## 一

………人は<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>も戀する事が出來るだらうか。<ruby><rb>唯</rb><rt>たつ</rt></ruby>た一度しか出來ないと、女性は必ず云ひ張るに違ひない。男でも古臭いロマンチツクな夢から覺めないものは、<ruby><rb>矢張</rb><rt>やは</rt></ruby>り同じやうな事を云ふかも知れない。<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>でも戀に熱してゐる最中にはそれが生涯の戀の最初最終であるらしく感ずるのは當然の事で。もし其の戀に成功してしまつた後、一生涯それ以上熱烈な感激を覺えずにしまつたなら、我輩はさう云ふ人達を幸福だと羨むばかりで、折角その人の實驗から得た斷定を否定しやうとは思はない。つまり、運命が其の人にはさう云ふ戀の斷定をさせるやうに、さう云ふ戀の經驗を與へたのだから。その代り、我輩も自分の經驗から得た自分の斷定を、他人の經驗一圖で否定して貰ひたくない。二十世紀は紛亂の時代だ、經驗から自己が感じたものより外に眞理はない。君達は富豪の兒に向つて、あなたは盜みをしなかつたから一代の道徳家であると褒める必要を認めまい。只だ富豪の兒は盜みする程貧しくなかつた。盜みする必要にも機會にも出會はなかつたと云ふ事實を認識して單純に幸福な人だと思へば充分であらう。我輩は一度しか戀しなかつた人を單純に幸福だと云ふばかりだ。

こんな議論を聞きながら、四月も末の晴れた晝過ぎ、私は文壇の先輩なる小説の大家○○○○氏と日比谷公園の若葉の小徑を散歩した。年頃はもう四十歳を越して、學者や詩人にのみ見らるべき思想生活の成熟期を示す沈痛な<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>の表情が、うつとりして疲れたやうな眼の色に<ruby><rb>和</rb><rt>やはら</rt></ruby>げられて、云ふにいはれず優しく又懷しく見える。血色のよい額にはまだ皺一ツなく其の上に長く垂らした髮の毛は眞黒であるが、風のたび〱木の葉を漏れる強い日光に照らされて、其の濃い口髯には早や數へられぬほどの白髮が銀の絲の如く輝くのが目に立つ。私は日頃懇意にしてゐながら、この瞬間までは少しもその髯の白さには氣がつかなかつたので、久しく幽婉な筆致と熱烈な情緒を以て吾々の若い血を躍らせた詩人も、已にこのやうに老いたる人であつたのかと、突然一種の悲哀と不安を覺えて、何とはなしに其の顏を眺めながら、訊くともなく、

「先生、それぢや先生は今日までに何度ほど戀を經驗されたんです。」と訊いて見た。

先生は極めて<ruby><rb>沈着</rb><rt>おちつ</rt></ruby>いた調子で、「丁度十年<ruby><rb>前</rb><rt>まへ</rt></ruby>―――今年四十二だから、丁度三十二の時の事件が、僕の生涯には三度目の戀だつた。今から考へると、あの出來事が僕の青春の歴史の末段を告げたもので、其の以後は其の以前とは全く色調を異にした時代が始つた。僕は十代、二十代、三十代とつまり三度戀した。三度目が僕の生涯の最終の戀であつたと思ふ。」

「然し、先生。さう一概に斷定してしまふ事は出來ますまい。更に新しい何物かに<ruby><rb>打</rb><rt>うた</rt></ruby>れるまでは、いつでも最終らしく感じられるのが戀の常でせう。先生もさう云はれたぢやないですか。」

「それアさう云つた。斷言する事は無論出來ないが、まア、君の目撃する現實の僕を觀察し給へ。もう年が年だ。僕はあの當時、猛烈な戀に捕はれて居る最中でさへ、これが最後だ、青春の最後の夢だぞと云ふ氣がして、未來の憂慮なく、甘い瞬間の夢にばかり<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>ひ盡した<ruby><rb>廿歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>の戀とは、全く樣子の違ふ處があつた。三十歳にして已にさうだ、四十歳の<ruby><rb>今日</rb><rt>こんにち</rt></ruby>ではもう戀愛の恍惚は事實に於て不可能だ。如何なる強い夢も老年と云ふ『時間』の重さには敵しないさ。フランソワ、コツペーの『涙』と云ふ悲慘な詩を知つてゐるかね。」

J'aurai cinquante ans tout à l'heure;

Je m'y résigne, Dieu merci\!

Mais j'ai ce très grave soucï

Plus je vieillis, et moins je pleure\.

…………………………………………

Oh\! les cheveux blancs et les rides\!

Je les accepte, j'y consens;

Mais au moins, jusqu'en mes vieux ans,

Que mes yeux ne soient pas arides\!

<ruby><rb>齡</rb><rt>よはひ</rt></ruby>の<ruby><rb>五十路</rb><rt>いそぢ</rt></ruby>は近づきぬ。

神よ、われは何事をもあきらめん。

さはいへど心もとなき事の唯一つ。

そはわれ<ruby><rb>老</rb><rt>おゆ</rt></ruby>るに從つて泣かんとする事の漸く稀なるを。

あゝ、髮の白きも面の皺も、

餘儀なき定めと嘆くまじ。

唯<ruby><rb>希</rb><rt>ねがは</rt></ruby>くはわが命の<ruby><rb>最後</rb><rt>をはり</rt></ruby>まで、

涙の泉涸るゝなかれと。

原詩を朗讀する<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>から、先生は私に分るやう、苦心して翻譯しながら、遲い散歩の<ruby><rb>歩</rb><rt>あゆみ</rt></ruby>をば猶更遲くさせて行つた。

迂曲する若葉の小道が盡きて、突然目の前に擴がる初夏の青空、強烈な日の光。其の下に廣々した<ruby><rb>運動場</rb><rt>うんどうば</rt></ruby>が、乾いて白くなつた砂利交りの<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>を擴げて居る。<ruby><rb>彼方此方</rb><rt>かなたこなた</rt></ruby>に駈け𢌞つて、<ruby><rb>球</rb><rt>たま</rt></ruby>を投げてゐる學生の姿が、日の輝きと<ruby><rb>眺望</rb><rt>ながめ</rt></ruby>の<ruby><rb>廣濶</rb><rt>ひろさ</rt></ruby>に對して、小さく黒く影の動いて居るやうに見える。突然一個の<ruby><rb>球</rb><rt>たま</rt></ruby>が流星の如く、ぶら〱歩いて來る吾々の足元に小砂利を<ruby><rb>轢</rb><rt>きし</rt></ruby>つて轉つて來た。それを捕へやうとして、制服の上衣を脱いでシヤツ一ツになつた中學生が向う見ずに馳けて來て、危く先生に突當らうとして、驚いて身をよけやうとした拍子に、中心を失つて激しく前へのめつた。いつも車が衝突しても電車から人が落ちても極めて冷淡に見向きもしない先生さへ餘りに激しい轉び<ruby><rb>態</rb><rt>ざま</rt></ruby>に、覺えず「あぶない」と叫んで手づから<ruby><rb>扶起</rb><rt>たすけおこ</rt></ruby>さうとするらしく寄添つたが、元氣な學生は其れを待たず、直樣起上つて球を拾取るや否や、運動場の方へ馳けて行つてしまつた。

私は<ruby><rb>呆氣</rb><rt>あつけ</rt></ruby>に取られて、其の後姿を見送つた。先生も同じく其の方を見送つて居たが、暫くして突然、

「アナトオル、フランスの小品を思出す。」と云つた。「十月の初め、朝早く色付いた<ruby><rb>木</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>が眞白な石像の肩に一枚々々散りかゝるリュキザンブウルの公園を、雀のやうに飛びながら學校へ<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>く子供を見た時の感想………。成程凡ての物には何時までも、昔見た其時の魂が殘つて居る。其の魂が人を悲しましめ又喜ばすのだ。私はあの活溌な少年の元氣を早くも十六の時に<ruby><rb>失</rb><rt>なく</rt></ruby>してしまつた。文學ほど人を早熟させるものはあるまい。」

それなり又散歩して、歸り道の暮方に新橋邊の洋食屋で晩飯をすましたが、其の時<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>ひと共に話し出す先生の囘顧談に引かされて、私はとう〱芝の公園内に今もつて獨身の生活をつゞけてゐる先生の寓居まで、我知らず附き從つて行つた。

## 二

先生は云ふ。そも〱物心づいてから今日まで、私の生涯には戀愛と文藝との二ツより外には何物もなかつたと云つてよい。戀愛は無論智識の力を借りず自然の儘の肉情から發生する事は云ふまでもない事であるが、然し私にして若し中學校の教科書として、ラムの<ruby><rb>沙翁物語</rb><rt>さをうものがたり</rt></ruby>や、アアビングのスケツチブツク（其の中の殊にブロオクンハアトの如き）を讀まず、又暑中休暇や日曜日を近松の淨瑠璃や徳川末代の戲作の閲覽に費さなかつたなら、私は確かにあんな感情の早熟を見はしなかつたらうと思ふ。私は十六歳の時、腺病質の母から遺傳された<ruby><rb>瘰癧</rb><rt>るゐれき</rt></ruby>を治療する爲めに、大學の第二病院に入院して外科の手術を受けた事があるが、私は日夜病床に付添ふ看護婦に對して、此れまで父母の傍に生きてゐた時覺えた事のない感情を知り<ruby><rb>初</rb><rt>そ</rt></ruby>めた。私は直ちに讀書から得た想像で、此の新奇な感情が戀と云ふものである事を意識すると、私は苦しいほどに嬉しく思つたと同時に、戀は必ず不幸で悲慘であるやうに書いてある讀書の經驗から、云ふに云はれぬ悲愁に襲はれた。實際私には、此れから自分の經驗しやうと云ふ戀の<ruby><rb>成行</rb><rt>なりゆき</rt></ruby>がどんなであるのか分りもせぬ先から、近松によればそれは身の破滅、死の導きであり、又シヱーキスピーヤに從へば人生の運命の悲慘を示すものであるとしか思へなかつたので、萬一其れ等以外に、目出度し〱の戀があるとするならば、其れは戀と名付くべきものでは無いと云ふやうな斷定が、何時となく<ruby><rb>原因</rb><rt>いはれ</rt></ruby>なく、私の若い十六歳の胸の中に<ruby><rb>動</rb><rt>うごか</rt></ruby>しがたく<ruby><rb>形造</rb><rt>かたちづく</rt></ruby>られて居たのである。それ故私は<ruby><rb>幾夜</rb><rt>いくよ</rt></ruby>も眠られなかつた程煩悶したに係らず、とう〱其の看護婦に對しては、自分の心中を打明け得ずに退院してしまつた。打明けたなら必ず拒絶されるのみならず、私の付添ひを辭退して、私の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>から去つてしまふであらう。それよりは寧ろ沈默して、獨り永久に片思の涙に暮れた方がと思つたのであつた。然し退院する間際には必死の思ひで寫眞だけを貰ひ受け、<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ歸つて再び通學し初めたけれど、過ぎた昨日までの事を思返すと、戀しくて戀しくてどうかして<ruby><rb>最</rb><rt>も</rt></ruby>一度入院するやうな病氣になりたいと思ひ詰め、最早や普通の學生のやうに、學期試驗の席順を爭ふ野心も、運動會で勝利を博する元氣も無くなつてしまつた。私は學校の歸り道とか日曜日とか暇さへあれば、病院の<ruby><rb>塀外</rb><rt>へいそと</rt></ruby>を歩き𢌞つて、<ruby><rb>植込</rb><rt>うゑご</rt></ruby>みの梢越しに見える陰鬱な建物の窓から、もしや其の人の顏を見る事もやとかゝる思ひにばかり月日を送つたりする中、其の年の秋、帝國大學の運動會で私は雜沓する見物人の中から朋輩の看護婦に逢ひ、私の戀してゐる人は一ヶ月ほど前に郷里へ歸つて結婚した由を聞き傳へた。

私はその時不思議な程驚かなかつた。話された事件は、初めから斯くあるべく豫想してゐた通りになつたやう、如何にも自然であるらしく思はれた。すると忽ち私は、聞える軍樂隊の勇しい進行曲や、赤白と叫び狂ふ人の聲、ぢり〱照りつける暑い秋の日光が、一瞬間も我慢の出來ぬ程に辛く感じられて、もつと靜な、薄暗い、濕氣ある、冷い場所に身をかくしたく、運動場の岡の裏手、深い木立の奧なる古池の方へと歩いて、私は物すごく沈靜した溜り水をば默つて眺めた。それから日の暮れると共に<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ歸つて、ランプをつけながら部屋へはいつたが、すると、今更のやうに新しく目についたのは、本箱の上に立てかけた彼の人の寫眞である。いつものやうに私の勉強する机の方を見詰めてゐる。私は幾度か小聲で其の名を呼んだばかりかもう堪へられぬ心地がして、私はこれまでの悶え、歡び、悲しみのありたけを書き綴つて送らうと思ひ、すぐ其の瞬間から、私は翌日の課業も何も彼も放擲して、入院した當時の初對面の事から出來るだけ精密に書きはじめ、其の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は二時まで筆を執つた。

然し<ruby><rb>翌朝</rb><rt>あくるあさ</rt></ruby>になると、あの人が讀んだらば立腹しはせまいかと、氣遣はれもするし、氣まりのわるい樣な心地もする。又萬一夫の目にでも觸れてあの人の幸福の<ruby><rb>障碍</rb><rt>さはり</rt></ruby>にでもなつたら大變だと思ふと、性來臆病な私は、郵送しやうかしまいかとの不決斷にまた〱以前にも増した煩悶の幾日を送る事になつた。其の結果はやつと決心して、半紙十枚以上一氣呵成に書上げた手紙は、誰にも示さず埋沒してしまふ事としたが、然し埋沒しきれぬのは胸にやどる片戀の思である。私は其の冬の休暇中、何やら今では忘れて仕舞つたが、兎に角戀の惱みを<ruby><rb>描</rb><rt>ゑが</rt></ruby>いた新刊小説を讀むと、自分も急にさう云ふ事が書いて見たく、書いたなら幾分か心の慰めになるだらうと思つて、私は<ruby><rb>祕</rb><rt>しま</rt></ruby>つて置いた手紙を再讀し、自分を主人公にした短い小説を作つた。これがそも〱私の小説の處女作である。

## 三

………肉の底に根を張つてゐない戀は、摘まれた<ruby><rb>花瓶</rb><rt>はないけ</rt></ruby>の花に等しいと、何かの本で讀んだ事がある。如何なる純潔な戀でも、其れが充分に發育して行くにはどうしても實感の要素が無くてはならぬ。私は裸體の美術をも、從七位何々の肩書を頂戴してゐる美術學校の或先生が「神聖」であると云ふが如き意味で、神聖視しては居ない。私は死したる裸體の畫面や彫刻に對して恍惚の美を感ずる人ならば、必ず生きた女の裸體に對しても恍惚たり得ると思ふ。恍惚たらねばならぬと思ふ。薔薇の花の詩を吟ずる人が實物の薔薇を愛さぬと云ふ理由が何處にあらう。戀愛が古人の云ふ如く神聖なるや否やは私の知らうとする處でない。私は唯だ、手も握らず頬ずりもしなかつた最初の戀よりも、其れから二年たつた十八の夏の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>、旅行した<ruby><rb>海邊</rb><rt>かいへん</rt></ruby>の松原で宿屋の娘と初めて禁制の果實を摘んだ。其の記念の方が<ruby><rb>何</rb><rt>ど</rt></ruby>れだけ深く忘れられなかつたか、其の事實だけを承認して貰へばよいのだ。<ruby><rb>一夜</rb><rt>ひとよ</rt></ruby>、<ruby><rb>二夜</rb><rt>ふたよ</rt></ruby>、三日目の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>には別れてしまつた。其の夏の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の夢よりも、また幾年かたつて、青春の廿二歳の折に遭遇した戀の方が、更に猶ほ深く<ruby><rb>何</rb><rt>ど</rt></ruby>れほど忘れられなかつたであらう。

其の時分、明治の文壇は<ruby><rb>狹斜小説</rb><rt>けふしやせうせつ</rt></ruby>の全盛期であつた。藝術は貴族の宴席にのみ花を開いた十七八世紀の歐洲よりも、もつと<ruby><rb>長閑</rb><rt>のどか</rt></ruby>な時代であつた。作家は能ふかぎり美麗な文字をもて、女着の流行、帶の色模樣を歌つたのみならず、日常の會話にも狹斜の<ruby><rb>通語</rb><rt>つうご</rt></ruby>を插入して、ウイツトの豐富を誇りとしたものも少くなかつた。私は已に其の時は大學の英文科にはいつてゐたので一篇の著作に名聲を世に博したいと云ふ青春の野心止みがたく、矢張時勢の感化を免れずして屡花柳の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>に<ruby><rb>出入</rb><rt>しゆつにふ</rt></ruby>したものだ。其の頃の觀察や解剖は今から考へると<ruby><rb>生活</rb><rt>ライフ</rt></ruby>のスタヂイではなくて、<ruby><rb>長閑</rb><rt>のどか</rt></ruby>な<ruby><rb>日永</rb><rt>ひなが</rt></ruby>のアミユウズメントだと云つてもよい。

場所を云ふ必要もなからう。名前を云ふ必要もなからう。どうして、どうなつたかを語る必要もなからう。兎に角、ある<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>ある處である藝者が私を愛した、私の方からも愛したのだ。私は不品行の<ruby><rb>廉</rb><rt>かど</rt></ruby>を以て大學を退校されても、其の當時後悔する<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>さへ無かつた程熱中して居た。私は其の時始めて、私の<ruby><rb>身體</rb><rt>からだ</rt></ruby>と私の精神とが外界の刺㦸に呼び起される快感に對して、<ruby><rb>何</rb><rt>ど</rt></ruby>れ程の感受性を持つて<ruby><rb>居</rb><rt>を</rt></ruby>るかを確めた。月の光も雨の音も、戀してこそ始めて新しい色と響を生ずる。料理屋の夜深けに遠くの座敷で彈く三絃の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>は、封建時代の血なまぐさい戀の末路を目に見る如く<ruby><rb>描</rb><rt>ゑが</rt></ruby>き出させる。海に添ふ避暑地の月の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>に、其れともなく聞えるピアノの<ruby><rb>調</rb><rt>しらべ</rt></ruby>は、直に自分をしてキイツやハイネの詩の<ruby><rb>生命</rb><rt>せいめい</rt></ruby>に觸れさせるやうに思はせた。花の匂ひ。音樂の響。屏風が包む燈火の色。化粧品と汗とが混ずる女の匂ひ。崩れて落ちかゝる髷の形。指環の光、爪の輝き、友禪の染模樣。かゝる凡ての形と色と音と匂ひの刺㦸に打たれて、或時は却て其れから逃れ出やうと<ruby><rb>急</rb><rt>あせ</rt></ruby>る程な、感覺の快味に、全く「<ruby><rb>我</rb><rt>われ</rt></ruby>」を忘却してしまふ無限の恍惚―――私は實に、戀それよりも、戀せざる限りには知る事の出來ない此の恍惚魔醉の跡を追究したので、いか程女に愛されても女を愛しても、私は家庭の幸福、子孫の繁榮<ruby><rb>等</rb><rt>とう</rt></ruby>に思を及ぼす事はどうしても出來なかつた。戀は青春のみが知る歡樂である。歡樂は美しい美しい夢である。私には、此の美しい夢に、（折角美しいものに、）何等かの目的を負はせるに忍びないやうな氣がしてならなかつたのだ。「結婚は戀の墳墓なり」と云ふ格言が此の際<ruby><rb>何程</rb><rt>どれほど</rt></ruby>強く私の心に響いたであらう。結婚は「二個の生物の醜惡なる生存」だとモオパツサンの云つた程、私は反感を抱いてゐなかつたけれど、併し私の周圍、親類や知人の單調無味なる家庭のさまは、已に<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>の私をして人類の生存に對して根柢ある厭世悲哀の感念を抱かしむるに充分であつた。學校は退校される、父母からは信用を失ふ、友人からは擯斥される、而して日本を形造る古今の道徳宗教とは全く一致しない美しい「形」と美しい「夢」より外に私の身を慰めるものはない―――かゝる私の身には、結婚とは何であらう、家庭とは何であらう、子孫とは何であらうか、殆ど光明ある解釋を施す事が出來なかつた。退校の當時、母は「世間に顏出しが出來ない」と泣き、父は「親の顏に泥を塗る」と<ruby><rb>怒</rb><rt>いか</rt></ruby>つたが、私の懷疑主義は私をして、子孫は父母の虚榮心の玩具であるのかと驚かせたばかりである。私の愛する藝者は或夜私に向つて、思はぬ人に<ruby><rb>落籍</rb><rt>ひか</rt></ruby>されねばならぬ。私と一緒に逃亡して呉れるか、死んでくれるかと迫つた。

悲哀は美しいものである。悲哀ほど強い誘惑を持つてゐるものはあるまい。私は直ちに死なうと約束した。私の心は數知れぬ美しい幻影に滿たされた。船頭が篝火を焚きながら<ruby><rb>夜網</rb><rt>よあみ</rt></ruby>を打つてゐる水の上に、寺の鐘がゴオンと響いてくる暗い景色や、或は野薔薇の花が星のやうに咲く古城の壁に月の光の蒼くさまよふ夜のさまなど、近松、默阿彌、ボツカチオ、シェーキスピーヤなど此れまでに心を打つた詩中の光景が、ごた〱に混雜して浮んで來るのであつた。私は白晝でも眼さへ<ruby><rb>閉</rb><rt>つぶ</rt></ruby>れば、<ruby><rb>梅川</rb><rt>うめがは</rt></ruby>や、忠兵衞や、おこよや、源三郎や、ロメオや、ジュリヱツトや、パウロや、フランチェスカや、其れ等の若い人々の美しい<ruby><rb>容貌</rb><rt>かほかたち</rt></ruby>、亂れた髮、顫へる唇をあり〱見る事が出來、其れ等の人の云ふ言葉、「なむあみだぶつ」や、Pardonnez\-nous, Seigneur（<ruby><rb>主</rb><rt>しゆ</rt></ruby>よ許させ給へ）の聲を聞くやうに思つた。さう云ふ瞬間には私は昨日まで女の肌の暖み、柔い絹の<ruby><rb>衣服</rb><rt>きもの</rt></ruby>の手觸りに<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>つたと同じやう、それよりももつと深い、言語に絶した悲哀美に恍惚として、現實の自分を全く忘却してしまふのであつた。で、ふいと驚いて我に返ると、今度は猛然として、私は此の感激、此の恍惚の凡てを私の力かぎり歌つて見たい<ruby><rb>願望</rb><rt>ぐわんまう</rt></ruby>の、押へやうとしても押へられぬ餘儀無さを感ずる。藝術の野心と云はうか現世の<ruby><rb>執着</rb><rt>しふちやく</rt></ruby>と云はうか、或は人間の單純なる本能と云はうか。兎に角、私は死ぬ前に、實在から消え滅びて仕舞ふ其の前に、自分の影を留めた何物かを殘したい。其れだけの望みに驅られて、私は飄然として足の向いたまゝ<ruby><rb>大宮公園</rb><rt>おほみやこうゑん</rt></ruby>の旅宿に赴き、非常な熱情を以て筆を執り始めた。

五日ほどして、私は「<ruby><rb>行春</rb><rt>ゆくはる</rt></ruby>の<ruby><rb>名殘</rb><rt>なごり</rt></ruby>」と題した自叙傳とも云ふべき一篇を<ruby><rb>懷中</rb><rt>ふところ</rt></ruby>にして、若し此れを發表するならば私の死後明治の文壇は如何なる驚嘆の聲を發するであらう。散る花は哀れであつて、再び返らぬものは皆懷しい。世間は私の才を惜しむであらう。惜しむにちがひないと、又もや<ruby><rb>此樣</rb><rt>こんな</rt></ruby>空想に<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>ひながら、私は大宮の松林を出て、間もなく汽車で上野の停車場についたのであるが、丁度晴れた秋の夕暮、本郷の家路へと、<ruby><rb>不忍池</rb><rt>しのばずのいけ</rt></ruby>のほとりを歩いて行く時、私は一歩々々に、現在の私はもう一瞬間以前の私でない事を感ずるのであつた。本郷の高臺にすさまじく燃え立つ<ruby><rb>夕陽</rb><rt>ゆふひ</rt></ruby>の輝き、其れが靜り返つた池の水に反映する強烈な色彩、散歩する人々の<ruby><rb>歩調</rb><rt>あしなみ</rt></ruby>、話聲、車の<ruby><rb>往來</rb><rt>ゆきき</rt></ruby>、鳥の啼く聲、蓮の葉の<ruby><rb>戰</rb><rt>そよ</rt></ruby>ぎ、柳の姿―――目に入る凡てのものは、私の胸一ぱいに、押へ切れない生活の興味、生存の力を感じさせるのであつた。約束を守り義理を思ふに私の心はあまりに放縱であつた。晴れた秋の<ruby><rb>日光</rb><rt>ひかげ</rt></ruby>はあまりに美しかつた。私は情死の違約をどうして辯解すべきか、差詰めその方法に窮した結果、身の<ruby><rb>所在</rb><rt>ありか</rt></ruby>を戀人の手前から隱して仕舞ふより仕樣がないと思つた。

私は遠く支那沿岸の殖民地で營業してゐる叔父の店までたよつて行つたが、其のまゝ其處で、叔父の勸めるまゝに貿易地の商業界に身を置くことになつた。私は戀にもつかれ、詩作にも<ruby><rb>稍</rb><rt>や</rt></ruby>や飽きがきたからで。すると、大學を中途に退校された身も、このまゝ二三年辛抱してゐたなら將來は滯りなくどうにか世を渡り得やうと、故郷の父母までが喜んで手紙を寄越すやうになつたが、然し一年二年とたつ中に、私は次第々々に詩人の生活の<ruby><rb>慕</rb><rt>したは</rt></ruby>しさを思返した。此れまで送つた私の過去が果して眞正の詩人の生活であつたか否かは知らない。然し兎に角、社會の何物にも捉れず、花さけば其の下に憩ひ、月よければ夜を徹してゞも水の流れと共に<ruby><rb>河岸</rb><rt>かはぎし</rt></ruby>を歩む。此の自由、此の放浪は富にも名譽にも何物にも換へがたいではないか。顧れば私の周圍には、交際だの、友誼だの、政略だの、秩序だの、階級だの、あらゆる文明の僞善が取卷いてゐる。其れに反して、揚子江の水はいかに自由に流れて行くであらう。城外の平野はいかに限りなく廣がつて居るであらう。青空は商店の硝子窓からも輝く。白い雲は波止場の彼方に動いてゐる。私の慰藉はわづかに業務の餘暇に窺ふ書物であつた。ポケツトに詩集なくして私は生きる事が出來なかつた。私の思ふところ、悲しむところ、よろこぶところを、巧みに又自由に歌つてゐる詩を讀むと、私は百年の知己を得たやうな氣がするのであつた。私の讀書は研究ではない。勉強ではない。娯樂である。慰藉である。戀人の囁きであつた………

## 四

詩人に向つて詩の何たるかを質問する程、愚な事誤れる事はなからう。どう云ふ前提動機理由約束を以て戀したかを明瞭に語り得る戀人が何處にあらう。もし語り得たとせば、そは僅かに戀から覺めた後の囘想に過ぎない。私は詩を讀んで感動したばかりだ。この感動、これ乃ち詩人の生命の全部ではないか。目的もない、計畫もない、私はたゞ私の眼が見て、心が感じた人生自然の凡てを歌ひたい、この熱情、この欲望より外には<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>にもない………

突然、其の迷つて來た時のやうに又突然、叔父の家を去つて私は東京に歸つて來た。私は最早や親の忠告を顧みなかつた。私は下宿住ひの孤獨を喜んだ。私は自分の著作の世に歡迎されるのを見て無上の幸福を感じた。モオパツサンも「<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリー</rt></ruby>の人の日曜日」に、藝術家に對する最上の挨拶は唯だ賞讃の一語だと云つて居る。賞讃、實にこれほど麗しいものはない。枯れた草の葉も露に逢へば生き返る。神も其の光榮を歌ふものを呪はなかつた。戀も事業も藝術も、あらゆる美徳も、つまりは此麗しい聲を聞かんが爲めに生きてゐる。私はこの聲の爲めにはいかなる犧牲をも厭ふまいと思つた。よき詩を作るには、寂寞を愛さねばならぬ。血縁の繋累、社會の制裁から隔離せねばならぬ。<ruby><rb>彷徨</rb><rt>さまよ</rt></ruby>はねばならぬ。讀まねばならぬ。泣かねばならぬ。<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>はねばならぬ。喜ばなければならぬ―――私は乃ち父母親戚の目からは言語道斷の無頼漢になつた。私は長雨の夕暮を遊廓に近い場末の居酒屋に、わざ〱晩飯を食ひに行つた事もある。淺草の觀音堂の階段に<ruby><rb>夜明</rb><rt>よあかし</rt></ruby>をした事もある。木賃宿の<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどう</rt></ruby>に夜半驚いて虱をさぐり、銘酒屋の曉を人に襲はれ、裏露地を<ruby><rb>潜</rb><rt>くゞ</rt></ruby>つて逃れ去つた事もある。雪の夜深け、待合からの歸り道に、老車夫が身の上話しを聞いた。夏の午過ぎを大河端に釣する隱居樣と話をした。渡し場の船頭と友達になつた。箱屋と並んで歩いた。<ruby><rb>妓夫</rb><rt>ぎふ</rt></ruby>と口論をもして見た。演舌も聞く、芝居にも行く、教會にも行く、夜學の語學校にも通つた。或る人はこれ閑人の好奇心に過ぎないと云ふかも知れない。<ruby><rb>眞</rb><rt>まこと</rt></ruby>に涙あるものゝ<ruby><rb>爲</rb><rt>な</rt></ruby>すに忍びない人生の傍觀者だと憤慨するかも知れない。然しそんな人は、私を非難する前に、罪惡の解剖のみに全力を盡した自然派の作家や、<ruby><rb>全希臘式</rb><rt>ネオグレツクしき</rt></ruby>なる耽美をのみ喜ぶ、象徴一派の詩人の名を、近代文學史から抹殺すべく努力するがいゝ。否それよりか、其の土地と財産とを遂に捨てなかつたトルストイにでも矢を放つがいゝ。

私は唯だ「形」を愛する美術家として生きたいのだ。私の眼には善も惡もない。私は世のあらゆる動くもの、匂ふもの、色あるもの、響くものに對して、無限の感動を覺え、無限の快樂を以て其れ等を歌つて居たいのだ。

何たる麗しい長い〱燈火の<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>であつたらう。私の<ruby><rb>二十</rb><rt>はたち</rt></ruby>は殆ど記憶する<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>もなく、過ぎ行く夜毎の戀のさま〲悶え惱む<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>もなく書き捨てる歌屑に、夢よりもたより無く明けてしまつた。明けた<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の曉にふと聞いて驚いたのは、あの皺枯れた鷄の聲より猶ほ<ruby><rb>味</rb><rt>あぢはひ</rt></ruby>のない「三十歳」と云ふ聲である。夏の末の日盛りに、緑のまゝながら、ひらりと落ちた木の葉の聞えない響である。

## 五

清朝の詩人<ruby><rb>王漁洋</rb><rt>わうぎよやう</rt></ruby>の詩に、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">十日雨絲風片裏</span>。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">濃春烟景似殘秋</span>。と云ふ句がある。物に感じやすい人は必ず經驗して居やう。花もまだ散らない春の盛りに、どうかすると雨にもならず曇つたまゝに暮れて行く<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>の、疲れたやうな靜けさと、何か誘ひ出すやうな肌寒さとが、ふいと<ruby><rb>彼</rb><rt>あ</rt></ruby>の悲しい秋の暮であるやうな感じをさせる事がある。丁度其れと同じやう三十歳は男のさかり、その盛りを意識する強い豪慢な心の底に、ふいと感ずるともなく感ずる寂寞の想の、いかに悲しく、いかに氣味惡いであらう。<ruby><rb>初冬</rb><rt>はつふゆ</rt></ruby>の凍つた明い朝なぞ、忽然冷えきつた鏡の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>に、<ruby><rb>顳顓</rb><rt>こめかみ</rt></ruby>の<ruby><rb>白髮</rb><rt>しらが</rt></ruby>を見出した時の<ruby><rb>驚愕</rb><rt>おどろき</rt></ruby>、絶望、其れは事實に對する恐怖であるが、これは自分の心が生みだす空想の恐怖である<ruby><rb>幻覺</rb><rt>ハルシネイシヨン</rt></ruby>である。<ruby><rb>一度</rb><rt>ひとた</rt></ruby>び理由なく目の前に浮んだとなつたら、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にするとも消すことの出來ない恐しい幻覺である。たつた二三年前までは「<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">白髮花前又十年</span>」などと云つて、殊に支那の詩人が喜んで歌つた老境に對しても、人には誰れでもデカダンスの趣味があるもので、私は荒廢した宮庭の跡に月の光のさまよふ如き詩景を思ひ浮べる事も出來たが、いざ其れが目の前に迫つて來たかと思ふと、私はもう夜半の<ruby><rb>枕頭</rb><rt>まくらもと</rt></ruby>に時計の響を聞くさへ堪へられない心地がしだした。白髮の生えぬ中、皺一つ寄らぬ中、もう一度、あの情死を約したやうな戀がして見たいとつく〲思ひ初めた。肉を<ruby><rb>挘</rb><rt>むし</rt></ruby>り心を刺す此の一念は、世間から云へば分別盛りの年齡の私をして十九<ruby><rb>廿歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>の青年よりも甚しく、到る處の艶しい<ruby><rb>小路々々</rb><rt>こうぢ〱</rt></ruby>を<ruby><rb>彷徨</rb><rt>さまよ</rt></ruby>はせた。何と云ふ狂亂であらう。然し、<ruby><rb>急</rb><rt>あ</rt></ruby>せれば<ruby><rb>急</rb><rt>あ</rt></ruby>せる程、私は最早やどうしても<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>の時のやう、他愛なく夢見るやうに遊ぶ事は出來ないらしく思はれた。生活に對する<ruby><rb>今日</rb><rt>こんにち</rt></ruby>までの經驗が何事によらず<ruby><rb>直</rb><rt>すぐ</rt></ruby>と物の眞底を<ruby><rb>見透</rb><rt>みすか</rt></ruby>して興味を<ruby><rb>殺</rb><rt>そ</rt></ruby>いでしまふし、其れと同時に、路傍に聞く新しい<ruby><rb>流行唄</rb><rt>はやりうた</rt></ruby>なども、私には時勢の變遷に從ふ趣味の低落を悲しましめるばかりで、私はあれ程喜んだ歡樂の巷に於て、却つて他には感じられない寂寞に襲はれる場合が多かつた。私は死なうと云つた以前の戀人を思出す。今頃はどこに居て、何をして居るか。どうかして一度<ruby><rb>邂逅</rb><rt>めぐりあ</rt></ruby>ひたい。何故私はあの時<ruby><rb>死</rb><rt>しな</rt></ruby>なかつたのであらう。藝術は果して戀よりも美しかつたであらうか。私は最も麗しいものとして情死を歌つた事は無かつたか。あゝ………。私は獨り寂しく去つて返らない過去を思返すより仕樣があるまい。それが詩人の、否凡ての人間の滿足して受けねばならぬ運命であらう。私は嘗て戀人と手を取つて語つた公園の休茶屋、神社の境内を歩いて、私の瞬間の想ひを寫してゐる詩を讀むのが再び何物にも換へがたい慰安となつた。あの當時、貿易商の事務室で、人目を忍んで讀んだ詩集の「滅びざる形」、「美の女神」、「琴のさゝやき」、「<ruby><rb>永久</rb><rt>とこしへ</rt></ruby>の<ruby><rb>藝術</rb><rt>たくみ</rt></ruby>」、「詩人の<ruby><rb>光榮</rb><rt>さかえ</rt></ruby>」など云ふ文字が堪へられぬ程血を熱せしめたのに引換へて、今は、「思ひ出」、「<ruby><rb>消</rb><rt>きゆ</rt></ruby>る夢」、「殘る薫り」、と云つたやうな文字が、音樂となつて胸の底に浸み渡る………

## 六

この限りもない幽愁の秋の庭に、突然美しい小鳥が何處からともなく飛んで來た。そして美しい聲で囀つた。それはいつも行き馴れた<ruby><rb>池</rb><rt>いけ</rt></ruby>の<ruby><rb>畔</rb><rt>はた</rt></ruby>の待合で、ふいと或る日の夕方、私は人の妻かと見えて丸髷に<ruby><rb>結</rb><rt>ゆ</rt></ruby>つてゐる若い女に出會つた事である。窓の外には三月の曇つた空に風も吹き絶えて、濁つて沈んだ水の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>に、岸に臨む人家の明い梅の花が、暗い上野の森の反映と共に、動かずに浮んでゐた。女は私の這入つて來るのを機會に歸りかけやうとする。それをば其の<ruby><rb>家</rb><rt>や</rt></ruby>の主婦が、「いゝんですよ。氣の置ける方ぢやないんですから。御ゆつくりなさいよ。」と云つたので、私は挨拶するなり主婦と一緒になつて、<ruby><rb>窓外</rb><rt>まどそと</rt></ruby>の軒燈だけには已に<ruby><rb>灯</rb><rt>ひ</rt></ruby>のついて居る夕闇の座敷に女中が臺付きのランプを持つて來る頃まで話し合つた。

丸髷の女と云ふのは根岸に圍はれてゐる人の妾であると、歸つた後で主婦が話した。初對面の雜談中にも、「もう今年二十三、いやになつちまふわねえ。」と云ふわざとらしい嘆息を<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>も繰返して、私の顏を大膽に見ながら、「二十六か七、どうしても八には見えませんね。男の方は樂しみねえ。」と云つたのが、其の時實にうれしく私の耳に響いた。意氣な<ruby><rb>身體付</rb><rt>からだつ</rt></ruby>きではなかつたが、小肥りの、いかにも顏色のいゝ、暖かさうな女で、然し指環を澤山はめた手先は、夕闇の長火鉢の上に<ruby><rb>差翳</rb><rt>さしかざ</rt></ruby>される<ruby><rb>度々</rb><rt>たび〱</rt></ruby>、いかにも白くしなやかに見えた。長くきちんと坐つて居る事が出來ないと見えて、話す<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>の終り毎に、恐しく透通つた聲で高く遠慮なく笑ひながら、絶えず<ruby><rb>身體</rb><rt>からだ</rt></ruby>を搖り動しては<ruby><rb>坐住居</rb><rt>ゐずまひ</rt></ruby>を直して居た。何と云ふ華やかな笑ひ聲であらう、われ知らず滿ち渡る胸一ぱいの歡びが、自分には心付かぬ中、あの美しい咽喉の奧を潜つて、あの眞白な齒の間から、泉の湧く如く<ruby><rb>吹出</rb><rt>ふきいづ</rt></ruby>るとしか思はれぬ。何んと云ふ思はせ振りな坐り方であらう。それは、廿三歳と云へば成熟しきつた女の身體の、丁度<ruby><rb>熟</rb><rt>みの</rt></ruby>つた<ruby><rb>果物</rb><rt>くだもの</rt></ruby>の枝に<ruby><rb>留</rb><rt>とゞま</rt></ruby>り得ぬと同じく、あらゆる慾情を投げ掛けて凭れかゝるべき強い力のある男の腕を求める其の悶えの爲めに違ひない。私は最初一目見た其時から、身の顫へる樣な誘惑を感じたのだ。

丁度その刻限と同じやう、二三日過ぎた日暮れ方、折よくも二度目に出會つた時、私は<ruby><rb>到底</rb><rt>とても</rt></ruby>我慢が出來ず、待合の主婦と一緒に無理やりその女をば、近所の料理屋まで夕飯を食べに連れて行つた。

私は若い女連れと料理屋へ行く時ほど愉快を感ずる事はない。塵一ツなく清められた上に輕く打水のしてある<ruby><rb>入口</rb><rt>いりくち</rt></ruby>の敷石を踏鳴しながら、かう云ふ時にはいつも<ruby><rb>氣後</rb><rt>きおく</rt></ruby>れするらしく<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>になる女の手を取つて、ずつと玄關へ上ると、其處へ出迎へる大勢の女中。彼等女同士の鋭い眼は見て見ぬやうに、私が連の女………女とよりは其の髮と衣服に注がれるであらう。それが迷つた男の目には何よりも得意に、又譯もなく氣恥しい氣がして、必ず足早やに、鏡の如く拭込んである廊下をば案内されるまゝ座敷へはいる。と、疊が含む塵の匂ひかとも思ふ、普通の人家では決して感じない、一種の輕い濕つた匂がして、冷えた根岸塗の壁の色が淋しく、其の片隅の稍薄暗い床の間に、生花の花のみが、人待ち顏に咲いて居るであらう。私はつまり見知らぬ處へ來たと云ふ、この新しい、多少の不安を交へた奇異なる瞬間の官覺を喜ぶので、<ruby><rb>一度</rb><rt>ひとた</rt></ruby>びこの美妙な刺㦸に心を呼び覺されると、其れからは如何なる些細な事までもが、皆活々した力で私の興味を引き出す。取留めのない女の談片が却て忘れられない記憶を殘す。其の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は、庭を越した向側の座敷で女を相手に頻と<ruby><rb>藤八拳</rb><rt>とうはちけん</rt></ruby>を打つてゐる男の聲、例の如く<ruby><rb>聲色使</rb><rt>こわいろつかひ</rt></ruby>が裏通の處々に立留つては木を打つてゐたが、聞き馴れた其れ等の響がまだ深けもせぬ<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>を、いかにも深けたらしく人の氣をいら立たせた。あゝ捕へがたい確めがたい希望の夢に擽られ、現在はまだそれ程深く知り合はない若い女の、<ruby><rb>𢌞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>る盃の數と共に、自分に話す言葉使ひの角がとれ、見合す眼の色の次第々々に打ち解けて行く、其れを感ずる心持こそ、戀の歡樂の最も甘い瞬間であらう。待合の主婦は私の心を<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>うから見拔いてゐて、<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>か席を外した。其の時々、私は何かに事寄せては手を觸れ合さうと試みた。

女は其の夜大分<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>つてゐたに係はらず、主婦が座を立ちかけると、其れを止めやうともせずに、然し私と差向ひになると、最初見た時とは別の人のやうにきちんと、坐つた形を崩さず、妙に話を途切らしてしまふ。ぢつと見詰める私の眼の、烈しく燃え立つ慾望の光のまぶしさに堪へられぬと云ふやう、俯向いた顏を上げ兼ねて居た。此の沈默の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>に進み行く時間は二人の運命を、二人の氣付かぬ中に、其の行くべき處まで行かしめねば止むまいと云ふやう、恰も滿ちて來る潮の流れの如く、ひし〱二人の身に迫る。私は非常に高まる女の胸の響を聞き得るやうに思つた。其の響は、もうあなたに身を任してゐる、どうして下さるんです。と私の返事を促す哀訴のやうにも聞き取れる。あゝ、解き得ない謎、聞き分けられぬ囁き、定まらぬ色の<ruby><rb>動搖</rb><rt>ゆらめき</rt></ruby>、形なき言葉の影―――何たる悶えであらう。私は突然、この發表されない覺悟、聲ある如き女の沈默は、もし此處に一歩を進めるならば、窮鼠却て猫を噛む恐しい防禦の暗示でありはせぬかとも思つた。私は實にこの場合、虚心平然として何等の先入的判斷に捉はれる事なく、相手の心理を洞察せねばならぬと思つた。自分ながら大分<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>つてゐる事が分る。どうかして<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑひ</rt></ruby>をすつかり醒してしまひたい。少くとも此れ以上醉つてはならぬと<ruby><rb>急</rb><rt>あせ</rt></ruby>つた。すると急れば急るほど、私は醉の𢌞るを覺え、眼がぐら〱して、身體全體が次第々々に他人のものであるやうな心持がして………遂に意識が<ruby><rb>失</rb><rt>なくな</rt></ruby>つた。判斷が消えてしまつた。目の前の女は乃ち女である。何等の社會的關係もない。束縛もない。目の前の女は唯だ單に、私が<ruby><rb>慾望</rb><rt>のぞみ</rt></ruby>の對照物として忽然現れ出たものとしか見えなくなつた。酒よ、汝に謝す………

## 七

其の年の春はまるで、私達二人の戀ばかりを祝ふ爲めに來たものとしか思はれなかつた。梅が散つて、いつも櫻の花時には、兎角に雨の氣遣はれるのが、其の年には四月の<ruby><rb>月中</rb><rt>つきぢゆう</rt></ruby>にたつた二三度、それも花を汚す塵を洗ふ爲めにと、わざ〱<ruby><rb>夜深</rb><rt>よふけ</rt></ruby>から降出して曉には必ず止んで呉れる情深い雨であつた。晴れ渡る空は日毎に青く澄む色の深さを増し、照りつゞく日の光は、咲きそろふ花の色と<ruby><rb>萌出</rb><rt>もえいづ</rt></ruby>る<ruby><rb>若草</rb><rt>わかぐさ</rt></ruby>の緑を一層あざやかに引立せる。氣候は<ruby><rb>一時</rb><rt>いつとき</rt></ruby>に驚くほど暑くなつて、午過ぎの往來には日傘を持たぬ通行の人が、早くも伸びて夏らしく飜へる柳の葉を眺め、人家の影の片側へと自然に<ruby><rb>歩</rb><rt>あゆみ</rt></ruby>を引寄せる。さう云ふ暑い日の風も吹かずに暮れてしまふと、濁つたやうに色付いた<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>の空氣は、其まゝに重く沈滯して人の呼吸を壓迫し、其處此處に咲くさま〲な花の薫りと草の葉の匂ひは、濕つた土や<ruby><rb>溝</rb><rt>どぶ</rt></ruby>の臭氣までを混じ合せて、<ruby><rb>濕地熱</rb><rt>マラリヤ</rt></ruby>にでも感染したやうな頭痛を覺えさせるので、其の不快不安な感覺から身を脱するには若い男が、あゝどうしても女だと、我を忘れて苦惱の叫びを放つやうな、妖艶極りなき春の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>が來るのである。私はかゝる夜を<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくた</rt></ruby>び、<ruby><rb>恣</rb><rt>ほしいまゝ</rt></ruby>に<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>と手を取り、重たげに蔽ひ<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>さる櫻の花の下を歩いたであらう。

いつも上野の森蔭や根岸の垣根道に時間を定めて忍び會ひ、其れからは足の行くまゝ氣の向くまゝ、遠く向島のはづれまで走つて、もう<ruby><rb>蛙</rb><rt>かはづ</rt></ruby>の鳴いてゐる<ruby><rb>田中</rb><rt>たなか</rt></ruby>の温泉宿に泊る。入浴した後の身の暖さに堪へやらず、又は閉めきつた小座敷の息苦しさに、そつと<ruby><rb>夜深</rb><rt>よふけ</rt></ruby>の小窓を明けて見ると、低く<ruby><rb>烟</rb><rt>けぶ</rt></ruby>りわたる空の其處此處に、ぽつり〱と浮いてゐる星は、形の恐しく大きいばかりで、にじんだ色のやうに光がない。<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>は歸れまい、明日は雨かも知れないと意味深く顏を見合して、其れなりぐつすり寢込んでしまふと、やがて<ruby><rb>曉方</rb><rt>あけがた</rt></ruby>から突然變る氣候の寒さを感じてふと目を覺す。<ruby><rb>夜更</rb><rt>よふ</rt></ruby>け過ぎの飮食に胃の不健全が手傳つて、何か知ら覺めた<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>には思ひ出せない夢を、戀人の<ruby><rb>手枕</rb><rt>たまくら</rt></ruby>に見て驚くのもこんな場合が多い。すると、<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>はもうすつかり明けてゐるが、日は照らず、と云つて雨にもならず、永い晝過ぎは夕方のやうに薄暗く、穩かに曇つて、鳥の聲にも力がなく、花は無心に散りかけ、池や<ruby><rb>水田</rb><rt>みづた</rt></ruby>や水溜りの沈んだ水の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>に、浮き雲の動く影が、動かない木立と花との反映の中に溶け込んで行く。<ruby><rb>此</rb><rt>かく</rt></ruby>の如き夢のやうな靜な日の幾日とつゞく事もあつた。

柔い絹の薄綿の<ruby><rb>寢衣</rb><rt>ねまき</rt></ruby>にふところ手して、私は縁側の柱や小窓に身を倚せ、樹の枝振り、花の色、水の面、薄曇りの空の光を、<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>み疲れた重い心持で眺めて居ると、折々私は自分の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に女がある。其の女が私の感覺を<ruby><rb>搖</rb><rt>ゆす</rt></ruby>る美妙な刺㦸の主である當然の事實をも忘れてしまつて、戀とか愛とか呼ぶものよりも、一層深く廣くて、又不確定な限られない自由なる空想に溺れてしまふ。これこそ詩人が殊更あこがれる恍惚の仙境であつて、さうなるともう女は女でない。肉は肉でない。道徳の限定した其の範圍外の世界が、美と調和に滿ちて開展される。接吻の響も、抱擁の激しい呼吸の響も、混沌として<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>へる自然の音樂と合致してしまふ。「時間」の<ruby><rb>進行</rb><rt>すゝみ</rt></ruby>は全く私の意識から消え失せて、瞬間は即ち永遠に通ずる思ひになる。然し突然、此の感激の頂上沒我の天國から、再び私を現實の地上に突落すものは、車の音でも、汽笛の響でも、人の足音でも、犬の聲でも、風の<ruby><rb>戰</rb><rt>そよ</rt></ruby>ぎでもない。其れは私の心を<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑは</rt></ruby>して呉れた其の女自らであるのだ。よくモオパツサンの話を引くやうだが、私は女に對する男の絶望、<ruby><rb>嫌惡</rb><rt>けんを</rt></ruby>の情を、あれほど深刻に感じた人はないと思ふ。「溺死人の手紙」と云ふ短篇にも私の感想とよく似寄つた事が書いてある。理想を喜ぶ若い男が、夏の<ruby><rb>一夜</rb><rt>ひとよ</rt></ruby>をある女と、小舟に明した<ruby><rb>曉方</rb><rt>あけがた</rt></ruby>に、自分の方を振返つては頻に微笑む女の樣子の美しさ氣高さ、さては目覺める自然の美に打たれ、愛の心をも解して呉れたのかと思へば、何たる滑稽ぞ、女は男の髮の毛に這ふ毛虫を見て笑つてゐたのであつた………愛する事は憎む事を知る初めである。私がいつも愛する人の肩に凭れて、恍惚として無限に遊ぶ其の刹那に、女は必ず、「烏が<ruby><rb>糞</rb><rt>ふん</rt></ruby>をした。」「あら、<ruby><rb>蛙</rb><rt>かへる</rt></ruby>が飛んだ。」「百姓がすべつた。」とか云つて、びつくりするやうな笑ひ聲を發しては、人の心と自然とが交通する深祕の調和を破つてしまふ。

私はいつそ以前のやうに、<ruby><rb>遣瀬</rb><rt>やるせ</rt></ruby>のない孤獨の思ひを詩に托しつゝ淋しく歩いてゐた方が<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>にも美妙の空想を妨げられる恐れがなくて幸福であつたと思返す事もあつた。又は今夜の何時、何處其處で待つて居てくれとの<ruby><rb>會合</rb><rt>ランデヴー</rt></ruby>にも、私は唯だ逢ふと云ふ望みを前にしたゞけで、却て空しく、待ち明かす恨みの方が、<ruby><rb>一層</rb><rt>ひとしほ</rt></ruby>深い記憶を殘すであらうと思ふ事さへあつた。いや、密會の眞味は、つまり待つ<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>の悶え、苦しみ、心づかひ、其れだけに盡きてゐるのだ。

## 八

櫻の花は<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>うに散つてしまつた。桃の花も散つた。山吹も散つた。藤の花も色が褪せてしまつた。最う牡丹を見に行く人もない。若葉の柔い緑の色は、日毎に黒く濃くなり過ぎて、見馴れた眼には早くも疲れを覺えさせる。雨が降り出した。まだ<ruby><rb>梅雨</rb><rt>ばいう</rt></ruby>の時期にはならないが、昨日も今日も、いつ晴れるとも知らず降りつゞく雨は、已に袷からセルの<ruby><rb>單衣</rb><rt>ひとへ</rt></ruby>を着た氣早い人の肩に羽織を着せかけ、久しく冷えたまゝの火鉢の灰に再び炭火をつがせるやうな、<ruby><rb>薄寒</rb><rt>うすざむ</rt></ruby>い濕つた氣候を呼び返す。春は成程歸ることなく去つてしまつたのだ。思出すと、驚くほど美しかつたあの春は、梅櫻から若葉まで、あまりに烈しい無數の<ruby><rb>色彩</rb><rt>いろ</rt></ruby>の變轉に、<ruby><rb>宛</rb><rt>さなが</rt></ruby>ら夜と共に消えて了ふ夕燒の雲の光に眼を射られたやう、私の心は唯だ無暗に強烈な色彩の幻影ばかりに滿されて、其の他の事件感想の凡てについては却て意識が非常に朦朧としてゐた。昨日の過去は、丁度十年も前に何處かで擴げて見た繪卷物の如く、<ruby><rb>描</rb><rt>ゑが</rt></ruby>かれた人物は泣いてゐたのか戰つてゐたのか忘れてしまつて、唯濃く塗られた繪具の色ばかりが記憶されて居るやうな氣がするのであつた。

雨の音、雨の音。私は其の頃、墓地と寺とに近く重に美術學生の泊つてゐる<ruby><rb>谷中</rb><rt>やなか</rt></ruby>の<ruby><rb>素人下宿屋</rb><rt>しろうとげしゆくや</rt></ruby>に住つて居た。雨の音、雨の音。<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は實に靜であつた。ランプの火は<ruby><rb>緑地</rb><rt>みどりぢ</rt></ruby>の羅紗を敷いた机の上に穩な光を投げてゐる。愛讀の書物の金文字がきら〱輝く。野に積つた雪のやう。<ruby><rb>平</rb><rt>たひらか</rt></ruby>に皺一つない幾帖かの原稿紙の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>に、小さな唐獅子の文鎭が鮮な影を描いてゐる。黒い四角な硯石のほとりに、二三本の優しい筆が、細く<ruby><rb>黄</rb><rt>きいろ</rt></ruby>い竹の軸と、まだ汚れない白い毛の先を不揃ひに竝べてゐる。燈火の赤い色が其のまゝ反映するかと思ふ<ruby><rb>滑</rb><rt>なめらか</rt></ruby>な陶器の水入には、何時さしたのか、紫色した西洋の草花がもう萎れてゐた。私は片肱ついて、片手を<ruby><rb>懷中</rb><rt>ふところ</rt></ruby>にして、ぼんやり絶えざる雨の音を聽いた。近いものよりは却て遠い昔の記憶が軒に<ruby><rb>滴</rb><rt>したゝ</rt></ruby>る雨だれの如く、とぎれ〱に浮んで來る。私はよく子供の時分に、大雨の晴れた<ruby><rb>午後</rb><rt>ひるすぎ</rt></ruby><ruby><rb>四手網</rb><rt>よつであみ</rt></ruby>を持つて、場末の町の<ruby><rb>小流</rb><rt>こなが</rt></ruby>れに<ruby><rb>小魚</rb><rt>こうを</rt></ruby>を<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>つた事がある。私は繁華な町を貫く堀割の橋の上を、雨の夕暮に、澁色や紺色の、さま〲な蛇の目傘が、圓く太い妙な書體で料理屋待合などの屋號を書いた番傘と<ruby><rb>重</rb><rt>かさな</rt></ruby>り合つて、風にゆられながら過ぎ行く景色を、好んで眺めた事がある。支那の殖民地に行く時、港々の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は恐しいまで廣くして暗く、遠い陸地の方からは、さう云ふ船着きの町にのみ<ruby><rb>聞</rb><rt>きか</rt></ruby>れる悲しい<ruby><rb>喧</rb><rt>さわが</rt></ruby>しい絃歌の聲が、とぎれ〱に流れて來るばかり。降りつゞく雨は、碇泊船の燈火の長く漂ふ滑な<ruby><rb>潮</rb><rt>うしほ</rt></ruby>の上に落ちて行く。其の音も響もない雨の絲を、<ruby><rb>船窓</rb><rt>ふなまど</rt></ruby>の<ruby><rb>灯</rb><rt>ひ</rt></ruby>に眺めて泣いた事がある………。さま〲に浮び出でた過去の感想は、溜り水の面に反映する空の色の如く、私が心の鏡に澄渡つて靜止した。世の中に筆取る人しか知らない、味へない、窺へない、尊嚴靜肅な唯一の瞬間である。雨の音、雨の音。私は直と其のまゝ筆を執り、手頸が<ruby><rb>觸</rb><rt>さは</rt></ruby>ると其の<ruby><rb>平</rb><rt>たひら</rt></ruby>かな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふわり</span>とした感覺の云ふに云はれず快い白紙の上に、墨の色も濃く、「雨の音」と大きく三字、表題を書き記した。そして休まずに、

雨の糸はわれを今、十年の昔に引き行けり。十年の昔、雨の響は琴なりき。われ此れを聽きて………

其の時突然、梯子段の下で、私の名を訊き正す高い調子の女の聲。筆持つまゝ驚き振り返る間もなく、廊下の足音と共に、濕つて張紙の弛んだ障子を無理に引明け、机の上のランプの光の僅かに<ruby><rb>達</rb><rt>とゞ</rt></ruby>く座敷の片隅に、思ひもかけない、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>ぢよ</rt></ruby>の姿が現れた。私の春を樂しませた根岸の女である。

「どうしたんです。今頃………。」

「手紙から<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ばれた</span>のよ。とう〱お<ruby><rb>拂箱</rb><rt>はらひばこ</rt></ruby>になつちまつたの、私もう宿無しよ。却てせい〱したわ。」

女は持前の透き通るやうな聲で高く笑ひながら、もう身も心も共に投掛けたと云ふ風で私の膝に寄りかゝり、見上げる顏に机の上を見て、

「雨の糸は、われを今、十年の昔に………<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>なの、これが小説なの。勉強して<ruby><rb>被入</rb><rt>いらし</rt></ruby>つたんでせう。すみませんでしたね。」

私は實に譬へられない絶望を感じた。ランプの光は依然として靜に、雨の音は依然として悲しいのに、突如として<ruby><rb>彼</rb><rt>あ</rt></ruby>の美妙なる追憶の夢から、あさましい現實、汚れた疊の上に突落された私は、もう永久に詩人の權能を剥奪されたやうな氣がしたのである。膝の上なる女の重みは<ruby><rb>宛</rb><rt>さなが</rt></ruby>ら石か鐵を背に負ふやうな心持をさせる折も折、女は机の<ruby><rb>抽出</rb><rt>ひきだし</rt></ruby>から、少しばかり卷紙の端の出てゐるのを見付けて、咄嗟の疑念と嫉妬から抽出の中を底まで見せてくれと、我を忘れて迫る。其の感情の激動に女は暑さを覺えて、何も疑はしいものゝ無い事を見濟ますと、今度は如何にも<ruby><rb>大業</rb><rt>おほげふ</rt></ruby>に、「あゝ暑い、冷い水が欲しい。帶なんぞ取つちまふわ。」<ruby><rb>亂次</rb><rt>だらし</rt></ruby>ない姿になつて、「ほんとに<ruby><rb>疲</rb><rt>くたび</rt></ruby>れてよ。雨が降るのに車屋がゐないんですもの。」そこでゴロリと横になつた。

得やうとして、得た<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>の女ほど情無いものはない。この倦怠、絶望、嫌惡、何處から來るのであらう。花を散らす春の風は花を咲かした春の風である。果物を<ruby><rb>熟</rb><rt>みの</rt></ruby>らす日の光の暖さは、やがて果物を腐らす日の光ではないか。現實がなければ産れない理想は決して現實と並行しない。何たる謎、矛盾であらう。昨日まで男の絶賞した女の特徴は、盡く變じて淺間しい短所になつてしまふ。初めて逢つた時、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>ぢよ</rt></ruby>の如何にも打ち解けて、人に<ruby><rb>怯</rb><rt>お</rt></ruby>ぢない物言ひは、快活ならずして不謹愼となり、斜に坐り、首を<ruby><rb>傾</rb><rt>かし</rt></ruby>げ、肩をゆする其の態度は、男の心を魅する女らしい、柔い、美しさではなくて、<ruby><rb>猥</rb><rt>みだ</rt></ruby>らな厭らしいものゝ限りであつた。休みない心の焦立ちと戀の悶えは條理のない女性の嫉妬からとしか思へなくなつた。私は途方に暮れて、唯だぼんやり其の樣子を打眺めるばかり、女が<ruby><rb>此後</rb><rt>このご</rt></ruby>の身の振り方を問ひ迫つても、私は何とも即座に囘答を與へることが出來ない。すると女は直ぐ泣きはじめた。私の膝に顏を押當て、これまでの樂しさ嬉しさを涙に<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>びながら繰返す。その途切れ途切れの胸から<ruby><rb>絞出</rb><rt>しぼりだ</rt></ruby>すやうな言葉、啜り泣く涙の響は猶降り止まぬ雨の木の葉に滴り屋根を打ち、軒の<ruby><rb>樋</rb><rt>とひ</rt></ruby>から溢れ落ちる水の音と一ツになつてしめやかな<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>の澄み渡る<ruby><rb>燈火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>の光に悲痛な音樂を奏する。廊下にかゝつた古い柱時計が、折々際立つて、重い振子の音を響かせる。廣からぬ一室の今まで濕つて薄寒かつた空氣は、次第々々に<ruby><rb>白粉</rb><rt>おしろい</rt></ruby>と髮の油の匂ひを帶びて蒸暑くなつて行くのが能く感じられる。私はやがて、繰返す女の言葉も遂には途切れたなり聞えなくなつた時、ふと薄い袷の膝を<ruby><rb>透</rb><rt>とほ</rt></ruby>して、女の涙の生暖い潤ひを覺え出した。すると、此の生暖い潤ひは、私の身内に浸み入つて、瞬きする間もなく全身の血を<ruby><rb>煮返</rb><rt>にえかへ</rt></ruby>らすやうな氣がした、かと思ふと、私は忽ち前後の思慮もなく、まるで酒に<ruby><rb>醉</rb><rt>ゑ</rt></ruby>つた時と同じやう、死ぬなら一緒に死ぬ。死んでも別れはしないと云ふやうな事を、云ふまいとしても云はずには居られなかつた………

## 九

私はもう殆ど、其れから<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>の事を語るに忍びない氣がする。もし私自身を悲劇の主人公として客觀的に語るならば、其の劇の中心は戀と藝術の衝突である。戀の如何なるかは<ruby><rb>誰</rb><rt>た</rt></ruby>れも知つて居やう。藝術の熱情の如何に押へ難きかは、あゝ、藝術家より外に知る人はない。ゲエテの「フワウスト」を讀む毎に私は泣く。ゾラが「<ruby><rb>作品</rb><rt>ウウブル</rt></ruby>」の主人公たる畫家クロオドは愛する妻を殘して、<ruby><rb>何故</rb><rt>なにゆゑ</rt></ruby>夜半に獨り、そが未成の畫面に對して<ruby><rb>縊</rb><rt>くび</rt></ruby>れて死んだか。ハウプトマンの劇「沈鐘」の主人公、鐘作りのハインリツヒは<ruby><rb>何故</rb><rt>なにゆゑ</rt></ruby>「山の乙女」に迷つたか、妻を捨てたか、子を捨てたか。イブセンが「死の目覺め」の主人公、彫刻家のルウベツクは何故に、傷付ける其のモデルから、「作品は第一、活ける人間は第二。」と罵られたか。バルザツクの「知られざる傑作」にも奇怪なる畫家の自殺が描かれてゐる。世間の人の眼に藝術の人は狂氣としか思はれまい。思はれない事を私は<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ望んでゐる。強ひて己れを辯護し、藝術の何たるかを衆俗に知らしめる必要は決してない。其の何たるかを知らしむるに、藝術は餘りに幽婉である神聖である。悲壯極りなきクリストの教さへ、末世に至つて救世軍の廣告的傳道によつて全く其の威嚴を失つた。主義の<ruby><rb>傳播</rb><rt>でんぱ</rt></ruby>鼓吹は其の何たるを問はず虚僞の方便と誇張と、狹隘な排他思想を産むばかりである。藝術を愛さば強ひて人をして藝術を解せしめやうとする勿れ。唯だ解せんとするものをして、<ruby><rb>自</rb><rt>おのづか</rt></ruby>ら解せしむれば充分である。

私は父母親族<ruby><rb>兄弟</rb><rt>けいてい</rt></ruby>の、私に對する最初の憤怒、中途に擯斥、遂には憐憫また恐怖の情をも、今では全く念頭に置いてゐない。私は詩人だ、彼等は普通の人間である。即ち互に異なる國の種族である。私は私が屬する國家對藝術の關係をも更に憤慨しては居ない。私は父母と爭ひ教師に反抗し、猶且つ國家が要求せずして、寧ろ暴壓せんとする詩人たるべく自ら望んで今日に至つたのである。其れだけの覺悟なしに居られやうか。過去封建時代の遺物たる博徒顏役の<ruby><rb>輩</rb><rt>ともがら</rt></ruby>は已に現代に於ては無用の遊民であらうとは云へ、猶ほ犯罪者搜索の一便宜として、國家行政の機關が其の存在の意義を認めてゐる。詩人は其れにも劣つた無用の徒である。無頼漢である。迫害されるのは當然の理ではないか。然し何たる不思議ぞ、私は其程の屈辱にも係らず、鳥歌ひ花開き、女笑ひ男走るを見れば、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち詩の熱情を感じて止まない。詩人は實に、國家が法則の鎌をもつて、刈り盡さうとしても刈り盡し得ず、雨と共に延び生ずる惡草である。毒草である。雜草である。畠の作物とは違つて、<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>も手を入れ肥料をやるものは無い。あの遠いフランスに於てさへ、フロオベルは藝術家は普通の人の受くべき幸福を受けやうと思つてはならぬと云つた。況や吾々日本の詩人、どうして妻を娶り家を作るが如き希望を抱き得やう。博徒にも劣る非國民、無頼の放浪者、これが永久吾々の甘受すべき名譽の稱號である。私は其れ故、三十歳の今日まで隨所に<ruby><rb>下宿住居</rb><rt>げしゆくずまひ</rt></ruby>を喜んだ。善良なる家庭の人と交る事を<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>から<ruby><rb>屑</rb><rt>いさぎよ</rt></ruby>しとしなかつた。醜業汚辱の巷は私が唯一の公園であつた。ボオドレエルの詩集「惡の花」は私が無上の<ruby><rb>福音書</rb><rt>ふくいんしよ</rt></ruby>であつた。それを今、あゝ何たる苦悶、私は妻ならぬ妻を持つ身になつたのだ。

根岸に圍はれてゐた人の妾は、生活の保護者から追放されたまゝ、私の處へ<ruby><rb>彷徨</rb><rt>さまよ</rt></ruby>つて來た。女連れは下宿屋にも居りにくいので、多くもあらぬ二人の所持金を合せ、<ruby><rb>根津權現</rb><rt>ねづごんげん</rt></ruby>に近い、薄暗い森陰の小家を借りて住む事とした。寢ても覺めても私の傍には、私の身を世界に唯一の頼りとする女一人が生きてゐるのだ。義務と責任の重さが<ruby><rb>堪</rb><rt>たへ</rt></ruby>られぬ程私の肩を<ruby><rb>壓</rb><rt>おさ</rt></ruby>へる。<ruby><rb>燈火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>を吹いて枕につき眠りに入る、其の日の最終の想ひは創作の苦心。<ruby><rb>翌日</rb><rt>あくるひ</rt></ruby>眼覺めて、日光を見る時最初に浮ぶ考へはまた此れ同じ詩の煩悶―――藝術の苦惱それが直ちに無限の快樂であつた昨日の事を囘想すると全く夢である。其の頃は、<ruby><rb>毎月</rb><rt>まいげつ</rt></ruby>の<ruby><rb>僅少</rb><rt>わづか</rt></ruby>な下宿代は新聞に投書する斷片的の評論によつても得られるので、創作の感興來らざれば、詩集を懷にして公園の靜な樹下にさまよひ、さて感興來れば<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>も眠らずに筆を執つて、其の曉幾分の餘裕を得れば、陶然として美人の歌を聽いた。空を飛ぶ鳥も及ばない、何と云ふ放恣な自由な境遇であつたらう。親の安否も兄弟の生死も氣に留めないばかりで無い、私は實に私の<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>をも考へなかつたのだ。孤獨は時として寂しからう。辛からう。然し死んでも生きても、そは全く己れの好むところで、決して<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の堪へがたい恩愛や情誼の涙には捉はれずに濟む。私の眼には次第々々に、女の姿が、私の藝術を<ruby><rb>滅</rb><rt>ほろぼ</rt></ruby>す妖魔のやうに見えて來た。私は夜深に木の葉の囁く聲、家に近い崖から落ちる清水の音などを耳にすると、ミュツセが有名なる「夜」の詩に歌つたやう、詩の女神はあり〱私の目の前に立現はれて、私に向つて<ruby><rb>一度</rb><rt>ひとた</rt></ruby>び詩に捧げた私の心の變節を攻め歎き、又慰め<ruby><rb>誘</rb><rt>いざな</rt></ruby>ふ、其の<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>やかな言葉を聞くやうな心持さへした。

私は如何なる殘忍をも顧ず、斷然女を振捨てやうと<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>決心したであらう。然し、あゝ女の涙、胸の轟き、肉のあたゝかさ。私は幾度び、藝術を捨てゝも此の女を保護したい熱誠に動されたであらう。丁度<ruby><rb>梅雨</rb><rt>ばいう</rt></ruby>の時節、幾日となく降りつゞいた雨がふと其日の<ruby><rb>午後</rb><rt>ひるすぎ</rt></ruby>に<ruby><rb>小止</rb><rt>をや</rt></ruby>みした。<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の明けたやうに、パツと流れて來る日の光の強さは、もうすつかり夏である。家を<ruby><rb>𢌞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>る樹木の<ruby><rb>濕</rb><rt>ぬ</rt></ruby>れた木の葉の面は一枚々々滴る雫と共に<ruby><rb>黄金</rb><rt>こがね</rt></ruby>のやうに輝いてゐる。<ruby><rb>重</rb><rt>かさな</rt></ruby>り合つた薄暗い木立の間には、其處までも烈しく<ruby><rb>射込</rb><rt>さしこ</rt></ruby>む日の光が、風の來る<ruby><rb>度</rb><rt>た</rt></ruby>び動搖する影と光との何とも云へぬ美しい網目の模樣を作つて居る。往來を隔てた千駄木の崖の方で、蝉の聲が<ruby><rb>逸早</rb><rt>いちはや</rt></ruby>くも今年の夏の新しい歌を<ruby><rb>奏</rb><rt>かな</rt></ruby>で出した。幾匹の白い蝶が、何時の間に生れて、<ruby><rb>何處</rb><rt>いづこ</rt></ruby>に今日までの雨を凌いでゐたのか、まるで夢から出たものゝやうに、ひら〱日の光の中を飛んで來る。私はもう一瞬間も<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に居ることは出來ない。出來るかぎり遠く此の狹苦しい<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>から離れて、自由自在に、さはやかな雨後の空氣を吸つて見たい。行先きを問ひたゞす女には<ruby><rb>何處</rb><rt>いづこ</rt></ruby>へとも答へられず、私は其の儘<ruby><rb>戸外</rb><rt>そと</rt></ruby>へ出た。

場末の殊更地面の低い根津の貧しい町を通ると、長屋中の<ruby><rb>女房</rb><rt>にようぼ</rt></ruby>が長雨に着古した<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つぎはぎ</span>の汚れた襦袢や腰卷や、又は赤兒の<ruby><rb>襁褓</rb><rt>おしめ</rt></ruby>や下駄<ruby><rb>傘</rb><rt>からかさ</rt></ruby>、臺所の流しなぞを、氣の<ruby><rb>狂</rb><rt>ちが</rt></ruby>つたやうな<ruby><rb>凄</rb><rt>すさま</rt></ruby>じい勢で、洗つたり干したりして、大聲に話して居る、罵つてゐる。其の<ruby><rb>周圍</rb><rt>まはり</rt></ruby>には子供が大勢泣いたり、騷いだり、喧嘩したりしてゐる。さう云ふ狹い横町をば、包を持ち尻を<ruby><rb>端折</rb><rt>はしを</rt></ruby>つた中年の男が幾人も、突當る人の中を<ruby><rb>急</rb><rt>いそが</rt></ruby>しさうに通つて行く。<ruby><rb>溝</rb><rt>どぶ</rt></ruby>と云ふ溝からはいづれも濁つた雨水の流れもせずに溢れてゐるのみか、道の上にも<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>ぎ兼ねるやうな<ruby><rb>溜水</rb><rt>たまりみづ</rt></ruby>の、幾個所と知れぬ其の面に、今や白い雲の烈しく動き出す青い澄んだ空の色が美しく反映して居る。其の高い空から、細い鳶の鳴聲が遙かに落ちて來る。いつもは此の裏街の生活が重々しく私の胸を押へるのであるが、今日は唯だ何となしに興味深く、かゝる處にもかゝる生活があるのかと寧ろ羨しいやうな氣がして、<ruby><rb>鱗葺</rb><rt>こけらぶき</rt></ruby>の低い人家の間をば、道の曲るがまゝに歩いて行くと、忽ち廣い<ruby><rb>不忍池</rb><rt>しのばずのいけ</rt></ruby>が目の前にひらけて、新しい蓮の葉の上に、遮るものもない日の光と青空の輝きが目を射た。雨の<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>なる上野の森は再び新緑の時節に戻つたやうに青く、岸の柳が如何にも心持よく風に飜つて居る。と、遙か向う岸に連る二階家の<ruby><rb>唯</rb><rt>と</rt></ruby>ある欄干に、一面の日光を受けて、<ruby><rb>燃</rb><rt>もえ</rt></ruby>るやうな赤いものが干してある。女の襦袢か。夜具の裏地か。あの連なる二階家の一軒で、私はこの春のまだ寒い夕暮に、今日は置き去りにして來た女と圖らず出會つて話をしたのだ。思起すと、私はもう一足も其の方へ<ruby><rb>近</rb><rt>ちかづ</rt></ruby>くのに堪へぬやうな氣がして、<ruby><rb>逃</rb><rt>にぐ</rt></ruby>るが如く東照宮の石段を<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>つて、杉の木立の中に迷ひ入つた。

私は最早や、あの女を振捨てやうとも、又は世話しやうとも、<ruby><rb>何</rb><rt>いづ</rt></ruby>れにも思ひ惱まぬ方がよいと思つた。振捨てるのは餘りに無情である。一生涯連添つて日一日に二人とも老いて行くのを見て居るのは猶更忍びない。私は一瞬間でも其れ等の煩悶を忘れねばならぬ。忘れねば生きて居られぬほど苦しんでゐるのだ。私は靜に立つてゐる杉の木立や、其の薄暗い根元の、此處にも、亦溜る雨の水に青空の色の反映するのを見るよりも、いつそ人や車の音の烈しい處へでも行つた方がと心付いて、其頃は鐵道馬車で直ぐと淺草へ行つた。輕い下駄の響き、仲店の賑ひ、色さま〲な商品の陳列、其の中でも殊更に花簪や半襟が店先一ぱい、<ruby><rb>紅</rb><rt>くれなゐ</rt></ruby>や緑や紫や又は絞り縫取り染模樣のさま〲に、閃く焔の如く飾り立てられたのを見ると、私は娘のやうに心も浮かれて引寄せられたが、其れ等の華美を極めた色彩は却て盛の絶頂に達して今はたゞ散るのを待つ花に對するやうな<ruby><rb>果敢</rb><rt>はかな</rt></ruby>い氣をさせた。肉付のいゝ若い女が<ruby><rb>幾人</rb><rt>いくたり</rt></ruby>も、赤い<ruby><rb>潰髷</rb><rt>つぶし</rt></ruby>の<ruby><rb>結綿</rb><rt>ゆひわた</rt></ruby>にもう<ruby><rb>華美</rb><rt>はで</rt></ruby>な<ruby><rb>中形</rb><rt>ちゆうがた</rt></ruby>の<ruby><rb>浴衣</rb><rt>ゆかた</rt></ruby>を着て<ruby><rb>引掛</rb><rt>ひつか</rt></ruby>け帶もだらしなく、歩む度に白い足の裏を見せながら行く。然し其れをも私は、自分ながら不思議に思ふほど、物淋しい心持でしか眺める事が出來なかつた。どうしたのであらう。私は雨上りの凉しい風の云ふに云はれず心持のよい事を能く感じてゐる。私は雨上りの晴れた日光に、凡ての物の色の驚くほど<ruby><rb>鮮明</rb><rt>あざやか</rt></ruby>に私の眼を射る事を知つて居る。其れにも係らず見えざる心の片隅に隱れてゐる<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>れざる悲しみ。どうして美しく見える物<ruby><rb>心地</rb><rt>こゝち</rt></ruby>よく感じられる事が、今日に限つて、直ちに悲しく淋しく思はれるのであらう。歩いて行く足が自然と長い敷石の上をばやがて大きな提灯の下つてゐる觀音堂の階段の下まで私を連れて行つた。

烈しい夏の日は空から滑り落ちて來るやうな恐しい<ruby><rb>瓦屋根</rb><rt>かはらやね</rt></ruby>の見上げる廣い軒に遮られて參詣の人の絶えず<ruby><rb>昇降</rb><rt>あがりおり</rt></ruby>する階段の、丁度<ruby><rb>半</rb><rt>なかば</rt></ruby>ほどまでさし込み、段の角毎に張付けた<ruby><rb>鐵板</rb><rt>てついた</rt></ruby>をぎら〱燒けるやうに光らせてゐる。下から仰ぐと、殆ど眞暗な本堂の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>には、釣した<ruby><rb>大提灯</rb><rt>おほちやうちん</rt></ruby>の磨いた<ruby><rb>金々具</rb><rt>きんかなぐ</rt></ruby>の底ばかりが見え、風の吹き込む時々、正面の入口に置いた大きな香爐の吐出す烟が、日の光の中には青い色して、階段の下まで漂つて來るのがよく見分けられる。私は階段を<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>つた。<ruby><rb>何處</rb><rt>いづこ</rt></ruby>にしても廣大な建築物の内部に於て感ずる空氣の冷靜と日光から<ruby><rb>遠</rb><rt>とほざ</rt></ruby>かつた幽暗の氣とが、殊に仲店の賑ひを通り過ぎて來た身には一層強く感じられた。同時に廣々とした堂内をも稍狹苦しく覺えさせる大提灯や、釣燈籠や、太い柱や、其の蔭に置いた<ruby><rb>廚子</rb><rt>づし</rt></ruby>や偶像や、又は高くかゝげた奉納の繪額や、夥しい欄間の彫刻や、見𢌞す<ruby><rb>四邊</rb><rt>あたり</rt></ruby>一帶の剥げて、褪めて、古びた色彩の薄暗さが、云ふに云はれず柔かに人の心を沈靜させる。私は今日初めて、この本堂を見たやうな意外な心持がして、正面を眺めると參詣の人の俯向く無數の<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>を越え、船のやうな大きな賽錢箱を前にして、遙かに奧深く、<ruby><rb>數多</rb><rt>あまた</rt></ruby>の<ruby><rb>雪洞</rb><rt>ぼんぼり</rt></ruby>を連ね<ruby><rb>點</rb><rt>とも</rt></ruby>した佛壇が、細かにゆらめく鈍い其の光で、燭臺の彫刻や<ruby><rb>金色</rb><rt>こんじき</rt></ruby>の<ruby><rb>造花</rb><rt>つくりばな</rt></ruby>をおぼろに<ruby><rb>輝</rb><rt>かゞやか</rt></ruby>すばかり、參詣の群集をしてはとても仔細に其の内部を窺はしむるに堪へぬ程、無限の神祕を帶びて、闇の中から現はれた夢のやうに浮いて居た。

何處か分らぬ奧の方で、ざら〱ツと<ruby><rb>御籤</rb><rt>みくじ</rt></ruby>の<ruby><rb>竹筒</rb><rt>つゝ</rt></ruby>を振動すらしい響がする。人々の呟く祈祷の聲が繪額の陰に鳴く鳩の聲に<ruby><rb>交</rb><rt>まじは</rt></ruby>る。私は、いつも觀察の興味に饑ゑる藝術家の好奇心のみならず、突然日中に見る燈火の光と、暗然たる古色に對する憂欝の情の心地よさに太い柱の陰に安置した眞赤な偶像の前に立止つたまゝ、<ruby><rb>出入</rb><rt>でいり</rt></ruby>の烈しい參詣の人々の樣子をば餘念もなく眺めて居た。折から藝者らしい一人の女、然しもう人目を引く<ruby><rb>華麗</rb><rt>はで</rt></ruby>な姿ではなく、其の土地では一口に<ruby><rb>姐</rb><rt>ねえ</rt></ruby>さんで通るかと思ふ年頃の澁いつくりの女が、向から不審さうに私の顏を見詰めたが、忽ち「まア」と驚いて、私の名を呼びつゝ靜に歩み寄り、

「ほんとにお<ruby><rb>久振</rb><rt>ひさしぶ</rt></ruby>りですねえ、お變りも御在ませんの、お一人ですか。」とそつと<ruby><rb>四邊</rb><rt>あたり</rt></ruby>を眺めた。

「私も、是非一度會ひたいとは思つて居たんだけれど、<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>ぼ何でも、會はす顏がないから。」

私はおそる〱相手の顏色を窺つた。忘れもせぬ小菊と云つて、私が二十二の時、死なうと約束した其の女である。小菊は別に私を恨む樣子もなく、然しまるで昔の人ではないやうな、<ruby><rb>沈着</rb><rt>おちつ</rt></ruby>いた<ruby><rb>聲音</rb><rt>こわね</rt></ruby>になつて、

「ほんとに夢ですわ。何て云つたつて若い時分でなくつちや駄目よ。そこへ行くと男の<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>は………。」と淋しく微笑む。

「お前いくつになるんだ。」

「二十八。」

「それぢや、まだ盛りぢやないか。」

「あら、御冗談ですよ。それア、氣の若い人ならさうかも知れませんが、私アもう、全く世の中には飽きちまひました。」

又もや奧の方で筒を振る怪し氣な響、鳩の鳴く聲。久しく堂内の日陰に居た<ruby><rb>單衣</rb><rt>ひとへ</rt></ruby>の肌には、廊下を<ruby><rb>傳</rb><rt>つたは</rt></ruby>つて流れて來る風が、いやに薄寒く感じられて來た。

「何時だらう。其邊で御飯でもたべやうか。」

「えゝ、御迷惑ぢやなくつて。」

並んで階段を下りた。

## 十

昨日まで降り續いた薄暗い雨の日に比較して、晴れた今日の日は驚くばかり永かつた。私は小菊をつれて五重の塔の麓を𢌞り<ruby><rb>鐘撞堂</rb><rt>かねつきだう</rt></ruby>の陰なる小料理屋に入り、それから雷門の往來で車に乘つて歸る小菊を見送り果てゝも、あたりはまだ<ruby><rb>明</rb><rt>あかる</rt></ruby>かつた。無論其邊の商店や料理屋には<ruby><rb>瓦斯</rb><rt>ガス</rt></ruby>の火がついて居たが、烈しい<ruby><rb>夕陽</rb><rt>ゆふひ</rt></ruby>は西の空一面を<ruby><rb>紅</rb><rt>くれなゐ</rt></ruby>に燒き立てゝ、見渡す往來のはづれなる本願寺の高い屋根をば恐しいほど眞黒に焦してゐる。浮んだ雲のちぎれの白く薄いものは全く<ruby><rb>黄金色</rb><rt>こがねいろ</rt></ruby>に<ruby><rb>燦</rb><rt>きらめ</rt></ruby>き、黒く長く棚曳くものは濃い紫色になつた。中には其の一面だけ薔薇色に染められたのもある。然し見詰めると一瞬毎に、目を射る此の烈しい<ruby><rb>色彩</rb><rt>いろ</rt></ruby>の狂ひも眞暗な<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>に向つて徐々として薄らぎ消えて行く。私は小菊の話を其れとなく思ひ返へした。小菊は死ぬ約束を水にして姿を隱してしまつた私の事を今では少しも惡くは思つて居ない。却て有難いと思つてゐる。あの事があつたばかりに、若い人達が樂しい戀に喜び狂ふのを見ても、自分の姿の老い衰へて行く今日の身をさして淋しいとも悲しいとも思はずに濟むと語つた。小菊は二十五過ぎてからの女の心には色も戀もない。自分から死ぬ譯にも行かない一生涯をどうしたら唯日常の衣食住に苦勞する事なく送つて行かれるか此の現實の問題の爲めには、隨分見るも厭な男の世話になつて不平たら〱暮して行くものだと語り、十八九の若い時分を顧みては、あの時分には「死ぬ」といふことまでがたわいも無い冗談であつた。悲哀や苦痛はつまり樂しい青春の夢を猶樂しく強く<ruby><rb>味</rb><rt>あぢは</rt></ruby>はせる酒のやうなものだと云つた。さうに違ひない。さうに違ひない。女の十八男の<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>は實に麗しいものである。私は何故根津の家に殘したあの女をば切れるの別れるのと必要もない時にまで云出して、泣かずともすむ事をわざと泣いては抱合つて見た<ruby><rb>廿歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>の時の其のやうに何故一思に振切つてしまふ勇氣が出ないのであらう。振切つた<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>の女の身の上や、又は人に嘆きを掛ける自分の行末までが、何故かう譯もなく、忍び得られぬほど<ruby><rb>氣遣</rb><rt>きづか</rt></ruby>はれるのであらう。

私は鐵道馬車に搖られながらいろ〱と根津の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に居る女の事を考へつゞけた。私が今振切つてしまつたら、差當り行き處のない<ruby><rb>彼</rb><rt>あ</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>は一筋に思詰めて死にはしまいかとも<ruby><rb>危</rb><rt>あやぶ</rt></ruby>まれる。死なぬにした處がいつも私に訴へるやう、もう二度と再び男と遊ぶ歡樂の夢を見る事はあるまい。<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んだ心を一日も早く破滅の老境に托しやうと<ruby><rb>急</rb><rt>あせ</rt></ruby>るであらう。あゝ、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>ぢよ</rt></ruby>は實に遊ぶ事が好きであつた。青空さへ見れば何處までも歩く。合乘の車がなければどんな遠道をいかほど疲れても私と手を引合つて歩く方がよいと云つた。空が曇つてぽつり〱降り出した雨が、<ruby><rb>蔽冠</rb><rt>おほひかぶ</rt></ruby>さる櫻の花に遮られて、それほどには着物を濡さぬのを幸ひと、<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の十二時過ぎ向島の<ruby><rb>長堤</rb><rt>ちやうてい</rt></ruby>を<ruby><rb>木母寺</rb><rt>もくぼじ</rt></ruby>近くまで歩いた事があつた。思返すと<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>にも換へがたい程戀しい懷しい。それほど戀しく懷しい追懷が、どうして妻と呼ぶべき現實の<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>ぢよ</rt></ruby>に對して、過去の通りの恍惚を感ぜしめぬやうになつたのであらう。私は<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>をも恨まぬ、私はたゞ私を<ruby><rb>憤</rb><rt>いきどほ</rt></ruby>る、私の心を嘆く………

<ruby><rb>不忍</rb><rt>しのばず</rt></ruby>の<ruby><rb>池</rb><rt>いけ</rt></ruby>に星が映り、絃歌が聞え、根津の裏町に蚊柱の立迷ふ頃、私は全く疲れて<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ歸つて來た。凉しいランプの光の中に、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>は美しくも夕化粧した上に<ruby><rb>外出</rb><rt>そとで</rt></ruby>の着物まで着換へて、私の歸りを待つて居たらしい樣子であつた。「お歸んなさい」と如何にも<ruby><rb>沈着</rb><rt>おちつ</rt></ruby>いた一聲。いつも〱見捨てられはせぬかと、男の心の變動を疑ふ<ruby><rb>物狂</rb><rt>ものぐる</rt></ruby>はしい樣子とは全く變つて、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>は私が寧ろ氣味惡る氣に<ruby><rb>目戍</rb><rt>みまも</rt></ruby>る其の顏を見返して、問はるゝまゝに事情を話した。今日の<ruby><rb>午後</rb><rt>ひるすぎ</rt></ruby>私の出て行つた<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>に、かの待合の主婦が訪ねて來て、一時の不屆を<ruby><rb>憤</rb><rt>いきどほ</rt></ruby>つて、妾宅から追出しはしたものゝ、辛抱する氣さへあれば元通りに圍つてやらうと云ふ先方の意志を傳へ、利害の問題をこま〲云ひ聞かした。それで話の結果は兎も角、會ふべき約束をした故これから行つて見ねばならぬとの事であつた。

私は今までの混亂した感情を<ruby><rb>一時</rb><rt>ひととき</rt></ruby>に忘れてしまつて、どんな無理をしても<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>を引止めたいと云ふ氣になつた。その<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>十二時<ruby><rb>近</rb><rt>ぢか</rt></ruby>くに歸つて來た女を待つて、私は心の限り言葉の限りに訴へて見たが、あゝ然し、女は唯だ泣き沈むばかりで、<ruby><rb>翌日</rb><rt>あくるひ</rt></ruby>になると到頭公然と別れ話を申し出した。「私は一生あなたの事は忘れません、私はもうあれだけ嬉しい思ひをすれば、女冥利にも盡きる位ですもの。實は田舍に母親もありますし、その方の世話もしなければなりませんから、<ruby><rb>矢張</rb><rt>やつぱ</rt></ruby>り私はお金で買はれた<ruby><rb>玩弄</rb><rt>おもちや</rt></ruby>になつて、花が咲かうが、花が散らうが、目を<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>つて暮しませう。早く年を取つて芝居一ツ見たくない樣になつて仕舞ひたい。」こんな言葉を最後に、其の日はもう<ruby><rb>浴衣</rb><rt>ゆかた</rt></ruby>も脱捨てたい位な炎暑の日盛りをば、女は往來の眞白に乾いた砂の上を眞黒な其の影もろともに、遂に私の眼から消えてしまつた。

私は別れたなり、更に其の後の消息を知らない。知らうと思へば無論方法はいくらもあらう。然し互に出會つた處で、<ruby><rb>二度</rb><rt>ふたたび</rt></ruby>あのやうな華々しい戀を味ふ事が出來るだらうか。早く年を取つて芝居一つ見たくない樣になりたいと云つた言葉が、私の心には死の報知よりも悲しく響いてゐる。私はもう四十だ。さらでも早く年を取る女の事、私は昔<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじ</rt></ruby>んだ女の<ruby><rb>年老</rb><rt>としと</rt></ruby>つたのを見るに忍びない氣がする。強ひても見たくないと思つてゐる………

## 十一

先生は長々と過去の戀を物語つた後、私をば電車道まで送つて來て呉れた。靜な芝の公園、木の葉のみか空の星さへ懷しい音樂を奏するかと思はれる初夏の<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>。先生は<ruby><rb>獨語</rb><rt>ひとりごと</rt></ruby>のやうに、「自然はいつも老いずに詩人を慰めるが、詩人の命は春に逢ふ度に衰へて行く。自然はいつも同じ春しか繰返さないが、然し詩は時代と共に變じて、昨日の古い<ruby><rb>調</rb><rt>しらべ</rt></ruby>の繰返される事を決して許さない。こゝにも<ruby><rb>傷</rb><rt>いたま</rt></ruby>しい矛盾がある。」と云つた。

芝から小石川のはづれまで私は長い電車の道中、いつも先生の愛誦する詩の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>でジヤン、モレアスの、

Goûtez tous les plaisirs et souffrez tous les maux

Et dites: C'est beaucoup, et c'est l'ombre d'un rêve\.

餘す處なく歡びを味ひ、餘す處なく痛苦を嘗めよ。

<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して語れ。其れにて足りぬ。夢の影よと。

と云ふ一節を何となしに<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>か悲しく思ひ返した。

明治四十二年四月作