Soranoha

細雪

ささめゆき

谷崎 潤一郎

一

「こいさん、頼むわ。―――」

鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子たえこを見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方そちらは見ずに、眼の前に映っている長襦袢ながじゅばん姿の、抜き衣紋えもんの顔を他人の顔のように見据みすえながら、

「雪子ちゃん下で何してる」

と、幸子さちこはきいた。

「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」

―――なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子に掴つかまって、稽古けいこを見てやっているのであろう。悦子は母が外出する時でも雪子さえ家にいてくれれば大人しく留守番をする児であるのに、今日は母と雪子と妙子と、三人が揃そろって出かけると云うので少し機嫌きげんが悪いのであるが、二時に始まる演奏会が済みさえしたら雪子だけ一と足先に、夕飯までには帰って来て上げると云うことでどうやら納得はしているのであった。

「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」

「そう、―――」

姉の襟頸えりくびから両肩へかけて、妙子は鮮あざやかな刷毛目はけめをつけてお白粉しろいを引いていた。決して猫背ねこぜではないのであるが、肉づきがよいので堆うずたかく盛り上っている幸子の肩から背の、濡ぬれた肌はだの表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。

「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、―――」

「そう、―――」

「サラリーマンやねん、MB化学工業会社の社員やて。―――」

「なんぼぐらいもろてるのん」

「月給が百七八十円、ボーナス入れて二百五十円ぐらいになるねん」

「MB化学工業云うたら、仏蘭西フランス系の会社やねんなあ」

「そうやわ。―――よう知ってるなあ、こいさん」

「知ってるわ、そんなこと」

一番年下の妙子は、二人の姉のどちらよりもそう云うことには明るかった。そして案外世間を知らない姉達を、そう云う点ではいくらか甘く見てもいて、まるで自分が年嵩としかさのような口のきき方をするのである。

「そんな会社の名、私あたしは聞いたことあれへなんだ。―――本店は巴里パリにあって、大資本の会社やねんてなあ」

「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」

「そうやて。そこに勤めてはるねんて」

「その人、仏蘭西語出来はるのん」

「ふん、大阪外語の仏語科出て、巴里にもちょっとぐらい行いてはったことあるねん。会社の外に夜学校の仏蘭西語の教師してはって、その月給が百円ぐらいあって、両方で三百五十円はあるのやて」

「財産は」

「財産云うては別にないねん。田舎に母親が一人あって、その人が住んではる昔の家屋敷と、自分が住んではる六甲の家と土地とがあるだけ。―――六甲のんは年賦で買うた小さな文化住宅やそうな。まあ知れたもんやわ」

「そんでも家賃助かるよってに、四百円以上の暮し出来るわな」

「どうやろか、雪子ちゃんに。係累はお母さん一人だけ。それかて田舎に住んではって、神戸へは出て来やはれへんねん。当人は四十一歳で初婚や云やはるし、―――」

「何で四十一まで結婚しやはれへなんだやろ」

「器量好みでおくれた、云うてはるねん」

「それ、あやしいなあ、よう調べてみんことには」

「先方はえらい乗り気やねん」

「雪きあんちゃんの写真、行ってたのん」

幸子の上にもう一人本家の姉の鶴子がいるので、妙子は幼い頃からの癖で、幸子のことを「中姉なかあんちゃん」、雪子のことを「雪姉ゆきあんちゃん」と呼びならわしたが、その「ゆきあんちゃん」が詰まって「きあんちゃん」と聞えた。

「いつか井谷さんに預けといたのんを、勝手に先方へ持って行かはってん。何やたいそう気に入ってはるらしいねんで」

「先方の写真ないのんか」

階下のピアノがまだ聞えているけはいなので、雪子が上って来そうもないと見た幸子は、

「その、一番上の右の小抽出こひきだしあけて御覧、―――」

と、紅棒を取って、鏡の中の顔へ接吻せっぷんしそうなおちょぼ口をした。

「あるやろ、そこに」

「あった、―――これ、雪きあんちゃんに見せたのん」

「見せた」

「どない云うた」

「例に依よってどないも云わへん、『ああこの人』云うただけや。こいさんどう思う」

「これやったらまあ平凡や。―――いや、いくらかええ男の方か知らん。―――けどどう見てもサラリーマンタイプやなあ」

「そうかて、それに違いないねんもん」

「一つ雪きあんちゃんにええことがあるで。―――仏蘭西語教おせてもらえるで」

顔があらかた出来上ったところで、幸子は「小槌屋こづちや呉服店」と記してある畳紙たとうの紐ひもを解きかけていたが、ふと思いついて、

「そやった、あたし『B足らん』やねん。こいさん下へ行って、注射器消毒するように云うといてんか」

脚気かっけは阪神地方の風土病であるとも云うから、そんなせいかも知れないけれども、此処ここの家では主人夫婦を始め、ことし小学校の一年生である悦子までが、毎年夏から秋へかけて脚気に罹かかり罹りするので、ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、近頃ちかごろでは医者へ行く迄までもなく、強力ベタキシンの注射薬を備えて置いて、家族が互に、何でもないようなことにも直すぐ注射し合った。そして、少し体の調子が悪いと、ヴィタミンB欠乏のせいにしたが、誰が云い出したのかそのことを「B足らん」と名づけていた。

ピアノの音が止やんだと見て、妙子は写真を抽出に戻して、階段の降り口まで出て行ったが、降りずにそこから階下を覗のぞいて、

「ちょっと、誰か」

と、声高こわだかに呼んだ。

「―――御寮人ごりょうんさん注射しやはるで。―――注射器消毒しといてや」

二

井谷と云うのは、神戸のオリエンタルホテルの近くの、幸子たちが行きつけの美容院の女主人なのであるが、縁談の世話をするのが好きと聞いていたので、幸子はかねてから雪子のことを頼み込んで、写真を渡しておいたところ、先日セットに行った時に、「ちょっと奥さん、お茶に附き合って下さいませんか」と手の空あいた隙すきに幸子を誘い出して、ホテルのロビーで始めてこの話をしたのである。実はこちらへ御相談をしないで悪かったけれども、ぐずぐずしていて良い縁を逃がしてはと思ったので、お預かりしてあったお嬢様のお写真を何ともつかず先方へ見せたのが、一箇月半程も前のことになる。それきり暫しばらく音沙汰おとさたがなかったので、自分は忘れかけていたのであったが、先方ではその間にお宅さんのことを調べた模様で、大阪の御本家のこと、御分家のお宅さんのこと、それから御本人のことについては、女学校へも、習字やお茶の先生の所へも、行って尋ねたらしい。それで御家庭の事情は何も彼かも知っていて、いつかの新聞の事件なども、あの記事が誤りだと云うことはわざわざ新聞社まで行って調べて来ているくらいなので、よく諒解りょうかいしていたけれども、なお自分からも、そんなことがあるようなお嬢様かどうかまあお会いになって御覧なさいと云って、納得が行くように説明はしておいた。先方は謙遜けんそんして、蒔岡まきおかさんと私とでは身分違いでもあり、薄給の身の上で、そう云う結構なお嬢様に来て戴いただけるものとも思えないし、来て戴いても貧乏所帯で苦労をさせるのがお気の毒のようだけれども、万一縁があって結婚出来るならこんな有難いことはないから、話すだけは話してみてほしいと云っている。自分の見たところでは、先方も祖父の代までは或ある北陸の小藩の家老職をしていたとかで、現に家屋敷の一部が郷里に残っていると云うのであるから、家柄の点ではそう不釣合ふつりあいでもないのではあるまいか。お宅さんは旧家でおありになるし、大阪で「蒔岡」と云えば一時は聞えていらしったに違いないけれども、―――こう申しては失礼であるが、いつ迄までもそう云う昔のことを考えておいでになっては、結局お嬢様が縁遠くおなりになるばかりだから、大概なところで御辛抱なすったらいかがであろうか。現在では月給も少いけれども、まだ四十一だから昇給の望みもないことはないし、それに日本の会社と違ってわりに時間の余裕があるので、夜学の受持時間の方をもっと殖やして四百円以上の月収にすることは容易だと云っているから、新婚の所帯を持って女中を置いて暮して行くには先まず差支えあるまい。人物については、自分の二番目の弟が中学時代の同窓で、若い時からよく知っているので、太鼓判を捺おすと云っている。そう云ってもお宅さんの手で一往いちおうお調べになるに越したことはないけれども、結婚がおくれた原因は全く器量好みのためで外に理由はないと云うのが、矢張ほんとうらしく思える。それは巴里パリにも行っていたのだし、四十を越してもいることだから、まるきり女を知らない筈はずはないだろうけれども、自分がこの間会って見た感じでは、それこそ生真面目きまじめなサラリーマンで、遊びの味などを知っていそうな様子は微塵みじんもなかった。器量好みなどと云うことは、得てそう云う堅人かたじんによくあるものだが、その人も巴里を見て来た反動でか、奥さんは純日本式の美人に限る、洋服なんか似合わなくてもよい、しとやかで、大人しくて、姿がよくて、和服の着こなしが上手で、顔立も勿論もちろんだけれども、第一に手足のきれいな人がほしいと云う注文なので、お宅のお嬢様なら打ってつけだと思うのであるが、―――と云うような話なのであった。

長らく中風症で臥ねたきりの夫を扶養ふようしつつ美容院を経営して、かたわら一人の弟を医学博士にまでさせ、今年の春には娘を目白に入学させたと云うだけあって、井谷は普通の婦人よりは何層倍か頭脳の廻転が速く、万事に要領がよい代りに、商売柄どうかと思われるくらい女らしさに欠けていて、言葉を飾るような廻りくどいことをせず、何でも心にあることを剥むき出しに云ってのけるのであるが、その云い方がアクドクなく、必要に迫られて真実を語るに過ぎないので、わりに相手に悪感を与えることがないのであった。幸子も最初、井谷がいつもの急せき込むような早口でしゃべるのを聞いていると、随分この人はと思うところもあったけれども、段々聞いて行くうちに、男勝りの親分肌はだな気象から好意で云ってくれていることがよく分るし、それに何よりも、理路整然と、打ち込む隙もなく話しかけて来られるので、ぐっと俯伏うつぶせに取って抑えられてしまった感じがした。そして、では早速本家の方とも相談をし、又此方こちらでもその人の身元を調べるだけは調べさせて戴いてと、その時はそう云って別れたのであった。

幸子の直すぐ下の妹の雪子が、いつの間にか婚期を逸してもう卅歳にもなっていることについては、深い訳がありそうに疑う人もあるのだけれども、実際はこれと云うほどの理由はない。ただ一番大きな原因を云えば、本家の姉の鶴子にしても、幸子にしても、又本人の雪子にしても、晩年の父の豪奢ごうしゃな生活、蒔岡と云う旧ふるい家名、―――要するに御大家であった昔の格式に囚とらわれていて、その家名にふさわしい婚家先を望む結果、初めのうちは降る程あった縁談を、どれも物足りないような気がして断り断りしたものだから、次第に世間が愛憎あいそをつかして話を持って行く者もなくなり、その間に家運が一層衰えて行くと云う状態になった。だから「昔のことを考えるな」と云う井谷の言葉は、ほんとうに為めを思った親切な忠告なので、蒔岡の家が全盛であったのはせいぜい大正の末期までのことで、今ではその頃ころのことを知っている一部の大阪人の記憶に残っているに過ぎない。いや、もっと正直のことを云えば、全盛と見えた大正の末頃には、生活の上にも営業の上にも放縦であった父の遣やり方が漸ようやく祟たたって来て、既に破綻はたんが続出しかけていたのであった。それから間もなく父が死に、営業の整理縮小が行われ、次いで旧幕時代からの由緒を誇る船場せんばの店舗が他人の手に渡るようになったが、幸子や雪子はその後も長く父の存生中のことを忘れかねて、今のビルディングに改築される前までは大体昔の俤おもかげをとどめていた土蔵造りのその店の前を通り過ぎ、薄暗い暖簾のれんの奥を懐なつかしげに覗のぞいてみたりしたものであった。

女の子ばかりで男の子を持たなかった父は、晩年に隠居して家督を養子辰雄たつおに譲り、次女幸子にも婿むこを迎えて分家させたが、三女雪子の不仕合せは、もうその時分そろそろ結婚期になりかけていたのに、とうとう父の手で良縁を捜して貰もらえなかったこと、義兄辰雄との間に感情の行き違いが生じたこと、などにもあった。いったい辰雄は銀行家の忰せがれで、自分も養子に来る迄は大阪の或る銀行に勤めていたのであり、養父の家業を受け継いでからも実際の仕事は養父や番頭がしていたようなものであった。そして養父の死後、義妹たちや親戚しんせきなどの反対を押し切って、まだ何とか蹈ふん張れば維持出来たかも知れなかった店の暖簾を、蒔岡家からは家来筋に当る同業の男に譲り、自分は又もとの銀行員になった。それと云うのは、派手好きな養父と違い、堅実一方で臆病でさえある自分の性質が、経営難と闘いつつ不馴ふなれな家業を再興するのに不向きなことを考え、より安全な道を選んだ結果で、当人にすれば養子たる身の責任を重んじたからこその処置なのであるが、雪子は昔を恋うるあまり、そう云う義兄の行動を心の中で物足りなく思い、亡なくなった父もきっと自分と同様に感じて、草葉の蔭かげから義兄を批難しているであろうと思っていた。と、ちょうどその時分、―――父が死んで間もない頃、義兄がたいそう熱心に彼女に結婚をすすめた口があった。それは豊橋市の素封家の嗣子ししで、その地方の銀行の重役をしている男で、義兄の勤める銀行がその銀行の親銀行になっている関係から、義兄はその男の人物や資産状態などをよく知っていると云う訳であった。そして豊橋の三枝さいぐさ家ならば格式から云っても申分はないし、現在の蒔岡家に取っては分に過ぎた相手であるし、本人も至って好人物であるからと、見合いをするまでに話を進行させたのであったが、雪子はその人に会って見て、どうにも行く気になれなかったのであった。と云うのは、別に男振がどうこうと云うのではないが、如何いかにも田舎紳士と云う感じで、なるほど好人物らしくはあるけれども、知的なところが全くない顔つきをしていた。聞けば中学を出た時に病気をしたとかで上の学校へは這入はいらなかったと云うのであるが、恐らく学問の方の頭は良くないのであろうと思うと、女学校から英文専修科までを優秀な成績で卒業した雪子としては、さきざきその人を尊敬することが出来そうもない懸念けねんがあった。それに、いくら資産家の跡取で生活の保証はあるにしても、豊橋と云うような地方の小都会で暮すことは淋さびしさに堪えられない気がしたが、それには誰よりも幸子が同情して、そんな可哀かわいそうなことがさせられるものかと云ったりした。義兄にしてみれば、義妹は学問はよく出来たかも知れないけれども、少し因循過ぎるくらい引っ込み思案の、日本趣味の勝った女であるから、刺戟しげきの少い田舎の町で安穏あんのんに暮して行くのには適しているし、定めし本人にも異存はあるまいと極めてかかったのが、案に相違したのであったが、内気で、含羞はにかみ屋で、人前では満足に口が利きけない雪子にも、見かけに依よらない所があって、必ずしも忍従一方の婦人ではないことを、義兄が知ったのはその時が最初であった。

が、雪子にしても、お腹の中ではっきり「否いや」にきまっていることなら、早くそう云えばよいものを、どうとも取れるような生返事ばかりしていて、いよいよとなってから、それも義兄や上の姉には云わないで、幸子に打ち明けたのは、一つには余りにも熱心な義兄の手前、云い出しにくかったせいもあろうが、そう云う風に言葉数の足りないのが、彼女の悪い癖なのであった。そのために義兄は内心否でないものと感違いをし、先方も見合いをしてからは、急に乗り気になって是非にと懇望して来ると云う訳で、話は退のっ引きならない所まで進んだのであったが、一旦「否」の意志表示をしてからの雪子は、そうなると義兄や上の姉が代る代る口を酸すくして頼むようにして勧めても、最後まで「うん」と云うことは[#「ことは」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「ことを」]云わないでしまった。今度は泉下の養父にも喜んで貰もらえると思ってかかった縁談であるだけに、義兄の失望は大きかったが、それより困ったのは、先方に対し、仲に立って斡旋あっせんしてくれた銀行の上役の人に対し、今更挨拶あいさつのしようがなくて冷汗の出る思いをしたこと、―――それも、尤もっともに聞える理由があるならばだけれども、顔が知的でないなどと下らぬ難癖をつけて、こんな、二度とありそうにもない勿体もったいない縁を嫌きらうと云うのは、ただ雪子の我が儘ままで、邪推をすれば、故意に兄を苦しい立ち場に陥おとしいれてやろうと云う底意があるのではないかとさえ、取れないでもなかった。

それから此方こっち、義兄は雪子の縁談には懲こり懲ごりした形で、他人が持って来てくれる話には喜んで耳を傾けるけれども、自分が積極的に取り持つことや、先に立って良い悪いの意見を述べることは、出来れば避けたいと云う風に見えた。

三

雪子を縁遠くしたもう一つの原因に、井谷の話の中に出た「新聞の事件」と云うものがあった。

それは今から五六年前、当時廿歳はたちであった末の妹の妙子が、同じ船場の旧家である貴金属商の奥畑おくばたけ家の忰せがれと恋に落ちて、家出をした事件があった。雪子をさしおいて妙子が先に結婚することは、尋常の方法ではむずかしいと見て、若い二人がしめし合わして非常手段に出たもので、動機は真面目まじめであるらしかったが、孰方どちらの家でもそんなことは許すべくもなかったので、直きに見つけ出して双方に連れ戻して、そのことはたわいもなく解消したかの如ごとくであったが、運悪くそれが大阪の或ある小新聞に出てしまった。而しかも妙子を間違えて、雪子と出、年齢も雪子の年になっていた。当時蒔岡家では、雪子のために取消を申し込んだものか、但ただしそうすれば半面に於いて妙子がしたことを裏書きするのと同じ結果を招く恐れがあり、それも智慧ちえのない話であるからいっそ黙殺してしまったものかと、当主辰雄が散々考えたのであったが、過ちを犯した者はどうあろうとも、罪のない者に飛ばっちりを受けさせて置く訳には行かぬと思ったので、取消を申し込んだところ、新聞に載ったのはその取消ではなく、正誤の記事で、予想した通り改めて妙子の名が出た。辰雄はその前に雪子の意見も聞いて見るべきであるとは心付いていたのだけれども、聞いたところで取り分け自分に対しては口の重い雪子が、どうせ明瞭めいりょうな答をしてくれそうもないことは分っていたし、義妹たちに相談すれば利害の相反する雪子と妙子との間が紛糾することもあろうしと考え、妻の鶴子に話しただけで、自分一人の責任でそう云う手段に出たのであったが、正直のところを云えば、妙子を犠牲にしても雪子の冤えんを雪すすぐことに依よって雪子によく思われたいと云う底意が、いくらか働いていたかも知れない。それと云うのが、養子の辰雄には、大人しいようでその実いつまでも打ち解けてくれない雪子と云うものが一番気心の分らない扱いにくい小姑こじゅうとめなので、こんな機会に彼女の機嫌きげんを取りたかったこともあろう。しかしその時も当てが外れて、雪子も妙子も彼に悪い感じを持った。雪子に云わせれば、新聞に間違った記事が出たのは私の不運としてあきらめるより仕方がない、取消などと云うものはいつも人目に付かない隅すみの方に小さく載るだけで、何の効果もありはしない、私達としては、取消にせよ何にせよ一回でも多く新聞に出ることが不愉快なのだから、そっと黙殺してしまうのが賢かったのだ、兄さんが私の名誉回復をしてくれるのは有難いけれども、そうしたらこいさんはどうなるであろう、こいさんのしたことは悪いには違いないが、年歯としはも行かない同士の無分別から起ったこととすれば、責められてよいのは監督不行届な両方の家庭で、少くともこいさんについては、兄さんは勿論もちろん私にだって一部の責任がないとは云えない、そう云っては何だけれども、私は自分の潔白は、知る人は知っていてくれると信じているので、あのくらいな記事でそんなにひどく傷つけられる自分であるとは思っていない、それより今度のことが原因で、こいさんが僻ひがみ出して不良にでもなったらどうするか、兄さんのすることは万事理窟りくつ詰めで、情味がない、第一これほどのことを、最も利害関係の深い私に一言の相談もせずに実行するとは専横過ぎる、―――と云うのであったが、妙子は妙子で、兄さんが雪姉きあんちゃんのために証あかしを立てて上げるのは当り前だけれども、私の名を出さないでも済ませる方法もあったろうではないか、相手は小新聞なのだから、何とか手を廻せば伏せてしまうことが出来たろうものを、兄さんはそう云う場合にお金を吝おしむからいけない、―――と、これはその時分から云うことがませていた。

辰雄はこの新聞の事件の時、世間に合わす顔がないと云って辞職願を出した程であった。尤もっともその方は「それには及ばぬ」と云うことで無事に済んだが、雪子が受けた災難の方は何としても償いようがなかった。たまたま幾人かの人は、正誤の記事に気が付いて彼女の冤罪を知ったでもあろうが、彼女は潔白であったにしても、そう云う妹娘のある事実が知れ渡ったことは、姉娘を、その自負心にも拘かかわらず、いよいよ縁遠くする原因になった。ただ、雪子自身は内心は兎とに角かく、表面は「それくらいなことで傷つきはしない」と云う建前でいたので、そんな事件のために妙子と感情が齟齬そごする結果にはならず、却かえって義兄に対して妙子を庇かばうと云う風であった。そして、この二人は、上本町うえほんまち九丁目の本家から、阪急蘆屋あしや川の分家、―――幸子の家の方へ、前からも始終、一人が帰れば一人が来ると云う風にして、代る代る泊りに来ていたのが、この事件を切掛きっかけにして段々頻繁ひんぱんになり、二人が一緒にやって来て半月も泊り続けることがあるようになった。それと云うのが、幸子の夫の貞之助ていのすけは、計理士をしていて毎日大阪の事務所へ通い、外に養父から分けて貰もらった多少の資産で補いをつけつつ暮しているのであったが、厳格一方の本家の兄と違って、商大出に似合わず文学趣味があり、和歌などを作ると云う風であったし、本家の兄のような監督権を持たなかったし、いろいろの点で雪子たちには、そう恐くない人なのであった。ただ余り雪子達の滞在が長くなると、本家へ気がねして「一遍帰ってもろたら」と幸子に注意することはあったが、幸子は毎度、そのことなら姉ちゃんが諒解りょうかいしていてくれるから、心配しやはらんでもよい、今では本家も子供が殖えて家が手狭になったことだし、時々妹達が留守にした方が姉ちゃんも息抜きが出来るであろう、まあ当分は当人達の好きなようにさせておいても別条はないと云い云いして、いつかそう云う状態が普通になっていたのであった。

そんな工合にして数年たつうちに、雪子の身の上には格別の変化も起らなかったが、妙子の境遇に思いがけない発展があったので、結局に於いてそれが雪子の運命にも或る関かかわりを持つに至った。―――と云うのは、妙子は女学校時代から人形を作るのが上手で、暇があるとよく小裂こぎれを切り刻んでいたずらしていたものであったが、だんだん技術が進歩して、百貨店の陳列棚だなへ作品が出るようになった。彼女の作るのは仏蘭西フランス人形風のもの、純日本式の歌舞伎かぶき趣味のもの、その他さまざまで、どれにも他人の追随を許さない独創の才が閃ひらめいていたが、それは一面、映画、演劇、美術、文学等に亘わたる彼女の日頃の嗜たしなみを語るものでもあった。兎とに角かく彼女の手から生れる可憐かれんな小芸術品は次第に愛好者を呼び集め、去年は幸子の肝煎きもいりで心斎橋筋の或る画廊を借かりて個展を開いた程であった。彼女は最初、本家は子供が大勢で騒々しいので、幸子の家へ来て作っていたが、そうなるともっと完全な仕事部屋がほしくなって、幸子の所から三十分もかからずに行ける、同じ電車の沿線の夙川しゅくがわの松濤しょうとうアパートの一室を借りた。本家の兄は妙子が職業婦人めいて来ることには不賛成であったし、殊ことに部屋借りをするのはどうかと思ったのだけれども、この時も幸子が口をきいてやって、―――過去にちょっとした汚点を持つ妙子は、雪子以上に縁遠い訳であるから、何か一つ仕事を当てがっておく方がよいかも知れない、部屋借りと云っても仕事をしに行くだけで寝泊りをするのではない、幸い友達の未亡人が経営しているアパートがあるから、よく頼み込んでそこを借りることにしたらどうであろう、そこなら近い所だから自分も時々様子を見に行くことが出来る、と云うようなことを云って、やや事後承諾的に運んでしまったのであった。

元来が陽気な性質の妙子は、雪子とは反対に警句や冗談などを飛ばすと云った風であったのが、事件を引き起した当座は陰鬱いんうつになってしまい、変に考え込んでばかりいたが、そう云う新しい世界の開けたのが救いになって、近頃は以前の朗かさを取り返しつつあったので、その点では幸子の見通しが中あたった訳であった。が、本家からは月々の小遣を貰ってい、その外に又作品が相当な値で売れるところから、自然金廻りがよくなって、時々びっくりするようなハンドバッグを提げていたり、舶来品らしい素敵な靴くつを穿はいていたりした。これには上の姉や幸子が心配して貯金をすすめたことがあったが、云われる迄までもなく蓄める方も如才なく蓄めていて、ちゃんと郵便貯金の通帳を、上の姉には内証だと云って幸子にだけ出して見せ、「中姉なかあんちゃんお小遣ないなら貸したげるわ」と云ったのには、さすがの幸子も開いた口が塞ふさがらなかった。と、或る時幸子は、「お宅のこいさんが奥畑の啓坊けいぼんと夙川の土手を歩いてはったのを見た」と云って、注意してくれた人があったのではっとした。実はこの間、妙子のポケット[#「ポケット」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「ポッケット」]からハンカチと一緒にライタアが転げ出したのを見て、妙子が隠れて煙草を吸うことには心づいていたが、廿五六にもなってそのくらいなことは仕方がなかろうかと思っていた矢先だったので、当人を呼んで聞いてみると、本当だと云う答であった。そして、だんだん質ただして行くと、あれきり啓ちゃんとは音信不通になっていたのだが、先日人形の個展を開いた時に見に来て、一番の大作を買ってくれたりしたことから、又附き合うようになった、でも勿論清い交際をしているのだし、それもほんのたまにしか会わない、自分も昔と違って大人になっているから、その点は信用して貰いたいと云うのであった。しかし幸子は、そうなって来ると、アパートに部屋を持たせておくことはちょっと不安で、本家に対しても責任があるように感じた。いったい妙子の仕事と云うものが、気分本位のものであり、そこへ持って来ていっぱし当人は芸術家気取でいるので、製作と云っても毎日詰めて規則的にするのではなく、幾日も続けて休むこともあり、気が向くと徹夜で仕事して翌朝脹はれぼったい顔をして帰って来ることもあり、寝泊りはさせない筈はずだったのが、だんだんそうも行かなくなっていた。それに、上本町の本家と、蘆屋の分家と、夙川のアパートとで、そう一々、妙子が何時に彼方あちらを出たから何時には此方こちらへ着く筈だと云う風に連絡を取っていなかったことなどを考えると、幸子は少し自分がぼんやり過ぎたか知らんと云う気がして、或る日妙子の留守を窺うかがってアパートへ行き、友達の女主人に会っていろいろそれとなく聞いてみたりしたが、女主人の云うのには、こいさんも近頃は偉くなって、製作法を習いに来る弟子が二三人も出来たけれども、それは奥様やお嬢様たちで、男の人と云っては、箱の職人が時々注文を取りに来たり品物を納めに来たりするくらいに過ぎない、仕事は、やり始めたら凝る方で、午前三時四時になることも珍しくないが、そんな時には、泊る設備もないことだから一服しながら夜の明けるのを待って、一番電車で蘆屋へ帰って行くと云う話で、時間の点なども辻褄つじつまが合っていた。部屋はこの間まで六畳の日本間だったのが、最近広い方へ変ったと云うので、行ってみると、洋間に一段高くなった四畳半の日本間の附いた部屋で、参考書、雑誌、ミシン台、裂地きれじその他の諸材料、末完成の作品等々で一杯になってい、壁に数々の写真がピンで留めてあるなど、芸術家の工房らしく雑然としてはいるけれども、さすがに若い女の仕事場らしい色彩の花やかさも感じられ、掃除もよく行き届いていて、きちんと整理してあり、灰皿の底にも吸殻すいがら一つ溜たまっていないと云う風で、その辺の抽出ひきだし、状挿じょうさしなどを調べてみても、何等訝いぶかしく思われる節もなかった。

幸子は実は、何か証拠のようなものを発見するのではあるまいかと思って、それが恐さに出かけて来る時は気が進まなかったのが、これなら来てみてよかったと心からほっとして、反動的に前よりもなお妙子を信じてしまったが、そのまま一二箇月過ぎて、もうそのことが忘れられた時分、或る日妙子が夙川へ行っている留守に、奥畑がひょっこり訪ねて来て、「奥様にお目に懸りたい」と云い入れた。船場時代にはお互の家が近い所にあった関係から、幸子も満更知らない顔ではなかったので、兎に角面会してみると、突然で失礼だとは思ったけれども折入って御諒解を願いたいことがありましてと云う前置きの後で、先年自分達の取った手段は過激であったとは思うが、決して一時の浮気心から出た行為ではなかったこと、あの時自分達は引き離されてしまったが、自分はこいさん(―――「こいさん」とは「小娘こいとさん」の義で、大阪の家庭で末の娘を呼ぶのに用いる普通名詞であるが、その時奥畑は妙子のことを「こいさん」と云うばかりか、幸子のことを「姉さん」と呼んだ)との間に、父兄の諒解を得られるまで何年でも待とうと云う固い約束をしたのであること、自分の方の父兄は、最初はこいさんを不良か何かのように誤解していたが、芸術的才能のある真面目まじめなお嬢さんであることを知り、又自分達の恋愛が健全なものであることをも知って来たので、今日では結婚に反対ではないらしいこと、などを語り、それで、こいさんから伺ったところでは、此方はまだ雪子姉さんの御縁がきまらないそうであるが、それがおきまりになってからなら、私達の結婚も許して戴いただけると思うと云うことなので、こいさんとも相談の上で僕がお願いに出たのである、自分たちは決して急ぎはしない、適当な時期が来るまで待つが、ただ自分達がそう云う約束をした間柄であることを、此方の姉さんだけは分っていて戴きたい、そして自分達を信用していて戴きたい、尚なお又、いつの日にか本家の兄さんや姉さん達の方を然しかるべく執り成して、自分達の希望を遂げさせて下さるなら更に有難い、此方の姉さんは一番理解がおありになり、こいさんの同情者であられると伺っていたので、こんな勝手なお願いをするのだけれども、―――と云うのであった。幸子は一往伺ってだけおきますと云う風な挨拶あいさつをして、承知したともしないとも云わずに帰したが、奥畑が話した程度のことなら、まるきり想像していないでもなかったので、そんなに意外には感じなかった。正直のところ、一度新聞にまで謳うたわれてしまった間柄である以上、二人を一緒にさせるのが最良の道であることは分っていたし、本家の兄や姉達も結局は同じ考に落ち着くことと思っていたのであるが、ただ雪子の心理に及ぼす影響を慮おもんぱかって、出来ればその問題は先へ延ばして置きたかったのであった。で、その日、奥畑を送り出したあとで、しょざいない時にはそうするのが癖の、ひとり応接間のピアノに向ってあれかこれかと譜本を引っぱり出しながら弾いているところへ、頃合を測って夙川から戻ったのであろう、妙子が何気ない顔をして這入はいって来たのを見ると、幸子はちょっと手を休めて、

「こいさん」

と云った。

「―――今奥畑の啓ぼんが帰って行かはった」

「そうか」

「あんた達のこと、あたしには分ってるけれど、―――今のとこ何も云わんと、任しといてえな」

「ふん」

「今持ち出したら、雪子ちゃんが可哀そうやよってにな」

「ふん」

「分ってるやろ、こいさん」

妙子は間が悪いらしく、強しいて無感覚な表情をして「ふん」「ふん」とばかり云っていた。

四

はじめ幸子は、妙子と奥畑との最近のいきさつを雪子にも誰にも話さずにいたが、或ある日又二人が散歩して夙川しゅくがわから香櫨園こうろえんへ行く途中阪神国道を横切ろうとすると、通りかかった阪国バスから雪子が降りて来て運悪く出遇であってしまったと云うことを、雪子は黙っていたけれども、そのことがあって半月も過ぎた時分に妙子から聞いた。で、そうなってから云わずにいて妙子が変に誤解されるようなことがあってもと思ったので、この間奥畑の訪問を受けて以来の事訳ことわけを語り、雪子ちゃんの縁がきまってからでよいので、急ぐことではないけれども、いずれあの二人は一緒にさせなければならないであろう、その時になったら本家の諒解りょうかいを得るために雪子ちゃんにも一と骨折って貰もらわなければ、―――と、云うように話して雪子の顔に現れる反応を窺うかがったが、雪子は別段のこともなく物静かに聞いてしまってから、順序が違うと云うだけの理由で延ばすのなら、そんな気がねをせず、先に二人を一緒にしたらよいと思う、私は後になったところで打撃を受けもせず、希望も捨てはしない、自分は自分で幸福な日が廻って来るような予感があるから、―――と、それが皮肉でも負け惜しみでもなく取れるように云った。

しかし当人はどう思っているにしても、姉妹の順で行かなければならないことだし、妙子の方はもう極まっているようなものだとすると、なおさら雪子の縁談を急ぐ必要があった。が、ざっと以上のような事情が彼女の婚期を後おくらせた原因になった外に、もう一つ雪子を不仕合せにしたのは、彼女が未ひつじ年の生れであることであった。一般に丙午ひのえうまをこそ嫌きらうけれども未年の生れを嫌う迷信は、関東あたりにはないことなので、東京の人達は奇異に感じるであろうが、関西では、未年の女は運が悪い、縁遠いなどと云い、殊ことに町人の女房には忌いんだ方がよいとされているらしく、「未年の女は門かどに立つな」と云う諺ことわざまであって、町人の多い大阪では昔から嫌う風があるので、ほんに雪子ちゃんの縁遠いのもそのせいかも知れないなどと、本家の姉は云い云いした。それやこれやで、だんだん兄や姉たちもそうむずかしい条件を出しては無理だと云うことが分って来、此方は初婚なのだから先方も同様でなければと云っていたのが、二度目の人でも子供さえなければと云い出し、次いで子供も二人までならと云い出し、年も二番目の義兄貞之助より一つや二つ上であっても外見が老ふけてさえいなければ、と云うところまで折れて来るようになった。雪子は義兄達や姉達の意見が一致した時なら、何処どこへでも云われるままに縁づくと云ってい、それらの条件にも不服を唱えはしなかったけれども、ただ、子供がある場合にはなるたけその子供が可愛いい顔だちの女の児であってほしい、そうすれば自分が本当に可愛がることが出来るような気がするから、と云い、四十何歳と云う年の人を夫に持つのだとすれば、もうその人の立身の限度も大凡おおよそ見えていて、さきざき収入が殖える当ても少いことだし、此方が未亡人になる可能性も多いことだから、大した財産は要いらないにしても、老後の生活を保証するだけの用意のあることが望ましいと云っていたが、この後あとの注文は本家や分家の者達も至極尤もっともなこととして、条件の一つに加えていた。

井谷の話はそう云うところへ持ち込まれた訳なので、大体に於いて此方の注文と余りかけ離れてはいなかった。財産がないと云うことだけが条件に外れているけれども、その代り四十一と云うので、貞之助より一つ二つ若く、従ってまだ将来がないと云う年ではない。姉の夫より年上でもとは云ったようなものの、勿論もちろんそうでなくて済めばその方が体裁がよく、それに越したことはないのである。そして、何より彼かより一番よいことは相手が初婚であると云う一事で、これは、或は望めないことではないのかと諦あきらめかけていただけに、最も此方の食指が動く点であり、この先そう云う口はめったに見付かりそうもなく思えた。要するに、外に少しぐらい不満足なところがあっても、初婚の一事はそれらの総すべてを補って余りあるものであった。それから、その人が俸給生活者であるとは云うものの、仏蘭西フランス仕込みで彼の地の美術文学にも多少通じているらしいことは、恐らく雪子に気に入るであろうと幸子には思えた。と云うのは、知らない人は誰も雪子を純日本趣味のお嬢様とばかり取りがちだけれども、それは服装や体つきや言語動作から受ける表面の感じで、あれで実際は必ずしもそうでなく、現に今も仏蘭西語の稽古けいこをしているし、音楽などは日本物より西洋物の方により理解があると云う風なのである。幸子は内々MB化学工業会社に手蔓てづるを求めて、その、姓は瀬越と云う人の評判などを問い合せて見、外へも手を廻して調べて見たが、どの方面で聞いても人格について悪く云う人は一人もないので、まあこの辺が良い縁かも知れない、いずれ本家とも相談をして、と思っていると、今から一週間程前、突然井谷が蘆屋の家へタキシーを乗りつけて、先日の話はお考え下すったでしょうか、と云う催促と共に先方の写真を持って来た。例の井谷の畳みかけるような話ぶりなので、此方はこれから本家と相談をするところで、とは、いかにも悠長ゆうちょうらしくて云い出せず、大変結構な御縁だと思って只今ただいま先方様のことを本家の方で調べているところですから、後あと一週間もたちましたら御挨拶に出られる積りです、と、ついそう云ってしまうと、こう云う話は早いに限りますから、その気がおありになるのでしたら、出来るだけお急ぎになった方がよくはないでしょうか、瀬越さんの方は毎日電話で「まだかまだか」と矢の催促で、兎とに角かく僕の写真もお目に懸けて、ついでに様子を伺って来て下さいと云われましたので、ちょっとお立寄りしたのです、では一週間後にきっと御返事を、と、五分ばかりの間にこれだけのことを手短かにしゃべって、待たして置いたタキシーに飛び乗って、直ぐ又帰って行ってしまった。

幸子は万事上方かみがた式に気が長い方なので、仮にも女の一生の大事をそう事務的に運ぼうと云うのは乱暴なと思いもしたけれども、井谷に臀しりを叩たたかれた形になって、行動の遅い彼女にしては珍しく、明くる日上本町へ出かけて行って姉にあらましの話をし、返事を急せかされている事情などを打ち明けて云ってみたが、姉は又幸子に輪をかけた気の長さなので、そう云うことにはひとしお慎重で、悪くない話とは思うけれども一往夫にも相談してみて、よければ興信所に頼んで調べて貰い、その上でその人の郷里へも人を遣やって、などと、なかなか暇が懸りそうなことを云うのであった。で、本家がああ云うからにはとても一週間やそこらでは埒らちが明くまい、早くても一と月は懸ると見たので、何とかしてその間を引っ張って置く積りでいると、ちょうど約束の一週間が切れた昨日、又タキシーが家の前で停ったので、はっと思うと案の定井谷が這入はいって来た。此方が慌あわてて、昨日又本家の方を急せかしてみましたところ、大体異存がないらしいのですけれども、まだ調べの行き届かない点があるから、もう四五日待って戴きたいように云っていますので、と、言訳しかけるのを皆まで聞かずに、大体御異存がないのでしたら、細かい調べは後にして、兎に角本人さん同士会って御覧になったら如何いかがでしょうか、見合いと云うような形式張ったことでなく、私が両方を晩の御飯にお招きすると云うことにしますから、御本家の方達はおいで下さらないでも、此方の御夫婦がお附添い下されば結構です、先方は非常にそれを望んでおられるのですが、と、退っ引きならぬように云った。井谷にしてみれば、この姉妹たちは少し思い上りすぎている、人が熱心に奔走してやっているのに、いつ迄まで悠長ゆうちょうなことを云っていてどうする気だろう、そんな風だから婚期に後れてしまうのではないか、ちと眼が覚めるようにしてやらなければ、と云う腹があるので、なおさら押っ被かぶせるように云うのであったが、幸子にも、うすうすその気持が分らなくはないので、ではいつ、と云うと、急なお話のようですけれども明日の日曜にして戴けると瀬越さんも私も大変都合がよいのですが、と云う。明日は先約がありまして、と云うと、では明後日と、直ぐ畳みかけて来るので、それなら大概明後日と云うことにして置いて、しかとしたところは明日の午ひる頃電話で御返事申しますからと、そう云って帰って貰った昨日の今日のことなのである。

「なあ、こいさん、―――」

と、幸子は、引っかけてみた衣裳いしょうが気に入らないで、長襦袢ながじゅばんの上をぱっと脱ぎすてて別な畳紙たとうを解きかけていたが、ひとしきり止やんでいたピアノの音が再び階下から聞えて来たのに心付くと、又思い出したように云った。

「実はそのことで、難儀してるねん」

「そのことて、何のこと」

「今、出かける前に、井谷さんに何とか電話で云うとかんならん」

「何で」

「あの人、昨日又やって来やはって、今日にも見合いさしてほしい云やはるねんが」

「あの人、いつもそんなやで」

「正式の見合いと違うて、一緒に御飯たべるだけやさかい、そんなに堅苦しゅう考えんと、是非承知してほしい云やはって、明日は都合が悪い云うたら、そんなら明後日は如何です云やはるよってに、どうにもいやや云うこと云われへんねん」

「本家はどない云うてるのん」

「姉ちゃんが電話に出て来て、行くのんやったらあんた等らが附いて行きなさい、私等らが附いて行ったら後で引っ込みがつかんことになるさかいに云うねん。―――井谷さんもそれでええとは云うてはるねんけど」

「雪姉きあんちゃんは」

「さあ、それやがな」

「いやや云うのんか」

「いやとは云うてえへんけど、………ま、昨日来て今日明日のうちに見合いしょうて、そない軽々しゅう扱われとうない云うのんが、ほんとうのとこやないやろか。何せはっきり云うてくれへんさかい分らへんねんけど、もうちょっとその人のこと調べてからでもええやないか云うて、何ぼすすめても行こう云うこと云うてくれへんねん」

「そんなら、井谷さんにどない云うのん」

「どない云おう。―――何とかちゃんとした理由云わなんだら、何処どこまでも追究されるにきまったあるし、………今度のことはどうなるにしても、あの人怒らしてしもて、この先世話して貰えんようになったら難儀やし、………なあ、こいさん、今日明日でのうても、四五日うちに行ってくれるように、一遍こいさんからも云うてみてえな」

「云うてみることはみるけれど、雪姉きあんちゃんそない云い出したら、あかんやろ思うわ」

「いや、そうやないて。―――今度のんはあんまり急なこと云われたのんが気に入らんのんで、お腹の中は満更いややないらしいねん。味善あんじょう云うたら承知するやろと、あたしは見てる」

襖ふすまが開いて、雪子が廊下から這入って来たので、ひょっと聞かれたかも知れないと思いながら、幸子はそれきり口を噤つぐんだ。

五

「中姉なかあんちゃん、その帯締めて行くのん」

と、姉のうしろで妙子が帯を結んでやっているのを見ると、雪子は云った。

「その帯、―――あれ、いつやったか、この前ピアノの会の時にも締めて行ったやろ」

「ふん、締めて行った」

「あの時隣に腰掛けてたら、中姉ちゃんが息するとその袋帯がお腹のところでキュウ、キュウ、云うて鳴るねんが」

「そやったか知らん」

「それが、微かすかな音やねんけど、キュウ、キュウ、云うて、息する度たびに耳について難儀したことがあるねんわ、そんで、その帯、音楽会にはあかん思うたわ」

「そんなら、どれにしょう。―――」

そう云うと又箪笥たんすの開きをあけて、幾つかの畳紙を引き出してはそこら辺へんへ一杯に並べて解き始めたが、

「これにしなさい」

と、妙子が観世水かんぜみずの模様のを選び出した。

「それ、似合うやろか」

「これでええ、これでええ。―――もうこれにしとき」

雪子と妙子とは先に着附を終っていて、幸子だけが後おくれているので、妙子は子供を賺すかすように云いながら、又その帯を持って姉のうしろへ廻ったが、漸ようやく着附が出来たところで、幸子はもう一度鏡の前に坐すわったかと思うと、

「あかん」

と、頓狂とんきょうな声を出した。

「―――この帯もあかん」

「何でやねん」

「何でて、よう聞いてて御覧。―――ほれ、これかてキュウ、キュウ云うてるがな」

そう云って幸子は、わざと呼吸をして帯のお腹なかに当るところを鳴らしてみせた。

「ほんに、云うてるわ」

「そんなら、あの、露芝つゆしばのんは」

「どうやろか、―――ちょっとあの帯捜して見て、こいさん」

三人のうちで一人洋装をしている妙子は、身軽に彼方此方あちらこちらと、そこらに散らばった畳紙の中味を調べてみて、それを見附けると又姉のうしろへ廻った。幸子は結ばれたお太鼓の上を片手でおさえて、立ったまま二三度息をしてみて、

「今度はええらしい」

と、口に咬くわえていた帯締を取って中へ通したが、そうしてきちんと締めてしまうと、又その帯もキュウキュウ云い出した。

「何でやろ、これもやわ」

「ほんになあ、うふふふふふ」

幸子のお腹のあたりが鳴る度に三人が引っくり覆かえって笑った。

「うふふふふふ、袋帯を止やめにせなあかん、袋帯云うもんがあかんねんわ」

と、雪子が云った。

「いや、袋帯のせいやあれへん、地質のせいやわ」

「そうかて、近頃の袋帯は皆その地質のもんばかりやないか。その地質で、それが袋になってるよってに尚なおのことキュウキュウ云うねんが」

「分った、中姉ちゃん、分ったわ」

と、妙子が又別な帯を引っ張り出した。

「これして御覧。これやったら音せえへんやろ思うわ」

「それかて袋帯やないか」

「ま、うちの云う通りにしてみなさい、どう云う訳で鳴るか云うことが分ったよってに」

「もう一時過ぎやわ。早うせなんだら済んでしまう。今日みたいな会は正味演奏する時間ほんちょっとしかあれへんで」

「そうかて、雪子ちゃん、自分が帯のこと云い出したんやないか」

「そんでも折角聴きに行くのんに、あんな音が耳についたらどうにもならへんもん」

「ああ忙せわしい。解いたり締めたり何遍もせんならん。汗掻かいてしもたわ」

「阿呆あほらしい、うちの方がしんどいがな」

と、妙子がうしろで膝ひざをついて、ぎゅうっと締め上げながら云った。

「注射は此方こちらでなさいますか」

と、お春が盆の上に、消毒した注射器、ベタキシンの箱、アルコールの罎びん、脱脂綿入れ、絆創膏ばんそうこう、等々を載せて這入はいって来た。

「雪子ちゃん、頼むわ、注射や注射や」

そう云って幸子は、

「あ、それからなあ、―――」

と、出て行くお春の背中に浴びせた。

「―――自動車云うといてんか、もう十分したら来るように」

雪子は毎度のことなので、馴なれた手つきでベタキシンのアンプールを鑢やすりで切って、液を注射器に吸い上げると、まだ鏡の前に立ってお太鼓に背負しょい上げを入れさせている幸子の左の腕をとらえて、肩の辺までまくり上げた。そしてアルコールを染しました脱脂綿で二の腕をゴシゴシ擦こすってから、器用に注射の針を入れた。

「あ、痛い」

「今日はちょっと痛いかも知れん、時間ないよってにそないゆっくりしてられへん」

一瞬間、ヴィタミンBの強い匂においが部屋じゅうに満ちた。雪子が絆創膏を貼はった上からぴたぴた叩たたいて肉を揉もんでやっていると、

「此方も済んだで」

と、妙子が云った。

「この帯やったら、帯締どれにしょう」

「それでええやんかいな、早う、早う、―――」

「そない急せからしゅう云わんといて。急かされたら尚のことかあッとしてしもて何も彼かも分らんようになるがな」

「そんでどうや、中姉ちゃん、息して御覧」

「ふん、ほんに、―――」

妙子に云われて、幸子は頻しきりに息をしてみながら、

「ほんに、これやったらどないもあらへん。―――何でやねん、こいさん」

「帯が新しいよってにキュウキュウ云うねんが。この帯やったら、古うなって、地がくたびれてるよってに音せえへんねん」

「ほんになあ、そのせいやってんなあ」

「少し頭を働かしなさいや」

「御寮人ごりょうんさんに電話でございます、井谷さんから、―――」

と、お春が廊下を駈かけて来て云った。

「あ、えらいこッちゃ、電話かけるのん忘れてしもてん」

「ほれ、もう自動車来たらしいわ」

「どうしょう、どうしょう」

と、幸子は鼻を鳴らしたが、雪子はまるで他人事ひとごとのように澄まし込んでいた。

「なあ、雪子ちゃん、どない云うとこう」

「どないなと云うといて」

「そうかて、あの人、味善あんじょう云わなんだら承知しやはらへんねん[#「しやはらへんねん」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「しやはれへんねん」]」

「そこのとこ、ええように頼むわ」

「そんなら、兎に角、明日のとこだけ見合せてもろとくわな」

「ふん」

「ええやろ、それで」

「ふん」

立っている幸子には、坐って下を向いている雪子の表情を、どうにも読み取りようがなかった。

六

「悦ちゃん、そんなら行って来まっせ」

雪子は出しなに洋間を覗のぞいて、小女こおんなのお花を相手にままごとの道具を並べている悦子に云った。

「ええか、あんじょう留守番頼みまっせ」

「お土産分ってるなあ、姉ちゃん」

「分ってる。こないだ見といた御飯の炊たける玩具おもちゃやろ」

悦子は本家の伯母のことだけを「おばちゃん」と呼び、二人の若い叔母のことは「姉ちゃん」「こいちゃん」と呼ぶのであった。

「きっと夕方までに帰るなあ姉ちゃん」

「ふん、きっと帰る」

「きっとやなあ」

「きっとや、お母ちゃんとこいちゃんは神戸でお父さんが待ってはるさかい、晩の御飯たべに行くけれど、姉ちゃんは帰って来て悦ちゃんと一緒に内でたべる。何ぞ宿題あるのんやろ」

「綴方つづりかたがあるねん」

「そんなら遊ぶのんええ加減にして、書いときなさいや、帰ってから見たげるよってに」

「姉ちゃん、こいちゃん、行ってらっしゃい」

そう云って玄関まで送って来た悦子は、スリッパアのまま土間へ降りて、敷石の上を跳びながら門の際きわまで二人の叔母の跡を追って出た。

「帰るなあ、姉ちゃん、譃うそついたらいかんよ」

「何遍一つこと云うてるのん、分ってるがな」

「帰らなんだら悦子怒るよ、ええか姉ちゃん」

「ああうるさい、分ってる、分ってる」

雪子はしかし、自分が悦子からそう云う風に慕われているのが嬉うれしいのであった。どう云う訳か、この児は母親が外出すると云ってもこんなにまで跡を追わないのに、雪子が出かける時はいつも執拗しつこく附き纏まとって何とか彼とか条件を出さずにはいない。雪子は自分が、兎角とかく上本町の本家の方にいるのを嫌きらって蘆屋あしやの方にばかり来ているのは、本家の兄と折合が悪いこと、姉のうちでも二番目の姉の方が馬が合うこと、等々が主な原因であるように、世間は勿論もちろん自分でも何となくそう思い込んでいたけれども、実は悦子に対する愛情が、前の二つにも勝る原因ではないのだろうかと、近頃心づくようになった。そしてそう心づいてからは、ひとしお愛情がこまやかになるのを感じた。そう云えばいつか本家の姉から、雪子ちゃんは幸子ちゃんの子ばかり可愛がって内の子供をさっぱり可愛がってくれないと嫌味いやみを云われたことがあって、返答に困ったのであるが、正直のところ、雪子はちょうど悦子ぐらいの年頃の、悦子のような型に属する女の児が好きなのであって、本家の子供達と云うのは、なるほど大勢いることはいるけれども、女の児は今年二つになる赤ん坊が一人だけで、あとは男の児ばかりであるから、彼女の関心を惹ひく程度は、とても悦子とは比べものにならないのであった。彼女は早く母親に死なれ、父親にも十年程前に死なれてしまった今、本家と分家との間を往ったり来たりして定った住居もないような身の上であるから、明日が日何処どこへ縁づこうとも格別心残りはないようなものの、でももし結婚するとなったら、誰よりも一番親しくし、頼みにもしていた幸子と逢えなくなると云うこと、いや、幸子にはまだ逢えもしようが、悦子と逢えなくなってしまうこと、逢えても最早や昔日の悦子ではなくなっているであろうこと、―――自分の及ぼした感化なり、注ぎつくした愛情なりを、次第に悦子が忘れ去って別な悦子になっているであろうこと、―――を思うと、母親としていつまでもこの少女からの愛慕を専有していられる幸子が羨うらやましいような、口惜くやしい気持がするのであった。彼女が結婚の条件として、二度目の人の許もとへ縁づくのなら可愛い女の児のある所へ行きたいと云ったのは、そんな理由からなのであったが、たといそう云う条件に当て篏はまった所へ行き、悦子以上に可愛らしい女の児の母となることが出来たとしても、とても悦子を愛するようにはその児を愛しられそうもなく思えるので、それを考えると、婚期に後おくれていると云うことも、端はたで見るほど自分では淋さびしく感じていなかった。どうかすれば、強しいて身をおとして気のすすまない人の所へ嫁ぐよりは、このままこの家に置いて貰もらえて、母親の幸子がする役を自分がさせて貰えるのであったら、それで孤独が救われて行きそうに思いさえした。

ありていに云うと、雪子をそう云う風に悦子に結び着けたのには、いくらか幸子の仕向け方もあったかも知れない。たとえば蘆屋の家にも、雪子と妙子とが共同で使う部屋を一つ当てがってあったが、妙子がそこを始終仕事場に利用するようになった機会に、幸子のはからいで雪子を悦子と同居させることに定さだめた。悦子の部屋と云うのは二階の六畳の日本間で、畳の上に背の低い小児用の木製の寝台が置いてあり、今まで夜は女中が一人その寝台の下に寝床を敷いて悦子に附き添って寝ていたのであるが、それからは女中の代りに、雪子が折り畳み式になった寝台用の藁布団わらぶとんの上にパンヤの敷布団を二枚重ね、悦子の寝台とほぼ同じ高さに寝床を敷かせて寝るようにした。そんなことが始まりで、病気の時の介抱、学課の復習、ピアノの練習、弁当のお数やお三時の心づかい、等々の役目がだんだん幸子から雪子の方へ移って行った。それは一つには、雪子の方が幸子よりもいろいろそういうことにかけて適任であったからとも云える。悦子は見たところ血色も肉づきも健康そうでありながら、母親に似た体質で何処か抵抗力の弱いところがあるらしく、淋巴腺リンパせんを脹はらすとか扁桃腺へんとうせんを患わずらうとかして、よく高熱を出すことがあったが、そんな時に二日も三日も徹夜で看護して氷嚢ひょうのうや湿布を取り換える、と云うような仕事に、誰よりも堪えられるのは、雪子なのであった。いったい三人の姉妹のうちでは、雪子が一番体つきがきゃしゃで、腕などは悦子とあまり違わないくらいの太さしかなく、いかにも胸の病など[#「病など」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「病などが」]ありそうな恰好かっこうに見えるので、そんなことも彼女を今迄まで縁遠くしていた原因の中に数えられるのであるが、それでいて消極的な抵抗力は最も強く、家じゅうの者が順々に流感に感染するような時でも彼女だけは罹かからずにしまうと云う風で、今迄ついぞ病気らしい病気をしたことがなかった。その点になると一番丈夫そうに見える幸子が、実は悦子と同様に見かけ倒しで、一番意気地がなく、少し無理な看病が続けば結局自分が倒れてしまって、余計端の者に厄介をかけた。それと云うのが、幸子は先代の蒔岡家が全盛を極めた時代に育ち、亡なくなった父の寵愛ちょうあいを一身に鍾あつめて成人したので、七つになる児の母親である今日でも、何処かだだっ児じみた所があって、精神的にも体質的にも怺こらえ性しょうがなく、ややともすれば二人の妹からあべこべに窘たしなめられると云う風なのであるが、そんな調子であるから、病気の看護に限らず、総すべて子供をしつけることには甚はなはだ不向きで、よく悦子を相手に本気で喧嘩けんかすることがあった。で、世間では、幸子が雪子を家庭教師のように扱っていて、手放したがらないものだから、そのために一層縁談が纏まりにくいのだ、良い話があっても幸子が傍から壊こわしてしまうのだ、などと云う者もあり、そんな噂うわさが廻り廻って本家の方へ聞えたりしたが、本家の姉はそこまで幸子を誤解するようなことはなかったものの、雪子ちゃんがいれば重宝だものだから、それで此方へ帰らしてくれないのだ、と云うくらいな蔭口かげぐちはきいた。貞之助もそれを気にして、雪子ちゃんが此方に泊っているのはよいとしても、自分達親子三人の関係の中へ割り込んで来られるのは面白くないから、悦子との間をもう少し遠ざけたらどうであろうか、悦子がお前を疎うとんじて雪子ちゃんを慕うようになったら困る、と云ったことがあったが、幸子に云わせると、それは貞之助の思い過しで、悦子はああ見えて子供相応に如才ないところがあり、雪子に甘えてはいるけれども、本心は矢張あたしを一番好いてもいるし、何かの場合私あたしに縋すがり着かなければ駄目だめだと云うことも、結局姉ちゃんはお嫁に行くべき人だと云うことも知っている、あたしも雪子ちゃんのお蔭で子供の面倒を見る手間が省けて、助かっているには違いないけれども、そんなことは雪子ちゃんがお嫁に行く迄の、当座の間のことだ、それより私あたしは、あんなに雪子ちゃんは子供の世話をすることが好きなのだから、今のところ悦子と云うものを当てがって置いて、いくらかでも婚期に後れた不仕合せを忘れさせようと思っているのだ、こいさんには人形の製作と云う仕事もあり、それに伴う収入もあるのに、(そして密ひそかに云い交している人もあるらしいのに)雪子ちゃんには何もそう云うものはないし、極端に云えば身の置き所もないような境涯なのだから、あたしとしてはあの人が可哀そうでならない、それで悦子に雪子ちゃんの孤独を慰める玩具おもちゃの役をさせてあるのだ、と云うのであった。

雪子は幸子のそこまでの考を酌くみ取っていたかどうか知れないが、実際悦子が病気などの時には、母親でも看護婦でもとてもこうは行くまいと思えるほど献身的に介抱に努めた。そして悦子がいるために誰か一人留守をしなければならない場合、なるべく自分がその任に当って、幸子夫婦や妙子を出してやるようにした。だから今日の日曜なども、いつもならば彼女は居残るところなのであるが、生憎今日の会と云うのは、阪急御影みかげの桑山邸にレオ・シロタ氏を聴く小さな集りがあって、それに三人が招待されていると云う訳で、雪子は外の会ならば喜んで棄権するのだけれども、ピアノと聞くと行かずにはいられないのであった。で、幸子と妙子とは会が終ってから、有馬方面へハイキングに出かけた貞之助と落ち合って、神戸で晩飯をたべる約束になっていたのであるが、雪子はその方だけを棄権して先に帰ることにしたのであった。

七

「ちょっと、中姉なかあんちゃんまだやろか。―――」

二人はさっきから門のところに待っているのに、幸子がなかなか出て来そうもないので、

「―――もう二時になるがな」

と、妙子は運転手が扉とびらを開けて立っている方へ寄って行った。

「えらい長い電話やなあ」

「まだよう切らんのんかいな」

「切ろう思うても切らしてくれはれへんのんで、気が気やないねん」

雪子は又しても他人事ひとごとのように可笑おかしがりながら、

「悦ちゃん、お母ちゃんに云うといで。―――電話ええ加減にして早よいらっしゃいて」

「乗ってよか、雪姉きあんちゃん」

と、妙子は扉に手をかけながら云ったが、そう云う礼儀は正しく守ることにしている雪子が、

「待ってよう」

と云ったきり応じないので、自分も仕方なく車の前に止った。そして悦子が奥へ駈かけ込んで行ったのを見ると、

「井谷さんの話のこと、聞いたで」

と、運転手の方へ聞えないように云った。

「そうか」

「写真も見せてもろたで」

「そうか」

「雪姉きあんちゃん、どう思うてるのん」

「写真見ただけで分るかいな」

「そやよってに、会うてみたらどうやのん」

「………」

「折角云うて来てくれはったのんに、会うのんいやや云うたら中姉ちゃんが難儀するがな」

「そうかて、そない急せかんならん理由あるやろか」

「ま、きっとそんなこッちゃないやろか云うててんけど、………」

そこへどたどたと足音がして、

「あ、ハンカチ忘れたわ、誰か持って来て。ハンカチハンカチ」

と、はみ出した長襦袢ながじゅばんの袖そでをそろえながら、幸子が門口へ飛んで出た。

「お待ち遠さん」

「長いなあ、ほんまに」

「そない云うたかて、何と言訳したらええのんやら、………今やっと切ったとこやがな」

「まあ、ええ、その話後で聞こ」

「早よ乗りいな」

と、雪子の尾について妙子が云った。

幸子の家から蘆屋川の停留所までは七八丁と云うところなので、今日のように急ぐ時は自動車を走らせることもあり、又散歩がてらぶらぶら歩いて行くこともあった。そして、この三人の姉妹が、たまたま天気の好い日などに、土地の人が水道路すいどうみちと呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所よそ行きの衣裳いしょうを着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹ひかずにはいなかったので、あのあたりの町家の人々は、皆よくこの三人の顔を見覚えていて噂うわさし合ったものであったが、それでも三人のほんとうの歳を知っている者は少かったであろう。幸子には悦子と云うものがあるので、そんなに隠せはしない筈はずだけれども、その幸子さえどうしても二十七八以上には見えず、まして嫁入前の雪子はせいぜい取っていても廿三四、妙子になると十七八の少女に間違えられたりした。だから雪子などは、本来ならばもう「お嬢さん」だの「娘とうちゃん」だのと呼ぶのには可笑しい年頃なのだけれども、誰もそう呼んでいて奇妙に思う者はなかったし、又三人ながら派手な色合や模様の衣裳がよく似合うたちなのであった。それは衣裳が派手であるから若く見えると云うのではなくて、顔つきや体つきが余り若々しいために派手なものを着なければ似合わないと云うのが本当であった。貞之助は、去年この姉妹に悦子を連れて錦帯きんたい橋へ花見に行った時、三人を橋の上に列ならべて写真を撮ったことがあって、その時詠よんだ彼の歌に、―――美しき姉妹おとどい三人みたり居ならびて写真とらすなり錦帯橋の上、と云うのがあったが、全く、この姉妹はただ徒いたずらに似ていると云うのとは違って、それぞれ異なった特長を持ち、互に良い対照をなしながら、一方では紛う方なき共通点のあるところが、見る人の目にいかにもよい姉妹だと云う感を与えた。先まず身の丈からして、一番背の高いのが幸子、それから雪子、妙子と、順序よく少しずつ低くなっているのが、並んで路を歩く時など、それだけで一つの見物みものなのであるが、衣裳、持ち物、人柄、から云うと、一番日本趣味なのが雪子、一番西洋趣味なのが妙子で、幸子はちょうどその中間を占めていた。顔立なども一番円顔で目鼻立がはっきりしてい、体もそれに釣つり合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はまたその反対に一番細面の、なよなよとした痩形やせがたであったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は夏の間は主に洋服、その他は和服と云う風であった。そして似ていると云う点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ぱっと明るい容貌ようぼうの持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、そう云う雪子も、見たところ淋さびしい顔立でいながら、不思議に着物などは花やかな友禅縮緬ちりめんの、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物しまものなどはまるきり似合わないたちであった。

いつも音楽会と云えば着飾って行くのに、分けても今日は個人の邸宅に招待されて行くのであるから、精一杯めかしていたことは云うまでもないが、折柄の快晴の秋の日に、その三人が揃そろって自動車からこぼれ出て阪急のフォームを駈け上るところを、居合す人々は皆振り返って眼を欹そばだてた。日曜の午後のことなので、神戸行の電車の中はガランとしていたが、姉妹の順に三人が並んで席に就いた時、雪子は自分の真向うに腰かけている中学生が、含羞はにかみながら俯向うつむいた途端に、見る見る顔を真まっ赧かにして燃えるように上気して行くのに心づいた。

八

悦子はままごとにも飽きてしまうと、お花に云いつけて二階の部屋から帳面を持って来させて、洋間で宿題の綴方つづりかたを書いていた。

いったいこの家は大部分が日本間で、洋間と云うのは、食堂と応接間と二た間つづきになった部屋があるだけであったが、家族は自分達が団欒まどいをするのにも、来客に接するのにも洋間を使い、一日の大部分をそこで過すようにしていた。それに応接間の方には、ピアノやラジオ蓄音器があり、冬は煖炉だんろに薪まきを燃やすようにしてあったので、寒い時分になると一層皆が其方そちらにばかり集ってしまい、自然そこが一番賑にぎやかであるところから、悦子も、階下に来客が立て込む時とか、病気で臥ねる時とかの外は、夜でなければめったに二階の自分の部屋へは上って行かないで、洋間で暮した。二階の彼女の部屋と云うものも、日本間に西洋家具の一揃そろいが備えてあって、寝室と勉強部屋を兼ねるようにしてあったのだけれども、悦子は勉強するのにも、ままごと遊びをするのにも、応接間ですることを好み、いつも学校用品やままごとの道具をそこら一杯散らかしているので、不意に来客があったりすると、よく大騒ぎをすることがあった。

夕方、表のベルが鳴ると、悦子は鉛筆を放り出して迎えに出たが、約束のお土産の包を提げて応接間へ這入はいって来た雪子のあとから、自分も飛んで這入りながら、

「見たらいかんよ」

と、慌あわてて帳面をテーブルの上に伏せた。そして、

「お土産、見せて」

と、直すぐその包を引ったくって、中の玩具おもちゃを長椅子の上にならべた。

「有難う、姉ちゃん」

「このことやろ」

「ふん、これやわ、有難う」

「もう綴方書けたのんか」

「いかん、―――いかん、―――」

悦子は帳面を取り上げると、両手でひしと胸に抱きしめるようにしながら向うの方へ飛んで行った。

「―――これ、ちょっと訳があるねん」

「何やのん」

「うふふふふふ、―――これなあ、姉ちゃんのことが書いてあるねん」

「書いてあったかてええ。見せなさい」

「後で、―――後で見せる。今はいかんねん」

悦子はその綴方は「ウサギノミミ」と云う題で、姉ちゃんのことがちょっと出て来るのだと云った。そして、今見られるときまりが悪いから、自分が寝たあとでゆっくり見て、間違っているところがあったら直しておいてほしい、自分は明日の朝早く起きて、学校へ行く前に清書するからと云うのであった。

雪子は幸子たちがどうせ映画館か何かへ廻って、帰りがおそくなることが分っていたので、夕飯を済ますと悦子と一緒に風呂に漬かって、八時半頃に寝室へ上った。悦子は幼い児のわりに余り寝つきがよくない方で、寝台に這入ってから二三十分の間、何かしきりに興奮してしゃべり続ける癖があるので、彼女を無事に寝かしつけると云うことが一と仕事になっているのであるが、雪子はいつも、こうして悦子を寝かしつけておしゃべりの相手になりながら自分も眠る。そしてそのまま寝通してしまうこともあり、一と寝入りしてから、悦子を起さないようにそっと自分だけ起きて、寝間着の上に羽織を引っかけて降りて来て、ひとしきり幸子たちと茶飲み話をすることもある。どうかすればそれに貞之助も加わって、チーズに白葡萄酒しろぶどうしゅが出たりして、めいめいが一杯ずつぐらいは相手をしたりもする。が、ときどき肩を凝らす雪子は、今夜もひどく凝って来て寝られないので、まだ幸子たちが帰るのには間があると思ったけれども、ちょうどその間にあの綴方を見て置いてやらなければと、好い塩梅あんばいに眠ったらしい悦子の寝息をうかがいながら起きて、枕まくらもとの電灯のスタンドの横に置いてあるさっきの帳面を開けて見た。―――

ウサギノミミ

私ハウサギヲカツテヰマス。コノウサギハアル人ガ「オヂヤウチヤンニサシ上ゲマス」トイツテ、モツテキテクレタウサギデス。

私ノ家ニハ犬ヤネコガヰマスカラ、ウサギハベツニシテ、ゲンカンニオイテアリマス。私ハマイ朝学校ヘ行ク時ニ、キツトソノウサギヲダイテ、ナデテヤリマス。

コノ前ノ木エウ日ノコトデシタ。朝学校ヘ行ク時ニゲンカンヘ出テミマシタラ、ウサギノミミガ、一ツダケピント立ツテヰテ、一ツハヨコニタオレテヰマシタ。私ハ「オヤ、オカシイナ、ソツチノミミモ立テナサイ」トイヒマシタケレドモ、ウサギハシランカオシテヰマス。私ハ「ソンナラ私ガ立テテ上ゲヨウ」トイツテ、手デ立テテヤリマシタガ、手ヲハナスト、スグマタパタリトタオレテシマヒマシタ。私ハネエチヤンニ、「ネエチヤン、アノウサギノミミヲ立テテ下サイ」トイヒマシタノデ、ネエチヤンハ足デウサギノミミヲツマンデ、立テテオヤリニナリマシタ。シカシネエチヤンガ足ヲオハナシニナルト、ソツチノミミハマタパタリトタオレテシマヒマシタ。ネエチヤンハ「オカシナミミデスネ」トオツシヤツテ、オワラヒニナリマシタ。

雪子は慌てて、「ネエチヤンハ足デウサギノミミヲ………」とある「足デ」の二字を鉛筆で消した。

悦子は学校でも綴方はよく出来る方なので、この文章なども巧うまく書けていた。雪子は自分も字引を見ながら、「オカシナ」を「ヲカシナ」に、「タオレ」を「タフレ」に、「シランカオシテヰマス」を「シランカホシテヰマス[#「シランカホシテヰマス」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「シランカホヲシテヰマス」]」に直しただけで、外には何処も文章として間違ったところはないように思ったが、当惑したのはこの「足デ」の処置であった。彼女は「ネエチヤンハ足デ」から以下「タオレテシマヒマシタ」までを次のように訂正した。―――

………ネエチヤンモウサギノミミヲツマンデ、立テテオヤリニナリマシタガ、ネエチヤンガソノミミヲオハナシニナルト、マタパタリトタフレテシマヒマシタ。………

「足デ」の代りに「手デ」とするのが一番簡単であったけれども、実際あの時は足でしたのに違いないので、子供に譃うそを書かせてはならないと考えた結果、いくらか曖昧あいまいに取れるように、こう書き直したのであったが、これが自分の知らないうちに学校へ持って行かれて、先生に読まれでもしていたらと思うと、彼女は心の奥の方でヒヤリとした。そして、それにしても飛んだところを悦子に書かれてしまったのが、何だかひとり可笑しくもなって来るのであった。

この「足デ」の由来を物語るとこうなのである。

蘆屋の家の隣家、と云うよりは背中合せの庭つづきになっている家に、半年ほど前からシュトルツと云う独逸ドイツ人の一家が移って来て住んでいた。両家の庭の境界には目の粗い金網の垣かきが繞めぐらしてあるだけだったので、悦子は直きにシュトルツ氏の子供たちと顔見知りになり、最初のうちは金網を隔てて、動物が互の臭においを嗅かぎ合うように鼻を寄せつけて睨にらみ合っていたが、間もなく双方から金網を越えて出入りし始めた。独逸人の子は上がペータアと云う男の子、次がローゼマリーと云う女の子、下がフリッツと云う男の子で、一番兄のペータアが見たところ十か十一、ローゼマリーが悦子とちょうど同じぐらいの年恰好かっこうをしていたけれども、西洋の子供は大柄であるから、実際の歳はもう一つ二つ下であるらしかった。悦子はその兄妹たち、分けてもローゼマリーと仲好しになって、毎日学校から帰って来ると、庭の芝生へ誘い出して遊んだ。ローゼマリーは悦子のことを「エツコ、エツコ」と呼んでいたが、誰か注意する者があったと見えて、間もなく「エツコさん、エツコさん」と呼ぶようになり、悦子はローゼマリーのことを、親や兄弟たちが呼ぶ「ルミー」と云う愛称を使って、「ルミーさん、ルミーさん」と呼んでいた。

ところで、シュトルツ氏の家にはジャアマンポインタア種の犬と、欧羅巴ヨーロッパ種の全身真っ黒な猫ねことがいたが、その外に、裏庭の方に箱を作ってアンゴラ兎うさぎを飼っていた。悦子は犬や猫は自分の家にも飼っているので珍しくはなかったけれども、兎は珍しいので、よくローゼマリーと一緒に餌えさをやったり、耳を持って抱き上げたりしていたが、やがて自分もほしくなって、兎を飼ってくれるように母にせがんだ。幸子は動物を飼うのはよいが、扱い馴なれないものを飼って死なしてしまうと可哀かわいそうであるし、ジョニーと鈴でも好い加減手がかかるのに、そこへ又兎が来ては餌をやるだけでも厄介やっかいであるし、第一、ジョニーと鈴に食い殺されないように囲っておくと云っても、この家にはそう云う適当な場所がないしするので、躊躇ちゅうちょしていると、出入りの煙突掃除の男がこれをお嬢ちゃんに上げてくれと云って、何処どこからか兎を一匹持って来た。尤もっともアンゴラ兎でないただの兎であったが、真っ白な、きれいな兎ではあった。悦子は母たちと相談して、結局犬や猫から隔離するには玄関の土間が一番安全だと云うことになって、そこに置いて飼うことにしたが、兎はただ赤い眼を見開いているだけで、何を話しかけてもまるきり手答がないので、犬や猫とは大分工合が違うなあと云って、大人たちは皆可笑おかしがった。そしてどうしても犬や猫のようには人情が添わず、人間とは全く関係のない、何かピクピクした奇妙な存在であると云う感じしか湧わかなかった。

悦子が綴方に書いたのはこの兎のことなのであった。雪子は毎朝、悦子を起して朝飯の世話をしてやり、鞄かばんの中を調べた上で学校へ送り出してやってから、もう一度寝床へ這入って温ぬくまるのであるが、その日は晩秋の寒さが沁しみる朝だったので、寝間着の上に羽二重のナイトガウンを羽織り、鞐こはぜも掛けずに足袋たびを穿はいたまま玄関まで送って出ると、悦子がしきりに兎の一方の耳を持って立てようとしていた。そして、いくら立てても其方そちらの耳が立たないので、「姉ちゃん、やってみてえな」と云った。雪子は悦子を遅刻させないために、早く手伝って立ててやろうと思ったけれども、そのぷよぷよした物に手を触れるのが何となく無気味だったので、足袋を穿いている足を上げて𧿹おやゆびの股またに耳の先を挟はさんで摘つまみ上げた。が、足を放すと、直ぐ又パタリと兎の横顔の上へその耳が垂れて来るのであった。

「姉ちゃん、何で此処ここいかんのん」

悦子は明くる朝、綴方が直されているのを見ると云った。

「いややわ、悦ちゃんは。足でした云うこと書かんかてええがな」

「そんでも、足でしたやないの」

「そら、手で触いろうたら気味が悪いよってに、―――」

「ふん」

と云ったが、腑ふに落ちないらしい顔つきで、

「そんなら、その訳書いたらええやないの」

「そうかてそんなけったいな恰好したこと、書けますかいな。先生が読まはったら、えらい行儀の悪い姉ちゃんや思やはるがな」

「ふん」

悦子はそれでもまだよく呑のみ込めないらしかった。

九

「明日御都合がお悪いのでしたら、十六日は大変日が吉よいのだそうですが、十六日にきめて戴いただく訳には参りませんでしょうか」―――幸子は先日、出しなに電話に掴つかまった時にそう云われて、しょうことなしに承知させられてしまったのであるが、「ではまあ行って見てもよい」と云う言葉を、どうにかこうにか雪子の口から引き出す迄までにはそれから二日かかったことであった。それも、井谷が双方をただ何となく招待すると云うかねての約束に従って、努めて見合いのような感じを起させないようにと云う条件附きで、当日時間は午後六時、場所はオリエンタルホテル、出席者は、主人側は井谷と井谷の二番目の弟の、大阪の鉄屋国分こくぶ商店に勤めている村上房次郎夫妻、―――この房次郎が先方の瀬越なる人の旧友であるところから今度の話が持ち上った訳なので、これは是非とも当夜の会合に欠けてはならない顔であった。―――瀬越側は、当人一人と云うのも淋さびしいし、と云ってわざわざ国元から近親者を呼び寄せるべき場合ではないので、幸い瀬越の同郷の先輩で、房次郎の勤め先国分商店の常務をしている五十嵐いがらしと云う中老の紳士がいたのを、房次郎から頼んで介添役に出て貰もらうことにし、此方こちら側は貞之助夫妻に雪子の三人で、主客八人と云うことになった。

その前の日、幸子は当日の頭髪あたまを拵こしらえるために雪子と二人で井谷の美容院へ出かけたが、自分はセットだけのつもりなので、雪子を先にやらせて、番の来るのを待っていると、井谷がちょっと仕事の隙すきに這入はいって来て、

「あの、―――」

と、小声で云いながら彼女の顔の方へ腰をかがめた。

「―――あの、実は奥さんにお願いがございますの」

井谷はそう云って、耳元へ口を寄せて、

「こんなこと、申し上げないでも無論お分りと存じますけれど、明日は何卒どうか奥さんは思いきり地味にお作りになって戴きたいんですの」

「ええ、それは分ってます」

と、幸子が云うのに押っ被かぶせて、

「でもちょっとぐらい地味にお作りになったんではいけませんのよ。ほんとうに、思いきり地味にして下さらなけりゃ。―――お嬢さんもお綺麗きれいでいらっしゃいますけれど、何しろああ云う細面の淋しいお顔だちですから、奥さんとお並びになると一二割方御損ですわ。奥さんの方は又非常にぱっとした派手なお顔だちで、それでなくても人目につき易やすくっていらっしゃるから、どうか明日だけは、十も十五も老ふけてお見えになるようにして、精々お嬢さんを引き立ててお上げになって下さい。でないと、奥さんが附いておいでになったばかりに纏まとまるものも纏まらないでしまうなんてことが、ないとは限りませんからね」

幸子はこう云う注意を受けるのは今度が始めてではなかった。今迄にも雪子の見合いに立ち会ったことは数回あるが、「あの姉さんの方は陽気で近代的だけれども、妹さんは少し内気で陰性に見える」とか、「あの姉さんの若々しい明るい顔があたり一杯にひろがって見えて、妹さんの顔の印象が消されてしまう」とか、よくそう云われたことがあり、中には「本家の姉さんだけ立ち会うて下すって御分家の姉さんは遠慮して戴きたい」などと云い入れる者さえあった。幸子はそれを云われる度に、そんなことを云う人は雪子ちゃんの顔のよさが分らないのだ、なるほど私の顔のように陽性で賑にぎやかなのが、近代的と云うものかも知れないけれども、こう云う顔は近頃の世間にはザラにあるので、珍しくも何ともない、自分の妹のことを褒ほめるのはおかしいけれども、ほんとうの昔の箱入娘、荒い風にも当らないで育ったと云う感じの、弱々しいが楚々そそとした美しさを持った顔と云えば、先ずうちの雪子ちゃんなどの顔ではあるまいか、あの美しさが分ってくれて、是非ともああ云う人がほしいと云うのでなければ私の妹は上げられない、と、雪子のために大いに弁じたものであったが、でも本心は、さすがに優越感を抑え難いところもあって、「あたしが一緒やったら雪子ちゃんの邪魔することになるねんて」と、夫の貞之助の前でだけは幾らか誇らしげに云ったりした。貞之助も亦また、「そんなら僕だけ附いて行ったげる。お前は遠慮しとき」と云ったり、「いかん、まだそれでもいかん。もっともっと地味に作らなんだら、又妹のお株を取る云われるがな」と、化粧や着附のやり直しをさせたりしながら、矢張内心はそう云う花やかな妻を持ったことに喜びを感じている様子が、幸子の眼にははっきりと見えた。それで、幸子は、雪子の見合いに立ち会うのを差控えたことも一二度あったくらいであるが、大概の場合、本家の姉の代理としてどうしても出席しなければならないようにさせられたし、雪子がまた、中姉なかあんちゃんが附いて来てくれなければ嫌いやだと云うことが多かったので、そんな時には、随分地味な拵えをして行くように努めはしたものの、日頃の衣裳いしょう持ち物が派手なものばかりであるから、そう云っても凡およそ限度があって、「あれでもまだいけない」と後になってから云われることがしばしばあった。

「………ええ、ええ、いつも皆さんにそない云われますのんで、よう分ってます。仰おっしゃるまでものう、明日はほんまに地味にして行こう思うてましてん。………」

待合室には幸子が一人いただけで外には誰も聞いている者はなかったけれども、すぐ隣の室の間仕切に垂れているカーテンが絞ってあって、雪子がその部屋の椅子にかけつつ頭からドライアーを被せられている姿が、鏡に反射して二人の方へまともに見えていた。井谷のつもりでは、ドライアーを被っているから当人に聞える筈はずはないと思っているのらしいけれども、二人がしゃべっている様子は雪子の方にもよく見えていて、何を話しているのか知らんと、上眼づかいに、じっと此方に瞳ひとみを据すえているらしいので、幸子は唇くちびるの動き工合からでも推量されはしないであろうかとハラハラした。

当日雪子は姉妹たちに手伝って貰もらって三時頃から拵えにかかったが、貞之助も事務所の方を早じまいにして帰って来て、化粧部屋に詰めると云う張り切り方であった。貞之助は着物の柄とか、着附とか、髪かたちなどに趣味を持っていて、女たちのそう云う光景を眺ながめることが好きなのであるが、一つにはこの連中が時間の観念を持たないことに毎度ながら懲こりているので、午後六時と云う約束に遅れないように監督するためでもあった。

悦子は学校から帰ると鞄かばんを応接間へ投げ出して置いて、上って来て、

「今日は姉ちゃんお婿むこさんに会うのんやてなあ」

と、勢込んで這入って来た。幸子ははっとして、鏡の中の雪子の顔色が直すぐに変ったのを看みて取りながら、さあらぬ体で、

「そんなこと、誰に聞いたん」

「今朝お春はあどんに聞いたんよ。―――そうやろ、姉ちゃん」

「違うがな」

と、幸子が云った。

「今日はお母ちゃんと姉ちゃんと、井谷さんに呼ばれてオリエンタルホテル御馳走ごちそうになるねんが」

「そうかて、お父さんも行くのんやないか」

「お父さんかて呼ばれてはるねん」

「悦ちゃん、下へ行ってらっしゃい」

と、鏡を視みつめたままの姿勢で雪子が云った。

「―――下へ行って、お春どんにちょっと来るように云うて頂戴ちょうだい。悦ちゃんは上って来んかてよろしい。―――」

いつもは彼方あっちへ行きなさいと云ってもなかなか云うことを聴かないのであるが、雪子の語調に何かただならぬけはいを察して、

「ふん」

と云うと、悦子は出て行った。そして程なく、

「何ぞ御用で、―――」

と、お春が恐る恐る襖ふすまを開けて閾際しきいぎわに手をついたが、悦子に何か聞かされたものと見えて、これも顔色を変えていた。その間に貞之助も妙子も、形勢険悪と見て早いこと姿を消してしまった。

「お春どん、あんたお嬢ちゃんに、何ぞ今日のこと云うたんか」

幸子は今日の見合いのことを女中達に話した覚えはないが、特に彼女達に知られないように気を付けていなかった越度おちどはあるので、こうなって見ると、雪子の手前、自分がお春を糺たださねばならない責任を感じた。

「なあお春どん、………」

「………」

お春は下を向いたきり、「悪うございました」と云うことを恐縮した体つきで示した。

「あんた、お嬢ちゃんにいつ云うたん」

「今朝でございます。………」

「何と思うて云うたん」

「………」

お春と云うのはまだやっと十八になる娘であったが、十五の時から奉公に来、今では上女中かみじょちゅうを勤めているので、殆ほとんど家族の一員のように親しまれていて、そのせいと云う訳でもないけれども、この女だけ初めからの呼び癖で、特別に「どん」附けにされていた。(悦子は「おはアどん」と云う愛称で呼び、時には「おはア」と呼び捨てにした)そして毎日、悦子が学校へ往復するのに、交通事故の多い阪神国道を越えなければならないので、必ず誰かが送り迎えをすることにきめてあったのが、大概お春の役になっていた。で、だんだん問い詰めて行くと、今朝学校へ送って行く路みちで悦子に話したらしいのであるが、平素はひどく愛想のよい女であるのに、叱しかられると俄然がぜん気の毒なくらい萎しおれてしまうのが、余所目よそめには却かえって可笑おかしみを誘った。

「―――そら、あたしかて、この間からあんた等らのいてるとこで電話かけたりしたのんは、注意が足らなんだかも知れん。けどあの電話聞いてたら、なおのこと、今日は何もそない改まったことやない、ほん内証の集りや云うこと、あんたにも分ってる筈やろ。たとい又何であるにしたかて話してええことと悪いこととあるやないか。―――そんな、まだどうなるやら分りもせんこと子供に話す云うことあるかいな。―――あんた、いつから此処ここの家にいてるのん。昨日や今日奉公に来たんやあれへんのに、それぐらいのこと分らんのんかいな」

「このことばかりやあれへん」

と、今度は雪子が云った。

「あんた一体いつも口数が多うて、云わんでもええことおしゃべりするのん、悪い癖やわ。………」

二人に代る代る云われている間、聞えているのかいないのか分らないようにじーっとして、俯向いたまま身動きもしないでいたお春は、「もうええ彼方あっちへ行き」と云われてからもまだ暫しばらく死んだようになっていたのが、「もう行きなさい」と二三度云われると、漸ようやく聞き取れない程の微かすかな声で詑わび言を云って立って行ったが、

「いつも云われてる癖に、何と云うおしゃべりやろ」

と、幸子はまだ機嫌きげんの直らない雪子の顔色を窺うかがい窺い云った。

「やっぱり私あたしが不注意やってんなあ。電話かけたりする時に何とかあの人等らに分らんような云い方もあってんけど、まさか子供に教おせたりするとは思てえへんよってに、………」

「電話もそうやけど、この間からお春どんの聞いてるとこで見合いや何や云うて相談してたのん、気になってたんやわ」

「そんなことあったか知らん」

「何遍もあったわ。―――話してるとこへ這入って来ると、その時は誰も止めるけれど、出て行ってまだドーアの外にいるのんに、大きな声で話はなしやはるよってに、あれ聞えてたに違いない思うててん」

そう云えば、先日から数回、いつも悦子が寝てしまってから、夜の十時過ぎ頃に、貞之助、幸子、雪子、時には妙子も加わって、応接間で今日の見合いのことについて相談したことがあり、そこへお春が時々飲み物などを運ぶのに、食堂を通って這入って来たが、その食堂と応接間の境界は三枚の引き戸になっていて、戸と戸の間が指が入れられる程透すいているところから、食堂にいると応接間の話声が可なりよく聞えるのであった。まして夜更よふけの静かな時は尚更なおさらであるから、余程小声で話さなければいけなかったのに、誰もその辺にあまり注意を払わなかったのは事実である。但ただし雪子だけは気が付いていたと云うなら、そうかも知れないが、今になってそれを云い出すくらいなら、あの時その場で注意してくれたらよかったものを、―――雪子ちゃんは地声が小さいのだから、あの時にしても殊更ことさら小声で話していたようには感じられなかったし、黙っていたんでは誰にも分りようはありはしない。全く、お春のようなおしゃべりも困るが、この人のようにいつも言葉数の足りないのも困ってしまう。―――と、幸子は思わずにはいられなかったが、それでも雪子が、「大きな声で話しやはる」と、敬語で云っているところを見ると、彼女の批難は専もっぱら貞之助に向けられているのらしく、そしてあの時黙っていたのも貞之助に対する遠慮だと取れば、頷うなずけないこともないのであった、実際貞之助の声は変によく徹とおる甲高い声なので、ああ云う場合一番人に聞かれ易やすいのであるから。

「雪子ちゃんそれに気イ付いてたのんやったら、あの時云うてくれたらよかったのんに、―――」

「まあ、これからあの人等らの前でこう云う話せんようにしてほしいわ。あたしかて見合いするのんは嫌いややないねん。………そのつどあの人等に、又今度もあかなんだのかいな思われるのんが辛つらいさかい………」

急に雪子の声が鼻にかかって、涙が一滴鏡の面に影を曳ひきながら落ちた。

「そない云うけど、今迄かて先方から断られたのんは一つもあれへんねんで。―――なあ、雪子ちゃん知ってるやろ、いつも見合いの後で先方は是非に云うてくれはるねんけど、此方こっちが気に入らんのんで、壊こわれてたんやないか」

「けど、あの人等らはそない思うてくれへんもん。今度もあかなんだ云うたら、あの人等らきっと、又断られた思うやろうし、思わんまでもそんな噂うわさ云い触らすにきまったあるさかい………そやさかい………」

「もうええ、ええ。その話止やめといて。―――私等らが悪かったよってに、これからきっとそないするわ。顔が壊れてしまうやないか」

幸子は寄って行って顔を直してやろうと思ったが、今直ぐでは一層涙を誘い出しそうな懸念けねんがあるので差控えた。

十

離れの書斎に逃げ込んでいた貞之助は、四時が過ぎてもまだ女達の支度が済まないらしいので、そろそろ時間を気にしていたが、ふと、前栽せんざいの八つ手の葉の乾いた上にパサリと物の落ちる音がしたので、机に凭よったなり手を伸ばして眼の前の障子を開けて見ると、ついさっきまで晴れていた空がしぐれて来て、かすかな雨の脚が軒先にすいすいと疎まばらな線を引き始めていた。

「おい、雨やで」

と、貞之助は母屋へ駈かけ込んで、階段の途中から怒鳴りながら化粧部屋へ這入はいった。

「ほんに、降って来たわ。―――」

と、幸子も窓の外を覗のぞきながら、

「時雨しぐれやよってに、直き止やむわ、きっと。―――青いとこが見えてまっしゃないか」

が、そう云ううちに見る見る窓の外の瓦かわら屋根が一面に濡ぬれて、ざあッと云う本降りらしい音に変って来た。

「自動車云うてないのんなら、今直すぐ云うとかないかんで。五時十五分頃に間違いなく云うて。―――僕、雨やったら洋服にするわ。紺背広でええやろな」

いつも俄雨にわかあめがあると、蘆屋じゅうの自動車が引っ張り凧だこになるので、貞之助の注意で直ぐに電話をして置いたのであるが、三人の身支度が出来上って、五時十五分が二十分になっても、車は来てくれないし、雨はいよいよ激しくなる。あるだけのガレージを呼び出して見るけれども、今日は日が吉よいので結婚が何十組もあるのと、生憎あいにく雨が降り出したのとで、皆出払っておりますから帰りましたらお廻し致しますと云う挨拶あいさつである。今日は神戸まで車で直行するとして、五時三十分に出さえすればきっちり六時には間に合うのであるが、その三十分も過ぎてしまったので、貞之助は気が気でなく、井谷に催促されないうちに何とか断って置かなければと、オリエンタルへ電話をかけると、もう此方は皆さんお揃そろいでいらっしゃいますと云う。とこうするうち六時五分前になって漸ようやく車が来てくれたが、折柄土砂降りに降り出した中を運転手がさしかける番傘ばんがさに送られて順々に一人ずつ走って行きながら、したたか襟元えりもとに冷たいしぶきを受けた幸子は、車内に納まってほっとすると同時に、そう云えば雪子の見合いと云うと、この前の時も、その前の時も、雨が降ったことを思い出していた。

「いやア、三十分遅刻してしまいました。―――」

貞之助は、外套がいとう預所のところまで迎えに出ていた井谷を見ると、挨拶よりも先まず詑わび言を並べた。

「―――今日は日が吉いので、結婚が多いところへ持って来て、突然の雨で、車がなかなか来てくれなかったもんですから、………」

「ほんとうに、私も此処ここへ参ります途中で、お嫁さんを乗せた自動車を何台も見かけましたわ」

そう云って井谷は、幸子と雪子とがコートを預けている隙すきに、

「あの、ちょっと、―――」

と、貞之助に眼で合図をして蔭かげへ呼びながら、

「只今ただいま彼方あちらで瀬越さん達にお引き合せ致しますが、………あの、その前にちょっとお伺い致しますが、もう蒔岡さんの方ではすっかりお調べがお済みになっていらっしゃいますのでしょうか」

「はあ、それが実は何なのです、瀬越さん御本人についての調べは済んでいまして、もう申分のない方だと云うて大変喜んでいるのですが、今お国元の方のことを本家で調べていますので。………尤もっともそれも、あらかた分っておりまして、大体差支えないように云うているのですが、ただ或ある方面に頼んだ報告が一つだけ来ていないから、もう一週間も待って戴いただいたらと申しているような訳なのです」

「ああ左様で、………」

「いろいろお骨折にあずかりながら、遅れておりまして申訳ありません。何しろ本家の連中は昔風で悠長ゆうちょうだものですから。………しかし僕にはあなたの御親切なお心持がよく分っていますので、今度のお話は大賛成なのです。今時あまり旧弊なことを云うているとますます婚期を逸してしまうばかりだから、御当人さえ立派な方なら、あとの調べは好ええ加減なところで宜よろしいやないかと、僕は極力勧めているのですが、まあ今夜の様子で、当人同士異存がないようなら、今度は多分纏まとまりそうに思われますな」

貞之助は予あらかじめ幸子と口を合せて置いたので、巧うまい工合に言訳をしたが、それでも後の半分は正直な自分の気持を述べたのであった。

時間が遅れたので、ロビーでの紹介が簡単に済むと、直ぐ八人が一緒に昇降機に乗って二階の小宴会場に上った。食卓の両端に井谷と五十嵐、片側に瀬越、房次郎夫人、房次郎、片側に瀬越と向い合って雪子、幸子、貞之助、―――昨日幸子が美容院で井谷から相談を受けた時の席順は、片側は瀬越の左右に房次郎夫婦、片側は雪子の左右に貞之助夫妻となっていたが、それでは改まるからと、幸子の提議で斯様かように直して貰もらったのである。―――と云う風に列ならんだ。

「今日こんにちは私わたくしは、図らずも飛んだ御相伴に与あずかりますような訳で、―――」

と、五十嵐がもう好い時分と見ると、スープを掬すくいながら皮切りをした。

「―――本来私は瀬越君と同郷ではございますが、御覧の如ごとく年齢の点では確かに私の方が遥はるか先輩でございまして、別段学校が一緒と云う訳でもございません。強しいて御縁があると申せば、お互の生家が同じ町の近い所にあったぐらいなことでしょうかな。ですから今日斯様な席へ列しますることは、光栄の至りではございますけれども、甚はなはだ出過ぎておりますようで恐縮に存じますのですが、実を申しますと、此処へ私を無理に引っ張り出しましたのは、外ならぬ村上君なのでございまして、どうも村上君は、何ですよ、………お姉さんの井谷さんも中々男勝りの雄弁なお方でいらっしゃるが、御令弟の方もそれに劣らずお口上手でありまして、今日のような極めて有意義なる宴会に出席を乞われて応諾を渋るとは何事か、それでは折角の会合にケチがつく、こう云う時には是非老人が一枚加わる必要があるのだから、君の禿頭はげあたまの手前に対しても遁にげ口上は許さないと、強引に持ちかけられましてな」

「あははははは、しかし常務さん」

と、房次郎が云った。

「そう仰おっしゃる御自身も、御出席になってみて決して悪いお心持はなさらないでしょう」

「いやこの席上で『常務さん』はいけません。今夜は商売のことは忘れてゆっくりと御馳走ごちそうになりたいもんですな」

幸子は娘の時分に、船場の蒔岡の店にもこう云う型に属する剽軽ひょうきんな禿頭の番頭がいたことを思い出した。大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛の代りに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども、その肌合はだあいなり気持なりは、矢張会社の重役と云うよりお店たなの奉公人であって、昔はよくこう云う風な、腰の低い、口の軽い、主人の機嫌気褄きげんきづまを取ることや人を笑わせることの上手な番頭や手代が、何処の店にも一人や二人はいたものであるが、井谷が今夜この人物を加えたのも、座を白けさせないようにと云う心づかいでもあったことが察しられた。

五十嵐と房次郎との遣やり取りをニヤニヤしながら聞いている瀬越は、貞之助や幸子達が大体写真で想像していたような人柄で、ただ写真よりは実物の方が若く、漸く三十七八位にしか見えなかった。目鼻立は端正であるが、孰方どちらかと云えば愛嬌あいきょうに乏しい、朴訥ぼくとつな感じの、妙子が批評した通り「平凡な」顔の持ち主で、そう云えば体の恰好かっこう、身長、肉附、洋服やネクタイの好み等々に至る迄まで総すべて平凡な、巴里パリ仕込みと云うところなどは微塵みじんもない代りには、嫌味いやみのない、堅実な会社員型であった。

貞之助は、先ずこれならば第一印象は及第であると思いながら、

「瀬越さんは、巴里には何年ぐらいおいでになりました」

「まる二年おりましたけれども、何しろ旧ふるいことなので、―――」

「と仰っしゃいますと、いつ時分」

「もう十五六年も前、学校を出て間もなく参りましたのです」

「では御卒業になると直ぐ、本店詰めにおなりになった訳なんですな」

「いいえ、そうではございません。今の会社に這入りましたのは帰朝してから後のことなので、仏蘭西へ参りましたのは、ただ漫然と、―――実は何です、その時分父親[#「父親」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「親父」]が亡なくなりまして、遺産と云う程ではございませんが、少々ばかり自分の自由になるものがありましたので、それを持って出かけて行きましたのですが、まあ、強いて目的と云えば、もっと仏蘭西語が上手になりたいと云うことと、彼方で何か仕事が見付かれば就職してもいいと云うようなことを、ぼんやり考えておったのですけれど、結局どちらの目的も達しないで、全くの漫遊で終ってしまったのです」

「瀬越君は変っているんですよ」

と、房次郎が傍そばから註釈を入れた。

「大概な人が巴里へ行くと、帰るのが嫌になると申しますけれども、瀬越君はすっかり巴里と云う所に幻滅を感じて、猛烈なるホームシックに罹かかって帰って来たんですから」

「へーえ、それはどう云う訳で」

「どう云う訳か自分にもよく説明が付かないんですが、要するに、最初の期待が大き過ぎたせいだろうと思うんです」

「巴里に行って、却かえって日本のよさが分って帰って来る。―――と云うのも決して悪いことではございませんようですな。それで瀬越君は純日本式のお嬢様が好きになったと云う訳ですか」

と、五十嵐が半畳を入れながら途端に含羞はにかんで俯向うつむいてしまった雪子の横顔へ、食卓の此方こちらの隅すみから敏速な視線を投げた。

「しかし、帰朝なすっても今の会社に勤めておられたら、仏蘭西語は上達なすったでしょうな」

と、貞之助が云った。

「それがそうも参らないんです。会社は仏蘭西の会社ですけれども、日本人が大部分で、仏蘭西人は重役級に二三人いるぐらいなものなんですから」

「すると、あまり仏蘭西語の会話をなさる機会はおありにならないんですか」

「まあMMの船が這入った時なんかに出かけて行ってしゃべるくらいなものでしょうか。商業用の手紙だけは始終書かされますけれども」

「雪子お嬢さんは、今でもずっと仏蘭西語のお稽古けいこをなすっていらっしゃいますの」

と、井谷が聞いた。

「はあ、………姉が習っているものでございますから、そのお附合に、………」

「先生は誰方どなたでいらっしゃいますの、日本人の方? 仏蘭西人の方?」

「仏蘭西人で………」

と、雪子が半分云いかけたあとを幸子が引き取って、

「………日本人の奥さんになっている方ですの」

と、附け加えた。そうでなくても人中ひとなかへ出ると一層物が云えなくなる雪子は、こう云う席では「でございます」の東京弁で話すのがギゴチなくて、自然言葉の終りの方が曖昧あいまいになるのであるが、そこへ行くと幸子の方は、矢張いくらか云いにくそうに言葉尻じりを胡麻化ごまかしはするものの、それでも大阪流のアクセントが余り耳に附かないような技巧を使って、どんなことでも割合に不自然でなく器用にしゃべった。

「その奥さんは日本語が話せるんですか」

と、瀬越がまともに雪子の顔を見ながら云った。

「はあ、初めは話せなかったのでございますけれど、だんだん話せるようになりまして、この頃ではもうえらい上手に………」

「それが却って為めにならないのでございます」

と、幸子が又あとを引き取って、

「―――稽古の間は決して日本語を使わないと云う約束したのでございますけれど、矢張そう行かなくて、つい日本語が出てしまいまして、………」

「僕は稽古を隣の部屋で聞いていることがあるんですが、三人共殆ほとんど日本語でばかりしゃべってるんですよ」

「あら、そんなことあれへんわ」

と、幸子は思わず大阪弁を出して夫の方へ向き直った。

「仏蘭西語かて使うてますねんけど、あんさんとこまで聞えしませんねん」

「そうらしいですよ[#「らしいですよ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「らしいんですよ」]。たまには仏蘭西語も使うてるらしいんですが、その時はいつも虫の息みたいな小さな声できまり悪そうに云うもんですから、隣の部屋まで聞えて来る筈はずがないんです。あれではいくらやったって上達しない訳ですが、どうせ奥さんやお嬢さんの語学の稽古なんて、何処でもあんなものなんでしょうな」

「まあ、えらい云われ方。―――けど、語学の稽古だけやあれしませんね。料理の仕方やら、お菓子の焼き方やら、毛糸の編み方やら、日本語使うてる時かていろいろ教おせて貰うてますねん。あんさんこの間あの烏賊いかの料理たいそう気に入って、もっと外にも教せて貰え云うてはったやおませんか」

夫婦の云い合いが余興になって皆笑い出したが、

「その、烏賊のお料理と申しますと?」

と云う房次郎夫人の質問から、烏賊をトマトで煮て少量の大蒜にんにくで風味を添える仏蘭西料理の説明が暫しばらくつづいた。

十一

幸子は瀬越が注つがれればいくらでも酒杯を傾けるらしい様子に、あの飲みっ振りではなかなか行けるに違いないとさっきから見ていた。房次郎は全くの下戸であるらしく、五十嵐も耳の附け根まで赤くなって、「いえ、もう私は」とボーイが廻って来る度に手を振っているのであるが、瀬越と貞之助とは好い取組で、まだ一向に顔にも態度にも出ていなかった。尤もっとも井谷の話にも、瀬越さんは毎晩はおやりにならないそうですけれどもお酒はお嫌きらいではない方で、機会があれば相当にお飲みになるとのことです、と聞かされていたが、幸子はそれも強あながち悪いこととは思っていなかったのであった。と云うのは、幸子達の姉妹は母が早く亡なくなった関係上、晩年の父の食膳しょくぜんに侍はべりながら毎夜相手をさせられたものなので、本家の姉の鶴子を初め、皆少しずつは行ける口であるところから、―――そして、養子の辰雄も、貞之助も、孰いずれもいっぱしの晩酌ばんしゃく党であるところから、全然飲まない人と云うものも何となく物足りないような気がしていた。酒の上の悪いのは論外として、矢張いくらかは嗜たしなんでくれる夫の方がよい。―――雪子はそんな注文を出しはしなかったけれども、幸子は自分の気持から推して、雪子も大方お腹の中ではそうであろうと察していた。それに、雪子のように兎角とかく胸にあることを発散させないで、じーッと内攻させているたちの人は、時々酒の相手でもさせて貰もらわなければいよいよ気分が滅入り込むであろうし、夫の方でもこう云う人を妻に持ったのでは、そんなことでもなかったら鬱陶うっとうしくて遣やり切れないであろうとも思えて、旁〻かたがた、下戸の夫を持った場合の雪子と云うものを想像すると、とても淋さびしい、気の毒な感じがしていたのであった。で、今夜も幸子は、雪子を余り黙り込ませないようにと思って、

「雪子ちゃん、それ少し飲んだら、………」

と囁ささやきながら、彼女の前に注いである白葡萄酒しろぶどうしゅの杯を眼で指し示して、自分もそれを少しずつ飲んで見せたり、

「ちょっと、お隣へ少し葡萄酒を注いで上げて………」

と、ボーイに耳打ちをしたりしていた。雪子自身も、内々瀬越の飲みっ振りを見て意を強くもし、自分ももっと朗かになりたいと云う気もあって、目立たぬように折々口をつけていたが、雨に濡ぬれた足袋たびの端がいまだにしっとりと湿しめっているのが気持が悪く、酔が頭の方へばかり上って、うまい工合に陶然となって来ないのであった。

と、さっきから見て見ない振をしていた瀬越が、

「雪子さんは、白葡萄酒がお好きなんですか」

雪子は笑いに紛らして俯向うつむいてしまったが、

「はあ、コップに一杯か二杯ぐらい。………」

と、幸子が云って、

「瀬越さんは大分お強そうでいらっしゃいますが、どのくらいお上りになれますの」

「さあ、飲めば七八合は飲めるかも知れません」

「酔うと何か隠し芸が出ますかな」

と、五十嵐が云った。

「ところが一向に無趣味なんですよ。まあいつもよりは幾らか口数が多くなるくらいなもんでしょうかな」

「では蒔岡さんのお嬢さんは」

「お嬢さんはピアノをなさるんですの」

と、井谷が答えた。

「蒔岡さんのお宅では、皆さん音楽は西洋趣味でいらっしゃいましてね」

「いいえ、そうばかりでも………」

と、幸子が云った。

「………子供の時分にお琴を習わせられましたので、又この頃浚さらってみたくなっておりますの。それと云うのが、近頃下の妹が山村の舞を稽古けいこし始めましたので、お琴や地唄に親しむ機会が多いものでございますから」

「まあ、こいさんが舞をなさいますの」

「はあ、ハイカラなようでもだんだん子供の時の趣味が復活して来るものと見えまして。―――御承知のようにあの妹は器用なたちだものですから、なかなか上手に舞うのですの、小さい時分に習ったことがあるせいかも知れませんけれど」

「私わたくし、専門のことはよく分りませんが、山村の舞と云うものは、あれは実に結構なものですな。何でも彼んでも東京の真似まねをしますのはよくないことでございますよ、ああ云う郷土芸術は大いに盛にしなければ、………」

「ああそうそう、こう見えてもうちの常務さん―――じゃあない五十嵐さんですか、―――」

と、房次郎が頭を掻かきながら、

「五十嵐さんは歌沢がお上手なんですよ、もう何年来稽古をしておられましてね」

「ですが、ああ云うものをお習いになると、―――」

と、貞之助が云った。

「―――五十嵐さんのように上手になられれば別ですが、最初のうちは無闇むやみに誰かに聴かしたくなって、つい足がお茶屋の方へ向きはしませんか」

「へえ、へえ、確かにそれはございますな、家庭的でないと云うことが日本音曲の欠点でございまして。―――尤もっともわたくしは別でして、決して御婦人に惚ほれられようなんと云う野心を持って習い出したのではございません。もうその点は至って堅人かたじんでございますのでな。なあ村上君」

「ええ、商売が鉄屋ですからな」

「あははははは、―――いや、わたくし、それで思い出しましたが、一度御婦人方に伺ってみようと存じておりましたのは、あの、皆さんが持っておいでになるコムパクトと云うものですな、―――あの中に這入はいっております粉は、ただのお白粉しろいでございましょうか」

「はあ、ただのお白粉なんですけれど、―――」

と、井谷が受けて、

「それがどうか致しまして」

「実は何ですよ、一週間程前のことですが、或る日わたくしが阪急電車に乗りますと、風上の方の隣の席に盛装を凝らした御婦人が掛けておられましてな、ハンドバッグからコムパクトを出して、こう―――鼻のあたまをパタパタ叩たたき始めたと思ったら、途端にわたくし、続けざまに二つ三つ嚏くしゃみが出ましたんですが、そんなことッてございますもんでしょうか」

「あははははは、それはその時、五十嵐さんの鼻がどうかしていらしったんじゃないでしょうか。コムパクトのせいかどうか分りませんわ」

「とまあ、わたくしも一度ならそう思うところでございますが、前にもそう云う経験がございまして、その時が二度目なんでして」

「ああ、それほんとうでございます」

と、幸子が云った。

「―――わたし、電車の中でコムパクトを開けて、隣の人に嚏されたことが二三度ございます。わたしの経験を申しますと、上等の匂においのするお白粉しろいほどそう云うことが起りますの」

「ははあ、して見るとやっぱりそうなんですな。―――いや、この間の御婦人は違ってましたが、その前の時は、事に依よると奥さんじゃございませんでしたかな」

「ほんに、そうだったかも知れません。どうもあの時はえらい失礼を」

「わたくし、そんなこと始めて伺いますけど、―――」

と、房次郎夫人が云った。

「それでは一遍、なるべく上等のお白粉を入れて試してみることに致しますわ」

「冗談じゃあない、そんなことを流行はやらしちゃ困りますよ。今後御婦人は、電車の中で風下の席に人がいる場合、決してコムパクトを使わないことに願いたいもんですな。蒔岡さんの奥さんは只今御挨拶あいさつをなすったからいいが、この間の婦人なんぞ、わたくしに二つも三つも嚏をさして置きながら知らん顔をしているんだから怪しからんですよ」

「あの、わたしの下の妹は、電車の中で男の人の洋服の襟えりから馬の毛がピンと飛び出しているのを見ますと、ついあれを抜きたくなる云いますの」

「あははははは」

「あははははは」

「子供の時分に、綿入の綿が吹き出ていると、いくらでも引っ張り出したくなった覚えがございますものね」

と、井谷が云った。

「人間にはそう云う妙な本能があるんだと見えますな。酔うと誰でも余所よその家の門のベルを押したくなったり、停車場のプラットフォームで『このベルに触るべからず』と書いてあると、却かえって押してみたくなるので、なるべくその傍へ行かないように用心致しましたり、な」

「ああ、ほんとうに今夜はよく笑いましたこと」

と、井谷は溜息ためいきを吐つきながら云ったが、食後の果物が運ばれてからもまだしゃべり足りないらしく、

「蒔岡さんの奥さん」

と、呼びかけながら、

「話は違いますけれども、奥さんはこう云うことをお感じになったことがおありになりません?―――近頃の若い奥さん、―――いえ、奥さんだってまだお若くっていらっしゃいますけれども、奥さんなんかより又もう一時代後の、つい二三年前に結婚なすったと云うくらいの、二十台の奥さん方、―――そう云う方々は、何と申しますか、経済のことでも、育児のことでも、実に科学的で、頭の好い方が多いので、私わたくしなんかつくづく時代の相違と云うことを感じさせられてしまいますの」

「はあ、ほんとうに仰おっしゃる通りですわ。わたし等の時分とは女学校の教育の仕方もえらい変って来てるらしいので、今の若い奥さんを見ますと、わたしなぞでも、時代が違うなあ思いますわ」

「わたくしの姪めいで、娘時代に郷里から出て参りまして、わたくしの監督を受けながら神戸の女学校を卒業しました者がございますの。それが近頃結婚しまして、阪神の香櫨園こうろえんに所帯を持ちましたんですが、主人は大阪の或る会社に勤めていまして、月給が九十円、外にボーナスが幾らとか申しておりましたが、それと、家賃の三十円だけを毎月郷里から補助して貰もらっておりますので、まあそんなものを全部併せて月収平均百五六十円の生活なのでございますね。それでわたくし、月々の遣やり繰りをどんな風にやっているかと案じていたのでございますが、行って見ますと、月末に主人が九十円の月給を持って帰ります。そうすると直ぐそれを、瓦斯ガス代、電気代、被服費、小遣、などと記した幾種類もの封筒が出来ておりまして、それへそれぞれ区分して最初に収めてしまいまして、それで以て次の月の生計を立てると云う風なんですの。そんなで随分切り詰めた暮しをしている筈なんでございますが、わたくし、夕飯の御馳走ごちそうに呼ばれましたら、思いの外気の利きいたお料理を出しますの。そして室内の装飾なんぞも、そう見すぼらしくなく、なかなか上手に考えてしてありますの。けれど勿論もちろん一方では大いにチャッカリしておりまして、この間一緒に大阪へ参りました時、電車の切符を買ってくれと云って蝦蟇口がまぐちを渡しましたら、ちゃんと回数券を買って、残りは自分が貰って置くのでございます。これにはわたくし、ほとほと感心してしまいまして、自分なんぞが監督したり心配したりするなんて烏滸おこがましいことだと、此方が耻はずかしくなってしまいました」

「全く、この頃の若い人よりか却ってお母さん達の方が無駄遣むだづかいをされますわ」

と、幸子が云った。

「うちの近所にも若い奥様がおられまして、二つになる女の児がおありになるのですが、この間用事で門口まで伺いましたら、まあお上り遊ばせ、まあまあ云われますので、上って見ますと、女中もいないのに実によくその辺が片附いていまして、―――それから、そうそう、そういう奥様は家の中でもきっと洋服で、椅子にかけておられる方が多いように思いますけれど、そうではございませんか知ら?―――兎とに角かくその方はいつも洋服なのですが、その日は部屋の中に乳母車を置いて、それへ赤ちゃんを、這はい出さないように巧うまいこと入れておられまして、わたしがあやしていましたら、済みませんけれどちょっとお願い致します、只今ただいまお茶を入れて参りますから云われて、わたしに赤ちゃんを見さして置いて、立って行ってしまわれますの。そして暫しばらくしましたら、紅茶を入れて、―――ついでに、赤ちゃんに上げる牛乳の中へパンをどろどろに溶かしたものを、沸かして持って来られまして、どうも有難うございました、さあどうぞお茶を一つ、云いながら、椅子に掛けたと思ったら、途端にこう、腕時計を見て、あ、これからショパンが始まりますわ、奥さんもお聴きになりません? 云われて、ラジオのスイッチを開けて、一方では音楽を聴きながら、一方ではその間も手を休めずに、牛乳を匙さじで掬すくっては赤ちゃんに飲ましておられますの。―――そんな工合に、始終時間を無駄にせんように段取りをつけて、お客様の相手と、ラジオ音楽の享楽と、赤ちゃんの食事と、三つを一遍に済ますなんて、実に頭のよく働く機敏な遣り方だと思いまして、………」

「赤ちゃんの育て方なんかも、現代式はすっかり違っておりますのね」

「その奥様も云うておられましたわ、―――母がときどき孫に会いたいと云って訪ねて参るのは宜よろしいのですが、折角抱かないような習慣をつけてありますのに、年寄が来ると無闇に抱くものでございますから、そのあと暫く、抱いてやらないと泣くようになりまして、又もとの習慣をつける迄に骨が折れて困ります云われて、―――」

「そう云えばこの頃の赤ちゃんは昔のように泣かなくなりましたわ。往来を連れて歩いている時に躓つまずいて転んだりしても、自分で立って歩けるくらいなお児さんでしたら、決して傍へ寄って行って抱き起してやったりしないんですってね。そのままお母さんがどんどん知らん顔をして歩いて行くと、子供は却って泣かないで、独ひとりで起き上って追っかけて来るそうでございますね。………」

宴が終って階下のロビーへ降りて行ってから、井谷は貞之助夫婦に、もしお差支えなかったら十五分か二十分ほど、お嬢さんと二人きりで話してみたいと云われるのですが如何いかがでしょうか、と、瀬越の希望を申し入れた。そして、雪子も異存がないと云うことだったので、それから暫時二人が別席に引き取っている間、残りの者は又雑談を交していた。

「さっき、瀬越さんどんな話はなししやはったん」

と、幸子は帰りの自動車の中で云った。

「何やいろいろ聞かはったけど、………」

と、雪子は口籠くちごもりながら、

「………別にどう云うて、纏まとまった話はなししやはれへなんだ。………」

「まあ、メンタルテストやってんな」

「………」

おもては雨が細かになって、春雨のようなしとしととした物静かな降り方をしていた。雪子は先刻の白葡萄酒が今になって循まわって来たらしくて、両頬ほおにぽうッと火照ほてりを感じながら、もう阪神国道を走っている車の窓から、微醺びくんを帯びたチラチラする眼で、濡ぬれた鋪装ほそう道路に映る無数のヘッドライトの交錯をうっとりと見ていた。

十二

明くる日の夕方、貞之助は家に帰って来ると、

「今日井谷さんが事務所へ見えたで」

と、幸子の顔を見るなり云った。

「何で又事務所へ行かはったんやろ」

「お宅へお伺いせんならんのですけど、今日用事があって大阪まで参りましたので、そのついでに、奥さんよりは御主人の方がお話が早い存じまして、突然で失礼でございますが此方へお伺いさして戴いただきました云うねん」

「そんで、どんな話?」

「大体ええ話やねんけど、―――ま、彼方へ来なさい」

と、貞之助は幸子を書斎へ連れて行って語った。

井谷が云うには、昨夜貞之助たち三人が帰ってから、外の者達は二三十分なおあとに残って話し合った。そして要するに、瀬越は大変乗り気なのであるが、ただ、お嬢様のお人柄やお器量については全く申分ないけれども、お目に懸った感じではいかにもお弱そうに見えるのが気になる。ついては、御病身と云うようなことはないであろうか。そう云えば弟の房次郎も、いつぞや女学校へ行ってお嬢様の在学時代の成績表を見せて貰もらった時、少し欠席日数が多いように思ったと云うのであるが、女学生時代にたびたび病気をなすったのではないであろうか。―――と、そう云う質問であった。貞之助は、女学生時代のことは自分は知らないので、欠席日数云々うんぬんについては家内や当人に質ただしてからでなければ何とも申し上げられないが、少くとも自分が知ってから以後、雪子はついぞ病気らしい病気をしたことがない。成る程、きゃしゃで、骨細で、痩やせているのは事実であるから、決して強壮な体質とは云えないであろうけれども、兎とに角かくめったに風邪一つ引かないと云う点では、四人の姉妹のうちで一番であり、肉体的労苦に堪える点でも、本家の姉を除いたら、雪子が一番であることは自分が保証する。しかしあの弱々しい風姿を見ては胸の病でもありはしないかと疑った人が今迄までにもあったくらいで、御尤もっともな御懸念けねんと思うから、早速帰って家内や当人に相談をし、本家にも諒解りょうかいを求めて、御安心のために医者に健康診断をして貰い、出来ればレントゲン写真を撮ってお目にかけるように勧めてみましょう。と、そう云うと、いやそんなに迄して戴かないでも、その御説明を伺えば十分ですからと云うことであったが、いやいや、こう云うことははっきりさせて置く方が宜よろしい、自分にしても保証するとは云ったものの、まだ改まって医者の意見を聞いたことはないのだし、ちょうどよい機会であるから、孰方いずれにしてもそうした方が自分達も安心であるし、本家も同様であると信ずる、あなた方にしたって、胸に何の曇りもないところを写真で一目瞭然りょうぜんと示された方が、どんなにかお気持がよいでしょうからと、そう貞之助は云って置いた。それで、万一この縁談が纏まとまらなかったとしても、今後又そんな疑いを受けた時の用意に、この際レントゲンを撮って置くことは無駄むだでないと思うし、本家もよもや異存はなかろうから、明日にも阪大へ連れて行ったらどうであろうか、と云うのであった。

「女学校時代に何でそんなに欠席したんやろ、その時分には病身やったのんかいな」

「違いまんねん。その時分の女学校云うたら今みたいにやかましいことあれへなんだよってに、お父さんがいつもズル休みさしては芝居へ連れて行かはってん。わたしかて始終連れてって貰うたよってに、欠席日数調べたら雪子ちゃんより多いやろ思うわ」

「そんなら、レントゲンのこと、雪子ちゃん承知するやろな」

「けど、阪大でのうてもええことないやろか。櫛田くしだ先生のとこにかておまっせ」

「ああ、そう、それから今一つ、―――このシミが」

と、貞之助は自分の左の眼の縁をおさえて見せた。

「問題になってん。井谷は、自分はちょっとも気イ付かなんだけれど、男の人達云うもんは案外細かなとこを見てるもんで、昨日あれから、お嬢さんの左の眼の縁にほんの微かすかなシミがあるような気イする云い出した人があって、僕もそう思うたとか、いやそうやない、光線の加減でそない見えたんやとか、説がいろいろに分れましてんけど、ほんとうにそんなシミがおありでしょうか、云うて聞かれてん」

「昨夜はあれが少し見えたのんで、折が悪いなあ思うててんけど、そんならとうとう問題になってんなあ」

「そうえらい気にしてるようでもあれへなんだけどな」

―――雪子の左の眼の縁、―――委くわしく云えば、上眼瞼うわまぶたの、眉毛まゆげの下のところに、ときどき微かな翳かげりのようなものが現れたり引っ込んだりするようになったのは、つい最近のことなので、貞之助などもそれに気が付いたのは三月か半年ぐらい前のことでしかない。貞之助はその時幸子に、いつから雪子ちゃんの顔にあんなものが出始めたのだと、そっと尋ねたのであるが、幸子が気が付いたのもこの頃で、前にはあんなものはありはしなかった。この頃でも、始終ある訳ではなくて、平素はそう思って注意して見ても殆ど分らないくらい薄くなっていたり、完全に消えてしまっていたりして、ふっと、一週間ばかりの期間、濃く現れることがあるのであった。幸子はやがて、その濃く現れる期間は月の病の前後であるらしいことに心づいた。そして、彼女は何よりも、雪子自身がそれをどう感じているか、自分の顔のことであるから誰よりも先にその現象を発見しているに違いないとして、それが何か知ら心理的影響を与えていなければよいが、と云うことを恐れた。一体雪子は、今迄は婚期に後おくれているからと云って、そう悲観しても僻ひがんでもいなかったのは事実で、それと云うのも、内々自分の容貌ようぼうに自信を持っていたかららしいのであるが、そこにそう云う思わぬ欠点が生じたと知ったら、どんな気持がするであろうか。幸子はひそかにそう云う懸念を抱きながら、うっかり当人に聞いてみることも出来ないので、折々それとなく雪子の顔色を探りつつ日を送っていたが、表面雪子の素振には何の変化も現れず、殆どそのことに気が付かないのか、問題にしていないかの如ごとくに見えた。と、或る時妙子が、「中姉なかあんちゃんこれ読んだか」と云って、二三箇月前の或る婦人雑誌を持って来たことがあった。幸子が見ると、その古雑誌の身上相談の欄のところに、二十九歳になる未婚の一婦人が雪子と同じ症状に悩んでいることを訴えているのである。その婦人も最近それに気が付いたので、矢張一箇月のうちにそれが薄くなる時、消えてしまう時、濃くなる時があり、大体来潮時の前後に於いて最も顕著になると云っているのであるが、その答の方を読むと、貴方あなたの如き症状は適齢期を過ぎた未婚の婦人には屡〻しばしばある生理的現象で、そう心配なさることはない、大概の場合、結婚されれば直きに直るものだけれども、そうでなくても、女性ホルモンの注射を少し続けられても治癒ちゆすることが多い、と書いてあるのであった。幸子はそう云う知識を授かって先ずほっとしたのであるが、実を云うと幸子自身にも、嘗かつてそれに似た経験があった。彼女の場合は結婚の後、今から数年前であったが、唇くちびるの周りへ、ちょうど子供が餡あんで口の端はたをよごしたような風に、黝あおぐろいシミが出たことがあって、医者に診て貰もらうと、彼女のその時のはアスピリンの中毒だとのことで、放って置いても自然に直ると云うので、その儘ままにして置いたら、一年ばかりたつうちに消えてしまって、それきり再発したことはなかった。そんなことを思い合せると、姉妹共にいくらかそう云うシミの出る体質なのかも知れないが、幸子は自分の過去にその経験があり、而しかも雪子の眼瞼のそれよりは自分の口の端に出たものの方がずっと濃かったのに、それさえ間もなく直った実例があるものだから、もともとそうも心配していなかったところへ、その雑誌の記事を読んだのですっかり安心した訳であった。が、妙子がこの古雑誌を引っ張り出して来た目的は、何とかしてこの記事を雪姉きあんちゃんに読ませたい、雪姉ちゃんは見たところ変った様子もないようだけれども、お腹の中では独ひとりでくよくよ案じているかも知れないから、ここにこの通り書いてある、何も心配するには及ばないのだと云うことを、知らしてやりたい、そして、結婚すれば直るにしても、出来ればその前に直してしまった方がよいから、進んで治療を受けるように、―――そう云っても雪姉ちゃんのことだから中々気軽には動くまいが、―――折を見て説き付けたい、と云うのであった。

幸子は雪子のシミのことを、今まで誰とも話し合ったことはなかったので、妙子と話したのもその時が始めてであった。彼女は妙子がそのことについて、矢張自分と同じようにひそかに胸を痛めていたことを知ったのであるが、妙子の場合は、雪子のためを思う親身の情愛の外に、雪子が早く縁づいてくれなければ自分と奥畑との結婚が延びると云う打算も手伝っていることが、幸子には察しが付いた。そしてそんならその雑誌を誰が雪子に見せるべきかと云うことを二人で相談した結果、これは妙子の方がよい、幸子だと却かえって大層らしくもなり、当然貞之助までがその議に与あずかっているように邪推される恐れもあるから、妙子が何気ない風をして軽く切り出したら、と云うことになった。で、その後又雪子の顔にシミが濃く現れていた或る日、彼女がひとり化粧部屋で鏡に向っている時に、偶然妙子がそこに居合せたようにして、

「雪姉ちゃん、その眼の縁のもん心配せんかてええねんで」

と、小声で云ってみた。雪子はただ鼻で、

「ふん」

と云っただけであったが、妙子は努めて彼女と視線を合せないように下を向いたままで、

「そのこと、婦人雑誌に出てたのん、雪姉ちゃん読んだやろか。まだやったら見せたげよか」

「読んだかも知れん」

「ふうん、読んだのん。―――それ、結婚したら直るもんやし、注射でも直るもんやねんて」

「ふん」

「知ってるのん、雪姉ちゃん」

「ふん」

妙子には、雪子があまりその問題に触れられたくないので、冷淡に受け流しているのかとも取れたけれども、矢張その「ふん」は肯定の「ふん」であって、ただいつの間にかそんな雑誌を読んでいたことを知られたのが極まり悪さに、空惚そらとぼけているのらしかった。

恐々こわごわ雪子に当ってみた妙子は、それですっかり気が楽になったので、「あれ読んだんなら、何で注射せえへんの」とすすめたけれども、雪子はそう気が進まないらしく、その忠告に対しても「ふんふん」と鼻であしらうだけであった。それは一つには、彼女の性分として、誰かが手を取って無理に引っ張り出しでもしなければ、顔馴染かおなじみのない皮膚科の医者の所へなど診て貰いに行くのは嫌いやなのであろう、が、一つには端はたの者が蔭で気を揉もんでいるほど、当人はそのシミを神経に病んでいないのであった。そう云えば、妙子がそんな忠告をした後の或る日、悦子が始めて気が付いたらしくて不思議そうに雪子の顔を見詰めながら、「あれ、姉ちゃん、眼の周りどないしたん」と、大きな声で聞いたことがあった。生憎あいにくその場には幸子の外に女中達まで居合せたのが、俄にわかにしーんと黙り込んでしまったが、その時も雪子は案外平気で、何か口の中でもぐもぐと胡麻化ごまかした返事をしただけで、顔色一つ変えるではなかった。幸子たちが一番ヒヤヒヤするのは、そう云う風にそれがはっきり出ている時に、雪子と連れ立って街を歩いたり、百貨店などへ行ったりすることであった。姉妹たちにして見れば、雪子は今が結婚前の大切な売り物で、見合いでなくとも着飾って外へ出かければ何処どこで誰に見られるか分らないのであるから、その前後の一週間ぐらいはなるべく引き籠こもっていてくれるか、でなければ、出かけるなら出かけるで、化粧でそれを目立たせないように工夫してくれたらよいのに、当人はそう云う点に一向無頓着むとんじゃくなのであった。幸子や妙子の見るところでは、雪子の顔は本来厚化粧の似合う顔だけれども、その翳かげりが現れている期間は、お白粉しろいを濃くすると、斜めに光線を透かした時に、却かえって真っ白な地肌じはだの下に鉛色の部分がくっきり沈澱ちんでんして見えるので、寧むしろその期間はお白粉を薄くして、頬紅ほおべにを濃く着けた方がよいように思えた。ところが雪子は平素から頬紅を着けるのが嫌きらいなので、(彼女が肺病などありはしないかと疑われたのも、一つはそう云う青白い化粧のせいなのであるが、妙子は又反対に、お白粉を着けないでも頬紅だけは必ず着けた)相変らず厚化粧をして外出する。と、そんな折に運悪く知っている人に遇あったりした。或る時妙子は、一緒に電車に乗って見るとその日は殊ことに目立っているので、そっと紅を取り出して、

「これ着けなさい」

と、渡してやったことがあったが、端からそのくらいに仕向けても、当人はあまり感じないらしかった。

十三

「そんなら、あんたどない云やはった」

「ありのままのこと、正直に云うといた。―――いつもあんなに出ているのやないし、何も心配なものやないことは、こうこう云う雑誌にも書いてあったし、外の雑誌でも読んだことがある云うて。そんで僕考えたのんは、どうせレントゲン撮るついでやさかい、矢張阪大へ行って、皮膚科の人に診みてもろて、果して雑誌に書いてある通り直るもんかどうか確かめること、―――もう問題になったのんやったら、それだけのことはせんならん思うたよってに、それも僕からそうするように勧めてみます云うてん」

月のうちの大部分を分家の方へ来て暮している雪子であるから、本家の兄夫婦が気が付かないのは当然だとすると、今迄までそれを知りながら放って置いたのは自分の手ぬかりであったように貞之助は感じたが、何を云うにも最近に始まったことなので、これ迄の見合いには一度も問題になったことがなかったのであるし、それに、貞之助としては、幸子の時に案じる程のこともなく直った事実を見ているために軽く考えていたせいもあった。幸子にしても、雪子の顔にそれが週期的に現れる時期は、前から日を数えて予測することが出来るのであるから、見合いの日取をそう云う期間にきめなくともよかった訳であるが、井谷にせつかれたことが一つと、それから、そこに聊いささか油断があったと云うのは、あの日あたりなら幾らか消えずに残っていたとしても、人目につく程のことはあるまい、と、たかを括くくっていたのでもあった。

幸子は今朝、夫が事務所へ出て行ったあとで、雪子にそっと昨日の感想を尋ねて見て、大体義兄達や姉達の指図に任せると云う意向を聴き取ったところだったので、折角好い方に向いて来た話を、下手に切り出してこじれさせてはと案じながら、その夜悦子が寝てしまってから、貞之助にも遠慮して貰もらって、レントゲンの件と、皮膚科の件とを持ち出して見ると、思いの外あっさり承知して、中姉ちゃんが附いて来てくれるなら診て貰いに行ってもよい、と云うことになった。が、そう云ううちに、一日々々と眼の縁の翳かげりが薄くなって、消えかかって来たので、同じ診て貰うなら次の廻めぐりまで待って、もっとはっきり現れている時の方が、と、幸子は思ったのであるが、井谷の計略が図に中あたって、今度は貞之助が一日も早くと急せき立てるので、明くる日、見合いの報告と身許みもと調べの催促とを兼ねて上本町の本家へ行き、雪子を阪大へ連れて行くことを一往姉に答えて置いてから、その又明くる日、ちょっと雪子ちゃんと三越まで、と、わざと女中達にそう云って出かけた。

診察の結果は内科の方も皮膚科の方も予想通りで、レントゲン写真は、その日、待っているうちにネガフィルムが現像され、胸部に一点の曇りもないことが明かになったが、数日を経て、血液沈降速度十三、その他の反応も陰性と云う報告が届いた。皮膚科では、診察後幸子が蔭へ呼ばれて、あのお嬢さんは早く結婚させて上げることですな、と、いきなり云われた。注射で直ると云うことを聞きましたのでございますが、と云うと、ええ、注射でも直るには直りますが、あの程度なら分りゃしないじゃありませんか、それより早く結婚させて上げるんですな、それが一番あれを直す良い方法ですよ、と云った風なことで終ってしまったと云う訳で、結局雑誌で読んだことが本当らしいのであった。

「そしたら、お前、これ井谷さん所とこへ持って行ってくれるか」―――貞之助はそう云ったが、持って行ってもよいけれども、先方が、御主人の方が話が早いと云ってあなたを目指して来たのだから、これもあなたから届けてほしい、別に除のけ者にされたことで気を悪くしているのではないが、実のところ、私はあんな風にセカセカされたのでは話がしにくい、と幸子が云うので、ナニ、それなら訳はない、此方こちらも事務的に運ぶことにしようと、貞之助は明くる日事務所から電話であらまし話して置いて、写真と報告書とを速達書留で井谷へ送った。と、その明くる日の午後四時頃、今から一時間ばかりしたらお伺い致しますと云う電話があって、きっちり五時に井谷が又事務所へ現れた。そして、昨日は早速に有難うございました、あれは直すぐ私から瀬越さんの方へお届け申しましたが、ああ云う明細な報告書と、殊ことにレントゲン写真までああして態〻わざわざお撮り下さいましたので、大変恐縮しておられまして、もうすっかり安心されましたのは勿論もちろん、えらい失礼な勝手なことを申し上げたことに対して、重々お詫わびを申してくれと仰おっしゃっておられるのでございますが、………と、云うような挨拶あいさつの後で、まことに申しかねるけれども、瀬越さんが今一度、お嬢さんと二人きりで、この間よりは少しゆっくり、まあ一時間ぐらい話し合ってみたいと云っておられるのですが、御承諾願えないでしょうか、と云うのであった。井谷はそれに附け加えて、瀬越さんはあのお年ですけれども、結婚の経験がおありにならないものですから、初心のお方らしいところがあって、この間は何だか上あがってしまってどんなことをしゃべったのやら覚えていない、それにお嬢さんもああ云う内気なお方で、………いえ、その内気は結構なのですけれども、あの時は何分初対面で、遠慮しておいでになったようだから、もう一度お目に懸って、お互にもっと打ち解けて口を利きいてみたい、と云うような訳なのでございまして、………と、そう云ってから、それで御承諾願えるのであったら、ホテルや料理屋も目につき易やすいから、むさくろしい所ではあるけれども、阪急岡本の私の住居の方へでも来て戴いただいて、お会いになったら如何であろうか、先方はこの次の日曜日あたりを望んでおられるのですが、と云う話なのである。

「なあ、どうやろか、雪子ちゃん承知してくれるやろか」

「雪子ちゃんより、本家がどう云うか知らん。まだはっきり極まった訳でもないのんに、余り深入りせん方がええ、云えへんやろか」

「先方の腹は、顔のシミがどんな程度か、もう一遍見たいのやないか知らん」

「ほんに、そうやわきっと」

「それやったら、会うた方がええやないか。今やったらちょっとも分らんようになってるよってに、いつもはこんな風や云うこと、見といて貰わな損やないか」

「そうやわ。それ断ったら、何や見られるのん嫌いやがってるみたいやわ」

夫婦の間にそんな風な会話があってから、翌日幸子は、家の電話では又後が面倒なと思って、近所の公衆電話へ行って本家の姉を呼び出したものだった。と、案の定、何でそんなに何遍も会わんならんねん、と云うようなことなので、五通話も費して訳を話すと、それはそうかも知れないけれども、どうなるとも分らないうちから、二人きりで会うようなことを許してよいかどうか私には分らないから、今夜兄さんと相談して明日返事をしようと云う。で、幸子は翌朝、向うから懸って来ないうちにと、又公衆電話へ走って行って、どうやら義兄が―――時間、場所、監督等、いろいろ条件つきではあるが、―――許可したことを確かめてから、雪子の方を当ってみると、これは分りが早くて直ぐ承知した。

その日も幸子が、手土産に切り花を一束提げて井谷の家まで附き添って行き、最初に紅茶の接待に与あずかって四人で暫しばらく雑談をしてから、瀬越と雪子は二階へ案内され、幸子は階下で井谷と話しながら待っていたが、一時間ばかりと云う約束が三四十分超過した頃に、二人は降りて来た。帰りは瀬越が一と足後に残ることになり、姉妹が先に暇いとまを告げたが、今日は日曜で悦子が家にいることを慮おもんぱかって、幸子はそのまま神戸へ出、オリエンタルホテルのロビーへ行ってもう一度お茶を飲みながら、会見の模様を雪子に聞くと、

「今日はほんまによう話はなしやはったわ」

と、そう云う雪子も、その日はわりにいろいろと気軽にしゃべった。先ず、瀬越から四人の姉妹の間柄について質問があったこと。なぜ雪子や妙子が本家よりも分家の方で多く暮しているかと云うことや、妙子のいつかの新聞の事件のことや、その後それがどうなっているか等々のことについても、相当突っ込んで尋ねられたので、差支えない限りは答えたけれども、本家の兄が悪く取られるようなことは一言も云わなかったこと。瀬越は、僕にばかり質問させないで、あなたの方からも聞いて下さいと云うことであったが、雪子が遠慮しているので、進んで自分のことを語り出したこと。自分は所謂いわゆる「近代的な」感じの人より「古典的な」感じの人を求めていたために今日まで結婚が晩おくれたのであるが、あなたのような方に来て戴ければ勿体もったいないと思っている、と云って、「身分違い」と云う言葉を二度も三度も繰り返したこと。それから、自分は婦人関係について過去に何の引っ懸りもないけれども、一つお耳に入れて置きたいことがあると云って、意外な事を洩もらしたのは、―――巴里パリ時代に百貨店の売り児をしていた或る仏蘭西フランスの婦人と云い交したことがあったと云うこと。そして、委くわしい話はしなかったけれども、結局その婦人に欺あざむかれたらしいので、彼がホームシックに罹かかったのも、純日本趣味に憧あこがれるようになったのも、その反動であると云うこと。―――瀬越はこの話を知っているのは旧友の房次郎君だけで、それ以外に話すのは今日が始めてであると云い、但ただしその婦人とは清い交際で終ったのであるから、その点は信用して戴きたいと云ったこと。―――幸子が雪子から聞き得たのは大体そんな事柄であったが、そこまで雪子に打ち明けて懸っている瀬越の心持は、問う迄までもなく分っていることであった。

井谷からは、直すぐ追っかけて翌日貞之助に電話があり、昨日十分な機会を与えて下すったので、瀬越さんはもう何も云うところはない、お顔のシミのことも仰っしゃる通り問題にする程のものでないことが昨日でよく分った、この上は自分があのお嬢さんの夫として及第するかどうか、御返事の来るのを待つばかりである、と云う先方の言葉を伝えると同時に、まだ御本家の方のお調べは済まないのでしょうか、と云う催促であった。井谷にして見れば、最初にこの話があってから既に一箇月以上にもなるのだし、先日蘆屋あしやを訪ねた時にも、その数日後オリエンタルホテルの見合いの時にも、「あと一週間ぐらいお待ち願えれば」と云う挨拶を聞かされているのであるから、好い加減痺しびれを切らすのも尤もっともなのであるが、事実は幸子が始めて本家へこの事件で相談に行ったのがやっと十日か半月程前のことなので、それでなくてもこう云う調査には大事を取りたがる本家が、そう早速に返事をする筈はずはないのであった。要するに幸子が井谷に攻め立てられてつい出まかせに「あと一週間」と云ってしまい、貞之助が又仕方なくそれに口を合せたのが悪かったので、正直のところ、本家では瀬越の戸籍謄本を取り寄せるべく原籍地の役場へ云ってやったのが、漸ようやく両三日前に届いたなどと云っている始末で、興信所の報告も、国元の方を調べるのだとすると相当暇が懸るであろうし、まだその後で、いよいよ極めると云うことになれば、もう一度念のために然しかるべき人を国元へ遣やるなどと云っているのである。貞之助夫婦は今更困って、もう四五日もう四五日と云って引っ張っているより外はなかったが、井谷はその間にも蘆屋へ一度と大阪の事務所へ一度催促に見え、こう云う話は早いに越したことはございませんよ、兎角とかく邪魔が這入はいり易いものですからねとか、いいとなったら今年のうちにでも式をお挙げになることですねとか、云うようなことまで云って帰った。そして、よくよく待ちかねたと見えて、まだ会ったこともない本家の姉を直接電話口へ呼び出して催促をしたとやらで、驚かされた姉が直ぐその後から幸子に電話で知らせて来た。幸子は自分より又一層気の長い、物を尋ねられると五分も立ってから返答をするような本家の姉の、面喰めんくらった顔が眼に見えるようで可笑おかしかったが、井谷は姉に向っても、好い話は邪魔が這入り易いからと云う文句を使って、いつもの早口で大いに説き付けたらしいのであった。

十四

そうこうするうち、月が変って十二月に這入はいってからの或ある日、本家の御寮人様ごりょうにんさんから電話と云うので、幸子が出ると、先達ての縁談のことについて、大そう調べがおそくなったけれども、漸ようやく大体のことが分ったから、今日此方こちらから出向いて行く、と、そう云って電話を切りかけてから、姉は又ちょっと言葉を継いで、ええ話とは違うさかいに、喜ばんとおいてほしい、と云うのであった。幸子はそう断られる迄までもなく、姉の声を聞いた最初の瞬間から、ああ又今度もいけないのだなと感じていたが、電話を切って応接間へ戻って来ると、ひとりでに溜息ためいきが出て、安楽椅子へどっと腰を落してしまった。今迄にも幾度こう云うことがあったか知れず、土壇場まで来て断るのが殆ほとんど馴なれっこのようになっていたので、その都度つど幸子はそんなにも力を落したことはなかったのであるが、今度はなぜか、格別残念がる程の縁ではないと云う風に思ってみても、心の奥の方で相当に落胆していることが意識せられた。それと云うのが、今迄は自分も本家と同じ意見で、破談に賛成する方の側であったのに、今度は大丈夫纏まとまるような気がしていたせいなのであろう。何分今度は井谷と云う進行係がいたためもあって、妙に自分達の身の入れ方が違っていた。貞之助なども、今迄は大概埒外らちがいに立っていて、お役目に引っ張り出される程度であったのに、今度はひどく力瘤ちからこぶを入れて斡旋あっせんをしたし、それに、雪子も今迄とは違ったところがあった。ああ云う性急な見合いの申し出にも応じ、二人きりで話したいと云う注文が再度あったのをも承諾し、レントゲンの撮影や皮膚科の診察の件などをも、嫌いやな顔をせずに聴き入れたと云うようなこと、―――これは従来の雪子には見られない態度と云ってよいのであるが、矢張いくらか結婚を焦あせる気持が、密ひそかに胸中に兆きざしている結果の、心境の変化ででもあろうか、それには眼の縁に現れた暗影なども、表面何とも感じていないように見えつつ、実は多分に影響しているのではあるまいか。まあそれやこれや、いろいろの理由から、今度ばかりは是非成立させたくも、亦またするようにも考えていた次第であった。

それで、幸子は、姉に会って委くわしい話を聞く迄は、そう云っても何とかなるように思い、全然望みを捨て切ってはいなかったのであるが、話を聞いてみると成る程それでは仕方がないと思わざるを得なかった。幸子と違って大勢の子持ちである姉は、上の子供達が中学校や小学校から帰って来る迄の、午後の一二時間を利用して、―――ちょうど雪子もその日の二時からお茶の稽古けいこに出かけることを知って来たので、一時間半ほど応接間で話しているうちに悦子の帰って来た姿を見ると、ではどう云う風にして断るか、そこの所はあんた等らに任せるから貞之助さんとよく相談をしてくれて、と云って暇いとまを告げたが、姉の語るところに依よると、瀬越のお母さんと云う人は、十数年前に連れ合いに先立たれてから、ずっと昔の家屋敷に引き籠こもったきり病気と云うことで世間に顔出しをしない、忰せがれの瀬越もめったに帰省することはなく、身の周りの世話は、そのお母さんの実の妹で、矢張未亡人になっている人が任に当っている。病気は表向きは中風と云っているけれども、出入りの商人などに聞いてみると、どうもそうでないらしい節ふしがあり、事実は一種の精神病で、忰の顔を見ても忰ということが分らないと云った風な性質のものらしい。このことは興信所の報告にもぼんやり匂におわしてあったけれども、腑ふに落ちかねる点があったので、此方から態〻わざわざ人を遣やって間違いのないところを調べ上げたのである。と、姉はそう云って、折角親切なお人達が何かと心配して話を持って来て下さるのを、本家の私等が毎度壊してしまうように取られるのは心苦しいけれども、決して私等はそんなつもりはない、今日となっては何も家柄だの資産だのに深くこだわる気はないので、実は今度の話などは至極恰好かっこうな縁と思った訳であった、私等にしても何とか纏めたいと云う考があったればこそ、人を田舎まで遣って調べたのであるが、外の事と違って精神病の血統があるのでは諦あきらめるより仕様がないではないか、雪子ちゃんの縁談と云うと、いつも何か彼か動きの取れない故障が起ってどうしても断るような羽目になるのが不思議でならない、矢張雪子ちゃんと云う人はそれだけ縁が薄い人なので、未ひつじ年などと云うことも迷信とばかり云ってしまえないような気がする、と云うのであった。

幸子は、姉と入れ違いに戻った雪子が懐ふところに茶袱紗ちゃぶくさを入れたまま洋間に這入って来たのを見ると、ちょうど悦子がシュトルツ氏の庭へ遊びに行っている折なのを幸い、

「さっき姉ちゃんが来やはったけどな、たった今帰りはってん」

と、そう云ってちょっと間まを置いてみたが、雪子が例の、

「ふん」

と云ったきりなので、仕方なしに後を続けた。

「あの話、あかなんでんわ」

「そうか」

「あのお母さん云う人なあ、………中風病みや云う話やってんけど、精神病らしいねんわ」

「そうか」

「それやったら、問題になれへんよってにな、………」

「ふん」

遠くで悦子の「ルミーさん、いらっしゃい」と云う声が聞えて、二人の少女が芝生の上を此方へ駈かけて来るのを見ながら、幸子は調子を落して云った。

「ま、委しいことは後で云うけど、それだけ耳に入れとくわな」

「お帰り、姉ちゃん」

と、悦子がテラスを駈かけ上って、洋間の入口の硝子戸ガラスどの外に立ち止ると、後から来たローゼマリーもその横に肩を揃そろえて立った。クリーム色の毛織のソックスを穿はいた可愛らしい脚が四本列ならんだ。

「悦ちゃん、今日は中でお遊び、風が寒いよってに。―――」

と、雪子は立って行って、硝子戸を中から開けてやって、

「さあ、ルミーさんも這入って頂戴ちょうだい」

と、いつもと変りのない声で云った。

雪子の方はそんなことで済んでしまったが、貞之助の方はそう簡単には納まらなかった。夕刻帰宅した彼は、妻の口から本家の姉が不承知を云いに来たと聞かされると、又今度も断りなのかと、一往不服らしい顔つきをした。貞之助は、今度は井谷に目指されて自分が一番交渉の矢面に立たされた関係から、この話にはだんだん乗り気になっていて、もしも亦本家が時勢後れな格式論や体面論を持ち出すようなら、自分が出かけて行って、何とか考え直すように義兄や義姉に勧めてみよう、それには、瀬越が初婚であると云うこと、見たところも実際の年齢も比較的若く、雪子と並べてもまあまあ不自然な感じが少いと云うこと、外の点では将来もっとよい縁談があるにしてからが、この二つは惜しんでも余りある点だと云うことを、力説するつもりでいたので、幸子から事情をとっくりと聴き取っても、まだ暫しばらくは断念し切れないものがあった。が、どう思ってみても、これは本家が承知する筈はずのないことだし、仮に義兄から、それならお前が責任を持つか、そう云う血統のある人と結婚させて、その夫にも、行く末生れるであろう子供にも、絶対に間違いがないと云う保証が出来るかと反問されるとしたら、貞之助にしても不安にならざるを得ない。そう云えば、去年の春であったか、矢張四十何歳とかで初婚と云う、今度のに似た話があって、而しかも相当の素封家と云うので、その時は皆が乗り気になって、結納の日まで取り極めたところ、ふっと或る筋から、相手の男に深刻な関係を結んでいる婦人が附いていて、世間体を胡麻化ごまかすために妻を迎えようとしていることが分り、慌あわてて取り消したことがあったが、雪子へ向けて持ち込まれる縁談には、突き詰めて行くと、そう云う変に暗黒なものに打ぶつかることが多いのであった。で、そのために一層本家の兄達が用心深くもなったのであるが、それも畢竟ひっきょう此方が余りむずかしいことを云って、不釣合ふつりあいによい相手を求めようとするところから、却かえって妙な誘惑にかかるようなことにもなるので、考えてみれば、四十を過ぎての初婚の資産家などと云う口は、大概一癖あるものと思って然しかるべきなのであった。

瀬越の場合も、血統の上にそう云う弱点があったので今迄結婚しなかったのかも知れないけれども、しかし此方を欺だます考があったのでないことは明かで、恐らく先方にしてみれば、こんなに長い間かかって郷里の方を調べていると云う以上、母のことは分った筈であると思い、当然それを承知の上で話に乗って来ているものと解したのであろう。「身分違い」とか「自分には勿体もったいない」とか云う謙遜けんそんの言葉も、その感激の心持を籠こめていたのであろう。今度瀬越氏が大変よい所から嫁を貰もらうことになったと云う噂うわさが、もうMB会社の同僚の間にも伝わっていて、瀬越自身もそれを否定せず、あの生真面目きまじめな人物が近頃は仕事が手につかないでそわそわしている、と云う風な評判も此方の耳に這入って来ているので、貞之助はそんなことを聞くにつけても瀬越が気の毒で、一廉ひとかどの紳士に何の必要もなく耻はじを掻かかしたように思えて仕方がなかった。要するにもっと早く調べて早く断ってしまっていたら、何でもなく済んだものを、先まず幸子の所で停頓ていとんし、本家の手へ移ってからも決して迅速には運ばれていなかった。そして一層悪いことは、その間をつなぐために、この程じゅうから相手に向っては殆ど調べが終っているように云い、なるべく希望を抱かせるような、八九分通り出来る話のような挨拶あいさつばかりしていたことで、これは自分達としても出まかせを云った訳ではなく、纏めるつもりでいたからこそそう云ったのであるけれども、結果から見れば先方に対して非常に罪ないたずらをしたも同然で、この点については貞之助自身、幸子や本家を責めるよりも先ず自分の軽率を責めなければならなかった。

貞之助は自分も本家の義兄と同様に養子の身分なので、今迄義妹の縁談などには努めて深く立ち入らないようにしていたのに、たまたま今度渦うずの中に巻き込まれた事件が、破談になるのは避け難いとしても、自分の不手際ふてぎわもあって関係者に気まずい思いを残すことになり、そうしてそれが、引いては義妹の運命をも今後一層不幸にさせはしないであろうかと考えると、口に出して云うべきことではないけれども、取り分け雪子に済まない感じがした。いったい今度のことに限らず、男の方から断るのはよいが、女の方から断ると云うのは、いくら辞柄を婉曲えんきょくにしてみたところで、男に耻を与えることになるのだとすると、もう蒔岡家は今迄にも随分多くの人たちから恨まれているものと思わなければならない。それが又、いつも本家の姉や幸子たちの世間知らずな悠長ゆうちょうさから、散々相手を引っ張っておいてギリギリの所へ来て断ると云う遣り方なのでは尚更なおさらであるが、貞之助の恐れるのは、そう云うことが積り積ると、蒔岡家が恨まれるだけでなく、そう云う人達の思いからでも、雪子が仕合せになれなくはないか、と云うことであった。で、さしあたり今度の断り役は、幸子が逃げるであろうことは明かなので、貞之助が、いくらかでも自分の失錯を償う意味から、貧乏鬮くじを引き請うけて井谷に会い、何とか諒解りょうかいを求めるより仕方がないが、でもどんな風に云ったらよいものか。今となってはもう瀬越にはどう思われても已やむを得ないとして、井谷にだけは、これから後のこともあるので、悪い感情を持たれたくない。考えてみると今度のことでは井谷も随分時間や労力を費している訳で、この間じゅう蘆屋の宅や大阪の事務所へ足を運んだ回数だけでも少くはない。美容院の経営には大勢弟子を使っているものの、なかなか繁昌しているらしいのに、その間を抜けてああ云う風に小まめに奔走すると云うのは、確かに噂のように世話好きなのであろうけれども、一通りの親切や侠気きょうきでは出来ないことで、細かいことを云えば円タクその他の足賃にしても相当遣っているであろう。貞之助は先夜オリエンタルの会の時に、名義は井谷の招待と云うことだけれども、実際の費用は瀬越側と自分達とで分担すべきものと思って、帰りがけにそのことを申し出たのであったが、井谷は、いえ、これは私がお招きしたのですからと云って、何としても応じなかった。しかしどうせこの縁が纏まる迄にはまだ何か彼か橋渡しとして骨を折って貰うであろうし、いずれ引っくるめて礼をする機会があろうと考えて、あの時はそのままにして置いたのであったが、今となってはそれも放って置く訳には行かなかった。

「ほんになあ、お金では受け取ってくれはれへんやろうし、手土産でも持って行かはるより仕様ないけど、―――」

と、幸子は云った。

「今云うてもちょっと思い付かんさかいに、こうしやはったらどうやねん。―――あんたは兎とに角かく、何も持たんと話だけして来なさい。お礼は又、後で姉ちゃんと相談して、あたしが何ぞあの人に向きそうなもん持って行きますがな」

「お前はええ役にばかり廻りよる」

と、貞之助は不服らしかったが、

「そんなら、まあそないしようか」

と、結局そうすることに極まった。

十五

井谷は十二月になってからはぱったり催促して来なくなったが、事によると形勢の非なることを大凡おおよそ悟ったのかも知れないので、それなら却かえって都合がよい訳でもあった。貞之助は、他聞を憚はばかることもあるから美容院でなく、岡本のお宅の方へお伺いしたいと思いますがと、在宅の時間を確かめておいて、夕刻、いつもよりは遅めに事務所を出て、その足で岡本へ廻った。

通された部屋にはもう灯あかりがともっていたが、それが濃い緑色の、深い暈かさの附いたスタンドなので、室内の上半部が薄暗くなっており、その翳かげの中に、安楽椅子に腰かけている井谷の顔があって、表情が此方にはっきり見分けられないのが、職業柄にもなく文学青年的な純良さを持つ貞之助には切り出しよかった。

「今日こんにちは甚はなはだ申しにくいことを申し上げに参ったような訳でして、………実はその後彼方あちらさんのお国元の方を調べてみましたのですが、外のことは宜よろしいのですけれども、何分お母さんの御病気が御病気だものですから、………」

「はあ?」

と、井谷は小首をかしげたが、

「あの、中風を患わずらっておいでのように伺っていましたけれども、人を遣やりまして調べましたところでは、精神病でいらっしゃるらしいんですが」

と、貞之助が云うと、

「ああそうですか」

と、俄にわかに調子の外れた慌あわてた声で云って、続けざまに「そうですか」を連発しながら頷うなずいて見せた。

貞之助は、井谷が果して精神病の件を知っていたかどうか[#「かどうか」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「のかどうか」]と云う疑いを抱いていたのであったが、この間から無闇むやみと話を急いだ様子や、たった今の狼狽ろうばいしたような態度を見ると、矢張知っていたのであろうかと思わざるを得なかった。

「誤解をなすって下すっては困るのですが、こう云うことを申し上げたからと云って、決して批難がましいことを申しているのではないのです。本来ならば、何か当り触りのない口実を設けてお断りするのが常識なのかも知れないと思うて、考えましたのですけれども、先達せんだってからの一方ならぬあなたの御尽力に対しまして、御納得の行くような理由を挙げてお断りせんことには、僕等として気が済まんように存じましたものですから、………」

「はあ、はあ、そのお心持はよく分りますわ。誤解どころか、私こそ十分調べてもみませんで、軽率なことを致しまして、申訳もございません」

「いえ、いえ、そう仰おっしゃられては痛み入ります。ただ、僕等としましては、蒔岡家では何か格式と云うようなものに囚とらわれて、恰好かっこうな縁談があっても皆断ってしまうと云う風に、世間から思われておりますらしいのが辛つらいのでして、………決してそんな意味ではない、今度のことは寔まことに已やむを得ない事情なのだと云うことを、世間は兎とに角かくと致しまして、せめてあなたにまで御諒解りょうかいを願って置きたい、と申しますのも、何卒どうかこのことでお腹立ちにならず、今後ともお世話を願いたいと思うておりますからなのですが、これは勿論もちろんあなたのお耳へ入れておきますだけなのでして、先方さんへは、何とでも宜しいように仰っしゃってお断りになって戴いただきたいのです」

「御丁寧な御挨拶あいさつで恐縮いたしますわ。実はわたくし、何と思っていらっしゃいますか存じませんが、精神病と云うようなことは只今ただいま始めて伺いますので、全く知らなかったのでございますの。でもほんとうにお調べになってようございましたわ。いいえ、そりゃもうそう云う訳でございましたら、仰っしゃるのが御尤もっともでございます。先方さんへは寔にお気の毒ですけれども、何とか私から巧い工合に申しますから、その点は御心配なく、………」

貞之助は相手の如才ない言葉にほっとして、用談を終えると怱々そうそうに辞したが、井谷は玄関へ送って出ながらも、気を悪くしているどころではない、自分こそ済まないと思っていると繰り返して云った。そして、きっとこの埋め合せに良い話を持って行くから待っていて戴きたい、なあに、そんなにお案じなさらないでも、あのお嬢さんなら必ずお引き請けしますから、何卒なにとぞ奥様にもそう仰っしゃって下さるようにと、頻しきりに云うのが、日頃の井谷の気象として、満更口先ばかりのようにも受け取れないので、この様子では事実そんなに感情を害してもいないのかと思えた。

その数日後、幸子は大阪の三越へ進物にする呉服物を調ととのえに行き、それを持って岡本へ廻ったが、井谷がまだ戻っていなかったので、品物だけ置いて、伝言をして帰って来た。と、翌日井谷から幸子へ宛あてて慇懃いんぎんな礼状が来、何のお役にも立たなかったばかりか、自分の不行き届きから却っていろいろと無駄むだなお手数を掛けた結果に終ったのに、こう云う御心配にあずかって相済まなく思っていると云う文句のあとに、必ずこのお埋め合せは致しますからと云う言葉が、そこにも繰り返して添えてあったが、それから十日ばかり過ぎて、今年も残り僅わずかになった或る日の夕刻、例の如ごとく蘆屋あしやの家の前に慌あわただしくタキシーを停めて、ちょっと門口まで御挨拶に伺いましたと、井谷が玄関から声をかけた。幸子は折あしく風邪を引いて臥ねていたけれども、貞之助が戻って来ていたので、ここで失礼致しますと云うのを強しいて応接間に請じ入れて暫しばらく話したが、その後瀬越さんはどうしていらっしゃるでしょうか、御当人は寔によい方だのにああ云うことで残念です、………ほんとうにお気の毒なお方で、………などと云ったようなことから、しかしあの方は、お母さんのそう云う御病気のことを此方が既に知っているものと思っておられたのでしょうね、と、貞之助が云うと、そう云えば、最初瀬越さんは妙に遠慮していらしって、気乗りがしない御様子でしたのが、後になる程だんだん熱心になられたのです、矢張最初はお母さんのことがあるので、控え目にしていらしったのかも知れませんね、と、井谷も云った。そうだとすれば此方の調べが手間取ったためにそう云う感違いをさせたわけで、僕達の方が重々悪いのです、と貞之助は云ってから、何卒これにお懲こりにならずに是非又お世話をして戴きたく、と、この間も云った台辞せりふを云うと、井谷は急に声をひそめて、「子供が大勢あるのさえお構いなければ、今も一つ話がないことはないんですがねえ」と、ちょっと気を引いてみるように云った。さては井谷はそれを云いたい腹もあって来たのだったかと心づいて、なおよく聞いてみると、その人と云うのは大和やまとの下市しもいちで某銀行の支店長をしてい、子供が五人あるのだけれども、一番上が男の子で、目下大阪の某学校に行っており、二番目のが女の子で、これは年頃になっているから近々何処どこかへ縁づくとすると、家にいるのは三人に過ぎない、生活の方は、その地方での一流の資産家であるから何の心配もない、と云うようなことなのであったが、五人の子持ちで、下市と聞いただけで、話にも何にもならないと思って、貞之助は途中から興味のない顔つきをした。井谷もそれを看みて取って、とてもこんなのはお嫌いやでしょうからと、直すぐ引っ込めてしまったが、それにしても、何のつもりで此方が承知する筈のない悪条件の話を持ち出したのか、矢張井谷は内心不快を感じていて、こんなところがちょうど相当な御縁なのですよと、暗に諷ふうしたのであるかも知れなかった。

井谷を送り出してから、貞之助が二階の部屋へ上って行くと、幸子は臥たまま浴用タオルで顔を覆うて吸入をかけていたが、

「井谷さん又縁談を持って来やはったんやて?」

と、かけ終えるとタオルで目鼻を拭ぬぐいながら云った。

「ふん、………誰に聞いたん?」

「今悦子が知らせに来てんわ」

「へえ、何とまあ、………」

さっき貞之助が井谷と話しているところへ、すうっと悦子が這入はいって来て、椅子に腰かけて聞き耳を立て始めたので、お前は彼方あっちへ行っていなさい、子供がこんな話を聞くものではないと云って、貞之助は彼女を追い遣やったのであったが、きっと食堂へ退いて盗み聞きしていたのであろう。―――

「やっぱり女の児はこう云う話に好奇心持つねんな」

「子供が五人あるのんでっしゃろ」

「何と、それも云うたんか」

「はあはあ、長男が大阪の学校へ行ってはって、長女がもう直き嫁に行かはる年頃で、………」

「ええ?」

「大和の下市の人で、何やら銀行の支店長してはって、………」

「こりゃ驚いた、油断も隙すきもならへんわい」

「ほんに、これからよっぽど気イ付けなんだら、えらいことになりまっせ、今日は雪子ちゃんが留守やよってによかったけど」

毎年、年末から正月の三箇日へかけては雪子も妙子も本家へ帰ることにしてあったので、雪子は妙子より一と足先に、昨日帰って行ったのであったが、彼女がいたら全くどんなことになったか知れないと思って、夫婦は胸を撫なでおろした。

幸子はいつも冬の間に気管支加答児カタルを患わずらう癖があり、悪くすれば肺炎になりますと医者に嚇おどかされて一箇月近くも臥るのが例になっているので、些細ささいな風邪にもひどく用心するのであるが、好い塩梅あんばいに今度は咽喉のどで食い止めたらしくて、漸ようやく平熱に復しつつあった。で、いよいよ押し詰まった廿五日に、まだ一日二日は部屋に籠こもっているつもりで、寝床の上にすわりながら新年の雑誌を読んでいると、これから本家へ帰るのだと云って、妙子が左様ならを云いに来たので、

「何でやねん、こいさん、まだお正月には一週間もあるのんに」

と、幸子は軽く訝いぶかしむように云った。

「去年はこいさん、大晦日おおみそかに帰って行ったやないか」

「そうやったか知らん。………」

妙子はここのところ、来年早々第三回目の人形の個展を開くためにずっと製作に熱中していて、もう一箇月も前から毎日の大部分を夙川しゅくがわのアパートで暮していたが、その間に又、舞の稽古けいこも捨てられないと云って、一週に一度ずつ大阪の山村の稽古場に通っていたので、幸子は暫くこの妹とおちおち顔を合わしたことがないような気がしていた。彼女は本家が妹たちを大阪へ呼び寄せたがっていることを知っているので、決して手元へ引き留めるつもりはないのだけれども、雪子以上に本家へ行くことを嫌きらう妙子が、例年になく早く帰ると云い出したのを、何がなし不思議に思ったのであったが、そう云ってもそれは、奥畑との間に何か約束でもしているのではないかと云った風な人の悪い疑念ではなしに、ただこの早熟な末の妹が、一年々々とほんとうの大人になりつつあり、誰よりも一番頼りにしていた自分の側をさえ離れて行きつつあるような、一種の淡い物足らなさを覚えたまでのことなのであった。

「うち、やっと仕事が済んだよってに、大阪へ帰って、当分毎日舞の稽古に通おう思うてるねん」

と、妙子は弁解とも付かずに云った。

「今、何習うてるのん」

「お正月やよってに、『万歳』教おせてもろてるねん。中姉なかあんちゃん、地イ弾けるやろ」

「ふん、大概覚えてるやろ思うわ」

と、幸子は直ぐに口三味線で唄い出した。―――

「徳若とくわかに御万歳ごまんざいと、御代みよも栄えまします、ツンテントン、愛敬あいきょうありける新玉あらたまの、………」

妙子はそれに乗りながら、立ち上って、身振をし始めたが、

「待って待って、中姉ちゃん」

と、自分の部屋へ走って行って、手早く洋服を着物に着換えて、舞扇を持って戻って来た。

「………チッツンチッツン、ツン、チンリン、チンリンやしょめ、やしょめ、京の町の優女やしょめ、………大鯛おおだい小鯛、鰤ぶりの大魚おおうお、鮑あわび、栄螺さざえ、蛤子々々はまぐりこはまぐりこ、蛤々、蛤召ッさいなと、売ったる者は優女やしょめ。そこを打ち過ぎ傍そばの棚たな見たれば、金襴緞子きんらんどんす、緋紗綾緋縮緬ひさあやひぢりめん、とんとんちりめん、とんちりめん、………」

この「やしょめ、やしょめ」と云う文句や、トントンチリリン、トンチリリンの三味線の手に合せて唄う「とんとんちりめん、とんちりめん」と云う文句などが面白くて、子供の時分に幸子たちはこれを口癖のように唄ったので、この地唄だけは未だに忘れないのであるが、今もそうして唄っていると、二十年前の船場せんばの家の記憶が鮮あざやかに甦よみがえって来、なつかしい父母の面影が髣髴ほうふつとして来るのであった。妙子はその時分も舞を習わせられていて、正月にはよく母や姉の三味線で、この「万歳」を舞ったものなので、「正月三日、寅とらの一天いってん[#ルビの「いってん」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「いてん」]に、ツンテン、まします若夷わかえびす、………」と、可愛い右の人差指を真っ直ぐに立てて天を指ゆびさした頑是がんぜない姿なども、つい昨日のことのようにはっきりと眼に残っているのに、自分の前で今舞扇をかざしているこの妹がその人なのか、(―――そして、この妹も上の妹も、まだ二人ながら「娘とうちゃん」でいる有様を、両親達は草葉の蔭からどのように眺ながめておいでか)と思うと、幸子は妙にたまらなくなって涙が一杯浮かんで来たが、

「こいさん、お正月はいつ帰って来る」

と、強いてその涙を隠そうともしないで云った。

「四日には帰るわ」

「そんならお正月に舞うて貰もらうさかいに、よう覚えて来なさいや。あたしも三味線稽古しとくよってにな」

蘆屋に家を持ってからは、大阪にいた時のようには年始の客も来ず、まして二人の妹たちまで留守になるので、近年は正月と云うと、ひっそりとした、間の抜けたような日を送ることになっているのが、夫婦の者にはたまにしんみりしてよかったけれども、悦子はひどく淋さびしがって、「姉ちゃん」や「こいちゃん」の帰って来るのを待ちあぐんだ。幸子は元日の午ひる過ぎから三味線を持ち出して、爪弾つまびきで「万歳」のおさらいをして、三箇日の間ずっと続けたが、しまいには悦子も聞き覚えて、「緋紗綾緋縮緬ひさあやひぢりめん、………」のところへ来ると、

「とんとんちりめん、とんちりめん」

と、一緒になって唄った。

十六

妙子の個展は今度は神戸の鯉川こいかわ筋の画廊を借りて三日間開催され、阪神間に顔のひろい幸子の蔭かげの運動もあって、第一日で大部分の作品が売約済になると云う成績を挙げた。幸子は三日目の夕方、会場の取り片附けを手伝い旁〻かたがた雪子や悦子たちを連れて来たが、残務を終えておもてへ出ると、

「悦ちゃん、今夜はこいさんに奢おごって貰もらお。こいさんお金持やよってに」

「そやそや」

と雪子も嗾けしかけるような口調で、

「何処どこがええ、悦ちゃん、洋食か、支那料理か」

「そうかて、まだお金受け取ってえへんねん。―――」

と、妙子は空惚そらとぼけようとしても空惚けきれないで、ニヤニヤしながら云った。

「構かめへんわ、こいさん、お金やったら立て換えとくが」

幸子は妙子の懐ふところに、諸雑費を差引いても少からぬ売り上げが這入はいる勘定であることを知っているので、何とかして奢らせようとかかるのであったが、井谷の話ではないけれども、幸子と違って現代式にチャッカリしている妙子は、こう云う場合にちょっとぐらい煽おだてられてもそうやすやすと財布の紐ひもを緩めない方であった。

「そんなら、東雅楼にしてんか、彼処あそこが一番安いよってに」

「ケチやなあ、こいさんは。オリエンタルのグリル奮発しんかいな」

東雅楼と云うのは南京町ナンキンまちにある、表の店で牛豚肉の切売もしている広東カントン料理の一膳ぜんめし屋なのであったが、四人が奥へ這入って行くと、

「今晩は」

と、登録器の所に立って勘定を払っていた若い西洋人の女が云った。

「ああ、カタリナさん、ええとこで会うた。紹介しょう、―――」

と妙子は云って、

「この人やわ、こないだ話はなした露西亜ロシアの人。―――これ、わたしの姉さん。―――これ、次の姉さん。―――」

「ああ、そう、わたしカタリナ・キリレンコ。―――わたし、今日展覧会見に行きました。妙子さんの人形皆売れましたね。オメデトございます」

「あの西洋人誰? こいちゃん」

と、その女が出て行ってしまうと悦子が云った。

「あの人、こいさんのお弟子やねんて」

と、幸子が云って、

「ほんに、あの人やったら電車の中でよう見る顔やわ」

「ちょっと可愛い顔してるやろ」

「あの西洋人、支那料理好きやのん」

「あの人上海シャンハイで育ったのんで、支那料理のことえらい通やねんわ。支那料理やったら普通の西洋人の行かんような汚い家ほどおいしい云うて、神戸では此処ここが一番や云うねん」

「露西亜人か、あの人?―――何や露西亜人らしい感じせえへんけど」

と雪子が云った。

「ふん、上海で英吉利イギリスの学校へ行ってて、英吉利の病院の看護婦になって、それから一度英吉利人と結婚したことがあるのやて。あれでも子供があるねんで」

「へえ、幾つやろ」

「さあ、幾つやろ。うちより上やろか下やろか」

妙子の話だと、この白系露人キリレンコの一家は夙川の松濤しょうとうアパートの近所の、上下で四間ぐらいしかない小さな文化住宅に、老母と、兄と、このカタリナと、三人暮しをしていて、カタリナだけは前から道で行き遇あうと目礼するくらいな仲になっていたのが、或る日突然妙子を仕事部屋に訪ねて来て、自分も人形―――殊ことに日本風の人形の製作方を習いたいから、弟子にしてくれと申し入れた。妙子がそれを承諾すると、すぐその場から妙子のことを「先生さん」と呼び出したので、妙子は面喰めんくらって「妙子さん」と呼ぶことに改めて貰った。―――と云うのが今から一と月程前のことで、それから妙子は急に彼女と親しくなり、近頃ではアパートへの往き復かえりに、時々彼女の住居へも立ち寄るようになっているらしかった。

「わたし、あなたの姉さん達いつも電車で会うのんで、よう知っています、あの人達、大変綺麗きれい、わたし好きです、是非紹介して下さい云うて、この間から頼まれててんわ」

「何で生活してるのん」

「兄さんは毛織物か何ぞの貿易商や云うこッちゃけど、家の様子見たら、あんまり楽やないらしいねん。カタリナだけは、その英吉利人の旦那だんなさんと別れた時にお金貰いました、わたし、それで暮しています、兄さんの世話になってるのと違います云うて、身なりも小綺麗にしてるけど」

悦子の好きな蝦えびの巻揚げ、鳩はとの卵のスープ、幸子の好きな鶩あひるの皮を焼いたのを味噌みそや葱ねぎと一緒に餅もちの皮に包んで食べる料理、等々を盛った錫すずの食器を囲みながら、ひとしきりキリレンコ一家の噂うわさがはずんだ。カタリナの子供と云うのは、写真で見ると今年四五歳ぐらいになる女の子だけれども、父親の方へ取られてしまって、今は英国に帰っているのであると云うこと。カタリナが日本風俗の人形を製作したいと云うのは、単なる趣味なのか、それとも他日その技を以て生活の一助にでもする腹なのか、よく分らないが、外人にしては手先が器用だし、頭も働いて、日本着物の柄や色合のことなどについても理解が早いこと。彼女が上海で育ったと云うのは、革命の時に一家が散り散りになり、彼女は祖母に連れられて上海に逃げたからなのであるが、兄は母に連れられて日本に来、日本の中学校にも在学したことがあるとかで、漢字の知識も多少は持っていること。そんな訳で、娘は英吉利カブレしているが、兄と母とは非常なる日本崇拝で、家へ行って見ると、階下の一室に両陛下の御真影を掲げまつり、他の一室にニコライ二世と皇后こうごうの額を掲げていること。兄のキリレンコが日本語が巧うまいのは当然として、カタリナも日本へ来てから短時日のわりには相当にこなすが、一番分りにくくて滑稽こっけいなのは老母の日本語で、これには妙子も少からず悩まされること。―――

「そのお婆ばあちゃんの日本語云うたらなあ、この間もうちに『あなたキノドクでごぜえます』云うねんけど、発音がけったいで早口やさかい、『あなたクニドコでごぜえます』と聞えるねんわ。そんで、うち、『わたし大阪です』云うてしもてん」

妙子は人の癖を取るのが上手で、誰の真似まねでも直すぐにして見せて皆を笑わせることが得意なのであるが、その「キリレンコのお婆ちゃん」の身振や口真似が余り可笑おかしいので、幸子たちはまだ会ったこともない西洋のお婆さんを想像して腹を抱えた。

「けど、そのお婆ちゃん、帝政時代の露西亜の法学士で、偉いお婆ちゃんらしいねんわ。『わたし日本語下手ごぜえます、仏蘭西フランス語独逸ドイツ語話します』云うてはるわ」

「昔はお金持やってんやろな。幾つぐらいやのん、そのお婆ちゃん」

「さあ、もう六十幾つやろか。けどまだちょっとも耄碌もうろくしてはれへん。とても元気やわ」

それから二三日過ぎて、妙子は又その「お婆ちゃん」の逸話を持って帰って来て、姉たちを面白がらせた。妙子はその日、神戸の元町へ買い物に出た帰りにユーハイムでお茶を飲んでいると、そこへ「お婆ちゃん」がカタリナを連れて這入って来た。そして、これから新開地の聚楽しゅうらく館の屋上にあるスケート場へ行くのだと云って、あなたもお暇なら是非いらっしゃいと頻しきりに誘った。妙子はスケートは経験がなかったが、私達が教えて上げます、直きに覚えられますと云うし、そう云う運動競技には自信があるので、兎とも角かくも一緒に行ってみた。と、一時間ばかり稽古するうちに、大体コツを呑のみ込むことが出来、「あなた大変上手ごぜえます、わたし、あなた始めて信じませんごぜえます」と、ひどく褒ほめて貰ったが、それより妙子がびっくりしたのは、何とその「お婆ちゃん」がスケート場に立つや否いなや、颯爽さっそうとして壮者を凌しのぐ勢で滑り始めた。さすがに昔取った杵柄きねづかで、腰がしゃんと極まって、少しの危なげもないばかりでなく、時々、あっと思うような離れ技を演ずる。これには場内の日本人たちが皆呆気あっけに取られた。と云うのであった。

その後妙子は又或る時、

「今日カタリナのとこで晩の御飯よばれて来てんわ」

と云って夜おそく帰って来た。そして、露西亜人と云うものはとても健啖けんたんなのに驚いた、最初に前菜ぜんさいが出て、それから温かい料理が幾皿か出たが、肉でも野菜でも分量がえらく沢山で、ふんだんに盛ってある、パンでもいろいろな形をしたパンが幾種類も出るので、妙子は前菜を食べただけで好い加減お腹が一杯になったが、もう結構です、もう食べられませんと云っても、あなたなぜ食べません、これ如何いかがです、これ如何ですと云っていくらでも勧めながら、キリレンコ達は盛に食う。その間には日本酒やビールやウォツカをぐいぐい飲む。兄のキリレンコがそうなのは不思議はないが、カタリナも、そして「お婆ちゃん」も、忰せがれや娘に負けないくらい飲み且かつ食う。そうこうするうち九時になったので帰ろうとしたら、まだ帰ってはいけませんと云って、トランプを出して来たので、一時間ばかり相手をしていたら、十時過ぎになって又もう一遍お夜食が出たのには、見ただけでゲンナリしてしまったが、あの人達はそのお夜食を又しても食べて酒を飲む。その飲み方も、ウィスキー用の小さなコップに一杯注いで、ぐいと一と息に、飲むと云うよりは口の中へ放り込む。日本酒は勿論もちろん、ウォツカのような強い酒でも、そう云う風にぐい飲みをしないと旨うまくないと云うのだから、実に呆あきれた胃袋である。料理はそれほどおいしいものはなかったけれども、変ったものでは、支那料理のワンタンや伊太利料理のラビオリなどに似た、饂飩粉うどんこを捏こねたようなものが浮いているスープが出た。と、妙子はそんな話をして、

「今度はあなたの兄さんや姉さん達御招待します、是非連れて来て下さい云うて、頼まれてるねん。一遍だけよばれてめえへんか」

などと云った。

その時分、カタリナは妙子にモデルになって貰って、結綿ゆいわたに結った振袖ふりそでの娘の羽子板を持った立ち姿を製作すべく熱中していたが、妙子が夙川へ出向かない時は蘆屋の家へ押しかけて来て指導を受けたりしていたので、自然家族たちともだんだん懇意になって行った。貞之助もいつか顔見知りになって、あの柄があったらハリウドへでも行ってみたらよいのに、などと云ったが、そうヤンキー風ながさつさがなく、日本の婦人などとも巧く交際してゆけるしとやかさと優しさとを、何処かに持っていた。と、紀元節の日の午後に、高座の滝までハイキングに行くところですが、門口まで一緒に来ましたからと云って、兄のキリレンコがニッカア姿で妹のあとから這入って来、上へは上らずに、庭へ廻って、テラスの椅子に腰をかけた。そして貞之助に初対面の挨拶あいさつをして、カクテルを二三杯よばれて、三十分程話して行ったが、

「こないなったら、その『ごぜえます』のお婆ちゃんにも会うてみたいな」

と、貞之助が冗談を云うと、

「ほんになあ」

と、幸子もそれに賛成しながら、

「そんでもいつもこいさんに真似して見せてもろてるさかい、会わん先から何や会うてるみたいやわ」

と、そう云って可笑しがったりした。

十七

そんなことから、最初は真面目まじめでよばれに行く気はなかったのだけれども、妙子の話でだんだん好奇心が募って来たのと、先方から再三招待があって断りにくくなったのとで、とうとうキリレンコの家へ出かけて行ったのは、春とは云ってもお水取の最中の冴さえ返った日のことであった。先方では家族が揃そろって来てくれるようにと云っていたが、帰りがおそくなることが分っていたので、悦子は止やめさせ、雪子も悦子のお附合いに留守番をすることになって、貞之助夫婦と妙子の三人だけで出かけた。阪急の夙川しゅくがわの駅で下りて、山手の方へ、ガードをくぐって真っ直すぐに五六丁も行くと、別荘街の家並が尽きて田圃路たんぼみちになり、向うに一とむらの松林のある丘が見えて来る。キリレンコの家は、その丘の麓ふもとに数軒のささやかな文化住宅が向い合って並んでいる中の、一番小さな、でも白壁の色の新しい、ちょっとお伽噺とぎばなしの挿絵さしえじみた家であった。すぐカタリナが出て来て、階下の二た間つづきの奥の間の方へ案内したが、まん中に据すえてある鋳物のストーブを囲んで主客四人が座を占めると、もう身動きもならないくらいな狭さであった。四人はめいめい、長椅子の端の方や、頭の方や、一つしかない安楽椅子や、堅い木の椅子などに席を見つけて、適当に腰をかけたが、うっかり体を振り向けると、ストーブの煙突に触ったり、そこらのテーブルの上の物を肘ひじで落したりする危険があった。階上が多分親子三人の寝室になっているのらしく、階下はこの二た間の外には裏にコック場があるだけのように想像されるので、此処ここから見える次の間が食堂に使われるらしいのであるが、其方の部屋も此方の部屋と同じくらいな広さしかない。貞之助達は、彼処あそこへどう云う風にして六人が列ならぶのかと心配になったが、それにしてもおかしいのは、カタリナだけしかいない様子で、兄のキリレンコも問題の「お婆ばあちゃん」も一向現れるけはいがなかった。西洋人の晩飯の時刻は日本人より遅いものであるのに、時間をはっきり聞いておかなかったので、早く来過ぎたのかも知れないけれども、もう窓の外は真っ暗になって来ているのに、家の中はひっそりとして、食堂の方にも何のしつらえもしてないのであった。

「これ、どうぞ見て下さい、わたし始めて作りました。―――」

カタリナはそう云って、三角棚だなの下の段から、第一回の試作品である舞妓まいこの人形を出して来た。

「へえ、これ、ほんとうにあなたがお作りになったんですか」

「そうです。しかし悪い所沢山々々ありました。皆妙子さん直してくれました」

「兄さん、その帯の模様見て御覧」

と、妙子が云った。

「それ、うちが教おせたげたのんと違いまっせ。カタリナさん自分で思い付かはって、自分で画かかはりましてん」

人形の締めているだらりの帯には、大方兄のキリレンコにでも知慧ちえを借りたのであろう。黒地にペインテックスで桂馬けいまと飛車ひしゃの将棋の駒こまが描いてあるのであった。

「これ、見て下さい」

と、カタリナは又、上海シャンハイ時代の写真帳を出して来て、「これ、わたしの前の旦那だんなさん」「これ、わたしの娘」などと云った。

「この娘さん、カタリナさんによく似ています。別嬪べっぴんですね」

「あなた、そう思いますか」

「ええ、ほんとうによく似ています。あなた、この娘さんに会いたいと思いませんか」

「この娘、今英国。会うこと出来ません。仕方ないです」

「英国の何処にいるか、あなた分っているんですか。あなたもし英国に行ったら、この娘さんに会うこと出来ますか」

「それ、分らない。けれど、わたし、会いたい。わたし、会いに行くかも知れませんね」

カタリナは別に感傷的にもならずに、平気でそんな風に語った。

貞之助と幸子とは、さっきから内々空腹を感じ出していて、互にそっと腕時計を見ては眼を見合わしていたが、会話の跡切とぎれた時を待って、貞之助が云った。

「あなたの兄さん、どうしましたか。今夜お留守ですか」

「あたしの兄さん、毎晩おそく帰ります」

「ママさんは」

「ママさん神戸へ買い物に行きました」

「ああ、そう、………」

では「お婆ちゃん」は御馳走ちそうの材料でも仕入れに行っているのではないか、とも思えたが、やがて柱時計が七時を打っても帰って来そうな様子がないので、狐きつねにつままれたようであった。妙子は自分が姉達を引っ張って来た責任があるので、だんだん気が揉もめて来て、何の支度もしてない食堂の方を無躾ぶしつけに覗のぞき込んだりしたが、カタリナはそれを感じているのかいないのか、時々、ストーブが小さくて石炭が直ぐ立ってしまうので、後から後から石炭を投げ込んでいた。黙ると一層空腹が身にこたえるので、何か話題を見付けてしゃべっていなければならなかったが、そうそう話すこともなくなって、ふっと四人とも無言になる時があると、石炭のごうごう燃える音だけが際立きわだって聞えた。ポインタア系の雑種の犬が一匹、鼻で扉とびらを押し開けて這入はいって来て、ストーブの火照ほてりが一番よく当る場所を選んで、人間達の脚と脚の隙間すきまへ割り込み、前肢まえあしの上に首を伸ばしてぬくぬくと蹲踞うずくまった。

「ボリス」

と、カタリナが呼んだが、上眼でじろりと其方そちらを見ただけで、犬は火の前を動きそうにもしない。

「ボリス」

と、貞之助もしょざいなさそうに云って、屈かがんで背筋を撫なでてやったりしていたが、そのうちに又三十分立ってしまったので、

「カタリナさん、………」

と、突然云い出した。

「………わたし達、何かミステークしているのと違いますか」

「何ですか」

「なあ、こいさん、僕達[#「僕達」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「僕等」]何ぞ聞き違えてるのんと違うやろか。もしそうやったらえらい御迷惑かけることになるで。………兎に角今夜は失礼した方がええのんやないやろか」

「そんなことない筈はずやねんけど、………」

と、妙子が云って、

「あのなあ、カタリナさん、………」

「何ですか」

「あのなあ、………ちょっと、中姉なかあんちゃん云うてほしい。………うち、どない云うてええか分らへん」

「幸子、こんな時に仏蘭西フランス語役に立てんかいな」

「カタリナさん仏蘭西語知ってはるのん、こいさん」

「知りやはれへん。英語やったらよう話しやはるが、………」

「カタリナさん、アイ、………アイム、アフレイド、………」

と、貞之助がたどたどしい英語で始めた。

「………ユー、ウェア、ナット、エキスペクティング、アス、ツーナイト、………」

「なぜですか」

と、カタリナは眼を円くしながら、流暢りゅうちょうな英語で、しかし詰なじるような口調で、

「今夜わたし達あなた方を招待しました。わたしあなた方を待っていたのです」

八時が打つとカタリナは立って台所の方へ行って、何かごとごとやっていたが、手早くいろいろなものを食堂に運んで、三人を其方の部屋へ呼んだ。貞之助達は、テーブルの上に数々の前菜、―――いつの間に用意してあったのか、鮭さけの燻製くんせい、アンチョビーの塩漬、鰮いわしの油漬、ハム、チーズ、クラッカー、肉パイ、幾種類ものパン、等々がまるで魔術のように一時に出現して置き切れぬ程に並べられた光景を見ると、先まずほっとした形であった。カタリナは一人でよく働いて、紅茶を幾度も入れかえて出した。空腹を訴えていた三人は、目立たぬように、しかし相当に急いで食べたが、分量があまり豊富なのと、次々とすすめられるので、すぐ満腹を覚え始めて、時々そっと、テーブルの下へ来ているボリスに食べかけを投げてやったりした。

と、表の方でガタンと云う音がして、ボリスが玄関へ飛んで行った。

「お婆ちゃん帰って来やはったらしいわ。………」

と、妙子が小声で二人に云った。

真っ先に「お婆ちゃん」が、こまごました買い物の包みを五つ六つ提げて、すっと玄関を通り抜けて台所へ消えて行った後から、兄のキリレンコが五十がらまりの紳士を連れて食堂へ這入って来た。

「今晩は。もう御馳走ちそうになっています」

「何卒々々どうぞどうぞ、………」

と、お辞儀をすると同時に揉もみ手をしながら、西洋人の男にしては小柄できゃしゃな体格をしたキリレンコは、羽左衛門型の細面の両頬ほおを、春寒の夜風に吹かれて来たらしく真っ紅にして、何か露西亜語で妹と二言三言云い合っていたが、日本人には「ママチカ、ママチカ」と云う語だけが聞き取れて、多分露西亜語の「母」の愛称なのであろうと推量された。

「わたし、今ママと神戸で会って一緒に帰って来たんです。それからこの人、―――」

と、キリレンコは件くだんの紳士の肩を叩たたいて、

「妙子さんこの人御存じですね。―――私の友達のウロンスキーさん」

「はあ、私知ってます。―――これ、私の兄さんと姉さん、―――」

「ウロンスキーさんと仰おっしゃるんですか、『アンナ・カレニナ』の中に出て来ますね」

と、貞之助が云った。

「おお、そう。あなたよく知っています。あなた、トルストイ読みますか」

「トルストイ、ドストイェフスキー、日本の人は皆読みます」

と、キリレンコがウロンスキーに云った。

「こいさん、どうしてウロンスキーさん知ってるのん」

と、幸子が聞いた。

「この人、この近所の夙川ハウス云うアパートに住んではるねんけど、えらい子供好きで、何処の子供でも可愛がりはるのんで、『子供の好きな露西亜人』云うたら、この辺で有名やねんわ。誰も『ウロンスキーさん』云わんと、『コドモスキーさん』云うてるわ」

「奥さんは」

「持ってはれへん。何や、気の毒な話あるらしいねんけど、………」

ウロンスキーは成る程子供好きらしい、柔和な、何となく気の弱そうなところのある淋さびしい眼元に微笑を含んで、眼尻めじりに小皺こじわを寄せながら、自分が噂うわさされているのを黙って聞いていた。キリレンコよりは大柄であるが、引き締った肉づき、日焼けしたような茶褐色ちゃかっしょくの皮膚の色、胡麻塩ごましおの濃い毛髪、黒い瞳ひとみの色など、日本人に近い感じで、何処やらに船員上りと云った風な様子があった。

「今夜は悦子さん入らっしゃらないんですか」

「はあ、あの児、学校の宿題があるものですから、………」

「それは残念ですね。わたし、ウロンスキーさんに、今夜は非常に可愛らしいお嬢さんを見せて上げると云って、連れて来たところだったんです」

「まあ、えらい悪いことで、………」

その時「お婆ちゃん」が挨拶あいさつに這入って来た。

「わたし、今夜大変ウレシごぜえます。………妙子さんのもう一人の姉さん、小さいお嬢さん、なぜ来ること出来ません?………」

貞之助と幸子とは、その「ごぜえます」を聞いて妙子を見ると可笑おかしくなるので、なるべく妙子と眼を見合わさないようにしたが、妙子があらぬ方を向いて一生懸命に取り澄ましている顔つきが、又可笑しくてならなかった。が、「お婆ちゃん」とは云うけれども、西洋の老婦人に多い肥満型ではなく、後姿などはすっきりしていて、踵かかとの高い靴を穿はいた、恰好かっこうのよい細い脚で、床をコツンコツン云わせながら鹿のように軽快に、―――粗暴と云ってもよいくらいに、―――勢よく歩くところは、妙子が話したスケート場に於おける颯爽さっそうぶりを想像せしめるものがあった。笑うと歯の抜けているのが分り、頸くびから肩へかけての肉にたるみがあって、顔にも縮緬皺ちりめんじわが一面にあるにはあるけれども、肌はだが抜ける程真っ白なので、遠目ではそう云う皺やたるみがよく分らず、どうかした拍子に二十歳ぐらいは若く見えることがありそうであった。

「お婆ちゃん」はテーブルの上を一度片づけて、新たに自分が仕入れて来た生牡蠣なまがきや、イクラや、胡瓜きゅうりの酢漬や、豚肉鶏肉肝臓等々の腸詰や、又しても幾種類ものパン等を並べた。漸ようやく酒が出て、ウォツカと、ビールと、ビールのコップに盛られた熱燗あつかんの日本酒とが交ぜこぜに勧められたが、露西亜人達のうちでも「お婆ちゃん」とカタリナとは日本酒を好んで飲んだ。矢張心配した通りテーブルの周囲には掛けきれないで、カタリナは火を焚たいてない煖炉棚だんろだなのところに立って凭よりかかりながら、「お婆ちゃん」は用事をする相間々々に人々の背後から手を伸ばしながら、飲み食いした。フォークやナイフが不揃ふぞろいであったり足りなかったりして、時々カタリナは手づかみで物を食べていたが、そんなところを偶〻たまたま客に見付けられると真まっ赧かな顔をするので、貞之助達はそれに気が付かない風をするのに骨が折れた。

「あんた、その牡蠣食べんときなさい。………」

と、幸子はこっそり貞之助に耳打ちをした。生牡蠣とは云っても特別に吟味した深海牡蠣ではなくて、そこらの市場で買って来たものに違いない色をしているのに、それを勇敢に食べている露西亜人達は、そう云う点では日本人よりずっと野蛮であるとしか思えなかった。

「ああ、もうほんとうにお腹が一杯です」

と云いながら、日本人側は盛に主人側の眼を掠かすめては、持て余した物をテーブルの下でボリスに与えていたが、貞之助はいろいろな酒をちゃんぽんに飲まされたのが利きいて来たらしく、

「あの写真、何ですか」

などと、ツァーの肖像に並べて掲げてある壮麗な建築物の額を指しながら、ひどく高調子になっていた。

「あれ、ツァルスコエセロの宮殿です。ペテログラード(この人達は決して「レニングラード」と云わない)の近所にあったツァーの宮殿ですね」

と、キリレンコが云った。

「ああ、あれが有名なツァルスコエセロ、………」

「わたし達の家、ツァルスコエセロの宮殿大変近いごぜえました。ツァー、馬車お乗りになりますね、ツァルスコエセロの宮殿出ていらっしゃいますね、それわたし、毎日々々見ましたごぜえます。ツァー、お話しになるの声、わたし聞くこと出来た思いましたごぜえます」

「ママチカ、………」

と、キリレンコは母を呼んで、露西亜語で説明を求めてから云った。

「馬車の中のツァーの話声がほんとうに聞えた訳ではないんですけれども、聞えるくらいに感じた、それほど近い所をその馬車がお通りになったと云うんですね。何しろわたし達の家はあの宮殿の直ぐ傍にあったんですよ。わたしは子供の時のことで、ぼんやりとしか覚えていないんですが」

「カタリナさんは」

「わたし、まだ小学校へ行く前、何も覚えありませんね」

「彼方あちらの部屋に、日本の両陛下のお写真が飾ってありましたが、あれはどう云うお心持ですか」

「おお、それ、当り前のことごぜえます。わたし達、白系露西亜人の生活します、天皇陛下のお蔭。―――」

と、「お婆ちゃん」が俄にわかに表情を厳粛にして云った。

「白系露西亜人は誰でもそう思っているんですよ、共産主義に対して最後まで闘うものは日本であると。―――」

キリレンコはそう云ってから言葉を継いで、

「あなた方、支那はどうなると思いますか。あの国は今に共産主義になってしまうんではないでしょうか」

「さあ、私達には政治のことはよく分りませんけれども、何にしても日本と支那とが仲が悪いのは困ったことですよ」

「あなた方、蒋介石チャンカイシーをどう思いますか」

と、さっきから、空のコップを掌で弄もてあそびながら聞いていたウロンスキーが云った。

「去年の十二月、西安シーアンであったこと、どう思いますか。張学良チャンシュエリャン、蒋介石を捕虜にしましたね。けれども、命助けました。それ、どう云う訳?………」

「さあ、………何か、新聞に書いてあっただけではなさそうな気がしますけれども、………」

貞之助は政治問題の中でも国際間の出来事に関しては相当に興味を感じており、新聞や雑誌に書いてある程度の知識は持っているのであるが、どんな時にも決して傍観者の態度から一歩も出たことはなく、時節柄、うっかりしたことを口走って係り合いになっては詰まらぬと云う警戒心が強いので、取り分け気心の知れない外国人の前などでは、何も意見を云わないことに極めていた。が、母国を追われて漂泊しているこの人達に取っては、こう云う問題は一日も捨てて置けない自分達の死活問題なのであろう、それから暫しばらく、彼等の間だけで議論[#「議論」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「論議」]がつづいたが、ウロンスキーが一番その方面の消息に通じ、何かしら主張めいたものを持っているらしく、他の人達は大体に於いて聞き役に廻っていた。彼等は貞之助達のために努めて日本語でしゃべったが、ウロンスキーは少し話が込み入って来ると露西亜語を使い、キリレンコが時々それを貞之助達に訳して聞かせた。「お婆ちゃん」も一廉ひとかどの論客で、男達の云うことを大人しく聴いてばかりはいず、盛に議論を上下したが、熱して来ると彼女の日本語はいよいよ支離滅裂になり、日本人にも露西亜人にも理解出来ないものになるので、

「ママチカ、露西亜語で云いなさい!」

と、キリレンコが注意した。そして、どう云う切掛きっかけでそうなったのか貞之助達には分らなかったが、論議はいつの間にか「お婆ちゃん」とカタリナの親子喧嘩げんかにまで発展して行った。何でも「お婆ちゃん」が英吉利イギリスの政策と国民性とを攻撃し出したのに対して、カタリナが躍起になって反対しているらしいのであった。カタリナに云わせると、自分は露西亜に生れたのだが、国を追われて、上海シャンハイに来て、英吉利人の恩恵を受けて成人したのである。英吉利の学校は私に学問を教えてくれた、而しかも月謝など一文も取りはしなかった、私は学校を出て看護婦になり、病院で月給を貰もらうようになったが、それもこれも皆英吉利のお蔭である、その英吉利がどうして悪いことがあろうか、と云うのであるが、「お婆ちゃん」に云わせると、お前はまだ歳が若いからほんとうのことが分らないのだ、と云うのである。親子は次第に激昂げっこうして蒼白そうはくな顔色になって行ったが、好い塩梅あんばいに兄やウロンスキーの仲裁で、座が白けない程度にぷすぷす燻くすぶっただけで終った。

「ママチカとカタリナ、いつも英吉利のことで議論します。わたしほんとうに困りますね」

と、済んでしまってからキリレンコが云った。

貞之助達は、それからもう一度次の間に席を改めて、ひとしきり雑談やトランプに時を過して、又もう一度食堂の方へ呼ばれた。が、日本人側に関する限り、最早や如何いかなる御馳走も受け付けないで、専もっぱらボリスの胃袋を肥やす結果に終ったが、それでも酒だけは、貞之助が最後まで奮闘してキリレンコやウロンスキーと太刀打たちうちをした。

「気イ付けなさい、あんた足もとがふらふらやわ。………」

と、漸く十一時過ぎになって、暗い田圃たんぼの中の路みちを帰途に就きながら幸子は云った。

「ああ、この冷たい風がええ気持や」

「ほんまのとこ、さっきはあたし、どうなるか思うたわ。カタリナだけしかいえへんし、いつ迄までたっても食べるもんも飲むもんも出てけえへんし、お腹はますます減って来るし、………」

「そこへさしていろいろなもん出されたんで、つい卑しん坊してしもた。―――露西亜人云うたら、何であない大食いやねんやろ。飲む方やったら負けへんけど、食う方やったらとても敵かなわんわ」

「そいでも、みんなで呼ばれに行ったげたのんで、お婆ちゃん喜んではったらしいわ。露西亜の人は、あんな小さな家にいたかてお客するのんが好きやねんな」

「あの人等ひとら、やっぱりあないしてるのんが淋しいて、日本人に交際求めてるねんで」

「兄さん、あのウロンスキー云う人なあ、―――」

と、二三歩あとの暗闇くらやみから妙子が云った。

「あの人、気の毒な事情がおますねんで。何でも若い時に恋人がおましてんけど、革命でお互に居所知れんようになってしもてん。―――それから何年か立って、その恋人が濠洲ごうしゅうにいてる云うことが分ったのんで、あの人、濠洲まで訪ねて行きやはりましてん。そしたら、やっと居所が知れて、会えたことは会えたけど、直きその恋人が病気になりやはって、死んでしもたんで、それから一生操みさお立てて、独身通してはりますねん」

「成る程なあ、そう云えば確かにそんな感じする人や」

「濠洲で一時苦労しやはって、鉱山の坑夫にまでなってんけど、後で商売して、お金儲もうけはって、今では五十万円から持ってはりまんねん。カタリナの兄さん、あの人から幾らか資本出してもろてるらしいねんわ」

「おや、何処かで丁子ちょうじが匂におうてる。―――」

と、別荘街の、生垣いけがきつづきの路へ這入ると幸子が云った。

「あーあ、まだ桜が咲くまでには一と月あるねんなあ、待ち遠やわ」

「わたし、待ち遠ごぜえます」

と、貞之助が「お婆ちゃん」の口真似くちまねをした。

十八

原籍地 兵庫県姫路市竪町二〇番地

現住所 神戸市灘なだ区青谷四丁目五五九番地

野村巳之吉みのきち

明治廿六年九月生

学歴 大正五年東京帝大農科卒業

現職 兵庫県農林課勤務水産技師

家庭及ビ近親関係 大正十一年田中家ノ次女徳子ヲ娶めとリ一男一女ヲ生ム。長女ハ三歳ノ時死亡。妻徳子ハ昭和十年流感ニテ死亡。ツイデ十一年長男モ十三歳ニテ死亡ス。両親ハ早ク世ヲ去リ、妹一人アリ、太田家ニ嫁シ、東京ニ住居ス

以上

台紙の裏に本人自筆のペン字でこう云う事項を記載した手札型の写真が、幸子の女学校時代の同窓である陣場じんば夫人から郵送されて来たのは三月の下旬頃のことであった。幸子はそれを受け取る迄まではつい忘れていたのであったが、そう云えば去年、ちょうど瀬越との間の話が停頓ていとんしていた十一月の末の或ある日、大阪の桜橋交叉点こうさてんのところで、陣場夫人に行き遇あって二三十分立ち話をした時に、雪子の噂うわさが出、ふうん、そんならあの妹さん、まだ結婚しやはれへんの、と云うようなことから、ええとこがあったら世話してほしいねんわ、とそう云って別れたことがあったのを思い出した。でもその時は瀬越の話が纏まとまりそうな気がしていたので、半分はおあいその積りで云ったのであったが、陣場夫人の方は心にかけていてくれたと見えて、その後妹さんはどうしておいでになるか、実はあの時はうっかりしていたが、私の夫の恩人に当る関西電車社長浜田丈吉氏の従弟いとこで、先年細君に死に別れて目下後妻を求めている人があり、是非良い縁を捜してくれるようにと、浜田氏から熱心な依頼を受け、本人の写真まで預かっている口があるので、ふっと妹さんのことを考えついた、夫はその人をよく知っている訳ではないが、浜田氏が保証するからには間違いのない人物であろうと云っている、兎とも角かくも別便に託して、写真をお送りして見るから、お気持があるなら台紙の裏に書いてある事項に基づいて、詳細のことはそちらで調べて戴いただきたい、その上で適当な縁と思われたら、お申越次第いつでも御紹介の労を取ることにしよう、こう云う話はお目に懸ってお話するのが本当だけれども、押し付けがましくなっても如何いかがと思うので、一往手紙でお伺いする、と、そう云って来て、その明くる日に写真が届けられたのであった。

幸子はそれを受け取ったと云う挨拶あいさつを兼ねて、直ぐ礼状を出したことは出したけれども、去年井谷に責められて懲こりているので、今度は安請合やすうけあいをしないことにして、御親切は身に沁しみて忝かたじけないが、この御返事は一二箇月待って戴きたい、と云うのは、ついこの間一つ縁談があったのを破談にしたばかりのところなので、妹の心理状態を考えると、ここ暫しばらく期間を置いて次の話を持ち出した方がよさそうに思う、そして今度は出来るだけ慎重を期し、調査も十分にした上で、お願いするものならお願いしたい、御承知のようにあの妹は大分婚期がおくれているので、あまりたびたび見合いをさせてそれが不結果に終るようになるのは、姉の身としていかにも当人がいじらしいから、と、そう正直に云ってやった。で、まあ今度は慌あわてずに、自分達の手でゆっくり調べてから、よいとなったら本家に話をし、その上で雪子にも云うことにしようと、貞之助とそんな風に話し合っていたのであったが、正直のところ、幸子はそれほど気乗りがしている訳ではなかった。勿論もちろん調べてみないことには何とも云えないし、財産のあるなしが全然書いてないけれども、台紙の裏の記載を読んだだけでも、瀬越の時よりずっと条件の悪いことが分る。第一に年齢が貞之助より二つも上であると云うこと。第二に初婚でないと云うこと。尤もっとも先妻の子は二人とも死んでしまっているので、それは気楽であるが、幸子が見て、何より雪子が好い返事をしないであろうと思われるのは、風采ふうさいの点で、写真で見たところえらく老ふけていて、じじむさい感じのする顔なのである。実物は又違うと云うこともあろうけれども、求婚のために送って来た写真がこうだとすると、恐らくこれ以上老けて見えることはあっても、若く見えると云うことはあるまい。何も好男子でなくてもよいし、実際の年は貞之助より上であっても構わないが、二人並んで盃さかずきをする時に、花婿はなむこの風采があまり爺々じじいじじいして見えるのでは、雪子が可哀かわいそうでもあるし、折角世話をした自分達にしても、列席の親類達に対して鼻を高くすることが出来ない。矢張いくらかは新郎らしい若々しさ、と云うのが無理なら、何処か溌剌はつらつとした、色つやのよい、張り切った感じの人であってほしい。―――それやこれやを考えると、幸子はどうもこの写真の人では気が進まないので、さしあたり急いで調べようともせず、そのまま一週間ばかり握り潰つぶしていたのであった。

が、そのうちに気が付いたことと云うのは、先日「写真在中」とした郵便物が届いた時に、雪子がちらと見て知ってはいなかったであろうか、そうだとすると、黙っていては却かえって隠しごとをしているようで、変に感じはしないであろうか、と云うことであった。幸子としては、雪子の様子に表面何の変ったところも認められないようなものの、この間のことが矢張多少は精神的に創痍そういをとどめてはいないかと考え、そう矢継早やにあとの話を持ち出すことは控えた方がよいと思っていた訳であるが、何処からか写真を送って来ているのに、中姉ちゃんはなぜ淡泊に打ち明けて云ってくれないのかと、此方の折角の心づかいを不自然な細工をしているように取っても困る、そのくらいならいっそ最初に写真を示して、肝腎かんじんの当人が何と云うか、反応を見るのも一つの方法であるかも知れない、と、又そう思い直したので、或る日神戸へ買い物に出ようとして、二階の化粧部屋で着換えをしているところへ這入はいって来た雪子に、

「雪子ちゃん、又一つ写真が来てるねんで」

と、ふっと云いながら、答は待たずに、

「これやわ」

と、すぐ用箪笥ようだんすの小抽出こひきだしから出して見せた。

「その裏に書いてあるのん読んで御覧。―――」

雪子は黙って受け取って、写真はちょっと見ただけで、裏を返して読んでいたが、

「誰から送って来やはったん」

「雪子ちゃん陣場さん知ってるやろ、女学校時分に今井云うてはった―――」

「ふん」

「いつやったか、あの人に路みちで会うた時、雪子ちゃんの話が出たよってに頼んだことがあってんわ。そしたら、気にかけててくれはったと見えて、それ送って来やはってん」

「………」

「別に今すぐ返事せんならんことないねん。実は今度は、先にすっかり調べてしもてから雪子ちゃんに云おう思うててんけど、何や隠してるみたいになってもけったいなさかい、まあ見せるだけ見せとくわな。―――」

手にある写真を持てあつかって、違い棚だなの上に置くと、廊下の欄干のところへ出て行ってぼんやり庭を見おろしている雪子の、後姿に向って幸子はつづけた。

「今のとこ、雪子ちゃんは何も考えへん[#「考えへん」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「考へん」]かてええねん。気イ進まんかったら、こんな話聞かなんだことにしときなさい。折角云うて来てくれはったよってに調べてみよう思うてるけど。―――」

「中姉なかあんちゃん、―――」

雪子は何と思ったか、しずかに此方を向き直りながら、努めて口元に微笑を浮かべるようにして云った。

「―――縁談の話やったら、云うてほしいねんわ。あたしかて、そんな話がまるきりないのんより、何か彼かか云うてもろてる方が、張合があるような気イするよってに。―――」

「そうか」

「ただ見合いだけは、よう調べてからにしてほしいねん。外の事はそんなにむずかしゅう考えてくれんかてええねんわ」

「そうかいな。そない云うてくれると、あたしかてほんまに骨折がいがあるねん」

幸子は身支度をしてしまうと、そんならちょっと、晩の御飯までに帰って来るよってに、と云い置いてひとりで出かけたが、雪子は姉が脱ぎ捨てて行った不断着を衣紋竹えもんだけにかけ、帯や帯締を一と纏めにして片寄せてから、なお暫くは手すりに靠もたれて庭を見ていた。

蘆屋あしやのこのあたりは、もとは大部分山林や畑地だったのが、大正の末頃からぽつぽつ開けて行った土地なので、この家の庭なども、そんなに広くはないのだけれども、昔の面影を伝えている大木の松などが二三本取り入れてあり、西北側は隣家の植え込みを隔てて六甲一帯の山や丘陵が望まれるところから、雪子はたまに上本町の本家へ帰って四五日もいてから戻って来ると、生れ変ったように気分がせいせいするのであった。彼女が今立って見おろしている南側の方には、芝生と花壇があり、その向うにささやかな築山つきやまがあって、白い細かい花をつけた小手毬こでまりが、岩組の間から懸崖けんがいになって水のない池に垂れかかり、右の方の汀みぎわには桜とライラックが咲いていた。但ただし、桜は幸子が好きなので、たとい一本でも庭に植えて自分の家で花見をしたいからと、二三年前に入れさせたもので、それが咲く時はその木の下に床几しょうぎを出したり毛氈もうせんを敷いたりするのだけれども、どう云う訳か育ちが悪くて、毎年頗すこぶる貧弱な花をしか着けないのであるが、ライラックは今雪のように咲き満ちて、芳香を放っていた。そのライラックの木の西に、まだ芽を出さない栴檀せんだんと青桐あおぎりがあり、栴檀の南に、仏蘭西語で「セレンガ」と云う灌木かんぼくの一種があった。雪子たちの語学の教師であるマダム塚本と云う仏蘭西人が、自分の国に沢山あるセレンガの花を、日本へ来てから見たことがなかったのに、この庭にあるのは珍しいと云って、ひどく懐なつかしがってから、雪子たちもこの木に注意するようになり、仏和辞典を引いてみて、日本語では「さつまうつぎ」と云うところの卯木うつぎの一種であることを知ったが、この花の咲くのは、いつも小手毬やライラックが散った後、離れ座敷の袖垣そでがきのもとにある八重山吹の咲くのと同時ぐらいなので、今はまだ、ようよう若葉が芽を吹きかけているだけである。その「さつまうつぎ」の向うが、シュトルツ氏の裏庭との境界の金網になっていて、網に沿うた青桐の下の、午後の陽光がうらうらと照っている芝生の上に、悦子がさっきからローゼマリーと二人で蹲踞うずくまりながら、飯事ままごとをしていた。二階の欄干から見おろすと、玩具おもちゃの寝台や、洋服箪笥だんすや、椅子や、テーブルや、西洋人形など、こまこました物が並んでいるのが残らず見分けられ、二人の少女の甲高い声がはっきり聞き取られるのであるが、二人は雪子に見られていることに気が付かないで、遊びに夢中になっていた。ローゼマリーが、

「これ、パパさんです」

と、左の手に男の人形を持ち、

「これ、ママさんです」

と、右の手に女の人形を持って、両方から顔を押しつけては、口の中で「チュッ」と舌を鳴らしているのが、最初は何をしているのやら分らなかったが、なおよく見ると、二つの人形に接吻せっぷんさせているのらしく、自分で「チュッ」と舌を鳴らすのはその音のつもりらしいのであった。と、ローゼマリーは又、

「ベビーさん来ました」

と云いながら、ママの人形のスカートの下から赤ん坊の人形を取り出した。そして、何度も一つことをして、

「ベビーさん来ました、ベビーさん来ました」

と云いつづけるので、「来ました」と云うのが「生れました」と云う意味であることが察しられたが、西洋では、赤ん坊は鸛こうのとりが咬くわえて来て木の枝に置いて行くのだと云う風に子供に教えると聞いていたのに、矢張お腹から生れることを知っているのだなと思いながら、雪子はひとり微笑ほほえましさを怺こらえて、少女達のすることをいつ迄もこっそりと見守っていた。

十九

幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の好き嫌きらいの話が出、君は魚では何が一番好きかと聞かれたので、「鯛たいやわ」と答えて貞之助に可笑おかしがられたことがあった。貞之助が笑ったのは、鯛とはあまり月並過ぎるからであったが、しかし彼女の説に依よると、形から云っても、味から云っても、鯛こそは最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。彼女のそう云う心の中には、自分の生れた上方こそは、日本で鯛の最も美味な地方、―――従って、日本の中でも最も日本的な地方であると云う誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が一番好きかと問われれば、躊躇ちゅうちょなく桜と答えるのであった。

古今集の昔から、何百首何千首となくある桜の花に関する歌、―――古人の多くが花の開くのを待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠よんでいる数々の歌、―――少女の時分にはそれらの歌を、何と云う月並なと思いながら無感動に読み過して来た彼女であるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことが、わが身に沁しみて分るようになった。そして、毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くことを、ここ数年来欠かしたことがなかったので、いつからともなくそれが一つの行事のようになっていた。この行事には、貞之助と悦子とは仕事や学校の方の都合で欠席したことがあるけれども、幸子、雪子、妙子の三姉妹の顔が揃そろわなかったことは一度もなく、幸子としては、散る花を惜しむと共に、妹たちの娘時代を惜しむ心も加わっていたので、来る年毎に、口にこそ出さね、少くとも雪子と一緒に花を見るのは、今年が最後ではあるまいかと思い思いした。その心持は雪子も妙子も同様に感じているらしくて、大方の花に対しては幸子ほどに関心を持たない二人だけれども、いつも内々この行事を楽しみにし、もう早くから、―――あのお水取の済む頃から、花の咲くのを待ち設け、その時に着て行く羽織や帯や長襦袢ながじゅばんの末にまで、それとなく心づもりをしている様子が余所目よそめにも看みて取れるのであった。

さて、いよいよその季節が来て、何日頃が見頃であると云う便りがあっても、貞之助と悦子のために土曜日曜を選ばなければならないので、花の盛りに巧うまく行き合わせるかどうかと、雨風につけて彼女たちは昔の人がしたような「月並な」心配をした。花は蘆屋の家の附近にもあるし、阪急電車の窓からでも幾らも眺ながめられるので、京都に限ったことはないのだけれども、鯛でも明石あかし鯛でなければ旨うまがらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。去年の春は貞之助がそれに反対を唱え、たまには場所を変えようと云い出して、錦帯きんたい橋まで出かけて行ったが、帰って来てから、幸子は何か忘れ物をしたようで、今年ばかりは春らしい春に遇あわないで過ぎてしまうような心地がし、又貞之助を促して京都に出かけて、漸ようやく御室おむろの厚咲きの花に間に合ったような訳であった。で、常例としては、土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭ひょうていで早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園ぎおんの夜桜を見、その晩は麩屋町ふやちょうの旅館に泊って、明くる日嵯峨さがから嵐山あらしやまへ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑しんえんの花を見る。そして、その時の都合で、悦子と二人の妹たちだけ先に帰って、貞之助と幸子はもう一と晩泊ることもあったが、行事はその日でおしまいになる。彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残して置くのは、この神苑の花が洛中らくちゅうに於おける最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜しだれざくらが既に年老い、年々に色褪いろあせて行く今日では、まことに此処ここの花を措おいて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。されば、彼女たちは、毎年二日目の午後、嵯峨方面から戻って来て、まさに春の日の暮れかかろうとする、最も名残の惜しまれる黄昏たそがれの一時ひとときを選んで、半日の行楽にやや草臥くたびれた足を曳ひきずりながら、この神苑の花の下をさまよう。そして、池の汀みぎわ、橋の袂たもと、路みちの曲り角、廻廊の軒先、等にある殆ほとんど一つ一つの桜樹の前に立ち止って歎息し、限りなき愛着の情を遣やるのであるが、蘆屋の家に帰ってからも、又あくる年の春が来るまで、その一年じゅう、いつでも眼をつぶればそれらの木々の花の色、枝の姿を、眼瞼まぶたの裡うちに描き得るのであった。

今年も幸子たちは、四月の中旬の土曜から日曜へかけて出かけた。袂の長い友禅の晴れ着などを、一年のうちに数える程しか着せられることのない悦子は、去年の花見に着た衣裳いしょうが今年は小さくなっているので、たださえ着馴きなれないものを窮屈そうに着、この日だけ特別に薄化粧をしているために面変りのした顔つきをして、歩く度毎にエナメルの草履の脱げるのを気にしていたが、瓢亭の狭い茶座敷にすわらせられると、つい洋服の癖が出て膝ひざが崩くずれ、上ん前がはだけて膝小僧が露あらわれるのを、

「それ、悦ちゃん、弁天小僧」

と云って、大人達は冷やかした。悦子はまだ箸はしの持ち方がほんとうでなく、子供独得の変な持ち方をする上に、袂が手頸てくびに絡からみ着いて洋服の時とは勝手が違うせいか、物をたべるのも不自由らしく、八寸に載って出た慈姑くわいをひょいと挟はさもうとして、箸の間から落した拍子に、慈姑が濡ぬれ縁から庭にころげて、青苔あおごけの上をころころと走って行ったのには、悦子も大人達も声を挙げて笑ったが、それが今年の行事に於ける最初の滑稽こっけいな出来事であった。

明くる日の朝は、先ず広沢の池のほとりへ行って、水に枝をさしかけた一本の桜の樹の下に、幸子、悦子、雪子、妙子、と云う順に列ならんだ姿を、遍照寺山を背景に入れて貞之助がライカに収めた。この桜には一つの思い出があると云うのは、或る年の春、この池のほとりへ来た時に、写真機を持った一人の見知らぬ紳士が、是非あなた方を撮らして下さいと懇望するままに、二三枚撮って貰もらったところ、紳士は慇懃いんぎんに礼を述べて、もしよく映っておりましたらお送りいたしますからと、所番地を控えて別れたが、旬日の後、約束を違たがえず送って来てくれた中に素晴らしいのが一枚あった。それはこの桜の樹の下に、幸子と悦子とが彳たたずみながら池の面に見入っている後姿を、さざ波立った水を背景に撮ったもので、何気なく眺めている母子の恍惚こうこつとした様子、悦子の友禅の袂の模様に散りかかる花の風情ふぜいまでが、逝ゆく春を詠歎する心持を工たくまずに現わしていた。以来彼女たちは、花時になるときっとこの池のほとりへ来、この桜の樹の下に立って水の面をみつめることを忘れず、且かつその姿を写真に撮ることを怠らないのであったが、幸子は又、池に沿うた道端の垣根の中に、見事な椿つばきの樹があって毎年真紅しんくの花をつけることを覚えていて、必ずその垣根のもとへも立ち寄るのであった。

大沢の池の堤の上へもちょっと上って見て、大覚寺、清涼寺せいりょうじ、天竜寺の門の前を通って、今年もまた渡月橋とげつきょうの袂へ来た。京洛の花時の人の出盛りに、一つの異風を添えるものは、濃い単色の朝鮮服を着た半島の婦人たちの群がきまって交っていることであるが、今年も渡月橋を渡ったあたりの水辺の花の蔭に、参々伍々ごごうずくまって昼食をしたため、中には女だてらに酔って浮かれている者もあった。幸子たちは、去年は大悲閣で、一昨年は橋の袂の三軒家で、弁当の折詰を開いたが、今年は十三詣まいりで有名な虚空蔵菩薩こくぞうぼさつのある法輪寺の山を選んだ。そして再び渡月橋を渡り、天竜寺の北の竹藪たけやぶの中の径こみちを、

「悦ちゃん、雀すずめのお宿よ」

などと云いながら、野の宮の方へ歩いたが、午後になってから風が出て急にうすら寒くなり、厭離庵えんりあんの庵室を訪れた時分には、あの入口のところにある桜が姉妹たちの袂におびただしく散った。それからもう一度清涼寺の門前に出、釈迦堂しゃかどう前の停留所から愛宕あたご電車で嵐山に戻り、三度みたび渡月橋の北詰に来て一と休みした後、タキシーを拾って平安神宮に向った。

あの、神門を這入はいって大極殿だいごくでんを正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を蹈ふみ入れた所にある数株の紅枝垂べにしだれ、―――海外にまでその美を謳うたわれていると云う名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉もみながら、毎年廻廊の門をくぐる迄まではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女達は、忽たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、

「あー」

と、感歎の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘わたって待ちつづけていたものなのである。彼女たちは、ああ、これでよかった、これで今年もこの花の満開に行き合わせたと思って、何がなしにほっとすると同時に、来年の春も亦またこの花を見られますようにと願うのであるが、幸子一人は、来年自分が再びこの花の下に立つ頃には、恐らく雪子はもう嫁に行っているのではあるまいか、花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後ではあるまいかと思い、自分としては淋さびしいけれども、雪子のためには何卒どうぞそうであってくれますようにと願う。正直のところ、彼女は去年の春も、去々年おととしの春も、この花の下に立った時にそう云う感慨に浸ったのであり、そのつど、もう今度こそはこの妹と行を共にする最後であると思ったのに、今年も亦、こうして雪子をこの花の蔭に眺めていられることが不思議でならず、何となく雪子が傷いたましくて、まともにその顔を見るに堪えない気がするのであった。

桜樹の尽きたあたりには、まだ軟かい芽を出したばかりの楓かえでや樫かしがあり、円く刈り込んだ馬酔木あしびがある。貞之助は、三人の姉妹や娘を先に歩かして、あとからライカを持って追いながら、白虎びゃっこ池の菖蒲しょうぶの生えた汀みぎわを行くところ、蒼竜そうりゅう池の臥竜橋がりょうきょうの石の上を、水面に影を落して渡るところ、栖鳳せいほう池の西側の小松山から通路へ枝をひろげている一際ひときわ見事な花の下に並んだところ、など、いつも写す所では必ず写して行くのであったが、此処ここでも彼女たちの一行は、毎年いろいろな見知らぬ人に姿を撮られるのが例で、ていねいな人は態〻わざわざその旨むねを申し入れて許可を求め、無躾ぶしつけな人は無断で隙すきをうかがってシャッターを切った。彼女たちは、前の年には何処どこでどんなことをしたかをよく覚えていて、ごくつまらない些細ささいなことでも、その場所へ来ると思い出してはその通りにした。たとえば栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり、楼閣の橋の欄干から緋鯉ひごいに麩ふを投げてやったりなど。

「あ、お母ちゃん、お嫁さんやわ」

と、突然悦子が声を挙げた。見ると、神前結婚を済ました一組が斎館から出て来るところで、花嫁が自動車に乗り移るのを、弥次馬共が両側に列んで覗のぞき込んでいるのである。此方からは白い角かくしと、きらびやかな裲襠うちかけの後姿が、硝子戸ガラスどの中でちらと光ったのを見ただけであったが、実は此処でこう云う一組に行き合わすことも、今年が始めてなのではなかった。そして、いつでも、幸子は何か胸を衝つかれるように感じてその前を通り過ぎるのであるが、雪子や妙子は案外平気で、時には弥次馬の中に交って花嫁の出て来るのを待っていたり、花嫁がどんな顔をしていたとか、どんな衣裳を着ていたとか、あとで幸子に話して聴かすのであった。

その夕、貞之助と幸子とは、二人だけ残ってもう一晩京都に泊った。夫婦は明くる日、幸子の父が全盛時代に高尾の寺の境内に建立こんりゅうした不動院という尼寺があるのを訪ね、院主の老尼と父の思い出話などをして閑静な半日を暮したが、ここは紅葉の名所なので、今は新緑にも早く、わずかに庭前の筧かけひの傍にある花梨かりんの莟つぼみが一つ綻ほころびかけているのを、いかにも尼寺のものらしく眺めなどしながら、山の清水の美味なのに舌鼓を打ちつつコップに何杯もお代りを所望したりして、二十丁の坂路を明るいうちに下った。帰りに御室の仁和寺にんなじの前を通ったので、まだ厚咲きの桜には間があることが分っていたけれども、せめて枝の下にでも休息して木きの芽田楽めでんがくをたべるだけでもと、幸子は貞之助を促して境内に這入はいったが、ぐずぐずしていて日が暮れると、又もう一晩泊りたくなることが、毎度の経験で知れているので、嵯峨にも、八瀬大原にも、清水きよみずにも、方々に心を残しながら、七条駅に駈かけ付けたのはその日の五時少し過ぎであった。

それから二三日立って、或る朝幸子は、貞之助が事務所へ出かけて行ってから、いつものように書斎の整理をしに這入ったが、ふと、夫の机の上に、書翰箋しょかんせんの書き潰つぶしが展のべてあって、余白に鉛筆でこんな文句が走らしてあるのを見つけた。―――

四月某日嵯峨にて

佳よき人のよき衣つけて寄りつどふ

都の嵯峨の花ざかりかな

女学校時代に自分もひとしきり作歌に凝ったことのある幸子は、近頃又、夫の影響で、ノートブックの端などへ思いつくままを書き留めたりして、ひとり楽しんでいたのであったが、それを読むと俄にわかに興が動いて、先日、平安神宮で詠よみさしたまま想が纏まらないでしまったものを、暫く考えて次のように纏めてみた。―――

平安神宮にて花の散るを見て

ゆく春の名残惜しさに散る花を

袂のうちに秘めておかまし

彼女はそれを夫の歌のあとの余白へ鉛筆で書き添えて、もとの通り机の上にひろげておいたが、貞之助は夕方帰って来て、それに気が付いたのかどうか何の話もせず、幸子も忘れてしまっていた。が、その明くる朝、彼女が書斎を片附けに行くと、机の上に昨日の通り紙きれが載っていて、彼女の歌の又あとへ、貞之助の手で、それをこう訂正してはと云うつもりなのでもあろうか、次のような歌が記されていた。―――

いとせめて花見ごろもに花びらを

秘めておかまし春のなごりに

二十

「あんた、ええ加減にしときなさい、そない一遍に精出したら、しんどおまっせ」

「そうかて、やり出したら止やめられへん。―――」

貞之助は今日の日曜に、先月花を見に行ったばかりの京都へ、もう一度幸子を誘って新緑を見に行くつもりであったが、幸子が今朝から気分が悪くて何となく体が大儀だと云うので、出かけることを見合せて、午後から庭の草むしりに熱中していた。

いったい此処ここの庭の芝生は、もとこの家屋敷を譲り受けた時分には生えていなかったのであるが、此処は芝をお植えになっても着きませんよと云う前の持ち主の忠告を押し切って、強しいて植えさせたのは貞之助であった。それが、丹精のかいがあって、どうやら今ではものになって来たのだけれども、矢張余所よそのと比べると発育が悪く、緑の色の出かたが一般のよりは遅かった。で、貞之助は自分が首唱者であった責任上、人一倍芝生の手入れをするのであるが、育ちの悪い原因の一つは、芽の出始める春先に雀すずめがやって来て傍からその芽を摘んでしまうせいでもあることを発見して以来、毎年早春の季節になると雀を防ぐことに努め、見つけ次第小石を投げて追い散らすのを仕事のようにして、家族の者たちにもやかましく云うので、ほら又兄さんの石投げが始まる時候が来たと、義妹たちはよく云い云いした。そして、陽気が暖かになると、折々今日のような風に、海水帽にもんぺを穿はいて、芝の間に繁殖するぺんぺん草や車前おおばこを取ったり、芝刈器で、ジョキジョキ芝を刈ったりした。

「あんた、蜂はち、蜂、大きな蜂やわ」

「何処どこに」

「それ、そっちへ」

テラスの上には、もう例年のように葭簀張よしずばりの日覆いが出来ていた。幸子はその蔭の中にある、皮つきの白樺しらかばの丸太で作った椅子に掛けているのであったが、蜂は彼女の肩をかすめて、支那焼の墩とんの上に据すえられた芍薬しゃくやくの鉢はちの周りを二三度旋回して、ぶうんと呻うなりながら、紅白の平戸が咲いている方へ飛んで行った。夫は草むしりに釣つられてだんだんと境界の金網沿いの、大明竹たいみんちくや樫かしの葉の生い繁しげった薄暗い方へもぐって行ってしまったので、彼女のところからは、ひとかたまりの平戸の花越しに、大きな海水帽の縁だけしか見えない。

「蜂よりか蚊かの方がえらいねん。手袋の上から刺しよる」

「そやよってに、もう止めなさい」

「それより、気分が悪い云うてたのんに、どうしたんや」

「臥ねてたら却かえってしんどいさかい、こないしてたらいくらか晴れ晴れするやろ思うて。―――」

「しんどいて、どんな風にしんどいねん」

「頭が重うて、………嘔はき気がして、………手足がだるうて、………何や、重い病気になる前兆みたいな」

「何云うてるねん、そら神経や」

そして、突然貞之助は、

「ああ、もう止めとこ」

と、ほっとしたような大声を出して、竹の葉をガサガサ云わせて立ち上ると、車前の根を掘るために持っていた切り出しを放り出して、手袋を脱いで、蚊に螫さされた痕あとのある手の甲で額の汗を拭ふき拭き、ぐっと腰の蝶番ちょうつがいを伸ばしながら身を反そらした。それから、花壇の傍の水道の栓せんを開けて、手を洗って、

「モスキトンないか」

と、手頸てくびの赤く脹はれたところを掻かきながらテラスへ上って来たが、

「お春どん、モスキトン持って来て」

と、幸子が奥へ怒鳴っている暇に、又庭へ降りて行って、今度は平戸の花の萎しぼんだのを摘みはじめた。此処の平戸は四五日前に真っ盛りであったのが、今は六分通り萎んで、見苦しくよごれているのであったが、分けても白い花の、紙屑かみくずのように黄色く汚らしくなったのを、気にして一つ一つ取って捨て、あとに雄蘂おしべが髯ひげのように残ったのをも、丹念にむしって行くのであった。

「ちょっと! モスキトン来てまっせ」

「ふん」

と云ってから、又暫しばらく毟むしっていて、

「此処、掃除さしといてんか」

と、漸ようやく妻のところへ上って来た貞之助は、モスキトンの容器を受け取る途端に、

「おや」

と、彼女の眼の中を見た。

「何ですねん」

「ちょっと、此方こっちの明るい所とこへ来て見なさい」

もうさっきから日が暮れかけていて、葭簀張の下は一層暗くなっているので、貞之助は幸子をテラスの端の方まで引っ張って行って、夕方の光線の中に立たせた。

「ふうん、お前、眼の中が黄色いなあ」

「黄色い?」

「ふん、白眼のとこが黄色うなってる」

「そしたら、何やろ、黄疸おうだんか知らん」

「そうかも知れん、何か脂あぶらッこいもん食べたか」

「昨日ビフテキ食べたやおませんか」

「そうや、それやで」

「ふん、ふん、それで分ったわ。―――こない胸がむかむかして、嘔き気がするのん、黄疸に違いないわ」

幸子はさっき、夫に「おや」と云われた時は訳もなくぎょっとしたらしかったが、黄疸ならばそんなに心配することもないと思うと、急にほっとしたと見えて、おかしなことだが却って嬉うれしそうな眼つきをした。

「どれどれ」

貞之助は自分の額を妻のにあててみて、

「熱は大してないねんな。―――ま、こじらすと悪いよってに臥てなさい。兎に角櫛田くしださんに診みに来きて貰もらおう」

と、彼女を二階へ上らしておいて、自分で直すぐに電話をかけた。

櫛田と云うのは、蘆屋川の停留所の近くに開業している医師で、見立ての上手な、技倆ぎりょうの卓越した人であるだけに、この近所で引っ張り凧だこになっていて、毎日夜の十一時過ぎまで夜食にも戻らずに往診に廻っていると云う風なので、掴つかまえるのが容易でなかった。だから是非とも来て貰おうと云う時には、貞之助が電話口へ出て、内橋と云う古参の看護婦を呼び出して、頼み込むようにするのであったが、それでも余程の重病でないと、此方の望む通りの時間には来てくれなかったり、すっぽかしたりすることがあるので、電話で容態を云う時に、実際よりは重そうに駈引かけひきをする必要があるのだった。その日も、待っているうちにとうとう十時が過ぎたので、

「櫛田さん、今日はすっぽかしらしいで」

と云っていると、十一時ちょっと前になって、自動車の停る音がした。

「黄疸や、これは。間違いなし。―――」

「昨日ビフテキの大きいのん食べましてん」

「それが原因ですな。御馳走ちそうの食べ過ぎや。―――蜆汁しじみじるを毎日飲むといいですな」

そんな風に、気さくな物云いをする人で、忙しいせいもあっていつも簡単に、さっと診察をして、さっと風のように出て行ってしまうのであった。

幸子はその明くる日から病室で臥たり起きたりして暮したが、あまり苦しくもない代りに、そうはかばかしく良くなりもしなかった。一つには妙に蒸し暑い、降るのでも晴れるのでもない入梅前の天候が鬱陶うっとうしく、それでなくても体の持って行き場のないような、いやな陽気がつづくせいでもあるらしかったが、二三日風呂に這入はいらないので、汗臭くなった寝間着を着換えて、蒸しタオルにアルコールを滴たらしたのを持って来させて、お春に背中をこすらせていると、そこへ悦子が上って来て、

「お母ちゃん、その床の間に活いけてあるのん、何の花やのん」

と云った。

「罌粟けしの花やわ」

「悦子その花気味悪いわ」

「何で」

「悦子それ見てたら、その花の中へ吸い込まれそうな気イするねん」

「ほんに。―――」

成る程、子供は巧うまいことを云う。そう云えばこの間から、この病室にいると変に頭を圧おさえつけられるような、重苦しい気がするのが、つい眼の前に原因があるようでいて、それが何であるのやら突き止められなかったのを、ズバリと悦子が云ってくれたと云う感じで、―――いかにも、そう云われてみれば、この床の間の罌粟の花のせいが確かにある。この花は畑などに咲いているのを見るのは美しいが、こうして唯ただ一輪、花器に活けられて床の間に据すえられているのを見ると、何となく無気味で、「吸い込まれそうな」と云う言葉がそっくり当て篏はまるのである。

「ほんに、あたしかて何や、そんな気イしててんけど、大人には却ってそういう言葉出てけえへん」

雪子もそう云って感心しながら、取り敢あえずその花を下げたあとへ、水盤に燕子花かきつばたと姫百合ひめゆりとを配して持って来たが、幸子はそれさえ重苦しく感じて、いっそ何もなしにして貰い、せいせいするような歌の掛軸をでもと夫に頼んで、少し季節には早いけれども、香川景樹かげきの嶺みね夕立、―――夕立は愛宕あたごの峰にかかりけり清滝河ぞ今濁るらん、の懐紙を床に掛けて貰った。

そんな病室のしつらいが幾分利きき目があったのか、明くる日は余程気分が楽になったが、午後三時過ぎに玄関の呼鈴が鳴って来客らしい足音がするなと思っていると、お春が上って来て、

「丹生にう[#ルビの「にう」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)では「にゆう」、『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「にふ」]さんの奥さんでございます」

と云う。

「―――下妻さんとか仰おっしゃるお方と、相良さがらさんとか仰っしゃるお方が御一緒でいらっしゃいます」

幸子は、丹生夫人には久しく会わないし、留守に二度も訪問を受けているしするので、夫人だけなら病室へ上って貰ってもよいと思ったのであるが、下妻夫人とはそう昵懇じっこんな仲でもないし、殊ことに相良と云うのはまだ聞いたこともない名なので、ちょっと当惑した。こう云う時に雪子が代りに出てくれるとよいのだけれども、彼女は決して、よくも知らない人などの相手は勤めないのであった。でも、病気だと云って玄関払いを食わせるのは、たびたび無駄足むだあしを蹈ふんでいる丹生夫人に気の毒でもあり、此方も無聊ぶりょうに苦しんでいる折柄でもあったので、加減が悪くて臥たり起きたりしておりまして失礼な恰好かっこうを致しておりますがと断らせて、兎も角も階下の応接間に通して置いて、大急ぎで鏡台の前にすわったが、垢あかでよごれた顔の地肌じはだにおしろいを叩たたき込んで、小ざっぱりした単衣ひとえに着換えて降りて行く迄までには、それから三十分もかかった。

「御紹介しますわ、[#「、」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)では「。」、『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「、」]この方、相良さんの奥さん、―――」

と、丹生夫人は、一と眼で洋行帰りと知れる、純亜米利加アメリカ式の洋装の夫人を指しながら云った。

「あたしの女学校時代のお友達よ。御主人は郵船会社にお勤めになっていらしって、ついこの間まで、御夫婦でロスアンジェルスにいらっしゃいましたの」

「初めまして、―――」

と云いながら、幸子は直ぐにこのお客達に面会したことを後悔した。病気でこんなに窶やつれている時に、初対面の人に会うのはどうであろうかと思わないでもなかったのだけれども、まさかその人と云うのが、こうまで凄すごいハイカラな夫人であろうとは考えてもいなかったのであった。

「あなた御病気? 何処がお悪いの?」

「黄疸になってんわ。見て御覧、―――眼エ黄色いでしょ」

「ほんと。とても黄色いわね」

「御気分がお悪いんじゃない?」

と、下妻夫人が聞いた。

「ええ。―――でも今日は大分ええ方なんですの」

「済みませんわね、こんな時にお邪魔に上って。丹生さん、あなたが気が利きかないのよ、玄関で失礼すればよかったのに」

「まあ、あたしのせいにするなんて人が悪いわ。いいえね、蒔岡さん、実は相良さんが昨日突然出ていらしったんだけれど、この方、あんまり関西を御存知ないのよ。それで私あたしが専もっぱら案内役を承うけたまわったんで、何か御覧になりたいものはって云ったら、阪神間の代表的な奥さんに会わせろって仰おっしゃるの」

「まあ、代表的云うて、どう云う意味の代表的?」

「そう云われると困るけれど、いろいろな意味の代表的よ。それであたし、考えちまって、結局あなたに白羽の矢を立てたの」

「阿呆あほらしい」

「でもそう云う訳だから、見込まれたと思って、少しぐらいの病気我慢してでも相手をして下さらなくっちゃ。あ、それから、―――」

と、丹生夫人は、部屋へ這入りしなにピアノの椅子の上に置いた風呂敷包を解いて、素晴らしく大きい見事なトマトの詰まっている箱を二た重ね出した。

「これ、相良さんから、―――」

「まあ、何と云う立派な。何処でこんなトマトが出来るのでしょう」

「相良さんのお宅で作っていらっしゃるのよ。なかなかそんなの売ってやしないわ」

「そうでッしゃろなあ。―――失礼でございますけれど、相良さんはどちらにお住まいでいらっしゃいますの」

「北鎌倉なんですの。でもわたくし、去年帰って参りまして、その家に一二箇月おりましただけなんであんすけど」

この、「………なんであんすけど」と云うところが、「ざあます」とも違う一種不思議な云い方で、幸子は自分には真似まねも出来ないが、こう云う癖を取るのが上手な妙子に聞かせたらと思うと、ひとり可笑おかしくてたまらなかった。

「それでは何処ぞ、旅行でもなすっていらっしゃいましたの」

「暫く入院しておりまして」

「まあ、何の御病気?」

「神経衰弱のひどいのでして」

「相良さんのは贅沢ぜいたく病なのよ」

と、下妻夫人が引き取って云った。

「でも、聖路加病院ならいつ迄入院していらしったっていいでしょう」

「海が近いから涼しくって、殊ことにこれからが彼処あすこはいいのよ。でも中央市場が近いもんだから、時々生臭い風が吹くの。それに本願寺の鐘が耳について。―――」

「本願寺はああ云う建物になりましても、やっぱり鐘を鳴らすのでございましょうか」

「はあ、そうであんすの」

「何だかサイレンでも鳴らしそうだわね」

「それから教会の鐘も鳴るのよ」

「ああ」

と、下妻夫人は急に溜息ためいきをつきながら、

「あたし、聖路加病院の看護婦になろうかしら。ねえ、どうでしょう」

「それもいいかも知れないわね」

と、丹生夫人は軽く受け流したが、幸子は下妻夫人が、家庭的に面白くないことがあるような噂うわさを聞いていたので、今の言葉には意味深重なものがあるらしく感じた。

「そう云えば、黄疸て云う病気、腋わきの下にお握りを挟はさんで置くといいんですってね」

「まあ」

と、相良夫人はライタアを点じながら怪訝けげんそうに丹生夫人の顔を見て、

「あなた随分変なこと知ってるのねえ」

「両方の腋の下へお握りを入れて置くと、そのお握りが黄色くなるって云うわ」

「そのお握り、考えても汚いわね」

そう云ったのは下妻夫人であった。

「蒔岡さん、お握り入れていらっしゃる?」

「いいえ、あたし、そんな話初耳やわ。蜆汁飲んだらええことは知ってますけど」

「どっちにしてもお金のかからない病気ね」

と、相良夫人が云った。

幸子はこの三人がああ云う進物を持って来たりして、夕飯を呼ばれる心積りでいるらしいことは大凡おおよそ察しがついたけれども、これから夕飯の時刻までまだ二時間ぐらいあると思うと、最初の予想に反して、とてもその間を勤めるのが辛つらい気がした。彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、―――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却かえって土地の言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日の夫人はいつものおっとりとしたところ[#「おっとりとしたところ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「おつとりしたところ」]がまるでなく、眼の使いよう、唇くちびるの曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、―――東京弁は先まず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄が俄にわかに悪くなったように思えた。

で、いつもなら少し気分のすぐれないくらいは辛抱しても人をそらさない幸子なのだけれども、今日ばかりは三人のしゃべるのを聞いていると苛々いらいらして来て、いやだと思うと一層体が大儀になり出して、つい顔色にも現れるので、

「ちょっと、丹生さん、悪いわ。―――もう失礼しましょうよ」

と、下妻夫人が気を利かしてそう云いながら立ち上った時、強いてそれを止めようともしないでしまった。

二十一

幸子の黄疸おうだんは大して重いと云うのでもなしに長いこと恢復かいふくしないでいて、どうやら直りかけたのは入梅に這入はいってからであったが、或ある日彼女は本家の姉から見舞の電話を貰もらったついでに、意外な事を耳にした。と云うのは、今度義兄が、東京の丸の内支店長に栄転するについて、近々本家は上本町を引き払い、一家を挙げて東京へ移住しなければならなくなった、と云うのである。

「ふうん、それ、いつやのん」

「兄さんは来月から、云うことやねん。そんで、取りあえず兄さんだけ先に行って、住む家捜しといて貰わなならんよってに、あたし等の行くのんは後になるけど、子供の学校の関係もあるさかい、どうでも八月一杯には立って行かんと、………」

姉はそう云ううちにもおろおろ声になりつつある様子が、電話でもよく分るのであった。

「そんな話、前からあったん?」

「それがなあ、ほんまに突然やねんわ。兄さんかてなんにも聞いてえへなんだ云うてはるぐらいやねん」

「来月とはえらい急な話やないか。―――大阪の家はどないするのん」

「どないしてええか、まだちょっとも考えてえへん。―――何せ、東京に行くようなこと、夢にも思うてえへなんだよってに」

いつも電話で長話をする癖のある姉は、切りかけては又しゃべり出し、しゃべり出しして、生れてからまだ一遍も離れたことのない大阪の土地を、三十七と云う年になって離れなければならない辛つらさを、それから三十分にも亘わたって綿々と訴えるのであった。―――

姉に云わせると、親戚しんせきや夫の同僚の誰彼など皆御栄転でおめでたいと云って祝ってくれる人達ばかりで、自分の心持を分ってくれる者が一人もない、たまに一端を洩もらしてみても、今時そんな旧弊なことをと、誰も一笑に附して真面目まじめに取り合ってくれない。ほんとうに、その人達の云う通り、これが遠い外国とか、交通不便な片田舎へ遣やられでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、勿体もったいなくも天子様のお膝元ひざもとへ移住すると云うのに、何が悲しいことがあろうと、自分でもそう思い、われとわが胸に云い含めているのだけれども、住み馴なれた大阪の土地に別れを告げると云うことが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出て来る始末なので、子供達にまで可笑おかしがられているのだと云う。そう聞かされると、幸子も矢張可笑しくなって来るのであるが、一面には姉のその心持が理解出来ないでもなかった。姉と云う人は、早くから母の代りに父や妹たちの面倒を見た人で、父が亡なくなり、妹たちがようよう成人する頃には、既に婿むこを迎えて子持ちになってい、夫と共に傾きかけた家運の挽回ばんかいに努めると云う風な廻めぐり合せになったりして、四人の姉妹のうちで一番苦労をしているけれども、又或る意味では、一番旧時代の教育を受けているだけに、昔の箱入娘の純な気質を、今もそのまま持っているところがあった。で、今時大阪の中流階級の夫人が、三十七歳にもなっていて一度も東京を見たことがないなどと云うのは、不思議な話であるけれども、姉は事実東京へ行ったことがないのであった。尤もっとも大阪では、家庭の女が東京の女のように旅行などに出歩かないのが普通であって、幸子以下の妹たちも、京都から東へはめったに足を伸ばしたことがないのであるが、それでも学校の修学旅行その他の機会に、三人ながら一度か二度は東京へ行った経験を持っていた。然しかるに姉は、早くから家事を担当させられたので、旅行などに行く暇がなかったせいもあるが、一つには大阪程よい土地はないと云う風に考え、芝居は鴈治郎がんじろう、料理は播半はりはんかつるや、と云ったようなことで満足していて、見知らぬ土地へ出たがらなかったところから、機会があっても妹達に譲り、自分は好んで留守番役に廻っていたのであった。

そう云う姉が現在住んでいる上本町の家と云うのは、これも純大阪式の、高い塀へいの門を潜くぐると櫺子格子れんじごうしの表つきの一構えがあって、玄関の土間から裏口まで通り庭が突き抜けてい、わずかに中前栽なかせんざいの鈍い明りがさしている昼も薄暗い室内に、つやつやと拭ふき込んだ栂とがの柱が底光りをしていようと云う、古風な作りであった。幸子たちはこの家がいつから其処そこに建てられているのかを知らない。恐らく一二代前の先祖が建てて、別宅や隠居所に使ったり、分家や別家の家族に貸したりしていたらしいのであるが、父の晩年に、それまでは船場の店の奥に住んでいた彼女達が、住宅と店舗とを別にする時代の流行を追って、その家に引き移るようになった。だから彼女達は、自分達が住んだ期間はそう長くはないのだけれども、幼年時代、親戚の者が住んでいた頃にも幾度か出入りをしたことがあるし、父が最期の息を引き取ったのも其処であったしして、その家には特別な追憶を持っている訳であった。で、姉の大阪に対する郷土愛の中には、その家への執着が余程多くを占めているのであろうと幸子は察した。現に姉の昔気質かたぎを可笑しがる幸子でさえも、電話で突然その話を聞いた時に、何かしらはっと胸を衝つかれる思いがしたのは、もうあの家へも行けなくなるのかと云うことに考え及んだからであった。その癖平生は、あんな非衛生的な日あたりの悪い家はないとか、あんな家に住んでいる姉ちゃん達の気が知れないとか、あたし達は三日もいたら頭が重くなるとか、雪子や妙子達とよくそんな蔭口をきくのであるが、でも大阪の家が全然なくなると云うことは、幸子としても生れ故郷の根拠を失ってしまうのであるから、一種云い難い淋さびしい心持がする道理であった。いったい、そう云えば、本家の義兄が先祖代々の家業を止やめて銀行員になってしまった時以来、地方の支店へ転任を命ぜられると云う場合も有り得べきことになったのであるから、姉がいつ何時今の家を離れるようなことが起るかも分らなかった訳であるが、迂濶うかつなことには、姉自身も、幸子以下の妹たちも、嘗かつてその可能性に想到したことがなかった。尤も一度、八九年前に福岡の支店へ遣られそうになったことがあったが、その時は辰雄が、大阪の土地を去りにくい家庭の事情があることを訴え、月給は上らなくとも現在の地位に留っていたいと云う希望を述べて許して貰ったことがあり、銀行の方でも、それからは旧家の婿と云う辰雄の身分柄を考えてくれて、彼だけは転任させられないものと認めているらしい様子だったので、はっきりそう云う諒解りょうかいを得たのではなかったけれども、何となく、永久に大阪に定住出来るように思い込んでいたのであった。従って、今度のことは彼女達には青天の霹靂へきれきであったが、それは一つには、銀行の重役級に異動があって方針が変ったせいでもあり、一つには、辰雄自身、今度は大阪を離れても地位の昇進を望む気持になっていたせいでもあった。と云うのは、辰雄にしても、同輩の者達がだんだん出世するのに自分だけ呉下の旧阿蒙きゅうあもうでいるのは余り腑甲斐ふがいなくもあるし、その後子供たちの数も殖えて、生活費が嵩かさんで行く一方、経済界の変動や何かで、養父の遺産と云うものが以前のようには頼りにならなくなって来たからであった。

幸子は、郷土を追われて行くように感じている姉の胸のうちもいとおしく、家にも名残が惜しまれるので、見舞をかねて早速訪ねようと思いながら、差支えが出来て二三日ぐずぐずしていると、姉は又電話をかけて来て、いつ大阪へ帰って来られることか分らないけれども、さしあたりこの家へは「音やん」の家族に留守番かたがた安い家賃で住んで貰うことにした、ついては、八月と云えば間もないことだから荷物の整理もして置かなければと、近頃は毎日土蔵の中で暮しているが、父が亡くなってからこのかたの家財道具が溜たまっているので、何処どこから手をつけてよいのやら、いたずらに取り散らかした品物の山を眺ながめて茫然ぼうぜんとしている、きっとそれらの品物の中には、あたしには用がなくても幸子ちゃんが見れば欲しいものがあるだろうから、一度見に来てくれてはどうか、と云うような話であった。「音やん」と云うのは金井音吉と云って、父が昔浜寺の別荘で使っていた爺じいやで、今では忰せがれが嫁を貰って南海の高嶋屋に勤めてい、気楽な身の上になっているのであるが、その後も始終出入りをしていた関係から、彼の一族に跡を託すことになったのであろう。

その、二度目の電話のあった明くる日の午後に幸子は出かけたが、行ってみると、中前栽の向うに見える蔵の戸前が開いているので、

「姉ちゃん」

と、観音開きの所から声をかけながら這入はいって行くと、姉は二階で、ただでさえ入梅のじめじめする日に、黴かび臭い匂においの中にうずくまりながら、姐あねさん被かぶりをして一生懸命片附け物に熱中していた。姉の前後左右には、春慶塗胡桃脚膳くるみあしぜん二十人前、吸物椀すいものわん二十人前、などと記した古ぼけた箱が五つ六つ積み重ねてある傍に、長持の蓋ふたが開けてあって、中に一杯こまこました小箱の詰まっているのが見えていた。姉は丹念にそれらの箱の真田紐さなだひもを解いて、志野焼の菓子器とか、九谷くたに[#「九谷」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)では「久谷」、『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「九谷」]の徳利とか、一つ一つ調べては元通りにして、持って行く物、置いて行く物、処分してしまう物、と云う風に分けているのであるが、

「姉ちゃん、これ、いらんの?」

と、尋ねてみても、

「ふん、ふん」

と、上の空で返事をしてはせッせと手を動かしていた。幸子はふと、姉の取り出した箱の中から端渓たんけいの硯すずりが現れたのを見ると、父がそれを買わされた時の情景を思い浮かべた。父と云う人は書画骨董こっとうには一向に眼の利きかなかった人で、何でも高価な物でさえあれば間違いがないと云う風に考える癖があり、時々馬鹿々々しい物を掴つかまされたらしいのであるが、この硯なども、お出入りの骨董屋が持って来て何百円とか云ったのを云われるままに買ったものなので、幸子は当時その場に居合わせて見ていたのであった。そして、子供心に、硯にもそんなに高いものがあるのかと思い、書家でも画家でもない父がそんなものを買って何にするのかと思ったことであったが、それよりもなお馬鹿々々しく感じたのは、たしかこの硯と一緒に、印材にする雞血石けいけつせきと云う石を二つ買った。父はそれを、後日懇意な医学博士で漢詩を作る人の還暦の祝に贈ろうとして、めでたい文句を選んで彫らせようとしたところ、失礼ながらこの石には交り物があって彫る訳には行かないと、篆刻家てんこくかから返却して来たことがあったが、高い金を出して求めた品なので、捨てることもならず、長い間何処かに突っ込んであったのを、その後も折々見かけたものであった。

「姉ちゃん、あの、雞血石たら云う石があったわなあ。―――」

「ふん、………」

「あれ、どないしたやろ。―――」

「………」

「なあ、姉ちゃん」

「………」

姉は高台寺蒔絵まきえ手文庫と書いてある箱を膝ひざの上に載せて、固くなった桟蓋さんぶたの間に無理に指を挿さし込みながら、それを開けることに気を取られていて、そんな言葉など耳にも這入らない様子であった。

幸子は姉のこう云うところを見せられるのは珍しくなかった。こう云う風に、人の云うことも聞えないくらい熱心に、寸分の隙すきもなく立ち働く姉を見れば、知らない者は誰でも感心して、何と云うシッカリした、甲斐々々かいがいしい主婦であろうと思うのであるが、ほんとうは、姉はそのようなシッカリ者ではないのであった。いつでも何か事件が起ると、最初に先まず茫然としてしまって、放心したような状態になるが、暫しばらくして、その期間が過ぎると、今度はまるで神憑かみがかりになったように働き出す。だから、そんなところを端はたから見ると、いかにも骨身を惜しまない活動的な世話女房のように思えるけれども、実はもう興奮しきっていて、何が何やら分らなくなり、ただ夢中で動いているだけなのであった。

「姉ちゃん云うたら可笑しいやないか。昨日の電話では泣き声出して、あたしが涙こぼして話しても誰も相手になってくれへん、幸子ちゃん是非聞きに来てほしい云うてた癖に、今日行ってみたら、蔵の中へ這入ったきり、荷物の整理に夢中になってて、『姉ちゃん』云うたかて返事もせえへんなんだわ」

彼女は夕方帰って来ると、妹たちとそんな噂うわさをしたが、

「そう云う人やわ、姉ちゃんは」

と、雪子も云った。

「そんでも、見てて御覧。―――今に気イ弛ゆるんだら、又泣き出すに違いないよってに」

雪子は、それから中一日置いて、ちょっと来て貰もらいたいと姉から電話が懸ったので、どんな様子か今度はあたしが見て来ようと云って出かけたが、一週間ばかり泊って来て、

「荷物の整理は大方済んだらしいねんけど、まだ神憑りに憑ってるわ」

と云って笑った。雪子の話だと、姉が彼女を呼び寄せたのは、義兄の名古屋の実家まで夫婦で暇乞いとまごいに行くことになったので、彼女に留守を頼むためなのであったが、夫婦は雪子が行った翌日の土曜の午後に立ち、日曜の夜おそく帰って来た。ところで、それから今日でもう五六日になるのだが、その間姉は何をしているかと云うと、毎日机に向ってお習字をしている。何のためのお習字かと云うと、名古屋で辰雄の実家を始め親戚しんせき廻りをして、方々でもてなしに与あずかったについて、その家々へ礼状をしたためなければならないのであるが、それが姉には大仕事なのである。殊ことに辰雄の嫂あによめに当る人、―――実家の兄の妻と云うのが、字の上手な婦人なので、それに負けないように書きましょうと思うと、一層気が張るのであろう、いつも、名古屋の義姉に手紙を書こうと云う時は、字引や書翰しょかん文範を机の左右に置き、草書のくずし方一つでも譃うそにならぬように調べ、言葉づかいにも念を入れて、幾度か下書きをすると云う風にして、一本の手紙を一日がかりで書くのであるが、まして今度は五六本も書くのであるから、下書きだけでも容易に出来上らないで、お稽古けいこに日を暮している。そして、雪子ちゃん、これでええやろか、何ぞ書き洩もらしてえへんやろかと、雪子にまで下書きを見せて相談をする始末なので、今日雪子が出て来る時までには、やっと一通しか書き上っていなかった。と云うのである。

「何せ姉ちゃんは、重役さんの家へ挨拶あいさつに行く時かて、二三日も前から口上の言葉を口の中で暗誦あんしょうして、独りごとにまで云うぐらいやさかいにな」

「そんで、云うことがいな、―――東京へ行く云う話が余り突然やったんで、この間じゅうは悲しいて悲しいて涙が出てしょうがなかったけど、もうちゃんと覚悟出来たよってに、どないもあらへん。こないなったら、一日も早う東京へ行って、親類の人等ひとらびっくりさしてやらんならん、やて」

「ほんに、そんなことを生きがいにしてる人やねんわ」

そう云って三人の妹たちは、ひとしきり姉を俎上そじょうに載せて笑い話をしたことであった。

二十二

辰雄は七月一日から丸の内の店に出勤するので、六月末に先に立って行って、当分麻布あざぶの親戚の家に寄食しながら、手頃な借家を自分でも捜し、人にも捜して貰もらっていたが、大森に一軒見付かったから大体それにきめたと云う手紙が来た。で、家族は八月の地蔵盆を済ましてから、廿九日の日曜の夜行で上京する、辰雄もその時は前日の土曜日からかけて大阪へ帰って来、出発の当夜駅頭に於おいて改めて親戚知友の見送りを受ける、と云うことに極まった。

姉の鶴子は八月に這入はいると、親戚や夫の銀行関係の方面などへ、毎日一二軒ずつ挨拶廻りをしていたが、廻るべき所へ一と通り廻ってしまったあとで、最後に蘆屋あしやの分家、―――幸子の所へ、二三日泊りがけでやって来た。これは形式張った暇乞いとまごいとは違って、この程じゅう引き揚げの準備万端のために眼の廻るような思いをし、所謂いわゆる「神憑かみがかり」で働いた骨休めをかねて、久し振に姉妹四人が水入らずでくつろぎ、ゆっくりと関西に於ける名残の時を惜しもうと云うのであった。それで、その間は何も彼も忘れていたいからと、音やんの女房に留守を頼み、身軽になって、末の三つになる女の児だけを子守に背負わせて連れて来たが、ほんとうに、四人がそう云う風に一つ屋根の下に集って、時間の制限もなく、呑気のんきに語り暮すと云うことは、何年ぶりになるであろう。考えてみれば、鶴子は今までに蘆屋の幸子の家へ数えるほどしか来ていなかったし、来てもほんの一二時間、家事の相間あいまを見て来るだけであったし、幸子の方から上本町へ訪ねて行っても、子供が大勢纏まつわり着くので、おちおち話している暇もなかったと云うような訳で、少くともこの二人の姉妹は、お互に結婚生活をするようになってから、しんみり語り合う機会を持たなかったと云ってもよいのであった。だから今度は、姉の方も妹の方も、前からその日の来るのを楽しみにし、こう云う話もしよう、ああ云う話も聞いて貰おうと、娘時代から此方このかた十何年来溜たまっている話題の数々を考えていたのであったが、さて、その日になって、泊りに来てみると、姉はこの間じゅうの、―――と云うよりは、十何年来の所帯の疲れが一遍に出た形で、何よりも按摩あんまを呼んで貰い、昼間から二階の寝室に上って、勝手に寝ころばして置いて貰うのを喜ぶと云った有様であった。幸子は、姉が神戸をよく知らないので、オリエンタルや南京ナンキン町の支那料理屋などへも案内しようと思っていたのに、そんな所へ連れて行ってもらうよりは、此処ここで誰に気がねもなくのんびりと手足を伸ばしていたい、御馳走ちそうなんぞ食べさしてくれないでも、お茶漬で結構だから、と云ったりして、一つは炎暑のせいもあったが、足かけ三日の間、何のこれと云う纏まった話もせず、ただごろごろして過してしまった。

鶴子が帰って行ってから数日過ぎて、いよいよ出発の日が二三日後にさし迫った頃、亡なくなった父の妹に当る人で「富永の叔母ちゃん」と呼ばれている老女が、或ある日ひょっこり訪ねて来た。幸子は、今まで一度も見えたことのない叔母が、暑い日ざかりに大阪から出て来たのには何か用件があることと察し、その用件も大凡おおよそ分っているような気がしたが、矢張思った通り雪子と妙子の身柄に関しての問題であった。―――つまり、今までは本家が大阪だったから、二人の妹たちが彼方此方あちらこちらへ往いったり来たりもよかったけれども、これからそうは行かないとすると、もともと二人は本家に属する人なのであるから、これを機会に本家と一緒に東京へ行くべきであると思う、ついては、雪子は別に支度をする必要もないことであるから、明日にも上本町へ帰って、家族と一緒に立って貰いたい、妙子の方は仕事を持っていることだから、跡始末のために多少おくれるのは仕方がないとして、一二箇月後にはこれも間違いなく引き揚げて貰いたい、尤もっとも仕事その物を止やめさせようと云うのではないから、東京へ来てからでも人形の製作に耽ふけることは差支えない、むしろ東京の方がああ云う仕事には便宜が多いくらいであろう。義兄も、折角世間に認められ出した仕事であるから、当人の製作態度が真面目まじめでさえあるなら、東京に於いて又仕事部屋を持つことを許してもよいと云っている、―――と云うようなことなのであるが、実はこの問題は、先達せんだって鶴子ちゃんが泊りに来ていた間に相談すべきであったのだけれども、休養させて貰いに来て、そう云う肩の凝る話を持ち出したくなかったので、何も云わないでしまったから、大儀ながら叔母ちゃんが行って話してほしいと云うことで、今日は私が鶴子ちゃんの使で出向いて来た、と云うのであった。

この叔母の話は、本家が東京へ行くことになったと聞いた日から、いずれは持ち上るであろうと予期されていたところのもので、目指された二人は、口に出して語り合いこそしなかったけれども、内々少からず憂鬱ゆううつを感じていたのであった。本来ならば、この間から鶴子がひとりで引越しの準備に忙殺されていることは分っていたのだから、雪子と妙子とは云われないでも上本町へ戻って、姉の手伝いをすべきであったのに、二人ともなるべく本家へ行くことを避けていたのは、―――それでも雪子は呼び付けられて一週間ばかり泊って来たけれども、妙子の如ごときは急に製作が忙しくなったと云い出して、仕事部屋に立て籠こもったきり、蘆屋にさえ、先日姉が来ていた間にちょっと一晩戻っただけで殆ほとんど寄り着かず、大阪の方へは全然帰らずじまいであったのは、―――何よりもその問題に先手を打って、自分達は関西に居残りたいのだと云う意志表示をしている積りなのであった。が、叔母はなお言葉をついで、これは此処だけの話だが、どうして雪子ちゃんやこいさんは本家へ帰るのを厭いやがるのであろうか、辰雄さんとの折合がよくないのだとも聞いているけれども、辰雄さんは決して雪子ちゃん達の考えるような人ではないし、二人に対して何の悪感情も持ってはいない、ただ、名古屋の旧家に生れた人で、考え方が非常に律義りちぎなので、今度のような場合に、二人が本家へ附いて来ないで大阪に居残ると云うのは、世間体が悪く、むずかしく云えば兄としての体面に関すると思っているらしいので、もし云うことを聴いてくれないと、鶴子ちゃんが板挟いたばさみになって苦しまなければならない、それで、この際幸子ちゃんへ折入っての頼みと云うのは、二人は幸子ちゃんの云うことなら聴くのだから、幸子ちゃんから巧うまい工合に説き付けて貰えないであろうか、誤解してくれては困るが、こう云ったからとて、二人が戻って来ないのを幸子ちゃんのせいにしているのではない、いっぱし分別のある大人で、もう奥様と云われてもよい年頃になっているものが、厭だと云うのを、端はたから何と云ったって、そう無造作に、子供を引き戻すような訳に行かないことは云う迄までもないが、誰から云うよりも、幸子ちゃんから云って貰うのが一番利きき目がありそうだと云うことに相談がきまったので、是非一つ承知させて貰いたい。そう云って叔母は、

「今日は雪子ちゃんもこいさんもお内にいてやおまへんか」

と、昔ながらの船場言葉で云った。

「妙子はこの頃ずっと製作が忙しいて、めったに戻ってけえしえへん。………」

と、幸子も古めかしい云い方に釣つり込まれながら、

「………雪子はおりゃっけど、呼んで来まおか」

雪子はさっき、玄関に叔母の声が聞えた時から姿が見えないのであるが、多分二階の部屋へ逃げ込んで小さくなっているのであろうと、幸子は察して、上って行ってみると、果して六畳の居間の、悦子の寝台に腰かけたまま俯向うつむいて考え込んでいる様子が、簾すだれ越しに見えた。

「とうとう叔母ちゃんが来やはってんわ」

「………」

「どないする、雪子ちゃん、―――」

暦の上では秋に這入っているのだけれども、この二三日暑さがぶり返して、土用のうちと変らない熱気の籠こもった、風通しの悪い室内に、珍しく雪子はジョウゼットのワンピースを着ていた。彼女は余りにも華奢きゃしゃな自分の体が洋服に似合わないことを知っているので、大概な暑さにはきちんと帯を締めているのであるが、一と夏に十日ぐらいは、どうにも辛抱しきれないでこう云う身なりをする日があった。と云っても、日中から夕方迄の間、家族の者達の前でだけで、貞之助にさえそう云う姿を見られることを厭いとうのであるが、それでも貞之助は、どうかした拍子に見ることがあると、今日は余程暑いんだなと、心づいた。そして、濃い紺色のジョウゼットの下に肩胛骨けんこうこつの透いている、傷々いたいたしいほど痩やせた、骨細な肩や腕の、ぞうっと寒気を催させる肌はだの色の白さを見ると、俄にわかに汗が引っ込むような心地もして、当人は知らぬことだけれども、端の者には確かに一種の清涼剤になる眺ながめだとも、思い思いした。

「―――明日にも帰って来て、皆と一緒に立ってほしい、云うてはるねんけど、―――」

雪子は黙って項垂うなだれたまま、裸体にされた日本人形のように両腕をだらりと側面に沿うて垂らして、寝台の下にころがっていた悦子の玩具おもちゃの、フートボール用の大きなゴム毬まりに素足を載せながら、時々足の蹠うらが熱くなると毬を廻して別な所を蹈ふんでいた。

「こいさんは?」

「こいさんは仕事の都合もあるやろさかい、今直すぐとは云わんけど、きっと後から引き揚げて来ないかん云うのんが、兄さんの意見やそうな」

「………」

「叔母ちゃんは、そこはあんじょう云うてはるけど、結局あたしが雪子ちゃんを引き留めると見て、あたしを説き付けに来てはるねんわ。そやよってに、気の毒やけど、あたしの立ち場も考えて貰わんと、………」

幸子は雪子を可哀かわいそうに思う一方に、ややともすると自分が雪子を家庭教師代りにしていると云う批難があるのに、反抗する気分も強かった。本家の姉が大勢の子供をどうにか手一つで育てて行っているのに、分家の妹はたった一人の女の児の面倒をさえ見られないで、人手を借りている、と云う風に世間が取っているとすれば、―――雪子までが幾らかそんな風に思い、多少でも恩に着せる気持がもしあるとすれば、―――彼女は自分の内部にある母としての誇が傷つけられるように感じた。なるほど、今のところ雪子は役に立っていてくれるけれども、雪子がいないからと云って悦子の躾しつけに困るような自分ではない積りであるし、早晩嫁に行く雪子であってみれば、そう云う人を当てにしている訳もない。悦子も雪子がいなくなれば淋さびしがりはするであろうが、聞き分けのない児ではないから、当座の寂寥せきりょうに堪えて行くことは明かで、雪子自身が案じているであろうように、泣いたり駄々だだを捏こねたりはしまい。自分は婚期におくれている妹を慰めてやりたいと思うだけで、義兄に楯たてを突いてまで引き留める気はないのであるから、本家から連れ戻しに来た以上、その命令に従うように本人に説きすすめるのが道でもあるし、又、兎も角も一度帰って貰って、雪子なしでも立派にやって行けるのだと云うところを、雪子にも、世間にも見て置いて貰う方がよいかも知れない。―――

「ここは一遍、富永の叔母ちゃんの顔を立てて、帰りいな」

雪子は無言で聞いているだけであったが、幸子の意志がそうはっきりしているからには、それに聴従する外はないと観念しているのが、様子で分るような打ち萎しおれた姿勢をしていた。

「東京へ行ったかて、行ききり云うことあれへんさかい、………それ、いつか陣場さんの持って来やはった話なあ、あれかて、あのままになってるけど、もし見合いでもすることになったら、是非帰って来て貰わんならんし、そうでのうても、きっとええ折があるさかいにな」

「ふん」

「そんなら、雪子ちゃんは明日間違いのう帰ります云うてもええなあ」

「ふん」

「そう極まったら、機嫌きげん直して叔母ちゃんに会いなさい」

雪子が顔のこしらえをして、ジョウゼットを浴衣ゆかたに着換えている間、幸子は先に応接間へ降りて行って云った。

「雪子今降りて来やっけど、よう分ってくれて、もうちゃんと承知してやすさかいに、叔母ちゃんからは何もその話せんと置いとくれやす」

「そうですか、それであたしも使に来た甲斐かいがごわしたわ」

すっかり気をよくした叔母は、そのうちに貞之助も戻って来やすさかいに、ゆっくり晩の御飯でもたべて行っとくれやすとすすめるのを、いえ、それよりは早う鶴子ちゃんを安心さしてやりましょう、こいさんに会えんでえらい惜しゅうごわっけど、幸子ちゃんからあんじょう話しといておくれやすと云って、夕方、少し片蔭の出来るのを待って帰って行ったが、明くる日の午後には雪子も、幸子や悦子にほんの当座の挨拶あいさつをして、ちょっと行って来る、と云う形で出て行った。荷物なども、蘆屋に滞留中は三人の姉妹が必要に応じて晴れ着を融通し合うことにしていたので、自分の物と云っては、着換えの羅衣うすものや下着類が二三枚来ていただけなのであるが、それに読みさしの小説一冊を縮緬ちりめんの風呂敷に小さく包んだのをお春が持って、阪急の駅まで送って来たところは、二三日の旅に出るほどにも見えない身軽さであった。悦子も、昨日富永の叔母が見えた時はシュトルツ氏方へ遊びに行っていて、夜になってから始めて事柄を聞かされたのであったが、暫く手伝いに行くだけで直き戻って来るように話されたせいもあるかして、幸子の思っていた通り、そんなに跡を追う様子もなく済んでしまった。

出立の日は、辰雄夫婦と、十四歳を頭に六人の子供と、雪子と、九人の家族が、女中一人と子守一人を連れ、総勢十一人で、大阪駅を午後八時半発の列車に乗り込むことになった。幸子は見送りに行くべきだけれども、自分が行けば尚更なおさら姉ちゃんが泣き出したりして見っともない光景を演じるであろうからと、わざと遠慮して、貞之助が一人で行ったが、待合室には早くから受付が出、百人近くも集った見送り人の中には先代の恩顧を受けた芸人、新町や北の新地の女将や老妓ろうぎも交っていたりして、さすがに昔日の威勢はなくとも、旧ふるい家柄を誇る一家が故郷の土地を引き払うだけのものはあった。妙子は、とうとう逃げ廻って最後の日まで本家へ顔を出さずにいて、漸ようやく出立の間際まぎわに駅頭へ駈かけつけ、混雑に紛れて義兄にも姉にも簡単な挨拶をしただけであったが、帰りしなに、プラットフォームから改札口へ歩いて行く途中で、

「えらい失礼ですけど、あんさん蒔岡はんの娘とうちゃんでっか」

と、うしろから呼びかけられて、振り返って見ると、それは舞の名手として有名な新町のお栄と云う老妓であった。

「そうです、わたし妙子です」

「妙子さん云やはんのん、何番目の娘とうちゃんでしたかいな」

「一番下の妹です」

「まあ、こいさんでっか。えらい大きうなってでしたなあ、もう女学校卒業しやはりましたんでっか」

「はあ、………」

と云ったきり、妙子は笑いに紛らしたが、まだ女学校を出たばかりの二十歳前の小娘のように見られることは毎度なので、こう云う場合の胡麻化ごまかし方には馴なれていた。それにしても、父の全盛時代にこの老妓、―――事実その時分からもう好い加減な老妓であったこの人が、船場の家へもよく挨拶にやって来て、家族の者達に「お栄さんお栄さん」と親しまれたのは、自分がやっと十になるかならぬ頃、かれこれ十六七年前のことなので、それから数えれば今の自分がそんな若さでないことは大凡おおよそ見当が附きそうなものだのに、と思うと心中可笑おかしくもあったが、今夜は又特別に娘っぽい型の帽子や服を着けて来たせいでもあることは、自分にはよく分っていた。

「こいさん幾つになりはりましてん」

「もうそない若いことあれしまへんで。………」

「わたし覚えてはりますか」

「はあ、知ってます、お栄さんでっしゃろ。………あの時分から、ちょっとも変ってはれしまへんなあ」

「変らんことがおまっかいな、ええお婆ばあちゃんになりましたがな。―――こいさんは何で東京へ行かはれしまへんのん」

「当分蘆屋あしやの中姉なかあんちゃんとこに置いて貰もろうてまんねん」

「そうでっか。本家の兄さんや姉さんが行ってしまやはって、えらい淋しいことですな」

妙子は改札口を出てお栄に別れて、二三歩行きかけたところで、

「妙子さんじゃありませんか」

と、又一人の紳士に呼び止められた。

「どうも暫しばらく。僕関原です。この度は蒔岡君がご栄転で、―――」

関原と云うのは辰雄の大学時代の同窓で、高麗橋こうらいばし筋にある三菱みつびし系の某会社に勤めていた関係から、辰雄が蒔岡家へ養子に来た当座は、まだ独身で始終遊びに来、鶴子の妹達とも馴染なじんでいたものであったが、その後結婚し、倫敦ロンドン支店勤務を命ぜられて五六年英国に滞在し、つい二三箇月前に大阪の本社へ呼び戻されたばかりの男で、妙子は彼が最近帰朝した噂うわさは聞いていたけれども、会うのは矢張八九年ぶりであった。

「僕さっきからこいさんに気がついていたんですが、―――」

と、関原は直ぐ「妙子さん」を止やめて昔の「こいさん」と云う呼び方に戻りながら、

「―――随分久し振りですなあ、最後にお目に懸ってから何年になるかなあ」

「このたびは又、御無事に帰朝なさいましてお目出とうございます」

「はあ、有難う。実は今、プラットフォームでちらとお見かけして、たしかにこいさんに違いないと思ったんですが、それにしてはあんまりお若く見えたもんだから、………」

「うふ、ふ、ふ」

と、妙子はさっきと同じように胡麻化し笑いをした。

「それじゃ、蒔岡君と一緒に汽車に乗っておられたのが、雪子ちゃんですな」

「はあ」

「僕はつい挨拶をしそびれちまったんだが、………お二人とも実にお若いことですなあ。こんなことを云っちゃ失礼ですが、僕は彼方にいる時分にも、始終船場時代のことを思い出しましてね。今度帰って来る時も、もう雪子ちゃんは勿論もちろんとして、多分こいさんも結婚してしまわれただろう、そしていい奥さんやお母さんになっておられるだろうと思っていたんですが、蒔岡君からまだお二人ともお嬢さんでおられると聞いた時は、何だかこう、自分が五六年も日本を離れていたと云うことが譃うそのような、長い夢を見ていたような、………こんなことを云っちゃ悪いかも知れませんが、不思議な気がしましてね。ところが今夜お目に懸って見ると、雪子ちゃんにしてもこいさんにしても、ちっとも歳を取っておられないのには二度びっくりして、自分の眼を疑ったくらいなんですよ」

「うふ、ふ、ふ」

「いや、ほんとうに、お世辞じゃありませんよ。なるほど、こんなにお若くっちゃ、まだ結婚なさらないのも一向不思議はないですな。………」

関原は感心したように妙子の帽子の頂辺てっぺんから靴くつの先まで見上げ見下ろしながら、

「そう云えば、幸子ちゃんは今夜は?」

「中姉ちゃんは遠慮しましてん、別れ際ぎわに姉妹で泣いたりしたら可笑しい云うて、―――」

「ああ、そう云う訳ですか。さっき姉さんは僕に挨拶される時にも、眼に一杯涙を溜ためておられましたが、今でもなかなかいい所がありますな」

「東京へ行くのんに泣く者があるやろか云うて、笑われてますねん」

「いや、そんなことはありませんよ。僕なんか久し振で日本女性のああ云うところを見せられて、懐なつかしい気がしますよ。………こいさんは関西に居残りですか」

「はあ、わたしはちょっと………此方に用事がありますよってに、………」

「ふん、そうそう、こいさんは芸術家なんだそうですな。僕聞きましたよ。偉いもんですな」

「阿呆あほらしい。そんなん、英吉利イギリス仕込みと違いますか」

妙子は関原がウィスキー好きであったことを思い出して、その晩も多少這入はいっているのであろうと察した。そして、如何いかがです、ちょっとその辺でお茶でも、………と云うのを手際よく外して、阪急の方へ急いだ。

二十三

拝啓

あれからとうとう忙しくて毎日手紙を書く暇がなく御無沙汰ごぶさたしてしまいました。お赦ゆるし下さいませ

出発の夜、姉ちゃんは汽車が走り出すと怺こらえていた涙が一時に溢あふれて寝台の帷とばりの蔭かげへ顔を隠しました。それから間もなく秀雄ちゃんが高い熱を出してお腹が痛いと云い出し夜中に何遍も便所へ通う騒ぎで姉ちゃんも私も殆ほとんど一睡もしませんでした。それよりもっと困ったことは、あてにしていた大森の借家が急に家主の都合で解約になりました。そのことは出発の前日に東京からそう云って来て分ったのですが今更仕様がないので立って来たのです。そして兎とも角かく麻布あざぶの種田さんの所に泊めて戴いただき、今でもまだ此処ここにいるのですが、突然のことで十一人もの大勢が御厄介やっかいになっているのですから種田さんのお家の御迷惑はどんなでしょうかお察し下さい。秀雄ちゃんは早速お医者さんに来て貰もらいましたら大腸加答児カタルだそうで昨日あたりからやっと快よくなって来ました。家の方はいろいろの人に頼み八方へ手分けして大急ぎで捜して貰い漸ようやく渋谷の道玄坂どうげんざかに一軒見つかりました。借家普請ぶしんの新建ちで二階が三間に階下が四間前栽せんざいも何もない家で家賃五十五円と云うのですから、まだ見ていないのですけれども狭さは想像されます。そんな所へこの大家内が住めそうにも思われませんが、種田様の御迷惑を思い、そのうち又変るにしても一先まずそこを借りることにきめ今度の日曜に移ることになりました。渋谷区大和田町と云う所で、電話も来月は引けるそうです。兄さんが丸ビルへ通うにも輝雄ちゃんが今度の中学へ通うにもわりに便利で健康にはよろしい土地だそうです

先は取敢とりあえず御報まで

貞之助兄上、悦ちゃんこいさんによろしく

九月八日雪子[#「雪子」は底本には記載なし。『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)による]

幸子姉上様

今朝来の風の肌触はだざわり東京はもうすっかり秋ですがそちらは如何いかがですか、何卒なにとぞ御身御大切に

幸子がこの手紙を受け取った日の朝は、関西方面も一夜のうちに秋の空気が感じられる爽さわやかさに変っていた。悦子が学校へ出て行ったあとで、彼女は貞之助とさし向いに食堂の椅子にかけながら、我が艦上機が汕頭スワトウと潮州を空襲した記事を読んでいると、台所で沸かしている珈琲コーヒーの匂においが際立きわだって香ばしく匂って来るのに心づいて、突然、

「秋やなあ、―――」

と、新聞の面から顔を上げて、貞之助に云った。

「―――今朝は珈琲が特別強う匂うて来るように思いなされへん?」

「ふん、………」

貞之助は貞之助で、新聞をひろげたまま読む方に気を取られていたが、そこへお春が珈排と一緒に雪子の手紙を盆の端に載せて這入はいって来たのであった。

もう立ってから十日以上になるのに、と思っていた矢先だったので、幸子は急いで封を切ったが、用の相間に慌あわただしく書いたらしい筆の跡を見て、姉や雪子がどんなに忙しい目に遭あっているかを直ちに察しることが出来た。麻布の種田と云うのは、義兄の直ぐ上の兄に当る人で、商工省の官吏であることは知っているけれども、幸子などは十何年も前姉の結婚式の時にたった一度会ったきりで、顔もよく覚えていないくらいなので、姉にしても恐らくそんなに度々は会っていないであろう。義兄が先月来寄食していた関係から、取り敢えず其処そこに転がり込んだのであろうが、義兄は身内だからよいとして、姉や雪子は、知らぬ土地へ来て、名古屋側の親戚しんせきの、而しかも目上の人の家に厄介になっているのでは、どんなにか窮屈なことであろう。そこへ持って来て病人が出来、医者を呼んだりするのでは尚更なおさらである。

「その手紙、雪子ちゃんか」

と、貞之助はやっと新聞から眼を離して、珈琲茶碗ぢゃわんに手をかけながら云った。

「何でちょっとも手紙来けえへんのんか思うてたら、えらいことになってるねんわ」

「何やねん、一体」

「まあ、これ、読んで御覧。―――」

と、幸子は三葉の書簡箋しょかんせんを夫の方へ向けた。

それから五六日過ぎて、おくれ馳ばせながら先日の見送りの礼と、転任の挨拶あいさつとを兼ねた活版刷りの住所変更通知が届いたが、雪子からはそれきり何の便りもなかった。ただ、移転の手伝いや見舞い旁〻かたがた土曜日の晩から上京した音やんの忰せがれの庄吉が、月曜の朝帰って来、蘆屋へも東京の様子を話すように云い付けられたからと、その日のうちに訪ねて来た。そして、昨日の日曜に無事引っ越しを済ませたこと、東京の借家普請と云うものは大阪のよりは遥はるかに粗末で、殊ことに建具が悪く、襖ふすまなどがとても安手でひどいこと、畳敷[#「畳敷」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)では「畳数」、『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「疊數」]は階下が二畳、四畳半、四畳半、六畳、二階が八畳、四畳半、三畳だけれども、江戸間えどまであるから八畳が京間の六畳、六畳が京間の四畳半にしか使えないこと、そう云う訳で甚はなはだみすぼらしい住居だけれども、取柄を云えば、新建ちであるから感じが明るく、南向きで日あたりがよく、上本町の薄暗い家から見れば衛生的であること、自分の家に庭はなくても隣近所に立派な邸宅や庭園が多く、閑静で上品な土地柄であること、それでいて道玄坂まで出れば繁華な商店街があり、映画館なども幾軒かあるので、子供達は何事も物珍しいと見え、却かえって東京へ来たことを喜んでいるらしいこと、秀雄も全快して今週から附近の小学校へ通う筈はずであること、等々を語った。

「雪子ちゃんはどないしてます」

「元気にしてはりましたで。秀坊ぼんがお腹壊こわしやはった時かて、看護婦よかよっぽど雪子娘とうさんの方が看病の仕方心得てはる云うて、御寮人様ごりょうんさん感心してはりました」

「あの人は悦子が病気の時かてほんまにようしてくれますよってに、きっと姉ちゃんも助かったやろう思うてましてん」

「ただお気の毒なんは、何せそんな家ですさかい、娘とうさんのおいでになる部屋があれしません。今のとこ二階の四畳半を坊々ぼんぼんの勉強部屋に使やはったり、娘さんの寝室に使やはったりしてはりますねんもん[#「してはりますねんもん」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「したはりますねんもん」]。旦那だんなさんも、早うもっと広いとこへ変って、雪子ちゃんの部屋をきめてやらなんだら可哀かわいそうや、云うてはりますねん。………」

この庄吉と云うのは口数の多い方なので、それからちょっと声をひそめて附け加えた。

「旦那さんは、雪子娘さんがお戻りになったんでえらい喜んではりますけど、今度は逃げられんようにせんならん思うてはりますねんな。そら、娘さんに対しては、一生懸命気に触らんようにしておいでになって、機嫌きげん取ってはりますのんが、よう分りまっせ」

そんなことで、幸子は大体東京の模様も想像出来るような気がしたが、雪子からは矢張何の音沙汰おとさたもなかった。尤もっとも雪子も姉ほどではないが手紙を書くことを大層がる方なので、いつもの筆不精をきめているのであろうし、それに、定まった自分の部屋と云うものがないのでは、落ち着いて物を書くことも出来ないであろうと思えもした。幸子は考えて、

「悦ちゃん、一遍姉ちゃんに書いて出してお見」

と云って、妙子の人形の絵端書に簡単な文句を綴つづって出させたが、それに対しても返事がなかった。

二十日過ぎになって、月見の晩に、

「今夜寄せ書きして出したらどうや」

と、貞之助が云い出したので、皆賛成して、夕食後、階下の日本間の、お月見の供え物のしてある縁側の近くに、貞之助、幸子、悦子、妙子の四人が集ってお春に墨を磨すらせながら巻紙を展のべた。そして貞之助が歌を書き、幸子と悦子が俳句ようのものを書いたが、妙子はそう云うものは不得手なので、松の間に月が懸かっている景色をさっと墨絵風に写生した。―――

むら雲はやり過しつつ待ちうけて月を捉とらふる庭の松が枝貞之助

名月や一つ足らざる影法師幸子

姉ちやんは東京で見るけふの月悦子

―――このあとが妙子の墨絵なのであるが、幸子の「名月や」は最初「一つ欠けたる」となってい、悦子の「姉ちやんは」は「東京で見る月夜哉かな」となっていたのを、貞之助がこう直したのであった。最後に、

「お春どんも書き」

と云われると、お春も直ぐ筆を執って案外すらすらと、

名月や雲の中から見え初めぬはる

と、ひどく小さな拙つたない字で書いた。それから幸子が月に供えた芒すすきを一本抜いて、尾花を剪きって巻紙の間へ入れた。

二十四

この寄せ書きに対しては間もなく幸子宛さちこあてに返事が来、あれを繰り返し身に沁しみてうれしく読んだこと、自分もこの間の十五夜には二階の窓からひとり月を眺ながめていたこと、あれを読んで、去年蘆屋の家で月見をした時の情景を昨日のことのように思い浮かべたこと、などを感傷的に書いて来たが、それから又暫しばらく音信が跡絶とだえた。

雪子がいなくなってからは、お春が悦子の寝台の下に寝床を敷いて寝るように極めてあったが、半月ばかり立つと、悦子はお春を嫌きらい出してお花に代らせ、又半月ばかり立つと、お花を嫌い出して下働きのお秋に代らせた。悦子が子供に似合わず寝つきが悪く、寝入る前に二三十分興奮しておしゃべりをする癖があることは前に書いたが、女中達だとこの二三十分間の相手が勤まらず、いつも悦子より先に眠ってしまうのが、彼女を苛立いらだたせる原因であるらしく、苛立てば苛立つほど尚なお寝られなくなって、夜中に荒々しく廊下を駈かけて来て、両親の寝室の襖ふすまをばたッと開けて、

「お母ちゃん、悦子ちょっとも寝られへんねん」

と、怒鳴り込みながら泣き出したり、

「お春はあどん癪しゃくやわ。グウグウ鼾いびきかいて寝てるねん。嫌い! 大嫌い! 悦子お春どん殺してやるわ!」

と云ったりした。

「悦ちゃん、そないに興奮したら却かえって寝られへんねんで。無理に寝よう寝よう思わんと、寝られなんだら寝られんでも構かめへん、思うて御覧」

「そうかて、今寝とかなんだら朝方しんどうて起きられへんねん。………又学校遅刻してしまうやないの。………」

「何やねん、そんな声出して! 静かにしなさい!」

と、幸子は叱しかりつけて、寝台へ一緒に這入ってやって寝かしつけるようにしたが、矢張どうしても寝つかないで「寝られへん寝られへん」と訴えては泣き出すので、幸子も癇かんが立って来て、つい又叱りつける。すると一層大声で喚わめき出す。女中はそんな騒ぎが起っているのも知らずに寝ている。と云うようなことが始終であった。

そう云えば、この間から何かと心が慌あわただしくて気が付きながら注射をすることを怠っていたが、今年も亦また「B足らん」の季節になり、家族の誰もが幾分か脚気かっけに罹かかっているらしいので、悦子もそのせいではないか知らん。―――幸子はそう思って悦子の心臓部に手をあてて見、脈を取って見ると、かすかに動悸どうきが打っているので、翌日、痛がるのを無理に掴つかまえてベタキシンの注射をしてやった。そして、隔日に四五回続けた結果、動悸は静まって脚は軽くなり、体のしんどいのは多少直った様子であったが、不眠症の方はますますひどくなって行った。診みて貰もらう程でもあるまいと思って櫛田医師に電話で相談して、アダリンを一箇寝しなに飲ますようにしてみたが、一箇ではなかなか利きいて来ないし、量を殖やすと利き過ぎて寝坊をする。朝、余りよく寝ているので、寝かして置いてやると、眼が覚めるや否いなや枕元の時計を見てわッと泣き出して、今日も遅刻した、こんなに遅くては極まりが悪くて学校へ行かれないと云って喚く。そんならと云って、遅刻しないように起してやると、悦子ちょっとも昨夜寝られてえへんねんと、怒って布団ふとんを頭からすっぽり被かぶって寝てしまい、眼が覚めると又遅刻したと云って泣き出す。女中達に対する愛憎の変化が激しくなって、嫌い出すと極端な言葉を使い、「殺す」とか「殺してやる」とか云うことを屡〻しばしば口走る。それに、発育盛りの年頃にしては前から食慾が旺盛おうせいでないのであるが、その傾向が募って来て、毎食一二膳ぜんしか食べず、お数も、塩昆布しおこんぶとか、高野豆腐こうやどうふとか、老人の食べるような物を好み、お茶漬にして無理に飯を流し込む。「鈴」と云う牝猫めすねこを可愛がって、食事の時は脚下に置いていろいろの物を与えるのであるが、少し脂あぶらっこい物は自分が食べるよりも大半鈴に遣やってしまう。そのくせ潔癖が異常に強くて、食事の間に、猫が触ったとか、蠅はえが止ったとか、給仕人の袖そでが触ったとか云って、二三度は箸はしに熱湯をかけさせるので、給仕する者は心得て、番茶の熱いのを土瓶どびんに入れて食事の初めから食卓の上に用意して置く。蠅を恐れることは非常で、食物に止った場合は勿論もちろん、近くへ飛んで来たのを見ただけでも、どうも止ったらしいと云って食べなかったり、確かに今の蠅は止まらなかっただろうかと、周囲の者に執拗しつこく尋ねたりする。そして、箸から落したものは、洗いたてのテーブルクロースの上に落ちたのでも、汚がって食べない。或る時幸子は、悦子を連れて水道路すいどうみちへ散歩に出て、路端みちばたに蛆うじの沸いた鼠ねずみの屍骸しがいが転がっているのを見たことがあったが、その傍を通り過ぎて凡およそ一二丁も行った時分に、

「お母ちゃん、………」

と、悦子が、さも恐ろしいことを聞くように擦すり寄って来ながら小声で云った。

「………悦子あの鼠の屍骸蹈ふめへんなんだ?………着物に蛆が着いてえへん?」

幸子はぎょっとして、悦子の眼つきを窺うかがわずにはいられなかった。なぜと云って、二人はその屍骸を避けるようにして二三間離れた所を通ったので、どう考えても、それを蹈んだと思い誤まる筈はなかったからである。

まだ小学校の二年生である少女でも、神経衰弱に罹ることが有り得るのだろうか。―――それまでは大して心配もせず、口先で叱ってばかりいた幸子も、この鼠の一件から事の重大さに心づいて、翌日櫛田くしだ医師に来て貰った。櫛田医師の意見では、小児の神経衰弱も決して珍しいものではないから、恐らく悦ちゃんのもそうであろう、案じるほどのことはないと思うけれども、専門の医師に紹介するからその先生に診てお貰いなさい、私は脚気の手当だけをして置く、専門医は西宮にしのみやの辻つじ博士がよいから、今日中にも往診してくれるように電話で頼んで置きましょう、と云うことであったが、夕刻に辻博士が見え、診察後暫く悦子と問答などをして、神経衰弱と云う診断を下した。そして、先ず脚気を完全に治療する必要があること、投薬に依よってでも食慾を促進させ、偏食を直すようにすること、学校は、気分次第にして遅刻や早退をさせるのはよいが、全然学業を廃はいして転地療養等をするのは不可であること、なぜなら、精神が或る一つの事に向けられていると、却っていろいろな妄想もうそうを描く余裕がなくなるからであること、興奮させてはならないこと、分らないことを云っても頭から叱り付けず、諄々じゅんじゅんと説いて聴かせるようにすること、等々を注意して帰った。

雪子のいなくなった結果が、こう云う形を取って悦子の上に現れて来たものであるとは、必ずしも断定し難いし、幸子としてはそんな風には考えたくなかったが、扱い方にほとほと手を焼いて、どうしたらよいのか分らず、泣きたくなるような折に出遭であうと、雪子であったら、こんな場合に辛抱強く云い聴かせて納得させてしまうのに、と思うことは再三であった。外のことと違い、事情が事情であるから、そう云ってやれば本家の方でも一時雪子を貸してくれることに異存はなかろうし、又貸してくれと云わないでも、雪子に宛てて悦子の状態を知らしてさえやれば、義兄の許可を待つ迄までもなく飛んで帰って来ることは明かであったが、二た月立つか立たないのにもう降参して助け船を呼ぶと云われるのは、意地とか張りとか云うものを余り持ち合せない幸子でも、気がさすかして、まあもう少し様子を見て、………まあ、自分で何とかやって行けるうちは、………と、思い思い日を送っていた。が、貞之助の方はと云うと、これは雪子に来て貰うことには寧むしろ反対であった。いったい、食事中に何度も箸を熱湯消毒したり、テーブルクロースの上に落ちた物をさえ食べてはならないとするような躾しつけかたは幸子や雪子の流儀で、こうなる前から彼女達自身実行していたことなので、貞之助は、ああ云う遣り方はよろしくない、あれでは神経質な繊弱な子供が出来てしまうから、あの習慣は矯正きょうせいしてほしい、そのためには先ず大人達がああ云うことをするのを止め、多少冒険でも蠅の止ったものぐらい食べて見せて、こうしてもめったに病気に罹らないと云うところを実際に示すのがよい、お前達は消毒ばかりやかましく云って、規律と云うことを重んじないのは間違っている、あんなことより規則正しい生活をさせることが第一であると、いつも幸子に注意したものであったが、貞之助の主張はなかなか行われなかった。幸子の方には、夫のように頑健がんけんで抵抗力の強い人は自分達のような華奢きゃしゃで病気に罹り易やすい者の気持が分らないのだと云う考があり、貞之助の方には、箸に黴菌ばいきんが着いたぐらいで病気に感染するようなことは千に一つの場合である、それを恐れてああ云う遣り方をしていたのではますます抵抗力が弱くなると云う考があり、一方が、女の子は規律よりも優雅と云うことが大切だと云えば、一方が、いや、その考え方が旧式なのだ、家庭でも食事や遊戯の時間などを規則正しくしなければならぬ、あんなだらしのないことをさせて置いてはいけないと云い、一方が、あなたは衛生思想のない野蛮人だと云えば、一方が、お前達のする消毒は少しも合理的に行われていない、箸に湯やお茶をかけたぐらいで病菌が死にもしまいし、食物がお前達の前に運ばれる迄に、どう云う所でどう云う不潔物に触れて来るか知れたものではない、お前達は欧米流の衛生思想を穿はき違えている、いつかの露西亜ロシア人達などは生牡蠣なまがきを平気で食べたではないか、と云ったりした。

本来貞之助は、孰方どちらかと云えば放任主義で、殊ことに女の児の躾は母親の方針に一任して置けばよいと云う建前であったが、近頃は、目下の支那事変の発展次第では婦人が銃後の任務に服するような時期も有り得べく、そんな場合を考えると、これからの女子は剛健に育てて置かなければ物の役に立たないと云うことを、憂慮するようになっていた。と、或る時貞之助は、悦子がお花と飯事ままごと遊びをするのに、注射の針の使いふるしたのを持って来て、芯しんが藁わらで出来ている西洋人形の腕に注射しているのを、ふっと見かけたことがあった。そして、何と云う不健康な厭いやな遊戯をしていることかと思い、これなども例の衛生教育の余毒であると感じて、それからは一層、何とかして是正しなければいけないと云うことを始終考えていたのであった。ただ、肝腎かんじんの悦子が誰よりも雪子の云うことを信じるようになっており、その雪子の遣り方を妻が支持しているのでは、下手な干渉をすると家庭に風波を起すだけで終ってしまう危険があるので、機会を待っていたのであるが、雪子がいなくなったことは、そう云う点からよいことであるように貞之助は見ていた。と云うのは、従来貞之助も雪子の境遇には密ひそかに同情していたので、娘の躾と云うことも大切ではあるが、雪子が受ける精神的打撃も考えてやらねばならず、彼女を僻ひがませないように、「邪魔にされた」と云う感じを持たせないように、悦子から遠ざけてしまうことは容易でなかったのに、それが今度は自然に解決した訳で、雪子さえいなくなれば、妻の方は扱い易い、と云う腹があった。で、雪子ちゃんを気の毒に思う心持は僕もお前と同様なのだから、雪子ちゃん自身が帰って来たいと云うなら拒みはしないが、悦子のために呼び戻すと云うことは賛成しかねる、なるほど、悦子を扱うことは馴れているから、来て貰えばさしあたり助かるには違いないが、僕に云わせると、悦子が今のような神経衰弱になった遠い原因は、お前や雪子ちゃんの躾方にあるのだ、だから、一時の困難を忍んでも、これを機会に雪子ちゃんと云うものの影響を悦子から除いてしまう方がよい、そして、徐々に、逆らわないようにしながら、躾方を変えて行こうではないか、それには此処当分の間雪子ちゃんが帰って来てくれない方が都合がよい、―――と、そう云って幸子を制していた。

十一月になって、貞之助は仕事のことで二三日東京へ行く用が出来たので、始めて渋谷の本家を訪ねたが、子供達はもうすっかり新しい生活に馴なれ、東京弁も上手になり、家庭と学校とで言葉の使い分けをする程になっていて、辰雄夫婦も雪子も機嫌きげんよくしてい、狭い所で窮屈だけれども是非泊って行ってくれろと、皆がすすめるのであった。しかし全く狭い家なので、貞之助は築地つきじの方に宿を取って、義理に一晩だけ泊ったが、その明くる朝、辰雄や上の子供達が出かけてしまい、雪子が二階を片づけに行っている隙すきに、

「雪子ちゃんも落ち着いてるようで、ええ塩梅あんばいですな」

と、鶴子に云うと、

「それがなあ、あないしてたらどうもないように見えますけど、―――」

と云うような話になった。鶴子の云うのには、此方こちらに移って来た当座は雪子ちゃんも気持よく家事の手伝いをしてくれ、子供達の面倒を見てくれたのであるが、―――今でも決して態度が変ったと云う訳ではないが、ただ時々、二階の四畳半に引き籠こもったきり降りて来ないことがある、あまり姿を見せないので、上って行ってみると、輝雄の机の前にすわり、頬杖ほおづえをついてじっと考え込んでいることもあり、しくしく泣いていることもある、それが、初めのうちは十日に一遍ぐらいであったが、近頃だんだん頻繁ひんぱんになりつつあって、そんな日には階下へ降りて来ても半日ぐらい物も云わない、どうかすると、人前でも涙を隠し切れないで、ぽたりと落すことがある、辰雄も私も、雪子ちゃんの取扱いには随分気を付けているつもりなので、別に何も機嫌を損ずる原因があるとは思われないから、結局これは、関西の生活が恋しい、まあ云ってみれば、郷愁病のようなものであろうと断ずるより外はない、それで、少しは気が紛れるようにと思って、お茶やお習字のお稽古けいこを、又続けてみたらと云うのだけれども、そんなことも一向取り合ってくれない、―――鶴子はそう云って、富永の叔母ちゃんの口利きもあって雪子ちゃんが素直に帰って来てくれたのを、私達はほんとうに喜んでいたのだけれども、それが雪子ちゃんに取って、まさかこんなにも辛つらい、厭なことであるとは思っていなかった、此処にいることが泣くほど辛いのであるなら、又私達の仕様もあるが、いったい私達は何でそれほど雪子ちゃんから嫌きらわれなければならないのであろうか、―――と、それを云う時、鶴子は自分も泣きながら、―――しかし恨めしくもあるけれども、雪子ちゃんの思い詰めている様子があまり一途いちずなので、可哀そうにもいじらしくもなって来て、それほど関西がよいのなら、いっそ好きなようにさしてやろうかと、考えることもある、蘆屋へ預けきりにしてしまうことは辰雄が許すまいけれども、今のところ手狭なのだから、広い家へ移るまででも行っているとか、でなければ、せめて十日か一週間行かしてやったら、それだけでも慰められ、元気づけられはしないであろうか、ま、そう云っても、何か適当な口実がなくては工合が悪いが、兎に角雪子ちゃんが今のような有様では、私は気の毒で見ていられない、あれでは当人より端はたの者が遣り切れない、と云うのであった。

これは一場の座談として語られたので、貞之助は、そんな風では兄さんも姉さんもお困りであろう、それには幸子あたりにも責任があることで、申訳がない、と云ったような挨拶をしただけで、悦子の病気のことなどは勿論云いはしなかった。が、帰って来てから、幸子との間に東京の話が出、雪子の近状を尋ねられてみると、事実を知らせるより仕方がなかったので、鶴子が云ったことを何一つ隠さずに告げた。

「僕かて、雪子ちゃんがそないにまで東京を厭がってるとは思おもてえへんなんだ」

「結局、兄さんと一緒にいてるのんが厭なんでッしゃろか」

「それもあるかも知れん」

「そうか、悦子に会いたいのんか、―――」

「それやこれや、いろいろやろうな。もともと雪子ちゃん云う人が、東京の水に合わん人や」

幸子は、雪子が幼い時分から辛抱強く、どんなにつらいことがあっても口には出さないで唯ただめそめそと泣いてばかりいたことを思い出したが、今も机に凭よって忍び泣きをしている妹の姿が、眼に見えるような気がした。

二十五

悦子の神経衰弱は、鎮静剤として折々臭剥しゅうぼつを飲ませる外には食餌しょくじ療法に依よっていたが、脂あぶらっこい物でも支那料理なら好んで食べることが分って、栄養分を取るようにしたのと、冬になって脚気かっけが直ったのと、学校の先生が学課の方を気にしないで健康を取り戻すように諭さとしてくれたのと、いろいろのことが効を奏して案じた程でもなく良くなって行った。で、助け船を呼ぶ必要はなくなってしまった訳であったが、幸子は東京の話を聞いてからと云うもの、どうしても一度雪子の顔を見ないことには気持が治まらなくなっていた。

今になって考えると、あの、富永の叔母が掛合いに来た日、自分はあまりにも雪子に冷酷な仕打をし過ぎた、自分はああ云う風に命令的に、追い立てるようにすべきではなかった、妙子には二三箇月の猶予ゆうよが与えられたのだから、雪子にも多少の時日を与えるように斡旋あっせんするくらいの情味があってもよかったのに、ゆっくり名残を惜しむだけの余裕も作ってやらなかった、それと云うのも、雪子がいないでもやって行けると云う意地っ張りが、あの日に限って妙に強く萌きざして来て、ついあんな態度に出たのであったが、それでも雪子が一言半句の不平も云わずに大人しく納得したのが、思い出すとしおらしくて、不憫ふびんでならない。………そして幸子は、雪子がわりに機嫌きげんよく、ほんの当座の旅行のような身支度で気軽に出て行ったのは、直きに口実を拵こしらえて呼んで上げるからと、あの時気休めに云ってやった言葉を、案外あてにしていたのであることが、今になると分って来たのであった。雪子にしてみれば、幸子のその言葉があったればこそ、それを頼みにして、一往本家の気が済むように東京まで附いて来たのであるのに、その後幸子の方で何の工作もしてくれている様子がないとしたら、………而しかも、附いて来たのは自分だけで、妙子の身柄はそう問題にされず、今以て関西に居残って暮しているとしたら、………自分一人馬鹿を見た、欺だまされたと思うのも尤もっともかも知れない。………

幸子は、姉がそんな気持になっているなら、本家の方は大して面倒はないとして、夫が何と云うか、今暫しばらく見合せた方がよいと云うか、それとも、もう四箇月も立ったことだし、悦子も落ち着いて来たのであるから、十日や半月ぐらいの間なら呼び戻しても差支えないと云うか、まあ、春にでもなったら夫に相談を持ちかけてみようと思っていると、折よく正月の十日頃に、あれ以来何とも云って来なかった陣場夫人から手紙が来た。そして、去年写真をお送りした人の件はどうなったでしょうか、あの時のお話では、急には返事が出来ないけれども暫く待ってくれたらと云うことでしたので、お待ちしていたのでしたが、妹さんにお心持がおありにならないのでしょうか、もし御縁がないものなら、お手数ながらあの写真をお返し下されたく、又いくらかでもお心持が動いておられるなら、今からでも遅くはないのです、先方さんのことは、その後お調べになったかどうか知れませんが、大体あの写真の裏に本人さんが自分で書いておられる通りの経歴で、その外には申し上げる程のことはない、ただ一つあれに書き洩もらしたのは、自分には財産と云うものは何もない、全く俸給に依って暮しているので、それはお含みを願いたいとのことです、そう云う訳で、妹さんには御不足であろうと存じますけれども、先方さんはお宅のことをすっかり調べておられ、妹さんの御器量なども何処どこかでお見かけしたらしくて、待つのはいくらでも待つから、是非あの方をと、浜田氏を通じて熱心に申し越しておられるのです、何にしても、一遍お会い下さると、私も浜田氏に対して顔が立つのですが、………と、そんな文面なのであったが、幸子には渡りに船であった。で、いつぞやの野村巳之吉みのきちと云う人の写真に、陣場夫人のこの手紙も添えて、こう云う話があるのですが如何ですか、陣場さんは兎に角見合いをさせることを急いでおられるようですが、雪子ちゃんはこの前のこともあり、調べを先にしてからでなければ会うのは厭いやだと云うでしょうから、宜よろしかったら私達の手で大至急調べますけれども、先ず兄さんや姉さんの考を聞かして下さい、と云ってやると、五六日過ぎて、姉にしては珍しいことに長い返事の手紙が来た。―――

拝復

おくれ馳ばせながら新年おめでとう存じます、そちら皆々様お揃そろいよきお正月をお迎えなされし由およろこび申します。此方こちらは初めての土地にて何やら一向それらしい気分も味あじわわず松の内もあわただしく過してしまいました、東京と云うところは冬が取り分けしのぎにくいと聞いていましたが一日として名物のから風が吹かぬ日はなく寒に入ってからの寒さはまことに生れて始めてのことにて今朝などは手拭てぬぐいが凍って棒のようになりバリバリ音がするのですが、こんなことは大阪では経験がありません、東京も旧市内だといくらかしのぎよいそうですがこの辺は高台で郊外に近いので一層寒いのだそうです、お蔭で家内中順々に風邪を引き女中たちまで倒れる始末ですが私と雪子ちゃんだけはどうやら鼻風邪の程度で済んでいます、しかしこちらは大阪に比べると埃ほこりが少く空気の清潔なことは事実にて、その証拠には着物の裾すそがよごれません、此方で十日ばかり一つ着物を着通していましたけれども、わりに汚れませんでした。兄さんのワイシャツが大阪では三日で汚れますが、此方では四日間は大丈夫です

さて雪子ちゃんの縁談のこと、いつもそちらでいろいろ心配して下すってほんとうに有難く思います、あの手紙と写真を早速兄さんに見せ相談しましたが、兄さんも近頃は心境が変化して前のようなうるさいことは云わず、大体あなた方に任せる気持になっているようです、ただ農学士で四十何歳になり水産技師をしているのではこの先そう月給が上る見込はないし、出世の道は止っているように思う、それで財産もなしに暮して行くのだと余り楽ではないだろうけれども、本人が承知なら兄さんは反対はしない、見合いも、本人の気が進んでいるならいつでも適当と思う時機にさせてくれて差支えないとのことです、ついては、もっとよく調べた上で見合いをさせるのが順序ですけれども、先方さんがそう云う希望なら、委くわしい調べは後廻しにして見合いを急ぐことにしたら如何いかがでしょうか、多分貞之助さんから聞いてくれたことと思いますが、雪子ちゃんには私も手を焼いているので、何とか機会を拵えて一遍そちらへ行かしてやりたいと考えていたところなのです、昨日雪子ちゃんにも一寸話してみましたが、現金なもので、関西へ行けるとなったら見合いのことも直ぐ承知しました、そして今朝から急に元気づいてニコニコし出したのには、全く何と云う人だろうと呆あきれてしまいました

そちらで大体日取りをきめて下されば此方はいつでも立たせてやります、見合いが済んだら四五日で帰ると云うことにしておきますけれども、多少のところは延びても構いません、兄さんにはよいように云っておきます

東京へ来てからまだ一遍も手紙を上げなかったので書き出したら長くなりました、今も背中へ水を浴びせられるような寒さで筆を持つ手も凍えるようです、蘆屋は暖かいでしょうけれども何卒くれぐれも風邪を引かないようにして下さい

貞之助さんによろしく

正月十八日鶴子

幸子様

東京をよく知らない幸子には、渋谷とか道玄坂附近とか云われても実感が湧わいて来ないので、山手電車の窓から見た覚えのある郊外方面の町々、―――谷や、丘陵や、雑木林の多い入り組んだ地形の間に断続している家々の遠景、そのうしろにひろがっている、見るからに寒々とした冴さえた空の色など、大阪辺とはまるで違う環境を思い浮かべて、勝手な想像をするより外はなかったが、「背中に水を浴びせられるような」とか「筆を持つ手も凍える」とか云う文句を読むにつけ、万事に旧式な本家では、大阪時代から冬も殆ほとんど煖炉だんろを使っていなかったことを思い出した。上本町の家では客間に電熱が引いてあって、電気ストーブを取り附けるようにはなっていたけれども、実際に使うのは稀まれに来客のあった場合、それもよくよく寒い日に限り、平素は火鉢ひばちだけだったので、幸子は正月年始に行って姉と対坐たいざしていると、いつも「背中に水を浴びせられるような」気持を味わい、風邪を引いて帰って来ることがしばしばあった。姉に云わせると、大阪の家庭で煖房と云うことがそろそろ普及し出したのは大正の末期頃で、万事に贅沢ぜいたくであった父でさえも、居間に始めて瓦斯ガスストーブを引いたのは亡なくなる前の年ぐらいであったが、それも、引いては見たものの上気のぼせると云って実際にはあまり使わなかった、自分達は皆、幼少の頃からどんな寒い日でも火鉢で育って来たのだと云うのであるが、そして確かにそう云われてみれば、幸子なども、貞之助と結婚して数年後、今の蘆屋の家に移った時から煖炉を使い出したのであるが、一度味を覚えてからは、とてもそれなしでは冬をしのぐことが出来なくなり、子供の時分に火鉢一つでしのいで来たことが、今になると不思議にさえ感じられた。然しかるに姉は東京へ行ってまで旧弊を押し通しているらしいので、芯しんが丈夫な雪子だからこそ堪えているものの、自分であったら肺炎か何かを起しているであろうと思えた。

見合いの日取り決定については、陣場夫人と野村氏の間に浜田氏と云うものが介在していて、連絡を取るのに手間が懸ったが、なるべく節分前にと云う先方の希望が明かになったので、直ぐに雪子を寄越すように云ってやったのが、月のうちの二十九日であった。幸子は又、この前電話で失敗したことを思い出して、夫に頼んで離れの書斎へ大急ぎで卓上電話を引いて貰もらいなどしたが、三十日の午後、行き違いに姉から端書が来て、下の子供が二人一遍に流感になり、四つになる女の児梅子の方は肺炎になりそうなので大騒ぎをしている、看護婦を雇う筈はずだけれども狭くて寝かすところもないし、雪子ちゃんなら本職よりも頼りになることが秀雄の時で分っているから、看護婦は止やめにした、そう云う訳だから勝手ながら陣場さんにお願いして今暫く待って貰うようにしてほしい、と云って来、又追っかけて、梅子がとうとう肺炎になった旨むねを知らせて来た。幸子は、これは十日や一週間では埒らちがあきそうもないと見たので、陣場夫人に事情を云って一先ず延期を申し込んだが、先方はいつ迄でも待つと云うのであるから心配はないようなものの、何かと云うと看護婦代りに使われたりして損な役にばかり廻される雪子に、ひとしお不憫が懸るのであった。

ところで、見合いが延びた間に、かねて手配をして置いた調査の方が捗はかどって、興信所から報告書を送って来たが、それに依ると、野村氏の地位は高等官三等で、年俸三千六百円程度、外に賞与が若干とあるから、月に割ると三百五十円前後になる。父の代には郷里姫路で旅館業をしていたらしいのであるが、現在郷里には家屋敷が残っていない。親戚しんせきは、実妹が東京の太田某と云う薬剤師に嫁いでいる外に、姫路に叔父が二人あって、一人は骨董こっとう商を営みつつ茶道の宗匠をしてい、一人は登記所の司法書士をしている。その外に、関西電車の社長浜田丈吉が本人の従兄いとこに当ってい、これが唯一ゆいいつの誇るに足る親戚でもあれば庇護者ひごしゃでもある。(そしてこれが又、陣場夫人の所謂いわゆる「恩人」であって、夫人の夫は昔浜田家の玄関番をしつつ通学させて貰ったと云う恩義があるのだそうである)報告書の記載は大体以上で尽きているが、なお調査の結果、昭和十年に亡くなった先妻の病気が本人の記す通り流感に間違いのないこと、二人の子供の死んだ原因も決して遺伝性の病気ではなかったこと、等々も判明した。次に本人の性行や人物について、貞之助が二三の方面へ手蔓てづるを求めて問い合せたところ、他にこれと云う欠点はないけれども一つ奇癖のあることが知れた、と云うのは、兵庫県庁に勤務する同僚の話に依ると、野村氏は時々、極めて突然、全く無意味と云ってもよい取り止めのない独語ひとりごとを洩もらす癖がある、それは大概傍そばに聞いている者がいないと思う時に洩らすらしいのであるが、本人は聞かれていないつもりでも誰かに聞かれていることが度々あって、今では同僚の間で知らぬ者は一人もない、亡くなった細君や子供もその癖をよく知っていて、おかしなことを云うお父さんだと云って笑ったものであると云う。一例を挙げると、或る時同僚の一人が役所の厠かわやの仕切りの中でしゃがんでいると、隣の仕切りに人が這入はいって来たけはいがして、やがて、「もしもし、あなたは野村さんですか」と、二度繰り返して問う声が聞えた。その同僚はもう少しで「いえ、僕は何某です」と答えようとしたが、「あなたは野村さんですか」と云うその声が野村氏自身の声に紛れもないので、例のひとりごとだなと心づいた、と同時に、きっと野村氏は隣の仕切りに人がいることを知らないのに違いないと思うと、気の毒になってじっと息をつめていた。が、なかなか時間が懸かるので、待ちくたびれて先に出てしまったが、顔は見られないで済んだ。恐らく野村氏も隣から人が出たことを知って「しまった」とは思ったであろうが、その人が誰であったか彼には分らずじまいに終り、後で何事もなかったように平気で執務していたと云う。そんな工合で、ひとりごとと云っても一向たわいのない、罪のないことを云うのだけれども、それだけになお聞いた者は出し抜けで可笑おかしく感じる。そして、ついうっかりと出てしまうのであるらしいけれども、全然無意識に洩らすのでないことは、人がいると云わないようにしているのでも明かであって、誰かに聞かれそうな心配のない時は驚くほど大声を発することがあり、たまたまそんな時に物蔭に居合せた者は、発狂したのではないかと思ってびっくりさせられる、と云うのである。

で、まあ、格別人に迷惑や不愉快を与えるような癖ではないし、それがためにどうこうと云う程のものではないかも知れないが、何もそう云う人を選よりに選って夫に持たないでもよいには違いないし、それより何より、写真の顔が四十六歳と云う年よりも非常に老ふけていて、爺じじむさく、五十歳以上の老人に見えると云うこと、これが幸子の考では最大の難点で、雪子の気に入らないことはほぼ確実と云ってよく、第一回の見合いに於いて落第する運命にあるのは先ず明かであった。そう云う訳で今度はあまり張合いのない縁談だけれども、それが雪子を呼び寄せる表面の口実であってみれば、兎も角も「見合い」をさせるだけはさせなければ、―――と、云ったようなところが幸子たち夫婦の正直な気持であった。そして、どうせ纏まとまりそうもないものなら、厭なことは知らせる迄までもないので、奇癖の件は雪子に云わないで置くことに相談をきめていた。

二十六

ケフカモメデタツ」ユキコ

悦子は学校から帰って来ると、洋間に雛ひな人形を飾るべく、母とお春に手伝って貰もらって雛段を組み立てていたが、そこへ待たれていたこの電報が届けられた。

一般に、関西の雛の節句は一と月おくれにする習慣で、本当はまだ一箇月早いのだけれども、四五日前に近日出て来ると云う雪子からの便りがあった時、たまたま妙子が悦子のために菊五郎の道成寺の人形を拵こしらえて来たので、幸子がふっと思いついて、

「悦ちゃん、この人形と一緒にお雛さん飾ろう。―――」

と、云いだしたのであった。

「―――お雛さんかて、姉ちゃんを歓迎したいやろさかいにな」

「何で、お母ちゃん。お雛さんは来月やないの」

「まだ桃の花が咲いてへんよ」

と、妙子も云った。

「季節外れにお雛さん出しといたら、女の子が縁遠くなる云うやないの」

「そうそう、子供の時分に、いつもお母ちゃんがそない云やはって、お節句が過ぎたら慌あわててお雛さん直しやはったわなあ。けど、早う飾るのんは構かめへんねん。後まで飾っとくのんが悪いのやわ」

「ふうん、そうか、そら知らなんだ」

「よう覚えとき。物識りのこいさんにも似合わんやないか」

この家の雛と云うのは、昔悦子の初節句の時に京都の丸平まるへいで作らせたもので、蘆屋あしやへ移って来てからは、結局家族たちの団欒だんらんの部屋に使われている階下の応接間が、洋間ではあるけれどもそれを飾るのに一番適当だと云うことになって、毎年そこに雛段が組み立てられるのであった。で、幸子は半年ぶりに戻って来る雪子を喜ばすために、この行事を一箇月早めて、新暦の節句から一と月おくれの節句まで、一箇月の期間飾って置こう、多分雪子もその一箇月間ぐらいは滞在することになるであろう、と云い出したのであったが、その提案が容いれられて、新暦の三月三日と云う今日、飾り付けが始められたところなのであった。

「ほうら、悦ちゃん、お母ちゃんの云うのんが当ったやろ」

「ほんに、やっぱり今日やってんなあ」

「姉ちゃんお節句にやって来やはった。お雛さんと一緒やわ」

「縁起がよろしゅうございますわ」

と、お春が云った。

「今度はお嫁に行くやろか」

「悦ちゃん、姉ちゃんの前でそれ云わんときなさいや」

「ふん、ふん、分ってるよ、そんなこと」

「ええか、お春どんも気イ付けなんだら、この前みたいなことになるで」

「は、分っとります」

「どうせ知れることやさかい、蔭かげで云うのんは構かめへんけど、………」

「は、………」

「こいちゃんに電話かけんでもええ?」

と、悦子が興奮した声で云った。

「かけて参りましょか」

「悦ちゃん、自分でかけなさい」

「ふん」

と云うと、悦子は電話口へ飛んで行って松濤しょうとうアパートを呼び出した。

「………ふん、そうやねん、やっぱり今日やってん。………こいちゃん早う帰って来なさい。………『つばめ』やないねん、『かもめ』やねん。………大阪までお春はあが迎いに行くねん。………」

幸子は内裏雛だいりびなの女雛めびなの頭へ瓔珞ようらくの附いた金冠を着せながら、悦子の甲高い声がひびいて来るのを聞いていたが、

「悦ちゃん」

と、電話口の方へ怒鳴った。

「―――こいさんになあ、暇やったら姉ちゃん迎いに行ったげ、云いなさい」

「あのなあ、お母ちゃんがなあ、こいちゃん暇やったら迎いに行ったげなさいて。………ふん、ふん、………大阪九時頃やわ。………こいちゃん行く?………そんならお春はあどん行かんかてええなあ?………」

妙子には、大阪駅まで雪子を迎えに行ってやれと云う幸子の言葉の意味が、よく分っている筈はずであった。去年、富永の叔母が雪子を連れ戻しに来た時の話では、二三箇月後には妙子も東京へ呼び寄せると云うことであったのに、上京以来本家が引き続きごたごたして、なかなかそれどころではないので、ついあれなりになっており、お蔭で妙子は前より一層自由気儘きままな境遇に置かれているのであったが、それだけに、雪子に貧乏鬮くじを抽ひかせて自分ひとり巧うまいことをしているような、済まない気がしていたので、義理にも出迎えぐらいしなければならぬ訳であった。

「お父さんにもかけとこか」

「お父さんはええやないか、もう帰って来やはるわ」

夕方帰宅した貞之助も、あれから半年過ぎた今日となっては、ひどく雪子をなつかしいものに感じ、一時にもせよ、彼女に戻って貰いたくないと思ったりしたことで、自分を責める気持にさえなっていた。そして、着いたら直ぐに風呂へ這入はいれるようにしておけとか、夕飯は汽車の食堂で済まして来るだろうかとか、きっと寝しなにもう一度何か食べるだろうとか、細かいことに気を遣って、彼女の好物の白葡萄酒しろぶどうしゅを二三本も出して来させて、手ずから罎びんの埃ほこりを払い、年数を調べなどした。悦子は、明日ゆっくり会えるのだからと、皆がすすめて、どうしても待っていると云って聴かないのを、漸ようやく九時半頃にお春に云いつけて二階へ連れて行かせたが、間もなく表門のベルが鳴って、犬が其方そちらへ走って行く足音を聞くと、

「あ、姉ちゃんや」

と云って、又降りて来てしまった。

「お帰り」

「お帰りなさいませ」

「只今ただいま」

ジョニーが喜んで跳び着こうとするのを、「これッ」と云って制しながら玄関の土間に立った雪子は、衣裳鞄いしょうかばんを持たせられて後から這入って来た妙子の、近頃殊ことに張り切っている血色に比べると、汽車の疲れで、顔に著しい窶やつれを見せていた。

「お土産何処どこに這入ってるのん」

と、悦子は早くも自分で鞄を開けて、中を調べ始めたが、一束の千代紙とハンカチの箱とを直ぐ見つけ出した。

「悦ちゃんこの頃ハンカチの蒐集しゅうしゅうしてるのんやてなあ」

「ふん、有難う」

「まだもう一つあるわ、その下の方見て御覧。―――」

「あった、あった、これやろ」

そう云って悦子は、銀座の阿波屋あわやの包紙に包んである箱を取り出したが、中から出て来たのは紅いエナメルの草履であった。

「まあ、ええこと。穿はき物は矢張東京やわなあ。―――」

と、幸子もそれを手に取って見ながら、

「これ、大事に直しといて、来月お花見に穿きなさいや」

「ふん。いろいろ有難う、姉ちゃん」

「何や、悦子のお待ち兼ねはお土産の方やったんか」

「さあ、もうええやろ、これみんな二階へ持って行きなさい」

「今夜は姉ちゃんと一緒やで」

「分ってる、分ってる」

と、幸子が云った。

「姉ちゃん今からお風呂やさかい、先へ行ってお春どんと寝てなさい」

「早う来てね、姉ちゃん、―――」

雪子が風呂から上ったのは十二時近くであったが、それからひとしきり、貞之助と三人の姉妹とは応接間の煖炉だんろにぱちぱちはねる薪まきの音を聞きながら、久しぶりに顔を揃そろえてチーズと白葡萄酒の小卓を囲んだ。

「温ぬくいわなあ、此方こっちは。―――さっき蘆屋の駅へ下りた時にやっぱり東京と違うなあ思うたわ」

「もう関西はお水取が始まってるさかいにな」

「そない違うか知らん」

「えらい違いやわ。第一空気の肌触はだざわりが、こない柔かいことあれへん。何せ名物のからッ風がひどうて、―――二三日前にも、高嶋屋へ買い物に行って、帰りに外濠そとぼり線の通りへ出たら、さっと風が吹いて来て持ってる包つつみ吹き飛ばしてしもうて、それ追いかけて取ろうとすると、ころころと何処迄でも転ころこんで行くよってに、なかなか取られへんねん。そのうちに着物の裾すそが又さっとまくれそうになるのんで、片っ方の手でそれも押えてんならんし、ほんに、東京のからッ風云うたら譃うそやない思うたわ」

「しかし、僕は去年渋谷で厄介やっかいになった時にそう思うたが、子供云うもんは何でああ早う土地の言葉を覚えるねんやろ。―――あの時は十一月やよってに、まだ東京へ行って二三箇月しか立ってえへんのんに、本家の子達はもうちゃんと東京弁使うてるねんが。それも小さい子供ほど上手やねんで」

「もう姉ちゃんの年になったら、あかんやろなあ」

と、幸子が云った。

「そらあかん。第一姉ちゃんは覚えよう云う気イないねんもん。この間もバスの中で大阪弁で話しかけるさかいに、外のお客がみんな姉ちゃんの顔見るのんで難儀したけど、姉ちゃん云うたら、ああ云うとこはえらい心臓やねんな。顔見られても平気で話してるねんわ。そしたら、それ聞いて、『大阪弁も悪くないもんだね』云うてる人もあったけど」

雪子は、「大阪弁も悪くないもんだね」と云う東京弁のアクセントを上手に真似まねた。

「年増の女はみんな心臓や。僕の知ってる北の芸者で、これはもう四十以上の老妓ろうぎやねんけど、東京へ行って電車に乗ったら、わざと大阪弁で『降りまッせえ』と大きな声で云うてやりまんねん、そしたらきっと停めてくれはります云う女があるねんが」

「輝雄ちゃんなんか、お母ちゃんは大阪弁を使うさかいに一緒に歩くのん御免や云うてますねん」

「子供はそうかも知れんな」

「姉ちゃんは旅にでも出てる気持やろか」

と、妙子が云った。

「ふん、大阪と違うて、どんなことしても誰も何とも云うもんはあれへんし、気楽なとこもあるらしいねんわ。それに東京と云うとこは、女がめいめい個性を貴んで、流行云うもんに囚とらわれんと、何でも自分に似合うもんを着ると云う風やさかい、そう云う点は大阪よりもええ云うてるわ」

葡萄酒のせいもあるかも知れないが、雪子はさすがによく燥はしゃいで例になくおしゃべりをした。その様子には、口に出してこそ云わないけれども、半歳ぶりに関西の土地へ戻ることが出来たうれしさ、―――蘆屋の家の応接間に、こうして幸子や妙子たちと夜を更ふかしていられる嬉うれしさを、包みきれないものがあった。貞之助は、

「もうそろそろ寝ようやないか」

と云いながらも話が弾はずむので、又立って行って何本目かの薪をくべた。

「そのうちに一遍、あたしも東京へ連れて行って貰おう思うてるけど、渋谷の家はえらい狭いのんやてなあ。一体いつ宿変えするのん」

「さあ、―――何も家いえ捜さがしてるような様子ないけど」

「そんなら、せえへんつもりやろか」

「そうやないやろか。去年はこんなに狭かったらどうもならん云うて、宿変えするする云うてたけど、今年になったら、あんまりそんなこと云わんようになってしもてん。何や、兄さんも姉ちゃんも考が変ったらしいねんわ」

雪子はそう云って、意外なことを語り出した。―――これは自分の観察であって、姉ちゃん達夫婦の口からはっきりそうと聞かされた訳ではないのだけれども、もともと、夫婦があれほど離れるのを嫌いやがっていた大阪の土地を離れて、東京へ出る決心をした動機は、兄さんが出世慾を起したこと、―――そして又、その出世慾を起すに至った原因はと云えば、親子八人もの家族を抱えて亡父の遺産では食べて行けなくなったと云う、少し大袈裟おおげさに云えば生活難を感じ出したことにあるのだから、東京へ来た当座こそ、家の狭さを喞かこっていたものの、だんだん住み着いてみるにつれて、これでも辛抱出来なくはない、と云う気持になって来たのではあるまいか。それには何よりも、五十五円と云う家賃に誘惑されたのであろう。兄さんも姉ちゃんも、何しろこんな家だけれども家賃も安過ぎると、誰に言訳するともなく云い云いしていたが、そんなことを云っているうちに、いつかその安さに釣つられて居すわる料簡りょうけんになったのであろう。それと云うのが、大阪にいればこそ家名や格式を気にする理由もあるけれども、東京へ来てしまえば「蒔岡まきおか」などと云ったって知っている者はないのだから、下らない見えを張るよりは、少しでも財産を殖やすように心がけた方がよい、と云った風な実利主義に転向したとしても不思議はない。その証拠には、兄さんは今度支店長になって月給も上り、それだけ懐ふところにも余裕を生じた筈なのであるが、万事が大阪時代から見ると締まり屋になった。姉ちゃんも兄さんの旨むねを含んで、驚くほど倹約になり、日々の台所の買い物なども眼に見えて始末をする。―――尤もっとも、六人もの子供の食事を賄まかなうのだから、お菜な一つ買うのにも頭を使うと使わないとでは随分な違いになる訳であるが、賤いやしいことを云えば、お惣菜そうざいの献立なども大阪時代とは変って来て、シチュウとか、ライスカレとか、薩摩汁さつまじるとか、なるべく一種類で、少しの材料で、大勢の者がお腹一杯食べられるような工夫をする。そんな風だから、牛肉と云ったって鋤焼すきやきなどはめったに食べられず、僅わずかに肉の切れっ端が一片ひらか二片浮いているようなものばかりを食べさせられる。それでもたまに子供たちが一ひと立て済んでから、大人たちだけ別な献立で、兄さんの相手をしながらゆっくり夕飯を楽しむ折があって、鯛たいは東京は駄目だめだとしても、赤身のお作りなどが食べられるのはまあそんな時だけであるが、それも実際は、兄さんのためと云うよりは、夫婦があたしに気がねして、いつも子供たちのお附合いばかりさせて置いては雪子ちゃんが可哀かわいそうだから、と云うようなことであるらしい。―――

「姉ちゃん等らの様子見てたら、そうやないやろか云う気イするねん。………まあ、見てて御覧、あの家変れへんよってに」

「ふうん、そうかなあ。東京へ行って、すっかり姉ちゃん等人生観が変ってしもたんかなあ」

「そら、雪子ちゃんの観察が或あるいは当ってるかも知れん」

と、貞之助も云った。

「東京へ移住したのを機会に、今迄みたいな虚栄心を捨てて大いに勤倹貯蓄主義で行こう。―――兄さんやったらそんな考になるのんも無理のないとこやし、誰に聞かれても結構なことやないか。あの家かて、狭いことは狭いけど、辛抱しょう思えば出来んことはないさかいにな」

「けど、そんならそうとはっきり云うたらええのんに、今でも時々、雪子ちゃんの部屋がないのんが不都合やなあ云うて、人の顔を見たら言訳するのんが可笑おかしゅうて、―――」

「まあ、人間云うもんはそう一遍にガラリ変ってしまう訳には行かんさかいに、多少は体裁も作るわいな」

「うち、今にそんな狭いとこへ行かんならんのん?」

と、妙子は自分に一番痛切なことを聞いた。

「さあ、………こいさんが来たかて寝るとこも何もあれへんけど、………」

「そしたら、まだ当分は大丈夫か知らん」

「兎に角今のとこ、こいさんのことなんぞ忘れてるらしいわ」

「おい、もう寝よう。―――」

煖炉棚だなの置時計が二時半を打ったので、貞之助がびっくりしたように立ち上った。

「―――雪子ちゃんかて今日は疲れてるやろ」

「見合いのことで相談があってんけど、ま、明日にするわな」

雪子は幸子のそう云う言葉を聞き流して、先に二階へ上って行ったが、寝室に這入って見ると、悦子は枕まくらもとのテーブルの上にさっきの土産物の数々を、―――阿波屋の草履の箱までも列ならべて眠っていた。その、スタンドの灯影ほかげの中にある安らかな寝顔を覗のぞき込んだ時、彼女は又もう一度、この家へ戻って来られたことの嬉しさが込み上げて来るのを感じた。そして、悦子の寝台と、彼女の藁布団わらぶとんの寝床との間に落ち込んで正体もなくうたた寝をしているお春を、

「お春どんお春どん」

と、二三度揺り起して、漸く下へ降りて行かしてから眠りに就いた。

二十七

見合いは、場所や時刻は追って御知らせ申しますけれども、八日が日が吉よいようですから、八日にさせて戴いただきたいと、陣場夫人から云って来たので、そのつもりで雪子を呼び寄せたのであったが、五日の夜中に思いもかけぬ事件が起ったために、又しても延期を申し込むことになってしまった。と云うのは、同日の朝、幸子は有馬温泉で病後の療養をしている或ある奥さんを見舞うべく、かねて約束してあった友達二三人と連れ立って、電車にすればよかったのに、バスで六甲越えをして有馬へ行った。尤もっとも帰りは神有電車で帰ったのであったが、その夜寝床へ這入はいってから、急に出血を見て苦痛を訴え始めたので、櫛田くしだ医師に来診して貰もらったところ、意外にも流産らしいと云う。で、直すぐ専門医を呼んで貰ったが、矢張櫛田医師の診察の通りで、明くる朝流産を見たのであった。

貞之助は、夜中に幸子が苦しみ出してから自分の寝床を上げさせてしまい、ずっと枕まくらもとに着き切っていたが、翌日も、流産の後始末の時にちょっと席を外しただけで、妻の苦痛がうすらいでからも、とうとう事務所を休んでしまって病室に詰めていた。そして、胴丸の火鉢ひばちに両肘ひじをつき、火箸ひばしの頭に両方の掌てのひらを重ねたままの姿勢で、俯向うつむき加減に坐すわったきり、一日何をするのでもなくじっとしていたが、時々、一杯涙を溜ためた妻の眼が自分の方を見上げているのを感じると、ちらりと見返して、

「まあ、ええがな、………」

と、慰め顔に云った。

「………出来たことはしょうがないが」

「あんた、堪忍かんにんしてくれはるわな」

「何が?」

「あたしが不注意やってんわ」

「そんなことがあるもんか。僕は却かえって前途に希望が湧わいたような気イしているねん」

そう云う途端に、妻の眼の中にある涙の玉が大きく膨らんで、破れて、頬ほおに伝わる。―――

「そうかて、残念やわ。………」

「もう云わんとき。………きっと又出来るよってに。………」

夫婦は一日のうちにそんな問答を何回となく繰り返した。そして貞之助は、血の気の失せた青白い妻の顔を視守みまもりながら、自分も落胆の色を隠しきれずにいた。

ありていに云うと、幸子はこのところ二度ばかり続けて月のものを見なかったので、ひょっとしたら、と云う予感がしないでもなかったのであるが、何分悦子を生んでから十年近くにもなるし、事に依よったら手術をしないと後が出来ないかも知れないと、医者に云われたこともあったしするので、よもやと思って油断していたのが悪かったのであった。でも、夫が後を欲しがっていることは知っていたし、自分にしても、姉ほどの子福者にはなれないとしても、女の子一人きりでは余り淋さびしく感じていたので、そうであってくれればよいがと願うところから、三月みつきになったら念のために診みて貰う積りではいたのであった。それで昨日、連れの人々が六甲越えをして行こうと云い出した時に、大事を取った方がよくはないかと、ふっとそんな気もしたのだけれども、何を阿呆あほらしいことをと、それを打ち消す気持の方が遥はるかに強く働いていたので、折角皆が楽しみにしているらしい計画に、反対する迄もないと思ったのであった。そう云う訳で、油断をしたのには一往理由のあることなので、必ずしも彼女が責められるべきではないのであるが、惜しいことをしましたねと、櫛田医師にも云われるし、自分も、なぜこんな時に有馬などへ行く約束をしたのか、なぜうかうかとバスへ乗ってしまったのかと、悔し涙が出て仕方がなかった。夫は、もうお前の体には子供は出来ないのであろうと諦あきらめていたのが、図らずも妊娠可能であることが証明されたのだから、僕は悲観するどころではない、むしろ将来に希望が持てるようになったのを喜んでいると云って、慰めてくれるのであるが、そう云う夫自身、内心ではひどくがっかりしていることが様子にも分るので、やさしく労いたわってくれるほどなお気の毒で、何と云われても自分の越度おちどであることは、―――それも軽からぬ越度であることは、否いなみようもなく思えるのであった。

二日目には夫も気を取り直して快活になり、いつもの時刻に事務所へ出かけたが、幸子はひとり二階で臥ねていると、悔んでも仕方のないことだと思いながら又一つ所へ考が落ち込むのを防ぎようがなかった。折角おめでたい話のある矢先なので、雪子を始め子供や女中達には見られないようにしていたけれども、ひとりになると、いつか涙が溜って来る。………自分がもし、あんな不注意なことをしなかったら、十一月には生れていたであろうに、そして来年の今頃は、あやせば笑うくらいにはなっていたであろうに、………きっと今度は、男の児だったのではなかろうか、そうしたら夫は勿論もちろん悦子がどんなに喜んだであろうか、………自分として、全然気が付かなかったのなら諦めようもあるけれども、あの時虫が知らしたのに、なぜバスで行くことを止めなかったのか、咄嗟とっさに適当な口実が浮かばなかったせいでもあるが、何とでも云って、自分一人だけ後から行くようにすればよかったし、口実ぐらいいくらでも考え出せたのに、なぜそうしなかったのか、悔んでも悔んでも一番このことが悔み足りない。夫が云うように幸いにして後が出来てくれたらよいが、そうでなかったら、恐らく自分は何年立っても、ああ、今頃生きていたらこのくらいになっているのになあと思い思いして、いつ迄までも忘れられないであろう。大方このことが一生癒いやし難い悔恨となって附き纏まとうであろう。………そして幸子は、もう一度強く己れを責め、夫と、失われた胎児とに償いようのない罪を犯したことを謝しつつ、又しても新たな涙が一杯溜って来るのを感じた。

陣場夫人のところへは、度々のことであるから、本来ならば誰かが出向いて断りを云うべきなのであったが、貞之助は全然面識がないことでもあり、且かつ先方は、いつも夫人が交渉の任に当っていて、主人の陣場仙太郎なる人はまだ表面に出て来たことがないので、取りあえず六日の晩に、幸子の代筆として貞之助が書面をしたため、又々延期と云うことは寔まことに申しにくいのだけれども、生憎あいにくな時に妻が風邪で熱を出したので、何とも勝手ながら、さしあたり八日は日延べを願いたい、但ただし念のために申し添えるけれども、全くそれだけの事情なので、他に何の理由もあるのではないから、その点は誤解のないようにお願い申したく、風邪と云っても大したことはないらしいから、一週間も待って戴いただいたら大丈夫だと存じますと、速達便を以て申し送った。が、先方はそれをどう取ったのか、七日の午後に突然陣場夫人が訪ねて来、お見舞旁〻かたがたお伺いしたのですが、もし奥様にお眼に懸れたらちょっとでもお会いしたいと云い入れたので、兎に角病室へ通って貰った。と云うのは、ほんとうに自分がこうして臥ているところを見せた方が却かえって先方も安心し、諒解りょうかいしてくれることと思った訳であったが、気心の分った旧友の顔を見ると、幸子はだんだん親しみが湧わいて来て、病気と云うのが実は何であるかを、ついでに云ってしまう気になった。で、おめでたい話の折柄であるから、手紙にはああ書いたけれども、あなたには隠す迄もないと思うから、と前置きをして、五日の夜中の出来事を手短かに語り、自分の苦しい胸の中もいくらかは聞いて貰って、これはあなただけに打ち明けるので、先方へは何とか然しかるべきように云って置いてほしいけれども、事情と云うのは全くそう云う訳なのだから、何卒なにとぞくれぐれも気持を悪くしないで貰いたい、それに、経過も良好で、一週間もしたら出歩けるでしょうと、医者も云っているくらいだから、そのつもりでもう一度日取りを考え直して貰いたい、と、そう云うと、そら惜しいことをしやはったわなあ、あんたの旦那さん、どんなにがっかりしやはったやろ、と、陣場夫人はそう云いかけたが、途端に幸子の眼の中が潤うるんで来たのを看て取ると、慌てて話題を変えて、一週間でええのんやったら、十五日はどうか知らん、と云い出した。そして云うのには、今朝速達便を受け取ったので、此処ここを訪問するまでに先方と打ち合せを遂げて来たのであるが、今月は十八日から二十四日までがお彼岸なので、その間を避けるとなると、八日以後では十五日より外に適当な日がない、もし十五日が駄目であると、後は来月になってしまうが、今からちょうど一週間あることだからなるべく十五日にして貰えないであろうか、実は浜田さんからもそうお願いするように頼まれたのであるが、と云うので、幸子はこの上我が儘ままを云う訳にも行かず、まあ、医者もああ云っていることだから、少しぐらいの無理を押しても出られないことはあるまいと思って、夫に相談する迄もなく、大体承諾の旨を答えて帰したのであった。

ところが、その後経過は順調に進んでいたものの、十四日になってもまだ時々少量の出血を見、臥たり起きたりしていると云う程度であった。貞之助は初めから、

「そんな約束してしもて大丈夫かいなあ」

と、危ぶんでいたのであるが、そうなってみると、大切な席で粗相があってはならないし、幸い陣場夫婦だけはほんとうの事情を知っていることでもあるから、陣場にまでよく訳を話して、幸子は欠席することにし、貞之助が一人雪子に附き添って行くと云う方法も考えられた。けれどもそれも不都合であると云うのは、幸子が欠席しては双方を紹介する者がいないのであった。雪子は心配して、私のために何も無理をしてくれないでもよい、もう一度延期を申し込んで、万一そのために破談になるようなことがあったら、それ迄と思って諦めよう、こう云う時にこう云うことが起るのも、もともと縁がないのかも知れない、と云うのであったが、幸子は又、そんな風に雪子に云われてみると、この間から自分の悲しみのために忘れていた妹への同情心が、急に高まって来るのを覚えた。これ迄にも雪子の見合いと云うと、故障が起って一遍にすらすらと運ばないことが多かったので、今度もそれを予期すると云っては可笑しいけれども、何か、そんなようなことがなければよいがと案じていた矢先に、先ず本家の姪めいの病気と云う邪魔が這入り、それが済んだと思ったら、今度は流産と云う不吉な事件に打つかったところから、幸子は自分たち迄が、繋つながる縁で妹に纏まつわる運勢の中へ捲まき込まれたような、薄気味の悪い心持もせざるを得なかったのであるが、案外当人は何とも感じていないらしいので、その顔を見るとなおいじらしさが増して来るのであった。それで、十四日の朝、貞之助が事務所へ出て行く時は、彼は幸子を欠席させる方へ傾き、幸子自身はどうしても出席したいと云っていて、孰方どちらとも決定が付かずにいたが、三時頃に陣場夫人から電話があって、あんた、あれからどんな工合、と云われてみると、ふん、もう大方ええねんわ、と、幸子はついそう答えてしまった。そんなら明日よろしいなあ、と、先方は直ぐ追っかけてそう云ってから、明日、時間は午後五時、集合場所はオリエンタルホテルのロビーと云うことに、野村氏の方からきめて来たからそうして貰いたい、尤もホテルへは集合するだけで、簡単にお茶を飲んでから、何処かの料理屋へ席を移して晩餐ばんさんを取ることになる筈であるが、何処にするかはまだ極まっていない、見合いと云っても形式張らない小人数の会合のことだから、明日ホテルへ落ち合ってから相談の上で行く先をきめてもよいと云っている、野村氏の方は、当人一人だけ、それに私達夫婦が浜田氏の代理として附き添うことになるので、あなた方の方が三人とすると、六人である、と云うのであった。幸子はそれを聞いている間にいよいよ行くことに腹をきめたが、そんならそれでよろしいなあと、先方が駄目を押すのを、ちょっと、と云って呼び止めて、実は殆ほとんど全快したようなものだけれども、外出するのは明日が始めてであり、まだ完全に出血が止っている訳ではないから、まことに申しかねるけれども、あなたが気を利きかして、なるべく歩くところがないように、短い距離を行く時でも必ずタキシーへ乗せるようにしてほしい、それさえ含んで置いてくれたら差支えないから、と、その点をよく頼み込んで置いた。

この電話があった時、雪子は井谷の美容院へ明日の頭髪あたまを拵こしらえに行っていて留守であったが、帰って来て話を聞くと、外のことは承知したけれども、集合の場所をオリエンタルホテルにしたことについて難色を示した。この前、瀬越の時にオリエンタルであったのに、又同じ所にするのは、幸先さいさきが悪いとか何とか云うことは問題でないとしても、ボーイや女給たちがあの時のことを覚えていて、ああ又あのお嬢さんが見合いしてはる、と云う風な眼で見られたら不愉快である、と云うのであったが、幸子もさっき申込みを聞いた時にそう云う異議が出ないであろうかと思わないでもなかったし、雪子が一度そう云い出したらなかなか機嫌きげんを取りにくいことは分っているので、夫の書斎から陣場夫人を呼び出して、ありのままの理由を述べ、オリエンタルだけを考慮し直して貰うように申し入れた。と、二時間ばかり立って先方から懸って来、いろいろ野村氏とも相談をしてみたのであるが、オリエンタルがいけないとなると、さしあたり適当な場所を思い付かない、それなら直接料理屋へ集ればよい訳であるが、さてその料理屋をきめるについても、此方の独断できめてしまって又差障りがあってもならないし、何かそちらによい案があれば聞かして貰いたい、此方の勝手を云えば、ほんの集合の場所に使うだけなのだから、枉まげて雪子さんに承知して貰って、オリエンタルにしてくれると大変好都合なのだけれども、そう云う訳に行かないであろうか、………何もそんなに気にしやはる程のこともないように思うけれども、………と云うのであった。幸子は、ちょうど貞之助が帰宅したので、夫とも話し合った結果、矢張雪子の心持を尊重した方がよいと云うことになり、強情を張るようで済まないけれども、………と、押し返して先方へ譲歩を求めると、では尚なおよく考えて、明朝改めて打ち合せをしましょう、と云う挨拶であったが、十五日の朝電話があり、トーアホテルでは如何と云って来たので、漸ようようそれに話が落ち着いた。

二十八

当日は、もうお水取が済んだにしてはうすら寒い日で、風はないけれども、雪模様の、どんよりした空あいであった。貞之助は朝起きるとから、出血はまだ止まらんのんか、と、第一にそれを気にしていたが、午後にも早く帰って来て、どうや、出血はと、又尋ね、気分が悪かったら今からでも断ったらええ、今日のところは僕一人でも勤まるさかいに、と云ったりした。幸子はそう聞かれる度に、幾らかずつ良い方で、出るものも微量になりつつあると答えてはいたものの、実は昨日の午後あたりから何度も電話口へ立ったりして体を動かしたのが障ったらしく、今日は却かえって量が殖えているのであった。そして、長いこと風呂へ這入はいらない顔や襟頸えりくびを簡単に洗っただけで、鏡台の前に坐すわって見ると、いかにも貧血しているのがよく分る色つやをしてい、我ながら窶やつれが目立っていることを感じたが、妹さんの見合いに附き添う時には精々地味に作るようにと、いつぞや井谷に注意されたこともあるし、このくらい衰えていたらちょうどよいのではあるまいかと思ったことであった。

ホテルの玄関で待ち構えていた陣場夫人は、雪子を中に挟はさみながら夫婦が這入って来たのを見ると、すぐ寄って行って、

「幸子さん、旦那さんに紹介して」

と云いながら、

「あなた」

と、自分のうしろに、二三歩離れて謹直な恰好かっこうをして突っ立っている夫の仙太郎を麾さしまねいた。

「初めまして。わたくしが陣場です。いつも家内が御厄介やっかいになっとりまして。………」

「いえ、此方こっちこそ。………この度は又奥さんに並々ならぬ御配慮に与あずかりまして有難う存じます。殊ことに今日はいろいろと手前勝手を申しまして、何とも相済まぬことで、………」

「あのなあ、幸子さん、………」

と陣場夫人がその時小声になって云った。

「………野村さんそこに見えてなさるよって、今紹介するけれど、何せわたし等らかて社長さんとこで一二遍会うたことがあるぐらいで、そんなに懇意と云うのんと違うさかいに、何やけったいな工合やねん。………そんで、本人さんのことについては私等何も知らんよってに、あんた等から直接何でも聞いてほしいねんわ」

夫人にしゃべらして傍で黙って聞いていた陣場は、このひそひそ話が終るのを待って、

「ではどうぞ彼方あちらへ」

と、物を押し戴いただくように片手をさし出して小腰を屈かがめた。

幸子達夫婦は紹介されるより前に、写真で見覚えのある紳士がロビーの椅子に独ひとり腰かけているのを認めた。先方も、吸いかけていた煙草を灰皿にこすりつけて、性急な動作で二三度ゴシゴシと火を圧おし潰つぶしてから立ち上ったが、―――体格は思いの外頑丈がんじょうで、しっかりしているように見えるが、幸子が案じていた通り、写真以上に老人臭い、じじむさい容貌ようぼうをしている。第一に写真では分らなかったけれども、髪の毛が、禿はげてはいないが、半分以上白髪で、一面に薄く、ちぢれて、もじゃもじゃと、ひどく汚らしく生えていて、顔は非常に小皺こじわが多い。先ずどう見ても五十四五歳ぐらいには見える。実際の歳は貞之助より二つしか上でないと云うのに、野村の方がたしかに十は上に見えよう。まして雪子とでは、彼女がまた実際よりも七八歳も若く、ようよう廿四五としか見えないので、まるで父子のような差があって、こんな所へこの妹を引っ張って来たと云うことだけでも、幸子は何か妹に済まないことをしたような気がした。

六人は双方の紹介が終ってから、そのままお茶のテーブルを囲んで話し合ったが、巧うまい工合に雑談が弾んで来ないで、時々皆が黙り込んでしまった。それは野村と云う人が、何処か取り着きにくい感じのするせいでもあるが、介添役の陣場夫婦が又、野村に対してひどく遠慮して、固くなっている風があった。多分陣場にして見れば、相手が恩人たる浜田の従弟いとこであると思うところから、自然に出て来る態度なのであろうが、それにしても少し卑屈過ぎるように見える。いつもであると、こう云う時に座を白けさせないくらいな如才なさは、貞之助夫婦の方で持ち合せているのだけれども、今日は幸子が気勢が上らず、貞之助も亦また妻の気分に影響されて多少陰鬱いんうつになっていた。

「野村さんの県庁でのお仕事は、主にどう云うようなことを、―――」

でも、そんなような質問からぽつぽつ話がほごれ出して、仕事と云うのは兵庫県下の鮎あゆの増産に関する指導、視察等が主であること、県内では何処の鮎が美味であるかと云うこと、竜野や滝野の鮎のこと、等々が語られて行った。陣場夫人はその間に、

「ちょっと、………」

と、幸子を物蔭へ引っ張って行って立ち話をし、野村の傍へ戻って来て耳打ちをし合い、電話室へ走って行き、又もう一度幸子を呼び立てるなど、何かと奔走していたが、夫人が席に復してしまうと、今度は幸子が、

「ちょっと」

と云って、貞之助を呼んで立って行った。

「何やねん」

「あのなあ、会場のことやねんけど、あんた、山手の北京楼ペキンろう云う支那料理屋知ってなさる?」

「いや、知らん」

「野村さんいつもそこへ行かはるのんで、そこにしてほしい云やはるねんて。そんでなあ、支那料理でも構かめへんけど、今日はあたし、椅子やったら工合悪いよってに、日本座敷にしてほしい云うてんわ。そんなら、そこは支那人のやってる支那料理やねんけど、日本間も一つか二つある云うのんで、今陣場さんが電話で日本間予約してくれはりましてん。それでよろしいやろなあ?」

「お前さえよかったら、僕は何処でもええけど、………お前、そないに立ったり居たりせんと、少しじっとしてなさい」

「そうかて、あたしを呼ばはるねんもん。………」

幸子はそれから化粧室へ這入って行ったきり、二十分程姿を隠していたが、やがて一層青い顔をして戻って来た。と、陣場夫人がまた、

「ちょっと」

と云って呼んだので、貞之助は溜たまりかねて、

「いや、僕が行こう」

と、立って行った。

「あの、あれはまだ体の工合がほんとうでないので、………どう云う御用か、僕に仰おっしゃって下さいませんか。………」

「あ、左様でございますか。実はあの、自動車が二台来ているのでございますけど、一台の方へ野村さんと、雪子さんと、私が乗りまして、一台の方へあなた方御夫妻と、宅の主人が乗ることにしましてはどんなものでございましょうか」

「さあ、………野村さんの御希望なのでしょうか」

「いえ、そう云う訳ではないんですが、ただちょっと、そんな風にしたらどうかと思い付きましたものですから、………」

「さあ、………」

貞之助は何となく不愉快さが込み上げて来るのを、顔に現わさないようにするのに骨が折れた。今日は幸子が体の支障を堪え忍んで、多少危険を冒しつつ出席するのであることは、昨日から通告してあるのだし、さっきからたびたびそれを匂におわしているのに、陣場夫婦はそう聞かされながら、一言半句も見舞や同情の言葉を吐かないのが、何より貞之助は不満であった。尤もっとも今日は縁起を担かついでわざとそのことに触れないでいるのかも知れないが、それにしても、蔭で幸子を労いたわると云う心持を示してくれてもよさそうなものだのに、あまりにも気が利きかな過ぎる。或はそんな風に思うのは此方の身勝手と云うもので、陣場夫婦の気持では、自分達の方こそ、今までに何回も延期々々で引っ張られて来たのだから、此処ここへ来てそのくらいな犠牲を払ってくれるのは当り前だ、と云う腹があるのであろうか。ましてこれは誰のためでもない、此方の妹のためであって、陣場夫婦は親切ずくでしているだけのことなのだから、向うにすれば、姉が妹の見合いのために体の故障を忍ぶぐらいが何であろう、それを自分達に恩にでも着せるように云うのはお門違いである、と思っているのであろうか。貞之助は、此方の僻ひがみかも知れないけれども、この夫婦にも矢張井谷と同じような考、―――婚期におくれて困っている娘を自分達が世話をしてやるのだ、と云った考があって、彼等こそそれを恩に着せる気味合があるのではなかろうか、と云う風にも感じた。が、幸子の話だと、陣場と云う男は浜田丈吉が社長をしている関西電車の電力課長であると云うから、社長に忠義立てをするために野村の意を迎えようとして一生懸命になり過ぎ、つい外の事に気が廻らなくなっているのだと解釈するのが、一番当っているかも知れない。それで野村と雪子とを一つ車へ乗せようと云うのが、陣場夫人の忠義立てから思い付いた案なのか、野村の意を受けての提議なのかは明かでないが、何にしても今の場合少し非常識で、貞之助は馬鹿にされているような気がした。

「如何いかがでございましょう、雪子さんがお厭いやでなかったら、………」

「さあ、雪子はああ云うたちですから、厭と云うことは申しますまいけれども、話が順調に運びさえしましたら、そう云う機会は今後いくらでもある筈はずですから、………」

「はあ、はあ」

と云いながら、夫人は漸ようやく貞之助の眼の色を看て取って、鼻を蝦えびのようにして苦笑いした。

「………それに何ですよ、そう云う風にされますと、雪子は一層極まりを悪がって口を利かなくなる方ですから、却かえって結果が良くないだろうと思うんですが、………」

「ああ左様で。………いえ、ただちょっと思い付きましたので、申し上げてみただけなんですから、それなら何でございます、………」

しかし貞之助の癇かんに触ったのは、これだけではなかった。北京楼と云うのは省線の元町駅の山側の高台にあると云うので、自動車は横着けになるのでしょうなと、念を押すと、大丈夫です、御心配には及びませんと云うことであったが、行って見ると、成る程門前へ横着けになるにはなるが、そこは元町から神戸駅へ通う高架線の北側に沿うた道路に面していて、玄関まではなお相当に急な石段を幾階も上らねばならず、玄関から又二階の階段を上るのであった。幸子は貞之助に労わられつつ後おくれてゆっくり上って行ったが、二階へ上り切ってしまうと、廊下に立って海の方を展望していた野村が、そんなことには無頓着むとんじゃくに、

「どうです蒔岡さん、此処ここはなかなか見晴らしがいいでしょう」

と、ひどく上機嫌じょうきげんな声で云った。すると、並んで立っていた陣場が、

「成る程、これはいい所をお見つけになりましたな」

と、合槌あいづちを打った。

「此処から港町みなとまちを瞰みおろしておりますと、ちょっと長崎へ参ったような異国情調を感じますな」

「そうですそうです、ほんとうに長崎の感じです」

「わたくし、南京ナンキン町の支那料理屋へはよく参りますのですが、神戸にこう云う家があるとは存じませんでした」

「此処は県庁に近いもんですから、僕等は始終やって来るんです。ちょっと料理も旨うまいんでしてね」

「ああ、左様で。………それに異国情調と申せば、この建物が何処か支那の港町にあるような建て方で、変っているじゃございませんか。支那人の経営している支那料理屋と云うと、兎角殺風景なものが多うございますが、この欄干や欄間の彫刻と云い、部屋の中の装飾と云い、特色があって面白うございますな」

「港に一艘そう軍艦らしいものが這入っておりますなあ、―――」

と、幸子も今は仕方なしに気を引き立てて、

「あれ、何処の国の軍艦でございましょうか」

などとおあいそを云っていたが、階下の帳場へ掛合いに行っていた陣場夫人が、その時困った顔をしてあたふたと上って来た。

「幸子さん、えらい申訳がないねんけど、日本間塞ふさがってるよってに、支那間で辛抱してほしい云うねんわ。………さっき電話かけた時は、分りました、確かに日本間取って置きます云うてんけど、何せ、ここのうちはボーイが支那人ばかりでっしゃろ、そやさかいに、何遍も念押したことは押したけど、やっぱり此方の云うことがあんじょう通じてえへなんでんわ。………」

貞之助はこの二階へ上った時から、廊下に面した支那間が用意してあるのを見て、変に思っていたのであるが、ボーイの聞き違いだとすれば強あながち夫人を責める訳には行かないようなものの、電話に出たのがそんな頼りない支那人のボーイであったのなら、何とかその上にも念の入れ方があったろうものを、畢竟ひっきょう幸子に対する労わりの心が足りないところから起ったのであるとしか思えなかった。それに夫の陣場にしても、野村にしても、約束が違ったことについては何の弁解もしないで、頻しきりにこの場所の眺望ちょうぼうを褒ほめてばかりいるのである。

「そんなら、此処で辛抱してくれはる?―――」

と、陣場夫人は否応いやおう云わせないように、両手で幸子の手を握り締めて、子供が物をねだるような科しなをしながら云った。

「はあはあ、此処かて結構なお座敷やないの。ほんに、ええとこ教おせて戴いて、―――」

幸子は自分よりは夫の不機嫌そうなのが気になるので、

「あんさん、―――」

と、夫の方へこなしながら、

「一遍此処へ悦子やこいさん等連れて来なされしませんか」

「うん、港の船が見えるよってに、子供は喜ぶかも知れんな」

と、貞之助は浮かぬ顔つきをしながら云った。

野村と幸子とが向い合うようにして円テーブルを囲みながら、日本酒と紹興酒しょうこうしゅと前菜とで晩餐が始められ、陣場が昨今の新聞を賑にぎわしている独墺どくおう合邦の話を持ち出したのを切掛きっかけに、シュシュニック墺首相の辞職、ヒットラー総統の維納ウィーン入り等が暫しばらく話題に上ったが、蒔岡側は時々口を挟む程度で、ともすると野村と陣場だけの遣やり取りになりがちであった。幸子は出来るだけ何気ないようにはしていたものの、トーアホテルで一回、此処へ来てから食卓に就く前に一回検しらべたところでは、明かに今夕家を出てから以後出血が殖えつつあって、急に体を動かしたことが原因であるに違いなく、それに、案じていた通り、背の高い堅い食堂の椅子に腰掛けているのが工合が悪く、その不愉快を怺こらえるのと、粗相をしてはと云う心配とで、直きに気分が塞いで来るのを、どうにも仕様がなかった。貞之助は、考えれば考えるほど腹が立って来るのであったが、妻が一生懸命に勤めている様子がよく分るにつけ、自分が無愛想にすれば尚更彼女へ負担をかけることになるので、結局彼も、酒の勢を借りてでも会話に穴をあけないだけの努力をしなければならなかった。

「そうそう、幸子さんこれが行けるんでっしゃろ」

と、陣場夫人は、男達へお酌をするついでにお銚子ちょうしを幸子の方へ向けた。

「あたし、今日は飲んだらあきませんねん。―――雪子ちゃん、少し戴いたら」

「では雪子さん何卒どうぞ、―――」

「そしたら、この方を、―――」

と、雪子は氷砂糖の這入った紹興酒の杯を舐なめるようにした。

彼女は姉たちがそんな風で気勢が上らないのと、野村が絶えず向う側からジロジロ視線を浴びせるのとで、一層きまり悪そうに下ばかり向いて、幅の狭い肩をいよいよ紙雛かみびなのように縮めていたが、野村は酔が循まわるにつれてだんだん饒舌じょうぜつになって行くのが、雪子と云うものを眼の前に見ている結果の、興奮のせいでもあるらしかった。彼は浜田丈吉を親戚に持っていることが余程自慢であると見えて、浜田と云う名を何度となく口にし、陣場も「社長々々」と云って、ひとしきり浜田の噂うわさをし、暗に浜田が従弟の野村をどんなに庇護ひごしているかと云うことを匂わすのであったが、それより貞之助が驚いたのは、野村がいつの間にか、雪子自身のことは素より、彼女の姉妹たちのこと、亡なくなった父のこと、本家の義兄夫婦のこと、妙子の新聞の事件のこと、等々蒔岡家に関する事柄を、よく調べ上げていることであった。そして、御疑念の点は何事に依よらずお聞き下さいと云うと、いろいろ微細なことを質問し出したが、そんな問答の間にも、雪子のことを知るためには随分方々へ問い合せていることが分った。恐らく蔭に浜田が附いていて、調査の手が揃そろっていたからであろうが、野村の口ぶりから察すると、井谷の美容院、櫛田医師の所、マダム塚本の所、以前教わったことのあるピアノの教師の所、などへも人を遣っていることは確かで、瀬越との縁談が何の理由で破談になったかと云うこと、雪子が阪大でレントゲン写真を撮ったことまで知っているのは、井谷から聞いたと思うより外に心あたりがない。(そう云えば井谷は、或る方面からお嬢さんのことを問い合わせて来ましたので差支えない限り話してやりましたと、いつぞや幸子に云っていたことがあった。それにつけても、幸子は雪子の例のシミが、今度帰って来てからは全く影を消しているので、今日は安心していたのであるが、まさか井谷がそんなこと迄しゃべったであろうとは思えないながらも、この時ちょっとヒヤリとした)貞之助は専もっぱら自分が引き受けて応対の任に当っているうちに、野村と云う人がひどく神経質であることが分って来、なるほどこれなら独語ひとりごとを云う奇癖があるとしても不思議でないような気がして来た。それにさっきからの様子を見ていると、野村には全然此方の腹の中が分らないで、もうこの縁は纏まとまるものと思い込んでいるところから、そんな工合に、細かなことを立ち入って尋ねるのであるらしく、トーアホテルで会った時の取り付きにくい印象とは別人のように活気づいて、ますます上機嫌になっていた。

貞之助達の正直な気持は、好い加減にこの会合を切り上げて一刻も早く帰宅したいことであったが、帰り際ぎわになって又一つ当惑したことが起った。と云うのは、大阪へ帰る陣場夫婦が自動車で貞之助達を蘆屋まで送って行き、そこから自分達は阪急に乗ると云うことであったが、自動車が参りましたと云うので、出て見ると、一台しか来ていない。そして、野村さんのお宅は青谷で、同じ方向ですから、いくらか廻りになりますけれども乗せて行って上げて下さい、と云うのであった。貞之助は、新国道を一直線に帰るのと、青谷を廻って帰るのとでは、距離にしても大分相違があるばかりではない、青谷方面は路も悪く、勾配こうばいも多いことであるから、動揺が激しいのは知れているので、重ね重ね思いやりがなさ過ぎるのに又しても忿懣ふんまんを覚えながら、車がぐいと曲る毎に妻がどんな顔をしているかとヒヤヒヤしたが、男三人が前列に席を占めたので、そのつどうしろを振り向く訳にも行かなかった。と、青谷の近くへ来た時に、野村が突然、如何です、珈琲コーヒーを一杯さし上げたいから皆さんでお立ち寄り下さいませんか、と云い出した。そのすすめ方が実に熱心で、此方が再三辞退したぐらいでは聴き入れず、むさくろしい家ですけれども見晴らしのよいことは北京楼以上です、座敷に坐りながら港が一と目に見えるところが自慢なんです、まあちょっと上って、僕の生活ぶりも見て行って下さい、と、頻りに云う傍から陣場夫婦も口を添えて、折角ああ云われるのだから是非寄って上げて下さい、野村さんのお宅には婆ばあやと小女がいるだけだそうで、誰にも気兼ねはありません、こう云う機会にお住居の模様を見ておいて下さったら何かの参考になるでしょう、などと云うのであったが、貞之助も、そう云っても縁のものだから、雪子の考を聞いてみないうちは打壊しな行動も取りたくないし、この話がどうなるにしても又どんなことで世話になるかも分らないのに、陣場夫婦の顔を立てないのも如何であろうか、………この人達だって、気は利かないが親切でしてくれているには違いないのだから、………と云ったような弱気が、もともと腹の底にあるので、そんならちょっとだけ寄せて戴きましょうかと、先ず幸子が云い出したのを切掛けに、我を折ってしまった。

しかし此処でも野村の家へ行く迄には、足場の悪い、細い急な坂路を二三十間も上るのであった。野村は非常な燥はしゃぎ方で、子供のように喜んでしまって、海の方が見える座敷の雨戸を大急ぎで開けさせ、書斎を見て戴きましょうと云って、ついでに家じゅうの部屋を台所まで案内して廻った。それが平屋建ての、六間ばかりしかない粗末な借家なのであったが、野村は仏壇のある六畳の茶の間へ引っ張って行って先妻と二人の子供の写真が飾ってある光景までも見せたりした。陣場は座敷に通されると、なるほどこの眺望は素敵ですな、仰っしゃる通り北京楼以上でございますなと、早速お世辞を云うのであったが、でもその座敷と云うのが、高い石崖いしがけの縁ふちすれすれに建っていて、縁側にいると体が崖の外へ食はみ出しそうな、落ち着きの悪い気がするので、貞之助などは、自分であったらこう云う家にはとても不安で住んでいられそうもなく思えた。

珈琲を呼ばれるとそこそこに、待たせて置いた自動車に乗ったが、

「今夜は野村さん、えらい御機嫌やったやないか」

と、走り出してから陣場が云った。

「ほんに、野村さんがあないにしゃべらはるのん、今まで見たことあれへんなんだ。やっぱり若い綺麗きれいな人が傍にいたはったせえやねんな」

と、夫人も合槌あいづちを打ちながら、

「なあ、幸子さん、野村さんの気持はもう聞かんかて分ってるさかいに、あんた等の考一つやわ。財産のないのんが欠点には違いないけど、そんでも浜田さんが附いてはるよってに、どんなことがあったかて生活に困るようなことはさせはれへん。何ならその点を、もっとはっきり浜田さんに保証して貰おやないの」

「いや、有難う。ほんとうにいろいろとお骨折に与あずかりまして、………いずれ相談いたしまして、本家の意見も聞きました上で、………」

と、貞之助は切り口上で答えたが、それでも車から下りしなには、陣場夫婦に少し気の毒をしたようにも感じて、

「今夜はえらい失礼をいたしまして」

と、二度三度詑わびを云った。

二十九

中一日置いて、十七日の朝蘆屋あしやへ訪ねて来た陣場夫人は、一昨日無理をしたために幸子さちこが又臥ねていると聞くと、さすがに今度は恐縮しながら、三十分ほど枕まくらもとで話して帰ったが、要するに、野村さんから是非お頼みに上ってくれと云われたので来た、大体野村さんの生活程度は家を御覧になったので御想像がつくであろうが、でも現在は独身だからああ云う所におられるので、奥さんを迎えたらもっと家らしい家に移ると云っておられる、殊ことに雪子さんが来て下さるなら、自分は献身的の愛を捧ささげるつもりである、自分は豊かではないが、雪子さんに不自由な思いをさせないぐらいなことは出来る、と云っておられる、それで実は浜田さんにもお目に懸って来たのであるが、野村がそんなに執心であるなら、どうか纏まとまるように尽力してやって貰もらいたい、当人に財産がないのが、来て下さる人にお気の毒なので、何とか考えてみるが、その点はまあ自分に任して貰いたい、自分として、今具体的にどうすると云う保証をしろと云われても困るが、自分がいる以上決して生活の苦労はさせないから、と云っておられた、ついては、あれだけの方がそう云っておられるのだから、それは信用なさっても大丈夫なのではあるまいか、野村さんと云う人は、風采ふうさいはああ云う風で、恐い顔つきをしておられるが、非常に情に脆もろいやさしいところがあり、先の奥さんなども随分大切にした人だそうで、亡なくなられた時の看病の仕方などは、他人が見ても涙がこぼれたくらいだと云う噂うわさがある、現にこの間の晩も奥さんの写真がああして飾ってあったではないか、不足を云えば際限がないが、女としては、何より彼かより夫に可愛がって貰えることが一番幸福なのだから、何卒どうぞくれぐれも考えて下すって、精々早く返事をして下さるように、―――と云うのであった。

幸子は、予あらかじめ断る時の伏線を張って、雪子自身はよいも悪いも私達次第なのだから、その方は面倒はないけれども、肝腎かんじんな本家が何と云うか、私達はただ代理を勤めているだけなので、野村さんの身許みもと調べなども一切本家がしているような訳だから、―――と、雪子が悪く思われないように、専もっぱら本家へ責任をなすりつけるような挨拶あいさつをして帰したのであったが、引き続いて気分がすぐれず、医者の忠告に従って絶対安静を守っていたので、そう早速に雪子の考を探ってみる折もなく過していた。が、見合いの日から五日目の朝であったか、偶然病室が二人だけになった機会を捉とらえて、

「雪子ちゃん、―――どうやねん、あの人?」

と、気を引いてみた。そして雪子が、

「ふん」

と云ったきり後を云わないので、一昨々日さきおとといの朝の陣場夫人の来訪の趣意を話して聞かせて、

「―――まあ、そない云やはるねんけど、雪子ちゃんが若う見えるとこへさして、あの人、えらい老ふけて見えるよってに、その点がどうやろうか、………」

と、顔色を窺うかがいながら云うと、

「そんでも、あの人やったら、何でもあたしの云う通りになりやはるやろうし、好きなことして暮せるとは思うねんわ」

と、ぽつりとそんな言葉を洩もらした。幸子は、「好きなことして暮せる」と云う雪子の意味は、聞かずとも分っていることで、つまり、いつでも来たいと思う時に蘆屋へ遊びに来さして貰いたいのであろう、普通の所へ嫁に行ったのではなかなかそうは出来にくいが、あのお爺じいさんならそのくらいな我が儘ままをしても大丈夫らしいから、そう云う慰安だけはある、と云うのであろう、そんな考で結婚されたのでは貰う方が遣やり切れないであろうが、あのお爺さんの様子ではそれでも構わないから来て下さいと云うかも知れない、まあ行ってしまえばそうそう出て来られるものでもないし、雪子ちゃんのことだから、口ほどにもなくあのお爺さんの情愛に絆ほだされて、此方のことなんぞ直きに忘れてしまうかも知れず、そのうちに子供でも出来るようになれば尚更なおさらである、婚期におくれて困っている妹をそれほどに懇望してくれるのは、考えように依よっては有難いことで、頭から嫌きらったりなどしては勿体もったいないようでもある、と云った風にも思えたので、

「ほんに、考えようやわな。雪子ちゃんがそう云う気イなら、それもええかも知れん。………」

と、だんだんそんな工合に持って行って、もっとはっきり突き止めようとすると、

「………そやけど、あまり執拗ひつこうちやほやされたら叶かなわんやろうし、………」

と、ニヤニヤ笑いながらはぐらかして、もうそれ以上は、話に乗って来ないでしまった。

東京へはあの明くる日に、見合いが済んだことだけを臥ながら一筆走らせてやったが、姉からは何の返事もなかった。幸子はお彼岸の間じゅう臥たり起きたりして暮したが、或る日の朝、一遍に春らしくなった空の色に惹ひかれて、病室の縁側まで座布団ざぶとんを持ち出して日光浴をしていると、ふと、階下のテラスから芝生の方へ降りて行く雪子の姿を見つけた。彼女は直すぐ、雪子ちゃん、―――と、呼んでみようかと思ったけれども、悦子を学校へ送り出したあとの、静かな午前中の一時ひとときを庭で憩いこおうとしているのだと察して、硝子ガラス戸越しに黙って見ていると、花壇の周りを一と廻りして、池の汀みぎわのライラックや小手毬こでまりの枝を検しらべてみたりしてから、そこへ駈かけて来た鈴を抱き上げて、円く刈り込んである梔子くちなしの樹のところにしゃがんだ。二階から見おろしているので、猫に頬ほおずりをするたびに襟頸えりくびの俯向うつむくのが見えるだけで、どんな顔つきをしているものとも分らないのであるが、でも幸子には、今雪子のお腹の中にある思いがどう云うことであるのか、明かに読めるのであった。恐らく雪子は、いずれ東京へ呼び戻される日も遠くないのだと云う予感を抱いて、この庭の春にそれとなく名残を惜しんでいるのであろう。そして出来るなら、あのライラックや小手毬の花がもう直ぐ咲き揃そろうのを見届けるまでは滞在していられますようにと、祈っているのであろう。尤もっとも東京の姉からは、まだいつ帰れとも云って来ている訳ではないが、彼女が内心、今日は云って来るか、明日は云って来るかとビクビクしながら、一日でも多くの時を此方で過したいと願っている様子は、余所眼よそめにもよく分っていた。幸子はこの内気な妹が、見かけに依らず出好きなことを知っているので、自分が出歩けるようになったら、映画やお茶の附合いぐらいは毎日でもしてやるのだがと思っていたのであるが、雪子はそれを待ち切れないで、この間から天気の好い日には妙子を誘って神戸へ出かけて行き、何と云うことなしに元町あたりをぶらついて帰って来ないと、気が済まないらしかった。そして、いつでも、松濤しょうとうアパートの妙子を電話へ呼び出して、落ち合う先を打ち合せてから、いそいそと出かけて行くのがさも楽しそうで、縁談のことなど全く念頭にないようであった。

雪子に始終引っ張り出される妙子は、時々幸子の枕もとへ来て、近頃仕事が忙しいのに、午後の一番大切な時刻にこう頻繁ひんぱんに附合いをさせられるのは叶わない、と云った風な不平を遠廻しに洩もらしたが、或る時やって来て、

「昨日おかしなことがあってんわ」

と、次のような話をした。―――

昨日の夕方、雪姉きあんちゃんと元町を歩いて、スズランの店先で西洋菓子を買っていると、雪姉ちゃんが俄にわかに慌あわて出して、「どうしょう、こいさん、―――来たはるねんわ」と云うのであった。「来たはるて、誰が来たはるねん」と聞いても、「来たはるねんが、来たはるねんが」と、ソワソワしているだけなので、何のことやら分らずにいると、奥の喫茶室で珈琲を飲んでいた一人の見馴みなれない老紳士が、その時つかつかと雪姉ちゃんの所へ立って来て、慇懃いんぎんに挨拶をして、「如何です、お差支えなかったら彼方あちらでお茶でも差上げたいと存じますが、ちょっと十五分ばかりお附合いになって下さいませんか」と云うのであった。雪姉ちゃんはいよいよ慌てて、真まっ赧かな顔をして、「あのう、―――あのう、―――」とヘドモドするばかりなので、「如何です」と、紳士は二三度そう云いながら立っていたが、とうとう断念したらしく、「や、大変失礼いたしました」と、丁寧にお辞儀をして又行ってしまった。雪姉ちゃんは、「こいさん、早うしょう早うしょう」と、大急ぎで菓子を詰めさせて外へ飛んで出たが、「誰やねん、あの人」と、聞くと、「あの人やがな、この間会うたん」と云うので、それではあれが見合いをした野村とか云う人なのかと、やっと妙子に合点が行った、と云うのである。

「何せ雪姉ちゃんの慌て方云うたらないねん、あんじょう断り云うたらええのんに、あのう、あのう、云うてウロウロしてるねんもん」

「雪子ちゃんそんな時にてんとあかんねんわ。あの歳になっても十七八の娘と一緒やねん」

幸子はちょうど話の出たついでに、妙子が何か聞いていることもあろうかと、雪子ちゃんあの人のことどない思うてるのんか、何ぞ云うてえへなんだやろか、と云うと、そんで、うち、あんたどない思うてるねん云うて聞いてやったら、縁談のことは姉ねえちゃんと中姉なかあんちゃんに任してあるさかい、行け云われたら何処へなと行くつもりやねんけど、あの人のとこだけはよう行かんさかい、えらい我が儘云うみたいやけど、どうぞこれだけは断ってくれるように、こいさんから中姉ちゃんに云うてほしい云うて、頼まれててんわ、―――と、そう妙子は云うのであった。妙子も野村と云う人を始めて見て、話に聞いたよりもまだ老けているのにびっくりし、なるほどこのお爺さんでは雪姉ちゃんが厭だと云うのも当り前だと感じたくらいで、雪姉ちゃんの嫌う理由はそこにあるのに違いないと思うけれども、雪姉ちゃんは風采ふうさいや顔つきのことなどは別に何とも云っていないで、それよりは、見合いの晩に青谷の家へ引っ張って行かれた時、仏壇に亡くなった奥さんや子供達の写真が飾ってあるのを見て、ひどく不愉快にさせられたと云う話をした。雪姉ちゃんの云うのには、二度目と云うことを承知で嫁に行くにしても、先妻やその子供達の写真が飾ってあるのを見せられて好い気持がする筈はずはないではないか、今は独身でいるのだから、密ひそかにそう云うものを飾ってその人達の冥福めいふくを祈る心情は分らなくはないが、あたしに家を見て貰おうと云う時に、何もそんなものを見える所へ出して置かなくともよさそうなものだのに、あの人は写真を急いで隠しでもすることか、わざわざあれが飾ってある仏壇の前へ案内するとは何事だろう、あれを見ただけでも、とても女の繊細な心理などが理解出来る人ではないと思う、と云うので、何よりそれで愛憎あいそを尽かしたように云っていた、と云うのであった。

それから二三日後、幸子は漸ようやく出歩けるようになったので、或る日昼飯を済ましてから身支度をして、

「そしたら、陣場さんとこへ断り云いに行って来るわな」

と、雪子に云った。

「ふん」

「あの話、この間こいさんに聞いてんわ」

「ふん」

幸子はかねて考えていた通り、本家が不賛成だからと云うようなことで、婉曲えんきょくに断りの意味を通じて帰って来たが、雪子には、円満に話をして来たと云っただけで委くわしいことは云わず、雪子も別に聞こうともしなかった。陣場からはその後の節季にこの間の北京楼ペキンろうの勘定書を封入して来て、勝手ながらこの半額を受け持って戴きたいと云って来たので、折り返して為替かわせを送ってやり、それでこの縁談は打切りになった。

それらの報告を書いてやったのに対しても、本家からは何とも云って来ないのであったが、幸子は、雪子ちゃんももう一と月になることだし、余り長く留めて置いて後が利かなくなっても困るから、又来るにしても一遍帰ったら、と、ぽつぽつすすめていた。で、四月三日のお節句の日には、悦子が学校の友達を招いてお茶の会を催すのが毎年の例になっており、その時はいつも、雪子が手ずからパイやサンドイッチを作る習わしになっていたので、そのお節句を済ましたら帰る、と、当人も云っていたのであるが、さてお節句が済んでしまうと、もう三四日で祇園ぎおんの夜桜が見頃だそうだから、―――と云うことになった。

「姉ちゃん、お花見してから帰りなさい、それまできっと帰ったらいかんよ。ええか姉ちゃん」

と、悦子は頻しきりにそう云っていたが、雪子を引き留めることについては、今度は一番貞之助が熱心であった。折角今迄いて、京都の花を見ずに帰るのは雪子ちゃんも心残りであろうし、毎年の行事に大切な役者が一人欠けては不都合であるから、と、そう云うのであったが、実は貞之助は、そんなことよりも、妻がこの間の流産以来妙に感傷的になっていて、たまたま夫婦二人きりになると、胎児のことを云い出しては涙ぐむのに悩まされているので、妹たちと花見にでも行ったら少しは紛れてくれるでもあろう、と云う下心があるからなのであった。

京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまでに帰るのやら帰らないのやら、例の一向はっきりともせずにぐずぐずしていて、結局土曜日の朝になると、幸子や妙子と同じように化粧部屋へ来てこしらえを始めた。そして、顔が出来てしまうと、東京から持って来た衣裳鞄いしょうかばんを開けて、一番底の方に入れてあった畳紙たとうを出して紐ひもを解いたが、何と、中から現れたのは、ちゃんとそのつもりで用意して来た花見の衣裳なのであった。

「何なんやいな、雪姉きあんちゃんあの着物持って来てたのんかいな」

と、妙子は幸子のうしろへ廻ってお太鼓を結んでやりながら、雪子がちょっと出て行った隙すきにそう云って可笑おかしがった。

「雪子ちゃんは黙ってて何でも自分の思うこと徹とおさな措おかん人やわ」

と、幸子が云った。

「―――見てて御覧、今に旦那さん持ったかて、きっと自分の云うなりにしてしまうよってに」

京都では貞之助が、花見の雑沓ざっとうの間にあっても、赤児を抱いた人に行き遇あわす毎に幸子がはっと眼を潤うるませるのに当惑したが、そんな訳なので今年は夫婦が後に残るようなこともせず、日曜の晩に皆一緒に帰って来た。そして、それから二三日過ぎて、四月の中旬に雪子は東京へ立って行った。

底本 / Source edition

底本:「細雪(上)」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年10月30日発行
2011(平成23)年3月20日112刷改版
2013(平成25)年6月25日114刷
底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第十五卷」中央公論社
1968(昭和43)年1月25日発行
初出:一~八「中央公論 第五十八巻第一号」
1943(昭和18)年3月1日発行
九~十三「中央公論 第五十八巻第三号」
1943(昭和18)年1月1日発行
※表題は底本では、「細雪《ささめゆき》 上巻」となっています。
※誤植を疑った箇所に、底本の親本の表記が入力者により併記されています。また、「谷崎潤一郎全集 第十九巻」(中央公論新社2015年6月10日初版発行)は562頁より私家版手入れ本の著者による修正も参照して校合したとありますので、「谷崎潤一郎全集 第十九巻」(中央公論新社2015年6月10日初版発行)の表記も入力者により併記されています。
※底本巻末の編者による注解は省略しました。
入力:砂場清隆
校正:小島大樹
2016年6月18日作成
2018年5月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/056698_001383/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/056698_001383/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/056698_001383/

谷崎 潤一郎「細雪──01 上巻」(新字新仮名)、底本『細雪(上)』新潮文庫、新潮社、1955年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056698_001383, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite