Soranoha

吾妻橋

あづまばし

永井 荷風、永井 壮吉

一

毎夜まいよ吾妻橋あづまばしの橋はしだもとに佇立たゝずみ、徃来ゆきゝの人ひとの袖そでを引ひいて遊あそびを勧すゝめる闇やみの女をんなは、梅雨つゆもあけて、あたりがいよ〱夏なつらしくなるにつれて、次第しだいに多おほくなり、今いまではどうやら十人にん近ちかくにもなつてゐるらしい。女達をんなたちは毎夜まいよのことなので、互たがひにその名なもその年齢としもその住すむ処ところも知しり合あつてゐる。

一同みんなから道みつちやんとか道子みちこさんとか呼よばれてゐる円顔まるがほの目めのぱつちりした中肉中丈ちゆうにくちゆうぜいの女をんながある。去年きよねんの夏頃なつごろから此この稼場かせぎばに姿すがたを見みせ初はじめ、川風かはかぜの身みに浸しむ秋あきも早はやく過すぎ、手袋てぶくろした手先てさきも凍こゞえるやうな冬ふゆになつても毎夜まいよ休やすまずに出でて来くるので、今いまでは女供をんなどもの中なかでも一番ばん古顔ふるがほになつてゐる。

いつも黒くろい地色ぢいろのスカートに、襟えりのあたりに少すこしばかりレースの飾かざりをつけた白しろいシヤツ。口紅くちべにだけは少すこし濃こくしてゐるが、白粉おしろいはつけてゐるのか居ゐないのか分わからぬほどの薄化粧うすげしやうなので、公園こうゑんの映画えいぐわを見みに来くる堅気かたぎの若わかい女達をんなたちよりも、却かへつてジミなくらい。橋はしの欄干らんかんのさして明あかからぬ火影ほかげには近ちかくの商店しやうてんに働はたらいてゐる女をんなでなければ、真面目まじめな女事務員をんなじむゐんとしか見みえないくらい、巧たくみにその身みの上うへを隠かくしてゐる。そのため年齢としも二十二三には見みられるので、真まことの年としはそれより二ふたツ三みつツは取とつてゐるかも知しれない。

道子みちこは橋はしの欄干らんかんに身みをよせると共ともに、真暗まつくらな公園こうゑんの後うしろに聳そびえてゐる松屋まつやの建物たてものの屋根やねや窓まどを色取いろどる燈火とうくわを見上みあげる眼めを、すぐ様さま橋はしの下したの桟橋さんばしから河面かはづらの方はうへ移うつした。河面かはづらは対岸たいがんの空そらに輝かゞやく朝日あさひビールの広告くわうこくの灯ひと、東武電車とうぶでんしやの鉄橋てつけうの上うへを絶たえず徃復わうふくする電車でんしやの燈影ほかげに照てらされ、貸かしボートを漕こぐ若わかい男女だんぢよの姿すがたのみならず、流ながれて行ゆく芥ごみの中なかに西瓜すゐくわの皮かはや古下駄ふるげたの浮ういてゐるのまでがよく見分みわけられる。

折をりから貸かしボート屋やの桟橋さんばしには舷ふなばたに数知かずしれず提燈ちやうちんを下さげた凉船すゞみぶねが間まもなく纜ともづなを解といて出でやうとするところらしく、客きやくを呼込よびこむ女をんなの声こゑが一層そう甲高かんだかに、「毎度まいど御乗船ごじようせんありがたう御在ございます。水上すゐじやうバスへ御乗おのりのお客きやくさまはお急いそぎ下くださいませ。水上すゐじやうバスは言問こととひから柳橋やなぎばし、両国橋りやうごくばし、浜町河岸はまちやうがしを一周しうして時間じかんは一時間じかん、料金れうきんは御ご一人にん五十円ゑんで御在ございます。」と呼よびつゞけてゐる。橋はしの上うへは河かはの上うへの此この賑にぎはひを見みる人達ひとたちで仲見世なかみせや映画街えいぐわがいにも劣おとらぬ混雑こんざつ。欄干らんかんにもたれてゐる人達ひとたちは互たがひに肩かたを摺すれ合あはすばかり。人ひとと人ひととの間あひだに少すこしでも隙間すきまが出来できると見みると歩あるいてゐるものがすぐ其跡そのあとに割込わりこんで河水かはみづの流ながれと、それに映うつる灯影ほかげを眺ながめるのである。

