## 一

<ruby><rb>義経</rb><rt>よしつね</rt></ruby>はもろ肌を脱いで、<ruby><rb>小冠者</rb><rt>こかんじゃ</rt></ruby>に、背なかの<ruby><rb>灸</rb><rt>きゅう</rt></ruby>をすえさせていた。

やや離れて、広縁をうしろにし、じっと、<ruby><rb>先刻</rb><rt>さっき</rt></ruby>から手をつかえているのは、<ruby><rb>夫人</rb><rt>おくがた</rt></ruby>の<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>の<ruby><rb>前</rb><rt>まえ</rt></ruby>であった。

八月の真昼である。

六条<ruby><rb>室町</rb><rt>むろまち</rt></ruby>の町中とは思えぬほど、<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>は木々に囲まれている。照り映える青葉の色と匂いに室内も染りそうだった。

――が、<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>にとって、気になるのは、二十九という良人の若い肉体まで、そのせいか<ruby><rb>翡翠</rb><rt>ひすい</rt></ruby>を<ruby><rb>削</rb><rt>けず</rt></ruby>ったように<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>く見えることだった。

「…………」

<ruby><rb>蝉</rb><rt>せみ</rt></ruby>の声ばかりであった。小冠者は細心に、主君の肌へ火を点じていた。

義経は、熱いともいわず、身もだえ一つしなかった。けれど、見ている静のほうが、その<ruby><rb>一火</rb><rt>ひとひ</rt></ruby><ruby><rb>一火</rb><rt>ひとひ</rt></ruby>に、骨のしんまで<ruby><rb>灸</rb><rt>や</rt></ruby>かれるような<ruby><rb>怺</rb><rt>こら</rt></ruby>えに締めつけられていた。

（――お熱くはないのかしら）

と疑うように、小冠者はそっと、主君の肩ごしにその顔をのぞいてみた。

やはり彼とて熱いには違いない。義経は、眼をふさぎ、奥歯をかんで、<ruby><rb>鼻腔</rb><rt>びこう</rt></ruby>でつよい息をしていた。

――と。ふいに、義経は、

「<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>」

と振向いて、さっきから返辞を待っている妻へ、こう云った。

「通せ、<ruby><rb>景季</rb><rt>かげすえ</rt></ruby>を。――会ってやろう」

「えっ……。では、お心を取直して」

「そなたにも、また家臣たちにも、そう心配かけてはすむまい。……今は何事も<ruby><rb>忍</rb><rt>にん</rt></ruby>の一字が<ruby><rb>護符</rb><rt>ごふ</rt></ruby>よ。この九郎さえ忍びきればお<ruby><rb>許</rb><rt>こと</rt></ruby>らの心も休まろう。――通せ、ここでよい。義経が<ruby><rb>仮病</rb><rt>けびょう</rt></ruby>でないことも、景季の眼に見せてくりょう」

## 二

宇治川の合戦に、名馬<ruby><rb>摺墨</rb><rt>するすみ</rt></ruby>に乗って聞えを取り、その後、<ruby><rb>頼朝</rb><rt>よりとも</rt></ruby>にもお<ruby><rb>覚</rb><rt>おぼ</rt></ruby>えのよい<ruby><rb>梶原景季</rb><rt>かじわらかげすえ</rt></ruby>であった。

その頃は、義経の幕下であったが、今日は、鎌倉殿の権力を、背に負っている使者で来たのである。

「<ruby><rb>異</rb><rt>い</rt></ruby>な臭い……。これはまた、何のけむりか」

景季は、そこへ坐るなり、天井を見まわして、訊ねた。義経は、<ruby><rb>脇息</rb><rt>きょうそく</rt></ruby>に倚って、苦笑しながら、<ruby><rb>灸</rb><rt>きゅう</rt></ruby>をやいていたところ故と答えると、

「そうそう、先頃から、何度訪ね申しても、御病中とのみで、追い返されたが――時に、御容態はいかがでござりますな」

「景季。おん身は、義経が会わぬのは、仮病ならんと、<ruby><rb>家人</rb><rt>けにん</rt></ruby>へ云われたそうなが、<ruby><rb>篤</rb><rt>とく</rt></ruby>と、この灸の<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>を見られよ」

と、<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>をはだけて示し、

「兄頼朝へ、其方どものそうした邪推や偏見を、そのまま伝えてくるるなよ、先にも義経は、兄上のおひがみや誤解を解こうものと、<ruby><rb>病躯</rb><rt>びょうく</rt></ruby>を押して下ったが、<ruby><rb>腰越</rb><rt>こしごえ</rt></ruby>にて<ruby><rb>阻</rb><rt>はば</rt></ruby>められ、遂に、鎌倉へ入るも許させ給わず、空しく京へ立ち戻って来たが……骨肉の兄と弟とが、かく心にもなく<ruby><rb>隔</rb><rt>へだ</rt></ruby>てられ、浅ましい<ruby><rb>相剋</rb><rt>そうこく</rt></ruby>の火を散らすことよと、世間の眼にも見らるる<ruby><rb>辛</rb><rt>つら</rt></ruby>さ。……<ruby><rb>景季</rb><rt>かげすえ</rt></ruby>、おぬしら、臣下の者にも分ろうが」

義経は、彼の姿を見ると、云わずにいられなかった。情熱に生き情熱に戦って来た彼は今――平家の旧勢力を一掃して、源氏という、また、鎌倉幕府という新しい組織の段階に入ってくると、もうその役割のすんだ無用の破壊者の如く扱われて、ことごとに、兄頼朝からは<ruby><rb>疎</rb><rt>うと</rt></ruby>んぜられ、幕府の一部からは曲解をうけた。

――心外な！

彼はまたそれを、情熱の焔につつんで深刻に悩むのだった。武人の働きや武略を必要とした世情は一転して――新しい段階では、政略家が舞台にのぼり、政治的な整理や工作が、何もかも無視して働いているのだ――というふうに冷然と見ていることができなかった。

また、幕府を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>る北条<ruby><rb>閥</rb><rt>ばつ</rt></ruby>や大江広元などの、いわゆる政治家肌な人たちの中では、義経が、戦時同様な威力をもって、京都守護の任にあることは、何かにつけ都合が悪かった。殊に、後白河法皇の御信任は日に厚く、九条<ruby><rb>兼実</rb><rt>かねざね</rt></ruby>なども、義経を無二の者としている傾きがある。――頼朝の心もまた、それには穏やかであり得なかった。

「いや、お暑い折を、押してお目通りを願い、恐縮でした。幕府の使いとしてなれば、御ゆるしにあずかりたい」

景季は、わざと、義経のことばをそらして、<ruby><rb>威儀</rb><rt>いぎ</rt></ruby>作った。

「早速ですが、かねて<ruby><rb>頼朝</rb><rt>よりとも</rt></ruby>公から、貴方へ御内命のあった一儀、何故の御延引かと、お怒りでござる。一体、いつお討果しになるお心か、<ruby><rb>確</rb><rt>しか</rt></ruby>と、その儀を伺いに参った。御返答を賜りたい」

「<ruby><rb>新宮</rb><rt>しんぐうの</rt></ruby>十<ruby><rb>郎</rb><rt>ろう</rt></ruby><ruby><rb>行家</rb><rt>ゆきいえ</rt></ruby>どのを、討てとの、仰せつけのことであるか」

「そうです」

「行家どのは、兄頼朝にとっても、この義経にも、<ruby><rb>叔父御</rb><rt>おじご</rt></ruby>にあたるお人であろうが」

「おことばまでもありません」

「しかも、平家追討の折には、河内より兵を引っ<ruby><rb>提</rb><rt>さ</rt></ruby>げられ、<ruby><rb>摂津</rb><rt>せっつ</rt></ruby>では、軍船や<ruby><rb>粮米</rb><rt>ろうまい</rt></ruby>を奉行せられ、勲功もあるお人」

「しかし、鎌倉殿には、忠誠でありません。頼朝公を<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>と<ruby><rb>侮</rb><rt>あなど</rt></ruby>られ、根が、木曾殿の幕下にあったお方だけに」

「理窟は待て。兄上には、すでに、佐々木定綱に命じて、行家どのを討てとおいいつけなされたそうだが、義経は、情において、叔父御を討つに忍びない。――そういう兵馬は義経の<ruby><rb>旗下</rb><rt>きか</rt></ruby>にはない」

「噂には、あなたが、行家殿を<ruby><rb>匿</rb><rt>かくま</rt></ruby>っておられるとも聞きますが」

「知らぬ。あのお方とて、犬死はしとうあるまい。隠れるのは当り前じゃ」

「では、鎌倉殿の仇を<ruby><rb>庇</rb><rt>かくま</rt></ruby>われて、御命に<ruby><rb>叛</rb><rt>そむ</rt></ruby>かるるお考えか」

「たれが」

「あなた様が」

「ばかっ。――<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>く、帰れっ」

## 三

物蔭に聞いていた家臣は<ruby><rb>胆</rb><rt>きも</rt></ruby>を冷やした。簾の蔭に案じていた<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>もハッとした。情熱の病人は、遂に、烈火のかたまりを、<ruby><rb>景季</rb><rt>かげすえ</rt></ruby>へ吐きつけてしまった。

こんな結果になるなら、むしろ仮病と取られても、使者の景季にお会いさせなかったほうが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まし</span>であったものをと、家臣たちは悔いたが、及ばなかった。憤然と立帰った景季は、即日、六条油小路の旅舎を引払って、鎌倉へ急ぎ帰って行ったという。

「さばさばした。これで、一夕立そそいで来れば、なお、<ruby><rb>清々</rb><rt>すがすが</rt></ruby>しかろう。――静、<ruby><rb>雑色</rb><rt>ぞうしき</rt></ruby>に命じて、庭木へ水を打たせい。灯ともしたらまた、そなたの<ruby><rb>鼓</rb><rt>つづみ</rt></ruby>など聞こうほどに」

義経は、夕迫る縁に立って、崩れる雲の峰を見ていた。

「はい」

彼の妻は、まだ十九だった。

十五、神泉殿の舞楽の日に、初めて義経に<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>われた。恋を知った十六の春と共に、眉を改めて、<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>の群れから去り、その細い<ruby><rb>腕</rb><rt>かいな</rt></ruby>で養って来た母の<ruby><rb>磯</rb><rt>いそ</rt></ruby>の<ruby><rb>禅師</rb><rt>ぜんじ</rt></ruby>と一緒に、この<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>へ移った静であった。

晴れがましく輿入れした妻ではない。それだけに、妻たる女の真実を、彼女は、良人へも召使にも、無言の真心で示して来た。よしや鎌倉にある良人の兄君からは、まだ一片の<ruby><rb>便</rb><rt>たよ</rt></ruby>りにも「弟の妻」とゆるされた<ruby><rb>例</rb><rt>ためし</rt></ruby>はなくても、彼女の心には、何の不足でもなかった。

## 四

鎌倉に帰った<ruby><rb>梶原景季</rb><rt>かじわらかげすえ</rt></ruby>は、<ruby><rb>頼朝</rb><rt>よりとも</rt></ruby>へ、こう復命した。

「<ruby><rb>判官</rb><rt>ほうがん</rt></ruby>殿には、病中と仰せあって、なかなかお会い下さいません。遂に、<ruby><rb>強</rb><rt>た</rt></ruby>って御威光を以て、お目通りしましたところ、<ruby><rb>灸</rb><rt>きゅう</rt></ruby>などすえておられ、御顔色も<ruby><rb>憔忰</rb><rt>しょうすい</rt></ruby>の態に見うけられましたが、一日食わず、一夜眠らず、灸などすえれば、病態は作られまする。――<ruby><rb>行家</rb><rt>ゆきいえ</rt></ruby>追討の<ruby><rb>御諚</rb><rt>ごじょう</rt></ruby>については、耳もかされず、<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>く帰れとの御一言あったのみ、取りつく島もなく立戻りました」

それからまた、都での<ruby><rb>風聞</rb><rt>ふうぶん</rt></ruby>として、義経の行装の豪奢、禁中の羽振り、日常の<ruby><rb>花奢</rb><rt>かしゃ</rt></ruby>など、問われないことまで告げた。

「そんな態か」

頼朝の顔いろは動いた。

「<ruby><rb>仙洞</rb><rt>せんとう</rt></ruby>の<ruby><rb>御気色</rb><rt>みけしき</rt></ruby>に<ruby><rb>諂</rb><rt>へつら</rt></ruby>い、武功に誇り、頼朝にも計らわず、五位の<ruby><rb>尉</rb><rt>じょう</rt></ruby>に昇るなど、身のほどを忘れた振舞、肉親とて、捨ておいては、覇業の<ruby><rb>障</rb><rt>さわ</rt></ruby>りになる。今のうちに、九郎冠者めを討って取れ」

<ruby><rb>下知</rb><rt>げち</rt></ruby>は、武府に伝えられた。

和田、三浦、千葉、佐々木など、誰もその討手は辞退した。<ruby><rb>土佐房昌俊</rb><rt>とさのぼうしょうしゅん</rt></ruby>に命が下った。昌俊は、部下の<ruby><rb>藍沢次郎</rb><rt>あいざわじろう</rt></ruby>、<ruby><rb>真門</rb><rt>まかど</rt></ruby>太郎など八十余騎をひいて、京都へ馳せ上った。

（――鎌倉殿の討手が京へ急がれた）

街道のうわさは、軍馬よりも先に、都へ聞えてきた。洛内の庶民は、もう家財を片づけ出した。義経はそれを、<ruby><rb>仙洞</rb><rt>せんとう</rt></ruby>御所へ参院した戻り道に見て覚った。

「あわれ、彼等もみな、この義経が、兄に弓引く者と思うているのか。天下、誰あって、この義経の心を知ってくれる者もない」

彼は、<ruby><rb>牛車</rb><rt>くるま</rt></ruby>の中で嘆じた。――そう淋しく思う時、ただひとり彼の胸には<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>のすがたがあった。

## 五

「京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつまれ、ひいては天下の大乱となろう。よろしく彼に先んじて、頼朝追討の<ruby><rb>院旨</rb><rt>いんじ</rt></ruby>を、義経へ下し給うべきである」

<ruby><rb>大蔵卿泰経</rb><rt>おおくらきょうやすつね</rt></ruby>は、九条<ruby><rb>兼実</rb><rt>かねざね</rt></ruby>や左大臣<ruby><rb>経宗</rb><rt>つねむね</rt></ruby>や、内大臣<ruby><rb>実定</rb><rt>さねさだ</rt></ruby>などを説きまわった。後白河法皇のお心もそこに決しられてあるという。

誰も、誰も、義経の心を知らないのだ。

「京へ、鎌倉の兵を入れるな。尾張美濃の境、<ruby><rb>墨股河</rb><rt>すのまたがわ</rt></ruby>へ<ruby><rb>馳</rb><rt>は</rt></ruby>せ下って、義経に、鎌倉討伐の第一<ruby><rb>箭</rb><rt>せん</rt></ruby>を放たすがよい」

同意は、多かった。

法皇を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>って、活溌な策動が初まっていた。――が、何たることか、その頃もう土佐房昌俊らの手勢は、変装して洛内に入りこんでいたのである。

十月十七日の夜だった。

堀川べりの六条<ruby><rb>室町</rb><rt>むろまち</rt></ruby>の<ruby><rb>館</rb><rt>やかた</rt></ruby>へ、どっと<ruby><rb>襲</rb><rt>よ</rt></ruby>せて、いきなり火を<ruby><rb>放</rb><rt>か</rt></ruby>けた軍勢がある。義経は、元より何の備えもしていなかったし、その夜、郎党たちは、他の所用に出払って、あらかた留守だった。

「殿っ。夜討ですっ」

佐藤忠信と、四、五の家臣が、大声で広縁から呶鳴った。ばりばりと火のはぜる音がする。庭木へ螢のような火の粉が散っている。

「今参る」

義経はもう身を<ruby><rb>鎧</rb><rt>よろ</rt></ruby>っていた。静が、側にあって、太刀の<ruby><rb>革</rb><rt>かわ</rt></ruby>、<ruby><rb>鎧</rb><rt>よろい</rt></ruby>の<ruby><rb>緒</rb><rt>お</rt></ruby>など、結んでいた。

「忠信っ、忠信っ」

呼び返して、義経は、早口に命じた。

「そちは、<ruby><rb>築土</rb><rt>ついじ</rt></ruby>を躍りこえて、御所へ急ぎ、火の手に、お案じあらぬよう、義経あらんかぎり、都は焦土とさせませぬと、お取次を以て、聞え上げて参れ。――その足で、出先の郎党どもを集合し、御所を守れ、また市中を警備せよ。義経は、京都守護の任にある者、私邸の火や、<ruby><rb>土佐房</rb><rt>とさのぼう</rt></ruby>ごとき小勢の襲撃は、何ものでもない。よいか、急げっ」

云い終ると、<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>の手から<ruby><rb>長巻</rb><rt>ながまき</rt></ruby>を受け取って、義経は、わずかの家臣と共に、表門へ斬って出た。静は、良人を送ると、母の磯の禅師の部屋へ、

「<ruby><rb>母様</rb><rt>かあさま</rt></ruby>っ――あっ母様、外へ出てはいけません」

叫びながら馳けて行った。

矢も、火の粉も、家のなかまで飛んで来た。凄まじい表の武者声に、彼女の母は、耳をふさいだまま、室の外に<ruby><rb>俯</rb><rt>う</rt></ruby>っ伏していた。

## 六

外出していた郎党や、新宮十郎行家の兵などが、火の手を見て、馳けつけて来たため、土佐房<ruby><rb>昌俊</rb><rt>しょうしゅん</rt></ruby>たちの襲撃隊は、かえって<ruby><rb>挾</rb><rt>はさ</rt></ruby>み討ちとなってしまった。

昌俊は、追われて、<ruby><rb>鞍馬</rb><rt>くらま</rt></ruby>へ逃げこんだが、鞍馬の山僧に捕えられて、二十六日、都へ曳かれた。すぐ首斬られて、その首は、六条河原の秋風に黒ずむまで<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>されていた。

十一月、洛内の動揺は、もう制しきれないものになっていた。鎌倉の大軍が上ると聞えて来たのである。義経も必ず反撃するものと見てか、頼朝自身、黄瀬川のあたりまで、兵馬を進ませて来たともいう。

「……浅ましや」

義経は、心で泣いた。

夜も寝られない<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>であった。その良人へ、静は、どんなに心をこめて<ruby><rb>侍</rb><rt>かしず</rt></ruby>いても、慰めきれない思いだった。――<ruby><rb>果</rb><rt>は</rt></ruby>ては、共に手を取り合って、

「天下の兵を敵とするも、怖ろしくはないが、肉親の兄へ引く弓はない。およそこの身ほど、骨肉に<ruby><rb>薄命</rb><rt>はくめい</rt></ruby>な者があろうか。<ruby><rb>襁褓</rb><rt>むつき</rt></ruby>の中より<ruby><rb>父</rb><rt>ちち</rt></ruby><ruby><rb>兄弟</rb><rt>はらから</rt></ruby>にわかれ、七ツの頃、母の手からもぎ去られ、ようやく、兄君とも会って、平家を討ったと思うも<ruby><rb>束</rb><rt>つか</rt></ruby>の間、兄たる御方から兵をさし向けらるるとは」

「そのお心が、どうして、鎌倉へは通じないものでしょうか。わたくしが兄君様から、弟の妻と、許されているものならば、身を捨てても、鎌倉へ下って、あなた様のお胸のほどを、お訴えいたしましょうものを……」

ふたりは身も心も一つに<ruby><rb>悶</rb><rt>もだ</rt></ruby>え合って、もう<ruby><rb>大廂</rb><rt>おおびさし</rt></ruby>に木の葉の雨も落ち尽した初冬の夜を泣き明かした。

## 七

風評が風評を生み、今にも大乱と化すように、洛中の貴賤上下の騒ぎが<ruby><rb>濃</rb><rt>こ</rt></ruby>くなれば濃くなるほど、義経の心は、誰にも分らなくなっていた。

<ruby><rb>頼朝追討</rb><rt>よりともついとう</rt></ruby>の<ruby><rb>宣旨</rb><rt>せんじ</rt></ruby>は、もう朝議で決定していた。義経の手に下るばかりになっている。ここでも、彼の心を少しでも知ってくれる者は一人もなかった。

叔父の行家さえ、その策動に、夢中になっていた。義経を押立てて、一合戦のもくろみである。<ruby><rb>堂上</rb><rt>どうじょう</rt></ruby>、世上の人々が、まったく義経の本心を<ruby><rb>見失</rb><rt>みうしな</rt></ruby>って、ただ<ruby><rb>血眼</rb><rt>ちまなこ</rt></ruby>に騒いでいるのもむりなかった。

「<ruby><rb>最期</rb><rt>さいご</rt></ruby>の日が近づいた。――静、そなただけは、<ruby><rb>確</rb><rt>しか</rt></ruby>と、わしの心を見ておろうな」

「仰せまでもございません」

ふたりは、<ruby><rb>密</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに誓っていた。犬死する気はないが、そうかと云って、戦う気も<ruby><rb>飽</rb><rt>あ</rt></ruby>くまでなかった。その間に処す身支度だった。

幸いにも、義経の望みは、法皇の御聴許となった。一先ず九州の<ruby><rb>地頭</rb><rt>じとう</rt></ruby>として、都を去ることになったのである。

――が、人々はなお、彼のそんな柔順を信じなかった。彼をよく知る九条<ruby><rb>兼実</rb><rt>かねざね</rt></ruby>さえ、その日の日記に、

（如何ナル騒乱ニ立チ至ルラン。<ruby><rb>春日明神</rb><rt>カスガミョウジン</rt></ruby>ニ祈念シテ、<ruby><rb>何処</rb><rt>イズコ</rt></ruby>ヘモ逃ゲズ、タダ運命ヲマカスノミ）

と<ruby><rb>誌</rb><rt>しる</rt></ruby>しているほどであるから、京都の市民が、かつての平家が都落ちの時のように、また、<ruby><rb>木曾義仲</rb><rt>きそよしなか</rt></ruby>が乱暴を働いたように、義経の兵も、存分な<ruby><rb>狼藉</rb><rt>ろうぜき</rt></ruby>を働いて行くであろうと、怖れ<ruby><rb>顫</rb><rt>おのの</rt></ruby>いていた。

ところが、十一月の<ruby><rb>霜</rb><rt>しも</rt></ruby>の朝、義経は、<ruby><rb>赤地錦</rb><rt>あかじにしき</rt></ruby>の<ruby><rb>直垂</rb><rt>ひたたれ</rt></ruby>に、<ruby><rb>萠黄縅</rb><rt>もえぎおどし</rt></ruby>の<ruby><rb>鎧</rb><rt>よろい</rt></ruby>をつけ、きょう西国へ下るとその邸を出て、妻の静、その老母、その他、<ruby><rb>足弱</rb><rt>あしよわ</rt></ruby>な者たちを、先へ立たせ、わずかの精兵を従えて、御所の門前に、<ruby><rb>粛</rb><rt>しゅく</rt></ruby>として整列した。

<ruby><rb>御墻</rb><rt>みかき</rt></ruby>ごしに、院の御所を遙拝して、彼は大地へ両手をつかえた。

「義経、不徳のため、鎌倉どのの<ruby><rb>譴責</rb><rt>けんせき</rt></ruby>をこうむり、今日、<ruby><rb>鎮西</rb><rt>ちんぜい</rt></ruby>に落ちて参りまする。思えば、きょうまでの<ruby><rb>御鴻恩</rb><rt>ごこうおん</rt></ruby>は海のごとく、微臣の奉公は一つぶの粟だにも足りません。今一度、龍顔を拝したくは存じますが、武装の<ruby><rb>甲胄</rb><rt>かっちゅう</rt></ruby>、畏れ多く存じますれば、これにてお<ruby><rb>暇乞</rb><rt>いとまご</rt></ruby>いをいたして立去りまする」

従う人々には、佐藤<ruby><rb>忠信</rb><rt>ただのぶ</rt></ruby>、堀<ruby><rb>弥太郎</rb><rt>やたろう</rt></ruby>、<ruby><rb>伊勢</rb><rt>いせ</rt></ruby>三郎など二百余騎の<ruby><rb>家人</rb><rt>けにん</rt></ruby>、みな義経にならって拝をした。そして、<ruby><rb>粛然</rb><rt>しゅくぜん</rt></ruby>と、<ruby><rb>塵</rb><rt>ちり</rt></ruby>も散らさず、都を後に去った。

――が、<ruby><rb>摂津</rb><rt>せっつ</rt></ruby>、兵庫あたりには、早くも頼朝の軍令がまわっていた。諸国の地頭は、義経を討って、鎌倉殿の感賞にあずかろうものと争った。

<ruby><rb>行路</rb><rt>こうろ</rt></ruby>の難は、そればかりでなかった。<ruby><rb>大物</rb><rt>だいもつ</rt></ruby>の浦から船に乗りこんだ夜、<ruby><rb>暴風</rb><rt>あらし</rt></ruby>に襲われて、船は難破してしまった。郎党の多くは溺死し、義経は、<ruby><rb>壊</rb><rt>こわ</rt></ruby>れた船を引っ返したが、陸にはまた、<ruby><rb>執</rb><rt>しつ</rt></ruby>こい敵が猛襲してきた。かくて味方とも<ruby><rb>散々</rb><rt>ちりぢり</rt></ruby>にわかれて後、義経の<ruby><rb>足跡</rb><rt>そくせき</rt></ruby>は、四天王寺までは見た者もあるが、そこを<ruby><rb>立退</rb><rt>たちの</rt></ruby>いた先は、まったく<ruby><rb>踪跡</rb><rt>そうせき</rt></ruby>を<ruby><rb>晦</rb><rt>くら</rt></ruby>ましてしまった。

伊豆左衛門<ruby><rb>有綱</rb><rt>ありつな</rt></ruby>と、堀弥太郎<ruby><rb>景光</rb><rt>かげみつ</rt></ruby>という武士二人。

それと、妻の静に、妻の母の<ruby><rb>磯</rb><rt>いそ</rt></ruby>の<ruby><rb>禅師</rb><rt>ぜんじ</rt></ruby>と、わずか四人を連れたきりであったと、四天王寺の僧は、後で、取調べをうけた鎌倉の武士へ語った。

## 八

彼は<ruby><rb>奈良</rb><rt>なら</rt></ruby>に<ruby><rb>潜</rb><rt>ひそ</rt></ruby>んでいる――という<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>があるかと思うと、

（いや、<ruby><rb>多武</rb><rt>とう</rt></ruby>の<ruby><rb>峰</rb><rt>みね</rt></ruby>で、それらしい<ruby><rb>落人</rb><rt>おちゅうど</rt></ruby>を見た）

とも聞え、

（十津川の筋へ逃げた）

とか、その他、紀州だ、いや、京都の中に潜伏しているのと、彼の足跡を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>って、神出鬼没なうわさばかり乱れ飛んだ。

鎌倉勢は、その<ruby><rb>詮議</rb><rt>せんぎ</rt></ruby>に、手をやいた。<ruby><rb>翻弄</rb><rt>ほんろう</rt></ruby>されているようだった。<ruby><rb>躍起</rb><rt>やっき</rt></ruby>になって、探しぬいたが、<ruby><rb>手懸</rb><rt>てがか</rt></ruby>りもない。

その前後。北条時政の手勢は、何事か、確証をつかんだものらしく、雪ふる中を、吉野の峰へ<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>け上って、何の前触れもせず、<ruby><rb>南院藤室</rb><rt>なんいんふじむろ</rt></ruby>の僧房を襲った。

「九<ruby><rb>郎</rb><rt>ろう</rt></ruby><ruby><rb>判官</rb><rt>ほうがん</rt></ruby>が、これに潜んでおろう」

「存ぜぬ」

<ruby><rb>白眉</rb><rt>はくび</rt></ruby>の僧が、応答している間に、彼方の<ruby><rb>蔵王堂</rb><rt>ざおうどう</rt></ruby>の方で、

「いたっ」

という兵の声がした。

僧の中で、密告した者がいたとみえる。どやどやとそこへ押入った<ruby><rb>武者輩</rb><rt>むしゃばら</rt></ruby>の中に、その僧も立ち交じっていた。

「やっ……。女と老母のみではないか」

「これは、判官どのの<ruby><rb>愛妾</rb><rt>あいしょう</rt></ruby><ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>どのと、その母御の<ruby><rb>禅師</rb><rt>ぜんじ</rt></ruby>です」

兵を<ruby><rb>導</rb><rt>みちび</rt></ruby>き入れた僧は云った。

「あ。……<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>か」

<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>の頃から麗名は高い。舞の上手、またなき容色の持主と、誰も聞いている。わけて、九郎判官が、<ruby><rb>天下</rb><rt>てんか</rt></ruby>に身を<ruby><rb>容</rb><rt>い</rt></ruby>れる<ruby><rb>尺地</rb><rt>せきち</rt></ruby>もなくなった後も、労苦を共にして、連れ歩いている麗人とは、いったいどんな女性かと、<ruby><rb>武者輩</rb><rt>むしゃばら</rt></ruby>は、眼を<ruby><rb>研</rb><rt>と</rt></ruby>ぎたてて、まわりに立った。

<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>、ひしと抱き合っているので、一つの大きな<ruby><rb>繭</rb><rt>まゆ</rt></ruby>のように見えた。<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>のふところに<ruby><rb>顫</rb><rt>わなな</rt></ruby>いているのは老母だった。静は、まわりの刀や槍を、黒い<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>で、まろまろと見つめながら、母の体のうえに<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>いかぶさっていた。

「静っ。――こらっ静っ。……義経はどこへ落ちた。申さぬと、先ず見せしめに、その<ruby><rb>老</rb><rt>お</rt></ruby>いぼれの首から斬り離すぞ」

「知りません。……良人の行先は、何も聞いておりません」

「うぬっ」

雪まみれの土足を上げて、一人が蹴とばそうとすると、

「まあ待て、そう<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えさせては、口もきけまい」

と、他の武者が押し止めて、<ruby><rb>宥</rb><rt>なだ</rt></ruby>め<ruby><rb>賺</rb><rt>すか</rt></ruby>しながら訊問した。

「これまでは、良人と共に、辛くも<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>って参りましたが、<ruby><rb>深山</rb><rt>みやま</rt></ruby>の雪、母の持病、足手まといと思し召してか、この蔵王堂に四、五日いよ、やがて馬を送りて、迎えをよこすまで――と申されまして、良人とここで別れたまま、先のお行方は存じませぬ」

静のことばは<ruby><rb>明晰</rb><rt>めいせき</rt></ruby>であった。その<ruby><rb>落着</rb><rt>おちつ</rt></ruby>いた様を見すえて、

「<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>でもないらしい」

と、武者たちは、<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>の北条時政へ、使いを<ruby><rb>馳</rb><rt>は</rt></ruby>せて、処置の命を待った。

馬の<ruby><rb>鞍</rb><rt>くら</rt></ruby>に縛りつけて、すぐ鎌倉へ追い下せとあった。静は、武者の手に引っ立てられる母へ、自分の<ruby><rb>上着</rb><rt>うわぎ</rt></ruby>を脱いで老いの肩をつつみ、その耳もとへ、熱い息して<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いた。

「ゆるして下さい。不孝をおゆるし下さいませ。わたくしが、世の常の<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>のように、判官様へ<ruby><rb>無情</rb><rt>つれな</rt></ruby>くあれば、年老いたあなたに、こんな<ruby><rb>艱苦</rb><rt>かんく</rt></ruby>はおかけしないでもよいのに……私の<ruby><rb>婦道</rb><rt>みさお</rt></ruby>のために……お母様までを、<ruby><rb>憂目</rb><rt>うきめ</rt></ruby>に追いやって」

## 九

明けて<ruby><rb>文治</rb><rt>ぶんじ</rt></ruby>二年の一月末には、静も母も、鎌倉幕府の罪人として、<ruby><rb>安達</rb><rt>あだち</rt></ruby><ruby><rb>新</rb><rt>しん</rt></ruby>三<ruby><rb>郎</rb><rt>ろう</rt></ruby><ruby><rb>清経</rb><rt>きよつね</rt></ruby>の<ruby><rb>邸</rb><rt>やしき</rt></ruby>に預けられていた。

氷のような<ruby><rb>吟味</rb><rt>ぎんみ</rt></ruby>の床に、静は、幾たびも、坐らせられた。

「義経の行方を云え」

との厳問である。

<ruby><rb>清経</rb><rt>きよつね</rt></ruby>は、こう責めた。

「そちのように、<ruby><rb>情</rb><rt>じょう</rt></ruby>の<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>やかな者が、途中で義経と別れ去ったとは<ruby><rb>腑</rb><rt>ふ</rt></ruby>に落ちぬ。どこか、再会の場所を約しているのであろう」

静は、余りに責められるので、幾分、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しどろ</span>になって、

「いえいえ、一度は私も、お別れするに<ruby><rb>耐</rb><rt>た</rt></ruby>えかねて、<ruby><rb>峰</rb><rt>みね</rt></ruby>の一の鳥居あたりまで、お後を<ruby><rb>慕</rb><rt>した</rt></ruby>って行きましたが、<ruby><rb>女人</rb><rt>にょにん</rt></ruby>の<ruby><rb>入峰</rb><rt>にゅうぶ</rt></ruby>は禁制とのことに、泣く泣く戻って参りました」

<ruby><rb>吟味</rb><rt>ぎんみ</rt></ruby>の筆記が、やがて<ruby><rb>頼朝</rb><rt>よりとも</rt></ruby>の手もとへ上げられて来た。頼朝は、それを見て、

「先に、吉野の<ruby><rb>蔵王堂</rb><rt>ざおうどう</rt></ruby>で、時政が調べ取ったことばと相違がある。いよいよ、<ruby><rb>厳</rb><rt>きび</rt></ruby>しく<ruby><rb>折檻</rb><rt>せっかん</rt></ruby>して、実を<ruby><rb>吐</rb><rt>は</rt></ruby>かせい」

と、<ruby><rb>清経</rb><rt>きよつね</rt></ruby>に対して、不機嫌を示した。

清経は、<ruby><rb>恐懼</rb><rt>きょうく</rt></ruby>して、さらに、静を<ruby><rb>辛辣</rb><rt>しんらつ</rt></ruby>に責めた。余りに長い時間を冷たい板床にひき<ruby><rb>据</rb><rt>す</rt></ruby>えられていたせいか、静は、急に眉をひそめ、<ruby><rb>蒼白</rb><rt>あおじろ</rt></ruby>くなって苦しげに<ruby><rb>俯</rb><rt>う</rt></ruby>っ伏した。

驚いて、医師を呼び、薬を求めると、医師は云った。

「病気ではない。この容体は<ruby><rb>陣痛</rb><rt>じんつう</rt></ruby>じゃ」

「えっ。陣痛？」

「ひどく<ruby><rb>冷</rb><rt>ひ</rt></ruby>えこんだため、早めた<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>はあるが、はや<ruby><rb>八月</rb><rt>やつき</rt></ruby>は越えている」

「さては、妊娠していたのか」

清経は、息を<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>んで、先頃から自分のした<ruby><rb>折檻</rb><rt>せっかん</rt></ruby>が、ひそかに今は自分を責めた。

何しても、騒ぎとなった。しかし、案外に産室へ入ってからは軽くすんだ。産れた子は、男であった。<ruby><rb>初産</rb><rt>ういざん</rt></ruby>だし早目でもあったせいか、ふつうの<ruby><rb>嬰児</rb><rt>あかご</rt></ruby>より小さかった。

「お母様、見てください。似ておいで遊ばすことを……。このお眼、このお<ruby><rb>唇</rb><rt>くち</rt></ruby>」

彼女はこの邸が、<ruby><rb>獄舎</rb><rt>ごくしゃ</rt></ruby>であるのも忘れて、<ruby><rb>掻抱</rb><rt>かきいだ</rt></ruby>いては、<ruby><rb>欣</rb><rt>よろこ</rt></ruby>んだ。――お見せしたい、一目でも、かの君にと。

木々の<ruby><rb>芽</rb><rt>め</rt></ruby>もふく春に向いて、<ruby><rb>嬰児</rb><rt>あかご</rt></ruby>の手足は、日ごとにまろくなって行った。父の血をうけて、この子も意志強い<ruby><rb>容貌</rb><rt>かおだち</rt></ruby>していた。

「ああ、お目にかけたい。それにしても、わが<ruby><rb>夫</rb><rt>つま</rt></ruby>は何処の野路を……？」

思うにつけ、胸が傷む。すると怖ろしいほどすぐ<ruby><rb>乳</rb><rt>ちち</rt></ruby>が止るのである。<ruby><rb>嬰児</rb><rt>あかご</rt></ruby>は泣く。――せめてこの<ruby><rb>啼</rb><rt>な</rt></ruby>き声なと、良人の耳に<ruby><rb>届</rb><rt>とど</rt></ruby>くすべもないかと、また、涙に<ruby><rb>溺</rb><rt>おぼ</rt></ruby>れてしまう。

「ちッ……。うるさい<ruby><rb>餓鬼</rb><rt>がき</rt></ruby>だ」

昼夜、室の外に、番をしている<ruby><rb>詰侍</rb><rt>つめざむらい</rt></ruby>が、時々、聞えよがしに、舌打ち鳴らした。

<ruby><rb>築地</rb><rt>ついじ</rt></ruby>の外の桜並木が、枝もたわむばかり咲き誇ってきた。夜も昼も、そこからチラチラ白いものが<ruby><rb>母子</rb><rt>おやこ</rt></ruby>の室へ散り迷って来た。

<ruby><rb>嬰児</rb><rt>あかご</rt></ruby>は、<ruby><rb>眸</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>をうごかしぬく。もうお目が見えるそうなと、老母は、その<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>の育ちをむしろ<ruby><rb>儚</rb><rt>はかな</rt></ruby>げに<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いた。静は、花の散るのを見ると、吉野の雪の日が思い出されてならなかった。――別れた人のうしろ姿に、<ruby><rb>霏々</rb><rt>ひひ</rt></ruby>と雪ふぶきの吹いていたその日の別離を。――幾たびも<ruby><rb>振向</rb><rt>ふりむ</rt></ruby>いては去った彼の君の<ruby><rb>眸</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>を。遂には、雪の中へ泣き倒れて、雪に埋もれていた自分の姿を。

## 十

四月の一日であった。

もう桜も若葉だった。散り消えた花の影が、何か遠い過去であったような心地のする朝。

「折入って、静どのに」

と、いつになく<ruby><rb>丁寧</rb><rt>ていねい</rt></ruby>に、<ruby><rb>安達清経</rb><rt>あだちきよつね</rt></ruby>がはなしに来た。

「ほかでもないが、この四日、頼朝公には<ruby><rb>夫人</rb><rt>おくがた</rt></ruby>の<ruby><rb>政子</rb><rt>まさこ</rt></ruby>の方と御一緒に、鶴ヶ岡に御参詣がある――」

そう<ruby><rb>前提</rb><rt>まえお</rt></ruby>きして、清経は、頼朝の<ruby><rb>命</rb><rt>めい</rt></ruby>として、次のような事を伝えた。かねて頼朝にも、弟の内縁の静が、神泉殿の<ruby><rb>雨乞</rb><rt>あまご</rt></ruby>いの舞楽に、九十九人の舞姫のうちでも優れた<ruby><rb>白拍子</rb><rt>しらびょうし</rt></ruby>であったということは聞き及んでいるところから、

（四日はちょうど参詣のついで、ぜひ社殿の<ruby><rb>廊</rb><rt>ろう</rt></ruby>においてなと、隠れなき上手の舞をよそながら見たい）

という熱望だというのである。

<ruby><rb>捕</rb><rt>とら</rt></ruby>われて、鎌倉へ送られて来たその当座にも、早速のように、舞を見せろという頼朝の下命はあったのである。――が、<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>は、どうしても、かぶりを振って<ruby><rb>肯</rb><rt>き</rt></ruby>かなかった。

手を焼いた前例があるし、こんどは、頼朝のいいつけも、厳重であったから、清経は、この<ruby><rb>下話</rb><rt>したばなし</rt></ruby>には、充分<ruby><rb>周到</rb><rt>しゅうとう</rt></ruby>な要意を胸に持って、彼女を説いた。

「いちどお目にかかっておけば、お<ruby><rb>怒</rb><rt>いか</rt></ruby>りの度もよほど<ruby><rb>和</rb><rt>なご</rt></ruby>もう。舞だに終ったなれば、老母をつれて、京へ帰るもさしつかえないとまで仰せられてある。御老母のためにも……ここ<ruby><rb>忍</rb><rt>しの</rt></ruby>ぶべきところではないかな」

母のために。

そう云われると、<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>む言葉もなかった。また、良人の義経に対する鎌倉殿の感情が、すこしでも解けてくれたらと、<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>は、そうした<ruby><rb>恃</rb><rt>たの</rt></ruby>みも抱いて、

「まだ、良人の生死も聞えず、別離の涙もかわかぬ今、恥かしい身を、鎌倉殿のおん前に<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>すのは耐えられぬここちがしますが、あわれわが<ruby><rb>夫</rb><rt>つま</rt></ruby>への、故なきお怒りが少しでも<ruby><rb>解</rb><rt>と</rt></ruby>かれたなら、どんなに<ruby><rb>欣</rb><rt>うれ</rt></ruby>しゅうございましょう。恥を忍んで舞に上がりましょう」

恥、<ruby><rb>怨</rb><rt>うらみ</rt></ruby>、無念――あらゆる<ruby><rb>胸揺</rb><rt>むなゆ</rt></ruby>らを<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>んで、きっと、決意をした唇から、静は、遂にそう答えた。

## 十一

その日、<ruby><rb>清経</rb><rt>きよつね</rt></ruby>に<ruby><rb>伴</rb><rt>ともな</rt></ruby>われて、静は、<ruby><rb>頼朝</rb><rt>よりとも</rt></ruby>夫妻の前に出た。――初めて、実にきょう初めて、わが良人と血をわけている兄なる人と、<ruby><rb>嫂</rb><rt>あによめ</rt></ruby>の君とを見たのであった。

<ruby><rb>舞殿</rb><rt>ぶでん</rt></ruby>の<ruby><rb>東側</rb><rt>ひがしわき</rt></ruby>の一段高い席に、頼朝と<ruby><rb>政子</rb><rt>まさこ</rt></ruby>は<ruby><rb>居並</rb><rt>いなら</rt></ruby>んで彼女を見た。夫妻は、物珍しいものでも見るように、静のしとやかな礼儀を見まもっていた。

「思ったよりは、<ruby><rb>寠</rb><rt>やつ</rt></ruby>れてもいない。なかなか<ruby><rb>気丈</rb><rt>きじょう</rt></ruby>そうな女子ですこと。――何か、お言葉をかけておやりなさい」

政子に<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>かれて頼朝は初めて云った。

「<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>というか」

「……はい」

「幾歳になった」

「<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>になりました」

「二十歳……ほう」

夫妻は、顔を見あわせた。何の<ruby><rb>品評</rb><rt>しなさだめ</rt></ruby>をしているのか、静には、その心が<ruby><rb>酌</rb><rt>く</rt></ruby>めなかった。

「<ruby><rb>愚</rb><rt>おろ</rt></ruby>かよのう。まだ年ばえも二十歳を越えず、世に隠れない舞の手も持ちながら、何で、九<ruby><rb>郎</rb><rt>ろう</rt></ruby><ruby><rb>冠者</rb><rt>かじゃ</rt></ruby>のような、<ruby><rb>埒</rb><rt>らち</rt></ruby>もない男を恋い慕うぞ。……はははは、<ruby><rb>酔狂</rb><rt>すいきょう</rt></ruby>な女子よ」

静は、水のように、冷やかな感情になった。この良人の肉親は、またその妻である人も、自分を、弟の妻とはまったく<ruby><rb>視</rb><rt>み</rt></ruby>ていないことがよく分った。飽くまで白拍子あがりの遊び<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>と<ruby><rb>遇</rb><rt>ぐう</rt></ruby>しているのである。

（なんで、こんな人に<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れをすがろうぞ）

彼女は、<ruby><rb>唇</rb><rt>くち</rt></ruby>をかんだ。<ruby><rb>愍</rb><rt>あわ</rt></ruby>れを乞う者と誤られるのも無念である。涙もこぼすまい。頭も下げまい。

<ruby><rb>屹</rb><rt>きっ</rt></ruby>と、彼女は、胸を上げた。――そしてむしろ<ruby><rb>愍</rb><rt>あわ</rt></ruby>れむべき二個の人形よ！　と頼朝夫妻を、その情熱の<ruby><rb>沸</rb><rt>たぎ</rt></ruby>りを持つ黒い<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>で、じいっと、眼も外らさず見つめていた。

「舞え。――起て」

頼朝は、<ruby><rb>急</rb><rt>せ</rt></ruby>いた。

「はい」

静は、きりっと答えた。水色の<ruby><rb>水干</rb><rt>すいかん</rt></ruby>、<ruby><rb>真紅</rb><rt>しんく</rt></ruby>の袴。――起って、頼朝の夫妻を、高くから見て微笑んだ。

「わたくしの、好きな歌舞でよろしゅうございますか」

「何なりと」

夫妻は共に<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>いた。

<ruby><rb>鼓</rb><rt>つづみ</rt></ruby>の上手、<ruby><rb>工藤左衛門尉祐経</rb><rt>くどうさえもんのじょうすけつね</rt></ruby>は、はや<ruby><rb>一拍子</rb><rt>ひとびょうし</rt></ruby>入れて、<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>へ眼を向けた。<ruby><rb>銅拍子</rb><rt>どびょうし</rt></ruby>は、<ruby><rb>畠山庄司重忠</rb><rt>はたけやましょうじしげただ</rt></ruby>。――静のすがたを、祐経と<ruby><rb>挾</rb><rt>はさ</rt></ruby>み合って、<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>を取った。

遠く――遠く――静は<ruby><rb>眸</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>をやって、なお、舞い出さなかった。<ruby><rb>恍惚</rb><rt>うっとり</rt></ruby>と、鶴ヶ岡のここの高さから空を見ていた。行く雲を見ていた。

「さっ！」

鼓、銅拍子、気を合せて、舞のきッかけを<ruby><rb>促</rb><rt>うなが</rt></ruby>した。――と、空ゆく雲のそれのように、静の<ruby><rb>水干</rb><rt>すいかん</rt></ruby>の袖が<ruby><rb>瑤々</rb><rt>ゆらゆら</rt></ruby>とうごいた。美しい線を描いて舞い初めたのである。

よしの山　峰のしらゆき

ふみわけて

入りにし人の

あとぞ恋しき　あとぞ恋しき

眼にはいっぱいな紅涙があった。けれどまた、その眼には頼朝もない鎌倉幕府の<ruby><rb>権力</rb><rt>けんりょく</rt></ruby>もない。

元より上手に舞おうなどとは、みじん思ってもみなかった。ただ祈るのは、この舞が、良人の恥辱にならないことであった。義経の妻として世の<ruby><rb>物嗤</rb><rt>ものわら</rt></ruby>いとなるまいとする懸命だけであった。

しずやしず

<ruby><rb>賤</rb><rt>しず</rt></ruby>のおだまき　くり返し

むかしを今に

なすよしもがな

――なすよしもがな

歌い終るのと一<ruby><rb>緒</rb><rt>しょ</rt></ruby>であった。<ruby><rb>彼方</rb><rt>かなた</rt></ruby>の頼朝夫妻の席で、<ruby><rb>断</rb><rt>き</rt></ruby>って落したように、ばらりッと、<ruby><rb>簾</rb><rt>れん</rt></ruby>が落ちた。――その<ruby><rb>簾中</rb><rt>れんちゅう</rt></ruby>から洩れる怒りの声だった。

「八幡の<ruby><rb>御宝前</rb><rt>ごほうぜん</rt></ruby>、しかも頼朝が前なるも<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>らず、<ruby><rb>叛逆人</rb><rt>はんぎゃくにん</rt></ruby>の義経を、明らさまに、恋い慕って舞い歌うとは。――ゆるせぬ女、<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>を、余を、小馬鹿にした舞ではある！」

「あなたの<ruby><rb>御不興</rb><rt>ごふきょう</rt></ruby>は、お身勝手というものです」

そうたしなめているのは夫人であった。

「何が身勝手か」

「<ruby><rb>流人</rb><rt>るにん</rt></ruby>として、伊豆の配所においで遊ばした頃のことを考えてごらんなされませ。私は、静の歌を聞いて、<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>はやはり女子よと、思わず眼がうるんで来ました。……私が、配所にあるあなた様をお<ruby><rb>慕</rb><rt>した</rt></ruby>いして、闇の夜、雨風の夜も、<ruby><rb>通</rb><rt>かよ</rt></ruby>うた頃の心を思い<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べると、かの<ruby><rb>女子</rb><rt>おなご</rt></ruby>の今はさこそと察しやられます。このようなことに、席を蹴って、御不興のままお帰りなどなされたら、<ruby><rb>坂東</rb><rt>ばんどう</rt></ruby>武者に、あなたの<ruby><rb>鼎</rb><rt>かなえ</rt></ruby>の<ruby><rb>軽重</rb><rt>けいちょう</rt></ruby>を問われましょうが」

政子は、かえって、<ruby><rb>機嫌</rb><rt>きげん</rt></ruby>よかった。静をさしまねいて、<ruby><rb>卯</rb><rt>う</rt></ruby>の花<ruby><rb>重</rb><rt>がさ</rt></ruby>ねの<ruby><rb>御衣</rb><rt>おんぞ</rt></ruby>を、きょうの<ruby><rb>纒頭</rb><rt>はなむけ</rt></ruby>ぞと云って与えた。

静は、舞が終るとすぐ、わき見もせず、<ruby><rb>清経</rb><rt>きょつね</rt></ruby>の邸へ帰った。――そして<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>けこむように、<ruby><rb>乳</rb><rt>ち</rt></ruby>を待つわが子の部屋へ這入ったが、わが子は見えなかった。

「……<ruby><rb>和子</rb><rt>わこ</rt></ruby>よ。和子よ」

老母の答えもない。いや、<ruby><rb>灯火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>もない一室の隅に、<ruby><rb>磯</rb><rt>いそ</rt></ruby>の禅師は、喪心したようにすすり泣いていた。

「和子は、どうなさいましたか。――お母様、わたしの和子は」

「…………」

老母は、ただ泣いて、遠い<ruby><rb>海鳴</rb><rt>うみな</rt></ruby>りのする夜空を指さすばかりだった。

「――げっ。では……では和子さまを」

「武者たちが、海のほうへ、引っ<ruby><rb>攫</rb><rt>さろ</rt></ruby>うて行った。――鎌倉殿のおいいつけじゃと」

## 十二

水と空の<ruby><rb>界</rb><rt>さかい</rt></ruby>だけが、ぼっと夜明けのように明るいだけだった。夜の海は、真っ暗に<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>えすさんでいる。常でも浪の激しい<ruby><rb>由比</rb><rt>ゆい</rt></ruby>ヶ浜に、こよいは風がある。

「和子ようっ。――和子ようっ」

痛む乳を抱きしめた<ruby><rb>水干</rb><rt>すいかん</rt></ruby>の舞姫は、沖へ向って声をからしていた。浪に<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>う木片や<ruby><rb>芥</rb><rt>あくた</rt></ruby>を見ては馳けて行った。しぶきを浴びて、走り狂った。

<ruby><rb>松明</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>を振って追って来た人々の中に、<ruby><rb>安達清経</rb><rt>あだちきよつね</rt></ruby>もいた。わが子の後を追って死のうとする<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>を抑えて、<ruby><rb>遮</rb><rt>しゃ</rt></ruby>二<ruby><rb>無</rb><rt>む</rt></ruby>二連れ帰った。一夜に、<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せ衰えた舞姫は、その夜から<ruby><rb>囈言</rb><rt>うわごと</rt></ruby>に、子と良人のことばかり云いつづけて、夏の中も病の<ruby><rb>床</rb><rt>とこ</rt></ruby>から起てなかった。

静が、気がついてみると、<ruby><rb>初秋</rb><rt>はつあき</rt></ruby>八月の風が<ruby><rb>萩叢</rb><rt>はぎむら</rt></ruby>にふいていた。<ruby><rb>笠</rb><rt>かさ</rt></ruby>と杖とが手にあった。老母と共に鎌倉を立つ日であった。

「良人は何処に？」

生きるかぎり、彼女は思いつづけたであろう。また、<ruby><rb>果</rb><rt>は</rt></ruby>てなき道を歩いたことでもあろう。――私たちが旅にふと見る、名知らぬ路傍の草の<ruby><rb>花叢</rb><rt>はなむら</rt></ruby>は、そこが彼女の足が止った<ruby><rb>最期</rb><rt>さいご</rt></ruby>の地であった<ruby><rb>墓標</rb><rt>しるし</rt></ruby>かも知れない。

彼女の咲かせた情操の姿は、野の花に見るあんなふうに、またなく<ruby><rb>純</rb><rt>じゅん</rt></ruby>で飾り気もない愛だったから――。