私は中原が訳すまで、ラムボオに『学校時代の詩』というもののあることを知らなかった。<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>の全集には載っていないものである。日本流に数えて十五歳から十七歳までの作品らしい。

私は今までラムボオは神童だったに違いないと考えていたが、この詩集を読んでみると私の考えがまちがっていたことに気付いた。大人びたところがまるでない。その上、神童らしい神童の鋭さもない。だから後年やや長じて、ひとたび懐疑の真底へぶつかるや、まっさかさまに地獄へ墜落していった荒々しいのたうちが<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>よく分った気がした。実を言うと、私は神童なぞは<ruby><rb>凡</rb><rt>およ</rt></ruby>そ面白くもないのである。

此の詩集の時代のラムボオは平凡な少年詩人だったと言っていい。これは悪い意味に言っているのではなく、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ後年の振幅を理解させるに充分なほど大きな平凡であったとの意である。十五歳の詩は全く十五歳の感傷に終始しているし、十六歳の最初の詩は甚だ厭世的であるけれども、それは形が厭世的であるだけで深さも鋭さも全く十六歳の少年そのものである。鋭い狙いもない。いわば彼のこの時代は少年詩人的な好奇心がすばらしく旺盛であるだけである。感覚も平凡であるし神経はむしろ鈍い。いわば形でこしらえた<ruby><rb>贋物</rb><rt>にせもの</rt></ruby>といっていいが、あらゆる点に於て贋物の形が大きい。贋物としては本格的である。<ruby><rb>従而</rb><rt>したがって</rt></ruby>、やがて後年ひとたび真実の形にはいると、全身をもって物の真底にふれ<ruby><rb>懊悩</rb><rt>おうのう</rt></ruby>しだした<ruby><rb>麒麟児</rb><rt>きりんじ</rt></ruby>の姿がハッキリ分るように思うのである。神経の細い鋭さではなしに、いきなり全郁的に投げ込むように物の奥底へふれていった荒々しいのたうちが分るのである。ラムボオは十八歳頃からそろそろ大人になったのであろう。いわば早熟な芸術家ではあったが、神童ではなかったらしい。凡そ神童とは反対に、脱皮の時機が来るまでは、常人の頂点を歩いて育っていったものだと思われる。私は中原の訳詩を読んでそう思ったのである。そして、このことから、後日のラムボオが尚よく理解できたように思えた。

（「椎の木」昭和９年３月１日）