## 〔今日の世界と東アジア〕

諸君、近来支那朝鮮という問題がよほど世間の注意を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>くことになった。ことに満韓という問題は政治家、学者は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、事業家の間などにも、よほど注意せらるることになったのは<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ喜ぶべきことであります。我輩はほとんど十数年以来支那の問題を研究している。しかし今までは社会はあまりこれに耳を傾けなかった。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに近来は全社会を通じて、この問題によほど重きを置くということになったのは、諸君と共に最も喜ぶべき事である。<ruby><rb>抑々</rb><rt>そもそも</rt></ruby>この問題を解釈するために最も必要なる事件は、目下起っているところの我が国家の安危栄辱に関するこの戦争である。この戦争の結果がどうなるかということが先決問題である。もしこれが負ければ清韓どころではない。我が海岸線を守らなければならぬという事になる。これは実に容易ならぬ問題である。国民の頭上に臨んでいるところの最も大なる問題である。しかしこの戦争には必ず勝つと信じている。当局者も<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby>信じている。ことに軍隊は最も大なる自信力を以て戦いつつあるのである。日本の勇敢なる軍隊と、智勇兼備の将校の力に依って必ず勝つに違いない。しかしながら、戦争の勝利によりてすべての事は決せられぬのである。

今日の世界は決して日露で支配している訳ではない。日露以外、世界に強国、大国が存在しているということを忘れることはならぬ。今日世界に<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる大国があるか、如何なる強国があるかといえば、<ruby><rb>是非</rb><rt>ぜひ</rt></ruby>七つ八つ指を屈せねばならぬ。あたかも支那の春秋戦国の時代、戦国七雄というような有様である。<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>に於ては英、仏、独、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>、<ruby><rb>墺太利</rb><rt>オーストリア</rt></ruby>、<ruby><rb>伊太利</rb><rt>イタリア</rt></ruby>、この六大国がある。これに北米合衆国を加えて七大国である。戦国七雄に比しても、まさか現在戦国ではないが、ほとんど戦国の有様を現している。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して今まさに絶東の日本帝国がこの七大国に加わって、第八国にならんとする時であるから、このたびの戦いは日露のみで解釈は出来ない。世界の問題である。そこで私が今日議論をする問題は、まず「世界に於ける日本の地位」という演題にしても<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>いかと思う。しかしこれではあまり大き過ぎる。今少し縮めて「日本の大陸に於ける勢力」、大陸というても少し漠然としている。「<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に於ける勢力」としようかとも考えたが、<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>というてもあまり大き過ぎる。そこで私は「東<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に於ける日本の勢力」、こういう問題にした方が適当であろうと思う。

そこでこの世界の強国に、今や日本がその一とならんとしつつある、――まだなった訳ではない。自ら強国なりというても戦いに勝っただけで強国になるものではない。種々の強国が日本を強国なりと認識（レコグナイズ）して初めて強国となる。自分一人で<ruby><rb>豪</rb><rt>えら</rt></ruby>がっても、世界の強国がこれを認めなければ強国とはなれない。言い換れば、世界の問題に発言権を持するに至って、初めて世界強国の間に立つことが出来るのである。自分一人豪がっていても<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>からも相談をされない。世界の大なる問題を決するには、他の世界強国の間で決してしまって、ただ通告を受けるというのみでは強国とはなれない。果して日本がそういう地位に達するや否や。そこでこの戦いだ。

この戦いはどういう有様であるかというと、私は軍人でないからこれを軍事上からは論じないが、まずごく簡単にこれを説明しますると、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>はほとんど<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>の中古時代の国である。私は昨年の十一月にある所で演説をしたが、その時に<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は全く蒙古と同じ事である、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の武力は蒙古的武力である、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の軍隊の組織は蒙古的である、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の君主専制も蒙古的である、こういう事を言った。蒙古の勢力はもはや五世紀も前になってしまったのに、今日までそれと同じ<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の勢力が残っているというは如何にも不思議である。およそ進化の理を以て論ずるも、またかくの如き中古時代のものが今日まで存在しているということは<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る疑問である。これは全く一種の外交的関係から来ているのであろう。即ち国際的関係、勢力平衡の上から<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>という国が世界に大なる勢力を現しているので、その実力はすでに無くなっている。実勢は既に過去って惰力的の勢力が存在しているというに過ぎぬ。ところが日本は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる勢力であるか。即ち新勢力である。新たに勃興したところの勢力である。世界の文明、世界のあらゆる科学を応用して、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して中古的、専制的、封建的の<ruby><rb>羈絆</rb><rt>きはん</rt></ruby>を脱却してついに立憲の政治を行い、憲法を制定し宗教の自由を認めたという国柄である。歴史を読んでみても、<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>の大革命以来専制の勢力は次第に消耗して、<ruby><rb>尠</rb><rt>すく</rt></ruby>なくとも千八百四十八年以後は専制の勢力はほとんど全く消滅したのである。今日の流行語を以ていえば、頑強に立憲的運動に反抗した<ruby><rb>墺太利</rb><rt>オーストリア</rt></ruby>も<ruby><rb>普魯西</rb><rt>プロシア</rt></ruby>も<ruby><rb>日耳曼</rb><rt>ゲルマン</rt></ruby>列国もことごとく敗北して立憲政治を<ruby><rb>施</rb><rt>し</rt></ruby>くに至った。この時に<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>という一国のみは依然としてその制度を改めない。これは国が<ruby><rb>僻在</rb><rt>へきざい</rt></ruby>しておって守旧に便利なのと、「スラーブ」民族が元来政治思想に乏しきが故であるが、その地勢が守るに<ruby><rb>易</rb><rt>やす</rt></ruby>く攻むるに<ruby><rb>難</rb><rt>かた</rt></ruby>く、<ruby><rb>奈波列翁</rb><rt>ナポレオン</rt></ruby>の失敗なぞのために西<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>の国々が勢力を買いかぶったに原因すると思う。しかしながらかくの如き勢力が新勢力に競争して勝つということは進化の理に<ruby><rb>戻</rb><rt>もと</rt></ruby>っている。中古の遺物として蒙古的勢力、<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>的勢力が<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>に存在している。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>にありながら世界の最も進んだる文明を有する日本がこれに打ち勝つ。即ち<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>に国しておるところの「スラボニック」民族が<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>的の働きをして、<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に国しながら新文明の空気を呼吸する日本に打撃されるとは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも不思議なる現象であるが、これ<ruby><rb>蓋</rb><rt>けだ</rt></ruby>し真理である。進化の原理に符合するのである。故にこの戦いは必ず勝つと思う。

