Soranoha

青い眼

あおいめ

アポリネール ギヨーム

私は老婦人たちが彼女らの少女だつた時分のことを話すのを聞くのが好きだ。

「私が十二の時でした、私は南佛蘭西の或る修道院に寄宿してをりました。(と記憶のいい老婦人の一人が私に物語るのであつた。)私たちは、その修道院に、世間から全く離れて、暮らしてをりました。私たちに會ひに來られたのは兩親きりで、それも一月に一遍宛といふことになつてゐました。

「私たちは休暇中も、その廣い庭園と牧場と葡萄畑にとりかこまれた修道院の中で過したのでした……

「私はその幽居には八つの時から入つてゐましたが、やつと十九になつた時、結婚をするため、はじめて其處を出たやうなわけでした。私はいまだにその時のことを覺えてゐます。宇宙の上に開いてゐるその大きな門の閾を私が跨いだ刹那、人生の光景や、自分の呼吸してゐる何だかとても新しいやうな氣のする空氣や、いままでになかつたほど輝かしく見える太陽や、それから自由が、遂に、私の咽喉をしめつけたのでした。私は息がつまりさうになつて、もしその時腕を組んでゐた父が私を支へて其處にあつたベンチへ連れて行つてくれなかつたら、私はそのままぼうと氣を失つて倒れてしまつたでせう。私はしばらくそのベンチに坐つてゐるうち、やつと正氣を取戻したのでした。

⁂

「さて、その十二の時のことですが、私はいたつて惡戲好きな、無邪氣な少女でした。そして私の仲間もみんな私のやうでした。

「授業と遊戲と禮拜とが私たちの時間を分け合つてゐました。

「ところが、コケットリイの魔が私のゐた級クラスのうちに侵入してきたのは、丁度その時分でありました。そして私は、それがどんな策略を用ひて、私たち少女がやがて若い娘になるのだといふことを、私たちに知らせたかを忘れたことはありません。

「その修道院の構内には誰もはひることが出來ませんでした。彌撒をお唱へになつたり、説教をなさつたり、私たちの微罪をお聽きになつたりする司祭樣を除いては。その他には、三人の年老いた園丁が居りました。が、私たちに男性といふ高尚な觀念を與へるためには殆ど何の役にも立たないのでした。それから私たちの父も私たちに會ひに來ました。そして兄弟のあるものは、彼等をまるで超自然的なもののやうに語るのでした。

「或る夕方、日の暮れようとする時分に、私たちは禮拜堂から引き上げながら、寄宿舍の方へ向つて、ぞろぞろと歩いてゐました。

「突然、遠くの方に、修道院の庭園をとりまいてゐる塀のずつと向うに、角笛の音が聞えました。私はそれをあたかも昨日のやうに覺えてゐます。雄々しい、そしてメランコリツクなその角笛の亂吹が、黄昏どきの深い沈默のなかに鳴りひびいてゐる間中、どの少女の心臟も、これまでになかつたくらゐ激しく打ちました。そして木魂となつて反響しながら、遠くの方に消えていつたその角笛の亂吹は、なにやら知らず、神話めいた行列を私たちに喚び起させるのでした……

「私たちはその晩、それを夢にまで見ました……

⁂

翌日、教室からちよつと出てゐたクレマンス・ド・パムブレといふ名前の、小さなブロンドの娘が、眞青になつて歸つてきて、隣席のルイズ・ド・プレセツクに耳打ちしました。いま薄暗い廊下でばつたり青い眼に出會つたと。そしてそれから間もなく級クラス中の者が、その青い眼の存在を知つてしまひました。

「歴史を私たちに教へてくれてゐる修道院長の言葉も、もう私たちの耳にははひりませんでした。生徒たちは今は突拍子もない返事をしました。そしてこの學科のあんまり得意ではなかつた私自身も、フランソア一世は誰の後繼者かと質問されたとき、それはシヤルマァニユです、と出まかせに、自信もなく、答へました。すると私の知らないことを教へてくれることになつてゐた私の隣席の者が、彼はルイ十四世の後を繼いだのだと密告してくれました。佛蘭西の王樣の年代を考へることなどより、もつと他にすべきことが私たちにはあつたのでした。私たちは青い眼のことを夢見てゐたのでした。

⁂

「そして一週間足らずのうちに、私たちは誰もかも、その青い眼に出會ふ機會をもちました。

「私たちはみんな眩暈をもつたのでした。それに違ひはありません。が、私たちはみんなそれを見たのでした。それはすばやく通り過ぎました、廊下の暗い蔭へ、美しい空色の斑點をつくりながら。私たちはぞつとしました、が、誰一人それを尼さんたちに話さうとはしませんでした。

「私たちはそんな恐しい眼をしてゐるのは一體誰なのか知らうとして隨分頭を惱ませました。私たちのうちの誰だつたか覺えてゐませんが、或る一人のものが、それはきつと、まだ私たちの記憶の中にその泣きたくなるまでに抒情的リリカルな響が尾を曳いてゐる、あの數日前の角笛の亂吹の眞中になつて通り過ぎた獵人らの中の一人の眼にちがひないといふ意見を述べました。そしてそれにちがひないといふ事に一決いたしました。

「私たちは皆、その獵人の一人がこの修道院の中にかくれてゐて、青い眼は彼の眼であることを認めました。私たちは、そのたつた一つの眼が片眼めつかちなのだとは思ひませんでしたし、それから古い修道院の廊下を眼が飛ぶのでもなければ、彼等の身體から拔け出してさまよふのでもないと考へました。

「そんなうちにも、私たちはその青い眼と、それが喚び起させる獵人のことばかり考へてをりました。

「とうとうしまひには、私たちはその青い眼を怖がらなくなりました。それが私たちを見つめるため、ぢつとしてゐればいいとさへ思ふやうになりました。そして私たちはときどき廊下の中へ唯一人で、いつのまにか私たちを魅するやうになつたその不思議な眼に出會ふために、出てゆくやうなことまでいたしました。

⁂

「やがてコケットリイの魔がさしました。私たちは誰一人として、インキだらけの手をしてゐる時など、その青い眼に見られたがらなかつたでしたらう。みんなは廊下を横ぎるときは、自分がなるたけ好く見えるやうにと出來るだけのことをしました。

「修道院には姿見も鏡もありませんでした。が、私たちの生れつきの機轉がすぐそれを補ひました。私たちの一人は、踊場に面してゐる硝子戸のそばを通る度毎に、硝子の向うに張られてゐる黒いカアテンの垂れを即製の鏡にして、そこにすばしつこく自分の姿を映し髮を直したり、自分が綺麗かどうかをちよいと試したりするのでした。

⁂

「青い眼の物語は約二ヶ月ばかり續きました。それからだんだんそれに出會はなくなりました。そしてとうとうごく稀にしか考へなくなりましたが、それでもときたまそれに就いて話すやうなことがありますと、やはり身顫ひしずにはゐられませんでした。

「が、その身顫ひの中には、恐怖と、それからまたあの快樂――禁斷の事物について語るあの祕やかな快樂に似た或る物がまざつてゐたのでした。」

君たちは決してそんな青い眼の通るのを見たことなんぞはなからうね、現代の少女諸君!

底本 / Source edition

底本:「繪はがき」角川書店
1946(昭和21)年7月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「「が、その身顫ひの中には、・・・」以外のかぎ括弧付きの文が閉括弧で閉じられていないのは、底本通りです。
※片仮名の促音の大書きと小書きの混在、「シヤルマァニユ」の「ァ」の小書きは、底本通りです。
入力:かな とよみ
校正:The Creative CAT
2020年10月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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書誌 / Bibliography
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アポリネール ギヨーム「青い眼」(旧字旧仮名)、底本『繪はがき』角川書店、1946年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 060176_002135, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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