## 一　極端より極端に移る対支政策

我輩の東方平和論は、本誌に於ては今度を初めてとするが、前後を通じてこれで<ruby><rb>三度</rb><rt>みたび</rt></ruby>である。その第一回は今より約二十年前、ちょうど日清戦後列強の間に支那分割の形を現じた時であった。最初列強は支那を目するに<ruby><rb>眠獅</rb><rt>みんし</rt></ruby>を以てした。それは当時清朝の重臣<ruby><rb>曾紀沢</rb><rt>そうきたく</rt></ruby>の<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>に於ける演説に、自国を擬するに眠れる獅子を以てし、<ruby><rb>一</rb><rt>ひと</rt></ruby>たび覚醒せんか、支那はまた今日の支那に非ず、獅子一<ruby><rb>吼</rb><rt>く</rt></ruby>百獣<ruby><rb>震駭</rb><rt>しんがい</rt></ruby>する<ruby><rb>底</rb><rt>てい</rt></ruby>の猛威を振わん事を説いたためだ。即ち支那はあたかも盛んに西洋文明を採用して富国強兵の術を<ruby><rb>勉</rb><rt>つと</rt></ruby>めた頃で、洋式の陸海軍を編成し、特に<ruby><rb>大沽</rb><rt>たいこ</rt></ruby>砲台、<ruby><rb>旅順</rb><rt>りょじゅん</rt></ruby>、<ruby><rb>威海衛</rb><rt>いかいえい</rt></ruby>の軍港を設くる等、その面目を一新するの<ruby><rb>概</rb><rt>がい</rt></ruby>あり。この勢いを以て進まば、支那の将来<ruby><rb>侮</rb><rt>あなど</rt></ruby>るべからざるものがあった時とて、眠獅の一語は痛く列強の民心を刺激したものであった。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに日清役起るや勝敗の結果は<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>であったか。予期に反して支那は海陸共に連戦連敗であった。その頃支那の兵力は海陸共に我に優り、海軍に於ては当時すでに戦闘艦二隻を有していたが、日本にはその様なものなく、総<ruby><rb>噸</rb><rt>トン</rt></ruby>数も<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ少なかった。陸軍に於ても彼には<ruby><rb>李鴻章</rb><rt>りこうしょう</rt></ruby>の部下に属し、洋式に訓練されて精鋭の聞えあった<ruby><rb>直隷軍</rb><rt>ちょくれいぐん</rt></ruby>をはじめとし、兵数は甚だ多く器機も最新のものを用いたが、我にはただ七個師団あり、それも今日とは違い、師団そのものの兵数も甚だ少ないのだから、実力は今日の想像よりも更に劣り、兵器もまた甚だ<ruby><rb>精良</rb><rt>せいりょう</rt></ruby>ならざるものであった。それ故欧米人の外情に通ずるものは皆等しく日本を危ぶんだ。日本国民は勇敢であるから、最初は勝つも知れぬが、最後の勝利は支那に帰するであろうと。かくの如きは独り日本に憎悪の念あるもののみならず、同情を有するものもまた同様の意見を抱いて憂えたのであった。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに<ruby><rb>干戈</rb><rt>かんか</rt></ruby><ruby><rb>一</rb><rt>ひと</rt></ruby>たび交えるや<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>。支那は<ruby><rb>脆</rb><rt>もろ</rt></ruby>くも敗れて<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに半歳を<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でざるに、早くも李鴻章は<ruby><rb>馬関</rb><rt>ばかん</rt></ruby>に派して和を請うに至った。これがかの有名なる馬関条約で、そして三国干渉の起ったのもこの時であった。

支那は国<ruby><rb>大</rb><rt>だい</rt></ruby>に民衆も多い。また特にその歴代の史跡に徴するに、支那を苦しむるものは常に北方の蛮族である。そしてこの北方の蛮族がついに中原を<ruby><rb>席捲</rb><rt>せっけん</rt></ruby>して国礎を定めたのが、即ちこの<ruby><rb>愛新覚羅</rb><rt>あいしんかくら</rt></ruby>朝である。この<ruby><rb>怖</rb><rt>おそ</rt></ruby>るべき<ruby><rb>韃靼</rb><rt>だったん</rt></ruby>族が一たび訓練を経て文明的に軍隊を組織したならば、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる優勢の大軍をも編成し得ると思った。これが<ruby><rb>抑々</rb><rt>そもそも</rt></ruby>欧米列強の支那を<ruby><rb>買被</rb><rt>かいかぶ</rt></ruby>ったゆえんであったが、それが日本の力に触れて<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち薄弱なる実力の遺憾なく外面に暴露され、その買被りたる事が知るると同時に、極端より極端に走る彼等列強の見解は、支那を以てもはや<ruby><rb>土崩瓦解</rb><rt>どほうがかい</rt></ruby>拾収すべからずと思った。日本が更に一指の力を加うれば<ruby><rb>一溜</rb><rt>ひとたま</rt></ruby>りもなく<ruby><rb>潰乱</rb><rt>かいらん</rt></ruby>すると思った。それが抑々かの三国干渉の来った有力なる一因である。

支那すでに無力なりとすれば、次いで来るものは勢力範囲画定の問題である。この問題が当時盛んに起ったのであるが、我輩はこれを以て空想なりとして熱心に論難した。勢力範囲とは何ぞや。この語は<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>分割の際に使われた語であるが、<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>はもともと無人の地である。それ故列強が<ruby><rb>各々</rb><rt>おのおの</rt></ruby>手に地図を案じ、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>から<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までが<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>の勢力範囲だと定むる事も出来たが、支那はそれと全く事情を異にしている。四千年の歴史を有し、それに相応する四千年の文明を有し、<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つほとんど欧州全土を<ruby><rb>相如</rb><rt>あいし</rt></ruby>く大なる土地を<ruby><rb>奄有</rb><rt>えんゆう</rt></ruby>し、四億万の人民が<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>に棲息している処である。これを如何にして<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>的に分割する事が出来よう。されども初めあまりに支那を買被った世界は、今度はその反動としてあまり支那を<ruby><rb>見縊</rb><rt>みくび</rt></ruby>った。即ち<ruby><rb>時事新報</rb><rt>じじしんぽう</rt></ruby>に早く支那分割図の現れたほどで、我が外交の当局者もまた分割的注文を提出した。けれども我輩はかくの如きは<ruby><rb>謬妄</rb><rt>びゅうもう</rt></ruby>なり空想なりとしてあくまで反対した。支那分割を思う列強は自ら<ruby><rb>禍</rb><rt>わざわい</rt></ruby>するものである。支那を亡ぼさんとするなら、まず支那国民を<ruby><rb>屠</rb><rt>ほふ</rt></ruby>り尽すの覚悟が無ければならぬ。ところが果して屠り尽し得るか。やれるならやってみろ。その繁殖力の強い支那民族は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にする。とても殺し尽せるものでない。百万人の支那民族を屠るには少なくも十万人の自国民を犠牲に供せなければならぬ。それをも忍んで攻め続くるか。支那国民を屠り尽さざる中に、攻撃軍たる欧州人がまず死に尽すであろう。その結果は<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>と見るに、支那は依然として存在するに相違ないと、かかる意見を以て我等は当時盛んにそれに反対した。

## 二　列強支那の疑懼心を利用す

第二回の東方平和論はこれを日露戦争の後に発表した。日本の実力の<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ強大なるに打たれて支那人は痛く恐怖した。日本はこの勢いを以て<ruby><rb>終</rb><rt>つい</rt></ruby>には支那全土を征略しはせぬかと、ただに支那人のかくの如く思うのみならず。支那に商権を拡張せんとする欧米諸強は、日本の勢力の支那の市場に伸ぶる事を甚だ喜ばない。ここに於て嫉妬心から支那人に対し日本の中傷を試み、日本は今や<ruby><rb>虎視耽々</rb><rt>こしたんたん</rt></ruby>支那を亡ぼさんと<ruby><rb>勉</rb><rt>つと</rt></ruby>めている。甚だ危険である。我等欧米人にはかくの如き野心を持たぬ。日本人を遠ざけて我等に親しむに<ruby><rb>如</rb><rt>し</rt></ruby>くはないという様に説いた。これが支那人の恐怖心を誘う上に大なる力を為した。が、それは誤っている。欧米も支那も共に、支那に対するこの観察の誤りを覚醒せなければならぬ。日本と支那とは<ruby><rb>境</rb><rt>さかい</rt></ruby>相近く、人相同じ、文字もまた相同じ。されば<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>は支那人を味方とこそ頼め、なんでその国を亡ぼす如き事を<ruby><rb>謀</rb><rt>はか</rt></ruby>ろう。支那を亡ぼすが如き事を考うる、これほど日本にとって不利な事はない。支那人もまた軽々しく他のためにするところある煽動に乗せられて日本を敵視するが如き事あらば、それほど彼等にとって不利な事は無いとし、即ちおもに支那人本位に立説した。これがその時の論文を一貫した精神であった。

## 三　支那扶掖は天の我に与うる使命なり

それに次いで、今や第三回の東方平和論を説かんとするのだが、日本対支那の重大なる関係は、十年前の昔も十年後の今日も同一である。<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>、近来<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>日本と支那との経済関係の親密を加うるについて、これを従前に比するに利害の更に大なるものがある。支那の土崩瓦解は日本にとってほとんどその国家を怖るべき危害に導くべきものだ。<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby><ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる事のあるとも、そのために日本の存立を<ruby><rb>危</rb><rt>あぶ</rt></ruby>のうする事は無いかも知れぬけれども、なお甚だ恐るべきものがある。今日日本の国際貿易に於てその額の大なる、支那に過ぐる処はない。支那の生産力の現在甚だ低きために、物資の大部分はこれを我が国より供給している。加うるに人口の多き、更にその繁殖力の盛んなるを思えば、支那人は実に現在我が国の一大顧客たると共に、将来益々我が国の一大顧客たらんとするものだ。日本は債務国として今日借金に苦しんでいるが、この対支那貿易にして将来益々盛んならんか、早晩債務国たる運命より<ruby><rb>免</rb><rt>まぬか</rt></ruby>れて、更に債権国ともなるべきである。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るにこれ我が一大市場にして不幸にも土崩瓦解ともならば、我が貿易は卒然として止まるであろう。すれば我が国にとってこれほど不利益なる事はあるまい。しかし思えばこれなお目前の小不利に過ぎぬ。更に永久に<ruby><rb>亙</rb><rt>わた</rt></ruby>る我が国運の将来を思えば、実に寒心に<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>えざるものがある。支那の土崩瓦解の後には、更に恐るべき西洋の新勢力が対岸大陸に現出するであろう。ここに至れば<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに我が日本帝国の領土保全の上に大なる危害を感ずるものである。日本は今日の財力を守って孤島に<ruby><rb>退嬰</rb><rt>たいえい</rt></ruby>し、果して<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く無限に繁殖するその人口を維持する事が出来ようか。<ruby><rb>所詮</rb><rt>しょせん</rt></ruby>不可能である。すれば日本は支那に有する発言権を<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも強硬に維持せなければならぬ。

