Soranoha

茶話

ちゃばなし

薄田 泣菫

医者の友達1・5(夕)

寺内内閣が壊れて、その跡へ政友会内閣が出来かゝるやうな運びになつて、総裁原敬氏の白髪頭はくはつとうのなかでは、内閣員の顔触かほぶれが幾度いくたびか見え隠れしてゐた頃、今の文相中橋徳五郎氏の許ところへ、神戸にゐるお医者さんの桂田富士郎ふじを氏から一本の電報が飛込んで来た。

中橋氏は何気なく封を切つて見た。電報には、

「大臣になるなら文部ときめよ。」

と書いてあつた。中橋氏は二三度それを口のなかで読みかへしてゐるうち、嬉しさに覚えず綻ほころびかゝる口もとを強く圧へし曲げるやうにして気難きむつかしい顔を拵こしらへた。実を言ふと、その二三日前から、中橋氏は今度の内閣には、主だつた椅子の一つが屹度きつと自分の方に転げ込んで来るものと腹を定きめてゐた。内務か、農商務か、逓信ていしんか。その中のどれでも差支さしつかへがなく、二つ一緒なら猶なほ好いいとさへ思つてゐるらしかつたが、桂田氏の電報には思ひがけなく「文部ときめよ」と書いてあつた。

「文部か。文部なら俺でなくたつて――それに第一乾児こぶんの者が承知せんよ。」

中橋氏は不足さうに独語ひとりごとを言つた。そして自分が間違つて文部にでも入つたら、乾分こぶんの山岡順太郎氏などは、あの兜虫かぶとむしのやうな顔をしかめて、屹度呟ぼやき出すに相違ないと思つた。

その翌あくる朝、中橋氏は総裁の邸やしきへ呼ばれて往つた。門を入る時には、船や米の値段が差当つての重大問題で、自分でなくてはその解決は難むつかしいとさへ思つてゐたが、門を出る時には、これからの日本は何よりも教育が大事だと思ひ込んでゐたらしかつた。そして宅うちへ帰りつくと、直ぐ電報用紙を取りよせて、神戸の桂田氏宛に次のやうな電報を打つた。

「願ひの趣おもむき聞き届ける。」

中橋氏は文部大臣になつた。なりはなつたが、何だつて桂田氏が思ひがけなくあんな電報を寄よこしたのか、訳が分らなかつた。

「事によつたら、桂田め、ちやんと内閣の役割を知つてゐたかも知れないぞ。何しろ医者で脈を取る事を知つてゐるからな。」

中橋氏は腑に落ちなささうな顔をして呟ぼやいた。

最近米国に、ある鉄道事故から右脚を傷いためた男があつた。撞木杖しゆもくつゑをついて町へ出ると、ばつたり友達の一人に出会つた。

「や、久しぶりだね。」友達はづか〱とやつて来て握手をした。「ひどい目に遇あつたんだつてね、ほんとに気の毒だつたね。」

「有難う。」不仕合せな男は撞木杖をつき直しながら頭を下げた。

「その杖が無くつちや歩けないのかい。」友達は気の毒さうに訊いた。

「なあに、医者はもう杖なざ無くたつていゝと言ふんだけど、弁護士が是非ついて居てくれといふもんだからね。」

鉄道会社を相手に訴訟をするには、是非杖をついてゐる必要があつたのだ。医者だの弁護士だのは友達にもつてゐるといろんな良いい事を教へてくれるものだ。

音楽家の大統領1・6(夕)

共和国になりかゝらうとしてゐる波蘭ポーランドでは、その最初の大統領に洋琴家ピヤニストのパデレウスキイ氏を選んださうだ。パデレウスキーは何といつても、今では世界切つてのピアノ弾きで、旅行をする折にも手が硬こはばると可いけないからといつて、ピアノを汽車のなかに担ぎ込んで、閑ひまさへあれば鍵盤キイを打つてゐる人である。

弁護士出の政治家でなければ、政事の実際が判らないもののやうに思ふのは、旧ふるい時代の習慣に囚とらはれた人達の事である。世界の政治と生活との様式が、根本から改造せられかゝつてゐる今の時代には、統治者が理想家であればある程、目覚ましい国民的飛躍が成し遂げられようといふものだ。この意味においてパデレウスキイの大統領は、必ずしも不適任だとは言はれない。

墺太利オーストリーにモツアルトといふ音楽家があつた。ある日の事維也納ウヰンナの市街まちをぶらついてゐると、変な姿なりをした乞食がひよつくり眼の前に現れた。乞食は問はず語りに、色々な哀れつぽい身の上話を談はなし出した。すべて乞食の身の上話といふものは、聴き手が乞食でない限り、なか〱面白く聴かれるもので、談話はなしが済むと、どんな人でもがついお鳥目てうもくをはずみたくなるものだが、生憎あひにくな事にモツアルトはその折懐中ふところに少しも持合せてゐなかつた。

音楽家は空つぽのポケツトに両手を突つ込んだまゝ乞食の方へ一寸顎をしやくつて見せた。二人は連れ立つてそこらの珈琲コーヒー店に入つて往つた。音楽家は暖い珈琲と菓子の一皿とを乞食に配あてがひながら、自分は卓子テーブルに恁よりかゝつて、せつせと作曲に取りかゝつた。乞食が家鴨あひるのやうな口もとをして珈琲を啜すすつてしまふ頃には、立派な舞踏曲ミニユエトの一つが有り合せの紙片かみきれに書き綴られてゐた。

「あいにくと今日は持合せが無いので、こんな物を拵へてみた。書肆ほんやに持つて往つたら、幾らかになるだらうよ。」

モツアルトはかう言つてその紙片かみきれを手渡しした。

乞食はもう一杯珈琲が飲みたかつたのを辛抱がまんして外へ出た。そして幾らか気遣ひながら、その紙片かみきれをそこらの書肆ほんやに持ち込むと、書肆ほんやの亭主はそれを見て、にこ〱もので廿円ばかしの原稿料を渡してくれた。乞食は物貰ものもらひに次いでは、音楽家ほど割のいゝ仕事はないと思つたらしかつた。

パデレウスキイが大統領になつたら、生活くらしに困つてゐる人達は訪ねて往つて身の上話をしてみるのもよからう。よしんば楽譜を呉れないにしても、相手は芸術家の事だ、何か屹度気の利いた言葉でも聴かせてくれるに相違ない。気の利いた言葉は、金にならないまでも、薬にはする事が出来る。

あゝ須磨子1・7(夕)

松井須磨子が死んだ。劇場しばゐ帰りの姿のまんまで、顔に薄化粧をしてこの世から消えてしまつた。二月前亡くなつた愛人抱月氏の後あとを慕つて。

自分は抱月氏が亡くなつた当時、この人の愛と芸術との完成は、その数多い門下生でもなければ、友達でもなく、故人にとつてたつた一人の恋人であり、また芸術ででもあつた松井須磨子自らの手で仕上げられなければならぬと言つておいた。

須磨子の平生について幾らか知つてゐる自分は、この女優がある程度までは屹度この仕事を仕上げることが出来ると信じてゐた。須磨子は雪国の信濃に生れただけあつて、降り積る雪を押し分けて香ぐはしい顔を持ち上げる高原の花のやうな落付おちつきと根強さとを持つてゐた。同じ国から生れた島崎藤村氏や吉江孤雁などの芸術に現れたものと、共通の分子をたつぷり持ち合はせてゐた。

ビヨルンソンの小説に出て来る山国の娘には須磨子そつくりと思はれるやうな性格がよくある。子供のやうにやんちやで、生うぶで、一本気で、手障てざはりは冷たく静かなやうだが、底には高い潜熱と勁つよい執着をもつてゐた。須磨子にさういふ性格を認めてゐた私は、師匠であり、愛人である抱月氏に別れたこの女優が、石に噛かじりついても、屹度自分に注がれた故人の愛と製作とを完成するだらうと信じてゐたのだ。

ところが、抱月氏の生存当時、須磨子の勝気に圧おしひしがれてゐた多くの男と女とは、抱月氏が亡くなると、徐々そろ〱寄つて集たかつてこの女優を苛いぢめ出した。この蔭に憎むべき策略と嫉妬とが潜んでゐたのは言ふまでもない。勝気だとはいふものの、須磨子も女である。かういふ自分の周囲を見るにつけて、どれ程か世間の酷薄を恨むだだらう。今になつて自分を苛める人の多くが、かつてはノラを賞め、マグダを賞め、ケテイを賞め、ヷンナ夫人を賞めちぎつた人達であるのを思ふと、今更のやうに抱月氏の胸一つが、彼かの女ぢよにとつて渝かはらぬ人生であり、真実であるのを思はぬ訳に往ゆかなかつたらう。

それを思ふにつけて、須磨子は自分の上に残された抱月氏の愛と芸術とを完成させるのは非常に難かしい事だと気づいたに相違ない。女は努力を捨てた。雪国の花の有もつてゐる根強い力を捨てた。そして自殺を選んだ。

かくして「愛」は完成された。そして「芸術」は未完成の儘まゝで残された。

須磨子の恋と芸術(上)1・8(夕)

亡くなつた松井須磨子については、自分は大きな誤解はきちがひをしてゐた。それは昨日きのふも言つた通り、須磨子は島村抱月氏の歿後、故人が愛と製作の対象として労いたはつた彼かの女ぢよ自らの生活なり、芸術なりを、自分の手一つで完成するに相違ないと思つた事だ。実をいふと、抱月氏が亡くなつた当時、もしや須磨子が、といふ考へをほんの一寸持たない事も無かつたが、その次ぎの瞬間、自分は直ぐその平生を思ひ浮べて、いや死ぬまい、須磨子は屹度生き存ながらへて自身の生活と芸術の完成に努めるだらうと思つてゐた。

それは抱月氏の手一つで育て上げられた彼かの女をんなの芸術を完成するといふ事で、須磨子は永久に抱月氏の霊と結婚が出来るのを信じてゐたからだ。無論それには須磨子自身のやんちやで、一本気な感情生活をも思ひ合はさない事もなかつた。

実をいふと、須磨子の感情生活は、決して豊ゆたかな方ではなかつた。彼かの女をんなは怒つたり、拗すねたり、泣いたり、声を立てて笑ふ術すべはよく知つてゐたが、あのジヨコンダの口もとに見るやうな底の知れない深味のある微笑ほゝゑみの味ひは解わからうともしなかつた。自分は須磨子が神戸の大黒座でサロメを上演する当時、頼まれて講演に往つた事があつた。その時自分は京役者の坂田藤十郎が、江戸の舞台を踏む時、あちらの水は不味まづくて飲めないからといつて、態々わざ〱京の水を樽詰にして海道筋を下つたといふ話をした。そして須磨子も水道の水を平気で飲まないで、少しは水の味も解るやうな感能の訓練をして貰ひたいものだといふ事を附け加へておいた。話しが済むで舞台裏へ入ると、そこに立聴きしてゐた抱月氏と須磨子とは、互に顔を見合はせてくつ〱笑つてゐた事があつた。自分は感能の訓練からも、須磨子がその感情生活を一層豊にする事が出来るのを言つた積りだつた。

ところが、だしぬけに抱月氏が亡くなつた。愛の上にも、芸術の上にも、二つのものが一つに生きてゐたのが、今はたつた一人で生きて往ゆかなければならなくなつたのだ。須磨子は自分の眼の前で世界が引つくり覆かへつたやうに思つたに相違ない。実際そんな気持を持たないで済まされる筈はなかつた。芸術座が安心して立つてゐる「早稲田」といふ世界は、抱月氏が亡くなると、直ぐと須磨子の方に白い眼を見せ出したのだから。

しかし雪国の花の根強い力と、自分の芸術に対する自信とを有もつてゐる須磨子は、この愛人の「死」と面と向き合つて、もしくは掴み合つても、屹度自分の芸術を完成させようと努力するに相違ないと思つた。何故といつて、須磨子が自分の女優生活を意義のあるものとするには、また自分と自分の芸術とに犠牲的な愛を傾けてくれた抱月氏の短い生命いのちを延長させるには、多くの意味において二人の合作であるその芸術に奉仕し、貞実を尽すより外に術すべがなかつた。二人はかくして永久に霊の結婚が出来るわけだつたのだから。

その感情生活はいふ迄もない事、その全生活において、須磨子は抱月氏の「死」の前で屹度見違へる程変つて来るだらうと、自分はそれを待設まちまうけてゐた。しかし待設けたものは来ないで、思ひがけなく須磨子の死が次いで現れた。

須磨子の恋と芸術(下)1・9(夕)

須磨子は死んだ。何故自殺までしたかといふ事については一昨日をととひも言つた通りだが、も少し詳しく言ふと、一つには抱月氏が亡くなつた悲しさに堪へられなかつたのと、今一つはその周囲が、世間が余りにこの女優に険しい顔を見せ過ぎたからに相違ない。

須磨子も一旦は「死」の悲しみを突きぬけて、芸術に生きよう、抱月氏の愛を完まつたうするためには、女性を捨てて芸術家になり畢をはせよう、それより外に道は無いと思ひ込んだらしかつた。そして持前の根強い力で一人ぼつちの寂しい道を鑿きり拓ひらいて往ゆかうとはしたが、女の身にとつて掛替のない愛人の死は譬たとへがたない重荷であつた。この場合その周囲が、世間がもつと同情おもひやりのある眼で、この女流芸術家を見送つてやつたなら、須磨子は啜り泣きをしながらも、その寂しい旅を続けたかも知れなかつた。

しかし世間はつらかつた。つらい世間の前に立つて、自分をあれ程までに労いたはり羽含はぐくんでくれた亡き人の犠牲的な愛を思ふと、須磨子は堪へ難い思ひがしたに相違ない。性セツキスのない芸術家になり畢をはせようとしたこの女優は、象牙の塔から滑り落ちるやうな思ひで、また「女」に帰つて来た。そして恋しい男の後あとを追うて死に急いだ。

つまり女としての須磨子が、芸術家としての須磨子に勝つたのだ。手短てみじかに言ふと芸術が性セツキスに敗れたのである。さう考へて来ると、私は自分の須磨子に対する見当違ひを恥ぢると共に、芸術家としての須磨子が、私の思つてゐたほど心境が進んで居なかつたのを悲しまぬ訳に往ゆかない。

言ふまでもなく抱月氏の死は、須磨子にとつて堪へがたい歎きであつたに相違ない。しかし私はこの女優が芸術家としての修養は、これ程の重い歎きにも堪へ得るだけの感情の撓しなやかさを持つてゐるに違ひないと思つてゐた。自分の扮する女主人公の心持を演出するのに、長らく苦労を積んで来た須磨子は、自分の感情を支配し統御するだけの落付きをも、多少は了解のみこんでゐる筈だからと思つてゐた。芸術家の心境が、普通たゞの人と違つてゐるのはこゝの事で、須磨子もこの消息はよく弁わきまへてゐるものとばかり私は信じてゐた。力のみでは足りない、修養の境地である。――ところが、須磨子はこゝから滑り落ちた。これまでの芸術家から、生地きぢの女にかへつて。

須磨子の自殺は「愛」の完成に達する一つの道に相違ない。しかし私は「愛」と「芸術」との二つが一つのものとなつて、やがて完成される今一つの道があるのを信じて疑はない。その道は遠くて険しいかも知らないが、選ばれた者の道である。須磨子がこの道を辿らなかつたのは、返す〲も惜しまれる。――とはいふものの、抱月氏さへ今暫く生きてゐたら、須磨子もやがてはこの心境に到達する事が出来たのに相違なかつた。それにつけても思ふ、芸術家に一番大切なものは修養と境遇であると。

女としての須磨子に負けた芸術家としての彼かの女をんなは、最後の一刹那にまた頭を持上げて来た。そして自分の「愛」を完成させるのに、最も劇的であり、ロマンチツクである自殺を選んだ。のみならず、自殺に用ふる扱帯しごきの色の青と紅あかとを比べて、紅べにを選ぶやうな用意をさへ尽した。この一刹那に、この女優が嘗かつて舞台に上のぼした事のある沙翁さおう劇の女主人公、埃及エヂプトの女王クレオパトラの最後が、強い暗示として閃かなかつたと誰が言ひ得よう。芸術家としての須磨子は、最後の一刹那にまた蘇生いきかへつて来た。

かくして幕は急に切つて落された。須磨子自身の生活は、この一刹那に最も芸術化された。愛は完成され、生活は芸術となつた。しかし須磨子自らの辿つてゐた芸術は、未完成のまゝ残された。

西園寺侯と千円包1・10(夕)

――「あの人はクレマンソウとは学校友達ださうだよ。」

「さうだつてね。講和大使には打つて附けの人だね。」

「さうともさ。クレマンソウが忘れてゐてさへくれなかつたらね。」

かういふわけから挙国一致で講和大使として近々巴里パリーへ出掛ける筈の西園寺侯が、いつだつたか相国寺の橋本独山和尚に書を頼んだ事があつた。

独山和尚は富岡鉄斎の弟子で、南画もかなり描かく方ほうだ。ある時人に描かいてくれた自分の画ゑが、新画の展覧会に売物に出てゐるのを見て、和尚は急にしかめつ面つらになつた。そして言ひ値通りに買ひ取つて、

「衲わしの画は売り物ぢやない。」

と言つて、その場で破さいて捨てたといふ事を聞いた。尤も画は和尚のものに相違なかつたが、払つた金は信徒の喜捨金だつたかも知れなかつた。

くれぐれも言つておくが、西園寺侯の頼むだのは書で、画の方ではなかつた。すると間もなく書が書けて来た。立派な出来で、なかには画かと思はれるやうな読みにくい文字もあつたが、それも却かへつて面白かつた。西園寺侯は執事を呼んで、早速和尚の手もとに謝礼をとゞけるやうに言ひつけた。

「幾ら位包むだものでございませう。」

侯爵は籠の金糸雀かなりやのやうに、一寸首を傾かしげた。

「千円も包むかな。」

「はい、承知仕つかまつりました。」

執事は頭を下げて次の室まに下らうとした。その途端篆刻てんこく家の桑名鉄城氏ががつしりした肩を揺がしながら入つて来た。一体殿様だの、物特だのが何か大それた事でも仕出来しでかさうとする時には、次の室まからよく人が留とめ立だてに出て来るもので、それが二千石の家老であらうが、篆刻家であらうが少しの差支もない。

「御前、千円は少し多過ぎは致しますまいか。幾ら和尚にしましても、書で食つてゐられる訳でもございませず、言はばお素人の事でございますから。」

篆刻家は座につくなりかう言つて、侯爵の顔を見た。そして京都中の「専門家」といふ階級を代表して、お公家くげ様に直訴でもしたやうな興奮した気持になつた。

侯爵はじろりと篆刻家を見かへした。

「和尚は素人だから、千円も包まなければならないのだ。それを職業にしてゐる黒人くろうとだつたら、極きまつた相場といふものがあるからね。」

「成程、恐れ入りましてございます。」

篆刻家は一字幾らと相場の極きまつた掌面てのひらで額を撫であげながら感心した。執事は次の室まへ下つて金包を拵へにかゝつた。

西園寺侯は世間の噂に違たがはず、実際悧巧なところがある。何故といつて、相手は素人とは云ひながら、頭を円まるめた出家である。格外れなお礼をしておけば、次の世では屹度よい所へ往ゆける。少くとも田中村の別荘よりは。

海洋自由問題の鍵1・11(夕)

海洋自由の問題が、英国と米国との間にどうやら難むつかしいこだはりを拵へさうになつて来た。事によつたら双方とも負けず劣らず軍艦を拵へ出すやうになるかも知れないが、かういふ問題を解決するには、そんな意気込みも無くては叶ふまい。

むかしむかし、埃及エヂプトにアマアシスといふ王様があつた。王様にしておくのは勿体ない程の物識ものしりで、数多い学者のなかには、この人のお蔭になつたのも少くはなかつた。ところが、その頃エシオピアにも学問好きの王様があつて、閑ひまさへあると難むつかしい問題を担ぎ出して来て、埃及王と智慧比べをしたものだ。それも普通たゞの智慧比べとは違つて、狭からぬ土地を賭けて、互に領地の遣やり取とりをしたものだ。実際今時の武力で領土の遣り取を定きめる状態に比べたなら、王様の智慧比べの方が罪がなくて、加之おまけに人を殺さないだけでも良いかも知れない。

エシオピア王はある時素敵に難むつかしい問題を担ぎ出して来た。それは埃及王がもしか海の水をすつかり飲み干す事が出来たなら、自分の領土にある幾つかの都を譲り渡さう、その代りそれが出来なかつたらエンフワンチイ一帯の土地をそつくり自分の方に渡して欲しいといふのだ。

「海の水を飲み干せといふのだ。どうしたもんだらうて。」

埃及王は賢い筈の家来達を幾人か集めて相談をしたが、誰ひとりいい考へを持つてゐなかつた。埃及王は予かねて自分が智慧袋にしてゐる希臘ギリシヤの哲学者ビヤスに使つかひを立てて訊く事に定きめた。

ビヤスは多くの友達と一緒にコリンスのある宴会に招かれて往つてゐた。埃及王の使者つかひはそこまで尋ねて往つて使ひの趣おもむきを通じた。

「あれだけ多くの人民を支配し、あれだけ広い土地を有もつてゐながら、何が不足でまた海まで飲み干さうといふのだな。」

哲学者は御馳走にくちくなつた腹を抱へて笑ひ笑ひ言つた。

「先生方はお笑ひになるかも知れませんが、それが出来なかつたら、王様の御領内をエシオピア王に捲き上げられてしまふのです。」

使者つかひは小鳥のやうに頼りなささうな目付をした。

「それぢや、エシオピア王にかう言つて返事をするがいい。」と哲学者は即座に言つて聞かせた。「いかにもお言葉通り海は飲み干しませうから、その代り海へ入つて来る世界中の河といふ河の水を、すつかり堰せきとめて戴きたいと言つて。」

その場に居合はす多くの賢人達はそれを聞いてビヤスの頓智にすつかり感心してしまつたといふ事だ。

海洋自由の問題も、どうかしてこんな事で解決はつかないものか知ら。

鴈治郎の涙1・12(夕)

中村鴈治郎が、もとの北陽ほくやう芸妓喜代次きよじを愛してゐた事は知らぬ人もあるまい。その喜代次は松井須磨子の自殺したのと同じ日に、同じ三十四の齢としであの世へ旅立つて往つた。

老年になつてからの恋で、加之おまけに女といふものは自分が見捨てさへしなかつたら、俳優のためだつたら地獄のどん底までも蹤ついて来るものだと信じてゐる鴈治郎は、可愛かあいい女に先立たれて、まるで雷にでも打たれたやうにぽかんとして、

「どないなるのやらう、まるで夢のやうやな。」

と言ひ言ひ暮してゐる。

それを見た悪戯者いたづらものの実川じつかは延若は、黙つてはゐなかつた。

「兄さん、そないくよ〱考へてばかしゐても仕しやうおまへんぜ。もつと気を大きく持ちなはれ。」

「私わてもそない思うてんのやが、つい那女あれの事が思はれるもんやよつてな。」

悲しさうに眼をしよぼ〱させる鴈治郎の顔を延若は不思議さうに眺めた。この悪戯者いたづらものの考へでは女に対する仕打は笑ふか、忘れるかしてさへゐればそれでいいので、涙を零こぼすなどは贅沢な沙汰に過ぎなかつた。

「兄さん、気晴らしに一遍遊びに往ゆきまひよかいな。」延若はにや〱笑ひながら靴滑りのやうに曲つた頤あごを撫でまはした。「あんたに見せたい〱と思うてる妓こが一人おまんのやぜ。」

「もう〱、そんな話聞くのも厭や。」

鴈治郎は老としよつた尼さんのやうな寂しさうな眼もとをして、掌てをふつた。その掌ては女の涙を拭いてやるために態々わざ〱拵へたやうに繊細きやしやに出来てゐた。

「でも、先方むかふが、一遍兄さんに会ひたい〱言うてまんのやぜ。」

延若はかう言つて、薬の効力ききめでも見るやうに、じつとこのぼけ窶やつし専門の俳優やくしやの顔に見入つた。

「さよか、先方むかふがそない言うてるのんやと――」鴈治郎の顔は見る〱相好さうがうが崩れた。「会うだけなら一遍会うても構やへんな。」

延若は首を竦すくめて嬉しがつた。浮気つぽい鴈治郎の魂を見極めたやうに嬉しがつたが、そんな女といふのは何処にも居ないので、話はそれつきりで、その後ごは忘れたやうにけろりとしてゐる。

西園寺侯と鏡1・13(夕)

松井須磨子が出世狂言『ノラ』の作者、那威ノールウエーの詩人イブセンは色々人と異ちがつた癖をたんと持つてゐたが、頭髪あたまの好みなぞもその一つで、普通ならば綺麗に櫛の目が立つたのがよかりさうなものだのに、その人は、

「こんな、ちやんとしてゐるのは一向詩人らしくない。」

と言つて、油もつけねば、櫛も入れず、いつも鳥の巣のやうな頭をして得意でゐたものだ。

だから帽子なぞも世間にあり触れたのでは気に入らないで、いつもなかに鏡の仕掛けのあるのを冠かむつてゐた。そして人を訪ねる時玄関先へ来ると、極きまつたやうに一寸帽子を脱いで、自分の頭をうつして見たものだ。もしか髪の毛がちやんと綺麗に押へつけられてゐでもすると、イブセンは不機嫌な顔をして、

「直ぐもうこれだ。厭になつちまふ。」

と言ひ〱、片手を髪の毛のなかに突つ込んで、なかから兎でも追ひ出すやうに、暴やけに引かつ攪かきまはす。そして頭が鳥の巣のやうに乱れて来ると、漸やつと気に入つたやうに、にやりと笑ひながら案内を頼んだものださうだ。

幕末の志士、佐久間象山しやうざんは、あゝいふ気象の激しい人に似合はず、懐中ふところにはいつも鏡を忍ばせてゐた。独ひとりで黙つて考へ込んでゐる時でも、人と口論する時でも(世の中には人と口論する時の外はいつも黙りこんでゐる人がよくある、象山がそんな人だつたか、どうだかは知らない)どうかすると、思ひ出したやうに懐中ふところから鏡を取り出して、じつと見入つたものだ。何だつてそんな真似をするのだと訊くと、象山は馬のやうに長い顔をしかめて、

「人間の心はその儘顔に現れるものだ。乃公わしはかうして自分を戒めてゐるのだ。」

と言ひ言ひしてゐた。偶たまに相手が鳥の羽のやうに薄うすつ片ぺらな事でも言ひ出すと、象山は直ぐと懐中ふところへ手を突つ込んで、

「まあ、一寸お前の顔を見るがいい。」

と、鏡を取出して見せたものだ。そして相手があんぐり口を開あけて、齲歯むしばの痛みを覗き込まうとも、そんな事は頓着しなかつた。

講和特使として巴里パリーに出かける西園寺侯に勧める。会議の席上では、まさかの時の用意としてお花さんの鏡を借りてゆく事だ。すれば体ていのいゝ事を言つて自分達の国のためばかり計つてゐる講和委員に、その顔を見せることも出来るし、時折はまた、空色のネクタイの歪むだのを直すことも出来るから。

池上市長と道路1・14(夕)

近頃の大阪市の道路ほどひどいものを自分はまだ見た事がない。少し雨でも降り続くと、道といふ道は、まるで糠味噌のやうに濘ぬかつてしまふ。すべて好よい物には、税がかゝるものだと信じてゐる大阪人は、それでも黙つて辛抱がまんして、馬のやうに抜脚ぬきあしして、そのなかを歩き廻つてゐる。

十八世紀の初め頃、墺太利オーストリーの維也納ウヰンナの市街まちが恰ちやうどそれで、雨降りの日にでもなると、道路みちは大ぬかりにぬかつて、市民は外へ出るのが億劫でならなかつた。その頃の宰相はロブコウヰチ公といふ政治家で、ひどくそれを苦に病んで、幾度か市民あてに訓令を出しは出したが、市街まちはいつまで経つても少しも綺麗にはならなかつた。

宰相は一思案した。で、ある日の事市長を官邸に招待せうだいした。蛙のやうに泥濘ぬかるみに住む事の好きな市長も、目上の人から招待せうだいされる有難さは知つてゐた。その日になると、市長はしつくりと礼服を着込み、絹製の韈くつしたに、おろし立ての靴を穿はいて、大威張りで出かけて往つた。

宰相はにこ〱顔で出迎へてくれたが、二言三言話してゐるうちに急に顔を曇らせた。

「今日は君とゆつくり落ちついて話したいと思つてゐたのだが、急に差逼さしせまつた用事が起きたので、これから出掛けなくつちやならん。ついてはお気の毒だが、私と一緒に馬車に乗つて途々みち〱用談を聞いてはくれまいかね。何ならお宅の前で車をとめるから、君の馬車は返したがいゝぢやないか。」

宰相の馬車に相乗あひのりが出来る事だつたら市長は鞄となつても厭いとはない程だつたので、二つ返事ですぐ承知して、自分の馬車は先へ返した。そして大めかしにめかし込んだ姿で、宰相の側そばに腰をかけてゐた。宰相は途々みちみち馬や、お天気や、英吉利の政治家の噂などそんな下らない事ばかり話して、用談らしい事は一向噯おくびにも出さなかつたが、馬車が維也納でも名うての汚い町へ入つて来ると、急に慌て出した。

「これは怖ろしく汚い道へ出た。すつかり道を間違へたものと見える。気の毒だが君には下りて貰はうぢやないか。もう約束の時間に間も無いのに、これからまた後あとがへりをしなくちやならないんだから。」

市長は馬車の扉ドアをあけて外を見た。町は泥田どろたのやうにぬかつてゐた。市長は自分の礼服を見、絹の韈を見、おろし立ての靴を見て泣き出しさうな顔になつた。

「これぢや、迚とても歩けさうにありませんから、も少し先きまで御一緒に願はれますまいか。」

「それは可いかん。何分なにぶん時間が差逼さしせまつてゐるんだから。」

宰相はきつぱりと跳ねつけた。

市長はすつかりあきらめたらしく、いきなり馬車を飛び下りた。そして蛙のやうな恰好をして泥濘ぬかるみのなかを泳ぎ廻つた。宰相は馬車の窓からそれを見おろして声を立てて笑つた。

お蔭で、それから暫くすると、維也納の市街まちは見違へる程立派になつた。大阪の市街まちに困つてゐる人達よ、一度雨降りの日に自動車の窓から池上市長や市会議員やを泥濘ぬかるみのなかに投ほり出してみたらどんなものだらう。理窟よりも実物教育の判り易いこの人達だけに、案外効ききめがあるかも知れない。

狩野博士の門違かどちがひ1・15(夕)

文学博士狩野直喜なほき氏は洛東田中町ちように住んでゐる。田中町は以前お玉杓子や二十日鼠が棲んでゐた頃は村といつたものだが、大学教授の家うちや牛乳屋ミルクホールが出来るやうになつてから町といふ事になつた。狩野博士はその町にゐる漢文学の研究者である。

同じ文科大学に勤めてゐる博士小西重直しげなほ氏は、鴨河を一つ隔てた塔の段に住んでゐる。ある日の午ひる過ぎ、狩野氏はその小西氏を訪ねる約束があるので、俥くるまに乗つて家うちを出た。田中町から塔の段へ往ゆくのには、学者の生活のやうな寂しい一筋道を真つ直に往ゆけばいゝのだが、途中に鴨河が流れてゐて、それに橋が一つ架かゝつてゐる。

俥が橋のなか程まで来ると、俥夫くるまやはがたりと梶棒をおろした。狩野氏はそれまで両脚を蹴込けこみに突張つたまま、じつと眼をつむつて、頭のなかで孟子と議論をしてゐたが、不意に俥がとまつたので、吃驚びつくりして眼をあけた。見ると孟子は居ないで、孟子よりか少し腕つ節の勁つよさうな俥夫くるまやが立つてゐた。

「橋普請がおして、俥は通れまへんさかい、一寸おりとう呉れやす。」

俥夫くるまやは汗を拭き〱頭を下げた。

博士は元気よく蹴込から飛びおりた。そして橋普請の側そばを俥夫くるまやが一人でえつちらおつちら重い俥を持ち悩んでゐるのを見ると、もう黙つてゐられなくなつた。

「待て〱。乃公おれが担いでやらう。」

狩野氏はかう言つて、いきなり俥の輪に手をかけた。そして蟻が物を運ぶやうにして、やつとこさで橋の袂たもとまで俥を担いで来た。

塔の段まで来ると、小西氏の家うちは直ぐに判つた。客は玄関に立つて案内を頼んだ。すると丸髷まるまげの美しい女が出て来て、狗いぬのやうに畳の上に鼻先をすりつけた。

「御主人は在ゐらつしやいますか。」

「あいにくと、今日こんにちは不在るすでございますので。貴方あなたさまは?」

丸髷は一寸顔をあげた。

「狩野です。いづれまた伺ひますから。」

漢文学の専攻学者は、かう言ひ残して、すぐに俥に乗つた。そして頭のなかでまた孟子と掴み合ひをしながら田中町へ帰つて来た。

その翌る日も狩野氏は俥に乗つて、塔の段の倫理学者を訪ねた。そしてまた橋普請のところへ来ると、昨日きのふと同じやうに俥を担いでやつた。

だが、小西氏は相変らず不在るすだつた。

「いづれまた伺ひます。」

と、漢学者は何気なく言ひは言つて外へ出たが、幾らか機嫌を悪くしてゐた。

「あんなに約束までしておいたのに、二日も不在るすを続けるなんて、怪けしからん。」

狩野氏はその日は途々みち〱頭の中で倫理学者を非難けなし続けてゐた。孟子は昨日きのふのいさかひも忘れたやうに、その日は横つちよから、ちよい〱気の利いた助言を言つてくれた。

その翌日、狩野氏は大学の教官室で小西氏の顔を見ると、すぐ口を尖とがらせた。

「君もひどい男だね。約束しておいて二日も不在るすを食はすなんて。」

倫理学者はけげんさうな顔をした。

「なに、君の方が僕に待ちぼうけを食はせたのぢやないか。」

「え、待ちぼうけだつて。」

「さうだよ。待ちぼうけぢやないかね。」

二人は腑に落ちなささうな顔と顔とを突きつけた。で、よく話合つてみると、狩野氏が訪ねて往つたのは、小西氏のすぐ隣のある銀行家の家だといふ事が別わかつた。

「さうか。隣だつたのか。」

漢学者は頭をかいて恐縮した。その頭のなかでは、孟子が墨子や朱子や王陽明やと一緒に声を立ててからからと笑つてゐた。

亡ばう広岡浅子夫人1・23(夕)

広岡浅子刀自とじが亡くなつた。年中洋服を着て、古くから日本にあるものは、凡すべてやくざ物だとばかり思ひ込んでゐた面白い婆さんだつたのに惜しい事をした。生れつき激しい気性だつたが、晩年に基督教に入つてからは幾らか温和おとなしくなつてゐた。尤も宮川経輝氏の話によると、一度軽井沢で実の兄と碁を打つて、折角の信仰がめちやめちやになつたさうだ。碁を打つてめちやめちやになる信仰や嚏くさめをしてけし飛んでしまふ哲学なぞも、牧師の抽斗ひきだしにはたんと有るものと見える。

むかし英吉利にダヴヰツド・ヒユウムといふ懐疑派の哲学者があつた。或日エデインバラの市街まちを歩いてゐる時、どうした機はずみか橋から滑り落ちて沼に陥はまつた事があつた。馬のやうな正直者すら、偶たまには橋から滑りおちる事のある世の中だ。哲学者が沼にはまるのに少しも不思議はない筈だ。

ヒユウムは蛙かはづのやうな恰好をして、泥濘ぬかるみのなかを泳ぎまはつた。不信心な哲学者に当てつけたやうに、その日は誰ひとり橋の上を通りかゝる者がなかつた。ヒユウムは人生問題の研究も、何もかも忘れてしまつて、身体からだぢゆう泥だらけになつて踠もがいたが、さて何どうする事も出来なかつた。

漸やつと時が経つて、一人のお婆さんがそこを通りかかつた。哲学者は家鴨あひるのやうに沼のなかから泣き声を立てた。

「お婆さん、ちよつと手を貸しておくれ。先刻さつきからここに落つこちて困つてゐるんだ。」

お婆さんは信心深い女で、平素ふだんから教会で人を助け上げるのは大層立派な行ひだといふ事を教はつてゐた。それが溝どぶからであらうと、墨汁インキ壺からであらうと、そんな事は同じであつた。婆さんは前屈まへかがみに手を伸ばしたが、ひよいと泥の中に立つてゐる男の顔を見ると、慌てて手を引つこめた。

「お前さんはヒユウムさんぢやないかね。」婆さんは残り少なの歯を狗いぬのやうに露むいてみせた。「平素ふだん神信心をしない罰ばちだよ。いいえ、善いい罰ばちだよ。幾ら助けたいにも、お前さんだと知つちや、助けられないぢやないか。」

懐疑哲学者はべそを掻き出しさうな顔をして、婆さんをふり仰いだ。

「まあさ、そんなに言はないで手を貸しておくれよ、私だつて神信心しない事があるもんかよ。」

「いや、信じなさらない、その証拠にはいつもマリヤ様の悪口あくこうを言うてゐなさる。」

「いや、違ふよ、私は実際信心家なんだ。」

泥だらけの哲学者は、哲学が到底自分を助けてくれないものと気が注つくと、その儘泥だらけの信心家になつてしまつた。

「それぢや、そこで羅馬ローマ教の掟を読みあげてみなさるがいい。さうすりや助けないものでもない。」

「読みあげるともさ。ぢや、お聴きよ。」

哲学者はビスケツトのやうに乾いた唇で、うろ覚えの信仰箇条を読みあげた。すると、婆さんはやつと安心したやうに手を出してヒユウムを引張り上げてくれた。

もしかその婆さんが、広岡浅子夫人だつたら何どうだらう。事によると、物干竿でも担ぎ出して来て、この気の毒な哲学者を撲なぐり殺したかも知れなかつた。

新村しんむら博士と閣下1・27(夕)

京都大学の文科教授新村出いづる博士は、言語学者で、物識ものしりで、おまけに万事によく気がつく方なので、これまでだつて、亡くなつた上田敏氏の未定稿『ダンテの神曲』を刊行した事以外には、滅多に失敗しくじりなぞしなかつた。――大きい声では言はれないが、上田氏の『神曲』の邦訳は、あんなに刊行しないで、

「遺稿には神曲の訳本がある。なかなか珍しいものだよ。」

といつた風に、唯噂だけ振り撒いて置く方がよかつたのだ。噂だけの美しい女があるやうに、噂だけの書物があつたつて少しの差支もない。

その新村氏が最近一つの失敗しくじりをした。と言つても何も専門の言語学の事ではないのだから、どうか安心して欲しい。話の起りは、この一月げつの年始状からの事で、春早々氏の玄関に投げ込まれた数多い年始状のなかに「榊原政職まさより」といふ人から寄こした一枚の葉書があつた。

「榊原政職? 誰の事だらうて。つい、ちよつと思ひ出せないが。」

新村氏は希臘ギリシヤ語や、羅甸ラテン語や、和蘭オランダ語や、そしてやくざな日本語が福神漬のやうに一杯詰つてゐる頭へ手を当てがつてじつと考へた。

「榊原康政――榊原琴洲きんしう――榊原健吉……」

言語学者は榊原と姓のつく者を片かたつ端ぱしから記憶のなかに呼び出してみた。一人は徳川の四天王、一人は江戸の国学者、一人は幕末の剣術使ひで、新村氏とはみんな深い昵懇なじみであつたが、不都合な事には、誰一人年賀状を寄よこしてゐなかつた。

「榊原政職――一体誰の事だらうな。」

その瞬間、新村氏は自分が子供の時分よく、自宅うちへ遊びに来てゐた榊原といふ軍人がある事を思ひ出した。

「榊原政職――さうだ〱、てつきりあの軍人に相違なからう。何でも陸軍少将までに上のぼつて、今は予備になつてゐるやうに聞いたつけが。」

言語学者は早速返しの年賀状を認したゝめた。活版刷の葉書の側そばに、一度親しくお目に懸つて、種々いろ〱御話が伺ひたいと添書そへがきまでした。宛名には叮嚀に榊原政職閣下と書きつけた。

それから二三日して、新村氏は何かの会でこの話をした。すると、側そばでそれを聞いてゐた文科大学のある教授は、眼を一銭銅貨のやうに円くした。

「榊原政職だつて。君はその人を閣下扱ひにしたのかい。」

「したともさ。陸軍少将で、おまけに先輩ぢやないか。」

「はははは……」その教授は口を開あけて笑ひ出した。「君は知らないのかい、榊原政職つていふ男は、考古学教室の助手ぢやないか。」

「え、考古学教室の助手だつて。」

新村氏はかう言つて、その場に女中でもゐたら、直ぐに「閣下」を取返しにやり兼ねないやうな顔をした。――だが、安心するがよい、新村氏が一つ安売したつて、それがために辞書から「閣下」といふ語ことばが減る訳でもないし、もしか真実ほんとに不足でもしたら、その折は代りに文部大臣宛のをでも一つ倹約しまつして、

中橋徳五郎どん

と手短に呼んで置く事だ。

内証ないしようで新村氏に耳打する。これが近頃流行のデモクラシイといふ奴さ。

劇の収入2・3(夕)

今度東京の玄文社では家庭小説の募集について五千円の懸賞をするといふ事だ。前後十八回分で、原稿は最初の三回と最後の一回とだけ、あとは筋を運ばせればそれで可いいといふ事ださうだから、応募者にとつてこんな都合のいゝ事はない。

日本では俳優やくしやも興行元しうちも成るべく脚本に金を払ふまいとするから、脚本家として生活くらしを立てるのはなかなか難むつかしいが、西洋では脚本を一つ書いて、それが当つたとなると、一つぱしの財産が出来るので、若い野心のある作家達は多く脚本家として立たうとする。

仏蘭西写実派小説の開山かいさんバルザツクは、随分たんと小説を書いたが、それだけではまだ書き足らないで、脚本の方へも脚を踏み出さうとしてゐた。ある時友達と二人巴里パリーの大通りを歩きながらこんな話をした。

「僕も一つ脚本でも書いてうんと金儲けをしようかな。なに、本さへ出来上つたら、請合うけあつて百五十回位は舞台に上のぼせて見せるさ。一回の揚あがり高だかがざつと五千法フランとして、百五十回で七十五万法。そのなかから脚本料に十二パアセントを取るとして、少くとも八万法にはなる筈だね。」

バルザツクは胸算用をしながら寝不足さうな眼をあげて、じつと友達の顔を見た。友達はお附き合ひに調子を合はせた。

「なる程さう聞けばさうなるね。」

「さう聞けばぢやないよ。実際さうなるんだよ。」とバルザツクは大きな頭を掉ふつた。「この外に劇場以外から入る収入が先づ五千法。それから脚本一冊の売価うりねが三法として三万部で、ざつと……」

「もう判つた〱よ。」と友達は手を掉つた。「ほんとに結構な話だから、どうかその中から三法だけ今貸してくれたまへ。」

「うむ……」バルザツクは家鴨あひるの絞め殺されるやうな声を出して眼を白黒させた。

桑原博士の人違ひ2・7(夕)

京都文科大学の教授桑原隲蔵じつざう氏は、大きい声では言へないが、一寸そそつかしやである。学者には兜虫のやうな沈着家おちつきやと蜻蛉とんぼのやうなそそつかしやと二種いろの型があるが、桑原氏はどちらかといへば蜻蛉の方である。

桑原氏は岡崎町ちようの入江に住んでゐる、そしてせつせと東洋史を研究してゐる。ある日の事、研究にも倦うんだので、桑原氏は両手を伸ばして大きな欠伸あくびをした。退屈な東洋史の研究を続けながら、滅多に欠伸なぞしない桑原氏は実際立派な学者だといつていゝ。だが、その日に限つて桑原氏は研究が厭になつた。多くの学者は研究が厭になると、細君の顔を見てにやりとするか、さもなければ狗児いぬころを連れて散歩に出るものである。桑原氏も欠伸を二つして散歩に出た。

聖護しやうご院の曲り角まで来ると、向ふから山高帽を被きた一人の岩丈な紳士がやつて来た。

「たしか見たやうな顔だな。」

と桑原氏は思つた。実際その紳士は東洋史のなかにでもまごついてゐさうな四角い、険相な顔をしてゐた。桑原氏はにやつと笑つてみた。紳士もまたにやつと笑つた。

「てつきり乃公おれの家うちを訪ねて来るんだな。」

東洋史の専攻学者はさう思つて、そこに立ちどまつた。

「お越し下さるのですか。」

「え」紳士は妙な顔をして返事をした。

「それぢや御一緒に参りませう。なに、散歩だからいゝんです。」

桑原氏はかう言つて後あとがへりをした。さうして紳士と肩を並べながら、誰だつたかなとこの男の名前を考へてみたが、一向に思ひ出せなかつた。

桑原氏の宅うちに近い途みちの曲り角まで来ると、その紳士は大学教授に頓着しないで、真つ直に往ゆかうとした。

「こつちですよ、宅うちは。」

「いえ、私はこちらの方で……そんなら失礼致します。」

紳士は一寸帽子の鍔つばへ手を掛けて挨拶した。桑原氏は呆気あつけにとられてその後姿を見入つた。

ともかくも一応宅うちに帰つてみる事にした。宅うちに帰つてみたところで、馬鹿らしい事は矢張り馬鹿らしかつた。桑原氏はまたすぽりと帽子をかぶつて表通りへ出た。すると出会ひがしらにばつたりとまた先刻さつきの紳士に面かほを合はせた。紳士は、

「やあ、さき程は。」

と言つて一寸お辞儀をした。桑原氏も同じやうに、

「やあ。」

と言ふには言つたが、余り可笑をかしかつたので、

「はゝゝゝ」

と声を立てて笑つた。紳士も一緒になつて笑つた。笑つてよかつた。もしか怒りでもしたら喧嘩になつたかも知れなかつた。喧嘩になると、強い方が勝つのは東洋史にもちやんと出てゐる。

文豪の娘2・10(夕)

十九世紀の英国作家のなかにジヨン・ウイルソンといふ男がゐた。ブラツクウツド雑誌に立て籠つて、クリストフア・ノウスといふ雅号で、何でもござれといつた風に、いろんな方面に得意の才筆を振ふるつた男だ。

そのウイルソンに美しい娘が一人あつた。女が妙齢としごろになれば、いろんな男が訪ねて来るもので、この作家の応接間には、娘を目的めあての若い男が次ぎから次へとやつて来た。そのなかに一人の若い大学教授が交まぜつてゐたが、娘はこの男が気に入つて嬉しい恋仲になつた。

大学教授は愈々いよ〱結婚を申し込まなければならぬ順序となつたが、残念な事には、この学者は内気な、羞恥家はにかみやで、他人ひとの書物に書いてある事を紹介する折にも顔を赧あかめないでは居をられない程だつたから、自分の恋を打明けるには、酸漿ほほづきのやうに心しんから真紅まつかにならない訳に往ゆかなかつた。

「私には迚とても貴方の阿父様おとうさまにお目にかゝる勇気がありません。」大学教授は娘の家うちの応接間で、もうすつかり紅あかくなつて、眼に一杯涙をためながら言つた。「どうか、貴女あなた御自身で言つて下さい、後生ですから。」

「阿父様? 阿父さまなら、今書斎にいらつしてよ、往つてらつしやいな。」

娘は幾らか調弄からかひ気味で、平気な顔をして言つた。

「とても〱。私がお目に懸つたら、却かへつてとんちんかんの御挨拶をしてしまひますよ。」若い学者は深い溜息をついた。「貴女往つて打明けて下さい。私はこゝでお待ちしてゐますから。」

娘は笑ひ〱父の書斎に入つて往つた。父は卓子テーブルにもたれて何か頻しきりと書きなぐつてゐた。娘は嬌あまえるやうに父の手をとつた。そして教授がたつた今自分に結婚を申込んだ事を話して、

「あの方は大層内気でいらつしやるから、御自分には阿父様に申しあげかねると仰有おつしやつてよ。」

と附け足した。

「さうか、そんな方だつたら丁寧に気をつけて上げなくちやなりませんぞ。」

と作家は娘の顔を見ながら言つた。

「それぢや口づからも何だから、紙片かみきれに返事を書いて、針ぴんでお前の背せなにとめておくとしませう。」

作家は机の上の紙片かみきれを取つて何か書いた。そして、態々わざ〱それを針ぴんでもつて娘の背せなに縫ひとめた。

「阿父様の御返事は私の背せなに書いてあつてよ。」

娘は上機嫌で応接間にかへつて来た。内気な教授は後方うしろにまはつて見た。紙片かみきれには、

「謹呈 作者より」

と書いてあつた。

百円札2・12(夕)

鵜崎鷺城氏は人物批評家であるが、惜しい事には貧乏である。いつだつたか、氏の家うちに何かがあつて国民党の犬養毅氏が訪ねて来た事があつた。犬養氏は剣術使ひのやうな凄い眼つきをして狭い鵜崎氏の宅うちを物珍しさうにきよろきよろ見廻してゐた。

そのかへり途みちに犬養氏は国民党本部へ立ち寄つた。そして乾魚ひうをのやうな痩せた体躯からだをぐたりと椅子の上に下すと、居合はせた党員の誰彼を見て言つた。

「蝸廬くわろといふ語があるね、僕も書物のなかではよくこの語ことばに接してはゐるが、今日は眼の前にその蝸廬といふものを見て来たよ。」

「へえ、どんな者が住むでゐました。」

少し小金こがねを持つてゐるらしい党員の一人が不思議さうに訊いた。

「国民党員が住むでゐたよ。名前は鵜崎鷺城と言つたつけ。」

犬養氏は剣術使ひのやうな眼尻に皺を寄せて笑つた。

その鵜崎氏がある時国民党の本部で蟹のやうに頻りと泡を吹いてゐた事があつた。

「柏原文太郎つて、ほんとに失敬な奴だ、僕はあんな非紳士的な男をまだ見た事がないよ。」

「非紳士的つて、どんな事をしたんだい。」

居合せた党員の一人が訊いた。この男の考へでは、馬が後脚あとあしで人を蹴る外には、非紳士的な態度といふのはないといふのだ。

鵜崎氏は眼をくしやくしやさせた。

「それを聞いたら誰だつて怒るよ。」

「どんな事をしたんだい。」今まで背を向けて何か考へてゐたらしい同じ党員の大内暢ちやう三氏は、真面目になつて振り向いた。

「柏原がそんな不都合をしたのなら、僕が君に謝らせよう。」

「不都合だとも。ひどい不都合さ。」鵜崎氏は泣き出しさうな顔をして言つた。「あの男は僕の眼の前で金を勘定したんだよ。しかも百円札でね。」

「札勘定をしたんだね、百円札で。」皆は顔を見合はせた。「そりや成程柏原が悪い、君にそんな物を見せるなんて。」

皆は柏原氏が悪いと極きめてしまつた。実際それはよくない、貧乏人に百円札を見せつけるなんて、富豪に拳銃ピストルをおつつける以上に罪がふかい。何故といつて、富豪は懐中ふところに手を突込んで相手を宥なだめる術じゆつを知つてゐるが、貧乏人は赫かつとなるより外には仕方がないのだから。

市村博士と禁酒法2・13(夕)

京都大学教授法学博士市村光恵みつゑ氏は憲法学者だが、憲法があつて酒のない国と、酒があつて憲法のない国と、どつちかといへば、二つ返事で後の方を選ぶほどの酒好きである。

ところが、市村氏の親兄弟は揃ひも揃つて、堅い基督教信者である。日本の基督教信者は余り人前では酒を飲まない。尤も耶蘇は平気で葡萄酒を飲むだが、日本の基督教は耶蘇が一度も往つた事のない亜米利加を経て来たもので、彼地あすこは植民地だけに好よい酒がない。悪い酒は悪い書物と同じやうに頭を悪くするものなので、基督信者は酒を飲むではならない事になつたのださうだ。この意味において市村氏の親兄弟が酒を飲まないのは間違つてはゐなかつた。市村氏は好よい酒のない土佐の産うまれだつたから。

ある時市村氏の家に、何か祝ひ事があつて皆が食卓に並んだ。そのなかには無論憲法学者も交まじつてゐた。愈々いよ〱皆が箸を執らうとすると、老としよつた市村氏の父は食前の祈祷を始めた。

「主よ、主が吾が一家の上に垂れ給うた御み恵みを感謝いたします。ここに列つらなりました家族の中に一人にんの御み心に叶はざるものがありますけれど……」

式かたの如く頭を垂れて温和おとなしく祈祷に聞きとれてゐた憲法学者はひよいと聴耳ききみゝを立てた。

「一人の御心に叶はざるもの?……はて誰だらうな。」

学者は眼をあげて、そこに居並んだ家族の顔を見比べた。皆胡桃くるみのやうに堅い基督信者で、御心に叶つたらしい羊のやうな眼もとをしてゐた。

「すると俺かな。御心に叶はざる者つていふのは。」憲法学者は額にあててゐた掌面てのひらで頸窩ぼんのくぼを押へた。「いくら親爺にしても、余りひどい事を言つたものだ。神様に聞えないからいゝやうなものの、若もしかお耳にでも入つたら困るぢやないか。」

その市村氏は、この十六日に第三高等学校で催される同校学生の擬国会に在野党の首領として出席する事になつてゐる。ところが在野党側の学生は、食糧不足に対する一つの応急策として、禁酒法案を提出する事に決めたので、その説明の任に当らなければならない筈の市村氏は、困り切つて学生に妥協を申し出た。

「いくら何でも僕に禁酒法案の説明をさせるなんて余りぢやないか。」憲法学者は二日酔ひの顔を手帛ハンカチのやうに両掌りやうての掌面てのひらで揉みくしやにした。「酒の為に潰す米なんて知れたもんだよ。往時むかしから馬鹿の大食ひといつて、馬鹿が一等沢山米を食ふのだ。その馬鹿の大食ひを治すには何よりかも酒を飲ますに限るんだからね。」

でも学生は言ふ事を肯きかない。禁酒法案は矢張り酒好きの市村氏が説明しなければならぬ事になつてゐるさうだ。

忘れつぽい人2・14(夕)

学者や芸術家といふ輩てあひには、自分の研究や作物さくぶつに熱中し出すと、つい自分をも、世間をも忘れてしまふやうな人がよくある。況まして晩飯や借金の事などは。歴史家のモムゼンはさういふなかでも一番よく物忘れをする人だつた。

ある日の事、モムゼンはいつものやうに書斎へ入つて何か調べ物をしてゐた。ちやうど時分どきになつたので、下男は料理をもつて入つて来たが、主人の歴史家は唯もう仕事に気をとられて、一向食事の事なぞ考へてゐないらしかつたので、下男は側そばの卓子テーブルの上に皿を置いて下さがつて来た。

暫くして、下男は二皿目を持つてまた書斎に入つて来た。先刻さつきの肉汁スウプは匙さじもつけないで残つてゐたので、代りに次の皿をおいて、前のはその儘下げて来た。そして料理部屋で舌鼓したつゞみを打ちながらこつそりそれを食べた。どんな場合でも盗ぬすみ食ぐひはうまいものであるが、とりわけ学者が気むつかしい顔をしてゐる隣りの室へやでする盗み食はまた格別のものである。

下男はまた三皿目を持つて来た。歴史家が羅馬ローマ大帝国の事に頭をつかつてゐる間うちに、二皿目のビフテキはもう冷えきつてゐたので、下男はそれをも下げて、次の室まで食べてしまつた。

それから物の二時間も経つと、モムゼンが疲れたやうな顔をして台所へ入つて来た。

「おい、もう時分どきを大分だいぶん過ぎてるやうだが、まだ午飯ひるめしは食べさせないのかね。」

「午飯ですつて。」下男は態わざとしらばくれた顔をして笑ひ出した。「まあ、旦那様とした事が、お午飯ひるは先刻さつき召しあがつたぢやございませんか。」

「えツもう食べたつて。さうかなあ。」とこの偉大な歴史家は両手でもつてぺこ〱になつた横よこつ腹ぱらを押へてみるらしかつたが、「なる程さう聞いてみると食べたやうだわい。うん、食べた〱、確たしかにお午飯ひるは食べた。いや、飛んでもない事を言つて済まなかつたよ。」

歴史家はほんとに済まなかつたやうに頭を掻きながら、また書斎に帰つて往つた。

パスツウル研究所の創設者ルイス・パスツウルは名高い化学者だつたが、この人もモムゼンと同じやうに、どうかすると自分を忘れる性たちであつた。ある時娘の家うちに往つて、桜実さくらんぼを饗よばれた事があつた。娘は木この実を入れた籠と、水を盛つた丼どんぶりとを卓子テーブルの上に置いた。

「阿父おとうさん、これ拗ちぎり立ての桜さくらん実ぼなのよ。埃や毛虫の卵がくつ着いててもいけないから、一粒づつこの水で洗つて召しあがれよ。」

「うむ、よし〱。」老としよつた化学者は娘の言ひなり通り、さくらんぼを一つ宛づつ鄭寧ていねいに丼の水で洗つて食べてゐたが、暫くすると籠のなかは空つぽになつた。すると化学者は手を伸ばして丼を取上げた。そしてそれを唇に持つて往つたと思ふと、なかの水をぐつと一息に飲み干してしまつた。埃も毛虫の卵も。

夏目漱石と佐佐木信綱2・15

夏目漱石が生前仲のよかつた大塚保治やすぢ博士と一緒に、横浜の富豪かねもち原富太郎氏を訪ねた事があつた。原氏は名高い美術骨董好きで金に飽かせて古い由緒のある芸術品を購かひ込むと同時に、美術院の画家達の面倒をも見てゐる人である。

世間の富豪かねもちで、乃公おれは芸術が好きだといつて、それを自慢にする輩てあひは大抵先づ美術骨董へ手を出す事に極きまつてゐる。美術骨董は多くの場合、富豪かねもちの眼を娯たのしませる外に、財産として子や孫に残す事が出来るからである。次ぎにはそろ〱音楽を始める。音楽は耳を慰める外に、拙へたながら自分でも演奏者となる事が出来るからである。最後は文学だが、富豪かねもちでゐてほんとうに文学を愛するといふ者は滅多に見た事がない。文学は直接ぢかに思想を取扱ふものだけに、財産として自分のうちの土蔵にしまつておく事が出来ない許ばかりか、どうかするとそれを弄もてあそんでゐる者の手を傷きずつけるからである。

原富太郎氏も自分の道楽を美術骨董に限つておく方の一人にんである。だから氏の土蔵には書画骨董が財産としてしこたま積み重ねてある。そのなかには実際世にも珍しい逸品が少くはない。夏目大塚の二博士はそれが見せて貰ひたさに態々わざ〱訪ねて往つたのだ。――夏目漱石を博士呼ばはりをすると、博士号なぞ慰斗のしつきの儘送り返したのだと言つて、胃病患者につき物の苦い顔をするかも知れないが、まあさ、辛抱して貰ひたい。さもないと羞恥家はにかみやの大塚博士が顔を赧あかくして極きまりを悪がるかも知れないから。

原氏の宅では書画を見せた後のちで、博士二人を御馳走した。その折給仕に出たのは廿歳はたちばかりの可愛かあいい顔をした小間使ひの一人で、膝の上でお盆を弄いぢりながら、頻りに漱石氏の顔に見とれてゐた。漱石氏はその日もいつもと同じやうに薄痘うすいものある顔をしてゐた。

その小間使はふだんから佐佐木信綱氏について歌を習つてゐた。蟋蟀こほろぎや蛙のやうな労働者まで歌を咏よむ世の中に、美しい小間使が歌を咏むでならないといふ法はない。二人のお客が帰つたその晩、小間使は久しぶりに師匠あてに長々と手紙を書いた。そのなかには「今日初めて夏目さんにお目に懸りました。どんなお方か、一度お会ひ申したいと思つてゐた願ぐわんが届いて、お給仕までする事が出来ました。こんな嬉しい事のあつた後あとだから、私はもしや今夜中に死にはしますまいかと気遣はれますので、先生宛にこの手紙を書きました。」といふ様な文句があつた。

それを見た佐佐木氏は、早速夏目博士にその事を話した。

「あなたにお目に懸つた後あとなんで、もしやその晩中に頓死しやすまいかと気遣つたのださうですよ。可愛かあいらしいもんですな。」

佐佐木氏は、三十一文字みそひともじの講釈と、ビスケツトを食べるために、母親おふくろが態々産みつけたらしい口もとを窄つぼめて言つた。夏目博士はにやりとした。

「あの小間使は君のお弟子なんですか。」

「はあ、弟子ですよ、歌もなか〱やりますよ。」

「それぢや君にお勧めするが……」夏目博士は猫のやうな哲学者らしい顔をした。「そんな見え透いた嘘をつく女は破門しておしまひなさい。」

「え、破門ですつて。」佐佐木氏は眼をきよろ〱させた。そして歌を咏まないものは、やつぱり情なさけに乏しいといつたやうな表情をした。

内田博士と一円札2・17(夕)

京都大学の博士内田銀蔵氏が、礼儀作法の極めて鄭重なのは幾度かお話しした通りだが、ある時またこんな事があつた。

恰ちやうど春さきの、梅もちらほら咲きかけようといふ頃で、内田氏は自分の学生を十幾人か引連れて、笠置かさぎ辺の史蹟の踏査に出かけた途中であつた。かなり歩き草臥くたぶれたので、路みちばたに茶店ちやみせが一軒あつたのを仕合せに、皆はそこで一休みする事にした。

大学の教官室で、外套一つ掛けるにも、折釘をれくぎの数をちやんと数へてからでないと安心しない内田氏は、茶店に入るなり、脱いだ帽子を手にもつてあちこちと帽子掛を捜すらしかつたが、大学に牛小屋が無いと同じやうに、茶店にはどこにも帽子掛は見当らなかつた。内田氏はひどく当惑したやうな顔つきをしてもぢ〱してゐたが、学生達が無雑作に帽子を脱いでそこらにおつぽり出してゐるのを見ると、漸やつと気が注ついたやうにそつと床几しやうぎの上に置いた。

