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        <title type="main" xml:lang="ja">奇面城の秘密</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">きめんじょうのひみつ</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>江戸川</surname><forename>乱歩</forename><idno type="aozora-person-id">001779</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>えどがわ</surname><forename>らんぽ</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Edogawa</surname><forename>Ranpo</forename></persName></author>
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        <bibl><title>奇面城の秘密／夜光人間</title><publisher>江戸川乱歩推理文庫、講談社</publisher><date>1988（昭和63）年6月8日</date><note type="input-edition">1988（昭和63）年6月8日第1刷</note><note type="proof-edition">1988（昭和63）年6月8日第1刷</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「少年クラブ」1958（昭和33）年1月号～12月号</bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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        <head n="2" source="#source-523-589"><seg source="#source-523-541">怪人四十面相</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-593-608">ある日、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-608-635"><rb>麹町</rb><rt>こうじまち</rt></ruby><seg source="#source-635-656">高級アパートの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-656-677"><rb>明智</rb><rt>あけち</rt></ruby><seg source="#source-677-776">探偵事務所へ、ひとりのりっぱな紳士がたずねてきました。それは東京の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-776-794"><rb>港</rb><rt>みなと</rt></ruby><seg source="#source-794-815">区にすんでいる</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-815-854"><rb>神山正夫</rb><rt>かみやままさお</rt></ruby><seg source="#source-854-1069">という実業家で、たくさんの会社の重役をしている人でした。その神山さんが、明智探偵としたしい友だちの実業家の紹介状をもって、たずねてきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1069-1212">明智は、神山さんを応接室にとおして、どういうご用かと聞きますと、神山さんは、心配そうな顔で、</seg></p>
        <p>「じつは、明智さん。わたしは怪人四十面相に、脅迫されているのです。」</p>
        <p><seg source="#source-1316-1366">と、恐ろしいことをいうのでした。</seg></p>
        <p>「エッ、怪人四十面相？　そいつのもとの名は怪人二十面相ですね。しかし、そいつは、三<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-1489-1507"><rb>月</rb><rt>つき</rt></ruby>ばかりまえに、『宇宙怪人』の事件で、わたしがとらえて、いまは、刑務所にはいっているはずですが……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1659-1721">明智探偵は、いぶかしそうにいいました。</seg></p>
        <p>「ところが、やつは、とっくに牢やぶりをしていたのです。」</p>
        <p>「それはおかしい。あいつが牢やぶりをすれば、すぐにわたしの耳にはいるはずです。また、新聞にものるはずです。わたしは、まったく、そういうことを聞いておりません。」</p>
        <p>「いや、それが、いまさっき、わかったのです。わたしは、この事件を警察にしらせました。警察でも、あなたとおなじようにふしぎに思って、刑務所をしらべたのです。すると、どうでしょう。四十面相はいつのまにか、まったくべつの人間といれかわっていたのです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2417-2492">四十面相によくにた男が、身がわりになって刑務所の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-2492-2516"><rb>独房</rb><rt>どくぼう</rt></ruby>にはいっていたのです。よくにているので、刑務所の係員も、いままで気づかないでいたというのです。いつ、どうして、このかえだまと、いれかわったかは、いくらしらべても、わからないのです。四十面相のかえだまになったやつは、ばかみたいな男で、なにをたずねても、エヘラ、エヘラ、笑っているばかりで、どうすることも、できないのだそうです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3007-3150">それを聞くと明智探偵の顔が、ぐっと、ひきしまりました。いっこくも、すてておけない大事件です。</seg></p>
        <p>「ちょっと、お待ちください。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3197-3403">明智はそういって、いすから立つと、部屋のすみのデスクの上の電話器をとりました。そして、しばらく話していましたが、もとのいすにもどって、</seg></p>
        <p>「いま、警視庁の中村警部にたずねてみましたが、おっしゃるとおりです。四十面相はずっとまえから、刑務所をぬけ出していたらしいのです。……ところで、その四十面相が、あなたを脅迫したというのは？」</p>
        <p>「まず、さいしょは、十日ばかりまえに、とつぜん、へんな声の電話がかかってきたのです。きみのわるい、しわがれ声でした。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3866-4084">その声が、近いうちに、レンブラントのＳ夫人像をちょうだいにいくから、用心するがいいと、恐ろしいことをいって、ぷっつり電話をきってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">レンブラントのＳ夫人像というのは、昨年わたしがフランスで手に入れてきたもので、数千万円のねうちの油絵です。これは、わたしが持ちかえったときに新聞にものりましたから、ごぞんじのことと思います。」</p>
        <p>「知っています。あれは、日本人のもっている洋画のうちで、最高のものでしょう。その油絵は、どこにおいてあるのですか。」</p>
        <p>「わたしのうちの洋館の二階の美術室にかけてあります。その部屋には、いろいろな西洋画がならべてあるのですが、みなレンブラントの足もとにもおよばないものばかりです。四十面相がレンブラントだけをねらったのは、さすがに目がたかいというものです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4912-4989">神山さんは、そういって、にが笑いをするのでした。</seg></p>
        <p>「で、まだ、ぬすまれたわけでは、ないのですね？」</p>
        <p>「まだです。しかし、ここ四、五日があぶないと思います。じつは、きのうの朝、寝室で目をさましますと、ベッドのそばの机に、こんな手紙がのせてありました。うちのものをしらべても、だれも知らないといいます。どこから、どうしてはいってきたか、まったくわからないのです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5455-5655">神山さんは、ポケットから西洋ぶうとうをとりだし、なかの手紙を明智にわたしました。それには、こんな恐ろしい文句が書いてあったのです。</seg></p>
        <div type="layout" source="#source-5655-6293" style="inline-size: 26em">
          <div type="layout" source="#source-5693-6255" style="border-style: solid" rend="keigakomi border(rule)">
            <div type="layout" source="#source-5725-6217" rend="bold">
              <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5754-6134">レンブラントのＳ夫人像は、きょうから五日のあいだに、かならずちょうだいする。じゅうぶん警戒するがよろしい。きみのやしきを、警官隊にとりまかせても、おれはへいきだ。おれは魔法つかいだからね。では、きみのだいじなレンブラントに、わかれをつげておきたまえ。</seg></p>
              <div type="layout" source="#source-6134-6184" style="padding-inline-end: 1em; text-align: right">
                <p><seg source="#source-6164-6184">四十面相より</seg></p>
              </div>
            </div>
          </div>
        </div>
        <div>
          <p>「この手紙で、はじめて、あいてが四十面相とわかったのです。ひょっとしたら、だれかのいたずらじゃないかと思いましたが、ねんのために警察にとどけると、警察では刑務所をしらべ、さっきもお話したように、四十面相が<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6601-6625"><rb>脱獄</rb><rt>だつごく</rt></ruby><seg source="#source-6625-6672">していることがわかったのです。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6672-6975">警察では、けさから、十人の警官を、わたしのうちへよこして、警戒にあたらせてくれました。夜昼こうたいで、いつも十人の見はりがついているのです。それに、わたしのうちには大学にかよっているむすこもいますし、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6975-6999"><rb>書生</rb><rt>しょせい</rt></ruby><seg source="#source-6999-7271">もふたりいるほかに、わたしが社長をしている会社の若い社員に、三人ほどとまりにきてもらっているので、美術室のまわりはむろん、やしきのまわりにも、ぐるっと、見はりがついているわけです。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7271-7537">警察では、いくら四十面相でも、これだけ警戒すれば、だいじょうぶだろうというのですが、なにしろ四十面相というやつは、魔法つかいですからね。わたしは、どうも安心ができないのです。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そこで、これまで、たびたび四十面相を手がけていらっしゃる明智さんに、ご相談するほかはないと考えたわけです。ひとつ、お力をおかしねがえないでしょうか。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7767-7841">明智探偵はそれを聞くと、ふかくうなずきながら、</seg></p>
          <p>「しょうちしました。できるだけやってみましょう。いまの電話で、中村警部も、わたしに手をかしてくれとたのんでいました。</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">それに四十面相は、二十面相と名のっていたころから、わたしにとっては、きってもきれない関係のあるやつですからね。こいつがあらわれたと聞いては、わたしも、うしろを見せるわけにはいきませんよ。」</p>
          <p><seg source="#source-8304-8417">と、にっこり笑ってみせるのでした。神山さんは、たのもしげに明智の顔を見て、</seg></p>
          <p>「それをうかがって、わたしも安心しました。わたしのためばかりではありません。四十面相をのばなしにしておいたなら、どんな恐ろしいことをはじめるかしれませんからね。世間のためですよ。どうか、お力をおかしください。」</p>
          <p>「よくわかりました。では、これからごいっしょに行って、おたくを拝見することにしましょう。ことに美術室は、よく見ておかなければなりません。それには、わたしひとりでなく、少年助手の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-8998-9022"><rb>小林</rb><rt>こばやし</rt></ruby>をつれて行きたいのですが、かまいませんでしょうね。小林は、よくあたまのはたらく、すばしっこい少年で、たいへん手だすけになるのです。」</p>
          <p>「かまいませんとも。小林少年のことは、わたしもよく知っていますよ。わたしのすえの男の子どもが、小学校六年生ですが、これが小林君の大ファンなのですよ。小林君がきてくださったら、大よろこびでしょう。」</p>
          <p>「ハハハハ……、小林は、少年諸君に、すっかり有名になってしまいましたからね。小林が町を歩いていると、小学生の男の子や女の子が集まってきて、サインをもとめるのですよ。そんなとき、小林ははずかしがって、顔をまっ赤にしていますがね。」</p>
          <p>「そうでしょう。うちの子どもなんかも、小林少年に夢中ですからね。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9963-10124">そこで明智がベルをおしますと、じきにドアがひらいて、りんごのようなほおをした小林少年の顔がのぞきました。</seg></p>
          <p>「小林君、四十面相が脱獄したんだ。そして、この神山さんのおうちにあるレンブラントの油絵を、ぬすみだすという予告をしたんだ。いつものやりくちだよ。で、いまから神山さんのおたくへいくのだが、きみもいっしょにきてくれないか。」</p>
          <p>「ええ、つれてってください。でも、四十面相のやつ、どうして脱獄したのですか。」</p>
          <p>「それは、車の中でゆっくり話す。かえだまをつかったんだよ。」</p>
          <p>「あ、それじゃあ、いつかの手ですね。」</p>
          <p>「うん、あいつのとくいのやりくちだ。……どうだ、小林君、むしゃぶるいが出ないかね。こんどは、きみに<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-10873-10897"><rb>大役</rb><rt>たいやく</rt></ruby>をつとめてもらうつもりだよ。」</p>
          <p>「ええ、ぼく、なんでもやります。あいつには、ずいぶん、ひどいめにあっているのですからね。かたきうちです。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11105-11283">そして、三人は階段をおり、アパートの入口にまたせてあった神山さんの自動車に乗って、港区の神山邸へといそぐのでした。</seg></p>
        </div>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-11283-11349"><seg source="#source-11283-11301">アドニスの像</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11353-11778">明智探偵と小林少年は神山邸につくと、見はりをつとめている警官とも話しあい、やしきのうちそとを、くまなく見てまわり、ことにレンブラントの油絵のかかっている美術室は、ねんいりにしらべました。そしてある計画をたてたのです。それが、どんな計画だったかは、やがて、わかるときがくるでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11778-12035">それから四日のあいだは、なにごともなくすぎさりましたが、警官隊の見はりは、昼も夜も厳重につづけられ、いかに四十面相でも、これでは、しのびこむすきもないように見えました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12035-12335">そのあいだに、ひとつだけ、ちょっと、へんなできごとがありました。明智と小林少年が、はじめて神山邸をしらべた、つぎの朝のことです。神山さんが、美術室へはいってみると、部屋のすみに立ててあったアドニスの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-12335-12359"><rb>石膏</rb><rt>せっこう</rt></ruby><seg source="#source-12359-12433">像が、まっぷたつにわれて、ころがっていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12433-12735">そのまわりには、こなごなにわれた、石膏のかけらがとびちり、そばに、野球のボールがころがっていました。そとの原っぱで野球をしていたボールが、ひらいた窓からとびこんで、石膏像の腹にあたったらしいのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12735-13046">美術室の窓は、いつもしめきって、かけがねがかけてあるのですが、女中さんがそうじをするときには、窓をあけますから、窓をあけておいて、女中さんが、ちょっと部屋を出たすきに、ボールがとびこんだのかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13046-13696">アドニスというのは、大むかしのギリシア神話のなかに出てくる美しい青年で、そのはだかの像を有名な彫刻家がいくつもつくったのですが、いまのこっているのは、ごくわずかです。ほんものは大理石にほったものですが、フランスの美術商が、それとそっくりの石膏像をこしらえて売りだしたのを、神山さんが買って帰ったもので、青年アドニスが、はだかで立っている、おとなよりも大きな美しい石膏像です。それが野球のボールで、まっぷたつにわれてしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13696-14088">この石膏像は、大きくても、たいしてねうちのあるものではありませんが、神山さんが、はるばるフランスから買ってきたものですから、そのままにしておくわけにはいきません。さっそく、ハヤノ商会という石膏像せんもんの店に電話をかけて、もとどおりにつがせることにしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14088-14534">すると、ハヤノ商会の人がやってきて、この場でなおすことはできないからというので、われた石膏像をトラックにつんで、工場へもちかえりましたが、それが四日めに、もとのとおりにつぎあわされて、もどってきました。ハヤノ商会の四人の人夫が、それを二階の美術室にかつぎあげて、もとの場所においてかえりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14534-14842">警察では、この人夫たちのうちに、四十面相の手下がまぎれこんでいたら、たいへんだというので、石膏像をはこび出したときにも、持ちこんだときにも、厳重に見はっていましたが、べつにあやしいこともなかったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14842-15156">レンブラントのＳ夫人像は、もとのところにかかったままです。銀行の大金庫の中へでも、あずけたらという意見も出ましたが、持ちはこびなんかしたら、その道があぶないというので、美術室から動かさないことにしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15156-15497">さて、石膏像が持ちこまれた日は、ちょうど四十面相の手紙にあった、五日めにあたっていました。五日以内に、かならずぬすみだしてみせるというのですから、きょうの夜なかまでが期限です。それをすぎれば、四十面相は負けたことになります。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15497-15805">いまは午後の三時です。夜なかまでは、もう九時間しかありません。警戒は、いよいよ厳重になりました。警官と書生や社員などをあわせて十数名の強そうな男たちが、やしきのあらゆる場所に見はりをつづけているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15805-15999">神山邸の洋室の書斎には、主人の神山さんと、明智小五郎と、警視庁の中村警部とがテーブルをかこんで、ひそひそと話しあっていました。</seg></p>
        <p>「明智君、きみは、なにか考えがあるようだが、だいじょうぶだろうね。今夜がいちばんあぶないのだ。どうだろう、われわれ三人で、夜あかしをして、美術室にがんばっていることにしたら？」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16265-16357">中村警部が、心配そうな顔で、そんなことをいいだすのでした。</seg></p>
        <p>「それもいいが、ぼくに考えがある。美術室は、からっぽにしておくほうがいいのだよ。ちゃんと、ぬすまれないようなてだてがしてあるから、安心したまえ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16575-16892">四十面相は、これまでにも、たびたび、こういう予告をした。そして、ちゃんと予告どおりにやってみせた。ぼくたちはいつもあいつに、出しぬかれている。いくら厳重に見はっていても、あいつにかかっては、なんにもならない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16892-17089">だから、こんどは、がらっと、やり方をかえて、美術室はからっぽにしておこうと思うのだ。むろん、ドアや窓には、かぎをかけてあるがね。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">つまり、さそいのすきを見せるのだよ。そして、あいつを、おびきよせておいて、つかまえようというわけさ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17247-17309">明智探偵は、自信ありげにいうのでした。</seg></p>
        <p>「しかし、やしきのまわりの見はりは、やっぱりつづけたほうがいいでしょうね。いくら四十面相でも、鳥のように飛んでくるわけではないでしょうから、見はりさえしておれば、美術室へはいることができないのですからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17620-17685">神山さんが、心配そうに口をはさみました。</seg></p>
        <p>「いや、それも、ほんとは、どうでもいいのです。いくら見はっていても、あいつはちゃんと、やってきますよ。しかし、いざというときに、手だすけになりますから、見はりは、やっぱり、つづけたほうがいいでしょうね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17993-18268">明智は、やしきのまわりの見はりも、ひつようがないというのです。そのうえ、美術室をからっぽにしておくのですから、神山さんや中村警部には、なんだか、あぶなっかしいように思われるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18268-18309">やがて、夜になりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18309-18345">美術室の窓には、中から</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-18345-18393"><seg source="#source-18345-18357">かけがね</seg></hi><seg source="#source-18393-18545">をかけ、ドアには外からかぎをかけ、ふたりの書生が、その外の廊下にいすをおいて、見はりをしていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18545-18670">十人の警官は、家のまわりをかこんで、すこしのゆだんもなく、警戒についていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18670-18798">中村警部は、たえず、そのへんを歩きまわって、見はりの人々のかんとくをしていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18798-19010">明智探偵は、日のくれるころどこかへたちさったまま、まだ帰ってきません。このかんじんのときに、名探偵は、いったい、なにをしているのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19010-19060">だんだん夜がふけていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19060-19131">どこかで、時計が十時をうつのが聞こえました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19131-19226">そのとき、二階の美術室の中に、ふしぎなことがおこったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19226-19460">美術室は、小さな電灯ひとつだけをのこして、ぜんぶの電灯が消してありました。そのうすぐらい中で、パチッ、パチッと、なにか、もののはぜるような音がしています。</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-19460-19478"><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby><seg source="#source-19478-19615">がなにかかじっている音でしょうか。いや、このりっぱな美術室に鼠なんか出るはずがありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19615-19800">ああ、ごらんなさい。あのアドニスの巨大な像が、かすかにゆれているではありませんか。石膏像が生きて動き出したのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19800-19868">やがて、もっとふしぎなことがおこりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19868-20110">パチッ、パチッと、石膏像がひびわれはじめたのです。そして白い石膏のおもてに、こまかいすじが、いくつもできて、そのすじが、みるみる広がっていくではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20110-20241">パラパラッと、石膏のかけらが床に落ちました。それが、だんだん大きくなってくるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20241-20256">床には、</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-20256-20310"><seg source="#source-20256-20271">じゅうたん</seg></hi><seg source="#source-20310-20396">がしいてあるので、その音は、ドアのそとまで聞こえません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20396-20539">石膏のひびわれは、いよいよ大きくなり、そのあいだから、なにか黒いものが、あらわれてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20539-20794">やがて、右の足がひざのへんからはなれて、その中から、べつの黒い足が、ニュッと出てきました。つぎに、左の足に、おなじことがおこり、ひざの上に石膏をかぶった黒い二本の足が、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-20794-20815"><rb>台座</rb><rt>だいざ</rt></ruby><seg source="#source-20815-20821">から</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-20821-20875"><seg source="#source-20821-20836">じゅうたん</seg></hi><seg source="#source-20875-20910">の上におりてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20910-21059">右左の手が、肩のところから、すっぽりとぬけて床に落ち、その下から、べつの黒い手があらわれました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21059-21220">それから二本の黒い手が、いそがしくはたらいて、からだをおおっていた石膏を、ぜんぶとりのけてしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21220-21500">それは、まっ黒なシャツをきた、ひとりの人間だったのです。あたまにも黒い覆面をかぶっています。目のところだけくりぬいてあるのです。アドニスの像の中には、生きた人間がかくれていたのです。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-21500-21554"><seg source="#source-21500-21512">屋根の上</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21558-22010">いうまでもなく、この男が四十面相でした。かれはアドニスの石膏像が修繕に出されたとき、ハヤノ商会という石膏商といつわって、その像を持ちだし、じぶんをその中にとじこめてもらって、四人の部下に神山邸へはこばせたのです。部下はハヤノ商会の店員に化けて、うまくそのアドニス像を、美術室にもどしておいたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22010-22285">二階の美術室には、うす暗い電灯が一つだけつけてありました。見はりの書生がふたり、ドアのそとの廊下にいるばかりで、室内にはだれもおりません。明智探偵が、わざと、そうしておいたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22285-22902">石膏をやぶって、あらわれた黒シャツの四十面相は、あたりを見まわしてだれもいないことをたしかめると、壁にかけてあるレンブラントのＳ夫人像のところへいって、それを、壁からおろし、がくぶちをはずして、木のわくにとりつけてあるカンバスを、ていねいにはぎとりました。そして、それを、くるくると、棒のようにまいてしまったのです。わくのまま持ちだしてはかさばりますので、油絵のカンバスだけをまるめて、持ちやすくしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22902-23252">それから、腰にまきつけていた大きな黒いふろしきをはずすと、まるめたカンバスをつつみ、それをななめに背中にしょって、ふろしきの両方のはしを、胸のまえでむすびました。こうしておけば、逃げだすときに両手が自由で、身がるに動けるからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23252-23474">四十面相は、その仕事を、すこしももの音をたてないようにやってのけました。さっき石膏像をやぶったときにも、音がしないように注意しましたし、床にあつい</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-23474-23528"><seg source="#source-23474-23489">じゅうたん</seg></hi><seg source="#source-23528-23635">がしいてあるので、いくらか音がしても、そとまでは聞こえなかったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23635-23946">ですから、廊下に見はっていたふたりの書生は、四十面相が美術室の中で、レンブラントの油絵をぬすんでしまったなどとは、すこしも知りませんでした。ふたりは四十面相が、そとからやってくるとばかり思っていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23946-24120">四十面相は、美術室のガラス窓を、音のしないようにひらくと、ひょいと窓わくの上にとびあがり、そのそとにとりつけてある</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-24120-24156"><seg source="#source-24120-24126">とい</seg></hi><seg source="#source-24156-24251">をつたって、さるのように身がるに、大屋根にのぼっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24251-24562">かれは大屋根なんかにのぼって、いったい、どうするつもりなのでしょう。神山さんの西洋館は、ひろい庭のまんなかにたっているので、となりの家の屋根へとびうつって逃げだすというようなことは、思いもよらないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24562-24861">西洋館のまわりをとりかこんでいる警官たちも、四十面相が屋根へ逃げるなんて、すこしも考えていなかったので、だれも上のほうは注意していません。四十面相は、そとからはいってくるとばかり思っていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24861-25220">しかし、そのなかで、たったひとり、なんだかへんだなと気づいた警官がありました。その警官も、屋根のほうを見ていたわけではありませんが、なにげなくふと顔を上にあげたとき、大屋根にとびついた四十面相の二本の足だけが、目のすみにうつったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25220-25486">その足は、すぐに、大屋根の上に見えなくなってしまいましたが、一瞬間、灰色のコンクリートの壁のてっぺんのところに、ぶらんとさがっている、二本の黒い棒のようなものが見えたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25486-25695">警官は、それが人間の足だとは、おもいもよりませんでした。まっ暗な中ですから、はっきり見えたわけではなく、なんだか、そんな気がしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25695-25985">その警官は、大屋根の上を、じっと見つめました。屋根の上は、いっそう暗いので、なにも見えませんが、気のせいか、赤いかわらの上を、まっ黒なやつが、じりじりとはいあがっていくような感じがしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25985-26230">たとえ気のせいでも、いちおう中村警部に報告したほうがいいと思いました。そこで、その警官は、やはり庭に立っている中村警部をさがし出して、このことを知らせたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26230-26394">中村警部のそばには、明智探偵と小林少年が、どこからかもどってきて立っていました。明智はいまの報告を聞くと、</seg></p>
        <p>「うん、やっぱりそうだ。もう絵はぬすまれたかもしれない。ぬすんだとすれば、警官にかこまれている庭へ、おりてくることはできないから、屋根にのぼるしかないわけだね。」</p>
        <p><seg source="#source-26639-26713">と、なにもかも知っているようなことをいいました。</seg></p>
        <p>「エッ、もうぬすまれたって？　どうして、それがきみにわかるんだ。四十面相は、いったい、どこからしのびこむことができたのだろう。きみはそれを知っていて、なぜふせがなかったのだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26979-27050">中村警部が、明智をせめるようにどなりました。</seg></p>
        <p>「いや、知っていたわけじゃない。あいつのことだから、魔法つかいのようにどこからかしのびこんで、いまごろは、もう、ぬすんでしまったかもしれないと、想像してるんだよ。」</p>
        <p>「なんだって？　それじゃ、きみにもあいつのしのびこむのを、ふせぐことができなかったというのか。」</p>
        <p>「いや、ちゃんとふせいである。これには、ちょっと、わけがあるんだ。くわしいことはあとで話すがね。ともかく、美術室をしらべてみよう。もし油絵がぬすまれていたら、あいつが屋根へ逃げたというのは、ほんとうにちがいない。」</p>
        <p>「うん、すぐにいってみよう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-27814-28068">中村警部も、美術室をしらべてみるのが、だいいちだと思いましたので、明智のことばに賛成して、もうそのほうへ、かけだしていました。明智探偵と小林少年も、それにつづきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">二階の美術室へはいって、かぎでドアをひらくと、中村警部は、「アッ。」と叫んで、立ちすくんでしまいました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-28229-28345">そこには、アドニスの石膏像が、ばらばらにくだけて、とびちっていたからです。</seg></p>
        <p>「これはどうしたことだ。きょう修繕して、持ってきたばかりじゃないか。それをまた、こんなにこわしてしまった。こんな夜ふけに、野球をやっているやつがあるんだろうか。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-28590-28655">警部が、あっけにとられてつぶやきました。</seg></p>
        <p>「こんどは、ボールがあたってこわれたのじゃないよ。中からこわしたやつがあるんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-28780-28836">明智が、みょうなことをいいました。</seg></p>
        <p>「エッ、中からだって？　それは、どういういみだ。」</p>
        <p>「この石膏像の中に、四十面相がかくれていたのさ。」</p>
        <p>「エッ、あいつが？　かくれていた？　おい、明智君、きみはそれを知っていたのか？　知っていながら、どうしていままで……。」</p>
        <p>「いや、いや、知っていたわけじゃないよ。いまここへきて、やっと気がついたのだ。このわれかたでわかったのだ。ぼくも、うかつだった。あいつのやりそうな手だからね。それを考えなかったのはぼくの手おちだった。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-29477-29527">明智は、残念そうにいいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そのとき、中村警部は、またしても、「アッ。」という叫び声をたてたのです。</p>
        <p>「アッ、ぬすまれたッ。見たまえ、レンブラントのがくぶちがおろしてある。中はからっぽだッ。」</p>
        <p>「うん、ぼくの思ったとおりだ。あいつは、やっぱり、ぬすんでいった。しかしね、中村君、これは心配しないでもいい。ぼくが、きっと、取りかえしてみせるよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-30004-30087">明智は、自信ありげに、きっぱりと、いいきるのでした。</seg></p>
        <p>「それじゃあ、あいつは、レンブラントのカンバスだけを取りはずして、それを持って屋根の上へ逃げたというのだね。」</p>
        <p>「うん、そうにちがいない。屋根のほかに逃げる場所はないからね。」</p>
        <p>「四方をかこまれているんだから、屋根へのぼったって、逃げられるわけはない。いったい、あいつは、どうするつもりなんだろう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-30537-30593">中村警部が、ふしぎそうにいいます。</seg></p>
        <p>「あいては魔法つかいだ。どんな手があるかもしれない。ともかく屋根の上を、見はるひつようがあるね。それには、ふつうの電灯なんかでは、暗くてよく見えないだろう。消防自動車を呼ぶんだね。そうすれば、<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-30881-30917"><rb>探照灯</rb><rt>たんしょうとう</rt></ruby>もあるし、長い自動ばしごもある。それがいちばんいいよ。」</p>
        <p>「うん、それがよさそうだね。じゃ、ぼくが消防署へ電話をかけることにしよう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31119-31208">中村警部はそういって、あたふたと階下へおりていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31208-31408">いっぽう、庭のほうでは、警官たちが、階下の部屋の電灯にコードをつぎたして、庭から大屋根を照らし、みんなで、そこをながめていました。</seg></p>
        <p>「アッ、黒いものが動いた。たしかに、あいつだよ。」</p>
        <p>「うん、屋根の上にひらべったくなっているけれども、ボーッと黒く見えるね。あれが四十面相にちがいない。警部さんに、報告しよう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31676-31773">そういって、ひとりの警官が、西洋館へとびこんでいくのでした。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-31773-31821"><seg source="#source-31773-31782">水ぜめ</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31825-32073">しばらくすると、赤い消防自動車がかけつけ、門から庭へはいってきました。中村警部のさしずで、探照灯が点じられ、白い棒のような強い光が、西洋館の大屋根を照らしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32073-32300">やっぱりそうです。黒いシャツをきた男が、ぴったりと、屋根にからだをくっつけて、はらばいになっています。そのすがたが、はっきりと照らしだされたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32300-32590">四十面相は、顔をふりむけて、まぶしそうに、こちらを見ました。そして、いきなり逃げだしたのです。逃げだすといっても屋根のそとへは出られません。とびおりたりなんかすれば、死んでしまうばかりです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32590-32781">かれは、屋根をはって、頂上のむねがわらまでたどりつくと、ひょいと、それをまたいで、むこうがわに、すがたを消してしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32781-33032">探照灯の光は、むねがわらのむこうまでは、とどきませんから、四十面相を見うしなわないためには、自動車を、むこうがわにまわして、そこから探照灯をあてるほかはありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-33032-33154">消防車の運転手は車を動かして、うらへまわろうとしました。それを見た中村警部は、</seg></p>
        <p>「いや、このままでいい。あっちへまわったら、あいつはこっちがわの屋根へ逃げるだろう。そうすれば、また、ここへもどってこなければならない。あいつがむねがわらを、こえるのはすぐだけれども、自動車をむこうへまわすのはたいへんだ。それより、自動ばしごをのばしなさい。そうして、大屋根までとどかせてくれれば、ぼくの部下がのぼっていって、あいつをつかまえるよ。」</p>
        <p><seg source="#source-33681-33716">と、さしずをしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-33716-33913">すると、ガラガラッとモーターがまわって、自動ばしごが、上へ上へとのびはじめました。そして、みるまに、大屋根の高さになったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-33913-34179">そういうことになれた、中村警部の部下のふたりの警官が、くつをぬぎ、上着をぬぎ、みがるないでたちになって、空にむかって、まっすぐに立っている自動ばしごを勇敢にのぼっていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-34179-34493">警官隊のうち、うらがわに三人ばかりのこして、みんな消防自動車のまわりに、集まっていました。主人の神山さんも、書生たちも、その中にまじっています。明智探偵と小林少年だけは、どこにも、すがたが見えないのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-34493-34795">四十面相が、屋根に逃げるすこしまえにも、ふたりは、どこかへ、すがたをくらましていましたが、このかんじんなときに、またもや、ゆくえがわからなくなってしまったのです。いったい、どこへいったのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-34795-34956">ふたりの警官は、もう自動ばしごの三分の二ほどを、のぼっていました。あと二メートルで、大屋根にとどきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-34956-35186">そのとき、むねがわらのむこうから、四十面相のあたまが、ひょいと、こちらをのぞきました。そして、警官たちが、はしごをのぼってくるのに気づいたようすです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-35186-35300">ふたりの強そうな警官が、屋根へあがってきたら、もうおしまいです。かれらは、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-35300-35324"><rb>手錠</rb><rt>てじょう</rt></ruby><seg source="#source-35324-35542">やとりなわを持っています。腰のサックには、たまをこめたピストルまで用意しているのです。四十面相がいくら強くても、とてもかなうものではありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-35542-35661">四十面相は、どうするつもりでしょう。とうとう、つかまってしまうのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-35661-35939">見ていると、かれは、むねがわらをのりこして、のこのこと、こちらがわの屋根へ出てきました。そして、だんだん、屋根のはしのほうへ、おりてくるのです。いったいなにをしようというのでしょう。</seg></p>
        <p>「オヤッ、やつは、とびおりるかもしれないぞ。救命具を用意したまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36043-36369">中村警部の声に、消防手たちは、車にそなえつけてある、まるいズックの救命具を取りだして、五人でそれをひろげ、屋根の下へ近づきました。とびおりてくる四十面相のからだを、そのまるいズックの上に、うけとめようというのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36369-36635">しかし、四十面相は、とびおりるけはいはありません。かれは、屋根のとっぱなまでくると、そこにかかっていた自動ばしごに両手をかけて、力まかせに、ゆさぶりはじめたではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36635-36808">そのために、いまにも屋根に手をかけようとしていた警官が、ふいをつかれて、ずるずるッと、はしごをすべり落ちました。</seg></p>
        <p>「アッ、あぶないッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36843-37349">そのまま、下まで落ちてくるのではないかと、手に汗をにぎりましたが、三だんほど、すべり落ちただけで、はしごのよこ木につかまって、やっとのことで、ふみとどまりました。あとからのぼっている、もうひとりの警官は、まだずっと下のほうにいたので、ふたりが、ぶっつかりあうこともなかったのです。もし、ぶっつかれば、ふたりとも、命はないところでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37349-37597">さきの警官は、これにくっせず、またはしごをのぼって、屋根に手をかけようとしましたが、四十面相は、それを待ちうけていて、また、はしごを、ゆさゆさと、ゆさぶるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37597-37788">こんどは、用心をしていたので、すべり落ちないですみましたけれど、こんなにゆさぶられては、とても屋根にのぼることはできません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37788-37892">しかたがないので、警官は、腰のサックからピストルをとりだしました。</seg></p>
        <p>「こらッ、てむかいをするとぶっぱなすぞッ。命がないぞッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37981-38082">そうどなっておいて、空にむかって、一ぱつ、だあんと発射しました。</seg></p>
        <p>「ワハハハハ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-38114-38191">四十面相は、さもおかしそうに、笑いだすのでした。</seg></p>
        <p>「ワハハハハ……、そんなおどかしは、おれにはきかないよ。おれは、なんにも武器を持っていないのだ。武器を持たない相手を、殺すことはできないはずだね。いくらおどかしの<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-38434-38458"><rb>空砲</rb><rt>くうほう</rt></ruby>をうったって、おれは、びくともしないよ。ワハハハハ……、ざまあみろ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-38565-39149">こんな相手にかかっては、どうすることもできません。四十面相のからだを、うつことはできないのを、ちゃんと知っているのです。警官はあきらめて、ピストルを腰のサックに、もどしてしまいました。そして、また、いくども屋根にとりつこうとしましたが、そのたびに、四十面相が、はしごをゆさぶるので、落ちないようにしがみついているのがやっとでした。とても犯人をつかまえることなどできるものではありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39149-39217">下では、中村警部たちが、相談していました。</seg></p>
        <p>「水ぜめにしたらどうだろう。ホースで、あいつに水をぶっかけるんだよ。そうすれば、すべって落ちてくる。それを、救命具でうけとめればいい。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39423-39503">中村警部がいいますと、主任の消防手も賛成しました。</seg></p>
        <p>「やってみましょうか。<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-39536-39569"><rb>消火栓</rb><rt>しょうかせん</rt></ruby>をひらいてホースをつなげばいいのです。ホースの水は、ひじょうな力ですから、あいつはきっと、すべりますよ。」</p>
        <p>「うん。それをやるほかはないと思うね。だが、うまくうけとめられるかな。やりそこなったら、あいつは死んでしまうからね。あいつを殺してはいけないのだ。なかなか、むずかしい仕事だよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39999-40064">中村警部は、心配そうに首をかしげました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-40064-40273">こんなとき、明智探偵がいたら、もっといい知恵を出してくれるのでしょうが、明智も小林少年も、どこへいったのか、まだすがたを見せないのです。</seg></p>
        <p>「よしッ、やってみよう。しかし、注意しておくがね、ほんとうに、すべり落ちるまでやらないで、ただ、あいつをびっくりさせればいいのだ。いまにも、すべり落ちそうになれば、いくらあいつだって、手をあげるにちがいない。そのとき、はしごをのぼっていって、ひっくくってしまえばいいのだからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-40695-40778">中村警部は、とうとう、決心をして命令をくだしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-40778-40969">そこで、ホースがのばされ、消火栓につながれました。地面をはっている白いホースが、へびのようにのたうって、ふくらんできました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-40969-41049">ふたりの消防手が、ホースのつつ先をにぎっています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41049-41207">ホースのふくらみがツウッとのびて、つつ先にたっしました。そして、音をたてて水がほとばしりはじめました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41207-41386">水は一本の白い棒になって、そとに吹きあげています。つつ先はすこしずつ、むきをかえ、大屋根のとっぱなにむけられました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41386-41591">四十面相は、あたまから夕立のような水をかぶり、あわてて、屋根にはらばいになりました。水のいきおいは、刻一刻、はげしくなるばかりです。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-41591-41657"><seg source="#source-41591-41609">空からの怪音</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41661-41765">怪人は、いまにも水の力でおしながされ、屋根からすべり落ちそうです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41765-41908">下では五人の消防手が、ズックの救命具をひろげて、怪人が落ちてくるのを、待ちかまえていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-41908-42228">ああ、もうぜったいぜつめいです。怪人は死にものぐるいで、屋根のかわらにしがみついていますが、いつまでもがんばれるものではありません。やがて力がつきて、水におしながされ、屋根からすべり落ちるにきまっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42228-42464">さすがの怪人四十面相も、とうとう、つかまってしまうのでしょうか。しかし、あいつは魔法つかいみたいなやつです。どんな奥の手を用意していないともかぎりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42464-42580">そのとき、どこからか、ぶるるるるる……という、へんな音が聞こえてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42580-42822">消防自動車のモーターの音ではありません。ホースからほとばしる水の音でもありません。それらとはちがったへんな物音が、まっ暗な空のむこうから、ひびいてくるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42822-42896">そのふしぎな音は、刻一刻と高くなってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42896-42919">ぶるるるん。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42919-42960">ぶるるるん、ぶるるるん。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-42960-43079">飛行機が飛んでいるのでしょうか。いや、飛行機の音とも、どこかちがっています。</seg></p>
        <p>「アッ、星が飛んでいる。流星かな？　流星にしては、いやにゆっくり飛んでいる。おい、あれを見たまえ。へんな星みたいなものが飛んでくるよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-43285-43395">ひとりの警官が、そばに立っている警官に、そのほうを指さしてみせました。</seg></p>
        <p>「うん、飛んでくるね。だが星じゃない。アッ、あれはヘリコプターだぜ。さっきからのへんな音は、プロペラの音だよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-43565-43696">そういっているうちに、夜空にもくっきりと、ヘリコプターのすがたが浮きだしてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-43696-43761">ぶるるるん、ぶるるるん、ぶるるるん……。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-43761-43904">プロペラの音は、話し声も聞こえないほど大きくなり、空からは、あやしい風が吹きつけてきました。</seg></p>
        <p>「アッ、屋根のまうえにとまった。ヘリコプターが、四十面相を助けだしにきたんだッ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-44029-44271">そうです。ヘリコプターは、洋館の二階の屋根のまうえにとまっています。プロペラをゆっくりまわして、ちょうしをとりながら、そこの空中に、じっと浮かんでいるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-44271-44399">ガラスのようなプラスチックでかこまれた操縦室のドアが、サッとひらくのが見えました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-44399-44620">操縦室には、ふたりの人間のすがたが小さく見えています。そのうちのひとりが、ひらいたドアのところから、なにか長いものを、下へ落とすのが見えました。</seg></p>
        <p>「アッ、<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-44632-44647"><rb>縄</rb><rt>なわ</rt></ruby>ばしごだッ。四十面相を縄ばしごで、ヘリコプターの中へひきあげるつもりだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-44763-44906">地上の人々の口から、ワアッという、どよめきがおこりました。しかし、どうすることもできません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-44906-45040">縄ばしごは、屋根のむねのむこうがわにあり、四十面相は、そのほうへはいよっていくのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-45040-45396">ホースの水は、あいかわらず怪人のあたまの上から、ふりそそいでいますが、かれをすべらせることはできません。四十面相は、かわらにしがみついて、すこしずつ屋根のむねに近づき、とうとうむねを乗りこして、むこうがわへすがたを消してしまいました。</seg></p>
        <p>「アッ、のぼっていく。のぼっていく。四十面相が、縄ばしごをのぼっていく……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-45515-45703">くやしそうな叫び声がおこりました。やっぱりヘリコプターは四十面相のみかただったのです。空から怪人をすくいだしにきたのです。</seg></p>
        <p>「おい、水をぶっかけろ、そして、あいつを、縄ばしごから落としてしまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-45813-45974">中村警部が、やっきとなってどなりました。しかし、残念ながら、ホースの水は縄ばしごまで、とどかないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-45974-46261">四十面相の黒いすがたは、ヘリコプターの操縦室のすぐ下まで、のぼりつきました。かれは、左手で縄ばしごを持ち、右手をはなして、地上の人たちをあざけるように、その手を空中にひらひらさせています。</seg></p>
        <p>「ワハハハハハ……。諸君、ごくろうさま。レンブラントの名画は、たしかにちょうだいしたよ。それじゃあ、あばよ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-46428-46760">そのことばは、地上までとどきませんでしたが、人をばかにした大笑いの声は、みんなの耳にはいりました。四十面相は、レンブラントの名画のカンバスを、わくからはがして、ほそくまるめ、ふろしきにつつんで背中にせおっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-46760-46876">警官たちは、じたんだをふんでくやしがりましたが、どうすることもできません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-46876-46974">ピストルをうとうにも、とてもあの高い空まではとどかないのです。</seg></p>
        <p>「しかたがない。警視庁に連絡して、こっちもヘリコプターを飛ばそう。そしてあいつを追っかけるんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-47123-47362">中村警部は、はぎしりしながら、そんなことをつぶやきました。警視庁には、こんなときのために、二台のヘリコプターが、いつでも飛べるように用意されているのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-47362-47553">中村警部は、ひとりの警官をよんで、警視庁に電話することを命じようとしましたが、そのとき、ふと、みょうなことに気がつきました。</seg></p>
        <p>「オヤッ、あのヘリコプターには、見おぼえがあるぞ。あれは警視庁のヘリコプターじゃないか。はてな、これはいったいどうしたことだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-47747-48001">まちがいありません。たしかに目じるしがあるのです。それにしても、警視庁のヘリコプターが、怪人四十面相を助けにくるなんて、そんなばかなことが、あっていいものでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-48001-48156">ひょっとしたら、怪人の部下が、警視庁のヘリコプターをぬすみだして、首領を助けにきたのかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-48156-48337">中村警部はなにがなんだかわけがわからなくなり、ただもう、ぼんやりと空を見あげて、その場につっ立っているばかりでした。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-48337-48421"><seg source="#source-48337-48364">第二のヘリコプター</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-48425-48604">怪人四十面相は、縄ばしごをのぼりきって、操縦室の入口に両手をかけると、鉄棒のしりあがりで、ひょいと中へはいりました。</seg></p>
        <p>「松下か？」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-48624-48731">怪人が声をかけますと、操縦席にいた男は、縄ばしごをたぐりあげながら、</seg></p>
        <p>「はい！」</p>
        <p><seg source="#source-48748-48774">とこたえました。</seg></p>
        <p>「もうひとりは、だれだ？」</p>
        <p>「しんまいの、あっしの助手ですよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-48871-49092">松下とよばれた男は、みょうに、かすれた声でいいました。かれは、とりうち帽をふかくかぶり、洋服のえりをたてて、なぜか、顔をかくすようにしています。</seg></p>
        <p>「ふうん、こんな助手がいたのかい。子どもみたいに、ちっちゃいやつじゃないか。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-49211-49483">いかにも、その助手は、子どものようにせのひくい、へんな男でした。やっぱり、とりうち帽子をふかくかぶり、だぶだぶの服をきています。子どもが、おとなの服をきているようなかっこうです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-49483-49725">四十面相は、ちょっとふしぎそうな顔をしましたが、いまは、そんなことを考えているばあいではありません。いっこくもはやく、このばを逃げださなければならないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-49725-49877">松下という部下は、操縦席について、きゅうにヘリコプターを上昇させ、そのまま東のほうへ進ませました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-49877-50179">ヘリコプターのぜんぽうには、自動車のヘッドライトのようなものがついていますが、操縦室の中は、うす暗いのです。電灯も、操縦機のところを照らしているばかりで、おたがいの顔も、はっきり見えないほどでした。</seg></p>
        <p>「松下、いくさきはわかっているな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-50235-50300">四十面相が、ねんをおすようにいいました。</seg></p>
        <p>「どちらにしましょう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-50338-50433">松下が、うつむいたまま、やっぱりかすれた声で聞きかえします。</seg></p>
        <p>「どちらだって？　ばかッ、きまってるじゃないか。<hi rend="bold" source="#source-50505-50565"><seg source="#source-50505-50523">きめんじょう</seg></hi>だ。」</p>
        <p><seg source="#source-50576-50579">「</seg><hi rend="bold" source="#source-50579-50639"><seg source="#source-50579-50597">きめんじょう</seg></hi>ですか。」</p>
        <p>「うん、<hi rend="bold" source="#source-50668-50728"><seg source="#source-50668-50686">きめんじょう</seg></hi>だよ。きみはなにをぼんやりしているんだ。へんだぞ。どうかしたのかッ。」</p>
        <p>「いや、なんでもないんです。ちょっと、ほかのことを考えていたので……。」</p>
        <p>「なにッ、ほかのことを？　おいおい、しっかりしてくれ。操縦しながら、ほかのことなんか考えるやつがあるか。ここは空の上だよ。落ちたら命がないんだぜ。」</p>
        <p>「すみません。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-51195-51275">松下は、かすれた声で、しおらしくわびをいいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-51275-51457">空は雲がかかってまっ暗ですが、目の下には東京の町の明かりが、美しくかがやいていました。まるで宝石をばらまいたようです。</seg></p>
        <p>「おいッ、松下。きみは、きょうはよっぽど、どうかしているな。方角がちがうじゃないか。さっきのままでいいんだ。どうして、もとのほうへひっかえすんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-51681-51839">東のほうへ進んでいたヘリコプターが、いつのまにか、ぐるッとむきをかえて、西にむかって飛んでいるのです。</seg></p>
        <p>「かしら、だまっていてください。ヘリコプターのことは、あっしにまかしといてくださいよ。気流がわるいんです。ちょっと、まわりみちをするだけです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-52057-52113">やっぱり、へんてこなかすれ声です。</seg></p>
        <p>「きみ、その声はどうしたんだ。かぜでもひいたのか。」</p>
        <p>「ええ、ちょっとね。なに、たいしたこたあありませんよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-52279-52617">四十面相はさっきから、松下のいうことがどうもよく分かりません。それにとりうち帽子で顔をかくすようにして、下ばかりむいているのもへんです。ひょっとしたら、こいつにせものじゃないのかな、と、恐ろしいうたがいが心をかすめました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-52617-52763">そのときです。右手のほうの空に、ひとつの光が飛んでいるのに、気がつきました。星ではありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-52763-52882">とすると、空を飛ぶ光といえば、飛行機かヘリコプターのほかには、ないはずです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-52882-53004">飛行機ではありません。どうも、こちらとおなじような、ヘリコプターらしいのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53004-53249">やっぱりヘリコプターでした。こっちへ近づいてくるようです。まるい、すきとおった操縦室が見えてきました。そのなかにいる人間のすがたまで、ありありと見えてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53249-53410">そのヘリコプターはぐんぐん近づいてきます。五十メートル、三十メートル、やがて十メートルまで接近しました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53410-53490">そして、こちらとおなじ方向へならんで飛んでいます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53490-53561">もう、操縦士の顔がぼんやりと見えるほどです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53561-53629">オヤッ、あそこにいるのは、松下じゃないか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-53629-54057">四十面相は、ギョッとしたように、こちらの松下のよこ顔を見つめました。ちがう、ちがう。こいつは、おれの部下の松下じゃない。あやういところを助けてくれたので、部下とばかり思っていた。部下のうちで、ヘリコプターを操縦できるやつは、松下のほかにないのだから、こいつを松下だと思いこんでいた。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-54057-54236">だが、ちがう。こいつは松下じゃない。むこうのヘリコプターにいるのが松下だ。すると、こいつはいったい。なにものだろう？</seg></p>
        <p>「おいッ、きみは松下じゃないんだなッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-54298-54428">四十面相は、操縦士のわきばらをこづきながら、おしころしたような声できめつけました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-54428-54494"><seg source="#source-54428-54446">操縦士の正体</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-54498-54626">松下とよばれていた男は、はじめて顔を上にむけ、正面から四十面相をにらみつけました。</seg></p>
        <p>「松下でないとすると、だれだと思うね。」</p>
        <p>「なにッ、さては、きさまッ。」</p>
        <p>「おっと、身うごきしちゃいけない。ぼくの手がくるったら、みんなおだぶつだからね。それに、きみの背中にかたいものがあたっているのが、わかるかね。ピストルのつつ先だよ。きみのうしろに、ぼくの助手の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-55023-55047"><rb>小男</rb><rt>こおとこ</rt></ruby>がうずくまって、ピストルをつきつけているんだよ。手むかいをすれば、きみの命はないんだぜ。」</p>
        <p>「ちきしょうッ！　きさま、いったいなにものだッ？　敵か味方か。まさか味方じゃあないだろう。すると、さっき、屋根の上から、おれを助けてくれたのは、どういうわけだ。」</p>
        <p>「助けたんじゃあない。つかまえたんだよ。そして、いまきみを警視庁へつれていくところさ。」</p>
        <p>「それじゃあ、きさま、警視庁のやろうかッ。」</p>
        <p>「そうでもないよ。おい、四十面相、ぼくをわすれたのかね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-55720-55956">操縦士はそういって、ポケットから、あぶらをしませた手ぬぐいをだすと、それでじぶんの顔を、ぐるぐると、なでまわしました。変装のけしょうを、ふきとったのです。</seg></p>
        <p>「アッ、きさま、明智小五郎だなッ。」</p>
        <p>「ウフフフフフ……、やっとわかったかね。そして、きみのうしろからピストルをつきつけているのは、ぼくの少年助手の小林だよ。おとなの服をきて、小男にばけていたのさ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-56257-56742">読者諸君、ちょっと、思いだしてください。四十面相が神山邸の洋館の屋根にのぼったとき、やしきをとりまく警官隊のなかに、明智探偵と小林少年のすがたが見えなかったことは、まえの章に書いてあります。あれを思いだしてください。ふたりは、そのとき、警視庁のヘリコプターをかりだして、神山邸へ飛んでくるために、そっとたちさったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-56742-57149">明智探偵は、自動車はもちろん、飛行機でも、ヘリコプターでも、操縦できるうでまえをもっていました。名探偵というものは、万能選手でなければなりません。明智は青年時代から、あらゆるスポーツでからだをきたえてきました。そして、飛行機の操縦までも、じゅうぶん練習していたのです。</seg></p>
        <p>「おい、四十面相。きみは、せっかく苦心をして、牢やぶりをしたかとおもうと、もう、つかまってしまったね。こんなにはやくつかまるなんて、いつものきみにも、にあわないことじゃないか。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-57415-57777">ハハハハハ。きみがヘリコプターを持っていることは、ちゃんとわかっていた。だから、きみが、あの西洋館の高い屋根へ逃げのぼったとき、ぼくは、すぐにヘリコプターを思いだした。そのほかに、四方をかこまれたあの屋根から、逃げる方法はないのだからね。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-57777-58025">きみは部下とうちあわせておいて、ちょうどいいじぶんに、ヘリコプターがあそこへ飛んでくるようにしておいた。そしてじぶんのヘリコプターに乗って、逃げだすつもりだった。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-58025-58339">ぼくはそれがわかったので、小林君をつれて、警視庁にかけつけ、ふたりとも変装をして、このヘリコプターに乗りこんだ。そして、きみの部下のヘリコプターがやってくるまえに、先をこして、あの屋根の上にあらわれたのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-58339-58743">よく見れば、きみのヘリコプターと、これとはかたちがちがっているのだが、水ぜめにあって、めんくらっていたきみには、その見わけがつかなかった。助けだしにきたからには、自分のヘリコプターだと、思いこんでしまったのだ。そして、まんまと、ぼくのわなに、かかったというわけだよ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-58743-59156">あそこに飛んでいるのが、きみのヘリコプターだ。そして、あの操縦席にいるのがきみの部下の松下という男だろう。ひとあしおくれて首領をさらわれ、びっくりして、追っかけてきたのだ。だが、まさか、こっちのヘリコプターを、射撃するわけにもいくまい。首領のきみが、乗っているんだからね。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-59156-59368">あの男は、どうしていいかわからなくなって、ただぼくたちを、つけているのだ。いまに、自分もつかまってしまうのも知らないでね。ハハハハハ……。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">それじゃあ、きみをつかまえたことを警視庁に知らせて、よろこばせることにしよう。きみも聞いていたまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-59526-59675">明智はそういって、操縦席のまえにある無線電話の送話機をとって、警視庁の無電室をよびだすのでした。</seg></p>
        <p>「こちらは空中<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-59696-59726"><rb>警邏機</rb><rt>けいらき</rt></ruby><seg source="#source-59726-59900">第二号。報告します。神山邸洋館屋上で、怪人四十面相を逮捕、ただいま警視庁にむかって飛行中。いまから、やく十分ののち、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-59900-59924"><rb>日比谷</rb><rt>ひびや</rt></ruby>公園の広場に着陸の予定。着陸地点に数名の警官を配置してください。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-60025-60150">明智は送話機にむかって、おなじことを、二度くりかえしました。すると、むこうから、</seg></p>
        <p>「警視庁りょうかい。」</p>
        <p><seg source="#source-60185-60247">という返事が、はっきり聞こえてきました。</seg></p>
        <p>「四十面相、もうひとつきみに知らせておくことがある。きみはレンブラントの名画をぬすみだして、背中にしょっているつもりだろうが、それはとんだ思いちがいだよ。そのふろしきづつみをといて、よくしらべてみるがいい。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">明智にそういわれて、四十面相は、びっくりしたような顔をしました。そこで、のろのろと、ふろしきづつみをおろし、なかのカンバスをだしてひらきました。そして、ひと目その画面を見ると、おもわず、「アッ！」と声をたてないではいられませんでした。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-60917-61099">ごらんなさい。それは、いつのまにか、レンブラントとはにてもにつかない、へたくそな風景画にかわっていたではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-61099-61242">四十面相のあっけにとられた顔を見ると、明智探偵は、さも、こきみよさそうに、笑いだすのでした。</seg></p>
        <p>「ハハハハ……、おい、四十面相君。こんどはなにからなにまで、きみの負けだね。ぬすみだした絵は、まるでちがったにせものだった。助けだされたと思ったヘリコプターは、警視庁の警邏機だった。そして、それに乗っていたのは、きみがこの世で、いちばん恐れている明智小五郎だったとは。ハハハハ……。」</p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-61672-61726"><seg source="#source-61672-61684">暗号の光</seg></head>
        <p>「ワハハハハ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-61762-61938">四十面相も明智に負けないで笑いだしました。こういう悪人になると、そのくらいのことでは、なかなかへこたれないのです。</seg></p>
        <p>「ワハハハハハ……、明智君、さすがは名探偵だねえ。うまくやられたよ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">だが、レンブラントの絵が、いつのまに、こんなつまらない風景画にかわったのか、おれはすこしも気がつかなかった。わくからはがしたときには、たしかにあの名画だったんだがなあ。明智君、ひとつこの手品の種あかしをしてくれないかね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-62380-62433">それを聞くと、明智も笑いだして、</seg></p>
        <p>「きみは魔法つかいのくせに、あれがわからなかったのかい？　きみの背中にピストルをあてているのは、おとなのオーバーを着ているけれども、じつは、ぼくの少年助手の小林なんだよ。この小林がその風景画のカンバスのまるめたのを持って、神山さんの美術室にかくれていたのさ。本だなのうしろにね。そして、きみが石膏像をやぶってあらわれ、レンブラントの絵をわくからはがして、棒のようにまるめて、ちょっと床においたときに、本だなのかげから、手をのばしてすりかえてしまったのだよ。小林君も、なかなか手品はうまいからね。ハハハハハ……。」</p>
        <p>「ふうん、そうだったのか。これはいちばん、やられたね。きみのちんぴら助手も、すみにおけないよ……。ところできみは、これから、おれをどうしようというのだね。」</p>
        <p>「わかっているじゃないか。さっき警視庁と無電で話したとおりだよ。日比谷公園の広っぱに、大ぜいの警官が待ちかまえている。そのなかへ、このヘリコプターを着陸させて、きみをひきわたすのさ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-63717-63833">そんな話をしているとき、四十面相は左の手で、みょうなことをやっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-63833-64111">そっと、ポケットから小型の懐中電灯をとりだし、それを、プラスチックの操縦席のよこにむけて、明智探偵たちに気づかれないように、ピカッ、ピカッ、ピカッと、つけたり消したりしていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-64111-64416">そのむこうには、四十面相の部下のヘリコプターが、こちらのヘリコプターとならんで飛んでいます。もしかしたら、四十面相は、そうしてみかたのヘリコプターへ、懐中電灯の暗号通信をしていたのではないでしょうか。</seg></p>
        <p>「ワハハハ……、こうなると、四十面相も、あわれなもんだね。また刑務所へくらいこむのか。だが、明智君、おれはやっぱり魔法つかいなんだぜ。きみのほうが手品をつかえば、おれのほうは魔術をつかうのさ。こうして、つかまったように見えていても、ほんとうは、つかまってやしないんだぜ。ウフフフフ、まあ、いまにわかるよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-64877-65044">四十面相は負けおしみのようなことを、くどくどとしゃべっています。懐中電灯の通信をごまかすためかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-65044-65247">まもなく、いままでならんで飛んでいた、むこうのヘリコプターが、だんだん遠ざかっていき、やがて、うしろのほうへ飛びさってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-65247-65375">それからしばらくすると、こちらのヘリコプターは、日比谷公園の上に近づいていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-65375-65578">広っぱには、高いはしらの上に照明灯がつけられ、その光のなかに、十数名の制服のおまわりさんが、大きな円をえがいて立ちならんでいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-65578-65910">そのうしろに、むらがっているせびろ服の人たちは、きっと新聞記者なのでしょう。写真機をさげている人もまじっています。警視庁づめの記者たちが、四十面相がつかまったときいて、おまわりさんのあとから、かけつけてきたのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-65910-66146">明智の操縦するヘリコプターは、その広っぱのま上までくると、しずかに下へおりはじめました。地面に近づくにしたがって、広っぱのようすがはっきり見えてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-66146-66397">むらがっているのは新聞記者ばかりではないようです。もう十二時をすぎた夜ふけですが、どこからともなく、やじうまが集まってきて、そのかずが、だんだんふえてくるのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-66397-66789">おまわりさんは、ヘリコプター着陸のための、広い場所をあけておかなければなりませんので、まんなかへ出てこようとする人たちを、とめるのにやっきとなっているようです。なかなかヘリコプターを着陸させることができません。広っぱの上空で五分ほどもてまどってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-66789-67124">やがて、明智探偵は、ヘリコプターを、ゆっくりと下降させました。地面に近づくと、あらしのようなプロペラの風が吹きまくり、おそろしい砂ぼこりがたちます。むらがっている人々は、目をおさえて、広っぱのすみのほうへ逃げだしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-67124-67479">それで、やっと地面がひろくなったので、明智はヘリコプターを着陸させることができましたが、すると、逃げだしていたやじうまが、新聞記者たちといっしょに、ドッとおしよせてきて、たちまち操縦席のまわりは、黒山の人だかりになってしまいました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-67479-67557"><seg source="#source-67479-67488">すりの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-67488-67503"><rb>源</rb><rt>げん</rt></ruby><seg source="#source-67503-67509">こう</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-67561-68079">ヘリコプターの操縦席のドアがひらかれ、待ちかまえていたおまわりさんが、そこへ近づくと、いきなり四十面相の手をとって、そとへひきずりおろしました。そして、手錠をはめようとしたときです。そのときまで、おとなしくしていた四十面相が、おそろしいいきおいで、おまわりさんの手をふりきって、いきなり、パッとうしろの群集の中へおどりこんだではありませんか。</seg></p>
        <p>「アッ！」とおどろいた警官たちが、そのほうへ、とびかかっていきました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-68186-68281">さいわい、四十面相がとびこんだのは、新聞記者たちの中でした。</seg></p>
        <p>「ちくしょう。逃がすものか。警官、ここにいますよ。早くつかまえてください。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-68397-68546">記者たちが、くちぐちにわめきながら、黒シャツすがたの四十面相を、前のほうへおしだしてくれました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-68546-68668">手錠をもった警官が、それにとびついていって、かちんと両手にはめてしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-68668-68877">もうこんどは、逃げられません。十数名の警官にとりまかれて、四十面相はおとなしく、すぐむこうの警視庁のほうへ、ひったてられていくのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-68877-69107">まもなく四十面相は、警視庁の地下のしらべ室へ、つれこまれていました。正面には、捜査一課の係長のひとりである中村警部が、げんぜんと、いすにかけています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-69107-69235">中村警部は四十面相のために、たびたび出しぬかれているので、うらみかさなる相手です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-69235-69342">こんどこそは、もう逃がさないぞと、恐ろしい目でにらみつけていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-69342-69542">そのよこに、明智探偵と小林少年が、ひかえていました。四十面相は、ふたりの警官にまもられて、その前に、しょんぼりと立っているのです。</seg></p>
        <p>「おい、四十面相、本名は<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-69578-69620"><rb>遠藤平吉</rb><rt>えんどうへいきち</rt></ruby>だな。きみは、せっかく脱獄したかと思ったら、もうつかまってしまったじゃないか。すこし、おいぼれたようだな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-69784-69846">中村警部が、きみよさそうにいいました。</seg></p>
        <p>「エッ、四十面相？　……遠藤平吉？」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-69902-70000">黒シャツの怪人は、ぼんやりした顔でふしぎそうにつぶやきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-70000-70149">なんだかへんです。小林少年は、はやくも、それに気づいて、明智探偵のひざをつっつきました。そして、</seg></p>
        <p>「あいつ、どっか、顔がちがいますよ。ヘリコプターに乗っていたやつと、顔がちがってますよ。」とささやくのでした。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-70316-70438">中村警部は、いまはじめて、近くで顔を見るのですから、そこまでは気がつきません。</seg></p>
        <p>「おい、遠藤、はっきり返事をしないか。きみは四十面相と名のる男だね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-70545-70622">はげしくどなりつけますと、男は、きょとんとして、</seg></p>
        <p>「エッ、とんでもない。あっしゃ、そんなものじゃありませんよ。ひどいめにあったんです。日比谷の林の中で、三人の男につかまって、こんなものを着せられちまったんです。そして、むりやり、広っぱの人ごみの中へつれこまれ、おまわりさんの前へ、つき出されたんです。なにがなんだか、さっぱりわけがわかりませんや。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-71071-71148">黒シャツの男は、ふへいらしく、つぶやくのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-71148-71279">なんだか、ようすがおかしいのです。口のききかたも、四十面相とはまるでちがっています。</seg></p>
        <p>「そんなことをいってごまかそうとしたってその手にはのらないぞ。きさまが四十面相じゃないとでもいうのかッ。」</p>
        <p>「アッ、そうだ。これを見ておくんなさい。その三人のやつが、しらべ室へいったら、これを見せるがいいといって、こんなものを……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-71631-71780">男はそういって、黒シャツのポケットから、一まいの紙きれをとりだして、中村警部の前にさしだします。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-71780-71902">うけとってみますと、その紙きれには、えんぴつで、こんなことが書いてありました。</seg></p>
        <div type="layout" source="#source-71902-72453" style="inline-size: 26em">
          <div type="layout" source="#source-71940-72415" style="border-style: solid" rend="keigakomi border(rule)">
            <div type="layout" source="#source-71972-72377" rend="bold">
              <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-72001-72256">こいつはすりの源こうです。四十面相の身がわりには、すこしやすっぽいけれども。ともかく、すりをひとりつかまえてあげたんだから、まあ、がまんしてください。それじゃ、あばよ。</seg><seg type="layout" source="#source-72256-72306" rend="chitsuki align(right) offset-from-end(1)" snh:layout-kind="chitsuki" snh:layout-params="align=right;offset-from-end=1"><seg source="#source-72286-72306">四十面相より</seg></seg></p>
              <div type="layout" source="#source-72306-72344" style="padding-inline-start: 2em">
                <p><seg source="#source-72327-72344">警視庁どの</seg></p>
              </div>
            </div>
          </div>
        </div>
        <div>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-72455-72574">中村警部はそれを読むと、恐ろしい顔になって、黒シャツの男をにらみつけました。</seg></p>
          <p>「おまえ、源こうっていうのかッ。」</p>
          <p>「へえ、あっしゃ、源こうですよ。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-72680-72736">男はへいきな顔で、すましています。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-72736-73023">中村警部は、そばにいた警官に、なにか耳うちしました。すると、警官はすぐに、部屋のそとへでていきましたが、まもなくひとりの背広の人をつれてかえってきました。それは、すり係の刑事だったのです。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-73023-73103">刑事は、部屋にはいって、黒シャツの男を一目見ると、</seg></p>
          <p>「アッ、おまえ、源こうだなッ。またやったのか。いったい、なんど、くらいこめばいいのだ。」</p>
          <p><seg source="#source-73237-73335">と、しかるようにいいました。そして、中村警部のほうにむきなおり、</seg></p>
          <p>「係長、こいつは前科七犯の有名なやつです。源こうにちがいありません。」</p>
          <p><seg source="#source-73442-73489">と、きっぱりいいきるのでした。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-73489-73743">ああ、四十面相は、やっぱり魔法つかいでした。ヘリコプターの中にいたのは、まちがいのない四十面相でしたが、それがいつのまに、こんなすりに入れかわってしまったのでしょう。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-73743-73871">明智探偵は、ちょっと、首をかしげて考えていましたが、すぐに魔法の種に気づきました。</seg></p>
          <p>「中村君、わかったよ。さっき四十面相がヘリコプターから、ひきずりおろされたとき、警官の手をふりきって、新聞記者のかたまっている中へ逃げこんだ。すると、記者の人たちが、こいつをとらえて、つきだしてくれたんだが、その瞬間に、人間の入れかえがおこなわれたんだ。</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">つまり、あの新聞記者たちは、にせもので、四十面相の部下が化けていたんだ。そして、まえもってこの源こうというすりをつかまえておいて、四十面相の身がわりにたてたのだ。顔がどこかにているし、あのさわぎのなかだから、警官たちも気づかなかったのだよ。なにしろ、四十面相とおなじ黒シャツすがただからね。この源こうに黒シャツを着せておいて、とっさに、人間のすりかえをやったのだよ。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-74811-75350">それにしても、四十面相の部下は、ヘリコプターが日比谷公園につくことを、どうして知っていたのでしょう。明智探偵はそこまでは気づきませんでしたが、読者諸君はごぞんじです。それは、空を飛んでいるとき、四十面相の部下のヘリコプターが、こちらとならんで飛んでいました。それにむかって、四十面相は懐中電灯の信号を、おくったのです。たぶん、モールス信号だったのでしょう。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-75350-75619">四十面相の部下のヘリコプターは、その通信をうけると、すぐにどこかへ着陸して、電話で、なかまにこのことを知らせ、日比谷へさきまわりしているように、はからったのにちがいありません。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-75619-75681">明智は、さらに説明をつけくわえました。</seg></p>
          <p>「あの黒山の人だかりだから、ほんものの四十面相は、どこかへ身をかくしてしまったんだ。記者にばけた部下たちが、オーバーかマントを用意していて、四十面相の黒シャツの上から着せてしまえば、夜のことだから、もうわかりっこないのだからね。」</p>
          <p>「アッ、そうかッ。おい、新聞記者をよんできたまえ。みんなよんでくるんだ。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-76141-76335">中村警部がどなりました。ひとりの警官がとびだしていったかとおもうと、ぞろぞろと大ぜいの新聞記者が、しらべ室へはいってきました。</seg></p>
          <p>「公園のヘリコプターのそばで、この男をつきだして、警官にわたしてくれた人はいませんか。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-76469-76618">警部がたずねますと、記者たちは、たがいに顔を見あわせていましたが、その中のひとりがこたえました。</seg></p>
          <p>「いや、あれは新聞社のものじゃありませんよ。だれだかわからないが、ぼくたちのあいだに、六、七人、へんなやつがまじっていたのです。その連中が、こいつをつきだしたのです。」</p>
          <p>「ふうん、ちゃんと用意をしていたんだな。それで、ほんものの四十面相が、どこへ逃げたか、きみたち気づきませんでしたか。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-77051-77119">警部がききますと、記者たちはびっくりして、</seg></p>
          <p>「エッ、じゃあ、こいつは四十面相じゃないのですか。」</p>
          <p>「うん、すっかり<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-77223-77247"><rb>黒星</rb><rt>くろぼし</rt></ruby>で、もうしわけないが、やられたんだ。あいつらは、この源こうというすりに、黒シャツを着せて、上からオーバーかなにかはおらせて、あそこへつれてきていたんだね。そして、とっさに人間のすりかえをやったんだ。」</p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-77549-77638">中村警部は、すこし、めんぼくないような顔で説明しました。</seg></p>
          <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-77638-77680">なるほど、警視庁としては、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-77680-77713"><rb>大失策</rb><rt>だいしっさく</rt></ruby><seg source="#source-77713-78092">にちがいありません。しかし、明智探偵と小林少年は、それほど失望しているようにも見えないのはなぜでしょう……。ふたりは、まだあきらめていなかったからです。四十面相のほうに、奥の手があれば、こちらにも、ちゃんと、もうひとつ奥の手が用意してあったからです。</seg></p>
        </div>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-78092-78158"><seg source="#source-78092-78110">ポケット小僧</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-78162-78311">お話は、すこし前にもどって、ヘリコプターが、日比谷公園の広っぱに着陸したところからはじまります。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-78311-78466">ヘリコプターのまわりに集まっている新聞記者や、やじうまの中に、三人の小さな子どもがまじっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-78466-78484">三人とも、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-78484-78505"><rb>浮浪</rb><rt>ふろう</rt></ruby><seg source="#source-78505-78663">少年のような、きたないなりをしていましたが、その中に、まるで幼稚園の生徒のような、小さい少年がいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-78663-78881">この三人は、小林少年の命令で、ここへやってきた、チンピラ隊の少年たちでした。いちばん小さい少年は、ポケット小僧と呼ばれているチンピラ隊員です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-78881-79231">この三少年は、ばらばらにはなれて、大ぜいのおとなのあいだを、りすのようにくぐりぬけて、ぬけめなく見はりをしていました。小林団長から、四十面相を見はっていて、なにかあやしいことがあったら、知らせるようにと、いいつけられていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-79231-79656">四十面相をとらえたら、日比谷公園の広っぱまでつれてくることは、ヘリコプターに乗るまえからきまっていたので、小林君は、あらかじめチンピラ隊に連絡して、はやくから公園へきているようにさしずしておきました。チンピラたちは、ひまなからだですから、いくらながく待っていても、へいきなのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-79656-79904">三人のチンピラの中でも、いちばんすばしっこくて、頭のはたらくのはポケット小僧です。かれは、からだが小さいので、おとなのまたのあいだを、くぐって歩くことができます。</seg></p>
        <p>「おや、だれだッ、ぼくのまたのあいだをくぐったやつは？」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-79990-80136">びっくりして見まわしても、ポケット小僧は、もうとっくに人ごみの中へすがたをかくしているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-80136-80267">そうして、あちこちとくぐり歩いているうちに、ポケット小僧は、へんな男を見つけました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-80267-80578">その男はとりうち帽をまぶかにかぶり、大きなオーバーを着て、四、五人の新聞記者のような人たちにとりかこまれていましたが、ポケット小僧は、その人のまたのあいだをくぐったときに、へんなことを見てしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-80578-80755">その男はズボンをはかないで、ぴったり足にくっついた、まっ黒なズボンしたのようなものをはいていました。まるでサーカスの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-80755-80788"><rb>曲芸師</rb><rt>きょくげいし</rt></ruby><seg source="#source-80788-80808">のようです。</seg></p>
        <p>「へんなやつがいるな。」</p>
        <p><seg source="#source-80846-81097">と思ったので、ポケット小僧は、その男のそばをはなれないようにして、気をつけていましたが、すると、ヘリコプターから四十面相がひきおろされ、あのさわぎがはじまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-81097-81231">黒シャツの四十面相は、警官の手をふりきって、こちらの人ごみの中へ、とびこんできました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-81231-81314">それから、じつに、ふしぎなことが、はじまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-81314-81676">新聞記者らしい四、五人の男が、かけこんでくる四十面相の手をとって、あのあやしいオーバーの男のそばへひきよせました。そして、手ばやく男のオーバーをぬがせると、それを四十面相に着せてしまいました。とりうち帽もとって、四十面相にかぶせたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-81676-81879">オーバーと、とりうち帽をとられた男は、四十面相とそっくりのすがたをしていました。黒シャツに黒ズボンでした。顔もどこかにているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-81879-82034">新聞記者のような人たちは、そのへんな男を、人ごみの前のほうへつきだしながら、くちぐちに叫ぶのでした。</seg></p>
        <p>「こいつだ、こいつだ。こいつが、いま、人ごみの中へ、かくれようとしたんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-82150-82227">そして、その男を、警官たちにひきわたしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-82227-82433">顔もにているし、服装がまったくおなじなので、警官たちは、かえだまとは気づかず、その男に手錠をはめて、むこうへつれていってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-82433-82723">四十面相がつれていかれたので、新聞記者や、ものずきなやじうまは、あとから、ぞろぞろついていきましたが、大部分はそのまま、公園のそとへひきあげていき、あたりは、すっかりさびしくなってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-82723-82914">オーバーにとりうち帽の四十面相は、すばやく公園のすみのほうへ走っていって、こんもりとしげった林の中へ、すがたをかくしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-82914-83270">ポケット小僧は見うしなってはたいへんだと、こっそり、そのあとをつけました。小さな子どもですから、べつにあやしまれることもありません。そのうえ、小僧は尾行の名人ですから、まだそのへんにいたおとなたちに、さとられるようなへまはやりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-83270-83781">このことを明智先生や小林少年に知らせたいのですが、そのひまはなかったのです。四十面相はヘリコプターのはんたいのほうへ逃げたので、あとにもどって知らせていたら、見うしなってしまうかもしれないのです。なかまのチンピラがそばにいたら、知らせてくれるようにたのむこともできたでしょうが、ふたりのチンピラは、どこへいったのか、すがたが見えません。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-83781-83847"><seg source="#source-83781-83799">ふしぎな変装</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-83851-84066">四十面相がかくれたしげみの中には、大きな四角なかばんがかくしてありました。部下にめいじて、そこへ持ってこさせておいた変装用のかばんなのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-84066-84315">四十面相は懐中電灯をつけて、そのかばんをひらきました。洋服やシャツなどが、いっぱいつまっています。かれは、かばんのふたのうらについているポケットに手を入れて、小さな</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-84315-84333"><rb>鏡</rb><rt>かがみ</rt></ruby><seg source="#source-84333-84494">と箱をとりだしました。その箱の中には、顔をかえる絵のぐや、つけひげや、いろいろなものがはいっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-84494-84673">かれは、かばんのふたをしめ、その上に鏡を立てて、懐中電灯でじぶんの顔をてらしながら、変装のおけしょうをはじめました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-84673-84801">そこは深い木のしげみにかこまれていて、懐中電灯の光がそとへもれる心配はありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-84801-85142">もう、夜の十二時をすぎています。さっきまで広っぱに集まっていた、やじうまたちも帰ってしまって、公園の中には、人っこひとりいなくなってしまいました。新聞記者にばけていた四十面相の部下たちも、どこへいったのかすがたが見えません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-85142-85264">四十面相は、ゆうゆうとして変装をやっています。じつにおちつきはらったものです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-85264-85659">それにしても、かれはなぜこんな公園の中などで、変装をはじめたのでしょうか。オーバーの下から黒いズボンしたのあらわれているこのままのすがたで町にでれば、いくら夜なかでも人にあやしまれますが、それなら部下に自動車を用意させて、それに乗って逃げてしまえばいいのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-85659-85802">そうしないで、こんなふじゆうな場所で変装をはじめたのには、なにかわけがあるのかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-85802-85970">四十面相は、だれも見ていないと安心していましたが、じつは、ひとりの小さな少年が、しげみのむこうがわにはいって、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-85970-85982"><rb>木</rb><rt>き</rt></ruby><seg source="#source-85982-86053">の葉のすきまから、じっと中をのぞいていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-86053-86379">この少年は、少年探偵団のなかまのチンピラ隊にぞくするポケット小僧なのです。からだがひどく小さくて、ポケットにでもはいるくらいだというので、そんなあだ名がついていましたが、すばしっこくて、たいへんりこうな少年でした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-86379-86603">まえに書いたとおり、このポケット小僧は、四十面相がにせものと入れかわったのを気づいて、ほんもののほうのあとをつけて、このしげみへやってきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-86603-86764">ポケット小僧は、しげみのそとに寝そべって、相手に気づかれぬように、じっと中のようすをうかがっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-86764-87012">いくえにもかさなりあった木の葉のすきまからのぞいているのですから、よくは見えません。それでも、四十面相が懐中電灯の光で、顔に絵のぐをぬっていることはわかりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-87012-87365">なにしろ、四十の顔をもつといわれる変装の大名人です。その手ばやいこと……。たちまち顔をしあげて、こんどはかばんの中から黒い服をとりだすと、それを黒シャツの上から着こみ、バンドをしめ、肩からなにかさげて、帽子をかぶり、靴をはきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-87365-87550">変装がおわると、いままで着ていたオーバーをかばんに入れ、ふたをしめて、そのかばんを手にさげ、木のしげみからでてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-87550-87798">ポケット小僧は相手に見つからぬよう、すばやくしげみのはんたいがわにかくれましたが、見ると、そこにあらわれたのは、ひとりの警官でした。四十面相は警官に化けたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-87798-88025">ああ、なんといううまい変装でしょう。警官の制服に制帽、肩から革ひもで、ピストルのサックをさげているようすは、だれが見てもほんもののおまわりさんです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-88025-88336">ポケット小僧はその顔を見て、びっくりしてしまいました。さっきまでの四十面相と、まるでちがっていたからです。四十面相が変装したのではなくて、ほんとうのおまわりさんが、どこからかやってきたとしか思われません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-88336-88563">四十面相が、四十の顔をもつといわれるほどの変装の名人だということは、聞いていましたが、これほどの名人とは知りませんでした。ほんとうに魔法つかいです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-88563-88829">かばんをさげた四十面相のおまわりさんは、しゃんと胸をはって大またに歩いていきました。ポケット小僧はさとられないように気をつけながら、ちょこちょこと、そのあとをつけていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-88829-89119">おまわりさんは、公園をでると、すぐそばにある警視庁のほうへ進んでいきました。警視庁といえば、四十面相にとっては、いちばん恐ろしいところです。その恐ろしいところへ、へいきで近づいていくのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-89119-89397">やがて、警視庁の入口のところまできました。入口のひろい石段に、警官が立っています。そのまえには警察用の自動車がたくさんならんでいて、夜なかでも、警官たちが、いったりきたりしています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">四十面相のにせ警官は、その石段のまえまでいくと、なにを思ったのか、石段をのぼりはじめました。ああ、四十面相は気でもちがったのでしょうか。「さあ、つかまえてください。」といわぬばかりに、警視庁の中へはいっていこうとしているのです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-89744-89986">ポケット小僧は、あきれかえって、そのうしろすがたをながめていました。どろぼうが警官にばけて、警視庁へはいっていくのです。こんなばかなことがあるものでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-89986-90147">にせ警官は、石段に立っている警官に、かた手をあげてあいさつすると、そのまま玄関のなかへはいっていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-90147-90278">ほんものの警官は、すこしもあやしまず、おなじように手をあげてあいさつをかえしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-90278-90532">警視庁へは、一日に何千という警官が出入りするのですから、みんながおなじみというわけではありません。制服さえ着ていれば、じぶんたちのなかまだと思うのもむりはないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-90532-90969">にせ警官は、大かばんをさげていましたが、犯罪事件の証拠品として、そういうものを持ってくる警官はよくあるのですから、これもうたがわれる心配はありません。にせ警官のすがたが玄関の中へ見えなくなってしまったとき、ポケット小僧は、大いそぎで石段をかけあがり、そこに立っている警官によびかけました。</seg></p>
        <p>「おまわりさん、いまのやつをつかまえて。大きなかばんをさげていたやつだよ。あれは四十面相だよ。おれ、あいつが変装するところを見ちゃったんだ。はやくあいつをつかまえなけりゃ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-91238-91498">警官はびっくりしてこちらを見ましたが、きたないふうをした浮浪児のような子どもなので、手をふりながら、あっちへいけというあいずをするばかりで、いっこうとりあってくれません。</seg></p>
        <p>「おまわりさん、ほんとうだよ。はやくしないと、あいつ、逃げちゃうじゃないか。おじさんは四十面相しらないのかい？　おっそろしい大どろぼうだぜ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-91713-91811">ポケット小僧は、警官の手にすがりついて、一生懸命に叫びました。</seg></p>
        <p>「こら、あっちへいくんだ。ここは、おまえたちのくるところじゃない。ちんぴらのくせに、警官をからかうなんて、けしからんやつだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-92002-92178">警官が、つかまれている手をいきおいよくふりきったものですから、ポケット小僧は、石段の上に、ころがってしまいました。</seg></p>
        <p>「アッ、いたい。おじさん、なにをするんだい！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-92249-92317">やっとおきあがって、おしりをさすりながら、</seg></p>
        <p>「子どもだとおもって、ばかにしてるんだな。そうじゃないよ、からかってるんじゃないよ。ほんとうだよ。あいつ四十面相だよ。はやく……はやくしないと、逃げちゃうよ。」</p>
        <p>「くどいやつだな。あっちへいけというのに。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-92627-92710">警官は、よこをむいて、しらぬふりをしようとしました。</seg></p>
        <p>「アーッ、そうだ。ここに明智先生がきているだろう。名探偵の明智小五郎先生だよ。おれ、あの先生のでしなんだよ。チンピラ隊っていう子どもの探偵団だ。明智先生にそういってくれよ。そうすれば、おれがうそをいってないことが、わかるんだから。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そこへ、玄関のほうから、警部補の制服を着た警官がおりてきましたが、ポケット小僧のわめき声をきくと、そばによってきて、「どうしたんだ。」とたずねました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-93290-93475">ポケット小僧は、このひとなら話がわかるかもしれないと思ったので、さっきからいっていることを、もういちどくりかえしました。</seg></p>
        <p>「明智さんなら、しらべ室におられるはずだ。知らせてあげるほうがいいね。この子どものいうことが、もしほんとうだったら、たいへんだからね。きみ、しらべ室をさがしてみたまえ。捜査一課の中村係長さんといっしょのはずだよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-93798-93929">上役に命令されたので、警官はしかたなく石段をかけあがって、玄関へはいっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-93929-94096">しばらくすると、警官は小林少年をつれてもどってきました。小林君は、明智探偵といっしょにしらべ室にいたのです。</seg></p>
        <p>「アッ、小林さん！」</p>
        <p>「アッ、ポケット小僧！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-94166-94243">顔を見あわせるとふたりが、いっしょに叫びました。</seg></p>
        <p>「これは探偵のしごとを手つだってくれるチンピラ隊の子どもです。りこうな子ですから、この子のいうことは、まちがいありません。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-94431-94619">小林少年は、明智探偵の助手として、警視庁でもよく知られていました。その小林君がそういうのですから、もうすててはおけません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-94619-94816">そこへ、明智探偵や中村警部もかけつけてきて、ポケット小僧からことのしだいを聞きとると、にわかに警視庁内の大捜索がはじまりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-94816-94965">警視庁には何百という部屋があるのですが、夜なかにつめている警官のかずもおおいので、たいへんです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-94965-95105">まもなく、ぜんぶの部屋の捜索がおわりました。しかし、あやしい警官は、どこにもいないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-95105-95314">とっくに、裏口から、逃げさったのかもしれません。それなら、はじめから警視庁へはいらないで、逃げてしまえばよさそうなものではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-95314-95492">いったい、四十面相のにせ警官は、なんのために警視庁へはいったのでしょう。いよいよ、わけがわからなくなってきました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-95492-95567"><seg source="#source-95492-95498">警視</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-95498-95525"><rb>総監</rb><rt>そうかん</rt></ruby></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-95571-95700">その夜は、四十面相がつかまって、ヘリコプターではこばれてくるというので、捜査一課長の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-95700-95724"><rb>堀口</rb><rt>ほりぐち</rt></ruby><seg source="#source-95724-95886">警視も、課長室につめていましたが、庁内の捜索がおわってしばらくすると、ひとりの警官が、課長室へはいってきて、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-95886-95910"><rb>挙手</rb><rt>きょしゅ</rt></ruby><seg source="#source-95910-95936">の礼をしました。</seg></p>
        <p>「課長、総監がお呼びです。」</p>
        <p>「え、総監が？　総監室にきておられるのか。」</p>
        <p>「四十面相のことをきかれて、いま<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-96096-96120"><rb>公舎</rb><rt>こうしゃ</rt></ruby>からおいでになったところです。」</p>
        <p>「そうか。すぐいく。」</p>
        <p>「課長、それから、中村係長もいっしょにくるようにとのことでした。呼んでまいりましょうか。」</p>
        <p>「うん、呼んでくれたまえ。ぼくはさきにいっているから。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-96428-96559">堀口捜査一課長が、警視総監の部屋へはいると、まもなく中村係長もそこへやってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-96559-96846">総監室は、りっぱな広い部屋です。まんなかに大きな机がおいてあって、そのむこうに背広すがたの山本警視総監が、ゆったりと、こしかけていました。夜なかのことですから、秘書官もつれていないのです。</seg></p>
        <p>「や、ごくろうですね。四十面相のさわぎを聞いて、心配だから、わたしも、ちょっときてみました。くわしいことは、まだ聞いていないが、このさわぎは、どうしたことだね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-97091-97216">総監にたずねられたので、堀口課長は、今夜のできごとを、かいつまんで報告しました。</seg></p>
        <p>「ふうん、すると、また、あいつにしてやられたわけだね。明智君が、ヘリコプターでつれてきたまでは、おおできだが、それからあとがいけない。いくら変装の名人だからといって、にせものをつかまされたり、警官にばけて庁内にはいりこまれたりしたのでは、警視庁の名おれだ。しっかりしてくれなくちゃこまりますね。これはいったい、だれの責任なんだね。」</p>
        <p>「わたしの責任です。わたしの部下が、あやまちをしでかしたのですから。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-97823-97894">堀口課長が、もうしわけなさそうに答えました。</seg></p>
        <p>「いや、責任はわたしにあります。わたしが、この事件のかかりなのですから。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-98007-98108">中村係長も、青ざめた顔でおわびをいって、うなだれてしまいました。</seg></p>
        <p>「たったひとりの四十面相が、警視庁の手におえないとあっては、都民にもうしわけがない。これからは、しっかりやってくれたまえ。それにしても、四十面相というやつは恐ろしい怪物だね。われわれは、やつのおもちゃにされているようなもんだ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ところで、わたしは、さっき、この事件について、ひとつの案を思いついたのだがね。じつは、その案をわたすために、こうして出かけてきたのだ。これだ。ここにわたしの案というのを書きつけておいたから、あとで読んでくれたまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-98778-98996">山本総監は、そういって、ポケットから封筒をとりだし、机ごしに堀口課長に手わたしました。その封筒のなかに総監の案を書いた紙がはいっているのです。</seg></p>
        <p>「今夜、よく読んでくれたまえ。その案についての諸君の意見は、あすのあさ聞くことにしよう。では、わたしは、これで帰るから。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-99181-99381">総監はいすから立ちあがって、ゆったりとドアのほうへ歩いていきます。堀口課長と中村係長は、それを見おくるためにあとにしたがいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-99381-99554">廊下に出て、しばらくいきますと、むこうから、あわただしくかけてくるすがたがありました。明智小五郎と小林少年です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-99554-99673">明智は警視総監の前までくると、とおせんぼうをするように、立ちはだかりました。</seg></p>
        <p>「アッ、明智君！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-99702-99758">総監は、おどろいて立ちどまります。</seg></p>
        <p>「総監、ちょっとお話があります。」</p>
        <p>「え、わたしにかね。」</p>
        <p>「そうです。きゅうにお話しなければならないことができたのです。」</p>
        <p>「ながい話なら、部屋にもどるが……。」</p>
        <p>「いや、ここでけっこうです。総監、ふしぎなことがおこりました。警視総監がふたりになったのです。」</p>
        <p>「え、なんだって？　きみがなにをいっているのか、わたしにはよくわからないが……。」</p>
        <p>「ぼくにも、さっぱりわかりません。じつは、いま総監の公舎へ電話をかけて、たずねたのです。すると、山本総監は、公舎の寝室でよく眠っておられるということでした。いったい、これはどうしたわけでしょうか。」</p>
        <p>「そ、そんなばかなことが……。」</p>
        <p>「いや、ぼくは、それだけでは信用できないので、総監をおこしてもらって、電話口に出てもらいました。ぼくは、いま総監と話してきたばかりです。」</p>
        <p>「ば、ばかなッ。でたらめもいいかげんにしたまえ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-100909-100986">山本総監は、まっ赤な顔になってどなりつけました。</seg></p>
        <p>「でたらめではありません。あなたにはおわかりになっているはずです。」</p>
        <p>「わたしに、なにがわかっているというのだ。」</p>
        <p>「ふたりの総監のうちひとりは、にせものだということがです。」</p>
        <p>「にせものだって？」</p>
        <p>「そうです。あなたが、にせものなのです。ぼくは、さっきから四十面相が、なぜ、警官にばけて警視庁にはいりこんだかということを考えていました。すると、あなたが、このま夜なかに、ひょっこりと総監室にあらわれて、堀口課長や中村係長を呼びつけました。ぼくは、こいつはおかしいぞと思ったのです。四十面相というやつは、とっぴなことをやって、世間をアッとおどろかせるのが、だいすきです。じぶんの力を見せびらかしたいのです。物をぬすむのにも、いついつかの何時にぬすむという予告をして、じゅうぶん用心させておいてぬすむのがすきです。これも世間をアッといわせたいからです。それに、警視庁は、四十面相にとってはにくいかたきです。そのかたきを、アッといわせてやったら、どんなにゆかいでしょう。四十面相はきっと、そう考えたと思います。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">四十面相が警官に化けただけでも、世間はアッといいます。それが、警視総監に化けたらどうでしょう。大どろぼうが警視総監にばけるなんて、じつにすばらしい思いつきではありませんか。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-102609-102692">明智はそこまでいって、じっと相手の顔を見つめました。</seg></p>
        <p>「それじゃ、きみは、わたしが四十面相だというのか。」</p>
        <p>「そうだ。きみは四十面相だッ！　ついちかごろ、警視総監の背広が一着ぬすまれている。それはきみが、部下にぬすませたのだ。そして、その背広を警官の服といっしょに、あの大かばんに入れさせておいたのだ。きみは警官に化けてここへやってきた。そして、どこかのあき部屋で、その背広と着かえ、総監になりすまして、総監室へはいったのだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-103254-103481">ああ、なんということでしょう。世間に知れわたっている警視総監と、そっくりの顔に化けるなんて、四十の顔をもつ、変装の大名人でなくてはできないことです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-103481-103608">それにしても、明智に見やぶられた四十面相は、ここで、どんな手をうつのでしょうか。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-103608-103680"><seg source="#source-103608-103629">まぼろし警官隊</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-103684-103959">総監に化けた四十面相は、おどろいて逃げだしたでしょうか？　いや、逃げようとしても逃げられるものではありません。ここは警視庁の建物のまんなかなのです。かれは、ふてぶてしく笑いました。</seg></p>
        <p>「さすがは名探偵、よく見やぶった。だが、おれが四十面相だったら、どうしようというのだね。」</p>
        <p><seg source="#source-104096-104137">とおちつきはらっています。</seg></p>
        <p>「むろん、ひっとらえるのさ。手をあげろ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-104202-104456">明智のことばといっしょに、よこにいた中村警部が、サッとピストルをかまえました。警部は背広を着ていましたが、まんいちの用意に、ポケットにピストルをしのばせていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-104456-105103">捜査一課長は、いま出てきたばかりの総監室へかけこんで、部下のところへ電話をかけました。四十面相をとらえるために、警官隊をよこすようにめいじたのです。四十面相は両手をあげて、立ちおうじょうをしています。さすがの怪盗も、ピストルをつきつけられてはどうすることもできません。そのとき、廊下のむこうからどやどやと、おおぜいの制服警官がかけつけてきました。十人あまりの人数です。そして、四十面相のまわりをかこんで、ねじふせようとしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-105103-105267">警官がとりかこんだので、中村警部はピストルがうてなくなりました。うてば、みかたの警官をきずつけるからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-105267-105482">それがいけなかったのです。そのすきを見て、四十面相は、すばやく、じぶんのピストルを、ポケットからとりだし、いきなり、天井にむけてうちました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-105482-105739">がらがらッとガラスのわれる音。たまは天井の電灯にあたって、ガラスがわれ、電灯は消えてしまいました。でも廊下にはいくつも電灯がついていますから、まだまっ暗ではありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-105739-105909">それから、恐ろしいたたかいがはじまりました。相手がピストルをうったので、警官たちもみなピストルを手にしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-105909-106223">ばん、ばん、ばんと、つづけざまのピストルの音。四十面相がうったのか、警官たちがうったのか、よくわかりません。しかし、音がするたびに、廊下の電灯が、つぎつぎとうちこわされ、あたりはまっ暗になってしまいました。</seg></p>
        <p>「うぬッ、つかまえたぞッ。おい、手をかしてくれ。手錠だ、手錠だッ！」</p>
        <p>「なにを、これでもかッ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-106368-106511">ぱしッとなぐりつける音。二、三人のからだが廊下にころがって、くんずほぐれつ、とっくみあう音。</seg></p>
        <p>「アッ、逃げたぞッ。追っかけろ！」</p>
        <p>「ちくしょう、逃がすものか。つかまえたぞッ。ここだ、ここだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-106659-106784">警官たちは、四十面相ともつれあって、だんだん、廊下のむこうへ遠ざかっていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-106784-107014">捜査一課長と中村警部は、物音をたよりに、それを追っていきましたが、廊下の電灯がみんな消えてしまっているので、なにがなんだかまるでようすがわかりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-107014-107139">やっと、廊下のまがりかどまでたどりつきましたが、そこからさきの廊下もまっ暗です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-107139-107408">たちどまって耳をすますと、ふしぎなことに、あたりはしいんとしずまりかえっています。いままであんなにさわいでいた警官たちは、どこへいったのか、そのへんには人のけはいもないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-107408-107632">そこへ、小林少年が懐中電灯を持ってかけつけてきました。その電灯で、廊下のさきのほうを照らしてみましたが、そこには、だれもいないことがわかりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-107632-107760">十余人の警官隊は、四十面相といっしょに、まぼろしのように消えうせてしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-107760-108050">まがった廊下は一本道で、ほかにいくことはできません。どこかの部屋にはいったのかと、そのへんのドアを、ひとつひとつあけて、懐中電灯でしらべてみましたが、どの部屋も、まったく、からっぽなのです。</seg></p>
        <p>「アッ、しまった！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-108082-108273">闇のなかから、明智探偵の声が聞こえたかとおもうと、明智らしい人かげが、廊下のむこうへ、とぶように走っていくではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-108273-108587">捜査一課長や、中村警部には、なにがしまったのか、なぜ、明智探偵が走っていったのか、わけがわかりません。しかし、そこにつっ立っているわけにもいきませんので、明智のあとを追って、廊下のむこうへ歩いていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-108587-108742">また、廊下をひとまがりしますと、むこうに電灯がついているので、あたりが見わけられるようになりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-108742-108810">見ると、明智探偵が、こちらへ歩いてきます。</seg></p>
        <p>「明智君、どうしたんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-108851-108955">中村警部がたずねますと、名探偵はがっかりしたような声で答えました。</seg></p>
        <p>「またやられた。あいつが、そこまで用意していようとは思わなかった。」</p>
        <p>「エッ、すると、いまの警官たちは？」</p>
        <p>「うん、みんな四十面相の部下だったのさ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-109177-109624">新聞記者に化けたやつらが、警官の服を着たのかもしれない。それとも、べつの部下が、どこかにかくれていたのかもしれない。いずれにしても、にせ総監がつかまったら、かけつけてくる手はずになっていたのだ。そして、四十面相をつかまえるように見せかけて、じつは、助けだしてしまったのだ。廊下の電灯がわれたのも、</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-109624-109672"><seg source="#source-109624-109636">それだま</seg></hi>ではなくて、暗くするために、かたっぱしから電灯をねらいうちにしたのだよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-109785-109982">その廊下のはずれは、警視庁の裏門のところへ出ていました。かれらは、裏門からまっ暗な道路へ逃げだしてしまったのにちがいありません。</seg></p>
        <p>「ぼくは、裏口にいた警官たちにすぐ手配をして、追っかけるようにたのんでおいたが、あいつらは、門をでたら、ばらばらにわかれて、四方にちらばってしまっただろうから、とてもつかまるまい。ことに四十面相は、あんな変装の名人だから、またたくまにべつの人間に化けてしまったかもしれない。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-110398-110721">ああ、なんということでしょう。大どろぼうが警視総監に化けたばかりか、その部下たちも警官に化けて、にせ総監をすくいだすなんて、じつに思いもよらないはなれわざです。さすがの明智探偵も、そこまでは考えていませんでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-110721-110912">四人が、ぼんやり顔を見あわせていますと、うしろのほうから、おおぜいのくつ音がして、八、九人の警官がぞろぞろとあらわれました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-110912-111115">課長の電話で、総監室の前にかけつけた警官たちです。かれらがかけつけたときには、にせ警官隊は、廊下をまがってしまったあとだったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-111115-111315">電灯が消えているので、なにがなんだかわけがわからず、まごまごしているうちに、時間がたって、やっといまごろ、ここへやってきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-111315-111523">中村警部は、じぶんたちも失敗したのですから、部下をしかるわけにもいかず、ともかくも、にせ総監のあとを追っかけるように命令するのでした。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-111523-111583"><seg source="#source-111523-111538">かばんの中</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-111587-111640">お話は、すこしまえにもどります。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-111640-112110">明智探偵が総監の公舎へ電話をかけ、警視庁にあらわれた総監が、にせものだということをたしかめるまでは、明智のそばに、小林少年とポケット小僧がついていましたが、それから明智と小林少年とが、総監室へいそいでいくのを見おくって、ポケット小僧だけは、べつのほうへ歩きだしました。ポケット小僧は、こんなふうに考えたのです。</seg></p>
        <p>「四十面相が警視総監に化けたとすると、その変装用の服は、あのかばんの中にはいっていたにちがいない。あいつは、どこかのあき部屋へかくれて、あのかばんの中から、総監の服をだして着かえ、顔をかえてから総監室へあらわれたのだ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-112439-112678">それなら、あのかばんが、どこかにおいてあるにちがいない。そのまますてていくかもしれないが、ひょっとしたら、あれを四十面相のすみ家へ持ってかえるかもしれない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-112678-112896">かばんの中のものを、みんなとりだせば、からだの小さいおれは、あの中へかくれられる。そして、四十面相のすみ家をつきとめることができるじゃないか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">よし、やってみよう。見つかったら見つかったときのことだ。まさか、殺されやしないだろう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-113033-113182">ポケット小僧は、かしこくも、そう考えると、あき部屋からあき部屋へと、かばんをさがして歩きました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-113182-113274">そして、十いくつめの部屋で、とうとうそれを見つけたのです。</seg></p>
        <p>「まてよ。このままかばんの中にはいって、ふたをしめたら、息がつまってしまう。かばんの皮に、小さな穴をたくさんあけておかなけりゃあ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-113474-113552">そこで、ポケット小僧は、べつの部屋から、紙をとじる</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-113552-113588"><seg source="#source-113552-113558">きり</seg></hi><seg source="#source-113588-113743">をさがしだしてきて、それを持ってかばんのある部屋にはいり、ぴったりドアをしめて、しごとにかかりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-113743-113976">まず、かばんの中のものをすっかりとりだして、その部屋の戸だなの中にかくし、それから、かばんの皮の目だたない場所へ、きりをさして五十ほどの穴をあけました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-113976-114207">そのしごとは、十分ほどでおわりましたので、すぐにからだをまるくして、かばんの中によこになり、自分でふたをしめました。すると、ふたについているばねじかけの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-114207-114228"><rb>金具</rb><rt>かなぐ</rt></ruby><seg source="#source-114228-114332">が、ぱちんとしまって、もう中からはひらかぬようになってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-114332-114568">ポケット小僧は、浮浪少年あがりのチンピラ隊員ですから、苦しいことにはなれています。からだをまるめて、長いあいだ、じっとしていることなんか、へいきなのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-114568-114726">穴をあけたおかげで、息はらくにできます。また、その穴から、そとの物音も聞こえるので、たいへん便利です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-114726-114878">するとまもなく、しずかにドアのひらく音がして、なにものかが、しのび足で部屋の中へはいってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-114878-115102">そして、かすかな足音が、すぐそばに近づいたかとおもうと、ポケット小僧のからだが、ぐらッとひっくりかえりました。だれかが、かばんを持ちあげたのです。</seg></p>
        <p>「おっそろしく、重いかばんだな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-115155-115574">そんなひとりごとが聞こえました。ポケット小僧は、うたがわれやしないかと、びくびくしていましたが、それは四十面相の部下のものらしく、かばんの中に、なにがはいっているかもよく知らないのでしょう。べつにうたがいもせず、そのまま、えっちら、おっちら、かばんをどこかへはこんでいきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-115574-115646">やがて、建物のそとへでたようです。五十いくつの</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-115646-115682"><seg source="#source-115646-115652">きり</seg></hi><seg source="#source-115682-115747">の穴から、つめたい風が、はいってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-115747-115812">そして、また五分ほども歩いたと思うころ、</seg></p>
        <p>「おい、持ってきたよ。あけてくんな。」</p>
        <p><seg source="#source-115871-115988">というささやき声がして、なにかドアのひらくような音が聞こえ、かばんは、ふわッと</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-115988-116006"><rb>宙</rb><rt>ちゅう</rt></ruby><seg source="#source-116006-116068">に浮いて、どっかりと下におろされました。</seg></p>
        <p>「ああ、わかったぞ。ここは自動車の中だな。ふふん、うまくいったわい。この自動車は、きっと四十面相のすみ家へいくにちがいない。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-116259-116372">ポケット小僧は、まるめたからだのいたみもわすれて、にやりと笑うのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-116372-116632">すぐに出発するのかと思うと、そうではなくて、自動車はすこしも動きません。そのまま、三十分ほどもすぎました。その三十分が、ポケット小僧には、二、三時間にも思われたほどです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-116632-116886">かれは知りませんでしたが、ちょうどそのころ、にせ警官隊が、にせ総監の四十面相をとりかこんで大さわぎをやっていたのです。そして、うまく警視庁の裏門から逃げだしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-116886-117002">やがて、自動車のドアの音がして、だれかふたりほど中へはいってきたようです。</seg></p>
        <p>「出発！　フルスピードだ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-117046-117087">強い声が、聞こえました。</seg></p>
        <p>「かしら、うまくいったようですね。で、ゆくさきは？」</p>
        <p><seg source="#source-117167-117170">「</seg><hi rend="bold" source="#source-117170-117230"><seg source="#source-117170-117188">きめんじょう</seg></hi>だ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-117241-117360">いきなり、自動車が走りだしました。それからは、もうだれも、ものをいいません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><hi rend="bold" source="#source-117363-117423"><seg source="#source-117363-117381">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-117423-117543">というところへ行くらしいのですが、ポケット小僧には、そのいみがわからないのです。</seg><hi rend="bold" source="#source-117543-117603"><seg source="#source-117543-117561">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-117603-117674">なんて、へんな名の町は聞いたこともありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-117674-118066">高級の自動車らしく、エンジンの音は、ごくわずかです。しかし、いくら高級車でも、道がわるいので、ときどきおそろしくゆれます。やがて三十分も走りつづけると、車のゆれかたが、きゅうにはげしくなってきました。アスファルトのしいてないいなか道にさしかかったのでしょう。</seg></p>
        <p>「おやおや、ずいぶん遠くまで行くんだな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-118131-118388">ポケット小僧は、心の中でおどろいています。だんだんからだのいたみが、ひどくなってきました。いいかげんにおろしてくれないと、がまんができなくなるかもしれないと思いました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-118388-118690">およそ一時間も走ったころ、やっと車がとまりました。やれやれ助かったと思っていますと、かばんは、いちど車からおろされたことはおろされたのですが、こんどはまた、べつの乗りものにつみこまれたらしいのです。</seg></p>
        <p>「おや、こんどは、貨物列車かもしれないぞ。汽車で、十時間もはこばれるのだったら、たいへんだ。からだがいたいだけじゃない。だいいち腹がへって、がまんできないかもしれないぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-118950-119027">ポケット小僧は、うんざりしてため息をつきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-119027-119290">すると、そのとき、ぶるるるん、ぶるるるん、ぶるるるるる……という音が、かすかに聞こえ、スウッとからだが浮きあがるような気がしました。エレベーターに乗っているような感じです。</seg></p>
        <p>「アッ、わかった。ヘリコプターだ。四十面相はヘリコプターを持っているそうだから、きっとそのヘリコプターだ。だが、ヘリコプターで、いったいどこへ行くんだろう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-119529-119612">ポケット小僧は、なんだかこころぼそくなってきました。</seg></p>
        <p>「先生、ゆくさきは<hi rend="bold" source="#source-119639-119699"><seg source="#source-119639-119657">きめんじょう</seg></hi>ですね。」</p>
        <p>「うん、警視庁と明智のやつを、アッといわせてやったから、一週間ばかりやすむつもりだ。<hi rend="bold" source="#source-119842-119902"><seg source="#source-119842-119860">きめんじょう</seg></hi>は、いいからな。」</p>
        <p><seg source="#source-119931-119934">「</seg><hi rend="bold" source="#source-119934-119994"><seg source="#source-119934-119952">きめんじょう</seg></hi>のかくれ家は、世間はまだちっとも知らないのですね。」</p>
        <p>「うん、知るはずがない。だが、おれは、<hi rend="bold" source="#source-120131-120191"><seg source="#source-120131-120149">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-120191-120464">ということばを、すこしばらまいてやろうかと思うんだ。いかにも恐ろしげな名まえだからね。世間のやつはきみわるがるだろうて。名まえだけわかって、それがどこにあるかは、ぜったいにわからない</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-120464-120485"><rb>神秘</rb><rt>しんぴ</rt></ruby>のなぞというやつだよ。ウフフフフ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-120547-120654">ことばのようすでは、四十面相とその部下が話しているように思われます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-120654-120726">ポケット小僧は漢字をすこししか知りませんので、</seg><hi rend="bold" source="#source-120726-120786"><seg source="#source-120726-120744">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-120786-120932">と聞いてもなんのことだかわかりませんが、もっと漢字を知っている人なら、すぐに想像できるはずです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><hi rend="bold" source="#source-120935-120995"><seg source="#source-120935-120953">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-120995-121321">……鬼面城……奇面城。あてはまる字といっては、まずこのふたつです。どちらにしても、恐ろしい名まえです。いったい、その鬼面城、または奇面城というのは、どこにあるのでしょう。そして、それはどんなに奇怪なお城なのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケット小僧には、そこまではわかりませんでしたが、いまの話の「恐ろしげな名まえ」ということばで、いよいよきみがわるくなってきました。<hi rend="bold" source="#source-121522-121582"><seg source="#source-121522-121540">きめんじょう</seg></hi><seg source="#source-121582-121773">へつれていかれて、どんなめにあわされるのかと思うと、さすがだいたんなポケット小僧も、からだが、ゾウッと寒くなってくるのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-121773-121874">ヘリコプターは一時間ちかくも飛んで、やっとどこかへ着陸しました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-121874-122017">ドアのひらく音。人のおりるけはい。そして、かばんは持ちあげられ、どこかへはこんでいかれます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-122017-122175">どうも、ひどくさびしい場所のようです。空気がつめたいらしく、かばんの中にいても、おそろしく寒いのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-122175-122324">それから、長いあいだぐるぐる回り歩いているようでしたが、やがてかばんは、どこかへおろされました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-122324-122578">どうも、ふつうの家の中へ持ちこまれたような感じがしません。といって、空気がすこしも動かないのをみると、原っぱでもありません。なんだか、ひどくうすきみのわるい場所です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-122578-122844">いまにも、かばんのふたをあけられるかと、びくびくしていましたが、部下の男はかばんをおくと、そのままどこかへたちさったらしく、あたりは、墓場のようにしずかになってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-122844-123176">しばらくがまんしていましたが、いくら待ってもだれも近づいてくるようすがないので、ポケット小僧は、ポケットからナイフをとりだして、かばんの皮をきりひらき、そこから手をだしてとめがねをはずし、そっとふたをひらいてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-123176-123369">まっ暗です。地獄のようにまっ暗で、しいんとしずまりかえった、ひえびえとしたつめたい場所です。いったいここはどこなのでしょう？</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-123369-123447"><seg source="#source-123369-123393">四十面相の美術館</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-123451-123624">ポケット小僧は、いつもポケットに、万年筆がたの懐中電灯を持っていますので、それをつけてあたりを照らしてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-123624-123732">コンクリートの壁にかこまれた、物置部屋のようなところです。すみずみに、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-123732-123753"><rb>木箱</rb><rt>きばこ</rt></ruby><seg source="#source-123753-124085">だとか、いすやテーブルのこわれたのなどが、つみあげてあります。いっぽうの壁に、ドアがついていることがわかりましたので、そのドアに耳をあててみましたが、なんの音も、聞こえません。とってを回すと、ドアはスウッとひらきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-124085-124417">首をだしてのぞいてみると、そこはコンクリート壁の廊下のような場所でした。小さな電灯が天井についていて、ぼんやりと、あたりを照らしています。コンクリートをぬったままで、なんのかざりもない、まるでトンネルみたいな廊下です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-124417-124716">ポケット小僧は、その廊下づたいに右のほうへ歩いていきました。なにしろ、ポケットにはいるくらい小さいといわれているのですから、うす暗い廊下を壁づたいに、こそこそ歩いていますと、まるで目につきません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-124716-124865">もしむこうから人がきても、壁にひらべったくからだをつけてしまえば、気づかれる心配もないほどです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-124865-125023">トンネルのようなうす暗い廊下をひとつまがって、十五メートルほどいきますと、道がふさがってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125023-125133">大きな岩が、通せんぼうをするように、廊下のまんなかに立っているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125133-125276">ふと気がつくと、どこか遠いところから、ごうごうという水の流れているような音が聞こえてきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125276-125563">岩の両側に二十センチぐらいのすきまがありましたので、そこからのぞいてみますと、岩のすぐむこうに、底もしれないまっ暗な穴がありました。さっきのへんな音は、その穴の底から聞こえてくるようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125563-125631">つめたい風が、サアッと、顔をかすめました。</seg></p>
        <p>「ああ、わかった。この下に川が流れているんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125705-125887">何メートルともしれない深い谷底に、川が流れているのです。ですから、そこは穴ではなくて、廊下と十文字になった谷なのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-125887-125982">深い谷が廊下をよこぎっていて、その底を水が流れているのです。</seg></p>
        <p>「ここは、いったいどこだろう。たてものの廊下のまんなかに、こんな深い谷があるなんて聞いたこともない。へんな家だなあ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-126161-126239">ポケット小僧は、こわくなってきました。ぶるぶるッと</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-126239-126251"><rb>身</rb><rt>み</rt></ruby><seg source="#source-126251-126319">ぶるいして、うしろのほうへひきかえしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-126319-126510">もとの物置部屋の前をとおりすぎて、もっと奥へ歩いていきますと、また、廊下がまがっていて、そこに大きなドアがしまっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-126510-126725">そのなかには、明るい電灯がついているとみえて、ドアのかぎ穴から光がもれています。耳をすますと、その部屋のなかでだれかが話をしているようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-126725-126820">ポケット小僧は、かぎ穴へ目をあてて、なかをのぞいてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-126820-127257">それは、アッとおどろくような、りっぱな部屋でした。きらきら光るガラスばりの陳列だなのようなものが、いっぱいならんでいて、そのガラスのなかには、黄金の仏像や、美しいもようのある大きなつぼや、いろいろな彫刻や、宝石をちりばめた王冠や、くびかざりなどが、目もまばゆいばかりにかざってあるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-127257-127293">天井からは、何百という</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-127293-127320"><rb>水晶</rb><rt>すいしょう</rt></ruby><seg source="#source-127320-127466">の玉でかこまれたシャンデリアがさがり、その明るい光が、かぞえきれない美術品を照らしているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-127466-127690">シャンデリアの下に、りっぱな彫刻のあるまるいテーブルがおかれ、金色の四つのいすが、それをとりかこんでいて、そこにふたりの男が、こしかけていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-127690-127938">ひとりは、警視総監に化けたままの四十面相。もうひとりは、制服警官にばけたままの部下でした。きっと、こいつが、ポケット小僧のかくれているかばんをはこんだのでしょう。</seg></p>
        <p>「いつ見てもいい気持ちだな。どうだ、このおれの美術館は……、東京の博物館だって、こんなに美しくはないだろう。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-128102-128377">ハハハハハ……。世間のやつらは、こんな山の中に、四十面相の美術館があるなんて夢にも知るまい。明智探偵だって、警視庁のやつらだって、おれの奇面城がどこにあるか、すこしも知らないのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">おれは、いままでたびたび明智につかまったが、ここだけは知らせなかった。おれは、ほうぼうにすみ家をもっているからな。そのどれかを知らせてやればよかったのだ。この美術館のある奇面城だけは、ぜったい知らせることはできない。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-128709-128861">四十面相が、ほこらしげにいいますと、警官すがたの部下が、ごきげんをとるようにあいづちをうちました。</seg></p>
        <p>「そうですとも。まさかこんな山の中の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-128915-128939"><rb>樹海</rb><rt>じゅかい</rt></ruby><seg source="#source-128939-129130">（海のように、ひろい森）のまんなかの、あの人間の顔とそっくりの大岩の下に、こんな美術館があろうなんて、だれが想像するでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-129130-129210">かしらは、じつにいい場所をおえらびになりましたよ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そのうえ、あの恐ろしい番人がいれば、たとえ、人間が奇面城にちかづいてきても、あの番人を見たら、まっさおになって逃げだしますよ。われわれにたいしては、ねこのようにおとなしいやつですがね。ハハハハ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-129515-129613">それを聞いて、ポケット小僧は、いよいよ恐ろしくなってきました。</seg></p>
        <p>「それじゃここは、山の深い森のまんなかなんだな。そこに、人間の顔のような大岩があって……、おれはいまその中にいるんだな。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">だが、恐ろしい番人って、なんだろう？　じぶんたちにはねこのようにおとなしいといったが、そいつは、いったいどんなやつなんだろう。人間じゃないかもしれないぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-130034-130288">それから、部屋のなかのふたりは、まだしばらく話をしていましたが、ぼつぼつ寝室へひきあげそうになりましたので、おどろいてドアをはなれ、もとの物置部屋へひきかえしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-130288-130500">まず、ドアのうちがわに長い板ぎれを立てかけて、だれかがドアをひらけば、それがたおれて音がするようにしました。その音で、目をさますためです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-130500-130726">それから、こわれたいすを三つならべて、その上に、ごろりとよこになると、だいたんふてきなポケット小僧は、まもなく、ぐっすりと眠りこんでしまいました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-130726-130780"><seg source="#source-130726-130738">巨人の顔</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-130784-131059">ポケット小僧が、ふと目をさましますと、まだ部屋のなかは、まっ暗でした。そんなはずはない。ぐっすり寝たんだから、もう夜があけているはずだと、ふしぎそうにあたりを見まわしていましたが、</seg></p>
        <p>「ああ、そうだ。この部屋には、窓がないのだ。」</p>
        <p><seg source="#source-131130-131180">と、やっとそこへ気がつきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-131180-131338">ドアのほうを見ると、ゆうべ立てかけておいた板きれは、そのままになっています。だれもこなかった証拠です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-131338-131547">それにしても、おなかがぺこぺこです。ここにだって台所はあるだろうと思ったので、こっそり、なにかたべるものをさがすつもりで部屋をでました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-131547-131678">廊下も、ゆうべとおなじ暗い電灯がついているだけで、すこしも日の光はさしておりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-131678-131812">奇面城というのは、岩でできているらしいから、ここは岩のなかの洞窟なんだなと思いました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-131812-131979">ゆうべの美術館のドアをとおりこして、もっと奥へ進んでいきますと、どこからかおいしそうなにおいがしてきました。</seg></p>
        <p>「ははあ、肉をやいているな。きっと、こっちに台所があるにちがいないぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-132089-132304">鼻をぴくぴくさせながら、においのほうへ歩いていきますと、ドアがひらいていて、そこから、かすかに白いゆげのようなものが、ただよいだしています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-132304-132331">ああ、ここだなと</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-132331-132346"><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby><seg source="#source-132346-132540">って、そっとのぞいてみますと、やっぱりそこが台所でした。白いコック帽をかぶった男が、しきりにビーフステーキをつくっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-132540-132707">ジュウジュウと肉のやける音、油っこいうまそうなにおい、はらぺこのポケット小僧は、よだれがたれてきそうでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-132707-132850">小僧は、ドアのかげにかくれて、しんぼうづよく、コックがどこかへ出ていくのを、待っていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-132850-133062">すると、二十分ほどたって、ビーフステーキをこしらえてしまうと、コックは、いそぎ足でドアのほうへやってきました。手洗いへでもいくのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-133062-133439">小僧はびっくりして、いっそうふかくドアのかげに身をかくしましたが、なにしろポケット小僧といわれるほどからだが小さいので、こういうときにはべんりです。ドアのうしろで、ひらべったくなっていると、そこには人がかくれているなんて、すこしもわからないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-133439-133726">コックがいってしまうと、小僧はすばやく台所のなかへはいって、できたてのビーフステーキひときれと、じゃがいもとパンを、そこにあったナプキンにつつみ、りすのように、すばしっこく逃げだしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-133726-133977">廊下を物置部屋のほうへいそいでいきますと、むこうにチラッと人かげが見えました。コックではありません。えびちゃ色のセーターをきた大きな男です。四十面相の部下でしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-133977-134123">ポケット小僧は、いきなり台所のほうへかけもどって、また、もとのドアのうしろへ身をかくしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-134123-134329">大男はそれともしらず台所のなかへはいって、しきりにコックを呼んでいました。まもなくコックが帰ってきたのを見て、こんなことをいうのです。</seg></p>
        <p>「おい、はやく朝めしをださないか。もう九時だよ。おかしらの散歩の時間がおくれるぞ。おかしらは、朝めしのあとで、山の中を歩きまわるくせがあることを知らないのか！」</p>
        <p>「そうがみがみ、いうもんじゃねえ。もうできたんだよ。すぐ持っていくって、おかしらにそういっといてくんな。」</p>
        <p>「よし、はやくするんだぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-134776-134925">そうして、大男はたちさり、すこしたってコックが、大きなぼんの上にごちそうをのせて出ていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-134925-135113">小僧はコックが帰ってくるまでじっとがまんしていて、コックが台所へはいるのを待って、こっそりと、もとの物置部屋へ帰りました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-135113-135442">そして、木箱の上にナプキンをひろげると、まだゆげのたっているビーフステーキにかじりつき、パンをむしゃむしゃとやりました。そのうまかったこと。ポケット小僧は生まれてから、こんなうまいものをたべたことがないと思いました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-135442-135786">すっかりたべてしまうと、また廊下にでて、こっそりドアのかぎ穴をのぞいてまわりました。ゆうべの美術館はからっぽでした。四十面相の部下が五、六人も集まって、食事をしている部屋もありました。まっ暗で、なにも見えない部屋もありました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-135786-135929">ある部屋では、まるで発電所のように、大きなかまのなかで石炭がもえ、発電機がまわっていました。</seg></p>
        <p>「ああ、そうだ。こんな山の中に電灯線がきているはずはない。じゃあ、ここでつかっている電気は、みんなじぶんでおこしているんだな。さっきビーフステーキをやいていたのも、電熱器のようだったぞ。わああ、おったまげた。四十面相のやつ、じぶんで電気をおこしていやあがる。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-136321-136416">ポケット小僧は、その大じかけに、びっくりしてしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-136416-136532">なおもまわり歩いているうちに、とうとう、四十面相のいる部屋を見つけました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-136532-136808">かぎ穴からのぞくと、その部屋も、おそろしくりっぱにかざりつけてありました。いすも、テーブルも、壁も、カーテンも、すっかり金ぴかなのです。ほんとうの金かどうかはわかりませんが、まるで、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-136808-136832"><rb>仏壇</rb><rt>ぶつだん</rt></ruby><seg source="#source-136832-136897">の中のように、金色にかがやいているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-136897-137118">四十面相は、まっ黒なビロードの服をきていましたが、その肩や胸に、ちかちか光る金色のもようがついているのです。まるで、どこかの国の将軍のようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-137118-137336">四十面相は、いまビーフステーキの食事を、おわったところでした。テーブルの上には、グラスがいくつもならび、いろいろな洋酒のびんが立っていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-137336-137533">四十面相のそばに、美しい女の人が立っています。まっ白な、ふわふわした洋服をきて、くびには真珠の首かざりが、かがやいているのです。</seg></p>
        <p>「じゃあ、おでかけになりますか。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-137586-137642">女の人が、やさしい声でいいました。</seg></p>
        <p>「うん、朝の散歩をかかすわけにはいかん。森のなかを歩きまわるのは、いい気持ちだからな。きょうは、おまえも、いっしょにいこう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-137833-137898">四十面相は、そういって立ちあがりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-137898-138104">ポケット小僧は、それを聞くと大いそぎでドアの前をはなれ、壁のいちばん暗いところに、ぴったり身をつけて、そっとドアのほうを見ていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-138104-138295">ドアがひらいて、四十面相と女の人が廊下にでました。そして、またドアがしまりました。ふたりは、なかよくむこうへ歩いていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-138295-138372">さいわいポケット小僧に気がつかなかったようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-138372-138530">小僧は壁づたいに、ふたりのあとを追いました。ふたりは台所とははんたいのほうへ、ずんずん歩いていきます。</seg></p>
        <p>「へんだなあ。こっちへいったら、あの大岩で、いきどまりになっているのに。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-138643-138723">ポケット小僧は、ふしぎに思いながらついていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-138723-139016">ふたりは、あの大岩のところへくると、四十面相が手をのばして、右手の壁のすこしくぼんだところを、ぐっとおしました。すると、あの大岩が、ギイイッと音をたてて、むこうへたおれていくではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-139016-139088">こちらから見ていると、大岩のてっぺんには二本の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-139088-139115"><rb>頑丈</rb><rt>がんじょう</rt></ruby><seg source="#source-139115-139282">なくさりがついていて、たぶん電気じかけでしょう、そのくさりがのびるにつれて、大岩がむこうへたおれていくのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-139282-139452">むかしのお城のつり橋と、おなじしかけでした。とうとう大岩は横だおしになり、あの深い谷の上によこたわったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-139452-139832">四十面相と女の人は、その岩の橋をわたってむこうへ歩いていきます。見ると、そこからむこうは、コンクリートのぬってない岩のトンネルです。そして、そのトンネルの入口が、すぐむこうにまぶしく光っていました。トンネルのそとには、太陽が照りかがやいているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-139832-140074">ふたりがトンネルを出てから、しばらくのあいだ待って、ポケット小僧はその岩の橋をわたり、すばやくトンネルの入口まで走っていって、そっと、そとをのぞいてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-140074-140190">ふたりは遠くへいってしまったとみえて、そのへんには人のすがたもありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-140190-140351">トンネルのそとは、岩と土のまじった広っぱです。そのまわりを、見とおしもきかぬ深い森が、とりまいています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-140351-140653">ポケット小僧はトンネルからとびだして、広っぱのまんなかにある大きな岩のかげに、うずくまりました。もし、だれかに見つかってはたいへんだと思ったからです。そこにうずくまって、トンネルの上を見あげました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-140653-140832">ポケット小僧の顔が、まっ青になり、目がとびだしそうに見ひらかれました。なにがそんなに、小僧をおびえさせたのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-140832-141155">ああ、ごらんなさい。トンネルの上には、五十メートル四方もあるような、巨大な岩山が、そびえていたではありませんか。しかも、それはただの岩山ではありません。その巨大な岩山ぜんたいが、人間の顔のかたちをしていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-141158-141176"><rb>奈良</rb><rt>なら</rt></ruby><seg source="#source-141176-141298">の大仏のからだの何倍もあるような、想像もできないほどの、大きな大きな顔なのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-141298-141480">彫刻ではありません。岩山が、しぜんにそういうかたちをしていたうえに、いくらか人間が手をくわえたもののように思われます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-141480-141735">ああ、その顔……。なんという恐ろしい顔でしょう。悪魔が笑っているのです。さしわたし十メートルもあるような巨大な目で、じっと、こちらをにらみつけています。そして、するどい</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-141735-141750"><rb>牙</rb><rt>きば</rt></ruby><seg source="#source-141750-141886">のある三十メートルの口で、何百人の人間でも、ひとのみにしようと待ちかまえているようです。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-141886-141952"><seg source="#source-141886-141904">恐ろしい番人</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-141956-142219">その巨人の顔の前は広っぱになっていて、いっぽうのすみにヘリコプターがおいてあります。ポケット小僧はヘリコプターのそばへいき、操縦席にのぼりついて、その中をしらべてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-142219-142413">こしかけのうしろに、ズックでつつんだ四角なかごがおいてあります。中をのぞいてみると、キャベツのきれはしが、ころがっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-142413-142538">このかごは、どこかの町で食料品をしいれて、ここへはこぶときに、つかうのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-142538-142675">ポケット小僧は、その大きなかごを見て、にやりと笑いました。うまい考えがうかんだからです。</seg></p>
        <p>「行きはかばんの中、帰りはかごの中か。ウフフフ……。おれもなかなか知恵があるなあ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-142803-142979">そんなひとりごとをつぶやいて、ヘリコプターをおりましたが、そのとき、どこかから、みょうな叫び声が聞こえてきました。</seg></p>
        <p>「ギャアッ、ギャアッ！」</p>
        <p><seg source="#source-143017-143187">というようなへんな声です。鳥がないているのでしょうか。深い山の中ですから、どんな恐ろしい鳥がいるかわかりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-143187-143384">ポケット小僧は、びっくりして、声のするほうを見ました。広っぱには、なんにもおりません。そのむこうの森の中から聞こえてくるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-143384-143585">おずおずと、そのほうへ近づいていきました。森には何百年もたったような大きな木が、見とおしがきかないほどしげっていました。それらの木の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-143585-143600"><rb>幹</rb><rt>みき</rt></ruby>にはつたがまといつき、はいあがり、映画で見たジャングルのようなありさまです。どこかから、ターザンの「ヤッホ……。」という叫び声が聞こえてきそうなけしきです。</p>
        <p>「ギャアッ、ギャアッ。！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-143877-143963">そのとき、ついまぢかで、あのみょうななき声がしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-143963-144250">ポケット小僧は、おもわず逃げごしになりながら、木のあいだをすかして見ますと、五、六メートルむこうの暗い森の中に、なんだか黄色いようなものが、ぶらんぶらんと、ぶらさがっているのが見えました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-144250-144340">鳥ではありません。ねこのような動物です。そいつが、あと足を</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-144340-144376"><seg source="#source-144340-144346">つた</seg></hi><seg source="#source-144376-144447">にまかれて、木の上からぶらさがっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-144447-144465">まきついた</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-144465-144501"><seg source="#source-144465-144471">つた</seg></hi><seg source="#source-144501-144761">をとこうとして、いろいろに身をくねらせるのですが、どうしてもとけません。ぶらんこのように、さかさまにぶらさがったまま、あのみょうななき声をたてて、助けをもとめているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケット小僧はそれを見て、「ねこならなんでもないや。」と思いながら、もっとそばまで近づきました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-144910-144919">足を</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-144919-144955"><seg source="#source-144919-144925">つた</seg></hi><seg source="#source-144955-145032">にしめつけられ、ギャアギャアいって苦しんでいます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-145032-145079">かわいそうになってきました。</seg></p>
        <p>「よし、いま、おれがはずしてやるからな。待ってろよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-145162-145261">せのびをして、宙でもがいているねこをだきとり、足にからまっている</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-145261-145297"><seg source="#source-145261-145267">つた</seg></hi><seg source="#source-145297-145329">をといてやりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-145329-145499">ねこは、ポケット小僧の胸に頭をすりつけて、じっとしています。助けてもらったのを、よろこんであまえているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-145499-145873">その頭をなでてやりながらよく見ますと、どうもようすがおかしいのです。ねこにしてはすごい顔をしています。みけねこのように見えますが、黄色と黒のしまがもっとはっきりして、なんだか虎のような感じです。ひょっとしたら、これは、虎の子ではないのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-145873-146058">そう思うと、ポケット小僧はこわくなってきました。じっとこちらを見ている青く光る目が、だんだんものすごくなってくるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-146058-146084">そのときです。</seg></p>
        <p>「ごうッ……。」</p>
        <p><seg source="#source-146110-146271">という恐ろしいうなり声が聞こえました。だいているねこではなく、もっとむこうのほうから、ひびいてきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-146271-146462">びっくりして、そのほうを見ますと、木の幹のあいだを、ちらっと黄色いものが、よこぎりました。黄色に太い黒のしまのある動物です。</seg></p>
        <p>「アッ、虎だッ！」</p>
        <p><seg source="#source-146491-146598">とおもうと、ポケット小僧は、もう身うごきができなくなってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-146598-146819">そいつは、ヌウッと大きなものすごい顔をあらわし、のそりのそり、こちらへ近づいてきます。大きな虎です。いまたすけてやった虎の子の親かもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ああ、わかりました。四十面相の部下が、「恐ろしい番人」といったのは、こいつのことだったのです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-146965-147096">四十面相は、いぬのかわりに、この大きな虎をかって、奇面城の番をさせているのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-147096-147446">ポケット小僧は、いまにもこの虎にくわれてしまうのかと、生きたここちもありません。といって、逃げだそうにも、足が動かないのです。らんらんとかがやく大きな目で、じいっとにらまれると、電気にでもかかったように、身がすくんでしまうのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-147446-147580">虎はもう、すぐ目の前にきていました。はっはっと、くさい息がこちらの顔にかかるほどです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-147580-147747">すると、ポケット小僧にだかれていた虎の子が、うでからとびだして、大虎のそばへかけよって、じゃれつくのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-147747-147908">大虎は、虎の子のからだをなめてやりながら、さもかわいくてしかたがないというように、目をほそくしています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-147908-148012">そのようすでこの大虎は、父親ではなくて、母親のように思われました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">しばらくすると大虎は、また、「ごうッ……！」とうなって、ポケット小僧のほうを見ました。しかし、べつに危害をくわえるようすもありません。なんだか、「ぼうやを助けてくださって、ありがとう。」と、おれいをいっているように見えました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-148356-148568">ポケット小僧は、からだは小さくても、だいたんな子どもですから、それを見ると、すっかり安心して、そっと手をだして、大虎の頭をなでてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-148568-148789">ガッとくいついてくるかとおもうと、そうではなくて、目をほそめて、おとなしくしています。恩人のポケット小僧に、すっかりなついてしまっているのです。</seg></p>
        <p>「きみは、恐ろしい顔をしているが、心はやさしいんだね。よしよし、じゃあ、いつかまた、きみのやっかいになるときがあるかもしれないよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-148989-149259">ポケット小僧は、人間に話しかけるようにそんなことをいって、しばらく虎の頭や首をなでていましたが、四十面相が、朝のさんぽから帰ってきて、みつかるとたいへんですから、いそいで奇面城の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-149259-149283"><rb>洞窟</rb><rt>どうくつ</rt></ruby><seg source="#source-149283-149330">のほうへ、ひきかえすのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-149330-149413">親子の虎は、それを見おくって、のそのそついてきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そして、洞窟の前まできたとき、またしても、どこからか、「ごうッ……！」という恐ろしいうなり声が、ひびいてきました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-149589-149637">うしろからついてくる、二ひきの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-149637-149652"><rb>虎</rb><rt>とら</rt></ruby><seg source="#source-149652-149846">ではありません。洞窟の入口にならんで、いくつも小さなほら穴があるのですが、いまの声は、そのほら穴の中から、ひびいてきたようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-149846-150124">それじゃ、まだほかに虎がいるのかと、びっくりして立ちどまっていますと、そのほら穴のひとつから、ヌウッと大きな虎がすがたをあらわしました。こいつは、さっきの虎の子の父親かもしれません。</seg></p>
        <p>「ごうッ……！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-150150-150260">そいつは、ほら穴から全身をあらわして、もういちどうなり声をたてました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-150260-150421">すると、うしろにいた母親らしい虎が、そこへ歩いていって、顔をつきあわせて、なにか知らせているようでした。</seg></p>
        <p>「あの子を、助けてくださったのよ。」といっているのかもしれません。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-150522-150653">二ひきの大虎は、顔をそろえて、ポケット小僧のほうを見ました。やさしい目をしています。</seg></p>
        <p>「ありがとう。」と、おれいをいっているのでしょう。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-150730-151187">ポケット小僧は、恐ろしい猛獣がそんなにやさしくしてくれるので、すっかりうれしくなってしまいました。親子三びきの虎と、もうすこし遊んでいたいと思いましたが、四十面相や部下のものに見つかってはたいへんですから、いそいで三びきの虎のほうへ手をふって、わかれをつげると、そのまま洞窟の中へはいっていきました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-151187-151271"><seg source="#source-151187-151214">ポケット小僧の冒険</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-151275-151433">ポケット小僧が、奇面城の洞窟に帰ると、まもなく、四十面相と美しい女の人が、さんぽからもどってきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-151433-151756">それから、まる二日のあいだポケット小僧は、洞窟の中に足をひそめていたのです。夜は、あの物置部屋で眠り、昼は、みつからぬように気をくばりながら、ほうぼうの部屋をのぞきまわり、四十面相のすみ家のようすをしらべました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-151756-152076">さいわい、洞窟の廊下はうす暗いので、四十面相の部下たちにであっても、すばやく身をかくせば、相手にさとられないですむのです。食事は、ときどき台所からぬすみ出せばいいのですから、おなかがへるようなこともありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-152076-152276">そうしてしらべたところによりますと、洞窟の中にすんでいるのは、四十面相からコックまでくわえて、十一人にすぎないことがわかりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-152276-152404">四十面相の部下は、もっとたくさんいるのでしょうが、いまここには十一人だけなのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-152404-152676">しかし、十一人がごはんをたべているのですから、どこからか食料を、はこばなければなりません。電気をおこす石炭もいるでしょうし、そのほか、いろいろなものを持ってこなければなりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-152676-153032">自動車のとおれない山の中です。そういうものをはこぶには、人間が背中にしょって山道をのぼってくるか、ヘリコプターをつかうほかはないのです。あのヘリコプターは、たびたびここから飛びたって、そういうものを、はこんでいるのにちがいありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153032-153211">ポケット小僧は、それを待っていたのです。東京へ帰るのには、そのおりを待って、うまくやるほかはないと考えていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153211-153294">すると、さいわいにも三日めの夜、そのおりがきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153294-153485">四十面相が、ふたりの部下に、ヘリコプターでどこかの町へいって、食料品をつんでくるように命令しているのを、立ちぎきしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153485-153616">そこで、ふたりの部下が身じたくをして、洞窟をでていくあとを、そっとついていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153616-153909">夜のことですから、そとにでるとまっ暗です。ふたりの部下は懐中電灯をつけて、足もとを照らしながら、ヘリコプターのほうへ近づいていきます。昼間のうちに、いつでも飛べるように準備がしてあったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-153909-154127">ポケット小僧は、ふたりがヘリコプターに乗りこまないさきに、あの操縦席のいすのうしろにある、ズックをかぶせたかごの中へ、もぐりこむつもりでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-154127-154309">しかし、いくら闇夜といっても、ふたりをおいこしたら、すぐに見つかってしまいます。なにか計略をもちいなければなりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-154309-154551">ポケット小僧はりこうな少年ですから、それも、ちゃんと考えてありました。かれは、ふたりの部下のそばをはなれて、よこての森の中へかけこみました。そして、いきなり、</seg></p>
        <p>「キャーッ、助けてくれえッ……。」</p>
        <p><seg source="#source-154604-154630">と叫んだのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-154630-154809">おどろいたのは、ふたりです。だれもいるはずのない森の中から、ひめいが聞こえてきたので、すてておくわけにはいきません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-154809-154907">おおいそぎで森の中へかけこんで、そのへんをさがしまわりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-154907-155086">しかし、ふたりがそこへはいってきたころには、もうポケット小僧は森の中を走って、ヘリコプターのほうへ近づいていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-155086-155262">そして、部下たちがさがしつかれて、森のそとへでたときには、とっくに、あの操縦席のかごの中へ身をひそめていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-155262-155450">かごにはズックがかぶせてあるので、中からその口をしめれば、大きなふろしきづつみのようになり、もう見つかる心配はありません。</seg></p>
        <p>「たしかに、人間の声だったな。」</p>
        <p>「うん、おれもそう思った。だが、鳥がないたのかもしれない。この山には、人間みたいななき声をだすお化け鳥がいるからね。聞きちがいだよ。こんなところへ人間がくるはずがないからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-155766-155891">ふたりの部下は、ぶつぶつそんなことをつぶやきながら、操縦席へ乗りこんできました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-155891-155950">やがて、プロペラがまわりはじめます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-155950-156000">ぶるるん、ぶるるん、ぶるるん。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156000-156167">そして、機体がスウッと浮きあがったかとおもうと、だんだん速度をはやめながら、どこともしれず飛んでいくのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156167-156316">一時間も飛んだでしょうか。だんだん速度がにぶくなり、機体がさがっていって、どこかへ着陸しました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156316-156450">ポケット小僧はズックにつつまれているので、それがどんな場所だか、すこしもわかりません。</seg></p>
        <p>「おい、あすこに、自動車が待っているぜ。さあ、かごをおろすんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156551-156733">ズックにつつまれたかごを、操縦席の入口のところまでひっぱっておいて、地面におりたふたりが、それをひきずりおろすのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156733-156825">かごは、グッとひかれ、どしんと地面にたたきつけられました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-156825-157073">そのひょうしに中にいるポケット小僧は、頭や肩や腰をひどくかごにぶっつけましたが、いくらいたくても、声をたてることもできません。歯をくいしばってがまんしていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-157073-157423">なにしろ、ポケットにはいるといわれているほどの小さな少年ですから、めかたもかるく、ふたりの部下は、まさか、かごの中に人間がはいっているなんて夢にもしりませんので、いつもよりすこしぐらい重くても、うたがって見ようともしないのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-157423-157542">かごを地面におくと、ふたりは、むこうの自動車のほうへ歩いていったようすです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-157542-157664">そのすきにポケット小僧は、そっとズックの口をひらいて、そとをのぞいてみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-157664-157798">まっ暗です。家などどこにも見えません。町から遠くはなれた広い原っぱのようなところです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-157798-157989">二十メートルほどむこうに、ヘッドライトを消した自動車の黒いかげが見え、ふたりの部下はそのそばに立って、なにか話をしています。</seg></p>
        <p>「いまだッ！」</p>
        <p><seg source="#source-158012-158236">と思いました。ズックの口をじゅうぶんひらいて、外へでると、もとのとおりにズックをしめ、そのままはうようにして、ヘリコプターから遠ざかっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-158236-158541">部下たちは、なにもしりません。自動車の運転をしていた男にも手つだわせて、車のなかから、箱にはいったもの、紙につつんだものなどを、かごのところへはこんでいます。肉、かんづめ、やさいなどの食料品でしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-158541-158669">ポケット小僧は原っぱのくさむらの中に寝そべって、遠くからそのようすを見ていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-158669-158854">しばらくすると、ズックでつつんだかごをヘリコプターにのせ、ふたりの部下も運転手にわかれをつげて、操縦席に乗りこみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-158854-159045">そして、ぶるるん、ぶるるんと、ヘリコプターは空へ、自動車もヘッドライトをつけて、むこうの大きな道へと、遠ざかっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-159045-159413">かれらは、とうとう気がつかなかったのです。ポケット小僧はたすかったのです。しかし、これからが大しごとです。東京に帰って明智探偵や小林少年にこのことを報告し、大ぜいの警官隊といっしょに、奇面城を攻撃して、怪人四十面相をとらえなければなりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-159413-159652">まる二日、洞窟の中をしらべ、悪人たちの話を立ちぎきしたおかげで、ポケット小僧には、奇面城が、どのへんの山の中にあるかということも、だいたいわかっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-159652-159889">いよいよ、奇面城の総攻撃がはじまるのです。名探偵明智小五郎は、どんな計略を考えだすでしょうか。また、四十面相は、どのようなてだてで、これをふせぐでしょうか。</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-159889-159928"><rb>千変万化</rb><rt>せんぺんばんか</rt></ruby><seg source="#source-159928-160017">の知恵と力のたたかいが、やがてはじまろうとしているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-160017-160328">ポケット小僧は、それを考えると胸がわくわくしてきました。怪人四十面相のほんとうのすみ家、あの恐ろしい奇面城が、どこにあるかを知っているのは、世界じゅうにおれひとりだと思うと、うれしくてしかたがないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-160328-160668">ヘリコプターも自動車も、かげが見えなくなってしまったので、ポケット小僧は安心して立ちあがりました。そして、原っぱをよこぎり、国道らしい大きな道にでると、さっきの自動車がいった方角へ、暗闇のなかをてくてくと歩きだすのでした。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-160668-160722"><seg source="#source-160668-160680">秘密会議</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-160726-160900">チンピラ隊のポケット小僧は、まっ暗な街道を、一時間あまりもてくてく歩いて、やっと大きな町にたどりつきました。それは</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-160900-160924"><rb>埼玉</rb><rt>さいたま</rt></ruby><seg source="#source-160924-160959">県のＴ町だったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-160959-161183">ポケット小僧は、Ｔ町の駅の長いすの上で一夜をあかし、あくる朝の汽車で東京に帰りました。三百円ほどもっていたので、やっと汽車のきっぷが買えたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-161183-161326">東京につくと、すぐに明智探偵事務所へいって、明智先生と小林団長にあい、くわしく報告しました。</seg></p>
        <p>「わあ、えらいぞ、ポケット小僧。たいへんなてがらをたてたねえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-161424-161457">小林少年が、おもわず</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-161457-161481"><rb>歓声</rb><rt>かんせい</rt></ruby><seg source="#source-161481-161504">をあげました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-161504-161572">明智探偵も、ポケット小僧の頭をなでながら、</seg></p>
        <p>「どんなおとなもおよばない大てがらだよ。四十面相のほんとうのかくれ家、奇面城なんて、長いあいだだれも知らなかった。ぼくも、まったく気づかないでいた。それをきみが、ひとりの力で、発見したんだからね。きっと警視総監からごほうびが出るよ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">よし、これからすぐに警視庁へいこう。そして、総監にこのことを報告して、どうして奇面城をせめるか、その方法を相談しよう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-162107-162496">明智探偵はそういって、卓上電話の受話機をとると、警視庁の中村警部をよび出し、総監にこのことをつたえてくれるようにたのみました。すると、総監も捜査課長も待っているからという返事があったので、そのまま自動車をよんで、ポケット小僧をつれて、警視庁へいそぎました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-162496-162565">それから二十分ほどして、警視庁の総監室には、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-162565-162592"><rb>大机</rb><rt>おおつくえ</rt></ruby><seg source="#source-162592-162864">の正面に山本警視総監、その前に明智小五郎、堀口捜査一課長、中村警部が席につき、ポケット小僧も、明智探偵のとなりの大きないすに、ちょこんとこしかけて、しかつめらしい顔をしていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-162864-163106">山本総監は、四十面相がじぶんに化けて、警視庁をばかにしたことを、ひじょうにおこっていましたので、この事件にかぎって、総監室で秘密会議をひらくことにしたのです。</seg></p>
        <p>「きみがポケット小僧か。よくやってくれた。あとで、どっさりほうびをあげるよ。で、きみは、その奇面城がどこにあるのか、わかっているんだろうね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-163321-163380">総監が、ポケット小僧にたずねました。</seg></p>
        <p>「はい、それは奇面城にかくれているあいだに、四十面相の部下たちの話を立ちぎきしてわかりました。それはこぶし<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-163539-163554"><rb>岳</rb><rt>だけ</rt></ruby>という山です。その山の北がわの深い森の中に、あの恐ろしい顔の岩があるのです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-163673-163741">それをひきとって、明智探偵が説明しました。</seg></p>
        <p><seg source="#source-163741-163744">「</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-163744-163777"><rb>甲武信岳</rb><rt>こぶしだけ</rt></ruby>というのは、埼玉県と長野県の境にそびえている山です。そこから食料などを仕入れるのに、いちばん近い町は埼玉県のＴ町です。奇面城からＴ町へは、二日か三日にいちど、四十面相のヘリコプターが、かよっているらしいのです。ポケット小僧は、そのヘリコプターにかくれて逃げ出してきたのです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-164193-164273">すると、堀口捜査課長が、こともなげにいうのでした。</seg></p>
        <p>「武装した警官を一小隊ほどやって奇面城をかこませるんですな。奇面城の中には、四十面相も入れて十一人しかいないというから、武装警官一小隊でじゅうぶんでしょう。自動車のいけるところまでいって、それからは歩いてのぼるんですな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-164608-164673">それを聞くと、明智探偵はかぶりをふって、</seg></p>
        <p>「いや、それはあぶないですよ。奇面城のまわりには、見はりのものがいるにちがいない。警官隊が山をのぼっていったら、すぐに気づいて、じゅうぶん用意をする。あいつらはピストルや銃を持っているでしょうし、そのほか、どんな<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-164991-165009"><rb>武器</rb><rt>ぶき</rt></ruby><seg source="#source-165009-165099">があるかわからない。それと正面からたたかっては、こちらにも、</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-165099-165135"><seg source="#source-165099-165105">けが</seg></hi>人を出します。正面しょうとつは、さけたほうがいいと思います。」</p>
        <p><seg source="#source-165230-165265">と反対をとなえました。</seg></p>
        <p>「ふん、なにか計略をもちいるというんだね。明智君、きみには、うまい計略が、あるのだろうね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-165405-165446">山本総監がたずねました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-165446-165586">すると明智探偵は、いすを前にのり出し、大机にひじをついて、ひくい声で話しはじめるのでした。</seg></p>
        <p>「じつは、こういう計略を考えたのです。四十面相のヘリコプターが、たえずＴ町へやってくる。それをうまく利用するのですよ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-165774-166034">明智探偵は、そこでいっそう声をひくくしましたので、総監をはじめ、捜査課長も中村警部も、ぐっと顔を前に出し、四人が頭をくっつけるようにして明智のないしょ話をききとりました。</seg></p>
        <p>「うん、おもしろい。明智君らしいやりかただ。ひじょうにむずかしいけれども、きみならできるかもしれない。やってみるだけのねうちはあるね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-166240-166326">総監は明智の話を聞いて、にこにこしながら賛成しました。</seg></p>
        <p>「それについて、中村君、きみの部下の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-166380-166401"><rb>三浦</rb><rt>みうら</rt></ruby>刑事をかしてもらいたいんだがね。あの男は、警視庁第一の変装の名人だからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-166517-166612">明智が中村警部にたのみますと、警部はこころよく承知しました。</seg></p>
        <p>「いいとも、三浦はたしかに変装がうまい。四十面相までいかなくても、十面相くらいのうでまえはあるよ。あの男がやくにたつなら、どうかつかってくれたまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-166839-167021">それから三十分ほど、こまかいうちあわせをしたあとで、この総監室の秘密会議はおわりました。山本警視総監はいすから立って、</seg></p>
        <p>「では明智君、きみからの、よい知らせを待つことにします。よろしくたのみますよ。」といって、明智探偵の手をにぎるのでした。</p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-167205-167277"><seg source="#source-167205-167226">かえだまふたり</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-167281-167412">ポケット小僧が奇面城を逃げ出してから二日めの夜のことです。もう十時をすぎていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-167412-167579">埼玉県Ｔ町郊外のあのさびしい原っぱに、いつかの晩とそっくりの自動車が、ヘッドライトを消してとまっていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-167579-167716">その自動車に乗っているふたりの男は、じっと星空を見あげて、なにかを待っているようすです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-167716-167910">しばらくすると、はるかむこうの空から、ぶるるるる……という音が聞こえ、それが、だんだん大きくなってきました。ヘリコプターです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-167910-168164">やがて、ヘリコプターはおそろしい風をまきおこして、すぐむこうに着陸しました。そして、操縦席から、ふたりの男がおりて、こちらへ歩いてくるのが、星の光でかすかに見えます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-168164-168271">ふたりの男は、ズックでおおった大きなかごを、両方からさげていました。</seg></p>
        <p>「ひゅう、ひゅう。ひゅう……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-168321-168437">こちらの自動車の中のひとりが、口ぶえで、ある歌のふしを吹きました。すると、</seg></p>
        <p>「ひゅう、ひゅう。ひゅう……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-168487-168636">むこうから歩いてくる男のひとりも、同じふしの口ぶえを吹くのです。これがあいずの暗号なのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-168636-168998">ふたりの男は、自動車のそばに、かごをおろして立ちどまりました。自動車のドアがひらいて、中から箱に入れたもの、紙ぶくろにいれたものなど、いろいろの食料品を、つぎつぎとさし出します。そとのふたりは、それをうけとっては、かごの中へ入れるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">五分もたたないうちに、かごがいっぱいになりました。「じゃ、こんどは十四日の晩だよ。時間はいつものとおり。これが<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-169166-169187"><rb>品書</rb><rt>しなが</rt></ruby>きだ。それじゃあ。あばよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-169231-169464">このつぎまでに、買い入れておくものを書きつけた紙をわたし、ふたりの男は重くなったかごをさげて、えっちら、おっちら、ヘリコプターのほうへ帰っていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-169464-169643">それを見おくって自動車は出発し、広い街道のむこうへ遠ざかっていきます。ところが、そのときみょうなことがおこりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-169643-169819">走りさった自動車のあとへ、いまのとそっくりの大型自動車が、どこからかスウッとやってきて、ぴたりと、とまったのです。</seg></p>
        <p>「ひゅう、ひゅう、ひゅう……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-169869-170000">自動車の窓から、するどい口ぶえがなりひびきました。さっきの暗号とおなじ歌のふしです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-170000-170254">ヘリコプターに、かごをつみこんでいたふたりの男が、こちらをふりむきました。ふたりは、ずっとむこうをむいていたので、自動車がいれかわっていることに気がつかないようです。</seg></p>
        <p>「おい、呼んでるぜ。なんか聞きわすれたことでもあるのかな。めんどうだけれど、いってみよう。」</p>
        <p>「うん、そうしよう。ひゅう、ひゅう、ひゅう……。」</p>
        <p><seg source="#source-170471-170572">と、こちらもおなじ口ぶえをふいて、自動車のほうへ近づいていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-170572-170799">ふたりが、自動車のよこまでいきますと、ドアがひらいて、自動車のふたりも、そとへ出てきました。そして、ヘリコプターのふたりと、むかいあって立ちました。</seg></p>
        <p>「アッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-170816-171019">ヘリコプターのふたりが、びっくりしたように叫んで、両手をうえにあげました。自動車のふたりが、てんでにピストルをかまえていたからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-171019-171189">自動車の運転手のとなりに小さな子どもがいて、窓の中からじっと、こちらを見ていました。それはポケット小僧でした。</seg></p>
        <p>「さあ、そのピストルはぼくが持つ。こいつらの服をぬがせてから、縄をかけてくれたまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-171320-171484">自動車の男のひとりがそういって、もうひとりからピストルをうけとり、二ちょうのピストルを両手にかまえました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-171484-171679">それを見ると、車の中にいたポケット小僧もとびだしてきました。もうひとりの男は、ポケット小僧に手つだわせて、ヘリコプターのふたりの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-171679-171694"><rb>服</rb><rt>ふく</rt></ruby><seg source="#source-171694-171792">をつぎつぎとぬがせたうえ、手足をしばり、さるぐつわをはめました。</seg></p>
        <p>「よし、それじゃあ、このふたりを自動車の中へ入れるんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-171881-171979">ピストルをかまえていた男も、それを地面において手つだいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-171979-172191">それから変装です。変装用のけしょう箱をとり出し、懐中電灯でヘリコプターの男たちの顔をしらべながら、それににせてじぶんの顔をいろどるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-172191-172445">自動車に乗ってきた男は、ふたりとも変装のくろうとらしく、顔をつくることが、じつにじょうずでした。またたくまに、ヘリコプターの男たちとそっくりの顔になってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-172445-172561">それがすむと、ぬいだ背広は車の中にほうりこみ、運転台の男に声をかけました。</seg></p>
        <p>「さあ、出発してよろしい。このふたりの男を本署へつれていってください。ふたりのあつかいについては、署長さんがよくごぞんじですからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-172764-172853">それを聞くと運転台の男は、うなずいて車を出発させました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-172853-172993">いまの話のようすでは、この自動車はＴ町警察署のもので、運転手はおなじ署の警官なのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-172993-173321">ヘリコプターの男になりすましたふたりは、そのまま、ポケット小僧といっしょにヘリコプターに乗りこみ、ひとりが操縦席について出発しました。この男はヘリコプターになれているらしく、その操縦ぶりはじつにみごとなものでした。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-173321-173387"><seg source="#source-173321-173339">敵のただ中へ</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-173391-173585">それから一時間ほどのち、四十面相の部下のにせものと、ポケット小僧をのせたヘリコプターは、奇面城の前の広っぱに着陸していました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-173585-173839">四十面相の部下のヘリコプターがかりは、ジャッキーとよばれている男で、その助手のもうひとりの男は、五郎という名でした。ポケット小僧がそれを、ちゃんとおぼえていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-173839-174033">ジャッキーと五郎になりすましたふたりは、食料をつめたかごをヘリコプターからおろし、それをはこんで、奇面城へはいろうとしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そのとき、「ごうッ……。」という恐ろしいうなり声が、どこからかひびいてきたのです。</p>
        <p>「アッ、いけない、虎だ。虎がやってくる……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-174232-174303">ポケット小僧が、とんきょうな声をたてました。</seg></p>
        <p>「エッ、虎だって？」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-174335-174589">ジャッキーと五郎が、口をそろえて叫びました。ふたりとも、虎の番人がいることは聞いていましたが、四十面相の部下に変装してしまえば、だいじょうぶだと思いこんでいたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-174589-174834">ところが虎は、おけしょうや服装なんかではごまかされません。においです。虎の鼻は人間よりもずっとするどいので、人間のひとりひとりのにおいが、ちゃんとわかるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-174834-174977">いま、ヘリコプターからおりたふたりは、これまで、かいだこともないような、においをもっている。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-174977-175048">こいつはあやしいぞと、虎は考えたのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-175048-175191">星あかりですかして見ると、二ひきの大きな虎が、もう十メートルほどむこうまで近づいていました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-175191-175367">にせジャッキーとにせ五郎は、ピストルを持っていましたから、うまくうてば、それで虎を殺すことができるかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-175367-175469">しかし、そんなことをすれば、ピストルの音を敵に聞かれますし、虎の死</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-175469-175505"><seg source="#source-175469-175475">がい</seg></hi><seg source="#source-175505-175795">がのこるので、たちまちあやしまれて、せっかく、ここまでのりこんできた苦心が、水のあわになってしまいます。逃げるほかはありません。うまく木の上にでものぼれば、難をのがれられるかもしれないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-175795-175905">そこでふたりは、虎とはんたいのほうへ、いちもくさんにかけだしたのです。</seg></p>
        <p>「アッ、走っちゃいけないッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-175952-176095">ポケット小僧があわてて叫びましたが、もうおそい。そのときは、もう、虎もかけだしていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-176095-176256">猛獣に出あったときは、じっとしていなければいけない、ということを、ふたりのおとなは忘れてしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-176256-176594">じっとしていれば、虎のほうでもにらんでいるばかりですが、走りだしたら、虎はいっぺんにとびかかってきます。虎とかけっこしたって、とても勝てるものではありません。このままほうっておいたら、ふたりは、虎にくわれてしまう運命です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-176594-176653">ポケット小僧は、とっさに考えました。</seg></p>
        <p>「二ひきの虎は、ぼくのことをおぼえていないかしら。このあいだ虎の子を助けてやったときには、あんなによろこんでいたんだから、まだおぼえているかもしれない。よしッいちかばちか、やってみよう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-176937-177128">そう決心すると、ポケット小僧は大手をひろげて、いまジャッキーと五郎にとびかかろうとする、二ひきの虎の前に立ちふさがりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177128-177235">ああ、あぶない。ポケット小僧は、ふみつぶされてしまうかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177235-177381">立ちふさがっているポケット小僧の目の前に、二ひきの虎の恐ろしい顔が、グウッと近よってきました。</seg></p>
        <p>「アッ、もうだめだ。」</p>
        <p><seg source="#source-177416-177493">とおもいました。そして、目をつぶってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177493-177648">いまにも、ふみつぶされるか、いまにもかみつかれるかと、かくごしていましたが、なにごともおこりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177648-177830">顔に、あつい息が、ふうっ、ふうっとかかりました。そしてあたたかい毛がわのようなものが、からだにこすりついてくるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177830-177916">ポケット小僧は、へんだなと思いながら目をひらきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-177916-178143">すると、一ぴきの虎は、むこうに立ちどまってじっとこちらを見ています。もう一ぴきの虎は、ポケット小僧にからだをすりつけてあまえているではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-178143-178400">やっぱり子どもを助けられた恩を、わすれないでいたのです。からだをすりつけているのは、母親の虎にちがいありません。むこうに立って、それを見ているのは、父親のほうでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-178400-178489">ジャッキーと五郎は、それを見てびっくりしてしまいました。</seg></p>
        <p>「ポケット君、きみは虎をだまらせる力があるのか。おどろいたねえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-178590-178670">ジャッキーが、つくづく感心したようにいうのでした。</seg></p>
        <p>「そうじゃありません。この虎はぼくに恩がえしをしているのです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-178768-178869">ポケット小僧は、このあいだ虎の子を助けてやったことを話しました。</seg></p>
        <p>「おお、そうだったか。虎もえらいが、きみもえらいぞ。やさしい心というものは、どんな動物にだって通じるのだねえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-179039-179149">ジャッキーは、おもわずポケット小僧の頭をなでて、ほめたたえるのでした。</seg></p>
        <p>「ジャッキーさん、あれが奇面城ですよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-179211-179336">ポケット小僧は、てれかくしのように、星空にそそり立つまっ黒な岩山を指さしました。</seg></p>
        <p>「なるほど、恐ろしい形をしているねえ。……それじゃあ、奇面城の中へはいろうか。虎には見やぶられたが、虎ほどの鼻のきかない人間には、見やぶられる心配はないからね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-179581-179706">そこで、三人は、食料品のかごをはこんで、巨人の顔の下の洞窟へはいっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-179706-179894">あの岩の橋をおろす、かくしボタンは、入口の方にもあります。ポケット小僧は、そのボタンのありかを、ちゃんと知っていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-179894-180045">そのボタンをおして、大きな岩の橋をおろし、三人はいよいよ、四十面相のすみかへはいっていきました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-180045-180111"><seg source="#source-180045-180063">まめくろんぼ</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-180115-180249">それから、三人は奇面城の洞窟の中にはいり、ジャッキーと五郎は、四十面相の部屋へいって、</seg></p>
        <p>「いま、帰りました。」とあいさつしましたが、四十面相は、ふたりがにせものであることに、すこしも気づかないのでした。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-180422-180655">ジャッキーと五郎は、それでいいのですが、ポケット小僧が、もしだれかに見つかったらたいへんです。奇面城には、そんな小さな子どもは、ひとりもいないからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-180655-180927">そこでポケット小僧は、東京から用意してきたまっ黒なシャツ、頭からかぶる黒覆面、黒い手ぶくろ、黒いくつしたを身につけて、全身まっ黒なすがたになって、敵の目をくらますことにしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケットにはいるくらい小さいというので、「ポケット小僧」とあだながついているのですから、そのちびすけが、まっ黒になったら、こんどはまめくろんぼです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-181154-181477">まめくろんぼは、まえとおなじように、夜は、がらくたのほうりこんである物置部屋のすみで寝ました。たべものは、まえのようにすいじ場からぬすみださなくても、にせのジャッキーと五郎が、わけてくれますから心配はありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-181477-181842">まめくろんぼは、おそろしく小さいうえに、頭から足のさきまでまっ黒なのですから、洞窟の廊下で四十面相の部下にであっても、けっして見つかりません。廊下は、うす暗いし、まめくろんぼは、とてもすばやいので、うまく相手の目をくらましてしまうからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-181842-181997">それから二週間ほどたちました。四十面相は奇面城におちついたまま、どこへも出ていくようすがありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-181997-182287">にせもののジャッキーと五郎は、そのあいだに、五度もヘリコプターに乗って、ふもとの町へいきました。それは、食料品やそのほかのものを、はこぶためでもありましたが、もっとほかに目的があったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-182287-182583">ヘリコプターが、ふもとの町から帰るときには、ひとりずつあたらしい味方の人間を、こっそり乗せていたのです。いちどに、ひとりずつですから、五度では、五人の人間が、奇面城につれこまれたことになります。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-182583-183104">それでいて、奇面城にすんでいる人数は、やっぱり十一人なのです。まめくろんぼはべつです。おとなが十一人です。そして、それらの人は、みんな四十面相の部下なのです。あたらしくやってきた五人の男も、それぞれ部下のだれかに化けて、なにくわぬ顔で仕事をしていますから、だれもうたがうものはありません。その五人は、ジャッキーや五郎におとらぬ変装の名人でした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-183104-183604">しかし、ふしぎなことがあります。ヘリコプターがふもとの町へいくときには、ジャッキーと五郎だけで、四十面相の部下を乗せているわけではありません。そして、帰りにひとりずつつれてくるのですから、いまでは、奇面城の中の人数は十一人たす五人の、十六人になっていなければなりません。それがやっぱり十一人のままなのですから、どうもへんなのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-183604-183939">あたらしくきた五人のにせ部下のかわりに、ほんとうの部下が五人、どこかへかくされてしまったのです。むろんにせのジャッキーと五郎が、やったことにちがいありませんが、その五人の部下は、いったいどこへかくされているのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-183939-184103">ところで、二週間ほどたったある日のこと、まめくろんぼのポケット小僧が、たいへんな失敗をやってしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-184103-184408">まめくろんぼは、忍術つかいのようなまっ黒なからだで、洞窟の中のあちこちを、毎日しらべまわっていました。そして秘密の通路や秘密のしかけなどを、いろいろ見つけだして、にせジャッキーに報告しているのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-184408-184665">洞窟の廊下や部屋の中を、ねずみのようにチョロチョロと歩きまわっても、すこしも気づかれないので、つい、ゆだんをしました、そして、とうとう四十面相の部下に見つかったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-184665-185000">そのとき、ポケット小僧は、廊下を歩いていました。はじめのうちは、歩くときには前にもうしろにも、ゆだんなく気をくばっていたのですが、このごろは、たかをくくって、つい、うしろのことなんか考えないで歩いていることがあるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-185000-185087">そのときも、うしろのことをわすれていたのですが、のっぽの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-185087-185102"><rb>初</rb><rt>はつ</rt></ruby>こうという四十面相の部下が、ポケット小僧のうしろから歩いてきました。「のっぽ」といわれるほどあって、おそろしく背の高いやつです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-185296-185514">のっぽの初こうは、目の前を、頭から足のさきまでまっ黒なちびすけが、ヒョコヒョコ歩いているので、びっくりしました。お化けではないかと思いました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そのちっぽけな、まっ黒なのっぺらぼうなやつは、ヒョイとうしろをむくと、顔に目がひとつしかない一つ目小僧かもしれない。そして、赤いしたをぺろっと出して、「おじさん、こんにちは……。」というのかもしれないと思うと、初こうはゾウッとしました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-185873-186106">しかし、怪人四十面相の部下になるほどのやつですから、そのまま逃げだすほど、おくびょうではありません。初こうは、しばらく、まめくろんぼのあとをつけてから、</seg></p>
        <p>「こらッ、ちびすけ待てッ。」</p>
        <p><seg source="#source-186150-186239">とどなりつけて、いきなりポケット小僧につかみかかりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケット小僧は、「しまった。」と思いましたが、りすのようにすばしっこく、パッと身をかわして逃げだしました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-186403-186741">のっぽの初こうは、身をかわされて、よたよたと前にのめりそうになりましたが、かけっことなれば、ちびすけなんかに負けるものではありません。ちょこちょこと走るまめくろんぼのあとから、初こうの長い足が、のっしのっしと追っかけます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-186741-187247">のっぽとちびすけのかけっこですから、すぐにつかまってしまいそうですが、初こうが、ほんきで走ったら、たちまちいきすぎてしまいますし、ポケット小僧は追っつかれても、長い足のあいだをくぐって、チョコチョコと逃げまわるので、なかなかつかまるものではありません。そのうちにポケット小僧は、岩の廊下にひらいているひとつのドアの中へ逃げこみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187247-187426">のっぽの初こうも、すぐにその部屋にとびこみましたが、ちびすけは、どこへかくれたのか、いくらさがしても見つかりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187426-187605">そこは四十面相が着がえをする部屋で、いっぽうのおしいれのようなところには、いろいろな服が、いっぱいかけてあるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187605-187709">そのおしいれの中も、さがしましたが、ちびすけのすがたはありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187709-187837">初こうは、部屋のまんなかにつっ立って腕ぐみをして、すっかり考えこんでしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187837-187857">みなさん、</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-187857-188030">ポケット小僧は、いったいどこへかくれたと思いますか。じつに、ポケット小僧の名にふさわしいところへかくれたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-188030-188212">といいますのは、おしいれの中に、ずらっとかけならべてある服のなかの、いちばん大きい外套のポケットの中へかくれたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-188212-188469">むろん、いくらポケット小僧がちいさくても、ポケットの中へからだをかくすことはできません。外套にのぼりついて、大きなポケットに足を入れたまま、宙にぶらさがっていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-188469-188576">黒い外套に黒いちびすけですから、うすぐらい光では見わけがつきません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-188576-188779">それに初こうは、おしいれの中の床ばかりさがしていたので、上のほうで宙づりをしているポケット小僧は、どうしても見つからなかったのです。</seg></p>
        <p>「へんだぞ。あいつ、やっぱり化けものだったかな。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-188856-188948">のっぽの初こうは、腕ぐみをしたままひとりごとをいいました。</seg></p>
        <p>「いや、そんなはずはない。きっと、どっかにかくれている。待てよ。どうしても、あのおしいれの中があやしいわい。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-189115-189285">そういって、もういちどおしいれをしらべました。こんどは、さがっている服をひとつひとつ、手でさわってみるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-189285-189358">ポケット小僧は、もう運のつきだと思いました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-189358-189436"><seg source="#source-189358-189382">いもむしごろごろ</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-189440-189721">ポケット小僧は、大外套のポケットに両足をいれ、外套にとりすがって息をころしていました。のっぽの初こうは、おしいれのすみのほうから、ひとつひとつ服にさわりながら、こちらへ近づいてきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-189721-189867">もう三つめまできました。もう二つめです。ああ、もうとなりまできました。こんどは外套のばんです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-189867-190037">初こうの長い手が、外套のえりのへんから、だんだん下へおりてきました。その手が、ポケット小僧の頭にさわりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190037-190072">まだ気がつきません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190072-190170">長い手が、ポケット小僧の顔をなで、首から胸にさがってきました。</seg></p>
        <p>「うッ。」という、おしころした声が、聞こえました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190247-190294">とうとう気がついたようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190294-190437">ポケット小僧は、外套のポケットから足をぬきだして、ヒョイと、おしいれの床に、とびおりました。</seg></p>
        <p>「うぬッ！　こんなとこにかくれていやがったなッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190514-190588">初こうは、両手をひろげてつかみかかってきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190588-190812">ポケット小僧は、その手のあいだをすりぬけて、あちこちと逃げまわる。それを、のっぽの初こうが、息をきらせて追っかける。じつにふしぎなおにごっこです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-190812-191009">しかしポケット小僧は、もう逃げられません。あいては、じぶんの四倍もあるような大男です。いつかはつかまってしまうにきまっています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-191009-191123">つかまったら、四十面相の前にひったてられ、いろいろと聞かれることでしょう。</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-191123-191147"><rb>拷問</rb><rt>ごうもん</rt></ruby><seg source="#source-191147-191179">されることでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-191179-191424">拷問の苦しさに、このあいだからのことを、すっかり白状してしまうかもしれません。そうすれば、せっかく明智先生のたてられた計略が、まったくむだになってしまうのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-191424-191678">それをおもうと、ポケット小僧は、泣きだしたくなりました。かばんの中にかくれて、この奇面城へしのびこんでから、きょうまでの苦労が、すっかり水のあわになってしまうのです。</seg></p>
        <p>「ちくしょう、とうとうつかまえたぞッ！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-191740-191937">初こうのうれしそうな声がひびきました。初こうの長い手が、小僧の肩を、がっしりつかんでしまったのです。ああ、いよいよ運のつきです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-191937-192167">ところがそのとき、思いもよらぬことがおこりました。がっしりとつかんでいる初こうの手が、スウッと、ポケット小僧の肩から、はなれていったではありませんか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケット小僧は、「オヤッ。」と思って、初こうの顔を見あげました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-192268-192504">すると、初こうの口に、白いものがおしつけられているのが見えました。そのハンカチをまるめたような白いものを、初こうの口におしつけているのは、べつの手でした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-192504-192956">初こうの手でなくて、ほかの人の手でした。初こうの両手は、てむかいしようともせず、だらんとさがっています。そのうちに、初こうのからだぜんたいが、だらんと力をうしなってきました。初こうのうしろから、白いものを口におしつけている男は、初こうをだいたまま床にひざをつき、初こうも床にすわった形になりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-192956-193069">そのとき、はじめてうしろの男の顔が見えたのです。それはジャッキーでした。</seg></p>
        <p>「アッ、先生！」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ポケット小僧は、おもわず叫んで、ハッとしたように口をおさえました。「先生！」などと呼んだら、ジャッキーに化けている人の正体がわかってしまうからです。</p>
        <p>「あぶないところだったね。ぼくは、きみがここへ逃げこむのを、むこうから見たので、いそいで<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-193454-193484"><rb>麻酔薬</rb><rt>ますいやく</rt></ruby>をしませたハンカチを持ってきて、こいつを眠らせたのだ。もうだいじょうぶだよ。」</p>
        <p>「すみません。おれ、ゆだんしちゃって、すみません。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-193683-193826">ポケット小僧は、いかにも、もうしわけなさそうに、ピョコン、ピョコンと、二度おじぎをしました。</seg></p>
        <p>「いいんだよ。きみがこれまでにたてた、てがらのことを思えば、なんでもないよ。それにしてもポケット小僧が、ほんとうにポケットの中へはいったのは、これがはじめてだろうね。はははは……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-194101-194220">ジャッキーはそういって、おかしそうに笑いましたが、すぐにまじめな顔になって、</seg></p>
        <p>「しかし、こいつは、このままにしてはおけない。眠りからさめて、四十面相にこのことをしゃべったら、たいへんだからね。やっぱり、あそこへほうりこんでしまわなければ。」</p>
        <p><seg source="#source-194465-194545">といいました。あそことは、いったいどこなのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-194545-194673">もしかしたら、あの岩の橋をあげおろしする底もしれない谷まのことではないでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-194673-194864">そんなところへほうりこんだら、むろん命はありません。明智探偵や警察の人たちが、そんなむごたらしいことをするはずがありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-194864-194938">では、いったい、どこへほうりこむのでしょうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-194938-195108">ポケット小僧は、その場所をよく知っていました。というのは、それを見つけたのはポケット小僧じしんだったからです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-195108-195254">さいしょ奇面城へしのびこんだとき、洞窟の中を歩きまわっていて、ふと、そこへまよいこんだのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-195254-195847">そのとき小僧は、廊下のはずれにある、しぜんにできた岩のわれめのような、小さな穴へもぐりこんでいました。もぐりこむと、穴はだんだん広くなり、十メートルほどいくと、そこにたたみにして四じょう半ほどもある、広い洞窟ができていました。懐中電灯で、あたりを照らしてみると、ここへはだれもはいったことがないらしいのです。入口があまりせまいので、四十面相の部下たちは、この洞窟に気がつかなかったのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-195847-196233">ポケット小僧は、ジャッキーや五郎に、そのことを話しましたので、この洞窟を、こんどの計略につかうことになり、夜中に、ソッと入口の岩をけずって、広くしたり、その穴にドアのかわりに岩のふたをつくって、そとから見えぬようにしたり、いろいろくふうをこらしたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-196233-196502">ジャッキーは廊下にでて、あたりにだれもいないことをたしかめてから、ぐったりとなった初こうをせおって、その秘密の洞窟へと、いそぎました。ポケット小僧も、あとから、ついていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-196502-196594">さいわい、だれにも見とがめられず、洞窟の入口につきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-196594-196806">まず、ジャッキーが岩のわれめから中へはいりこんで、ドアがわりの石のふたをのけ、中から両手をだして、初こうのからだを、ひきずりこむのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-196806-197108">中は広くなっているのですから、入口さえ通ってしまえば、あとはらくです。初こうのからだを、ぐんぐんひきずって、おくの広い洞窟にきました。ポケット小僧は用意の懐中電灯をだして、そのへんを照らしています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-197108-197533">ああ、ごらんなさい。洞窟の中には、五人の男が、いもむしのように、ごろごろと、ころがっているではありませんか。みんなさるぐつわをはめられ、手足をしばられているのです。ジャッキーは、初こうにもおなじように、さるぐつわをはめ、手足をしばりました。五ひきのいもむしが、六ぴきにふえました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-197533-197784">ヘリコプターで五人の味方がはこばれ、四十面相の部下に化けていることは、まえにしるしました。そのかわりに、ほんものの五人の部下が、この洞窟にほうりこまれていたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-197784-197977">この計略は、みんな明智探偵が考えだしたものです。警視庁はそれを助けて、刑事のうちの変装の名人たちを、奇面城におくったのです。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-197977-198031"><seg source="#source-197977-197989">巨人の目</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-198035-198343">いま奇面城には、四十面相と美しい女の人のほかに、十人の部下がいるばかりです。そのうちの七人までいれかわってしまったのですから、ほんものの部下はたった三人です。どんなことがあっても負ける心配はありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-198343-198402">いよいよ、総攻撃のときがきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-198402-198575">ジャッキーと五郎は、またヘリコプターを飛ばして、ふもとの町へいき、そこでＴ警察の人たちと、うちあわせをしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-198575-198895">奇面城総攻撃は、あすの早朝ときまりました。東京の警視庁から中村警部がひきつれてきた九人の警官と、土地の警官隊四十人、あわせて五十人の警官隊が、山のふもとの四方から、奇面城めがけてのぼっていくことになったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-198895-199596">そんなおおげさなことをしなくても、ジャッキーと五郎と、五人のにせものの部下が、四十面相をとらえてしまえばよさそうに思われますが、あいては、なにしろ魔術師のような怪物ですから、どんな奥の手を用意しているかわかりません。奇面城の洞窟の中に、どんなしかけがしてあるかわかりません。それで、万にひとつも敵をとりにがさないように、五十人の警官隊で、奇面城をとりかこむことにしたのです。ジャッキーをはじめ七人のにせものが、内部からこれにおうじて働くことはいうまでもありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-199596-199643">さて、総攻撃の朝がきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-199643-200116">洞窟の奥のりっぱな寝室で眠っていた四十面相は、りりりりり……んという、けたたましいベルの音に目をさましました。四十面相は、ハッとしてベッドからとびだし、手ばやく金モールのかざりのついたビロードの服をきると、となりの美術室にかけこんで、そこの黄金のいすにこしかけました。そして、ベルをならして、部下をよぶのでした。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-200116-200199">入口のドアをひらいて、ジャッキーがはいってきました。</seg></p>
        <p>「およびですか。」</p>
        <p>「うん、非常ベルがなったのだ。ふもとに配置してある見はり番からの知らせだ。なにか一大事がおこったらしい。ひょっとしたら、警察の手がまわったかもしれない。いまに、ふもとから知らせにかけつけてくるだろうが、そのまえに、巨人の目からのぞいてみよう。きみもいっしょにくるがいい。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-200638-200922">四十面相は、そういって、どんどん部屋を出ていきます。ジャッキーも、そのあとを追いましたが、にせもののかなしさに、巨人の目とは、なんのことだか、それがどこにあるのか、さっぱりわかりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-200922-201071">金ぴかのビロードの服をきた四十面相は、洞窟の奥の小さなドアを、かぎでひらいて、中にはいりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-201071-201217">ジャッキーの知らない部屋でした。いつもかぎがかかっているので、まだ、はいったことがないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-201217-201414">そこは一坪ほどのせまい部屋で、いっぽうの岩かべに、鉄ばしごがとりつけてありました。ほとんどまっすぐにたった、小さな鉄ばしごです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-201414-201659">四十面相は、それをかけのぼっていきます。ジャッキーも、あとからつづきました。四メートルほどのぼると、岩のおどりばがあって、そこからまた鉄ばしごがつづいています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-201659-201910">はしごのまわりは、だんだんせまくなり、しまいには、人間ひとりやっと通れるほどの、岩のすきまになりましたが、鉄ばしごは、そこをまだまだ上のほうへ、つづいているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-201910-202212">ジャッキーは、四、五十メートルものぼったように感じました。すると、やっと行きどまりました。そこは、一坪もないようなせまい岩の部屋で、いっぽうに大きなまるい窓がひらいて、明るい光がさしこんでいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-202212-202406">その窓のよこの岩のたなの上に、大きな双眼鏡がのっています。四十面相は、それをとって目にあてると、まるい窓のそとをながめました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-202406-203146">ジャッキーも、その窓からのぞいて見ましたが、あまりの高さに、ぐらぐらッとめまいがしました。奇面城のまわりの森が、はるか遠くのほうへつづいています。すぐ下を見ると、広っぱにとまっているヘリコプターが、おもちゃのように小さく見えるのです。窓といっても、べつにガラス戸がはまっているわけではありません。ただ、さしわたし一メートルほどのまるい穴が、ぽっかりと、ひらいているだけなのです。うっかりすると、そこから下へ落ちそうです。目もくらむような高さですから、ここから落ちたら、むろん命はありません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-203146-203367">ああ、わかりました。このまるい窓は、奇面城の巨人のひとみだったのです。秘密のところだけ穴があいていて、遠方を見はらす物見の窓になっていたのです。</seg></p>
        <p>「あ、あすこへやってきた。三ばん見はり小屋の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-203433-203457"><rb>三吉</rb><rt>さんきち</rt></ruby>だな。なにか重大な知らせをもってきたのにちがいない。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-203540-203662">四十面相がそういって、いままでのぞいていた双眼鏡を、ジャッキーにわたしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-203662-203808">ジャッキーはそれを目にあてて、三吉という男が、森の中のほそ道を、かけあがってくるのを見ました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-203808-203951">警官のすがたは見えないかと、ほうぼうさがしましたが、まだ味方は、近くまできていないようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-203951-204100">三吉は、こちらを見あげて、手をふりました。巨人の目からのぞいているすがたを、見つけたのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-204100-204252">ジャッキーは、三吉のたちばになって、この巨人の目が、下からどんなふうに見えるかを想像してみました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-204252-204560">巨大な岩の顔の、巨大な目のひとみのなかに、双眼鏡を手にした四十面相の上半身が見えるのです。金ぴかのビロードの服をきた、どこかの国の王さまのような四十面相が、見えるのです。なんというふしぎな光景でしょう。</seg></p>
        <p>「よしッ、下へおりて、三吉の話を聞こう。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-204625-204804">四十面相は、そういって、鉄ばしごをおりはじめました。まっすぐに立ったはしごですから、おりるほうが、むずかしいのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-204804-204911">ふたりが、やっと下までおりたとき、そこへ三吉が、かけつけてきました。</seg></p>
        <p>「かしら、たいへんだ。警官隊が、四方からのぼってきます。ほかの見はり小屋からも、知らせがありました。ぜんたいでは五、六十人、ひょっとすると百人もいるかもしれません。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-205162-205218">三吉は、息をきらせて報告しました。</seg></p>
        <p>「やっぱり、そうだったか。よしッ、おまえたちは、みんな警官隊とたたかうのだ。ピストルは空にむけてうて、人を殺しちゃいけない。わかったか。おまえたち、一ばんから六ばんまでの見はり小屋の人数をあわせると、三十人はいるはずだ。山のことは、おまえたちのほうが、よく知っている。相手は、ふなれな町のやつらだ。うまく知恵をはたらかせて、くいとめるんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-205733-205804">四十面相は、そう命令して三吉をかえしました。</seg></p>
        <p>「さあ、ジャッキー、ヘリコプターだ。あれに乗って、もっと山おくへかくれるんだ。しっかりやってくれッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-205959-206221">四十面相とジャッキーは、洞窟の廊下をかけだして、あの深い谷にかかっている大岩のつり橋をわたり、巨人の顔のまえの広っぱにでました。ヘリコプターは、すぐむこうに見えています。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-206221-206281"><seg source="#source-206221-206236">最後の手段</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-206285-206473">四十面相とジャッキーとは、ヘリコプターの操縦室へ乗りこみました。このヘリコプターは、いつでも出発の用意ができているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-206473-206649">ジャッキーは、スターターのクラッチをいれました。ぶるんぶるんぶるん。エンジンが動き、プロペラがまわりはじめました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-206649-206834">しかし、なんだかへんです。エンジンの音が、いつもとちがっています。プロペラのまわりかたも、みょうにいきおいがないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-206834-207010">ジャッキーは機械にとりついて、一生懸命にやっていましたが、やがて、あきらめたように、エンジンをとめてしまいました。</seg></p>
        <p>「かしら、だめです。こしょうです。」</p>
        <p>「エッ、こしょうだって。どこがこしょうか、わかっているのか。」</p>
        <p>「わかってますが、きゅうにはなおりません。」</p>
        <p>「どのくらいかかるんだ。」</p>
        <p>「三時間はかかりますね。」</p>
        <p>「ちくしょうッ。しかたがない。おりよう。そして、べつのてだてを考えるんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-207427-207594">四十面相は、ヘリコプターからとびおりて、巨人の顔のほうへいそぎました。ジャッキーも、あとからついていきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-207594-207788">巨人の顔のくびのところに、いくつも岩あながならんでいますが、そのひとつが、奇面城の門番の、三びきの虎の部屋になっているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-207788-207967">べつに鉄棒がはめてあるわけではありません。四十面相や部下のものには、よくなれているので、はなしがいにしてあるのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-207967-208155">その虎の岩あなへはいってみますと、二ひきの大虎は、ぐったりと寝そべったまま、四十面相が声をかけても、しらん顔をしています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-208155-208400">いつかポケット小僧が助けてやった、あのかわいらしい子どもの虎だけが、かなしそうに、鼻をくんくんならしながら、二ひきの大虎のまわりを、ぐるぐるまわっているのです。</seg></p>
        <p>「眠っているのかな。いや、なんだかへんだぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-208471-208611">四十面相は、ふしぎそうにつぶやいて、大虎のそばに近づくと、そのからだに、さわってみました。</seg></p>
        <p>「アッ、つめたくなっている。死んでいるんだ。いったいどうして……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-208715-208888">いそいで、もう一ぴきのほうを、しらべましたが、これもつめたくなっています。数時間まえに、息がたえたらしいのです。</seg></p>
        <p>「病気ではない。病気で二ひきとも、いっぺんに死ぬなんてことは考えられない。鉄砲でうたれたのでもない。これもひょっとすると……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-209082-209168">四十面相は、しゃがんで、一ぴきの虎の口をしらべました。</seg></p>
        <p>「アッ、やっぱりそうだ。血だッ。血をはいている。毒をのまされたのにちがいない。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-209290-209400">二ひきとも、口と鼻から血をたらしていました。たしかに毒殺されたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-209400-209561">四十面相は、そこにつっ立ったまま、じっと腕ぐみをして考えていましたが、ハッとしたように目を光らせました。</seg></p>
        <p>「いったい、これはどうしたわけだ。だれかが虎を毒殺した。だが、おれの部下のほかに、ここへ近づいたものはないはずだ。ジャッキー、なんだか、気味のわるいことがおこったぞ。ゆだんはできない。いよいよ、さいごの手段をとるほかはないようだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-209911-210174">四十面相がそういって、岩あなのそとへでたとき、遠くのほうでピストルをうちあう音がとどろきました。警官隊と、四十面相の部下の見はり人たちとのたたかいが、はじまっているのです。</seg></p>
        <p>「ワアッ。ワアッ。」</p>
        <p><seg source="#source-210206-210418">という、おおぜいの声が聞こえてきます。そして、それが、だんだんこちらへ近づいてくるのです。どうも四十面相の部下たちの旗いろがわるいようです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そのとき四十面相が、「アッ。」といって、広っぱのむこうの森のほうを見つめました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-210543-210647">警官です。そこへ、ぽっつりと、制服警官のすがたがあらわれたのです。</seg></p>
        <p>「ワアッ……。」</p>
        <p><seg source="#source-210673-210819">という声がしたかとおもうと、四十面相の部下らしい男が、うしろからとびだして警官にくみつきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-210819-210935">警官は、パッと腰をおとし首をさげて、その男を、ドウッと前へなげつけました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-210935-211024">男はすぐにおきあがって、こんどは前からくみついてきます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-211024-211132">そして、ねじあっているうちに、ふたりいっしょにたおれ、くんずほぐれつの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-211132-211156"><rb>格闘</rb><rt>かくとう</rt></ruby><seg source="#source-211156-211179">になりました。</seg></p>
        <p>「アッ、いけない。あたらしい敵があらわれたぞ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-211253-211306">四十面相が、おもわず叫びました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-211306-211515">森の中から、もうひとり、制服の警官がとびだしてきたのです。そして、くみあってころがっている四十面相の部下の上に、のしかかっていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-211515-211646">とうとう、四十面相の部下は、ふたりの警官におさえられ、ぽかぽかと、なぐられています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-211646-211942">それを見ると、こちらの四十面相は、ヒョイとしゃがんで、そこに落ちていた石ころを、いくつか拾ったかとおもうと、じぶんの部下の上に、うまのりになっている警官にむかって、はっしとばかりなげつけました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">石は警官の肩にあたり、「アッ。」と叫んで、たおれそうになります。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-212043-212159">つづいて第二弾。ビュウッとうなって、もうひとりの警官のうでに命中しました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-212159-212326">警官たちは、やっと、こちらの敵に気がつきました。見ると、金モールのかざりのある王さまのような服をきています。</seg></p>
        <p>「さては、あいつが四十面相だな。」</p>
        <p><seg source="#source-212379-212504">と、さとったらしく、ふたりとも、おそろしいいきおいで、こちらへかけだしてきました。</seg></p>
        <p>「いけないッ、たいきゃくだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-212554-212718">四十面相は、手にのこっていた石ころを、警官の正面にたたきつけておいて、そのまま洞窟の入口へかけだしました。</seg></p>
        <p>「ジャッキー、はやく逃げるんだッ。そして、橋を落としてしまえッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-212819-212926">ジャッキーもかけだしました。洞窟にかけこんで、岩の橋をわたりました。</seg></p>
        <p>「さあ、この橋を落としてしまえッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-212982-213242">四十面相が叫びました。しかし、にせもののジャッキーは、どうすれば橋が落ちるのかわかりません。うろうろしていると、四十面相がたまりかねて、どこかのかくしボタンをおしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-213242-213283">ダダダダダダダダ……ン。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-213283-213414">耳もろうするばかりの大音響をたてて、あの大きな岩の橋が、谷そこへ落ちていったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-213414-213557">いざというときには、くさりがはずれて、大岩が、谷そこへ落ちる、しかけになっていたのでしょう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-213557-213727">谷は何十メートルともしれない深さです。そのはるか下に川が流れているらしく、ごうごうという水音が聞こえています。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-213727-214113">谷の幅は三メートル。走り幅とびの選手ならとびこせるかもしれませんが、ふつうの人には、とてもとべるものではありません。ちょっとでもまちがえば、深い谷そこに落ちて、命をうしなうことがわかっているのですから、選手だって、ここをとぶ気にはなれないかもしれません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-214113-214280">四十面相は、とうとうさいごの手段をとりました。洞窟の中とそととの連絡を、まったく、たちきってしまったのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-214280-214834">こうすれば、そとからせめこむことは、ぜったいにできませんから、いちおう安心ですが、そのかわり、四十面相と、あの美しい女の人と十人の部下は、洞窟の中にとじこめられて、いつまでもそとへ出ることができないのです。そのうちに、食糧がなくなってくるでしょう。しかし、どこからも、食糧をはこぶみちはありません。一月もしないうちに、みんな、うえ死にをしてしまうかもしれないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-214834-215048">にせのジャッキーや、五郎や、五人のにせものの部下や、ポケット小僧までも、四十面相と運命をともにして、うえ死にしなければならなのでしょうか。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-215048-215114"><seg source="#source-215048-215066">警察官の勝利</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-215118-215267">警官隊は、いくてにもわかれて、四十面相の部下たちとたたかいながら、奇面城めがけて進んできました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-215267-215653">総指揮官は警視庁の中村警部です。そのそばには、三名の警官がついていましたが、もうひとり、学生服の少年のすがたが見えます。明智探偵の助手の小林少年です。小林君は、すばしっこくとびまわって、中村警部の命令を、警官たちに伝えるやくめをひきうけているようでした。</seg></p>
        <p>「みんな、木の幹に、ひっくくってしまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-215718-215843">中村警部から命令がでました。警官たちが、大声で、つぎからつぎへとそれを伝えます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-215843-216136">警官のほうが、ばいにちかい人数ですから、ふたりでひとりをやっつければいいのです。四十面相の部下を、ひとりずつとらえて、用意のほそびきで、つぎからつぎと、てごろの木の幹にしばりつけていくのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-216136-216345">そして、一時間ほどたたかっているうちに、とうとう四十面相の三十人の部下ぜんぶを、森の中の幹にしばりつけてしまいました。警官隊の勝利です。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-216345-216602">五十人の警官たちは、どっと奇面城の前におしよせました。なかには負傷したものも数名ありましたが、そういう人たちは、友だちの警官が、肩にかつぐようにして、つれてきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-216602-216823">巨人の顔の下の入口に近づいていきますと、中からふたりの警官が、とびだしてきました。さいしょ四十面相を追っかけて、石をなげつけられた警官たちです。</seg></p>
        <p>「だめです。敵は橋を落としてしまいました。底も見えない深い谷にかかっている石の橋です。それを落としてしまったのです。われわれは奇面城の奥へはいることができません。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-217071-217142">とびだしてきた警官のひとりが、報告しました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-217142-217525">中村警部は、数名の警官をつれて、橋の落ちたところまで、はいってみました。いかにも、おそろしく深い谷です。はばは三メートルぐらいですが、のぞいてみると、下はまっ暗で、はるか底のほうから、ごうごうという水音が聞こえてきます。谷底には川がながれているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-217525-217644">中村警部は、しばらく考えていましたが、やがて、決心したようにうなずきました。</seg></p>
        <p>「よしッ、橋をかけるんだ。森の中のてごろの杉の木を二本きりたおして、枝をはらってここへ持ってくるんだ。長さはこの谷のはばの倍くらいあるほうがいい。六メートルぐらいの木をきってくるんだ。四十面相の部下のなかに、大きなまさかりをふりまわしていたやつがあったね。あのまさかりは、まだ森の中にほうりだしてあるはずだ。あれで木をきりたおせばよい。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-218153-218332">この命令が、洞窟のそとに伝えられ、警官隊のなかの十人あまりが、木をきりたおすために、森のほうへかけだしていきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 4em" rend="first-line-indent(4)"><seg source="#source-218332-218376">×　　　　×　　　　×</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-218376-218624">洞窟のおくには、四十面相が九人の部下にかこまれて、入口のほうを見ていました。あの美しい女の人は、どこかの部屋にかくれているのでしょう。ここにはすがたが見えません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-218624-218767">谷のところから十メートルもおくにいるのですが、中村警部の命令する声が、よく聞こえてきました。</seg></p>
        <p>「杉のまるたで、あそこへ、橋をかけるつもりらしいですね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-218856-218924">ジャッキーが、かしらの顔を見ていいました。</seg></p>
        <p>「うん、こっちは、それをふせぐんだ。物置に、まさかりがあったはずだ。あれを持ってきて、橋をかけようとしたら、たたき落としてしまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-219124-219273">四十面相が命令しました。五郎がいそいで物置へ走っていって、大きなまさかりをかつぎだしてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 4em" rend="first-line-indent(4)"><seg source="#source-219273-219317">×　　　　×　　　　×</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-219317-219517">三十分もすると、警官たちは六メートルほどの杉の木を二本たおして、枝をきりはらい、おおぜいでそれをかついで洞窟の中へやってきました。</seg></p>
        <p>「五、六人で、根もとのほうをしっかりもって、むこうがわへわたすんだ。二本わたせば、その上をはって通ることができる。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-219693-219869">中村警部のさしずで、一本の木に六人ずつの警官がとりついて、かけ声いさましく、谷のむこうがわへ、わたそうとしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 4em" rend="first-line-indent(4)"><seg source="#source-219869-219913">×　　　　×　　　　×</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-219913-219964">こちらは四十面相。いまにも二本の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-219964-219979"><rb>杉</rb><rt>すぎ</rt></ruby><seg source="#source-219979-220074">まるたがわたされそうになったので、いそいで命令をくだしました。</seg></p>
        <p>「さあ、いまだ。谷の岸までいって、まさかりで杉の木をたたき落とすのだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-220187-220345">ところが、それを聞いても、まさかりを持った五郎は、にやにや笑っているばかりで、動くようすがありません。</seg></p>
        <p>「おいッ、五郎、どうしたんだ。おまえ、警官のピストルがこわいのかッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-220452-220616">四十面相は、やっきとなって、どなりつけました。しかし、五郎は、あいかわらず、にやにや笑っているばかりです。</seg></p>
        <p>「それじゃ、ジャッキー、おまえがやれ。五郎、そのまさかりをジャッキーにわたすんだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-220747-220851">ジャッキーもへんじをしません。やっぱり、にやにや笑っているのです。</seg></p>
        <p>「ええ、いくじのないやつらだ。それじゃあ、おれがたたき落としてやる。さあ、まさかりをこっちへよこせ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-221006-221167">四十面相が、五郎のほうへ近よろうとしますと、その前へジャッキーが立ちふさがって、とおせんぼうをしました。</seg></p>
        <p>「こら、なにをするんだ。ジャッキー、おまえはまさか……。」</p>
        <p>「そうです。じゃまをするのです。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-221309-221410">ジャッキーが、うでぐみをして、四十面相をぐっとにらみつけました。</seg></p>
        <p>「エッ、なんだと。おれのじゃまをするというのかッ。きさま、おれの部下じゃないか。かしらにむかって、なんという口をきくのだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-221598-221717">ジャッキーは、なにもこたえないで、じっとこちらをにらみつけているばかりです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-221717-221881">四十面相は、ふしぎそうにジャッキーの顔を見つめていましたが、なにを思ったのか、サッと顔いろがかわりました。</seg></p>
        <p>「やっ、きさま、ジャッキーではないのだな。だれだッ。……もしや、もしや……。」</p>
        <p>「ハハハハ……、やっと気がついたね。そうだよ。ぼくは明智小五郎だ。四十面相、とうとう、ほんとうのかくれ家を見つけられてしまったねえ。」</p>
        <p>「おいッ、五郎。そのほかのやつらも、なにをぼんやりしているのだ。こいつは明智小五郎だぞ。なぜ、つかまえないのだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-222379-222474">四十面相は、まわりに立っている部下たちを、どなりつけました。</seg></p>
        <p>「ハハハハハ……。きみのほんとうの部下は、この中にふたりしかいやしないよ。あとはみんな警視庁の刑事諸君だ。変装のうまい刑事をよりすぐって、きみの部下といれかわってしまったのだよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-222746-222781">明智が説明しました。</seg></p>
        <p>「アッ、それじゃあ、五郎もにせものだなッ。きさまと五郎とで、ヘリコプターを飛ばせて、ふもとの町から、かえだまをつれてきたんだなッ。」</p>
        <p>「そのとおり。きょう、ヘリコプターを飛べないようにしておいたのもぼくだし、二ひきの虎を眠らせたのもぼくだよ。そうして、きみをつかまえる用意がすっかりできていたのだ。……おお、見たまえ。警官隊が、橋をかけて、こちらへわたってきた。四十面相！　きみはもう、どうすることもできないのだッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-223409-223473">明智が、とどめをさすように叫びました。</seg></p>
      </div>
      <div>
        <head n="2" source="#source-223473-223545"><seg source="#source-223473-223494">最後の切りふだ</seg></head>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-223549-223863">あの深い谷にわたされた二本の杉の木の上を、よつんばいになって、警官たちがつぎつぎとこちらへわたってきます。さきにたつ十人ほどは、もう谷のこちらがわに立って、ピストルをかまえながらしずかに近づいてくるのです。</seg></p>
        <p>「ちくしょう。よくも、おれをだましたな。だが、ほんとうの、おれの部下はどこにいるんだ。おれの味方は、どこにいるんだッ。」</p>
        <p>「ハハハハ……。ぼくたち、にせものは七人。ほんものは、たったふたりしかのこっていないのだ。とても、かないっこないと、そこのすみで、ぶるぶるふるえているよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-224281-224451">明智が指さしたすみっこに、四十面相のコックと、もうひとりの若い男が、青い顔をして、しょんぼりと立っていました。</seg></p>
        <p>「よしッ、いよいよ、おれの最後がきたようだな。おれは、血を見るのがきらいだが、こうなったらしかたがない。かくごしろッ。みな殺しだぞッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-224657-224824">四十面相は、いきなり右と左のズボンのポケットから、一ちょうずつピストルをとりだし、両手でそれをかまえました。</seg></p>
        <p>「さあ、ぶっぱなすぞッ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-224871-225146">カチッ、カチッと、両方のピストルのひきがねをひきました。どうしたわけか、たまが飛びだしません。また、カチッ、カチッ……カチッ、カチッ……。だめです。カチッ、カチッというばかりです。</seg></p>
        <p>「ハハハハ……。その二ちょうのピストルには、たまは一ぱつもはいっていないよ。ぼくが、ピストルのたまをぬくのをわすれているほど、うかつだと思うのかね。きみは、いつものぼくのやりくちをよく知っているはずじゃないか。ハハハハ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-225487-225576">それを聞くと、四十面相の顔が、むらさきいろになりました。</seg></p>
        <p>「ちくしょう。いよいよ、おれの力を見せるときがきたなッ。さあ、つかまえるならつかまえてみろッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-225722-225883">かれは、そう叫ぶと、二ちょうのピストルを、なげつけておいて、パッと走りだしました。おそろしいはやさです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-225883-226080">ジャッキーも五郎も、そのほかのにせの部下たちも、それから谷をわたってきた制服の警官たちも、四十面相のあとを追ってかけだしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-226080-226370">四十面相は、まずじぶんの部屋にとびこむと、あの美しい女の人の手をひいて、べつのドアからかけだし、奥へ奥へと走っていきます。女の人は白いスカートのすそをみだして、いまにもたおれそうに見えます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-226370-226612">廊下が枝みちになって、岩の階段が下へおりています。四十面相と女の人は、そこをかけおりました。岩のトンネルのようなところをとおって、八畳ぐらいの洞窟にでました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-226612-226899">明智探偵たちは、四十面相につづいて、その洞窟にはいりましたが、ここには電灯がついていないので、まっ暗です。みんなが懐中電灯をつけようかと思っていますと、洞窟の中が、パッと明るくなりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-226899-227273">空中にたいまつがもえているのです。赤いほのおが、めらめらとのぼって、洞窟の天井をなめています。それは、四十面相が、一本のたいまつに火をつけて、高くささげているのでした。白衣の女の人は、四十面相の左手にかかえられて、やっと立っているように見えます。</seg></p>
        <p>「明智先生、それから警視庁の先生たち、みんなそこへやってきたね。ワハハハハ……。いいか、よく見ろ。ここにたるが三つならんでいる。ほら、大きなたるが三つだ。この中に、なにがはいっていると思う。……火薬だよ。このたいまつをなげこめば、いちどに爆発するんだ。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">この部屋は、おれの美術室のま下なんだ。あそこにかざってある何億円の美術品が、こっぱみじんになるのだ。いや、そればかりではない。この岩の天井が落ちて、きみたちは、ひとりのこらず死んでしまうのだ。ワハハハハ……。ゆかい、ゆかい。どうだ、おれの最後の切りふだがわかったかッ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-228063-228245">四十面相は、きちがいのように笑いながら、手に持ったたいまつを、火薬のたるの上で、むちゃくちゃにふりまわしているのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-228245-228448">火の粉がたるの中へ落ちたら、たちまち爆発がおこるでしょう。そして洞窟そのものが、こっぱみじんになり、人間はみんな死んでしまうのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-228448-228474">そのときです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-228474-228581">闇のなかから、四十面相とはちがう、みょうな笑い声がひびいてきました。</seg></p>
        <p>「ワハハハハハハ……。ワハハハハ……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-228643-228777">それを聞くと、四十面相は、ギョッとしたように、キョロキョロと、あたりを見まわしました。</seg></p>
        <p>「やい、そこで笑っているのは、だれだッ？　なにがおかしいのだッ。」</p>
        <p>「ぼくだよ、明智だよ。きみのいきごみがあんまりおおげさなので、ついおかしくなったのさ。おい、ポケット君、もういいから、出てきたまえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-229081-229230">明智が呼びますと、三つならんだたるのうしろから、まっ黒な小人がチョコチョコとかけだしてきました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-229230-229301">明智は、その小さい黒んぼを、だくようにして、</seg></p>
        <p>「おお、ポケット小僧君。きみはあの三つのたるに、どういうことをしたか、いってごらん。」</p>
        <p>「先生、もう明智先生といってもいいのですね。ぼくは先生の命令で、ばけつに水をいっぱいいれてなんどもここへはこびました。そしてその水を、いっぱいになるまで、三つのたるにいれました。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-229704-229934">ポケット小僧のことばに、四十面相はハッとして、ふたのとってある三つのたるに、つぎつぎに手をいれてみました。どのたるも、火薬の上まで、水がいっぱいです。</seg></p>
        <p>「ワハハハ……。どうだね、火薬がこう水びたしになってしまっては、いくらたいまつをなげこんでも、パチッともいいやしないぜ、気のどくだが、きみの運のつきだよ。最後の切りふだがだめになってしまったのだから、あとは手錠をはめられるばかりだね。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-230290-230440">明智のことばが、おわるかおわらぬうちに、もえさかるたいまつが、パッと飛んできました。明智がとっさに</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-230440-230455"><rb>体</rb><rt>たい</rt></ruby><seg source="#source-230455-230568">をかわしたので、たいまつはうしろの岩かべにあたって、火ばなをちらしました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-230568-230741">たいまつのつぎにとびついてきたのは、人間のからだでした。四十面相が、うらみかさなる明智探偵に組ついてきたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-230741-230851">ふいをつかれて明智はたおれ、四十面相は、その上にうまのりになりました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-230851-231135">しかし、四十面相の味方は、かよわい女の人ひとり。明智のほうには、たくさんの警官がついています。四十面相は、一度はうまのりになったものの、すぐおしたおされて、手錠をはめられてしまいました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-231135-231350">手錠をはめたのは、警官たちのうしろからでてきた中村警部でした。そして、そのそばには、学生服の小林少年が、にこにこしながらつきそっていました。</seg></p>
        <p>「おお、中村君、小林もよくきてくれた。とうとう、四十面相をとらえることができたよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-231478-231582">明智探偵は、中村警部と小林少年に両手をのばして、あくしゅしました。</seg></p>
        <p>「小林さん、ぼくここにいるよ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-231632-231844">黒いシャツ、黒い手ぶくろ、黒いくつした、すっぽりかぶる黒い覆面、全身まっ黒な小人が、つかつかと小林少年の前に進んで、その手をにぎりました。</seg></p>
        <p>「おお、ポケット小僧、きみはえらいねえ。この奇面城を発見したのも、火薬に水をかけて、四十面相をこうさんさせたのも、みんなきみのてがらだからねえ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-232065-232184">小林少年はポケット小僧の手をにぎりかえして、さもなつかしそうにいうのでした。</seg></p>
        <p>「おれ、うれしくってたまらないよ。明智先生が四十面相に勝ったんだ。そして、四十面相がつかまってしまったんだ。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-232351-232458">ポケット小僧は、そこまでいうと、感きわまったように両手をあげました。</seg></p>
        <p>「明智先生、ばんざあい。小林団長、ばんざあい……。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-232538-232648">すると、小林少年も、目に涙をうかべながら、これにこたえて叫ぶのでした。</seg></p>
        <p>「少年探偵団、チンピラ隊、ばんざあい！」</p>
      </div>
    </body>
    <back>
      <div type="source">
        <note type="source-attribution" source="#source-232716-232949"><seg type="source-line">底本：「奇面城の秘密／夜光人間」江戸川乱歩推理文庫、講談社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1988（昭和63）年6月8日第1刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「少年クラブ」講談社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1958（昭和33）年1月号～12月号</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-232949-233262"><seg type="source-line">入力：sogo</seg><lb/><seg type="source-line">校正：茅宮君子</seg><lb/><seg type="source-line">2017年10月25日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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      </div>
      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-0">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-0">bouten_target_ambiguous</note>
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-1">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-2">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-2">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-3">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-3">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-4">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-4">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-5">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-5">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-6">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-6">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-7">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-7">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-8">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-8">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-9">{
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-9">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-10">{
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}</note>
      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-10">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-11">{
  "coordinate_system": "decoded_utf8",
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      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-11">bouten_target_ambiguous</note>
    </back>
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</TEI>