Soranoha

おもしろい話

おもしろいはなし

畔柳 二美

私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。

例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」

たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。

あるとき、私は、大いに意気ごんで父に忠告をしたことがあった。

「父さん、あのね、あんまり『こ』をつけないほうがいいよ。何となく下品にきこえるもの」

「自分では気がつかないが、父さんは、そんなに「こ」をつけるかな」

「つけるねえ。これからは、ぜったい言葉の終りに『こ』をつけないほうがいいと思う」

父は、私をみおろして、にっと笑った。

「それも程度問題だ。あんまり緊張すると、話ができなくなってしまうときがあるものだ。父さんの国では、他の場所へいったとき、みな、この『こ』に全神経を使うために、笑い話まであるほどなのだ。ある人が東京へいって、ぜったいに『こ』を使わずに話をした所、たいへん調子よくいったので、勢いに乗じて街へ一人で買いものにでかけたのだ。ところが、そのうちにたばこが吸いたくなったのでその人はたばこ屋の前で立ちどまった。

『たば、をくれ』

たばこやさんは、おどろいて、その人をじろじろみまわしながら頭をさげたそうだ。

『あいにく、そのお品は、ただいま品切れ中でございます』

すると、その人は、すっかりふんがいしてしまって、大声で云った。

『この、じっこは、何というじっこだ。そこの娘っこのそばの棚っこの上に、バットも、朝日も、敷島も、山っこほど、たばがあるでないか。俺を田舎っぺだと思ってあなどっても、俺のまなこは、こんなにでっかい目っこだわ』

これは、笑い話だけれど、父さんには、その人の困ったり怒ったりする様子がよくわかるのだ」

父は、そして、アハハと笑った。

その話をきいてからは、私は子供ながらにも、人が、緊張したときの話ぶりに気をつけるようになった。すると、まもなく、家のなかでは、一番立派な言葉づかいをすると思いこんでいた母の失敗を知っておどろいたのだ。

父の上役の奥さんがきたときであった。

「えええ、どうえたしますて、ほんとうに、ほんとうに、何と申しあげますておよろしいことでございますやら」

私は、傍で頬が赤くなるほどはらはらしていたが、母は、ついに「いいえ」という発音を忘れてしまったようであったし「あげまして」を「あげますて」また、「どうえたしますて」で、おしとおしてしまった。

北海道では、そのころ、小学校でも女学校でも、先生たちの中には「い」と「え」「す」と「し」の発音をまちがえている人がずいぶんあった。そのせいかどうかわからないが、二十才すぎになって上京した私は、平気で、「越後」を「いちご」と云っていたし、「鉛筆」を「いんぴつ」と発音していた。その他思いだすとずいぶん沢山あるようだけれども自分の失敗談は、なるべく止めにして、三十代に住んでいた関西へ移ろう。

私は、阪神間のある町に住んでいたのであるが、その土地の言葉よりも、そこの隣家に住んでいた京都出身の婦人の言葉が、今でも一番強く印象にのこっている。彼女は、京都とは云っても、先斗町という花柳界に育っているために、一般人よりも更に封建的な言葉をつかっていたのかも知れない。

その婦人は、「足」のことを、「あいやあ」と云い、「手」のことを「てて」と云っていた。

あるとき、その婦人が、いかにも寒むそうな顔つきで私に云った。

「うち、どないしましたんやろう、えろう、さぶうて、さぶうて、かなしませんのどす」

「おこしをたくさん巻いたらいいでしょう」

すると、その婦人は、目をまんまるにして私をみつめた。

「はあー、そうどすか。そない話ききますの、うち、はつみみどす。そんで、そのおこしはどこえまきますのどす」

「それは、その、腰へ巻くんです」

「へえー、腰へまきますのどすか。それで、おこしは、あわおこしがよろしゆおますか」

今度は、私のほうの目が、まんまるになってしまった。彼女たちは「すそよけ」もしくは「腰まき」と云っていたのであった。

その婦人は「かたい」ということを「かんぱちこ」と云った。餅が、かたい、というときには、「お餅さんが、えろう、かんぱちこになってますぅ」と云い、油が凍った、ときには、「えらい、油が、かちかちのかんぱちこ」と云った。

ある日、その婦人の子供が病気になった。朝から、医者がくるやら、氷を買うやらの大騒ぎをしていたが、やがて、そのうち、家政婦会から派出婦がやってきた。そのときまで手伝っていた私は、派出婦の姿をみかけるや、すっかり安心をして家へ帰った。

ところが、その隣家の婦人は、二十分もしないうちに、顔色をかえて私の家へ駈けてきた。

「ほんまに、どないしましたら、よろしゅうおまっしゃろ。せっかく、家政婦さんがきいてくれはって、やれやれ思いましたのどすけれど、なにが、なにやら、ちんぷんかんぷん、わけ、わかりしまへんのやわ」

「それ、一体、何のこと」

「なんのことも、かんのことも、あらしません。せっかく、早ようにきてくれはったはよろしおますが、あのかた、朝鮮のおかたどす。うちが、ゆうて、話しても、うろうろ、うろうろ。ゆうたとおりに、動きしませんのどす。その上、あのお方の言葉ゆうたら、ほんまの朝鮮語どす。奥さん、お頼み申します。きておくれやっしゃ。みて、おくれやす」

私は、彼女が朝鮮語を知っている、ということを意外に思ったが、とにかく、一緒に、彼女の家へ駈けつけた。いかに働き者とはいっても、急病人のいる家へ言葉の通じぬ人では、たいへんだと考えたからだ。

白いエプロンをかけ、頬の赤々とした元気そうなその娘さんに、私は、いきなりきいた「きいた」はママ

「ご苦労さま。あなた、年は、いくつ」

「ハイ、にずう、す、です」

「この土地で育った方でないでしょう」

「ハイ、そんです」

「お国は、どちらなの」

「ふぐすまけん。あえずです。すんせきがあって、いずかまえに、きだばかりです」

福島県、会津。親戚が居て、五日前に来たばかり。というのだ。娘は二十四才。

京都の花柳界に育って、他の土地を知らない婦人と、福島県から親戚を頼って働きにでてきた娘さんとの通訳を、私は、笑いをかみしめながらつとめたのであった。(作家)

底本 / Source edition

底本:「言語生活 四十六号」筑摩書房
1955(昭和30)年7月1日発行
初出「言語生活 四十六号」筑摩書房
1955(昭和30)年7月1日発行
※「こつこ」と「こっこ」、「たばこ屋」と「たばこや」、「『こ』」と「「こ」」の混在は、底本通りです。
入力:かな とよみ
校正:持田和踏
2022年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/061089_002200/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/061089_002200/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/061089_002200/

畔柳 二美「おもしろい話」(新字新仮名)、底本『言語生活 四十六号』筑摩書房、1955年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 061089_002200, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite