二三日降り続いた秋雨が止んで、カラリと晴れ<ruby><rb>渡</rb><rt>わた</rt></ruby>った快い朝であった。

<ruby><rb>江戸川縁</rb><rt>えどがわべり</rt></ruby>に住んでいる<ruby><rb>啓吉</rb><rt>けいきち</rt></ruby>は、いつものように十時<ruby><rb>頃</rb><rt>ごろ</rt></ruby>家を出て、<ruby><rb>東五軒町</rb><rt>ひがしごけんちょう</rt></ruby>の停留場へ急いだ。<ruby><rb>彼</rb><rt>かれ</rt></ruby>は雨天の日が<ruby><rb>致命的</rb><rt>フェータル</rt></ruby>に<ruby><rb>嫌</rb><rt>きらい</rt></ruby>であった。従って、こうした秋晴の朝は、<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby>の<ruby><rb>裡</rb><rt>うち</rt></ruby>に何かよい事が自分を待っているような気がして、何となく心がときめくのを覚えるのであった。

彼は<ruby><rb>直</rb><rt>す</rt></ruby>ぐ江戸川に差しかかった。そして、<ruby><rb>小桜橋</rb><rt>こざくらばし</rt></ruby>と<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>う小さい橋を渡ろうとした時、ふと上流の方を見た。すると、石切橋と小桜橋との中間に、<ruby><rb>架</rb><rt>か</rt></ruby>せられている橋を中心として、そこに、常には<ruby><rb>見馴</rb><rt>みな</rt></ruby>れない異常な情景が、展開されているのに気が<ruby><rb>附</rb><rt>つ</rt></ruby>いた。橋の上にも人が<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>である。<ruby><rb>堤防</rb><rt>ていぼう</rt></ruby>にも人が一杯である。そしてすべての群衆は、川中に行われつつある何事かを、一心に注視しているのであった。

啓吉は、日常生活においては、興味中心の男である。彼はこの光景を見ると、直ぐ足を転じて、群衆の方へ急いだのである。その群衆は、<ruby><rb>普通</rb><rt>ふつう</rt></ruby>、路上に形作らるるものに比べては、かなり大きいものであった。しかも、それが岸に<ruby><rb>在</rb><rt>あ</rt></ruby>っては堤防に、橋の上では<ruby><rb>欄杆</rb><rt>らんかん</rt></ruby>へとギシギシと<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し<ruby><rb>詰</rb><rt>つ</rt></ruby>められている。そしてその数が、刻々に増加して行きつつあるのだ。

群衆に近づいて見ると、彼等は<ruby><rb>黙</rb><rt>だま</rt></ruby>っているのではない。<ruby><rb>銘々</rb><rt>めいめい</rt></ruby>に何か<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>いているのである。

「そら！　また見えた、<ruby><rb>橋桁</rb><rt>はしげた</rt></ruby>に引っかかったよ。」と、欄杆に手を<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けて、自由に川中を<ruby><rb>俯瞰</rb><rt>みおろ</rt></ruby>し得る<ruby><rb>御用聴</rb><rt>ごようきき</rt></ruby>らしい<ruby><rb>小僧</rb><rt>こぞう</rt></ruby>が、自分の形勝の位置を<ruby><rb>誇</rb><rt>ほこ</rt></ruby>るかのように、得意になって後方に<ruby><rb>押掛</rb><rt>おしか</rt></ruby>けている群衆に報告している。

「何ですか。」と啓吉は、自分の横に居合せた<ruby><rb>年増</rb><rt>としま</rt></ruby>の女に<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>いた。

「<ruby><rb>土左衛門</rb><rt>どざえもん</rt></ruby>ですよ。」と、その女はちょっと<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>を<ruby><rb>顰</rb><rt>しか</rt></ruby>めるようにして答えた。啓吉は、初めからその答を予期していたので、その答から、何等の感動をも受けなかった。水死人は社会的の現象としては、極くありふれた事である。新聞社に居る啓吉はよく、<ruby><rb>溺死人</rb><rt>できしにん</rt></ruby>に関する通信が、<ruby><rb>反古</rb><rt>ほご</rt></ruby>同様に<ruby><rb>一瞥</rb><rt>いちべつ</rt></ruby>を<ruby><rb>与</rb><rt>あた</rt></ruby>えられると、直ぐ<ruby><rb>屑籠</rb><rt>くずかご</rt></ruby>に投ぜられるのを知っている。が実際死人が、自分と数<ruby><rb>間</rb><rt>けん</rt></ruby>の、<ruby><rb>距離</rb><rt>きょり</rt></ruby>内にあると云う事は、全く別な感情であった。その上啓吉は、かなり物見高い男である。彼もまた死人を見たいと云う、人間に特有な<ruby><rb>奇妙</rb><rt>きみょう</rt></ruby>な、好奇心に<ruby><rb>囚</rb><rt>とら</rt></ruby>われてしまった。彼は<ruby><rb>幾何</rb><rt>いくばく</rt></ruby>かの<ruby><rb>強力</rb><rt>ごうりき</rt></ruby>をもって、群衆の層の中へと、自分の身を<ruby><rb>割込</rb><rt>わりこ</rt></ruby>ませて行ったのである。が、その群衆はかなりの密度を持っていて、容易には新来者を<ruby><rb>容</rb><rt>い</rt></ruby>れないのである。啓吉は、<ruby><rb>懸命</rb><rt>けんめい</rt></ruby>に努力して、群衆の中心へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>る事が出来た。が、まだ自分の前には二三人、人が居て水面の一部をも<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>き込む事は出来なかったが、<ruby><rb>大抵</rb><rt>たいてい</rt></ruby>の様子は判った。死人は啓吉の立っている岸の直ぐ下の水中に在るらしい。そして<ruby><rb>巡査</rb><rt>じゅんさ</rt></ruby>一人と、区役所の人夫が二、三人とで、しきりに<ruby><rb>引揚</rb><rt>ひきあげ</rt></ruby>に<ruby><rb>掛</rb><rt>かか</rt></ruby>っているらしかった。

「這入らなきゃ、<ruby><rb>駄目</rb><rt>だめ</rt></ruby>じゃないか。思切ってはいっちまえよ。そんな手附じゃ引っかかりこはないよ。」

と、一番形勝の位置に居る、橋の上の群衆は、<ruby><rb>盛</rb><rt>さか</rt></ruby>んに人夫等を、指導している。が、その人夫達はなるべく手足を<ruby><rb>濡</rb><rt>ぬ</rt></ruby>らさないように、なるべく<ruby><rb>汚</rb><rt>きたな</rt></ruby>い思いをしないように、なるべく労力を費やさないように、<ruby><rb>手際</rb><rt>てぎわ</rt></ruby>よく引揚を、試みているらしい。

その裡に群衆は、ますます<ruby><rb>殖</rb><rt>ふ</rt></ruby>えて行った。千人を<ruby><rb>超</rb><rt>こ</rt></ruby>した群衆が、この橋を上流下流、四五十間の間ぎっしりと詰めかけている。が、その裡のホンの少数のみが、引揚作業を、<ruby><rb>目撃</rb><rt>もくげき</rt></ruby>し得る位置にあったが、その人達は、自分の<ruby><rb>看</rb><rt>み</rt></ruby>ている事を、後方へ報告する義務を<ruby><rb>怠</rb><rt>おこた</rt></ruby>りはしない。

「男ですか、女ですか。」

「どうも女らしいですよ、今<ruby><rb>髪</rb><rt>かみ</rt></ruby>が見えたようですから。」

「こんな水の浅い川で死ねるのでしょうか。」

「夜通し、這入っていると、<ruby><rb>凍</rb><rt>こご</rt></ruby>え<ruby><rb>死</rb><rt>じに</rt></ruby>に死ぬのですよ、もう水の中が冷いですからね。」

と、啓吉の直ぐ横に居る洋服を着た男と、啓吉の前に、川中を覗き込んでいる男とが、話している。

すると<ruby><rb>突然</rb><rt>とつぜん</rt></ruby>、橋の上の群衆や、岸に近い群衆が、

「わあ！」と、大声を揚げた。

「ああとうとう、引掛けやがった。」と所々で同じような声が起った。人夫が、先に<ruby><rb>鉤</rb><rt>かぎ</rt></ruby>の附いた<ruby><rb>竿</rb><rt>さお</rt></ruby>で、<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>の衣類をでも、引掛けたらしい。

「やあ！　女だ。」とまた群衆は<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んだ。橋桁に、<ruby><rb>足溜</rb><rt>あしだまり</rt></ruby>を得た人夫は、屍体を手際よく水上に持ち上げようとしているらしい。

群衆は、自分達の好奇心が、満足し得る域境に達したと見え、以前よりも、大声を立てながら<ruby><rb>騒</rb><rt>さわ</rt></ruby>いでいる。が、啓吉には、水面に上っている屍体は、まだ少しも見えなかった。

しかし、彼は人間、しかもその生前には、その<ruby><rb>身嗜</rb><rt>みだしな</rt></ruby>みのために、絶えざる<ruby><rb>考慮</rb><rt>こうりょ</rt></ruby>を<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>ったに<ruby><rb>違</rb><rt>ちが</rt></ruby>いない、女性の<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>が、ゆで<ruby><rb>蛸</rb><rt>だこ</rt></ruby>か何かのように、鉤に<ruby><rb>釣</rb><rt>つ</rt></ruby>るされて、公衆の面前、しかも<ruby><rb>何等</rb><rt>なんら</rt></ruby>の同情もなく、<ruby><rb>軽佻</rb><rt>けいちょう</rt></ruby>な好奇心ばかりで、動いている群衆の面前で、引揚げられると云うことは、その屍体に対する<ruby><rb>侮辱</rb><rt>ぶじょく</rt></ruby>のみではなく、人間全体に対する、<ruby><rb>酷</rb><rt>ひど</rt></ruby>い侮辱であるように思われて、<ruby><rb>憤</rb><rt>いきどお</rt></ruby>りと悲しみの混じったある<ruby><rb>感懐</rb><rt>かんかい</rt></ruby>に、囚われずにはいられなかったのである。

すると、突然「パシャッ」と、水音がしたかと思うと、群衆は一時に「どっ」と大声を立てて笑った。啓吉は、最初その場所<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>れの笑いの意味が、分らなかった。いかに好奇心のみの、群衆とは云え屍体の上るのを見て、笑うとは余りに、<ruby><rb>残酷</rb><rt>ざんこく</rt></ruby>であった。が、その意味は周囲の群衆が発する言葉で直ぐ判った。一度水面を離れかけた屍体が、鉤の<ruby><rb>脱</rb><rt>は</rt></ruby>ずれたため、再び水中に落ちたからであった。

「しっかりしろ！　<ruby><rb>馬鹿</rb><rt>ばか</rt></ruby>！」と、<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>から<ruby><rb>静</rb><rt>しずま</rt></ruby>った群衆は、また人夫にこうした<ruby><rb>激励</rb><rt>げきれい</rt></ruby>の言葉を投げている。

その内に、また人夫は屍体に、鉤を掛ける事に、成功したらしい。群衆は、

「今度こそしっかりやれ。」と、叫んでいる。啓吉は、また押し詰まされるような、気持になった。彼は屍体が群衆の見物から、一刻も早く、<ruby><rb>逃</rb><rt>のが</rt></ruby>れる事を、望んでいた。すると、また突然水音がしたかと思うと、以前にも倍したような、笑声が起った。無論、屍体が、再び水面に落ちたのである。啓吉は、当局者の<ruby><rb>冷淡</rb><rt>れいたん</rt></ruby>な、事務的な手配と、軽佻な群衆とのために、屍体が不当に、<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し物にされている事を思うと、前より一層の<ruby><rb>悲憤</rb><rt>ひふん</rt></ruby>を感じた。笑っている群衆も、群衆である。水中へ飛び込んで、<ruby><rb>抱</rb><rt>だ</rt></ruby>き上げない人夫も、人夫である。<ruby><rb>定</rb><rt>き</rt></ruby>まった日給で働いている人夫だ、そうした<ruby><rb>義侠的</rb><rt>ぎきょうてき</rt></ruby>行動をしないのも無理のない話ではあるが。

が、この時彼はふと、二三年前、浅草で見た活動写真の事を思い出した。それは、米国のユニヴァサルのフィルムで、非常に肥満した女優を、<ruby><rb>主人公</rb><rt>ヒロイン</rt></ruby>とした、追掛け<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>の、喜劇であった。そして、大女の女優が、真先になって、追掛けた後、かえって自分が湖水の中へ、転落する。それを<ruby><rb>皆</rb><rt>みな</rt></ruby>が寄ってたかって救助にかかる。投げ込んだ<ruby><rb>縄</rb><rt>なわ</rt></ruby>に女優が<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>まる。皆が力一杯引き揚げるが、ちょうど水面から、一間ばかり離れると、縄を引いている連中の力が抜けて、ダラシなく縄を<ruby><rb>緩</rb><rt>ゆる</rt></ruby>めるので、女優は、水音高く再び水中に落込んでブクブクやる。それを見ると、見物は訳もなく<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しがった。その段取を、幾回となく<ruby><rb>繰返</rb><rt>くりかえ</rt></ruby>すに連れて、潮のような哄笑が、見物席に幾度も、<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>き立った。啓吉も、腹を<ruby><rb>抱</rb><rt>かか</rt></ruby>えて、笑った一人である。彼は、このフィルムのヤマで、フィルム作者が頭を<ruby><rb>搾</rb><rt>しぼ</rt></ruby>って考え附いた場面で、いかにも<ruby><rb>巧</rb><rt>たく</rt></ruby>みに、群衆の笑いの心理を、掴んでいたのである。

ところが、現在啓吉の目撃している、屍体引揚げの場面も、この活動の場面と全く同じではないか。ただ快活な喜劇の女優の代りに、<ruby><rb>悲惨</rb><rt>ひさん</rt></ruby>な屍体があった。がその他の<ruby><rb>境遇</rb><rt>きょうぐう</rt></ruby>は、全く同じである。そしてフィルム作者が、見物の哄笑を<ruby><rb>惹起</rb><rt>じゃっき</rt></ruby>するために、考え出した場面が、屍体を中心として、実人生の間に皮肉に再現されているのに過ぎなかった。

啓吉は、群衆が哄笑する心理が、判ったようにも思った。が、それでも、啓吉の感情は、それ等の哄笑を<ruby><rb>正当視</rb><rt>ジャスチファイ</rt></ruby>する事が出来なかった、死者を<ruby><rb>嗤</rb><rt>わら</rt></ruby>っている群衆を、啓吉の感情はどうしても許さなかったのである。人間が人間の屍体に対して、こんなに笑ってもいいものかと思った。見物の笑いは啓吉に取っては、人間が人間の死をあざ笑っているようにも、思われたのである。

三度目に屍体が、とうとう正確に鉤に掛ったらしい。

「そんな所で、引揚げたって、仕様がないじゃないか、石段の方へ引いて行けよ。」と、群衆の一人が叫んだ。これはいかにも、<ruby><rb>時宜的</rb><rt>タイムリイ</rt></ruby>な助言であった。人夫は屍体を竿にかけたまま、橋桁から<ruby><rb>石崖</rb><rt>いしがけ</rt></ruby>の方へ渡り、石段の方へ、水中の屍体を引いて来た。

石段は啓吉から、一間と離れぬ所にあった。岸の上に居た巡査は、屍体を引揚げる準備として、石段の近くに居た群衆を追い払った。そのために、啓吉の前に居た人々が、払い<ruby><rb>除</rb><rt>の</rt></ruby>けられて啓吉は見物人として絶好の位置を得たのである。

気が附くと、人夫は屍体に、縄を掛けたらしく、その縄の<ruby><rb>一端</rb><rt>いったん</rt></ruby>を掴んで、屍体を引きずり上げている。啓吉はその屍体を一目見ると、悲痛な心持にならざるを得なかった。<ruby><rb>希臘</rb><rt>ギリシャ</rt></ruby>の<ruby><rb>彫刻</rb><rt>ちょうこく</rt></ruby>で見た、ある<ruby><rb>姿態</rb><rt>ポーゼー</rt></ruby>のように、髪を後ざまに<ruby><rb>垂</rb><rt>た</rt></ruby>れ、<ruby><rb>白蝋</rb><rt>はくろう</rt></ruby>のように白い手を、後へ<ruby><rb>真直</rb><rt>まっすぐ</rt></ruby>に<ruby><rb>反</rb><rt>そ</rt></ruby>らしながら、石段を引ずり上げられる屍体は、確に<ruby><rb>悲壮</rb><rt>ひそう</rt></ruby>な<ruby><rb>見物</rb><rt>みもの</rt></ruby>であった。<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に啓吉は、その女が死後の嗜みとして、男用の<ruby><rb>股引</rb><rt>ももひき</rt></ruby>を<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>いているのを見た時に悲劇の第五幕目を見たような、深い<ruby><rb>感銘</rb><rt>かんめい</rt></ruby>を受けずにはいなかった。それは明かに<ruby><rb>覚悟</rb><rt>かくご</rt></ruby>の自殺であった。女の一生の悲劇の<ruby><rb>大団円</rb><rt>カターストロフ</rt></ruby>であった。啓吉は暗然として、<ruby><rb>滲</rb><rt>に</rt></ruby>じむ<ruby><rb>涙</rb><rt>なみだ</rt></ruby>を押えながら面を<ruby><rb>背</rb><rt>そむ</rt></ruby>けてそこを去った。<ruby><rb>流石</rb><rt>さすが</rt></ruby>に屍体をマザマザと見た見物人は、もう自分達の好奇心を、充分満たしたと見え、思い思いにその場を去りかかっていた。

啓吉も、来合せた電車に乗った。が、その<ruby><rb>場面</rb><rt>シーン</rt></ruby>は、なかなかに、啓吉の頭を去らなかった。啓吉は、こう云う場合に、屍体収容の手配が、はなはだ不完全で、そのために人生における、最も不幸なる人々が、死後においても、なお曝し物の侮辱を受ける事を憤らずにはいられなかった。それと同時に啓吉は、死者を前にして哄笑する<ruby><rb>野卑</rb><rt>やひ</rt></ruby>な群衆に対する反感を感じた。

その内フト啓吉は、今日見た場面を<ruby><rb>基礎</rb><rt>きそ</rt></ruby>として、<ruby><rb>短篇</rb><rt>たんぺん</rt></ruby>の小説を書こうかと思い付いた。それは橋の上の群衆が、死者を前にして、盛んに哄笑している裡に、あまり多くの人々を<ruby><rb>載</rb><rt>の</rt></ruby>せていた橋は、その重みに<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>えずして<ruby><rb>墜落</rb><rt>ついらく</rt></ruby>し、今まで死者を嗤っていた人達の多くが、溺死をすると云う筋で、作者の群衆に対する道徳的批判を、その裡に<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>わせるつもりであった。が、よく考えてみると、啓吉自身も、群衆が持っていたような、<ruby><rb>浮</rb><rt>う</rt></ruby>いた好奇心を、全然持っていなかったとは、云われなかったのである。