Soranoha

カン

カン

長谷川 伸

俳句をむかし少し許りやったことがあるのに、いまだに私は俳句がわからない。作家生活にはいってからはますます距離を感じた。そのくせ、さすがの私といえども、或る場合には俳句とその俳句の成る事情とが、戯曲とか小説とかで、到底企て及ばない光景を描いているのに頭をさげることが、時どきある。

紅葉山人の『煙霞療養』を読んで、判ったつもりでいたことが、実際に越佐地方をまわってみて、誤謬を発見して訂正したものがあった。その人がその後、再び越佐地方に赴いて、ゆくりなく聞いた媼翁の世間話から、かえって誤謬として訂正した、その訂正に、又誤謬を見出したという話を聞いたが、私などには到底そんな忠実も正直もない、随って他人の句をわかることが出来ないものはそのまま素通りしてしまっている。

吹飛ばす石は浅間の野分かな

雲雀より上にやすらふ峠かな

荒海や佐渡に横たふ天の川

旅をしただけに芭蕉のこの句は、自己流に解し満足しているが、もとより、その解しているとはカンの働きで、それとは科しな違うがおよそ私に於ては過去も現在も恐らくは将来も、頭から終いまですべてこれカンの働きに始り終るものとし、カンの利かなくなったとき、私の作家生活は死去を告げるものと信じている。

むかし俳句を少し許りやったときの先達は、山本蕗庵、庄司瓦全、伊藤御春たどの諸氏で尻馬にのせてもらった私は、俳諧の本など一冊も読んだことがなく、『猿蓑集』というものがあることすら知らなかった。それでも俳句会でちょいちょい入選し、故巌谷小波撰で首席にはいったことなどがある。そのころの句で今わかっているものは次の二句だけだ。

舷ふなばたに瓜ただよふや島近し

たそあるかみんな睡てゐる余寒哉

しかし、こんな句めいたものをつくるカンは、私のいうカンの働きに似て非なもので、正しくいえば、そういうことは単なる無鉄砲とか図々しさとかに入るもので、「正統カン」ではない。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆 別巻25 俳句」作品社
1993(平成5)年3月25日第1刷発行
1999(平成11)年11月20日第6刷発行
底本の親本:「長谷川伸全集 第一一巻」朝日新聞社
1972(昭和47)年1月
入力:門田裕志
校正:雪森
2014年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/056601_001726/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/056601_001726/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/056601_001726/

長谷川 伸「カン」(新字新仮名)、底本『日本の名随筆 別巻25 俳句』作品社、1993年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056601_001726, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite