## 平和論の起るや久し

我が国で平和論の唱道されるは、近頃の事ながら、<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>では早くより<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教徒の間にその議論が起っておった。十七世紀の頃、既に仲裁裁判に関する思想が発生したのである。かの国際法学者の元祖と言われるグローチュースの如きは、千六百二十五年に公刊された著名なる和戦法規という書の中に、既に戦争の惨害を指摘し、<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教国間に於ける争議はすべてこれを<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教国の会議に訴え出て、それに利害関係を有せざる<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教国の代表者をして裁判させ、以て戦争を根絶せんことを主張している。その後、この思想は次第に蔓延して、かのベンザムや、ミルや、カントや、フィヒテや、シェリングという如き哲学等も盛んに平和論を説き、<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>に於ける文明国は仲裁裁判の方法によって平和的に国際問題を解決すべきことを論じた様である。かくして、この種の思想は次第に一般的となり、ついにこれを実際に行わんとする運動が起って来た。

かの英米両国政府の間に於て約十年の大懸案であったアラバマ事件が、ゼネバの仲裁裁判所で平和的に解決された如きはその顕著なる実例である。かくの如き永年の懸案が仲裁裁判に依って平和に落着したという事実は、戦争の原因をある程度まで仲裁裁判を以て解決し得るものたることの信念を大いに強めたのである。

## 二回の万国平和会議

ここに於て、ついに千八百九十二年に、露国の外務大臣ムラヴィウフ伯は露国皇帝の命令によって万国平和会議を召集するに至ったのである。この第一回万国平和会議は千八百九十九年五月十八日から<ruby><rb>和蘭</rb><rt>オランダ</rt></ruby>の首都<ruby><rb>海牙</rb><rt>ハーグ</rt></ruby>に開かれ、日本、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>、北米合衆国、<ruby><rb>墺太利匈牙利</rb><rt>オーストリアハンガリー</rt></ruby>、<ruby><rb>白耳義</rb><rt>ベルギー</rt></ruby>、清国、<ruby><rb>丁抹</rb><rt>デンマーク</rt></ruby>、<ruby><rb>西班牙</rb><rt>スペイン</rt></ruby>、<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>、<ruby><rb>希臘</rb><rt>ギリシャ</rt></ruby>、<ruby><rb>伊太利</rb><rt>イタリア</rt></ruby>、ルクセンブルグ、<ruby><rb>墨西其</rb><rt>メキシコ</rt></ruby>、モンテネグロ、<ruby><rb>和蘭</rb><rt>オランダ</rt></ruby>、<ruby><rb>波斯</rb><rt>ペルシャ</rt></ruby>、<ruby><rb>葡萄牙</rb><rt>ポルトガル</rt></ruby>、<ruby><rb>羅馬尼亜</rb><rt>ルーマニア</rt></ruby>、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>、<ruby><rb>塞耳比亜</rb><rt>セルビア</rt></ruby>、<ruby><rb>暹羅</rb><rt>シャム</rt></ruby>、<ruby><rb>瑞典</rb><rt>スウェーデン</rt></ruby>、<ruby><rb>那威</rb><rt>ノルウェー</rt></ruby>、<ruby><rb>瑞西</rb><rt>スイス</rt></ruby>、<ruby><rb>土耳其</rb><rt>トルコ</rt></ruby>、<ruby><rb>勃牙利</rb><rt>ブルガリア</rt></ruby>の二十六ヵ国の全権大使が会合して、国際的争議を解決するに、出来るだけ<ruby><rb>居中</rb><rt>きょちゅう</rt></ruby>調停、仲裁裁判の如き平和的方法に依らむことを決議し、そして永久仲裁裁判所を<ruby><rb>海牙</rb><rt>ハーグ</rt></ruby>に設置する事となったが、ただ<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>の故障あったがために国際争議を義務的に仲裁裁判に付する事の成立しなかったのみならず、また軍備縮小に関することにもなんらの決議を為すを得ずして終った。

次いで千九百七年に至り、第二回平和会議の召集があったが、このたびは前回に比し、全権大使を参列させた列国も<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ多く、その数も四十三ヵ国に達したのみならず、第一回平和会議の条約に対して多数の条項を増加し、また修正を施して、ある種類の争議はこれを義務的に仲裁裁判に付する様にした。

## この惨害を如何せん乎

かくの如く国家間に於ける平和運動も、次第に発達したのみならず、一面、千八百八十八年には初めて万国議員会議が開かれ、同じく国際的平和を進むる事を希望したのみならず、協会の如きものが世界の至る処に設立された。かくの如く平和運動も驚くべき勢いを以て進んだのは、いずれも戦争の惨害を避けんとする精神に出たものに相違ない。現に露国皇帝が第一回平和会議を召集されたのは、かの有名なる平和論者ジャン・ド・ブロッホの著作に<ruby><rb>因</rb><rt>よ</rt></ruby>る事多いという事である。ジャン・ド・ブロッホは露国の銀行家にしてまた経済学者であるが、彼は戦争のために露国の消費する財貨の莫大なる事と、戦争のために生ずる惨害の非常である事とを見て、かくの如く戦争のために莫大なる費用を要し、また近世科学の発明に基づき、戦争に於ける破壊力の強大となった以上は、ついに戦争が不可能とならなければならぬという事を考え、将来の戦争と称する全部六巻の大著を<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>し、これを全世界に発表したのであった。

露国皇帝が果してこの著作に基づいて平和会議を召集されるに至ったか否かは疑問であるが、とにかく、戦争が次第に多大の犠牲を要求するに至った事は疑うべからざる事実である。第一に、武器に於てもその破壊力の強大なる事は<ruby><rb>昔日</rb><rt>せきじつ</rt></ruby>の比で無い。昔ウェリントン公は水雷艇の発明された事を聴き、もはや戦争は不可能であろうと言ったそうだけれど、今日は水雷艇のみでなく、潜航艇も出来た上に、陸上には精鋭なる機関砲が用いられ、空中には飛行機、飛行船の如きを使用し、<ruby><rb>而</rb><rt>し</rt></ruby>かもそれを連絡するに無線電信がある。その破壊力の強大なる事はとてもウェリントン時代に比ぶべくも無い。第二に、経済上の犠牲とても莫大なるものである。今日は国際経済が発達し、甲の国は乙の国に製造品を販売し、乙の国は丙の国に原料を供給し、貿易上の関係の密接なるのみならず、国際信用制度の如きも、一国が打撃を受ければその影響が全世界に及ぶというほど、微妙なる関係を有するに至ったのである。故に、数年前英国のノルマン・エンゼルなる人は、国際経済の関係上より戦争は不可能なりという議論を発表したほどである。第三に、一国の財政上に於ける打撃に至っても<ruby><rb>怖</rb><rt>おそ</rt></ruby>るべきである。今日の鋼鉄艦一隻を建造するにも、約三千万円を要する上に、一発の大砲を放つにも数百円を消費する。従って、平生より軍備を維持する事がすでに多大の負担を意味するのみならず、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>戦争と為ればその費用はこれに数十倍、もしくは数百倍するのである。これらの戦争に於ても各国は単に予後備軍のみならず、若きは十五、六歳より、老いたるは六十歳前後に至るまで、すべて徴発するに至ったにより、戦場に於ける兵士の数は千五百万<ruby><rb>乃至</rb><rt>ないし</rt></ruby>二千万に達し、一日に一億万円前後の費用を要するのである。かくの如く戦争の弊害は著しく莫大なるものとなったから、平和運動の如きもまた盛んなる勢いを以て、これを予防するがために起ったのである。

## 民族的国家の勃興と今回の大乱

世界の人類がかく戦争の弊害を自覚し、平和運動に熱心しおる如きに<ruby><rb>拘</rb><rt>かか</rt></ruby>わらず、何故今度の如き世界の大乱が起ったか。その原因を仔細に分類して話さば色々の説明も為し得ようけれども、その<ruby><rb>重</rb><rt>おも</rt></ruby>なるものは民族的国家の勃興に伴う自然の結果である。十五、六世紀の<ruby><rb>交</rb><rt>こう</rt></ruby>、かの封建的国家が顛覆して近世的国家の起って以来、次第に同一なる民族は同一なる国家の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に集るという傾向を生じ、それが十九世紀に至って著しく盛んとなった。かの<ruby><rb>伊太利</rb><rt>イタリア</rt></ruby>統一の如き、また<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>連邦成立の如き、もしくは<ruby><rb>匈牙利</rb><rt>ハンガリー</rt></ruby>の独立運動の如き、すべてそれである。かくの如くして成立したるものを名づけて民族的国家という。

<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに、この民族的国家が次第に発達し、国内に於ける財力及び武力の充実すると共に、これらの民族的国家は更に新たなる土地を獲、<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>にその民族の余力を発展させ、次第に自己の民族に特有なる文明を四方に<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>かむとする運動が起って来た。即ちこれがいわゆる帝国主義なるものであって、十九世紀末より全世界に<ruby><rb>亙</rb><rt>わた</rt></ruby>り、植民地獲得の運動の旺盛を極めたのはこの結果に<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>ならぬ。ここに於て、各民族的国家の間に種々なる利害関係の衝突を惹起し、スラヴ民族の発展せんとする<ruby><rb>巴爾幹</rb><rt>バルカン</rt></ruby>半島にゲルマン民族もまた発展せんとする。アングロサクソン民族の発展せんとする<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>にもゲルマン民族が発展せんとする。ここに当然種々の衝突を惹起した。かのパンジャーマニズムとか、パンスラヴィズムとか、グレーターブリタニズムとか、パンアメリカニズムとかいうの<ruby><rb>類</rb><rt>たぐい</rt></ruby>は、すべてこの民族的国家が帝国主義を行わんとする思想を説明したるものに外ならぬ。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して、この利害関係の衝突したる勢い余って、ついに今度の如き世界の大乱を惹起したものであるから、この民族的国家が膨脹的運動を<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>めざる限り、平和運動の奏効は困難だと思う。この民族的国家の膨脹が<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に強烈なるかは、このたびの戦争で明白である。交戦諸強は互いに利害の打算を外にして<ruby><rb>蹶起</rb><rt>けっき</rt></ruby>したのであるが、なかんずく、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>の如きはルクセンブルグの中立を無視し、ベルギーの中立を無視し、非戦闘員を殺戮し、武装せざる都会を<ruby><rb>焚</rb><rt>や</rt></ruby>き、ほとんど発狂せるかと思われるほどに露骨に獣的精神を発揮しつつある。

## 平和主義か帝国主義か

かくの如く民族的国家の互いに膨脹せんとするの極は、全人類の大不幸を意味するのみならず、戦争そのものは少しも民族的国家のいずれをも利益せぬであろう。このたびの大乱は各民族的国家の膨脹的欲望より発したもので、各国は<ruby><rb>各々</rb><rt>おのおの</rt></ruby>自己を防衛すべく、敵国と認めるものに抵抗し得る程度に於て、軍備を拡張し、また同盟を造っている。ここに於て、昔日の戦争に於ける如き、一国が一国を全滅せしむる事は不可能である。このたびの戦争に於て、いずれの一国でも満足しおる程度までその<ruby><rb>対手</rb><rt>あいて</rt></ruby>を征服し得たものがあるか。各々手傷を負うて各々苦しみおるではないか。我輩はこのたびの戦争に於てこそ全人類が帝国主義の誤謬を発見するに至らぬかと思う。ここに於て、国内に於ける富の分配を公平にし、物質的及び精神的文明の充実を図るを名として起る国家社会主義の如きものが、勃然として頭を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げるのではないかと思う。それとも、あるいはこの戦争の結果、更に各民族間の反感が深刻となり、互いの復讐心や<ruby><rb>猜疑</rb><rt>さいぎ</rt></ruby>心が強烈となり、<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>軍備を拡張し、ついに行き倒れる処まで押し行くべきであろうか。即ち内部に向って社会改良を行う事を主とするか、あるいは外部に向って民族的発展を遂げんとして更に戦うか。約言すれば、平和主義か帝国主義かという問題の解決を為さざるべからざる時期に到達したのではないかと思う。

## まさにこれ全人類覚醒すべきの好機

ここに於てか、<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>はこの戦争の惨害を目撃し生ける教訓を有する全人類に向って、大仕掛なる平和運動を起すべき好機会に到達したと信じている。最近の報道に依れば、英仏露三国が協約を決定し、三国の同意するに非ずんば講和条約に調印せずという相談を為し、以て持久戦を為さんとする態度を示した様だが、この戦争にして長引けば長引くほど、戦争の弊害に要する生ける教訓が増加する事と思う。米国大統領は早くすでに仲裁の任に当るべき申出を為し、今また世界の平和のために祈祷せよという告文を全国に発し、米国議会に於ては戦争の終るを待ち、<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに第三回平和会議をワシントンに召集せんとする議論も有る様である。我輩は米人の平和に恋々たるを徳とし、相携えて一日も早く全世界をこの戦争の惨禍中より救い出し、人道の大義に則って全人類が精神的及び物質的文明の開発を共にするの日の速やかならん事を切望するものである。