Soranoha

鬼哭寺の一夜

きこくじのいちや

夏目 漱石

百里に迷ふ旅心、

古りし伽藍に夜を明かす。

甍漏る音の雨さびて

憂きわれのみに世死したり。

風なく搖らぐ法幢の、

暗き方へと靡くとき、

佛も寒く御座すらん。

黄金と光る蟵蛛の眼の、

闇を縫ふべき計、

銀しろがね糸に引く見れば

冥府よみの色より物凄し。

折しもあれや枕邊に、

物の寄り來る氣合して、

圓かならざる夢冴えつ、

夜半よはの燈ともしに鬼氣青し、

吾を呼ぶなる心地して、

石を抱くと思ふ間に、

佛眼颯と血走れり。

立つは女か有耶無耶の

白きを透かす輕羅うすものに

空しく眉の緑りなる

佛と見しは女にて、

女と見しは物の化か

細き咽喉のんどに呪ひけん

世を隔てたる聲立てゝ

われに語るは歌か詩か

『昔し思へば珠となる

睫の露に君の影

寫ると見れば碎けたり

人つれなくて月を戀ひ

月かなしくて吾願

果敢なくなりぬ二十年

ある夜私かに念ずれば

天に迷へる星落ちて

闇をつらぬく光り疾く

古井の底に響あり

陽炎燃ゆる黒髮の

長き亂れの化しもせば

土に蘭麝の香もあらん

露乾ひて菫枯れしより

愛、紫に溶けがたく

恨、碧りと凝るを見よ

未了の縁に纏はれば

生死に渡る誓だに

塚も動けと泣くを聽け』

…………………

塚も動けと泣く聲に

塚も動きて秋の風

夜すがら吹いて曉の

茫々として明にけり

宵見し夢の迹見れば

草茫々と明にけり

――明治三十七年頃――

底本 / Source edition

底本:「漱石全集 第十二卷 初期の文章及詩歌俳句」岩波書店
1967(昭和42)年3月30日発行
※底本巻末の編者による注解は省略しました。
入力:フクポー
校正:きゅうり
2017年11月24日作成
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TEI
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書誌 / Bibliography
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夏目 漱石「鬼哭寺の一夜」(旧字旧仮名)、底本『漱石全集 第十二卷 初期の文章及詩歌俳句』岩波書店、1967年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 058276_000148, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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