Soranoha

嘘言と云ふことに就いての追想

きょげんということについてのついそう

伊藤 野枝

嘘言を吐つくと云ふことは悪いことだと私達はずつと小さい時から教へられて来ました。これは恐らく一番いけないことに違ひはありません。けれど私たちが今迄過ごして来たいろ〱なことについてふり返つて考へて見ますとき、私は何れの場合に於ても私の真実は恐らく――それが複雑であればある程、また心理的に傾く程、――一つも受け入れては貰へなかつたにもかゝはらず、私の虚偽は深ければ深い程都合よく受けられました。それは本当に偽りのない、真実な心として。

私の単純な幼い心は、たゞ一途に年長者たちに受け入れられると云ふことですべては打ち消されて何の不安も罪悪も感じませんでした。けれども刻々に変化してゆく私の心はだん〱にそれ等のことに向つて目をみはつて来ました。私がぢつと自分の嘘を用ゐることについて見てゐて一番に見つけ出したことは、具体的な事柄について嘘を吐いたときにはそして、それが悪気のない一時のごまかしであればある程最も多くの叱責をうけました。しかしそれにしても、だん〱にずるくなつて来て嘘に技巧を用ゐるやうになれば大方はそれが現はれないですんで仕舞ひます。まして気持の上の偽はりとか何とかになりますと殆んど何の問題にもならず他人の目にもふれずにすんでしまひます。もしそれを強ひて正直に人に説明しやうとでもするが最後それは全く飛んでもない誤解をうけて思ひがけない結果をもたらします。

「正直でなくてはならない。」と口癖に云つてゐる人々が不思議に正直でばかりはゐませんでした。私が大人と云ふものゝつまらない叱責や何かを受けたくない為めに嘘をこしらへて云ふのには自分ながら本当にわるいと云ふことを自覚してゐました。しかし、大人の嘘を見出す為め「手段の為め」の嘘は許さるべきものだと段々深く思ひ込むやうになりました。けれども他の嘘はめつたに吐いたことはありませんでした。大人の嘘をわるいともきたないとも思つたことはありませんでした。けれどもそれは私がたしか、十四の時だと思ひます。私にとつては恐らく一生涯忘れることの出来ない事がありました。大人の汚い心をまざ〱と見せつけられました。私の小さい心は怒りと驚きにふるへました。私はそのとき大人の醜い偽りと疑ひを知りました。私は十四になる迄にはかなり他の人たちの少女時代よりも複雑な境遇を経て来ました。けれども私は随分単純でした。私たちの尊敬する学校の先生たちが勿論私たちにいろんなことをおさとしになる程何処も彼処かしこもとゝのつた人だとは信じはしませんけれどもまさかに、そんなにも度はづれな疑ひやあとかたもないうそをついて生徒をいぢめるなどとは全く思ひもよらないことでした。

私が故郷の高等小学校の四年のときでした。私は、四年の十一月に長崎の学校から転じて来ましたので其処の田舎の学校の質素な所謂いわゆる校風にはまだまるきりなれてゐませんでした。それにそれ迄ゐた長崎の学校の受持教師のYと云ふ教師は非常に生徒を自由にさしてゐられたのです。少しも干渉らしいことをしたり云つたりされないのでした。それで私たちはずいぶん腕白でした。田舎にかへつて来てからも私は矢張り同じやうに無邪気に飛んだりはねたりしてゐました。校長室や職員室に恐れ気もなくづか〱はいつてゆけるのも私位のものでした。私のさういつた態度は始終、もう四年を最高級として、もう一人前の女として取り扱はうとしてゐる女の先生からは、つゝしみのないおてんばな娘として悪にくまれてゐました。けれど私がさうした事を気づく筈がありません。大部分の先生達は、私の快活を可愛がつて下さいました。私はそれによってます〱増長したと云つた調子でした。

受持の先生は、Tと云ふやさしい女の先生でした。ほんとに、「やさしい」と云ふことばで完全にその人のすべてを云ひつくせる人でした。その人は私を本当の妹のやうに可愛がつて下さいました。寂しいその先生はいつも私のおしやべりや歌やそれからお転婆な動作を見ては含み笑ひをしてゐました。私ばかりではなく私たちの級の人たちは皆この気の弱い先生をなつかしがつて大切にしてゐました。

私が長崎にゆく前丁度筑後からかへつて来て、少しの間矢張りこの学校にゐましたときこの学校にゐたHと云ふ先生が私が長崎からかへつたときには波多江はたえと云ふ処の小学校の校長になつて私の通つてゐる学校から半里ばかり先きの川縁の学校にゐました。その学校は私が尋常の一年に一寸ちょっと教はつたことのある方で私の家の直ぐ傍のKと云ふ女の先生も矢張り出てゐました。H先生もK先生も非常に私を可愛がつてくれました。私は始終学校の帰りを其処により道をしては遊びくらしてK先生と一緒にかへつて来ました。其処ではよくテニスをして遊びました。私の行つてゐる学校ではテニスの道具はありましたけれどそれは先生方の道具で先生丈だけしかそれではあそぶことが出来ませんでした。私は波多江に行つてテニスが出来たりオルガンを弾ひたりすることが出来るのがうれしいので一週に一度や二度は屹度きっとあそびにゆきました。

或る日、矢張り私は、前から約束しておきましたので其処へ出かけてゆきました。しばらくあそんでゐるうちに急に天気がわるくなつて大変なあらしになつて仕舞ひました。私は困つて仕舞ひました。外は、二三間先きも見えない程ひどい雨が降つて、おまけに風がピユー〱うなつて来るのです。止むか〱と思つて待つてゐるうちに夜になつて仕舞ひました。私は途方に暮れてゐましたがとても今日はこれではこれから二里以上の道を歩いてはかへれないからとK先生が明日私の家にはよく訳けをはなして詫びることになつて一緒にとまる事になりました。そして私たちはK先生もH先生も知つてゐるYと云ふ学校の直ぐそばの家に泊りました。H先生も学校の宿直室に泊ることになつたのです。

その翌日は幸ひにも雨はあがつてゐました。私は朝はやくおきて一たん家へかへつてそれから学校にゆかうと思つたのですが私の寝坊は学校の前を通りこして家へかへつてまた出直す程の時間の余裕をもてる程はやくは起きませんでしたので仕方なしにそのまゝ学校にゆきました。

私の一つ困つた事はその日図画があるのにその用意をしてゐなかつたことです。殊にその図画の先生は私を一番悪にくがつてゐたSと云ふ先生だつたのです。それに、その先生はこの学校の規則と云ふことを非常にやかましくいふ人だつたのです。「遺亡」と云ふ言葉も非常に主張してゐたのです。それはわすれものをした人につける名で監督日記の或る処にちやんとそう云ふ欄がもうけてあつて、針一本の忘れ物でも厳重に其処につけられて罰せられるのでした。私は其処に幾度かつけられました。私はありとあらゆるものに向つて一時に注意を向けることの出来ない性質でした。今でもさうですが一つの事を考へてゐれば屹度他のことは忘れて仕舞ひました。それでおとし物や物忘れは私にとつては珍らしいことではありませんでした。それで一度や二度罰せられた位では何の効もないのでした。S先生はそれを私の横着として見てゐました。私はS先生の目からは仕方のない横着者なのでした。私はさうしてS先生から睨まれてゐながらやつぱりぼんやりしてはS先生の気にさはるやうな事ばかり意地わるく仕出かしてゐました。後になつて、あれはS先生の御機嫌をわるくする事だつたと気づきますけれどもやつてゐるときには一向そんなことには気がつきませんから平気なのです。そんな風で私はS先生からは一方ならぬ奴だとされてゐたのでした。私は図画の用意をしてゐないことが一寸いやな気がしましたけれども学校に行つて先生の顔を見るなり直ぐに断はりました。

「先生、昨夜他へとまりましたので図画の用意をして来ることが出来ませんでした」

先生は意地の悪いかほをして笑ひながら

「そんなことを云つて誤魔化さうとするのでせう? 本当は忘れて来たのでせう」

「いゝえ、本当に泊つたのです」

「そんなら何故昨日その用意をしておかなかつたのです」

「でも先生、昨日は泊るつもりではなかったのです」

「一体何処に泊つたのです」

「波多江に」

「波多江? 波多江の何処です」

「私はよく知りませんがYとか云ふ家です」

「Y? フフン、H先生の処へ行つたんですね」

「えゝ」

「H先生と一緒に泊つたのですか」

「いゝえ、H先生は学校に、K先生と私丈けがYに」

先生は意地悪く私の顔を見ながらそのまゝ黙つて向ふの方へ行かれました。私は子供ながらも無礼なS先生の問ひ方や態度に激しい憤りを覚えながらもS先生に断つたと云ふ安神あんしんでその時間が来る迄は図画のことなどはけろりと忘れてゐました。

時間前になつて皆が机の上に筆洗や絵の具皿などを並べて用意にかゝつたときに私は、すつかり悄気しょげて仕舞ひました。S先生ははいつて来るなり、私の方に冷たい視線を投げて知らぬ顔をしたなりに、外の方達の絵の具の混ぜ方や何かに注意を与へてゐました。私は何をしていゝかわからなくて呆然としてゐました。S先生が直ぐ傍を通りかゝつたときに私は何をしたらいゝか聞いて見ました。すると、

「何でも御勝手に、」とツンとしてあちらへ行つておしまひになりました。

私は仕方なしに、鉛筆をもつていろ〱な物の輪廓をとつて見たりなんかしてゐましたけれどもそれにもちつとも興味が続きませんのでボンヤリ隣席の人の彩色するのなんか眺めてゐました。そうしてやつと一時間が済んでほつとしました。S先生にはずゐぶん腹がたちましたけれどつまらない一つことにながく怒つてゐられない私は何時の間にか次の時間には忘れるともなく忘れて一生懸命に理科の説明をきいてゐました。

五時間の授業がすみまして私が帰りかけたときにT先生が少し用があるから残つてゐらつしやいと他の級の生徒にことづけてよこされました。私は何の用なのかと思つてお当番の加勢をしたりして何時迄まつても何の沙汰もないので私はもしか先生が忘れてお出になるのかもしれないと思つて聞きにゆかうとする頃やうやく先生はむかうからお出になつてこちらへゐらつしやいと、廊下の角に私をまたせて一たん職員室にはいつて御自分の傍の火鉢をかゝえて出て来て、一緒に二階の講堂にゆきました。講堂はがらんとした広い〱室でした。おちつき処もないやうなその冷たい室にはいるなり私は泣き出したくなりました。何故今迄もまたしておいて先生はこんな処に私をお連れ込みになるのだらうと思ひますとT先生に、腹がたつて来るのでした。先生は其処に沢山ならんでゐる、小さな木の腰掛の上に抱へて来た火鉢をおいて黙つて立つてゐる私に手まねきをなさいました。私はだまつてその傍にゆきました。暫しばらく両方でだまつてゐました。

「あなたは、昨夜何処かへ泊つたんですつてね」

すこしたつてT先生は尋ねました。

「えゝ、波多江のYと云ふ家に泊りました」

「其処はお料理家ださうですね」

「さうですか、私は何にも知りませんけれど夜になつてK先生と一緒に泊りにゆきました、そんなことはすこしも知りません」

「さうでせうね、ですけれどS先生は大変いけないつて云つてゐらつしやいますよ。それはお家のお許しもなかつたのでせう?」

「えゝ、だつてK先生と一緒にかへる筈でしたけれどあのあらしでかへれませんでしたから仕方なしに泊りました。今日うちにはK先生がよくわけを話して下さることになつてゐます」

「さうですか、けれどもS先生はおうちのおゆるしもないのにそんな家に泊つたと云ふことは大変いけないと云つてらつしやいます。それにあすこが料理屋だと云ふことを知らない筈はないからきつと知らないなどゝうそをつくだらうと云つてゐらつしやいますよ」

「先生、私はあの近所は学校以外に何処も知りません。そしてYと云ふ家は生徒の家ださうです。私はうそは云ひません。もしうそだとお思ひになりますならばK先生にお聞き下さればおわかりになります。昨日のあらしに、どうして私一人で暗くなつてから帰れませう。本当に仕方なしに泊つたのです」。私は、それ丈け云ひますと涙がこみ上げて来て唇がふるえて口がきけなくなりました。私はたゞH先生とK先生との処へあそびに行つた。そしてかへる時間にひどいあらしになつて夜になつてもやまない。乗物も何にもないのにあんなさびしい道を二里以上も私がかへれないと云ふことを誰が不思議に思はう、止むを得ずすゝめられるまゝに不安ながらどうすることも出来ないで泊つた。其れがどうしていけないことなのか私にはどうしてもこうしてさむい処に日暮近くまで待たされて叱かられる理由を見出しかねました。私は理由もなしに虐待されるのだと思つたときにS先生の悪々にくにくしい朝からの容子ようすを思ひ出さずにはゐられませんでした。それにまたT先生までがこの理由もないことに一緒になつてお叱りになると思つたとき私は悲しさと腹立たしさが一ぱいになつたのです。膝の上においた私の手の甲に涙がボタボタ落ちました。私はだまつて泣いてゐました。暫くして涙を拭いて火鉢の赤火を見るともなく見てゐますとその灰の中に先生の涙がポトリポトリ続けさまに落ちてゐます。ハツとして先生の顔を見ますとT先生は泣いてお出になりました。先生が何か云はうとなすつたとき階段に足音がしてたれかゞ来るけはいがしました。直ぐ入口に校長の姿が見えました。私はだまつて校長の顔を見ました。先生は丁寧に頭をお下げになりました。私も一緒に頭を下げました。校長はだまつてそこの高いプラトフオームにたちました。そして其処の大きな卓子テーブルの前の椅子に腰をかけました。瞬間に私は校長からも叱かられるのだと思ひました。此度は私はもう泣きませんでした。私の小さな体は激昂に炎もえてゐました。私はぢつと校長の顔を睨みました。校長も白い目をして私を見つめました。何時までも私は校長をにらんで校長も私をにらみながらだまつてゐました。

「校長先生のお前にゐらつしやい」

消え入るやうな声でT先生が仰云おっしゃひました。

私は体中を反抗の血で一杯にしてわく〱させながら校長の前に立ちました。たつて私がまつすぐ目をやりますと校長の膝のあたりにしか私の頭はとゞきませんでした。私は校長の顔を見やうとすればイヤと云ふ程仰向かねばなりませんでした。校長はしばらくして咳ばらひをしながら、丁度今一寸前にT先生が私に尋ねたと同じ順序で同じ事を尋ねました。私は同じことを答へました。最後に校長は云ひました。

「あなたの云ふのはうそではないかもしれないけれども父母の許もうけずに他へ泊るなどといふことは大変わるいことです。お父さんやお母さんがどんなに御心配なさるかもしれません。第一さういふ遠い処に学校のかへりにあそびにゆくと云ふのがまちがひです」

「でも先生、何時でも行くんです。そしてK先生と一所に何時でもかへりますから家ではよく承知してゐるのです。昨日もあすこに行つたことは家でも知つてゐますから、あんなあらしになつてとてもかへれなかつたと云ふことは家の人にもわかつてゐますし、K先生もおかへりになつてはゐませんから。――」

「まあお待ちなさい。あなたは一体つゝしみをしらない。私がまだ話して了しまはないうちに何を云ふのです、私はあなたの先生ですぞ」

校長先生はまつ青になつて怒りました。

「女はもう少し女らしくするものです。第一もうあなた位の年になれば遊ぶことよりも少しでも家の手伝ひでもすることを考へなくてはならない。昨日のことは仕方がなかつたとしてももしもあなたがもつと女らしい、心がけのいゝ人ならあんな処に遊びに出かけることもないだらうしそうすればあんな間違ひはおこらない。第一不意にさうして心配をかけることもないし学科にさしさはりの出来るやうなこともないし、常々うちの手伝ひでもしてゐれば家の為めにもどの位なるかしれない。それにあなたは何だつてHさんの学校へなどあそびにゆくのです。あなたはあすこの学校へ何の関係があります。関係もない処に遊びに行つて泊るなどゝ実にけしからん事です。あなたはどんなに悪い事をしたのか分つてゐますか?」

「私は何にも悪いことは一つもしません、悪いことなんか一つもしません」

私はせき込んで漸くそれ丈け出来るかぎりの力をこめて叫びました。実際私は何にも悪いことはしませんでした。悪いことをしたといふ意識は何処を叩いてもありませんでした。そうして私は何一つかくさずにありのまゝを云ひました。私の小さな頭をしぼりつくしていくら悪い理由をこしらへやうとしても出来ませんでした。私はわるいことなんか一つもした覚えはない! もう一度自分の心の中でさう叫びながら私は真青になりました。立つてゐる足が体をさゝえきれない程に震へるのでした。

「それ、そんな傲慢なことをまた云ふ。これがどうして悪いことでないと云へます。あなたは少しも物の道理をしらない、長上を尊敬することをしらない。いくら、学科が出来やうと何しようと慎しみのない女は人の上にたつ資格はありません。以後再びこんなことがあれば決して、許しておけませんからそのつもりで――」

おしまへに力を入れてそれ丈け云ふともう小暗くなつた広い室へやの中をおちつきもなく睨みまはしてそゝくさと降りてお出になりました。実際はまだ随分いろ〱と頑迷な理屈をならべたのですけれどももう五六年も前のことで一々ハツキリとは覚えて居ません。校長が出てゆくと私の頭の中は一時に真暗になつてガン〱鳴り出しました。私はT先生の其処にゐることなどは忘れてしまつて見むきもしないで下にかけおりるなり真暗な教室に荷物をとりにはいりました。私はしばらくそこに腰をかけて机の上につつ伏してゐました。涙はあとから〱と湧き出て来るのです。二十分位もさうやつてゐてふと日が暮れたことに気がつきますと私は、いそいで、包みをひろげて包み残りのものをすつかり机の中から出して机の中はきれいな反古紙で拭いて何にも残さないやうに包みました。私はこの不条理な叱責を公平な父につげて明日からは学校にゆかない決心をしたのでした。外に出ると日はもうすつかり暮れてしまつて寒さは強いし、道はこねかへしたやうに悪くて、ひくい下駄では満足には歩けませんでした。そんな暗い悪い、人通りもない道を一里以上も泣きながらかへつてゆきました。

K先生は約束のとほりに家にわけを話して下さいました。勿論家のものもあのあらしではと少しも気にかけてはゐませんでした。そして却つて私の今日のかへりのおそいことに気をもんでゐました、私はかへるなり袴もとらずに明るいランプの下で近所の人と世間話をしてゐた父の前に座つて今日の不法な先生の態度や叱責を委くわしくはなして明日からはもうあの学校には行かないと結びました。父は一ことも返事らしいことも何にも云ひませんで黙つてゐました。

翌日もその翌日も友達が誘ひに来ても断はつて学校へはゆかずに終日古い本箱のふたをあけたり、犬をいぢつたりして祖母のそばで暮しました。二日目の夕方私が夕御飯前に犬をからかひながら松原へあそびに出たるすにT先生がうちに来られて父としばらく話をしてそれから私をたづねて松原へ出てお出になりました。そして、出会ふといきなり先生は私の手をしつかり握つてどもり〱私におわびを仰云るのでした。それは自分がよはいために職員室で大勢の方たちの前で私のわるいことをいろ〱ならべたてゝあんな子供を訓戒も何にもあたへずに放つておくといふ法はないと云ふことをしきりにT先生にS先生があてこすつたのを、見かねたやうな顔をしてMと云ふ先生があなたが云ひにくければ校長にたのんで訓して貰つた方がいゝではないか、校長には自分がたのんでやると仰云つたのでつい心よはさからM先生がS先生と同じ腹の人だと云ふことをしりながらいやだとも云へないで「自分がゆき届かないのだからいゝやうになすつて下さい」と云ふよりしかたがなかつた。自分は何と云ふふがひないものだらう。とT先生は私に涙と一緒に其処にしやがんで話されるのでした。さうして何卒自分を許して明日から学校に出てくれ、たのむと先生は手をつかないばかりに仰言おっしゃひますので私も出る気になりましたけれどもう学校は決して楽しい処ではなくなりました。私は二度と再び職員室になんかはいるものかと思ひました。

其の次に私がH先生に会ひましたときに先生は意外にも、

「此の間の日曜にSさんに会つたら、Tさんが波多江のYに野枝さんがあなたと一緒にとまつたと云ふことについて大変怒つて、本当に、野枝さんが可愛さうなやうでした。おまけに、校長に迄訓戒をさせるんですもの何にも別にわるいことはないぢやありませんか、野枝さんは、K先生と泊つたと云つてゐるのにH先生と泊つたのでうそをついてゐるのだとさういつてらつしやるのですよと云ふので、私はそれはちがひます、僕はあの晩はC君と一緒に学校にとまりました。Kさんと野枝さんがYにとまつたのです。と云つたら、さうでせうね私は屹度さうなんだと云ひますのにね、きかないんですものMさんと相談して校長の処にそんなつまらないことを持ち込んでゆくのですもの本当に可愛さうぢやありませんか、それに丁度とまつた翌日は私の図画があることになつてゐましたのにね野枝さんは用意してゐなかつたので私に大変すまないから放つておいてくれなんてTさんは云ふのですよ、あんな優しさうな顔してゐながら本当にえらい事を仰云ひます。可愛さうに野枝さんは二日ばかり学校に来なかつたんですよ、あんまりTさんは下らないことに迄干渉しすぎますなんてしきりにT先生の悪口を云つてゐたよ、私は別に何とも云はなかつたけれど先生ひとりで怒つてゐた。何つて云つて叱かられたの」

「嘘! 嘘つきね、S先生は!」

私は驚ろいてにはかには云ふことも失つてしまふ程でした。私のあたまがどんなに子供の頭でもそれが立派なこしらへた嘘だといふことは分りますのに、先生がまあそんな醜いうそをついて迄自分を保たうとしてその為めに善良なT先生迄も貶すと云ふことがどれ程私にとつて驚くべきことであつたか分りませんでした。私の頭はひつくりかへるやうなさはぎでした。もう一二年もたつてからの私ならばその位のうそに驚きはしませんけれど、私の考てゐた大人の嘘とはあんまりにちがつてゐました。自分の悪いことをそのまゝ他人になすりつけて自分丈けがいゝ子になると云ふことがどの位わるいたくらみに見えたかしれません。その日は全く私はろくに口もきかずにかへりました。そして私はT先生に一晩中かゝつて永い手紙を書きました。今日H先生にきいたことは一句もらさず書きました。そうしてS先生は何といふ恐ろしい方でせうと書きました。やがてT先生から御返事が来ました。それにはS先生としてはあの位のことが何でもないことであることやもつと大人と云ふものは穢きたない心を沢山もつてゐることや自分でも心の中にはずつとそれよりも汚い悪いことを考へてゐるかもしれないと云ふこと等がならべてありました。そうして自分のそんな事を考へてゐると先生などはとても出来る資格のないことを思ふ。と云ふやうなことがながく〱分りやすい言葉で書いてありました。

私が此処に何の為めにこんな叙事を長くつゞけたかおわかりにならない方があるかもしれません。私は「嘘」と云ふ言葉を思ひ出すと何時もこのことを考へ出さずにはゐられない程強くこの事は私の頭の中に印象を残したのです。こんなことはざらに其処らに転がつてゐます。けれどそれはまだほんの子供の小さな頭でうそと云ふものは本当のことを云つて叱られると云ふやうな場合にたゞその叱責をのがれる為めに吐くといふ――しかもそれは子供にとつてはしかられるやうな事を仕出かしてもその仕出かした動機は自分でも正しいと得心が出来る事なのでそれを叱られないやうに嘘をつくと云ふことが別に悪いことではないと無意識に思ひ込んてしまふのだ。(その罪は実際は大人にある)――位な考へしか持つてゐないのにいきなりそんな醜いうそを見せられたのです。本当におどろかずにはゐられません。

けれども私が学校を卒業してだん〱時がたつにつれてその嘘は何でもなくなりましたけれどそのかはり此度は私が校長に何の為に叱られたかゞ分らなくなりました。私は或る時ふつと思ひついてS先生も校長もH先生もT先生もよく知つてゐる人にそのことを話ました。するとその人は突然皮肉な声で哄笑しながら

「あゝSですか、なに、あの女の例のやきもちからさ、あなたはまだ小さくてわからなかつたらうがいゝ迷惑さね、あなたがあの女には大人並に見えた迄さハヽヽヽハヽいゝ目に会ひましたね」

嘲けるやうな目付きをその人はしました。それを聞いてから私の不快な印象は更に深みをましました。そうしてS先生の嘘がまたよみ返つて来て多くの意味を持つて考へられるやうになりました。

私にとつてはこの印象は一日も今迄わすれられないものゝ一つです。これ程すべてに淡泊すぎる程忘れることのはげしい怠けもの(?)の頭に深くきざみつけられてゐるのです。一生とり返すことの出来ない屈辱が時々あたまをもたげます。けれども私のこの苦い印象は私に、いろ〱なことを教へてくれました。嘘といへば直ぐこのことを思ひ出すことが出来る程の印象を私がもつてゐることは私自身の嘘を警戒するばかりでなく私は私の子供の為めにも一つの幸ひであることを思ひますと、私は本当に尊いものを一つ持つてゐることを感じます。私は私のこの追想がこれを読んで下さる方に何かの影をおとす丈けでも満足に思ひます。

[『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号]

底本 / Source edition

底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第五巻第五号」
1915(大正4)年5月1日
初出:「青鞜 第五巻第五号」
1915(大正4)年5月1日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:雪森
2014年11月14日作成
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TEI
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書誌 / Bibliography
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伊藤 野枝「嘘言と云ふことに就いての追想」(新字旧仮名)、底本『定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代』學藝書林、2000年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056235_000416, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite