Soranoha

天狗

てんぐ

大坪 砂男

黄昏たそがれの町はずれで行き逢う女は喬子たかこに違いない。喬子でなくてどうしてあんな素知らぬ顔をして通り過ることができるものか。貌かおといって、いつも巾きれで包んで正面きっているのだから分る筈はずはあるまいと――莫迦なことを、喬子は怖いのだ。そのくせ、人の様子を探ろうなどと、ひょっとすると、暗示にかけながら正体を見破ろうと計っているのかも知れない。きっとそうだ。憐れむべし、その手にのると思っているのか。

近頃の流行に胡魔化ごまかしてスカーフを頭から被って、時刻はいつも風呂帰りの日暮をえらんで西から来るのも魂胆あってのことだ。若く化けた時は赤いスカーフを、或いは黄色かったり緑だったり、年増に扮すると風呂敷を被っていたりする。それも風の日と限らず、夕焼の名残がそよりともしない晩だって同じことなのだから立派な証拠と言えるだろう。そうだ、黄昏の女――巾を被ってわざと見向きもしないで、足早に通る女はどれもこれも喬子の変装に相違ない。背が高いのも低いのも。肥ったのも痩せたのも!

可笑おかしくって仕様がない。誰が振返って見送りなぞするものか。雨の日に、確証を握ってしまったのだ。たしか霧雨が降っていて、傘の先からは雫がたれていたのに、喬子は平気で濡れながら通り過ぎた。紫のスカーフを被っていたらしい。これは慥たしかとは言えない。女の足元にだけ注意していたのだから。無論のこと足はあった。そのうえ赤緒の下駄の歯跡が泥の上に次次と押されて行くのを見届けてしまったのだ。幽霊ではなかった。

幽霊には足が無い、と、かかる邪説は一顧の値打もありはしない。だが、幽霊が地上に足跡をつけて行くこと、これは絶対にあり得ない。それならばマテリアリゼーション(物質化)しなければならないし、マテリアリゼーションなぞと言う現象は精神の確かな者の全く信じないところだ。ロッジだのドイルだの、理性の遊戯にふけった連中までが、たった一つのトリック――幽霊の残して行ったパラフィンの手袋、こんな見え透いた手品で霊の物質化を言い出したりして、とんでもないこと、自分の頭脳を信じる誰にもこんな噴飯はないではないか。

この明確な根拠から、女は幽霊ではなく、喬子は天狗に攫さらわれた瞬間に仮死の状態に陥って、首の骨も折らず窒息もせず、数日後に蘇生して、女の勘とやらいう不合理千万なものを頼りにふわふわと様子ぶって見せるものだろう。それ以外にどんな推理が成り立つか?……

喬子と同じ宿で一夏すごした土地がどこだったか――白樺で炭を焼いていたところ――林には鷽鳥うそどりが朝ごとに群れて囀さえずり、狭い谷間を登りつめたあたりに蒸気が噴き出していて、これに渓流を導いて温泉と称したところ。麓ふもとの町から正確な測定で十三・三KMキロある山奥の電灯さえひかれてない避暑地なのだった。

交通は不便なり、面白い物があるではなく、食事は三度味噌汁で、夜は石油ランプに影が暗い。こんな宿を選んで来るのは、某々大学教授の家族づれか、十一度乃至ないし十三度低い気温にしのぎながら依頼された飜訳でも稼ごうと、つどうは何いずれもインテリの、星の隕おちるほど澄んだ高原の夏々に、常連の雰囲気もきまっていた。

喬子は別館の六号にただ独り喪服らしきものを着て鎮まりかえっては、朝夕の散歩に寄りつきにくいほどの素振で人目をひこうと、どうやら次の相手を物色していたらしい。それを、宿の愚夫愚婦はともかく、同宿のインテリ患者たちまでがちょっとポーズを作って見送りながら「思い出の土地で悲しみに浸っているのでしょう」と。

滑稽で聞いてはいられない。黒のデシンを裾長に着流したのは弥いやが上にも背を高く見せようと、夏だからと素足にはいたサンダルの隙からは真珠色にペディキュアーした爪先を覗かして、襟元をきっちり詰めたデザインは却って胸のふくらみを大切そうに、それが肩で襞ひだをとった袖は、短みじかく二の腕の中程でとまると、そこから先の線は露わにすらりと白く、黒の諧調に自信を見せたは、笑うべし。女王蟻の驕慢きょうまんではなかったか。おまけに、読みもしない金印伝皮のブック・カバーに詩集らしき物を携えている。

「お美しい」と宿の娘はいう。当然ではないか。女が己れを売ろうとするとき美しくなかったら世の中に蝶々蜻蛉は飛ばないのだ。

蕎麦が悪かった。それで腹痛がおこってしまった。この宿では週に一度乾蕎麦をもどして馳走する。三度三度が味噌汁の外は海苔か野菜の煮附で、卵や干物がつけば上の部なのだから、お代り自由の蕎麦の振舞いを一つ自慢に、この時だけは客を広間に集めて恭々しく一杯平たいらげると次の皿を持ってくる。

蕎麦その物は何等非難さるべき理由はない。古来修験道の者が携帯食料として蕎麦粉一味を選定してきた実験上の事実からも、分析表による蛋白質の含有量比を検べても、他の穀類の遠く及ばない特質に恵まれている。ただ、これが冷えの性の物だとの俗説は一概に否定さるべきではなく、時あたかも腹巻を洗濯したばかりだとの条件も充分考慮の内に入れておくべきだった。それが、内気な素直な性質からつい盛って出された物は平げる必要があると一皿余計にやってしまったのだ。

子供の頃に祖母がよく「残すとおそばが泣くよ」と諭した記憶が潜在力を張ってもいたのだろう。残された蕎麦は泣くが饂飩うどんは泣かないなぞ不合理極まるものだと認識できる前に植えられてしまった観念の未処理が、こうした形で現れたことは遺憾に耐えない。

その夜の明け方、苦痛に目覚め、雨戸の隙から陽の射し入る廊下を蝦えびのように背を丸めて走ったのは、まさしく劇はげしい大腸の蠕動ぜんどうのなせる必然的結果であり、それは蕎麦に起因し、蕎麦はそもそもこの温泉場に現れた以上、免れざる宿命であった。

厠牀ししょうの板戸を排するに及んで俄然! 喬子の正に洋褌を着了した刹那に咫尺しせきした。

「まあ! 失礼な!」

この喬子の発声に対して充分慎重な吟味が加えられなければならない。

順序としてノックしなかったことから弁明すれば、(一)悠然と落着き払ってその場に臨んだのではない。事は至急を要したのだ。(二)かかる早朝に先人があるだろうかと疑う者があればそれこそ異常過敏症と診断されるべきである。(三)戸外に草履ぞうり・スリッパの類は置いてなかった。

さらに、喬子の側に就いて言えば、(一)内側の掛金が毀れている右室を選ばず、左に這入っていたならば厳重な戸締の下に安全だった。(二)掛金が破損していたのなら、戸の桟さんに手を添えて守るべきである。(三)備えつけの藁わら草履が汚いとの理由で、廊下を通行する目的のスリッパを更かえなかったのは公衆衛生上からも非違ひいである。

結果として、ちらりと目に入ったのはレース飾までついた純白のブルーマースを穿うがった二本のすらりと肥えた下肢が並立しているけしきで、これは海岸ならばふんだんに、また渓川を渡るときなぞでもさして恥じらわないのが当代の風俗である。それを殊更ことさら誇張してみせるなら他意あるものと認めねばなるまい。

突然の出来事だった点は双方同じことだし、喬子が自ら任ずる如き教養人であったなら、「まあ!」程度の発声に止めたなら、当方としても「失礼!」と軽く謝意を表して後に貸借の感情は残らなかったろう。

室に帰っても、胸の揺ぎをどう取り鎮め様もなく、永い手間暇をかけてようやく心理を分析してみた。そして事の原因は、相手の腹の中に身勝手な一方的判断が蟠わだかまっていて、それに感応させられるのだと覚さとることができた。喬子の浴せてくる無言のもの、その無反省且かつ不合理な点を指摘し納得させて始めて対等の安定が保てるので、恰あたかも、歪んだ鏡面から反射する光線は歪んだ映像を拡大するだけで、喬子の鏡が正されるなら、こちらの胸にも正しい印象が生ずべき理ことわりである。

で、喬子のきまった散歩時間を待ちうけて「蕎麦が悪かったのです……」以下理路を辿って早口に説明にかかった。早口を用いたのは相手の時間に敬意を表したからである。

「あの、わたくし存じませんわ」

喬子は一言を後に、さわさわと行ってしまった。女の軽はずみな、存じませんからこそ教えようとする好意さえすりぬけて、それは甚だ無智に近く、然しかも人を見下した邪心の姿が尾を引いていた。

事ここに至っては、ゆがみは更にひずみを加えて、きらきらと散乱する光は物の形にとりまとめようもなく、最後の唯一の手段として手紙を書いた。文字に記されたことで秩序は一層正しくなり、さらに蕎麦から大腸の蠕動に至る間に附け加えて深夜に及ぶ著作中絶えず塩豆を口に入れた件を書き添えたのは、事実とは相違があっても、嘘とまで言えない修辞上の苦心だった。論理に誤りないのを確めるのに時間がかかって、喬子の午後の散歩に間に合せることができず、夜の入浴時間に廊下で手渡すことにした。

「あの、わたくし、ご紹介も頂かない方のお手紙は拝見しないことにしておりますの」

喬子は手も触れず、然も風呂まで中止して自室に帰ってしまった。常の如くさわさわと。――残された者の恰好のつかなさは、たとえ板敷は古く、吊されたランプは暗くとも思いや如何。心顔措く無し。咄とつ!

三日間部屋に籠って思索に費した。今にして考えれば三分以上を必要としない簡単な計算に三日も要したとは、これを仏陀の智慧を借りて言えば、真如の月影が映るのには漣さざなみほどの乱れがあってもならないそのためで、心緒のコロイドを沈澱させ理性の澄明を得るまでに随分無駄な時間と忍耐が払われたのだ。問題は決して二次的に複雑なものではなく、Xを理性としてYを感性として数式に示してみれば明瞭なように、それは二元一次方程式に過ぎない。従って、X、Yの答は各々ただ一つであり、一つに限る。

X=廉恥れんち問題に関して、二つの相反する表象が同時に存在することは許されない。当方の観念は理法に適合し、喬子のそれは錯乱である。依って、喬子の固持する表象は抹消されねばならない。

Y=正誤を証明するためには、喬子がそれを示したことを恥辱と感じ、かく感じることに依って当方を侮辱しつつあるその形態は公衆の批判を受けねばならない。

畢おわりは、喬子の生命は奪われるべく、そのブルーマースを穿った下肢は白日の下に曝されるべき必要且充分な理由があるというのが唯一つの答案であった。

さて、そう極きまった以上、後は具体的方法を考え出すだけのこと、端緒がついてからはするすると比較的短時間で結論に達することができた。この点に誤解のないよう説明しておきたいのは、総ての着想に些いささかの飛躍もないことで、もし仮かりに天才とでも持てはやされたいのだったら、かかる必要に就いて述べ立てはせず、ホルムズばりにパイプの烟けむりでも張って思わせぶりにニヤリと笑ってみせるだろう。そうしないことから見ても如何に合理性を尊重し唯々その忠実な公僕たらんと心掛けているか分ってもらえるだろう。

思索の順を追ってみよう。先ず、Xに就いては百千もの方法があろうけれど、Yの条件に適合する手段を考え、それが同時にXをも満足させるものを選ぶべきだと考えた。

第一の着想は、喬子の朝の散歩道に沿って巨大な竹藪があることから、その径こみちに罠を設け、足首を捉え、竹の強い弾力を利用して空中高く吊し上げる方法だった。併しかしこれは直接生命を断つといった具合には行かず、地形も眺望をさまたげ、なおまた一見して人工を露骨に示していること等で捨てねばならなかった。

第二の着想は、その竹藪の先の曲り角が滝壺に臨んでいることから、滝の水力を使って崖から差し出ている白樺の枝に逆さ吊りする案であったが、これまたやや展望を得ている以上では第一想と大同小異であるし、いさぎよく捨ててしまった。

第三の着想は、夕刻の散歩路である水無沼であった。この粘土質の沼の中央に喬子を頭から突込むことができれば、即死は勿論のこと下肢の観覧にも頗すこぶる効果的であるし、もはや動かし得ない妙案と信じられた。そこで、不合理を退けつつ丹念に考究することにしたのだ。

ここでちょっと宿を中心とする三つの散歩道について述べておこう。表玄関に相当する土間を出て右の方、少しばかりの畑をよこぎってだらだら坂を登り、渓川沿いの登山路を見下すかたちに白樺の林に入れば平坦な径が滝の上に、そこを曲ったあたりから自然の小公園といった趣きのある笹原になって、ベンチも二つ三つしつらえられ、遙か麓に平原はひらけ、晴れた日は北アルプスの連峰がくっきりと、これは閑雅な散歩道である。

次は、宿の裏手の崖上に天狗の祠ほこらがあって、ここから一気に百メートル登り切ると荒山神社の一の鳥居が年々の風雪に晒されながら、でも処々に朱の色が褪せ残っている。この先が名にし負う岩参道の、地面があるかと思えば湿地帯で季節には水芭蕉の茂みに蝋燭のような花を並べるとか。女の喜ぶ高山植物はこのあたりに一番種類は多くとも、いつも炭焼の丁々たる斧の音がどこからとなく木魂こだまして、独り歩きは男でさえ、その日の空模様どんよりと雲ひくく飛ばれては、足の竦すくみ勝ちな不気味さがある。

第三の路は、前庭の左外れに架かった板橋を渡って渓川に従いながら進めば山毛欅ぶなの林にかこまれた丘の中ほどに芝原――と見えるのが謂いわゆる水無沼、この沼を広く一周する路の夏草もいつか踏みならされて、梢の葉のそよぎきらきらとしながらも日蔭づたいに、これは快適な散歩道であった。

水無沼と名をきけば赤土のひび破れてかさかさな、さもなくともとろりと鈍く光った泥沼を思わせるし、事実一皮下はどろどろの濃厚な一足踏込んだら抜き差しならぬねば土の正体に変りはないが、見た目の爽けさ、烈日の色耀かしい五百坪ほどの緑楕円盤なのだ。その緑青と白緑をこきまぜたと見えるのは総て蘚こけで、その上に赤蜻蛉が群れている。人の気配にも一向に飛び立とうとしない面白さに腰を落して手をさし伸べて始めて気がつく、これがいずれも屍体ばかり。怪しと見廻せば、そこら一面、目の玉と薄い翅はね。これだけが消化されずに残っている。蘚は食虫蘚なのだった。

思うに無数の赤蜻蛉の精霊に守られるなら、さぞや喬子の誇にもふさわしかろうと――この赤蜻蛉が赤鼻の天狗を連想させ、天狗が天狗飛切の術を着想させた。

もともと天狗とこの温泉場とは深い縁があって、昔々の大天狗とやらがこのあたりの山々を馳せ廻めぐり、足跡の一つから熱気を噴いたのが温泉となり、一つに水が溜って沼になったとか、現に天狗を祭った祠がある。御本体はいずれ何やらの化石であろうと、狭く組んだ格子の塵を吹いて覗きこんだら、願かけした里人の寄進の面がずらり、赤鼻に白鬚をだらりと垂れたのから青っ面の木っ葉天狗にいたるまで、目のふちどりは厳しくとも瞳はぽっかりと刳くり貫かれて、薄暗い板壁の三方にだらしなくぶら下っていた。何だくだらぬと軽蔑した心の隙――そのエアー・ポケットにいま赤蜻蛉が落ちこんで、さては天狗となって羽ばたいたのだ。

かくて想案が成っては、後は細部にわたって手順よく整頓しながら、二、三の力学的実験を試みる番になった。

飛切の術を行わせるエネルギーは第一想で得た竹の弾力を用いればよく、強力なものを選んで左右数本ずつに綱を渡して一つに纏まとめ子供の遊ぶパチンコの理で、渓流の反対側へ山毛欅の林を越しさえすれば丁度沼の中頃に落下するだろう。竹藪の根元は沼面より一七Mメートル高く、その間の直線距離は八二Mと三角術で測量して、事の易きを思わせた。

先ず第一に喬子の体重が正確に得られなければ計算の基準がなりたたない。その体重秤は男子浴室に一台備えてあるばかりとて、ここに喬子を誘って量ることは何としても妙策が浮かばず、よんどころなく、喬子の日々の行動を思い返してみることにした。

六時起床。直ちに入浴。七時朝食。七時半朝の散歩に白樺の径を通り笹原のベンチに行くらしく(この間の行動は視察不能)同じ径を戻って八時四十分頃宿に戻る。多くの場合花草を摘み取ってきて、大部分を玄関の花瓶に、一部を自室に持ち帰る。十一時五十分頃昼食の膳が持ちこまれ(自室内の行動は視察不能)午後四時を打つのを合図のように、庭を通って水無沼へ、山毛欅林を一周して五時帰宿。……以上の規律正しい日課のうちから体重を量り得る機会をと、繰返し思案の結果、庭のはずれの板橋を渡る点に着目した。この六尺ほどの板が喬子の重みで撓しなう度合を測り得たら、代りに石をいくつか積んで同じ処ところまで撓わせて、その石の重さを合算すればいい。そこで目印つきの竹を橋の中央近い水中に立てておき、往復二回の測定を平均して、喬子の体重は五〇KG五〇〇―七〇〇という数字が得られた。

次いで竹林中でも特に巨大な数本を滑車の理によって弾力を験した結果は必要な牽引力(渓流の上空に於て沼面より三十Mに達し得る放擲ほうてき力)を得るには左右五本ずつで足りることを知り得た。そこで、それ等の竹の先端近く孔を穿っておいた。

さて、沼の方は中央に近づく術はなく、周辺での実験では、いかに強い力で投込まれた物体も五十CMセンチ以上は沈まないと確かめたものの、中心辺のそれは不明であるし、もし喬子があまり深く沈没したのでは所期の目的を達することが出来ず、且は放擲力の実際と計算上との誤差をも知るため、深夜の月明を利用して体重に等しい石を式通りの方法で発射してみた。結果は竹の弾力がやや弱くて、中心より五Mも手前に落下したが、石につけておいた縄の目盛から、八〇CM以上に沈む心配はないとわかり満足すべきものであった。喬子が飛ぶ場合は石より空気の抵抗も多いし、入念な計算に基いて綱の張り方に修正を加えた。

尚、重心が中央に近い物体は放擲された瞬間の切線の方向にその儘の姿勢で落ちるのが普通で、頭から先に落すためには、弾丸のように廻転を与えるか、矢のように羽根を附けておかねばならない。併し喬子の長い洋服の裾は充分この矢羽根の役を果してくれるだろう。

整備は完了してその日となった。

早朝起床。女湯に人影のないのを見定めて独り男湯に沈んで時の来るのを待った。宵っ張りを文化人の資格と考える客どもは七時より早く浴室に現れることはなく、喬子の見栄はことさらこの人気のない時刻を選んで裸身となるのだ。

六時十五分。廊下を渡って来る静かな足音。ついで、磨硝子の朝日影に喬子のシルエット。やがて、脱衣して湯舟に近づく気配。こちらはボチャボチャ水音をたてる。常にない男湯の音は喬子の注意をひく。自然と話声に聞耳を立てる。一人二役を演じる時だ。腹話術――だが、唇をどう動かそうと、百面相をしたってかまわない、二人いるように聞えさえすればいい簡単な芸当なのだ。数日の練習で自信を得ていた。

「君。黒百合を見たことがあるかい?」

「さあ。話には聞いてるが」

「この近くに咲いてるんだよ」

「嘘だい」

「その匂いの素晴しいこと。夢の香りだね。きのうの匂いがまだ鼻に残ってる」

「本当か? え? どこにさ?」

「後で行って採ってこようよ。誰かに見つかりでもしたら大変だ」

「うん。でも、危険な処じゃないのか?」

「安全至極な場所さ。そら、白樺の散歩道ね。あれをずっと行くと滝の上に出るだろう。その手前の左側に竹藪がある。そこに野バラが白く咲いてるよ。その横から這入れるだけの隙間があって、ぐっと廻って行くと、正面に赤い岩がある。岩の上にたった一輪。見事な奴だよ。地上の物とは思えないね」

「ふーん」

ここでザーザー湯を流し、二人前の音をたてて、さっさと上ってしまう。部屋に帰るとまた寝床にもぐりこんで悠々と一服吹かした。

七時。窓を細目に明けて監視を始める。五分、十分、喬子の姿が玄関を出て白樺の径へ進んで行く。定刻より二十分早い。歩き方も目的のある人の足取りで、はや林の蔭に消えてゆく。

精密な計算のもとに規定された行動は時計を見ているだけでわかるのだ。喬子はずんずん進んで行くだろう。竹藪にかかる。白い野バラは一個処よりない。その手前の茨はわきによせて蔓で結んである。隙間道は唯一筋、半円形に導いて行く。笹と下草で足跡はつかない。丁度谷を背にした形になった処で正面に赤岩が現れる。岩の上に一本の黒百合、と見えるのが、煤をテレピン油で溶いて塗り、リンシードで艶出しまでした傑作だ。喬子は草花を愛し黒の諧調を好む。黒百合の誘惑は絶対だ!

岩の左右には茨がある。岩に凭もたれなければならない。岩の高さは九五CM。胸の高さだ。匂いを嗅ごうと詩集を持った左手を延して百合の茎を前に引く。茎の鉄棒は軽く引かれただけで支点が外れる仕掛に狂いはない。埋め隠された綱は喬子の胸の第三肋骨から腋下を通り肩胛骨を挟んで後方へ……

七時三十二分。竹藪が音無く一揺れ。サーッと一条の、ああ、鮮かにも確かな抛物線! 谷を渡り山毛欅林の蔭へ、刹那に消え行く黒い虹の懸橋!

竹藪は元のしじまに返っても、その下では自動作業が行われている。一々の綱の先には鉄棒が結ばれて、鉄棒は竹に穿った孔から上へ挿込んである。竹が曲げられ綱が引かれている間は抜けないが、竹が姿勢を回復した時は鉄棒自身の重みで自然落下する。落ちた鉄棒・綱・百合の仕掛の総ては別の縄で滝の上に導かれて、その先には崖の中途に吊された石がある。石の重力はその一切を滝壺の底に沈めてしまう。

完了した。結果を見届けるのを急いではいけない。手に採って鏡を見る。朝起にふさわしい腫れぼったい瞼まぶた。だが、瞳に異様な感激の光がある。消さなければいけない。両手を挙げて欠伸をする。腋の下を擽くすぐってみる。それから寝惚け声で隣の襖を叩いた。

「君。君。もう起きんですか。ゆうべの負け将棋が口惜くやしくないですか」

八時四十七分。大学教授の娘が弟と競争で駈け戻って来て、

「大変よ! 大変よ!」

食事のやっと済んだ連中が二、三人出てきて話を聞いている。教授夫妻も加わったが、大人達には何のことやら理解が行かないらしく、子供の興奮した声ばかりが二階に通ってくる。将棋の手を休めて、

「どうしたんだろう? みんなぞろぞろ沼の方へ行くぜ。何かあったらしい、行って見ましょうよ」

緑の褥しとねも軟らかい真中に黒い裳裾は花弁となって笑い、白い二本の雌蕊めしべが悦ばしげに延び上っていた。ああついに、喬子は妖しき花と化身して、いま黒百合姫の近代説話が誕生したのだ。佇む者心ごころのささめきに高原の沼はさらに寂寞と光り、食虫蘚をめぐって赤蜻蛉の群々はフェネラル・マーチをつづけている。

やがて人々は空を仰ぐ。見渡す限り山毛欅の林に囲まれた澄みきった初秋の空――そこに、口に出すのは恥じて言わずとも、天狗の影が、サッと羽ばたく幻が、誰にも見えたに相違ない。天狗でなくて何者が、かかる魔術を行えるだろう?

大学教授がまず動いた。沼を周って、考え深げに、谷とは反対側に歩いて行く。地面を調べ、蘚沼を覗き、振返って山毛欅の梢を注意している。笑止なり! 個の担板漢たんぱんかん!

喬子は四十五度で発射され、角度六十で沼に刺さった。だが、頭部を没入した後に残った腰から下肢は遠心力で反対側にぐっと押しやられ、さらに膝の曲りも加わって、来たとは逆の方角から跳んだとより観られないのだ。否、否。教授を誤らしているものは彼の凡庸なる常識である。――人は正面から顔を下向けにして跳ぶものだ――と。かくて予定通り、まるで逆の地点を空むなしく捜査している。誰か知る? 喬子の虚栄心は青空を眺めながら跳躍したことを。

総ては全き合理性に従って終始一貫した。その日のうちに竹藪の茨は蔓を解かれて元のように隙間を塞ぎ、赤岩に残された金印伝皮の詩集は、取り去られて記念の水無沼に沈められた。詩集の表題は「堕天使」とあった。

底本 / Source edition

底本:「大坪砂男全集2 天狗」創元推理文庫、東京創元社
2013(平成25)年3月22日初版
底本の親本:「大坪砂男全集2 天狗」薔薇十字社
1972(昭和47)年5月26日
初出:「宝石 七、八月合併号」岩谷書店
1948(昭和23)年8月1日発行
入力:チエコ
校正:武田千秋
2026年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/060324_001824/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/060324_001824/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/060324_001824/

大坪 砂男「天狗」(新字新仮名)、底本『大坪砂男全集2 天狗』創元推理文庫、東京創元社、2013年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 060324_001824, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite