Soranoha

笑われそうな話

わらわれそうなはなし

山本 周五郎

私に新らしいたのしみが一つ殖えた。マディラ(タイプと断わってある)という赤ブドー酒をみつけたことだ。今年の春ころ、「そういう印のブドー酒を売っている」と聞いたときには、マンティリアのマディラという名が、なにかしらうさん臭く感じられたので、まあよしておこうと答えた。ところが十月はじめになって、青年Kがそのブドー酒を買って来た。半ばばかにしながら啜すすってみるとたいへんうまい、口腔から喉頭こうとうまで、やわらかくしみこむような味わいである。香りもやわらかであり、これまでに飲んだ和製ブドー酒のどれにも似ない、本当の「ヴァン」らしい「ヴァン」という感じがした。

「こいつは傑作だ、うまいね」と私はKに言った。「まるで古酒といった感じだよ、こんなうまいブドー酒が日本で出来るのかね」

Kは黙ってにやにやしていた。

「うまいよ」私は二杯めを啜りながら、また言った。「本場のマディラは飲んだことがないからわからないが、スペインなんて気候も人情も荒っぽいところだろう、とすれば本場のやつにこんな味は出ないと思うね」私はまた一口啜って唸うなった。「うん、うまい、こいつは本物だよ」

私は日本酒はたまに少量しか飲まない。ビール、ウィスキー、ハイボール、ブドー酒。あとはシェリーとかポルトとか、ドム・ブランディの類を食事の前後に少量やる、というぐあいであるが、味とか質とかを吟味する能力は殆ほとんどない。「うまい」か「うまくない」かで区別するだけだ。それは若いじぶんに、「フランスのヴァンを飲むなら安いのに限る、高価な品は送られて来る間に味がおちる」からだと、長くフランスにいた美術批評家Y氏に訓さとされたことによるらしい。したがって(ふところ都合によることはもちろんだが)ブドー酒はメドックの赤のいちばん安いやつしか飲まなかった。ごくたまにシャトー銘柄のものを奢おごってみても、舌が馴れないので値段ほどうまいとは思わない。「うまいやつはみんな宮中とか富豪のところへいっちまうんだろう」貧乏人には貧乏人の酒が合っているんだ、などと悟ったようなことを言っていたものだ。

戦後もいろいろなブドー酒をあさった。吉田健一さんなどが「安酒だ」と軽蔑けいべつするバルサックも相当ながし込んだし、シャトー・マルゴオの安いほう、その他もう忘れてしまった各種の赤白をずいぶんやってみた。そのうちに寿屋からヘルメス・デリカが売り出され、初めはそれほどでもなかったが、売出されて二年目くらいになると、赤白ともぐっと味が引立ってきた。「もうメドックなんかいらない」と私は言った。どういうものか、そのころからフランス物もドイツ物もいちように酸っぱくなったのである。なんどもためしてみたが慥たしかに酸味が強くなり、舌に残るあの渋さが感じられなくなった。

私は知友にヘルメス・デリカをすすめた。朝日学芸部の門馬義久がまず改宗したし、私といっしょに飲む席では多くの青年や女性たちもよろこんでそれを飲んだ。尤もっともそこには裏があったので、いつかそういう席へ一人でいったとき、そういう家の若い女性の一人が、私の単純さを気の毒そうに笑った。

「あなたの前だから飲むのよ」と彼女は私に告げた。「あなたのいらっしゃらないときはみなさんハイボールかビールだわ、ほんとよ」

門馬義久だけは自宅でもブドー酒をたしなんでいるのである。牛鍋ぎゅうなべとか刺身、酢の物などには酒が欲しいが、私は洋風の食事が多いので、自然ブドー酒ということになるのだろう。牛鍋をするときにもビールと赤ブドー酒を使う。するといつまでも煮詰らず、味も中和されてうまいと思うのだが、――これにも程度がある、ということをつい先日おもい知らされた。というのが、某席で前夜から数人の青年たちと飲み続けており、卓子テーブルの上では牛鍋が煮えていた。私は肉を三四片食べるとあとは欲しくないので、飲みながら時をおいて、鍋の中へビールを注ぎ入れていた。

「これはマエストロ・ヤマダコーサクの秘伝である」などと言いながら、相当なごきげんだったというより、もうすっかり飽きて欠伸あくびを噛みころす代りにくちばしったものだと思う。そこへ写真家の秋山青磁があらわれた。その日はそれからS誌のグラビアを撮ることになっていて、そのため秋青が来たのであるが、「まず一杯」というので彼にブドー酒をすすめ、ところが飲めない(おお可哀そうに)彼はさっそく牛鍋にアタックをかけた。

「すげえ」彼はとたんに箸を控えて言った。「これあいったいなんだ」

「スキヤキよ」と女性の一人が言った。「なんだと思ったの」

「これがスキヤキか」と秋青は顔をしかめながら言った。「スキヤキとしたらこの苦にげえのはなんだい、苦えだけじゃあねえか、おう苦え、こんなスキヤキを食べたのは初めてだ」

あとで聞いたのだが、私が牛鍋をしたあとで、いつも言うせりふがある。それは「鍋底のいちばんうまいところでじつに心残りではあるが、どうか台所の人たちに食べてもらって下さい」というのである。ところが、若い友人のくにのりが風呂へはいっていたとき、その台所の女性たちの言ったことを聞いたというのである。

「あなたのスキヤキの鍋底があるわよ」と一人の女性は言った。「あれへうどんを入れて食べればいいわ」

「あらいやだ」と他の女性の一人が言った。「あなたの鍋底なんか食べられるもんですか、苦くって口が曲っちゃうわよ」

「そうよそうよ」といちばん小さい女性が言った。「あなたの悪い癖よ、ビールを入れるんですってさ、そんな話し聞いたこともありゃしないわ」

私はマエストロ・ヤマダの書かれたものを取り出してみたら、「ひととおり食べたら鍋を替える」つまり新らしくするのだそうで、ビールを注ぎ足しながら煮詰めるのは誤りだ、ということがわかったのである。――鍋底を食べるなどと言うと、関西の人士は眉をひそめるにちがいないが、こちらでは案外これを好む者が多い。私の友人の土岐とき雄三は無類の食いたしんぼで、特に牛鍋の鍋底に眼のない時期があった。ずいぶん以前、数人の同伴者と旅行をし、宿で牛鍋を食べたが、鍋底になったときちょっと手洗いに立った。腹に少し隙間を作ってから存分に詰め込もうと思ったそうで、しかし戻ってみると、横ちゃんという同伴者の一人が、すでにその鍋底へめしを入れて掻かき廻してきれいに片づけたあとであった。

「おい、ひでえことをするな」と雄三はむっとして言った。「おれは鍋底を食おうと思えばこそ、肉は遠慮して三片しか食べなかったんだぞ、そんな君、無慈悲なことってあるかい」

私がこの話を聞いたのは、それから十余年も経ってからのことだから驚いたものだ。

話をマディラに戻そう。私はこんども友人たちに吹聴した。私は母から「念仏と食べ物は一と口ずつでも」という言葉によって、うまい物は一と口でも人といっしょに味わいたい。という習性を身に付けられたので、珍しい物があると身辺の人たちに配るか、吹聴するかしないと気が済まない。マディラはヘルメスのときよりも好評で、すなわち二人愛飲者ができた。――これだけのものを作りながら、広告をみかけないのはおくゆかしいと思うが、まだあまり量産ができないらしく、いま手持のものを大切にしないと、あとがすぐまにあわないらしい。T酒造会社から一銭も貰っているわけではないが、私はブドー酒好きの諸氏にぜひとおすすめする。

「だが」と私はいちおう疑問をいだくのである。「このうまさは自然のものだろうか、なにか人工的な操作が加えられたものではないだろうか」

ヘルメスの赤はドミグラスソースを作るのに適している。しかし私はマディラを料理には使わない。

「あまから」(昭和三十六年一月)

底本 / Source edition

底本:「暗がりの弁当」河出文庫、河出書房新社
2018(平成30)年6月20日初版発行
底本の親本:「雨のみちのく・独居のたのしみ」新潮文庫、新潮社
1984(昭和59)年12月20日発行
初出:「あまカラ」甘辛社
1961(昭和36)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2026年4月5日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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山本 周五郎「笑われそうな話」(新字新仮名)、底本『暗がりの弁当』河出文庫、河出書房新社、2018年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 060120_001869, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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