明治四十四年十一月十九日！　我が大東の健児が近く世界の体育競争場裡に於て鉄脚の<ruby><rb>勁</rb><rt>つよ</rt></ruby>さを試すべく、東京府下羽根田の運動場に於て国際予選の大競走を行つた日である。

此日密雲低く垂れて寒気<ruby><rb>凛烈</rb><rt>りんれつ</rt></ruby>、男性的競技に持つて来いの天気、四周の観覧席は立錐の余地なき盛況を呈した。午前九時用意全く成る、羽根田原頭を見渡せば雪白の布を以て劃せる<ruby><rb>発走線</rb><rt>スタートライン</rt></ruby>には前日の予選に天晴先着の名誉を得た優勝選手の勇姿颯爽鉄腕を撫し健脚を踏締め競走始まる。第一回百<ruby><rb>米突</rb><rt>めいとる</rt></ruby>に於て三島十二秒にして第一着、第二回二百米突に於て以上選手に泉谷加はり、二十五秒五分の四にして明石第一着、第三回八百<ruby><rb>米突</rb><rt>めいとる</rt></ruby>に於て三島のラストヘビー成功し二分十九秒にして第一着となつた。

右終るやマラソン廿五哩の大競走が開始された。出発に先立ち吉岡将軍は道筋の説明と注意をなし、選手十七名はスタートラインに立つ。十二時三十分号砲一発を合図に、北海道水産の佐々木を先頭に五米突遅れて慶応の井出走り蟹江栄一之れに次ぎ最後に和田義太郎続き軈て神奈川方面に姿を没したのである。

斯くて十七名の選手は東海道筋を<ruby><rb>驀地</rb><rt>まつしぐら</rt></ruby>に邁進して神奈川停車場を廻り、再び羽根田に引返したが佐々木依然として先登に立ち井手之に次ぎ蟹江第三着であつた。然るに生麦に到る迄に高師の金栗は漸く<ruby><rb>鋒鉾</rb><rt>ほうぼう</rt></ruby>を顕し来つた。六郷堤上に<ruby><rb>差蒐</rb><rt>さしかか</rt></ruby>つた時漸次猛烈な競走が始まつた。沿道に於ける各学校の応援の声は天地も撼がんばかり。漸次決勝点が近づく。<ruby><rb>雨飛沫</rb><rt>あめしぶ</rt></ruby>く六郷堤上に於て金栗は一躍弐百米突先立つた井手を抜き更に奮躍して、百米突前の佐々木を追ひ越し三時二分十秒叫声轟く運動場の緑門を脱兎の如く潜つて三時四分先登第一を以て決勝点に入つたのである。

世界のレコードを破つた！　と場内は大騒ぎ、嘉納会長金森幹事等も実に意外の成績だと驚喜する。即ち一着金栗二時間三十四分、二着佐々木二時間丗六分で二十五哩を突破したので、実に世界の記録二時間五十九分を打破したのであつた。

次に一万米突競走では一着霜田守三（青師）二着佐久良友哉（青師）△五千米突競走一着東幸之助（北海道）十八分五十七秒（世界のレコード無し）△立幅跳泉谷祐勝九尺（早大）世界レコード十一尺五寸九分△立高跳後藤欣一（日本体育）世界レコ五尺五寸三分△走幅跳明石和衛（帝大）十八呎十吋世界レコ廿四呎十一吋四分の三△走高跳立花押尾（帝大）四尺七寸八分世界レコ六尺五寸六分△棒高跳小島勇之助（帝大）八尺八寸五分世界レコ十二尺九寸九分であつた。

斯くて午後六時全く競技を了り本部要館で賞品授与式挙げられ加納会長は『将来は国内<ruby><rb>而已</rb><rt>のみ</rt></ruby>に止らず世界と体育上の交際及び競争を希望す』と述べ午後六時万歳声裡に開散した。

『冒険世界』四十四年十二月一日号