Soranoha

正直者

しょうじきもの

国木田 独歩

見みたところ成程なるほど私わたくしは正直しやうぢきな人物じんぶつらしく思おもはれるでせう。たゞ正直しやうぢきなばかりでなく、人並ひとなみ變ちがつた偏物へんぶつらしくも見みえるでせう。

けれども私わたくしは決けつして正直しやうぢきな者ものではないのです。なまじ正直者しやうぢきものと他ひとから思おもはれたばかりに容易よういならぬ罪つみを今日こんにちまで成なし遂とげて生涯しやうがいの半なかばを送おくつて來きたのであります。

鏡かゞみに對むかへば私わたくしにも直すぐ私自身わたくしじしんの容貌ようばうが能よく解わかります。私わたくしの顏かほには角かどといふものがありません。冴さえた色いろがありません。眉毛まゆげが濃こく、頬鬚ほゝひげが多おほく、鼻はなが丸まるく、唇くちびるが厚あつく、そして何處どこかに間まの脱ぬけたところがあります。笑わらへば眥まなじりに深ふかい皺しわが寄よるのです。それが――淺あさましいことには――言いひ知しれぬ愛嬌あいけうになつて居ゐます。それに私わたくしは隨分ずゐぶん大おほきな方はうですから、何時いつも着物きものは裄ゆきの足たりないのを着きて太ふとい手てが武骨ぶこつに出でて居ゐるので一見いつけん素朴そぼくらしくも見みられるのであります。身體からだの小ちさい人ひとはチヨコマカと才さいはじけて、身體からだに重味おもみのないばかりか心こゝろの重味おもみまでが無ないやうに他ひとから推とられるものですが、身體からだの太ふとい男をとこは、馬鹿ばかでも惡黨あくたうでも横着者わうちやくものでも先まづ他ひとから重おもく思おもはれるのが普通ふつうで、私わたくしも其例そのれいには洩もれなかつたのであります。

口數くちかず多おほければ未まだしも、私わたくしは口無調法くちぶてうはふでした、けれども滔々たう〱と饒舌しやべれないかといふに左樣さうでもないのです。時ときに由よつては隨分ずゐぶん人並ひとなみの辯舌べんぜつは振ふるふのであります。唯々たゞ、(これが天稟うまれつきでせう、)大概たいがいの場合ばあひは他人ひとの言いふことのみ聞きいて、例れいの眥まなじりの皺しわを見みせるばかり、それで居ゐて他人ひとの言いふことは何なにもかも能よく解わかり、推測すゐそくもする、邪推じやすゐもする、裏表うらおもても知しつて居ゐるのであります。

私わたくしのやうな男をとこは世間せけんに隨分ずゐぶん見受みうけますが、皆みな其身そのみの置おかれた境遇きやうぐう、例たとへば昔むかしでいふ士農工商しのうこうしやうの境遇きやうぐうに居ゐて、それ〲面白おもしろい芝居しばゐを打うつて居ゐます。たゞ此種このしゆの人ひとは、(私わたくしも其一人そのひとり、)滅多めつたに其境遇そのきやうぐうから外そとには飛とび出だし得えないものであります、其その飛とび出だし得えないところに彼かれの重味おもみも着ついて、其その打うつ芝居しばゐが愈々いよ〱巧うまく當あたるのであります。

ところで私わたくしの境遇きやうぐうの低ひくいのと、それから私わたくしには或ある特別とくべつの天性うまれつきがあるのとで、私わたくしの演えんじて來きた芝居しばゐが誠まことに淺間あさましい、醜みにくいものとなつたのであります。或ある特別とくべつの天性うまれつきといふのは、今いまこゝで言いはないでも、後あとで段々だん〱に解わかつて來くるでせう。

しかし誤解ごかいをふせぐ爲ために一言ごんします、私わたくしは決けつして世よの中なかのこと悉こと〲く芝居しばゐと同おなじだといふ説せつを持もつて居ゐるのではありません。たゞ前まへに説ときました如ごとき、私共わたくしどものやうな性質せいしつを持もつて居ゐる連中れんぢゆうは、何處どこかに冷つめたいところがあつて、身みに迫せまつて來きた事柄ことがらをも、靜しづかに傍觀ばうくわんすることが出來できるのです、それですから極ごく眞面目まじめな、誠實せいじつな顏かほをしながら、而しかも克よく巧たくんで物事ものごとを處置しよちすることが出來できます。既すでに巧たくんで處置しよちするといへば、其處そこに芝居しばゐらしい趣おもむきがあるではありませんか。

さて、これから私わたくしの身みの上うへ噺ばなしを一ツ二ツお話はなしいたします。

私わたくしの父ちゝは古ふるい英學者えいがくしやで永年ながねん中學校ちゆうがくかうの教師けうしを務つとめて居ゐましたが、同窓どうさうの友ともともいふべき人々ひと〲は皆みな其その學まなび得えし新智識しんちしきを利用りようして社會しやくわい樞要すうえうの地位ちゐを占しめましたけれど、私わたくしの父ちゝのみは最初さいしよ語學ごがくの教師けうしとなつたぎり、終つひに其職以外そのしよくいぐわいに何事なにごとをも爲なし得えず、私わたくしの十二の春はるまで一教師けうしとして此世このよを送おくり、變則英語へんそくえいごの專賣者せんばいしやになつて生涯しやうがいを終をへました。

父ちゝの死しと共ともに私わたくしは全まつたくの孤兒みなしごとなりました、といふものは母はゝの顏かほを私わたくしは少すこしも知しりません。父ちゝは私わたくしの母はゝの亡なくなつて後のちは、始終しゞゆう妾めかけ同樣どうやうなものを置おいたばかりで、それも七人にん八人にんではなく、私わたくしの記憶きおくに存のこつて居ゐるばかりでも四人にんばかりあり、終つひに眞まことの家庭かていらしいものは作つくらなかつたのです。

何故なぜ父ちゝは、さる不倫ふりんなことをして居ゐたかといふ理由りいうは知しりません、けれども父ちゝの子こなる私わたくしの性質せいしつから推測すゐそくしますると、父ちゝは唯ただ肉慾にくよくの滿足まんぞくを得うるばかり女をんなを置おくことを知しつて、家庭かていなどのことには全然まるで心こゝろを動うごかさなかつたのだらうと思おもはれます。

私わたくしの知しつて居ゐる三四人にんの妾めかけに就ついても父ちゝは情愛じやうあいを以もつてこれを遇ぐうした樣子やうすは少すこしもありませんでした私わたくしは少すこしばかり酒さけを呑のみますが父ちゝは決けつして酒杯さかづきを手てにしたことなく、又また私わたくしよりも更さらに無口むくちで、家うちに居ゐてもたゞ茫然ぼんやりと火鉢ひばちに對むかつて煙草たばこを吹ふかして居ゐるか、それでなくば机つくゑに向むかつて英書えいしよを繙ひもといて居ゐるかで家中うちは常つねに寂寞ひつそりとして居ゐました。

それですから女中兼帶ぢよちゆうけんたいの妾めかけが來きても初はじめの中うちは父ちゝや私わたくしを對手あひてに饒舌しやべりますが、一月ひとつき二月ふたつきと經たつ中うちに何時いつしかこれも無言むごんの業げふに堪たへ得うるやうになつて了しまふのです。

冷寒つめたい空氣くうきと暗鬱あんうつな影かげとが常つねに立罩たちこめて居ゐる中なかに、私わたくしも亦また父ちゝと同おなじやうな性質せいしつで、別べつに悲かなしいとも辛苦つらいとも思おもはず生育おひたちました。それですから私わたくしは父ちゝの在ある前まへから既すでに孤兒同然みなしごどうぜんであつたのであります。

兄あにもなく弟おとゝもなく、頼たよりにすべき親戚しんせきもなく、十二歳さいの少年せうねんは父ちゝの死しと共ともに父ちゝの友ともなる某中學校なにがしちゆうがくかうの國語こくごの教師けうしの家うちに引取ひきとられました。教師けうしの姓せいは加藤かとう。其加藤そのかとうの言葉ことばに依よれば私わたくしを引取ひきとつたのは父ちゝが生前せいぜんの依頼いらいであつたさうです。

加藤かとうが私わたくしを親切しんせつにして呉くれたか如何どうだかといふことは別べつに言いふほどのこともありません。普通ふつうの學僕がくぼく同樣どうやうなことを仕しながら英語えいごの夜學校やがくかうに通かよひ、國語こくごの方はうは直接ちよくせつに加藤かとうから少すこしづゝ學まなんで居ゐましたが、孤獨こどくには慣なれて居ゐますから私わたくしの心持こゝろもちでは加藤かとうの待遇たいぐうに就ついて格別かくべつの感かんじを持もちませんでした。

『お前まへの父上おとつさんは至極しごく好人物かうじんぶつであつたが、惜をしいことに活動くわつどうといふものを仕しないで退居ひつこんでばかり居ゐなすツたから、折角せつかくの利器りきを懷いだきながら老おい朽くちて了しまはれた。お前まへは一ひとツウンと世よの中なかに飛とび出だして大おほいに活動くわつどうしなければ可いかん、學問がくもんが如何いくらあつても活動くわつどうといふことが無なければ今いまの世よは用もちゐられんじや。』加藤かとうは其細そのほそい眼めを光ひからして自分じぶんに向むかひ此言葉このことばを聞きかしたことは幾度いくどであるか知しれません。

なるほど左樣さうだ、加藤かとうの叔父をぢさんの言いはれる通とほりだと私わたくしも思おもはぬではないが、天稟うまれつきは爭あらそはれぬもので、重苦おもくるしい性質せいしつは言葉ことばの彈力だんりよくや、理想りさうの槓杆こうかんでは容易よういに動うごきませんでした。所謂いはゆる、なるがまゝに移うつつてゆく其境遇そのきやうぐうに處しよして唯ただ其日々々そのひ〱をじつくりと暮くらす、それが私わたくしの運命うんめいであつたのです。

十九の秋あき、加藤かとうは病やんで床とこに就つき、二十日ばかりで遂つひに此世このよを去さりました。六十七歳さいですから先まづ以もつて長命ちやうめいの方はうでせう。死しぬ少すこし前まへに私わたくしを枕許まくらもとに喚よんで、斯かういひました。――

『お前まへの父上おとつさんから私わたしの受取うけとつた金かねは四百圓ゑん足たらずであつた、家財かざいや書籍しよじやくを賣うつて二百圓ゑんばかり、都合つがふ六百圓ゑんに三十圓ゑん不足ふそくする金かねを私わたしがお前まへと一いつしよに預あづかつたのじや。父上おとつさんの頼たのみは此金このかねを食料しよくれうに、金かねの續つゞく間あひだお前まへを世話せわして呉くれとのことであつた、それでお前まへの十二の時ときから今年ことしまでザツと八年ねんの間あひだで、預あづかつた金かねは大概たいがい無なくなつて了しまつたが未まだ百圓ゑんばかり殘のこつて居ゐる勘定かんぢやうになる、それを今いまお前まへに此處こゝでお返かへしするから、お前まへは私わたしの死しんだ後あと、この金かねを持もつて獨立どくりつして見みるが可よからうと私わたしは思おもふのぢや。』

加藤かとうの言いふことは私わたくしに能よく飮のみこめました。要之つまり、加藤かとうの死しんだ後あと、私わたくしは百圓ゑんの金かねを持もつて、加藤かとうの家うちを出でてゆき、如何どうにもして獨立ひとりだちで世よの中なかを渡わたつて行ゆくことになつたのであります。それでも加藤かとうが私わたくしに百圓ゑんの金かねを渡わたすといふのが今いまから思おもふと不思議ふしぎで、實じついふとあの時とき、加藤かとうから一文もんなしで直すぐ立退たちのきを命めいぜられても私わたくしは文句もんくなしに其言葉そのことばに從したがひ、文句もんくのないばかりか、當然たうぜんのことゝ考かんがへて立退たちのいたのであらうと思おもはれます。ですから百圓ゑん受取うけとつた時ときは、眞實しんじつ私わたしはうれしう思おもひました。加藤かとうの死しんでから一週間しうかん經たつて、私わたくしは住すみなれた家うちを、別べつに大たいして悲かなしいとも思おもはず、出でてゆきました。

落着おちつく先さきは麹町區かうぢまちく某小學校なにがしせうがくかうの直すぐ近所きんじよにある下宿屋げしゆくやの一室ひとまです。私わたくしは加藤かとう生前せいぜんの世話せわで小學校せうがくかうの英語えいごの教師けうしになりましたので、月給げつきふは十圓ゑん、下宿料げしゆくれうが七圓ゑんですから差當さしあたり食くふには困こまりませんでした。

其頃そのころの私わたくしは今いまよりも丸顏まるがほの、可愛かあいい顏かほつきをして居ゐました上うへに、言葉ことばの少すくない、それで愛嬌あいけうもある少年せうねんでしたから、校長かうちやう初はじめ同僚どうれうからも可愛かあいがられ、下宿屋げしゆくやのおかみさんからも「澤村さはむらさん〱」とちやほやされました。大概たいがいのものは斯かうなると一寸ちよつと得意とくいになるものです。まして年としからいふと生意氣盛なまいきざかりですから、つひ言いはないでも可よい惡にくまれ口ぐちをたゝいたり、怒おこらんでも可よいことに顏かほを赤あかくして聲こゑを高たかめて見みたり、かりそめにも先生せんせいを鼻はなの先さきにぶら下さげて居ゐるものですが、私わたくしに限かぎつてそれがありません。何時いつも同おなじやうな顏かほをして下宿げしゆくを出でて、同おなじやうな風ふうで歸かへつて來くる、袴はかまを脱ぬぐと直すぐ疊たゝんで納しまふ、見みたところ實體じつていな感心かんしんな青年わかものであつたに違ちがひありません。

下宿屋げしゆくやのかみさんといふのは其そのころ四十四五でしたらう、年頃としごろの娘むすめと十四になる男をとこの子こと三人暮にんぐらしの後家ごけの内職ないしよくで、間數まかずは僅わづかに四個つ、それも立派りつぱな部屋へやは一間ひとまもないのです。娘むすめはおかみさんに似にて細面ほそおもての、色いろの蒼白あをじろい、病身びやうしんらしい子こでしたが、眼めは黒眼勝くろめがちのはつきりとしたのが、先まづ此子このこの特長とりえとでもいひませうか、其眼そのめで熟じつと人ひとの顏かほを見みて、暫しばらくして微かすかにほゝゑむのが此娘このこの癖くせでした。名なはおしんですから、私わたくしどもはしんちやんと呼よんで居ゐたのです。

おかみさんは輕薄けいはくな御世辭おせじも言いひませんが、下宿人げしゆくにんの誰たれにも親切しんせつであつたやうです。分わけても私わたくしを可愛かあいがつてくれて二月ふたつき三月みつき居ゐる中うちには親子おやこかと思おもはれるまでにしてくれました。けれど私わたくしは情なさけないことに、親子おやこの情じやうといふものを知しらない人間にんげんですから、うれしいとは思おもひましたが、たいして感動かんどうもしなかつたのです。

人ひとの心こゝろほど奇態きたいなものはありません。それほどの親切しんせつに對たいして私わたくしが感動かんどうもせず、初はじめて下宿げしゆくに來きた時ときと少すこしも變かはらぬ態度たいどを保たもつて居ゐましたので、おかみさんの心こゝろは益々ます〱動うごき、愈々いよ〱私わたくしに感心かんしんして、私わたくしをば又またとない正直しやうぢきな、温順をんじゆんな謙遜けんそんな青年わかものだと全然すつかり信仰しんかうして了しまつたのです。

娘むすめのおしんも同おなじことで、母はゝのやうに口くちこそ餘あまり出だして言いひませんが、私わたくしを信仰しんかうする熱度ねつどは母はゝと少すこしも變かはらぬことが其擧動そのそぶりで私わたくしには能よく解わかつて居ゐました。

今いまから思おもひますと、眞實ほんたうに正直しやうぢきな、温順をんじゆんな、謙遜けんそんな人ひとといふは無論むろん、此私このわたくしではなく、此娘このむすめでありました。私わたくしはおしんをば完全無缺くわんぜんむけつの人間にんげんとは思おもひませんが、少すくなくとも女をんなとして彼あの位くらゐなのは餘あまり類るゐがないと今いまでは信しんじて居ゐるのであります。ひとつは健康けんかうのすぐれないためでもありませうが、おしんの起居振舞たちゐふるまひから言葉ことばから、こゝろばせまでが如何いかにも穩おだやかで、おつとりとした中うちに情深なさけぶかいやうなところがありました。

年としは二ふたつ違ちがひで、先まづ同年輩どうねんぱいですが、私わたくしは年としよりもふけて見みえる方はう、おしんは小供こどもらしいところがあつて、二ふたツも若わかく思おもはれるはうでしたから、おしんの私わたくしに對たいする心持こゝろもちは母はゝと同おなじながら、其そのうちに何處どこかあまへるやうな風ふうもあつたのであります。

私わたくしが一人ひとり部屋へやにすつこんで居ゐると能よく遊あそびに參まゐりまして色々いろ〱な話はなしをして事ことによると夜よを更ふかすこともありましたが、そんなこんなの例れいを申まうせば或晩あるばんのことです、

『あなたの親父とうさまはどんな方かたで厶ございました、』とおしんが訊ききましたから、

『どんな人ひとツて別べつに言いひやうもないが、大變たいへん煙草たばこが好すきでした。』

『きつと好いい方かたでしたらうねえ。』

『何故どうして?』

『だツて貴樣あなたの親父とうさまですもの。』

又また或時あるときのことです、おしんは私わたくしが謝絶ことわるのを無理むりに私わたくしの衣服きものを疊たゝみながら

『貴樣あなたは他ひとから話はなしかけないと、めつたにお口くちをきゝませんねえ。』

『さうですか、自分じぶんではそんな積つもりもないのだが。』

『でも母はゝもさう申まうして居ゐますよ。』

『さうですか、それではこれから氣きをつけませう。』

『あら、別段べつだん惡わるいと申まうしたのでは厶ございませんわ。』

『イヽヱ、そんなことは善よくないことです。私わたくしの父ちゝなど始終しゞゆう默だまつて居ゐて、碌ろくに私わたしにも口くちをきかないで死しんで了しまひました。』

『でも必定きつとお心こゝろは優やさしい方かたでしたらうよ。なんでも宅うちの父上とうさまのやうであつたらうツて、母はゝが申まうして居ゐました。』

『あなたの父上とうさまはどんな方かたです。』

『口數くちかずはきゝませんが、何時いつでもにこ〱して居ゐて母はゝでも私わたくしでもめつたに叱しかるなんぞいふことは厶ございませんでした。』

『私わたくしの父ちゝはにこ〱したことは厶ございません。』

『まア、それでは可恐こはい方かたでしたの。』

『別べつに可恐こはくもありません、たゞ默だまつて居ゐるばかりで小言こゞとも言いひませんから。』

『母上おつかさんは如何どうでした――さう〱貴樣あなたは母上おつかさんは御存ごぞんじないのですねえ、』と言いつておしんは暫しばらく默だまつて居ゐましたが、何なんと考かんがへたか、

『貴樣あなた宅うちの母はゝを如何どう思おもつて居ゐらつしやいます?』と訊ききました。

『優やさしい方かたと思おもつて居ゐます。眞實ほんとの母はゝのやうに思おもひます。』

『あら、うれしいこと、母はゝが聽きいたら如何どんなによろこびませう。』

先まづ斯かういふ風ふうでしたが、おしんは矢張やはり年頃としごろの娘むすめです、母はゝと同おなじ親切しんせつな心こゝろばかりではすみません、月日つきひの經たつと共ともに、親切以上しんせついじやうの心こゝろで私わたくしに近ちかづくのが私わたくしにも解わかるやうになりました。母親はゝおやも心こゝろづいて居ゐたには違ちがひないですが、如何どういふものか、それを少すこしも氣きにしないばかりか、娘むすめと一いつしよになつて益々ます〱私わたくしを可愛かあいがつてくれました。さてそれなら私わたくしはおしんを如何どう思おもひましたかと言いふと、おしんの情じやうの十分ぶんの一も私わたくしにはありませんでした、そんなら私わたくしはおしんを冷ひやゝかに扱あつかつたかと言いふとさうではありません、おしんの思おもふまゝ思おもはせ、するがまゝにさせて置おきました。

そして其その結果けつくわは如何どうでせう!、忘わすれもしません二月ぐわつ十五日にちの夜よのことです。夜よの十二時じ過すぎでした。下宿人げしゆくにんは勿論もちろん、母はゝも男をとこの子こも皆みな寢ねて了しまつて家いへの内うちはシンとして居ゐましたが、外そとはドン〱雪ゆきが降ふりそれに風かぜが出でて雨戸あまどをうつ雪ゆきの音おとサラ〱と折をり節ふし聞きこえて居ゐました。おしんは九時じごろから私わたくしの部屋へやに來きてゐたのですが、十二時じ打うつて何分なんぷんか經たちまして部屋へやを出でてゆく時とき、

『よう厶ございますか、必定きつと二三日にち中うちに母上おつかさんに言いつて頂戴ちやうだいよ、母上おつかさんは二ふたつ返事へんじで承知しようちしますから、ね、必定きつと言いつて頂戴ちやうだいよ、』と繰返くりかへして言いひました。その時ときのおしんの顏かほは今いまでも忘わすれません。

この晩ばんから私わたくしとおしんは母親はゝおやの眼めをも忍しのぶ仲なかとなりまして、おしんは望のぞみを達たつしたといふ滿足まんぞくの樣子やうすの外ほかに、深ふかい決心けつしんと、かすかながらも言いひ知しれぬ恐怖おそれとで、小供こどものやうに笑わらふ時ときがあるかと思おもへば、蒼あをい顏かほをして吐息といきをついて居ゐる時ときもあり、そして私わたくしの樣子やうすは以前いぜんと少すこしも變かはらんのであります。たゞ竊ひそかに願ねがつて居ゐた慾望よくばう、おしんの身體からだが自分じぶんの身體からだに近ちかづく毎ごとに愈々いよ〱つのる慾望よくばう、後のちには機會をりがあつたらとまで熱中ねつちゆうして居ゐた慾望よくばうが達たつせられたので大おほきに滿足まんぞくしましたが、心こゝろの平穩へいをんなることは以前いぜんの通とほりで自然しぜん變かはつた樣子やうすが顏かほにも擧動きよどうにも現あらはれなかつたのであります。

おしんは身みも魂たましひも私わたくしにゆだねて了しまひました。私わたくしを愛あいし私わたくしを信しんじて少すこしも疑うたがはないのです。それですから、早はやく母親はゝおやに打明うちあけて結婚けつこんを申込まうしこんでくれろと言いひましても、私わたくしがまア〱私わたくしにまかして置おけと申まうせば、それで安やすんじて居ゐたのです。

私わたくしが前まへに、自分じぶんに特別とくべつの天性うまれつきがあると申まうしたのは肉慾にくよくのことです。私わたくしのやうな物ものに偏かたよらず。冷ひややかに、其傍そのかたはらを素通すどほりしてゆくことの出來できる男をとこが、男女なんによの慾よくとなると前後ぜんごを顧かへりみることが出來できませんでした。それですからおしんの操みさをを一度ひとたび破やぶりました以後いごは、おしんの好このむ好このまぬに關かゝはらず、母親はゝおやの目めも同宿どうしゆくの者ものの眼めもくらまし得うるかぎり、此慾このよくを滿みたしました。それをおしんは私わたくしの愛情あいじやうの猛烈まうれつなためだと解かいして居ゐたのです。

それで私わたくしは結婚けつこんの積つもりがないかといふに、さうでもないのです。いつそ結婚けつこんして了しまはうかと思おもつたことも有ありましたが、どうもそれをおかみさんに打出うちだしていふ決心けつしんは起おこりませんでした。言いへばおかみさんは大おほよろこびで承知しようちすることも知しつては居ゐましたけれども、ぐづ〱で二月ふたつきばかり經たちました。

ところが四月ぐわつの末すゑのことです、其日そのひは日曜にちえうで私わたくしは同僚どうれうの一人ひとりから是非ぜひ遊あそびに來こいと招まねかれまして、宿やどに歸かへつたのは夜よの八時じごろでした、部屋へやに入はひるとおしんが其處そこに坐すわつて居ゐましたが私わたくしの顏かほを見みるや直すぐ突伏つゝぷして了しまつたので、流石さすがの私わたくしも胸むねがドキリしました、急いそいで傍そばに坐すわり、

『如何どうしたの、え、如何どうしたの。』

見みればおしんは泣ないて居ゐるのです。『え、如何どうしたといふに、しんちやんやコラしんちやん?』

『だつてね、母上おつかさんが餘あんまりなことを言いふのですもの、』といひながら擧あげた顏かほを見みますと、なるほど涙なみだは出でて居ゐるけれど泣ないて居ゐるのか、笑わらつて居ゐるのか判わからないのです。これで私わたくしも少すこしは胸むねが落着おちつきましたから

『何なんて言いつたの母上おつかさんが。』

『何なんとつて別べつに判然はつきりしたことは言いひませんけれど、何なんだか二人ふたりのことを母上おつかさんは感付かんづいて居ゐるらしいことよ。』

『それで何なんとか言いつて。』

『お前まへどうする氣きかとだしぬけに聞ききますから、どうするツて何なにを、と言いひましたら、母上おつかさんにだけは明亮はつきり言いつておくれお前まへは澤村さはむらさんと約束やくそくでも仕したのではないかと言いひますから、私わたくしはたゞ默だまつて居ゐたのよ。さうすると母上おつかさんが、女をんなといふものは操みさをが大事だいじだとか何なんとか色々いろ〱なことを言いふのですよ。私わたくし悲かなしくなつて泣なきだしたの。さうするとね、母上おつかさんが、若もしお前まへが澤村さはむらさんの妻つまになる氣きなら私わたしも決けつして否いなやは言いはない、澤村さはむらさんなら私わたしも氣きに入いつて居ゐるのだからお前まへの決心けつしんさへちやんと打明うちあけて呉くれゝば私わたしから今夜こんやにでも澤村さはむらさんと相談さうだんするが如何どうかと申まうしますのよ。私わたくしもそんならさうして頂戴ちやうだいと言いはうかと思おもつたけれど、若もしね、だしぬけに母上おつかさんが貴樣あなたにそんなことを言いひだしたら、貴樣あなたに考かんがへがあつて其それとぶつかるといけないと思おもひましたから、何なんと言いつて可いいか分わからなくなつたから默だまつて居ゐました、さうすると母上おつかさんが默だまつて了しまひましたから、私わたくし尚なほ悲かなしくなつて泣ないて居ゐましたのよ。けれどもね、何なんとか言いはないと惡わるいと思おもひましたから、それじやア母上おつかさん何卒どうか貴女あなたから澤村さはむらさんに聞きいて見みて下くださいと頼たのみましたの。けれども其前そのまへに私わたくしから一寸ちよつと澤村さはむらさんに言いうて見みますから其後そのあとにして下くださいと言いひましたのよ。それじやアまアお前まへの可よいやうになさいと母上おつかさんは何なんだか機嫌きげんの惡わるいのよ。だから私わたしも直すぐお部屋へやへ來きて先刻さつきから待まつて居ゐましたの。』

斯かう言いはれて私わたくしはすつかり當惑たうわくして了しまつたのです。これが當前あたりまへの方かたなら、「ウンよろしい、それなら私わたくしから直すぐ母上おつかさんに相談さうだんしやう」と決心けつしんするところですけれど、私わたくしには其決心そのけつしんが出でないのです。私わたくしの性質せいしつとして、かういふ場合ばあひに直すぐ熱ねつすることが出來できないのです。

『それは困こまつた、』と口くちを衝ついて出でるかといふに、さうでもないのです。

『それでは母上おつかさんが今いまに何なんとか相談さうだんに來くるでせう、其時そのときよく相談さうだんすれば可いい、』と靜しづかに言いつて火鉢ひばちにもたれて涙なみだの痕あとをハンケチで拭ふいて居ゐるおしんの背せなかを撫なでました。すると例れいの慾情よくじやうが燃もえあがりましたから我知われしらずおしんに摩寄すりよりました。何なんと淺間あさましい人間にんげんではありませんか。

其そのトタンにすツと障子しやうじを開あけて入はひつて來きたのが母上おつかさんです(其頃そのころ私わたくしはおかみさんと呼よばず母上おつかさんと言いつて居ゐました他たの下宿人げしゆくにんの一人ひとり二人ふたりもさう呼よんで居ゐたのです)

おしんの來きて居ゐる時とき、母上おつかさんの來くることは此この二三ヶ月げつ殆ほとんど無ないことですから私わたくしは喫驚びつくりしておしんの傍そばを飛退とびのきました。おしんは起たつて外そとに出でてゆきました。其そのあとに母上おつかさんは坐すわりましたから、私わたくしも其その向むかふに坐すわり、二人ふたりの仲なかには「仲には」はママ小ちひさな長火鉢ながひばちがあるのです。

『私わたし少すこし御相談ごさうだんがあるのですが、』と先方むかふは直すぐ切きりだしました、そして力つとめて話はなしを眞面目まじめにしやうとする樣子やうすですが、やはり言いい惡にくいと見みえて笑わらひを含ふくんで居ゐるのです。

『ハア、』と言いつたきり私わたくしは何なんとも言葉ことばが出でません。

『大概たいがいお察さつしでも厶ございませうが。それで貴樣あなたのお心持こゝろもちは如何どうでせうか、それを一應おう承うけたまはりませんとね、私わたしも心配しんぱいでなりませんから。』

『イヽえ、最早もう僕ぼくには如何どうといふ意見いけんもないのですから、母上おつかさんのお心持こゝろもち一ひとつで……』

『それでは私わたしにも別べつに否應いやおうはないので厶ございます。あんなものでも貴樣あなたが生涯しやうがい連つれ添そつて下くださるといふことなら、私わたしも貴樣あなたの御人物ごじんぶつは承知しようちして何時いつも感心かんしんして居ゐますのですから何なによりだとよろこびます。』

『なに僕ぼくのやうな男をとこが……』

『それでは急きふに話はなしを決きめませうでは厶ございませんか、それでないと、それでないと、まア貴樣あなたに限かぎつて萬々ばん〱そんなことはありませんけれども、若わかいもの同志どうしのことですから世間せけんでは又また何なんと申まうすか分わかりませんし、さうすると貴樣あなたの學校がくかうの方はうも何なんですから……』

『さうです〱、だから僕ぼくも何なんです、その一應おうその校長かうちやうに丈だけは打明うちあけて相談さうだんして置おかうと思おもひますから……』

『それは何いいお考かんがへです、校長かうちやうさんにお話はなしになりまして、校長かうちやうさんが表面おもてむき仲なかに立たつてくだされば何なによりで厶ございます、』とこれで相談さうだんは決定きまつたのです。

母はゝは事ことの成行なりゆきを少すこしも疑うたがひませんので、校長かうちやうに相談さうだんすれば萬事ばんじ好結果かうけつくわと呑のみこんで了しまつたのです。私わたくしが校長かうちやうに相談さうだんすると言いつたのは一方ぱうの血路けつろを開ひらいて置おいたのです。私わたくしのやうな正直者しやうぢきものは何時いつも波なみに流ながされながら波なみに乘のつて居ゐるのです。

母上おつかさんが自分じぶんの居間ゐま(私わたくしは一室ましかない二階にかいに居ゐました)に歸かへつてゆくや私わたくしはごろり寢ねころんで二十分ぷんばかり茫然ぼんやりして居ゐましたが、其間そのあひだ何なにも考かんがへがないので、たゞぼんやりと天井てんじやうを眺ながめてまじ〱と眼瞼まぶたを動うごかして居ゐたばかりです。けれども今一度もいちどおしんが來くるだらうと待まつて居ゐたのです。來きさうもないから床とこをのべて寢ねてしまひました。

翌朝よくあさおしんが來きて部屋へやを片附かたづけて呉くれましたが、すつかり妻つまといふ擧動こなしです。眼めだけで物ものを言いつて、口數くちかずは多おほく聞ききません、袴はかまの皺しわなどを直なほしてくれて、私わたくしの出でてゆく時とき、ちひさな聲こゑで

『それでは今日けふ校長かうちやうさんに相談さうだんして下くださいな、』と言いひました、其聲そのこゑ、其調子そのてうし、少すこしも疑うたがはないのです相談さうだんといふのはたゞ一通とほり話はなして置おく丈だけのことゝ初はじめから決きめて居ゐるのでした。

授業じゆげふが終すむと私わたくしは校長かうちやうに少すこし相談さうだんがあるからと、一室いつしつに連つれ込こんで、結婚けつこんの一條でうを話はなしました。けれど勿論もちろん私わたくしとおしんの關係くわんけいは言いひません、たゞ手短てみじかに下宿屋げしゆくやの女主人ぢよしゆじんから娘むすめを貰もらつて呉くれろと言いはれて居ゐるが如何どうしたものだらうと持込もちこんだだけです。これが他ほかのものなら直すぐ校長かうちやうに娘むすめとの關係くわんけいを疑うたがはれるのですが、私わたくしは信用しんようされて居ゐるから校長かうちやうも平氣へいきなもので、

『君きみは結婚けつこんする氣きかね、』と聞ききました、先まづ。

『私わたくしは如何どうでも可よいと思おもふのです、だから貴下あなたの御意見ごいけんを伺うかがひますので、』と私わたくしも平氣へいきな顏かほでいひました。

『まア不贊成ふさんせいだねえ、早はやいよ、せめて二十五六になればだが君きみは丁年ていねんにすら足たりないのだからねえ、尤もつとも君きみは二十五六の者ものでも及およばぬ確固しつかりしたところのある人ひとだけれど、矢張やはり年としは年としだからねえ。』

『兔とも角かく校長かうちやうに相談さうだんしてと先方むかふには申まうして置おきましたのですから……』

『宜よろしい、それぢやア私わたしから謝絶ことわつて上あげませう、』と校長かうちやうの言葉ことばは頗すこぶる手輕てがるいのです。

『けれど隨分ずゐぶん先方むかふでは熱心ねつしんなのですから唯ただ謝絶ことわるわけにも參まゐらんやうですが。』

『おかみさんが全然すつかり君きみにほれこんで居ゐると聞きいたが愈々いよ〱事ことが持上もちあがつたね。まア待まち給たまへ妙案めうあんがあるだらう、』と校長かうちやうは笑味ゑみを含ふくんで考かんがへて居ゐましたが

『妙案めうあんがある〱、君きみ今日けふ歸かへつて斯かういひ給たまへ、校長かうちやうに相談さうだんしたら可よからうと贊成さんせいしたが、然しかし校長かうちやうの言いふには下宿屋げしゆくやに居ゐて下宿げしゆくの「下宿の」はママ娘むすめと結婚けつこんするのは不味まづい、それよりか其處そこを出でて校長かうちやうの宅うちに當分たうぶん厄介やくかいになる、そして一月ひとつきも經たつたところで校長かうちやうからお前まへさんのところの娘むすめを澤村さはむらにくれんかと斯かう相談さうだんを持もちこむ、さうすれば、人目ひとめもよし、勿論もちろん儀式ぎしきにも適かなふし、さうし給たまへと親切しんせつに言いつてくれたから其議そのぎに從したがはふと思おもふ、斯かう言いひ給たまへ。それならおかみさんも最もつともだと思おもふに違ちがひない。其處そこで君きみは直すぐ私わたしの宅うちに移轉ひつこし給たまへ。狹せまいけれど玄關げんくわんの三疊でふに弟おとゝが居ゐる、當分たうぶんあれと同居どうきよするサ。それで君きみは今後こんご下宿屋げしゆくやに立寄たちよらんやうにする、一月つきも經たつたところで私わたしから理窟りくつをつけて破談はだんを申込まうしこめば先方むかふだつて文句もんくはなしそれなりで君きみの身みの方かたがつくといふものだ、これだ〱、此妙案このめうあんしか外ほかにあるまい。』

私わたくしは其意そのいを奉ほうじて下宿屋げしゆくやに歸かへりました。そして校長かうちやうの妙案めうあんを持出もちだしますと、母上おつかさんは大おほよろこびです、おしんは鬱ふさいで居ゐましたが別べつに否いやとも言いふことが出來できません。其晩そのばんおしんは十二時じ過すぎまで私わたくしの室へやに居ゐましたが、其そのいじらしい風ふうは今いまも私わたくしの目めに殘のこつて居ゐます。繰返くりかへして、どうか一月ひとつきと言いはず一時いつときも早はやく一緒いつしよになつてくれろといひました。そして私わたくしが一月ひとつきの間あひだは遊あそびにも來こないやうにするからと申まうしましたら、それでは九段くだんの公園こうゑんあたりで時々とき〲會あつてくれろといひますから私わたくしもそれは承知しようちしたのであります。

校長かうちやうの宅うちに移うつつてから一月ひとつき經たちました。私わたくしは一度ども下宿屋げしゆくやには行ゆきませんでした。けれどもおしんとは四度たび媾曳あひゞきしました。最後さいごのとき、おしんは

『それでは明日あしたですよ、きつと明日あしたですよ。若もし明日あした校長かうちやうさんが來きて呉くれないなら貴郎あなたでも可いいから來きて下くださいよ、』と言いつて、いそ〱して私わたくしと別わかれました。

おしんの望通のぞみどほり、其翌日そのよくじつ校長かうちやうは下宿屋げしゆくやを訪たづねました。私わたくしは如何どうなることかと、ない〱大心配おほしんぱいで待まつて居ゐたのです。事ことによるとおしんとの關係くわんけいが全然すつかりばれて了しまひはせんかと、心配しんぱいはそれのみでした。間まもなく校長かうちやうは歸宅かへつて來きました。

『案外あんぐわい話はなしが早はやく着ついた。君きみ、あのおかみさんなか〱解わかつて居ゐるなア、』と、これを聞きいて私わたくしはほつと呼吸いきを吐つきました。

『如何どうでした、おかみさん何なんとか申まうしませんでしたか。』

『何なに、何なにを言いふものか。私わたしがこれ〱で結婚けつこんはまだ早はやいし、それに澤村さはむらには未まだ勉強べんきやうがさせたいからイヤといふ氣きはないけれど、先まづ當分たうぶん見合みあはせてもらひたい、縁えんがあれば何年なんねんか先さきのことだが、何時いつのことかそれも分わからぬから娘むすめさんは良縁りやうえんのあり次第しだい何時いつでも嫁よめにやられたら可よからうと言いつただけサ。それでもとは言いへないじやアないか。』

『娘むすめが傍そばに居ゐましたか。』

『イヤ私わたしが入はひつたら直すぐ二階にかいへ上あがつて了しまつた。』

『おかみさん何なんと申まうしました。』

『だから今いまいつたやうに私わたしが言いふと、顏色かほいろを變かへて居ゐたが、私わたくしももとは判事はんじの妻つまです。無理むりにとは申まうしません。何卒どうか澤村さはむらさんに宜よろしく仰おつしやつて下くださいだつて。判事はんじの後家ごけさんとは知しらなかつた。君きみあれはなか〱確固しつかりものだぜ。』

『それから娘むすめを御覽ごらんになりましたかお歸かへりに。』

『イヽヤ見みない。二階にかいで待まつて居ゐたのサ。可哀かあいさうに。』

その後ご私わたくしも二度にどとおしんには遇あひません。破談後はだんご一週間しうかん經たつて、私わたくしは夜よるそつと下宿屋げしゆくやの前まへを通とほりましたら戸とが閉しまつて、「かしや」の札ふだが闇やみの中うちを薄うすく張はつてあるのを見みましたばかりです。

正直者しやうぢきものの仕事しごとの一ひとつがこれです。いづれ其中そのうち、外ほかのをもお話はなしいたしませう。

底本 / Source edition

底本:「定本 國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社
1964(昭和39)年10月30日初版発行
1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
1984(昭和59)年1月20日第10刷発行
底本の親本:「獨歩集」近事畫報社
1905(明治38)年7月26日
初出:「新著文藝 第一卷第四號」弘文社
1903(明治36)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「イヽヱ」と「イヽえ」、「少《すこし》」と「少《すこ》し」、「就《つい》て」と「就《つ》いて」、「母上《おつかさん》」と「母上《おつか》さん」、「言《い》つて」と「言《いつ》て」、「呼《よ》んで」と「呼《よん》で」、「考《かんがへ》」と「考《かんが》へ」、「考《かん》がへて」と「考《かんが》へて」、「繰返《くりかへ》して」と「繰返《くりか》へして」の混在は、底本通りです。
※「私」に対するルビの「わたし」と「わたくし」、「父上」に対するルビの「おとつさん」と「とうさま」の混在は、底本通りです。
入力:葛西重夫
校正:Masaki
2024年5月27日作成
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リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/056506_000038/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/056506_000038/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/056506_000038/

国木田 独歩「正直者」(旧字旧仮名)、底本『定本 國木田獨歩全集 第三卷』学習研究社、1964年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056506_000038, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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