Soranoha

マロニエの花

マロニエのはな

岡本 かの子

父親が英国好きの銀行家であるために初め一年間はぜひともロンドンに住み、それからあとは目的のパリ留学に向わして貰える約束を持った青年画家があった。いやいや住んでいるものだからいつもロンドンからパリに行くことをあこがれていた。その画家はパリにあこがれるのによくこういう言葉を使った。

――おおマロニエの花よ」

そしてその花の咲くころその花の下で純なパリ娘と恋をするのだと楽しんでいた。

イギリスの初夏。公園や会堂の墻かきの内に葉は多葉でロウソクを立てたような白い花が咲く樹を見受ける。英人はホースナッツ・ツリーといっている。

青年画家の下宿している部屋の窓にもこのホースナッツ・ツリーが白いロウソクを差出していた。青年は舌打ちして

――何て野暮な花だろう、イギリスそのものだ」

といっていた。そういいながら青年はその花の下でそこの家の娘と恋をしてしまった。しかもパリの恋へのあこがれは捨てずに「イギリスの娘はごつごつしていて」とくさしていた。一年は来た。青年の下宿屋の娘とのわかれは相当つらかったらしい。だが先を楽しみに青年は振り切るようにしてドーヴァ海峡を渡った。

ふたたび初夏が来た。パリの青年からそのころイギリスにいた私に手紙が来た。

「マダム。パリのマロニエはそちらのホースナッツのことですとさ。馬鹿にしてる。僕は一生の夢を破られました。パリ娘を見ても何の感興も起りません」

それから間もなく青年は再びロンドンへ帰って来た。そして野暮なホースナッツの咲く窓の内のごつごつしたイギリス娘のもとへ落ついた。

底本 / Source edition

底本:「岡本かの子全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十一卷」冬樹社
1976(昭和51)年7月15日初版第1刷発行
初出:「週刊朝日」
1933(昭和8)年5月28日
入力:門田裕志
校正:いとうおちゃ
2022年1月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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書誌 / Bibliography
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岡本 かの子「マロニエの花」(新字新仮名)、底本『岡本かの子全集1』ちくま文庫、筑摩書房、1994年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 058341_000076, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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