Soranoha

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

司馬 遷

箭内亙による譯

孫子武そんしぶは齊人也せいひとなり。兵法へいはふを以もつて呉王闔廬ごわうかふろに見まみゆ。闔廬かふろ曰いはく、(一)『子しの十三篇ぺん吾われ盡ことごとく之これを觀みる。(二)以もつて小すこしく試こころみに兵へいを勒ろくす可べきか』と。對こたへて曰いはく、『可かなり』と。闔廬かふろ曰いはく、『試こころみに婦人ふじんを以もつてす可べきか』と。曰いはく、『可かなり』と。是ここに於おいて之これを許ゆるす。宮中きうちうの美女びぢよを出いだし、百八十人にんを得えたり。孫子そんし分わかつて二隊たいと爲なし、王わうの寵姫ちようき二人にんを以もつて各〻おのおの隊長たいちやうと爲なし、皆みな戟げきを持もたしむ。之これに令れいして曰いはく、『汝なんぢ、而なんぢの(三)心むねと(四)左右さいうの手てと背せとを知しるか』と。婦人ふじん曰いはく、『之これを知しる』と。孫子そんし曰いはく、『前まへは則すなはち心むねを視み、左ひだりは左ひだりの手てを視み、右みぎは右みぎの手てを視み、後うしろは即すなはち背せを視みよ』と。婦人ふじん曰いはく、『諾だく』と。約束やくそく既すでに布しき、乃すなはち(五)鈇鉞ふゑつを設まうけ、即すなはち之これに(六)三令れい五申しんす。是ここに於おいて(七)之これを右みぎに鼓こす。婦人ふじん大おほいに笑わらふ。孫子そんし曰いはく、『約束やくそく明あきらかならず、(八)申令しんれい熟じゆくせざるは、將しやうの罪也つみなり』と。復また三令れい五申しんして之これを左ひだりに鼓こす。婦人ふじん復また大おほいに笑わらふ。孫子そんし曰いはく、『約束やくそく明あきらかならず、申令しんれい熟じゆくせざるは、將しやうの罪也つみなり、既すでに已すでに明あきらかにして而しかも法はふの如ごとくならざるは、吏士りしの罪也つみなり』と。乃すなはち左右さいうの隊長たいちやうを斬きらんと欲ほつす。呉王ごわう、臺上だいじやうより觀み、(孫子ガ)且まさに愛姫あいきを斬きらんとするを見み、大おほいに駭おどろき、趣すみやかに使つかひをして令れいを下くださしめて曰いはく、『寡人くわじん已すでに將軍しやうぐんの能よく兵へいを用もちふるを知しる。寡人くわじん、此この二姫きに非あらざれば、食しよく、味あぢはひを甘あましとせず。願ねがはくは斬きる勿なかれ』と。孫子そんし曰いはく、『臣しん、既すでに已すでに命めいを受うけて將しやうたり。將しやうは軍ぐんに在ありては君命くんめいをも受うけざる所ところ有あり』と。遂つひに隊長たいちやう二人にんを斬きりて以もつて徇となへ、其次そのつぎを用もつて隊長たいちやうと爲なす。是ここに於おいて復また之これに鼓こす。婦人ふじん、(九)左右前後跪起さいうぜんごきき、皆みな、(一〇)規矩繩墨きくじようぼくに中あたり、敢あへて聲こゑを出いだすもの無なし。是ここに於おいて、孫子そんし、使つかひをして王わうに報はうぜしめて曰いはく、『兵へい既すでに整齊せいせいす、王わう試こころみに下くだりて之これを觀みる可べし。唯ただ王わうの之これを用もちひんと欲ほつする所ところ、水火すゐくわに赴おもむくと雖いへども猶なほ可也かなり』と。呉王ごわう曰いはく、『將軍しやうぐん、(一一)罷休ひきうし(一二)舍しやに就つけ、寡人くわじん、下くだりて觀みるを願ねがはず』と。孫子そんし曰いはく、『王わう、徒いたづらに其言そのげんを好このんで、其實そのじつを用もちふること能あたはず』と。是ここに於おいて闔廬かふろ、孫子そんしの能よく兵へいを用もちふるを知しり、卒つひに以もつて將しやうと爲なす。西にしは彊楚きやうそを破やぶつて(一三)郢えいに入いり、北きたは齊せい・晉しんを威おどし、名なを諸矦しよこうに顯あらはす。孫子そんし與あづかつて力ちから有あり。孫武そんぶ既すでに死しし、後のち百餘歳よさいにして孫臏そんびん有あり。

臏ひんは(一四)阿鄄あけんの間あひだに生うまる。臏ひんも亦また孫武そんぶの後世こうせいの子孫也しそんなり。孫臏そんびん嘗かつて龐涓はうけんと倶ともに兵法へいはふを學まなぶ。龐涓はうけん既すでに魏ぎに事つかへ、惠王けいわうの將軍しやうぐんと爲なるを得えて、自みづから以爲おもらへく「以爲らへく」はママ(一五)能のう・孫臏そんびんに及およばずと、乃すなはち陰ひそかに(人ヲシテ)孫臏そんびんを召めさしむ。臏ひん至いたる。龐涓はうけん其その己おのれに賢まさるを恐おそれて之これを(一六)疾ねたみ、則すなはち法刑はふけいを以もつて其兩足そのりやうそくを斷たちて之これを(一七)黥げいし、(一八)隱かくれて・見みる勿なからんことを欲ほつす。齊せいの使者ししや、(一九)梁りやうに如ゆく。孫臏そんびん、(二〇)刑徒けいとを以もつて陰ひそかに見みて齊せいの使つかひに説とく。齊せいの使つかひ、以もつて奇きと爲なし、竊ひそかに載のせて與ともに齊せいに之ゆく。齊せいの將しやう・田忌でんき、(二一)善よみして之これを(二二)客待かくたいす。忌き數〻しばしば齊せいの諸公子しよこうしと(二三)驅逐重射くちくちようせきす。孫子そんし、(二四)其馬足そのばそくの甚はなはだ相遠あひとほからず馬うまに(二五)上中下じやうちうげの輩はい有あるを見みる。是ここに於おいて孫子そんし、田忌でんきに謂いつて曰いはく、『君きみ第ただ重射ちようせきせよ。臣しん、能よく君きみをして勝かたしめん』と。田忌でんき之これを信しんじて然しかりとし、王わう及および諸公子しよこうしと(二六)千金きんを逐射ちくせきす。(二七)質しつに臨のぞむに及およんで、孫子そんし曰いはく、『今いま、君きみの(二八)下駟かしを以もつて彼かれの上駟じやうしに與くみせよ。君きみの上駟じやうしを取とつて彼かれの中駟ちうしに與くみせよ。君きみの中駟ちうしを取とつて彼かれの下駟かしに與くみせよ』と。既すでに馳はすること(二九)三輩はいし畢をはりて、(三〇)田忌でんき一ひとたび勝かたずして再ふたたび勝かつ。卒つひに王わうの千金きんを得えたり。是ここに於おいて忌き、孫子そんしを威王ゐわうに進すすむ。威王ゐわう、兵法へいはふを問とひ、遂つひに以もつて師しと爲なせり。

其後そののち、魏ぎ、趙てうを伐うつ。趙てう、急きふなり。救すくひを齊せいに請こふ。齊せいの威王ゐわう、孫臏そんびんを將しやうとせんと欲ほつす。臏ひん、辭謝じしやして曰いはく、(三一)『刑餘けいよの人ひと、不可ふかなり』と。是ここに於おいて乃すなはち田忌でんきを以もつて將しやうとなして、孫子そんしを師しとなす。(孫子)(三二)輜車ししやの中うちに居をり、坐ざして計謀けいぼうを爲なす。田忌でんき、兵へいを引ひいて趙てうに之ゆかんと欲ほつす。孫子そんし曰いはく、『夫それ(三三)雜亂紛糾ざつらんふんきうを解とく者ものは(三四)控捲こうけんせず、鬪たたかひを救すくふ者ものは(三五)搏撠はくげきせず。(三六)亢かうを批うち虚きよを擣つき、(三七)形かたち格そむき勢いきほひ禁きんずれば、則すなはち自おのづから爲ために解とけん耳のみ。今いま梁りやう・趙てう・相攻あひせむ。輕兵けいへい鋭卒えいそつ、必かならず外そとに竭つき、(三八)老弱らうじやく内うちに罷つかれん。君きみ、兵へいを引ひいて疾とく大梁たいりやうに走おもむき・(三九)其街路そのがいろに據より・其方そのまさに虚きよなるを衝つくに若しかず。彼かれ必かならず趙てうを釋すてて自みづから救すくはん。是これ我われ一擧きよして趙てうの圍かこみを解ときて、(四〇)弊へいを魏ぎに收をさむる也なり』と。田忌でんき、之これに從したがふ。魏ぎ、果はたして邯鄲かんたんを去さり、齊せいと桂陵けいりように戰たたかふ。(齊軍)大おほいに(四一)梁りやうの軍ぐんを破やぶる。後のち十五年ねん、魏ぎ、趙てうと、韓かんを攻せむ。韓かん、急きふを齊せいに告つぐ。齊せい、田忌でんきを將しやうとして往ゆかしむ。(田忌)直ただちに大梁たいりやうに走おもむく。魏ぎの將しやう龐涓はうけん、之これを聞きき、韓かんを去さつて歸かへれり。(四二)齊せいの軍ぐん既すでに已すでに過すぎて西にしす。孫子そんし、田忌でんきに謂いつて曰いはく、『彼かの(四三)三晉しんの兵へいは、素もと(四四)悍勇かんゆうにして齊せいを輕かろんじ、齊せいを號がうして怯けふと爲なす。善よく戰たたかふ者ものは(四五)其勢そのいきほひに因よつて之これを利導りだうす。兵法へいはふに、百里りにして(四六)利りに趣おもむく者ものは、上將じやうしやうを蹶たふし、五十里りにして利りに趣おもむく者ものは、(四七)軍ぐん、半なかば至いたる』と。(四八)齊せいの軍ぐんをして魏ぎの地ちに入いり十萬まんの竈かまどを爲つくらしめ、明日みやうにちは五萬まんの竈かまどを爲つくらしめ、又また明日みやうにちは三萬まんの竈かまどを爲つくらしむ。龐涓はうけん行ゆくこと三日みつか、大おほひに喜よろこんで曰いはく、『我われ固もとより齊せいの軍ぐんの怯けふなるを知しる。吾わが地ちに入いりて三日みつか、士卒しそつ亡にぐる者もの、半なかばに過すぎたり』と。乃すなはち其その(四九)歩軍ほぐんを棄すて、其その(五〇)輕鋭けいえいと、(五一)日ひを倍ばいし行かうを并あはせて之これを逐おへり。孫子そんし、其行そのかうを度はかるに、暮くれに當まさに馬陵ばりように至いたるべし。馬陵ばりようは道みち狹せまくして旁かたはら(五二)阻隘そあい多おほく、兵へいを伏ふくす可べし。乃すなはち大樹たいじゆを斫きり白しらげて、之これに書しよして曰いはく、『龐涓はうけん、此樹このきの下もとに死しせん』と。是ここに於おいて齊せいの軍ぐんの善よく射いる者ものをして、(五三)萬弩ばんど、道みちを夾はさんで伏ふくせしめ、(五四)期きして曰いはく、『暮くれに火ひの擧あがるを見みば倶ともに發はつせよ』と。龐涓はうけん、果はたして夜よる、斫木しやくぼくの下もとに至いたり、白書はくしよを見み、乃すなはち(五五)火ひを鑽きりて之これを燭てらす。其書そのしよを讀よみ未いまだ畢をはらざるに、齊せいの軍ぐんの萬弩ばんど倶ともに發はつす。魏ぎの軍ぐん大おほひに亂みだれ、(五六)相失あひしつす。龐涓はうけん自みづから・智ち窮きはまり兵へい敗やぶるるを知しり、乃すなはち(五七)自剄じけいして曰いはく、『遂つひに(五八)豎子じゆしの名なを成なせり』と。齊せい、因よつて勝かちに乘じようじて盡ことごとく其軍そのぐんを破やぶり、魏ぎの太子たいし申しんを虜とりこにし(五九)以ゐて歸かへる。孫臏そんびん、此これを以もつて、名な天下てんかに顯あらはれたり。(六〇)世よ、其兵法そのへいはふを傳つたふ。

呉起ごきは衞人也ゑいひとなり。好このんで兵へいを用もちふ。嘗かつて曾子そうしに學まなび、魯君ろくんに事つかふ。齊人せいひと、魯ろを攻せむ。魯ろ、呉起ごきを將しやうとせんと欲ほつす。呉起ごき、齊せいの女ぢよを取めとつて妻つまと爲なし、而しかうして魯ろ、之これを疑うたがへり。呉起ごき、是ここに於おいて、名なを就なさんと欲ほつし、遂つひに其妻そのつまを殺ころし、以もつて齊せいに與くみせざるを明あきらかにす。魯ろ、卒つひに以もつて將しやうとなす。將しやうとして齊せいを攻せめ、大おほいに之これを破やぶる。魯人ろひと、或あるひは呉起ごきを(六一)惡あくして曰いはく、『起きの人ひとと爲なりや(六二)猜忍さいにんの人也ひとなり。其少そのわかき時とき、家いへ、千金きんを累かさねしが、(六三)游仕いうし遂とげず、遂つひに其家そのいへを破やぶる。(六四)郷黨きやうたう之これを笑わらふ。呉起ごき其その己おのれを謗そしりし者もの三十餘人よにんを殺ころして、東ひがし、衞ゑいの(六五)郭門くわくもんを出いで、其母そのははと訣わかる。(己ノ)臂ひぢを齧かんで盟ちかつて曰いはく、「起き、卿相けいしやうと爲ならずんば、復また衞ゑいに入いらじ」と。遂つひに曾子そうしに事つかふ。居をること之これを頃しばらくして其母そのはは死しす。起き、終つひに歸かへらず。曾子そうし、(六六)之これを薄うすんじて起きと絶たつ。起き乃すなはち魯ろに之ゆき兵法へいはふを學まなび、以もつて(六七)〔魯〕君きみに事つかふ。〔魯〕君きみ之これを疑うたがふ。起き、妻つまを殺ころして以もつて將しやうたらんを求もとむ。夫それ魯ろは小國せうこくにして戰勝せんしようの名な有あらば、則すなはち(六八)諸矦しよこう、魯ろを圖はからん。且かつ魯ろ・衞ゑいは兄弟けいていの國也くになり、而しかるに君きみ、起きを用もちひば、則すなはち是これ衞ゑいを棄すつるなり』と。魯君ろくん、之これを疑うたがうて、呉起ごきを(六九)謝しやす。呉起ごき、是ここに於おいて魏ぎの文矦ぶんこうの賢けんなるを聞きき、之これに事つかへんと欲ほつす。文矦ぶんこう、李克りこくに問とうて曰いはく、『呉起ごきは何如いかなる人ひとぞ』と。李克りこく曰いはく、『起きは貪たんにして色いろを好このむ。然しかれども兵へいを用もちふるは、司馬穰苴しばじやうしよも過すぐる能あたはざる也なり』と。是ここに於おいて魏ぎの文矦ぶんこう以もつて將しやうと爲なす。秦しんを撃うち五城じやうを拔ぬけり、起きの・將しやうたる、士卒しそつの最下さいかなる者ものと衣食いしよくを同おなじうし、臥ぐわするに席せきを設まうけず、行ゆくに(七〇)騎乘きじようせず、親みづから糧かてを裹つつみ贏になひ、士卒しそつと勞苦らうくを分わかつ。卒そつに(七一)疽しよを病やむ者もの有あり。起き爲ために(七二)之これを吮すふ。卒そつの母はは之これを聞きいて哭こくす。人ひと曰いはく、『子こは卒そつにして將軍しやうぐん自みづから其疽そのしよを吮すふ。何なんぞ哭こくするを爲なす』と。母はは曰いはく、『然しかるに非あらず。往年わうねん、呉公ごこう、其父そのちちを吮すふ。其父そのちち、戰たたかひて(七三)踵くびすを旋めぐらさずして、遂つひに敵てきに死しせり。呉公ごこう、今いま又また其子そのこを吮すふ。妾せふ、(七四)其死所そのししよを知しらず。是ここを以もつて之これを哭こくするなり』と。文矦ぶんこう、呉起ごきが善よく兵へいを用もちひ・(七五)廉平れんぺいにして能のうを盡つくし士しの心こころを得えたるを以もつて、乃すなはち以もつて西河せいがの守しゆと爲なし、以もつて秦しん・韓かんを拒ふせがしむ。魏ぎの文矦ぶんこう既すでに卒しゆつす。起き、其子そのこ武矦ぶこうに事つかふ。武矦ぶこう、西河せいがに浮うかびて下くだる、中流ちうりうにして顧かへりみて呉起ごきに謂いつて曰いはく、『美びなる哉乎かな、山河さんがの固かため、此これ魏國ぎこくの寶也たからなり』と。起き、對こたへて曰いはく、『(國ノ寶ハ)徳とくに在ありて險けんに在あらず。昔むかし、三苗べう氏しは(七六)洞庭どうていを左ひだりにし、(七七)彭蠡はうれいを右みぎにせしが、徳義とくぎ修をさまらず、禹う之これを滅ほろぼせり。(七八)夏桀かけつの居きよは(七九)河濟かせいを左ひだりにし、(八〇)泰華たいくわを右みぎにし、(八一)伊闕いけつ其南そのみなみに在あり、(八二)羊腸やうちやう其北そのきたに在ありしが、政まつりごとを修をさむること仁じんならず、湯たう、之これを放はなてり。(八三)殷紂いんちうの國くには(八四)孟門まうもんを左ひだりにし(八五)太行たいかうを右みぎにし、常山じやうざん其北そのきたに在あり、大河たいか其南そのみなみを經へしが、政まつりごとを修をさむること徳とくならず、武王ぶわう之これを殺ころせり。是これに由よつて之これを觀みれば、徳とくに在ありて險けんに在あらず。若もし君きみ、徳とくを修をさめずんば(八六)舟中しうちうの人ひと盡ことごとく敵國てきこくたらん』と。武矦ぶこう曰いはく『善よし』と。(八七)即すなはち呉起ごきを封ほうじて西河せいがの守しゆと爲なす。甚はなはだ(八八)聲名せいめい有あり。

魏ぎ、相しやうを置おき、(八九)田文でんぶんを相しやうとせり。呉起ごき悦よろこばず。田文でんぶんに謂いつて曰いはく(九〇)『請こふ子しと功こうを論ろんぜん、可かならんか』と。田文でんぶん曰いはく、『可かなり』と。起き曰いはく、『三軍ぐんに將しやうとして士卒しそつをして死しを樂たのしましめ、敵國てきこくをして敢あへて謀はからざらしむるは、子し、起きに孰いづれぞ』と。文ぶん曰いはく、『子しに如しかず』と。起き曰いはく、『百官くわんを治をさめ、萬民ばんみんを親したしましめ、(九一)府庫ふこを實みたすは、子し、起きに孰いづれぞ』と。文ぶん曰いはく、『子しに如しかず』と。起き曰いはく、『西河せいがを守まもりて、秦しんの兵へい敢あへて東ひがしに郷むかはず、韓かん・趙てう・(九二)賓從ひんじうするは、子し、起きに孰いづれぞ』と。文ぶん曰いはく、『子しに如しかず』と、起き曰いはく、『此これ子し、三みつの者もの、皆みな吾わが下しもに出いでて、位くらゐ、吾わが上かみに加くははるは、何なんぞや』と。文ぶん曰いはく、『主しゆ少わかうして國くに疑うたがひ、大臣だいじん未いまだ附つかず、百姓せい信しんぜず、是この時ときに方あたつて之これを子しに屬ぞくせん乎か、之これを我われに屬ぞくせん乎か』と。起き、默然もくぜんたること良やや久ひさしうして曰いはく、『之これを子しに屬ぞくせん』と。文ぶん曰いはく、『此これ乃すなはち吾わが・子しの上かみに居をる所以也ゆゑんなり』と。呉起ごき乃すなはち自みづから・田文でんぶんに如しかざるを知しる。

田文でんぶん既すでに死しして、公叔こうしゆく、相しやうと爲なる。(公叔)(九三)魏ぎの公主こうしゆに(九四)尚しやうし、而しかうして呉起ごきを害いむ。公叔こうしゆくの僕ぼく曰いはく、『起きは(九五)去さり易やすし』と、公叔こうしゆく曰いはく、『奈何いかんせん』と。其僕そのぼく曰いはく、『呉起ごき、人ひとと爲なり、(九六)節廉せつれんにして自みづから(九七)名なを喜このむ。君きみ、因よつて先まづ武矦ぶこうに言いつて曰いへ、「夫それ呉起ごきは賢人也けんじんなり。而しかうして矦こうの國くには小せうにして、又また彊秦きやうしんと(九八)界さかひを壤じやうす。臣しん竊ひそかに起きの(九九)留心りうしん無なきを恐おそる」と。武矦ぶこう即すなはち曰いはん、「奈何いかんせん」と。君きみ、因よつて武矦ぶこうに謂いつて曰いへ、「試こころみに(一〇〇)延ひくに公主こうしゆを以もつてせよ。起き、留心りうしん有あらば、則すなはち必かならず之これを受うけん、留心りうしん無なくば則すなはち必かならず辭じせん。(一〇一)此これを以もつて之これを卜ぼくせよ」と。君きみ因よつて呉起ごきを召めして(一〇二)與ともに歸かへり、即すなはち(一〇三)公主こうしゆをして怒いかつて君きみを輕かろんぜしめよ。呉起ごき、公主こうしゆの・君きみを賤いやしむを見みば、則すなはち必かならず辭じせん』と。是ここに於おいて呉起ごき、公主こうしゆの・魏ぎの相しやうを賤いやしむを見み、(一〇四)果はたして魏ぎの武矦ぶこうに辭じす。武矦ぶこう之これを疑うたがうて信しんぜず。呉起ごき、罪つみを得うるを懼おそれ、遂つひに去さり、即すなはち楚そに之ゆく。

楚その悼王たうわう、素もとより起きの賢けんなるを聞きく。至いたれば則すなはち楚そに相しやうとす。(呉起)法はふを明あきらかにし令れいを審つまびらかにし、不急ふきふの官くわんを捐すて、(一〇五)公族こうぞく疏遠そゑんの者ものを廢はいし、以もつて戰鬪せんとうの士しを撫養ぶやうす。要えうは兵へいを彊つよくし(一〇六)馳説ちぜいの(一〇七)從横しようくわうを言いふ者ものを破やぶるに在あるなり。是ここに於おいて南みなみは百越ゑつを平たひらげ、北きたは陳蔡ちんさいを并あはせ(一〇八)三晉しんを却しりぞけ、西にしは秦しんを伐うつ。諸矦しよこう、楚その彊つよきを患うれふ。(一〇九)故もとの楚その貴戚きせき、盡ことごとく呉起ごきを害がいせんと欲ほつす。悼王たうわう死しするに及およんで、宗室大臣そうしつだいじん、亂らんを作なして呉起ごきを攻せむ。呉起ごき、走はしつて王わうの尸しに之ゆきて之これに伏ふす。起きを撃うつの徒と、呉起ごきを射刺せきしするに因よつて、并あはせて悼王たうわうに中あつ。悼王たうわう既すでに葬はうむられて、太子たいし立たつ。乃すなはち(一一〇)令尹れいゐんをして盡ことごとく呉起ごきを射いて并あはせて王わうの尸しに中あてし者ものを誅ちうせしむ。起きを射いるに坐ざして、(一一一)宗そうを夷たひらげられて死しせし者もの七十餘家よか。

太史公たいしこう曰いはく、世俗せぞく、稱しようする所ところの(一一二)師旅しりよは、皆みな、孫子そんし十三篇ぺん・呉起ごきの兵法へいはふを道いふ。世よ多おほく有あり、故ゆゑに論ろんぜず。其行事そのかうじと施設しせつする所ところの者ものとを論ろんず。(一一三)語ごに曰いはく、『能よく之これを行おこなふ者ものは、未いまだ必かならずしも能よく言いはず、能よく之これを言いふ者ものは、未いまだ必かならずしも能よく行おこなはず』と。孫子そんし、龐涓はうけんを(一一四)籌策ちうさくすること明あきらかなり。然しかれども(一一五)蚤はやく患うれひを刑けいせらるるに救すくふ〔こと〕能あたはず。呉起ごき、武矦ぶこうに説とくに形勢けいせいの・徳とくに如しかざるを以もつてす。然しかれども之これを楚そに行おこなふや、(一一六)刻暴こくばう少恩せうおんを以もつて其躯そのみを亡うしなふ。悲かなしい夫かな。

箭内亙による註

【一】子の十三篇、足下の著はしたる兵書十三篇。即ち今日傳はる所の孫子十三篇なり。

【二】之を言ふことは易く、之を行ふことは難し、故に之を試みんと欲する也。

【三】心。胸也。

【四】左右手背。左右の手と背。

【五】鈇鉞。罪人を斬るに用ふるまさかり。

【六】三令五申。三度號令し五度言ひ聞かす。

【七】之を右に鼓す。太鼓を鳴らして、右に向かしむる也。

【八】申令。幾度も繰返す號令。

【九】左右前後跪起。左と云へば左、右と令せば右、前に後に、起つたり坐つたり、

【一〇】規矩繩墨。規はぶんまはし、矩は曲尺、繩墨は墨なは、皆大工の使ふ道具、此處にては法又は規則などの意。

【一一】罷休。休息。

【一二】舍。宿舍。

【一三】郢。楚の都。

【一四】阿・鄄。竝に齊の地名。

【一五】能。材能。

【一六】疾。嫉と通ず。

【一七】黥。入墨する。

【一八】彼が隱れて人に逢はぬやうにせんとする也。

【一九】梁。魏の都。

【二〇】刑徒。刑を受けたもの。

【二一】善す。心に其の人を悦ぶ也。

【二二】客待。賓客として待遇す。

【二三】驅逐重射。物を賭けて馬を驅る、即ち一種の競馬也。

【二四】馬足甚だ遠からずとは、馬の速力に大なる等差無きなり。

【二五】上中下の輩。馬に上等中等下等の三種あるをいふ。

【二六】千金を逐射す。千金を賭けて競馬をする也。

【二七】質に臨むに及んで。質は對也、いよいよ競馬をするに方りて也。

【二八】駟。車を引く馬四頭。上中下。馬の等級なり。

【二九】三輩し畢り。三組とも驅けて了つたとの意。

【三〇】我の下駟は彼の上駟に及ばず、故に一たび勝たず。彼の中駟は我の上駟に及ばず、彼の下駟は我の中駟に及ばず、故に再び勝つ。

【三一】刑餘。刑を被つたことのある人。

【三二】輜車。輜重車。

【三三】雜亂紛糾。絲の縺れ亂れたるをいふ。

【三四】控捲。拳にて撃つ也。

【三五】搏撠。手を以て撃つ也。

【三六】亢。急處をいふ。虚。空虚の處をいふ。

【三七】形格き勢禁ず。形勢不利となること。

【三八】老弱。老者幼者也。罷。疲なり。

【三九】其街路に據るは、所謂亢を批つ也。其方に虚なるを衝くは、所謂虚を擣く也。

【四〇】弊を魏に收むる。魏を疲弊させる也。

【四一】梁。魏は大梁に都して居る故、又梁ともいふ。

【四二】已に過ぎて西すとは、龐涓歸り救ひ、齊の師の未だ至らざるを邀へんと欲せしが、齊の軍今已に過ぎて西のかた魏の地に入りし也、故に涓、利を視て疾く趨る也。

【四三】三晉。韓趙魏は共に晉の卿たりしを、三家共に晉を亡ぼして其地を分ちし故、此の三國を三晉といふ。

【四四】悍勇。慓悍勇猛なり。

【四五】其自然の勢に因つて之を我が都合のよきやうにうまく導く也。

【四六】利に趣く。戰利を爭うて急馳する也。蹶。戰死せしむる也。

【四七】軍半ば至る。利を逐ふに急である爲、軍を整へて進む能はず、半數だけが先づ敵に赴くをいふ。

【四八】齊の軍が魏の地に入りて後、日日に減少したるやうに見せかくる也。

【四九】歩軍。歩兵なり。

【五〇】輕鋭。輕裝して勢鋭き騎兵。

【五一】晝夜兼行して追ふことをいふ。

【五二】阻隘。險阻。

【五三】萬弩。萬の石弓。

【五四】期。約束する也。

【五五】火を鑽り。燧石を打つて火を出す。

【五六】相失す。散亂する也。

【五七】自剄。自ら首を切る也。

【五八】豎子。罵りていふ辭。小僧といふが如し。彼の小僧に功名を成さしむることとなれりとの意。

【五九】以て歸る。引連れて歸る。

【六〇】世其兵法を傳ふ。孫臏の兵法の書、世に傳はれりとの意。

【六一】惡。惡言する也。そしる。

【六二】猜忍。猜疑殘忍の人。

【六三】游仕。四方に遊び仕官を求むること。

【六四】郷黨。故郷在所のもの。

【六五】郭門。城門。

【六六】之を薄んじ。其行を薄情とする也。絶。破門せし也。

【六七】魯人が之を惡するは、必ず之を君に惡する也。宜しく魯君の字を用ふべからず。二つの「魯」の字は衍文なり。

【六八】諸矦、魯を忌みて之を伐たんとすべし。

【六九】謝。謝絶する也。

【七〇】騎乘。騎は馬に騎る也。乘は車に乘る也。

【七一】疽。癰の一種。

【七二】之を吮ふ。疽の膿を吸ひ出すこと。

【七三】踵を旋さず。幾程もなく也。

【七四】何時何處で死ぬか分らぬ也。

【七五】廉平。廉直公平。能を盡す。材能ある「材能ある」はママ人に十分働かする也。

【七六】洞庭。湖の名。

【七七】彭蠡。險阻の地。

【七八】夏桀。夏の桀王。

【七九】河濟。二つの川の名。

【八〇】泰華。二つの山の名。

【八一】伊闕。伊水に沿へる險阻。

【八二】羊腸。阪の名。

【八三】殷紂。殷の紂王。

【八四】孟門。山の名。

【八五】太行。山の名。

【八六】今同舟し居る者も皆敵國の人とならんとの意。

【八七】呉起、文矦のとき、既に西河の守と爲る。武矦のとき、「即ち封じて西河の守と爲す」と曰へるは、甚だ疑ふべし。又、西河の守と爲すことは、封ずといふべからず。案ずるに原文の「即封」の二字は衍文にして、「呉起、西河の守たるや、甚だ聲名有り」と讀むべきならん。

【八八】聲名。評判也。

【八九】田文。齊の孟嘗君田文にあらず。

【九〇】吾、貴公と、功勞の比較を爲さんと思ふが、差支無しやとの意。

【九一】國を富ますこと。

【九二】賓從。服從也。

【九三】魏の公主。魏君の女。

【九四】尚。君の女を臣下に配するを尚と云ふ。

【九五】去り易し。退け易しの意。

【九六】節廉。節操ありて廉潔なること。

【九七】名を喜む。名譽を好む也。

【九八】界を壤す。界を接するの意。

【九九】留心。魏に留まらんとする意志。

【一〇〇】公主を呉起に尚せんといふ也。

【一〇一】君、此を以て呉起が魏に留まる意志ありや否やを判斷したまへ。

【一〇二】與に歸り。與に朝より歸る也。

【一〇三】公主。公叔の妻。

【一〇四】果して。公叔の僕の言の如く也。

【一〇五】公族云云。公族にして比較的疏遠なる者の在官者を廢す。

【一〇六】馳説。遊説者。

【一〇七】從横。合從連衡。

【一〇八】三晉。韓趙魏をいふ。

【一〇九】故の楚の貴戚。前に廢官された公族疏遠の者。

【一一〇】令尹。楚の宰相。

【一一一】宗を夷ぐ。一族を夷滅する也。

【一一二】師旅。軍旅の事。

【一一三】語。古語。

【一一四】籌策。計略なり。

【一一五】足を斬らるるが如き禍を早く豫防すること能はず。

【一一六】刻暴。刻薄殘暴。少恩。恩情を缺く也。

原文

孫子武者。齊人也。以二兵法一見レ於二呉王闔廬一。闔廬曰。子之十三篇。吾盡觀レ之矣。可二以小試勒一レ兵乎。對曰可。闔廬曰。可三試以二婦人一乎。曰可。於レ是許レ之。出二宮中美女一得二百八十人一。孫子分爲二二隊一。以二王之寵姫二人一各爲二隊長一。皆令レ持レ戟。令レ之曰。汝知三而心與二左右手背一乎。婦人曰。知レ之。孫子曰。前則視レ心。左視二左手一。右視二右手一。後即視レ背。婦人曰。諾。約束既布。乃設二鈇鉞一。即三三令五二申之一。於レ是鼓二之右一。婦人大笑。孫子曰。約束不レ明。申令不レ熟。將之罪也。復三令五申而鼓二之左一。婦人復大笑。孫子曰。約束不レ明。申令不レ熟。將之罪也。既已明而不レ如レ法者。吏士之罪也。乃欲レ斬二左右隊長一。呉王從二臺上一觀。見レ且レ斬二愛姫一。大駭。趣使二使下一レ令曰。寡人已知二將軍能用一レ兵矣。寡人非二此二姫一。食不レ甘レ味。願勿レ斬也。孫子曰。臣既已受レ命爲レ將。將在レ軍。君命有レ所レ不レ受。遂斬二隊長二人一以徇。用二其次一爲二隊長一。於レ是復鼓レ之。婦人左右前後跪起皆中二規矩繩墨一。無二敢出一レ聲。於レ是孫子使二使報一レ王曰。兵既整齊。王可二試下觀一レ之。唯王所レ欲レ用レ之。雖レ赴二水火一猶可也。呉王曰。將軍罷休就レ舍。寡人不レ願二下觀一。孫子曰。王徒好二其言一。不レ能レ用二其實一。於レ是闔廬知二孫子能用一レ兵。卒以爲レ將。西破二彊楚一。入レ郢。北威二齊晉一。顯二名諸侯一。孫子與有レ力焉。孫武既死。後百餘歳。有二孫臏一。臏生二阿鄄之間一。臏亦孫武之後世子孫也。孫臏嘗與二龐涓一倶學二兵法一。龐涓既事レ魏。得レ爲二惠王將軍一。而自以爲能不レ及二孫臏一。乃陰使レ召二孫臏一。臏至。龐涓恐二其賢一レ於レ己疾レ之。則以二法刑一斷二其兩足一而黥レ之。欲二隱勿一レ見。齊使者如レ梁。孫臏以二刑徒一。陰見説二齊使一。齊使以爲レ奇。竊載與之レ齊。齊將田忌善而客二待之一。忌數與二齊諸公子一馳逐重射。孫子見下其馬足不二甚相遠一。馬有中上中下輩上。於レ是孫子謂二田忌一曰。君第重射。臣能令二君勝一。田忌信二然之一。與二王及諸公子一逐二射千金一。及レ臨レ質。孫子曰。今以二君之下駟一。與二彼上駟一。取二君上駟一。與二彼中駟一。取二君中駟一。與二彼下駟一。既馳三輩畢。而田忌一不レ勝而再勝。卒得二王千金一。於レ是忌進三孫子於二威王一。威王問二兵法一。遂以爲レ師。其後魏伐レ趙。趙急。請二救於一レ齊。齊威王欲レ將二孫臏一。臏辭謝曰。刑餘之人。不可。於レ是乃以二田忌一爲レ將。而孫子爲レ師。居二輜車中一。坐爲二計謀一。田忌欲二引レ兵之一レ趙。孫子曰。夫解二雜亂紛糾一者不二控捲一。救レ鬭者不二搏𪮮一。批レ亢擣レ虚。形格勢禁。則自爲解耳。今梁趙相攻。輕兵鋭卒。必竭レ於レ外。老弱罷レ於レ内。君不レ若下引レ兵疾走二大梁一。據二其街路一。衝中其方虚上。彼必釋レ趙而自救。是我一擧解二趙之圍一。而收二弊於一レ魏也。田忌從レ之。魏果去二邯鄲一。與レ齊戰レ於二桂陵一。大破二梁軍一。後十五年。魏與レ趙攻レ韓。韓告二急於一レ齊。齊使二田忌將而往一。直走二大梁一。魏將龐涓聞レ之。去レ韓而歸。齊軍既已過而西矣。孫子謂二田忌一曰。彼三晉之兵。素悍勇而輕レ齊。齊號爲レ怯。善戰者。因二其勢一而利二導之一。兵法百里而趣レ利者。蹶二上將一。五十里而趣レ利者。軍半至。使下齊軍入二魏地一爲中十萬竈上。明日爲二五萬竈一。又明日爲二三萬竈一。龐涓行三日。大喜曰。我固知二齊軍怯一。入二吾地一三日。士卒亡者過レ半矣。乃棄二其歩軍一。與二其輕鋭一倍レ日並レ行逐レ之。孫子度二其行一。暮當レ至二馬陵一。馬陵道狹。而旁多二阻隘一。可レ伏レ兵。乃斫二大樹一。白而書レ之曰。龐涓死レ于二此樹之下一。於レ是令二齊軍善射者。萬弩夾レ道而伏一。期曰。暮見二火擧一而倶發。龐涓果夜至二斫木下一。見二白書一。乃鑽レ火燭レ之。讀二其書一未レ畢齊軍萬弩倶發。魏軍大亂。相失。龐涓自知二智窮兵敗一。乃自剄曰。遂成二豎子之名一。齊因乘レ勝。盡破二其軍一。虜二魏太子申一以歸。孫子以レ此名顯二天下一。世傳二其兵法一。

呉起者。衞人也。好用レ兵。嘗學レ於二曾子一。事二魯君一。齊人攻レ魯。魯欲レ將二呉起一。呉起取二齊女一爲レ妻。而魯疑レ之。呉起於レ是欲レ就レ名。遂殺二其妻一。以明レ不レ與レ齊也。魯卒以爲レ將。將而攻レ齊。大破レ之。魯人或惡二呉起一曰。起之爲レ人。猜忍人也。其少時。家累二千金一。游仕不レ遂。遂破二其家一。郷黨笑レ之。呉起殺二其謗レ己者三十餘人一。而東出二衞郭門一。與二其母一訣。齧レ臂而盟曰。起不レ爲二卿相一。不二復入一レ衞。遂事二曾子一。居頃レ之。其母死。起終不レ歸。曾子薄レ之。而與レ起絶。起乃之レ魯學二兵法一。以事二魯君一。魯君疑レ之。起殺レ妻以求レ將。夫魯小國而有二戰勝之名一。則諸侯圖レ魯矣。且魯衞兄弟之國也。而君用レ起。則是棄レ衞。魯君疑レ之。謝二呉起一。呉起於レ是聞二魏文侯賢一。欲レ事レ之。文侯問二李克一曰。呉起何如人哉。李克曰。起貪而好レ色。然用レ兵。司馬穰苴不レ能レ過也。於レ是魏文侯以爲レ將。撃レ秦拔二五城一。起之爲レ將。與二士卒最下者一同二衣食一。臥不レ設レ席。行不二騎乘一。親裹二贏糧一。與二士卒一分二勞苦一。卒有二病レ疽者一。起爲吮レ之。卒母聞而哭レ之。人曰。子。卒也。而將軍自吮二其疽一。何哭爲。母曰。非レ然也。往年呉公吮二其父一。其父戰不レ旋レ踵。遂死レ於レ敵。呉公今又吮二其子一。妾不レ知二其死所一矣。是以哭レ之。文侯以三呉起善用レ兵。廉平盡レ能得二士心一。乃以爲二西河守一。以拒二秦韓一。魏文侯既卒。起事二其子武侯一。武侯浮二西河一而下。中流顧而謂二呉起一曰。美哉乎山河之固。此魏國之寶也。起對曰。在レ徳不レ在レ險。昔三苗氏左二洞庭一。右二彭蠡一。徳義不レ修。禹滅レ之。夏桀之居。左二河濟一。右二泰華一。伊闕在二其南一。羊腸在二其北一。修レ政不仁。湯放レ之。殷紂之國。左二孟門一。右二太行一。常山在二其北一。太河經二其南一。修レ政不徳。武王殺レ之。由レ此觀レ之。在レ徳不レ在レ險。若君不レ修レ徳。舟中之人。盡爲二敵國一也。武侯曰。善。即封二呉起一爲二西河守一。甚有二聲名一。魏置レ相。相二田文一。呉起不レ悦。謂二田文一曰。請與レ子論レ功。可乎。田文曰。可。起曰。將二三軍一使三士卒樂レ死。敵國不二敢謀一。子孰二與起一。文曰。不レ如レ子。起曰。治二百官一。親二萬民一。實二府庫一。子孰二與起一。文曰。不レ如レ子。起曰。守二西河一。而秦兵不二敢東郷一。韓趙賓從。子孰二與起一。文曰。不レ如レ子。起曰。此三子者皆出二吾下一。而位加二吾上一。何也。文曰。主少國疑。大臣未レ附。百姓不レ信。方二是之時一。屬二之於一レ子乎。屬二之於一レ我乎。起默然良久曰。屬二之子一矣。文曰。此乃吾所レ以レ居二子之上一也。呉起乃自知レ弗レ如二田文一。田文既死。公叔爲レ相。尚二魏公主一。而害二呉起一。公叔之僕曰。起易レ去也。公叔曰。奈何。其僕曰。呉起爲レ人。節廉而自喜レ名也。君因先與二武侯一言曰。夫呉起。賢人也。而侯之國小。又與二彊秦一壤レ界。臣竊恐三起之無二留心一也。武侯即曰。奈何。君因謂二武侯一曰。試延以二公主一。起有二留心一。則必受レ之。無二留心一。則必辭矣。以レ此卜レ之。君因召二呉起一而與歸。即令二公主怒而輕一レ君。呉起見二公主之賤一レ君也。則必辭。於レ是呉起見三公主之賤二魏相一。果辭二魏武侯一。武侯疑レ之而弗レ信也。呉起懼レ得レ罪。遂去。即之レ楚。楚悼王素聞二起賢一。至則相レ楚。明レ法審レ令。捐二不急之官一。廢二公族疏遠者一。以撫二養戰鬪之士一。要在下彊レ兵破中馳説之言二從横一者上。於レ是南平二百越一。北并二陳蔡一。却二三晉一。西伐レ秦。諸侯患二楚之彊一。故楚之貴戚盡欲レ害二呉起一。及二悼王死一。宗室大臣作レ亂而攻二呉起一。呉起走之二王尸一而伏レ之。撃レ起之徒。因レ射二刺呉起一。并中二悼王一。悼王既葬。太子立。乃使下令尹盡誅中射二呉起一而并中二王尸一者上。坐レ射レ起而夷レ宗死者。七十餘家。

太史公曰。世俗所レ稱師旅。皆道二孫子十三篇。呉起兵法一。世多有。故弗レ論。論下其行事所二施設一者上。語曰。能行レ之者未二必能言一。能言レ之者未二必能行一。孫子籌二策龐涓一。明矣。然不レ能三蚤救二患於一レ被レ刑。呉起説二武侯一以二形勢不一レ如レ徳。然行二之於一レ楚。以二刻暴少一レ恩亡二其躯一。悲夫。

底本 / Source edition

底本:「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」東洋文化協會
1955(昭和30)年5月30日複版発行
※底本では箭内亙による訳と註をそれぞれ「箭内亙による譯」「箭内亙による註」の中見出しのもと入力しました。
※底本では「箭内亙による譯」中の註番号に該当する註をなるべく訳と同じページになるように囲み枠を作成して組まれています。
※底本では原文はまとめて巻末に掲載されていますが、本テキストでは副題毎にファイル末に「原文」の中見出しのもと入力しました。
※表題は底本では、「國譯史記列傳《こくやくしきれつでん》」となっています。
※副題は底本では、「孫子《そんし》呉起《ごき》列傳《れつでん》第《だい》五」となっています。
※原文中の「馳逐重射」は訳中では「驅逐重射」となっています。
※原文中の「此三子者」は訳中では「此《こ》れ子《し》、三《み》つの者《もの》」となっています。
※原文中の「侯」は訳中では「※[#「危」の「犯のつくり」に代えて「矢」、第4水準2-82-22]」となっています。
※原文中の「「救[#レ]※[#鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1-94-31]者」は訳中では「鬪《たたか》ひを救《すく》ふ者《もの》は」となっています。
※原文中の「搏※[#「てへん+卓+戈」、U+2ABAE、10-16]」は訳中並びに訳注ではそれぞれ「搏※[#「てへん+戟」、U+64A0、36-11]」「搏※[#「てへん+戟」、U+64A0、36-註【三五】]」となっています。
※原文中の「並[#レ]行」は訳中では「行《かう》を并《あは》せて」となっています。
※原文中の「孫子以[#レ]此」は訳注では「孫※[#「月+嬪のつくり」、第3水準1-90-54]《そんびん》、此《これ》を以《もつ》て」となっています。
※原文中の「太河」は訳中では「大河《たいか》」となっています。
※原文の返り点は、現在の学校教育で習うものとは、少し異なるところがあります。
入力:はまなかひとし
校正:みきた
2022年6月26日作成
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TEI
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書誌 / Bibliography
/works/051920_001524/

司馬 遷「国訳史記列伝──05 孫子呉起列伝第五」(旧字旧仮名)、底本『國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳』東洋文化協會、1955年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051920_001524, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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