Soranoha

漁師とそのおかみさんの話

りょうしとそのおかみさんのはなし

グリム ヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール、グリム ヴィルヘルム・カール

むかしむかし、ひとりの漁師りょうしとそのおかみさんがおりました。ふたりは、海のすぐそばの小屋こやに住んでいました。漁師はまい日魚さかなつりにでかけました。あけてもくれても、魚つりばかりしていました。

あるとき、漁師りょうしはつりざおのそばにすわって、きらきらかがやく水のなかをじっとのぞきこんでいました。漁師は、いつまでもすわったきりでした。

と、とつぜん、つり糸が水底みなそこふかくぐんぐんしずんでいきました。漁師がさおをあげてみますと、大きなヒラメがかかっていました。すると、そのヒラメが漁師にむかっていいました。

「ねえ、漁師りょうしさん、おねがいだから、わたしを生かしておいてください。わたしは、ほんとうはヒラメではなくって、魔法まほうをかけられている王子おうじなんです。あなたがわたしを殺ころしたところで、なんの役やくにたちましょう。食べてもおいしくはありませんよ。どうかもういちどわたしを水のなかにいれて、にがしてください。」

「よしよし。」

と、漁師りょうしはいいました。

「そんなにいろいろいいたてなくてもいい。口のきけるヒラメなら、にがさずにおくもんかい。」

こういって、漁師はきらきらかがやいている水のなかへ、もういちど魚さかなをはなしてやりました。ヒラメは水底みなそこへもぐっていきましたが、あとへ長い血ちのすじをのこしていきました。そこで、漁師は立ちあがって、おかみさんのいる小屋こやにかえっていきました。

「おまえさん、きょうはなんにもとれなかったのかい。」

と、おかみさんがたずねました。

「うん、なんにもだ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「ヒラメを一ぴきとりはしたがな、そいつが魔法まほうをかけられた王子おうじだっていうもんだから、またにがしてやっちまった。」

「で、おまえさん、そいつになんにもたのまなかったの。」

と、おかみさんがたずねました。

「そうよ。」

と、漁師はいいました。

「いったい、なにをたのもうっていうんだい。」

「あきれたねえ。」

と、おかみさんがいいました。

「こんな小屋こやにいつまでも住んでるなんて、いやんなっちゃうよ。このなかはくさくって、胸むねがむかむかするじゃないの。小さなうちをひとつほしいっていやあよかったのに。もういっぺんいって、そのヒラメをよびだしてさ、わたしたちゃ小さなうちがほしいっていってごらんよ。きっと、くれるから。」

「それにしてもなあ――」

と、漁師りょうしはいいました。

「なんだって、もういっぺんいくんだい。」

「だってさ、おまえさん、そいつをつかまえて、またにがしてやったんだろ。だから、きっと、なんとかしてくれるさ。すぐいっといでよ。」

〔図〕fig59746_01.png

漁師りょうしは、それでもまだ気がすすみませんでしたが、おかみさんに反対はんたいしようとも思いませんので、海へでかけていきました。さっきのところへきてみますと、海はすっかりみどり色と黄色になっていて、もうきらきらひかってはいませんでした。

漁師りょうしは海べに立って、こういいました。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

すると、あのヒラメがおよいできて、いいました。

「なんです、おかみさんはなにがほしいっていうんです。」

「いやなあ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「おれはおまえをつったろう。だから、おまえになにかたのめばよかったと、女房にょうぼのやつがいうんだよ。あれはもうぼろ小屋ごやに住むのはいやで、小さなうちが一軒けんほしいんだそうだ。」

「おかえりなさい。おかみさんには、もううちができていますよ。」

と、ヒラメがいいました。

こういわれて、漁師が家にかえってみますと、おかみさんはもう小屋にはいませんでした。そこには小さな家が一軒けんたっていて、おかみさんは戸口のベンチにこしかけていました。おかみさんは漁師りょうしの手をとって、いいました。

「まあ、はいってごらん。まえよりはずっといいよ。」

ふたりはなかへはいりました。家には、小さな玄関げんかんと、小さなりっぱな居間いまと、ベッドのおいてある小べやがありました。それに、台所だいどころも食堂しょくどうもあります。どのへやにもじょうとうの道具どうぐがそろっていて、入り用なものは、すずやしんちゅうでまことにみごとにそなえつけができていました。さらに家のうしろには、ニワトリやアヒルのいる小さな庭にわもありましたし、いろんな野菜やさいや、くだものの木のうわっている、ちょっとした畑もありました。

「ごらんよ。」

と、おかみさんがいいました。

「わるくないじゃあないか。」

「まったくだ。」

と、漁師りょうしがいいました。

「ずうっとこのまんまでいてもらいたいもんだ。もう、これでいいとしてくらそうぜ。」

「まあ、よく考えてみようよ。」

と、おかみさんはいいました。

それから、ふたりはなにか食べて、ベッドにはいりました。

こうして、一週間か二週間は、うまいぐあいにすぎました。ところが、そのうちに、おかみさんがこんなことをいいだしました。

「ねえ、おまえさん、このうちはせますぎるよ。それにさ、庭にわだって畑だって小さすぎるよ。ヒラメは、もっと大きいうちだってあたしたちにくれられたろうにねえ。あたしゃ大きい石のお城しろに住んでみたいよ。ヒラメのところへいって、お城をもらっといでよ。」

「あきれたなあ、おまえ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「このうちでたくさんじゃないか。なんだってお城に住みたいなんていうんだ。」

「なにいってんだい。いいから、いっといでよ。ヒラメにゃそのくらいのこと、いつだってできるんだよ。」

と、おかみさんがいいました。

「そいつあ、いけねえよ、おまえ。」

と、漁師はいいました。

「ヒラメはこのうちをおれたちにくれたばっかりじゃないか。いますぐいくなんて、おれはまっぴらごめんだ。そんなことをすりゃ、ヒラメだって気をわるくすらあ。」

「いいから、いってきてよ。」

と、おかみさんがいいました。

「そのくらいのこと、ヒラメならうまくやってのけるよ。よろこんでしてくれるさ。さあさあ、いっといでよ。」

漁師りょうしは気がおもくて、いきたくはありませんでした。

「こいつは、どうもよくねえ。」

と、漁師はひとりごとをいいましたが、しかたなくでかけていきました。

海にきてみますと、水の色はすっかりスミレ色とあい色と灰色はいいろになっていて、おまけにどろっとしていて、もうまえのようにみどり色や黄色ではありませんでした。でも、まだおだやかでした。

漁師りょうしはそこに立って、いいました。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

「どうしたんです、おかみさんは、いったいなにがほしいんです。」

と、ヒラメがいいました。

「それがなあ。」

と、漁師りょうしははんぶんびくびくしながら、いいました。

「大きな石のお城しろに住みたいっていうんだよ。」

「おかえりなさい。おかみさんは戸口に立っていますよ。」

と、ヒラメがいいました。

そこで、漁師りょうしはひきかえして、家へかえろうと思いました。ところが、もどってみますと、そこには大きな石のお城しろがそびえています。おかみさんは、ちょうど階段かいだんの上に立っていて、いまなかにはいろうとしているところでした。おかみさんは漁師の手をとって、

「なかへおはいりよ。」

と、いいました。

こういわれて、漁師りょうしがおかみさんといっしょになかへはいってみますと、お城しろのなかには、大理石だいりせきをしきつめた、大きな入り口の間まがありました。そして、そこには召使めしつかいたちがおおぜいいて、大きな扉とびらをつぎつぎとあけてくれました。

ぐるりの壁かべは、みんなぴかぴかひかっていて、美しい壁かけがかかっていました。へやのなかのいすやテーブルは金きんでできていて、天井てんじょうからは水晶すいしょうのシャンデリアがさがっていました。そして、どのへやにもどの小べやにも、すっかりじゅうたんがしきつめてありました。しかもテーブルの上には、ごちそうや、とびきりじょうとうのブドウ酒しゅが、いまにもテーブルをおしつぶしてしまいそうなくらい、いっぱいのせてありました。

それから、お城しろのうしろには大きな庭にわがあって、そこには馬小屋うまごやも牛小屋もありました。そして、りっぱな馬車ばしゃも、いく台かおいてありました。

また、世よにも美しい草花や、おいしいくだものの木のうわっている、大きなすばらしい花壇かだんもありました。それにまた、たっぷり半マイル(一ドイツマイルは七・五キロメートル)はある遊園ゆうえんもあって、そこには大きなシカでも、小さなシカでも、ウサギでも、人のほしいと思うものは、なんでもおりました。

「どう、よかあない。」

と、おかみさんがいいました。

「まったくよ。」

と、漁師りょうしがいいました。

「ずうっとこのまんまでいたいもんだ。おれたちゃこのきれいなお城しろに住むんだぞ。これでもう、いいとしようぜ。」

「まあ、よく考えてみようよ。」

と、おかみさんはいいました。

「とにかく、ねるとしようよ。」

こうして、ふたりはベッドにはいりました。

つぎの朝、おかみさんのほうがさきに目をさましました。ちょうど夜よがあけたばかりのところでした。おかみさんは、ベッドのなかから、目のまえにひろがっているすばらしい土地をながめました。

漁師りょうしはまだ手足をのばして、ねていました。すると、おかみさんはひじで漁師の横よこっ腹ぱらをつっついて、いいました。

「おまえさん、おきて、窓まどのそとを見てごらんよ。ねえ、あたしたち、ここらじゅうの王さまになれないもんかね。ヒラメのとこへいっといでよ。あたしたちゃ、王さまになりたいんだもの。」

「いやんなっちゃうなあ、おまえ。」

と、漁師りょうしがいいました。

「なんだって王さまになんかなりたいんだ。おれは王さまなんぞ、ごめんこうむる。」

「へえ、そうかい。」

と、おかみさんがいいました。

「おまえさんが王さまになりたくなけりゃ、あたしが王さまになるよ。ヒラメのとこへいってきとくれ。あたしゃ、王さまになりたいんだよ。」

「おどろいたなあ、おまえ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「どうしてまた、王さまになんかなりたいんだ。おれは、そんなこというのは、いやだよ。」

「なにがいやなのさ。」

と、おかみさんはいいました。

「ぐずぐずいわずに、さっさといってきとくれよ。あたしゃ、どうしたって王さまになるんだから。」

そこで、漁師りょうしはでていきましたが、おかみさんが王さまになりたいなどというものですから、すっかりよわりきっていました。

(こいつはよくねえ。よくねえこった。)

と、漁師は思いましたので、いきたくはありませんでした。しかし、どうにもしかたなく、でかけていきました。

海べへきてみますと、海はすっかり黒ずんでネズミ色をしていました。水は底そこのほうからブツブツわきかえっていて、くさったようないやなにおいが、ぷんぷんしていました。

漁師りょうしはそこに立って、いいました。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんです。」

と、ヒラメがいいました。

「それがなあ。」

と、漁師はいいました。

「王さまになりたいっていうんだよ。」

「おかえりなさい。おかみさんはもうのぞみどおりになっていますよ。」

と、ヒラメがいいました。

そこで、漁師りょうしはかえっていきました。お城しろのそばまできてみますと、お城はまえよりもずっと大きくなって、大きな門にはすばらしいかざりがしてあります。扉とびらのまえには番兵ばんぺいが立っています。そこらじゅうに、おおぜいの兵隊へいたいがいて、たいこやラッパもたくさんありました。

お城しろのなかへはいってみますと、なにもかもがほんものの大理石だいりせきに金きんをとりあわせたものばかりでした。ビロードのおおいには、大きな金のふさがついていました。

大広間おおひろまの扉とびらがあきますと、そこには宮中きゅうちゅうのお役人やくにんが、ひとりのこらず、いならんでいました。そして漁師りょうしのおかみさんは、金とダイヤモンドでできている高い玉座ぎょくざにすわり、大きな金のかんむりをかぶって、金と宝石ほうせきのしゃくをもっていました。そして、おかみさんの両がわには、わかい侍女じじょがそれぞれ六人ずつ一列れつにならんで立っていました。そのひとりひとりは、頭の高さだけじゅんじゅんに背せがひくくなっていました。

漁師はおかみさんのまえまで歩いていきますと、立ちどまって、いいました。

「おやおや、おまえは王さまになったのかい。」

「そうだよ、あたしゃ王さまだよ。」

と、おかみさんはこたえました。

漁師りょうしはそこにつっ立ったまま、おかみさんをじろじろながめていました。こうして、しばらくながめてから、漁師はいいました。

「なあ、おまえ、おまえが王さまたあ、すばらしいこった。もうこのうえのぞむのはよそうぜ。」

「それがねえ、おまえさん。」

と、おかみさんはちっともおちつかないようすで、いいました。

「あたしゃあ、すっかりあきあきしちまって、もうどうにもがまんができないんだよ。ヒラメのところへいってきとくれ。あたしゃ王さまなんだから、こんどは、どうしても皇帝こうていになりたいんだよ。」

「じょうだんじゃないよ、おまえ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「どうしてまた、皇帝になんかなりたいんだ?」

「おまえさん、ヒラメのとこへいってきとくれよ。あたしゃ、皇帝になりたいんだもの。」

「だがなあ、おまえ。」

と、漁師はいいました。

「ヒラメだって、皇帝こうていになんかするこたあできない。おれは、ヒラメにそんなこというのはいやだ。皇帝といやあ、国じゅうにひとりっきりしかいないもんだ。いくらヒラメだって皇帝をこしらえるこたあできない。どうしたって、そんなこたあできない。できやしないよ。」

「なんだって。」

と、おかみさんがいいました。

「あたしが王さまで、おまえさんはただの、あたしの夫おっとなんだよ。すぐいってくれるね。さあ、すぐいってきておくれよ。ヒラメは、王さまだってこしらえたんだもの、皇帝こうていだってこしらえられるさ。あたしゃ、どんなことをしても皇帝になりたいんだよ。すぐいってきておくれ。」

漁師りょうしはどうしてもいかなければなりません。それで、でかけるにはでかけましたが、なんだか心配しんぱいで心配でなりませんでした。そして歩きながら、ひとりで考えました。

(こいつぁあ、よくねえ、よくねえことになるぞ。皇帝こうていたあ、あんまりあつかましすぎらあ。ヒラメだって、しまいにゃいやになっちまうぞ。)

こんなことを考えながら、海べにきてみますと、海はまっ黒で、どろどろしていました。そして、底そこのほうからブツブツわきかえりはじめましたので、たちまち、あわだらけになりました。しかもその上を、つむじ風がふきまくるものですから、水はちりぢりにちぢれました。このありさまを見て、漁師はおそろしくなりました。けれども、浜はまべに立って、いいました。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」

と、ヒラメがいいました。

「それがねえ、ヒラメさん、皇帝こうていになりたいっていうんだよ。」

と、漁師りょうしはこたえました。

「おかえりなさい。おかみさんはのぞみどおりになっていますよ。」

と、ヒラメがいいました。

そこで、漁師は家にかえりました。もどってみますと、お城しろぜんたいが大理石だいりせきづくりになっていて、まっ白な石せっこうの彫像ちょうぞうもおいてあれば、金きんのかざりもついていました。

扉とびらのまえでは兵隊へいたいたちが行進こうしんして、ラッパをふいたり、大だいこや小だいこをうちならしていました。お城のなかでは、男爵だんしゃくや伯爵はくしゃくや公爵こうしゃくが、家来けらいとしていったりきたりしていました。そしてその人たちが、純金じゅんきんでできている扉とびらをあけてくれました。

漁師りょうしがなかにはいってみますと、おかみさんは玉座ぎょくざにすわっていました。その玉座は、ひとかたまりの金きんでつくってあって、高さはたっぷり二マイルぐらいもありそうでした。そして、おかみさんは金のかんむりをかぶっていましたが、その高さがまた、三エレ(二メートル)ほどもあって、ダイヤモンドとルビーがちりばめてありました。それから、かたほうの手にはしゃくをもち、もういっぽうの手には皇帝こうていのしるしの、宝珠ほうじゅをもっていました。

そのうえ、おかみさんの両がわには、近衛兵このえへいが二列れつにずらっとならんでいました。それがまた、身みのたけ二マイルもある大男から、ひとりずつじゅんじゅんに小さくなって、おしまいはわたしの小指こゆびぐらいしかない小男までがならんでいるのでした。そのまえには、ちょうどおなじ数だけの公爵こうしゃくと伯爵はくしゃくが立っていました。

漁師りょうしはそのなかを歩いていって、まんなかに立ちどまって、いいました。

「おまえ、皇帝こうていになったのかい。」

「そうだよ、あたしは皇帝だよ。」

と、おかみさんはこたえました。

それから、漁師はまた歩いていって、立ちどまりますと、おかみさんをつくづくながめました。しばらくこうしてながめてから、いいました。

「なあ、おまえ、おまえが皇帝こうていたあ、すばらしいこった。」

「おまえさん、なんだってそんなとこにつっ立ってるんだい。あたしゃ皇帝になったけど、こんどは法王ほうおうにもなりたいんだよ。ヒラメのとこへいってきとくれ。」

と、おかみさんがいいました。

「あきれてものもいえねえな。」

と、漁師りょうしはいいました。

「いったい、おまえがなりたくないってものは、ないのかい。法王ほうおうになんかなれっこねえよ。法王といやあ、キリスト教きょうの世界せかいでたったひとりしかいないんだからな。いくらヒラメだって、法王はこしらえられねえよ。」

「おまえさん、あたしゃ法王ほうおうになりたいんだよ。さあ、はやくいってきとくれよ。あたしゃ、なんでもかんでもきょうのうちに法王になりたいんだもの。」

と、おかみさんがいいたてました。

「いやだよ、おまえ。」

と、漁師りょうしはいいました。

「おれは、そんなこというのはごめんだ。そいつはよくねえぜ。あんまりあつかましすぎるもの。ヒラメにだって、おまえを法王ほうおうにするなんてこたあ、できやしないよ。」

「おまえさん、なにをばかなこといってんだい。」

と、おかみさんがいいました。

「皇帝こうていにすることができるんなら、法王にだってできるはずさ。さっさといってきとくれ。あたしゃ皇帝で、おまえさんは、ただのあたしの夫おっとなんだよ。すぐいってきてくれるかい。」

こういわれますと、漁師りょうしはびくびくして、でていきました。けれども、からだの力がすっかりぬけてしまったようです。からだはがたがたふるえ、ひざやふくらはぎはがくがくしていました。

風が陸地りくちの上をビュウビュウふきまくっています。雲は矢やのようにはやくとんでいます。日がくれかかって、あたりがくらくなってきました。木この葉はが、木からバラバラとおちてきました。水は煮にえくりかえるように、とどろきゆれて、バチャバチャと岸べをうっていました。

遠くのほうに、いくそうかの船ふねが見えました。船は波なみの上で、おどったりはねたりしながら、鉄砲てっぽうをうって、たすけをもとめていました。

しかし、空のまんなかには、まだわずかながら青いところが見えました。そのまわりは、ひどい嵐あらしのときのように、まっかでした。

このありさまに漁師りょうしはすっかりおじけづいて、おどおどしながら、浜はまべに立って、いいました。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」

と、ヒラメがいいました。

「それがねえ。」

と、漁師りょうしはこたえました。

「法王ほうおうになりたいっていうんだよ。」

「おかえりなさい。おかみさんはのぞみどおりになっていますよ。」

と、ヒラメがいいました。

そこで、漁師はかえっていきました。もどってみますと、こんどは、りっぱな宮殿きゅうでんでかこまれた大きな教会きょうかいのようなものがたっています。

漁師りょうしが人ごみをおしわけていきますと、そのなかは、何千というあかりであかあかとてらされていました。おかみさんは金きんの衣装いしょうを身みにつけて、まえよりもずっと高い玉座ぎょくざにすわり、大きな金のかんむりを三つもかぶっていました。

そのまわりには、坊ぼうさんたちがおおぜいいました。それから、両がわには、ろうそくが二列れつに立てられていました。そのなかのいちばん大きいのは、世界せかいでいちばん大きい塔とうぐらいもふとくて大きく、いちばん小さいのは台所だいどころの豆まめろうそくぐらいしかありませんでした。

皇帝こうていや王さまがひとりのこらずそこにいて、おかみさんのまえにひざまずいて、そのくつにせっぷんしていました。

「おまえ――」

と、漁師りょうしはいって、おかみさんをじろじろながめました。

「法王ほうおうになったのかい。」

「そうだよ、あたしは法王だよ。」

と、おかみさんはいいました。

それから、漁師はそばへあゆみよって、おかみさんをじいっと見つめました。そのようすは、まるで明るいお日さまを見ているようでした。こうして、しばらく見つめてから、いいました。

「なあ、おまえ、おまえが法王ほうおうたあ、すばらしいこった。」

けれども、おかみさんは、まるで木のようにしゃちほこばって、身動みうごきひとつしません。

そこで、漁師りょうしはいいました。

「おまえ、もうこれでいいとしろよ。おまえは法王ほうおうなんだぞ。もうこれいじょうのものにはなれやしねえ。」

「まあ、よく考えてみるよ。」

と、おかみさんはいいました。

こうして、ふたりはベッドにはいりました。けれども、おかみさんはまだ満足まんぞくしてはいませんでした。おかみさんは欲よくの皮かわがつっぱって、どうしてもねむることができません。こんどはなんになってやろうかと、そんなことばかり考えていたのです。

漁師りょうしのほうは、すぐにぐっすりとねむりこんでしまいました。むりもありません。一日じゅうかけずりまわったんですからね。

ところがおかみさんのほうは、どうにもねむることができず、ひと晩ばんじゅう、ごろごろねがえりばかりうっていました。そして、こんどなれるのはなんだろうと、いっしょうけんめい考えていましたが、なにひとつ思いつくことができませんでした。

そうしているうちに、とうとう、お日さまがのぼりだしました。おかみさんは東の空が明るくなってくるのを見ますと、ベッドのはしにからだをおこして、そっちのほうをじっとながめていました。こうして、窓まどのそとにお日さまがのぼってくるのを見ますと、おかみさんは、

(ふん、あたしにも、お日さまやお月さまをのぼらせることはできないもんかね。)

と、こんなことを考えました。

「おまえさん。」

と、おかみさんはいいながら、漁師りょうしのあばら骨ぼねをひじでつつきました。

「おきて、ヒラメのとこへいってきとくれ。あたしゃ神かみさまになりたいんだよ。」

漁師はまだねぼけまなこでいましたが、びっくりぎょうてんして、ベッドからころげおちました。そして、じぶんがききちがえたのではないかと思って、目をこすりこすり、

「ねえ、おまえ、いまなんていったんだい。」

と、たずねました。

「おまえさん。」

と、おかみさんはいいました。

「あたしゃあね、じぶんでお日さまやお月さまをのぼらせることもできないで、お日さまやお月さまがのぼっていくのを、ただぼんやりながめているだけじゃ、どうにも承知しょうちができないんだよ。じぶんでのぼらせることができないようなら、もう一時間だっておちついちゃいられないよ。」

こういって、おかみさんはおそろしい顔をして漁師りょうしをにらみつけたものですから、漁師はふるえあがってしまいました。

「さあ、さっさといってきとくれ。あたしゃ神かみさまになりたいんだよ。」

と、おかみさんがいいました。

「なあ、おまえ。」

と、漁師りょうしはいって、おかみさんのまえにひざまずきました。

「そんなこたあ、ヒラメにゃできやしないよ。皇帝こうていや法王ほうおうにならすることもできるけどさ。おねがいだから、このまま法王でがまんしていてくれよ。」

それをききますと、おかみさんはものすごく腹はらをたてました。髪かみの毛けはさかだってぼうぼうになり、胸むねははだけました。そうして、漁師をけとばして、さけびました。

「あたしゃあ、もうがまんできない。もうこれっぱかしもがまんできない。おまえさん、いってくれるかい。」

そこで、漁師りょうしはあわててズボンをはいて、気がくるったようにかけだしました。

ところが、おもては、ものすごい嵐あらしがあれくるっていましたので、漁師はほとんど立っていることもできないくらいでした。

家や木ぎはひっくりかえり、山やまはぐらぐらゆれて、岩はごろごろと海のなかにころがりおちました。空はまっ黒で、かみなりがとどろきわたり、いなびかりがぴかぴかひかっていました。海は教会きょうかいの塔とうか山ぐらいもあるまっ黒な大波おおなみをもりあげていました。その大波のひとつひとつのてっぺんには、白いかんむりのようにあわがわきたっていました。

漁師りょうしは大声をはりあげてどなりましたが、じぶんの声もきこえないくらいでした。

小人こびとさん 小人さん きておくれ

ヒラメさん 海のヒラメさん

おれの女房にょうぼのイルゼビルが

おれの思うようにならんのだ

「どうしたんです、おかみさんはなにがほしいっていうんですか。」

と、ヒラメがいいました。

「それがねえ、神かみさまになりたいっていうんだよ。」

「おかえりなさい。おかみさんは、もとのぼろ小屋ごやのなかにいますよ。」

と、ヒラメがいいました。

ふたりは、それからずうっと、いまでも、その小屋のなかにすわっていますよ。

底本 / Source edition

底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社
1980(昭和55)年6月1刷
2009(平成21)年6月49刷
※表題は底本では、「漁師《りょうし》とそのおかみさんの話」となっています。
入力:sogo
校正:チエコ
2020年10月28日作成
2023年9月6日修正
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TEI
/works/059746_001091/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/059746_001091/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/059746_001091/

グリム ヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール、グリム ヴィルヘルム・カール「漁師とそのおかみさんの話」(新字新仮名)、底本『グリム童話集(1)』偕成社文庫、偕成社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 059746_001091, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite