夜  私の追憶のなかで木枯の音がきこえる。木枯の凄まじい音にまじつて、とぎれとぎれに呼ぶ人の声がきこえる。  どうつといふ海嘯のやうな、天も地も吹きとばしさうな風の音が、裏山の方から捲きかへして寄せてくる。と、青竹の数百本、数千本が一時に殺到して、私の寝てゐる上の屋根に掩ひかぶさるやうになつて、大擾乱の騒音に、何も彼も引きさらつて行く。 「おおい……。」 「おおい……。」 「おおい……。」  といふ人のかぼそい声が幽かに、風の底でかすれてきこえる。それは向う山のやうでもあり、裏山のやうでもあり、田圃中のやうにもきこえる。風に吹きとばされる寂しい幽かな人声は、私の追憶のなかで、いかにも哀れに絶え絶えときこえる。  あたりは一面のうす墨を流して、雑木山の裸の尖つた梢が、うす明るい空に、疎らに黒く見える。そして、その梢でさへが、北から南の方へ揺れなびいてゐる。その雑木山のつづきには大きな一かたまりの針葉樹林が、ただ黒く、ただに暗く、空の下に凍つた夜の胞衣のやうにかたまつてゐる。  私の追憶のなかの人声は、はうはうとしてその黒い胞衣の森からくる。 昼  日のあたつた往還が水をかけられたやうに、さつとうす暗くなつたと思ふと、忽ち眼がさめたやうに明るくなる。木の葉が光つてとぶ。日光のなかを縞目をなしてとぶ。太陽の破片がとぶ。空が皺んで、その皺んだ空の一部が吹き捲られて、さつと地に落ちる。  私は往還の方へ門の小坂を駈けおりてみる。  黒い頭巾を被つた老婆が二人対き合つて立話をしてゐる。 「えらい風だな。もし。」 「ほんとにどえらえ風だ。」 「お前さんとこの隣の源坊は神かくしに逢つたちふ話だが、ほんとかな。」 「ほんとでなくつてどうするべい、えらえ事になつたもんだ、昨日の朝裏山に薪をとりに行つてな……。」 「あのえらえ木枯にな。」 「さうだよ、あのえらえ風の日、源坊一人で燃し木を採りに行つたきり帰つて来ねえのでの、昼になつても、夕方になつても、影も見せねえでの。」 「それで、親達は騒ぎ出したんだな、無理はねえさな、親達の身になつてみれば、源坊は一人子だものな。」 「それで、昨夜は村から村へ、山から山へ提灯を十張も十五張もつけてな、太鼓を敲いたり、鉦を敲いたりして、村の衆が二三十人も出てからな、夜徹し大騒ぎして探したんだがな。今朝になつても到頭わからねえつて、一先づ村の衆は引上げて来たのさ。」 「親達はさぞ歎かつしやるだらうのう。」 「それは気狂のやうなものさな。」 「早く見附かればええがな。」 「とてもさ、神匿に逢つちや二日や三日ぢや帰りつこはないでな。」 「そのうちに、親達が諦めた時分に、髪の毛をほうけさせて、着物も何もかぎ裂きにでもして、ぼうつとなつて帰つて来ないものでもないでな。」 「どんなもんだかな、ほんとに可哀相なことをしたものだの。」 「ほんとにこんなえらい木枯の吹く日は天日も薄れるつていふからな。どんな魔がささねえものでもねえだよ。」 「さうとも、さうとも、子供はこんな日に外にゐるもんぢやないでな。早く家に這入つてゐな。」と私の方を視て、独語のやうに言つた老婆の顔は、乾いた畑の土の色をしてゐた。  私は急に怖しくなつて、わつと言つて家へ駈込んだ。