道子みちこは自分じぶんの身近みぢかに突然とつぜん白しろヅボンにワイシヤツを着きた男をとこが割込わりこんで来きたのに、一寸ちよつと身みを片寄かたよせる途端とたん、何なんとつかずその顔かほを見みると、もう二三年ねん前まへの事ことであるが、パレスといふ小岩こいはの遊あそび場ばに身みを沈しづめてゐた頃ころ、折々をり〱泊とまりに来きた客きやくなので、調子てうしもおのづから心こゝろやすく、

「アラ、木嶋きイさんぢやない。わたしよ。もう忘わすれちやつた。」

男をとこは不意ふいをくらつて驚おどろいたやうに女をんなの顔かほを見みたまゝ何なんとも言いはない。

「パレスの十三号がうよ。道子みちこよ。」

「知しつてゐるよ。」

「遊あそんでツてよ。」と周囲しうゐの人込ひとごみを憚はゞかり、道子みちこは男をとこの腕うでをシヤツの袖そでと一しよに引張ひつぱり、欄干らんかんから車道しやだうの稍やゝ薄暗うすぐらい方はうへと歩あゆみながら、すつかり甘あまえた調子てうしになり、

「ねえ、木嶋きイさん。遊あそんでよ。久ひさしぶりぢやないの。」

「駄目だめだよ。今夜こんやは。持もつてゐないから。」

「あつちと同おなじでいゝのよ。お願ねがひするわ。宿賃やどちんだけ余計よけいになるけど。」と言いひながら、道子みちこは一歩一歩ひとあしひとあし男をとこを橋向はしむかうの暗くらい方はうへと引ひツ張ぱつて行ゆかうとする。

「どこへ行ゆくんだ。宿屋やどやがあるのか。」

「向むかうの河岸かしに静しづかないゝ家うちがあるわ。わたし達たちなら一時間じかん二百円ひやくゑんでいゝのよ。」

「さうか。お前まへが彼処あつちに居ゐなくなつたのは、誰だれか好すきな人ひとができて、一緒しよになつたからだと思おもつてゐたんだ。こんな処ところへ稼かせぎに出でてゐるとは知しらなかつたヨ。」

「わたし、パレスの方はうは借金しやくきんは返かへしてしまふし、御礼奉公おれいぼうこうもちやんと半年はんとしゐてやつたんだから、母かアさんが生いきてれば家うちへ帰かへつて堅気かたぎで暮くらすんだけれど、わたし、あんたも知しつてる通とほり、父とうさんも母かアさんも皆みんな死しんでしまつて、今いまぢやほんとの一人ひとりぼつちだからさ。こんな事ことでもしなくツちや暮くらして行ゆけないのよ。」

男をとこは道子みちこが口くちから出でまかせに何なにを言いふのかといふやうな顔かほをして、ウム〱と頷付うなづきながら、重おもさうな折革包をりかばんを右みぎと左ひだりに持もちかへつゝ、手てを引ひかれて橋はしをわたつた。

「此方こつちよ。」と道子みちこはすぐ右手みぎての横道よこみちに曲まがり、表おもての戸とを閉しめてゐる素人家しもたやの間あひだにはさまつて、軒先のきさきに旅館りよくわんの灯あかりを出だした二階建かいだての家うちの格子戸かうしどを明あけ、一歩ひとあし先さきへ這入はいつて「今晩こんばんは。」と中なかへ知しらせた。其声そのこゑに応おうじて、

「入いらつしやいまし。」と若わかい女中ぢよちゆうが上あがり口ぐちの板いたの間まに膝ひざをつき、出だしてあるスリツパを揃そろへ、「どうぞ、お二階かいへ。突当つきあたりが明あいてゐます。」

梯子段はしごだんを上あがると、廊下らうかの片側かたがはに顔かほを洗あらふ流ながし場ばと便所べんじよの杉戸すぎどがあり、片側かたがはには三畳でふと六畳でふの座敷ざしきが三間みまほど、いづれも客きやくがあるらしく閉しめ切きつた襖ふすまの外そとにスリツパが㧞ぬぎ捨すてゝある。

道子みちこは廊下らうかの突当つきあたりに襖ふすまのあけたまゝになつた奥おくの間まへ、客きやくと共ともに入はいると、枕まくら二ふたツ並ならべた夜具やぐが敷しいてあつて、窓まどに沿そふ壁際かべぎはに小形こがたの化粧鏡けしやうかゞみとランプ形がたのスタンドや灰皿はひざら。他たの壁かべには春画しゆんぐわめいた人物画じんぶつぐわの額がくがかゝつて、其下そのしたの花瓶くわびんには黄色きいろの夏菊なつぎくがさしてある。

道子みちこは客きやくよりも早はやく着きてゐる物ものをぬぎながら、枕元まくらもとの窓まどの硝子障子がらすしやうじをあけ、「こゝの家うち、凉すゞしいでせう。」

窓まどの下したはすぐ河かはの流ながれで駒形橋こまがたばしの橋影はしかげと対岸たいがんの町まちの灯ひが見みえる。

「ゆつくり遊あそびませうよ。ねえ、あなた。お泊とまりできないの。」

客きやくは裸体はだかのまゝ窓まどに腰こしをかけて煙草たばこをのむ女をんなの様子やうすを眺ながめながら、

「お前まへ、パレスにゐた時分じぶん露呈症ろていしやうだつて云いはれてゐたんだらう。まつたくらしいな。」

「露呈症ろていしやうツて何なによ。」

「身体中からだぢゆうどこも隠かくさないで平気へいきで見みせることさ。」

「ぢや、ストリツプは皆みんなさうね。暑あつい時ときは凉すゞしくつていゝわ。さア、あんたもおぬぎなさいよ。」と道子みちこは男をとこのぬぎかけるワイシヤツを後うしろから手てつだつて引ひきはがした。

二

道子みちこはもと南千住みなみせんぢゆの裏長屋うらながやに貧まづしい暮くらしをしてゐた大工だいくの娘むすめである。兄あにが一人ひとりあつたが戦地せんちへ送おくられると間まもなく病気びやうきで倒たふれ、父ちゝは空襲くうしふの時とき焼死せうしして一家か全滅ぜんめつした始末しまつに、道子みちこは松戸まつどの田舎ゐなかで農業のうげふをしてゐる母親はゝおやの実家じつかへ母はゝと共ともにつれられて行いつたが、こゝも生活くらしには困こまつてゐたので、母はゝの食料しよくれうをかせぐため、丁度ちやうど十八になつてゐたのを幸さいはひ、周旋屋しうせんやの世話せわで、その頃ころ新あらたにできた小岩こいはの売笑窟ばいせうくつへ身売みうりをしたのである。

男をとこはまだ初はじめてと云いふ年頃としごろであるが、気きの持もちやう一ひとツで、女をんなならば誰だれにでも出来できる商売しやうばいのこと。道子みちこは三月みつきたゝぬ中うち立派りつぱな稼かせぎ人にんとなり、母はゝへの仕送しおくりには何なんの滞とゞこほりもなくやつて行いつたが、程ほどなく其母そのはゝも急病きふびやうで死しんでしまひ、道子みちこはそれから以後いご、店みせで稼かせぐ金かねは、いかほど抱主かゝへぬしに歩割ぶわりを取とられても、自分じぶん一人ひとりでは使つかひ切きれないくらいで、三年ねんの年季ねんきの明あける頃ころには鏡台きやうだいや箪笥たんすも持もつてゐたし、郵便局いうびんきよくの貯金ちよきんも万まん以上いじやうになつてゐたが、帰かへるべき家うちがないので、その頃ころ半年はんとしあまり足繁あししげく通かよつてくるお客きやくの中なかで、電話でんわの周旋屋しうせんやをしてゐる田中たなかと云いふ男をとこが、行末ゆくすゑは表向おもてむき正妻せいさいにすると云いふはなしに、初はじめはその男をとこのアパートに行ゆき、やがて三みノ輪わの電車通でんしやどほりに家いへ一軒けん借かりると、男をとこの国元くにもとから一度ど嫁よめに行いつたことのある出戻でもどりの妹いもうとに、人好ひとずきのよくない気きむづかしい母親はゝおやとが出でて来きたゝめ、針仕事はりしごとも煮炊にたきもよくは出来できない道子みちこは手馴てなれない家庭かていの雑用ざつように追おはれる。初はじめから気質きしつの合あはない家族かぞくとの折合をりあひは日ひを追おふに従したがつて円滑ゑんくわつには行ゆかなくなり、何なにかにつけてお互たがひに顔かほを赤あからめ言葉ことばを荒あらくするやうな事ことが毎日まいにちのやうになつて来きたので、道子みちこは客商売きやくしやうばいをしてゐた小岩こいはの生活せいくわつのむかしを思返おもひかへしてふて腐くされる始末しまつ。それに加くはへて男をとこの周旋業しうせんげふも一向かううまくは行ゆかないところから、一年後ねんごには夫婦別ふうふわかれと話はなしがきまり、男をとこは母はゝと妹いもうととを連つれて関西くわんさいへ行ゆく。道子みちこは其辺そのへんのアパートをさがして一人暮ひとりぐらしをすることになつたが、郵便局いうびんきよくの貯金ちよきんはあらかた使つかはれてしまひ、着物きものまで満足まんぞくには残のこつてゐない始末しまつに、道子みちこはアパートに出入でいりする仕出屋しだしやの婆ばあさんの勧すゝめるがまゝ、戦後せんご浅草あさくさ上野辺うへのへんの裏町うらまちに散在さんざいしてゐる怪あやし気げな旅館りよくわんや料理屋れうりやへ出入でいりしてお客きやくを取とりはじめた。然しかし毎日毎晩まいにちまいばんといふわけには行ゆかない。四五日目にちめに一人ひとりか二人ふたりもあればいゝ方はうなので、道子みちこはその頃ころ頻しきりと人ひとの噂うはさをする浅草公園あさくさこうゑんの街娼がいしやうにならうと決心けつしんしたが、どの辺へんに出でていゝのか見当けんたうがつかないので、様子やうすをさぐりに、或日あるひあたりの暗くらくなるのを待まち、映画見物えいぐわけんぶつの帰かへりのやうな風ふうをして、それらしく思おもはれる処ところをあちこちと歩あるき廻まはつてゐる中うち、いつか仮普請かりぶしんの観音堂くわんおんだうの前まへに来きかゝつたのに心こゝろづき、賽銭箱さいせんばこに十円札ゑんさつを投はふり込こみ手てを合あはして拝をがんでゐた時ときである。「アラ、道みつちやん」と呼よびかけられ、驚おどろいて振返ふりかへつて見みると、小岩こいはの私娼窟ししやうくつにゐた頃ころ姉妹きやうだいのやうに心安こゝろやすくしてゐた蝶子てふこといふ女をんな、もとは浅草あさくさの街娼がいしやうをしてゐた事こともあるといふ女をんななので、訳わけを話はなして、道子みちこはその辺へんの蕎麦屋そばやに誘さそひ、委くはしくいろ〱の事情じじやうをきいた。

このあたりで女達をんなたちの客引きやくひきに出でる場所ばしよは、目下もくか足場あしばの掛かゝつてゐる観音堂くわんおんだうの裏手うらてから三社権現じやごんげんの前まへの空地あきち、二天門てんもんの辺あたりから鐘撞堂かねつきだうのある辨天山べんてんやまの下したで、こゝは昼間ひるまから客引きやくひきに出でる女をんながゐる。次つぎは瓢箪池へうたんいけを埋うづめた後あとの空地あきちから花屋敷はなやしきの囲かこひ外そとで、こゝには男娼だんしやうの姿すがたも見みられる。方角はうがくをかへて雷門かみなりもんの辺へんでは神谷かみやバーの曲角まがりかど。広ひろい道路だうろを越こして南千住行みなみせんぢゆゆきの電車停留場でんしやていりうぢやうの辺あたり。川沿かはぞひの公園こうゑんの真暗まつくらな入口いりぐちあたりから吾妻橋あづまばしの橋はしだもと。電車通でんしやどほりでありながら早はやくから店みせの戸とを閉しめる鼻緒屋はなをやの立たちつゞく軒下のきした。松屋まつやの建物たてものの周囲ゐまはり、燈火あかりの少すくない道端みちばたには四五人にんヅヽ女をんなの出でてゐない晩ばんはない。代金だいきんは誰だれがきめたものか、いづこも宿賃やどちん二三百円びやくゑんを除のぞいて、女をんなの収入しうにふは客きやく一人ひとりにつき普通ふつうは三百円びやくゑんから五百円ひやくゑん、一泊ぱくは千円せんゑん以上いじやうだと云いふ。

道子みちこは唯たゞ何なんといふ訳わけもなく吾妻橋あづまばしのたもとが好よさゝうな気きのするまゝ、こゝを出場所でばしよにしたのであるが、最初さいしよの晩ばんから景気けいきが好よく、宵よひの中うちに二人ふたり客きやくがつき、終電車しゆうでんしやの通とほり過すぎる頃ころにつかまへた客きやくは宿屋やどやへ行いつてから翌朝よくあさまで泊とまりたいと言出いひだす始末しまつであつた。

道子みちこは小岩こいはの売笑窟ばいせうくつにゐた時ときから男をとこには何なんと云いふわけもなく好すかれる性質たちの女をんなで、少すこし此この道みちの加減かげんがわかるやうになつてからは、いかに静しづかな晩ばんでも泊とまり客きやくのないやうな夜よるはなかつたくらい。吾妻橋あづまばしへ出でるやうになつても客きやくのつくことには変かはりがなく、其その月つきの末すゑにはハンドバツグの中なかに入いれた紙入かみいれには百円札ひやくゑんさつや千円札せんゑんさつがいくら押込おしこまうとしても押込おしこめない程ほどであつた。

道子みちこは再ふたゝび近処きんじよの郵便局いうびんきよくへ貯金ちよきんをし初はじめた。

三

或日あるひの朝あさも十時じ過すぎ。毎夜まいよ泊とまりの客きやくを連込つれこむ本所ほんじよの河岸かしの宿屋やどやを出でて、電車通でんしやどほりでその客きやくとわかれ、道子みちこは三みノ輪わの裏通うらどほりにあるアパートへ帰かへつて来くると、窓まどの下したは隣となりの寺てらの墓地ぼちになつてゐる木この間まから、今朝けさは平素ふだんよりも激はげしく匂にほひわたる線香せんかうの烟けむりが風かぜになびいて部屋へやの中なかまで流ながれ込こんでくるやうにも思おもはれた。

昼寐ひるねの夜具やぐを敷しきながら墓地ぼちの方はうを見下みおろすと、いつも落葉おちばに埋うづもれたまゝ打棄うちすてゝある古ふるびた墓はかも今日けふは奇麗きれいに掃除さうぢされて、花はなや線香せんかうが供そなへられてゐる。本堂ほんだうの方はうでは経きやうを読よむ声こゑ、鉦かねを打うつ音おともしてゐる。道子みちこは今年ことしもいつか盆ぼんの十三日にちになつたのだと初はじめて気きがついた時ときである。聞きき馴なれぬ女をんなの声こゑを聞ききつけ、又またもや窓まどから首くびを出だして見みると、日本髪にほんがみに日本服にほんふくを着きた奥おくさまらしい若わかい女をんなと、その母親はゝおやかとも思おもはれる老婆らうばの二人ふたりが、手桶てをけをさげた寺男てらをとこに案内あんないされて、石いしもまだ新あたらしい墓はかの前まへに立たつて、線香せんかうの束たばを供そなへてゐる。

道子みちこはふと松戸まつどの寺てらに葬はうむられた母親はゝおやの事ことを思おもひ起おこした。その当時たうじは小岩こいはの盛さかり場ばに働はたらいてゐたゝめ、主人持しゆじんもちの身みの自由じいうがきかず、暇ひまを貰もらつてやつと葬式とむらひに行いつたばかり。それから四五年ねんたつた今日こんにち、母親はゝおやの墓はかは在あるのか無ないのかわからないと思おもふと、何なにやら急きふに見定みさだめて置おきたい気きがして、道子みちこは敷しいた夜具やぐもそのまゝにして、飯めしも食くはず、明あけた窓まどを閉しめると共ともに、再ふたゝび外そとへ出でた。

道子みちこは上野うへのから省線電車しやうせんでんしやに乗のり松戸まつどの駅えきで降おりたが、寺てらの名なだけは思出おもひだすことができたものゝ、その場処ばしよは全まつたく忘わすれてゐるので、駅前えきまへにゐる輪りんタクを呼よんでそれに乗のつて行ゆくと、次第しだいに高たかくなつて行ゆく道みちが国府台こふのだいの方はうへと降おりかけるあたり。松林まつばやしの中なかに門もんの屋根やねを聳そびやかした法華寺ほつけでらで、こゝも盆ぼんの墓参はかまゐりをするらしい人ひとが引ひきつゞき出入でいりをしてゐた。すぐに庫裏くりの玄関先げんくわんさきへ歩あゆみ寄よると、折をりよく住職ぢゆうしよくらしい年配ねんぱいの坊ばうさんが今いまがた配達はいたつされたらしい郵便物いうびんぶつを見みながら立たつてゐたので、

「一寸ちよつと伺うかゞひますが、アノ、アノ、田村たむらと云いふ女をんなのお墓はかで御在ございますが、アノ、それはこちらのお寺てらで御在ございませうか。」と道子みちこは滞とゞこほり勝がちにきいて見みた。

坊ばうさんは一向かう心当こゝろあたりがないと云いふやうな面持おももちをしながら、それでも笑顔ゑがほをつくり、

「御命日ごめいにちはいつ頃ごろです。お葬式とむらひは何年程前なんねんほどまへでした。」

道子みちこは小岩こいはの色町いろまちへ身売みうりをした時ときの年季ねんきと、電話でんわの周旋屋しうせんやと一緒しよに暮くらした月日つきひとを胸むねの中うちに数かぞへ返かへしながら、

「お葬式とむらひをしたのは五年ねんばかり前まへで、お正月しやうぐわつもまだ寒さむい時分じぶんでした。松戸まつどの陣前ぢんまへにゐる田村たむらといふ百姓家しやうやの人ひとがお葬式とむらひをしてくれたんで御在ございますが……。」

「あゝさうですか。今いま調しらべて見みませう。鳥渡ちよつと待まつて下ください。そこへ御掛おかけなさい。」

坊ばうさんは日本紙にほんしを横綴よことぢにした帳面ちやうめんを繰くり開ひらきながら、出でて来きて、「わかりました。わかりましたが、お墓はかはそれなり何なんのおたよりがないので、そのまゝにしてあります。お墓はかはありません。あなたは御身寄おみよりの方かたですか。」

道子みちこは葬はうむられた者ものの娘むすめで、東京とうきやうで生活せいくわつをしてゐるのだと答こたへ、「お墓はかが無ないのなら、ちやんとした石いしを立たてたいんですが、さうするにはどこへ頼たのんだら、いゝのでせう。」

「それはこの寺てらで知しつてゐる石屋いしやがありますから、そこへ頼たのめばすぐこしらへてくれます。」

「それぢや、わたくしお頼たのみしたいんですけど、石いしは一体たいどれ程ほどかゝるものでせうか。」

「さうですね、その辺へんに立たつてゐるやうな小ちひさな石いしでも、戦争後せんさうごは物価ぶつかがちがひますからな、五六千円せんゑんはかゝるつもりでないと出来できません。」

道子みちこは一晩ひとばん稼かせげば最低さいてい千せん五六百円ぴやくゑんになる身体からだ。墓石ぼせきの代金だいきんくらい更さらに驚おどろくところではない。冬ふゆの外套ぐわいたうを買かふよりも訳わけはない話はなしだと思おもつた。

「今いま持合もちあはしてゐませんけど、それくらいで宜よろしいのならいつでもお払はらひしますから、どうぞ石屋いしやへ、御面倒ごめんだうでもお話はなしして下くださいませんか。お願ねがひ致いたします。」

坊ばうさんは思おもひ掛がけない好いいお客きやくと見みたらしく、俄にはかに手てを叩たゝいて小坊主こばうずを呼よび茶ちやと菓子くわしとを持もつて来こさせた。

道子みちこは母はゝのみならず父ちゝの墓はかも――戦災せんさいで生死不明せいしふめいになつた為ため、今いまだに立たてずにある事ことを語かたり、母はゝの戒名かいみやうと共ともに並ならべて石いしに掘ほつて貰もらふやうに頼たのみ、百円札ひやくゑんさつ二三枚まいを紙かみに包つゝんで出だした。坊ばうさんは道子みちこの孝心かうしんを、今いまの世よには稀まれなものとして絶賞ぜつしやうし、その帰かへるのを門際もんぎはまで送おくつてやつた。

道子みちこはバスの通とほるのを見みて、その停留場ていりうぢやうまで歩あるき、待まつてゐる人ひとに道みちをきいて、こんどは国府台こふのだいから京成電車けいせいでんしやで上野うへのへ廻まはつてアパートに帰かへつた。

夏なつの盛さかりの永ながい日ひも暮くれかけ、いつもならば洗湯せんたうへ行ゆき、それから夕飯ゆふめしをすますと共ともに、そろ〱稼かせぎに出掛でかける時刻じこくになるのであるが、道子みちこは出でがけに敷しいたまゝの夜具やぐの上うへに横よこたはると、その夕ゆふべばかりはつかれたまゝ外そとへは出でずに眠ねむつてしまつた。

次つぎの日ひの夕ゆふべ。道子みちこはいつよりも少すこし早目はやめに稼かせぎ場ばの吾妻橋あづまばしへ出でて行ゆくと、毎夜まいよの顔馴染かほなじみに、心こゝろやすくなつてゐる仲間なかまの女達をんなたちの一人ひとりが、

「道みつちやん。昨夜ゆうべどうしたの。来こなくつてよかつたよ。」

「うるさかつたのかい。わたし母おつかさんの、田舎ゐなかのお寺てらへお墓参はかまゐりに行いつたんでね。昨夜ゆうべは早はやく寐ねてしまつたんだよ。」

「宵よひの口くちには橋はしの上うへで与太よたの喧嘩けんくわがあるし、それから私服しふくがうるさく徘徊うろついてゝね、とう〱松屋まつやの横よこで三人にんも挙あげられたつて云いふはなしなんだよ。」

「ぢや、ほんとに来こなくつてよかつたね。来きたら、わたしもやられたかも知しれない。やつぱりお寺てらの坊ばうさんの言いふ通とほりだ。親孝行おやかうかうしてゐると悪わるい災難さいなんにかゝらないで運うんが好よくなるツて、全まつたくだよ。」

道子みちこはハンドバツグからピースの箱はこを取出とりだしながら、見渡みわたすかぎりあたりは盆ぼんの十四日よつかの夜よるの人出ひとでがいよ〱激はげしくなつて行ゆくのを眺ながめた。(昭和廿八年十二月作)

〔一九五七(昭和三二)年一一月一〇日、中央公論社『あづま橋』〕

底本 / Source edition

底本:「荷風全集 第二十巻」岩波書店
1994(平成6)年10月28日発行
底本の親本:「あづま橋」中央公論社
1957(昭和32)年11月10日発行
初出:「中央公論 第六十九年第三号」中央公論社
1954(昭和29)年3月1日
※「鳥渡」と「一寸」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「吾妻橋《あづまばし》」となっています。
※初出時の署名は「荷風散人」です。
入力:H.YAM
校正:きりんの手紙
2020年11月27日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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永井 荷風、永井 壮吉「吾妻橋」(新字旧仮名)、底本『荷風全集 第二十巻』岩波書店、1994年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056168_001341, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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