将軍の舅を自慢する事に決めてゐる。名高い将軍を娘聟に持つたばかりか、しこたま財産をさへ持つてゐる、何といふ幸福しあはせな男だらう、と言つて。

ある時友達がこの老校長を訪ねて来た。校長は市街まちをぶらつきながら、途々みち〱将軍の舅の自慢話を持ち出した。すると、道の曲り角で大きな旅館ホテルの前に出た。校長は慌てて友達を引きとめた。

「見なさい、この建物も将軍の舅さんの所有ものでさ。」

友達は旅館ホテルの高い窓を振り仰いで感心した。

市街まちを曲ると、そこの通りには幾つかのかつちりした会社向きの建物が立ち並んでゐた。こんな街に事務所でも置いて、株券の利廻りでも考へてゐたら、定めし気持がよからうと思はれた。校長はその前へ来ると、慌ててまた友達を呼びとめた。

「見なさい、この建物もみんな将軍の舅さんの所有ものでさ。」

次ぎの市街まちでは、小ざつぱりした住宅向きの建物が幾つとなく目に留つた。こんな住居すまゐに入つて家賃もきちん〱と払つて、加之おまけに結婚しないで済まされるものなら、この世は天国だらうと思はれた。校長はその前に来ると、また立ち停つて言つた。

「見なさい、この建物もそつくり将軍の舅さんの所有ものでさ。」

暫くすると、二人の目の前に宏壮な、素晴しく金のかかつたらうと思はれる建物が現れた。周囲まはりには美しく刈り込まれた芝生があつて、色々の珍らしい花が咲いてゐた。友達は校長を振り向いて訊いた。

「立派な家うちですな、誰方どなたの所有ものですか。」

「これですかい……」校長は自慢さうに鼻を動かした。「これが、その将軍の舅さんの宅うちでさ。」

そこから少し往ゆくと、美しく鏡のやうに光つた湖水があつた。白い雲の一片ひらが立ち停つて、女のやうに自分の姿をうつしてゐた。友達は景色に見惚みとれながら訊いた。

「いい湖水だ。誰のだらう、やつぱり将軍の舅さんの所有ものなんですか。」

「さあ、」校長は行ゆき詰つまつたやうに頭へ手をやつた。「いや、あの方のぢや無からう、多分神様の所有ものでがせうよ。」

「神様の……成程ね……」と友達は皮肉な眼で校長の汗ばんだ額を見た。「神様の所有ものにしても、いづれは将軍の舅さんからお買取りになつたのだらうが、どの位お仕払ひになつたか知ら。」

成金の天地6・19(夕)

島徳蔵氏は成金の一人にんである。最近弟の定治郎ていぢらう氏が、多額納税議員に当選したので、島氏はこの世界は神様が自分達の為に別誂べつあつらへに拵へたもののやうに思ひ出したらしい。

「君、僕ももう旧もとの徳蔵ではないよ、お金は唸うなる程出来るし、加之おまけに弟は貴族院に入いるし、何一つこの世に不足は無くなつたよ。」

島氏は近しい者の顔を見ると、いつもかう言ひ言ひしてゐる、狗いぬのやうに目頭に涙さへ浮べて。

それを聞いた同じ仲間の某は、穴のあく程島氏の顔を見つめた。

「それは結構だね、実際君はそんな幸福者しあはせものだと自分で思つてるんだね。」

「思つとるよ、全く幸福者しあはせものだもの。」徳蔵氏は嬉しさが一杯で、泣き声をしながら言つた。

「それぢや訊くがね、君はこの頃飯を幾杯位食べる?」

某氏は脂ぎつた団子だんごのやうな鼻を、徳蔵氏の顔さきに突きつけた。

「以前は六七杯もやつたつけが、今では三杯と定きめてるよ。」徳蔵氏は貴族院議員の兄様にいさんらしく、精々上品な口元をして言つた。

「たつた三杯か、ところで……」某氏は厚い唇を舌なめずりしながら言つた。「次は酒だが、酒はどの位いけるな。」

「酒かい。」徳蔵氏は寡婦ごけさんのやうな悲しさうな声をした。「酒もこの頃では余りやらん事に決めとるよ、まあ杯さかづきに五六杯といふところかな。」

「杯に五六杯だつて。さうか。次にこの方は何どうだな。」と某氏は太い指環ゆびわのはまつた左手の小指を見せた。「小指」が何の符牒なのか、記者はよく知らないが、少くとも「武士道」や「監獄」や「胃病の薬」のやうな、苦いもので無いらしいのは、それを見た島氏が飴のやうな笑ひを見せたので大抵察しられた。島氏は言つた。

「その方も薩張さつぱりあかんよ。」

「さうか」某氏は気の毒さうな眼をして貴族院議員の兄を見つめた。「飯は食へない、酒は飲めない、加之おまけにその方もあかんとなつて見ると、君は何が楽みで幸福者しあはせものなんだい。」

「さうさなあ。」

島氏は困つたやうに頭へ手をやつた。成程さう聞いてみると、幸福者しあはせものだとも言へないらしかつた。飯と酒とそれから今一つの外には、別に世界のある事を知らないのが実業家の例ならはしだから……。

子供の少い村6・21(夕)

女といふものは、男の悲しみは半分別わけて呉れる、喜びは倍にして呉れる、そしておまけに費用は三倍にして呉れる――といふ程、男にとつて無くてならないものである。もしか世界に女が一人も居ないといふ事になると、それは男にとつて神様が一人も居ないといふ以上に大事件でなくてはならない。

ところが、さういふ村が米国に一つある。カンサス州のエムポリア市から少し離れた田舎だが、そこにはこの十年間が程女の児が一人も生れない。出来る児も、出来る児もやくざな石塊いしころのやうな男の児ばかりなので、村では地方出の代議士に頼んで、男でも女でも自由に産む事の出来る秘方を説いた書物はないものか、有るならこつそり教へて貰ひたい、もしか無いならば専門の学者に研究させて貰ひたいといふ、大変な陳情をしたといふ事だ。

この村には百八十二軒の家庭があるが、こゝ十年が間に生れた子供は、まるでで二百十二人で、揃ひも揃つてやくざな男の児ばかり、女といつては唯たつた一人しかない。それが漸やつとまだ九つにしかならないのに、婚約の申込が降るやうにあるといふ事だ。

フランシス・ウイルソンといへば、米国では聞えた俳優だが、この男がある夏の事、田舎に旅立ちして往つた。ところが、その田舎といふのが、不思議に子供の少い村で、昼間でも遊び声一つ聞えない、ひつそりした村であつた。(どこの国へ往つても、馬鹿と子供と鶏とは騒々しいものである。)

フランシスは宿の農夫ひやくしやうを掴まへて訊いた。

「爺さん、この村では子供は余り居ないと見えるね。」

「居ましねえだよ、孩児がきは。」

爺さんは安煙草の脂臭やにくさい口をして言つた。

「余り生れないのかな。」

「あんまり生れねえだよ。」

「どんな割合で出来てるか知ら。」

「さうだなあ……」爺さんはじつと考へるやうな目つきをした。「どの女あまも一年に一人しかよう生まねえだからの。」

武部源蔵6・22(夕)

大和西大さいだい寺の南に菅原神社といつて、天穂日命あめのほひのみことと野見宿禰のみのすくねと菅原道真とを一緒に祀まつつた社やしろがある。そこに詣まゐつた事のある人は、社の直ぐ前に、

武部源蔵

と書いた大きな門札のかゝつた家うちを見掛けたに相違ない。幾ら見遁みのがさうたつて、迚とても見遁す事の出来ない程大きな門札である。

宿の主人は、長い銀のやうな髯を持つた老人である。浄瑠璃の「寺子屋」で、源蔵に近づきになつてゐる人達が偶たまに訪ねてゆくと、爺さんは長い髯を扱しごきながら色々な自慢話を始める。

「はい、私わてが家うちは御覧の通り代々源蔵を名乗つて居りますのや。」と爺さんは文楽の人形芝居で見覚えた源蔵のやうに、物を言ふ時極きまつて妙な肩の恰好をして見せる。「初代があの通り道真公にお仕へしたのを御縁に、今だにこないして菅原さんのお側そばに暮して居ますのや。」

ある時物識ものしりのお客が訪ねて来て、爺さんを相手に、「寺子屋」の武部源蔵は、あの浄瑠璃の作者が、同じ時代に江戸に武部源内といつた、名高い寺子屋の師匠があつたので、それから思ひついたのだといふ事を話したものだ。すると、爺さんは長い髯を馬の尻つ尾のやうに激しく振つた。

「でも、それは武部源内だすやろ。私あてとこは源蔵だすよつてな。浄瑠璃の文句通りに……」

物識りのお客は、爺さんの権幕を気づかつた。首実検の松王のやうに後から切り込まれても詰らないと思つたのだ、で、幾らかお愛嬌のつもりで訊いてみた。

「それでは、お宅うちの一番古い御お先祖は何と仰有いましたな。」

爺さんは急に得意になつて鼻を動かした。

「それが貴方一向判りよらなんだのを、先日こなひだえらい物識ものしりの方がお来いなはつて、その方に承はると、何でも宅うちの先祖ちふのは、竹田出雲たらいふ途方もない学者だしたさうな。恰ちやうど道真公と同じ時代でな……。」

お客は吹き出したくなるのを強ひて辛抱した。世の中には罪な事を教へる学者もあるものである。

骸骨の議員6・23(夕)

カンサス出の米国上院議員に、インガルスといふ男がゐる。爪立せだちしたら、天国にでも手が達とゞきさうな背高のつぽで、おまけに酷い痩せつぴいだが、それでも地面ぢべたの事が気になるかして、色々郷里の事に骨折るので、カンサスでは評判のいゝ男である。

この男の近所に、大の仲よしのお医者がゐる。インガルスとは打つて変つた肥えた男で、診察のひま〱には、静しづかな書斎でエマアソンの論文を読むのが何よりも好きであつた。ところが困つた事には、このお医者がエマアソンを読まうとすると、極きまつたやうに其処そこへ飛び込むで来て、邪魔立だてする者がある。外でもない、ちんぴらな新聞売子で、医者とエマアソンとの知らない色々の事が載つてゐる新聞を押売おしうりしに来るのだ。医者はそれが蒼蠅うるさくて仕方がなかつた。

ある日の事、インガルスは医者の診察室に背高のつぽな身体からだを現した。別に心の臓が悪くなつたので、診察を頼みに来た訳でも無かつた。米国アメリカでは心の臓はオペラ袋バツク同様女の持物になつてゐるので、背高のつぽの議員はそんな物は持つてゐなかつた。医者は友達の顔を見ると、例いつものやうに新聞売子がうるさくて、しみ〲エマアソンが読めないのが何よりも残念だと話をした。

ところへ、又しても新聞売子の入つて来るらしい足音が聞えた。医者は早速の気転で、押入から標本用の人間の骸骨を引張り出し、それをちやんと椅子に腰かけさせて、自分達は何食はぬ顔で次の室まに隠れてゐた。

新聞売子は扉ドアをあけて、勢よく診察室に入つて来た。そして毎日の事なので、其辺あたりに気も注つけないで、ずつと卓子テーブルの前までやつて来た。見ると、いつもの椅子には、肥えた医者の代りに、骸骨が一人腰をかけて、窪んだ眼で新聞売子を見詰めながら、白い歯をむき出してけら〱笑つてゐた。売子は声を立てて泣き〱外へ飛び出した。

医者は腹を抱へて笑ひこけた。眼からは涙さへにじみ出してゐた。背高のつぽの上院議員は、流石に可哀相かあいさうになつて、後あとを追つて表へ出た。そして御機嫌取りに売子の手から新聞を一枚買ひ取らうとした。売子は首かぶりを掉ふつて、どうしても新聞を呉れようとしなかつた。

「そんなに着物を被きたつて欺だまされるもんかい。」売子は相手を見上げながら、べそを掻き〱言つた。「たつた今骸骨の所を見ちやつたんだもの。」

雀鮨の進物6・24(夕)

犬養木堂は、憲政擁護の神様だつた頃は、人が頼むと、おいそれと気持よく絖ぬめなり、画箋紙なりへ達者な書をかいて呉れたものだ。相手が三味線を持つ女だつたら、派手な長襦袢へでも書くのを厭いとはなかつた。

ところが、今では、ふつつりと揮毫を思ひとまつて、どんな向きにでも依頼に応じようとしない。偶たまに絖なり、画箋紙なりを送つて来る者があると、三月の間うちはその儘保存しておいて、その間に取りに来ないものは、さつさと自分の方でその始末をつける事にきめてゐる。

それとよく似てゐるのは、内藤湖南氏で、氏も犬養氏同様手蹟てが巧いので、方々から額やら掛物やらの揮毫を頼みに来る。初めの間うちは一々詩なり、何なり書いて送り返してゐたが、それが市まちへ持ち出されては、かなりの値段に取引されてゐるのを見ては、内藤氏ももう溜らなくなつたらしい。で、近頃ではどんな人から頼んで来ても、決して書かないことに定きめてゐる。偶たまに見ず知らずの人から小包で送つて来る絖やら画箋紙やらは、直ぐその場で破いて捨てる事にしてゐる。

「犬養さんのやうに家うちが広いと、三月位置いてやつてもいゝのだが……」内藤氏は蝦蟇がま仙人のやうな口元に、にやりと皮肉な笑ひを見せて言つてゐる。「何分自宅うちは手狭てせまなものだから、すぐ破つてしまふ事にきめてゐるのだ。」

今は亡い尾崎紅葉山人に何か書かせたいのを、年来の志願にしてゐる男があつた。その男は大阪生れだつたが、ある時東京へ出た尋ついでに、紅葉氏を訪ねて見た。いろ〱と頼んでみたが、小説家はなか〱うんと言はなかつた。でも、何かの話の拍子に大阪の雀鮨が好きだと、つい浮うつかり口を滑らしたので、その男はもう占しめたものだと思つた。

大阪へ帰つて来ると、直ぐ小包で雀鮨を小説家あてに送り届けた。すると、三日程して紅葉氏から鄭重な挨拶が来た。そして手紙のなかには短冊が一枚封じてあつた。短冊には俳句が認したゝめてあつた。貰つた男は文句が十七字で出来てゐるので俳句に相違ないと思つたのだ。俳句だらうが、離縁状だらうが、紅葉氏の書いたものでさへあれば、それでよかつたのだ。

犬養氏も、内藤氏も、雀鮨は嫌ひでは無いらしい。だが、実を言ふと、二人とも紅葉山人よりはずつと人が悪い。雀詣を食つた上に、小包の絖で汚れた手先を拭きかねないのはこの人達である。

恋と花6・25(夕)

出雲松平家の茶道さどうに、岸玄知げんちといふ坊主が居た。ある時、松江の市街まち外はづれをぶらついてゐると、穢きたない小こ百姓しやうの垣根に花を持つた梅の樹が目についた。梅は大隈侯のやうに老齢としよりで、加之おまけにまた大隈侯のやうに杖に凭よりかゝつてゐたが、玄知はその姿が気に入つたので、早速百姓に掛合つてみると、百姓は幾らか貪むさぼつた価ねを切り出した。

玄知は家うちに帰つて、これまで持ち慰さむだ茶道具の幾つかを売払つた。そして金子かねを懐中ふところに、いそいそと小百姓を訪ねて往つた。取引が無事に済むと、玄知は腰にした瓢ひさごをほどいて、花の下で酒を飲み出した。百姓が夕方野良から帰つてみると、玄知は花の下で狗いぬころのやうに鼾いびきを掻きながら転寝うたゝねをしてゐた。

それから幾日か経つたが、玄知は一向樹を持ち運ばうともしないで、毎日のやうにやつて来るので、百姓は不思議でならなかつた。

「旦那、一体あの梅の樹はどうして呉れるだね。」

「どうもしないよ。あの儘さ。」

玄知はけろりとした顔をしてゐた。

「だつて、お前めえ様、高い金出して、俺おらがの買取つたぢやねえか。」

「さうさ、買取るには買取つたが、家うちは邸やしきが狭いから、いま迄通りお前の許とこに預けておく積りだ。」

百姓は麦飯と水とで出来た自分の哲学では解とき難にくいものに出会でくはしたやうに頭へ手をやつた。

「預かれなら、預かりもしようがの、実が生なつたら持つて往ゆくだかね。」

「いや、実は要らない。」玄知はその梅の実のやうな円い頭を掉ふつた。「乃公わしは花を見ればいゝのだ。実はお前に呉れてやるから、精々樹に気を注つけてやつてくれ。」

「実は要らねえだつて。」百姓は眼を睜みはつて不思議な茶道の顔を見た。「俺おら実が生なるから金を貰つただ。花見するだけなら、お前めえさんが幾度来たつて、彼是叱言こごといふ俺でねえだ。金は返すだよ。」

百姓が金を取りに家うちへ帰らうとするのを、玄知は遽あわてて引きとめた。

「いや、止よしにして呉れ、花がお前のものなら、幾ら見たつて面白くない。自分のものにして初めて熟々つく〲と見てゐられるのだから。」

恋をする者もさうで、相手を身も心もそつくり自分の有ものにしないと納得の出来ないものだ。たゞ偶たまに達人の恋のみは、七夕星たなばたぼしのやうに遠く離れてゐて、少しもその熱を失はうとしない。だが、そこまで登るには激しい心の経験が要る。茶人などの知つた事ではない。

「一番好きな男」6・27(夕)

日露戦役の旅順攻撃を記念する名高い『肉弾』は、この程伊太利イタリー語に飜訳されたやうに聞いてゐるが、その『肉弾』の著者桜井忠温氏は、今も達者で深草の京都聯隊区司令部に少佐として勤めてゐる。

その桜井氏が最近ある歩兵大隊について、奈良地方に行軍した事があつた。奈良では遊女町を通つた。何も知らない間うちにひよつくりそんな町へ出たのか、それとも態わざと選んでそこを通つたのか何どうかは知らないが、遊女町を通つたといふ事は決して悪い事では無かつた。

何故と言つて、長い道程みちのりを歩き草臥くたびれて、誰も彼も草の葉のやうにげんなりした顔をしてゐたのが、今通りかかつてるのは遊女町だなと気が注つくと、急に蘇生いきかへつたやうに生々いき〱して来たからである。往時むかしもろこしの曹操は、咽喉の渇ききつた兵卒に、山一つ向ふには梅の実がどつさり生なつてゐると言つて、無事に峠を越させたものだ。梅林うめばやしの代りに遊女町を使つたところで少しの差支もない。

道の両側には高い建物がきつしり並んでゐた。若い兵隊が甲鉄艦のやうな靴をひきずつて、ぞろぞろ通りかかると、二階から三階から白粉おしろいの顔が梅の実のやうに珠数じゆず繋つなぎに覗いた。なかには甲かんの高いきい〱した声をして、てんでに品定めをするのもあつた。

「ちよいと、姐ねえさん、一番目が好いい男つ振だわね。」

「わて二番目は嫌ひよ、色が真つ黒けやわ。」

「ね、ちよいと、三番目は意気ぢやなくて。」

「まあ、厭やわ、六番目見なはれ兎のやうな耳やわ。」

「七番目も悪いわね。脚が長くつて。」

妓をんな達はさんざ軽躁はしやぎながら、声を揃へて笑つた。

先刻さつきから汚れた手巾はんけちで汗ばんだ額を拭き〱、苦りきつてゐた『肉弾』の著者は、もう溜らなくなつたと見えて、つと妓達のゐる二階の方を振り向きざま、狗いぬのやうに吠えついた。

「黙れ、やかましい。みんな好いい男つ振だい。」

少佐の癇走つた声が余り高かつたので、妓達は急に鳴りを静めた。すると何処からか金糸雀かなりやのやうな声が突つ走つた。

「あたし五番目に惚れたわよ、きびきびしてるんだもの。」

皆はどつと声を立てて笑つた。妓も兵隊も、甲鉄艦のやうな靴も、郵便箱も一度に笑ひ出したやうに思つた。少佐は不思議さうな顔をした。考へてみると、五番目に歩いてゐるのは自分である。外ならぬ、『肉弾』の著者である。少佐はうむと言つた儘気絶したやうな身振をした。

豚に脱帽す6・29(夕)

独逸の軍隊が破竹の勢で東部仏蘭西に攻め込んだ時、そこらに住まつてゐた仏蘭西の住民は、予かねてから独逸人が吝しみつたれで、慾深で、有る程のものは掻かつ払ぱらはずには居をられない癖を知つてゐるので、てんでに財産を慝かくまふのに智慧を絞つたものだ。

そのなかに貧乏な農夫ひやくしやうが一人あつた。財産といつては夫婦が身に附けるものの外に、豚が一匹ゐたに過ぎなかつた。

「何どうしたものだらう、独逸の奴め、豚がゐると知つたら屹度盗み出さうとするに極きまつてる。」

農夫ひやくしやうは豚の前に立つて、手を拱くむで考へ込んだ。お慈悲の深い神様は、貧乏なその男のために取つて置きの良い智慧を恵んで下すつたので、農夫ひやくしやうははたと手を拍うつて喜んだ。

農夫ひやくしやうはいきなり豚を叩き殺した。豚は銀行員のやうに黙りこくつてその儘死んでしまつた。農夫ひやくしやうは馴れた手つきで、さつとその豚を切開いた。腹の中には岩下清周せいしう氏などの持つてゐさうな、色々な変な物があつたが、農夫ひやくしやうは綺麗に水でそれを洗ひ落してしまつた。豚はトルストイ信者のやうに清浄な身体からだになつて横よこたはつた。

農夫ひやくしやうはその豚の死骸に頭から、すぽりと自分の女房かみさんの服を被かぶらせて、叮嚀に寝床に寝かせた。そしてその周囲まはりに蝋燭を点ともして、精々悲しさうな顔をしてゐた。

暫くすると、激しい靴音がして独逸兵が扉とを跳ね飛ばすやうな勢で入つて来た。農夫ひやくしやうは両手の掌面てのひらに填はめてゐた顔を怠儀さうにあげた。独逸兵は吠えつくやうな独逸語で何か訊いたが、農夫ひやくしやうは黙つて頭つむりを掉ふつた。

見ると、寝床の上には女の着物を被きた死骸らしいものが転がつて、枕もとには蝋燭さへ点つてゐる。

「死人だ。事によつたら女房かみさんかも知れない。」

と思つた兵卒は、胸で十字を切つて、一寸帽子を脱いだ。そして気の毒さうな顔をして黙つて出て往つた。

農夫ひやくしやうはほつと息をついた。着物を跳ねのけてみると、豚は心の臓も腸はらわたも持つてない癖に、鉄面皮にも平気で脚を踏み伸して横になつてゐた。

落銭おとしぜにを拾ふ楽み6・30(夕)

「世の中に何が嬉しいといつたつて、途みちで落したお鳥目てうもくが自分の手に還かへつた時の気持ほどいゝものはございません。お上人様は御存じでいらつしやいますか。」

かういふ話を良寛上人にしたものがあつた。上人は言ふ迄もなく越後国上くがみ山の五合庵に棲むでゐた名高い禅僧である。

この話をした男だつて、世の中には外ほかにもつと嬉しいことがたんとある。例へば雨の夜よ美しい女の髪の匂を嗅ぐとか、柔かい指先を握るとかする楽みは、また格別なものだが、行ひ澄ました良寛に、そんな話も出来なかつたものだから、精々落したお鳥目位で済ます事にした。

良寛はそれと聞くと、不思議さうな顔をした。そして汚れた巾着から散銭ばらせんを二つ三つ取り出して、態わざと道の上に落した。お鳥目はかちんと音をたてて、上人の脚あしもとで二三度くるくると舞つた。

良寛は手をのばしてその散銭を拾つたが、格別変つた気持もしなかつた。

「一向嬉しくない。何どうしたもんだらう。」上人は呆とぼけた顔をしてじつと考へ込んだ。「もつとたんと落さなくつちやならないか知ら。」

先刻さつきから上人の素振を見て馬のやうににや〱笑つてゐた男は、一寸小腰をかゞめた。

「お上人さん今一度試やつてみて下さい。さうしたら屹度お判りになるだらうと思ひます。」

良寛は巾着に入れかけてゐた散銭を取り出して、また道の上に落した。散銭はお上人に当てつけたやうに、其辺そこらをころころ転げ廻つてゐたが、いつの間にか草のなかに滑り込むで、そのまゝ姿を隠してしまつた。

良寛は手を延ばして、そこらを捜し廻つたが、お鳥目は一向顔を見せなかつた。僧侶ばうさんはうろたへ出した。禿げた頭を唐茄子トマトのやうに真つ赤にして、草のなかを掻き分けてゐたが、暫くしてやつとこさで見つかつた。上人は汗ばんだ顔を持ち上げた。

「なる程嬉しかつたよ。ほんとに嬉しいもんだな、落した銭かねを拾ふといふものは。」

安倍仲麿あべのなかまろと高橋義雄氏7・1(夕)

東京は赤坂一つ木の高橋義雄氏の邸やしきを、表口から入つて右に、高さ五尺ばかりの古い石碑がある。碑の文字は雨風に打たれて幾らか傷いたんではゐるが、誰が眼にも、

安倍仲麿塚

といふ五文字だとは直ぐにわかる。

仲麿は誰もが知つてゐる通り唐土もろこしの空でビスケツトのやうな乾いたお月様を見ながら、

「三笠の山に出でし月かも」

と歌つた男である。ところで、この石碑はもと仲麿の出生地だと言ひ伝へてゐる大和の安倍村にあつたのを去年の秋何どうした訳か、奈良の古物商が買ひ取り、幾らか持て余し気味だつたのを、それを聞込んだ高橋氏がわざわざ譲り受けたものである。高橋氏は女以外の物だつたら、どんな我楽多でも古くさへあれば納得出来る性たちの人である。

京都の嵯峨に俳人去来の墓がある。尖つた三角型の洒落た石で、舞妓まひこの振袖にも包まれさうな小さな石碑しるしである。ある時京都の出水でみづ辺に住んでゐる物好きな男が、この石碑を女房に見せたいからといつて、風呂敷を懐中ふところにしてわざわざ嵯峨まで出掛けたものだ。女房の機嫌を取るためには、どんな事も仕兼ねない男で、猫の児を嫁入らすやうに、去来をその儘風呂敷包みにして提さげて帰る積りだつたのだ。ところが、途中で大粒な丹波栗をしこたま購かひ込んだので、ついその儘になつてしまつた。女といふものは、どんな人の墓よりも栗のきんとんの方を嬉しがるものだといふ事をその男はよく知つてゐたのだ。

高橋氏は物持だから、安倍仲麿を買取るについて栗のきんとんを倹約しまつしたか、何どうかは知らないが、兎も角もその石碑は今では氏の玄関先きに衝立つゝたつてゐる。

「何に使つたものか知ら。仲間の奴を一つあつと言はせるやうな使ひ道がありさうなものぢやて。」

高橋氏はその前を通る度にいつもさう思つてゐたが、ある時芭蕉翁の句集で、「木曾どのと背中合せの寒さかな」といふ句を見て覚えず膝を叩いた。

「さうだ、乃公おれの墓にしよう。仲麿のと背中合せに乃公おれの名を彫りつけて、さて側面には、

仲麿と背中合せの月見かな

とかうやるのぢや。へつ、どんなもんだい。この趣向には大抵の奴が恐れ入るぢやらうて。」

高橋氏はかう考へついてからは、一日も早く自分の墓が拵へてみたくなつた。そしてまた一日も早く死んで、その墓の下から友達の恐れ入る顔を覗いてみたくて溜らなくなつたらしい。結構な道楽さ。だが、芭蕉はまた言つてゐる。――「秋深し隣りは何をする人ぞ」と。――もしか仲麿が隣りは何をする人ぞと訊いたら、高橋氏は何と答へるだらう。

「乃公おれは実業家だよ。」

と言つた所で、悲しい事には仲麿は実業家といふ結構なものを知らないかも知れない。

三人牧師7・2(夕)

日増しに暑くなるにつけて誰もが山を想ひ、海を想ひ、旅を想ふやうになつて来た。

去年の夏の事、英国のリヷアプウルからボストン通ひの汽船に、ボストンで名高い牧師のフイリツプス・ブルツクスとダクタア・エリスとブルツク・ヘルフオウドの三人が不思議に落合つた事があつた。一体牧師だの僧侶だのといふものは、立派な道を説いてる癖に、案外胸の狭いもので、伝道大会だいくわいといつたやうな会合あつまりの外には、滅多に顔を合すものではない。この世でもさうだから、無論天国では一緒になれる筋のものではなかつた。

ちやうど日曜日のことなので、船のなかでも集会あつまりがあつた。船長は三人のなかで誰か一人にその日のお説教をして欲しいと頼んで来た。一体船のなかといふものは、お説教をするには打つてつけの場所柄で、附近あたりに立聴きをする神様は居ないし、幾らお説教が拙まづかつたところで、聴衆ききては耳に手をやつて、波のなかに飛び込む訳にも往かないしするから、牧師は落つき払つて、いつもの三倍も長説教が出来ようといふものだ。

ところが、ヘルフオウドは真つ先きに首を掉ふつた。

「私は夏休み中、日曜日毎に欠かさずお説教をしたので、すつかり草臥くたびれちやつた。どうか今日一日だけは休ませて貰ひたいもんで。」

かう言つて、俳優やくしやのやうに真しんから草臥れたらしい顔つきをして船長を見かへした。

船長はブルツクス牧師の方へ向き直つた。ブルツクスはエリス老人の方を指ざした。

「そちらにエリスさんがいらつしやる。先輩の方を差さし措おいて、私どもが出る幕ぢやありません。」

椅子にもたれた儘、うと〱と居眠つてゐたらしいエリス老人は、吃驚びつくりしたやうに眼をあけた。

「戯談ぜうだん言つちやいけない。皆は貴方のお説教を聞かうと思つてるのだ。私のやうな老人としよりが……」

きつぱり跳ねつけるやうに強きつく手をふつたが、それでもこの船がこの儘天国の港に船がかりするのだつたら、老人は皆を押退おしのけて、誰よりも先に埠頭はとばの土を踏んだに相違なかつた。

「それぢや、仕方がありません。」船長は悲しさうに言つた。「あなた方が揃ひも揃つてお説教をして下さらないとなると、この汽船ふねには神様のお慈悲は先づないものと思はなくちやなりません。」かう言つて船長は大きな腕を三人の鼻先でふり廻した。「船が無事にボストンに着くか怎どうかは、唯私のこの腕に頼る外はありませんぞ。」

船は無事にボストンに着いた。三人の牧師は乗客のなかに紛れて、船から桟橋へ、三匹蛙のやうな腰つきをしてぴよいと跨またがつた。

鼻糞はなくそ7・3(夕)

森鴎外氏の談話はなしによると、俳人正岡子規氏は、何かの集会あつまりで鴎外氏の宅に来ると、定きまつたやうに座敷のなかに寝そべつて、頬杖をついたものだ。

「おい、紅葉君、ちよいと其処そこの硯を取つてくれたまへ。」

と、どうかすると、側そばにゐる尾崎紅葉に用事を言ひつけたりする。紅葉は気取屋で、加之おまけに子規よりもずつと先輩の積りで居たからそれが癪しやくで癪で堪らなかつたらしい。

そればかりか、子規は俳句か何かを考へる時には、よく指先で鼻の孔あなから鼻糞を穿ほじくり出したものだ。そして掌面てのひらで丸薬のやうに円めると、弾はじき玉だまか何ぞのやうに一々それを指先きで四辺あたりに弾き飛ばしたものだ。汚むさい弾はじき丸だまは、ある時は禅僧のやうな露伴の懐中ふところに飛び込み、ある時は山狗やまいぬのやうな緑雨の襟首に滑り込み、またある時は気取屋の紅葉の鼻先きを掠かすめて飛んだ。そんなこんなが余程機嫌を悪くしたと見えて、紅葉はその後あまり鴎外氏の集会あつまりに出なくなつたさうだ。

鼻糞といへば、越後の良寛上人がある時、濃茶こいちやの会へ招かれて往つた事があつた。相客が余所行よそゆきの上品な言葉で風流話に無中になつてゐる間うちに、良寛はひとり猿公えてこうのやうなきよとんとした顔をして、指先きで頻りと鼻糞をほじくつてゐた。

さうかうするうちに、濃茶が廻つて来さうになつたので良寛は急いで掌面の鼻糞円めにかゝつた。そしてそれをこつそり膝の左側に置かうとすると、そこに坐つてゐた男は、じろりと尻目にかけて怖い顔をした。良寛は慌ててそれを拾つて、今度は膝の右側に置かうとした。するとそこに坐つてゐた男は、一寸眉をしかめて、口もとをへの字形なりに歪めた。上人は泣き出しさうな顔をして、またその丸薬を手に取りあげた。

だが流石に長く禅で苦労した程あつて、上人はその一刹那鼻糞は鼻の孔から取り出して来たものだといふ事を思つた。仏のものは仏に返さねばならぬ世の中だ、鼻のものは鼻に返した方が一番無難である。上人は丸薬をその儘無理やりに鼻の孔に押し込んだ。二つの孔から取り出して来たものを、一つの孔に押し返した所で、そんな事位で艴ふくれつ面つらをする鼻でもなかつた。

上人は舌鼓したつゞみを打ちながら濃茶を飲んだ。

中村是公ぜこう泣く7・4(夕)

先日こなひだの事、東京新橋の料亭花月でKといふ実業家が、客を待合はせる暫くの間まを、意気な小座敷でひとりちびちびとやつてゐると、隣の一室まである男が芸者を相手のしんみりした話が襖越しに聞えて来た。

実業家は当世人だけに、他人ひとの話を立聴きするのが何よりの好物であつた。談話はなしが儲け話か女の噂である場合には、とりわけ身体中からだぢゆうを兎の耳のやうにして偸ぬすみ聴ぎきをした。隣の室まではかなり酒に酔つたらしい男が、時々腹でも立てたやうに調子を高めるのが聞えた。

