Soranoha

原子力の切手

げんしりょくのきって

中谷 宇吉郎

この頃アメリカでは、原子力平和利用の切手を賣っている。米大陸を見せた地球の一面と、歐亞大陸の面と、二つの地球を並べて、これを原子核に見立て、電子軌道の形の輪でつつんだ圖柄である。この構圖は、この種の切手としては、秀逸である。

〔図〕fig61447_01.png原子力の切手(原物は青色刷)

原子力の切手(原物は青色刷)

「原子を平和へ」という標語が眞ん中にあり、周圍には、人間の創造力は、人生に捧げられるべきである、という意味の言葉がつけ加えてある。これはそう巧くないが、アメリカ人は、この種の標語がなかなか巧く、それが異人種雜居のこの國の世論をまとめるのに、一役買うことがよくある。

今さら言っても仕樣のない話であるが、今度の大戰の直前、アメリカの世論は、日本との戰爭に、決して向いていなかった。ところが眞珠灣の奇襲が發火點になり、すかさずアメリカ政府は「眞珠灣を忘れるな」という標語(リメムバー・パール・ハーバー)でもって、國内の世論を、完全に戰爭一本にまとめたのだそうである。この標語は、切手の消印に、戰後大分あとまで使われていた。

話はもとに戻るが、こういう原子力平和利用へ切手まで出していることは、アメリカ政府が、今度の原子力提案に、相當本腰を入れている證據とも見られる。日本政府は、國内の「紐附き」論に惱まされているが、米國政府にもまた惱みがある。それは國民の多大な税金を使った研究および資材を、外國へ無料でやるのは怪しからんという國民の聲を、抑えねばならないからである。

民主主義の國というものは、厄介なもので、何でも一々國民に知らせて、その納得が得られないと、ことが行われない。それでこういう切手などを出して、原子力は平和目的に使用しなければならないと、國民に宣傳をしているのであろう。

もっとも事柄自身は良いことなので、新聞なども、大いに政府の肩をもっているらしい。漫畫にも、ちょいちょいそういうのが出る。勞働者が鐵板を熔接している畫には「原子力を平和に」という火花が散っている。その傍に、西洋風な鬼がしゃがんでいて、横に「原子力」と書いた刀の鞘だけが捨ててある。まあこういった風な、きわめて原始的な漫畫である。しかしそれでも、言おうとしていることはよく分る。

最近の科學の進歩は、アメリカと限らず、世界の主な科學國では、その速度が非常に大きい。原子力の平和利用も、これ等の國々が、本腰を入れたら、案外早いうちに、實用になるかもしれない。

底本 / Source edition

底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2024年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/061447_001569/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/061447_001569/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/061447_001569/

中谷 宇吉郎「原子力の切手」(旧字新仮名)、底本『百日物語』文藝春秋新社、1956年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 061447_001569, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite