Soranoha

大漁貧乏

たいりょうびんぼう

中谷 宇吉郎

最近のラジオで、宮城縣のサンマの大漁貧乏の話をしていた。

サンマがとれすぎて、加工も間に合わず、一貫三十圓まで下がったが、それでも買い手がないということであった。漁業會の人だったかが、「もうこうなると、少し漁がなくなってくれるのが、一番いいんですがね」とこぼしていた。

氷が間に合わず、魚肥にするにも釜が足りないとなると、こういう贅澤な(?)悲鳴が出るのも仕方がないことであろう。不漁で一番困るのは漁師であろうが、とれすぎても、やはり漁師が一番困るのでは、全く浮ぶ瀬がない。

昔、二十年ばかり前の話であるが、札幌へ初めて赴任してきたころ、鮪がとれすぎて、大暴落をしたことがある。釧路の附近で、鮪の大漁があって、氷と輸送とに困り、大鮪一匹八十錢にまで下がったことがある。今の圓價にして二百五十圓くらいである。

その時と限らず、そのころ一般に、札幌では鮪がたいへん安く、刺身一人前五錢であった。東京ではそれが五十錢もしていて、われわれには、滅多に口に入らぬ御馳走であった。人の良い叔父がいて、一生の望みは、一度鮪の刺身を、腹一杯食べて見たいというのであった。

その叔父が、たまたま札幌へきたので、一圓五十錢を奮發して、三十人前の鮪の刺身を、大皿一杯に盛って出した。最初はぎょっとしたらしいが、一生の望みを此處で果そうと、悲壯な決心をしたものと見えて、到頭それを全部平げてしまった。あと別に腹をこわした樣子も見えなかったから、人間三十人前までは、鮪の刺身を食っても大丈夫なようである。

とれ過ぎて安くても、こういう風に、消費者に喜ばれれば、まだよい。しかし肥料にもならなかったら、まことに情ない氣持になるであろう。苦勞した漁師たちに氣の毒なばかりでなく、貧しい日本にとって、最大の資源を浪費することにもなる。

これは澁澤敬三さんに聞いた話であるが、アメリカ太平洋岸の鰯漁業者たちは、漁獲高の數パーセントをそれぞれ醵出して、魚類學者に、研究費として渡しているそうである。研究課題は、現在の鰯の漁獲量を、このまま續けて行っても、將來資源が枯渇するようなおそれが無いか否かを、調べてもらうというのである。

本當は、其處まで行くのが理想的であるが、日本の現状では、まだ少し無理であろう。それにしても、今少し水産資源の保護ということも、考えた方がよいのではなかろうか。北海道の鯟が、年々にとれなくなって、北海道の經濟全體に響いていることは、周知のとおりである。

こういう問題は、不漁の時に出しても駄目で、大漁の時こそ、言い出すのに一番よい時機のように思われる。

底本 / Source edition

底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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中谷 宇吉郎「大漁貧乏」(旧字新仮名)、底本『百日物語』文藝春秋新社、1956年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 061462_001569, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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