Soranoha

楽しい手術

たのしいしゅじゅつ

中谷 宇吉郎

四年ばかり前に、K國手の手で、扁桃腺をとって貰ったことがある。年とってから扁桃腺をとるのは、そう樂なものではないが、何といっても日本の第一人者であるから、手術そのものは極めて巧く行った。

しかしあと三日ばかり、ものを飮みこむ時に、ひどく痛くて、全く閉口した。流動物でも、一口飮みこむことが、すでに大變な難事業であった。鯉みたような恰好に、上を向いて口を大きくあけ、生卵を一つ流し込む。そして一二度息をととのえて、度胸をきめて、エッとばかりに飮みこむのである。ちびちび飮んでは、却って痛いからである。

三日目だったか、まだ依然として痛い。そしたらK氏が「あなたはお酒が好きですか」と、妙なことを聞かれる。「ええ、好きですが、今はお酒どころではありません」というと「それならウィスキーを一杯差上げましょう。思い切って、グッと一杯やって、それから食べると少しは樂ですよ」と、まことに意外な話である。思い切って實行してみると、なるほど氣のせいか、少し樂なようである。K氏は「酒精は一種の麻醉藥ですからね」と、ニヤニヤしておられた。

この話も、實はもうすっかり忘れていたのであるが、最近のアメリカの新聞に、これに類似した話が載っていたので、思い出したわけである。

アメリカの話は、もう少し徹底しているので、鼻の手術をする時に、少し酒精をやって、音樂を聞かせながら手術すると、結果がいいという話なのである。まあ「樂しい手術」をしようというのである。

もっとも酒を飮ますのではないので、ブドウ糖とヴィタミンB、Cとの溶液に、五パーセントの酒精を混ぜて、靜脈に少量注射するのである。微醉以下の量であるから、一杯機嫌で手術をしてもらうというわけにはいかないが、それでも氣分が樂になり、過度な危惧感からあるていど解放される。

この場合、酒精は鎭靜劑あるいは催眠劑的な作用をするのだそうで、その上手術が始まると、イヤホーンを患者につけさせ、靜かな古典音樂を聞かせるというのであるから、なかなか話が凝っている。蓄音機をかけたのでは、お醫者さんが、いい氣持になってしまう恐れがあるからであろう。

少し話が面白過ぎるので、冗談と思う方もあるかも知れないが、報告をしたのは、イリノイのフリーメーソン病院に勤めている二人の醫者である。そして報告は國際外科大學雜誌に載っているそうであるから、全くの茶話ではない。今に「樂しい手術は當院へ」などという廣告が出るようになるかも知れない。どうも驚いた話である。

底本 / Source edition

底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2026年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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中谷 宇吉郎「楽しい手術」(旧字新仮名)、底本『百日物語』文藝春秋新社、1956年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 061463_001569, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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