Soranoha

オペラの辻

オペラのつじ

岡本 かの子

巴里は世界の十字路といわれている。巴里の中でもブラス・ドゥ・オペラ(オペラの辻)は巴里の十字路といわれている。

冬の日が暮れると神廟のようなオペラの建物は闇の中にいよいよ黒く静まり返える。オペラの開幕は八時だから今はまだその広い入口の敷石に衛戍えいじゅの兵士が派手な制服で退屈な立番の足を踏み代えているだけである。その前にすぐ地下鉄の出入口が客を呑み吐きしている。オペラに向って左角がカフェ・ド・ユ・ラ・ペイユだ。竪縞たてじまに金文字入りの粋な日覆いを歩道まで遠く張り出して軽いテーブルと椅子に客はいつも一ぱいだ。さすがに風当りを防ぐ為めに硝子ガラスの屏風びょうぶをたて廻し場の中央に円いストーブを燃している。しかし、戸外はやっぱり戸外だ。街路樹のマロニエの梢こずえに切られて吹きおろす風は遊び女たちの肌にかみそりの刃のように当る。「おお、結構トレボン!」身ぶるいをした彼女はそういって、そこでいこじになってヴァニラとチョコレートと盛り分けのアイスクリームを誂あつらえる。巴里人達は窮屈嫌いで屈托嫌いで戸外好きだ。

金魚が金魚を見物している。インコがインコを見物している。カフェの店先に衣裳を着飾って同じ衣裳を着飾った行人と眺め交わしている巴里の男女を見るとき、自分はいつもこう思う。それほど彼等は人間離れのした装飾物となってお互いに見惚れることにわれを忘れている。こういう場合、巴里の男女は情痴を却かえってうるさいものとする。現代人の彼等は眼の楽しみだけで沢山だ。一々心まで掘下げてはやりきれないという。

カフェの前が大通グランヴウルヴァ。オペラ通りを十字に横切ってイタリアン大通ヴウルヴァ。界隈の男女達は潮のようにこの十字路へどよめきかかる。

ルイ朝式の服を着たマダムがポケット猿モンキーを抱え人に揺られながら、アルジェリアの服装をした楽師風の男と猿の病気の話をしている。ウルトラヴィオレットの電光飾はほとんど町を硝子細工のようにした。二階造りのショーウィンドウに悉ことごとく燈がついて銀色のマネキン人形たちは白い支那絹に出来た緑の影を機械的に見せ合っている。

二度目に自分等が巴里へ入ったとき(最初は私達は子どもだけパリへ置いてロンドンへ渡り約一年後に巴里に来た。)こどもが最初に私達を誘ったのはこのカフェ・ド・ユ・ラ・ペイユだった。

「なるほど美感の贅沢ぜいたくなこの子が巴里を好きで好きでたまらなかった筈だ」

と私はその時思った。

「やっぱり巴里にこどもを取られる――仕方がないかしら」

と私は私自身陶然として来る心のなかでうやむやにもがいた。

「まず、茲ここで往来の人を見なさい。それからご飯にしよう、ね」

こどもはこんなにも巴里に馴れて来たのかとあきれたような心嬉しさだった。

一年の間によくもこんなにフランス語がはなせるようになった。苦労の嫌いな子が嫌いな苦労ばかりして覚えたものとは思われない。好きなればこそ巴里に沁みつく子どもの心に語学もひとりでに沁みついたのだろう。初めはちっといやみを感じたフランス風の会話にともなう肩の上げ下し手の開き具合いも我が子なればこそあきれた心嬉しさの哀感に変って行く。私は何だかおずおずとして仕舞うのであった。

「どうしたの、おかあさん。相変らず、こどもだなあ」

とこどもは私の肩へ手をかけた。

わたしはこどもから、こどもだといつもいわれる。女なのだ。何もかも生理的にさえまだ出来上っていないかと思われる未熟な女なのだ。それだのに、どうして時には私の兄のようにさえ振舞うこの子への「母のなげき」だけが斯う完全に発達しているのだろう。何かこの子に対する常の歎きが心にたっぷり根を張っているのだ。愛のなげきは不思議なものだ。この子がいとしいと云ってはなげくのだ。この子が憎いという時にはなげき、この子が賢いと嬉よろこんでもなげかれる、この子が愚しく見えても歎かれる。この子がいないでもなげかれるし、この子がいてうるさくてもなげきだ。つまり絶ち切れない因縁のふかみこそはなげきなのだ。

この子がこんなにも好きな巴里だ。自分だって好きな巴里だ。「いつまでも巴里にいたくなった」と英国にいた時着いた手紙にこの子が書いてよこした。私のこの子へのなげきが卑怯ひきょうにも怯おびえ切った。

「自分が連れて来て仕舞った巴里に奪とられるのじゃないか」

と自嘲しても見た。

こどもは画家を志して東京の美術学校へもよい成績で入った。こどもの洋行はゆっくり卒業後という腹で一家はあった。ところが突然、父親が依頼された仕事の関係上、またわたしの勉強の都合上急に日本を立つことになった。そして子どもは予定どおり日本に残して学校を卒業の上代り合って洋行と一応相談を極めた。けれども出立間際になって私は子どもをどうしても手放せなかった。短い一生だ、二三年でも愛に背そむきたくは無い。無理にでも子どもを連れて行くといい出した。他人は早くから巴里へ修業におやりになり感心な親だとほめた。しかしほんとはほめられた義理のものではなかったのだ。この子どものような母が自分の兄のような大きな子どもが手ばなせないと駄々だだをこねたに過ぎなかったのだ。いわば情痴と同じなげきからだ。

私のことを何から何まで呑み込んでいられ学校の休学を与えて呉れられた子どもの師匠は笑い乍らいわれた。

「だが、帰りにうまく連れて来られるかな。子供の方で残るなんていったら骨ですぞ」

この言葉の意味は子どもが英国へ巴里を讃美し巴里に愛着をふかめる表現の手紙を呉れる度だんだん私にはっきり分って来た。

「一人で辛つらいことなかった。太郎さん」

小さい声で私はいった。すると子どもはその手を振り切って父にも聞えるような声で、

「ちっとも――いいや普通だった」と答えた。この子どもはこの子の父親のように感情を現わすのを嫌味とするような肌合のところがあった。

「だけど、おかあさんなんかしつっこい人だもの、僕にいつでもくっついているような気してたもの」

この子どもはまた愛するものをむごくいいすてるくせがあった。

私は洋服も帽子もすっかり巴里風になった子どもを見上げ見下ろした。つい一年ばかり前日本に居た時の美術学校の制服姿が眼に浮ぶ。私の子に対する情痴の結果が子をこんなにも変らせたのか。好いことか悪いことかはそれは知らない。だがもうあの美校姿におそらくこの子は帰ろうとしないだろう。私はベルベットの洋服の袖で眼をぬぐった。

「まだ泣いている。さあ、これから僕達一緒に巴里に棲むんじゃないか。仕合せに元気に暮らそうよ」

子どもは稚おさない母が泣く意味を知っていた。顔が真赤だった。

私達がパリに棲みつきシャンゼリゼ座で世界の唄手シャリアピンを聴いて帰る道での興奮。西班牙スペインの美女ラッケ・メレの舞踊を見ての礼讃。名優サシャギトリー見物後の批評等。世界の芸術道場に在って親子三人いつも一緒に観賞をむさぼれるのはしあわせだった。だが

「こうして居る間も巴里がいよいよ子どもに染み込む」私の子に対する情痴はいつもおびえていた。

事実巴里は一日一日と子どもに染み込んで行った。巴里をかりに悪くいえば子どもは真赤になって怒った。巴里はもはや完全に子どもの恋人だった。親の見る眼もいとおしいほど子どもの若い心に巴里の悲哀も歓楽も染みて行った。巴里から、とても子どもは離せまいとすっかり見極めをつけずにはいられなくなった。この子の巴里を迎い入れる天稟てんぴんも私の好尚の第一意義に合致するのはうれしくも遣やる瀬せないことだった。

子どもが学校の寄宿へはいり私達がベルリンに移り住む前夜のオペラ見物のかえりに三人はまたカフェー・ド・ユ・ラ・ペイユに行った。夏の夜だった。

「ベルリンから来年の春日本へかえるんだけれど太郎さんはやっぱり残る?」

「おや、またその事?」

子どもは一寸うるさそうにいったが、やがて顔を真赤にしてどもり乍ら云った。

「僕、親に別れるのはつらいけど……でも巴里からは絶対に離れ度く無い!」

わっと私は声を立てて泣いて仕舞った。涙にむせび乍ら私は自分だけに聞えるくらい小さな声で叫んだ。「この小鬼奴! 小鬼奴! 小鬼奴!」

×       ×

ドイツで冷静に勉強していた期間に私は決めた。どうせ親の情痴を離れ得ぬとしても今までの情痴を次の情痴に置き換えよう。子がたとえ鬼の娘を妻にして呉れとせがんでも断われないだろう私なのだ。巴里と云う子の恋人の許もとへ置いて行くよりほかはあるまいものを。世人よ。十年二十年巴里に子を置き違い画かきにするなぞいう野心の親とは私は違う。幸い私が方向を換えた芸術の形式が私に今までの歌より多くの収入を与えるなら、私はみんな子への情痴の世界にそれをつぎ入れよう。巴里と云う恋人と同棲する子にお金の不自由をさせ度く無い。

×       ×

今年の始め巴里の停車場で最後に子と別れた私と子の父親は汽車の中で人目も恥じず折重なって泣いた。

フランスの田舎のけしき汽車にして

見よと人いふ泣き沈むわれに。

いとし子を茲には置きてわが帰る

母国ありとは思ほへなくに。

眼界に立つ俤おもかげやますら男が

母に別れの涙拭きつつ。

「おとうさんも、おかあさんも、僕別れていると思ってませんよ。ね。一緒に居って仲のわるい親より別れていたってこんなに思い合って居るんですもの」

最後にお前もいつもの恥らいを忘れ感情を露骨に出して泣いてこういった。

おお、よくもこういって呉れた。子よ、太郎よ、今、巴里のカフェー・ド・ユ・ラ・ペイユの張り出し椅子の並ぶあたりに春の夕陽が斜にさしかかってはいないだろうか。

底本 / Source edition

底本:「岡本かの子全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「かの子抄」不二屋書房
1934(昭和9)年9月24日発行
初出:「婦人サロン」
1932(昭和7)年5月号
※「こども」と「子ども」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:いとうおちゃ
2021年2月26日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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岡本 かの子「オペラの辻」(新字新仮名)、底本『岡本かの子全集1』ちくま文庫、筑摩書房、1994年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 058344_000076, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite