にいさんが妹の手をとって、いいました。

「おかあさんが<ruby><rb>死</rb><rt>し</rt></ruby>んじゃってから、ぼくたちには、いいことって、ただの一時間もないねえ。こんどのおかあさんたら、まい日まい日、ぼくたちをぶつし、そばへいけば、足でけとばすんだもの。それに、ぼくたちの食べものといえば、食べのこしの、かたいパンの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こば</span>だろう。テーブルの下にいる犬のほうが、ぼくたちよりゃずっとましだよ。おかあさんは、ぼくたちにゃくれなくったって、犬にゃ、ときどき、うまいものをほうってやってるもの。死んだおかあさんがこんなことを知ったら、それこそたいへんだよ。ね、ひろい<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>のなかへ、ぼくたちでていこうよ。」

ふたりは、一日じゅう、<ruby><rb>草原</rb><rt>くさはら</rt></ruby>や、畑や、石っころの上を歩いていきました。雨がふってきますと、小さい妹は、

「<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さまと、あたしたちの心がいっしょになって、<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>いてるのねえ。」

と、いいました。

日がくれるころ、ふたりはある大きな森のなかにはいりこみました。ふたりは、<ruby><rb>心配</rb><rt>しんぱい</rt></ruby>なのと、おなかがへったのと、長いあいだ歩いたのとで、すっかりくたびれていました。それで、とある木の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うろ</span>のなかへはいりますと、すぐにねいってしまいました。

あくる朝、ふたりが目をさましたときには、お日さまはもう高くのぼっていて、木のうろのなかまで、かんかんさしこんでいました。そのとき、にいさんがいいました。

「ねえ、ぼくはのどがかわいちゃったよ。<ruby><rb>泉</rb><rt>いずみ</rt></ruby>のあるところがわかりゃ、いってのんでくるんだけどなあ。おやっ、なんだかさらさらいう水音がきこえるようだよ。」

にいさんは立ちあがって、妹の手をとりました。ふたりは泉をさがしにいこうというのです。

ところが、あのわるい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まま</span>母というのは、じつは、<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まほうつか</rt></ruby>いの女だったのです。ですから、ふたりの子どもがにげだしたことも、もうちゃんと知っていて、気がつかれないように、そうっとふたりのあとをつけてきていたのでした。

<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まほうつか</rt></ruby>いの女というものは、みんな、そんなふうにそうっと歩くものなのです。そして、この女は、森のなかの<ruby><rb>泉</rb><rt>いずみ</rt></ruby>という泉に、魔法をかけておいたのでした。

ふたりは、小石の上まできらきらわきでている泉を見つけました。まず、にいさんがそれをのもうとしました。ところがそのとたんに、さらさらいっている水音のなかから、

わたしの水をのむものは　トラになる

わたしの水をのむものは　トラになる

という声が、妹の耳にきこえてきました。妹はあわててさけびました。

「おねがい、おにいさん。のんじゃいけないわ。のむと、おにいさんはおそろしいけだものになって、あたしを八つざきにしてしまうわ。」

にいさんは、のどがひどくかわいていましたけれども、がまんして、その水をのみませんでした。そして、こういいました。

「このつぎの<ruby><rb>泉</rb><rt>いずみ</rt></ruby>まで<ruby><rb>待</rb><rt>ま</rt></ruby>つことにするよ。」

ふたりが二ばんめの泉にきますと、この泉も、

わたしの水をのむものは　オオカミになる

わたしの水をのむものは　オオカミになる

といっているのが、妹の耳にきこえました。そこで、妹は、また大きな声でさけびました。

「おにいさん、おねがいだから、のまないで。のむと、おにいさんはオオカミになって、あたしを食べちゃうわ。」

にいさんは、その水をのまないでいました。そして、こういいました。

「このつぎの<ruby><rb>泉</rb><rt>いずみ</rt></ruby>にいくまで待つよ。だけど、こんどはおまえがなんていったって、のむからね。もう、のどがかわいてかわいて、たまらないんだ。」

やがて、ふたりは三ばんめの泉にきましたが、こんどもまた、妹の耳には、さらさらいう水音のなかから、

わたしの水をのむものは　シカになる

わたしの水をのむものは　シカになる

という声がきこえてきました。妹は大声にいいました。

「ああ、おにいさん、おねがいだから、のまないで。のむと、おにいさんはシカになって、にげていっちゃうわ。」

けれども、にいさんは、こんどはすぐにひざをつくと、かがみこんで、水をのみはじめました。水のしずくが、ほんのいくたらしか、にいさんのくちびるについたかと思うと、たちまち、にいさんは子ジカのすがたにかわってしまいました。

妹は、<ruby><rb>魔法</rb><rt>まほう</rt></ruby>をかけられた、この気のどくなにいさんのことを思って、しくしく<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>きだしました。子ジカも泣きながら、かなしそうに、妹のそばにすわっていました。とうとう、女の子はいいました。

「じっとしていらっしゃいよ、子ジカちゃん。あたし、どんなことがあっても、あなたをすてやしなくってよ。」

女の子は、じぶんの<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>のくつしたどめをはずして、それを子ジカの首のまわりにかけてやりました。それから、トウシングサをむしりとって、それでやわらかいなわをあみました。

女の子はそのなわで、かわいい子ジカをゆわえました。そして、子ジカをひっぱって、森のおくふかくへはいっていきました。

それから、ふたりはずいぶん長いこと歩きました。とうとう、ふたりは、一<ruby><rb>軒</rb><rt>けん</rt></ruby>の小さな家のそばにきました。女の子がなかをのぞいてみますと、家のなかにはだれもおりません。それで、女の子は、

（このうちなら、いつまでも住んでいられるわ。）

と、思いました。

そこで、女の子は、子ジカのために、<ruby><rb>木</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>やコケをさがしてきて、やわらかい<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>をこしらえてやりました。

女の子は、まい朝、そとへでていっては、草の<ruby><rb>根</rb><rt>ね</rt></ruby>や、<ruby><rb>汁</rb><rt>しる</rt></ruby>のおおい<ruby><rb>実</rb><rt>み</rt></ruby>や、クルミのようにかたい実を、たくさんあつめてきました。それから、子ジカには、やわらかい草をいっしょにとってきてやりました。子ジカはその草を女の子の手から食べると、大よろこびで、女の子のまえであそびまわりました。

日がくれるころには、妹はすっかりくたびれて、おいのりをすませますと、すぐに、頭をかわいい子ジカの<ruby><rb>背中</rb><rt>せなか</rt></ruby>にのせました。子ジカの背中が、ちょうどまくらになるのです。そして、妹はそのまますやすやとねいってしまうのでした。これで、もしにいさんが人間のすがたでいてくれさえすれば、どんなにかたのしい<ruby><rb>生活</rb><rt>せいかつ</rt></ruby>だったことでしょう。

こんなふうに、にいさんと妹とは、ずいぶん長いあいだ、この<ruby><rb>荒</rb><rt>あ</rt></ruby>れ<ruby><rb>野</rb><rt>の</rt></ruby>のなかに、ふたりきりでくらしていました。

ところが、あるとき、この国の王さまが、この森のなかで大きな<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りをもよおしたことがありました。<ruby><rb>角笛</rb><rt>つのぶえ</rt></ruby>のひびき、犬のほえ声、<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちのたのしそうなさけび声が、木ぎのあいだにひびきわたりました。

子ジカはそれをききますと、そこへいきたくてたまらなくなりました。

「ねえ、<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りにやっておくれよ。」

と、子ジカは妹にいいました。

「もうとてもがまんができないんだ。」

こういって、子ジカはいつまでもいつまでもたのみましたので、とうとう、妹も<ruby><rb>承知</rb><rt>しょうち</rt></ruby>してしまいました。

「でもね。」

と、妹はいいました。

「夕がたには、きっとかえってきてよ。らんぼうな<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちがはいってこないように、あたし、戸をしめておくわ。だから、おにいさんだってことがわかるように、戸をたたいて、妹や、いれておくれっていってちょうだい。おにいさんがそういわなければ、戸はあけなくってよ。」

子ジカは、そとへとびだしました。ひさしぶりに、ひろびろとしたところへでたものですから、子ジカはほんとうに気持ちがよく、うれしくってたまりませんでした。

王さまと王さまの<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちは、この美しい動物を見つけますと、すぐさまあとを<ruby><rb>追</rb><rt>お</rt></ruby>いかけました。けれども、どうしても追いつくことができません。こんどこそだいじょうぶ、と思ったときには、子ジカはしげみをとびこして、どこかへすがたをけしてしまっていました。

あたりがくらくなったころ、子ジカは家へかけもどってきて、戸をたたいて、

「妹や、いれておくれ。」

と、いいました。

すると、すぐに戸があいて、子ジカはなかにとびこみました。そして、ひと<ruby><rb>晩</rb><rt>ばん</rt></ruby>じゅう、じぶんのやわらかい<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>のなかでゆっくりやすみました。

あくる朝になりますと、また<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りがはじまりました。子ジカは、ふたたび、<ruby><rb>角笛</rb><rt>つのぶえ</rt></ruby>のひびきや、ホウ、ホウという<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちのかけ声を耳にしますと、じっとしていられなくなりました。そして、

「ねえ、おまえ、あけておくれよ。ぼくはもう、そとへでないじゃいられないんだ。」

と、妹にいいました。

妹は戸をあけてやって、こういいきかせました。

「でも、<ruby><rb>晩</rb><rt>ばん</rt></ruby>にはきっとかえってきてよ。そうして、あの<ruby><rb>約束</rb><rt>やくそく</rt></ruby>のことばをいってね。」

王さまと王さまの<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちは、またまた<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>の<ruby><rb>首輪</rb><rt>くびわ</rt></ruby>をした子ジカを見かけますと、みんなであとを<ruby><rb>追</rb><rt>お</rt></ruby>いました。けれども、子ジカがあんまりはやくて、すばしこいので、どうすることもできませんでした。

一日じゅうこうやって追いまわしていましたが、日がくれてから、やっと、<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちは子ジカをとりまくことができました。そして、狩人のひとりが、子ジカの足にちょっとした<ruby><rb>傷</rb><rt>きず</rt></ruby>をおわせましたので、子ジカは足をひきずりはじめました。そして、まえよりもかけかたがずっとおそくなりました。

そのおかげで、ひとりの<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>が、子ジカのあとを、家までこっそりつけていくことができました。子ジカは家のまえまできますと、「妹や、いれておくれ」と、さけびました。そうすると、すぐに戸があいて、またもとのようにしめられました。狩人は、それをちゃんとじぶんの耳できき、じぶんの目で見とどけました。

狩人は、それをすっかりおぼえておいて、王さまのところへもどりました。そして、じぶんの見たことやきいたことを、のこらずお話ししました。すると、王さまは、

「あす、もういちど<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りをすることにしよう。」

と、いいました。

ところで、妹は、子ジカがけがをしているのを見ますと、たいそうびっくりしました。それで、いそいで、子ジカの<ruby><rb>血</rb><rt>ち</rt></ruby>をあらいおとして、<ruby><rb>薬草</rb><rt>やくそう</rt></ruby>をはってやりました。そして、

「あなたのお<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>へいらっしゃい、子ジカちゃん。そうすりゃ、なおってよ。」

と、いいました。

けれども、けがはほんのかすり<ruby><rb>傷</rb><rt>きず</rt></ruby>でしたので、子ジカは朝になると、もうなんともなくなりました。そのうちに、<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りのさわぎがまたもやきこえてきますと、子ジカはいいました。

「もう、がまんができない。ぼくはいかなくちゃならないんだ。そんなにあっさりつかまりゃしないよ。」

すると、妹は<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>くなく、いいました。

「こんどこそ、みんなに<ruby><rb>殺</rb><rt>ころ</rt></ruby>されちゃうわ。そしたら、あたしは、こんな森のなかでひとりぼっちになって、だあれもかまってくれる人がなくなっちゃうのよ。あたし、おにいさんをだすのは、いや。」

「それじゃ、ぼくはかなしくって、ここで<ruby><rb>死</rb><rt>し</rt></ruby>んでしまうよ。」

と、子ジカはこたえました。

「あの<ruby><rb>角笛</rb><rt>つのぶえ</rt></ruby>をきくとね、いても立ってもいられないみたいなんだ。」

妹も、こういわれては、どうしようもありません。いやいやながら、戸をあけてやりました。すると、子ジカは元気よく、うれしそうに、森のなかへとびだしていきました。

王さまは、子ジカのすがたを見かけますと、<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちにいいつけました。

「さあ、あれを、夜になるまで、一日じゅう<ruby><rb>追</rb><rt>お</rt></ruby>いかけるのだ。だが、<ruby><rb>傷</rb><rt>きず</rt></ruby>をおわせてはならんぞ。」

お日さまがしずむのを<ruby><rb>待</rb><rt>ま</rt></ruby>って、王さまはあの狩人にもうしました。

「さあ、いっしょにきて、わしにその森の<ruby><rb>小屋</rb><rt>こや</rt></ruby>をおしえてくれ。」

王さまは小さな戸のまえにきますと、戸をたたいて、

「妹や、いれておくれ。」

と、大きな声でいいました。

すると、戸があきましたので、王さまはなかにはいりました。なかにはひとりの女の子が立っていました。ところが、その女の子の美しいことといったらびっくりするほどで、王さまも、いままでに、これほどきれいな子は見たことがありませんでした。

女の子は、子ジカではなくて、頭に<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>のかんむりをかぶった男の人がはいってきたものですから、すっかりびっくりしてしまいました。けれども、王さまは女の子をやさしく見ながら、手をさしのべて、いいました。

「わしといっしょに<ruby><rb>城</rb><rt>しろ</rt></ruby>へいって、<ruby><rb>妻</rb><rt>つま</rt></ruby>になる気はないかな。」

「はい、そうさせていただきます。」

と、女の子はこたえました。

「ですが、子ジカもいっしょにつれていくのでなければ、いやでございます。あれをおいていくことはできません。」

すると、王さまがいいました。

「おまえの生きているかぎり、子ジカはおまえのそばにおくがよい。あれにもけっして<ruby><rb>不自由</rb><rt>ふじゆう</rt></ruby>はさせぬ。」

そこへ、子ジカがとびこんできました。女の子は、またトウシングサのなわで子ジカをゆわえると、そのなわのはしをにぎって、子ジカをひっぱりながら、森の家からでていきました。

王さまは、この美しい女の子をじぶんの馬にのせて、お城へつれていきました。

お<ruby><rb>城</rb><rt>しろ</rt></ruby>では、目もさめるほどりっぱなご<ruby><rb>婚礼</rb><rt>こんれい</rt></ruby>の式があげられました。こうして、女の子はいまではお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまになりました。

そして、王さま、お妃さまは、それから長いあいだたのしくくらしました。子ジカもみんなにたいへんかわいがられて、お城のお<ruby><rb>庭</rb><rt>にわ</rt></ruby>をとびまわっていました。

ところで、この子どもたちが、ひろい<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>のなかへでていかなければならないようにしむけた、わるい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まま</span>母がいましたね。あのまま母は、妹は森のなかでおそろしいけものにくわれてしまい、にいさんのほうは子ジカになって、<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>たちに<ruby><rb>射殺</rb><rt>いころ</rt></ruby>されてしまったものとばかり思いこんでいました。ところが、そのふたりが、たいそうしあわせにくらしていることをききますと、まま母の<ruby><rb>胸</rb><rt>むね</rt></ruby>のうちには、ねたましい気持ちがむらむらとわきおこってきました。そして、それからは、ちっともおちつくことができなくなりました。そして、どうしたら、あのふたりをひどいめにあわせてやれるだろうかと、そんなことばかり考えるようになりました。

まま母のほんとうのむすめというのは、まるで夜のようにみにくくて、目がひとつしかありません。このむすめがおかあさんをののしって、

「お<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>になる<ruby><rb>幸運</rb><rt>こううん</rt></ruby>は、あたしにさずけてくれるはずじゃなかったの。」

と、いいたてました。

「まあ、だまっといで。」

と、まま母はこたえて、とくいそうにこういいました。

「時がくりゃ、ちゃあんと、あたしにうまい考えがあるのさ。」

そのうちに、お<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまは美しい男の子を生みました。

いっぽう、<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まほうつか</rt></ruby>いのまま母は、王さまが<ruby><rb>狩</rb><rt>か</rt></ruby>りにでかけて、るすなのを見すましますと、<ruby><rb>侍女</rb><rt>じじょ</rt></ruby>のすがたになって、お妃さまのねているへやにはいっていきました。そして、まだからだのよわっているお妃さまに、

「さあ、おいでくださいまし。おふろのしたくができました。おふろはおからだのためによろしゅうございますし、力もおつきになります。さあさ、さめないうちに、おはやくどうぞ。」

と、もうしました。

むすめもそばにおりました。ふたりはよわりきっているお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまを<ruby><rb>湯殿</rb><rt>ゆどの</rt></ruby>につれこんで、湯ぶねのなかにいれました。そうしておいて、ふたりは戸をしめると、さっさとにげてしまいました。

ところが、<ruby><rb>湯殿</rb><rt>ゆどの</rt></ruby>のなかには、ほんとうに<ruby><rb>地獄</rb><rt>じごく</rt></ruby>のようにおそろしい火がおこしてあったものですから、美しいわかいお妃さまは、たちまち<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>がつまって、<ruby><rb>死</rb><rt>し</rt></ruby>んでしまいました。

こんどは、まま母はむすめをつれていって、ぼうしをかぶせ、そうして、お妃さまのかわりにベッドにねかせました。そのうえ、まま母は、むすめにお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまのすがた、かっこうまでもさずけました。

けれども、なくなったひとつの目だけは、どうしても、もとどおりにしてやることができませんでした。それで、王さまにこのことを気づかれないようにするため、むすめは目のないほうを下にしてねなければなりませんでした。

夕がた、王さまがお<ruby><rb>城</rb><rt>しろ</rt></ruby>にかえってきて、男の子が生まれたことをききますと、それはそれはよろこびました。そして、さっそく、お<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまの<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>のところへいって、どんなようすか見ようとしました。

ところがそのとたんに、まま母があわててさけびました。

「およしくださいませ。お<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>のカーテンは、おしめになっておいてくださいませ。お妃さまはまだ光をごらんにならないほうがよろしゅうございます。いまは、しずかにしていらっしゃらなければいけないのでございます。」

そういわれて、王さまはもどってきました。まさか、にせもののお妃がベッドにねていようなどとは、<ruby><rb>夢</rb><rt>ゆめ</rt></ruby>にも知らなかったのです。

ま<ruby><rb>夜中</rb><rt>よなか</rt></ruby>ごろになりました。みんなねしずまってしまいましたが、<ruby><rb>乳母</rb><rt>うば</rt></ruby>だけは、子どもべやのゆりかごのそばにすわって、まだ目をさましていました。そのとき、ふと見ますと、戸があいて、ほんとうのお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまがはいってきました。

お妃さまは赤ちゃんを<ruby><rb>両腕</rb><rt>りょううで</rt></ruby>にだきあげて、お<ruby><rb>乳</rb><rt>ちち</rt></ruby>をのませました。それから、小さなまくらをふるってふくらませますと、また赤ちゃんをゆりかごのなかにねかして、かわいらしいかけぶとんをかけてやりました。

お妃さまは子ジカのこともわすれませんでした。子ジカのねているすみのところへいって、やさしく<ruby><rb>背中</rb><rt>せなか</rt></ruby>をさすってやりました。そうして、ひとことも口をきかずに、そのまま、もとの戸口からでていってしまいました。



<ruby><rb>乳母</rb><rt>うば</rt></ruby>は、あくる朝、夜のあいだにだれかお<ruby><rb>城</rb><rt>しろ</rt></ruby>へはいってきたものはないかと、<ruby><rb>番兵</rb><rt>ばんぺい</rt></ruby>にたずねてみました。ところが番兵は、

「いいえ、だれも見かけませんでした。」

と、こたえました。

お<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまは、こんなふうに、いく<ruby><rb>晩</rb><rt>ばん</rt></ruby>もいく晩もやってきましたが、ひとことも口をきいたことがありませんでした。<ruby><rb>乳母</rb><rt>うば</rt></ruby>は、いつもお妃さまがそうするのを見ていたのですが、思いきってそれをだれかにいう<ruby><rb>勇気</rb><rt>ゆうき</rt></ruby>はありませんでした。

こうして、しばらくたったある晩のこと、お妃さまはこんなことをいいだしました。

ぼうや　なにしてるの

シカちゃん　なにしてるの

あたしがくるのは　あと二度っきり

それで　もうこられないのよ

<ruby><rb>乳母</rb><rt>うば</rt></ruby>はお妃さまにへんじをしませんでした。でも、お妃さまのすがたがきえてしまいますと、すぐに王さまのところへいって、いままでのことを、のこらずお話ししました。

「ああ、なんということだ。今夜は、わしが子どものそばにおきているとしよう。」

王さまはこういいました。

その<ruby><rb>晩</rb><rt>ばん</rt></ruby>、王さまは子どもべやにきました。すると、ま<ruby><rb>夜中</rb><rt>よなか</rt></ruby>にお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまがまたすがたをあらわして、いいました。

ぼうや　なにしてるの

シカちゃん　なにしてるの

あたしがくるのは　あといちどっきり

それで　もうこられないのよ

それから、いつものように、子どもの<ruby><rb>世話</rb><rt>せわ</rt></ruby>をして、すがたをけしてしまいました。

王さまは、思いきってお<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまに話しかける<ruby><rb>勇気</rb><rt>ゆうき</rt></ruby>がありませんでした。でも、つぎの<ruby><rb>晩</rb><rt>ばん</rt></ruby>もおきて、<ruby><rb>番</rb><rt>ばん</rt></ruby>をしていました。すると、お妃さまはまたこういいました。

ぼうや　なにしてるの

シカちゃん　なにしてるの

あたしがくるのは　今夜っきり

これで　もうこられないのよ

王さまは、もうこれいじょうがまんしていることができません。お妃さまにとびかかって、

「おまえは、わしの<ruby><rb>妻</rb><rt>つま</rt></ruby>にちがいない。」

と、いいました。

すると、お<ruby><rb>妃</rb><rt>きさき</rt></ruby>さまは、

「はい、あたくしはあなたの<ruby><rb>妻</rb><rt>つま</rt></ruby>でございます。」

と、こたえました。

しかもそのとたんに、<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さまのおめぐみで、お妃さまは生きかえりました。もとのようにいきいきとして、顔色もよくなり、じょうぶなからだになったのです。それから、お妃さまは王さまに、あのわるい<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まほうつか</rt></ruby>いの女とむすめとが、じぶんにたいしてやったひどいおこないのことを話しました。

王さまはふたりを<ruby><rb>裁判所</rb><rt>さいばんしょ</rt></ruby>につれてこさせました。そこで、ふたりに<ruby><rb>罪</rb><rt>つみ</rt></ruby>がいいわたされました。

むすめのほうは森のなかにつれていかれ、おそろしいけもののために八つざきにされてしまいました。

<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まほうつか</rt></ruby>いの女のほうは、火のなかへねかされて、みるもむざんに<ruby><rb>焼</rb><rt>や</rt></ruby>け<ruby><rb>死</rb><rt>し</rt></ruby>んでしまいました。そして、この女がもえて<ruby><rb>灰</rb><rt>はい</rt></ruby>になったとき、あの子ジカはもとの人間のすがたにもどりました。

妹とにいさんとは、それからこの<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>をさる日まで、しあわせにいっしょにくらしました。