Soranoha

未来の足音

みらいのあしおと

中谷 宇吉郎

いよいよ今年は、二十世紀前半の最後の年にかかった。ここでふり返ってみると、この二十世紀の前半五十年の間に、科学はその歴史の上に類例のない大飛躍をした。そして、科学が今日のように力強いものになってくると、この五十年間は、人類の歴史の上でも、特別の意味をもっているように思われる。

例えば物理学を見ても、十九世紀の物理学は、力学を完成し、電気を人類の僕しもべとするところまでしか、到達しなかった。世界の物理学界の動向が、原子論の研究に向ったのは、今世紀にはいってからのことである。ところがわずか半世紀のうちに、遂にそれは原子爆弾にまで発展したのである。

原子爆弾は、今日、全世界の注視の的になっているが、それは次の新しい時代、即ち原子力の時代の火縄銃にすぎない。原子力の解放は、考えようによっては、パンドラの函を開いたことになるかもしれない。物質とエネルギーとの転換を如実に示した、この世紀の実験は、到底開き得ないと思われた函を、遂に開いてしまったのである。

ギリシャ以来、今日までの二千年の科学は、今世紀の前半に到って、遂にその全貌をあらわしてきたともいえよう。機械を作った人間は、遂に機械の隷属物になった。今日のいわゆる近代工業は、人間が機械を使っている工業ではなく、機械が人間を使っている工業である。原子力の解放という、人類が夢想だにしなかった大事件から始まる次の時代の科学は、或いは人類の文化を食いつぶすことになるかもしれない。或いは地上に天国を築くことになるかもしれない。それを決定するものは、科学ではなく人間そのものである。

原子力以外にも、この二十世紀の後半に期待する一つの大きい事件がある。それは人類が地球から逃れ出ようとする企てである。近年のロケットの恐るべき進歩は、遂に百六十五キロの高空から、遊星としての地球の写真を撮ることに成功した。いつかライフ誌上を飾った「地球の丸みを示す写真」というのが、それである。

天体旅行の話は、つい近年までは、全くの人類の夢であった。しかし今日では、それはもはや夢ではない。非常に困難な問題ではあるが、現実の問題となって、われわれの眼の前に浮び出て来たのである。百年前に北極に到達しようという試みが、非常に困難な企てであったのと同じ意味で、それは非常に困難な問題なのである。

アメリカにおける大型ロケットの研究は、この数年来、著しい進歩をとげた。そして現在では、発射以後わずか三分二十秒で、百七十キロの高さに達するまでに到った。そして現在の燃料を使っても、数段のロケット構造にすれば、地球の重力の場から天空にとび出すものを造り得るそうである。

このロケットは、戦争中にドイツで作られた、V2号を改良したものである。V2号は愛人を奪われたドイツの一青年科学者が、復讐の念に燃えて研究したものといわれている。真偽のほどは知らないが、復讐の念から生まれた兵器が、人類の夢の実現に役立つというのは、一寸面白い話である。

原子力の解放が、人類の文化の滅亡を来たすか、地上に天国を築くか、それは目前に迫った問題である。そしてそれを決定するものは科学ではなく、人間性である。人類の総数の半ばを占め、その上子供を味方にもっている婦人たちが、この問題について割り当てられた任務は、かなり重いといっていいであろう。

(昭和二十五年一月)

底本 / Source edition

底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「花水木」文藝春秋新社
1950(昭和25)年7月15日初版発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年8月28日作成
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書誌 / Bibliography
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中谷 宇吉郎「未来の足音」(新字新仮名)、底本『中谷宇吉郎随筆選集第二巻』朝日新聞社、1966年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 059204_001569, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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