## 平和の曙光

元来、平和は弱いものであるから、強い者が出てこれを破ろうと思えば容易に破り得らるるものである。故にあくまで平和主義を持して国際競争<ruby><rb>場裡</rb><rt>じょうり</rt></ruby>に立ち、優勝を制せんことは、過去は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、現時に於てもほとんど絶対に不可能のことである。<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる場合にありても戦争をせないということは、即ち<ruby><rb>敵手国</rb><rt>あいてこく</rt></ruby>に屈従をあえてするという意味である。かの<ruby><rb>宋</rb><rt>そう</rt></ruby>朝が絶対平和主義を持して北方の強たる<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>及び<ruby><rb>元</rb><rt>げん</rt></ruby>に苦しめられ、<ruby><rb>胡澹庵</rb><rt>こたんあん</rt></ruby>をして<ruby><rb>慷慨</rb><rt>こうがい</rt></ruby>のあまり、<ruby><rb>秦檜</rb><rt>しんかい</rt></ruby>、<ruby><rb>王倫</rb><rt>おうりん</rt></ruby>斬るべしと絶叫せしめた上奏文を見ても、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に絶対平和主義を持する国家の<ruby><rb>憫</rb><rt>あわ</rt></ruby>れむべきものであるかが分かる。古今東西の歴史の示すところ、絶対平和を持する国が他の強国と<ruby><rb>対峙</rb><rt>たいじ</rt></ruby>して優勝を制した例はない。故に一国といえども強兵を<ruby><rb>挟</rb><rt>さしはさ</rt></ruby>んで他を侵略せんとするの意図を有する間は、世界的の平和を期することは不可能である。さらば世界的の平和は<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>望むべからざるかというに、決してそうではない。平和の<ruby><rb>曙光</rb><rt>しょこう</rt></ruby>は今日既に見えて来たのである。

<ruby><rb>過般</rb><rt>かはん</rt></ruby>来朝したジョルダン博士は、昔は農民の上に貴族が<ruby><rb>跨</rb><rt>またが</rt></ruby>ってこれに<ruby><rb>鞭</rb><rt>むちう</rt></ruby>ち、今は農民の上に兵士が跨り、兵士の上に更に資本家が跨ってこれに鞭っておるという<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>のある雑誌に出たポンチ絵の話をして、今や世界の実権が国家を去って金力――資本家――に移りしことをいい、現下各国が重大なる軍事費を負担せるものは、皆これら資本家が政府に強いて軍備を競争的に拡張せしめ、以て自己の利を図るの結果であると喝破したが、これは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にもその通りである。近世に於ける欧州の戦費の五百億は皆<ruby><rb>猶太</rb><rt>ユダヤ</rt></ruby>人のポッケットより出たものである。かの世界第一の富豪ロスチャイルド家の如きも、各国の政府に金を貸し付けて戦わしめ、また軍備を拡張せしめ、これによって得たところの収益で現時の富をなすに至ったものである。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して今や資本家の勢力は政府を左右し、平和の継続、戦争の開始、軍備の拡張、軍事費の増加をその意思のままにすることが出来る。政府はただ資本家の欲するがままに動く。こういう傾向は、確かに近代になって著しく見えて来たようである。この際独り憐れむべきは、資本家の懐を肥やすがために、政府より<ruby><rb>膏血</rb><rt>こうけつ</rt></ruby>を絞り取らるる各国の人民である。およそ国民の負担力には限りのあるものであるが、今日は各国共、過大なる軍事費のために、ほとんどその負担力のマキシマムを超えんとするの状態にある。別言すれば軍備競争のために、現時の各国民の生活はほとんどミニマムにまで低下したという憐れむべき状態である。従ってもはやこの上軍事費を加えんことは各国共にほとんど<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>え<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>わざるところであるから、軍備競争も自ずから行き止まりとなるの時期は近づいたと思う。ことにある強国と強国との間に戦端を開くが如きことは、今後に於てはほとんどあり<ruby><rb>得</rb><rt>う</rt></ruby>べからざることだと思う。

## 戦争不可能なる理由

今や国際貿易は進歩し、経済上に於てはほとんど国境を認めざるまでになっておる。これを政治上より見れば各国共に領域が<ruby><rb>厳</rb><rt>げん</rt></ruby>に区画せられてあることは言うまでもないが、貿易上の見地に立って観察すれば、各国相互に<ruby><rb>有無</rb><rt>うむ</rt></ruby><ruby><rb>相通</rb><rt>あいつう</rt></ruby>じ、<ruby><rb>長短</rb><rt>ちょうたん</rt></ruby><ruby><rb>相補</rb><rt>あいおぎな</rt></ruby>うことをあたかも全世界一国家の如きものがある。故にもしその一地方に於て経済上の変調を来さば、世界全体またこれが影響を<ruby><rb>被</rb><rt>こうむ</rt></ruby>るのである。かくの如く経済関係の複雑密接せる今日に於て、この経済関係を破壊し、各国民に共通の大損害を与えるところの戦争――ことに強国と強国との戦争――が容易に行われるものではない。昔と今とは時代が違うことを考えなければならぬ。昔はある一国と他の一国と戦争をしても、損害を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>るものは、単に交戦国のみに止まり、たとい第三国に影響を及ぼすことあるも、そは比較的軽微のものたるに過ぎなかったが、今や戦争に依って蒙るところの損害は、ただに交戦国のみに止まらず、これを経済上密接の関係ある我が国は、場合によっては交戦国に譲らざる大損害を蒙るのである。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して今日交戦国の蒙る経済上の損害は、経済の発達せるだけ、経済未発達の<ruby><rb>昔時</rb><rt>せきじ</rt></ruby>に比して、多大なることは言うまでもない。<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>に於てか、我輩は経済上の立脚地より観て、今後は国際戦争――少なくも強国対強国の戦争は――到底不可能であろうと思う。

次に我輩が戦争を不可能とする理由は、近世に於ける科学の発達に伴う兵器の進歩である。科学の<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>発達し、兵器の<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>進歩すると共に、その人命に及ぼすところの破壊力は非常なもので、ために今日の戦争は昔時に比して一層悲惨の状況を呈することとなった。<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かもかく殺人器の進歩しつつある一方に於て、人類の道義的観念は益々向上し、近時、ことに<ruby><rb>海牙</rb><rt>ハーグ</rt></ruby>に於ける国際平和会議開会以後は、<ruby><rb>種々</rb><rt>しゅじゅ</rt></ruby>の方法規約を設けて戦争の惨状を軽減せんと試みつつある。兵器の進歩と、戦争の惨状を軽減せんとする企てとは、明らかにこれ<ruby><rb>今代</rb><rt>きんだい</rt></ruby>に於ける国際関係中、一の大なる矛盾である。両者到底<ruby><rb>相容</rb><rt>あいい</rt></ruby>るべからざるものである。故に我輩は今後人道の観念益々向上するに従って、ついには惨烈なる戦争を避くるに至るべきはもはや疑いを容れないと思う。これは今から予言しておいても恐らく誤るが如きことはあるまいと信ずる。

なお兵器の進歩して益々精巧と強大を加うるに従って、これが製造に巨額の経費を要することは、経済上一層軍備競争を困難ならしむるの一因である。十五、六年前になっては戦艦一隻の建造費一千万円にて足りしもの、今日にありては二千四、五百万円<ruby><rb>乃至</rb><rt>ないし</rt></ruby>三千万円を要するの一事に徴するも、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に兵器の進歩が一国の財政上の負担を加え、従ってその経済界に損失を及ぼすの<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だしきかは自ずから明らかである。ことにかかる精巧にして強大なる兵器を以て演ぜられる戦争の<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に莫大の経費を要すべきものなるかは、想像するにあまりある。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して兵器の進歩は今日にあっても<ruby><rb>駸々</rb><rt>しんしん</rt></ruby>として底止するところを知らず、今後果して<ruby><rb>那辺</rb><rt>なへん</rt></ruby>にまで及ぶべきや、ほとんど予想すべからざるものがある。従ってこれが製造に要する経費も益々多きを加える。これもまた将来の軍備競争を緩和し、戦争を不可能ならしむべき一原因であろう。

要するに、近世に於ける科学の発達に伴う兵器の進歩と、国際貿易の発達に<ruby><rb>原</rb><rt>もと</rt></ruby>づく各国の経済関係の複雑密接とは、事実上戦争をして不可能ならしむるものである。既に事実上戦争が不可能であるとすれば、この不可能なる戦争の準備のために、各国民が莫大の負担を忍んで、なお軍備競争を継続せざるべからざるものなりや否や。思うに<ruby><rb>何人</rb><rt>なんぴと</rt></ruby>もかかる馬鹿馬鹿しきことに国力を消耗し、人民の膏血を絞ることの愚を笑わざるものはなかろう。これ<ruby><rb>輓近</rb><rt>ばんきん</rt></ruby>各国の識者間に世界平和論が盛んに唱えられ、<ruby><rb>漸次</rb><rt>ぜんじ</rt></ruby>勢力を得つつあるゆえんである。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>してまた我輩が世界平和の曙光を確認するゆえんである。

## 武装競争の先駆者

<ruby><rb>近世</rb><rt>きんじ</rt></ruby>に於ける武装競争の先駆者は<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>である。<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>がナポレオン戦争以後漸次勃興し、普墺、普仏の二大戦役を経て、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>欧州中原の覇者たる地位を占むるや、その一旦得たる地位を維持し、権威を失墜せざらんがためには、四隣の最大強敵に打勝つの勢力ある大陸軍を必要とした。即ちもし<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>にしてこの大陸軍を欠けば、一日も欧州中原の覇者たることは出来なかったのである。<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>にここまでは<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>といえども<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>人が侵略的の野心を以て軍備を拡張したものでないということを認めるが、<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かもこれが延びて欧州各国の陸軍拡張を促す基となり、今日<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>一兵を増せば、明日<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>二兵を増し、明後日<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>は更に三兵を増し、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>、<ruby><rb>墺地利</rb><rt>オーストリア</rt></ruby>等もまた<ruby><rb>各々</rb><rt>おのおの</rt></ruby>これに応じて増すという風に競争して、ついに欧州大陸の列強をして今日の如き大陸軍を用意せしむるに至ったのである。<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>が欧州列強の陸軍競争の先駆者たることかくの如くである上に、近年に至っては更に海軍競争の先駆者たるに至った。即ち<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>の現皇帝ウィルヘルム二世陛下は、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>人は世界的に発達するを要すとなし、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して世界的に発達するがためには、まず海洋を征服して殖民地を略取し、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>国旗の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>人の勢力伸張を図らざるべからずとし、今や英国の海軍と拮抗するの大海軍を建設せんがためにこれ日も足らざるの有様である。カイゼルの意気込の<ruby><rb>壮</rb><rt>さか</rt></ruby>んなることは実に非常なもので、<ruby><rb>過般</rb><rt>かはん</rt></ruby>ハンブルグに於てなせる演説の一節にも、驚く<ruby><rb>勿</rb><rt>なか</rt></ruby>れ、我が幼稚なる祖国の貿易が盛況を呈し来って、世界のある国々に花を咲かせたるを。<ruby><rb>朕</rb><rt>ちん</rt></ruby>は<ruby><rb>惟</rb><rt>おも</rt></ruby>う、競争は商業上にも必要なることを。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>り、競争は国家にも国民にも必要にして、互いに相促進して新勢力を与うるものなり。例えば競馬に於ても第一の騎者がすでに勝利を得べく自らも信じ見物人も思う時、左右より<ruby><rb>驀地</rb><rt>まっしぐら</rt></ruby>に追い付き来って三人競争となり、火花を散らして駆け来る<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>、一人が鞭を挙げて打ちたりとせよ。そは<ruby><rb>対手</rb><rt>あいて</rt></ruby>の馬を打ちたるに非ず、己が馬に鞭ちて促進せるなり。かくの如く国民間にも<ruby><rb>鞭韃</rb><rt>べんたつ</rt></ruby>の必要あり。吾人の海軍は将来<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>強からしむべし。太陽の下に於ける吾人現在の地位は<ruby><rb>何人</rb><rt>なんぴと</rt></ruby>にも動かされざるべし。将来とても海軍の勢力の強大を要す<ruby><rb>云々</rb><rt>うんぬん</rt></ruby>と述べられたるに依って見れば、<ruby><rb>蓋</rb><rt>けだ</rt></ruby>し思い<ruby><rb>半</rb><rt>なか</rt></ruby>ばに過ぐるものがあろう。かくの如くカイゼルは絶えず<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>の将来は海上にありの壮語を以て国民を鞭韃し、兵商併進、堂々として侵略的の態度に<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>で、列強、ことに世界の海上王たる英国を威嚇しつつある。

英国は<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>の大海軍建設の結果、これに応ずる必要上、これを約するに倍するの戦艦を建造し、以て海上に於て従来占め得たる優越の地歩を失わざらんと努めつつある。英独の海軍競争既にかくの如くであるから、他の列強もこれと均衡を維持するために、各々海軍の勢力増大に熱衷し、今や列強共、海軍力の競争に<ruby><rb>汲々</rb><rt>きゅうきゅう</rt></ruby>としておるという有様である。

## 日本の勃興及び対外関係

列強の軍備拡張の先客をなせるものは前述の如く<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>であるが、列強をして更に戒心を加えしめたのは、――その影響は小さいながらも――我が日本の勃興である。日本は開国以来<ruby><rb>僅々</rb><rt>きんきん</rt></ruby>四十年にして清国を破り、更に十年にして<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>を破り、ついに東洋の覇者たるに至った。世界の近世史に於てもかくの如きことはほとんど他に類例がないので、列国は皆驚愕と<ruby><rb>猜疑</rb><rt>さいぎ</rt></ruby>の眼を以て我が日本を見、日露戦争以後はことに大なる戒心を以て我に対するに至った。なかんずく太平洋の彼岸なる北米合衆国は、我が国の勃興に最も驚愕し、猜疑し、戒心せる国で、近時その太平洋岸の防備をしきりに<ruby><rb>喧</rb><rt>やか</rt></ruby>ましく騒ぎ立てるのは、実にこれがためである。近時の米国の海軍拡張は、確かに我が国の勃興がその一原因であるに違いない。

しかし<ruby><rb>倩々</rb><rt>つらつら</rt></ruby>思うに、日米の関係は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にするも衝突すべきいわれがない。我が日本は<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby>米国を攻撃する考えも何もない。また米国といえども、恐らく我が国を攻撃する意思はあるまい。その海軍拡張は日米戦争を<ruby><rb>囮</rb><rt>おとり</rt></ruby>に、資本家――造船業者――が儲けるための仕事たるに過ぎぬ。例の日米戦争論の張本者ホブソン大佐の如きは、全国を遊説して日米戦争の避くべからざること、従ってこのために米国が大海軍を建設するの必要なることを説いて廻ったが、その旅費は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>から出たか。聞くところによれば、造船業者との関係が随分怪しいと伝えられておる。我が早稲田大学の野球団が過般渡米したとき、このホブソン大佐に日米戦争論に関する討論を求め、ついに大佐をして<ruby><rb>兜</rb><rt>かぶと</rt></ruby>を脱がさしめたとの事である。かくの如く米国に於ける日米戦争論者の張本人と認めらるる人といえども、衷心日米戦争が起り得るものとは予期していないのである。これに依ってこれを観るに、米国の海軍拡張なるものは、単に造船業者が儲けるためのものであることは明白である。既に<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>る以上、日本もまた、米国に備えるために、<ruby><rb>遽</rb><rt>あわ</rt></ruby>てて海軍を拡張するほどの必要もないであろう。ただその勢力の充実を図りて、戦闘に堪うる艦隊を造ればそれで<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しいであろう。即ち<ruby><rb>噸</rb><rt>トン</rt></ruby>数の増加よりもむしろ内容を精良にすることに努むべきものであろう。

また世には<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の復讐戦に備えるがために、我が国は大陸軍を備えなければならぬという論者もあるが、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の政治家とても、そう冒険的の蛮勇家ばかりではないから、勝算のなき戦いを仕掛ける<ruby><rb>虞</rb><rt>おそれ</rt></ruby>はない。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が果して日本に対して復讐戦を開始して勝ちを制せんと欲せば、日本の海軍を圧倒するだけの精鋭なる大海軍を必要とするが、これがなかなか<ruby><rb>短日月</rb><rt>たんじつげつ</rt></ruby>に出来るものではないから、まだまだ今十年や二十年は、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が我が国に対して復讐戦を試むるなどいうことは、あり得べきはずがない。ことに<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は日露戦争に於て受けたる<ruby><rb>創痍</rb><rt>そうい</rt></ruby>のために、<ruby><rb>墺地利</rb><rt>オーストリア</rt></ruby>がボスニャ・ヘルチェゴビナを併合せるとき、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>に威嚇せられて、力及ばずそのまま泣き寝入りになった苦い経験を<ruby><rb>嘗</rb><rt>な</rt></ruby>めたことであるから、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>勝算疑い無しという時でなければ、我が国に戦いを挑まざるべきは分かり切ったことである。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の恐るるところはむしろ我が国が再び戦争を開始することである。彼より戦いを挑むことは断じてない。

あるいはまた清国の陸軍に対するために大陸軍の必要ありとするものあるも、それまた不通の論であることは、今回の革命戦これを証してあまりある。たとい清国にして<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に大兵を養うも、これを働かすだけの国力――財力――のないことは、明白なる事実であるから<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>も恐るるに足らぬ。

既に<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が復讐戦をしかける<ruby><rb>虞</rb><rt>おそれ</rt></ruby>もなく、清国の陸軍また恐るるに足らずとすれば、我が国が十九個師団、戦時兵員二百万に近き大陸軍を擁している必要は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>にあるか。この大陸軍――露清を脅威するより<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>必要なき大陸軍――を有していることは<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って列国、ことに露清をして我が国を猜疑せしむるの種となり、外交上<ruby><rb>尠</rb><rt>すく</rt></ruby>なからぬ妨げをなすものである。即ち国交の妨げとはなるも、益をなさぬものである。

あるいはまた陸軍側の論者は清国の大動乱の時、列国と<ruby><rb>対峙</rb><rt>たいじ</rt></ruby>して勢力を張るがため、我は満州<ruby><rb>直隷</rb><rt>ちょくれい</rt></ruby>、<ruby><rb>福建</rb><rt>ふっけん</rt></ruby>等に大兵を駐屯せしむる必要があるというそうであるが、そんなことをしては大変である。列国をして清国に大兵を派遣し、各々その勢力範囲を占領するが如きこと、即ち支那分割のこと無からしめんがために、日英同盟なるものがあるのである。もし列国中清国に対して異図を抱くの輩あらば、<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しく日英同盟の力を以てこれを抑制すべきである。支那分割というが如き行為をなすものは実に人道の敵であるから、天地の公道に基づいてこれを抑制せなければならぬ。これは<ruby><rb>名</rb><rt>めい</rt></ruby>の正しいことであるから、恐らく米国も来って、日英両国に加担するであろうと思う。

要するに、我が国目下の兵力は東洋に重きをなすには十分である。あるいはむしろ多きに過ぐるであろう。あえてこれを増さなければならぬ必要はないと思う。しかし他日形勢が一変すれば、これに応じて兵力を増減せざるべからざるは無論である。ただ今日のところはその必要がないと思う。

## 各国民の覚醒を待つ

今や世界の平和曙光の<ruby><rb>仄見</rb><rt>ほのみ</rt></ruby>えつつあることは前述の如くである。しかしながら一国といえども侵略的の企図を有する国家ある以上は、列国の軍備を制限せんとすることは実際不可能である。もし<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>が方針を一変して平和的となれば、世界平和は<ruby><rb>百尺竿頭</rb><rt>ひゃくしゃくかんとう</rt></ruby>更に一歩を進めるであろう。あるいはまた我が日本が名実共に世界的の大国の列に入っておるならば、日英両国連合して軍備制限の提議をなし、たとい<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに実行は出来ざるまでも、列国をして<ruby><rb>真率</rb><rt>しんりつ</rt></ruby>に反省せしめる効果があるであろう。悲しい<ruby><rb>哉</rb><rt>かな</rt></ruby>、日本は未だ世界に於てそれだけの地歩を占めていない。故に目下のところは平和の曙光を認めつつも、列強の兵力に応じて我もまた兵力を増減するの<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>はない。即ち我が国はここ当分の間は世界の風潮を指導するの力なきが故に、世界の風潮に伴うて進むの外はないのである。

しかし世界の風潮が漸次平和主義に傾きつつあることは事実である。実際、軍事費の負担は既にマキシマムに達し、人民の生活はミニマムまで<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>っておるのであるから、この上はもはや軍備競争の余地がない。もしこの上軍事費の負担を加えば、各国民共に一面に於ては<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>平和の継続、戦争の絶滅を希求すると共に、社会主義的運動は一層激烈の度を加え来り、到底抑制すべからざるに至るであろう。各国の為政家も、人民も、今や<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く覚醒せんとしつつある。思うに軍備制限を実現し得るの時期も決して遠くはないであろう。ただカイゼルの在る間はこれを実行することは少しく困難であるかも知れないが、侵略的の行動を<ruby><rb>執</rb><rt>と</rt></ruby>るはカイゼルの一種の道楽で、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>国民中には、むしろこれを喜ばないものが多いから、早晩我々の希望が実現せられて世界の平和を維持し、兵力を用いずして正義の力のみを以て国際間の紛議を決定するの時期が来ると思う。我々は<ruby><rb>須</rb><rt>すべか</rt></ruby>らくこの希望を抱いて、<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>まず<ruby><rb>撓</rb><rt>たゆ</rt></ruby>まず<ruby><rb>奮励努力</rb><rt>ふんれいどりょく</rt></ruby>すべきである。