支那の安全を保ち、その文明を開発し、かくして東洋の平和を支持するという事は日本にとって避くべからず、ほとんどこれを我が使命なりと称して可なるほどである。己れ棄てんとして棄つべからず、人奪わんとして奪うべからざるものである。<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>となれば、日本と支那とは同種同文である上に、両国間の経済関係は世界に<ruby><rb>冠絶</rb><rt>かんぜつ</rt></ruby>しているからである。すでに文明の源を同じうし、また思想、感情、風俗、習慣、皆その源を<ruby><rb>一</rb><rt>いつ</rt></ruby>にし、その関係<ruby><rb>漆膠</rb><rt>しっこう</rt></ruby>の如く離るべからざるものある上に、この同民族たる日本支那の人口を合算すればほとんど白人種に匹敵する。かかる大民族にして一朝歩調を揃えて進むならば、将来東西洋相対立して互いにその文明を誇ることが出来よう。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して文明の程度に於て日本は支那に対し一日の長あるゆえんを以て、将来支那を促し、それを世界最高の文明に進むるには、日本は当然その<ruby><rb>扶掖</rb><rt>ふえき</rt></ruby><ruby><rb>提撕</rb><rt>ていせい</rt></ruby>の任に当らなければならぬ。これ日本に於ける天の使命である。されば我が対支政策はもとより積極的なるべくして決して消極的なるを許さぬ。

## 四　民国政府は実力無し

かくの如きは我等の従来機に触れて<ruby><rb>屡々</rb><rt>しばしば</rt></ruby>説いて来たところであるが、<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かもその実際を見れば談<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ容易ならざるものがある。今日は革命の政府が成立ちおるが、成立つといっても単に形式のみである。その実力は無い。形式は<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>の問うところでない。それが王政たると、帝政たるとはた共和政たるとを問わず、ただ支那の実力にして<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く今日の世界の競争<ruby><rb>場裡</rb><rt>じょうり</rt></ruby>に立つに堪え得るものであるならば<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しい。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに遺憾ながら今日の支那の政府はその任に堪うるにはあまりに薄弱である。少なくも財政に於ては明らかに満州政府よりも薄弱で、借款に頼らざればその国家は一日も立つ<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>わざる運命におる。支那の行政にはおよそ六億万円の歳入を要するに、実収入は<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かにその三分の一の二億万前後である。それ故何としてもこの上大勇断を以て四億万の増収を謀らねばならぬが、しかしその国状に於て、四億万は何としても取れぬ。ここに於て<ruby><rb>已</rb><rt>や</rt></ruby>むを得ず借款という訳である。

特に<ruby><rb>況</rb><rt>いわ</rt></ruby>んや古来支那民族は税を取るに困難なる民族である。ただ彼等の天性貪欲なるがためとのみ言わぬ。哲学者はあえて徴税を非難し、税を取れば<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちにこれを称して暴政虐政という。それには<ruby><rb>本</rb><rt>もと</rt></ruby>づく処がある。支那に於ける税の費途<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>というに、王者はこれを以て土木を興し、宮殿を営み、<ruby><rb>奢侈</rb><rt>しゃし</rt></ruby>を尽せば、その身辺を<ruby><rb>囲繞</rb><rt>いじょう</rt></ruby>する官僚はまたこれを以て土地を買い、貨殖を謀り、子孫のために身後の計をする。そのために税といえば、ただ権力者の<ruby><rb>鴟梟</rb><rt>しきゅう</rt></ruby>の欲に供するものという以外に、なんらの意味なき事となった。これが支那の古今を貫く<ruby><rb>積弊</rb><rt>せきへい</rt></ruby>である。さればこそ立法者、道徳者達は、常に徴税を以て暴政の表象となし、これを以て<ruby><rb>上</rb><rt>かみ</rt></ruby>王者を<ruby><rb>諷</rb><rt>ふう</rt></ruby>し<ruby><rb>下</rb><rt>しも</rt></ruby>官僚を戒めて来たものである。即ち税といえば、直ちに自己の私を営むものという観念が長く彼等の頭脳を支配して来ているからである。これが古来支那に何か革命でも起ると、直ちに当年の税を免ずるという事を宣言するゆえんで、今度の革命運動にもやはりその故智を学んだ。税の目的たる、もとよりかくの如くなるべからず。税は常に国家の利害と一致せなければならぬ。即ち国民の安寧を保ち秩序を全うし利福を<ruby><rb>捗</rb><rt>うなが</rt></ruby>すために、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して国家の力独り<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>くすべくして少数の<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>為す能わざる性質の事業に、もしくは外敵を防ぎあるいは<ruby><rb>懲</rb><rt>こ</rt></ruby>らす如き方面の設備に使うべきで、これなくんば国家は一日も立ち行くべからざるものである。

## 五　権力なき政府を如何せん

特に文明の政治は最も多く金を要する。即ち税を要する。すれば支那流の税に対する観念と、文明の政治とは到底両立せぬ。ここに於てか従来の支那思想を根底より一掃せなければならぬ。それと同時に政府には大なる権力がなければいけぬ。世界いずれの国民といえども、喜んで税を納むる国民はない。すでに喜ばぬとすれば、徴税には多少強制的の意味がある。即ちこれが中央に絶大なる権力なかるべからざるゆえんである。中央には常に一国の安寧秩序を十分維持するだけの権力が無ければならぬ。もし国民にして税を納めず、これを徴せんとすれば<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち安寧秩序を乱すという如き場合には、国家は十分なる力を以てこれを威圧せなければならぬ。が、今の民国政府にこの力の認むべきものがあるか。彼等はかくの如き場合に臨むや、<ruby><rb>徒</rb><rt>いたずら</rt></ruby>に人民に迎合し、その歓心を得るに<ruby><rb>汲々</rb><rt>きゅうきゅう</rt></ruby>たる態度を取る。これ明らかにその権力なきを自証するものだ。大して有効でもないか知らぬが、とにかく彼等は人心<ruby><rb>収攬</rb><rt>しゅうらん</rt></ruby>の手段を取っている。それで税はついに取れぬ。革命後中央に収まる金は僅かに二千万<ruby><rb>両</rb><rt>テール</rt></ruby>に過ぎぬ。地方より税を納めずして<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にして中央が成立つべきか。<ruby><rb>已</rb><rt>や</rt></ruby>むなく借款を仰ぐ。今日の状態は独り<ruby><rb>袁</rb><rt>えん</rt></ruby>〔<ruby><rb>世凱</rb><rt>せいがい</rt></ruby>〕政府たるがためのみでなく、袁<ruby><rb>亡</rb><rt>ほろ</rt></ruby>んで<ruby><rb>孫</rb><rt>そん</rt></ruby>〔<ruby><rb>文</rb><rt>ぶん</rt></ruby>〕が立とうが、<ruby><rb>黄</rb><rt>こう</rt></ruby>〔<ruby><rb>興</rb><rt>こう</rt></ruby>〕が立とうが、誰が立とうとも同一である。革命的思想を以て頑固な支那従来の<ruby><rb>謬想</rb><rt>びゅうそう</rt></ruby>を打破せぬ限りは、この現状は幾万世を経るとも変らざるべきである。これが今日支那の国運の日に<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby><ruby><rb>蹙</rb><rt>しぼ</rt></ruby>まり行くゆえんである。

## 六　借款全盛の現況

外債は今や支那十八省の間に至る処に行われている。初めは中央のみ借款を為し、地方にはこれを厳禁したのであったが、地方から政費を中央に求めに来るけれども、中央には<ruby><rb>素</rb><rt>もと</rt></ruby>より与うべき何物もない。<ruby><rb>已</rb><rt>や</rt></ruby>むを得ずしてついに地方にも借款を許した。即ち政治的借款を除き経済的借款を許した。これが今日地方に大小の借款の鉄道鉱山等諸種の利益を担保として競い起ったゆえんである。その間に西洋の企業家、もしくは資本家、それもことごとく純粋の資本家か、但しはただの<ruby><rb>鞘取</rb><rt>さやとり</rt></ruby>かは知らぬけれども、それらの徒が雑然<ruby><rb>糾然</rb><rt>きょうぜん</rt></ruby>として縦横無尽に働いている。すると<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち盛んなる競争が起る。多分機敏なる我が国の実業家も加わって働いているであろう。ただその力の微弱なるために大した働きを為し得まい。あるいは外交官等も手伝いをするであろう。<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>にまたコンミッションが起る。コンミッションは支那が世界に於ける本家かも知れぬ。欧米ではこれを一種の商習慣としているそうだが、支那に於けるこの商習慣からして随分不規律なる莫大なるコンミッションが起る。これは支那人の天性で、<ruby><rb>一</rb><rt>ひと</rt></ruby>たび金に<ruby><rb>触</rb><rt>ふ</rt></ruby>るるや必ずその幾分かを自己のポケットの中に収めずにはおかぬ。これがかの国に於ける最大悪俗である。この悪俗が<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>養われて、愈々大規模のものとなり、もはや今日に至って、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる智者もこれを<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く禁ずる事なしという有様となった。借款はかくの如く支那全土を通じて<ruby><rb>大賑</rb><rt>おおにぎ</rt></ruby>わいであるが、これはたとい支那の国家が土崩瓦解に至るともその大なる富には変化なく、山河と共に<ruby><rb>長</rb><rt>とこし</rt></ruby>えに存在するからである。支那の現状はほとんど大なる財産家がその一大宝庫を開いて公衆に分与しつつあるが如き観を呈している。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>してこの運動の盛況を来せば来すほど、中央地方の大小官僚がまた多少の利益を得る。従ってまた愈々その盛況を促すという有様だ。かくの如きはほとんど嘘の如く、我等もまたその嘘ならん事を望むけれども、<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>せん、事実である。あたかも日本にも今一大疑獄が起り<ruby><rb>醜穢</rb><rt>しゅうかい</rt></ruby><ruby><rb>耳目</rb><rt>じもく</rt></ruby>を<ruby><rb>掩</rb><rt>おお</rt></ruby>わしむるものがあるが、支那はこれが昔からで、他人がそのために<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>なろうとも、国家がそのために<ruby><rb>如何様</rb><rt>いかよう</rt></ruby>な運命に陥ろうとも関知せぬのだ。