皆は茶店の媼ばあさんの手から、渋茶を受取つて咽喉のどを潤した。そしていゝ気になつて長髄彦ながすねひこや楠木正成くすのきまさしげの話をした。内田氏は長髄彦や正成が、自分の伯父さんででもあるやうな叮嚀な言葉遣ひで、いろんな古い談話を聞かせてくれた。

暫くして皆は立ち上つた。内田氏は脱いだ帽子が自分のに相違ないかといふ事をよく見極めた上でそれを被かぶつた。そして懐中ポケツトから一円紙幣を取り出すと叮嚀に皺をのばして、媼さんの前に出した。

「色々御厄介になりました。これは僅かでございますが、お納めを願つて置きます。」

媼さんは紙幣を受取つて、胡散うさんさうな眼つきをしてそれを調べた。紙幣は別段贋造でもないらしかつたので、媼さんは吃驚びつくりしてまた博士の手に押し戻した。

「滅相もない、ちよつとお休みやしたのに、こないたんと載いては済みまへんどす。」

「どう仕つかまつりまして。」『日本近世史』上巻の著者は記録の一杯に詰まつた頭を叮嚀に下げた。「甚はなはだ軽少で却かへつて失礼ですが、どうかお納め下さいまして。」

「旦那はん、これ一円札どつせ。」茶店の媼さんは、目脂めやにの浮いた眼で博士の顔と紙幣とを等分に見くらべた。「こないたんと戴いては冥加みやうがに尽きまつさ。」

「さう仰有つていただいては私こそ痛み入ります。」と内田氏は、たつた今被つたばかりの帽子をまた脱いだ。「どうかその儘お納めを願ひたいもんですね。」

外に立つてゐた学生連は、こんな挨拶を交してゐては、一世紀などは直ぐ経つてしまふだらうと気遣ひ出した。で、気の利いた一人が媼さんに耳打をした。媼さんは頷うなづいた。

「さうどつか。そない事どしたら戴いときまつさ。」

媼さんが受取つたのを見ると、内田氏は漸やつと安心したやうに帽子をかぶつて外へ出た。

池上市長と兎2・19(夕)

十六日の朝、大阪市役所の連中れんぢゆうは恒例といふ事で、箕面みのも附近の山で兎狩を行やつた。その前の晩市役所のストーヴに集まつた連中れんぢゆうの一人が心もとなささうに言つた。

「さあ、明日あすは愈々いよ〱兎狩かな。だが、ほんとうに兎がゐてくれるか知ら。」

「兎なんかゐるものか。あんな山に。」もう幾年か市役所に勤めて、一向俸給の上らなささうな四十男が、ぶつきら棒に返辞をした。「居たつて君、この節だものね、もつと生活くらしの為しいいところへ引越しまさ。」

「といふ訳でもなからうが、実際兎は居ないらしいつて事だよ。」

何かの主任を勤めて、午飯ひるめしには麺麭パンを三片きれと巻煙草を一本喫ふかす事に極きめてゐる男が横つちよから口を出した。すると恰ちやうどそこへ通りかかつたのが池上市長で、太い牛のやうな首をそつちへ捻ぢ向けたと思ふと、一寸立ちとまつて訊いた。

「箕面の話かい、それは。」

「は、さやうでございます。」

「箕面になら、兎はゐるよ。」市長は兎のやうに小鼻をぴくぴくさせながら言つた。「たんとゐるよ。」

「さうださうでございますね。今も皆とその話を致して居りますやうな次第で……。」

主任はてれ隠しに一寸頤おとがひを撫でた。頤おとがひには兎でも居さうな程鬚が伸びかかつてゐた。

十六日の当日、朝早くから山の麓ふもとに集まつた輩てあひは、青竹で山を叩き、岩を叩き、木の根を叩きながら、めい〱声一杯に喚わめいたものだ。なかには、石油の空缶を叩いて躁はしやぎまはるのもあつた。だが、兎は少しも影を見せなかつた。

「なんだ、ちつとも居やしないぢやないか。」

躁はしやぎくたびれた連中れんぢゆうの一人が、がつかりしたやうに言ふと皆は声を合はせた。

「だからさ、言はない事ぢやない、こんな山に兎がゐるものかよ。」

すると、そこへひよつくり池上市長が顔を出した。皆がぶつぶつ呟ぼやいてゐるのを見ると、態わざと元気をつけて向ふの谿間たにあひを指ざした。

「諸君、もう一息だ。兎は確たしかにこの方角に居ますぞ。」

皆は市長の言葉に勢ひを得て、その谿たにあひに駈け下りざま、また青竹で山を叩き、岩を叩き、木の根を叩きして喚き散らした。すると、そこらの草のなかから真つ白な兎が一匹転がり出した。

「出たぞ。」

といふ間もなく、耳の長い獣けものは直ぐに手捕てどりにせられた。

やがて二匹、三匹、四匹、五匹と次ぎから次ぎへと飛び出したと思ふと、その場ですぐに押へられてしまつた。

皆は獲物を持つて山を下りにかかつた。下りる途々みち〱市長を見ると感心したやうに首をふつた。

「どうも貴方の眼力めききには恐れ入りましたよ。言はれる通りの方角から兎が飛び出すんですからね。」

「なに、まぐれ当りさ。」

市長はかう言つて苦笑した。

「でもさ、人間を見ても逃げようとはしないで、向うからやつて来る兎も珍しいぞ。」

さつき兎を手捕りにした男の一人がかう言つて声を立てて笑つた。皆は変な顔をした。

実をいふと、兎はその朝先発隊が、動物園で買ひ取つて来て、わざ〱谿間たにあひへ伏せておいたもので、これまでだつて市の費用で飼はれてゐた、言はば市役所の連中れんぢゆうとは兄弟分の仲だつた。

都路つぢ華香氏と幇間ほうかん2・21(夕)

京都の祇園新地に花はなの家や瓢へう六といふ幇間が居る。他人ひとの座敷でお喋舌しやべりをしたり、取持をしたりして、漸やつと生活くらしを立ててゐる身は、考へてみると詰らぬ事が多かつた。で、これを反対あべこべに他人ひとに芸をさせて、それで食つて往ゆく事が出来たなら、そんな結構な事はない筈だと、色々思案の末が、ふといゝ考へを思ひついた。

それは外でもない、新画流行はやりの今日この頃、予かねて顔昵懇なじみの画家達を拝み倒して、資本もとで要らずの画ゑをしこたま駆り集め、その即売会を開いて、たんまり懐中ふところを膨らまさうといふのだ。

「なに、先生々々と拝み倒す日には何でもあらへん、一体画家ゑかきさんたら、みんな『先生』と『舞妓まひこはん』が大好きやさかいにな。」

瓢六は独りぎめにかうきめて、顔昵懇の画家ゑかきの作品を片つ端から集める事にした。

好都合なのは、京都画家の多くがしげしげ祇園へ遊びに来る事なので、瓢六は画家ゑかきのお座敷だと聞くと、何を措おいても顔を出す事を忘れなかつた。そして二言目には、先生々々と言つて、画家の人柄を賞ほめ、画を賞め、側そばにゐる舞妓を賞め、舞妓の食べるきんとんを賞めたりした。

お蔭で画は少からず集まつたので、この算盤高い幇間は二度ばかし即売会を開いて、大分だいぶん懐中ふところを膨らませたが、近頃世間の景気が思はしくなくなりかけたのを見ると、今のうちにも一度会が開いておきたくなつた。

「何でも今のうちのこつちや、先生で言ひ足らなんだら、大先生とでも言ふのやな。南瓜かぼちやかて小さいのより大きいのがよかろやないかいな。」

瓢六はまたしても知つてゐる限りの画家の玄関へその姿を現し出した。

先日こなひだの事、都路華香氏を訪ねて、例いつものやうにそろそろ拝み倒しにかゝつたが、旋毛つむじ曲りの華香氏を動かすには何でも画家ゑかき仲間の悪口わるくちを言はねばならぬと思つたらしかつた。なぜと言つて、華香氏は蟷螂かまきりのやうにいろんな事に憤慨するのが好きだつたから。

「ほんまに春挙先生にも困りまつせ。酒に酔ははると相変らず無茶苦茶の物を描かかはるので、私わてが後あとから後からそれを破つて廻りますんや、そないな物もんが残つてては先生の名折なをれどすさかいにな。」

瓢六は猫のやうな眼つきをして画家の顔を見た。一方ではかうも言つておいたら、華香氏もまんざらな物は呉れなからうと思つたからだ。

だが画家ゑかきはその機会を取逃がさなかつた。

「さうか、それはいゝ事をしたね。私もお前にそんな手数てすうをかけても済まないから、いつそ描かかない事にしよう。」

幇間はそれを聞くと、すぐ頬ほゝべたを抓つねりあげた。頬べたは歪形いびつに曲つたが、どうも少し遅かつたやうだ。

土木課長の喧嘩2・25(夕)

「道路みちが悪い。」

「いや、善よいにも悪いにも、大阪にはてんで道路みちといふものが無いのだ。」

かうした不平は、今では雨が降る度に、市民の誰でもの口から洩れるやうになつたので、頭に長靴を穿はく事の好きな市の理事者も、もう何日いつまでもじつとしてゐられなくなつて、何とかいい改善方法はあるまいかと、適当な人を適当な市まちへ視察に出す事に取り定きめた。

「適当な市まちつて、何処にとり極めたもんだらうて。」

市長池上氏は大事さうに胡麻白ごまじろ頭を両手で抱へて、じつと考へ込んだ。アメリカの女が巴里パリーを自分達の天国と思ひ込んでゐるやうに、市長の天国は東京にあつた。

「やつぱり東京かな。さうだ、東京と決めておかう。ところで視察には誰をやつたものだらうて。」

市長は心のうちで誰彼といろんな人達を数へあげてみるらしかつたが、やはり岩田土木課長より外に適当な人は見つからなかつた。

「さうだ、岩田にしよう。岩田なら間違まちがひつこはなからう、あの男は名代の釣道楽なんだからな。」

市長の哲学によると、釣は辛抱が大事だ、釣が好きだといふ男にそゝつかしやはない筈だから、視察には打つて附けだといふのだ。で、大阪監獄の敷地払下はらひさげ問題のために東上する岩田氏に頼む事にした。

岩田氏は汽車に乗つて東京に急いだ。実をいふと、岩田氏はこれまで幾度か東京へ来た事はあつたが、そんな折には大阪の事ばかり考へてゐたので、東京に道路みちがあるといふ事すら、少しも思ひ浮ばなかつた。

「道路の視察――用向きが用向だから、唯もう爪先ばかり見て歩かなくちやなるまいね。」

岩田氏は胸の上に両手を拱くむで、哲学者のやうにじつと頭を下げて銀座通りを歩いてゐる自分の姿を想像してみたりした。

岩田氏が東京に着いた日は、その前の晩からのどしや降りで、東京の市街まちは沼田ぬまだのやうにぬかつてゐた。岩田氏はそのなかを泳ぐやうにして東京市役所に同じ土木課長の樺島正義氏を訪ねた。そして顔を見ると直ぐに噛みつくやうに言つた。

「どうしたんです、この道路みちの態ざまは。東京には全まるで道路みちらしい道路みちはないんですね。」

それを聞いた樺島氏も負けてはゐなかつた。

「御挨拶痛み入りますね。ぢや、大阪には道路みちらしい道路みちがあるんですか。」

「いや、大阪もひどいにはひどいが……」岩田氏は鼻の先の汗を邪慳に手帛ハンケチで押し拭ぬぐつた。「しかし、東京よりはましのやうです。」

「イヤ、違ふ、違ひます。成程東京のもひどいにはひどいが……」樺島氏は同じやうな事を言つて、同じやうに鼻の先を撫下なでおろした。「しかし僕の見た所では大阪よりはましのやうです。」

「それぢや伺ひますが、君はいつ大阪の道路みちを見ました。」おとなしい岩田氏は幾らか喧嘩腰になつて心持顔を赤めて言つた。「私は現に今日の雨降りに東京の市街まちを歩いて来たんぢやありませんか。」

樺島氏もぐつと肩を聳そびやかした。

「僕も大阪の市街まちを歩いてみましたよ。去年の暮で丁度今日のやうなどしや降りの日でしたつけ。」

倫理学者と五十万円3・2(夕)

今では故人になつた東京大学の中島力造博士は聞えた倫理学者だつたが、永年倫理を研究した結果が、人間といふものは不思議なもので、素寒貧すかんぴんでゐるよりも、生活くらしが豊かでゐた方が、租税もよく納めるし、乞食にもよく施しをするものだといふ事を発見した。

で、何でも財産丈だけは有つた上にも有つた方がいゝ訳だと、せつせと稼いだ。博士にとつて稼ぐといふ事は倫理学を方々で講演したり訳述したりする外には何も無かつたのは飛んだ仕合せであつた。倫理を講義して、それで金が儲かるものなら、人は誰でも倫理学者とならうとするに相違ない。何故といつて、倫理はそれを実地に行ふのには随分難むつかしい事も多いが、唯講義するだけなら、書物とそして静かな聴衆ききてさへあつたら十分なのだから。

いつだつたか、中島博士の在職二十五年勤続祝賀会が、博士のお弟子達の手で開かれた時、そのお弟子の一人にんとして席に居合はせた福田徳三氏は、無遠慮に博士に言つた。

「先生も廿五年といふ長い間、大学教授をお勤めになつたんですからこれからは一つゆつくり気保養なすつたらいゝでせう。」

「気保養だつて。」中島博士は髯ひげのない顔をむつくり持ち上げた。

「気保養だなんて、まだ〱そんな気楽な真似は出来ないよ。これからうんと稼いで金でも蓄たまつた後のちの事なんだね、それは。」

「ぢや幾ら位蓄まつたらいゝんですね。世間の噂では先生はお金持だといふ事ではありませんか。」

福田氏は難解な経済学の書物でも読む時のやうな変な眼つきをして倫理学者の顔を見た。

「まあ、五十万円かな。五十万円も蓄まつたら、私もゆつくり落おちついて気保養するさ。」

中島博士はかう言つて、なが年いろんな倫理学の学説を押込んで来た頭を撫でた。居合せた学者連は、黙つて眼と眼を見合せて、そつと溜息をついた。

山元春挙氏と石3・7(夕)

朝鮮人が何か夢をみてゐるやうだが、その朝鮮人や唖おしの真似をして、遊び友達や舞妓をきやつきやつ言はせる事の好きな人に、京都の画家山元春挙氏がある。

その春挙氏も、この頃ではすつかりそんな遊びを止よして一週に一度京都絵画専門学校へ出て来る外は、おとなしく江州がうしう膳所ぜぜの別荘に引籠つて、石集めといふもの好きな道楽に憂身うきみを窶やつしてゐる。そして門前に置いた石の一つに、

魚釣うをつりや下手も上手もうき一つ

といふ、自慢の句を彫りつけて嬉しがつてゐる。この句は春挙氏が自分の人生観全部を缶詰にする積りで咏よんだ句なのだ。

もしか客がこの別荘に訪れて来でもすると、春挙氏は画ゑの事などはそつち除のけにして、直ぐに石の話を始める。

「近頃石を集めてるがね。」と春挙氏は朝鮮人のやうな顔を急ににこ〱させて、そこらに転がつてゐる石の一つを極きまつて客の鼻先につきつける。「見たまへ、石ほど趣味の深いものはないやうだね。」

客の多くは、お愛相あいさうぶりにその石を受取りはするが、石は女の手のやうに暖かではないので、その儘そつと畳におかない訳に往ゆかない。

「趣味つて、先生、どんな趣味があるんですか、この石に。」

「石には石の趣味がある。」と春挙氏は畳の上から件くだんの石を取あげて、猫の児のやうに掌面てのひらで撫で初める。「松浦まつら佐用媛さよひめは夫に別れた悲しさの余り、そのまゝ石に化なつてしまつたといふぢやないか、詰つまり石は生の極致だね。」

「でも、先生。」朝鮮人に似たこの画家の口から、石は生の極致だと説き聞かされた客の一人は、負けない気になつて言つた。「支那の黄初平くわうしよへいとやらは石を叱つて羊としたといふぢやありませんか。石も羊になる位だつたら鶉うづらにでもなりやよかつたと思ひますよ。すると滋養の多い卵を産む事が出来るんですからね。」

「はゝゝゝ。」春挙氏は多くの舞妓連を接吻キツスしたらしい唇を曲ゆがめて笑つた。

「何なににしても石ほど可愛かあいいものはないよ。石は人の罪を語らないからね。」

小声でそつと春挙氏に耳打ちする。なる程石ほど可愛かあいい物はない、石は人の罪を語らない。そしてもつと本当なのは、石は美術批評家のやうに画家の作品の善悪よしあしを言はない事である。

内田博士と案内記3・12(夕)

京都大学の内田銀蔵博士は、四五日あとに欧米漫遊からぶらりと神戸に帰つて来た。そして自分が不在るすの間に、日本の土地が護謨毬ごむまりで造り更へられでもしたかのやうに、注意ぶかい、歩きぶりをして、港の埠頭はとばに下りてゐた。

内田氏は今度の旅に立たうとする五六日前、自分の手もとにベデカアの米国案内記が無いのを大層物足りなく思ひ出した。旅程から旅籠屋はたごやから汽車の時間表まで、前以てちやんと定きめておかなければ承知の出来ない内田氏にとつて、ベデカアが無くて、米国に渡る事は、鞭むちを持たないで女の部屋に入ると同じやうに、危険けんのん極まる事だつた。

「ベデカアが無い。困つたな。」

内田氏は急に火がついたやうに狼狽うろたへ出した。

それを聞いた法科大学の佐藤丑次郎博士は、自分がその米国案内記を持つてゐる事を思ひ出して、紐育ニユーヨークの詳しい地図と一緒に、使つかひで内田氏の許ところへ持たせてやつた。

すると、その翌日、佐藤氏のところへ内田氏が訪ねて来た。主人の政治学者は事によつたらあの通り綿密こまめな内田氏の事だ、案内書の本文にどこか間違でも発見めつけて、それをわざ〱気をつけに来たのではあるまいかと思つた。

座につくと、内田氏は懐中ふところから赤表紙あかへうしのベデカアを引張り出した。

「てつきり俺の推察通りだ。こんな事と知つたら、態々わざ〱あんな本を用立てるんぢやなかつたつけ。」

佐藤氏は面目めんもくなささうな表情をして、子供のやうな内田氏の顔を見た。内田氏は内田氏で極きまり悪さうにもぢ〱しながら例いつもの慇懃いんぎんな口風くちぶりで言つた。

「昨日さくじつはわざ〱お使をお立て下さいまして、有難くお礼を申上げます。就いてはその節お貸し下さいました二品しなのうち、紐育の地図は暫く拝借させて戴きますが、ベデカアの方は……」

といつて、内田氏は件くだんのベデカアを佐藤氏の膝の前に置いた。その言葉によると、米国案内記は一昨日同じ大学の織田博士から借受けたから、この一冊は不用になつた。もしか入用いりようの人があつたなら、その方ほうに廻して欲しいといふのだ。

「色々お心遣ひ下さいました事につきましては、呉々くれ〲もお礼を申し上げておきます。」

内田氏はかう言つて夏蜜柑なつみかんのやうな円い頭を下げた。

佐藤氏はやつと安心をした。ベデカアには何処にも誤りはなかつたのだ。それにしても洋行前の忙しいなかからわざ〱不用の書物一冊返しに来た内田氏の几帳面なのには、いつもながら驚かされた。

「それだけの御用に態々お出で下すつて恐れ入ります。お女中にでもお持たせ下されば結構ですのに。」

「いえ、どう仕つかまつりまして。お大事の御本の事でございますから。」

佐藤氏は挨拶に困つて、その儘口を噤つぐむでしまつた。そして赤表紙あかへうしのベデカア一冊のために、こんな礼儀をつくす人だつたら、大英百科全書をそつくり貸しでもしたら、どんな事になるだらうと思つて、怖る〱横目で隣の間まの書架を覗いてみた。

クレマンソウと英語3・14(夕)

講和会議の議長クレマンソウ氏は、会議の席上で英吉利側のロイド・ジヨウジ氏などが英語演説をして、通訳がそれを仏蘭西語に反訳ほんやくするとなると、極きまつたやうに椅子にもたれて鼾いびきをかく事にしてゐる。

むかしナポレオン一世は、自分が睡ねむらうと思ふ時には、どんな時にでも、よしんば馬に乗つて戦場に立つてゐる場合にでも睡る事が出来たもので、その成功の幾分はこの居睡りにあるとさへ言はれたものだが、クレマンソウもこの点に於てはよくナポレオンに肖にてゐる。実際英語の達者なこの政治家にとつて、英語演説の飜訳を聴いてゐるのは、溜たまらなく退屈なものに相違なからう。

クレマンソウを虎のやうな激しい気象の政治家だとばかし考へてゐる人達は、変に思ふかも知れないが、この人は若い時女学校で教師をしてゐた事があつた。女学校といふのは米国コネチカツト州のスタムフオウドにある女子大学の事で、クレマンソウは一八六五年から一八六九年までまる四年間といふもの、こゝで文学史の教授をしてゐた。そして閑ひまがあると、巴里パリーの新聞へ米国だよりを通信したものだ。

お喋舌しやべりの多い米国人の娘を相手に毎日教室で文学史を講義しなければならぬとなると、どんな男だつて英語が達者になる訳である。それさへあるに、クレマンソウは自分の教へてゐる美しい女学生と恋をしたから、達者な上にも英語が達者になつた訳だ。

女学校の教師をしてゐながら、お弟子の娘と思ひ合つたといふと、日本の教育者達は変に顔をしかめるかも知れないが、なに生徒みんなを愛する事が出来なければ、そのなかのたつた一人を愛したつて差支ないので、クレマンソウはとうとその娘と結婚をして仏蘭西へ連れてかへつた。

だがその婦人とはいつか別れてしまつた。別れはしたが、英語はいまだに達者でゐる。

司令官と一兵卒3・15(夕)

遣欧米軍の司令官パアシング将軍が、ある日自分の兵卒の宿舎を巡視に出かけた事があつた。多くの兵卒が風琴を鳴らしたり、骨牌かるたを弄いぢつたりしてゐるなかに、たつた一人、一番年齢としの若さうなのが、人の居ない隅つこで、じつと書物に読み耽ふけつてゐるのが将軍の気をひいた。

将軍はづかづかとその若者の方に近づいて往つた。

「何を読んどるな。」

若い兵卒はひよいと後ろを振かへつて、慌てて立つて敬礼した。そして愛相つ気のない調子で返辞した。

「はい、本を読んでました。」

「本は解つとる。」将軍は蟹のやうに厳しかつべらしい顔をした。「だが、何の本だと訊いとるのぢや。」

若い兵卒は今まで読み耽つてゐた書物を黙つて将軍の手に渡した。将軍はちらと表紙の名前に眼をやつたが、それだけでは何の本だか解のみ込めないらしく、中味を二三ペエジめくつてみて、やつと自分達にはとても解りさうにない本だといふ事だけが解つたらしかつた。将軍は書物から離した眼をじつと兵卒の顔に注いだ。

「かなり難かしいことが書いてあるらしいが、お前にこんな本が解るかい。」

「はい、解ります。」

若い兵卒はきつぱりと言ひきつた。

「ほう、それは偉いな。」

将軍は胡散うさんさうな顔つきをして、書物を兵卒の手に返した。「だが、どうしてお前にそれが解るな。」

「何どうしてつて、別に不思議はありません。」若い兵卒は心もち顔を染めながら言つた。「私はこの本の著者なんでございますから。」

「ほう、お前がこの本の著者ぢやとお言ひか。」

パアシング将軍は慌てたやうに二つ三つ瞬きをして、じつと兵卒の顔を見た。尊敬すべき若い著作家は、別段異ちがつた顔もしてゐなかつた。馬に似た人間の多い世の中に。

春挙氏に画ゑを頼むには3・18(夕)

江州がうしう膳所ぜぜの別荘に籠つてゐる山元春挙氏が、石集めに余念もない事は、こなひだ書いた通りだ。その春挙氏がつい先き頃鳥打帽を被かぶつて散歩に出た。そして石山をさしてすたすたと歩いて往つた。

石山には三門前に、春挙氏の好きな石を売る店がある。画家ゑかきはそこの店さきへ来ると、ひよつと立ち停つて気に入つた石を捜し出した。何事も初心の間は気に入つたのが多いもので、春挙氏もあれかこれかと沢山の石を選好えりこのみをするのに困つてゐるらしかつたが、暫くすると、そのなかから土地ところ名物の源氏の間まの窓に似たのを見つけた。

「これがいゝ、肌に潤ひもあるし、それに恰好が面白い、今日の掘り出しはこれに定きめとくとしよう。」

春挙氏は言ひ値通りに価あたひを払つて石を引取つた。実をいふと、石屋の主人あるじは値切られる積りで、幾らか懸値かけねを言つたらしかつたが、画家ゑかきはそんな事に頓着しなかつた。潤筆料を値切られる不愉快さを知つてゐる画家ゑかきは郵便切手を買ふにも、石を買ふにも値切つてはならない筈である。

春挙氏はその石を別荘に持つて帰つた。そして源氏窓と名をつけて喜んでゐると、その噂がいつの間にか石屋の耳に入つた。石屋は買ひ手が春挙氏だつたといふ事を聞くと、ひとりでほくそ笑ひをした。たつた鳥は惜しいが、いつかまた帰つて来る事を思つたからである。

それから五六日すると、春挙氏はまた石屋の店さきに立つた。石屋の主人は目ざとくそれを見つけて、軽石よりも軽いお追従をのべつに注ぎかけた。お蔭でお客は石を二つ三つ購あがなはなければならなくなつた。

その日の石は大きかつた。で、後あとから運ばせる事にして、春挙氏はさきに帰つた。暫くすると門先かどさきにがたぴし荷車の音がして入つて来たものがある。

「へい、手前どもは石山の石屋でございますが、お誂あつらへの石を持つてまゐりました。」

画家ゑかきは玄関へ出て見た。門先きには荷車が二台曳き込むであつて、車の上には石屋の店ぐるみ積み重ねたかのやうに、沢山な石があつた。

「どうしたつていふんだ、俺はこんなどつさり註文はしなかつた筈だが……」

春挙氏が不審さうに顰しかめた顔を、石屋の主人あるじは石のやうな冷たい眼でじろりと見上げた。

「でもございませうが、こちら様は石好きでお名前の通つたお方なんでございますから。」

かういつて、人夫を指図して、さつさと石を下しにかゝつた。

「石好きでお名前の通つた……」

春挙氏は石を集め出したのは、漸やつとこなひだなのに、もうそんなに噂が高まつたのかと、頸窩ぼんのくぼへ手をやつて、満足さうに声を立てて笑つた。そして石屋の担ぎ込むだ石だけでは何だかまだ物足りない様に思つて、いつそ石屋の主人あるじも、人夫も、門先きを通りかゝつた跛ちんばの狗いぬころも、みんな石になつて欲しい様な表情かほつきをした。

その春挙氏は画家ゑかきである。画が頼みたい人にそつと内証ないしようでお知らせする。氏の潤筆料に黄金こがねなどは無用の沙汰で、兎角は石の事〱。

新聞の購読中止3・20(夕)

数多い新聞雑誌の読者のなかには、新聞雑誌を自分一人のために出来てゐるものと信じて、少しでも自分に面白くない、もしくは関係の薄い記事を見ると、直ぐ蟹のやうにぶつぶつ呟ぼやき出す者がある。

米国で聞えた新聞紙紐育ニユーヨークトリビユウンの創立者ホオレエス・グリイリイは、優れた新聞記者の多い米国でも、とりわけ優れた記者として聞えた男だが、ある日政府筋の役人に会ふと、その役人はいつにない厳しかつべらしい顔をして言つた。

「グリイリイ君、君にはお気の毒だが僕は今日限り君とこの新聞を禁とめたよ。どうも社説の議論が気に喰はないもんだから。」

「さうか、それは困つたな。」新聞記者は一寸驚いたやうな表情をした。「だが仕方がない、社説が気に触つたといふなら。」

その翌日グリイリイはまたその役人に会つた。新聞記者は言つた。

「君は昨日きのふ僕とこの新聞を禁めたと言つてゐたつけね。」

役人は得意さうに煙けぶりをすうと吹いた。

「さうだ、確たしかにさう言つたよ。」

新聞記者は腑に落ちなささうな顔をした。

「でも、不思議な事もあればあるもんだね、僕は今こゝへ来がけに、社に寄つてみたが、いつもの通りに機械も動いてるし、社員もみなせつせと働いてたよ。君が禁めたつていふのに、随分訝をかしいぢやないか。」

役人は慌てて手をふつた。

「君それは違ふ、ひどい違ひだよ。僕が禁めたといふのは、新聞の発行をぢやないんだ。唯購読を止やめたといふに過ぎないんだ。」

「え、購読を止めた事なんか。」新聞記者はわざと驚いたやうな素振をしてみせた。「何だ、馬鹿々々しい、君一人購読を止よした位で、それで新聞の記事を何どうかしようなんて、そんな大それた考へは持たない方がいいんだよ。新聞は君ひとりの為めに出来てるものぢやないんだからね。」

関雪と麦僊ばくせん3・23(夕)

数多い竹内栖鳳氏の門下生のなかで、づばぬけて光つてゐて、負けず嫌ひで、おまけに犬と猿のやうに仲が悪い画家が二人ゐる。一人は橋本関雪氏で、今一人は土田麦僊氏。

去年の秋麦僊氏が若い同士達と一緒に、文展を出て、別に国画創作協会を組織そしよくするといふ噂が伝はつた時、それを聞いた関雪氏は黙つてゐなかつた。

「なに、国画創作協会? 名前だけは立派だが、麦僊が牛耳を取つてるんでは高が知れたもんだて。」

さういふうちに、関雪氏は選ばれて文展の推薦になつた。それを聞いた麦僊氏は鼻先に皺をよせて笑つた。

「だから文展は駄目だといふんだ、関雪が推薦になるやうぢやね。」

その麦僊氏が、こなひだ急用で京都駅から東京行きの汽車に乗込んだ事があつた。二等車の寝台はあひにくどれも塞ふさがつてゐるので、麦僊氏は止やむなく一等の寝台を申込まなければならなかつた。麦僊氏は割高についただけは、気持で取りかへしたいものだと、精々手足を踏みのばして、乾章魚ほしだこのやうな恰好をして寝台に寝そべつた。そして肚はらのなかで思つた。

「こんなところをあの関雪奴に一つ見せたいもんだな。」

汽車の夜は明けた。麦僊氏が帳カーテンのなかから寝ぼけた顔を出して、僮ボーイを待つてゐると、隣の二等室から食堂車へ往ゆくらしい人が直ぐ前を通りかゝつた。麦僊氏はその顔を見て夢ではないかと思つた。外でもない、その男は栗のやうに色の黒い、そして蛭子えびす様のやうに耳の遠い関雪氏であつた。

「やあ、関雪君。」

麦僊氏はこの機会をとり外さなかつた。呼びとめられた関雪氏は、一等寝台のなかに麦僊氏の顔を見て、急に焼栗のやうに熱くなつた。

「やあ、麦僊君か、どうだい、一緒に食堂へ往ゆかないか。」

関雪氏は名残を惜むで、寝台でもぞもぞしてゐる麦僊氏を促せき立てて食堂へ入つて往つた。そして麦酒ビールの大洋盃コツプを言ひつけた。酒に弱い麦僊氏は、酒飲みの関雪氏の前には一溜たまりもなかつた。関雪氏は金魚のやうに赤くなつて金魚のやうに息を切らしてゐる麦僊氏を見て、気持よささうに笑つたが、それでもまだ腹は癒いえないらしかつた。

汽車が東京駅につくと、プラツトホームには関雪氏が馴染なじみの新橋のある女将おかみが、芸者を三四人つれて、この画家を出迎へに来てゐた。それを見ると、関雪氏は急に生きかへつたやうな顔をした。

「おゝ、女将おかみか、何しに来てゐるね。」

「先生をお迎へにだわ。」

芸者は鸚哥いんこのやうにきいきいした声で言つた。

それを聞くと、麦僊氏はまた巾着のやうに縮こまつてしまつた。関雪氏はいい気になつて、宿まで送り届けるからといつて、厭がる麦僊氏を無理強ひに出迎への自動車に積み込んだ。麦僊氏は手提鞄のやうに芸者の間に挿はさまれて小さくなつてゐた。

関雪氏が汽車のなかから、こつそり女将おかみあてに電報を打つたのだとは神ならぬ麦僊氏は少しも知らなかつた。

前大統領の嘘3・24(夕)

米国の前大統領タフト氏が、ある時自分の政党員から頼まれて、Somerville の田舎町に講演に出かけて往つた事があつた。講演が無事に済むで、その晩タフト氏は、田舎町の狭つ苦しい旅籠屋はたごやに、象のやうな大きな体躯からだを投げ出して、ぐつすり寝込むだ。

あくる朝、食事を早く済ますと、タフト氏は直ぐに停車場に急いだ。田舎の旅籠屋で、気のながい訪問客につかまつたら、どんな酷ひどい目に遭ふかも知れないといふ事をタフト氏はよく知つた。だが、停車場に乗りつけてみると、氏があてにした汽車は特別急行で、そんな田舎町の駅へは立ち停まらないといふ事がわかつた。

タフト氏は当惑した。外套の隠しに両手を突込むで、停車場前の広ひろつ場ぱを歩きながら、大きな靴の踵かゞとで暴やけに地面ぢべたを蹴散らしてみたが、地面ぢべたを蹴つたところで、急行列車がとまる訳でもなかつた。

さうかうするうちに、タフト氏はいい事を考へついた。で、早速停車場から鉄道管理局あてに次のやうな至急電報を打つた。

「大きな団体客が待つてゐる。特別急行列車を Somerville の停車場にとめてくれまいか。」

暫くすると、管理局から返電が来た。タフト氏はその電報をあけてみて、にやりとした。なかには次のやうに書いてあつた。

「承知した。」

時間が来ると、急行列車はけたたましい地響きをさせながら入つて来た。前大統領は手提鞄をさげながらのつそり客車かくしやに入つて往つた。すると、擦れ違ひに出て来た列車長は、がらんとしたプラツトフホウムを見渡しながら不思議さうにぼやいた。

「大きな団体客つてどこに居るんだらう。」

「それは乃公わしの事だよ。」

タフト氏は済ました顔で言つた。

列車長は黙つて前の大統領を見上げた。成程大きな図体は一寸した団体客ほどの重みがありさうに思はれた。

二人は「ははは」と声を合はせて笑つた。

福沢桃介たうすけ氏と三百円3・28(夕)

ながらく三越呉服店の図案部主任をしてゐた杉浦非水氏は、福沢桃介氏と縁続きである。もつと詳しく言へば、杉浦氏の夫人は福沢氏の妹である。

福沢氏は以前慶応義塾の学生だつた頃は、人間は霊魂たましひさへあつたら、女に思はれもするし、世渡りも結構出来るものだと思つてゐたらしいが、氏自身が色々な会社事業に関係して、たんまり懐中ふところが暖まつて来ると、そろ〱人生観も変つて来て、人は霊魂たましひばかりで生きるものぢやないと思ひ出したらしい。

その福沢氏がある時三越へ買ひ物に往つた事があつた。自分の韈くつしたを買ひにか、それとも貞奴さだやつこへの進物を調とゝのへにか、そんな詮議は牧師か女中かのする事で、自分達のやうな忙しい人間のする事ぢやない。とにかく福沢氏は三越へ往つた。

馬の臭にほひのする鞄やシヤツの置いてあるなかをぶらぶら歩きながら、福沢氏はこれまですつかり忘れてゐた大事のものを思ひ出した。大事のものとは、外でもない、妹婿の杉浦非水氏である。福沢氏は傍そばに立つてゐる顔昵懇かほなじみの店員の一人を呼んだ。

「杉浦ね、図案家の。あれはまだこちらに勤めてゐるかい。」

「はい、入いらつしやいます。」店員は蜻蛉とんぼのやうにてかてかした頭を下げた。「相変らずお達者にお見受け致します。何ならお呼び致しませうか。」

「いや、それには及ばない。」福沢氏は軽く手先をふつた。そして四辺あたりの鞄やシヤツに立聞きされぬやうにそつと声を低めて訊いた。「あれで月収どの位になるかな。かつかつ暮して往ゆけようかしら。」

「杉浦さんでございますか。あの方ですと、店の俸給と外に方々の頼まれ物から来るお礼とで月三百円は下らないやうに承はりました。」

店員は三越のなかに棲んでるものだつたら、重役から油虫にいたるまで、みんな裕福な生活くらしをしてゐるらしく言つた。

「なに、三百円。それぢや迚とても生活くらしが立ちさうにもない。画家ゑかきなんて気の毒なもんだな。」

福沢氏はかう言つて、画家ゑかきの杉浦氏を哀れみ、杉浦氏に連れ添つてゐる自分の妹を哀れむやうな眼つきをした。

「へへへへ、そんなに承はりますと、手前どもは何どう致したら宜しいんでございませう。吾ながら愛相がつきまして……」

店員は南京虫のやうにそこらの手さげ鞄かシヤツの縫ひ目に潜り込んでしまひたいやうな表情かほつきをした。

それを見て福沢氏は声をあげて笑つた。そして要らぬシヤツと要らぬ韈とを買つて、いい気になつて外へ出た。

毬まりを返せ4・3(夕)

一七四〇年、独逸聯邦が騒いだ。そのどさくさ紛れに、普魯西プロシヤのフレデリツク大王は、シレージヤの土地を、墺太利オーストリーの女帝マリア・テレサの柔かい手から引ひつ手繰たくつた事があつた。ちやうどその頃フレデリツク王が、自分の部屋で何か頻りと書き物をしてゐると、ふだん可愛かあいがつてゐる甥の一人が入つて来て、卓子テーブルの側そばで毬投げを始めたものだ。

英国の詩人テニスンは、自分が詩作に無中むちゆうになつてゐる時、女中がばたばた足音を立てて入つたからといつて、急に癇癪を起して、インキ壺を投げつけたといふ事だが、フレデリツク大王は、詩人よりは幾らか辛抱強かつたと見えて、そんななかに平気で書き物をしてゐたが、どうした機はづみか甥の投げた毬が、間違つて王のよりかかつてゐる卓子テーブルの上に落ちて来た。王は一寸ペンを止めて、毬の方へ目を逸らしたが、指先でそれを押しのけると、黙つてまた書き物を続けた。

と、間もなく毬はまた卓子テーブルの上に落ちて来た。そして道徳家のやうに四角い顔をしてゐるインキ壺に戯ふざけかゝつた。王はそれを押へて、甥の方へ投げかへしてやつたが、その途端、白い眼をしてちらと睨んでみせた。甥は一寸お辞儀をした。

「小父をぢさん。御免なさい、これから気をつけますから。」

暫くすると、毯はまた卓子テーブルの上に落ちて来た。そして普魯西の英雄にからかひでもするやうに、二三度王の鼻つ先きでぴよんぴよんと踊つてみせた。王はやにはにそれを引つ掴むで、自分の隠しの底へつつ込んでしまつた。甥はそれを見ると、済まなささうに擦り寄つて来た。

「小父さん、御免なさい。僕お詫をしますから、毬を返して下さい。」

小父は気むつかしい顔をして、せつせと書き物をしてゐたが、どうしても毬を取り出さうとしなかつた。

甥はいつまでもねだつてはゐなかつた。暫くすると、思ひきつた顔をして王の前に立つた。そしてきつぱりした調子で言つた。

「小父さま、あなたにお伺ひしますが、毬はお返し下さるんですか、下さらないんですか。」

小父はぎよつとした気味で、小さな甥を振むいてみた。そして涙ぐんだ眼のうちに、王であらうが、誰であらうが許すまじき力を見てとつた。王は急に顔色がんしよくを和げて、隠しから球を取出してくれた。

「うい奴ぢやのう、それ毬は返してくれるぞ。其方そちが居るうちは、シレージヤも先づ安心だといふものぢや。」

講和大使西園寺侯爵に教へる。人種差別問題をいつまでもぐづ〱言ふなら、構ふ事はない、屹きつとなれ、屹となれ……。

大杉栄百円を損す4・4(夕)

社会主義者大杉栄氏が百円損をした、それも現なまで――といふと、大抵の人は真実ほんとうにしないで、

「なに、大杉が百円。戯談ぜうだん言つちやいけない、あの男はまだ生きてるよ、香奠かうでんでなくつて一時にそんな金が大杉の手に入るわけがない。」

と言ふかも知れないが、実際大杉氏が百円の金を損をしたのに少しの嘘もない。

最近大杉氏は田端に住んでゐた。儒者の荻生惣右衛門をぎふそうゑもんの隣りに、俳人宝井其角が棲んでゐたやうに、この社会主義者の隣りに博奕打ばくちうちが一人にん住まつてゐた。夜が更けて社会主義者が飜訳物から疲れた顔を持ちあげる頃になると、隣りでは四五人の遊び人が寄つて丁よ半よと始め出す事になつてゐた。

ところが、大杉氏はあの通りの社会主義者なので、家にゐる時には、いつも警察の尾行巡査がやつて来て、門口かどぐちで張番をする事になつてゐる。忠実な尾行巡査は、どんなどしや降りの夜中やちゆうにも、梟ふくろのやうにじつと眼を光らせて闇のなかに立つてゐた。

困つたのは、隣りの博奕打の家で、かうして昼も夜もぶつ通しに巡査に門口へ立たれては、迚とても安心して札を引く訳に往かなくなつた。で、いろ〱思案の末が大家を説いて大杉氏を移転ひきこさすより外にはいゝ術すべが無かつた。

ある日の事、大家の爺さんは大杉氏の玄関へ禿頭を出した。そして言ひ難にくさうに幾度いくたびか揉み手をしながら、少し都合があるから店たなを開あけて欲しいと言ひ出した。

「何だつて店たなだてを喰くはされなければならないんだね。」大杉氏は艴むきになつて顔を赤くした。「家賃もきちんきちんと極きまつて払つてるぢやないか。」

「それは戴いて居ります。だが、実を申しますと、警察の旦那方にああやつて表へ立たれましては、こゝいらの店子たなこがすつかり弱つちまひますので。」と爺おやぢさんは膝進にじり寄つて来て声を低めた。「お移転ひつこし下さいますなら、失礼ではございますが、私の計らひで百円ばかし差上げてもよろしいかと存じまして。」

その百円は外でもない、博奕打の手から出たものだつた。

「なに百円寄越す。」大杉氏はにやりと氷のやうな冷たい笑ゑみを洩もらした。何処へ往つても刑事が附きまとふといふ事なら、百円貰つて他所ほかへ引越ひきこしても悪い事はなかつた。それだけあつたら、移転ひきこしの費用も払へるし、おまけに丸善で幾冊か新しい本を買へようといふものだ。

「よし、それぢや二三日うちに引越ひきこしてやらう。忘れるんぢやないぞ、お前さんの顔を立てるといふ事を。」

大杉氏は戯談ぜうだんらしく言つて、爺さんの顔を見た。爺さんは丁寧に禿頭を下げて引取つた。

その晩、隣から火が出て、大杉氏の家は全焼まるやけになつた。焼けなかつたものは、主人と恋女房の野枝のえさん位のもので、書物も何もすつかり焼いてしまつた。大杉氏は是非ともどこかへ引越ひきこさなければならなかつた。さう思つた一刹那、この社会主義者は初めて大家の爺さんの約束に気がついた。

「さうだ、俺はおまけに百円の移転ひきこし料も焼いてしまつたんだ。」

川村曼舟まんしう氏と蛇4・5(夕)

春が暖かくなるにつれて、蛇がそろそろ穴から這ひ出すやうになつた。今日は一つその蛇の失敗しくじりばなしをここに御披露する。

数多い山元春挙氏の門弟のなかで、誰の眼にも一番光つて見えるのは川村曼舟氏である。曼舟氏は実際えらい、画ゑも上手に描かくのみならず、他の人が二本の脚でする旅行をも、氏は平気で一本脚でするからである。

曼舟氏は小供の時から足が悪かつた。で、坐つてゐて出来る仕事は無からうかと思ひついたのが絵の道である。もしか性来うまれつき脚が達者だつたら、氏は画ゑかきになぞならなかつたかも知れなかつた。だが、絵の方がだん〱巧うまくなつて来ると、氏は多くの画かきのする写生旅行といふものが仕してみたくなつた。それには悪い脚が邪魔になつた。で、氏は思ひきりよく、その悪い方の脚を一本切つて捨てた。――世間には他人ひとの有ものだつたら、手だらうが、脚だらうが、平気で切つて捨てる医者といふ職業人しごとにんがゐる。

去年の事だつた。曼舟氏は義足をつけて、同門の人達と一緒に日本アルプスへ写生旅行に立つた。いよいよ山にかゝると、仲間は足弱あしよわの曼舟氏に構つてはゐなかつた。彼等は山へ写生に来たのである。もつと真実ほんとうの事をいふと、文展向きの絵になる景色を捜しに来たのである。だが、困つた事には神様が山をお拵へになつた時には、まだ文展といふものが無かつたので、山にはそんな用意はすつかり欠けてゐた。で、画かき達は曼舟氏を置いてきぼりにしてぐんぐん奥へ入つて往つた。恰ちやうど文展でいつも曼舟氏に置いてきぼりを喰くはされたやうに。

曼舟氏は義足を曳きずりながら、よちよち後あとから登つて往つた。うしろには強力がうりきがついてゐた。ごろた石の多い岨道そばみちへ来ると、熊笹のかげからいきなり飛出して来たものがある。あつと言ふ間に曼舟氏の片足へ噛みついて、そのまゝ雷光いなづまのやうに消えてしまつた。

「や、蝮まむしだ。旦那やられましたな。」強力は顔色を変へて飛んで来た。「早く手当をなさらなければ……」

「なに、構はない。」曼舟氏は平気で歩みを続けた。「馬鹿な蝮だよ。俺の身体からだが不死身だつてえ事にちつとも気がつかないんだね。」

「でも、旦那、相手は蝮ですからね。」強力は胡散うさんさうな眼をして、後から気をつけて画かきの容子ようすを見てゐたが、画かきの脚は少しも痺しびれたらしい風は見えなかつた。

蝮の馬鹿め、つい見さかひもなく曼舟氏の義足の方へ噛みついたのだつた。

油虫嫌きらひの皇帝4・6(夕)

油虫といへば、虫のなかでも一番いやな奴で、誰だつてあんな虫を好くものはない筈だが、嫌ひなうちにも一番あの虫が嫌ひだつたのは、外でもない露西亜のピイタア大帝であつた。

誰にしても好き嫌ひはあるもので、ゲエテは無駄話家やが嫌ひだつた。シヨペンハウエルは女が嫌ひだつた。スウイフトは戸を閉めない人が嫌ひだつた。さういふ変つた毛嫌ひに比べると、ピイタア大帝が油虫を嫌つたのは、別段驚く程の事ではなかつた。

だが、実をいふと、露西亜には――とりわけ露西亜の田舎には油虫が多いので、大帝が旅行でもする折には、お側そばの衆の気苦労は一通りではなかつた。何故といつて、大帝は他ひとの家うちへ入る時には、室へやをきれいに掃除させた上で、

「御覧の通り油虫は一匹も居をりませんでございます。」

といふ、家来の保証がなかつたら、夢にも閾しきゐをまたがうとはしなかつたから。

ある日の事、大帝は自分のお気に入りの家来の別荘へお成りになつた。家来は大帝のお成りを喜んで、室へやをきれいに飾りつけた上、色々の献上物ものなど並べ立てて置いたが、それがひどく気に入つて、大帝はいつにない上機嫌の体ていで食卓についた。

舌触りのいい肉汁スウプを啜すゝりさして、大帝はひよいと顔を持ち上げた。そして側そばにゐた別荘の主人に呼びかけた。

「一寸訊いておきたいが、この別荘には無論油虫なぞ居る筈はなからうね。」

家来は油虫と聞いていたので、またいつものお株が始まつたなと思つた。

「はい、油虫なぞ居る筈はございません。とりわけ掃除には気をつけて居りますので。」

「うむ。それは結構だ。」大帝はまた肉汁スウプを啜り出さうとしたが、やつぱり気になつてならないと見えて、も一度駄目を押した。「ほんとうに一匹も居なからうな。」

「はい。」家来は叮嚀に頭を下げた。「よしんば居りましたところで、決してお目通りへ出て来るやうな事はございません。御覧遊ばせ、あれ、あのやうに生きた奴を一匹針で壁にとめて、虫よけの蠱まじなひが致してございますから。」

「なに、生きた奴が針で突刺してある。」

大帝は弾はじき飛ばされたやうに椅子から飛び上つた。そして主人の指さす方を見かへると、それは丁度自分の頭の上で、留針とめばりで刺された油虫はぴくぴく手足を動かせてゐた。大帝の顔は菜つ葉のやうに青くなつた。

「この禿頭めが……」

大帝はいきなり主人の頭に拳骨を一つ喰くらはして、そのまゝ外へ飛び出した。あとに残された主人は、壁の油虫のやうに椅子の上で矢鱈やたらに手足をもがいてゐた。

栖鳳と美術批評家4・7(夕)

東京の或雑誌に美術記者を勤めてゐて、かなり評判のいゝ男がある。去年の秋の文部省展覧会に、竹内栖鳳氏の『河口かはぐち』といふ作品を見た時、この美術批評家は一寸その絵の前で立ちどまつたが、

「かなり器用に描かけてるな、だが器用だけでは仕方がない。」

と、独語ひとりごとを言ひながら、さつさと通り過ぎて往つた。

その後この『河口』の評判が、世間にやかましく言ひ囃はやされるやうになると、件くだんの批評家は急にうろたへ出した。

「こんな筈ぢやなかつた。すると俺が何処かに見落しをしたのぢやあるまいかな。」

美術批評家は慌ててまた文展の門口を潜くゞつた。そして『河口』の前に立つて目を光らせた。すると、不思議な事には、以前見た折には、器用でばかし出来てゐると思はれた絵が、今度はすつかり興味で出来てゐるらしく思はれ出した。

「旨うまい、ほんとに旨いものだ。」批評家は女に接吻する折のやうに、すれずれに近寄つてみたり、馬の価ねぶみをする折のやうに少し離れてみたりした。「第一小松がよく描かけてゐるし、それに浪の調子が何とも言へない。」

批評家はそれからといふもの、毎日のやうに『河口』の前に立つた。見れば見る程いいのはこの絵の出来だつた。

「うまい、いつ見てもうまい。呉春だつて迚とても敵かなひつこはない。」

批評家は町で友達に出会つても、家うちで妻かないの顔を見ても、すぐこの絵の話をした。もしか自分の裏口に兎が飼つてあつたら、批評家は厭といふ程耳を引張つて栖鳳氏の噂を吹き込んだに相違なかつた。

批評家はこんなにまでして『河口』の評判を立てたが、たつた一つ、ぢかに栖鳳氏に出会つて、この話をしないのが残念で堪たまらなかつた。で、思ひ立つて京都にやつて来て栖鳳氏に会つてみる事にした。

栖鳳氏は都合よく家うちにゐた。美術批評家はこの作者の前に坐つて、魚のやうに口さきを尖らせて『河口』を賞めそやした。栖鳳氏はいくらか擽くすぐつたさうな顔つきをして、それを聴いてゐたが、批評家のお喋舌しやべりがすむと、静かに口を開いた。

「お賞めにあづかつて有難いが、実は自分ではあの作をそんなにいいものとは思つてゐません。例の小松ですな、あの小松をもう五分ばかり左の方に寄せると、全体の感じがすつかり違つて来て、もつとよくなるかも知れませんが……」

「へえ、小松を五分ばかし……」

批評家は眼をくるくるさせた。そして画家ゑかきといふものにすつかり騙だまされたやうな気になつてがつかりした。

小話せうわ数則4・8(夕)

米国の応募兵のなかに、脳の後頭部が削そいで取つたやうに凹へこんだ頭をした兵卒の一人があつた。軍医は物珍らしさうに指さきでそこを弄いぢり廻して、いろんな事を訊いてゐたが、それだけでは何どうも腑に落ちないので、最後にこんな事を言つて訊いた。

「お前結婚してるのかい、女に溺れ過ぎると、偶たまに頭がこんな恰好になるのがあるが。」

「いえ、結婚なぞしてやしません。」兵卒はきつぱり答へた。「旦郡、そこは驢馬に蹴られた痕あとなんでさ。」

驢馬と女――うまい事を言つたもので、軍人にしては少し出来すぎた返辞である。

◇

今度の休戦が昨年の十一月十一日の十一時に成立つたといふので、ある御幣担ぎは、この十一といふ数すうを何か特別のもののやうに縁起を担ぎ出した。で、早速旧約全書の第十一巻目にある『列王紀略』上巻の十一章の十一行目を披ひらいてみた。すると聖書にはかうあつた。

「此の事爾なんぢにありしに因よる、また汝なんぢわが契約をわが爾に命じたる法憲のりを守らざりしによりて、我必ず爾より国を裂きはなして、これを爾の臣僕けらいに与ふべし。」

してみると、独逸が共和国になるのは極きまつた事実なので、ちやんと聖書に予言してあつたのだと言つてゐる。

◇

欧羅巴ヨーロツパの戦線に派遣せられた米国の軍隊に、牛乳配達夫の召集せられたのが一人交まじつてゐた。その男が最近郷里くにの女房かないあてに寄よこした手紙には、次のやうな文句があつた。

「僕は軍隊生活が好きになつた。実際大抵の事は辛抱するが、たつた一つ朝五時半までも寝床のなかに入つてゐなければならないのだけはうんざりする。」

◇

政府は近々きん〱小包郵便の料金を更かへるさうだが、一八四五年米国政府が、普通郵便物の料金を三百哩マイルまでは五仙セント、それ以上は十仙に規則を変へた事があつた。すると郵税収入がうんと減つて来たので、その筋では今更のやうに驚いた事実があつた。人間といふ奴は、郵税が高くなると、直ぐ御無沙汰をする事を知つてゐる。

◇

亜米利加の西部にある或る日曜学校で、教師がしかつべらしく訊いた事があつた。

「嘘とはどんな事です、皆さん知つてゐますか。」

一人のこましやくれた女の子が直ぐ起たち上つた。

「神様にはお叱しかりを受けるかも知れませんが、人間ひとが困つた時には覿面てきめんに効力ききめがある事なんです。」

西山翠嶂氏とキユビイ4・10(夕)

多くの京都派の画家のなかに、文展で毎年特選続きで、近頃めつきりと評判を揚げたのは西山翠嶂氏である。

西山氏は遊び好きの多い京都画家のなかでも、一番の遊び好きである。近頃氏の画ゑが評判がいゝのにつけて、この遊び癖につけ込むだのが、何事にも抜目のない道具屋である。道具屋は西山氏に自分の依頼画が早く描かかせたさに、いろんな口実を拵へては、この遊び好きの画かきを、三味線と白粉おしろいの街ちまたのなかに誘ひ出した。

西山氏はどんな画をかいてゐる時でも、よしんば跛びつこの馬をかきかけてゐる時でも、遊びになら二つ返事で出かけて往ゆく事の出来る人である。道具屋は画かきの前で手拭てぬぐひを被かぶつて猫の真似をしたり、四つ這ばひになつて甲虫かぶとむしの真似をしたりした。そして西山氏が腹の底から笑ひ崩れるのを待つてゐた。

そんな陽気な酒の席でも、つらい事には西山氏は何一つ隠し芸を持合はさなかつた。

「困つたな。何か芸が無くつちや、座敷が淋しくていかん。」

西山氏はこつそり道具屋の真似をして、猫や甲虫の恰好を似せて見たが、一向旨うまく往ゆかなかつた。

さうかうするうちに、西山氏はふといい事を思ひついた。(画家ゑかきだの、詩人だのといふものは神来インスピレーシヨンといふものを持つてゐる。それを作物さくぶつの製作に使はうが、借金の言ひ訳に用ゐようが、つまりは勝手である。)それは外でもない、西洋人形のキユビイさんの顔真似をする事である。

西山氏は早速画室に閉ぢ籠つた。そして描かきさしの絵絹ゑぎぬをそこらにおつ投ぽり出したまゝ、鏡と首つ引きで、眼をむいてみたり、小鼻を膨らませてみたりした。

そこへ入つて来たのは、夫人の貞子ていこさんだつた。貞子さんは吹き出したくなるのを、じつと辛抱して、始終を見すませた上で、そつと足音も立てず画室から抜け出した。そしてその晩里方さとかたへ帰つて、父親の竹内栖鳳氏にかくと告口つげぐちした。父親の偉いのを持つた嫁御寮は、何よりもよく里を利用する事を知つてゐるものだ。

それから二三日して、西山氏が栖鳳氏を訪ねると、舅しうとは態わざとしかつべらしい口ぶりをして言つた。

「西山、わしにも一つキユビイさんの顔真似をして見せてくれんか。」

「え、キユビイさんですつて。」

西山氏は顔を絵具皿のやうに真紅まつかにした。妻かないの里方に立派な家うちを持つたものは、どうかするとよくそんな顔をするものだ。――だがまあ我慢するさ、何事も親戚みうちの事だから。

大杉栄氏五百円を儲く4・12(夕)

こなひだ大杉栄氏が田端の家をまる焼やけにされて、家主から受取る筈の百円をふいにしてしまつた事を書いたが、暫くすると大杉氏から正誤書が入つて来た。

大杉氏は言ふ、あの茶話に、今の大杉に香奠で無くて、百円と纏まとまつた金が入つて来るわけがないとあつたが、あれは可哀かあいさうだ。何故といつて、いつかも後藤新平男だんが内務大臣をしてゐた頃、自分は借金に困つてゐるからといつて、三百円ばかり大臣の手から貰つた事がある位だからと。

実はその折、大杉氏の方では五百円と切り出したかつたし、後藤男の方ではさう切り出されたからといつて、別に出し惜みをするわけでもなかつたらしいが、大杉氏はその「五」といふ数すうが、どうしても口に出せない、幾度か金魚のやうに口もとをもぐ〱させた後のち「三」と言つてしまつたので、二百円貰ひそくなつたのださうだ。言ひ忘れたが、大杉氏は名代の吃どもりで、自分でも、

「御承知でもありませうが、吃りには加か行と多た行とは一番禁物なんですから。」

と言ひわけをしてゐる。だが、それにしても一口で二百円損をするなんて、大杉氏にも似合はない話で、加行と多行とが吃りに禁物なら、いつそ七百円か八百円と切り出してもよかつた筈なのだ。

田端の家うちが焼けると、大杉氏は、

「まる焼けだ、まる焼けだ。」

と友達ぢゆうを触れまはつたので、方々から見舞金がざつと五百円ばかし集まつた。大杉氏はそれで飛島山に近い高台に、家賃三十五円の家を借りて住む事にした。そして原稿稼ぎをする文士仲間でこれだけの家賃を払つてゐるのは、与謝野よさの寛君と自分とだけだと言つて自慢してゐる。だが、大杉氏自身の言葉によると、まる焼だといふのは実は少し言ひ過ぎで、火事にあつた時には、着物や、書物や、目ぼしい物はみんな質屋の倉に預けてあつたのださうな。

借りた三十五円の家は焼けた九円の家に比べると、大分だいぶん住み心地がいゝといふ事だ、そして、それ以上に心持のいゝのは家賃が当分きちんきちんと払つて往ゆける事で、家賃を払ふといふ事が、こんなに善よい気持のするものなら、今後は成るべく家賃だけは払ふやうに心掛けたいと大杉氏は言つてゐる。いゝ心掛けで人間といふものは、頭のなかではいろんな善い事を考へるものだが、軒が低かつたり、台所が暗かつたりすると、とかく……。

児島虎次郎氏に4・13(夕)

この十四日から三日間、中之島の公会堂で作品展覧会をする児島虎次郎氏には、倉敷の大原孫三郎氏といふ保護者があるので、その暢気のんきな生活くらしぶりは、貧乏人の多い洋画家仲間に大分だいぶん羨ましがられてゐる。

児島氏は金が要る事があると、いつでも大原氏を訪ねて、要るだけのものはきつと貰つて帰る。丁度自分の祖父ぢいさんか、父親おやぢかが、山を売り畑はたを売り、桐の木を売り、釣つた鯰を売つて儲けた金をそつくり大原氏に預けて置きでもしたやうに、お礼一つ言はないで、平気で貰つて帰る。その平気なところが、ひどく大原氏の気に入つて、

「ああして礼一つ言はないで、金を持つて帰るところが嬉しい。あの男はどこか他ひとと異ちがつてゐる。」

と、客さへあると、児島氏の事を噂してゐる。

むかし英吉利にスペンサアといふ名高い詩人があつた。この人一代の傑作に『仙姫フエリイクイン』といふ長篇の詩があるが、この詩の出来上つた時、スペンサアは誰よりも先きに自分の保護者に見せなければなるまいと思つた。保護者といふのは、その頃の社交界に利きけ者もののサウザンプトン伯爵だつた。

詩人は早速伯爵の玄関を訪れた。そして執事を通じてその嵩高かさだかの原稿を伯爵の手もとまでさし出した。伯爵はその折椅子にもたれてぽかんとしてゐたらしかつた。で、原稿を受取ると、その場ですぐ読み出したが、詩があまりよく出来てゐるので、急に居ずまひを直しながら、執事を喚よんだ。

