私達の友人は既に、彼の本性にかなはない<ruby><rb>総</rb><rt>すべ</rt></ruby>ての物を脱ぎ棄て、すべての物を<ruby><rb>斥</rb><rt>しりぞ</rt></ruby>けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい<ruby><rb>軽羅</rb><rt>けいら</rt></ruby>をのみ<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>ふて今、彼一人の爽かな<ruby><rb>径</rb><rt>みち</rt></ruby>を行つてゐる。

他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">より</span>恥しくない子供だけを育て上げてゐる。彼のと異つた芸術を要求することは<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より許されよう。彼のにまさつて完全なる（或は完全に近い）芸術といふものは、たやすく現代の世界に見出されないであらう。

彼の芸術は、詩に於て最も彼らしきところを、最も完全なるところを示してゐる。

今の詩壇に対する彼の詩は、余りにも渾然たるが故に古典的時代錯誤であり、余りにも溌溂たるが故に未来派的時代錯誤であることを免れない。

<ruby><rb>嗚呼</rb><rt>ああ</rt></ruby>、この心憎き、<ruby><rb>羨望</rb><rt>せんばう</rt></ruby>すべき時代錯誤よ。時代錯誤の麟鳳よ。永久に詩人的なるものよ。

『永久に詩人的なるもの』私達の友人よ、ねがはくは彼によりて、彼を取りまける総ての者が、詩の天上にまで引きあげられて行くことを。

一九二三年一月十四日

生田長江

月をわび身を佗びつたなきをわびてわぶとこたへんとすれど問ふ人もなし。

芭蕉翁尺牘より