しかし勝つということになった<ruby><rb>暁</rb><rt>あかつき</rt></ruby>、我輩の言うところの世界に於ける日本の地位は如何なる変化をなすか。我輩をしてごく露骨に自分の理想、自分の希望を言い現さしめば、世界のすべての問題に日本帝国が発言権を十分に占めたいと、こう思うのである。しかし一時にそういう勢力を得るということは<ruby><rb>如何</rb><rt>どう</rt></ruby>であるか、これは疑わしいのである。そこで数歩を譲って、まず日本という国が東<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に対して十分なる権力を持ちたいのである。かく謙遜したならば、諸君の中にはあるいは大隈老いたりということを言うかも知れぬが、私はまずそこまで譲りたいと思う。ご覧なさい、<ruby><rb>亜米利加</rb><rt>アメリカ</rt></ruby>合衆国が英国より独立して段々国が勃興するに付いてどういう地位をもつに至るか。かの国が今日世界に対してどういう地位をもっているかということを諸君に考えてもらいたい。諸君の知らるる通り、米国の大統領の「モンロー」がかつて宣言書を出した。これは「モンロードクトリン」というて<ruby><rb>亜米利加</rb><rt>アメリカ</rt></ruby>合衆国ではほとんど神聖視している。これは即ち<ruby><rb>亜米利加</rb><rt>アメリカ</rt></ruby>合衆国は自分の勢力範囲に<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>の干渉は断じて許さないと同時に、<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>の事件に関係しないということを宣言したのである。<ruby><rb>亜米利加</rb><rt>アメリカ</rt></ruby>合衆国でさえ、なお<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つかくの如きものである。日本の突然勃興したところの勢力で、世界の発言権を持ち世界のすべての問題に権力を振いたいということはあまり空想である。しかし疑いも無くこのたびの勝利に依り、東<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に於ては日本政府の意に<ruby><rb>戻</rb><rt>もと</rt></ruby>って<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる強国も<ruby><rb>我儘</rb><rt>わがまま</rt></ruby>をやることは出来ないというだけの点には、必ず目的を達するに相違ない。

しかしこれも漠然としておっては目的を達しないのである。歴史も教えている通り、自分の国の地位は既にある点に達したに<ruby><rb>拘</rb><rt>かか</rt></ruby>わらず、外交がそれに伴わなければ思う様に往かぬ事がある。しかしながら国民が十分に進歩して、国民的勢力が常に政府の<ruby><rb>後</rb><rt>しり</rt></ruby>えにあれば必ずこの国の外交は成功する。国民の対外観念の発達に伴う外交は、着々功を奏するに相違ないと信ずるのである。そこでまず日本の勢力が<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>大陸に於て、支那朝鮮もしくは<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>に於て十分に実現されたということは、日本国民が十分知覚しなければならぬ。同時に国民の熱心が世界をしてこれを認めしむる、日本の勢力は如何なる強国もこれを認めねばならぬという事になって、初めて東洋に起った問題に付いては日本の一言一行というものが世界を動かす力を持つに至るのである。

そこで日本の地位が定まると同時に、問題が諸君の常に論ずる清韓という区域に移って来る。日本は勝つ、必ず勝つ。何故に勝つかというと、世界文明の潮流に乗じて世界文明に反対するものを打つからである。孔子のいわゆる仁者仁道を以て立つという訳である。先方は不仁をいうに<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>は仁を行う。仁道を以て隣国に臨む。その隣国とは如何なる国であるかといえば、ほとんど大患に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>っている気の毒なる国民が<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>の周囲に存在しているのである。これをどうするかというに、少年<ruby><rb>客気</rb><rt>かっき</rt></ruby>の人は侵略論を唱えるそうである。そういう人達の議論はどうかというと、まず個人の上には道徳はよほど進んだが、国際的道徳は少しも進まない。いわゆる権謀術数、春秋に義戦なし、何でも強い者が勝つ。日本が強くなったから隣国を侵略して引き奪ってしまうという、これは実に驚き入った訳である。<ruby><rb>抑々</rb><rt>そもそも</rt></ruby>国際的道義が成り立たぬということは大なる間違いである。ある場合に権謀術数を<ruby><rb>弄</rb><rt>もてあそ</rt></ruby>ぶものがあれば、その一、二の場合を挙げて全体の国際的道義甚だ幼稚なるものと断定するのは大早計である。二十世紀の今日に於ては、もはや「マキャベリー」の権謀術数は許さぬ。

また人の国を侵略すれば必ずその復讐として自分がまた他から侵略されることが起る。<ruby><rb>古</rb><rt>いにしえ</rt></ruby>より、武力を以て人の国を侵略したという国の結果は<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>も<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>いことはない。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が無闇に侵略をする。この侵略に日本が反対をした。隣国を<ruby><rb>扶植</rb><rt>ふしょく</rt></ruby>してこれを進歩せしめる、こういう言葉を以て戦いをなすや否や、<ruby><rb>直</rb><rt>す</rt></ruby>ぐにかの侵略を<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>て自分が侵略するというは何事ぞ。覇者もなおかくの如きことは為さぬ。<ruby><rb>況</rb><rt>いわ</rt></ruby>んや王者をや。実に人間の欲望は驚くべきものである。露帝は何と宣言したか。支那の現状維持、支那の保全のために支那の開放ということを宣言された。一度ならず何度も宣言した。千九百年に露帝は宣言した。露帝の外務大臣「ラムスドルフ」は<ruby><rb>亜米利加</rb><rt>アメリカ</rt></ruby>の国務卿に向って同様の返事をやった。前の「マッキンレー」大統領が支那の開放という事について列国に廻文を発した。それに「ラムスドルフ」は熱心に同意を表した。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに当時は露帝も外務大臣も内閣も、ことに参謀本部では地図へ線を引いて、これは皆<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の地面にしてしまうといって、支那に対する侵略の計画は熟していた。それでもなお且つ表面は支那の現状保全を唱えて、少しも侵略ということは言わない。実に<ruby><rb>畏</rb><rt>おそ</rt></ruby>るべき国である。

## 〔「支那保全」論〕

我輩はこの場合に於て支那問題に関する我輩の従来の主張を、繰返す必要を切に感ずるのである。明治三十一年に我輩は東邦協会に於て一場の演説を試みた。その筆記は東邦協会の雑誌に出て、翻訳されて欧米の新聞にも出た。その議論は、国というものは外部の圧力に亡ぼさるべきものではない、外から亡ぼされずして自滅するのであるというが骨子である。その時私は獅子身中の虫ということをいうた。獅子というものは実に猛獣で百獣の王とも言う。一度咆哮すると百獣皆<ruby><rb>懼</rb><rt>おそ</rt></ruby>れるという。それがどうして<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れるかというと体に虫が出来る。するとその猛獣が自然に仆れる。これが獅子身中の虫というのである。支那という世界無比の大帝国、四億万という大民族はなかなか亡びるものではない。<ruby><rb>那破翁</rb><rt>ナポレオン</rt></ruby>さえ将来世界は支那が支配するか知らんと心配をしたくらいの国である。そういう国が容易に亡びるものではない。<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる強国もこれを亡ぼすことが出来るものでない。ところが支那が地を失うこと日に千里、こういう訳だ。<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに一世紀間に地を失うこと千里。かつて二百年前に<ruby><rb>彼得</rb><rt>ピョートル</rt></ruby>大帝という<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の豪傑、侵略家がついに支那の北部の方を侵略しようとした。すると支那の<ruby><rb>康熙帝</rb><rt>こうきてい</rt></ruby>は直ぐ兵を送ってこれを追払った。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は散々に失敗をした、閉口した。かの「ネルチンスク」の条約は<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>にとっては非常に屈辱なものである。支那にとっては最も名誉なる条約で、<ruby><rb>彼得</rb><rt>ピョートル</rt></ruby>大帝は支那の国民にとって名誉あるその条約を、自分の恥を忍んで結ぶに至った。その時侵略を<ruby><rb>免</rb><rt>まぬか</rt></ruby>れたという国が、その康熙帝の子孫に至ってどういう事になったというと、百年の後には「アムール」河を取られ、五十年の後には<ruby><rb>沿海洲</rb><rt>えんかいしゅう</rt></ruby>も取られ、続いて<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は支那の困難に乗じて更にまたかの<ruby><rb>浦塩斯徳</rb><rt>ウラジオストック</rt></ruby>に近い処を取ってしまった。そういう様な訳で、別に武力を加えられたでもなければ、戦った訳でもなくして、日に千里を失うということになった。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して既に取られたところの地方はすべてまず百年間に日本の二十倍くらいな大きさを取られた訳だ。戦って取られた訳ではない。皆外交の上で取られたので、兵を用いずして取られたのである。なかなか<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の外交というものは<ruby><rb>御偉</rb><rt>おえら</rt></ruby>い。かくの如く国家は皆自ら亡ぼす。他動的でない、自動的に亡びる。亡ぼされるのでない、亡びるのである。<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>の亡びたのも蛮族が亡ぼしたというが、決してそうではない。もう<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>が腐敗した。そこで<ruby><rb>北狄</rb><rt>ほくてき</rt></ruby>が侵入したまでである。物まず腐って虫これに生ず。これは亡ぼされるに非ずして亡びるのである。国の亡びるのは皆そういう訳であると、大体そういうことを我輩は言ったのである。

それからその当時、支那の分割という議論がよほど盛んであった。そこで私が支那の分割の不可能なることを信じて、支那の保全を唱えた。支那を励まして亡びぬようにしろという注意を与えた。その時にちょうど勢力範囲ということが唱えられ、分割ということが唱えられた。その時代に私はこれは世界の人達がよほど<ruby><rb>過</rb><rt>あやま</rt></ruby>っている。ことに外交家が最大なる過ちをやっている。全体手品師のように、人の物を勝手に紙の上に図を引いて奪うということが出来る理屈のものではない。かつて<ruby><rb>伯林</rb><rt>ベルリン</rt></ruby>に於て列国会議を開いて<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>の分割をやった事がある。その時に初めてこの「スフウェア・オブ・インフリュエンス」という字が出来た。そういう外交上の言葉が出来るようになった。これは外交官達が「ビスマルク」の前に大きな「テーブル」を置いて、自分が持っている鉛筆で地図に筋を引いて、これは英国、これは<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>、これは<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>と、その取るべきところをきめた。またこのところを取るとよほど面倒だから中立にしておこうなどと、そういう様な事をした。こういう様に紙の上に鉛筆で引いたところの線がそれぞれ事実の上に出現した。これは不思議はない。<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>という国は、諸君も地図でご覧の通り、白くしてある所が多い。あまり黒くなっておらぬ。黒くないのは書くことが少ないからだ。あるいは探検をしない所は皆白くしてある。こういう所を分割するには外交家達が地図の上で勝手に極められるが、支那は四千年の歴史を持っており、四億万の大民族が住居している所である。最も機敏な外交家達がそれを忘れたということはよほど不思議である。<ruby><rb>阿弗利加</rb><rt>アフリカ</rt></ruby>とは大いに違う。そういう馬鹿な事が出来るものでない。そこで私はその当時、いわゆる各国の勢力範囲なるものは実印を押さぬ証文同様であると評した。ところがその当時日本は<ruby><rb>福建</rb><rt>ふっけん</rt></ruby>省の不割譲を約束してあったのも<ruby><rb>併</rb><rt>あわ</rt></ruby>せて罵倒した様な訳で、各新聞などから甚だ相済まぬという批評を受けた。我輩はその当時外務大臣で当局者であったから一層世間の攻撃が<ruby><rb>八釜</rb><rt>やかま</rt></ruby>しかったが、私は正直だから思った通りを述べたのである。事実その通りだ。大切な証文に捺印がしてないのに<ruby><rb>己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>の権利があると、そんな馬鹿な話はない。そんならばどうするかというと、支那の様なああいう大国は、騒がすと蜂の巣のようなもので面倒だ。そっとして世話をしておく。そうして支那を誘導して開発するということが必要であると、こういう議論を唱えたのである。

<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して支那を開発し支那を誘導するには<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる国が先生となるか、あるいはこの大病人を診察をしてこれを治療する医者になるか、看護婦になるかという問題が大問題である。これは英国が古くから交際があるから<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しかろう、もしくは境を接しているから<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が宜しかろう、もしくは米国が<ruby><rb>友誼的</rb><rt>ゆうぎてき</rt></ruby>に先生となって指導した方が宜しかろうかという事があったが、これまた不可能の事である。支那を文明に導き得る国は世界に無い。支那という大病人を治療して復活させる国は世界に無い。もしそういう国があれば世界にただ一つあって二つない。一つのみだ。その一つは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる国か。即ち日本だ。日本を除くの<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>には無い。これは外務大臣として予告しておいた。

## 〔日本と中国の関係〕

昨今ちょうどその時が近付いて来たようである。<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>となれば、日本が大なる勢力を<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>大陸に及ぼす時に当って、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して世界に対して日本の働きが尊敬されるという時になって、日本は初めて親切に支那の治療に取掛ることになるのである。何故に日本が支那を誘導し<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ開発し、死に瀕したる支那の病気を治療する任務に適しているかというと、我々の先祖は支那人と大なる違いはない。ある人は日本人は「アリアン」種族だという。「アリアン」はさほど有難いものか我々は疑う。何というても我々の血は「アリアン」とは違う。我々の血の中に多少「アリアン」の血も交っているか知れぬが、それがために日本民族が「アリアン」人種だというのは少し乱暴な断定である。

そこで支那人の口調で言えば、同種同文、同種とは同民族ということだ。次に我々は千五百年以来、支那の文学、美術、宗教もしくは政治、学芸、ことに倫理というものに於ては支那に負うところがよほど多いのである。平たく言ってみれば、諸君の父さんは孔子様の門人であったに相違ない。そうでないならば土百姓か、無学文盲の人に違いない。五千万という大民族は<ruby><rb>大概</rb><rt>たいがい</rt></ruby>孔子さんの門人である。孔子さんの感化を受けて、口を開くと仁義をいう。この仁義ということは皆これ支那の哲学から導かれたところのもので、この感化力は実に広大なるものである。近来支那を悪く言う者はよほど通人のようになっているが、これは意外の事である。近来の支那はあまり宜しくは無いが、それがために孔子まで<ruby><rb>悪</rb><rt>あ</rt></ruby>しくいうのは不都合である。

例えば中古時代の<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教に於て、<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>法王の権力で腐敗した。これを以て<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教を悪くいうが、決して<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教は悪くいうべきものではない。<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>は<ruby><rb>尠</rb><rt>すく</rt></ruby>なくとも聖人である。人類を罪悪から救わんと企てた人である。ところが<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>の坊主どもが一時権力が大になるに随ってあらゆる罪悪を犯した。普通の俗人よりも<ruby><rb>余計</rb><rt>よけい</rt></ruby>犯すに至った。<ruby><rb>羅馬</rb><rt>ローマ</rt></ruby>の坊主どもこそ<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>地獄へ往ったであろうと思う。しかしそれがために<ruby><rb>基督</rb><rt>キリスト</rt></ruby>教を非難するのは気の毒である。それと同じく孔子さんの子孫の支那人が多少堕落したために、孔子さんを悪くいうのは実に<ruby><rb>勿体</rb><rt>もったい</rt></ruby>ない。

それはとにかくとして日本人は孔子さんの門人である。そうすると支那人とは同門だ。同種同文、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して<ruby><rb>御師匠</rb><rt>おししょう</rt></ruby>さんまで同一であるから、日本に依って支那を開発させるのは至当である。日本人は支那人と同種同文にして同門、支那の哲学を学び、支那の文学を学び、支那の政治を学び、あらゆる支那の学芸を学んだ。今日諸君の家庭に行われる風俗習慣というものも、多く支那に依っている。この国民が支那開発に最も適当だというのは、<ruby><rb>何人</rb><rt>なんぴと</rt></ruby>も異論のあるべからざる事柄である。そこで日本人が支那人に向って、君は仏教の中毒と儒教の中毒で大病に罹っている、我等も同じ病気になった事があるが、西洋舶来の良い薬を<ruby><rb>服</rb><rt>の</rt></ruby>んだために病気が治って、前よりも百倍増した健康になった。そこで君達にもこの薬を上げるから飲むが宜しいと勧める。これは親類同士で初めて出来ることである。人種が違い、風俗が違い、文明の源が違う人であると、ごく友誼的にもって往っても、人類の弱点として<ruby><rb>猜疑</rb><rt>さいぎ</rt></ruby>の心が起る。粗末な宣教師がやって来て毎度<ruby><rb>騙</rb><rt>だま</rt></ruby>したことがあるから、またその<ruby><rb>伝</rb><rt>でん</rt></ruby>だろうという疑いが起る。ところが日本人は同種族で、同門で、一番近い親類だから、ごく真実に世話をしてやる。また支那人も信用を置くことになる。我輩が思うには、今日支那に欠けているところのものは政治の能力である。すべて政治が悪いために風俗が悪くなる。政治が悪くなったために、<ruby><rb>到頭</rb><rt>とうとう</rt></ruby>国民を堕落さしてしまう結果になる。

かの朝鮮の如き千五百年前に於ては日本よりも何かがみな進んでおった。文学も工芸も進んでおった。例えば<ruby><rb>高麗焼</rb><rt>こうらいやき</rt></ruby>と称する陶器の如き、今日残っているのは実に宝である。かくの如き陶器を造るところの<ruby><rb>技倆</rb><rt>ぎりょう</rt></ruby>というものは容易でない。あれを見ても他にも巧妙なる工芸があったに相違ない。その他文学に於てもなかなか大著述がある。それが何故に今日の有様になったか。全く政治が悪いために堕落したのである。

支那もそれと同じ事、政治が悪いために、文学も技芸もその他すべての物が段々衰微したのである。支那の織物、陶器、彫刻、絵画その他種々の工芸品というものはなかなか盛んなものであったけれども、<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに二百年ばかり前から段々下って来て、今日では非常に衰えた。そこで支那を開発するに、まず政治の改良から先に為さねばならぬ。それを誘導するのが日本の天職である。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して今、日本がその天職を尽すのに適当な時期が来ったのである。支那を治療するについて、支那を誘導するについて、ほとんど一の妨害を受くるを要さない時になったのである。またある意味からいえば、支那を誘導するは日本が支那に対する報恩である。

かかる時期の到達したるに<ruby><rb>拘</rb><rt>かか</rt></ruby>わらず、侵略的の議論を唱導して支那人をして嫉妬猜疑を起さしむるは最も不都合である。日本の政治家、学者たるものはこの際言葉の上に於ても、行為の上に於てもよほど気を付けなければならぬ。既に宣戦の詔勅にある如く、日本は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、北米合衆国も英国も、支那の保全ということを主義として発表している。支那の開放ということは決して独り日本の主義に非ずして、世界の主義になっている。ほとんど世界の根本主義になっている。この主義に背くということは、支那をしてせっかく日本に頼るところの意を失わしむることになる。これを失えばどうなるかというと、支那の不利益、日本の不本意、平和の<ruby><rb>攪乱</rb><rt>かくらん</rt></ruby>という結果を生ずる。即ち支那人は<ruby><rb>反</rb><rt>そむ</rt></ruby>く、反けば余儀なく政治上では黙っておられぬ事になる。

朝鮮もそうだ。朝鮮の君臣がもし<ruby><rb>寛仁大度</rb><rt>かんじんたいど</rt></ruby>なる天皇陛下の聖意に背いて、土地を奪われるなどいう誤解から陰謀をやって敵に通ずる、あるいは野心ある国に<ruby><rb>籠絡</rb><rt>ろうらく</rt></ruby>されるということがあれば、余儀なく朝鮮を取るという様なことが起らぬとも限らぬ。これは果して日本が他国を亡ぼすのであるか。決してそうではない。朝鮮が自ら亡ぶるのである。

そういう訳であって、支那に於てもその通りだ。日本が支那に対して充分なる友誼を尽すに拘わらず、支那の君臣が猜疑心を以ていわゆる野心ある国の権謀術数に掛って日本に害を与えるということになれば、その時には決して許すことは出来ない。<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる寛仁大度の君主も、<ruby><rb>姑息</rb><rt>こそく</rt></ruby>な事をしてこれを捨てておく訳に往かぬ。ある場合には国を取り人を殺すということも必要である。無道を征するは必要である。しかしながら侵略ということを日本は主義としている訳ではない。<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby>寛仁大度の陛下に統治されたる国民は、友誼的に支那を取扱わなければならぬ。支那と日本とは同種同文、<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して同先生のもとに千五百年来感化を受けたところのものである以上は、日本は友誼上<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも支那を文明に進めてやらなければならぬという、この精神は十分に支那に通ずるようにしなければならぬ。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らざれば大なる過ちが起るのである。それ故なるだけ猜疑を避けるということが必要であろうと思う。

## 〔日露の媾和条件〕

かく論じ来れば、日本の東<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に対する責任は最も重大なるものとなるのである。それ故にこのたびの戦争の結果に付いて<ruby><rb>媾和</rb><rt>こうわ</rt></ruby>の条件を述ぶることが最も必要なることと感ずる。媾和の条件を今日論ずるのは早計の如くではあるが、早晩媾和の時期が来るに相違ない。冒頭に論じた如く、この戦いの結果は必ず日本が勝つ。日本はこの戦の目的を充分達することが出来ると信ずるのである。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らば今日より媾和条件を攻究することは、決して無用の業ではないと信ずる。東洋の平和の目的を将来日本が保障する地位に立つ以上は、媾和の条件に最も重きを置かなければならぬ。決してこのたびの戦いの目的は地を略し民を奪うという如き覇者の目的ではない。既に宣戦の詔勅にある如く、ほとんど王者の師である。平和を得るために戦いを起したならば、またたびたびこの戦いを繰返すという如き事を未然に防ぐのは、終局の大目的でなければならぬ。

およそ世界の勢力が国際的に交渉する上に付いては多少の混雑はある。国際的利益の競争もある。しかしながら<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が「ウラル」を越えて東洋に及ぼすところの勢力は、普通文明国互い互いの間の国際的競争、もしくは国際的紛議とはよほど性質が違うのである。これは数世紀以前から、力の弱い薄弱なる所に向って圧力を加え、侵略の手段によりて得たところの勢力である。かかる勢力はもし強い力に<ruby><rb>出遇</rb><rt>であ</rt></ruby>うと<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>で止まる。あたかも水が岩か山かに出遇うと<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>で屈折して流れを転ずる、西せんとするのが東に戻るということがあると同様である。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の北の方は天然に限られている。即ち<ruby><rb>北氷洋</rb><rt>ほっぴょうよう</rt></ruby>という所がある。そこで西の方はどうなったかというと、<ruby><rb>日耳曼</rb><rt>ゲルマン</rt></ruby>という強い力に出遇うて止まってしまった。そこで一方は<ruby><rb>黒海</rb><rt>こっかい</rt></ruby>に向った。<ruby><rb>土耳古</rb><rt>トルコ</rt></ruby>の勢力は弱い。薄弱なる所に向って<ruby><rb>直</rb><rt>す</rt></ruby>ぐ圧力を加えた。とうとう「クリミヤ」半島、黒海沿岸を皆取ってしまった。更に転じて一方は「バルガン」に向った。「バルガン」に向うや否や、初めは英国の力に制せられ、続いて列国の共力に依りて制せられた。ここに於て<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の西に向い南に向うところの膨脹力は全く止められてしまった。そこでこの勢力は転じて中央<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に向った。更に転じて<ruby><rb>阿非汗</rb><rt>アフガン</rt></ruby>から<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>の方へ及ぼした。一方は中央<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>から<ruby><rb>波斯</rb><rt>ペルシャ</rt></ruby>に向い<ruby><rb>波斯</rb><rt>ペルシャ</rt></ruby>湾に<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でんとする。何でも薄弱なる所に暴力を用いて圧迫したところが、これもまた英国の反抗に出遇ってなかなか容易に志を達することが出来ない。それ故に<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>のあらゆる力は<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>蕃族を征服して支那の北部を圧迫し、ついに満州朝鮮を圧迫するに至った。また<ruby><rb>団匪</rb><rt>だんぴ</rt></ruby>の乱に乗じて全く満州を軍事的に占領した。

かくの如く<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の膨脹は<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>文明の国際間競争と性質が違っている。<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>も強い所を避けて弱い所に向い、機の乗ずべき時があれば直ちに占領する。これ<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の政策である。ここに於て<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は東洋に勃興するところの日本という新勢力に出遇って、日露の衝突がここに起った。かつて「ポーランド」を亡ぼして<ruby><rb>日耳曼</rb><rt>ゲルマン</rt></ruby>、<ruby><rb>墺太利匈牙利</rb><rt>オーストリアハンガリー</rt></ruby>に向った時の勢力、もしくは「バルガン」に向った時の勢力、<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>に向った時の勢力を、英国、<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>、その他<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>列国に防ぎ止められたと同様に、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の極東に於ける膨脹力は、東洋の日本という新勢力に出遇って防ぎ止められつつある。しかしこの膨脹的運動は一回二回では止まらぬ。機の乗ずべき時があれば、また再び起るのは「バルガン」の例を見ても明らかである。あの「バルガン」の問題というものが列国の「コンフェレンス」の上に成立っているが、列国の利害関係が<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>でも同一ではない。時勢に依っては、列国の勢力平衡の上に於て多少変更が起る。利害の衝突が起るというために、列国共同の力は強く見えて、その実<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ薄弱である。これが即ち外交の乗ずべきところで、ややもすれば<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は「バルガン」に向って往く。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が西の方に向うところの力は、全く噴火力を失ってしまったのであるが、「バルガン」に向うところの力は今噴火が休んでいるので、機の乗ずべき時があれば直ぐまた燃え出るのである。何となればこれを防止するのは一国の力ではない、数国の力であるから、数国の力が合一する時に於てはこの働きは止まるが、これが薄弱になると直ぐ起って来るのである。

東洋に於てもその通り。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の東洋に勢力を奮うのは世界の商業国は喜ばぬ。英国も米国も<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>も決して喜ばない。何故に喜ばぬかというと、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>が勢力を奮えば商業は衰えてしまう。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の勢力が盛んになれば、世界の商業市場たる支那はほとんど<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の禁止的重税に苦しめられてしまうのである。それ故にこれは皆反対するのである。反対がどういう形式で現われたるかというと、即ち支那の保全、門戸開放。この門戸開放という議論が何故に起るかというと、門戸を閉すものがなければこれを開放する必要が起ろう道理はない。知るべし、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の国旗の翻る所には必ず商業を閉すということがある。それ故に世界文明の国、世界商業の盛んな国は、東洋に於ける<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の侵略には皆反対である。日本が<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に向って戦いをなすについて、諸外国が熱心な同情を表せらるるというはこのためである。

果して然らば列国協同して<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の力を制すというが一番宜いようであるが、「バルガン」と同じく列国協同ということはその形の大きくして、実勢はそれほど固いものではない。例えば、英仏同盟して<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>を討った事がある。<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の<ruby><rb>擅</rb><rt>ほしいまま</rt></ruby>に人の国を侵略するということに付いて、英仏は<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に向って戦いを開いたのである。それは有名なる「クリミヤ」戦争であって、前後三年の後についに<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>は屈して和を媾じた。その当時、英仏連合して<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に向ったが、<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに四十年の後は、露仏は東洋に於て同盟して日本の遼東の占領に干渉した。「クリミヤ」戦争から三十年の後には露仏は同盟した。こういう訳で、列国協同なるものは国際的の利害、列国間の勢力平衡の上から、時に依っては変化する。それ故に一番利害の密接なる関係のものが、世界の利益を代表して余儀なく一国限りの力を以て剣を取らなければならぬということになる。将来に於てもこの絶東に於ては、日本が平和を保つの任に当らなければならぬ。世界の平和の保障とならなければならぬというは国の地位の上から生ずる天職であって、実に<ruby><rb>已</rb><rt>や</rt></ruby>むを得ぬことである。それ故に媾和条件は、将来の東洋に於ける災いの元を絶つということが第一の主義でなければならぬ。

この戦いの結果はどうなるか知らぬが、長く続くに従って日本の要求は次第に大きくなる。しかしながら、まだ一、二の大戦はあるか知れぬが、その内に<ruby><rb>旅順</rb><rt>りょじゅん</rt></ruby>も陥落する。あるいは<ruby><rb>浦塩斯徳</rb><rt>ウラジオストック</rt></ruby>も陥落する。<ruby><rb>奉天</rb><rt>ほうてん</rt></ruby>は自ら棄て北の方に走るというような事になって、この平和が成立つということになれば、まず満州全部は全く<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の勢力からこれを区別して、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に棄てさせるということになる。また将来<ruby><rb>浦塩斯徳</rb><rt>ウラジオストック</rt></ruby>の軍港に大軍艦を繋ぐということは支那海、日本海の安全を保つ上に<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ危険である。既に<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>の「コンフェレンス」に於て「ボスフォラス」海峡の通行を止め黒海艦隊を制限したと同様に、支那海、日本海に優勢の艦隊を置くという事はよほど危険である。<ruby><rb>浦塩斯徳</rb><rt>ウラジオストック</rt></ruby>を<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の手にそのまま保存しておくことはよほど危険であるから、戦勝の権利としてこの軍港を収むる。<ruby><rb>沿海州</rb><rt>えんかいしゅう</rt></ruby>の割譲、<ruby><rb>樺太</rb><rt>からふと</rt></ruby>を取る。その<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>は数世紀掛って<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の新経営をしたところの<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>。これは<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby>日本はことさらに地を侵略する目的はない。将来の平和のために危害の<ruby><rb>虞</rb><rt>おそれ</rt></ruby>のない以上は無論日本に割譲を望む必要はないと思う。そうなれば無論<ruby><rb>東清鉄道</rb><rt>とうしんてつどう</rt></ruby>は日本に収めなければならぬ。しかしながら日本に、東清鉄道もしくは<ruby><rb>浦塩斯徳</rb><rt>ウラジオストック</rt></ruby>に達するところの<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>鉄道を収むるにしても、これは世界交通の道であるから、日本は決してこれを閉ざして自分のものにするという意は少しもない。その代りに<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>も<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>を閉ざすということは<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ宜くない。貿易上相互的の利益を増進するを目的とし、極端な重税を課することを止めることが必要である。同時に<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>の無限の富、驚くべき<ruby><rb>広漠</rb><rt>こうばく</rt></ruby>なる不毛の土地も<ruby><rb>均</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく世界に開いて、種々の法令を設けて外国の事業家を妨げるということを禁ずることが必要である。そうなれば自由の空気は一般に<ruby><rb>瀰漫</rb><rt>びまん</rt></ruby>する次第であるから、<ruby><rb>西比利亜</rb><rt>シベリア</rt></ruby>地方も甚だ繁栄に赴くに相違ない。商業も盛んになる。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して将来の日露というものの交際は必ず親密になる。これが最も将来の東洋平和を保つ上に有益なる手段である。

日本は決して好んで国の威厳を張り、戦勝の威を奮って人を苦しめるという意思はない。一度平和に復する以上は露国になるたけ文明の政治が行わるることを望み、その国家の繁栄、「スラブ」民族の繁栄を望むのである。この望みはいわゆる相互の利益である。その相互の利益は平和よりして導かれるのである。永遠の平和は支那のみならず、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>もまた門戸を開放して世界の文明を入れるというのみによりて得らるる。かくの如くにして交通が盛んになり、世界の商業が盛んになれば平和を保障する力は<ruby><rb>益々</rb><rt>ますます</rt></ruby>増進するのである。

## 〔満州問題への対応〕

<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>してかくなった<ruby><rb>暁</rb><rt>あかつき</rt></ruby>に満州というものを、日本政府は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に処分するかという問題がここに起って来る。これは<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>に対するに非ずして、支那に対する問題である。この満州は広漠なる土地であって、ほとんど日本の二倍半という大なる面積を持っており、且つ三千年以来の歴史を持っており、また日本とも二千年来よほど関係のある土地であるにも<ruby><rb>拘</rb><rt>かか</rt></ruby>わらず、人口は<ruby><rb>疎</rb><rt>そ</rt></ruby>であって、すべて経済上の発達はよほど幼稚である。これは何に原因するかというに、前にも言った如く政治が悪い。秩序が立たぬ。かの馬賊というものは今日起ったものでない。あれはほとんど支那の歴史と同時に発達したものである。いわゆる支那北部の旧族、いわゆる支那の歴史あって以来<ruby><rb>周狄</rb><rt>しゅうてき</rt></ruby>の後に<ruby><rb>匈奴</rb><rt>きょうど</rt></ruby>となり、それから種々の変遷を経て<ruby><rb>遼</rb><rt>りょう</rt></ruby>、<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>、また<ruby><rb>元</rb><rt>げん</rt></ruby>となり、ついに<ruby><rb>愛新覚羅</rb><rt>あいしんかくら</rt></ruby>氏が起った。こういう訳で、常にこの北部から起った勢いは支那を圧迫している。たびたび支那を征服した。全く全部を征服しないでも、匈奴の盛んなることなどは実に驚くべきものであった。<ruby><rb>漢</rb><rt>かん</rt></ruby>の<ruby><rb>武帝</rb><rt>ぶてい</rt></ruby>が常に匈奴に苦しめられ、<ruby><rb>始皇</rb><rt>しこう</rt></ruby>が六国を亡ぼしても北部の蕃族、即ち匈奴を防ぐがために<ruby><rb>万里</rb><rt>ばんり</rt></ruby>の<ruby><rb>長城</rb><rt>ちょうじょう</rt></ruby>を築くという有様であった。その時から北部の遊牧の民は馬に<ruby><rb>跨</rb><rt>またが</rt></ruby>って争闘を好み、なかなか強大なるものであった。馬に跨って侵略を<ruby><rb>擅</rb><rt>ほしいまま</rt></ruby>にする時にはほとんど猛火の原野を焼く如き勢いである。金、元の<ruby><rb>鉄騎</rb><rt>てっき</rt></ruby>というものは実に<ruby><rb>宋</rb><rt>そう</rt></ruby>の君臣を戦慄させた。一度馬に跨って南の方へ下ると、もう決して支那人のいう中国の兵はこれに当ることは出来なかったのである。戦いが止むとどうなるかというと、馬から<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りて遊牧の民となる。もしくは農業の民となる。<ruby><rb>饑</rb><rt>うえ</rt></ruby>ると直ちに馬に跨り賊となる。そこで乗れば兵、下りれば農、馬に跨ると即ち賊、馬賊は決して今日起ったものではない。支那の歴史有りてより支那北部の民は常に馬に跨って奪掠をする、侵略をする。これが盛んになったのがかの匈奴となり、<ruby><rb>契丹</rb><rt>きったん</rt></ruby>となり、金、元となったものと思われる。そういう訳で、秩序が立たぬ。それ故に文明が進歩せぬ。人文が発達しない。これはどうしても政治が悪いからである。王者が国を治むる術を得なかったために乱れたのである。その極、ついに<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の<ruby><rb>有</rb><rt>ゆう</rt></ruby>とならんとしたのである。

されば今このままで以て支那に還付してみたところが、支那の政府はこれを<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く治むることが出来るや否や。もしこれを治むることが出来なければ、その混雑からしてついに外国の圧迫を受け種々大なる災いを惹起す。即ち東洋の平和に害がある。日本は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも友誼を以てこれを支那に戻す。支那に戻すはたびたび繰返す通り、寛仁大度なる我が皇帝陛下の支那皇帝陛下に対する恩恵である。しかしそれと同時にこれを支那に還付するに付いて、よほど多く条件が無ければならぬ。独り満州のみならず、全支那もまた同様で、今日の如く秩序が<ruby><rb>紊</rb><rt>みだ</rt></ruby>れておっては、隣国の災いは直ちに引いて日本に及ぶのである。日本が絶東に於ける平和の保障者となる大責任を持つ以上は、すべての平和維持のために相当の権利を行うということが即ちその責任から起って来るのである。これが冒頭に日本の東<ruby><rb>亜細亜</rb><rt>アジア</rt></ruby>に於ける地位を論じたゆえんである。

日本は数万の生命を犠牲にし、数十億万金を費やして得たところの土地であるに<ruby><rb>拘</rb><rt>かか</rt></ruby>わらず、これを支那に還付するに躊躇しない。しかしこれを還付するに付いては、満州も<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、支那全体に充分なる秩序を保ってもらわねばならぬ。これを言い<ruby><rb>易</rb><rt>か</rt></ruby>えれば、支那皇帝は善政を行いて支那の秩序を確立し、同時に国の文明を進めて制度文物を世界の文明と同化せしめ、列国との生存競争<ruby><rb>場裡</rb><rt>じょうり</rt></ruby>に立ちて適者として生存するを得るに至るまでの間は、日本は絶東に於ける平和の保護者たる責任として、支那に対し後見者たる地位に立つ必要がある。故に支那皇帝は勿論、すべて支那の大官、地方の総督巡撫に至るまで、日本皇帝及び日本国民の友誼あるこの心を十分に体して、支那を文明に導き善政によりて国を盛んにすることが最も必要である。これを行う上に付いては、日本の力の及ぶ限り友誼的助力を与えるということが日本の義務である。これが即ち満州を還付するについて国民全体の希望である。かくする時は世界列国の商工業者は安全に支那到る所に居住し、到る所に事業を営み、<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>も危険を感ぜぬことになる。かくする時は世界列国、ことに支那を<ruby><rb>侮</rb><rt>あなど</rt></ruby>りこれを苦しめた国民までも、自ずから支那人に相当の尊敬を与えるようになる。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>して平和は期せずして来るのである。支那の尊厳は期せずして現れ来るのである。これ即ち日本国民がその同種同文の国民に対し、千五百年の友誼ある国民、<ruby><rb>孔夫子</rb><rt>こうふうし</rt></ruby>の同門者たる国民に対するところの希望である。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>してかくの如くにして得られたる泰平の賜物は、引いて世界に及ぶという訳である。

返す返すも我が日本は戦勝の威を<ruby><rb>仮</rb><rt>か</rt></ruby>りて侵略を努め、または強を頼んで弱を<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>ぐという意志はないのである。この一事は独り支那政府、支那国民に向って宣言をするのみならず、世界に向って宣言して少しも<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>らぬのである。従来欧米列国が支那朝鮮、即ち絶東に於て得たところの権利、既得の権利は国家として個人として得たるすべての権利は、日本に於て<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までもこれを尊重せねばならぬ。また平和の克復と共に、世界の商業が我が東洋に於て繁昌を極めんとするに当り、ことさらに一国に利益を与えて他の利益はこれを妨ぐるというが如き手段を取ることは、日本政府は必ず避くるところであろうと信ずる。また日本国民全体は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも自由競争の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に、列国共同の利益の下に、この絶東の文明を開発してその富を増進することを希望するのである。国際的<ruby><rb>猜忌</rb><rt>さいき</rt></ruby>、民族的嫉妬、宗教的悪感が釈然として解け、世界協同の利益を増進し、平和の光明<ruby><rb>遍</rb><rt>あまね</rt></ruby>く我が絶東諸国民を照らすの時一日も早く到達せんこと、この結果の我が皇軍の勝利によりて来らん事、実に日本国民の希望である。我が大和民族はこの目的を達するを以てその終生の事業、本来の天職なりと信ずるのである（拍手大喝采）。