「スペンサアはどうした、まだ居るかい。」

「はい、あちらでお待ちでございます。」

「さうか、うい奴だ。この詩はなか〱うまく出来てゐるわい、褒美として二十磅パウンドばかし取らするがよいぞ。」

「畏かしこまりました。」

執事は丁寧に頭を下げてさがつて往つた。

伯爵は息も継がずその後あとを読みつゞけた。そして馬のやうに幾度いくたびか鼻を鳴らしてゐたが、暫くするとまた執事を喚び入れた。

「スペンサアはどうした、まだ居るだらうな。」

「はい、あちらでお待ちでございます。」

「さうか、うい奴だ。褒美としてもう二十磅取らするがよいぞ。」

執事は黙つてまた出て往つた。

伯爵は夢中になつて続きに読み入つた。暫くすると執事はまた喚び立てられた。

「スペンサアはどうした、まだ居るだらうな。」

「はい、あちらでお待ちでございます。」

「さうか、褒美としてもう二十磅取らするがよいぞ。」

執事は腑に落ちなささうな顔をして出て往つた。

詩は読みつげばつぐ程面白くなつた。伯爵はとうと鉄瓶てつびんのやうに癇癪を起して原稿を卓の上に投げつけた。そして大声で執事を喚び立てた。

「スペンサア奴、怪けしからん奴ぢや。早く邸から追ひ立ててしまふがよい。もつと読んで往つたら、乃公おれは身代限りをせざあなるまい。」

児島虎次郎氏に教へる。画ゑはづばぬけて上手にならぬ方がよい、さもないと大原氏が困るから。

鹿子木かのこぎ氏と芽張柳めばりやなぎ4・17(夕)

洋画家鹿子木孟郎たけしらう氏は牛のやうにのつそりしてゐて、おまけに牛のやうに色が黒いので聞えた男である。氏があまり世間の流行を追はないで、ひとりでこつこつと自分の路みちを歩いてゐるのは、この牛のやうにのつそりしてゐて、そして牛のやうに色が黒い生れつきによるのである。

ある時鹿子木氏は他ひとから芽張り柳の画ゑを頼まれた事があつた。

「芽ばり柳――といふと、芽を吹き出した柳ですな。よろしい、あまりお急ぎでなかつたら描かいてあげませう。」

氏はゆつくりした調子で返事をした。そして客が帰つた後で、何気なく縁側へ出て見ると、梅がちらほら咲きかけてゐるのに気がついた。

鹿子木氏は考へた。梅が咲くからには鶯も来るに相違ない、鶯が来るからには、燕だつて来ない筈はなからう。してみると柳もそろそろ芽を張つてゐるかも知れない。

「さうだ、柳も芽を吹いてるかも知れないぞ。」

氏はいつに似げなく慌てて、加茂川の縁へりに出てみた。

案に違たがはず、柳はそれぞれ芽を吹いて、春の支度に忙しさうだつた。実際画家ゑかきにとつてこんな不都合な法はなかつた。芽を出すなら出すで、一応画家ゑかきに下相談をしてからにしたつて、遅くはなかりさうなものだ。画家ゑかきから見ると、世界中の物は――少くとも芽張り柳だけは、神様が特別に自分達のために拵へてくれたものに相違なかつたのだ。何なんにしても柳が鹿子木氏に知らさないで、こつそり芽を吹いてゐるのは、少し身勝手に過ぎた。

身勝手なのは、唯それだけではなかつた。そこらに立つてゐる柳といふ柳の恰好は、どれもこれも鹿子木氏の気に入らなかつた。あるものは後期印象派の若い洋画家のやうに、鹿子木氏の方に尻を向けて衝立つゝたつてゐた。またあるものは中沢岩太氏のやうに頤おとがひを突き出してこの画家ゑかきに喧嘩腰でゐた。

「どうもいかん、みんな形かたが画になつてゐない。」

鹿子木氏はぶつ〱呟つぶやきながら川かはつ端ばたを下つて来ると、漸やつと二三本舞妓まひこのやうな恰好をしたのが見つかつた。

「うむ、これならよかりさうだ。」

鹿子木氏は早速絵具箱をあけて写生にかかつた。

鹿子木氏は毎日柳ばかりを写生してゐるわけにも往かなかつた。画家ゑかきにも色々俗な用事はあるものだ。鹿子木氏は精々閑ひまをこさへては、川かはつ端ばたへ出掛けて往つたが、格別急がうともしないで、のつそりとしてゐるので、その画が出来上つたのは、写生を始めてから恰ちやうど三十日ばかり経つてゐる頃だつた。

註文主ぬしは画家の手からその油画あぶらゑを受取つたが、ちらと画面を見ると、その儘黙つて押しもどした。

「先生私わてがお頼みしましたのは芽張柳の画どしたな。」

「さうです、確たしかに芽張り柳でしたよ。」

「でも、先生、この画は芽張り柳ぢやなうて、青柳あをやなぎどすな。」

鹿子木氏は吃驚びつくりして自分の画を覗き込んだ。成程柳にはこんもりと葉が繁つてゐた。鹿子木氏が写生にひまどつてゐる間まに柳の方では又しても画家ゑかきに相談なしで勝手に葉を伸ばしてゐたのだつた。

奇癖4・21

無くて七癖といふ程だから、茶話記者なども他人ひとから見たら、随分な癖持ちで、他人ひとの噂でもないかも知れないが、まあさ、世間並みに自分の事だけは棚にあげておいて、今日は一つ癖話をする。

小説家の正宗白鳥氏は、今は何どうか知らないが、以前もつと若かつた頃には、他家よそへ訪ねて往つての帰りに、門口の戸をがらつと開あけて表へ出ると、その儘さつさと帰つて往つたもので、決してそこの戸を閉めておくやうな手数てすうのかかる事はしなかつた。

「何だつて、君は出た跡で門口の戸を締めないんだね。」

それを気にした友達の一人が、ある時不思議さうに訊いた事があつた。すると、正宗氏は一度胃の腑へ嚥のみくだした門も、門の戸も吐き出すやうな調子で返事をした。

「門口の戸かい、あれは僕が出入ではひりするに開あけなければならないから開けはするが、締める必要なんかちつとも無いぢやないか。」

むかし英吉利に正宗氏と同じ様な皮肉家にスヰフトといふ男があつた。家事一切は女中まかせに何一つ口を出さうとしなかつたが、唯一つの癖は戸の開閉あけたてがおそろしく口やかましい事で、どんな場合でも、これだけは厳重にしないと、直ぐ機嫌を悪くした。

ある時、女中の一人にんが、かなり遠い田舎町にゐる姉が結婚するので、是非その席へ顔出ししなければならぬから、一日だけお暇ひまが許して貰ひたいと言ひ出した。主人のスヰフトはすぐに承知した。

「それはめでたいの。ゆつくり往つて来るがいゝ、幸さいはひ乃公おれの馬もあいてるから、あれに乗つて往ゆくとしたらどうぢや、馬丁べつたうに案内して貰つての。」

「え、あの馬をお貸し下さいますか、それに馬丁べつたうさんまで……まあ、旦那様お有りがたうございます。」

女中は身体からだを折釘をれくぎのやうにしてお辞儀をしたが、その儘主人の室へやを飛び出して、直ぐに支度に懸つた。

馬の用意は出来た。女中は主人の背せなに上あがつたやうな気持で馬に乗つた。そして途々みち〱何といふ親切な旦那様だらう、こんな好いい方ならいつそ結婚してあげてもいいと思つてるらしかつた。

暫くすると、遙か後から呼びかけて来る者があつた。女中も馬丁べつたうも馬も一緒にあとを振りかへつた。追ひかけて来たのは下男の一人で、旦那様の御用だから今一度邸やしきへ帰つてくれといふのだ。女中はぶつ〱呟ぼやきながら帰つて来た。そして膨ふくれつ面つらをして、主人の室へやへ入ると、スヰフトはじろりと横目でにらんだ。

「そこの戸を締めて往ゆきなさい。」

女中は馬に乗つて結婚式に出かけられる嬉しさに、つい戸をしめるのを忘れてゐたのだ。

大食と少食4・25(夕)

広瀬淡窓は人も知つてゐる如く豊後日田ひだの儒者であつた。ある時養子の青邨せいそんが淡窓に訊いた事があつた。

「父上、ちよつと伺ひますが、礼は何から始めたものでございませうな。」

「礼か。」淡窓はきちんと坐つた膝がしらを養子の方へ捻ねぢ向けた。「礼は無遠慮から始めるのだね。」

青邨は腹のなかで養父の語ことばを味はつてみたが、今一つはつきりと意味が解せなかつた。で、また異ちがつた事を訊いた。

「父上、今一つ伺ひますが、養生の極意はどこにございますでせう。」

「養生の極意か。」淡窓はすぐ返辞をした。「何よりも先づ大喰おほぐひをするんだな。」

青邨はいくらか調弄からかはれたやうな気味で下さがつて往つた。

その後のち青邨は広瀬旭荘きよくさうに出会つた。旭荘は淡窓の弟で、青邨にとつては義理のある叔父だつた。甥はまた同じ事を訊いた。

「叔父上、ちよつと伺ひますが、礼は何から始めたものでございませうな。」

旭荘は直ぐ返辞をした。

「礼かい。礼なら先づ遠慮から始めるんだね。」

青邨はいつだつたかの淡窓の答へを思ひ出して、何どうにも合点がつてんの往かないらしかつた。で、立続たてつゞけに今一つの質問とひを投げ出した。

「叔父上、尋ついでに伺ひますが、養生の極意はどこにございますでせう。」

旭荘は訳もなく答へた。

「養生の極意は、食をひかへる事さ。」

青邨はもう我慢が出来なかつた。一方が無遠慮だと言へば、一方は遠慮だと答へるし、一方は大喰ひだと答へれば、一方は食をひかへるのだと言ふ。屹度親父おやぢと叔父貴とが馴れ合つて自分を調弄からかつてゐるのか、さもなければ、二人とも何なにも知らない喰くらひぬけの大馬鹿者に相違ないと思つた。で、幾らか冷かし気味に理由わけを話して、訊いてみた。

「こんなわけでございますが、父上と叔父上と、どちらが真実ほんとうなのでございませう。」

「どちらも真実ほんとうだ。」

旭荘はきつと甥の顔を見つめて言つた。その言葉によると、兄の淡窓は身体からだが弱く、食が細いので、始終遠慮勝がちと少食の損を知つてゐる。それとは打つて変つて、自分は健康で、いつも無遠慮と過食とから後悔する事が少くない。かうして互たがひに自分達の弱みを知つてゐるから、それを汝おまへに繰り返させまいとするからの事だといふのだ。

道徳や人生観は多くの場合胃に繋つながつてゐるものだ。それが胃病だと一層つよい。

菊池契月の心配事4・28(夕)

むかしから芸術の神様はやきもち焼で、二心ふたごころを持つたものは屹度祟たゝられると言ひ伝へてゐる。だが、世の中には、芸術家を誑たぶらかさうと、態々わざ〱係蹄わなをこしらへて待つてゐるのも少くない。これを名なづけて悪魔といふ。

日本画家をすべて芸術家扱ひにしたら、芸術の神様は美しい顔をしかめるかも知れないが、でも、その日本画家にそれぞれ悪魔がついてゐる事だけは真実ほんとうである。悪魔とは何ぞ。曰く、骨董屋である。

近頃菊池契月氏の評判がいゝので、悪魔の一人にんはこの画家を誑かしにかかつた。つい、こなひだの事骨董屋は契月氏と一緒に大阪南地なんちのある大おほ茶屋で遊んだ。座敷には美しい妓をんなの幾人いくたりかが人形のやうに列ならんでゐたが、画家ゑかきはそのなかの一人を選えり好ごのみして、頻りと杯の取とり遣やりをしてゐた。骨董屋は飯事まゝごとのやうなその振ふりを見て、腹のなかで笑つてゐた。

それからといふもの、契月氏は頻りとスケツチを取りに大阪の方へ出かけて来た。

「あれで大阪は案外いゝところだね。大阪あすこの作家があれを取扱はないなんて、嘘ですよ。」

契月氏は家うちを出る時にはいつもかう言つて言ひわけをした。実際大阪はいい土地ところだ。商人あきんどの都で、側目わきめもふらず、いつも忙しく暮してゐるので、画家ゑかきが人に隠れてスケツチをするのに丁度都合がいい。

契月氏の夫人は、亡くなつた芳文はうぶん氏の娘だけに、日本の女としては大柄であるが、大阪から帰つて来る日にかぎつて、いつもよりはずつと大きく契月氏の眼に見えた。

「こんな事ぢやいかん。しつかりしろ、しつかり……」

画家ゑかきは強ひて自分を叱りつけてみるが、いつも駄目で、気張れば気張るほど自分の身体からだが小さくなるやうに思へた。

そして今一つ困つたのは、そんな日に限つて、可愛かあいい子供が痙攣ひきつけをおこしたり、腹を痛めたりしてゐた事で、これには契月氏も全く弱らされてしまつた。

「実際困つちまふんだよ、子供の病気には。どうすればいゝんだらう。」

契月氏は困りきつて、友達の田畑秋濤しうたう氏に相談してみた。いゝ心がけで、困つた時には、友達に相談してみる事だ。秋濤氏は多くの友達といふものと同じやうに、

「そりや困るね。」

と心しんから同情したらしく言つたが、格別いゝ分別も貸してはくれなかつた。

そつと契月氏にお知らせする、子供の加減が悪い折には、小児科医に診て貰つた方が一番安心である。――他人に聞かせるのは惜しい程の事だが、何事も相身互あひみたがひの世の中だから。

文豪と旅宿はたごやの亭主5・2(夕)

英国の文豪キプリング氏の邸やしき前に美しい並木があつて、主人が自慢の一つになつてゐる。ところが、この頃になつて急に樹に元気がなくなつたので、何どうした事かと、よく調べてみると、隣りの旅籠屋はたごやから出入ではひりする馬車の故せゐで、車の肩が突き当る度に、樹肌こはだが擦りむけてゐたのだと判つた。

キプリングはぶつぶつ呟ぼやきながら、隣の主人あるじあてにこれからは少し気をつけてくれるやうに手紙を書いて出した。旅籠屋の亭主はそれを受取つて読むと、すぐ自分の家うちに泊り合はせてゐる客の一人をたづねた。

「旦那、あなたはキプリング先生の書いた物をお購かひになりませんか。あの先生の物は滅多に手に入らないつていふ事でがすぜ。」

「キプリングさんの手蹟かい。」客は声をはずませた。「有るなら譲つて貰ひたいもんだね、かね〲欲しいと思つてたんだからね。」

「ぢや、お譲りしませう、やつと今手に入つたところでがさ。」

旅籠屋の亭主はたつた今受取つたばかりの文豪の手紙を売りつけた。そして代りに十シルリングの銀貨を受取つた。

文豪は隣りから一向返事が来ないので、真紅まつかになつて怒つた。そして今度は火のやうな手紙を書いて送つた。

旅籠屋の亭主はその手紙をまた泊り客の一人に売りつけた。そして一磅パウンドの金を黙つてポケツトにしまひ込んでしまつた。

キプリングは幾日経つても返事が来ないので、とうと業ごふを煮やして隣へ出かけて往つた。

「御主人、お前さんのところへ、こなひだから二度ばかり手紙を出しておいたが、受取つてくれましたか。」

「はい、確たしかに拝見しましたよ。」

旅籠屋の亭主は、銀貨と金貨とをポケツトにしまひ込むだと同じ手で頤あごを撫でまはした。

「ぢや、何だつて返事をくれない。」文豪はぷりぷりして言つた。

「でも、先生、私の方では毎日でもお手紙が頂きたいんです。」隣の亭主は揉み手をしながらお辞儀をした。「馬車でお客を送るよか、その方がずつと商売になるもんですからな。」

福田博士の衣替へ5・13(夕)

先日こなひだ中央公会堂で開いた黎明れいめい会の講演会に聴きに往つた人は、いつも黒木綿の紋附羽織に小倉の袴はかまときまつた福田徳三博士が、皺くちやではあつたが、背広の洋服を被きてゐたのを見て一寸変な気持がしたに相違ない。

よしんば燕つばくろが紺の法被はつぴを脱ぐ折はあらうとも、福田博士にそんな事はあるまいと思はれた名代の木綿羽織である。だが、実際博士はそれを脱いで、皺くちやな背広を被きてゐた。それには何かわけが無くては叶ふまい。

いつだつたか、福田博士は三宅雪嶺博士などと一緒に、相州の小田原へ講演に出かけて往つた事があつた。その折も福田氏はいつものやうに黒木綿の羽織に小倉の袴を着けてゐた。

汽車が国府津こふづへ着くと、小田原の町長を始め、講演会のきもいり達はそこのプラツトホームに仏手柑ぶしゆかんや馬鈴薯のやうな顔を並べて突立つてゐた。三宅博士は木通蔓あけびかづらの手籠をさげて、そのなかへのつそりと下りて往つた。

すると、町長は螽斯ばつたのやうに飛び出して来た。

「三宅先生でいらつしやいますか。お荷物はこちらへ戴きます。」

と博士の眼の前に右の掌面てのひらを突き出した。その掌ては一生戸籍簿でもひねくつてゐるのにふさはしいやうに出来てゐた。博士は黙つて木通蔓の手籠を手渡しした。

「お荷物はこれだけでいらつしやいますか、手前たしかに持参いたします。」

町長はかういつて、その手籠を提げて、博士の後からついて往つたが、手籠は石ころでも詰まつてゐるやうに重かつた。町長はべそを掻き出しさうな顔をして四辺あたりを見まはした。すると、自分の直ぐ右手を黒木綿の羽織に小倉の袴を着けた男がよちよち歩いてゐる。町長はそれを見て、すぐその方へ歩いて往つた。

「君も先生と御一緒なんだらう。ぢやそこまでこの手籠を持つて往つてくれ給へ。先生の大事なお荷物なんだから。」

町長は持重もちおもりのする手籠をその男に差し出した。男は鋭い眼でちらと町長の顔を見たが、皮肉な笑ひやうをしてそれを受取つた。

後あとでその男が福田博士だと知つた町長は、どこかに姿を隠して、どうしても顔を見せなかつた。

「あなたがお人が悪いからなんです。」福田博士は頭の禿げた雪嶺博士に喰つてかゝつた。「僕に預けるのを見てゐながら、黙つてゐるなんて。」

「いや、君の紋附が悪いんだ。」吶弁とつべんな雪嶺博士は一語々々捻ひねり出すやうに言つた。「君が木綿の紋附さへ着なかつたら、僕の荷物なぞ持つにも及ばなかつたのだ。」

それ以後、福田博士は、羽織を背広に着かへる事になつた。

虚子短冊たんざくに酔ふ5・24(夕)

高浜虚子氏は『風流懺法せんぼう』の続きを書くために、先日こなひだぢゆう比叡山の宿院に来て泊つてゐたが、原稿が出来あがると、山を下りて京都の俳人王城氏の家うちに足をとめてゐた。

それを聞き伝へた京都の俳人達は、早速氏を迎へて運座をする事にした。運座といふのは、広い世間に俳人しかやらない子供らしい遊びの事で、これをするには真実ほんとにちよつぴりの会費と、ちよつぴりの俳才とさへあつたら十分なのだ。

その夜よの兼題は「雉子きじ」と「藤」とだつた。そこに集まつた俳人達の多くは、虚子氏の前で手品使ひのやうにてんでに雉子を鳴かせたり、藤の花を咲かせたりした。

選がすむと、俳人の一人は虚子氏の前へにじり出した。

「先生、恐れ入りますが、何か一つ……」

かういつて風呂敷包みのなかから短冊を五六枚取り出して、『風流懺法』の作者の前につき出した。

それを見ると、外の俳人連もぢつとしては居をられなかつた。みんな古池の蛙かはづのやうに自席からのこのこ這ひ出して来た。そして虚子氏の前へ来て叮嚀に頭を下げると、めい〱思ひ思ひのところから短冊を引張り出した。或るものは懐中ふところから或るものはポケツトから。又は折鞄から。首筋から。

虚子氏は俳人仲間の先輩である。みなは無論それを知つてゐるが、それよりもよく知つてゐるのは、虚子氏の短冊が一枚二円するといふ事で、お辞儀を一つしたばかりで、短冊が五六枚書いて貰へるのだつたら、運座ほど算盤に合ふものはなかつた。みなは実際よくそれを知つてゐた。

最後に這ひ出して来た客の一人は、短冊と一緒に大事さうに袂から四合瓶の酒を取り出して前に置いた。

「先生、お粗末でございますが、これを召しあがりながら何か一つ……」

「有難う。」

虚子氏はそれを見るとにやりと笑つた。そしてその場で直ぐに口をあけてちびりちびり飲み出した。

皆は当惑さうに顔をしかめたり、頭を掻いたりした。

暫くすると、虚子氏は蟹のやうに真つ赤になつた。そして初めて自分の前の短冊の山に気がついたやうにとろんこの眼を見すゑた。

「これだつたね、君のは。」酔つた俳人はそのなかの一束くゝりを取り上げて、さつき酒を持ち出した男の方をきつと見た。その男は無気味さうに一寸頭を下げた。

「よし、それぢや君のから書かう。」

虚子氏は筆を取り上げたが、手が顫ふるつてどうしても字が書けなかつた。短冊は見る見るうちに書き潰されてしまつた。

「これあいかん。お酒がさめてからになすつた方がいい。」皆はめい〱虚子氏をすかして、自分の持ち出した短冊を慌てて懐中ふところにしまひ込んでしまつた。

四合瓶に酔ふ程な虚子氏でもなかつた。だが、短冊に酔ふといふ事もある……。

無学なお月様5・25(夕)

野尻精一氏は奈良女子高等師範の校長である。東京にゐる頃にはさうも思はなかつたが、住むでみると奈良は景色けいしよくがよく、景色けいしよくがよくないところには定きまつて古蹟があつて、遊ぶには恰好な土地だなと野尻氏は思つた。それにつけて、かういふ結構な土地に来て、鹿のやうに柔和で、鹿のやうに尻しつ尾ぽの短い女学生を預つてゐる自分の身の幸福さを思ふらしかつた。

野尻氏は晩餐ばんめしがすむと、毎晩のやうに奈良公園へ散歩に出た。ある晩の事、いつものやうに女子教育の事を考へながら(ニイチエだつたか、女をしつけるには鞭を忘れるなと言つたが、野尻氏は鞭らしいものを持つてゐなかつた。多分忘れてゐたのに相違ない)公園のなかをぶらぶらしてゐた。すると、いつの間にか黛くろずんだ春日の杜もりにのつそりと大きな月があがつてゐた。

「や、月が出てゐる。ちやうど十五夜だな。」

と、立ちとまつて珈琲コーヒー皿のやうにまん円く、おまけに珈琲皿のやうに冷たいお月様を見てゐるうち、野尻氏は何だか歌よみらしい気になつた。

野尻氏はチウイング・ガムを噛しがむだ折のやうに、口のなかから変な三十一文字を吐き出した。

「天あまの原ふりさけ見れば

春日なる

三笠の山に

出でし月かも」

いい歌だ、いい歌が出来たものだと思つて、今一度よみかへしてみると、それは自分の歌ではなく、百人一首に出てゐる名高い安倍仲麿の作だつた。

野尻氏はその歌を繰りかへしながら、じつと空を見てゐると、肝腎の珈琲皿のやうなお月様が三笠の山の上に出てゐない事に気がついた。

「をかしいね。三笠の山に出でし月かもといふからには、ちやんと三笠山のてつぺんに出なければならぬ筈ぢやないか。それにあんな方角から出るなんて。」

実際野尻氏の立つてゐる所から見ると、月は飛んでもない方角から出てゐた。三笠山は何か後暗うしろくらい事でもしたやうに黛くろずんだ春日の杜影もりかげに円い頭を窄すぼめて引つ込んでゐた。

それから後のちといふもの、野尻氏は公園をぶらつく度に、方々から頻りと月の出を調べてみたが、無学なお月様は、仲麿の歌なぞに頓着なく、いつも外そつ方ぽうから珈琲皿のやうな円い顔をによつきりと覗のぞけた。

「やつぱり間違だ。仲麿め、いい加減な茶羅ちやらつぽこを言つたのだな。」

野尻氏は自分のやうな眼はしの利く批評家に出会つたら、仲麿もみじめなものだと思つて得意さうに微笑した。そして会ふ人ごとにそれを話した。すると大抵の人は、

「なる程な。」

と言つて感心したやうに首を傾かしげた。

野尻氏に教へる。それは月が年が寄つたので、月も年がよると変な事になるものなのだ。ちやうど人のやうに……。

西洋婦人のお上手5・29(夕)

いつだつたか、有島武郎氏が、招かれて神戸女学院へ文芸の講演に出かけて往つた事があつた。

神戸女学院といへば人も知つてゐる通り、亜米利加生れの女伝道師がたんとゐるところで、その日も抓つまむだやうな鼻はなつ端さきに眼鏡をかけた女伝道師が三四人、生徒に交まじつて聴いてゐた。

有島氏は講壇に立つた。そして静かな柔かみのある調子で話し出した。

「むかしむかし、ある小学校に神信心の深いお婆さんの先生がありました。ある時生徒を集めてその先生が申しますのに、……」

有島氏はなるべく解り易いやうにお伽とぎばなしの口調で話し出した。すべての女は、どんな真理をでも餡子あんこや小説の文句やでまぶして置かなければ滅多に口にしないものだといふ事を有島氏はよく知つてゐた。

有島氏は言葉をつゞけた。

「その先生が申しますのに、人間は神様の特別のお慈悲で造られたものだけあつて、平素ふだんは神様を忘れてゐても……」

有島氏がこゝまで話して来ると、聴衆ききてに交まじつてゐた西洋婦人は鷦鷯みそさゞへのやうに口をとがらせて「ち、ち、ち……」と鋭い音を立てた。有島氏は自分が続けさまに神様の名を引き合ひに出すのが、この人達の気に入らないのだなと思つた。

「平素ふだんは神様を忘れてゐても……」有島氏は平気で神様の名を呼び続けにした。「まさかの時には、きまつて神様にお縋すがりする。例へば皆さんにしても、泳ぎの途中水に溺れようとする間際には、屹度心の底から

神様何どうかお助け下さい

と一生懸命に呼ぶのに定きまつてゐると申しますと、生徒の一人がやにはに立ち上つて言ひました。

先生、私ならさうは言ひません、私なら屹度アブブブ……と言つて沈みます。」

有島氏がかう言つて一寸言葉を切ると、胡散うさんさうに眼を光らせてゐた西洋婦人達は、またしても鷦鷯みそさゞへのやうに鋭い音を立てた。

講演がすむと、日本人の教師の一人は西洋婦人の方に歩み寄つた。

「今日の有島氏のお話をどうお聴きになりました。」

「さあ」西洋婦人の一人は講演者の方にちらりと横目をくれながら答へた。「どんなお話だつたか、日本語でしたからよくは判りませんでした。」

その人は日本で生れ日本で育つた同院の校長ミス・ラアネツドだつた。西洋婦人といふものはなかなか隅におけないと有島氏は思つたらしかつた。

富田渓仙と狸5・31(夕)

京都には絵をかく人がたんと居る。むかし〱曾我蕭白せうはくは、応挙なんて輩てあひは唯の図づかきだ、図づが欲しかつたら、応挙に頼むもよからうが、ほんとの絵が描かいて欲しいのだつたら、自分に頼むよりか外に仕方があるまいと言つたものだ。この蕭白の言草いひぐさに従つたら、今の京都画家に、ほんとの画ゑかきが幾人いくたりあるかわからなくなるが、兎に角京都には絵をかく人がたんとゐる。

画かきが多いだけに、その画かきを食ひ物にして暮してゐる者も京都にはたんと居る。骨董屋もその一つだが、外にまた薄つぺらな美術雑誌を発行して、口絵に入れるのだといつて、順ぐりに聞えた画かきの許とこへ作品の無心を言つて廻る商売人がある。

さういう商売人の一人が、美術院派の富田渓仙氏に、久しい前から一枚絵を頼んでおいたが、幾度催促しても一向出来ないので、とうと業を煮やして、この画かきの許とこを訪ねて往つた。その日は言ひたい事を言つてしまふ為めに、したゝか酒を飲んでゐた。

渓仙氏は家うちにゐた。唐茄子とまとのやうな真つ赤な客の顔を見ると、つい愛相あいそが言つてみたくなつた。

「今日は上機嫌ですね。」

「なに、上機嫌だつて。」客はとろんこの眼を主人の顔に見すゑた。「そんな事はどうだつて構はない。君は唯画をかいてゐさへすりやいいんだよ。ところでだ、俺の頼んでおいた画はもう出来たらうね。」

「いや、まだ出来ない。」渓仙氏も負けてはゐなかつた。「頼み手は君ばかりぢや無いんだからね。まあ、出来るまで気長く待つて貰ふさ。」

「ほう、そんなに頼み手があるのかね。そいつは不思議だね。」客は態わざと画家ゑかきの前へ酒くさい唇を突き出した。「渓仙君、君は知るまいが、世間では君の事を狸の化ばけ損そこねと言つてるんだよ。つまり君自身では一ぱし化けおほせた積りだらうが、世間の眼からは尻つ尾が見えるといふんだね。」かう言つて客は気持よささうに声を立てて笑つた。

画かきはこんな悪口あくこうを聞いても、案外平気だつた。

「狸の化ばけ損そこなひは面白いね。僕も時々自分をさうか知らと思ふ事があるよ。だが、世間は寛容おほやうなもので、その化け損ひの僕の画をでもわざ〱頼みに来る者があつてね。現に今日も君が一人やつて来た。」

「うん、俺が一人やつて来た。」酔つ払ひの客は、他人ひとの事でも噂するやうに平気で同じ事を言つた。

「そして断られた。」渓仙氏は笑ひ〱言ひ足した。

「うん、そして断られた。」客はまた同じやうな事を言つたが、気がつくと「馬鹿にするない」と鶏のやうに一声わめいて、そのまま立ち上つて帰つて往つた。

土田麦僊と輪転機6・5(夕)

雑誌『中央美術』を経営してゐる田口掬汀きくてい氏がこなひだ京都の衣笠きぬがさ村に画家の土田麦僊氏を訪ねた事があつた。田口氏はそのむかし小説を書いてゐる頃には、画ゑかきほど物の解らない輩てあひはないと思つてゐたが、今では画かき以上に物の解らないのに小説家といふ者がゐると思ふ事が出来るやうになつてゐる人である。

田口氏の用向ようむきは、自分の社で近々きん〱青年画家の作品展覧会をするから、麦僊氏にもその選者の一人にんになつて欲しいといふのだつた。

麦僊氏は汗ばむだ額を掌面てのひらで撫でまはした。

「お易い御用ですが、然しかしそれまでに病気が癒なほつてくれるかどうか知ら。」

「病気つて、どんな?」掬汀氏は頤あごを突出つきだした。

「神経衰弱なのです、ひどい……」

麦僊氏はこの病人に附き物の眩まぶしいやうな眼つきをした。

「ほう、神経衰弱。それはお困りでせう。さう言へば、近頃一向御作おさくが無いやうですね。」

「出来ないんです、気根きこんが続かなくつて。」麦僊氏は遣瀬やるせが無ささうに左手の掌面てのひらで右の二の腕かひなを叩いた。「いつ迄こんななのか知ら。真実ほんとうに困つちまふ。」

掬汀氏は気の毒さうに若い画家の顔を見た。

いつだつたか、小説家の小川未明氏が、右の手が書痙しよけいに罹かゝつて不自由になつた苦しまぎれに、

「いつそ世界ぢゆうの文学者が、みんな書痙にかかつて呉れるといい。」

と呟ぼやいた事があつた。掬汀氏は今それを思ひ出して、

「ついでに画かきを、みんな神経衰弱にすると面白いんだがな。」

と思つたが、その次ぎの瞬間、さうするとさしづめ自分の雑誌が困る事を思つて首をすくめた。

「東京の連中れんぢゆうはどうです。」麦僊氏は暫くして訊いた。「随分盛さかんなやうですね。」

「盛ですとも。まるで輪転機のやうですよ。」

掬汀氏はかう言つて白い歯を見せた。

「え、輪転機?」

「さうです、まるで輪転機のやうに早いんでさ。」

「さうですか。」

麦僊氏は感心したやうに首をふつた。そして自分も早く病気を癒して、生涯に一度でもいいから、輪転機のやうに暴やけになつて稼ぎたいと思つたが、然しそんな折になると、誰よりも先に掬汀氏が自分をこき使ふ事だらうと思つて、結句今の病気が嬉しいやうな気がしたらしかつた。

宰相と馬鹿者6・7(夕)

自分達の二番目の恋人が誰だつたかを思ひ出せない人達も、ナポレオンの二番目の皇后きさきが墺太利オーストリー帝の皇女わうぢよマリア・ルイザであつたのは知つてゐる筈だ。何故といつて、この世の中には、帝王の事だつたら、どんな些細ささいな事でも、きつと記録に書き残す歴史家といふ筆まめな輩てあひが住んでゐるから。

ナポレオンがその皇女ルイザと結婚して間も無く、墺太利政府の当局者が、何か政策上の事で、この英雄の意見とひどく異ちがつた処置を取つた事があつた。その報しらせがナポレオンの耳に入ると、この色の白い洒落者の小男は桜んぼのやうに真紅まつかになつて怒つた。そして、

「墺太利皇帝は老いぼれの馬鹿者ガナツシユだな。」

と口汚なく罵のゝしつたものだ。

ナポレオンの声はかなり大きかつたが、墺太利までは聞えなかつた。だが、卓子テーブルの向う側には皇女ルイザが腰かけて何か読んでゐた。ルイザは顔をあげて良人をつとの方をふり向いた。

「あ、吃驚びつくりした。何を仰有つたの。阿父様おとうさまがガナツシユですつて? ガナツシユつてどんな事なの、ねえ、貴方……」

ルイザは生れて初めてのこの仏蘭西語の意味を訊きただした。

ナポレオンははたと当惑した。

「ガナツシユかい。さあ、何と訳したもんだらうね。まあ一口にいふと、経験にも富んで考への深い人の事をいふんだ。」

胡麻化し上手のこの英雄は、をかしさを噛み殺しながら、こんな事を言つた。

「さう、ガナツシユつてそんな事なんですの、いい言葉ですわネ。」

皇后は幾度いくたびか口のなかでその言葉を繰返したらしかつた。

その翌る朝、宰相が皇后に謁見した事があつた。すると、皇后は小鳥のやうな可愛かあいらしい口元をして、

「宰相は吾が国で一番えらい馬鹿者ガナツシユですね。」

と挨拶をしたものだ。宰相は絞め殺されでもするやうに、眼を白黒させてゐたが、暫くしてから、

「は、恐れ入ります。」

と心から恐縮して下つて往つた。

ナポレオンは後あとでこの話を聞いて、腹をかゝへて笑つた。宰相も機嫌を直して笑つたが、ルイザめ、事によつたら、何もかも弁わきまへてゐて、こんな戯いたづらをしたのかも知れなかつた。

中野正剛せいがう氏と活動写真6・12(夕)

『東方時論』の中野正剛氏は、三宅雪嶺氏の娘婿で、青年政論者として聞えてゐる。

中野氏が先年紐育ニユーヨークに留学してゐた頃、語学の教師に、ある寡婦ごけさんの米国婦人を頼んだ事があつた。寡婦ごけさんは四十雀がらのやうによく喋舌しやべる女だつたから、会話を稽古するには、こんな重宝な道具は無かつた。

中野氏の宿から、寡婦ごけさんの家うちまではかなり遠かつたから、中野氏は毎日電車で通ふ事にした。電車のなかでは石のやうに黙りこくつて、今日は何を談話はなしに捉つかまへたものか知ら、婦人参政権の事でも引張り出して、一つ議論を吹きかけてやらうと思つた事もあつたらしかつたが、会つてみると、寡婦ごけさんは極きまつたやうに、亡くなつた亭主の事と、自分の拵へる料理のうまい事ばかり話して聞かせた。

少し馴染が重なつて来ると、寡婦ごけさんは時々妙な事をし出した。それは会話はなしの途中で一寸中野氏の耳を引張る事なのだ。中野氏はその時分、英語の会話こそ拙まづかつたが、自分は国士を以て任じてゐたのでアメリカまで来て、女に耳を引張られようなどとは少しも思ひがけなかつた。それに不思議な事には、寡婦ごけさんに耳を引張られると、国士どころか、何だか自分が鍋か兎ででもあるやうな気がする事だつた。

「いかん〱。こんな目にあつて、黙つてるといふ法はない。こんどあんな戯ふざけた真似をしたら、一つ思ひきりたしなめてやらなくつちや。」

中野氏はかう腹をきめて自分の居る室へやのなかを見廻した。粗末な椅子と卓子テーブルと麦酒ビールの空壜あきびんと会話辞書と――そこらに見えるものは何一つ耳を持つてはゐなかつた。中野氏にはそれが羨ましくてならなかつた。

その次ぎの日も、寡婦ごけさんは談話はなしがはずむと、ひよいと手を延ばして厭といふ程中野氏の耳を引張つた。国士は顔をゆがめながら、いきなり衝立つゝたち上つた。そして暫くはどう言つたものかと、口をもぐ〱させてゐたが、とうと口を切つた。

Prohibited to touch any part of my body.

中野氏はかう言つてその儘表へ飛び出した。そして吾ながら何といふ立派な英語を使つたものだらうと、独ひとりで感心してゐたが、ふとそれが電車の掲示に似てゐるのを思つて嫌いやな気持がした。

中野氏はそれから間もなく英国へ渡つたが、ある日倫敦ロンドンの場末で活動写真を見た。すると、そのなかに恋人同士が一寸耳を引張つていきなり接吻キツスする場面があつた。

「へい、あんな事をするのかなあ。」

中野氏はそれを思ふと、自分の使つた prohibited to touch……”といふ文句が、何だか間がぬけたやうに思はれだした。そして今一度紐育に帰つて、あの寡婦ごけさんに鍋か兎のやうに耳を引張られてみたい気がしたらしかつたが、それには船賃が高かつた。すべて旅では何事も懐中ふところと相談してかからねばならなかつた。

子供と狂人きちがひ6・14(夕)

故人ルウズヴエルトの沢山どつさりある子供の一人が――誰だつたか名前は一寸思ひ出せないが――幼い頃公園の木こかげで下様しもざまの身なりの汚い子供達と一緒に遊んでゐた事があつた。

すると、そこを孔雀のやうにめかし込んで一人の婦人が通りかゝつた。婦人はちらと子供の顔を見ると、そこへ立ちどまつた。

「ちよいと、あなたルウズヴエルトさんの坊ちやんぢやなくつて。」

子供は円まるまつちい顔をあげた。

「さうだよ、何なにか用なの、小母をばちやん。」

「坊ちやん。」孔雀のやうな婦人は、指をあげてたしなめるやうな真似をした。「あなたはルウズヴエルトさんの坊ちやんぢやありませんか。そんな下様しもざまの子供達と一緒に遊ぶものぢやありません。阿父様おとうさまに叱られますよ。」

「叱られるもんかい。」子供は猿のやうに白い歯を露むいて見せた。「阿父おとうさまは平素ふだん言つてらつしやらあ。子供には背の高いのと低いのと、お悧巧なのと意地悪なのとがあるばかしだつて。下様しもざまの子供だなんて、そんなのがあるもんかい。」

おめかしやの婦人は弾機ばねではじき飛ばされたやうな顔をして、さつさと其処そこを立ち去つたさうだ。

京都大学の今村新吉博士は、精神病学専門の学者である。つい二三日前、氏が自分の診察室に入つて来たある患者を診てゐると、その患者はだしぬけに氏に訊いた。

「先生は精神科のお医者さんですかい。」

「さうだ、精神科の医者だ。」今村氏は何気なく返事した。

「精神科のお医者さんは狂人きちがひの事なら何でも知つてますか。」

狂人きちがひは警察署の署長のやうな、しかつべらしい顔をして訊いた。

「さうだね。狂人きちがひの事なら、まあ大抵の事は知つてるよ。」

「ぢや、訊きますが、狂人きちがひと天才との見さかひはどこでつきますね。」

狂人きちがひめ、今度は大学教授のやうな静かな口ぶりで質たづねた。

「さあ、そいつは難問ぢやて。」今村氏は一寸困つたやうな表情をした。「実際を言ふと、狂人きちがひと天才とはなかなか見わきがつかない。」

「さうでせう、さうでせうと思つた。」狂人きちがひは得意さうににや〱笑つた。「先生が今狂人きちがひだと思つて診ていらつしやる私ですが、実は狂人きちがひぢやなくつて天才なんですからね。」

木堂の書価あたひ十円也7・4(夕)

犬養木堂氏のところへは、いろんな人達がたんと訪ねて来る。無能な政治家も来れば、貧乏な支那浪人も来る。新聞記者も来れば、骨董屋も来る。本屋も来れば、八百屋も来る。金貸も来れば、物貰ひも来る。彼等は何か知ら主人から獲えて帰るのもあれば、何か知ら主人に置いて帰るのもある。

さういふ訪問客かくのなかに一人坊主があつた。つい先日こなひだの事その坊主はひよつくり犬養氏の邸やしきを訪ねて来た。その日は雨がしよぼしよぼ降つてゐて、「国策」を考へるのにも都合が悪かつたかして、犬養氏はすぐ会つてくれた。

「お目に懸つたのは外でもありません。何なにか一つ書いて戴きたくつて。」坊主は真田紐さなだひもで括くゝつた荷物のなかから、画箋紙のまるめたのを取り出して無雑作に前に置いた。「私先生の書が好きで溜りませんので。」

犬養氏は腹の減つた獣けもののやうに眼をきよろきよろさせて、坊主の顔を見たが、坊主はふだんから不動や羅漢や、もつと物凄い檀家総代の眼つきやに馴れきつてゐるので、別段気にもとめないらしく、けろりとした顔で済ませてゐた。犬養氏はそれを見ると、何なにか書いてやらなければ済まぬやうな気がした。で、書くには書いた。

「有難うございます。では戴いてかへります。」

坊主は画箋紙をくるくる巻いたと思ふと、小鳥のやうにひよいとお辞儀をして、その儘帰つて行つた。

それから五六日すると、件くだんの坊主はまたひよつくり犬養氏のところへやつて来た。

「先生、甚はなはだ軽少ではございますが、」坊主は懐中から皺くちやな紙包を取り出して、犬養氏の膝さきに置いた。「先日御無理を願つた心ばかりの御礼でございます。」

「ふむ、寺から里へといふ格か。」犬養氏は獣けもののやうな眼をして、胡散うさんさうにその紙包を見たが、包みには露むき出しに金十円と書いてあつた。「こゝに金十円と書いてあるが、乃公わしの書に十円といふ値ぶみはどこから附けたね。」

「私の書の値段からつけました。」坊主は鸚鵡がへしに返事した。「私は書をかくと五円ばかし他人ひとから礼を寄よこします。先生のはまづ倍だらうと思つて。」

「さうか、安いな、それにしちや。」

犬養氏は狼のやうにくすりと笑つた。

「安いかも知れません。でも三途づの川は今だに渡し銭を六文しきや取りません。先生が今頃死なすつても、それだけお払ひになれば直ぐにもお渡しします。安いもんでさ。」

坊主は平気な顔をして言つた。犬養氏は苦笑ひするより外に仕方がなかつた。苦笑ひには往時むかしから値段はついてゐない、誰でもが持合はせてゐるものだから。

有島武郎氏と独逸娘7・5(夕)

有島武郎氏が独逸へ行つた時、スツツトガルト行きの汽車のなかで、独逸人の夫婦ものが、妙齢の娘をつれてゐるのに一緒になつた事があつた。娘は花のやうに美しかつた。

件くだんの独逸人は、英語が少し話せるところから有島氏に話しかけた。

「あなたは日本人かな。」

「さうです、日本人です。」

「何か取引にでも来なすつたのかな。」独逸人は二言目には自分の国の吹聴をしないではゐられなかつた。「独逸の商品は手際がよくて、おまけに値段が廉やすいからな。」

「いや、違ひますよ、私のは唯の旅行でさ。」有島氏はまじめに打消した。

「旅行? それはいい。旅行をするには独逸に限る。第一景色がいいし、それに設備が行届いとる。」

独逸人は知つてゐる限りの英語を将棋の駒のやうに巧うまく利用した。「これから何処へお出かけだな。」

「スツツトガルトへ行くつもりです。」

「スツツトガルト? それは丁度よい。私らもこれからあそこへ往かうと思つとるところだ。」

独逸人はかう言つて、自分の細君かないや娘やに有島氏を紹介した。娘はやはり美しかつた。

汽車は程なくスツツトガルトに着いて、皆はどやどやと歩廊プラツトフオームへおりた。件くだんの独逸人夫婦は手荷物を受取りに出かけて往つたので、有島氏は娘と差向ひに取残される事となつた。よくよく見ると、娘はやはり美しかつた。有島氏は別れ際に何とか挨拶しなければならぬやうに思つたが、あいにく娘は英語が解らないので、氏はどうしても不馴ふなれな独逸語を使ふより外に仕方がなかつた。

自信のない外国語は、旅先きで使ふものでないといふ事は、ベデカの案内書にもかいてあつて、有島氏も万々承知してゐるが、娘はやはり美しかつた。

で、つい下手な独逸語を使つてしまつた。

「そんならこれでお別れします。したが、明日あしたまたスツツトガルトの何処どこかでお目にかゝるかも知れませんね。」

有島氏はやつとこれだけ言つて、物の一時間も喋舌しやべつたやうな気がした。

すると娘は急に真紅まつかになつた。覆盆子いちごのやうに真紅まつかになつて、眼には一杯涙さへさしぐむでゐる。有島氏は腑に落ちなささうな顔をしてどぎまぎしてゐると、そこへ大きな荷物をさげて独逸人夫婦が帰つて来た。そして胡散うさんさうな眼を光らせてゐたが、娘が小声で何かいふと、だしぬけに噛みつくやうに怒鳴つた。

「ここな日本人のが! 他ひとの娘をつかまへて明日またスツツトガルトの何処かで会はうなんて、怪しからん事を言ふ奴ぢや。」

有島氏は眼を白黒させた。そしてやつと理由わけを話して、先方の腹立はらだちを宥なだめる事が出来た。独逸語なぞ二度ともう使ふものかと思つた。

福田博士と内田博士7・9(夕)

いつだつたか、福田徳三博士が神田の神保町をぶらついてゐた事があつた。その日はいつになくお天気がよかつたので、博士は大好きなラツセルやマルクスの事も考へないで、唯もううつとりといゝ気持になつて、猫のやうに眼を細めながら歩いてゐた。

ふと気がつくと、こみ合つた人通りのなかを、怖おそろしく沢山な書物を抱へ込んでとぼとぼと歩いて来る男がある。少し大袈裟に言つたら十二頭の駱駝らくだの背に積み分けてもいゝ程嵩高かさだかな書物で、福田博士は波斯ペルシヤ王ゼミイルの御殿へ、人間の歴史を献上に出かけてゆく学者の一人にんではあるまいかと思つた。で、眠さうな眼を大きくあいてその男を見た。そして吃驚びつくりした。男といふのは、かねて顔昵懇かほなじみの内田銀蔵博士であつた。

「もしもし、内田さんではございませんか。」

福田博士はかう言つて呼びかけた。一体学者を呼ぶのには、誰彼の見さかひなく、「あなたは――博士ぢやございませんか。」といつたやうに、博士づけにして呼んだ方が都合がいゝものだが、相手が真実ほんとうの博士である場合には、そんな事はどうでもよく、短く「――さん」で結構である。福田博士はよくそれを知つてゐた。

内田博士はその日古本屋でどつさり参考物ものを掘り出したので、それを露出むきだしの儘抱へ込んで、ほく〱もので道を急いでゐたが、ふと自分の名を呼ぶ者があるのに気がついて、声のする方へ眼をやると、そこには福田博士が古釘のやうに少し頭を傾まげて立つてゐた。

内田博士は弾機ばね細工のやうに一足あし後へ飛んだ。そしてどこへ持物をおいたものかと、狼狽うろたへ気味にそこらを見廻してゐたが、思ひきつて腋わきに抱へた書物をそのまゝそつと地面ぢべたに置いた。

「福田さんでございましたか、ついお見逸みそれ致しまして相済みません。」

内田博士はかう言つて例いつものやうに几帳面に頭を下げた。それを見た福田博士は、自分も何か知ら地面ぢべたに置かないでは済まないやうな気がしたが、あいにくラツセルもマルクスも手に持つてゐなかつたので、申し訳だけに履くつの爪先を踏み揃へた。そして今一度叮嚀にお辞儀をする事にした。

お辞儀がすんで顔を上げると、そこには往来の人がたんと立ち停つて、不思議な二人の挨拶を可笑をかしさうに見物してゐた。福田博士は忘れても、二度ともう途中で内田博士と挨拶は出来ないと思つたらしかつた。

日本将校石川半山7・11(夕)

新聞記者石川半山氏が昨年米国へ往つた時、あちらは軍人全盛といふ事を聞いてゐたので、態々わざ〱カーキ色の軍服まがひの洋服を着込んで船に乗つたものだ。もしか米国で跛びつこをひく傷病兵が持てるといふ事を聞いたら、石川氏は病狗やまひいぬのやうにわざ〲跛をひいたか知れなかつた。

船が桑港サンフランシスコへつくと、石川氏は件くだんの洋服姿で軍鶏しやものやうにぐつと気取つて揚あがつて往つた。すると其処そこに立つてゐた亜米利加婦人で、胡瓜きうりのやうに細長く、おまけに胡瓜のやうに亭主にぶら下つてゐたのが、甲高い声で、

「ちよいと御覧てば。あれ日本の将校ジヤパニイス・ゼネラルでせう。」

と言ふのが聴えた。石川氏はその瞬間素敵な軍国主義者になつて、出来る事なら、兜虫のやうな恰好をしてそこらを飛び歩きたいと思つた。

汽車に乗つても、電車に乗つても、乗客じようかくは石川氏のカーキ色洋服を見ると、吾がちにすつと立つて席を譲らうとした。石川氏は一寸会釈して平気でそこに腰をかけた。宿屋や珈琲店カフエーへ入ると、女給仕が急に飴あめちよこのやうな甘い笑窪ゑくぼを見せてちやほやしてくれた。

「どんなもんだい、俺の工夫には恐れ入つたらう。」

と、石川氏は得意さうに大手おほてをふつて道を歩きながら、町の両側に突立つてゐる街並木や郵便箱やが、カーキ服も着ないでゐる間抜さを憐れむやうな目つきをした。

紐育に着くと、石川氏は土地ところの高峰譲吉氏を訪ねようとして例の服装で表へ出た。するとその日は、独逸から休戦の申出まをしいでがあつたといふので、街は祭のやうに騒々しかつた。

丁度そこへ飛ぶやうにやつて来た自動車は、石川氏の姿を見ると、ぴたりと立ちどまつた。

「日本の将校ジヤパニイス・ゼネラルさん」食はみ出る程どつさり載つた群衆の中から黄きいろい女の声が突走つつぱしつた。「めでたい今日を記念するために、あなたも是非こゝへ載つて下さいな。」

「有難う。」石川氏は沢庵漬と武士道との国から来た若い将校のやうな乾いた声で言つた。「だが、今日はこれから訪問に出かけなくつちやなりませんから。」

「それぢや、たつた十分でよござんすから。」

女はかういふと、手を延ばしてこの日本の将校を手提鞄か何ぞのやうに軽々かる〱と車のなかに引張りあげた。そして皆で寄つて集たかつて胴上げにした。

自動車はまた獣けもののやうに走りだした。そして街の小広路スクエアで立ちどまる度に、

「日本の将校に敬意を表へうさなくつちや。」

と言つては、寄つて集たかつて胴上げにした。時間は三十分過ぎ、一時間過ぎた。石川氏は気がついて四辺あたりを見まはすと、そこには先刻さつきの女は消えてしまつて影を見せなかつた。

石川氏はかうして方々引ずり廻されて、漸やつと日暮前にへとへとに疲れた体を見ず知らずの町に投ほり出された。

「カーキ服め、ひどい目に逢はせやがつた。」

石川氏はカメレオンのやうに直ぐに色を替へてしまひたかつた。見ると、町並木と郵便箱とは希臘ギリシヤの賢人のやうな顔をして、この哀れな日本の将校を見つめてゐた。

香川知事の落馬7・12(夕)

今の岡山県知事は香川輝てる氏である。一体役人といふものは、蜻蛉とんぼや鴉からすなどと同じやうに、いつまでも同じ樹の枝にとまつてゐるとも限らないものだから、よく断つておくが、私のいふ香川氏は今岡山県知事を勤めてゐる。

香川氏は遊廓禁止論を唱へて、廓くるわの人達を吃驚びつくりさせたり、特殊部落の娘を女中に雇ひ入れたりして、兎角これまでの知事のやらなかつた事を行やらうとしてゐるが、近頃また自宅の官舎に道場を拵へかゝつてゐる。

知事の観察によると、伊勢鰕えびのやうな剛健な精神は、伊勢鰕のやうな剛健な身体からだに宿るもので、現代人を精神的堕落より救はうとするには、是非とも道場入りをさせなければならないといふのだ。床次とこなみ内相は浪花節で生活の不安を根治しようとしてゐるが、どちらも立派な発明で、創見の少い日本の思想界に、これはまた勿体なさすぎる程の思ひつきである。

香川氏は柔道や撃剣をやるのみならず、また馬にも乗る。馬といふものは、多くの場合、乗り手よりも剛健な精神と剛健な肉体とを持つてゐるから、滅多に下らない乗り手の蔭口なぞ利かうとしないが、もしか馬が亜米利加の大統領か新聞記者のやうなお喋舌しやべりだつたら、世間は今とはもつと違つたものになるに相違ない。少くとも勇敢な軍人達は、九分通り鞭をすてて徒歩かちであるくに定きまつてゐる。岡山県知事香川氏の如きも、馬の前に立ちどまつて、お辞儀をする位の愛嬌を見せたかも知れない。

香川氏は以前東京にゐた頃、友達と二人馬に乗つて先輩某氏の邸やしきを訪ねた事があつた。某氏は酒を出して、二人をふるまつた。馬に巧者な香川氏の友達は、言ひ訳ばかりに杯に唇をあてたが、香川氏は酒を見ると、何もかも忘れてしたゝか喰くらひ酔つてしまつた。

「そんなに酔つ払つては、馬に乗れるもんぢやない。危いから俥くるまにしたまへ。」

と先輩なり、友達なりが、とめだてするのを、香川氏は頭かしらをふつて肯きき入れなかつた。

「いや、馬に乗つて来たからには、馬に乗つて帰るんだ。」

とうと、へべれけの身体からだで馬の上に跨またがつた。馬はぽか〱歩き出した。

物の五六町も来たかと思ふ頃、先きに立つた友達は後ろで唯ならぬ物音がしたので、はつと思つて振り向いた。見ると、香川氏が馬からころげ落ちてゐるのだ。

附近あたりには水が一面に飛び散つている。友達は香川氏の心臓も胃の腑も潰つぶけてしまつて、先刻さつき飲んだ酒がけし飛んだに相違ないと思つた。だが、よく見ると香川氏は活いきてゐる。落ちたのは水溜みづだまりの中で、香川氏は濡ぬれ草鞋わらぢのやうにづくづくになつてゐた。

野長瀬のながせ晩花の寄附画7・13(夕)

日本画家番附ばんづけといふものを発行してゐる男が、東京と京都とに二三人宛づつと名古屋に一人居る。番附といふのは、相撲すまふや万年青おもとのそれと同じやうに横綱もあれば、大関もあり、又貧乏神もあるといつたやうに、現代の画家にそれ〲格つけをしたものだ。

横綱や大関は別として、三役や前頭のいいところに坐るには、何も格別画ゑが上手でなくともいい、発行人に幾らか出版費の足し前を出すとか、それとも絵の二三幅ぷくも寄附すればいいので、さうした訳合わけあひでかなりの地位に据すわつてゐる雛ひよつ児こ画家も少くはない。

その番附発行人の一人が先日こなひだの事京都の野長瀬晩花氏を訪ねて往つた。

「今度また新しい番附を出す事になりましたが、」その男は古い皺くちやな番附を懐中ふところから取り出して、前へ拡げた。「去年のでは、貴方はこんなとこにいらつしやいますから、今年はうんと格をお上げ申さなくつちやならんと存じまして。」

番附には晩花氏の名前は蚊のやうな小さい文字で書いてあつた。画家は言つた。

「いや、去年のまんまで結構ですよ。腕の方がちつとも上つてないんですから。」

「滅相めつさうな、この頃の御評判は大したもんですよ。ついてはこゝいらに――」番附屋は扇子の尻で前頭の中軸なかじくどこを指ざした。「今年はこゝいらに列ならべたいと存じますが、いかがでせう。御異存が有りませんでしたら、何どうか御作おさくを一枚……」

「へえ、名前を出すのに絵が要るんですか。」晩花氏は態わざと驚いたやうな顔をした。

「といふ訳でもありませんが、方々の先生からも御厚意をうけて居りますので――」

その男はてれ隠しに一寸頭を下げた。お辞儀といふものは都合のいいもので、相手の気持を和らげる事が出来たら、幾つ下げた処ところで損にはならない。

「それぢや、ここに一つ相談があるが――」晩花氏は一膝のり出して来た。「僕はうんと気張つて傑作を一枚寄附するから、その代り君の方では僕の名前を一番太文字で、

横綱野長瀬晩花

と最初の行へ出してくれるんだね。いいかね。」

「御冗談を。横綱と申しますと、栖鳳さんや大観さんの格でございますからね。」

その男は戯弄からかはれたのだと知ると、酸漿ほほづきのやうに顔をふくらませた。

「横綱には出来ないつて言ふんだね、ぢや、僕の方でも寄附はしないよ。」

晩花氏は土焼つちやきの狐のやうに巻煙草をくはへた顎をぐつと前へ突き出した。

音楽家と小説家と7・16(夕)

波蘭ポーランド共和国の今の大統領パデレウスキイ氏が秀れた洋琴家ピヤニストである事は知らぬ人もあるまい。大統領にならぬ前、氏はよく米国へ渡つて演奏会を開いたものだが、ある時何なにかの会合で、文豪ジヤツク・ロンドンに会つた。

ジヤツク・ロンドンといへば名高い『野性の声』で狗いぬや狼の生活をかいた作家で、原始的生活が好きな余りから自分でも焼肉の代りに、血だらけな生なまの肉を噛かじつたり、取り立ての蝸牛でゝむしをその儘鵜飲みにしたりした男だ。

小説家は髪の毛の長いこの音楽家を見ると口をきつた。

「パデレウスキイさん、洋琴ピアノつてなかなか好いいものですね。私も大好きです。」

「ほゝう、結構ですね。」

パデレウスキイ氏は外に掛け替へのない大事な指を膝の上で組み合せながら言つた。「貴君あなたは文化的な生活はお嫌ひのやうに承はつてゐましたから、実は洋琴ピアノの方も余りお好きではないか知らと思つてゐましたので……」

「いや、どうして〱、洋琴ピアノは大好きでさ。」小説家はこれまでいろんな荒仕事をして来たらしい、巌丈がんぢやうな両肩を揺ゆすぶりながら笑つた。「かう見えても、私は洋琴ピアノのお蔭で露命を繋いだんですからね。」

「洋琴ピアノで? してみると、貴方もお弾きになるんですね。」

パデレウスキイ氏は洋琴ピアノを弾く狼にでも出会つたやうに、眼を大きく睜みはつて相手の顔を見た。

「いや、弾きません。だが、真実ほんとうの事をいふとかうなんです。」小説家は血だらけな牛の肉を噛み馴れた口もとを子供のやうに窄すぼめながら言つた。「私の父はミスシツピイで農園をやつてゐましたが、ある時洪水おほみづで農園はすつかり台なしにされてしまひ、加之おまけに私達の住家すみかも根こそぎ持つて往ゆかれました。」

「ほゝう、それはお気の毒でしたね。」パデレウスキイ氏は心しんから気の毒さうに言つた。そして小説家も音楽家と同じやうに、余りいゝ月日の下もとには生れ合はさなかつたものだなといつたやうな表情かほつきをした。

小説家は言葉を次ついだ。

「その折親父は卓子テーブルの上に乗つて逃げましたが、私は洋琴ピアノにつかまつて、漸やつと生命拾いのちひろひをしたやうな始末なんで。」

独身主義者と結婚7・17(夕)

今度の欧洲戦争で哀れな犠牲者となつた英国のキツチナア元帥が、名高い独身主義者だつたのは誰もが知つてゐる通りだ。女嫌ひな独身主義者にとつて、キツチナアを亡くしたのは、世界を半分失なくしたのと同じ程の損失だつたに相違ない。

キツチナアがまだ印度に居た頃、その下で副官を勤めてゐた或る若い将校が、今度結婚したいから、暫くの間休暇を貰つて、本国英吉利に還らせて貰ひたいと言ひ出した。女嫌ひな元帥は、結婚だと聞くと、額にさつと皺を寄せたが、それでも談話はなしのすむまではじつと辛抱がまんしてゐた。

「結婚するつて。でも、お前はまだ二十五にもならんぢやないか。一年待ちなさい。そしてその上でまだ結婚したかつたら、休暇を与へる事にしようから。」

元帥はかう言つて、若い将校の玉葱のやうな青白い顔を見た。将校はふくれつ面つらをしたが、それでも言葉はかへさなかつた。

一年は過ぎた。若い将校は、キツチナアが上機嫌な折を見計らつて、また以前の賜暇しか問題を持ち出した。

すると、キツチナアの石のやうな四角い、そしてまた石のやうな厳粛な顔に、急に石のやうな冷たさが現れて来た。

「十二箇月考へぬいても、お前はまだ結婚したいつて言ふんだね。」

「はい、早く身を固めた方がいいかと思ひまして。」

若い将校は、腹の減つた狗いぬが主人の顔を見る折のやうな狡ずるさうな眼つきをした。

「それぢや仕方がない。休暇を取るのもよからう。」この名高い独身主義者は忌々いま〱しさうに白い歯を見せながら言つた。「相手は女ぢやないか、それに一年も続いて愛情をもつてるなんて、俺はそんな男がこの世に有らうとは思はなかつたよ。」

若い将校は希望通りに休暇を貰つたらいいので、加之おまけに好きな娘と結婚する事さへ出来たらいいので、別に気むつかしやの元帥と議論する必要もなかつたのだ。で、お辞儀をして、室へやから外に出ようとしたが、それだけでは、何だか物足りないやうに思つたので、つかつかと後あとがへりをした。

「申し添へておきますが、私が結婚しますのは、去年のと同じ女ではございませんから。」

キツチナアはだしぬけに耳朶みゝたぶを引張られたやうな顔をした。――若い将校め、何といふ不作法な事を言つたものか。こんなのに限つて、一度は女の前でとんぼがへりをする奴さ。

焼肴やきざかなは右か左か7・18(夕)

「金かねは篠しの

詩は三本木ぼんぎ

書は貫名ぬきな

学は猪飼ゐかひに

粋すいは文吉ぶんきち」

とは儒者中島棕隠そういんが、自分の友達の特長とりえを歌つたもので、篠は篠崎小竹、三本木は頼山陽、貫名は海屋、猪飼は敬所、文吉といふのは言ふまでもなく棕隠自身の事である。

粋は文吉と言つただけに、棕隠はなかなかの洒落者であつた。ある時知り合ひの家うちへ訪ねてゆくと、ちやうど山陽もそこへ来合はせてゐて、時分どきだといふので、昼飯の馳走にあづからうとしてゐるところだつた。剽軽へうきんで、無遠慮で通つた棕隠は平気で坐に上あがつて往つた。

折角の客なので、主人は棕隠にもお膳を出した。棕隠はじろりと横目で自分の膳と山陽のとを見比べてゐたが、つい大変な事をめつけ出した。それは焼肴が山陽の方は大きくて、自分のは小さいといふ事である。

「いかん〱。幾ら後客あときやくにしても魚の小さいのを見るのは、余り気持がいいものではないて。」

棕隠は腹の中でかう思ひながら、何食はぬ顔で盃さかづきを手にとつた。

暫くすると、棕隠はいつに似ず真面目な調子で山陽に話し出した。

「君、つかん事を訊くやうだが、姑蘇こそ城外の蘇の字だね、あれは艸冠くさかむりの下の魚うをと禾のぎとは何方どつちに書いた方がほんとうだつたかな。」

「蘇の字かい、あれは魚うをが右にあらうと、左にあらうと同じだよ。」

山陽は事によつたら魚うをの字など逆さかとんぼになつたつて構はないやうな調子で答へた。

「さうかなあ。」棕隠は畳の上に指先でわざ〱字を書いてみた。「魚うをは右にあつても、左にあつても構はないんだつたかな。」

「さうさ。何だつてまたそんな事を訊くんだい。」

「実はかうしたいからなんだ。」棕隠は箸でもつて矢庭やにはに山陽の焼肴と自分のとを取りかへた。「ね、魚うをは右にあつたつて、左にあつたつて一向差支ないんだらう。」

「これは失敗しくじつた。ははは。」山陽は声を立てて笑つた。

吾わが愛する頼山陽氏と世上の物識ものしりとに教へる。魚は右にあらうが、左にあらうが、早く箸を下おろした方が一番いいのである。

美術家と駅長7・19(夕)

ウヰリヤム・チエエスといへば、長らく米国の美術協会の会頭を勤めてゐた、テイントレツトの研究家として名高い肖像画家である。一体米国には、自分の肖像をいつまでも油絵に描かき残しておきたい自惚うぬぼれと、画ゑかきに仕払ふ謝礼とを、どちらともどつさり持ち合はせてゐる男が多いので、肖像画の店を張つてゐる画師ゑしも少くはないが、今いふチエエスはそんないかさまなのとは粒の異ちがつた歴れつきとした芸術家である。

チエエスは先年日本に遊びに来た事があつた。その折の事、この画かきはある停車場ていしやぢやうで(どこの停車場だつたか、画かきははつきりとその名を覚えてゐない。一体画かきといふものは余り物覚えがよくないやうだ)汽車を待つ間まのつれづれに雲を見てゐた。

汽車を待つ間まの退屈しのぎには、待合に素晴しい顔でもあつたら、それを見てゐるのに越した事はないが、そんな顔がなかつたら、雲でも見てゐるよか仕方あるまい。その日は雲が美しかつた。チエエスは歩廊プラツトフオームに立つたまゝ、いつまでもその方に気を取られてゐた。

そこへだしぬけに貨車がごとごと入つて来た。そしてチエエスの立つてゐる直ぐ前で停まつたので、美しい雲は見られなくなつた。美術家はちよつと舌打ちして外へ歩み去らうとした。

すると、目の前に駅長の制服を被きた一人の男が立つてゐた。駅長は丁寧にお辞儀をした。

「あなたは唯今迄雲を御覧になつてゐましたか。」

「見てゐました。」

美術家はぶつきら棒に答へた。

「何だつて、そんなに雲を御覧になりますか。」

駅長は自分の女房かないのだらしのない寝顔でも覗かれたやうに胡散うさんさうな眼つきをして言つた。

「私は美術家です。」

アメリカ製の美術家は、きつぱりと言つた。美術家だつたら、雲を見ようと、動物園を見ようと、動物園よりはもつと凄すさまじい駅長の女房かないの寝顔を見ようと、一向掛け構ひはないといつたやうな物の言ひ方だつた。

「美術家でいらつしやる。すると貴方の前に貨車を引込むだのは、以ての外の失礼でした。」

駅長は前よりは一層丁寧にお辞儀をして、小走りに彼方あつちへ往つたと思ふと、暫くすると、貨車はまたごとごとと音を立てて、後退あとじさりを始めた。

美術家は呆気にとられた。そして世の中には親切な駅長もあるものだと思つた。――どこの駅で、何といふ駅長か、チエエスがこの二つの名を書き落してゐるのは重ね〲残り惜しい。もしか名前が判つたら、亡くなつた後あとは天国の駅長にでも推薦してやりたい。すると、芸術家だけは何とかして昇天を許してくれようといふものだ。さもないと、あの輩てあひは屹度地獄に落ちるにきまつてゐるから。

内田博士の敏感7・22(夕)

茶話子の敬愛する文学博士内田銀蔵氏が胃潰瘍ゐくわいやうで危篤を伝へられるのは、学界のために痛惜に堪へない次第である。

一体学者といふと、自分の専攻範囲はどんな下らぬ事でも知り悉つくしてゐるが、一歩あしその外へ踏み出すと、何が何やらさつぱり見当がつかないのが多い。とりわけ衣食の問題がさうで、早い話が京都大学の博士達にも、細君が手料理のキヤベツ巻を三度三度食べさせられたつて、洗ひさらしの木綿物を着せられたつて、少しの苦情も言はないで、それを道徳的だとさへ信じてゐる人が少くない。

そのなかで、内田博士はかういふ方面にもかなり感覚センスの利く人で、菓子なども方々のを味はつてみたが、やはり藤村の羊羹が一等いいと言つて、いつも東京から取寄せては食つてゐた。

内田博士の邸やしきには井戸が二つある。台所に近い方の井戸水は幾らかきめが粗いが、遠い方の水は柔かくて、湯に立ててからの肌ざはりが何とも言へず気持がいい。それを誰よりもよく知つてゐる内田博士は風呂を立てるには、いつも遠い方の井戸水を使つて欲しいと、夫人や女中やに言ひ言ひしてゐる。

遠い方の井戸から、風呂場へ水を運ぶのは、女中の身にとつて少し厄介だつた。井戸は近くに今一つあるのである。すべて女といふものは亭主のお膳を拵へるにも、鯛たひが高かつたら鰯で、鰯が高かつたら胡瓜きうりで済ます事が出来るし、そしておまけに男といふものはその胡瓜をすら鯛と思つて食べるものだと信じてゐるので、一つの井戸の代りに、外ほかの井戸を使ふ位は何とも思つてはゐない。で、博士が言ひつけた遠くの方の井戸水の代りに近い方のを汲くみ入れて何喰はぬ顔をしてゐた。

大学から帰つた博士は、湯がたつてゐるといふので、直ぐに風呂場に入つて往つた。そして透きとほつた新湯さらゆのなかで蛙かはづのやうな恰好をして暖まつてゐたが、急に顔色を曇らせて夫人の名を呼んだ。

「あれ程井戸水の事を厳しく言つておいたのに、矢張り近い方のを汲み入れたと見えますね。」

「そんな筈はなからうと存じますが……」

夫人の返事は幾らか後暗うしろくらかつた。

「いや〱隠し立てしたつて駄目です。」博士は湯の中で蛙かはづのやうに顔をふつた。「肌ざはりでちやんと判りますよ。」

夫人は女中とちらと目を見合せた。台所ではよくかう言つた目つきが取り交かはされるものである。

あゝ内田博士7・23(夕)

内田銀蔵さんは、とうと亡くなつた。いい学者だつたのに、惜しい事をしたものだ。

京都大学にある内田氏の研究室は、あの人の室へやだけにきちんとしたものだが、たつた一つ取繕とりつくろはないものが中に交まじつてゐる。取繕はないといふのは、何も虫の食つた古本や、蝙蝠傘をいふのではない、文学博士喜田貞吉きたさだきち氏がそこに相住居あひずまゐをしてゐるのを言ふのである。

喜田氏は内田博士の研究室に相住居をしてゐる。相住居だけに喜田氏は幾らか遠慮といふ事をしなければならない。ところが、喜田氏は何よりも煙草が好きだ。馬が麦酒ビールを飲む世の中だ、歴史家だつて煙草をふかしてならない筈はないが、困つた事には、相部屋の内田博士が何よりも煙草の嫌ひな人である。

尤も内田博士だつて、他人ひとが煙草をふかすのをまで嫌ふ筈はないが、研究室には外ほかに掛替へのない大事な書物や古文書こもんじよやがどつさり備へてある。もしか喜田氏の煙草の始末が悪かつたりすると、飛んでもない事にならないとも限らない。で、内田博士は喜田氏が入つて来たそもそもから、室しつのなかで煙草だけは遠慮して貰ふやうに話し込んでおいた。

喜田氏は無論それを承知した。だが、物には裏表といふものがある。喜田氏はよくそれを知つてゐた。で、室へやには煙草盆を置かないで、その代りに西洋菓子の空缶を、こつそり卓子テーブルの抽斗ひきだしに忍ばせておいて煙草の喫ひ殻はそつとその中に隠しておく事にした。

すべて隠かくし喰ぐひといふものは何よりもうまいものである。喜田氏は内田博士の居ない折を見ると大急ぎで煙草を取出した。

「うまい、実にうまい。何といふうまい物だらう。」

と指先きが狐色に焦げつくのも知らないで、無性に貪り飲んだものだ。

いつだつたか、こんな事があつた。喜田氏は内田博士の教室へ出かける後姿を見ると、いつものやうに慌てて煙草を取り出した。そして胸から、腹から、頭のなかまで煙けぶりだらけになるまで立続けに煙草をふかした。

「いゝ気持だ。実にいゝ気持だ。」

喜田氏は独語ひとりごとを言ひながら、夢を見るやうな心持で、室しつ一杯の煙けぶりのなかに溶とろけさうになつてゐた。大きな鼻の孔あなからは、白い煙けぶりが二筋のつそりと這ひ出してゐた。

不意に内田博士の靴音がした。喜田氏は慌てて喫すひさしの煙草を空缶のなかに投ほり込んで、そ知らぬ顔をしてゐた。

「あゝ煙い。喜田さんどうなさいました。火事ぢやございますまいか。」

内田博士は顔を真青にして言つた。

「少し煙いやうですが、何でもありますまいて。」

喜田氏は何気なく言つた。

その瞬間内田博士の眼はいつになく光つた。そしてつかつかとやつて来ると思ふと、喜田氏の卓子テーブルの上から、件くだんの空缶を取り上げた。喜田氏が慌てて蓋ふたを閉めちがへた空缶からは、煙けぶりが白く這ひ出してゐたのだ。

一千円の遺産処分7・25(夕)

土耳其トルコであつた話である。あすこの或る信心深い富豪かねもちが大病にかゝつて死にかけたので、一人息子を枕もとに呼んで、遺産の始末を細々こま〲と話した。

「で、お前に残してやるものは、それで判つたらうが、こゝにまだざつと千円ばかり残つてゐる金がある。」

病人は苦しさうな息使ひをしながら言つた。

「はい、ございます。いかが始末したものでございませうな。この金は。」

孝行者の息子は、いつその事この千円は親爺が墓場へ持つて行つてはどんなものかといひたいやうな考へを持つてゐた。

「それについてお前に頼みがあるのだが――」病人は破けた風琴のやうに悲しさうにまた喘せき入つた。「その千円は世界中でお前が一番賤いやしいと思ふ人間に呉れてやつて欲しいのだ。」

「承知致しました、きつとさやう取計らひます。」

孝行息子は今更のやうに親爺の慈悲ぶかいのに感心して、鼻をつまらせながら返事した。

病人が亡くなつて後、息子は裁判所へ往つて遺産相続をしたが、その折自分のために色々面倒な手続をしてくれた裁判官の顔を見ると、急に例の千円の事を思ひ出した。

「さうだ、あの千円をこの男に呉れてやらう、相手は裁判官だ、また後々あと〱の都合もある事だから。」

孝行息子は親爺の遺言によつて、遺産のうち千円を裁判官に進呈したいと言ひ出した。

「なに、千円をくれる。そんな物は貰ふわけに往ゆかない。」裁判官はわざわざ取つておきの厳しかつべらしい顔をして言つた。「俺はお前の親爺と近づきでは無かつたぢやないか。見ず知らずの他人から遺産を貰ふといふ法はない。」

「いえ、貴方のものです。是非貴方にさし上げてくれと親爺がくれぐれも申しおいた事なんですから。」

孝行息子は何でもかでも千円を押し付けようとした。

「困つたな。遺言といふのであつてみれば。」裁判官は真実困つたやうに額を手でおさへた。「ぢや、空から取引をしよう。幸ひ裁判所の庭に雪がどつさり積つてゐるから、この雪を千円でお前に売るとしよう。ね、さうすればいゝだらう、双方の言ひ分が立つて。」

孝行息子はそれに同意して、千円を渡して帰つた。すると、その明あくる朝また裁判所へ喚よび出された。

「お前は昨日きのふこの構内の雪を買つたね。あんな物をいつまで置かれても迷惑だから、直ぐ引取つて貰ひたい。」

裁判官は物尺ものさしのやうな厳正な顔をして言つた。孝行息子は呆気にとられたが、さてどうする事も出来なかつた。

「雪を引取る事は出来ないといふか。」裁判官は言つた。「それぢや契約違反の賠償として二百円の科料を命ずる。」

孝行息子はべそをかきさうな口もとをしたが、それでも黙つて二百円を払つて外へ出た。そしてふと親爺の遺言を思ひ出した。

「さうだ、親爺さんは世界中の一番賤しい男にくれてやれと言つたつけが、まあ、よかつた、これで遺言通りにしたといふもんだ。」

博士と紺屋の職人と7・27(夕)

九州医科大学の眼科教授大西克知博士は、白鷺のやうな潔癖家である。一体潔癖といふ事は、白鷺にとつても、人間にとつても、立派な、いゝ癖だが、ほんとうの事をいふと、かういふいい癖を持つてゐる人達は、白鷺が隠遁者いんとんしやで押おつ通とほしてゐるやうに、成るべくなら医者なぞにならぬ方がよい。さもないと手術で手が汚れるから。

こなひだのこと、大西氏の診察室へ四十恰好の職人風の患者が入つて来た。大西氏は何気なく患者が膝の上にきちんと揃へた両手を見てびつくりした。手首の色が鴉からすの脚のやうに真黒だつたからである。大西氏の顔は急に険しくなつた。

「あちらへ往つて手を洗つて来なさい。」

その男はけげん相さうな顔つきをしたが、いい医者に診て貰ふには、いい女房かないを貰ふのと同じやうに身ぎれいにして置かねばならぬものかも知れないと思つたので、慌てて次の室まへたつて手を洗つて来た。

大西氏はじろりと患者の手を見た。それは相変らず汚れてゐた。

「も一度よく洗つて来なさい。」

医者の声はピンセツトのやうに尖つてゐた。

患者は口のうちでぶつくさ呟ぼやいてゐたが、それでもまた立つて往つて手を洗つて来た。

その手はやはり鴉のやうに黒かつた。大西氏はきつと眼に角かどを立てた。

「二度まで洗つて来いといふものを、なぜ洗つて来ない。」

「洗つて来ました、二度とも。」

「洗つたものがなぜそんな汚い手をしてゐる。」

疳癖かんぺきの強い眼医者は、焼栗が爆はぜたやうに、とうと声をはずませた。

「やかましいや。」患者も負けてはゐなかつた。椅子から立上りさま狗いぬのやうにわめき出した。「紺屋が藍に染まつた手をしてるのに何が不思議なんだい。よく覚えときやがれ、紺屋の手つてえものは昔から黒いんだよ。へつ、人をかしくもない、誰が診て貰ふもんかい。」

紺屋の職人はこんなに喚わめきながら、藍で汚れた手を薪まきざつぽうのやうに、医者の鼻先でふりまはしたが、つい拍手に乗つて、思ひきり強く大西氏の頭をどやしつけた。

大西氏は顔をしかめながら、頭を撫でた。

「お前は面白い男だ、俺の頭をなぐるなんて。よし、診てやらう、こゝに腰をおろしなさい。」

患者は呆気にとられて、すなほに腰をおろした。大西氏は瞼まぶたをひつくりかへしてべかこのやうな真似をさせたりした。

患者に頭をどやしつけられて感心するなぞ、大西氏は流石に名医だといつていい。語を寄す、世上の病人達、医者のいい悪いを見るには、時々紺屋の職人をまねるのも面白くはなからうか。

教師と生徒7・29(夕)

岩野泡鳴氏がまだ今日のやうに名をなさない頃、氏は猫のやうにおとなしい基督教の信者であつた。世間にざらにある背信者のなかには、以前神様のお弟子だといはれると、昔馴染の女の名でも言はれたやうに急に顔を赧あかくする人もあるが、岩野氏に限つて、そんな恥かしがりではない筈だから、くれぐれも言つておくが、今話すのは岩野氏がまだ神信心をしてゐた頃の出来事である。

基督教の神様は女学校の教師のやうによく信者をお試しになる。お試しになる道具は、多くの場合「貧乏」といふ有合せものだが、岩野氏の試されたのも、やはりその貧乏だつた。貧乏は決して恥かしい事ではない、恥かしいのは自分ひとりが富豪かねもちでいい気になつてゐる事である。だから貧乏だつたと言はれたつて、岩野氏は少しも気にかけるには及ばない。

岩野氏は何かしら働いて、その日その日の生活くらしを儲まうけねばならなかつた。で、友達に頼んで方々就職口を探すと、口は案外なところに転がつてゐた。それは仙台にある東北学院で、そこの英語教員が一人欠員になつてゐるから岩野氏なら信者の事でもあり、都合がよからうといふ事だつた。

岩野氏は急いで仙台へ下くだつた。そしてその頃学院の院長をしてゐる押川方義氏に会つた。

「僕は岩野といふ者です。」岩野氏は昔も今と変りのない、ざつくばらんな調子で言つた。「××君の紹介であなたの方ほうに入らせて載きたいと存じまして。別にお差支へはないでせうか。」

「成程な、別に差支はありませんが。」押川氏は院長らしく鷹揚な、院長らしくたわいのない返事をした。「何年級を志願しますかな。」

「何年級といつて、僕は何年級でも構はないのです。××君の手紙によると、英語の教師が欠員になつてるやうに承はりましたが……」

「英語の教師?」押川氏は変な顔つきをした。「それぢや、君の志望は教師だつたのですかい、教師なら別に欠員はありません。」

「ぢや、何処に欠員があるんです。」岩野氏はむきになつた。

「欠員は卒業前ぜんの四年級にあります。君もわざわざ仙台までやつて来たのだから、何なら四年級に入学したらどうです。ほんとうに学問する気なら、教師よか生徒の方が却かへつていゝかも知れませんぞ。」

押川氏は飛んでもない事を言ひ出したが、それを聞くと、岩野氏は変な気になつた。

「それもさうだな。教師と生徒――つまりは同じやうなもんかな。」

ついこんな事を考へた。そしてその日からまた学院の生徒になる事にした。

実際いい心掛けで、学問をする者はかういふ謙遜な心掛がなくてはならない。だが、もつと真実ほんとをいふと、その時岩野氏の懐中ふところには、帰りの汽車賃がなかつたのだ。

結婚と天国と7・30(夕)

今年五十三の独身哲学者田中王堂氏と、高梨孝子女史との結婚は近頃めでたいものの一つだが、唯難をいふと結婚が少し早過ぎた事で、もつとよく交際してゐると、お互に結婚しないでも済まされたものを、兎にかく惜しい事をしたものだ。

英吉利のグラスゴウにドナルドソンといふお爺さんがあつた。老病で死にかゝつた時、枕もとに媼ばあさんを呼んで言つた。

「媼さんや、お前にはいかいお世話になつたの。俺わしも今度こそはいよいよお迎ひが来たと思ふから、どうせ往かんなるまいが、気の毒なのは、媼さんや、後あとに残つたお前の身体からだぢやてのう。」

「何を言はつしやるだ、後あとの事抔など心配せんと……」媼さんは悲しさが胸に一杯になつて来る様に思つた。「気をのんびりと持つてゐさつしやれ、病は気一つぢやといふ程にな。」

「気安めは言はん事ぢや。」爺さんは枯枝のやうな手を胸さきで揮ふつた。

「ところで、媼さんや、後あとに残つたお前の身体からだぢやがのう、一人暮しも辛からうから、俺わしに遠慮は要らん事ぢや、いゝ先があつたら片づいての、老先を気楽に暮らす工夫をせんならんぞ。」

「滅相な、何言はつしやるだ。」媼さんは貞操のかたい蟋蟀こほろぎのやうに悲しさうな声で泣いた。「今さら他ほかへ片づくなどと、そないな事したら、俺わしらあの世で二人御亭主を持つ事になりますだ。」

それを聞くと、病人の爺さんは急に黙つてしまつた。そして吹鞴ふいごのやうな音をさせて、すうと深い溜息をついた。爺さんの考へでは、亡くなつて後のこの世では兎も角も、あの世で、媼さんが自分より外に今一人の亭主を持つてゐる事は、とても辛抱がまん出来なかつた。出来る事なら、媼さんにどつさり遺産を残して、きれいに寡婦ごけを通させたかつたが、別に怠けたわけでもないのに、どうしたものか爺さんには大して遺産といふ程の物も無かつた。爺さんは空洞うつろのやうな眼をして、じつと考へ込んでゐたが、ふといゝ事を思ひついたので急に顔ぢゆうが明るくなつた。

「媼さんや、いゝ人があるわい。お前も知つてのあのジヨン・クレメンス爺さんの、あの人がいゝわい。あれは人間が親切な上に、神信心しないさうぢやから、お前が片づくのに誂あつらへ向きといふものぢやて。」

「何故の。」媼さんはけげんさうな顔をした。

「考へてみさつしやれ、俺わしとお前があの世での、一緒になつて居をらうと、不信心者のクレメンス爺さんが天国へは上のぼつて来こまいからの。」

「なる程な……」媼さんはそれを聞いて道理もつとも至極しごくな事のやうに思つた。それにつけても、そんな道理もつとも至極な事を思ひつく爺さんと別れるのは悲しくてならなかつた。だから媼さんは蟋蟀のやうに身をふるはして泣いた。

田中王堂氏も今年五十三だといへば、ゆくゆくは天国でもも一度高梨女史と結婚するつもりかも知れない。だが、困つた事には、あの人はクレメンス爺さんと同じやうに宗教を信じない。

結婚する者にとつて天国は紋附羽織と共に急いで新調する必要がある。

市長の喧嘩7・31(夕)

「日本生命保険」の社員から、郷里福岡の市長になつた久世庸夫くせつねを氏は、市長の椅子が居心地がいいにつけて、自分にこんな結構な地位をあてがつて呉れた福岡の市民を、何だかこのまゝでは打拾うつちやつて置かれないやうな気持になつた。

「どうしたもんだらう、一人ひとり一人ひとり生命保険へ入つて貰つて、早死はやじにさせた上、どつさり保険金を贈つたら申分がないのだが、さうも往ゆかないしな……」

と、いろいろ思案の末が、ともかくも御馳走をする事にした。で、立続けに五十幾回の宴会を開いて、市民の重立おもだつた者を招待せうだいした。

すると、宴会の効力ききめは直ぐに見えて、市長の評判は日に日によくなつた。偶たまに久世氏が飼狗かひいぬでも連れて市街まちを散歩して居ると、見知越みしりこしの人達は慌てて立止つて挨拶をした。

「市長さん、結構なお天気で御座いますな。」

「市長さん、何てまあ立派なお狗でせう。」

それを聞くと市長の久世氏は、その日その日のお天気の結構なのも、飼狗の立派なのも、この中ぢゆうの市街まちの景気のいゝのもみんな自分の故せゐのやうに思はれて、通りがかりの市会議員も博多織の織元も、狗も、電信柱も、一緒に腰を屈かゞめて自分の前にお辞儀をして居るやうに思はれ出した。

こなひだの事、久世氏はある宴会でいつものやうにさんざ酒を煽飲あほつたので、酔気よひけざましに廊下へ出た。すると、出会であひがしらにそこを通りかかつた一人の男が薄暗い襖のかげから、

「おい、久世ぢやあないかね、そこに居るのは。」

と呼びかけた。久世氏はとろんこの眼を見据ゑて声のする方を振りかへつた。そこには自分と昔馴染の福岡鉱務署長三井ゐ米松よねまつ氏が立つてゐた。

「君かへ、今俺を呼んだのは。」

「うん俺だ」

「久世と云つたね、君は今。」と久世氏は軍鶏しやものやうに肩を聳そびやかした。「俺は市長だ、貴様達に久世呼ばはりをされる覚えはないよ。失敬な事云ふない。」

「何が失敬か」三井氏は蟋蟀こほろぎのやうに物蔭から飛び出して来た。蟋蟀もいくらか過したと見えて、酒臭い息をついて居た。

市長の拳はいきなり薪ざつぽうのやうに三井氏の頭の上に飛んだ。二人は犬ころのやうに取組合とりくみあつたまゝ、廊下を転げまはつたが、気の早い三井氏は、二つ三つ久世氏の頭を撲なぐつて、その儘暗やみの中に消えてしまつた。

「何んだ、逃げやがつたな。」

起き上つた久世氏は、うそうそ其辺そこらを嗅ぎ廻してゐたが、三井氏の姿が見えないと、その儘表へ飛び出した。

そして最寄もよりの巡査派出所へ寄つて、相手の住居すまゐを確めると、

「さあ、いよ〱決闘だ。」

と言つて、立会ひに巡査をつれて出かけたものだ。

三井氏はまだ宅うちに帰つてゐなかつた。久世氏は玄関に出て来た女中を相手に大威張りに威張つて帰つたが、夜があけると、久世氏の代理だといつて市の書記が紋附羽織でやつて来て、平あやまりにあやまつて往つた。

それ以来、久世氏の評判はまたよくなつた。久世氏に教へる。そんな事で評判がよくなるのだつたら、一日に一人づつ福岡市民の頭を撲つたつて少しの差支もない。詫をいふのには、市には書記といふ重宝なものがある。

ムツゴロウと知事8・1(夕)

千葉県知事折原己き一郎らう氏が、以前福岡県知事を勤めてゐた頃、ある宴会で目もとの可愛かあいらしい芸者が側目わきめもふらず、じつと自分の顔に見とれてゐるのに気がついた。

知事は悪い気持もしなかつた。

「やつぱり俺に気がつくんだな。かうして大勢顔触は揃つてゐても、どこか人品が際立つて秀れてゐるところが有るんだよ。でも、あんな若い身体からだで、そこへ気がつくなんて、憎い程眼端の利く女だな。」

知事は腹の底から満足に思つた。で、精々その好意に報いるつもりで、羊のやうな柔かな眼をして妓をんなを見かへした。

すると、妓をんなは急に厭な顔をした。そしてつと起たち上りざま、

「ほんまによく似てござらつしやるわ、ムツゴロウに。」

と、小さな声で言ひ残して往つた。

その声が知事の耳に入つた。知事は不思議さうに眉をしかめた。

「ムツ五郎に似てると言つたな。一体ムツ五郎とは誰の事だらう。」

知事は色々と名高い美男子びだんしの名前を頭に思ひ浮べながら盃さかづきをふくんだが、自分の知つた限りの男には、そんな名前は無かつた。

あくる日知事は県庁へ出ると、官房主事を喚よんで訊いた。

「君はムツ五郎といふ男を知つてるかね。」

「ムツ五郎ですか。」主事は空つぽの頭を仔細らしく傾かしげた。「それは三津五郎の訛なまりでせう、三津五郎なら居ますよ。舞踊をどりの達者な俳優やくしやでしてね。」

「うむ、有るかい、三津五郎といふのが。俳優だつてね、さうだらう、それに違ひない。」と知事はたまらなく嬉しさうに顔ぢゆうを皺くちやにした。「実はある芸者が俺をその三津五郎に似てると言つたよ。」

「へえ、三津五郎に。」主事は不思議さうな顔をしたが、自分で三津五郎を知らぬ身には、どう返事していいか判らなかつた。

折原知事と官房主事とに、こつそり内証ないしようで耳打ちをする。芸者の言つた「ムツゴロウ」とは、肥前の有明の海にしか棲まない、鯊はぜに似た小魚で、知事と同じやうに色黒で出目である。三津五郎のやうに舞踊をどりは達者だが、役者ではない。

名挨拶二つ8・2(夕)

アメリカの上院議員の某なにがしが、女房かないを連れてバルチモアへ遊びに出かけた事があつた。女房かないは名高い女権論者だつたから、いくら自分の亭主だつて、「連れて」と云はれると、膨ふくれツ面つらをするかも知れないから、そんな折の為めに「一緒に行つた」と云ひ直して置く事にする。

二人は日が暮れて、ワシントン市に帰つて来た。家に着くと、女房かないは何か忘れ物でもしたらしく、そこらをうそ〱捜しまはつてゐたが、急に主人の方へふり向いて訊いた。

「あなた、わたしの蝙蝠傘はどうなすつたの。」

「蝙蝠傘? 知らないよ、そんな物。」

と主人はこの世に蝙蝠傘と云ふ物の存在を知らないやうな調子で云つた。

「まあ、驚いた、さつき汽車の中であなたにお渡ししたぢやあないの。」

「さうさう、そんな事があつたつけなあ。」と主人は独立戦争時分の事でも思ひ出すらしく、額に手をあてがつた。「なる程蝙蝠傘は確たしかに俺があづかつたよ。」

「ぢや、どうなすつたの。」

主人は上着を脱ぎさしたまゝ考へ込んだ。

「困つたな、して見ると、汽車の中へ忘れたかも知れないぞ。」

「まあ、汽車の中へ。」女房かないは蟷螂たうらうのやうに肩を聳そびやかした。

「どうもさうらしいよ。」

「よくそんな事が云へますね。」と女は大声でわめき出した。「あなたは上院議員ぢやなくつて。婦人の蝙蝠傘一つ始末が出来ないものが、よく国政が料理して往ゆけますね。」

主人はかうきめつけられて、ぐうの音ねも出ず、失なくなつた蝙蝠傘のやうに、真つ直に衝つつ立たつてぶるぶる顫ふるへて居た。

クレオパトラやマクベス夫人に扮して名を売つた英吉利の女優ラングトリ夫人が、まだ若盛りの頃ある宴会で、その頃ちやうど倫敦ロンドンを訪れて来た阿弗利加アフリカの或る王様と一緒になつた事があつた。

女優は焼栗のやうに色の黒い王様の御機嫌を取らうとして、いろんな愛嬌を振撒ふりまいた。王様はすつかり上機嫌になつて、にこにこしてゐたが、帰り際に大きな手を出して真珠のやうな可愛かあいらしい女優の手を握つた。そして精一杯のお愛相あいさうをぶちまけた。

「夫人おくさん、もしか貴女あなたのお顔の色がもつと黒くて、そしてもつと肥えて居らつしたら、私わたくし、あなたの為めに自分の国をも投げ出すんですがね。」

大将と蠅8・5(夕)

夏になつてうるさいのは蠅である。むかしは欧陽修がひどく蠅を嫌つたものだが、軍事参議官井口省吾ゐぐちしやうご大将も、欧陽修に劣らぬ蠅嫌きらひで、唯異ちがふのは、蠅嫌ひの名文を書き残さない位のものである。

井口氏がさきに朝鮮駐剳ちゆうさつ軍司令官として、龍山に居る頃は、夏になると、司令官の室しつには蠅叩きの二本や三本は、いつでも屹度備へ付けがあつて、井口氏は絶えずそのなかの一本を手にして、室へやのなかをきよろきよろしてゐたものだ。もしか悪戯いたづらな蠅が、井口氏の鼻つ先にでもとまらうものなら、井口氏はその蠅叩きでもつて、脂ぎつた自分の顔をいやといふ程叩どやしつけ兼ねなかつた。

ある時朝鮮ホテルで、自分が主人役になつて、宴会を開いた事があつた。すると、井口氏は二三日前から、副官に兵卒の三四人をも引連れさせて態々わざ〱ホテルに乗り込ませた。

「司令官は何よりも蠅がお嫌ひだから今日から蠅狩をしようと思つて。」

副官はかう言ひながら、兵卒と一緒に汗みづくになつて蠅と組打ちをしたものだ。

だから井口氏のあとへ秋山好古氏が軍司令官として就任して来た時には、副官はほつとした。兵卒は安心した。そして蠅は何よりも喜んだ。――といふのは外でもない、秋山氏は井口氏のやうな清潔きれい好きでは無かつたから。

秋山氏は日露戦役当時馬に乗りくたびれると、よく楊やなぎの木の下に、粗末な卓子テーブルをおいて、麦酒ビールの盃はいをふくんだものだ。そんな折には土地名物の青蠅がやつて来て洋盃コツプのふちで逆立ちをしたり、とんぼがへりをしたりした。秋山氏はそんな事には頓着なく、洋盃コツプを唇にあてると、蠅ぐるみ麦酒ビールの泡をぐつと一息に飲むだ。

そして爛たゞれたやうな舌のさきで、口のなかの蠅を一匹一匹押し出してはそれを指さきで撮つまみ出して、机の上に並べたものだ。蠅は羽根が濡れてゐるので、暫くは卓子テーブルの上を這ひまはつてゐるが、羽が乾くと、そのまゝすうと飛んで往つてしまつた。

すこし酔がまはつて、物が面倒くさくなると、秋山氏は口のなかの蠅などは頓着なく、一息に洋盃コツプをあふりつけるので、蠅はそのまゝ咽喉を滑りおちて、この手強てごはい軍人の胃の腑にもぐつて往つた。

王様と上布シイツ8・6(夕)

伊太利イタリーの王イマニユエルがある時、旅の途みちすがら名もない田舎町に泊つた事があつた。町の人は名高い王様のお成りだといふので、態々わざ〱心をこめてとんちんかんなおもてなしをして、王様の御機嫌をとつた。

まづい食事がすむと、王様は眠ねるより外には仕方がなかつた。王様は寝床にはいつた。寝床は粗末な拵へだつたが、上布シイツ丈だけは新しい、おろしたての雪のやうに真白な布だつた。王様は木の片きれか何ぞのやうに、無雑作にそのなかに身体からだを横よこたへた。

王様は幾度か寝がへりを打つた。寝ぐるしい晩で、王様は国の事や、皇后きさきの事や、馬の事やを考へるともなく考へた。皇后きさきが馬のやうに尻つ尾をふつたり、馬が一銭銅貨のやうに平べつたくなつたりしたと思ふと、つい何事も判らなくなつた。王様は漸やつと寝つく事が出来たのだ。すると、だしぬけに室へやの入口いりくちの扉をとんとんと叩く音がした。

イマニユエル王は子供のやうに睡ねむさうな顔を、半分ばかし寝床から持ち上げて見た。入つて来たのは宿の亭主で、胸には折目のついた清潔きれいな上布シイツを大事さうに抱へてゐた。

「王様、お邪魔をして相すみませんが、一寸上布シイツを取り替へさせていたゞきたいと存じまして。」

亭主は鄭寧ていねいにお辞儀をした。

「上布シイツか。上布シイツだと新しいやうだが……」

王様は鉄槌てつついのやうに重い瞼まぶたをこすりこすり、やつとこさで寝床から起きた。亭主は手ばやく上布シイツを置きかへて往つた。

王様は転げ込むやうにその上へ横になつた。そして毀こはれた玩具おもちやのやうにだらしなく手足を投げ出したと思ふと、そのまゝ獣けもののやうな鼾いびきをかき出した。

物の一時間も経つたと思ふと、王様は室へやの扉とがまたとんとんと鳴つてゐるので目がさめた。暫くすると以前のやうに真白な上布シイツを胸に抱へた亭主が、幽霊のやうに足音も立てないで、そつと入つて来た。

「王様、毎度恐れ入りますが、また上布シイツを取り替へさせていたゞき度いと存じまして。」

「上布シイツだと、やつと今取替へたばかしぢやないか。」

王様はふくれ面つらをして呟つぶやいた。

「でも、汚れてゐては失礼でございますから。」

亭主は王様が起き上ると、手早く上布シイツを取替へた。

「何だつて、そんなに度々たび〱上布シイツを取替へるんだね。」

王様は幾らか不機嫌らしく訊いた。

「でも、この辺あたりの下世話げせわに、上布シイツは自分のためには七日目に、お友達にはその日その日にと言ひますから、王様には一時間ごとに取替へなくつちやと存じまして。」

住友重役の苦笑ひ8・8(夕)

毎年まいとし梅雨つゆがあけると蜂の巣からは蜂の子が巣立ちをし、方々の大学からは、口髯をちよつぴり生やした若い学士が巣立ちをする。若い学士にもいろ〱あるが、世間での通り相場は、東京の帝国大学を巣立したのが一番評判がよい。

多くの銀行会社では、巣立際になると、てんでに競争してその中の粒のいゝのを手に入れようとする。大阪の住友総本店では今年も例のやうに五六人手に入れたが、それが揃ひも揃つて、擬まがひつ気けなしの東京大学製だつたのは重役の身にとつて嬉しい事の一つだつた。

住友では海外方面でも方々に事業と支店とを持つてゐる。重役の考へでは、若いものには塩を踏ませろで、新しく入れた社員は、一通り店の見習ひが済むと、それぞれ海外へ送り出す筈だつた。それに就いて一応聴いておかなければならぬのは各自めい〱の志望で、女の家うちへ往ゆきたいものを、お医者へやつても気の毒なやうに、英吉利好きの男を亜米利加へやつてもつまらなかつた。

で、重役は三四人寄集よりあつまつて、その席で東京から呼びよせた新入しんにふの社員に会つてみる事にした。ちよつぴり髯を生やした五六人の若い社員は、丁寧に重役の前に立つてお辞儀をした。

「君は××といふのかい。」重役の一人はそのなかの一人を顎でしやくつた。そして大阪倶楽部で一円五十銭の昼飯を食べたばかしの口元を撫でまはしながら訊いた。「君に訊くが、もしか仕事の都合で外国に往ゆかなければならぬとしたら、君は何国どこを選ぶね。」

「外国ならどこへも出掛けたくありません。相成あひなるべくなら、東京の支店で勤めさせていたゞきたいものです。」

若い社員は投身みなげをするにも、同じ事なら東京の水溜みづだまりでしたいやうな口ぶりで言つた。

「そんなに東京に居たいか。あんな土地ところにね。」今ひとりの重役は東京ツ子全体に烏金からすがねでも貸してゐるやうに蔑さげすみきつて言つた。そして次ぎに立つた五分刈頭の方へ眼を向けた。「次ぎに君はどうだい。」

「私も出来るなら東京に居たいと存じまして。」

「私達も同じやうな希望でゐます。」

残つた皆も一緒に頭を下げた。

「何だつて、そんなに東京にばかし居たがるんだね。」

重役は幾らか機嫌を悪くした。

「私達はみんな東京ツ子か、あの近くの生れかなので、色々宅の都合もございまして」と若い社員の一人は言訳らしく言つた。「それに揃ひも揃つて父親おやぢが老年としよりなもんでございますから。」

「老年としよりつて幾つ位かな。」重役の一人は馬鈴薯じやがいものやうなぴか〱した頭を撫でながら言つた。

「みんな五十前後でございます。ね、諸君、さうだつたでせう。」

「さうです、五十前後でございます。」皆は雛ひよつ子このやうに口を揃へた。

「五十前後か、さうかなあ、それを君達はお爺さん扱ひをするんだね。」

重役は互に顔を見合はせて、苦笑ひするより外に仕方がなかつた。彼等は揃ひも揃つて五十前後以上の代物だつたから。

気象台員の雨乞ひ8・9(夕)

「暴風が来る

猛雨が来る

九日から十二三日

までの間に」

七日の正午頃藤原中央気象台大阪出張所長は梅田の通運会社の二階で、額の上に巻雲まきぐものやうな皺を寄せて心配さうに言つた。前には新聞記者の幾人かが立つてゐた。博士は急いで言葉を言ひ足した。

「だから、山登りの人達は急いで山を駈け下りなくつちやなりません。支那方面へ渡航する人は、この際思ひとまつた方がいいでせう。」

藤原氏は予言者のヨハネのやうな厳しかつべらしい口もとをして言つた。たつた一つヨハネと違ふのは、蝗いなごの代りに今のさきお茶を啜すゝつた事だつた。

新聞の読者は藤原氏の予報を見て吃驚びつくりした。山へ登らうとする人、支那へ旅立しようとする人は、急に旅を思ひとまつた。相場師は買かひにかゝつた。鴉は食べ物の用意をし出した。蜘蛛は巣を繕ひにかゝつた。

「まあ、よかつた。お蔭で生命いのち拾ひをした。藤原さんて何て親切な方だらう、言はば生命いのちの親さ。」

登山家も、商人あきんども、相場師も、鴉も、蜘蛛も皆腹のなかで藤原氏を恩人扱ひにした。

藤原氏は八日の朝もいつものやうに気象を考へようとして空を見た。すると不思議な事に、昨日きのふまであんなに気にかかつてゐた巻雲まきぐもも、巻積雲も、雑巾ざふきんで拭き取つたやうに痕形あとかたも無くなつてゐた。

「こんな筈ぢや無かつたんだが、どうしたもんだらう。」

藤原氏は小手を翳かざして西の宮の方を見た。箕面みのもの方を見た。京都の方を見た。築港の方を見た。見は見たが、どこにも心配な雲は影さへ見せなかつた。

「困つたな。昨日きのふ迄あんなだつたのに。雲つて何てあやふやな奴だらう。」

予言者藤原氏は、蝗を食べ過ぎたヨハネのやうに、お腹なかが痛むらしい表情かほつきをした。

昨日きのふ藤原氏から心配な警報を受取つた新聞記者は、その後ごの模様を訊かうとして、梅田の気象台出張所を訪ねた。室へやには所員が七八人詰めてゐたが、いづれも心配さうに両手を合はせて、てんでに口の中でお経や讃美歌の文句を唱へてゐた。

「どうしたのです。」記者は気遣はしさうに訊いた。

「雨乞ひをしてるのです。」所員の一人が坊主頭を竦すくめながら言つた。「折角の所長の警報が痕形も無くなつては、私達の信用に拘かゝはりますから、せめて雨でも降らせたいと思つて。」

記者は幾らか拍子ぬけがした。そこへ予言者の藤原氏が顔をぬつと出した。

「やあ、昨日きのふは驚かせました。その後ごの模様で見ると、どうやら私の見誤りらしいです。」予言者はかう言つて雲や霧で一杯になつてゐる頭をかいた。「まあ、私の見誤りで済んでよかつた。さもないと米がまた上りますからな。」

予言者の見誤りぢやない、神様の「改心」である。登山家よ山へ上のぼれ、商人あきんどよ支那へ渡れ、鴉も蜘蛛も暢気のんきに雌の事でも思つたがよい。お天気は先づ無事である。

恋がたき8・13(夕)

新しく第卅二旅団長になつて来た少将長谷川猪三郎ゐさぶらう氏と、その夫人との間には、武人には似合はない艶つぽい話がある。

今はむかし、朝鮮総督長谷川好道氏が、どこかで旅団長を勤めてゐた頃、ある日の事、夫人が良人をつとの書斎へ入つて来た。

「あなた、宅の娘ももう妙齢としごろになりました事ですから、誰かいい聟むこでもありましたらと存じますが……」

夫人はかう言つて良人の方を見た。長谷川氏は蟹のやうな顔をねぢ向けた。

「成る程さうだ、嬢ももう妙齢としごろになつたかな。」どうやら今日まで娘は胡瓜きうりと同じやうに、日に日に大きくなるものだといふ事を忘れてゐたらしい口風くちぶりだつた。「してみると、誰かいい聟を迎へずばなるまいて。」

「誰か若い将校で、あなたのお鑑識めがねにかなつたのがございましたらと存じますが……」

「うむ」と長谷川氏は呻うめくやうに言つて額を撫でた。「無い事はない。種子田たねだといつて、若い秀才がゐる、それから鈴木といつて……」

「種子田に鈴木――一向聞いた事がないやうでございますが、どちらがおよろしいでせう。」

夫人は女だけに二人の若い将校を一緒に聟に取る事の出来ないのをよく知つてゐた。

「さあ、どつちが佳よからうな。」長谷川氏は敵の偵察をするやうにじつと頭を傾かしげた。「俺わしは種子田がよいと思ふのだが、併しかし嬢の思はくもあるでな。」

で、長谷川氏夫妻はともかくも聟がね二人を愛嬢のために見比べさせるために園遊会を開く事にした。

長谷川氏が園遊会を開く――と聞いて、若い将校達はぞろぞろ集まつて来た。何のための園遊会か知らないが、何のための園遊会だらうと、飲むだり、食つたりするには、少しの差支もなかつた。若い将校達は猿のやうな紅あかい顔をして猿のやうにはしやぎ散らした。長谷川氏の愛嬢は物蔭から火のやうな眼をして、その騒ぎを見てゐたが、暫くすると、猿の中にたつた一人の人間を見つけた。その人は鈴木といふ若い将校だつた。

「よく見たの。」長谷川夫人は自分も処女きむすめに後あとがへりしたやうな若い気持で愛嬢の顔をさしのぞいた。「どつちが佳いいと思つて。種子田さん?」

令嬢は首をふつた。

「あの方お色が黒いんですもの。」

「ぢや、鈴木さん?」夫人は真赤になつた娘の首筋を見おろしながら訊いた。蟹のやうな旅団長は気遣はしさうに側そばに立つて居た。

令嬢は軽くうなづいた。成程鈴木氏は種子田氏に比べて、大分男ぶりがよかつた。

程なく鈴木氏は長谷川氏の聟養子になつた。そして種子田氏と共にどちらもぐんぐん昇進した。今は二人とも少将になつて、一人は第七旅団に、一人は第三十二旅団に長として、同じ師団に勤めてゐる。

めでたし〱。

上司かみつかさ小剣氏の時計8・15(夕)

小説家の上司小剣氏は、文学者に似合はない立派な時計をもつてゐる。英国のベネツト製の懐中時計くわいちゆうとけいで、側かははニツケル製だが、機械のいゝ、時間の正しい事にかけては一寸類のない、上司氏自身の言葉によると、日本にたつた四つしか無いといふ大切だいじな代物である。

この時計が上司氏に不似合だといつて、腹を立ててはいけない。不似合だといふのは値段が高いからいふのではなく、時間がそんなに正しいのをいふのである。上司氏が、汽車の車掌か、測候所の技師であるならば兎も角も、小説家であつてみると、ちよい〱時間の遅れる時計を持つてゐた方が、万事につけて都合がよささうなものだ。

その上司氏がある時友達と一緒に電車に乗つた事があつた。車が日比谷まで来ると、車掌は乗換切符に剪刀はさみを入れようとして、自分の腕時計うでとけいを見た。すると安物の腕時計うでとけいは安物の政友会内閣の大蔵大臣のやうに両手を伸ばしたまゝ昼寝をしてゐた。

「これはいかん、時計が止まつてゐる。」車掌は呟ぼやきながら車中のお客を見まはした。「どなたか時間を教へていたゞけないでせうか。」

「時間か。」上司氏は帯の間から自慢の懐中時計くわいちゆうとけいを引張り出した。上司氏の考へでは、成るべくなら日本にある時計といふ時計を、自分の有もつてゐるベネツト製の上等時計じやうとうとけいに合はせておきたかつたのだから、それにはこんな恰好な機会はなかつた。「ちやうど十二時に五分前だよ。」

「有難うございます。」車掌は礼を言ひ言ひ針を直さうとすると、上司氏と同じやうにポケツトから時計を取り出して時間を見てゐた小説家の友人は、横つちよから口を出した。

「をかしいな、僕のは十二時に五分過ぎだぜ。」

「へえ、十二時に五分過ぎ。」車掌はどつちに従つたものかと一寸途方に迷つたらしかつたが、ひよいと上司氏のニツケル側かはと友人の金側きんかはとが目に入ると、初めて判断がついたやうに金側時計きんかはとけいの持主の方に向きなはつた。

「あなた、十二時に五分過ぎと仰有いましたね。有り難うございました。」

車掌は安心して腕時計うでとけいの針を十二時五分過ぎに直した。

「あれだから困る。世間のわからずやといふ者は、機械を見ないで、ぢきに外側そとかはだけで、善い悪いを判断するものだから。」

上司氏は独ひとり語ごとを言ひながらにやりと笑つた。

上司氏に告げる。世間はまあそんなもので、もしか世間の人達が、上司氏の時計が、日本に四つしかない事を知つて、皆が皆立停つて時間を聞いたら、上司氏もつく〲好よい時計を持つた事を後悔するだらうから。

五千弗の提琴ヴアイオリン8・23(夕)

いつだつたか大阪に来た事のある露西亜の提琴ヴアイオリン弾きピアストロ氏は、十万円の提琴ヴアイオリンを持つてゐるといふので名高かつた。十万円の現金をもつてゐるといふのに比べると、それだけの提琴ヴアイオリンを持つてゐるといふのは、何だか一寸奥ゆかしい点ところが無いでもない。

ピアストロのそれとは比べ物にならないが、ヴイテリイといふ名高い提琴ヴアイオリン弾きも五千弗の提琴ヴアイオリンをもつてゐるので名高かつた。ある時オウシヨン・グロオヴで、その提琴ヴアイオリンで演奏会を開くことになつた。値の高い楽器からは、美いい音ねがするものだと思ひ込んでるらしい音楽好きは、その日になると吾れ勝ちに会場に押しかけて来た。

暫くすると、この名高い提琴ヴアイオリン弾きは、客の前に現はれた。そして弓きゆうを取りあげると勢いきほひよく弾き出した。その音ねといつたら美しい女の啜すゝり泣きをするやうな調子で、聴衆ききては誰一人今日までこんな美しい音楽を耳にした事はないらしかつた。

「さすが五千弗の提琴ヴアイオリン程あつて、何とも言へませんな。」

勘定高い聴衆ききての誰彼は、弓きゆうのさきから、金貨が一つ宛づつ零こぼれおちるやうに思つて、腹の底から揺り動かされた。

暫くすると、この提琴ヴアイオリン弾きははたと弓きゆうの手を弾き止やめた。そして楽器に何か故障でも起きたらしく、幾度か調子を直さうとしてゐたが、何どうも思ふやうにならないので、急に癇癪を起した。そして楽器を手に取り直したと思ふと、暴やけに椅子の背に叩きつけた。楽器は女に騙だまされた男の心の臓のやうにこなこなになつて砕けてしまつた。

聴衆ききては越瓜しろうりのやうに真つ青になつて顫ふるへた。暴やけな音楽家もあつたものだと我鳴りちらしてゐる男もあつた。美しい娘をもつた母親は、どんな事があつても音楽家になぞ娘は呉れてやるまい、さもないと、どうかすると、朝の珈琲コーヒーがうまくないからと言つて、娘を椅子の背せなに叩きつけないものでもないと思つたらしかつた。

すると、司会者が現れた。そして騒ぎ立てる聴衆ききてを制しながら、諸君は真つ青になつてお驚きのやうだが、今毀こはしたのは五千弗の提琴ヴアイオリンぢやない、実は一弗六十五仙セントの安物に過ぎない、これからお聴きに達するのが、名高い例の提琴ヴアイオリンであると断りを言つた。

聴衆ききては声をたてて笑ひ出した。だが、音楽家が弓きゆうを取ると、すぐに鎮しづまりかへつて耳をすました。成程結構な演奏ではあるが、さうかといつて、一弗六十五仙の先刻さつきの提琴ヴアイオリンと比べて、音色ねいろに格別の異ちがひはなかつた。それにつけても聴衆ききても思つた。音楽のいい悪いは楽器の故せゐぢやなくて、音楽家の腕であると。

日本の音楽家が五千弗の楽器を持たないのは聴衆ききてにとつて幸福である。そしてもつと幸福なのは、そんないたづらをする程音楽家の腕が冴えてゐない事である。

細菌学者と公使8・27(夕)

宮嶋幹之助かんのすけ氏といへば、動物専攻の理学士で、かねて医学博士である。以前は琉球辺あたりの無人島で信天翁あはうどりと同棲した事もあつたが、その後ご細菌学の研究に憂き身をやつして、とうと博士の学位を取るまでになつた。

宮嶋氏は最近政府から頼まれて、ブラジルへ研究に往ゆく事になつた。ブラジルといへば近頃日本人が続々出稼ぎに往ゆく国で、善いものと悪いものとが、ごつちやになつて棲むでゐる処である。

船が横浜を発たつ二三日前、宮嶋氏の玄関へ、つひぞ見知らぬ男が訪ねて来た。名刺には畑はた良太郎とあつた。

「何なにか御用ですか。」

客を座敷に通すと、宮嶋氏は性急せつかちに訊いた。

「承はりますと、先生は愈々いよ〱今度の船でブラジルの方へお出かけださうですが、まつたくでございますか。」客は心配さうに訊いた。

「はあ、参るには参りますが。」

「お出掛になりますか。それを聞いてやつと安心しました。」客は眼にも口にも耳にも鼻先にも嬉しさうな表情をした。「実は私も今度ブラジル公使に任命されまして、あなたと御一緒の船で出かける事になつてゐるんでございますが……」

「はあ、あなたがブラジル公使の畑さんで。初めてお目に懸ります。知らない事とてつい失礼を致しました。」

宮嶋氏は鳰かいつぶりのやうに丁寧に頭を下げた。

「いえ、何どう仕つかまつりまして、手前こそ失礼を致しました。」

畑氏も几帳面に頭を下げた。

畑氏のいふのでは、今度の赴任には家族を纏まとめて往ゆかなければならぬ。それには航海中また上陸後誰一人病気に罹かゝつて貰つてはならぬが、もしか万一の事があつたら、どうしたものだらうと或人に相談すると、それには善い事がある、ちやうど宮嶋博士が同じ船で出発するさうだから、博士に頼んでおいたがよからうといふ事なので、かうしてわざわざお頼みに上つたといふのだ。

「それなら駄目ですよ。」宮嶋氏は話を聞くと、吃驚びつくりしたやうに手をあげた。「私は細菌学者ですから、病気の方はから素人なんです。どうか当てになさらないやうに。」

「でも、医学博士でゐらつしやるんですから……」

畑氏は相手を信じきつたやうな口振だつた。

「その医学博士があてになりません。今も言つたやうに細菌の方なんですから。」

細菌学者は泣き出しさうな声を出した。

「いや、細菌でも何んでも結構です、何分よろしく。」

畑氏は幾度いくたびかお辞儀をして帰つて往つた。

後あとに残つた宮嶋氏は、手を拱くんで困りきつた顔をした。そしてペンギン鳥てうやペリカン鳥てうが食べ過ぎて腹を痛めた場合の処方箋を考へ出してみたりした。

零余子れいよしと女流俳人8・30(夕)

鈴木商店の金子直吉氏といへば、年が年中二十日鼠のやうに気忙きぜはしく、金儲けのために働いてゐる外には何一つ持ち合はさない男である。

さうした活動好きの男だけに、金子氏はめつたに自分の家にも帰つて来ない。家には病身の夫人、せん女ぢよさんが寂しく暮してゐるが、女といふものは男と差し向ひでゐる時よりも、寂しく一人で暮してゐる時の方がずつといゝ事を考へたり、為したりするもので、せん女さんは一人生活ぐらしのつれづれを慰めるために俳句を作り出した。

俳句を作り出したといふ事は、いゝ俳句を作り出したといふ事とは少し違ふが、兎も角もせん女さんは俳句を作り出した。一体俳人仲間には悪い癖があつて、男のくせによく女に肖にた雅号をつけるのがあるが、せん女さんも初めの間うちは、さう見違へられて、虚子氏なども、

「きつと男に違ひない、事によつたら頭の禿げたお爺さんかも知れない。」

と言ひ言ひしたものだ。

それが女と解つたのは、せん女さんがある日の事、淀橋よどばしに俳人長谷川零余子を訪ねてからで、

「あなたはやつぱり御婦人でいらしたんですか。」

零余子は相手が婦人だつたので、飛んだ儲け物をしたやうに思つた。今一つ、せん女さんがもつと年若だつたら申分がなかつたのだが、こればかりは仕方がなかつた。

せん女さんは、俳句の師匠として段々零余子を崇拝するやうになつた。そして俳句が上手になるには、師匠と離れてゐるよりも、ずつと近い方に居る方が何かにつけて都合がよからうと思つたので、良人をつと金子氏の肝煎きもいりで主人筋鈴木家の薬局に零余子を迎へる事にした。言ひ忘れたが、零余子の本職は粉薬こぐすりと粉薬とを乳鉢の中ですり混ぜる薬剤師である。

零余子の仕事は閑ひまだつた。午前中に薬局に顔を出して乳鉢をいぢくつてゐれば、午後は俳句の事に専念しても少しの差支も無かつた。

零余子も俳人とは言ひ条、下宿住ひもしてゐられなかつた。家を畳むで神戸に引越ひきこさうとする段になると、江戸ツ子の夫人が承知しなかつた。

「幾らお金になるか知りませんが、私神戸なぞの田舎に引越ひきこすのは否いやです。」俳人の夫人は、神戸なぞ田舎の漁師町か何ぞのやうに言ひ貶けなした。「東京に居ませうよ、東京に住むでさへ居られる事なら、幾ら貧乏したつてね。」

「さうだなあ。やつぱり東京に居るかな。」

零余子もとうと神戸の方を思ひ切る事にした。

流石に江戸ツ子の女である。薬と俳句とで食へなかつたら心中するまでである。江戸ツ子の女は、神戸よりも心中の方を選ぶに相違ない。

世界一の名医8・31(夕)

医学博士と肩書のつくのはたんとあるが、いい医者はさうさうあるものぢやない。いい医者の事をむかしから国手こくしゆといふ。茶話子の産うまれ故郷に、風邪を治すよりも鮒を釣る方がずつと上手の医者があつた。ある時病人を診て貰つたお礼に、ぴちぴちした桜鯛さくらたひに添へて、手紙を持たせてやつた。名前の下には「国手」といふ語を添へておいた。かう言つたからつて、別段誰から苦情が出るでもあるまいと思つたものだから。

ところが、そのお医者さんは「国手」といふ語を知らなかつたらしい。使の者に聴くと、「国手――、国手――」と二三度小声で呼びかへしてゐたさうだが、返事の表書おもてがきには同じやうに「××国手」とこちらを国手扱ひにしてゐた。有つても入用いりようのない語ことばだから、そのまゝ返すといふ皮肉でもなかつたらしい。

北京ペキンに住むでゐる或る亜米利加人が、支那人を相手に、

「お国も悪くはないが、唯病気の時だけには困つちまふ、信用の出来るいいお医者がゐませんからね。」と、しみじみ閉口したやうにこぼした事があつた。すると支那人はむきになつて雀のやうに唇を尖らせた。

「いいお医者ですつて。いい医者なら支那に無い事はありません。恐らく世界ぢゆうで、一番いい医者が居るのは支那でせう。韓璋ハンチヤンつて、あなたも御存じでせう、あの人なぞもいいお医者の一人ですよ。私には生命いのちの恩人ですからね。」

「ほう、生命いのちの恩人だと仰有るか。」件くだんの亜米利加人は、支那に生命いのちといふものが唯の一つでもあるのを、そのまた生命いのちを弄いぢらうといふお医者があるのを不思議でならないやうに言つた。「見立てでも上手なんですかい。」

「いや、理由わけをいふとかうなんです。いつだつたか私がひどく加減を悪くした事がありましてね。」支那人は歴史家のやうに真面目くさつて話し出した。「私は早速懇意の洪庚ハンコンといふ医者を迎へにやりました。洪さんは薬をくれました。私はそれを飲むと、加減がなほ悪くなりました。で、宋森サムシムといふ外ほかの医者をまた喚よびました。宋さんはもつとどつさり薬の分量を飲ませましたが、病気は悪くなる一方で、私はもうこれが自分の最後だとあきらめました。で、駄目だとは思ひましたが、その韓璋さんを招よんで貰ひました。韓さんはそんなだつたら乃公わしが往つても、もう駄目だらうからツて、来てはくれませんでした。お蔭で私は生命拾いのちひろひをしました。」

「成るほど、名医だ、名医だ、これが名医でなくつて何ぢやらう。」

と亜米利加人は泣き出しさうな顔をして笑ひ出した。

底本 / Source edition

底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房
1984(昭和59)年2月28日第1刷発行
1988(昭和63)年7月25日第7刷発行
底本の親本:「大阪毎日新聞 夕刊」
1919(大正8)年1月5日~8月31日
初出:「大阪毎日新聞 夕刊」
1919(大正8)年1月5日~8月31日
※「無中」と「夢中」の混在は、底本通りです。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年9月11日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/046618_000150/

薄田 泣菫「茶話──05 大正八(一九一九)年」(新字旧仮名)、底本『完本 茶話 下』冨山房百科文庫、冨山房、1984年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046618_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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