Soranoha

樹木とその葉

じゅもくとそのは

若山 牧水

くもり日は頭重かるわが癖のけふも出で來て歩む松原

三月××日

千本松原を詠んだなかの一首に斯んな歌があつたが、けふもまたその頭の重い曇り日であつた。朝からどんよりと曇つてゐた。

非常に急ぎの歌の選をやつてゐたが一向に氣が乘らない。五首見て一ぷく、十首見ては一服と煙草ばかり吸つていつの間にか晝近くなつてゐたところへ、近所の服部さんの宅から使が來た。庭の紅梅が過ぎかけたから見にいらつしやい、一緒にお晝をたべませうといふ事である。赤インキのペンをさし置いて早速立ち上つた。そして使の人の歸つて行くうしろからてく〱と歩いて行つた。

紅梅はまだ眞盛りであつた。かなりの老木で、根もとから直ぐこま〲と八方に枝を張り渡した、丈の餘り高くない木にいちめんに咲いてゐる。花もまた枝と同じくこま〲と小さく繁く咲いてゐるのである。花の向うには低い杉の生垣、生垣を越しては直ぐ香貫山の麓が見える。全山こと〲く小松原であるこの山も麓の方には稀に櫟林くぬぎばやしや萱の原がある。紅梅を見越しての麓の原はちやうどその櫟の林となつてゐた。まだ落ちやらぬその木の枯葉の背景が、その紅ゐの花をひどく靜かなものに見せてゐる樣であつた。紅梅のめぐりには尚ほ四五本の白梅が半ば散りかけて立ち竝んでゐる。

お晝は目下伊豫の松山から來訪中で、近く此家の主人と結婚さるべき櫻井八重子孃の手料理であつた。障子をあけ放つには少々寒さのきびし過ぎる今日の日和であるだけに、温い酒の味は一層であつた。少し健康を害して暫く東京より歸郷中である主人公にはお構ひなく、私は殆んど手酌で手早く杯を重ねて行つた。

その書齋には犬養木堂翁の額がかゝつてゐた。國民黨宣傳部理事である人の書齋に翁の筆のあるのは當然として、またその筆致のよしあしは別として、私にはその文句が目についた、たゞ大きく『不惑不懼不憂』と書いてある。その靜かな境地を思ひ浮べながらその事を言ふと、イヤそれはこれを書いた當人と思ひ合せるとなほ一層この言葉が生きて來るといふことであつた。さう答へながら服部さんは『さうだ、古奈の犬養さんの別莊に或る軸物の箱書が頼んであるんだが、食事が濟んだらそれを受取りかた〲古奈まで遊びに行つて見ませんか。そして其處の温泉に一つ入つて來ませう、犬養さんは來てゐませんが兎に角もう出來てる筈です、行つて見ませう、八重さんも行きませんか。』

と言ひ出した。

一先づ沼津の町へ出て、其處から自動車で古奈に向つた。里程三四里、程なく二升庵の門前に着いた。小さな岡の根に、高田早苗、鈴木梅四郎兩氏の別莊と相竝んで名前は前から知つてゐたこの二升庵は在るのであつた。まだ附近の開けなかつた昔、米二升さへ持つて來れば誰でも泊めるといふのでこの珍しい庵の名はつけられたものださうだ。

箱書は出來てゐた。蓋には漢文で、由來箱書などは卑俗な茶人共の爲す業である、それを自他ともに新人を以つて許す服部純雄君が求めてくるとは以つての外の話である、大隈侯病篤しと稱へられ余もまた病褥びやうじよくにある日、といふ風な事が細字で認められてあつた。

甚だ失禮だとは思ひながら、この留守宅の湯殿に滾々と湧いてゐる温泉に身を浸した。彼の老政治家が何か事を案ずる際には常に人目を避けてこの別莊に籠ると云ふ。必ずこの湯槽ゆぶねの縁の石に頭を凭せて靜かに思ひを纒めらるゝに相違ないなどと思ふと、同じ温泉でもこの清らかな湯がよそならぬものゝ樣に思ひなされて、たゞ靜かにたゞつゝましく浸つてゐた。

やがて待たせてあつた車に乘つて、夕闇の降りて來た下田街道を徐ろに走らせた。道は田圃の中にあつて、直ぐ且つ平かである。湯上りのつかれごころで三人とも多く無言のまゝの車の窓に、近く右手に赤々とうち廣がつた野火のほのほが見渡された。箱根山の枯草を燒くものである。

四月×日

東海道五十三次のうち丸子の宿しゆくはとろゝの名物と云ふことをば古い本でも見、現在でも作つてゐることを人から聞いてゐた。そのとゝろ汁が私は大の好物である。あまり暖くならぬうち一度是非行つて見たく、ついでに其處の宇津うつの谷や峠をも越えて見たいと思ふうちにいつか桃の花が咲いて來た。ぐづぐづしてはゐられないと急に思ひ立つて、其の頃私の宅に來て勉強してゐた村松道彌君を連れ朝まだ月のある頃に沼津の町を過ぎて千本松原に入り込んだ。松原の中に通じてゐる甲州街道をずつと富士川まで歩いて行かうといふのである。どうしてこの松原の中の道を甲州街道と云ふか、或はまだ東海道の出來ぬ以前に此處にこの道があり、末は駿州から富士川にでも沿うて甲州の方へ入つてゐたものかも知れぬ。兎に角現在の汽車道は昔の東海道に沿ひ、その東海道は沼津から富士川の岸に到るまで三四里の間この千本松原に沿うてゐる。そしてその松原の中に細々として甲州街道と稱へらるゝこの小徑がついてゐるのだ。街道とは名ばかりで、ほんの漁師共の通ふにすぎぬものではあるが、五町十町と私はこの松原の蔭を歩くのが好きであつた。そしていつかこの小徑のはづれまで、言ひかへれば富士川の川口で盡きてゐる松原のはづれまでぼつぼつと歩いて見度いものと思つてゐた。名物の名殘を喰ひに今は亡んだ宿場まで出かけるならいつそ汽車をよして歩くがよく、歩くならば月竝つきなみな東海道を歩くよりこの人知れぬ廢道を行つた方がよからうと云ふ兩人の間の相談からではあつたが、要は靜かな海岸沿ひの長い〱松原を歩き盡したいといふにあつた。

松原に入つた頃はまだ薄暗かつた。松はたゞしつとりと先から先に立ち竝んで、ツイ左手近く響いてゐる浪の音もあるかなしかの凪ぎである。やがて空の明るむにつれて、高々と枝を張つてゐる松の梢を透して眞白な富士が見えて來た。そして同じくその右手の松の根がたに低く續いた紅ゐの色が見え出した。今を盛りに咲き揃つた桃の畑である。松原の幅は百間から二百間、その間にほゞ中央にではあるが、時には右寄り左寄りに我等の歩く徑が通じてゐる。その徑の都合で深い木立を透して花を望むことにもなり、時には松原から出て眞向ひにこの美しい畑と相向ふことにもなる。畑の幅もおほよそ二三町のもので、それが續きも續いたり、松原の見ゆる限りは同じ樣にこの燃え立つた花の畑が東西にかけてうち續いてゐるのである。一體に靜浦沼津から原にかけ、桃の名所と聞いてゐたが、斯うまであらうとは思はなかつた。花がなければ桑の畑も同じに見ゆるので、今まで氣がつかなかつたものであらう。何しろ、この松をとほしての桃の花見は今日の旅に思ひがけぬ附録なので、兩人とも早や何とならぬ旅めいた浮かれ心地になつて松原の中の徑を急いだ。

が、何しろ濱の松原である。歩いてゐる小徑はすべて濱から續いた石ころ道で、しかも砂氣のない拳大の小石ばかりが揃つてゐる。初めは快く歩き出したものゝ、ものゝ一里も歩いて來ると早や草鞋わらぢの裏が痛くなつた。『濱へ出て見ようか』と言ひながら松原を左に拔けて、白々とした荒濱に出て見ると駿河灣の輝きが眼の前にあつた。麗かな日ざしに照らされた海面からは靄とも霞ともつかぬものがいちめんに片靡きに湧き立つて、左手向うに突き出てゐる伊豆半島の根にかけうつすらと棚引いてゐる。それと向ひ合ふ筈の御前崎おまへざきのあたりは全く霞み果てゝ影も見えず、僅かに手近の三保の松原が波の光の上に薄墨色に浮んで見える。ちら〱と寄する小波も全くこんな大海の岸であるとは思はれぬ凪である。見てゐる瞳は自づと瞑とざされ吐く呼吸は自づと長く、いつか長々と身體をも横たへたい氣持となる。

また松原の中の小徑に歸つて歩き出したが、桃の花は相變らず其處に美しく見えてゐるが、兎に角に痛い足の裏である。なまなかにいま投げ出して休んだだけ、一層に痛みを感じ出して來た。終つひに我を折つて桃畑の向うに町の家並の見え出したを幸ひにそちらへ向けて松原から出てしまつた。そしてその町の取つ着きから平坦を極めた廣やかな大道を伸び〱として歩き出した。即ち其處は五十三次のうち沼津の次に當る原の宿であつたのだ。

一筋町の細長い其處を離れると、いよ〱廣重模樣の松並木が道の兩側に起つて來た。並木を通して右手眞上には富士、左には今までと反對に桃畑を前にした松原が見えてゐる。道のよさに歩みも早く、いつか鈴川近くなつたが、おほかた田子の浦はこの邊に當ると聞いてゐたので道を左に折れ、この邊よほど木立の疎くなつた松原を拔けて濱へ出て見た。濱の砂は先程休んだあたりの小石原と違つてこまかい眞砂であつた。そして濱はずつと廣くなつてつぎ〱に低い砂丘が起伏して居る。松原つづきの小松が極めてとび〱にそれらの砂丘に散らばり、所によつてはそれとも見えぬ痩麥が矢張り畝うねをなして植ゑられてゐた。一帶の感じが何となく荒涼としてゐて、田子の浦といふ物優しい名の聯想とは全く異つてゐるのを感じた。振向くと見馴れた富士の姿も沼津あたりとは違つて距離も近く高さも高く仰がるゝのであつた。傍へに富士川があり、前にこの山を仰ぎ背後に駿河灣を置いた眺めは太古にあつては一層雄大なものであつたに相違ないと思はれた。

思はず長い時間を其處で費し、また街道に出て暫く行くと道はやゝに海岸を離れて愛鷹山あしたかやまの根に向ふ形になる。そしてその向うに吉原宿の町が見えてゐる。なるほど此處では廣重の繪の左富士を想はす角度にその山を仰ぐのであつた。然し、我等は吉原には行かず、鈴川驛から汽車で富士川を渡り、蒲原の宿で降りて、またてく〱と歩き出した。

蒲原から由比にかけては道は直ちに海に沿うた山の根をゆくのであつた。海岸には土地名物の櫻海老がうす赤く乾し並べられ、山には一帶に植ゑ込まれた蜜柑畑の間に、とび〱に山櫻が咲いてゐた。由比を出拔くる時、惜しい事に薩陀峠の舊道を越すのを忘れて、汽車沿ひの磯端を歩いてしまつた。そして汽車の隧道のあるあたりでは、浪打際に降りて手を洗つたり貝を探したりして戲れた。

今日は興津泊りの豫定であつたが、先づ其處の園藝試驗場に知人を訪ねてみると伊豆の方へ旅行して留守だといふので、まだ日は高いしいつそ靜岡まで伸して置かうと急ぎ足に宿はづれの清見寺に詣で、早速汽車に乘つてしまつた。日は高くとも、もう脚の自由はきかなくなつてゐたのだ。

靜岡驛を出ると細かい雨が降つてゐた。思ひがけぬ事であつたが、惡い氣持はしなかつた。驛前通りの宿屋によつて、湯上りの勞れた脚を投げ出しながらちび〱酒を呑んでゐると、雨はいよ〱本降りになつて來た。丁度宿屋の前に何やらの神社があつて四五本の櫻がその庭に咲き綻び、しよぼしよぼと雨に濡れ、まだうす明るい夕方の灯に映つてゐる眺めなど、何だか久しぶりに旅に出てゐる樣な氣持を誘つて自づと銚子の數を増して行つた。

遲い夕飯を終つた頃、幸ひ雨間となつてゐたので出て七間町あたりを彷徨ひ、カフエーパウリスタといふ名を見附けて其處へ寄つた。ひどく醉つた末、明朝訪ねるつもりであつた法月のりつき俊郎君方に電話をかけると、彼は驚いて弟浩二君と共に其處へやつて來た。そして更に一杯飮み直し、十二時すぎて宿に歸つた。

朝眼が覺めるとばしや〱といふ雨の音である。どうしやうかと、枕のまゝで永い間村松君と今日の事やら無駄話をしてゐたが、幾らかづつ明るんで來る空を頼みに、豫定通りに出懸けることにきめた。法月君方に立寄つたが、濡草鞋を解くがめんだうさに店先に立話をして別れて行かうとすると、それでは私も丸子まで出かけませう、幸ひその側に吐月峯がありますから其處へも寄つて見ませうといふ。吐月峯とは可笑しな名だと思ひながら問ひかへすとさういふ名のお寺で、もとその寺から例の灰吹を作り始めたとかいふことだといふ。

びしや〱と三人雨の中を歩き出したが、明るむどころかます〱ひどい降りである。我等はどうせ濡れる覺吾の尻端折だが、足駄ばき長裾の法月君にはいかにも氣の毒であつた。名物の安倍川餅屋が安倍川橋の袂にあつて、大きな老木の柳のみどりがその門におほらかにそよいでゐた。法月君にすすめられたが、先づ〱先きの芋汁を樂しみに餅だけは割愛する事にして橋にかゝつた。隨分長い橋である。横飛沫の傘の蔭から見る川上の方に、これもこの邊の名所の木枯の森といふのが川原の中に見えた。

歩くこと二里ばかり、丸子の宿は低い藁屋の散在してゐる樣な古驛であつた。宿しゆくはづれの小川の橋際に今は唯だ一軒だけで作つてゐるといふとろゝ汁屋にとろゝを註文しておいて其處から右折、四五町して吐月峯に着いた。先づ小さな門を掩うてゐる深々しい篁たかむらが眼についた。そしてその篁の蔭には一二本づつの椿と梅とが散り殘つて、それに幾羽とない繍眼兒めじろが啼き群れてゐた。門を入ると、泉水から續いた裏の山に山櫻の大きいのが二本ばかり、二分三分咲きかけてゐるのが見えた。花も莟もいいが、ことに雨に濡れていよ〱柔らかな薄紅色にそよいでゐる若葉が何ともいへず美しかつた。法月君と知合らしい住職は留守であつたが、通された部屋で暫く休んだ。寺とは云つても謂はゞ庵で、造りも小さく、年代も餘程古寂びてゐた。土地の有志たちは目下この由緒ある建物のすたれるのを惜んでとり〲に修繕費募集中であるさうだ。

庭も同じく小さなものであるが如何にも靜かに整つた寂びたものであつた。一帶の造りが京都の銀閣寺の庭に似てゐるのでその事を法月君に話すと、この庵を結んだ人は足利義政に愛せられた人で、現に庭先を圍んでゐる篁の竹などもわざ〱嵯峨から持つて來て植ゑたものなのださうだ。かすかに池に音を立てゝ降り頻つていゐる雨を、またその雨の中に折々忍び音に啼いてゐる小鳥を聽いてゐると、もうとても宇津うつの谷や峠を越して行く氣分がなくなつてしまつた。

先のとろゝ汁屋に歸つてその名物を味つた。とろゝ屋と云へばよく聞えるが實際は一膳飯屋が好みに應じて作るとろゝ汁なのである。それにもう季ときも過ぎてゐるし、確かに名物に何とやらの折紙ではあつたが、ツイ窓際近く迫つてゐる山に白雲の去來するのを眺めて一杯二杯と重ねてゆく地酒の味と共に矢張り拙いと言ひ切ることの出來ぬものではあつた。

底本 / Source edition

底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月13日公開
2005年11月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/002220_000162/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/002220_000162/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/002220_000162/

若山 牧水「樹木とその葉──27 春の二三日」(旧字旧仮名)、底本『若山牧水全集 第七卷』雄鷄社、1958年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002220_000162, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite