Soranoha

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

司馬 遷

箭内亙による譯

老子らうしは楚その苦縣こけんの厲郷らいきやう、曲仁里きよくじんりの人ひと也なり。姓せいは李氏りし、名なは耳じ、字あざなは伯陽はくやう、諡おくりなを聃たんと曰いふ。周しうの(一)守藏室しゆざうしつの史し也なり。孔子こうし、周しうに適ゆき、將まさに禮れいを老子らうしに問とはんとす。老子らうし曰いはく、『子しの言いふ所ところの者ものは其人そのひとと骨ほねと皆みな已すでに朽くちたり、獨ひとり其言そのげん在ある耳のみ。且かつ君子くんしは、其時そのときを得うれば則すなはち(二)駕がし、其時そのときを得えざれば則すなはち(三)蓬累ほうるゐして行さる。吾われ之これを聞きく、良賈りやうこは(四)深ふかく藏ざうして・虚きよなるが若ごとく、君子くんしは盛徳せいとくありて容貌ようばう愚ぐなるが若ごとしと。子しの(五)驕氣けうきと多欲たよくと(六)態色たいしよくと(七)淫志いんしとを去され。是これ皆みな子しの身みに益えき無なし。吾わが子しに告つぐる所以ゆゑんは是かくの若ごとき而已のみ』と。孔子こうし去さつて弟子ていしに謂いつて曰いはく、『鳥とりは吾われ其その能よく飛とぶを知しり、魚うをは吾われ其その能よく游およぐを知しり、獸けものは吾われ其その能よく走はしるを知しる。走はしる者ものは以もつて(八)罔あみを爲なす可べく、游およぐ者ものは以もつて(九)綸いとを爲なす可べく、飛とぶ者ものは以もつて(一〇)矰いぐるみを爲なす可べし。龍りように至いたつては、吾われ其その風雲ふううんに乘じようじて天てんに上のぼるを知しること能あたはず。吾われ今日こんにち老子らうしを見みるに、其それ猶なほ龍りようのごとき邪か』と。

老子らうし、(一一)道徳だうとくを修をさむ、其學そのがくは自みづから隱かくして名な無なきを以もつて務つとめと爲なせり。周しうに居をること之これを久ひさしうして、周しうの衰おとろふるを見み、廼すなはち遂つひに去さつて、(一二)關くわんに至いたる。(一三)關令くわんれい尹喜ゐんき曰いはく、『子し將まさに隱かくれんとす、彊しひて我わが爲ために書しよを著あらはせ』と。是ここに於おいて老子らうし廼すなはち書上下篇しよしやうかへんを著あらはし、道徳だうとくの意いを言いふこと五千餘言よげんにして去されり。其その終をはる所ところを知しる莫なし。或あるひは曰いはく、『老莱子らうらいしも亦また楚人也そひとなり、書しよ十五篇へんを著あらはして道家だうかの(一四)用ようを言いふ。孔子こうしと時ときを同おなじうすと云いふ』と。蓋けだし老子らうしは百有いう六十餘歳よさい、或あるひは言いふ二百餘歳よさいと。其その道みちを修をさめて壽じゆを養やしなへるを以もつて也なり。孔子こうし死ししてより後のち百二十九年ねんにして、(一五)史記しきに『周しうの太史儋たいしたん、秦しんの獻公けんこうを見みて、「始はじめ秦しん、周しうと合がつして離はなれ、離はなれて五百歳さいにして復また合がつし、合がつして七十歳さいにして霸王はわうたる者もの出いでん」と曰いふ』とあり。或あるひは曰いはく、『儋たんは即すなはち老子らうしなり』と。或あるひは曰いはく、『非也ひなり』と。世よ、其その然しかるや否いなやを知しる莫なし。

老子らうしは隱君子いんくんしなり。老子らうしの子こ、名なは宗そう。宗そう、魏ぎの將しやうと爲なり、段干だんかんに封ほうぜらる。宗そうの子こは注ちう。注ちうの子こは宮きう。宮きうの玄孫げんそんは假か。假か、漢かんの孝文帝かうぶんていに仕つかふ。而しかうして假かの子こ解かい、膠西王卬かうせいわうかうの(一六)太傅たいふと爲なる。因よつて齊せいに家いへせり。世よの・老子らうしを學まなぶ者ものは則すなはち儒學じゆがくを絀しりぞけ、儒學じゆがくも亦また老子らうしを絀しりぞく。『道みち、同おなじからざれば、相あひ爲ために謀はからず』とは、豈あに是これを謂いふ邪か。(一七)李耳りじは無爲むゐにして自おのづから化くわす、清靜せいせいにして自おのづから正ただし。

莊子さうじは(一八)蒙人もうひと也なり。名なは周しう。周しう嘗かつて蒙もうの(一九)漆園しつゑんの吏りたり。梁りやうの惠王けいわう・齊せいの宣王せんわうと時ときを同おなじうす。(二〇)其學そのがくは闚うかがはざる所ところ無なし。然しかれども其要そのえうは老子らうしの言げんに本もとづき歸きす。故ゆゑに其著書そのちよしよ十餘萬言よまんげん、大抵たいてい率おほむね(二一)寓言ぐうげん也なり。(二二)漁父ぎよふ・盜跖たうせき・胠篋きよけふを作つくり、以もつて孔子こうしの徒とを詆訿ていしし、以もつて老子らうしの(二三)術じゆつを明あきらかにせり。(二四)畏累虚わいるゐきよ・亢桑子かうさうしの屬たぐひ、皆みな空語くうごにして事實じじつ無なし。然しかれども善よく(二五)書しよを屬しよくし辭じを離つらね、事ことを指さし情じやうを類るゐし、用もつて(二六)儒じゆ・墨ぼくを剽剥へうはくす。當世たうせいの(二七)宿學しゆくがくと雖いへども(二八)自みづから解免かいめんすること能あたはざる也なり 其言そのげん(二九)洸洋自恣くわうやうじし以もつて己おのれに適かなふ。故ゆゑに王公大人わうこうたいじんより、能よく之これを(三〇)器きとせざりしなり。

楚その威王ゐわう、莊周さうしうの賢けんなるを聞きき、使つかひをして(三一)幣へいを厚あつうして之これを迎むかへしめ、(三二)許ゆるすに相しやうと爲なすを以もつてす。莊周さうしう笑わらつて楚その使者ししやに謂いつて曰いはく、『千金きんは重利ぢうりなり、卿相けいしやうは尊位そんゐ也なり。子し獨ひとり(三三)郊祭かうさいの犧牛ぎぎうを見みざる乎か。之これを養食やうしすること數歳すうさい、衣きするに(三四)文繍ぶんしうを以もつてし、以もつて(三五)太廟たいべうに入いる。是この時ときに當あたつて、(三六)孤豚ことんたらんと欲ほつすと雖いへども、豈あに得う可べけん乎や。子し亟すみやかに去され、我われを汙けがすこと無なかれ。我われ寧むしろ(三七)汙涜をとくの中うちに遊戲いうぎして自みづから快こころようせん。國くにを有たもつ者ものに(三八)覊きせらるること無なからん。終身しうしん仕つかへず、以もつて吾わが志こころざしを快こころようせんかな』と。

申不害しんふがいは(三九)京人けいひと也なり。故もと鄭ていの賤臣せんしんなり。(四〇)術じゆつを學まなび、以もつて(四一)韓かんの昭矦せうこうに干もとむ。昭矦せうこう用もつて相しやうと爲なし、内うち、政教せいけうを修をさめ、外ほか、諸矦しよこうに應おうずること十五年ねん、申子しんしの身みを終をはるまで、國くに治をさまり兵へい彊つよく、韓かんを侵をかす者もの無なかりき。申子しんしの學がくは、(四二)黄老くわうらうに本もとづき、(四三)刑名けいめいを主しゆとせり。書しよ二篇へんを著あらはす。號がうして申子しんしと曰いふ。

韓非かんぴは韓かんの(四四)諸公子しよこうし也なり。刑名法術けいめいはふじゆつの學がくを喜このむ、而しかうして(四五)其歸そのきは黄老くわうらうに本もとづく。非ひ人ひとと爲なり口吃くちきつし、(四六)道説だうぜいすること能あたはず、而しかうして善よく書しよを著あらはす。李斯りしと倶ともに荀卿じゆんけいに事つかふ。斯し自みづから以爲おもへらく、非ひに如しかずと。非ひ、韓かんの削弱さくじやくせらるるを見み、數〻しばしば書しよを以もつて韓王かんわうを諫いさむ、韓王かんわう用もちふること能あたはず。是ここに於おいて韓非かんぴ、(韓王ノ)國くにを治をさむるに、其その法制はふせいを修明しうめいし・(四七)勢いきほひを執とつて以もつて其その臣下しんかを御ぎよし・國くにを富とまし兵へいを彊つようして・以もつて人ひとを求もとめ賢けんに任にんずるを務つとめず、反かへつて(四八)浮淫ふいんの蠧とを擧あげて・之これを(四九)功實こうじつの上うへに加くはふるを疾うれへ、以爲おもへらく、(五〇)儒者じゆしやは文ぶんを用もつて法はふを亂みだし、而しかうして(五一)侠者けふしやは武ぶを以もつて禁きんを犯をかす。(五二)寛くわんなれば則すなはち名譽めいよの人ひとを寵ちようし、急きふなれば則すなはち介冑かいちうの士しを用もちふ。今いまは養やしなふ所ところは用もちふる所ところに非あらず、用もちふる所ところは養やしなふ所ところに非あらずと。廉直れんちよくの・(五三)邪枉じやわうの臣しんに容いれられざるを悲かなしみ、(五四)往者得失わうしやとくしつの變へんを觀みる、故ゆゑに(五五)孤憤こふん・五蠧と・内外儲ないぐわいちよ・説林せつりん・説難ぜいなん、十餘萬言よまんげんを作つくる。然しかれども韓非かんぴは説ぜいの難かたきを知しり、説難ぜいなんの書しよを爲つくること甚はなはだ具そなはれるも、終つひに秦しんに死しし、自みづから脱のがるること能あたはざりき。

(五六)説難ぜいなんに曰いはく、『凡およそ説ぜいの難かたきは、吾わが知ちの以もつて説とくこと有あるの難かたきに非あらざる也なり。(五七)又また吾わが辯べんの能よく吾わが意いを明あきらかにするの難かたきに非あらざる也なり。又また吾わが敢あへて(五八)横失わういつして能よく盡つくすの難かたきに非あらざる也なり。凡およそ説ぜいの難かたきは、(五九)説とく所ところの心こころを知しつて(六〇)吾わが説ぜいを以もつて之これに當あつ可べきに在あり。説とく所ところ、(六一)名高めいかうを爲なすに出いづる者ものなるに、之これに説とくに厚利こうりを以もつてせば、則すはなち(六二)下節かせつとせられ、而しかうして卑賤ひせんとせられ、必かならず棄遠きゑんせられん。説とく所ところ、厚利こうりに出いづる者ものなるに、之これに説とくに名高めいかうを以もつてせば、則すなはち無心むしんにして事情じじやうに遠とほしとせられ、必かならず(六三)收をさめられざらん。説とく所ところ、實じつは厚利こうりを爲なさんとして顯あらはに名高めいかうを爲なす者ものなるに、之これに説とくに名高めいかうを以もつてせば、則すなはち陽あらはに其身そのみを收をさめて實じつは之これを疏うとんぜん。若もし之これに説とくに厚利こうりを以もつてせば、則すなはち陰ひそかに其言そのげんを用もちひて顯あらはに其身そのみを棄すてん。此これを之これ知しらざる可べからざるなり。夫それ事ことは密みつを以もつて成なり、語ごは泄もるるを以もつて敗やぶる。未いまだ必かならずしも(六四)其身そのみ之これを泄もらさざるも、而しかも(説者ノ)語ご(適〻)其その匿かくす所ところの事ことに及およばんに、是かくの如ごとき者ものは身み危あやふし。貴人きじん(六五)過端くわたん有あり、而しかうして説者ぜいしや、明あきらかに善議ぜんぎを言いひ以もつて其惡そのあくを推おせば則すなはち身み危あやふし。(六六)周澤しうたく未いまだ渥あつからざるに、而しかも(六七)語ご極きはめて知ちなれば、説せつ行おこなはれて功こう有あるときは則すなはち(六八)徳とく亡なく、説せつ行おこなはれずして敗はい有あるときは則すなはち疑うたがはれん、是かくの如ごとき者ものは身み危あやふし。夫それ(六九)貴人きじん、計けいを得えて、自みづから以もつて功こうと爲なさんと欲ほつするを、説者ぜいしや與あづかり知しれば則すなはち身み危あやふし。(七〇)彼かれ顯あらはに出いだす所ところの事こと有あり、廼すなはち自みづから以もつて也故たこと爲なすに、説者ぜいしや與あづかり知しれば則すなはち身み危あやふし。(七一)之これに彊しふるに其その必かならず爲なさざる所ところを以もつてし、之これを止とどむるに其その已やむ能あたはざる所ところを以もつてする者ものは身み危あやふし。故ゆゑに曰いはく、之これと大人たいじんを論ろんずれば則すなはち以もつて己おのれを(七二)間かんすとせられ、之これと(七三)細人さいじんを論ろんずれば則すなはち以もつて(己ノ)權けんを(七四)鬻ひさぐとせられ、其その愛あいする所ところ(ノ人)を論ろんずれば則すなはち以もつて(七五)資しを借かるとせられ、其その憎にくむ所ところ(ノ人)を論ろんずれば、則すなはち以もつて己おのれを嘗こころむとせらる。其辭そのじを(七六)徑省けいせいすれば、則すなはち(七七)不知ふちとして之これを屈くつし、(七八)汎濫博文はんらんはくぶんなれば、則すなはち之これを多おほしとして(七九)久ひさしとす。(八〇)事ことに順したがひ意いを陳のぶれば、則すなはち怯懦けふだにして盡つくさずと曰いひ、事ことを慮はかること(八一)廣肆くわうしなれば、則すなはち(八二)草野さうやにして(八三)倨侮きよぶなりと曰いふ。(八四)此これ説ぜいの難かたき、知しらざる可べからざる也なり。凡およそ説ぜいの務つとめ、説とく所ところの敬けいする所ところを飾かざり・而しかうして其その醜にくむ所ところを(八五)滅めつするを知しるに在あり。彼かれ自みづから其計そのけいを知ちとせば、則すなはち其失そのしつを以もつて之これを(八六)窮きはむる無なかれ。自みづから其斷そのだんを勇ゆうとせば、則すなはち(八七)其敵そのてきを以もつて之これを怒いからす無なかれ。自みづから其力そのちからを多たとせば、則すなはち(八八)其難そのなんを以もつて之これを(八九)概がいする無なかれ。異事いじの與ともに計けいを同おなじうするを規はかり、異人いじんの與ともに行おこなひを同おなじうするを譽ほめば、則すなはち以もつて之これを飾かざつて・傷そこなふ無なかれ。與ともに失しつを同おなじうする有あらば、則すなはち明あきらかに其その失しつ無なきを飾かざれ。大忠だいちうは(九〇)拂辭ふつじする所ところ無なく、(九一)悟言ごげんは(九二)撃排げきはいする所ところ無なく、廼すなはち後のちに其その辯知べんちを申のぶ。此これ親近しんきんせられて疑うたかルビの「うたか」はママはれず・(九三)之これが難じを盡つくすを知うる所以ゆゑん也なり。(九四)曠日くわうじつ彌久びきうして(九五)周澤しうたく既すでに渥あつきを得えば、深ふかく計はかるも疑うたがはれず、交〻こもごも爭あらそふも罪つみせられず、廼すなはち明あきらかに利害りがいを計はかりて以もつて其功そのこうを致いたし、直ただちに是非ぜひを指さして以もつて(九六)其身そのみを飾かざる。此これを以もつて相持あひぢする、此これ説ぜいの成なる也なり。伊尹いゐんは(九七)庖はうと爲なり、百里奚りけいは(九八)虜りよと爲なる、(九九)皆みな由よつて其上そのかみに干もとめし所ところ也なり。故まことに此この二子しは皆みな聖人せいじんなるも、猶なほ身みを役えきして世よを渉わたる此かくの如ごとく其それ汙ひくきこと無なき能あたはず。則すなはち(一〇〇)能仕のうしの設はづる所ところに非あらず。宋そうに富人ふうじんあり、天あめ雨ふりて墻かき壞やぶる。其子そのこ曰いはく、「築きづかずんば且まさに盜たう有あらんとす」と。其その鄰人りんじんの父ちちも亦また云いふ。暮くれにして果はたして大おほいに其財そのざいを亡うしなふ。其家そのいへ甚はなはだ其その子こを(一〇一)知ちとして、鄰人りんじんの父ちちを疑うたがへり。昔むかし鄭ていの武公ぶこう、胡こを伐うたんと欲ほつし、廼すなはち(一〇二)其子そのこを以もつて之これに妻めあはせたり。因よつて羣臣ぐんしんに問とうて曰いはく、「吾われ、兵へいを用もちひんと欲ほつす、誰たれか伐うつ可べき者ものぞ」と。關其思くわんきし曰いはく、「胡こ伐うつ可べし」と。廼すなはち關其思くわんきしを戮りくして曰いはく、「胡こは(一〇三)兄弟けいていの國くに也なり、子し之これを伐うてと言いふは何なんぞや」と。胡君こくん之これを聞きいて、鄭ていを以もつて己おのれに親したしむと爲なして、鄭ていに備そなへず。鄭人ていひと胡こを襲おそうて之これを取とれり。(一〇四)此この二説せつは其知そのち皆みな當あたれり。然しかれども甚はなはだしき者ものは戮りくせられ、(一〇五)薄うすき者ものは疑うたがはる。知ちの難かたきに非あらざる也なり。(一〇六)知ちに處しよする則すなはち難かたきなり。昔むかし、彌子瑕びしか、衞君ゑいくんに愛あいせらる。衞國ゑいこくの法はふ、竊ひそかに君きみの車くるまに駕がする者ものは罪つみ、(一〇七)刖げつに至いたる、既すでにして彌子びしの母はは病やむ。人ひと聞きき、往ゆいて夜よる之これを告つぐ。彌子びし矯いつはつて君きみの車くるまに駕がして出いづ。君きみ之これを聞ききて之これを賢けんとして曰いはく、「孝かうなるかな、母ははの爲ための故ゆゑに刖罪げつざいを犯をかせり」と。君きみと果園くわゑんに游あそぶ。彌子びし、桃ももを食くらうて甘あまし。(彌子)盡つくさずして君きみに奉たてまつる。君きみ曰いはく、「我われを愛あいするかな、其口そのくちを忘わすれて我われを念おもふ」と。彌子びし色いろ衰おとろへて愛あい弛ゆるび、罪つみを君きみに得うるや、君きみ曰いはく、「是これ嘗かつて矯いつはつて吾わが車くるまに駕がし、又また嘗かつて我われに食くらはすに其その(一〇八)餘桃よたうを以もつてせり」と。故ゆゑに彌子びしの行おこなひ未いまだ初はじめに變かはらざるに、前まへには賢けんとせられて、後のちには罪つみを獲うる者ものは、(一〇九)愛憎あいぞうの至變しへん也なり。故ゆゑに主しゆに愛あいせらるれば則すなはち知ち當あたりて親しんを加くはへ、主しゆに憎にくまるれば則すなはち(一一〇)罪つみ當あたりて疏そを加くはふ。故ゆゑに諫説かんぜいの士しは、(一一一)愛憎あいぞうの主しゆを察さつして而しかる後のち之これに説とかざる可べからざるなり。夫それ龍りようの・蟲むしたる、(一一二)擾狎ぜうかふして騎きす可べし。然しかれども其その喉下こうかに(一一三)逆鱗げきりんの(一一四)徑尺けいしやくなるあり。人ひと之これに嬰ふるるあれば則すなはち必かならず人ひとを殺ころす。人主じんしゆにも亦また逆鱗げきりん有あり。之これに説とく者もの能よく人主じんしゆの逆鱗げきりんに嬰ふるる無なければ則すなはち(一一五)幾ちかし』と。

人ひと或あるひは其書そのしよを傳つたへて秦しんに至いたる。秦王しんわう、孤憤こふん・五蠧ごとの書しよを見みて曰いはく、『嗟乎ああ寡人くわじん、此人このひとを見み之これと遊あそぶを得えば、死しすとも恨うらみじ』と。李斯りし曰いはく、『此これ韓非かんぴの著あらはす所ところの書しよ也なり』と。秦しん因よつて急きふに韓かんを攻せむ。韓王かんわう始はじめ非ひを用もちひず、急きふなるに及およんで廼すなはち非ひを遣やりて秦しんに使つかはす。秦王しんわう之これを悦よろこび、未いまだ信用しんようせず。李斯りし・姚賈えうか、之これを害いみ之これを毀そしつて曰いはく、『韓非かんぴは韓かんの諸公子しよこうし也なり。今いま、王わう、諸矦しよこうを并あはせんと欲ほつす。非ひ、終つひに韓かんの爲ためにして、秦しんの爲ためにせず、(一一六)此これ人ひとの情じやう也なり。今いま、王わう、用もちひず、久ひさしく留とどめて之これを歸かへさば、此これ自みづから患うれひを遺のこす也なり。(一一七)過法くわはふを以もつて之これを誅ちうするに如しかず』と。秦王しんわう以もつて然しかりと爲なし、(一一八)吏りに下くだして非ひを治をさめしむ。李斯りし、人ひとをして非ひに(一一九)藥くすりを遺おくらしめ、自殺じさつせしむ。韓非かんぴ、自みづから(一二〇)陳ちんぜんと欲ほつすれども見まみゆるを得えざりき。秦王しんわう後のちに之これを悔くい、人ひとをして之これを赦ゆるさしむれば、非ひ已すでに死しせり。申子しんし・韓子かんしは皆みな書しよを著あらはし後世こうせいに傳つたふ、(一二一)學者がくしや多おほく有あり。余よ、獨ただ、韓子かんしの・説難ぜいなんを爲つくり而しかも自みづから(禍ヲ)脱のがるること能あたはざりしを悲かなしむ耳のみ。

太史公たいしこう曰いはく、老子らうしの貴たつとぶ所ところの道みちは、(一二二)虚無きよむにして因應いんおうし、無爲むゐに變化へんくわす、故ゆゑに著書ちよしよ、(一二三)辭稱じしよう微妙びめうにして識しり難がたし。莊子さうじは(一二四)道徳だうとくを散さんじて放論はうろんす、要えうは亦また之これを自然しぜんに歸きせり。申子しんしは(一二五)卑卑ひひ、(一二六)之これを名實めいじつに施ほどこす。韓子かんしは(一二七)繩墨じようぼくを引ひいて事情じじやうに切せつに、是非ぜひを明あきらかにす、其それ極きはめて(一二八)慘礉さんかくにして恩おん少すくなし。皆みな道徳だうとくの意いに原もとづく。而しかうして老子らうしは深遠しんゑんなり。

箭内亙による註

【一】守藏室の史。書物庫の記録官。

【二】駕。馬車に乘ること、即ち出でて世の爲めに盡すを云ふ。

【三】蓬累。斷蓬の如く移轉する也。

【四】多くの貨物を倉庫に藏め置けども、一見、物無きが如きを云ふ。

【五】驕氣。高慢なる氣象を云ふ。

【六】態色。容態ぶることを云ふ。

【七】淫志。志の散漫なることを云ふ。

【八】罔を爲す。網にて捕へる也。

【九】綸を爲す。釣絲にて釣る也。

【一〇】矰を爲す。絲を付けたる箭にて射る也。

【一一】道徳。老子の道徳は儒教の道徳と異なり、虚無清淨なり。

【一二】關は散關とも函谷關とも玉門關ともいふ。

【一三】關令。關所を守る役人。尹は姓、喜は名。

【一四】用。作用也。

【一五】史記。六國の時の史官の記録なり。此語は周本紀・秦本紀を參照せよ。

【一六】太傅。輔佐役。

【一七】李耳即ち何等の作爲する所無くして民自ら化し、清淨平靜にして民自ら正道に歸す。此二句は敍傳中の語、誤りて此に入りしなるべしと古人云ふ。

【一八】蒙。縣の名。

【一九】漆園。城の名。

【二〇】博學なるをいふ。

【二一】寓言。寓は寄する也。他の人又は他の事物に寄せて我が本意を示す言なり。

【二二】漁父、盜跖、胠篋。皆莊子の篇の名なり。詆訾。そしるなり。

【二三】術は道なり。學術なり。

【二四】皆莊子の書中にある人名。

【二五】書を屬し辭を離ね。書をつづり辭を陳ぬる也。事を指し情を類し。世事を指陳し人情を類推する也。

【二六】儒墨を剽剥す。孔子墨子の學を攻撃する也。

【二七】宿學。老成の學者。

【二八】莊子と論戰して、其鋒先を免るること能はず。

【二九】洸洋自恣。廣大にして自分勝手なること。

【三〇】器。すぐれたる人物として用ふる也。

【三一】幣を厚うす。禮物を手厚くする也。

【三二】宰相と爲すべきことを條件として之を聘せし也。

【三三】郊祭。郊外にて天を祭る也。犧牛は、いけにへの牛。

【三四】文繍。縫箔したる衣。

【三五】太廟に入る。太廟に引き入れる也。

【三六】孤豚。仔豚也、仔豚ならば犧牲に用ひられざる故に云ふ。

【三七】汙涜。濁水也。

【三八】覊。束縛せらるること。

【三九】京。縣の名。

【四〇】術。刑名、法術の學を云ふ。

【四一】韓の昭矦に干む。昭矦に面接して仕官を求めし也。

【四二】黄老。黄帝老子。

【四三】刑名。刑名は形名也。名を以て實を責むる學。

【四四】諸公子。末流の公子。

【四五】其歸。其歸著點也。

【四六】道説する。物を言ひ談をすること。

【四七】勢。君主の地位、權力をいふ。

【四八】浮淫の蠧。輕薄淫靡の小人を云ふ。蠧は害蟲也。

【四九】功實。功勞實力ある人を云ふ。

【五〇】儒者は文學を以て古を引き今を譏りて國法を亂す也。

【五一】義侠を立つる人は、武力を以て國禁を犯す也。

【五二】國家無事の時には、名聞ある人を人物と思ひて之を寵愛し、一朝事ある時は、急に介冑の武士を用ひて其急に應ずる也。

【五三】邪枉の臣。よこしまにして枉れる小人を云ふ。

【五四】往古の成敗得失の變を觀察する也。

【五五】孤憤・五蠧・内外儲・説林・説難。竝に韓非の著はしたる韓非子の篇名。

【五六】韓非子説難の篇を參照せよ。煩簡同じからず、順序も亦異なり、蓋し太史公の刪易、傳寫の譌倒、皆之れ有る也。

【五七】原文「又非吾辯之難」の難は衍字なり。

【五八】横失。失は佚也。横矢「横矢」はママに縱横に説くを云ふ。

【五九】説く所。我が説を進むる人を云ふ。

【六〇】我が辯説を以て先方の心に合はしむることに在る也。

【六一】名譽を高くせんとする者を云ふ。

【六二】下節。節操見識の低き者也。

【六三】收用せられざる也。

【六四】其身。説者。

【六五】過端。過失の端緒也。

【六六】周澤云云。先方の己を信ずること未だ厚からざるを云ふ。

【六七】語極めて知。説く所極めて理に當る也。

【六八】徳亡く。徳とせられざること。

【六九】貴人、他人より一策を得ること有り、是れを自己の智慧より出でたるが如くにして己の功と爲さんとするに方りて、説者、其出處を知るときは、邪魔とせらるるが故に、其身危し。

【七〇】也は他の字の誤なり。貴人、表面には或る事を爲し、裏面には他の事を爲さんとするに、説者、其事情を知るときは、油斷ならずとせらるるが故に、其身危し。

【七一】之は貴人、人君をさす。

【七二】間。譏刺也。

【七三】細人。小人也。

【七四】鬻。賣る也。

【七五】己の助を借り度いのだなと邪推する也。

【七六】徑省。捷徑に省略する也。

【七七】知識缺乏せりとして之を屈辱す。

【七八】汎濫博文。説の範圍廣大にして引證該博なり。

【七九】久し。長たらしい也。

【八〇】事に順ひ意を陳ぶ。事柄のままに意見を陳べて、大言壯語せざる也。

【八一】廣肆。廣博放肆。

【八二】草野。鄙陋也。

【八三】倨侮。倨傲侮慢也。

【八四】此れ游説の困難なる所以にして、心得置かざる可からざる也。

【八五】滅する。諱みて言はざる也。

【八六】窮むる。追窮する也。

【八七】其敵。敵對の説也。

【八八】其難。敢てし難きをいふ也。

【八九】概。阻碍する也。

【九〇】拂辭。怫然として引退するを云ふ。

【九一】悟言。さとす言葉。

【九二】撃排。攻撃排斥也。

【九三】難は辭の誤。知は得の誤。當に韓非子に從ふべし。傳寫の誤なり。

【九四】曠日彌久。長日月を經過するを謂ふ。

【九五】打解け信用せらるるなり。

【九六】其身を飾る。爵祿を得るをいふ。

【九七】庖。料理人。

【九八】虜。囚虜。

【九九】是れ皆其の君主に任用せらるる手段として此に出でたる也。

【一〇〇】能仕は能士なり。才能ある士なり。設は恥の誤。當に韓非子に從ふべし。

【一〇一】知。賢なり。

【一〇二】其子は其女子なり。

【一〇三】兄弟の國。婦の黨を婚兄弟と曰ひ、壻の黨を姻兄弟と曰ふ。

【一〇四】此二説。鄰人の父と關其思とをいふ。

【一〇五】薄き者。甚しからざる者也。

【一〇六】其智を施し用ふること則ち難き也。

【一〇七】刖。斷足の刑。

【一〇八】餘桃。食殘しの桃。

【一〇九】愛憎の變化甚だしき也。

【一一〇】韓非子には「智當らず罪せられて疏を加ふ」に作る、今史記改めて「罪當りて疏を加ふ」に作る、文義尤も勝れたり。

【一一一】愛憎の主。主の愛憎と曰ふが如し。

【一一二】擾狎。ならすこと。

【一一三】逆鱗。さかさまの鱗。

【一一四】徑尺。直徑一尺。

【一一五】幾。庶幾なり。游説の成功に近き也。

【一一六】此れ人情として當然の事なり。

【一一七】過法。苛酷なる法。

【一一八】司法官の手に下して、韓非を糾彈せしめし也。

【一一九】藥。毒藥。

【一二〇】陳。陳辯なり。

【一二一】申子・韓子の著書を學ぶ者少からず。

【一二二】虚無にして實體無く、自然に因り變化に應じ、何等爲す所無くして、千變萬化す。

【一二三】辭稱。言辭なり。

【一二四】老子の道徳の意を布衍して、縱横放肆の議論を爲す。

【一二五】卑卑。卑近。

【一二六】道徳を刑名法術に施行する也。

【一二七】繩墨を引いて。墨繩を引いたやうにとの意。法則ずくめなるをいふ。

【一二八】慘礉 慘忍刻薄也。恩少し。情愛少き也。

原文

老子者。楚苦縣厲郷曲仁里人也。姓李氏。名耳。字伯陽。諡曰レ耼。周守藏室之吏也。孔子適レ周。將レ問三禮於二老子一。老子曰。子所レ言者。其人與レ骨皆已朽矣。獨其言在耳。且君子得二其時一則駕。不レ得二其時一。則蓬累而行。吾聞レ之。良賈深藏若レ虚。君子盛徳容貌若レ愚。去下子之驕氣與二多欲一。態色與中淫志上。是皆無レ益レ於二子之身一。吾所レ以レ告レ子。若レ是而已。孔子去。謂二弟子一曰。鳥。吾知二其能飛一。魚。吾知二其能游一。獸。吾知二其能走一。走者可二以爲一レ罔。游者可二以爲一レ綸。飛者可二以爲一レ矰。至レ於レ龍。吾不レ能レ知下其乘二風雲一而上上レ天。吾今日見二老子一。其猶レ龍邪。老子修二道徳一。其學以二自隱無一レ名爲レ務。居レ周久レ之。見二周之衰一。迺遂去至レ關。關令尹喜曰。子將レ隱矣。彊爲レ我著レ書。於レ是老子迺著二書上下篇一。言二道徳之意一。五千餘言而去。莫レ知二其所一レ終。或曰。老莱子亦楚人也。著二書十五篇一。言二道家之用一。與二孔子一同レ時云。蓋老子百有六十餘歳。或言二百餘歳。以二其修レ道而養一レ壽也。自二孔子死一之後。百二十九年。而史記周太史儋見二秦獻公一。曰。始秦與レ周合而離。離五百歳而復合。合七十歳。而霸王者出焉。或曰。儋。即老子。或曰。非也。世莫レ知二其然否一。老子。隱君子也。老子之子名宗。宗爲二魏將一。封レ於二段干一。宗子注。注子宮。宮玄孫假。假仕レ於二漢孝文帝一。而假之子解。爲二膠西王卬太傅一。因家レ于レ齊焉。世之學二老子一者。則絀二儒學一。儒學亦絀二老子一。道不レ同。不二相爲謀一。豈謂レ是邪。李耳無爲自化。清靜自正。

莊子者。蒙人也。名周。周嘗爲二蒙漆園吏一。與二梁惠王齊宣王一同レ時。其學無レ所レ不レ闚。然其要本三歸於二老子之言一。故其著書十餘萬言。大抵率寓言也。作二漁父。盜跖。胠篋一。以詆二訿孔子之徒一。以明二老子之術一。畏累虚。亢桑子之屬。皆空語。無二事實一。然善屬レ書離レ辭。指レ事類レ情。用剽二剥儒墨一。雖二當世宿學一。不レ能二自解免一也。其言洸洋自恣以適レ己。故自二王公大人一不レ能レ器レ之。楚威王聞二莊周賢一。使二使厚レ幣迎一レ之。許以レ爲レ相。莊周笑謂二楚使者一曰。千金重利。卿相尊位也。子獨不レ見二郊祭之犧牛一乎。養二食之一數歳。衣以二文繍一。以入二太廟一。當二是之時一。雖レ欲レ爲二孤豚一。豈可レ得乎。子亟去。無レ汚レ我。我寧游二戲汚涜之中一自快。無レ爲二有レ國者所一レ覊。終身不レ仕。以快二吾志一焉。

申不害者。京人也。故鄭之賤臣。學レ術以干二韓昭矦一。昭矦用爲レ相。内修二政教一。外應二諸矦一。十五年。終二申子之身一。國治兵彊。無二侵レ韓者一。申子之學。本レ於二黄老一而主二刑名一。著二書二篇一。號曰二申子一。

韓非者。韓之諸公子也。喜二刑名法術之學一。而其歸本レ於二黄老一。非爲レ人口吃。不レ能二道説一。而善著レ書。與二李斯一倶事二荀卿一。斯自以爲不レ如レ非。非見二韓之削弱一。數以レ書諫二韓王一。韓王不レ能レ用。於レ是韓非疾丁治レ國不レ務下修二明其法制一。執レ勢以御二其臣下一。富レ國彊レ兵。而以求レ人任上レ賢。反擧二浮淫之蠧一而加丙之於乙功實之上甲。以爲儒者用レ文亂レ法。而侠者以レ武犯レ禁。寛則寵二名譽之人一。急則用二介冑之士一。今者所レ養非レ所レ用。所レ用非レ所レ養。悲二廉直不一レ容レ於二邪枉之臣一。觀二往者得失之變一。故作二孤憤。五蠧。内外儲。説林。説難。十餘萬言一。然韓非知二説之難一。爲二説難書一。甚具。終死レ於レ秦。不レ能二自脱一。説難曰。凡説之難。非下吾知之有二以説一之難上也。又非下吾辯之難。能明二吾意一之難上也。又非二吾敢横失能盡之難一也。凡説之難。在下知二所レ説之心一。可中以二吾説一當上レ之。所レ説出レ於レ爲二名高一者也。而説レ之以二厚利一。則見二下節一。而遇二卑賤一。必棄遠矣。所レ説出レ於二厚利一者也。而説レ之以二名高一。則見三無心而遠二事情一。必不レ收矣。所レ説實爲二厚利一。而顯爲二名高一者也。而説レ之以二名高一。則陽收二其身一。而實疏レ之。若説レ之以二厚利一。則陰用二其言一。而顯棄二其身一。此之不レ可レ不レ知也。夫事以レ密成。語以レ泄敗。未二必其身泄一レ之也。而語及二其所レ匿之事一。如レ是者身危。貴人有二過端一。而説者明言二善議一。以推二其惡一者。則身危。周澤未レ渥也。而語極知。説行而有レ功。則徳亡。説不レ行而有レ敗。則見レ疑。如レ是者身危。夫貴人得レ計。而欲二自以爲一レ功。説者與知焉。則身危。彼顯有二所レ出事一。迺自以爲二也故一。説者與知焉。則身危。彊レ之以三其所二必不一レ爲。止レ之以二其所一レ不レ能レ已者身危。故曰。與レ之論二大人一。則以爲レ間レ己。與レ之論二細人一。則以爲レ鬻レ權。論二其所一レ愛。則以爲レ借レ資。論二其所一レ憎。則以爲レ嘗レ己。徑二省其辭一。則不知而屈レ之。汎濫博文。則多二而久一レ之。順レ事陳レ意。則曰二怯懦而不一レ盡。慮レ事廣肆。則曰二草野而倨侮一。此説之難不レ可レ不レ知也。凡説之務。在レ知下飾二所レ説之所一レ敬。而滅中其所上レ醜。彼自知二其計一。則無下以二其失一窮上レ之。自勇二其斷一。則無下以二其敵一怒上レ之。自多二其力一。則無下以二其難一概上レ之。規二異事與同一レ計。譽二異人與同一レ行者。則以飾レ之無レ傷也。有二與同レ失者一。則明飾二其無一レ失也。大忠無レ所二拂辭一。悟言無レ所二撃排一。迺後申二其辯知一焉。此所レ以二親近不レ疑。知一レ盡二之難一也。得二曠日彌久而周澤既渥一。深計而不レ疑。交爭而不レ罪。迺明計二利害一以致二其功一。直指二是非一以飾二其身一。以レ此相持。此説之成也。伊尹爲レ庖。百里奚爲レ虜。皆所三由干二其上一也。故此二子者。皆聖人也。猶不レ能レ無二役レ身而渉レ世。如レ此其汙一也。則非二能仕之所一レ設也。宋有二富人一。天雨墻壞。其子曰。不レ築。且レ有レ盜。其鄰人之父亦云。暮而果大亡二其財一。其家甚知二其子一。而疑二鄰人之父一。昔者鄭武公欲レ伐レ胡。迺以二其子一妻レ之。因問二群臣一曰。吾欲レ用レ兵。誰可レ伐者。關其思曰。胡可レ伐。迺戮二關其思一曰。胡。兄弟之國也。子言レ伐レ之何也。胡君聞レ之。以レ鄭爲レ親レ己。而不レ備レ鄭。鄭人襲レ胡取レ之。此二説者。其知皆當矣。然而甚者爲レ戮。薄者見レ疑。非二知之難一也。處レ知則難矣。昔者彌子瑕見レ愛レ於二衞君一。衛國之法。竊駕二君車一者。罪至レ刖。既而彌子之母病。人聞。往夜告レ之。彌子矯駕二君車一而出。君聞レ之而賢レ之曰。孝哉。爲レ母之故而犯二刖罪一。與レ君游二果園一。彌子食レ桃而甘。不レ盡而奉レ君。君曰。愛レ我哉。忘二其口一而念レ我。及三彌子色衰而愛弛得二罪於一レ君。君曰。是嘗矯駕二吾車一。又嘗食レ我以二其餘桃一。故彌子之行未レ變レ於レ初也。前見レ賢而後獲レ罪者。愛憎之至變也。故有レ愛レ於レ主。則知當而加レ親。見レ憎レ於レ主。則罪當而加レ疏。故諫説之士。不レ可レ不下察二愛憎之主一而後説上レ之矣。夫龍之爲レ蟲也。可二擾狎而騎一也。然其喉下有二逆鱗徑尺一。人有レ嬰レ之。則必殺レ人。人主亦有二逆鱗一。説レ之者。能無レ嬰二人主之逆鱗一。則幾矣。人或傳二其書一至レ秦。秦王見二孤憤五蠧之書一曰。嗟乎。寡人得下見二此人一。與レ之游上。死不レ恨矣。李斯曰。此韓非之所レ著書也。秦因急攻レ韓。韓王始不レ用レ非。及レ急迺遣レ非使レ秦。秦王悦レ之。未二信用一。李斯姚賈害レ之。毀レ之曰。韓非。韓之諸公子也。今王欲レ并二諸矦一。非終爲レ韓。不レ爲レ秦。此人之情也。今王不レ用。久留而歸レ之。此自遺レ患也。不レ如下以二過法一誅上レ之。秦王以爲レ然。下レ吏治レ非。李斯使三人遺二非藥一。使二自殺一。韓非欲二自陳一不レ得レ見。秦王後悔レ之。使二人赦一レ之。非已死矣。申子韓子皆著レ書。傳レ於二後世一。學者多有。余獨悲下韓子爲二説難一而不上レ能二自脱一耳。

太史公曰。老子所レ貴道。虚無因應。變三化於二無爲一。故著書辭稱。微妙難レ識。莊子散二道徳一放論。要亦歸二之自然一。申子卑卑。施三之於二名實一。韓子引二繩墨一。切二事情一。明二是非一。其極慘礉少レ恩。皆原レ於二道徳之意一。而老子深遠矣。

底本 / Source edition

底本:「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」東洋文化協會
1955(昭和30)年5月30日複版発行
※底本では箭内亙による訳と註をそれぞれ「箭内亙による譯」「箭内亙による註」の中見出しのもと入力しました。
※底本では「箭内亙による譯」中の註番号に該当する註をなるべく訳と同じページになるように囲み枠を作成して組まれています。
※底本では原文はまとめて巻末に掲載されていますが、本テキストでは副題毎にファイル末に「原文」の中見出しのもと入力しました。
※表題は底本では、「國譯史記列傳《こくやくしきれつでん》」となっています。
※副題は底本では、「老莊申韓《らうさうしんかん》列傳《れつでん》第《だい》三」となっています。
※原文の返り点は、「及[#三]彌子色衰而愛弛得[#二]罪於[#一レ]君」のように、現在の学校教育で習うものとは、少し異なるところがあります。
※原文中の「及[#三]彌子色衰而愛弛得[#二]罪於[#一レ]君」は訳中では「彌子《びし》色《いろ》衰《おとろ》へて愛《あい》弛《ゆる》び、罪《つみ》を君《きみ》に得《う》るや」となっています。
※箭内亙による訳、註、原文中、「※[#「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2-85-11]」と「※[#「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1-90-41]」、「※[#「言+此」、U+8A3F、19-7]」と「※[#「此/言」、第4水準2-88-57]」、「羣」と「群」、「廼」と「迺」と字体の違うのは底本どおりです。>
※原文中の「守藏室吏」は訳中では「守藏室史」となっています。
※原文中の「與[#レ]之游[#上]」は訳中では「之《これ》と遊《あそ》ぶ」となっています。
※原文中の「無[#レ]汚[#レ]我」は訳中では「我《われ》を※[#「さんずい+于」、第3水準1-86-49]《けが》すこと無《な》かれ。」となっています。
※原文中の「汚涜」は訳中では「※[#「さんずい+于」、第3水準1-86-49]涜」となっています。
※原文中の「衛國之法」は訳中では「衞國《ゑいこく》の法《はふ》」となっています。
入力:はまなかひとし
校正:みきた
2022年1月28日作成
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書誌 / Bibliography
/works/051922_001524/

司馬 遷「国訳史記列伝──03 老荘申韓列伝第三」(旧字旧仮名)、底本『國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳』東洋文化協會、1955年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 051922_001524, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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