箭内亙による譯
伍子胥は楚の人也。名は員。員の父を伍奢と曰ひ、員の兄を伍尚と曰ふ。其先を伍擧と曰ふ。(伍擧)直諫を以て楚の莊王に事へて、(一)顯なる有り、故に其後世、楚に名あり。楚の平王、太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅たらしめ、費無忌をして少傅たらしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の爲めに婦を秦に取らしむ。秦の女、好し。無忌馳せ歸りて平王に報じて曰く、『秦の女絶だ美なり。王、自ら取りて更に太子の爲めに婦を取る可し』と。平王遂に自ら秦の女を取りて、絶だ之を愛幸し、子軫を生む。更に太子の爲めに婦を取る。無忌既に秦の女を以て自ら平王に媚び、因つて太子を去りて平王に事ふ。一旦平王卒して太子立たば己を殺さんことを恐れ、乃ち因つて太子建を讒す。建の母は蔡の女也。平王に寵なし。平王稍〻益〻建を疏んじ、建をして城父(ノ地)を守り(二)邊兵に備へしむ。之を頃くして、無忌、又、日夜、太子の(三)短を王に言つて曰く、『太子、秦の女の故を以て、(四)怨望無き〔こと〕能はず。願はくは王少しく自ら備へよ。太子、城父に居りて兵に將たりしより、外、諸矦に交はり、且に入りて亂を爲さんと欲す』と。平王、乃ち其太傅伍奢を召して、之を(五)考問す。伍奢、無忌が太子を平王に讒するを知る。因つて曰く、『王、獨り奈何ぞ(六)讒賊の小臣を以て(七)骨肉の親を疏んずる』と。無忌曰く、『王、今(太子ヲ)制せずんば、其事成り、王且に(八)禽にせられんとす』と。是に於て平王、怒つて伍奢を囚へて、(九)城父の(一〇)司馬奮揚をして往いて太子を殺さしむ。行きて未だ至らず、奮揚、人をして先づ太子に告げしむらく、『太子、急に去れ、然らずんば將に誅せられんとす』と。太子建、亡げて宋に奔る。無忌、平王に言つて曰く、『伍奢、二子あり、皆賢なり。誅せずんば且に楚の憂を爲さんとす。其父を以て(一一)質として之を召す可し、然らずんば且に楚の患を爲さんとす』と。王、使をして伍奢に謂はしめて曰く、『能く汝の二子を(一二)致さば則ち生きん。能はずんば則ち死せん』と。伍奢曰く、『尚の人と爲りや仁、呼ばば必ず來らん。員の人と爲りや(一三)剛戻にして(一四)訽を忍び、能く大事を爲す。彼、來らば并せ禽にせらるるを見て、其勢必ず來らざらん』と。王聽かず。人をして二子を召さしめて曰く、『來らば吾、汝の父を生かさん。來らずんば今、奢を殺さん』と。伍尚、往かんと欲す。員曰く、『楚の・我が兄弟を召すは、以て我が父を生かさんと欲するに非ず。脱るる者有らば後患を生ぜんことを恐るるなり。故に父を以て質と爲し、詐つて二子を召すなり。二子到らば則ち父子倶に死せん。何ぞ父の死に益せん。(一五)往かば讎に報ずるを得ざらしめん耳。他國に奔り力を借り以て父の恥を雪ぐに如かず。倶に滅ぶるは(一六)爲す無き也』と。伍尚曰く、『我、往くとも終に父の命を全うする〔こと〕能はざるを知る。然れども父、我を召し以て生を求むるに、而も往かず、後、恥を雪ぐ〔こと〕能はずんば終に・天下の笑と爲らんを恨む耳』と。員に謂ふ、『去る可し。汝は能く父を殺すの讎に報いよ。我は將に死に歸せんとす』と。尚、既に(一七)執はれに就く。使者、伍胥を捕へんとす。伍胥、弓を貫り矢を執りて使者に嚮ふ。使者、敢て進まず。伍胥、遂に亡げ、太子建の・宋に在るを聞き、往いて之に從ふ。奢、子胥の亡ぐるを聞くや、曰く、(一八)『楚國の君臣、且に兵に苦しまんとす』と。伍尚、楚に至る。楚、奢と尚とを并せ殺せり。
伍胥既に宋に至る。宋に(一九)華氏の亂有り。乃ち太子建と倶に鄭に奔る。鄭人甚だ之を(二〇)善くす。太子建又晉に適く。晉の頃公曰く、『太子既に鄭に善し。鄭、太子を信ず。太子、能く我が爲めに(二一)内應せよ。而して我其外を攻めば、鄭を滅ぼすや必せり。鄭を滅ぼさば太子を封ぜん』と。太子乃ち鄭に還る。事(二二)未だ會せず。(太子建)會〻自ら私に其從者を殺さんと欲す。從者、(二三)其謀を知り、乃ち之を鄭に告ぐ。鄭の定公、子産と、太子建を誅殺す。建、子有り、勝と名く。伍胥懼れ、乃ち勝と倶に呉に奔る。(二四)昭關に到る。昭關之を執へんと欲す。伍胥、遂に勝と獨身歩走し、幾んど脱するを得ざらんとす。追ふ者、後に在り。江に至る。江上、一漁父の・船に乘るあり、伍胥の急を知り、乃ち伍胥を渡す。伍胥、既に渡り、其劒を解いて曰く、『此劒は直百金。以て(二五)父に與ふ』と。父曰く、『楚國の法、(二六)伍胥を得る者は、粟五萬石・(二七)爵執珪を賜ふ。豈に徒に百金の劒のみならんや』と。受けず。伍胥未だ呉に至らずして疾み、中道に止り食を乞ふ。呉に至る。(二八)呉王僚、方に事を用ひ、公子光、將たり。伍胥乃ち公子光に因つて以て呉王に見ゆるを求む。之を久しうして楚の平王、其邊邑の鍾離、呉の邊邑の卑梁氏と倶に(二九)蠶し、(三〇)兩女子桑を爭うて相攻むるを以て、乃ち大に怒り、兩國・兵を擧げて相伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしむ。其鍾離・(三一)居巣を拔いて歸る。伍子胥、呉王僚に説いて曰く、『楚は破る可き也。願はくは復た公子光を遣れ』と。公子光、呉王に謂つて曰く、『彼の伍胥の父兄、楚に戮せらる。而して王に楚を伐つを勸むるは、以て自ら其讎を報いんと欲する耳。楚を伐つとも未だ破る可からざらん』と。伍胥、公子光の・(三二)内志あり・王を殺して自立せんと欲し・未だ説くに外事を以てす可からざるを知り、乃ち(三三)專諸を公子光に進め、退いて太子建の子勝と與に野に耕す。
五年にして楚の平王・卒す。初め平王の・太子建より奪ふ所の秦の女、子軫を生む。平王・卒するに及んで、軫、竟に立つて後と爲れり。是れを昭王とす。呉王僚、楚の喪に因つて、二公子をして兵に將とし往いて楚を襲はしむ。楚、兵を發して呉の兵の後を絶つ。(呉ノ兵)歸るを得ず。呉國、(三四)内空し。而して公子光乃ち專諸をして呉王僚を襲ひ刺さしめて自立す。是れを呉王闔廬となす。闔廬既に立つて志を得、乃ち伍員を召して以て(三五)行人となし、而して與に國事を謀る。楚、其大臣・郤宛・伯州犂を誅す。伯州犂の孫伯嚭、亡げて呉に奔る。呉、亦、嚭を以て大夫と爲す。前に王僚の遣る所の二公子の・兵に將として楚を伐ちし者、道絶えて、歸るを得ず。後、闔廬が王僚を弑して自立せりと聞き、遂に其兵を以て楚に降る。楚之を舒に封ず。闔廬立つて三年、乃ち師を興し、伍胥・伯嚭と、楚を伐つて舒を拔き、遂に故の呉の反せる二將軍を禽にす。因つて(三六)郢に至らんと欲す。將軍孫武曰く、『民勞る、未だ可ならず。且く之を待て』と。乃ち歸る。四年、呉、楚を伐つて六と潛とを取る。五年、越を伐つて之を敗る。六年、楚の昭王、公子嚢瓦をして兵を將ゐて呉を伐たしむ。呉、伍員をして迎へ撃たしめ、大に楚の軍を豫章に破り、楚の居巣を取る。九年、呉王闔廬、子胥・孫武に謂つて曰く、『始め子、郢の未だ入る可からざるを言へり、今果して何如』と。二子對へて曰く、『楚の將嚢瓦貪りて、(三七)唐・蔡皆之を怨む。王必ず大に之を伐たんと欲せば、必ず先づ唐・蔡を得て乃ち可ならん』と。闔廬之を聽き、悉く師を興して唐・蔡と與に楚を伐つ。楚と漢水を夾んで陳す。呉王の弟夫概、兵に將たり、從はんと請ふ。王聽かず。遂に(三八)其屬五千人を以て、楚の將子常を撃つ。子常敗走して鄭に奔る。是に於て、呉、勝に乘じて前み、五たび戰つて遂に郢に至る。(三九)己卯、楚の昭王出奔し、(四〇)庚辰、呉王、郢に入る。昭王、(四一)出亡して雲夢に入る。盜、王を撃つ。王、鄖に走る。(四二)鄖公の弟懷曰く、『平王、我が父を殺せり。我、其子を殺すも、亦可ならずや』と。鄖公、其弟の・王を殺さんことを恐れ、王と隨に奔る。呉の兵、隨を圍む。(呉 )隨人に謂つて曰く、(四三)『(往昔)周の子孫、漢川に在りし者は、楚、盡く之を滅ぼせり』と。隨人、王を殺さんと欲す。王の子綦、王を匿し、(四四)己自ら王と爲り、以て之に當らんとす。隨人、王を呉に與へんことを卜す。不吉なり。乃ち呉に(四五)謝し、王を與へず。
始め伍員、申包胥と交を爲す。員の亡ぐるや、包胥に謂つて曰く、『我必ず楚を覆さん』と。包胥曰く、『我必ず之を(四六)存せん』と。呉の兵の・郢に入るに及び、伍子胥、昭王を求むれども、既に得ず。即ち楚の平王の墓を掘いて其尸を出し、之を鞭つこと三百、然る後已む。申包胥、山中に亡げ、人をして子胥に謂はしめて曰く、『子の・讎を報ずる、其れ(四七)以甚だしき乎。吾之を聞く、「人衆き者は天に勝ち、天定つて亦能く人を破る」と。今、子は故平王の臣にして、親しく北面して之に事へたり。今、死人を(四八)僇するに至る。此れ豈に其れ(四九)天道の極なからんや』と。伍子胥曰く、『我が爲めに申包胥に(五〇)謝して曰へ、「吾、(五一)日暮れて塗遠し、吾故に(五二)倒行して之を逆施するのみ」と。是に於て申包胥、秦に走りて急を告げ、救ひを秦に求む。秦、許さず。包胥、秦の廷に立つて晝夜哭し、七日七夜、其聲を絶たず。秦の哀公、之を憐んで曰く、『楚、無道なりと雖も、臣あること是の如し。存する無かる可けんや』と。乃ち車五百乘を遣り、楚を救うて呉を撃つ。六月、呉の兵を稷に敗る。
會〻呉王久しく楚に留まり昭王を求む、而して闔廬の弟夫概、乃ち亡げ歸り、自立して王と爲る。闔廬、之を聞き、乃ち楚を釋てて歸り、其弟夫概を撃つ。夫概敗走し、遂に楚に奔れり。楚の昭王、呉に内亂あるを見、乃ち復た郢に入り、夫概を堂谿に封じて堂谿氏と爲す。楚、復た呉と戰つて呉を敗る。呉王乃ち歸る。後二歳、闔廬、太子夫差をして兵を將ゐて楚を伐たしめ、番を取る。楚、呉の復た大に來らんことを恐れ、乃ち郢を去つて鄀に徙る。是時に當り、呉は伍子胥・孫武の謀を以て、西は彊楚を破り、北は齊晉を威し、南は越人を服す。其後四年、孔子、魯に相たり。後五年、(呉王)越を伐つ。越王勾踐、迎へ撃つて呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷く。(呉ノ)軍卻く。闔廬、創を病みて將に死せんとす。太子夫差に謂つて曰く、『爾、勾踐が爾の父を殺ししを忘れんか』と。夫差對へて曰く、『敢て忘れじ』と。是夕、闔廬・死す。夫差既に立つて王となる。伯嚭を以て太宰となし、(五三)戰射を習ふ。二年の後、越を伐ち、越を夫湫に敗る。越王勾踐、乃ち餘兵五千人を以て、會稽の上に棲み、(五四)大夫種をして幣を厚くして呉の太宰嚭に遺り・以て和を請はしめ、(五五)國を委して(五六)臣妾と爲らんことを求む。呉王、將に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰く、『越王、人と爲り(五七)辛苦に能ふ。今、王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん』と。呉王聽かず。太宰嚭の計を用ひて越と(五八)平ぐ。
其後五年にして呉王、齊の景公死して大臣寵を爭ひ新君弱しと聞き、乃ち師を興して北のかた齊を伐つ。伍子胥諫めて曰く、『勾踐、食、(五九)味を重ねず、(六〇)死を弔ひ病を問ふ。且に之を用ふる所有らんと欲する也。此人死せずんば、必ず呉の患を爲さん。今、呉の・越あるは、猶ほ人の・腹心の疾有るがごとき也。而るに王、越を先にせずして、乃ち齊を務む。亦謬らずや』と。呉王聽かず、齊を伐ち、大に齊の師を艾陵に敗り、遂に(六一)鄒・魯の君を滅ぼして以て歸る。益〻子胥の謀を疏んず。
其後四年、呉王將に北のかた齊を伐たんとす。越王勾踐、子貢の謀を用ひ、乃ち其衆を率ゐて以て呉を助け、而して重寶以て太宰嚭に獻遺す。太宰嚭既に數〻越の(六二)賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚しく、日夜爲めに呉王に言ふ。呉王信じて嚭の計を用ふ。伍子胥諫めて曰く、『夫れ越は(六三)腹心の病なり。今、其浮辭詐僞を信じて齊を貪る。齊を破るは、譬へば猶ほ石田のごとく、之を用ふる所無し。且つ(六四)盤庚の誥に曰く、(六五)「顛越不恭あらば、之を(六六)劓殄滅し、遺育する無からしめよ。種を茲の邑に易へしむる無かれ」と。此れ(六七)商の興る所以なり。願はくは王、齊を釋てて越を先にせよ。若し然らずんば、後、將に之を悔ゆとも及ぶ無からんとす』と。而るに呉王聽かず、子胥を齊に使はす。子胥、行くに臨み、其子に謂つて曰く、『吾數〻王を諫む。王、用ひず。吾、今、呉の亡ぶるを見ん。汝、呉と倶に亡ぶるは、益無き也』と。乃ち其子を齊の(六八)鮑牧に屬して、還つて呉に(六九)報ず。呉の太宰嚭、既に子胥と隙有り。因つて讒して曰く、『子胥、人と爲り、剛暴にして恩少く、(七〇)猜賊なり。其怨望、恐らくは深禍を爲さん。前日、王、齊を伐たんと欲す。子胥、以て不可と爲す。王卒に之を伐つて大功ありき。子胥、其計謀の用ひられざりしを恥ぢ、乃ち反つて怨望す。而して今、王、又復た齊を伐つ。子胥專ら愎り彊ひて諫め(七一)事を用ふるを沮毀す。徒に呉の敗れて以て自ら其計謀に勝たんことを(七二)幸ふのみ。今、王自ら行き、國中の武力を悉して以て齊を伐つ。而して子胥諫め用ひられず、因つて輟め謝し(七三)佯病して行かず。王、備へざる可からず。此れ禍を起すこと難からじ。且つ嚭、人をして微に之を伺はしむるに、其の齊に使するや、乃ち其子を齊の鮑氏に屬せり。夫れ人臣と爲つて、内、意を得ず、外、諸矦に倚り、自ら以て先王の謀臣と爲すに、今用ひられず、常に(七四)鞅鞅として怨望す。願はくは王、早く(七五)之を圖れ』と、呉王曰く、『子の言微きも、吾も亦之を疑へり』と。乃ち使をして伍子胥に(七六)屬鏤の劍を賜はしめて曰く、『子、此を以て死せよ』と。伍子胥、天を仰いで歎じて曰く、『嗟乎、讒臣嚭、亂を爲す。王、乃ち反つて我を誅す。我、若の父をして霸たらしむ。若が未だ立たざる時より、諸公子立つを爭ふ。我、死を以て之を先王に爭ふ。幾んと立つを得ざらんとせり。若、既に立つを得るや、呉國を分つて我に與へんと欲せり。我、顧つて敢て望まざりき。然るに今、若、諛臣の言を聽き、以て長者を殺す』と。乃ち其(七七)舍人に告げて曰く、『必ず我が墓上に樹うるに(七八)梓を以てせよ、以て(七九)器を爲る可からしめん。而して吾が眼を抉り、呉の東門の上に懸けよ。以て越の寇の入つて呉を滅ぼすを觀ん』と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞いて大に怒り、乃ち子胥の尸を取り、盛るに(八〇)鴟夷の革を以てし、之を江中に(八一)浮ぶ。呉人、之を憐み、爲めに祠を江上(ノ山)に立つ、因つて(其山ヲ)命けて胥山と曰ふ。
呉王、既に伍子胥を誅し、遂に齊を伐つ。齊の鮑氏、其君悼公を殺して陽生を立つ。呉王、其賊を討たんと欲す、勝たずして去る。其後二年、呉王、魯・衞の君を召し、之を槖臯に會す。其明年、因つて北、大に諸矦を黄池に會し、(八二)以て周室に令す。越王勾踐、襲うて(八三)呉の太子を殺し、呉の兵を破る。呉王之を聞き、乃ち歸り、使を使はし幣を厚うして越と平ぐ。後九年、越王勾踐、遂に呉を滅ぼして王夫差を殺し、而して太宰嚭を誅す。其君に不忠にして、外、(八四)重賂を受け、(八五)己と比周せるを以て也。
伍子胥の初め與に倶に亡ぐる所の故の楚の太子建の子勝といふ者、呉に在り。呉王夫差の時、楚の惠王、勝を召して楚に歸さんと欲す。葉公諫めて曰く『勝は勇を好んで陰に死士を求む。殆ど(八六)私有らんか』と。惠王聽かず。遂に勝を召して楚の邊邑鄢に居らしめ、號して白公と爲す。白公、楚に歸つて三年にして、呉、子胥を誅す。白公勝、既に楚に歸り、鄭の其父を殺ししを怨み、乃ち陰に死士を養ひ、鄭に報ゆるを求む。楚に歸つて五年、鄭を伐たんと請ふ。楚の(八七)令尹子西、之を許す。兵未だ發せざるに、晉、鄭を伐つ。鄭、救ひを楚に請ふ。楚、子西をして往いて救はしむ。(子西、鄭ト)與に盟つて還る。白公勝怒つて曰く、(八八)『鄭は之れ仇に非ず、乃ち子西なり』と。勝自ら劍を礪ぐ。人問うて曰く、『何をか以て爲す』と。勝曰く、『以て子西を殺さんと欲す』と。子西、之を聞き、笑つて曰く(八九)『勝は卵の如き耳、何をか能く爲さんや』と。其後四歳、白公勝、石乞と與に襲うて楚の令尹子西・司馬子綦を朝に殺す。石乞曰く、『王を殺さずんば不可なり』と。乃ち之を劫す。王、(九〇)高府に如く。(九一)石乞の從者屈固、楚の惠王を負ひ、亡げて昭夫人の宮に走る。葉公、白公の・亂を爲すを聞き、其國人を率ゐて白公を攻む。白公の徒敗れ、亡げて山中に走り、自殺す。而して石乞を虜にして、白公の(九二)尸處を問ふ。言はず。將に烹んとす。石乞曰く、『事成らば卿と爲らん。成らずして烹らるるは、固より(九三)其職也』と。終に肯て其尸處を告げず。遂に石乞を烹る。而して惠王を求めて復た之を立つ。
太史公曰く、怨毒の・人に於ける、甚しいかな、(九四)王者尚ほ之を臣下に行ふ〔こと〕能はず、況や同列をや。向に伍子胥をして奢に從ひ倶に死せしめば、何ぞ(九五)螻蟻に異ならんや。(九六)小義を棄てて大恥を雪ぎ、名を後世に垂る。(九七)悲しい夫。子胥が(九八)江上に窘められ・道に食を乞ふに方り、志、豈に嘗て須臾も郢を忘れんや。故に(九九)隱忍して功名を就せり。(一〇〇)烈丈夫に非ずんば、孰れか能く此を致さん。(一〇一)白公如し自立して君と爲らざりせば、其功謀亦道ふに勝ふ可からざる者ありしならんかな。
箭内亙による註
【一】顯なる有り。世に名を著はせるをいふ。
【二】邊兵。國境の兵。
【三】短。缺點。
【四】怨望。うらむ。
【五】考問。拷問に同じ。
【六】讒賊の小臣。費無忌をさす。
【七】骨肉の親。太子を指す。
【八】禽。擒に同じ。
【九】城父。地名。
【一〇】司馬奮揚。司馬は官名、奮揚は名。
【一一】質。人質。
【一二】致す。呼び寄せる也。
【一三】剛戻。剛情にして人に戻るをいふ。
【一四】訽。恥辱。詬と同じ。
【一五】太子已に出亡せり、故に員、楚王が過を悔ゆる意無く必ず其父を殺さんことを知る也。
【一六】爲す無きなり。何の用もなき事也。
【一七】執。捕縛。
【一八】楚國の君臣は、ゆくゆく兵難に苦しむことと爲るべし。
【一九】華氏の亂。宋世家を參照せよ。
【二〇】善くす。好遇する也。
【二一】内應。内部より裏切りするをいふ。
【二二】未だ會せず。未だ機會を得ざる也。
【二三】其謀。内應の謀也。
【二四】昭關。關所の名、下の昭關は其關守。
【二五】父。漁父を指す。
【二六】此に至りて始めて漁父が伍胥を識るを見はす。
【二七】爵執珪。爵位の名。
【二八】按ずるに原文の「事」の字は衍文なるべく、當に「呉王僚、方に公子光を用ひて將と爲す」と讀むべからん。下文の「呉王」は即ち僚をさすなり。
【二九】蠶。養蠶。
【三〇】兩女子。兩邑の女子。
【三一】居巣。楚の邑の名。
【三二】内志。國内に事を擧げんとする志也。
【三三】專諸。勇士の名。
【三四】内空し。國内に兵が居らぬ也。
【三五】行人。諸矦の國への使する官也。
【三六】郢。楚の都。
【三七】唐・蔡。楚に屬する二國の名。
【三八】其屬。夫概の私屬。
【三九】己卯。己卯の日。
【四〇】庚辰。庚辰の日、即ち己卯の翌日。
【四一】出亡。出奔也。雲夢。澤の名。
【四二】鄖公。鄖の令。
【四三】呉は姫姓にして、周と同姓なり、故に此を以て楚の罪を數むる也。
【四四】王子綦、楚王の身代りと爲りて殺されん※[#こと、51-註【四四】]を望めり。
【四五】謝。謝絶する也。
【四六】存。保存する也。
【四七】以甚。以は已と通ず、太だ也。
【四八】僇。辱むる也。
【四九】天道の循環の極即ち天定まり人を破る時無からんや。
【五〇】謝。答禮。
【五一】年老いて爲すべき事多きに喩ふ。
【五二】理に順うて行ふに遑あらざるを云ふ。
【五三】戰射を習ふ。兵士をして戰射を練習せしむ。
【五四】大夫種。大夫は位、種は名、其姓は文と曰ふ。幣を厚くす。鄭重なる贈物を贈る也。
【五五】國を委す。自國を差出すをいふ。
【五六】臣妾。越王は呉の臣となり、越王の夫人は呉の婢妾となるをいふ。
【五七】能は耐ふる也。辛苦艱難に耐へ忍ぶ也。
【五八】平。媾和する也。
【五九】一菜にて食するを云ふ。
【六〇】死を弔ひ病を問ふ。死者には祭祀料などを與へて之を弔慰し、病者には醫藥などを與へて之を見舞ふ。
【六一】此句甚だ疑ふべし、恐らくは誤あらん。
【六二】賂。賄賂。
【六三】腹心の病。深く臟腑を犯したる病也。
【六四】盤庚の誥。書經の盤庚の篇。
【六五】顛越。狂顛僭越。是非を顛倒し、法度を越ゆる也。
【六六】輕きは鼻を割く刑に處し重きは之を殺し盡して、生き殘らしむること無く、其不良の種を此土地に移して良民に傳染せしむること無かれ。
【六七】商。殷なり。
【六八】鮑牧。當に鮑氏に作るべし。鮑牧は此時已に死せり。
【六九】報。復命なり。
【七〇】猜賊。猜忌にして人を害ふ也。
【七一】事を用ふる者、即ち太宰嚭の計を沮みそしる也。
【七二】幸。僥倖を希望する也。
【七三】佯病。僞つて病と稱する也。
【七四】鞅鞅。怏怏と同じ。楽まざる貌。
【七五】之を殺せの意。
【七六】屬鏤。劍の名。
【七七】舍人。家臣を云ふ。
【七八】梓。あづさ。棺材なり、國亡び王死せば、必ず用ふる所あり。
【七九】器。棺をいふ。
【八〇】鴟夷の革。馬革の嚢。
【八一】浮。投げ込みしをいふ。
【八二】以て周室に令す。原文「以令周室」は「令以周室」の倒置にして、「令するに周室を以てす」と讀むべきならん。呉、中國に霸たらんと欲し、周の天子の命令を以て諸矦に告ぐる也。
【八三】呉の太子。名は友。
【八四】重賂。重き賄賂。
【八五】己と比周。越の賂を受けて越王と徒黨を組むを云ふ。
【八六】私。陰謀也。
【八七】令尹。楚の官名、宰相也。
【八八】鄭は云云。今我が讎は鄭に非ず、乃ち子西なりとの意。左傳に云はく、鄭人、此に在り、讎遠からずと。其意略ぼ同じ。
【八九】勝は云云。勝は卵の如きものに過ぎず。何事をか仕出かすことを得んやとの意。此言、左傳に記する所と異なり。左傳には、「子西曰く、勝は卵の如し、翼けて之を長ぜり」とあり、是れ蓋し其の勝に恩あるを恃む也。
【九〇】高府。地名。
【九一】石乞の從者。徐廣曰く、一に「惠王の從者」に作ると。從ふべし。屈固。薳固の誤、即ち箴尹固なり。左傳哀公十八年に見ゆ。
【九二】尸處。死骸の在所。
【九三】其職なり。其本分なり。當然の事なりとの意。
【九四】王たる者が其臣下に對してすら怨心毒心を起させてはならぬ。
【九五】螻蟻。けら、あり、などの小蟲。言ふに足らざるをいふ。
【九六】小義を棄つ。父を質として召したれども行かざりしをいふ。大恥を雪ぐ。遂に父の讎を報いしをいふ。
【九七】伍胥の志の悲むべきをいふ。
【九八】江上に窘めらる。伍胥が歩走して江に至り、幾ど追ふ者に獲られんとせしをいふ。
【九九】堪へ難き艱苦を押し忍びて、遂に功名を成就せり。
【一〇〇】烈丈夫。義烈の男子。
【一〇一】白公も亦父の仇の報ぜられざるに因りて、怒りて子西を殺せり。壯烈の志氣無きにあらず。若し王を劫して自立せざりしならば、其功業謀略亦甚だ盛んなるもの有りしならん。白公が自立して君と爲りしを深く惜む也。
原文
伍子胥者。楚人也。名員。員父曰二伍奢一。員兄曰二伍尚一。其先曰二伍擧一。以二直諫一事二楚莊王一。有レ顯。故其後世有レ名レ於レ楚。楚平王有二太子一名曰レ建。使三伍奢爲二太傅一。費無忌爲二少傅一。無忌不レ忠レ於二太子建一。平王使下無忌爲二太子一取中婦於上レ秦。秦女好。無忌馳歸報二平王一曰。秦女絶美。王可下自取而更爲二太子一取上レ婦。平王遂自取二秦女一。而絶愛二幸之一。生二子軫一。更爲二太子一取レ婦。無忌既以二秦女一自媚レ於二平王一。因去二太子一而事二平王一。恐二一旦平王卒。而太子立殺一レ己。乃因讒二太子建一。建母蔡女也。無レ寵レ於二平王一。平王稍益疏レ建。使下建守二城父一。備中邊兵上。頃レ之。無忌又日夜言二太子短於一レ王曰。太子以二秦女之故一。不レ能レ無二怨望一。願王少自備也。自下太子居二城父一將上レ兵。外交二諸矦一。且欲二入爲一レ亂矣。平王乃召二其太傅伍奢一考二問之一。伍奢知四無忌讒三太子於二平王一。因曰。王獨奈何以二讒賊小臣一。疏二骨肉之親一乎。無忌曰。王今不レ制。其事成矣。王且レ見レ禽。於レ是平王怒囚二伍奢一。而使三城父司馬奮揚往殺二太子一。行未レ至。奮揚使三人先告二太子一。太子急去。不レ然將レ誅。太子建亡奔レ宋。無忌言レ於二平王一曰。伍奢有二二子一皆賢。不レ誅。且レ爲二楚憂一。可下以二其父一質而召上レ之。不レ然。且レ爲二楚患一。王使三使謂二伍奢一。曰。能致二汝二子一則生。不レ能則死。伍奢曰。尚爲レ人。仁。呼必來。員爲レ人。剛戻忍レ訽。能成二大事一。彼見二來之并禽一。其勢必不レ來。王不レ聽。使三人召二二子一。曰。來吾生二汝父一。不レ來今殺レ奢也。伍尚欲レ往。員曰。楚之召二我兄弟一。非レ欲三以生二我父一也。恐下有二脱者一後生上レ患。故以レ父爲レ質。詐召二二子一。二子到。則父子倶死。何益二父之死一。往而令二讎不一レ得レ報耳。不レ如下奔二他國一。借レ力以雪中父之恥上。倶滅。無レ爲也。伍尚曰。我知二往終不一レ能レ全二父命一。然恨三父召レ我以求レ生。而不レ往。後不レ能レ雪レ恥。終爲二天下笑一耳。謂レ員可レ去矣。汝能報二殺レ父之讎一。我將レ歸レ死。尚既就レ執。使者捕二伍胥一。伍胥貫レ弓執レ矢嚮二使者一。使者不二敢進一。伍胥遂亡。聞二太子建之在一レ宋。往從レ之。奢聞二子胥之亡一也。曰。楚國君臣且レ苦レ兵矣。伍尚至レ楚。楚并二殺奢與一レ尚也。伍胥既至レ宋。宋有二華氏之亂一。乃與二太子建一倶奔レ於レ鄭。鄭人甚善レ之。太子建又適レ晉。晉頃公曰。太子既善レ鄭。鄭信二太子一。太子能爲レ我内應。而我攻二其外一。滅レ鄭必矣。滅レ鄭而封二太子一。太子乃還レ鄭。事未レ會。會自私欲レ殺二其從者一。從者知二其謀一。乃告二之於一レ鄭。鄭定公與二子産一誅二殺太子建一。建有レ子名レ勝。伍胥懼。乃與レ勝倶奔レ呉。到二昭關一。昭關欲レ執レ之。伍胥遂與レ勝獨身歩走。幾不レ得レ脱。追者在レ後。至レ江。江上有二一漁父乘一レ船。知二伍胥之急一。乃渡二伍胥一。伍胥既渡。解二其劒一曰。此劒直百金。以與レ父。父曰。楚國之法。得二伍胥一者。賜二粟五萬石爵執珪一。豈徒百金劒邪。不レ受。伍胥未レ至レ呉而疾。止二中道一乞食。至レ於レ呉。呉王僚方用二事公子光一爲レ將。伍胥乃因二公子光一以求レ見二呉王一。久レ之。楚平王以下其邊邑鍾離與二呉邊邑卑梁氏一倶蠶。兩女子爭レ桑相攻上。乃大怒。至レ於二兩國擧レ兵相伐一。呉使二公子光伐一レ楚。拔二其鍾離居巣一而歸。伍子胥説二呉王僚一曰。楚可レ破也。願復遣二公子光一。公子光謂二呉王一曰。彼伍胥父兄爲レ戮レ於レ楚。而勸二王伐一レ楚者。欲三以自報二其讎一耳。伐レ楚。未レ可レ破也。伍胥知下公子光有二内志一。欲二殺レ王而自立一。未上レ可三説以二外事一。乃進三專諸於二公子光一。退而與二太子建之子勝一耕レ於レ野。五年而楚平王卒。初平王所レ奪二太子建一秦女。生二子軫一。及二平王卒一。軫竟立爲レ後。是爲二昭王一。呉王僚因二楚喪一。使二二公子將レ兵往襲一レ楚。楚發レ兵絶二呉兵之後一。不レ得レ歸。呉國内空。而公子光乃令三專諸襲二刺呉王僚一而自立。是爲二呉王闔廬一。闔廬既立得レ志。乃召二伍員一以爲二行人一。而與謀二國事一。楚誅二其大臣郤宛。伯州犂一。伯州犂之孫伯嚭亡奔レ呉。呉亦以レ嚭爲二大夫一。前王僚所レ遣二公子將レ兵伐レ楚者。道絶不レ得レ歸。後聞下闔廬弑二王僚一自立上。遂以二其兵一降レ楚。楚封二之於一レ舒。闔廬立三年。乃興レ師與二伍胥伯嚭一伐レ楚拔レ舒。遂禽二故呉反二將軍一。因欲レ至レ郢。將軍孫武曰。民勞未レ可。且待レ之。乃歸。四年。呉伐レ楚取二六與一レ潛。五年。伐レ越敗レ之。六年。楚昭王使二公子嚢瓦將レ兵伐一レ呉。呉使二伍員迎撃一。大破三楚軍於二豫章一。取二楚之居巣一。九年。呉王闔廬謂二子胥孫武一曰。始子言二郢未一レ可レ入。今果何如。二子對曰。楚將嚢瓦貪。而唐蔡皆怨レ之。王必欲二大伐一レ之。必先得二唐蔡一。乃可。闔廬聽レ之。悉興レ師與二唐蔡一伐レ楚。與レ楚夾二漢水一而陳。呉王之弟夫概將レ兵請レ從。王不レ聽。遂以二其屬五千人一撃二楚將子常一。子常敗走奔レ鄭。於レ是呉乘レ勝而前。五戰。遂至レ郢。己卯。楚昭王出奔。庚辰。呉王入レ郢。昭王出亡。入二雲夢一。盜撃レ王。王走レ鄖。鄖公弟懷曰。平王殺二我父一。我殺二其子一。不二亦可一乎。鄖公恐二其弟殺一レ王。與レ王奔レ隨。呉兵圍レ隨。謂二隨人一曰。周之子孫在二漢川一者。楚盡滅レ之。隨人欲レ殺レ王。王子綦匿レ王。己自爲レ王以當レ之。隨人卜レ與二王於一レ呉。不吉。乃謝レ呉。不レ與レ王。始五員與二申包胥一爲レ交。員之亡也。謂二包胥一曰。我必覆レ楚。包胥曰。我必存レ之。及二呉兵入一レ郢。伍子胥求二昭王一。既不レ得。乃掘二楚平王墓一。出二其尸一。鞭レ之三百。然後已。申包胥亡レ於二山中一。使三人謂二子胥一曰。子之報レ讎。其以甚乎。吾聞レ之。人衆者勝レ天。天定亦能破レ人。今子故平王之臣。親北面而事レ之。今至レ於レ僇二死人一。此豈其無二天道之極一乎。伍子胥曰。爲レ我謝二申包胥一曰。吾日暮塗遠。吾故倒行而逆二施之一。於レ是申包胥走レ秦告レ急。求二救於一レ秦。秦不レ許。包胥立レ於二秦廷一。晝夜哭。七日七夜。不レ絶二其聲一。秦哀公憐レ之曰。楚雖二無道一。有レ臣若レ是。可レ無レ存乎。乃遣二車五百乘一。救レ楚撃レ呉。六月。敗二呉兵於一レ稷。會呉王久留レ楚求二昭王一。而闔廬弟夫概乃亡歸。自立爲レ王。闔廬聞レ之。乃釋レ楚而歸。撃二其弟夫概一。夫概敗走。遂奔レ楚。楚昭王見三呉有二内亂一。乃復入レ郢。封三夫概於二堂谿一。爲二堂谿氏一。楚復與レ呉戰敗レ呉。呉王乃歸。後二歳。闔廬使二太子夫差將レ兵伐一レ楚取レ番。楚懼二呉復大來一。乃去レ郢徙レ於レ鄀。當二是時一。呉以二伍子胥孫武之謀一。西破二彊楚一。北威二齊晉一。南服二越人一。其後四年。孔子相レ魯。後五年。伐レ越。越王勾踐迎撃。敗三呉於二姑蘇一。傷二闔廬指一。呉軍卻。闔廬病レ創將レ死。謂二太子夫差一曰。爾忘三勾踐殺二爾父一乎。夫差對曰。不二敢忘一。是夕闔廬死。夫差既立爲レ王。以二伯嚭一爲二太宰一。習二戰射一。二年後伐レ越。敗三越於二夫湫一。越王勾踐乃以二餘兵五千人一。棲レ於二會稽之上一。使下大夫種厚レ幣遺二呉太宰嚭一。以請上レ和。求三委レ國爲二臣妾一。呉王將レ許レ之。伍子胥諫曰。越王爲レ人。能二辛苦一。今王不レ滅。後必悔レ之。呉王不レ聽。用二太宰嚭計一。與レ越平。其後五年。而呉王聞二齊景公死。而大臣爭レ寵。新君弱一。乃興レ師北伐レ齊。伍子胥諫曰。勾踐食不レ重レ味。弔レ死問レ疾。且欲レ有レ所レ用レ之也。此人不レ死。必爲二呉患一。今呉之有レ越。猶三人之有二腹心疾一也。而王不レ先レ越而乃務レ齊。不二亦謬一乎。呉王不レ聽。伐レ齊大敗三齊師於二艾陵一。遂滅二鄒魯之君一以歸。益疏二子胥之謀一。其後四年。呉王將二北伐一レ齊。越王勾踐用二子貢之謀一。乃率二其衆一以助レ呉。而重寶以獻二遺太宰嚭一。太宰嚭既數受二越賂一。其愛二信越一殊甚。日夜爲言レ於二呉王一。呉王信二用嚭之計一。伍子胥諫曰。夫越腹心之病。今信二其浮辭詐僞一而貪レ齊。破レ齊譬猶二石田一。無レ所レ用レ之。且盤庚之誥曰。有二顛越不恭一。劓二殄滅之一。俾レ無二遺育一。無レ使レ易三種于二茲邑一。此商之所レ以レ興。願王釋レ齊而先レ越。若不レ然。後將二悔レ之無一レ及。而呉王不レ聽。使二子胥於一レ齊。子胥臨レ行。謂二其子一曰。吾數諫レ王。王不レ用。吾今見二呉之亡一矣。汝與レ呉倶亡。無レ益也。乃屬三其子於二齊鮑牧一。而還報レ呉。呉太宰嚭既與二子胥一有レ隙。因讒曰。子胥爲レ人。剛暴少レ恩猜賊。其怨望。恐爲二深禍一也。前日王欲レ伐レ齊。子胥以爲二不可一。王卒伐レ之而有二大功一。子胥恥二其計謀不一レ用。乃反怨望。而今王又復伐レ齊。子胥專愎彊諫。沮二毀用一レ事。徒幸三呉之敗。以自勝二其計謀一耳。今王自行。悉二國中武力一以伐レ齊。而子胥諫不レ用。因輟謝佯病不レ行。王不レ可レ不レ備。此起レ禍不レ難。且嚭使二人微伺一レ之。其使レ於レ齊也。乃屬三其子於二齊之鮑氏一。夫爲二人臣一。内不レ得レ意。外倚二諸矦一。自以爲二先王之謀臣一。今不レ見レ用。常鞅鞅怨望。願王早圖レ之。呉王曰。微二子之言一。吾亦疑レ之。乃使三使賜二伍子胥屬鏤之劍一曰。子以レ此死。伍子胥仰レ天歎曰。嗟乎。讒臣嚭爲レ亂矣。王乃反誅レ我。我令二若父霸一。自二若未レ立時一。諸公子爭レ立。我以レ死爭三之於二先王一。幾不レ得レ立。若既得レ立。欲下分二呉國一與上レ我。我顧不二敢望一也。然今若聽二諛臣言一以殺二長者一。乃告二其舍人一曰。必樹二吾墓上一以レ梓。令レ可二以爲一レ器。而抉二吾眼一。縣二呉東門之上一。以觀二越寇之入滅一レ呉也。乃自剄死。呉王聞レ之。大怒。乃取二子胥尸一。盛以二鴟夷革一。浮二之江中一。呉人憐レ之。爲立三祠於二江上一。因命曰二胥山一。呉王既誅二伍子胥一。遂伐レ齊。齊鮑氏殺二其君悼公一而立二陽生一。呉王欲レ討二其賊一。不レ勝而去。其後二年。呉王召二魯衞之君一。會二之槖臯一。其明年。因北大會三諸矦於二黄池一。以令二周室一。越王勾踐襲二殺呉太子一。破二呉兵一。呉王聞レ之。乃歸。使二使厚一レ幣與レ越平。後九年。越王勾踐遂滅レ呉。殺二王夫差一。而誅二太宰嚭一。以下不三忠於二其君一。而外受二重賂一。與レ己比周上也。伍子胥初所二與倶亡一故楚太子建之子勝者。在レ於レ呉。呉王夫差之時。楚惠王欲二召レ勝歸一レ楚。葉公諫曰。勝好レ勇而陰求二死士一。殆有レ私乎。惠王不レ聽。遂召レ勝。使レ居二楚之邊邑鄢一。號爲二白公一。白公歸レ楚三年。而呉誅二子胥一。白公勝既歸レ楚。怨三鄭之殺二其父一。乃陰養二死士一求レ報レ鄭。歸レ楚五年。請レ伐レ鄭。楚令尹子西許レ之。兵未レ發。而晉伐レ鄭。鄭請二救於一レ楚。楚使二子西往救一。與盟而還。白公勝怒曰。非二鄭之仇一。乃子西也。勝自礪レ劍。人問曰。何以爲。勝曰。欲三以殺二子西一。子西聞レ之。笑曰。勝如レ卵耳。何能爲也。其後四歳。白公勝與二石乞一襲殺二楚令尹子西。司馬子綦於一レ朝。石乞曰。不レ殺レ王。不可。乃劫レ之。王如二高府一。石乞從者屈固。負二楚惠王一。亡走二昭夫人之宮一。葉公聞二白公爲一レ亂。率二其國人一攻二白公一。白公之徒敗。亡走二山中一自殺。而虜二石乞一。而問二白公尸處一。不レ言將レ烹。石乞曰。事成爲レ卿。不レ成而烹。固其職也。終不レ肯レ告二其尸處一。遂烹二石乞一。而求二惠王一復立レ之。
太史公曰。怨毒之於レ人。甚矣哉。王者尚不レ能レ行三之於二臣下一。況同列乎。向令二伍子胥從レ奢倶死一。何異二螻蟻一。棄二小義一雪二大恥一。名垂二於後世一。悲夫。方下子胥窘レ於二江上一。道乞上レ食。志豈甞須臾忘レ郢邪。故隱忍就二功名一。非二烈丈夫一孰能致レ此哉。白公如不二自立爲一レ君者。其功謀亦不レ可レ勝レ道者哉。