Soranoha

アラスカの氷河

アラスカのひょうが

中谷 宇吉郎

アラスカというと、日本では非常に寒いところと、一般には思われている。しかし内陸および北氷洋岸を除き、太平洋側のアラスカは、そうひどく寒いところではない。唯どこでも、風が非常に強いので、人體にはひどく寒く感ぜられる。

アラスカの一部は、太平洋岸に沿って、加奈陀の方まで、ずっと伸びている。この附近には氷河がたくさんある。カナダロッキイの高山地帶に降った雪が、氷河になって流れ下り、アラスカ領にはいって、太平洋に落ち込んでいる。この邊を飛行機でとぶと、屈曲した海岸は、荒削りの一刀彫を思わせる雄渾な姿を見せ、遙かなる天涯からは、雄大な氷河が海まで流れ入っている。

そういう氷河は、大小併せて十以上もつづいていて、全く人界を離れた荒涼たる景色である。そういう氷河の一つに、メンデンホール氷河というのがある。アラスカが露領であったころの首都ジュノウの近くである。この氷河は、直接海に落ち込まず、末端は海岸近くにある一つの湖に接している。それで湖水の中に押し出された氷河は、氷塊となって、湖面上に浮んでいる。この氷塊は大部分、氷の大きい單結晶である。

氷も結晶であるが、普通に池の水が凍って出來るような天然の氷も、冷藏庫などに入れる人造氷も、本當の結晶ではない。という意味は、小さい部分を見れば結晶であるが、たくさんの小さい結晶が、勝手な向きに混り合って、一つの氷塊をつくっているので、全體としては、無定形のような性質をもっている。氷塊をつくっている個々の結晶は、普通の氷では、小指の先くらいの大きさである。そういう小さい結晶が、何千個、何萬個と、勝手な向きに集まり合って、一つの氷塊をつくっているわけである。

氷の結晶は、非常に不思議な性質をもっている。その研究をしないと、氷塊または氷柱全體の性質を、科學的に明らかにすることは出來ない。それで以前から、氷の大きい結晶を造って、その結晶について、いろいろな性質を調べようと、たくさんの科學者たちが、努力して來た。

しかし氷の大きい結晶をつくることは、非常に困難で、現在の知識の粹をつくして、一所懸命やっても、人差指くらいの結晶をつくるのに、一週間もかかる。それもよほど運のいい時でないと、出來ない。

ところが、アラスカの氷河の末端へ行くと、一抱えもあるような、氷の大きい結晶が、いくらでも、轉がっている。カナダロッキイの頂に降った雪が氷河になって何千年もかかって、強大な壓力の下で、ゆっくり流れ降りて來る間に、結晶がだんだん生長するのである。人間の知識が、これほど進歩しても、まだまだ天然にはかなわない。

底本 / Source edition

底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年2月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/061429_001569/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/061429_001569/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/061429_001569/

中谷 宇吉郎「アラスカの氷河」(旧字新仮名)、底本『百日物語』文藝春秋新社、1956年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 061429_001569, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite