Soranoha

右門捕物帖

うもんとりものちょう

佐々木 味津三

1

その第三十五番てがらです。

鼻が吹きちぎられるような寒さでした。

まったく、ひととおりの寒さではない。いっそ雪になったらまだましだろうと思われるのに、その雪も降るけしきがないのです。

「おお、つめてえ、ちきしょう。やけにまた寒がらしをきかしゃがらあ。だから、ものごとの正直すぎるってえのはきれえなんだ。たまには寒中にほてってみろよ。冬だからたって、なにもこう正直に凍しみなくたっていいじゃねえか。いるんですかい」

朝も今、夜があけたばかり、――この寒いのに、こんな早く変な声がしたからにはもちろん伝六であろうと、ひょいとみると、伝六は伝六だったが変なやつでした。しょんぼりと立って、めそめそ泣いているのです。

「なんだ」

「へ……?」

「へじゃないよ。たった今がんがんとやかましくがなってきたのに、なにを急にめそめそやるんだよ。寒にあてられたのかい」

「あっしが泣いたからって、いちいちそうひやかすもんじゃねえんですよ。悲しいのはあっしじゃねえんだ。こう暮れが押しつまっちゃ、人づきあいをよくしておかねえと、どこでだれに借銭しなくちゃならねえともかぎらねえからね。そのときの用心にと思って、ちょっとおつきあいに泣いたんです。あれをご覧なさい、あれを――」

「…………?」

いぶかしいことばに、起きあがって、指さした庭先を見ながめると、しょんぼりとたたずんでいる人影が見えました。

はかま、大小、素はだしに髪は乱れて、そのはかまも横にゆがみながら、なにかあわてふためいて必死とここへ駆けつけてきたらしい様子が見えるのです。

「お牢屋ろうや同心だな!」

「そ、そ、そうなんですよ。ちらりと見たばかりでホシをさすたアえれえもんだね。あの、だんな、ご親類ですかい」

「腰にお牢屋のかぎ束をぶらさげていらっしゃるじゃねえか。いちいちとうるせえやつだ。ご心配そうにしていらっしゃるが、何か起きたのかよ」

「起きた段じゃねえんだ。しかじかかくかく、こいつとてもひとりの力じゃ手に負えねえとお思いなすったとみえてね、まずなにはともかくと、あっしのところへ飛んでおいでなすったんですよ。うれしいじゃござんせんか、そのご気性がね。伝六はむっつり稲荷いなりの門番なんだ、奥の院を拝むにはまずあっしに渡りをつけなきゃというわけでね。来られてみりゃ、あっしもこういう気性なんです。べらぼうめ、ようがす、引きうけました。牢屋で人が切り殺されるなんて途方もねえことがあってたまりますかい、うちのだんなは人一倍寝起きのわるい人なんだ、あっしが特別念入りに目ざまし太鼓をたたいてやるから、おいでなさいと、こうしていっしょに力をつけつけ――」

「うるさいよ! なにをひとりでべらべらやっているんだ。おまえなんぞに聞いていたら手間がとれらあ。じゃまっけだから、こっちへ引っこんでいな」

「いいえ、だんな、お黙り! あっしがしゃべりだしたからって、そうそう目のかたきにしなくともいいんですよ。話にはじょうずへた、物にはこつというものがあるんだ、こつがね、そのこつをよく心得ているからこそ、あっしがあちらのだんなに代わって、手間をとらせず、むだをいわず、事のあらましをかいつまんで、のみこみのいいように物語ろうってえいうんじゃねえですか。ちゃんとエンコして、おとなしく聞いていらっしゃい。いいですかい。あちらのだんなはお牢屋同心なんだ。お牢屋同心てえいや、伝馬町の囚罪人を預かっていらっしゃるやかましい役がらなんです。名は牧野源内さま、お預かりの牢は平牢の三番べや。いま十九人という大連が三番牢にぶちこまれているというんですがね。ところがだ、その三番牢で、ゆうべ人切りがあったというんですよ、人切りがね。ただの人殺しじゃねえ、罪人がひとり切られて死んでいるというんだ。だんなもご存じでしょうが、ふとん蒸し、水責め、さかつるし、罪人どうしの間で刃物を使わねえ人殺しは、これまでもちょくちょくねえわけじゃねえんです。しかし、刃物を使った人殺しは、天地開闢かいびゃく以来はじめてなんですよ。なんしろ、切れもの、刃物、刃のついているものはいっさいご禁制のご牢内なんだからね。そこでぐさりとひとり、胸もとをやられて死んでいたというんです。不思議じゃござんせんか。え! だんな」

「…………」

「どうですかよ。不思議じゃござんせんか。四寸格子ごうしのはまったご牢屋の中です。ちゃんとかぎがかかって、そのかぎはあの源内だんなが後生だいじと腰に結わえつけていらっしゃるんだ。外から人のへえったはずはねえんです。ねえとしたら、中の十八人のうちのどやつかがやったにちげえねえんです。ところが、そのご牢内へは刃物はおろか、ハの字のつくものも持ち込むことはできねえですよ。それをいうんです、それをね。あっしがしゃべりだすと、かれこれいばった口をおききなさるが、このとおり伝六の話にはむだがねえんだ。ちゃんと筋が通って、ひと口飲んだら身の毛がよだつというこくのある話をするんですよ。くやしかったら、とっくりあごをなでて考えてごらんなさいまし……」

なるほど、不思議至極、奇怪千万な話です。伝六のいうとおり、平牢ひらろうの、それもおおぜい投げ込み牢の中では、牢つきあいの悪い者、牢名主にさからった者なぞは、深夜、さかつるし、水責め、あるいはまたふとん蒸しなぞの牢成敗に出会って、囚人が囚人に殺される例はままあることでした。しかし、刃物で切られたというためしはない。あったとしたら、いかさまがてんのいかぬことです。おのずと名人もいろめきたちました。

「かぎのぐあい、外からはいったものがないかどうか、入念にお調べでござったろうな」

「それはもう仰せまでもござらぬ。なにより肝心なこと、念に念を入れて調べたが、さらに外よりはいった形跡がござらぬゆえ、不審に耐えぬのじゃ」

「見つけたのはいつごろでござる」

「ほんのいましがたじゃ。丑満うしみつに見まわったときはなんの異状もなかったのに、明けがた回ってみると、十九人がひとり欠けているのじゃ。それがいま申したとおり、胸もとを刺されて血に染まっていたのでな、騒ぎだしたらこの源内の恥辱と思うて、こっそりと同牢の者十八人を洗ってみたのじゃが、下手人はおろか、刃物さえも見つからぬのじゃ。それゆえ、うろたえて、いっそてまえごときがまごまごといじくりまわすよりも、そなたのご助力仰いだが早道と思うて、取るものも取りあえず駆けつけたのじゃ。面目ない……面目ない……お寒いところおきのどくじゃが、お力お貸しくだされい」

「ようござる。お互いお上仕え、災難苦労は相見互いじゃ。すぐ参ってしんぜよう。ご案内くだされい」

「かたじけねえ!」

「なに喜んでいるんだ。それがむだ口だというんだよ。早くはきものでも出しな」

「いちいちとそれだ。源内だんなの代わりに、この伝六がお礼をいっているんですよ。諸事このとおり抜けめのねえところが、他人にゃできねえ芸当なんだ。へえ、おはきもの――」

「おいらじゃねえや。源内だんなが、はだしではさぞおつめたかろうと思って、はきものをといったんだよ。まのぬけたことばかりやっていやがって、このとおり抜けめがねえもねえもんだ。では、お供つかまつる。冷えますな……」

伝六なぞとは気のつきどころが違うのです。お江戸自慢の巻き羽織に朝風をはらんで、血のけもないほどにうちうろたえている源内をいたわりいたわり、越中橋から江戸橋、大伝馬町、小伝馬町と、ひた急ぎに伝馬町の大牢おおろうへ急ぎました。

2

一番牢、二番牢といって、三番牢は同じ棟むねのいちばん奥でした。

目ばかりのような男、ひげばかりのような男、骨ばかりのような男、あの世の風が吹く牢屋です。うすべり一枚ない板の間に、人ばなれした十八人が、寝るでもなく起きるでもなく、虫のようにごろごろしているありさまは、ほんとうに生き地獄のようでした。

「刺されたという男は、どこでござる」

「あれじゃ。あのすみのこもの下がそうでござる。いま外へ運ばせますゆえ、ちょっとお待ちくだされい」

「いや、いじらぬほうが、なにかと手がかりもつきやすいというものじゃ。中へはいって調べましょう。おあけくだされい」

しろうとであく錠ではない。一番牢は右ねじり、二番牢は左ねじり、三番牢は上へねじるとか下へねじるとか、ちゃんと法則がきまっているのです。それぞれの獄ひとやの牢かぎの秘密を心得ているものがお牢屋同心なのでした。かちゃりと源内があけたあとから、物静かにはいっていくと、調べ方にむだがない。

「ほほう、お店たな者でござるな」

指さきをちらりと見ると同時に、まずぴかりと右門流のおそろしいところをひろげはじめました。

「あきれたもんだね。ほんとうですかい。いかにだんなにしてもちっと気味がわりいが、見てきたようなうそをつくんじゃありますまいね」

「もう出しやがった。いちいちとそれだからうるせえんだ。この右手の人さし指と親指の腹をよくみろい。ちゃんとこのとおり、そろばんだこが当たっているじゃねえかよ、こんなにたこの当たるほどそろばんをいじくっていたとすると、お店たな者もただのあきんどじゃねえよ。まず両替屋、でなくば質屋奉公、どっちにしても金いじりの多いところだ。素姓しらべはあとでいい、傷口を先に見よう。そのこもをはねてみな」

ぬっと出た顔は、三十七、八、つら構えは中くらい、しかし、ほおの肉づき、顔のいろ、まだそれほど牢疲れが見えないのです。

「源内どの、こやつは近ごろ入牢の者でござるな」

「さようでござる。つい十日になるかならぬかの新入りでござる」

「ほほうのう。十日ばかりじゃと申されるか。ちっとそれが気にかかりますな。傷口は?」

「そこじゃ。その右の胸もとじゃ」

なるほど、乳のちょうど上あたりに、ぐさりとひと突き、みごとな刺し傷が見えました。

得物は匕首あいくち、たしかにドスです。

しかも、傷口は上に走って、まさしく正面から突き刺したものでした。ちらりと見ながめるや、ふふんと白い笑いがのぼりました。

「アハハ……そうか。なるほど、そうか。来てみればさほどでもなし富士の山、というやつかのう。よしよし。そろそろと根がはえだしやがった」

もうなにかすさまじい眼がついたとみえるのです。あちらこちらをぶらぶらとやりながら、ちらりちらりと鋭く目を光らして、十八人の同牢の囚人たちの目いろをひとりひとり見比べました。

しかし、ここへはいるほどの者はみな、ひと癖もふた癖もあるしたたか者ばかりです。外から下手人のはいった形跡がないとすれば、もちろんこの中の十八人のだれかに相違ないが、よしや十八人のうちにいたにしても、顔いろや目つきで眼をつけることは、いかな名人でも困難なことでした。だいいち、だれもかれも同じような顔つきをして、目のいろ一つ変えたものすらないのです。ばかりか、十八人が十八人ともにやにやとやって、捜し出せるものなら捜し出してみろといわぬばかりに、あざわらいさえ浮かべているのでした。

なかでも不敵そうに、青黒い歯をむいてうす笑いを漏らしていたのは牢名主ろうなぬしです。型どおりに重ね畳の上へどっかりすわって、右門がだれか、名人がどこの男かというようにあいさつ一つせず、傲然ごうぜんとうそぶきながら、にやりにやりとやっているのでした。

「おまえ、たいそう上きげんだな」

「えへへ……そうでもねえのですがね、畳の上の居ごこちはまた格別でね。だんなもちょいといかがでござんす」

「はいってもう何年じゃ」

「忘れましたよ。ここは浮き世の風が吹かねえのでね。えへへ――近ごろ、おつけがしみったれでしようがねえんだ。ご親切があったら、けえりしなにえさ係りへ一本くぎをさしていっておくんなせえまし。もっとうまいしるを食わせるようにとね。浮き世の景気はどうでござんす」

などと不敵至極なことをいって、頭からのんでかかっているのです。

こんなしたたか者を相手にしては、むろん尋常一様の詮議せんぎでらちのあくはずはない。おそらく、牢名主はじめ同牢の者は、だれがやったか、どうしてやったか、匕首あいくちの隠し場所もちゃんと知っているであろうが、告げ口、耳打ちはいうまでもないこと、世間の義理人情とはまた違った義理人情を持っているこの連中が、ひととおりやふたとおりの責め方でたやすく口を割ろうとは思いもよらないことでした。

ただ、残るものは右門流あるのみです。動かぬ証拠を右門流で見破って、ぐうの音も出ないようにする以外手段はないのです。

「さてのう、どこからおどろかしてやるか、いろいろと手はあるんだが……牢名主」

「なんでござんす」

「おまえの生国はどっちじゃ」

「おふくろの腹ん中ですよ」

「そうか。では、おまえの腹の中もひやりとひと刺し冷たくしてやるぞ」

ぶきみにいって、じろりじろりと見ながめていたその目が、ふとひざの下の重ね畳にとまりました。

不審があるのです。今まで下積みになっていたために、しけって腐ったらしいすそ切れのある一枚が上になって、しゃんとしたのが下になっているのです。あきらかに、それは畳を積み替えた証拠でした。

せつなです。ずばりとはぜたような声が、牢名主の顔へぶつかりました。

「降りろッ」

「な、な、なんですかえ。牢頭ろうがしらの重ね畳はお城も同然なんだ。お奉行ぶぎょうさまがちゃんとお許しなんですよ。降りろとは、ここを降りろとはなんでござんす!」

目をむいてさからおうとしたのを、ぞうさはない。

「もっと筋の通る理屈をいいな。おいらが降りろといったら、そのお奉行さまが降りろといったも同然なんだ。さからいだてしたところがなおさら不審だ。降りなきゃ降ろしてやるよ」

ふわりと軽く手首を取ったかとみると、草香流、秘術の妙です。

「い、い、いてえ! いてえ! いえ、降ります……降ります……おとなしく降りますよ」

ころげおちるように降りたのを待ちうけて、静かに伝六をあごでしゃくりました。

「一枚一枚、この畳をしらべてみな」

「へ……?」

「裏返しにしてみろというんだよ。どれか一枚にドスを刺しこんで隠してあるにちげえねえ。一枚のこらず返してみな」

あったのです。上からちょうど三枚め、畳の裏腹のわら心へ、ぐいと深くさしこんでたくみに隠してあったのです。

「そうだろう。どうだえ、みんな、そろそろこわくなりゃしねえかえ。こりゃほんの右門流の序の口よ。ドスが出てきたからにゃ、下手人もおまえら十八人のうちにいるにちげえねえんだ。拷問、火責め、お次はどんな手が出るかしらねえが、急がねえところがまた右門流の十八番でな。この牢格子の中へ入れておきゃ、下手人を飼っておくようなもんだ。起きたばかりで、おまえらも腹がすいているだろう。ゆるゆると煎せんじてやるから、まずめしでも食べな。――おうい。小者! 小者!」

不思議でした。

なにを思いついたか、ふいとうしろをふりかえると、気味のわるいほどにもおちついて、変なときに変なことを、ひょっくりと命じました。

「食わしてやんな。がつがつしているだろうからな。おつけがどうの、おしるがしみったれだのと、ろくでもねえことをぬかしやがったから、けさばかりはたっぷりつけてやんなよ。いいかい。どんどんお代わりしてやんな」

眠りと食べ物こそは、なににもまさる極楽の囚人たちです。

「来た! 来た! おつけだぞ」

「めっぽう豪気なことになりやがったじゃねえか。湯気がたっているぜ」

「捜し出すなら捜してみねえ。下手人詮議せんぎよりも、こっちゃめしがだいじだ。おい! こっち! こっち! おれが先に手を出したじゃねえか! へへんだ。こんなぬくめしにありつけるなら、なんべんだって殺してやらあ!」

さながらに餓鬼でした。

目いろを変えて、十八人がずらずらと並びながら、先を争ってむしゃぶりつきました。

しかし、名人の目がそれを遠くからながめて、じいっと光っていたのです。ひとり、ふたり、三人、四人、――右はしから拾っていったその目が、とつぜんぴたりと六人めのところで止まりました。

人と変わった食べ方でした。

ひどいぎっちょとみえて、左にはしを持ちながら、左でがつがつ食べているのです。

せつな。

つかつかと近づいたかと思うと、えり首をつまみあげた手も早かったが、啖呵たんかもまたみごとでした。

「たわけたちめがッ。これも名だけえむっつり流の奥の手だ。ようみろい! 餓鬼みてえなまねをするから、こういうことになるんだ。下手人はこのぎっちょと決まったよ。立てッ」

「な、な、なにをなさるんです! ぎっちょは親のせいなんだ。あっしが、あたしが下手人なんぞと、とんでもねえことですよ!」

「控えろッ。おいらをだれと思っているんだ。江戸にふたりとねえむっつり右門だよ。あの傷をよくみろい。うしろから抱きすくめて刺した傷じゃねえ。あのとおり逆刃さかばの跡が上にはねているからにゃ、まさしく正面から突いた傷だ。そこだよ、そこだよ。正面から刺した傷なら、ぎっちょでねえかぎり、相手の左を突くのがあたりめえじゃねえか。しかるにもかかわらず、あの傷は右をやられているんだ、右の胸をな。さては下手人左ききか、いいや、ぎっちょにちげえあるめえと、このおいらがにらんだになんの不思議があるかよ。十八人いるうちで、なにをあわてたか左でめしを食ったなおめえひとりなんだ。まぬけめがッ。むっつり右門がむだめしを食わせるけえ。そのぎっちょを見つけたくて食わしたんだ。食い意地に負けて、右手ではしを持たなかったのが運のつきさ――。下手人があがりゃ、ほかにはもう用はねえ。あにい! あにい!」

「へえ……?」

「へ、じゃないよ。なにをぱちくりやってるんだ。これから先は伝六さまの十八番だ。このなまっちろい野郎をしょっぴいていって、ひとり牢へぶち込みな」

「ね……!」

「なにを感心していやがるんだ。毎度のことだ、いちいちと驚かなくともいいんだよ。人ひとり殺すからには、なにかいわくがあるにちげえあるめえ。やつらの素姓をちょっと洗わしてもらいましょう。源内どの、ご案内くださらぬか」

連れだってやっていったところは、牢同心詰め所の奥座敷です。

ご牢屋日誌、送り込み帳、ご吟味記録。

ずらりと並べて積みあげてあるお帳簿箱へ近づくと、三番牢ご吟味記録とある分厚な一冊を取りあげました。

「源内どの、殺された男はなんといいましたかな」

「豊太とよたという名でござる」

「あの下手人は?」

「梅五郎という名じゃ」

「入牢じゅろうは何日と何日でござる」

「両名とも十二月五日じゃ」

「ほほう。いっしょの日でござるか」

その十二月五日のところをあけてみると、いぶかしい文字が見えるのです。

「お吟味一回。十二月五日。南町ご番所。

豊太、三十四歳。日本橋茅場町かやばちょう両替屋鈴文手代。丁稚でっちより住み込み。

梅五郎、二十八歳。同鈴文手代。同じく丁稚より住み込み。

罪状、主家金子壱千百三十両使いこみ。ただし、両名の申し立てに不審のかどあり。お吟味中入牢」

そういう不思議なお記録でした。

同じ両替屋の手代であるというのも意外なら、主家金子壱千百三十両使い込み、ただし、両名の申し立てに不審のかどあり、お吟味中入牢とある一条は、見のがしがたき文字です。

がぜん、名人の目がさえ渡りました。

「あれなる両名のお係りはどなたじゃ」

「敬四郎どのでござる」

「ははあ……そうか。とんだめぐり合わせじゃのう、伝六よ」

「へえ……?」

「よろこべ、よろこべ、あばだんなのしりぬぐいを仰せつかったぞ。これをようみい」

「……? エへへ……なるほどね。道理で、近ごろろくろく顔を見せずにしょげていましたっけ。あきれたもんだね。不審のかどありとは、よくもしらをきったもんだ。大将の手がけたあなで、不審のかどのねえものはねえんですよ。さあ、忙しい! ちきしょうめ。さあ、忙しくなりましたね」

「あわてるな。まだしりからげなんぞしなくともいいよ。気になるのは、この不審のかどとあるその不審じゃが、源内どの、様子お知りか」

「知っている段ではござらぬ。このとおり、千百三十両使い込んだに不思議はござらぬが、その使い方がちと妙でな。鈴文は当代でちょうど三代、なに不自由なく両替屋を営んでおったところ、この盆あたりから日増しにのれんが傾きかけてまいったと申すのじゃ。だんだんと探っていったところ、その穴が――」

「あの両名の使い込みか!」

「さようでござる。ところが、ここに不審というのは、ふたりともおれが使った、おまえではない、このわしが使い込んだのじゃ、梅五郎の申し立ては偽りでございます、いいえ、豊太の申し立てはうそでござりますと、互いに罪を奪い合うのじゃ。それも申し立てがちと奇妙でござってのう、長年、ごめんどううけた主家が左前になったゆえ、ほっておいてはこの年の瀬も越せぬ、世間にぼろを出さず、鈴文の信用にも傷をつけず、傾きかけたのれんを建て直すには、一攫いっかく千金、相場よりほかに道はあるまいと、五十両張り、百両張り、二百両、三百両と主人に隠れて張ったのが張る一方からおもわく違いで、かさみにかさんだ使い込みが知らぬまに千百三十両という大金になったと申すのじゃ。いわば主家再興の忠義だてにあけたあなではあるし、知らぬ存ぜぬというなら格別、おれじゃ、わしじゃ、おまえではない、うぬではないと言い争って罪を着たがるゆえ、拷問好きの敬四郎どのも痛しかゆしのていたらくで、ことごとく手を焼き、日を見ておりを見てと、入牢させておいたのがこのような朋輩ほうばい殺しになったのじゃ。何から何まで不審ずくめでござるからのう。どうなることやら、困ったことでござる」

いかさま、不審ずくめです。

いかに主家への忠義だての罪であったにしても、互いに罪を奪い合うのがそもそもの不審でした。

ましてや、その一人が他を殺すにいたっては、捨ておかるべきではない。不審のもとは、これは両替屋鈴文にあるのです。

「あにい! 茅場町だッ」

「駕籠かごですかい!」

「決まってらあ!」

「ありがてえ! これでもちがつけらあ。さあこい! 野郎! あば敬の大将、そこらからひょこひょこと出るなよ。めんどうだからな。――へえ、御用駕籠です! はずんで二丁だ。かんべんしておくんなせえ。いいこころもちだね。飛ばせ! 飛ばせ」

ひとかど、ふたかど、四かどと曲がらぬうちに、もうその茅場町でした。

3

なるほどある。

古いのれんに、すず文と染めぬいて、間口も三間あまり、なかなかの大屋台です。

しかし、表の飾り天水おけはあってもたががはじけ、のれんには穴があいて、左前が軒下にのぞいているような構えでした。

「うそじゃねえや。屋根がほんとうに傾いていやがる。――おるか。許せよ」

「いらっしゃいまし……あいすみませぬが、ご両替ならこの次にお願いしとうござります…」

「この次を待ってりゃ土台骨がなくなろうと思って、大急ぎにやって来たんだ。おまえが主人か」

「さようでございますが、だんなさまはどちらの」

「どちらの男でもいい。しょぼしょぼしていてよく見えねえや。もっとこちらへ顔をみせろ」

いぶかるようにあげた顔は、もう六十あまり。――目にはやにが浮き、ほおは青やせにやせこけて深いしわがみぞのように走り、三度三度のいただきものも事欠いているのではないかと思われるような、しょぼしょぼとした老人でした。

そばに丁稚でっちがひとり。

これも食べないための疲れからか、まだ起きたばかりの朝だというのに、こくりこくりと舟をこいでいるのです。

「店のものはこれっきりか」

「ほかにおることはおったんですが――」

「牢へへえったんだろう」

「さようでござんす。よくご存じですな。あのほかにいまひとり――」

「まだいたか!」

「おりました。つえとも柱とも頼んだ番頭がおりましたんですが……」

「なに、番頭!」

「さようでござんす。子どものうちからてまえの兄弟のようにして育ったのがおりましたんですが、店が傾いてくるとしようのないものでござんす。一軒構えたい、のれんを分けてくれと申しますんで、やらないというわけにもいかず、こんな店にまたおってもしかたがあるまいと、ついこのひと月ほどまえに暇をやりました。残ったのはこの小僧ひとり、子もなし、家内もなし、火の消えたようなものでござんす……」

「ふふん、そうか。ひと月ほどまえに暇をとったというか。いくらかにおってきやがったな」

出馬したとしたら早い。

にらみも早いが、ホシのつけ方も早いのです。

「その番頭の構えたという店はどこだ」

「あれでござんす」

「あれ?」

「あの前の横町へ曲がるかどにある店がそうでござんす」

変なところへまた店を張ったものでした。なるほど、店から見とおしの、目と鼻のところに見えるのです。

のれんも新しく、ご両替、鈴新という文字が目を射抜きました。

こんな不思議はない。ふらちはない。別な稼業かぎょうならいざ知らず、同じ商売の両替屋なのです。恩ある主家なら、別な町か、遠いところへ店を張るべきがあたりまえなのに、まるで商売がたき、客争いをいどむように、二町と離れない近くへのれんを張っているのです。

「笑わしゃがらあ。ねえ、あにい、どうでえ。おかしくって腹がよじれるじゃねえかよ」

「そうですとも。あっしゃもうさっきからおかしくってしようがねえんだ」

「ばかに勘がいいが、なにがおかしいかわかっているのかよ」

「わかりますとも。あのおやじの顔でがしょう。ちんころが縫いあげしたような顔ってえことばがあるが、こんなのは珍しいや。浅草へでも連れていったら、けっこう暮れのもち代はかせげますよ」

「あほう」

「へ……?」

「いつまでたっても知恵のつかねえやつだ。だから嫁になりてもねえんだよ。おいらのおかしいのは、あば敬のことなんだ。不審のかどありが聞いてあきれらあ。ちゃんとこの店の前に、不審のかどのご本尊がいらっしゃるじゃねえかよ。のれんを分けてもらった子飼いの番頭が、ご本家へ弓を引くようなまねをするはずがねえ。ふたりの手代どもが忠義顔に罪を着たがったのも、火もとはあの辺だ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑もくずをあばいてお目にかけるから、ついてきな」

「ちげえねえ」

「おそいや! 感心しねえでもいいときに感心したり、しなくちゃならねえときに忘れたり、まるで歯のねえげたみてえなやつだ。そっちじゃねえ。あのかどの鈴新へ行くんだよ。とっとと歩きな」

名人の気炎、当たるべからずです。

表へいってみると、その鈴新が豪勢でした。みがき格子こうしに新あらのれん、小僧の数も四人あまりちらついて、年の瀬を控えた店先には客足もまた多いのです。

「根が枯れて、枝が栄えるというのはこれだよ。鈴新というからにゃ、新兵衛しんべえ、新九郎しんくろう、新左衛門しんざえもん、いずれは新の字のつく名まえにちげえねえ。おやじはいるか、のぞいてみな」

「待ったり、待ったり。穏やかならねえ声がするんですよ。出ちゃいけねえ、出ちゃいけねえ。ちょっとそっちへ引っこんでおいでなさいまし」

「なんだ」

「女の声がするんですよ」

「不思議はねえじゃねえか」

「いいや、若い娘らしいんだ。――ね、ほら、べっぴん声じゃござんせんか……」

なるほど、張りのいい若やいだ声が耳を刺しました。

「久どん! 久どん! いけないよ。なんだね、おまえ、だいじなお宝じゃないか。小判をおもちゃになんぞするもんじゃないよ」

「いいえ、お嬢さま、おもちゃにしているんじゃねえんですよ。精出して音いろを覚えろ、にせの小判とほんものとでは音が違うからと、おだんなさまがおっしゃったんで、音いろを聞き分けているんですよ」

「うそおっしゃい! そんないたずらをしているうちに、また一枚どこかへなくなったというつもりだろう。おとといもそうやっているうちに、小粒が一つどこかへなくなってしまって、出ずじまいじゃないか、ほかのだれをごまかそうとも、このわたしばかりはごまかせないよ。音いろを聞きたかったら、この目の前でおやり!」

権高に店員をしかっているあんばい、むろんこの家の娘にちがいないが、どうやら店のこと、金の出入りの采配さいはいも、その娘が切りまわしているらしい様子でした。

ひょいとのぞいてみると十八、九、――品はないが、まずまずべっぴんの部類です。

「繁盛だな……」

「いらっしゃい。どうぞ、さあどうぞ。そこではお冷えなさいます。こちらへお掛けなさいまし」

あいきょうがまたばかによい。こぼれるような笑顔えがおをつくりながら、こわい名人を名人とも知らないのか、下へもおかない歓待ぶりでした。

「ご両替でございましょうかしら? お貸し金でございましょうかしら? ――お貸し金のほうなら、もう暮れもさし迫っておることでございますゆえ、抵当がないとお立て替えできかねますが……」

「金に用はない。のれんに用があって参ったのじゃ」

ずばりと、切りさげるように一本くぎをさしておくと、やんわりといったものです。

「小判に目が肥えているなら、こっちのほうも目が肥えておろう。この巻き羽織でもようみい」

「まあ。そうでござんしたか。どんなお詮議せんぎやら、朝早くのご出役ご苦労さまでござります。お尋ねはにせ金のことかなんかでございましょうかしら?」

おどろく色もなく嫣然えんぜんと笑って、流るる水のごとくなめらかに取りなしました。

「なんのお調べでござんしょう? わたくし、娘の竹というものでござります。わたしでお答えのできないことなら親を呼びますが……」

「おるか!」

「朝のうち一刻ひとときは信心するがならわし。あのご念仏の声が親の新助でござります」

「いいや、行く、行く。お上のだんなの御用ならいま行くぞ……」

耳にはさんだとみえて、いそいそと出てきたその親の新助が、また至極とあいそがいいのです。

「毎度のご出役ご苦労さまでござります。おおかただんなさまも、てまえのうちが向かいの主人の鈴文さまのお店より景気がいいんで、それにご不審をうってのお越しじゃござんせんか」

「よくわかるな。どうしてそれがわかる」

「いいえ、敬四郎のだんなさまもそのようにおっしゃって、たびたび参りましたんで、たぶんまたそんなことだろうと察しがついただけなんでございますよ。そのご不審でのお越しならば、ここに一匹招きねこがおりますゆえ、ようごろうじませ。アハハハハ。親の口からは言い憎いことでござりまするが、一にあいきょう、二にあいきょう、若い娘のあいきょうほど客を引くにいい元手はござりませぬ。店の繁盛いたしますのも、みんなこの招きねこのせいでございますよ。ほかにご不審がございましたら、お白州へでも、ご番所へでも、どこへでも参ります。なんならただいまお供いたしましてもよろしゅうござります。アハハハハ。いかがでござります。だんなさま」

にこやかに笑って、あいそのいい応対ぶり、さながらにすべすべとしたぬれ岩をでもつかむようでした。

「ふふん。しようがねえや……」

不思議です。

なんと思ったか、とつぜん名人が吐き出すようにつぶやいたかと思うと、にやにや笑いながら、さっさと店を引きあげました。

4

「ま、ま、待っておくんなさい! なにとぼけたまねをするんです! どんどん行って、どこへ行くんですかよ」

おどろいたのは、いつもながらの伝六です。

「またなにかいやがらせをするんですかい」

「アハハ……」

「アハハじゃねえですよ。根が切れた、つるが切れた、詮議せんぎの糸がなくなったらなくなったと、正直にいやいいんだ。てれかくしに笑ったって、そんなバカ笑いにごまかされるあっしじゃねえんですよ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑もくずをあばいてやらあと、たいそうもなくりっぱな口をおききでしたが、ぱんぱんはどこへいったんです。藻屑はどこへ流れたんですかよ」

「うるさいよ」

「いいえ、うるさかねえ、だんな! これがうるさかったら、伝六はめしの食いあげになるんだ。出のわるいところてんじゃあるめえし、出しかけてやめるたア何がなんですかよ。しらべかけて逃げだすたア何がおっかねえんですかよ。お竹とかいったあの娘に、ぽうときたんですかい」

「がんがんとやかましいやつだな。あのおやじがホシだ、くせえとにらんだ目に狂いはねえんだ。ねえけれども、おやじもおやじ、娘も娘、ああいうのが吟味ずれというんだよ。すべすべぬらぬらとしゃべりやがって、あんな親子をいくら締めあげたってもむだぼねなんだから、あっさり引きあげたんだ。手をまちがえたのよ、手をな」

「手とね。はてね……」

「わからねえのかい。ああいうやつには、動かぬ証拠をつきつけて責めたてるよりほかには手がねえんだ。その手をまちがえたというんだよ。とんだ忘れものさ。むっつり流十八番桂馬けいま飛びという珍手を忘れていたはずだが、おまえさん心当たりはないかえ」

「さあ、いけねえ。食い物のことじゃござんすまいね。そのほうならば、ずいぶんとこれで知恵は回るんだが……」

「ドスだよ」

「へ……?」

「ぎっちょの梅五郎が豊太をえぐったあの匕首あいくちなんだ。刃物の持ち込み、出し入れのきびしいお牢屋だ。どこのどやつが梅五郎のところへ届けたか、肝心かなめ、たいせつなお詮議ものを度忘れしていたじゃねえか。しっかりしろい」

「ち、ち、ちげえねえ。――急ぎだよ! 駕籠屋かごや! 待っておれといったのに、どこをのそのそほつき歩いているんだ。牢屋へ行きな! 牢屋へ!」

ひゅう、ひゅうと風がうなってすぎて、駕籠もうなるような早さでした。

しかし、行きつくと同時に、右門の足はぴたりとくぎづけになりました。

はいろうとしたお牢屋同心の詰め所の中から、ぴしり、ぴしりとむちの音が聞こえるのです。

痛み責めの音にちがいない……。

敬四郎、得意の責め手なのでした。さては? ――と思って、のぞいた目に映ったのは、意外です。

責めているのは、あの源内でした。打たれているのは、お牢屋づとめの番人らしい若い小者なのでした。

「なにをお責めじゃ」

「おう、おかえりか。太いやつじゃ。こいつが、こいつめがあのドスを――」

「差し入れたといわるるか!」

「そうなのじゃ。人手にまかして源内ばかり高見の見物もなるまいと、ドスの差し入れ人をしらべたところ、ようやくこやつのしわざだということだけはわかったが、なんとしてもその頼み手を白状せぬゆえ、責めておるのじゃ。――ふらちなやつめがッ。牢屋づとめをしておる者が科人とがにんとぐるになって、なんのことじゃ。ぬかせッ、ぬかせッ。ぬかさずば、もっと痛いめに会うぞッ」

ぴしり、ぴしり、と折檻せっかんの手の下るのを、しかし小者は必死と歯をくいしばってこらえながら、白状は夢おろか、あざわらいすら浮かべているのです。

その顔をひょいとみると、ほんのいましがた床屋へいってきたらしい跡が見えました。月代さかやきもそったばかりで、髪にはぷうんと高い油のにおいすらもしているのです。

「アハハ……よし。わかりました。痛め吟味ばかりが責め手ではござらぬ。口を開かせてお目にかけましょう。この右門におまかせくだされい」

さえぎるように源内の手からむちをとって投げ捨てると、やにわにちくりとえぐるように浴びせかけました。

「おまえ、今晩あたり、うれしいことがあるな!」

「…………!」

「びっくりせんでもいい。むっつり右門の目は、このとおりなにもかも見通しだぜ。おまえ、きょう非番だろう!」

「…………」

「おどろいているだけじゃわからねえんだ。返事をしろ! 返事を!」

「そうでござんす。非番でござんす」

「だから床屋へいってきたというだけじゃあるめえ。そのめかし方は、まずうれしい待ち人でもあるといった寸法だ、今夜きっと会いましょうと口約束した待ち人がな。しかも、その待ち人は女だろう! 違うか! どうだ!」

「…………!」

「返事をしろッ、返事を! いちいちと、そうびっくりするにゃ当たらねえや。おまえらふぜいを責め落とすぐれえ、むっつり右門にゃ朝めしめえだ。安い油をてかてかとぬったぐあい、女に会えるからのおめかしに相違あるめえ。どうだ、違うか!」

「そ、そ、そうでござんす」

「その女がドスの頼み手、こいつをこっそり梅五郎さんに届けておくんなさいまし、さすればどんなことでもききます。あすの晩にでもと、色仕掛けに頼みこまれて、ついふらふらと、とんでもねえドスのお使い番をしたんだろう。女は年のころ十八、九、あいきょうたっぷり、こいつもにらんだ眼に狂いはねえつもりだが、違うか、どうだ」

「…………!」

「返事をしろッ、返事を! むっつり右門の責め手は理づめの責め手、知恵の責め手、こうとにらんだら抜け道のねえ責め手なんだ。年もかっきりずぼしをさしたに相違あるめえ。どうだ、青っぽ!」

「そ、そ、そのとおりでござります……」

「よし、わかった。もうそれで聞くにゃ及ばねえ。伝六、また駕籠だ。おめえひとりがよかろう。あの親子をしょっぴいてきな」

「親子!」

「今のあの鈴新親子を引いてこいというんだ。これだけの動かぬ証拠がありゃ、もう否やはいわせねえ。しかし、おめえは口軽男だ、うれしくなってぱんぱんまくしたてたらいけねえぜ。ちょっとそこまでと別口のおせじでもいってな、のがさねえように、うまく引いてきな」

「心得たり! ちきしょうめ。こういうことになりゃ、伝あにいのおしゃべりじょうずは板につくんだ。たちまち引いてくるから、お茶でも飲んでおいでなせえよ」

忙しい男です。

ぴゅうぴゅうと、うなりをたてて飛んでいく姿が見えました。

遠いところではない。

二杯とお茶を飲むひまのないまもなくでした。

エへへ、という声がしたと思うといっしょに、その伝六がなにをべらべらやっているのか、しきりにさえずりながら、新助お竹の親子を手もなく引いてきたのです。

「さあ来たんだ。べらぼうめ! 神妙にしろ。得意のむっつり流で、ぱんぱんとやっておくんなせえまし!」

突き出すように押してよこしたふたりの前へ近づくと、ぶきみなくらい穏やかにやんわりとまずくぎを刺しました。

「さっき妙なことをいったな。不審なところがあったらお白州へでもご番所へでも参りますといったけえが、忘れやしめえな、新助」

「な、な、なんでござんす!」

「急に目いろを変えるな! その不審があってしょっぴいたんだ。娘からさきにとっちめてやろう。竹! 前へ出い!」

「…………」

「なにを青くなって震えているんだ。あいきょうが元手でござんす、こういう招きねこがおるんでござんすと、親バカの新助が自慢したおまえじゃねえか。度胸があったら、このおいらの前でもういっぺんあいきょうをふりまいてみなよ」

「いいえ、そんなことは、そ、そ、そんなことは」

「時と場合、出したくてもこの恐ろしい証拠を見せつけられては、肝がちぢんで出ねえというのか! ――そうだろう。ようみろい、この証拠を!」

「な、な、なんの証拠でござんす。証拠とはどれでござんす」

「このドスだ」

「えッ……!」

「それから、この牢番の青っぽうだ。みんなべらべらと口を割ったぜ。こいつを左ぎっちょの梅五郎さんにこっそりと届けてくださいまし、そうしたらなんでもききます、今晩でもおいでくださいましと、とんでもねえ両替仕込みの安いあいきょうをふりまいて、おまえから色仕掛けに頼み込まれたとな、残らずしゃべったよ。どうだい、ずうんと背筋が寒くなりゃしねえか」

「バ、バ、バカな! たいせつな娘に、なにをおっしゃいます! バカな!」

問い落とされたら大事と思ったか、あわてて親の新助が横からわめきたてました。

「とんでもないお言いがかりをおっしゃっちゃ困ります。たったひとりの婿取り娘、色仕掛けのなんのと人聞きのわるいことをおっしゃっちゃ困ります。バカなッ。ドスがどうの、梅五郎がどうのと、娘にかぎってそんなだいそれたことをする女じゃござんせぬ!」

「たしかにないというか!」

「ござんせんとも! てまえら親子に、何一つやましいことはござりませぬ。両替仕込みの安いあいきょうがどうだのこうだのとおっしゃいましたが、娘のあいきょうを安く売るといったんじゃござんせぬ。商売はあいきょうが第一、店の繁盛はあいきょうが元手、幸い娘があいきょう者ゆえ店も繁盛すると申しただけでござります」

「控えろッ。では、おまえにきこう。娘のあいきょうが元手になって繁盛いたしますといったその店を張るについての、そもそもの元手はどこからひねり出したんだ。あの鈴新ののれんを出した元手の金はどこから降ってわいたんだ」

「それはその、元手はその……」

「その元手はどこの小判だ。まさかに、一文なしじゃあれだけの店は張れめえ。しかも、不思議なことには、ご主家筋の鈴文はあのとおり落ちぶれて、千百三十両という大穴があいているというんだ。変な穴じゃねえか。なあおい、新助おやじ!」

「…………」

「なにを急に黙りだしたんだ。おいらが不審をうったのはその小判、千百三十両という大穴だ。小判はものをいわねえかもしらねえが、おいらの目玉はものをいうぜ」

「…………」

「どうだよ。おやじ! 聞きゃ鈴文店で子飼いからの番頭だという話だ。その番頭がひと月まえに暇をとって新店をあける。あけたあとで千百三十両の大穴がわかった。わかったその大穴は、わたしが相場にしくじってあけたんでござんす、いいやおまえじゃねえ、おれが使い込みの大穴だと、世にも珍しい罪争いが起きているというじゃねえかよ。争っているのは、ふたりとも男ざかりの手代だ。ひとりは三十四、ひとりは二十八、その若いほうの手代の左ぎっちょの梅五郎のところへ、おまえの娘がこっそりドスを届けたんだ。匕首あいくちをな。届けたら、けさになって豊太が刺し殺されていたんだ。どれもこれも、おかしなことばかりじゃねえかよ。争って罪を着たがったも不審、娘がドスを届けたも不審、しかも娘は婿取りだというんだ。男のほしい娘だとな。――どうだい、おやじ。これだけ筋を立ててたたみかけりゃ、もうよかろう。白状しな! 白状を!」

「…………」

「いわねえのかッ。じれってえな! おたげえに年の瀬が迫って気が短くなっているんだ。いわなきぁ、ぎっちょの梅五郎と突き合わせてやろうよ。めんどうだ。伝六! あの野郎をしょっぴいてきな!」

「いいえ、も、も、申します。恐れ入りました」

ついにどろを吐いたのです。

「お察しのとおり、千百三十両はこの新助が三年かかってちびりちびりとかすめてためた大穴でござります。いずれは店も出さねばならぬ、その用意にと長年かかってかすめたんでござりまするが、あそこへ店を出すといっしょに大穴がばれたんでございます。それを知って、罪を着ようといいだしたのが、あの豊太と梅五郎のふたりでござんした。ふたりともいまだにひとり身、娘は婿取り、罪を着る代わりにおれを婿におれを婿にといいだしたのが、こんな騒動のもととなったのでござります。なれども、娘のすきなのはあの梅五郎、きらいな豊太と末始終いっしょにならねばならぬようなことになってはと、娘がひどく苦にやみましたゆえ、ええ、めんどうだ、ついでのことに豊太を眠らせろと、この親バカのおやじが悪知恵をさずけて、梅五郎に刺し殺させたのでござります。しかし、あいつはぎっちょ、そんなことから足がつかねばよいがと、じつは内心胸を痛めていたんでございますが、なにがもとでばれましたやら、恐ろしいことでござります。主家を救うための使い込みと申し立てさせたのもみんなこの新助の入れ知恵、そんなことにでも申し立てたら、いくらか罪も軽くなり、なったら早くご牢ろう払いにもなることができましょうとの魂胆でござりました。恐れ入りましてござります……」

「そうだろう。おおかたそんなことだろうと思っていたんだ。せっかくしりをぬぐってやって、ほねおり損だが、こんなしみったれのてがらはほしくねえ。のしをつけて進上するからと、すまぬが源内どの、敬四郎先生のところへだれか飛ばしてくれませぬか。不審のかどは丸くとれましたといってな。そのかわり、だいじなさばきだけを一つつけておいてあげましょう。――おやじ、千百三十両は鈴文さんに成り代わっておいらがもらってやるぜ。利子をどうの、両替賃をいくらつけろのと、はしたないことをいうんじゃねえ。元金だけでたくさんだからな。それだけありゃ、鈴文の店ののれんもまた染め直しができるというもんだ。伝六、おめえひとっ走りいって、あのしょぼしょぼおやじの顔のしわをのばしてきてやんな!」

「心得たり! さあ、これでもちがつけるんだ。とみにうれしくなりやがったね。一句飛び出しやがった。――もちもちと心せわしき年の暮れ、とはどうでござんす」

風がつめたい……。

底本 / Source edition

底本:「右門捕物帖(四)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:M.A Hasegawa
2000年3月3日公開
2005年9月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/000570_000111/

佐々木 味津三「右門捕物帖──35 左刺しの匕首」(新字新仮名)、底本『右門捕物帖(四)』春陽文庫、春陽堂書店、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000570_000111, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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