## 七　支那に対する日本の位置如何

借款全盛の支那の将来は果して<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>。経済上大なる利益の声のある所には、欧米の資本家は<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち<ruby><rb>蝟集</rb><rt>いしゅう</rt></ruby>する。<ruby><rb>一</rb><rt>ひと</rt></ruby>たび<ruby><rb>某処</rb><rt>どこそこ</rt></ruby>に一大利益が見ゆるとなると、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわか</rt></ruby>に非常なる投機熱が起り、為に欧州の市場を攪乱した事は<ruby><rb>屡々</rb><rt>しばしば</rt></ruby>ある。かかる<ruby><rb>苦</rb><rt>にが</rt></ruby>き経験は東洋人よりも西洋人に多く、祖先以来幾度も繰返している。苦き経験なら繰返しそうも無い様に思うが、それは大なる誤りである。事実に於て彼等はこれを幾度も繰返している。それ故支那に於ける今日の如きもまた<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>りで、支那が貸せといえば、宜い、持って行けとてどんどん貸す。が、極度に資本を注ぎ込んだ結果は<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>なるであろう。<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に投じても案外利益がないと悟る時期が来る。支那に於ける混雑はこれからだ。投資に対して利払いすらも出来ぬとなると、私人の関係はついに移って国家の関係となる。そこで吏員を送ってその財政を監視せしむる事となる。近くは<ruby><rb>埃及</rb><rt>エジプト</rt></ruby>の借款に於ける如きがその好例である。埃及に対する小さな借款関係は未だ他にもあるが、その大なるものを言えば英と仏とである。埃及は支那の十分の一にも及ばぬほどの大きさの処で、且つ英仏いずれとも国境が近い。この両国がついに<ruby><rb>埃及</rb><rt>エジプト</rt></ruby>の破産に原因して争った。即ち相争う事三十年、<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>くこの頃に至って協商を遂げて交情を復した。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに支那に於ける借款はその関係国が、英、仏、独、米、露、日の六ヵ国である。更にその次位には<ruby><rb>白耳義</rb><rt>ベルギー</rt></ruby>あり、<ruby><rb>和蘭</rb><rt>オランダ</rt></ruby>あり、米は<ruby><rb>中頃</rb><rt>なかごろ</rt></ruby>六国借款から脱盟したが、<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かも支那に対して債権国たるは同じい。それ故まず大なるものと言えば、やはり最初数えた六ヵ国である。その<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>更に資本国はといえば最初の四国に止まるので、露と日とは<ruby><rb>与</rb><rt>あずか</rt></ruby>らぬ。更に金額の上よりいえば、日本は最下位におるものである。けれども翻って利害の関係よりいえば、日本が一番その大なるものである。即ち距離からいえば、他のいずれも<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ遠いのに反して、日本は<ruby><rb>一衣帯水</rb><rt>いちいたいすい</rt></ruby>を<ruby><rb>隔</rb><rt>へだ</rt></ruby>つる隣国である。河川に浮ぶる船舶の数よりいうも、英が一位で、二位は直ちに日本である。<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かもそれは現状をいうので、その<ruby><rb>漸次</rb><rt>ぜんじ</rt></ruby>に増加しつつある割合から将来を予測すると、遠からず日本がその第一位に上る事と信ずる。即ち航海上、同時に貿易上に於て日本の位置は<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>有望である。六国の対支那関係をかくの如く観察し考察し来れば、日本の自ら任ずるところはよほど大なるものでなければならぬ。

## 八　支那を奪取するは難し

支那にはまた近来<ruby><rb>河南</rb><rt>かなん</rt></ruby>に<ruby><rb>白狼匪</rb><rt>はくろうひ</rt></ruby>など称する土匪が起っている。河南といえば支那に於ける中原であるが、彼等は<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>に起り、将来更に蔓延せんとする有様である。それが盛んに起れば鉄道は破壊さるる。交通はために<ruby><rb>杜絶</rb><rt>とぜつ</rt></ruby>する。従って商売も妨げらるる。<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かも中央の力微弱にしてこれを<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く制する無しとすれば、投資国は民国政府に信頼せず、自己の投資に対する利益を自ら保護し<ruby><rb>防禦</rb><rt>ぼうぎょ</rt></ruby>するに相違ない。即ち支那の領土を占領する事となるが、占領しても例の支那国民であるから、それより徴税する事は<ruby><rb>難</rb><rt>かた</rt></ruby>い。強いて徴税すれば<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち叛乱が起る。<ruby><rb>匪賊</rb><rt>ひぞく</rt></ruby>が処在に蜂起してこれを征討する列強はために奔命に<ruby><rb>労</rb><rt>つか</rt></ruby>るる。即ち<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>の金のみを要してなんらの得るところがない。<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>、得る処なきのみならず、<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>損をする。といって資本家連が自分等のためだからとてそれだけの費用を負担するかというに、言うまでもなく不可能である。また<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に国家が金を掛けて自国の利益を保護せんとするとも、一方国際間には自ずから条約がありて一国の自由にならぬ。また自由になっても支那本部には四億万の人民がある。これを軍事的に統御するは難いとすれば、実に厄介な話である。欧米もこれには<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る困難を感ずる。これが我輩の重ねて三たび東方の平和を論ずるゆえんである。

大体欧米ではよほど支那を研究しているであろうけれども、たびたびその観察を誤っている。少なくも三変している。即ち初めは恐れ、次に<ruby><rb>侮</rb><rt>あなど</rt></ruby>り、分割を思うたが、後にはその非を悟り、一転して経済的に利権の獲得を試みた。ところが意外にも支那に利権回復熱が高まり、米が<ruby><rb>広東</rb><rt>カントン</rt></ruby>に鉄道の敷設を<ruby><rb>創</rb><rt>はじ</rt></ruby>むるとこれを拒む。<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>が<ruby><rb>山東</rb><rt>サントン</rt></ruby>に鉱山の採掘を始むると、また躍起運動を開始してこれを拒み、いずれもその利権を取戻した。そこで列強はここに利権獲得の困難を悟り、今度は支那の事業に資本を貸し与える。すると<ruby><rb>獲</rb><rt>え</rt></ruby>んと欲する物、その物は安全に獲らるる。これが支那国民の自尊心を一方に満足せしめて、他方に十分の利益を我に収め得るゆえんであるとした。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに更に意外にも革命が起り、金をさえ貸すなら担保にはなんでもかでも求めらるるままに提供する事となった。即ち今日は資本的征服と言っては語弊があるか知らぬが、列強は支那に対して盛んに資本的開発を試みている。これを以て最も将来有望にして且つ利益の多く来るものとした。

## 九　誰か領土的野心を抱かん

侵略的態度を以て支那に向う事はかくの如く<ruby><rb>難</rb><rt>かた</rt></ruby>い。それ故昔はかかるアンビションを抱いて支那に臨む国もあるいは有ったかも知らぬが、もはや今日は<ruby><rb>左様</rb><rt>さよう</rt></ruby>の国は<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ不足であろうと信ずる。世間には近来しきりに露国の対蒙経綸を<ruby><rb>云々</rb><rt>うんぬん</rt></ruby>する。しかし露国と蒙古との関係は一朝一夕のものでない。即ち二百年以来、蒙古がかつて<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に侵入して撃退された以来、反対にコサックが蒙古に入る。ペートル大帝以降絶えず露国の人民は外蒙古に於て蒙古人、<ruby><rb>韃靼</rb><rt>だったん</rt></ruby>人と触接している。即ち<ruby><rb>回彊</rb><rt>かいきょう</rt></ruby>部と称し、更に<ruby><rb>伊犂</rb><rt>イリー</rt></ruby>あるいは<ruby><rb>新彊</rb><rt>しんきょう</rt></ruby>ともいう処があるが、これが韃靼族で、常に<ruby><rb>天山</rb><rt>てんざん</rt></ruby>を越えて露西亜に入る。かつて支那に対して独立を<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>えた事もある。地勢をいえばこれらはいずれも支那本部よりは、むしろ<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に近い。即ち外蒙古の如き、河に汽船が通ずる。<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>鉄道にはオムスク辺から乗る事が出来る。そこで自ずから露国と親しからんとするのは、これ<ruby><rb>已</rb><rt>や</rt></ruby>むを得ざる勢いである。蒙古は大なる草原で、その民はいわゆる遊牧の民である。水草を<ruby><rb>迫</rb><rt>お</rt></ruby>うて自在に移るという時代には、それが南下して支那とたびたび衝突する。そしてついにそれに屈伏するという事にも為ったのであるが、何んぞ知らん、彼等の一面背後に於ける露国との交渉には、前面なる支那に譲らぬ大なるものが存在するのである。露国の対蒙経綸はかかる歴史あるがためであって、今新たに侵略を企つるものでない。また侵略しても大した利益は無い所だ。けれども歴史的には、蒙古は五十年来明らかに露国の勢力範囲に入っている。<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>、更に<ruby><rb>溯</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>ればペートル大帝以来の事で、最後に<ruby><rb>愛琿</rb><rt>あいぐん</rt></ruby>条約に<ruby><rb>因</rb><rt>よ</rt></ruby>って支那領と定まったのだ。その間にはすでに幾度も露国の領地に入ったのである。即ち今の<ruby><rb>拉摩</rb><rt>ラマ</rt></ruby>領の如きがそれである。あるいはその間、不思議に支那及び<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に両属の形を取った事、あたかも<ruby><rb>昔時</rb><rt>せきじ</rt></ruby>の我が<ruby><rb>琉球</rb><rt>りゅうきゅう</rt></ruby>の如きものであったかも知らぬ。時に支那に向って<ruby><rb>干戈</rb><rt>かんか</rt></ruby>を動かした様であったけれども、ついに十分な独立国とは為り得なかった。しかしまた同時に十分支那の統治にも入らずに来たのである。これが<ruby><rb>抑々</rb><rt>そもそも</rt></ruby>我輩が一年前に支那に最後の忠告を与え、<ruby><rb>藩属地</rb><rt>はんぞくち</rt></ruby>にはただ宗主権を収めて独立せしめよと言ったゆえんである。けれど<ruby><rb>袁</rb><rt>えん</rt></ruby>総統は当時の我輩の所説には耳を傾けなかった。これが今日の窮状に至るゆえんである。

更に<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>の関係を見るに、これもまた<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>りである。<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>はもしそれが他の勢力を帰すると、直ちに<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>がその<ruby><rb>脅</rb><rt>おびや</rt></ruby>かすところとなるという地勢である。即ち坂を<ruby><rb>彼方</rb><rt>かなた</rt></ruby>に下り尽せば<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>にはダージリンという都市があって、夏も甚だ涼しく<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>の大官連の避暑地となっている所である。<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>は<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>の防衛上かくの如く甚だ重要な処であるから、これを他の勢力に移す事は英国にとって忍ぶべからざるところである。さればとて、<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>は<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>の範囲に収めてこれを統治するは甚だ難い。即ち英の<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>に望むところは、ただそれを他の勢力に帰せしめざらんとするに止まるので、なんら略奪を企つるものでない。英にしてすでに<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>りとすれば、自余の諸国になんで一指を<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>に染むるを欲するものがあろう。仏国の南清に於けるもまた同様である。仏国は今日その有する一の<ruby><rb>東京</rb><rt>トンキン</rt></ruby>にさえ困っている。<ruby><rb>東京</rb><rt>トンキン</rt></ruby>は他国の取って利益を見るべき所でない。仏国にしてすでにこれに懲りおる以上は、更に何を苦しんで領土の略奪を支那に企つる事があろう。然らば<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>は<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>と問わば、これも本国と甚だ隔絶せる支那の地に、孤立した領土を有する事は<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>であろう。かくの如きはその政治家の<ruby><rb>蓋</rb><rt>けだ</rt></ruby>し<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る考えものとするところであろう。即ち列強の態度を通観するに、今日無謀にも支那に向って領土的野心を<ruby><rb>逞</rb><rt>たくま</rt></ruby>しうせんとするものは無い様である。が、支那を商業的関係に於て征略せんとする野心は、これより列強の次第に抱くべきところである。

## 十　英国の輿論を導け

支那の将来はこの列強の経済的野心のために少なからざる混雑を生ずるであろう。即ち列強の間に烈しき競争が生ずる。その結果、利害の強き衝突が起る。これよりして東方の平和を<ruby><rb>攪乱</rb><rt>かくらん</rt></ruby>するにも至るであろう。その結果、支那は非常に困難なる運命に陥る。ここに於てか日本は退守的なるを得ない。あくまで積極的に支那を<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けて立たなければならぬ。この権利は<ruby><rb>何人</rb><rt>なんぴと</rt></ruby>もあえて左右する事は出来ない。<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>は早晩近づくべき支那のこの運命に対してあらかじめ大いに備うるところがなくてはならぬ。四千年の文明を有し歴史を有する対岸大陸のかの大国家をその不幸より救済する使命は、この大日本帝国を除いて、そも<ruby><rb>何処</rb><rt>いずこ</rt></ruby>に在るか。かくの如き使命は単に力のみの問題でない。金のみの問題でない。同種同文にして思想、感情、風俗、習慣、すべてその源泉を同じうする民族でなければならぬ問題である。特に上来<ruby><rb>説</rb><rt>と</rt></ruby>けるが如く、国境は相隣りしている。一朝力を以て臨むという場合にも日本が最も便要の位置にいる。有事の際<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>の間にその国民の安寧秩序を保全する能力は、日本を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いて<ruby><rb>抑々</rb><rt>そもそも</rt></ruby><ruby><rb>何処</rb><rt>いずこ</rt></ruby>に求むべきであろう。しかし日本の兵が直ちに支那の国境に臨むという事には<ruby><rb>往々</rb><rt>おうおう</rt></ruby>にして誤解を生じ易い。誤解は嫉妬を生じ、嫉妬はやがて平和を攪乱する事ともなる。それ故、その誤解を列強の間に避くる事が肝要である。日英同盟の力は<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く支那の安全を保ち、且つまさに来らんとするその土崩瓦解を十分に防ぎ得ると信ずる。が、なかんずく日本がその運動の主人公となって最も多く責任の<ruby><rb>衝</rb><rt>しょう</rt></ruby>に当らねばならぬ。そしてそれに対する猜疑心の発生を十分に防がなければならぬ。それ故、我が日本の誠意は他の列強は暫く置き、その同盟国たる英国の人民に最も<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く諒解せられなければならぬ。さればとて吾人は今日その諒解せられざるを言いて、英国人を責むるのではない。ただその諒解を得る事に我から進んで終始意を用いなければならぬというのである。即ち絶えず我が同盟国の輿論を導いて吾人の誠意の存するところ、並びに吾人の使命の<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なるところに在るかを十分に知らしめなければならぬ。<ruby><rb>一</rb><rt>ひと</rt></ruby>たびその輿論を導いて遺憾なきを得ば、我が対支那政策に於てまた何の顧慮か有らん。吾人の常に意を用うべきは<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>に在る。

## 十一　今度の革命は出来損ねたり

支那の現状はもはや<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>ともするなく、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる智者も識者もこれを<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く救うものはあるまい。古来支那は武を以て統一した国だ。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに今度の革命は<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>か。二百五十年の満州朝廷は何に因って破れたかというに、武を以てではない。単に巧妙なる策略を以てである。即ち満州政府も失敗すれば革命党もまた失敗し、その中間なる<ruby><rb>袁</rb><rt>えん</rt></ruby>が成功して主権者となり総統となった。かくまで巧みなる成功は従来の歴史になきところ、即ちこの点より言えば、袁総統の手腕たる凄まじというべきだ。他国民たる我輩はそれ以上立ち入って是非を加えない。ただ支那従来の謬想を一洗して、十分国費を支弁し得るだけの税を取り、現代的の国家を組織して自国の安立を計り得るものであれば宜い。ところが袁総統にはそれがない。袁総統は策略を以て国を取り得たけれども、策略を以て税を取り得ない。税を取るには非常なる中央の威力が無ければならぬが、袁政府にはそれがない。これその国力の甚だ薄弱なるゆえんである。

第一、支那の今日を見るに、収税官がおらぬ。収税の能力ある官吏がおらぬ。その証拠には支那の官吏の手に任せた時には塩税が十分取れなかったが、今度五ヵ国の承諾を得て、英国から官吏を派してその収税を監督させたら、これが<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る機敏な人で、その結果意外の収入がある。第二、借款は何を担保に起すかというに、この塩税の増収に因る。初めは二億五千万の借款の担保たるを値すれば足ると思ったのであったが、今度その増収を見た結果は更になお五億万の担保たり得る事が知れた。恐らくはまた二億五千万くらい貸す事となるであろう。列国は担保さえあれば幾ら金を貸しても宜いのだ。塩税にしてすでに然りとすれば、支那より六億や七億の税を取るは<ruby><rb>易々</rb><rt>いい</rt></ruby>たる事と思う。かつて総税務司のロバート・ハート氏の支那政府に告げたところは、重なるものを地税として六、七億の税を徴収するに在った。が、<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く調査したならかの大国の事であるから、十億万くらいは取って取れぬ事はなかろうと思う。税法さえ<ruby><rb>具</rb><rt>そな</rt></ruby>わり、それに才能ある官吏さえあれば<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>い。能吏があっても、それが中間に自分のポケットに多く収むる様ではまたいかぬ。けれどもこれは支那国民旧来の悪俗であるから、一朝にして改め難いものがある。それ故善良なる習慣を作るまで、暫く十分の報酬を官吏に与えてそれに満足させ、同時に一方に規律ある軍隊、警察を置き、馬賊も白狼匪も全然閉息する<ruby><rb>底</rb><rt>てい</rt></ruby>の力を備うべきである。国民の安寧秩序を守るだけの十分な威力が備われば、他の<ruby><rb>貪官汚吏</rb><rt>どんかんおり</rt></ruby>を戒むるくらいの事はなんでもない。これくらいの事は元々革命の武力を以てすれば容易なるべきはずであったが、<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>せん、支那の革命は出来損なったのである。ここに至れば何としても外国の力を借らなければならぬ。

## 十二　日支合同は先天的の約束なり

<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>で十六、七世紀の頃行った事を、今日なお夢みているものもあるか知らぬが、もはやかくの如き<ruby><rb>夢想</rb><rt>むそう</rt></ruby>は一<ruby><rb>擲</rb><rt>てき</rt></ruby>すべきである。我等の考えでは、白人以外の民も十分白人と並び立って行けると信ずる。そこで吾人と人種を同じうする支那民族をば<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも友誼的に救済し、そして東西異なる二様の文明を発揮して、更にその調和の上に偉大なる新文明の光輝を生出せしめんと欲する。これが吾人日本国民の目的である。即ちこの目的に向って支那は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも我が日本の<ruby><rb>侶伴</rb><rt>りょはん</rt></ruby>たるべきである。いわゆる<ruby><rb>唇歯輔車</rb><rt>しんしほしゃ</rt></ruby>である。これ空論に非ず。実に唇亡びて歯寒し。吾人は支那を以て我が障壁と頼み、この障壁の撤せらるる<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>に直ちに我が国運の<ruby><rb>危殆</rb><rt>きたい</rt></ruby>を感ずるものである。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに今やこの支那はまさに亡国の民たらんか、あるいは復活の民たらんかの<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>に立っている。即ち支那をこの<ruby><rb>累卵</rb><rt>るいらん</rt></ruby>の危うきに救うべく一日の猶予もならぬ時である。吾人は今日支那に対し、先進の地位に立つものの義務として、早くその計を為さんことを欲する。これが我輩の<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>に反覆三たび東方の平和を論ずるゆえんである。