## 優大なる天才国

支那人は優れた古い文明をもっている。またその国は優大なる天才の生れた国で、彼等は古来優大なる思想を<ruby><rb>遺</rb><rt>のこ</rt></ruby>したので、支那民国も今日存する訳だから、支那民族も国家的生活を必要としないはずがない。しかし、これが境遇の<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>によって、また永い時代の悪政によって<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも変化する。支那人は何としても国家的に団結して、共同の利益のために、いわゆる政治的に国家的に<ruby><rb>己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>を捨て、国に尽すという精神が一番欠乏している。今日の世界に於ては結合の固いものが一層優勢であるし、これに反して、結合の弱いものが劣等の地位におち込む。それで支那人の個人性は発達しているが、これに伴う<ruby><rb>弊</rb><rt>へい</rt></ruby>はまた決して<ruby><rb>尠</rb><rt>すく</rt></ruby>なからず。まずその<ruby><rb>卑近</rb><rt>ひきん</rt></ruby>なる快楽主義と、大それたる利己一天張りに陥るというが如きは見逃すべからざる弊だ。支那の官人には奉公の赤誠が尠ない。彼等はただ単に自己一身の栄誉<ruby><rb>聞達</rb><rt>ぶんたつ</rt></ruby>を欲している。元来儒教の精神はかくの如き積弊を<ruby><rb>矯</rb><rt>た</rt></ruby>むる事に心を尽くしたのであるが、その精神もついに未だ実現されずにいる。そういう弊が段々多くなって、ついに古来の優大なる思想から出来た儒教本来の精神はとられずに、ただ単に文学的に解釈さるるようになった。これを実際に行わないで、文字そのものを美術的に<ruby><rb>弄</rb><rt>もてあそ</rt></ruby>んで、儒教の精神そのものは<ruby><rb>頓</rb><rt>とん</rt></ruby>と<ruby><rb>閑却</rb><rt>かんきゃく</rt></ruby>されるようになったのである。ここに於てある人の如きは、支那の科挙の制度を以て<ruby><rb>始皇</rb><rt>しこう</rt></ruby>書を焼くの害よりも大なりというた。支那を<ruby><rb>亡</rb><rt>ほろ</rt></ruby>ぼすものは科挙の制だというんである。思うに支那民族は種々の中毒性に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>っている。第一に煙毒というて、かの<ruby><rb>阿片</rb><rt>アヘン</rt></ruby>の中毒だ。これはなかなかひどい。第二には経毒というて、即ち経書の毒、いわゆる口に<ruby><rb>孔孟</rb><rt>こうもう</rt></ruby>を説いて身に<ruby><rb>桀紂</rb><rt>けっちゅう</rt></ruby>を行うというのだ。第三は策毒というて<ruby><rb>戦国策</rb><rt>せんごくさく</rt></ruby>の中毒、<ruby><rb>離間中傷</rb><rt>りかんちゅうしょう</rt></ruby>、<ruby><rb>権変詭術</rb><rt>けんぺんきじゅつ</rt></ruby>は日常茶飯事で、ついには刺客を放って相手を暗殺するというが如きは即ちこれだ。第四はこの科挙の毒だ。こういう種々な中毒に支那人は罹っているんである。そうかといえば、元来支那民族は民族としては決してそれほど劣等なものに非ず、いわゆる毒に<ruby><rb>中</rb><rt>あ</rt></ruby>てられているのみだ。それだからもし一朝この中毒から<ruby><rb>免</rb><rt>まぬか</rt></ruby>るることが出来れば、支那民族は世界の偉大なる民族となることが出来るんである。

## 千載一遇の好機会

支那は古来政治上にも、軍事上にも、法制の上にも、はたまた文学芸術の上にも大なる天才を出した。そういう優れた民族が中毒性に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>って衰えたのである。それでこれを救うには、宜しく解毒剤を施すに限る。毒を解いてやるのが必要だ。<ruby><rb>今次</rb><rt>こんじ</rt></ruby>数度の革命は一体何から起ったかというに、人に由って色々な観察をなしている。これを以て単に権力の争奪から起ったのであるという者もあるけれども、必ずしもそればかりではあるまい。つまり、西洋の文明――高度なる文明に接触して多年の宿弊を一掃しようと志したので起ったのだと思う。同じく東洋に国を為している日本が<ruby><rb>逸早</rb><rt>いちはや</rt></ruby>く世界的文明の潮流に<ruby><rb>棹</rb><rt>さお</rt></ruby>さして、<ruby><rb>彼</rb><rt>かれ</rt></ruby>の長を採ると共に<ruby><rb>我</rb><rt>われ</rt></ruby>の短を補い、およそ世界の善を見てこれに移った結果、今日の新文明を産み出したのを見ると、日本と同文同種なる支那もまた現在の境遇より脱却しようと思い立ったと同時に、欧州列国の圧迫もあるので、ついにいわゆる<ruby><rb>変法自疆</rb><rt>へんぽうじきょう</rt></ruby>を行い、科挙の制を廃して新学を興し、以て人材登庸の道を与えようとしたのである。これはもっともな次第である。即ち日本の文明――明治の維新と共に世界的競争に堪え得らるるに至った国運の発展――日本今日の勃興こそ支那民族に対する一大<ruby><rb>刺戟</rb><rt>しげき</rt></ruby>となり、これが中毒症に悩んでいる支那民族には一種の良薬となった訳だ。日本の開国は提督ペルリの来朝が大なる刺戟となったと同様、支那は今やまさにこの一大刺戟者たる日本の勃興に促されて、百般の改革を断行せんとするのだ。あるいは当局の<ruby><rb>措致</rb><rt>そち</rt></ruby>に不満足なところがあるに由って、あの様に数次の革命を重ねねばならなかったが、革命思想――革命思想の起る源は何としても日本の勃興に在る。他日日本の如く大革新を成し遂げて、現今の国際競争に堪うるだけの国家を組織し、十分なる政治の能力を発揮し、社会の秩序を正し、人民の幸福を増進すると共に<ruby><rb>賄賂</rb><rt>わいろ</rt></ruby>公行、盗賊<ruby><rb>跋扈</rb><rt>ばっこ</rt></ruby>というが如き悪俗から脱却することが出来れば、<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>で初めて国運を復活せしむることが出来るであろう。

しかし、こはなかなか困難だ。なかなか容易ならぬ業である。それは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる理由に<ruby><rb>因</rb><rt>よ</rt></ruby>るかといえば、今日支那の四境を圧迫する文明は、従来の歴史にあるが如き低度の文明とは異って、更に高度なる文明である。支那がそのために覚醒して十分なる発達を遂げ、強固なる国家となって、この高度の文明の圧迫を防ごうとするも、それは<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>一朝一夕の事業ではない。それのみならず、支那が改革を断行しつつある間には、いかなる故障が起らぬとも限らぬ。始終支那よりも高度なる文明を有する列国の圧迫が絶えず来るであろう。それだけ支那の改革は猶予さるる訳だ。四境を圧迫する高度の文明国はそれぞれ利害関係を支那に対してもっている。<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>で勢い衝突が起る。利害の衝突が起る。幸い今は列国が欧州の広野に<ruby><rb>鎬</rb><rt>しのぎ</rt></ruby>を削っている。支那が十分に覚醒して、十分に信頼し、国家的基礎を固むるには絶好の機会である。支那が日本に<ruby><rb>驥足</rb><rt>きそく</rt></ruby>を<ruby><rb>展</rb><rt>の</rt></ruby>ばすのは、今日を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いて他にない。千載一遇である。

## 共和政治の美名

支那は第一次、二次、三次と回を重ねて、ついにその目的とするところの共和政治という外形上の希望を成就することが出来た。けれども、本質的にその目的は成就されているか、<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ<ruby><rb>怪</rb><rt>あや</rt></ruby>しい。従来大民族を擁する大国で、これが成功したことはない。共和政治そのものは、よほど文明の程度の高いものでなければ<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>行わるるものではない。名は共和政治といっても<ruby><rb>畢竟</rb><rt>ひっきょう</rt></ruby>は小数者の政治だ。君主専制に反抗して共和政治となしても、君主専制が一転して小数者の圧制となるに<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>ならぬ。更にそれが再転すれば君主専制となるに過ぎぬ。仏国大革命の跡方を見ると、誰でもそうだと合点するだろう。革命時代の仏国文明は支那現在の文明よりも<ruby><rb>迥</rb><rt>はるか</rt></ruby>に進んでいた。その隣国の文明とはほとんど同一の高度をもっていたのであるが、それにしても仏国の大革命は結局失敗に帰して、いわゆる穏和派が急激派のために破れ、ジャコビン党の跋扈となり、恐怖時なるものが現出するに至った。さあそうなると、このたびは武力を有するものが一番<ruby><rb>躍出</rb><rt>おどりだ</rt></ruby>してこれを鎮定するということになって、<ruby><rb>奈破翁</rb><rt>ナポレオン</rt></ruby>がついに一手にこれを<ruby><rb>統</rb><rt>す</rt></ruby>ぶるということになったのである。仏国にして既に<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>りだ。<ruby><rb>況</rb><rt>いわ</rt></ruby>んやその文明の程度に於て遥かに低い四億万からの大民族を有する支那に於ては、これは到底不可能な事ではあるまいか。

<ruby><rb>殷</rb><rt>いん</rt></ruby><ruby><rb>鑑</rb><rt>かん</rt></ruby>遠からず、支那第一次の革命はその形式に於て共和政治を獲得することが出来た。満州朝廷は<ruby><rb>覆</rb><rt>くつが</rt></ruby>えされて、支那は中華民国という名を見るようになった。<ruby><rb>袁世凱</rb><rt>えんせいがい</rt></ruby>は選ばれて大総統となり、支那は一時は大いに覚醒したように見えたけれども、次いで第二の革命が起った。南北権を争うの結果、第一次の革命に<ruby><rb>与</rb><rt>あずか</rt></ruby>った有志は皆国外に放逐されるやら暗殺されるやら、やがては袁が<ruby><rb>奈破翁</rb><rt>ナポレオン</rt></ruby>やシイザルの故智に倣って自ら帝位に<ruby><rb>即</rb><rt>つ</rt></ruby>こうなどという大それた妄想を抱いたりなどして、第二の革命が勃発する。次いで第三次の革命が起ったが、これは袁総統の薨去によりて、それから列国が互いに大戦争の渦中に在るが故に、比較的順当に決行する事が出来た。

## 南北の感情的衝突

その結果はどうであるかというに、やはり南北両人種の感情の衝突は容易に解けない。彼等は互いに勢力を<ruby><rb>扶植</rb><rt>ふしょく</rt></ruby>しようとして、党を造り派を立て、相対峙して下がらぬ。彼等が第一次革命の<ruby><rb>旗幟</rb><rt>きし</rt></ruby>とした憲法の制定、国民議会の召集にすら、各自に異を<ruby><rb>樹</rb><rt>た</rt></ruby>てて<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>定まるとも果しが着かない。幸いにして列国は戦争に忙しく、日本は彼等の健全なる発展を<ruby><rb>冀</rb><rt>こいねが</rt></ruby>うが故に彼等の内政に干与する事を好まず、永い目でこれを看ている。けれどもこれが果して<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>まで続くことであろうか。これが更に永く続くとすれば、列国講を収めて<ruby><rb>捲土重来</rb><rt>けんどちょうらい</rt></ruby>、周囲の高度の文明の圧迫は<ruby><rb>弥</rb><rt>いや</rt></ruby>が<ruby><rb>上</rb><rt>うえ</rt></ruby>に力を増して来るであろう。あるいは支那の独立は望んで<ruby><rb>得</rb><rt>う</rt></ruby>べからず、ついに不幸なる最後を見ぬとも限らない。上下四千年の歴史を有する大国家もここに滅亡するかも知れぬ。従来、満州なり蒙古なりから入って帝位を継承したとは異った有様を現出して、その国土は地理的には残っても、民として滅ぶる。これでこそ真の亡国の民となるのだ。ここに於て世界の比類のない歴史を有する偉大なる支那は、今や危急存亡の<ruby><rb>秋</rb><rt>とき</rt></ruby>に際会しているんである。これ我輩が年来の友人として一意専心、支那の国情民俗を研究すること十数年、支那上下の有志者に注意して<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>かざりしゆえんである。

## 日支親善の切要

我輩は隣邦国民の<ruby><rb>友誼</rb><rt>ゆうぎ</rt></ruby>として従来数々支那人に警告した、注意した。およそ国家の滅亡は他動的に非ずして、自動的なものである。亡ぼさるるというは当らず、亡びるのである。<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>の亡びたのは北方蛮族が亡ぼしたというが決して然らず、もう<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>は腐敗していた。そこで<ruby><rb>北狄</rb><rt>ほくてき</rt></ruby>が侵入したまでである。物まず腐って虫これに生ず。これは亡ぼさるるに非ずして亡びるのである。支那人たるもの宜しくこれに注意しなければならぬ。それから、支那と日本とは同種同文の国である。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して支那そのものを<ruby><rb>回瀾既倒</rb><rt>かいらんきとう</rt></ruby>の苦境より救うものは、我が日本である。支那を開発し誘導するものは、我が日本を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いて他にない。支那の復活蘇生の大任に当るものとしては、異人種ではいかぬという趣意を反覆しておかねばならぬ。その一例としては朝鮮を挙げる。朝鮮を誘導して真に国家的独立を維持せしむるものは日本であった。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らば朝鮮たるもの、宜しく我が日本に信頼するがいい。ところが<ruby><rb>素々</rb><rt>もともと</rt></ruby><ruby><rb>事大</rb><rt>じだい</rt></ruby>思想に<ruby><rb>囚</rb><rt>とら</rt></ruby>えられていた朝鮮は<ruby><rb>左顧右眄</rb><rt>さこうべん</rt></ruby>、容易に日本に信頼するの態度を示さざる結果、ついにあんな仕末になってしもうたのである。この一片の友誼を無視して誤てる思想の捕虜となった結果は、近く朝鮮にある。

<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに支那にしてもし今の状態を永く続けるならば、その間には<ruby><rb>虎視眈々</rb><rt>こしたんたん</rt></ruby>として、野心を<ruby><rb>蔵</rb><rt>ぞう</rt></ruby>し功名心を有する列強が、その機に乗じて種々なる暗中飛躍を試みることになるかも知れぬ。そこで勢い他の力に頼って一日の安きを<ruby><rb>偸</rb><rt>たの</rt></ruby>むようになる。その結果は亡国。朝鮮はこれをやって、とうとうああいう末路を見た。しかしこれを以て<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに侵略的の意味に誤解されては甚だ困る。真に友誼をもっているからこそ、かくの如く忠告するのである。これは友人に非ざれば、到底出来ぬ忠告である。<ruby><rb>諫言</rb><rt>かんげん</rt></ruby>は耳を<ruby><rb>逆</rb><rt>さか</rt></ruby>らう。しかも支那はこのことを<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く自覚せよと、こういう意である。世界の歴史にも<ruby><rb>往々</rb><rt>おうおう</rt></ruby>見ることだが、他の力を当てにして一日の<ruby><rb>偸安</rb><rt>とうあん</rt></ruby>を計るということが一番<ruby><rb>畏</rb><rt>おそ</rt></ruby>るべしだ。これは支那の歴史にはいくつもその例がある。他者に頼って一日の安きを<ruby><rb>偸</rb><rt>ぬす</rt></ruby>んで、ついに国家百年の災いを<ruby><rb>貽</rb><rt>のこ</rt></ruby>すに至る。我輩はそれを畏れるのである。今の中に南北人種の争いより超越して、国体及び政権を整理し、国運を挽回して更に強固なる国家となることを我輩は衷心より希望する。