Soranoha

馬鈴薯の花

ばれいしょのはな

亀井 勝一郎

北海道の花といえば、誰でもまず鈴蘭を思い出すだろう。私の小学生中学生時代には、湯ノ川のトラピスト女子修道院の、はるか前方の丘はすべて鈴蘭畑であった。自由にそこへ行って、好きなだけ摘んでこれたが、いまはどうなっているか知らない。消滅してしまったのではなかろうか。

しかし鈴蘭よりもっと私の好きな花は馬鈴薯の花である。函館の東部、湯ノ川から二十町ほど歩いてゆくと、そこにトラピスト女子修道院があるが、この付近はすべて馬鈴薯畑か、とうもろこしの畑である。北海道の馬鈴薯は有名だが、あの花を注意する人は少いようだ。薯の方だけ注意しているが、六月頃から、そろそろ可憐な花が咲きはじめる。白と紫がかったのと二種類あるが、決してはでな花ではない。厚ぼったい花びらで、それがやや外側をむいて、小さく、つつましく咲いているだけだ。平凡と言えば、こんな平凡な花はあるまい。しかし、よく見ていると、実に清楚だ。ういういしい百姓の娘の、耳朶みみたぶのような花だ。

修道院へ行く道の左右の、馬鈴薯畑の花のさかりの頃、私は馬鈴薯の花見と称してよく散歩した。この花の感じは、周囲の雰囲気にもよるだろう。東京の郊外でみてはそれほどではないかもしれない。修道院の赤煉瓦の塀とか、セイロのある牧場とか、高いポプラの並木を通して白い雲の流れてゆくその下に、この花をみたとき、はじめて感じが出てくるのかもしれない。

函館の郊外と言ってもいいが、そこに大沼公園がある。前(略)に述べた駒ヶ岳のふもとである。

しかし私は駒ヶ岳の裏側、つまり太平洋に面した裾野一帯が好きである。札幌から汽車で函館へ向うときここを通過するが、荒涼として淋しい風景、いや風景とも言いきれないほど荒けずりで、すさまじいすがたは見ものである。

駒ヶ岳は時々噴火するので、頂上はむろん、裾野全体にわたって樹木は非常に少い。

大沼公園の側からは殆んど気づかないが、太平洋岸を通るときは、そのふもとま近く通るのでわかるのだが、赤ちゃけた熔岩と砂岩の断崖が、大きく幅ひろくつづいている。奇怪な山容である。樹木が一本もない赤みがかった山頂ほど、薄気味わるいものはない。裾の方はゆるやかにのびているが、噴火による酷い傷痕のただなかを通っているような感じである。

ふもとから、太平洋岸の波うち際まで若干の樹木はあるが、それもなかば砂地に埋れた灌木にすぎない。砂漠のような地帯である。それでもどうやら開拓して、馬鈴薯やとうもろこしを植えているのが車窓からみえる。人家もわずかながら散在している。函館へ向う汽車の窓の右側には、駒ヶ岳のそそり立つ赤い肌の断崖がみえ、左側には無限にひろがった太平洋の怒濤が眺められる。

こういうところに住んでみたらどうだろうか。淋しさに堪えられるか。尤も汽車へ乗るとわずかの時間で函館へ行けるが、こうした土地で、きびしい冬を迎えたり、また星のない深い夜など、人々はどんな気持ちで生きているだろうか。住んでいる人は、それほど感じないかもしれないが、ふと通りすぎる私などには、きもをつぶすような、寂莫たる土地である。しかし私は心ひかれた。

美しい風景に対して、もし醜い風景があるとすれば、それは美しい風景を汚している風景であろう。観光地帯として、もてはやされるにつれて、美しい風景も醜く変貌するようである。ところでこの太平洋岸側の駒ヶ岳など、何と名づくべきだろうか。美しいと言うのではない。むろん観光客などひとりもなく、そういう汚れは全然ない。

つまり美しいというには、あまりにすさまじく、荒涼として、どぎもをぬくような面魂をもっているということだ。人間の眼で愛されるには、あまりに荒けずりで、大まかで原始的なのだ。そうだ、原始と呼ぶのが一番いい。風景以前の風景である。人間の眼で愛撫される以前の風景である。日本にはこうした場所が、他にもあるにちがいない。

或る年、汽車でここを通ったとき、小さな駅の傍の畑に、馬鈴薯の花を見つけたときは嬉しかった。堂々とそびえる駒ヶ岳の原始のすがたに対して、この花は凜乎として、清らかに小さな口をひらいて歌っているようであった。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆1 花」作品社
1983(昭和58)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「亀井勝一郎全集 第一四巻」講談社
1972(昭和47)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2017年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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亀井 勝一郎「馬鈴薯の花」(新字新仮名)、底本『日本の名随筆1 花』作品社、1983年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 058096_001870, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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