その頃<ruby><rb>榎本其角</rb><rt>えのもときかく</rt></ruby>は、俳友<ruby><rb>小川破笠</rb><rt>おがわはりゅう</rt></ruby>と共に江戸<ruby><rb>茅場町</rb><rt>かやばちょう</rt></ruby>の裏店に棲んでいた。

芭蕉の門に入ったばかりで、貧窮のどん底時代だった、外へ出る着物も夜の<ruby><rb>衾</rb><rt>よぎ</rt></ruby>もひと組しかなく、それを破笠と共同で遣っている有様だった。

同門の親友、<ruby><rb>服部嵐雪</rb><rt>はっとりらんせつ</rt></ruby>は、その時分<ruby><rb>井上相模守</rb><rt>いのうえさがみのかみ</rt></ruby>に仕えていたから、其角の貧乏を心配して、絶えず金や衣服を調達してやるのだが、性来酒好きな上に<ruby><rb>恬淡</rb><rt>てんたん</rt></ruby>な其角は、たちまち何もかも酒に代えてしまうのだった。

或時、其角の貧乏を聞かれた井上相模守侯が、

「榎本にも邸へ出入をするよう、言ってみたらどうか」

と嵐雪に相談した。勿論、嵐雪は非常に悦んで、すぐに茅場町へとんで行った。ところが其角は一向に嬉しくなさそうで、

「まあお断りをしよう」

と言う。

「何故だ、こんな貧乏が続いては、ろくな勉強もできぬではないか」

「ばかなことを――、天地自然が金で購えるか、春秋四季変化の妙諦を極めるのに、貧乏で悪い理由はあるまい、それに」

と其角は苦笑しながら、

「私は大名の為に<ruby><rb>俳諧</rb><rt>はいかい</rt></ruby>をよむのは御免だ」

「――――」

嵐雪もそう言われては致方がないので、侯の邸へ帰ってその通り復命した。井上侯はもとより蕉門の俳諧に通じ、芸道に理解のある人であっただけ、其角の言葉がかちんと<ruby><rb>癇</rb><rt>かん</rt></ruby>に障ったらしい、

「そうか、大名の為に俳諧はせぬと言ったか――」

と少々不愉快な顔をした。

そんな事があって間もなく、深川松川町の<ruby><rb>佐野屋喜左衛門</rb><rt>さのやきざえもん</rt></ruby>という材木問屋の隠居所で、俳諧の催しがあるのに其角は招かれた。喜左衛門は<ruby><rb>似相</rb><rt>じそう</rt></ruby>という俳号をもって、蕉風の俳諧では、すでに旦那芸の域をぬきんでていた。

興行は七つ（午後四時頃）から始まって夜の五つ（午後八時頃）に終り、それから酒が出たので、其角が佐野屋の邸を辞したのはもう四つ（午後十時頃）を過ぎた時分だった。

「<ruby><rb>駕籠</rb><rt>かご</rt></ruby>を雇いましょう」

と喜左衛門がすすめるのを断って、

「春寒の夜風で、酔を<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>ましながら参るのも妙でしょう」

そう言って外へ出た。

浅春二月中旬の、どこかうるんだ空に、もうろうと薄月がかかっていたし、川面を吹渡ってくる風も、潮の香を含んで快かった。歩きだしてから<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って酔を発した其角は、相川町を右に折れて、<ruby><rb>蹣跚</rb><rt>まんさん</rt></ruby>と<ruby><rb>蜆河岸</rb><rt>しじみがし</rt></ruby>へさしかかった。すると片側町の暗がりから、

「待て待て、町人待て！」

と声をかけられた。<ruby><rb>吃驚</rb><rt>びっくり</rt></ruby>して振返ると、手に手に大刀を抜いた五六人の覆面の武士が現われ、ばらばらと其角を取囲んだ。

「何か御用か」

其角も若かったし、未だ酔が充分に廻っているから、弱味を見せまいとして、<ruby><rb>傲然</rb><rt>ごうぜん</rt></ruby>と相手を見廻しながら言った。

「ふふふふ大分強そうな口を利くな、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも御用だ、気の毒だがここへ通り合せたのが貴様の不運、身ぐるみ脱いで置いて行け」

「文句を吐かせば遠慮なく斬って棄てるぞ、早く裸になれ！」

一人が白刃で其角の頬をぴたぴたと叩く、其角すっかり毒気をぬかれたが、

「冗談おっしゃってはいけません、私は御覧の通りの貧乏俳諧師、逆さにふるったって<ruby><rb>鐚</rb><rt>びた</rt></ruby>一文ありゃしません、この<ruby><rb>襤褸</rb><rt>ぼろ</rt></ruby>を身ぐるみ脱いだところで――」

「ええ、ぐずぐず申すか！」

気早な一人が、いきなり其角の胸倉を取って、刃をどきどきする<ruby><rb>喉元</rb><rt>のどもと</rt></ruby>へ突つけた。

「網にかかった獲物なら、大名乞食の差別はない、尾羽根まで<ruby><rb>毮</rb><rt>むし</rt></ruby>るが我等の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>だ、脱がぬとあればおのれ――！」

「お、お待ちください、脱ぎます」

すっかり酔の醒めた其角は、手早く帯を解いて着物を脱いだ。

「何だ、未だ残っているではないか」

「これは<ruby><rb>襦袢</rb><rt>じゅばん</rt></ruby>です！」

「いかん、そいつも脱げ」

<ruby><rb>褌</rb><rt>ふんどし</rt></ruby>ひとつになった其角、浅春とはいえ二月の内、川から来る風はまだ素肌には冷たかった。さすがに其角中っ腹になって、

「こんな姿では歩いて家へは帰れません、何とかして頂かなければ困ります」

「よしよし、良い工夫をしてやる」

賊の一人がそう云って向うへ行った。丁度そこへ戻りとみえる<ruby><rb>辻</rb><rt>つじ</rt></ruby>駕籠が一挺、何も気がつかずにやって来るのを、

「駕籠屋」

と呼止めた。見ると手に手に白刃を提げた怪しい者達、吃驚して逃げようとするのを、早くも前へ廻って引戻した。

「へえ、どうか生命ばかりは――」

「生命を貰おうと言うのではない、この裸を一人乗せて行くのだ」

「そんな事ならお安い御用で」

「早くしろ」

其角はその駕籠へ乗った。

「どちらまで……」

「黙って<ruby><rb>跟</rb><rt>つ</rt></ruby>いてくれば分る」

賊が答えた。其角が駕籠の中から、

「茅場町へ帰るのだが」

と言ったが、誰も返辞をしない、駕籠は調子よくあがった。

駕籠は右へ曲ったり左へ折れたりしながら長いこと進んで行った。左右には例の賊がついているらしく、お頭がどうしたとか、昨夜は若い娘の生胆をぬいたとか、今夜の<ruby><rb>生贄</rb><rt>いけにえ</rt></ruby>は五人だが、丁度これで五人目だから、これで役目も終った、あとは<ruby><rb>掠</rb><rt>さら</rt></ruby>って来た例の女を<ruby><rb>肴</rb><rt>さかな</rt></ruby>に朝まで呑み明そう――などと、不気味なことを低い声で話し合っている。

――これはどうやら賊の家へ連れて行かれるらしいぞ。

と思ったから、折があったら救いを呼ぼうと、外の気配を伺っていると、番所へでも来たらしく、<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>める声がした。

「これこれ、この夜陰にいずれへ参られる」

「はい、実は急病人でございまして、医者の<ruby><rb>許</rb><rt>もと</rt></ruby>へ参る途中でございます」

其角が伸上って、助けてくれ！　と叫ぼうとしたとたん、駕籠の垂の間から、すっと白刃が出て、其角の<ruby><rb>脾腹</rb><rt>ひばら</rt></ruby>へぐいと差しつけられた。あっと言っても刺殺さん気配――其角はそのまま身動きもできなくなった。

こうして、三五度も木戸や番所で咎められながら、遂に救いを呼ぶ機会もなく、やがて一刻あまりも乗り続けた後、駕籠はどしんと荒々しく下へ置かれた。

「出ろ！」

と言う声に、其角が恐る恐る駕籠を出て見ると、<ruby><rb>鬱蒼</rb><rt>うっそう</rt></ruby>と常緑樹の茂った深山のような中で、向うから<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>だらけの面をして<ruby><rb>松火</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>を持った、異装の荒くれ男が二人やってきた。そして茫然としている其角の手を両方からひっ<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>むと、物も言わずに<ruby><rb>引摺</rb><rt>ひきず</rt></ruby>って行く。

樹立をぬけると立派な玄関構え、そこにも熊の皮の胴巻を着け、山刀をぼっこんだ大男がいて其角を受取った。玄関から廊下へ出て、幾曲りもした後、やがて<ruby><rb>煌々</rb><rt>こうこう</rt></ruby>と燈火の輝く大広間へ導かれた。そこは岩屋の一部へ造りつけたと見え、正面はぐっと<ruby><rb>刳込</rb><rt>えぐりこ</rt></ruby>んだ洞窟で、槍、長巻、山刀、矢鉄砲、掛矢なんど、見るも恐ろしい武器が置並べてある。

上段には面を<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>った男が一人、七八人の女達に囲まれて傲然と構えているし、広間には髭、<ruby><rb>月代</rb><rt>さかやき</rt></ruby>を伸ばした異装の男達が、これも女達に酌を執らせてい並んでいた。女達はいずれも誘拐されてきた者と見え、衣服も髪かたちも<ruby><rb>区々</rb><rt>まちまち</rt></ruby>であったが、みんな眼を<ruby><rb>泣腫</rb><rt>なきは</rt></ruby>らして、ぶるぶる<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>えている様子だった。

「これ、そこの裸の男」

其角が末席に座ると、上段にいる頭領らしい男が声をかけた。

「貴様は幸運な奴じゃな、今宵は<ruby><rb>儂</rb><rt>わし</rt></ruby>の祖先の百回忌で、女三人、男五人を<ruby><rb>生贄</rb><rt>いけにえ</rt></ruby>に祭る日じゃ、貴様が男では五人め――最後の贄になるのじゃ、名誉であろうが」

其角は胴顫いの出るのを止めることができなかった。

と――その時、

「ひ――！」

と言う若い女の悲鳴が聞えてきた。すると上段にいる頭領は愉快気に、

「<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>を明けろ、贄を肴に呑もうぞ」

「はっ」

手下の二人が立って、次の間の襖をさっと左右へ引明けた。其角はひと眼見るよりあっと叫んで眼をつむった。

次の間には大きな炉が切ってあって、火が烈々と燃えている、その火の上へ、天井から鉄の鎖で縛りあげられた半裸体の女が、逆さ<ruby><rb>吊</rb><rt>づ</rt></ruby>りに吊り下ろされているのだ。

「ひ――！」

喉も裂けよと悲鳴をあげて、白い手足を蛇のようにのたうつ女。烈火の<ruby><rb>篝</rb><rt>かがり</rt></ruby>に形相変じて、今にも悪鬼に化するかとばかり、そのままの地獄図絵だった。

「はははは、よいざまじゃな」

頭領はあざみ笑いながら盃をあげた。

「裸の男、どうだ、よい心地であろうが、貴様もすぐにあのようにしてやる、ま酒でも参るが宜いぞ」

手下共は女を急きたてて、其角の前へ酒と山海の珍味を並べ、厭がるのを無理強いにぐんぐん呑ませた。

「ところで裸坊主、我らの慈悲として、気に入った芸をして見せる者は、生贄の責を免じてやる定だが、貴様何か芸はできるか」

「はい」

其角は顫えながら、

「私は俳諧師でございますから、俳諧をよむことはできますが、外に芸と申しまして別に何も――」

「俳諧――？　俳諧とは何じゃ」

「深く説明致しますとむつかしゅうございますが、発句の例をとって申しますと、十七字の中へ森羅万象を<ruby><rb>詠</rb><rt>よ</rt></ruby>みこみまするもので、和歌よりやや狂体に転じた一種の――」

「面白い、それをひとつやって見ろ、気に入ったら生贄を免じてやるぞ」

「はい」

其角は<ruby><rb>溺</rb><rt>おぼ</rt></ruby>れんとして<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>を掴んだ気持、<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>を正して句案にかかった。しかし先刻から<ruby><rb>顛倒</rb><rt>てんとう</rt></ruby>している心気は頓に鎮まらず、なかなか名句が浮んでこなかった。

「どうした、<ruby><rb>刻</rb><rt>とき</rt></ruby>がうつるぞ」

「は、唯今」

苦案に苦案を重ねて一句を得た。

「一句浮びました」

「よしよし、そこで披露してみろ」

其角は厳かに手を膝へ置いて詠んだ。

霜を見る蛙は<ruby><rb>百舌</rb><rt>もず</rt></ruby>の沓手かな

「なる程」

頭領は頷いた。

「百舌の早贄にかかったので、蛙が霜に逢うというのだな、面白い」

と盃をあげたが、

「だが、百舌の早贄などとは、この座に当つけた心持があって不愉快だ、折角だが助けることはできないぞ」

「な、何故でございます」

「何故も風もない、それ、そやつを生贄にかけるのだ」

言下に立上る賊共。

「ま、待ってください」

立上る其角、四五人の荒くれが取って押えると、いきなり頭から黒い布を冠せた。脱れようと必死に争ったが、ずるずると引摺って行かれる其角、かっかと燃える烈火のほてりを感じたまま、遂に気を喪ってしまった。

それから随分ながい刻が経った。夢から醒めるように、其角は自然と目覚めた。

「おや！」

と思って起上ると、自分は茅場町の裏店のひと間に、破笠と並んで寝ている。夜の衾も共同の物だし、着物も佐野屋へ出掛けた時のままである。悪夢か――狐狸に化かされたのか、余りの不思議さに、

「破笠、破笠ちょっと起きてくれ」

と友達を揺り起した。

「おれは全体どうしてここに寝ているのだ」

「何を<ruby><rb>寝呆</rb><rt>ねぼ</rt></ruby>けているのだ」

破笠は眼をこすりながら、

「ひどく酔って帰ってきて、家の前のところでぶっ倒れたじゃないか」

「何刻頃のことだ」

「大分おそかったぞ、何でも浄願寺の鐘が九つ（十二時頃）を打って暫くしてからだった」

「一人で帰ったのか」

「そうさ」

其角はうーんと唸った。

あの<ruby><rb>山塞</rb><rt>さんさい</rt></ruby>をどうして脱出したろう、どうして生贄にならずに済んだろう、それともあれは何も彼も夢か。

――分らない。

破笠が<ruby><rb>訝</rb><rt>いぶか</rt></ruby>しがって、どうしたんだと<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>いたが、話したところで信じてもらえるものでもなし、其角は黙って横になった。

それから三日後のこと、其角は芭蕉の家で偶然四五人の客と同座した。<ruby><rb>柳田出雲守</rb><rt>やなぎだいずものかみ</rt></ruby>、<ruby><rb>倉持但馬守</rb><rt>くらもちたじまのかみ</rt></ruby>の二人は顔見知りだったが、あとの二人は初めての客だった。

すると未知の客の一人が、

「こういうのを一句、最近得たのですが」

と言って筆紙を取り、すらすらと一句認めて芭蕉に差出した。芭蕉は暫く口の内にその句を誦していたが、

「どうだ」

と言って其角に渡した。

「拝見致します」

其角は膝を正して受けた。見ると意外！　<ruby><rb>墨痕</rb><rt>ぼっこん</rt></ruby>美しく書かれた句は、（霜を見る蛙は百舌の沓手かな）。

「あ！　これは⁉」

と見上げると、相手は微笑しながら、

「名乗り申そうか、拙者は井上相模守」

「や」

振返ると芭蕉も顔をほころばせている。相模守はにこにこしながら、

「大名の為には俳諧をせぬという尊公に是非一句<ruby><rb>咏</rb><rt>よ</rt></ruby>んでもらいたかった悪戯じゃ、許せ」

「ではあの山賊の頭領が――？」

<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れる其角。

「いや！」

侯は頭を振って、

「拙者は手下の賊で、尊公に酒を呑ませた方だ、ここにいる三人は、尊公を生贄にしようと手籠にした賊じゃ」

「はははは、ま許せ！」

三人も高く笑った。其角は膝をすすめて、

「ではあの、上段にいた方は？」

「他言無用だぞ」

相模守は声をひそめた。

「当上様だ」

「え？　将軍家」

其角は<ruby><rb>愕然</rb><rt>がくぜん</rt></ruby>と眼を<ruby><rb>瞠</rb><rt>みは</rt></ruby>った。

将軍家綱が、戯れに催した『百鬼夜行』の酒宴は有名である。其角の導かれたのはその内の『山賊』の催しであったらしい。市中から有ゆる芸人を誘拐し、それぞれ懸命の芸をさせて楽んだものである。井上相模はそれを良い機会に、若い其角を一ぱいはめたのであった。