「妓をんなでも口説くどいてるのだらう、困つた奴やつこさんだ。」

実業家は低声こごゑで呟きながら、酒の冷さめるのをも忘れて襖にぴつたりと耳をおし当ててゐた。

すると、芸者の一人がしんみりした声でいふのが聞えた。

「さう承はつてみると、亡くなつた先生お一人がおいとしいわね。」

「真実まつたくだわねえ。」

今一人の妓が調子を合はせるのが聞えて、二人はそつと深い溜息を吐ついたやうにさへ思はれた。

「何だ、妓は二人なんか。それぢや一向詰らん。」

実業家は蝸牛かたつむりのやうに襖に吸ひついてゐた耳を引き外しながら、下らなささうに呟ぼやいた。

すると、突如だしぬけに男のおいおい泣き出すのが聞えて来た。雌に逃げられた狗いぬの泣くやうな声である。実業家は手にとつた盃さかづきを下において、慌ててまた襖にすり寄つた。

「亡くなつたあの男に済まんよ。」と隣りの男はべそを掻きながら言つた。「俺といふ者が附いてゐて、そんな真似をさせたんぢや、全く……」

男は後あとを言ひさしたまゝ、おい〱声を立てて泣き入つてゐるが、声柄こゑがらにどこか聞覚えがあるやうに思つて、そつと襖を細目に押しあけて覗いてみた。そして飛上るばかりに吃驚びつくりした。泣いてゐたのは、外でもない、鉄道院総裁の中村是公氏であつた。

実業家は冷めた盃を啣ふくみながら、是公氏が何を泣いてゐるのだらうと色々想像してみた。後藤男だんが新聞記者に苛いぢめられたからといつて泣く程の是公氏でもないと思つた。汽車が頻りに人を轢殺ひきころすからといつて泣く程の是公氏でもないと思つた。実際そんな事で泣いてゐては、幾ら涙があつても足りる訳はなかつた。実業家は廊下を通る芸者を呼びとめて理由わけを訊いてみた。芸者は笑ひ〱言つた。

「夏目漱石さんの未亡人おくさまがね、先生の書物から印税がどつさりお入りになるんで、近頃大層贅沢におなり遊ばしたとやらで、それをあんなに言つて悔くやしがつてらつしやるんですわ。」

実業家は漱石氏と是公氏とが仲のよかつた事を想ひ出して、感心だなと思つた。そしてその次ぎの瞬間には、自分の女房かないが人並外れた贅沢家やなのを想ひ出した。

「俺も是公と友達になつてやらう。」と実業家は腹のなかで一人で定きめた。「もしか明日あすにでも亡くなつたら、屹度あんな風に俺の為めに泣いてくれるだらうからな。」

煙草屋の小僧7・5(夕)

先年米国のピツツバーグ市のある煙草屋へ、一人の紳士が入つて来て、

「おい、煙草を呉れ。」

と言つた。店先に居た小僧は黙つて煙草の一缶を持ち出して来たが、それを手渡ししようともしないで、しげしげ紳士の顔を見詰めながら、何か言ひ出したさうにしてゐた。

紳士は気味が悪くなつた。手套てぶくろの穿はまつた掌面てのひらでそつと顔を撫でまはした。小僧はとうと切り出した。

「檀那さま、失礼ですが私をお傭やとひ下さらないでせうか。」

紳士は不思議さうに小僧の顔を見た。

「一体何になりたいと言ふんだな。」

小僧は巻煙草のやうに身体からだを真つ直にした。

「私機械の方をやつてみたいんです。」

「機械係は熱くて苦しいもんだよ。」

「どんなに熱くたつて、苦しくたつて構ひません。」

小僧は巻煙草のやうに頭に火がついても、びくともしないやうな確しつかりした調子で言つた。

紳士は小僧の手から煙草の缶を受取つた。

「ところで、日当は一日一弗しか出ないが承知かな。」

「日当なんか幾らでもよござんす。」

小僧が熱心な顔色に紳士もつい動かされて、兎に角世話をしてみようといふ事になつた。で、先づ自分の監理してゐるカーネギイ製鉄所に投ほり込むで置いた。

これは今から四十年程前の出来事だが、小僧はそれから汗と油に真黒になつてせつせと働いた結果、とんとん拍子に出世して、今では年収三百五十万弗といふ、米国でも指折の大物持になつた。その人こそ誰あらう、ベスレム製鋼会社の社長から螽斯ばつたのやうに一飛びして米国管船局総裁の位置に上のぼつたチヤールズ・シユワツプ氏である。

今の欧洲戦局を支配するものは米国の増援隊であり、その増援隊を活躍させるのは、米国造船能力の消長にあるのを思ふと独逸膺懲ようちようの鑰かぎは、とりも直さず、四十年前ぜんの煙草屋の小僧の垢染あかじんだ掌面に握られてゐる次第なのだ。――忘れてゐたが、シユワツプ氏は独逸系の米人である。

洟みづばなは忠告に禁物7・7(夕)

今年の三月頃の事、神戸女学院出のある婦人が、広岡浅子女史を訪問した事があつた。西洋人の外は大抵の人に会はない事に定きめてゐる浅子女史は、お客が女学院出だといふので、ふと会つてみる気になつた。英語が話せるのだつたら、大抵立派な人柄だといふのが女史の信条である。この点において、聖母マリアが浅子女史の伯母さんでなかつたのは、耶蘇教徒にとつて、勿怪もつけの幸福しあはせであつた。さもないと女史は英語の話せないものは、天国から追出す事を考へたかも知れなかつたから。

客が座敷に通ると、女史は蘇格蘭スコツトランドの鴉のやうな真つ黒な洋服を被きて出て来た。そしてだしぬけに変な調子の英語で話し出した。お客は可笑をかしさが一杯なのを、奥歯でじつと噛かみ堪こらへながら、ともかくも英語で返事をした。すると、女史の機嫌が急によくなつて来た。

「あんたは西洋人のお友達をお持ちかい。」

「いいえ、持ちません。」

「それは可いけない、友達は西洋人に限る、私などはこんなに西洋人のお友達を持つてるよ。」

と言つて、女史は態々わざ〱起たつて往つて、手文庫のなかから横文字の手紙をどつさり持ち出して来た。

客が西洋人にお友達を持つてないといふ事は、幾らか浅子女史の機嫌を悪くした。女史は急に日本語で喋舌しやべり出した。人間といふものは、すべて込み合つた事柄は自分の国の語ことばで話した方が都合が好よいものだ。

「近頃の女学校は皆よくない、女学院にしてからがさうだ。校長にお会ひだつたらよく忠告しておいておくれ。」

「まあ、そんな御親切がお有あんなさるんだつたら……」客は幾らか冷かし気味に言つた。「あなた直ぢかに言つて上げて下さいよ、幸ひ明後日あさつては金曜日で祈祷会なんでございますから。」

「さあ、直ぢかに私が言つてもいゝが――。」浅子女史は鴉のやうにぶる〱肩を顫ふるはせながら、柱暦はしらごよみを見た。暦には三月――日と出てゐた。

「まだ三月で、外へ出るのは寒くていけない、追つて六月にでもなつたら、一つ思ひきり忠告する事にしよう。」

広岡女史に告げる。今は丁度七月だ。鴉も裸で行水する頃だ。老人としよりが若い者に忠告するなら今のうちの事だ。ぐづ〱すると、直ぐまた寒くなる。寒くなればつい洟が落ちる。洟は忠告には禁物である。

農夫ひやくしやうの自慢7・8(夕)

米国のダコタ在生れの農夫ひやくしやうが最近英国へ旅をした事があつた。農夫ひやくしやうといふものは、蚯蚓みゝずのやうに土地にこびりついてゐるだけに、得て在所自慢をしたがるもので、この農夫ひやくしやうもかねて顔昵懇かほなじみの英吉利の農夫ひやくしやうを見ると、すぐに生れ故郷の自慢話をもち出したものだ。

「かう言つたつて、真実ほんとうにはさつしやるまいがね、俺おら達の耕地ちふのは、素晴しく大でかいもんでね……」とダコタ生れの農夫ひやくしやうは厚い唇をもぐもぐさせながら言つた。「春の初めに鍬を入れかけて、畦うねを真つ直に耕作を済ますのは、丁度秋のかゝりだよ。帰り途みちにはそろそろもう収穫とりいれをせんならん程作物さくもつが大きくなつとるだよ。」

「そんな事もがすでせうな。」と英吉利生れの農夫ひやくしやうは態わざと落つき払つて言つた。「俺おらが友達が一人印度に居をるだが、何でもその話によると、向うでは畑を抵当かたに借金をしようちふんで、持地もちぢをぐるり一廻り検分して帰ると、もう借金かねの返済期になつとるので、いつ迄待つても金の借りやうが無ねえちふ事だよ。ははは……」

二人は声を揃へて笑つた。暫くすると、ダコタ生れの農夫ひやくしやうは少し笑ひ過ぎたやうに、急に真面目な顔になつた。

「そんだら、はあ、丁度俺おらが娘聟の持地とおつつかつつだと見えるだね。」農夫ひやくしやうは面と向ふ折には、こつぴどく面当つらあてを言はないでは置かない同じ口で、自慢さうに娘聟の噂を始めた。「俺おらが娘聟ちふのは、二週間前に結婚しただがね、その翌あくる朝馬車に乗つて牧場まきばに出かけたもんだ。毎日毎晩持地のなかをとつ走ぱしつて、やつと牧場まきばに着いた頃には、もう子供二人が生れとつただよ。」

英吉利の農夫ひやくしやうは一寸頭へ手をやつた。そして何かそれにも負けないやうな法螺ほらを考へてゐたらしかつたが、とうと考へつかないで、感心したやうに深い溜息をついた。

――嘘のやうだが、これは近刊の英字雑誌に載つてゐる真実まつたくの事実談である。

名医後藤新平男だん7・9(夕)

男爵石黒忠悳氏は、今では茶人らしく十徳を着込んで、お茶を啜すゝつたり、若い者の嫁を捜したりして、日を暮してゐるが、実をいふと、氏はあれで軍医総監なのである。尤も氏自身も自分が軍医だつたのは、夙とつくの往時むかしに忘れてゐるらしく、偶たまに人が医者の話でもすると、氏はまだ見ぬ地獄の取沙汰とりさたでも聞くやうに変な顔をして耳を傾かしげてゐる。

先日こなひだの事、あるところに宴会があつて、石黒氏も尖つた頭でそれに列席してゐた。氏のすぐ次ぎに肩を並べて坐つてゐたのは、世間のいふ成金の一人にんで、魚のやうな青白い顔に、魚のやうな円い眼をした男だつた。その男は自分の上手かみてに坐つた禿頭が石黒氏だと知ると、懐中ふところから大きな名刺を取り出して、石黒氏の膝の上に置いた。

「私はかういふ者でございますが先日中こなひだぢゆうから一度あなたにお目に懸りたいと存じまして……」

その男は叮嚀に頭を下げた。石黒氏は慌てて眼鏡を取り出して名刺を読んだ。名刺は手帛はんかちほどの大きさに見えた。

石黒氏は眼鏡越しに相手の魚のやうな顔を見た。

「いや、お初めて。何か御用でもおありかな。」

「はい一度お閑ひまの節に女房かないの御診察をお願ひ致したいと存じまして……」その男は円い眼を忙しさうに瞬きした。「こなひだぢゆうから肋膜ろくまくを煩わづらひまして、方々の先生方に……」

「駄目だ〱。」

石黒氏は相手の鼻先で大きな掌面てのひらを掉ふつた。病身な成金の女房かない位だつたら、一思ひに絞殺しめころされさうな大きな掌面である。

「乃公おれに診て貰はうと思ふには、生命いのちが二つ無くちやならんが、それは御存じだらうな。」

「へえ、生命いのちが二つ?」

成金の男は不思議さうな顔をして考へた。だが幾度いくたび考へてみても自分の女房かないは乳房と良心とを二つ宛づつ持つてゐる代りに、生命いのちはたつた一つしか持つてないらしかつた。

「驚いたらうな、生命いのちが二つ要るんぢや。」石黒氏はにやにや笑ひながら言つた。「だが、こゝに一人生命いのちが三つもなくつちやとても診て貰へない医者がゐる、貴公はその人を御存じかな。」

「いえ、存じません、どなたでいらつしやいます。」

その男は魚のやうな目であたりを見まはした。

「あすこに居る、あの鯱子張しやちこばつた男だ。」

石黒氏は床の間に近く坐つてゐる刈髯かりひげの男を指さした。見ると男爵後藤新平氏だつた。

帽子**7・10(夕)

皮肉屋のチエスタアトンは、大道だいどうのまん中で風に捉とられた帽子を追つかけるのは、男子をとこが全力を尽してやるべき真面目な大事業だと言つたが、世の中に帽子ほどよく転がり、帽子ほどよく他ひとのと間違へられるものはない。それを一番よく知つてゐるのは、京都大学の内田銀蔵博士で、博士はどこへ訪ねて往つても、自分の帽子を帽子掛けにかけた儘、物の一二分は屹度その前に立つて釘の番号から恰好迄ちやんと覚え込む迄は客間に通らうとはしない。――まことに結構な心掛だが、博士がそんなにまでして折角覚え込んだ帽子を、どうかすると、相客が間違つてさつさと被かぶつて往ゆく事があるので、そんな時の博士の狼狽うろたへさ加減といつたらない。

アメリカのルウズヴエルト氏が、先日こなひだある人の招待せうだいで大きなホテルの宴会に招かれて往つた。帽子掛のある室へやには、齢としを取つた黒ん坊の爺おやぢさんが一人立つてゐて、来る人の来る人の帽子を、おいそれと無造作に預かつてくれた。お客のなかには相手が老人としよりなのを気遣つて、

「おい奴やつこさん、合札あひふだが無くつても、間違ひはないだらうな。」

と駄目を押すのがあつた。そんな輩てあひに限つて真新しい流行はやりの型のを被きてゐたが、爺さんは唯一言、

「大丈夫でがすよ。」

と返事をするに過ぎなかつた。

宴会が済んで、お客はぞろ〱出て来た。そのなかに苦り切つたルウズヴエルト氏の顔も交まじつてゐた。黒ん坊の爺さんはル氏の顔を見ると、流行おくれの型の古い鍔つばの擦りきれた絹帽を取り出して手渡しした。食卓語テエブルスピーチは巧くやつて退のけたし、加之おまけに美味うまい七面鳥は食べたしするので、ル氏は顔に似合はずその晩は上機嫌だつた。で、一言爺さんに嘲弄からかつてみた。

「おい、この帽子は確かに乃公おれのかい。」

黒ん坊の爺さんは雄鶏をんどりのやうに胸を反らした。

「確かに檀那様のお帽子だとお請合うけあひは出来ませんが、檀那様が私にお預けになつたのは確たしかにこれでげすよ。」

食事の流義7・12(夕)

藤田東湖が刺身を食べるのに、いつも掌面てのひらに載せてぺろりと嘗なめてゐたといふ事は、いつぞやの茶話に書いたやうに覚えてゐる。仏蘭西の諺ことわざに、

「蚤のみを殺すには、それ〲流義があるものだ。」

といふ言葉があるが、蚤を殺すのに流義がある位だつたら、食事をするのにそれ〲儀式をもつてゐたつて少しの差支もない。

西洋料理を食べるに、肉叉フオークを使はないで、何もかも肉刀ナイフで片づけてしまふ人がよくある。

「まあ、何て無様ぶざまな人だらう。お行儀な西洋人に見せたら屹度笑はれてよ。」

宗教学校ミツシヨン・スクール出の婦人だつたら、そんなのを見て酸漿ほほづきのやうに顔を紅あかくするかも知れないが、しかしそれは物を知らないからで、お行儀な西洋人にも、肉刀ナイフで物を食べるのは少くない。阿父おやぢの大事な桜の木を伐きつて、嘘一つ吐つき得なかつたジヨオージ・ワシントンが先づそれで、食事をするにはいつも肉刀ナイフで済ましてゐた。アメリカの六代目大統領ジヨン・クインシ・アダムスは、国祖のそれと違つて肉叉フオークで食事をしたので、夫人はそれが気がかりでならなかつたものか、お客があると極きまつたやうに、

「御免遊ばせよ、宿はながく巴里パリーに居ましたので、つい彼地あちらの癖がつきましてね。」

と、言訳がましい事を言つたものだ。それが代変りになつて、七代目のアンドリウ・ジヤクソンになると、またワシントン並に肉刀ナイフで皿を啄つゝつき出した。

越後の良寛上人が、ある時濃茶の席へ招かれて往つた事があつた。どんな場合にも無頓着むとんぢやくだつた上人は、上客じやうきやくから茶碗を受取ると、一息になかの濃茶を口に含んでしまつた。だが、その一刹那自分の次ぎにもまだ一人客のゐる事に気が注ついて、今飲んだばかりの茶を、また茶碗のなかに吐き出して次に廻して来た。

客は茶碗を受取つた。そして低声こごゑで、

「南無阿弥陀仏……」

と念仏を唱へながら、眼をつむつてぐつと一息に嚥のみ下くだした。客が何のためにお念仏を唱へたかは記者の知つたことではない。

菊五郎と松助7・13(夕)

市村座の尾上菊五郎が、若気の思ひ上りから、色々突拍子もない事を言つたり仕したりするので、近頃世間の人気が以前ほど思はしくない。それを気に病んでゐるのは帝劇の尾上梅幸で、菊五郎に遭ふといつも姐御あねごのやうな世馴れた口調で、

「お前さんももつと世間といふものを大事にしなくつちや嘘だよ。世間を後楯にしないで私達わたしだちの舞台がいつまで続くもんぢやないんだから。」

と言ひ言ひしてゐる。

梅幸はさう言つて、弟をたしなめる一方では、先輩の尾上松助に対むかつて、菊五郎が技芸の磨きを頼むのを忘れなかつた。松助は芸の虫と言はれるこの道の苦労人である。

「六代目はああいふ気儘きまゝつ児こだから……」梅幸は蓮葉はすはらしく立膝たてひざの上で長煙管ながきせるをくるくる廻した。「誰か頭ごなしに叱りつけるものがないと、どんな事になるか判つたものぢやない。で、是非一つ後見役を叔父さんにお願ひしたいんだが……」

「なあに、そんなに心配するがものはないやね。」

松助老人はにや〱笑ひながら、夕飯ゆふめしの鮪まぐろの事か、往時むかしの昵懇妓なじみをんなの事でも考へてるらしい、そつけない眼つきをしてゐた。

折角の自分の頼みが、塩煎餅ほどにしか軽く取扱はれなかつたのを知つた梅幸は、菊五郎に勧めて、その口からまた頼み込ませる事にした。

「叔父さん、先日こなひだ兄貴からもお頼みしておきましたが……」菊五郎はやんちやな口を利いた。「これからどうか僕の舞台について、無遠慮な叱言こごとを聞かせてくれませんか。」

「老人としよりの叱言こごとなんか、何の役にたつもんぢやない。」と松助は相変らずにや〱笑つて相手にしなかつた。「若い時分には、思ふ存分の事を演やつてみるのが何よりの修業さね。」

菊五郎は成程と頷いたらしかつた。そしてこれからは今迄よりはもう一倍思ふ存分の事を仕しかねないやうな凄い顔をして帰つて往つた。松助はその後姿を見送りながら独語ひとりごとのやうにぼやいた。

「面倒を見てくれと言つたつて、物の二三丁後おくれて来るのだつたら、呼べば達とゞきもしようが、五里も六里も離れてゐる者を何どうしようもないもんぢやないか。」

紳士と婦人7・14(夕)

米国は華盛頓ワシントン市のWIといふ名高い料理屋に、ある日の事、孔雀のやうに盛粧めかし込むだ婦人が入つて来た。入口いりくちの扉との側そばに立つてゐたのは折目の正しい、仕立おろしの流行服を着込むだ紳士だつた。婦人は尻目にじろりと紳士の顔を見ながら云つた。

「どこか窓に近い小卓こづくゑはありませんか。」

紳士はそれを聞くと、黙つて婦人を連れて窓際の小卓こづくゑに案内した。卓つくゑの上には真紅まつかな花が酒のやうな甘つたるい香気にほひを漂はしてゐた。紳士は真新しい白い手帛ハンケチで椅子の埃を払はたき、そこらに散らばつてゐる麺麭屑パンくづを払ひ落したりした。手帛ハンケチはその朝紳士の細君かないが、恩に被きせながら箪笥の底から態々わざ〱取り出して呉れたものだつた。

丁寧な紳士が小卓こづくゑの側そばを離れようとすると、婦人は献立表を手に持つたまゝ、女王のやうな気取つた声で慌てて呼びとめた。

「ちよいとお待ち、この店は何が自慢なの。」

「さあ。」紳士は一寸額へ手をやつた。「何よりも甜瓜まつくわうりが自慢なんですがね。」

孔雀の女は黙つて頷いてみせた。余り頤おとがひをしやくり過ぎたら損の往ゆくやうな頷き方である。

「ビフテキも一寸食べられます。」紳士は自分が何よりもビフテキが好きなのを忘れなかつた。

「成程ね。」婦人はにこりともしなかつた。

その瞬間紳士はいつものを思ひ出した。女といふ女が恋人よりも新聞小説よりも好きな馬鈴薯じやがいもである。

「それから馬鈴薯じやがいも料理もなかなか美味うまく食べさせますよ。」

「さう、結構だわね。」

余り取済ました口の利き方なので、紳士はとうと腹を立ててしまつた。

「奥さん、それからこの店には今一つ自慢の物がありますよ、それは紳士と給仕との見さかひのつかないお客が偶たまに来るといふ事です。」

紳士は捨台辞すてぜりふをかう言ひ置いて、鄭重にお辞儀をして出て往つた。紳士とは誰あらう、イリノイス州の上院議員ジエームス・ミルトン・レヰス氏であつた。

下腹したばらで猫が啼なく7・15(夕)

むかし小野浅之丞あさのじようといふ少年があつた。隣家となりの猫が度々たび〱大事な雛ひなつ児こを盗むので、ある日築山つきやまのかげで、吹矢で猫を狙ねらひ討うちにした。猫は額を射られて、後ろ足で衝立つゝたち上つて、二三度きりきり舞をしてゐたが、その儘ばたりと斃たふれて、辞世も何も咏よまないで死んでしまつた。

気の小さな浅之丞は、死様しにざまのむごたらしさを甚ひどく気に病むでゐたが、その翌あくる日から自分の腹のなかで猫の啼き声がすると言ひ出した。ある時は胸元で、またある時は臍の辺で悲しさうな声がするので、浅之丞は生きた気持がしなかつた。

浅之丞には伯父が一人あつた。伯父といふものは借金かりを拵へたり、恋病こひやまひに取とつ憑つかれたり、猫に祟たゝられたりする甥をひにとつては、少くとも一人は無くてならない実用品なのである。伯父は言つた。

「士さむらひの児が猫に祟られて病死でもしたら、いゝ恥晒はぢさらしだ。いつそ切腹して果てたがよからう。」

浅之丞は眼に涙を一杯溜めて伯父の顔を見た。下したつ腹ぱらのあたりでまたしても猫が啼いたやうに思つた。下したつ腹ぱらといへば、つい五六日前までは「武士道」と「孟子」との相住居あひずまゐをしてゐた大事な場所であつた。

浅之丞は伯父に勧められて切腹する事になつた。両親にもながの暇乞いとまごひをして、やがて肌を脱いで、刀を手に取つた。介錯かいしやく役に側そばに突立つゝたつてゐた伯父は落ついた声で呼びかけた。

「慌てるではないぞ。折角の切腹ぢや。猫の声のする辺を目がけて、一思ひに腹に突立てるがいゝぞ。」

「はい。」と浅之丞は下したつ腹ぱらを撫でながら、じつと聴耳きゝみゝを澄ませた。腹のなかでは猫の啼き声どころか、鼠一匹潜つてゐる容子ようすも見えなかつた。

「今朝方までは確たしかに啼いてゐましたつけが……」浅之丞は臍のまはりを指先で押へてみた。「今は一向聞えません。」

「そんな筈はない、気を落ちつけてよく聴いてみるがいい。」

浅之丞は身体からだぢゆうを耳のやうにして聴き入つたが、何一つ聞えなかつた。

「一向に猫らしいものの啼き声は致しません。」

「猫め、それぢや逃げたかも知れんぞ。」伯父は声を立ててからからと笑つた。「逃げたものなら仕方がなからう、今更切腹にも及ぶまいて。」

甥は手帛ハンケチのやうに真つ青な顔をして、短刀を白木しらきの鞘さやに納めた。猫の逃げ出した下したつ腹ぱらでは、いつの間にか「武士道」と「孟子」とが帰つて来て、蟇ひきがへるのやうに遠慮して、そつと溜息をついてゐた。

船酔7・17(夕)

パアシング将軍が、欧洲派遣の米国軍を引連れて、大西洋を横断よこぎつてゐた時の事、海は将軍の門出を祝福するやうに大きな肩を揺ゆすぶつて笑ひ出した。その笑ひやうが余り無遠慮だつたので、浪は船を玩具おもちやのやうに弄もてあそんだ。

船のなかできやつきやつ軽躁はしやいでゐた若い将校連もいつの間にか横に倒れて、うんうん呻うめき出した。なかに一人、船に、賭博ばくちに、加之おまけに軍いくさにも、女にも弱いやうな顔をした士官が、海の荒れ始めから、自分の船室ケビンへ潜り込んで一向影を見せないのがあつた。

パアシング将軍は態々わざ〱立つて、その士官の船室ケビンに訪ねて往つた。士官は船酔の果てが、枕につかまつて頻りと穢むさい物を吐いてゐた。

「酔つたな。何か食べたがよからう。」

将軍は平気な顔をして言つた。

「どう致しまして。」士官は瓜のやうな顔を涙と汗とでぐしよ濡れにして泣くやうに言つた。「食べた物は、みんなもどしてしまふんです。」

「嘔吐もどしたら、また食べる迄の事さ。食べては吐き、食べては吐きしてる間うちに船も仏蘭西の港へ着かうといふものだ。」

将軍は命令のやうに言ひ捨てて、足音を曳きずりながら外へ出た。若い士官は蛙のやうに霊魂たましひまで吐き出しさうに、また一頻り身悶みもだえした。

植民館の設立者として名高い、米国のジエーン・アダムス女史が、ある時大西洋通ひの汽船に乗つた事があつた。その日も海は荒れてゐた。女史は船には強い方ではなかつたが、それでも二等室にゐた愛蘭アイルランド人の一人が、ひどく弱り込んでゐるのを見ると、もうじつとして居られなくなつた。すべて社会改良家といふものは、猫の餌を見ては、直ぐその生活費を考へ、燕つばめの巣を見ては、屋賃やちんを訊かないでは居をられない、世話好きの人達である。女史は苦しさうに嘔吐もどしてゐるその愛蘭人の肩を抱へながら言つた。

「随分お苦しさうですね、貴方のお腹なかは余りお強い方ではないんですね。」

「私のお腹が弱いと仰有るんですか……」愛蘭人は涙の眼で女史の顔を睨まへた。「お腹が弱くて、こんなに嘔吐はかれるもんぢやない。御覧なさい、あんな遠くまで食物たべものを吐き飛ばしてるぢやありませんか。」

俳優やくしやと脚本家7・20(夕)

世の中に何が独天下ひとりてんかなと言つて、俳優やくしや達ほど独天下なものはたんと有るまい。彼等はてんでに自分達が居ないと、芝居が巧く出来上らないのみか、どうかすると、世界中の女が、みんな恋煩ひにでもかゝりさうに思つてゐる。

そんな輩てあひの寄合よりあひだけに、芝居の蓋をあけようといふ者にとつて、役納めほど骨の折れるものは少くない。とりわけ脚本が書卸かきおろし物ものの場合になると、予あらかじめ役どころの見当がつかないだけに、俳優やくしやは物言ひばかり多くて、なかなか役を引請ひきうけようと言はない。

松竹まつたけ合名社に鶴屋南北といふ作者がゐる。家鴨あひるの雌が貴婦人にしては腰が太過ぎるやうに、南北は脚本家としては少し肥え過ぎてゐるやうだが、しかしそれを取回とりかへすだけのいい物を別に持つてゐる。いい物とは俳優やくしやに役を割り当てて、二つ返事で承知させる事の出来る腕をいふのだ。

書き卸しが出来て、仮に主人たち役を延若に振らうといふ事になると、南北は自慢の脚本を懐中ふところに先づ延若を訪ねる。そして一通りそれを読み聞かせるが、聴手ききてが物足りなささうに欠伸あくびでもするのを見ると、早速の気転で、急に延若の好きさうな長台辞ながせりふを、口から出任せに附け足して置く。すると、聴手は持前の胡瓜きうりのやうな長い頤あごをしやくつて、

「ええなあ。ええ役や。文句言はんと、私わてのもんとしときまつさ。」

と、ついその場で引請けてしまふ事になる。

延若を納めた作者は、その足でまた雀右衛門を訪ねる。女主人をこゝに納めようといふのだ。脚本に聴きとれてゐるこの女形をやまが、腑に落ちなささうに瞬きをして、

「一寸待つとくなはれや……」

と何か註文でもつけたさうにすると、南北は橡とちの葉のやうな大きな掌面てのひらで押へつけるやうにして、急に雀右衛門の気に入りさうな台辞せりふを出鱈目でたらめに幾つか附け足すので、一旦曇つた女形の眼は急にまた明るくなつて来る。

「よろしなあ。こないやと私も演やり甲斐がひがおまんがな。」

と、大喜びで役を引請ける。――この場合、先刻さつき延若が乗気になつて買つて出た主人たち役が、蛙のやうに踏み潰されてゐようが、一向気にかけてはならない。作者は医者のやうなもので、他人ひとを蘇いかす前に、先づ自分を活いかさなければならない事を南北はよく知つてゐる。

役の振当ふりあてもあらかた済んで、さて愈々いよ〱本読ほんよみにかかると、延若も、雀右衛門も、その他ほかの俳優も折角自分が楽みにして待ち設けた台辞せりふが無いので、てんでに変な顔をしてゐるが、実をいふと、俳優やくしや達は自分の頭が余り頼みにならない事を知つてゐるので、大抵の場合その儘聞き流してしまふ。――偶たまに口を出して、

「あの、そこの所で私わての台辞せりふがちよびつと脱けてやしまへんか。」

と突込む者があつても、場馴れた作者は、

「おました。おましたが、余り感心せんよつて、今度のやうに直しましたんや。よろしおまつしやろ。」

と、自分から頭かぶりを掉ふつて感心してみせる。すると、俳優やくしやの方でもつい鼻を鳴らして感心するやうになる。

当世脚本家の心得右の通り、すべて俳優やくしやと批評家とには内証ないしようの事〱。

生命いのちの勘定7・22(夕)

富豪かねもちロスチヤイルド男だんが熱病でひどく苦しんだ事があつた。ちやうど男だんが七十五歳の折の事で、齢としも齢だから老人自身は迚とても助からないものと絶念あきらめて、

「乃公おれも今度こそ愈々いよ〱お暇乞いとまごひだ。」

と、毎日のやうに溜息ばかり吐ついてゐた。

お抱への医者は、毎日のやうにやつて来て、老人の脈を押へたり、咽喉を覗いたりした。咽喉を覗く折には、老人は家鴨あひるのやうにあんぐり口を開あけて仰向いた。すると医者は叮嚀に見終つて、

「いや、大した事はございません、程なく御全快になりませう。」

と、請合うけあつたやうに言つた。だが、医者の言葉通りにも往ゆかないものと見えて、病気は重おもる一方だつた。

皮肉屋のトルストイは、死際に枕もとに立つてゐるお医者達の顔をじろりと尻目にかけて、

「この人達は医者の学問にかけたら、みんな知りぬいてゐるんだが、その医者の学問といふ奴が、何一つ判つてないんだから困る。」

と呟こぼしたといふ事だ。だが、それはトルストイが無理なので、学問の余り頼みにならないのは、何もお医者のに限つた事ではない。

病気は重くなる一方だつたので、ロスチヤイルドは床のなかで神経を針鼠のやうに尖らせて口癖のやうに、

「今度こそいよ〱お暇乞だな。」

と呻うめき通してゐた。医者は例いつものやうに叮嚀に診察をしたが、自分の診察みたての届かないところは、お世辞を使ふ外には仕方がないといふ事をよく知つてゐたので、

「御前、大丈夫でございます、この御容体ようだいぢや百歳までは屹度お請合うけあひが出来ます。」

と言つて、てれ隠しにお辞儀を一つした。

「百歳まで。」名高いこの資本家は、それを聞くとむつくり頭をもち上げた。「それは大変な損だよ、神様がそんな御損な算盤をお持ちになるといふ法はない。七十五で取引の出来るものを百までも出すなんて……」

大事な自分の生命いのちまでを戦時公債なみに取扱つてゐるのは、いかにも資本家らしくて面白いが、それよりも感心なのは神様の勘定高いのを、ちやんと見ぬいた所にある。

悟道7・23(夕)

近頃碧巌録へきがんろくとか、無門関むもんくわんとかいつたやうな禅家の書物に、所謂いはゆる悟道を商売にしない、素人の学者、求道きうどう者が飛び込んで往つて新しい解釈を試みようとしてゐるのは面白い現象である。

島尾得庵といへば、軍人で出先きを塞ふさがれた腹癒はらいせを禅学にぶち込んだ程あつて、胡椒のやうにひりゝとした禅機の鋭さにかけては、その頃の居士こじ仲間の随一であつたが、ある時その居士の玄関へ立つて、牛のやうな太い声で案内を頼む者があつた。

取次ぎの書生が出てみると、玄関には、瓦で拵へたやうなお粗末な坊さんが一人衝立つゝたつてゐた。

「拙僧わしは北国ほくこくの雲水でござるが、得庵先生御在宅なら、暫く御意を得たいと思ひまして……」

坊さんはかう言つて、人形のやうにぎくりと頭だけを下げた。その風が余り可笑をかしかつたので書生は思はず笑はせられた。

「折角のお訪ねでございますが、主人は昨今所労中で、どなたにもお目に懸りません。」

大抵の客は、皆この口上一式で追ひかへす事になつてゐるので、書生は早口はやぐちにすら〱と言つて退のけた。

お粗末な坊さんは、汗ばんだ額へ掌面てのひらをやつて、ぐつと考へ込んでゐたが、急に獣けもののやうな悪意のある眼で書生の顔を見た。

「実は居士にお目に懸けたいと思つて、天よりも大きい編笠を持参いたしてござるが、如何いかゞ取り計らひませう。」

蛇じやの目めの唐傘だつたら書生は自分のにする事を知つてゐたが、編笠では使途つかひみちに困つた。で、兎とにかく奥へ入つて居士に訳を話してみると、居士は狼のやうな顔に、にやりと薄笑ひを浮べた。

「どこぞ其辺そこいらに捨ておけと言つてやれ。」

書生が玄関へ出て、教へられた通りにさう言ふと坊さんは背せなに括くゝりつけた編笠の紐でも解くやうな真似をして、その儘出て往つた。書生は鼻を鳴らして感じた。坊さんも坊さんなら、居士も居士だと思つた。で、狗いぬのやうに次ぎの室まに蹲踞かいつくばつて訳を訊くと居士はけろりとした顔で言つた。

「乃公わしは何も知らんよ、編笠を持つて来たといふから、捨てておけと言つたまでぢやないか。」

書生は悟りもいい加減なものだと思つた。そしてそれ以来いつも迷ひ続けてゐる。

敵と舞踊す[#「地付き]7・26(夕)

仏蘭西の歩兵軍曹にジヤンといふ男がゐる。胆の太い、しつかりした、加之おまけに教育のある男で、仏蘭西語と同様独逸語をも自由に操る事が出来た。

一体語学が達者に出来るのは得なもので、独逸のゲエテは他よその国の語ことばを一つ覚えるのは、やがて一つの世界を殖やすやうなものだと言つたかに覚えてゐる。世界を一つ殖やすのも面白くない事はないが、それよりも真実ほんとうなのは、語学は一種の道楽で、これを習つておけば、自分の道楽心を満足させる色々の悪戯いたづらが出来るといふ事である。

ある真夜なかの事、ジヤンは敵の偵察を言ひつかつて、独逸軍の塹壕から、漸やつと十米突メートルばかりの近間ちかままで覗うかゞひ寄つた。すると何処かにこそこそ人の動く気配がしたので、ジヤンは蜥蜴とかげのやうに地面ぢべたに腹をすりつけた。だしぬけに低い押し潰すやうな声で呼びかけるのが聞えた。耳をすますと、半熟なまにえの仏蘭西語である。

「おい、何だつて、そんなに静粛ひつそりしてるんだい。僕は先刻さつきから君がやつて来るのを見てたんぢやないか。すると今地面ぢべたに這はひ屈かゞんだね。君を撃つと言やしまいし、僕はバヴアリヤ生れだよ。」

「さうか、今晩は。」

とジヤンは立派な独逸語で返事をした。

「おい〱。」塹壕のなかからまた声が掛つた。「君は独逸語が喋舌しやべれるんだね。一寸待つてくれ。今朋輩を起して来るから。丁度今は士官が居ないから一等都合がいいんだよ。」

ジヤンは幾らか心配な気もしたが、それでもじつと待つてゐる事にした。暫くすると、バヴアリア兵は独逸式の軍服と軍帽とを持つて出て来た。そしてそれをジヤンに被きせて、自分達の塹壕内に連れ込むだ。

そこでは浴びる程うまい麦酒ビールを飲む事が出来た。ジヤンは酔つた紛れに変な腰つきをして舞踊をどりを踊つた。バヴアリア兵は低声こごゑで歌を唱うたつた。いよ〱お別れになると、彼等は色々な土産物をジヤンに呉れた。

「今度またおいでよ。口笛で合図して呉れれば鉄砲なんか撃ちやしないよ。」彼等は十年の友達にでも別れるやうに言つた。「僕達はバヴアリア人だよ、仏蘭西は大好きなんだが、止むを得ず戦争いくさしてるんだからね。」

関野博士と木乃伊みいら[#「地付き]7・27(夕)

工学博士関野貞氏は、古代建築専攻の学者で、近頃は支那に派遣せられて大同だいどう府の千仏山や、洛陽の龍門りようもんや、または支那五獄の随一と言はれる嵩山かうざんあたりまで出掛けて往つて、古物といふ古物は何一つ残さず捜し廻つて、

「どうしても北魏隋唐となると、芸の冴え方が違つてるから偉い。大したもんですな。」

と鼻を鳴らして喜んでゐる。

この関野氏が、ある時支那の西域せいゐきで発掘せられた木乃伊の鑑定を頼まれた事があつた。棺のなかには白絹しらきぬで叮嚀に巻かれた屍体が横よこたはつてゐた。関野氏は水蜜桃の皮を剥むくやうな気持で少しづつ白絹をめくつて往ゆくと、なかから顔を出したのは、妙齢としごろの娘で、目鼻立めはなたち何処に一つ点の打ちやうもない大理石像のやうな美人であつた。関野氏は学者となつて、こんな美しい娘の木乃伊を鑑定するよりも、いつそ放蕩息子となつて、生きたこの娘の唇に触れたく思つたらしかつた。

関野氏は吸ひつけられたやうな眼をあげて、側そばの墓銘を見た。それによると、この女はさる大官の一人娘だつたが、流行病はやりやまひにかゝつたので、その頃の習慣ならはし通り、まだ息を引取らぬうち生埋いきうめにしたものだといふ事が判つた。

「可哀かあいさうに生埋にしたのださうな。」

関野氏は深い溜息を吐ついて恥しさうにそつと眼がしらの涙を拭ぬぐつた。学者といふものは石地蔵と同じやうに、どんな場合にも涙を流してはならないからである。関野氏は日本には息のあるうちに生埋めにしてもいゝ政治家や、軍人や、学者のたんとある事を思つて、そんな習慣ならはしのないのを幾らか物足りないやうにも思つた。

関野氏はいつ迄も〱じつと木乃伊を見てゐるうちに、どうも両腕の位置が少しく面白くないのに気がついた。

「折角の美しい木乃伊だ、今少し芸術的の恰好をさせなくつちや。」

と口のなかで独語ひとりごとを言ひ乍ながら、そつと両腕に触つてみた。両腕は釘付くぎつけにせられたやうに重かつた。女の腕かひなは生きてるうちと同じやうに、亡くなつてからも学者なぞの為めには、一寸すんも動かうとはしなかつた。

「どうしても動かないかなあ、もう一寸ちよつとの事で芸術的になるんだがね。」

関野氏は女の美しい胸を見つめながら口惜くやしさうに呟ぼやいた。――その関野氏に教へる、木乃伊の腕かひなは、学者の研究と同じで、今一息といふところで、物になるのだが、得てさうならないところが世間なのである。

珍らしい広告[#「地付き]7・28(夕)

倫敦ロンドンタイムスの近刊号人事欄に次のやうな広告が載つてゐる。

「私は結婚前ぜんの若い紳士ですが、私に結婚をすつかり思おもひ止とどまらせて下さる先輩の方がいらつしやるなら、御近づきになりたいものです。」

これを数多い広告のなかから拾ひ出した米国の雑誌記者は、奇妙な広告だ、珍しい広告だ、滅多に見かけられない広告だといつて矢鱈やたらに吹聴してゐる。

結婚は悪い事ではないが、あいにく相手が要るので、兎角思ふに任せぬ事が多い。それに女の註文が段々高くなつて来るのは、男にとつて何よりも荷厄介である。ずつと以前は女といふものは、亭主が男でさへあれば辛抱したものだが、今では天使エンゼルでなくつちや迚とても気に入らない。ところが、多くの場合男は女にとつて天使エンゼルどころか、牛のやうに鈍間のろまで、おまけに牛のやうに獣物けだものである。

男が女にとつて牛であるのと同じやうに、女は男にとつて蝙蝠かうもりである。謎である。多くの男は生れるとから、死ぬるまで女の為に苦労をしてゐるが、さういふ男でも一生の間うちに少くとも二度はからきし女を理解し得ない時期があるものだ。二度といふのは、一度は結婚前で、一度は結婚後の事をいふのだ。

世の中には結婚したがつてゐる男も少くはなからうから、その人達のために言つておくが、諸君が独身ひとりみで通したからといつて、失望する女はまさか二人とはあるまい。よしんば失望したところで、その人達は直ぐ絶念あきらめられるに相違ない。ところが、諸君が結婚すると、一生涯失望し続ける人がある。その人は他でもない、細君である。

同じ時分、巴里パリーの「フイガロ」新聞に次のやうな広告が載つてゐた。

「上流の家庭にゐる鸚鵡の発音が悪いのを直すために、正確な仏蘭西語の出来る教師を雇ひたい。」

断つておくが、発音の悪いのは、上流家庭の夫人おくさんでは無くて、夫人おくさんよりも口数の少い鸚鵡なのである。

鸚鵡に仏蘭西語の巧い教師を雇ふといふと、一寸見ちよつとみは贅沢なやうだが、鸚鵡に訛なまりを喋舌しやべらしておいて、じつと辛抱してゐるよりか、どれ程節倹しまつにつくか知れたものではない。仏蘭西に文学が衰へないのは、鸚鵡の訛を気にしないではゐられない程、国民が国語に敏感なところも一つの原因になつてゐる。多くの代議士に狗いぬのやうな日本語で喋舌しやべらしておいて、黙つてそれを聴く事の出来る日本人の無神経さが熟々つく〲思はれる。

幸運児[#「地付き]7・31(夕)

下の関の火薬爆発当時、同じ汽車に乗合はせてゐた客のなかには、かなり重い創きずを負つた者があり、同じ俳優の市川小団次は顔から腕かひなにかけて十幾つかの怪我をしてゐるに拘かゝはらず、汽車の窓から顔を出してゐた市川荒次郎あらじらうは間まがよく擦かすり傷一つ負はなかつたので、荒次郎はその後会ふ人ごとに、

「稲荷さんの御利益ごりやくだつせ、私わてあの汽車で京まで帰つて来て、すぐ稲荷さんへお参詣まゐりする積りだしたのやらう、神さんのお力たら偉いもんだすなあ、伏見にゐて下関まで目が届くんだすよつてな。」

と、頻りと自分の信じてゐる稲荷さんのお蔭を吹聴してゐる。

今はむかし、千七百九十一年の一月五日の午ひるすぎ、仏蘭西はセエヌ河の畔ほとり、オクソンヌといふところで、五人の衛戍ゑいじゆ将校が、猿のやうにきやつ〱軽躁はしやぎながら変な腰つきで氷すべりをしてゐた事があつた。

ところが、そのなかの若い将校の一人にんは急に勢せいのない顔をして立ち停つた。

「あゝ、腹が減つた〱。僕は腹が減つて溜らないから、もう帰るよ。」

かう言ひ捨てて、その男は急いで帰り仕度に取りかかつた。皆は慌てて引ひきとめた。

「そんなに急ぐなよ、今暫くしたら僕達も一緒に帰るんだから。」

だが、若い将校は皆の言ふ事を肯きかないで、滑り靴を脱ぎ捨ててさつさと帰つてしまつた。腹の減つた身には物を言ふのも大儀らしかつた。

「は、は。奴やつこさん、またいつもの剛情を出しをつたな。」

皆は若い将校の帰つた後あとで蔭口をきゝながら、勢ひよく氷の上を滑つた。巧く滑れる時は、自分の身体からだを五サンチイムの銅貨のやうにさへ思つた。

皆が有頂天になつて騒ぎ立つてゐる一刹那、どうした機はづみか氷はばり〱と音を立てて割れた。そして四人が四人とも、その割れ目に陥おち込んで死んでしまつた。一足先に帰つた一人こそ、実際都合よく腹が減つたもので、さもなかつたら氷の裂け目に皆と一緒に銅貨のやうに滑り込んだに相違なかつた。その腹の減つた一人こそ誰あらう、後のちには仏蘭西皇帝にまでなつたナポレオン・ボナパルトであつた。

市川荒次郎にナポレオンになれとは言はないが、運のよかつた者は、運のよかつただけに満足しないで、その運に酬むくいるだけの努力を積まなければならぬ事を教へたい。

肉代五弗也[#「地付き]8・1(夕)

米国の華盛頓ワシントンであつた事。――ある日、土地で名高い判事のKといふ男が、予かねて顔昵懇かほなじみの肉屋の店さきを通りかゝると、でつぷり肥つた店の主人が、いつもの愛嬌笑ひをしい〱、

「一寸……」

と言つて呼びとめた。

判事は立ち停つた。肉屋の主人といふのは、いつも剽軽な世間の噂を聞かせてくれるので、大抵の場合その店先で立停つて、損はしなかつた。

「お呼びとめして相済みませんが、一寸檀那に伺ひたいと思ひやしてね。」肉屋の主人は軽く頭を下げた。「肉を盗まれましたのは、法律上どんな手続きをしたもんでがせうな。」

「肉を盗まれたのか、それは告訴しなくちやならん、打棄うちやつとくと癖になつて可いかんからね。」

判事は肉の事なら、値段からビステキの味加減まで、法律でどうにでも出来ると考へてゐるらしかつた。

「まつたく癖になつていけやせん。」肉屋の主人は二三度軽く頷いた。「ところが盗んだ奴が人間ぢやないんで困つてしまひやす。」

「人間ぢやない、何だね。それでは。」

「狗いぬなんでげす。」

「狗だつて、そんなら飼主から肉代を弁償させるまでの事さ。」判事は何でも角かでも法律で押し通したいらしかつた。「そんな狗を飼ふなんて怪けしからん事だ。」

「ところが、旦那、その狗つてえのが、お宅の斑ぶちなんでげす。」

肉屋の主人は気の毒さうに揉もみ手てをしながら言つた。

「宅うちの狗か。」判事はだしぬけに途みちの真中で鼻を抓つままれたやうな顔をした。「それぢや仕方がない、盗まれた肉代は幾らだつたね。」

「お気の毒さまですね、五弗でげす。」

肉屋は叮嚀に頭を下げた。

判事はねぢ曲げたやうな笑ひ方をしながら、懐中から五弗取出して、肉屋に払つた。

それから二三日すると、肉屋の店に、件くだんの判事からの仕払請求書が来た。主人はけげんさうな顔をして封を切つた。なかには、

牛肉盗難事件

鑑定料五弗也

右請求候也

と認したゝめてあつた。肉屋の主人は舌打をしてまた五弗を仕払つた。

謡曲うたひ好き[#「地付き]8・8(夕)

洋画家満谷みつたに国四郎氏が名代の謡曲天狗なのは、画家ゑかき仲間では知らぬ人もない。氏に画ゑを頼みに出掛けるものは、何を措おいても先づその謡曲を聴くだけの辛抱を有もたなければならない。

「なに、謡曲うたひがお好きですつて。」満谷氏は飴ん玉のやうにつるつるした、そしてまた飴ん玉のやうに円い頭を掌面てのひらで撫であげる。「謡曲うたひの好きな方は、画もよくお解りだから頼もしい。なに、画は屹度描かきあげますよ。それぢや今日は一つ聴いて戴きますかな。」と言つたやうな次第で、氏は直ぐに絞め殺される家鴨あひるのやうな声で謡うたひ出す。

満谷氏の近所に熊岡某といふ洋画家が住んでゐる。どんなお天気のいゝ日でも、鳶が空で気まぐれな唄をうたつてゐる日でも、画室アトリエの窓から入つて来る満谷氏の謡曲うたひを聴くと、妙に気が滅入つてどうしても筆が進まない。変だなと気が注ついて、色々な物識ものしりに訊いてみると、謡曲うたひのなかには健康にためにならないのがあるといふ事が判つた。それ以来熊岡氏は隣で謡曲うたひが始まると、慌てて帽子をかぶつて用達ようたしに出る事に極きめてしまつた。

二月三月経つた。すると、熊岡氏の画室アトリエから小鼓こつゞみの音ねがぽんぽん聞え出した。狸の腹鼓はらつゞみのやうな音おとである。それが聞えた当時、頭の禿げた画家は、モデルで裸体婦人の油絵をかいてゐたが、急に頭がくらくらして、肉附にくつきのいい、大柄なモデルの婦人が巾着のやうに皺くちやになつたと思つた。

満谷氏はその後、人づてに密そつと熊岡氏の小鼓の事を訊いてみた。小鼓は熊岡氏の友達が新しく購あがなひ取つたものだが、鼓は間まがな隙すきがな叩いた方がいゝので、閑ひまの多い熊岡氏が借りて来て、画に倦うむと、盲滅法に叩いてゐるものだといふ事が判つた。

「困つた事が持ち上つたものだ。かう立続けにやられては、迚とても製作も何も出来るもんぢやない。」

満谷氏は飴ん玉のやうな頭を押へて、そつと溜息を吐ついた。

暫くすると、満谷氏はまたいい事を発明した。それは熊岡氏の画室アトリエから小鼓の音ねが聞え出すと、帽子掛から帽子しやつぽをそつと取りあげて、鼠のやうにこそ〱逃げ出してしまふのだ。それに気づいた或る友達が、

「何だつて君逃げ出しなぞするんだ、熊岡に抗議を申込むだらよささうなものぢやないか。」

と言葉添へをしたものだ。すると、満谷氏は胸の上で手を拱くむで、そつと溜息をついた。

「それがね、世間には色々義理といふものがあつてね……」

歯と軍人と[#「地付き]8・9(夕)

米国は病気治療法を発明する事にかけては、世界第一といつていゝ程色々の治療法に富んでいる。そんな国柄だから、兵卒や水兵を徴集するにも、検査が一寸外よその国の行ゆき方とは異ちがつてゐる。

今度西部戦線へ派遣する軍隊を徴集するに就いて、ある軍医が執とつた方法は一番風変りなものだつた。軍医は安全剃刀で剃りあげたばかしの綺麗な頤おとがひを撫でまはしながら、自分の前に立つてゐる一人の応募兵の顔を見た。

「お前身体からだは健康かね。」

「はい、健康でございます。」

応募兵は自慢さうに自分の胸を反らしてみせた。

軍医は顳顬こめかみの辺あたりに残つた剃り落しの髯を気にしながら言つた。

「一体軍人に必要な健康とは、どんな事なのか知つてるかい。」

「勁つよい脚を有もつてる事です。」

応募兵は自分が螽斯ばつたのやうに勁つよい脚を持つてゐるのを見せるために、二三度靴の踵かゞとで地面ぢべたを蹴つてみせた。

「違ふね。軍人の健康といふのはそんな物ぢやない。」

「ぢや、遠視とほみの利く眼の事でせう。」

「それも違ふね。」

「ぢや頭のいゝ事でせう。」

「違ふよ。」

軍医はその証拠に余り良くない自分の頭を掉ふつてみせた。

「それぢや、どんな事なんです。」

「いゝ歯を持つてる事だよ。」

軍医は猿のやうな白い歯を露むいてみせた。

この米国軍医の説によると、兵卒は無論、いゝ脚と、いゝ眼と、いゝ頭とを持たなければならないが、唯一ついゝ歯を持たないと食物たべものを噛む事が出来ない。食物を噛む事が出来なければ、脚があり、眼があり、頭があつても敵と戦ふ事が出来ないといふのだ。

それならば、兵卒にいゝ歯を持たせるには、どうしたら良いいかといふのに、それには子供の時より歯に気を注つけさせなければならない。つまり母親といふ母親は、始終子供の歯に気をつける事だけで、男の及ばない愛国的の事業しごとを仕遂げる事が出来るといふのだ。

その軍医が歯医者の出身であつたか何どうかは知らないが、実に結構な発見で、独創的な意見とはこんなのを言ふのかも知れない。さしづめ愛国婦人会の会員達は、下らないお喋舌しやべりの会合などは止やめにして、先づ自分の忰せがれの歯を掃除してやらなければならない事になる。

飯を安く食ふ法8・10(夕)

米が高くなつて、世間が騒々しくなつて来た。この食糧品の暴騰から来る生活難を済すくふには、朝鮮米を行ゆき渡らせるのもよからうし、方針を過あやまつた仲小路なかこうぢ氏を農相の椅子から引きずり下おろすのもよからうが、今一つそれよりもずつと良いい方法が残つてゐる。

話は古いが、徳川四代将軍の頃、阿部豊後守忠秋が老中を勤めてゐた事があつた。豊後守といへば、江戸市中に棄児すてごがあれば、屹度拾つて養育した程の慈悲深い男だつたが、それでも時々は剽軽な悪戯いたづらをして、友達を調弄からかふ程の心の余裕ゆとりは持つてゐた。

ある日の事、豊後守は自分の同僚大久保忠成たゞなりが大きな弁当箱を持つて来てゐるのに気がついた。

「忠成め、飛んだ食くらひぬけと見えるて。」豊後守はそつとその弁当箱に触つてみた。箱は鎧櫃よろひびつほど持もち重おもりがした。「怖ろしい重みだな、こいつをこつそり食べて置いて、どんな顔をするか見てゐたら面白からうて。」

豊後守は独語ひとりごとを言ひ〱、四辺あたりを見まはしながら、そつとその弁当を盗み食ひした。やつと食べてしまつた後あとでは、腹は大名を鵜呑みにした蟇がまのやうに膨れてゐた。

暫くすると、忠成はひよつくり其処そこへ顔を出した。恰ちやうど時分時じぶんどきなので黙つてそこにあつた弁当箱を取り上げた。そして蓋を開あけたと思ふと、急に変な顔をして、じつと内部なかを見てゐたが、暫くすると気けもない顔で、

「今朝方あまり食べ過したものか、どうも食気しよくけがなくて困る。」

と呟ぼやき〱、そつと元々どほり蓋をして、弁当箱を側そばに押しやつた。

豊後守は可笑をかしさを噛み殺して、忠成を相手に何かと世間話をしてゐた。話してゐるうちに、忠成の返辞が段々気乗りがしなくなつて来るのも可笑しい事の一つだつた。暫くすると、忠成は、

「今日こんにちは屋敷に用事があるので少し早引はやびきをする。」

と言つて慌てて下さがつて往つた。豊後守はその後姿を見送りながら腹を抱へて笑ひこけた。

夕方ゆふかた豊後が邸やしきに帰つて、用人ようにんを相手にその話をすると、用人ははたと膝を叩いた。そして、

「なる程さう承はつて初めて解げせました。」

と言つて、独りでくす〱思ひ出し笑ひをし出した。豊後が理由わけを訊くと、先刻きつき忠成は道の通りがかりに、腹が空いて困るから、湯漬ゆづけなりと振舞つて欲しいと言つて、座敷に上り込み、主人も家来も負けず劣らず大食おほぐひをして帰つた後あとだと解つた。豊後守はそれを聴いて舌打をして残念がつた。

米が高くなつたら、道の通りがかりに湯漬の食べられる良いい友達をそこらに拵へて置く事だ。しかし良いい友達は良いい狗いぬころよりも少いものだ。仕方が無かつたら老中でも友達にするさ。

花の香気にほひ8・12(夕)

「阿父おとうさん、何だつて花には香気にほひがあるの。」

むかし〱、ずつとの往時むかし、かう言つて自分の父親てゝおやに訊たづねた子供があつた。

父親てゝおやはその時、世間の多くの親達と同じやうに下らない事を考へてゐたか、それとも別に何も考へてゐなかつたか、子供に訊かれて初めて気が注ついたやうに、成程花には香気にほひがあるわいと思つた。だが、おいそれと直ぐには説明も出来かねたので、急に銭勘定ぜにかんぢやうでもしてるらしい、忙しさうな顔をした。

「阿父おとうさんてば、何だつて花には香気にほひがあるの。」

子供は鼻を鳴らしながらまた訊き直した。父親てゝおやは毀こはれかけた目覚し時計を扱ふやうに懶だらけた頭に矢鱈やたらに螺旋ねぢをかけてみたが、その一刹那花は酒や音楽と同じやうに神様が人間を娯たのしませるために拵へられたものだといふ事に気が注ついた。

「うむ、花の香気にほひか。」父親は大学者のやうに落ついた調子で言つた。「あれは人間を娯ませるために出来てゐるんだ。」

「さう。」と子供は一言言つたきり、そのまゝ押し黙つてしまつた。だが、父親てゝおやの説明に満足してゐないのはその顔色にも読めた。多くの場合子供は父親てゝおやの説明には満足しないものである。

子供はそれ以後「何だつて花には香気にほひがあるのだらう。」と、一生懸命にそればかりを考へた。そしていつの間にか大学者になつて、漸やつとその問題を解く事が出来た。

実をいふと、花の香気にほひは、いろんな昆虫をそこに誘おびきよせて、その力でもつて花の生殖を果すために存在してゐるに過ぎないが、その学者が研究を仕遂げるまでは、世間の人達は何の為めだとも解らなかつた。学者とは誰あらう、名高い植物学者クルト・スプレンゲルその人である。

数多い世間の親父おやぢよ、牛のやうに愚かな頭を持つた世間の親父おやぢよ、卿おみ達がどんな説明をしようと、多くの子供はそれに満足するものではない。そしてその不満足から素晴しい発明と発見は生れるものである。

何故食物たべものが高い?8・13(夕)

米が高くなつた。何故こんなに米が高くなつたかと訊くと、仲小路農相は商売人が善くないからだと言ひ、商売人は農相が悪いからだと言つてゐる。事実はどちらもが善くない上に、外に善くないものが幾つか一緒になつてゐる。

米国でもこの頃食料品が高くなつたので、あつちこつちで頻りと不平の声が聞えてゐる。先日こなひだも前大統領タフト氏が田舎に旅行して、途中で道連れになつた農夫ひやくしやうを相手に、近頃農産物の値段が箆棒べらぼうに高くなつた事を話して、

「まるで以前の三倍もの値がするのだから遣やりきれない。」

と呟こぼした事があつた。そして相手の農夫ひやくしやうが値上げの張本人であるかのやうに凝じつとその顔を見つめた。顔は焼栗のやうに日に焦やけてゐた。

農夫ひやくしやうは象のやうな大きな図体のタフト氏を見返しながら、済まなささうに頭を掻いた。実際食料品がかう高くなつては、一番困るのは馬かタフト氏かのどちらかに相違なかつた。

「でも、お前めえ様、小麦が高くなつたのは、小麦自身が高くなつた訳ぢやござりましねえだよ。」農夫ひやくしやうは言ひ訳がましく口を切つた。「あれはその学問の値段が入つてるからでござります。今時の農夫ひやくしやうはお前めえ様方と同じやうにいろんな事を知らなくつちやなりましねえからの。」

「学問の値段といふと――。」タフト氏は腑に落ちなささうに眉を顰しかめた。「そんなものが何だつて小麦や馬鈴薯の値段に影響して来るんだね。」

「だつて考へて御覧ごらうじませ。」と農夫ひやくしやうは節高ふしだかを頑丈な手をタフト氏の鼻先きで振りまはした。「今の農夫ひやくしやうは往時むかしと違つて、自分達の畑から上あがる物の植物学とやらの名前を知らなくつちやなりますめえ。それから浮塵子うんかや根切虫ねきりむしだが、そんねえな無益物やくざものの昆虫学とやらの名前も覚えなくつちやなりますめえ。その上に肥料こやしの化学的成分とやらもすつかり頭に入れておかなくつちやなりましねえのだからな。何だつてお前様、それにはみんな銭ぜにがかゝりまするだよ。」

「さうか……」と言つて、タフト氏は解つたやうな、解らぬやうな顔をして、その儘黙つてしまつた。

知識を売値につけ込むのはまだしもだが、日本の農夫ひやくしやうは「無知識」を高く売りつけようとしてゐる。米の売惜みをしてゐる農夫ひやくしやうよ、汝は遠からず無知識を後悔する時が来るに相違ない。

二万八千弗の祝儀8・16(夕)

ノオベル賞金の創設者として聞えた瑞典スエーデンのアルフレツド・ビイ・ノオベルの邸やしきに、長年の間まめに女中頭を勤め通した女があつた。ところが、縁あつて他へ嫁かたづく事になつた。すべての女は、どんなまづい結婚でも、独身よりはましだと思つてゐるもので、これは人生といふものに対して、どの女もが持つてゐる一番大きな誤解はきちがへだが、この女中頭も矢張りそれを持つてゐたので、兎も角も結婚する事にきめてしまつた。

主人のノオベルはその話を聴くと、寝椅子から半分身体からだをおこしかけた。

「それは目出度いの、長年の間まめに勤めてくれたお前に出て往ゆかれるのはつらいが、然し結婚と聞いては強ひて引とめるわけにも往ゆくまい。ところで、お祝ひだて――」と主人はにや〱笑ひながら女中頭の顔を見た。これまでは女中頭として世界第一等の顔立かほたちのやうに思つてゐたが、今見ると、花嫁として一番やくざ者のやうに思はれた。「何かお祝ひにくれてやりたいと思ふんだが、何でもいゝからお前の欲しいと思ふものを言つてみるがいゝ。」

女中頭はノオベル家のうちで欲しいものをどつさり持つてゐた。第一に主人の財産が欲しかつた。第二に主人のフライ鍋が欲しかつた。第三に主人の心の臓が欲しかつたが、そんなものは主人がなかなか「諾うん」と言ひさうになかつた。で、早速花聟の許とこへ駆けつけて相談する事にした。

花聟はそれを聴いて、美しい女中頭が、どつさり「幸運しあはせ」を背負しよつて、自分の大きな鼻の孔あなから身体からだのなかへ潜り込むやうに思つた。

「何をお願ひしたものだらうな。」

「何をお願ひしたものでせうね。」

二人は頭をつき合はせて相談したが、漸やつと相談が取とり極きまつた時には、二人とも素晴らしい仕事をしたやうに疲れてゐた。

女中頭は主家しゆかに帰つて来た。そしてもぢもぢしながら口を切つた。

「檀那様、私どもの婚礼に祝つて戴きたいと思ふものが、漸やつと見つかりましてございますが、真実ほんとに祝つて戴かれますのでございませうか。」

「ほんとうだともさ。」恐ろしいダイナマイトの製造業者は、女中頭の口から、お手の物の爆裂弾が吐き出されようとも怯びくともしないやうな身構へをして言つた。「何でもいゝから、お前の欲しいものを言へと言つたぢやないか。」

「有難うございます。」花嫁は丁寧に頭を下げた。「それでは恐れ入りますが、檀那様のお儲けになる一日分だけのお銭あしが戴きたうございます。」

「よからう。」と主人は二つ返事で直ぐ承知をした。「だが、勘定するのに少し手間が取れようて。」

実際勘定をするのに手間が取れた。それが為めに十一人の書記が幾日か働かされた。そして女中頭は結婚祝ひとして二万八千弗の金を渡された。

寄附金の請取うけとり8・18(夕)

紐育ニユーヨークの新聞記者フランシス・ロイプ氏が先年亜米利加印度人の調査委員をしてゐた頃、ある日の事、見も知らぬ印度人が、その事務室へひよつくり鳶色の焼栗のやうな顔を出した。そしてポケツトから金包みを取り出して、卓子テーブルの上に置いた。

「こゝに五十弗ありますから、お請取うけとりを願ひます。」

印度人はかう言つて反身そりみになつた。その金は公用金としてロイプ氏が受取るべき筈のものだつた。

ロイプ氏はその金をあらためた。そして確たしかに請取つた由よしを言つたが、印度人は何か待心まちごころでゐるらしく、両手を胸の上に拱くんだまゝ、卓子テーブルの前に立たち跨はだかつて一向帰らうとしなかつた。

「何か外に用事でもあるのかね。」

ロイプ氏は焼栗のやうな顔を見上げた。

「請取証を待つてるんです。」

印度人は厚い唇のなかから呟ぼやくやうに言つた。

「何だつて請取証なんかが要るんだね。」ロイプ氏は口を尖らした。「君は私があとからまたこの金を請求しやしないかとでも思つてるのかい。」

印度人は肩を聳そびやかして言つた。

「私は耶蘇信者なんです。いつかは屹度神様にお目に懸るでせうが、その折彼得ペテロは私を天国に上げる前にこの五十弗の請取証を見せろといふに定きまつてゐます。その折請取証が要るからといつて、まさか地獄のなかを捜し廻る訳にも往ゆきませんからね。」

「請取証を取るのに、何だつて地獄の中を捜し廻らなければならんのだね。」

ロイプ氏は不思議さうに訊いた。

「でも、貴方方がたが地獄に堕おちなくつて、誰が堕ちるんです。」

ロイプ氏は鉄瓶のやうに湯気を立てて怒り出したが、それでも請取証を書くには書いた。印度人はそれを持つてのつそり出て往つた。

米の廉売に寄附金を申し出た成金達よ、成るべくなら君達も請取証を取つて置いた方がよからう。さもないと、彼得ペテロが屹度ぐづ〱言ふに極きまつてゐるから。

寺内首相と蘭貢米ラングンまい8・20(夕)

独逸の鉄血宰相ビスマルクが、ある時ウイルレム老帝の御馳走になつた事があつた。その折の献立がどんなだつたかといふ事は、他人の食膳にあまり興味を持たない私の知らない事だが、唯一つその時卓子テーブルの上に載つかつてゐた酒が、三鞭酒シヤンペンしゆだつたのは、何よりもよく知つてゐる。

ビスマルクは自分の洋盃コツプに注つがれた三鞭酒に唇をやつた。その唇は自分の恋女房を接吻キツスする外には、いろんな国の外交官を相手に嘘ばかし言つてゐたが、それでも酒の味はよく判つたものだ。ビスマルクは一寸洋盃コツプの縁ふちを嘗なめると、その一刹那眉の上に太い皺をよせた。皺は低声こごゑで、

「不味まづい、何といふ不味い三鞭酒だらう。」

と呟ぼやいているらしかつた。

ビスマルクは太い手を伸ばして卓子テーブルの上に置かれた三鞭酒の壜を引き寄せた。こんなに不味くてゐて、平気で帝王の食卓に上のぼつてゐる酒壜が、どこの出来だか、一寸見て置きたかつたのだ。酒壜は白い手帛ハンケチで包くるんで、わざとレツテルを隠してあつた。ビスマルクは眼をあげて老帝の顔を見たが、その一刹那老帝が胡桃くるみのやうな真面目な顔をして、じつと宰相を見かへしてゐるのに気が注ついた。

「陛下、ちよつとお伺ひ致しますが、この三鞭酒はどこの産できでございます。」

ビスマルクは日本婦人のやうに安物の外套に包くるまつた酒壜をさしながら訊いた。

「どこのでもない。」と老帝はいつに似ぬ胡桃のやうな堅い調子で返辞した。「わが独逸国で出来たのだよ。」

「道理で、ひどく不味いと思ひました。」と、ビスマルクは独言ひとりごとのやうに言つて、英吉利生れの婦人をんなでも見るやうに、馬鹿にした眼つきでその酒壜を見た。

「不味いかも知れん。」老人は唇くちの端はたに心持微笑を浮べた。「だが、朕わしは愛国心で酒を飲むといふ事を知つとるからな。」

老帝の皮肉に宰相も黙つてはゐなかつた。

「あいにくと、私の愛国心は胃の腑の入いり口くちで停まつて居りますので。」

ビスマルクはかう言つて、胃の腑と愛国心との継ぎ目でも示すやうに、心もち椅子の上に反りながら両手で横よこつ腹ぱらを押へた。

頭のてツぺんから足の爪先きまで愛国心で固まつてゐる寺内首相は、無論その愛国心で飯を食べる事を知つてゐる筈だ。米高こめだかの当節、さういふ人には恰好の食物たべものがある。それは一升十五銭の蘭貢米である。

茶人と胃の腑8・25(夕)

むかし松平不昧ふまい公が、京都に上のぼつた時、ある日の事、茶人千宗左せんのそうさを訪れようとして、前もつてその由よしを通じておいた。宗左は相手が不昧公だといふので、色々趣巧を凝らした午餐ひるめしの用意などしておいた。――一体茶人の料理といふものは、味よりも趣巧のもので、趣巧さへ気に入つたら、お膳のものは言ふに及ばず、皿を食べ、椀を食べ、おまけに亭主役の禿頭を食べたつて、少しの差支もないのだ。

不昧公は千家へ往ゆく途中で、急にその日は大徳寺に宝物ほうもつの虫干むしぼしがある事を思ひ出した。

「さうだ、虫干を観みに往ゆかう、宗左へは帰かへり途みちにしたつて遅くはあるまい。」

と、不昧公は先きに大徳寺の方へ廻る事にした。虫干には色々珍らしい物があつたので、この風流大名は思はず時を過した。寺の門を出たのは午ひるも大分だいぶん過ぎてゐて、ぺこぺこになつた胃の腑のなかでは、先刻さつき虫干で見た呉道子ごどうしの観音さまや、一休和尚の木像やが空腹ひだるさうに欠伸あくびをしてゐた。

千家ではまた宗左が欠伸ばかりし続けてゐた。不昧公が着いたのは、欠伸が中ちゆうつ腹ぱらと変つてゐた時なので、前々から擬こらした饗応もてなしの趣巧も、すつかり台なしになつてゐた。亭主はお客を茶席へ通すと、薄茶を一服出しておいて、素知らぬ顔をしてゐた。腹の空いた大名は、次の室まの物音にじつと聴耳を立ててゐたが、別段膳部を用意するらしくもなかつた。

不昧公の胃の腑は深く宗左を怨うらんだ。これまで空腹すきばらといふ事を知らなかつた大名の頭脳あたまは、急に胃の腑の味方をして、何かしら復讐しかへしの趣巧を考へるらしかつた。

その翌る年、不昧公は江戸の邸やしきへ宗左を招いた。宗左は名高い大名の折角のお招きだといふので、出来るだけ供をたんと連れて、供には挟はさみ箱ばこや長刀なぎなたなどを担がせた。そして大威張りで海道筋を練り歩かせたものだ。

不昧公は江戸の邸やしきで遙はるかにその噂を聞き伝へた。胃の腑はいつぞやの復讐しかへしの時が来たのを思つて小躍りした。不昧公は用人ようにんを呼んで何か知ら言ひつけた。用人は急いで品川の宿しゆくまで出掛けて往つて、茶人の一行を待ち受ける事にした。

仰々しい宗左の行列が来かゝると、松平家の用人は螽斯ばつたのやうに表へ飛んで出た。そして不昧公からだといつて、大きな金包みを宗左の鼻先きに突きつけた。

「折角お招きは致したが、殿は俗腹ぞくばらのお点前てまへはもう厭になつたと仰おほせらるゝによつて、お気の毒ではござるが、こゝからお帰り下さるやうに。」

かう言つて、用人はさつと引揚げてしまつた。宗左は化ばかされたやうな眼つきでいつまでもその後姿を見つめてゐた。

何事も胃の腑から起きた事だ。胃の腑からはどんな事でも起きるものだ。

十六人の女房8・29(夕)

結婚といふものは、不思議なもので、一度で霊魂たましひまで黒焦くろこげにしてこり〱するのもあれば、性懲しやうこりもなく幾度いくたびか相手を更かへて平気でゐるのもある。ソロモンは一代のうち数へきれぬ程の女と縁を結んだといふが、あの通りの賢者の事だから、訊いてみたら色々面白い談話はなしを聞かせてくれたに相違ない。

仏蘭西のボルドオにジエエムス・ゲイといふ男が住むでゐた。何一つ立派な仕事は残さなかつたが、一代のうちに十六人の女房かないを持つたといふので、かなり世間の評判になる事が出来たのは飛んだ幸福しあはせであつた。

ある物好きの男が、ゲイに会つて訊いた事があつた。

「そんなにたんと奥さんをお持ちで、よく飽きませんでしたね。私などはたつた一人しか持ちませんが、それでも少し持ち過ぎたやうに思ふ事も度々たび〱ありますよ。」

すると、ゲイは急ににこにこして、

「滅相な。女は一人一人みな別物ですよ。一人で懲りたからと言つて、外の幾人いくたりもがさうだとは限りません。つまり女房かないをたんと持つのは、書物ほんをたんと読むと同じで、色々の智識を得るといふ事でさ。」

と答へたといふ事だ。

そのゲイ爺さんは百一歳の時、十六人目の女房かないに亡くなられて、こつそり十七人目の後添のちぞひを貰はうとしたが、親類縁者の者に留立とめだてされて、ぶつ〱呟ぼやきながら漸やうやく思ひとまつたといふ事だ。爺さんに取つてこれは面白い新刊小説を読み損ねた気持がしたに相違ない。

英吉利に十二人の女房かないと十三度結婚したといふ不思議な男がある。一番目の女房かないはその男を捨てて、若い恋人と駈落かけおちしたので、男は涙を流してその女の噂ばかりしてゐたが、程なく二度目の結婚をした。そして次ぎから次ぎへと結婚と葬式とを繰り返して、十一人目のお葬ひを出したのは、丁度八十四の夏だつた。それから爺さんは縹緻きりやうよしの寡婦ごけ婆ばあさんと結婚したが、実をいふとその婆さんは一番目の女房かないなので、婆さん自身は同じ男と二度目の結婚だとはよく知つてゐたが、爺さんは何なにも気づかないで、始終にこにこしてゐたさうだ。

蹠あしのうらと老人の結婚8・31(夕)

古い希臘ギリシヤの言伝へに、アンタイオスといふ力士がある。蹠が地面ぢべたにくつ附いてゐるうちは、どんな事があつても他人ひとに力負けはしなかつたといふが、さすが希臘人だけに蹠と地面ぢべたとを結びつけた解釈は偉いと言はなければならぬ。

リンカンといへば、気難きむつかしい顔をしてゐる癖に、戯談ぜうだんが大好きなので名高い政治家だが、ある時知合ひの国会議員が訪ねて来た時、あいにくと風邪をひき込んで鼻をつまらせてゐた。議員が気の毒さうに、

「お風邪ださうですね。この頃の寒さぢや全くやりきれませんからね。」

といふと、

「全く遣りきれません。」とリンカンは貧乏揺びんぼふゆるぎをしいしい、じつと自分の脚を見つめてゐたが、暫くすると心もち片脚を持ち上げて客に見せつけた。「この寒さぢや、私は誰よりも先きに風邪を引くだらうと思つてゐたのです、何だつて貴方、こんな大きな脚でせう、地面ぢべたにくつ着いてる所が人並よりずつと多いんですからね。」

世の中にはリンカンのやうに、蹠が大きいので風邪をひく人があるかも知れないが、それよりも多いのは禿頭から風邪をひく人である。だが、これは余り大きい声では言はない方がよい。さういふ人に限つて、

「なに、私のは脚から来た風邪ですよ。」

と、リンカン並みに、図外づはづれに大きな蹠を鼻先に突きつけようかも知れないから。

◇

最近匈牙利ハンガリーのブダペストで珍しい事件があつた。それはある寡婦ごけさんが自分に結婚を申し込んだ男を拒絶はねつけたから起きた事なので、男は当年取つて八十九歳の爺さんだつた。

爺さんは、寡婦ごけさんのすげない返事が悲しいと言つて、心の臓が干葡萄のやうに萎しなびるまで悄気しよげきつてゐたが、とうと身体からだを悪くして死んでしまつた。爺さんの言ふのでは、これまで女に申込むで、一度だつて撥はねつけられた事は無かつた。もしか今度の談はなしがうまく纏まとまれば、恰ちやうど十五度目の結婚になる訳だつたのださうだ。

気の毒な爺さんよ。失恋は爺さんにとつて綿入めんいりの外套のやうに、少し目方が重過ぎたやうだ。

名女優の冷笑9・1(夕)

劇しばゐは一人で出来るものでないから、俳優やくしや達の互の呼吸いきが合ふといふ事が何よりも大事である。先年道頓堀で仁左衛門と鴈治郎との顔合せ興行があつた。両優ふたりとも若盛りで人気を争つてゐる間柄だつた上に、出し物は仮名手本かなでほん忠臣蔵で、仁左が師直もろなほ、鴈が判官はんぐわんといふ役割なので、双方の贔屓々々は両桟敷に分れて、めいめい好きな俳優のために大袈裟な力添へをしたものだつた。

派手好きな鴈治郎は、刃傷にんじやうの場で思ひきり派手な往ゆき方をして舞台を巧く引ひつ浚さらへて往ゆかうと註文をつけてゐたらしかつた。で、火熨斗ひのしをあてた白襦袢しろしやつのやうに、真青に鯱子張しやちこばつて舞台へ出た。すると、案外なのは相手の仁左の師直で、これはまた糊気のりけのぬけた皮肉な、いつもの型とは打つて変つた冷い演やり方なので、鴈治郎の判官は刀へ手をかける事も出来ないで、大弱りに弱つてしまつた事があつた。

英吉利の名女優エレン・テリイがひと頃気難きむづかしやで聞えた或る男優と一緒に舞台に立つてゐた事があつた。男優は幕がすむと、例の気難かしい顔をして楽屋へ入るなり、エレン・テリイが大事の正念場だのに、自分の顔を見てにやにや笑ひ続けて居るので、舞台が懶だれて芝居が演しにくくて仕方が無いと言ひ出した。

「いやに名優面づらをして、人の舞台を見下みくだすやうな笑ひ方をしやがる。一度思おもふ様さま油を取つてやらなくつちや。」

で、到頭同じ劇場こやにゐる女優あてに手紙を書いて持たせてやつた。手紙にはこんな文句があつた。

「こんな事を申し上げるのは、全くお気の毒で堪りませんが、私は貴女あなたがいつも舞台で私の方を御覧になつて笑つてばかり居をられるので、芝居が仕しにくくて仕方がありません。あれでは全く打毀ぶちこはしです。どうかこれからは那処あすこが正念場だといふ事をお考へになつて、貴女の態度を変へていただきたいのです。」

エレン・テリイはその手紙を見たが、相変らずにやにや笑つてゐた。そして次ぎのやうな返事を書いた。

「それは貴方のお穿はき違ちがへですよ。私は舞台でなんか貴方の事をちつとも笑ひは致しません。笑ひたいんですけど、自宅うちへ帰るまで堪こらへてるんですよ。」

馬を煽あふぐ女9・2(夕)

市内の福島辺に動物好きの夫人が居る。この頃の日盛りに近所の問屋とひやへ荷役にやくに来る馬子まごが、荷馬にうまをその夫人の住居すまゐの格子戸に繋いでおく事がよくある。無学な馬は、無学な役人と同じやうに市民を蹴るものだといふ事を知つてゐる馬子は、馬の手綱を思ひきり短く結んでおく事を忘れない。

夫人はそれを見ると、直ぢきに飛んで出て来て、四辺あたりに馬子が居ないのを見ると、

「まあ、可哀かあいさうに。こんなに縛られてゐて、どんなにか苦しからうよ。さあさあ緩ゆつくり息をつくといい。」

と言ひながら、幾らか手綱を弛ゆるめてやる。身体からだの楽になつた馬は、すぐ人間を蹴る事を思ひ出すらしいが、自分を楽にしてくれた婦人の手前、さういふ乱暴な真似も出来ないので、おとなしく前脚まへあしで地面ぢべたを掻いて済ましてゐる。馬は若い大学生と同じやうに、婦人から恩を被きた場合に、取分け紳士の振舞をするものである。

夫人はそれからバケツに水を波々と掬くむで来て、馬の鼻先につきつける。馬は人間と同じやうに麺麭パンと水とだけでは生きられるものではない。ちよい〱枯草かれぐさをも食べなければならないが、枯草かれぐさの無い時には水だけでも辛抱出来るので、美味うまさうに舌打をして水を飲みはじめる。

やつと水の御馳走がすむと、夫人は今度は団扇うちはを持ち出して来て、馬の額際からそろそろ煽ぎ出すのだ。馬は見ず知らずの婦人からこんな手厚い饗応もてなしをうける自分の身の幸福しあはせを思ふて、ほれぼれと眼を細めながら、漢詩か川柳かの事でも思つてるらしい顔つきをしてゐる。何故といって「いって」はママ、人間のする色々の芸術のなかで軍人や馬にも出来さうなのは漢詩と川柳との外には無い筈だから。

一度こんな饗応もてなしを受けた馬は、その気持よさが忘れられないものか、今度そこを通りかゝる時には、どうかするとまた格子戸の前に立ちとまらうとする。しかし馬よりも悧巧なのは馬子で、馬がそんな事を忘れてゐる場合でも、馬子はきつとそれを思ひ出して極きまつたやうに馬を格子戸に繋いで往ゆかうとする。

夫人の談話はなしによると、馬一匹を煽ぐのは随分の手間ださうで、それだけの手間を厭いとはなかつたら、世の中の亭主は五人位涼しい目が出来るさうだ。だが、亭主を煽いで何の為にならう。少なくとも馬は亭主のやうに煽がれた上に、酒が欲しいとまでは言ひはしまひ。

米と住職9・5(夕)

前の月大阪市で米騒動が持上る少し前、それに気づいた市内のある米屋は、持米もちまいの大部分を檀那寺だんなでらに担ぎ込んで、その保管方かたを頼んだものだ。すると住持おつさんは魚と酒とで脂ぎつた顔をにこ〱させて、

「拙僧わしが預かつたからには大丈夫や、大船に乗つた気持でゐなはれ。」

と頭陀袋づだぶくろのやうな下したつ腹ぱらをわざ〱一つ叩いてみせた。米屋は安心して引下つた。

住持おつさんは庫裏くりでちびりちびり晩酌をやりながら、土間に積んだ米俵を見た。そして万一もしか米屋が頓死でもして、この米俵がそつくり自分の有ものになるのだつたら、こんな結構な事はないと思つた。その代りには米屋には他ひと一倍お経をたんと読んで菩提ぼだいを弔とむらつてやつてもいいと思つてるらしかつた。

暫くすると、住持おつさんは小僧を呼んだ。小僧は三人居て、三人とも変な歪形いびつな頭を持つてゐたが、呼ばれたので、素直に庫裏に集まつて来た。住持おつさんは町に米騒動の起つてる事を話して、預かつた米俵の一件は誰にも洩してはならない、よしんば本尊様の前であらうと、噯おくびにも出すのではない、本尊様は米屋よりも米を購かふ方の人達を大切がられるからといつて堅く口止めをした。

「そやけど、万一嗅ぎつけて米を取りにでも来たら……」と住持おつさんは蟹のやうな赤い顔を撫でまはした。「その折は拙僧わしが説教してやる分のこつちや。なんぼ一揆やかて拙僧わしの説教聴いたら納まるに極きまつとる。」

小僧達は感心したやうに、めい〱歪形いびつな頭を下げた。

さういふ口の下から、急に山門の方に騒々しい物音がして貧しい人達が入つて来た。米屋の小僧の口から預け先が洩れたので、皆は米を取り返しに来たのだ。

「やい生腥坊主なまぐさばうず、これは何だ、出すぎた真似をすると承知せんぞ。」

先頭さきに立つた片眼めつかちの男が、庭の米俵を指しながら、かういふと、後あとに続いた人達はわいわい喚わめき囃はやした。

見ると、住持おつさんは畳の上に蜘蛛のやうに平べつたくなつて、口のなかで、小声で本尊様のお名を唱へてゐる。三人の小僧は慌てて住持おつさんの真似をして、歪形いびつな頭を下げた。

暫くすると、四辺あたりが静かになつたので、小僧達はひよつくり頭を上げた。土間には人影も米俵も見えなくなつてゐたが、住持おつさんは相変らず蜘蛛のやうに平べつたくなつてゐる。小僧の一人が名を呼ぶと、住持おつさんは恐る〱頭を上げた。そしてきよろ〱四辺あたりを見まはしてゐたが、土間に誰一人ゐないのに気がつくと、

「もう誰も居ゐくさらんのか、ほんまに無茶しよるがな。」

と噛みつくやうに言つて、急に低声こごゑになつて小僧達の顔を見た。

「そやけど、拙僧わしがお辞儀しとつた事、誰にも言ひなはんなや。言ふと見つともないよつてな。」

露伴氏と鱸すゞき9・11(夕)

米国の飛行家パタアソン氏の郵便飛行用飛行機の製作者ゴウハム氏の阿爺おやぢさんは、米国でも指折りの釣りの名人ださうで、日本へ来る早々日光の中禅寺湖へ鱒釣に出かけて往つた。中禅寺では夏のうちは鱒は釣れない事になつてゐるのを、この阿爺おやぢさんは綸いとを垂れるが早いか、十五六尾ぴきの鱒を釣りあげたので、土地ところの漁師を吃驚びつくりさせてしまつた。

幸田露伴氏は、魚釣うをつりにかけては海内かいだい第一を以て自任してゐる人である。尤も露伴氏の言葉に従ふと、魚釣うをつりも上手になると、すべて専門的になるもので、氏は今では鱸の外は滅多に釣らうとはしない。(この事は人間よりも魚の方によく披露しておき度いものだ。もしか鮎や、鰻のやうな無益やくざな魚が、ひよつくり鉤はりにかからうものなら、露伴氏は腹立紛れに鰻よりもずつと長い詩を作るかも知れない。すると差し当り困るのは、魚よりも人間の方なのだから。)

露伴氏が或時利根川へ魚釣うをつりに出掛けた事があつた。とある河隈かはくまへ来ると、氏はそこに立停つた。そして通りかゝりの漁師を呼びとめて訊いた。

「こゝでは鱸が釣れるだらうね。」

「鱸?」漁師は喫のみさしの煙管きせるを惜しさうに唇から外した。「こんな所で鱸が釣れて溜るもんかい。」

「さうか鱸は釣れないか。」

と独語ひとりごとのやうに言つてゐた氏は、そこへ腰を下すなり、予かねて用意しておいた鉤をおろした。

露伴氏は一時間ばかし色々工夫を凝らしてゐたが、それから暫くすると素晴しく大きな鱸を釣りあげた。実をいふと、氏はその日川の容子ようすを見に出掛けたので、魚籠びくの用意だけはしてゐなかつた。で、兵児へこ帯を縦に割さいて魚うをの鰓あぎとを引ひつ括くゝつて、その儘水に游およがせておいた。

鱸は次から次へと釣り上げられて、兵児帯はだんだん短くなつて往つた。日はとつぷり暮れて、四辺あたりは闇になつてゐた。その闇のなかを鼻唄で帰つて来たのは、昼間の漁師だつた。漁師は暗闇のなかに木の株のやうに蹲踞かいつくばつてゐる男を覗き込んだ。

「何だ、昼間逢つたお客ぢやねえか、お前釣りをしてるんだね。」

「うむ釣りをしてるよ。」

露伴氏は見向きもしないで言つた。

「何か釣れるだかね。」漁師は鼻の先でせゝら笑つた。

「こんなものが釣れたよ。」

露伴氏は片手で水に浸ひたした兵児帯を引張りあげた。大きな鱸が幾尾いくひきかぴち〱跳ねながら揚あがつて来た。

「や、鱸だな。」星明りに透してみた漁師は、口を尖らして怒鳴つた。「こんな物を釣りやがつて、俺達の漁場れうばを荒しやがるんだね。」

露伴氏は鱸を釣る術すべも知らないで、大口を利く漁師をたしなめた。そして丁寧に鱸の釣りの法を教へて帰つて来た。

独身主義者9・13(夕)

哲学者狩野亨吉かうきち氏は今だに独身で居る。それを不思議がつてゐる或る男が、露むきつけに狩野氏に訊いた事があつた。

「先生、何だつて貴方はそんなに独身を立て通していらつしやるんですね。」

哲学者が独身で居ようと、郵便箱がひとりぼつちで居ようと、そんな事は何どうでもよかりさうなものだが、それを問題にしたところを見ると、訊き手は余程結婚といふものが好きな男に相違なかつた。

狩野氏はにやりと唇くちを歪めて笑つた。

「別に理由わけはないがね、唯真理を研究するのに忙しいもんだから、結婚する閑ひまが無かつたんだね。」

大変結構な心意気だが、しかし狩野氏がそれ程までに忙がしぶりをして捜してゐる真理といふものも、実際手に取つて見れば、結婚同様案外下らない物かも知れない。

アメリカにジオウジ・エエドといふ文士がゐる。狩野氏のやうに血眼になつて真理を捜してゐるか、何どうかは知らないが、狩野氏同様に独身主義者である。そのエエド氏がある時知り合ひの結婚式に饗よばれて列席した事があつた。

側そばにゐた近眼ちかめの某ある夫人は、エエド氏の顔を眼鏡越しにじろりと見ながら言つた。

「エエドさん、貴方は今だにお独りでゐらつしやいますが、御結婚なさるよりもその方が道徳的だと思つてらつしやるんですか。」

「いえ、何どう仕つかまつりまして。」独身文士は皮肉な眼つきで夫人を見かへした。「私の経験によりますと、独身でゐる男は、結婚した男よりも確たしかに人が悪いやうですね。」

「貴方もさう思つてらしつて、まあ、皆さん、お聞きなすつて、今のを。」

近眼ちかめの夫人は、勝ち誇つたやうに、居合はす夫人達の顔を見比べた、皆は急に蝋燭をともしたやうに明るい晴れやかな表情をした。

「エエドさん。」と一番年嵩としかさらしい婦人が呼びかけた。「貴方がそれ迄に懺悔ざんげなさいますには、何か理由わけがお有りでせう、聞かせて戴けないこと……」

「お安い御用です。」エエド氏は洋盃こつぷの飲みものに一寸唇をあてながら言つた。「何故といつて、奥さん、女房持ちの男が怖こはがるのは、たつた一人の女ですが、独身者ひとりものは女全体を恐ろしがるんですからね。」

名人の汗9・14(夕)

十二日から道頓堀の浪花なには座に名人会といふのが開かれてゐる。長唄の孝次郎かうじらう、勝四郎、常磐津ときはづの和佐わさ、清元の家内やな、舞踊をどりの鹿島かしま恵津子――どれを見ても、格別名人らしい顔触でないのが愛嬌である。

お隣の中なか座には、切きりの奴道成寺やつこどうじやうじに長唄では山左衛門さんざゑもん、伊十郎、常磐津では松尾太夫が勤めてゐる。浪花座のに比べると、大分だいぶん顔触が光つてゐるだけに、件くだんの名人達も流石に気がさしてならない。で、興行の前の晩打揃つて中座の楽屋を訪問したものだ。

山左衛門と伊十郎とは差向ひで、自分達の幼馴染の噂でもするやうな調子で、弁慶や椀久わんきうの話をしてゐたが、入つて来た客人の顔触を見ると、態わざと慌てて蒲団を滑り下りた。

「これは〱、現代の名人方でゐらつしやいますか、知らない事とてお出迎へにもあがりませず、平ひらに、平に……」

山左衛門と伊十郎とは蠅のやうに畳にへばり着いてお辞儀をした。名人達は部屋の入口いりくちにぺたりと坐つたまゝ、桜桃のやうに真つ赤になつた。

「どうぞ、それだけは言はないで置いて下さい、拝みます〱。」

と言ひ合はせたやうに掌てを合はせて拝む真似をした。見ると、名人達の額は汗でぐつしより濡れてゐた。

ミイシヤ・エルマンといへば露西亜生れの名高い提琴ヴアイオリン弾ひきである。ある時同じ露西亜生れのヤアシヤ・ハイフエツツといふ名高い少年提琴手ヴアイオリニストの独奏会が紐育ニユーヨークのある楽堂ホオルで催されたので、友達のレオポルド・ゴドヰスキといふ洋琴ピアノ弾ひきと一緒に聴きに往つた事があつた。

少年音楽家の演奏は、実際素晴しいものであつた。霊魂の底まで攪かき乱された聴衆は、曲が済むと浪のやうな喝采を浴びせかけた。そのなかでエルマン一人にんは真青な顔をして石のやうに黙りこくつてゐた。

暫くすると、二度目の演奏が始まつた。前にも立優たちまさつた出来で、聴衆ききては唯もう夢中になつて手を拍うつて驚嘆した。その取とり逆のぼせた容子ようすを見てゐたエルマンは、懐中ポケツトからハンケチを取り出して、そつと額の汗を拭いた。そして小声で側そばにゐる洋琴手ピアニストのゴドヰスキに耳打ちをした。

「今夜は馬鹿に蒸むすやうだね、君はさうは思はない?」

「いや、何ともないよ。」人の悪いゴドヰスキは汗ばんだ友達の顔を見ながら言つた。「僕はピアニストなんだからね。」

麺麭パン9・16(夕)

地中海へ日本の艦隊が出征するにつけて、西伯利シベリアの奥深く日本の陸軍が入込いりこむにつけて、何よりも困るのは日本人に附き物の食糧品の輸送である。馬に大麦が要る如く、日本人は米と味噌と沢庵漬とが無かつたら、何一つ善い事の出来ない国民である。况まして悪い事など出来よう筈がない。

先日このあひだも某方面から帰つて来たある海軍将校などは、

「こんな事では、欧羅巴ヨーロツパの檜舞台で目ざましい働きが出来ようとも思はれない。吾々が何を食ふべきかは実際大問題だ。」

と、べそを掻くやうな声で訴へてゐたが、それでも談話はなしが済むと今不足を言つたばかしの口を、鼠のやうに窄つぼめて、美味うまさうに味噌汁を啜すゝつてゐたといふ事だ。

まだるつこい飯なぞ食つてゐては、迚とても戦争いくさは出来ないといふ事に誰よりも早く気がついたのは、幕末の江川太郎左衛門であつた。太郎左衛門はさういふ考へから、自分でも女学生のやうな手つきをして麺麭を焼いたが、どうも巧く往ゆかないと見えて、態々わざ〱高島秋帆しうはんに頼むで、麺麭の製法を和蘭オランダの書物から訳して貰つた事があつた。和蘭の書物には麺麭の焼き方から天国の事まで何一つ書いてない事はなかつた。

幸田露伴氏が昼弁当改善の目的で麺麭屋を始めた事があつた。相手に選ばれたのは、門下生の田村松魚しようぎよ氏で、松魚氏は言ふ迄もなく、田村俊子女史の別れぬ前の御亭主である。歴史的にいふと、松魚氏は師匠の露伴氏とは麺麭を焼き、俊子女史と一緒になつてからは焼餅を焼いた事になる。

凝り性の露伴氏の事だから、新式の機械など買ひ込んで、弟子と二人で汗みづくになつて麺麭を焼いたものだ。麺麭は小説の弟子を仕立てると同じやうに、初めの間は真つ黒に焦げたり生焼なまやけになつたりしたが、暫く経つと相当かなりの物が出来だした。

松魚氏はそれを籠に盛つて、かねて露伴氏と縁故のある金港堂や博文館の編輯へんしふ局へ売りに往つた。編輯局には、麺麭でも石塊いしころでも同じやうにうまく食べる事の出来る連中がどつさり居た。

「うまい。なか〱よく焼けてゐる。これから昼飯ひるめしにはいつもこれと極きめて置かう。」

といつたやうな調子で、麺麭は直ぐに売り切れてしまつた。だが、五日六日と経つうちに、麺麭の出来に苦情が多くなつて、註文はだんだん減つて往つた。そして、いつも変らぬ常得意じやうとくいは月末になつて、少しも麺麭代を払はなかつた。

おかげで、露伴氏の麺麭屋は潰れてしまつた。

魚を食ふ人9・19(夕)

天龍寺の峨山がざん和尚が、ある時食後の腹ごなしに境内の池の畔ほとりをぶらぶらしてゐた事があつた。池には肥えふとつた緋鯉だの、真鯉だのが、面白さうに、戯ふざけあつて、時々水の上へ躍り上るやうな事さへあつた。

峨山和尚は立ちどまつて池のなかを覗き込んだ。世捨人の和尚の身にとつても、納所なつしよ坊主の他愛もないお談義を聴いてゐるよりか、鯉の戯けるのを見てゐる方がずつと面白かつた。和尚は夢中になつて凝じつと見とれてゐた。すると、だしぬけに後から、

「和尚さん。」

と呼ぶ声が聞えた。

和尚は後方うしろを振向いてみた。そこには近所の悪戯いたづらつ児こが一人衝立つゝたつてゐた。

「和尚さん、あの鯉一尾ぴきわてにお呉くなはんか。」

子供は今和尚の目の前へ筋斗とんぼがへりをした大きな鯉を指ざしながら言つた。

「ならん〱。」和尚は木の株のやうな頭をふつた。「この鯉はみんな飼つたるのやさかいな。」

「そない言はんと、一尾ぴきだけお呉くなはんか、和尚さん。」

子供は嬌あまえたやうに和尚の袖を引張つた。和尚は笑ひ〱袖を引き離した。

「いや、ならん〱。鯉を捕とるのは殺生やよつてな。」

子供はわざと戯けたやうに、指先で和尚を突つゝつく真似をした。

「そない言うたかて、和尚さん、自分でこつそり捕つとる癖に。」

和尚は眼を円くして子供の顔を見入つたが、流石に何どうと言ひ解くわけにも往ゆかなかつた。

ベンジヤミン・フランクリンは僧侶ばうさんのやうに菜食主義で暫く押し通して来たが、ある時何かの折に魚を料れうつてゐた事があつた。すると、その魚の腹から小魚が二三尾び出て来た。

「何だ、魚め、仲間同士で友喰ともぐひをやつてるんだね。」フランクリンは腹の底から吃驚びつくりしてしまつた。「そんなら、何も遠慮するんではなかつたつけ。」

それからといふもの、フランクリンはふつつり菜食主義を止やめて、魚を食べ出した。そして鰹かつをのやうに肥り出した。

地獄の住民9・20(夕)

英国の首相ロイド・ジヨウジ氏は、あの通りてきぱきと物を運ぶ人だけに、どうかすると他ひとに憎まれ易い。今英国政治家で敵をたんと持つてゐる人と言つたら、氏などはその随一人に相違ない。自分でもこの辺の消息はよく知りぬいて居ると見えて、ある時こんな事を言つた事があつた。

「泳ぎの達者な男が河かはツ縁ぷちをぶら〱してゐると、水に溺れかゝつた者の泣き声が聞えるのだ。その男はいきなり河に飛び込んで其奴そいつを助けてやつた。助けたのはかくいふロイド・ジヨウジぢやないか。それを今更自分を突き落さうなんてあまり酷ひどい。」

聞いてみると少し酷いやうなところもある。

今度の戦争前ぜん、このロイド・ジヨウジ氏が田舎へ往つて政治演説をしてゐた事があつた。地方自治の事か何かで、氏は例の白熱のやうな雄弁で、自治は愛蘭アイルランドにも、自治は蘇格蘭スコツトランドにも、自治は威耳斯ヱールスにも許さなければならないと言つて、勢ひ込んでとんと卓子テーブルを一つ叩どやしつけた。

「賛成! ついでに地獄にも自治が一つ欲しいや。」

聴衆のなかから、冷ひやかしが猿のやうなきい〱声で突つ走つた。

「大きにさうだ。地獄にも自治が要るに相違ない。」ロイド・ジヨウジ氏は声のした方を振り向きながら、落つき払つて言つた。「誰もが自分の住んでる国に自治を欲しがるに相違ないんだから。」

聴衆きゝてはそれを聞くと、どつと一度に笑ひ出した。可哀かあいさうに冷かしを言つた男は地獄の住民にされてしまつたのだ。

博士と蛙9・23(夕)

京都大学から欧米漫遊を命いひつけられて、今米国に居る筈の内田銀蔵博士は、例のきちやうめんな性質たちから、今度の旅行前ぜんに、手帳を幾冊か購かひ込むで、自分が往つて見たいと思つてる土地ところの、道程みちのりから汽車汽船の都合までこま〲と書き記したものだ。ところが、その文句が歴史家だけに恐ろしく古風に出来てゐるといふ事だ。

その内田博士が、ある時京都の洗湯せんたうへ出掛けて往つて湯槽ゆぶねのなかで泳ぎ廻つてゐた事があつた。博士は大学の次ぎには、湯屋が好きだが、湯に入つて附近あたりに人が居ないのに気がつくと、定きまつてお玉杓子たまじやくしの様な恰好をして、湯の中を泳ぎ廻る。

その日もいゝ気持になつて、ちやぷ〱やつてゐると、不意だしぬけに湯気の籠こもつた片隅から大声で喚わめいた者があつた。

「おい、お玉杓子、ちつと気をつけたら何どうだい、こゝは溝どぶの中とは違ふんだからね。」

博士はお玉杓子のやうな頭を上げて声のする方を見た。湯気が濛々と籠つたなかに、若い男が一人、蟹のやうに片手をあげて此方こちらを睨にらむでゐた。

博士は慌てて湯槽ゆぶねから飛び上つた。そして流し場へきちやうめんに坐つて手をついた。その恰好が蛙に生写いきうつしだつた。――歴史の大家の恰好が、蛙に生写しだからと言つて、どうか蛙も怒らぬやうにして欲しい。大きい声では言へないが、歴史といふものは間違だらけで、加之おまけに下らない学問だが、さうかといつて歴史の間違だらけで、下らないといふ事を知るには歴史をやつてみるより他には仕方がない。この意味に於て歴史の大家は、詩人の蛙と共にどちらも尊敬すべき紳士である。

「どうも相済みません、貴方様がおいでになつてゐるとは一向気がつかなかつたものでございますから。」

博士は裸体はだかのまゝ、叮嚀にお辞儀をした。そして頭を上げて向うを見ると、相手はいつの間にやら消えてなくなつてゐた。――実をいふと、相手は博士の講義を聴いてゐる学生の一人にんで、お玉杓子が誰だつたかと気がつくと、博士に気取けどられぬやうにこつそり逃げ出してゐたのだつた。

鼠と罰金9・26(夕)

文学博士芳賀矢一氏は、酔つ払つてよくいろんな失敗しくじりをする。尤も芳賀氏の説によると、それは酒のさせる業わざで、芳賀氏自身の知つた事では無いさうである。さもありさうな事で、酒は酒飲み自身の知らない色々な善い事をするものだから、少し位悪い失敗しくじりがあつたつて少しの差支もない。

ある夜芳賀氏は、例いつものやうに酔つ払つて家に帰りかかつてゐた。氏は国文学者だけに、きつい西洋酒に食べ酔つた時でも、頭のなかでは紀貫之や、本居宣長や、動詞の下二段の働きやを、自分の友達か何ぞのやうに考へてゐるらしかつた。暫くすると、氏は小便がしたくなつたのに気がついた。ソクラテスが説教をするのに大道だいどうを選むだやうに、酔ツ払ひは尿しゝをするのに、それ〲恰好な場所を知つてゐる。

「誰だ、そんな所で無作法な真似をして。」

だしぬけに眼の前で怒鳴つた者があるので、芳賀氏は紀貫之にでも出会つたやうに、身繕みづくろひをしてとろんこの眼を見はつた。相手は交番の巡査だつた。土佐日記の著者や、水のなかの蛙かはづに比べたら少しばかり詩才に欠けてゐる男の一人だつた。

芳賀氏は罰金二十銭を言ひつかつた。二十銭は博士にとつて堪へられぬ程の負担であつた。何故といつて、芳賀氏はその晩財嚢ざいなうには何一つ持ち合せてゐなかつたのだから。氏は名刺を取り出して、自分はかういふ者だ、明日の朝まで待つて欲しいと言つて、漸やつと巡査を納得させる事が出来た。

克明な巡査は、夜が明けると、態々わざ〱芳賀氏の玄関まで罰金を受取りに出掛けて往つた。氏は夫人の財布から二十銭銀貨を一枚借り出したが、それを渡さうとすると、肥大婦ふとつちよの下女がどうしても言ふ事を肯きかなかつた。

下女の言ひ分はかうである。――自分はいつも鼠を捕とる度に、交番へ持つて往つて、あの巡査に渡すが、一度だつて金を受取つた事はない。それを思へば檀那様の一度の小便位は黙つて見逃してもいゝ筈だといふのだ。

巡査も理由わけを聞いてみると達たつて罰金を取らうとも言へなかつた。で、一寸帽子に手をやつた。そして、

「さやうなら。」

と言つて帰つて往つた。「さやうなら」といふのは、困つた者に取つて一番都合のいゝ言葉である。

国旗に接吻きつす9・27(夕)

亜米利加では、方々で今盛さかんに遣欧軍隊の調練をやつてゐる。先日こなひだもボストンの市街まちを大勢の軍隊が業々げふ〱しく練り歩いた。すると、両側の家々の窓からは、国旗が数知らずさし出されて、拍手の音が嵐のやうに落ちて来た。

この時、市街を通りかゝつた、英吉利のある貴婦人があつた。ひどい亜米利加嫌ひで、亜米利加のものとさへ言へば、何一つ好よい顔を見せなかつたが、その日も家々の窓からぶら下つた米国の国旗を見ると、すぐ顔を歪めた。そして憤々ぶつ〱して連つれの女をふり向いた。

「妾わたし亜米利加の旗を見ると胸が悪くなつてよ。星だの条すぢだの、けばけばしいつたら有りやしない、全まるで有平糖のお菓子チエツカベリイ・キヤンデイのやうよ。」

婦人はかう言つて、ほんとうに胃が悪くなつたやうに唾を吐いた。

直ぐ側そばに立つてゐたのは、上院議員のロツヂ氏だつた。婦人の声が余り高かつたので言つた事は筒ぬけにこの上院議員の耳に入つた。

「それはお気の毒さまですね、奥さん。」ロツヂ氏は婦人の方にふり向いて叮嚀にお辞儀をした。「だが、胸が悪くおなりになるといふのは、貴方があまり有平糖キヤンデイをお嘗なめ過ぎになつたからでせうよ、接吻きつす位で御辛抱になつたらどんなものです。」

英国生れの貴婦人は真赤になつて上院議員を睨ねめつけた。そして嫌ひな亜米利加でも、一番嫌ひな男とでも思つたらしかつた。

大臣の顔触9・30(夕)

いよ〱原氏が内閣を組織そしよくした。閣員の顔触もやつと定きまつた。政友会の領袖で、この顔触に洩れた人達は、

「原の白髪しらが頭め、俺の事を忘れとるのか知ら。かう見えても俺だつて立派な大臣級だ。」

と内々ない〱呟ぼやいてゐまいものでもない。

原敬氏がこの自惚うぬぼれを、どんな塩梅あんばいに取扱ふかは見物みものである。これを巧く利用したものに徳川家康がゐる。ある時何かの席で、福島正則が家康にお追従ついしようを言つた事があつた。あの武骨者にお追従がと不思議がる人があるかも知れないが、武骨者はよくお追従を言ふものである。

「数多い御家来衆のなかで、井伊氏と本多氏と榊原氏とは実に天晴あつぱれの武勇で、この三人こそは御当家の重宝ちようほうかと存じまする。」

正則はかう言つて獣けもののやうな眼まなこをして家康の顔を見た。家康はその折もいつものやうに態わざとらしくにこにこしてゐる。

「さうぢや、右の三人は無論傑すぐれては居るが」家康はいつもの癖で、硬こはばつた掌面てのひらで軽く膝頭を叩いた。「しかし当家の重宝ぢゆうほうといへば、強あながちこの三人には限らぬ、少し見積つても先づ十人はあるぞ。」

「なに、十人と仰せられまするか。」正則は吃驚びつくりしたやうに獣のやうな眼を一杯に睜みひらいた。

「うむ、確たしかに十人はある。」

家康はその十人を革財布にしまつて、懐中ふところに捻ぢ込むででもあるやうに、きつぱりと言つた。

「すりや、残あとの七人は誰々たれ〲でござりまするな。」

正則は木の株のやうな岩丈な膝を乗り出して来た。家康は狡こすさうな眼つきで、ちらと正則の容子ようすを見てゐたやうだつたが、だしぬけに、

「はははは……」

と大声をあげて笑つた。正則は何が何だか分らないで、馬のやうに鼻面をくしやくしやさせた。

家康の狸爺たぬきおやぢめ、十人と言つて置けば、数多い家来達がいつかそれを聞き伝へて、

「あとの七人は誰々だれ〱だらう――俺もその一人かな。」と、めい〱で屹度武勇を励むやうになるだらうといふので、態わざとかうした人喜ばせを言つたのである。

原敬氏に教へる。人が大臣選定の苦心でも訊いたなら、態と顔をしかめて、

「さうだな。今度ほど困つた事はなかつた。何なんしろ政友会には大臣級の人物がざつと四十七人もあるのだからね。」

と、言つておく事だ。四十七は赤穂義士の数すうでもあり、いろは文字の数すうでもある。その通俗な事にかけては、馬鹿者の多い政党員にとつて、何よりも分り易い数字である。

中橋新文部10・1(夕)

無茶苦茶な世の中に生きてゆく必要から、自分は余り物事に心を動かさないやうに腹を据ゑてゐるが、それでも今度の新内閣の顔触に、中橋徳五郎氏の文部大臣を見た時には、急に可笑をかしくなつて弾はじけるやうに笑ひたくなつた。

「余り笑つちや可いかん。自分は心臓が弱いんだし、それに世の中の事だ、さう〱笑ひきれる訳のものぢやない。」

と、擬じつと横よこつ腹ぱらを押へてみたが、矢やつ張ぱり可笑しくて堪らなかつた。新聞で見ると、国民党の犬養さんも吹き出したさうだし、京都大学の織田博士も笑つてゐる。真面目な仁保にほ博士などは、

「これでは皆目見当がつかない。」

と狸につままれたやうな顔をしてゐる。

先年亜米利加の前国務卿ブライアン氏が、西合衆国のある神学校に招かれて講演に出掛けた事があつた。聞えた政治家だし、おまけに素晴しい雄弁家の事だから、どんな講演をするだらうと、学校の当局者は興味をもつて期待してゐた。

ところが、当日になつて、講演の題目を聞くと、皆は急にうろたへ出した。題目といふのは「学校教育における体育の必要」といふのだつた。実をいふと、その神学校は余り体育といふ事に力を入れてゐなかつたのだ。

ブライアン氏が控室に入ると、校長は恐る〱出てお辞儀をした。

「今日こんにちは結構な御演題で、聴衆一同多大な期待をもつて居るやうでございます。で、閣下の仰おほせられまする体育と申しますのは……」

「演説の事です。」ブライアン氏は気けもなく言ひ切つた。「演説は何よりも身体からだの薬になります。」

新文部大臣中橋氏に教へる。学校で訓示演説でもする事があつたら、ブライアン氏並に駄法螺だぼらと豪傑笑ひの効能でも述べ立てて、

「どちらでも身体からだの薬になるから。」

とでも言つておく事さ。

温室10・3(夕)

温室は言ふまでもなく植物を育てあげる場所だが、さうかといつて、外にも色々いゝ役目をしない事もない。差し当りこの殺風景な世の中で、恋をするのに一番恰好な場所はと訊かれたら、おほつぴらには言はれないが、自分はそつと耳打をして、

「温室だよ。」

と教へてやる積りである。こんな事を無代たゞで見ず知らずの他人に聞かせるのは惜しいやうなものだが、何事も親切にしなければならぬ世間だから。

名は忘れたが、亜米利加で名高い女優に、妙齢としごろの娘を一人持つたのがある。――女優だからといつて、娘を産んではならぬといふ法はない。女優が亭主持になると、人気が衰へはしまいかと気遣ふのは詰らぬことで、女優はどんな境涯にゐても、自分を美と蠱惑こわくの幻像まぼろしだといふ覚悟を忘れてはならぬ。

その女優が、ある時娘を連れて舞踏会に往つた事があつた。会が果てての帰かへり途みちに、母親は車のなかでそれとなく娘に訊たづねた。

「お前今日ウイリングさんと温室に長らく入つてたやうだね。さうでせう。」

「ええ、入つてたわ。あたし自分ではそんなに長らくとも思はなかつたけど……阿母おつかさん見てらしつたの。」

娘は平気な顔をして言つた。

「何をしてたのだい。え、何を……」

阿母様おつかさんの女優は胡散うさんさうな顔をしてじつと娘を見た。

「そんなに怖い目して見るのは厭!」娘は嬌あまえたやうに頭かぶりをふつた。「ねえ、阿母おつかさん、阿母おつかさんも結婚前ぜんに宅うちの阿父おとうさんと一緒に温室に入つた事があつて。」

「何故そんな事を訊くの。」

母親は少しうろたへ気味だつたが、いつもの舞台度胸で何食はぬ顔をしてゐた。

「さう言へば、そんな事もあつたやうだね、それが何どうかしたの。」

「さう。阿母おつかさんも有つたの。」娘は護謨ごむ人形のやうに急に母親に飛びついた。「やつぱり往時むかしも今も同じだわねえ。」

ほんとにさうだ。往時むかしも今も変りはない。阿母おつかさんに天国だつたところが、娘に地獄でありやうがない。

芥川氏の悪戯いたづら10・4(夕)

小説家芥川龍之助りゆうのすけ氏は三田文学の先月号に『奉教人の死』といふ短篇小説を書いた。そしてこの小説は自分が秘蔵してゐる長崎耶蘇教会出版の『れげんだ・おれあ』といふ西教徒せいけうとが勇猛精進の事蹟を書きとめた稀覯書きこうしよから材料を取つたものだ。この書物は上下二巻美濃紙摺みのがみずり六十頁ページ、草書体交まじりの平仮名文ひらかなぶんで、上巻の扉には羅甸ラテン字で書名を横に書き、その下に漢字で、

「御出世以来千五百九十六年

慶長元年三月上旬鏤刻るこく也」

の二行が縦書にしてある。序文じよのぶんは間々まゝ欧文を直訳したかのやうな語法を交へ、一見して伴天連ばてれんたる西人せいじんの手になつたものだらうと思はれるやうな所があると断り書まで添へたものだ。

これを読んで一番に物好きの眼を光らせたのは、丸善の内田魯庵氏だつた。魯庵氏は人に知られた珍書通だけに、自分が今日までこの書物の存在を知らなかつたのを何よりも恥しい事に思つて、掌面てのひらでそつと禿げ上つた額を撫でた。

「れげんだ・おれあ――名前からして珍らしい書物ほんだ、是非一つ借りて見なくつちや。」

魯庵氏は直ぐ芥川氏あてに手紙を書いて、その珍本の借覧を申込むだ。

芥川氏はその手紙を開あけて見た。そしてにやりと皮肉な笑ひを洩もらしてゐると、丁度そこへ東洋精芸会社の社長某氏の手紙を持つた若い男が訪ねて来た。その手紙によると、三田文学で御紹介になつた『れげんだ・おれあ』、あれは珍しい書物だと思ふから、上下揃つて三四百円で譲つては呉れまいかといふ頼みなのだ。

芥川氏は雀の巣の様にくしや〱した頭の毛を掻きながら、若い男に言つた。

「この本だと、今丸善の内田さんからも借覧を申込まれては居るが、さういふ達たつての御希望なら、お譲りしてもいゝんだが……」

「それぢや何どうかさういふ御都合に――」若い男は刈立かりたての頭を叮嚀に下げた。「社長もどんなにか喜ぶでせう。」

芥川氏は当惑さうに手を拱くんだ。

「ところが、あいにくその本が手許てもとに無いんだ。」

「誰れかにお取り替へにでもなりましたんで。」

「いや、そんな本は僕も読んだ事が無いし、また誰一人見た事はあるまいと思ふんだ。」芥川氏はかう言つてくすくす笑ひ出した。「君あんな本が有る筈がないぢやないか、あれは唯僕の悪戯いたづらだよ。」

「悪戯いたづらなんですか、それぢや偽書といふ訳ですね。」

若い男は呆つ気にとられた顔をした。芥川氏はその一刹那、若い男の懐中ふところで百円札が幾枚か南京虫のやうに身を縮かめてゐるやうに思つた。

法隆寺の覆蔵10・6(夕)

米国の保険学者某博士の書いた書物に、「世界で保険の一番古くあつた国は日本で、大和の法隆寺といふお寺へ往ゆけば、今だにそれが残つてゐる。」といふ文句が載つてゐる。

東京大学のある教授で、西洋人の書いた書物から、しよつちゆう自分の生れた国の事を習ひ覚えてゐる若い学者がそれを読むだ。この学者は、西洋の書物にもしか優良な人種には臍が二つあるといふ文句でもあらうものなら、そつと自分のお腹を捜さぐつてみて、猿のやうに顔を赧あかくする程真理に忠実な人である。

「ふむ、さうか。日本にそんなに古くから保険があつたとは知らなかつた。何といつても矢つ張り古い国だからなあ。」

大学教授は鼻を鳴らして感心した。そして何といふ善いい国だらうと思つて、窓から庭を見た。庭には蝦蟇ひきがへるが一つ一昨年をとどしの事か何かを考へてゐた。

「さうだ。蝦蟇ひきがへるがゐる、山椒魚さんせううをがゐる。蒲鉾かまぼこがゐる。みんな古くから日本にゐるのだ。」

大学教授はこんな結構な材料のある国で学者となつた自分の身の幸福しあはせを思つたが、それにしてもそんな古い保険が法隆寺のどこに残つてゐるのだらうか、少しも知らなかつた。

大学教授は、かねて顔馴染の奈良の女子高等師範にゐる水木要太郎氏に手紙を書いて訊きにやつた。水木氏は大和にある仏の名前と妓をんなの顔とをみんな知り抜いてゐる程の物識ものしりである。手紙を読んだ一刹那、水木氏は、

「てつきり、金堂こんだうの覆蔵だな。」

と思ひあたつた。

法隆寺の金堂の片隅に漆喰で固めた覆蔵がある。案内者といふ案内者は、それを自慢げに、

「法隆寺に火がついたら、こゝを開あけるのや、と太子様が言やはりましたや。再建さいこんに要るだけのお金がちやんと湮うめておますのやさうな。」

と言ひ〱してゐる。覆歳のなかから、水が出るか、それとも物を知らない学者が出るか。――件くだんの保険学者は、案内者のお喋舌しやべりをその儘書物に書きとめてゐたのに過ぎなかつた。

冒険小説10・7(夕)

忙しい世の中だ。眼がまはるほど忙しい世の中だ。猫のやうに背せなを円まるつこくして哲学を考へてゐると、電話がやかましく我鳴り立てるし、こつそり恋でもしてゐると、窓の外を嫉妬家やつかみやの電車が、狂人きちがひのやうな声を立てて駈けづり廻る。ほんとに一寸の間まもじつとしてゐられない世の中だ。

かういふ忙しい世の中では、是非骨休めの道楽を持つてゐない事には迚とても生きては往ゆかれないが、さうかといつて、今言つた通りの忙しい世の中だ、骨休めも従つて手つ取早く片づくもので無くてはならぬ。碁ご将棊のやうに相手が要つたり、時間ひまがかゝつたりするものでは迚とてもいけない。この意味からナポレオンは閑ひまがあると、小娘のやうに絹糸を取り出して、指に絡からんで綾取あやとりをしたものだ。

もと『アウトルツク』の主筆をしてゐた米国のリマン・アボツト氏は、そんな折には極きまつたやうに十銭本の冒険小説を取り出して読む事にしてゐる。趣味の教養の低い米国の紳士仲間では、この冒険小説党が少くない。長く那地あちらの医師協会の会長を勤めてゐたバウガン氏なども、忙がしい間なかに閑を見つけると、冒険小説を手に取る事にしてゐる。

大統領ウイルソン氏なども、同じやうに冒険小説に読み耽ふける一人である。氏はまたその小説にさへ読み耽る事の出来ない程の、ほんの一寸した閑を見つけた折には、窓硝子まどがらすを指先で叩き〱、下らぬ小唄を謡うたふ例ならはしになつてゐる。

何事も思ひ思ひの世の中、その冒険小説を読みさしてこくり〱居睡ゐねむりをしてゐたところで、少しも悪くはない。

婦人記者10・8(夕)

ある秋、徳川家達いへさと公が夫人と一緒に関西旅行をしてゐた時の事、某新聞の婦人記者が、汽車訪問に神戸駅から同じ客車に乗込んだ。礼儀正しい公爵夫人は、金糸雀かなりやのやうな口もとをして、二言三言記者の問ひに答へてゐた。無論金糸雀同志の事だ、精々撒まき餌ゑの粟粒か卵の事でも話し合つてゐるらしかつた。

先刻さきほどから少し離れた客席で、その日の新聞紙に読み耽つてゐたらしい公爵は、ちらと婦人記者の顔を見るなり、不思議さうに二人の会話に聞耳を立ててゐたらしかつたが、暫くすると、読みさしの新聞を手に持つたまゝ、公爵夫人の側そばにすり寄つて来た。そして重々しい声で口を切つた。

「あなたが婦人記者かな。」

公爵は南蛮から献上物けんじやうものの小鳥でも見るやうに、しげしげと女記者の身体からだを見廻した。

「社にはあなたの様な方が幾人いくたりも居られるのかな。」

婦人記者は金糸雀のやうに一寸嬌態しなをした。

「はい、幾人いくたりもゐらつしやいます。」

その実は唯たつた一人しか居なかつたのだが、婦人記者は将軍家といふものは、往時むかしから真実ほんとうの事を聞馴れないものだといふ事を思つて、つい一寸掛値を言つてみたのだ。

「ふふむ。」

公爵は上品な鼻を笛のやうに鳴らして、その儘黙つてしまつた。

米国にゼエムス・リレエといふ詩人がゐる。ある時ボストンへ出掛けて行つてホテルへ泊ると、すぐ電話が懸つて来た。出てみると、相手はなにがし新聞社のジヨオンス嬢といふ婦人記者だつた。

婦人記者は美しい声で、この文人がボストンに来た用向きから、その最近の作物さくぶつや生活方くらしかた迄こまめに聞きき訊たゞした。リレエは丁寧に一々それに返辞をした。すると、最後に婦人記者は訊いた。

「唯今奥様はどちらに入らつしやいます。」

「妻かないですか、妻かないなら多分この電話の片つ方に懸つてるかも知れませんよ。」

詩人は世界の端までも聞えるやうな声で返事をした。すると、矢庭に受話器を叩きつけるやうな音がして電話は切れてしまつた。

リレエは聞えた独身者である。

後藤男だんの娘聟10・10(夕)

岩野泡鳴氏は、議論をすると随分厚かましい事を言ひ出し兼ねないが、交際つきあつてみれば罪のない好よい男である。婦人をんなを蹂躙ふみにじつたり、置いてきぼりにしたりして、それで後あとから後から恋女こひをんなの出来るなぞも、多分こんな理由わけからかも知れない。

岩野氏は自分で『日本主義』といふ雑誌を出してゐる。柊ひいらぎの葉のやうに薄うすつ片ぺらで、そして又柊の葉のやうに触つた人を刺さないでは置かない雑誌だが、市まちへ出す数も極ごく少いので知らぬ人が多いやうだ。

柊の葉のやうな『日本主義』はこの頃では持主の岩野氏自身の懐中ふところをちく〱刺す事が少くなくなつた。

「かう懐中ふところが痛むでは、迚とてもやりきれるもんぢやない。誰か適当な金主きんしゆは無いものか知ら。」

岩野氏はビスケツトのやうな乾き切つた頭へ手をやつて考へ込んだ。その瞬間矢のやうに思ひついたのは、二三日前ぜんある料理店で顔馴染になつた鶴見祐輔氏だつた。鶴見氏は後藤新平男の娘聟である。

岩野氏は早速鶴見氏を訪ねた。

「君に一つ折入つてお頼みがあるんだが……」

岩野氏は挨拶が済むと、直ぐ切り出した。

「頼みといつて何だね。」

鶴見氏は怪訝けげんさうな顔をして訊いた。

「後藤男から金を引出して貰ひたいんだ。」岩野氏は親爺の代に預けて、その儘になつた金が後藤男の手もとに残つてでもゐるやうに極ごく手軽に言つて退のけた。「僕は日本主義つて雑誌をやつてるが、今度一つ大きくやつて見たいと思つてるんだ。それには五千円ばかし金が要る、それを君の手で後藤男から引出して貰ひたいんだが……」

「成程な。」

鶴見氏はじつと手を拱くんだ。そして出来るだけ厳しかつべらしい顔をしながら、腹の中うちでは細君の紅あかい唇や、昨夕ゆうべ食つた西洋菓子の事などを思ひ浮べながら、肝腎の五千円の用談は少しも考へてゐなかつた。暫くすると、鶴見氏はにやりと笑つた。

「後藤男が金を出すか、出さないか、それは当つてみない事には判らないが、然し僕の見た所では、君の主義と男だんの主張とは確たしかに立場が違つてゐる。それは確に違つてゐるよ。」鶴見氏は自分で自分の言ふことに感心したらしく、二三度軽く頷いた。「その主義の違つてる後藤男から五千といふ纏まとまつた金を借出す事は、僕全く君のために取らんよ。君は矢張り貧乏で戦つてた方がいいやうに思ふが――」

「さうか、さう聞けば仕方がない。ぢや絶念あきらめるよ。」

岩野氏はその儘別れて帰つた。

後藤男は、いい聟を持つたものだ。幾ら安く見積つても五千円の値打は確にある。

話題10・11(夕)

『近世雄弁学』の著者、トオマス・リイドが、共和党の闘士として米国の議会で鳴らしてゐた頃の事、ある日仲のいい友達と二人でポオトランドの或る倶楽部に往つた事があつた。

二人は外套室クローク・ルウムに外套を置いて、かねて馴染の小ぢんまりした部室へやに入つて往つた。そして香気かをりの高いココアを啜すゝりながら、好きなお喋舌しやべりに語り耽つた。

リイドは無論好きな政治の事をたんと話したが、政治の話が尽きると、法律の話をした。嘘ばかりで真実ほんとうの事はぽつちりしかない書物の事、男といふものを手帛ハンケチのやうに掌面てのひらで揉みくしやにする女の事――さういふ事柄について次ぎから次へと話しを続けたが、とうと話題が切れて、二人は立ち上がつた。

もとの外套室クローク・ルウムに帰つてめい〱外套を着込まうとする際、リイドの友達はポケツトに手を突込むでゐたが、一寸不思議さうな顔をして、革表紙の大形の手帳をその中から引張り出した。

「何どうしたんだらう、こんな見覚えのない手帳が僕の外套に入つてる。」

雄弁家は外套の袖に片手を突込むだ儘、奴凧やつこだこのやうな恰好をして言つた。

「誰か外ほかの人が自分の外套と間違つて入れて置いたんだね。」

「何どうしたもんだらう。」

「それはかうするんだ。まあ、君もも一度外套を脱ぎ給へ。」とリイドは先きに立つてまた外套を脱いだ。「丁度話題が無くなつて帰らうとしてゐたところだ。折角だからこの手帳を持つて往つてこの中に書いてある事で今暫く話して往かうぢやないか。」

二人は笑ひながら、又以前もとの部室へやへ後戻りをした。手帳にどんな事が書きとめてあるかは記者わしも知らない。

文豪の顰しかめつ面つら10・13(夕)

トルストイがある時X要塞の門にひよつこりその姿を現した。――自分が前以てこんな事を知つてゐたら、何を措おいても日本の人道主義者にこつそり耳打をするのだが、実をいふと、これを聴いたのは、トルストイが亡くなつてからずつと後のちの事だから、どうか勘弁して貰ひたい。

トルストイは直ぐ眼の前に、跛足びつこの乞丐こじきが立つてゐるのを見た。施し物をしようとして、彼がポケツトに手を突込つきこむだ一刹那、要塞のなかから重い靴音を引摺りながら一人にんの番兵が顔を出した。すると、今までトルストイの手元ばかり見詰めてゐた乞丐こじきは、吃驚びつくりして跛足びつこをひきひき、宿無し狗いぬのやうに直ぐ前の歴山アレキサンダー公園の樹蔭こかげに逃げ込んでしまつた。番兵はその後姿を見送りながら、大声で口汚く喚わめき散らしてゐた。

トルストイは番兵の方へ歩み寄つた。そして屹きつとした口調で訊いた。

「お前さんは文字が読めるかい。」

「文字ですか。」番兵はつひぞ昵懇ぢつこんのない人の事でも訊かれるやうに、一寸考へる真似をした。「読めますよ。読めますともさ。だが、貴方はまた何だつてそんな事をお訊きになるんです。」

「ぢや、聖書を読んだ事があるかい。」

「聖書?」番兵は自慢らしく鼻を動かした。「読みましたともさ。聖書を読まない奴は狗いぬでさ。」

「それぢや、知つてるだらうが、聖書に『餓ゑたる者に食を与ふる者は』といふ事があるね、あれを何どう思ふかね。」

トルストイは毛むくじやらな顔で覗き込むやうにした。

兵卒はその儘地獄に跳ね飛ばされはしないかと気遣ふやうに、じつと眼を見据ゑてゐたが、暫くすると、ほつと息を吐ついた。

「それぢや伺ひますが、貴方は文字がお読めになりますか。」

「読めるともさ。」トルストイは鼻を摘つままれたやうに顔をくしやくしやさせた。「何だつてそんな事を訊くんだい。」

「ぢや、軍律をお読みになつた事がありますか。」

「無い。無いが、何どうしたんだ。」

「それじや余計な口を利かないやうにして下さい。」兵卒は急に元気づいて肩を聳そびやかした。「私は軍律に従つてるんですからね。」

トルストイは行き詰つたやうな顔をした。――だが、どうかこの事丈だけは日本の人道主義者に内分ないぶんにして欲しい、さもないと私が困るから。

豆腐と英国人10・14(夕)

講談師細川風谷ふうこくが、以前郵船会社の欧洲通がよひの事務長をしてゐた頃、お国自慢の英国人に、何がな日本料理の珍しい物を見せたいものだと思つて、色々考へた末が、

「豆腐にしよう、豆腐なら流石の英国人も吃驚びつくりするだらうからな。豆腐だ〱。」

と、豆腐に定きめてしまつた。そして横浜で豆腐を拵へる機械一式を調へて船に積込んだものだ。

船が倫敦ロンドンに着くと、風谷は直ぐと郵船会社の支店に、その頃支店長を勤めてゐた根岸氏を訪ねた。風谷はにこ〱もので言つた。

「今度の航海には珍しい食物たべものを持つて来ました。貴方がお言ひ当てになつたら差上げてもいいと思ひます。」

「何だらうね。」根岸氏は物好きの眼を光らせた。「茗荷めうがの塩漬ででもあるかな。あれなら吾輩大好物だが。」

「いや、違ひます。もつと〱珍しい物です。」

「それぢや、鱁鮧うるかだらう、あれも吾輩大好きさ。」

根岸氏は狗いぬのやうに舌嘗なめずりをした。

「お気の毒様ですが、鱁鮧でもありませんよ。」風谷は態わざと軽い調子で言つた。「お嫌ひかも知れませんが、実は豆腐なんです。」

「なに、豆腐だつて。」根岸氏は膝を乗出す機はづみに椅子から滑り落ちさうにした。「豆腐なら吾輩何よりも、好物なんだ。鱁鮧よりも、茗荷の塩漬よりもね。だが、何どうして豆腐が持つて来られたね。」

根岸氏は正金しやうきん銀行支店の中井某氏が、以前豆腐の製造機械を取寄せて、豆腐を拵へにかゝつたことがあつた。すると、どういふものか出来たのは鋸屑おがくづのやうなカラばかりで、肝腎の豆腐は少しも見られなかつたといふ事を話した。そして気遣ふやうに、

「君が豆腐といふのはあの土蔵のやうな四角い恰好をした奴なんだね。」

などとわざ〱駄目を押した。

風谷は胸を叩いて保証した。そして機械を取寄せて、汗みづくになつて拵へにかゝつた。仕合せと豆腐は出来た。少し色は黒かつたが、どれもこれも土蔵のやうな恰好をしてゐた。

「巧い〱。みんな四角い形をしてら。」

根岸氏は手を拍うつて喜んだ。そして出来る事なら、この機会に男をも、女をも、駝鳥の卵をもみんな土蔵の恰好に鋳直いなほしたいと思つたらしかつた。

根岸氏はその豆腐の一つを、ボウル箱に入れて、態々わざ〱正金銀行の支店まで僮ボオイに持たせてやつた。根岸氏は幾度いくたびか僮ボオイに言つて聞かせた。

「壊すんぢやないぞ、大事の品物だから。」

僮ボオイは数多い英吉利人のなかで豆腐を見た最初の人だつた。ナポレオンの心臓を皿に盛つた軍医のやうに、僮ボオイは両手でボウル箱を抱へ込んで、人通りの多い倫敦の町を、おつかな吃驚びつくりでそろ〱歩いて往つた。――だが英人に取つて何といふ恰好な役目だらう。亜米利加人だつたら、蓋を開あけて豆腐を食つてみたかも知れない。

豆腐と故本野子もとのし10・16(夕)

今日は細川風谷が豆腐の後日譚ごじつものがたりをする。――郵船会社の倫敦支店長根岸氏は、その日以来、毎日のやうに豆腐に舌鼓したつゞみを打つにつけて、風谷と同じやうに、何とかして英国人にこの珍味が味あぢははせたくなつて溜らなかつた。で、ある日の晩餐デインナーに、知り合ひの誰彼を饗よんで、試しに一皿づつ出してみた。そしてこんな事を言つて吹聴した。

「日本の珍味です。東洋では主に僧侶ばうさんの食物たべもので、僧侶ばうさんが賢くて、おまけに長命なのは、みんなこの食物たべものの故せゐだといはれてゐます。」

お客は燕つばめのやうな口もとをして、気味わるさうに一寸皿の物を嘗めたが、言ひ合はせたやうに変な表情かほつきをして、その儘匙さじをおいてしまつた。

案に相違した根岸氏は、今度は豆腐を白耳義ベルジユームに送り出さうと言ひ出した。ブラツセルには先日こなひだ亡くなつた本野一郎子しが公使として駐在してゐたから、そこへ進物にしようといふのだ。

風谷は二つ返事で承知した。その四五日といふもの、この男の頭は豆腐ですつかり詰まつてゐたのだ。もしか根岸氏が亡くなつた友達に豆腐が食べさせたいと言つたら、この男は豆腐を一皿持つて態々わざ〱地獄まで下りて往つたかも知れなかつた。――風谷は白耳義通ひの船の中で、汗みづくになつて豆腐を拵へた。そして船がアントワープに着くと、錻力ぶりきの缶へ叮嚀にそれを納めて、ブラツセルに急いだ。

ブラツセルの日本公使館では、仕事に草臥くたびれた本野子が、贅沢な肱掛椅子に凭よりかゝつて、

「すつかり草臥れちやつた。晩には何を食つたものだらう。」

と好きな仏蘭西語で晩食ばんめしの事を考へてゐたところだつた。本野子は沢庵漬と武士道との外は、どんな仏蘭西語をでも知つてゐて、それで物を考へるといふ風な人だつた。

本野子は眼の前に土蔵のやうな四角い豆腐を見た。そして覚えず、

「豆腐だな。これは珍らしい。」

と、不馴れな日本語で叫んだが、それに気がつくと、慌てて仏蘭西語で考へ直したらしく、今度は直訳するやうにぽつりぽつり語ことばを切りながら言つた。

「それぢや、今晩は日本流に牛鍋でもつゝく事にしようかな。」

その晩は風谷も公使館員達と一緒に、本野公使をなかに車座となつて、牛肉と豆腐とを煮て食べた。皆は豆腐をうまいと言つて賞め立てたが、風谷は何だかまだ賞め足りないやうに思つた。

その晩食べ残りの豆腐が少しあつた。本野子は自分ひとりでさう〱食べるのは勿体ないといつて、その頃和蘭オランダ公使を勤めてゐた珍田拾巳子ちんだすてみしを、わざ〱アムステルダムから、呼び寄せて日本式の晩餐会を開いた。

珍田子は久しぶりに豆腐を食つた。そして前よりか一層賢くなつたやうな顔をして和蘭へ還つて往つた。

国務卿秘蔵の聖書10・17(夕)

独逸の講和提議に対する米国国務卿ランシング氏の演説を読んだものは、その一節に、

「しかも慈悲なき厳酷の正義は非基督教なると共に、正義を破壊する如き慈悲も亦また等しく非基督教なる事を忘るべからず。」

といつたやうな坊さん臭い文句があつたのを記憶してゐるだらう。

ランシングの演説を読んでみると、いつの場合でも聖書の文句が引合に出されてゐる。それもその筈で、氏は世界に一つあつて、二つとはまた見られない珍しい聖書の持主である。ランシング氏に聴かれて、また長つたらしい演説でもされては困るから、極ごく内々ない〱で耳打をするが、実はその聖書は、氏の夫人が結婚の当時、贈り物にしたものである。一体女といふものは、結婚と同時に、男に色々の贈り物をする。傷だらけの心の臓、履歴付の殺し文句――さういふなかでは、聖書はいつち平凡な進物である。

夫人が贈り物の聖書は余白のたんとある大型の本だつたので、ランシング氏はそこへ註釈、引証を細かく書き込んだばかしか、挿絵や地図のやうなものさへ一々克明に書き入れてゐる。地図も挿絵も引証も註釈も、まるで印刷のやうなちやんとしたもので、誰が目にもそれが手で書いたものだとは思はれない。それもその筈で、国務卿は若い頃建築学をやつた事があるので、製図用のペン先を使ふ事にかけては、人一倍巧者なのである。書き入れの参考用の地図や寺院の建築図は、少しの手入れなしに、その儘製版に廻す事が出来る程、上手に出来上つてゐるといふ事だ。

かういふランシング氏は、今では米国でも指折りの聖書学者に数へられてゐるが、この素晴しい聖書の智識は、実をいふと、氏が長い間毎日半時間づつを聖書の研究に当てた、その零砕な調べの積り積つたものださうだ。食後の半時間――この半時間の研究は、米国の国務卿を名だたる聖書学者にしてくれた。食後の半時間――この半時間の無駄話は、そんぢよそこらの日本の紳士を豕ゐのこのやうな馬鹿者にしてくれた。何といふ有難い事だ。

美しい女流作家10・20(夕)

この頃二科会の展覧で京都に来てゐる有島生馬氏が、先月末の事、米国通ひの伏見丸へ人を見送りに往ゆくと、甲板で小柄な日本人の娘が、洋装をして、父らしい人と一緒に大勢の見送人に挨拶してゐるのを見た。

有島氏はその小柄な娘を見て、何だか顔に見覚えがあるやうに思つた。

「誰だらう、何処かで見たやうに思ふが……」

暫くじつと相手の顔を見てゐた氏は、覚えず膝を叩いた。

「さうだ、漸やつと思ひついた、百合子さんだ。中条百合子さんだ。」

有島氏はかねて雑誌の口絵か何かで、百合子女史の顔を見覚えてゐたのだつた。さう気が注つくと、二三日前の新聞にこの女流作家の洋行が伝へられてゐたのまでが思ひ出された。

さう判つてみると、有島氏は何だか知らぬ顔も出来ぬやうに思つた。で、見送人の空いた折を見計みはからつて女史の前に立つた。

「初めてお目にかゝります、私は有島です。今度はお父様と御一緒に御洋行ださうで、道すがらの御安全をお祈りします。」

子供子供した小柄な百合子女史は、見上げるやうにしてじつと有島氏の顔を見てゐたが、女教師のやうにきつぱりした口調で訊きかへした。

「有島さんと仰有るのは大勢いらつしやるやうですが、貴方はどなた様でいらつしやいますか。」

有島氏は一寸口もとを曲ゆがめた。

「私は絵を描かく方の有島です。」

「ああ、さやうでいらつしやいますか。」百合子女史は、大事の托ことづけ物ものの持つて往ゆき場が判つたやうに、初めて叮嚀に挨拶をした。「どうも有難うございます。」

その明あくる朝、新聞紙は写真入で百合子女史の洋行譚ばなしを伝へた。それを拾ひ読みしてゐた或る日本通の西洋人は、そのなかに「花のやうに美しい女流作家」と書いてあつた文句に出会でくはすと、も一度叮嚀に写真版に見入つた。そして行詰ゆきづまつたやうな表情をして傍そばにゐた日本人の画家を見た。その人は有島氏の友人だつた。

「日本人にはこんな風な方かたが美人と見えますか。」

画家はその新聞紙に覗き込んだ。そこには百合子女史が背の高い阿父おとつさんと一緒に立つてゐる写真版が載つてゐた。

「ああ、この方ですか。」画家は、変へんもない顔をして言つた。「お若いのに感心な方ですよ。」

西洋人には返事の意味が一向解らないらしかつたが、その儘黙つてしまつた。彼はその外にも、日本については解らない事をどつさり持つてゐたから、一向苦にもしなかつたのだ。

ポプ天の関西旅行10・21(夕)

剽軽者ぞろひのポプ天倶楽部の連中れんぢゆうが、この間からひよつくり関西へ顔を出して、つい昨日きのふまであつちこつちで、庭球テニスの競技をやつてゐた。この倶楽部が旅に出て来たについては色々面白い話がある。

何がさて、その道にかけたら皆みんな鼻の高い連中れんぢゆうの事とて、どうにか団体は出来上るものの、団長を拵へなくては万事に物言ひの種が尽きさうにない。

「誰がよからう。団長といふからには、少しは頭が禿げてなくつちや。」

それには幸ひ好いい人があつた。それは満谷国四郎氏の事で、少し禿げ過ぎてはゐるやうだが、その位の事は辛抱出来ない訳でもなかつた。

団長が出来てみると、副団長があつてもよかつた。それには小杉未醒氏が恰好に思はれた。かうして団長と副団長の顔が揃つてみると残る皆も何とかして「長」になつてみたかつた。

「皆が満足するなら長にしてやつたらどんなものだ、何も所得税が掛るといふ訳ではないんだから。」

団長は禿頭を撫でながらかう言つた。そこで弓館ゆだて氏は会計部長に、大村氏は外交部長に針重はりしげ氏は競技部長に……といつたやうにそれ〲役割が振当てられた。唯たつた一人彫刻家の藤井浩祐かうすけ氏のみには適当な役が無かつたが、幸さいはひ藤井氏は物言ひをつける事が巧かつたし、物言ひをつけなければ勝目のない競技ゲームも多からうといふので、この彫刻家は物言掛長ものいひがかりちやうといふ事に定きめられた。

さて愈々いよ〱東京を出発しようといふ事になると、肝腎の満谷氏が渋しぶくり出した。

「実は困つた事が持ち上つたのだ。」団長は馬鈴薯じやがいものやうな額をてかてかさせながら言つた。「君達も知つてるあの目白台の普請だね、あれの払い、それが千五百円程ある、残りを今日明日に済さなくつちやならないんでね。」

満谷氏は今目白台にかなり立派な新築をしてゐる。その払ひ残りがあると聞いては皆みんなも黙つてゐられなかつた。さうかといつて仲間のなかに誰一人財布の膨ふくらまつてゐる男は居合さなかつた。

「それぢや大急ぎに絵を売るんだね。」仲間の一人は財布の代りに人一倍大きな「才覚」を持合はせてゐたので、直ぐに工面を思ひついた。「幸さいはひ満谷が今度の文展に出してゐる那奴あいつを売りにかゝらう。」

外交部長の大村氏と物言ひ掛長の藤井氏とは、その一日自動車を飛ばして、旋風つむじかぜのやうに走り廻つてゐたが、夕方になると、千五百円の小切手を握つて帰つて来た。文展出品の『源泉』は、やつと嫁入先を見つける事が出来たのだ。

かうしてポプ天倶楽部の連中は、陽気に関西旅行に出掛ける事が出来たが、困つたのは文展の洋画審査で、予あらかじめ十九日と定きめてあつたのを、満谷氏の旅行のため、止むを得ず二十一日に繰延べる事になつた。

詩人の健啖10・22(夕)

話はずつと古くなるが、伊太利イタリーの詩人ダンテが、ある時カアネ・デラ・スカラ家の食事に招かれた事があつた。――世間の娘を持つた親達に告げておく。皆さんの知合にもしか詩人があるなら精々御馳走する事だ。詩人は食卓で親達に色々のおもしろい談話はなしを聴かせてくれるばかりか、娘には激しい恋を教へてくれるものだ。

ダンテは好よいお客だといふので、わざ〱其家そこの主人と子息むすことの間に坐らせられた。その頃は食事の時に主人も客も食べ残りの骨を卓子テーブルの下に打拾うちやらかしておく習慣があつたので、悪戯いたづら好きのカアネ親子は、目ざとい詩人に気づかれぬやうに、自分達の皿の骨は言ふまでもなく、他のお客のをまで、そつくりその儘そつとダンテの足もとに捨てておいた。

さて食事が済むと、主人は初めてそれに気づいたやうに皆の顔を見た。

「皆さん、私はダンテ君の胃の腑が、馬のやうに御丈夫なのにすつかり驚いてしまひました。お疑ひになるならあれを御覧下さい。」

主人はダンテの脚もとを指ざした。皆みんなは卓子テーブルの下を覗き込むだ。そこには食べ残りの骨が山のやうに積まれてあつた。

「ほほう。驚きましたな。では、これから一つ詩人の健啖を祝さうぢやありませんか。」

お客の一人が言ひ出したので、皆は起たち上つてダンテの胃の腑のために杯はいをあげようとした。

「お待ち下さい。皆さん。」ダンテは両手で皆を押へつけるやうな真似をした。「あなた方は私の健啖ものくひのいいのに吃驚びつくりなすつていらつしやるやうですが、私はまた当家の御主人の胃の腑の広いのに驚嘆してゐるやうな始末で。御覧なさい――」と詩人は主人の脚もとを覗き込んだ。「御主人の卓子テーブルの下には何一つ残つてゐません。私はかうして骨だけは食べ残しましたが、御主人はその骨まですつかり鵜呑みにされてしまひました。」

皆は詩人の頓智のいゝのに嘆賞を惜しまなかつた。語ことばを寄す、世上の健啖家、頓智さへよかつたら、諸君は六人分の飯を食つたつて少しの差支もない。

菊五郎の猟自慢10・23(夕)

猟期が開あいたので、朝霧のなかを、猟犬を連れてうろうろする人達が多くなつた。さういふなかには、肝腎の猟そのものよりも、甲斐々々しい猟服を着込むで霧の深い野路のみちを口笛を吹きながら急ぐ、猟人かりうどらしい気持が好きで〱溜らぬ人達が少くなささうだ。俳優の尾上菊五郎なども、さういふ一人である。

芝居には人一倍凝り性の菊五郎も、毎年まいねん十月興行になると、どうもそはそはと落付かない。旅廻りは言ふまでもない事、地ぢの市村座興行も余り気乗がしない、座方ざかたの都合で達たつて顔を出さなければならない場合でも、端役はやくの外は決して引ひきうけようとは言はない。何だつて十月に限つてそんなに不精ぶしやうなのだと訊くと、菊五郎は親爺譲りの癖で、ぐつと反身そりみになつて、言訳をする。

「でも、貴方、十五日は初猟はつれふの日ぢやありませんか。私が一年中稼いでるのは、この日一日を楽みにしてるやうなものなんですもの。少しは遊ばせて貰はなくつちや。」

そんなにまでして出掛ける猟だ。屹度上手なのだらうとは誰も思ふ事だが、何どういふものか、菊五郎は滅多に獲物を提さげて帰らない。往ゆきにはいそ〱勇んでゐるが還かへりにはすご〱悄しほれてゐる場合が多い。鷭ばんも小鴨も、田鷸たしぎも、鶉うづらも色々たんと棲んでゐる世の中だ。何か土産がありさうなものぢやないかと訊くと、菊五郎は子供のやうに面つらを膨ふくらませて、

「だつて、私の姿を見ると、言ひ合はせたやうに皆みんな逃げ出してしまふんですもの。」

と言ひ訳をする。菊五郎の悔くやしがり屋なのを知つてゐるある男が、

「さうか、それぢや君の猟は態々わざ〱不機嫌を買ひに出掛けるやうなものなんだね。」

と冷かした事があつた。すると、菊五郎は急にべそを掻きさうな顔になつた。

「でも、逃げおほせた鳥になつてみれば、好いい気持でせうて。」

むかし俳優やくしやの瀬川菊之丞が、ある贔屓客から百両の祝儀を貰つた事があつた。側そばに居合せたある男が、冷かし半分に、

「太夫、そんな物を戴いたら定めし好いい気持がするだらうな。」

と言つた事があつた。すると、菊之丞は生真面目な顔で返事した。

「はい。――したが、下すつた方はもつと好いい気持が致すでせうよ。」

腕白わんぱくな菊五郎よ、汝も口前くちまへばかりは古こ名優の面影がある。

フオツシユ将軍と葉巻10・24(夕)

当今聯合軍での大立者といつたら、十人が十人まで仏蘭西のフオツシユ将軍だといふのに異存があるべくもない。その将軍に多くの人と異ちがつた一つの癖がある。

癖――といふと、荒つぽい日本の将軍達に少しでも近づきを持つてゐる人だと、直ぐと口を尖らせて、

「それは屹度、厩うまやのかへりに馬を撫でたその掌面てのひらで、夫人おくさんの頬桁ほゝげたを思ひきり擲どやしつける癖なんだらう。」

と言ふかも知れない。それも一つの立派な癖には相違ないが、フオツシユ将軍のは、そんな風なのと少し違つてゐる。

将軍の癖といふのは葉巻シガアの喫ふかし方で、将軍は今度の戦争が始まつてから、今日になるまで、たつた一本の葉巻しか喫かしてゐない。といふと、どんな正直な人でもが、

「たつた一本の葉巻シガアだつて。戯談ぜうだん言つちやいけない、戦争が始まつてから今日までもう幾年になると思つてるのだい。」

と腹を立てるかも知れないが、実際将軍はたつた一本の葉巻シガアしか持つてゐないのだから仕方がない。

その一本の葉巻シガアを将軍はいつも口に啣くはへてゐる。食事の時は叮嚀に卓子テーブルの上にそつとそれを置き、食事が済むと、またそれを啣へてゐる。かうして朝起きるとから、夜分寝床に入るまでその同じ葉巻シガアを啣へ続けてゐる。尤も一度だつて、その葉巻シガアに火を点つけた事はない。将軍の言ふのでは、この人は生れてから今日まで、まだ一度も火の点いた葉巻シガアを喫かした事はないさうである。

「火の点いた葉巻シガアからは烟けむが出る。私は烟けむには堪へられない。」

将軍は軍人にしては少し上品過ぎる顔をしかめて、言ひ言ひしてゐる。

葉巻シガアといへば、米国では引続いて三代も葉巻シガア一つ喫かさない大統領が続いてゐる。

ルウズヴエルト

タフト

ウヰルソン

いづれもが揃ひも揃つて烟けむを好かない人達である。

座頭ざがしらと花形俳優やくしや10・25(夕)

松本幸四郎――といつても帝劇の舞台に立つてゐる今の幸四郎ではない。ずつと古むかしの幸四郎である。――が、ある時芝居の初日がはねて家うちへ帰つて来た。そして長火鉢の前に坐つて、女房かないを相手に酒を飲みながら、今日の舞台の出来を彼是取沙汰してゐた。

すると、表の格子戸を勢ひよくがらりと開あけて内弟子の一人が帰つて来た。弟子は長火鉢の前の師匠を見ると、いきなり浮いた調子で二三度自分の頭を叩いた。

「お女房かみさん、お喜びなせいまし、今度の芝居に内うちの親方の評判と来たら、それは〱素敵なもんでげすぜ。わつちやあ、気に懸つて仕方がねえもんだから、今も今とて打出しの見物衆に交まぜつてね、皆の評判を聞いて帰つたんでげすが、十人が十人『どうだい、今度の幸四郎の出来は』と言つて、賞めちぎつてゐまさあ。」

弟子は早口はやぐちにかう言つて、態わざとらしく雀のやうな恰好をして踊つてまで見せた。

幸四郎はそれを聞くと、急に気難しい顔をした。そして弟子のふざけた振には見向きもしないで、ちびりちびり盃さかづきの縁ふちを嘗なめてゐた。

「何だつてそんなに不機嫌な顔をしてるの。」女房かみさんは繊細きやしやな手先でお銚子の加減を見ながら心配さうに言つた。「今聞けばお前さんの評判が一番好いいといふのぢやないの。」

「あゝ、困つたな。今度の芝居は極きまつて不入だわえ。」

幸四郎は女房の言葉は、まるで耳に入らぬらしく、独語ひとりごとのやうに呟ぼやいた。

「え、不入だつて、今度の芝居が。」女房かみさんは咎め立てをするやうに怖い目つきをした。「戯談ぜうだんもいい加減にしてお置きよ、今日は初日だつてえのに、縁起でもない。」

「お前達には判らない。」

幸四郎は盃を猫板の上に置きながら、女房と弟子との顔にじつと眼を見据ゑた。弟子はいつにない師匠の不機嫌に、先刻さつきのふざけた真似とは打つて変つて神妙に鼠のやうに小さくなつてゐた。幸四郎はぽつり〱した口調で訳を話した。その言葉によると、今度の芝居の花形は誰が何といつても、半四郎と三津五郎の二人だ、この二人が評判がよかつたら、芝居は大入に極きまつてゐる。それだのに自分がそんなに評判を立てられるといふのは、この二人に好よい点ところがないに相違ない。座頭役、敵かたき役の評判では見物は来ないものだといふのだ。

今の鴈治郎や歌右衛門は、よく〱この言葉を味はつて貰ひたい。そして精々一座の花形俳優やくしやに花を持たすやうに振舞つて欲しい。これは唯ひとり俳優やくしやに限つた事ではない。原敬氏なぞも自分が評判を取らうとしないで、同じ閣員の花形俳優やくしやを引立てるやうにしたら、内閣も割合に無事に持続ける事が出来よう。シヨペンハウエル曰く、好よい俳優やくしやはよく端役をしてゐるものだとさ。

博士夫人の洋行気分10・26(夕)

先日欧米漫遊に出かけて往つた京都大学の内田銀蔵博士が、出発前ぜんのある日の事、晩食ばんめしの卓子テエブルで夫人を相手に頻りと洋行の面白さを話してゐた。

「まあ、そんなに面白いんですか、洋行つて。そんなだつたら私も一生の間に一度でよござんすから、洋行してみたい事ね。」

夫人は羨ましさうな眼つきをして、坊ちやんのやうな博士の顔を見た。

「さうですか、そんなだつたら貴女あなたも――」博士は友達に向つたと同じやうに厭に叮嚀な口を利いた。「是非一度洋行なすつたがよからう。何なら今度御一緒にでも。」

「どうぞ。」夫人は一寸お辞儀をした。そして四十雀がらのやうに声を立てて笑つた。

夫人が博士の洋行を見送りに神戸の埠頭はとばに往ゆくと、博士は自分の切符の外に、神戸から横浜までの切符を一枚持ち添へてゐた。

「あなた、そんな切符をどう遊ばすの。」

夫人は不思議さうに訊いた。

「あなたに洋行の気分を味あぢははせたいと思ひましてね。」

博士はかう言つて、厭がる夫人を無理強ひに船室ケビンに連れ込んでしまつた。

その日は海の上はかなり荒れてゐた。大学教授のやうに、書物をたんと読み過さなかつた海は、思ふさま勝手に跳ね廻る元気を持つてゐた。船は毬まりのやうに揺れた。そんな間なかにも博士は、洋行気分を味はせたいと言つて飛沫しぶきの吹き散る甲板に夫人を連れ出して、仔細に山やら岬やらの説明をし続けたものだ。

夫人の眼には、山がお玉杓子のやうにとんぼ返りをしたり、港が巾着のやうに拡がつたり縮まつたりした。

「あなた、洋行つて変な気持がしますのね。」夫人はべそを掻きさうな顔をして、博士の肩に取り縋すがつた。「洋行気分ももうたつぷり味はせて戴きましたから、そろそろ船室ケビンに下りませうよ。」

「あの太陽の色を御覧なさい。」博士は夫人の言葉も耳に入いらぬらしく、水夫ふなのりのやうに両手を洋袴づぼんの隠しに突込みながら言つた。「陸で見る色とは違つてまた一段と面白いでせう。一七一九年、ロビンソン・クルウソウ君が……」

夫人の眼にはおてんと様と博士の顔とむかし読むだロビンソン・クルウソウの挿画さしゑがごつちやになつてくるくる舞ひをするやうに思はれた。夫人はいきなり船室ケビンに駈け込んで横に倒れた。

船は横浜に着いた。夫人はこの時程日本の陸地を有難いと思つた事はなかつた。

「洋行つて、ほんとに……」

夫人は今だに思ひ出しては海のやうに深い溜息をついてゐる。

一匁もんめ四百円の名香みやうかう10・27(夕)

先日こなひだ東京美術倶楽部で行はれた水戸家の売立会には、色々好者すきしやの眼を聳そばだてさせる物が、それ〲素晴しい価ねで取引せられたやうであつたが、そのなかに香木大内山が七万一千一百円で当地の戸田の手に落ちたのには一寸驚かせられた。

大内山といへば、目方が百七十匁に過ぎない香木である。アメリカ人臭い物の見方をするやうだが、一匁ざつと四百円強となる勘定だ。人間の霊魂たましひが胡桃くるみのやうに安く取引される日本では、少し桁けたはづれである。

この大内山こそ、名高い奈良東大寺正倉院の蘭奢待らんじやたいと同じ香木なのである。蘭奢待といへば、むかし西蕃さいばんから渡来した黄熟香くわうじゆくかうを、時の帝みかど聖武しやうむが蘭奢待の三字に寺の名を入れて、その儘東大寺の宝蔵に納められた稀代の沈香ぢんかうで、正倉院の目録によると、重量二貫五百目、長さ五尺二寸、本口周もとくちまはり三尺九寸、本口直径さしわたし一尺四寸、末口すゑくち周り一尺五寸、末口直径さしわたし七寸、といふ事だ。

この香木は朝廷からその時々の功臣に賜つた例があつて、足利尊氏は一寸八分を切り取つた。寛正六年には義政が切取つた。元亀三年には信長が一寸八分を、慶長七年には家康がまた切り取つた。家康がいくら切り取つたかは、その当時自分が立合はなかつたからよくは知らないが、名代の狸爺たぬきおやぢの事だから、いづれは古例の一寸八分より余分にたんと切取つて、その一部が今度七万何千円といふ事になつたのかも知れない。

かういふ名香になると、香聞かうきゝをすると嗅覚が痺しびれてしまつて暫くは物の役に立たなくなる。ちやうど激しい恋をした後あとの心の臓に僧侶ばうさんのお説教が聞えなくなると同じやうなものだ。

そんな鼻の痺れを治すのには、外にまた結構な名香がある。不思議な事にその名香は一匁四百円よりずつと廉やすいが、人間のする事には、何かと手抜りの多い世間だから、そこに気の注ついた人は、早くこの名香の買締かひしめをやつておく事だ。

それは外でもない、台所の隅つこにある糠味噌ぬかみその匂である。名香で痺れた鼻の感じは、糠味噌の酸すつぱい匂を嗅ぐと不思議によくなる。さういふ理由わけから糠漬の事を香の物といふのだ、と香道の人はむかしから言ひ伝へてゐるが、多分そんな事かも知れない。

電報の間違10・30(夕)

生活難にもとづく従業員の不足から、この頃電報の遅れがちなのは、実に困つたものだが、それよりも困るのは電報の文字もんじに間違の多い事だ。手少なで、忙がしいからには相違なからうが、さうかといつて、間違だらけでは、何のための電報か少しも判らなくなる。

先日こなひだもかういふ事があつた。発信人は今本紙に『邪宗門』を書いてゐる小説家芥川龍之介氏で、受信人はかくいふ記者である。電報の文句は確か、

「カキカウタスグオクル」

とあつた様に覚えてゐる。記者は幾度か読みかへしてみた。幾度繰くりかへしてみても、

「柿買うた直ぐ送る」

に相違なかつた。

「親切だな、芥川君は。鎌倉からわざわざ柿を送つてくれるなんて。」

記者は独語ひとりごとを言ひ言ひ、真紅まつかに熟うれた柿の実を想像してみた。実際白状すると、記者は柿が好物だつた。わざ〱送るといふのだから柿は屹度土地ところの名物に相違なからうと思つて、会ふ人ごとにそれとなく鎌倉の名物を訊いてみた。

「さうさなあ、鎌倉の名物といへば、水の悪いのと、大仏と、宗演さんの嘘と位のものだらうて。」

誰一人柿を名物のなかに数へ込まなかつたのが、記者には不平で堪らなかつた。

その翌日芥川氏から書留郵便が届いた。見ると『邪宗門』の原稿なのである。幾度封筒を逆さにしてみても、なかからは柿は愚かな事、柿の蔕へた一つ出なかつた。芥川氏は前の日に寄よこした原稿が気に喰はなかつたらしく、態々わざ〱書きかへて送つてくれたのだつた。電報は、

「カキカエタスグオクル」

の間違であつた。

米国の前国務卿ブライアン氏が、先年西部のある市まちへ講演に出かけた事があつた。ところが、その頃降り続いた雨の故せゐで、河が溢れて鉄路レールが水に浸つかつたので汽車は途中で立往生をしてしまつた。ブライアン氏は、ぶつぶつ小言を言ひながら、迚とても約束の時日までには先方むかうに着きかねるといふ電報を打つた。鉄路レールが水に浸つたといふ文句は精々倹約して、

“Wash on the line”

としておいた。

それを受取つた講演会の幹事は“Wash”を洗濯せんだくと読んで、ブライアン氏が多分一枚しかない亜麻ラインの襦袢シヤツでも洗濯せんだくにやつて、その故せゐで遅れるのだらうと早合点してしまつた。(実際幹事自身は麻の襦袢シヤツを一枚しか持つてゐなかつたらしい。)で、早速返電を打つた。

“Never mind your wash. Buy another shirt at our expense and come anyway.”

(心配無用。費用は当方こちら持ちにするから、別のシヤツを買つて、ともかくも来て下さい。)

村井氏の貧民視察10・31(夕)

先日米騒動が方々で持上つた時、村井吉兵衛きちべゑ氏の邸やしきでは、奥の間で主人の吉兵衛氏と若い夫人とが差し向ひで香りの高いココアを飲んでゐた。

「あなた、世間は随分物騒らしい事ね。」

夫人がかういふと、吉兵衛氏は禿げかゝつた頭をむつくり持ち上げた。

「さう、かなり物騒らしいね。」

「こんなに騒ぐところを見ると、下々しも〲では生活くらしが苦しいんでせうね。」夫人は悲しさうな顔をした。「いかがでせう、騒ぎが少し鎮まりましたら御一緒に貧民の視察にでも出掛けましては。」

「いいだらうな。是非一つ出掛けませう。」

夫人の言ふ事だつたら、何一つ背そむいた事のない吉兵衛氏は、直ぐに同意した。

騒動が鎮まると、夫人は約束通り貧民視察に出掛けるのだと言つて、吉兵衛氏を促せき立てて自動車に乗つた。夫人は貧民窟へも、天国へも、もつと素晴しい監獄へも、自動車に乗込みさへしたらその儘一足飛びに往ゆきつかれるものだと思つてゐるのだ。

自動車は鴻の台をさして走つた。夫人の考へでは、貧民といふのは百姓の事で、百姓の家さへ見たらどん底の生活くらしを見た事になるのだつた。自動車は狭い田舎路ゐなかみちに行ゆき詰つまつたので、二人は下におりた。夫人と吉兵衛氏とは軽い雪駄せつたを鳴らしながら、稲田いなたの細道を歩いて往つた。露西亜の過激派のやうに腹が減つてるらしい蝦蟇ひきがへるが、草の間なかからむつくり顔を出したり、自由恋愛家のやうな蝗いなごが雄と雌と抱いだき合つて跳ね合つたりする度に、二人は仰山ぎやうさんさうに声を立てて吃驚びつくりした。

「あなた、これがお米なの。それともお麦?」と夫人は稲穂の一つを扱しごいて手に取つた。「まあ贅沢だわね、外套を着てますよ。」

実際米粒はどれもこれも女優のやうに籾殻もみがらといふ外套を着てゐた。吉兵衛氏は陽気に笑つた。

「ははは。麦ぢやない、これはお米だよ。この外套を一々臼うすで磨り落して、それからまた精しらげ上げた後あとでなくつちやお互の口にのぼらないんだ。」

「まあ、大変ね、それを皆百姓がしますの。気の毒だわね。」夫人は心しんから気の毒さうに言つた。

「さう気の毒といへば気の毒だね。」吉兵衛氏は帽子をぬいで額の汗を拭いた。

二人はそれから田圃たんぼの中にある百姓家を訪れた。百姓家では薄汚い女房かみさんが、裸足はだしのまゝ井戸側ゐどばたで釣瓶つるべから口移しにがぶがぶ水を飲んでゐた。

「まあ、あなた御覧遊ばせ、」夫人は小鳥のやうに眼を睜みはつて、主人の袖を引張つた。「あの女は私達のやうに雪駄も穿はいてなけりや、洋盃コツプも持つてないかして、あんなに口移しに水を飲んでますわ。」

「うむ。」と吉兵衛氏は唸るやうな声を立てた。そして京都で煙草屋をやつてゐた当時、台所の井戸で釣瓶からがぶがぶ牛のやうに音を立てながら飲んだ口元を撫でまはしながら言つた。「とにかく気の毒なもんだて。」

二人はめい〱社会のどん底を見て来たやうな気持になつて、家に帰つて来た。そして贅沢な寝椅子に体を沈めながら考へた。

「とにかくいい物を見て来たて。」

売子娘の驚き11・2(夕)

名高い紐育ニユーヨークの百貨店ワナメエカアの手套てぶくろ部に近く入つて来た売子娘があつた。ある日の事、婦人のお得意に手套を一つ売つた後あとで、今度は直ぐ側そばに立つてゐる紳士のお客の方に振向いた。

「入いらつしやいまし。貴方様の御用は?」

「羊皮ひつじかはの手套を一つ。」

売子が出した手套を受取りながら、紳士は言つた。

「こんな事を言つて、気に障さへて貰つては困りますが、先刻さつきの婦人に対するあなたの応対振ぶりは、まだ十分とは言へなかつたやうですね、あの方は此方こつちの出やうによつては、もつとお需もとめになつたかも知れませんよ。」

売子娘は酸つぱい物を嘗なめさせられたやうな顔をしたが、それでも負けては居なかつた。

「あなたはお客扱ひがお上手でいらつしやるやうね。何ならこゝで暫くお手本を見せて戴いただけないでせうか。」

「よろしい、承知しました。」

客はかう言つて、吃驚びつくりする娘には頓着なく、すつと帳場に入つて来た。そして身軽に外套と帽子とを脱ぎざま、今入つて来たばかりの婦人客の方へ愛嬌のある顔をふり向けた。

「毎度御贔屓に預かりまして……今日こんにちは何か……」

「わたし洗濯せんだくの利く白手套が欲しいんですが……」

紳士は売子娘に白手套のしまつてある棚を訊いた。そしてその中から二揃ひ持ち出して来た。

「いかゞでございませう、このお品では。それからお洗濯せんだくなさいます間うち別のがお入用いりようだと存じますが。」

「さうね、ぢや二つ戴きませうよ。」と婦人客は白手套の二つを購かひ取つた。

「今一つこんなのを御覧に入れたいと存じますが。」紳士は先刻の棚から別の手套を持ち出して来た。「御覧の通り、これは鼠色でございますが、お劇の昼興行マチネーやお寺詣りにはこの方がお似合ひかと存じまして。何ならこれも二揃ひばかりお持ちになりましては。」

婦人客はその鼠色の手套をも言ひなり通り二つ購かはされた。たつた一つの手套が買ひたさに店に入つて来たものが、出る時には四つの手套を提さげてゐた。それもほんの十分間の出来事に過ぎなかつた。

お客が帰つてゆくと、売子娘はすつかり感心したらしく言つた。

「まあ、お上手だわね、貴方これ迄屹度どこかの売子だつたんでせう。そしてお店たなへ雇はれたくつて、今日往いらしたのぢやなくつて。」

「さうかも知れません。」

紳士は外套と帽子とを受取りながら言つた。そして紙入から自分の名刺を取り出して娘に呉れてやつた。それを見ると娘は仰天して酸漿ほほづきのやうに真紅まつかになつた。紳士は擬まがふ方かたもないワナメエカアの主人だつた。

十二種いろの新聞を読む小僧11・3(夕)

今はむかし、米国のアイオワ州、パノラの町のさる銀行支店に給仕を勤めてゐた十五歳ばかしの少年があつた。恐ろしくこまめな性質たちで、朝はやく起きると、直ぐ床ゆかを掃除する。掃除がすむと、今度はせつせと雑巾がけをする。それから暖炉ストウヴを焚たきつけ、窓硝子を拭き、真鍮しんちゆう製の欄干を拭き込む。拭いて拭いて重役の頭のやうにぴか〱光り出すまでは少しも手を休めない。

室へやのなかの掃除がすむと、給仕はいきなり表へ飛び出して、街道を掃除する。雨あがりの道に水溜りが出来てゐると、附近あたりの土をならげてそれを埋合はせ、町の人の通り易いやうにする。――かうしてせつせと働いて、一週に三弗の給金を貰ふ外には、別に誰からお礼を言はれるのでもないが、給仕は少しも不足の顔を見せなかつた。

その一週三弗の給金で、給仕はいつも素晴らしい買物をする事に定きめてゐた。素晴しい買物といふと、算盤高そろばんたかい今の人は直ぐ船株か鶉うづらの卵かを聯想するらしいが、給仕の買つたのはそんなけちな物ではなかつた。亜米利加のいろんな市まちから出る週刊新聞の主だつたもの十二種いろばかりだつた。

「何だつて、そんなに週刊新聞ばかり買込むのだね。」

ある時、同じ銀行の貯金掛りがかう言つて調弄からかふと、給仕は悧巧さうな、くるくるした顔をあげた。

「広い世界のいろんな事が知りたいからなんです。パノラの町は私にとつて余り狭すぎるんです。」

夕方銀行の仕事が済むと、給仕は自分の室へやに入つて、その十二種いろの週刊新聞に気も心も吸ひ取られたやうにじつと読み耽つたものだ。そして狭いパノラの町で、どんなことが起きようが、それは少しも頓着とんぢやくしなかつた。

給仕は成長おほきくなるに連れて、ぐん〱出世をした。タフト氏が大統領をしてゐた頃、この給仕を大蔵省の秘書に抜擢ばつてきしようとしたが、給仕は首かぶりをふつて承知しなかつた。その人こそシカゴの有名な銀行家ジオヂ・レイノルヅ氏で、今では紐育ニユーヨークの銀行を除いては、米国第一の大資本を有もつてるシカゴ某銀行の頭取である。

清野せいの知事辞職説11・4(夕)

この頃清野兵庫県知事が官吏を止よして、前垂掛まへだれかけになつて鈴木商店に入るといふ噂が頻りと立つてゐる。これを鈴木の金子直吉氏に訊くと、金子氏は急に羅馬ローマ字のMのやうに真面目くさつて、(金子氏は聞えた羅馬字論者である)

「嘘ですよ、嘘ですよ。そんな事はありやうがありません。」

と強きつく首かうべを掉ふつてゐる。知事に訊くと、知事はまたわざと、顔をしかめて、

「嘘だよ、嘘だよ。そんな事はありやうがないぢやないか。」

ときつぱりと言ひ消してゐる。

だが、火のない所に煙けぶりの立ちやうがないと同じやうに、世間の噂にもそれ相応の理由わけはあるものだ。話は少し古いが、米騒動のどさくさ紛れに、鈴木商店が附火つけびに遭つた。あの当時の清野知事の行やり方については世間にも何かと取沙汰があつたものだ。

その取沙汰は、清野氏の子供が通つてゐる小学校にまで伝はつて往つた。子供は多くの場合に残酷なほど正直なものである。とりわけ貧乏人の子供は、親父おやぢの言ひ得ない事を言ふものである。彼等は知事の子供を見ると言つたものだ。

「君とこの阿父おとつつあんは厭に鈴木の肩を持つんだね、帰つたらさう言つておくんな。些ちつとはこちとらの事も考へてくれつてね。うちの爺ちやんが言つてたよ。貧乏人はやりきれないつて。」

知事の子供は雛ひなつ児このやうに口を尖らせた。

「だつて、君、うちの阿父様おとうさまは鈴木に入るかも知れないんだもの。入つたら二番目だと言つてたよ。」

「そんな事誰に聞いたんだよ。」

「家うちで聞いたんだよ。僕まだ外にいろんな事を聞いてら。」

子供達は顔を見合せた。これはてつきり清野の爺ちやんとおつ母かあとの寝物語を聞いたのに相違ないと思つたのだ。子供といふものは、両親ふたおやの寝物語からいろんな智識を得るものなのだ。自分は両親ふたおやが結婚してから三月目に出来た子供だといふ事、借りた金には利息といふものが要るといふ事を知るのは、大抵の場合両親ふたおやの寝物語からである。

この話が次から次へと伝はつて、清野氏が鈴木へ入るといふ世間の評判になつたのである。子供は多くの場合大人よりも正直なものだ。しかし大人の方ではまた、

「子供のいふ事だ、当てになるものか。」

と、それを笑ひ話にしてしまふ術すべを知つてゐる。

むかしむかし、お殿様があつた。ある日の事家来衆と馬を飛ばせて山に入つて来た。そして静かな森に来ると、急に声を潜ひそめて、

「お天気続きだから、明日は畑に豆を蒔かう。」

と言ひ出した。そんな事だつたら、何も馬で山の中に来るまでもありますまいと言ふと、殿様は真面目なお顔で、

「でも、屋敷では軒の鳩が立聴きをしまいものでもない。」

と言つたといふ事だ。

清野知事を始め世間の親達に教へる。鳩や子供達のゐるところでは、うかと大声で寝物語は出来ないものでござるぞ。

婦人と多妻主義者11・5(夕)

米国のユウタア州は、人も知つてゐる通り、モルモン宗の本山があるところだけに、そこには鶏のやうに女房かないをたんと引連れた人達も少くない。

このユウタア州選出の上院議員に、スムウトといふ男がゐる。先日紐育ニユーヨーク市のある会合で、紐育生れを何よりの自慢にしてゐるある婦人に出会つた事があつた。婦人はスムウト氏がユウタア州の生れだといふ事を訊くと、寡婦やもめの雌鶏めんどりのやうにぐつと反身そりみになつて近づいて来た。

「スムウトさん、一寸伺ひますが、お国には一人の殿方で奥さんをたんとお持ちの方が随分ゐらつしやるさうですが真実まつたくなんですか。」

婦人の言葉には、胡椒のやうな皮肉な処ところがあつた。が、人交際ひとつきあひの上手なこの上院議員は別に厭な顔も見せなかつた。

「真実まつたくですよ、奥さん。」

「失礼ですが、あなたもそのお一人なんですか。」

婦人は寡婦鶏やもめどりのやうに、伸びかかつた蹴爪けづめでおとなしい上院議員を跳ね飛ばしかねないやうな素振を見せた。

「仕方がありませんよ、奥さん。実は土地ところの習慣ならひで、私の故郷くにではさうしなければならない事情があるのです。」上院議員は剃り立ての顔を撫でながら、目で笑ひ〱言つた。

「事情つてどんな事情なんです。」

婦人はきめつけるやうな調子で訊いた。

「いえね、かうなんです。奥さん方のやうな紐育婦人が――」上院議員はにやにや愛嬌笑ひをしながら言つた。「紐育生れの御婦人が一人して持つてらつしやる色々な美点は、故郷くにの女では三人四人集めなければ得られないからなんですよ。」

「まあ、お世辞のいゝ事……」

紐育生れの婦人は、カナリヤのやうな声を立てて笑つた。そしてその一瞬間、この上院議員に限つて、三百人女房かないを持つても一向差支ないと思つたらしかつた。

サモワルと板垣伯11・6(夕)

少しでも露西亜小説を読んだ事のある人は、あちらではどんな田舎でも、家庭のあるところには屹度湯沸サモワルがあるのを知つてゐるだらう。湯沸サモワルは露西亜人の家庭生活に無くてならない一番大事な道具である。

湯沸サモワルは便利で、加之おまけに火持ちがいいところから、聯合軍が浦塩ウラジホに入いつてから、あの界隈の湯沸サモワルは段々購かひ集められて、アメリカあたりへ輸出された。その故せゐかして、今では浦塩の市街まちで、湯沸サモワルは滅多に見つからなくなり、以前は十五六円だつたものが、今では六七十円も出さなければ容易に手に入いらなくなつた。

その湯沸サモワルを早くから利用してゐる日本人に、伯爵板垣退助氏がある。板垣氏が秘蔵つ児として育て上げた「自由」が、成長おほきくなるにつれて「官僚」と野合なれあつて、原敬さんのやうな頭の白い赤ん坊を生むだ今日こんにち、板垣氏が洟みづはなを啜りながら、湯沸サモワルをお友達としてゐるに不思議はないやうに思ふ人があるかも知れないが、板垣氏はその湯沸サモワルを台所におかないで、所もあらうに厠はゞかりに置いてゐるのだ。

板垣家の手水場てうづばで手を洗はうとするものは、誰でもが其処に置いてある湯沸サモワルの余り見馴れない恰好に先づ目をとめる。そして捩子ねぢをひねると温かい湯が勢ひよく掌面てのひらに流れ出す気持よさに覚えず牽ひきつけられる。

「これは妙だ。おつにひねつてゐらあ。」どんなお客でもが独語ひとりごとのやうに言つたものだ。「伯爵の持物にしては少し洒落過ぎてら。」

実際伯爵の持物にしては、少し洒落すぎてゐるが、それを見た多くの客達に誰ひとり湯沸サモワルだと気がついた者はなかつた。

客のなかに、主人と同じ伯爵で、同じやうな貧乏人があつた。

「一寸御主人に伺ひますが、あの手洗ひは一体どこからお取寄せになりました。」

「あれか、あれは露西亜帰りの男に土産に貰つたのだが――」板垣氏は洟みづばなを啜りながら肩をゆすぶつた。「あちらでは何に使つてるものか、誰に訊いてもわかりよらん。」

島村抱月氏(一)11・7(夕)

島村抱月氏が亡くなつたのは、文壇にとつても、劇壇にとつても、償ふべからざる損失である。今日からこの亡友とその事業とについて少し書いてみたい。

上田敏氏が亡くなつた当時、自分はこんな痛ましい死はない、全く運命の暗討やみうちだと思つたが、島村氏の死もまた同じやうな運命の暗討であつた。卑怯な運命の不意討であつた。

島村氏は寂しい人であつた。翡翠かはせみのやうに寂しい心を抱いだいてゐる人であつた。差向ひで談話はなしをする折にも、野口米次郎氏や、蒲原有明氏や、岩野泡鳴氏などの如く、興がはずむと覚えず声が高くなるといふやうな事はなく、いつも落ついた静かな声で話しをしてゐた。笑ふのにも声を立てるやうな事は滅多になかつた。

とりわけ人を牽ひきつけたのはその眼だつた。智慧の澄んだ光と、愛の柔かい潤ひとに充ちた眼の力は、氏の人格の小さな窓だつた。一時『早稲田文学』を引受けてゐた或る書肆ほんやの主人などはあの眼を見ると、どんな無理な交渉をも承知しなければならなくなるからといつて、島村氏と差し向ひの時は、いつも外そつ方ぽうを向いてゐた程だつた。

余り長くなかつた島村氏が一生の事業は、その色合から見て三期に分ける事が出来る。早稲田を出てから洋行する迄が第一期。洋行から帰つてから文芸協会解散までが第二期。それから芸術座創設から亡くなるまでが第三期。

自分は氏が洋行の一二年前から交際つきあつたので、学生時代の氏については少しも知らない。唯氏と同期の後藤宙外氏の口から、氏は毎朝学校へ来るのに、校門の前に立つてきつと定きまつたやうに尿いばりをした。どんな場合にも袴をとつた事のない氏は、その度に袴の裾をからげるのがうるさいからといつて、終つひにはその袴に態わざと綻ほころびを拵へてその儘にしてゐたといふ事を聞いた事があつた。

洋行をする折には、氏は神戸から信濃丸に乗込んだ。その前日大阪に来てその頃南本町みなみほんまちにあつた船場せんば館といふ旅屋やどやに泊つた。その夜よは余り遅くまで話し込んだので、私もそこに泊り合せる事になつたが、さて寝衣ねまきを着替へようといふ時、私は氏が痩せた下腹したばらに何なんだか得体のわからない物を捲きつけてゐるのを見つけた。

「何です、それは。」

「これですか。」氏は笑ひ〱それを腹から引外した。「この中には大事な物が入つてるのです。」

氏は薄暗い燈ともしびの下で、そのなかから、海外旅行券や正金銀行の為替券や、早稲田の学校から牛津オツクスフオード大学へ宛てた紹介状のやうなものまで取出して見せてくれた。

島村抱月氏(二)11・8(夕)

島村氏の洋行前に、自分は一度連れ立つて文楽座の人形芝居に往つた事があつた。その折故人摂津大掾の出し物は『廓文章くるわぶんしやう』の吉田屋だつたが、人形芝居が初めての氏は、紋十郎の夕霧の美しい使ひ振にひどく牽ひきつけられたらしかつた。その頃師の坪内逍遙氏などと一緒に、高山樗牛ちよぎうの美的生活論に反抗の声を揚げてゐた氏は、その高山氏に立聴たちぎきされるのを気遣ひでもするやうに、そつと声を低めて、

「美的生活も高山君の議論では承知出来かねるが、紋十郎の芸術からはその儘受け容れる事が出来ますね。」

と言つたのをよく覚えてゐる。

洋行中ずつと被古きふるしたらしい、古い麦稈むぎわら帽でひよつくり神戸に帰つて来た島村氏は、以前と同じやうな質素じみな身装みなりだつたが、精神生活においては、もう往時むかしの抱月氏ではなかつた。言葉をかへていふと、早稲田の臭味くさみが大分だいぶん脱とれてゐた。

早稲田文学を再興してから、自然主義の新運動を捲き起した前後にかけての、氏の働き風ぶりは実際花々しかつた。私の知つてゐる限りでは、氏は大した読書家ではなかつた。自然主義唱道の当時も、欧羅巴ヨーロツパの自然流の作品については、余り多く親したしむでは居なかつたやうだが、渉猟した書物から獲えた智識を、統一し摂取して自分のものにするには独得の技倆を有もつてゐた。

秀れてゐたのは氏の批評眼で、芸術的作品にも、人生の事実にも、その真相を突きとめなければ止やまないその透徹な分析力と綜合力とは当時の文壇にづばぬけて光つてゐた。坪内博士は氏の批評眼と鑑賞力とを並べて推称してゐたが、自分の見るところでは、鑑賞力では上田敏氏の方が、氏よりも一段と秀れてゐたらしかつたが、批評眼では上田氏よりも島村氏の方がずつと鋭かつた。

洋行から帰つて来ると、氏は牛込の喜久井町ちやうに自分の家うちを新築した。その頃氏は新築といふ事にかなり興味をもつてゐたらしく、ある日私が訪ねてゆくと、態々わざ〱設計図など取り出して一々説明して聞かせてくれたものだ。私はそんな事に一向興味をもつてゐなかつたので、気のない返事ばかりしてゐた。丁度そこへ徳田秋江しうかう氏が来合はせたので、新しい材木のごたくさ転がつた間なかに立つて写真を撮つた事があつた。

島村氏はその後家庭を破壊して、自分で家を飛び出した。それについて内部の事情を知らない「世間」から氏はかなり手酷てひどい攻撃を受けたが、私達は氏の如き感情に饒ゆたかな、理智に明るい人が、かうした道を取らなければならなかつた周囲の事情を先づ察しなければならない。洋行前ぜん氏がいつもに似ぬ激越な調子で、文士無妻論を唱へた事情を知つてゐるものは、氏の家庭にいつかはかうした運命が来るものと予察も出来てゐたのだ。

島村抱月氏(三)11・9(夕)

家庭の紛雑いざこざは島村氏を極度の神経衰弱に陥らしめた。氏はそれを治すためにある歳としの秋から冬にかけて、かなり長い間京都三本木ぼんぎの信楽しがらきに泊つてゐた。その室へやは上田敏氏や、平田禿木とくぼく氏や、与謝野晶子女史やが泊りつけのもので、私にはとりわけ昵懇なじみが深かつた。千鳥の声の聞える一夜、私達はそこから出て、岡崎を南に、知恩院の境内を通りぬけ、絃歌の雨のやうに降り注ぐ祇園を西に、四条大橋の袂たもとまで来た。そしてそこの料亭で一杯のマラスキノにほんのり顔を染めて、今更のやうに眼を見交した事があつた。その夜の抱月氏の眼は矢張り翡翠ひすいのそれのやうに寂しかつた。

その頃氏はよく奈良へも往つた。そしてかなりの熱心をもつて、この古い都に残された造形芸術に親んだらしかつた。静寧な南欧の自然と、そこに伝はつた古芸術とが、ゲエテを救つて新生命を点じたやうに、それ程深く奈良や京都の自然と古芸術とが、氏を感化したとは思はれなかつたが、少くとも氏の鑑賞力を養つた事だけは明かだつた。

松井須磨子とその生活と事業とを共にするやうになつてからは、氏は真一文字に学者の、批評家の立場から下くだつて来た。そして新劇の先駆者としてその険しい道を拓ひらきはじめた。島村氏のそれからの事業は、唯もう須磨子を仕立上げる、この女優を完成させるといふ事に夢中で、須磨子を仕立上げるのは、やがて新劇を樹立させる事であると堅く信じてゐたらしい。

それが為に氏は先輩とも同輩とも、後輩とも仲違なかたがひをした事が少くなかつた。須磨子を自分の愛人であると同時に、自分の唯一の芸術品であると信じてゐた氏にとつては、それも止むを得ない犠牲に相違なかつた。オリイヴ・シユライナア女史の書いたものに、その製作のために段々痩せ衰へる画家があつた。画ゑの色はこの世のものとも思へぬ程朱に燃えてゐた。画家はやがて製作の前に斃たふれた。見ると心の臓は切り開かれてゐた。画家は自らの血を絞つてその製作に塗つてゐたのだつたといふやうな事があつた。実をいふと、須磨子の芸術が段々際立つてよくなつて来ると共に、島村氏の生活は痩せて来た。以前から寂しい人だつた氏が近頃になつて一層寂しくなつた――少くとも私にはさう思はれた。

島村抱月氏(四)11・10(夕)

確か神戸の聚楽しふらく館で芸術座が『モンナ・ヷンナ』を上演した当時だと思ふ、そこの食堂で私達が会食してゐると、羽織袴の若い男がすつと入つて来て島村氏に挨拶をした。そして懐中ふところからたつた一枚きりの、短冊たんざくを出して何か書いてくれと強請せがんだ。氏は余儀なく万年筆を取り出して、さらさらと書きつけた。

セリセツト死にぬ哀れの妻なれど妻に代へたる恋もたふとし

私はそれを読んで涙が内に流れる気持がした。セリセツトは言ふ迄もなくマアテルリングが作中の一人物を藉かりて島村氏自身の痛ましい夢をさしたものに外ならなかつた。

「妻に代へたる恋も尊し」――実際島村氏が須磨子との恋は、氏にとつて二つとない物だつた。氏は須磨子を愛し、須磨子を自分の芸術として仕上げ、完成させるためには、有あらゆる努力をした。聰明な氏は自分の天分が学者であり、批評家であるに適してゐた事を知らない筈はなかつた。それだのに氏はその地位を古履ふるぐつのやうに捨てて自ら作家たり、舞台監督たり、劇場支配人たり、実行家たらうとした。それは新劇の樹立といふ大きな目的のためではあつたが、須磨子こそはその目的に要する氏が製作の唯一の粘土であり、大理石であり、幻であつた。

島村氏のやうな正直で温和おとなしい人が、嘘と掛引との多い劇界へ入つて、個性を傷きずつけられはしまいかといふのは、氏の友人知己の気遣ひであつたが、実際はそれも杞憂きいうに過ぎなかつた。興行の事でいつも氏と交渉をしてゐた松竹まつたけ合名社の某氏などは言ひ〱してゐた。

「島村さんのやうな正直な方に逢つては叶ひません。掛引など気恥しくて出来やしません。それでは却かへつて貴方の方の御損ですよと、こちらから御注意するやうな事が度々ありました。」

実際はさうでも無かつたらしいが、氏はそんな事に頓着なく、いつでも正直と生一本とでずつと押通してゐた。

島村氏は亡くなつた。氏の生活と事業とは卑怯な自然の暗討やみうちに遭つて未完成のまゝ残されてしまつた。それは氏の運命であると共に、また人間の運命である。氏の事業は門下生や多くの座員によつて継続されるだらうが、氏の精神こゝろの、霊魂たましひの、そしてまた愛の跡継は松井須磨子でなくてはならない。須磨子は故人が半生の愛人であり、芸術品であるからである。

思へば九月二十日、京都南座で氏に会つたのが最後であつた。私達は長田ながた秀雄氏と三人小さな卓テーブルを囲かこつて色々の話をした。氏はその折吾が紙しのために近々きん〱演劇と当局の取締とについて長い論文を書かうと約束をした。その論文も永久に見られなくなつたのは、私の読者と共に残念でたまらない所である。

人相見11・11(夕)

少わかい時には誰しも自分の身の方向に迷ふものだが、アメリカのある少年が、自分にはどんな職業しごとが向いてるか知らと、色々思案の末がよくある慣ならひで人相見のとこに出かけて往つた事があつた。

人相見はしかつべらしい顔をして、少年に色々の事を訊いた。いづれも人相を見るのに聴いておかなければならぬ事かも知れなかつたが、中には何どうでもよからうと思はれるやうな事までも訊いた。それは、

「お前さんには姉さんがゐるかね。齢としは幾つなの。」

と訊いた事で、姉があらうがあるまいが、その姉が幾つであらうが自分の人相に関係もない事だと思つたので、少年はそれには返辞をしなかつた。

質問がすむと、人相見は少年の額を押へてみた。次ぎにはまた頸窩ぼんのくぼを押へたりした。そして卓子テーブルに両臂りやうひぢをついて、じつと頭を抱へて、暫く考へ込んでゐたが、やつとの事で次のやうな検察書をかいてくれた。

「貴殿は世間並の人となるべし。卓抜のところは少しも見えず。才気なければ、人の長たる事思ひもよらず。吾が力を恃たのむほどの自信もなし。かるが故ゆゑに人の上かみに立たんなどの身に過ぎる事に志すべからず。万よろづ吾が程を知りて、分に安んじなば身も安全なるべし。」

少年はそれを読むで一時がつかりしたらしかつたが、それでもせつせと精を出すに越した事はない筈だと、一生懸命に仕事を励むだ。すると、不思議な事に、ぐんぐん出世して吾と吾が力を恃む事が出来るやうになり、安心して人の長になる事も出来るやうになつた。この少年は誰あらう、今米国の造船総監として非凡の手腕を揮ふるつてゐるチヤアルズ・シユワツブ氏その人である。

茶話記者がある時大和の久米寺くめでらに詣まゐつたことがあつた。本堂の蔀格子しとみがうしにつかまつて内陣なかを覗き込むでゐると、後ろから、

「どうだす、一つ手相を見せて頂けまへんやろか。」

といふ声がした。振りかへると、お札売の爺さんであつた。

私は掌面てのひらを爺さんの鼻先につきつけた。爺さんは狗いぬのやうにうそうそ嗅ぎまはつてゐたが、

「あんさん、よろしおまんな手相が。株を買ひなはつたら屹度上りま。縁談やつたら急せきなはらん方がよろしおますが、事によつたら国会議員になんなはるかも知れまへんぜ。」

丁度その頃議員の選挙期だつたので、爺さんは思ひ出したやうに、こんな事までつけ足した。

おかげで、記者は二十銭銀貨を奮発させられた。国会議員になるには廿銭位が相当だと思つてゐたのだ。――ところが、いつまで待つてもなりさうにはない。

女形をやまの心得11・18(夕)

むかし翫雀くわんじやく歌右衛門が、女形をする心得を言ひ残した事があつた。それによると、女形はすべて膝がついて居なければならない、何よりも大事なのは、この膝で、そして手元を柔かにしてゐれば、その儘女になりきる事が出来るのださうだ。

浜村屋菊之丞といふ女形が、木挽町こびきちやうで菅原を演やつたとき、覚寿かくじゆと梅王と千代との三役を勤めた事があつた。梅王には今浪花座で多見蔵のやつてゐるやうに車曳くるまびきの条すぢで、両臂りやうひぢを張り手先を肩に預けないやうに腕を組むで、

「喰くらひふとつた時平しへいどんの尻こぶら、二つ三つ……」と左手ひだりの拳で右の二の腕を打つところがある。それを菊之丞が何どういふかは幕内の面白い問題となつてゐた。

といふのは、その頃は女形のつつましい口からは、尻といふやうな端はしたない言葉は夢にも言つてはならない事になつてゐた。ところが、菊之丞は稽古の時、そこへ来ると、急に声を落して何か訳の分らぬ事をくどくどと言つて誤魔化してゐた。

「何を言つてるのだらう、芝居が開あいてもあんなぢや困つてしまふが。」

皆は寄々より〱その事を話して気遣つたものだ。すると初日の幕が開あいた。待ち設けた車曳となつた。皆は身体からだぢゆうを耳のやうにして、その台辞せりふを待つた。菊之丞は叫んだ。

「時平どんの御面相二つ三つ……」

皆はやつと安心して、ほつと息をついた。

今浪花座に出てゐる中村福助が、去年淀川に堤切どてぎれがあつた当時、清荒神きよしくわうじんから大勢の贔屓客かくと一緒に、大阪帰りの電車に乗込んだ事があつた。電車が十三じふさうと三国くにとの間に来ると、出水でみづはもう軌道レエルを浸ひたしてゐて、車は鳥のやうに声を立てながらおつかなびつくりに進むより外に仕方がなかつた。福助は物珍しさうに窓に顔を押しつけて、夜目よめに気味悪く光る水の面おもを眺めてゐたが、ひよいと連つれの男を振かへつたと思ふと、

「どうだす、これが砂糖水さたうみづやつたらよろしおまんのになあ。」

と、舌嘗なめずりをしながら言つてゐた。

帝劇の尾上梅幸が、芝居がはねてから、夜遅く友達と一緒に外濠そとぼりを歩いてゐた。空には星が瞬きをしてゐた。梅幸は立ちどまつてじつとそれに見とれてゐたが、しみじみと思ひ込んだらしく、

「あれが、皆みんなダイヤだつたらなあ。」

と独り言のやうに言つたといふ事だ。

梅幸も福助もさすがに女になりきつてゐる。値安ねやすで成るべく好よい物を手に入れたいと思つてゐる点において。

有島武郎たけを氏と西洋人11・19(夕)

小説家有島武郎氏が、米国留学から帰つて来る途中仏蘭西へ廻つて、その頃巴里パリーで絵を習つてゐた弟の生馬いくま氏を訪れた事があつた。

兄弟久しぶりに外国で出会つた嬉しさは、また格別のものだつた。生馬氏は武郎氏を案内して方々を歩き廻つたが、帰りにはいつも定きまつたやうに、モンマルトル辺にある日本の留学生が往ゆきつけの料理屋へ入つて、食事をする事にしてゐた。

ある日も、有島兄弟はかなり歩き疲れてその料理屋に入つて来た。そして四辺あたりの騒々しさと掛け離れた静かな卓子テーブルに凭よりかゝつて、ちびり〱洋盃コツプの縁ふちを嘗なめながら、頭を突き合はせて低声こごゑで何か話してゐた。

すると、だしぬけに表から飛び込んで来た男がある。雀のやうな小柄な日本人で、春さきによく窓から飛び込んで来る雀のやうに慌てきつてゐた。その男は入つて来ると、いきなり有島氏兄弟の側そばにあつた椅子に腰をおろした。そしてきよろきよろした眼つきで、先客せんかく二人の顔を見比べてゐたが、急に気がついたやうにすつと立ち上つて、向ふの卓子テーブルに往つた。

そこには鍔つばの広い色変りの帽子や、天鵞絨びろうどの洋服を着た日本の画学生ゑがくせいが五六人集まつてゐた。みんな喰べ酔つた顔をしながら、巻煙草の煙けぶりと一緒に、淫みだらな女の噂などを吐き出してゐた。雀のやうな小男は、そのなかに割り込むと笑ひ〱大声ではしやいだ。

「どうだい、あすこの隅つこにゐる毛唐は恐ろしく日本人に肖にてるぢやないか。僕はすつかり見違つて、今あすこへ割り込んだぢやないか。」

皆はその男の指さした方を見た。そこには有島氏兄弟が怪訝けげんさうな顔をして、此方こつちを振り向いでゐた。

「あれは君、有島君兄弟ぢやないか。毛唐と見違ふなんて随分だね。」皆は声を立てて笑つた。「ぢや、一つ紹介ひきあはせをしよう。こつちへ来たまへ、五来らい君。」

その雀のやうな小男は、新聞記者の五来素川そせん氏だつた。

有馬武郎氏は、それから帰国すると程なく、ある用事で読売新聞社に五来氏を訪ねた。五来氏は巴里の料理屋で見たやうに、慌あわたゞしく応接室に入つて来た。そしてしげしげ有島氏の顔を見てゐたが、急にしんみりした調子になつて、

「有島君、君も随分齢としを取りましたね。」

と言つた。

有馬氏は巴里このかたそんなに齢を取つた覚えはなかつたので、かう言はれると、余りいい気持はしなかつた。で、何故だらうと色々話してゐるうちに、五来氏が自分を弟の生馬氏と見違つてゐる事に気が注ついた。

「それぢや、君は私と弟とを間違へてるんだ。ははは。」

有島氏は弟の生馬氏より百年も若いやうな声を立てて笑つた。五来氏は眼をくしやくしやさせながら、済まなささうに頭を掻いてゐた。

紙の倹約しまつ11・22(夕)

紙が高くなつた! 紙が高くなつた! 紙が高くなつたからといつて定期刊行物の定価が昂あがる。単行本の値段が高まる。これではとても遣切やりきれないといふので資本もとでの手薄な書肆ほんやはつい出版を絶念あきらめて了ふ。お蔭で下らない書物ほんが影を隠して世の中が至極暢気のんきになつた。

だが、余り紙の値段が昂つて、成るべく皆に読ませたい、読ませなければならぬ筈の書物ほんまでが、出せなくなるのは困つたものだ。かうなれば仕方がない、無肉日ミイトレスデイを拵へて、肉を節倹しまつしたやうに、お互に紙を節倹しまつする分の事だ。

一体今の人は紙をたんと費つかひ過ぎる。もつと節倹しまつしても少しも差支はない筈だ。エリザベス時代のある英国人は紙が節倹しまつしたいからといつて、胡桃くるみの殻からにしまはれる程の豆本に、新約全書そつくり書き込んだといふ事だ。

また或る英国人は、同じ胡桃の殻に揉み込まれるやうな一枚の紙に、『イリヤツド』全部の文句をそつくり書きとめた。『イリヤツド』といへば、ホオマアの傑作で、ざつと一万五千行の長い詩だが、その男は紙の両側に七千五百行づつ克明に書き込むだものだ。

また同じ頃の或る伊太利イタリー人は、十八吋インチ平方の紙に、自分の好きな詩を三千行ばかり書き込むで、閑ひまさへあるといつもポケツトから取り出しては、それに読み耽つてゐたといふ事だ。

かういふ風に文字を小さく書く工夫をすれば紙は幾らでも節倹しまつ出来るものだ。だが、それでは眼によくないといふかも知れないが、それは無論の事眼を傷いためる。しかしこの場合眼などは何どうでもよい、問題は紙を節倹しまつする事が出来れば、それで、十分なのだ。

時雨しぐれ女史と雑誌記者12・1(夕)

もう新年が眼の前に見えるので、東京の各雑誌社では原稿の奪ばひ取とり合ひに血眼になつてゐる。とりわけ創作を売り物の雑誌では一段とそれが激しいが、この冬は流行はやりつ子この作家が大部分例の流行感冒を煩つたので、そここゝに手外てはづれが少からずあるやうだ。

少し前ある雑誌社の編輯へんしふ記者が原稿取りに長谷川時雨女史の許ところへ出かけたのがあつた。時雨女史は原稿取りに来た男をも、自分を口説きに来た男と同じやうに、愛相あいさうよく迎へる術すべを知つてゐる女の一人にんである。

「失礼ですが、今日は貴女あなたの運命を決めたいと思つてあがりました。」雑誌記者はかう言つて、屹きつと時雨女史の顔を見た。その瞬間女主人をんなあるじは、雑誌記者がてつきり自分の愛を求めに来たのだと思つて、栗鼠りすのやうな速さで眼を前に坐つた若い男の額に鼻に、口もとに、走らせた。だが、どこにも女の心を牽ひきつけるやうな力は見えなかつたので、軽い失望を感じたらしかつた。女史は強ひて気を落ちつけて言つた。

「私の運命をお決めになりたいと申しますと……」

「はい、創作家としての貴女の運命を決めたいのです。」

雑誌記者は喧嘩をするやうな調子で語り出した。その言葉によると、自分の雑誌では今度著名の作家達からそれ〲自信のある作物さくぶつを貰ひたいと思つて、手始めに女史の許ところに頼みに来たわけなのだ。もしかその作物の出来栄が悪かつたら、自分は才能のないものだと絶念あきらめて、これからは一切創作に筆を取らない約束で、書いて貰ひたい。もしまた、さういふ約束では原稿が書けないといふやうなら、その人は自信のない人として、自分達は進んで創作界から葬り去る役を勤めたいと思つてゐるといふのだ。

「まあ、怖ろしいお約束なのね。私何だつてそんなお約束までして書かなければならないんでせう。」時雨女史は怖ろしさうに態わざと肩をすぼめて言つた。

「それは貴女が作家の一人だからです。」と雑誌記者はそれが定きまつた真理ででもあるやうに言つた。「その代り原稿料はうんと沢山出します。これまでどこにも例がない程どつさり払ひます。」

「どつさりだつて、お幾ら位?」

時雨女史は結婚の結納料でも訊くやうに、心もち含羞はにかむで言つた。これまで幾度いくたびか無償たゞの原稿を書かされた身には、それだけは訊いておきたかつた。それに女の作家は男の作家よりは幾らか買ひ物も多かつたから。

「幾らといつて、それはどつさり払ひますが。」雑誌記者は狐のやうな表情をした。「しかし何しろ一流どこばかしの顔寄せで、作家としてこの上もない名誉の事だから、その名誉に甘んじて、この際原稿料などは包つゝみ金がねで辛抱して戴きたい。実は私の方でも作家を相手に原稿料を彼是いふのは、苦痛ですからね。」

「へえ、包み金で、それで加之おまけに私達の運命まで……」

時雨女史は悔くやしさに泣き出しさうな顔をした。雑誌記者はそこ〱に立つてお暇いとまをした。彼は女が泣き出すと、包み金では迚とても始末がつかないものだといふ事をよく知つてゐたから。

桃の実12・5(夕)

横須賀にある海軍機関学校の校長船橋ふなはし中将が、大橋乙羽おとはがまだ存命当時、道連れになつて、一緒に米国を横切つた事があつた。

ちやうど桃の実の熟うれる頃で、果物好きな乙羽は、汽車の窓から桃の実をしこたま購かひ込むで、次ぎから次ぎへと止とめ度どもなく貪り食つた。そして口に残つた核子たねは一頻りしやぶり通した後で、猿えてきちのやうな口もとをして床の上に吐き出して素知らぬ顔をしてゐた。

それを見た乗合の亜米利加人は、みんな不愉快な顔をした。なかにも婦人客は、神様が接吻キツスと嘘とのために特別きやしやに拵へたらしい唇を、邪慳に圧へし曲まげて、軽蔑さげすみきつた眼つきをして、この黄いろい肌の日本人を見た。幾度か西洋に渡つて、あちらの風習ならはしを知りぬいてゐる船橋氏は、はらはらして乙羽に耳打をした。

「大橋君、君が桃の核子たねをみんな床の上に吐き出すので、毛唐め、あんなに機嫌を悪くしてるよ。」

「何だつて機嫌を悪くするんだい。」乙羽は桃を口一杯に頬張りながら言つた。

「それがね、かうなんだ。」

船橋氏は嘘を吐つく者に附き物の、わざと気取つた口ぶりをして言つた。それによると、すべて西洋人は汽車のなかで果物を食べる折には、食べ残した核子たねは、一々克明に窓から外へ投げる事にきめてゐる。投げられた核子たねは、芽を吹き花を開いて、幾年か後のちには、鉄道の両側は美しい花園はなぞのとなり、おまけに果物圃くだものばたけとなるので、どれ程土地ところの人のためになるか知れないといふのだ。

「成程な。」

乙羽は胃の腑の底から感心しきつたやうな声を出したが、暫くすると、恥しさうにそつと手を伸ばして、床に吐き散した桃の核子たねを、一々拾い取つては窓の外に投げ出した。

旅行から帰つて、暫くすると、船橋氏は乙羽から『欧山米水』といふその折の観光記を受取つたが、別に開あけても見ないで、その儘本棚の隅つこに投ほり込んでおいた。すると間もなく乙羽も亡くなつてしまつた。船橋氏は記念かたみの『欧山米水』を取り出して、一寸ちよつと表紙の埃を弾はたいて読みかけてはみたが、別に軍人を天使のやうに書いてもなかつたので、その儘打捨うつちやらかして了つた。

すると、この頃になつて、船橋氏は自分の子供が、西洋人は汽車で果物を食べると、核子たねは皆みな窓から捨てる事になつてゐる。あちらに花園はなぞのや果物圃の多いのはその故せゐだといふ事を話してゐるのを聞いた。

「誰にそんなことを聞いたね。」

船橋氏は吃驚びつくりしながら訊いた。

「誰につて。ちやんと教科書に載つかつてますよ。」

子供は得意さうに答へた。

船橋氏は慌ててその教科書を取寄せて見た。それには乙羽の『欧山米水』から抜書ぬきがきされた文章が立派に載つてゐた。

「嘘だ〱。みんな俺の嘘だからね。」

船橋氏は文部省に掛りの人を訪ねて、かう言ひながら強たつてその文章の取消を頼んだ。

「ほんまに窮屈な世間だ、嘘もろくに吐つけないんだからね。」

船橋氏は文部省の玄関を出る時、独語ひとりごとのやうに呟ぼやいた。――実際窮屈な世間だ、真実ほんとうの事の言へない世の中に、嘘が吐かれよう筈がない。

鉄斎翁と漢法医12・6(夕)

京都大学の講師富岡謙蔵氏は、長らく病気で臥ふせつてゐる。幾人いくたりかその道の博士を聘たのんで診ては貰つたが、一向に快よくならない。子煩悩の鉄斎翁は、その枕もとに坐つて、幾人いくたりか顔昵懇かほぢつこんの医者の名を想ひ出してはみたが、誰ひとり可愛かあいい息子の病気を診て貰はうといふ気はしなかつた。すると最後にある漢法医の名が想ひ浮んで来た。

その漢法医は、今奈良にゐる石崎杏隠きやういんといふ爺さんで、鉄斎翁はこれまで一度も逢つた事はなかつたが、名前だけは予々かね〲聞いて知つてゐたので、今その名を想ひ出すと、息子を救つてくれるのは、この漢法医の爺さんでなくつちやならないやうな気がし出した。

石崎爺さんは丁髷頭ちよんまげあたまを気軽に掉ふつて奈良から出て来た。そして一目病人の容体ようだいを見ると、手もなく風土病から来た湿毒症だといふ事を言ひきつた。で、当座の手当を言ひ残してさて座を立たうとすると、富岡家の書生は、お礼だといつて、大きな紙包を持ち出して来た。

石崎爺さんはその瞬間病人の父親てゝおやが名高い画家ゑかきだといふ事を思ひ出した。

「医は仁術なりと申してな、お礼など目的めあてには参り申さぬ。達たつてとの御意なら、記念のために老先生の扇面が戴きたい。」

爺さんは平素ふだんせんぶりを嘗なめつけた口もとを歪めながら言つた。

鉄斎翁はそれを聞くと、早速扇子に鉢植はちうゑの蘭を書いてくれた。よくよく相手が気に入つたと見えて、いつもよりは蘭の花を一つ沢山に描かき添へてゐた。石崎爺さんは家うちに帰つて薬を調合する折にも、じつとその扇面に見とれてゐたが、余りの嬉しさに、

「ええ、負けてやれ。」

と、例いつもの分量よりは余計に薬でも盛つてやりたいやうな気がしたらしかつた。

富岡家の病人は石崎爺さんの薬を飲み出すと、容体がめき〱と快よくなり出した。喜んだのは鉄斎翁で、この頃ごろ医者あてに一つの小包を送つてよこした。開あけて見ると、外でもない立派な画帖で、表紙に「仿古はうこ小品」と題し、第一面には「喜夜不寝」といふ四文字を、後あとには得意の山水が幾枚か描かき込むであつた。石崎爺さんはその画ゑのなかから、自分の丁髷頭に似た禿山を見出しては喜んでゐる。

それを嗅ぎつけて来たのは、出入の骨董屋で、

「先生素晴しいものが手に入いりましたな。これだけの値打はいつでもありますよ。」

と、これまで色々のまやかし物を掴みもし、掴ませもして来た掌面てのひらを拡げてみせた。

「何を言ふ、画も医術と一緒で仁術ぢやて。値段なぞ言はぬ方がよい。」

と石崎爺さんは、窘たしなめるやうに態わざと頭かぶりをふつてみせた。滑つこい頭の上では、小さな丁髷が魚のやうに尻つ尾を掉つてゐた。

蘆花氏と女商人をんなあきんど12・7(夕)

蘆花徳富健次郎が、ながい間の修道的閉居から、久しぶりに、柴の扉とを開あけると、いろんな訪問客が毎日ぞろぞろ詰めかけ出した。そのなかに氏の原稿を貰つて一儲けしようと目論もくろみを立ててゐる出版業者も幾人いくたりか交まじはつてゐた。

さういふ輩てあひのなかにたつた一人の女商人をんなあきんどがあつた。幾度いくたびか面会を謝絶ことわられても性懲りもなくまたやつて来るので、徳富氏も流石に気の毒になつて会つてみる事にした。

その人は両国橋詰はしづめのある書肆ほんやの女主人だつた。

「お忙しいところを、お邪魔にあがりまして相済みませんが……」女商人をんなあきんどは丁寧にお辞儀をした。頭の下げやうが、どこか婦人雑誌の口絵によく肖にたやうな点ところがあつた。「先生のお書きになつたのを、一度私どもでも出させて戴きたいと存じまして。」

「私の書物ほんを出版したい?」徳富氏はこの頃髭を剃り落したばかりの頤あごを撫でながら、子供のやうなくりくりした顔をして言つた。「何故ですか。」

「お金が儲けたいんです。先生の御本を出させて戴きますと、お金がどつさり儲かりますやうに承はりましたから。」

女商人をんなあきんどはかう言つて後おくれ毛げを撫であげた。そして自分でも幾年か往時むかし、男の膝にもたれて、「あなたが恋しいわ。」と言つた以来このかた、これほど真実ほんとうの事を言つた事は無かつたと思つたらしかつた。

「なぜ、そんなにお金が儲けたいのかね。」

徳富氏は不思議さうに訊いた。

女商人をんなあきんどは答へた。「商売をも一層手弘てびろくやつて往ゆきたいと思ひますし、それに妙齢としごろの娘も二人ございますもんですから。」

「娘がお有りだつて。」徳富氏は雌鶏めんどりの羽はがひ下したに卵を一つ見つけた折のやうに声をはづませた。「それぢや原稿をあげない事もないが、その代りこゝに一つ条件がある。」

「条件と仰有いますと……」

「あなたも知つて居るだらうが、麹町かうぢまちに金尾文淵堂といふ書肆ほんやが居る。あすこの主人に娘さんを娶めあはさないかね。さうするときつと私の原稿をあげる。」

徳富氏はにこりともしないで言つた。文淵堂の主人といふのは、浅草の観音様を自分の恋人として毎夜お詣りをする外には、何一つ浮いた事もなく、四十の今日こんにちまで童貞を守り通して来た風変りな商人あきんどで、徳富氏とは長い間の近づきであつた。

「思召おぼしめしは有難うございますが、いづれよく考へました上で。」

女商人をんなあきんどはかう言つて帰つて往つた。そしてそれ以来二度と原稿を貰ひに粕谷かすやの村へ出て来なくなつた。

その後のち徳富氏が両国橋を通ると、橋詰の書肆ほんやの店で、見覚えの女商人をんなあきんどは客を相手にせつせと働いてゐたさうだ。――よい考へで、お金が儲けたかつたら、働くに越した事はない。

子役の粗相12・10(夕)

今道頓堀の中なか座で演やつてゐる『故郷飾錦伊達織こきやうへかざるにしきのだており』、伊達家奥御殿の場に鶴千代丸に扮してゐる実川じつかは延宝と、千松に扮してゐる中村芝芸雀しげじやくといふ子役が二人ゐる。

いつも奥御殿の場になると、子供心にも競争心を起して、一生懸命に芸を励むので、見物衆も思はずほろりとさせられてゐるが、八日の演出には、子役の手には殆ほとんど持ち切れない程の思ひもかけぬ大事件が起きた。

それは外でもない、延若の政岡が風炉ふろ先きの屏風にひしと身を寄せて忍び泣きをしてゐると、「稚をさなけれども天然に太守の心備はつ」た筈の延宝の鶴千代が、この頃の寒さに、つい堪こらへかねて小便しゝが仕したくなつた事だ。

鶴千代は政岡の方に気をかねながら、押し潰したやうな泣声を立てた。

「おつ母かあ、小便しゝがしたい。」

その日は河内家かはちやの総見そうけんがあつたので、肝腎の阿おつ母かあは皆と一緒に場に坐つて、惚々ほれ〲と吾児わがこの芸に見とれて、夢中になつてゐた。

「おつ母かあ、小便しゝが仕したい。」

鶴千代は二度までかう言つたが、つい堪こらへきれないで、ちやんと脇息けふそくに凭もたれたなり、袴のなかに小便しゝを漏した。褥しとねは言ふまでもない事、美しい衣裳小切こぎれまでしつぽり濡通ぬれとほつてしまつたが、鶴千代はその儘平気な顔で押通してゐた。

幕が締しまると、それに気づいた母親は、延宝を連れて河内家の部屋へ謝りに往つた。

「親方どうも相済みません。幕合に私が気をつけるのを忘れたもんですから。」

かう言つて母親が閾際しきゐぎはに額を押しつけると、延宝も小便しゝに濡れた太守の着附のまゝで叮嚀に栗のやうな小さな頭を下げた。

すると、先刻さつきから子供心に朋輩の上を気遣つて、こつそり後について来た千松役の芝芸雀はいきなり前へ飛び出して、鼠のやうに畳の上に小さくなつた。

「親方、かんにんしとくなはれや、小便しし仕したのは延宝さんやおまへん、私わてだすよつてな。」

芝芸雀は主従で勤めた舞台の心持を忘れないで、部屋にかへつてもまだ主人の身代りにならうとしてゐるのだ。

それを聞くと、延若は両手を拍うつて感心した。

「よう言つた。芝芸雀、その心持々々。その心持を忘れるんぢやないぞ。」

お蔭で芝芸雀は両目めんもくを施して帰つたが、延若は今一人褒めなければならぬ子役のある事を忘れてはならない。それは粗相をした延宝で、小便ししがしたくなつても、じつと坐を立たないで、その儘袴のなかに洩もらしてそ知らぬ顔をしてゐたところに、確たしかに五十四郡の太守たる貫目くわんめがある。せい〲粗相をする事〱。

幹彦氏閉口す12・11(夕)

話は少し古いが、ある雑誌社の社員が、長田ながた幹彦氏のところへ原稿を取りに往つた事があつた。長田氏がまだ今日のやうに名を成さない頃で、従つて氏の懐中ふところ工合ぐあひも近頃のやうに暖くはなかつた。

雑誌記者は玄関に立つて案内を待つてゐるうちに、ふと妙な事を見つけた。それは台所口から出てゆく出入の魚屋の小僧の姿で、その小僧は妙にぷりぷりした顔で、

「それぢや、明日あしたは是非戴けるやうにお願ひしますよ。」

と言つて出て行つた。

「てつきり魚屋に払ひ残りがあるんだな。」

雑誌記者はそれに気が注つくと、その次ぎの瞬間に、

「原稿は屹度安く書いて貰へるな。」

と思つた。

長田氏は記者を相手に色々話をしてゐるうちに、尾崎紅葉の『金色夜叉』が未完結のまゝで残つてゐる、あれを一つ書き続けてみたいものだと思つてゐるといふ事を言つた。

「続金色夜叉――それは面白い。ぢや一つそれを私の方に書いて戴きませうか。」

狐のやうに狡こすい記者は、目の前の機会をその儘見遁みのがすやうな事はしなかつた。

談話はなしは原稿料の事にまで立ち入つて来た。先刻さつきの魚屋の言葉を大事に頭のなかに畳み込んでゐる記者は、膝を少し乗り出して来た。

「原稿料なら私どもでも出せるだけは幾らでも出しますが、こゝに一ついゝ方法があるんですよ。」

記者はかう言つて、さういふ好いい方法を思ひついた自分の頭を労いたはるやうに額を後へ撫でおろした。

「続金色夜叉といへば、どこの本屋でも屹度顫ふるひつきますから事情を話して本屋から前金ぜんきんを借り受けるんですね。えゝ、貸しますとも、それは屹度貸しますよ。」

「本屋から前金を借りる。それも一つの方法だが、それはそれとして君の方の原稿料は?」

長田氏は胡散うさんさうな眼つきをして相手の顔を見た。

「感心しましたか。」記者は気味悪さうににた〱笑つた。「所で、さういふ前借ぜんしやく方法を提供したのは僕ですから、僕の方の原稿料は成るべく安くまけて貰ひたいもんですね。」

長田氏は呆気にとられて、蛙かはづのやうに眼をくるくるさせた。話がどう纏まとまつたかは知らないが、長田氏はその後ごになつて続金色夜叉といふ小説を書くには書いた。

博士と生徒12・12(夕)

詰込み主義の鸚鵡流の教育では、日本の学校は何国どこにひけを取らないが、何事にも自由な米国でも、教育だけはまた別だと見えて、近頃かういふ話があつた。

ある小学校の校長は、毎朝課業の始まる前に、定きまつたやうに生徒を講堂に集めた。そして小高い教壇の上に鉛筆のやうに真つ直に衝立つゝたちながら、咽喉一杯の声を張りあげて訊いたものだ。

「皆さん、あなた方はかうやつて大勢講堂に集まつてゐますが、万一もしかひよつとした事で、この建物から火が出た時には何どうしますね。」

成る程学校の建物は、校長が火を気遣ふやうに粗末な木普請きぶしんで、そこらの柱などは僂麻質斯リウマチスでも患つてゐるらしく、イヒチオウルのやうな茶色の薬で塗りくつてあつた。

それを聞くと、生徒は讃美歌でも唱うたふ折のやうに、一斉に声を揃へて返辞をした。

「先生、私どもはみんな腰掛から起たち上ります。そして一先づ廊下に出て、遽あわてないで順々に外へ逃げ出します。」

校長は満足さうにぐつと顎をしやくつた。彼はかういふ風にさへ教へて置けば、いつどんな事が起きても生徒は満足に避難出来るものと信じてゐるのだ。

ある日の事、その学校へヴアン・ダイク博士が訪ねて来た。博士は聞えた著述家だといふので、校長は生徒のために一寸したお話を頼んだ。

ヴアン・ダイク博士は、いつも校長が鉛筆のやうに衝立つてゐる教壇に立つた。そして落つきのある声で言つた。

「皆さん、私は博士ヘンリ・ヴアン・ダイクといふ者です。私が今こゝに立つて皆さんのためにお話をすると言つたら、皆さんは何どうしますか。」

博士はかう言ひさして、慈悲の籠つた眼で、じつと生徒を見おろした。

生徒は家鴨あひるのやうにぎやあ〱声を揃へて言つた。

「先生、私どもはみんな腰掛から起ち上ります。そして一先づ廊下に出て、遽てないで順々に逃げ出します。」

ヴアン・ダイク博士はそれを聞くと、僂麻質斯リウマチスに罹かゝつたやうに痛さうに顔をしかめた。教壇の下では校長が火事に出会でくはしたやうに真つ赤になつて顫ふるへてゐた。

原敬氏の愛嬌12・14(夕)

神宮と桃山御陵との参拝に出て来た原首相は、内閣組織そしよくこのかた、世間から、

「平民首相だ〱。」

と噂されるので、今度の旅行には気持よく新聞記者に会つて談話はなしをするのみか、停車場ていしやぢやうに立つてゐる巡査や駅夫にまで、にこ〱顔で一寸愛嬌を交かはしてゐる。

原敬氏とグラツドストオンとを比べたら、英国首相の方で顔を顰しかめるかも知れないが、グラツドストオンが旅行でもする時には、怖ろしく沢山な新聞雑誌の記者が一緒に蹤ついて往つたもので、この偉大な政治家はその孰いづれをも満足させて帰したものだ。

ある時こんな事があつた。それはグラツドストオンが何かの用事で倫敦ロンドンからエデインバラに出掛けた旅行中の事で、その折はどういふものか新聞記者といつたら、某社の記者がたつた一人随行してゐるに過ぎなかつた。

汽車が途中のある駅につくと、停車場ていしやぢやうにはこの偉大な政治家を一目見ようといふ物好きな土地ところの人が一杯に待つてゐた。無精ぶしやうな原敬氏だつたら、動物園にゐる西伯利シベリア産の狐のやうに、窓から白つぽい頭を覗のぞけて、狡こすさうに一寸会釈をする位に過ぎなからうが、この英国の首相は態々わざ〱入いり口くちに出て来て、出迎人でむかへにんを相手に演説を始めた。

土地ところの人は思ひがけなくこの政治家の演説が聞かれるといふので、ぎつしり汽車の前に押しつめて来た。田舎の人達の事とて、胃の腑の詰まつてゐる代りに、頭のなかは空缶あきくわんのやうに空からつぽだつたから、演説は一言一句その儘に入つて往つたが、几帳面な汽車の時間表は、首相の演説にも少しも容捨ようしやはしなかつた。汽車は呆つ気にとられた出迎人をプラツトフオウムに残してさつさと出て往つた。

それでもグラツドストオンは演説を止やめなかつた。今度は側そばに立つてゐる某社の記者の方へ向き直つて、持前の雄弁を揮ふるひ出した。幸ひ記者は速記を心得てゐたから少しも狼狽うろたへなかつた。あたふた手帖を取り出して、滝のやうな首相の雄弁をそのまゝそつくり書きとめる事が出来た。(これにつけても、速記は心得てゐた方が便利が多い。もしか下らぬ駄弁家に出会つたら、その折は知らぬ顔をするまでの事だ。速記はウイスキイの壜と違つて、懐中ふところに隠す必要もないから。)

記者の速記はその儘翌る日の新聞紙に現れた。停車場ていしやぢやうで政治家の演説を聞きさした地方人の驚きは大したものであつた。――グラツドストオンはかういふ風に通信機関を巧たくみに利用する事を知つてゐる人だつたから、氏が公的生活から隠退すると、ある通信社などは、的面てきめんに二万円ばかし収入が減つたといふ事だ。

原氏なども、政治家なら少しはこの間かんの消息を心得てほしい。

花嫁を忘れる12・15(夕)

学者や発明家などいふ輩てあひは、一事に熱中して心を奪はれる結果、どうかすると、うつかりして身辺みのまはりの事を忘れるのが多い。忘れないからといつて、学者として立つのに少しの差支もないが、忘れた方が愛嬌になる場合が多い。

発明家トオマス・エデイソン(といふとエデイソンは顔をしかめて、自分は発明家などいふそんな偉い者ぢやない、言はば工夫家さ、と言訳をするかも知れない)も実はその一人だつた。エデイソンは結婚すると、直ただちに花嫁を連れて新婚旅行に立つたが、二週間ばかし静かな田舎を歩き廻つて漸やつと都へ帰つて来た事があつた。

汽車が停車場ていしやぢやうに着くと、この発明家は急いで廊下プラツトフオームに飛出した。そして何事をか考へ込んでゐるやうに、両手を胸の上に拱くんだ儘、少し俯向うつむき加減に市街まちへ差しかゝらうとした。すると思ひがけなく、

「おい君、エデイソン君。」

と呼びかけた者がある。発明家はひよいと顔をあげてみた。前には友達の一人が立つてゐた。

友達は笑ひ〱言つた。

「君、何か忘れ物をしてやしないかい。」

「忘れ物?」

エデイソンは立ち停つて考へ込んだ。そして先づ手をあげてそつと頭へ触つてみた。仕合せと帽子はちやんと頭の上に載つかつてゐた。今度は両手を洋袴づぼんの隠しに突込むでみた。隠しには何一つ無かつたので、はつとなつたが、よく考へてみると初めから何一つ入れてはなかつたのだ。

「何なにも忘れ物なざ無いやうだが。」

「有るだらう。」友達は幾らか戯談ぜうだんのやうに言つた。「何か有る筈だが。」

「無いよ。何なにも無いよ。」

エデイソンは意地になつてきつぱりと言ひ切つた。

「それぢや、那処あすこを見給へ。大事の忘れ物が笑つてゐらつしやる。」

友達はエデイソンの肩越しに停車場ていしやぢやうの方を指ざした。発明家はのつそり後方うしろをふり向いてみた。そこには此方こちら向きに廊下プラツトフオームに立つてゐる花嫁御の姿が見えた。花嫁はにこ〱顔で言つた。

「あなたはほんとうに思ひやりのあるお方ね。」

「失敬々々。」エデイソンは慌てて後あとがへりをした。「つい考へ事に気を取られちやつてね。こんな事は初めてだよ。これから屹度気をつける。」

「そのお言葉も三日位は利くでせうよ。さあ、御一緒に参りませう。」

花嫁は自分の存在を証明するやうに、わざと邪慳に良人をつとの腕かひなをとつた。発明家の花聟はひきずられるやうに蹤ついて往つた。

だが、実をいふと、女房かないは三日に一度は忘れた方がいゝやうだ。すると、エデイソンの知らない色々の事が発明出来ようといふものだ。

五百金の寄附12・17(夕)

鎌倉の円覚寺に誠拙和尚といふ坊さんが居た。ある時三門を拵へようとして、弘く仏縁のある人達から寄進を募つた。すると、その頃札差ふださしをしてゐた梅津伝兵衛といふ男が、心ばかりの寄附につきたいからといつて和尚を訪ねて来た。

伝兵衛は膨ふくらまつた懐中ふところから嵩高かさたかな金包かねづつみを取り出して、和尚の前に置いた。

「和尚様、ほんの聊いさゝかではござりまするが、こゝに金子きんすが五百両ござりまするから、今度の三門の御建立こんりふへ是非お加へおき下されまするやうに。」

和尚はちらと金包を見たが、

「ああ、さうかい。」

と言つたきり、直ぐに眼を外そツ方ぽうに逸そらした。

伝兵衛は不平で溜らなかつた。五百両といへばなかなかの大金で、これだけあつたら女一人の霊魂たましひを買ふ事も出来るし、男の運を買ふ賭博ばくちをも打つ事が出来るのだ。それを知らない和尚でもない筈だ。と、伝兵衛はかう思ひながら、態わざと覗き込むやうにして和尚の顔を見た。

「ほんのぽつちりでは御座りまするが、五百両だけ御寄進申し上げまする。」

「さうか、よし〱。」

和尚は一言言つたきり、矢張り外そツ方ぽうを向いて素知らぬ風をしてゐた。

伝兵衛は幾らか腹に据ゑかねた。幾ら出家の身とは言ひながら、他人ひとから寄進を貰つて、あの素振は虫が善すぎる。五百両といへば、かなりの大金だ。自分がこれだけの金を儲けるには額に玉のやうな汗も流した。嘘も幾度いくたびか吐ついたが、それを今惜気もなく寄附しようといふのだ。和尚はそのお礼として、来世で自分に特別上等の居所ゐどころを取持つてくれる程の信用はないにしても、今少し叮嚀な挨拶があつても善かりさうなものだ。と、伝兵衛は少し言葉に角かどを立てた。

「和尚様、五百両と申しましたところで、当山におかせられましては何のお役にも立ちますまいが、私にとりましては聊か身分に過ぎた寄進かと存じまする。就きましては何か一言ごんの御挨拶を下されましても……」

「礼が言つて欲しいと言ふのか。」

此方向こつちむきに向き直つた和尚の眼は蝋燭のやうに光つた。

「御意にござりまする。」

伝兵衛は木兎づくのやうに頬を膨らませた。

「馬鹿な。お前が善根ぜんごんするのに、なぜまた俺わしが礼を言はんければならぬのか。」

和尚の声は曳臼ひきうすのやうに上から落ちかゝつた。その下に圧おし潰されたお伽譚とぎばなしの猿公えてきちのやうに、伝兵衛は畳に顔をすりつけて眼を白黒させた。

そんぢよそこらの慈善家もよく〱心得てゐて欲しい。

顕微鏡の寄附12・18(夕)

富豪アンドリウ・カアネギイの知人で、独逸へ渡つてエナ大学で名高いヘツケル教授に弟子入りをしようといふ男があつた。幾らか補助金をも貰つてゐるので、出発前ぜんに一度この富豪を訪ねて、暇乞いとまごひの挨拶をした。

カアネギイはヘツケル教授の名を聞くと、眼を光らせた。

「ヘツケル! ヘツケル教授といへば名高い学者だ。それに就いて一つお頼みがあるんだが、もしか彼地あちらで教授にお会ひだつたら、記念のために何でもよろしい、あの人の手蹟が貰つていたゞけまいか知ら。」

「よろしい、承知しました。」

その男はヘツケル教授の従弟いとこででもあるやうに安請合やすうけあひに承知した。そして教授や自分達やのやうな学者の手蹟を集めようといふカアネギイは、まあ何とした物の解つた爺さんだらうと思つて、じつと富豪の顔を見つめた。だが、実をいふと、カアネギイはその折にはもうヘツケル教授の事も自分の眼の前にゐる客の事も忘れて、鉄の値段でも胸算用むなさんようしてゐるらしかつた。

その男がエナ大学に着いて、暫くすると肝腎のヘツケル教授から手紙がカアネギイのところに達とどいた。鋼鉄王は急いで封を切つた。なかから零こぼれ落ちたのは、かねて待ち設けたヘツケル教授の紛れのない手蹟であつた。

ツンプト式顕微鏡 一個

右エナ大学植物学研究室へ御寄贈きそう下さつたに就きましては厚くお礼を申まをし陳のべます。

エルネスト・ヘツケル

アンドリウ・カアネギイ殿

手蹟にはかう認したゝめてあつた。

カアネギイは釘抜きで鼻先きを捻ぢ曲げられたやうな顔をして苦笑ひをした。でも、次ぎの瞬間には執事を呼んで、ツンプト式顕微鏡を買ふだけの金子かねをエナのヘツケル教授あてに送るやうに言ひつけるのを忘れなかつた。

そこらの富豪かねもち達もよく聞いて置くがいゝ。カアネギイのする事に、何一つ間違つた事はござらないが、安心なのは学者など余り友達に持たない事でござる。

俳諧師の頓智12・19(夕)

いつ頃だつたか、一寸はつきり判りかねるが、長崎に素行そかうといふ俳人があつた。ひどい行脚あんぎや好きで閑ひまさへあれば暢気のんきに旅に出歩いてゐた。そのむかし芭蕉は頭陀袋に杜詩と山家集と普門品ふもんぼんとを入れてゐたさうだが、素行は支那人や観音様に会つても、むつかしい話の仕様しやうを知らなかつたから、懐中ふところにはいつも俳諧七部集を一冊捻ぢ込んでゐるに過ぎなかつた。

ある時田舎道で日を暮らした事があつた。ちやうど冬の最中もなかで、寒さは無遠慮に俳諧師の背筋から懐中ふところから入つて来た。素行はべそを掻きさうな顔をして、野道を急いだ。すると、漸やつと一軒の百姓家が見つかつた。俳諧師は石のやうに冷い拳をあげて門の戸を叩いた。

戸はなかから開あけられて、襤褸ぼろつ片きれのやうな皺くちやな媼ばあさんが、闇のなかからうつそり顔を出した。

「旅の者でござる。申しかねるが一夜の宿をお借り申したい。」

素行は木の葉のやうに寒さうに身体からだを顫ふるはせた。媼さんは闇を透すかしてうそうそ旅人りよにんの容子ようすを嗅ぎ分けるらしかつた。

「坊さんかの。坊さんならお泊め申すほどにの。」

媼さんは口のなかで呻うめくやうに言つた。

俳諧師はそれを聞き逃さなかつた。

「さうとも〱。俺わしはその行脚あんぎや坊主ぢや。坊主ぢや程によろしく頼む。」

早口にかう言ひながら、媼さんに安心させるやうに頭巾を取りのけて見せた。成る程頭は円かつた。

素行は奥へ通されて、先づ仏壇の前へ坐らされた。媼さんは亡くなつた爺さんの回向ゑかうが頼みたかつたのだ。俳諧師はてんで経文を知らなかつたので、ひどく当惑したらしかつたが、ふと気づいたのは懐中ふところの七部集であつた。彼は勿体ぶつた手附でこの集を取り出した。そして作者の名前を初めから順々に読み下くだした。

「其角きかく、風雪らんせつ、去来きよらい、丈草ぢやうさう、野坡やば、杉風さんぷう、北枝ほくし、凡兆ぼんてう、支考しかう……」

かう言ひながら、時々思ひ出したやうに鉦かねを鳴らしたものだ。媼さんはお蔭で亡くなつた爺さんが浄土に生れ代つたもののやうに涙を流して喜んだ。そして暖い粥かゆと暖い夜着よぎとを恵んでくれた。

これを読んで、くす〱笑ひ出さない僧侶が今幾人いくたりあるだらう。彼等は言ふに相違ない。

「何といつても矢張り俳諧師でござるな。する事がちやんと仏家の法に合つてゐるから面白いて。」

首を繋ぐ法12・20(夕)

和蘭オランダのアメロンゲンの城に落ちのびた前さきの独逸皇帝は、近頃頻りと何か書き物をしてゐるといふが、その書き物は何であるかといふ事は誰一人知つた者もない。もしかこの人が弁疏いひわけがましい隠し立などしないで、あけすけに、公然おほぴらに今度の戦争の事情いきさつを懺悔したら、どんなにか面白い書物が出来るだらう。欧羅巴ヨーロツパの外交家達は、その懺悔録の前で、真つ赤になつて馬のやうに鼻を鳴らしたり、狗いぬのやうに取つ組み合を始めるに相違ない。

そのむかし、独逸にシユレエツエルといふ外交官があつた。時の宰相ビスマルクに睨にらまれて、だしぬけに休職といふ辞令を請取うけとつたので、強ひて平気な顔をして宰相に挨拶に往つたものだ。宰相は肥つた体躯からだを椅子にもたせて、何か善くない事を考へてゐたらしかつたが、この休職外交官を見ると、急に拵へたやうな愛想あいさうぶりを言つた。

「君もやつと閑ひまな身体からだになつたといふのだが、これから何を為するね。」

「さあ、何を致しませうね。」外交官は落つき払つて返辞をした。「当分はまあ宅うちに引込んで、回想録でも書くんですね。御存知の通り、私も長らく官海にゐたものですから、随分いろんな事を見聞みきゝしてまゐりましたよ。それを一つあけすけに書いてみたらと思ひましてね。」

ビスマルクは鷲のやうな怖い眼つきをして、じつと客人を見つめた。この外交官はその頃名うての筆まめな男で、勢はづみに乗るとどんな皮肉を書き出すか判らなかつた。物もあらうに、回想録とは、聞く身にとつて如何いかにも気持が悪かつた。

「回想録もよからうが、こゝで一つ君に相談があるんだがね。」ビスマルクは椅子から心持乗り出して来た。「今米国公使の椅子が空いてゐるんだが、君は往つてくれないか知ら。往つてくれると実に都合がいゝんだ。」

「参りませう。さういふ思召おぼしめしでしたら、なに回想録なんか何時いつでもいゝ事なんですから。」

外交官は二つ返事で直ぐに承知した。二人は眼と眼を見合はせてにやりと笑つた。

前内閣の閣僚なぞも、役人を止やめた所在なさに、一つ回想録でも書き出してはどんなものか知ら。間まがよくば、そんな事は後廻しにして、大使にでも往つてくれと、誰が頼むまいものでもない。

底本 / Source edition

底本:「完本 茶話 中」冨山房百科文庫、冨山房
1983(昭和58)年11月25日第1刷発行
1986(昭和61)年7月30日第7刷発行
底本の親本:「大阪毎日新聞 夕刊」
1918(大正7)年2月16日~12月20日
初出:「大阪毎日新聞 夕刊」
1918(大正7)年2月16日~12月20日
※「無中」と「夢中」の混在は、底本通りです。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
※底本凡例に、「内容は別個で題を同じくする作品は題名の直下に*印を付し、*印の数の違いによって弁別することとした」とあります。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年6月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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薄田 泣菫「茶話──04 大正七(一九一八)年」(新字旧仮名)、底本『完本 茶話 中』冨山房百科文庫、冨山房、1983年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046617_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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