## 一

雨もよいの<ruby><rb>生温</rb><rt>なまぬる</rt></ruby>い風が吹いている。

ここは鈴鹿峠の裏道、俗に三本<ruby><rb>榧</rb><rt>がや</rt></ruby>と呼ばれて、<ruby><rb>巨</rb><rt>おお</rt></ruby>きな榧の木が三本、のんと立っている峠の八合目近くだ。

とっぷり暮れた暗い夜道を、足早に登って来る一人の侍がある。六尺たっぷりという身丈に、三尺余る<ruby><rb>無反</rb><rt>むぞり</rt></ruby>の強刀を横へ、急ぎの旅で夜行するらしく、とっとっと三本榧までやって来た。すると――ふいに傍の雑木林の中から、ばらばらと十四五名の荒くれ男がとび出して来て、

「待て待て、<ruby><rb>侍</rb><rt>さむれえ</rt></ruby>待て！」

と行手へ<ruby><rb>立塞</rb><rt>たちふさ</rt></ruby>がった。足をとめた侍が、

「何だ」

と見やると、いずれも刀槍をひらめかした屈強の者ども、素性は云わずと知れている。

「拙者に何か用か」

「古いせりふだが用があるから止めたのよ、ここは鈴鹿の裏抜で、<ruby><rb>大蛇嶽闇右衛門</rb><rt>おろちだけやみえもん</rt></ruby>様のお繩張内だ、峠を越す切手代りに、身ぐるみ脱いで献上しろ！」

<ruby><rb>凄味</rb><rt>すごみ</rt></ruby>をつけて<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>りたてた。

「大蛇嶽とは何者だな」

侍はべつに驚いたようすもない。

「鈴鹿の裏を抜けるにおれ様の名を知らぬとは<ruby><rb>迂濶</rb><rt>うかつ</rt></ruby>なやつだ、大蛇嶽闇右衛門とは、山城、大和、伊賀、近江きっての山賊様よ！」

「山賊か」

と侍は<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>いて、

「それは困った、拙者いま急用で先を急ぐのだ、幸い<ruby><rb>金子</rb><rt>きんす</rt></ruby>を二十両持っているが、これをやるから勘弁してくれぬか」

そう云って懐中から金包を取出した。見た目に似合わぬ侍の素直さに、<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って底気味悪く思いながら闇右衛門は声をはげまして、

「ならねえ、網にかかった<ruby><rb>椋鳥</rb><rt>むくどり</rt></ruby>は、尻の毛まで<ruby><rb>剥</rb><rt>む</rt></ruby>くが山賊の定法だ、<ruby><rb>褌</rb><rt>ふんどし</rt></ruby>だけはくれてやるから裸になれ、四の五のぬかせば殺して取るばかりよ！」

と喚きたてる。

「それではこうしよう」

侍は逆う気色もなく云った。

「拙者は<ruby><rb>藤堂</rb><rt>とうどう</rt></ruby>家の臣、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たたらたらら</span>団兵衛という者だが、主君の急用にて京へ行く途中なのだ、今ここで衣服大小を取られては使者の役に立つことができなくなる。そこで相談だが、どうだろう、拙者がお役目を果すまでこの衣服大小を貸してくれぬか？」

云われて大蛇嶽がいささか<ruby><rb>面喰</rb><rt>めんくら</rt></ruby>った。

「貸せばどうする？」

「帰りに立寄って、これをきさまに返上する！」

「その衣服大小みんなか？」

「みんなやる、武士に二言はない、京都へ行って来るまで貸してくれ！」

「面白い！」

闇右衛門はからからと笑った。

「おれも山賊稼ぎを長くはやらぬが、こんな相談は初めてだ、貸してくれという言葉が気に入った、いかにも帰るまで貸そう！」

「かたじけない、では頼むぞ」

そう云うと団兵衛は、二十金を大蛇嶽に渡して振向きもせず、峠を登って立去った。後見送って手下のやつが、

「お頭、つまらねえ道楽ですぜ、腰のものだけでも三十や五十の値打はあった」

「うるせえや、おれは侍の口に丁と張ったんだ、どう目が出るかまあ黙って見ていろ」

手下を叱りつけて闇右衛門は<ruby><rb>山砦</rb><rt>さんさい</rt></ruby>へ。

一方――団兵衛は道を急いで京へ上り、主君の使を無事に果すとその足で、疲れを休める暇も惜んで立戻った。

鈴鹿の裏道、峠へさしかかったのは<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>さがりまだ陽の高い頃だ。これでは山賊の出張っているはずもないから、例の三本榧のあたりへ来ると<ruby><rb>道傍</rb><rt>みちばた</rt></ruby>へどっかり腰を下ろし、前の泊りで<ruby><rb>拵</rb><rt>こしら</rt></ruby>えてきた弁当を使って、ごろり横になるとそのまま、<ruby><rb>鼾</rb><rt>いびき</rt></ruby>たかだか眠入ってしまった。

なにしろ前後五日あまりの疲労がある、眠入ったとなるとそのまま日の暮れるのも知らぬしまつだ。やがて月の出に近い頃、がさがさと雑木林を押分けて、先夜の賊どもが出て来た。

「や、や、お頭来ていますぜ！」

早くも団兵衛をみつけた手下の一人が、<ruby><rb>魂消</rb><rt>たまげ</rt></ruby>た声で<ruby><rb>呶鳴</rb><rt>どな</rt></ruby>った。

「そうか、退け退け」

闇右衛門は手下をかきのけて前へ出た。草の上へ<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>を枕に、ぐうぐうと良い気持そうに眠っているのは、紛れもないかの団兵衛である。しばらくその寝姿を<ruby><rb>見戍</rb><rt>みまも</rt></ruby>っていた大蛇嶽、やがて何を思ったか、<ruby><rb>掻込</rb><rt>かいこ</rt></ruby>んでいた槍を取直すと、団兵衛の胸先へ、

「やっ！」

と喚いて突掛った、<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>！

「おっ！」

おめいた団兵衛、身を交わしざま、槍の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けらくび</span>を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んで引くのと、<ruby><rb>片膝</rb><rt>かたひざ</rt></ruby>立てに刀の鯉口を切るのと同時だった。

「なにやつだ！」

と云って居合腰になるのを見て、大蛇嶽闇右衛門槍を放って二間あまりとび退り、

「しばらく！」

と声をかけた。それを見た団兵衛、

「なんだ、先夜の山賊殿か、悪い<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃれ</rt></ruby>だな、はははは」

とこともなげに笑って立上った。

「約束により急いで戻って参った、まだ陽が高かったから、きさまを待つ間にひと眠りと思ったのだが、疲れは争えぬ、えらく眠ったものだ、どりゃ借物を返上しようか」

そう云うと手早く大小を<ruby><rb>脱</rb><rt>と</rt></ruby>ってそこへ置き、<ruby><rb>野袴</rb><rt>のばかま</rt></ruby>を脱ぎ帯を解きはじめた。このようすをみて傍にいた手下どもが驚いた。

「いまの勝負はたしかにお頭の負けだ、それをどうしてあの侍は裸になるのだろう？」

「なぜってべら棒め、あの侍は盗難保険に<ruby><rb>入</rb><rt>へえ</rt></ruby>ってるんだ、ここで脱いでゆきゃあ三千両取れる」

「嘘をつけ」

わいわい騒いでいる。間もなく褌ひとつになった団兵衛は、大蛇嶽に振返って、

「ではここへ置くぞ、さらばだ！」

それだけ云うと、にっこり笑いながら大腕組をして、さっさと坂を下りて行った。

団兵衛のすることを<ruby><rb>露</rb><rt>つゆ</rt></ruby><ruby><rb>見</rb><rt>み</rt></ruby>のがさじと見ていた大蛇嶽闇右衛門、やがて眼の覚めたように、

「誤った！」

と叫んでそこへ腰をおとした。彼の眼からはらはらと涙が落ちた。

「やい、みんな集れ！」

と手下の者を呼集めた。

「おれはたった今から山賊をやめた、今日までの獲物は皆にくれてやるから、それぞれいいように分配してどこへでも行け、しかしこれからは必ず、お天道様の下で働いて生きるんだぞ、これだけがおれの頼みだ！」

「それでお頭は？」

「俺はいまのお侍の後を追かけて、飯炊にでも草履取にでも使っていただくつもりだ、じゃあみんな達者で暮らせよ！」

云うだけのことを云った大蛇嶽闇右衛門、そこに脱ぎすててある衣服大小を抱えあげると、いま立去った団兵衛のあとを追って、足にまかせて走り去った。

峠の上にのっと月が出た。

## 二

だだら団兵衛！

本当は<ruby><rb>多々羅</rb><rt>たたら</rt></ruby>団兵衛という。藤堂家に仕えて御馬回り百五十石をいただいている武士だ。なぜ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だだら</span>などと呼ばれるかというに、少し<ruby><rb>急</rb><rt>せ</rt></ruby>いてくると<ruby><rb>吃</rb><rt>ども</rt></ruby>る癖がある、ことに自分の姓名を云う段になると、どうしても舌が<ruby><rb>縺</rb><rt>もつ</rt></ruby>れて、

「たたたたららだだ団兵衛」

というふうになる、そこで口悪が<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だだら</span>などと<ruby><rb>綽名</rb><rt>あだな</rt></ruby>をつけてしまった。二天流の達者で、三尺二寸無反という強刀を自由に扱い、藩内屈指の武術者であった。

京へ使者に立って帰ると間もなく、

「団兵衛は山賊を連れて戻ったそうだ」

「熊のような男だ！」

「その山賊を邸へ飼ってある」

そんな<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>が家中へひろまった。なかには邸へやって来て、噂の山賊を見せてくれ、などと云い出す者もでてくる始末である。

云うまでもなくそれは、鈴鹿の下りで是非にと頼まれ、余儀なく連れ帰って召使っている、例の大蛇嶽闇右衛門こと<ruby><rb>弥九郎</rb><rt>やくろう</rt></ruby>のことをいうのであった。

そんな噂には耳もかさず、いいかげんにあしらっているうち、ある日のこと出仕をするとすぐ、御使番が来て、

「御数寄屋で殿がお召でござる」

と伝えた。

急いで伺候すると、領主<ruby><rb>高虎</rb><rt>たかとら</rt></ruby>の傍に、この頃客となって滞在中の、<ruby><rb>池田新太郎</rb><rt>いけだしんたろう</rt></ruby>少将<ruby><rb>光政</rb><rt>みつまさ</rt></ruby>が控えていた。縁先へ参って平伏すると、

「近う寄れ」

と招かれて、

「つまらぬ噂だが、余の耳に入ったゆえ<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねる、そのほう先日京へ参ったおり、鈴鹿峠で山賊に遭ったそうだな？」

「はっ」

おやおや、弥九郎を邸に置くお叱りかな、と思っていると、

「して、その節山賊のために、そのほうは身ぐるみ剥かれたという噂だが、事実か！」

と云われた。隠すより顕るるで、とんだことが知れたものだと思ったが、

「はっ、よしなきことでお耳を汚し恐入ります。団兵衛たしかに鈴鹿の裏道で、裸に剥かれましてござります！」

<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>るところなく答えた。傍に聞いていた池田光政は思わずふふふふと吹出してしまった。なにしろ身丈六尺に余り、筋骨隆々として、見るからに豪傑らしい団兵衛が、裸に剥かれたと云うのだから吹出すのが当り前である。

「多々羅ほどの者がやみやみ小盗人の野詰に逢うとは受取れぬ、<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>があろう」

高虎は不機嫌だ。

「仔細と申すほどのことはござりませぬが、その節はお上の御用命にて、京へ使者に行く途中でござりました！」

「うん」

「峠手前にかかりますと、大蛇嶽なにがしと名乗って十四五名の賊ども、前後をはさんで身ぐるみ脱げと迫ります、腰に備前長船三尺二寸、山男の三十五十斬って通るは易し！　とは存じましたが、退いて考えますに私は君の使者に立つ途上、勝負に万一の悲運あって怪我などいたさば、役目を果すことできず不忠の第一と思い、まず所持の金子を与えて、衣服大小は使命を果して帰るまで貸してくれと申し談じたところ、賊も心得ある者か貸そうと云って無事に通しました」

「うん、して？」

「直ちに京へ上ってお役を果し、帰りにふたたびかの山賊に面会いたし、衣服大小を脱いで渡したのでござります、彼は賊なれども私は武士、一旦貸してくれと約束したからには、事情を論ぜず約を守るが当然のこと、右の次第にて裸となったのでござります！」

「うん！　そうか！」

高虎は欣然と眉をひらいて、どうだおれの家来は？　と云いたげにちらちらと光政を見る。

「快きことを聞いた」

と池田光政が口を切った。

「団兵衛とやら、武士の約言はかくありたいものだ、が――しかし衣服はともかく、大小は武士の魂、その魂をむざと手放すとは心得ぬがどうじゃ？」

団兵衛微笑んで、

「はっ、恐れながら刀は黄金をもって<ruby><rb>購</rb><rt>あがな</rt></ruby>いまするもの、君命を果すことは黄金に代え難きものと存じましたゆえ！」

「なるほど、だがもう一つ訊ねる」

光政は重ねて、

「大小脱って裸になった時、もし斬りかかる者があったら何とするか？」

「刀は武術の内の一法でござります、たとえ裸となっても、戦うべき覚悟はござります！」

「無手で戦うとか？」

「はっ！」

少しも動ぜず、いささかも<ruby><rb>衒</rb><rt>てら</rt></ruby>わず、思うままを流れるように云って憚らぬ団兵衛の態度を、光政はじっと<ruby><rb>見戍</rb><rt>みまも</rt></ruby>った。当代士を愛すること光政に及ぶ者なしと云われたほど、その家中には多くの人材を集めていた池田光政、じっと見ているうちに、むらむらと多々羅団兵衛が欲しくなった。しかしこれほどの者をむざとくれる訳がない、何か妙案はないかと頭を<ruby><rb>捻</rb><rt>ひね</rt></ruby>ったが、ふと思いついたことがある。

「では団兵衛、無手で戦う覚悟のほど、余に見せてくれぬか？」

と膝をすすめた。

「と、仰せられますと？」

「余の<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>に、近頃召抱えた武芸者がいる、<ruby><rb>畠山庄太夫</rb><rt>はたけやましょうだゆう</rt></ruby>と申して三十斤の鉄棒を自由に扱う強力者だ、その庄太夫とこの場で試合をして見せてくれ！」

「はっ！」

と答えて高虎の顔を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>うと、

「面白い、余も見物しようぞ」

と<ruby><rb>煽</rb><rt>おだ</rt></ruby>てるから、よろしゅうござると承知をした。それではというので使が走る、間もなく畠山庄太夫がまかり出た。

寛永といえばまだ、大坂の<ruby><rb>戦塵</rb><rt>せんじん</rt></ruby>おさまって十年そこそこ、世の気風は殺伐で、武術試合などは素面素<ruby><rb>籠手</rb><rt>こて</rt></ruby>に木剣、怪我くらいは<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>のこと、他流試合にはしばしば真剣が用いられるので、そのために落命する者も珍しくはなかった。

招かれた庄太夫は身丈六尺三寸余、顔面手足まで針のような毛が生え、<ruby><rb>鷲</rb><rt>わし</rt></ruby>のごとき眼でぎろりぎろりと四辺を<ruby><rb>睨</rb><rt>ね</rt></ruby>めつけながら、五尺一寸重さ三十斤の大鉄棒を右手に、踏みはだかって庭前へ現われた。

互いに挨拶が済む。

団兵衛は腰の大小を脱って置くと、袴の<ruby><rb>股立</rb><rt>ももだち</rt></ruby>を高くとり、<ruby><rb>襷</rb><rt>たすき</rt></ruby>をかけてすっと進んだ。

「貴殿、得物は？」

庄太夫が<ruby><rb>不審</rb><rt>いぶか</rt></ruby>しげに<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>くと光政が、

「いや、こなたは無手流の武芸者だ、余が望んでそちと無手で試合うのだからそのまま！」

と声をかけた。

「では私めは？」

「鉄棒なり、また刀なり御自由に！」

と団兵衛が答える。

「これは迷惑な」

さすがに庄太夫面ふくらせたが、君命とあれば是非なく、これも手早く仕度をしてかの大鉄棒をぐいと取上げた。

「しからばこの鉄棒をもって御相手仕る、が、勝負のほどは何をもって定められるか？」

と訊く。団兵衛は無雑作に、

「べつに仔細あるまい、勝った者が勝だ！」

と答えた。庄太夫はますますふくれて、鉄棒をうんと持上げ、ものをも云わずぶんぶんと三五度、これ見よと云わぬばかりにうち振った。

「さ、参ろうか！」

「参ろう」

と団兵衛、一歩退って身構えたが、ふと庄太夫の足元を指差して冷笑しながら、

「畠山氏、足袋の<ruby><rb>革紐</rb><rt>かわひも</rt></ruby>が解けておる！」

と云った。庄太夫がはっとして<ruby><rb>俯向</rb><rt>うつむ</rt></ruby>く、刹那！　つと寄った団兵衛相手の脇差に手が掛る、<ruby><rb>鞘</rb><rt>さや</rt></ruby>ごとぐいと抜取るのと、返して庄太夫の真向へ、はっし！　と打ち下ろすのとほとんど同時だった。

退きも避けもならぬ業だ。

「あっ！」

「あっ！」

と高虎、光政の二人が声をあげた時、畠山庄太夫は口からおびただしく吐血しながら、反ざまによろめき倒れた、無論致命傷である。これを見て高虎が声荒く、

「団兵衛、その勝<ruby><rb>卑怯</rb><rt>ひきょう</rt></ruby>ではないか！」

と叫ぶのを、光政が<ruby><rb>遮</rb><rt>さえぎ</rt></ruby>って、

「いや卑怯でない、裸になって襲われた時、これを防ぐ早速の覚悟、しかと見届けた。源平宇治川の合戦に、<ruby><rb>佐々木四郎</rb><rt>ささきしろう</rt></ruby>一番乗の例もある、この試合に法を用いて勝つこと<ruby><rb>些</rb><rt>すこ</rt></ruby>しも曲事ならず、あっぱれなり団兵衛！」

と声をあげて褒めた。

勿論高虎も、心から卑怯と思ったのではなく、庄太夫を打殺した手前、池田光政の気をかねて叱ったのだから、そう云われるとこれも嬉しそうににやにやしている。光政それを横眼に見てとると、早くもきっとかたちを改めた。

「しかし、勝負は勝負だ！」

そう云っていかにも心外そうに、

「<ruby><rb>私</rb><rt>わし</rt></ruby>にとっては庄太夫は大事な家臣、それを打殺されてこのままに引込む訳にはゆかぬ、是非に団兵衛を申受けたいがいかが？」

「団兵衛を？――してどうなさる？」

「邸へ連れ帰り、臣庄太夫の敵として手打にいたす、是非の論は無益、たって団兵衛をお引渡しください」

云われて高虎、しばらく池田光政の面を<ruby><rb>瞠</rb><rt>みつ</rt></ruby>めていたが、やがて<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>った。

「うーん、しまった、計られた！」

光政は澄まして、

「<ruby><rb>蝦</rb><rt>えび</rt></ruby>で鯛、蝦で鯛」

と<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いていた。

## 三

鳥取へ帰藩のうえ手打にいたす、もし供があれば供を召連れてよろしい。

そういう仰付けであった、妙な話だが考えることもあるので、弥九郎を伴ってだだら団兵衛は、光政とともに津を去った。

鳥取へ着くと、すぐにお手打かと待っているがなかなかそのことがない、その内にお邸をたまわって、

「今年中は祖先の年忌に当るゆえ、手打は明年まで延期いたす、その間出仕せよ」

というお達が出た。

年が明けるとふたたび都合により延期、それからまた延期、その間に津では高虎が逝去したりして、ついに四年いる。寛永九年、池田光政は封を備前に移されて岡山の城主となった。

岡山に移ると間もなく団兵衛に、

「このたび、御移封により<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめし</rt></ruby>をもって、二百石新規御召出し仰付らる！」

というお達が出た。団兵衛は即座に、

「拙者二君に仕えること思いもよらず、万一にもお手打なき節は津へ帰ります！」

と強硬にはねつけた。

「しかし、私はそのほうを高虎公から貰い受けて来たのだ、帰ると申しても、当の高虎公が他界されていてはしかたがあるまい？」

「御墓前で腹を切り、お跡を追います」

光政どうにも手がつけられぬ。

「よいよい、考えておく」

とさげた。しかしどうかして家中に留めておきたいものと色々思案したあげく、<ruby><rb>南部八郎太</rb><rt>なんぶはちろうた</rt></ruby>というを召して、どうにかいたせと命じた。

この南部八郎太というのが、池田家でも名うての強情我慢家で、あえて巻狩のおり、大熊と組打をしたり、雪中裸になって庭前で酒盛をひらいたり、二七日の断食をしたら首をやると云われ、みごと十五日間食を断って、首の代に詫証文を取ったり、その外数知れぬ奇矯な行いをして、ようやく弛緩しはじめた家中の士気を鼓舞することに勉めていた。

「何とかいたします」

と受合った八郎太。二三日考えていたが、何か思いついたとみえて、ある日、馬を駆って団兵衛の邸へ乗りつけ、玄関先に立はだかって、

「やあ、だだら団兵衛と申す強欲者はいるか、南部八郎太問訊したきことあって参った、出合え！」

と喚きたてた。かくと聞くより団兵衛はおっ取刀で玄関へ出て来た。

「拙者がたたたらたららら」

<ruby><rb>急</rb><rt>せ</rt></ruby>いているから吃りかかるのへ八郎太押冠せて、

「汝いずくの馬の骨か知らぬが、殿の御愛顧をよきことに二百石という<ruby><rb>高禄</rb><rt>こうろく</rt></ruby>を頂戴いたしたよし奇怪なり、元来畠山に勝ちしも詐略を用いたと聞く、これまことの勝にあらず、二百石などという手柄ではあるまいが！」

と口にまかせて罵りたてた。正面からこうやられて団兵衛かっとなり、

「<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だ</span>黙れ牛の頭め！」

と叫びながら式台へ下りた。

「<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">きき</span>きさま、ことの仔細も存ぜず雑言を叩くとは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぶぶ</span>無礼なやつ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">か</span>かの庄太夫と申す者はその時三十斤の鉄棒を持ち、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せせ</span>拙者は少将殿のお望みにて無手丸腰、はじめより尋常の立合でないことは知れていたのだ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">にに</span>二百石が高禄などとは笑止千万、この、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ここ</span>この、たたたたららだだ団兵衛を召抱えるとなれば、三百石五百石でも安いものだ！」

「では貴殿の二百石は高禄でないと申されるのだな？」

八郎太が念を押すように訊く、

「<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ゆゆゆ</span>云うまでもないこと、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せせ</span>拙者にとって二百石や三百石は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">めめ</span>目薬にも足らぬ」

「偉い！」

八郎太膝を打って叫んだ。

「よくもそこまで申された、上辺のみ<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>に取りつくろう今様侍の多い中に、はっきりそれだけ云ってのけるところ正に一勇士でござる、なるほど二百石は安い、しかし多々羅氏、武士は己を知る者のために死すとか聞く、まあ当分はそれで我慢なされい、折あらば拙者からも推挙仕ろう！」

云われて団兵衛はっと気がついた。

「あいや<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しし</span>しばらく、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せせ</span>拙者は、御当藩に仕官いたした訳ではなく、その――」

「これは怪しからぬ、たった今貴殿は二百石は高禄でない、目薬にも足らぬと云われたではないか、仕官いたさぬ者が、何の必要あって石高の多寡を論ぜられたか。二百石は安いと云われるのを、しかし武士は己を知る者のために死す、しばらく御辛棒と拙者が申上げた、武士と武士がこれほどはっきりと申交したことを、よもや貴殿取消しはなさるまいが？」

「うーむ」

呻ったが間に合わぬ。云い返そうと思うけれど吃る癖が出たから、それが邪魔をして反対に云いくるめられるのは必定、<ruby><rb>歯噛</rb><rt>はがみ</rt></ruby>をした団兵衛、

「<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かかか</span>勝手にめされい、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しし</span>知らぬ！」

と云って入ってしまった。

明る日になると、新規御召出の祝儀に！　と云って知友のほうから祝品が次から次と持込まれる、断るに断りきれず受取っておくと、四五日して城中からお召がきた。

「今日こそきっぱり片をつけよう！」

決心して出ると、顔を見るなり光政が、

「団兵衛か、仕官致すおもむきたしかに南部八郎太より聞いた、出精頼むぞ！」

と云うより早く、すっと立って奥へ入ってしまった。どうすることもできない、このうえにたって御免と云えば、こんどは南部八郎太の名を<ruby><rb>蹂躙</rb><rt>ふみにじ</rt></ruby>ることになるから、

「忌々しい八郎太め」

とぶつぶつ云いながら退出した。

家に帰って静かに考えると、一旦光政に従ってここまで来て、かくまで懇望されるからにはこれも武士の面目、いっそ仕官しよう！　と決心した。

かくてついに多々羅団兵衛は、池田家に二百石をもって仕えることになったのである。

ところが団兵衛と八郎太の仲の悪いこと、

「明日は晴れる！」

「いや雨に違いない」

そんな些細なことから、武芸の話、役向の<ruby><rb>詮議</rb><rt>せんぎ</rt></ruby>にいたるまで、二人の顔が合いさえすれば<ruby><rb>喧嘩</rb><rt>けんか</rt></ruby>であった。

「もうきさまとは口を利かぬ！」

「おお拙者も絶交じゃ」

そんな言葉が何度繰返されたか知れない、周囲の者もはじめは仲裁に入ったり、仲直りをさせたりして骨を折ったが、いつまで経っても果しのないのに<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れかえって、

「あれは前世で敵同志だったに違いない！」

「犬と猿を形にして見るようだ」

「捨てておけ、もうかまうな！」

そう云って誰もかまいつけなくなった。二人は結局それをいいことにして、その後も相変らず勢を張り合って暮していた。

そしてまた幾年か経った。

## 四

寛永十七年の春三月、上巳の節句の夜。

団兵衛の邸の裏口を忍びやかに叩く者があった。弥九郎が出てみると、面を<ruby><rb>蔽</rb><rt>かく</rt></ruby>した武家の女房らしいのが、七歳あまりの娘の手を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて立っていたが、潜戸の明くのを待兼ねてつと内へ入り、うしろざまに戸を閉めて、

「これを多々羅様に！」

と云って一通の書面を渡した。

「いずれから？」

と訊くと、

「どうぞ御覧に入れて――」

と四辺を憚るようす、仔細ありげだから急いで主人の居間へ持って行った。団兵衛が受取って見ると差出人は『南』という一字。

「はて――」

封を切って読むと。

至急。妻子しばらく<ruby><rb>御匿</rb><rt>おかくま</rt></ruby>い願入る。<ruby><rb>脱</rb><rt>のが</rt></ruby>れ難き<ruby><rb>寃罪</rb><rt>えんざい</rt></ruby>にて暫時退国仕る。寃罪晴れ次第帰国。それまで。

南部八郎太白

多々羅団兵衛殿

よほど急いだとみえて言葉も尽さぬ走書だ、しかしその文面には頼みきった八郎太の気持が滲出ていた。

「そのかたを急いでお招き申せ！」

「はっ！」

まろぶように出て行った弥九郎は、すぐに八郎太の妻と娘を導いて来た。

「深夜に、お騒がせいたしまして――」

と手をつくのを遮って、

「いやそのまま、委細は書面で承知いたした、御不自由でもあろうが、当家におられる内は安泰に思召せ、必ずお匿い申上げる！」

と頼もしく云って、早々奥まった一室に仕度をさせ、弥九郎にも厳重に他言を禁じて、母娘の者を匿まった。

翌日、城へ上ってようすを訊くと――。

節句の当夜。

家老の一人、<ruby><rb>梁川主馬</rb><rt>やながわしゅめ</rt></ruby>の上出石の別荘に、上巳の祝で酒宴が張られ、十二三人の客が集まった。

その酒宴なかばに、主人主馬と南部八郎太の間に<ruby><rb>諍</rb><rt>あらそ</rt></ruby>いが起ったが、止める人があって何事もなく過ぎ、やがて酒宴も終って四つ上刻、人々は梁川邸を辞した。

客が帰り去って半刻も過ぎた頃、家士の一人が何心なく主人の居間へ行くと、あたり一面乱雑に取散らされてあり、主馬は血まみれとなって倒れていた。仰天して、

「御前！　御前！」

と抱起すと、主馬は<ruby><rb>痙攣</rb><rt>ひきつ</rt></ruby>るように、

「は……八郎太！」

と云った、家士が耳に口を寄せて、敵は？　と訊くと、もう一度、

「八郎太に……」

とまで云って、がっくり落入ってしまった。急いで庭前へ走り出て見たが、もはやあたりにはそれらしい影もない。直ちにお届けに及ぶ。本邸から人が駈けつけて来て調べてみると、主馬が珍重していた菊一文字のひと腰が紛失していた。

「たしかに二度まで八郎太と申しました」

家士の者が繰返して云ったが、まさか南部がと云って誰も信じなかった。しかし当夜口論した事実もあるから一応は<ruby><rb>訊</rb><rt>ただ</rt></ruby>すべきだろう、というので使をやると、南部の邸は空だ。

「八郎太<ruby><rb>逐電</rb><rt>ちくでん</rt></ruby>！」

という報告を聞いて、知るも知らぬもあっと声をのんだ。すぐにこのむねを言上すると、日頃出頭の侍だけに光政は怒って、

「よもや家族までは立退くまい、きっと探し出して厳罰にしろ！」

と仰出された。団兵衛の聞いたのはそれだけである。しかし八郎太がそんなことをするはずはないと固く信じきっていた団兵衛は、黙って邸へ帰って知らぬ顔でいた。

即日、梁川主馬の息<ruby><rb>三十郎</rb><rt>さんじゅうろう</rt></ruby>は、仇討御許を得て南部八郎太の跡を追う。一方目付役は、光政の名をもって、

「南部八郎太の家族を匿う者はすみやかに申出ずべし、もし怠った場合には厳重に罰す！」

という触書を回した。触書を回したが届出る者はない。といって八郎太の妻子が城下を脱出た形跡もないから、ついに目付役が、家中の者の邸を片端から検分して歩いた。勿論多々羅の邸へも来たが、日頃犬猿の仲ということは隠れもない故、

「おりませぬ」

と答えるとそれで済んだ。

「邸内をお<ruby><rb>検</rb><rt>あらた</rt></ruby>めくださるか？」

と訊くと、目付の者はにやにや笑いながら、

「いやけっこうでござるよ」

そう云って帰って行った。

弥九郎が心配して、もしこのことが知れて厳重なお<ruby><rb>咎</rb><rt>とがめ</rt></ruby>があったらどうなさるか、と訊くと、

「覚悟はできておる！」

ときっぱり云い放った。そうこうしているうちに春が行き夏が来た。六月はじめのある日、城中から使者が馬をとばして駈けつけ、光政より急のお召を伝えた。取るものも取あえず登城する。

「御書院へ！」

と云われてそのほうへ参ると、光政の御前には意外にも梁川三十郎と南部八郎太の二人が坐っている。

「や、これはどうしたことだ？」

思わず立止ると、光政が<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえ</rt></ruby>んで、

「いや面白い話よ、そちにも聴かそうと存じて呼んだのだ、近う寄れ」

と招かれた。団兵衛が光政に挨拶を済ませると、待兼ねていた八郎太が両手を下ろして、

「長い世話をかけた、かたじけない！」

と云いながら、懐しさを眼に籠めて、じっと団兵衛を見上げるのだった。

「なんの、貴殿<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せたな」

団兵衛はそれだけ、しかしその声はうるんでいた。二人はひたと眼を見合せてしばらくは言葉もない。あれほど仲の悪かった二人が、相逢うた恋人同志のように、ものも得云わず<ruby><rb>瞠</rb><rt>みつ</rt></ruby>めあっている様を見て、光政も思わず眼頭に熱いものを感じた。

「さ、八郎太、その節のこと団兵衛に語ってやるがよい」

やがて光政の促すままに、八郎太は当夜の事件を話し出した。

三月三日の夜――。宴終って後、八郎太は三四人の連と外へ出たが、五番町のあたりまで来た時、ふと忘物をしたことに気がついたので、そこから一人で立戻った。急いで戻って来る、別荘の横手、ひょいと生垣を乗越えて邸の中から忍び出て来たやつがある。

「誰だ！」

と叫ぶと、ぱっと身を飜して逃去ったが、覆面の間にちらりと見た顔は、たしかに半年ほど前、不行跡のことあって藩を追われた<ruby><rb>垣内彦六</rb><rt>かきうちひころく</rt></ruby>という者である。

何かあったな！

と思ったので、庭先から入り、主人の居間の縁先へ駈けつけると、明け放した障子の中に主馬が倒れている。

驚いて駈上り、抱起して、

「梁川氏！」

と呼ぶと、顔をあげた主馬が、<ruby><rb>忿怒</rb><rt>ふんぬ</rt></ruby>の形相凄じく、呻くように、

「ううぬ、八郎太！」

と云った。不意討にやられたので、いま見る八郎太を相手と思誤ったらしい。驚いた八郎太が、

「違う、私は今ここへ――」

云いかけるのを構わず、必死になって、

「たた誰か参れ、八郎太が」

ともがく。

傍に血まみれの刀が落ちているから、つと手を伸ばして見ると主馬の差料だ。油断を狙って主馬の刀で斬ったものに違いない。

主馬はあくまで下手人は自分と誤り信じている、せめて刀が殺害者の物ででもあったら、自分の潔白を証拠だてる万一のよすがともなったろうに。宵の口論といい、一人途中から引返したことも知られていれば、もはやこれは云い解くすべのない<ruby><rb>罠</rb><rt>わな</rt></ruby>だ！　八郎太はそう感じた。

「これは一時身を隠し、たしかにきゃつと<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだ垣内彦六を探し出すより致しかたがない！」

そう決心すると、すぐに邸へ跳んで帰り、書状を添えて妻子を団兵衛に頼み、自分は国を立退いたのである。

かくて苦心転々三月。

ようやく彦六の居所をつきとめた時、折もよし梁川三十郎が、自分を仇と狙って探し回っていたのに会った。膝を交えて仔細に聞くと、その時主馬の愛蔵する菊一文字のひと腰が盗まれていたことを初めて知った。

「それこそ何よりの証拠！」

と雀躍して、三十郎を伴い彦六の隠家へ乗込むと、案の定拵えを変えてその刀を持っていた。そこで八郎太が後見のうえ、三十郎はみごと彦六を討って、ともどもめでたく帰国したのである。

「そうか、そんな事情であったか」

聞終った団兵衛も、余りに不思議な事件のゆくたてに、ほっと太息をもらした。

「団兵衛！」

光政がにこにこ笑いながら、

「そのほうよく八郎太の家族を匿ってくれたな、もしそのほうが余の達を素直にきいて、匿いおることを届出たなら、余はよしなき過をいたすところであった、礼を申すぞ、したが――」

と少し皮肉な調子になって、

「日頃あれほど仲の悪かったそのほうが、どうして重罰を怖れず、あくまで匿い通したのか？」

団兵衛は平伏して、

「は、恐れながら、私は八郎太を無二の親友と存じおります、ただ」

と八郎太をかえりみて、

「お役向のことについては、私ども両人ともはばからず思うところを申述べますので、衝突いたすもまた当然のことと存じます、元来心の底まで知合った友ならでは、喧嘩も口論もないはずでござりましょう！」

と答えた。

「八郎太はどうじゃ」

と光政が訊く、

「は、危急の場合、安んじて妻子を預けましたことにて御賢察を願いまする」

深く二度三度頷いた光政は、

「あっぱれこれこそ武士の交りじゃ、感じ入ったぞ、そこで団兵衛には何か褒美をとらせたい、望みのものがあらば申せ」

「恐れながら、望みのもの、ござります」

団兵衛が平伏して云った。

「八郎太の家族を匿い、あくまでお上を偽り奉った罪によって、なにとぞ切腹を申付けられたく、この儀望みにござります」

「いやそれはならぬ、すでに八郎太の罪ならぬことも分ったではないか」

「しかし」

と団兵衛は光政の言葉を遮った。

「しかし、一旦お上を欺き奉った罪は消えませぬ、これを万一お赦しあれば、国の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>の乱るるは必定、是非切腹をお申付けくだされ」

「まあ待て――」

「いや待ちませぬ、是非！」

頑としてきかぬ。

「ではどうあっても腹切ると云うか」

「御手打となるはずにて津を立退いて参った私、このたびのことも初めより覚悟あってのことにござります、もはやお止めだて無用！」

きっぱりと云い放った。

三十郎も八郎太も、この諍いばかりは手が出せない。光政はしばらく団兵衛を見戍っていたが、<ruby><rb>梃</rb><rt>てこ</rt></ruby>でも動かぬ決心がよく分ったので、やがて胸のうちに何か頷きながら、急に声を荒げて云った。

「よし、それほどに申すなら何も云わぬ、しかし腹切るまでもなく、約束どおり今改めて余が手打にいたす、庭へ出い！」

「はっ、有難き仕合せ」

答えるより早く、すっと立って庭へ下りた。

団兵衛が芝生の上へ端然と坐ると、光政は<ruby><rb>佩刀</rb><rt>はいとう</rt></ruby>を抜いてつっと背後へ回った。

「覚悟はよいか？」

と声をかけると、団兵衛は静かに、

「御刀を汚し恐れ入ります」

と云って<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>をさしのべた。とたんに光政の佩刀が空を切る。

「やっ！」

声とともに、団兵衛の<ruby><rb>髻</rb><rt>もとどり</rt></ruby>がばらりと切れてとんだ、驚く団兵衛には眼もくれず、

「死骸を取片づけろ」

そう云いすてて光政は、さっさと奥へ立去ってしまった。

黄金二百両、御肌付白<ruby><rb>無垢</rb><rt>むく</rt></ruby>ひと重、それだけが団兵衛への下され物であった。邸へ退ると僧形に改め、直ちに岡山を立退いて団兵衛は津へ帰った、そして亡君高虎公の墓守として一生を終ったという。

山賊大蛇嶽闇右衛門こと弥九郎は、岡山に残って足軽に召上げられ、永く繁昌したと伝えられている。