Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町の明治座を見物にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。

「やあ、あなたも御見物ですか」

わたしの方から声をかけると、老人も笑って会釈えしゃくした。そこはほんの立ち話で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をたずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。そのときの狂言は「天一坊てんいちぼう」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった。

わたしの予想通り、老人はなかなかの見巧者みこうしゃであった。かれはこの狂言の書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて守田座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。

「御承知の通り、江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していたんですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、講釈師の伯円が先ず第一に高座こうざで読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云うから年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」

芝居の話がだんだん進んで、天一坊の実録話に移って来た。

「天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊というのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「尤もっともそこは女だけに、将軍家の御落胤ごらくいんというほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもありましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家のお姫様一件でしょう。あれはたしか文化四年四月の申渡もうしわたしとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川宿じゅく旅籠屋はたごや安右衛門抱かかえとありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴ことという女が京都の日野中納言家ひのちゅうなごんけの息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家くげのお姫様が女郎じょろうになったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位内侍局ないじのつぼねとかいう肩書かたがきで方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は落着らくぢゃくしました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論もくろもうとして失敗したもので、つまりこんにちの偽にせ華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを清玄せいげん桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住せんじゅの女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町こびきちょうの河原崎座で『桜姫東文章さくらひめあずまぶんしょう』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のことで、文久元年の九月とおぼえています」

八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。

「悪いお天気で困ります」

「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れている庭先をながめながら欝陶うっとうしそうに云った。

「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。この頃、茅場町かやばちょうに変な奴があるのを知っているか」

「へえ」と、半七は首をかしげた。

「尤もっとも、この頃は変な奴がざらに転ころがっているから、唯そればかりじゃあ判断がつくめえ」

岡崎はちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。

「変な奴の正体は女の行者ぎょうじゃだ。案外に年を食っているかも知れねえが、見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの祈祷きとうのようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置くが、そいつがどうも怪けしからねえ。女がいい上に、祈祷が上手だというので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで工面くめんのよさそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さんも婆さんもある。それがどうも腑ふに落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家くげの娘だと云っているそうだ。冷泉為清れいぜいためきよ卿の息女で、左衛門局さえもんのつぼねだとか名乗って、白の小袖に緋ひの袴はかまをはいて、下げ髪にむらさき縮緬ちりめんの鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、前にもいう通り、容貌きりょうは好し、人品はいいので、なかなか神々こうごうしくみえるということだ。どうだ、ほんものだろうか」

「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」

「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」

「ごもっともでございます」

半七もうなずいた。今の時節――勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀をあつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用費調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎が懸念するのも無理はないと思ったので、半七はすぐにその探索に取りかかることを受け合って帰った。

かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞かされて頭をかいた。

「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだからわっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」

「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云った。

多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のような活動も出来なくなった。子分にもあまり腕利うでききがなかった。それらの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされたのであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわけには行かなかった。

「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰たぐり出してくれ」

「ようがす。一つ働きましょう」

事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くという一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知れないという懸念けねんがあるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったからである。

相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件であるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負えそうもないから、誰か他人ひとに引き受けさせてくれと一応は断わったが、半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰って来なかった。

「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと荷が重いからな」

こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)過ぎに多吉が帰って来た。

「よく降りますね」

「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半七は待ち兼ねたように訊きいた。

「まだ十分というわけには行きませんが、少しは種を洗い出して来ました」と、多吉は得意らしく云った。

「まあ、聴いておくんなせえ。その行者というのはまったく十七八ぐらいに見えるそうです。すてきに容貌きりょうのいい上品な女で、ことばも京なまりで、まあ誰がみてもお公家さまの娘という位取りはあるそうですよ。なんでも高い段のようなものを築いて、そこへ御幣ごへいや榊さかきをたてて、座敷の四方には注連しめを張りまわして、自分も御幣を持っていて、それを振り立てながら何か祷いのりのようなことをするんだそうです」

「どんな祷りをするんだろう」

「やっぱり家運繁昌、病気平癒、失うせもの尋たずねもの、まあ早くいえば世間一統の行者の祈祷に、うらないの判断を搗つきまぜたようなもので、それがひどく効目ききめがあるというので、ばかに信仰する奴らがあるようです。なんでも毎日五六十人ぐらいは詰めかけるといいますから、随分実入みいりがあることでしょう。祈祷料は思召おぼしめしなんですけれど、ひとりで二歩ぶ三歩も納める奴があるそうですから、たいしたものです」

「それはまあそれとして、その行者は工面くめんのよさそうな信心ものを奥へ連れ込んで、なにか秘密の祈祷をして多分の金を寄進させるというじゃあねえか。それはどうだ」

「それもあるらしいんです」と、多吉はうなずいた。「だが、それはいっさいの秘密の行法ぎょうほうで、うっかり口外すると一年経たたねえうちに命がなくなると嚇おどかされているので、誰もはっきりと云うものがねえそうです。それに、その秘密を行なうのはいつでも夜なかときまっていて、どこの誰が秘密の祈りをして貰ったということが他人ひとに知れると、その験げんがないというので、秘密の祈りを頼むものは世間がみんな寝静まった頃に、顔を隠したり、姿を変えたりして、そっと裏口から出入りをしているので、誰だかよく判らないということです。行者の奴め、なかなかうまく考えたもんですよ」

「むむ」と、半七は又かんがえた。「そのほかに何か浪人らしい者の出這入りする様子はねえか」

「それは聞きませんでした」

「行者の家には、当人のほかにどんな奴らがいる」と、半七は訊いた。「なにか、弟子のような者でもいるのか」

「五十ばかりの男と、十五六になる小娘と、ほかに台所働きのような女が二人いるそうですが、台所働きはこのごろ雇った山出しの奉公人で、祈祷の方のことは一切いっさいその男と小娘とが引き受けてやっているんだそうです」

多吉の報告はそれだけであった。

二

あくる朝になって源次が来た。

「親分。多吉さんの方で面白いことが手に入りましたかえ」

「面白いというほどのことも判らねえが、まあ少しばかり眼鼻をつけて来た。そこで、おめえの方はどうだ」と、半七はすぐに訊いた。

「わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。葺屋町ふきやちょうに炭団たどん伊勢屋という大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうので、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所家作かさくは持っていて、身上しんしょうはなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、ことし二十歳はたちになるんですが、俳優やくしゃの河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったというんです」

「その息子も祈祷をたのみに行ったのか」

「久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から性しょうの知れない病気でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきいて、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです」

久次郎も世間の噂に釣り込まれて、最初は半信半疑で母のお豊を連れてゆくと、神のように美しい行者はお豊をひと目見て、これは怪しい獣けものの祟りである、自分の祈祷できっと本復させてやると云った。久次郎もそれを信用して、なにぶんお頼み申すと云うと、行者はお豊を神壇の前に坐らせて、一種のおごそかな祈祷を行なってくれた。その効験は著しいもので、お豊はそのあくる朝から神気しんきがさわやかになって、七日ほどの後には元の達者なからだに回復した。それだけでも、伊勢屋一家の信仰を買うには十分であって、伊勢屋からは少なからぬ奉納物を神前にささげた。取り分けて久次郎は美しい行者を尊崇した。

かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺めながら云った。

「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお祓はらいをなされてはどうでございます」

あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日いちしちにちのあいだ日参にっさんしろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初めの三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。かれは毎晩かかさず通いつづけていた。

行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日となり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊は絶対に耳を藉かさなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家ごけのお豊がひとり息子の後見こうけん役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが強しいてそれをさえぎるわけには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないのであるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番頭どもは睨んでいた。

そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、この頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼はなんだか魂のぬけた人のようにみえた。権十郎息子の顔色がひどく蒼ざめて来た。

「まあ、こういうわけで、店の若い者や小僧なんぞは、若旦那は気が違ったらしいと云っているんです」と、源次は説明した。

「むむ、気が違ったかも知れねえ」と、半七はほほえんだ。「相手はすばらしく美しい行者というじゃあねえか」

「そうです、そうです。むこうが若い美しい行者で、こっちが権十郎息子というんですからね」と、源次も笑った。

しかし半七は笑ってばかりもいられなかった。単にこれだけの事件であるならば、問題は案外に単純であるが、かの怪しい行者は勤王とか討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらしいだけに、半七は迂濶うかつに彼女に手をつけることが出来なかった。軽はずみのことをして、たとい本人だけを引き挙げたところで、ほかの徒党を取り逃がしてしまっては何もならない。うまく工夫して彼等の一類を一網に狩りあげることを考えなければならない。半七は源次に云いつけて、これから毎夜茅場町の近所に網を張って祈祷所へ出入りするものを偵察させることにした。

その日の夕方になって、多吉が再び来た。

「親分、どうも思うような種はあがりませんよ。女の行者はお局つぼね様とかお姫ひい様とかいっているだけで、ほんとうの名はわかりません。五十ばかりの家来の男は式部といっているそうで、どうも上方かみがた生まれに相違ないようです。十五六の小娘は藤江といって、これもなかなか容貌きりょうがいいんですけれど、行者のほんとうの妹か身寄りの者か、そこはよく判らないそうです。台所働きはお由とお庄というんですが、これは飯炊きや水汲みに追い使われているだけで、奥の方のことは何も知らないようです」

「ゆうべも云ったことだが、祈祷をたのむ者のほかに誰も出這入りするらしい様子はねえのか」と、半七は念を押して訊いた。

「わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由という女中が外へ出るところを捉つかまえて、それとなく探りを入れて見たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです」

「夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る」

「それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえのじゃねえ、行者の方でなにか身体からだがわるいとかいうので、夜の祈祷はみんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさずに来る奴があります」

「紙屋の息子か」

「あ、源次の奴ほじくり出しましたかえ。あいつ油断がならねえ」と、多吉は鼻毛をぬかれたような形で少してれた。「じゃあ、その方は大抵御承知ですね」

「だが、まあ話してみろ」

多吉の報告も源次とあまり違わなかった。そうして、紙屋の久次郎は色仕掛けでたくさんの祈祷料をまきあげられているに相違ないと云った。

「そうだろう。誰が考えても、落ち着くところは同じことだが、ただ困るのは徒党の奴らだ」と、半七は云った。「夜なかに祈祷をたのむ振りをして、姿をかえて入り込むのじゃねえかと思うが、これも此の頃はちっとも来ねえというのじゃあ仕方がねえ。行者の奴らをつかまえるのは何日いつでも出来る。あいつ等はまあ当分は生簀いけすにして置いて、ほかから来る奴らに気をつけろ」

多吉は承知して帰った。

それから半月ほど経ったが、多吉も源次も思わしい成績をあげることが出来なかった。その報告はいつも同じことで、夜になっては紙屋の息子のほかに誰も出這入りするものは無いとのことであった。行者の家でも女中が買物に出るほかには、誰も外出するものはないらしかった。

「半七、どうだ。貴様にしてはちっと足が鈍のろいな」

八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかった。こうなったら仕方がない。まず行者一家の者どもを引き挙げて、それをぶっ叩いて白状させるよりほかあるまいと、かれは内々でその手配りにかかっていると、あしたが池上いけがみのお会式えしきという日の朝、多吉があわただしく駈け込んで来た。

「親分、紙屋の息子が二、三日前から姿を隠したようです」

「行者はどうした」と、半七はすぐに訊いた。「まさかに駈け落ちをしたわけでもあるめえ」

「行者はやっぱり家うちにいます。それについて、行者の家の式部という奴がなにか紙屋へ掛け合いに行ったらしいんです」

そう云っているところへ源次も来た。

三

今度の事件については、多吉はとかく下っ引の源次に先せんを越されていた。源次は多吉の報告以上に、紙屋の息子が姿をかくした事件を詳しく知っていた。

源次の話によると、きのうの午ひる過ぎにかの式部が炭団たどん伊勢屋へたずねて来て、後家のお豊に厳重な掛け合いを持ち出した。それは当家の伜久次郎どのがお姫様に対して無礼を働いたというのであった。久次郎どのには怪しい獣の悪霊あくりょうが付きまとっているので、それを祓はらうために毎夜秘密の祈祷を行なっていることは、おふくろ殿もかねて御存じの筈である。本来ならば一七日の祈祷で当然その禍いを祓い得べきであるのに、今度の祈祷に限って不思議にその験げんがみえない。更に二七日、三七日、四七日と祈りつづけても、やはりその験のあらわれないのは甚だ不思議に思っていたところが、今になってその仔細が初めて判った。当人の久次郎どのが汚れた心を持っていたからである。久次郎どのは毎夜かかさず通って来るのは、まことの心からの信心ではない。実はお姫様に懸想けそうしていたのである。現にゆうべの祈祷の休息のあいだに、彼はお姫様をとらえて猥みだらなことを云い出した。実に言語道断の不埒ふらちである。

お姫様は勿論それを取り合われる筈はなかった。持っていた幣束へいそくで彼の面を一つ打ったままで、無言で奥の間へはいってしまわれたが、それを知った拙者はすぐにその場へ踏み込んで、久次郎の不埒をきびしく叱って、今後決して、参ることは相成らぬと襟髪をつかんで表へ突き出してしまった。久次郎どのは何と云っているか知らないが、事実は全くこの通りであって、お姫様を涜けがそうとするのは神を涜そうとするも同じことである。久次郎どの如き言語道断の不埒者はもとより相手にはならない。改めておふくろ殿にお掛け合いをいたすために、こんにち罷まかり越した次第であると、式部は形を正しゅうしておごそかに云った。

思いもよらない掛け合いをうけて、お豊は魂が消えるほどにびっくりした。殊に自分は飽くまでもかの尊い行者を信仰しているだけに、わが子の不埒が重々面目なかった。面目ないというよりも、かれは実におそろしかった。彼女は畳に額ひたいをうずめて、恐れかしこんでわが子の罪を幾重いくえにも詫びた。かれは当然自分ら親子のうえに落ちかかって来るべき神の御罰をのがれるために、あらためて謝罪の祈祷を嘆願した。祈祷料の二百金は式部のまえに差し出された。式部は容易にそれに手を触れなかったが、結局お姫様の思召しをうけたまわるまで、ともかくもお預かり申して置くということになって、その二百両を受け取って帰った。

式部の帰ったあとで、お豊はすぐ久次郎を奥へ呼んだ。相変らずぼんやりして店へ坐っていた久次郎は、母のまえに出てその詮議をうけたが、かれの答弁はすこぶるあいまいであった。尊い行者を涜そうとした事実について、彼はそれを絶対に否認しようともしなかったので、母はいよいよ悲しみ嘆いて、神罰のおそろしいことをくれぐれも云い聞かせた。今後その汚れた心を入れかえて、身に付きまとった禍いを祓はらわなければならないと、涙ながらに説き諭さとした。久次郎は黙っておとなしく聴いていた。

日が暮れてから久次郎はいつものようにふらりと何処へか出て行ったが、夜が更けても帰らなかった。伊勢屋でも心配して、念のために式部のところへ聞きあわせてやると、久次郎はきのうから一度もみえないという返事であった。久次郎はその晩も帰らなかった。そうして、今朝になってもまだ帰らないので、伊勢屋ではいよいよ不安を感じた。式部が掛け合いのことはお豊ひとりの胸に秘めて、店の者にはいっさい秘密にしてあったのであるが、もう斯こうなっては匿かくしても隠されないので、お豊は番頭どもを呼びあつめて、その秘密を打ちあけた。番頭共には差し当ってどうという確かな見当も付かなかったが、おそらく自分の不埒を恥じ悔んで、面目なさの家出であろうということに諸人の意見が一致した。

家出の動機がそれであるとすると、久次郎の身のうえにかかる不安はいよいよ大きくなって来た。お豊は狂気のようになって騒ぎ出した。かれはすぐに祈祷所へ駈けて行って、久次郎のゆくえを占うらなって貰うことにした。番頭の重兵衛は瀬戸物町の源太郎のところへ駈けつけて、秘密にその探索方をたのんだ。親類そのほかの心当りへも使を出した。

この報告を聞いて、半七は膝を立て直した。

「それじゃあ、いよいよ思い切って手入れをしなけりゃあなるめえ。伊勢屋の番頭が瀬戸物町へ駈け込んで、そっちから何かちょっかいを出されると面倒だ」

「すぐにやりますかえ」と、多吉は訊きいた。

「むむ、すぐに取りかかろう。相手はその行者と、式部とかいう奴と、藤江という女だ。まずそれだけだな。いや、かかり合わねえといっても、女中ふたりも逃がしちゃあいけねえ。まだほかにどんな奴が忍んでいるかも知れねえ。源次は表向き面出しをするわけにも行かねえんだから、多吉一人じゃあちっと手不足かも知れねえよ。善八でも呼んで来い」

「善八ひとりでたくさんですかえ」

「それでよかろう。なんといっても相手は女だ。そんなに大勢でどやどや押し掛けて行くのも見っともねえ」

多吉はすぐに子分の善八を呼びに行った。源次はその後の模様を探るために、再び炭団伊勢屋の方へ出て行った。半七が身支度をして神田の家を出たのは朝の四ツ(午前十時)過ぎで、会式桜えしきざくらもまったく咲き出しそうな、うららかな小春日和びよりであった。

半七は途中で買物をして、更になにかの支度をして、日本橋茅場町の祈祷所へたずねてゆくと、以前は誰が住んでいたか知らないが、新らしく作り直したらしく門柱には神教祈祷所という大きな札がかけられて、玄関先に注連しめが張りまわしてあった。六畳ばかりの玄関には十四五人の男や女が押し合うように詰めかけていて、坐り切れない人達は式台の上までこぼれ出していた。半七もおとなしくそこに坐って、自分の順番のくるのを待っていると、そのあとから又五、六人がだんだんはいって来た。そのなかには子分の善八もまじめな顔をしてまじっていた。かれは勿論半七の方を見返りもしないで、ほかの人達となにか小声で話しているらしかった。

一人ひとりの祈祷や占いが可なり長くかかるので、半七は一晌いっときほども待たされたが、それでも根こんよく辛抱していた。先の人が立ち去ると、入れ代りのように後の人がまた詰めかけて来るので、玄関にはいつでも十四五人が待ちあわせている。なるほど、なかなか流行ることだと半七は思っていると、やがて自分の番がまわって来て、かれは正面の祈祷所へ通された。

祈祷所は十五六畳ばかりの座敷で、その構えは先に多吉が報告した通りであった。正面には御簾みすを垂れて、鏡や榊や幣束へいそくなどもみえた。信心者からの奉納物らしい目録包みの巻絹や巻紙や鳥や野菜や菓子折や紅白の餅なども其処そこらにうず高く積まれてあった。若い美しい行者は藁の円座えんざのようなものの上に坐って、手には幣束をささげていた。少し下がったところに、それが彼かの式部というのであろう、五十ばかりの如何にも京侍らしい惣髪の男が、白い袴に一本の刀をさして行儀ただしく控えていた。神前をはばかるのか、かれは絶えずうつむいているが、ときどき鋭い上目うわめ使いをしてあたりに注意しているらしいのが半七の眼についた。

「どうぞお進みください」と、式部は静かに云った。

「ごめんください」

半七は丁寧に会釈して進み出て、正面の行者の顔をみあげた時、そのそばに一人の若い女が控えているのを更に見いだした。女は白絹の小袖を着て、おなじく白い切袴きりばかまをはいていた。それが彼かの藤江というのだろうと半七はすぐに覚った。

藤江も美しい少女であったが、正面の座に直っている行者は更にうるわしいものであった。十七八というのは彼女の美に惑わされた報告で、どうしても二十歳はたちか、あるいは二十歳を一つ二つぐらいは越えているらしいが、見たところは如何にも若々しかった。彼女は白粉おしろいのあつい顔に眉黛まゆずみを濃くして、白い小袖の上に水青の狩衣かりぎぬを着ていた。緋の袴という報告であったが、きょうは白い袴をはいていた。万事の応対はすべて式部が引き受けているので、かれはひと言も口を利かなかった。

「して、御祈祷をおたのみでござるか」と、式部は訊いた。

「はい」と、半七は再び頭かしらをさげた。「実はわたくしの母が昨年以来、なにか付き物でも致したようで、時々に取り留めもないことを口走りますので、まことに困り果てて居ります」

何分にもそのお祓はらいをお願い申したいと云って、半七は白木の台付きの箱をうやうやしく捧げて出した。箱の形から見て、それは一匹の白絹であるらしかった。式部も会釈えしゃくして、その箱をうけ取って、まず行者のまえに押し直すと、行者は幣束を取り直してその箱のうえを一度払った。そうして、神前に供えよと頤あごで知らせると、式部は心得てその通りにした。

「お聴きの通りでございますが、お祷いのり下さりましょうか」と、式部はあらためて行者に訊くと、彼女はやはり無言でうなずいた。

「では、もっと近うお進みください。御遠慮なく……」

式部は半七を頤でまねいた。半七は会釈して又ひと膝すすみ出ると、行者の衣にはなにかの香が焚たき籠こめてあるらしく、蘭奢らんじゃとでもいいそうな一種の匂いが彼の鼻にしみた。

四

行者は半七の顔をひと目みて、さらに何事かを問いたそうに式部を見かえると、半七は声をかけた。

「いえ、一々お取り次ぎは、かえってお願いの筋が通り兼ねるかとも存じます。御用でございましたらば、わたくしから直々じきじきに申し上げます」

「いや、そのような失礼があってはならぬ」と、式部はさえぎった。「おたずねのこと、お答えのこと、すべて拙者がうけたまわる。して、こなたの母御は当年何歳で、なんの年の御出生でござるかな」

「母は六十で、戌いぬ年の生まれでございます」と、半七は答えた。

「ふだんから何かの御持病でもござるか」

「別にこれということもございませんが、二、三年前から折りおりに癪しゃくに悩むことがございます」

「左様でござるか。では、これから御祈祷にかかられます」

式部はうながすように行者の顔色をうかがうと、彼女は形をあらためて神前に向き直ろうとした。その時、半七は再び声をかけた。

「恐れながら申し上げます。この御祈祷におかかり下さる前に、わたくしの御奉納物を一度おあらためを願いたいと存じますが……」

「なんと云わるる」と、式部は少し眉をよせた。「こなたが奉納の品を一応あらためてみろと云われるか」

「どうぞお願い申します」

行者はなんにも云わなかった。式部はすぐに起ちあがって、神前に一旦供えたかの白木の箱を取りおろしてしずかにその蓋ふたをあけると、かれの顔色がにわかに変った。半七は黙ってその顔色をうかがっていると、式部は案外におちついた声で云った。

「町人、これはなんでござる」

「御覧の通りでございます」

「どういうわけで、かようなものを持ってまいられた」と、式部は箱のなかの品を睨みながら云った。

行者も横目にその箱をのぞいて、これもにわかに顔の色を変えた。傍にひかえている藤江も伸びあがって一と目みて、身をふるわせるように驚いたらしかった。半七が神前に奉納した箱のなかには、泥だらけの古草履が入れてあった。

「こなたの母には何か付き物がしているとか云うが、こなたにも付き物がしているらしい」と、式部の声はだんだんに尖って来た。「当座のいたずらか、但しは仔細あってのことか。いずれにしても怪けしからぬ儀、御神罰を蒙こうむらぬうちに早くお起ちなさい」

「お叱りは重々恐れ入りました」と、半七はあざ笑った。「併しそこにおいでになる行者様は何もかも見透しの尊いお方だとうけたまわって居ります。それほどのお偉いお方がその箱のなかにどんな物がはいっているか、初めからお判りになりませんでしたろうか」

式部もすこし返事に詰まっていると、半七は畳みかけて云った。

「その通り、どんなものでも蓋ふたがしてあれば判らない。そのお手際てぎわじゃあ、ここにいる人間もどんなものだか判りますまいね」

「いや、それで判った」と、式部は又にわかに声をやわらげた。「それについて、こなたに少しお話し申したいことがある。お手間は取らせぬ。奥へちょっとお出でくださらぬか」

「折角だが御免を蒙りましょう。こっちが奥へ行くよりも、そっちが表へ出て貰いましょう」

「そこがお話だ。ともかくも奥へ……。どうもここではお話が出来にくい」と、式部はしきりに誘うように云った。

「ええ、うるせえ。出ろと云ったら素直すなおに早く出て貰おう」と、半七は小膝を立てながら云った。「おめえばかりじゃあねえ。そこにいる行者様もその巫子みこも、みんな一緒に出てくれ」

「どうしても出ろと云われるか」と、式部は少し身がまえしながら云った。

「くどいな。早く出ろ、早く立て」と、半七もふところの十手を探った。

この場の穏かならない形勢が自然に洩れて、玄関に待ちあわせている人々もざわめいた。中には起ちあがってそっとのぞく者もあった。それをかき分けて善八はつかつかと神前へ踏み込んで来た。

「親分、どうしますえ。お縄ですか」

「どうも素直に行きそうもねえ。面倒でも畳のほこりを立てろ」と、半七は云った。

その声の終らないうちに、式部は腰にさしている一刀をそこへ投げ出して起ったかと思うと、奥の襖を蹴放すようにして逃げ込んだので、半七はすぐに追って行った。こういう徒やからの習い、得物えものをわざと投げ出したのは、こっちに油断させる為であろうと、半七は用心しながら追ってゆくと、式部は奥の八畳の間へ逃げ込んで、そこに据えてある唐櫃からびつの蓋をあけようとするところを、半七はうしろからその腕を取った。取られた腕を振り払って、式部はふところに忍ばせてある匕首あいくちをぬいた。用心深い半七は彼が必死の切っ先に空くうを突かせて、刃物を十手でたたき落した。

式部が唐櫃のまえで引っ縛くくられたときに、行者も善八の縄にかかっていた。小娘の藤江は勿論なんの抵抗もなしに引っ立てられた。裏口から廻った多吉は二人の女中に案内させて、戸棚から床下まで穿鑿せんさくしたが、ほかには誰もひそんでいるらしい形跡もなかった。

その日の夕方に、久次郎の死骸が品川沖に漂っているのを漁師船が発見した。

女の行者は公家の娘ではなかった。勿論、冷泉家の息女などではなかった。しかし彼女の母は公家に奉公したもので、おなじ公家侍のなにがしと夫婦になって、お万とお千という娘ふたりを生んだのだが、六年ほど前に夫婦は流行病はやりやまいで殆ど同時に死んだ。たよりのない娘たちは父の朋輩の式部に引き取られたが、その式部もなにかの不埒があって屋敷を放逐されることになったので、かれは二人の美しい娘を連れて、今後のたつきを求めるために関東へ下くだって来た。その途中でふと思い付いたのが祈祷所の仕事であった。

式部は加茂の社やしろに知己しるべの者があったので、祈祷や祓はらいのことなどを少しは見聞きしていた。もとの主人が易学を心得ていたので、その道のことも少しは聞きかじっていた。それらを世渡りの手段として、かれは江戸のまん中に祈祷所の看板をかけたのであるが、自分では諸人の信仰を得がたいと思ったので、姉娘の美しいお万を行者に仕立てて、自分がうしろから巧みにそれを操あやつってゆくことにした。まだその上にも世間の信仰を増すことをかんがえて、かれは堂上方の消息に通じているのを幸いに、都合よく云いこしらえてお万を冷泉の息女であると吹聴ふいちょうした。式部自身はその家来と名乗っていた。妹は腰元の藤江に化けていた。この大胆な計画が予想以上に成功して、迷信の強い江戸の人々を見事に瞞着しているうちに、ここに一つの障碍しょうがいが起った。それは炭団伊勢屋の息子が母の祈祷をたのみに来たことであった。

母の祈祷だけで済めば、何事もなかったのであるが、伊勢屋が裕福であることを知っている式部は、更にお万に入れ知恵をして息子の久次郎をも釣り寄せることを巧らんだ。久次郎は果たして釣り寄せられて来たが、それが単に信仰ばかりではないらしく見えた。式部はそれを薄々承知のうえで、いろいろの口実を設けて少なからぬ奉納金を幾たびも巻きあげた。

それで済めばよかったのである。式部に取ってはむしろ思う壺にはまったのであったが、だんだん時日を経るあいだに、お万の魂もいつか権十郎息子の方へ引き寄せられてゆくらしく見られて来たので、それに気がついた式部は今更にあわてた。それにはまた二様の意味があった。第一には商売の妨げになることで、尊い行者がその信者と恋に落ちたなどということが世間に洩れた暁には、たちまちその信用を落すのは判り切っていた。もう一つは、遠い昔に妻をうしなって久しく独身ひとりみの生活をつづけていた彼は、江戸へくる途中からすでにお万を自分の物にしていたのであった。冷泉家の息女と云い触らしてある美しい行者を、かれは自分の色と慾との道具に使っていたのであった。そういう秘密がひそんでいるので、この場合にはむしろ第二の理由の方が強い力を以って彼をおびやかした。手の内の玉を奪われようとする式部は、久次郎に対しておさえ切れない嫉妬と憎悪ぞうおを感じた。彼は鋭い眼をかがやかして、厳重にふたりの行動を監視していた。

式部の監視がきびしいので、夜なかの秘密の祈祷の場合にも、若い行者と若い男とは膝を突きよせて親しく語るような好機会をあたえられなかった。それでも二人の心と心とがいよいよ熱して、いよいよ触れ合って来るのを式部は決して見逃がさなかった。かれは一方にお万を戒いましめると共に、久次郎を追い遠ざける手段を講じた。一日でも長く釣りよせて置く方が収入みいりの上には都合がいいのであるが、式部はもうそんなふところ勘定をしていられなくなった。彼はどんな利益を犠牲にしても、悪魔のような久次郎を追い攘はらってしまわなければならないと決心した。

しかも彼はぬけ目のない一策を案じ出して、ひそかに伊勢屋へ押し掛けて行って、久次郎の母に厳重の掛け合いを申し込んだのであった。久次郎は行者に懸想けそうしてかれを涜けがそうとしたというのである。飽くまでも彼を信仰している母のお豊は唯ひたすらに驚き怖れて、みごとに計画に乗せられたので、式部は思うがままに二百両の金をつかんで帰った。久次郎が母に責められて、その無実を明らかに証明し得なかったのも、やはりその内心に疚やましいところがあったからであった。式部におびやかされ、母に責められても、美しい行者にまつわり付いている彼の魂は、ほかに落ち着くところを見いだし得なかった。かれは今日の掛け合いの事情を問いただすために、日が暮れてからそっと祈祷所へたずねてゆくと、式部はさえぎって内へ入れなかった。行者との面会は勿論ゆるされなかった。心の汚れているお前のような者に祈祷は無用であると、式部は行者の口上を取り次ぐようにして断わった。久次郎は行者の前で一度懺悔ざんげしたいと云ったが、それも許されなかった。式部は何事も行者様のお指図であると云って、かれを表へ突き出してしまった。突き出された久次郎はそれから家へも帰らないで、どこをどうさまよい歩いていたのか判らない。かれは水死の浅ましい亡骸なきがらを品川の海に浮かべたのであった。

式部の白状はこの通りで、お万とお千の申し立てもそれに符合していた。八丁堀同心や半七らがうたがっていたような勤王や討幕などの陰謀はまるで跡方もないことで、一種の杞憂きゆうに過ぎなかった。かれはやはり初めに云ったような、偽公家にせくげの山師やましであった。その山師におびやかされて、すぐに疑惑と不安の眼を向けるのを見ても、幕末当局者の動揺が思いやられた。

こんなことは長くつづく筈はないので、一万両の金を儲け出したらば、京都へ帰って田地でも買って、安楽に一生を暮らすつもりであったと式部は申し立てた。かれはもう三千両ほどをたくわえて、奥の唐櫃にしまい込んであったのを一切没収された。単にこれだけのことであれば、かれらは追放ぐらいで済んだかも知れなかったのであるが、伊勢屋の伜久次郎の死がこれに関聯しているので、その罪は軽くなかった。

式部は死罪に行なわれた。

お万とお千は追放を申し渡された。美しい姉妹のその後の運命はわからない。

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年9月28日公開
2004年2月29日修正
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書誌 / Bibliography
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岡本 綺堂「半七捕物帳──26 女行者」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(二)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001011_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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