Soranoha

十和田湖

とわだこ

泉 鏡花、泉 鏡太郎

一

「さて何どうも一方かたならぬ御厚情ごこうじやうに預あづかり、少すくなからぬ御苦労ごくらうを掛かけました。道中だうちうにも旅店はたごにも、我儘わがまゝばかり申まをして、今更いまさらお恥はづかしう存ぞんじます、しかし俥くるま、駕籠かご……また夏座敷なつざしきだと申まをすのに、火鉢ひばちに火ひをかんかん……で、鉄瓶てつびんの湯ゆを噴立ふきたたせるなど、私わたしとしましては、心こゝろならずも止やむことを得えませんので、決けつして我意がいを募つのらせた不届ふとゞきな次第しだいではありません。――これは幾重いくへにも御諒察ごりやうさつを願ねがはしう存ぞんじます。

――古間木こまき(東北本線とうほくほんせん)へお出迎でむかひ下くだすつた以来いらい、子ねの口くち、休屋やすみやに掛かけて、三泊とまり。今いままた雑ざつと一日にち、五日かばかり、私わたしども一行かうに対たいし……申尽まをしつくせませんまで、種々しゆ〲お心こゝろづかひを下くださいましたのも、たゞ御礼おれいを申上まをしあげるだけでは済すみません。御懇情ごこんじやうはもとよりでございますが、あなたは保勝会ほしようくわいを代表だいへうなすつて、湖みづうみの景勝けいしよう顕揚けんようのために、御尽力ごじんりよくをなすつたので、私わたしが、日日社にちにちしやより旅費りよひを頂戴ちやうだいに及およんで、遥々はる〲と出向でむきましたのも、又またそのために外ほかなりませんのでございますから、見聞みきゝのまゝを、やがて、と存ぞんじます。けれども、果はたして御期待ごきたいにかなひますか、如何どうか、その辺へんの処ところは御寛容ごくわんようを願ねがひたう存ぞんじます。たゞしかし、湖畔こはん五里余りあまり、沿道えんだう十四里りの間あひだ、路傍ろばうの花はなを損そこなはず、樹きの枝えだを折をらず、霊地れいちに入いりました節せつは、巻莨まきたばこの吸殻すいがらは取とつて懐紙くわいしへ――マツチの燃もえさしは吹ふき消けして、もとの箱はこへ納をさめましたことを憚はゞかりながら申まをし出いでます。何なには行届ゆきとゞきませんでも、こればかりは、御地おんちに対たいする礼儀れいぎと真情まごゝろでございます。」

「はあ――」

……はあ、とそつ気けはないが、日焼ひやけのした毛けだらけの胸むねへ、ドンと打撞ぶつかりさうに受うけ容いれらるる、保勝会ほしようくわいの小笠原氏をがさはらしの――八月ぐわつ四日か午後ごご三時じ、古間木こまきで会あうてより、自動車じどうしやに揺ゆられ、舟ふねに揉もまれ、大降おほぶり小降こぶり幾度いくどか雨あめに濡ぬれ、おまけに地震ぢしんにあつた、裾短すそみじかな白絣しろがすりの赤あかくなるまで、苦労くらうによれ〱の形かたちで、黒くろの信玄袋しんげんぶくろを緊乎しつかりと、柄えの巌丈がんぢやうな蝙蝠傘かうもりがさ。麦稈帽むぎわらぼうを鷲掴わしづかみに持添もちそへて、膝ひざまでの靴足袋くつたびに、革紐かはひもを堅かたくかゞつて、赤靴あかぐつで、少々せう〱抜衣紋ぬきえもんに背筋せすぢを膨ふくらまして――別わかれとなればお互たがひに、峠たふげの岐路えだみちに悄乎しよんぼりと立たつたのには――汽車きしやから溢こぼれて、風かぜに吹ふかれて来きた、木この葉はのやうな旅人たびびとも、おのづから哀あはれを催もよほし、挨拶あいさつを申まをすうちに、つい其その誘さそはれて。……図づに乗のつたのでは決けつしてない。……

「十和田わだの神かみも照覧せうらんあれ。」

と言いはうとして、ふと己おのれを顧かへりみて呆あきれ返かへつた。這個この髯斑ひげまだらに眼まなこ円つぶらにして面おも赤あかき辺塞へんさいの驍将げうしやうに対たいして、爾しかき言ことを出ださむには、当時たうじ流行りうかうの剣劇けんげきの朱鞘しゆざやで不可いけず、講談かうだんものゝ鉄扇てつせんでも不可いけない。せめては狩衣かりぎぬか、相成あひなるべくは、緋縅ひをどしの鎧よろひ……と気きがつくと、暑中伺しよちううかゞひに到来たうらいの染浴衣そめゆかたに、羽織はおりも着きず、貝かひの口くちも横よこつちよに駕籠かごすれして、もの欲ほしさうに白足袋しろたびを穿はいた奴やつが、道中だうちうつかひ古ふるしの蟹目かにめのゆるんだ扇子あふぎでは峠下たふげしたの木戸きどへ踞しやがんで、秋田口あきたぐちの観光客くわんくわうきやくを――入いらはい、と口上こうじやうを言いひさうで、照覧せうらんあれは事ことをかしい。

「はあ。……」

「えゝ、しかし何なには御不足ごふそくでも医学博士いがくはかせ、三角康正みすみかうせいさんが、この一行かうにお加くははり下くだすつて、篤志とくしとまでも恩おんに着きせず、少すくない徳本とくごうの膝栗毛漫遊ひざくりげまんいうの趣おもむきで、村々むら〱で御診察ごしんさつをなすつたのは、御地おんちに取とつて、何なによりの事ことと存ぞんじます。」

「はあ、勿論もちろんであります。」

「それに、洋画家やうぐわかの梶原かぢはらさんが、雨あめを凌しのぎ、波なみを浴あびて、船ふねでも、巌いはでも、名勝めいしようの実写じつしやをなすつたのも、御双方ごそうはう、御会心ごくわいしんの事ことと存ぞんじます。尚なほ、社しやの写真班しやしんはんの英雄えいゆう、三浦うらさんが、自籠巌じこもりいはを駆かけ上のぼり、御占場おうらなひばの鉄階子てつはしごを飛下とびおり、到いたる処ところ、手練しゆれんのシヤターを絞しぼつたのも、保勝会ほしようくわいの皆様みなさまはじめ、……十和田わだの神かみ……」

と言いひかけて、ぐつとつまると、白しろのづぼん、おなじ胴衣どうぎ、身みのたけ此これにかなつて風采ふうさいの揚あがつた、社しやを代表だいへうの高信たかのぶさん、傍かたはらより進すゝみ出いでゝ、

「では此これで、……おわかれをいたします。」

小笠原氏をがさはらしは、くるり向直むきなほつて、挙手きよしゆをしさうな勢いきほひで、

「はあ。」

これは、八月ぐわつ七日かの午後ごご、秋田県あきたけん鹿角郡かつのぐん、生出おひでを駕籠かごで上のぼつて……これから三瀧街道たきかいだうを大湯温泉おほゆをんせんまで、自動車じどうしやで一気きに衝つかうとする、発荷峠はつかたふげ、見返茶屋みかへりちややを、……なごりの湖うみから、向むかつて右みぎに見みた、三岐みつまたの一場面ばめんである。

時ときに画工ぐわこう――画家ぐわか、画伯ぐわはくには違ちがひないが、何どうも、画工ゑかきさんの方はうが、分わけて旅たびには親味したしみがある(以下いか、時ときに諸氏しよしに敬語けいごを略りやくする事ことを恕ゆるされたし。)貫くわん五さんは、この峠たふげを、もとへ二町ちやうばかり、樹きぶり、枝えだぶり山毛欅ぶなの老樹らうじゆの、水みづを空そらにして、湖みづうみの雲くもに浮ういた、断崖きりぎしの景色けしきがある。「いゝなあ、この山毛欅ぶな一本ぽんが、こゝで湖みづうみを支さゝへる柱はしらだ。」そこへ画架ぐわかを立たてた――その時とき、この峠たふげを導みちびいて、羽織袴はおりはかまで、阪さかへ掛かかると股立もゝだちを取とつた観湖楼くわんころう、和井内わゐないホテルの御主人ごしゆじんが、「あ、然さやうで。樹木じゆもくは一枝えだも大切たいせつにいたさなければ成なりませんな。素人目しろうとめにも、この上のぼり十五町ちやう、五十六曲まがり十六景けいと申まをして岩端いはばな、山口やまぐちの処々ところ〲、いづれも交かはる〲、湖みづうみの景色けしきが変かはりますうちにも、こゝは一段だんと存ぞんじました。さいはひ峠上たふげうへの茶屋ちややが、こゝへ新築しんちくをいたすのでございます。」背後はいごの山懐やまふところに、小屋こやを掛かけて材木ざいもくを組くみ、手斧てうなが聞きこえる。画工ゑかきさんは立処たちどころにコバルトの絵ゑの具ぐを溶といたし、博士はかせは紫むらさきの蝶てふを追おつて、小屋こやうらの間道かんだうを裏うらの林はやしに入はいつたので。――あと四人にんは本道ほんだうを休茶屋やすみちややへ着つくと、和井内わゐないの主人しゆじんは股立もゝだちを解といて、別わかれを告つげたのであつた。(註ちう。観湖楼くわんころうの羽織袴はおりはかまは、特とくに私わたしたちの為ためではない、折をりから地方ちはうの顕官けんくわんの巡遊じゆんいうがあつた、その送迎そうげいの次手ついでである。)

写真班しやしんはんの英雄えいゆうは、乃すなはちこの三岐みつまたで一度ど自動車じどうしやを飛下とびおりて、林間りんかんの蝶てふに逍遥せうえうする博士はかせを迎むかふるために、馳はせて後戻あともどりをした処ところである。――

方々かた〲の様子やうすは皆みな略ほゞ分わかつた、いづれも、それ〲お役者やくしやである。が、白足袋しろたびだつたり、浴衣ゆたかでしよたれたり、貝かひの口くちが横よこつちよだつたり、口上こうじやうを述損のべそこなつたり……一体たいそれは何なにものだい。あゝそつと〱私わたし……です、拙者せつしや、拙者せつしや。

英雄えいゆう三浦うらの洋装やうさうの、横肥よこぶとりにがツしりしたのが、見みよ、眉まゆの上うへの山やまの端はに顕あらはれた。三岐みつまたを目めの下したにして、例れいの間道かんだうらしいのを抜ぬけたと思おもふが、横状よこざまに無理むりな崖がけをするりと辷すべつて、自動車じどうしやの屋根やねを踏跨ふみまたぐか、とドシンと下おりた。汗あせひとつかいて居ゐない。尤もつとも、つい此この頃ごろ、飛行機ひかうきで、八景けいの中うちの上高地かみかうちの空そらを飛とんだと言いふから、船ふねに乗のつても、羽はねが生はえて、ひら〱と、周囲しうゐ十五里りの湖みづうみの上うへを高たかく飛とびさうでならなかつた。闊歩横行くわつぽわうかう、登攀とうはん、跋渉ばつせふ、そんな事ことはお茶ちやの子こで。――

思おもへば昨日きのふの暮前くれまへであつた。休屋やすみやの山やまに一座ざ且かつ聳そびえて巌山いはやまに鎮座ちんざする十和田わだ神社じんじやに詣まうで、裏岨うらそばになほ累かさなり累かさなる嶮けはしい巌いはを爪立つまだつて上のぼつた時ときなどは……同行どうかうした画工ゑかきさんが、信しんの槍やりも、越えつの剣つるぎも、此これを延長えんちやうしたものだと思おもへ、といつたほどであるから、お恥はづかしいが、私わたしにしては生うまれてはじめての冒険ぼうけんで、足あし萎なえ、肝きも消きえて、中途ちうとで思おもはず、――絶頂ぜつちやうの石いしの祠ほこらは八幡宮まんぐうにてましますのに、――不動明王ふどうみやうわう、と念ねんずると、やあ、といふ掛声かけごゑとゝもに、制吒迦せいたかの如ごとく顕あらはれて、写真機しやしんきと附属品ふぞくひんを、三鈷こと金剛杵こんがうしよの如ごとく片手かたてにしながら、片手かたてで、帯おびを掴つかんで、短躯小身たんくせうしんの見物けんぶつを宙ちうに釣つつて泳およがして引上ひきあげた英雄えいゆうである。岩魚いはなの大だいを三匹びき食くつて咽喉のどを渇かはかすやうな尋常じんじやうなのではない。和井内わゐない自慢じまんのカバチエツポの肥ふとつた処ところを、二尾ふたつ塩焼しほやきでぺろりと平たひらげて、あとをお茶漬ちやづけさら〱で小楊子こようじを使つかふ。……

いや爰こゝでこそ、呑気のんきらしい事ことをいふものゝ、磊々らい〱たる巉巌ざんがんの尖頂せんちやうへ攀よぢて、大菩薩だいぼさつの小ちひさな祠ほこらの、たゞ掌てのひらに乗のるばかり……といつた処ところで、人間にんげんのではない、毘沙門天びしやもんてんの掌てのひらに据すゑ給たまふ。宝塔ほうたふの如ごときに接せつした時ときは、邪気じやきある凡夫ぼんぷは、手足てあしもすくんでそのまゝに踞しやがんだ石猿いしざるに化ならうかとした。……巌いはほの層そうは一枚まいづゝ、厳おごそかなる、神将しんしやうの鎧よろひであつた、謹つゝしんで思おもふに、色気いろけある女人によにんにして、悪わるく絹手巾きぬはんかちでも捻ねぢらうものなら、たゞ飜々ほん〱と木きの葉はに化けして飛とぶであらう。それから跣足はだしになつて、抱かゝへられるやうにして下くだつて、また、老樹らうじゆの根ね、大巌おほいはの挟間さまを左ひだりに五段だん、白樺しらかばの巨木きよぼくの下したに南祖坊なんそばうの堂だうがあつた。右みぎに三段だん、白樺しらかばの巨木きよぼくの下したに、一龍神りうじんの祠ほこらがあつた。……扉とびら浅あさうして、然しかも暗くらき奥おくに、一個こ人面蛇体にんめんじやたいの神かみの、躯からだを三畝うねり、尾をと共ともに一口ふりの剣つるぎを絡まとうたのが陰影いんえいに立たつて、面おもては剣つるぎとゝもに真青まつあをなのを見みた時ときよ。

二

この祠ほこらを頂いたゞく、鬱樹うつじゆの梢こずゑさがりに、瀧窟たきむろに似にた径こみちが通とほつて、断崖きりぎしの中腹ちうふくに石溜いしだまりの巌いはほ僅わづかに拓ひらけ、直たゞちに、鉄くろがねの階子はしごが架かゝる、陰々いん〱たる汀みぎはこそ御占場おうらなひばと称しようするので――(小船こぶねは通とほるさうである)――画工ゑかきさんと英雄えいゆうとは、そこへ――おのおの……畠山はたけやまの馬うまではない、……猪しゝを抱いだき、鹿しかをかつぐが如ごとき大荷おほにのまゝ、ずる〱と梢こずゑを沈しづんだ。高信たかのぶさんは、南祖坊なんそばうの壇だんの端はしに一息いきして向むかうむきに煙草たばこを吸すつた。私わたしは、龍神りうじんに謝しやしつゝも、大白樺おほしらかばの幹みきに縋すがつて、東ひがしが恋こひしい、東ひがしに湖みづうみを差覗さしのぞいた。

場所ばしよは、立出たちいでた休屋やすみやの宿やどを、さながら谷たにの小屋こいへにした、中山半島なかやまはんたう――此この半島はんたうは、恰あたかも龍りうの、頭かうべを大空おほぞらに反そらした形かたちで、居ゐる処ところは其その腮あぎとである。立たてる絶壁ぜつぺきの下したには、御占場おうらなひばの崖がけに添そつて業平岩なりひらいは、小町岩こまちいは、千鶴ちづるヶ崎さき、蝋燭岩らふそくいは、鼓つゞみヶ浦うらと詠続よみつゞいて中山崎なかやまさきの尖端とつさきが牙きばである。

相対向あひたちむかふものは、御倉半島おくらはんたう。また其その岬みさきを大蛇灘おろちなだが巻まいて、めぐつて、八雲崎くもさき、日暮崎くれのさき、鴨崎かもさき、御室みむろ、烏帽子岩えぼしいは、屏風岩べうぶいは、剣岩つるぎいは、一つ一つ、神かみが斧おのを打うち、鬼おにが、鉞まさかりを下おろした如ごとく、やがては、巨匠きよしやう、名工めいこうの、鑿鏨のみたがねの手ての冴さえに、波なみの珠玉しゆぎよくを鏤ちりばめ、白銀しろがねの雲くもの浮彫うきぼりを装よそほひ、緑金りよくきんの象嵌ぞうがんに好木奇樹かうぼくきじゆの姿すがたを凝こらして、粧壁彩巌しやうへきさいがんを刻きざんだのが、一目めである。

折をりから雨あめのあとの面おもて打沈うちしづめる蒼々漫々さう〱まん〱たる湖みづうみは、水底みなそこに月つきの影かげを吸すはうとして、薄うすく輝かゞやき渡わたつて、沖おきの大蛇灘おろちなだを夕日影ゆふひかげが馳はしつた。

再ふたゝび云いふ、東向ひがしむかうに、其その八雲くも、日暮崎くれのさき、御室みむろの勝しように並ならんで半島はんたうの真中まんなか一処ところ、雲くもより辷すべつて湖みづうみに浸ひたる巌壁がんぺき一千丈ぢやう、頂いたゞきの松まつは紅日こうじつを染そめ、夏霧なつぎりを籠こめて紫むらさきに、半なかば山肌やまはだの土つち赭あかく、汀みぎはは密樹緑林みつじゆりよくりんの影かげ濃こまやかに、此この色いろ三つを重かさねて、ひた〱と映うつつて、藍あゐを浮うかべ、緑みどりを潜ひそめ、紅くれなゐを溶とかして、寄よる波なみや、返かへす風かぜに、紅紫こうし千輪りんの花はな忽たちまち敷しき、藍碧万顆らんぺきばんくわの星ほし倐たちまち開ひらいて、颯さつと流ながるゝ七彩さいの虹にじの末すゑを湖心こしん最もつとも深ふかき処ところ、水深すゐしん一千二百尺しやくの青龍せいりうの偉おほいなる暗くらき口くちに呑のむ。

それが、それが、目めの下したにちら〱と、揺ゆれに、揺ゆれる。……夜よるの帳とばりはやゝ迫せまる。……あゝ、美うつくしさに気味きみが悪わるい。

そこに、白鳥はくてうの抜羽ぬけは一枚ひら、白帆しらほの船ふねありとせよ。蝸牛まい〱つぶろの角つのを出だして、櫓ろを操あやつるものありとせよ、青螽あをいなごの流ながるゝ如ごとき発動汽艇はつどうきていの泳およぐとせよ。

私わたしは何なんとなく慄然ぞつとした。

湖みづうみばかり、わればかり、船ふねは一艘そうの影かげもなかつた。またいつも影かげの形かたちに添そふやうな小笠原氏をがさはらしのゐなかつたのは、土地とちの名物めいぶつとて、蕎麦切そばきりを夕餉ゆふげの振舞ふるまひに、その用意よういに出向でむいたので、今頃いまごろは、手てを貸かして麺棒めんぼうに腕うでまくりをしてゐやうも知しれない。三角すみさんは、休屋やすみやの浜はまぞひに、恵比寿島ゑびすじま、弁天島べんてんじま、兜島かぶとじまを、自籠じごもりの岩いは――(御占場おうらなひばの真まうしろに当あたる)――掛かけて、ひとりで舟ふねを漕こぎ出だした。その間あひだに、千年ねんの杉すぎの並木なみきを深ふかく、私わたしたちは参詣さんけいしたので。……

乃すなはち山やまの背面はいめんには、岸きしに沿そふ三角すみさんの小船こぶねがある。たゞその人ひとが頼たよりであつた。少々せう〱怪我けがぐらゐはする覚悟かくごで、幻覚げんかく、錯視さくしかと自みづから怪あやしむ、その水みづの彩いろどりに、一段だんと、枝えだにのびて乗出のりだすと、余あまり奇麗きれいさに、目めが眩くらんだのであらう。此この、中なかの湖みづうみの一面めんが雨あめを呼よぶやうに半なかばスツと薄暗うすぐらい。

ために黒くろさに艶つやを増ました烏帽子岩えぼしいはを頭あたまに、尾をを、いまの其その色いろの波なみにして、一筋すぢ。御占場おうらなひばの方はうを尾をに、烏帽子岩えぼしいはに向むかつて、一筋すぢ。うね〱と薄うすく光ひかる水みづ二条すぢ、影かげも見みえない船脚ふなあしの波なみに引残ひきのこされたやうなのが、頭あたま丸まるく尖とがり胴どう長ながくうねり、脚あし二つに分わかれて、たとへば(号これ)が横よこの(八はち)の字じに向合むかひあつて、湖みづうみの半なかばを領りやうして浮うかび出でた、ものゝ形かたちを見みよ。――前日ぜんじつ、子ねの口くちの朝あさの汀みぎはに打うち群むるゝ飴色あめいろの小蝦こえびの下したを、ちよろ〱と走はしつた――真黒まつくろな蠑螈ゐもりに似にて双ふたつながら、こゝに其その丈たけ十丈ぢやうに余あまんぬる。

見みる〱、其その尾を震ふるひ、脚あし蠢うごめき、頭あたま動うごく。……驚破すはや、相噛あひかまば、戦たゝかはゞ、此波このなみ湧わき、此巌このいは崩くづれ、われ怪けし飛とぶ、と声こゑを揚あげて「康正かうせいさーん。」博士はかせたすけよ、と呼よばむとする時とき、何なんと、……頸うなじ寄より、頬ほゝ重おもり、脚あし抱いだくと視みるや、尾をを閃ひらめかして接吻キツスをした。風かぜとゝもに黒くろい漣さゞなみが立蔽たちおほつた。

「――占うらなひは……占うらなひは――」

谺こだまに曳ひいて、崖下がけしたの樹きの中なか、深ふかく、画工ゑかきさんの呼よぶのが聞きこえて、

「……凄すごいぞう。」

と、穴あなに籠こもつたやうな英雄えいゆうの声こゑが暗くらい水みづに響ひゞいた。

「やあ、これは。」

高信たかのぶさんが、そこへ、ひよつくり顕あらはれた、神職かんぬしらしいのに挨拶あいさつすると、附添つきそつて来きた宿屋やどやの番頭ばんとうらしいのが、づうと出でて、

「今いまこれへ、おいでの皆様みなさまは博士はかせの方々かた〲でおいでなさりまするぞ。」

十四五人にん、仙台せんだいの学校がくかうからと聞きく、洋服やうふくの紳士しんしが、ぞろ〱と続つゞいて見みえた。……

――のであつた。――

時ときに英雄えいゆうが発荷峠はつかたふげで……

「博士はかせは、一車くるまあとへ残のこらるゝさうです。紅立羽あかたては、烏羽揚羽からすはあげは、黄きと白しろの名なからして、おつにん蝶てふ、就中なかんづく、(小紫こむらさき)などといふのが周囲まはりについてゐますから、一寸ちよつと山やまから出でさうにもありませんな。」

――この言ことばは讖しんをなした。翌々夜よく〱やの秋田市あきたしでは、博士はかせを蝶てふの取巻とりまくこと、大略おほよそ斯かくの通とほりであつた。もとより後のちの話はなしである。

私わたしはいつた。

「蝶々てふ〱の診断しんだんをしてゐるんだ。大湯おほゆで落合おちあひましやうよ、一足あしさきへ……」

……実じつは三日か余あまり、仙境霊地せんきやうれいちに心身共しんしんともに澄切すみきつて、澄切すみきつた胸むなさきへ凡俗ぼんぞくの気きが見透みえすくばかり。そんなその、紅立羽あかたてはだの、小紫こむらさきだの、高原かうげんの佳人かじん、お安やすくないのにはおよばない、西洋化粧せいやうけしやうの化紫ばけむらさき、ござんなれ、白粉おしろいの花はなありがたい……早はやく下界げかいへ遁にげたいから、真先まつさきに自動車じどうしやへ。

駕籠かごを一挺ちやう、駕籠屋かごやが四人にん、峠たふげの茶屋ちややで休やすんだのが、てく〱と帰かへつて来きた。

「いや、取紛とりまぎれて失念しつねんをしようとした。ほんの寸志すんしだよ。」

高信たかのぶさんが、銀貨ぎんくわを若干なにがし、先棒さきばうの掌てのひらへポンと握にぎらせると、にこりと額ひたいをうつむけた処ところを、

「いくら貰もらうたかい。」

小笠原氏をがさはらしが、真顔まがほで、胡麻髯ごまひげの頬ほゝを寄よせた。

「へい。」と巌丈がんぢやうに引握ひんにぎつた大おほきな掌てのひらをもつさりと開あける、と光ひかる。

「多おほからうが。多おほいぞ。お返かへし申まをせ。――折角せつかくですが、かやうな事ことは癖くせになりますで、以来いらい悪例あくれいになりますでな。」

お律義りちぎお律義りちぎ、いつもその思召おぼしめしで願ねがひたい、と何どの道みち此処ここは自腹じばらでないから、私わたしは一人ひとりで褒ほめてゐる。

「いや〱、それはそれ、これはこれ、たゞ些少ほんの志こゝろざしですから。……さあ〱若わかい衆しう、軽かるく納をさめて。」

馴なれて如才じよさいない扱あつかひに、苦にがつた顔かほしてうなづいて、

「戴いたゞいて置おけ。礼れいを言いへい。」

「それ、急いそげ。」

英雄えいゆうは、面倒めんだうくさい座席ざせきになど片かたづくのでない。自動車じどうしやも免許取めんきよとりだから、運転手台うんてんしゆだいへ、ポイと飛とび上あがると、「急いそげ。」――背中せなかを一つ引撲ひつぱたく勢いきほひだから、いや、運転手うんてんしゆの飛とばした事こと。峠たふげから下おろす風かぜは、此この俗客ぞくきやくを吹ふきまくつた。

「や、お精せいが出でますなあ。」

坂さかの見霽みはらしで、駕籠かごが返かへる、と思おもひながら、傍目わきめも触ふらなかつた梶原かぢはらさんは、――その声こゑに振返ふりかへると、小笠原氏をがさはらしが、諸肌もろはだぬぎになつて、肥腹ふとつぱらの毛けをそよがせ、腰こしに離はなさなかつた古手拭ふるてぬぐひを頸くびに巻まいた。が、一役やく済すまして、ほつと寛くつろいだ状さまだつたさうである。「さすがに日当ひあたりは暑あついですわい。」「これから何方どちらまでお帰かへりです。」法奥沢村はふおくさはむらの名望家めいばうかが、「船ふねさ出でれば乗のるのですがな、都合つがふさ悪わるければ休屋やすみやまで歩行あるきますかな。月つきがありますで、或あるひは陸路りくろを子ねの口くちへ帰かへるですわい。」合あはせて六里余りよ、あの磽确げうかくたる樵路きこりぢを、連つれもなく、と思おもふと、三角すみ先生せんせいに宜よろしく、と挨拶あいさつして、ひとり煢然けいぜんとして峠たふげを下くだる後態うしろつきの、湖みづうみは広大くわうだい、山毛欅ぶなは高たかし、遠見とほみの魯智深ろちしんに似にたのが、且かつ軍いくさ敗やぶれて、鎧よろひを棄すて、雑兵ざうひやうに紛まぎれて落おちて行ゆく宗任むねたふのあはれがあつた。……とその夜よ、大湯おほゆの温泉をんせんで、おしろひの花はなにも似にない菜葉なつぱのやうなのに酌しやくをされつゝ、画家ゑかきさんが私わたしたちに話はなしたのであつた。

――却説さて前段ぜんだんに言いつた。――海岸線かいがんせんまはりの急行列車きふかうれつしやが古間木こまきへ(此この駅えきへは十和田わだ繁昌はんじやうのために今年ことしから急行きふかうがはじめて停車ていしやするのださうで。)――着ついた時とき、旅行たびに経験けいけんの少すくない内気うちきものゝあはれさは、手近てぢかな所ところを引較ひきくらべる……一寸ちよつと伊豆いづの大仁おほひとと言いつた気きがしたのである。が、菜なの花はなや薄すゝきの上うへをすらすらと、すぐに修善寺しゆぜんじへついて、菖蒲湯あやめのゆに抱だかれるやうな、優やさしいのではない。駅えきを右みぎに出でると、もう心細こゝろぼそいほど、原野げんや荒漠こうばくとして、何なんとも見馴みなれない、断ちぎれ雲ぐもが、大円だいゑんの空そらを飛とぶ。八方ぱう草くさばかりで、遮さへぎるものはないから、自動車じどうしやは波なみを立たてゝ砂すなに馳はしり、小砂利こじやりは面おもてを打うつ凄すさまじさで、帽子ぼうしなどは被かぶつて居をられぬ。何なに、脱ぬげば可よさゝうなものだけれど、屋根やね一つ遠とほくに見みえず、枝えださす立樹たちきもなし、あの大空おほぞらから、遮さへぎるものは唯たゞ麦藁むぎわら一重へで、赫かつと照てつては急きふに曇くもる……何どうも雲脚くもあしが気きに入いらない。初見しよけんの土地とちへ対たいしても、すつとこ被かぶりもなるまいし……コツツンと音おとのするまで、帽子ぼうしの頂辺てつぺんを敲たゝいて、嵌はめて、「天気模様てんきもやうは如何いかゞでせうな。」「さあ――」「降ふるのは構かまひませんがね、その雷様かみなりさまは――」小笠原氏をがさはらしは、幌ほろなしの車くるまに、横よこざまに背筋せすぢを捻ねぢて、窓まどに腰こしを掛かけたやうな形かたちで飛とび飛とび、「昨日きのふ一昨日おとゝひと三日か続つゞけて鳴なつたですで、まんづ、今日けふは大丈夫だいぢやうぶでがせうかな。」一行かう五人にんと、運転手うんてんしゆ、助手じよしゆを合あはせて八人にん犇ひしと揉もんで乗のつた、真中まんなかに小ちひさくなつた、それがしの顔色がんしよく少すくなからず憂鬱いううつになつたと見みえて、博士はかせが、肩かたへ軽かるく手てを掛かけるやうにして、「大丈夫だいぢやうぶですよ、ついて居ゐますよ。」熟々つら〱案あんずれば、狂言きやうげんではあるまいし、如何いかに名医めいいといつても、雷神らいじんを何どうしようがあるものではない。が、面食めんくらつて居ゐるから、この声こゑに、ほつとして、少すこしばかり心こゝろが落着おちついた。

落着おちついて見みると……「あゝ、この野中のなかに、優いうにやさしい七夕たなばたが……。」又また慌あわてた。丈たけより高たかい一面めんの雑草ざつさうの中なかに、三本みもと、五本いつもとまた七本なゝもと、淡あはい紫むらさきの露つゆの流ながるゝばかり、且かつ飛とぶ処ところに、茎くきの高たかい見事みごとな桔梗ききやうが、――まことに、桔梗色ききやういろに咲さいたのであつた。

去さんぬる年とし、中泉なかいづみから中尊寺ちうそんじに詣まうでた六月ぐわつのはじめには、細流さいりうに影かげを宿やどして、山吹やまぶきの花はなの、堅かたく貝かひを刻きざめるが如ごとく咲さいたのを見みた。彼かれは冷つめたき黄金わうごんである。此これは温あたゝかき瑠璃るりである。此日このひ、本線ほんせんに合がつして仙台せんだいをすぐる頃ころから、町まちはもとより、野のの末すゑの一軒家けんや、麓ふもとの孤屋ひとつやの軒のきに背戸せどに、垣かきに今年ことし竹たけの真青まつさをなのに、五色しきの短冊たんざく、七彩いろの糸いとを結むすんで掛かけたのを沁々しみ〲と床ゆかしく見みた、前刻さつきの今いまで、桔梗ききやうは星ほしの紫むらさきの由縁ゆかりであらう。……時ときに靡なびきかゝる雲くもの幽いうなるさへ、一天てんの銀河ぎんがに髣髴はうふつとして、然しかも、八甲田山かふださんを打蔽うちおほふ、陸奥みちのくの空そらは寂さびしかつた。

われらは、ともすると、雲くもに入いつて雲くもを忘わするゝ……三本木ぼんぎは、柳田国男やなぎだくにをさんの雑誌ざつし――(郷土研究きやうどけんきう)と、近ちかくまた(郷土会記録きやうどくわいきろく)とに教をしへられた、伝説でんせつをさながら事実じじつに殆ほとんど奇蹟的きせきてきの開墾地かいこんちである。石沙無人せきさむにんの境きやうの、家いへとなり、水みづとなり、田たとなり、村むらとなつた、いま不思議ふしぎな境きやうにのぞみながら、古間木こまきよりして僅わづかに五里り、あとなほ十里りをひかへた――前途ゆくての天候てんこうのみ憂慮きづかはれて、同伴つれに、孫引まごひきのもの知しり顔がほの出来できなかつたのを遺憾ゐかんとする。

八人にんでは第だい一乗溢のりこぼれる。飛とぶ輻やの、あの勢いきほひで溢こぼれた日ひには、魔夫人まふじんの扇あふぎを以もつて煽あふがれた如ごとく、漂々蕩々へう〱とう〱として、虚空こくうに漂たゞよはねばなるまい。それに各おの〱荷にが随分ずゐぶんある。恁かくいふ私わたしにもある。……大おほきなバスケツトがある。読者どくしや知しるや、弴とんさんと芥川あくたがは(故こ……あゝ、面影おもかげが目めに見みえる)さんが、然しかも今年ことし五月ぐわつ、東北とうほくを旅たびした時とき、海うみを渡わたつて、函館はこだての貧まづしい洋食店やうしよくてんで、弴とんさんが、オムレツを啣ふくんで、あゝ、うまい、と嘆たんじ、

冴返さえかへる身みに沁々しみ〲とほつき貝がひ

と、芥川あくたがはさんが詠えいじて以来いらい、――東京府とうきやうふの心こゝろある女連をんなれんは、東北とうほくへ旅行りよかうする亭主ていしゆの為ために鰹おかゝのでんぶと、焼海苔やきのりと、梅干うめぼしと、氷砂糖こほりざたうを調とゝのへることを、陰膳かげぜんとゝもに忘わすれない事ことに成なつた。女をんなに心こゝろがあつてもなくても、私わたしも亭主ていしゆの一人ひとりである。そのでんぶ、焼海苔やきのりなど称となふるものをしたゝか入いれた大おほバスケツトがあるゆゑんである。また不断ふだんと違ちがふ。短躯小身たんくせうしんなりと雖いへども、かうして新聞しんぶんから出向でむく上うへは、紋着もんつきと袴はかまのたしなみはなくてなるまいが、酔よつ払ぱらつた年賀ねんがでなし、風呂敷包ふろしきつゝみで背負しよひもならずと、……友ともだちは持もつべきもの、緑蝶夫人ろくてふふじんといふ艶麗あでやかなのが、麹町通かうじまちどほり電車道でんしやみちを向むかうへ、つい近所きんじよに、家内かないの友ともだちがあるのに――開あけないと芬ぷんとしないが、香水かうすゐの薫かをりゆかしき鬢びんの毛けならぬ、衣裳鞄いしやうかばんを借かりて持もつた。

次手ついでに、御挨拶ごあいさつを申まをしたい。此この三本木ぼんぎの有志いうしの方々かた〲から、こゝで一泊ぱくして晩餐ばんと一所しよに、一席せきの講話かうわを、とあつたのを、平ひらにおわびをしたのは、……かるがゆゑに袴はかまがなかつた為ためではない。講話かうわなど思おもひも寄よらなかつたからである。しかし惜をしい事ことをした。いま思おもへば、予かねて一本ぽんを用意よういして、前記ぜんき(郷土会記録きやうどくわいきろく)載のする処ところの新渡戸博士にとべはかせの三本木ぼんぎ開墾かいこんの講話かうわを朗読らうどくすれば可よかつた。土地とちに住すんで、もう町まちの成立せいりつを忘わすれ、開墾かいこん当時たうじの測量器具そくりやうきぐなどの納をさめた、由緒ゆいしよある稲荷いなりの社やしろさへ知しらぬ人ひとが多おほからうか、と思おもふにつけても。――

人ひとと荷にを分わけけて積つむため、自動車じどうしやをもう一台だいたのむ事ことにして、幅はゞ十間けんと称となふる、規模きぼの大おほきい、寂さびた町まちの新あたらしい旅館りよくわんの玄関前げんくわんまへ、広土間ひろどまの卓子テーブルに向むかつて、一休やすみして巻莨まきたばこを吹ふかしながら、ふと足元あしもとを見みると、真下ましたの土間どまに金魚きんぎよがひらひらと群むれて泳およぐ。寒国かんごくでは、恁かうして炉ろを切きつた処ところがある。これは夏なつの待遇もてなしに違ちがひない。贅沢ぜいたくなものだ。昔むかし僭上せんじやうな役者やくしやが硝子張がらすばりの天井てんじやうに泳およがせて、仰向あふむいて見みたのでさへ、欠所けつしよ、所払ところばらひを申まをしつかつた。上うへからなぞは、と思おもひながら、止よせばいゝのに、――それでも草履ざうりは遠慮ゑんりよしたが、雪靴ゆきぐつを穿はいた奥山家おくやまがの旅人たびびとの気きで、ぐい、と踏込ふみこむと、おゝ冷つめたい。ばちやんと刎はねて、足袋たびはびつしより、わアと椅子いすを傾かたむけて飛上とびあがると、真赤まつかになつて金魚きんぎよが笑わらつた。あはは、あはは。

いや、笑事わらひごとではない。しばらくして――東ひがしは海うみを限かぎり、北きたは野辺地のへぢに至いたるまで、東西とうざい九里り、南北なんぼく十三里り、周囲しうゐ十六里り。十里りまはりに笠かさ三蓋がいと諺ことわざにも言いふ、その笠かさ三蓋がいとても、夏なつは水みづのない草くさいきれ、冬ふゆは草くさも見みぬ吹雪ふぶきのために、倒たふれたり、埋うもれたり、行方ゆくへも知しれなくなつたと聞きく。……三本木原ぼんぎはらの真中まんなかへ、向風むかひかぜと、轍わだちの風かぜに吹放ふきはなされた時ときは、沖おきへ漂たゞよつたやうな心細こゝろぼそさ。

早はやく、町まちを放はなれて辻つじを折をれると、高草たかくさに遥々はる〲と道みち一筋すぢ、十和田わだに通かよふと聞きいた頃ころから、同伴つれの自動車じどうしやが続つゞかない。私わたしのは先さきへ立たつたが、――説明せつめいを聞きくと、砂煙すなけぶりがすさまじいので、少すくなくとも十町ちやうあまりは間隔かんかくを置おかないと、前まへへ進すゝむのはまだしも、後あとの車くるまは目めも口くちも開あかないのださうである。――この見果みはてぬ曠野あらのに。

果はたせるかな。左右さいう見渡みわたす限かぎり苜蓿うまごやしの下臥したふす野のは、南部馬なんぶうまの牧場ぼくぢやうと聞きくに、時節じせつとて一頭とうの駒こまもなく、雲くもの影かげのみその幻まぼろしを飛とばして一層そう寂さびしさを増ました……茫々ぼう〱たる牧場ぼくぢやうをやゝ過すぎて、道みちの弧こを描ゑがく処ところで、遠とほく後あとを見返みかへれば、風かぜに乗のつた友船ともぶねは、千筋すぢの砂煙すなけぶりをかぶつて、乱みだれて背状うしろさまに吹ふきしなつて、恰あたかも赤髪藍面せきはつらんめんの夜叉やしやの、一個こ水牛すゐぎうに化くわして、苜蓿うまごやしの上うへを転ころげ来きたる如ごとく、もの凄すさまじく望のぞまれた。

三

前途ゆくて七里り焼山やけやまの茶店ちやみせに着ついて、少時しばらくするまで、この友船ともぶねは境さかひを隔へだてたやうに別わかれたのである。

道みちは大畝おほうねりに、乗上のりあがり乗下のりさがつて、やがて、野のは迫せまり、山やま来きたり、巌いはほ近ちかづき、川かは灌そゝいで、やつと砂煙すなけぶりの中なかを抜ぬけたあたりから、心細こゝろぼそさが又また増ました。樹きはいま緑みどりに、流ながれは白しろい。嵐気らんき漓したゝる、といふ癖くせに、何なにが心細こゝろぼそい、と都会とくわいの極暑ごくしよに悩なやむだ方々かた〲からは、その不足ふそくらしいのをおしかりになるであらうが、行向ゆきむかふ、正面しやうめんに次第しだいに立累たちかさなる山やまの色いろが真暗まつくらなのである。左右さいうの山々やま〱は、次第次第しだいしだいに、薄墨うすずみを合あはせ、鼠ねずみを濃こくし、紺こんを流ながし、峰みねが漆うるしを刷はく。

「さあ〱さあ、そろ〱怪あやしくなりましたな。」

「怪談くわいだんですか。」

「それ処どころですか、暗くらく成なつて来きましたなあ、鳴なりさうですね。鳴なりさうですね。」

三角みすみさんが、

「大丈夫だいぢやうぶ、よく御覧ごらんなさい、あの濡ぬれたやうに艶々つや〱と黒くろくすごい中なかに……」

小笠原氏をがさはらしが口くちを入いれて、

「あの中なかが、これから行ゆく奥入瀬おいらせの大渓流だいけいりうでがすよ。」

だから、だからいはぬ事ことではない、私わたしは寒気さむけがして来きた。

「いゝえ、――黒くろく凄すごい中なかに、薄うすく…光ひかる…は不可いけませんか。」

と博士はかせが莞爾につこりして、

「黒くろく凄すごい中なかに、紫色むらさきいろが見みえましやう。高山かうざんは何処どこもこの景色けしきです。光線くわうせんの工合ぐあひです。夕立雲ゆふだちぐもではありません。」

白皙蒲柳はくせきほりうの質しつに似にず、越中国えつちうのくに立山たてやま、剣つるぎヶ峰みねの雪ゆきを、先頭せんとう第だい四十何人目なんにんめかに手鈎てかぎに掛かけた、登山とざんにおいては、江戸えどの消防夫ひけしほどの侠勢きほひのある、この博士はかせの言ことばを信しんずると、成程なるほど、夕立雲ゆふだちぐもが立籠たちこめたのでもなさゝうで、山嶽さんがくの趣おもむきは墨染すみぞめの法衣ころもを襲かさねて、肩かたに紫むらさきの濃こい袈裟けさした、大聖僧だいせいそうの態たいがないでもない。が、あゝ、何なんとなくぞく〱する。

忽たちまち、ざつとなつて、ポンプで噴ふくが如ごとく、泥水どろみづが輪わの両方りやうはうへ迸ほとばしると、ばしやんと衣裳鞄いしやうかばんに刎はねかゝつた。運転手台うんてんしゆだいの横腹よこばらへ綱つなを掛かけて積つんだのである。しまつた、借かりものだ、と冷ひやりとすると、ざつ、ざぶり、ばしやツ。弱よわつた。が、落着おちついた。緑蝶夫人ろくてふふじんの貸かし振ぶりを思おもへ。――「これは、しやぼん、鰹節かつをぶし以上いじやうですな。――道中だうちう損そんずる事こと承合うけあひですぜ。」「鞄かばんは汚よごれたのが伊達だてなんですとさ。――だから新あたらしいのを。何どうぞ精々せい〲傷いためて来きて下くださいな。」最もう一つ落着おちついたのは、……夏なつの雨あめだ。こゝらは最もう降ふつたあとらしい、と思おもつたのである。

「小笠原をがさはらさん、降ふつたんですね。」

「いや、昨日きのふの雨あめですわい。」

御勝手ごかつてになさい、膠にべのないこと夥おびたゞしい。然さやうでございませうとも、成程なるほど晴はれたのではない。窓まどをたよるほど暗くらさが増まして気きの滅入めいる事こと又また夥おびたゞしい。私わたしは家いへが恋こひしくなつた。人間にんげん女房にようぼうの恋こひしく成なるほど、勇気ゆうきの衰おとろへる事ことはない。それにつけても、それ、その鞄かばんがいたはしい。行やつた、又またばしやり、ばしやん。

以もつて、この辺あたり既すでに樹木じゆもくの茂しげれる事こと思おもふべし。焼山やけやまは最もう近ちかい。

近ちかい。が焼山やけやまである。唐黍たうもろこしも焦こげてゐやう。茄子なすびの実みも赤あかからう。女気をんなげに遠とほざかる事こと、鞄かばんを除のぞいて十里りに余あまつた。焼山やけやまについて休やすんだ処ところで、渋茶しぶちやを汲くむのはさだめし皺しわくたの……然さういへば、来くる道みちの阪さか一つ、流ながれを近ちかく、崖がけぶちの捨石すていしに、竹杖たけづゑを、ひよろ〱と、猫背ねこぜへ抽ぬいて、齢よはひ、八十にも余あまんなむ、卒塔婆小町そとばこまちを正しやうで見みる婆ばあさんが、ぼやり、うつむいて休やすんでゐた。そのほかに殆ほとんど人影ひとかげを見みなかつたといつても可よい。――あんなのが「飲のましやい。」であらうと観念くわんねんしたのであつたから。

「今日こんにちは――女房おかみさん。」

珊瑚さんごの枝えだを折をつてゐた、炉ろの焚火たきびから、急いそいで立たつて出迎でむかへた、もの柔やはらかな中形ちゆうがたの浴衣ゆかたの、髪かみの濃こいのを見みた時ときは、慌あわてたやうに声こゑを掛かけた。

焼山やけやまの一軒けん茶屋ちやや、旅籠はたごに、雑貨荒物屋ざつくわあらものやを兼かねた――土間どまに、(この女房かみさんなら茶ちやも熱あつい)――一椀わんを喫きつし、博士はかせたちと一息いきして、まはりの草くさの広場ひろばを、ぢつと視みると、雨空あまぞら低ひくく垂たれつゝ、雲くもは黒髪くろかみの如ごとく野のに捌さばけて、棟むねを絡まとひ、檐のきに乱みだるゝとゝもに、向むかうの山裾やますそに、ひとつ、ぽつんと見みえる、柴小屋しばごやの茅屋根かややねに、薄うすく雨脚あめあしが掛かかつて、下草したぐさに裾すそをぼかしつゝ歩行あるくやうに、次第しだいに此方こちらへ、百条もゝすぢとなり、千条すぢと成なつて、やがて軒前のきまへに白しろい簾すだれを下おろろした。

この雫しづくに、横頬よこほゝを打うたれて、腕組うでぐみをして、ぬい、と立たつたのは、草鞋わらぢを吊つつた店みせの端近はぢかに踞しやがんだ山漢やまをとこの魚売うをうりで。三枚まいの笊ざるに魚鱗うろこが光ひかつた。鱗うろこは光ひかつても、其それが大蛇だいじやでも、此この静しづかな雨あめでは最もう雷光いなびかりの憂慮きづかひはない。見参けんざん、見参けんざんなどゝ元気げんきづいて、説明せつめいを待まつまでもない、此この山深やまふかく岩魚いはなのほかは、予かねて聞きいた姫鱒ひめますにておはすらむ、カバチエツポでがんせうの、と横歩行よこあるきして見みに立たつ勢いきほひ。序ついでにバスケツトを探さぐつて、緑蝶夫人ろくてふふじんはなむけする処ところのカクテルの口くちを抜ぬいた。

「凄すごい婆ばあさんに逢あひましたよ。」

「大雨おほあめ、大雨おほあめ。」

と、画工ゑかきさん、三浦うらさんがばた〱と出でた、その自動車じどうしやが、柴小屋しばごやを小ちいさく背景はいけいにして真直まつすぐに着つくと、吹降ふきぶりを厭いとつた私わたしたちの自動車じどうしやも、じり〱と把手ハンドルを縦たてに寄よつた。並ならんだ二台だいに、頭あたまからざつと浴あびせて、軒のきの雨あめの篠しのつくのが、鬣たてがみを敲たゝいて、轡頭くつわづらを高たかく挙あげた、二頭とうの馬うまの鼻柱はなばしらに灌そゝぐ風情ふぜいだつたのも、谷たにが深ふかい。

が、驟雨しううの凄すさまじさは少すこしもない。すぐ、廻まはり縁ゑんの座敷ざしきに、畳屋たゝみやの入はいつてゐたのも、何なんとなく心こゝろゆく都みやこの時雨しぐれに似にて、折をりから縁ゑんの端はしにトントンと敲たゝいた茣蓙ござから、幽かすかに立たつた埃ほこりも青あをい。

はじめよりして、ものゝ可懐なつかしかつたのは、底暗そこくらい納戸なんどの炉ろに、大鍋おほなべと思おもふのに、ちら〱と搦からんで居ゐる焚火たきびであつた、この火ひは、車くるまの上うへから、彼処かしこに茶屋ちややと見みた時ときから、迷まよつた深山路みやまぢの孤屋ひとつやの灯ともしびのやうに嬉うれしかつた。女房にようばうの姿すがたに優やさしかつた。

壁天井かべてんじやう、煤すゝのたゞ黒くろい中なかに、火ひは却かへつて鮮あざやかである。この棟むねにかゝる蔦つたはいち早はやくもみぢしよう。この背戸せどの烏瓜からすうりも先さきんじて色いろを染そめよう。東京とうきやうは遥はるかに、家いへは遠とほい。……旅たびの単衣ひとへのそゞろ寒さむに、膚はだにほの暖あたゝかさを覚おぼえたのは一杯ぱいのカクテルばかりでない。焚火たきびは人ひとの情なさけである。

ひら〱と揚あがり、ひら〱と伏ふして、炉ろに靡なびく。焚火たきびは襷たすきの桃色もゝいろである。かくて焼山やけやまは雨あめの谷たにに美うつくしい。

ひそかに名なづけて、こゝを村雨茶屋むらさめちややといはうと思おもつた。小降こぶりになつた。白しろい雲くもが枝えだに透すく。

「何なにを煮にてゐなさるんですか、女房おかみさん。」

出立いでたつ時とき、私わたしは、納戸なんどのその鍋なべをさしてきいた。

「はい?」

「鍋なべに何なにを煮になさいますか。」

「小豆あづきでございます。」

と言いふと、女房おかみは容子ようすよく、ぽつと色いろを染そめた。

私わたしはその理由わけを知しらない。けれども、それよりして奥入瀬川おいらせがはの深林しんりんを穿うがつて通とほる、激流げきりう、飛瀑ひばく、碧潭へきたんの、到いたる処ところに、松明たいまつの如ごとく、灯ともしびの如ごとく、細ほそくなり小ちひさくなり、また閃ひらめきなどして、――子ねの口くちの湖畔こはんまでともなつたのは、この焚火たきびと、――一茎くきの釣舟草つりぶねさうの花はなのあつたことを忘わすれない。

「しばらく、一寸ちよいと。」

焼山やけやまを一町ちやうばかり、奥入瀬口おいらせぐちへ進すゝんだ処ところで、博士はかせが自動車じどうしやを留とめていつた。

「あの花はなを知しつてゐなさいますか――一寸ちよいと、お目めに掛かけませう。」

自動車じどうしやを引戻ひきもどし、ひらりと下おりるのに、私わたしも続つゞくと、雨あめにぬれた草くさの叢むらに、優やさしい浅黄あさぎの葉はを掛かけて、ゆら〱と咲さいたのは、手弱女たをやめの小指こゆびさきほどの折鶴をりづるを乗のせよう、おなじく折をつた小ちひさな薄黄色うすきいろの船ふねの形かたちに連つらなり咲さいた花はなである。「一枝えだ」と意いを得うると、小笠原氏をがさはらしの顔かほを出だして、事こともなげに頷うなづくのを視みて、折をり取とる時とき、瀬せの音おとが颯さつと響ひゞいた。

やがて交かはる〲手てに翳かざした。

釣舟草つりぶねさうは浮ういて行ゆく。

忽たちまち見みる、車くるまの輻やは銀ぎんに、轍わだちは緑晶ろくしやうを捲まいて、水みづが散ちつた。奥入瀬川おいらせがはの瀬せに入いつたのである。

これよりして、子ねの口くちまでの三里余りよは、たゞ天地てんちを綾あやに貫つらぬいた、樹きと巌いはと石いしと流ながれの洞窟どうくつと言いつて可よい。雲くも晴はれても、雨あめは不断ふだんに降ふるであらう。楢なら、桂かつら、山毛欅ぶな、樫かし、槻つき、大木たいぼく大樹たいじゆの其その齢よはひ幾干いくばくなるを知しれないのが、蘚苔せんたい、蘿蔦らてうを、烏金しやくどうに、青銅せいどうに、錬鉄れんてつに、刻きざんで掛かけ、鋳いて絡まとうて、左右さいうも、前後ぜんごも、森もりは山やまを包つゝみ、山やまは巌いはを畳たゝみ、巌いはは渓流けいりうを穿うがち来きたる。……

色いろを五百機いほはたの碧緑あをみどりに織おつて、濡色ぬれいろの艶つや透通すきとほる薄日うすひの影かげは――裡うちに何なにを棲すますべき――大おほいなる琅玕らうかんの柱はしらを映うつし、抱いだくべく繞めぐるべき翡翠ひすゐの帳とばりの壁かべを描ゑがく。

この壁柱かべはしらは星座せいざに聳そびえ、白雲はくうんに跨またがり、藍水らんすゐに浸ひたつて、露つゆと雫しづくを鏤ちりばめ、下草したくさの葎むぐらおのづから、花はな、禽きん、鳥とり、虫むしを浮彫うきぼりしたる氈せんを敷しく。

氈せんの上うへを、渓流けいりうは灌そゝぎ、自動車じどうしやは溯さかのぼる。

湖みづうみの殿堂でんだうを志こゝろざす、曲折きよくせつ算かぞふるに暇いとまなき、この長ながい廊下らうかは、五町ちやう右みぎに折をれ、十町ちやう左ひだりに曲まがり、二つに岐わかれ、三つに裂さけて、次第々々しだい〱に奥深おくふかく、早はやきは瀬せとなり、静しづかなるは淵ふちとなり、奔はしるは湍はやせとなり、巻まけるは渦うづとなつて、喜よろこばせ、楽たのしませ、驚おどろかせ、危あやぶがらせ、ヒヤリとさせる。目めの前まへに、幾処いくところか、凄すさまじき扉とびらと思おもふ、大磐石だいばんじやくの階壇かいだんは、瀧たきを壇だんの数かずに落おとしかけ、落おつる瀧たきは、自動車じどうしやを空そらへ釣つる。

呪じゆなく、券てがたなきに、この秘閣ひかくの廊下らうか、行ゆく処ところ、扉とびらおのづから開ひらけ、柱はしら来きたり迎むかふる感かんがある。

――惟おもふに人ひとは焼山やけやまをすぎて、其その第だい一の扉とびら展ひらくとともに、心こゝろ慄をのゝくであらう。車くるまの轍わだちを取とつて引ひくものは、地ちでなく、草くさでなく、石いしでなく、森もりの壁かべを打うつて、巌いはほの柱はしらに砕くだくる浪なみである。衝つき入いる自動車じどうしやは、瀬せにも、淵ふちにも、瀧たきにも、殆ほとんど水みづとすれ〱に、いや、寧むしろ流ながれの真中まんなかを、其そのまゝに波なみを切きつて船ふねの如ごとくに溯さかのぼるのであるから。

巌いはほの黒くろき時とき、松明まつは幻まぼろしに照てらし、瀬せの白しろき時とき、釣舟草つりぶねさうは窓まどに揺ゆれた。

全体ぜんたい、箱根はこねでも、塩原しほばらでも、或あるひは木曾きその桟橋かけはしでも、実際じつさいにしろ、絵ゑにせよ、瑠璃るりを灌そゝぎ、水銀すゐぎんを流ながす渓流けいりうを、駕籠かご、車くるまで見みて行ゆくのは、樵路せうろ、桟道さんだう、高たかい処ところで、景色けしきは低ひくく下したに臨のぞむものと思おもつて居ゐたのに、繰返くりかへしていふが、此この密林みつりんの間あひだは、さながら流ながれに浮うかんで飛とぶのである。

もとより幾処いくところにも橋はしがある。皆みな大木たいぼくの根ねに掛かゝり、巨巌きよがんの膚はだへを穿うがつ。其その苔蒸こけむすす欄干らんかんを葉はがくれに、桁けたを蔦蔓つたづるで埋うめたのが、前途ゆくてに目めを遮さへぎるのに、橋はしの彼方かなたには、大磐石だいばんじやくに堰せかれて、急流きうりうと奔湍ほんたんと、左ひだりより颯さつと打うち、右みぎより摚だうと潜くゞり、真中まんなかに狂立くるひたつて、巌いはほの牡丹ぼたんの頂いたゞきに踊をどること、藍あゐと白しろと紺青こんじやうと三頭とうの獅子ししの荒あるゝが如ごときを見みるとせよ。角度かくどを急きうに曲まがつて、橋はしを乗のる時ときを思おもはれよ。

釣舟草つりぶねさうは浮ういて行ゆく。

中なかに一所ところ、湖神こしんが設もうけの休憩所きうけいしよ――応接間おうせつまとも思おもふのを視みた。村雨むらさめ又また一時しきりはら〱と、露つゆしげき下草したぐさを分わけつゝ辿たどると、藻もを踏ふむやうな湿潤しつじゆんな汀みぎはがある。森もりの中なかを平地ひらちに窪くぼんで、居ゐる処ところも川幅かははゞも、凡およそ百畳敷ぜふじきばかり、川かはの流ながが青黒あをぐろい。波なみ、波なみ、波なみは、一面めんに陰鬱いんうつに、三角かくに立たつて、同おなじやうに動うごいて、鱗うろこのざわ〱と鳴なる状さまに、蠑螈ゐもりの群むらがる状さまに、寂然せきぜんと果はてしなく流ながれ流ながるゝ。

寂さびしく物凄ものすごさに、はじめて湖神こしんの片影へんえいに接せつした思おもひがした。

三方ぱうは、大巌おほいは夥おびたゞしく累かさなつて、陰惨冥々いんさんめい〱たる樹立こだちの茂しげみは、根ねを露呈あらはに、石いしの天井てんじやうを蜿うねり装よそほふ――こゝの椅子いすは、横倒よこたふれの朽木くちきであつた。

鱗うろこの波なみは、ひた〱と装上もりあがつて高たかく打うつ。――所謂いはゆる「石いしげど」の勝しようである。

馬うまの胴中どうなかほどの石いしの、大樫おほかし、古槻ふるつきの間あひだに挟はさまつて、空そらに架かゝつて、下したが空洞うつろに、黒鱗こくりんの淵ふちに向むかつて、五七人にんを容いるべきは、応接間おうせつまの飾棚かざりだなである。石いしげどはこの巌いはの名ななのである。が、魔まの棲すむべき岩窟がんくつを、嘗かつて女賊ぢよぞくの隠かくれ家がであつたと言いふのは惜をしい。……

隣郷りんがう津軽つがるの唐糸からいとの前まへに恥はぢずや。女賊ぢよぞくはまだいゝ。鬼神きじんのお松まつといふに至いたつては、余あまりに卑いやしい。これを思おもふと、田沢湖たざはこの街道かいだう、姫塚ひめつかの、瀧夜叉姫たきやしやひめが羨うらやましい。が、何なんだか、もの欲ほしさうに、川かはをラインとか呼よぶのから見みれば、この方はうが遥はるかにをかしい。

雲くもは黒くろくなつた。淵ふちは愈々いよ〱暗くらい。陰森いんしんとして沈しづむあたりに、音おともせぬ水みづは唯たゞ鱗うろこが動うごく。

時ときに、廊下口らうかぐちから、扉とびらの透間すきまから、差覗さしのぞいて、笑わらふが如ごとく、顰しかむが如ごとく、ニタリ、ニガリと行やつて、彼方此方あちこちに、ぬれ〱と青あをいのは紫陽花あぢさゐの面かほである。面かほでない燐火おにびである。いや燈籠とうろうである。

しかし、十和田わだ一帯たいは、すべて男性的だんせいてきである。脂粉しふんの気きの少すくない処ところだから、此この青あをい燈籠とうろうを携たづさふるのは、腰元こしもとでない、女をんなでない。

木魅こだま、山魅すだまの影かげが添そつて、こゝのみならず、森もりの廊下らうかの暗くらい処ところとしいへば、人ひとを導みちびくが如ごとく、あとに、さきに、朦朧もうろうとして、顕あらはれて、蕚がくの角切籠かくきりこ、紫陽花あぢさゐの円燈籠まるとうろうを幽かすかに青あをく聯つらねるのであつた。

釣舟草つりぶねさうは浮ういて行ゆく。

焚火たきびは幻まぼろしに燈ともれて続つゞく。

車くるまの左右さいうに手ての届とゞく、数々かず〱の瀧たきの面おもても、裏見うらみる姿すがたも、燈籠とうろうの灯ともしに見みて、釣舟草つりぶねさうは浮ういて行ゆく。

瀧たきのその或あるものは、雲くもにすぼめた瑪瑙めなうの大蛇目おほじやのめの傘からかさに、激流げきりうを絞しぼつて落おちた。また或あるものは、玉川たまがはの布ぬのを繋つないで、中空なかぞらに細ほそく掛かかつた。その或あるものは、黒檀こくたんの火ひの見み櫓やぐらに、星ほしの泡あわを漲みなぎらせた。

やがて、川かはの幅はゞ一杯ぱいに、森々しん〱、淙々そう〱として、却かへつて、また音おともなく落おつる銚子口てうしぐちの大瀧おほたきの上うへを渡わたつた時ときは、雲くももまた晴はれて、紫陽花あぢさゐの影かげを空そらに、釣舟草つりぶねさうに、ゆら〱と乗心地のりこゝちも夢ゆめかと思おもふ。……橋はしを辷すべつて、はツと見みると、こゝに晃々くわう〱として滑なめらかなる珠たまの姿見すがたみに目めが覚さめた。

湖みづうみの一端たんは、舟ふねを松蔭まつかげに描ゑがいて、大弦月だいげんげつの如ごとく輝かゞやいた。

水みづの光ひかりを白砂はくしやにたよつて、子ねの口くちの夕ゆふべの宿やどに着ついたのである。

「御馳走ごちそうは?」

「洋燈ランプ。」

といつて、私わたしはきよとりとした。――これは帰京ききやう早々そう〱お訪たづねに預あづかつた緑蝶夫人ろくてふふじんの問とひに答こたへたのであるが――実じつは子ねの口くちの宿やどが洋燈ランプだつたので、近頃ちかごろ余程よほど珍めづらしかつた。それが記憶きおくに沁しみてゐて、うつかり口くちへ出でたのである。

洋燈ランプも珍めづらしいが、座敷ざしきもまだ塗立ぬりたての生壁なまかべで、木きの香かは高たかし、高縁たかゑんの前まへは、すぐに樫かし、槻つきの大木たいぼく大樹たいじゆ鬱然うつぜんとして、樹きの根ねを繞めぐつて、山清水やましみづが潺々せん〱と音おとを寂しづかに流ながれる。……奥入瀬おいらせの深林しんりんを一処ところ、岩窟いはむろへ入はいる思おもひがした。

さて御馳走ごちそうだが、その晩ばんは、鱒ますのフライ、若生蕈わかおひたけと称となふる、焼麩やきふに似にたのを、てんこ盛もりの椀わん。

「ホツキ貝がひでなくつてよかつたわね。」

「精進しやうじんのホツキ貝がひですよ。それにジヤガ芋いもの煮にたの。……しかしお好このみ別誂べつあつらへで以もつて、鳥とりのブツ切ぎりと、玉葱たまねぎと、凍豆腐こゞりどうふを大皿おほざらに積つんだのを鉄鍋てつなべでね、湯ゆを沸立わきたたせて、砂糖さたうと醤油しやうゆをかき交まぜて、私わたしが一寸ちよつとお塩梅あんばいをして」

「おや、気味きみの悪わるい。」

「可よし、と打込うちこんで、ぐら〱と煮にえる処ところを、めい〱盛もりに、フツフと吹ふいて、」

「山賊々々さんぞく〱。」

と冷ひやかしたが、元来ぐわんらい、衣裳鞄いしやうかばんの催促さいそくではない、ホツキ貝がひの見舞みまひに来きたのだから、先まづ其次第そのしだいを申述まをしのべる処ところへ……又また近処きんじよから、おなじく、氷砂糖こほりざたう、梅干うめぼしの注意連ちういれんの女性によしやうが来きたり加くははつた。次手ついでだから、次つぎの泊とまりの休屋やすみやの膳立ぜんだてを紹介せうかいした。鱒ますの塩しほやき、小蝦こゑびのフライ、玉子焼たまごやき、鱒ますと芙萸ずいきの葛くづかけの椀わん。――昼ひると晩ばんの順じゆんは忘わすれたが、鱒ますと葱ねぎの玉子綴たまごとぢ、鳥とりのスチウ、鱒ますのすりみと椎茸しひたけと茗荷めうがの椀わん。

「鱒ます、鱒ます、鱒ます。」

「ます〱出でます。」と皆みなで笑わらふ。何なにも御馳走ごちそうを食たべに行ゆく処ところではない。景色けしきだ、とこれから、前記ぜんき奥入瀬おいらせの奇勝きしようを説とくこと一番ばんして、此この子ねの口くちの朝あさぼらけ、汀みぎはの松まつはほんのりと、島しまは緑みどりに、波なみは青あをい。縁前ゑんまへのついその森もりに、朽木くちきを啄ついばむ啄木鳥けらつゝきの、青あをげら、赤あかげらを二羽は視みながら、寒さむいから浴衣ゆかたの襲着かさねぎで、朝酒あさざけを。――当時たうじ、炎威えんゐ猛勢もうせいにして、九十三度半どはんといふ、真中まなかで談だんじたが、

「だからフランネルが入はいつてるぢやありませんか、不精ぶしやうだね。」

と女房かゝあめが、風流ふうりうを解かいしないこと夥おびたゞしい。傍そばから、

「その為ための鞄かばんぢやあないの。」

で、一向かうに涼すゞしさなんぞ寄よせつけない。……たゞ桟橋さんばしから、水際みづぎはから、すぐ手てで掬すくへる小瑕こゑびの事こと。……はじめ、羽はねの薄うすい薄萠黄うすもえぎの蝉せみが一疋ぴき、波なみの上うへに浮ういて、動うごいてゐた。峨峰がほう、嶮山けんざんに囲かこまれた大湖たいこだから、時々とき〲颯さつと霧きりが襲おそふと、この飛とんでるのが、方角はうがくに迷まよふうちに羽はねが弱よわつて、水みづに落おちる事ことを聞きいてゐた。――上あげてやらうと、杖ステツキで、……かう引ひくと、蝉せみの腹はらに五つばかり、小ちひさな海月くらげの脚あしの様やうなのが、ふら〱とついて泳およいで寄よる、食くつてゐやがる――蝦ゑびである。引寄ひきよせても遁にげないから、密そつと手てを入いれると、尻尾しつぽを一寸ちよつとひねつて、二つも三つも指ゆびのさきをチヨ、チヨツと突つゝく。此奴こいつと、ぐつと手てを入いれると、スイと掌てのひらに入はいつて来くる。岩いはへ寄よせて、ひよいと水みづから取とらうとすると、アゝ擽くすぐつたい、輪わなりに一つピンと刎はねて、ピヨイとにげて、スイと泳およいで、澄すましてゐる。小雨こさめのかゝるやうに、水筋みづすぢが立たつほど、幾いくらでも、といふ……半なかばから、緑蝶夫人ろくてふふじんは気きを籠こめて、瞳ひとみを寄よせ、もう一人ひとりは掌てのひらをひら〱動うごかし、じり〱と卓子台ちやぶだいに詰寄つめよると、第だい一番ばんに食意地くひいぢの張はつてる家内かないが、もう、襷たすきを掛かけたさうに、

「食たべられるの。」

「そいつが天麩羅てんぷらのあげたてだ。ほか〱だ。」

緑蝶夫人ろくてふふじんが、

「あら、いゝ事ことねえ、行ゆきたくなつた。」

「私わたし……今いまからでも。」

度どし難がたい! 弱よわつた。教養けうやうあり、識見しきけんある、モダンとかゞ羨うらやましい。

読者どくしやよ、かくの如ごときは湖みづうみの宮殿きうでんに至いたる階きざはしの一段だんに過すぎない。其その片扉かたとびらにして、写うつし得えたる一景けいさへこれである。五彩さいの漣さゞなみは鴛鴦おしどりを浮うかべ、沖おきの巌いはほは羽音はおととゝもに鵜うを放はなち、千仭じんの断崖がけの帳とばりは、藍瓶あゐがめの淵ふちに染そまつて、黒くろき蠑螈ゐもりの其その丈たけ大蛇おろちの如ごときを沈しづめて暗くらい。数々かず〱の深秘しんぴと、凄麗せいれいと、荘厳さうごんとを想おもはれよ。

――いま、其その奥殿おくでんに到いたらずとも、真情まごゝろは通つうじよう。湖神こしんのうけ給たまふと否いなとを料はからず、私わたしは階きざはしに、かしは手でを打うつた。

ひそかに思おもふ。湖みづうみの全景ぜんけいは、月宮げつきうよりして、幹みき紫むらさきに葉はの碧みどりなる、玉たまの枝えだより、金色こんじきの斧をので伐きつて擲なげうつたる、偉おほいなる胡桃くるみの実みの、割目われめに青あをい露つゆを湛たゝへたのであらう。まつたく一寸ちよつと胡桃くるみに似にて居ゐる。(完)

底本 / Source edition

底本:「新編 泉鏡花集 第十巻」岩波書店
2004(平成16)年4月23日第1刷発行
底本の親本:「日本八景」鉄道省
1928(昭和3)年8月1日
初出:「東京日日新聞 朝刊第一八三五一号~第一八三五九号」東京日日新聞社
1927(昭和2)年10月1日~9日
「大阪毎日新聞 夕刊第一五九五〇号~第一五九五三号、第一五九五五号~第一五九五九号」大阪毎日新聞社
1927(昭和2)年10月13日~16日、18日~22日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「十和田湖《とわだこ》」となっています。
※初出時の署名は「泉鏡花」です。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年8月31日作成
2016年9月2日修正
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リリース / Release
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TEI
/works/057489_000050/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/057489_000050/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/057489_000050/

泉 鏡花、泉 鏡太郎「十和田湖」(新字旧仮名)、底本『新編 泉鏡花集 第十巻』岩波書店、2004年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 057489_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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