Soranoha

神州天馬侠

しんしゅうてんまきょう

吉川 英治

序

私は、元来、少年小説を書くのが好きである。大人おとなの世界にあるような、きゅうくつな概念がいねんにとらわれないでいいからだ。

少年小説を書いている間は、自分もまったく、童心どうしんのむかしに返る、少年の気もちになりきッてしまう。――今のわたくしは、もう古い大人だが、この天馬侠てんまきょうを読み直し、校訂こうていの筆を入れていると、そのあいだにも、少年の日が胸によみがえッてくる。

ああ少年の日。一生のうちの、尊とうとい季節だ。この小説は、わたくしが少年へ書いた長編の最初のもので、また、いちばん長いものである。諸君の楽しい季節のために、この書が諸君の退屈たいくつな雨の日や、淋さびしい夜の友になりうればと思い、自分も好きなまま、つい、こんなに長く書いてしまったものである。

いまの日本は、大人の世界でも、子どもの天地でも、心に楽しむものが少ない。だが、少年の日の夢は、痩やせさせてはいけない。少年の日の自然な空想は、いわば少年の花園はなぞのだ。昔にも、今にも、将来へも、つばさをひろげて、遊びまわるべきである。

この書は、過去の伝奇でんきと歴史とを、わたくしの夢のまま書いたものだが、過去にも、今と比較して、考えていいところは多分たぶんにある。悪いところは反省し、よいところは知るべきだと思う。その意味で、鞍馬くらまの竹童ちくどうも、泣き虫の蛾次郎がじろうも、諸君の友だち仲間へ入れておいてくれ給え。時代はちがうが、よく見てみたまえ、諸君の友だち仲間の腕白わんぱくにも、竹童もいれば、蛾次郎もいるだろう。大人おとなについても、同じことがいえる。

以前いぜん、これが「少年倶楽部」に連載されていた当時の愛読者は、成人せいじんして、今日では政治家になったり、実業家になったり、文化人になったりして、みな社会の一線に立っている。諸君のお父さんや兄さんのうちにも、その頃の愛読者がたくさんおられることと思う。

わたくしはよくそういう人たちから、少年時代、天馬侠てんまきょうの愛読者でした――と聞かされて、年月の流れに、おどろくことがある。もし諸君がこの書しょを手にしたら、諸君の父兄ふけいやおじさんたちにも、見せて上げてもらいたい。そして、著者の言伝ことづてを、おつたえして欲しい。

――ご健在けんざいですか。わたくしは健在です、と。

そして、いまの少年も、また天馬侠を読むようになりました、と。

昭和二四・春

著者

武田伊那丸たけだいなまる

一

そよ風のうごくたびに、むらさきの波、しろい波、――恵林寺えりんじうらの藤ふじの花が、今をさかりな、ゆく春のひるである。

朱しゅの椅子いすによって、しずかな藤波ふじなみへ、目をふさいでいた快川和尚かいせんおしょうは、ふと、風のたえまに流れてくる、法螺ほらの遠音とおねや陣鉦じんがねのひびきに、ふっさりした銀ぎんの眉毛まゆげをかすかにあげた。

その時、長廊下ながろうかをどたどたと、かけまろんできたひとりの弟子でしは、まっさおな面おもてをぺたりと、そこへ伏ふせて、

「おッ。お師しさま! た、大変たいへんなことになりました。あアおそろしい、……一大事いちだいじでござります」

と舌したをわななかせて告つげた。

「しずかにおしなさい」

と、快川かいせんは、たしなめた。

「――わかっています。織田おだどのの軍勢ぐんぜいが、いよいよ此寺ここへ押しよせてきたのであろう」

「そ、そうです! いそいで鐘楼しょうろうへかけのぼって見ましたら、森も野も畠はたけも、軍兵ぐんぴょうの旗指物はたさしものでうまっていました。あア、もうあのとおり、軍馬の蹄ひづめまで聞えてまいります……」

いいもおわらぬうちだった。

うら山の断崖だんがいから藤ふじだなの根もとへ、どどどどと、土けむりをあげて落ちてきた者がある。ふたりはハッとして顔をむけると、ふんぷんとゆれ散った藤ふじの花をあびて鎧櫃よろいびつをせおった血まみれな武士ぶしが、気息きそくもえんえんとして、庭にわさきに倒たおれているのだ。

「や、巨摩左文次こまさもんじどのじゃ。これ、はやく背せのものをおろして、水をあげい、水を」

「はッ」と弟子僧でしそうははだしでとびおりた。鎧櫃をとって泉水の水をふくませた。武士は、気がついて快川かいせんのすがたをあおぐと、

「お! 国師こくしさま」と、大地へ両手りょうてをついた。

「巨摩どの、さいごの便たよりをお待ちしていましたぞ。ご一門はどうなされた」

「はい……」左文次はハラハラと涙なみだをこぼして、

「ざんねんながら、新府しんぷのお館やかたはまたたくまに落城らくじょうです。火の手をうしろに、主君の勝頼公かつよりこうをはじめ、御台みだいさま、太郎君たろうぎみさま、一門のこり少なの人数をひきいて、天目山てんもくざんのふもとまで落ちていきましたが、目にあまる織田おだ徳川とくがわの両軍におしつつまれ、みな、はなばなしく討死うちじにあそばすやら、さ、刺さしちがえてご最期さいごあるやら……」

と左文次さもんじのこえは涙にかすれる。

「おお、殿とのもご夫人もな……」

「まだおん年も十六の太郎信勝のぶかつさままで、一きわすぐれた目ざましいお討死うちじにでござりました」

「時とはいいながら、信玄公しんげんこうのみ代よまで、敵てきに一歩も領土りょうどをふませなかったこの甲斐かいの国もほろびたか……」

と快川かいせんは、しばらく暗然あんぜんとしていたが、

「して、勝頼公の最期のおことばは?」

「これに持ちました武田家たけだけの宝物ほうもつ、御旗みはた楯無たてなし(旗と鎧)の二品しなを、さきごろからこのお寺のうちへおかくまいくだされてある、伊那丸いなまるさまへわたせよとのおおせにござりました」

そこへまた、二、三人の弟子僧でしそうが、色を失ってかけてきた。

「お師しさま! 信長公のぶながこうの家臣が三人ほど、ただいま、ご本堂から土足どそくでこれへかけあがってまいりますぞ」

「や、敵が?」

と巨摩左文次こまさもんじは、すぐ、陣刀じんとうの柄つかをにぎった。

快川かいせんは落ちつきはらって、それを手でせいしながら、

「あいや、そこもとは、しばらくそこへ……」

と床下ゆかしたをゆびさした。急なので、左文次も、宝物ほうもつをかかえたまま、縁えんの下へ身をひそめた。

と、すぐに廊下ろうかをふみ鳴らしてきた三人の武者むしゃがある。いずれも、あざやかな陣羽織じんばおりを着、大刀だいとうの反そりうたせていた。眼まなこをいからせながら、きッとこなたにむかって、

「国師こくしッ!」

と、するどく呼よびかけた。

二

天正てんしょう十年の春も早くから、木曾口きそぐち、信濃口しなのぐち、駿河口するがぐちの八ぽうから、甲斐かいの盆地ぼんちへさかおとしに攻めこんだ織田おだ徳川とくがわの連合軍れんごうぐんは、野火のびのようないきおいで、武田勝頼たけだかつより父子、典厩信豊てんきゅうのぶとよ、その他の一族を、新府城しんぷじょうから天目山てんもくざんへ追いつめて、ひとりのこさず討うちとってしまえと、きびしい軍令ぐんれいのもとに、残党ざんとうを狩かりたてていた。

その結果、信玄しんげんが建立こんりゅうした恵林寺えりんじのなかに、武田たけだの客分、佐々木承禎ささきじょうてい、三井寺みいでらの上福院、大和淡路守やまとあわじのかみの三人がかくれていることをつきとめたので、使者をたてて、落人おちゅうどどもをわたせと、いくたびも談判だんぱんにきた。

しかし、長老の快川国師かいせんこくしは、故信玄こしんげんの恩おんにかんじて、断乎だんことして、織田おだの要求をつっぱねたうえに、ひそかに三人を逃のがしてしまった。

織田おだの間者かんじゃは、夜となく昼となく、恵林寺えりんじの内外をうかがっていた。ところが、はからずも、勝頼かつよりの末子ばっし伊那丸いなまるが、まだ快川かいせんのふところにかくまわれているという事実をかぎつけて、いちはやく本陣へ急報したため、すわ、それ逃のがしてはと、二千の軍兵ぐんぴょうは砂塵さじんをまいて、いま――すでにこの寺をさして押しよせてきつつあるのだ。

快川かいせんは、それと知っていながら、ゆったりと、朱しゅの椅子いすから立ちもせずに、三人の武将をながめた。

「また、織田おだどのからのお使者ですかな」

と、しずかにいった。

「知れたことだ」となかのひとりが一歩すすんで、

「国師こくしッ、この寺内じないに信玄しんげんの孫、伊那丸をかくまっているというたしかな訴人そにんがあった。縄なわをうってさしだせばよし、さもなくば、寺もろとも、焼やきつくして、みな殺しにせよ、という厳命げんめいであるぞ。胆きもをすえて返辞へんじをせい」

「返辞はない。ふところにはいった窮鳥きゅうちょうをむごい猟師りょうしの手にわたすわけにはゆかぬ」

と快川のこえはすんでいた。

「よしッ」

「おぼえておれ」と三人の武将は荒々しくひッ返した。そのうしろ姿すがたを見おくると、快川かいせんははじめて、椅子いすをはなれ、

「左文次さもんじどの、おでなさい」

と合図あいずをしたうえ、さらに奥おくへむかって、声をつづけた。

「忍剣にんけん! 忍剣!」

呼ぶよりはやく、おうと、そこへあらわれた骨たくましいひとりの若僧わかそうがある。若僧は、白綸子しろりんずにむらさきの袴はかまをつけた十四、五歳さいの伊那丸いなまるを、そこへつれてきて、ひざまずいた。

「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お傅役もりやくのそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」

「はッ」

と、忍剣にんけんは奥おくへとってかえして、鉄の禅杖ぜんじょうをこわきにかかえてきた。背には左文次さもんじがもたらした武田家たけだけの宝物ほうもつ、御旗みはた楯無たてなしの櫃ひつをせおって、うら庭づたいに、扇山せんざんへとよじのぼっていった。

ワーッという鬨ときの声は、もう山門ちかくまで聞えてきた。寺内は、本堂ほんどうといわず、廻廊かいろうといわずうろたえさわぐ人々の声でたちまち修羅しゅらとなった。白羽しらは黒羽くろはの矢は、疾風はやてのように、バラバラと、庭さきや本堂の障子襖しょうじぶすまへおちてきた。

「さわぐな、うろたえるな! 大衆だいしゅは山門におのぼりめされ。わしについて、楼門ろうもんの上へのぼるがよい」

と快川かいせんは、伊那丸いなまるの落ちたのを見とどけてから、やおら、払子ほっすを衣ころもの袖そでにいだきながら、恵林寺えりんじの楼門ろうもんへしずかにのぼっていった。

「それ、長老と、ご最期さいごをともにしろ――」

つづいて、一山ざんの僧侶そうりょたちは、幼おさない侍童わらわのものまで、楼門の上にひしひしとつめのぼった。

寄手よせての軍兵は、山門の下へどッとよせてきて、

「一山ざんの者どもは、みな山門へのぼったぞ、下から焼きころして、のちの者の、見せしめとしてくれよう」

と、うずたかく枯かれ草をつんで、ぱッと火をはなった。みるまに、渦うずまく煙は楼門をつつみ、紅蓮ぐれんの炎ほのおは、百千の火龍かりゅうとなって、メラメラともえあがった。

楼上ろうじょうの大衆は、たがいにだきあって、熱苦のさけびをあげて伏ふしまろんだ。なかにひとり、快川和尚かいせんおしょうだけは、自若じじゃくと、椅子いすにかけて、眉まゆの毛もうごかさず、

「なんの、心頭しんとうをしずめれば、火もおのずから涼すずしい――」

と、一句くのことばを、微笑のもとにとなえて、その全身を、焔ほのおになぶらせていた。

三

「おお! 伊那丸いなまるさま。あれをごらんなされませ。すさまじい火の手があがりましたぞ」

源次郎岳げんじろうだけの山道までおちのびてきた忍剣にんけんは、はるかな火の海をふりむいて、涙なみだをうかべた。

「国師こくしさまも、あの焔ほのおの底で、ご最期さいごになったのであろうか、忍剣よ、わしは悲しい……」

伊那丸いなまるは、遠くへ向かって掌てを合わせた。空をやく焔は、かれのひとみに、生涯しょうがいわすれぬものとなるまでやきついた。すると、不意だった。

いきなり、耳をつんざく呼子よびこの音ねが、するどく、頭の上で鳴ったと思うと、かなたの岩かげ、こなたの谷間から、槍やりや陣刀じんとうをきらめかせて、おどり立ってくる、数十人の伏勢ふせぜいがあった。それは徳川方とくがわがたの手のもので、酒井さかいの黒具足組くろぐそくぐみとみえた。忍剣は、すばやく伊那丸を岩かげにかくして、じぶんは、鉄杖てつじょうをこわきにしごいて、敵を待った。

「それッ、武田の落人おちゅうどにそういない。討うてッ」

と呼子をふいた黒具足の部将ぶしょうは、ひらりと、岩上からとびおりて号令ごうれいした。下からは、槍やりをならべた一隊がせまり、そのなかなる、まッ先のひとりは、流星のごとく忍剣の脾腹ひばらをねらって、槍やりをくりだした。

「おうッ」と力をふりしぼって、忍剣の手からのびた四尺しゃく余寸よすんの鉄杖が、パシリーッと、槍の千段だんを二つにおって、天空へまきあげた。

「払はらえ!」と呼子をふいた部将が、またどなった。

バラバラとみだれる穂ほすすきの槍やりぶすまも、忍剣にんけんが、自由自在にふりまわす鉄杖にあたるが最後だった。藁わらか棒切ぼうきれのように飛ばされて、見るまに、七人十人と、朱あけをちらして岩角いわかどからすべり落ちる。ワーッという声のなだれ、かかれ、かかれと、ののしる叫さけび。すさまじい山つなみは、よせつかえしつ、満山を血しぶきに染そめる。

一介かいの若僧わかそうにすぎない忍剣のこの手なみに、さすがの黒具足組くろぐそくぐみも胆きもをひやした。――知る人は知る。忍剣はもと、今川義元いまがわよしもとの幕下ばっかで、海道一のもののふといわれた、加賀見能登守かがみのとのかみその人の遺子わすれがたみであるのだ。かれの天性の怪力は、父能登守のそれ以上で、幼少から、快川和尚かいせんおしょうに胆力たんりょくをつちかわれ、さらに天稟てんぴんの武勇と血と涙とを、若い五体にみなぎらせている熱血児ねっけつじである。

あの眼のたかい快川和尚が、一山ざんのなかからえりすぐって、武田伊那丸たけだいなまると御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつを托たくしたのは、よほどの人物と見ぬいたればこそであろう。

新羅三郎しんらさぶろう以来二十六世せいをへて、四隣りんに武威ぶいをかがやかした武田たけだの領土りょうどは、いまや、織田おだと徳川とくがわの軍馬に蹂躪じゅうりんされて、焦土しょうどとなってしまった。しかも、その武田の血をうけたものは、世の中にこの伊那丸いなまるひとりきりとなったのだ。焦土のあとに、たった一粒ひとつぶのこった胚子たねである。

この一粒の胚子に、ふたたび甲斐源氏かいげんじの花が咲くか咲かないか、忍剣の責任は大きい。また、伊那丸の宿命もよういではない。

世は戦国である。残虐ざんぎゃくをものともしない天下の弓取りたちは、この一粒の胚子をすら、芽めをださせまいとして前途に、あらゆる毒手をふるってくるにちがいない。

すでに、その第一の危難は眼前にふってわいた。忍剣にんけんは鉄杖てつじょうを縦横じゅうおうむじんにふりまわして、やっと黒具足組くろぐそくぐみをおいちらしたが、ふと気がつくと、伊那丸いなまるをのこしてきた場所から大分はなれてきたので、いそいでもとのところへかけあがってくると、南無三なむさん、呼子よびこをふいた部将が抜刀ばっとうをさげて、あっちこっちの岩穴いわあなをのぞきまわっている。

「おのれッ」と、かれは身をとばして、一撃げきを加えたが敵もひらりと身をかわして、

「坊主ぼうずッ、徳川家とくがわけにくだって伊那丸をわたしてしまえ、さすればよいように取りなしてやる」

と、甘言かんげんの餌えをにおわせながら、陣刀じんとうをふりかぶった。

「けがらわしい」

忍剣は、鉄杖をしごいた。らんらんとかがやく眸ひとみは、相手の精気をすって、一歩、でるが早いか、敵の脳骨のうこつはみじんと見えた。

そのすきに、忍剣のうしろに身ぢかくせまって、片膝かたひざおりに、種子島たねがしまの銃口じゅうこうをねらいつけた者がある。ブスブスと、その手もとから火縄ひなわがちった――さすがの忍剣も、それには気がつかなかったのである。

かれがふりこんだ鉄杖は、相手の陣刀をはらい落としていた。二どめに、ズーンとそれが横薙よこなぎにのびたとおもうと、わッと、部将ぶしょうは血へどをはいてぶったおれた。

刹那せつなだ。ズドンと弾たまけむりがあがった――

はッとして身をしずめた忍剣にんけんが、ふりかえってみると種子島たねがしまをもったひとりの黒具足くろぐそくが、虚空こくうをつかみながら煙のなかであおむけにそりかえっている。

はて? と眸ひとみをさだめてみると、その脾腹ひばらへうしろ抱きに脇差わきざしをつきたてていたのは、いつのまに飛びよっていたか武田伊那丸たけだいなまるであった。

「お、若さま!」

忍剣は、あまりなかれの大胆だいたんと手練しゅれんに目をみはった。

「忍剣、そちのうしろから、鉄砲てっぽうをむけた卑怯者ひきょうものがあったによって、わしが、このとおりにしたぞ」

伊那丸は、笑顔えがおでいった。

富士ふじの山大名やまだいみょう

一

木この実みをたべたり、小鳥を捕とって飢うえをしのいだ。百日あまりも、釈迦しゃかヶ岳たけの山中にかくれていた忍剣にんけんと伊那丸いなまるは、もう甲州こうしゅう攻めの軍勢も引きあげたころであろうと駿河路するがじへ立っていった。峠々とうげとうげには、徳川家とくがわけのきびしい関所せきしょがあって、ふたりの詮議せんぎは、厳密げんみつをきわめている。

そればかりか、織田おだの領地りょうちのほうでは、伊那丸いなまるをからめてきた者には、五百貫かんの恩賞おんしょうをあたえるという高札こうさつがいたるところに立っているといううわさである。さすがの忍剣にんけんも、はたととほうにくれてしまった。

きのうまでは、甲山こうざんの軍神といわれた、信玄しんげんの孫伊那丸も、いまは雨露うろによごれた小袖こそでの着がえもなかった。足は茨いばらにさかれて、みじめに血がにじんでいた。それでも、伊那丸は悲しい顔はしなかった。幼少からうけた快川和尚かいせんおしょうの訓育くんいくと、祖父信玄しんげんの血は、この少年のどこかに流れつたわっていた。

「若さま、このうえはいたしかたがありませぬ。相模さがみの叔父おじさまのところへまいって、時節のくるまでおすがりいたすことにしましょう」

かれは、伊那丸のいじらしい姿すがたをみると、はらわたをかきむしられる気がする。で、ついに最後の考えをいいだした。

「小田原城おだわらじょうの北条氏政ほうじょううじまさどのは、若さまにとっては、叔父君おじぎみにあたるかたです。北条ほうじょうどのへ身をよせれば、織田家おだけも徳川家とくがわけも手はだせませぬ」

が、富士ふじの裾野すそのを迂回うかいして、相模さがみざかいへくると、無情な北条家ほうじょうけではおなじように、関所せきしょをもうけて、武田たけだの落武者おちむしゃがきたら片ッぱしから追いかえせよ、と厳命してあった。叔父おじであろうが、肉親にくしんであろうが、亡国ぼうこくの血すじのものとなれば、よせつけないのが戦国のならいだ。忍剣もうらみをのんでふたたびどこかの山奥へもどるより術すべがなかった。今はまったく袋ふくろのねずみとなって、西へも東へもでる道はない。

ゆうべは、裾野すそのの青すすきをふすまとして寝ね、けさはまだ霧きりの深いころから、どこへというあてもなく、とぼとぼと歩きだした。やがてその日もまた夕暮れになってひとつの大きな湖水こすいのほとりへでた。

このへんは、富士の五湖こといわれて、湖水の多いところだった。みると汀なぎさにちかく、白旗しらはたの宮と額がくをあげた小さな祠ほこらがあった。

「白旗の宮? ……」と忍剣にんけんは見あげて、

「オオ、甲斐かいも源氏げんじ、白旗といえば、これは縁えんのある祠ほこらです。若さましばらく、ここでやすんでまいりましょうに……」

と、縁へ腰をおろした。

「いや、わしは身軽でつかれはしない。おまえこそ、その鎧櫃よろいびつをしょっているので、ながい道には、くたびれがますであろう」

「なんの、これしきの物は、忍剣の骨にこたえはいたしませぬ。ただ、大せつなご宝物ほうもつですから、まんいちのことがあってはならぬと、その気づかいだけです」

「そうじゃ。わしは、この湖水をみて思いついた」

「なんでござりますか」

「こうして、その櫃ひつをしょって歩くうちに、もし敵の目にかかって、奪うばわれたらもう取りかえしがつかぬ」

「それこそ、この忍剣としても、生きてはおられませぬ」

「だから――わしがせめて、元服げんぷくをする時節まで、その宝物を、この白旗しらはたの宮へおあずけしておこうではないか」

「とんでもないことです。それは物騒千万ぶっそうせんばんです」

「いや、あずけるというても、御堂みどうのなかへおくのではない。この湖水のそこへ沈しずめておくのだ。ちょうどここにある宮の石櫃いしびつ、これへ入れかえて、沈めておけば安心なものではないか」

「は、なるほど」と、忍剣にんけんも、伊那丸いなまるの機智きちにかんじた。

ふたりはすぐ祠ほこらにあった石櫃へ、宝物をいれかえ一滴てきの水もしみこまぬようにして、岸にあった丸木のくりぬき舟にそれをのせて、忍剣がひとりで、棹さおをあやつりながら湖の中央へと舟をすすめていった。

伊那丸は陸おかにのこって、岸きしから小舟を見おくっていた。あかい夕陽ゆうひは、きらきらと水面を射いかえして、舟はだんだんと湖心へむかって小さくなった。

「あッ――」

とその時、伊那丸は、なにを見たか、さけんだ。

どこから射出いだしたのか、一本の白羽しらはの矢が湖心の忍剣をねらって、ヒュッと飛んでいったのであった。――つづいて、雨か、たばしる霰あられのように、数十本の矢やが、バラバラ釣瓶つるべおとしに射いかけられたのだ。

さッと湖心には水けむりがあがった。その一しゅん、舟も忍剣も石櫃も、たちまち湖水の波にそのすがたを没してしまった。

「ややッ」

おどろきのあまり、われを忘わすれて、伊那丸いなまるが水ぎわまでかけだしたときである。――なにものか、

「待てッ」

とうしろから、かれの襟えりがみをつかんだ大きな腕うでがあった。

二

「小童こわっぱ、うごくと命いのちがないぞ」

ずるずると、引きもどされた伊那丸は、声もたて得えなかった。だが、とっさに、片膝かたひざをおとして、腰の小太刀こだちをぬき打ちに、相手の腕根うでねを斬きりあげた。

「や、こいつが」と、不意をくった男は手をはなして飛びのいた。

「だれだッ。なにをする――」

とそのすきに、小太刀こだちをかまえて、いいはなった伊那丸には、おさないながらも、天性の威いがあった。

あなたに立った大男はひとりではなかった。そろいもそろった荒くれ男ばかりが十四、五人、蔓巻つるまきの大刀だいとうに、革かわの胴服どうふくを着たのもあれば、小具足こぐそくや、むかばきなどをはいた者もあった。いうまでもなく、乱世らんせいの裏うらにおどる野武士のぶしの群団ぐんだんである。

「見ろ、おい」と、ひとりが伊那丸をきッとみて、

「綸子りんずの小袖こそでに菱ひしの紋もんだ。武田伊那丸たけだいなまるというやつに相違そういないぜ」と、いった。

「うむ、ふんじばって織田家おだけへわたせば、莫大ばくだいな恩賞おんしょうがある、うまいやつがひッかかった」

「やいッ、伊那丸。われわれは富士の人穴ひとあなを砦とりでとしている山大名やまだいみょうの一手だ。てめえの道づれは、あのとおり、湖水のまンなかで水葬式みずそうしきにしてくれたから、もう逃げようとて、逃げるみちはない、すなおにおれたちについてこい」

「や、では忍剣にんけんに矢を射いたのも、そちたちか」

「忍剣かなにか知らねえが、いまごろは、山椒さんしょうの魚の餌食えじきになっているだろう」

「この土蜘蛛つちぐも……」

伊那丸は、くやしげに唇くちびるをかんで、にぎりしめていた小太刀こだちの先をふるわせた。

「さッ、こなけりゃふんじばるぞ」

と、野武士のぶしたちは、かれを少年とあなどって、不用意にすすみでたところを、伊那丸は、おどりあがって、

「おのれッ」

といいざま、真眉間まみけんをわりつけた。野武士のぶしどもは、それッと、大刀だいとうをぬきつれて、前後からおッとりかこむ。

武技ぶぎにかけては、躑躅つつじヶ崎の館やかたにいたころから、多くの達人やつわものたちに手をとられて、ふしぎな天才児てんさいじとまで、おどろかれた伊那丸いなまるである。からだは小さいが、太刀たちは短いが、たちまちひとりふたりを斬きってふせた早わざは飛鳥のようだった。

「この童わっぱめ、味あじをやるぞ、ゆだんするな」

と、野武士のぶしたちは白刃の鉄壁てっぺきをつくってせまる。その剣光のあいだに、小太刀ひとつを身のまもりとして、斬きりむすび、飛びかわしする伊那丸のすがたは、あたかも嵐あらしのなかにもまれる蝶ちょうか千鳥のようであった。しかし時のたつほど疲れはでてくる。息いきはきれる。――それに、多勢たぜいに無勢ぶぜいだ。

「そうだ、こんな名もない土賊どぞくどもと、斬きりむすぶのはあやまりだ。じぶんは武田家たけだけの一粒としてのこった大せつな身だ。しかもおおきな使命のあるからだ――」

と伊那丸は、乱刀のなかに立ちながらも、ふとこう思ったので、いっぽうの血路をやぶって、いっさんににげだした。

「のがすなッ」

と野武士たちも風をついて追いまくってくる。伊那丸は芦あしの洲すからかけあがって、松並木へはしった。ピュッピュッという矢のうなりが、かれの耳をかすって飛んだ。

夕闇ゆうやみがせまってきたので、足もともほの暗くなったが松並木へでた伊那丸は、けんめいに二町ばかりかけだした。

と、これはどうであろう、前面の道は八重十文字やえじゅうもんじに、藤ふじづるの縄なわがはってあって、かれのちいさな身でもくぐりぬけるすきもない。

「しまった」と伊那丸いなまるはすぐ横の小道へそれていったが、そこにも茨いばらのふさぎができていたので、さらに道をまがると藤ふじづるの縄なわがある。折れてもまがっても抜けられる道はないのだ。万事休ばんじきゅうす――伊那丸は完全に、蜘蛛手くもでかがりという野武士のぶしの術中におちてしまったのだ。身に翼つばさでもないかぎりは、この罠わなからのがれることはできない。

「そうだ、野武士らの手から、織田家おだけへ売られて名をはずかしめるよりは、いさぎよく自害じがいしよう」

と、かれは覚悟をきめたとみえて、うすぐらい林のなかにすわりこんで、脇差わきざしを右手にぬいた。

切っさきを袂たもとにくるんで、あわや身につきたてようとしたときである。ブーンと、飛んできた分銅ふんどうが、カラッと刀の鍔つばへまきついた。や? とおどろくうちに、刀は手からうばわれて、スルスルと梢こずえの空へまきあげられていく。

「ふしぎな」と立ちあがったとたん、伊那丸は、ドンとあおむけにたおれた。そしてそのからだはいつのまにか罠わななわのなかにつつみこまれて、小鳥のようにもがいていた。

すると、いままで鳴りをしずめていた野武士が、八ぽうからすがたをあらわして、たちまち伊那丸をまりのごとくにしばりあげて、そこから富士ふじの裾野すそのへさして追いたてていった。

三

幾里いくりも幾里ものあいだ、ただいちめんに青すすきの波である。その一すじの道を、まッくろな一群ぐんの人間が、いそぎに、いそいでいく。それは伊那丸いなまるをまン中にかためてかえる、さっきの野武士のぶしだった。

「や、どこかで笛ふえの音ねがするぜ……」

そういったものがあるので、一同ぴったと足なみをとめて耳をすました。なるほど、寥々りょうりょうと、そよぐ風のとぎれに、笛の冴さえた音がながれてきた。

「ああ、わかった。咲耶子さくやこさまが、また遊びにでているにちがいない」

「そうかしら? だがあの音ねいろは、男のようじゃないか。どんなやつが忍しのんでいるともかぎらないからゆだんをするなよ」

とたがいにいましめあって、ふたたび道をいそぎだすと、あなたの草むらから、月毛つきげの野馬のうまにのったさげ髪がみの美少女が、ゆらりと気高けだかいすがたをあらわした。

一同はそれをみると、

「おう、やっぱり咲耶子さまでございましたか」

と荒くれ武士ぶしににげなく、花のような美少女のまえには、腰をおって、ていねいにあたまをさげる。

「じゃ、おまえたちにも、わたしが吹いていた笛の音が聞えたかえ?」

と駒こまをとめた咲耶子は、美しいほほえみをなげて見おろしたが、ふと、伊那丸のすがたを目にとめて、三日月なりの眉まゆをちらりとひそめながら、

「まあ、そのおさない人を、ぎょうさんそうにからめてどうするつもりです。伝内でんないや兵太ひょうたもいながら、なぜそんなことをするんです」

と、とがめた。名をさされたふたりの野武士のぶしは、一足ひとあしでて、咲耶子さくやこの駒こまに近よった。

「まだ、ごぞんじありませぬか。これこそ、お頭かしらが、まえまえからねらっていた武田家たけだけの小伜こせがれ、伊那丸いなまるです」

「おだまりなさい。とりこにしても身分のある敵なら、礼儀れいぎをつくすのが武門のならいです。おまえたちは、名もない雑人ぞうにんのくせにして、呼よびすてにしたり、縄目なわめにかけるというのはなんという情けしらず、けっして、ご無礼ぶれいしてはなりませぬぞ」

「へえ」と、一同はその声にちぢみあがった。

「わたしは道になれているから、あのかたを、この馬にお乗せもうすがよい」

と、咲耶子は、ひらりとおりて伊那丸の縄なわをといた。

まもなくけわしいのぼりにかかって、ややしばらくいくと、一の洞門どうもんがあった。つづいて二の洞門をくぐると天然てんねんの洞窟どうくつにすばらしい巨材きょざいをしくみ、綺羅きらをつくした山大名やまだいみょうの殿堂でんどうがあった。

この時代の野武士の勢力はあなどりがたいものだった。徳川とくがわ北条ほうじょうなどという名だたる弓とりでさえも、その勢力範囲はんいへ手をつけることができないばかりか、戦時でも、野武士の区域くいきといえば、まわり道をしたくらい。またそれを敵とした日には、とうてい天下の覇はをあらそう大事業などは、はかどりっこないのである。

ここの富士浅間ふじせんげんの山大名やまだいみょうはなにものかというに、鎌倉かまくら時代からこの裾野すその一円にばっこしている郷士ごうしのすえで根来小角ねごろしょうかくというものである。

つれこまれた伊那丸いなまるは、やがて、首領しゅりょうの小角の前へでた。獣蝋じゅうろうの燭しょくが、まばゆいばかりかがやいている大広間は、あたかも、部将ぶしょうの城内へのぞんだような心地がする。

根来小角は、野武士のぶしとはいえ、さすがにりっぱな男だった。多くの配下を左右にしたがえて、上段にかまえていたが、そこへきた姿をみると座をすべって、みずから上座にすえ、ぴったり両手をついて臣下にひとしい礼をしたのには、伊那丸もややいがいなようすであった。

「お目どおりいたすものは、根来小角ともうすものです。今日こんにちは雑人ぞうにんどもが、礼れいをわきまえぬ無作法ぶさほうをいたしましたとやら、ひらにごかんべんをねがいまする」

はて? 残虐ざんぎゃくと利慾よりなにも知らぬ野盗やとうの頭かしらが、なんのつもりで、こうていちょうにするのかと、伊那丸は心ひそかにゆだんをしない。

「また、武田たけだの若君ともあるおんかたが、拙者せっしゃの館やかたへおいでくださったのは天のおひきあわせ。なにとぞ幾年でもご滞留たいりゅうをねがいまする。ところでこのたびは、織田おだ徳川とくがわ両将軍のために、ご一門のご最期さいご、小角ふかくおさっし申しあげます」

なにをいっても、伊那丸は黙然もくねんと、威いをみださずにすわっていた。ただこころの奥底まで見とおすような、つぶらな瞳ひとみだけがはたらいていた。

「つきましては、小角は微力ですが、三万の野武士と、裾野すそのから駿遠甲相すんえんこうそう四ヵ国の山猟師やまりょうしは、わたくしの指ひとつで、いつでも目のまえに勢ぞろいさせてごらんにいれます。そのうえ若君が、御大将おんたいしょうとおなりあそばして、富士ふじヶ根ねおろしに武田菱たけだびしの旗あげをなされたら、たちまち諸国からこぞってお味方に馳はせさんじてくることは火をみるよりあきらかです」

「おまちなさい」と伊那丸いなまるははじめて口をひらいた。

「ではそちはわしに名のりをあげさせて、軍勢をもよおそうという望みか」

「おさっしのとおりでござります。拙者せっしゃには武力はありますが名はありませぬ。それゆえ、今日こんにちまで髀肉ひにくの歎たんをもっておりましたが、若君のみ旗はたさえおかしくださるならば、織田おだや徳川とくがわは鎧袖がいしゅうの一触しょくです。たちまち蹴散けちらしてごむねんをはらします所存」

「だまれ小角しょうかく。わしは年こそおさないが、信玄しんげんの血をうけた武神の孫じゃ。そちのような、野盗人のぬすびとの上かみにはたたぬ。下郎げろうの力をかりて旗上げはせぬ」

「なんじゃ!」と小角のこえはガラリとかわった。

じぶんの野心を見ぬかれた腹立ちと、落人おちゅうどの一少年にピシリとはねつけられた不快さに、満面に朱しゅをそそいだ。

「こりゃ伊那丸、よく申したな。もう汝なんじの名をかせとはたのまぬわ、その代りその体を売ってやる! 織田家おだけへわたして莫大ばくだいな恩賞おんしょうにしたほうが早手まわしだ。兵太ひょうたッ、この餓鬼がき、ふんじばって風穴かざあなへほうりこんでしまえ」

「へいッ」四、五人たって、たちまち伊那丸をしばりあげた。かれはもう観念かんねんの目をふさいでいた。

「歩けッ」

と兵太ひょうたは縄尻なわじりをとって、まッくらな間道かんどうを引っ立てていった。そして地獄の口のような岩穴のなかへポーンとほうりこむと、鉄柵てつさくの錠じょうをガッキリおろしてたちさった。

うしろ手にしばられているので、よろよろところげこんだ伊那丸いなまるは、しばらく顔もあげずに倒れていた。ザザーッと山砂をつつんだ旋風せんぷうが、たえず暗澹あんたんと吹きめぐっている風穴かざあなのなかでは、一しゅんのまも目を開あいていられないのだ。そればかりか、夜の更ふけるほど風のつめたさがまして八寒地獄はっかんじごくのそこへ落ちたごとく総身そうみがちぢみあがってくる。

「あア忍剣にんけんはどうした……忍剣はもうあの湖水の藻もくずとなってしまったのか」

いまとなって、しみじみと思いだされてくるのであった。

「忍剣、忍剣。おまえさえいれば、こんな野武士のぶしのはずかしめを受けるのではないのに……」

唇くちびるをかんで、転々と身もだえしていると、なにか、とん、とん、とん……とからだの下の地面がなってくる心地がしたので、

「はてな? ……」と身をおこすと、そのはずみに、目のまえの、二尺しゃく四方ばかりな一枚石が、ポンとはねあがって、だれやら、覆面ふくめんをした者の頭が、ぬッとその下からあらわれた。

黒衣こくいの義人ぎじん

一

山大名やまだいみょうの根来小角ねごろしょうかくの殿堂でんどうは、七つの洞窟どうくつからできている。その七つの洞穴ほらあなから洞穴は、縦たてに横に、上に下に、自由自在の間道かんどうがついているが、それは小角ひとりがもっている鍵かぎでなければ開あかないようになっていた。

また、そとには、まえにもいったとおり、二つの洞門どうもんがあって、配下の野武士のぶしが五人ずつ交代こうたいで、篝火かがりびをたきながら夜どおし見はりをしている厳重げんじゅうさである。

今宵こよいもこの洞門のまえには、赤い焔ほのおと人影がみえて、夜ふけのたいくつしのぎに、何か高声たかごえで話していると、そのさいちゅうに、ひとりがワッとおどろいて飛びのいた。

「なんだッ」

と一同が総立ちになったとき、洞門のなかからばらばらととびだしてきたのは七、八ひきの猿さるであった。

「なんだ猿さるじゃないか、臆病者おくびょうものめ」

「どうして檻おりからでてきたのだろう。咲耶子さくやこさまのかわいがっている飼猿かいざるだ。それ、つかまえろッ」

と八ぽうへちってゆく猿さるを追いかけていったあと、留守るすになった二の洞門どうもんの入口から脱兎だっとのごとくとびだした影かげ! ひとりは黒装束くろしょうぞくの覆面ふくめん、そのかげにそっていたのは、伊那丸いなまるにそういなかった。

「何者だッ」

と一の洞門では、早くもその足音をさとって、ひとりが大手をひろげてどなると、鉄球てっきゅうのように飛んでいった伊那丸が、どんと当身あてみの一拳けんをついた。

「うぬ!」と風をきって鳴った山刀やまがたなのひかり。

よろりと泳およいだ影は、伊那丸のちいさな影から、あざやかに投げられて、断崖だんがいの闇やみへのまれた。

「曲者くせものだ! みんな、でろ」

覆面の黒装束へも襲おそいかかった。姿すがたはほっそりとしているのに、手練しゅれんはあざやかだった。よりつく者を投げすてて、すばやく逃げだすのを、横あいからまた飛びついていったひとりがむんずと組みついて、その覆面の顔をまぢかく見て、

「ああ、あなたは」と、愕然がくぜんとさけんだ。

顔を見られたと知った覆面は、おどろく男を突ッぱなした。よろりと身をそるところへ、黒装束の腰からさッとほとばしった氷の刃やいば! 男の肩からけさがけに斬きりさげた。――ワッという絶叫ぜっきょうとともに闇やみにたちまよった血けむりの血なまぐささ。

「伊那丸さま」

黒装束くろしょうぞくは、手まねきするやいなや、岩つばめのようなはやさで、たちまち、そこからかけおりていってしまった。

二

下界げかいをにらみつけるような大きな月が、人ひとり、鳥一羽の影さえない、裾野すそののそらの一角かくに、夜の静寂しじまをまもっている。

その渺びょうとしてひろい平野の一本杉に、一ぴきの白駒しろこまがつながれていた。馬は、さびしさも知らずに、月光をあびながら、のんきに青すすきを食べているのだ。

いっさんにかけてきた黒装束くろしょうぞくは、白馬しろうまのそばへくるとぴッたり足をとめて、

「伊那丸いなまるさま、もうここまでくれば大じょうぶです」

と、あとからつづいてきた影へ手をあげた。

「ありがとうござりました」

伊那丸は、ほッとして夢心地ゆめごこちをさましたとき、ふしぎな黒装束の義人ぎじんのすがたを、はじめて落ちついてながめたのであるが、その人は月の光をしょっているので、顔はよくわからなかった。

「もう大じょうぶです。これからこの野馬のうまにのって、明方までに富士川ふじがわの下までお送りしてあげますから、あれから駿府すんぷへでて、いずこへなり、身をおかくしなさいまし、ここに関所札せきしょふだもありますから……」

と、黒装束くろしょうぞくのさしだした手形てがたをみて、伊那丸いなまるはいよいよふしぎにたえられない。

「そして、そなたはいったいたれびとでござりますぞ」

「だれであろうと、そんなことはいいではありませんか。さ、早く、これへ」

と白駒しろこまの手綱たづなをひきだしたとき、はじめて月に照らされた覆面ふくめんのまなざしを見た伊那丸は、思わずおおきなこえで、

「や! そなたはさっきの女子おなご、咲耶子さくやこというのではないか」

「おわかりになりましたか……」涼すずしい眸ひとみにちらと笑えみを見せて、それへ両手をつきながら、

「おゆるしくださいませ、父の無礼ぶれいは、どうぞわたしにかえてごかんべんあそばしませ……」と、わびた。

「では、そなたは小角しょうかくの娘でしたか」

「そうです、父のしかたはまちがっております。そのおわびに鍵かぎをそッと持ちだしておたすけもうしたのです。伊那丸さま、あなたのおうわさは私も前から聞いておりました、どうぞお身を大切にして、かがやかしい生涯しょうがいをおつくりくださいまし」

「忘れませぬ……」

伊那丸は、神のような美少女の至情にうたれて、思わずホロリとあつい涙を袖そでのうちにかくした。

と、咲耶子はいきなり立ちあがった。

「あ――いけない」と顔いろを変えてさけんだ。

「なんです?」

と、伊那丸いなまるもその眸ひとみのむいたほうをみると、藍あいいろの月の空へ、ひとすじの細い火が、ツツツツーと走りあがってやがて消きえた。

「あの火は、この裾野すその一帯の、森や河原にいる野伏のぶせりの力者りきしゃに、あいずをする知らせです。父は、あなたの逃げたのをもう知ったとみえます。さ、早く、この馬に。……抜けみちは私がよく知っていますから、早くさえあれば、しんぱいはありませぬ」

とせき立てて、伊那丸の乗ったあとから、じぶんもひらりと前にのって、手ぎわよく、手綱たづなをくりだした。

その時、すでにうしろのほうからは、百足むかでのようにつらなった松明たいまつが、山峡やまあいの闇やみから月をいぶして、こなたにむかってくるのが見えだした。

「おお、もう近い!」

咲耶子さくやこは、ピシリッと馬に一鞭ひとむちあてた。一声たかくいなないた駒こまは、征矢そやよりもはやく、すすきの波をきって、まッしぐらに、南のほうへさしてとぶ――

三

それよりも前の、夕ぐれのことである。

夕陽ゆうひのうすれかけた湖みずうみの波をザッザときって、陸おかへさして泳いでくるものがあった。湖水の主ぬしの山椒さんしょうの魚うおかとみれば、水をきッてはいあがったのはひとりの若僧わかそう――かの忍剣にんけんなのであった。

どっかりと、岸辺きしべへからだを落とすと、忍剣はすぐ衣ころもをさいて、ひだりの肘ひじの矢傷やきずをギリギリ巻きしめた。そして身をはねかえすが否いなや、白旗しらはたの宮へかけつけてきてみると、伊那丸いなまるのすがたはみえないで、ただじぶんの鉄杖てつじょうだけが立てかけてのこっていた。

「若さま――、伊那丸さまア――」

二ど三ど、こえ高らかに呼んでみたが、さびしい木魂こだまがかえってくるばかりである。それらしい人の影もあたりに見えてはこない。

「さては」と忍剣は、心をくらくした。湖水のなかほどへでたとき、ふいに矢を乱射らんしゃしたやつのしわざにちがいない。小さなくりぬき舟であったため、矢をかわしたはずみに、くつがえってしまったので、石櫃いしびつはかんぜんに湖心のそこへ沈めたけれど、伊那丸の身を何者かにうばわれては、あの宝物ほうもつも、永劫えいごうにこの湖から世にだす時節もなくなるわけだ。

「ともあれ、こうしてはおられない、命にかけても、おゆくえをさがさねばならぬ」

鉄杖をひッかかえた忍剣は、八ぽうへ血眼ちまなこをくばりながら、湖水の岸、あなたこなたの森、くまなくたずね歩いたはてに、どこへ抜けるかわからないで、とある松並木をとおってくると、いた! 二、三町ばかり先を、白い影がとぼとぼとゆく。

「オーイ」

と手をあげながらかけだしていくと、半町ほどのところで、フイとその影を見うしなってしまった。

「はてな、ここは一すじ道だのに……」

小首をひねって見まわしていると、なんのこと、いつかまた、三町も先にその影が歩いている。

「こりゃおかしい。伊那丸いなまるさまではないようだが、あやしいやつだ。一つつかまえてただしてくれよう」

と宙ちゅうをとんで追いかけていくうちに、また先の者が見えなくなる。足をとめるとまた見える。さすがの忍剣にんけんも少しくたびれて、どっかりと、道の木の根に腰かけて汗をふいた。

「どうもみょうなやつだ。人間の足ではないような早さだ。それとも、あまり伊那丸さまのすがたを血眼ちまなこになってさがしているので、気のせいかな」

忍剣がひとりでつぶやいていると、その鼻ッ先へ、スーッと、うすむらさき色の煙がながれてきた。

「おや……」ヒョイとふりあおいでみると、すぐじぶんのうしろに、まっ白な衣服をつけた男がたばこをくゆらしながら、忍剣の顔をみてニタリと笑った。

「こいつだ」

と見て、忍剣もグッとにらみつけた。男は背せに笈おいをせおっている六部ろくぶである。ばけものではないにちがいない。にらまれても落ちついたもの、スパリスパリと、二、三ぷくすって、ポンと、立木の横で、きせるをはたくと、あいさつもせずに、またすたすたとでかけるようすだ。

「まて、六部ろくぶまて」

あわてて立ちあがったが、もうかれの姿は、あたりにも先にも見えない。忍剣にんけんはあきれた。世のなかには、奇怪なやつがいればいるものと、ぼうぜんとしてしまった。

疑心暗鬼ぎしんあんきとでもいおうか、場合がばあいなので、忍剣には、どうも今の六部の挙動きょどうがあやしく思えてならない。なんとなく伊那丸いなまるの身を闇やみにつつんだのも、きゃつの仕事ではないかと思うと、いま目のさきにいたのを逃にがしたのがざんねんになってきた。

「あやしい六部だ。よし、どんな早足をもっていようがこの忍剣のこんきで、ひッとらえずにはおかぬぞ」

とかれはまたも、いっさんにかけだした。

月つきの裾野すその

一

並木なみきがとぎれたところからは、一望千里の裾野すそのが見わたされる。

忍剣にんけんは、この方角とにらんだ道を、一念ねんこめて、さがしていくと、やがて、ゆくてにあたって、一宇うの六角堂が目についた。

「おお、あれはいつの年か、このへんで戦たたかいのあったとき焼けのこった文殊閣もんじゅかくにちがいない。もしかすると、六部ろくぶの巣すも、あれかもしれぬぞ……」

と勇いさみたって近づいていくと、はたして、くずれかけた文殊閣の石段のうえに、白衣びゃくえの六部が、月でもながめているのか、ゆうちょうな顔をして腰かけている。

「こりゃ六部、あれほど呼よんだのになぜ待たないのだ」

忍剣はこんどこそ逃がさぬぞという気がまえで、その前につッ立った。

「なにかご用でござるか」

と、かれはそらうそぶいていった。

「おおさ、問うところがあればこそ呼んだのだ。年ごろ十四、五に渡らせられる若君を見失ったのだ。知っていたら教えてくれ」

「知らない、ほかで聞け」

六部の答えは、まるで忍剣を愚弄ぐろうしている。

「だまれッ、この裾野すそのの夜ふけに、問いたずねる人間がいるか。そういう汝なんじの口ぶりがあやしい、正直にもうさぬと、これだぞッ」

ぬッと、鉄杖てつじょうを鼻さきへ突きつけると、六部はかるくその先をつかんで、腰の下へしいてしまった。

「これッ、なんとするのだ」

忍剣にんけんは、渾力こんりきをしぼって、それを引きぬこうとこころみたが、ぬけるどころか、大山たいざんにのしかかられたごとく一寸のゆるぎもしない。しかも、六部ろくぶはへいきな顔で、両膝りょうひざにほおづえをついて笑っている。

「むッ……」

と忍剣は、総身そうみの力をふりしぼった。力にかけては、怪童といわれ、恵林寺えりんじのおおきな庭石をかるがるとさして山門の階段をのぼったじぶんである。なにをッ、なにをッと、引けどねじれど、鉄杖てつじょうのほうが、まがりそうで、六部のからだはいぜんとしている。すると、ふいに、六部が腰をうかした。

「あッ――」

思わずうしろへよろけた忍剣は、かッとなって、その鉄杖をふりかぶるが早いか、磐石ばんじゃくもみじんになれと打ちこんだが、六部の姿はひらりとかわって、空くうをうった鉄杖のさきが、はっしと、石の粉こをとばした。

「無念ッ」とかえす力で横ざまにはらい上げた鉄杖を、ふたたびくぐりぬけた六部は、杖つえにしこんである無反むぞりの冷刀れいとうをぬく手も見せず、ピカリと片手にひらめかせて、

「若僧わかそう、雲水」と錆さびをふくんだ声でよんだ。

「なにッ」と持ちなおした鉄杖を、まッこうにふりかぶった忍剣は、怒気どきにもえた目をみひらいて、ジリジリと相手のすきをねらいつめる。

六部ろくぶはといえば、片手にのばした一刀を、肩から切先きっさきまで水平にかまえて、忍剣にんけんの胸もとへと、うす気味のわるい死のかげを、ひら、ひら――とときおりひらめかせていく――。たがいの息と息は、その一しゅん、水のようにひそやかであった。しかも、総身そうみの毛穴からもえたつ熱気は、焔ほのおとなって、いまにも、そうほうの切先から火の輪わをえがきそうに見える……。

突とつとして、風を切っておどった銀蛇ぎんだは、忍剣の真眉間まみけんへとんだ。

「おうッ」と、さけびかえした忍剣は、それを鉄杖てつじょうではらったが、空くうをうッてのめッたとたん、背をのぞんで、六部はまたさッと斬りおろしてきた。

そのはやさ、かわす間まもあらばこそ、忍剣も、ぽんとうしろへとびのくより策さくがなかった。そして、踏ふみとどまるが早いか、ふたたび鉄杖を横がまえに持つと、

「待て」と六部の声がかかった。

「怯ひるんだかッ」たたき返すように忍剣がいった。

「いやおくれはとらぬ。しかしきさまの鉄杖はめずらしい。いったいどこの何者だか聞かしてくれ」

「あてなしの旅をつづける雲水の忍剣というものだ。ところで、なんじこそただの六部ではあるまい」

「あやしいことはさらにない。ありふれた木遁もくとんの隠形おんぎょうでちょっときさまをからかってみたのだ」

「ふらちなやつだ。さてはきさまは、どこかの大名だいみょうの手先になって、諸国をうかがう、間諜いぬだな」

「ばかをいえ。しのびに長たけているからといって、諜者ちょうじゃとはかぎるまい。このとおり六部ろくぶを世わたりにする木隠龍太郎こがくれりゅうたろうという者だ。こう名のったところできくが、さっききさまのたずねた若君とは何者だ」

「その口にいつわりがないようすだから聞かしてやる。じつは、さる高貴なおん方のお供ともをしている」

「そうか。では武田たけだの御曹子おんぞうしだな……」

「や、どうして、汝なんじはそれを知っているのだ?」

「恵林寺えりんじの焔ほのおのなかからのがれたときいて、とおくは、飛騨ひだ信濃しなのの山中から、この富士ふじの裾野すその一帯たいまで、足にかけてさがしぬいていたのだ。きさまの口うらで、もうおいでになるところは拙者せっしゃの目にうつってきた。このさきは、伊那丸いなまるさまはおよばずながら、この六部がお附添つきそいするから、きさまは、安心してどこへでも落ちていったがよかろう」

忍剣にんけんはおどろいた。まったくこの六部のいうこと、なすことは、いちいちふにおちない。のみならず、じぶんをしりぞけて、伊那丸をさがしだそうとする野心もあるらしい。

「たわけたことをもうせ。伊那丸さまはこの忍剣が命にかけて、お護まもりいたしているのだわ」

「そのお傅役もりやくが、さらわれたのも知らずにいるとは笑止千万しょうしせんばんじゃないか。御曹子おんぞうしはまえから拙者せっしゃがさがしていたおん方だ、もうきさまに用はない」

「いわせておけば無礼ぶれいなことばを」

「それほどもうすなら、きさまはきさまでかってにさがせ。どれ、拙者せっしゃは、これから明け方までに、おゆくえをつきとめて、思うところへお供ともをしよう」

「この痴しれものが」

と、忍剣にんけんは真から腹立たしくなって、ふたたび鉄杖てつじょうをにぎりしめたとき、はるか裾野すそののあなたに、ただならぬ光を見つけた。

六部ろくぶの木隠龍太郎こがくれりゅうたろうも見つけた。

ふたりはじッとひとみをすえて、しばらく黙然もくねんと立ちすくんでしまった。

それは蛇形だぎょうの陣じんのごとく、うねうねと、裾野すそののあなたこなたからぬいめぐってくる一道どうの火影ほかげである。多くの松明たいまつが右往左往うおうざおうするさまにそういない。

「あれだ!」いうがはやいか龍太郎は、一足そくとびに、石段から姿をおどらした。

「うぬ。汝なんじの手に若君をとられてたまるか」

忍剣にんけんも、韋駄天いだてんばしり、この一足ひとあしが、必死のあらそいとはなった。

二

ただ見る――白い月の裾野すそのを、銀の奔馬ほんばにむちをあげて、ひとつの鞍くらにのった少年の貴公子きこうしと、覆面ふくめんの美少女は、地上をながるる星とも見え、玉兎ぎょくとが波をけっていくかのようにも見える。たちまち、そらの月影が、黒雲のうちにさえぎられると、裾野すそのもいちめんの如法闇夜にょほうあんや、ただ、ザワザワと鳴るすすきの風に、つめたい雨気さえふくんできた。

「あ、折りがわるい――」

と、駒こまをとめて、空をあおいだ咲耶子さくやこの声は、うらめしげであった。

「おお、雲は切れめなくいちめんになってきた。咲耶どの、もう駒こまをはやめてはあぶない、わしはここでおりますから、あなたは岩殿いわどのへお帰りなさい」

「いいえ、まだ富士川ふじがわべりまでは、あいだがあります」

「いや、そなたが帰ってから、小角しょうかくにとがめられるであろうと思うと、わしは胸がいたくなります。さ、わしをここでおろしてください」

「伊那丸いなまるさま、こんなはてしも見えぬ裾野のなかで、馬をお捨てあそばして、どうなりますものか」

いい争あらそっているすきに、十間けんとは離れない窪地くぼちの下から、ぱッと目を射てきた松明たいまつのあかり。

「いたッ」

「逃がすな」と、八ぽうからの声である。

「あッ、大へん」

と咲耶子はピシリッと駒こまをうった。ザザーッと道もえらまずに数十間けん、一気にかけさせたのもつかの間まであった。たのむ馬が、窪地くぼちに落ちて脚あしを折ったはずみに、ふたりはいきおいよく、草むらのなかへ投げ落とされた。

「それッ、落ちた。そこだッ」

むらがりよってきた松明たいまつの赤い焔ほのお、山刀やまがたなの光、槍やりの穂ほさき。

ふたりのすがたは、たちまちそのかこみのなかに照らしだされた。

「もう、これまで」

と小太刀こだちをぬいた伊那丸いなまるは、その荒武者あらむしゃのまッただなかへ、運にまかせて、斬りこんだ。

咲耶子さくやこも、覆面ふくめんなのを幸いに一刀をもって、伊那丸の身をまもろうとしたが、さえぎる槍や大刀に畳たたみかけられ、はなればなれに斬りむすぶ。

「めんどうくさい。武田たけだの童わっぱも、手引きしたやつも、片ッぱしから首にしてしまえ」

大勢のなかから、こうどなった者は、咲耶子と知ってか知らぬのか、山大名やまだいみょうの根来小角ねごろしょうかくであった。

時に、そのすさまじいつるぎの渦うずへ、突とつとして、横合いからことばもかけずに、無反むぞりの大刀をおがみに持って、飛びこんできた人影がある。六部ろくぶの木隠龍太郎こがくれりゅうたろうであった。一閃せんかならず一人を斬り、一気かならず一夫ぷを割る、手練しゅれんの腕は、超人的ちょうじんてきなものだった。

それとみて、愕然がくぜんとした根来小角は、みずから大刀をとって、奮ふるいたった。

と同時に、一足ひとあしおくれて、かけつけた忍剣にんけんの鉄杖てつじょうも、風を呼んでうなりはじめた。

空はいよいよ暗かった。降るのはこまかい血の雨である。たばしる剣つるぎの稲妻いなずまにまきこまれた、可憐かれんな咲耶子さくやこの身はどうなるであろう。――そして、武田伊那丸たけだいなまるの運命は、はたしてだれの手ににぎられるのか?

朱柄あかえの槍やりを持もつ男おとこ

一

雲の明るさをあおげば、夜はたしかに明けている。しかし、加賀見忍剣かがみにんけんの身のまわりだけは、常闇とこやみだった。かれは、とんでもない奈落ならくのそこに落ちて、土龍もぐらのようにもがいていた。

「伊那丸いなまるさまはどうしたであろう。あの武士の群むれにとりかえされたか、あるいは、六部ろくぶの木隠こがくれというやつにさらわれてしまったか? ――そのどっちにしても大へんだ。アア、こうしちゃいられない、グズグズしている場合じゃない……」

忍剣は、どんな危地きちに立っても、けっしてうろたえるような男ではない。ただ、伊那丸の身をあんじてあせるのだった。地の理にくらいため、乱闘のさいちゅうに、足を踏ふみすべらしたのが、かえすがえすもかれの失敗であった。

ところが、そこは裾野すそのにおおい断層だんそうのさけ目であって、両面とも、切ってそいだかのごとき岩と岩とにはさまれている数丈すうじょうの地底なので、さすがの忍剣にんけんも、精根せいこんをつからして空の明るみをにらんでいた。

「む! 根気だ。こんなことにくじけてなるものか」

とふたたび袖そでをまくりなおした。かれは鉄杖てつじょうを背なかへくくりつけて、護身ごしんの短剣をぬいた。そして、岩の面へむかって、一段いちだん一段、じぶんの足がかりを、掘りはじめたのである。

すると、なにかやわらかなものが、忍剣の頬ほおをなでてははなれ、なでてははなれするので、かれはうるさそうにそれを手でつかんだ時、はじめて赤い絹きぬの細帯ほそおびであったことを知った。

「おや? ……」

と、あおむいて見ると、ちゅうとから藤ふじづるかなにかで結びたしてある一筋ひとすじが、たしかに、上からじぶんを目がけてさがっている。

「ありがたい!」

と力いっぱい引いてこころみたが、切れそうもないので、それをたよりに、するするとよじのぼっていった。

ぽんと、大地へとびあがったときのうれしさ。

忍剣はこおどりして見まわすと、そこに、思いがけない美少女が笑えみをふくんで立っている。少女の足もとには、謎なぞのような黒装束くろしょうぞくの上下うえしたがぬぎ捨てられてあった。

「や、あなたは……」

と忍剣にんけんはいぶかしそうに目をみはった。その問いにおうじて、少女は、

「わたくしはこの裾野すそのの山大名やまだいみょう、根来小角ねごろしょうかくの娘で、咲耶子さくやこというものでございます」

と、はっきりしたこわ音ねでこたえた。

「そのあなたが、どうしてわたしをたすけてくださったのじゃ」

「ご僧そうは、伊那丸いなまるさまのお供とものかたでございましょうが」

「そうです。若君のお身はどうなったか、それのみがしんぱいです。ごぞんじなら、教えていただきたい」

「伊那丸さまは、ご僧そうと一しょに斬りこんできた六部ろくぶのひとが、おそろしい早技はやわざでどこともなく連れていってしまいました。あの六部が、善人か悪人か、わたくしにもわからないのです。それをあなたにお知らせするために夜の明けるのを待っていたのです」

「えッ、ではやっぱりあの六部にしてやられたか。して六部めは、どっちへいったか、方角だけでも、ごぞんじありませんか」

「わたくしはそのまえに、富士川ふじがわをくだって、東海道から京へでる関所札せきしょふだをあげておきましたが、その道へ向かったかどうかわかりませぬ」

「しまった……?」

と、忍剣は吐息といきをもらした。と、咲耶子は、にわかに色をかえてせきだした。

「あれ、父の手下どもが、わたくしをたずねてむこうからくるようです。すこしも早くここをお立ちのきあそばしませ。わたくしは山へ帰りますが、かげながら、伊那丸いなまるさまのお行く末をいのっております」

「ではお別れといたそう。拙僧せっそうとて、安閑あんかんとしておられる身ではありません」

ふたたび鉄杖てつじょうを手にした忍剣にんけんは、別れをつげて、恨うらみおおき裾野すそのをあとに、いずこともなく草がくれに立ち去った。

――咲耶子さくやこも、しばしのあいだは、そこに立ってうしろ姿すがたを見おくっていた。

二

浜松はままつの城下は、海道一の名将、徳川家康とくがわいえやすのいる都会である。その浜松は、ここ七日のあいだは、男山八幡おとこやまはちまんの祭なので、夜ごと町は、おびただしいにぎわいであった。

「どうですな、鎧屋よろいやさん、まだ売れませんか」

その八幡はちまんの玉垣たまがきの前へならんでいた夜店の燈籠売とうろううりがとなりの者へはなしかけた。

「売れませんよ。今日で六日もだしていますがだめです」

と答えたのは、十八、九の若者で、たった一組の鎧よろいをあき箱の上にかざり、じぶんのそばには、一本の朱柄あかえの槍やりを立てかけて、ぼんやりとそこに腰かけている。

「おまえさんの燈籠とうろうのほうは、女子供が相手だから、さだめし毎日たくさんの売上げがありましたろう」

「どうしてどうして、あの鬼玄蕃おにげんばというご城内の悪侍わるざむらいのために、今年はからきし、商あきないがありませんでした」

「ゆうべもわたしがかえったあとで、だれかが、あいつらに斬られたということですが、ほんとでしょうかね」

「そんなことは珍しいことじゃありませんよ。店をメチャメチャにふみつぶされたり、片輪かたわにされたかわいそうな人が、何人あるか知れやしません。まったく弱いものは生きていられない世の中ですね」

といってる口のそばから、ワーッという声が向こうからあがって、いままで歓楽かんらくの世界そのままであったにぎやかな町の灯あかりが、バタバタ消えてきた。

燈籠売とうろううりははねあがってあおくなった。

「大へん大へん、鎧屋よろいやさん、はやく逃げたがいいぜ、鬼玄蕃がきやがったにちがいない」

にわか雨でもきたように、あたりの商人たちも、ともどもあわてさわいだが、かの若者だけは、腰も立てずに悠長ゆうちょうな顔をしていた。

案のじょう、そこへ旋風つむじかぜのようにあばれまわってきた四、五人の侍さむらいがある。なかでも一きわすぐれた強そうな星川玄蕃ほしかわげんばは、つかつかと鎧屋のそばへよってきた。泥酔でいすいしたほかの侍たちも、こいつはいいなぶりものだという顔をして、そこを取りまく。

「やい、町人。この槍やりはいくらだ」

と玄蕃げんばはいきなり若者のそばにあった朱柄あかえの槍やりをつかんだ。

「それは売り物じゃありません」

にべもなく、ひッたくって槍をおきかえたかれは、あいかわらず、無神経むしんけいにすましこんでいた。

「けしからんやつだ、売り物でないものを、なぜ店へさらしておく。こいつ、客をつる山師やましだな」

「槍はわしの持物です。どこへいくんだッて、この槍を手からはなさぬ性分しょうぶんなんだからしかたがない」

「ではこの鎧よろいが売りものなのか。黒皮胴くろかわどう、萌黄縅もえぎおどし、なかなかりっぱなものだが、いったいいくらで売るのだ」

「それも売りたい品しなではないが、お母ふくろが病気なので、薬代くすりだいにこまるからやむなく手ばなすんです。酔よッぱらったみなさまがさわいでいると、せっかくのお客も逃げてしまいます。早くあっちへいってください」

「無愛想ぶあいそうなやつだ。買うからねだんを聞いているのだ」

「金子きんす五十枚、びた一文もんもまかりません。はい」

「たかい、銅銭五十枚にいたせ、買ってくれる」

「いけません、まっぴらです」

「ふらちなやつだ。だれがこんなボロ鎧に、金五十枚をだすやつがあるか、バカめッ」

玄蕃げんばが土足どそくをあげて蹴けったので、鎧よろいはガラガラとくずれて土まみれになった。こんならんぼうは、泰平たいへいの世には、めったに見られないが、あけくれ血や白刃しらはになれた戦国武士の悪い者のうちには、町人百姓を蛆虫うじむしとも思わないで、ややともすると、傲慢ごうまんな武力をもってかれらへのぞんでゆくものが多かった。

「山師やましめッ」

ほかの武士ぶしどもも、口を合わせてののしった上に鎧よろいを踏ふみちらして、どッと笑いながら立ちさろうとした時、若者の眉まゆがピリッとあがった。――と思うまに、朱柄あかえの槍やりは、いつか、その小脇こわきにひッかかえられていた。

「待てッ」

「なにッ」とふりかえりざま、刀の柄つかへ手をかけた五人の、おそろしい眼つき。

すわと、弥次馬やじうまは、潮うしおのごとくたちさわいだ。――と、その群集のなかから、まじろぎもせずに、朱柄の槍先をみつめていた白衣びゃくえの六部ろくぶと、ひとりの貴公子きこうしふうの少年とがあった。

玉垣たまがきを照らしている春日燈籠かすがどうろうの灯影ほかげによく見ると、それこそ、裾野すそのの危地きちを斬りやぶって、行方ゆくえをくらました木隠龍太郎こがくれりゅうたろうと、武田伊那丸たけだいなまるのふたりであった。

六部の龍太郎は、はたして、なんの目的で伊那丸をうばいとってきたかわからないが、ここに立ったふたりのようすから察さっすると、いつか伊那丸もかれを了解りょうかいしているし、龍太郎も主君のごとく敬うやまっているようだ。しかしそれにしても武田の残党ざんとうを根だやしにするつもりである敵の本城地に、かく明からさまに姿をあらわしているのは、なんという大胆だいたんな行動であろう。今にもあれ、徳川家とくがわけの目付役めつけやくか、酒井黒具足組くろぐそくぐみの目にでもふれたらば最後、ふたりの身の一大事となりはしまいか?

それはとにかく、いっぽう、鎧売よろいうりの若者は、はやくも、槍やりを、穂短ほみじかにしごいて、ジリジリと一寸にじりに五人の武士へ迫ってゆく――

「小僧ッ、気がちがったか」玄蕃げんばはののしった。

「気は狂ちがっていない! 町人のなかにも男はいる、天にかわって、汝なんじらをこらしてやるのだ」

「なまいきなことをほざく下郎げろうだ、汝らがこのご城下で安穏あんのんにくらしていられるのは、みなわれわれが敵国と戦っている賜物たまものだぞ。罰ばちあたりめ」

「町人どもへよい見せしめ、そのほそ首をぶッ飛ばしてくれよう」

「うごくなッ」

鬼玄蕃おにげんばをはじめ、一同の刀が、若者の手もとへ、ものすさまじく斬りこんだ。

三

とたんに、朱柄あかえの槍やりは、一本の火柱のごとく、さッと五本の乱刀を天宙てんちゅうからたたきつけた。

わッと、あいての手もとが乱れたすきに、若者はまた一声「えいッ」とわめいて、ひとりのむなさきを田楽刺でんがくざしにつきぬくがはやいか、すばやく穂先ほさきをくり引いて、ふたたびつぎの相手をねらっている。

その早技はやわざも、非凡ひぼんであったが、よりおどろくべきものは、かれのこい眉毛まゆげのかげから、らんらんたる底光をはなってくる二つの眸ひとみである。それは、槍やりの穂先よりするどい光をもっている。

「やりおったな、小僧こぞうッ。もうゆるさん」

玄蕃げんばは怒りにもえ、金剛力士こんごうりきしのごとく、太刀たちをふりかぶって、槍の真正面に立った。かれのがんじょうな五体は、さすが戦場のちまたで鍛きたえあげたほどだけあって、小柄こがらな若者を見おろして、ただ一撃げきといういきおいをしめした。それさえあるのに、あと三人の武士ぶしも、めいめいきっさきをむけて、ふくろづめに、一寸二寸と、若者の命いのちに、くいよってゆくのだ。

ああ、あぶない。

「龍太郎りゅうたろう――」

と、こなたにいた伊那丸いなまるは、息をのんでかれの袖そでをひいた、そしてなにかささやくと、龍太郎はうなずいて、ひそかに、例の仕込杖しこみづえの戒刀かいとうをにぎりしめた。いざといわば、一気におどりこんで、木隠こがくれ一流りゅうの冴さえを見せんとするらしい。

ヤッという裂声れっせいがあたりの空気をつんざいた。鬼玄蕃おにげんば星川ほしかわが斬りこんだのだ。朱あかい槍やりがサッとさがる――玄蕃はふみこんで、二の太刀をかぶったが、そのとき、流星のごとくとんだ槍やりの穂ほが、ビュッと、鬼玄蕃おにげんばの喉笛のどぶえから血玉をとばした。

「わッ――」と弓なりにそってたおれたと見るや、のこる三人の侍さむらいは、必死に若者の左右からわめきかかる、疾風しっぷうか、稲妻いなずまか、刃やいばか、そこはただものすごい黒旋風くろつむじとなった。

「えいッ、木こッ葉ぱどもめ!」

若者は、二、三ど、朱柄あかえの槍やりをふりまわしたが、トンと石突きをついたはずみに、五尺の体をヒラリおどらすが早いか、社やしろの玉垣を、飛鳥のごとく飛びこえたまま、あなたの闇やみへ消えてしまった。

バラバラと武士もどこかへかけだした。あとは血なまぐさい風に、消えのこった灯ともしびがまたたいているばかり。

「アア、気もちのよい男」

と伊那丸いなまるは、思わずつぶやいた。

「拙者せっしゃも、めずらしい槍やりの玄妙げんみょうをみました」

龍太郎りゅうたろうは助太刀すけだちにでようとおもうまに、みごとに勝負をつけてしまった若者の早技はやわざに、舌したをまいて感嘆かんたんしていた。そして、ふたりはいつかそこを歩みだして、浜松城に近い濠端ほりばたを、しずかに歩いていたのである。

すると、大手門の橋から、たちまち空をこがすばかりの焔ほのおの一列が疾走しっそうしてきた。龍太郎は見るより舌うちして、伊那丸とともに、濠端の柳やなぎのかげに身をひそませていると、まもなく、松明たいまつを持った黒具足くろぐそくの武士が十四、五人、目の前をはしり抜けたが、さいごのひとりが、

「待て、あやしいやつがいた」とさけびだした。

「なに? いたか」

バラバラと引きかえしてきた人数は、いやおうなく、ふたりのまわりをとり巻いてしまった。

「ちがった、こいつらではない」

と一目見た一同は、ふり捨ててふたたびゆきすぎかけたが、そのとき、

「ややッ、伊那丸いなまる、武田伊那丸たけだいなまるッ」と、だれかいった者がある。

四

朱柄あかえの槍やりをもった曲者くせものが、城内の武士ぶしをふたりまで突きころしたという知らせに、さては、敵国の間者かんじゃではないかと、すぐ討手うってにむかってきたのは、酒井黒具足組くろぐそくぐみの人々であった。

運わるく、そのなかに、伊那丸の容貌かおかたちを見おぼえていた者があった。かれらは、おもわぬ大獲物おおえものに、武者むしゃぶるいを禁きんじえない。たちまちドキドキする陣刀は、伊那丸と龍太郎りゅうたろうのまわりに垣かきをつくって、身うごきすれば、五体は蜂はちの巣すだぞ――といわんばかりなけんまくである。

「ちがいない。まさしくこの者は、武田伊那丸たけだいなまるだ」

「お城しろちかくをうろついているとは、不敵なやつ。尋常にせねば縄なわをうつぞ、甲斐源氏かいげんじの御曹司おんぞうし、縄目なわめを、恥はじとおもわば、神妙しんみょうにあるきたまえ――」

侍頭さむらいがしらの坂部十郎太さかべじゅうろうたが、おごそかにいいわたした。

伊那丸は、ちりほども臆おくしたさまは見せなかった。りんとはった目をみひらいて、周囲のものをみつめていたが、ちらと、龍太郎りゅうたろうの顔を見ると――かれも眸ひとみをむけてきた。以心伝心いしんでんしん、ふたりの目と目は、瞬間にすべてを語りあってしまう。

「いかにも――」龍太郎はそこでしずかに答えた。

「ここにおわすおん方かたは、おさっしのとおり、伊那丸君であります。天下の武将のなかでも徳川とくがわどのは仁君じんくんとうけたまわり、おん情けの袖そでにすがって、若君のご一身を安全にいたしたいお願いのためまいりました」

「とにかく、きびしいお尋ね人じゃ、おあるきなさい」

「したが、落人おちゅうどのお身の上でこそあれ、無礼のあるときは、この龍太郎が承知いたさぬ、そう思おぼしめして、ご案内なさい」

龍太郎は、戒刀かいとうの杖つえに、伊那丸の身をまもり、すすきをあざむく白刃はくじんのむれは、長蛇ちょうだの列のあいだに、ふたりをはさんで、しずしずと、鬼おにの口にもひとしい、浜松城はままつじょうの大手門のなかへのまれていった。

雷火変らいかへん

一

本丸ほんまるとは、城主のすまうところである。築山つきやまの松、滝たきをたたえた泉いずみ、鶺鴒せきれいがあそんでいる飛石など、戦いくさのない日は、平和の光がみちあふれている。そこは浜松城のみどりにつつまれていた。

伊那丸いなまると龍太郎りゅうたろうは、あくる日になって、三の丸、二の丸をとおって、家康いえやすのいるここへ呼びだされた。

「勝頼かつよりの次男、武田伊那丸たけだいなまるの主従しゅじゅうとは、おん身たちか」

高座こうざの御簾みすをあげて、こういった家康は、ときに、四十の坂をこえたばかりの男ざかり、智謀ちぼうにとんだ名将のふうはおのずからそなわっている。

「そうです。じぶんが武田伊那丸です」

龍太郎は、かたわらに両手をついたが、伊那丸ははっきりこたえて、端然たんぜんと、家康の顔をじいとみつめた。――家康も、しかと、こっちをにらむ。

「おう……天目山てんもくざんであいはてた、父の勝頼、また兄の太郎信勝のぶかつに、さても生写いきうつしである……。あの戦いくさのあとで検分けんぶんした生首なまくびに瓜うり二つじゃ」

「うむ……」

伊那丸いなまるの肩は、あやしく波をうった。かれをにらんだ二つの眸ひとみからは、こらえきれない熱涙が、ハラハラとはふり落ちてとまらない。

この家康いえやすめが、織田おだと力をあわせ、北条ほうじょうをそそのかして、武田たけだの家をほろぼしたのか、父母や兄や、一族たちをころしたのか――と思うと、くやし涙は、頬ほおをぬらして、骨に徹てっしてくる。眼まなこもらんらんともえるのだった。

「若君、若君……」

と、龍太郎りゅうたろうはそッと膝ひざをついて目くばせをしたが、伊那丸は、さらに心情をつつまなかった。

「おお……」と家康はうなずいて、そしてやさしそうに、

「父の領地りょうちは焦土しょうどとなり、身は天涯てんがいの孤児こじとなった伊那丸、さだめし口惜くやしかろう、もっともである。いずれ、家康もとくと考えおくであろうから、しばらくは、まず落ちついて、体をやすめているがよかろう」

家康はなにか一言ひとこと、近侍きんじにいいつけて、その席を立ってしまった。ふたりはやがて、酒井の家臣、坂部十郎太さかべじゅうろうたのうしろにしたがって、二の丸の塗籠造ぬりごめづくりの一室へあんないされた。伊那丸は、ふたりきりになると、ワッと袂たもとをかんで、泣いてしまった。

「龍太郎、わしは口惜くやしい……くやしかった」

「ごもっともです、おさっしもうしまする」

とかれもしばらく、伊那丸いなまるの手をとって、あおむいていたが、きッと、あらたまっていった。

「さすがにいまだご若年じゃくねん、ごむりではありますが、だいじなときです。お心をしかとあそばさねば、この大望たいもうをはたすことはできません」

「そうであった、伊那丸は女々めめしいやつのう……」

と快川和尚かいせんおしょうが、幼心おさなごころへうちこんでおいた教えの力が、そのとき、かれの胸に生々いきいきとよみがえった。にっこりと笑って、涙をふいた。

「わたくしの考えでは、家康いえやすめは、あのするどい目で、若さまのようすから心のそこまで読みぬいてしまったとぞんじます。なかなか、この龍太郎りゅうたろうが考えた策てにのるような愚将ぐしょうではありませぬから、必然ひつぜん、お身の上もあやういものと見なければなりません」

「わしもそう思った。それゆえに、よしや、いちじの計略はかりごとにせよ、家康などに頭をさげるのがいやであった。龍太郎、そちの教えどおりにしなかった、わしのわがままはゆるしてくれよ」

果然かぜん、ふたりはまえから、家康の身に近よる秘策ひさくをいだいて、わざと、この城内へとらわれてきたのらしい。しかし、すでにそれを、家康が見破ってしまったからには、鮫さめをうたんがため鮫の腹中にはいって、出られなくなったと、おなじ結果におちたものだ。

このうえは、家康がどうでるか、敵のでようによってこの窮地きゅうちから活路かつろをひらくか、あるいは、浜松城の鬼となるか、武運の分れめを、一挙きょにきめるよりほかはない。

二

日がくれると、膳所ぜんしょの侍さむらいが、おびただしい料理や美酒をはこんできて、うやうやしくふたりにすすめた。

「わが君の志こころざしでござります。おくつろぎあって、じゅうぶんに、おすごしくださるようにとのおことばです」

「過分かぶんです。よしなに、お伝えください」

「それと、城内の掟おきてでござるが、ご所持のもの、ご佩刀はいとうなどは、おあずかりもうせとのことでござりますが」

「いや、それはことわります」と龍太郎りゅうたろうはきっぱり、

「若君のお刀は伝家の宝刀、ひとの手にふれさせていい品しなではありませぬ。また、拙者せっしゃの杖つえは護仏ごぶつの法杖ほうじょう、笈おいのなかは三尊さんぞんの弥陀みだです。ご不審ふしんならば、おあらためなさるがよいが、お渡しもうすことは、誓ちかってあいなりません」

「では……」

と、その威厳いげんにおどろいた家臣たちは、おずおずと笈のなかをあらためたが、そのなかには、龍太郎の言明したとおり、三体のほとけの像ぞうがあるばかりだった。そして、杖つえのあやしい点には気づかずに、そこそこに、そこからさがってしまった。

「若君、けっして手をおふれなさるな、この分では、これもあやしい」

と、膳部ぜんぶの吸物椀すいものわんをとって、なかの汁しるを、部屋の白壁にパッとかけてみると、墨すみのように、まっ黒に変化して染まった。

「毒だ! この魚にも、この飯にも、おそろしい毒薬がまぜてある。伊那丸いなまるさま、家康いえやすの心はこれではっきりわかりました。うわべはどこまでも柔和にゅうわにみせて、わたしたちを毒害どくがいしようという肚はらでした」

「ではここも?」

と伊那丸は立ちあがって、塗籠ぬりごめの出口の戸をおしてみると、はたして開あかない。力いっぱい、おせど引けど開かなくなっている。

「若君――」

龍太郎りゅうたろうはあんがいおちついて、なにか伊那丸の耳にささやいた。そして、夜のふけるのを待って、足帯あしおび、脇差わきざしなど、しっかりと身支度みじたくしはじめた。

やがて龍太郎は、笈おいのなかから取りのけておいた一体の仏像ぶつぞうを、部屋へやのすみへおいた。そして燭台しょくだいの灯ともしびをその上へ横倒しにのせかける。

部屋の中は、いちじ、やや暗くなったが、仏像の木に油がしみて、ふたたびプスプスと、まえにもまして、明るい焔ほのおを立ててきた。

龍太郎は、伊那丸の体をひしと抱きしめて、反対のすみによった。そして、できるだけ身をちぢめながら、じッとその火をみつめていた。プス……プス……焔ほのおは赤くなり、むらさき色になりしてゆくうちに、パッと部屋のなかが真暗になったせつな、チリチリッと、こまかい火の粉こが、仏像からうつくしくほとばしりはじめた。

「若君、耳を耳を」と、いいながら龍太郎も、かたく眼をつぶった。

その時――

轟然ごうぜんたる音響おんきょうとともに、仏像のなかにしかけてあった火薬が爆発した。――浜松城の二の丸の白壁は、雷火らいかに裂さかれてくずれ落ちた。

ガラガラと、すさまじい震動しんどうは、本丸ほんまる、三の丸までもゆるがした。すわ変事へんじと、旗本はたもとや、役人たちは、得物えものをとってきてみると、外廓そとぐるわの白壁がおちたところから、いきおいよくふきだしている怪火! すでに、矢倉やぐらへまでもえうつろうとしているありさまだ。

「火事ッ、火事ッ――」

降ふりかかる火の粉こをあびて、口々にうろたえた顔をあおむかせていると、ふたたび、どッと、突きくずしてきた白壁の口から、紅蓮ぐれんをついてあらわれた者がある。無反むぞりの戒刀かいとうをふりかぶった木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、つづいて、武田伊那丸たけだいなまるのすがた。

「曲者くせものッ」

と下では、騒然そうぜんと渦うずをまいた。その白刃の林をめがけて、焔ほのおのなかから、ひらりと飛びおりた伊那丸と龍太郎――

ああ、その危あやうさ。

三

小太刀こだちをとっては、伊那丸いなまるはふしぎな天才児である。木隠龍太郎こがくれりゅうたろうも戒刀の名人、しかも隠形おんぎょうの術からえた身のかるさも、そなえている。

けれど、伊那丸も龍太郎も、けっして、匹夫ひっぷの勇ゆうにはやる者ではない。どんな場合にも、うろたえないだけの修養はある。――だのに、なぜ、こんな無謀むぼうをあえてしたろう? 白刃林立のなかへ、肉体をなげこめば、たちまち剣のさきに、メチャメチャに刺さされてしまうのは、あまりにも知れきった結果だのに。

しかし、ひとたび人間が、信念に身をかためてむかう時は、刀刃とうじんも折れ、どんな悪鬼あっきも羅刹らせつも、かならず退しりぞけうるという教えもある。ふたりがふりかぶった太刀は、まさに信念の一刀だ。とびおりた五尺の体からだもまた、信念の鎖帷子くさりかたびらをきこんでいるのだった。

「わッ」

とさけんだ下の武士たちは、ふいにふたりが、頭上へ飛びおりてきたいきおいにひるんで、思わず、サッとそこを開いてしまった。

どんと、ふたりのからだが下へつくやいな、いちじに、乱刀の波がどッと斬りつけていったが、

「退すされッ」

と、龍太郎の手からふりだされた戒刀かいとうの切きッ先さきに、乱れたつ足もと。それを目がけて伊那丸いなまるの小太刀も、飛箭ひせんのごとく突き進んだ。たちまち火花、たちまち剣つるぎの音、斬りおられた槍やりは宙ちゅうにとび、太刀さきに当ったものは、無残なうめきをあげて、たおれた。

「退ひけッ! だめだ」

と城の塀へいにせばめられて、人数の多い城兵は、かえって自由を欠かいた。武士たちは、ふたたび、見ぎたなく逃げ出した。龍太郎りゅうたろうと伊那丸は、血刀をふって、追いちらしたうえ、昼間ひるまのうちに、見ておいた本丸をめがけて、かけこんでいった。

家康いえやすにちかづいて、武田たけだ一門の思いを知らそうと思ったことは破れたが、せめて一太刀でも、かれにあびせかけなければ――浜松城の奥ふかくまではいってきたかいがない。めざすは本丸!

あいてはひとり!

と、ほかの雑兵ぞうひょうには目もくれないで、まっしぐらに、武者走り(城壁じょうへきの細道ほそみち)をかけぬけた。

天てんの筏いかだ

一

矢倉やぐらへむかった消火隊と、武器をとって討手うってにむかった者が、あらかたである。――で、家康いえやすのまわりには、わずか七、八人の近侍きんじがいるにすぎなかった。

「火はどうじゃ、手はまわったか」

寝所をでた家康は、そう問いながら、本丸の四阿あずまやへ足をむけていた。すると、闇やみのなかから、ばたばたとそこへかけよってきた黒い人影がある。

「や!」

と侍たちが、立ちふさがって、きッと見ると、物の具で身をかためたひとりの武士ぶしが、大地へ両手をついた。

「お上かみ、武田たけだの主従しゅじゅうが、火薬をしかけたうえに狼藉ろうぜきにおよびました。ご身辺にまんいちがあっては、一大事です。はやくお奥おくへお引きかえしをねがいまする」

「おう、坂部十郎太さかべじゅうろうたか。たかが稚児ちごどうような伊那丸いなまると六部ろくぶの一人や二人が、檻おりをやぶったとて、なにをさほどにうろたえることがある。それよりか、城の火こそ、はやく消さねばならぬ、矢倉やぐらへむかえ!」

「はッ」と十郎太が、立ちかけると――

「家康ッ!」と、ふいに、耳もとをつんざいた声とともに、闇のうちからながれきたった一閃せんの光。

「無礼ものッ!」

とさけびながら、よろりと、しりえに、身をながした家康の袖そでを、さッと、白い切きッ先さきがかすってきた。

「何者だ!」

とその太刀影たちかげを見て、ガバと、はねおきるより早く、斬りまぜていった十郎太じゅうろうたの陣刀。

「お上かみ、お上」

と近侍きんじのものは、そのすきに、家康いえやすを屏風びょうぶがこいにして、本丸の奥へと引きかえしていった。

「無念ッ――」

長蛇ちょうだを逸いっした伊那丸いなまるは、なおも、四、五間けんほど、追いかけてゆくのを、待てと、坂部十郎太さかべじゅうろうたの陣刀が、そのうしろから慕したいよった。

と、伊那丸はなんにつまずいたか、ア――と闇やみをおよいだ。ここぞと、十郎太がふりかぶった太刀に、あわれむごい血煙が、立つかと見えたせつな、魔鳥のごとく飛びかかってきた龍太郎りゅうたろうが、やッと、横ざまに戒刀かいとうをもって、薙なぎつけた。

「むッ……」と十郎太は、苦鳴くめいをあげて、たおれた。

「若君――」

と寄りそってきた龍太郎、

「またの時節じせつがあります。もう、すこしも、ご猶予ゆうよは危険です。さ、この城から逃げださねばなりませぬ」

「でも……龍太郎、ここまできて、家康を討ちもらしたのはざんねんだ。わしは無念だ」

「ごもっともです。しかし、伊那丸いなまるさまの大望は、ひろい天下にあるのではござりませぬか。家康いえやすひとりは小さな敵です。さ、早く」

とせき立てたかれは、むりにかれの手をとって、築山つきやまから、城の土塀どべいによじのぼり、狭間はざまや、わずかな足がかりを力に、二丈じょうあまりの石垣いしがきを、すべり落ちた。

途中に犬走りという中段がある。ふたりはそこまでおりて、ぴったりと石垣に腹をつけながら、しばらくあたりをうかがっていた。上では、城内の武士が声をからして、八ぽうへ手配てくばりをさけびつつ、縄梯子なわばしごを、石垣のそとへかけおろしてきた。南無三なむさん――とあなたを見れば、火の手を見た城下の旗本たちが、闇やみをついて、これまた城の大手へ刻々に殺到するけはいである。

「どうしたものだろう?」

さすがの龍太郎りゅうたろうも、ここまできて、はたと当惑とうわくした。もう濠ほりまでわずかに五、六尺だが、そのさきは、満々とたたえた外濠そとぼり、橋なくして、渡ることはとてもできない。ふつう、兵法で十五間けん以上と定められてある濠ほりが、どっちへまわっても、陸と城との境さかいをへだてている。するといきなり上からヒューッと一団の火が尾をひいて、ふたりのそばに落ちてきた。闇夜の敵影をさぐる投げ松明たいまつである。ヒューッ、ヒューッ、とつづけざまにおちてくる光――

「いたッ、犬走りだ」

と頭のうえで声がしたとたんに、光をたよりに、バラバラと、つるべうちに射いてきた矢のうなり、――鉄砲のひびき。

「しまった」と龍太郎りゅうたろうは伊那丸いなまるの身をかばいながら、石垣にそった犬走りを先へさきへとにげのびた。しかし、どこまでいっても陸おかへでるはずはない。ただむなしく、城のまわりをまわっているのだ。そのうちには、敵の手配てはいはいよいよきびしく固まるであろう。

矢と、鉄砲と、投げ松明たいまつは、どこまでも、ふたりの影をおいかけてくる。そのうちに龍太郎は、「あッ」と立ちすくんでしまった。

ゆくての道はとぎれている。見れば目のまえはまっくらな深淵しんえんで、ごうーッという水音が、闇やみのそこに渦うずまいているようす。ここぞ、城内の水をきって落としてくる水門であったのだ。

矢弾やだまは、ともすると、鬢びんの毛をかすってくる。前はうずまく深淵しんえん、ふたりは、進退きわまった。

「ああ、無念――これまでか」と龍太郎は天をあおいで嘆息たんそくした。

と、そのまえへ、ぬッと下から突きだしてきた槍やりの穂ほ?

「何者?」

と思わず引っつかむと、これは、冷たい雫にぬれた棹さおのさきだった。龍太郎がつかんだ力に引かれて、まっ黒な水門から筏いかだのような影がゆらゆらと流れよってきた。その上にたって、棹さおを手たぐってくるふしぎな男はたれ? 敵か味方か、ふたりは目をみはって、闇やみをすかした。

二

「お乗りなさい、はやく、はやく」

筏いかだのうえの男は、早口にいった。いまはなにを問とうすきもない。ふたりは、ヒラリと飛びうつった。

ザーッとはねあがった水玉をあびて、男は、力まかせに石垣いしがきをつく。――筏は外濠そとぼりのなみを切って、意外にはやく陸おかへすすむ。そして、すでに濠ほりのなかほどまできたとき、

「その方はそも何者だ。われわれをだれとおもって助けてくれたのか」

龍太郎りゅうたろうが、ふしんな顔をしてきくと、それまで、黙々として、棹をあやつっていた男は、はじめて口を開いてこういった。

「武田伊那丸たけだいなまるさまと知ってのうえです。わたくしは、この城の掃除番そうじばん、森子之吉もりねのきちという者ですが、根から徳川家とくがわけの家来ではないのです」

「おう、そういえば、どこやらに、甲州こうしゅうなまりらしいところもあるようだ」

「何代もまえから、甲府こうふのご城下にすんでおりました。父は森右兵衛もりうへえといって、お館やかたの足軽あしがるでした。ところが、運わるく、長篠ながしのの合戦のおりに、父の右兵衛うへえがとらわれたので、わたくしも、心ならず徳川家に降くだっていましたが、ささいなあやまちから、父は斬罪ざんざいになってしまったのです。わたくしにとっては、怨うらみこそあれ、もう奉公する気のない浜松城をすてて、一日もはやく、故郷こきょうの甲府にかえりたいと思っているまに、武田家たけだけは、織田おだ徳川とくがわのためにほろぼされ、いるも敵地、かえるも敵地というはめになってしまいました。ところへ、ゆうべ、伊那丸いなまるさまがつかまってきたという城内のうわさです。びっくりして、お家の不運をなげいていました。けれど、今宵こよいのさわぎには、てっきりお逃げあそばすであろうと、水門のかげへ筏いかだをしのばして、お待ちもうしていたのです」

「ああ、天の助けだ。子之吉ねのきちともうす者、心からお礼をいいます」

と、伊那丸は、この至誠な若者を、いやしい足軽あしがるの子とさげすんではみられなかった。いくどか、頭をさげて礼れいをくり返した。そのまに、筏いかだはどんと岸についた。

「さ、おあがりなさいませ」と子之吉は、葦あしの根をしっかり持って、筏を食いよせながらいった。

「かたじけない」と、ふたりが岸へ飛びあがると、

「あ、お待ちください」とあわててとめた。

「子之吉ねのきち、いつかはまたきっとめぐりあうであろう」

「いえ、それより、どっちへお逃げなさるにしても、この濠端ほりばたを、右にいってはいけません。お城固しろがための旗本屋敷はたもとやしきが多いなかへはいったら袋ふくろのねずみです。どこまでもここから、左へ左へとすすんで、入野いりぬの関せきをこえさえすれば、浜名湖はまなこの岸へでられます」

「や、ではこの先にも関所せきしょがあるか」

「おあんじなさいますな、ここに蓑みのと、わたくしの鑑札かんさつがあります。お姿をつつんで、これをお持ちになれば大じょうぶです」

子之吉ねのきちは、下からそれを渡すと、岸をついて、ふたたび、筏いかだを濠ほりのなかほどへすすめていったが、にわかに、どぶんとそこから水けむりが立った。

「ややッ」と、岸のふたりはおどろいて手をあげたが、もうなんともすることもできなかった。

子之吉は、筏をはなすと同時に、脇差わきざしをぬいて、みごとにわが喉笛のどぶえをかッ切ったまま、濠ほりのなかへ身を沈めてしまったのである。後日に、徳川家とくがわけの手にたおれるよりは、故主の若君のまえで、報恩の一死をいさぎよくささげたほうが、森子之吉もりねのきちの本望ほんもうであったのだ。

怪船かいせんと巽小文治たつみこぶんじ

一

伊那丸いなまると龍太郎りゅうたろうが外濠そとぼりをわたって、脱出だっしゅつしたのを、やがて知った浜松城の武士たちは、にわかに、追手おってを組織して、入野いりぬの関せきへはしった。

ところが、すでに二刻ふたときもまえに、蓑みのをきた両名のものが、この関せきへかかったが、足軽鑑札あしがるかんさつを持っているので、夜中ではあったが、通したということなので、討手うってのものは、地だんだをふんだ。そして、長駆ちょうくして、さらに次の浜名湖はまなこの渡し場へさしていそいだ。

いっぽう、伊那丸いなまる、龍太郎りゅうたろうのふたりは、しゅびよく、浜名湖のきしべまで落ちのびてきたが、一難なんさってまた一難、ここまできながら、一艘そうの船も見あたらないのでむなしくあっちこっちと、さまよっていた。

月はないが、空いちめんに磨とぎだされ、かがやかしい星の光と、ゆるやかに波を縒よる水明りに、湖は、夜明けのようにほの明るかった。すると、ギイ、ギイ……とどこからか、この静寂しじまをやぶる櫓ろの音がしてきた。

「お、ありゃなんの船であろう?」

と伊那丸が指したほうを見ると、いましも、弁天島べんてんじまの岩かげをはなれた一艘の小船に、五、六人の武士が乗りこんで、こなたの岸へ舵かじをむけてくる。

「いずれ徳川家とくがわけの武士ぶしにちがいない。伊那丸さま、しばらくここへ」

と龍太郎はさしまねいて、ともにくさむらのなかへ身をしずめていると、まもなく船は岸について、黒装束くろしょうぞくの者がバラバラと陸おかへとびあがり、口々になにかざわめき立ってゆく。

「せっかく仕返しにまいったのに、かんじんなやつがいなかったのはざんねんしごくであった」

「いつかまた、きゃつのすがたを見かけしだいに、ぶッた斬ってやるさ。それに、すまいもつきとめてある」

「あの小僧こぞうも、あとで家へかえって見たら、さだめしびっくりして泣きわめくにちがいない。それだけでも、まアまア、いちじの溜飲りゅういんがさがったというものだ」

ものかげに、人ありとも知らずにこう話しながら、浜松のほうへつれ立ってゆくのをやり過ごした龍太郎りゅうたろうと伊那丸いなまるは、そこを、すばやく飛びだして、かれらが乗りすてた船へとびうつるが早いか、力のかぎり櫓ろをこいだ。

「龍太郎、いったいいまのは、何者であろう」

舳みよしに腰かけていた伊那丸が、ふといいだした。

「さて、この夜中に、黒装束くろしょうぞくで横行おうこうするやからは、いずれ、盗賊とうぞくのたぐいであったかもしれませぬ」

「いや、わしはあのなかに、ききおぼえのある声をきいた。盗賊の群れではないと思う」

「はて……?」龍太郎は小首をかしげている。

「そうじゃ、ゆうべ、八幡前はちまんまえで、鎧売よろいうりに斬りちらされた悪侍、あのときの者が二、三人はたしか今の群れにまじっていた」

「おお、そうおっしゃれば、いかにも似通にかようていたやつもおりましたな」

と、龍太郎はいつもながら、伊那丸のかしこさに舌したをまいた。そのまに、船は弁天島べんてんじまへこぎついた。

「若君――」と船をもやってふりかえる。

「浜松から遠くもない、こんな小島に長居ながいは危険です。わたくしの考えでは、夜のあけぬまえに、渥美あつみの海へこぎだして、伊良湖崎いらこざきから志摩しまの国へわたるが一ばんご無事かとぞんじますが」

「どんな荒海、どんな嶮岨けんそをこえてもいい。ただ一ときもはやく、かねがねそちが話したおん方にお目にかかり、また忍剣にんけんをたずね、その他の勇士を狩かりあつめて、この乱れた世を泰平たいへいにしずめるほか、伊那丸いなまるの望みはない」

「そのお心は、龍太郎りゅうたろうもおさっしいたしております。では、わたくしは弁天堂の禰宜ねぎか、どこぞの漁師りょうしをおこして食たべ物の用意をいたしてまいりまするから、しばらく船のなかでお待ちくださいまし」

と龍太郎は、ひとりで島へあがっていった。そしてあなたこなたを物色ぶっしょくしてくると、白砂をしいた、まばらな松のなかにチラチラ灯あかりのもれている一軒の家が目についた。

「漁師の家と見える、ひとつ、訪おとずれてみよう」

と龍太郎は、ツカツカと軒下へきて、開けっぱなしになっている雨戸の口からなかをのぞいてみると、うすぐらい灯ともしびのそばに、ひとりの男が、朱あけにそまった老婆ろうばの死骸しがいを抱きしめたまま、よよと、男泣きに泣いているのであった。

二

龍太郎りゅうたろうが、そこを立ちさろうとすると、なかの男は、跫音あしおとを耳にとめたか、にわかに、はねおきて、壁かべに立てかけてあった得物えものをとるやいなや、ばらッと、雨戸のそとへかけおりた。

「待てッ、待て、待てッ!」

あまりその声のするどさに、龍太郎も、ギョッとしてふりかえった。すると――そのせつな、真眉間まみけんへむかって、ぶんとうなってきたするどい光りものに――はッとおどろいて身をしずめながら、片手にそれをまきこんで袖そでの下へだきしめてしまった。見ればそれは朱柄あかえの槍やりであった。

「こりゃ、なんだって、拙者せっしゃの不意をつくか」

「えい、吐ぬかすな、おれのお母ふくろをころしたのは、おまえだろう。天にも地にも、たったひとりのお母ふくろさまのかたきだ。どうするかおぼえていろ!」

「勘ちがいするな、さようなおぼえはないぞ」

「だまれ、だまれッ、めったに人のこないこの島に、なんの用があって、うろついていた。今しがた、宿しゅくから帰ってみれば、お母ふくろさまはズタ斬り、家のなかは乱暴狼藉ろうぜき、あやしいやつは、汝なんじよりほかにないわッ」

目に、いっぱい溜ため涙なみだをひからせている。憤怒ふんぬのまなじりをつりあげて、いッかなきかないのだ。この若者は浜松の町で、稀代きたいな槍法そうほうをみせた鎧売よろいうりの男で――いまは、この島に落ちぶれているが、もとは武家生まれの、巽小文治たつみこぶんじという者であった。

「うろたえ言ごとをもうすな、だれが、恨みもないきさまの老母などを、殺すものか」

「いや、なんといおうが、おれの目にかかったからにはのがすものか」

「うぬ! 血まよって、後悔こうかいいたすなよ」

「なにを、この朱柄あかえの槍やりでただひと突き、おふくろさまへの手向たむけにしてくれる。覚悟かくごをしろ」

「えい! 聞きわけのないやつだ」

と、龍太郎りゅうたろうもむッとして、槍やりのケラ首が折れるばかりにひッたくると、小文治こぶんじも、金剛力こんごうりきをしぼって、ひきもどそうとした。

「やッ――」とその機をねらった龍太郎が、ふいに穂先ほさきをつッ放すと、力負けした小文治は、槍やりをつかんだままタタタタタと、一、二間けんもうしろへよろけていった。――そこを、

「おお――ッ」ととびかかった龍太郎の抜き討ちこそ、木隠流こがくれりゅうのとくいとする、戒刀かいとうのはやわざであった。

いつか、裾野すそのの文殊閣もんじゅかくでおちあった加賀見忍剣かがみにんけんも、この戒刀かいとうのはげしさには膏汗あぶらあせをしぼられたものだった。ましてや、若年じゃくねんな巽小文治たつみこぶんじは、必然、まッ二つか、袈裟けさがけか? どっちにしても、助かりうべき命ではない。

と見えたが――意外である! 龍太郎りゅうたろうの刀は、サッと空くうを斬って、そのとたんに槍やりの石突きがトンと大地をついたかと思うと、小文治こぶんじの体は、五、六尺もたかく宙ちゅうにおどって、龍太郎の頭の上を、とびこえてしまった。

この手練しゅれん――かれはただ平凡な槍使やりつかいではなかった。

龍太郎は、とっさに、眸ひとみを抜かれたような気持がした。すぐ踏ふみとまって、太刀たちを持ちなおすと、すでにかまえなおした小文治は槍を中段ににぎって、龍太郎の鳩尾みぞおちへピタリと穂先ほさきをむけてきた。

かつて一ども、いまのようにあざやかに、敵にかわされたためしのない龍太郎は、このかまえを見るにおよんで、いよいよ要心ようじんに要心をくわえながら、下段げだんの戒刀かいとうをきわめてしぜんに、頭のうえへ持っていった。

玄妙げんみょうきわまる槍と、精妙無比せいみょうむひな太刀はここにたがいの呼吸をはかり、たがいに、兎うの毛けのすきをねらい合って一瞬一瞬、にじりよった。

天颷てんぴょう一陣! ものすごい殺気が、みるまにふたりのあいだにみなぎってきた。ああ龍虎りゅうこたおれるものはいずれであろうか。

三

船べりに頬杖ほおづえついて、龍太郎を待っていた伊那丸いなまるは、宵よいからのつかれにさそわれて、いつか、銀河の空の下でうっとりと眠りの国へさまよっていた。――松かぜの奏かなでや、舷ふなばたをうつ波の鼓つづみを、子守唄のように聞いて。

――すると。

内浦鼻うちうらばなのあたりから、かなり大きな黒船のかげが瑠璃るりの湖みずうみをすべって、いっさんにこっちへむかってくるのが見えだした。だんだんと近づいてきたその船を見ると徳川家とくがわけの用船でもなく、また漁船ぎょせんのようでもない。舳みよしのぐあいや、帆柱ほばしらのさまなどは、この近海に見なれない長崎型ながさきがたの怪船であった。

ふかしぎな船は、いつか弁天島べんてんじまのうらで船脚ふなあしをとめた。そして、親船をはなれた一艘そうの軽舸はしけが、矢よりも早くあやつられて伊那丸いなまるの夢をうつつに乗せている小船のそばまで近づいてきた。

ポーンと鈎縄かぎなわを投げられたのを伊那丸はまったく夢にも知らずにいる。――それからも、船のすべりだしたのすら気づかずにいたが、フト胸むなぐるしい重みを感じて目をさました時には、すでに四、五人のあらくれ男がよりたかって、おのれの体に、荒縄あらなわをまきしめていたのだった。

「あッ、龍太郎りゅうたろう――ッ」

かれは、おもわず絶叫ぜっきょうした。だがその口も、たちまち綿わたのようなものをつめられてしまったので、声も立てられない。ただ身をもがいて、伏ふしまろんだ。

水なれた怪船の男どもは、毒魚のごとく、胴どうの間まや軽舸の上におどり立って、なにかてんでに口ぜわしくさけびあっている。

「それッ、北岸きたぎしへ役人の松明たいまつが見えだしたぞ」

「はやく軽舸はしけをあげてしまえッ」

「帆綱ほづなに集たかれーッ、帆綱をまけ――」

キリキリッ、キリキリッと帆車ほぐるまのきしむおとが高鳴ると同時に、軽舸の底にもがいていた伊那丸いなまるのからだは、

「あッ」というまに鈎綱かぎづなにひっかけられて、ゆらゆらと波の上へつるしあげられた。

龍太郎りゅうたろうはどうした? この伊那丸の身にふってわいた大変事を、まだ気づかずにいるのかしら? それとも、巽小文治たつみこぶんじの稀代きたいな槍先やりさきにかかってあえなく討たれてしまったのか……?

西北へまわった風を帆ほにうけて、あやしの船は、すでにすでに、入江を切って、白い波をかみながら、外海そとうみへでてゆくではないか。

大鷲おおわしの鎖くさり

一

うわべは歌詠うたよみの法師か、きらくな雲水と見せかけてこころはゆだんもすきもなく、武田伊那丸たけだいなまるのあとをたずねて、きょうは東、あすは南と、血眼ちまなこの旅をつづけている加賀見忍剣かがみにんけん。

裾野すそのの闇やみに乗じられて、まんまと、六部ろくぶの龍太郎りゅうたろうのために、大せつな主君を、うばいさられた、かれの無念むねんさは思いやられる。

したが、不屈ふくつなかれ忍剣は、たとえ、胆きもをなめ、身を粉こにくだくまでも、ふたたび伊那丸いなまるをさがしださずに、やむべきか――と果てなき旅をつづけていた。

おりから、天下は大動乱だいどうらん、鄙ひなも都も、その渦うずにまきこまれていた。

この年六月二日に、右大臣織田信長うだいじんおだのぶながは、反逆者はんぎゃくしゃ光秀みつひでのために、本能寺であえなき最期さいごをとげた。

盟主めいしゅをうしなった天下の群雄は、ひとしくうろたえまよった。なかにひとり、山崎の弔とむらい合戦に、武名をあげたものは秀吉ひでよしであったが、北国の柴田しばた、その他た、北条ほうじょう徳川とくがわなども、おのおのこの機をねらって、おのれこそ天下をとらんものと、野心の関せきをかため、虎狼ころうの鏃やじりをといで、人の心も、世のさまも、にわかに険けわしくなってきた。

そうした世間であっただけに、忍剣の旅は、なみたいていなものではない。しかも、酬むくいられてきたものは、けっきょく失望――二月ふたつきあまりの旅はむなしかった。

「伊那丸さまはどこにおわすか。せめて……アア夢ゆめにでもいいから、いどころを知りたい……」

足をやすめるたびに嘆息たんそくした。

その一念で、ふと忍剣のあたまに、あることがひらめいた。

「そうだ! クロはまだ生きているはずだ」

かれはその日から、急に道をかえて、思い出おおき、甲斐かいの国へむかって、いっさんにとってかえした。

忍剣にんけんが気のついたクロとは、そもなにものかわからないが、かれのすがたは、まもなく、変りはてた恵林寺えりんじの焼やけ跡あとへあらわれた。

二

忍剣は数珠じゅずをだして、しばらくそこに合掌がっしょうしていた。すると、番小屋のなかから、とびだしてきた侍さむらいがふたり、うむをいわさず、かれの両腕をねじあげた。

「こらッ、そのほうはここで、なにをいたしておった」

「はい、国師こくしさまはじめ、あえなくお亡なくなりはてた、一山ざんの霊れいをとむろうていたのでござります」

「ならぬ。甲斐かい一帯たいも、いまでは徳川家とくがわけのご領分だぞ。それをあずかる者は、ご家臣の大須賀康隆おおすかやすたかさまじゃ。みだりにここらをうろついていることはならぬ、とッととたちされ、かえれ!」

「どうぞしばらく。……ほかに用もあるのですから」

「あやしいことをもうすやつ。この焼けあとに何用がある?」

「じつは当寺の裏山、扇山せんざんの奥に、わたしの幼おさななじみがおります。久しぶりで、その友だちに会いたいとおもいまして、はるばる尋たずねてまいったのです」

「ばかをいえ、さような者はここらにいない」

「たしかに生きているはずです。それは、友だちともうしても、ただの人ではありません。クロともうす大鷲おおわし、それをひと目見たいのでございます」

「だまれ。あの黒鷲は、当山を攻めおとした時の生捕いけどりもの、大せつに餌えをやって、ちかく浜松城へ献上けんじょういたすことになっているのだ、汝なんじらの見せ物ではない。帰れというに帰りおらぬか」

ひとりが腕うで、ひとりが襟えりがみをつかんで、ずるずるとひきもどしかけると、忍剣にんけんの眉まゆがピリッとあがった。

「これほど、ことをわけてもうすのに、なおじゃまだてするとゆるさんぞ!」

「なにを」

ひとりが腰縄こしなわをさぐるすきに、ふいに、忍剣の片足がどんと彼の脾腹ひばらをけとばした。アッと、うしろへたおれて、悶絶もんぜつしたのを見た、べつな侍さむらいは、

「おのれッ」と太刀の柄つかへ手をかけて、抜きかけた。

――それより早く、

「やッ」と、まッこうから、おがみうちに、うなりおちてきた忍剣の鉄杖てつじょうに、なにかはたまろう。あいては、かッと血へどをはいてたおれた。

それに見むきもせず、鉄杖をこわきにかかえた忍剣はいっさんに、うら山の奥おくへおくへとよじのぼってゆく。――と、昼なおくらい木立のあいだから、いような、魔鳥まちょうの羽はばたきがつめたい雫しずくをゆりおとして聞えた。

三

らんらんと光る二つの眼は、みがきぬいた琥珀こはくのようだ。その底にすむ金色こんじきの瞳ひとみ、かしらの逆羽さかばね、見るからに猛々たけだけしい真黒な大鷲おおわしが、足の鎖くさりを、ガチャリガチャリ鳴らしながら、扇山せんざんの石柱いしばしらの上にたって、ものすごい絶叫ぜっきょうをあげていた。

そのくろい翼つばさを、左右にひろげるときは、一丈じょうあまりの巨身きょしんとなり、銀の爪つめをさか立てて、まっ赤な口をあくときは、空とぶ小鳥もすくみ落ちるほどな威いがある。

「おおいた! クロよ、無事でいたか」

おそれげもなく、そばへかけよってきた忍剣にんけんの手になでられると、鷲わしは、かれの肩に嘴くちばしをすりつけて、あたかも、なつかしい旧友きゅうゆうにでも会ったかのような表情をして、柔和にゅうわであった。

「おなじ鳥類ちょうるいのなかでも、おまえは霊鷲れいしゅうである。さすがにわしの顔を見おぼえているようす……それならきっとこの使命をはたしてくれるであろう」

忍剣は、かねてしたためておいた一片ぺんの文字もんじを、油紙あぶらがみにくるんでこよりとなし、クロの片足へ、いくえにもギリギリむすびつけた。

この鷲わしにもいろいろな運命があった。

天文てんもん十五年のころ、武田信玄たけだしんげんの軍勢が、上杉憲政うえすぎのりまさを攻めて上野乱入こうずけらんにゅうにかかったとき、碓氷峠うすいとうげの陣中でとらえたのがこの鷲わしであった。

碓氷の合戦は甲軍こうぐんの大勝となって、敵将の憲政のりまさの首まであげたので、以来いらい、信玄しんげんはその鷲わしを館やかたにもちかえり、愛育していた。信玄しんげんの死んだあとは、勝頼かつよりの手から、供養くようのためと恵林寺えりんじに寄進きしんしてあったのである。ところがある時、檻おりをやぶって、民家の五歳になる子を、宙天ちゅうてんへくわえあげたことなどがあったので、扇山の中腹に石柱をたて、太い鎖くさりで、その足をいましめてしまった。

幼少から、恵林寺にきていた伊那丸いなまるは、いつか忍剣にんけんとともに、この鷲わしに餌えをやったり、クロよクロよと、愛撫あいぶするようになっていた。獰猛どうもうな鷲わしも、伊那丸や忍剣の手には、猫ねこのようであった。そして、恵林寺が大紅蓮だいぐれんにつつまれ、一山ざんのこらず最期さいごをとげたなかで、鷲わしだけは、この山奥につながれていたために、おそろしい焔ほのおからまぬがれたのだ。

「クロ、いまこそわしが、おまえの鎖くさりをきってやるぞ、そしてその翼つばさで、大空を自由にかけまわれ、ただ、おまえをながいあいだかわいがってくだすった、伊那丸さまのお姿を地上に見たらおりてゆけよ」

そういいながら、鎖に手をかけたが、鷲わしの足にはめられた鉄くろがねの環かんも、またふとい鎖も断きれればこそ。

「めんどうだ――」と、忍剣は鉄杖てつじょうをふりかぶって、石柱の角にあたる鎖をはッしと打った。

そのとき、ふもとのほうから、ワーッという、ただならぬ鬨ときの声こえがおこった。鎖くさりはまだきれていないが、忍剣にんけんはその声に、小手こてをかざして見た。

はやくも、木立のかげから、バラバラと先頭の武士がかけつけてきた。いうまでもなく、大須賀康隆おおすかやすたかの部下である。扇山へあやしの者がいりこんだと聞いて、捕手とりてをひきいてきたものだった。

「売僧まいす、その霊鳥れいちょうをなんとする」

「いらざること。この鷲わしこそ、勝頼公かつよりこうのみ代よから当山に寄進きしんされてあるものだ! どうしようとこなたのかってだ」

「うぬ! さては武田たけだの残党ざんとうとはきまった」

「おどろいたかッ」と、いきなりブーンとふりとばした鉄杖てつじょうにあたって、二、三人ははねとばされた。

「それ! とりにがすな」

ふもとのほうから、追々おいおいとかけあつまってきた人数を合がっして、かれこれ三、四十人、槍やりや太刀たちを押ッとって、忍剣の虚きょをつき、すきをねらって斬ってかかる。

「飛び道具をもった者は、梢こずえのうえからぶッぱなせ」

足場がせまいので、捕手の頭かしらがこうさけぶと、弓、鉄砲てっぽうをひッかかえた十二、三人のものは、猿ましらのごとく、ちかくの杉すぎや欅けやきの梢にのぼって、手早く矢をつがえ、火縄ひなわをふいてねらいつける。

下では忍剣にんけん、近よる者を、かたッぱしからたたきふせて、怪力のかぎりをふるったが、空からくる飛び道具をふせぐべき術すべもあろうはずはない。

はやくも飛んできた一の矢! また、二の矢。

夜叉やしゃのごとく荒れまわった忍剣は、突とつとして、いっぽうの捕手とりてをかけくずし、そのわずかなすきに、ふたたび鷲わしの鎖くさりをねらって、一念力、戛然かつぜんとうった。

きれた! ギャーッという絶鳴ぜつめいをあげた鷲わしは、猛然と翼つばさを一はたきさせて、地上をはなれたかと見るまに、一陣の山嵐をおこした翼のあおりをくって、大樹たいじゅの梢こずえの上からバラバラとふりおとされた弓組、鉄砲組。

「ア、ア、ア!」とばかり、捕手とりての軍卒ぐんそつがおどろきさわぐうちに、一ど、雲井くもいへたかく舞いあがった魔鳥まちょうは、ふたたびすさまじい天颷てんぴょうをまいて翔かけおりるや、するどい爪つめをさかだてて、旋廻せんかいする。

ふるえ立った捕手どもは、木の根、岩角いわかどにかじりついて、ただアレヨアレヨと胆きもを消しているうちに、いつか忍剣のすがたを見うしない、同時に、偉大なる黒鷲くろわしのかげも、天空はるかに飛びさってしまった。

鞍馬くらまの竹童ちくどう

一

はなしはふたたびあとへかえって、ここは波明るき弁天島べんてんじまの薄月夜うすづきよ――

いっぽうは太刀たちの名人、いっぽうは錬磨れんまの槍やり、いずれ劣おとらぬ切きッ先さきに秘術の妙みょうをすまして突きあわせたまま、松風わたる白砂の上に立ちすくみとなっているのは、白衣びゃくえの木隠龍太郎こがくれりゅうたろうと朱柄あかえの持ち主、巽小文治たつみこぶんじ。

腕が互角ごかくなのか、いずれに隙すきもないためか、そうほううごかず、彫ほりつけたごとくにらみあっているうちに、魔か、雲か、月をかすめて疾風はやてとともに、天空から、そこへ翔かけおりてきたすさまじいものがある。

バタバタという羽はばたきに、ふたりは、はッと耳をうたれた。弁天島の砂をまきあげて、ぱッと、地をすってかなたへ飛びさった時、不意をおそわれたふたりは、思わず眼をおさえて、左右にとびわかれた。

「あッ――」とおどろきの叫さけびをもらしたのは、龍太郎のほうであった。それは、もうはるかに飛びさった、鷲わしの巨おおきなのにおどろいたのではない。

いま、鏡かがみのような入江をすべって浜名湖から外海そとうみへとでてゆく、あやしい船の影――それをチラと見たせつなに、龍太郎のむねを不安にさわがしたのは、小船にのこした伊那丸いなまるの身の上だった。

「もしや?」とおもえば、一刻こくの猶予ゆうよもしてはおられない。やにわに、小文治こぶんじという眼さきの敵をすてて、なぎさのほうへかけだした。

「卑怯ひきょうもの!」

追いすがった小文治こぶんじが、さッと、くりこんでいった槍やりの穂先ほさき、ヒラリ、すばやくかわして、千段せんだんをつかみとめた龍太郎りゅうたろうは、はッたとふりかえって、

「卑怯ひきょうではない。わが身ならぬ、大せつなるおかたの一大事なのだ、勝負はあとで決してやるから、しばらく待て」

「いいのがれはよせ。その手は食わぬ」

「だれがうそを。アレ見よ、こうしているまにも、あやしい船が遠のいてゆく、まんいちのことあっては、わが身に代えられぬおんかた、そのお身のうえが気づかわしい、しばらく待て、しばらく待て」

「オオあの船こそ、めったに正体を見せぬ八幡船ばはんせんだ。して、小船にのこしたというのはだれだ。そのしだいによっては、待ってもくれよう」

「いまはなにをつつもう、武田家たけだけの御曹子おんぞうし、伊那丸いなまるさまにわたらせられる」

しばらく、じッと相手をみつめていた小文治こぶんじは、にわかに、槍を投げすててひざまずいてしまった。

「さては伊那丸君いなまるぎみのお傅人もりびとでしたか。今宵こよい、町へわたったとき、さわがしいおうわさは聞いていましたが、よもやあなたがたとは知らず、さきほどからのしつれい、いくえにもごかんべんをねがいまする」

「いや、ことさえわかればいいわけはない、拙者せっしゃはこうしてはおられぬ場合だ。さらば――」

ほとんど一足そく跳とびに、もとのところへひッ返してきた龍太郎りゅうたろうが、と見れば、小船は舫綱もやいをとかれて、湖水のあなたにただようているばかりで、伊那丸いなまるのすがたは見えない。

「チェッ、ざんねん。あの八幡船ばはんせんのしわざにそういない。おのれどうするか、覚えていろ」

と地だんだ踏ふんでにらみつけたが、へだては海――それもはや模糊もことして、遠州灘えんしゅうなだへ浪なみがくれてゆくものを、いかに、龍太郎でも、飛んでゆく秘術ひじゅつはない。

二

ところへ、案じてかけてきたのは、小文治こぶんじだった。

「若君のお身は?」

「しまッたことになった。船はないか、船は」

「あの八幡船のあとを追うなら、とてもむだです」

「たとえ遠州灘のもくずとなってもよい! 追えるところまでゆく覚悟かくごだ。たのむ、早くだしてくれ」

「小船は一艘そうありますが、八幡船のゆく先ばかりは、いままで領主りょうしゅのご用船が、死に身になって取りまいても、霧きりのように消えて、つきとめることができないほどでござります」

「ええ、なんとしたことだ――」

と、思わずどッかり腰をおとしてしまった龍太郎りゅうたろうは、われながらあまりの不覚に、唇くちびるをかみしめた。

小文治こぶんじは、それを見ると、不用意なじぶんの行動が後悔されてきた。母をうしなった悲しさに、いちずに龍太郎を下手人げしゅにんとあやまったがため、このことが起ったのだ。さすれば、とうぜん、じぶんにも罪つみはある。

かれは、いくたびかそれをわびた。そして、あらためて素性すじょうを名のり、永年よき主しゅをさがしていたおりであるゆえ、ぜひとも、力をあわせて伊那丸いなまるさまを取りかえし、ともども天下につくしたいと、真心まごころこめて龍太郎にたのんだ。

龍太郎も、よい味方を得たとよろこんだ。しかし、さてこれから八幡船ばはんせんの根城ねじろをさがそうとなると、それはほとんど雲にかくれた時鳥ほととぎすをもとめるようなものだった。――むろん小文治こぶんじにも、いい智恵ちえは浮かばなかった。

「こうなってはしかたがない」

龍太郎はやがてこまぬいていた腕から顔をあげた。

「お叱しかりをうけるかもしれぬが、一たび先生のところへ立ち帰って、この後の方針をきめるとしよう。それよりほかに思案はない」

「して、その先生とおっしゃるおかたは」

「京の西、鞍馬くらまの奥おくにすんではいるが、ある時は、都にもいで、またある時は北国の山、南海のはてにまで姿を見せるという、稀代きたいなご老体で、拙者せっしゃの刀術とうじゅつ、隠形おんぎょうの法なども、みなその老人からさずけられたものです」

鞍馬くらまときくさえ、すぐ、天狗てんぐというような怪奇が聯想れんそうされるところへ、この話をきいた小文治こぶんじは、もっと深くその老人が知りたくなった。

「龍太郎りゅうたろうどのの先生とおっしゃる――そのおかたの名はなんともうされますか」

「まことの姓せいはあかしませぬ。ただみずから、果心居士かしんこじと異号いごうをつけております。じつはこのたびのことも、まったくその先生のおさしずで、織田おだ徳川とくがわが甲府攻こうふぜめをもよおすと同時に、拙者せっしゃは、六部ろくぶに身を変じて、伊那丸いなまるさまをお救いにむかったのです。それがこの不首尾ふしゅびとなっては、先生にあわせる顔もないしだいだが、天下のこと居いながらにして知る先生、またきっと好いおさしずがあろうと思う」

「では、どうかわたしもともに、お供ともをねがいまする」

「異存いぞんはないが、さきをいそぐ、おしたくを早く」

小文治は、家に取ってかえすと、しばらくあって、粗服そふくながら、たしなみのある旅支度たびじたくに、大小を差し、例の朱柄あかえの槍やりをかついで、ふたたびでてきた。

「お待たせいたしました。小船は、わたしの家のうしろへ着けておきましたから……」

という言葉に、龍太郎がそのほうへすすんで行くと、小船の上には、ひとつの棺かんがのせてある。

武士ぶしにかえった門出かどでに、小文治こぶんじは、母の亡骸なきがらをしずかな湖うみの底へ水葬すいそうにするつもりと見える。

と、あやしい羽音はおとが、またも空に鳴った。はッとしてふたりが船からふりあおぐと、大きな輪わをえがいていた怪鳥けちょうのかげが、潮しおけむる遠州灘えんしゅうなだのあなたへ、一しゅんのまに、かけりさった。

三

みんな空をむいて、同じように、眉毛まゆげの上へ片手をかざしている。

烏帽子えぼしの老人、市女笠いちめがさの女、侍さむらい、百姓、町人――雑多ざったな人がたかって、なにか評議ひょうぎの最中さいちゅうである。

「さて、ふしぎなやつじゃのう」

「仙人せんにんでしょうか」

「いや、天狗てんぐにちがいない」

「だって、この真昼まひるなかに」

「おや、よく見ると本を読んでいますよ」

「いよいよ魔物まものときまった」

この人々は、そも、なにを見ているのだろう。

ここは近江おうみの国、比叡山ひえいざんのふもと、坂本さかもとで、日吉ひよしの森からそびえ立った五重塔ごじゅうのとうのてッぺん――そこにみんなの瞳ひとみがあつまっているのだった。

なるほどふしぎ、人だかりのするのもむりではない。太陽のまぶしさにさえぎられて、しかとは見えないが、鶴つるのごとき老人が、五重塔ごじゅうのとうのてッぺんにたしかにいるようだ。しかも目のいい者のことばでは、あの高い、登のぼりようもない上でのんきに書物を見ているという。

「なに、魔物まものだと? どけどけ、どいてみろ」

「や、今為朝いまためともがきた」

群集はすぐまわりをひらいた。今為朝いまためともといわれたのはどんな人物かと見ると、丈たけたかく、色浅ぐろい二十四、五歳さいの武士ぶしである。黒い紋服もんぷくの片肌かたはだをぬぎ、手には、日輪巻にちりんまきの強弓ごうきゅうと、一本の矢をさかしまに握にぎっていた。

「む、いかにも見えるな……」

と、五重塔のいただきをながめた武士は、ガッキリ、その矢をつがえはじめた。

「や、あれを射いておしまいなさいますか」

あたりの者は興きょうにそそられて、どよみ立った。

「この霊地れいちへきて、奇怪なまねをするにっくいやつ、ことによったら、南蛮寺なんばんじにいるキリシタンのともがらかもしれぬ。いずれにせよ、ぶッぱなして諸人しょにんへの見せしめとしてくれる」

弓の持ちかた、矢番やつがいも、なにさまおぼえのあるらしい態度だ。それもそのはず、この武士こそ、坂本さかもとの町に弓術きゅうじゅつの道場をひらいて、都にまで名のきこえている代々木流よよぎりゅうの遠矢とおやの達人たつじん、山県蔦之助やまがたつたのすけという者であるが、町の人は名をよばずに、今為朝いまためともとあだなしていた。

「あの矢先に立ってはたまるまい……」

人々がかたずをのんでみつめるまに、矢筈やはずを弦つるにかけた蔦之助は、陽ひにきらめく鏃やじりを、虚空こくうにむけて、ギリギリと満月にしぼりだした。

塔とうのいただきにいる者のすがたは、下界げかいのさわぎを、どこふく風かというようすで、すましこんでいるらしい。

四

「日吉ひよしの森へいってごらんなさい。今為朝が、五重塔ごじゅうのとうの上にでた老人の魔物まものを射いにゆきましたぜ」

坂本の町の葭簀よしず茶屋でも、こんなうわさがぱッとたった。

床几しょうぎにかけて、茶をすすっていた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは、それを聞くと、道づれの小文治こぶんじをかえりみながら、にわかにツイと立ちあがった。

「ひょっとすると、その老人こそ、先生かもしれない。このへんでお目にかかることができればなによりだ、とにかく、いそいでまいってみよう」

「え?」

小文治こぶんじはふしんな顔をしたが、もう龍太郎りゅうたろうがいっさんにかけだしたので、あわててあとからつづいてゆくと、うわさにたがわぬ人群むれだ。

両足をふんまえて、狙ねらいさだめた蔦之助つたのすけは、いまや、プツンとばかり手もとを切ってはなした。

「あ――」と群集は声をのんだ、矢のゆくえにひとみをこらした。と見れば、風をきってとんでいった白羽の矢は、まさしく五重塔ごじゅうのとうの、あやしき老人を射抜いぬいたとおもったのに、ぱッと、そこから飛びたったのは、一羽の白鷺しらさぎ、ヒラヒラと、青空にまいあがったが、やがて、日吉ひよしの森へ影かげをかくした。

「なアんだ」と多くのものは、口をあいたまま、ぼうぜんとして、まえの老人がまぼろしか、いまの白鷺がまぼろしかと、おのれの目をうたぐって、睫毛まつげをこすっているばかりだ。

そこへ、一足ひとあしおくれてきた龍太郎と小文治はもう人の散ってゆくのに失望して、そのまま、叡山えいざんの道をグングン登っていった。

ふたりはこれから、比叡山ひえいざんをこえ、八瀬やせから鞍馬くらまをさして、峰みねづたいにいそぐのらしい。いうまでもなく果心居士かしんこじのすまいをたずねるためだ。

音にきく源平げんぺい時代のむかし、天狗てんぐの棲家すみかといわれたほどの鞍馬の山路は、まったく話にきいた以上のけわしさ。おまけにふたりがそこへさしかかってきた時は、ちょうど、とっぷり日も暮れてしまった。

ふもとでもらった、蛍火ほたるびほどの火縄ひなわをゆいつのたよりにふって、うわばみの歯のような、岩壁をつたい、百足腹むかでばら、鬼すべりなどという嶮路けんろをよじ登ってくる。

おりから初秋はつあきとはいえ、山の寒さはまたかくべつ、それにいちめん朦朧もうろうとして、ふかい霧きりが山をつつんでいるので、いつか火縄もしめって、消えてしまった。

「小文治こぶんじどの、お気をつけなされよ、よろしいか」

「大じょうぶ、ごしんぱいはいりません」

とはいったが、小文治も、海ならどんな荒浪にも恐れぬが、山にはなれないので、れいの朱柄あかえの槍やりを杖つえにして足をひきずりひきずりついていった。千段曲せんだんまがりという坂道をやっとおりると、白い霧がムクムクわきあがっている底に、ゴオーッというすごい水音がする。渓流けいりゅうである。

「橋がないから、その槍やりをおかしなさい。こうして、おたがいに槍の両端を握りあってゆけば、流されることはありません」

龍太郎りゅうたろうは山なれているので、先にかるがると、岩石へとびうつった。すると、小文治のうしろにあたる断崖だんがいから、ドドドドッとまっ黒なものが、むらがっておりてきた。

「や?」と小文治は身がまえて見ると、およそ五、六十ぴきの山猿やまざるの大群である。そのなかに、十歳さいぐらいな少年がただひとり、鹿しかの背にのって笑っている。

「おお、そこへきたのは、竹童ちくどうではないか」

岩の上から龍太郎が声をかけると、鹿の背からおりた少年も、なれなれしくいった。

「龍太郎りゅうたろうさま、ただいまお帰りでございましたか」

「む、して先生はおいでであろうな」

「このあいだから、お客さまがご滞留たいりゅうなので、このごろは、ずっと荘園そうえんにおいでなさいます」

「そうか。じつは拙者せっしゃの道づれも、足をいためたごようすだ。おまえの鹿しかをかしてあげてくれないか」

「アアこのおかたですか、おやすいことです」

竹童ちくどうは口笛くちぶえを鳴らしながら、鹿をおきずてにして、岩燕いわつばめのごとく、渓流けいりゅうをとびこえてゆくと、猿さるの大群も、口笛について、ワラワラとふかい霧の中へかげを消してしまった。

鹿の背をかりて、しばらくたどってくると、小文治こぶんじは馥郁ふくいくたる香かおりに、仙境せんきょうへでもきたような心地がした。

「やっと僧正谷そうじょうがたにへまいりましたぞ」

と龍太郎が指さすところを見ると、そこは山芝やましばの平地で、甘あまいにおいをただよわせている果樹園かじゅえんには、なにかの実みが熟うれ、大きな芭蕉ばしょうのかげには、竹を柱にしたゆかしい一軒の家が見えて、ほんのりと、灯あかりがもれている。

門からのぞくと、庵室あんしつのなかには、白髪童顔はくはつどうがんの翁おきなが、果物で酒を酌くみながら、総髪そうはつにゆったりっぱな武士ぶしとむかいあって、なにかしきりに笑い興きょうじている。

「龍太郎りゅうたろう、ただいま帰りました」

とかれが両手をついたうしろに、小文治こぶんじもひかえた。

「なんじゃ? おめおめと帰ってきおったと」

翁おきな――それは別人ならぬ果心居士かしんこじだ。龍太郎の顔を見ると、ふいと、かたわらの藜あかざの杖つえをにぎりとって、立ちあがるが早いか、

「ばかもの」ピシリと龍太郎の肩をうった。

五

果心居士かしんこじは、なにも聞かないうちに、すべてのことを知っていた。八幡船ばはんせんに伊那丸いなまるをうばわれたことも、巽小文治たつみこぶんじの身の上も。――そして、きょうのひる、日吉ひよしの五重塔ごじゅうのとうのてッぺんにいたのもじぶんであるといった。

かれは、仙人せんにんか、幻術師げんじゅつしか、キリシタンの魔法を使う者か? はじめて会った小文治は、いつまでも、奇怪な謎なぞをとくことに苦しんだ。

しかし、だんだんと膝ひざをまじえて話しているうちに、ようやくそれがわかってきた、かれは仙人せんにんでもなければ、けっして幻術使げんじゅつつかいでもない。ただおそろしい修養の力である。みな、自得じとくの研鑽けんさんから通力つうりきした人間技にんげんわざであることが納得なっとくできた。

浮体ふたいの法、飛足ひそくの呼吸いき、遠知えんちの術じゅつ、木遁もくとんその他の隠形おんぎょうなど、みなかれが何十年となく、深山にくらしていたたまもので、それはだれでも劫こうをつめば、できないふしぎや魔力ではない。

ところで、果心居士かしんこじがなにゆえに、武田伊那丸たけだいなまるを龍太郎りゅうたろうにもとめさせたか、それはのちの説明にゆずって、さしあたり、はてなき海へうばわれたおんかたを、どうしてさがしだすかの相談になった。

「竹童ちくどう、竹童――」

居士は例の少年をよんで、小さな錦にしきのふくろを持ってこさせた。そのなかから、机の上へカラカラと開けたのは亀かめの甲羅こうらでつくった、いくつもいくつもの駒こまであった。

かれの精神がすみきらないで、遠知の術のできないときは、この亀卜きぼくという占うらないをたてて見るのが常であった。

「む……」ひとりで占いをこころみて、ひとりうなずいた果心居士は、やがて、客人のほうへむいて、

「民部みんぶどの、こんどはあなたがいったがよろしい」といった。龍太郎はびっくりして、それへ進んだ。

「しばらく、先生のおおせながら、余人よじんにその儀ぎをおいいつけになられては、手まえのたつ瀬せも、面目めんぼくもござりませぬ。どうか、まえの不覚をそそぐため、拙者せっしゃにおおせつけねがいとうぞんじます」

「いや龍太郎、おまえには、さらに第二段の、大せつなる役目がある。まずこれをとくと見たがよい」

と、革かわの箱から取りだして、それへひろげたのは、いちめんの山絵図やまえずであった。

「これは?」と龍太郎りゅうたろうは腑ふにおちない顔である。

「ここにおられる、小幡民部こばたみんぶどのが、苦心してうつされたもの。すなわち、自然の山を城廓じょうかくとして、七陣の兵法をしいてあるものじゃ」

「あ! ではそこにおいでになるのは、甲州流こうしゅうりゅうの軍学家、小幡景憲こばたかげのりどののご子息ですか」

「いかにも、すでにまえから、ご浪人なされていたが、武田たけだのお家のほろびたのを、よそに見るにしのびず、伊那丸いなまるさまをたずねだしてふたたび旗はたあげなさろうという大願望だいがんもうじゃ、おなじ志こころざしのものどもがめぐりおうたのも天のおひきあわせ、したが、伊那丸さまのありかが知れても、よるべき天嶮てんけんがなくてはならぬ。そこで、まずひそかに、二、三の者がさきにまいって地理の準備じゅんび、またおおくの勇士をも狩かりもよおしておき、おんかたの知れしだいに、いつなりと、旗あげのできるようにいたしておくのじゃ」

「は、承知いたしました。して、この図面ずめんにあります場所は?」

という龍太郎の問いに応じてこんどは、小幡民部が膝ひざをすすめた。

「武田家たけだけに縁えんのふかき、甲こう、信しん、駿すんの三ヵ国にまたがっている小太郎山こたろうざんです。また……」

と、軍扇ぐんせんの要かなめをもって、民部は掌たなごころを指すように、ここは何山、ここは何の陣法と、こまかに、噛かみくだいて説明した。

肝胆かんたんあい照らした、龍太郎、小文治こぶんじ、民部の三人は、夜のふけるをわすれて、旗上げの密議をこらした。果心居士かしんこじは、それ以上は一言ひとことも口をさし入れない。かれの任務にんむは、ただここまでの、気運だけを作るにあるもののようであった。

翌日は早天に、みな打ちそろって僧正谷そうじょうがたにを出立しゅったつした。龍太郎と小文治は、例のすがたのまま、旗あげの小太郎山こたろうざんへ。

また、小幡民部こばたみんぶひとりは、深編笠ふかあみがさをいただき、片手に鉄扇てっせん、野袴のばかまといういでたちで、京都から大阪もよりへと伊那丸いなまるのゆくえをたずねもとめていく。

その方角は、果心居士の亀卜きぼくがしめしたところであるが、この占うらないがあたるか否いなか。またあるいは音にひびいた軍学者小幡が、はたしてどんな奇策きさくを胸に秘ひめているか、それは余人よじんがうかがうことも、はかり知ることもできない。

智恵ちえのたたかい

一

板子いたご一枚下は地獄じごく。――船の底はまッ暗だ。

空も見えなければ、海の色も見えない。ただときおりドドーン、ドドドドドーン! と胴どうの間まにぶつかってはくだける怒濤どとうが、百千の鼓つづみを一時にならすか、雷いかずちのとどろきかとも思えて、人の魂たましいをおびやかす。

その船ぞこに、生ける屍しかばねのように、うつぶしているのは、武田伊那丸たけだいなまるのいたましい姿だった。

八幡船ばはんせんが遠州灘えんしゅうなだへかかった時から、伊那丸の意識いしきはなかった。この海賊船かいぞくせんが、どこへ向かっていくかも、おのれにどんな危害が迫せまりつつあるのかも、かれはすべてを知らずにいる。

「や、すっかりまいっていやがる」

さしもはげしかった、船の動揺もやんだと思うと、やがて、入口をポンとはねて、飛びおりてきた手下どもが伊那丸のからだを上へにないあげ、すぐ船暈ふなよいざましの手当にとりかかった。

「やい、その童わっぱの脇差わきざしを持ってきて見せろ」

と舳みよしからだみごえをかけたのは、この船の張本ちょうほんで、龍巻たつまきの九郎右衛門くろうえもんという大男だった。赤銅しゃくどうづくりの太刀たちにもたれ、南蛮織なんばんおりのきらびやかなものを着ていた。

「はて……?」と龍巻は、いま手下から受けとった脇差の目貫めぬきと、伊那丸の小袖こそでの紋もんとを見くらべて、ふしんな顔をしていたが、にわかにつっ立って、

「えらい者が手に入った。その小童こわっぱは、どうやら武田家たけだけの御曹子おんぞうしらしい。五十や百の金で、人買いの手にわたす代物しろものじゃねえから、めったな手荒をせず、島へあげて、かいほうしろ」

そういって、三人の腹心の手下をよび、なにかしめしあわせたうえ、その脇差を、そッともとのとおり、伊那丸いなまるの腰へもどしておいた。

まもなく、軽舸はしけの用意ができると、病人どうような伊那丸を、それへうつして、まえの三人もともに乗りこみ、すぐ鼻先はなさきの小島へむかってこぎだした。

「やい! 親船がかえってくるまで、大せつな玉を、よく見はっていなくっちゃいけねえぞ」

龍巻たつまきは二、三ど、両手で口をかこって、遠声をおくった。そしてこんどは、足もとから鳥が立つように、あたりの手下をせきたてた。

「それッ、帆綱ほづなをひけ! 大金おおがねもうけだ」

「お頭領かしら、また船をだして、こんどはどこです」

「泉州せんしゅうの堺さかいだ。なんでもかまわねえから、張れるッたけ帆ほをはって、ぶっとおしにいそいでいけ」

キリキリ、キリキリ、帆車ほぐるまはせわしく鳴りだした。船中の手下どもは、飛魚とびうおのごとく敏捷びんしょうに活躍しだす。舳みよしに腰かけている龍巻は、その悪魔的あくまてきな跳躍ちょうやくをみて、ニタリと、笑みをもらしていた。

二

この秋に、京は紫野むらさきのの大徳寺だいとくじで、故右大臣信長こうだいじんのぶながの、さかんな葬儀そうぎがいとなまれたので、諸国の大小名だいしょうみょうは、ぞくぞくと京都にのぼっていた。

なかで、穴山梅雪入道あなやまばいせつにゅうどうは、役目をおえたのち、主人の徳川家康とくがわいえやすにいとまをもらって、甲州北郡きたごおりへかえるところを、廻り道して、見物がてら、泉州の堺さかいに、半月あまりも滞在たいざいしていた。

堺は当時の開港場かいこうじょうだったので、ものめずらしい異国いこくの色彩しきさいがあふれていた。唐からや、呂宋ルソンや、南蛮なんばんの器物、織物などを、見たりもとめたりするのも、ぜひここでなければならなかった。

「殿との、見なれぬ者がたずねてまいりましたが、通しましょうか、いかがしたものでござります」

穴山梅雪の仮かりの館やかたでは、もう燭しょくをともして、侍女こしもとたちが、琴ことをかなでて、にぎわっているところだった。そこへひとりの家臣が、こう取りついできた。

「何者じゃ」

梅雪入道は、もう眉まゆにも霜しものみえる老年、しかし、千軍万馬を疾駆しっくして、鍛きたえあげた骨ぶしだけは、たしかにどこかちがっている。

「肥前ひぜんの郷士ごうし、浪島五兵衛なみしまごへえともうすもので、二、三人の従者じゅうしゃもつれた、いやしからぬ男でござります」

「ふーむ……、してその者が、何用で余よにあいたいともうすのじゃ」

「その浪島ともうす郷士が、あるおりに呂宋ルソンより海南ハイナンにわたり、なおバタビヤ、ジャガタラなどの国々の珍品もたくさん持ちかえりましたので、殿のお目にいれ、お買いあげを得たいともうすので」

「それは珍しいものが数あろう」

梅雪入道ばいせつにゅうどうは、このごろしきりに、堺さかいでそのような品しなをあつめていたところ、思わず心をうごかしたらしい。

「とにかく、通してみろ。ただし、ひとりであるぞ」

「はい」家臣は、さがっていく。

入れちがって、そこへあんないされてきたのは、衣服、大小や、かっぷくもりっぱな侍さむらい、ただ色はあくまで黒い。目はおだやかとはいえない光である。

「取りつぎのあった、浪島なみしまとはそちか」

「ヘッ、お目通りをたまわりまして、ありがとうぞんじます」

「さっそく、バタビヤ、ジャガタラの珍品などを、余よに見せてもらいたいものであるな」

「じつは、他家たけへ吹聴ふいちょうしたくない、秘密な品しなもござりますゆえ、願わくばお人払ばらいをねがいまする」

という望みまでいれて、あとはふたりの座敷となると梅雪はさらにまたせきだした。

「して、その秘密な品しなとは、いかなるものじゃ」

「殿との――」

浪島という、郷士ごうしのまなこが、そのときいような光をおびて、声の調子まで、ガラリと変った。

「買ってもらいたいのは、ジャガタラの品物じゃありません。武田菱たけだびしの紋もんをうった、りっぱな人間です。どうです、ご相談にのりませんか」

「な、なんじゃッ?」

「シッ……大きな声をだすと、殿とのさまのおためにもなりませんぜ。徳川家とくがわけで、血眼ちまなこになっている武田伊那丸たけだいなまる、それをお売りもうそうということなんで」

「む……」入道にゅうどうはじッと郷士ごうしの面おもてをみつめて、しばらくその大胆だいたんな押おし売うりにあきれていた。

「けっして、そちらにご不用なものではありますまい。武田たけだの御曹子おんぞうしを生けどって、徳川さまへさしだせば、一万石ごくや二万石ごくの恩賞おんしょうはあるにきまっています。先祖代々から禄ろくをはんだ、武田家たけだけの亡ほろびるのさえみすてて、徳川家へついたほどのあなただから、よろこんで買ってくださるだろうと思って、あてにしてきた売物です」

ほとんど、強請ゆすりにもひとしい口吻こうふんである。だのに、梅雪入道ばいせつにゅうどうは顔色をうしなって、この無礼者を手討ちにしようともしない。

どんな身分であろうと、弱点をつかれると弱いものだ。穴山梅雪入道は、事実、かれのいうとおり、ついこのあいだまでは、武田勝頼たけだかつよりの無二の者とたのまれていた武将であった。

それが、織田徳川連合軍おだとくがわれんごうぐんの乱入とともに、まッさきに徳川家にくだって、甲府討入こうふうちいりの手引きをしたのみか、信玄しんげんいらい、恩顧おんこのふかい武田たけだ一族の最期さいごを見すてて、じぶんだけの命と栄華えいがをとりとめた武士ぶしである。

この利慾のふかい武士へ、伊那丸いなまるという餌えさをもって釣つりにきたのは、いうまでもなく、武士に化ばけているが、八幡船ばはんせんの龍巻たつまきであった。

三

都より開港場かいこうじょうのほうに、なにかの手がかりが多かろうと、目星をつけて、京都から堺さかいへいりこんでいたのは、鞍馬くらまを下山した小幡民部こばたみんぶである。

人手をわけて、要所を見張らせていた網あみは、意外な効果こうかをはやくも告つげてきた。

「たしかに、八幡船のやつらしい者が三人、侍さむらいにばけて、穴山梅雪あなやまばいせつの宿をたずねた――」

この知らせをうけた民部は、たずねさきが主家しゅけを売って敵にはしった、犬梅雪いぬばいせつであるだけに、いよいよそれだと直覚した。

いっぽう、その夜ふけて、梅雪のかりの館やかたをでていった三つのかげは、なにかヒソヒソささやきながら堺の町から、くらい波止場はとばのほうへあるいていく。

「おかしら、じゃアとにかく、話はうまくついたっていうわけですね」

「上首尾じょうしゅびさ。じぶんも立身の種たねになるんだから、いやもおうもありゃあしない。これからすぐに島へかえって、伊那丸をつれてさえくれば、からだの目方と黄金きんの目方のとりかえッこだ」

「しッ……うしろから足音がしますぜ」

「え?」

と三人とも、脛すねにきずもつ身なので、おもわずふりかえると、深編笠ふかあみがさの侍さむらいが、ピタピタあるき寄ってきて、なれなれしくことばをかけた。

「おかしら、いつもご壮健で、けっこうでござりますな」

「なんだって? おれはそんな者じゃアない」

「エヘヘヘヘ、わたしも、こんな、侍姿にばけているから、ゆだんをなさらないのはごもっともですが、さきほど町で、チラとお見うけして、まちがいがないのです」

「なんだい、おめえはいったい?」

「こう見えても、ずいぶん浪なみの上でかせいだ者です」

「おれたちの船じゃなかろう、こっちは知らねえもの」

「そりゃア数ある八幡船ばはんせんですから」

「しッ。でっかい声をするねえ」

「すみません。船から船へわたりまわったことですからな、ながいお世話にはなりませんでしょうが、おかしらの船でも一どはたらいたことがあるんです」

話しながら、いつか陸おかはずれの、小船のおいてあるところまできてしまった。あとをついてきた侍すがたの男は、ぜひ、もう一ど船ではたらきたいからとせがんでたくみに龍巻たつまきを信じさせ、沖にすがたを隠している、八幡船ばはんせんの仲間のうちへ、まんまと乗りこむことになった。

その男の正体しょうたいが、小幡民部こばたみんぶであることはいうまでもない。なまじ町人すがたにばけたりなどすると、かえってさきが、ゆだんをしないと見て、生地きじのままの反間苦肉はんかんくにくがみごとに当った。

民部のこころは躍っていた。けれどもうわべはどこまでもぼんやりに見せて、たえず、船中に目をくばっていたが、どうもこの船にはそれらしい者を、かくしているようすが見えない。で、いちじはちがったかと思ったが、梅雪ばいせつをおとずれたという事実は、どうしても、民部には見のがせない。

船は、その翌日、闇夜あんやにまぎれて、堺さかいの沖から、ふたたび南へむかって、満々まんまんと帆ほをはった。

四

伊那丸いなまるは、日ならぬうちに気分もさわやかになった。それと同時に、かれは、生まれてはじめて接した、大海原おおうなばらの壮観そうかんに目をみはった。

ここはどこの島かわからないけれど、陸りくのかげは、一里ばかりあなたに見える。けれど、伊那丸には、龍巻の手下が五、六人、一歩あるくにもつきまとっているので逃げることも、どうすることもできなかった。

「ああ……」忍剣にんけんを思い、咲耶子さくやこをしのび、龍太郎りゅうたろうのゆくえなどを思うたびに、波うちぎわに立っている伊那丸いなまるのひとみに涙が光った。

「なんとかしてこの島からでたい、名もしれぬ荒くれどもの手にはずかしめられるほどなら、いッそこの海の底に……」

夜はつめたい磯いその岩かげに組んだ小屋にねる。だが、そのあいださえ、羅刹らせつのような手下は、交代こうたいで見張みはっているのだ。

「そうだ、あの親船が返ってくれば、もう最期さいごの運命、逃げるなら、いまのうちだ」

きッと、心をけっして、頭をもたげてみると、もう夜あけに近いころとみえて、寝ずの番も頬杖ほおづえをついていねむっている。

「む!」はね起きるよりはやく、ばらばらと、昼みておいた小船のところへ走りだした。ところがきてみると、船は毎夜、かれらの用心で、十間けんも陸おかの上へ、引きあげてあった。

「えい、これしきのもの」

伊那丸は、金剛力こんごうりきをしぼって、波のほうへ、綱つなをひいてみたが、荒磯あらいそのゴロタ石がつかえて、とてもうごきそうもない。――ああこんな時に、忍剣ほどの力がじぶんに半分あればと、益えきないくり言ごともかれの胸にはうかんだであろう。

「野郎ッ、なにをする!」

われを忘れて、船をおしている伊那丸のうしろから、松の木のような腕うでが、グッと、喉輪のどわをしめあげた。

「見つかったか」伊那丸いなまるは歯がみをした。

「こいつ。逃げる気だな」

喉のどに閂かんぬきをかけられたまま、伊那丸はタタタタタと五、六歩あとへ引きもどされた。

もうこれまでと、脇差わきざしの柄つかに手をやって、やッと、身をねじりながら切きッ先さきをとばした。

「あッ――き、斬きりやがったなッ」

とたん――目をさましてきた四、五人の手下たちも、それッと、櫂かいや太刀をふるって、わめきつ、さけびつ撃うちこんできたが、伊那丸も捨身すてみだった。小太刀の精のかぎりをつくして、斬りまわった。

しかし何せよ、慓悍無比ひょうかんむひな命しらずである。ただでさえ精せいのおとろえている伊那丸は、無念むねんや、ジリジリ追われ勝ちになってきた。

五

その時であった。

空と波との水平線から、こなたの島をめがけて、征矢そやのように翔かけてきた一羽のくろい大鷲おおわし。

ぱッと、波をうっては水けむりをあげた。空に舞まっては雲にかくれた。――やがて、そのすばらしい雄姿を目まのあたりに見せてきたと思うと、伊那丸いなまると五人の男の乱闘らんとうのなかを、さっと二、三ど、地をかすって翔かけりまわった。

「わーッ、いけねえ!」

のこらずの者が、その巨大な翼つばさにあおりたおされた。むろん、伊那丸も、四、五間けんほど、飛ばされてしまった。

嵐か、旋風つむじか、伊那丸は、なんということをも意識いしきしなかった。ただ五人の敵! それに一念であるため、立つよりはやく、そばにたおれていたひとりを、斬りふせた。

くろい大鷲おおわしは、伊那丸の頭上をはなれず廻っている。砂礫されきをとばされ、その翼にあたって、のこる四人も散々さんざんになって、気を失うしなった。――ふと、伊那丸は、その時はじめて、ふしぎな命びろいをしたことに気づいた。空をあおぐと、オオ! それこそ、恵林寺えりんじにいたころ、つねに餌えをやって愛していたクロではないか。

「お! クロだ、クロだ」

かれが血刀ちがたなを振って、狂喜きょうきのこえを空になげると、クロはしずかにおりてきて、小船のはしに、翼をやすめた。

「ちがいない。やはりクロだった。それにしても、どうして、あの鎖くさりをきったのであろう」

ふと見ると、足に油紙あぶらがみの縒よったのが巻きしめてある。伊那丸はいよいよふしぎな念に打たれながら、いそいで解ときひらいてみると、なつかしや、忍剣にんけんの文字!

若さま、このてがみが、あなたさまの、お目にふれましたら、若さまのおてがみも、かならず私の手にとどきましょう。忍剣にんけんいのちのあらんかぎりは、ふたたびお目にかからずにはおりません。甲斐かいの山にて。

ハラハラと、とめどない涙なみだを、その数行の文字にはふり落として立ちすくんでいた伊那丸いなまるは、いそいで小屋に取ってかえし、今の窮状きゅうじょうをかんたんに認したためて、かけもどってきた。

夜はほのぼのと、八重やえの汐路しおじに明けはなれてきた。

見れば、クロはよほど飢うえていたらしく、五人の死骸しがいの上を飛びまわって、生々なまなましい血に、舌したなめずりをしていた。

同じように、かえし文ぶみを、鷲わしの片足へむすびつけて、それのおわったとき、伊那丸の目のまえに、さらに呪のろいの悪魔あくまが悠々ゆうゆうとかげを見せてきた。

八幡船ばはんせんの親船がかえってきたのだ。もうすぐそこ――島から数町の波間なみまのちかくへ。

「いよいよ最期さいごとなった。クロ! わしの運命はおまえのつばさに乗せてまかすぞよ」

坐ざして死をまつも愚ぐと、伊那丸は鷲の背中へ、抱きつくように身をのせた。

思うさま、人の血をすすったクロは、両の翼つばさでバサと大地をうったかと思うと、伊那丸の身を軽々とのせたまま、天空高く、舞まいあがった。

笛ふえふく咲耶子さくやこ

一

「あれ、あれ、ありゃあなんだ?」

「おお、島からとび立ったあやしい魔鳥まちょう」

「鷲わしだッ。くろい大鷲おおわしだ」

白浪はくろうをかんで、満々まんまんと帆ほを張ってきた八幡船ばはんせんの上では多くの手下どもが、あけぼのの空をあおいで、潮しおなりのようにおどろき叫んでいた。

さわぎを耳にして、船部屋ふなべやからあらわれた龍巻九郎右衛門たつまきくろうえもんは、ギラギラ射いかえす朝陽あさひに小手をかざして、しばらく虚空こくうに旋回せんかいしている大鷲の影をみつめていたが、

「ややッ」にわかに色をかえて、すぐ、

「あの鷲わしを射いおとせッ、はやくはやく。遠のかねえうちだ」

とあらあらしく叱咤しったした。おう! 手下どもは武器倉ぶきぐらへ渦うずをまいて、弓ゆみ鉄砲てっぽうを取るよりはやく、宙ちゅうを目がけて火ぶたを切り、矢つぎばやに、征矢そやの嵐をはなしたが、鷲わしはゆうゆうと、遠く近くとびまわって、あたかも矢弾やだまの弱さをあざけっているようだ。

「民蔵たみぞう民蔵、新米しんまいの民蔵はどうしたッ」

龍巻たつまきが足を踏ふみならして、こうさけんだ時、船底からかけあがってきたのは、民蔵たみぞうと名をかえて、堺さかいから手下になって乗りこんでいた、かの小幡民部こばたみんぶであった。

「おかしら、お呼よびになりましたかい」

「どこへもぐりこんでいるんだ。てめえに、ちょうどいい腕うでだめしをいいつける。あの大鷲おおわしの上に、人間が抱だきついているんだ、島から伊那丸いなまるが逃にげだしたにちげえねえ、てめえの腕でぶち落として見ろ」

「えッ、伊那丸とは、なんですか」

「そんなことをグズグズ話しちゃいられねえ、オオまた近くへきやがった、はやく撃うてッ」

「がってんです!」

小幡民部の民蔵は、伊那丸と聞いてギクッとしたが、龍巻に顔色を見すかされてはと、わざと勇いさみたって、渡された種子島たねがしまの銃口つつぐちをかまえ、船の真上へ鷲がちかよってくるのを待った。

と見るまに、鷲はふたたび低く舞まって、帆柱ほばしらのてッぺんをさッとすりぬけた。

「そこだ」龍巻はおもわず拳こぶしを握りしめる。

同時に、狙ねらいすましていた民部みんぶの手から、ズドン! と白い爆煙ばくえんが立った。

「あたった! あたった」

ワーッという喊声かんせいが、船をゆるがしたせつな、大鷲はまぢかに腹毛を見せたまま、ななめになってクルクルと海へ落ちてきた――と見えたのは瞬間しゅんかん。――大きなつばさで海面をたたいたかと思うまに、ギャーッと一声ひとこえ、すごい絶鳴ぜつめいをあげて、猛然もうぜんと高く飛び上がった。

そのとたんに、大鷲おおわしの背から海中へふり落とされたものがある――いうまでもなく武田伊那丸たけだいなまるであった。龍巻たつまきは、雲井くもいへかけり去った鷲わしの行方などには目もくれず、すぐ手下に軽舸はしけをおろさせて、波間にただよっている伊那丸を、親船へ引きあげさせた。

「民蔵たみぞうでかしたぞ。きさまの腕前にゃおそれいッた」

と龍巻は上機嫌じょうきげんである。そしていままでは、やや心をゆるさずにいた民部みんぶを、すッかり信用してしまった。

二

堺見物さかいけんぶつもおわったが、伊那丸のことがあるので、帰国をのばしていた穴山梅雪あなやまばいせつの館やかたへ、ある夕ゆうべ、ひとりの男が密書みっしょを持っておとずれた。

吉左右きっそうを待ちかねていた梅雪入道は、くっきょうな武士七、八名に、身のまわりをかためさせて、築山つきやまの亭ちんへ足をはこんできた。そこには、黒衣覆面こくいふくめんの密書の使いが、両手をついてひかえていた。

「書面は、しかと見たが、今宵こよいのあんないをするというそのほうは何者だの」

と梅雪はゆだんのない目くばりでいった。

「龍巻たつまきの腹心の者、民蔵たみぞうともうしまする」

「して、伊那丸いなまるの身は、ただいまどこへおいてあるの?」

「しばらく船中で手当を加えておりましたが、こよい亥いの刻こくに、かねてのお約束やくそくどおり、船からあげて阿古屋あこやの松原まで頭かしらが連れてまいり、金子きんすと引きかえに、お館やかたへお渡しいたすてはずになっておりまする」

よどみのない使いの弁舌べんぜつに、梅雪入道ばいせつにゅうどうも疑うたがいをといたとみえ、すぐ家臣に三箱の黄金をになわせ、じぶんも頭巾ずきんに面おもてをかくして騎馬立きばだちとなり、剛者つわもの十数人を引きつれて、阿古屋の松原へと出向いていった。

「殿さま、しばらくお待ちねがいます」

途中までくると、案内役の民蔵は、梅雪入道の鞍壺くらつぼのそばへよって、ふいに小腰をかがめた。

「少々おねがいの儀ぎがござります。お馬をとめて、無礼者ぶれいものとお怒りもありましょうが、阿古屋の松原へついては間まにあわぬこと、お聞きくださいましょうか」

「なんじゃ、とにかくもうしてみい」

「は、余よの儀ぎでもござりませぬが、今日こんにちお館のご威光いこうを見、またかくお供ともいたしているうちに、八幡船ばはんせんの手下となっていることが、つくづく浅ましく感じられ、むかしの武士ぶしにかえって、白日はくじつのもとに、ご奉公いたしたくなってまいりました」

「悠長ゆうちょうなやつ、かような出先でさきにたって、なにを述懐じゅっかいめいたことをぬかしおるか。それがなんといたしたのだ」

「ここに一つの手柄てがらをきっと立てますゆえ、お館やかたの家来の端はしになりと、お加えなされてくださりませ」

「ふウ――どういう手柄てがらを立てて見せるな」

「この三箱の黄金おうごんをかれにわたさずして、まんまと、武田伊那丸たけだいなまるを龍巻たつまきの手よりうばい取ってごらんに入れますが」

「ぬからぬことをもうすやつだ。して、その策さくは?」

「わが君、お耳を……」

小幡民部こばたみんぶの民蔵たみぞうが、なにをささやいたものか、梅雪ばいせつはたちまち慾ぶかいその相好そうごうをくずして、かれのねがいを聞きとどけた。そして、えらびだした武士二、三人に、密命をふくませ、そこからいずこともなく放してやると自身はふたたび、民蔵を行列の先頭にして、闇夜あんやの街道を、しずしずと進んでいった。

三

まもなく着いた、阿古屋あこやの松原。

梅雪入道ばいせつにゅうどうは鞍くらからおりて、海神かいじんの社やしろに床几しょうぎをひかえた。

と――やがて約束の亥いの刻こくごろ、浜辺はまべのほうから、百鬼き夜行やこう、八幡船ばはんせんの黒々とした一列が、松明たいまつももたずに、シトシトと足音そろえて、ここへさしてくる。

「民蔵たみぞう、民蔵」

と鳥居まえで、合図あいずをしたのは龍巻たつまきにちがいなかった。民蔵は梅雪ばいせつのそばをすりぬけて、そこへかけていった。

「お頭かしらですか」

「む、いいつけた使いの首尾しゅびはどうだった」

「こちらは、殿さまごじしんで、早くからきて、あれに待っています。そして伊那丸いなまるは?」

「ふんじばってつれてきた、じゃおれは、梅雪とかけあいをつけるから、きさまが縄尻なわじりを持っていろ。なかなか童わっぱのくせに強力ごうりきだから、ゆだんをして逃にがすなよ」

龍巻は二、三十人の手下をつれて、梅雪のいる拝殿はいでんの前へおしていった。

縄尻をうけた民蔵は、

「やいッ、歩かねえか」わざと声をあららげて、伊那丸の背中をつく。――その心のうちでは、手をあわせている小幡民部こばたみんぶであった。

しばらくのあいだ、龍巻と談合だんごうしていた梅雪は、伊那丸の面体めんていを、しかと見さだめたうえで、約束の褒美ほうびをわたそうといった。龍巻も心得て、うしろへ怒鳴どなった。

「民蔵、その童をここへひいてこい」

「へい」

民蔵は縄目なわめにかけた伊那丸を、梅雪入道の前へひきすえた。拝殿の上から、とくと、見届みとどけた梅雪は、大きくうなずいて、

「でかしおッた。武田伊那丸たけだいなまるにそういない」

その時、むッくり首をあげた伊那丸は、穴山あなやまのすがたを、かッとにらみつけて、血を吐はくような声でいった。

「人でなしの梅雪入道ばいせつにゅうどう!」

「な、なにッ」

「お祖父じいさま(信玄しんげん)の時代より、武田家たけだけの禄ろくを食はみながら、徳川とくがわ軍へ内通したばかりか、甲府攻こうふぜめの手引きして、主家しゅけにあだなした犬侍いぬざむらい。どの面つらさげて、伊那丸の前へでおった、見るもけがれだ。退さがれッ」

「ワッハッハハハハ」梅雪は内心ギクとしながら、老獪ろうかいなる嘲笑ちょうしょうにまぎらわして、

「なにをいうかと思えば、小賢こざかしい無礼呼ぶれいよばわり。なるほどその昔は、信玄公にも仕つかえ、勝頼かつよりにも仕つかえた梅雪じゃが、いまは、主しゅでもなければ君きみでもない。武田の滅亡は、お許もとの父、勝頼が暗愚あんぐでおわしたからじゃ。うらむならお許の父をうらめ、馬鹿大将の勝頼をうらむがよい」

「ムムッ……よういッたな!」

不道の臣に面罵めんばされて、身をふるわせた伊那丸は、やにわに、ガバとはねおきるがはやいか、両手を縛ばくされたまま、梅雪に飛びかかって、ドンと、かれを床几しょうぎから蹴けとばした。

「なにをするか」

縄尻なわじりをひいた民蔵たみぞうの力に、伊那丸いなまるはあおむけざまにひッくり返った。ア――おいたわしい! とおもわず睫毛まつげに涙のさす顔をそむけて、

「ふ、ふざけたまねをすると承知しょうちしねえぞ。立て! こっちの隅すみへ寄っていろい!」

ズルズルと引きずってきて、拝殿の柱はしらへ縄尻をくくりつけた。龍巻たつまきはそれをきッかけにして、

「じゃあ殿とのさま、伊那丸はたしかに渡しましたから、約束の金を、こっちへだしてもらいましょうか」

「む、いかにも褒美ほうびをつかわそう、これ、用意してきた黄金をここへ持て」

と、家臣にになわせてきた三箱の金をそこへ積ませると、

「さすがは大名だいみょう、これだけの黄金をそくざに持ってきたのはえらいものだ」

と、ニタリ笑えつぼに入いった。

「やい野郎ども、はやくこの黄金を軽舸はしけへ運んでいけ。どりゃ、用がすんだら引きあげようか」

と手下にそれをかつがせて、龍巻も立とうとすると、

「やッ、大へんだ、おかしら、少ウしお待ちなさい」

と民蔵がことさら大きな声で、出足をとめた。

「なんでえ、やかましい」

龍巻たつまきは、舌したうちをしてふりかえった。社やしろの廻廊かいろうにたって、小手こてをかざしていた民蔵たみぞうは、なおぎょうさんにとびあがって、

「一大事一大事! おかしら、沖の親船が焼ける! あれあれ、親船が燃もえあがってる!」

と、手をふりまわした。

四

「なにッ、親船が?」

龍巻も、さすがにギョッとして、浜辺のほうをすかしてみると、まッ暗な沖合おきあいにあたって、ボウと明るんできたのは、いかにも船火事らしい。

「ややややや」龍巻の目はいようにかがやく。

見るまに沖の明るみは一団だんの火の玉となって、金粉のごとき火の粉こを空にふきあげた。夜の潮うしおは燦爛さんらんと染そめられて、あたかも龍宮城が焼けおちているかのような壮観そうかんを現じた。

「ちぇッ、とんでもねえことになッた。それッ、早く漕こぎつけて、消しとめろ」

とぎょうてんした龍巻は、二、三十人の手下たちとともに、一どにドッと海神かいじんの社やしろをかけだしていくと、にわかに、鳥居わきの左右から、ワッという声つなみ!

「海賊ども、待て」

「御用、御用」

たちまち氷雨ひさめのごとく降りかかる十手じっての雨。――かける足もとを、からみたおす刺股さすまた、逃げるをひきたおす袖そでがらみ。驚きうろたえるあいだに、バタバタと、捕とってふせ、ねじふせ、刃向はむかうものは、片っぱしから斬り立ててきた、捕手とりての人数は、七、八十人もあろうかと見えた。

陣笠じんがさ、陣羽織じんばおりのいでたちで、堺奉行所さかいぶぎょうしょの提灯ちょうちんを片手に打ちふり、部下の捕手を激励げきれいしていた佐々木伊勢守ささきいせのかみへ、荒獅子あらじしのごとく奮迅ふんじんしてきたのは、頭かしらの、龍巻九郎右衛門たつまきくろうえもんであった。

「おのれッ」とさえぎる捕手を斬りとばして、夜叉やしゃを思わせる太刀風たちかぜに、ワッと、開ひらいて近よる者もない折から穴山梅雪あなやまばいせつ一手の剛者つわものが、捕手に力をかして、からくも龍巻をしばりあげた。

「民蔵たみぞう、そのほうの奇策きさくはまんまと図ずにあたった。こなたより奉行所ぶぎょうしょへ密告みっこくしたため、アレ見よ、沖おきでも、この通りなさわぎをしているわい……小きみよい悪党あくとうばらの最後じゃ」

穴山梅雪は、帰館きかんすべくふたたびまえの駒こまにのって、持ってきた黄金をも取りかえし、武田伊那丸たけだいなまるをも手に入れて、得々とくとくと社頭から列をくりだした。

「手はじめの御奉公、首尾しゅびよくまいって、民蔵めも面目至極めんもくしごくです。殿のご運をおよろこびもうしあげます」

「ういやつだ。こよいから余よの近侍きんじにとり立ててくれる。伊那丸いなまるの縄なわをとって、ついてこい」

いっぽう、捕手とりてにかこまれて、引ッ立てられた龍巻たつまきは、この態ていをみると、あたりの者をはねとばして、形相ぎょうそうすごく、民蔵たみぞうのそばへかけよった。

「畜生ちくしょう。う、うぬはよくも、おれを裏切うらぎりやがったな。一どは、縄なわにかかっても、このまま、獄門台ごくもんだいに命を落とすような龍巻じゃねえぞ。きっとまたあばれだして、きさまの首をひンねじる日があるからおぼえていろ!」

「おお、心得た。だが、拙者せっしゃは腕力は弱いから、その時には、また今夜のように、智慧ちえくらべで戦おうわい」

久しぶりに、小幡民部こばたみんぶらしい口調でこたえた民蔵は、子供の悪たれでも聞きながすように笑って、他の武士たちと同列に、梅雪ばいせつの館やかたへついていった。

五

ここしばらく、京都に滞在たいざいしている徳川家康とくがわいえやすの陣営じんえいへにわかに目通りをねがってでたのは、梅雪入道ばいせつにゅうどうであった。

家康は、もうとッくに、甲州こうしゅう北郡きたごおりの領土りょうどへ帰国したものと思っていた穴山あなやまが、また途中から引きかえしてきたのは、なにごとかと意外におもって、そくざに、かれを引見いんけんした。

梅雪ばいせつは御前ごぜんにでて、入道頭にゅうどうあたまをとくいそうにふり立てて、かねて厳探中の伊那丸いなまるを捕縛ほばくした顛末てんまつを、さらに誇張こちょうして報告した。さしずめ、その恩賞おんしょうとして、一万石ごくや二万石ごくのご加増はあってしかるべしであろうといわんばかり。

「ふム……そうか」

家康いえやすのゆがめた口のあたりに二重の皺しわがきざまれた。これはいつも、思わしくない感情をあらわすかれの特徴とくちょうである。

「浜松のご城内へまで潜入せんにゅうして、君のお命いのちをねらった不敵な伊那丸、生かしておきましては、ながく徳川とくがわ御ご一門もんをおびやかし奉たてまつるは必定ひつじょうとぞんじまして……」

「待て、待て、わかっておる……」

梅雪はあんがい、いや、大不服である。

あれほど、伊那丸の首に、恩賞のぞみのままの沙汰さたをふれておきながら、この無愛想ぶあいそな口ぶりはどうだ。

しかし家康は、梅雪がうぬぼれているほど、かれを腹心ふくしんとは信じていない。

日本の歴史にも、中華ちゅうか史上にも少ないくらいな、武士ぶしの面つらよごしが、武田たけだ滅亡のさいに、二人あった。一人はこの梅雪、一人は小山田信茂おやまだのぶしげである。

織徳しょくとく連合軍におわれた勝頼主従かつよりしゅじゅうが、その臣しん、小山田信茂の岩殿山いわどのやまをたよって落ちたとき、信茂は、柵さくをかまえて入城をこばみ、勝頼一門が、天目山てんもくざんの討死うちじにを見殺しにした。そして、それを軍功顔ぐんこうがおに、織田おだの軍門へ降くだっていった。

信長のぶながの子、織田城之助おだじょうのすけは、小山田おやまだを見るよりその不忠不人情を罵倒ばとうして、褒美ほうびはこれぞと、陣刀じんとう一閃せんのもとに首を討ちおとした。――そういう例もある。

ましてや、梅雪入道ばいせつにゅうどうは、武田家譜代たけだけふだいの臣しんであるのみならず、勝頼かつよりとは従弟いとこの縁えんさえある。その破廉恥はれんちは小山田以上といわねばならぬ。

――けれど家康いえやすは、城之助とちがって、何者をも利用することを忘れない大将であった。

「梅雪、伊那丸いなまるを捕とらえたともうすが、それだけか」

「は? それだけとおおせられますると」

「たわけた入道よな。武田家の護まもり神がみとも崇あがめておった御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつは、たしかに、伊那丸がかくしているはずじゃ。その儀ぎをもうすのにわからぬか」

「はッ、いかさま。それまでには気がつきませんでした。さっそく、糺明きゅうめいいたしてみます」

「仏ほとけつくって、魂たましいいれぬようなことは、家康、大のきらいじゃ。伊那丸の首と、御旗みはた楯無たてなしとをそろえて、持参いたしてこそ、はじめて、まったき一つの働きをたてたともうすもの」

「願わくば、ここ二月ふたつきのご猶予ゆうよを、この入道にお与えくださりませ。きっとその宝物と、伊那丸の塩漬しおづけ首とを、ともにごらんに供そなえまする」

梅雪入道は、家康にかたく誓ちかって、そこそこに堺さかいへ立ちもどった。にわかに家来一同をまとめて、領土へ帰国の旨むねを布令ふれだした。

その前にさきだって、小幡民部こばたみんぶの民蔵たみぞうは、いずこへか二、三通の密書みっしょをとばした。はたしてどことどことへ、その密書がいったかは、何人なんぴとといえども知るよしはないが、うち一通は、たしかに鞍馬山くらまやまの僧正谷そうじょうがたににいる、果心居士かしんこじの手もとへ送られたらしい。

堺さかいを出発した穴山あなやまの一族郎党ろうどうは、伊那丸いなまるをげんじゅうな鎖駕籠くさりかごにいれ、威風堂々いふうどうどうと、東海道をくだり、駿府すんぷから西にまがって、一路甲州の山関さんかんへつづく、身延みのぶの街道へさしかかった。

ここらあたりは、見わたすかぎり果てしもない晩秋の広野である。

――ああそこは伊那丸にとって、思い出ふかき富士ふじの裾野すその。加賀見忍剣かがみにんけんと手に手をとって、さまよいあるいた富士の裾野。

けれど、鎖網くさりあみをかけた、駕籠かごのなかなる伊那丸の目には、なつかしい富士のすがたも見えなければ、富士川の流れも、枯かれすすきの波も見えない。

ただ耳にふれてくるものは、蕭々しょうしょうと鳴る秋風のおと、寥々りょうりょうとすだく虫の音があるばかり。

すると、どこでするのか、だれのすさびか、秋にふさわしい笛ふえの音ねがする。その妙たえな音色ねいろは、ふと伊那丸の心のそこへまで沁しみとおってきた。――かれは、まッ暗な駕籠かごのなかで、じッと耳をすました。

「お! 咲耶子さくやこ、咲耶子の笛ではないか」

思わずつぶやいた時である。なにごとか、いきなりドンと駕籠かごがゆれかえった。

六

「ぶれい者、お供先ともさきに立ってはならぬ」

「あやしい女、ひッ捕とらえろ!」数人は、バラバラと前列のほうへかけあつまった。穴山あなやまの郎党ろうどうたちは、たちまち、押しかぶさって、ひとりの少女をそこへねじふせた。

「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは、けっしてあやしい者ではありませぬ。穴山梅雪あなやまばいせつさまのご通行を幸さいわいに、お訴うったえもうしたいことがあるのです」

「だまれ、ご道中でさようなことは、聞きとどけないわ、帰れッ」

と、家来どものののしる声を聞いて、駕籠の扉とびらをあけさせた梅雪は、

「しさいあり気げな女子おなごじゃ。なんの願いか聞いて取らせる。これへ呼べ」と一同を制止した。

うるわしいお下髪さげにむすび、帯おびのあいだへ笛をはさんだその少女おとめは、おずおずと、梅雪の駕籠の前へすすんで手をついた。

「訴えのおもむきをいうてみい。また、このようなさびしい広野ひろのに、ただひとりおるそちは、いったい何者の娘だ」

「野武士の娘、咲耶子さくやこともうしまする。お訴えいたすまえに、おうかがいいたしたいのは、うしろの鎖駕籠くさりかごのなかにいるおかたです。もしや武田伊那丸たけだいなまるさまではございませんでしょうか」

「それを聞いてなんとする」

梅雪ばいせつはおそろしい目を咲耶子さくやこの挙動きょどうに注そそぎかけた。

けれど彼女は、むじゃきに咲さいた野の花のよう、なんのおそれげもわだかまりもなく、あとのことばをさわやかにつづけた。

「まことは、まえに伊那丸さまから、ご大切な宝物ほうもつとやらを、父とわたくしとで、お預あずかりもうしておりましたが、そのために、親娘おやこの者が、ひとかたならぬ難儀なんぎをいたしておりますゆえ、きょう、お通りあそばしたのを幸さいわい、お返しもうしたいのでござります」

「ふーむ、して、その宝物ほうもつとやらはどんな物だ」

「このさきの、五湖この一つへ沈しずめてありますゆえ、どんな物かはぞんじませぬが、このごろ、あっちこっちの悪者がそれを嗅かぎつけて、湖水の底をさぐり合っておりまする。なんでも石櫃いしびつとやらにはいっている、武田たけださまのお家の宝たからだともうすことでござります」

「む、よう訴うったえてきた。褒美ほうびはぞんぶんにとらすからあんないせい」

梅雪の顔は、思いがけない幸運にめぐり合ったよろこびにあふれた。――が、駕籠側かごわきにいた民蔵たみぞうは、サッと色をかえて、この不都合ふつごうな密告をしてきた少女を、人目さえなければ、ただ一太刀ひとたちに斬きってすてたいような殺気をありありと目のなかにみなぎらせた。

行列はきゅうに方向を転てんじて、五湖の一つに沈んでいる宝物をさぐりにむかった。けれども、道案内みちあんないに立った咲耶子さくやこは西も東もわからぬ広野こうやを、ただグルグルと引きずりまわすのみなので、一同は、道なき道につかれ、梅雪ばいせつもようやくふしんの眉まゆをひそめはじめた。

「民蔵たみぞうはいないか、民蔵」と呼びつけて、

「小娘こむすめの挙動きょどう、だんだんと合点がてんがいかぬ。あるいは、野かせぎの土賊どぞくばらが、手先に使っている者かも知れぬ、も一ど、ひッ捕とらえてただしてみろ」

「かしこまりました」

民蔵は得たりと思った。ばらばらと前列へかけ抜けてきて、いきなり、むんずと咲耶子の腕首うでくびをつかんだ。

「小娘ッ」まことは甲州流兵法こうしゅうりゅうへいほうの達人たつじん小幡民部こばたみんぶが、こういってにらんだ眼光は射いるようだった。

「なんでござりますか」

「さきほどからみるに、わざと、道なき野末のずえへあんないしていくはあやしい。いったいどこへまいる気だ」

「知りませぬ、わたしは、ひとりで好きに歩いているのですから」

「だまれ、五湖へあんないいたすともうしたのではないか」

「だれが、穴山あなやまさまのような、けがらわしい犬侍いぬざむらいのあんないになど立ちましょうか」

「おのれ、さては野盗やとうの手引きか」

「いいえ、ちがいます」

「吐ぬかすなッ。さらば何者にたのまれた」

「御旗みはた楯無たてなしの宝物が欲しさに、慾に目がくらんで、わたしのような少女にまんまとだまされた! オホホホホ……やッとお気がつかれましたか」

「おのれッ」

抜く手も見せず、民蔵たみぞうがサッと斬きりつけた切きッ先さきからヒラリと、蝶ちょうのごとく跳とびかわした咲耶子さくやこは、バラバラと小高い丘おかへかけあがるよりはやく、帯おびの横笛をひき抜いて、片手に持ったまま宙ちゅうへ高く、ふってふってふりまわした。

ああ! こはそもなに? なんの合図あいず。

それと同時に、ただいちめんの野と見えた、あなたこなたのすすきの根、小川のへり、窪地くぼちのかげなどから、たちまち、むくむくとうごきだした人影。

ウワーッと喊声かんせいをあげて、あらわれたのは四、五十人の野武士のぶしである。手に手に太刀たちをふりかざして、あわてふためく穴山あなやま一党とうのなかへ、天魔軍てんまぐんのごとく猛然もうぜんと斬きりこんだ。

ニッコと笑って、丘おかに立った咲耶子が、さッと一閃せん、笛をあげればかかり、二閃せん、さッと横にふればしりぞき、三閃せんすればたちまち姿をかくす――神変しんぺんふしぎな胡蝶こちょうの陣。

天翔あまがける鞍馬くらまの使者ししゃ

一

きょうも棒切ぼうきれを手にもって、友だち小猿こざるを二、三十匹ぴきつれ、僧正谷そうじょうがたにから、百足虫腹むかでばらの嶮岨けんそをつたい、鞍馬くらまの大深林だいしんりんをあそびまわっているのは、果心居士かしんこじの童弟子わらべでし、いが栗ぐりあたまの竹童ちくどうであった。

「おや、こんなところへだれかやってくるぞ……このごろ人間がよくのぼってくるなア」

竹童がつぶやいた向こうを見ると、なるほど、菅笠すげがさに脚絆きゃはんがけの男が、深林の道にまよってウロウロしている。

「オーイ、オーイ――」

とかれが口に手をあてて呼ぶと、菅笠の男が、スタスタこっちへかけてきたが、見ればまだ十歳さいぐらいの男の子が、たッたひとり、多くの猿さるにとり巻まかれているのでへんな顔をした。

「おじさん、どこへいくんだい、こんなところにマゴマゴしていると、うわばみに食べられちまうぜ」

「おまえこそいったい何者だい、鞍馬寺くらまでらの小坊主こぼうずさんでもなし、まさか山男の伜せがれでもあるまい」

「何者だなんて、生意気なまいきをいうまえに、おじさんこそ、何者だかいうのが本来ほんらいだよ。おいらはこの山に住んでる者だし、おじさんはだまって、人の山へはいってきた風来人ふうらいじんじゃないか」

「おどろいたな」と旅の男はあきれ顔に――「じつは僧正谷そうじょうがたにの果心居士かしんこじさまとおっしゃるおかたのところへ、堺さかいのあるおかたから手紙をたのまれてきたのさ」

「アア、うちのお師匠ししょうさまへ手紙を持ってきたのか、それならおいらにおだしよ。すぐとどけてやる」

「じゃおまえは果心居士さまのお弟子でしか、やれやれありがたい人に会った」

と、男は竹童ちくどうに手紙をわたしてスタスタ下山していった。

「いそぎの手紙だといけないから、さきへこいつに持たしてやろう」

と竹童はその手紙を、一匹ぴきの小猿こざるにくわえさせて、鞭むちで僧正谷の方角ほうがくをさすと、猿さるは心得たようにいっさんにとんでいく。そのあとで、

「さッ、こい、おいらとかけッくらだ」

竹童は、とくいの口笛くちぶえを吹きながら、ほかの猿さるとごッたになって、深林の奥おくへおくへとかけこんでいったが、ややあって、頭の上でバタバタという異様いようなひびき。

「おや? ――」と、かれは立ちどまった。小猿たちは、なんにおびやかされたのか、かれひとりを置き捨ずてにして、ワラワラとどこかへ姿すがたをかくしてしまった。

「やア……やア……やア奇態きたいだ」

なにもかも忘れはてたようすである。あおむいたまま、いつまでも棒立ぼうだちになっている竹童ちくどうの顔へ、上の梢こずえからバラバラと松の皮がこぼれ落ちてきたが、かれは、それをはらうことすらも忘れている。

そも、竹童の目は、なんに吸すいつけられているのかと見れば、じっさい、おどろくべき怪物かいぶつ――といってもよい大うわばみが、鞍馬山くらまやまにはめずらしい大鷲おおわしを、翼つばさの上から十重二十重とえはたえにグルグル巻まきしめ、その首と首だけが、そうほうまっ赤な口から火焔かえんをふきあって、ジッとにらみあっているのだ。まさに龍攘虎搏りゅうじょうこはくよりものすごい決闘けっとうの最中さいちゅう。

「や……おもしろいな。おもしろいな。どっちが勝つだろう」

竹童おどろきもせず、口アングリ開ひらいて見ていることややしばし、たちまち、鼓膜こまくをつんざくような大鷲おおわしの絶鳴ぜつめいとともに、大蛇おろちに巻きしめられていた双そうの翼つばさがバサッとひろがったせつな、あたりいちめん、嵐に吹きちる紅葉こうようのくれないを見せ、寸断すんだんされたうわばみの死骸しがいが、バラバラになって大地へ落ちてきた。

それを見るや否いなや、雲を霞かすみと、僧正谷そうじょうがたにへとんで帰った竹童。果心居士かしんこじの荘園そうえんへかけこむがはやいか、めずらしい今の話を告つげるつもりで、

「お師匠ししょうさま、お師匠さま」と呼よびたてた。

「うるさい和子わこじゃ。あまり飛んで歩いてばかりいると、またその足がうごかぬようになるぞよ」

芭蕉亭ばしょうていの竹縁ちくえんに腰かけていた居士こじの目が、ジロリと光る、その手に持っている手紙をみた竹童ちくどうは、ふいとさっきの用を思いだして、うわばみと鷲わしの話ができなくなった。

「あ、お師匠ししょうさま、さきほど、お手紙がまいりましたから、猿さるに持たせてよこしました。もうごらんなさいましたか」と目の玉をクルリとさせる。

「横着おうちゃくなやつめ。小幡民部こばたみんぶどのからの大切なご書面、もし失うしのうたらどうするつもりじゃ」

「ハイ」

竹童は頭をかいて下をむいた。居士こじは、白髯はくぜんのなかから苦笑をもらしたが、叱言こごとをやめて語調ごちょうをかえる。

「ところでこの手紙によって急用ができた、竹童、おまえちょっとわたしの使いにいってくれねばならぬ」

「お使いは大好きです。どこへでもまいります」

「ム、大いそぎで、武蔵むさしの国、高尾山たかおさんの奥院おくのいんまでいってきてくれ、しさいはここに書いておいた」

「お師匠さま、あなたはごむりばかりおっしゃります」

「なにがむりじゃの」

「この鞍馬くらまの山奥から、武蔵の高尾山までは、二百里りもございましょう。なんでちょっといってくるなんていうわけにいくものですか、だからつねづねわたしにも、お師匠ししょうさまの飛走ひそうの術をおしえてくださいともうすのに、いっこうおしえてくださらないから、こんな時にはこまってしまいます」

「なぜ口をとがらすか、けっしてむりをいいつけるのではない。それにはちょうどいい道案内みちあんないをつけてやるから、和子わこはただ目をつぶってさえいればよい」

「へー、では、だれかわたしを連れていってくれるんですか」

「オオ、いまここへ呼よんでやるから見ておれよ」

と果心居士かしんこじは、露芝つゆしばの上へでて、手に持ったいちめんの白扇はくせんをサッとひらき、要かなめにフッと息をかけて、あなたへ投げると、扇おうぎはツイと風に乗って飛ぶよと見るまに、ひらりと一羽わの鶴つるに化してのどかに空へ舞いあがった。

ア――と竹童ちくどうは目をみはっていると、たちまち、宙天ちゅうてんからすさまじい疾風しっぷうを起してきた黒い大鷲おおわし、鶴を目がけてパッと飛びかかる。鶴は白毛を雪のごとく散らして逃げまわり、鷲のするどい爪つめに追いかけられて、果心居士の手もとへ逃げて下りてきたが、そのとたん、居士がひょいと手をのばすと、すでに、鶴は一本の扇となって手のうちにつかまれ、それを追ってきた大鷲は、居士の膝ひざの前に翼つばさをおさめて、ピッタリおとなしくうずくまっている。

二

「竹童ちくどう竹童、その泉いずみの水を少々くんでこい」

「ハイ」

あっけにとられて見ていた竹童は、居士こじにいいつけられたまま、岩のあいだから、こんこんと湧わきいでている泉をすくってきた。

「かわいそうにこの鷲わしは、片目を鉄砲で撃うたれているため、だいぶ苦しがっている。はやくその霊泉れいせんで洗ってやるがよい。すぐなおる」

「ハイ」

竹童は草の葉ひとつかみを取ってひたし、いくたびか鷲の目を洗ってやった。大鷲おおわしは心地よげに竹童のなすがままにまかせていた。

「おまえの道案内みちあんないはこの鷲だ。これに乗ってかける時は千里の旅も一日の暇ひまじゃ、よいか」

「これに乗るんですか、お師匠ししょうさま、あぶないナ」

「たわけめが」

喝かつ! と叱しかりつけた果心居士かしんこじは、竹童がアッというまに襟えりくびをグッとよせて、

「エーッ」と一声、片手につかんでほうりなげた。ブーンと風を切った竹童のからだは、珠たまのごとく飛んで、はるかあなたの築山つきやまの上へいって、ヒョッコリ立ったが、たちまち、そこからかけもどってきてニコニコ笑いながら澄すましている。

「お師匠さま、またいたずらをなさいましたね」

「どうだ、どこかけがでもしたか」

「いいえ、そんな竹童ちくどうではございません。わたしはお師匠ししょうさまから、まえに浮体ふたいの術を授さずかっておりますもの」

「それみよ。なぜいつもその心がけでおらぬ。この鷲わしに乗っていくのがなんであぶない、浮体ふたいの息いきを心得てのれば一本の藁わらより身のかるいものだ」

「わかりました。さっそくいってまいります」

「オオ書面にて認したためておいたが、時おくれては、武田伊那丸たけだいなまるさまのお身があぶない、いや、あるいは小幡民部こばたみんぶどのの命いのちにもかかわる、いそいでいくのじゃ」

「そして、だれにこの手紙をわたすのですか」

「高尾たかおの奥院おくのいんにかくれている、加賀見忍剣かがみにんけんどのという者にわたせばよい。その忍剣はこの鷲のすがたを毎日待ちこがれているであろう。またこの鷲も霊鷲れいしゅうであるから、かならず忍剣のすがたを見れば地におりていくにちがいない」

「かしこまりました。よくわかりました」

「かならず道草みちくさをしていてはならぬぞ」

「ハイ、心得ております」

と竹童はしたくをした――したくといっても、例の棒ぼう切れを刀のように腰へさして、稗ひえと草の芽めを団子だんごにした兵糧ひょうろうをブラさげて、ヒラリと鷲の背にとびつくが早いか、鷲は地上の木の葉をワラワラとまきあげて、青空たかく飛びあがった。

伊那丸いなまるとちがって竹童ちくどうは、浮体ふたいの法を心得ているうえ、深山にそだって鳥獣ちょうじゅうをあつかいなれている。かれはしばらく目をつぶっていたがなれるにしたがって平気になりはるかの下界げかいを見廻しはじめた。

「オオ高い高い、もう鞍馬くらまも貴船山きぶねやまも半国はんごくヶ岳たけも、あんな遠くへ小ちッちゃくなってしまった。やア、京都の町が右手に見える、むこうに見える鏡かがみのようなのは琵琶湖びわこだナ、この眼下は大津おおつの町……」

と夢中むちゅうになっているうちに、ヒュッとなにかが、耳のそばをうなってかすりぬけた。

「や、なんだ」

と竹童はびっくりしてふりかえった時、またもや下からとんできたのは白羽しらはの征矢そや、つづいてきらきらとひかる鏃やじりが風を切って、三の矢、四の矢と隙すきもなくうなってくる。

「おや、さてはだれか、この鷲わしをねらうやつがある、こいつはゆだんができないゾ」

と竹童は例の棒ぼう切れを片手に持って、くる矢くる矢をパラパラと打ちはらっていたが、それに気をとられていたのが不覚ふかく、たいせつな果心居士かしんこじの手紙を、うッかり懐中ふところから取りおとしてしまった。

「アッ、アアアアア……しまった!」

ヒラヒラと落ちいく手紙へ、思わず口走りながら身をのばしたせつな、竹童のからだまで、あやうく鷲の背中せなかからふりおとされそうになった。

三

大津おおつの町の弓道家きゅうどうか、山県蔦之助やまがたつたのすけは、このあいだ、日吉ひよしの五重塔ごじゅうのとうであやしいものを射損いそんじたというので、かれを今為朝いまためともとまでたたえていた人々まで、にわかに口うら返して、さんざんに悪い評判ひょうばんをたてた。

それをうるさいと思ってか、蔦之助は、以来ピッタリ道場の門をとざして、めったにそとへすがたを見せず、世間の悪口もよそに、兵書部屋へいしょべやへこもり、ひたすら武技ぶぎの研究に余念がなかった。

その日も、しずかに兵書をひもといていた蔦之助つたのすけは、ふと町にあたって、ガヤガヤという人声がどよみだしたので、文字から目をはなして耳をそばだてた。とそこへ、下僕しもべの関市せきいちが、あわただしくかけこんできてこういう。

「旦那だんなさま旦那さま。まアはやくでてごらんなさいまし、とてもすばらしい大鷲おおわしが、比叡ひえいのうしろから飛びまわってまいりました。お早く、お早く」

「鷲?」

と蔦之助は部屋へやから庭へヒラリと、身をおどらして大空をあおぐと、なるほど、関市のぎょうさんなしらせも道理、かつて話に聞いたこともない黒鷲くろわしが、比叡の峰みねの背せからまッさかさまに大津おおつの空へとかかってくるところ。

「関市! 張はりの強い弓を! それと太矢ふとやを七、八本」

「へい」と関市せきいちが、大あわてで取りだしてきた節巻ふしまきの籐とうにくすね引びきの弦つるをかけた強弓ごうきゅう。とる手もおそしと、槙まきの葉鏃はやじりの太矢ふとやをつがえた蔦之助つたのすけは、虚空こくうへむけて、ギリギリとひきしぼるよと見るまに、はやくも一の矢プツン! と切る、すぐ関市が代かわり矢を出す。それを取ってさらに射いる。その迅はやさ、あざやかさ、目にもとまらぬくらい。

しかしその矢は、二どめからみな宙ちゅうにあがって二つにおれ、ハラリ、ハラリと地上に返ってくる。てっきり鷲わしの上には何者かがいる! 蔦之助ももとより射いおとすつもりではない。そのふしぎな人物をなんとかして地上へおろしてみたら、あるいは、日吉ひよしの塔とうの上にいた、奇怪きかいな人間のなぞもとけようかと考えたのであった。

矢数やかずはひょうひょうと虹にじのごとく放はなたれたが、時間はほんの瞬間しゅんかん、すでに大鷲おおわしは町の空を斜ななめによぎって、その雄姿ゆうしを琵琶湖びわこのほうへかけらせたが、なにか白い物をとちゅうからヒラヒラと落としさった。それを見て、

「よしッ」

ガラリと弓を投げすてた蔦之助は、紙片しへんの落ちたところを目ざして、息もつかさずにかけだした。

飛ぶがごとく町はずれをでたかれは、一念ねんがとどいて、ある原へ舞まいおちたものをひろった。

手にとって開ひらいてみれば、芭蕉紙ばしょうしぐるみの一通の書面。

加賀見忍剣かがみにんけんどのへ知らせん この状じょうを手にされし日 ただちに錫杖しゃくじょうを富士の西裾野にしすそのへむけよ たずねたもう御方おんかたあらん 同志どうしの人々にも会い給たまわん

かしん居士こじ

四

竹童ちくどうは弱った。しんそこからこまった。

大切な手紙を取りおとしては、お師匠ししょうさまから、どんなお叱しかりをうけるか知れないと、かれはあわてて鷲わしをおろした。そこはうつくしい鳰鳥におどりの浮いている琵琶湖びわこのほとり、膳所ぜぜの松原のかげであった。

「これクロよ、おいらが手紙をさがしてくるあいだ、後生ごしょうだから待ってるんだぞ、そこで魚さかなでも取って待っているんだぞ、いいか、いいか」

竹童は鷲にたいして、人間にいい聞かせるとおりのことばを残し、スタスタ松と松のあいだを走りだしてくると、反対にむこうからも息をきって、こなたへいそいできたひとりの武士があった――いうまでもなく山県蔦之助やまがたつたのすけである。

ふたりはバッタリ細い小道でゆき会った。竹童がなにげなく蔦之助の片手をみると、まさしくおとした手紙をつかんでいる。蔦之助もまた、素すはだし尻しりきり衣服に、棒切れを腰にさした、いような小僧こぞうのすがたに目をみはった。

「これ子供、子供。……つんぼか、なぜ返辞へんじをせぬ」

「おじさん、おいら子供じゃないぜ」

「なに子供じゃないと、では何歳なんさいじゃ」

「九ツだよ。だけれど大人おとなだけの働きをするから子供じゃない、アアそんなことはどうでもいい、おいらおじさんに聞きたいけれど、そっちの手につかんでいるものはなんだい? 見せておくれよ」

「ばかをもうせ。それより拙者せっしゃのほうがきくが、いましがた、大津おおつの町の上をとんでいた鷲わしが、ここらあたりでおりた形跡けいせきはないか、どうじゃ」

「白しらばッくれちゃいけない。その手紙をおだしよ」

「この童わっぱめッ、無礼ぶれいをもうすな」

「なにッ、返さなきゃこうだぞ」

と、竹童ちくどうからだは小さいが身ごなしの敏捷びんしょうおどろくばかり、不意ふいに蔦之助つたのすけに飛びかかったと思うと、かれの手から手紙をひッたくって、バラバラと逃げだした。

「小僧こぞうッ――」と追い討うちにのびた蔦之助の烈剣れっけんに、あわや、竹童まッ二つになったかと見れば、切きッ先さき三寸ずんのところから一躍やくして四、五間けんも先へとびのいた。

「きゃつ、ただ者ではない」ととっさにおもった蔦之助は、いっさんに追いかけながら、ピュッと手のうちからなげた流星の手裏剣しゅりけん! それとは、さすがに用心しなかった竹童の踵かかとをぷッつり刺さしとめた。

「あッ!」ドタリと前へころんだところを、すかさずかけよってねじつけた、蔦之助の強力ごうりき。それには竹童ちくどうも泣きそうになった。

「おじさん、おじさん、なんだっておいらの手紙をそんなにほしがるんだい――苦しいから堪忍かんにんしておくれよ。この手紙は大切な手紙だから」

「なんじゃ、ではこの書面は汝なんじが持っていた物か」

「ああ、おいらが遠方の人へとどけにいくんだ」

「ではいましがた、鷲わしの上にのっていたのは?」

「おいらだよ、アア、喉のどがくるしい」

「えッ、そのほうか」

とびっくりして、竹童をだきおこした蔦之助つたのすけは、しばらくしげしげとかれの姿をみつめていたが、やがて、松の根方ねかたへ腰をおろして、心からこのおさない者に謝罪しゃざいした。

「知らぬこととはもうせ、飛んだ粗相そそうをいたした。どうかゆるしてくれい、そこで、あらためて聞きたいが、御身おんみはその手紙にある果心居士かしんこじのお弟子でしか」

「そうだ……」竹童も岩の上にあぐらをかいて、腰のふくろから薬草の葉を取りだし、手でやわらかにもんだやつを踵かかとのきずへはりつけている。

「ではさきごろ、日吉ひよしの五重塔ごじゅうのとうへ登っていたのも居士ではなかったか、恥はじをもうせば、里人さとびとの望みにまかせて射いたところが、一羽わの鷺さぎとなって逃げうせた」

「おじさんはむちゃだなあ、おいらのお師匠ししょうさまへ矢をむけるのは、お月さまを射いるのと同じだよ」

「やっぱりそうであったか、いや面目めんもくもないことであった。ところで、さらにくどいようじゃが、そちの持っている書面にある加賀見忍剣かがみにんけんともうすかたは、ただいまどこにおいでになるのか、また、たずねるお方とはどなたを指したものか、山県蔦之助やまがたつたのすけが頭をさげてたのむ。どうか教えてもらいたい」

「いやだ」

竹童ちくどうはきつくかぶりをふった。

「なぜ?」

「わからないおじさんだナ、なんだって人がおとした手紙のなかをだまって読んだのさ。だからいやだ」

「ウーム、それも重々じゅうじゅう拙者せっしゃが悪かった、ひらにあやまる」

「じゃあ話してやってもいいが、うかつな人にはうち明けられない、いったいおじさんは何者?」

「父はもと甲州二十七将しょうの一人であったが、拙者の代だいとなってからは天下の浪人ろうにん、大津おおつの町で弓術きゅうじゅつの指南しなんをしている山県蔦之助ともうすものじゃ」

「えッ、じゃあおじさんも武田たけだの浪人か――ふしぎだなア……おいらのお師匠ししょうさまも、ずっと昔は武田家たけだけの侍さむらいだったんだ」

といいかけて竹童は、まえに居士こじから口止めされたことに気がついたか、ふッと口をつぐんでしまった。そのかわり、これから、居士こじの命めいをうけて武州ぶしゅう高尾たかおにいる忍剣のところへいくこと、また過日かじつ、小幡民部こばたみんぶから通牒つうちょうがきて、なにごとか伊那丸いなまるの身辺に一大事が起っているらしいということ、さては、書中にある御方おんかたという人こそ信玄しんげんの孫まご武田たけだ伊那丸であることまで、残るところなく説明した。

聞きおわった蔦之助つたのすけは、こおどりせんばかりによろこんだ。武田滅亡たけだめつぼうの末路まつろをながめて、悲憤ひふんにたえなかったかれは、伊那丸の行方ゆくえを、今日こんにちまでどれほどたずねにたずねていたか知れないのだ。

「これこそ、まことに天冥てんみょうのお引きあわせだ。拙者せっしゃもこれよりすぐに、富士ふじの裾野すそのへむけて出立しゅったついたす、竹童ちくどうとやら、またいつかの時にあうであろう」

「ではあなたも裾野へかけつけますか、わたしもいそがねば、伊那丸さまの一大事です」

「おお、ずいぶん気をつけていくがよい」

「大じょうぶ、おさらばです」

竹童はふたたび鷲わしの背にかくれて、舞いあがるよと見るまに、いっきに琵琶湖びわこの空をこえて、伊吹いぶきの山のあなたへ――。

いっぽう、山県蔦之助やまがたつたのすけは、その日のうちに、武芸者姿ぶげいしゃすがたいさましく、富士ふじヶ根ねさして旅立った。

五

「まだきょうも空に見えない、ああクロはどうしたろう……?」

毎日高尾の山巓さんてんにたって、一羽わの鳥影も見のがさずに、鷲わしの帰るのを待ちわびている者は、加賀見忍剣かがみにんけんその人である。

快風かいふう一陣! かれを狂喜きょうきせしめた便たよりは天の一角かくからきた。クロの足にむすびつけられた伊那丸いなまるの血書けっしょの文字、竹童ちくどうがもたらしてきた果心居士かしんこじの手紙。かれははふりおつる涙をはらいつつ、二通の文字をくり返しくりかえし読んだ。

「これを手に受けたらその日に立てとある――オオ、こうしてはいられないのだ。竹童とやら、はるばる使いにきてご苦労だったが、わしはこれからすぐ、伊那丸さまのおいでになるところへいそがねばならぬ、鞍馬くらまへ帰ったら、どうかご老台ろうだいへよろしくお礼をもうしあげてくれ」

「ハイ承知しょうちしました。だけれどお坊ぼうさん、おいらは少しこまったことができてしまった」

「なんじゃ、お使いの褒美ほうびに、たいがいのことは聞いてやる、なにか望みがあるならもうすがよい」

「ううん、褒美なんかいらないけれど、そのクロという鷲はお坊さんのものなんだネ」

「いやいや、この鷲はわたしの飼かい鳥でもない、持主もちぬしといえば、武田家たけだけにご由緒ゆいしょのふかい鳥ゆえ、まず伊那丸君の物とでももうそうか」

「ネ、おいら、ほんとをいうと、このクロと別わかれるのがいやになってしまったんだよ。きっと大切にして、いつでも用のある時には飛んでいくから、おいらにかしといてくんないか」

天真爛漫てんしんらんまんな願いに、忍剣もおもわず微笑ほほえんでそれをゆるした。竹童ちくどうは大よろこび、あたかも友だちにだきつくようにクロの背なかへふたたび身を乗せて、忍剣に別わかれを告つげるのも空の上から――いずこともなく飛びさってしまった。

間まもなく、高尾の奥院おくのいんからくだってきた加賀見忍剣かがみにんけんは、神馬小舎しんめごやから一頭の馬をひきだし、鉄の錫杖しゃくじょうをななめに背せにむすびつけて、法衣ころもの袖そでも高からげに手綱たづなをとり、夜路よみち山路やまみちのきらいなく、南へ南へと駒こまをかけとばした。

ほのぼの明けた次の朝、まだ野も山も森も見えぬ霧きりのなかから、

「オーイ、オーイ」

と忍剣の駒を追いかけてくる者がある。しかも、あとからくる者も騎馬きばと見えて、パパパパパとひびく蹄ひづめの音、はて何者かしらと、忍剣が馬首ばしゅをめぐらせて待ちうけているとたちまち、目の前へあらわれてきた者は、黒鹿毛くろかげにまたがった白衣びゃくえの男と朱柄あかえの槍やりを小わきにかいこんだりりしい若者。

「もしやそれへおいでになるのは、加賀見忍剣どのではござらぬか」

「や! そういわれる其許そこもとたちは」

「おお、いつか裾野すそのの文殊閣もんじゅかくで、たがいに心のうちを知らず、伊那丸君いなまるぎみをうばいあった木隠龍太郎こがくれりゅうたろう」

「またわたくしは、巽小文治たつみこぶんじともうす者」

「おお、ではおのおのがたも、ひとしく伊那丸さまのおんために力をおあわせくださる勇士たちでしたか」

「いうまでもないこと。忍剣にんけんどののおはなしは、くわしくのちにうけたまわった。じつは我々両名の者は、小太郎山こたろうざんに砦とりでをきずく用意にかかっておりましたが、はからずも主君伊那丸さまが、穴山梅雪あなやまばいせつの手にかこまれて、きょう裾野すそのへさしかかるゆえ、出会しゅっかいせよという小幡民部こばたみんぶどのからの諜状しめしじょう、それゆえいそぐところでござる」

「思いがけないところで、同志どうしのおのおのと落ち会いましたことよ。なにをつつみましょう。まこと、わたくしもこれよりさしていくところは、富士ふじの裾野」

「忍剣どのも加わるとあれば、千兵せんぺいにまさる今日きょうの味方、穴山一族の木こッ葉ぱ武者どもが、たとえ、幾いく百幾いく千騎きあろうとも、おそるるところはござりませぬ」

「きょうこそ、若君のおすがたを拝はいしうるは必定ひつじょうです」

「おお、さらば一刻もはやく!」

轡くつわをならべて、同時にあてた三騎きの鞭むち! 一声ひとこえ高くいななき渡って、霧のあなたへ、駒こまも勇士もたちまち影を没ぼっしさったが、まだ目指めざすところまでは、いくたの嶮路けんろいくすじの川、渺茫びょうぼう裾野すそのの道も幾十里かある。

霧ははれた。そして紺碧こんぺきの空へ、雄大なる芙蓉峰ふようほうの麗姿れいしが、きょうはことに壮美そうびの極致きょくちにえがきだされた。

富士は千古せんこのすがた、男の子の清い魂たましいのすがた、大和撫子やまとなでしこの乙女おとめのすがた。――日本を象徴しょうちょうした天地に一つの誇ほこり。

いまや、その裾野すそのの一角にあって、咲耶子さくやこがふったただ一本の笛ふえの先から、震天動地しんてんどうちの雲はゆるぎだした。閃々せんせんたる稲妻いなずまはきらめきだした。

雨を呼ぶか、雷いかずちが鳴るか、穴山あなやま軍勝つか、胡蝶陣こちょうじん勝つか? 武田伊那丸たけだいなまると小幡民部こばたみんぶの民蔵たみぞうは、どんな行動をとりだすだろうか? 富士はすべて見おろしている――

水火陣法すいかじんぽうくらべ

一

胡蝶こちょうの陣! 胡蝶の陣!

裾野にそよぐ穂ほすすきが、みな閃々せんせんたる白刃はくじんとなり武者むしゃとなって、声をあげたのかと疑うたがわれるほど、ふいにおこってきた四面の伏敵ふくてき。

野末のずえのおくにさそいこまれて、このおとしあなにかかった穴山梅雪入道あなやまばいせつにゅうどうは、馬からおちんばかりにぎょうてんしたが、あやうく鞍くらつぼに踏ふみこたえて、腰なる陣刀をひきぬき、

「退ひくな。たかの知れた野武士のぶしどもがなにほどぞ、一押ひとおしにもみつぶせや!」

と、うろたえさわぐ郎党ろうどうたちをはげました。

音にひびいた穴山あなやま一族ぞく、その旗下はたもとには勇士もけっしてすくなくない。天野刑部あまのぎょうぶ、佐分利五郎次さぶりごろうじ、猪子伴作いのこばんさく、足助主水正あすけもんどのしょうなどは、なかでも有名な四天王てんのう、まッさきに槍やりの穂ほをそろえておどりたち、

「おうッ」

と、吠ほえるが早いか、胡蝶こちょうの陣じんの中堅ちゅうけんを目がけて、無む二無む三につきすすんだ。それにいきおいつけられたあとの面々、

「それッ。烏合うごうのやつばら、ひとりあまさず、討うってとれ」

と、具足ぐそくの音を霰あられのようにさせ、槍やり、陣刀じんとう、薙刀なぎなたなど思いおもいな得物えものをふりかざし、四ほうにパッとひらいて斬きりむすんだ。

「やや一大事! だれぞないか、伊那丸いなまるの駕籠かごをかためていた者は取ってかえせ、敵の手にうばわれては取りかえしがつかぬぞッ」

たちまちの乱軍に、梅雪入道ばいせつにゅうどうがこうさけんだのも、もっとも、大切な駕籠はほうりだされて、いつのまにか、警固けいごの武士ぶしはみなそのそばをはなれていた。

「心得てござります」

いち早くも、梅雪の前をはしりぬけて、れいの――伊那丸がおしこめられてある鎖駕籠くさりかごの屋根へ、ヒラリととびあがって八ぽうをにらみまわした者は、別人べつじんならぬ小幡民部こばたみんぶであった。

かりにも、乗物の上へ、土足どそくで跳とひあがった罪つみ――ゆるし給たまえ――と民部みんぶは心に念ねんじていたが、とは知らぬ梅雪入道ばいせつにゅうどう、ちらとこの態ていをながめるより、

「お、新参しんざんの民蔵たみぞうであるな、いつもながら気転きてんのきいたやつ……」

とたのもしそうにニッコリとしたが、ふとまた一ぽうをかえりみて、たちまち顔いろを変えてしまった。

二

咲耶子さくやこがふった横笛よこぶえの合図あいずとともに、押しつつんできた人数はかれこれ八、九十人、それに斬きりむかっていった穴山方あなやまがたの郎党ろうどうもおよそ七、八十人、数の上からこれをみれば、まさに、そうほう互角ごかくの対陣たいじんであった。

しかし、一ぽうは勇あって訓練くんれんなき野武士のぶしのあつまり。こなたは兵法へいほうのかけ引き、実戦じっせんの経験もたしかな兵である。梅雪入道ばいせつにゅうどうならずとも、とうぜん、勝ちは穴山方にありと信じられていた。ところが形勢けいせいはガラリとかわって、なにごとぞ、四天王てんのう以下の面々は名もなき野武士の切きッ先さきにかけまわされ、胡蝶こちょうの陣じんの変化自在へんげじざいの陣法にげんわくされて、浮き足みだしてくずれ立ってきた。と見るや、怒いかりたった入道は、

「ええ腑甲斐ふがいのない郎党ろうどうども、このうえは、梅雪みずからけちらしてくれよう!」

両の手綱たづなを左の手にあつめ、右手に陣刀じんとうをふりかざしてあわや、乱軍のなかへ馬首ばしゅをむけてかけ入ろうとした。

とそのとき、

「しばらくしばらく、そもわが君は、お命いのちをいずこへ捨てにいかれるお心でござるか!」

声たからかに呼よびとめた者がある。

「なに?」ふりかえってみると、それは、伊那丸いなまるの駕籠かごの上に立った小幡民部こばたみんぶ。梅雪ばいせつはせきこんで、

「やあ、民蔵たみぞう、汝なんじはなにをもって、さような不吉ふきつをもうすのじゃ」

「されば、殿の御身おんみを大切と思えばこそ」

「して、なんのしさいがあって」

「眼を大にしてごらんあれ。敵は野武士のぶしといいながら、神変しんぺんふしぎな少女の陣法によってうごくもの、これすなわち奇兵きへいでござる。あなどってその策さくにおちいるときは、殿のお命いのちとてあやうきこと明らかでござりまする」

「うーむ、してかれの陣法じんぽうとは」

「伏現自在ふくげんじざいの胡蝶こちょうの陣じん」

「やぶる手策てだては?」

「ござりませぬ」

「ばかなッ」

「うそとおぼし召めすか」

「おおさ、年端としはもゆかぬ女童めわらべが指揮する野武士のぶしの百人足らず、なんで破れぬことがあろうか」

「ではしばらくここにて四ほうを観望かんぼうなさるがなにより。おお佐分利五郎次さぶりごろうじの組子くみこはやぶれた、ああ足助主水正あすけもんどのしょうもたちまち袋ふくろのねずみ……」

「なんの、余よが四天王てんのうじゃ、いまにきっと盛もり返して、あの手の野武士をみな殺しにするであろうわ」

「危あやういかな、危ういかな、かしこの窪地くぼちへ追いこまれた猪子伴作いのこばんさく、天野刑部あまのぎょうぶ、その他十七、八名の味方の者どもこそ、すんでに敵の術中じゅっちゅうにおちいり、みな殺しとなるばかり」

「や、や、や、や、や!」

「おお! 殿とのにもご用意あれや、早くも伊那丸いなまるの駕籠かごを目がけて、総勢そうぜいの力をあつめてくるような敵の奇変きへんと見えまするぞ」

「お、お、お、民蔵たみぞう民蔵、汝なんじになんぞ策さくはないか」

梅雪ばいせつのようすは、にわかにうろたえて見えだした。

「おそれながら、しばしのあいだ、殿の采配さいはいを拙者せっしゃにおかしたまわるなら、かならず、かれの奇襲きしゅうをやぶって味方の勝利となし、なお、野武士を指揮しきなすあやしき少女をも生いけどってごらんに入れます」

「ゆるす、すこしも早く味方の者を救すくいとらせい」

さしも強情ごうじょうな穴山梅雪あなやまばいせつも、論ろんより証拠しょうこ、民部みんぶのことばのとおり、味方がさんざん敗北はいぼくとなってきたのを見て、もうゆうよもならなくなったのであろう。こなたへ駒こまを寄せてきて、小幡民部こばたみんぶの手へ采配さいはいをさずけた。

「ごめん」

受けとって押しいただいた民部みんぶは、駕籠かごの上に立ったまま、八ぽうの戦機をきッと見渡したのち、おごそかに軍師ぐんしたるの姿勢しせいをとり、采さいのさばきもあざやかに、

さッ、さッ、さッ。

虚空こくうに半円をえがいて、風をきること三度みたび。

ああなんという見事さ、それこそ、本朝ほんちょうの諸葛亮しょかつりょうか孫呉そんごかといわれた甲州流の軍学家ぐんがくか、小幡景憲こばたかげのりの軍配ぐんばいぶりとそッくりそのまま。

「や?」

よもや、新参しんざんの民蔵たみぞうが、その人の一子し、民部みんぶであろうとは、夢ゆめにも知らない梅雪入道ばいせつにゅうどう、おもわず驚嘆きょうたんの声をもらしてしまった。

三

月の夜には澄すみ、朝あしたは露をまろばせても、聞く人もないこの裾野すそのに、ひとり楽しんでいる笛ふえは、咲耶子さくやこが好きで好きでたまらない横笛ではないか。

しかし、その優雅ゆうがな横笛は、時にとって身を守る剣つるぎともなり、時には、猛獣もうじゅうのような野武士のぶしどもを自由自在にあやつるムチともなる。

いましも、小高い丘おかの上にたって、その愛笛あいてきを頭上にたかくささげ、部下のうごきから瞳ひとみをはなたずにいた彼女のすがたは、地上におりた金星の化身けしんといおうか、富士の女神めがみとたとえようか、丈たけなす黒髪は風にみだれて、麗うるわしいともなんともいいようがない。

「アッ――」

ふいに、彼女の唇くちびるを洩もれたかすかなおどろき。

その眸ひとみのかがやくところをみれば、いまがいままでしどろもどろにみだれたっていた、穴山梅雪あなやまばいせつの郎党ろうどうたちはひとりの武士ぶしの采配さいはいを見るや、たちまちサッと退ひいて中央に一列となった。

それは民部みんぶの立てた蛇形だぎょうの陣。

咲耶子さくやこはチラと眉まゆをひそめたが、にわかに右手めての笛をはげしく斜ななめにふって落とすこと二へん、最後に左の肩へサッとあげた。――とみた野武士の猛勇もうゆうは、ワッと声つなみをあげて、蛇形陣だぎょうじんの腹背ふくはいから、勝ちにのって攻めかかった。

そのとき早く、ふたたび民部の采配が、龍りゅうを呼ぶごとくさっとうごいた。と見れば、蛇形の列は忽然こつねんと二つに折れ、まえとは打ってかわって一糸しみだれず、扇形おうぎがたになってジリジリと野武士の隊伍たいごを遠巻きに抱いてきた。

「あッ、いけない。あれはおそろしい鶴翼かくよくの計略」

咲耶子はややあわてて、笛を天から下へとふってふってふりぬいた。

それは退軍の合図あいずであったと見えて、いままで攻勢こうせいをとっていた野武士のぶしたちは、一どにどッと潮うしおのごとく引きあげてきたようす。が、民部みんぶの采配さいはいは、それに息をつく間まもあたえず、たちまち八射しゃの急陣と変え、はやきこと奔流ほんりゅうのように、追おえや追えやと追撃ついげきしてきた。

「オオ、なんとしたことであろう」

あまりの口惜くやしさに、咲耶子さくやこはさらに再三再四、胡蝶こちょうの陣じんを立てなおして、応戦おうせんをこころみたが、こなたで焔ほのおの陣をしけば、かれは水の陣を流して防ぎ、その軍配ぐんばいは孫呉そんごの化身けしんか、楠くすのきの再来かと、あやしまれるほど、機略縦横きりゃくじゅうおうの妙みょうをきわめ、手足のごとく、奇兵に奇兵を次ついでくる。

さすがの胡蝶陣こちょうじんに妙みょうをえた咲耶子さくやこも、いまはほどこすに術すべもなくなった。精鋭無比せいえいむひの彼女の部下の刃やいばも、いまはしだいしだいに疲れてくるばかり。

「それッ、この機をはずすな!」

「いずこまでも追って追って追いまくれッ」

「裾野すそのの野武士のぶしを根絶ねだやしにしてくれようぞ」

穴山あなやまの四天王てんのう猪子伴作いのこばんさく、足助主水正あすけもんどのしょう、その他の郎党ろうどうは、民部が神のごとき采配ぶりにたちまち頽勢たいせいを盛もりかえし、猛然もうぜんと血槍ちやりをふるって追撃ついげきしてきた。

西へ逃げれば西に敵、南に逃げれば南に敵、まったく民部の作戦に翻弄ほんろうされつくした野武士たちは、いよいよ地にもぐるか、空にかけるのほか、逃げる路みちはなくなってしまった。

と、咲耶子さくやこのいる丘おかの上から、悲調ひちょうをおびた笛の音ねが一声ひとこえ高く聞えたかと思うと、いままでワラワラ逃げまどっていた野武士のぶしたちの影は、忽然こつねんとして、草むらのうちにかくれてしまった。胆きもをけした穴山あなやま一族の将卒しょうそつは、血眼ちまなこになって、草わけ、小川の縁へりをかけまわったが、もうどこにも一人の敵すら見あたらず、ただいちめんの秋草の波に、野分のわきの風がザアザアと渡るばかり。

狐きつねにつままれたようなうろたえざまを、丘おかの上からながめた咲耶子は、帯のあいだに笛をはさみながら、ニッコリ微笑びしょうをもらして、丘のうしろへとびおりようとしたその時である。

「咲耶子とやら、もうそちの逃げ道はないぞ」

りんとした声が、どこからか響ひびいてきた。

「え?」思わず目をみはった彼女の前に、ヒラリとおどりあがってきたのは、いつのまにここへきたのか、さっきまで采配さいはいをとって敵陣てきじんにすがたをみせていた小幡民部こばたみんぶであった。

「あッ」

さすがの彼女もびっくりして、丘おかのあなたへ走りだすと、そのまえに、四天王てんのうの佐分利五郎次さぶりごろうじが、八、九人の武士ぶしとともに、槍やりぶすまをつくってあらわれた。ハッと思って横へまわれば、そこからも、不意にワーッと鬨ときの声があがった。うしろへ抜けようとすればそこにも敵。

いまはもう四面めん楚歌そかだ。絶望ぜつぼうの胸をいだいて、立ちすくんでしまうよりほかなかった。とみるまに、丘の上は穴山方あなやまがたの薙刀なぎなたや太刀たちで、まるで剣をうえた林か、針はりの山のように、いっぱいにうずまってしまった。

「咲耶子さくやこ、咲耶子、もういかにもがいても、この八門もん鉄壁てっぺきのなかからのがれることはできぬぞ、神妙しんみょうに縄なわにかかッてしまえ」

小幡民部こばたみんぶは、声をはげましてそういった。

無念むねんそうに、唇くちびるをかみしめていた咲耶子は、ふたたびかくれた野武士のぶしたちを呼よびだすつもりか、帯おびのあいだの横笛をひきぬいて、さッと、ふりあげようとしたが、その一瞬しゅん、

「えい、不敵な女め」

佐分利五郎次さぶりごろうじが、飛びかかるが早いか、ガラリとその笛を打ちおとすと、とたんに、右からも、走りよった足助主水正あすけもんどのしょうが早業はやわざにかけられて、あわれ、野百合のゆりのような小娘こむすめは、情なさけ容赦ようしゃもなくねじあげられてしまった。

天罰てんばつくだる

一

たったひとりの少女を生けどるのに四天王てんのうともある者や、多くの荒武者あらむしゃが総がかりとなったのは、大人おとなげないと恥はずべきであるのに、かれらは大将の首でもとったように、ワッと、勝鬨かちどきをあげながら、丘おかの上からおりていった。

まもなく、馬前ばぜんへひッ立てられてきた咲耶子さくやこをひとめ見た梅雪入道ばいせつにゅうどうは、鞍くらの上からはッたとにらみつけて、

「こりゃ小娘ッ、ようも汝なんじは、道しるべをいたすなどともうして、思うさまこの方ほうをなぶりおったな。いまこそ、その細首をぶち落としてくれるから待っておれ」

面おもてに朱しゅをそそいで、鞍くらの上からののしったのち、

「民蔵たみぞう民蔵」とはげしく呼び立てた。

「はッ」と走りだした小幡民部こばたみんぶは、チラと、入道のおもてを見ながら片手をつかえた。

「なんぞご用でござりまするか」

「おお民蔵か、あっぱれなそのほうの軍配ぐんばいぶり、褒美ほうびは帰国のうえじゅうぶんにとらすであろう、ところで、不敵なこの小娘、生かしておけぬ、そちに太刀とりをもうしつくるほどに、余よが面前で、血祭ちまつりにせい」

「あいや、それはしばしご猶予ゆうよねがいまする」

「なに、待てともうすか」

「御意ぎょいにござりまする。いまこの小娘を血祭りにするときは、ふたたびまえにもてあましたる野武士のぶしが、復讐ふくしゅうに襲おそうてくること必定ひつじょう。もとより、千万の野武士があらわれようとて、おそるるところはござらぬが、この小娘をおとりとして、さらに殿のお役に立てようがため、せっかく生捕いけどりにいたしたもの、むざむざここで首にいたすのはいかがとぞんじます」

「奇略きりゃくにとんだその方ほうのことゆえ、なお上策じょうさくがあればまかせおくが、して、この小娘をおとりにしてどうする所存しょぞんであるか」

「秘中ひちゅうの秘ひ、味方といえども、余人よじんのいるところでは、ちともうしかねます」

「もっともじゃ、ではこれへしたためて見せい」

ヒラリと投げてきたのは一面の軍扇ぐんせん。

民部みんぶは即座そくざに矢立やたてをとりよせ、筆をとって、サラサラ八行ぎょうの詩しを書き、みずから梅雪ばいせつの手もとへ返した。

「どれ」と、入道にゅうどうはそれを受けとり、馬上で扇面せんめんの文字を読み判はんじて――

「む、どこまでもそちは軍師ぐんしじゃの」と膝ひざをたたいて、感嘆かんたんした。その秘策ひさくとは、すなわち、これから馬をすすめて五湖の底にあるという武田家たけだけの宝物ほうもつ御旗みはた楯無たてなしをさぐりだし、同時に、伊那丸いなまるをもそこで首にしてしまおうというおそろしい献策けんさく。

じつは穴山梅雪あなやまばいせつも、これから甲斐かいの国へはいる時は、武田たけだの残党ざんとうもあろうゆえ、伊那丸を首にする場所にも、心をいためていたところだった。しかし、この富士の裾野すそのなら安心でもあるし、御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつまで、手にはいれば一挙両決いっきょりょうけつ、こんなうまいことはない。すぐまた都へ取ってかえし、家康いえやすから、多大の恩賞おんしょうをうけ、そのうえ帰国してもけっしておそくはない。

「そうだ、この小娘もそのとき首にすれば、世話なしというもの……」

梅雪はとっさにそう思ったらしい、あくまで信じきっている民部みんぶの献策けんさくにまかせて、ふたたび郎党ろうどうを一列に立てなおし、民部と咲耶子さくやこを先さきにして、裾野すそのを西へ西へとうねっていった。

そのあいだに民部は、なにごとかひくい声で、咲耶子にささやいたようであった。かしこい彼女は、黙々もくもくとして聞えぬふりで歩いていたが、その瞳ひとみは、ときどき意外な表情をして民部にそそがれた。そんな、こまかいふたりの挙動きょどうは、はるかあとから騎馬きばでくる梅雪の目に、べつだんあやしくもうつらなかった。

やがて、裾野の野道がつきて、長い森林にはいってきた。そこをぬけると、青いさざなみが、木この間まから見えだした。

「おお湖水こすいへでた! 湖みずうみが見えた!」

軍兵ぐんぴょうどもは、沙漠さばくに泉いずみを見つけたように口々に声をもらした。そのほとりには、小さな社やしろがあるのも目についた。つかつかと社の前へあゆみ寄った小幡民部こばたみんぶは、「白旗しらはたの宮みや」とあるそこの額がくを見あげながら、口のうちで、「白旗の宮? ……源家げんけにゆかりのありそうな……」とつぶやいて小首をかしげたが、ふいと向きなおって、こんどはおそろしい血相けっそうで、咲耶子さくやこをただしはじめた。

「これッ。武田家たけだけの宝物ほうもつをしずめた湖水は、ここにそういあるまい、うそいつわりをもうすと、痛いたいめにあわすぞ、どうじゃ!」

「は、はい……」咲耶子は、にわかに神妙しんみょうになって、そこへひざまずいた。

「もうお隠かくしもうしても、かなわぬところでござります。おっしゃるとおり、御旗みはた楯無たてなしの宝物は、石櫃いしびつにおさめて、この湖みずうみのそこに沈めてあるにそういありませぬ」

「まったくそれにちがいないか!」

「神かけていつわりはもうしませぬ」

「よし、よく白状はくじょういたした。おお殿とのさま。ただいまのことばをお聞きなされましたか」

ちょうどそこへ、おくればせに着いた梅雪ばいせつのすがたをみて、民部が、こういいながら馬上を見上げると、かれは笑えつぼに入いってうなずいた。

「聞いた。かれのもうすところたしかとすれば、すぐ湖水からひきあげる手くばりせい」

「はッ、かしこまりました」

民部はいさみ立ったさまをみせて、郎党ろうどうたちを八ぽうへ走らせた。まもなく、地理にあかるい土着どちゃくの里人さとびとが、何十人となくここへ召集されてきた。そして、狩かりだされてきた里人や郎党ろうどうは、多くの小船に乗りわかれて、湖水の底へ鈎綱かぎづなをおろしながら、あちらこちらと漕こぎまわった。

二

陸おかのほうでは穴山梅雪入道あなやまばいせつにゅうどうが白旗しらはたの宮みやのまえに床几しょうぎをすえ、四天王てんのうの面々を左右にしたがえて悠然ゆうぜんと見ていた。

と、かれの貪慾どんよくな相好そうごうがニヤニヤ笑えみくずれてきた。――湖水の中心では、いましも鈎かぎにかかった獲物えものがあったらしい。多くの小船は、たちまちそこに集まって鈎かぎをおろし、エイヤエイヤの声をあわせて、だんだんと浅瀬あさせのほうへひきずってくるようすだ。

伊那丸いなまると忍剣にんけんが智慧ちえをしぼって世の中からかくしておいた宝物ほうもつも、こうして、苦もなく発見されてしまった。まもなく梅雪入道の床几の前へ運ばれてきたものは、真青まっさおに水苔みずごけさびたその石櫃いしびつ。

「殿さま、ご苦心のかいあって、いよいよご開運の秘宝ひほうもめでたく手に入りました。祝着しゅうちゃくにぞんじまする」

里人たちに恩賞おんしょうをやって追いかえしたのち、民部みんぶはそばから祝いわいのことばをのべた。

「そのほうの手柄てがらは忘れはおかぬぞ。この宝物に伊那丸の首をそえてさしだせば、いかにけちな家康いえやすでも、一万石ごくや二万石ごくの城地じょうちは、いやでも加増するであろう。そのあかつきには、そのほうもじゅうぶんに取りたて得えさす」

「かたじけのうぞんじます。しかし、お望みの物が手にはいったからは、いっこくもご猶予ゆうよは無用、この場で伊那丸いなまるを首にいたし、あの鎖駕籠くさりかごへは宝物のほうを入れかえにして、寸時もはやく家康公いえやすこうへおとどけあるが上分別じょうふんべつとこころえます」

「おお、きょうのような吉日きちじつはまたとない。いかにもこの場できゃつを成敗せいばいいたそう、その介錯かいしゃくもそちに命じる! ぬかるな!」

「はッ、心してつとめます」

梅雪ばいせつの目くばせに、きッとなって立ちあがった民部みんぶはすばやく下緒さげおを取って襷たすきとなし、刀のつかにしめりをくれた。そのまに、二、三人の郎党ろうどうは、小船の板子いたごを四、五枚はずしてきて、武田伊那丸たけだいなまるの死の座ざをもうけた。

「これこれ、せんこくの小娘もことのついでじゃ。そこへならべて、民蔵たみぞうの腕だめしにさせい。旅の一興きょうに見物いたすもよかろうではないか」

宮みやの根ねもとにくくりつけられていた咲耶子さくやこは、罪人のように追ったてられて、板子いたごのならべてあるとなりへすえられた。彼女は、もうすっかり覚悟を決めてしまったか、ほつれ髪もおののかせず、白百合しらゆりの花そのままな顔をしずかにうつむけている。

いっぽうでは、鎧よろいの音をさせて、ずかずかと迫っていった四天王てんのうの面々が、例の鎖駕籠くさりかごのまわりへ集まり、乗物の上からかぶせてある鉄の網あみをザラザラとはずしはじめた。

長い道中のあいだ日のめを見ることなく、乗物のうちにゆられてきた伊那丸は、いよいよ運命の最後を宣告され、悪魔あくまの断刀だんとうをうけねばならぬこととなった。四天王てんのうの天野刑部あまのぎょうぶは、ガチャリ、ガチャリと荒々しく錠じょうの音をさせて、駕籠かごの引き手をグイとおし開あけ、

「伊那丸いなまる、これへでませいッ」と、涙もなく、ただの罪人でも呼びだすようにどなった。

が――駕籠かごのなかは、ひっそりとして音もない。

「やい、伊那丸、さッさとこれへでてうせぬか」

猪子伴作いのこばんさくは、次にこうわめきながら、駕籠の扉口とぐちを土足どそくではげしくけとばした。と、足あしもとが、不意に軽くすくわれたので、伴作はあッといってうしろへよろめく。

すわ!

殺気はたちまちそこにはりつめた。天野あまの、佐分利さぶり、足助あすけの三人は、陣刀じんとうのつかを握にぎりしめつつ、駕籠口かごぐちへ身がまえた。

三

「おお夜が明けたようだ……」

つぶやく声といっしょに、伊那丸のすがたは、しずかにそこへあらわれた。じたばたすると思いのほか、落ちつきはらったようすに、四天王の者どもはやや拍子ひょうしぬけがしたらしい。

「歩けッ」

左右からせきたてて、小船の板子いたごをしいた死の座ざへ伊那丸いなまるをひかえさせた。そして床几しょうぎにかけた梅雪ばいせつに目礼もくれいをしてひきさがる。

「おッ、伊那丸さま――」

「あ! そなたは」

席をならべて伊那丸と咲耶子さくやこは、たがいにはッとしたが、彼女は、せつなに顔をそむけ、なにげないようすをした。で伊那丸も、さまざまな疑惑ぎわくに胸をつつまれながら、眸ひとみをそらして、こんどはきっと、入道にゅうどうの顔をにらみつけた。――梅雪ばいせつもまけずに、

「こりゃ伊那丸、さだめし今まで窮屈きゅうくつであったろうが、いますぐ楽らくにさせてくれる。この世の見おさめに、泣くとも笑うとも、ぞんぶんに狂って見るがいい」

と、にくにくしい毒口どくぐちをたたいた。

「さて大人気おとなげない武者むしゃどもよ――」

伊那丸は声もすずしくあざわらって、

「わしひとりの命いのちをとるのに、なんとぎょうぎょうしいことであろう。冥土めいどにおわす祖父そふ信玄しんげんやその他の武将たちによい土産話みやげばなし、甲州侍こうしゅうざむらいのなかにも、こんな卑劣者ひれつものがあったと笑うてやろう!」

「えい、口がしこいやつめ、民蔵たみぞう、早々そうそうこの童わっぱの息のねをとめてしまえ!」

梅雪は、号令ごうれいした。

声におうじて、

「はッ」と、武者むしゃぶるいして立ちあがった民部みんぶは、伊那丸いなまるのうしろへまわって、ピタリと体をきめ、見る目もさむき業刀わざものをスラリと腰からひきぬいた。

「お覚悟かくごなさい! 太刀取たちとりの民蔵たみぞうが君命によってみ首しるしはもうしうけた」

「…………」

覚悟――それは伊那丸にとっていまさらのことではない。かれは一糸しとりみだすさまもなく、観念の眼をふさいでいる。

正面しょうめんの梅雪入道ばいせつにゅうどうをはじめ、四天王てんのう以下の大衆も、かたずをのんで、民部の太刀と伊那丸のようすとを見くらべていた。

湖水の波も心あるか、冷つめたい風を吹きおこして、松の梢こずえにかなしむかと思われ、陽ひも雲のうちにかくされて、天地は一瞬しゅん、ひそとした。

そのとき、民部の口からかすかな声。

「八幡はちまん」

水もたまらぬ太刀をふりかぶッて、伊那丸の白い頸くびをねらいすました。――と、そのするどい眼気がんきが、キラと動いたと見えた一瞬、

「ええいッ!」

武田伊那丸たけだいなまるの首が落ちたかとおもうと、なにごとぞ、梅雪のまッこうめがけて、とびかかった小幡民部こばたみんぶ、

「悪逆無道あくぎゃくむどうの穴山入道あなやまにゅうどう、天罰てんばつの明刀めいとうをくらえ!」

耳をつんざく声だった。

ふいをくった梅雪ばいせつは、ぎょうてんして身をさけようとしたが、ヒュッと、眉間みけんをかすめた剣光けんこうに眼もくらんで、

「わーッ」額ひたいの血しおを両手でおさえたまま、床几しょうぎのうしろへもんどり打ってぶッたおれた。

「曲者くせもの」愕然がくぜんと、おどりあがった四天王てんのうたち。同時に、その余よの群猛ぐんもうも渦うずをまいて、

「うぬッ、気が狂くるったかッ」

「裏切者うらぎりものッ――退のくな」

とばかり、一どに総立そうだちになるやいなや、民部みんぶの上へ、どッとなだれを打ってきた剣つるぎの怒濤どとう。

湖南の三騎士きし

一

梅雪入道は、みだれ立つ郎党ろうどうたちの足もとを、逃げまわりながら、

「曲者は武田たけだの残党ざんとうだッ。伊那丸いなまるを逃がすなッ」

と絶叫ぜっきょうした。

民部みんぶはその姿をおって、

「おのれッ」

無む二無む三に斬きりつけようとしたが、佐分利五郎次さぶりごろうじにささえられ、じゃまなッ、とばかりはねとばす。そのあいだに、天野あまの、猪子いのこ、足助あすけなどが、鉾先ほこさきをそろえてきたため、みすみす長蛇ちょうだを逸いっしながら、それと戦わねばならなかった。

いっぽう、民部にかかりあつまった雑兵ぞうひょうは、伊那丸いなまるのほうへ、バラバラと、かけ集まったが、それよりまえに、咲耶子さくやこが、腰の縄なわを切るがはやいか、伊那丸の手をとって、

「若君。早く早く」

と、よりたかる武者むしゃ二、三人を斬りふせながらせきたてた。

とたんに背せなかから、一人の武者がかぶりついた。伊那丸は身をねじって、ドンと前へ投げつけ、かれのおとした陣刀をひろいとるがはやいか、近よる一人の足をはらって、さらに、咲耶子へ槍やりをつけていた武者を斬ってすてた。

すべては一瞬しゅんの間あいだだった。

伊那丸じしんですら、じぶんでどう動いたかわからない。穴山あなやまがたの郎党ろうどうも、たがいに目から火をだしての狼狽ろうばいだった。そして白熱戦の一瞬がすぎると、だれしも命いのちは惜おしく、八ぽうへワッと飛びのく。――

ひらかれた中心にあるのは、伊那丸と咲耶子とである。二人は背なかあわせに立って、血ぬられた陣刀と懐剣かいけんを二方にきっとかまえている。

目にあまるほどの敵も、うかと近よる者もない。ただわアわアと武者声むしゃごえをあげていた。すると、あなたから加勢にきた四天王てんのうの足助主水正あすけもんどのしょう。

「えい、これしきの敵にひまどることがあろうか」

大身おおみの槍やりに行き足つけて、伊那丸いなまるの真正面へ、タタタタタッ、とばかりくりだした。

伊那丸の身は、その槍先やりさきに田楽刺でんがくざしと思われたが、さッとかわしたせつな、槍は伊那丸の胸をかすって流るること四、五尺。

「あッ」

片足を宙ちゅうにあげてのめりこんだ主水正、しまッたと槍をくりもどしたが、時すでに、ズンとおりた伊那丸の太刀たちに千段だんを切りおとされて、無念むねん、手にのこったのは穂ほをうしなった半分の柄えばかり。

「やッ」

捨鉢すてばちに柄を投げつけた。そして陣刀をぬきはらったが、たびたびの血戦になれた伊那丸は、とっさに咲耶子と力をあわせ、いっぽうの雑兵ぞうひょうをきりちらして、湖畔こはんのほうへ疾風しっぷうのようにかけだした。

二

そこには、白旗しらはたの宮みやのまえから、追いつ追われつしてきた小幡民部こばたみんぶが、穴山あなやまの旗本はたもと雑兵ぞうひょうを八面にうけて、今や必死ひっしに斬きりむすんでいる。

しかし、小幡民部こばたみんぶは、こうした斬合きりあいはごく不得手ふえてであった。太刀たちをもって人にあたることは、かれのよくすることではない。

けれど、軍配ぐんばいをもって陣頭じんとうに立てば、孫呉そんごのおもかげをみるごとくであり、帷幕いばくに計略をめぐらせば、孔明こうめいも三舎しゃを避ける小幡民部が、太刀打たちうちが下手へただからといっても、けっしてなんの恥ではない。かれの偉えらさがひくくなるものではない。民部の本領ほんりょうはどこまでも、奇策無双きさくむそうな軍学家というところにあるのだから。

だが、それほど智恵ちえのある民部が、なんで、こんな苦しい血戦をみずからもとめ、みずから不得手な太刀を持って斬りむすぶようなことをしたのであろう。なぜ、もっといい機会をねらって、らくらくと伊那丸いなまるを救すくわないのか。

民部ははじめ、こう考えた。

穴山梅雪あなやまばいせつの領内りょうない、甲州北郡きたごおりの土地へはいってからでは、伊那丸を助けることはよういであるまい。これはなんでも途中において目的をはたしてしまうのにかぎる。――でかれは、出発にさきだって鞍馬くらまの果心居士かしんこじ、小太郎山こたろうざんの龍太郎りゅうたろう、小文治こぶんじなどの同志どうしへ通牒つうちょうをとばしておいた。

ところが、裾野すそのへかかってきた第一日に、咲耶子さくやこという意外なものがあらわれた。かれは少女のふしぎな行動を見て、ははアこれは伊那丸君いなまるぎみを救おうという者だナ、と直覚したが、なにしろ、梅雪の警固けいごには、四天王てんのうをはじめ、手ごわい旗本はたもとや郎党ろうどうが百人近くもついているので、あくまで入道にゅうどうをゆだんさせるため、奇計をもって咲耶子さくやこを生けどり、なお、心ひそかに、待つ者がくるひまつぶしに、この湖水までおびきよせたのだ。

ところが、民部みんぶの心まちにしている人々は、いまもってすがたが見えない。――で、いまは最後の手段があるばかりと、途中で咲耶子にもささやいておいたとおりな、驚天動地きょうてんどうちの火ぶたを切ったのである。

致命傷ちめいしょうにはなるまいが、怨敵おんてき梅雪ばいせつへは、たしかに一太刀ひとたち手ごたえをくれてあるから、このうえはどうかして、一ぽうの血路をひらき、伊那丸君いなまるぎみをすくいだそうと民部は心にあせった。しかし、まえにも、いったとおり、剣けんを持っては万夫不当ばんぷふとうのかれではないから、無念むねんや、そこへ追われてきた伊那丸と咲耶子のすがたを見ながら、四天王てんのうの天野、猪子、佐分利などにささえられて近よることもできない。

それどころか、いまは民部のじぶんがすでにあぶないありさま。

天野刑部あまのぎょうぶは月山流げつざんりゅうの達者たっしゃとて、刃渡はわたり一尺しゃく四寸すんの鉈薙刀なたなぎなたをふるってりゅうりゅうとせまり、佐分利五郎次さぶりごろうじは陣刀せんせんと斬きりつけてくる。その一人にも当りがたい民部は、はッはッと火のような息を吐はきながら、受けつ、逃げつ、かわしつしていたが、一ぽうは湖みずうみ、だんだんと波のきわまで追いつめられて、もうまったく袋ふくろのねずみだ、背水はいすいの陣にたおれるよりほかない。

「よしッ、もうこのほうはひきうけた。猪子伴作いのこばんさくは伊那丸のほうへいってくれ」

「おお承知しょうちした」

天野刑部あまのぎょうぶの声にこたえた伴作ばんさくは、笹穂ささほの槍やりをヒラリと返して、一ぽうへ加勢にむかった。ところへ、いっさんにかけだしてきたのは伊那丸いなまると咲耶子さくやこ、そうほうバッタリと出会いながら、ものをいわず七、八合ごう槍やりと太刀の秘術ひじゅつをくらべて斬りむすんだが、たちまち、うしろから足助主水正あすけもんどのしょう、その他の郎党ろうどうが嵐のような勢いで殺到した。

あなたでは民部みんぶの苦戦、ここでは伊那丸と咲耶子が、腹背ふくはいの敵にはさみ討ちとされている。二ヵ所の狂瀾きょうらんはすさまじい旋風せんぷうのごとく、たばしる血汐ちしお、丁々ちょうちょうときらめく刃やいば、目も開あけられない修羅しゅらの血戦。

三つの命は刻々こっこくとせまった。

そのころから、秀麗しゅうれいな富士の山肌やまはだに、一抹まつの墨すみがなすられてきた、――と見るまに、黒雲の帯おびはむくむくとはてなくひろがり、やがて風さえ生じて、澄すみわたっていた空いちめんにさわがしい色を呈ていしてきた。

雲団々くもだんだん、陽ひはたちまち暗く、たちまち、ぱッと明るく、明暗たちどころにかわる空の変化はいちいち下界げかいにもうつって、修羅しゅらのさけびをあげている湖畔こはんの渦うずは、しんに凄愴せいそう、極致きょくちの壮絶そうぜつ、なんといいあらわすべきことばもない。

おりしもあれ!

はるか湖水の南岸に、ポチリと見えだした一点の人影。

画面点景がめんてんけいの寸馬豆人すんばとうじんそのまま、人も小さく馬も小さくしか見えないが、たしかに流星のごときはやさで湖畔こはんをはしってくる。それが、空の明るくなった時はくッきりと見え、陽ひがかげるとともに、暗澹あんたんたる蘆あしのそよぎに見えなくなる。

そも何者?

おお、いよいよ奔馬ほんばは近づいてきた。しかもそれは一騎きではない。あとからつづくもう一騎がある。

いや、さらにまた一騎。

まさしくここへさしてくる者は三騎の勇士だ。そのはやきこと疾風しっぷう、その軽きことかける天馬てんばかとあやしまれる。

三

わーッ、わーッと湖畔こはんにあがったどよみごえ。

さては伊那丸いなまるがとらえられたか、咲耶子さくやこが斬られたか、あるいは、小幡民部こばたみんぶがたおれたのであろうか。

いやいや、そうではなかった。――一声ひとこえたかくいなないた駒こまのすがたが、忽然こつねんとそこへあらわれたがため。

まッ先におどりこんできたのは、高尾の神馬しんめ、月毛つきげの鞍くらにまたがった加賀見忍剣かがみにんけん、例の禅杖ぜんじょうをふりかぶって真一文字まいちもんじに、

「やあやあ、お心づよくあそばせや伊那丸いなまるさま! 加賀見忍剣、ただいまこれへかけつけましたるぞッ。いでこのうえは穴山あなやま一族ぞくのヘロヘロ武者むしゃども、この忍剣の降魔ごうまの禅杖をくらってくたばれ!」

天雷てんらいくだるかの大音声だいおんじょう。

むらがる剣つるぎを雑草ともおもわず、押しかかる槍やりぶすまを枯かれ木のごとくうちはらって、縦横無尽じゅうおうむじんとあばれまわる怪力かいりきは、さながら金剛力士こんごうりきしか、天魔神てんまじんか。

時をおかず、またもやこの一角かくへ、どッと黒鹿毛くろかげの馬首ばしゅをつッこんできたのは、これなん戒刀かいとうの名人木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、つづいて、朱柄あかえの槍やりをとっては玄妙無比げんみょうむひな巽小文治たつみこぶんじのふたり。

紫白しはくの手綱たづなを、左手ゆんでに引きしぼり、右手めてに使いなれた無反むぞりの一剣けんをひっさげた龍太郎は、声もたからかに、

「それにおいであるのは小幡民部殿こばたみんぶどのか。木隠龍太郎、小太郎山こたろうざんよりただいまご助勢じょせいにかけむかってまいったり。木こッ葉ぱ武者むしゃどもは、拙者せっしゃがたしかに引きうけもうしたぞ」

黒鹿毛の蹄ひづめをあげて、無む二無む三にかけちらしながら、はやくも鞍上あんじょうの高きところより、右に左に、戒刀かいとうをふるって血煙ちけむりをあげる。

「いかに穴山入道あなやまにゅうどうはいずれにある。巽小文治が見参げんざん、卑劣者ひれつものよ、いずれにまいったか」

十方ぽう自在じざいの妙槍みょうそうをひッ抱かかえ、馬に泡あわをかませながら、乱軍のうちを血眼ちまなこになって走りまわっていたのは小文治である。

「うぬ、小ざかしい、いいぐさ」

その姿をチラと見て、まッしぐらにかけよってきた四天王てんのうの猪子伴作いのこばんさくは怒喝どかつ一番、

「素浪人すろうにんッ」

さッと下から笹穂ささほの槍やりを突きあげた。

「おうッ」と横にはらって返した朱柄あかえの槍やり。

人交ひとまぜもせずに、一騎き打ちとなった槍やりと槍やりは、閃光せんこうするどく、上々下々、秘練ひれんを戦わせていたが、たちまち、朱柄あかえの槍やりさきにかかって、猪子伴作いのこばんさくは田楽刺でんがくざしとなって、草むらのなかへ投げとばされた。

と、白旗しらはたの宮みやの裏うらから、よろばいだした法師武者ほうしむしゃがある。こなたの混乱こんらんに乗じて、そこなる馬に飛びつくや否いな、死にものぐるいであなたへむかって走りだした。

オオそれこそ、さきに一太刀うけて、さわぎのうちにどこかへもぐりこんでいた梅雪入道ばいせつにゅうどうではないか。

「やッ、きゃつめ!」

こなたにあって、天野刑部あまのぎょうぶの大薙刀おおなぎなたと渡りあっていた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは、奮然ふんぜんと、刑部を一刀の下もとに斬きってすて、梅雪の跡あとからどこまでも追いかけた。

ピシリ、ピシリ、ピシリ! 戒刀かいとうの平ひらを鞭むちにして追いとぶこと一町ちょう、二町、三町……だんだんと近づいて、すでに敵のすがたをあいさることわずかに十七、八間けん。

すると、何者が切ってはなしたのか、梅雪の馬のわき腹へグサと立った一本の矢、いななく声とともに、人もろとも馬はどうと屏風びょうぶだおれとなった。

行く手の丘に小高いところがあった。そこの松の切株きりかぶの上に立っていたひとりの武芸者ぶげいしゃは、いななく馬の声をきくと、弓を小わきに持ってヒラリと飛びおりてきた。

悪入道あくにゅうどうの末路まつろ

一

征矢そやにくるった馬の上から、もんどり打っておとされた穴山梅雪あなやまばいせつは、朱あけにそんだ身を草むらのなかより起すがはやいか、無我夢中むがむちゅうのさまで、道もない雑木帯ぞうきたいへ逃げこんだ。

しずかなること一瞬しゅん、たちまち、パパパパパパパッ! と地を打ってきた蹄鉄ていてつのひびき、天馬飛空てんばひくうのような勢いをもって乗りつけてきたのは木隠龍太郎こがくれりゅうたろうである。怨敵おんてき梅雪が道なきしげみへ逃にげこんだと見るや、ヒラリと黒鹿毛くろかげを乗りすてて右手めてなる戒刀かいとうを引ッさげたまま、

「卑怯ひきょうなやつ、未練なやつ、一国の主あるじともあろうものが恥はじを知れや、かえせ梅雪! かえせ梅雪!」

と呼よばわりながら、身を没ぼっするような熊笹くまざさのなかを追いのぼっていった。

だが、梅雪のほうはそれに耳をかすどころでなく、命いのちが助かりたいの一心で、丘のいただき近くまでよじのぼってくると、不意に目の前へ、猿さるかむささびか雷鳥らいちょうか、上なる岩のいただきから一足そくとびにぱッととびおりてきたものがある。

「あッ」

おびえきっている梅雪の心は、ふたたびギョッとして立ちすくんだけれど、ふと驚異きょういのものを見なおすとともに、これこそ天来てんらいのすくいか、地獄じごくに仏ほとけかとこおどりした。それはたくましい重籐しげどうの弓を小わきに持った若い、そしてりんりんたる武芸者ぶげいしゃであるから。

梅雪は本能的ほんのうてきにさけんだ。

「おおよいところで! 余よは甲州北郡きたごおりの領主りょうしゅ穴山梅雪あなやまばいせつじゃ、いまわしのあとより追いかけてくる裾野すそのの盗賊とうぞくどもを防いでくれ、この難儀なんぎを救すくうてくれたら、千石ごく二千石ごくの旗本にも取り立て得させよう。いいや恩賞は望みしだい!」

「さては遠くから見た目にたがわず、そのほうが穴山梅雪入道か」

「かかる姿をしているからとて疑うな、余よがその梅雪にちがいないのじゃ、そちが一生の出世しゅっせの蔓つるは、いまとせまったわしの危急ききゅうを救すくってくれることにあるぞ」

「だまれ、やかましいわいッ」わかき武芸者ぶげいしゃは、その頬ほおぺたをはりつけんばかりにどなりつけて、

「音にひびいた甲州の悪入道。よしやどれほどの宝たからを捧ささげてこようと、なんで汝なんじらごとき犬侍いぬざむらいのくされ扶持ぶちをうけようか、たいがいこんなことであろうと、汝なんじの逃足にげあしへ遠矢を射いたのはかくもうすそれがしなのだ」

「げッ、さてはおのれも」

絶望、驚愕きょうがく、憤怒ふんぬ!

奈落ならくへ突きのめされた梅雪は、あたかも虎穴こけつをのがれんとして、龍淵りゅうえんにおちたような破滅はめつとはなった。もうこのうえはいちかばちか、命いのちはただそれ自分をたのむことにあるのみだ。

「うーム。ようもじゃま立てをいたしたな! 老おいたりといえども穴山梅雪あなやまばいせつ、その素そッ首をはねとばしてくれよう」

「ハハハハハハ、片腹かたはらいたい臆病者おくびょうもののたわ言ごとこそ、あわれあわれ、もう汝なんじの天命は、ここにつきているのだ、男らしく観念してしまえ」

「エエ、いわしておけば」

死身しにみの勇を奮ふるいおこした梅雪の手は、かッと、陣刀の柄つかに鳴って、あなや、皎刀こうとうの鞘さやばしッて飛びくること六、七尺しゃく! オオッとばかり、武芸者ぶげいしゃのまッこうのぞんで斬り下げてきた。

「笑止しょうしや、蟷螂とうろうの斧おのだ」

ニヤリと笑った若き武芸者は、さわぐ気色けしきもなく身をかわして、左手ゆんでに持った弓の弦つるがヒューッと鳴るほどたたきつけた。

「あッ」と梅雪は二の太刀を狂わせ、熊笹くまざさの根につまずいてよろよろとした。

「老いぼれ」

すかさずその襟えりがみをムズとつかんだ武芸者は、その時ガサガサと丘の下からかけあがってくる木隠龍太郎こがくれりゅうたろうの姿すがたをみとめた。

「あいや、それへおいであるのは、武田伊那丸君たけだいなまるぎみのお身内みうちでござらぬか」

「オオ!」

びっくりして、高き岩頭をふりあおいだ龍太郎は、見なれぬ武芸者ぶげいしゃのことばをあやしみながら、

「いかにも、伊那丸さまのお傅人もりびと、木隠龍太郎という者でござるが、もしや、貴殿きでんは、このなかへ逃げこんだ血まみれなる法師武者ほうしむしゃのすがたをお見かけではなかったか」

「その入道なれば、わざわざこれまでお登りなさるまでもないこと」

「や! では、そこにおさえているやつが?」

「オオ、山県蔦之助やまがたつたのすけが伊那丸君へ、初見参ういげんざんのごあいさつがわりに、ただいまそれへおとどけもうすでござろう」

いうかと思えば、若き武芸者――それはかの近江おうみの住人山県蔦之助――カラリと左手の弓を投げすてて、梅雪入道ばいせつにゅうどうの体に双手もろてをかけ、なんの苦もなくゆらッとばかり目の上にさしあげて、

「それ、お受けあれや龍太郎どの!」声と一しょに梅雪の体を、丘おかの下へ、投げとばしてきた。

二

スポーンと紅葉こうようの茂しげりへおちた梅雪ばいせつのからだは、毱まりのごとくころがりだして、土とともに、ゴロゴロと熊笹くまざさの崖がけをころがってきた。龍太郎りゅうたろうは、心得たりと引ッつかんで、さらに上なる人をあおぎながら、

「山県蔦之助やまがたつたのすけどのとやら、まことにかたじけのうござった。そもいかなるお人かぞんじませぬが、おことばに甘えて初見参ういげんざんのお引出ひきでもの、たしかにちょうだいつかまつった。お礼れいは伊那丸いなまるさまのご前にまいったうえにて」

「拙者せっしゃもすぐあとよりつづきますゆえ、なにぶん、君へのお引合わせを」

「委細承知いさいしょうち、はや、まいられい!」

ヘトヘトになった梅雪を小わきにかかえた龍太郎は、さっき乗りすててきた駒こまのところへと、いっさんにかけおりていった。

と、同時に、上からも身軽みがるにヒラリヒラリと飛びおりてきた蔦之助。

龍太郎は、黒鹿毛くろかげにまたがって、鞍壺くらつぼのわきへ、梅雪をひッつるし、一鞭ひとむちくれて走りだすと、山県蔦之助も、遅おくれじものと、つづいていく。

一ぽう、白旗しらはたの宮みやの前では、穴山あなやまの郎党ろうどうたちは、すでにひとりとして影を見せなかった。そこには凱歌がいかをあげた忍剣にんけん、小文治こぶんじ、民部みんぶ、咲耶子さくやこなどが、あらためて、伊那丸を宮の階段かいだんに腰かけさせ、無事をよろこんでほッと一息ついていた。人々のすがたはみな、紅葉もみじを浴あびたように、点々の血汐ちしおを染そめていた。勇壮といわんか凄美せいびといわんか、あらわすべきことばもない。

なかでも忍剣にんけんは、疲れたさまもなく、なお、綽々しゃくしゃくたる余裕よゆうを禅杖ぜんじょうに見せながら、

「木こッ葉ぱ武者はどうでもよいが、当とうの敵たる穴山入道あなやまにゅうどうを討うちもらしたのは、かえすがえすもざんねんであった。いったいきゃつはどこにうせたか」

「たしかにここで拙者せっしゃが一太刀くれたと思いましたが」

と小幡民部こばたみんぶも、無念むねんなていに見えたけれど、伊那丸いなまるはあえて、もとめよともいわず、かえって、みなが気のつかぬところに注意をあたえた。

「それはとにかく龍太郎りゅうたろうのすがたが、このなかに見えぬようであるが、どこぞで、傷手いたででもうけているのではあるまいか」

「お、いかにも龍太郎どのが見えぬ」

一同は入りみだれて、にわかにあたりをたずねだした。すると、咲耶子さくやこは耳ざとく駒こまの蹄ひづめを聞きつけて、

「みなさまみなさま。あなたからくるおかたこそ龍太郎さまにそういござりませぬ。オオ、なにやら鞍くらわきにひッつるして、みるみるうちにこれへまいります」

「や! ひッさげたるは、たしかに人」

「穴山梅雪あなやまばいせつ?」

「オオ、梅雪をつるしてきた」

「龍太郎りゅうたろうどの手柄てがらじゃ、でかしたり、さすがは木隠こがくれ」

口々にさけびながらかれのすがたを迎えさわぐなかにも、忍剣にんけんは、ほとんど児童わらべのように狂喜きょうきして、あおぐように手をふりながらおどりあがっている――と見るまに、それにもどってきた龍太郎は、どんと一同のなかへ梅雪ばいせつをほうりやって、手綱たづなさばきもあざやかに鞍くらの上から飛びおりた。

「それッ」

待ちかまえていた一同の腕は、期きせずして、梅雪のからだにのびる。いまはいやも応おうもあらばこそ、みにくい姿をズルズルと伊那丸いなまるのまえへ引きだされてきた。

民部みんぶは、その襟えりがみをつかんで、

「入道ッ、面おもてをあげろ」と、いった。

「むウ……ム、残念だッ」

穴山梅雪あなやまばいせつは眉間みけんを一太刀ひとたち割られているうえに、ここまでのあいだに、いくどとなく投げられたり鞍壺くらつぼにひッつるされたりしてきたので、この世の者とも見えぬ顔色になっていた。

三

「まて民部、手荒てあらなことをいたすまい」

もっともうらみ多きはずの伊那丸が、意外にもこういったので、民部も忍剣も、意外な顔をした。

伊那丸いなまるはしずかに、階段かいだんからおりて、梅雪入道ばいせつにゅうどうの手をとり、宮の板縁いたえんへ迎えあげて、礼儀ただしてこういった。

「いかに梅雪、いまこそ迷夢めいむがさめたであろう、わしのような少年ですら、甲斐源氏かいげんじを興おこさんものと、ひたすら心をくだいているのに、いかにとはいえ、二十四将の一人に数えられ、武田家たけだけの血統ちすじでもある其許そこもとが、あかざる慾のためにこのみにくき末路まつろはなにごと。それでも甲州武士こうしゅうぶしかと思えば情けなさに涙がこぼれる。いざ! このうえはいさぎよく自害して、せめて最期さいごを清うし、末代まつだい未練みれんの名を残さぬようにいたすがよい」

「ええうるさいッ」梅雪はもの狂わしげに首をふって、――「余よに自害じがいせいとぬかすか、バカなことを!」

「なんと、もがこうが、すでに天運のつきたるいま、のがれることはなるまいが」

「なろうとなるまいと、汝なんじらの知ったことか。こりゃ伊那丸、縁えんからいえば汝の父勝頼かつよりの従弟いとこ、年からいっても長上めうえにあたるこの梅雪に、刃やいばを向ける気か、それこそ人倫じんりんの大罪じゃぞ」

「それゆえにこそこのとおり、礼をただして迎え、自害をすすめ、本分をとげさせんといたすものを、さりとは未練みれんなことば」

「いや、もう聞く耳もたぬ」

「では、どうあっても自害せぬか」

「いうまでもない。余は汝なんじらの命めいによって、死ぬわけがない。死ぬるのはいやだ!」

「アア、救すくいがたき卑劣者ひれつもの――」

伊那丸いなまるは空をあおいで長嘆ちょうたんしてのち、

「このうえはぜひもない……」とつぶやくのを聞いた梅雪ばいせつは、伊那丸の命令がくだらぬうち、先さきをこして、やにわに鎧よろいどおしをひき抜き、

「童わっぱッ! 冥途めいどの道づれにしてくれる」

猛然もうぜんとおどりかかッて、伊那丸の胸板むないたへ突いていったが、ヒラリとかわして凛々りんりんたる一喝かつの下もと。

「悪魔ッ」

パッと足もとをはらうと見るまに、五体をうかされた梅雪は、板縁いたえんの上から輪わをえがいて下へ落とされた。

「人非人にんぴにん、斬ってしまえッ!」伊那丸の命令一下に、

「はッ」

声におうじてくりだした巽小文治たつみこぶんじの朱柄あかえの槍やり、梅雪の体が地にもつかぬうちにサッと突きあげ、ブーンと一ふりふってたたき落とした。そこをまた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうの一刀に、梅雪の首は、ゴロリと前に落ちた。

「それでよし、死骸しがいは湖水の底へ」

板縁に立って、伊那丸はしずかに目をふさいでいう。

折から山県蔦之助やまがたつたのすけもかけつけた。あらためて伊那丸いなまるに志こころざしをのべ、一同にも引きあわされて、一党とうのうちへ加わることになった。

ポツリ、ポツリ、大粒おおつぶの雨がこぼれてきた。空をあおげば団々だんだんのちぎれ雲が、南へ南へとおそろしいはやさで飛び、たちまち、灰色の湖水がピカリッ、ピカリッと走ってまわる稲妻いなずまのかげ。

濛々もうもうたる白い幕まくが、はるか裾野すそのの一角かくから近づいてくるなと見るまに、だんだんに野のを消し、ながき渚なぎさを消し、湖水を消して、はや目の前まできた。と思う間もあらせず、ザザザザザザザアーッと盆ぼんをくつがえすという、文字どおりな大雨おおあめの襲来しゅうらい。

めでたく穴山梅雪あなやまばいせつを討うちとりはしたが、離散りさんして以来のつもる話もあるし、これからさきのそうだんもある折から、爽快そうかいなる大雨たいうの襲来は、ちょうどいい雨宿あまやどりであろうと、一同は、白旗しらはたの宮みやのあれたる拝殿はいでんに入り、そして伊那丸いなまるを中心に、しばらく四方よもの物語にふけっていた。

自然城しぜんじょう・小太郎山こたろうざん

一

武州ぶしゅう高尾たかおの峰みねから、京は鞍馬山くらまやまの僧正谷そうじょうがたにまで、たッた半日でとんでかえったおもしろい旅の味あじを、竹童ちくどうはとても忘れることができない。

果心居士かしんこじのまえに、首尾しゅびよくすましたお使いの復命ふくめいをしたのち、その晩、寝床ねどこにはいったけれども、からだはフワフワ雲の上を飛んでいるような心地、目には、琵琶湖びわこだの伊吹山いぶきやまだの東海道の松並木まつなみきなどがグルグル廻って見えてきて、いくら寝ねようとしても寝られればこそ。

「アアおもしろかったなア、あんな気持のいい思いをしたのは生まれてはじめてだ。お師匠ししょうさまは意地悪だから、なかなか飛走の術じゅつなんか教えてくれないけれど、おいらにクロという飛行自在じざいな友だちができたから、もう飛走の術なんかいらないや。それにしても今夜はクロはどうしているだろう……天狗てんぐの腰掛松こしかけまつにつないできたんだけれど、あそこでおとなしく寝ているかしら、きっとおいらの顔を見たがって啼ないてるだろうナ。アアもう一ど、クロの背せなかへ乗ってどこかへ遊びにゆきたい……」

「竹童ちくどう竹童」となりの部屋へやで果心居士の声がする。

「ハイ」

「ハイじゃあない、なにをこの夜中にブツブツ寝言ねごとをいっている。なぜ早く寝ないか」

「ハイ」

竹童はそら鼾いびきをかきだしたが、心はなかなか休まらないで、いよいよ頭脳明晰ずのうめいせきになるばかりだ。

「ハハア、竹童のやつめ、鷲わしの背なかで旅をした味あじをしめて、なにか心にたくらみおるな。よしよし明日あすはひとつなにかでこらしておいてやろう」

いながらにして百里の先をも見とおす果心居士かしんこじの遠知の術じゅつ、となりの部屋へやに寝ている竹童ちくどうのはらを読むぐらいなことはなんでもない。

とも知らず、夜が明けるか明けないうちに、亀かめの子このようにムックリ寝床から首をもたげだした竹童、

「しめた! お師匠ししょうさまはあのとおりな鼾いびき、いくらなんでも寝ているうちのことは気がつくまい。どれ、今のうちにおいらの羽をのばしてこようか」

ほそっこい帯おびをチョコンとむすび、例の棒切ぼうきれを腰にさして、ゆうべ食べのこした木きの芽め団子だんごをムシャムシャほおばりながら、猿さるのごとく荘園そうえんをぬけだした。

そのはやいことは、さながら風!

空にはまだ有明けの月があった。あっちこっちの岩穴いわあなからムクムクと白いものを噴ふいている、朝あさの霧きりである。竹童のあわい影が平地へいちから崖がけへ、崖がけから岩へ、岩から渓流けいりゅうへと走っていくほどに、足音におどろかされた狼おおかみや兎うさぎ、山鳥などが、かれの足もとからツイツイと右往左往うおうざおうに逃げまわる。

いつもの竹童ならば、こんな場合、すぐ狼を手捕りにする、兎を渓流のなかへほうりこむ。とてもいたずらをして道草するのだが、きょうはどうしてそれどころではない。なにしろこれからお師匠ししょうさまの朝飯となるまでに、日本国じゅうの半分もまわってこようという勢いなのだから。

「やアどうしたんだろう、いない! いない!」

やがて、瘤こぶヶ峰みねのてッぺんにある、天狗てんぐの腰掛松こしかけまつの下にたった竹童ちくどうは、素すッ頓狂とんきょうな声をだしてキョロキョロあたりを見まわしていた。

「おかしいな、きのうかえってから、この松の木の根ッこへあんな太い縄なわでしばっておいたのに、どこへとんでッちゃったのだろう」

がっかりして、しばらくあっちこっちをうろうろした竹童は、とうとう目から大粒おおつぶの涙なみだをポロリポロリとこぼしながら、あかつきの空にむかって声いッぱい!

「クロクロクロクロ。クロクロクロクロクロ」

それでも影を見せてこないので、かれはグンニャリとなり、天狗の腰掛松へよりかかってしまったが、ふとこのあいだ居士こじが扇子せんすをなげて鷲わしを呼びよせた幻術げんじゅつをおもいだし、

「よし、おいらもあの術をまねしてみよう」

竹童はもう目の色かえて一心である。呪文じゅもんはわからないが、腰の棒切れをぬき、一念こめて、エエイッと気合きあいを入れて虚空こくうへ投げる。

棒はツツツと空へ直線をえがいてあがった。

「やア、奇妙きみょう奇妙」竹童は嬉うれしさのあまり、手をたたき、踊りをおどって狂喜した。

と見る、谷をへだてたあなたから、とんでくるのはクロではないか、間あいの谷たにを、わずか二つ三つの羽ばたきでさっとくるなり、投げあげられた棒切れを、パクリとくわえて、かれのそばまで降りてきた。竹童ちくどうが有頂天うちょうてんとなったのもむりではない。

二

まもなく、かれはゆうべの夢を実行して、京から大阪おおさか、大阪から奈良ならの空へと遊びまわっている。町も村も橋も河も、まるで箱庭はこにわのような下界げかいの地面がみるみるながれめぐってゆく。そのあげくに、ふと思いついたのは、おととい忍剣にんけんのいったことばである。

「オオそうだ、なんでもきょうあたりは、富士ふじの裾野すそのに大そうどうがあるはずだ。おいらはまだ生まれてから戦たたかいというものをみたことがない。これから一つ裾野までとんでいって、勇ましいところを空から見物してやろう」

つねづね、果心居士かしんこじからよくお叱言こごとばかりいただいているくせに、竹童はもう鞍馬山くらまやまへ帰るのもわすれて、こんな大望たいもうをおこした。思いたっては、矢やも楯たてもたまらないかれだった。すぐその足で、富士の姿すがたを目あてに鷲わしをとばした。いかなる名馬で地を飛ぶよりも、こうして空中を自由に飛行する快味は、まるでじぶんがじぶんでなく、生きながら、神か仙人せんにんになったような愉快ゆかいさである。――だが、ここまできたときとちがって、鷲はそれから先一向いっこう竹童の自由にならない。富士の裾野とは方角ほうがくちがいな、北へ北へと向かって、勝手に雲をぬってとぶ。

「やい、クロ。そんなほうへいくんじゃない、こらッ、こらッ、こらッ!」

竹童はあわてて、いくどもいくども、方向をかえようとしたが、さらにききめがなく、地上へもどらんとしても、いつものようにスラスラと降おりてもくれない。ああいったいこれはどうしたことだ。

「チェーッ、畜生ちくしょう、畜生、畜生」

かれはクロの上でかんしゃくをおこし、じれだし、最後にベソをかきだした。

そもそも今日きょうは竹童ちくどうにとっていかなる悪日あくびか、ベソをかくことばかり突発する日だ。しかし、そう気がついてももうおそい、いくら泣いてもわめいても、鷲わしに一身をたくして雲井の高きにある以上、クロの翼つばさがつかれて、しぜんに大地へ降りるのをまつよりほかはない。それはまだよかったが、泣き面つらに蜂はち、つづいておそるべき第二の大難が起ってきた。

すでに今朝から陰険いんけんな相そうをあらわしていた空は、この時になって、いっそうわるい気流となり、雷鳴らいめいとともに密雲の層そうはだんだんとあつくなって、呼吸いきづまるような水粒すいりゅうの疾風しっぷうが、たえず、さっさっとぶっつかってきた。

そして、鷲わしが雲より低くいくときは、滝のごとき雨が竹童の頭からザッザとあたり、上層じょうそうの雲にはいるときは白濛々はくもうもうの夢幻界むげんかいにまよい、髪かみの毛も爪つめの先も、氷となって折れるような冷寒れいかんをかんじる。しかも、クロはこの難行苦行なんぎょうくぎょうにも屈くっする色なく、なおとぶことは稲妻いなずまよりもはやい。

すると漠々ばくばくたる雲の海から、黒い山脈の背骨せぼねがもっこりと見えだした。竹童はどうにかして、ここから降りようと苦策くさくを案じ、いきなり手をのばして鷲わしの両眼をふさいでしまった。

人間でも目をふさいでは歩けないから、こうしてやったらきっと止とまるだろうという、竹童ちくどうが必死ひっしの名案めいあん、はたせるかな鷲わしもおどろいたさまで、糸目のくるった凧たこのようにクルクルッとめぐりまわりだした。かれの計略けいりゃくが図ずにあたって急に元気よく、

「もうこっちのものだぞ、しめた、しめた」

とよろこんだが、あわれそれも束つかの間ま。

たちまち鳴りはためいた雷いかずちが、かれの耳もとをつんざいた一せつな、下界げかいにあっては、ほとんどそうぞうもつかないような朱電しゅでんが、ピカッピカッと、まつげのさきを交錯こうさくしたかと思うまもあらばこそ。

「あッ」

といった竹童のからだは、おそるべき稲妻いなずまの震力しんりょくにあって、鷲の背なかからひッちぎられた、そしてまッさかさまとなって、いずことも知れぬ下へ一直線におちていくなと見る間まに――追いすがった鷲の嘴くちばしは、いきなりパクリと竹童の帯おびをくわえ、わらか小魚こうおでもさらっていくように、そのまま、模糊もことした深岳しんがくの一角かくへ、ななめさがりにかけりだした。

三

「ア痛いた、アイタタタッ……」

跛びっこをひきながら、草むらよりころげだしたのは竹童ちくどうである。地上二、三十尺しゃくのところまできて、ふいに鷲わしの嘴くちばしからはなされたのだ。

これが尋常じんじょうの者なら、悩乱悶絶のうらんもんぜつはむろんのこと、地に着かぬうちに死んでいるべきだが、山気さんきをうけた一種の奇童きどう、三歳児みつごのときから果心居士かしんこじにそだてられて、初歩の幻術げんじゅつや浮体ふたいの秘法ひほうぐらいは、多少心得ている竹童なればこそ、五体の骨をくだかなかった。

「オオ痛いたい。クロの野郎やろうめ、おいらがあんなにかあいがってやるのに、よくも恩人をこんな目にあわせやがッたな、アア痛いた、痛いた、痛いた、畜生ちくしょう畜生、どうするか覚えていろ!」

腰骨をさすりながら、ふと後ろをふりかえって見ると、なんとにくいやつ、すぐじぶんのそばに、すました顔で、翼つばさをやすめているではないか。

「けッ、癪しゃくにさわる!」

竹童はいきなり帯おびの棒切ぼうきれをひッこ抜ぬき、クロをねらってピュッと打ってかかる。と、鷲も猛鳥の本性ほんしょうをあらわして、ギャッとばかり、竹童の頭から一つかみと爪つめをさかだってきた。

「こいつめッ、生意気なまいきにおいらにむかってくる気だな」

とかんしゃくすじを立てた勢いで、ブーンと棒を横なぐりにはらいとばすと、こはいかに、鷲の片足が、ムンズとのびて竹童の胸をつかみ、

「これ竹童、なにが生意気なのじゃ」とにらみつけた。

「あッ、あなたはお師匠ししょうさま?」

さらぬだに目玉の大きい竹童ちくどうが、瞳ひとみをみはってあきれ返った。なんと、鷲わしとおもって打っていたのは、鞍馬くらまにおるはずのお師匠ししょうさま、果心居士かしんこじではないか。

ふしぎ、ふしぎ。かれは天空から落ちたときよりぎょうてんして、からだを石のようにこわくさせ、口もきけず、逃げもできず、ややしばらくというもの、そこにモジモジとしていたが、ガラリと棒切ぼうきれをすてて、地べたへ額ひたいをすりつけてしまった。

「お師匠さま。わたしがわるうござりました。どうぞごかんべんあそばしくださいまし」

「びっくりしたか、どうじゃ悪いことはできないものであろう」

居士は、ニヤリと笑って、足もとの岩へ腰をおろした。

「まったくこんな胆きもをつぶしたことはございません。これからけっしてお師匠さまにむだんで遠くへまいりませんから、どうかおゆるしくださいまし」

「よしよし、仕置しおきはさんざんすんでいるのじゃから、もうこのうえのこごとはいうまい」

「エ、じゃアとんでくるうちに、あんな目にあわしたのもお師匠さまでしたか。エ、お師匠さま。どうして人間が鷲になんかになってとべるのでしょう?」

「ソレ、ゆるすといえばすぐにまた甘えてくる。さようなことはどうでもよい、おまえにはまた一ついいつけることがある。ほかでもないが、これから富士ふじの人穴ひとあなへいって、そこに住みおる和田呂宋兵衛わだるそんべえという賊ぞくのかしらに会うのじゃ。しかし容易よういなことでは、かれにうたがわれるから、あくまでおまえは子供らしく、いざとなったらかくかくのことをもうしのべろ……」

と居士こじはあかざの杖つえをもって、なにかこまごまと書いて示したりささやいたりして旨むねをふくませたのち、

「よいか、そこで呂宋兵衛るそんべえが、うまうまとこちらのことばに乗ったとみたら、そくざに、五湖の白旗しらはたの宮みやにおわす、武田伊那丸君たけだいなまるぎみその余よのかたがたにおしらせするのじゃ、なかなか大役であるからばかにしないでつとめなければなりませんぞ」

「かしこまりました。ですけれどお師匠ししょうさま」

「鷲わしがいないというのであろう。いまほんもののクロを呼んでやるから、しばらくそのへんにひかえていなさい」

「ハイ」

竹童ちくどうはそこでやっと落着いて、あたりの景色けしきを見直した。ところでここはいったいどこの何山だろう?

いま、さしもの豪雨ごううもやんで、空は瑠璃るりいろに澄すんできたが、眼下ははてしもない雲の海だ。それからおしてもここはかなりの高地にちがいないが、この山そのものがあたかも天然てんねんの一城廓じょうかくをなして、どこかに人工のあとがある。

すると、コーン、コーン、コーンと深いところで石でも切るような音。と思えば、ザザザザーッと谷をけずるような響ひびきもしてきた。竹童はこの深山に妙みょうだなと思いながら、なにごころなくながめまわしてくると、天斧てんぷの石門せきもん、蜿々えんえんとながき柵さく、谷には桟橋さんばし、駕籠渡かごわたし、話にきいた蜀しょくの桟道さんどうそのままなところなど、すべてはこれ、稀代きたいな築城法ちくじょうほうの人工じんこうを加味した天嶮無双てんけんむそうな自然城しぜんじょうだ。

「これはすてきもないところだナ、いったいなんのためにこんな砦とりでがあるのだろう」

竹童ちくどうはふしぎな顔をして、もとのところへ帰ってきてみると、いつのまにか、ほんもののクロが居士こじのそばにちゃんとひかえている。

「竹童、早々そうそうしたくをしていかねばならぬ。用意はできているか」

「ハイいつでもかまいません。けれどお師匠ししょうさま、でがけにひとつうかがいたいことがございます」

「そんなことをいってるまに時刻がたつ」

「いいえ、たった一言ひとこと、いったいここはどこの何山で、だれのもっている砦とりででございましょうネ」

「おまえなどは知らないでもいいことだが、お使いをする褒美ほうびとして聞かしてやろう。ここは甲斐かいと信濃しなのと駿河するがの堺さかい、山の名は小太郎山こたろうざん」

「え、小太郎山」

「砦にこもる御方おんかたはすなわち武田伊那丸たけだいなまるさまだ」

「えッ、ここがあの小太郎山で、伊那丸さまの立てこもる根城ねじろとなるのでございますか」

ふかいわけはわからないが、竹童ちくどうはそう聞いて、なんとなく胸おどり血わいて、じぶんも、甲斐源氏かいげんじの旗上げにくみする一人であるように勇いさみたった。

奇童きどうと怪賊問答かいぞくもんどう

一

富士ふじの裾野すそのに、数千人の野武士のぶしをやしなっていた山大名やまだいみょうの根来小角ねごろしょうかくは亡ほろびてしまった。しかし、野盗やとうの巣すである人穴ひとあなの殿堂でんどうはいぜんとして、小角の滅亡後めつぼうごにも、かわっている者があった。すなわち、和田呂宋兵衛わだるそんべえという怪人かいじんである。

あれほどしたたかな小角が、どうして亡ほろぼされたかといえば、じぶんの腹心とたのんでいた呂宋兵衛にうらぎられたがため、――つまり飼かい犬いぬに手をかまれたのと同じことだ。

呂宋兵衛というのは、仲間なかまの異名いみょうである。

かれは、和田門兵衛わだもんべえという、長崎からこの土地へ流れてきた南蛮なんばんの混血児あいのこであった。右の腕には十字じ架か、左の腕には呂宋文字るそんもじのいれずみをしているところから、野武士のぶしの仲間なかまでは門兵衛を呂宋兵衛とよびならわしていた。また碧瞳紅毛へきどうこうもう、金蜘蛛きんぐものようなこの魁偉かいいな容貌ようぼうにも、呂宋兵衛の名のほうがふさわしかった。

呂宋兵衛は富士の人穴ひとあなへきてから、たちまち小角しょうかくの無二むにの者となった。かれの父が、南蛮人なんばんじんのキリシタンであったから、呂宋兵衛もはやくから修道者イルマンとなり、いわゆる、切支丹流キリシタンりゅうの幻術げんじゅつをきわめていた。小角はそこを見こんで重用した。

しかし根ねが邪悪じゃあくな呂宋兵衛は、たちまちそれにつけあがって陰謀いんぼうをたくらみ、策さくをもって、小角を殺し、配下はいかの野武士のぶしを手なずけ、人穴の殿堂でんどうを完全に乗っ取ってしまった。

小角のひとり娘の咲耶子さくやこは、あやうく父とともに、かれの毒手どくしゅにかかるところだったが、節せつを変かえぬ七、八十人の野武士もあって、ともに裾野すそのへかくれた。そしていかなる苦しみをなめても、呂宋兵衛をうちとり、小角の霊れいをなぐさめなければならぬと、毎日広野こうやへでて、武技ぶぎをねり、陣法の工夫くふうに他念たねんがなかった。

――その健気けなげな乙女おとめごころを天もあわれんだものか、彼女はゆくりなくも、きょう伊那丸いなまると一党とうの人々に落ちあうことができた。

かつて、伊那丸が人穴の殿堂にとらわれたときに、咲耶子のやさしい手にすくわれたことがある。いや、そんなことがなくっても、思いやりのふかい伊那丸と、侠勇勃々きょうゆうぼつぼつたる一党の勇士たちは、かならずや、咲耶子の味方となることを辞じせぬであろう。

一ぽう、山大名の呂宋兵衛は裾野すそのへかくれた咲耶子の行動にゆだんせず、毎日十数人の諜者ちょうじゃをはなっている。

きょうも、途中雷雨にあって、ズブぬれとなりながら野馬のうまをとばして人穴へかえってきた三人の諜者ちょうじゃは、すぐ呂宋兵衛るそんべえのまえへでて、五湖のあたりにおこった急変を注進ちゅうしんした。

「おかしら、一大事でございます」

「なに、一大事だ」

身はぜいたくをしているが、心にはたえず不安のある呂宋兵衛は、琥珀こはくの盃さかずきを手からおとし、さらに、諜者ちょうじゃのさぐってきたちくいち――伊那丸いなまると咲耶子さくやこのうごきを聞くにおよんで、その顔色はいちだんと恐怖的きょうふてきになった。

「むウ、ではなにか、武田伊那丸のやつらが、穴山梅雪あなやまばいせつを討うちとり、また湖水の底から宝物ほうもつの石櫃いしびつを取りだしたというのか。あのなかの御旗みはた楯無たてなしは、とッくにこっちで入れかえて、売りとばしてしまったからいいようなものの、それと知ったら、伊那丸のやつも咲耶子も、一しょになってここへ押しよせてくることは必定ひつじょうだ。こいつは大敵、ゆだんがならねえ、すぐ手配てくばりして、要所ようしょ要所を厳重げんじゅうにかためろ」

立ちあがって、わめくようにいいつけた時、石門から取次ぎを受けた野武士のぶしのひとりが、ばらばらと進んできて口ぜわしく、

「おかしらへ申しあげます。ただいま、一の門へ、穴山梅雪の残党ざんとうが二、三十人まいって、ぜひお願いがあるといってきましたが、どうしたものでございましょうか」

「穴山の残党なら、湖畔こはんで伊那丸のために討ちもらされた落武者おちむしゃだろう。こんなときには、少しのやつも味方の端はしだ。そのなかからおもだった者だけ二、三人とおしてみろ」

「承知しょうちしました」

とひッ返した手下の者は、やがて、殿堂でんどうの広間へ、ふたりの武士をあんないしてきた。呂宋兵衛るそんべえは上段の席から鷹揚おうようにながめて、

「富士浅間ふじせんげんの山大名やまだいみょう和田門兵衛わだもんべえは身どもでござるが、おたずねなされたご用のおもむきは?」

「さっそくのご会見、かたじけのうぞんじます。じつは拙者せっしゃは、穴山あなやまの四天王てんのう足助主水正あすけもんどのしょうともうしまする者」

「また某それがしは、佐分利さぶり五郎次でござる、すでにごぞんじであろうが、ざんねんながら、伊那丸与党いなまるよとうの奸計かんけいにかかり、主君の梅雪ばいせつは討うたれ、われわれ四天王てんのうのうちたる天野あまの、猪子いのこの両名まであえなき最期さいごをとげました」

「その儀ぎはいま、手下の者からもくわしくうけたまわった」

「主君のほろびたうえは、甲斐かいへかえるも都へかえるも詮せんなきこと、追腹おいばらきって相果てようかと思いましたが、それも犬死いぬじに、ことによるべなき残り二、三十人の郎党ろうどうどもがふびんゆえ、それらの者を集めておとずれまいったしだい、どうぞ、われわれ両名をはじめ一同を、この山寨さんさいにおとめおきくださるまいか」

「オオ、それはそれはご心中おさっしもうす、武士は相身あいみたがい、かならずお力になりもうそう」

呂宋兵衛は、ひそかによろこんだ。

折もおり、いまのこの場合、二勇士が、場なれた郎党ろうどうを二、三十人も連れて、味方についてくるとはなんたる僥倖ぎょうこう、かれは足助あすけと佐分利さぶりに客分の資格しかくをあたえ、下へもおかずもてなししたうえ、にわかに気強くなって、軍議の開催かいさいをふれだした。

妖韻よういんのこもった鐘かねがゴーンと鳴りわたると、鎧よろいを着た者、雑服ぞうふくの者、陸続りくぞくとして軍議室にはいってくる。

そこは四面三十七間けん、百二十畳じょうの籐とうの筵むしろをしき、黒く太やかな円柱えんちゅう左右に十本ずつの大殿堂。一ぽうの中庭からほのかな日光ははいるが、座中陰惨いんさんとしてうす暗く、昼から短檠たんけいをともした赤い光に、ぼうと照らしだされた者は、みなこれ、呂宋兵衛るそんべえの腹心の強者つわものぞろい。

「わらうべし、わらうべし、乳ちちくさい伊那丸いなまるや咲耶子さくやこなどが、烏合うごうの小勢でよせまいろうとて、なにをぎょうぎょうしい軍議などにおよぼうか。拙者せっしゃに二、三百の者をおあずけくださるならば、ただひと押しにけちらしてみせようわ」

破鐘われがねのような声でいう者がある。

見れば山寨さんさい第一の膂力りょりょく、熊のごとき髯ひげをたくわえている轟又八とどろきまたはちだった。すると一ぽうから、軍謀ぐんぼう第一のきこえある丹羽昌仙にわしょうせんがしかつめらしく、

「おひかえなさい轟とどろき、敵をあなどることはすでに亡兆ぼうちょうでござるぞ。伊那丸は有名なる信玄しんげんの孫、兵法に精通せいつう、つきしたがう傅人もりびともみな稀代きたいの勇士ときく。すべからくこの天嶮てんけんに拠よって、かれのきたるところを策さくによって討つが上乗じょうじょう」

「やアまた、昌仙しょうせんの臆病おくびょう意見、富士の山大名やまだいみょうともある者が、あれしきの者に恐れをなしたといわれては、四隣りんの国へもの笑い。これよりすぐに、五湖へまいって、からめ捕とるこそ、上策じょうさく」

「いや小勢とはいいながら、かれは智ちあり仁じんあり勇ある者ども。平野の戦いくさはあやうし、あやうし」

「くどい、拙者せっしゃはどこまでも討うってでる」

「だまれ轟とどろき、まだ衆議しゅうぎも決せぬうちに、僭越千万せんえつせんばんな」

両名の争論につづいて、一統とうの意見も二派ふたはにわかれ、座中なんとなく騒然としてきたころ――

これまた何たる皮肉ひにく! 空から中庭のまん中へ、ズシーンとばかり飛び降りてきた、雷獣らいじゅうのような一個の奇童きどうがある。

二

「や!」

「あッ」

「なにやつ?」

あまりのことに一同は、しばらく開あいた口もふさがらず、ヒョッコリ庭先にたった、面妖めんような子供をみつめるのみ。子供とはいうまでもない竹童ちくどうで、人見知りもせず、ニヤリと白い歯を見せた。

「やア、この人穴ひとあなには、ずいぶんお侍さむらいが大勢いるんだなあ。おじさんたちは、いったいそこでなにをしているんだい」

「バカッ」

いきなり革足袋かわたびのままとびおりた轟又八とどろきまたはち、竹童ちくどうの襟えりがみをおさえて、

「こらッ、きさまは、どこの炭焼すみやきの餓鬼がきだ、またどこのすきまからこんなところへしのびこんでまいった」

「しのびこんでなんかきやしないよ、アア苦しいや、苦しいよ、おじさん……」

「ふざけたことをぬかせ、しのびこまずにこらるべきところではない」

「だっておいらは空からおりてきたんだもの、空はいきぬけだから、ツイきてしまったんだよ」

「なに、空から? ――」

人々は思わず、物騒ぶっそうらしい顔を空にむけた。

そして、再び奇怪なる少年の姿を見なおし、こいつ天狗てんぐの化身けしんではあるまいかと、舌したをまいた。はるかにながめた、呂宋兵衛るそんべえは、

「これこれ又八またはち、とにかくふしぎな童わっぱ、おれが素性すじょうをただしてみるから、これへ引きずってこい」

「はッ」と、又八は、かるがると竹童をひッつるして席へあがり、呂宋兵衛のまえへかれをほうりだした。

なみいる人々は、鬼のごとき武骨者ぶこつものばかりで、あたりは大伽藍だいがらんのような暗殿あんでんである。大人おとなにせよ、この場合、生きたる心地はなかるべきだが、竹童ちくどうはケロリとして、

「ヤ、呂宋兵衛るそんべえは混血児あいのこだ。京都の南蛮寺なんばんじにいるバテレンとそっくり……」

口にはださないがめずらしそうに目をみはったので、呂宋兵衛は、

「小僧こぞうッ」とにらんで、一喝かつあびせた。

「なんだい、おいらにゃ、竹童っていう名があるんだよ」

「だまれ、さっするところそのほうは、伊那丸いなまるからはなされた隠密おんみつにちがいない、思うに、屋根の上にいて、ただいまの評定ひょうじょうをぬすみ聞きしたのであろう」

「知らない知らない。おいらそんなことを知ってるもんか」

「いいや、汝なんじの眼光、樵夫きこりや炭焼すみやきの小僧でないことはあきらかだ。いったい何者にたのまれてここへまいった。首の飛ばないうちにいってしまえ!」

「おいらが隠密なら、おじさんたちに、すがたなど見せるものか、おいらは、天道てんとうさまのまえだろうが、どこだろうが、ちっともうしろ暗いところがないから、平気さ」

「うーム、まったくそれにそういないか」

「アア。そこになるとおじさんたちはかわいそうだね、もぐらみたいに明るいところをいばって歩けない商売だから、おいらみたいな、ちびが一ぴきとびこんでも、その通りびくびくする」

不敵な竹童ちくどうの面つらがまえを、じッとみつめていた呂宋兵衛るそんべえは、ことばの糺問きゅうもんは無益むえきと知って、口をつぐみ、黙然もくねんと右手の人さし指をむけ、天井てんじょうから竹童の頭の上へ線をかいた。

「おや」

と竹童が、なにやらさわるものに手をやると、上より一すじ絹糸きぬいとのようなものがたれ、襟えりくびから手にはいまわってきたのは一ぴきの金蜘蛛きんぐもだった。

キャッというかと思えば、竹童はニッコリ笑っていきなり、蜘蛛を鷲わしづかみにし、あんぐり口のなかへほおばって、ムシャムシャ噛かみつぶしてしまったようす。

「む、む……」と、呂宋兵衛はいよいよゆだんのない目で、かれの一挙きょ一動をみまもっていると、竹童は唇くちびるをつぼめて、噛かみためていたなかのものを、

「プッ――」と呂宋兵衛の顔を目がけて吹きつけた。

――その口からとびだしたのは、きたないかみつぶしではなくて、美しい一羽わの毒蝶どくちょう、ヒラヒラと毒粉どくふんを散らした。

「エイッ」

呂宋兵衛が扇おうぎをもって打ちおとせば、蝶ちょうの死骸しがいはまえからそこにあった一片ぺんの白紙に返っている。

「わかった、きさまは鞍馬山くらまやまの果心居士かしんこじの弟子でしだな」

「だから、竹童という名があるといったじゃないか」

「さてこそ、ものにおどろかぬはず、しかし有名なる果心居士かしんこじの弟子でしが、富士ふじの殿堂でんどうと知らずに、くるわけがない、なんのご用か、あらためて聞こうではないか」

「ムム、そう尋常じんじょうにおっしゃるなら、わたくしもお師匠ししょうさまから受けたお使いのしだいをすなおに話しましょう」

「では、果心先生から、この呂宋兵衛るそんべえへのお使いでござるか」

「そうです。さて、お師匠さまのお伝えというのは、きょうなにげなく鞍馬くらまから富士のあたりをみましたところ、いちまつの殺気さっきが立ちのぼって、ただならぬ戦雲のきざしが歴々れきれきとござりました。あらふしぎ、いま天下信長公のぶながこうの亡なきのちは、西に秀吉ひでよし、東に徳川とくがわ、北条ほうじょう、北国ほっこくに柴田しばた、滝川たきがわ、佐々さっさ、前田のともがらあって、たがいに、中原ちゅうげんを狙ねらうといえども、いずれも満まんを持じしてはなたぬ今日こんにち、そも何者がうごくのであろうかと、ご承知しょうちでもござりましょうが、先生、ご秘蔵ひぞうの亀卜きぼくをカラリと投げて占うらなわれました」

「オオ」

呂宋兵衛はもとより、なみいる猛者もさどもも、この奇童きどうのよどみなき弁べんによわされてしわぶきすらたてず、ひろき殿堂は、人なきようにシーンと静まりかえってしまった。

三

竹童ちくどうは、ここでいささか得意気とくいげに、ちいさな体をちょこなんとかしこまらせ、両肱りょうひじをはって、ことばをつぐ。

「お師匠ししょうさまがつらつら亀卜きぼくの卦面かめんを案じまするに、すなわち、――富岳フガクニ鳳雛ホウスウ生ウマレ、五湖コニ狂風キョウフウ生ショウジ、喬木キョウボク十悪アクノ罪ツミヲ抱イダイテ雷ライニ裂サカル――とござりましたそうです」

「なになに? 喬木きょうぼく、雷らいに裂さかると易えきにでたか」

呂宋兵衛るそんべえの顔色土のごとく変るのを見て、竹童ちくどうは手をふりながら、

「おどろいてはいけません、それは穴山梅雪あなやまばいせつの身の上でした。ところで、裏うらをかえして見ますると、つまり裏の卦か、参伍綜錯さんごそうさくして六十四卦かの変化へんかをあらわします。これによって結果を考えましたところ、今夕こんせき酉とりの下刻げこくから亥いの刻のあいだに、昼よりましたおそろしい大血戦が裾野すそののどこかで起るということがわかりました」

「むウ、それはあたっていた。して、勝負の結果は」

「さればでござります。にわかにわたくしが鷲わしにのってまいったのもそのため、残念ながらあなたの命いのちは、こよい乾いぬいの星がおつるとともに、亡なきかずに入り、腹心のかたがたもなかば以上は、あえない最期さいごをとげることとなるそうでござります。これを、層雲そううんくずれの凶兆きょうちょうともうしまして、暦数れきすうの運命、ぜひないことだと、お師匠さまも吐息といきをおもらしなさいました」

「えッ、なんといった。しからば呂宋兵衛のいのちは、こよいかぎり腹心のものも大半はほろぶとな?」

「そうおっしゃったことはおっしゃいましたが、ここに一つ、たすかる秘法ひほうがあるのです。お師匠ししょうさまは、わたくしにその秘法ひほうをさずけ、あなたに会って、あることと交換こうかんにして教えてこい、だが、呂宋兵衛るそんべえはずるいやつゆえ、もしも、こっちできくことをちゃんと答えなかったら、なんにもいわずに逃げてこい――といいつかってまいりました」

「待てまて、たずねることがあらば、なんでも答えるほどに、その層雲そううんくずれの凶兆きょうちょうを封ふうじる秘法をおしえてくれ」

「ですから、まずわたくしのほうのたずねることからお答えくださいまし」

「よし、なんでも問うてみるがいい」

「ではおききもうします」

と、竹童ちくどうはやおらひと膝ひざのりだし、

「湖水のそこに沈めてありました石櫃いしびつをあげて、なかにあった御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつをすりかえたのはたしかにあなた――これはお師匠さまも遠知の術じゅつでわかっております。されどその宝物を、あなたはだれにわたしましたか、または、この山寨さんさいのうちにあるのですか。ききたいのはつまりそのこと一つです」

呂宋兵衛は、心中すくなからずおどろいた。果心居士かしんこじといえば、京で有名な奇道士きどうしだが、まさか、これまでに自分のしたことを知っていようとは思わなかった。それほどの道士なれば、竹童のことばもほんとうにそういないだろうし、ひそかに湖水からすりかえてうばった宝物は、いまでは手もとにないのだから打ち明けたところで、こっちに損得そんとくはない――と思った。

「そんなことならたやすいこと、いかにもあきらかに答えてやろう。だが……」

と呂宋兵衛るそんべえが武士さむらいだまりの者へ、チラとめくばせをすると、バラバラと立ちあがったふたりの荒あらくれ武士が、いきなりムンズと竹童ちくどうの左右から両腕りょううでをねじ押さえた。

「ア、おじさんたちはおいらをどうするんだい!」

「いやおこるな、竹童。こっちのいうことだけ聞いて逃げられぬ用心。そうしていても耳はきこえようからよく聞けよ。御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつは、ここにいる轟とどろき又八に京へ持たせて、いまはぶりも金まわりもよい羽柴秀吉はしばひでよしに金子きんす千貫がんで売りとばした。それゆえ、いまの持主もちぬしは秀吉ひでよし、この山寨さんさいには置いてない。さ、このうえは果心かしん先生からおさずけの秘法ひほうをうけたまわろう」

「たしかにわかりました。では先生の秘法ひほうをおさずけもうします。そもそも層雲そううんくずれの大難だいなんは、どんな名将でものがれることのできぬものでござりますが、その難をさけるには、まず夜の酉とりから亥いのあいだに、四里四方けがれのない平野へでて、ふだんの護まもり神をおがみ、壇だんをきずいて霊峰れいほうの水をささげます。――次に、おのれの生年月日をしたためて、人形にんぎょうの紙をみ神光あかしで焼くこと七たび、かくして、十方ぽう満天まんてんの星をいのりますれば、兇難きょうなんたちどころに吉兆きっちょうをあらわして、どんな大敵に遭あいましょうとも、けっしておくれをとるということがありません」

呂宋兵衛は、怪力かいりきもあり幻術げんじゅつにも長ちょうじているが、異邦人いほうじんの血のまじっている証拠しょうこには、戦いというものに対して、すこぶる考えがちがう。それに修道者イルマンでもあっただけに、迷信めいしんにとらわれやすかった。

つまりかれがもっているいちばんの弱点に、うまうまと乗じょうじられた呂宋兵衛るそんべえは、まったく竹童ちくどうの言げんに惑酔わくすいして穴山あなやまの残党ざんとうがなんといおうと、轟とどろきや昌仙しょうせんのやからが疑うたがわしげに反省をもとめても、頑がんとしてきかず、秘法の星まつりを行うべく、手下の野武士のぶしに厳命げんめいした。

ために、軍議はしぜんと、夜に入って四里四方けがれなき平野に、その式をすましたうえ、出陣ときまってしまった。

その用意のものものしいさわぎのなかで、有卦うけに入いっていたのは竹童ちくどうだ。別間べつまでたくさんな馳走ちそうをされ、鞍馬くらまでは食べつけない珍味の数々を、箸はしと頤あごのつづくかぎりたらふくつめこみ、さて、例の棒切ぼうきれ一本さげて、飄然ひょうぜんとここを辞じしてかえる。

さしも、はげしかった昼の雷雨に、乱雲のかげは、落日とともに澄すみぬいていた。西の甲武こうぶ連山は茜あかねにそまり、東相豆そうずの海は無限の紺碧こんぺきをなして、天地は紅くれないと紺こんと、光明とうす闇やみの二色に分けられ、そのさかいに巍然ぎぜんとそびえているのは、富士ふじの白妙しろたえ。

――すると、この夕方を、人穴ひとあなから上へ上へとはいあがっていく豆つぶ大の人影が見えた。それはどうも竹童らしい。見るまに、二合ごう目めの下あたりから鷲わしにのって、おともなく五湖このほうへとび去った。

銀河ぎんがの箭やづくり

一

富士の二合ごう目めをはなれ、いっきに、五湖の水明かりをのぞんで飛行していた竹童ちくどうは、夜の空から小手こてをかざして、しきりに、下界げかいにある伊那丸主従いなまるしゅじゅうのいどころをさがしている。

「オオ暗い、暗い、暗い。天もまッ暗、地もまッ暗。これじゃいったいどこへ降おりていいんだか、お月さまでもでてくれなきゃア、けんとうがつきあしない」

大空で迷子星まいごぼしになった竹童は、例の、寝るまもはなさぬ棒切ぼうきれを右手めてにもち、左の手を目のはたへかざして、鷲わしの上から、

「オオーイ、オオーイ」と、とうとう声をはりあげて呼びだした。

しかし、竹童の声ぐらいは、竹童じしんが乗っている鷲の羽風はかぜに消けしとばされてしまった。そのかわり、人ではないが、はるかな地上にあたって、馬のいななくのが高く聞えた。

「おや、馬のやつが返辞へんじをしたぞ」

と、つぶやいたが、その竹童のかんがえはちがっている。動物は動物にたいして敏感であるから、いま、下のほうでいなないた馬は、ここにさしかかってきた闇夜あんや飛行の怪物の影に、おどろいたものにそういない。

けれど竹童ちくどうは、馬が答えたものと信じて、いきなり、棒切れをピューッと下へふった。と、クロはたちまち身をさかしまにして、ツツツツ――と木この葉はおとしに降おりていく。

「あ、ここはどこかのお宮の庭だな……」

鷲わしからおりて、しばらくそのあたりをあるいていた竹童は、やがて、拝殿はいでんからもれるほのあかりをみとめ、そッと忍しのびよってみると、たしかに六、七人のささやき声がする。

「いた!」かれは思わず叫んで、

「おじさん! おじさんたち」

呼ぶ声と一しょに、拝殿のなかにいた者は、どやどやと、それへでてきて、七つの人影をあらわした。

「何者じゃッ」と竹童をねめつけた。

「おいらだよ、鞍馬山くらまやまの竹童だよ」

「おお、竹童か」

ほとんど、そのなかの半分以上の者が、口をあわしてこういった。木隠龍太郎こがくれりゅうたろうも、忍剣にんけんも、民部みんぶも蔦之助つたのすけも小文治こぶんじも竹童にとればみな友だちだ。

ただ、床几しょうぎにかけて、かれを見おろしていた伊那丸いなまるだけが、すこし解げせないようすである。

「龍太郎りゅうたろう。そちたちはこの童わらべをよう知っているようじゃが、いったいどこのものであるの」

「さきほどお話しもうしあげました、果心居士かしんこじの童弟子わらべでしでござります」

「おおあれか」

伊那丸はニッコリして竹童ちくどうを見なおした。竹童もニヤリと笑って、ともするとなれなれしく、じぶんの友だちにしてしまいそうだ。

「これ竹童、伊那丸君いなまるぎみのおんまえ、つッ立っていてはならぬ、すわれすわれ」

「いや、そう叱しからぬがよい、鞍馬くらまの奥おくでそだった者じゃ、その天真爛漫てんしんらんまんがかえって美しい。したが、おまえはここへ、何用があってきたのか」

「はい」竹童はかしこまって、

「お師匠ししょうさまのおいいつけでござります」

「なに、果心かしん先生からここへお使いに?」

「さようでござります。みなさまは、きょう穴山梅雪あなやまばいせつをお討うちになって、さだめしホッとなされたでござりましょうが、勝って兜かぶとの緒おをしめよ、ここでごゆだんをなされては大へんでござります」

「む、伊那丸はけっしてゆだんはしておらぬぞよ」

「では、湖水の底から引きあげた石櫃いしびつの蓋ふたをとって、なかをあらためてごらんになりましたか」

「いや、ほかのところへかくしたものとちがって、湖底へ沈めておいた石櫃、あらためるまでもない」

「ところが、お師匠ししょうさまの遠知の術では、どうも、石櫃のなかの宝物ほうもつにうたがいがあるとおっしゃいました。それゆえ、にわかにお師匠さまにいいふくめられて、この竹童ちくどうが、鷲わしの翼つばさのつづくかぎり、とびまわったのでござります。どうぞみなさま、いっこくもはやく、石櫃をおあらためくださいまし」

「さては、それが伊那丸いなまるのゆだんであったかもしれぬ。忍剣にんけん、忍剣、ともあれ石櫃をここへ。また、小文治こぶんじと龍太郎は、あるかぎりのかがり火をあたりにたき立ててください」

「はッ」

席を立った者たちが三つ脚あしのかがり火を、左右五、六ヵ所へ炎々えんえんと燃したてるまに、忍剣は、さきに梅雪ばいせつの郎党ろうどうたちが、湖底から引きあげておいた石櫃をかかえてきて、やおら、伊那丸のまえにすえた。

「こう見たところでは、蓋ふたの合口あいくちに異状いじょうはないが」

「青苔あおごけがいちめんについているさまともうし、一ども人の手にふれたらしい点はみえませぬ」

「とにかく、蓋ふたをはらってみい」

「心得こころえました」

と忍剣にんけんは立ちあがって、グイと法衣ころもの袖そでをたくしあげ厳重な石の蓋ふたをポンとはねのけてみた。

二

「や、やッ」まず忍剣がきもをつぶした。

「どういたした。なんぞ変りがあったか」

伊那丸いなまるもおもわず床几しょうぎから腰をうかした。

「ちぇっ。これごらんなさりませ」

と、くやしそうに忍剣が石櫃を引っくりかえすと、なかからごろごろところがりだしたのは、御旗みはた楯無たてなしの宝物ほうもつに、似にても似つかぬただの石ころ。

「むウ……」

伊那丸は顔いろをうしなった。それはむりではない、武田家重代たけだけじゅうだいの軍宝――ことに父の勝頼かつよりが、天目山てんもくざんの最期さいごの場所から、かれの手に送りつたえてきたほど大せつな品しな。

それがない!

ないですもうか。

御旗楯無の宝物は、武田家の三種の神器じんぎだ。これを失っては、甲斐源氏かいげんじの家系かけいはなんの権威けんいもなくなってしまう。伊那丸いなまるをはじめ他の六人まで、ひとしくここに、色をうしなったも当然である。

「アア、やっぱり、おいらの先生はえらい――」

そのとき、嘆たんずるようにいったのは竹童ちくどうだった。

「ああ、どこまで武田家は衰亡すいぼうするのであろうか……」

と嘆たんじあわして、伊那丸もつぶやく。

「大じょうぶだよ」竹童は棒切ぼうきれを杖つえにしてふいにつっ立ち、気の毒そうに伊那丸の面おもてを見あげた。

「大じょうぶだ大じょうぶだ。そのなかの物がなくなっても、ぬすんだやつはわかってるから……おいらがちゃんとかぎつけてきてあるから――」

「なに! ではおまえがその者を知っているか」

「ああ知っている。そいつは、人穴ひとあなの殿堂にいる和田呂宋兵衛わだるそんべえという悪いやつだよ。そして、盗ぬすんだ宝物ほうもつは、手下を京都へやって、羽柴秀吉はしばひでよしに売ってしまったんだ――これはきょうおいらが呂宋兵衛と問答して、鎌かまをかけてきいてきたんだからまちがいのないことなんだ」

「えッ、では御旗みはた楯無たてなしをぬすんだやつも、あの人穴ひとあなの呂宋兵衛か……」

と、伊那丸が意外そうな瞳ひとみを咲耶子さくやこに向けると、彼女も、思いがけぬことのように、

「わたしにとれば父をころした悪人。伊那丸さまにはお家いえの賊ぞく、八つざきにしてもあきたりない悪党あくとうでござります」

と、やさしい眉まゆにもうらみが立った。

伊那丸いなまるは床几しょうぎをはなれ、そしてうごかぬ決意を語気にしめしていった。

「みなのもの、わしはこれからすぐ人穴ひとあなの殿堂へ駈かけいり、呂宋兵衛るそんべえの首を剣頭にかけて、祖先におわびをいたすつもりだ。一つには、恩義のある咲耶子さくやこへの助太刀すけだち、われと思わんものはつづけ、御旗みはた楯無たてなしをうしなって、武田たけだの家なく、武田の家なくして、この伊那丸はないぞ!」

「お勇ましいおことば、われわれとて、どこまでも君きみのお供ともいたさずにはおりませぬ」

山県蔦之助やまがたつたのすけ、忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろう、小文治こぶんじなどの、たのもしげな勇士たちは、声をそろえてそういった。

「おう、わたしを入れてここに七騎きの勇士がある。咲耶子も心づよく思うがよい、きっとこよいのうちに、きゃつの首を、この剣つるぎの切きッ先にさしてみせよう。忍剣、馬を馬を!」

「はッ」

バラバラと樹立こだちへはいった忍剣は、梅雪ばいせつ一党とうが乗りすてた駒こまのなかから、逸物いちもつをよって、チャリン、チャリン、チャリン、と轡金具くつわかなぐの音をひびかせて、伊那丸のまえまで手綱たづなをとってくると、いままで黙然もくねんとしていた小幡民部こばたみんぶが、

「しばらく――」と、駒をおさえて頭ずをさげた。

三

「なんじゃ、民部みんぶ」

「お怒いかりにかられて、これより人穴ひとあなの殿堂へかけ入ろうという思おぼし召めしは、ごもっともではござりますが、民部はたってお引きとめもうさねばなりませぬ」

「なぜ?」伊那丸いなまるはめずらしく苦にがい色をあらわした。

「けっして、かれをおそれるわけではありませぬが、音にきこえた天嶮てんけんの野武士城のぶしじょう、いかに七騎きの勇があっても攻めて落ちるはずのものとは思われませぬ」

「だまれ、わしも信玄しんげんの孫まごじゃ! 勝頼かつよりの次男じゃ! 野武士のよる山城ぐらいが、なにものぞ」

かれにしては、これは稀有けうなほど、激越げきえつなことばであった。民部には、またじゅうぶんな敗数の理みが見えているか、

「いいや、おことばともおもえませぬ」

と、つよく首をふって、

「いかに信玄公しんげんこうのお孫であろうと、兵法をやぶって勝つという理りはありませぬ。なにごとも時節がだいじです。しばらくこの裾野すそのにかくれて呂宋兵衛るそんべえが山をでる日を、おまちあそばすが上策じょうさくとこころえまする」

「そうだ」

その時、横からふいにことばをはさんだのは竹童ちくどうで、さらに頓狂とんきょうな声をあげてこうさけんだ。

「そうだ! おいらもうっかりしていたが、そいつは今夜きっと山をでるよ、うそじゃない、きっと山をでる! 山をでる!」

「竹童、それはほんとうか」

民部みんぶは、目をかれにうつした。

「うそなんかおいら大きらいだ、まったくの話をするとお師匠ししょうさまが呂宋兵衛るそんべえに、おまえの命いのちはこよいのうちにあぶないぞっておどかしたんだよ。おいらはその使いになって、今夜子ねの刻こく(十一時から一時)のころに、裾野すその四里四方人気ひとけのないところへでて、層雲そううんくずれの祈祷きとうをすれば助かると、いいかげんなことを教えてきてあるんだけれど、それも、いま考えあわせてみると、みんなお師匠さまがさきのさきまでを見ぬいた計略けいりゃくで、わざとおいらにそういわせたにちがいない」

おどろくべき果心居士かしんこじの神機妙算しんきみょうさん、さすがの民部もそれまでにことが運んでいようとは気がつかなかった。

子ねの刻こく一天てんまでには、まだだいぶあいだがある。伊那丸いなまるは一同にむかい、それまではここにあって、じゅうぶんに体をやすめ、英気をやしなっておくように厳命した。

竹童は勇躍ゆうやくして、

「それでは夜中になると、まためざましい戦いがはじまるな。おいらもいまからしっかり英気をやしなっておくことだ……」

と、クロをだいて、お堂の端はしへゴロリと寝てしまった。

と、かれは横になるかならないうちに、

「おや、笛ふえが鳴ったぞ」

と頭をもたげてキョロキョロあたりを見まわした。見ると、咲耶子さくやこがただひとり、社前しゃぜんの大楠おおくすのきの切株きりかぶにつっ立ち、例の横笛を口にあてて、音ねもさわやかに吹いているのだった。

竹童は初めのうち、なんのためにするのかとうたがっていたらしいが、まもなく、笛の音ねが裾野すそのの闇やみへひろがっていくと、あなたこなたから、ムクムクと姿をあらわしてきた野武士のぶしのかげ。それがたちまち、七十人あまりにもなって、咲耶子のまえに整列したのにはびっくりしてしまった。

咲耶子は、あつまった野武士たちに、なにかいいわたした。そしてしずかに伊那丸いなまるの前へきて、

「この者たちは、いずれも父の小角しょうかくにつかえていた野武士でござりますが、きょうまで、わたくしとともにこの裾野へかくれ、折があれば呂宋兵衛るそんべえをうって仇あだをむくいようとしていた忠義者ちゅうぎものでござります。どうかこよいからは、わたくしともどもに、お味方にくわえてくださりますよう」

伊那丸はまんぞくそうにうなずいた。

時にとって、ここに七十人の兵があるとないとでは、小幡民部こばたみんぶが軍配ぐんばいのうえにおいても、たいへんなちがいであった。

ましてや、いまここに集められたほどの者は、みなへいぜいから、咲耶子さくやこの胡蝶こちょうの陣に、練ねりにねり、鍛きたえにきたえられた精鋭せいえいぞろい。

かくて一同は、敵の目をふさぐ用意に、ばたばたとかがり火を消し、太刀の音ねをひそませ、箭やづくり、刃やいばのしらべはいうまでもなく、馬に草をも飼かって、時刻のいたるをまちわびている。

待つほどに更ふくるほどに、夜はやがて三更こう、玲瓏れいろうとさえかえった空には、微小星びしょうせいの一粒までのこりなく研とぎすまされ、ただ見る、三千丈じょうの銀河ぎんがが、ななめに夜の富士ふじを越えて見える。

「グウー、グウ、グウーグウ……」

そのなかで、竹童ちくどうばかりが、鷲わしの翼つばさをはねぶとんにして、さもいい気もちそうに、いびきをかいて寝こんでいた。

魔人隠形まじんおんぎょうの印いん

一

まさに、夜は子ねの刻こくの一天てん。

人穴ひとあなの殿堂でんどうをまもる、三つの洞門どうもんが、ギギーイとあいた。

と、そのなかから、焔々えんえんと燃えつつながれだしてきたのは、半町はんちょうもつづくまっ赤な焔ほのおの行列。無数の松明たいまつ。その影にうごめく、野武士のぶし、馬、槍やり、十字じ架か、旗、すべて血のように染そまって見えた。

なかでも、一丈じょうあまりな白木しらきの十字架は、八人の手下にゆらゆらとささえられ、すぐそばに呂宋兵衛るそんべえが、南蛮錦なんばんにしきの陣羽織じんばおりに身をつつみ、白馬はくばにまたがり、十二鉄騎てっきにまもられながら、妖々ようようと、裾野すそのの露つゆをはらっていく。

すすむこと二、三里り、ひろい平野のまン中へでた。呂宋兵衛は馬からひらりと降おり、二、三百人の野武士を指揮しきして、見るまにそこへ壇だんをきずかせ、十字架を立て、かがり火を焚たいて、いのりのしたくをととのえさせた。

「念珠コンタツを念珠コンタツを、これへ――」

呂宋兵衛は、まえにもいったとおり、南蛮なんばんの混血児あいのこでキリシタンの妖法ようほうを修しゅうする者であるから、層雲そううんくずれの祈祷きとうも、じぶんが信じる異邦いほうの式でゆくつもりらしい。

手下の者から、念珠コンタツをうけとったかれは、それを頸くびへかけ、胸へ、白金はっきんの十字架をたらして、しずしずと壇だんの前へすすんだ。

護衛ごえいする野武士たちは、しわぶきもせず、いっせいに槍やりの穂ほさきを立てならべた。なかにはきょう味方についた穴山あなやまの残党ざんとう、足助主水正あすけもんどのしょう、佐分利さぶり五郎次、その他の者もここにまじっている。

壇だんにむかって、七つの赤蝋せきろうをともし、金明水きんめいすい、銀明水ぎんめいすいの浄水じょうすいをささげて、そこにぬかずいた呂宋兵衛るそんべえは、なにかわけのわからぬいのりのことばをつぶやきながら、いっしんに空の星を祈いのりだした。

すると、どこからともなく、ザッ、ザッ、ザッ、ザッと草をなでてくるような風音かざおと。つづいて、地を打ってくる馬蹄ばていのひびき。

「や!」かれはぎょっと、頭をあげて、

「あの物音は? あのひびきは? おお馬だッ、人声だ。ゆだんするな!」

叫さけぶまもなく、ピュッ、ピュッと、風をきってくる霰あられのような征矢そや。――早くも、四面の闇やみからワワーッという喊声かんせいが聞えだした。

「さては武田伊那丸たけだいなまるがきたか」

「いやいや咲耶子さくやこが仕返しにまいったのだろう」

「うろたえていずとかがり火を消せ、はやく松明たいまつをすててしまえ、敵方の目じるしになるぞ」

あたりはたちまち暗瞑あんめいの地獄じごく。

ただ、燃えいぶった煙と、ののしる声と、太刀や槍やりの音ばかりが、ものすごくましていった。

もう、どこかで斬きりあいがはじまったらしい。

星明かりをすかしてみると、敵か味方か入りみだれてよくわからないが、白馬はくば黒鹿毛くろかげをかけまわしている七人の影は、たしかに襲よせてきた七勇士。それに斬りまわされて、呂宋兵衛の手下どもは、

「だめだ、足を斬られた」

「敵はあんがいてごわいぞ。もう大変な手負ておいがでた」

「殿堂へ逃げろ!」

「人穴ひとあなへ引きあげろ!」

と声をなだれあわせて、思いおもいな草の細径ほそみちへ蜘蛛くもの子のちるように逃げくずれた。

それらの、雑兵ぞうひょうや手下には目もくれず、さきほどから馬上りんりんとかけまわっていた伊那丸いなまるは、

「咲耶子さくやこはいずれにある。咲耶子、咲耶子」

と、しきりに呼びつづけていた。

「おお伊那丸さま、わたくしはここでござります」

近よってきた白鹿毛しろかげの上には、かいがいしい装束いでたちをした彼女のすがたが、細身の薙刀なぎなたを小脇こわきに持って、にっことしていた。

「咲耶子、呂宋兵衛めは、いずれへ姿をかくしたのであろう。忍剣にんけんも龍太郎りゅうたろうも、いまだに討うったと声をあげぬが」

「わたくしも、余の者には目もくれず、八ぽうさがしてまわりましたが、影も形も見あたりませぬ。ざんねんながら、どうやら取り逃がしたらしゅうござります」

「いや、民部みんぶがしいた八門の陣、その逃げ口には、伏兵ふくへいがふせてあるゆえ、かならず討ちもらす気づかいはない」

とふたりが、馬上で語り合っているすぐうしろで、ふいに、悪魔あくまの嘲笑ちょうしょうが高くした。

「わ、はッはわはッは……このバカもの!」

「や!」

ふりかえってみると、人影はなく、星の空にそびえている一基きの十字じ架か。

「いまの声は、たしかに呂宋兵衛るそんべえ」

「奇きッ怪かいな笑い声、咲耶子さくやこ、心をゆるすまいぞ」

きッと、十字架をにらんで、ふたりが息を殺したせつなである、一陣の怪風! とたんに、星祭ほしまつりの壇だんに燃えのこっていた赤蝋せきろうが、メラメラと青い焔ほのおに音をさせてあたりを照らした。

明滅めいめつの一瞬しゅん、十字架のうしろにかくれていたおぼろげなかげは、たしかに怪人、和田呂宋兵衛わだるそんべえ。

「おのれッ!」

「怨敵おんてき」

敵将のすがたを目まのあたりに見て、なんのひるみを持とう。伊那丸いなまるは太刀をふりかぶり、咲耶子さくやこは薙刀なぎなたの柄えをしごいて八幡まん! 十字じ架かの根もとをねらって斬りつけた。

と――ほとんど同時である。

伊那丸がたの軍師ぐんし、小幡民部こばたみんぶは、無二無三に駒こまをここへ飛ばしてきながら、

「やあ、待ちたまえ若君わかぎみ。かならずそれへ近よりたもうな。あ、あ、あッ、危あぶないッ!」

と、かれは狂気ばしって絶叫ぜっきょうした。

が――その注意はすでに間に合わなかった。

ふたりのえものは、もう、ザクッと十字架のかげを目がけてふりこんでしまった。と見るまに、ああ、そもなんの詭計きけいぞ、足もとから轟然ごうぜんたる怪火の炸裂さくれつ。

ぽかッと、渦うずをふいた白煙はくえんとともに、宙天ちゅうてんへ裂さけのぼった火の柱、同時に、バラバラッとあたりへ落ちてきたいちめんの火の雨――それも火か土か肉か血か、ほとんど目を開あけて見ることもできない。

二

すさまじい雷火の焔ほのおが、パッと立ったせつな、ゲラゲラゲラと十字架のかげで大きく笑う声がした。

怪人呂宋兵衛るそんべえの目である。口である。

悪魔あくまの面めん! それがあざわらった。

「あッ――」

伊那丸いなまるの馬は、蹄ひづめを蹴けって横飛びにぶったおれた。咲耶子さくやこは、竿立さおだちとなった駒こまのたてがみにしがみついて、焔ほのおのまえに悶絶もんぜつした。

倒れたのは、馬ばかりか、人ばかりか、二尺しゃく角かくの白木しらきの十字じ架かまで、上から真まッ二つにさけ、余煙よえんのなかへゆら、――と横になりかかってきた。

雷火らいかの炸裂さくれつは、詭計きけいでもなんでもない。怪人かいじん呂宋兵衛るそんべえが、ふところに秘ひめておいた一塊かいの強薬ごうやくを、祭壇さいだんに燃えのこっていたろうそく火びへ投げつけたのだ。

長崎や堺さかいあたりで、南蛮人なんばんじんが日本人と争闘そうとうすると、常習じょうしゅうにやるかれらの手口てぐちである。民部みんぶはそれを知っていたので、あわてて駒を飛ばしてきたが、一足ひとあしおそかった、裂さけた十字架が、いましもドスーンと大地へ音をひびかせた時である。

「人穴ひとあなの賊ぞく。そこうごくなッ!」

民部は、乗りつけてきた馬の鞍くらから飛びおりるより早く、壇だんの上につっ立っているかれを目がけて斬りつけた。

「しゃらくさいわッ」

呂宋兵衛は、民部の第一刀をひッぱずして、いきなり鬼のような手で彼の右手めてをねじあげた。

もうふところに強薬は持っていないので、まえのような危険はないが、腕と腕、剣と剣の打ちあいでも、民部は呂宋兵衛るそんべえの敵ではない。

「うーむ、この小僧こぞうッ子め」

酒呑童子しゅてんどうじもかくやの形相ぎょうそうで、大きな唇くちびるへやい歯をかませた呂宋兵衛は、いきなり民部の利腕ききうでをひとふりふって、やッと一声せい、壇だんの上から大地へ投げつけた。

「無念」

一代の軍師ぐんし、小幡民部こばたみんぶも、腕の勝負ではいかんともすることができない。はねおきようとすると、はやくも、呂宋兵衛の山のような体がのしかかってきて、グイとのどわをしめつけ、

「おウ、てめえが伊那丸いなまるの腰について、穴山梅雪あなやまばいせつを討うったという小ざかしい小幡民部というやつだな。こりゃいい首にめぐり会った。山荘さんそうへのみやげにしてやる。覚悟かくごをしろ」

鎧通よろいどおしをひきぬき、逆手さかてにもって、グイと民部の首根くびねにせまった。民部は、そうはさせまいと、下から短剣たんけんをぬき、足をもがき、ここ一髪ぱつのあらそいとなって、たがいに必死。

伊那丸いなまるも咲耶子さくやこも、みすみすかたわらにありながら、いまの雷火らいかにふかれて、ふたりとも気を失ってしまっている。

「うーむッ」

もみ合っているふたりのあいだから、おそろしい苦鳴くめいがあがった。さては、民部が首をかき落とされたか、呂宋兵衛るそんべえが脾腹ひばらをえぐられたか、どッちか一つ。

三

さきにはね起きたのは、呂宋兵衛であった。

かれの左の足に、一本の流れ矢がつき刺さっていた。つづいて民部みんぶも飛びおきた。またすさまじい短剣と短剣の斬りあいになる。

「やッ、呂宋兵衛、ここにおったか」

そのとき、ゆくりなくもきあわせた巽小文治たつみこぶんじが、朱柄あかえの槍やりをしごいて、横から突っこんだ。

「じゃまするなッ」

ガラリとはらう。さらに突く。

さらにはらう。またも突きだす。

この妙槍みょうそうにかかっては、さすがの呂宋兵衛も、弱腰になった。それさえ、大敵と思うところへ、加賀見忍剣かがみにんけん、木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、山県蔦之助やまがたつたのすけの三人が、ここのあやしき物音を知って、いっせいに蹄ひづめをあわせて、三方から、野嵐のあらしのごとく馬を飛ばしてくるようす。

「呂宋兵衛、呂宋兵衛、汝なんじ、いかに猛もうなりとも、ふくろのなかのねずみどうようだ、時うつればうつるほど、ここは鉄刀てっとう鉄壁てっぺきにかこまれ、そとは八門暗剣の伏兵ふくへいにみちて、のがれる道はなくなるのじゃ、神妙しんみょうに観念かんねんしてしまえ」

小幡民部こばたみんぶがののしると、呂宋兵衛るそんべえはかッと眼まなこをいからせて、わざとせせら笑った。

「だまれッ。汝なんじらのようなとうすみとんぼ、百ぴきこようと千びきあつまろうと、この呂宋兵衛の目から見れば子供のいたずらだわ」

「舌長したながなやつ、その息いきのねをとめてやるッ」

「なにを」

と呂宋兵衛は立ちなおって、剣を、鼻ばしらの前へまッすぐ持ち、あたかも、不死身ふじみの印いんをむすんでいるような形。

ふしぎや、小文治こぶんじの槍やりも民部の太刀も、その奇妙きみょうな構かまえを、どうしても破ることができない。ところへ、同時にかけあつまったまえの三人。

この態ていを見るより、めいめい、ひらりひらりと鞍くらからおりて、かけよりざま、

「おうッ、巽小文治たつみこぶんじどの、龍太郎りゅうたろうが助太刀すけだちもうすぞ」

「加賀見忍剣かがみにんけんこれにあり、いで! 目にものみせてくれよう」

とばかり、呂宋兵衛の前後からおッつつんだ。

さすがのかれも、ついにあわてだした。そして、一太刀も合わせず、ふいに忍剣の側わきをくぐって疾風しっぷうのように逃げだした。

「待てッ」

すばやくとびかかった龍太郎が、戒刀かいとうの切きッ先するどく薙なぎつけると、呂宋兵衛はふりかえって、右手の鎧通よろいどおしを手裏剣しゅりけんがわりに、

「えいーッ」

気合きあいとともに投げつけた。

龍太郎りゅうたろうは身をしずめながら、刀のみねで、ガラリとそれをはらい落とした。

と、なにごとだろう?

ピラピラと、魚鱗ぎょりんのような閃光せんこうをえがいて飛んできた鎧通よろいどおしが、龍太郎の太刀たちにあたると同時に、銀粉ぎんぷんのふくろが切れたように、粉々こなごなとくだけ散って、あたりはにわかに、月光と霧きりにつつまれたかのようになった。

「や、や。あやしい妖気ようき」

「きゃつはキリシタンの幻術師げんじゅつし、かたがたもゆだんするな」

「この忍剣にんけんにならって、破邪はじゃのかたちをおとり召されい」

と、まッさきに忍剣が、大地にからだをピッタリ伏ふせ、地から上をすかしてみると、いましも、黒い影がするするとあなたへ足をはやめている。

「おのれッ」

とびついていった忍剣の禅杖ぜんじょうが、力いッぱい、ブーンとうなった。とたんに、一陣じんの怪風――そして、わッ、と、さけんだのはまぎれもない呂宋兵衛るそんべえである。

たしかに手ごたえはあったらしいが、かれもさるもの、すばやく隠形おんぎょうの印いんをむすび、縮地飛走しゅくちひそうの呪じゅをとなえるかと見れば、たちまち雷獣らいじゅうのごとく身をおどらせ、おどろく人々の眼界から、一気に二、三町も遠くとびさってしまった。

「あ、あ、あ、あ、あ!」とさすがの忍剣も、龍太郎りゅうたろうもそのゆくえを、ただ見まもるばかり。

目まばたきするまに、二、三町もとんだ呂宋兵衛るそんべえのあとには、うすい虹にじか、あわい霧きりのようなものが一すじ尾をひいてのこった。

四

いつまで見送って、たがいに歯がみしていたところで及ばぬことと、忍剣にんけんは一同をはげました。そして、そこにたおれている、伊那丸いなまると咲耶子さくやことに、手当てあてを加えた。

さいわいに、ふたりはさしたる重傷ふかでを受けていたのではなかった。けれど、やがて気がついてから、賊将ぞくしょう、呂宋兵衛をとり逃がしたと知って、無念がったことは、ほかの者より強かった。ことに、伊那丸は父ににて勝気かちきなたち。

「かれらの策さくにおちて、おくれをとったときこえては、のちの世まで武門の名おれ。わしはどこまでも、呂宋兵衛のいくところまで追いつめて、かれの首を見ずにはおかぬ。民部みんぶ、止とめるなッ」

いいすてるが早いか、馬の鞍くらつぼをたたいて、まっしぐらに走りだした。と咲耶子も、

「お待ちあそばせや、伊那丸さま。人穴ひとあなの殿堂は、この咲耶子が空そらんじている道、踏みやぶる間道かんどうをごあんないいたしましょうぞ」

手綱たづなをあざやかに、ひらりと駒こまにおどった武装ぶそうの少女は一鞭ひとむちあてるよと見るまに、これも、伊那丸にかけつづいた。

ことここにいたっては、思慮しりょぶかい小幡民部こばたみんぶも、もうこれまでである、いちかばちかと、決心して、

「加賀見忍剣かがみにんけんどの。木隠龍太郎こがくれりゅうたろうどの」

と声高らかに呼ばわった。

「おお」

「おおう」

「そこもとたちふたりは、若君の右翼うよく左翼さよくとなり、おのおの二十名ずつの兵を具ぐして、おそばをはなれず、ご先途せんどを見とどけられよ、早く早く」

「かしこまッた」

軍師ぐんしに礼をほどこして、ふたりは馬に鞭むちをくれる。

「つぎに山県蔦之助やまがたつたのすけどの。巽小文治たつみこぶんじどの」

「おう」

「おう」

「ご両所たちは搦手からめての先陣。まず小文治どのは槍組やりぐみ十五名の猛者もさをつれて、人穴ひとあなの殿堂よりながれ落ちている水門口をやぶり、まッ先に洞門どうもんのなかへ斬りこまれよ」

「心得こころえた」

小文治こぶんじは朱柄あかえの槍やりをひッかかえて、十五名の力者りきしゃをひきつれ、人穴をさして、たちまち草がくれていく。

「さて蔦之助つたのすけどの、そこもとは残る十七名の兵をもって、一隊の弓組ゆみぐみをつくり、殿堂をかこい嶮所けんしょに登って廓くるわのなかへ矢を射いこみ、ときに応おうじ、変にのぞんで、奇兵きへいとなって討ちこまれい!」

「承知しょうちいたしました」

「拙者せっしゃは、のこりの者とともに後詰ごづめをなし、若君の旗本、ならびに、総攻めの機きをうかがって、その時ごとに、おのおのへ合図あいずをもうそう。さらばでござる」

軍配ぐんばいのてはずを、残りなくいいわたした民部みんぶは、ひとりそこに踏ふみとどまり、人穴攻ひとあなぜめの作戦図ずを胸にえがきながら、無月むげつの秋の空をあおいで、

「敗るるも勝つも、小幡民部こばたみんぶの名は、おしくもなき一介かいの軍配ぐんばいとりじゃ。しかし……しかし伊那丸いなまるさまは大せつな甲斐源氏かいげんじの一粒種ひとつぶだね、あわれ八幡まん、あわれ軍いくさの神々、力わかき民部の采配さいはいに、無辺むへんのお力をかしたまえ」

正義の声は、いつにあっても、だれの口からほとばしっても、ほがらかなものである。

五

英気をやしなうため、宵よいのくちに、ほんのちょっと寝ておくつもりだった竹童ちくどうは、いつか鼻はなから提灯ちょうちんをだしてわれにもなく、大いびき。

このぶんでほっておいたら、かならずや、夜が明けるのも知らずに寝ているにちがいない。

ところが、好事こうじ魔まおおし、せっかくの白河夜船しらかわよふねを、何者とも知れず、ポカーンと頬ほっぺたをはりつけて、かれの夢をおどろかさせた者がある。

「あ痛いたッ、アた、た、た、た!」

ねぼけ眼まなこではねおきた竹童ちくどうは、むちゃくちゃに腹が立ったと見えて、いつにない怒おこりようだ。

「おいッ、おいらをぶんなぐったのは、いったいどこのどン畜生ちくしょうだ、さアかんべんできない、ここへでろ、おいらの前へでてうせろッ」

あまり太くもない腕うでをまくりあげて、そこへしゃちこ張ったのはいいが、竹童、まだなにを寝ぼけているのか、そこにいた人の顔を見ると、急にすくんで、膝ひざッ子のまえをかきあわせ、ペコペコお辞儀じぎをしはじめたものだ。

「竹童、おまえは大そう強そうに怒おこるな」

「はい……」

「どうした。おいらの前へでてうせろといばっておったではないか。なぐったわしはここにいる」

「はい、いいえ……」

「不埒者ふらちものめがッ」

なんのこと、あべこべにまた叱しかられた。

もっとも、それはべつだんふしぎなことではない。いつのまにか、ここにきていた人間は、竹童ちくどうが小太郎山こたろうざんにいることとばかり思っていた、果心居士かしんこじその人だったのだ。

しかし、いくら飛走の達人たつじんでも、どうして、いつのまにこんなところへきたんだろうと、竹童はじぶんのゆだんをつねって、目ばかりパチパチさせている。

けれど、なんとしても、このお師匠ししょうさまは人間じゃあない。ほとんど神さま、このおかたに会ってはかなわないから、三どめの大目玉をいただかないうちに、なんでもかでも、こっちからあやまってしまうほうが先手せんてだと、そこは竹童もなかなかずるい。

「お師匠さま。お師匠さま。どうもすみませんでございました。お使い先で、グウグウ寝てしまったのは、まったくこの竹童、悪いやつでございました。どうぞごかんべんなされてくださいまし」

「横着おうちゃくな和子わこではある。わしのいう叱言こごとを、みんなさきにじぶんからいってしまう」

「いいえ、お師匠さまの叱言よけではございませんが、ひとりでに、じぶんが悪かったと、ピンピン頭へこたえてくるのでございます」

「しかたのないやつ」

果心居士も竹童の叱言には、いつも途中から苦笑くしょうしてしまった。

「けれど、叱言ではないが――そちも大せつな使者に立った者ではないか。なぜ、伊那丸いなまるさまのご先途せんどまで見とどけてくるか、あるいは、ひとたび小太郎山まで立ち帰ってきて、ようすはこれこれとわしに返辞へんじを聞かせぬのじゃ」

「はい。ですからわたしは、しばらくここに寝こんでいて、夜中にみなさまがここをでる時、ご一しょについていって見ようと思っていたのでござります」

「たわけ者め。そのご一同がどこにいる?」

「えッ」

竹童ちくどうは始めてあたりを見まわし、

「おや? もう子ねの刻こくが過ぎたのかしら、伊那丸いなまるさまもお見えにならず、忍剣にんけんさまも、……蔦之助つたのすけさまもおかしいなあ、だれもいないや。お師匠ししょうさま、みなさまはもう戦いくさにでておしまいなされたのでしょうか?」

「もう子の刻もとッくにすぎ、裾野すそのの戦いくさも一段落だんらくとなっているわ」

「アアしまった! しまった! すッかり寝こんでなにも知らなかった。お師匠さま、竹童はどうしてこういつまでおろかなのでござりましょう」

「どうじゃ。わしに打たれたのがむりと思うか」

「けっしてごむりとは思いません。これからこんなゆだんをいたしませんように、もっとたくさんおぶちなされてくださいまし」

「よいよい。それほどに気がつけば、本心にこたえたのじゃろう。ところで竹童、また大役があるぞ」

「もうたくさん寝ましたから、どんなむずかしいご用でも、きッとなまけずに勤めまする」

「む、ほかではないが、こよいの計略けいりゃくは呂宋兵衛るそんべえの妖術ようじゅつにやぶられ、いままた、伊那丸いなまるさまはじめ、その他の旗本はたもとたちは人穴ひとあなの殿堂さして攻めのぼっていった。しかし、かれには二千の野武士のぶしがあり、幾百の猛者もさ、幾十人の智者ちしゃ軍師ぐんしもいることじゃ。なかなか七十人や八十人の小勢こぜいでおしよせたところで、たやすく嶮所けんしょの廓くるわは落ちまいと思う」

「わたくしもあのなかを見てきましたが、どうしてどうして、おそろしい厳重げんじゅうな山荘さんそうでございました」

「それゆえ、力で押さず、智でおとす。しかし、智にたよって勇をうしなってもならぬゆえ、わざと伊那丸さまにはお知らせいたさず、そちにだけ第二の密計みっけいをさずけるのじゃ。竹童ちくどう、耳を……」

「はい」

とすりよると、果心居士かしんこじは白髯はくぜんにつつまれた唇くちびるからひそやかに、二言三言ふたことみことの秘策ひさくをささやいた。

それが、いかにおどろくべきことであったかは、すぐ聞いている竹童の目の玉にあらわれて、あるいは驚嘆きょうたん、あるいは壮感そうかん、あるいは危惧きぐの色となり、せわしなく、瞳ひとみをクルクル廻転させた。

「よいか、竹童!」

はなれながら、果心居士かしんこじはさいごにいった。

「一心になって、おおせの通りやりまする」

「そのかわり、この大役を首尾しゅびよくすましたら、伊那丸いなまるさまにおねがいして、そちも武士ぶしのひとりに取り立てて得えさすであろう」

「ありがとうござります。お師匠ししょうさま、侍さむらいになれば、わたくしでも、刀がさせるのでござりましょうね」

「差せるさ」

「差したい! きッと差してみせるぞ」

竹童は、その興奮こうふんで立ちあがった。

しかし、かれのひきうけた大役とはいったいなんだろう。もとより鞍馬山霊くらまさんれいの気をうけたような怪童子かいどうじ、あやぶむことはあるまいが、居士こじの口吻こうふんからさっしても、ことなかなか容易よういではないらしい。

早足はやあしの燕作えんさく

一

夜もすがら、百八ヵ所で焚たきあかしているかがり火のため、人穴城ひとあなじょうの殿堂でんどうは、さながら、地獄じごくの祭のように赤い。

和田呂宋兵衛わだるそんべえたちが、おおきな十字じ架かをささげて、層雲そううんくずれの祈祷きとうにでていったあとは、腹心の轟又八とどろきまたはちが軍奉行いくさぶぎょうの格かくになって、伊那丸いなまると咲耶子さくやこをうつべき、明日あすの作戦に忙殺ぼうさつされていた。

「東の空がしらみだしたら一番貝がい、勢せいぞろいの用意とおもえ。富士川が見えだしたら、二番貝で部署ぶしょにつき、三番貝はおれがふく。同時に、八方から裾野すそのへくだって、時刻時刻の合図あいずとともに、遠巻とおまきの輪わをちぢめて、ひとりあまさず討ってとる計略けいりゃく。かならずこの手はずをわすれるなよ」

一同へ軍令をおわった轟又八は、やや得意ないろで広場にたち、あすの天候を観測かんそくするらしいていで、暗天を見あげていたが、ふと、なにがしゃくにさわったのか、

「ふふん、この闇やみの晩に、なにが見えるんだ。バカ軍師ぐんしめ、人のせわしさも知らずに、まだあんなところでのんき面づらをかまえていやがる」

上のほうへはきだすようにつぶやき、そのまま、殿堂の物ものの具ぐ部屋べやへ隠れてしまった。

又八をして、ぷんぷんと怒らせたものとは、いったいなんであろうか――と空をあおいで見ると、炎々えんえんとのぼるかがりの煙にいぶされて、高い櫓やぐらがそびえていた。そのてッぺんに、さっきから、ひとりの影が立っている。

山寨さんさいの軍師、丹羽昌仙にわしょうせんであった。

轟とどろき又八がバカ軍師とののしったわけである。昼間ひるまから、攻守両意見にわかれて、反対していたのだ。そこで昌仙しょうせんは詮せんなきこととあきらめたか、呂宋兵衛るそんべえが裾野すそのをでるとすぐ、軍備にはさらにたずさわらず、継子ままこのように、ひとり望楼ぼうろうのいただきへあがって、寂然じゃくねんとたちすくみ、四顧こ暗々あんあんたる裾野をにらみつめている。

かれは、さっさつたる高きところの風に吹かれながら、そも、なにをみつめているのだろうか。

星こそあれ、無月荒涼むげつこうりょうのやみよ。――おお、はるかに焔ほのおの列が蜿々えんえんとうごいていく。呂宋兵衛らの祈祷きとうの群れだ、火の行動は人の行動。ちりぢりになる時も、かたまる時も、しずかな時も、さわぐ時も、なるほど、ここにあれば手にとるごとくわかる。

と、なににおどろいたものか、昌仙の顔いろが、サッと変って、ふいに、

「あああ」

と望楼の柱につかまりながら身をのばした。見れば、はるかかなたの火が、風に吹き散らされた蛍ほたるのごとく、算さんをみだしてきはじめたのだ。

「むウ」

思わず重くるしいうめき声。

「しまった! あの竹童ちくどうという小僧こぞうの奇策きさくにはかられた。もうおそい――」

と、かれがもらした痛嘆つうたんのおわるかおわらぬうち、遠き闇やみにあたって、ズーンと立った一道の火柱ひばしら、それが消えると、一点の微光びこうもあまさず、すべてを暗黒がつつんでしまった。

「それ見ろ! このほうがいったとおりだッ」

昌仙しょうせんは手をのばして、いきなり天井てんじょうへ飛びつき、そこにたれていた縄なわの端はしをグイと引いた。と、――人穴城ひとあなじょうの八方にしかけてある自鳴鉦じめいしょうがいっせいに、ジジジジジジジジッ……とけたたましく鳴り渡る。

これ、大手おおて一の門もん二の門三の門、人穴門ひとあなもん、水門、間道門かんどうもんの四つの口、すべて一時に護まもるための手配てはい。いうまでもなく出門しゅつもんは厳禁。無断むだん持場もちばをうごくべからず――の軍師合図ぐんしあいず。

さらに、櫓番やぐらばんへ声をかけて、部下の一人で、もと道中かせぎの町人であった、燕作えんさくという者をよびあげ、かねて用意しておいたらしい一通の密書みっしょをさずけた。

そして口ぜわしく、

「これを一刻こくもはやく羽柴秀吉はしばひでよしどのにわたしてこい。ぐずぐずいたしておると、この山寨さんさいから一歩もでられなくなる。すぐいけよ、なんのしたくもしていてはならんぞ」

と、いいつけた。

燕作は、野武士のぶしの仲間から、韋駄天いだてんといわれているほど足早あしばやな男。頭ずをさげて、昌仙からうけた密書をふところへ深くねじおさめ、

「へい、承知しょうちいたしました。ですが、その秀吉さまは、山崎の合戦かっせんののち、いったいどこのお城にお住すまいでござりましょうか」

「近江おうみの安土あづちか、長浜の城か、あるいは京都にご滞在たいざいか、まずこの三つを目指めざしていけ」

「合点がってんです。では――」

と立って、クルリとむきなおるが早いか、韋駄天いだてんの名にそむかず、飛鳥ひちょうのように望楼ぼうろうをかけおりていった。

二

ふいに自鳴鉦じめいしょうを聞いた轟とどろき又八は、青筋あおすじをかんかんに立てて立腹した。

「こっちで攻めだす用意をしているのに、どこまでもおれに楯たてをつくふつごうな丹羽昌仙にわしょうせん。軍師ぐんしといえどもゆるしておいてはくせになる」

恐ろしい血相けっそうで、望楼の登り口へかけよってくると、出合であいがしらに、上からゆうゆうと昌仙がおりてきた。

「おお、轟、籠城ろうじょうの用意は手ぬかりなかろうな」

「だまれ。いつ頭領かしらから籠城の用意をしろとおふれがでた。しかも、夜が明けしだいに、裾野すそのへ討ってでるしたくのさいちゅうだわ」

「ならぬ! 呂宋兵衛るそんべえさまから軍配ぐんばいを預っている、この昌仙がさようなことはゆるさぬ。七つの門は一寸たりともあけることまかりならんぞ」

「めくら軍師ッ。かしらの呂宋兵衛さまも帰らぬうち、洞門どうもんを閉しめてしまってどうする気だ」

「いまにみよ、祈祷きとうにでたものはちりぢりばらばら、呂宋兵衛るそんべえさまも手傷てきずをうけて命いのちからがら立ちかえってくるであろうわ」

「ばかばかしい! そんなことがあってたまるものか」

と又八が大口おおぐちをあいてあざわらっていると、折もおりだ。祈祷の列に加わっていった足助主水正あすけもんどのしょうと佐分利さぶり五郎次などが、さんばら髪に、血汐ちしおをあびて逃げかえってきた。

「やア、その姿は――?」

今もいまとて、強情ごうじょうをはっていた轟又八、目をみはってこうさけぶと、裾野すそのから逃げかえってきた者どもは声をあわせて、

「一大事、一大事。まんまと敵の計略におちいって、頭領かしらのご生死もわからぬような総くずれ――」

つづいて逃げてきた手下の口から、

「伊那丸いなまるじしんが先手せんてとなり、小幡民部こばたみんぶが軍師ぐんしとなって、もうすぐここへ攻めよせてくるけはい」

と報告された。さらにあいだも待たず、

「あやしいやつが二、三十人ばかり、嶮岨けんそをよじ登って、人穴ひとあなの裏うらへまわったようす」

「前面の雨あまヶ岳たけにも、軍兵ぐんぴょうの声がきこえてきた。水門口のそとでも、鬨ときの声があがった――」

一刻一刻と、矢のような注進。

そのごうごうたるさわぎのなかへ、風に乗ってきたごとく、こつぜんと走りかえってきた和田呂宋兵衛わだるそんべえは、一同にすがたを見せるよりはやく、

「なにをうろたえまわっているかッ、洞門どうもんをまもれ、水門へ人数をくばれ、バカッ、バカッ、バカッ」

八方ぽうへ狂気のごとくどなりつけた。そのくせ、かれじしんからして衣ころもはさかれ目は血ばしり、おもては青味あおみをおびて、よほど度を失っているのだからおかしい。

昌仙しょうせんは、それ見ろ、といわんばかり、

「おさわぎなさるな、頭領かしら。大方おおかたこんなこととぞんじて、すでに手配てはいはいたしておきました」

「おお軍師ぐんし。こののちはかならず御身おんみのことばにそむくまい。どうか寄手よせてのやつらを防ぎやぶってくれ」

「ご安堵あんどあれ、北条流ほうじょうりゅうの蘊奥うんおうをきわめた丹羽昌仙にわしょうせんが、ここにあるからは、なんの、伊那丸いなまるごときにこの人穴ひとあなを一歩も踏ふませることではござらぬ」

轟とどろき又八は、いつのまにか、こそこそと雑兵ぞうひょうのなかへ姿をかくしてしまった。

三

はやくも、一の洞門に鬨ときの声があがる。

まッ先に攻めつけてきたのは武田伊那丸たけだいなまるであった。要所のあんないは咲耶子さくやこ。すぐあとから、加賀見忍剣かがみにんけんと木隠龍太郎こがくれりゅうたろうのふたりが、右翼うよく左翼の力をあわせて、おのおの二十人ほどひきつれ、えいや、えいや、洞門どうもんの前へおしよせてきた。

いっぽう――人穴ひとあなから、どッと流れおちている水門口へかかった巽小文治たつみこぶんじは、槍やりぞろい十五名の部下をつれて、水門をぶちこわそうとしたが、頭の上へガラガラと岩や大木を投げつけてくるのに悩なやまされた。のみならず、水門には、頑丈がんじょうな鉄柵てつさくが二重になっているうえ、足場あしばのわるい狭隘きょうあいな谿谷けいこくである。おまけに、全身水しぶきをあびての苦戦は一通ひととおりでない。

うら山の嶮けんにのぼって、殿堂へ矢を射いこもうとした山県蔦之助やまがたつたのすけ以下の弓組も、とちゅう、おもわぬ道ふさぎの柵さくにはばめられたり、八方ぽうわかれの謎道なぞみちにまよわされたりして、やっとたどりついたが、はやくもそれと知った丹羽昌仙にわしょうせんが、望楼ぼうろうのうえから南蛮銃なんばんじゅうの筒口つつぐちをそろえて、はげしく火蓋ひぶたを切ってきた。

丹羽昌仙の北条流ほうじょうりゅうの軍配ぐんばいと、二千の野武士のぶしと、この天嶮無双てんけんむそうな砦とりでによった人穴ひとあなの賊徒ぞくとらは、こうしてビクともしなかった。

ついにむなしくその夜は明けた。――二日目もすぎた。三日目にも落とすことができなかった。ああなにせよ小勢こぜい、いかに伊那丸があせっても、しょせん、百人足らずの小勢では洞門ひとつ突き破ることもむずかしそうである。

「民部みんぶ、わしはこんどはじめて、戦いくさの苦しさを知った。あさはかな勇にはやったのが恥はずかしい。しかし武夫もののふ、このまま退ひくのは残念じゃ」

前面の高地、雨ヶ岳を本陣として、ひとまず寄手よせてをひきあげた伊那丸いなまるが、軍師ぐんし小幡民部こばたみんぶとむかい合って、こういったのがちょうど九日目。

「ごもっともでござります」民部も軍扇ぐんせんを膝ひざについて、おなじ無念にうつむきながら思わず、

「ああ、ここにもう二、三百の兵さえあれば、策さくをかえて、一つの戦略をめぐらすことができるのだが」

とつぶやくと、伊那丸も同じように、嘆たんをもらして、

「そのむかし、武田菱たけだびしの旗の下もとには、百万二百万の軍兵ぐんぴょうが招まねかずしてあつまったものを」

「また、わが君のおうえにも、かならず輝きの日がまいりましょう。いや、不肖ふしょう民部の身命しんめいを賭としましても、かならずそういたさねば相なりませぬ」

「うれしいぞ民部。けれど、みすみす敵を目のまえにしながら、わずか七、八十人の味方とともにこのありさまでいるようでは……」

と無念の涙をたたえていると、いままで、うしろに黙然もくねんとしていた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうが、なに思ったか、

「伊那丸さま――」

とすすみだして、

「どうぞ某それがしに四日のお暇いとまをくださいますよう」

といいだした。

「なに四日の暇をくれともうすか」

「されば、ただいま民部どのが、欲ほしいとおっしゃっただけの兵を、かならずその日限にちげんのうちに、若君のおんまえまで召めしあつめてごらんにいれまする」

「おお龍太郎どの――」

と民部は、うれしそうな声と顔をひとつにあげて、

「民部、畢生ひっせいの軍配ぐんばいのふりどき、ぜひともごはいりょをおねがいもうすぞ」

「しかし、いまの戦国多端たたんのときに、二、三百の兵を四日にあつめてくるのは容易よういでないこと。龍太郎、それはまちがいないことか……」

伊那丸いなまるは気づかわしそうな顔をした。

が龍太郎はもう立ちあがって、敢然かんぜんと礼れいをしながら、

「ちと心算しんさんもござりますゆえ、なにごとも拙者せっしゃの胸におまかせをねがいます。ではわが君、民部どの、きょうから四日のちに、三百人の軍兵ぐんぴょうとともにお目にかかるでござりましょう」

仮屋かりやの幕まくをしぼって、陣をでた木隠龍太郎は、みずから「項羽こうう」と名づけた黒鹿毛くろかげの駿馬しゅんめにまたがり、雨ヶ岳の山麓さんろくから真ま一文字もんじに北へむかった。

すると、かれのすがたを見かけた者であろうか、

「おおうい。おおうい木隠こがくれどの――」

と呼よびかけてくる者がある。駒こまをとめてふとふりかえると、本栖湖もとすこのほうから槍組やりぐみ二隊をひきつれてそこへきた巽小文治たつみこぶんじが、せんとうに朱柄あかえの槍をかついで立ち、

「おそろしい勢いで、どこへおいでなさるのじゃ」

とふしぎそうにかれを見あげた。

「おお小文治こぶんじどのか、拙者せっしゃはにわかに大役をおびて、これから小太郎山こたろうざんへ立ちかえるところだ」

「ふーむ、ではいよいよ人穴攻ひとあなぜめは断念だんねんでござるか」

「どうしてどうして。ほんとうの合戦かっせんはこれから四日目だ。なにしろいそぎの出先でさき、ごめん――」

「おお待ってくれ。いったいなんの用で小太郎山へお帰り召めさるのじゃ」

と小文治こぶんじがききかえすまに、駿馬しゅんめ項羽こううのかげは木隠をのせて、疾風しっぷうのごとく遠ざかってしまった。

難攻不落なんこうふらくの人穴攻めは、こうしてあと四日ののちを待つことになった。しかし、伊那丸いなまるや、忍剣にんけんや民部みんぶなどの七将星のほかに、果心居士かしんこじの秘命ひめいをうけている竹童ちくどうは、そもそもこの大事なときを、どこでなにをまごまごしているのだろう。

いくらのんきな竹童でも、まさか、お師匠ししょうさまの叱言こごとをわすれて、裾野すそのの野うさぎなんかと、すすきのなかでグウグウ昼寝もしていまいが、もういいかげんに、なにかやりだしてもよいじぶん。

ぐずぐずしていれば、丹羽昌仙にわしょうせんの密使みっしが、秀吉ひでよしのところへついて、いかなる番狂ばんくるわせが起ろうも知れず、四日とたてば、木隠こがくれ龍太郎の吉左右きっそうもわかってくる。どっちにしても、ここ二、三日のうちに果心居士かしんこじの命めいをはたさなければ、こんどこそ竹童、鞍馬山くらまやまから追おンだされるにきまっている。

四

安土あづちの山は焼け山だ。

安土の城も半分は焼けくずれている。

岩は赭あかくかわき、石垣はいぶり、樹木の葉は、みなカラカラ坊主ぼうずになって黒い幹みきばかりが立っていた。

その石段を、ぴょい、ぴょい、ぴょい。まるでりすのようなはやさでかけのぼっていったのは、竹たけノ子こ笠がさに道中合羽どうちゅうがっぱをきて旅商人たびあきんどにばけた丹羽昌仙の密使、早足はやあしの燕作えんさくだ。

中途ちゅうとでちょっと小手をかざし、四方をながめまわして、

「ああ変るものだなあ。戦国の世の中ほど、有為転変ういてんぺんのはやいものはない。どうだい、ついこの夏までは、右大臣織田信長うだいじんおだのぶながの居城きょじょうで、この山の緑みどりのなかには、すばらしい金殿玉楼きんでんぎょくろうが見えてよ、金の鯱しゃちや七重じゅうのお天主てんしゅが、日本中をおさえてるようにそびえていた安土城あづちじょうだ。それが、たった一日でこのありさま。おもえば明智光秀あけちみつひでという野郎やろうも、えらい魔火まびをだしやあがったものだなア……」

燕作えんさくでなくても、ひとたびここに立って、一朝ちょうの幻滅げんめつをはかなみ、本能寺変ほんのうじへんいらいの、天下の狂乱をながめる者は、だれか、惟任日向守これとうひゅうがのかみの大逆たいぎゃくをにくまずにいられようか。

けれど、その光秀みつひでじしん、悪因悪果あくいんあっか、土冠どこうの竹槍たけやりにあえない最期さいごをとげてしまった。で、いまではこの安土城あづちじょうのあとへ、信長のぶながの嫡孫ちゃくそん、三法師ぼうし丸まるが清洲きよすからうつされてきて、焼けのこりの本丸ほんまるを修理し、故右大臣家こうだいじんけの跡目あとめをうけついでいる。

だが、三法師君は、まだきわめて幼少であったため、もっぱら信長の遺業いぎょうを左右し、後見人こうけんにんとなっている者はすなわち、ここ、にわかに大鵬たいほうのかたちをあらわしてきた左少将羽柴秀吉さしょうしょうはしばひでよし。――つまり、早足はやあしの燕作えんさくが、はるばる尋ねてきたその人である。

「おっと、見物は帰りみちのこと、なにしろ役目を果さないうちは気が気じゃない……」

と燕作は、ふたたび笠かさのふちをおさえながら、一散さんに石段から石段をかけのぼっていくと、

「こらッ」

といきなり合羽かっぱの襟えりをつかまれた。

「へ、へい」

とびっくりしてふりかえると、具足ぐそくをつけた侍さむらい――いかにも強そうな侍だ。

槍やりの石突いしづきをトンとついて、

「どこへいく? きさまのような町人がくるところじゃない。もどれッ」

とにらみつけた。

すると、焼やけ崩くずれの土塀どべいのかげからさらに、りっぱな武将が四、五人の足軽あしがるをつれて見廻りにきたが、このていを見ると、つかつかとよってきて、

「才蔵さいぞう、それは何者じゃ」

とあごでしゃくった。

「ただいま、取り調べているところでござります」

「うむ、お城のご普請中ふしんちゅうをつけこんで、雑多ざったなやつがまぎれこむようすじゃ。びしびしと締しめつけて白状はくじょうさせい」

燕作えんさくはおどろいた。

そのびしびしのこないうちにと、あわてて密書みっしょを取りだし、

「もしもし、わたくしはけっしてあやしい人間じゃあございません。この通り秀吉ひでよしさまへ大事なご書面を持ってまいりましたもの、どうぞよろしくお取次とりつぎをねがいます。へい、これでございます」

「どれ」

武将は受けとって、と見、こう見、やがて、うなずいてふところに入れてしまった。

「よろしい。帰っても大事ない」

「へい……」

燕作えんさくはもじもじして、

「ですが、しつれいでございますが、あなたさまはいったい、どなたでござりましょうか、お名まえだけでもうかがっておきませんと、その……」

「それがしは秀吉公ひでよしこうの家臣、福島市松ふくしまいちまつだわ」

「あ、正則まさのりさま」

と、燕作はとびあがって、

「それなら大安心、これでわたくしの荷にも降おりたというわけ。ではみなさんごめんなさいまし、さようなら」

いま、ツイそこでおじぎをしていたかと思うまに、もう燕作のすがたは、松の樹こがくれに小さくなって、琵琶湖びわこのほうへスタコラと歩いていた。

「おそろしい足早あしばやな男もあるもの――」

福島正則は、家来の可児才蔵かにさいぞうと顔をあわせて、しばし、あきれたように竹ノ子笠がさを見送っていた。

吹針ふきばりの蚕婆かいこばばあ

一

うえの羽織はおりは、紺地錦こんじにしきへはなやかな桐散きりぢらし、太刀たちは黄金こがねづくり、草色の革かわたびをはき、茶筌髷ちゃせんまげはむらさきの糸でむすぶ。すべてはでずきな秀吉ひでよしが、いま、その姿すがたを、本丸ほんまるの一室にあらわした。

そこでかれは、腰へ手をまわし、少し背せなかを丸くして、しきりに壁かべをにらんでいる。達磨大師だるまだいしのごとく、いつまでもあきないようすで、一心に壁とむかいあっている。

飯めしをかむまもせわしがっているほどの秀吉が、にらみつめている以上、壁もただの壁ではない。縦たて六尺あまり横よこ三間げん余よのいちめんにわたって、日本全土、群雄割拠ぐんゆうかっきょのありさまを、青、赤、白、黄などで、一目もく瞭然りょうぜんにしめした大地図の壁絵。――さきごろ、絵所えどころの工匠こうしょうを総そうがかりで写うつさせたものだ。

「あるある。安土あづちなどよりはぐんとよい地形がある。まず秀吉が住むとなれば、この摂津せっつの大坂おおさかだな……」

この地図を見ていると、秀吉はいつもむちゅうだ。青も赤も黄色も眼中にない、かれの目にはもう一色ひといろになっているのだ。

「関東には一ヵ所よい場所があるな。しかし、西国さいごくの猛者もさどもをおさえるにはちと遠いぞ。――お、これが富士ふじ、神州しんしゅうのまン中に位くらいしているが、裾野すその一帯たいから、甲信越こうしんえつの堺さかいにかけて、無人むじんの平野、山地の広さはどうだ。うむ……なかなかぶっそうな場所が多いわ」

ひとり語ごとをもらしながら、若いのか爺じじいなのか、わからぬような顔をちょっとしかめていると、

「秀吉ひでよしどの――」

かるく背せなかをたたいた人がある。

「おお」

われに返ってふりむくと、いつのまにきていたのか、それは右少将徳川家康うしょうしょうとくがわいえやすであった。

「だいぶ、ご熱心なていに見うけられまするのう」

「はッはッはははは。いやほんのたいくつまぎれ。それより家康どのには、近ごろめずらしいご登城とじょう」

「ひさしく三法師ぼうし君ぎみにもご拝顔いたしませぬので、ただいまごきげんうかがいをすまして、お暇いとまをいただいてまいりました。時に、話はちがいまするが、さきごろ、秀吉どのには世にもめずらしい品しなをお手に入いれたそうな」

「はて? なにか茶道具の類るいのお話でもござりますかな」

「いやいや。武田家たけだけにつたわる天下の名宝、御旗みはた楯無たてなしの二品ふたしなをお手に入いれたということではござりませぬか」

「あああれでござるか、いや例の好このみのくせで、求めたことは求めましたが、さて、なんに使うということもできない品しなで、とんだ背負物しょいものでござる。あはははははは」

と、秀吉ひでよしは、こともなく笑ってのけたが、家康いえやすにはいたい皮肉ひにくである。穴山梅雪あなやまばいせつに命じて、じぶんの手におさめようとした品しなを、いわば不意に、横からさらわれたような形。

しかし、秀吉はそんな小さな皮肉のために、黄金おうごん千枚を積つんで買いもとめたわけでもなく、また決して、御旗みはた楯無たてなしの所有慾しょゆうよくにそそられたものでもない。要は和田呂宋兵衛るそんべえという野武士のぶしの潜勢力せんせいりょくを買ったのだ。

清濁せいだくあわせ呑のむ、という筆法で、蜂須賀小六はちすかころくの一族をも、その伝でんで利用した秀吉が、呂宋兵衛に目をつけたのもとうぜんである。

かれを手なずけておいて、甲駿三遠こうすんさんえん四ヵ国の大敵、げんに目のまえにいる徳川家康を、絶えずおびやかし、時によれば、背後をつかせ、つねに間諜かんちょうの役目をさせておこう、――というのが秀吉のどん底にある計画だ。

と、折からそこへ、

「右少将うしょうしょうさまにもうしあげます。ただいま、ご家臣の本多ほんださまがお国もとからおこしあそばしました」

と、ひとりの小侍こざむらいが取りついできた。すると、入れかわりにまたすぐと、べつな侍が両手をつき、

「左少将さしょうしょうさま。福島正則ふくしままさのりさまが、ちとご別室で御意ぎょい得たいと先刻せんこくからおまちかねでござります」

ふたりは、大地図だいちずのまえをはなれて、目礼もくれいをかわした。

「ではまた、後刻ごこくあらためてお目にかかりましょう」

端厳たんげん、麒麟きりんのごとき左少将秀吉さしょうしょうひでよし。風格、鳳凰ほうおうのような右少将家康うしょうしょういえやす。どっちも胸に大野心だいやしんをいだいて、威風いふうあたりをはらい、安土城本丸あづちじょうほんまるの大廓おおくるわを右と左とにわかれていった。

二

「野武士のぶしのうちにも人物があるぞ」

別室にうつって、福島正則ふくしままさのりの手から密書みっしょをうけ取った秀吉ひでよしは、一読して、すぐグルグルとむぞうさに巻まきながら、

「丹羽昌仙にわしょうせんというやつ、ちょっと使えるやつじゃ。したがこの手紙の要求などをいれることはまかりならん。ほっとけ、ほっとけ」

「信玄しんげんの孫、伊那丸いなまるとやらが、ふたたび、甲斐源氏かいげんじの旗揚はたあげをいたす兆きざしが見えると、せっかく、かれからもうしてまいったのに、そのままにいたしておいても、大事はござりますまいか」

「市松いちまつ、そこが昌仙のぬからぬところじゃ。われからことに援兵えんぺいをださせて、北条ほうじょう、徳川とくがわなどの領地りょうちをさわがせ、その機きに乗じておのれの野心をとげんとする。――秀吉ひでよしにそんな暇ひまはない、乳ちちくさい伊那丸ごとき者にほろぼされる者なら滅ほろんでしまえ」

「では、だれか一、二名をつかわして、呂宋兵衛るそんべえのようす、また、武田伊那丸たけだいなまるの形勢などを、さぐらせて見てはいかがでござりましょうか」

「む、それはよいな。――だが、待てよ、家康いえやすの領内をこえていかにゃならぬ。腹心の者はみな顔を知られているし、そうかともうして、凡々ぼんぼんな小者こものではなんの役にも立つまいのう」

「それには、屈強くっきょうな新参者しんざんものがひとりござります」

「それやだれだ」

「可児才蔵かにさいぞうという豪傑ごうけつでござる。わたくしじまんの家来、ちかごろのほりだし者と、ひそかに鼻を高くしておるほどの者でござりまする」

「む、山崎の合戦かっせんこのかた、そちの幕下ばっかとなった評判ひょうばんの才蔵か、おお、あれならよろしかろう」

正則まさのりは、秀吉ひでよしのまえをさがって、やがて、この旨むねを可児才蔵にふくませた。

才蔵は新参者しんざんものの身にすぎた光栄と、いさんでその夜、こっそりと鳥刺とりさし稼業かぎょうの男に変装へんそうした。そしてもち竿ざお一本肩にかけ安土あづちの城をあかつきに抜けて、富岳ふがくの国へ道をいそぐ――

ずっと後年こうねん――関ヶ原の役えきに、剣頭にあげた首のかずを知らず、斬っては笹ささの枝にさし、斬っては笹に刺さしたところから、「笹ささの才蔵さいぞう」と一世に武名をうたわれた評判男は、いよいよこれから、武田伊那丸の身辺に近づこうとする変装へんそうの鳥刺し、この可児才蔵であった。

剣道は卜伝ぼくでんの父塚原土佐守つかはらとさのかみの直弟子じきでし。相弟子あいでしの小太郎と同格といわれた腕、槍やりは天性てんせい得意とする可児才蔵かにさいぞうが、それとは似にもつかぬもち竿ざおをかついで頭巾ずきんに袖そでなしの鳥刺とりさし姿。

「ピピピピッ、……ピョロッ、ピョロ、ピョロ……」

時々は、吹きたくない鳥呼笛とりよびぶえをふき、たまには、雀すずめの後あとをおっかけたりして、東海道の関所せきしょから、関所を、たくみに切りぬけてくるうちに、これはどうだろう、かほどたくみに変装へんそうしたかれを、もうひとりの男が、見えつかくれつ、あとをつけて、慕したっていく。

ところが、世の中はゆだんがならない、その男はとちゅうからつけだしたのではなく、じつは、安土あづちの城からくっついてきているのだ。

同じ日に、浜松から安土あづちへきた家康いえやすの家臣、徳川四天王てんのうのひとり本多忠勝ほんだただかつが、こッそりその男をつけさせた。――というのは、竹ノ子笠がさの燕作えんさくが、正則まさのりに密書みっしょをわたしたようすを、休息所の窓まどから、とっくりにらんでいたのである。

「はてな?」小首をかしげた忠勝ただかつは、主人家康と面談をすましてから、とものなかにいる菊池半助きくちはんすけという者をひそかによんだ。そしてなにかささやくと、半助はまたどこかへか立ち去った。

この菊池半助も、前身は伊賀いがの野武士のぶしであったが、わけあって徳川家とくがわけに見いだされ、いまでは忍術組にんじゅつぐみの組頭くみがしらをつとめている。いわゆる、徳川時代の名物、伊賀者いがものの元祖がんそは、この菊池半助きくちはんすけと、柘植半之丞つげはんのじょう、服部小源太はっとりこげんたの三羽ば烏がらす。そのひとりである半助が、忍術にんじゅつに長たけているのはあたりまえ、あらためてここにいう要がない。したがって偽鳥刺にせとりさしの可児才蔵かにさいぞうの後をつけ、落ちつく先の行動を見とどけるくらいな芸当は、まったく朝飯前あさめしまえの仕事だった。

三

ピキ ピッピキ トッピキピ

おなかがへッて北山きたやまだ

芋いもでもほッて食くうべえか

芋泥棒いもどろぼうにゃなりたくない

鳶とんびを捕とッて食くうべえか

ヒョロヒョロ泣かれちゃ喰たべかねる

そんなら雪でも食くッておけ

富士の山でもかじりてえ

ピキ ピッピキ トッピキピ

だれだろう? そも何者だろう? こんなでたらめなまずい歌を、おくめんもなく、大声でどなってくるものは。

この村には、家はならんでいるが、ほとんど人間はいなくなっているはず。五湖、裾野すその、人穴ひとあな、いたる所ではげしい斬り合があったり、流れ矢が飛んできたりしたため、善良な村の人たちは、すわ、また大戦の前駆ぜんくかと、例によって、甲州の奥ふかく逃げこんだ。

それゆえ、秋の日和ひよりだというのに、にわとりも鳴かず、杵きねの音おともせず、あわれにも閑寂かんじゃくをきわめている。いま聞こえたへたくそな歌も、一つはこのせいで、いっそう、素すッ頓狂とんきょうにもひびいてきこえる。

「やア、こいつア、こいつアこいつアうまいものがあらあ――」

こんどは地声じごえで、人なき村のある軒先のきさきに立ち――こういったのは竹童ちくどうである。

かれが、目の玉をクルクルさせ、よだれをたらして見あげたのは、大きな柿かきの木であった。上には枝もたわわに、まだ青いのや、赤ずんできた猿柿さるがきが、七分ぶ三分ぶにブラさがっている。

「こッちの端はしにある赤いやつはうまそうだなあ。取っちゃあ悪いかしら? かまわないかしら……?」

いつまでも立って考えている。この姿を、果心居士かしんこじが見たら、なんとあきれるだろう。

口に葉ッぱをくわえているところを見ると、いま、木この葉は笛ぶえを吹きながら、へんなでまかせを歌ったのもこの竹童にそういない。いったいこの子は、お師匠ししょうさまからいいつけられている計略けいりゃくなんか、とっくにドコかへ忘れてしまっているのではないかしら、第一きょうはかんじんな、かの昇天雲しょうてんうんである鷲わしにも乗っていない。

「いいや、いいや。一ツや二ツくらいとってかまうもんか。柿かきなんか、ひとりでに、地べたから生はえてるものなんだ。これを取ったッて、泥棒どろぼうなんかになりゃしない」

勝手かってなりくつをかんがえて、ぴょいと、木へ飛びつくと、これはまたあざやかなもの。なにしろ、本場ほんば鞍馬くらまの山で鍛きたえた木のぼり。するッと上がって、一番赤い柿かきのなっている枝先へ、鳥のようにとまッてしまった。

「べッ、しぶいや」

びしゃッと下へたたきすてる。

「ありがたい――」

次のは甘かったと見える。もう口なんかきいていない。猿さるのようにカリカリ音をさせて頬ほおばり、たねだけを下へはきだしている。

「甘いなあ、これで一霜しもかかればなお甘いんだ。おいらばかり食たべているのはもったいない、お師匠ししょうさまにも一つ食たべさせてあげたいな……」

食くうに専念せんねん、ことばはブツブツ噛かみつぶれた寝言ねごとのようだ。このぶんなら、まだ十や十五は食くえそうだという顔でいると、どうしたのか竹童ちくどう、時々、チクリ、チクリと、変に顔をしかめだした。

「ア痛いた!」と粘ねばった手で頬ほっぺたをおさえた。

が、またすぐ食くう。

木を降りるのもおしいようす。と、一口かじりかけると、またチクリ。

「ちぇッ」と舌したうちして襟えりくびをなでた。こんどは大へん、なでた手がチクリと刺された。

「なんだろう、さっきから――」

そッとさぐってみると、こいつはふしぎ、針だ、キラキラする二寸すんばかりの女の縫針ぬいばり。

「あッ!」

そのとたんに、竹童はおもわず肱ひじをまげて顔をよけた。まえの萱葺屋根かやぶきやねの家から、射いるようなするどい目がキラッとこちらへ光った。

「降おりろ、小僧こぞう!」

見ると、百姓家ひゃくしょうやのやぶれ廂びさしの下から、白い煙がスーッとはいあがっている。そこには、ひとりのお婆ばあさん、麻あさのような髪かみをうしろにたれ、鍋なべや、糸かけを前に、腰をかけて、繭まゆを煮にながら、湯のなかの白い糸をほぐしだしている。

四

柿かきの木から飛びおりた竹童ちくどうは、はじめてそこに人あるのを知って、軒先のきさきに近より、家の中をのぞいてみると、奥おくには雑多ざったな蚕道具かいこどうぐがちらかっており、土間どまのすみの土どべっついのまえには、ひとりの男がうしろ向きにしゃがんで、スパリ、スパリ、煙草たばこをつけながら火を見ている。

「ごめんよ、あれ、お婆ばあさんとこの柿かきの木だったのかい?」

竹童ちくどうは繭まゆの鍋なべをのぞきながら、たッた一つおじぎをした。

婆ばあさんは、ぎょろッとした目をあげて、

「人みしりをしねえ餓鬼がきだ。なんだって、人んとこの柿をだまってぬすみさらすのじゃい」

「だからあやまってるじゃないか。ああそうそう、おいらも用があってこの村へきたんだっけ。お婆さん、どこかこのへんに、物をあきなっている家うちはないかしらなあ」

「でまかせをこけ。この村には、ここともう一軒けん鍛冶屋かじやよりほかに人はいやしない。そんなことは承知しょうちのうえで、柿泥棒かきどろぼうにきやがったくせにして」

「ほんとだ、おいらまったく買いたい物があってきたんだ。お婆さんとこにあったらゆずってくんないか」

「なんだい」

「松明たいまつさ」

「松明?」

「アア、二十本ばかりほしいんだがなあ」

「餓鬼のくせに、松明なんかなんにするだ」

「ちょッといることがあるんだよ。お婆ばあさんの家うちに持ちあわせはないかね」

「ねえッ、そんなものは!」

といった婆さんの顔を見て、竹童は「あッ」と叫んでしまった。お婆さんの口の中で光った物があったのだ。三、四本の乱杭歯らんぐいばの間を、でたり入はいったりしているのは、たしかに四、五十本の縫針ぬいばりだ。

これだ!

さっき柿の木の上まで飛んできて頬ほっぺたを刺さした針は――竹童はむッとした。

「たぬき婆ばばあ。もう、松明たいまつなんかたのまない!」

「なんだと、この小僧こぞう」

「よくも、おいらをさんざん悩なやめやがったなッ」

いきなり腰の棒切ぼうきれを抜いてふりかぶり、蚕婆かいこばばあの肩をピシリと打っていったせつな、あら奇怪、身をかわした婆ばばあの口から、ピラピラピラピラピラピラピラ糸のような細い光線となって、竹童の面めんへ吹きつけてきた含ふくみ針ばり!

これこそ、剣、槍やり、薙刀なぎなたの武術のほかのかくし技わざ、吹針ふきばりの術じゅつということを、竹童も、話には聞いていたが、であったのは、きょうがはじめてである。

「その時に、目に気をつけろ、敵の目をとるのが吹針の極意ごくい」と、かねて聞いていたので、竹童はハッとして、とっさに顔をそむけて飛びのいた。

五

その時だった。

竹童ちくどうと蚕婆かいこばばあの問答もんどうをよそに土どべっついの火にむかって煙草たばこをくゆらしていた脚絆きゃはんわらじの男が、ふいに戸外おもてへ飛びだしてきた。

男は、やにわに、竹童の首ッ玉へ、うしろから太腕を引っかけて、かんぬきしばりに、しばりあげた。

「鞍馬山くらまやまの小僧こぞう、いいところであった!」

「くッ、くッ……」

竹童はのどをひッかけられて声がでない。顔ばかりをまッ赤かにし、喉首のどくびの手を、むちゃくちゃにひッかいた。

「ちッ、畜生ちくしょう。きょうばかりはのがしゃしねえ」

「だれだいッ、くッくくくくるしい」

「ざまあみやがれ。小ちっぽけなぶんざいをしやがって、よくも武田伊那丸たけだいなまるの諜者ちょうじゃになって、人穴ひとあなへ飛びこみ、おかしらはじめ、多くの者をたぶらかしやがったな。その返報へんぽうだ、こうしてやる! こうしてやる」

と、なぐりつけた。

「くそウ! おいらだって、こうなりゃ鞍馬山の竹童だ」

と、ぼつぜんと、竹童ちくどうもはんぱつした。

なりこそちいさいが、必死の力をだすと、大人おとなもおよばぬくらい、ねじつけられている体からだをもがいて、男の鼻と唇くちびるへ指をつッこみ、鷲わしのように爪つめを立てた。

「あッ」

これにはさすがの男も、ややたじたじとしたらしい。ゆだんを見すまし、竹童は腕のゆるみをふりほどくが早いか一目もく散さん――

「おまえみたいな下したっ端ぱに、からかってなんかいられるもんかい!」

すてぜりふをいって、あとをも見ずに逃げだした。

「バカ野郎やろう」

男は割合わりあいに落ちついて見送っている。

「そうだそうだ。もッと十町でも二十町でも先に逃げてゆけ、はばかりながら、てめえなんかに追いつくにゃ、この燕作えんさくさまにはひと飛びなんだ」

この男こそ、燕作だった。さてこそ、竹童を伊那丸いなまるの手先と見て、組みついたはず。

かれは、首尾しゅびよく、丹羽昌仙にわしょうせんの密書をとどけて、ここまで帰ってきたものの、人穴ひとあな城の洞門どうもんはかたく閉しめられ、そこここには伊那丸の一党とうが見張っているので、山寨さんさいへも帰るに帰られず、蚕婆かいこばばあの家うちにかくれていたものらしい。

「あの竹童のやつをひっ捕とらえていったら、さだめし呂宋兵衛るそんべえさまもお喜びになるだろうし、おれにとってもいい出世しゅっせ仕事だ。どれ、一つ追いついて、ふんづかまえてくれようか」

いうかと思うまに、もう燕作えんさくは、礫つぶてのとんでいくように走っていた。それを見るとなるほど稀代きたいな早足はやあしで、日ごろかれが、胸に笠かさをあてて馳かければ、笠を落とすことはないと自慢しているとおり、ほとんど、踵かかとが地についているとは見えない。

竹童ちくどうも、逃げに逃げた。折角村おりかどむらから蛭ひるヶ岳たけの裾すそを縫ぬって街道にそって、足のかぎり、根こんかぎり、ドンドンドンドンかけだして、さて、

「もうたいがい大じょうぶだろう――」と立ちどまり、ひょいとあとをふりかえってみると、とんでもないこと、もうすぐうしろへ追いついてきている。

「あッ」またかける。燕作もいちだんと足を早めながら、

「やあい、竹童。いくら逃げてもおれのまえをかけるのはむだなこッたぞ」

「おどろいた早足だな、早いな、早いな、早いな」

さすがの竹童も敵ながら感心しているうちに、とうとう、ふたたび燕作のふと腕が、竹童の襟えりがみをつかんで、ドスンとあおむけざまに引っくりかえした。

そこは、釜無川かまなしがわの下しも、富士川ふじがわの上かみ、蘆山あしやまの河原かわらに近いところである。燕作は、思いのほかすばしッこい竹童をもてあまして、手捕てどりにすることをだんねんした。そのかわり、かれはにわかにすごい殺気を眉間みけんにみなぎらせ、

「めんどうくせえ、いッそ首にして呂宋兵衛るそんべえさまへお供そなえするから覚悟かくごをしろ」とわめいた。

ひきぬいたのは、二尺四寸の道中差どうちゅうざし、竹童はぎょッとしてはね返った。とすぐに、するどい太刀風たちかぜがかれの耳みみたぶから鼻ばしらのへんをブーンとかすった。

哀れ竹童、組打ちならまだしも、駈かけ競くらべならまだしものこと――真剣しんけんの白刃交しらはまぜをするには、悲しいかな、まだそれだけの骨組もできていず、剣をとっての技わざもなし、第一、腰に差してる刀というのが、頼みすくない樫かしの棒切ぼうきれだ。

石投いしなげの名人めいじん

一

秋の水がつめたくなって、鮠はやも山魚やまめもいなくなったいまじぶん、なにを釣つる気か、ひとりの少年が、蘆川あしかわの瀞とろにむかって、釣つり糸いとをたれていた。

少年、年のころは十五、六。

すこし低能ていのうな顔だちだが、目だけはずるく光っている。鳥とりの巣すみたいな髪の毛をわらでむすび、まッ黒によごれた山袴やまばかまをはいて、腰には鞘さやのこわれを、あけびの蔓つるでまいた山刀一本さしていた。

「ちぇッ、釣れねえつれねえ、もうやめた!」

とうとう、かんしゃくを起したとみえて、いきなり竿さおをビシビシと折って、蘆川あしかわのながれへ投げすてた。

「あ、瀞とろの岩にせきれいが遊んでいやがる。そうだ、これからは鳥うちだ、ひとつ小手しらべにけいこしてやろうか」

と、足もとの小石を三つ四つ拾いとったかと思うと、はるか、流れの中ほどをねらって、おそろしく熟練じゅくれんした礫つぶてを投げはじめた。

「やッ――」と、小石に気合いがかかって飛んでいく。

と見るまに、二羽わのせきれいのうち、一羽が瀞とろの水に落ちて、うつくしい波紋はもんをクルクルと描えがきながら早瀬はやせのほうへおぼれていった。

「どんなもんだい。蛾次郎がじろうさまの腕まえは――」

かれはひとりで鼻うごめかしたが、もうねらうべきものが見あたらないので、こんどは、たくみな水切りの芸をはじめた。一つの小石が、かれの手からはなれるとともに、なめらかな水面を、ツイッ、ツイッ、ツイッと水を切っては跳とび、切っては跳とぶ、まるで、小石が千鳥ちどりとなって波を蹴けっていくよう。

「七つ切れた! こんどは十!」

調子ちょうしにのって、蛾次郎がわれをわすれているときだ。

そこから二、三町はなれたところの河原かわらで、ただならぬさけび声がおこった。かれはふいに耳をたって、四、五間けんばかりかけだしてながめると、いましも、ひとりの兇漢きょうかんが、皎々こうこうたる白刃はくじんをふりかぶって、小ちッぽけな小僧こぞうをまッ二つと斬りかけている。

それは、燕作えんさくと、竹童ちくどうだった。

竹童はいまや必死のところ、樫かしの棒切ぼうきれを風車かざぐるまのようにふって、燕作の真剣しんけんと火を飛ばしてたたかっているのだ。しかし、大の男のするどい太刀たちかぜは、かれに目瞬まばたきするすきも与えず、斬り立ててきた。あわや、竹童は血煙とともにそこへ命を落としたかと見えたが、

「あッ――」

ふいに燕作が、唇くちびるをおさえながら、タジタジとよろけた。どこからか、風を切って飛んできた小石に打たれたのである。

「しめた!」と、竹童は小さな体からだをおどらせて、ピシリッと、燕作の耳みみたぶをぶんなぐった。

「野郎やろうッ!」

怒髪どはつをさかだてて、ふたたび太刀を持ちなおすと、またブーンとかれの小手へあたった第二の礫つぶて。

「ア痛いたッ」

ガラリと道中差どうちゅうざしをとり落としたが、さすがの燕作も、それを拾いとって、ふたたび立ち直る勇気もないらしい。笑止しょうしや、四尺にたらぬ竹童にうしろを見せて、例の早足はやあし。雲を霞かすみと逃げだした。

「待て。意気地いくじなしめ!」

竹童ちくどうは、急に気がつよくなって、こんどはまえと反対に、かれを追ってドンドン走りだすと、ちょうど、あなたからも河原づたいに、黒鹿毛くろかげの駒こまを疾風しっぷうのごとく飛ばしてくるひとりの勇士があった。――見るとそれは秘命をおびて、伊那丸いなまるの本陣雨あまヶ岳たけをでた奔馬ほんば「項羽こうう」。――上なる人はいうまでもなく、白衣びゃくえの木隠龍太郎こがくれりゅうたろうだ。

「や、や、あいつは伊那丸いなまるがたの武将らしいぞ」

と、戸まどいした燕作えんさくが、その行く先でうろうろしているうちに、たちまちかけよった龍太郎りゅうたろう、

「これッ」

と、すれちがいざま、右手をのばして燕作の首すじをひっつかみ、やッと馬上へつるし上げたかとおもうと、

「往来おうらいのじゃまだ!」

手玉てだまにとってくさむらのなかへほうりこみ、そのまま走りだすと、こんどはバッタリ竹童にいき会った。

「おお、それへおいでなされたのは龍太郎さま――」

「やあ、竹童ではないか」ピタリと「項羽」の足をとめて、

「なんでこんなところでうろついているのだ。呂宋兵衛るそんべえの手下どもに見つけられたら、命いのちがないぞ、はやく鞍馬山くらまやまへ立ち帰れ」

「ありがとうございますが、まだこの竹童には、お師匠ししょうさまからいいつけられている大役があるんです。ところで龍太郎さまは、これからいずれへおいそぎですか」

「されば小太郎山こたろうざんへまいって、三百人の兵をかりあつめ、ここ四日ののちに、人穴城ひとあなじょうを攻めおとす計略けいりゃく」

「わたくしがやる仕事も四日目です。どうも、お師匠ししょうさまのおさしずは、ふしぎにピタリピタリと伊那丸いなまるさまの計略と一致するのが妙みょうでございます」

「ふーむ……してその密計とはどんなことだ?」

「天機てんきもらすべからず。――しゃべるとお師匠ししょうさまからお目玉を食くいます。それよりあなたこそ、どうして三百人という兵がわずか四日で集められますか、まさかわら人形でもありますまいに」

「それも、軍機ぐんきは語るべからずじゃ」

「あ、しっぺ返しでございますか」

「オオ、そんなのんきな問答をいたしている場合ではない、竹童ちくどうさらば!」

と、ふいに鞭むちをあげて、行く手をいそぎだそうとすると何者か、

「ばかだな、ばかだなあ! あの人はいったいどこへいくつもりなんだい!」とあざわらう声がする。

木隠龍太郎こがくれりゅうたろうも竹童も、そのことばにびっくりしてふりかえると、石投げをしていた蛾次郎がじろうがいつかのっそりそこに立っていた。

隠密落おんみつおとし

一

「拙者せっしゃをバカともうしたのはきさまだな」

龍太郎りゅうたろうがにらみつけると、蛾次郎がじろうはいっこうにこたえのないふうで、ゲタゲタと笑いながら、

「ああおれだよ」

「ふらちなやつ、なんでさようなことをぬかした」

「だってお侍さむらいさんは、小太郎山こたろうざんへいくんだっていうのに、とんでもないほうへ馬の首をむけていそぎだしたから笑ったんだ」

「ふーむ、ではこっちへむかっていってはわるいか」

「悪いことはないけれど、この蘆川あしかわを大まわりして、甲州街道かいどうをグルリとまわった日には、半日もよけいな道を歩かなけりゃならない。それより、この川を乗っきって駿州路すんしゅうじを左にぬけ、野之瀬ののせ、丸山、鷲わしの巣すとでて、野呂川のろがわを見さえすれば、すぐそこが、小太郎山じゃないか」

と、すこし抜けている蛾次郎も、住みなれた土地の地理だけに、くわしく弁べんじた。

「なるほど、これは拙者せっしゃがこのへんに暗いため、無益むえきの遠路とおみちにつかれていたかも知れぬ。しかし、この激流を、馬で乗っきる場所があろうか」

「あるとも、水馬すいばさえ達者たっしゃなら、らくらくとこせる瀞とろがある。ここだよ、お侍さむらいさん――」

と蛾次郎がじろうはまえに水切りをやっていたところを教えた。

「む。なるほど、ここは深そうだ、川幅かわはばも四、五十間けん、これくらいなところなら乗っ切れぬこともあるまい」

と龍太郎はよろこんで、浅瀬あさせから項羽こううを乗りいれ、ザブザブ、ザブ……と水を切っていくうちに紺碧こんぺきの瀞とろをあざやかに乗りきって、たちまち向こう岸へ泳ぎ着いてしまった。

「ありがとう」

と、それを見送るとほッとしたさまで、竹童ちくどうが礼をいうと、蛾次郎がじろうはクスンと笑って、

「なにがありがてえんだ、おめえに教えてやったわけじゃあない」といった。

竹童はじぶんより三歳か四歳上らしい蛾次郎を見上げて、へんなやつだとおもった。

「そのことじゃないよ、さっきおいらが悪いやつに、あやうく殺されそうになったところを、石を投げて逃にがしてくれたから、その礼れいをいったのさ」

「あんなことはお茶の子だ、こう見えてもおれは石投げ蛾次郎といわれるくらい、礫つぶてを打つのは名人なんだぜ」

と、ボロ鞘ざやの刀をひねくッて、竹童ちくどうに見せびらかした。

「蛾次郎がじろうさんの家うちはどこだい?」

「おれか、おれは裾野すそのの折角村おりかどむらだ、だがいまあの村には、桑畑くわばたけの蚕婆かいこばばあと、おれの親方だけしか住んでいないから人無村ひとなしむらというほうがほんとうだ」

「親方っていう人は、あの村でなにをしているんだい」

「知らねえのかおめえは、おれの親方は、鼻かけ卜斎ぼくさいっていう有名な鏃鍛冶やじりかじだよ。おれの親方の鍛うった矢の根は、南蛮鉄なんばんてつでも射抜いぬいてしまうってんで、ほうぼうの大名だいみょうから何万ていう仕事がきているんだ。おれはそこの秘蔵ひぞう弟子だ」

「偉えらいなあ――」竹童ちくどうはわざと仰山ぎょうさんに感心して、

「じゃ、蛾次郎さんとこには、松明たいまつなんかくさるほどあるだろうな」

「あるとも、あんなものなら薪まきにするほどあらあ」

「おいらに二十本ばかりそっとくれないか」

「やってもいいけれど、そのかわりおれになにをくれる」

と蛾次郎はずるい目を光らした。

竹童はとうわくした。お金もない。刀もない。なんにもない。持っているのは相変らずの棒切れ一本だ。そこで、

「お礼れいには、鷲わしに乗せて遊ばしてやら。ね、鷲わしにのって天を翔かけるんだぜ。こんなおもしろいことはない」

といった。

「ほんとうかい、おい!」蛾次郎がじろうは、目の玉をグルグルさせた。

「うそなんかいうものか、松明たいまつさえ持ってきてくれれば乗せてやる。そのかわり夜でなくッちゃいけない」

「おれも夜の方がつごうがいい。そしておまえはどこに待っている?」

「白旗しらはたの宮みやの森で待ってら、まちがいなくくるかい」

「いくとも! じゃ今夜、松明たいまつを二十本持っていったら、きっと鷲わしに乗せてくれるだろうな、うそをいうと承知しょうちしないぜ、おい! おれは切れる刀を差しているんだからな」

と、またあけび巻まきの山刀やまがたなを自慢じまんした。

二

木隠龍太郎こがくれりゅうたろうのために、河原かわらへ投げつけられた燕作えんさくは、気をうしなってたおれていたが、ふとだれかに介抱かいほうされて正気しょうきづくと、鳥刺とりさし姿すがたの男が、

「どうだ、気がついたか」

とそばの岩に腰かけている。見れば、つい四、五日前に安土城あづちじょうで、じぶんの手から密書みっしょをわたした福島正則ふくしままさのりの家来可児才蔵かにさいぞうである。

燕作はあっけにとられて、

「あ、いつのまにこんなところへ」と、思わず目をみはった。

「しッ、大きな声をいたすな、じつは、秀吉公ひでよしこうの密命みつめいをうけて、武田伊那丸たけだいなまるとの戦いくさのもようを見にまいったのだ、ところで、さっそく丹羽昌仙にわしょうせんに会いたいが、そのほう、これより人穴城ひとあなじょうのなかへあんないいたせ」

「とてもむずかしゅうございます。敵は小人数こにんずながら、小幡民部こばたみんぶという軍配ぐんばいのきくやつがいて、蟻ありものがさぬほど厳重げんじゅうに見張っているところですから」

「どこの城にも、秘密の間道かんどうはかならず一ヵ所はあるべきはず、そちは、それを知らぬのであろう」

「さあ、間道かんどうといえば、ことによると蚕婆かいこばばあが、知っているかもしれません。あいつは呂宋兵衛るそんべえさまの手先になって、それとなくそとのようすを城内へ通じている、裾野すそのの目付婆めつけばばあ、とにかくそこへいってききただして見ることにいたしましょう」

と燕作えんさくは、可児才蔵かにさいぞうのあんないにたって、人無村ひとなしむらの蚕婆の家までもどってきた。

「お婆ばあさん、開あけてくれないか、燕作えんさくだよ。燕作が帰ってきたんだから、ちょっと開あけておくれ」

もう日が暮れている。

とざした門をホトホトとたたくと、なかから婆さんがガラリとあけて、灯影ほかげに立った可児才蔵のすがたをいぶかしそうに睨にらめすました。

「だれだい燕作さん、この人は村ではいっこう見たことがないかたじゃないか」

「このおかたは、姿こそ、変えておいでなさるが、福島正則ふくしままさのりさまのご家臣で可児才蔵かにさいぞうというお人、昌仙しょうせんさまの密書で、わざわざ安土城あづちじょうからおいでくだすったのだ」

と説明すると、蚕婆かいこばばあはにわかに態度を変えて、下へもおかぬもてなしよう。茶を煮にたり酒をだしたりしてすすめた。

三

「それはようおいでなされました。さだめし、昌仙さまのお手紙で、多くの軍兵ぐんぴょうを秀吉ひでよしさまからおかしくださることになるのでございましょうね」

「いや、とにかく軍師ぐんしと会って、そうだんをしてみたうえじゃ。ところがこれなる燕作えんさくのもうすには、しょせん人穴城ひとあなじょうへは入れぬとのこと、せっかくここまでまいりながら、呂宋兵衛るそんべえどのにも軍師ぐんしにも、会わずにもどるとは残念千万せんばん」

「いえいえ。そういう大事なお使者なら、たった一つ人穴城へぬける秘かくしみちへ、ごあんないいたしましょう。これ燕作さん、おめえちょっと、裏表うらおもてにあやしいやつがいないかどうか検あらためておくれ」

「がってんだ」と燕作が家のあたりを見まわしてきて、

「だれもあやしいような者はいない。ないているのは鹿しかぐらいなもの――」

というと、蚕婆は、はじめて安心して、じぶんのすわっている下の蓆むしろを、グルグルと巻きはじめた。

おやと、燕作がびっくりしている間まに、さらに、二畳じょう敷じきほどな床板ゆかいたをはねあげると、縁えんの下は四角な井戸のように掘り下げられてあった。顔をだすと、つめたい風がふきあげてくる。

「ここをおりると、あとは人穴城ひとあなじょうの地下洞門ちかどうもんのなかまで三十三町一本道でいけますのじゃ、さ、人目にかからないうちに、すこしもはやく、おこしなさるがよい」

と蚕婆かいこばばあがせきたてると、才蔵さいぞうは、間道かんどうの口をのぞいてから、ふいと顔をあげて、

「婆ばばあ、杖つえにして飛びこむから、長押なげしにかかっているその錆槍さびやりを、かしてくれい」

と指さした。婆は彼のいう通り、石突いしづきをたよりに、下へ降おりるのであろうと、なんの気なしに取って渡すと才蔵さいぞうは、

「かたじけない」

と受けとって、ポンと、槍やりの石突きを下へ降おろすかと見るまに、意外や、電光石火でんこうせっか、

「やッ――」

と一声、錆槍さびやりの穂先ほさきで、いきなり真上の天井板てんじょういたを突いた。とたんに、屋根裏を獣けものがかけまわるような、すさまじい音が、ドタドタドタ響ひびきまわった。

「やッ、なんだ――」

と蚕婆と燕作が、飛びあがっておどろくうちに、才蔵は、すばやく間道かんどうのなかへ姿をかくして、下からあおむいて笑っている。

「おどろくことはない、天井うらに忍しのんでいたやつは、徳川家とくがわけの菊池半助きくちはんすけだ、これで隠密落おんみつおとしの禁厭まじないがすんだから、もう安心。燕作えんさく、はやくこい!」

「じゃあ婆ばあさん、あとはたのむよ」

と燕作もつづいてなかへ姿をけした。その足音が地の下へとおざかるのを聞きながら、蚕婆かいこばばあはすぐもとのとおり床板ゆかいたや蓆むしろを敷しきつめ、壁にかかっている獣捕けものとりの投げ縄なわをつかむが早いか、いきなりおもてへ飛びだした。

「いやがった!」

かがりのような目を磨とぎすまして、あなたこなたを見まわした蚕婆は、ふと、七、八間けんさきの闇やみのなかで、なにやらうごめいている人影を見つけて、じっとねらった。

と――それはまぎれもなく、天井裏てんじょううらで膝ひざを突かれた曲者くせものが、小川の水で傷手いたでを洗っているのだ。頭から足のさきまで、烏からすのように黒装束くろしょうぞくをした隠密おんみつの男、すなわち徳川家とくがわけからまわされた菊池半助きくちはんすけ。

「おうッ!」

ふいに吠ほえるような蚕婆の声とともに、さすがは半助、足の痛手いたでを忘れて、ポーンと小川を跳とびこえたが、よりはやく、闇やみのなかを飛んできた投げ縄なわの輪が無残、五体にからんでザブーンと、水のなかへ捕とりおとされてしまった。

鼻はなかけ卜斎ぼくさいと泣なき虫むし蛾次郎がじろう

一

さすが伊賀衆いがしゅうの三羽烏さんばがらす、菊池半助きくちはんすけも、可児才蔵かにさいぞうにみやぶられて、錆槍さびやりの穂先ほさきを膝ひざにうけ、そのうえ、投げ縄なわにかかって五体の自由を奪うばわれては、どうすることもできない。

「ざまをみさらせ! 命いのち知らずが」

蚕婆かいこばばあが毒づきながら、縄のまま半助をひきずってきて、家いえの前の柿かきの木へグルグル巻まきにしばってしまった。

「夜明けまでに、手間てまいらずの法で殺してやる。うぬばかりでなく、この村へ隠密おんみつにはいる者はみんなこうだ」

蚕婆は、やがて枯かれ木を集めてきて、半助はんすけの身辺に積つみあげ、端のほうから火をつけてメラメラと燃えあがったのを見ると、そのまま家うちへはいって寝てしまった。

焔ほのおがたっても、はじめのうちは覆面ふくめんや衣類がぬれていたので、しばらくさまでは思わなかったが、やがて衣類がかわき、枯かれ木の火焔かえんが、パチパチと夜風にあおり立てられてくるにつれて、菊池半助は焦熱地獄しょうねつじごくの苦しみ。

「ア熱つッ、ア熱つッ、アアアアア」

おもわず悲鳴をあげて、必死に縄を切ろうともだえていた。――すると、その火の手を見て、いっさんにかけてきたのは、鏃鍛冶やじりかじ卜斎ぼくさいの弟子蛾次郎がじろうであった。

「おうそこへまいったもの、はやく拙者せっしゃの脇差わきざしをぬいてこの縄を切ってくれ、早く、早く!」

「やあどうしたんだお侍さむらいさんは? 死んじまうぞ。死んじまうぞ」

「はやくしてくれ、早く助けてくれい」

「助けてやったら、なにをくれる?」

石投げの天才のほか、仕事も下手へた、もの覚おぼえも悪く、すこし足らない蛾次郎がじろうだが、慾よくにかけては、ぬけめがない、半助はんすけは一ときの熱苦もたまらず、うめきながら、

「なんでもつかわすからはやく、ア熱つッ、あッツツツ」

「よし、きっとだぜ」

念を押しながら飛びこんで、蛾次郎がじろうは枯かれ木の火を蹴けちらし、山刀やまがたなをぬいて半助の縄目なわめをぶっつり切った。火のなかから跳とびだした半助は、ほッとして大地へたおれたが、やにわにまた足の痛手いたでを忘れておどりたった。

「わるいところへ、またあなたからあやしい人の足音がしてまいった。おい、おれに肩をかせ、そして、しばらく休息するところまで連れてゆけ。褒美ほうびはのぞみしだいにやろう」

「じゃ、おれの親方の家うちでもいいかい」

「頼む、あれ、あれ、もう軍馬の蹄ひづめがまぢかにせまる」

「たいへんだ! ことによると雨あまヶ岳たけに陣どっている者たちがくだってきたのかも知れないぞ」

蛾次郎がじろうもにわかにあわてだして、半助のからだを背負せおって、一目散いちもくさんにそこを立ちさった。すると、たった一足ひとあしちがいに、嵐あらしのように殺到した一団だんの軍馬があった。

「それ、常からあやしい蚕婆かいこばばあの家いえをあらためろ!」

「戸を蹴けやぶってなかへ、踏ふンごめッ」

馬上から十四、五人の武士に、はげしく下知げちをしたふたりの武士、これなん、伊那丸いなまるの幕下ばっかでも、荒武者あらむしゃの双龍そうりゅうといわれている加賀見忍剣かがみにんけんと巽小文治たつみこぶんじのふたり。

「おう!」

と部下は武者声むしゃごえをあげるやいなや、蚕婆の家の裏表うらおもてから、メリメリッ、バリバリッと戸を踏ふみやぶっておどりこんだ。が、なかは暗澹あんたん、どこをさがしても、人かげらしい者は、見あたらなかった。

と、聞いた忍剣は、

「いや、そんなはずはない。たしかにあやしい男と老婆ろうばとが、密談みつだんいたしていたのを、間諜かんちょうの者が見とどけたとある。この上は自身であらためてくれる」

と禅杖ぜんじょうをひっかかえひらりと馬を飛びおり、巽小文治とともに、家の中へはいっていって八方家探やさがししたが、部下のことばのとおり、何者もひそんでいなかった。

「ふしぎだ――」

小文治は、そこにもぬけの殻からとなっている寝床ねどこへ手を入れてみて、

「このとおり、まだ人のぬくみがある。さすれば、いよいよ逃げた者こそ、あやしい曲者くせものにそういない」

「む、では寝床のわきの床板ゆかいたをはねあげてみよう」

と、忍剣にんけんが先にたって、蓆むしろを巻き、板をはいでみるとたちまち、一間けん四方の間道かんどうの口が、奈落ならくの門のごとく一同の目にうつった。

「おお、これこそ人穴城ひとあなじょうへ通じる間道かんどうにそういない」

「しめた! その方どもはこの口もとを護まもっていて、あやしい者が逃げまいったら、かならず捕とりにがさぬように見張っておれ」

と、いいのこして、忍剣は禅杖ぜんじょうをひっ抱かかえ、小文治こぶんじは槍やりの石突きをトンと下ろして、ともにまッ暗な間道のなかへとびこんでいった。

あとにのこった部下の者は、ひとしく間道口かんどうぐちに目と耳を磨とぎすまして、いまに、なにかかわった物音がつたわってくるか、あやしいやつが飛びだしてくるかと、夜もすがら、ゆだんもなかった。

二

菊池半助きくちはんすけを肩にかけて、まっ暗な人無村ひとなしむらをかけていった蛾次郎がじろうは、やがて、おおきな荒屋敷あれやしきの門へはいった。

見ると、そこが卜斎ぼくさいの細工小屋さいくごやか、東のすみにぽッと明るい焔ほのおがみえて、トンカン、トンカン、槌つちと鉄敷かなしきのひびきがしている。そしてときどき、小屋のなかから白い煙とともに、シューッとふいごの火の粉こがふきだしていた。

「親方、お客さまをつれてきた、旅のお侍さんで、けがをして難渋なんじゅうしているんだから、今夜とめてやっておくんなさい」

蛾次郎がじろうがおどおどしながら、細工場さいくばのとなりの雨戸をあけて、ひろい土間へはいると、手燭てしょくをもって奥からつかつかとでてきたのは、主人の卜斎ぼくさいであろう。陣羽織じんばおりのような革かわの袖そでなしに、鮫柄さめづかの小刀を一本さし、年は四十がらみ、両眼するどく、おまけに、仕事場で火傷やけどでもしたけがか、片鼻かたはなが、そげたように欠かけている。

人呼んで、鼻かけ卜斎ぼくさいと綽名あだなしている名人の鏃師やじりし。なにさま、ひとくせありそうな人物である。

「蛾次公がじこう、昼間からどこをうろつきまわっているのだ。このバカ野郎やろうめ!」

卜斎ぼくさいは、つれてきた半助などには目もくれず、頭からこの怠なまけ者の抜け作などとどなりつけて、さんざん油をしぼったあげく、

「それに、あとで聞けば、てめえは、夕方、物置小屋から二、三十本の松明たいまつをぬすみだしていったそうだが、いったい、そんな物をどこへ持ちだして、なんのために使ったのだ。うそをいうとこれだぞ!」

いきなり弓の折れを持って、羽目板はめいたをピシリッとうった。その音のはげしいこと、蛾次郎のふるえあがったのはむろん、菊池半助きくちはんすけさえ度胆どぎもを抜かれた。

卜斎はその時はじめて、半助のほうへ気をかねて、

「まあよいわ、お客人がいるから、てめえの詮議せんぎはあとにしよう。ときに旅のお武家さま、なにしろ今夜は更ふけておりますから、この上の中二階へあがって、ごゆるりとお休みなさるがいい。そこに夜具やぐもある、火の気けもある、食くい物ものもある、男世帯おとこじょたいの屋敷ですから、好すきにしてお泊りなさい」

「かたじけない、ではお言葉にあまえて夜明けまで……」

と、半助はそこにいるのも気まずいので、びっこを引きながら、おしえられた中二階の梯子はしごを、ギシリ、ギシリと踏んでいった。

「はてな……」と、梯子をあがりながら一つの疑念――「どこかで見たことのある男だが? ……ただの鏃師やじりしではない、たしかにどこかで? ……」と、しきりに思いなやんだが、とうとう、中二階へあがるまで考えだせなかった。

卜斎ぼくさいにいわれたまま、押入れから蒲団ふとんをだして、そのうえに身を横たえながら、膝ひざの槍傷やりきずを布ぬのでまきつけていると、また、すぐ下の土間どまであらあらしい声が起りはじめた。

「野郎やろう、どうあってもいわぬな! いわなければ、こうだッ」

弓の折れがヒュッと鳴ると、蛾次郎がじろうがオイオイと声をあげて泣きだした。まるで七つか八つの子供が泣くような声で泣いている。

「いいます、親方、いいますからかんべんしてください」

「では、何者にたのまれて、松明たいまつを盗みだした。さ、ぬかせ」

「白旗しらはたの森にいる、竹童ちくどうというわたしより五歳いつつばかり下の童わっぱにたのまれたんです。その者にやりました」

「あきれかえったバカ者だ。じぶんより年下の餓鬼がきに、手先に使われるとは情けないやつ、しかし、てめえもなにかもらったろう。ただで松明たいまつをやるはずがない」

「いいえ、なんにももらいなんかしやしません」

「まだいいぬけをしやがるか!」

またピシリッと弓の折れがうなる、蛾次郎がじろうがヒイヒイと泣く、すぐその上にいる菊池半助は、これではとても今夜は寝られないと思った。

それに気をいらいらさせられたか、かれは寝床からはいだして、ふたたび梯子口はしごぐちからコマねずみのようにそッと顔をだした。そのとき、半助ははじめて、卜斎ぼくさいの姿容すがたかたちを、よく見ることができて、思わず、

「あッ」と、すべりでそうな声をかみころした。

「どこかで見たと思ったはず――あれは、越前えちぜん北きたノ庄しょうの主あるじ、柴田権六勝家しばたごんろくかついえの腹心だ――おお、鏃師やじりしの鼻かけ卜斎ぼくさいとは、よくも巧たくみに化ばけたりな、まことは、鬼柴田おにしばたの爪つめといわれた上部八風斎かんべはっぷうさいという軍師ぐんし築城ちくじょうの大家たいか。いつも柴田権六が、攻略の軍をだすときに、そのまえから敵の領土へ住みこんで、砦とりでのかまえ、水利、地の理、残るくまなくさぐって、一挙に掌握しょうあくするという、おそろしい人物だ。――その八風斎がこの裾野すそのへ巣すを作ったところをみると、さては、野心のふかい柴田勝家、はやくも天下をこころざす足がかりに、この一帯たいへ目をつけたものだろう。武田伊那丸たけだいなまるといい呂宋兵衛るそんべえといい、また秀吉ひでよしの手の者が入りこんだことといい、いちいち徳川家とくがわけの大凶兆だいきょうちょう。こりゃ、裾野すその一帯たいいよいよゆだんのならぬものばかりだ……」

半助は、耳を畳たたみにこすりつけて、さらに、階下かいかの声を一語も聞きもらすまいと息をのんでいた。と、下ではまた卜斎ぼくさいの声で、

「なに? ではその竹童ちくどうという童わっぱに、二十本の松明たいまつをくれて、そのかわりに鷲わしにのせてもらったというのか。やい! 泣きじゃくってばかりいたのではわからぬわい。はっきりと口をきけ」

「そ、そうなんです……」

ベソをかきながら答えてるのは蛾次郎がじろうの声だ。

「松明を持っていったら、そのお礼れいに大きな鷲の背なかへ乗せてくれましたから、白旗しらはたの森の上から空へあがって、五湖や裾野すそのの上をグルグルとまわってまいりました」

「そうか、それでしさいがわかった」

と卜斎はうなずいて、なお、竹童のようすや、鷲のことなどをつぶさにただしたから、蛾次郎はゆるされるのかと思っていると、荒縄あらなわで両手をしばりあげたまま、松明をぬすみだした物置小屋のなかへ三日間の監禁かんきんをいいわたされてほうりこまれてしまった。

そのあとは、卜斎も寝入り、細工さいく小屋の槌音つちおともやんでシーンと真夜中の静けさにかえったが、半助だけは、うすい蒲団ふとんをかぶって横になりながらも、まだ寝もやらず目をパチパチとさせていた。

「鷲わし、鷲! 竹童というやつが、自由自在につかう飛行の大鷲! おお、そいつを一つ巻きあげて、こんどの手柄てがらとしてかえろう……」

とかれは、ふと思いついた胸中の奇策きさくに、ニタリと悦えつをもらしたが、そのとき、なんの気なしに天井てんじょうを見あげるや否いな、かれは、全身の血を氷のごとく冷つめたくして、

「や、や、やッ」と、目をむいて、ふるえあがった。

三

菊池半助きくちはんすけが、身をすくませたのも道理、中二階の天井てんじょうには、いちめんの鉄板てっぱんが張ってあって、それに、氷柱つららのような、無数の鏃やじりが植えてあるのだ。

剣の切きッ先よりするどい鏃は、ちょうど、あおむけになっている半助の真上に、ドギドギとぶきみな光をならべている。おお、もしその鉄板が、いちどおちてこようものなら、いかに隠身おんしん自由、怪力無双かいりきむそうなものでも、五体は蜂はちの巣すとなって圧死あっししてしまうであろう。

「釣つり天井てんじょう――」

半助は、とっさに壁ぎわへ、身をすりよせた。

このおそろしい部屋へじぶんをあんないしたからには鼻かけ卜斎ぼくさいの八風斎はっぷうさいは、すでに徳川家の伊賀衆いがしゅう菊池半助ということを見破ったにそういない――と半助は、こころみに梯子口はしごぐちをのぞいてみると、はたしていつのまにか梯子はとりはずされて、下には、あやしい陥穽おとしあなが伏ふせてあるようす、ほかに出口はむろんない。

半助は絶体絶命ぜったいぜつめいとなった。

けれど五本の指と二本の足が、ままになる以上、こんなことで、おめおめ命いのちをおとすような菊池半助ではない。

かれは脇差わきざしをぬいて、いきなり、あっちこっちの壁をズブズブとつき刺した。そしてそとへ通じるところをさぐりあて、たちまち二尺四方ぐらいの穴あなを切りぬいたかとおもうと、ほとんど、猫ねこが障子しょうじの穴をすりぬけるようにするりと身をはいだして、一丈じょう四、五尺しゃくの上から大地へポンと跳とびおりた。そして、

「ここだな……」と、すすり泣きのもれている物置小屋の戸をねじあけて、なかにいる蛾次郎がじろうを助けだした。

「あッ、お武家さん――」

蛾次郎が素すッ頓狂とんきょうな声をだす口をおさえて、

「しずかにせい。さっきそのほうがおれをたすけてくれた返礼に、こんどはきさまを救ってやる。徳川家へまいれば伊賀衆いがしゅうの組頭くみがしら、いくらでも取り立ててやるから一しょについてくるがいい」

「あ、ありがとう。おれもこんなやかましい親方にくッついているのはいやでいやでたまらないんだ」

「む、卜斎ぼくさいに気取けどられぬうち、そッと馬小屋から足のはやいのを一ぴきひっぱりだしてこい」

「いいとも、馬ぐらい盗みだすのは、ぞうさもないよ」

蛾次郎がじろうが闇やみのなかへ飛んでいくと、そのとたんに半助はんすけのあたまの上で、ドドドドスン! というすさまじい家鳴やなり震動しんどう。ふり仰あおいでみると、いまかれがのがれだした壁の穴から、濛々もうもうたる土煙が噴ふきだしている。

「おれがここへ抜けだしているのに、卜斎めが釣つり天井てんじょうの綱つなを切ったんだろう。そんな壺つぼにおちるような者は、伊賀衆いがしゅうの中には一ぴきもいるもんか」

せせら笑っていると、ふいに、家いえのなかから轟然ごうぜんたる爆音とともに、火蓋ひぶたを切った種子島たねがしまのねらい撃うち。

「あッ、気がついたな、こいつはぶっそうだ」

バラバラとかけだしていくと、暗闇くらやみから牛をひきだしたという諺ことわざどおり蛾次郎のうろたえよう。

「お侍さむらいさん、――お侍さんじゃないのかい」

「おれだおれだ、馬は? 馬はどこにいる?」

「ここだよ、馬を盗みだしてきたところだ」

「どこだ、アア、まっ暗。どこにいるのじゃ」

「ここだよ、ここだよ」

と蛾次郎がじろうが手をたたくと、その音おとをたよりにねらった鉄砲てっぽうの弾たまが、またも、つづけざまに、二、三発、ズドンズドン! と火の縞しまを走らせた。

「わあッ、だめだ、あぶねえ!」

ふいに、蛾次郎が胆きもをつぶして腰を抜かしたらしい弱音よわね。

「えい、泣くなッ」

と叱しかりつけた菊池半助きくちはんすけ。いったい、この厄介者やっかいものをなんに利用しようとするのか、むんずと横脇よこわきにひっかかえて馬の鞍壺くらつぼにとびあがり、つるべうちの鉄砲を聞きながして、人無村ひとなしむらから闇やみの裾野すそのへ、まッしぐらに、逃げおちてしまった。

いっぽう、蚕婆かいこばばあの家の床下ゆかしたから、人穴城ひとあなじょうの間道かんどうをすすんでいった加賀見忍剣かがみにんけんと巽小文治たつみこぶんじ。

瞳ひとみはいつか闇になれたが、道は暗々あんあんとして行く手もしれない。冥府めいふへかよう奈落ならくの道をいくような気味わるさ。ポトリ、ポトリと襟えりもとに落ちてくる雫しずくのつめたいこと。たえず、冷々ひえびえと面おもてをかすめてくる陰森いんしんたる風、ものいえば、ガアンと間道中かんどうじゅうの悪魔がこぞって答えるようにひびく。

――と、つねに沈着な巽小文治が、ふいに、「あッ」とさけんで一歩とびのき、片手で顔をおさえてしまった。

「どうした、小文治どの」

「なにか風のようなものに、さっと面めんをふかれたその痛さ。忍剣にんけんどのもかならずごゆだんなさるまいぞ」

「そんなバカなことがあろうか、あれは年へた蝙蝠こうもりのたぐいじゃ」

と入れかわって、忍剣が、さきに立って二、三歩すすむと、かれも同じように奇怪ないたさに面おもてを刺さされて、たちまち片目を押さえてしまった。そして、ふと衣ころもの上に、霜しものように立つものを手でさぐってみて、

「こりゃ! 針はりだッ」

と叫さけんだ。

「えッ、針?」

その時、はじめてふたりとも身がまえ直して、じッとやみをすかして見ると、白髪しらがをさかだてたひとりの老婆ろうばが蜘蛛くものように岩肌いわはだに身を貼はりつけて、プップップッとたえまなく、ふたりの面おもてへ吹きつけてくる針の息……

おお、それこそ竹童ちくどうがなやまされた蚕婆かいこばばあの秘術ひじゅつ吹針ふきばりの目つぶしだった。

深夜しんやの珍客ちんきゃく

一

早足はやあしの燕作えんさくと可児才蔵かにさいぞうは、蚕婆かいこばばあより一足ひとあし先に抜け穴あなへはいったので、すぐあとにおこった異変もなにも知らず、ただひた走りに、地下三十三町の間道かんどうを人穴城ひとあなじょうへいそいでいく。

目というものがあっても、ここでは、目がなんの役にも立たない暗黒界、けれど、足もとは坦々たんたんとたいらであるし、両側は岩壁いわかべの横道なし。――いくら盲めくらめっぽうに進んでも、けっして、迷まよう気づかいはないと、燕作はいつもの早足ぐせで、才蔵よりまえにタッタとかけていったが、やがてのこと、

「ホイ! しまったり!」

目から火でもだしたような声で、勢いよく四よつンばいにつんのめった。あとからきた才蔵も、あやうくその上へ折りかさなるところを踏ふみとどまって、

「どうした燕作」と声をかける。

「オオ、痛いてえ! 才蔵さま、どうやらここは行止まりのようです」

「どんづまりにはちと早い、あわてずによくさぐってみい……おおこりゃ石段ではないか」

「え、石段?」

「人穴城ひとあなじょうは、裾野すそのより高地となるから、この間道が、しぜんのぼりになるのは、はや近づいた証拠しょうこといえる」

才蔵がのぼっていく尾について、燕作も石段の数をふんでいく……と道はふたたび平地ひらちの坂となり、それをあくまで進みきると、こんどこそほんとうのゆきづまり、手探てさぐりにも知れる鉄くろがねの扉とびらが、ゆく手の先をふさいでいた。

「燕作えんさく燕作、殿堂の間道門かんどうもんは、すなわちこれであろう。なんとかして、なかの者にあいずをするくふうはないか」

「とにかく、どなってみましょう」

と燕作は鉄門の前に立って、器量きりょういっぱいな大声。

「やアやア搦手からめてがたの兄弟、丹羽昌仙にわしょうせんさまの密書をもって、安土城あづちじょうへ使いした早足はやあしの燕作えんさくが、ただいま立ちかえったのだ。開門! 開門」

鉄壁てっぺきをたたいて呼ばわッたとたん、頭の上からパッとさしてきた龕燈がんどうのひかり、と見れば、高いのぞき窓まどから首を集めて、がやがや見おろしている七、八人の手下どもの顔がある。

「おお、いかにも、燕作にちがいないらしいが、あとのひとりは人穴城ひとあなじょうで見たこともないやつ、軍師ぐんしさまの厳命げんめいゆえ、さような者は、ここ一寸すんも、とおすことまかりならん。開門ならん」

「ヤイヤイ、しつれいをもうしあげるな」

と、燕作はまばゆい光をあおむいて、

「鳥刺とりさし姿に身をやつしておいでなさるが、このお方こそ、秀吉公ひでよしこうの帷幕いばくの人、福島ふくしまさまのご家臣で、音にきこえた可児才蔵かにさいぞうとおっしゃる勇士だ。うたがわしく思うなら、とッとと軍師ぐんしさまのお耳に入れてくるがいい」

「なんだ、福島正則ふくしままさのりさまのご家来だと?」

おどろいた手下どもは、すぐことの由よしを、丹羽昌仙にわしょうせんへ告つげにいった。昌仙は、燕作えんさくの吉報きっぽうをまちかねていたところなので、すぐさま、大将呂宋兵衛るそんべえとともに、間道門かんどうもんのてまえまで、秀吉ひでよしの使者を出むこうべくあらわれた。

しばらくすると、鉄の閂かんぬきをはずす音がして、明暗の境をなすおもい扉とびらが、ギ、ギ、ギイ……と一、二寸ずつ開ひらいてきたので、暗黒のなかに立っていた才蔵と燕作のすがたへ、一道どうの光線が水のごとくそそぎ流れた。

「はるばるお越しくだされた可児才蔵かにさいぞうさま、いざお入りくだされい」

内よりおごそかな声があって、門扉もんぴは八文字もんじにひらかれた。――と、ほとんど同時である。またも間道かんどうのあなたから、疾風しっぷうのように走ってきた人間がある! すでに才蔵と燕作がなかへはいって、ふたたびギーッと門が閉しまろうとするところへ、あわただしくきて、

「大へんだ! わたしを入いれて、はやくあとを閉しめておくれよ」

ころぶようにたおれこんだ蚕婆かいこばばあ、いつものし太ぶとさに似ず、いきた色もしていない。

「おお裾野すそのの見付婆みつけばばあ、大へんとはなんだなんだ」

一せいに色めきたつ人々を見まわして、蚕婆は歯をむきだして、がなッた。

「なんだもかんだも、あるもんか、はやくはやく、さきに門を閉しめなきゃ大へんだ、いまわたしのあとから忍剣にんけんと小文治こぶんじというやつが追っかけてくる!」

「えッ、伊那丸いなまるの旗本はたもとがおいかけてくるッて? それは、ここへか、こっちへか?」

「くどいことはいっておられないよ、あれ、あの足音がそうだ! あの足音だ!」

「それッ、かたがた、はやく門をとじて厳重げんじゅうにかためてしまえ」

「やア、もうそこへ姿がみえた」

「閂かんぬきはどうした!」

「くさりをかせ! 鎖くさりを!」

「わーッ、わーッ」

――ととつぜん、暴風にそなえるように、うろたえた手下どもは、扉とびらへ手をかけて、ドーンという響ひびきとともに、間道門かんどうもんを閉しめてしまった。

「むねんッ」

と、その下にふたりの声。ああ、たった一足ひとあしちがい――

蚕婆かいこばばあを追いつめて、人穴城ひとあなじょうのかくし道をきわめてきた忍剣と小文治は、いでや、このまま城内へ斬って入いろうと勢いこんできたところを、内からかたく閉しめられてじだんだ踏ふんだ。

「卑怯ひきょうなやつら、臆病おくびょうぞろいよ! わずかふたりの敵をむかえることができぬのか、和田呂宋兵衛わだるそんべえの下ッぱには男らしいやつは一ぴきもいないのか、くやしければ、開あけろ、開けろッ!」

さんざんにいいののしったが、こッちでののしれば、内でもののしり返すばかり、果てしがないので、

「えい、めんどうだッ」

手馴てなれの禅杖ぜんじょうを、ふりかまえた加賀見忍剣かがみにんけん、どうじに巽小文治たつみこぶんじも、

「よし、拙者せっしゃは、あれからとびこんでゆく」

と、槍やりを立てかけて、足がかりとなし、十数尺上ののぞき口へ、無二無三にとびつこうとこころみた。

グワーン!

たちまち、雷火をしかけたように、鉄門をとどろかした忍剣にんけんの第一撃! この鉄の扉とびらが破れるか、この禅杖ぜんじょうが折れるかとばかり。

つづいて、第二、第三撃!

間道門かんどうもんのなかでは、呂宋兵衛るそんべえをはじめ丹羽昌仙にわしょうせん、轟とどろき又八、そのほか燕作えんさくも蚕婆かいこばばあもおおくの手下どもも、思わず胆きもをひやして、ただ、あれよあれよとおどろき見ているまに、さしもの鉄壁も、飴あめのようにゆがんでくる。

すわこそ、人穴城ひとあなじょうの一大事となった。

呂宋兵衛はまッさおになった。

手下どもも、見えぬ敵の恐怖きょうふにおそわれた。こんな猛者もさに、ふたりもおどりこまれた日には、よしや、城内に二千の野武士のぶしはあるとも、どれほど死人手負ておいの山をきずかれるか、さいげんの知れたものではないと思った。

「なにを気を呑のまれているか! 意気地いくじなしめ!」

ふいに、そのなかで、思いだしたようにどなったのは轟とどろき又八。

「すこしもはやく、水道門の堰せきをきって、間道かんどうのなかへ濁水だくすいをそそぎこめ、さすれば、いかなる天魔てんま鬼神きじんであろうと、なかのふたりが溺おぼれ死ぬのはとうぜん、しかも、味方にひとりの怪我人けがにんもなくてすむわ」

あっぱれ名案と、誇ほこりがましく命令すると、手下どもが、おうと答えるよりはやく、

「いや、そりゃ断じていかん」

はげしく異議いぎを申したてた者は、軍師ぐんし丹羽昌仙にわしょうせんであった。かれとは、つねに犬と猿さるの仲みたいな轟又八、すぐ眉まゆをピリッとさせて、

「こういうときの用意のため、いつでも水道門の堰さえきれば、間道はおろか裾野すその一円、満々と出水でみずになるようしかけておいた計略ではないか。軍師ぐんしには、なんでお止とめなさる」

「おろかなことをお問いめさるな、それ、溺兵できへいの計りごとは、一城の危急存亡にかかわるさいごの手段、わずかふたりの敵をころすために、なんでそれほどの費ついえをなそうや」

「心得ぬ軍師ぐんしのいい条じょう、では、みすみす間道門かんどうもんをやぶられて、ここにおおくの手負ておいをだすとも、大事ないといいはらるるか」

「なんで昌仙しょうせんが、それまで手をつかねて見ていようぞ、拙者せっしゃにはべつな一計があること、又八どのは、それにてゆるりとご見物あるがよい。やあ者ども、この鉄門の前へ焼草やきくさをつみあげい」

たちまち、山と積まれた枯草かれくさの束たば。はこばれてくる獣油じゅうゆの瓶かめ、かつぎだされた数百本の松明たいまつ。

洞門どうもんのなかでは、それとも知らず、必死にあえぐ忍剣にんけんと小文治こぶんじのかげ。と――いきなり、バラバラバラ、バラバラッ! と上ののぞき口から投げこんできた枯草のたば! つづいて焔ほのおのついた松明たいまつ、獣油じゅうゆの雨、火はたちまちパッと枯草についた。いや、ふたりの袖そでや裾すそにもついた。

火は消しもする、はらいもする、が、もうもうと間道かんどうのなかへこもりだした煙はおえぬ。しかも異臭いしゅうをふくんだ獣油の黒煙が、でどころがなく、渦うずをまいてふたりをつつんだ。

目からはしぶい涙がでる。鼻腔びこうはつきさされるよう、咽のどはかわいて声さえでぬ。……そこにしばらくもがいていれば煙にまかれて窒息ちっそくはとうぜんだ。ふたりは歯ぎしりをしながら、煙におしだされて、しだいしだいにあともどりした――といっても、充満じゅうまんしている煙の底をはいながら……

間道の半ば過ぎまで引っかえしてきたころ、ふたりは、やっとどうやらうす目をあいて、たがいにことばをかわせるようになった。

「や、小文治こぶんじどの、どうやらここは、先刻せんこくすすんでいった間道かんどうとはちがうようではないか」

「拙者せっしゃもすこし変に思ってはいるが、たしかいきがけには、ほかに横穴はないように心得ていた」

「しかし、このように両側のせまい穴ではなかったはず……はてな? こりゃちとおかしい……」

「忍剣にんけんどの、また煙の渦うずがながれてきた。とにかく、もどるところまでもどってみよう」

「せっかく、人穴城ひとあなじょうの根もとまで押しよせたに、煙攻めの策さくにかかって引ッ返すとは無念千万ばん……ああまたまっ黒に包んできおった」

「ちぇッ、いまいましいが、もうここにもぐずぐずしておれぬわ」

さすがの勇士も、煙の魔軍には勝つ術すべがなかった。息づまる苦しさと、目にしむ涙なみだをこらえながら、いっさんにその穴あなを走りもどった。

からくも、前にはいった床下ゆかしたへきた。まさしく、蚕婆かいこばばあの家の下にちがいない。とちゅうの道がちがっているように思えたのも、さすれば、煙のための錯覚さっかくであったかもしれない。

「こりゃ部下の者、この板を退のけて、綱つなをおろせ、早く早く!」

と小文治こぶんじが、槍やりの石突いしづきを上へむけて、蓋ふたの板を下からポンポンと突きあげた。

すると、入口に待ちかねていた部下の者であろう、板をはがして、二本の綱つなを無言のまま下へたれてきた。それを力に、忍剣にんけんと小文治こぶんじは、ひらりと上へとびあがる!

――あがったところはまッ暗であった。

だれかが、カチカチ……と火打石ひうちいしを磨すっている。部下は二十人ばかり、ここへ置いていったのに、イヤにあたりが静かである。

カチッ、カチッ、カチッ……火打石はなかなかにつかない……

「たわけ者め!」

忍剣は、部下の不用意を叱しかりつけた。じぶんたちがいない間まに、あるいは、軍律を破って、夜半よわの眠りをむさぼっていたのではないかとさえうたぐった。

「なぜ、かがり火を焚たいておらぬ、この暗さで、いざことある場合になんといたす。不埒者ふらちものめが、はやく灯ひをつけい!」

「はい、ただいますぐに明るくいたします」

と答える者があったが、すこし声音こわねがへんである。調子がおかしい。

小文治は、部下の者のなかにこんなしわがれた声はなかったはずと思って、きッとなりながら、

「何者だッ、そこにいるのは!」

と、声あらく、どなりつけてみた。

にもかかわらず、相手は平気で、まだカチカチと闇やみのなかで、火打石を磨っている。

「名を申さんと突きころすぞッ、敵か、味方か!」

ピラリッ――朱柄あかえの槍やりの穂先ほさきがうごいて、闇やみのなかにねらいすまされた。と、その槍先から、ポーッとうす明るい灯ひがともった。

「わしは敵でもなければ味方でもない。そうもうすおまえがたこそ、深夜に床下ゆかしたから忍しのびこんできて、ひとの家へなにしにきた!」

「やや、ここは蚕婆かいこばばあの家ではなかったのか――」

忍剣にんけんも小文治こぶんじも、あまりのことにぼうぜんとしながら、そこに立ったひとりの人物を、そも何者かと、みつめなおした。

いまともした行燈あんどんを前にだして、しずかに席についたその男は、するどい両眼に片鼻かたはなのそげた顔をもち、熊くまの毛皮の胴服どうふくに、刻きざみ鞘ざやの小太刀こだちを前挟まえばさみとなし、どこかにすごみのあるすがたで、

「あははははは、床下ゆかしたから戸まどいしてござったのは、さてこそ、伊那丸いなまるが幕下ばっかのおかたでござるな。なんにせよ、深夜の珍客どの、お話もござりますゆえ、まずそれへおすわりください」

いう声がら、容貌ようぼうも、それは、まぎれもあらぬ鏃鍛冶やじりかじの鼻かけ卜斎ぼくさい。

二

意外なおもいにうたれた忍剣と小文治の目は、つぎに部屋へやのなかをながめまわした。

ここは卜斎ぼくさいの書斎しょさいとみえて、兵書、武器、種々な鏃やじりの型図面かたずめんなどがざったにちらかっており、なかにも一挺ちょうの種子島たねがしまが、いま使ったばかりのように、火縄ひなわをそえて、かれのそばにおいてあった。

「いかにもご推察すいさつのとおり、われわれはいま雨あまヶ岳たけを本陣としている、武田伊那丸たけだいなまるさまの旗本はたもとでござるが、してそこもとは何人なんぴと? またここはいったいいずこでござりますか?」

ややあって、忍剣にんけんが、こう問いただした。

「ここは、やはり裾野すそのの村、おふたりが間道かんどうへはいられた蚕婆かいこばばあの家から、さよう、ざっと五、六町はなれた鏃鍛冶やじりかじの小屋でござる。すなわち、手まえは主あるじの卜斎ともうす者」

「ではそちも、鏃鍛冶やじりかじとは世をあざむく稼業かぎょうで、まことは蚕婆とおなじように、人穴城ひとあなじょうの見付みつけをいたしているのであろうが!」

小文治こぶんじが、グッと急所を押すと、卜斎は、ひややかに嘲笑あざわらって、

「とんでもないこと、けっしてさような者ではございません」

「だまれ、呂宋兵衛るそんべえの隠密おんみつでない者が、なんで床下ゆかしたから間道かんどうへ通じるようにしかけてあるのだ」

「なるほど、それはごもっともなおうたがいじゃ。いかにもこの卜斎鏃鍛冶とはほんの一時の表稼業おもてかぎょうで、まことはおさっしのとおり隠密おんみつにそういない」

「さてこそ、間者かんじゃ!」

小文治こぶんじと忍剣にんけんは、腰の大刀をグイとにぎって、あわやおどりかからんずる気勢をしめした。

片手を斜ななめにさし向けて、きッと、体をかまえなおした卜斎ぼくさい、

「じゃが、おさわぎあるなご両所、隠密おんみつは隠密でも、呂宋兵衛るそんべえのごとき曲者くせものの手先となって、働くような卜斎ではございません――」

と、左右のふたりへ、するどい眼をそそぎながら、

「――まことかくもうす卜斎こそは、北国ほっこく一の雄ゆう、柴田権六勝家しばたごんろくかついえが間者、本名上部八風斎かんべはっぷうさいという者、人穴ひとあなの築城ちくじょうをさぐろうがため、ここに鏃師やじりしとなって、家の床下ゆかしたから八ぽうへかくし道をつくり、ここ二星霜せいそうのあいだ、苦心していたのでござる」

「おう……」うめくがようにふたりは顔を見あわせて、

「音にきこえた鬼柴田おにしばたのふところ刀、上部八風斎とはそこもとでござったか。してその御人ごじんが、なんのご用ばしあって、われわれをお止とめなされた」

「されば、それがしの主君勝家より密命があって、ご不運なる武田家たけだけの御曹司おんぞうしへ、ひとつの贈おくり物をいたそうがため」

「はて、柴田家しばたけより伊那丸君いなまるぎみへ、そもなんの贈り物を?」

「すなわちこの品しな――」

と、八風斎がしめしたのは、かれが学力の蘊蓄うんちくをかたむけて、くまなくさぐりうつした人穴ひとあなの攻城図、獣皮じゅうひにつつんで大せつに密封みっぷうしてあるものだった。

「――かねてから主君勝家かついえは、若年じゃくねんにおわし、しかも、孤立無援こりつむえんに立ちたもう伊那丸いなまるさまへ、よそながらご同情いたしておりました。折から、このたびのご苦戦、ままになるなら、北国勇猛ゆうもうの軍馬をご加勢に送りたいは山々なれど、四隣りんの国のきこえもいかが、せめては武家の相身あいみたがい、弓取り同士のよしみの印しるしまでにもと、この攻城図を、ご本陣へさしあげたいというおいいつけ」

「なんといわるる、ではそこもとが、苦心に苦心をかさねて写うつされたこの秘図を、おしげもなく、伊那丸さまへおゆずりなさろうとおっしゃるか」

「いかにも、これさえあれば、人穴城ひとあなじょうの要害ようがいは、掌たなごころをさすごとく、大手おおて搦からめ手の攻め口、まった殿堂、櫓やぐらにいたるまで、わが家のごとく知れまする。すなわちこの一枚の図面は、千人の援兵えんぺいにもまさること万々ばんばんゆえ、一刻もはやく、ご本陣へまいらせたいこのほうの志こころざし、なにとぞ、伊那丸さまへ、よしなにお取次ぎを」

「ああ、世は澆季すえでなかった」

と、忍剣にんけんも小文治こぶんじも、胸をうたれずにおられなかった。

越前えちぜん北きたノ庄しょうの鬼柴田おにしばたといえば、弱肉強食の乱世らんせいのなかでも、とくに恐ろしがられている梟雄きょうゆうだのに、こんな美しい、情けの持主もちぬしであろうとは、きょうまで夢ゆめにも知らなかった。――なんとゆかしい弓取りのよしみであろう。

そして、むろんこれはこばむことではないと思った。

さだめし、伊那丸いなまるさまをはじめ同志の人々がよろこぶことと信じて、そくざに、八風斎はっぷうさいの願いをゆるし、雨あまヶ岳たけの本陣へあんないすることを快諾かいだくした。

八風斎も欣然きんぜんとして、衣服大小をりっぱにあらため、獣皮じゅうひにつつんだ図面を懐中ふところにいれ、ふたりのあとについて屋敷をでた。

いっぽう、蚕婆かいこばばあの家で、たむろをしていた部下の者たちは、床下ゆかしたの穴から濛々もうもうたる煙がふきだしてきたので、すわこそ、忍剣と小文治の身のうえに、変事があったにちがいないと、すくなからずさわぎあっていた。そこへ意外な方角から、ふたりが無事でかえってきたので、一同あッけにとられてしまった。

やがて、勢ぞろいをして、人無村ひとなしむらをでてゆく一列の軍馬を見れば、まッさきに馬上の加賀見忍剣かがみにんけん、おなじく騎馬きばたちの上部八風斎かんべはっぷうさい、巽小文治たつみこぶんじ、それにしたがう二十余人の兵。――この一列が整々せいせいとして雨あまヶ岳たけの本陣へかえってくるまに、富士ふじの山は、銀の冠かんむりにうす紫むらさきのよそおいをして、あかつきの空に君臨くんりんし、流るる霧きりのたえまに、裾野すそのの朝がところどころ明けかけてくる。

人無村の柿かきの木には、今朝けさも烏からすがむれていた。

死地しちにおちた雨あまヶ岳たけ

一

富士ふじ川の名物、筏舟いかだぶねに棹さおさして、鰍沢かじかざわからくだる筏乗いかだのりのふうをよそおい、矢のように東海へさして逃げたふたりのあやしい男がある。

海口うみぐちへ着くやいな、しぶきにぬれた蓑笠みのかさとともに、筏をすて、浜べづたいに、蒲原かんばらの町へはいったすがたをみると、これぞまえの夜、鼻かけ卜斎ぼくさいの屋敷から遁走とんそうした菊池半助きくちはんすけ。つれているのは、そのときゆきがけの駄賃だちんに、かどわかしてきた泣なき虫むしの蛾次郎がじろうだ。

十五、六にもなりながら、人にかどわかされるくらいな蛾次郎だから、むろん、じぶんではかどわかされたとは思っていない。バカにしんせつで、じぶんを出世しゅっせさしてくれるいいおじさんにめぐりあったと心得ている。

「蛾次郎、もうここまでくれば、どんなことがあっても安心だから、かならずしんぱいしないで元気をだすがいい」

半助がふりかえっていうと、あとから宿しゅくのにぎやかさに、キョロつきながら、のこのこと歩いてきた蛾次郎、すこし口をとンがらせながら、

「元気をだせったッて、元気なんかでやしねえや、お侍さむらいさんはよく腹がすかないねえ」

「ははア、どうもさっきからきげんがわるいと思ったら、空腹くうふくのために、ふくれているんだな」

「だってゆうべッから、一ッ粒もごはんを食べないんだもの、それで今朝けさになっても、まだ歩いてばかりいちゃあ、いくらおれだってたまらねえや」

「まて、もうすこしのしんぼうじゃ。向田むこうだノ城しろへまいれば、なんでも腹いッぱい食くわせてやる」

「もうだめだ、アア、もう歩けない、なにか食たべなくッちゃ目がまわりそうだ……」

なれるにしたがってそろそろ尻尾しっぽをだしてきた蛾次郎がじろうは、宿場人足しゅくばにんそくがよりたかって、うまそうに立ち食ぐいしている餅屋もちやの前へくると、ぎょうさんに、腹をかかえてしゃがんでしまった。

半助はにが笑いして、いくらかの小銭こぜにをだしてやった。それをもらうと、蛾次郎は人ごみをかきわけてふところいッぱい焼餅やきもちを買いもとめ、ムシャムシャほおばりながら歩きだした。

間まもなく、ふたりのまえに見えた向田ノ城。

ここの砦とりでには、富士、庵原いはら、二郡ぐんをまもる徳川家とくがわけの松平周防守康重まつだいらすおうのかみやすしげがいる。菊池半助きくちはんすけは、その人に会って、じぶんが探知たんちした裾野すそのの形勢けいせいをしさいに書面へしたため、それを浜松の本城へ、早打ちで送りとどけてもらうようにたのんだ。

書状しょじょうの内容は、徳川家とくがわけの領内である富士の人穴ひとあなを中心に、裾野すその一帯の無人むじんの広野こうやに、いまや、呂宋兵衛るそんべえだの、伊那丸いなまるだの、あるいは秀吉ひでよしの隠密おんみつ、柴田勝家しばたかついえの間者かんじゃなどが、跳梁ちょうりょうして、風雲すこぶる険悪けんあくである。はやく、いまのうちに味方の兵をだして、それらの者を、掃滅そうめつしなければ一大事で。――という意味のものであった。

その密談のあいだに、

「ちぇッ、ばかにしてやがら」

城内の一室で、プンプンしていたのは蛾次郎がじろうである。もう焼餅やきもちを食たべつくし、腹はいっぱいになったが、まさか寝ることもできず、半助はいつまでも顔を見せないし、遊ぶところはなし、文句もんくのやり場のないところから、ひとりでブツブツこぼしている。

「いやンなっちゃうな。どうしたんだい、あの人は、向田むこうだノ城しろへいったら、なんでも好きなものはやるの、うまいものは食いほうだいだのッて、いっておいてよ、ちぇッくそ! ばかにしてやがら、うそつき! 菊池半助きくちはんすけの大うそつき!」

腹いせにわめいていると、ふいに、そこへ半助がはいってきたので、さすがの蛾次郎も、これにはすこし間まが悪かったとみえて作り笑いをした。

「蛾次郎、さだめしたいくつであったろう」

「ううん、そんなでもなかったよ、だけれど、菊池さんはいままでいったいどこへいってたのさ」

「その方ほうをりっぱな侍さむらいに取り立ててやりたいと、城主じょうしゅ周防守すおうのかみさまとそうだんしてまいったのだ。どうだ蛾次郎がじろう、きさまもはやくりっぱな侍になり、堂々と馬にのったり、多くの家来をかかえて、こんなお城に住んでみたくはないか」

「うふふふふふ、おれをその侍にしてくれるのかい」

蛾次郎は、目をほそくしてうれしがった。

「きっとしてやる。が、それには、ぜひなにか一つの手柄てがらをあらわさなければならん」

「手柄をあらわすには、どんなことをすりゃいいんだろう」

「その方法は拙者せっしゃがおしえてやる。しかも蛾次郎でなければできぬことがあるのだ。これ、耳をかせ……」

と半助はんすけは、なにやらひそひそささやくと、蛾次郎は目をまるくして、あたりもかまわず、

「えッ、じゃあの竹童ちくどうの使っている大鷲おおわしを、おれがぬすんでくるのかい!」

「シッ、大きな声をいたすな。――そちはたしか、あの大鷲に乗せてもらった経験があるだろう」

「ある、ある。竹童が松明たいまつをくれッていったから、それを持っていって、一晩じゅう、鷲に乗せてもらったよ」

「さすれば、あの小僧こぞうが鷲をつないでおくところも、鷲の背に乗ることも、そちはじゅうぶんに心得ているはず――じつは近いうちに、あの辺で大きな戦いくさがおきるのだ、そのさわぎに乗じて、竹童の鷲わしを徳川家の陣中へ乗りにげしてくれればそれでよいのだ。なんと、やさしいことではないか」

「だけれど、……もしかやりそこなうと大へんだな、竹童ッてやつ、ちびでもなかなか強いからな」

「蛾次がじッ」

半助がこわい目をしたので、かれは、ギョッとして飛びのいた。

「いやといえばこれだぞ――」

ギラリと脇差わきざしをぬいて、蛾次郎がじろうの鼻ッ先へつきつけた菊池半助は、また、左の手で、袂たもとからザラザラと小判こばんをつかみだして、刀と金をならべてみせた。

「おうといえば褒美ほうびにこれ。イヤといえば刀で首。さアどっちでもよい方ほうをのぞめ」

二

菊池半助きくちはんすけの書面が、家康いえやすの本城ほんじょう浜松へつくと同じ日にいくさになれた三河武士みかわぶしの用意もはやく、旗指物はたさしものをおしならべて、東海道を北へさして出陣した三千の軍兵ぐんぴょう。

精悍無比せいかんむひときこえた亀井武蔵守かめいむさしのかみの兵七百、内藤清成ないとうきよなりの手勢てぜい五百、加賀爪甲斐守かがづめかいのかみの一隊六百余人、高力与左衛門こうりきよざえもんの三百五十人、水野勝成みずのかつなりが後詰ごづめの人数九百あまり、軍奉行いくさぶぎょうは天野三郎兵衛康景あまのさぶろべえやすかげ。

法螺ほら、陣鐘じんがねの音に砂けむりをあげつつ、堂々と街道かいどうをおしくだり、蒲原かんばらの宿しゅく、向田むこうだノ城にはいって、松平周防守まつだいらすおうのかみのむかえをうけた。

ここで、裾野陣すそのじんの大評議をした各将は、待ちもうけていた菊池半助を、地理の案内役として先陣にくわえ、全軍犬巻峠いぬまきとうげの嶮けんをこえて、富士河原ふじがわらを乗りわたし、天子てんしヶ岳たけのふもとから南裾野みなみすそのへかけて、長蛇ちょうだの陣をはるもよう。

西をのぞめば、雨あまヶ岳たけのいただきを陣地とする武田伊那丸たけだいなまるの一党とう、北をみれば、人穴城ひとあなじょうにたてこもる呂宋兵衛るそんべえの一族、また南の平野には、葵あおいの旗指物はたさしものをふきなびかせて、威風いふうりんりんとそなえた三千の三河武士みかわぶしがある。

ここ、いずれも、敵味方三方わかれの形である。

甲こうを攻めれば乙おつきたらん、乙を討たんとせば丙へい突つかんという三角かく対峙たいじ。はたしてどんな駈引かけひきのもとに、目まぐるしい三つ巴どもえの戦法がおこなわれるか、風雲の急なるほど、裾野のなりゆきは、いよいよ予測よそくすべからざるものとなった。

けれど、それは人と人とのこと、弓取りと弓取りのこと。晩秋の千草ちぐさを庭としてあそぶ、鶉うずらや百舌もずや野うさぎの世界は、うらやましいほど、平和そのものである。

ちょうどそれとおなじように、のんきの洒しゃアな顔をして、またぞろ、裾野へ舞まいもどってきた泣き虫の蛾次郎がじろうはばかにいい身分になったような顔をして、あっちこっちを、のこのこと歩いていた。

三

「木隠こがくれが出立しゅったつしてから、きょうで、はや四日目。――かれのことだ。よも、裏切うらぎりもすまいが、なんの沙汰さたもないのは、どうしたのか。おいとしや、若君のご武運もいまは神も見はなし給うか」

床几しょうぎによって、まなこをとじながら、こうつぶやいた小幡民部こばたみんぶ。

ここは、陣屋というもわびしい、武田伊那丸たけだいなまるのいる雨あまヶ岳たけの仮屋かりやである。軍師ぐんし民部は、きのうから幕まくのそとに床几をだして、ジッと裾野すそのをみつめたまま、龍太郎りゅうたろうのかえりを、いまかいまかと待ちかねていた。

が――龍太郎のすがたはきょうもまだ見えない。四日のあいだには、かならず兵三百を狩かりあつめて、帰陣すると誓ちかってでた木隠龍太郎。ああ、かれの影はまだどこからも見えてこない。

いよいよ、絶望とすれば、ふたたび、人穴城ひとあなじょうを攻めこころみて、散るか咲くかの、さいごの一戦! それよりほかはみちがない。すでに兵へい倦うみ、兵糧ひょうろうもとぼしく、もとより譜代ふだいの臣でもない野武士のぶしの部下は、日のたつほどひとり去りふたりにげ、この陣地をすて去るにちがいない。

「軍師ぐんし、軍師、小幡民部どの!」

ふいに、耳もとでこうよぶ声。

あれやこれ、思いしずんでいた民部が、ふと、見あげると、巽小文治たつみこぶんじと加賀見忍剣かがみにんけんが連れ立ってそこにある。

「オ。これはご両所りょうしょ、なんぞご用で」

「一昨日おとといからかなたにあって、待ちわびている者が、もういちどこれを最後として、若君へお取次ぎを願って見てくれいと申して、いッかなきかぬ。――軍師ぐんしから伊那丸いなまるさまへ、もういちどおことばぞえねがわれまいか」

「おお、上部八風斎かんべはっぷうさいのことですか、その儀ぎは、拙者せっしゃからも再三若君のお耳へいれたが、断だんじて会わんという御意ぎょいのほか、一こうお取上げにならぬしまつ。事情をいうて追いかえされたがよろしかろう」

「は」

といったが、ふたりの面おもてはとうわくの色にくもった。

じぶんたちが独断で、八風斎を本陣へつれてきたのがわるかったか。伊那丸は対面無用といったまま、耳もかさないのである。また、八風斎のほうでも、あくまで、会わぬうちは、この雨あまヶ岳たけをくだらぬといい張って、うごく気色けしきもなかった。

忍剣と小文治は、なかに立って板ばさみとなった。八風斎はだだをこねるし、伊那丸はきげんがわるい。これでは立つ瀬がないと、いまも民部に、苦しい立場をうちあけていると、ふいに、帳とばりのかげから伊那丸の声で、

「民部、民部やある」

としきりに呼ぶ。

「はッ」

とりいそいで、幕まくのなかへ姿をいれた小幡民部こばたみんぶは、ふたたびそこへ立ちもどってきて、

「よろこばれよご両所りょうしょ、にわかに若君が、八風斎に会ってやろうとおおせだされた。御意ぎょいのかわらぬうち、いそいで、かれをここへ」

といった。

間まもなく、上部八風斎かんべはっぷうさいはあなたの仮屋かりやから、忍剣にんけんと小文治こぶんじにともなわれてそこへきた。迎えにたった民部は、そも、どんな人物かとかれを見るに、鼻はなかけ卜斎ぼくさいの名にそむかず、容貌ようぼうこそ、いたってみにくいが、さすが北越ほくえつの梟雄きょうゆう鬼柴田おにしばたの腹心であり、かつ攻城学こうじょうがくの泰斗たいとという貫禄かんろくが、どこかに光っている。

「八風斎どの、それへおひかえなさい」

制止せいしの声とどうじに、バラバラと陣屋のかげからあらわれた槍組やりぐみのさむらい、左右二列にわかれて立ちならぶ。

と――武田菱たけだびしの紋もんを打ったまえの陣幕じんまくが、キリリと、上へしぼりあげられた。

見れば、正面しょうめんの床几しょうぎに、気けだかさと、美しい威容いようをもった伊那丸いなまる、左右には、山県蔦之助やまがたつたのすけと咲耶子さくやこが、やや頭をさげてひかえている。

「これは……」

と、槍やりぶすまにひるまぬ八風斎も、うたれたように平伏へいふくした。

四

初対面しょたいめんのあいさつや、陣中の見舞みまいなどをのべおわってのち、八風斎はっぷうさいは、れいの秘図ひずをとりだし、主人勝家かついえからの贈おくり物として、うやうやしく、伊那丸いなまるの膝下しっかにささげた。

が、なぜか、伊那丸は、よろこぶ色はおろか、さらに見向きもしないで、にべなくそれをつッかえした。

「ご好意はかたじけないが、さようなものはじぶんにとって欲ほしゅうもない。持ちかえって、柴田しばたどのへお土産みやげとなさるがましです」

「は、心得ぬ仰おおせをうけたまわります。主人勝家かついえこそははるかに御曹司おんぞうしのお身みの上うえをあんじている、無二のお味方、人穴城ひとあなじょうをお手にいれたあかつきは、およばずながらよしみをつうじて、ご若年じゃくねんのお行ゆく末すえを、うしろだてしたいとまでもうしております。……なにとぞ、おうたがいなくご受納じゅのうのほどを」

「だまれ、八風斎!」

はッたとにらんだ伊那丸は、にわかにりんとなって、かれの胸をすくませた。

「いかに、汝なんじが、懸河けんがの弁べんをふるうとも、なんでそんな甘手あまてにのろうぞ。この伊那丸に恩義を売りつけ、柴田が配下に立たせよう計はかりごとか、または、後日ごじつに、人穴城をうばおうという汝らの奸策かんさく、この伊那丸は若年じゃくねんでも、そのくらいなことは、あきらかに読めている」

「うーむ……」

うめきだした八風斎はっぷうさいの顔は、見るまにまッさおになって、じッと、伊那丸いなまるをにらみかえして、眼めもあやしく血走ってくる。

「益えきないことに暇ひまとらずに、汝なんじも早々そうそう、北越ほくえつへひきあげい。そして、勝家かついえとともに大軍をひきい、この裾野すそのへでなおしてきたおりには、またあらためて見参げんざんするであろう。そちの大事がる図面とやらも、そのとき使うように取っておいたがよい」

深くたくらんだ胸のうちも、完全に見やぶられた八風斎は、本性ほんしょうをあらわして、ごうぜんとそりかえった。

「なるほど、さすが信玄しんげんの孫まごだけあって、その眼力がんりきはたしかだ。しかしわずか七十人や八十人の小勢こぜいをもって、人穴城ひとあなじょうがなんで落ちよう。敵はまだそればかりか、呂宋兵衛るそんべえにもましておそろしい大敵が、すぐ背後うしろにもせまっているぞ。悪いことはすすめぬから、いまのうちに柴田家しばたけの旗下きかについて、後詰ごづめの援兵えんぺいをあおぐが、よいしあんと申すものじゃ」

「だまれ。よしや伊那丸ひとりになっても、なんで、柴田ずれの下風かふうにつこうや、とくかえれ、八風斎!」

「ではどうあっても、柴田家にはつかぬと申しはるか、あわれや、信玄の孫どのも、いまに、裾野に屍かばねをさらすであろうわ、笑止しょうし笑止」

毒口どくぐちたたいて、秘図ひずをふところにしまいかえした八風斎、やおら、伊那丸のまえをさがろうとすると、面目めんもくなげにうつむいていた忍剣にんけんと小文治こぶんじが、左右から立って、

「若君にむかってふらちな悪口あっこう、よくもわれわれ両人をだましおったな!」

と、猿臂えんぴをのばして、八風斎のえりがみをつかもうとしたとき、

「方々かたがた! 方々! 敵の大軍が見えましたぞッ」

にわかに起ったさけび声、陣のあなたこなたにただならぬどよみ声、伊那丸いなまるも咲耶子さくやこも、民部みんぶも蔦之助つたのすけも、思わずきッと突っ立った。

「それ見たことか、はやくも地獄じごくの迎えがきたわッ!」

さわぎのすきに、すてぜりふの嘲笑ちょうしょうをなげながら、疾風しっぷうのように逃げだした上部八風斎かんべはっぷうさい。

忍剣と小文治が、なおも追わんとするのを伊那丸はかたく止とめて、かれのすがたを見送りもせず、

「小さき敵に目をくるるな、心もとない大軍の出動とやら、だれぞ、はようもの見せい!」

「はい、かしこまりました」

こたえた声音こわねは意外にやさしい、だれかとみれば、伊那丸のそばから、蝶ちょうのように走りだしたひとりの美少女、いうまでもなく咲耶子である。

見るまに、物見ものみの松の高きところによじのぼって、梢こずえにすがりながら、片手をかざし、

「オオ、見えまする! 見えまする!」

「して、その敵のありどころは」

松の根方ねかたから上をあおいで、一同がこたえを待つ。

上では、緑の黒髪を吹かれながら、咲耶子さくやこの声いっぱい。

「天子てんしヶ岳たけのふもとから、南すそのへかけて、まんまんと陣取ったるが本陣と思われまする。オオ、しかも、その旗印はたじるしは、徳川方とくがわがたの譜代ふだい、天野あまの、内藤ないとう、加賀爪かがづめ、亀井かめい、高力こうりきなどの面々」

「やや、では呂宋兵衛るそんべえが人穴城ひとあなじょうをでたのではなかったか。してして軍兵ぐんぴょうのかずは?」

「富士川もよりには、和田わだ、樋之上ひのかみの七、八百騎き、大島峠おおしまとうげにも三、四百余の旗指物はたさしもの、そのほか、津々美つつみ、白糸しらいと、門野もんののあたりにある兵をあわせておよそ三千あまり」

「その軍兵は、こなたへ向かって、すすんでくるか?」

「いえいえ、満まんを持じしてうごかぬようす、敵の気ごみはすさまじゅう見うけられます」

咲耶子の報告がおわると、物見ものみの松のしたでは、伊那丸いなまると軍師ぐんしを中心にして、悲壮な軍議がひらかれた。まえには、人穴城の強敵あり、うしろには徳川家とくがわけの大軍あり、雨あまヶ岳たけは、いまやまったく孤立無援こりつむえんの死地におちた。

おそらくは、主従しゅじゅうの軍議もこれが最後のものであろう。軍議というも、守るも死、攻むるも死、ただ、その死に方の評定ひょうじょうである。

時は、たそがれ刻どきか、あるいは、宵よいか夜中か明け方か、いずれにせよ、闇でも花とちる身みにはかわりがない。

こい! 徳川勢とくがわぜい――。

伊那丸方いなまるがたの面々めんめんは、馬には飼糧かいば、身には腹巻をひきしめて、雨あまヶ岳たけの陣々に鳴りをしずめた。

そのころ、人穴城ひとあなじょうの望楼ぼうろうのうえにも、三つの人影があらわれた。大将呂宋兵衛るそんべえに、軍師ぐんし丹羽昌仙にわしょうせん、もうひとりは客分の可児才蔵かにさいぞう。三人は、いつまでも暮れゆく陣地をながめわたして、なにやら密議に余念がない。心なしか、こよいはことに砦とりでのうえに、いちまつの殺気がみち満ちていた。

富士ふじはくれゆく、裾野すそのはくれる。

きょうで四日目の陽ひは、まさに沈もうとしているのに小太郎山こたろうざんへむかって、駿馬しゅんめ項羽こううをとばせた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうはそも、どこになにしているのだろう。

かれは、よもや雨あまヶ岳たけにのこした伊那丸の身や、同志の人々を忘れはてるようなものではけっしてあるまい。いや、断じてないはずの人間だ。それだのに、晩秋の靄もやひくくとぶ鳥はみえても、駿馬項羽にまたがったかれのすがたが、いつまでも見えてこないのはどうしたわけだ?

人無村ひとなしむらで、とんだ命いのちびろいをしたッきり、白旗しらはたの森もりのおくへもぐりこんでしまった竹童ちくどうも、ほんとに、頭脳あたまがいいならば、いまこそどこかで、

「きょうだぞ、きょうだぞ、さアきょうだぞ」

と叫さけんでいなければならないはず。

お師匠ししょうさまの果心居士かしんこじから、こんどこそ、やりそこなったら大へんだという秘命ひめいを、とっくのまえからさずけられている竹童ちくどうが、その、一生いちどの大使命をやる日はまさにきょうのはずだ。

ところが、きのうあたりから、あの蛾次郎がじろうが、団子だんごや焼餅やきもちなどをたずさえて、チョクチョク白旗の森にすがたを見せ、竹童のごきげんとりをやりだしたのも奇妙きみょうである。

密林みつりんの出来事できごと

一

雨のような落葉おちばが、よこざまに、ばらばらと降ふる。

くろい葉、きいろい葉、まっかな葉、入りまじってさんらんと果てしなくとぶ。

さしもひろい湖みずうみの水も、ながい道も、このあたりは見るかぎり落葉おちばの色にかくされて、足のふみ場もわからないほどである。

と――どこかで、

「ぐう、ぐう、ぐう……」

不敵ふてきないびきの声がする。

つかれた旅人でも寝ているのであろう、白旗しらはたの宮みやの、蜘蛛くもの巣すだらけな狐格子きつねごうしのなかから、そのいびきはもれているのだ。

旅人なら、夕陽ゆうひの光がまだ、雲間くもまにあるいまのうちに早くどこか、人里ひとざとまでたどり着ついておしまいなさい――と願わずにいられない。

この地方は、冬にならぬころから、口のひっ裂さけた、れいの狼おおかみというのが、よく出現して、たびの人を、骨ほねだけにしてしまう。

するとあんのじょう、森のかげから、ガサガサという異様な音がちかづいてきた。みると、それは幸さいわいにして狼ではなかったが、針金頭巾はりがねずきんや小具足こぐそくで、甲虫かぶとむしみたいに身をかためたふたりの兵。手には短槍たんそうを引っさげている。

服装の目印めじるし、どうやら徳川家とくがわけの斥候ものみらしいが、きょう、天子てんしヶ岳たけに着陣したばかりなのに、はやくもこのへんまで斥候の手がまわってきたとはさすが、海道一の三河勢みかわぜい、ぬけ目のないすばやさである。

斥候の甲虫は、一歩一歩、あたりに気をくばって、落葉おちばをふむ足音もしのびやかにきたが、

「しッ……」

と、さきのひとりが、白旗の宮のそばで、うしろの者へ手あいずする。

「なんだ……」

おなじく、ひくい声でききかえした。

「あやしい声がする」

「えッ」

「しずかに」

ぴたりと、ふたりは槍やりとともに落葉のなかへ身をふせてしまった。そして、ややしばらく、耳と目を研とぎすましていたが、それっきり、いまのいびきも聞えなくなったので、甲虫かぶとむしはふたたび身をおこして、いずこともなく立ちさった。

あとは、またものさびしい落葉おちばの舞まい。

暮れんとして暮れなやむ晩秋の哀寂あいじゃく。

ぎい……とふいに、白旗しらはたの宮みやの狐格子きつねごうしがなかからあいた。そして、むっくり姿をあらわしたのは、なんのこと、鞍馬山くらまやまの竹童ちくどうであった。

「あぶない、あぶない。もうこんなほうまで、徳川家の陣笠じんがさがうろついてきたぞ。ところで、おいらは、いよいよ、今夜お師匠ししょうさまのおいいつけをやるのだが、それにしては、もうそろそろどこかで、鬨ときの声こえがあがってきそうなもの……どれ、ひとつ高見たかみから陣のようすをながめてやろうか」

ひらりと、宮の縁えんから飛びおりるがはやいか、湖畔こはんにそびえている樅もみの大樹たいじゅへ、するするすると、りすの木のぼり、これは、竹童ならではできない芸当げいとう。

数丈すうじょううえのてっぺんに、烏からすのようにとまった竹童、したり顔して、あたりの形勢けいせいをとくと見とどけてのち、ふたたび降おりてくると、こんどは、白旗しらはたの宮みやの拝殿にかくしておいた一たばの松明たいまつをかつぎだしてきた。

この松明こそは、竹童が苦心さんたんして、蛾次郎がじろうから手にいれたものである。かれは、この松明、二十本をなんに使うつもりか、腰に皮の火打石袋ひうちいしぶくろをぶらさげ、いっさんに、白旗の森のおくへ走りこんでいった。

二

そこは密林みつりんのおくであったが、地盤じばんの岩石が露出ろしゅつしているため、一町四方ほうほど樹木じゅもくがなく、平地は硯すずりのような黒石、裂さけ目くぼみは、いくすじにもわかれた、水が潺湲せんかんとしてながれていた。

ギャアギャアギャア

――ふしぎな怪物の啼なき声ごえがする。そして、すさまじい羽はばたきがそこで聞えた。見ると、ひとつの岩頭がんとうに金瞳黒毛きんどうこくもうの大鷲おおわしが、威風いふうあたりをはらい、八方を睥睨へいげいしてとまっている。

いうまでもない、クロである。

むろん、足はなにかで岩の根ねっこへしばりつけてあるらしかった。

「やい、もひとつ啼なけ、もひとつ啼いてみろ」

七尺ばかりはなれて、鷲わしとあいむきに、腰かけていた者はれいの蛾次郎、竹の先ッぽに、兎うさぎの肉をつき刺さして、しきりにクロを馴ならそうとしていた。

「おい、蛾次公がじこう、なにをしてるんだい」

「え」

ふいに肩をたたかれて、蛾次郎がひょいと、うしろを見ると、竹童ちくどうが、松明たいまつを薪まきのようにしょって立っている。

「なにもしてやしないさ、餌えさをやっているんだ」

「よけいなことをしてくれなくってもいい、さっきも、おいらが鹿しかの股ももを二つやったんだから」

「ああ、竹童さんにも、おれが土産みやげを持ってきたぜ、きょうは焼栗やきぐりだ、ふたりで仲よく食べようじゃないか」

「いやにこのごろは、おいらにおべっかを使うな、そんなにおせじをつかってきたって、もう、そうはちょいちょい鷲わしに乗せてやるわけにはゆかないぜ」

「そんなことをいわないで、おれを弟子でしにしてくれよ、な、たのまあ、そのかわりに、おまえのためなら、おれはどんなことだって、いやといわないからよ」

「きっとか」

「きっとだ!」

「じゃ。さっそく一つ用をたのもうかな」

「たのんでくれよ、さ、なんだい」

「大役だぜ」

「いいとも」

「他人の用ばかりしていると、おまえの主人の鼻かけ卜斎ぼくさいに、叱しかられやしないか」

「大じょうぶだってことさ、おらあもうあすこの家うちをとびだして、いまでは徳川家とくがわけの……」

と、いいかけて、さすがの低能児ていのうじも、気がついたらしく、口をにごらしながら、

「いまじゃ、天下の浪人ろうにんもおんなじ体からだなんだ」

「ふうむ……じゃね、これからおいらのために、ちょっとそこまで斥候ものみにいってくれないか」

「斥候ものみに?」

蛾次郎がじろうぎょっと、目を白くした。

竹童ちくどうは、ことさらに、なんでもないような顔をして、

「このあいだから、雨あまヶ岳たけに陣取っている、武田伊那丸たけだいなまるさまの軍勢が、人穴城ひとあなじょうへむかってうごきだしたら、すぐここまで知らしてくれりゃいいのだ」

「そしたら、いったい、どうする気なんだい?」

「どうもしないさ、この鷲わしにのって、大空から戦見物いくさけんぶつにでかけるのさ」

「おもしろいなあ、おれもいっしょに乗せてくれるか」

「やるとも」

「よしきた、いってくら!」

よく人のだしにつかわれる生まれつきだ。年下の者のおちょうしにのって、もう、一もくさんにかけていく。

そのあとで竹童ちくどうは、鷲わしの足をといてやった。クロは自由の身みになっても、竹童のそばを離れることなく、流れる水をすっていると、かれはまた火打石ひうちいしを取りだして、そこらの枯葉かれはに火をうつし、煙の立ちのぼる夕空をあおぎながら、

「おそいなあ。あのぐずの斥候ものみを待っているより、またじぶんでそこいらの木へ登ってみようかしら」

と、ひとりつぶやいたとこである。

すると、いつの間まにか、かれの身辺をねらって、じりじりとはいよってきたふたりの武士ぶし――それはまえの甲虫かぶとむしだ、いきなり飛びついて、

「こらッ、あやしい小僧こぞう!」

「うごくなッ」

とばかり、竹童の両腕とってねじふせた。竹童はまったくの不意打ち、なにを叫ぶ間まもなく、跳はねかえそうとしたが、はやくも、甲虫の短刀が、ギラリと目先めさきへきて、

「うごくと命いのちがないぞ、しずかにせい、しずかにせい」

「な、な、なにをするんだい!」

「なにもくそもあるものか、きさまこそ、餓鬼がきのぶんざいで、この松明たいまつをなんにつかう気だ、文句もんくはあとで聞いてやるから、とにかく天子てんしヶ岳たけのふもとまでこい」

「や、ではきさまたちは徳川方とくがわがたの斥候ものみだな」

「おお、亀井武蔵守かめいむさしのかみの手の者だ」

「ちぇッ、そう聞きゃおいらにも覚悟がある」

「生意気なまいきなッ」

たちまち、大人おとなふたりと、竹童との、乱闘らんとうがはじまった。

こいつ、体からだはちいさいが、一すじなわではいかないぞ――とみた甲虫かぶとむしは、やにわに短槍たんそうをおっ取って、閃々せんせんと突いて突いて、突きまくってくる。

あわや、竹童あやうし――と見えたせつなである。にわかに、大地をめくり返すような一陣の突風とっぷう! と同時に、パッと翼つばさをひろげた金瞳きんどうの黒鷲くろわしは、ひとりを片かたつばさではねとばし、あなよというまに、あとのひとりの肩先へとび乗って、銀の爪つめをいかり立ッて、かれの顔を、ばりッとかいて宙天ちゅうてんへつるしあげた。

「わッ!」

と、大地へおちてきたのを見れば、目も鼻も口もわからない。満顔まんがんただからくれないの一コの首くび。

信玄しんげんの再来さいらい

一

さても伊那丸いなまるは、小袖こそでのうえに、黒皮くろかわの胴丸どうまる具足ぐそくをつけ、そまつな籠手こて脛当すねあて、黒の陣笠じんがさをまぶかにかぶって、いま、馬上しずかに、雨あまヶ岳たけをくだってくる。

世にめぐまれたときの君きみなれば、鍬くわがたの兜かぶとに、八幡座はちまんざの星をかざし、緋ひおどしの鎧よろい、黄金こがねの太刀はなやかにかざるお身みであるものを……と、つきしたがう、民部みんぶをはじめ、忍剣にんけんも小文治こぶんじも蔦之助つたのすけも、また咲耶子さくやこも、ともに、馬をすすめながら、思わず、ほろりと小袖こそでをぬらす。

兵は、わずかに七十人。

みな、生きてかえる戦いくさとは思わないので、張りつめた面色めんしょくである。決死のひとみ、ものいわぬ口を、かたくむすんで、粛々しゅくしゅく、歩ほをそろえた。

まもなく、梵天台ぼんてんだいの平たいらへくる。夜よるの帳とばりはふかくおりて徳川方とくがわがたの陣地はすでに見えなくなったが、すぐ前面の人穴城ひとあなじょうには、魔獣まじゅうの目のような、狭間はざまの灯ひが、チラチラ見わたされた。その時、やおら、俎岩まないたいわの上につっ立った軍師ぐんし民部みんぶは、人穴城をゆびさして、

「こよいの敵は呂宋兵衛るそんべえ、うしろに、徳川勢とくがわぜいがあるとてひるむな――」

高らかに、全軍の気をひきしめて、さてまた、

「味方は小勢こぜいなれども、正義の戦い。弓矢八幡ゆみやはちまんのご加勢があるぞ。われと思わんものは、人穴城ひとあなじょうの一番乗りをせよや」

同時に、きッと、馬首ばしゅを陣頭にたてた伊那丸は、かれのことばをすぐうけついで、

「やよ、面々めんめん、戦いの勝ちは電光石火でんこうせっかじゃ、いまこそ、この武田伊那丸たけだいなまるに、そちたちの命いのちをくれよ」

凛々りんりんたる勇姿ゆうし、あたりをはらった。さしも、烏合うごうの野武士のぶしたちも、このけなげさに、一滴てきの涙なみだを、具足ぐそくにぬらさぬものはない。

「おう、この君きみのためならば、命いのちをすててもおしくはない」

と、骨ほね鳴なり、肉おどらせて、勇気は、日ごろに十倍する。

たちまち、進軍の合図あいず。

さッと、民部みんぶの手から二行ぎょうにきれた采配さいはいの鳴りとともに、陣は五段にわかれ、雁行がんこうの形となって、闇やみの裾野すそのから、人穴城ひとあなじょうのまんまえへ、わき目もふらず攻めかけた。

「わーッ。わーッ……」

にわかにあがる鬨ときの声こえ。

「かかれかかれ、命いのちをすてい」

いまぞ花の散りどころと、伊那丸は、あぶみを踏んばり、鞍くらつぼをたたいて叫びながら、じぶんも、まっさきに陣刀をぬいて、城門まぢかく、奔馬ほんばを飛ばしてゆく。

と見て、帷幕いばくの旗本はたもとは、

「それ、若君わかぎみに一番乗りをとられるな」

「おん大将に死におくれたと聞えては、弓矢の恥辱ちじょく、天下の笑われもの」

「死ねやいまこそ、死ねやわが友」

「おお、死のうぞ方々かたがた」

たがいに、いただく死の冠かんむり。

えいや、えいや、かけつづく面々めんめんには、忍剣にんけん、民部みんぶ、蔦之助つたのすけ、そして、女ながらも、咲耶子さくやこまでが、筋金入すじがねいりの鉢巻はちまきに、鎖襦袢くさりじゅばんを肌はだにきて、手ごろの薙刀なぎなたをこわきにかいこみ、父、根来小角ねごろしょうかくのあだを、一太刀ひとたちなりと恨うらもうものと、猛者もさのあいだに入りまじっていく姿は、勇ましくもあり、また、涙ぐましい。

ただ、こよいのいくさに、一点のうらみは、ここに、かんじんかなめな、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうのすがたを見ないことである。

上かみは大将伊那丸いなまるから、下したは雑兵ぞうひょうにいたるまで、死の冠をいただいてのこの戦いに、大事なかれのいあわせないのは、かえすがえすも遺憾いかんである。ああ龍太郎、かれはついに、伊那丸の前途ぜんとに見きりをつけ、主しゅをすて、友をすて去ったであろうか。――とすれば、龍太郎もまた、武士ぶしの風上かざかみにおけない人物といわねばならぬ。

二

「いよいよ攻めてまいりましたぞ」

「なに、大したことはない。主従合がっしても、せいぜい八十人か九十人の小勢こぜいです」

「小勢ながら、正陣せいじんの法をとって、大手へかかってきたようすは、いよいよ決死の意気、うっかりすると、手を焼きますぞ」

「おう、そういえば、天をつくような鬨ときの声こえ」

「伊那丸いなまるは、たしかに、命いのちをすてて、かかってきた……」

まっ暗な、空の上での話し声だ。

そこは、人穴城ひとあなじょうの望楼ぼうろうであった。つくねんと、高きところの闇やみに立っているのは、呂宋兵衛るそんべえと可児才蔵かにさいぞうである。

呂宋兵衛は、いましがた、軍師ぐんし昌仙しょうせんと物頭ものがしらの轟とどろき又八が、すべての手くばりをしたようすなので、ゆうゆう、安心しきっているていだった。

が、可児才蔵はかんがえた。

「待てよ、こいつは見くびったものじゃない……」と。

そして日没にちぼつから、伊那丸の陣地を見わたしていると、小勢こぜいながら、守ること林のごとく、攻むること疾風しっぷうのようだ。

かれは、心のうちで、ひそかに舌したをまいた。

「いま、天下の者は豊臣とよとみ、徳川とくがわ、北条ほうじょう、柴田しばたのともがらあるを知って、武田菱たけだびしの旗はたじるしを、とうの昔にわすれているが――いやじぶんもそうだったが――こいつは大きな見当けんとうちがい、あの麒麟児きりんじが、一朝ちょうの風雲に乗じて、つばさを得ようものなら、それこそ信玄しんげんの再来さいらいだろう。天下はどうなるかわからない、下手へたをすると、主人の秀吉公ひでよしこうのご未来に、おそろしいつまずきを、きたそうものでもない――これは、ぐずぐずしている場合ではない。すこしもはやく安土城あづちじょうへ帰って、この由よしを復命するのがじぶんの役目、もとより秀吉公は、呂宋兵衛るそんべえには、あまり重きをおいていられないのだ、そうだ、その勝敗を見とどけたら、すぐにも安土へ立ちかえろう」

臍ほぞをきめたが、色にはかくして、大手の形勢けいせいを観望かんぼうしている。

そこには、たちまち矢叫やさけび、吶喊とっかんの声こえ、大木たいぼく大石たいせきを投げおとす音などが、ものすさまじく震撼しんかんしだした。濛もう――と、煙硝えんしょうくさい弾たまけむりが、釣瓶つるべうちにはなす鉄砲の音ごとに、櫓やぐらの上までまきあがってくる。

おりから、望楼ぼうろうの上へ、かけあがってきたのは、轟とどろき又八であった。黒皮胴くろかわどうの具足ぐそくに大太刀おおだちを横たえ、いかにも、ものものしいいでたちだ。

「お頭領かしらに申しあげます」

「どうした、戦いのもようは?」

「城兵は、一の門もん二の門とも、かたく守って、破れる気づかいはありませぬ。だがかれもまた、伊那丸をせんとうに、一歩もひかず、小幡民部こばたみんぶのかけ引き自在じざいに、勝負ははてしないところです。これは、丹羽昌仙にわしょうせんのれいの蓑虫根性みのむしこんじょうから起ること、なにとぞ、とくにお頭領よりこの又八に、城外へ打ってでることを、お許ゆるし願わしゅうぞんじます」

「む、では汝なんじは城門をおっ開ぴらいて、いっきに、寄手よせてを蹴けちらそうというのか」

「たかのしれた小人数、かならずこの又八が、一ぴきのこらずひっからげて、呂宋兵衛るそんべえさまのおんまえにならべてごらんにいれます」

「昌仙しょうせんの手がたい一点ばかりも悪くないが、なるほど、それでは果はてしがあるまい。ゆるす、又八、打ってでろ」

「はッ、ごめん」

と会釈えしゃくをして、バラバラと望楼ぼうろうをかけおりていった。

可児才蔵かにさいぞうはそれを見て、

「ああ、いけない」とひそかに思う。

軍師ぐんしの威命いめいおこなわれず、命令が二途とからでて、たがいに功こうをいそぐこと、兵法の大禁物だいきんもつである。

大手おおてへかけもどった又八は、すぐ、城兵のなかでも一粒ひとつぶよりの猛者もさ、久能見くのみの藤次とうじ、岩田郷祐範いわたごうゆうはん、浪切右源太なみきりうげんた、鬼面突骨斎おにめんとっこつさい、荒木田五兵衛あらきだごへえ、そのほか穴山あなやまの残党ざんとう、足助主水正あすけもんどのしょう、佐分利さぶり五郎次などを先手さきてとし、四、五百人を勢ぞろいしておしだした。

軍師の昌仙がそれを見て、おどろき、怒おこるもかまわず、呂宋兵衛るそんべえのことばをかさに、

「それッ」

と、城門を八文字もんじに開ひらいた。

「わーッ」

と、たちまち、寄手よせての兵と、ま正面しょうめんにぶつかって、人間の怒濤どとうと怒濤があがった。たがいに、退ひかず、かえさず、もみあい、おめきあっての太刀まぜである。それが、およそ半刻はんときあまりもつづいた。

しかし、やがて時たつほど、むらがり立って、新手あらて新手と入りかわる城兵におしくずされ、伊那丸いなまるがたは、どっと二、三町ばかり退ひけいろになる。

「それ、この機きをはずすな」

とみずから、八角かくの鉄棒をりゅうりゅうと持って、まッ先に立った又八、

「追いつぶせ、追いつぶせ、どこまでも追って、伊那丸一味みをみなごろしにしてしまえ」

と、千鳥ちどりを追いたつ大浪おおなみのように、逃げるに乗って、とうとう、裾野すそのの平たいらまでくりだした。

三

時分はよしと、にわかに踏ふみとどまった小幡民部こばたみんぶ。

とつぜん、采配さいはいをちぎれるばかりにふって、

「止とまれッ!」

と、いった。

算さんをみだして、逃げてきた足なみは、ぴたりと踵きびすをかえして、稲いなむらにおりた雀すずめのように、ばたばたと槍やりもろともに身みをふせる。

「かかれッ、轟とどろき又八をのがすな」

「おうッ」

たちまちおこる胡蝶こちょうの陣。かけくる敵の足もとをはらって、乱離らんり、四面めんに薙なぎたおす。

なかにも目ざましいのは、山県蔦之助やまがたつたのすけと巽小文治たつみこぶんじのはたらき。見るまに、鬼面突骨斎おにめんとっこつさい、浪切右源太なみきりうげんたを乱軍のなかにたおし、縦横無尽じゅうおうむじんとあばれまわった。

「さては、またぞろ民部みんぶの策さくにのせられたか」

と、又八は色をうしなって、にわかに道をひき返してくると、こはいかに、すでに逃げみちを断って、ふいに目の前にあらわれた一手ひとての人数。

そのなかから、ひときわ高い声があって、

「武田伊那丸たけだいなまるこれにあり、又八に見参げんざん!」

「めずらしや轟とどろき、小角しょうかくの娘、咲耶子さくやこなるぞ」

「われこそは加賀見忍剣かがみにんけん、いで、素そッ首くびを申しうけた」

と、耳をつんざいた。

轟又八は、思わず、ぶるぶると身の毛をよだてた。腹心の剛力ごうりき、荒木田五兵衛あらきだごへえは、忍剣に跳とびかかって、ただ一討ひとうちとなる。

手下てしたの野武士のぶしは、敵の三倍四倍もあるけれど、こう浮足うきあしだってしまっては、どうするすべもなかった。かれはやけ半分の眼めをいからして、

「おう、山寨さんさい第一の強者つわもの、轟とどろき又八の鉄棒をくらっておけ」

と、忍剣にんけんの禅杖ぜんじょうにわたりあった。

龍りゅううそぶき虎とら哮ほえるありさま、ややしばらく、人まぜもせず、石火せっかの秘術をつくし合ったが、隙すきをみて、走りよった伊那丸いなまるが、陣刀一閃せん、又八の片腕サッと斬りおとす。

「うーむ」

よろめくところを、咲耶子さくやこの薙刀なぎなた、みごとに、足をはらって、どうと、薙なぎたおした。

又八が討たれたと見て、もう、だれひとり踏みとどまる敵はない、道もえらばず、闇やみのなかをわれがちに、人穴城ひとあなじょうへ、逃げもどってゆく。

その時、はるか南裾野みなみすそのにあたって、ぼう――ぼう――と鳴りひびいてきた法螺ほらの遠音とおね、また陣鐘じんがね。

みわたせば、いつのまにやら、徳川とくがわ三千の軍兵ぐんぴょうは、裾野すその半円を遠巻とおまきにして、焔々えんえんたる松明たいまつをつらね、本格の陣法くずさず、一鼓こ六足そく、鶴翼かくよくの備そなえをじりじりと、ここにつめているようす。

また、人穴城では、いまの敗北をいかった呂宋兵衛るそんべえがこんどはみずから望楼ぼうろうをくだり、さらに精鋭せいえいの野武士のぶし千人をすぐって嵐あらしのごとく殺到さっとうした。

ひゅッ! ひゅッ!

と早くも、闇やみをうなってきた矢走やばしりから見ても、徳川勢とくがわぜいの先手さきて、亀井武蔵守かめいむさしのかみ、内藤清成ないとうきよなり、加賀爪甲斐守かがづめかいのかみの軍兵ぐんぴょうはほど遠からぬところまで押しよせてきたものとおもわれる、その証拠には、伊那丸いなまるの陣した、雨あまヶ岳たけのうえから噴火山ふんかざんのような火の手があがった。

三河勢みかわぜいが火をかけたのである。

その火明かりで、梵天台ぼんてんだいにみちている兵も見えた。まぢかの川を乗りわたしてくる軍馬も見えはじめた。裾野すそのは夕焼けのように赤くなった。

「若君、いよいよご最期さいごとおぼしめせ」

小幡民部こばたみんぶが、天をあおいでこういった。

「覚悟はいたしておる。わしはうれしい、わしはうれしい!」

「おお、おうれしいとおっしゃいまするか」

「野武士のぶしずれの呂宋兵衛るそんべえをあいてに討死するより、ただ一太刀でも、甲斐源氏かいげんじの怨敵おんてき、徳川家とくがわけの旗じるしのなかにきりいって死ぬこそ本望ほんもう、うれしゅうなくてなんとするぞ」

「けなげなご一言ごん、われらも、斬って斬って斬りまくろう」

と、忍剣にんけんもいさみたったが、かえりみれば、前後に、この強敵をうけながら、伊那丸のまわりにのこった人数は、わずかに四十五、六人。

幽霊軍隊ゆうれいぐんたい

一

竹童ちくどうにたのまれて、人穴城ひとあなじょう附近の斥候ものみにでかけた蛾次郎がじろうは、どうやら戦いがはじまりだしたようすなので、草むらをざわざわかきわけてもどってくると、とある小道で、向こうからくるひとりの男のかげを見つけた。

「ア、あいつは雨あまヶ岳たけのほうからきたらしい、あいつに聞けば、伊那丸いなまるがたの、くわしいようすがわかるだろう……」

道ばたに腰かけて、さきからくるのを待っている。

ビタ、ビタ、ビタ……足音はちかづいてきたが、星明かりぐらいでは、それが百姓だか侍だか判はんじがつかないけれど、蛾次郎は、ひょいとまえへ立ちあらわれて、

「もし、ちょっと、うかがいます」

と、頭をさげた。

おおかたびっくりしたのだろう、あいてはしばらくだまって、蛾次郎のかげを見すかしている。

「もしやあなたは、雨ヶ岳のほうから、やってきたのではございませんか」

「ああ、そうだよ」

「あすこに陣どっている、武田伊那丸たけだいなまるの兵は、もう山を下りましたろうか、戦いは、まだおッぱじまりませんでしょうかしら」

「知らないよ。そんなことは、おまえはいったいなにものだ」

「おれかい、おれはさ、もと鼻かけ卜斎ぼくさいという鏃鍛冶やじりかじのとこにいた、人無村ひとなしむらの蛾次郎がじろうという者だが、どうも卜斎という師匠ししょうが、やかまし屋で気にくわないから、そこを飛びだして、いまではあるところの大大名だいだいみょうのお抱かかえさまだ」

「バカッ」

「ア痛いたッ。こんちくしょう、な、な、なんでおれをなぐりやがる」

「蛾次郎、いつきさまにひまをくれた」

「えーッ」

「いつ、この卜斎が、暇ひまをやると申したか」

「あ、いけねえ!」

蛾次郎が、くるくる舞まいをして逃げだしたのも道理、それは、雨あまヶ岳たけからおりてきた当とうの卜斎、すなわち上部八風斎かんべはっぷうさいであった。

「野郎やろう!」

ばらばらッと追いかけて、蛾次郎の襟えりがみをひっつかみ、足をはやめて、人無村の細工さいく小屋へかえってきた。

「親方、ごめんなさい、ごめんなさい」

「えい、やかましいわい」

「ア痛いてえ、もう、もうけっして、飛びだしません、親方ア、これから、気をつけます。か、かんにんしておくんなさい……」

わんわんと手ばなしで泣きだした。もっとも、蛾次郎がじろうの泣き虫なること、いまにはじまったことではないから、その泣き声も、たいして改心の意味をなさない。

「バカ野郎、てめえに叱言こごとなどをいっていられるものか。こんどだけは、かんべんしてやるから、これをしょって、早くあるけ」

と、今夜は八風斎はっぷうさいの鼻かけ卜斎ぼくさいも、家にかえって落ちつくようすもなく、書斎しょさいをかきまわして、だいじな書類だけを、一包ひとつつみにからげ、それを蛾次郎にしょわせて、夜逃げのように、立ちのいてしまった。

門をでると、いま泣いた烏からすの蛾次がじ、もうけろりとして、

「親方、親方、こんな物をしょって、これからいったいどこへでかけるんですえ」

とききだした。

「戦いくさばかりで、この人無村ひとなしむらでは仕事ができないから、越前えちぜん北きたノ庄しょうへ立ちかえるのだ」

「え、越前へ」

蛾次郎はおどろいた。

「いやだなア」

と、口にはださないが、肚はらのなかでは、渋々しぶしぶした。せっかく、菊池半助きくちはんすけが、ああやって、徳川家とくがわけで出世しゅっせの蔓つるをさがしてくれたのに、越前なンて雪国へなんかいくなんて、なんとつまらないことだと、また泣きだしたくなった。

ちょうど、夜逃げのふたりが、人無村ひとなしむらのはずれまできた時、――八風斎はっぷうさいがふいにピタリと足をとめて、

「はてな? ……」

と、耳をそばだてた。

「な、なんです親方」

「だまっていろ……」

しばらく立ちすくんでいると、たちまち、ゆくての闇のなかから、とう、とう、とう――と地をひびかせてくる軍馬の蹄ひづめ、おびただしい人の足音、行軍こうぐんの貝の音、あッと思うまに、三、四百人の蛇形陣だぎょうじんが、嵐あらしのごとくまっしぐらに、こなたへさしてくるのが見えだした。

八風斎はっぷうさいは、ぎょっとして、さけんだ。

「蛾次郎がじろう、蛾次郎、すがたをかくせ、早くかくれろ」

「え、え、え、なんです。親方親方」

「バカ! ぐず――見つかっては一大事だ、はやくそこらへ姿をけせ」

「ど、どこへ消えるんで? ……」

と、不意のできごとに、蛾次郎がじろうは、度どをうしない、まだうろうろしているので、八風斎はっぷうさいは、「えいめんどう」とばかり、かれをものかげに突きとばし、じぶんはすばやく、かたわらの松の木へ、するするとよじ登ってしまった。

ふたりが、からくも、すがたを隠したかかくさないうちである、八風斎の目のしたへ、潮うしおの流れるごとき勢いで、さしかかってきた蛇形だぎょうの行軍こうぐん、その人数はまさに四百余人。みな、一ようの陣笠じんがさ小具足こぐそく、手槍てやり抜刀ぬきみをひっさげて、すでに戦塵せんじんを浴あびてるようなものものしさ。

なかに、目立つはひとりの将、漆黒しっこくの馬にまたがって身には鎧よろいをまとわず、頭に兜かぶとをかぶらず、白の小袖こそでに、白鞘しらさやの一刀を帯おびたまま、鞭むちを裾野すそのにさして、いそぎにいそぐ。

「あ、あの人は見たことがあるぜ」

ものかげにいた蛾次郎は、目をみはって、その馬上を見おくったが、ふと気がついて、

「そうだ、そうだ」とばかり、あとからつづく人数のなかにまぎれこみ、まんまと、八風斎の目をくらまして越前落えちぜんおちのとちゅうから、もとの裾野すそのへ逃げてもどってしまった。

「おお、あの矢さけび、火の手もみえる、流れ矢もとんでくるわ、この一時ひとときこそ一期ごの大事、息もつかずに、いそげいそげ!」

人無村ひとなしむらをかけぬけて、渺漠びょうばくたる裾野すそのの原にはいると、黒馬こくばの将しょうは、鞍くらのうえから声をからして、はげました。雨あまヶ岳たけの火はまだ赤々ともえている。

「敵!」

「敵だッ!」

「討うて!」

と、俄然がぜん、前方の者から声があがった。四、五間けんばかりの小石こいし河原、そこではしなくも、徳川家とくがわけの先鋒せんぽう、内藤清成ないとうきよなりの別隊、四、五十人と衝突しょうとつしたのである。

暗憺あんたんたる闇いくさ、ただものすごい太刀音と、槍やりの折れる音や人のうめきがあったのみで、敵味方の見定みさだめもつかなかったが、勝負は瞬間に決したと見えて、前の蛇形陣だぎょうじんは、ふたたび一糸しみだれず、しかも足なみいよいよはやく、人穴城ひとあなじょうの山下さんかへむかった。

「おうーい、おうーい」

かけつつ馬上の将は何者をか呼びもとめた。それにつづいて、陣笠じんがさの兵たちも、かわるがわる、声をからして、おーい、おーいとつなみのように鬨ときの声を張りあげた。

二

地から湧わいたように、忽然こつねんと、人無村をつきぬけて、ここへかけつけてきた軍勢は、そもいずれの国、いずれの大名だいみょうに属ぞくすものか、あきらかな旗指物はたさしものはないし、それと知らるる騎馬きば大将もなかには見えない。ふしぎといえばふしぎな軍勢。

海に船幽霊ふなゆうれいのあるように、広野こうやの古戦場にも、また時として、武者幽霊むしゃゆうれいのまぼろしが、野末のずえを夜もすがらかけめぐって、草木も霊れいあるもののごとく、鬼哭啾々きこくしゅうしゅうのそよぎをなし、陣馬の音をよみがえらせて、里人さとびとの夢をおどろかすことが、ままあるという古記も見える。

それではないか?

この軍勢も、その武者幽霊の影ではないか、いかにも、まぼろしの魔軍まぐんのごとく、天颷てんぴょうのごとく、迅速じんそくな足なみだ。

「おうーい、おうーい」

魔軍はまた、潮うしおのように呼んでいる。

時しもあれ――

ほど遠からぬところにあって、亀井武蔵守かめいむさしのかみの、精悍せいかんなる三河武士みかわぶし二、三百人に取りまかれていた武田伊那丸たけだいなまるの矢さけびを聞くや、魔軍は忽然こつねんと、三段に備そなえをわかって、わッとばかり斬りこんだ。

ときに、矢来やらいの声があって、伊那丸をはじめ苦境の味方を、夢かとばかり思わせた。

「やあ、やあ、若君はご無事でおわすか、その余のかたがたも聞かれよ、すぐる日、小太郎山こたろうざんへむかった木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、ただいまこれへ立ち帰ったり! 龍太郎これへ立ちかえったり!」

「わーッ」

と、地軸ちじくをゆるがす歓喜かんきの声。

「わーッ」

と、ふたたびあがる乱軍のなかの熱狂。しばしは、鳴りもやまず、三河勢みかわぜいはその勢いと、新手あらての精鋭せいえいのために、さんざんになって敗走した。

木隠龍太郎は、やはり愛すべき武士であった。かれはついに、主君の危急ききゅうに間にあった。

それにしても、かれはどうして、小太郎山から、四百の兵を拉らっしてきたのであろう。それは、かれについてきた兵士たちのいでたちを見ればわかる。

陣笠じんがさも具足ぐそくも、昼のあかりで見れば、それは一夜やづくりの紙ごしらえであろう、兵はみな、小太郎山の、とりでの工事にはたらいていた石切りや、鍛冶かじや、大工だいくや、山崩くずしの土工どこうなのである。武器だけは、砦とりでをつくるまえに、ひそかに、蓄たくわえてあったので不足がなかった。

この成算せいさんがあったので、龍太郎は四日のあいだに、四百の兵を引きうけた。そして、その機智きちが、意外に大きな功こうをそうした。

しかし、一同は、ほッとする間まもなかった。ひとたび、兵をひいた亀井武蔵守かめいむさしのかみは、ふたたび、内藤清成ないとうきよなりの兵と合がっして、堂々と、再戦をいどんできた。

のみならず、人穴城ひとあなじょうを発した呂宋兵衛るそんべえも、すぐ六、七町さきまで野武士勢のぶしぜいをくりだして、四、五百挺ちょうの鉄砲組をならべ、いざといえば、千鳥落ちどりおとしにぶっぱなすぞとかまえている。

三

鼻かけ卜斎ぼくさいの越前落えちぜんおちに、とちゅうまでひっぱられていった蛾次郎がじろうが、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうの行軍こうぐんのなかにまぎれこんで、うまうま逃げてしまったのは、けだし、蛾次郎近来の大出来おおできだった。

かれはまた、その列のなかから、いいかげんなところで、ぬけだして、すたこらと、白旗しらはたの森もりのおくへかけつけてきた。

見ると、そこに焚火たきびがしてあり、鷲わしもはなたれているが、竹童ちくどうのすがたは見えない。

蛾次郎は、しめた! と思った。今だ今だ、菊池半助きくちはんすけにたのまれているこの鷲をぬすんで、徳川家とくがわけの陣中へ、にげだすのは今だ、と手をたたいた。

「これが天の与えというもんだ、あんなに資本もとをつかって、おまけに、竹童みたいなチビ助に、おべっかをしたり、使いをしたりしてやったんだもの、これくらいなことがなくっちゃ、埋うまらないや、さ、クロ、おまえはきょうからおれのものだぞ」

ひとりで有頂天うちょうてんになって、するりと、やわらかい鷲の背なかへまたがった。

蛾次郎は、このあいだ、竹童とともにこれへ乗って、空へまいあがった経験もあるし、また、この数日、腹にいちもつがあるので、せいぜい兎うさぎの肉や小鳥をあたえているので、かなり鷲にも馴なれている。

竹童ちくどうのする通り、かるく翼つばさをたたいて、あわや、乗りにげしようとしたとたん、頭の上から、

「やいッ」

するすると木から下りてきた竹童、

「なにをするんだッ」

いきなり鷲わしの上の蛾次郎がじろうを、二、三間げんさきへ突きとばした。不意をくって、尻しりもちついた蛾次郎は、いたい顔をまがわるそうにしかめて、

「なにを怒おこったのさ、ちょっとくらい、おれにだってかしてくれてもいいだろう。命いのちがけで、いくさのもようをさぐってきてやったんだぜ、そんな根性こんじょうの悪いことをするなら、おれだって、なんにも話してやらねえよ」

「いいとも、もうおまえになんか教えてもらうことはない。おいらが木の上から、およそ見当けんとうをつけてしまった」

「かってにしやがれ、戦いくさなんか、あるもんかい」

「ああ、蛾次公なんかに、かまっちゃいられない、こっちは、今夜が一生一度の大事なときだ」

竹童は、二十本の松明たいまつを、藤ふじづるでせなかへかけ、一本の松明には焚火たきびの焔ほのおをうつして、ヒラリと鷲わしのせへ乗った。

「やい、おれも一しょにのせてくれ、乗せなきゃ、松明をかえせ、おれのやった松明をかえしてくれえ」

「ええ、うるさいよ!」

「なんだと、こんちくしょう」

と、胸をつつかれた蛾次郎がじろうは、おのれを知らぬ、ぼろ鞘ざやの刀をぬいて、いきなり竹童に斬りつけてきた。

「なにをッ」

竹童は、焔ほのおのついた松明たいまつで、蛾次郎の鈍刀なまくらをたたきはらい、とっさに、鷲わしをばたばたと舞いあげた。蛾次郎はそのするどい翼つばさにはたかれて、

「あッ」

と、四、五間けんさきの流れへはねとばされたが、むちゅうになって、飛びあがり、およびもない両手をふって、

「やーい、竹童、竹童」

と、泣き声まじりに呼びかけた。

けれど、それに見向きもしない大鷲おおわしは、しずかに、宙ちゅうへ舞まいあがって、しばらく旋回せんかいしていたが、やがて、ただ見る、一条じょうの流星か、焔ほのおをくわえた火食鳥ひくいどりのごとく、松明たいまつの光をのせて、暗夜あんやの空を一文字もんじにかけり、いまや三角かく戦せんのまっ最中さいちゅうである人穴城ひとあなじょうの真上まで飛んできた。

虎穴こけつに入いる鞍馬くらまの竹童ちくどう

一

軍令ぐんれいをやぶって抜ぬけがけした轟とどろき又八が、伊那丸いなまるがたのはかりごとにおちて、ついに首をあげられてしまったと聞き、人穴城ひとあなじょうのものは、すッかり意気を沮喪そそうさせて、また城門を固かためなおした。

敗走の手下から、その注進をうけた丹羽昌仙にわしょうせんは、

「ええいわぬことではないのに……」と苦にがりきりながら、望楼ぼうろうの段を踏ふみのぼっていった。

そこには、宵よいのうちから、呂宋兵衛るそんべえと、可児才蔵かにさいぞうが床几しょうぎをならべて、始終しじゅうのようすを俯瞰ふかんしている。

「呂宋兵衛さま」

「おお、軍師ぐんし」

「又八は城外へでて討死うちじにいたしました」

「ウム……」

と、呂宋兵衛は、じぶんにも非ひがあるので、決きまりわるげに沈んでいたが、

「おお、それはともかく――」

と、話をそらして、

「伊那丸いなまると徳川勢とくがわぜいとの勝敗しょうはいはどうなったな。かすかに、矢さけびは聞えてくるが、この闇夜やみよゆえさらにいくさのもようが知れぬ」

「いまはちょうど、双方必死そうほうひっしの最中さいちゅうかと心得ます」

「そうか、いくら伊那丸でも、三千からの三河武士みかわぶしにとりかこまれては、一たまりもあるまい」

「ところが、斥候ものみの者のしらせによると、にわかに四、五百のかくし部隊があらわれて、亀井武蔵守かめいむさしのかみをはじめ、徳川勢をさんざんに悩なやめているとのことでござる」

「ふむ……とすると、勝ち目はどっちに多いであろうか」

「むろん、さいごは、徳川勢が凱歌がいかをあげるでござりましょうが」

「さすれば、こっちは高見たかみの見物、伊那丸の首は、三河勢みかわぜいが槍玉やりだまにあげてくれるわけだな」

「が、ゆだんはなりませぬ。なるほど、伊那丸がたは、徳川の手でほろぼされましょうが、次には、勝ちにのった三河の精鋭せいえいどもが、この人穴城ひとあなじょうを乗っとりに、押しよせるは必定ひつじょうです」

「一難なんさってまた一難か。こりゃ昌仙しょうせん、こんどこそは、かならずそちの采配さいはいにまかす。なんとか、妙策みょうさくをあんじてくれ」

と、とうとう兜かぶとをぬいでしまった。

「仰おおせまでもなく、機きに応じ、変にのぞんで、昌仙しょうせんが軍配ぐんばいの妙みょうをごらんにいれますゆえ、かならずごしんぱいにはおよびませぬ」

「それを聞いて安堵あんどいたした。オオ、また裾野すそのにあたって武者声むしゃごえが湧わきあがった。しかしとうぶん、人穴城ひとあなじょうは日和見ひよりみでいるがいい、幸さいわいに、可児才蔵かにさいぞうどのも、これにあることだから、伊那丸がたがみじんになるまで、一献こん酌くむといたそう」

手下にいいつけて、望楼ぼうろうの上へ酒をとりよせた呂宋兵衛るそんべえは、昌仙しょうせんと才蔵さいぞうをあいてに、ゆうゆうと酒宴さかもりをしながら、ここしばらく、裾野すそのの戦いくさを、むこう河岸がしの火事とみて、夜よをふかしていた。

するとにわかに、星なき暗天にあたって、ヒューッという怪音がはしった。その音は遠く近く、人穴城の真上をめぐって鳴りだした。

「風であろう、すこし空が荒れてきたようだ」

杯さかずきを持ちながら、三人がひとしく空をふりあおぐと、こはなに? 狐火きつねびのような一朶だの怪焔かいえんが、ボーッとうなりを立てつつ、頭の上へ落ちてくるではないか。

二

可児才蔵も呂宋兵衛も、また、丹羽昌仙も、おもわず床几しょうぎを立って、

「あッ」

と、櫓やぐらの三方へ身をさけた。

とたんに、空から降ふってきた怪火のかたまりが、音をたててそこにくだけたのである。

たおれた壺つぼの酒が、望楼ぼうろうの上からザッとこぼれ、花火のような火の粉こがまい散った。

「ふしぎ――どこから落ちてきたのであろう」

「昌仙しょうせん昌仙、早くふみ消さぬと望楼ぼうろうへ燃えうつる」

「お、こりゃ松明たいまつじゃ」

「え、松明?」

三人は唖然あぜんとした。

いくら天変地異てんぺんちいでも、空から火のついた松明が降ってくるはずはない、あろう道理はないのである。もし、あるとすれば世のなかにこれほどぶっそうな話はない。

しかし、事実はどこまでも事実で、瞬間しゅんかんののち、またもや同じような怪焔かいえんが、こんどは籾蔵もみぐらへおち、つづいて外廓そとぐるわ、獣油じゅうゆ小屋など、よりによって危険なところへばかり落ちてくる。

「火が降る、火が降る」

「それ、あすこへついた」

「そこのをふみ消せ、ふしぎだ、ふしぎだ」

城中のさわぎは鼎かなえのわくようである。ある者は屋根にのぼり、ある者は水をはこんでいる。

なかでも、気転きてんのきいたものがあって、闇使やみづかいの龕燈がんどうをあつめ、十四、五人が一ところによって、明かりを空へむけてみた結果、はじめて、そこに、おどろくべき敵のあることを知った。

かれらの目には、なんというはんだんもつかなかったが、地上から明かりをむけたせつな、かつて、話にきいたこともない怪鳥けちょうが、虚空こくうに風をよんで舞まったのが、チラと見えた。

それは鷲わしの背をかりて、白旗しらはたの森もりをとびだした竹童ちくどうなることは、いうまでもない。

鞍馬くらまそだちの竹童も、こよいは一世せ一代だいのはなれわざだ。果心居士かしんこじうつしの浮体ふたいの法で、ピタリと、クロの翼つばさの根へへばりつき、両端りょうはしへ火をつけた松明たいまつをバラバラおとす。火先はさんらんと縞目しまめの筋すじをえがいて、人穴城ひとあなじょうへそそぎ、三千の野武士のぶしの巣を、たちまち大こんらんにおとし入れてしまった。

「ああ、いけねえ」

と、その時、ふと、つぶやいた竹童。

空はくらいが、地上は明るい。人穴城のなかで、右往左往うおうさおうしている態さまを見おろしながら、

「こっちで投げる松明を、そうがかりで、消されてしまっちゃ、なんにもならない。オヤ、もうあと四、五本しかないぞ」

なに思ったか、クロの襟頸えりくびをかるくたたいて、スーと下へ舞いおりてきた。いくら大胆だいたんな竹童ちくどうでも、まさか人穴城ひとあなじょうのなかへはいるまいと思っていると、あんのじょう、れいの望楼ぼうろうの張出はりだし――さっき呂宋兵衛るそんべえたちのいたところから、また一段たかい太鼓櫓たいこやぐらの屋根へかるくとまった。

クロをそこへ止とまらせておいて、竹童は、残りの松明たいまつを背負せおって、スルスルと望楼台へ下りてきた。もうそこにはだれもいない、呂宋兵衛も昌仙しょうせんも才蔵さいぞうも、下のさわぎにおどろいて降おりていったものと見える。

「しめた」

竹童は、五つ六つある階段を、むちゅうでかけおりた。

そこは、七門の扉とびらにかためられている人穴城ひとあなじょうのなかだ。あっちこっちの小火ぼやをけすそうどうにまぎれて、さしもきびしい城内ではあるが、ここに、天からふったひとりの怪童かいどうありとは、夢にも気のつく者はなかった。

三

果心居士かしんこじの命めいをおびて、いつかここに使いしたことのある竹童は、そのとき、だいぶ、ようすをさぐっておいたので、城内のかっても、心得ぬいている。

おそろしい、はしッこさで、かれがねらってきたのは鉄砲火薬てっぽうかやくをつめこんである一棟ひとむねだった。見ると、戦時なので、煙硝箱えんしょうばこも、つみだしてあるし、庫くらの戸も、観音かんのんびらきに開あいている。しかも願ったりかなったり、いまのさわぎで、武器番の手下も、あたりにいなかった。

ちょこちょこと、庫くらのなかへはいった竹童は、れいの松明たいまつに、火をつけて、まン中におき、藁縄わらなわの綱火つなびが火をさそうとともに、このなかの煙硝箱えんしょうばこが、いちじに爆発するようにしかけた。そして、ポンと、そとの扉とを閉しめるがはやいか、もときた望楼ぼうろうへ、息もつかずにかけあがってくる。

「ありがたい、ありがたい。これで人穴城ひとあなじょうの蛆虫うじむしどもは、間まもなくいっぺんに寂滅じゃくめつだ。伊那丸いなまるさまも、およろこびなら、お師匠ししょうさまからも、たくさん褒ほめていただかれるだろう」

望楼に立って、手をふった竹童、待たせてあるクロが飛び去っては一大事と、大いそぎで、欄間らんまから棟木むなぎへ手をかけ、棟木から屋根の上へ、よじ登ろうとすると、

「小僧こぞう、待て!」

ふいに、下からグングンと、足をひッぱる者があった。

「あ! あぶない」

「降おりろ、神妙しんみょうにおりてこないと、きさまのからだは、この望楼からころがり落ちていくぞ」

「あ、しまった」

竹童はおどろいた。

平地とちがって、からだは七階の櫓やぐらのすてッぺんにあった。棟木むなぎへかけている五本の指が、命いのちをつっているようなもの、ひとつ力まかせに下からひっぱられたひには、たまったものではない。

「降おりろともうすに、降りてこないか」

「いま降りるよ、降りるから、手をはなしてくれ、でなくッちゃ、からだが自由にならないもの」

「ばかを申せ、はなせば、上へあがるんだろう」

足をつかんでいる者はゆだんがない。

竹童ちくどうは観念かんねんしてしまった。

ままよ、どうにでもなれ、お師匠ししょうさまからいいつけられた使命は、もう十のものなら九つまでしとげたのもどうよう、呂宋兵衛るそんべえの手下につかまって、首をはねられても残りおしいことはないと思った。

「じゃ、どうしろっていうんだい」

おのずから、声もことばも、大胆だいたんになる。

「その手をはなしてしまえ」

「手をはなせば、ここから下まで、まッさかさまだ」

「いや、おれがこう持ってやる」

下の者は背をのばして、竹童の腰帯こしおびをグイとつかんだ。もうどうしたってのがれッこはない、竹童は、運を天にまかせて、棟木むなぎの角かどへかけていた手を、ヒョイとはなした。

「えいッ」

はッと思うと、竹童のからだは、望楼台ぼうろうだいの上へ鞠まりのように投げつけられていた。覚悟はしていても、こうなると最後までにげたいのが人情、かれは、むちゅうになってはね起きたが、すかさず、いまの男が、上からグンと乗しかかって、

「まだもがくか!」

と手足の急所をしめて、磐石ばんじゃくの重みをくわえた。それをだれかと見れば、さっき、呂宋兵衛るそんべえや昌仙しょうせんとともに、ここにいた可児才蔵かにさいぞうである。

安土あづちから選ばれてきた可児才蔵とわかってみれば、なるほど、竹童が、つかまれた足を離せなかったのもむりではない。

「いたい、いたい。苦しい」

竹童も、呂宋兵衛の手下にしては、どうもすこし、手強てごわいやつに捕つかまったとうめきをあげた。

「痛いのはあたりまえだ、うごけばうごくほど、急所がしまる」

「殺してくれ、もう死んでもいいんだ」

「いや、殺さない」

「首を斬れ」

「首も斬らぬ。いったいきさまは、どこの何者だ」

「聞くまでもないではないか、おいらはいつか、果心居士かしんこじさまのお使いとなって、この城へきたことのある鞍馬山くらまやまの竹童ちくどうだ。首の斬り方をしらないなら、さッさと、呂宋兵衛るそんべえの前へひいていけ」

「ウーム、鞍馬山の竹童というか」

可児才蔵かにさいぞうも、心中舌したをまいておどろいた。

安土あづちの城には、じぶんの主人福島市松ふくしまいちまつをはじめ、幼名ようめい虎之助とらのすけの加藤清正かとうきよまさ、そのほか豪勇ごうゆうな少年のあったことも聞いているが、まだこの竹童のごとく、軽捷けいしょうで、しかも大胆だいたんな口をきく小僧こぞうというものを見たことがない。

四

竹童はまた竹童で、才蔵に組みふせられていながら、肚はらのなかで、ふとこんなことを思った。

「こいつはおもしろい、いましかけてきたあの綱火つなびが、松明たいまつの火からだんだん燃えうつって、もうじきドーンとくるじぶんだ。そうすれば煙硝庫えんしょうぐらも人穴城ひとあなじょうの野武士のぶしも、この望楼ぼうろうもおいらもこいつも、いっぺんにけし飛んでしまうんだ」

と、かれはいきなり下から、ぎゅッと才蔵の帯をにぎりしめた。

「あはははは、およばぬ腕だて」

と、才蔵は力をゆるめて笑いだした。

「笑っていろ、笑っていろ、そして、いまに見ているがいい、この下の煙硝庫えんしょうぐらが破裂はれつして、やぐらもきさまもおいらも、一しょくたに、木こッ葉ぱみじんに吹ッ飛ばされるから」

「えッ、煙硝庫が?」

「おお、あのなかへ松明たいまつを、ほうりこんできたんだ。ああいい気味きみ、その火を見ながら死ぬのは竹童ちくどうの本望ほんもうだ、おいらは本望だ」

「いよいよ、よういならん小僧こぞうだ」

さすがの才蔵さいぞうも、これにはすこしとうわくした。がいまの一言ごんを聞いて、

「では、もしや汝なんじは、伊那丸いなまるのために働いている者ではないか」

と、問いただした。

「あたりまえさ、伊那丸さまをおいて、だれのためにこんなあぶない真似まねをするものか、おいらもお師匠ししょうさまも、みんなあのお方かたを世にだしたいために働いているんだ」

「おお、さてはそうか」

と才蔵は飛びのいて、にわかに態度をあらためた。竹童は、手をひかれて起きあがったが、少しあっけにとられていた。

「そうとわかれば、汝を手いたい目にあわすのではなかった。なにをかくそう、拙者せっしゃはわけがあって、秀吉公ひでよしこうの命めいをうけ、この裾野すそののようすを探索たんさくにきた、可児才蔵かにさいぞうという者だ」

「おじさん、おじさん、そんなことをいってると、ほんとうに鉄砲薬てっぽうぐすりの山が、ドカーンとくるぜ、おいらのいったのは、うそじゃないからね」

「では竹童、すこしも早く逃げるがいい」

「えッ、おいらを逃がしてくれるというの」

「おお秀吉公ひでよしこうは、伊那丸いなまるどのに悪意をもたぬ。あのおん方かたに、会ったらつたえてくれい、可児才蔵かにさいぞうと申す者が、いずれあらためて、お目にかかり申しますと」

「はい、しょうちしました」

ないとあきらめた命いのちを、思いがけなく拾った竹童は、さすがにうれしいとみえて、こおどりしながら、まえの欄間らんまへ足をかけた。

「あぶないぞ、落ちるなよ」

まえには足をひっ張った才蔵が、こんどは下から助けてくれる。竹童は棟木むなぎの上へ飛びつきながら、

「ありがとう、ありがとう。だが、おじさん――じゃあない可児さま。あなたも早くここを降おりて、どこかへ逃げださないと、もうそろそろ煙硝えんしょうの山が爆発ばくはつしますよ」

「心得た、では竹童、いまの言伝ことづてを忘れてくれるな」

といいすてて、可児才蔵はバラバラと望楼ぼうろうをおりていったようす、いっぽうの竹童も、やっと屋根瓦がわらの上へはいのぼってみると、うれしや、畜生ちくしょうながら霊鷲れいしゅうクロにも心あるか、巨人のように翼つばさをやすめてかれのもどるのを待っていた。

「さあ、もう天下はこっちのものだ」

鷲わしの翼にかくれた竹童ちくどうのからだは、みるまに、望楼ぼうろうの屋根をはなれて、磨墨するすみのような暗天たかく舞いあがった。

――と思うと同時に、とつぜん、天地をひっ裂さくばかりな轟音ごうおん。

ここに、時ならぬ噴火口ふんかこうができて、富士の形が一夜やに変るのかと思われるような火の柱が、人穴城ひとあなじょうから、宙天ちゅうてんをついた。

ドドドドドドウン!

二どめの爆音ばくおんとともに、ふたつに裂さけた望楼台ぼうろうだいは、そのとき、まっ黒な濛煙もうえんと、阿鼻叫喚あびきょうかんをつつんで、大紅蓮だいぐれんを噴ふきだした殿堂のうえへぶっ倒れた。

そして、八万八千の魔形まぎょうが、火となり煙となって、舞いおどる焔ほのおのそこに、どんな地獄じごくが現じられたであろうか。

果心居士かしんこじの壁叱言かべこごと

一

「また富士山ふじさんが、火をふきだしたのであろうか」

「おお、まだ今朝けさもあんなに、黒煙くろけむりが、あがっている」

「なあに、お山はあのとおり、いつもと変ったところはない、きっと猟師りょうしが、野火のびでもだしたんだろうよ」

「いやいや、野火ばかりで、あんな音がするものか、戦いくさのためだ、戦があったにきまっている」

「え、戦? 戦とすればたいへんだ、このへんもぶっそうなことになるのじゃないかしら」

ここは、裾野すそのや人無村ひとなしむらからも、ずッとはなれている甲斐国かいのくにの法師野ほうしのという山間さんかんの部落。

人穴城ひとあなじょうがやけた轟音ごうおんは、このへんまで、ひびいたとみえて、家うちに落着けない里さとの人があっちに一群ひとむれ、こっちにひとかたまり、はるかにのぼる煙へ小手をかざしながら、今朝けさもガヤガヤあんじあっていた。

「おい、与五松よごまつ」

そのうちのひとりがいった。

「おめえの家うちで、ゆうべ宿をかした旅の客があったな。なんだかこわらしい顔をしていたが、物しりらしいところもある、一つあの客人にきいて見ようじゃないか」

「なるほど、矢作やさくがいいところへ気がついた、どこに戦いくさがあるのか、あの人なら知っているかもしれねえ、はやくお呼よびもうしてこいやい」

「あ、その人は、おれがでてくるときに、先をいそぐとやらで立たち支度じたくをしていたから、ことによるともうでかけてしまったかもしれねえが、おいでになったらすぐ連れてこよう」

与五松という若者は、すぐじぶんの家うちへかけだしていった。ちょうど、立ちかけているところへ間まに合ったものか、しばらくすると、かれはひとりの旅人をつれて一同のほうへ取ってかえしてきた。

「あれかい、与五松の家うちへとまった、お客というのは」

里の者たちは、袖そでひき合って、クスクス笑いあった。なぜかといえば、片鼻かたはなそげている顔が、いかにも怪異かいいに見えたのである。

旅の男というのは、鼻かけ卜斎ぼくさいの八風斎はっぷうさいであった。越後路えちごじへむかっていくかれは、蛾次郎がじろうを見うしなって、ひとりとなり、昨夜ゆうべはこの部落で、一夜をあかした。

「わざわざ恐れいりまする」

と、年かさな矢作やさくが、卜斎のまえへ、小腰をかがめながら、ていねいにききだした。

「あなたさまは、裾野すそのからおいでになった鏃師やじりしとやらだそうでござりますが、あのとおりな黒煙くろけむりが、二日二晩もつづいて立ちのぼっているのは、いったいなんなのでござりましょう」

「あれかい」卜斎はくだらぬことに、呼びとめられたといわんばかりに、

「あれはたぶん、人穴ひとあなの殿堂でんどうが焼けたのでしょう」

「へえ、人穴の殿堂と申しますると」

「野武士のぶしの立てこもっていた山城やまじろ――和田呂宋兵衛わだるそんべえ、丹羽昌仙にわしょうせんなどというやつらが、ひさしく巣すをつくっていたところだ。それもとうとう時節がきて、あのとおり、焼きはらわれたものだろう」

「ああ野武士ですか、野武士の城なら、いい気味だ」

「お富士ふじさまの罰ばちだ」

と、里人さとびとはにわかにほッと安心したばかりか、日ごろの欝憤うっぷんをはらしたようにどよみ立った。

するとまた二、三の者が、

「あ、だれかきた」と叫びだした。

見ると鳥刺とりさし姿の可児才蔵かにさいぞうが、山路やまじをこえてこの部落にはいってきたのだ。ここは街道衝要しょうようなところなので、甲府こうふへいくにも南信濃みなみしなのへはいるにも、どうしても、通らねばならぬ地点になっている。

「おお鳥刺しだ」

と、部落の者たちは、また才蔵を取りまいて、裾野すそののようすをくどく聞きたがった。けれど才蔵は、これから安土あづちへ昼夜兼行けんこうでかえろうとしている体からだ、裾野におけるちくいちの仔細しさいは、まず第一に、秀吉ひでよしへ復命すべきところなので、多くを語るはずがない。

「さあ、ふかいようすは知りませんが、なにしろ、裾野はいま、人穴城ひとあなじょうの火が、枯野かれのへ燃えひろがって、いちめんの火ですよ、そのために、徳川勢とくがわぜいと武田方たけだがたの合戦かっせんは、両陣ひき分けになったかと聞きましたが、人穴城から焼けだされた野武士のぶしは、駿河するがのほうへは逃げられないのでたぶん、こっちへ押しなだれてきましょう」

「えッ、野武士の焼けだされが、こっちへ逃げてきますって?」

「ほかに逃げ道もなし、食糧しょくりょうのあるところもありませんから、きっとここへやってくるにそういありません。ところでみなさん、わたしがここを通ったことは、その仲間なかまがきても、けっしていわないでくださいまし、ではさきをいそぎますから――」

と、可児才蔵はほどよくいって、いっさんに、部落をかけだした。

そして、甲信両国こうしんりょうごくの追分おいわけに立ったとき、右手の道を、いそいでいく男のかげがさきに見えた。

「ははあ、きゃつは、柴田しばたの廻まわし者上部八風斎かんべはっぷうさいだな、これから北きたノ庄しょうへかえるのだろうが、とても、勝家かついえの腕ではここまで手が伸のびない。やれやれごくろうさまな……」

苦笑を送ってつぶやいたが、じぶんは、それとは反対な、信濃堺しなのざかいの道へむかって、足をはやめた。

二

法師野ほうしのの部落は、それから一刻ひとときともたたないうちに、昼ながら、森しんとしてしまった。たださえ兇暴きょうぼうな野武士のぶしが焼けだされてきた日には、どんな残虐ざんぎゃくをほしいままにするかも知れないと、家を閉とざして村中恐怖きょうふにおののいている。

はたして、その日の午後になると、この部落へ、いような落武者おちむしゃの一隊がぞろぞろとはいってきた。各戸かっこの防ぎを蹴破けやぶって、

「ありったけの食たべ物ものをだせ」

「女老人としよりは森へあつまれ、そして飯めしをたくんだ」

「村から逃げだすやつは、たたッ斬るぞ」

「家うちはしばらくのあいだ、われわれの陣屋とする」

好すき勝手なことをいって、財宝をうばい、衣類食い物を取りあげ、部落の男どもを一人のこらずしばりあげて、その家々いえいえへ、飢うえた狼おおかみのごとき野武士が、わがもの顔して、なだれこんだ。

焼けだされた狼は、わずか三、四十人の隊伍たいごであったが、なにせよ、武器をもっている命知いのちしらずだからたまらない。なかには、呂宋兵衛るそんべえをはじめ、丹羽昌仙にわしょうせん、早足はやあしの燕作えんさく、吹針ふきばりの蚕婆かいこばばあまでがまじっていた。

あの夜、殿堂へ、煙硝爆破えんしょうばくはの紅蓮ぐれんがかぶさったときには、さすがの昌仙も、手のつけようがなく、わずかに、呂宋兵衛その他のものとともに、例の間道かんどうから人無村ひとなしむらへ逃げ、からくも危急を脱だっしたのであるが、多くの手下は城内で焼け死んだり、のがれた者も、大半は、徳川勢とくがわぜいや伊那丸いなまるの手におちて、捕とらわれてしまった。

城をうしない、裾野すそのの勢力をうしなった呂宋兵衛は、たちまち、野盗やとうの本性ほんしょうにかえって、落ちてきながら、通りがけの部落をかたっぱしから荒らしてきた。そしてこれから、秀吉ひでよしの居城きょじょう安土あづちへのぼって、助けを借りようという虫のよい考え。――ところが、一しょにおちてきた可児才蔵かにさいぞうは、こんな狼連おおかみれんにつきまとわれては大へんと、いちはやく、とちゅうから姿をかくし、一足ひとあしさきに上方かみがたへ立っていったのである。

三

ここに、一世せ一代だいの大手柄おおてがらをやったのは鞍馬くらまの竹童ちくどう。

その得意や、思うべしである。

飛行自在のクロあるにまかせて、かれは、燃えさかる人穴城ひとあなじょうをあとに、ひさしぶりで、京都の鞍馬山くらまやまのおくへ飛んでかえり、お師匠ししょうさまの果心居士かしんこじにあって、得意のちくいちを物語ろうと思ったところが、荘園そうえんの庵いおりはがらん洞どうで、ただ壁に、一枚の紙片かみきれが貼はってあり、まさしく居士の筆で、いわく、

竹童よ。誇ほこるなよ。なまけるなよ。ゆだんするなよ。お前の使命はまだ残のこっているはず。

ふたたび、われとあう日まで、心の紐ひもをゆるめるなかれ。

果心居士

「おや、こんなものを書きのこして、お師匠さまはいったい、どこへ隠かくれてしまったんだろう」

竹童は、がっかりしたり、不審ふしんにおもったりして、しばらく庵にぼんやりしていた。

「おまえの使命はまだ残っている――おかしいなあ、お師匠さまの計略は、いいつけられたとおりまんまとしたのに……ああそうか、徳川軍とくがわぐんにかこまれた伊那丸いなまるさまが、勝ったか負けたか、生きたか死んだか、その先途せんども見みとどけないのがいけないというのかしら、そういえば、可児才蔵かにさいぞうという人からたのまれている伝言ことづてもあったっけ」

と、にわかに気がついた竹童は、数日来らい、不眠不休ふみんふきゅうの活動に、ともすると眠くなる目をこすりながら、ふたたび、クロに乗って富士の裾野すそのへ舞いもどった。

やがて、白砂青松はくしゃせいしょうの東海道の空にかかったとき、竹童がふと見おろすと、たしかに徳川勢とくがわぜいの亀井かめい、内藤ないとう、高力こうりきなんどの武者らしい軍兵ぐんぴょう三千あまり、旗幟堂々きしどうどう、一鼓こ六足そくの陣足じんそくふんで浜松城へ凱旋がいせんしてきたようす。

「おや、あのあんばいでは、裾野すそのの合戦かっせんは伊那丸いなまるさまの敗亡はいぼうとなったかしら?」

竹童、いまさら気が気でなくなったから、いやがうえにも、クロをいそがせて、裾野の空へきて見ると、人穴ひとあなから燃えひろがった野火のびは、止とどまるところを知らず、方ほう三里りにわたって、濛々もうもうと煙をたてているので、下界げかいのようすはさらに見えない。

遠術えんじゅつ日月じつげつの争あらそい

一

七日七夜なぬかななよ、燃えにもえた野火の煙は、裾野一円にたちこめて、昼も日食にっしょくのように暗い。

富士の白妙しろたえが銀細工ぎんざいくのものなら、とッくに見るかげもなく、くすぶッてしまったところだ。見よ、さしも人穴ひとあなの殿堂でんどうすべて灰燼かいじんに帰きし、まるで鬼おにの黒焼くろやき、巌々がんがんたる岩ばかりがまっ黒にのこっている。

すると、さっきから、その焼やけ跡あとを見まわっていた三騎きのかげが、廃城はいじょうの門をまっしぐらに駈かけだした。そして濛々もうもうたる野火の煙をくぐりながら、金明泉きんめいせんのちかくまできたとき、さきにきた山県蔦之助やまがたつたのすけが、ふいに、ピタッと駒こまをとめて、

「や? ご両所りょうしょ、しばらく待ってくれ」

と、あとからきた二騎き――巽小文治たつみこぶんじと木隠龍太郎こがくれりゅうたろうへ、手をふって押しとどめた。

「おお、蔦之助、呂宋兵衛るそんべえの残党ざんとうでもおったか」

「いや、よくはわからぬが、あの泉いずみのほとりに、なにやらあやしいやつがいる。いま、拙者せっしゃが遠矢とおやをかけて追いたてるから、あとは斬るとも生けどるとも、おのおの鑑定かんていしだいにしてくれ」

「ウム、心得た」

といったへんじよりは、龍太郎と小文治、金明泉へむかって馬を飛ばしていたほうがはやかった。

蔦之助は、鷹たかの石打ちの矢を一本とって、弓弦ゆづるにつがえ、馬上、横がまえにキラキラと引きしぼる。

――小こ一町ちょうは、駿馬しゅんめ項羽こううで一足そくとび、

「やッ、しまった!」

と、そこまできて龍太郎はびっくりした。なぜといえば、いましも金明泉のほとりから、笹叢ささむらをガサガサ分けてでてきたのは、呂宋兵衛るそんべえの残党ざんとうどころか、大せつな大せつな鞍馬くらまの竹童ちくどう。

竹童はなんにも知らない。金明泉きんめいせんの水でも飲んできたか、袖そでで口をふきながら、ヒョイと、岩角いわかどへとび乗ってわざわざ蔦之助つたのすけのまとに立ってしまった。

龍太郎はあわてて、うしろのほうへ馬首ばしゅをめぐらし、

「待てッ、味方だ!」

「竹童だ、うつな!」

小文治こぶんじも絶叫ぜっきょうした。

が、間まにあわなかった。プツン! とたかい弦鳴つるなりがもうかなたでしてしまった。

射手いては名人、矢は鷹たかの石打ち、ヒューッと風をふくんで飛んだかと思うと、狙ねらいはあやまたずかれの胸板むないたへ――

あっけらかんと口をふいていた竹童、睫毛まつげの先にキラリッと鏃やじりの光を感じたせつなに、ヒョイ――と首をすくめて右手すばやく稲妻いなずまつかみに、名人の矢をにぎり止とめてしまった。

「竹童、みごと」

矢にもおどろいたし、褒ほめ声ごえにもおどろいた竹童、龍太郎と小文治のすがたを見つけて、

「木隠こがくれさま。大人おとなのくせに、よくないいたずらをなさいますね」

と、ニッコリ笑った。

「いや竹童、いまのは木隠こがくれどののわるさではない。むこうにいる山県氏やまがたうじの見そこないだから、まあかんにんしてやるがよい」

小文治こぶんじがいいわけしていると、蔦之助つたのすけも遠くから、このようすを見てかけてきた。そして、今為朝いまためともともいわれたじぶんの矢を、つかみとるとは、末すえおそろしい子だという。

けれど当とうの竹童には、末おそろしくもなんにもない。こんな鍛練たんれんは、果心居士かしんこじのそばにおれば、のべつ幕まくなしにためされている「いろは」のいの字だ。

「ときに龍太郎さま、なによりまっ先に、うかがいたいのは、伊那丸いなまるさまのお身の上、どうか、その後ごのようすをくわしく聞かしてくださいまし」

「ウム、当夜若君の孤軍こぐんは、いちどは重囲じゅういにおちいられたが、折もよし、人穴城ひとあなじょうの殿堂から、にわかに猛火を発したので、さすがの呂宋兵衛るそんべえも、間道かんどうから逃げおちて、のこるものは阿鼻叫喚あびきょうかんの落城となった。どうじに三河勢みかわぜいも浜松より急命がくだって総退軍。そのため、味方の勝利と一変したのだ」

「そして、ただいま、ご本陣のあるところは」

「五湖をまえにして、白旗しらはたの森もり一帯たい、総軍一千あまりの兵が、物の具をつくろうて、休戦しておる」

「呂宋兵衛の部下が軍門にくだって、それで急に、味方がふえたわけなんですね」

「そうだ。して竹童、おまえはきょうまで、どこにいたのか」

「ちょっと鞍馬くらまへかえって見ましたところが、お師匠ししょうさまの叱言こごとが壁にはってあったので、あわててまた舞まいもどってきたんです」

「フーム、では果心かしん先生には、鞍馬くらまの庵室あんしつにも、おすがたが見えなかったか」

「いっこうお行方ゆくえしれずです。またお気がむいて、日本くまなく行脚あんぎゃしておいでになるのかも知れませんが、困こまるのはこの竹童ちくどう、先生のおいいつけは、やりとげましたが、こんどはなにをやっていいのか見当けんとうがつきません。龍太郎りゅうたろうさま、あそんでいると眠くなりますから、なにか一つ中役ちゅうやくぐらいなところを、いいつけておくんなさい」

龍太郎も、じぶんの手柄話てがらばなしらしいことを、おくびにもださなかったが、竹童もまた、あれほどの大軍功だいぐんこうを成しとげていながら、鼻にもかけず塵ちりほどの誇ほこりもみせていない。

そしてなお、なにか一役いいつけてくれという。よいかな竹童、さすがは果心居士かしんこじが、藜あかざの杖つえで、ピシピシしこんだ秘蔵弟子ひぞうでしだ。

二

武田伊那丸たけだいなまる、小幡民部こばたみんぶ、そのほか帷幕いばくのものが、いまなお白旗しらはたに陣をしいて、しきりにあせっているわけは、和田呂宋兵衛わだるそんべえの所在が、かいもく知れないためであった。

人穴城ひとあなじょうという外廓がいかくは焼けおちたが、中身なかみの魔人まじんどもはのこらず逃亡してしまった。丹羽昌仙にわしょうせん、吹針ふきばりの蚕婆かいこばばあ、穴山残党あなやまざんとうの佐分利さぶり、足助あすけの輩ともがらにいたるまで、みな間道かんどうから抜けだした形跡けいせき。しかも、落ちていったさきが不明とあっては、真まことに、この一戦の痛恨事つうこんじである。

「そこできょうも、咲耶子さくやこさまをはじめ忍剣にんけんもわれわれ三名も、八ぽうに馬をとばし、木の根、草の根をわけてさがしているところだ」

――と龍太郎からはなされた竹童は、聞くとともに、こともなげにのみこんで、

「では龍太郎さま、この竹童が、ちょっと、一鞭ひとむちあてて見てまいりましょう」

「ウム、なにかおまえに、成算せいさんがあるか」

「あてはございませんが、そのくらいのことなら、なんのぞうさもないこッてす」

「いや、あいかわらず小気味こきみのいいやつ、ではわかりしだいにその場所から、この狼煙のろしを三どうちあげてくれ、こちらでも、その用意をして待つことにいたしているから」

「ハイ。きっとお合図あいずもうします。じゃ蔦之助つたのすけさま、小文治こぶんじさま、これでごめんこうむりますよ」

竹童、龍太郎から受けとった狼煙筒のろしづつを、ふところに納おさめると、またまえにでてきた笹叢ささむらのなかへ、ガサガサと熊くまの子のように姿をかくしてしまった。

おや? あんな大言たいげんを吐はいておいて、どこへもぐりこんでゆくのかと、こなたに三人がながめていると、折こそあれ、金明泉きんめいせんのほとりから、一陣の旋風せんぷうをおこして、天空たかく舞いあがった大鷲おおわしのすがた――

地上にあっても小粒の竹童、空へのぼると、鷲わしの一毛もうにもたらず、かれの姿は、翼つばさのかげにありとも見え、なしとも思われつつ、鷲そのものも、たちまち鳩はとのごとく小さくなり、雀すずめほどにうすらぎ、やがて、一点の黒影こくえいとなって、眼界がんかいから消えてゆく。

雲井にきえた鷲わしと竹童ちくどう。甲駿こうすん二国のさかいを、蛇じゃの目めまわりに、ゆうゆうと見てまわって、とうとう、この法師野ほうしのの部落に、和田呂宋兵衛わだるそんべえ一族の焼けだされどもが、よわい村民そんみんをしいたげているようすをとくと見さだめた。

このあたり、野火のびの煙がないので、竹童が鷲の背から小手をかざしてみると、法師野の山村、手にとるごとしだ。部落の家には、みな人穴城ひとあなじょうの残党ざんとうがおしこみ、衣食をうばわれた善良な村人むらびとは、老幼男女ろうようなんにょ、のこらず裸体はだかにされて、森のなかに押しこめられている。真まことにこれ、白昼の大公盗だいこうとう、目もあてられぬ惨状さんじょうだ。

「ちくしょうめ、人穴城でやけ死んだかと思ったら、またこんなところで悪事をはたらいていやがるな……ウヌいまに一あわふかせてやるからおぼえていろ」

空にあって、竹童は、おもわず歯がみをしたことである。そして、一刻もはやく、この状況じょうきょうを、伊那丸いなまるの本陣へ知らせようと、大空ななめに翔かけおりる――

するとそのまえから、法師野の大庄屋おおしょうや狛家こまけの屋敷を横奪おうだつして、わがもの顔にすんでいた和田呂宋兵衛は、腹心の蚕婆かいこばばあや昌仙しょうせんをつれて、庭どなりの施無畏寺せむいじへでかけて、三重の多宝塔たほうとうへのぼり、なにか金目かねめな宝物ほうもつでもないかと、しきりにあっちこっちを荒らしていた。

吹針ふきばりの蚕婆は、ちょうどその時、三重の塔のいただきへのぼって、朱しゅの欄干らんかんから向こうをみると、今しも、竹童ののった大鷲おおわしが、しきりにこの部落の上をめぐってあなたへ飛びさらんとしているとき――

「あッ、たいへん」

顔色をかえて、蚕婆かいこばばあがぎょうさんにさわぎだしたので、塔のなかの宝物をかきまわしていた呂宋兵衛るそんべえと昌仙しょうせんなにごとかとあわてふためいて、細廻廊ほそかいろうの欄干へ立ちあらわれた。

見ると空の黒鷲くろわし、その翼つばさにひそんでいるのは、呂宋兵衛がうらみ骨髄こつずいにてっしている鞍馬くらまの小童こわっぱ。丹羽昌仙にわしょうせんはきッと見て、

「ウーム、きゃつめ、伊那丸方いなまるがたの斥候ものみにきおったな」

と拳こぶしをにぎったが、かれの軍学も空へはおよばず、蚕婆かいこばばあの吹針ふきばりも、ここからはとどかず、ただ唇くちびるをかんでいるまに、鷲はいっさんに裾野すそのをさしてななめに遠のく。

「呂宋兵衛さま、もうこうはしておられませぬ」

さすがの昌仙が、ややろうばいして腰をうかすと、いつも臆病おくびょうな呂宋兵衛が、イヤに落着きはらって、

「なアに、大丈夫」

と苦にがっぽく嘲笑あざわらい、じッと、鷲のかげを見つめていたが、やがて、右手に持っていた金無垢肉彫きんむくにくぼりの鷹たかの黄金板おうごんばん――それはいまの塔内とうないから引ッぺがしてきた厨子ずしの金物かなもの。

「はッ……、はッ……」

と三たびほど息をかけて、術眼じゅつがんをとじた呂宋兵衛、その黄金の板へ、やッと、力をこめて碧空あおぞらへ投げあげたかと思うと、ブーンとうなりを生じて、とんでいった。

「あッ」

「オオ」

と丹羽昌仙にわしょうせんも蚕婆かいこばばあも、おもわず金光こんこうの虹にじに眼をくらまされて、まぶしげに空をあおいだが、こはいかに、その時すでに、黄金板おうごんばんのゆくえは知れず、ただ見る金毛燦然きんもうさんぜんたる一羽わの鷹たかが、太陽の飛ぶがごとく、びゅッ――と竹童の鷲わしを追ッかけた。

これは、前身悪伴天連あくバテレンの和田呂宋兵衛わだるそんべえが、蛮流幻術ばんりゅうげんじゅつの奇蹟きせきをおこなって、竹童ちくどうを、鳥縛ちょうばくの術におとさんとするものらしい。――知らず鞍馬くらまの怪童子かいどうじ、はたして、どんな対策たいさくがあるだろうか?

三

「あら、あら、あら! コンちくしょうめ」

竹童は、にわかに空でめんくらった。

いや、乗ってる鷲がくるいだしたのだ。――で、いやおうなく、かれが、大声あげて、叱咤しったしたのもむりではない。

「こらッ、クロ、そっちじゃねえ、そっちへ飛ぶんじゃないよ!」

いつも背なかで調子をとれば、以心伝心いしんでんしん、思うままの方向へ自由になるクロが、にわかに、風をくらった凧たこのように、一つところを、くるくるまわってばかりいる。

はるか、多宝塔たほうとうの上で、呂宋兵衛が、放遠の術気じゅっきをかけているとは知らない竹童、ふしぎ、ふしぎとあやしんでいると、怪光をおびた一羽わの大鷹おおたかが、かッと嘴くちばしをあいて、じぶんの目玉をねらってきた。

「あッ」

竹童ちくどうはぎょッとして、鷲わしの背なかへうっぷした。――とクロは猛然と巨瞳きょどうをいからし、鷹たかをめがけて絶叫を浴びせかける。らんらんたる太陽のもと、双鳥そうちょうたちまち血みどろになってつかみあった。飛毛ふんぷんと降ふって、そこはさながら、日月じつげつあらそって万星ばんせいうずを巻くありさまである。

「えいッ」

そのとき竹童、腰なる名刀がわりの棒切ぼうきれ、ぬく手もみせず、怪光の鷹たかをたたきつけた。とたんに、その鋭い気合いが、術気じゅっきをやぶったものか、鷹たかは、かーんと黄金板おうごんばんの音ねをだして、一直線に地上へ落ちていった。

「ウーム、しまった!」

多宝塔たほうとうの上で、遠術の印いんをむすんでいた呂宋兵衛るそんべえ、あおじろい額ひたいから、タラタラと脂汗あぶらあせをながしたが、すぐ蛮語ばんごの呪文じゅもんをとなえ、満口まんこうに妖気ようきをふくみ入れて、フーと吹くと、はるかな、竹童と鷲の身辺だけが、薄墨うすずみをかけたように、円まるくぼかされてしまった。

はじめは、そのうす黒い妖気が、雲のように見えたがやがて、チラチラ銀光にくずれだしたのを見ると……数万すうまん数億すうおくの白い毒蝶どくちょう。――打てども、はらえども、銀雲のように舞って、さすがの竹童も、これには弱りぬいた。同時に、さては何者か、妖気を放術してさまたげているにそういないと知ったから、かねて果心居士かしんこじにおしえられてあった破術遁明はじゅつとんめいの急法をおこない、蝶群ちょうぐんの一角かくをやぶって、無む二無む三に、鷲わしを飛ばそうとすると、クロは白蝶群はくちょうぐんの毒粉どくふんに眩暈よって、翼つばさを弱められ、クルクルと木この葉おとしに舞いおりた。

多宝塔たほうとうの上から、それをながめた呂宋兵衛るそんべえ、してやったりとほくそ笑えんで、塔のなかへ姿をかくしたが、まもなく金銀珠玉きんぎんしゅぎょくの寺宝をぬすみだして、庄屋しょうやの狛家こまけへはこびこみ、野武士のぶしの残党ざんとうどもに、酒蔵さかぐらをやぶらせて、面つらにくい大酒宴おおさかもり。

寺には、僧侶そうりょが斬りころされ、森には裸体はだかの老幼ろうようがいましめられて、飢うえと恐怖におののいている。戦国の悲しさには、この暴悪なともがらの暴行に、駈かけつけてくる代官所だいかんしょもなく、取りしまる政府もない。

こうして呂宋兵衛たちは、この村を食くいつくしたら、次の部落へ、つぎの部落を蹂躪じゅうりんしきったらその次へ、群ぐんをなして桑田そうでんを枯からす害虫のように渡りあるく下心したごころでいるのだ。それは、この一族ばかりでなかったとみえて、戦国時代のよわい民のあいだには「狼おおかみと野武士のぶしがいなけりゃ山家やまがは極楽ごくらく」と、いう諺ことわざさえあった。

さて、いっぽうの竹童は、どこへ降おりたろう。

降おりたところで、ふと見るとそこは、つごうよく、五湖方面から法師野ほうしの地方へかよう街道のとちゅう。小広い平地があって、竹林ちくりんのしげった隅すみに、一軒けんの茅葺屋根かやぶきやねがみえ、裏手うらてをながるる水勢のしぶきのうちに、ゴットン、ゴットン……水車みずぐるまの悠長ゆうちょうな諧調かいちょうがきこえる。

さっきは、呂宋兵衛るそんべえの遠術になやまされて、クロがだいぶつかれているようすなので、竹童は、水車すいしゃのかけてある流れによって、鷲わしにも水を飲ませじぶんも一口すって、さて、一刻こくもはやく合図あいずの狼煙のろしをあげてしらせたいがと、あっちこっちを見まわした後のち、クロをそこへ置きすてて、いっさんにうらの小山へ登りだした。

ところが、その水車小屋すいしゃごやには、一昨日おとといからひとりの男が張はりこんでいた。

呂宋兵衛から、張り番をいいつけられていた早足はやあしの燕作えんさく。毎日たいくつなので、きょうは通りかかった泣き虫の蛾次郎がじろうを、小屋のなかへ引っぱりこみ、このいい天気なのに小屋の戸を閉しめきったまま、ふたりでなにかにむちゅうになっていた。

鷲盗わしぬすみ

一

入口も窓まども閉めきってあるので、水車小屋のなかはまっ暗だ。ただ、蝋燭ろうそくが一本たっている。

そこで、早足の燕作が、泣き虫の蛾次郎に、よからぬ秘密ひみつを、伝授でんじゅしている。

なにかと思えば、かけごとである。するものに事をかいて、かけごとの方法をつたえるとは、教授する先生も先生なら、また、教えをうける弟子でしも弟子、どっちも、褒ほめられた人物でない。

「おい蛾次公がじこう、まだふところに金があるんだろう、勝負ごとは、しみッたれるほど負けるもんだ、なんでも、気まえよくザラザラだしてしまいねえ」

「だって燕作えんさくさん、いまそこへだした小判こばんは?」

「わからねえ男だな、いまのはおまえが負けたからおれにとられてしまったんだよ。それを取りかえそうと思ったら、いっぺんに持ってるだけかけて見ろ」

「だって負けると、つまらねえや」

「そこが男の度胸どきょうじゃねえか、鏃師やじりしの蛾次郎ともあるおまえが、それぐらいな度胸がなくって、将来天下に名をあげることができるもんか、ええ蛾次ちゃん、しッかりしろやい」

と燕作は、ここ苦心さんたんで、蛾次郎の持ち金のこらず巻きあげようとつとめている。

蛾次郎が、身にすぎた小判こばんを、ザラザラ持っていたのは、向田むこうだノ城の一室で、菊池半助きくちはんすけからもらった金だった。――かれは、本来その報酬ほうしゅうとして竹童ちくどうの鷲わしをぬすんで、裾野戦すそのせんのおこるまえに、菊池半助の陣中へかけつけなければならなかったはずだが、密林みつりんのおくで、鷲をぬすみそこねて、竹童のため、したたか痛められていらい、もうこりごり、のこりの金で買食かいぐいでもしようかと、甲府こうふをさしてきたとちゅう、ここで張はり番役をしていた燕作えんさくの目にとまり、ひっぱりこまれたものである。

そしてさっきから、うまうまとふところの小判こばんを、あらかた巻きあげられ、もう三枚しか手になかった。燕作は、その三枚の小判こばんをふんだくってしまったら、おとといおいでと、小屋からつまみだしてしまうつもりだ。

「おい、蛾次公がじこう先生、いつまで考えこんでいるんだい」

「だけれど、こわいなあ、この三枚をだして負けになると、おれは、空からッぽになってしまうんだろう」

「そのかわり、おめえが勝てば、六枚になるじゃねえか、六枚はって、また勝てば十二枚、その十二枚をまたはれば、二十四枚、二十四枚は二十四両、どうでえ、それだけの金をふところに入れて、甲府へいってみろ、買えねえ物は、ありゃしねえぞ」

「よし! はった」

「えらい、さすがは男だ、よしかね、勝負をするぜ」

「ウム、燕作さん、ごまかしちゃいけねえよ」

「ばかをいやがれ、いいかい、ほれ……」

と、燕作が壺つぼへ手をかける、蛾次郎は目をとぎすます――と、その時だ……

ドドーンと、裏山うらやまの上で、不意にとどろいた一発の狼煙のろし。

燕作は見張り番の性根しょうねを呼びさまして、「あッ!」とばかりはねかえり、窓の戸をガラッとあけて空をみると、いましも、打ちあげられた狼煙のろしのうすけむり、水に一滴てきの墨汁すみじるをたらしたように、ボーッと碧空あおぞらににじんで合図あいずをしている。

「やッ、なにか伊那丸いなまるの陣のほうへ、合図をしやがったやつがあるな。ウム、もうこうしちゃいられねえ」

あわただしく取ってかえすや否いな、賭かけてあった小判こばんをのこらずかきあつめて、ザラザラとふところにねじ込む。

蛾次郎がじろうはぎょうてんして、その袂たもとにしがみついた。

「ずるいやずるいや、燕作えんさくさん、おれの金まで持っていっちゃいけないよ、かえしてくれ、かえしてくれ」

「ええい、この阿呆あほうめ、もう、てめえなんぞに、からかっているひまはねえんだ」

ポンと蛾次郎を蹴けはなして、脇差わきざしをぶちこむがはやいか、ガラリッと土間どまの戸を開あけっぱなして、狼煙のあがった裏の小山へ、いちもくさんにかけあがった。

あとで起きあがった蛾次郎、親の死目しにめに会わなかったより悲しいのか、両手を顔にあてて、

「わアん……わアん……わアん……」

と、手ばなしで泣きだした。

しかし天性てんせいの泣き虫にかぎって、泣きだすのもはやいが泣きやむのもむぞうさに、ケロリと天気がはれあがる。

しばらくのあいだ、おもうぞんぶん泣きぬいた蛾次郎は、それで気がさっぱりしたか、プーと面つらをふくらましてそとへでてきた。と思うと、なにかんがえたか、賽さいの河原かわらの亡者もうじゃのように、そこらの小石をふところいっぱいひろいこんだ。

「燕作えんさくめ! 見ていやがれ」

怖おそろしい怖ろしい、低能児ていのうじでも復讐心ふくしゅうしんはあるもの。蛾次郎が、小石をつめこんだのは、れいの石投げの技わざで、小判こばんの仇かたきをとるつもりらしい。

燕作がかえってくるのを待伏まちぶせる計略か、蛾次郎はギョロッとすごい目をして水車小屋すいしゃごやの裏へかくれこんだ。

と、どこまで運のわるいやつ、わッと、そこでまたまた腰をぬかしそこねた。

「やあ、おめえは、クロじゃねえか」

一どはびっくりしたが、そこにいた怪物は、おなじみの竹童ちくどうのクロだったので、蛾次郎は思わず、人間にむかっていうようなあいさつをしてしまった。

そして、いまの泣なきッ面つらを、グニャグニャと笑いくずして、

「しめ、しめ! 竹童がいないまに、この鷲わしをかっぱらッてしまえ。鷲にのって菊池半助きくちはんすけさまのところへいけばお金はくれる、侍さむらいにはなれる、ときどきクロにのって諸国の見物はしたいほうだい。アアありがてえ、こんな冥利みょうりを取りにがしちゃあ、天道てんとうさまから、苦情がくら」

竹の小枝を折って棒切ぼうきれとなし、竹童うつしにクロの背なかへのった泣き虫の蛾次郎。ここ一番の勇気をふるいおこして、鷲わしぬすみのはなれわざ、小屋の前からさッと一陣の風をくらって、宙天ちゅうてんへ乗り逃げしてしまった。

二

血相けっそうかえて、小山の素天すてッぺんへ駈かけあがってきた早足はやあしの燕作えんさく、きッと、あたりを見まわすと、はたして、そこの粘土ねんどの地中に狼煙のろしの筒つつがいけてあった。

スポンとひき抜いて、その筒銘つつめいをあらためていると、すきをねらってものかげから、バラバラと逃げだしたひとりの少年。

「うぬ、間諜まわしもの!」

ぱッと飛びついて組みかぶさった燕作、肩ごしに対手あいての頤あごへ手をひっかけて、タタタタタと五、六間けんひきずりもどしたが、きッと目をむいて、

「やッ、てめえは鞍馬くらまの竹童ちくどうだな」

「オオ竹童だが、どうした」

「狼煙をあげて、伊那丸方いなまるがたへ合図あいずをするなんて、なりにもにあわぬふてえやつ。きょうこそ呂宋兵衛るそんべえさまのところへ引っつるすからかくごをしろ」

「だれがくそ!」

「ちぇッ。この餓鬼がきめ」

「なにをッ、この大人おとなめ」

組んずほぐれつ、たちまち大小二つの体からだが、もみ合った。――赤土がとぶ、草が飛ぶ。それが火花のように見える。

さきに、釜無川原かまなしがわらでぶつかった時、燕作えんさくの早足と腕まえを知った竹童は、もう逃げては、やぼとおもったか、いきなりかれの手首へかじりついた。

「あ痛いてッ! ちくしょうッ」

燕作は拳こぶしをかためて、イヤというほど、竹童のびんたをなぐる。しかし竹童も、必死に食くいさがって、はなれればこそ。

「ウム」と唇くちびるから血をたらして同体に組みたおれた。そしてややしばらく芋虫いもむしのように転々てんてんとして上になり、下になりしていたが、ついに踏ふンまたいでねじふせた燕作が、右の拇指おやゆびで、グイと対手あいての喉のどをついたので、あわれや竹童ちくどう、喉のど三寸のいきの根ねをたたれて、

「ウーム……」

と、四肢しをぶるるとふるわせたまま、ついに、ぐったりしてしまった。

「ざまア見やがれ! がらの小ちいせえわりに、ぞんがいほねを折らせやがった」

燕作は、すぐ竹童をひっかかえて、法師野ほうしのにいる呂宋兵衛るそんべえのところへかけつけようとしたが、ふと気がつくと、いまの格闘かくとうで、さっき蛾次郎がじろうからせしめた小判こばんが、あたりに山吹やまぶきの落花らっかとなっているので、

「ほい、こいつをすてちゃあゆかれねえ」

あっちの三枚、こっちの五枚、ザラザラひろいあつめていると、突とつ! どこからか風をきって飛んできた石礫いしつぶてが、コツンと、燕作えんさくの肩骨にはねかえった。

「おや」

とふりむいたが、竹童ちくどうは気絶きぜつして横たわっているし、ほかにあやしい人影も見あたらない。どうもへんだとは思ったが、なにしろ大たいせつな小判こばんをと、ふたたびかき集めていると、こんどはバラバラ小石の雨が、つづけざまに降ふってきた。

「あ、あ、あいたッ!」

両手で頭をかかえながら、ふとあおむいた燕作の目に、そのとたん! さッと舞いおりた大鷲おおわしの赤銅色しゃくどういろの腹が見えた。

首尾しゅびよく、鷲わしぬすみをやった泣き虫の蛾次郎がじろう、その上にあって、細竹ほそだけの杖つえを口にくわえ、右手に飛礫つぶてをつかんで、

「やい燕作、やアい、燕作のバカ野郎やろう。さっきはよくも蛾次郎さまの金を、いかさまごとで、巻きあげやがったな。その返報には、こうしてやる、こうしてやる!」

天性てんせい、石なげの妙みょうをえた蛾次郎が、邪魔物じゃまもののない頭の上からねらいうちするのだからたまらない、さすがの燕作も手むかいのしようがなく、あわてまわって、竹童のからだを横わきに引っかかえるや否いな、小山の降おり口ぐちへむかって、一足そくとびに逃げだした。

が――一せつな、蛾次郎がさいごの力をこめた飛礫つぶてがピュッと、燕作のこめかみにあたったので、かれは、急所の一撃げきに、くらくらと目をまわして、竹童のからだを横にかかえたまま、粘土ねんどの急坂きゅうはんを踏ふみすべって、竹林ちくりんのなかへころがり落ちていった。

「やあ、いい気味だ、いい気味だ! ひっヒヒヒヒヒ」

白い歯をむきだして、虚空こくうに凱歌がいかをあげた蛾次郎がじろうは、口にくわえていた細竹ほそだけの杖つえを持ちなおし、ここ、竹童そッくりの大得意だいとくい。

「さ、クロ、あっちへ飛べ」

南――遠江とおとうみの国は浜松の城、徳川家康とくがわいえやすの隠密組おんみつぐみ菊池半助きくちはんすけのところを指して、いっきに鷲わしをかけらせた。

幸か不幸か、いま竹童は息の根ね絶たえてそれを知らない。醒さめてのち、かれが天下なにものよりも愛着してやまないクロが、蛾次郎のため盗みさられたと知ったら、その腹立ちはどんなだろう。

三

ゴットン、ゴットン、ゴットン……

水車の諧調かいちょうに、あたりはいつか、たそがれてきた。

竹林ちくりんのやみに、夜の風がサワサワゆれはじめると、昼はさまでに思えなかった水音みずおとが、いちだんとすごみを帯おびてくる。――ことに今夜は、小屋の灯ひをともす者もなかった。

星あかりで見ると、その燕作えんさくは、水車場すいしゃばのすぐ上の崖がけに、竹童ちくどうをかかえたまま、だらりと木の根に引っかかっている。

――ふたりとも、死せず活いきず、気絶きぜつしているのだ。

すると上の竹の葉が、サラサラ……とひそやかにそよぎだしたかと思うと、笹ささの雫しずくがそそぎこぼれて、燕作えんさくの顔をぬらした。で、かれはハッと正気しょうきをとりもどし、むくむくと起きて、闇やみのなかにつっ立った、――立ったとたんに、笹の枝からヌルリとしたものが、燕作の首に巻きついた。

「あッ――」と、つかんですてると、それは小さな白蛇しろへびである。こんどはたおれている竹童の胸へのって、かれのふところへ鎌首かまくびを入れ、スルスルと襟首えりくびへ、銀環ぎんかんのように巻きついた。

夜はいよいよ森々しんしんとしている。燕作は、なんだかゾッとして手がだせないでいた。そして、顔のしずくをなでまわした。

と、それはあまりに遠くない地点から、ぼウ――ぼウ――と鳴りわたってきた法螺ほらの音ね、また陣鐘じんがね。耳をすませば、ごくかすかに甲鎧こうがいのひびきも聞える。兵馬漸進へいばぜんしんの足なみかと思われる音までが、ひたひたと潮うしおのように近づいてくる。

「オオ!」

燕作はいきなり、そばの木へのぼって、枝づたいに、水車小屋の屋根の上へポンととびうつった。そして、暗憺あんたんたる裾野すそのの方角へ小手をかざしてみると、こはなにごと!

急は目前もくぜん、味方の一大事、すでに十数町の近くまでせまってきていた。

竹童ちくどうがあいずの狼煙のろしをみて、この地方に敵ありと知った武田伊那丸たけだいなまるは、白旗しらはたの森もりに軍旅ぐんりょをととのえ、裾野陣すそのじんの降兵こうへいをくわえた約千余の人数を、星せい、流りゅう、騎き、白はく、幻げんの五段にわかち、木隠こがくれ、巽たつみ、山県やまがた、加賀見かがみ、咲耶子さくやこの五人を五隊五将の配置とした。

采配さいはい、陣立て、すべてはむろん、軍師ぐんし小幡民部こばたみんぶこれを指揮しきするところ。

陣の中央はこれ天象てんしょうの太陽座ざ、すなわち、武田伊那丸の大将座、陰陽いんよう脇備わきぞなえ、畳備たたみぞなえ、旗本はたもと随臣ずいしんたち楯たての如くまんまんとこれをかこみ、伝令でんれい旗持はたもちはその左右に、槍組やりぐみ、白刃組はくじんぐみ、弓組をせんとうに、小荷駄こにだ、後備うしろぞなえはもっともしんがりに、いましも、三軍星ほしをいただき、法師野ほうしのさしていそいできた。

ひる、それを見れば、孫子そんし四軍の法を整々せいせいとふんだ小幡民部が軍配ぐんばいぶり、さだめしみごとであろうが、いまは荒涼こうりょうたる星あかり、小屋の屋根から小手をかざしてみた燕作えんさくにも、ただその殺気しか感じられなかった。

「ウーム……」

と、燕作はおもわずうなって、

「いよいよ伊那丸のやつばらが、呂宋兵衛るそんべえさまのあとをかぎつけてきやがったな。オオ、すこしも早くこのことを、法師野ほうしのへ知らせなくっちゃならねえ」

ひらりと、屋根をとびおりた燕作、この大事に驚愕きょうがくして、いまはひとりの竹童をかえり見ている暇ひまもなく、得意の早足はやあし一もくさん、いずこともなくすッ飛んでった。

白樺しらかばに笛ふえ吹ふく少女おとめ

一

駈かけもかけたり早足はやあしの燕作えんさく。

水車小屋から法師野ほうしのまで、二里り八、九丁ちょうはたっぷりな道、暗夜悪路をものともせず、ひととび、五、六尺しゃくずつ踵きびすをけって、たちまち大庄屋おおしょうや狛家こまけの土塀門どべいもんのうちへ、息もつかずに走りこんだ。

きて見ると、こなたは意外、いやのんきしごくなていたらく。

呂宋兵衛るそんべえ以下、野獣やじゅうのごとき残党輩ざんとうばら。竹童ちくどうのあげた狼煙のろしも、伊那丸軍いなまるぐんの出動も知らず、みなゆだんしきッた酒宴さかもりの歓楽最中かんらくさいちゅう。なかにはすでに酔よいつぶれて、正体しょうたいのない野武士のぶしさえある。

息はずませて、門から奥おくをのぞきこんだ燕作、

「ケッ、ばかにしていやがら」

と、むッとして、

「おれひとりを、番小屋に張りこませておきゃあがって、てんでに、すきかってなまねをしていやがる。ウム、くせになるから、いちばん胆きもッ玉のでんぐり返るほど、おどかしてやれ」

じぶんも蛾次郎がじろうあいてに、かけごとをしていたことなどは棚たなへあげて、不平づらをとンがらかした燕作えんさく、いきなり庭先のやみへバラッとおどり立ち、声と両手をめちゃくちゃにふりあげて、

「一大事、一大事! 酒宴さかもりどころじゃない、一大事がおこったぞ」

取次ぎもなく、ふいにどなられたので、呂宋兵衛るそんべえは、杯さかずきをおとして顔色をかえた。かれのみか、丹羽昌仙にわしょうせん、蚕婆かいこばばあ、穴山あなやまの残党ざんとう足助あすけ、佐分利さぶりの二名、そのほかなみいる野武士のぶしたちまで、みな総立そうだちとなり、あさましや、歓楽かんらくの席は、ただ一声ひとこえで乱脈となった。

「おお、そちは番小屋の燕作、さてはなんぞ、伊那丸がたの間諜かんちょうでも、立ちまわってきたと申すか」

「あ、昌仙さまでございましたか、間諜どころか、武田伊那丸たけだいなまるじしんが、一千あまりの軍勢を狩かりたて、この法師野ほうしのへおそってくるようすです」

「ウーム、さすがは伊那丸、もうこの隠かくれ里ざとをさぐりつけてまいったか。よもやまだ四、五日は大丈夫と、たかをくくっていたのが、この昌仙のあやまり、ああ、こりゃどうしたものか……」

丹羽昌仙は、ためいきついて、つぶやいたが、急に、ヒラリと庭さきへでて、じッと、十方の天界てんかいをみつめだした。

そらは無月むげつ、紺紙こんしに箔はくをふきちらしたかのごとき星月夜ほしづきよ、――五遊星ゆうせい、北極星ほっきょくせい、北斗星ほくとせい、二十八宿星しゅくせい、その光芒こうぼうによって北条流ほうじょうりゅう軍学の星占ほしうらないをたてているらしい昌仙しょうせんは、しばらくあってのち、なにかひとりうなずいて、もとの席へもどり、呂宋兵衛るそんべえにむかって、離散逃亡りさんとうぼうの急策きゅうさくをさずけた。

「ではなんとしても、おれもひとりとなり、そちもひとりとなり、他の者どももみなばらばらとなって、退散せねば危あぶないというのか」

蛮流幻術ばんりゅうげんじゅつにたけて、きたいな神変しんぺんをみせる呂宋兵衛も、臆病おくびょうな生まれつきは争あらそえず、語韻ごいんはふるえをおびて昌仙の顔をみまもっていた。

「ざんねんながら、富岳ふがくの一天に凶兆きょうちょうれきれき、もはや、死か離散かの、二途とよりないようにぞんぜられまする」

「伊那丸いなまるずれに亡ほろぼされて、ここに終るのも、無念至極むねんしごく。ウム……では、ひとまずめいめいかってに落ちのびて、またの時節をうかがい、京都へあつまって、人穴城ひとあなじょうの栄華えいがにまさる出世の策さくを立てるとしよう」

「なるほど、京都へまいれば秀吉公ひでよしこうのお力にすがることもでき、公卿こうけい百官の邸宅ていたくや諸侯しょこうの門など甍いらかをならべておりますから、またなんぞうまい手蔓てづるにぶつからぬかぎりもござりますまい。では、呂宋兵衛さま、すこしもはやく、ここ退散のおしたくを……」

「おう、じゃ、昌仙もほかの者も、のちに京都で落ちあうことはたしかにしょうちしたろうな」

「がってんです、きっとまた頭領とうりょうのところへ駈かけあつまります」

一同が、異口同音いくどうおんに答えるのを聞いて、呂宋兵衛るそんべえは、有り金をあたまわりに分配して、武器、服装、足ごしらえ用意周到よういしゅうとうの逃げじたくをはじめる。

間まもあらせず、とうとうたる金鼓きんこや攻め貝もろとも、法師野ほうしのの里さとへひた押しに寄せてきた伊那丸勢いなまるぜい、怒濤どとうのごとく、大庄屋おおしょうや狛家こまけのまわりをグルッととりかこんだ。

その時おそし、呂宋兵衛一味みの残党ざんとう、間まごと間まごとの燈火ともしびをふき消して、やくそくどおりの自由行動、蜂はちの巣すを突いたように、八方から闇やみにまぎれて、戸外おもてへ逃げだした。

塀へいを躍おどり越そうとする者――木の枝にぶらさがる者、屋根にのぼってすきを見る者、衆を組んで破れかぶれに斬りだす者――いちじにワーッと喊声かんせいをあげると、寄手よせてのほうも木霊こだまがえしに、武者声むしゃごえを合わせて、弓組いっせいに弦つるを切り、白刃組はくじんぐみは鎬しのぎをけずり、ここかしこにたちおこる修羅しゅらの巷ちまた。

時に、鉄鋲てっぴょう打うった鉢兜はちかぶとに小具足こぐそくをつけ、背に伝令旗でんれいばたを差さし立てた一騎き、伊那丸の命めいをうけて、五陣のあいだをかけめぐりながら、

「――民家へ火をつけるな。――罪なき民たみを傷きずつけるな。――降こうを乞こう者は斬るな。――和田呂宋兵衛わだるそんべえはかならず手捕てどりにせられよ。以上、おん大将ならびに軍師ぐんしの厳命げんめいでござるぞ。違背いはいあるにおいては、味方たりといえども斬罪ざんざい」

と、声をからして伝令し去さった。

二

「もうだめだ、表のほうは、蟻ありのはいでるすきもねえ。昌仙しょうせんさま、昌仙さま、うまいところが見つかったから、はやく頭領とうりょうをつれてこっちへ逃げておいでなさい」

まっ暗な裏手うらてに飛びだして、あわただしく手をふったのは早足はやあしの燕作えんさく。ひゅうッ、ひゅうッ、とうなりを立てて飛んでくる矢は、そのあたりの戸袋とぶくろ、井戸がわ、廂ひさし、立木の幹みき、ところきらわず突き刺ささって、さながら横なぐりに吹雪ふぶきがきたよう。

と、暗憺あんたんたる家のなかで、丹羽昌仙のひくい声。

「呂宋兵衛さま、裏手のほうが手うすとみえて、燕作がしきりにわめいております。さ、少しもはやくここをお落ちなさいませ」

「ウム」

となにかささやきながら、奥おくからゾロゾロとでてきたのは、丹羽昌仙、蚕婆かいこばばあ、足助主水正あすけもんどのしょう、佐分利さぶり五郎次、そしてそのなかに取りかこまれた黒布蛮衣こくふばんいの大男が、まぎれもない和田呂宋兵衛わだるそんべえか――と思うと、またあとからおなじ黒衣こくいをつけ、おなじ銀の十字じ架かを胸にたれ、おなじ背かっこうの男がふたりもでてきた。

しめて、七人。

そのなかに呂宋兵衛が三人もいる。ふたりはむろん昌仙がとっさの妙策みょうさくでつくった影武者かげむしゃだが、どれが本物の呂宋兵衛か、どれが影武者か、夜目よめではまッたくけんとうがつかない。

「燕作えんさく、燕作」

昌仙しょうせんは用心ぶかく、裏口へ首だけだしてどなってみた。矢はしきりに飛んでくるが、さいわい、まだ伊那丸いなまるの手勢てぜいはここまで踏ふみこんでいなかった。

「燕作、逃げ口をあんないしろ! 燕作はどこにいるんだ」

「あ、昌仙さまでございますか」

「そうだ、呂宋兵衛るそんべえさまをお落としもうさにゃならぬ、うまい逃げ口が見つかったとは、どこだ」

「ここです――ここです」

「どこだ、そちはどこにいるんだ」

「ここですよ。昌仙さま、呂宋兵衛さま、はやくここへおいでなさいまし」

「はてな?」

流れ矢があぶないので、七人とも首だけだして、裏手の闇をズーと見わたしたが、ふしぎ、すぐそこで、大きくひびく燕作の声はあるが、どこをどう見つめても、かれのすがたが見あたらない。

とたんに、表のほうへ、伊那丸の手勢が乱入してきたのか、すさまじい物音。逃げだした部下もあらかた生いけどられたり斬りたおされた気けはいである。

「それッ、ぐずぐずしてはいられぬ」

七人のかげが流れ矢をくぐってそとへとびだし、いっぽうの血路けつろを斬りひらく覚悟で、うらの土塀どべいによじ登ろうとすると、

「あぶない! そっちは危あぶない!」

とまた燕作の声がする。

「どこだ、そのほうはいずれにいるのだ」

「ここだよ、こっちだよ」

「こっちとはどこだ」

七人は行き場にまよってウロウロした。

矢は見るまに、めいめいの袖そでや裾すそにも二、三本ずつ刺ささってきた。

「ええ、じれッてえな、ここだってば!」

「や、あの声は?」

「早く早く! 早く降おりておいでなせえ」

「燕作」

「おい」

「どこじゃ」

「ちぇッ、血のめぐりがどうかしているぜ」

という声が、どうやら地底でしたと思うと、かたわらの車井戸くるまいどにかけてあった釣瓶つるべが、癇癪かんしゃくを起したように、カラカラカラとゆすぶれた。

「や、この井戸底いどそこにいるのか」

「そうです、ここより逃げ場はありませんぜ」

「バカなやつめ」

影武者かげむしゃのひとりか、ただしは本人の呂宋兵衛るそんべえか、井戸がわに立ってあざ笑いながら、

「こんななかへとびこむのは、じぶんで墓はかへはいるもどうぜんだ」

「おッと、そいつは大安心おおあんしん、ここは空井戸からいどで一滴てきの水もないばかりか、横へぬけ道ができているからたしかに間道かんどうです」

「なに抜け道になっているとか、そりゃもっけの幸さいわい」

と、にわかに元気づいた七人、かわるがわる釣瓶づたいに空井戸の底へキリキリとさがってゆく。

そして、すでに七人のうち五人までがすがたを隠し、しんがりに残った影武者のひとりと佐分利さぶり五郎次とが、つづいて釣瓶縄つるべなわにすがって片足かけたとき、早くもなだれ入った伊那丸勢いなまるぜいのまっさきに立って、疾風しっぷうのごとく飛んできたひとりの敵。

「おのれッ」

と、駈かけよりざま、雷喝らいかつ一声せい、闇からうなりをよんだ一条じょうの鉄杖てつじょうが、ブーンと釣瓶もろとも、影武者のひとりをただ一撃げきにはね飛ばした。

そのおそろしい剛力ごうりきに、空井戸の車はわれて、すさまじく飛び、ふとい棕梠縄しゅろなわは大蛇おろちのごとく蜿うねって血へどを吐はいた影武者のからだにからみついた。

「あッ――」

と、あやうく鉄杖てつじょうの二つ胴どうにされそこなった佐分利さぶり五郎次、井戸がわから五、六尺とびのいてきッと見れば、鎧武者よろいむしゃにはあらず、黒の染衣せんえかろやかに、ねずみの手甲てっこう脚絆きゃはんをつけた骨たくましい若僧わかそう、いま、ちぬられた鉄杖をしごきなおして、ふたたび、らんらんとした眼まなこをこなたへ射向いむけてくるようす。

「さてはこいつが、伊那丸いなまるの幕下ばっかでも、怪力かいりき第一といわれた加賀見忍剣かがみにんけんだな……」

五郎次はブルッと身ぶるいしたが、すでに空井戸からいどの逃げみちは断たたれ、四面楚歌しめんそかにかこまれてしまった上は、とうてい助かる術すべはないとかんねんして、やにわに陣刀をギラリと抜き、

「おお、そこへきたのは加賀見忍剣とみたがひがめか、もと穴山梅雪あなやまばいせつが四天王してんのうのひとり佐分利五郎次、きさまの法師首ほうしくびを剣先けんさきにかけて、亡主ぼうしゅ梅雪の回向えこうにしてくれる、一騎きうちの作法さほうどおり人まじえをせずに、勝負をしろ」

窮鼠きゅうそ猫ねこをかむとはこれだ、すてばちの怒号どごうものものしくも名のりをあげた。

忍剣は、それを聞くとかえって鉄杖の力をゆるめ、声ほがらかに笑って、

「はははは、さては汝なんじは、悪入道あくにゅうどうの遺臣いしんであったか、主人梅雪がすでに醜骸しゅうがいを裾野すそのにさらして、相果あいはてたるに、いまだ命いのちほしさに、呂宋兵衛るそんべえの手下にしたがっているとは臆面おくめんなき恥知らず、いで、まことの武門をかがやかしたもう伊那丸いなまるさまの御内人みうちびと加賀見忍剣が、天にかわって誅罰ちゅうばつしてくりょう」

「ほざくな痩法師やせほうし、鬼神といわれたこの五郎次の陣刀を受けられるものなら受けてみろ」

「豎子じゅし! まだ忍剣にんけんの鉄杖てつじょうのあじを知らぬな」

「うぬ、その舌したの根ねを!」

――とさけびながら佐分利さぶり五郎次、三日月みかづきのごとき大刀をまっ向こうにかざして、加賀見忍剣かがみにんけんの脳天のうてんへ斬りさげてくる。

「おお」

ゆうゆう、右にかわして、さッと鉄杖に寸すんのびをくれて横になぐ。あな――とおもえば佐分利さぶりも一かどの強者つわもの、ぽんと跳とんで空間くうかんをすくわせ、

「ウム、えイッ」

と陣刀に火をふらして斬ってかかる。パキン! パキン! と二ど三ど、忍剣の鉄杖が舞ってうけたかと思うと、佐分利の大刀は、氷こおりのかけらが飛んだように三つに折れて鍔つばだけが手にのこった。

仕損しそんじたり――とおもったか佐分利五郎次、おれた刀をブンと忍剣の面上めんじょう目がけて投げるがはやいか、踵きびすをめぐらして、いっさんに逃げだしていく。

時こそあれ、

「えーイッ」とひびいた屋上おくじょうの気合い。

屋根廂やねびさしからななめさがりに、ぴゅッと一本の朱槍しゅやりが走って、逃げだしていく佐分利の背から胸板をつらぬいて、あわれや笑止しょうし、かれを串刺くしざしにしたまま、欅けやきの幹みきに縫ぬいつけてしまった。

三

「何者?」

鉄杖てつじょうをおさめて、忍剣にんけんが廂ひさしの上をふりあおぐと、声におうじて、ひとりの壮漢そうかんが、

「巽小文治たつみこぶんじ」

と名のりながら、ひらりと上からとび下りてきた。

「なんだ小文治どのか、よけいなことする男じゃ」

「でも、あやうく逃げるようすだったから」

「だれがこんな弱武者よわむしゃ一ぴき、鉄杖のさきからのがすものか」

「はやまって、失礼もうした」

「いや、なにもあやまることはござらぬよ」

と忍剣は苦笑して、さきに打ちたおした黒衣こくいの影武者をのぞいたが、呂宋兵衛るそんべえの偽者にせものと知って舌打したうちする。小文治は敵を串刺くしざしにして、大樹たいじゅの幹につき立った槍やりをひき抜き、穂先ほさきの刃はこぼれをちょっとあらためてみた。

「して、小文治どの、木隠こがくれや山県やまがたなどはどうしたであろう」

「龍太郎りゅうたろうどのは表口から奥の間まへはいって、呂宋兵衛のゆくえをたずね、蔦之助つたのすけどのは、弓組を四町四ほうに伏ふせて、かれらの逃げみちをふさいでおります」

「ウム、それまで手配てはいがとどいておれば、いかに神変自在な呂宋兵衛でも、もう袋ふくろのねずみどうよう、ここよりのがれることはできまい。だが……この井戸はどうやら空井戸からいどらしい、念のためにこうしてやろう」

法衣ころもの袖そでをまくりあげた忍剣にんけん、一抱ひとかかえもある庭石をさしあげて、ドーンと、井戸底いどそこへほうりこむ。それを合図あいずに、あとから駈けあつまってきた部下の兵も、めいめい石をおこして投げこんだので、見るまに井戸は完全な石埋いしうめとなってしまった。

ところへ木隠龍太郎こがくれりゅうたろうが、うちのなかから姿をあらわして、

「オオ、ご両所りょうしょ、ここにいたか」

「やあ、龍太郎どの、呂宋兵衛るそんべえの在所ありかは」

「ふしぎや、いっこう行方ゆくえが知れもうさぬ。どうやらすでに風をくらって、逃げ失せたのではないかと思われる」

「といって、この家の四ほうは、二重じゅう三重じゅうに取りかこんであるから、かれらのしのびだすすきもないが」

「どこかに間道かんどうらしい穴口あなぐちでもないかしら」

「それもわしが手をわけて尋ねさせたが、ここに一つの空井戸があったばかり」

「なに空井戸?」

と龍太郎がとび降おりてきて、

「ウム、こりゃあやしい、どこかへ通じる間道かんどうにそういない、なかへはいってあらためて見よう」

「いや、念のために、ただいまわしが石埋いしうめにしてしまった」

と、忍剣にんけんはしたり顔だが、龍太郎はじだんだふんで口惜くやしがった。呂宋兵衛るそんべえや敵の主おもなるものが、この口から逃走したとすれば、この空井戸からいどをふさいで、どこからかれらを追跡するか、どこへ兵を廻しておくか、まったくこれでは、みずから手がかりの道を遮断しゃだんしてしまったことに帰結する――と憤慨ふんがいした。その理りの当然に、忍剣もすっかり後悔して、しばらく黙もくしあっていた。

すると、はるか北方の森にあたって、とぎれとぎれな笛ふえの音ねが高鳴った。

――おお、それは、幻げんの陣じんをしいて鳴りをしずめていた咲耶子さくやこが、かねて手はずをあわせてある合図あいずの笛。

「それ、咲耶子どのの笛がよぶ――」

よみがえったように、加賀見忍剣かがみにんけん、巽小文治たつみこぶんじ、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうの三名、音ねをしたって走り出すと、その余の手勢てぜいも波にすわるる木この葉はのごとく、声なく音おとなく、渦うずの中心に駈けあつまる――

城やとりでの間道かんどうとちがって、豪農ごうのうの家にある空井戸からいどの横穴は、戦時財宝のかくし場とするか、あるいは、家族の逃避所とする用意に過ぎないので、もとより、二里も三里もとおい先へぬけているはずがない。

呂宋兵衛るそんべえたち五人のものがわずか二、三丁ちょうの暗闇くらやみをはいぬけて、ガサガサと星影の下に姿をあらわしたのは、黒百合谷くろゆりだにの中腹で、上はれいの多宝塔たほうとうのある施無畏寺せむいじの境内けいだい、下は神代川じんだいがわとよぶ渓流けいりゅうがドーッとつよい水音をとどろかしている。

「道は水にしたがえ」とは山あるきの極意ごくい。

五人は無言のうちに、道どりの心こころ一致いっちして、蔓草つるくさ、深山笹みやまざさをわけながら、だらだら谷の断崖だんがいを降おりてゆく。

――と、その時だ。

にょッきと、星の空にそびえた一本の白樺しらかば、その高き枝にみどりの黒髪くろかみ風に吹かして、腰かけていたひとりの美少女、心なくしてふと見れば、黒百合谷くろゆりだにの百合ゆりの精か星月夜ほしづきよのこぼれ星かとうたがうだろう――ほどに気けだかい美少女が、手にしていた横笛を、山千鳥の啼なくかとばかり強く吹いた。

「や、や? ……」

五人の者が、うたがいに、進みもやらずもどりもせず深山笹のしげみに、うろうろしていると、白樺のこずえの少女は、虚空こくうにたかく笛をふって、さっ、さっ、さっと三閃せんの合図あいず知らせをしたようす。

と思うと、神代川の渓流がさかまきだしたように、ウワーッとあなたこなたの岩石がんせきのかげから、いちじに姿をあらわした伏兵ふくへい。

これなん、咲耶子さくやこの一指し一揮きに伏現ふくげんする裾野馴すそのならしの胡蝶こちょうの陣。

「しまった!」

丹羽昌仙にわしょうせんが絶叫ぜっきょうした。

とたんに崖がけのうえから木隠龍太郎こがくれりゅうたろうが、

「賊徒ぞくと、うごくな」

と戒刀かいとうの鞘さやをはらって、銀蛇ぎんだ頭上に揮ふりかぶってとびおりる。発矢はっし、昌仙が、一太刀うけているすきに、呂宋兵衛るそんべえとその影武者、蚕婆かいこばばあと早足はやあしの燕作えんさく、四人四ほうへバラバラと逃げわかれた。

と、ゆくてにまたあらわれた巽小文治たつみこぶんじ、朱柄あかえの槍やりをしごいて、燕作を見るやいな、えいッと逆落さかおとしに突っかける。もとより武道の心得のない燕作、受ける気もなくかわす気もなく、ただ助かりたい一念で、神代川じんだいがわの水音めがけて飛びこんだ。が、小文治はそれに目もくれず、ひたすら呂宋兵衛の姿をめざして駈かけだした。

一ぽうでは丹羽昌仙、龍太郎の切きッ先さきをさけるとたんに断崖だんがいをすべり落ちて、伏兵ふくへいの手にくくりあげられそうになったが、必死に四、五人を斬りたおして、その陣笠じんがさと小具足こぐそくをすばやく身にまとい、同じ伏兵ふくへいのような挙動きょどうをして、まんまと伊那丸方いなまるがたの部下にばけ、逃げだす機会をねらっている。

もっとも足のよわい蚕婆は、れいの針を口にふくんで、まえの抜け穴あなに舞いもどり、見つけられたら吹き針のおくの手をだそうと、眼まなこをとぎすましていたけれど、悪運まだつきず、穴の前を加賀見忍剣かがみにんけんと龍太郎が駈け過ぎたにもかかわらず、とうとう見つけられずに、なおも息を殺していた。

「木こッ葉ぱどもはどうでもよい、呂宋兵衛るそんべえはどうした」

「かくまで手をつくしながら、当とうの呂宋兵衛を取り逃がしたとあっては、若君に対しても面目めんぼくない、者ども、余人よじんには目をくれず、呂宋兵衛を取りおさえろ」

忍剣と龍太郎が、ほとんど狂気のように叱咜しったしてまわったが、なにせよ、身を没ぼっすばかりな深山笹みやまざさ、杉の若木、蔦葛つたかずらなどが生おいしげっているので、うごきも自由ならずさがしだすのもよういでなかった。すると、かなたにあって、

「やあやあ、巽小文治たつみこぶんじが和田呂宋兵衛を生けどったり! 和田呂宋兵衛を生けどったり!」

声、満山まんざん鳴りわたった。

「ワーッ――」

「ワーッ」

と、手柄てがら名のりにおうずる味方の歓呼かんこ、谷間へ遠く山彦やまびこする。

さしも、強悪無比きょうあくむひな呂宋兵衛、いよいよここに天運つきたか。

多宝塔たほうとう

一

山県蔦之助やまがたつたのすけも、さっきの笛合図ふえあいずと、小文治こぶんじの手柄名てがらなのりをきいて、弓組のなかからいっさんにそこへ駈かけつけてきた。

でかした小文治――と、党友とうゆうの功こうをよろこびつつ、忍剣にんけんも龍太郎りゅうたろうも、声のするほうへとんでいってみると、いましも小文治は、黒衣こくいの大男を組みふせて、あたりの藤蔓ふじづるでギリギリとしばりあげているところだ。

「おお、みごとやったな」

蔦之助と龍太郎があおぐようにほめそやす。忍剣はちょっとざんねんがって、

「どうもきょうは、よく小文治どのに先陣をしてやられる日だわい……」

と、うれしいなかにまだ腕をさすっている。

すると、白樺しらかばのこずえの上にあって、始終をながめていた咲耶子さくやこが、にわかに優やさしい声をはって、

「あれあれ、蔦之助さま、忍剣さま! 上うえの手うすに乗じて、和田呂宋兵衛わだるそんべえが逃げのぼりましたぞ、はやくお手配てはいなされませ!」

「な、なんといわるる!」

四人は、愕然がくぜんとして空を見あげた。

「咲耶子さくやこどの、その呂宋兵衛るそんべえは、ただいま小文治こぶんじどのがこれにて生けどりました。それはなにかの人ちがいであろう」

「いえいえ、たしかにあれへ登ってゆくのこそ、呂宋兵衛にそういありませぬ。オオ、施無畏寺せむいじの境内けいだいへかくれようとしてようすをうかがっておりまする、もう、わたしもこうしてはおられませぬ」

咲耶子は、笛ふえを帯おびにたばさんで、スルスルと白樺しらかばの梢こずえから下おりてしまった。

「や、ことによるときゃつも? ……」

忍剣にんけんは、さっき空井戸からいどで打ちころした影武者を思いおこして、黒衣こくいの襟えりがみをグイとつかんだ。と同時に、その顔をのぞきこんで龍太郎も、おもわず声をはずませて、

「はてな、呂宋兵衛は蛮人ばんじんの血をまぜた、紅毛碧瞳こうもうへきどうの男であるはずだが、こりゃ、似ても似つかぬただの野武士のぶしだ、ウーム、さてはおのれ、影武者であったな」

「ええ、ざんねんッ」

怒気心頭どきしんとうにもえた巽小文治たつみこぶんじ、朱柄あかえの槍やりをとって、一閃せんに突きころし、いまあげた手柄てがら名のりの手まえにも、当とうの本人を引っとらえずになるものかと、無二無三に崖上がけうえへのぼりかえした。

一足ひとあしさきに、白樺を下おりて追いすがった咲耶子は、いましも施無畏寺の境内けいだいへ、ツウとかくれこんでいった黒衣こくいのかげをつけて、

「呂宋兵衛るそんべえ、呂宋兵衛」

と二声ふたこえよんだ。

意外なところに、やさしい女の声音こわねがひびいたので、

「なに?」

おもわず足を踏ふみとどめて、ギョロッと両眼をふり向けたのは、蛮衣ばんいに十字の念珠ねんじゅを頸くびにかけた怪人かいじん、まさしく、これぞ、正真正銘しょうしんしょうめいの和田呂宋兵衛わだるそんべえその者だ。

「や、汝なんじは根来小角ねごろしょうかくの娘だな」

「おお、仇かたきたるそちとはともに天をいただかぬ咲耶子さくやこじゃ。伊那丸いなまるさまや、その余のかたがたのお加勢で、ここに汝なんじをとりかこみ得たうれしさ、悪人! もう八ぽうのがれるみちはないぞえ」

「わはははは、おのれや伊那丸ずれの女子供に、この呂宋兵衛が自由になってたまるものか。斬るも突くも不死身ふじみのおれだ。五尺とそばへ近よって見ろ、汝の黒髪は火となって焼きただれるぞ」

「やわか、邪法じゃほうの幻術げんじゅつなどにまどわされようぞ」

「ふふウ……その幻術にこりてみたいか」

「笑止しょうしやその広言こうげん、咲耶子には、胡蝶こちょうの陣じんの守りがある」

「胡蝶陣? あのいたずらごとがなんになる」

「オオ、そういうじぶんが、すでに胡蝶陣の罠わなに墜おちているのも知らずに……ホホホホ、曳ひかれ者の小唄こうたは聞きにくいもの――」

「女郎めろう! おぼえていろ」

かッと、両眼をいからして、呂宋兵衛るそんべえはふいに咲耶子さくやこの咽首のどくびをしめつけてきた。じゅうぶん彼女にも用意があったところなので、ツイと、ふりもぎって、帯おびの笛ふえを抜くよりはやく、れいの合図あいず、さッと打ちふろうとすると呂宋兵衛が強力ごうりきをかけて奪うばいとり、いきなりじぶんの力で縦横じゅうおうにふってふってふりぬいた。

するとピューッ、ピューッというぶきみな笛鳴りは、たちまちおそろしい暴風となって、満地まんち満天まんてんに木々の落葉おちばをふき巻くりあれよと見るまに、咲耶子は砂塵さじんをかおに吹きつけられて、あ――と眼まなこをつぶされてしまう。

「おのれ!」

きらめく懐剣かいけん、ぴかッと呂宋兵衛の脇腹わきばらをかすめる。――カラリ、と笛をなげすてた呂宋兵衛は、肩にとまった一枚の紅葉もみじを唇くちにくわえて、プーッと彼女の顔に吹きつけるやいなや、ひらりと舞った紅葉の葉は、とんで一片ぺんの焔ほのおとなり、吹きぬく風にあおりをえて、あやし、咲耶子の黒髪にボウとばかり燃えついた。

あッとおどろいたのは、一瞬の幻覚げんかくである。どこからか飛んできた一本の矢が、あやうく呂宋兵衛の耳をかすりぬけたせつな、かれの術気じゅっきは、ぱたッとやんだ風とともに破れて、ばらばらとかなたをさして逃げだした。

それは、忽然こつねんとかけあがってきた四勇士の影をそこに見たがためであろう。――のがさじと、おいすがる咲耶子さくやこにつづいて、忍剣にんけんは鉄杖てつじょうをひっさげ、龍太郎りゅうたろうは戒刀かいとうをひらめかし、蔦之助つたのすけは弓に矢をつがえ、小文治こぶんじは朱柄あかえの槍やりをしごいて、八門もん必殺ひっさつのふくろづめに、呂宋兵衛るそんべえを、多宝塔たほうとうのねもとまでタタタタと追いまくした。

二

さきに、伝令でんれいが陣ぶれをしたことばには、かならず、呂宋兵衛を手捕りにせよとの達たっしであった。けれど、もうこうなっては、騎虎きこの勢いというもの、戒刀を引っさげた龍太郎は、まッさきに背後はいごからとびかかって、

「奸賊かんぞく、和田呂宋兵衛わだるそんべえ、伊那丸方いなまるがたにさる者ありと知られたる木隠こがくれが素そッ首もらった」

さッと一陣の太刀風たちかぜをなげた。

「あッ」

呂宋兵衛はきもをひやして、切きッ先三寸のさきからツウと左へ逃げかわす。

そこには加賀見忍剣かがみにんけん、鉄杖をまっこうに押おっとって、かれのゆくてに立ちあらわれ、

「おのれ、極悪ごくあくの山大名やまだいみょう!」

みじんになれとふりつける。

右へよければ巽小文治たつみこぶんじ、大音とともに、

「呂宋兵衛、はや天命はつきたるぞッ」

とばかり朱電しゅでんの槍やりをくり出して、まつげを焦やくばかりな槍影閃々そうえいせんせん。

「えい、なんのおのれ輩ばらに!」

絶体絶命ぜったいぜつめいとなった呂宋兵衛るそんべえ。そのとき、とんと踏ふみとまって腰の大刀を横なぎに抜きはらったかとおもうと、剣は、火をふいて夜光の珠たまを散らすかと思われるような閃光せんこうを投げつけた。

「おお!」

おもわず目をふさいだ四勇士。

はッと虚きょをうたれて飛びのいたが、これ、火遁幻惑かとんげんわくの逃術とうじゅつであって、まことの剣を抜いたのではなかった。そのすきに、呂宋兵衛はしめたとばかり、多宝塔たほうとうの階段へ向かってトントントンとかけのぼった。

そこへプツン! と山県蔦之助やまがたつたのすけがねらいはなしてきた二の矢を、みごとに袖そででからみおとした呂宋兵衛は、すばやく多宝塔のとびらへ手をかけた。

この鉄壁てっぺきの塔とうへかくれて、なかから扉とびらをもってふせぐさんだん。

咲耶子さくやこも四勇士も、あッ、しまった! と階段へ追いすがってきたが、呂宋兵衛はそれを尻目しりめにかけて、早くも塔の扉をひらき、そのなかへ風のごとく姿をすいこませてしまった。

けれど、かれのからだがそこへかくれるやいな、漆うるしのような塔内とうないの闇やみから、とつじょ、

「奸賊かんぞくすさりおろう!」

声のひびきに呂宋兵衛るそんべえの五体、はじき返しに、階段の下までゴロゴロとけおとされてきた。

忍剣にんけんをはじめ小文治こぶんじや龍太郎りゅうたろうは、得たりとばかり、得物えものをすてて呂宋兵衛に折りかさなり、歯がみをしてもがきまわる奸賊を高手小手たかてこてにからめあげた。――が、いま頭上でひびいた声の主ぬしは、そも何者であろうか、味方にしては意外なと、思ってふと見あげた人々は、

「や、わが君きみ」

と、階段の下へひれふしてしまった。

「オオ、心地よいこと!」

そのとき、多宝塔たほうとうの扉とびらをはいして、悠然ゆうぜんと壇上だんじょうに床几しょうぎをすえ、ふくみ笑わらいをして、こう見下ろしたのは、伊那丸いなまるであった。白綸子しろりんずの着込みに、むらさき縅おどしの具足ぐそく、太刀たちのきらめきもはなばなしい。

そのわきに、片膝かたひざ折おって、手をついたのは、すなわち軍師ぐんし小幡民部こばたみんぶである。紺地無紋こんじむもんの陣羽織じんばおりをつけ、ひだりの籠手こてに采配さいはいをもち、銀作しろがねづくりの太刀をうしろへ長くそらしていた。

兵は味方より計はかるというが、あまり意外なことなので龍太郎は、呂宋兵衛の縄尻なわじりをとりながら、民部に向かってたずねてみた。

「こよいは法師野ほうしのに平陣ひらじんをしかれて、あれにおいであることとばかり思っておりましたに、いつのまに、この塔とうのうちへお越しなされてでござります」

「おん大将の陣は、ありと見ゆるところになく、なしと見ゆるところにあるのが常、べつにふしぎはござりませぬ」

と、民部みんぶはことばすくなく答えたのみ。

「いつもながら軍師ぐんしの妙策みょうさく、敬服のほかはござりませぬ。ところでこやつはいかがいたしましょうか」

「わが君きみの御意ぎょいは!」

「そうじゃの……」

伊那丸いなまるはじッと考えて、

「厳重にひっくくって、ひとまず、この三重じゅうの塔とうのいただきへからげつけておくのはどうじゃ」

「ともすると、幻術げんじゅつをもって人をまどわす妖賊ようぞく、なにさま、陣ぞろいのまもありますゆえ、それが上策じょうさくかも知れませぬ」

「ウム、軍馬をそろえて、小太郎山こたろうざんの砦とりでへひきあげたうえは、御旗みはた楯無たてなしの宝物のありかも、とくと糺ただしてみねばならぬゆえ、そのあとで咲耶子さくやこに討たせてやるもおそくはあるまい」

「おおせ、ごもっともです。では方々かたがた、呂宋兵衛るそんべえをこの三重じゅうへひっ立てて、かならず妖術ようじゅつなどで逃げ失うせぬように厳重なご用意あるよう」

「はッ、しょうちいたした」

「立てッ!」

と、呂宋兵衛るそんべえを引ったてた四勇士は、多宝塔たほうとう三重じゅうのいただきまで追いあげて、その一室の丸柱に鎖くさりをもって厳重にしばりつけ、二階三階の梯子はしごまではずした上、扉とびらの口々はそとから鉄錠てつじょうをおろしてしまった。

あのここな慾張よくばり小僧こぞう

一

水車すいしゃは、夜よもすがらふだんの諧音かいおんをたてて、いつか、孟宗藪もうそうやぶの葉もれに、さえた紺色こんいろの夜よがあけていた。

燕作えんさくの拇指おやゆびで、息の根ねをとめられた鞍馬くらまの竹童ちくどうは、いぜんとして、水車小屋のうら崖がけに、ダラリとなったまま木の根にからんであおむけざまに倒れている――

とはいえ、まだ幽明ゆうめいの境さかいにあって、まったく死んでしまったわけではないので、いくぶん、温ぬくみがあるが、笹ささの小枝からはいうつった小さな白蛇しろへびは、かれの体温たいおんへこころよげにそって、腕から喉のどへ、銀ぎんの輪となって巻きついたきり、去りもやらず、害をくわえるようすもない。

おりから、法師野ほうしのの空にあって、三鼓こ七流りゅうの陣鐘じんがねが鳴りわたるを合図あいずに、天地にとどろくばかりな勝鬨かちどきの声があがった。

それは、人穴ひとあなの残党ざんとうを一挙きょに蹴散けちらして、主将呂宋兵衛るそんべえを生けどり、多宝塔たほうとうの三重じゅうへ封ふうじこめた伊那丸いなまるの軍兵ぐんぴょうが、あかつきの陣ぞろいに富岳ふがくの紅雲こううんをのぞんで、三軍おもわず声をあわせてあげた凱歌がいかであろう。

とおい動揺どよみが、失神の耳にも通じたものか、そのとき竹童ちくどうは、ピクリと鳩尾みぞおちをうごかして、すこし顔を横にふった。その唇くちびるへ、白蛇しろへびは銀の鎌首かまくびをむけて、緋撫子ひなでしこのような舌したをペロリと吐はく。

すると、幾十の麗人れいじんが、笙しょうをあわせて吹くごとき竹林ちくりんの風――ザザザザザッ……とそよぎ渡ったかと思うと、竹童ははッきりと意識いしきを呼びかえされて、パッチリこの世の目をひらいた。

――気がつくと、じぶんはだれかに抱だかれている。

白衣はくい白髯はくぜんの老道士ろうどうし、片手を彼の首にまき、片手を胸にまわして、わが膝ひざに抱だきながら、なにやら、かんばしい仙丹せんたんを噛かみつぶして、竹童の口へ唇くちうつしにのませてくれる。

「こりゃ、竹童、竹童……」

「あ?」

「気がついたか」

「オオ、あなたはお師匠ししょうさま!」

「ウム」

とうなずいたとたんに、老道士ろうどうしは竹童ちくどうを手からおろして、すばやく七、八間けんばかり離れてしまった。

その人は、竹童がぎょうてんして呼よんだごとく、かれの恩師おんし果心居士かしんこじであった。みずから仙丹せんたんをかんで唇くちうつしにのませてくれるほどやさしい居士も、竹童が正気しょうきにかえるとともに、いつもの気むずかしい厳格げんかくなすがたにもどっている。

「不覚者ふかくものめが、この後ごもあること、敵にあったらかならずわしの教えをおもいだすのじゃぞ」

「はい、面目めんぼくしだいもございません。燕作えんさくというやつにつかまって、とうとうおくれをとりましたが、こんど会ったら、きっと負けはいたしません」

「よし、早うゆけ」

「ですが、お師匠さま――」

竹童はなつかしそうに近寄って、居士のおもてを見上げながら、

「いつか、人穴城ひとあなじょうへなげ松明たいまつをせよと、お師匠さまから密策みっさくをさずけられました時に、お別れしたきり、その後ごさらにお姿が見えませんでしたが、一たい今日こんにちまで、どこにおいでなされたのでござります」

「おお、わしのいたところか、じつは、そちだけにいってきかすが、わしはゆえあって、常陸ひたち鹿島かしまの宮、下総しもうさ香取かとりの両りょう神社に、七日ずつの祈願きがんをこめて参籠さんろうしておったのじゃ」

「そして、お師匠ししょうさまのご祈願というのは?」

「伊那丸いなまるさまのご武運をうらなうに、どうも亀卜きぼくの示すところがよくないので、前途のおため神願しんがんをたてた」

「では、お師匠さまの易えきによると、伊那丸さまには、甲斐源氏かいげんじのみ旗をもって、天下をお握にぎりあそばすほどな、ご運がないとおっしゃいますか」

「いやいやそうともいえぬ、しかしそのことばかりは、ただ天これを知るのほか、凡夫ぼんぷな居士こじには予察よさつができぬ」

と、果心居士かしんこじはふかくもいわず口をにごして話頭わとう一転てん。

「それはとにかく、法師野ほうしのに陣ぞろいいたしている伊那丸君や龍太郎りゅうたろうなどは、さだめし、そちの見えぬのをあんじているであろう」

「ここで狼煙のろしをあげたッきりですから、ほんとうにしんぱいしていられるかもしれません」

「ウム、少しもはやく、ご幕下ばっかへはせくわわって、このうえとも、伊那丸さまのおんために働けよ」

「はい」

「わしも、もういちど鞍馬くらまのおくにこもって、星座を観かんじ、天下の風雲をうかがい、機おりあらばあらわれ、変あらば退ひいて、伊那丸いなまるさまの善後の策さくを立てるかんがえ。――では竹童ちくどう、またしばらくそちにも会わぬぞ」

「あッ、お師匠ししょうさま――」

竹童が声をあげて呼ぶうちに居士こじのすがたは、風のごとく竹林ちくりんをぬって、見えなくなった。

ふたたび法師野ほうしのにあたって聞ゆる法螺ほらの音ね――。すでに夜よはまったく明けはなれて、紫金紅流しきんこうりゅうの朝雲が、裾野すそのの空を縦横じゅうおうにいろどっていた。

二

多宝塔たほうとうを中心として、施無畏寺せむいじの庭に陣ぞろいした武田たけだの軍勢ぐんぜいは、手負ておい討死うちじにの点呼てんこをしたのち、伊那丸いなまるの命令一下に、またも一部の軍卒ぐんそつが、法師野の部落を八方にかけわかれる。

まだ戦いがあるのか――と思うとそうではない。

武田の士卒しそつは、呂宋兵衛るそんべえらのために森にいましめられていた善良の民を第一に解放し、衣きぬなき者には衣きぬをあたえ、財は家々いえいえへかえしてやり、宝物は寺にはこび返し、老人には慰安いあんを、わかき者には活動を、女には希望を、子供には元気をつけてやる。

「オオ、あの旗じるしを見ろ、多宝塔たほうとうの下にいるおん大将をおがめ、あれこそ、この土地のむかしのご領主、信玄しんげんさまのおんまご武田伊那丸たけだいなまるさま――」

と、部落の民は、わかれた慈父じふにめぐり会ったごとく大地にぬかずくもの、おどって狂喜するもの、うれし涙にくれる者などさまざまで、さながらそこは、修羅暗憺しゅらあんたんの地獄じごくから、天華てんげふる極楽ごくらくの寂光土じゃっこうどへ一変したような光景である。

一たび、めいめい、家へかえった百姓ひゃくしょうたちは、取ってかえしに、名主なぬしの狛家こまけ一族をせんとうとして、

「これを、どうぞおん曹子ぞうしさまにさしあげてくださいませ」

「八車しゃの米と十駄だの粟あわは、ご陣屋の兵糧ひょうろうとしてご使用くださいますよう」

「わたくしたち若いものは、なんなりと軍役ぐんえきをつとめますから、仰おおせつけねがいとうぞんじます」

と、兵糧軍用品を、車につんでひきこむかと思えば、家畜かちく野菜やさいをもたらしてくる者、あるいは労力の奉仕を申しこむ若者もあり、なかにはしおらしくも、まずしい一家がよろこびの餅もちをついて献納けんのうするなど、人情の真美と歓喜かんきのこえは、陣屋じんやの内外にあふれて、まことこれこそ極楽ごくらくの景色けしきかと、見るからにただ涙ぐましい。

かくて、民の平和をながめたうえで、伊那丸をはじめ幕下ばっかの人々、一千の軍兵ぐんぴょう、おもいおもいに屯たむろをかまえ、はじめて朝の兵糧をとった。

勝戦かちいくさのあとの兵糧――その味はまたかくべつ。

そしてきょう一日は、夜来やらい一睡すいもせぬ兵馬のため、陣やすみという触ふれ太鼓だいこがなる。

ところへ、ションボリした顔で、陣屋のうちへ、力なくかえってきた鞍馬くらまの竹童ちくどう。

こんな元気のないことは、竹童として稀有けうなことだ。

「オオ、どうした竹童!」

「竹童が見えた、竹童がもどってまいった」

さっきから、士卒しそつを八方にやって、その行方ゆくえをたずねさせていた龍太郎りゅうたろうや忍剣にんけんらは、栄光えいこうの勇士を迎えるように手をとって、狼煙のろしのてがらを褒ほめたたえた。

ことに伊那丸いなまるは、竹童かえるの声をきくと、みずから幔幕まんまくをしぼってそれへ立ちいで、人穴城ひとあなじょういらいの功こうを称揚しょうようして、手ずから般若丸長光はんにゃまるながみつの脇差わきざしを褒美ほうびとして、かれにあたえた。

主君から刀をさずけられたのは、武士の資格しかくをゆるされたもどうよう、竹童もきょうからは幕下ばっかのひとりである。なりこそ小さいが、押しもおされもせぬ伊那丸の旗本はたもと。しかも拝領はいりょうしたその刀は、武田家伝来たけだけでんらいの名刀般若丸はんにゃまる尺七、八寸の丁字ちょうじみだれ、抜くにも手ごろ、斬るにも自在な反そり按配あんばい、かの泣き虫蛾次郎がじろうがじまんする、あけび蔓づるをまいた山刀などとは、質たちがちがう。

これからは竹童も、鞍馬くらまいらいの棒切ぼうきれをすてて、一人前の大人おとなのように、玉ちる刃やいばで敵にむかうことができる。

もう、早足はやあしの燕作えんさくごときは、一刀のもとに斬ッても捨てられるんだ。

長いあいだの希望がかなって、さだめしこおどりしたろうと思うと、スゴスゴとご前ぜんをさがった竹童ちくどう、般若丸はんにゃまるの太刀たちをいだいて、ひとけなき陣屋じんやのすみで、ひとりシクシクと泣きはじめた。

三

「はてな? ……」

龍太郎りゅうたろうは眉まゆをひそめて、そッと、竹童のあとについていった――見るとそのありさま。

「ウーム。こりゃふしぎだ。鞍馬くらまの奥にいたころから、泣いたことのない竹童だが……」

すきまからのぞき見をしていた龍太郎、こうつぶやきながら、しばらく考えていたが、やがて、

「こりゃ、竹童、なんでこんなところに泣いているのだ」

幕まくをはらって、やさしくかれの背なかをたたいた。

竹童はふいに声をかけられて、恥はずかしそうに、泣き顔をかくしながら、

「いいえ、なにも泣いてなんかいやしません」

「うそをつけ、瞼まぶたはまッ赤だし、拝領はいりょうのおん刀は、このとおりおまえの涙にぬれているではないか、いったいどういうわけか、おまえと拙者せっしゃとは果心居士かしんこじ先生の兄弟弟子でし、うち明けられぬということはあるまい」

「はい、……じつは龍太郎りゅうたろうさま……」

「ウム、どうした」

「あの、クロがどこかへ逃げてしまいました」

「オオ、そちが何者よりかわいがっていた、あの大鷲おおわしがにげ失うせたと申すか」

「きのう、狼煙のろしをうちあげる時、水車小屋のうしろへおいといたのに、今朝けさみると、影も形もみえないんです、……ああとうとう、クロはわたしを見すててどこかの山へかくれてしまいました」

「あれほどなついていたし、そちもかわいがっていた鷲わしだから、さだめしさびしく思うだろうが、いくら霊鷲れいしゅうでもやはり畜生ちくしょう、詮せんないこととあきらめるよりほかないであろう」

「いいえ、おいらはあきらめきれません……」

竹童ちくどうは駄々だだッ子のように頭をふって、

「おいらは悲しい、クロがいなくッちゃ一日もさびしくって生きていられない」

「はははは」

龍太郎は、思わず笑ってしまいながら、

「さてさて、おまえも鞍馬くらまの竹童というと、いかにも稀代きたいな神童だが、こんなところは、やッぱり年だけのわからず屋だな、これ竹童、そちはクロを失ったかわりに、若君から般若丸長光はんにゃまるながみつの名刀を拝領はいりょうしたではないか、さ、元気をだして、きょうからそれを差さし料りょうとするがいい」

「だから、おいらはよけいにかなしいんだ……。人穴城ひとあなじょうへなげ松明たいまつをした手柄てがらも、きのうの誉ほまれをあげたこともみんな、おいらの力よりはクロの手柄。……クロがあってこそこの竹童も、人並以上の働きができたのに、おいらばかりこんなに褒美ほうびをもらっても、ちっともうれしくありゃしない……」

いうところは天真爛漫てんしんらんまん、竹童はいよいよクロの別れをかなしみ、いよいよ声をだして泣くばかり――さすがの龍太郎も、これには弱りぬいて、ことばをつくしてなぐさめたうえ、きょう一日は陣休みだから、とにかく久しぶりに、じゅうぶん心もからだも養っておくようにと、幕まくのあなたへでていった。

「はい、もう泣くのはやめます……」

竹童は龍太郎の立ちぎわにそういったが、ひとりになるとまたさびしさに耐たえぬもののごとく、ションボリと陣屋の空を見あげていた。そして、つまらなそうに、馬糧まぐさのなかにゴロリと身をよこたえたが、やがて連日の疲労ひろうがいちじにでて、むじゃきないびきが、スヤスヤそこからもれはじめた。

ここに、得意とくいなやつは、泣き虫の蛾次郎がじろう。

首尾しゅびよく、鷲わしぬすみのはなれ業わざをやりとげて、飛行天行ひこうてんこうの怪かいをほしいままに、たちまちきたのは家康いえやすの采地さいち浜松の城下。

竹童ちくどうの故智こちにならって、乗りすてた鷲わしを、とある森のなかにかくし、じぶんはれいの、あけび巻まきの山刀をひねくりまわして、意気ようようと城下隠密組おんみつぐみの黒屋敷くろやしき、菊池半助きくちはんすけの住居すまいをたずねあててきた。

「おねがい申します」

反そりかえって立ちはだかった玄関口げんかんぐち。

猪口才ちょこざいにも、もっともらしい顔をして、取次ぎの小侍こざむらいに申しいれることには、

「まかりでました者は、富士の裾野すそのの住人鼻はなかけ卜斎ぼくさいの弟子鏃師やじりしの蛾次郎がじろうと申す者、ご主人半助さまに、至急お目にかかりとうぞんじます」

取ってかえしに、奥からでてきたのは、菊池家きくちけの家来とみえて、いかさまがんじょうな三河武士みかわぶし、横柄おうへいに頭の上から見くだして、

「フーム、おまえか、泣き虫の蛾次公がじこうというのは?」

「はて心得ぬ」

蛾次郎、口をとンがらかして、すこぶる威厳いげんを傷つけられたように、憤然ふんぜんと、

「鍛冶かじにかけては鏃鍛やじりうちの名人、石をなげては百発百中の早技はやわざをもつわたくし。しかも、半助さまのおたのみにより、命いのちがけで稀代きたいの大鷲おおわしを連れてまいりましたのに、近ごろ無礼なごあいさつ。よけいなことをいわないで、さッさとご主人にお取次ぎあれ」

胸に慢心まんしんのいっぱいな蛾次郎、天狗てんぐの面をかぶったように、鼻たかだかと大見得おおみえをきった。

「やかましいッ」

侍さむらいの一喝かつに、蛾次郎がじろうはひやりと首をすくめる。

「ご主人半助はんすけさまには、きさまのような小僧こぞうになんのご用もないとおっしゃった。ペラペラむだ口をたたきおらずと退散たいさんせい」

「へえ、……こりゃ妙みょうだ。あれほど蛾次郎がじろうに、鷲わしをぬすんでくれとたのんだ半助さまが、きょうになって、用がないとはずいぶんひどい。それはなにかのおまちがいでしょう」

「だまれ、へらず口の達者たっしゃなやつだ。いつまでお玄関げんかんに立ちはだかっていると、つまみだすからそのつもりでおれ」

「ちぇッ、ばかにしやがら」

「こいつめ、まだでて失うせぬかッ」

「いまいましい! けッ、よくも人にカスを食くわせやがったな、おぼえていろ、いまに鷲に乗って、この屋敷の上から小便をひっかけてやるから」

得意と、えがいてきた慾望よくぼうを、めちゃめちゃに裏切うらぎられた蛾次郎は、腹立たしさのあまり、出放題でほうだいなにくまれ口をたたいて、黒屋敷くろやしきの門をでようとすると、横からふいに、

「これッ、待て!」

と、ふとい腕が、むんずとかれの襟えりがみをつかみもどした。

「あッ、――あなたは菊池きくちさま」

「ただいまなんと申した」

「くッ、くるしい。……べつになんにもいいはしません」

「いやいった! 不埒ふらちなやつめ」

「だって、だってそいつはむりでしょう。あなたさまこそ、竹童ちくどうの鷲わしをぬすんでくれば、徳川家とくがわけの武士に取りたててやる。褒美ほうびはなんでも望みしだいと、向田むこうだノ城しろでおっしゃったじゃありませんか」

「ばかッ。いやはやあきれかえった低能児ていのうじだ。汝なんじのようなうすのろを、戦いくさの用に立てようとしたのが半助の大失策だいしっさく、ご当家とうけの軍勢が裾野陣すそのじんへくりだすときに間まにあってこそ、鷲もご用に立つとおもって申したのだ。それをなんだ、すでに戦いくさもすみ、軍勢もひいてしまった今日こんにちのめのめといまごろ鷲をぬすんできたとてなんになるかッ。あのここな慾張よくばり小僧こぞうめッ」

ピシリッ、と頬ほおげたを一つくらわしたうえ、足をもって門外へけとばすと、さっきの小侍や仲間などが下水の水をくんで、蛾次郎がじろうの頭からぶっかけ、門をしめて笑いあった。

半死半生はんしはんしょうの泥どろねずみとなって、泣くにも泣けぬ蛾次郎先生、命いのちからがら浜松の城下を、鷲にのって逃げだしたはいいが、夜に入るにしたがって、空天くうてんの寒冷かんれいは骨身ほねみにてっし、腹はへるし、寝る場所のあてはなし、青息吐息あおいきといきの盲飛行めくらひこう、わるくすると先生、雲のなかへ迷子まいごとなってしまいそうだ。

されば、村正むらまさの斬れあじも、もつ人の腕しだいであるし、千里りの駒こまも乗り手による。――自体じたい、蛾次郎がじろうの腕なり頭なりでは荷にの勝ちすぎたこの大鷲おおわしが、はたしてかれの自由になるかどうか、ここ、おもしろい見ものである。

九輪りんをめぐる怪傑かいけつ怪人かいじん

一

法師野ほうしのの空には平和の星がかがやいている。

今夜ばかりは、部落の人も、はじめて楽しい夢路ゆめじにはいっているのだ。

老人はご陣屋のほうへ足をむけずに寝ているだろう。嬰児おさなごは母の乳房ちぶさにすがって、スヤスヤと寝ついているだろう。――そして施無畏寺せむいじの庭に陣した千人の軍兵ぐんぴょうも、鞍くらや物ものの具ぐを枕まくらにしてつかのまの眠りにつき、馬もいななかず、篝かがりもきえ、陣の幕とばりにしめっぽい夜がふける。

すると、多宝塔たほうとうのまわりを、ぴた……ぴた……と、しずかに歩いてくる人影。

また、廻廊かいろうのかげからも、ふたりの武士が、足音ひそやかに、階段をおりてきた。

「オオ、山県やまがたどのに小文治こぶんじどのか……」

「これは忍剣にんけんどの、おたがいに、こよいの寝ずの番、ごくろう」

「どこにも異状はありませぬか」

「かくべつ」

「では後刻ごこくに……」

黙礼もくれいして左右にわかれる。

カーン、カーン、――水にひびくような寂さびしい音。時刻番じこくばんが丑時うしどき(午前二時から三時の間)の報しらせ。

本陣、おん大将の寝所幕しんじょまくのあたりにも、夜詰よづめの侍さむらいが警固けいごする槍やりの穂ほが、ときおり、ピカリ、ピカリとうごいてまわる。

そのころ――、まさにそのころ。

多宝塔たほうとう三重じゅうの頂上いただきにある暗室へ、ゆうべからほうりこまれていた和田呂宋兵衛わだるそんべえは、らんらんたる眼まなこをとぎすまして、しばられている鉄の鎖くさりを、時おり、ガチャリ、ガチャリと鳴らしていた。

「ウーム、いまいましい」

音を立てないようにはしているが、しきりに身もだえして、あらんかぎりの力を鎖にこころみているようす。しかし、しょせんそれはむだな努力。

だれかに、腕でも斬ってもらわないかぎり、鎖の寸断されるはずもなし、塔とうの太柱ふとばしらが砕くだけるはずもないのだ。

「ああ、ざんねんッ……ウーム、つつつッ……」

もがきにもがくうち、呂宋兵衛るそんべえは唇くちびるをかみわって、タラタラと血潮ちしおをたらした。

とたんに、バサッと天井てんじょうを打ったまっ黒な怪物かいぶつがある。見ると、楼閣ろうかくの欄間らんまから飛びこんでいた一尺ばかりの蝙蝠こうもり、すでに秋の暑あつさもすぎているこのごろなので、翼つばさに力もなく、厨子ずしの板壁をズルズルとすべってきた。

「オ! しめた」

呂宋兵衛るそんべえはジリジリと身をにじらせた。蝙蝠をみたとっさに思いうかんだのは、獣遁じゅうとんの一法ぽう、南蛮流なんばんりゅうの妖術ようじゅつでは化獣縮身けじゅうしゅくしんの術という。が、それを行うには、ちょっとでもよいから蝙蝠のからだにふれなければやれない。いや、蝙蝠にかぎることはない、なんでも動物霊気れいきの感応かんのうを必要とするのだから、ねずみでも猫ねこでもいいが、いまこの塔中とうちゅうには蝙蝠よりいないのだから、ぜひそれへ指でもふれたいのである。

しかし、なかなか蝙蝠のほうでちかづいてくれない。

たまに、頭の上へはってきたなとおもって、体をよせていくと柱にしばりつけてある鎖くさりがガチャッと鳴るので蝙蝠はびっくりして天井てんじょうへはねあがる――が、六角形の密室なので、そとへはでずにまたバサバサと板壁に羽はすべりをしてきた。

こんど近くへきたらのがすまいと、呂宋兵衛は息をころした。けんめいになるとおそろしいもの、かれの額ひたいは魚の油を塗ぬったように汗ばんでいる。

けれど、蝙蝠の敏覚びんかくに、七たび八たびおなじことをくりかえしても、呂宋兵衛の努力はむなしかった。はやくも里さとでは一番鶏どりがなく、かれは気が気でなくなった。

そこで、呂宋兵衛るそんべえはまた考えなおした。

かれは坐禅ざぜんを組むようにすわった。そして、さいごにもういちど蝙蝠こうもりが壁をすべってくるのを待ちかまえこんどは、口に呪じゅをとなえて、つーッと一本のほそい絹糸のような線を吐はきだした。

と思うと――一ぴきの小さな金蜘蛛きんぐもが、呂宋兵衛の口からスススススと、その細い糸をつたわりだした。

これはかつて、人穴城ひとあなじょうで竹童ちくどうと初対面のときに、問答もんどうちゅうにかれがやってみせたことのある、呂宋兵衛得意の口術こうじゅつ、いま、吐はいて糸をわたらせた金蜘蛛は、壁にはりついている大蝙蝠おおこうもりのそばへはいよったが、それを見ると蝙蝠は、バサリと一すべりして、いきなり蜘蛛くもを食くいにかかった。

と、蜘蛛はつーッ、と二尺ばかり糸をもどってとまる。蝙蝠はまたソロリと寄って餌えさをうかがう――その機微きびなころあいをはかって、呂宋兵衛はスッと、吸う息とともに、蜘蛛を口のなかに引きいれてしまうと、蝙蝠は餌えを追ってパッとかれの顔へぶつかってきた。

「えいッ!」

とたんに、かれの五体からおそろしい気合いが発した。そして、忽然こつねんと床ゆかに鳴った鎖くさりの上へ、大蝙蝠のくろい妖影ようえいが、クルクルと舞いおちた。

二

「やッ」

愕然がくぜんと、多宝塔たほうとうの下で立ちすくんだのは、寝ずの番の加賀見忍剣かがみにんけん。

左に鉄杖てつじょうをつき、右手を眉まゆにあてて、暁闇ぎょうあんの空をじッとみつめていたが、やがて、

「おお! 山県やまがた、巽たつみ!」

と同僚どうりょうの名を呼びたてた。

「なんじゃ」

「異変かッ」

バラバラと、すぐそこへ飛んできた小文治こぶんじと蔦之助つたのすけ、――忍剣は、

「しッ」

と手でせいして、

「愚僧ぐそうの気のせいかも知れぬが、あの塔の三重じゅう目めにあたる欄干らんかんに、何者か立っておらぬだろうか」

「どれ……」

すこし身を横にかがませて、暁天ぎょうてんの闇やみをすかしたふたりは、なるほど、よくよく眸ひとみをこらして見ると、忍剣のいうとおり楼閣ろうかくの三階目に、うす黒い影が立っているような気がした。

「しかし、あれに人のいるはずはなし、ことによったら棟木むなぎの瓔珞ようらくではないか」

「いや、瓔珞がアア大きく見えるはずはない」

「といって、厳重にいましめておいた呂宋兵衛るそんべえではなおさらあるまい。ウーム、おや……、影がうごいた!」

「なに影がうごいた? オオ、いよいよあやしい」

「ちぇッ、やっぱり呂宋兵衛だ、どうして自由になりおったか、あれあれ、棟木の瓔珞に身をのばして、塔とうの屋根によじ登ろうとしておるのだ」

「一大事! それのがすなッ」

「オオ」

三人は疾風しっぷうのごとく階段をあがって、扉とびらを蹴けひらき、塔のなかへ躍おどりこんだが、南無なむ三、二階三階へあがる梯子はしごは、呂宋兵衛を頂上にほうりこんだ時、まんいちをおもんぱかって、みんな取りはずしたまま施無畏寺せむいじへはこんでしまった。

うっかり、それを忘れて飛びこんだ三人は、じだんだをふんで、

「しまった!」

とふたたびそとへかけだしてきた。

「なんじゃ、なにごとが起ったのだ」

ところへ、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうがくる。小幡民部こばたみんぶがはせつける。たちまちにして、陣々の大そうどう、大将伊那丸いなまるも幕とばりをはらってそれへきたが、閣上かくじょうの呂宋兵衛は、いちはやく屋根の上へとびうつり、九輪りんの根ねもとに身をかがめてしまったので、遠矢とおやを射いかけるすべもない。

「あれあれ、呂宋兵衛るそんべえは幻術げんじゅつに長たけた曲者くせもの、どう逃げようもしれませぬ、みなさま、はやくお手配てはいをしてくださりませ」

と、うろたえまわる軍兵ぐんぴょうのなかにまじって、しきりに叫さけんでいるのは咲耶子さくやこの声らしい。十数人の軍兵は同時に、施無畏寺せむいじへ塔とうの梯子はしごを取りに走りだした。

それを待つのももどかしいと思ったか、れいによっておくれをとらぬ木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、ばらばらと多宝塔たほうとうの裾すそにかけよったかと見るまに、一階の欄干らんかんにひらりと立って、えいッとさけんだ気合いもろとも、千本ぼん廂びさしの瓔珞ようらくにとびついた。

「オオ、やったり、木隠こがくれ!」

と、こなたの一同は、その機智きちに感嘆かんたんの声をあげたが瓔珞の飾かざり座金ざがねがくさっていたとみえて、龍太郎の体がつりさがるとともに、金鈴青銅きんれいせいどうの金物かなものといっしょにかれの五体は、ドーンと大地におちてしまった。

「ウーム、無念」

ふたたび立ってよじのぼるくふうをしていると、朱柄あかえの槍やりをひっさげた小文治こぶんじ。すっくとそこに立って、槍やりの石突きを勢いよくトンと大地につくやいなや、

「やッ――」

と叫んで、みごとに一階の屋根廂やねびさしへ飛びあがった。そしてすぐ槍を引こうとすると、

「待ったッ」

と九尺柄えのなかごろに、龍太郎りゅうたろうがすがりつく。

「おうッ」

と、上から小文治こぶんじが力をこめると、龍太郎も息をあわせて、槍やりの柄えとともにポンと跳はねあがった。

たちまち、槍をたよりに二階へあがり、三階目の欄干らんかんまでよじのぼって、呂宋兵衛るそんべえ監禁かんきんの六角かく室しつを見ると、一ぴきの蝙蝠こうもりが死んでいるほか、そこには何者のかげもない。

「あ! いよいよ逃げたは、きゃつときまった」

「それッ、この上だ」

とふたりは、東のすみの欄干に足をかけたが、そこから九輪りんのたっている塔とうのてっぺんへのぼるには、どうしても、千本廂びさしにつってある瓔珞ようらくに身をのばして、ブラさがるより道がない。

ところが、それをたよりにすることは、一階のときの失敗があるので、さすがの小文治こぶんじも二の足をふんだが、龍太郎はなんのおそれげもなく、やッと、欄干から瓔珞の根にとびついた。

下にながめていた伊那丸いなまるをはじめ、あまたの勇士も、思わず、胆きもをひやしたが、こんどは瓔珞も落ちず、龍太郎も完全に棟木むなぎへ片手をかけてしまった。これ、さっきは、瓔珞の頑丈がんじょうをたよって不覚をとったが、こんどは、果心居士かしんこじ相伝そうでんの浮体ふたいの法をじゅうぶんにおこなっているためだ。

そのかわり、龍太郎りゅうたろう、最後の頂上へのぼるにはだいぶ手間てまがとれている。片足を瓔珞ようらくの鈴環れいかんにかけ、そろそろと手をのばして、屋根の青銅瓦せいどうがわらに半身はんしんほど乗りだしたところで、小文治こぶんじのさしだした槍やりをつかんでやる。

巽小文治たつみこぶんじは、もとより果心居士かしんこじの門下でないから、浮体ふたいの息を知らない。したがってただ度胸どきょうのはや業わざ。槍やりの一端たんを塔とうの角金具かどかなぐにひっかけ、いっぽうを龍太郎につかんでいてもらって、スッと瓔珞の鈴環へ足をかけると、ともに、ふたりの重みがかかっては危あぶないので、龍太郎はすばやく上へはいあがった。

とたんに、雨とも見えぬ空合そらあいなのに、塔の先端せんたん九輪りんの根もとから、ザーッと滝たきのような水がながれてきて、塔の四面はさながら、水晶すいしょうの簾珠れんじゅをかけつらねたごとく、龍太郎の身も小文治のからだも、水の勢いでおし流されそうにおぼえた。

「呂宋兵衛るそんべえの妖術ようじゅつだ、まことの水ではない、小文治どのひるむなッ」

龍太郎は果心居士の手もとにいただけに、幻術げんじゅつしのびの技わざなどには多少の心得がある。いま、九輪の根もとから吹いてきた水勢もてっきり、呂宋兵衛の水龍隠すいりゅうがくれの術とみたから、こう注意して、無二無三に青銅瓦の大屋根へ踏みあがった。

そして、気は宙天ちゅうてんへ、声は、大地にひびくばかりに、

「やあ、奸賊かんぞく和田呂宋兵衛わだるそんべえ、この期ごになってはのがれぬところ、神妙しんみょうに木隠こがくれ龍太郎の縄目なわめをうけろ」

「だまれ、青二才さい、汝なんじらごとき者の手にかかる呂宋兵衛ではない。うかと、わが身にちかよると、このいただきから蹴落けおとして、木こッ葉ぱ微塵みじんにしてくれるぞ」

水術の印いんを解とくとひとしく、あきらかに姿をみせた和田呂宋兵衛わだるそんべえ、九輪りんの銅柱どうちゅうをしっかと抱だいて、夜叉やしゃのごとく突ッ立っていた。

「おのれッ――」

と片膝かたひざおりに、戒刀かいとうの鞘さやを横にはらった龍太郎、銅の九輪りんも斬れろとばかり、呂宋兵衛の足もと目がけて薙なぎつけた。

同時に、波のごとき瓦かわらのうえへ、ヒラリと飛びあがった巽小文治たつみこぶんじは、いま龍太郎が斬りつけたとたんに、朱柄あかえの槍やりをさッとしごいて、呂宋兵衛がかわさば突かんと身がまえた。

紅帆呉服船こうはんごふくぶね

一

下では、あッと、手に汗をにぎる諸軍しょぐんの声こえ。

伊那丸いなまるをはじめ、幕下ばっかの面々、また竹童ちくどうも咲耶子さくやこも、塔とうの一点に眸ひとみをあつめ、ハラハラしながら鳴りをしずめた。

時こそあれ、――大たいへん。

三重じゅうの屋根瓦やねがわらから塔とうの九輪りんのまっ先へ、雷獣らいじゅうのごとくスルスルとはいあがった和田呂宋兵衛わだるそんべえ、

「おうッ……」

なにやら叫んだかと思うと、片手をブンとふりまわした。

と――またこそ、かれの幻術げんじゅつか、ふいに、さッと落ちてきた一陣の風鳴かぜなり。

すると明方あけがたの天空てんくうから、思いがけない人声がきこえた。

「いけねえいけねえ、おいクロ! こんなところへおりちゃアいけねえ」

いうまもなく、ななめに翔かけりきたった、まっ黒な怪物があった。

まさしく鷲わし! 竹童ちくどうの盗まれたクロ。

乗っているのは――わめいているのは、菊池半助きくちはんすけにドヤされて、遠江とおとうみの国をすッ飛んできた、泣き虫の蛾次郎がじろうであった。

鷲は見るまに九輪りんをかすった。

一大事!

巽小文治たつみこぶんじはふたたび槍やりをとりなおして、あおむけざまに、ヤッと突きあげたが、鷲の羽風はかぜにふき倒され、さらにいっぽうの龍太郎りゅうたろうが、九輪の根もとからはらいあげた戒刀かいとうの切きッ先も敵のからだにまでとどかなかった。

その時、それと同時に、呂宋兵衛るそんべえはとんできた鷲の背なかへ乗りうつっていた――ほとんど、電光でんこう一過か――目まばたきする間まだ。

塔上とうじょうの二勇士、塔下とうかの三軍が、あれよと、おどろきさけんだ時には、万事休ばんじきゅうす、蛾次郎がじろう、呂宋兵衛るそんべえ、ふたりを乗せた大鷲おおわしの影はまっしぐらに、三国山脈みくにさんみゃくの雲井くもいはるかに消えていく。

「しまった!」

伊那丸いなまる以下の者、でる声は、ただこのたんそくばかりであった。

なかにひとり竹童のみは、陣屋をかけだして、

「おお、クロだクロだ、おいらのクロだ」

空にむかって叫びながら、追えどもおよばぬ大鷲おおわしの行方ゆくえへ無我夢中むがむちゅうで走りだした。

二

さて、おどろいたのは、蛾次郎がじろうである。

多宝塔たほうとうのてッぺんを通りすぎたとたんに、ヘンなやつがじぶんの腰へとびついたと思ったが、なにしろ、鷲わしの走っているあいだはふり向くこともできず、話しかけることもできない。

目の下に、クルクルまわる山や峠とうげや町や村をいくつも見て、およそ小半日こはんにちも飛んだころ、やっと青々とした海辺うみべにおりた。

「アア、お腹なかがペコペコだ。これで命いのちも無事だったし、なにか食たべ物にもありつけるだろう……」

すぐにキョロキョロ見まわして、漁師りょうしの干ほしておいた小魚こざかなを見つけ、それを火にあぶりもせず、引ッ裂さいて食たべはじめた。

食べながら波打ちぎわを見ると、黒の蛮衣ばんいをきた大男が、小手をかざして、しきりに地理をあんじている。

「あッ、あの男だナ、おれの腰に取っついてきた蠅はえのようなやつは」

蛾次郎がじろう、干魚ほしかをムシャムシャ噛かみながら、そばへ寄ってみると、裾野すそので見かけたことのある呂宋兵衛るそんべえなので、二どびっくりという顔で、

「お、あなたは人穴ひとあなの……」

「ウム、呂宋兵衛るそんべえじゃ、ああ、おまえは、鏃師やじりし鼻かけ卜斎ぼくさいの弟子でしだったな」

「ええ、よくごぞんじでございますね。おおせのとおり蛾次郎という者。……ところで呂宋兵衛さま」

「なんじゃ」

「ここはいったい、東海道のどのへんにあたりましょう」

「まるで方角ちがい――北陸道の糸魚川いといがわと申すところだ」

「すると向こうに見える岬みさきは伊豆いずの国とはちがいますか」

「あたりまえだ、北日本の海に伊豆いずはない。すなわちあれが能登のとの半島、また、うしろに見える山々は、白馬はくば、戸隠とがくし、妙高みょうこう、赤倉あかくら、そして、武田家たけだけと鎬しのぎをけずった謙信けんしんの居城春日山かすがやまも、ここよりほど遠からぬ北にあたっておる」

「へえ……そしてあなたは、ここからどこへ行こうってえつもりなんです?」

「京へのぼるのじゃ」

「いいなあ。わたくしも一つお供ともにつれてッてくれませんか」

「おまえにはたのみがある。蚕婆かいこばばあと早足はやあしの燕作えんさく、それに丹羽昌仙にわしょうせん、この三名にあったら、わしが京都へのぼっておるゆえ、あとからかならずくるようにと、言伝ことづてをしてもらいたい」

「燕作は大きらいだけれど、あとのふたりは引きうけますよ。……オヤ、アッ、大へん……」

なにを見たか、にわかぎょうてんしてうろたえだした蛾次郎がじろう、さようならともいわず、クロにとび乗って、ツーと空へ逃げてしまった。

と、間まもなく、スタスタここへきた旅人。

「や、それにまいったのは、人無村ひとなしむらの卜斎ぼくさいではないか」

「これはこれは、呂宋兵衛るそんべえさま、意外なところで……」

と双方そうほう、磯岩いそいわに腰かけて、裾野落すそのおち以来のことを話しあったが――卜斎の上部八風斎かんべはっぷうさい、伊那丸いなまるへ人穴城ひとあなじょうの絵図面えずめんを持ちこんだことや、自分が柴田勝家しばたかついえの家中かちゅうであることなどは、もとよりおくびにもださずにいる。

「しかし、卜斎。おまえは裾野に住みついている鏃鍛冶やじりかじ、なにもこんどのことで、逃げる必要もなかろうではないか。いったいこれからどこへまいろうとするのだ」

「裾野すそのもよろしゅうございますが、ああしばしば戦いくさがあった日には、とても、のんびり金敷かなしきをたたいてはおられません。そこで、越前えちぜん北きたノ庄しょうへ巣すをかえようと申すわけで」

「なるほど。じつはわしもこれから都みやこへでて、安土あづちの秀吉公ひでよしこうへすがり、なんとかいとぐちをつけようと考えているが、うまくとちゅうまでの便船びんせんでもあるまいか」

「さあ、わたくしも、北ノ庄まででる船はないかと、ずいぶん尋たずねてみましたが、どうも折り悪く、出船でふねのついでがないそうで」

と、ふたりが話すのを聞いていたものか、波打ちぎわにあげてあった空船からぶねのなかから、ムックリ起きあがったひとりの船頭せんどう。

「おい」

と、いけぞんざいに呼びかけて、

「おめえたち、上方かみがたのほうへいきてえなら船をだしてやろうか。越前えちぜんへでも若狭わかさへでも着けてやるぜ」

「それはかたじけない。しかし、そこにあげてあるような小舟こぶねではどうにもならぬ」

「いや、長崎から越後港えちごみなとへ、南蛮呉服なんばんごふくをつんできた親船おやぶねが、この沖おきにとまってるんでさ。どうせ南へ帰る便船びんせんだ、えんりょなく乗っていくがいい」

船頭せんどうは空船の艫ともをおして、砂地から海のなかへ突きだした。そして呂宋兵衛るそんべえ、卜斎ぼくさいのふたりを乗せるや否いな、勢いよく櫓柄ろづかをとって、沖の親船へ漕こぎだした。

まもなく、海潮うみしおけむるかなたの沖に長崎型がたの呉服船ごふくぶね、紅帆船こうはんせんの影らしいのが、だんだん近く見えはじめる。

三

紅べにがら色の帆ほに、まんまんたる風をはらんだ呉服船はいま、能登のとの輪島わじまと七つ島じまの間あいだをピュウピュウ走っている――

カーン カーン カーン……

船楼せんろうの鐘かね。

もう真夜中まよなかであろう、風はないほうだがかなり高波たかなみ。パッと、舳みよしにくだける潮うしおの花にもうもうたる霧きりが立ってゆく。

その霧のなかに、ブランブランと、人魂ひとだまのようにゆれている魚油ぎょゆのあかり。ギリギリ、ギリギリと帆綱ほづなのきしむ気味の悪さ……

「やい、起きろッ」

ふいに木枕きまくらを蹴けとばされて、はねおきたのは便乗びんじょうしてきた卜斎ぼくさいと呂宋兵衛るそんべえ。フト見ると、胴どうの間まのグルリに、閃々せんせんと光るものが立ちならんでいる。

「なにをするんだおまえたちは?」

卜斎ぼくさいは、前差しの短刀をつかんで、きッとなった。

「まぬけめ、なにをする者か聞かなくッちゃわからねえのか。こいつを見たら少しゃ目がさめるだろう」

わざと、ふりうごかして見せた光は、まさしく槍やり、刀、鏃やじり、薙刀なぎなた――どれ一つを食っても命いのちのないものばかり。

「ウーム、さては汝なんじらは海賊だな」

呂宋兵衛るそんべえは、その時のっそり突っ立って、魚油ぎょゆのあかりに照らしだされている二十四、五人の荒くれ男を睨ねめまわした。

「知れたことだッ」

槍の穂ほは、いっせいに横になって、車の歯のごとく中心へ向いた。

「おとなしく素すッ裸ぱだかになッちまえ、体だけは、ここから輪島わじまの磯いそへながれ着くようにほうりこんでくれる」

「待てッ。望みどおりになってもやるが、汝らの頭領かしらはいったいなんという者だ」

「そいつを聞くと命いのちがない掟おきてだぞ。それでも聞きたけりゃ聞かしてやる」

「ウム、しょうちのうえでも聞きたいものじゃ」

「よし、冥途めいどの土産みやげに知っておけ。この船の頭領は、龍巻たつまきの九郎右衛門くろうえもん。もと東海の龍王りゅうおうといわれた八幡船ばはんせん十八艘そうのお頭領さまだ。サ、こう聞かしたからにゃ命いのちぐるみもらったからかくごしろ」

「ばかをぬかせ」

「なんだとッ」

「まごまごいたすとこっちでこそ、汝なんじらの持ち物はおろか船ぐるみ巻きあげてしまうから用心しろ」

「や、こいつが! てめえいったい何者だ」

「富士ふじの人穴ひとあなにいた山賊さんぞくだ」

「なに山賊……」

「おお、海賊かいぞくの腕が強いか、山賊の智恵ちえがたしかか、ここでいちばん腕くらべをしてもいい。それともすなおに頭領かしらの龍巻たつまきをよんできて詫わびをするか」

「なまいきなッ!」

勃然ぼつぜんと海賊の武器がうごいた。

が――無益むえきな問答をしているあいだに、呂宋兵衛るそんべえは、じゅうぶんに幻術げんじゅつのしたくをしていた。

「ふッ……」

と、前後の対手あいてへ二息ふたいきかけると、たちまち、かれのすがたは一条じょうの水気すいきとなって、あるがごとくなきがごとく乱打の武器もむなしく風を斬るばかり。

「うぬッ」

ひとりがすさまじい気合いで、おぼろの影を槍やりで突く。すると、ピチリと一ぴきの魚さかながはねた。

目の下、二尺もある鯔ぼらだ。

ザアッと、舷ふなばたから二どめの浪なみがしらがきて、鯔ぼらを海中に巻きかえそうとしたが、海賊の手下どもはこれこそ蛮流幻術ばんりゅうげんじゅつをやる山賊の変身と、よってたかって、手づかみにしようときそったが、ピチピチはねまわる死力の魚うおは、むしろ人間一ぴきつかまえるのよりしまつがわるい。

「ちくしょッ――」

バラリと網あみをなげた者がある。

鉛なまりの重味おもみにしばられて、とうとう鯔はそのなかにくるまってしまったが、同時に頭の上で、

「わッはッはははは、あはははは。やい、野郎やろうども、いいかげんにしねえか」

と、ふたりして、笑う声がする。

ひょいと仰向あおむいてみると、船楼せんろうの櫓やぐらに腰かけている頭領かしらの龍巻たつまきと、いま下にいた呂宋兵衛るそんべえ。

どッちも卓たくへ頬杖ほおづえをつきながら、下のありさまを見物して、仲よく酒を飲んでいる。

「じょうだんじゃねえ。お頭領、こいつア、いったいどうしたわけなんで……」

手下どもは、わいわいそこへ寄ってきて、ただふしんにたえぬという面おももち。

「しんぱいするな、こりゃ和田呂宋兵衛わだるそんべえといって、おれが長崎にゴロついていた時代の兄弟分だ」

「へえ? ……」

「見ろ」

と、龍巻たつまきは、じぶんの二の腕と、呂宋兵衛るそんべえの二の腕をまくりあげて、手下どもに見くらべさせながら、

「このとおり、ふたりとも蜘蛛くもの文身ほりものを彫ほりあって、おれは海で一旗ひとはたあげるし、呂宋兵衛は山に立てこもって、おたがいに天下をねらおうとちかって別れた仲なのだ」

「なるほど、そういう兄弟分があるということは、いつかお頭領かしらの話にも聞いていました」

「そのふたりが、思いがけなくめぐりあった心祝こころいわいに、てめえたちにも飲ませるから、いまの魚さかなを料理して、もっと酒をはこんでこい」

「しょうちしました。だが、そうとするといまの鯔ぼらはいったいどうしたってんだろう?」

「あれは呂宋兵衛が、水気魚陰すいきぎょいんの法をかけて、てめえたちみてえな半間はんまなやつの目をくらましたのだ。しかし、魚はちょうど船へ跳はねこんだほんものだそうだから、安心して料理するがいい」

手下どもを追いはらって、ふたりとなった船櫓ふなやぐらに、龍巻と呂宋兵衛、久しぶりの酒を酌くみかわして、話はつきないもよう。

名はおそろしい海賊かいぞくと山賊さんぞくだが、久濶きゅうかつの人情には、かわりのないものとみえる。

「なあ、龍巻。てめえとおれとは、その昔、天下を二分するような元気で別れたんだが、おたがいに、いつまでケチな賊ぞくの頭領かしらじゃしようがないなあ」

「しかし呂宋兵衛るそんべえ」

「なんだ」

「おめえは富士の山大名やまだいみょうとか、野武士のぶしの総締そうじめとかいわれて、豪勢ごうせいなはぶりだってことをうわさに聞いていたが」

「さ、それが残念千万ざんねんせんばんな話で、いちじは富士の殿堂に、一国一城の主あるじを気どっていたが、武田伊那丸たけだいなまるという小童こわっぱのために、とうとう人穴城ひとあなじょうを焼けだされて落武者おちむしゃとなってしまったのだ」

「なに、武田伊那丸だッて」

「ウム、てめえもうわさに聞いていたろう」

いま、船は加賀かがの北浦に沿そって、紅帆こうはん黒風こくふうのはためき高く、いよいよ水脚みずあしをはやめている。

四

龍巻たつまきの九郎右衛門くろうえもんは、杯さかずきの南蛮酒なんばんしゅをゴクリと乾ほし、呂宋兵衛へもついでやりながら、

「ふウむ、そいつはふしぎないんねんだ……」

とうめくようにいったものである。

「じつは兄貴あにき、うわさどころかこの龍巻たつまきも、あの伊那丸のやつと、家来の小幡民部こばたみんぶという野郎やろうには、ひどい目にあわされたことがあるんだ」

と、紅帆船こうはんせん以前のことを、無念そうに語りだす。

それは、かれが東海をさかんに荒していたころ――といっても古い話ではない、伊那丸いなまるが忍剣にんけんにわかれて、弁天島べんてんじまから八幡船ばはんせんのとりこになった時のこと――

穴山梅雪あなやまばいせつの手をへて、伊那丸のからだを徳川家とくがわけへ売りこもうとした晩、小幡民部こばたみんぶに計略の裏をかかれて、沖の八幡船は焼打ちされ、かれじしんは、堺町奉行さかいまちぶぎょうの手に召しとらえられてしまった。

その後、龍巻たつまきは、堺町奉行の牢ろうをやぶって逃亡したが警戒がきびしいため、こんどは、紅べにがら色の帆ほをあげて北日本の海へまわり、長崎から往復する呉服船ごふくぶねと見せかけて、海上の諸船や、諸港しょこうの旅人をなやましている。

「こういうわけで、おれはいまでも、その恨うらみを忘れやしねえ。この龍巻の息のねのあるうちは、きっと、あの伊那丸と小幡民部の野郎を、取ッちめずにはおかねえつもりだ」

「そうか……」

と、呂宋兵衛るそんべえは、聞きおわって、

「してみれば、伊那丸一族は、この呂宋兵衛にも、龍巻にとっても、遺恨いこんのつもりかさなるやつ。おれもこれから京へのぼって、秀吉公ひでよしこうの力を借り、武田たけだ一族を狩かりつくすさんだんをするから、てめえも折おりさえあったら、この仕返しをすることを忘れるなよ」

「いわれるまでもないことだ。……オオそりゃいいが、さっき、兄貴がつれていた男はどうしたろう」

「ウム、すっかり忘れていた。あの槍襖やりぶすまにおどろいて、胴どうの間まのすみで、気を失っているかもしれねえ。……なにしろ裾野すそのの鏃鍛冶やじりかじで、おそろしい修羅場しゅらばは知らねえやつだから」

すると、そこへばらばらと、櫓やぐらへ駈けあがってきた手下のひとりが、

「お頭領かしら、さっきのどさくさまぎれに、もうひとりの男が、艫ともの小舟こぶねを切りおとして、逃げッちまったようですぜ」

「なに、卜斎ぼくさいが逃げてしまったと?」

それと聞いて、呂宋兵衛るそんべえは、はじめてかれに疑いをいだき、櫓の欄らんに駈けよって、漆うるしのような海面を見わたしたが、もとより一片ぺんの小舟が、ひろい闇やみから見いだされるはずもない。

いっぽう、あやしげな親船おやぶねを逃げだした鼻かけ卜斎ぼくさいの八風斎はっぷうさい。たちまち加賀かがの美川みかわヶ浜に上陸して、陸路越前えちぜんの北きたノ庄しょうへ帰りつき、主人勝家かついえに、裾野陣すそのじんのありさまを残りなく復命した。

そして勝家は、ちかごろひんぴんと領海をあらす海賊かいぞくに討手うってを向けたが、すでに、紅帆呉服船こうはんごふくぶねの行方ゆくえはまったく知れなかった。

変現へんげん千畳返せんじょうがえし

一

「あ、あ、あア――」

と、煙草たばこくさいあくびを一つ。

「だいぶ遊んでしまったな、もう陸おかへあがって四十日目か。おやおや都入みやこいりのとちゅうで、おもわぬ道草を食くってしまったわい……」

ひとりごちながら寝台ねだいをおり、二階の窓ぎわへ、唐風からふうの朱椅子あかいすをかつぎだして、そこへ頬杖ほおづえをついたのは、こういう異人屋敷いじんやしきにふさわしい和田呂宋兵衛わだるそんべえ。

そとは海――それも鯖さばの背のような、あお黒い冬の海。

昼の陽ひざしも、こたえがなく、北日本特有の寒風が、槍やりのごとく波面なみづらをかすッて、港泊どまりの諸船もろぶねの帆ほばしら、ゆッさゆッさとゆさぶれあうさま、まるで盥たらいのなかの玩具おもちゃを見るよう。

その港を、どこかといえば、賤しずヶ岳たけを南にせおい、北陸無双むそうの要害ようがいではあり商業の繁昌地はんじょうち。――陸おかには南蛮なんばん屋敷があり、唐人館とうじんかんの棟むねがならび、湾わんには福州船ふくしゅうぶねやスペイン船などの影がたえない角鹿つるが(いまは敦賀つるがと書く)の町である。

「さてと、ことしは天正てんしょう十年、もう十二月だな……」

この海を見、この異国情調じょうちょうをながめても、呂宋兵衛るそんべえには、詩をつくる頭もないと見え、みょうなことをつぶやいている。

「天正十年、――へんな年だッたな、ばかに天下をかきまわした年だ。まずちょっとおもいだしたところでも、春早々そうそう、甲斐かいの武田たけだが亡ほろぼされ、六月には、信長のぶながが本能寺ほんのうじで焼打やきうちにあった。うまくやったのは猿面さるめんの秀吉ひでよし、山崎の一戦から柴田しばたも佐々さっさも滝川たきがわも眼中になく、メキメキ羽振はぶりをあげたが、ずるいやつは徳川家康とくがわいえやすだ。どさくさまぎれに、甲州こうしゅうから信濃しなのの国をわが物にして、こっそり領分りょうぶんをふくらませてしまった。――だが、まずゆくゆくの天下取りは、どうしても秀吉だろうな。北きたノ庄しょうの柴田勝家しばたかついえ、こいつもなかなか指をくわえてはいまい。いまに秀吉と、のるかそるかの大勝負だ。……ウム、のるかそるかは俺おれのこと、手ぶらで都入みやこいりも気がきかない。手近なところでなにか一つ、秀吉のやつに取りいるお土産みやげを、かんがえようか……」

その時、コツコツ扉とをたたく者があった。

「オイ、兄貴あにき、いねえのか、寝ているのか!」

「だれだ」

「龍巻たつまきだ、あけてくれ」

「いや、こいつはすまなかった」

窓をはなれて、重い扉とをギーとひらく。と、待つ間まおそしの勢いで、飛びこんできた九郎右衛門くろうえもん、片目をおさえたまま、呂宋兵衛るそんべえの寝台ねだいの上へ、ゴロリとあおむけに寝てしまった。

「どうしたんだ、耳のほうへ血がたれてくるではないか」

「すまねえが兄貴あにき、この左の目へささッている物を、そッとやわらかに抜きとってくれないか」

「いいとも、だが、棘とげでもさしたのか」

「針だ、針がささッてるんだ」

「針?」

「ウン、ゆうべ沖の客船から、四、五人の旅人をさらってきて、この下の穴蔵あなぐらへほうりこんでおいたのだ。そこでいま手下どもと、ひとりひとりの持ち物や身の皮をはいでいると、そのなかにふんじばられていた婆ばばあめが、いきなりおれの顔へ針をふきつけやがったんだ。ア、痛、……なにしろ早く抜いてくれなきゃ話もできねえ」

「うごいてはいけないぞ、いま洗い薬を、こしらえているから」

「たのむからはやく……」

「よし、じッとしていろよ」

と、多少蛮法ばんぽうの医術にも心得があるらしい呂宋兵衛、口をもって龍巻たつまきの眸ひとみにふかく突きささっている針をくわえとり、すぐ洗い薬をあたえておちつかせた。

すると、四、五人の手下が、扉口とぐちから首をだして、

「おかしら」

と、どなった。

「いよいよあの船へ、角鹿町つるがまちの和唐屋わとうやから一万まん両りょうの銀を送りこみましたぜ。船積みするところまでたしかに見届みとどけてきました」

「そうか!」龍巻たつまきは、苦痛もわすれ、

「して、厦門船アモイせんは、いつ纜ともづなを巻きそうだ」

「いつどころじゃねえ、もう出船でふねのしたくをしているようすなんで、風のあんばいじゃ夕方にも、港をズリだすかも知れませんぜ」

「じゃ、こうしちゃいられねえ。てめえたちは、穴蔵あなぐらにいる子分を呼びあげて、すぐ沖おきの鼻へ、船をまわして見張っていろ。おれはあとから、早船はやぶねで追いつくから」

「がってんです。じゃ、お頭領かしらもすぐにきておくんなさい」

ドカドカと階段を降おりていった。

「大そうな仕事じゃあないか」

呂宋兵衛るそんべえは、いまの話であらかたのもようをさっしていた。

「この角鹿へ煙草たばこを売りこんだ厦門船が、一万両の売り代を積んでかえるやつを、玄海灘げんかいなだあたりで物にしようというたくらみさ。そこでこんどはしばらくこの仲間なかま屋敷へも帰らねえから、兄貴あにきはここで冬を越すとも、また閉しめて京都へ立つなりと好すきにしてくれ」

「ちょうどいい。じつはおれも、いつまでここにいい心持になってもいられないから、一つゆきがけの駄賃だちんに北きたノ庄しょうのようすをさぐり、それを土産みやげに都入みやこいりして、うまうまと秀吉ひでよしのふところへ飛びこむつもりで考えていたところだ。すぐおれもここを立つとしよう」

「するととうぶんお別れだが、秀吉公ひでよしこうへ取りいったら、おれもお船手の侍大将さむらいだいしょうかなにかになれるように、うまく手蔓てづるをしてもらいてえものだな」

「野武士のぶしだろうが海賊かいぞくだろうが、人見知りをせず味方にする秀吉だから、おれが上手じょうずに売りこんで、龍巻壱岐守たつまきいきのかみぐらいにはしてやるよ。まあそれを楽しみにしているがいい」

「あ――厦門船アモイせんがでやがった」

窓口から港をながめて、龍巻はにわかに立った。そしてせわしい別れをつげ、部屋へやからかげを消したかと思うと、やがて、海賊の巣すである異人屋敷の裏手から、一艘そうのはしけを矢のごとく漕こがせていった。

「ははあ、紅帆船こうはんせんは、むこうの岬みさきのかげにかくれているんだな」

それを見つつ、呂宋兵衛るそんべえも伴天連バテレンの黒服くろふくをつけ、首に十字じ架かをかけて、ふところには短刀をのんだ。さて、すっかり身支度みじたくがおわると、バタバタ窓をしめて、かれもこの家を立ちかけたが、門口かどぐちでフイと一つの忘れ物を思いだした。

「針はり……針……針がいたッけ……」

呪文じゅもんのようにつぶやくと、クルッと踵きびすをかえして、うす暗い石段をスルスルと地の底へ――

二

陰湿いんしつな穴蔵部屋あなぐらべや、手さぐりで近寄ちかよると、鉄格子てつごうしの錆さびがザラザラ落ちた。すると、ウーム……とうめきだしたかすかな人声。海賊かいぞくたちにつれこまれた旅人らしい、ムクムクと身をおこして、人のけはいにおびえている。

「おい、おい」呂宋兵衛るそんべえは、鉄格子からのぞきこんで、

「もしやおまえは、富士の裾野すそのにいた蚕婆かいこばばあではないか」

「えッ!」

と、びっくりしたが、しばられているので、そばへは寄ってこられぬらしい。

「わ、わたしを知っているのは、いったい、だ、だれだい……」

「人穴ひとあなの呂宋兵衛よ」

「ひえッ、呂宋兵衛さま? ああありがたい、助かった。海賊の龍巻がこないうち、はやくここからだしてやっておくんなさい」

「どうしておまえはまた、こんなところへつれこまれたのだ」

「どうしてだって、このくろうをするのも、みんなおまえさんに味方をしたためじゃないか。人穴城ひとあなじょうから法師野ほうしのへ逃げて、落ちつくまもなく、伊那丸いなまるの夜討ちにあい、やッと北陸道まで逃げのびたと思うと、こんどは海賊につかまってこのありさまさ」

「やッぱり、おれの想像そうぞうがあたっていた」

「くやしいから龍巻たつまきの目の玉へ、針を一本吹いてやったら、いまになぶり殺しにしてやるからおぼえていろと、おそろしい血相けっそうで、二階へかけあがっていったが……」

「その龍巻や手下どもは、にわかに船をだすことになって、おまえをここへおき去ざりにしていった」

「すると、わたしを餓死うえじにさせる気だったんだね。呂宋兵衛るそんべえさま、とにかく早くだしてくださいまし」

「よし、そのかわりにこれからさきは、おれのために、火の中へでも水の中へでも飛びこむだろうな」

「ごめん、ごめん。わたしはもう大きな慾よくのない身だから、また裾野すそので、蚕かいこの糸でものんきに引きたいよ」

「ふん、それじゃ、いッそ、死ぬまでこの穴蔵あなぐらで隠居いんきょをしていろ。たぶんもう二、三年は、この屋敷の戸を開あけにくる人間はないはずだから」

呂宋兵衛が、もどりかけると、蚕婆かいこばばあは悲鳴をあげた。いやおうなく、いろいろな誓ちかいを立てさせられて、そこから助けだしてもらうと、婆ばばあは、頭にくろい頭巾ずきん、身に黒布こくふをまとわせられて、あたかも女修道士おんなイルマンのような姿となり、呂宋兵衛のあとからあてもなくついていった。

それから数日ののち――

角鹿つるがの浦から十六、七里、足羽御厨あすわみくりやの北きたノ庄しょう(今の福井市ふくいし)の城下に、ふたりの偽伴天連にせバテレンがあらわれて、さかんに奇蹟きせきや説教をふりまわしていた。

と、ある日である。濠端ほりばたにたって、なにやら祈祷いのりをささげている伴天連をみかけて、美しい夫人が鋲乗物びょうのりものを止とめさせた。

「もし、伴天連さま」

きれいな侍女こしもとたちが三、四人、駕籠かごをはなれて腰をかがめた。伴天連――呂宋兵衛るそんべえと蚕婆は、もったいらしく、祈祷の膝ひざをおこして、

「はい、なんぞご用でござりますかな」

「あの駕籠かごのうちにおいでなされますのは、ご城主さまの奥方小谷おだにの方かたさまでいらっしゃいます」

「ああそれはそれは、右大臣信長公うだいじんのぶながこうのお妹君ぎみで小谷の方さま、おうわさにもうけたまわっておりました」

「奥方さまは、そのむかし、安土あづちにおいでのころから、マリヤさまをふかいご信仰しんこうでいらっしゃいます。ついては、なにかお祈祷のお願いがあるとのこと、ごめいわくでも城内までお越しあそばしてくださいませぬか」

「おやすいこと、すぐにもお供とももうしましょう」

と、呂宋兵衛は、人知れず蚕婆に目くばせして、聖僧気せいそうきどりのうやうやしく、小谷の方の乗物について大手の橋を渡りこえた。

すると多門たもんの塀際へいぎわですれちがった、りっぱな武士がある。

「おや?」

と伴天連バテレンのすがたを見送って、

「こりゃふしぎだ、いま奥方の供ともに加わっていったやつは、たしかに、いつぞや海賊船かいぞくせんで別れた和田呂宋兵衛わだるそんべえ、ひとりは裾野すそのの蚕婆かいこばばあによく似たやつだ……はて、みょうだわい」

と、下城げじょうのとちゅうで腕ぐみをしてしまった。

「ウーム、あの呂宋兵衛がこの城内へ……伴天連になりすまして……蚕婆をつれて……こりゃ時節がらゆだんがならん!」

従者だけをそこから下城させて、スタスタとふたたび曲輪くるわへ帰りだしたのは、もと裾野では鏃師やじりしの鼻かけ卜斎ぼくさい――いまではこの城の礎いしずえとたのまれる上部八風斎かんべはっぷうさいだった。

三

足羽九十九橋あすわつくもばしを脚下きゃっかにして、そびえたつ北きたノ庄しょうの城は北国一の荒大名あらだいみょう、鬼柴田勝家おにしばたかついえがいる砦とりでである。塁濠るいごうは宏大こうだい、天主や楼閣ろうかくのけっこうさ、さすがに、秀吉ひでよしを成りあがりものと見くだして、大徳寺では、筑前守ちくぜんのかみに足をもませたと、うそにも、いわれるほどなものはある。

「憎にっくい猿面さるめん、ウーム、一あわふかしてくれねばならぬ」

と、本丸の上段、毛皮の褥しとねに、どッかりかまえた修理亮勝家しゅりのすけかついえは、その年、五十三の老将である。こよいも、岐阜ぎふの侍従じじゅう信孝のぶたかからの飛状ひじょうを読みおわって、憤怒ふんぬを面おもてにみなぎらしていた。

評定ひょうじょうの間まのあかりは、晃々こうこうと照って、席には一族の権六勝敏ごんろくかつとし、おなじく勝豊かつとよ、徳山則秀とくやまのりひで、不破光治ふわみつはる、小島若狭守わかさのかみ、毛受勝介めんじゅかつすけ、佐久間玄蕃允さくまげんばのじょうなど、万夫不当ばんぷふとうの北国衆が、評定の座へズラリといならんでいる。

「この勝家かついえが冬ごもりのまを、鬼おにのいぬまと思うて、猿面さるめん秀吉ひでよしがすき勝手なふるまい。この書状しょじょうのようすでは、疾とく佐和山さわやまをおとしいれ、長浜の城まで手をだしてまいったらしい。ウム、もう隠忍いんにんしている場合ではない。若狭わかさ! 若狭守!」

「はッ」

「そちはすぐ天守てんしゅへあがって、陣触じんぶれの貝をふけ」

「はッ」

「勝敏かつとし、勝豊かつとよ! また玄蕃允げんばのじょう! その方ほうどもは先陣に立ってまッしぐらに、近江おうみへむかえ、すぐにじゃぞ……」

「君きみ! しばらく待たせられい」

「なんじゃ、毛受勝介めんじゅかつすけ、そちも一陣のさきがけをのぞむか」

「いや、もってのほかな――」

とニジリだした勝介かつすけ、やや色をあらためて、きッと、

「さきほど、軍師ぐんしの八風斎はっぷうさいどのが、列席のおりには、秀吉ひでよし退治たいじのご出陣は、来春の雪解ゆきどけと、同時に遊ばすことに決したではござりませぬか」

「ひかえろ、それはまだ信孝公のぶたかこうの御書ごしょがつかぬまえじゃ。秀吉の独断かくまでと思わぬからじゃ」

「ご立腹はさりながら、時はいま十二月の真冬、北国街道かいどうの雪たかく、軍馬の進路、おもいもよりませぬ」

「だまれ、勝介かつすけ、おりから今年ことしは雪がすくない。このくらいな天候ならば、柳やなヶ瀬せ越えもなんのその、一挙きょに、長浜を取りかえして、猿さるめに、一あわふかすぐらいなんのぞうさがある」

「仰おおせながら、ひとたび軍旅を遠くはせて、木きノ芽め峠とうげや賤しずヶ岳たけの険路けんろを、吹雪ふぶきにとじこめられるときは、それこそ腹背ふくはいの難儀なんぎ、軍馬はこごえ、兵糧ひょうろうはつづかず、ふたたびこの北きたノ庄しょうへご凱旋がいせんはなりますまい」

「ウーム……」

勝家かついえも愚将ぐしょうではない、ましてや分別もじゅうぶんな年ごろ。理りのとうぜんに、やり場のない怒気どきが、うめきとなって口からもれる。

「いちおうの理がある、しかし……」

とやや落ちついて、

「来春を待つとして、ほかになんぞ、よい策さくがあるか」

と極きめつけた。

「ござります――それは裾野すそのよりご帰参の上部かんべどのが、一月ひとつきあまりお屋敷にこもって、苦心のすえ作戦された、秀吉ひでよし袋攻ふくろぜめの奇陣きじん、必勝の布陣ふじん、軍旅の用意にいたるまで、お書付かきつけとしてご家老かろう徳山とくやまどのへお渡しになっております」

「そんなものがあったか。伊那丸いなまるを味方につけ、甲駿こうすんへ根を張らんとしてながらくでていた八風斎はっぷうさい、それが不首尾ふしゅびで、帰参後も、めッたに顔をみせぬと思うていたら、すでに、秀吉袋攻めの奇陣を策さくしておったのか、どれ、一見けんいたそう」

と、勝家かついえはことごとくきげんをなおして、徳山則秀とくやまのりひでの取りだした書類や図面に目をとおし、また時折にはなにか小声でヒソヒソと密謀みつぼうをささやいていた。

するとこの夜陰やいん、おくの曲輪くるわにあたって、にわかにジャラン! ……と妖異よういな鐘かねのひびきがゆすりわたった。

「なんじゃ」

折もおりなので、一同おもわず、ガバと顔をはねあげる。

勝家かついえも聞きとがめて、

「南蛮寺なんばんじで聞くような、いまわしい鐘の音色ねいろ、奥の局つぼねでするらしいが、やかましいゆえ、止とめてまいれ」

「はッ――」

と気転きてんよくたった小姓こしょうの藤巻石弥ふじまきいしや、ふと廊下ろうかへでるとこは何者? 評定ひょうじょうの間まの袖部屋そでべやへじッとしゃがみこんでいる黒衣こくいの人間。

「間諜かんちょうッ!」

大声に叫んで、ダッ! と組みついた。奮然ふんぜんと、むこうからもむかってくるかと思ったがあんがい、グズグズとくじけてしまったので石弥いしやもあっ気にとられた。

「なに、諜者ちょうじゃが入りこんでいたと?」

勝家かついえをはじめ、玄蕃允げんばのじょう、若狭守わかさのかみなど、めいめい燭しょくをかざしてそれへでてきた。

「なんじゃ、そちは伴天連バテレン……しかも老婆ろうばではないか」

「はい、はい、……どうぞおゆるしくださりませ」

黒いかげは、竿さおでハタキ落とされた蝙蝠こうもりのようにおののいていた。毛受勝介めんじゅかつすけはッたとにらんで、

「きさま、ただいまの密議を、ここで聞きおッたな!」

「めっそうもないこと、わたくしは神さまに仕える修道士イルマンでございます……戦いくさのご評議などを立ちぎきしてなんになりましょう」

「その修道士が、なんでかような場所へ入いりこんだか。婆ばばあ! うそをもうすと八ツ裂ざきだぞ」

「奥方さまのおたのみで、お祈祷いのりにあがりました……ハイ、三人の姫君さまが、そろいもそろうてご風気ふうきの大熱たいねつ……そのご平癒へいゆを神さまにお祈いのりしてくれとのご諚じょうをうけてまいりました」

「ほ、なるほど……」

勝家かついえの面おもてがすこしやわらいだ。

「おさない姫ひめたちが、このあいだから風邪かぜに悩なやんでいる。奥もきょうはそれで祈祷いのりにまいった。アレは昔からその宗門しゅうもんでもあった」

「まったく、ご錠口じょうぐちをまちがえまして……」

「石弥いしや、この修道士イルマンの婆ばばあを、おくの局つぼねへつれていってやれ、間諜かんちょうでもないらしい」

「かしこまりました」

と、石弥いしやが立ち、一同がちりかけると、そのとき、四十九間けんの長廊下ながろうかを、かけみだれてくる人々! 小谷おだにの方かたをまっ先に、局つぼね侍女こしもとなど奥の者ばかり、めいめい鞘さやをはらった薙刀なぎなたをかかえ、雪洞ぼんぼり花のごとくふりてらしてきた。

「奥ではないか、なにごとじゃ」

「オオ殿さま、ごゆだんあそばしますな」

と小谷の方は、薙刀をふせて、

「今がいままで、一間まのうちに祈祷いのりの鐘をならしていた伴天連バテレンがみょうなそぶりで、ご城内の要害ようがいをさぐり歩いているという小者の知らせでござります」

と息をあえいだ。

「うかつな者をめしいれるから悪い。む! さすればただいまの老婆ろうばもその片われじゃな」

「オオ、そこにいる修道士イルマン、引っくくってごせんぎなされませ」

といわせもはてず、小谷おだにの方かたのうるわしい頬ほおへピラピラッと四、五本の針がふき刺ささった。

「あッ!」と藤巻石弥ふじまきいしやも、同時にひとみをおさえて飛びしさる、とたんにすきをねらった老婆ろうばは、黒布こくふをひるがえしてドドドドドッと大廊下おおろうかから庭先へ飛びおりた。

「それッ」

と近侍きんじをはじめ侍女こしもとの薙刀なぎなた、八面めんをつつんでワッと追いかぶさったが、雪ともつかぬ雹ひょうともつかぬふしぎなものが、近よる者のひとみに刺さって、見るまに怪異かいいな老婆のかげは、外曲輪そとぐるわの闇へ、飛鳥ひちょうと消える。

ふいのそうどうに、ガランとしていた評定ひょうじょうの間ま。

一羽わの蛾ががピラピラと飛んでいる。……

これはあやしい。蛾がは妖異よういだ。夏なら知らず十二月、蛾が生きているはずがない――と思うと灯取ひとり虫、一つ一つの燭しょくをはたきまわって、殿中でんちゅうにわかにボーッと暗くなってきた。

スウーッとその蛾がが吸いこまれてしまった。

いつの間まにか襖ふすまのかげに立っていた呂宋兵衛るそんべえの口のなかへ――滅光めっこうの口術こうじゅつ? ニヤリと笑って、評定の間へスルスルとはいってきた。

四

暗闇くらやみのなかで、呂宋兵衛るそんべえ、ムズとつかんだ。一同が評議にかけていた秀吉ひでよし袋攻ふくろぜめの秘帖ひちょう、それだ! それをつかんだ。――片手につかんで蟇がまのように評定ひょうじょうの間まをはいだした。

大廊下おおろうかには人がいる、ワイワイとさわいでいる。そッちへは逃げられない、次の間まへ、スーと抜けてくると、障子しょうじに槍やりをもってる人影がうつっている。

「こいつは危あぶない……」

と、あとずさりをした壁ぎわで息をのむ。と、うしろからだれか、指のさきで、チョイと背中をついた者がある。

二寸ばかり納戸襖なんどぶすまがあいていた。そのなかから手がでて呂宋兵衛の指へやわらかにさわった。

「蚕婆かいこばばあだな……」

と、すぐ肚はらのうちで、うなずいた。

そして、手につかんでいた秘帖を、スルリと引っぱられたが、婆ばばあがあずかるつもりだろう――と思ってわたしてしまった。

とたんに、ズドン! と短銃たんづつの弾たまがまつげをかすった。白いけむりが評定の間でムクッとあがった。いけねえ! と思ったので呂宋兵衛、いきなり障子しょうじを開あけるやいな、バラッと飛びだすと、待ちかまえていた長身ながみの槍先やりさきが、

「えいッ」

と、するどい光をつッかけてきた。

「おッ!」

と、すばやくつかみとめた槍の千段だん、顔を見るとおどろいた、闇やみでも知れる鼻――あの鼻のもちぬし、上部八風斎かんべはっぷうさいである。

こいつは苦手にがてだ、ばらばらともとの部屋へ逃げこむ、と同時に、佐久間玄蕃允さくまげんばのじょうの声で、

「曲者くせものッ!」

組んできた。ドンとつぎの千畳敷せんじょうじきへ投げつけられた。起きあがると、またふたたび、毛受勝介めんじゅかつすけの大喝だいかつ一声せい、

「おのれ、間諜かんちょう!」

グンと襟えりがみを引ッつかまれた。が、こんどは呂宋兵衛るそんべえにれいの奥の手をだすよゆうがあった。ポンとその手をはらうや否いな、跳とびあがって広間の壁へ、守宮やもりのようにペタリと背なかを貼はりつけてしまった。

上部八風斎、すばやく見つけて、槍の素扱すごきをくれながらブーンと壁の下からつき上げた。――もんどり打って呂宋兵衛のからだが畳たたみの上へおちたかと思うと、木この葉はをめくるように一枚の畳がヒラリと起きて槍へかぶった。

「おおッ」

と、毛受、佐久間が飛びつくまに、かれのすがたは畳たたみの下へもぐって消える。

「方々かたがた、方々、曲者くせものはこの部屋へやでござる。千畳じょう敷じきを取りまきめされい!」

毛受勝介めんじゅかつすけが城中へ鳴りわたるばかりにどなった。

と――あら奇怪、畳から次の畳へ、ムクムクムクと波のごとくうごいていった。そして、向こうの端はしの一枚がポンとめくれる――たちまち飛びだした呂宋兵衛るそんべえ、脱兎だっとのごとく大廊下おおろうかから武者走むしゃばしりににげだした。

「幻術師げんじゅつし! のがすなッ」

とひしめきあって、あらん限りの武者がそれへ殺到してしまった。そのようすを見すまして、はじめて、納戸襖なんどぶすまをソロリとあけた黒装束くろしょうぞく、押入れからとびだして、呂宋兵衛からわたされた攻軍こうぐんの秘図ひずをふところにおさめ、別なほうから築山つきやまづたいで、北庄城ほくしょうじょうの石垣いしがきをすべり落ちていった。

秀吉ひでよしをめぐる惑星わくせい

一

橡とちノ木き峠とうげの大吹雪おおふぶき――

軍飛脚いくさびきゃくか狼おおかみか雪女よりほかはとおるまい。

ところがひとりのお婆ばあさん、元気なものだ。歓喜天かんぎてんさまのお宮の絵馬えまを引ッぺがして、ドンドン焚火たきびをしてあたっている。

黒い頭巾ずきんをかぶって、姿は気けだかい修道士イルマンだが、中身なかみは裾野すそのの蚕婆かいこばばあだ。たきびで焼いた兎うさぎの肉をひとりでムシャムシャ食たべている。

「ここで落ちあうやくそくだのに、どうしたんだろう……にげ損そこなってやられたのかしら」

同じことを、口のうちでなんどいったか知らない。そのうち麓ふもとのほうから、雪をおかしてくる人かげ。

「おお、呂宋兵衛るそんべえさま」

「婆ばばあ、待っていたか」

かぶってきた蓙ござをすてて焚火たきびのそばへふるえついたのは、おなじ姿の呂宋兵衛だった。

「待っていたかもないもんだ、半日もおさきだったあね」

「気の毒だった、捕手とりてに逃げ口をふさがれて、足羽川あすわがわの上かみを遠まわりしてきたため、ばかに手間てまをとってしまった。それはいいが、城中でわたしたアレは落とさずもってきたろうな」

「城中で? おやなにを……」

「この呂宋兵衛るそんべえが、命がけでとった柴田方しばたがた攻軍こうぐんの秘帖ひちょう、秀吉公ひでよしこうへの土産みやげにするのだ」

「いいえ、わしはなんにも知りませんよ」

「城中のくらがりで、たしかに汝なんじの手へわたしたはず」

「ごじょうだんを……この婆ばばあはおまえさんがはたらくまえに、逃げだしたんじゃないか」

「はてな? するとあの手はだれだろう」

早打はやうちの男か、またサクサクとここへ雪の峠越とうげごえをしてきたものがある。頬ほおかむりの上に藁帽子わらぼうし、まるで、顔はわからないが蓑みのの下から大小の鐺こじりがみえた。

ふたりの前をとおりかかって、

「吹雪ふぶきがくる――、追手おってもくるぞ」

ヘンなことをいって通りすぎた。

「なるほど、また北から黒い雲がまいてきた。日の暮れないうち麓ふもとの宿しゅくへたどりつこう」

呂宋兵衛と蚕婆は、また伴天連バテレンになりすます約束でサクリ、サクリと歩きはじめた。

案あんの定じょう、ドーッと、陣太鼓じんだいこをぶつけるような吹雪がきた。燃えのこった焚火たきびが雪にまじって、虚空こくうに舞い、歓喜天かんぎてんの堂の扉とびらもさらってゆかれそう。このぶんで一晩ふったら、お宮も埋うもって山の木がみんな二、三尺じゃくになるかも知れない。

「オオ寒ッ!」

いたたまれないで、お堂のなかから飛びだしたはひとりの少年。寒いはずだ、膝行袴たっつけばかまに筒袖つつそでの布子ぬのこ一枚、しかし、腰の刀は身なりにも年にも似あわぬ名刀の銀しろがねづくり。

「こんな雪が降ってるうちは、クロも空をとべないだろう。アア、いつおいらとめぐりあえるのかしら」

吹雪ふぶきの空を見あげて、くろい大鷲おおわしの幻影げんえいをえがいたのは、法師野ほうしのいらい、その行方ゆくえをたずね歩いている鞍馬くらまの竹童ちくどうである。

信濃しなのをこえて、飛騨ひだを越えて、クロを尋ねつ冬にはいって、この大雪にゆきくれた竹童、腰に名刀般若丸はんにゃまるのほこりはあるも、お師匠ししょうさまは尊たっといもの、クロはおいらのかわいいものとしている、あの鷲わしにあえざる心はさびしかろう。

二

あければ、天正てんしょうの十一年。

本能寺ほんのうじの焼け跡あとにも、柳やなぎがあおい芽めをふいた。

都の春のにぎやかさ。ことに、羽柴はしば従じゅ四位いの参議秀吉さんぎひでよしが入洛じゅらくちゅうのにぎやかさ。――金の千瓢せんなり、あかい陣羽織じんばおり、もえ黄ぎ縅おどし、小桜こざくらおどし、ピカピカひかる鉄砲てっぽう、あたらしい弓組、こんな行列が大路おおじ小路こうじに絶えまがない。

戦いくさがあっても貧相でなく、新鋳しんちゅうの小判こばんがザラザラ町にあらわれ、はでで、厳粛げんしゅくで、陽気で、活動する人気にんきは秀吉の気質きしつどおりだ。京ばかりではない、姫路ひめじへ下向げこうすれば姫路の町が秀吉になり、安土あづちへゆけば安土の町がそッくり秀吉の気性きしょうをうつす。

「ご前ぜん」

馬廻うままわりの福島正則ふくしままさのり、ニヤニヤ笑いながら、秀吉の前へひざまずいた。京都の仮陣営かりじんえい、ここに天下の覇握はあくをもくろんでいるかれ、飯めしを噛かむまもないせわしさ。いまも、祐筆ゆうひつになにか書かせながら、じぶんは花判かきはん黒印こくいんをペタペタ捺おしている。

ちかく出師すいしせんとする柴田しばたがたの滝川征伐せいばつ、その兵を糾合きゅうごうする諸大名しょだいみょうへの檄文げきぶんであるらしい。

「なんじゃ」

むぞうさにこたえて、次のへ、ペタリと一つ捺した。

「とうとうやってまいりました」

「だれが」

「裾野すそのの和田呂宋兵衛わだるそんべえ。おそるおそるご拝謁はいえつを願いに、陣前へまかりこしております」

「富士の人穴ひとあなで、二千の軍兵ぐんぴょうをかかえながら、勝頼かつよりの遺子いし、武田伊那丸たけだいなまるに追いまくられて、こんどはわしへとりいる気だな」

「むろん、ご賢察けんさつのごとくでござりましょう」

「まアいい、ここへ持ってこい」

と、まるで品物を見るようにいった。

「可児才蔵かにさいぞうはあるか!」

おおきな声でどなった。

はなやかな小具足こぐそくをつけた可児才蔵かにさいぞう、幕まくをはらって階下に頭ずをさげる。

「しばらくそこにおれ」

といったまま、また祐筆ゆうひつにむかってなにか文言ぶんげんをさずけている。と、福島正則ふくしままさのり、和田呂宋兵衛わだるそんべえと蚕婆かいこばばあの修道士イルマンを連れてはるかに平伏へいふくさせた。

呂宋兵衛は、ここぞ出世の緒口いとぐちと、あらんかぎりの巧舌こうぜつと甘言かんげんで、お目見得めみえした。まず、将来天下人てんかびとの兆瑞ちょうずいがお見えあそばすということ、君のおんためには死も一毛もうより軽しということ、それから、こんどは手まえ味噌みそで天下の野武士のぶしはわが指一本にうごくというじまん、幻術げんじゅつは天下無双むそう、兵法智略には、丹羽昌仙にわしょうせんという腹心の者があること、――かぎりもなくならべたてる。

秀吉ひでよしは、フン、フン、フン、で、聞くことだけは聞いている。

さてと呂宋兵衛、まだなにかいうつもりだ。

「さてこのたびのご拝謁はいえつに、なにがなよき土産みやげともぞんじまして、上洛じょうらくのとちゅう、命いのちがけでさぐりえましたのは柴田勝家しばたかついえの攻略こうりゃく、まった北庄城ほくしょうじょうの縄なわばり本丸ほんまる外廓そとぐるわ、濠ほりのふかさにいたるまでのこと、それを密々みつみつ言上ごんじょういたしますれば、ちかきご合戦かっせんはご勝利うたがいもなきこととぞんじまする」

と、蚕婆かいこばばあにさぐらせた評定ひょうじょうのもよう、じぶんがしらべた砦とりでの秘密など、得々然とくとくぜんとかたり出した。

いま、勝家かついえと秀吉ひでよしの仲、日ごとに険悪けんあくとなりつつあることは天下の周知しゅうち。さだめし、秀吉が目をほそくしてよろこぶだろうと思うと、呂宋兵衛るそんべえがしゃべっているまに、

「うッははははは」

と腹をおさえて笑いだした。

「呂宋兵衛、柴田しばたの内幕話うちまくばなしならもうやめい」

「はッ」とかれは目をぱちくり。

「仰おおせにはござりますが、勝家かついえ一族が、ご当家を袋攻ふくろぜめにせん奇陣をくふうし、雪解ゆきどけとどうじに出陣の密策みっさくをさぐってまいりましたゆえ」

「わかった、わかった。そちの申すのはこれであろう」

座右ざうの文庫から、むぞうさにとりあげて、呂宋兵衛のほうへみせた書類! ヒョイと仰あおぐと、いつぞや、北庄城ほくしょうじょうの一室で、納戸襖なんどぶすまから合図あいずされて手へわたした、あの攻軍の秘帖ひちょうだ! あの手が秀吉ひでよしだったのか? あの手が? 呂宋兵衛はぼうぜんとして二の句くがでない。

「こりゃ、そちは幻術げんじゅつをやるだろうが、諜者ちょうじゃはから下手べたじゃの。さぐりにかけては、まだそこにいる男のほうがはるかにうまい」

と、可児才蔵かにさいぞうを顎あごでさした。

「才蔵、びっくりしておるわ、種たねをあかしてやれ」

「はッ、呂宋兵衛どの」

と、こんどは才蔵があとをうけた。

「先日はまことに失礼つかまつった」

「や! ではあの時、うしろから手をだされたのは?」

「貴公きこうよりまえに、北庄城ほくしょうじょうへさぐりにはいっていた拙者せっしゃでござる。また、橡とちノ木き峠とうげでごあいさつして通ったのもすなわち拙者で」

「ははあ……」といったまま、呂宋兵衛るそんべえも蚕婆かいこばばあも、すっかり毒気どっけをぬかれたていで、いままで喋々ちょうちょうとならべたてた吹聴ふいちょうが、いっそう器量きりょうを悪くした。

三

と、そのとき、羽柴はしばの荒旗本あらはたもと、脇坂甚内わきざかじんない、平野ひらの三十郎、加藤虎之助かとうとらのすけの三人、バラバラと幕屋まくやの裾すそにあらわれて一大事を報告した。

しかも、ふしぎな事件である。

いま、ふいにこの陣屋へ徳川家とくがわけの武士ぶし五人がおとずれてきた、というのである。五人の頭かしらは、徳川家のうちでも、音にきこえた菊池半助きくちはんすけ。

その半助のいうには、武田勝頼たけだかつより、ほかふたりの従者がすみぞめの衣ころもに網代笠あじろがさを目まぶかにかぶり、ひそかに、東海道からこの京都へはいったので追跡ついせきしてきたが、ついに、この洛中らくちゅうで見うしなったゆえ、羽柴どののご手勢でからめてもらいたいとの口上こうじょうである。

こんな奇怪きかいな話はない。

武田四郎勝頼たけだしろうかつより――、すなわち、伊那丸いなまるの父なる大将は去年天正十年三月、織田おだ徳川とくがわの連合軍にほろぼされて、天目山てんもくざんの麓ふもとではなばなしい討死うちじにをとげていること、天下の有名、だれあって知らぬものはない。

だのに、その勝頼が、すみぞめの衣ころもをきて、京都にはいったとは、なんとしても面妖めんようである。

「おまちがいないか」

と、虎之助とらのすけが念をおした時、

「断じてそういはござらん」

と、菊池半助きくちはんすけが語ごをつよめていった。

しかし、京都は徳川家とくがわけの勢力圏内せいりょくけんないではない。ぜひお手配てはいをわずらわしたい、との懇願こんがん。事件、人物がまた容易よういならぬ人、なんとへんじをしましょうかと、三人の旗本はたもとがこもごも申したてた。

「ふウむ……勝頼がな」

と秀吉ひでよしも、これを聞くとしばらく沈思瞑目ちんしめいもくしていたがやがて重く、

「ほかならぬ徳川どののおたのみ、聞いてあげずばなるまい。しょうちいたしましたとごへんじをいたせ」

「はッ、お伝つたえ申しまする」

と平野ひらの三十郎ひとりだけが立ってゆく。と、脇坂甚内わきざかじんないすぐに小膝こひざをゆるがして、

「ご承引しょういんのうえは、それがしと虎之助とらのすけどのとにて、四郎勝頼かつよりのありかをたしかめ引っとらえてまいりましょうか」

「待てまて……」

秀吉ひでよしは、まだ瞑目めいもくをつづけていたが、はじめて、いつもの調子でいいのける。

「やがてこの筑前守ちくぜんのかみは伊勢いせの滝川たきがわ攻めじゃ、この用意のなか、死んだ勝頼をさがしているひまな郎党ろうどうはもたぬ」

「はッ」

甚内じんないは五体をしびらせておそれいった。

「じゃが、ひきうけたこと抛ほうってもおけまい、この役目は和田呂宋兵衛わだるそんべえに申しつける。よいか」

「しょうちいたしました、すぐ洛中らくちゅうをくまなくただしてご前ぜんへその者を召めしつれます」

「やってみろ、そちには手ごろな尋ねものじゃ」

人使いの名人、顔を見たとたんに、もう呂宋兵衛をあそばせておかなかった。が、ふしぎな大役たいやく、いいつけられた、呂宋兵衛のほうでも、なんだかムズムズ油がのる。秀吉公ひでよしこうへの目見得めみえの初役はつやく、ぜひ引っからめて見せねばならぬとひそかにちかった。

ましてや、武田たけだ四郎勝頼、伊那丸いなまるの父である。事実、天目山てんもくざんで討死うちじにしていなかったとすれば、天下の風雲、さらに逆睹ぎゃくとすべからざることになる。

般若丸はんにゃまると謎なぞの僧そう

一

里の二月は紅梅こうばいのほころぶころだが、ここは小太郎山こたろうざんの中腹、西をみても東をながめても、駒城こまぎの峰や白間しらまヶ岳だけなど、白皚々はくがいがいたる袖そでをつらねているいちめんの銀世界で、およそ雪でないものは、伊那いなをながるる三峰川みぶがわか、甲斐かいへそそぐ笛吹川ふえふきがわのあおいうねりがあるばかり。

「北国すじへ間者かんじゃにいった、巽小文治たつみこぶんじはどうしたであろう」

「そういえば、東海道へいった山県蔦之助やまがたつたのすけも、もうもどってこなければならないじぶんだが? ……」

小太郎山の山ふところ、石垣いしがきをきずき洞窟どうくつをうがち、巨材きょざい巨石でたたみあげた砦とりでのなかは、そこに立てこもっている人と火気で、室むろのようにあたたかい。

いま、砦の一ヵ所に炎々えんえんと篝かがりをたいて、床几しょうぎにかけながらこう話しているのは、忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろうであった。

「ふたりとも、あまりに日数がかかりすぎる。悪くするとこの雪に道でもふみちがえて凍こごえたのではあるまいか」

「いや、とちゅうには番卒ばんそつ小屋もあり、部落部落には味方もいるから、けっしてそんなはずはない」

「では深入りして徳川家とくがわけのやつに、生けどられたかな」

「蔦之助つたのすけも小文治こぶんじも、おめおめ敵の縄目なわめにかかる男でもなし……きっとなにか大事なことでもさぐっているのだろう。それよりあんじられるのは竹童ちくどうじゃ」

と、龍太郎は眉まゆをくもらせた。

「オオ、竹童といえば、いったいどこへいってしまったのか、とんと尻しりのおちつかぬやつだ」

「しかしあいつのことだから、かならずクロをさがしだして、元気な顔でもどってくるだろうが、この雪や氷の冬のうちを、どこで送っているかと思うと、ふびんでもありしんぱいでならぬ……」

さすがに木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは、兄弟弟子でしの竹童を、明けくれ忘れていないのである。

去年の晩秋――人穴城ひとあなじょうをおとし法師野ほうしのの里に凱歌がいかをあげた武田伊那丸たけだいなまるは、折から冬にかかってきたので、幕下ばっかの旗本はたもとをはじめ二千の軍兵ぐんぴょうをひきいて、ひとまずこの小太郎山へ引きあげたのだ。

しばらくは、この山城で冬ごもりだ。

陣具じんぐをつくり武器をとぎ、英気をやしなわせて、春の雪解ゆきどけをまっている。

で、おん大将をはじめ軍師ぐんしの民部みんぶも、咲耶子さくやこも、みな一家かのごとく団欒だんらんして、この冬をこし、初春はつはるをむかえたのであるが、ただひとり、人気者の竹童がいないのは、なにかにつけて、だれもがさびしく感じていた。

竹童よ、竹童よ。おまえはいったいどこにいるか?

ああ、クロの行方ゆくえがわからないように、竹童のたよりもいっこうわからない――と、いまも龍太郎が灰色の空をあおいで長嘆ちょうたんしていると、バラバラと、砦とりでの柵さくの方から、ひとりの番卒ばんそつがかけてきた。

「木隠こがくれさま! 加賀見かがみさま!」

「なんじゃ」

煙のかげからふたりの声が一しょにおうじた。

「ただいま、巽小文治たつみこぶんじさまと山県やまがたさまが、ふもとのほうからこちらへのぼっておいでになります」

「オオ、かえってきたか!」

ふたりはすぐに篝かがりをはなれて立ち、バラバラと砦の一の柵まで迎えにかけだした。

二

ここは大将の陣座とみえて、綺羅きらではないが巨材きょざいをくんだ本丸づくり、おくには武田菱たけだびしの幕まくがはりまわされ、そのなかにあって、当とうの武田伊那丸たけだいなまるは、いましも、軍師ぐんし小幡民部こばたみんぶから、呉子ごしの兵法図国編へいほうとこくへんの講義こうぎをうけているところであった。

そばには、咲耶子さくやこもいて、氷のような板敷いたじきにかしこまり両手を膝ひざにおいて、つつしんで聞いている。

と――、幕をはらって加賀見忍剣かがみにんけん、

「わが君」

と声をかけた。

「おお忍剣、なんであるな」

「ご講義ちゅうでござりますか」

「いや、兵学のつとめも、ちょうどおわったところじゃ」

「では、せんこく帰陣しました山県やまがた、巽たつみのふたり、すぐこれへ召入めしいれましてもよろしゅうござりましょうか」

「オオ、北国と徳川領とくがわりょうへさぐりにいったふたりのもの、日ごとに帰りを待っていた。すぐここへ呼んでよかろう」

「はッ」

幕をおとして忍剣のすがたが消えると、やがてふたたびその幕がはねあげられ、山県蔦之助やまがたつたのすけと巽小文治たつみこぶんじ、それに龍太郎りゅうたろうと忍剣もつづいて、伊那丸いなまるの前へひざまずいた。

「雪中の細作さいさく、さだめし難儀なんぎにあったであろう」

と伊那丸は、まずふたりの使いをねぎらって、

「順序として、北国筋すじの動静をさきに聞きたい、小文治そちのさぐりはどうであった」

「はッ」

威儀いぎをただして、小文治が復命する。

「多宝塔たほうとうのいただきから、たくみに鷲わしをつかって逃げうせました呂宋兵衛るそんべえは、どうやら、越前えちぜん北きたノ庄しょうを経て、京都へ入りこみましたような形跡けいせきにござります」

「ウーム、京都へ!」

小幡民部こばたみんぶがうなずいた。

「おりから、裾野すそのにいた鏃鍛冶やじりかじの卜斎ぼくさいも、柴田しばたの家中へひきあげて、北庄城ほくしょうじょうでは雪解ゆきどけとともに、筑前守秀吉ちくぜんのかみひでよしと一戦をなす用意おさおさおこたりなく、国境の関せきはきびしい固めでござります」

「それでおよそのようすはわかった……」

と伊那丸いなまるはつぎに山県蔦之助やまがたつたのすけへことばをむける。

「して、東海道のほうにはなんぞかわりはないかの」

「若君――」

すぐ受けて蔦之助、

「容易よういならぬうわさをきいてござります」

といった。

「なに、容易ならぬうわさとな?」

「また徳川とくがわの痩武者やせむしゃどもが、この砦とりでへ攻せめよせてくるとでもいうことか」

忍剣にんけんは気早きばやな肩をそびやかした。

「それとはちがって、世にもふしぎなうわさでござる」

と、蔦之助つたのすけは伊那丸いなまるの顔をあおぎ見ながら、

「――若君、おおどろき遊ばしますな、そのうわさともうすのは、お家いえ滅亡めつぼうのみぎり、あえなく討死うちじにあそばしたと人も信じ、またわれわれどもまでが、うたがって見ませぬ四郎勝頼かつよりさま」

「オオ、父上――その父上がなんとあるのじゃ」

「じつはお討死うちじにとは表向おもてむきで、まことは、天目山てんもくざんの峰みねつづき、裂石山れっせきざん雲峰寺うんぽうじへいちじお落ちなされて、世間のしずまるころをお待ちなされたうえ、このほど身をいぶせき旅僧たびそうにかえられ、ひそかに、京都へお入りあそばした由よしにござります」

「えッ!」

はたして伊那丸のおどろきは一通りではなかった。

勝頼――と父の名をきいただけでも、はやその眸ひとみはうるみ、胸は恋しさにわななくものを、まだ存命ぞんめいときいては、そぞろ恩愛の情じょうあらたにひたひたと胸をうって、歓喜かんきと驚愕きょうがくと、またそれを、怪しみうたがう心の雲が入いりみだれる。

「ではなんといやる、父上にはなおご武運つきず、旅の僧となって、都へおちゆかれたと申すのか――蔦之助もっとくわしゅう話してくれ」

「されば、まだことの虚実きょじつは明確に申しあげられませぬが、東海道――ことに徳川家とくがわけの家中かちゅうにおいてはもっぱら評判ひょうばんいたしております。それゆえ、なお浜松の城下まで入いりこみまして、ふかく実否じっぴをさぐりましたところ、その旅僧たびそうを勝頼かつよりなりといって、隠密組おんみつぐみの菊池半助きくちはんすけ、京都へ追跡ついせきいたしました」

「ウーム、さては真まことにちがいない」

心そぞろに、伊那丸いなまるのひとみは燃もえる。

「意外なこともあるものじゃ。真実しんじつ、勝頼公かつよりこうが世におわすとすれば、武田たけだのご武運もつきませぬところ、若君のよろこびはいうもおろか、われわれにとっても、かようなうれしいことはないが……」

つぶやきながら軍扇ぐんせんをついて、ふかく考えているのは小幡民部こばたみんぶである。しかし、加賀見忍剣かがみにんけんや龍太郎りゅうたろうやまた咲耶子さくやこにいたるまで、みなこの報告を天来の福音ふくいんときいて武田再興たけださいこうの喜悦きえつにみなぎり、春風陣屋じんやにみちてきた。

「京都へまいろう! そうじゃ、すぐ京都へまいってお父上にめぐりあおう!」

なかにも伊那丸は、おさなくして別れた父、なき人とばかり思っていた父――その父の存命ぞんめいを知っては、いても立ってもいられなかった。

「民部、わしはこれよりすぐに京都へまいるぞ、そしてお父上を小太郎山こたろうざんへおむかえ申さねばならぬ」

一刻こくのゆうよもならずと立ちあがった。

「しばらくお待ちあそばしませ」

いつも思慮しりょぶかい小幡民部こばたみんぶ、しずかに、伊那丸いなまるの裾すそへよって両手をついた。

「民部、そちはわしの孝心をとめるのか」

「なんとしてお止とめ申しましょう。若君のお心、そうなくてはならぬところでござります。しかしようお考えあそばせ、元来、徳川家とくがわけには策士さくしの伝言でんごん多く、虚言浮説きょげんふせつは戦国の常、にわかにそれをお信じなされるもいかがかとぞんじます」

「いいや、徳川家の菊池半助きくちはんすけが、それとみた旅の僧そうを、京都まで追いつめていったとあれば、こんどのうわさはうそではあるまい。まんいち、時をあやまって、お父上が、家康いえやすの手にでも捕とらわれたのちには、もうほどこすすべはないぞ、この伊那丸が生涯しょうがいの大不孝となろうぞ」

「おお、ぜひもござりませぬ……」

さすがの民部みんぶにもそれをはばむことはできない。かれはとちゅうの変をあんじ、伊那丸じしんがとおく旅する危険を予感よかんしているが、孝の一言ごん! それをさえぎる文字もじは、兵法にもなかった。

にわかに、旅のしたくがふれだされた。

旅から旅をつぐ道筋みちすじは、みな敵の領土りょうどだ。むろんしのびの旅である――ともは加賀見忍剣かがみにんけん、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうのふたりにきまった。

雪をふんだ一列の人馬が、蟻ありのように小さくくろく小太郎山こたろうざんの砦とりでをくだった。ふもとの野呂川のろがわは富士川へ水つづき、筏いかだにうつった伊那丸と忍剣、龍太郎の三人は、そこで送りの兵をかえし、雪と水しぶきの銀屑ぎんせつを突ッきって、まっしぐらに、東へ東へと下くだっていった。

父にめぐり会あいたさの一心しん、伊那丸いなまるは敵地をぬけ、関せきをかすめて旅する苦しさやおそろしさを思わなかった。

東海道のうら道をぬけて、主従三人が京都へたどりついたのは二月のすえ。おりから伊勢路いせじ一円は、いよいよ秀吉ひでよしが三万の強軍を狩かりもよおして、桑名くわなの滝川一益たきがわかずますを攻めたてていたので、多羅安楽たらあんらくの山からむこうは濛々もうもうたる戦塵せんじんがまきあがっていた。

三

伊勢は戦いくさといううわさだが、京都の空はのどかなものだ。公卿くげ屋敷の築地ついじには、白梅しらうめの香かがたかく、加茂川かもがわの堤つつみには、若草がもえている。

そのやわらかい草のうえに、グタリと足をのばしている少年。ときどき、水をみてはさびしい顔――空をあおいではポロポロと、涙なみだをこぼしている。

「クロ! クロ! こんなにおまえをさがしているおいらをすててどこへかくれてしまったんだい、クロ、もう一どおまえのすがたを見せておくれ。おいらはおまえがいないので、こんなにさびしがっているんだぜ! さがしてさがしぬいて、こんなにつかれているんだぜ!」

鞍馬くらまの竹童ちくどうは空へむかってこう叫んだ。

しかし、その訴うったえに答えてくれるものもなければ、クロの幻影げんえいさえも見えてこない。かれはまたぼんやりと加茂の流れをみつめていた。

すると、往来からこっちへ歩みよってきた男が、

「おい、おまえは竹童ちくどうじゃねえか」

ふいに背なかをたたいていった。

「え?」

と、すこしおどろいた顔をして、その男をふりあおいだ竹童は、へんじをするまえにパッと立ちあがって、般若丸はんにゃまるの柄つかへ手をかけた。

「おいおい、やぼなことをするなよ」

と、男は手をかまえて、飛びのきながら、

「人の面つらをみると、すぐ喧嘩面けんかづらだから怖おッかなくってしようがねえなあ。竹童、おめえとおれとは、なにも仇同志かたきどうしじゃあるめえし、そういつまで根ねを持つことはねえじゃねえか」

としきりとなだめている男は、裾野落すそのおちのひとりである早足はやあしの燕作えんさく。なぜか、きょうにかぎってばかに下手したでだ。

「なあ竹童――じゃあない、竹童さん。そういつまでも怒おこってるのはやぼだぜ。呂宋兵衛るそんべえは没落ぼつらくするし、人穴城ひとあなじょうの住人じゅうにんでもなくなってみれば、おまえとおれはなんの仇でもありゃしねえ。久しぶりで仲よく話でもしようじゃねえか」

竹童ちくどうは純じゅんなものだ。そういわれてまで、かれを敵視てきしする気にもなれないので、意気いきごんだ力抜ちからぬけに、またもとの堤草どてぐさへ腰をおろした。

「みょうなところで会あったなア」

と燕作えんさくもそばへ寄よってきて、

「どうしておまえひとりで、こんなところにぼんやりしているのよ。え? ばかに元気のねえ顔つきじゃねえか」

「クロがいなくなったので、それでがっかりしているんだよ」

「クロ? ……なんだい、クロってえのは」

「おいらのかわいがっていた大鷲おおわし」

「ああなるほど――」

と燕作は手をうって、

「あれならなにもしんぱいすることはねえぜ。泣き虫の蛾次公がじこうが、おまえのすきをねらって、乗りにげしたッていう話だから」

「ところが行方ゆくえが知れないんだもの――しんぱいしずにいられないよ」

「なアに、蛾次公のことだもの、いまにあっちこっちを飛びまわったあげくに、この京都へもやってくるにきまってら。な、そこをギュッと取っつかまえてしまいねえ」

「ああ、おいらもそう思って、北国街道ほっこくかいどうから、雪のふる橡とちノ木き峠とうげをこえて、この京都へきたけれど……まだ鷲の影かげさえも見あたらない」

「そう短気たんきなことをいったってむりだ。ものはなんでもしんぼうがかんじんだからな……おや、そりゃそうと、竹童ちくどうさん、おまえはたいそうすばらしい刀をさしているじゃねえか」

と、燕作えんさくはソロソロ狡獪こうかいな本性ほんしょうをあらわして、なれなれしく竹童の帯おびている般若丸はんにゃまるの鍔つばや目貫めぬきをなでまわしながら、

「こりゃ大たいしたものだ。目貫の獅子ししは本金ほんきんで、鍔つばは後藤祐乗ごとうゆうじょうの作らしい。ウーム……どうだい竹童さん、ものはひとつそうだんだが、その刀をおれに四、五日貸かしてくれないか」

「えッ」

竹童は図々ずうずうしい相手のことばにびっくりして、

「とんでもないこと! この刀は貸すどころか、ちょっとでも肌身はだみをはなすことのできないだいじな品物しなものだよ」

「そんな意地いじの悪いことをいうなよ。じつは裾野すそのを落ちていらい、着きのみ着のままで、路銀ろぎんもなし資本もとでもなし、なにをすることもできずに困こまっているところだ。後生ごしょうだから、その刀を貸してくんねえ。二、三百両にゃ売れるだろうから、そうしたらおまえにも、小判こばんの十枚や二十枚は分けてやるぜ」

「ばかなことをいうとしょうちしないぞ」

「オヤ、こんちくしょう」

と燕作えんさくはグッと腕うでをまくりあげて立ちあがって、竹童の胸ぐらをつかんだ。

「さっきから下手したでにでていればツケあがって、素直すなおにわたさねえとまた痛いたい目に会わすからそう思え」

「おのれ、さてはやさしくいいよって、はじめからこの刀をとろうとしていたんだな」

「知れたことよ。だれが、てめえみてえな山猿やまざるに、ただペコペコするやつがあるものか!」

「ちぇッ、そう聞けばなおのこと、命いのちにかけても般若丸はんにゃまるをわたすものか!」

「命知らずめ、後悔こうかいするなよッ」

もろ手で咽のどをしめつけながら、足がらみをかけて、ドンとねじたおすと、たおれたとたんに竹童が、さっと下から般若丸の冷光れいこうをよこざまにはらった。

「おッとあぶねえ!」

一足そくとびに切きッ先さきをかわして、おのれも脇差わきざしをぬきはらった燕作、陽ひにかがやく大刀をふりかざして、ふたたびタタッ――と斬りこんでくる。

竹童はすばやく跳はねかえって、チャリン! とそれを引ッぱずした。が、それは剣けんの法ではなく、いつも使いなれている棒ぼうの呼吸いきだ。

鞍馬くらまのおくを下おりてから、きょうまでいくたびも生死のさかいを超こえてきたが、ほんものの刀をとって、敵てきと刃交はまぜするのは竹童きょうがはじめての経験けいけんである。なんともいえぬおそろしさだが、またなんともいえぬ壮快そうかいな気分と、必死ひっしの力が五肢しにも刃やいばにもみなぎってくる――

四

「この山猿やまざるめ、味あじなまねをしやがるな」

燕作えんさくは見くびりぬいて上段じょうだんにかまえ、すきをねらって竹童の手もとへ、パッと斬りつける。

鞍馬くらまの竹童、剣道けんどうは知らぬが、胆たんは斗とのごとしだ。

「なにをッ」

と叫さけぶがはやいか、名刀般若丸はんにゃまるを棒ぼうとおなじに心得こころえて燕作の刀へわが刀をガチャッとたたきつけていった。

なんでたまろう、二条じょうの白虹はっこう、パッと火花をちらしたかと思うと、燕作の鈍刀なまくらがパキンと折れて、氷こおりのごとき鋩子きっさきの破片はへん、クルッ――と虚空こくうへまいあがった。

「しまった!」

と燕作、悲鳴ひめいをあげて逃にげだすところを、やっと追おいすがった竹童が、ただ一息ひといきに、斬きりさげようとすると、サヤサヤと葉をそよがせた楊柳かわやなぎのこずえから、雨でもない、露つゆでもない、ただの光でもない、音のない銀の風!

オオ、無数むすうの針はり!

光線こうせんをそそぐがごとくピラピラピラピラ! と吹きつけてきて竹童の目、竹童の耳、竹童の毛穴けあな、ところきらわずつき刺ささッた。

「ウーム?」

と息いきぐるしい悶絶もんぜつの一声ひとこえ。

さすが気丈きじょうな怪童子かいどうじも、その一瞬しゅんに、にわかにあたりが暗くらくなった心地ここちがして、名刀般若丸はんにゃまるをふりかぶったまま、五肢しを弓形ゆみなりに屈くっして、ドーンとうしろへたおれてしまった。

「ざまをみやがれ、すなおに渡わたしてしまえばいいに、おあつらえどおりに、苦くるしい目を見やがった」

セセラ笑って、ひっ返した早足はやあしの燕作えんさく、歯はがみをする竹童の胸板むないたに足をふんがけて、つかんでいる般若丸はんにゃまるを力まかせに引ったくった。

そして、ニヤリと刃渡はわたりをながめていると、ふいにだれか、えりくびをムズとつかんだ。

「あッ、なにをするんだ」

いうまもなかった。

フワリと足が大地をはなれたとたんに、かれのからだは宙ちゅうをかすって、堤どての若草を二、三間げんさきへズデンともんどり打っている。

「ア痛いたッ」

と跳はねおきて見ると、いつの間まにそこへきたか、網代あじろの笠かさを眉深まぶかにかぶったひとりの旅僧たびそう、ひだりに鉄鉢てっぱちをもち、みぎに拳こぶしをふりあげて、

「こりゃ、かような少年をとらえてなんとするのじゃ」

はッたと睨ねめて、よらばふたたび投げつけそうな構かまえである。

「おや、この乞食坊主こじきぼうずめ、よくも生意気なまいきな手だしをしやがったな!」

うばい取った般若丸はんにゃまるを持ちなおして、いきなり燕作えんさくが斬きってかかると、旅僧はやすやすと体をかわして、手もとへよろけてきた小手をピシリと打った。――燕作はしたたかに手首てくびをうたれて、ホロリと刀を落としたので、それをひろい取ろうとすると、ふたたびヤッ! というするどい気合い、こんどは堤どての下へつき落とされた。

ズルズルとすべり落ちたが、まだ性しょうこりもなく起きあがって、いまの仕返しかえしをする気でいると、ひとりとおもった旅僧のほかに、まだ同じすがたの行脚僧あんぎゃそうがふたり、すぐそこにたたずんでいたので、

「あッ、いけねえ!」

とばかり一もくさん、堤のしたを縫ぬって逃にげだしてしまった。

そのうしろすがたのおかしさに、ふたりの僧そうは見おくりながら、

「ははははは」

とほがらかに笑い合う。

と、堤の上から先のひとりの僧が降おりてきて、燕作のすてていった般若丸はんにゃまるをたずさえてきて、

「この太刀たちを見おぼえはござりませぬか……」

膝ひざをおって、丈せいのたかい僧そうのひとりへさしだした。

網代笠あじろがさにかくされて、僧そうのおもざしはうかがいようもないが、丸まるぐけの紐ひもをむすんだ口もとの色白く、どこか凛々りりしいその行脚僧あんぎゃそうは、衣ころものそでで陽ひをよけながら、ジイッと刃やいばをみつめていたが、やがてきわめてひくい声で、

「さてさて珍めずらしい刀をみることじゃ」

感慨無量かんがいむりょうな語調ごちょうをこめて、瞳ひとみもはなたずつぶやいた。

「見るもなつかしいことである。これはまぎれもなき伊那丸いなまるの守まもり刀がたな……」

「わたしも、しかとさように心得こころえますが」

「つきぬ奇縁きえんじゃ……おもえばふしぎな刀とわが身のめぐりあわせのう」

「御意ぎょいにござります、あれにたおれている少年を介抱かいほうして、ひとつしさいをただしてみましょうか」

「いや、世をしのぶ身じゃ。それはソッと少年の鞘さやにもどしておいたほうがよい」

「しかしなにやら、苦くるしんでおりますものを、このまま見捨みすててまいるのもつれないようにぞんじますが」

「オオ、では、河原かわらの水でもすくってきてやれい。じゃが、夢ゆめにも刀のことはきかぬがよいぞ。訊きけばこなたの素性すじょうも人に気けどられるわけになる」

「しょうちいたしました……」

と、ひとりが河原かわらへ下おりていくと、ひとりは竹童ちくどうを抱だきおこして活かつをいれ、口に水をあたえただけで、ことばはかけずにスタスタといき過すぎてしまった。

「ア痛つ……どなたですか……ありがとうございました。ありがとうございました……」

竹童は遠退とおのく跫音あしおとへいくども礼れいをいったが、両手りょうてで顔をおさえているので、それがどんな風ふうの人であったか、見送ることができなかった。

顔をおさえている指のあいだから、タラタラと赤い血の筋すじ……

「あ痛つッ……」

と片手かたてさぐりに河原の水音をたどっていった竹童、岩と岩との間から首をのばして、ザアッと流れる水の瀬せで血汐ちしおをあらい、顔をひやし、そして目や髪かみの毛のあいだに刺ささッた針はりを一本ずつ抜いてはまた目を洗っていた。

そのあいだに――以前いぜんの場所の楊柳かわやなぎのこずえから、ヒラリと飛びおりたひとりの女がある。

女といってもお婆ばあさんだ。修道士イルマンの服ふくをかぶった蚕婆かいこばばあ――。

くろい頭巾ずきんの中から、梟ふくろのような目をギョロリとさせて、柳やなぎがくれに遠去とおざかる三つの網代笠あじろがさを見おくっていたが、やがてウムとひとりでうなずいた。

いつか河原は暮くれている――

青いぶきみな妖星ようせいが、四条じょうの水にうつりだした。

伊勢路いせじに戦いくさのあるせいか、日が沈しずんだのちまでも東の空だけはほの赤い。

「あいつだ! たしかにあいつにちがいない!」

こうさけんだ蚕婆かいこばばあ、妖霊星ようれいせいをグッとにらんで、しばらく首をかしげていたが、まもなく、黒い蝶々ちょうちょうが飛ぶように、そこからヒラヒラと走りだした。

南蛮寺なんばんじ百鬼夜行ひゃっきやこう

一

空にはうつくしい金剛雲こんごうぐも、朱雀すざくのはらには、観世水かんぜみずの小流ささながれが、ゆるい波紋はもんをながしている。

月はあるが、月食げっしょくのような春のよい――たちこめている夜霞よがすみに、家も灯ともしびも野も水も、おぼろおぼろとした夜であった。いつともなく菊亭右大臣家きくていうだいじんけの釣つり橋ばしにたたずんだ三人づれの旅僧たびそうは、人目ひとめをはばかりがちに、ホトホトと裏門の扉とをおとずれていた。

「はて、まだ答いらえがござりませぬが、どうしたものでござりましょう」

やがて、当惑とうわくそうにつぶやく声がきこえた。

「まえもって、密書みっしょをさしあげてあることゆえ、館やかたにはとくよりごぞんじのあるはずだが……」

「あまりあたりをはばかりますゆえ、まだ詰つめ侍ざむらいが気がつかぬのでござりましょう。どれ……」

となかのひとりが、こころみにまた、閂かんぬきをガタガタゆすっていると、こんどは、その合図あいずがとどいたとみえて奥にもれていた小鼓こつづみの音ねがはたとやみ、同時に人の跫音あしおとがこなたへ近づいてくるらしい。

ギイ……とうちから裏門うらもんの扉とがあかった。

ななめに、紙燭ししょくの黄色い明かりがながれた。その明かりに、泛ういた僧形そうぎょうのかげを見ると、顔をだした公卿侍くげざむらいは、

「や! これは?」

とおどろいたさまで、すぐに、ふッとかざしてきた紙燭を吹きけしてしまった。

「意外にお早いお着つき、お館やかたさまもお待ちかねでござります。いざ……」

あたかも、貴人きじんの微行びこうでも迎むかえるように、いんぎんをきわめて、扉とのすそにひざまずいた。網代笠あじろがさをかぶった三人の僧形は、黙々もくもくとして、その礼れいをうけ、やがてあんないにしたがって、菊亭殿きくていどのの奥へ、スーッと姿すがたをかくしてしまった。

ふたたび閉しめきられた裏門うらもんは、秘密ひみつをのんでものいわぬ口のようにかたく封ふうじられた。夜はふけてくるほど、草にも花にも甘あまい香かが蒸むれて、あとはただ釣つり橋ばしの紅梅こうばいが、築地ついじをめぐる水の上へ、ヒラ、ヒラと花びらくろく散りこぼれているばかり。

すると、その濠ほりぎわの木のかげから、ツイとはなれた人影ひとかげがあった。黒布こくふをかぶった妖婆ようばである。いうまでもなく、それは加茂かもの堤どてから、三人の僧そうをつけてきた蚕婆かいこばばあ――

修道士イルマンすがたの黒いかたちが、朧月おぼろづきの大地へほそながく影かげをひいた。婆ばばあはヒラヒラと釣つり橋ばしのそばまできて、かたく閉とじた裏門うらもんを見まわしていたが、やがて得意とくいそうに「ひひひひひひひひ」と、ひとりで笑いをもらした。

「あれだあれだ、やっぱりわしの目にまちがいはなかったぞよ。あの三人の僧侶そうりょのうちのひとりがたしかに武田勝頼たけだかつより、あとのふたりは家来けらいであろう。うまく姿すがたをかえて天目山てんもくざんからのがれてはきたが、もうこの婆ばばあの目にとまったからには、運うんのつき……すこしも早く、呂宋兵衛るそんべえさまへ、このことを知らさなければならぬが、めったにここをはなれて、また抜ぬけだされたら虻蜂あぶはちとらずじゃ、ええ、あの半間はんまの燕作えんさくのやつ、いったいどこへいってしまったのだろう」

ブツブツ口小言くちこごとをいいながら、濠ほりのまわりをいきつもどりつしていると、向こうから足をはやめてきた男が、ひょいと木を楯たてにとって、

「だれだ! そこにいるなあ?」

と、ゆだんのない目を光らした。

「おや、おまえは燕作じゃないか」

「なアんだ、婆ばあさん、おめえだったのか」

と、声に安心して、早足はやあしの燕作、木のそばをはなれて蚕婆かいこばばあのほうへのそのそと寄よってきた。

「どうしたんだい、半間にもほどがあるじゃないか」

と婆ばばあは燕作えんさくを息子むすこのように叱しかりつけて、

「竹童ちくどうみたいな小僧こぞうには斬きりまくられ、旅僧たびそうににらまれればすぐ逃にげだすなんて、いくら町人ちょうにんにしても、あまり度胸どきょうがなさすぎるね」

「婆ばあさん婆さん、そうガミガミといいなさんな。あれでも燕作にしてみりゃ、精せいいっぱいにやったつもりなんだが、なにしろ竹童のやつが必死ひっしに食くってかかってきたので、すこし面食めんくらったというものさ。だがおまえが木の上にかくれていて、れいの針はりをふいてくれたので大助かりだッたぜ」

「そうでもなければ、おまえさんは、あんな小さな者のために、般若丸はんにゃまるのためし斬りにされていたろうよ」

「まったく! あいつは鷲乗わしのりの名人だとは思ったが、剣道けんどうまで、アア上手じょうずだとは夢ゆめにも気がつかなかった」

「なアに竹童は剣術けんじゅつなんて、ちっとも知っていやしないのだけれど、おまえのほうが弱過よわすぎるのさ。だがまア、そんなことはもうどうでもいいや、燕作さんや、一大事だいじが起ったよ」

「え? またいそがしくなるのかい」

「用をたのみもしないうちから、いやな顔をおしでないよ。おたがいにこれが首尾しゅびよくいけば、呂宋兵衛るそんべえさまも一国こく一城じょうの主あるじとなり、わたしや、おまえも秀吉ひでよしさまからウンとご褒美ほうびにありつけるんじゃないか、しっかりしなくッちゃいけないよ」

「合点がってん合点。ところでなんだい、その一大事とは」

「それはね……」

婆ばばあはギョロリと館やかたのほうへ目をくばってから、燕作えんさくのそばへすりよって、その耳へ口をつけてなにやらひそひそとささやきだした。

しばらく、目を白黒させて聞いていた燕作。

「えッ、じゃさっきの旅僧たびそうが、天目山てんもくざんからのがれてきた勝頼かつよりだったのか」

「しッ……」

その素頓狂すとんきょうな声をおさえつけて、

「わたしはここに見張みはっているから、はやくこのことを呂宋兵衛るそんべえさまに知らせてきておくれ。こんな役目やくめはおまえさんにかぎるのだから」

「よしきた! おれの足あしなら一足そくとびだ」

「そして、すぐに手配てはいをまわすようにね」

「おッと心得こころえた!」

いうが早いか燕作は、朱雀すざくの原をななめにきッて、お手のものの韋駄天いだてんばしり、どこへ駈かけたか、たちまち、すがたは朧おぼろの末すえにかくれてしまう。

あとにのこった蚕婆かいこばばあは、黒い袖そでを頭からかぶって、釣つり橋ばしのかげにピッタリと身みをひそめている。そして菊亭殿きくていどのの奥おくのようすをジッと聞きすましているらしかったが、ひろい大殿作おおとのづくりの内からは、あれきり鼓つづみの音ねも人声ももれてはこず、ただ花橘はなたちばなや梅の香かに、ぬるい夜風がゆらめくのを知った。

二

駈かけるほどにいくほどに、早足はやあしの燕作えんさくは、さっさつたる松風まつかぜの声が、しだいに耳ちかくなるのを知った。臥龍がりゅうに似たる洛外天らくがいてんヶ丘おかのすがたは、もう目のまえにおぼろの空をおおっている。

「アア、息いきがきれた……」

よほどいそいだものと見えて、さすがの燕作も、そこでホッと一息ひといきやすめた。

丘おかはさして高くはないが、奇岩きがん乱石らんせきの急勾配きゅうこうばい、いちめんに生おいしげっている落葉松からまつの中を、わずかに、石をたたんだ細道ほそみちが稲妻形いなずまがたについている。

「どりゃ、もう一息――」

というと燕作は、兎うさぎのようにその道をピョイピョイと登のぼりだした。やや中ごろまでのぼってくると、道は二股ふたまたに分れて右をあおぐと、石壁いしかべの堂どうに鉄骨てっこつの鐘楼しょうろうがみえ、左をあおぐと、松のあいだに朱あかい楼門ろうもんがそびえていた。燕作はひだりの朱門あかもんへさして駈かけのぼった。

これこそ、有名な洛外天ヶ丘の朱門。

なんで有名かといえば、その門作もんづくりがかわっているためでもなく、風光明媚ふうこうめいびなためでもない。ここのいただきの平地に、織田信長おだのぶながの建立こんりゅうした異国風いこくふうの南蛮寺なんばんじがあるからである。

まだ信長の世に時めいていたころは、長崎ながさき、平戸ひらど、堺さかいなどから京都へあつまってきた、伴天連バテレンや修道士イルマンたちは、みなこの南蛮寺なんばんじに住んでいた。そして仏教ぶっきょうの叡山えいざんにおけるがごとく、ここに教会堂きょうかいどうを建て、十字じ架かの聖壇せいだんをまつり、マリヤの讃歌さんかをたたえて、朝夕、南蛮寺のかわった鐘かねの音ねが、京都きょうとの町へもひびいていた。

しかし、本能寺ほんのうじの変へんとどうじに、異国いこくの宣教師せんきょうしたちは信長というただひとりの庇護者ひごしゃをうしなって、この南蛮寺も荒廃こうはいしてしまった。そして無住むじゅうどうようになっていたので、秀吉ひでよしは呂宋兵衛るそんべえに、天てんヶ丘おかへ居住きょじゅうすることをゆるした。だが、南蛮寺をおまえにやるぞとはいわない。しばらくのあいだ、あれに住めといったばかり、要するに呂宋兵衛は、荒廃こうはいした南蛮寺の番人ばんにんにおかれたわけである。

だが、慾よくのふかい呂宋兵衛は、もう南蛮寺を拝領はいりょうしたようなつもりで、すっかりここに根を生はやし、またボツボツと浪人者ろうにんものを山内さんないへあつめて、あわよくば、一国こく一城じょうの主あるじをゆめみている。

だから、むろん、祭壇さいだんはあれほうだいだし、もとの教会堂きょうかいどうには、槍やりや鉄砲てっぽうをたくわえこみ、うわべこそ伴天連バテレンの黒布こくふをまとっているが、心は、人穴ひとあな時代からかわりのない残忍ざんにんなるかれであった。

「よくいう諺ことわざに、天道てんとうさまと米の飯めしはつきものだというが、まッたく世のなかはしんぱいしたものじゃない。人穴城ひとあなじょうがなくなったと思えば、こんないい棲家すみかがたちまちめっかる。わはははは、富士の裾野すそのだの大江山おおえやまだのにこもっているより、いくら増ましだか知れやしねえ。しかもこんどは、羽柴秀吉はしばひでよしから公おおやけにゆるされているのだからなおさら安心、しかし、だれもかれも、悪事をやるなら上手じょうずにやれよ、裾野すそのとちがって都みやこのなか、あの秀吉ににらまれると、おれもすこし困こまるからな」

広間ひろまには、燃もえるような絨氈じゅうたんをしきつめてあった。そこは南蛮寺なんばんじの一室。四方ほうに大きな絵蝋燭えろうそくをたて、呂宋兵衛るそんべえは、中央に毛皮けがわのしとねをしき、大あぐらをかいて、美酒びしゅをついだ琥珀こはくのさかずきをあげながら、いかにも傲慢ごうまんらしい口調くちょうでいった。

「なあ昌仙しょうせん、そんなものじゃないか」

「仰おおせのとおり、こうなるのも、頭領かしらのご武運のつよい証拠しょうこでござる」

そばにいて、相槌あいづちを打ちながら、頭をさげた武士の容形なりかたち、どこやら、見たようなと思うと、それもそのはず、人穴落城ひとあならくじょうのときに、法師野ほうしのまでともに落ちてきて別れわかれになった軍師ぐんし、丹羽昌仙にわしょうせんだ。

席せきには、昌仙以外にも、人穴城から落ちのびてきた野武士のぶしもあり、あらたに加わったやくざ浪人ろうにんもいならんでその数四、五十人、呂宋兵衛るそんべえのお流ながれをいただきながらどれもこれも、軽薄けいはくなお追従ついしょうをのべたてている。

三

ところへ、朱門あかもんをぬけて、本堂ほんどうの階段かいだんからバラバラと駈かけあがってきたのは早足はやあしの燕作えんさく。

「お頭かしら、とうとう目めっけてまいりました」

と、廻廊かいろうのそとへ、膝ひざをついて大汗おおあせをふいた。

「おう、燕作えんさくか」

と、呂宋兵衛るそんべえは、大広間おおひろまからかれのすがたを見て、

「目っけてきたとは吉報きっぽうらしい。ではなにか、勝頼かつよりの在あり家かが、知れたというのか」

「へい……それなんで」と燕作は、唾つばで喉のどをうるおしながら、

「じつあ、きょうも、それを探索たんさくするために、蚕婆かいこばばあとふたりで、加茂川かもがわの岸をブラブラ歩いていると、ごしょうちでがしょう、あの鞍馬くらまの竹童ちくどうのやつがボンヤリ堤どてに腰かけていたんです。見ると、すがたに似合にあわぬ名刀をさしているので、こいつ一番セシめてやろうと、蚕婆はやなぎの木の上にかくれ、わっしはそしらぬ顔で、なれなれしく話しかけたものです」

「やいやい、燕作!」

ふいに呂宋兵衛が魔まのような口を開いてさえぎった。

「バカ野郎やろうめ。目っけたというのはその竹童のことをいうのか。ふざけやがッて! だれがあんな小僧こぞうをさがせといいつけたのだ」

「ま、ま、待っておくんなさい」と燕作はちぢみあがってどもりながら、

「その竹童のことは、話の順序じゅんじょなんで……じゃ、てッとり早ばやく本筋ほんすじをもうしあげます。そこへ通りかかった三人の旅僧たびそう、挙動きょどうがあやしいので蚕婆かいこばばあがつけていくと、朱雀すざくの原の……ええと……なんといッたっけ……おおそれそれ菊亭右大臣きくていうだいじんという公卿屋敷くげやしきの裏門うらもんから、こッそり姿をかくしました。そのうちのひとりは、たしかに、武田勝頼たけだかつよりにそういないから、すぐこのことを、呂宋兵衛るそんべえさまにお知らせもうせという蚕婆からの言伝ことづてなんで」

「ウーム、そうか……」

と、呂宋兵衛はやっとまんぞくそうにうなずいたが、まだうたがい深い顔をして、

「どうだろう、昌仙しょうせん、そいつアたしかに勝頼かしら?」

「さよう……」

と丹羽昌仙にわしょうせん、じッとうつむいてかんがえていたが、なにか思いあたったらしく、丁ちょうと膝ひざをうって、

「たしかにそういござるまい!」

と断言だんげんした。

「どうしてそれがわかるのだ」

「そのわけは、菊亭家きくていけと、武田たけだの祖先そせんとは、縁戚えんせきのあいだがら。のみならず、勝頼の祖父信虎のぶとらとは、ことに親密しんみつであったよしを、耳にいたしました。さすれば、いま天下に身のおきどころのない、落人おちゅうどが、そこをたよってくるのは、まことに自然しぜんだとかんがえます」

「なるほど、ウム……さてはそうか!」

と呂宋兵衛るそんべえは、昌仙しょうせんの説せつをきいて、それこそ、落人おちゅうど勝頼かつよりの化身けしんにちがいなかろうと、大きく一つうなずいた。

で、すぐに、それを召めしとる方法を議ぎしはじめたが、昌仙にも名案めいあんがなくなかなかそうだんがまとまらない。なぜかといえば、菊亭右大臣きくていうだいじんともある堂上どうじょうの館やかたへ、うかつに手を入れれば、後日ごじつ朝廷ちょうていから、どんなおとがめがあるかもしれないから――これは秀吉ひでよしじしんの手をもってしても、めったなことはできないのであろう。

といっても、あのやかましい秀吉から、その捕縛ほばくをいいつけられている呂宋兵衛は、なんとしても、勝頼を秀吉の面前へ拉致らっちしていかなければ、たちまち、かれの信用が失墜しっついすることになる。

――策さくはないか! 策はないか! なにかいい名策めいさくはないか! と呂宋兵衛はややしばらく、額ひたいを押おさえて考えこんでいたが、やがてのこと、

「うむ、どうしても、こよいをはずしてはなおまずい。昌仙、耳を……」

決断けつだんがついたか、あの大きな碧瞳へきどうをギョロリと光らし丹羽昌仙の耳もとへなにかの計略はかりごとをささやいて、ことばのおわりに、

「よいか!」

ときつく念ねんをおした。

「ご名案めいあん、心得こころえました」

「ではさきにでかけるぞ、燕作えんさく、その菊亭きくていの館やかたへあんないをしろ」

呂宋兵衛るそんべえは、くろい蛮衣ばんいをふわりとかぶって立ちあがり、早足はやあしの燕作をさきにたたせて、風のごとく、天てんヶ丘おかから駈かけだした。

満山まんざんを鳴らして、ゴーッという一陣じんの松風が、朧月おぼろづきへ墨すみをなすッてすぎさった。と、呂宋兵衛が、立ちさったのち、――南蛮寺なんばんじの絵蝋燭えろうそくは一つ一つふき消されて、かなたこなたから狩かりだされた四、五十人の浪人ろうにんが、いずれも覆面黒装束ふくめんくろしょうぞくになって、荒廃こうはいした石壁いしかべの会堂かいどうへあつまってくる。

ガチャン! という錠前じょうまえをはずす音。ガラガラとおもい鉄の扉とを開あけるひびき――。そして狼おおかみが食くい物へとびつくかのように、覆面の者どもが一せいにそのなかへゾロゾロはいると、たちまち鉄砲てっぽう、鉄弓てっきゅう、槍やり、捕縄とりなわなど、おもいおもいな得物えものをえらび、丹羽昌仙にわしょうせんの指揮しきにみちびかれて、百鬼夜行ひゃっきやこう! 天ヶ丘からシトシトと京の町へさしてまぎれだした。

木この葉は笛ぶえ竹童ちくどう嘲歌ちょうか

一

風もないのに、紅梅こうばいや白梅はくばいの花びらが、釣つり橋ばしの水に点々てんてんとちって、そのにおいがあやしいまで闇やみにゆらぐ。――と、更ふけわたった菊亭家きくていけの裏門うらもんのあたりから、築土ついじをこえて、ヒラリと屋敷やしきのなかへ忍しのびこんだ三つの人かげがある。

月つきヶ瀬せの景趣けいしゅをちぢめたような庭作り、丘おかあり橋はしあり流れあり、ところどころには、蟇がまのような石、みやびた春日燈籠かすがどうろうの灯ひが、かすかにまたたいていた。

その館やかたの奥庭おくにわを、もののかげからかげへ、暗くらがりから暗がりへ、ソロ……ソロ……と息いきをころして忍しのんでいった三つの影かげは、やがてひろい泉水せんすいの縁ふちへでて、たがいになにかうなずき合いながら、ひとりは右へ、ひとりは左へ、別れわかれに姿すがたをかくして、そこにうッすらと立ちのこったのは、和田呂宋兵衛わだるそんべえだけになった。

呂宋兵衛はじッとたたずんで、泉水のなかほどをみつめていた。そこには泉殿いずみどのとよぶ一棟ひとむねの水亭すいていがある。泉いずみの亭ていの障子しょうじにはあわい明かりがもれていた。その燈影とうえいは水にうつって、ものしずかな小波さざなみに縒よれている。

「…………」

呂宋兵衛は唇くちびるだけをうごかして、印咒いんじゅのまなこを閉とじだした。と思うと、そッと足もとの小石をとって、池のなかへ、ポーンと投げる。

「あ!」

とおどろいたような声が、泉の亭のなかからもれ、池に面した塗ぬり骨ぼねの障子しょうじがスッと開あいた。

その部屋へやから、なかば身をさしだして、音のした池の面もをながめたのは、館やかたの菊亭右大臣晴季公きくていうだいじんはるすえこうで、そのまえには、さっきの僧そうのひとりが対坐たいざし、ふたりの僧は、末すえのほうにひかえているらしかった。

「なんじゃ……」

晴季はるすえは微笑びしょうをふくんで、波紋はもんのなかにしずんでいく魚うおのかげを見ながら、

「緋鯉ひごいであったそうな……ごあんじなさるまい」

こういって、またピシャリと障子しょうじをしめてしまった。

ところが――そのわずかもわずか、ほんの目まばたきするあいだに、泉いずみのふちに立っていた呂宋兵衛るそんべえのすがたが忽然こつぜんと消きえてしまった。いや、消えてしまったのではない。水遁すいとんの秘法ひほうをもちいて、泉殿いずみどのの橋はしをわたり、いつのまにか、晴季や僧そうたちのいる室へやのどこかに忍しのびこんでいたのだ。

とも知らず――晴季は、障子しょうじを閉しめてほッとしたもののように、また小声で、目のまえにいる僧形そうぎょうの貴人きじんへ話しかけていたことばをつづける。

「いや、なにごとも時世時節ときよじせつ……こうおあきらめがかんじんじゃ。あのような水音にさえ、はッと心をおくお身の上、さだめしおつらかろうとお察さっし申すが、またいつか天運のお恵めぐみもあろうでな。まずそれまではご一身しんこそなによりの大事、かならず早まったことをなさらぬがようござる」

「お情なさけ、かたじけのう思います」

正面にすわった僧形の貴人は、ことばすくなに沈んでいた。これ、はたして武田勝頼たけだかつよりその人であるか否いなかは、あまりに、主客の対話たいわがかすかで、にわかに判はんじがたいのである。しかし短檠たんけいの光に照らされたその風貌ふうぼうをみるに、色こそ雨露うろにさらされて下人げにんのごとく日にやけているが、双眸そうぼうらんとして人を射いるの光があり、眉色びしょくうるしのごとく濃こく、頬麗きょうれい丹脣たんしんにして威いのあるようす、どうみても、尋常人じんじょうじんでないことだけはたしかである。

「とにかく、いちじこうなされてはどうであろう……」

晴季はるすえは、さらにいちだんと声をひくめて、

「嵯峨さがの仁和寺にんなじに、麿まろの親身しんみな阿闍梨あじゃりがわたらせられるほどに、ひとまずそれへお越こし召めされて、しばらくは天下の風雲ふううんをよそに、世のなりゆきを見ておわせ。そしてご武運ぶうんだにあらば、機おりを待ってまたの大事をお計はかりなさるのがなによりの万全ばんぜんじゃ。……晴季はそう思うが、御意ぎょいのほどはどうおわすの?」

「しごくなお計はからい……いまの身になんのかってな我意がいを申しましょうぞ。よろずとも、よろしきようにお願ねがいするばかりじゃ」

「では、追おい立てるようではあるが、ここの館やかたは召使めしつかいどもも多いことゆえ、夜明けをまって一刻こくもはやく嵯峨へお身を落ちつけあそばしたほうがよい、麿から阿闍梨どのへ、しさいに頼たのみ状じょうを書いておきますでの……」

こういって晴季はるすえは、千鳥棚ちどりだなの硯筥すずりばこと懐紙かいしを取りよせ、さらさらと文言もんごんをしたためだした。ところがいつになく筆ふでがにぶって、書いているまに頭脳あたまがボーと重くなり、さながらムシムシとした黒い霧きりに身をつつまれているようなだるさをおぼえてきた。

はッとして、こころを冴さえ澄すまそうとした。そしてなにげなく見まわすと、まえの人は端然たんぜんとしているが、ふたりの従僧じゅうそうは坐ざしながら、われをわすれていねむっている。

「奇怪きかいな!」

晴季はるすえはクルクルと手紙をまいてゆだんのない目をみはった。とたんに、三人の僧そうたちも、なにかいいしれぬ魔魅まみの気けにおそわれているのを知って、無言むごんのまま、ジロジロと部屋へやのすみずみをみつめ合った。

しかし、短檠たんけいのかげ、棚たなのかげ、調度ちょうどのもののかげのほか、あやしいというものの影かげは見あたらない。

「では……」

と晴季は、したためた手紙を僧の手にわたした。――とはるかに、ガラガラと戸をあける音や、人声のザワめきや、また牛車ぎゅうしゃの轍わだち、鶏とりの声など、夜明けを知らせる雑音ざつおんが、入いりまじって、かすかに聞えだしてきた。

「はてな? まだ夜明けにしては、あまり早すぎるが」

ふと、池の面もの障子しょうじをひらいてみると、いつか暁あかつきの光が、ほのぼのと水にういて、あなたこなたの庭木の花さえ、しらじらと明けはなれている。

「オオ、不覚ふかく不覚、あまり話に身がいって、時刻じこくのたつのを忘れていたとみえる」

「ではお館やかた、人目にたたぬうちお暇いとまをいたす」

「お疲つかれでもあろうが、昼のおでましは、かなわぬおからだ、すぐにお立ちがよろしかろう」

にわかに取りいそいで、三人の僧そうはそこから、網代笠あじろがさをかぶり、菊亭晴季きくていはるすえに見おくられて、泉殿いずみどのから池いけの橋はしをわたってきた。

すると、四人が橋を渡りおえるとともに、いまがいままで、さえざえと夜明けの光をたたえていたあたりは、また、どんよりとしたおぼろ月夜づきよとなり、人声や車の雑音ざつおんもバッタリ聞えなくなった。

「や、や? ……」

立ちどまっていると、ものかげから、ひとりの男、すがたは見せずに、

「お館やかたさま」と、声をかけた。

「だれじゃ」

「番ばんの者でござります」

「ウム、門まわりの小者こものか。して、なにか変ったことはないか」

「忍しのびの者ものが入いりこみました」

「なに、忍びの者?」

「はい、徳川家とくがわけの菊池半助きくちはんすけというしのびの名人が」

「なんという! すりゃ一大事じゃ」

「世をしのぶ危あぶないお方かた、はやくお落としなさいませ。早く、早く、早く……」

「ウム、そちが裏門うらもんをあけてご案内あんないしてさしあげい。かならずそそうのないように」

「心得こころえました。さ、こちらへ……」

ガサガサと木この葉はをわけて、男がさきに立ったので、三つの網代笠あじろがさが晴季はるすえに目礼もくれいをしてついていった。

が晴季は、そのあとで、ふと不安な疑念ぎねんにおそわれたか、小走りに僧そうたちのあとを追おうとした。するとそのとたんに、かれは背なかから、何者かに、ペタリと抱だきつかれて、蝙蝠こうもりの翼つばさのようなものに、さえぎられてしまった。

「だれじゃ、麿まろを止とめるものは」

ふりはなそうとしたが、その力はねばり強く抱きすくめていた。さては! と感じたので、晴季は前差まえざしの小太刀をぬいて、ピュッと一揮きに、

「曲者くせもの!」

力まかせに後ろにはらった。

「ひッ……」

とさけんで四尺ばかり、まッ黒なかげが、身をはなれた。みると、黒衣こくいの妖婆ようば。――晴季の切きッ先を跳とびのくが早いか、乱杭歯らんぐいばの口を、カッと開いて、ピラピラピラピラ! と目にもとまらぬ針はりをふいた。

二

妖婆ようばの吹き針に目をつぶされて、なにかたまろう、菊亭晴季きくていはるすえはウームとそこへ気をうしなってしまった。

と、すぐにまたそこへ一つの人かげ、ヒラ――とこなたへかけてきて、

「婆ばばあ、いそげ!」

と、あとには目もくれずに、屋敷やしきのそとへ走りだした。いうまでもなく、呂宋兵衛るそんべえと蚕婆かいこばばあで、さきに、屋敷の小者こもののふりをして、貴人きじんの僧そうをさそいだしていったのは、早足はやあしの燕作えんさくであった。

その燕作は、いましも、三人の僧を早く早くと急せかしながら、朱雀すざくの馬場ばばを右にそって、しだいに道を天てんヶ丘おかの方角へとって駈かけている。

「待てまて、小者まて!」

従僧じゅうそうのひとりが、ふいに足をとめて、

「こうまいっては、嵯峨さがの方向とはまるで反対はんたいではないか。仁和寺にんなじへまいるのであるぞ」

「心得こころえております」

「心得ておりながら、なんでかようなところへ、あんないするのじゃ」

「まアだまって、わっしについておいでなさい。どうせあなたがたは、甲州こうしゅうの田舎者いなかもの、都のみちは、ごあんないじゃありますめえが」

「まだ、いうか」

飛びかかッた従僧じゅうそうのひとり、燕作えんさくの襟えりがみをつかんでグッとうしろへ引きたおした。

「無礼ぶれいなやつめ、甲州こうしゅうの田舎者いなかものとはなにをいうのじゃ、おそれ多くもこれにわたらせらるるは……」

怒いかりのあまり、口をすべらしかけると、別のひとりがハッとしたようすで袖そでをひいた。

「ええ、なにをするんだッ」

燕作は、よろけながらヤケになって大声にわめいた。

「そのことばが、甲州こうしゅうなまりだから、甲州の田舎者といったのがどうした、甲州も甲州、二十七代もつづいた武田たけだの落人おちゅうど、四郎勝頼かつよりはてめえだろう!」

「あッ、こやつ――」

声と一しょに従僧の手から、隠かくし差ざしの一刀が、サッとのびて燕作の肩かたをかすった。

「おッとあぶねえ」

燕作は、バッと五、六間けんほど、泳およぐようにつんのめっていきながら、ピピピピピ……と合図あいずの呼子よびこをふいて逃にげた。――と思うと八方から、おどりたった覆面ふくめんの浪人ろうにんどもが、

「落人待った!」

「武田勝頼! ご用!」

「天命てんめいはつきたぞ」

口々に呼よばわりながら、ドッと三人の僧侶そうりょをとりかこんだ。

「ちぇッ、さては早くも……」

歯はぎしりを噛かんだふたりの従僧じゅうそう、網代笠あじろがさをかなぐり捨すて、大刀をふりかぶって、主僧しゅそうの身をまもり、きたるをうけて槍やりや刀をうけはらった。

いつか白刃しらははみだれ合って、朱あけになったふたりの従僧は、別れわかれの渦うずに巻まきこまれてしまった。そして、すきをねらった一本の飛縄ひじょうが、松のこずえからピューッと風をきってきたかと思うと、かれらの主しゅと守る僧そうは、あッ――と大地へ搦からめたおされたようす。

「これ、用意の駕籠かごを」

闇やみにあたって、丹羽昌仙にわしょうせんの声がひびいた。

「おうッ」

というと覆面ふくめんのむれ、ガチャガチャと一挺ちょうの鎖駕籠くさりかごを舁かきこんできて、七重え八重えにしばりあげた貴人きじんの僧をそのなかに押おしこみ、それッとかつぎあげるや否いな、まッ黒にもんで、天てんヶ丘おかの南蛮寺なんばんじへいそぎだした。

「ええ、しまった!」

「わが君ッ――」

悲痛ひつうな声が、血煙ちけむりのなかに残った。満身まんしんの太刀傷たちきずにさいなまれたふたりの従僧、斬ッつ、追おいつ、小半町こはんちょうほど鎖駕籠を追いかけたが、刀おれ力もつきて、とうとう馬場ばばのはずれの若草の上で、たがいに喉のどと喉とを刺さしちがえたまま、無念むねんの鬼おにとなってしまった。

三

東山ひがしやまに、金色こんじきの雲くもがゆるぎだした。

京の大宮人おおみやびとが歌よむ春のあけぼのは、加茂かもの水、清水きよみずの花あかりから、ほのぼのと明けようとしている。

だれもいない南蛮寺なんばんじ、緑青ろくしょうのふいた銅瓦どうがわらの上へ、あけぼのの空から、サッ――と舞まいおりてきた怪物かいぶつがある。みると、ひさしく裾野すそのからその影をたっていた、竹童ちくどうの愛鷲あいしゅう、――いやいや、いまでは泣き虫の蛾次郎がじろうが、わがもの顔に乗りまわしている大鷲おおわしだ。

「やあ、いよいよここが都だな、ゆうべは伊吹山いぶきやまでさびしい思いをしたが、きょうはひとつ、クロにも楽らくをさせて、京都の町でブラブラ遊んでやろう」

あれからのち――どこをどう飛とんで歩きまわっていたか、あいかわらず、のんきの洒しゃアな顔をして、泣き虫の蛾次郎。南蛮寺の屋根の上から、小手こてをかざしてひとりごと……

「いいなア、いいなア、さすがに天子てんしさまの都だけあるなあ。オーむこうに見えるのが御所ごしょの屋根だな。霞かすみをひいて絵えのとおりだ。二条じょう、三条、四条、五条。こうしているあいだにだんだんみえてくる……おッとこんなところで感心していたところでつまらない、はやく一つ腹はらごしらえして金閣寺きんかくじだの祇園ぎおんだの、ゆっくり一つ見物けんぶつしてこよう」

ふわりと鷲わしを地へ舞まわせて、南蛮寺なんばんじの朱門あかもんへおりた蛾次郎がじろう。あッちこッちを見まわしていたが、やがて、天てんヶ丘おかの松林を奥おくふかくはいってしまった。

そして、とある松の大木たいぼくへ、用意の鎖くさりで、鷲わしの足をしばりつけてから、

「おいおい、クロ公こう」

と、人間へいうように、いいきかせる。

「おれはな、ちょッと久しぶりだ、きょうはほうぼうあるいてくるから、おれのるすに、どこへもいっちゃいけねえぜ。いいかい、帰りにゃ兎うさぎの肉をウンと買ってきてやるからな、たのむぜ、クロ公こう」

これで安心したらしい。

そこでさて泣き虫蛾次郎、すこし気どって、れいのボロ鞘ざやの刀を差さしなおし、松の小道をとって、ふもとの方へ歩きだしながら、みちみち、山椿やまつばきの葉を一枚もいで唇くちにくわえ、木この葉は笛ぶえで調子をとりつつ、へんな歌をさけびだした。

ピキ、ピッピキ   トッピッピ

竹童ちくどうちッぽけ    ちッぱッぱ

鷲わしを盗とられて    ちッぱッぱ

とられる半間はんまに   盗とる利口りこう

鴉からすがないても    おら知らねえ

竹童ちくどうちッぽけ    ちッぱッぱ

ピキ、ピッピキ   トッピッピ

「わアおもしれえおもしれえ。竹童のやつがきいたら口惜くやしがるだろうな。フフンだ、もうだめだッてことよ。クロは死んでも蛾次がじちゃんのそばを離はなれるのはいやだとさ……あはははははだ。うふふふふふだ。やアい――竹童小ちッぽけちッぱッぱ」

ひとりで、はしゃぎ立て、ひとりで踊おどり足をふりながら、天てんヶ丘おかをなかほどまでくだってきたが、そこで、なにを見つけたか蛾次郎がじろうは急に、

「おやッ?」

と目玉をデングリかえした。

「オヤオヤオヤ、なんだなんだありゃ、まッ黒に顔をつつんで、目ばかり光らした侍さむらいが大勢おおぜいここへのぼってくるぞ」

崖がけの上へはいあがって、木この葉はを頭から引っかぶり、なおも目をみはってつぶやいた。

「ずいぶんくるなあ、四、五十人もくるぞ。オオ鎖駕籠くさりかごもやってくる。だれがいるんだろうあのなかに。罪人ざいにんかしら? えらい人かしら? アレアレ見たような奴やつが、おさきに立ってくるぞ……いけねえ! 呂宋兵衛るそんべえに蚕婆かいこばばあだッ」

というと蛾次郎がじろうは、その覆面ふくめんの群むれが、目の下へくるよりはやく、鉄砲玉てっぽうだまの反それたうさぎのように、横ッとびの一もくさん――崖がけから崖をころげていってしまった。

虫むしケラざむらい

一

――きょうは、西陣にしじんの今宮祭いまみやまつり。

紫野むらさきのから加茂かもの里さとあたりまで、なんとすばらしいにぎわいではないか。

太鼓たいこの音ねに、道の紅梅こうばいは散りしき、笛ふえの音ねにふくらみだす桜さくらのつぼみ。鐘かねチャンギリも浮うきうきとして、風流小袖ふうりゅうこそでの老幼男女ろうようなんにょが、くることくること、帰ること帰ること、今宮神社いまみやじんじゃの八神殿しんでんから、斎院さいいん、絵馬堂えまどう、矢大臣門やだいじんもん、ほとんど織おりなすばかりな人出ひとでである。

これで、世が戦国だ、乱世らんせいだとはまったく、ふしぎなくらいのもの。

ときしも、羽柴筑前守秀吉はしばちくぜんのかみひでよしは、北国ほっこくの柴田権六しばたごんろくをうつ小手しらべに、南海なんかいの雄ゆう、滝川一益たきがわかずますの桑名くわなの城しろを、エイヤ、エイヤ、血けむり石火矢いしびやで、攻せめぬいているまッさいちゅうなのである。

留守るすの都で、ピイヒャラドンドンの今宮祭は、やや悠長ゆうちょうすぎるようだが、日本はもともと祭まつりの国だ。かりそめの戦雲せんうんが日月じつげつをおおうても、神かみのまつりは絶たえないがいい。また、じしんはとおく戦陣せんじんの旅たびにあるとも、留守るすの町人ちょうにん百姓ひゃくしょうや女子供には、こうして、春は春らしく、平和にのんきに景気けいきよく、今宮祭いまみやまつりができるようにしておくのも、つまり、筑前守秀吉ちくぜんのかみひでよしが、やがて大だいをなすゆえんであるかも知れない。

なにしろきょうは、けっこうな日である。

戦いくさをしている秀吉にはここへくるひまもないだろうが、百姓には百姓のわざ、商人あきんどには商人のわざがある。大いにお祭をし、大いにはたらけ、それが秀吉さまもおすきだぞ! とばかり、いまも本殿ほんでん三座ざの御榊みさかきをひっかついで、ワーッと矢大臣門やだいじんもんへなだれてきたのは、やすらい踊おどりのひとかたまり。

紅衣こういの楽人がくじんたちが笛ふえをはやし、白丁狩衣はくちょうかりぎぬの男たちが鉾ほこや榊をふって、歌いに歌う。そして輪わになった女子供が花棒はなぼうふりふりおどって歩く。

するとこの踊りの渦うずまきが境内けいだいの神馬小屋しんめごやのまえまできたとき、

だれか! どこかで?

「キャーッ!」

と悲鳴ひめいをあげたのである。

だが――うかれ、熱ねっしている踊りのむれ。それにも気がつかずに、なおも足なみを練ねってゆくと、こんどは、

「わーッ」

といって、白丁はくちょうの衛士えじがふいにぶッ倒たおれた。

白丁だから目についた。たおれた姿すがたが血ちまみれである。

「踊おどりをやめろ! 踊りをやめろ!」

「踊るやつは、ぶッた斬ぎるぞッ」

おどろくべき乱暴者らんぼうものが、いつのまにやら、この極楽ごくらくへまぎれこんでいたのだ。

ふいに、破われ鐘がねごえでこう叫んだのを見ると、雲つくような大男が三人、大小打ぶッこみ、侍すがた、へべれけに酔よって熟柿じゅくしのような息いきをはき、晃々こうこうたる大刀をぬきはらい、花や女子おなごの踊りにまじって、ブンブンふりまわしているのだからたまらぬ。

「アレーッ」

と泣いて逃げるもの。神馬小屋しんめごやへ飛とびこんで、馬のお尻しりにかくれるもの、さては韋駄天いだてんと逃にげちる者など――いまが今までの散華舞踊さんげぶようは、一しゅんのまにこの我武者がむしゃのろうぜきで荒涼こうりょうたるありさまと化かしてしまった。

それにも飽あかず、この三人の浪人者ろうにんもの。

またぞろ八神殿しんでんの参詣道さんけいみちに、ヒョロヒョロとあらわれて、あッちへ当り、こッちへ当りちらし、肩かたで風をきってくる。

「こらッ、物売ものうりどもは、店をかたづけい」

「見世物みせもの小屋はたたんでしまえ」

「鳴なり物ものをはやすことはまかりならんぞ。いまは、そんな時世じせいではないのだッ、このバカどもめ!」

「秀吉ひでよしさまは、合戦かっせんのまッただ中、町人ちょうにんのくせに、祭まつりなどとはもってのほか、さッ、店や小屋こやはドシドシとたたんでしまえ!」

手には刀をふりまわし、足はそこらの物売ものうりの荷にを片かたッ端ぱしから蹴けちらしてゆく。――烏帽子えぼしを売っていたおじいさん、鳩はとの豆を売っているおばあさん、逃にげそこなってかわいそうに、燈籠とうろうの下で腰こしをぬかしてしまう。

さらに哀あわれをとどめたのは――大勢おおぜいの客を呼びあつめ足駄あしだばきで三方ぼうにのっていた歯磨はみがき売りの若い男、居合いあいの刀を持っていたところから、一も二もなく目がけられて、豹ひょうのごとく飛とびついてきた酒乱しゅらんの浪人者ろうにんものに、血まつりの贄にえとされた。

「あぶないぞウ!」

と、なだれる群集ぐんしゅう。

「よるなようッ」

「母かアちゃあん――」

悲鳴ひめい! 叫喚きょうかん! 子をかばい、親をだいて、砂けむりをあげる人情地獄にんじょうじごく。それは面おもても向けられない砂ほこりであった。

「ざまをみろ、蛆虫うじむしめら」

「祭がやりたかッたら、なぜ天てんヶ丘おかへ付けとどけをしておかねえのだ」

「商あきないがしたいと思うなら、ここから近い南蛮寺なんばんじへ、さきに礼物れいもつを持ってこい」

かってなことを吠ほえた上に、カラカラッとあざわらった三名の酒乱しゅらん。

「おおッ、こんどは今宮いまみやの社やしろへかけあいをつけろ!」

「うむ、いいところへ気がついたぞ。すぐ目のまえの南蛮寺なんばんじへ、なんの貢物みつぎもせずに祭まつりをするとは太い神主かんぬしだ。グズグズぬかしたら拝殿はいでんをけちらかして、あの賽銭箱さいせんばこを引ッかついでゆけ!」

神慮しんりょをおそれぬ罰ばちあたり、土足どそく、はだかの皎刀こうとうを引っさげたまま、酒気しゅきにまかせてバラバラッと八神殿しんでんの階段かいだんをのぼりかけた。

二

なだれを打って逃にげかけた群集ぐんしゅうも、このさまをみて、どうなることかと、こわいもの見たさの好奇心こうきしんに、遠くからアレヨアレヨとながめている。

すると。

八神殿の朱柱しゅばしらのかげから、ヒラリとあらわれたふたりの男があった。

右の丸柱まるばしらから駈かけよってきたのは、白衣びゃくえに白鞘しらさやの刀をさしたひとりの六部ろくぶ、左からぬッと立ったのは墨すみの法衣ほういをまとって、色しろく、クリクリとした若僧わかそうである。

そのふたり。

手をつなぐように、階段の上へ大手をひろげて、

「待て! 酔よいどれッ」

「ここを通すことはまかりならぬ!」

どッちの声も、威力いりょくがある。

「な、なんだとッ」

頭をおさえられた狼おおかみは、ふんぜんと、牙きばをむいて食くってかかった。

「見うけるところ、二匹ひきとも、乞食こじきにちかい六部ろくぶと雲水うんすい。下手へたなところへでしゃばると、足腰あしこしたたぬ片端者かたわものにしてくれるぞ」

「酔よいを醒さませ、この白痴者しれもの! ここをいずこと心得こころえておるのだ」

「オオ、ここは紫野むらさきのの今宮神社いまみやじんじゃ、八神殿しんでんと心得こころえておる。それが一たいどうしたのだ」

「ははは。生酔なまよい本性ほんしょうにたがわずだ。このバカ侍さむらいどもよく聞けよ。それ、日ひの本もとの武士ぶしたるものは、弱きをあわれみ、力なき者を愛し、神仏しんぶつをうやまい、心やさしくみだりに猛たけきをあらわさず、知ちをもって、誠まことの胸むねとするのが、真しんの武士というもの――」

色白な若僧わかそうが、右手の禅杖ぜんじょうを床ゆかへついてから、諭さとしたが、そんなことに、耳をかすかれらではない。

「エエ、口がしこいことを申すな。われわれをただの浪人者ろうにんものと思いおるか。おそれ多くも、羽柴はしばどのよりお声がかりで、天てんヶ丘おか一帯たいの取りしまりをなす、南蛮寺なんばんじの番士ばんしだぞ」

「だまれッ、番士であろうと秀吉ひでよしじしんであろうと、民たみをしいたげ、神をけがするなど、天、人ともにゆるさぬところじゃ」

「ゆるすゆるさぬはこっちのことだ。南蛮寺へことわりなしに、ぎょうぎょうしい祭まつりや踊おどりをなすゆえに、この神主かんぬしへかけあいにまいったのが悪いか。やい、じゃまだッ、そこをどかぬと、うぬらも血まつりにするぞ」

「きさまたちのいい分ぶんは腑ふにおちぬ。秀吉ほどな人物がさような沙汰さたをするはずがない。アアわかった、主しゅもなし能のうもなしに、かようなことをして、良民りょうみんをくるしめ歩く野武士のぶしだなッ」

「野武士とは無礼ぶれいなことを申すやつ。耳をかッぽじって聞いておけ、いま、天てんヶ丘おかの南蛮寺なんばんじを支配する、和田呂宋兵衛わだるそんべえさまの身内人みうちびと、斧大九郎おのだいくろうとは拙者せっしゃのことだ」

「やッ、呂宋兵衛? ……」

と、六部ろくぶは若僧わかそうと目ばやくうなずき合って、

「うむ、呂宋兵衛の手下てしたときけばなおのこと!」

「なおのことどうしたッ」

いきり立って駈かけあがってきたやつを、グイと右手で猫ねこづかみにつるしあげた若僧、

「間答無用もんどうむよう! こうしてやる」

すこし力を入れたかと、思うと、ふわりと宙ちゅうへおよがせて冠桜かんむりざくらの根瘤ねこぶのあたりへ、エエッ、ずでーんと気味きみよくたたきつけた。

「うぬッ」

と、また飛びついてきたやつは、待ちかまえていた六部が、気合いをかけた当身あてみのこぶしで、顎あごをねらってひと突つきに、突きとばす。

なにかたまろう、ウームというと蝦反えびぞりになって、階段の中途からデンとおちる。それも、冠桜かんむりざくらの根ッこのやつも、神罰覿面しんばつてきめん、血へどを吐はいてたおれたままとなってしまった。

「わーッ、わあッ――」

と、かなたでよろこぶ群集ぐんしゅうの声々、八百万やおよろずの神々かみがみも神楽かぐらばやしのように、興きょうじ給たもうやと思われるばかりに聞える。

じぶんたちから、南蛮寺なんばんじにある呂宋兵衛るそんべえの部下と名のった斧おの大九郎、それを見ると、かッと逆上ぎゃくじょうしたていである。ひっさげていた大刀の下からはらいあげて、ふたりの足を、諸薙もろなぎにせんず勢いで、またかかってきた。

「猪口才ちょこざいなやつめ」

手もとへよせて、怪力かいりきの若僧わかそうが、また、虫でもつまむように引っとらえた時である。いつか、六部ろくぶのうしろまで進んできた品ひんよき公達きんだちが、

「忍剣にんけん、そやつを投げころしては相あいならぬぞ」

あわや――という手をさえぎった。

三

思いがけない悪魔あくまがでて、のろわれた今宮祭いまみやまつりや踊おどりのむれも、また思いがけない侠人きょうじんの力で、午ひるすぎからは、午前におとらぬ歓楽かんらくの巷ちまたにかえってにぎわった。

「いったいあのわかい坊ぼうさまと六部ろくぶはなんであろう?」

「天狗てんぐのような力と早わざ、よも、尋常人ただびとではございますまいよ」

「それに、もうひとりうしろにいて、だまってみていた公達きんだちがいたではありませんか」

「そうそう、藺笠いがさをかぶっておりましたが、年は十五、六、スラリとして、観音かんのんさまがお武家ぶけになってきたようなおすがた」

「それそれ、あの人たちは、神か菩薩ぼさつかの化身けしんでしょうよ。まったく、悪いことはできないもので」

うわさはどこもかしこもであるが、その焦点しょうてんの人々はあれからどこへいったろう?

紫野むらさきのの芝原しばはらには、野天小屋のでんこやがけの見世物みせものが散在さんざいしていた。おおくの人が、大たいがいそれへ目をうばわれているのをさいわいに、れいの若僧わかそうが、斧おの大九郎を小脇こわきにひっかかえ、飛ぶがごとく駈かけぬける――とあとから大股おおまたに、藺笠いがさの公達きんだちと六部ろくぶのすがたが、つづいていった。

「ここらでよかろう」

立ちどまったのは、舟岡山ふなおかやまのすそ。

高からぬこの山にのぼるとすれば、西に愛宕あたごや、衣笠きぬがさの峰みねの影かげ、東はとおく、加茂かもの松原ごしに、比叡ひえいをのぞんでいる。さらに北をあおぐと、竹童ちくどうの故郷ふるさと鞍馬山くらまやまの翠巒すいらんが、よべば答えんばかりに近い。

「若君ここへおかけなさりませ」

たかだかとそびえた杉林の下――。

一つの切株きりかぶの塵ちりをはらって、六部ろくぶはわきへ片膝かたひざをついた。

「…………」

目でうなずいて、藺笠いがさの美少年は、それへ腰こしをおろした。この公達きんだちこそ、甲州こうしゅう小太郎山こたろうざんの雪の砦とりでから、はるばる、父勝頼かつよりの消息しょうそくを都へたずねにきた武田伊那丸たけだいなまるであった。

そのわきに、頭を下げたのは木隠龍太郎こがくれりゅうたろうで、加賀見忍剣かがみにんけんは、ひッかかえてきた斧おの大九郎をそこへほうりだして、

「若君、いざ、おしらべなさいませ」

と、少しさがったところで、れいの鉄杖てつじょうを、持ちなおしている。

「下郎げろう、おもてを見せい」

伊那丸はいった。これはまた、忍剣の鉄杖より、龍太郎のはや技わざより、一種しゅべつな気稟きひんというもの、下郎大九郎は、すでに面色めんしょくもなく、ふるえあがって両手をついた。

「ま、まったく持ちまして、さいぜんのことは泥酔でいすいのあまりでござる。どうぞ、ひらにひらに、おゆるしのほどを……」

これがつい、いましがた、今宮いまみやの境内けいだいを修羅しゅらにして暴あばれまわった男とは、思えぬような、弱音よわねである。

いうのをおさえつけて、伊那丸は、ハッタとにらんだ。

「卑怯ひきょうなやつではある。むだ口を申さずと、ただこのほうがたずねることに答えればよいのじゃ」

「は……はい、命いのちさえ、おたすけくださるぶんには、斧おの大九郎、なんなりとぞんじよりを申しあげます」

「その口を忘わすれまいぞ」

きッと、半身はんしんをつきだした伊那丸いなまる、針葉樹しんようじゅの木洩こもれ陽びを、藺笠いがさとしろい面貌おもざしへうつくしくうけて、

「なんじはさいぜん、和田呂宋兵衛わだるそんべえの家来けらいじゃというていばっていたの?」

「あ……あれは」

「いや申した! たしかに聞いた」

「いいましたにそういございませんが、じつは、こ、心にもないでたらめごと」

いいかけるとあとから、忍剣にんけんの鉄杖てつじょうのさきが背なかへ穴あながあくかとばかりドンとついて、

「このうそつきめが。呂宋兵衛の部下なるがゆえに、ことわりなしに祭まつりをもよおした神主かんぬしをこらしめるとか、かけ合うとか、ほざいていたではないか。若君わかぎみのおしらべにたいして、寸言すんげんたりともあいまいなことを申すと、いちいちこれだぞ」

も一つ、ドンと食くわせる。

「ウーム、フフフ、痛いとうござる、痛うござる」

「痛かったら申しあげろ」

「も、もうしあげます。まったく和田呂宋兵衛わだるそんべえの手のものにそういございません」

「よくいった」

伊那丸いなまるは、うなずいて、

「して、その呂宋兵衛は、ただいま、どこに巣すをかまえそしてなにをいたしておるな」

「秀吉ひでよしさまのお気に入り者となりまして、天てんヶ丘おかの寺領じりょうと、南蛮寺なんばんじを拝領はいりょういたし、裾野すそのいらいの一味み、丹羽昌仙にわしょうせんや蚕婆かいこばばあや燕作えんさくなど、みなそこに住居すまいをいたしております」

「オオ、定さだめしそれらのものは、一味同類いちみどうるいとなって、武田勝頼たけだかつよりの行方ゆくえをたずねておるであろうな」

「えッ、どうしてごぞんじでござりますか」

「知らないでか!」

と伊那丸のかけたかまを、たくみに引きうけた龍太郎りゅうたろう。わざと少しわらいすまして、

「これにおいで遊ばすは、徳川家とくがわけのさる御公達ごきんだち。まった某それがしやこの若僧わかそうは、みな、浜松城はままつじょうの隠密組おんみつぐみだ」

「あッ、さては貴殿きでんたちも、菊池半助きくちはんすけどのたちと一しょに、あの僧形そうぎょうを京都へつけてこられたおかたで?」

「さよう――」

と龍太郎は、おかしく思いながら、まじめにおうじて、

「ところで、その僧形そうぎょうであるが、なんと変った消息しょうそくはないか。すなおに話してくれれば、敵てきでも味方みかたでもないお主ぬしとわれわれ、そこらで仲なおりの酒でも酌くもうし、また、ここにおわす徳川家とくがわけの御公達ごきんだちに、出世しゅっせの口を取りもってやらぬものでもないが……」

「へへッ」

というと大九郎、慾よくにつりこまれて、草芝くさしばの上へあらたまり、おとといの真夜中まよなか、呂宋兵衛るそんべえが手策てだてをつくして従僧じゅうそうふたりを殺あやめ、ひとりの主僧しゅそうをいけどってきて、天てんヶ丘おかの古会堂ふるかいどうへ打ちこんであるということまでベラベラしゃべってしまった。

すぐお追従ついしょうをいう軽薄けいはくなかれの舌したは、それでもまだいいたらずに、つけ加えて、また話すことには、

「ところで、その勝頼公かつよりこう。たしかに生いけどってきた僧形の貴人きじんにそういないとはにらんでおりますが、なんせい、野武士のぶしや浪人ろうにんどもばかりの天ヶ丘、真実しんじつの勝頼公の面態めんていを見知るものがないのでござった」

「して、その謎なぞの僧そうは、いまもって、南蛮寺なんばんじの古会堂に押しこめてあるのか――」

と、龍太郎も忍剣にんけんも息いきをころして聞いている。

「されば、ただいまも申したとおり、まだ真まことの勝頼公なるや、いなや一点てんのうたがいがござりますゆえ、いッそのこと、桑名くわなにご在陣ざいじんの秀吉公ひでよしこうのところへ、かれを差さしたて送ろうという、昨夜の評定ひょうじょうで」

「なんと申す! 滝川攻たきがわぜめのため、近ごろ桑名にいると聞く秀吉の陣へそれを送りこむという手はずになっているのか。してそれは何日、時刻じこくは何時なんどきじゃ」

「明日あすの朝まだきに、東山ひがしやまから陽ひがのぼるを出立しゅったつの時刻として、天てんヶ丘おかから桑名城くわなじょうへ。そのために、きょう一日は、われわれも骨ほねやすみのひまをもらい、かようなところをブラついておりましたわけ、さきほどの無礼ぶれいの段だんはひらにお目こぼしねがいまする」

一伍一什いちぶしじゅうのはなし。

聞くからに伊那丸いなまるは、われをわすれて、両りょうのこぶしを膝ひざの上ににぎりしめつつ、

「ウーム! さてはお父上には、早くも毒手どくしゅに墜おちたもうて、桑名へさしたてられるご武運ぶうんの末すえとはおなり遊ばしたか、……ああ、おそかった……」

と、まなじりに血をにじませ、藺笠いがさのうちに鬢髪びんぱつをブルブルとふるわせた。

父上、という一句くをきいて、斧おの大九郎、ハッとあっけにとられながら、じりじりと尻しりごみする。

伊那丸がハラハラと落涙らくるいするようすを見て、

「若君わかぎみ、かならずお力おとしはご無用でござります」

と、忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろうのふたりが、口を合わせてなだめるのだった。

「すでにお命いのちのないものなら、真まことにご武運のすえ、また人力じんりょくのおよぶところではござりませぬが、ただいま、大九郎の話によれば、まだご尊体そんたいにはなんのご異状いじょうなく、明朝、天ヶ丘から桑名の陣じんへうつされてまいるとのこと、折こそよし、これ天の与えたもう好機会こうきかいではござりませぬか」

「おお! かならずお父上を、お救い申しあげねばならぬ」

立ちあがった時である。

「ややッ! さては武田たけだの?」

ぎょうてんした大九郎、跳はねあがって逃げだすと、伊那丸いなまるの一喝かつ。

「龍太郎、そやつを討うて!」

「はッ」

と答えるまでもなく、立ちあがった木隠こがくれが、やらじと猿臂えんぴをのばしたので、胆きもをとばした斧おの大九郎、にげみちをうしなって無我夢中むがむちゅうに松のこずえへ飛びついた。

「ええ――ッ」

つんざいた木隠の気殺きさつ!

とたんに、抜ぬきはなたれた無反むぞりの戒刀かいとう、横にないでただ一閃せんの光が、松の枝にブラさがった大九郎の胴どうを通りぬけてしまった。

バサリと血のなかにおちたのは、胴どうから下、上半身じょうはんしんは枝をつかんだまま、虚空こくうにみにくく止とまっていた。

そのとき、あなた――今宮いまみやの舞楽殿ぶがくでんでは、笛ふえや太鼓たいこ、そして鈴すずの音ねがゆるぎだした。やすらい踊おどりのどよめきにあわせて、神楽囃子かぐらばやしがはじまったのであろう。――悪魔あくまたいじの御神楽歌みかぐらうた。

明暗めいあんの両童子りょうどうじ

一

ピイヒャラ ドン助すけ ひゃらりこドン!

鷲わしをとられて オッぺけぺ!

竹童ちくどうドン助 ひゃらりこ ドン!

これは、あちらの神楽歌かぐらうたではない。

暮れなんとする杉林から芝生しばふのへんを、しきりに浮かれまわっている少年の放歌ほうかである。

はるかに聞える神楽かぐらにあわせて、

ピイヒャラ ドン助すけ ひゃらりこドン!

すっかりゆかいになっている。

右手に一本もっているのは、串くしへさしたお芋いもの田楽でんがく、左につかんでいるのは黒い飴あめン棒ぼう、ひゃらりこドンと踊おどりながら、芋いもをたべては飴あめをなめ、飴あめをなめては芋いもをくい、かわりばんこに舌したを楽しませて、

竹童ちくどうドン助すけ ひゃらりこドン!

いよいよ無上の大歓楽だいかんらく、歌もおどりもやむことを知らず、陽ひが暮れようとするのも知らず、いましも林をぬけてきた。

このお天気な少年は、いうまでもなく蛾次郎がじろうである。

きのうから遊びつづけて、きょうは、今宮祭いまみやまつりの見物けんぶつとしゃれているのか。

胸むねや口のまわりには、田楽でんがくの味噌みそだの、黄粉きなこだの、あまくさい蜜糖みつの粘ねばりだのがこびりついていて、いかに、かれの胃袋いぶくろが、きょう一日をまんぞくにおくっていたかを物語っている。

のみならず蛾次郎は、目のかたきにしている竹童にたいして、いま、大なる優越感ゆうえつかんをもっている。

「竹童のやつめ、さぞいまごろは、クロを盗とられて、メソメソしているだろうな。まっ黒な富士の裾野すそので、まぬけな面つらをしているだろうな。

このおれさまはどうだ! 日本中クロを乗りまわしてきて、いまは、天子てんしさまと同じ都みやこの土をふんでいるんだ。九重ここのえの都をよ!

どうだい、蛾次郎がじろうさまの光栄こうえいは!

食たべたいものをウンと食べたぜ。見たいものもウンと見たぜ。だからおいらは踊おどるのさ、踊らずにはいられないや。ワーーイだ、ワーーイ! ワイ竹童、ざまをみやがれ!」

こんな気分が、かれ蛾次郎の歌となり、舞躍ぶやくとなるのであった。

ところで、有頂天うちょうてんの蛾次郎が、いま、なんの気なしに林の中をおどってくると、なんだか、ぬらりとしたものが鼻はなの頭をなでたのである。

「おやッ?」

と思ってさわってみた。

どうも人間らしいのである。しかし、今晩こんばんは、とはいわなかった。

「おかしいなア、この人は……」

と、上から下へ、ソーとなでてみると、へんだ! へんだ! へんな人間! 腰こしから下がなにもない。

「わッ、化ばけ物ものッ」

蛾次郎は芋いもの串くしをほうりだして、逃にげるわ逃げるわ、むちゅうでにげた――一心不乱いっしんふらんに、あかるいほうへかけだした。

夜になっても、今宮いまみやの境内けいだいはにぎやかであった。そこで蛾次郎は、はじめてホッと人心地ひとごこちにかえった。更ふけるにしたがって、踊おどりの輪わもちり、参詣さんけいの人もたえ、いつか、あなたこなたの燈籠とうろうの灯ひさえ、一つ一つ消えかかってくる。

二

「こんやの宿屋やどやはどこにしようか」

額堂がくどうは吹きさらしだし、拝殿はいでんの廊下ろうかへねては神主かんぬしが怒おこるだろうし、と、しきりに寝床ねどこを物色ぶっしょくしてきた蛾次郎がじろう。

「ウム、ここがいい。神かみさまの足あしもとなら、化ばけ物ものもでないだろう」

と、四つンばいになって、のこのこはいこんだのは、八神殿しんでんの床下ゆかした。藁蓙わらござを一枚かかえこんで、だんだん奥おくのほうへいざってきた。

むろん、縁えんの下はまっ暗で、鼻をつままれてもわからないくらいだが、蛾次郎がはいすすんでいったすこしさきに、なにやら、ゴソ……という音がした。

「ははあ、お仲間なかまがいるな」

そう思って、地べたへ顎あごをつけながら、じッと闇やみをみつめていると、しだいに眸ひとみがなれてきて、おぼろげながら、人かげがみとめられた。

姿すがたかたちは、だれともわからぬけれど、やはり蛾次郎と同じように、土台柱どだいばしらのしたへ一枚の蓙むしろをしき、そこへじッと身をかがめたまま、しきりに、器うつわの水へ布ぬのをひたして、目を洗あらっているらしい。

しばらくするとその影かげは、小布こぎれで目をおさえたまま、蛾次郎のいるのは知らぬようすで、

「ああ、困こまったなア……」

ひとり惆然ちゅうぜんとして、つぶやくのである。

「もう春にもなったし、目さえ見えれば、山のおくへでも海の果てまでも、たずねてさがしだすのだけれども……急にこの目が見えなくなってしまった、蚕婆かいこばばあの針はりにふかれて! あの吹き針ばりに目をいられて――おいらはとうとう盲めくらになってしまったんだ……」

見えぬのは目ばかりでなく、心も憂うれいの雲にとじられているのであろう。なんともいえぬ、悲哀ひあいのこもったつぶやきである。

「神さまッ……」

ガバと伏ふして、その影が合掌がっしょうした。

「八神殿しんでんの神々かみがみさま! このお社やしろにまつられてある神々さま。おいらはそれがなんという名の神さまだか知りませんが、どうぞこの目をなおしてください。神さまのお力で、針はりにふかれたこの目の痛いたみをとってください……」

こっちにいた蛾次郎がじろうは、オヤオヤ、という腰こしつきで、じッと聞き耳をたてている。

「なんだいあいつは? 気ちがいじゃねえのかな、みょうに、ふるえた声をだしやがって……アレ見や、むちゅうになって手を合わせている、ア、泣いていやがら……ばかだなあ、泣くなよ兄弟」

と、うっかり声をすべらしかけたが、待て、もうすこし、見ていてやろうと息いきをころした。

盲めくらのすがたは一心不乱ふらんに、掌たなごころをあわせ、八神殿しんでんの神々かみがみに念ねんじていた。

信仰しんこうに熱ねっしてくると、おのずから手がふるえ、声もわれ知らず高くなって、

「この目のいたみをおなおしくださいませ! 八神殿の八つの神さま、おいらにはどうしても、さがしたいものがあるのです。クロという鷲わしをたずねだしたいのです。そして、伊那丸いなまるさまのおんために、もっともっと、大きな手柄てがらを立てなければなりません。こんなところにもぐっていると、お師匠ししょうさまに叱しかられます。盲のすがたを見られたら、一味みの人たちにも恥ずかしゅうございます。なおしてください。八神殿の神々さま、その大望たいもうをとげましたら、わたしの腰こしにさしている般若丸はんにゃまるを、きッと奉納ほうのういたします」

血汐ちしおも吐はかんばかりである。

一念の声、一念のいのり! 祈いのらなくても、人の誠まことは天地をうごかすという……。だが、床下ゆかしたのやみは、しいんとしていた。

三

おどろいたのは蛾次郎がじろうだった。

梟ふくろのように目をまるくして、ソーッと、また一、二間けんちかづいて、よくよくその影かげを見さだめていると、あんにたがわず、それは鞍馬くらまの竹童ちくどうである。

いつぞや、加茂かもの堤つつみで蚕婆かいこばばあの吹ふき針ばりにふかれてその目をつぶされ、いまは黒白あやめもわかたぬ不自由な身となった。

町をあるけば人につまずき、森をあるけば木の根ねにたおされるしまつ。クロの行方ゆくえを知るよしもないので、瀬戸物せともののかけらに御洗水みたらしの清水しみずをすくってきて、この床下ゆかしたへ身をひそめ、ただ一念ねんにいのり、一念に目を洗っているのだった。

「ふウん……やっぱり、竹童ちくどうにちがいない」

蛾次郎がじろうは犬つくばいにようすをながめて、

「へんなところで、でッ会くわしたな。目がわるいようすだから、一つ、からかッてやろうかしら」

手にさわった土塊つちくれをつかんで、竹童のかげへ、バラッと投げつけた。

「だれだッ」

さなきだに、盲めくらになってからは、神経しんけいのとがり立っている鞍馬くらまの竹童、こういって、からだをねじむけてきたのである。

蛾次郎は、おもわずズルズルとあとへさがった。

だが、目がわるい、ここまではきやしまいと、たかをくくってまた、

「どうだい大将たいしょう――」

と、あざわらった。

「なんだと」

「おもらいがたくさんあるかい。え、お菰こもさん」

「…………」

「はははは、さすがは偉えらいもんだ、果心居士かしんこじのお弟子でしさんはな。鞍馬くらまの竹童はえらいよ偉いよ、とうとう花の都みやこへでて、天下のお乞食こじきになったんだからな」

「だれだ、だれだッ、おいらの名を知っているのは?」

「おめえ、盲めくらのくせに勘かんがわるいな。アアにわか盲だから、声まで見えなくなったのか。じゃアいって聞かしてやろう。びっくりして気絶きぜつするなよ。こう申す者こそはすなわち、おめえのクロを頂戴ちょうだいして、天下に名をあげている蛾次郎がじろうさまだア」

「なにッ! 蛾次郎だとッ」

さけぶや否いな、鞍馬の竹童、般若丸はんにゃまるの名刀をピュッと抜きはなって、声のするほうを、さッと斬きりはらった。

まさか鞍馬の竹童が、こんな名刀を持っていようとは夢にも知らなかった蛾次郎、アッといって床下ゆかしたからころげだし、すぐむこうにあった小屋こやのなかへ、四つンばいにかくれこんだ。

が、そこはれいの神馬小屋しんめごやであったので、注連飾しめかざりをつけた白馬しろうまが、ふいの闖入者ちんにゅうしゃにおどろいて、ヒーンと一声こえいなないたかと思うと、飛びこんできた蛾次郎の脾腹ひばらを蹄ひづめでパッと蹴りかえした。

「ウーム……」

と、打ぶったおれた泣き虫の蛾次郎は、脾腹をおさえてフンぞったとたんに、昼間のうち胃袋いぶくろを楽しませたご馳走ちそうをのこらず口から吐はきだして、厩うまやのまえにへたばってしまった。

馬は、見むきもせず、われ関かんせず焉えんと、かッたるそうに目の皮をふさいでいる。

――更ふけてくると、祭まつりの夜も寂せきとしてものさびしい。

一陣じんの山嵐さんらんが、鞍馬山くらまやまの肩あたりから、サーッと冷気れいきをふり落としてきたかと思うと、八神殿しんでんの冠桜かんむりざくらの下あたりに――竹童ちくどうのお師匠ししょうさま果心居士かしんこじのすがたが、めずらしくもほのかに見えたのである。そして、もくもくとして裏宮うらみやのほうへ杖つえをひいていった。

果心居士かしんこじと愛弟子まなでし

一

右手めてに、名刀般若丸はんにゃまるを、ひだりの手では、地や蜘蛛くもの巣すをなでまわしながら、ソロリと、八神殿の床下ゆかしたをはいだしてきた者がある。

それはさっき、泣き虫の蛾次郎がじろうに、さんざんな悪口わるくちや揶揄やゆをなげられていた盲めくらの少年――鞍馬の竹童。

あたりをさぐって、そとにでれば、夜は四更こうの闇やみながら、空には、女菩薩にょぼさつたちの御瞳みひとみにも似にる、うるわしい春の星が、またたいている。

鳥の巣すのようなかれの頭、土にまみれた肩かたや肘ひじ、そして、血のにじんだかれの素足すあし――。それらのあわれな物のかげをつづった竹童のすがたは、星影ほしかげの下にあおく隈くまどられて見えたが、かれの目には、ただ一粒ひとつぶの春の星さえ、うつらぬのである。

見えぬがために、見ようとする、心の異常いじょうなはたらきが、心眼しんがんともいうべき感覚かんかくを全身にするどく研といで、右手めてにつかんだ般若丸はんにゃまるを、おのれの背なかにかくしながら、

「蛾次郎がじろう……蛾次郎はどこへいった!」

八神殿しんでんの石段いしだんにそって、裏宮うらみやの方へしのびやかに歩いてくる。おお、その影かげのいたましくもおそろしい。

かれは、心のうちでこう叫さけぶのだ。

返せクロを! 返せクロを!

おいらの手から横奪よこどりした、あの鷲わしをかえせ、おいらの手にタッタいまかえせ!

竹童の目は見えないはずでありながら、その一念ねんに、あたかも、なにものかを、的確てっかくに見ているように、いうのであった。歩きだすのであった。

でてこい蛾次郎! 泣き虫の腰こしぬけ。

でてこい蛾次郎、どこへいった!

よくもよくもクロをうばったな。また、よくもさっきは、この竹童を盲めくらとあなどって、土塊つちくれをぶつけたり、お師匠ししょうさまの悪口わるくちをたたいたり、そして、鞍馬くらまの竹童のことを、天下のお乞食こじきさまとののしり恥ずかしめたな。

おまえはさっきたいそうなじまんをいった。いかにも得意とくいらしいことをいった。だが泣き虫蛾次郎がじろうよ、ひとの愛している鷲わしをうばって乗りまわしたり、ひとのダシに使われてもらったお金で買いぐいをしたり、また益えきもなく都の町を浮うかれあるいたりして、それがなんの自慢じまんになる! それがなんで男の誇ほこりだ!

あの秀麗しゅうれいなる神州美しんしゅうびの象徴しょうちょう。富士ふじの裾野すそのに生まれながら、どうしておまえはそんなきたない下司根性げすこんじょうをもっているんだろう。情なさけないやつ、意気地いくじのないやつ、怠なまけもの、腰こしぬけ腑抜ふぬけ、お天気な少年!

それはみんな、蛾次郎よ! おまえの名だ。

おいらは鞍馬くらまの山育ちだ。

だが、蛾次郎よ。

おいらはおまえのような下卑げびたやつとは心のみがき方かたがちがっている。また、おいらがこんな乞食のような姿すがたになっていたり、盲めくらになってしまったのも、みんな自分の慾よくではない。甲斐源氏かいげんじの御曹子おんぞうし、武田伊那丸たけだいなまるさまへ忠義ちゅうぎをつくすため、また、お師匠ししょうのおいいつけを守まもらんがためしていることだぞ。

おいらは恥はじない。

乞食になっても、盲になっても、この竹童ちくどうの心は八神殿しんでんの神々かみがみさまや、弓矢八幡ゆみやはちまんがご照覧しょうらんある。

罵ののしるものなら罵ってみろ。鷲わしを返さぬというならば、男らしくどうどうと竹童ちくどうの前へたっていいきってみろ! オオこの般若丸はんにゃまるの名刀でおのれただ一刀に斬きりすててくれるから……

いきどおろしい、竹童の心は湯ゆのごとく沸たぎりたって、こう叫さけびながら方角ほうがくもさだめず、裏宮うらみやのお堂どうを巡めぐり、いましも、斎院さいいんの前まであるいてきた。

――すると、かれより六、七歩ほまえを、だれやら、しずかに、ピタピタと足をはこんでいく者がある。

夜はすでに更ふけしずんで、さまよう者とてあるはずのないこの境内けいだい、さては蛾次郎がじろうめが、またわれを盲めくらとあなどってからかうつもりだな!

竹童はかッとなって、こう思った。

しかし、かなしいかな目がみえぬ。すぐそこをピタピタといく跫音あしおとを聞くのであるが、ただ一討ひとうちにとびかかってはいかれない。

「おのれ目がみえぬとて、たかのしれた蛾次郎ぐらい、斬って捨すてられないでどうするものか」

竹童は、とっさに、地べたへ身をかがませた。

そして、般若丸の太刀たちを背中にかくし、左の手と膝ひざではい歩くように、まえなるものの跫音をスルスルとつけてゆく……

一歩ぽ――二歩ほ。

さきの者の草履ぞうりのかかとが、かれの顔へ土をはねかえしてくる近さまで寄よりついたので、いまこそと胸むねおどらした鞍馬くらまの竹童。

猛然もうぜんと、たつが早いか、ふりかぶった般若丸はんにゃまるに風をきらせて、

「覚おぼえたかッ」

とばかり、鉄てつも切るような一刀、一念の気き、盲めくらとなってから、それは一そうすさまじいするどさをもって、まえなる人のあり場をねらって、揮ふりおろした。

二

剣けんは、空くうをきって、七、八尺しゃくはしった。

あたかも闇やみなる彗星ほうきぼしが、地界ちかいへ吸われていったように。

燦然さんぜんたる蛍ほたるいろの太刀たち! かかとをあげて、ダッ――と斬きりすべっていった竹童の手にそれが持たれている。

「ウウム、無念むねん!」

とさけんだ悲痛ひつうな声。

竹童の唇くちから、血のようにもれて、かれはあやうく突つンのめりそうになった足取りを踏ふみしめた。

そして、さらに、まえよりはすごい血相けっそうで、般若丸の切きッ先を向けなおし、剣を目とし、見えぬ目に、ジリジリと闇をさぐってくる。

針はりがふれてもピリッと感じるであろう柄手つかでの神経しんけいに、なにか、ソロリとさわったものがあったので竹童は、まさしく相手の得物えものと直覚し、

「エ――エイッ」

身をおどらして斬きりかかった。

飛躍ひやくは、竹童の得意とくいである。

かつて、かれがまだ鞍馬くらまの山奥やまおくにいたころは、朝ごと薪まきをとりに僧正谷そうじょうがたにをでて、森林の梢こずえをながめては、丈余じょうよの大木へとびかかって、枯かれたる枝をはらい落とした――その練習れんしゅうによるのである。

だが、いままでは剣けんをもつと剣をつかおうとする気に支配しはいされ、棒ぼうをもつと棒をつかう心にくらまされて、この呼吸こきゅうというものが、いつかまったく忘れていた。

いま、かれは無我無心むがむしんに、相手の脳天のうてんをねらってとんだ。

――それは剣法けんぽうでいう梢斬こずえぎりともいうべきあざやかなものである。たれかよく、宙天ちゅうてんから斬りさげてくるこの殺剣さっけんをのがれ得よう。

ところが――相手は苦くもなくかわした。

風のごとく身をひるがえし、さらに持ったるなんらかの得物で、パーンと竹童の般若丸はんにゃまるをはらいつけたのである。

と、竹童、思わず両手のしびれに柄つかをゆるめたので、般若丸は彼の手をはなれて地上におちた。無手無眼むてむがんとなった竹童は、もう打ってかかるものは、五体そのものよりほかはない。

「おのれッ!」

というと、隼はやぶさのように、相手の胸むなもとへとびかかって、ムズと襟えりをつかんだのである。

だが、そのとたんに竹童ちくどうは、

「あッ――人ちがい!」

といったまま、のけ反ぞるばかりな驚おどろきにうたれた。いまが今まで、蛾次郎がじろうとばかり思って斬きりつけていた当とうの人は、枯巌枯骨こがんここつそのもののような老人であったのだ。

「オオ、ちがった、人ちがいであった。――どなたかぞんじませぬが飛んでもない無礼ぶれいをしました。どうぞかんにんしてくださいまし」

こういうとその老人、枯かれ木のような手をのばして、竹童の肩かたをやさしくかかえこんだ。

「竹童よ」

「えッ……」

見えぬ目をしばたたきつつ、かれは、じぶんの名をあきらかに呼よんだ者を、だれかしらとあやしむように、両手でその人の衣服いふくをなでまわした。

「あやまることはない、あやまることはない。他ほかの者ならあぶなかったが、わしであったからまアよかった……」

「オオ!」

竹童ちくどうは、こごえていた嬰児あかごが、母のあたたかな乳房ちぶさへすがりついた時のように、ひしと、ひしと、その人の胸むねにかじりついて、

「あなたは鞍馬くらまのお師匠ししょうさま! オオ、お師匠さまではございませんか」

と、声もからだもふるわせた。

「わかったか竹童、いかにもわしは果心居士かしんこじじゃ。ずいぶん久しく見えなかったのう」

「では、やっぱりお師匠さまでございましたか、ああ、おすがたを見たいにも、竹童めは、なんの罰ばちでか、このような盲めくらとなってしまいました」

「竹童、目がつぶれたことを、おまえはそんなに不自由とおもうか」

「はい、伊那丸いなまるさまのおんために働くことはおろか、だいじな鷲わしをとり返すことさえできませぬ」

「そして、それを悲かなしいと思うか」

「お師匠さま。これがなんで悲しまずにおられましょう」

「まだまだおまえは修行しゅぎょうが足りない。なぜ盲めしいとなったなら、心眼しんがんをひらくくふうをせぬ。ものは目ばかりでみるものではない。心の目をひらけば宇宙うちゅうの果てまで見えてくるよ。……しかし、おまえはまだ歳としも歳じゃ、このりくつは、ちっとむずかしかろう」

「はい、わたしにはよくわかりませぬ」

「よしよし、おまえの目は、もともと生まれつきの眼病がんびょうではない。吹針の蚕婆かいこばばあ、あれの毒針どくばりに目をふかれたためじゃ。わしが一つなおしてやろう」

「えッ、お、お師匠ししょうさまッ。ではこの目を見えるようにしてくださいますか」

「ウム! 竹童ちくどう。まずその太刀たちを鞘さやにおさめて、わしの腕にしっかりとつかまっているがよい」

いわれるまま竹童は、地べたをさぐって般若丸はんにゃまるをひろい、果心居士かしんこじの右腕みぎうでにからみつくと、居士は藁わらでも持つようにフワリと竹童のからだを小脇こわきにかかえ、やがて、八神殿しんでんの裏宮うらみやから境内けいだいをぬけ、森々しんしんたる木立こだちのおくへ、疾風しっぷうのように駈かけこんでいった。

竹童はおよぐように引っかかえられていた。

さっさつと――風があたる。

バラバラと雨のごとき夜露がぶつかる。

居士は愛弟子まなでし竹童をかかえて、いったいどこへつれていく気か? やがて森林をぬけて、紫野むらさきののはて、舟岡山ふなおかやまの道を一さんにのぼりだした。

ゴウ――ッという水のおと。

それはほどなく近づいた雷神らいじんの滝たきのひびきである。暗々あんあんたる梢こずえから梢を、バラバラッと飛びかうものは、夜の夢ゆめをやぶられたむささびか怪鳥けちょうであろう。

鞍馬くらまの道士どうし果心居士、竹童をひっかかえて岩頭がんとうにたち、鞺鞳とうとうたる雷神らいじんの滝を眼下がんかにみた。

「竹童!」

居士こじの、こう呼ぶ声をきいたが、かれは小脇こわきに引っかかえられていて、こたえる声さえでなかったのである。

と――居士は両手をさし伸のばして、あわやという間まに竹童ちくどうのからだを、目よりも高くさし上げた。

そして、もいちど呼んだのである。

「竹童!」

「はい……」

かれは、虚空こくうにおよぎながら、かすかに、しかし、はっきりと答えた。

「おまえはその目が開ひらきたいか」

「ハイ、開きとうございます」

「なんのために」

「…………」

「なんのために?」

「りっぱな人間となりますために」

「ウム」

「そして正義せいぎの武士ぶしとなりますために」

「ウム。ではそのためには、どんな艱難辛苦かんなんしんくもいとうまいな」

「いといませぬ。たとえこの身がどうなりますとも」

敢然かんぜんたる声でいった。

「オオ、それでこそ、師たるわしもはりあいがある。雷神らいじんの滝たきの宙天ちゅうてんで誓ちかいをたてたことばを終身しゅうしんの守まもりとするなら、おまえはおそらく天下の何人なんぴとにも、おくれをとらぬ武士ぶしとなるであろう。オオ、苦しめ苦しめ! 苦しまぬ者はみがかれぬ。八神殿しんでんの八柱やはしらの神々、あわれ竹童を、このうえとも苦しめたまえッ」

祈いのるがごとく、吠ほえるがごとく、雷神の滝の岩頭がんとうに、果心居士かしんこじの声がこうひびいた時である。

「あッ――」

と、いうと鞍馬くらまの竹童。

ドウッ――と鳴る滝津瀬たきつせの音を、さかしまに聞いて、居士の手から闇やみのそこへまッさかさまに投げこまれた。

白鳥はくちょうの予言よげん

一

枯かれ木をあつめて焚たいた燃もえのこりの火が、パチパチとわずかな火の粉をちらし、一すじのうすじろい煙けむりは、森の梢こずえをぬけて、まっすぐに立ちのぼっていた。

その火のまわりを取りまいて、夜の明けるのを待ちさびしげに語りあっている三人の武士ぶし。

あかき光を正面しょうめんにうけて、薪束まきたばのうえに腰こしをかけている影かげこそ、まさしく伊那丸いなまるであり、その両側りょうがわにそっているのは、木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、加賀見忍剣かがみにんけん、いつも、すきなき身がまえである。

「若君わかぎみ。待つというものは久しいもの、まだなかなか夜が明けそうもござりませぬな」

「そちたちは、火にぬくもったところで、少しここでやすんではどうじゃ」

「いや、なかなか寝ねられるどころではございませぬ」

こういったのは忍剣である。

「夜明けと同時に、天てんヶ丘おかをくだる呂宋兵衛るそんべえの列れつを待ちうけ、勝頼公かつよりこうのお乗物のりものを、首尾しゅびよくとるかいなかのさかい。――それを思うても眠られぬし、また、日陰ひかげに敵てきのいましめをうけておわす、大殿おおとののご心中しんちゅうを思うても、なかなか安閑あんかんとねている場合ではございませぬ」

「おっしゃる通りじゃ」

木隠もうなずいて、

「たくみに大殿をワナにおとし入いれ、桑名くわなにいる秀吉ひでよしの陣屋じんやまで、送りとどけんとする呂宋兵衛、さだめし明日あすはぎょうさんな人数にんずをもってくりだすことでしょう。ここぞ、若君にとって、武運のわかれめ、忍剣どのもおぬかりあるなよ」

「いうまでもない。たとえなにほどの敵だろうとも、降魔ごうまの禅杖ぜんじょうは、にぶりはしませぬ」

「いつもながらふたりの者のたのもしさ、わしはよい味方を持ってしあわせに思う」

と、伊那丸いなまるは心から、よろこばしげに、

「その意気いきをもってするからには、たとえ敵陣てきじんのかこみのうちに、無念むねんの鬼おにとなろうとも、わしは心残こころのこりではない」

「心よわいことをおおせ遊ばすな。呂宋兵衛るそんべえこそ、多少蛮流ばんりゅうの幻術げんじゅつを心得こころえておりますが、他の有象無象うぞうむぞうは、みなたかの知れた野武士のぶしや浮浪人ふろうにんの寄よりあつまり、きっとけちらしてごらんに入れましょうから、お心やすく思おぼしめせ」

「そうとも、死をいとうのではないが、こんど、木隠こがくれとこの忍剣にんけんがお供ともをしてきて、首尾しゅびよう大殿おおとののご安否あんぴをつきとめねば、小太郎山こたろうざんにのこっている、小幡民部こばたみんぶや咲耶子さくやこや小文治こぶんじなどにも笑われ草……」

と、つとめて、伊那丸の勇気ゆうきを鼓舞こぶするため、ふたりが快活かいかつに話していると、あなたの林をへだてた闇やみにあたって、ドボーン! とすさまじい水音がたった。

「や、あれは……?」

「雷神らいじんの滝たきのあたり、まさしくその滝壺たきつぼになにかあやしいもの音がいたしたようす」

「それ、あらためてみよう」

というと、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは、手ばやく、用意よういの松明たいまつを焚火たきびに突つっこんで燃もえうつし、それをふりかざしてまっさきに走りだした。

木々のあいだを縫ぬっていく、松明たいまつのあかい光について伊那丸いなまるも忍剣にんけんも滝壺たきつぼのほとりへ向かって歩ほをはやめる。

たちまち見る、眼前がんぜんの銀河ぎんが、ドウッ――と噴霧ふんむを白くたてて、宙天ちゅうてんの闇やみから滝壺へそそいでいる。

「龍太郎、龍太郎!」

伊那丸は雑木ぞうきをわけて、まっ暗な淵ふちをのぞきながら指さした。

「そこへ松明をふってみい」

「はッ」

「あぶない! 岩苔いわごけにすべるなよ」

「おあんじなさいますな」

と龍太郎、松明を左手にもって、ヒラリ、ヒラリ、と岩から岩へとびうつっていった。

二

漆うるしの渦うずまくを見るようなものすごい闇の滝壺である。そこに、百千の水龍すいりゅうが、泡あわをかみ霧きりをのぞんで躍おどっている。

「おお、人がおぼれているぞ」

さけんだのは、加賀見忍剣かがみにんけん。

「なに、人がおぼれていると?」

「やッ――また沈んでいった、木隠こがくれ木隠、早くこっちへ松明たいまつをかざしてみてくれ」

「待て、ただいままいるから」

と龍太郎りゅうたろうは、また二つ三つの岩をとんで、忍剣のそばへ寄っていった。

焔ほのおを高くささげながら、じッと、あわだつ水面を透すかしてみていると、やがて真白まっしろな泡あわがブクブクと湧わきあがって、そのなかから、蓬よもぎのような、人間の黒髪がういてみえた。

「しめた!」

と忍剣は、岩につかまって鉄杖てつじょうのさきをのばした。おぼれている者は、まだ多少の意識いしきがあるとみえて、目のまえにだされた鉄杖へシッカリと、両手をかけた。

「オオ、はなすなよ――」

と声をかけながら、ズーと岩の根へひき寄せると、滝壺たきつぼのなかのものはプーッと水を吹きながら、けんめいにはい上あがろうともがくのである。

「拙者せっしゃの手にすがるがよい」

龍太郎が片手をだした。

氷こおりのようにこごえた手が、ビッショリと雫しずくをたらしてそこへすがってきた。――と同時に、滝壺のなかからはいあがってきた少年をみたふたりは、おもわず声をあげて、

「やッ、そちは竹童ちくどうではないか!」

見まもると、上にいた伊那丸いなまるも、

「なに、竹童じゃ……」

とうたがうように叫さけんだ。そして、森のなかへすくいあげてから、たしかに鞍馬くらまの竹童だとわかると、伊那丸をはじめ、あまりの意外いがいさにぼうぜんとしたほどだった。場所もあろうに、深夜しんやの滝壺たきつぼから、法師野ほうしのいらい、久しく姿すがたを見うしなっていた竹童をすくいだそうとは、なんたる奇蹟きせき! あまりのことにあきれるばかりであった。

しかし、その人々のおどろきよりは、竹童のおどろきのほうが、どんなに強いものだったか知れない。

かれは、忍剣にんけんに、森のなかへかかえこまれてきた時にありありとそこに燃もえている赤い火をみた。

その火に照らされている、伊那丸のすがた、龍太郎の顔、忍剣の禅杖ぜんじょうも、あきらかに、かれの眸ひとみに見えたではないか。

かれの目が癒いえた。竹童の目があいた。

鞺鞳とうとうたる滝たきの水にうたれて毒どくが洗われたためか――あるいは、竹童の精神を修養しゅうようさせる果心居士かしんこじの心で、居士が、神力をもって癒やしたものか、とにかく、竹童はおのれの目の見えるのを疑うたがい、と同時に、絶たえてひさしき人々を、ここに見たのを夢のように、ふしぎがった。

竹童ちくどうの話をさきに聞いてから、龍太郎りゅうたろうと忍剣にんけんは、かわるがわるに、こんどの、都入みやこいりの大事をはなして聞かせた。

竹童は四方よもの話をしているあいだに、ぬれた衣服いふくを焚火たきびにほして身にまとった。その火のぬくみに全身ぜんしんの血が活々いきいきとよみがえってくるのをおぼえて、かれは、この新しい力を、どこへそそごうかと勇いさみたった。

話をきけば、夜明けとともに、若君わかぎみの伊那丸いなまるは、ふたりを力に、天てんヶ丘おかから降おりてくる和田呂宋兵衛わだるそんべえの一族ぞくをむかえ、桑名くわなに送られる父勝頼君かつよりぎみをうばいとらねばならぬとのことである。

いい機会きかいにめぐりあった竹童は、その壮挙そうきょに加わりたいとねがって、すぐ伊那丸の許ゆるしを得た。

「では、龍太郎さま、忍剣さま」

かれは、気早きばやに立ちあがって、

「まだ夜は明けておりませぬが、わたしは一足ひとあしさきに、天ヶ丘へのぼって、呂宋兵衛のようすをさぐり、やがてほどよいところから、みなさまに合図あいずをいたすことにいたしまする」

「ウム、いつも間諜かんちょうの役やくは竹童の得意とくい、おまかしなされてはどうでござりましょう」

忍剣が伊那丸の顔をあおぐと、伊那丸も小気味こきみよいやつとうなずいて、竹童のすがたを見ながらこういった。

「では、われわれ三人は、天てんヶ丘おかから十四、五町ちょう手まえ寒松院かんしょういんの並木なみきにかくれて待つであろう。そちは身なりの目立たぬのをさいわい、出立しゅったつのようす、人数にんず、道順みちじゅん、落ちなくさぐって知らせてくれい」

「はい。かならずくまなく見とどけてまいります。ではまだ雷神らいじんの滝たきの上に、お師匠ししょうさまがおいでになるかも知れませぬゆえ、ひとことお礼を申しあげて、すぐその足で天ヶ丘へむかいまする」

「なんという。では、果心居士かしんこじ先生が、この近くにおいであるのか。オオ、ちょうどよいおり、ぜひお目にかかっておこう」

と伊那丸いなまるはにわかに立ちあがった。

龍太郎や忍剣も、居士のすがたを拝はいさぬこと久しいので、先の松明たいまつをふりかざし、竹童をあんないにして、雷神の滝の断崖だんがいをよじ登のぼっていくと、やがて竹童。

「みなさま、ごらんなさいませ。あのいちばん高い岩の上に、お師匠さまが立っておられます。そしてこちらの松明たいまつが、近づいていくのを待っておいでなされます」

指さすかたをみると、なるほど、滝の水明かりと、ほのかな星影ほしかげの光をあびて、孤岩こがんの上に立っている白い道士どうしの衣ころもがみえる。

「おお、老先生――」

龍太郎は、はるかに見てさえ、なつかしさにたえぬように、声をあげた。

熊笹くまざさにせばめられた道、凹凸おうとつのはげしい坂、息いきをあえぎあえぎ、その岩いわの根ねもとまでいそいできた四人は、そこへくると同時に、岩の上をふりあおぎ、声もひとつによびかけた。

「果心かしん先生! 果心先生!」

すると――おおという声はなく、ふいに、孤岩こがんの上の道士どうしのすがたが、ふわりと宙ちゅうへ舞まいあがったので、四人のひとみも、あッ――と空へつられていった。

その時――

夜はまだ明けぬが有明ありあけの月つき、かすかに雲の膜まくをやぶって黒い鞍馬くらまの山の端はにかかっていた。

白き衣ころもをつけた居士こじのすがたとみえたのは、はからざりき一羽わの丹頂たんちょう! まっ白な翼つばさをハタハタとひろげて、四人の上に輪わをえがいて舞まいめぐり、あれよと見るまに有明けの月のかげをかすめて、いずこともなく飛んでしまった。

しかし、四人はまだ、なお岩の上に、果心居士かしんこじがいるような心地ここちがして、その上まで登ってみた。そこにはだれもいなかった。

ただ残っていたのは一本の刀。

滝壺たきつぼのなかに落としたとばかり思っていた、竹童ちくどうの愛刀般若丸はんにゃまるは、水にもぬれずにおいてある。

「や、まだなにやらここに……?」

と、伊那丸いなまるはたいまつの光をよんで足もとをみつめた。

見ると、岩をけずって、数行すうぎょうの文字が小柄こづかで彫ほりのこされてある。それは、うたがう余地よちもなく、果心居士かしんこじらしい枯淡こたんな筆ひっせきで、

父子ふしの邂逅かいこうはむなしく

小太郎山こたろうざんの砦とりではあやうし

とただ二行ぎょうの文字であった。

しかし、この二行にすぎぬ文字の予言よげんは、武田伊那丸たけだいなまるにとって、否いな、その帷幕いばくの人すべてにとって、なんと絶望的ぜつぼうてきな、そして戦慄せんりつすべき予言よげんではあるまいか。

泣なき饅頭まんじゅう

一

予言よげんは、よき未来みらいの暗示あんじであり、いましめの謎なぞである。かならずしも、文字の表おもてにあらわれている意味ばかりが真まことなのではない。その裏うらの意味もふかく味読みどくしてみねばならぬ。

父子ふしの邂逅かいこうはむなしく

小太郎山こたろうざんの砦とりではあやうし

孤岩こがんの上に――こう彫ほりのこした果心居士かしんこじの心は、どう解といたらいいであろうか?

伊那丸いなまるをはじめ、忍剣にんけんも龍太郎りゅうたろうも、また竹童ちくどうも、ひとしく松明たいまつの燃もえつきるのを忘れて、岩上がんじょうの文字をみつめ予言よげんの意味いみをときなやんでしまった。

これを、読んで文字のごとく考えれば、

(伊那丸よ――おまえのいま望のぞんでいることは無益むえきであるぞ、徒労とろうであるぞ、幻滅げんめつをもとめているにすぎないぞよ、そして、そんなことをしているまに、留守るすの小太郎山こたろうざんの砦とりでは、徳川家康とくがわいえやすにおそわれて、あの裾野すそのの陣じんの終局しゅうきょくをむすばれてしまうぞよ――)

思うてみるさえ、おそろしい声がきこえる。

だが、まさかそんなことはあるまい!

伊那丸は心のそこで、否定ひていした。

これは老先生の激励げきれいであろう。いまが大事なときであるぞと、凡夫ぼんぷのわれわれを鼓舞こぶしてくださる垂訓すいくんなのであろう。すなわち、予言の裏うらにふくむ真意しんいをくめば、

――ここに最善さいぜんのつとめをなさねば汝なんじと父ちち勝頼かつよりとの、父子ふしのめぐり会うのぞみはついにむなしいぞ。

――ここにゆうゆうといたずらな日を過すごすときは、小太郎山の砦もあるいは危あやうからん。

というおことばなのにそういない!

忍剣にんけんもそう解といた。

龍太郎りゅうたろうも、それにちがいないといった。

で、武田伊那丸たけだいなまるは、いやがうえにも、希望きぼうをもった。武者むしゃぶるいとでもいうような、全霊ぜんれいの血と肉にくとの躍おどりたつのがじぶんでもわかった。

「おのれ和田呂宋兵衛わだるそんべえ、きょうこそは、かならず汝なんじの手から父君ちちぎみをとり返してみせるぞ」

固かたくかたく、こう誓ちかった。

そして、予言よげんの文字に吸すいつけられていた眸ひとみをあげてふと有明ありあけの空をふりあおぐと、おお希望の象徴しょうちょう! 熱血ねっけつのかがやき! らんらんたる日輪にちりんの半身はんしんが、白馬金鞍はくばきんあんの若武者わかむしゃのように、東の雲をやぶってあらわれた。

夢ゆめからさめたようにあたりをみると、舟岡山ふなおかやまは水いろにあけている。春のあけぼの! 春のあけぼの! 小鳥はそういって歌っていた。森をこえて紫野むらさきのの里さとに、うす桃色ももいろの花の雲をひいて、今宮神社いまみやじんじゃの大屋根おおやねが青さびて見える。

「夜が明けた!」

竹童ちくどうが、とびあがるような声でいった。

「おお!」

と龍太郎と忍剣、きッとなって、伊那丸いなまるの顔をみながら、

「若君わかぎみ、時刻じこくをうつしては一大事です。ともあれ竹童を先にやって、天てんヶ丘おかのようすを、しかと見とどけさせましょう」

「ウム、そしてわれわれは、寒松院かんしょういんの松並木まつなみきに待ち伏ぶせているか」

「それが、上策じょうさくとかんがえまする」

「竹童」

「はい」

「心得こころえたか」

「たしかにうけたまわりました」

「では、これを――」

と龍太郎が、狼煙筒のろしづつを、竹童の手へわたして、

「呂宋兵衛るそんべえをはじめ天ヶ丘の者どもが、山をくだって、寒松院の並木へかかるころを見はからい、この狼煙をうちあげてくれい。時ならぬ狼煙の音におびやかされて、きゃつらは、かならずうろたえるにちがいない」

「その虚きょにつけ入って、呂宋兵衛の一族をけちらし、勝頼公かつよりこうのお駕籠かごをうばいとる、ご計略けいりゃくでございますか」

「そうじゃ。機きをあやまらぬようにいたせ」

「かしこまりました。ではみなさま――」

般若丸はんにゃまるをさしなおして、伊那丸いなまるに一礼すると、もうヒラリと岩の上から飛びおりていた。そして、バラバラと舟岡山ふなおかやまをかけおりていく彼のすがたを見送っていると、たちまち、崖がけをこえ、雷神らいじんの滝たきの流れをとび、やがて森から紫野むらさきののはてへ霞かすんでしまった。

そのはやいことはやいこと、まるで鹿しかのようである。もっとも、あのけわしい鞍馬くらまの谷や細道になれきッている竹童ちくどうだ。ここらの山や森などは、ほとんど、坦々たんたんたる芝生しばふの庭をかけるようなものだろう。

「あれ、ごらんあそばせ」

龍太郎りゅうたろうが、そのうしろ姿を指さしていう。

「竹童め、今朝けさはすッかり忘わすれております」

「なにを?」

と、伊那丸がきく。

「きのうまでは盲めくらであったが、老先生のお力で、にわかにアアなったことをまるで忘れているらしゅうございます」

「お、……それが童子どうじらしいところである」

微笑びしょうをもってながめていた伊那丸は、愛らしいやつ、――たのもしいやつ――そう思ってうなずいた。

やがて、その三人も、雷神らいじんの滝たきの岩頭がんとうをおりた。そして、裏道うらみちをめぐって、敵の廻まわしものに覚さとられぬように、ひそかに寒松院かんしょういんの並木なみきにかくれ、腕うでをさすッて、合図あいずの狼煙のろしを、待ちうけていた。

二

「オオ、寒さむい」

正気しょうきにかえって、ポカンとあたりを見まわしたのは、ゆうべ、今宮神社いまみやじんじゃの境内けいだいで、馬にけられてヘドを吐はいて、あのまま気絶きぜつしていた泣き虫の蛾次郎がじろう。

「オオ寒、寒、寒……」

ブルブルガタガタふるえている。

ひょいと見ると、目のまえには、じぶんの吐はいたご馳走ちそうやら、馬の糞ふんやら紙屑かみくずやらで、きれいな物は一つもない。

この汚穢おわいだらけな地面の上に、気をうしなって寝ていたかと思うと、いくら洒しゃアつくな蛾次郎でも、さすがにすこしあさましくなって、今朝けさの寝起ねおきは、あまりいい気持でなかった。

「アア、おなかがペコペコだ……」

起きるとすぐに食くうしんぱい。

ゆうべスッカリ吐きだして、今朝けさは胃袋いぶくろが、カラッポになっているとみえて、食慾しょくよくばかりになった目つきで、しきりに、そこらをキョトキョトと見まわしながら、

「なにかないかナ、なにかないかナ……」

泥どろだらけな着物もハタかず、ふらふらと立ちあがった。

その姿や寝ぼけ面づらが、おかしいとみえて、すぐそばの神馬小屋しんめごやで、白と黒と二疋ひきの馬が、ヒーンと鼻で吹きだした。すると頭の上のモチの木でも、鴉からすがカーッと啼なき合わせた。

虫のいどころが悪かった。

「ばかア! てめえのことじゃねえやい」

と、蛾次郎がじろう、鴉をどなりつけて、スタスタと向こうへ歩きだした。

すると、あった! あった!

ひとつの御堂みどうの神前しんぜんに、蛾次郎の見のがしならぬものがあった。

蕎麦そばまんじゅうのお供物くもつである。

きのうのお祭まつりに、氏子うじこがあげた物であろう。三方さんぽうの上に、うずたかく、大げさにいえば、富士ふじの山ほど積つんであった。

犬もあるけば棒ぼうにあたる!

これなるかな、これなるかなと、蛾次郎はそこで、よだれをたらして見とれてしまった。

「ちぇッ、ありがたし、かたじけなし」

と泣き虫の蛾次郎、じぶんのおでこをピシャリとたたいて、神さまに感謝かんしゃしたのである。が、さてと口に唾つばをわかせてみると、いけないことには、厳重げんじゅうな柵さくをめぐらしてあって、いくら長い手をのばしてみても、とても、そこまではとどかない。

「ウーム、いまいましいなア」

宝の山に入いりながら、この蕎麦そばまんじゅうに手がとどかないとは、なんたる無念むねんしごくだろうというふうに、胃液いえきをわかせながら蛾次郎がじろうの目がすわってしまった。だが、こういう事業にたいしては、人一倍ばいの熱をもつ蛾次郎である。たちまち一策さくをあんじだして、蕎麦まんじゅうの曲取きょくどりをやりはじめた。

そこらで見つけてきた一本の細竹ほそだけ、先をそいでとがらせ、柵さくのそとから手をのばして、三方ぽうの上のまんじゅうを上から一箇こずつ突ついては取り、突いては食たべ、口の中へ五つばかり、ふところの中へ八つばかり、まんまと、せしめてしまったのである。

「エヘン。どんなものだい、蛾次郎さまのお手なみは」

これで兵糧ひょうろうもでき、目もさめた。

「さア、これからきょうはどうしよう、どうしておもしろくあそぼうか」

富士の裾野すそのをでていらい、鷲わしに乗って北国ほっこくも見たし、東海道とうかいどうも見物けんぶつしたし、奈良ならの堂塔どうとう、大和やまとの平野、京都の今宮祭いまみやまつりまで見たから、こんどはひとつ思いきって、四国へ飛ぼうか、九州へいこうか?

なにしろ――前途ぜんとは洋々ようようたるものだ。

ひとまず、きょうは天てんヶ丘おかへかえって、ゆッくりと考えたうえにしよう。

おお、天ヶ丘といえば、おればかりご馳走ちそうを食たべあるいて、クロのことをすッかり忘れていた。あの丘おかの奥おくの松の木へ、鎖くさりでしばりつけておいたから、逃にげる気づかいはちっともないが、きッと腹をへらしているだろう。

こう気がついたので蛾次郎がじろうも、にわかに足をはやめて今宮神社いまみやじんじゃの内うちから、天てんヶ丘おかのほうへ歩きだした。

すると、ちょうどその麓ふもと。

南蛮寺なんばんじののぼりにかかろうとする参道さんどうの並木なみきを、忍しのびやかにゆく人かげがある。

まだ朝霞あさがすみがたちこめているので、おおかた薪拾まきひろいの小僧こぞうか、物売ものうりだろうくらいに思っていた蛾次郎は、だんだん近づいて見てびっくりした。どうも、それは鞍馬くらまの竹童ちくどうらしい。

「おやッ」

蛾次郎は、もういっそうちかくよってみた。まちがいなく竹童である。

「だが、へんだなあ。……あいつ目が見えないくせにして、いやにまっすぐに向いて歩いていやがる。ははア読よめた……よく盲めくらというやつは、見えるふりをして歩くというが、竹童もそれであんなにすましているんだな。うふッ、……また一つからかって見てやろうか」

と、ひとり合点がてんをして泣き虫の蛾次郎、止よせばよいのに性懲しょうこりもなく、また悪戯心いたずらごころをおこして、竹童の後からピタピタとついていった。

三

霞かすみにぼかされた松の丘に、南蛮寺なんばんじの朱門あかもんは、まだ、かたくとざされてあった。

稲妻形いなずまがたについている石段いしだんの道を見まわしても、きれいな朝露あさつゆがたたえられて、人の土足どそくにふみにじられているようすはない。

きょうの朝まだきに、桑名くわなに在陣ざいじんする秀吉ひでよしのところへ向けて、和田呂宋兵衛わだるそんべえが護送ごそうしていこうとする勝頼かつよりの駕籠かごは、まだあの朱門あかもんをでて山をくだっていないようだ。……竹童ちくどうはまずよかったと、そこでいっそう身をかがませながら、はうようにして、石段を一歩ぽ一歩とのぼっていく……

それを見ると、蛾次郎がじろうは、

「あはははは。やっぱり盲めくらだ、石段を四つンばいになって登のぼっていきゃアがる」

と、嘲笑あざわらいながら、心をゆるめてしまった。そこで、ふところの蕎麦そばまんじゅうを半分たべて、のこりの半分を、ポンと竹童の背なかへ投げつけながら、

「おい、鞍馬くらまの竹童――どこへいくンだい」

と呼びかけた。竹童は、ハッとして石段へ身をねかせた。そしてジロリと、ふりかえって見ると、ゆうべ八神殿しんでんの床下ゆかしたでにがした蛾次郎だ。

「ああ、またきたな」

と思ったが、はやる心をおさえて、なお盲のふりをしながら、しずかに天てんヶ丘おかへのぼりだすと、蛾次郎がじろうは、それとも知らずに、

「オイオイ、つんぼかい?」

いよいよ図ずにのって、減へらず口ぐちをたたきだした。

「ゆうべはつんぼじゃなかったはずだ。盲めくらの上にツン的てきときたひにゃ、それこそ、でくの坊ぼうよりなッちゃあいねえからな。ええオイ竹童……おッと、こいつは俺おれがまちがった。おまえは八神殿しんでんの床下ゆかしたをお屋敷やしきとしている、天下のお乞食こじきだッたんだっけ。それじゃ返事をしないはずだよ。ではあらためて呼びなおすことにしよう……」

蛾次郎、ますますお調子ちょうしづいて、いまや、その身が竹童の般若丸はんにゃまるの切きッ先に、まねき寄よせられているとは知らずに、ノコノコとすぐ後うしろへまで近よっていった。

そして、黄色きいろい歯はをムキだして、ゲタゲタと笑いながら、竹童の顔を、肩かたごしにのぞくようにしながら、

「――もし、天下のお乞食さま。おめえ、これからどこへいくのよ。南蛮寺なんばんじの台所だいどころか、それにゃ、まずすこし時刻じこくが早かろうぜ。おあまりは朝飯あさめしすぎにいかなけりゃくれやしないよ。うふふふふ……怒おこってるのか。澄すますなよ。はずかしいのか、蛾次郎さまにすがたを見られて……。まアいいじゃアねえか、なアおい竹童、おれとおめえとは、いまじゃ身分がちがってしまったが、もとは裾野すそのの人無村ひとなしむらで、おなじ柿かきの木の柿をかじりあった仲だ。――おれはおめえに同情どうじょうしているんだぜ。だからよ、ゆうべだッて、おれから声をかけたんじゃねえか。うまい飴あめン棒ぼうでもしゃぶらしてやろうと思って、ひとが親切しんせつにいったものを、コケおどしの刃物はものなんぞふりまわして、よせやい、おれだって、はばかりながら、刀ぐらいは差さしているんだからな」

竹童ちくどうは、唖おしのようにだまっていた。

しかし、全身の血は、沸たぎりたち、毛もよだつほど怒おこっていた。だが、――いまは、どこまで盲めくらの態ていをみせて蛾次郎がじろうにゆだんをさせ、その素そッ首くびをひンねじってやろうと、心の奥おくにためきって、かれの悪口雑言あっこうぞうごんを、いうがままにこらえている。

「エエ、オイ、なんとかいえよ、なんとか」

蛾次郎は、竹童のからだから棘とげの立っているのに気づかず、いきなり蕎麦そばまんじゅうをムシャムシャ食たべて、

「やい乞食こじき、これでも食くらえ」

と、その食くいかけを、竹童の口もとへ持っていった。

待っていたぞ――と、いわぬばかりに。

「逃げるな、蛾次!」

と、いうがはやいか、鞍馬くらまの竹童、顔まできた蛾次郎の右の手を、いきなりつかんでひきよせた。

「あッ! こ、こいつ」

「よくやってきた。思いしれ」

と竹童は、その利きき腕うでをねじあげて、石段の中途ちゅうとへ、押おしたおした。

「おう! て、てめえ目が見えるのか」

と押おしふせられながら蛾次郎がじろうは、胆きもをつぶして、ふるえあがった。竹童ちくどうはその上へのって、膝ひざがしらで、相手の腕をおしつけ、両手で喉のどと腕首をしめつけて、ビクとも動きをとらせずに、

「やい蛾次公がじこう! よくもおのれは、この竹童を、さんざんに恥はずかしめたな。うぬッ、どうするかおぼえていろ」

「あッ――か、か、かんにんしてくれ」

「えい、いまになって、卑怯ひきょうなことをいうな」

「あやまる、あやまる、あやまる! あやまりますから! かんべんしてくれッ!」

「だめだ! だめだ! だめだッ。もうなんといッたってゆるすもんか、ここでおいらの手につかまったのが百年目だ、般若丸はんにゃまるの斬きれあじを試ためしてやるから、そう思え」

と、刀の柄つかへ手をやった。

「アア待ってくれ、竹童、竹童さまーッ」

と、蛾次郎はついに本性ほんしょうをだして、ベソをかきながら悲鳴ひめいをあげた。

「待ってくれよ、おめえに返すものがある。おれを殺してしまうと、それがわからなくなるぜ」

「なに? 返すものが……オオ鷲わしをか」

「そうだ。クロを返すから、命いのちだけを助けてくれ」

「きっとだな!」

「きっと!」

「よし、クロを返すというならば命いのちだけは助けてやる。だが、それはいったいどこにあるのだ」

「す、す、……すこうし手をゆるめてくれなくちゃ、のどがくるしくって、声が……」

「さッ、はやくいえ!」

と少しからだを浮かしてやると、そのとたんに、泣き虫の蛾次郎がじろう、ドンと足をあげて竹童の頤あごを蹴けとばした。あッ、と竹童もふいを食くったが、胸むなぐらをつかんでいた手をはなさなかったので、足を踏ふみはずした勢いで、蛾次郎もろともに、ゴロゴロゴロと、二つのからだが、俵たわらのように、石段の中ほどから下までころげ落ちていった。

地を裂さく雷火らいか

一

ごろんと石段の下にとどまると、蛾次郎はいきなり、竹童の唇くちへ、爪つめをひっかけた。

「なまいきなッ」

と竹童、その手をはらって、襟えりがみをつかみ、腰こしをあてて、車投くるまなげに、――ぶんと、大地へなげつける。が、蛾次郎もここ一生の命いのちがけ、投げつけられて立つや否いな、バラバラッと横ッとびに逃にげだした。

「待てッ――」

なんで竹童の足にかなうものか! すぐ追おいつかれそうになる、これはとおどろいて、蛾次郎、高くそびえ立った一本の樫かしの木へ猿ましらのようにツツッ――とよじのぼった。

木登きのぼりは、また竹童の得意とくいとするところ。

かれが猿さるなら、竹童はむささびのごとく敏捷びんしょうだ。ピョンと枝へ飛とびつくと、もう蛾次郎の踵かかとをつかまえた。

「わッ!」と蛾次郎。

あぶなくすべり落ちそうになったところを、蹴けはなして、ザワザワと横枝へはいだした。人の重味で樫かしの枝が弓ゆみなりになって崖がけへさがる――すぐあとからまた、竹童が猿臂えんぴをのばしてきた。南無なむ三! 蛾次郎はポンと枝から崖がけへ飛びうつっていちもくさんに天てんヶ丘おかへかけのぼった。

鷲わしだ、鷲だ!

こんな時には手のとどかない、地面をはなれてしまうのが一番安全あんぜん。

こう思って蛾次郎は、いつぞや、クロをつないでおいた松の木の下まで、無我夢中むがむちゅうにかけのぼってきてみると鷲は、人の跫音あしおとを聞きつけて、羽はばたきの音を高々とさせている。

「おお、いたな! ありがてえ」

息をはずませてかけよった。

そして汗あせを拭ふくまもなく、クロの足をしばりつけてある鎖くさりをガチャガチャ解ときはじめた。だが、――意地いじわるく、急げばいそぐほど、鎖は笹ささや枯草かれくさにひっからんで、容易よういにむすびこぶしが解とけない。

とこうするまに、鞍馬くらまの竹童ちくどう、ヒョイと見うしなった蛾次郎がじろうのすがたを血眼ちまなこで、さがしながら、もうすぐそこまで、のぼってきた。

「オオ、クロがいた! おれのクロだ!」

かれは思わずこうさけんだ。あたかも、暗夜あんやに見うしなった肉親の姿でも見つけたように――

と、ちょうどその時である。

南蛮寺なんばんじの奥おくのほうから、ジャン、ジャン、ジャン! 妖韻よういんのこもった鐘かねの音ね――そして一種の凄味すごみをおびた貝かいの音ねがひびいてきた。ハッと思ってふり向くとたんに、丘おかのいただきにある南面の朱門あかもんが、魔王まおうの口を開いたように、ギーイと八文字に押おしひらかれた。

同時に――

その朱門の中からワラワラとあふれだしたおびただしい浪人武者ろうにんむしゃ! 黒装束くろしょうぞくへ小具足こぐそくをつけたるもの、鎖襦袢くさりじゅばんをガッシリと着きこんだもの、わらじ野袴のばかまに朱鞘しゅざやのもの、異風いふうさまざまないでたちで、その数五十人あまり。

百鬼夜行ひゃっきやこうということはあるが、これは爛々らんらんたる朝の陽ひをあびて、その装束しょうぞくが同じからぬごとく、その武器ぶきも槍やり、太刀たち、かけや、薙刀なぎなた、鉄弓てっきゅう、鎖鎌くさりがま、見れば見るほど十人十色。

「それッ、列れつをみだすな、駕籠わきへつけ、駕籠わきへ」

なかに、ひとりこういって、手をふりあげた者がある。これぞたしかに、紅毛黒衣こうもうこくいの怪人かいじん、和田呂宋兵衛わだるそんべえにまぎれもない。

黄金おうごんの鎖くさりを胸むねにたらした銀色ぎんいろの十字じ架か、それが、朝陽あさひをうけて、ギラギラ光っている。

「おう!」

と答えて、ひとつの駕籠のまわりへ、警固けいごについた者たちを見ると、おなじ黒布こくふをかぶり黒衣こくいをつけた吹針ふきばりの蚕婆かいこばばあをはじめ、呂宋兵衛のふところ刀、丹羽昌仙にわしょうせん、早足はやあしの燕作えんさく、このほか、腕うでぶしの強そうな者ばかり、ひしひしと足なみをそろえた。

そして、あたかも、深岳しんがくの狼おおかみが、群むれをなして里さとへでるごとく、列れつをつくって、天てんヶ丘おかの石段いしだんを下くだりはじめる。中にはさんでいく一挺ちょうの鎖駕籠くさりかごは――まさしく、桑名くわなの羽柴秀吉はしばひでよしへおくらんとする貴人きじんの僧形そうぎょう、武田勝頼たけだかつよりが幽囚ゆうしゅうされているものと見られる。

「やッ! 呂宋兵衛がいく、勝頼さまのお駕籠かごがいく」

それを見るや竹童ちくどうは思った。寒松院かんしょういんの並木なみきに待ちぶせている伊那丸いなまるやそのほかの人々に、すこしも早く、このことを合図あいずしてやらねばならぬと。――

といって――

狼煙のろしのしたくをしているまには、おお、すぐそこにいる蛾次郎がじろうめが、クロの背をかりて、宙天ちゅうてんへ逃げ失せてしまうであろう。

蛾次郎を見のがすぐらいは、虫ケラと思えばなんでもないが、いまここで、せっかくその姿を見たクロとふたたび別れてしまうのは、なんとしてもしのびない。いつまた、それが蛾次郎の手から、じぶんの手へ返ってくる時節じせつがあるかわからない。

さればといって――それにグズグズ手間てまどっているまに、呂宋兵衛るそんべえ一族ぞくが天てんヶ丘おかから道をかえて、勝頼公かつよりこうをとおく護送ごそうしてしまったら、それこそ伊那丸いなまるさまへたいしてぬぐわれざる不忠不義ふちゅうふぎ! 腹を切っておわびしても、その大罪だいざいをつぐなうには値あたいしない。

「ああ、困こまった」

竹童は、髪かみの毛けをつかんで、迷まよいにまよった。合図あいずか? 鷲わしか? 合図か? 鷲か?

どっちへこの身をむけていいか。

「おお、クロを?」かれはとつぜん蛾次郎のいるほうへ征矢そやのごとく飛んでッた。

クロこそは、人間のもつなにものも、匹敵ひってきするあたわざる飛行の武器ぶきだ、生ける武器だ。クロさえ蛾次郎の手からとり返せば、のろしをあげるまでもなく、あの偉大いだいなつばさで一はたきで、寒松院かんしょういんの並木なみきにいる味方みかたへ、このようすをお知らせにも飛んでいける。

そのうえ、たとえ呂宋兵衛るそんべえが、どこをどう逃にげまわっても、空からそれを見てとることもできるというもの。――こう竹童ちくどうはかんがえた。

しかし、その時すでに、蛾次郎がじろうは、鎖くさりをといて鷲わしの背へ、フワリと乗っていたのである。

「あッ、待て!」

飛とびついていった竹童と、地上をはなれた大鷲おおわしとはそのとき、ほとんど同時であった。

「くそうッ」と蛾次郎、鷲の上から竹をふるって、竹童の肩かたをピシーッとなぐった。

「ちイッ……」と、こらえながら、竹童は、必死ひっしにつかんだ蛾次郎の足をはなさず、大鷲のつばさが、さッと大地を打ってまいあがるのと一しょに、かれも蛾次郎とともに、無む二無む三に、鷲の背せなかへかじりついてしまった……

二

かくて巨大きょだいな黒鷲くろわしの背には、いまやたがいに、敵てきたり仇あだたるふたりの童子どうじが、ところもあろうに、飛行する大空において、ひとつ翼つばさの上に乗りあってしまった。

だが、しかし――鷲そのものは、蛾次郎がじろうを敵ともおもわず、また竹童を仇かたきとも思うようすもない。軽々かるがると、二少年を背にのせて、そのゆうゆうたるすがたを、南蛮寺なんばんじの空にまいあがらせた。

おお、みるまに下界げかいは遠くなる――遠くなる――

南蛮寺なんばんじの屋根やね、天てんヶ丘おか一帯たい、さらに四方の山川まで、たちまち箱庭はこにわを見るように、すぐ目の下へ展開てんかいされて、それが、ゆるい渦巻うずまきのように巻いてながれる……

蹴けおとされては大へんと、泣き虫の蛾次郎がじろうは、歯はを食くいしばって、鷲わしの頸毛えりげにしがみついた。

と――同じように、地上とちがって、大空の風をきってゆく鷲の背なかにいては、さすがの竹童も、手がはなせないので、みすみすそばに乗りあっている蛾次郎をどうすることもできないのである。

それはいいが、ここに、なおなお困ったことは、ひとりならば自由な方角ほうがくをさして飛とばすこともできるが、こうして蛾次郎と相乗あいのりになってしまったために、クロはただクロ自身の意志いしで、勝手なほうへさっさつとして飛んでいく。それでは、伊那丸いなまるたちへ、合図あいずをするたよりがないので、かかるまも、竹童の腹のなかは、引っくり返るような心配しんぱいである。

ピューッ、ピューッと顔をかすっていく風の絶たえまにはるかに下をみてあれば、もう和田呂宋兵衛わだるそんべえ一族ぞくの列は蟻ありのように小さく見えながら、天ヶ丘の石段を降おりきっている。

「かならず――合図あいずをまちがえてくれるなよ――」

くれぐれもことわられた龍太郎りゅうたろうのことばが、空の上なる竹童の耳に、いまもありありと聞える心地がする。

――とそのせつなである。竹童は、すぐ真下ましたの地上に一点の火の塊かたまりを見いだした。

枯草かれくさをやく百姓ひゃくしょうの野火のびか、あるいは、きこりのたいた焚火たきびであろうか、とある原のなかほどに、チラチラと赤くもえている焔ほのおがあった。

「しめた」

竹童は、やっと片手をふところへ入れて、龍太郎から渡わたされてきた、狼煙筒のろしづつをかたくつかんだ。そして、鷲わしの腹がちょうどその火の上へ舞まいめぐってきたとたんに、ポーンと下へ投げおとした。

ツーと斜線しゃせんをえがいて落ちていく、小さい物体ぶったいの行方ゆくえに、竹童は祈いのりを送った。

しめた! 狼煙の筒つつは、うまく、地上に見えるその焔の廓くるわのなかへ落ちた。

と、思うまもあらず、轟然ごうぜんたる青天せいてんの霹靂へきれき。

筒の中の火薬かやくが破裂はれつして、ドーン! とすさまじい火と灰はいと炸裂さくれつした物体ぶったいの破片はへんを舞まいあげた。

合図あいずの狼煙! それは一倍ばいものすごい響ひびきをもって、寒松院かんしょういんの並木なみきにいる、伊那丸いなまる、忍剣にんけん、龍太郎の耳へまでつんざいていったことは必定ひつじょうである。だが――? そのとたんに、ビックリした大鷲おおわしは、雷気らいきにあって天空をそれたようにパッ! ――と一陣じんの風をついて、竹童と蛾次郎をのせたまま、いずこともなく飛びさってしまった。

呂宋兵衛るそんべえの奥おくの手て

一

さて――。

寒松院かんしょういんの松並木まつなみき――ここもまだ、朝がすみがこめていた。四条じょう五条じょうへ花売りにでる大原女おはらめが、散りこぼしていったのであろう、道のところどころに、連翹れんぎょうの花や、白桃しろももの小枝こえだが、牛車ぎゅうしゃのわだちにもひかれずに、おちている。

並木のこずえには、高々とうたう春の百鳥ももどり、大地はシットリと露つゆをふくんで、なんともいわれないすがすがしさ。

かかるところへ、霞かすみのなかから、ポカリと浮うきだした一列の人かげがある。寂光浄土じゃっこうじょうどの極楽ごくらくへ、地獄じごくの獄卒ごくそつどもが練ねってきたように、それは殺風景さっぷうけいなものであった。

きょう、桑名くわなの陣じんをさして、天てんヶ丘おかをくだってきた、和田呂宋兵衛わだるそんべえの一行こうである。れいの鎖駕籠くさりかごをいと厳重げんじゅうに警固けいごして、随行ずいこうには軍師ぐんしの昌仙しょうせん、早足はやあしの燕作えんさく、吹針の蚕婆かいこばばあ、そのほか五十余名の浪人ろうにんが、鳴り物こそ使わないが、いわゆる一鼓こ六足そくの陣あゆみで、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ……と、足なみをそろえてくる。

せんとうに立ったのは三人の野武士のぶしである。さえぎるものあらばと、刀の柄つかに手をかけたまま歩いてくる。次には、黒柄くろえ九尺の槍やりを横にもち、するどい穂先ほさきをならべてくる者が七人。――そのつぎに、和田呂宋兵衛わだるそんべえ、黒衣こくいに蛮刀ばんとうを佩はき、いかにも意気ようようとしていた。

追分おいわけへでたら、左だぞ、左だぞ。すこしは道がまわりになっても、なるべく裏街道うらかいどうをえらんでいけよ。――途中とちゅう、ほかの大名だいみょうにあったらば、同格どうかくの会釈えしゃくをして、かまわないから、羽柴筑前守はしばちくぜんのかみのみ内うちと名のれ――関所せきしょへかかったときは、武器ぶきを伏ふせろよ! いいか、関所で武器をふせるのを忘れるなよ! そのほか、桑名くわなのご陣じんにつくまでは、みちみち話をかわすことはならぬ。

列の前後へむかって、こう号令ごうれいしたが、令をくだす自分だけは軍律ぐんりつもなにもなく、黒布こくふのかくしぶくろから陶器製すえものせいのパイプを出し、それへ、葉煙草はたばこをつめたかと思うと、歩きながら、スパスパとむらさき色の煙をくゆらしはじめた。

しばらくゆくと、また呼よんだ。

「昌仙しょうせん、昌仙」

「はッ」

と、うしろのほうでこたえる。丹羽昌仙にわしょうせんと早足はやあしの燕作えんさくとは、鎖駕籠くさりかごの両わきに、つきそっていた。

「京の大津口おおつぐちから桑名まで、およそ何里なんりほどあるだろう」

「さよう? ……」

と昌仙しょうせんは歩きながら懐中絵図かいちゅうえずをひろげて見て、

「二十九里り余町よちょう――まア、ざっと三十里でございまする。すると桑名くわなのご陣じんへつきますまでには、約三日ののちとあいなります」

「三日はすこしかかりすぎるな。どこか間道かんどうをとおって、二日ぐらいでまいれる工夫くふうはなかろうか」

「なにしろ途中には、大津おおつの関所せきしょ、松本の渡舟わたし、鈴鹿山すずかやまの難路なんろなどがございますので……」

と、しきりに懐中絵図の説明をしていたが、そのうちに列のまっさきにあたって、あッ、という声がした。さきの野武士のぶし三人の手から、ふいに、虹にじのような陣刀じんとうがひらめいたのだ。

と思うと、その三名は、電光でんこう一瞬しゅんのまにたおれ、すさまじい一陣じんの風をついて、何者かが、向かってくる。

「おお!」

と、五十余名の大衆たいしゅうが、シタシタと足をひいて、まえをみると、霞かすみのふかい松並木まつなみきのかげから、忽然こつぜんとおどりだした年わかい怪僧かいそうがあった。染衣せんえの袖そでを綾あやにしてうしろにからげ、手には、禅杖ぜんじょうをふりまわして、曠野こうやをはしる獅子ししのごとくおどりこんできた。

「おのれッ!」

さけぶやいな、第二段の浪人組ろうにんぐみ七人が、黒柄くろえ九尺しゃくの槍やりの穂ほさきを、サッと若僧わかそうの一身しんにあつめ、リラッ、リラッ、リラッ、としごきをくれて八面を押おっとりかこんだ。

二

「や、や?」

と、呂宋兵衛るそんべえは、陶器すえものパイプを口からおとして、

「おう! ありゃ、武田方たけだがたの加賀見忍剣かがみにんけんだ。さては、勝頼かつよりをうばいかえすために、伊那丸いなまるをはじめ、その他ほかのやつらも、このちかくに身をふせているとおぼえたぞ。昌仙しょうせん、昌仙! 燕作えんさくもゆだんするなッ」

いうもおそし、その伊那丸は、いきなり横あいの草むらから、バラバラとおどりだして、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうとともに刀のこじりをはねあげ、呂宋兵衛の前へぬッくと立った。

「野武士のぶしども待て、しばらく待て、むりにおし通らんとすれば、命いのちがないぞ」

「おッ――おのれは武田伊那丸に龍太郎だな。秀吉公ひでよしこうの威勢いせいをもおそれず、都へ入いりこんでくるとは、不敵ふてきなやつ。この呂宋兵衛の手並てなみにもこりず、わざわざ富士ふじの裾野すそのから討たれにきたか」

内心、胆きもをつぶしながらも、怯ひるみを見せまいとする呂宋兵衛は、蛮音ばんおんをはりあげて、刀へ手をかけた。

「やかましいッ!」と、木隠龍太郎。

「はるばる、若君わかぎみがここへ、お越しあそばしたのは、お父上ちちうえ勝頼公かつよりこうをお迎えにまいったのだ。その鎖駕籠くさりかごのうちに、お身をひそめたもうおん方かたこそ、まぎれもなき勝頼公かつよりこうと見た。呂宋兵衛るそんべえ、神妙しんみょうに渡してしまえ」

「なにを、ばかな。いかにも鎖駕籠のうちには、これから桑名くわなのご陣屋じんやへ護送ごそうするひとりの落武者おちむしゃが入いれてある! だがよくきけよ! おれも人穴城ひとあなじょうにいた野武士のぶしとちがって、いまでは、南蛮寺なんばんじを守護しゅごする羽柴家はしばけの呂宋兵衛だぞ。なんで勝頼をうぬらの手にわたすものか」

「渡さぬとあらば、なおおもしろい。木隠龍太郎こがくれりゅうたろうや忍剣にんけんが力をあわせて、汝なんじらを、この松並木まつなみきの生いき肥ごえにしてくれる」

「わはははは、片腹かたはらいたいいいぐさを聞きいちゃいられねえ。オオ! めんどうだが、桑名へのいきがけの駄賃だちんにうぬらの生首なまくびを槍やりのとッ尖さきにさしていくのも一興きょうだろう。それッ、この虫けらを踏ふみつぶしてしまえッ」

剣けんをはらって、うしろの狼軍ろうぐんをケシかけようとすると伊那丸いなまるの声が、またひびいた。

「ひかえろッ、雑人ぞうにんども!」

機山大居士きざんだいこじ武田信玄たけだしんげんの孫まご、天性てんせいそなわる威容いようには、おのずから人をうつものがあるか、こういうと呂宋兵衛にしたがう山犬武士ども、おもわず耳の膜まくをつン抜ぬかれたように、たじたじとして、われ一番にと斬きりつける者もない。

「えいッ、相手はわずか二人か三人、なにを猶予ゆうよしているのだ、ふくろづつみにして、そッ首をあげちまえッ」

呂宋兵衛るそんべえが怒号どごうしたとたんに、ズドンッ! と一発、つづいてまた一発のたま! シュッと、硝煙しょうえんをあげて伊那丸いなまるの耳をかする。

「おッ、若君わかぎみ、飛道具とびどうぐのそなえがありますぞ」

「なんの!」

と、武田伊那丸たけだいなまる、小太刀こだちをぬいて、身をおどらせ、目ざす呂宋兵衛の手もとへとびかかった。

「それッ、頭領おかしらをうたすな」

と、なだれてくるのをおさえて、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうはかれが得意とくいの戒刀かいとうをぬいた。――たちまち、前後の四、五人を斬りふせつつ、かの鎖駕籠くさりかごのてまえまで走りよった。

と――駕籠かごの屋根にはさっきから、一人の老野武士ろうのぶしが立っていた。その上から、銀象嵌ぎんぞうがんの短銃たんづつをとってかまえ、いましも、三度目の筒口つつぐちに、伊那丸の姿をねらっていたが、龍太郎が近づいたのをみると、オオ! とそのつつ先を向けかえた。

「おのれッ!」

とたんに、ごうぜんと、また一発のけむりが立った。老野武士は短銃を持ったまま、駕籠の屋根から向こうがわへぶっ倒たおれ、龍太郎のすがたは、太刀たちを走らせたまま煙の下へよろめいた。

短銃をつかんでいた者こそ、すなわち人穴ひとあな以来、呂宋兵衛の軍師格ぐんしかくとなっている丹羽にわ昌仙――ああ好漢、木隠龍太郎、とうとうかかる無名の野軍師のぐんしと、あい討うちになってしまったか?

三

龍太郎りゅうたろうと伊那丸いなまるが、呂宋兵衛るそんべえの側面そくめんをつくよりまえに、ただひとり、列のまっ正面から禅杖ぜんじょうをふっておどりこんだ勇僧ゆうそうは、いうまでもなく加賀見忍剣かがみにんけんだ。

七、八人の野武士のぶしどもが、九尺しゃく柄えの槍尖やりさきをそろえて、ズラリと円陣えんじんをつくり、かれをまんなかに押しつつんでしまったが、笑止しょうしや、忍剣の眼から見れば、こんなうすッぺらな殺陣さつじんは、紙のふすまを蹴けやぶるよりもたやすいことであろう。――見よ、錬鉄れんてつの禅杖が、かれの頭上ずじょうにふりかぶられて、いまにも疾風しっぷうをよぼうとしているのを!

かッと、目を見ひらいて、加賀見忍剣、

「命いのちのおしいやつはどけッ!」と大喝たいかつした。

と思えば――虚空こくうからさッとおちた禅杖が、右なる槍を二、三本たたき伏ふせる! それッと、ひだり側がわから間髪かんはつをいれずにくりこんだ槍は、ビューッと禅杖が輪わをえがいてかえったとたんに、乱離微塵らんりみじん! 三段だん四段だんにおれとんで、その持主もちぬしは血の下になった。

「わッ」

と円陣の一角かくがくずれると、もうかれらは、こらえもなく浮うきあしをみだした。忍剣はといえば、その瞬隙しゅんげきに、檻おりをでた猛虎もうこのごとく、伊那丸の側そばへかけだしている。

伊那丸はどこまでも、呂宋兵衛をのがさじと追おいつめて、いまや、火をふらして血戦けっせんをいどんでいた。そこへ忍剣にんけんがかけつけて、あたりの木こッ葉ぱ浪人ろうにんを八面にたたき伏ふせ、

「若君わかぎみ、お助太刀すけだち」

いきなり、呂宋兵衛るそんべえの横から打ってかかった。

「おう!」

と魔まもののように吼ほえた呂宋兵衛は、すでに、味方みかたの半なかばはきずつき、半ばはどこかへ逃げうせたのを見て、いよいよ狼狽ろうばいしたようす。伊那丸いなまるのするどい切きッさきと、忍剣の禅杖ぜんじょうをうけかねて、息をあえぎ、脂汗あぶらあせをしぼりながら、一歩ぽ一歩ぽ追いつめられたが、そのうちに、ドンとうしろへつまずいた。

ほうりだされた鎖駕籠くさりかご――それへ打ぶつかって、呂宋兵衛がヨロリと駕籠かごの棒ぼうへささえられた。

「しめたッ!」

と、いう声がそのうしろでした。――だれかとおもうと、さいぜん、弾煙たまけむりのなかにたおれた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうである。

いかなる戒刀かいとうの達人たつじんも、飛道具とびどうぐのまえに立っては危険きけんなので、わざと身をうっ伏ぷせたものだった。

しかし龍太郎は、たおれたまま仮死かしをよそおっていただけではない。かれは、丹羽昌仙にわしょうせんが、じぶんの切きッさきからとんで逃げ、あたりの者も見えないしおに、得えたりとばかり鎖駕籠の側そばへはいより、その錠じょうまえをねじ切っていたところである――そこへ、呂宋兵衛がヨロケこんできたから、龍太郎りゅうたろうはなんの苦もなく、

「しめた!」

と、その片足をつかんでしまった。

まえには忍剣にんけん、横には伊那丸いなまるの太刀、足をつかまれて立ちすくみになった呂宋兵衛るそんべえは、いよいよいまが最後とみえたが、いつもこうした破滅はめつには、かならず南蛮流幻術なんばんりゅうげんじゅつで姿すがたを消すのが、かれの奥おくの手だ。

いまもいまとて、伊那丸と忍剣が、一気にかれを討うちとろうとしたせつな、どこからともなく、ビラビラビラビラビラッと吹きつけてきた針はりの風! それは呂宋兵衛の幻術げんじゅつではない、すぐかたわらの松の木のうえに、蝙蝠こうもりのごとく逃にげあがっていた蚕婆かいこばばあが、呂宋兵衛あやうしと見て、例の妖異よういな唇くちびるから、ふくみ針ばりを吹いたのだ。

梢こずえはたかく、下へはかなりの間隔かんかくがあった。無数の針は音なき風となって、ピラピラと飛んできても肌はだにつき立つほどではないが、あたかも毒蛾どくがの粉こなのように身を刺さしたので、ふたりはあッ――と面おもてをそむけた。その一瞬しゅんだ!

「ええッ!」

と、するどく龍太郎の手を蹴けはらった呂宋兵衛は、いきなり駕籠かごにかぶせてある鎖くさりの網あみをつかんで、パッと大地へ投網とあみのように投げた。

「あッ、また妖術ようじゅつを――」

とさけぶまに、龍太郎のからだがその鎖網くさりあみのなかへつつみこまれたので、おどろいた忍剣にんけん、禅杖ぜんじょうに風をきらせて五体みじんになれとふりつけると、おお奇怪きかい! 一陣じんの黒風がサッと流れて、いままでほがらかだった春暁しゅんぎょうの光はどこへやら、あたりは見るまに墨色すみいろにぬりつぶされ、ザアッ――という木この葉はのそよぎとともに、雨か霧きりかしぶきか、なんともいえないしめッぽい水粒すいりゅうがもうもうと立ってきた。

とたんに、呂宋兵衛るそんべえのからだは、邪法じゃほう秘密ひみつの印いんをむすびながら、ヒラリと駕籠かごの屋根やねへ飛とびうつっていた。あれよ! と眼をみはるまに、まッ暗になった両側の松並木まつなみきの根もとから、サラサラサラサラ……という水音がしてたちまち滾々こんこんとあふれてくる清冽せいれつが、その駕籠をうごかして、呂宋兵衛を乗せたままツウ――と舟のように流れだした。

「魔人まじんめ。また邪術じゃじゅつをほどこしたな」

「若君わかぎみ若君。これは呂宋兵衛の幻惑げんわくですぞ、かならず、その手に乗って、おひるみあそばすな」

投げかけられた鎖くさりをはらって、龍太郎と忍剣が、流るる駕籠をジャブジャブと追おいかける、その時もうこの街道かいどうは、まんまんたる濁水だくすいの川となって、槍やりの折れや、血あぶらや、死骸しがいがうきだし、ともすると伊那丸いなまるまで足をながされておぼれそうだ。

「ちぇッ、ざんねんだ!」

なにしろ水の勢いが、とうとうと足の運びをはばめるので、さすがの伊那丸も二勇士も、目前もくぜんに仇あだを見、目前に父の駕籠を目撃もくげきしながら、どうしても追いつくことができない。そのまに、筏いかだのように水に浮いた駕籠がグングンとゆれつつ押しながれ、その上には和田呂宋兵衛わだるそんべえ、ざまを見ろといわんばかりに、白い歯はをむいてあざわらっている。

「ウーム、おのれ邪法じゃほうの外道げどうめ、見ておれよ!」

水勢に巻かれて、むなしく立たち往生おうじょうしてしまった主従しゅじゅう三人は、もう胸の上まで濁水だくすいにひたって、樹きの枝につかまりながら、敵のゆくえをにらんでいたが、そのとき、加賀見忍剣かがみにんけんは、はじめて破術はじゅつの法を思いだして、散魔文さんまもんの秘句ひくをとなえ、手の禅杖ぜんじょうをふりあげ、エイッ! と水流を切断せつだんするように打ちおろした。

水面をうった法密ほうみつの禅杖に、サッと水がふたつに分れたと思うと、散魔文の破術にあって狼狽ろうばいした呂宋兵衛は徒歩とほになってまッしぐらにかなたへ逃げだし、まんまんと波流はりゅうをえがいていた濁水は、みるみるうちに、一抹まつの水蒸気すいじょうきとなって上昇じょうしょうしてゆく……そして松並木まつなみきの街道かいどうは、ふたたびもとののどかな朝にかえっていた。

まるで、悪夢あくむから醒さめたよう……ふとみると春の陽ひはさんさんと木の間からもれて若草にもえ、鳥はほがらかに音ねを張はってうたっている。それのみか、呂宋兵衛が水に浮かして乗りさったと思えた鎖駕籠くさりかごは、一寸すんの場所もかえずに、もとのところにすえられてある。

四

呂宋兵衛が得意とする水術に眩惑げんわくされて、かれをとり逃がしたのは遺憾いかんだが、勝頼かつよりの駕籠をうばったのは、せめて伊那丸いなまるの心をなぐさめるに足たるものであった。

「待て待て、忍剣にんけん。龍太郎りゅうたろうも待て!」

伊那丸は、なおも憎にッくき賊ぞくを追おうとするふたりを止とめて、

「このたび都みやこへまいったのは、まず何よりもお父上の危急ききゅうをお救すくい申すにあった。いまここに、その駕籠かごを迎えまいらせた以上、呂宋兵衛るそんべえを討つのは、いまにかぎったことではない。それ、一刻こくもはやく、お駕籠のうちからお救い申しあげて、小太郎山こたろうざんのとりでへもどろうぞ」

「おっしゃるごとく、それこそ、大願たいがんの目標もくひょうでした」

「忍剣! 手をかせ」

「はッ」

と、主従しゅじゅう三人、バラバラと駕籠のそばへ寄っていったが、ああ、去年こぞの春、織徳連合軍しょくとくれんごうぐんの襲おそうところとなって、天目山てんもくざんの露つゆと化かしたまうと聞えて以来、ここにはやくも一めぐりの春。――いまこそ、亡なき君とのみ思うていた、武田四郎勝頼たけだしろうかつよりその人のかわれる姿すがたを拝はいすことができるのかと、龍太郎も忍剣も、思わず胸むねをわななかせて、大地にひざまずき、伊那丸もまだその姿すがたを拝はいさぬうちから、睫毛まつげになみだの露つゆをたたえている。

一同、駕籠かごのまえに、ピタと両手をついて、

「あいや、それにおわす貴人きじんのご僧そうに申しあげまする。われわれは武田家恩顧たけだけおんこのともがら、ここにいますは、お家いえのご次男伊那丸さまにおわします。ひそかにおうわさのあとをしたって、遠き小太郎山のとりでより、ここまでお迎えに参さんじましてござります。このうえはなにとぞ、もとの甲山こうざんにお帰りあそばして、あわれ、甲斐源氏再興かいげんじさいこうのために、臥薪嘗胆がしんしょうたんいたしている若君わかぎみをはじめ、われわれどもの盟主めいしゅとおなりくださいますよう。またそれをごしょうちくださいますとあらば、なにとぞ、ここにて久しぶりに、若君へご対顔たいがんおおせつけ願いとうぞんじます」

誠意せいいをこめて、ふたりがいうと、

「うむ……」と駕籠かごのうちで、かすかにうなずく声がした。

「さてはおゆるし? ……」

と龍太郎、忍剣にんけんと目くばせしながら、おそるおそる寄って駕籠の塗戸ぬりどへ手をかけ、

「若君、ご対面たいめんなされませ」

スーと開あけると、なかには、まぎれもなきひとりの僧形そうぎょう、網代笠あじろがさをまぶかにかぶって、うつむきかげんに乗っていた。

「おお、お父上でござりましたか。おなつかしゅうぞんじまする。わたくしは伊那丸いなまるでござります――天目山てんもくざんのご合戦かっせんにもい合わさず、むなしく生き永ながらえておりました。お父上! お父上!」

ほとばしる激情げきじょう! われをわすれて駕籠の戸にすがりつき、僧形の人の手をとると、僧も黙然もくねんとして手をとられ、ゆらりと駕籠のそとに立った。

「お父上! またもや敵の手がまわらぬうちに、一刻こくもはやく、ここを去ってお越こしくださいませ、いざ伊那丸がごあんないいたしまする」

「どこへ? ……わしを連れていくというのじゃ」

「甲信駿こうしんすん三ヵ国のさかい、小太郎山こたろうざんのとりでの奥おくへ。――オオ父上、そここそ山また山、自然の嶮城けんじょう、難攻不落なんこうふらくの地にござります。お父上のご武運つたなく、ひとたびは織田おだ徳川とくがわのために亡ほろびこそすれ、まだその深岳しんがくのいただきには、甲斐源氏かいげんじの旗はた一旒りゅう、秋ときをのぞんでひるがえっておりまする」

「ああ、その秋ときはすでに去りました――、天の運行うんこうは去ってかえらず、還かえるは百年ののちか千年の後か――」

「えッ、なんとおっしゃいます……父上!」

染衣せんえの袖そでにすがりついて、ふと、網代笠あじろがさの下からあおいだ伊那丸いなまるは、あッといって、ぼうぜん――ただぼうぜん、その手をはなしてこういった。

「父上とのみ思うていたが、そちは、鞍馬くらまの果心居士かしんこじではないか」

聞くより龍太郎りゅうたろうもびっくりして、

「やッ、老先生でござりますと? ――」

あまりのことにあきれはてて、忍剣にんけんとともに、ただ顔を見あわせているばかり。しばらくの間あいだは、口もきけないほどであった。

「定めしおおどろきでござろう。……しかし、わしが雷神らいじんの滝たきの孤岩こがんの上に、書きのこしておいた通り、これもみな、まえからわかっていることなのでござる。おう、ご不審ふしんの晴れるように、いまその次第しだいをお話しいたそう。若君わかぎみも、まず、そのあたりへ御座ござをかまえられい」

居士こじはゆうゆうと、ちかくの石へ腰をおろした。そして、伊那丸いなまるへ、

「おん曹子ぞうし――」と重々おもおもしく呼びかけた。

「はい」と伊那丸は、老師のまえへ、神妙しんみょうに首をたれてこたえる。

「あなたは、甲斐源氏かいげんじの一つぶ種だね――世にもとうとい身みでありながら、危地きちをおかしてお父上を求めにまいられた。孝道こうどうの赤心せきしん、涙ぐましいほどでござる。が、しかし――その勝頼公かつよりこうが世に生きているということは、はたして真実でござりますか? あなたはその証拠しょうこをにぎっておいでなさりますか?」

「わしは知らぬが、伝つたうところによれば、父君は天目山てんもくざんにて討死うちじにしたと見せかけて、じつは裂石山れっせきざんの古寺ふるでらにのがれて姿をかえ、京都へ落ちられたといううわさ……」

「さ。それが真実か虚伝きょでんかは、まだまだ深いなぞでござるぞ。いかにも、この果心居士かしんこじが知るところでも、呂宋兵衛るそんべえの手にとらえられた僧形そうぎょうの貴人きじんは、勝頼公かつよりこうによう似ておった」

「おお、してその僧侶そうりょはどうしました。また、居士はなんで、かような姿をして、この鎖駕籠くさりかごのなかにはいっておいでになりましたか」

「されば、じつをいうと、その貴人の僧は、南蛮寺なんばんじの武器倉ぶきぐらに押しこめられている間あいだに、わしがソッと逃がしてやりました。そして――その人の笠かさや衣ころもをそのまま着て、わしがこの鎖駕籠に乗っていたのじゃ」

「お! では老先生、やはりその僧こそ、父の勝頼かつよりではございませぬか」

「さあ? ……その人が勝頼であるかないか、それはだれにもはっきりは申されぬ」

「な、なぜでござります」

「武門ぶもんをすて、世をすて、あらゆる恩愛おんあいや争闘そうとうの修羅界しゅらかいを、すてられた人の身の上でござるもの。話すべきにあらず、また話して返らぬことでもある」

「や、や、や! ではこの伊那丸いなまるが、かくまで心をくだいて、武田家たけだけの再興さいこうを計はかっているのに、お父上には、もう現世げんせの争闘をお忌いみあそばして、まったく、心からの世捨人よすてびととおなりなされたのですか」

「もし、おん曹子ぞうし――まえにもいったとおり、まだその僧が、勝頼公かいなか、はっきり分っておらぬのに、そうご悲嘆ひたんなされてはこまる。どれ、わしもそろそろ鞍馬くらまの奥へ立ちかえろう」

「老先生、しばらくお待ちくださいませ。……もう一言ひとことうかがいますが、居士こじが身代みがわりとなって逃がしたとおっしゃるその僧は、いったいどこへいったのでござりましょうか」

「おそらく、浮世うきよの巷ちまたではありますまい」

「と、すると」

「浄悪じょうあくすべてをつつむ八葉よう蓮華れんげの秘密の峰みね――高野こうやの奥には、数多あまたの武人が弓矢を捨てていると聞く」

と、謎なぞのような言葉をのこして、果心居士かしんこじは飄然ひょうぜんと松のあいだへ姿をかくした。

幻滅げんめつの悲しみをいだいて、ぼうぜんと気ぬけのした伊那丸いなまるは、ややあってわれにかえった。そして、なお問といたいことのいくつかを思いだし、あわただしくあとを追って、老師ろうし! 老師! ――といくたびも声のかぎり呼んで見たけれど、もう春影しゅんえいの林間りんかんにそのうしろ姿はなく、ほろほろとなく山鳥の声に、なにかの花がまッ白に散ちっていた。

ああわからない、わからない。どう考えても伊那丸にはわからない。

果心居士の話しぶりでは、居士はすでに貴人の僧に会っているのだ。そして、自身がその身代みがわりになり、桑名くわなに護送ごそうされるまえに、どこかへ落としてしまったとおっしゃる。だのに、居士はそれが父の勝頼かつよりであるとは決していいきらない。その一点だけをどうしても打ち明けてくれない。

なぜだろう? ――ああさてはお父上には、居士が口をもらしたとおり、まったく弓矢の道をすてて、高野こうやの道場にこもるおつもりなのか? ……そして浮世うきよに未練みれんをもたぬため、いさぎよく、わざとじぶんにも会わず、父とも名のらず、愛情のきずなを断たって三密みつの雲ふかきみ山にかくれてゆかれたのであろう?

そう伊那丸はかんがえた。

お父上よ! お父上よ! ではぜひないことでござります。敗軍はいぐんの将しょうは兵をかたらずと申します。ひとたび天目山てんもくざんに惨敗ざんぱいをとられた父上が、弓矢をなげうつのご決心は、よくわかっておりまする。

甲山こうざんに鎮守ちんじゅして二十七世せいの名家めいか、武田菱たけだびしの名聞みょうもんをなくし、あまたの一族ぞく郎党ろうどうを討死させた責任をご一身しんにおい、沙門遁世しゃもんとんせいのご発心ほっしん! アア、それはよくわかっておりまする! お父上のご心中、戦国春秋せんごくしゅんじゅうの常とはいえ、ご推察すいさつするだに、熱いなみだがわきます。

さあれ、伊那丸いなまるはまだ若年じゃくねんです。

伝家でんかの宝什ほうじゅう、御旗みはた楯無たてなしの心をまもり、大祖父だいそふ信玄しんげんの衣鉢いはつをつぎ、一片ぺんの白旗しらはたを小太郎山こたろうざんの孤塁こるいにたてます。

われに越王勾践えつおうこうせんの忍苦にんくあり、帷幕いばくに民部みんぶ、咲耶子さくやこ、蔦之助つたのすけあり、忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろうの驍勇ぎょうゆうあり、不倶戴天ふぐたいてんのあだ徳川家とくがわけを討ち、やがて武田再興たけださいこうの熱願、いな、天下掌握しょうあくの壮図そうと、やわか、やむべくもありませぬ。

伊那丸は心のそこで、高く高く、こう思い、こう誓ちかい、こうさけんだ。

そして彼は、まもなく忍剣と龍太郎とをつれて、寒松院かんしょういんの松並木まつなみきをたち去った。

かかるうえは一刻こくもはやく、小太郎山のとりでへ帰って、一党とうの面々めんめんにこのしまつをつげ、いよいよ兵をねり陣をならし、一旦たんの風雲に乗じるの備えをなすこそ急務きゅうむである――と思ったのである。

伊那丸はほんぜんとさとった。大悟だいごすれば、居士こじの謎なぞめいた言葉も、おのずから解とけたような心地がする。

会わねど、見ねど、さらば父上よ高野こうやの道場にいませ。

――かれの心はすがすがしかった。

両童子りょうどうじ空そらに闘たたかう

一

いそぎにいそいで京都をでた伊那丸主従いなまるしゅじゅうが、大津おおつ越え関せきの峠とうげにさしかかったのは、すでに、その日の薄暮はくぼであった。

ここは木曾街道きそかいどう、東海道、北国街道ほっこくかいどう、三道のわかれ道で、いずれを取るもその人の心まかせ。伊那丸は三井寺山みいでらやまのふもとに立ち、魚鱗ぎょりんの小波さざなみをたたえている琵琶びわのみずうみをながめながらかんがえた。

「忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろう。そちたちは、これから小太郎山こたろうざんへもどる道を、いずれにえらぶがよいと思うか」

「されば」と、龍太郎はすぐこたえた。

「北国路ほっこくじには、上部八風斎かんべはっぷうさいのつかえる柴田権六勝家しばたごんろくかついえが、厳重に柵さくをかまえていて、めッたな旅人は通しますまい、また、東海道はなおのこと、徳川家康とくがわいえやすの城下あり、井伊いい、本多ほんだ、榊原さかきばらなどの、陣屋陣屋もござりますゆえ、ここを破ってまいるのもひとかたならぬご難儀なんぎかとぞんじまする」

「とわれらのとる道は、まず木曾路きそじが一番安全であるという意見じゃの」

「さようにござります」

というと、忍剣にんけんが、異論をとなえて、木曾路ゆきに反対した。

「イヤ龍太郎どののお言葉は、もっとものようであるが、木曾路もけっして安心な道中ではない。なんとなれば、木曾の木曾義昌きそよしまさ、きゃつも昔は武田家たけだけの忠族であったが、いまでは徳川家とくがわけの走狗そうくとなっている、かならず若君に弓をひくやつであろう。ことに木曾路はゆくところみな難所なんしょ折所せっしょ、いざという場合にはいちだんと危険が多いように考えられる」

「では、忍剣どのには、北国路がよいと仰おおせられるか」

「北国路とて同じこと、柴田権六しばたごんろく、ちかく賤しずヶ岳たけまで軍兵ぐんぴょうをだして、木きノ芽め峠とうげには厳重げんじゅうな柵さくをかまえているように聞きますゆえ、ここを通るも難中なんちゅうの難でござる。で、おなじ難儀をみるものなら、むしろどうどうと徳川家の領土りょうどをぬけ、あわよくば浜松城のやつばらに、一あわふかせて引きあげたほうがおもしろいとぞんじます」

ちょっと聞くと忍剣の説は、暴論ぼうろんのように聞えるが、ふかく考えれば北国も木曾も東海も、その危険さは一つである。ましてやいま、天下に一国の領土もなく、一城の知己ちきもない伊那丸いなまるに、安全な通路というものがあろうはずはない。

おなじ敵地をふむものなら、忍剣のいうとおり、徳川家の蟠踞ばんきょする東海道こそもっとも小太郎山こたろうざんに近く、もっとも地理平明である。では――と相談そうだんがまとまって伊那丸は藺笠いがさの緒おをしめ、忍剣にんけんは禅杖ぜんじょうをもち直し、やおら、そこを立ちかけたせつなである。

頭のいただきから、山嵐さんらんをゆする三井寺みいでらの大梵鐘だいぼんしょうが、ゴウーン……と余韻よいんを長くひいて湖水のはてへうなりこんでいった。と、一しょに――これはそもなに? 逢坂山おうさかやまの森をかすめて、ピューッと凧たこのうなるがごとき音をさせつつ、斜ななめにひくく、直線にたかく、そしてゆるく、またはやく旋回せんかいしてきたあやしいものがある。――オ、舞いめぐる空の怪物かいぶつ! それは丈余じょうよの大鷲おおわしだ。

そのとき、暮れなんとする春の夕空は、ひがし一面を紺碧こんぺきに染そめ、西半面の空は夕やけに赤く、琵琶びわの湖水を境にして染めわけられたころあいである。空にかかった大鷲の影も、遠き夕照ゆうでりをうけて金羽きんうさんらんとして見えるかと思えば、またたちまち藍色あいいろの空にとけて、ただものすごき一点の妖影ようえいと化している。

「おお、ありゃクロだ! 竹童ちくどうがたずねている大鷲だ」

禅杖をあげて忍剣が高くさけぶと、龍太郎りゅうたろうと伊那丸いなまるも目をみはって、

「うむ! まさしくクロにそういない。寒松院かんしょういんの並木なみきへのろしの音はきこえてきたが、竹童はあのまま帰らぬ。もしや鷲に乗って、追いついてきたのではあるまいか」

「そういえばだれか乗っているようす、――や、竹童だ!」

「なに竹童が乗っている。オオ、竹童――竹童ッ――」

とふたりが、声をあげて大空に呼んだが、鷲はひくく樹木のさきへふれるばかりにおりてきて、また、ツーッとあらぬ方角へそれてしまう。と、龍太郎が、なにを見いだしたかおどろきの声をはずませて、

「や、ふしぎな! あの鷲わしには、竹童ばかりでなく、ほかの童子どうじも乗っている。たしかにふたりの人間が乗っている」

「龍太郎どのの目にもそう見えたか、わしもそう思ってふしぎに感じていたのだ。アレアレ、こんどは湖水のほうへいっさんにかけりだした――」

瞳ひとみをこらして見ていれば、さっさつたる怪影かいえいは、関せきの山やまから竹生島ちくぶしまのあたりへかけて、ゆうゆうと翼つばさをのばして舞まうのであった。その鷲の背にありとみえた両童子りょうどうじこそ、まぎれもあらず、南蛮寺なんばんじの丘からムシャブリついて飛びあがった、鞍馬くらまの竹童――泣き虫の蛾次郎がじろう。

二

天空てんくうのふたりは、朝から今まで、たがいに、飲まず食くわずである。

竹童は、蛾次郎を鷲の背から蹴けおとさんとし、蛾次郎は、竹童をふりおとして、じぶんひとりで翼を占有せんゆうしようとしている。

しかもそれは、寸分すんぶんの休みもなく走っている鷲の背なかで、天空の上で――行われつつある争闘そうとうだ。一しゅんのゆだん、一分ぶのすきでもあれば、鷲じしんにふりおとされるか、そのいずれかが見舞ってくる。朝から飲まず食わずでも、またこれからいく日にち、一滴てきの水を口にしないまでも、そんなことは念頭ねんとうにない。まさに真剣以上の真剣だ。それに早くまいったほうが惨敗者ざんぱいしゃだ。

「やい、蛾次郎がじろう!」

かけりゆく鷲わしの上で、こういう声は鞍馬くらまの竹童ちくどう。

「なんだ、竹童」

蛾次郎は、ただそれ下界げかいへ蹴けおとされまい一念で、鷲の頸毛えりげにダニのようにたかっていた。

「いいかげんに降参こうさんしてしまえ。そしてこの鷲をおいらに返してしまえ。そしたら命いのちだけは助けてやる」

「いやなこッた。てめえこそ、低いところへ降おりたときに、飛び降りてしまやがれ。そしたら命だけたすけてやる」

「こいつめ、人の口まねをするな。おのれ、今にどこかで突きおとしてくれるから見ていろよ」

「手をはなせば、人を落とすまえに、じぶんのからだがお陀仏だぶつだぞ。ざま見やがれ、唐変木とうへんぼく、突きとばせるものならやッて見ろ」

「おのれきっとか」

「くそうッ!」

と、ののしり合った空のけんか。

両手をはなして組みあえば、蛾次郎のいう通り、鷲の上からふりすてられてしまうので、片手と片手のつかみ合い。

蛾次郎がじろうは猫ねこのごとく爪つめをたって、竹童の頬ほッぺたをひっかいたが、指にかみつかれたので、びっくりして手を引っこめ、こんどはいきなり対手あいての髪かみの毛を引っつかんだ。

「うむ! こんちくしょうッ」

竹童は拳骨げんこつをかためて、かれの脇わきのしたから顎あごをねらった。そして、二つばかり顔を突いたが、蛾次郎も命いのちがけだ。くちびるを噛かみしめて、なおも必死にこらえている。

「ちぇッ――強情ごうじょうなやつだ、降参こうさんしろ、降参しろ! まいったといわないうちは、こうしてくれる!」

竹童の鉄拳てっけんが、目といわず鼻といわず、ポンポン突いてくるので、さすがの蛾次郎も、だんだん色をうしなって顔色まっ青にかわってきた。これがいつもならば泣き虫の蛾次郎、本領ほんりょうを発揮はっきしてワアワア泣き声をあげているはずだが、かれも生死の境にたった以上、ふだんよりは相当そうとうにつよい。タラタラと鼻血をながして、くちびるの色まで変えたが、まだ参まいったとはいわないで、

「ちッ、ちッ、畜生ちくしょうッ!」

というがはやいか、竹童の腰こしに差されてあった般若丸はんにゃまるの刀に目をつけ、あっという間まに、それを抜いてふりかぶった。

雲井くもいにあらそう両童子りょうどうじを乗せて、鷲わしはいましも満々まんまんたる琵琶びわの湖水をめぐっている。

夜よるの海月くらげと火ひの百足むかで

一

はてしもなく舞まう大鷲おおわしの背せなかに、はてしもなき両童子りょうどうじの争闘そうとう! 蛾次郎がじろうは、敵の剣けんを抜きとッてふりかぶり、竹童ちくどうはその腕うでくびを引ッつかんで、やわか! とばかり般若丸はんにゃまるの柄つかをもぎ取ろうとする。

黒毛こくもうふんぷん、大地の上なら、まさに組くンずほぐれつである。

蛾次郎勝つか? 竹童勝つか。

雲井くもいに賭とした命いのちと命! かれも必死ひっし、これも必死だ。

だが、大鷲の神経しんけいは、かかる火花をちらす活闘かっとうが、おのれの背におこなわれているのも、知らぬかのように、ゆうゆうとして翼つばさをまわし、いま、比叡ひえいの峰みねや四明しめいヶ岳たけの影をかすめたかとみれば、たちまち湖面の波を白くかすって、伊吹いぶきの上をめぐり、彦根ひこねの岸から打出うちでヶ浜はまへともどってくる。――

さッきから三井寺みいでらの丘おかのふもとに立って、かたずをのんで見つめていた伊那丸いなまると、忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろうの三人は、その巨影きょえいがありありと目前へ近づいたせつなに、

「あッ――竹童!」

と、異口同音いくどうおんにさけんだが、いかにかれの危難きなんを知っても、それへ力を貸かしてやることもならず、鷲わしはまた、バッと山かげに突きあたって飛翼ひよくをかえし、広い琵琶湖びわこの上を高くひくく舞いはじめた。

と思うと――一しゅんのまに、鷲はいような羽はばたきをして、糸目いとめのからんだ凧たこのように、クルクルッと狂くるいはじめた。

両童子りょうどうじが背なかの上で、たがいに、斬らんとし、奪うばわんとしていた般若丸はんにゃまるの切きッさきが、あやまッて鷲のどこかを傷つけたのにそういない。あッ――というまもなく、虚空こくうの上から引ッからんだ二つの体からだが、フーッと真ッさかさまに落ちたなと思うと、琵琶湖のまン中に、龍巻たつまきでも起ったような水煙が、ザブーンと高くはねあがった。

しぶきの散ッたあとは、雪かとばかり白い泡あわがいちめんにみなぎっていた。そしてその泡沫ほうまつが消えゆくにつれて、夕ぐれの青黒い波が、モクリ、モクリと、大きな波紋はもんをえがいていたが、ジッと波の中をすかして見ると、電魚でんぎょのような光がして、たッたいままで天空てんくうにあった竹童ちくどうと蛾次郎がじろう、こんどは湖水の底で、なおもはげしくあらそっている。

時おり、黒い波を切ッて、ピカリピカリとひらめくのは、般若丸の光であった。やがて、竹童の力がまさったか、その刀をもぎ取ってブクリッ……と水面に浮かびだしてくると、その腰こしにからんで蛾次郎も、

「ア、ぷッ……」

と鮫さめのように水をふいた。

「えい、じゃまなッ」

と鞍馬くらまの竹童ちくどうは、般若丸はんにゃまるを口にくわえるやいなや、蛾次郎がじろうをけって……サッと抜き手をきったが、かれはまた一方の足をかたくつかんで、死んでもはなすまいとした。

ふたたび三たび、浮いては沈しずみ、浮いては沈みするうちに、さすがの竹童もきょくどに心身しんしんをつからして、蛾次郎に足を引かれたまま、ブクブクと深みへ重くしずんでしまった。

そしてついに、湖面こめんへ浮かんでこなかったが、ややしばらくたつと、そこからズッとはなれた竹生島ちくぶしまの西浦にしうらあたりに、名刀般若丸はんにゃまるの血流しをくわえたまま失神している竹童と、その右足にからんでグンニャリした泣き虫の蛾次郎とが、くらげのごとく、フワリ、フワリ……と夜の湖水の波をよりつつただよっていた。

二

「これッ、だれかおらぬか、この渡場わたしばのものはおらぬか!」

もうトップリ日がくれた松本まつもとの渡船場とせんばへきてあわただしく、そこの船小屋ふなごやの戸をたたいていたのは、加賀見忍剣かがみにんけんであった。

「湖水に落ちておぼれたものがある、それを救ってやるいそぎの船を借かりたい。これ、だれかおらぬか、船頭せんどうは!」

と、破れんばかり戸をたたいたが、なかにもれる灯影ほかげがあるのに、いっこうこたえがないので、加賀見忍剣かがみにんけん、禅杖ぜんじょうをかかえて附近の波うちぎわを見まわしていると、三井寺みいでらのふもとから、おくればせに馳かけてきた伊那丸いなまると龍太郎りゅうたろうも、はるかに見た竹童ちくどうの危急をあんじて、

「忍剣、船はあったか」と、そこへくるなり声をいそがした。

「ふしぎなこと、……この渡船場とせんばに、一そうもそれが見あたりませぬ」

「まだ宵よいなのに、矢走やばせ(矢橋または八馳)へかよう船がないはずはない。そのへんの小屋に、船頭せんどうがいるであろう」

「さ、それをただいま、呼んでいるところでございますが」

「船頭もおらぬのか。――さては、さきに逃げた呂宋兵衛るそんべえやその手下どもが、このあたりの船を狩かり集めて、琵琶湖びわこを渡ったものとみえる。アーふびんなことをいたした。いかに竹童でも、あの高い空から落ちて、はや日も暮れてしまったことゆえ、さだめし水におぼれたであろう……なんとか、助けてやる工夫くふうはないものか」

主従三人、愁然しゅうぜんと手をつかねて湖水の闇やみを見つめていると、瀬田川せたがわの川上、――はるか彼方あなたの唐橋からはしの上から、炬火きょかをつらねた一列の人数が、まッしぐらにそこへいそいできた。

危難は竹童の身ばかりではない。

敵地に身をおいて、草木の音にも気をくばっている伊那丸主従は、それを見ると、ハッとして、和田呂宋兵衛わだるそんべえがさかよせをしてきたか、膳所ぜぜの城にある徳川方とくがわがたの武士がきたかと、身がまえをしていると、やがて、炬火きょかの先駆せんくとなって、駒こまをとばしてきた一騎きの武者。

「やあ、それにおいであるのは、武田伊那丸たけだいなまるさまではございませぬか」

音声おんじょうたからかに呼んで近づいてきた。

「おお、いかにもこれに渡らせらるるは、伊那丸君でおわすが、して、そこもとたちは何者でござる」

まえにたって龍太郎りゅうたろうと忍剣にんけん、きびしくこういって油断ゆだんをしずにいると、

「さては!」

とその騎馬武者きばむしゃ三人、ヒラリ、ヒラリ、と鞍くらから飛びおりて、具足ぐそく陣太刀じんだちの音をひびかせながら面前に立った。

「それがしは、福島市松ふくしまいちまつの家来、可児才蔵かにさいぞう」

こう名なのると、つぎの武者が――

「拙者せっしゃは、加藤虎之助とらのすけの家臣、井上大九郎と申す」

「おなじく、木村又蔵またぞうでござる」

と、いずれもりっぱな態度たいどで会釈えしゃくをした。

そしてふたたび、なかの可児才蔵が、一歩ぽすすんで、

「不意ふいにかような戦場のすがたで、人数をひきいてまいりましては、さだめしお驚きとぞんじますが、じつはこれお迎むかえの軍卒ぐんそつ、さっそく、あれへ用意いたしてまいった馬にお召めしをねがいます」

「なんといわれる。伊那丸いなまるさまをお迎えにまいられたとか?」

意外な口上こうじょうをきいて、忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろうが顔を見あわせていると、井上大九郎が語をついで、

「それは、桑名くわなのご陣にある、秀吉公ひでよしこうからの、直命ちょくめいでござる。殿のおおせには、このたび伊那丸さまのご上洛じょうらくこそよきおりなれば、ぜひ一どお目にかかったうえ、ながらくおあずかりいたしている品しなを、手ずからお返し申したいとの御意ぎょい、なにとぞ、ご同道のほどくださいますように」

「はて、不審ふしんなおおせではある? ……」

伊那丸は優美な眉まゆをひそめて、

「べつにこの方ほうより、秀吉ひでよしどのへおあずけいたした品しなもないが……」

「イヤ、たしかに、大事な品をおあずかりしているとおおせられました。そのために、桑名攻くわなぜめの陣中から、われわれどもが、騎馬きばをとばしてお迎えにまいったわけ」

というと、加賀見忍剣かがみにんけん、もしや巧言こうげんをもって、若君を生いけどろうとする秀吉の策さくではないかと、わざと、鉄杖てつじょうをズシーンと大地へつき鳴らして、

「ではおうかがいいたすが、桑名攻めの戦場にあられたかたがたが、どうして、ここへ伊那丸さまがお通りあることを、かように早く承知しょうちめされたのじゃ」

「その不審ふしんはごもっともであるが、じつはきょうの午うまの刻こくまえに、南蛮寺なんばんじの番人ばんにん和田呂宋兵衛わだるそんべえをはじめその他の者が、ちりぢりばらばらとなって、桑名くわなのご陣へかけつけてまいりました」

「ウム。勝頼公かつよりこうを差さしたてよとは、アレも、秀吉ひでよしどのの指図さしずであろうが」

「都に風聞ふうぶんの立ったとき、その在所ありかをしらべよとはおいいつけになりましたが、罪人ざいにんあつかいにして、桑名に護送ごそうすることなどは、まッたく、秀吉公のごぞんじないこと。――しかるに呂宋兵衛、桑名のご陣へまいって、いろいろと差出さしでがましいことを申しあげたため、かえって秀吉公のお怒いかりをうけて、そくざに、ご陣屋を追いはらわれ、南蛮寺なんばんじの番衛役ばんえいやくも召めしあげられ、この後は、京都へ立ち入ることはならぬと、手下のものまで追放ついほうになりました」

まことはおもてにあふれるもの。

使者三名の口上こうじょうには、その真実味しんじつみがこもっていた。

では、筑前守秀吉ちくぜんのかみひでよしは、かならずしも、悪意があって勝頼のゆくえをたずねさせたのではなかろう……と伊那丸いなまるも心がとけ、忍剣にんけんや龍太郎りゅうたろうも、さらばと、その意いに従したがうことになった。

いつか、一同のまわりには、松明たいまつをあかあかと照らした軍兵ぐんぴょうが五、六十人、ズラリと輪形わがたになって陣列を組んでいた。

「それ、用意のみ鞍くらをさしあげい」

と、木村又蔵またぞうが合図あいずをすると、おッといって馬廻うままわりの武士、月毛つきげ、黒鹿毛くろかげの馬三頭のくつわをならべ、馬具ばぐの金属音きんぞくおんをりんりんとひびかせて、三人の前へひいてきた。と――伊那丸いなまるが、

「ごめん――」

と、目礼もくれいをして、まッ先に、白駒しろこまの金鞍きんあんにヒラリと乗る。つづいて忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろう、波に月兎げっとの鞍くらをおいた黒鹿毛くろかげの背へヒラリとまたがって、キッと手綱たづなをしぼり、たがいにあいかえりみながら、

「裾野すその以来、こうして馬上になるのは、久しぶりだなあ……」という風ふうに微笑しあった。

やがて、まッくらな瀬田せたの唐橋からはし、小橋こばし三十六間けん、大橋九十六間けんを、粛々しゅくしゅくとわたってゆく一行こうの松明たいまつが、あたかも火の百足むかでがはってゆくかのごとくにみえた。

蜘蛛くもの子と逃にげ散ちる餓鬼がき

一

夜も昼ひるも、伊勢いせの空は、もうもうと戦塵せんじんにくもっていた。

七万の兵をひきいて、滝川たきがわ攻めにかかった秀吉ひでよしは、あの無類むるいな根気こんきと、熱と、智謀ちぼうをめぐらして、またたくうちに、亀山城かめやまじょうをおとし、国府こうの城をぬき、さらに敵の野陣や海べの軍船を焼やきたてて、一益かずますの本城、桑名くわなのとりでへ肉迫にくはくしてゆく。

それが、天正てんしょう十一年、三月上旬じゅんのことである。

春となれば、焼蛤やきはまぐりの汐しおのかおりに、龍宮城りゅうぐうじょうの蜃気楼しんきろうがたつといわれる那古なこの浦うらも、今年は、焼けしずんだ兵船の船板ふないたや、軍兵ぐんぴょうのかばねや、あまたの矢や楯たてが、洪水こうずいのあとのように浮いて、ドンヨリした赤銅色しゃくどういろの太陽が、その水面へ反映はんえいもなく照っていた。

陸おかをみれば、泊とまり、八幡やわた、白子しらこの在所ざいしょ在所、いずれをみても荒涼こうりょうたる焼やけ原はらと化して、あわれ、並木なみきのおちこちには、にげる途中でなげすてた在家ざいかの人の家財荷物かざいにもつが、うらめしげに散乱して、ここにも、斬きッつ斬られつした血汐ちしおや槍やりの折れや、なまなましい片腕かたうでなどがゆくところに目をそむけさせる。

すると、この酸鼻さんびな戦場の地獄じごくへ、血をなめずる山犬のように、のそのそとウロついてくる人影がある。

「お、こいつの差している刀はすばらしい」

「しめた、ふところから金かねがでたぞ」

「やあ、この陣羽織じんばおりは血にもよごれていねえ。ドレ、こっちへ召上めしあげてやろうか」

ざわざわと、こんなことをささやきながら、あなたこなたにたおれている武士の物ものの具ぐや持ち物を剥はぎまわっているのだ。

ああ戦国の餓鬼がき! 戦場のあとに白昼はくちゅうの公盗こうとうをはたらく野武士のぶしの餓鬼! その一群ぐんであった。

「おい! もう大がいにしておけ。あまりかせぎすぎると、こんどは道中の荷にやッかいになって、釜かまをかぶって歩くようなことになるぞ」

すると、この野盗やとうの頭かしらとみえて、ふとい声が土手どての上からひびいた。ヒョイとそこをふり仰あおぐと、臥龍がりゅうにはった松の木のねッこに、手下の稼かせぐのをニヤニヤとながめている者がある。

「もうたくさんだ、たくさんだ。そう一ぺんに慾よくばらねえでも、ちかごろは、ゆくさきざきに戦いくさのある世の中だ。まごまごしているまに、秀吉ひでよしの陣見じんみまわりでもきた日には大へんだ」

また、こういって、そこにスパスパ煙草たばこを吸すっていたのは、すなわち、和田呂宋兵衛わだるそんべえ、ほかの二人は蚕婆かいこばばあと丹羽昌仙にわしょうせんだ。

これで事情はおよそわかった。

秀吉の御感ぎょかんにいって、出世しゅっせの階段をとびあがるつもりでいた勝頼かつより探索たんさくの結果が、あの通りマズイはめとなったうえに、命令以上なでしゃばりをやッたので、ついに、軍律ぐんりつをもって陣屋追放をうけたというから、そこで呂宋兵衛は、もちまえの盗賊化とうぞくかして、これから他国へ逐電ちくてんするゆきがけの駄賃だちんとでかけているところであろう。

いくら捨すて鉢ばちになったにしろ、よくこんな、残忍ざんにんな盗みができることと思うが、根ねを考えると、富士の人穴ひとあなに巣すをかまえていた時から、和田呂宋兵衛、このほうが本業なのだ。

「頭領かしら、思いがけなく、金目かねめなものがありましたぜ」

と、二、三十人ほどの手下が、そこへ、剥はぎとった太刀や陣羽織じんばおりや金をつんでみせると、呂宋兵衛るそんべえは土手どての上からニタリと横目にながめて、

「そうだろう。このへんに討死うちじにしているやつらは、おおかた滝川一益たきがわかずますの家来で、ツイきのうまでは、桑名城くわなじょうでぜいたく三昧ざんまいなくらしをしていた者ばかりだからな。……う、そりゃアとにかく、もう南蛮寺なんばんじも秀吉ひでよしのやつにとりあげられてしまったから、京都へもどることはできねえ。いッたいこれからどこへ指さして落ちのびたものだろう?」

と、昌仙しょうせんと蚕婆かいこばばあのほうに相談そうだんをもちかけた。

「また、富士ふじの人穴ひとあなへかえろうじゃないか」

と、蚕婆は常に思っていることを、このさいにもちだして、あの曠野こうやの棲すみよいことや、安心なことを数えたてた。

「そうよ、もうほとぼりもさめたから、久しぶりで、富士のすがたも拝おがみてえな」

「だが――それはまだよろしゅうござるまい」

といったのは丹羽昌仙にわしょうせん。野武士のぶしのなかにいても、軍師格ぐんしかくなだけに、この者はすこし厳いかめしくかまえこんでいる。

「なぜだい?」

「なぜと申しても、小太郎山こたろうざんの砦とりでには、伊那丸いなまるの幕下ばっか、小幡民部こばたみんぶ、また、頭領かしらを親の仇かたきとねらっている咲耶子さくやこなどが、きびしく裾野すそのを見張っております」

「ウームなるほど。すると、おれがまた人穴城ひとあなじょうへ入はいりこむと、さっそく、小太郎山からやつらがドッと攻めかけてくるわけだな」

「火をみるよりも明らかな話でござる。まず、もうしばらく、こッちの力がじゅうぶんにととのうまで、裾野すそのへはいるのは、見合わせたほうがいいようにぞんじます」

「じゃアひとつ、北国路へでもいって、あの敦賀津つるがつの海に紅べんがら帆ほをおッ立てている、龍巻たつまきの九郎右衛門くろうえもんと合体がったいして、こんどは海べのほうでも荒してやるか」

「イヤイヤ、それもダメなことで」

と、昌仙しょうせんはいう下からかぶりをふって――

「もうそろそろ北国街道かいどうの雪も解とけてまいったはず、春となれば、秀吉ひでよしと、弔合戦とむらいがっせんをやるべく意気ごんでいた柴田勝家しばたかついえが、北きたノ庄しょうから近江路おうみじへかけて、ミッシリ軍勢ぐんぜいをそなえているでございましょう」

「じゃ、そッちへもいけねえとしたら、いったいどこへ落ちのびたらいいのだ」

「まず、いまのところしずかなのは、東海道でございますな」

「フーン。すると徳川家とくがわけの領分りょうぶんだな」

「さよう。近ごろ家康いえやすと秀吉とは、たがいに、珠たまをあらそう龍虎りゅうこのかたち。その仲の悪いところをつけこんで、こんどは家康のふところへ食くいいる算段さんだんが、第一かと考えます」

「そううまくこっちの註文ちゅうもんにハマるかな」

「いくら狡獪こうかいな家康いえやすでも、策さくをもって乗のせれば、乗らぬものでもございますまい、じつはその用意のために、早足はやあしの燕作えんさくを物見ものみにやッてありますゆえ、やがてそろそろここへ帰るじぶん……」

と、話ついでに、のびあがって向こうを見ていると、オオその燕作であろう、竹たけノ子こ笠がさに紺無地こんむじの合羽かっぱ、片袖かたそでをはねて手拭てぬぐいで拭ふきふき、得意な足をタッタと飛ばして、みるまにここへ駈かけついた。

二

「やあ、ごくろう、ごくろう」

と丹羽昌仙にわしょうせん、土手どての上から飛びおりて、

「して、どうだッた。伊那丸いなまるのようすは?」

「やッぱり、東海道から裾野すそのへはいって、それから小太郎山こたろうざんへかえる道順みちじゅんをとるらしゅうございます」

と、さすがに早足はやあし、あれほど韋駄天いだてんと走ってきながら息もきらさずこう答えた。

「そうか、やッぱりこっちの想像そうぞうどおり、思うつぼにハマったわい」

「ところが昌仙さま、あまり思うつぼでもありませんぜ。というなあ、秀吉ひでよしの指図さしずで、瀬田せたまで迎えにでやがった軍勢があるんで」

「ほ……秀吉が? フーン猿面さるめんめ、じょさいないことをやりおって、うまく伊那丸を抱だきこもうという腹だな。だがよいわ、まさかに家康いえやすの領分りょうぶんまで、その軍兵ぐんぴょうがクッついてもいけないだろう」

「昌仙しょうせん――」

と呂宋兵衛るそんべえもズルズルと下へおりてきて、

「徳川家とくがわけへ取りいる算段さんだんとは、やッぱりなにか、その伊那丸をおとりにして? ……」

「こいつを利用しないのは愚ぐでござる。武田伊那丸たけだいなまるを心のそこから憎にくみぬいて、あくまでもかれを殺害してしまいたいと願っているのは、秀吉ひでよしよりは家康でございますからな。また伊那丸にとっても、かれは、父の勝頼かつよりをほろぼした仇あだ。どッち道、このふたりのあいだは生涯しょうがいの敵同志かたきどうしでおわるでしょう。――ところが、こんど伊那丸が小太郎山こたろうざんへかえるには、どうしても、その家康の城下を通らねばなりますまい。さア、おもしろいのはここの細工さいくで、そのさきにわれわれが浜松城へまいって、なにかのことを教えてやったら、あのずるい家康も、眼をほそめて、うれしがるにきまッております」

「名策めいさく! 名策!」

呂宋兵衛、手を打ってよろこんだ。

「そいつアいい考えだ。ではさっそく、浜松へ乗りこもう! だがなんでも慾得よくとくずくだ、無条件むじょうけんじゃいけねえぜ」

「むろん、伊那丸を討うったあかつきには、こうしてくれという条件じょうけんもつけてのうえに」

「富士ふじの裾野すそのは徳川領だから、あのへん一帯から人穴ひとあなを、おれの領分としてくれりゃありがたいが」

「家康いえやすが夢ゆめにまでみておそれている、伊那丸いなまるがないものとなれば、それくらいなことは承知しょうちしましょう」

「天下はひろい! もう草履ぞうりとりあがりの猿面さるめんなんざア、くそでも食くらえだ。ワハハハハハ」

にわかに前途を明るくみて、小心な呂宋兵衛るそんべえが、こう元気づいていると、しきりに向こうを見はっていた早足はやあしの燕作えんさくが、

「あッ、いけねえ! もうきやがッた」

と、いかにも狼狽ろうばいしたらしくさわぎだした。

「な、な、なんだ、なにがきたンだ」

「ゆうべ瀬田せたから伊那丸をむかえてきた、木村又蔵またぞう、可児才蔵かにさいぞう、井上大九郎なんていうやつの軍兵ぐんぴょうで」

「そいつア大へんだ、ヤイ、てめえたち、はやく獲物えものを引ッかついで浜べのほうへ姿をかくせ! オオ蚕婆かいこばばあ、おまえがさッき目をつけておいた船があッたな、船で逃げろよ船で――。燕作燕作、向こうだ向こうだ、蚕婆と一しょにいって、はやく船のしたくをしていろい」

まるで、突風とっぷうに見まわれた紙屑かみくずか、白日はくじつに照らされた蜘蛛くもの子のように、クルクル舞いをして呂宋兵衛とその手下ども、スルスルと土手草どてくさへとびついて、雑木林ぞうきばやしの深みへもぐりこんだかと思うと、木の葉ばかりをザワザワとそよがせて、首もみせずに海べのほうへ逃げぬける。

野風呂のぶろの秀吉ひでよし

一

二里さきには桑名くわなの城が見える。

亀山かめやまの出城でじろ、関せき、国府こうの手足まで、むごたらしくもぎとられた滝川一益たきがわかずます、そこに、死にもの狂いの籠城ろうじょうをする気で、狭間はざまからはブスブスと硝煙しょうえんをあげ、矢倉やぐらには血さけびの武者をあげて、合図あいずおこたりないさま、いかにも悲壮ひそうな空気をみなぎらしている。

その城とは、三里弱じゃくの距離きょりをおいて、水屋みずやノ原はらにかりの野陣をしいているのは、すなわち秀吉方ひでよしがたの軍勢ぐんぜいで、紅紫白黄こうしびゃくおうの旗さしもの、まんまんとして春風しゅんぷうに吹きなびいていた。

きょう――あかつきの半刻はんときばかりの間に、バタバタとここへ集団した野陣であるから、板小屋一ツありはしない。

ところどころに鉄柱てっちゅうを打ちこみ、桐紋きりもんの幔幕まんまくをザッとかけたのが本陣であろう。今――このかげから四、五人の軍卒ぐんそつ、鎖具足くさりぐそくに血のにじんだ鉢巻はちまきをして、手に手に鍬くわや鋤すきをひッさげ、バラバラと陣屋へ駈かけだしてきた。

れんげがいっぱい咲さいている。

やわらかい若草が、二、三寸ずんほどな芽めをそろえている野原を、血汐ちしおだらけな武者むしゃわらじがズカズカと踏ンづけてひとところへかたまったかと思うと、鋤すきを持ったものが、サク、サク、サク、と四角い仕切しきりをつけてゆく。と、ただちにそのあとから、鍬くわをふりかぶッた方ほうが戦いくさをするような力で、線のうちがわを、パッ、パッ、パッと土をかきだして、みるまに穴あなを掘ほってしまった。

と――こんどは、その穴へあつい桐油紙とうゆがみを一面にしき、五寸すんかすがいでふちを止とめて、ドウッと水を入れはじめる。

そのまに他ほかのものが、まッ赤かに焼けた金かねの棒ぼうを持ッてきては、ジュウッ、ジュウッ……とその中へ突っこむうちに、いつか、中の水は湯にかわって、モクリと白い湯気ゆげを立てた。

「できた――」

といって、軍兵ぐんぴょうたちは、むこうの陣場へかくれてしまった。

何ができたのだろう?

すると、ややあってから、一方の幕まくをサッとはらって、羽柴筑前守秀吉はしばちくぜんのかみひでよし、ズカズカと大股おおまたにあるいてきた。

「殿、――しばらく、ただいまお支度したくを設もうけます」

あわてながら追っかけてきたのは、秀吉ひでよしの脇小姓わきこしょう、朝野弥平次あさのやへいじ、加藤孫一かとうまごいち。

抱かかえてきた楯たてを、バタバタと四、五枚そこへ敷きならべて、なおも、あとから運んできたのを、まわりへ立てようとすると、秀吉手をふって、

「うっとうしい」と、うしろ向きになった。

「はッ……では」

と陣礼儀じんれいぎをして、ふたりがそこをさがると、秀吉は鎧草摺よろいくさずりをガチャリと楯の上へ投げすてて、まッぱだかになった。

そして、一片ぺんの布ぬのをもって、前に軍兵ぐんぴょうがつくっていった、野陣の野風呂のぶろへドブリと首までつかりこんだ。

「ウーム……ウウム……」

と、秀吉、湯のなかに首まではいって、さも心地よげにうなっていたが、ザブリと一つ顔をあらって、

「ああ、よい湯かげん――」

と、湯穴ゆあなのフチにしいてある楯の上に腰かけ、両りょうの足だけを、ダラリとなかへブラさげていた。そしてときどき無意識むいしきにジャブリジャブリとさせながら、

「智恵ちえじまんな一益かずますも、ゆうべは定めしおどろいたろう……」

苦笑くしょうをうかべて、桑名城くわなじょうを観望かんぼうしている。

そうだ。昨夜は滝川一益たきがわかずますが、ここから五、六里離れたところの白子しらこの陣へ夜討ようちをかけた。秀吉ひでよしは、きゃつめかならずこうくるな――と手を読んでいたから、四方ほうの平地へいちや森の人家のかげに、堀尾茂助ほりおもすけ、黒田官兵衛くろだかんべえ、福島市松ふくしまいちまつ、伊藤掃部いとうかもん、加藤虎之助かとうとらのすけ、小川土佐守おがわとさのかみなど配置よろしくしいておいて、左近将監一益さこんしょうげんかずますが枚ばいをふくんで寄せてきたところを、逆ぎゃくに、ワ――ッと鬨ときの声をあげさせて、敵が森へ逃げんとすれば森の中から、海辺へはしれば海の中から、金鼓きんこを鳴らして追いまわし追いまわし、とうとう桑名城くわなじょうまで袋ふくろづめに追いこんだ。

これは兵法へいほうでいう八門もん遁甲とんこう。諸葛孔明しょかつこうめいが司馬仲達しばちゅうたつをおとし入れた術じゅつでもある。秀吉、それを試こころみて、滝川一益たきがわかずますをなぶったのだ。

「まずこれで伊勢いせは片づけた、――つぎには柴田権六しばたごんろくか、きゃつも、ソロソロ熊くまのように、雪国の穴あなから首をだしかけておろう……」

敵城を前にして、すッかり野風呂のぶろであたたまった秀吉は、こうつぶやきつつ、まッ赤かになった下ッ腹へ、ウン、と、一つ力をいれて、いかにも愛撫あいぶするごとくへそのまわりをなではじめた。

なでると黒い垢あかがボロボロ落ちた。

それもそのはず、この二月十日に七万の大軍を三道にわけて、都を発してきて以来の入浴にゅうよくで、寝ぬ日もきょうで三日つづく。しかし、垢はでるがいねむりはでない。かれは精力の権化ごんげであった。

「どれ……上がろうか」

湯の中に立って、手ばやく上半身を拭ふきはじめると、オオ、その時だ! れんげの花へピタリとからだを伏ふせて、蛇へびのようにスルリ、スルリ……とはってきた異形いぎょうの武士が、寝たまま片腕かたうでをズーッと伸のばして、種子島たねがしまの筒先つつさきを、秀吉ひでよしの背骨せぼねへピタリとねらいつけた。

火縄ひなわをプッと吹いたようす――、ドーンと弾たまけむりがあがるかと思うと、せつなに、パッとはねかえった異形の武士は、串くしにさされた蛙かえるのように、九尺柄えの槍やりに胸板むないたをつきぬかれ、しかもその槍尖やりさきはグザと大地につき立っていた。

「孫一まごいち、やりおったの」

それをニヤニヤ笑ってながめながら、秀吉、足を拭ふいて楯たての上にあがった。加藤孫一まごいち、すがたは見せないが、向こうの楯のかげで、

「は、一益かずますのまわし者と見ましたので」と答えた。

「イヤちがう。ありゃおそらく、徳川家とくがわけの隠密組おんみつぐみであろう。家康いえやすもなかなか人が悪いからの。あとでよく死骸しがいのふところをあらためてみい」

ところへ、バタバタと早運はやはこびの足音がひびいてきた。フト見ると、加藤虎之助とらのすけ、はるかにはなれて具足ぐそくの膝ひざを地につかえる。

「お上かみ」

「ウム、虎之助とらのすけ」

「近江路おうみじへやりました井上大九郎、その他の者、ただいま武田伊那丸たけだいなまるをご陣屋まで召しつれましたが」

「や、帰ってきたか。ウム、伊那丸いなまるも同道して。――そうか。では表陣屋西幕おもてじんやにしまくのうちに床几しょうぎをあたえて、鄭重ていちょうにおとりなし申して置くがよい」

これだけの言葉をはくうちに、秀吉ひでよしは、肌着はだぎ小手こて脛当すねあてをピチンと着つけて、皆朱碁石かいしゅごいしおどしの鎧よろいをザクリと着こみ、唐織銀文地からおりぎんもんじに日月じつげつを織りうかした具足羽織ぐそくばおりまで着てしまった。

そして鎧のアイビキ紐ひも、草摺くさずりのクリシメ紐ひも、陣太刀の緒おと、端はしからキチキチむすんでゆく指の早さといったらない。まるで神技かみわざと思わるるくらいだ。もっとも秀吉ばかりでなく、およそ戦国の世に男とうまれ武士の子と生まれたほどの者は、みな、陣太鼓じんだいこの音ねが三ツ鳴るあいだに、具足着ぐそくきこみのできるくらいの修養しゅうようを、ふだんのうちにつんでいた。

「孫一まごいち」

武将いでたちとなると、秀吉の威風いふう、あたりをはらって、日輪にちりんのごとき赫々かっかくさがある。

「はッ、御意ぎょいは?」

「右陣うじんにいる福島市松ふくしまいちまつのところへ伝令せい! ただ今、武田伊那丸たけだいなまるが見えたによって、あずけておいた一品ひとしな、そっこくここへ持参いたせと」

「は、かしこまりました」

ヒラリと溜たまりへかえった加藤孫一、使番目印つかいばんめじるしの黄幌きほろに赤の差旗さしものを背せにつッたて、馬をあおって、右陣うじん福島市松ふくしまいちまつのところへ馳かけとばした。

伊那丸いなまるから秀吉ひでよしがあずかったという品しな、――それは果たしてなんであろうか?

二

伊那丸は与えられた床几しょうぎによって、秀吉ひでよしのくるのを待っていた。右には忍剣にんけん、左には龍太郎りゅうたろうが烱けいとした眼をひからせている。

張りめぐらした幔幕まんまくのそとには、槍やりの穂ほさきがチカチカと霜しものごとくうごいていた。やがて、加藤虎之助とらのすけがあらわれて、いんぎんに礼をして、秀吉ひでよしの大将座をもうけ、その脇わきにひかえていると、順をおって堀休太郎ほりきゅうたろう、蜂須賀小六はちすかころく、仙石権兵衛せんごくごんべえ、一柳市介ひとつやなぎいちすけなどの、旗本はたもとがいならび、やがて幕をはらって、秀吉の碁石縅ごいしおどしの姿がそこへあらわれた。

「おお、伊那丸どのな――」

こういいながら秀吉は、ズカリと前へよってきた。その満顔まんがんの笑えみをみると伊那丸も旧知きゅうちのような気がして、笑みをもって迎えずにはいられなかった。

「まずもって、あっぱれなご成人ぶりを祝福いたす。つねにうわさはきいておるが、イヤ、さすがは機山大居士きざんだいこじの御孫おんまご、末すえたのもしい御曹子おんぞうしじゃ……」

みじんのわだかまりもなく、胸をひらいて手をつかんだ。そして、その手をふって明るく笑った。あたかも肉親の邂逅かいこうのように。

「さて、眼前がんぜんにまだ一攻ひとせめいたす桑名城くわなじょうもござるゆえ、ゆるりとお話もいたしかねるが、お迎えもうしお返しせねばならぬ一品ひとしな。おじゃまではあろうなれど、小太郎山こたろうざんのとりでへ、土産みやげとしてお持ちかえり願いたい」

床几しょうぎになおって、羽柴秀吉はしばひでよし、こういうと手の軍扇ぐんせんを膝ひざにとってかまえながら、

「市松いちまつ! 市松!」とおごそかに呼よばわった。

「はッ」

という幕まくかげの答え。主命しゅめいによって、いまそこへ、控ひかえたばかりの福島市松ふくしまいちまつ、一箇この鎧櫃よろいびつをもって、秀吉と伊那丸いなまるの中央にすえた。

「伊那丸どの、お返し申す品しなはこのなかにある。すなわち、それは武田家たけだけのご再興さいこうになくてかなわぬ什宝じゅうほう、御旗みはた楯無たてなしの名器めいきでござりますぞ」

「や、ではこの中に、御旗楯無の宝物ほうもつが?」

「秀吉の手にあるわけは、あの和田呂宋兵衛わだるそんべえめが、人穴城ひとあなじょうにおったころ、京へ売りつけにきた物をもとめておいたからでござる。もとより、もとめる時からこの秀吉には用のない品しな、いつかそこもとの手へ返してあげたいと念じていたのじゃ、どうぞ、あらためて貴手きしゅへお受け取り願いたい」

武田家たけだけ無二むにの什宝――御旗楯無。それこそは、伊那丸にとってなによりなものである。裾野すそのの湖水へしずめて隠しておいた後、それが何者かに盗みさられて、呂宋兵衛の手で京都にはこばれ秀吉の手からふたたび伊那丸へ返ってきたのは、これ武田家再興の大願がなる吉兆きっちょうか――と、かれはなつかしくそれをながめ、また、秀吉ひでよしの好意を謝しゃさずにもいられない。

二言三言ふたことみこと、その礼をのべている時だった。なにごとか、にわかに、陣々に脈々みゃくみゃくたる兵気がみなぎってきたかと思うと、本陣へ京都からの早馬の急使がきて、秀吉に、時ならぬ急報をつげた。

いわく、

北国北きたノ庄しょうの柴田勝家しばたかついえ、盟友めいゆう一益かずますの桑名くわなの城しろ危あやうしと聞いて、なお残雪のある峠とうげの嶮けんをこえ、佐久間盛政さくまもりまさを先鋒せんぽうに、上部八風斎かんべはっぷうさいを軍師ぐんしにして近江おうみへ乱入し、民家を焼き要害ようがいのとりでをきずいて、作戦おさおさおこたりない――と。

その飛状ひじょうを手にした秀吉は、あわてもせず、莞爾かんじとして、

「では残りおしいが、伊那丸いなまるどの、また会う機会もあるであろう。その宝物の御旗みはた、その楯無たてなしの鎧よろいが、かがやく日をお待ちするぞ」

「ご芳志ほうし、ありがたくおうけいたします」

「おお、それより小太郎山こたろうざんへお帰りあるは、途中さだめし多難であろう。秀吉の部下五、六十騎きおかし申そう」

「イヤ、徳川領とくがわりょうを通るのがおそろしゅうて、秀吉どののさむらいを借りてきたと申されては……」

「ウウム、名折なおれといわるか」

「多難は旅の道ばかりではございませぬ」

「そうじゃ。天下は暗澹あんたん――いずれ、光明の冠かんむりをいただく天下人てんかびとはあろうが、その道程どうていは刀林地獄とうりんじごく、血汐ちしおの修羅しゅらじゃ。この秀吉ひでよしのまえにも多難な嶮山けんざんが累々るいるいとそびえている」

「ましてやおさない伊那丸いなまるが、わずかな旅路を苦にしてどうなりましょうか」

「愉快なおことば、秀吉もその意気ごみで、ドレ北国の荒熊あらぐまどもを、一煽ひとあおりに蹴けちらしてまいろうよ」

さらば――と別れて、秀吉はたって作戦の用意にかかり、伊那丸は、はからずも手にもどった御旗みはた楯無たてなしの具足櫃ぐそくびつを忍剣にんけんの背に背おわせて、陣のうらかられんげ草のさく野道へ走りだした。

ワーーッという武者押しの声をきいた。

小手をかざして桑名くわなの方ほうをみると、はやくも秀吉の先陣は、ふたたび戦雲をあげて孤城奪取こじょうだっしゅの総攻めにかかり、後陣は鳥雲ちょううんのかたちになって、長駆ちょうく、柴田しばたとの迎戦げいせんに引ッかえしてゆく様子――。

その戦雲をくぐり、敵味方の乱軍をぬけて、伊那丸主従は、やがて名古屋から岡崎へとすすんでいった。――ああ、いよいよあと十数里で、徳川家康とくがわいえやすの本城、浜松の地へ入ることになる。

さきに、奸策かんさくをえがいていた呂宋兵衛るそんべえが、こんどは、狡智深謀こうちしんぼうな家康と、どう手を組んでくるだろうか。

伊那丸いなまるのまえには、いまや、おそるべき死の坑穴こうけつが何者かの手で掘られている。

死といえば、夜の湖水にただよっていた、鞍馬くらまの竹童ちくどうと泣き虫の蛾次郎がじろう。あのふたりの死はどうなっただろう。

死はどうなるものでもない。

死は絶対ぜったいであり永遠である。

仲直なかなおり

一

琵琶湖びわこのなかにひとつの島がある。本朝ほんちょう五奇景きけいのうちに数えられている竹生島ちくぶしま。

島の西がわ、天狗てんぐの爪つめとよぶ岩の上に、さっきからひとりの神官しんかん、手に笙しょうの笛をもち、大口おおぐちの袴はかまをはき、水色のひたたれを風にふかせて立っている。

そこから小手をかざしてみると、うッすらとした昼霞ひるがすみのあなたに、若狭わかさの三国山みくにやま、敦賀つるがの乗鞍のりくら、北近江きたおうみの山々などが眉まゆにせっしてそびえている。そして、はるか柳やなヶ瀬せのおくから、この琵琶湖へ一冽れつの銀流をそそいでくる高時川たかときがわのとちゅうに、のッと空に肩をそびやかしているのは、賤しずヶ岳たけの巨影きょえいで、そのうしろに光っているいちめんの明鏡めいきょうは余呉よごの湖水と思われる。

と、――その神官しんかんの眼が、そこにピタリと吸すいついて時ひさしくたたずんでいるうちに、賤ヶ岳から柳やなヶ瀬せにわたる方角に、モクリと黄色いけむりがあがった。

見るまに、それを一手として、つぎには、大岩山おおいわやま、木之本附近きのもとふきん、岩崎山いわさきやまのとりでとおぼしきところから山火事のような黒煙こくえんがうずをまいて、日輪にちりんの光をかくした。と思うと、余呉の湖水や琵琶びわの大湖たいこも、銀のつやをかき消されて、鉛なまりのような鈍色にぶいろにかわってくる。

「ああ、敗れた!」

神官は手にもてる笙しょうのような声でさけんだ。

「賤ヶ岳のとりでも落ちた――柳ヶ瀬の陣も総くずれだ――柴田勢しばたぜいはとうとう秀吉ひでよしのためにほろぼされる運命ときまった……」

いかにも悲痛ひつうな色をうかべた。

神官のひとみには、かすかな涙の光さえみえる。

そして、亡国ぼうこくの余煙をとむらわんとするのか、おがむように笙を持って、しずかに、その歌口うたぐちへくちびるをあてた。

壮そうな音色ねいろ、悲愁ひしゅうな叫び、または嘈々そうそうとしてさわやかに転変する笙の余韻よいんが、志賀しがのさざ波へ微びに妙たえによれていった――

「宮内くないさま、――菊村きくむらさまア!」

すると、その笙しょうの音ねをたよりにして、岩々がんがんたる島の根を漕こぎまわってくる小船があった。

呼ぶこえ、櫓ろの音おと。船のなかにはひとりの若い漁師りょうしが、櫓柄ろづかをにぎって、屏風びょうぶのような絶壁ぜっぺきをふりあおいでくる。

「おう、源五げんごか」

天狗てんぐの爪つめからのびあがって、こう答えた神官は、すなわち菊村宮内きくむらくないである。松の枝に手をささえて、波うちぎわを見おろした。

「宮内さま、おたのみをうけまして、すっかり陸おかのようすをみてまいりました」

「ごくろうごくろう、さきほどから、その返辞へんじを待ちかねていたところ、どうであった戦いくさの結果は」

「伊勢いせの陣から引っかえした秀吉勢ひでよしぜいは、おそろしい勢いで、無二無三むにむさんに北国街道かいどうをすすみ、堂木山どうきざんに本陣をおいて、柴田勢しばたぜいを追いちらし、北きたノ庄しょうまで馳かけすすんでゆくというありさまです」

「ウーム、そうか、北国一の荒武者あらむしゃといわれた、佐久間盛政さくまもりまさもそれを食くいとめることができなかったか……」

「佐久間勢さくまぜいも、一どは秀吉方ひでよしがたの中川清兵衛なかがわせいべえを破ったそうですが、丹羽長秀にわながひでが不意の加勢についたため、勝軍かちいくさは逆ぎゃくになって、北国勢ほっこくぜいは何千という死骸しがいを山や谷へすてたまま、越前えちぜんへなだれて退ひいたといううわさです。このあんばいでは、やがて北きたノ庄しょうの柴田勝家しばたかついえも、近いうちには秀吉ひでよしの軍門ぐんもんにくだるか、でなければ生なまくびを塩しおづけにされて凱旋がいせんの土産みやげになってしまうだろうと、もっぱら風聞ふうぶんしております」

「おうわかった――北国勢の敗軍であろうとは、ここからながめても、およそ見当がついていた。源五げんご、ごくろうだった。また用があったら笙しょうを吹くから……」

力なくこういうと、神官しんかんの菊村宮内きくむらくないは、天狗てんぐの爪つめからすべりおちるように、よろよろと島のなかへすがたをかくしてしまった。

島にはつつじ、山吹やまぶき、連翹れんぎょう、糸桜いとざくら、春の万花まんげがらんまんと咲いて、一面なる矮生わいせい植物と落葉松からまつのあいだを色どっている。宮内のすがたは、その美うるわしい自然に目もくれないで、しおしおと細道をたどっていった。

かれの直垂ひたたれの袖そでをかすめて、まッ黄色な金糸雀カナリアがツウ――と飛んだ。

と、その向こうには、神さびた弁天堂べんてんどうの建物が見えた。なお、あたりには、宇賀うがの御社みやしろ、観音堂かんのんどう、多聞堂たもんどう、月天堂げってんどうなどの屋根が樹の葉のなかに浮ういている。

「宮内さま、もうお午ひるでございます」

社の内から走りだしてきた巫女みこの少女が、かれの姿をみるとこう告つげた。だが、宮内はゆううつな顔をうつむけたまま、

「う、お午ひるか。やめよう、今日はなんだか食たべたくない」

とかぶりをふった。ちいさい巫女はそれを追って、

「ですけれど、あの、可愛御堂かわいみどうのなかにいるお方かたへは、いつものように、お粥かゆを作っておけとおっしゃったので、もうできておりますが」

「お、忘れていた。じぶんの心がみだされたので、ツイそのことを忘れていた。さだめしお腹なかがすいていよう」

「じゃ、いつもの通り、あそこへ運んでまいりましょうか」

「あ、両方りょうほうへ同じようにな」

宮内くないは急にいそぎ足になって、境内けいだいのかたすみにある六角かく堂どうへ向かっていった。一間けんの木連格子きつれごうしが、六面の入口にはまっていた。

その一方の錠じょうをあけて、宮内はやさしい声をかけた。うすぐらい御堂の中には、蒲団ふとんをかぶって寝ている少年のすがたがある。――ふと見ると、それは泣き虫の蛾次郎がじろうだった。

二

「どうだな、蛾次郎さん」

と宮内はそこへしゃがみこんで、体からだの、容体ようたいをききはじめた。そのようすをみると、かれはしばらく病人となって、この可愛御堂に閉とじこもっていたものとみえる。

だが、蛾次郎は、蒲団のなかにねてこそいるが、もうあらかたご全快ぜんかいのていとみえて、宮内の顔をみるや否いな、ムックリとそこへ起きあがった。そして、

「おじさん、ひどいじゃねえか! どうしたンだいッ」

とどなりつけた。

病人にどなりつけられたので、宮内くないも少しびっくりしたが、二十日かあまりもこの蛾次郎がじろうの世話をやいて、いまではすッかりその性質をのみこんでいるから、かくべつ怒おこりもしなかった。

「たいそうな元気じゃの。けっこうけっこう、それくらいな勢いなら、もうじきに元の体からだになるだろう」

「なにをいッてやがるンだい」

蛾次郎は不平の口をとンがらして、

「もうとッくの昔に、このとおりまえの体になっているんじゃないか。それを、いつまでこんな中へほうりこんでおいて、だしてくれないッて法があるかい。え、おじさん――どこの国へいったって、そんなばかな法はないぜ」

「そうかな、それは悪かったよ」

と、宮内は、どこまでも好人物こうじんぶつらしく笑っている。

「おまけに、笙しょうばかり吹いていて、まだお午ひるの飯めしも持ってきてくれやしねえ。ちぇッ、おらア腹がへってしまった」

「いまじきに持ってきてあげるから、おとなしくしておいでなさい」

宮内はこうなだめておいて、そこの扉とびらをピンと閉しめたかと思うと、こんどは、つぎから二ツ目の木連格子きつれごうしの錠じょうをあけた。と、みょうなことに、この中にも蛾次郎がじろうのところと同じように、一組の夜具やぐが敷きのべてあって、その蒲団ふとんの上にも、やはりひとりの少年がいる。

だが、これは向こうの蛾次郎のごとく不作法ぶさほうではなくいかにもものしずかに、いるかいないかわからぬようにしてすわっていたが、木連格子がギーッと開ひらいたので、顔をさし入れた菊村宮内きくむらくないと目を見あわせ、だまって、頭をさげた。

「うっかりして、昼の食物ものをおそくいたした。さだめし空腹になったであろう」

「どういたしまして、それどころではございません」

こういった者こそ、かの鞍馬くらまの竹童ちくどうなのである。

その日からおよそ二十日かほどまえ、海月くらげのようにただよって、湖水におぼれていた竹童と蛾次郎が、いまなお、この竹生島ちくぶしまの可愛御堂かわいみどうという建物のなかに生せいをたもっているところをみると、あの夜か翌朝、島の西浦にしうらで、弁天堂べんてんどうの神官菊村宮内の手で救いあげられたにそういない。そして、柔和にゅうわで子供ずきな宮内の手当てあてが厚あつかったために、こうしてふたりとも、もとのからだに近いまでに、健康をとりもどしてきたのだろう。

「ありがとうぞんじます。もう体からだもよほどよくなりましたから、けっして、ごしんぱいくださいますな。そして、わがままのようですが、どうぞわたくしのからだを、この島からおはなしなすッてくださいまし」

竹童が、こういったものごしを見るにつけても、宮内は、向こうにいる蛾次郎とこの少年とは、なんという性格の違い方だろうと思った。

だが、かれは、どッちも憎いと思わなかった。竹童ちくどうが好きなら、蛾次郎がじろうも好きだった。イヤ、菊村宮内きくむらくないという人物は、すべての子供――どんな鼻垂はなたれでもオビンズルでもきたない子でも、子供と名のつく者ならみんな好きだった。

それがために、かれは武士の身分をすてて、この竹生島ちくぶしまへ、可愛御堂かわいみどうという六角屋根の建物をたてた。

今日は東の国、あすは西の国と、つぎからつぎへ戦たたかいがあってやまない世の中。――その兵火のたびごとに、武士も死ねば女も死ぬ百姓も死ぬ、まして、たくさんな子供のたましいも犠牲いけにえになる。

菊村宮内は、もと柴田勝家しばたかついえの家中かちゅうでも、重きをなしていた武将であったが、そういう世のありさまをながめると、まことに心がかなしくなった。で、主君の勝家から暇いとまをもらって、いくたの戦場をたずね、やがて竹生島の弁天べんてんの社やしろにそって、この可愛御堂を建立こんりゅうした。

「弁財天べんざいてんは母である。そしてわしは不運なおおくの子供たちの慈父じふになりたい」

こういう願いをもっている。

ところが、さきごろから、琵琶湖びわこの附近にも、戦いくさの黄塵こうじんがまきあがった。すなわち、伊勢いせの滝川一益たきがわかずますをうった秀吉ひでよしが、さらにその余勢よせいをもって、北国の柴田軍しばたぐんと、天下てんか分わけ目めの迎戦げいせんをこころみたのである。

不幸な子供の魂たましいをとむらいながら、可愛御堂かわいみどうの堂守どうもりで生涯しょうがいをおわろうと思っていた菊村宮内きくむらくないも、むかしの主人であり、ふるさとの兵である北国勢ほっこくぜいが、すぐ向むこう岸ぎしの木之本きのもとでやぶれ、賤しずヶ岳たけから潰走かいそうするありさまを見ると、なんとなく心がいたんで、いっそのこと、島をでてふたたび主君の馬前に立とうかとさえ――ツイさっきも迷ったのである。

しかし、それもそれだが、まったくみじめな、乱世らんせいの子供たちの慈父じふとなる生涯も、けっして悪い目的ではない。ことに、いま、この島には、じぶんが心をそそいで救いかけている竹童ちくどうという少年、蛾次郎がじろうという少年がいる。

もう、からだはなおったが、からだだけなおしてやっただけでは、まんぞくとはいえない。ふたりの境遇きょうぐうや、心までも、幸福に健全けんぜんにして、そして、この竹生島ちくぶしまをだしてやりたいと、かれは願った。

三

でいまここに、蛾次郎の顔をみ、竹童のすがたを見ると同時に、宮内くないは、湖みずうみをへだてたかなたの戦いくさのことも、きれいに心頭しんとうから忘れさって、まことに慈父じふのような温顔おんがんになっていた。

「この島からだしてくれといわれるか?」

「はい」竹童はキチンとすわって、そしてすなおに、

「わたくしには、一刻ときも忘れてはならない主君がありますし、それに、だいじな鷲わしのゆくえもさがさなければなりませんから……」

「おお、おまえは主人持ちか。してそのお人という者の名は?」

「ここでは、お話し申されません。ですが、お師匠ししょうさまの名まえなら、打ちあけてもかまわないでしょう。わたくしは鞍馬山くらまやまの僧正谷そうじょうがたににいる果心居士かしんこじ先生の弟子でしのひとりでございます」

「ウム、有名な、果心居士のお弟子であったか。なるほど、それならものの聞きわけもよいはずだ。……ではおまえに一つのたのみがあるが」

「はい、命いのちをたすけられたご恩人」

「なんでも聞いてくれるというのか」

「できることならきっとききます」

「ほかではないが、おまえと一しょに、湖水におぼれていた蛾次郎がじろうな」

「ああ、あの蛾次郎がどうかしましたか」

「どうも、ひどく仲なかが悪そうだが、なんとかわしの顔にめんじて、これからさき、仲をよくしてくれないか」

「…………」

竹童ちくどうはだまって下を向いてしまった。

「でないと、ふたりをこの御堂みどうからだしてやることができない。せっかくわしが助けてあげても、この塔とうをでるとたんに、檻おりをでた犬と猿さるのように、また血まみれになったり、取ッ組んだりされては、わしの親切がかえって仇あだになってしまう。それがゆえに、罪つみのようだが、ふたりを別々な口へいれて、錠じょうまでおろしているのだよ、これもひとつの情けのかぎだ。悪く思ってくれてはこまる」

宮内くないのあたたかい真心が、じゅんじゅんと胸にひたってくるので、竹童も思わず涙ぐましくさえなった。

だが、そればかりは、竹童にも、ハイとすなおに快諾かいだくされなかった。かれはだまって、いつまでも下をむいていた。

「いけないと見えるな……ウーム、これだけはさすがのわしも困こまったな」

そこへ、巫女みこの少女が粥かゆをはこんできたので、宮内はそれを竹童にあたえ、蛾次郎がじろうの分はじぶんが持って、また以前のところへもどってきた。

お粥のけむりを見ると、空腹すきばらで、喉のどから手がでそうなくせにして、蛾次郎はプンプンと怒おこった。

「けッ、またおかゆかい、おじさん」

「うごかずにいる間あいだは、まアまアこれでがまんをしなければ」

「じょうだんじゃねえや、おれなんか、裾野すそのにいたじぶんから、ズッと奈良ならや京都のほうを見物して歩いてる時なんかも、こんなまずいものを一どだって食くったことはありゃしねえ」

「ほウ、おまえはそんなぜいたくだったのか」

「そうさ、おいらはこう見えても、徳川家とくがわけへゆけばはぶりがきくんだからな。浜松にいる菊池半助きくちはんすけという人を知っているかい。おじさんなんか知るめえ。隠密組おんみつぐみで第一ッていう人よ。おれはその人にずいぶん小判こばんをもらったぜ、つかいきれないほどあった――アアつまらねえつまらねえ、また浜松へいって、少しお金をせびッてこよう」

ひとりでペラペラしゃべりながら、まずいといった粥かゆを一つぶのこらずなめてしまった。

そして、すぐにゴロリと横になって、手枕てまくらをかいながら、生意気なまいきそうな鼻の穴あなを宮内くないのほうにむけ、

「おじさん、いまおめえは、この向こうにはいっている竹童ちくどうのところで、なにかコソコソ耳こすりをやっていたろう」

といった。

「ウム。おまえと仲なかをよくせぬかと、そのそうだんをしていたのじゃ」

「くそウくらえ――だれがあんなやつと仲をよくするもんか。おいらは徳川びいきだし、あの竹童ッてやつは、山乞食やまこじきの伊那丸いなまるって餓鬼がきや、イヤな坊主ぼうずに味方をしているんだ」

「ではどうもしかたがないな。……ふたりの気がおれて、仲をよくするというまで、この塔とうにはいっていてもらうよりほかに方法はあるまい」

宮内くないは竹童ちくどうのたべた土鍋どなべのからと、蛾次郎がじろうの食たべたからを両手にもって、社家しゃけのほうへもどってしまった。

格子こうしのすきまから、そのうしろ姿をみて、蛾次郎は声のあるッたけ悪あくたれをついた。

「やい、早くここをだしてくれよ。いッてしまっちゃいけないよ! やい神主かんぬし! つんぼか唖おしかでくの坊ぼうか! オイきこえないふりをしてゆくない。オーイ、バカ神主め、おいらをいつまで竹生島ちくぶしまへおいておくんだい。かえせ、帰せ、かえしてくれ! 帰さねえと、いまに弁天べんてんさまへ火をつけるぞッ!」

あおむけに寝ねながら、足で床板ゆかいたをふみ鳴らし、口から出放題でほうだいにあたりちらしていると、その仕切境しきりざかいの板のむこうがわで、

「やかましいッ」と、小気味こきみのいい一喝かつがツンざいた。

「オヤ、なんだと!」

ムクムクと身をおこした蛾次郎。

「なにがやかましいッ!」と負けずにどなりかえした。

だが、じぶんの声が、ガーンとくらい塔とうの内部へひびいただけで、もう向こうにいる竹童は、それきり、かれの相手になってこなかった。

火独楽ひごまと水独楽みずごま

一

強がりンぼで横着おうちゃくで、すぐツケあがる泣き虫の蛾次郎がじろう。いざとなれば声をだしてわめくくせに向こうでだまりこむと、その足もとをつけこんで「やい、竹童ちくどうッ」と、こっちからけんかを吹ッかける。

これだから菊村宮内きくむらくないも、この性しょうのあわないふたりを、一つのじぶんの手にすくって、難儀なんぎをしているところなのだ。で、どうかして、仲をよくしてやりたいと考えてはいるが、なにしろ蛾次郎は、からだを養生ようじょうするうちに菊村宮内のやさしさに馴なれ、すっかり増長ぞうちょうしている気味きみだから、とても竹童と手をにぎって、心から打ちとけるべくもない。

「やいなんとかいえよ!」

業ごうをにやして蛾次郎は、さかいの板をドンドンとたたいた。すると、向こうにいて、ジッと我慢がまんをしているらしい竹童も、ついに、堪忍袋かんにんぶくろの緒おをきって、

「だまれッ、狂人きちがい!」と叱しかりつけた。

「なに、狂人だと! おれのこと、狂人だとぬかしたな。なまいきなア! いまに野郎やろうおぼえておれよ。フーンだ――いまにこの島をでてみやがれ、あの大鷲おおわしをまたおいらの手に取りかえして、きさまたちに目にもの見せてくれるから」

「井いの中の蛙かわず――おまえなんかに天下のことがわかるものか、この島をでたら、分相応ぶんそうおうに、人の荷物にもつでもかついで、その駄賃だちんで焼餅やきもちでも頬ほおばッておれよ」

「よけいなおせッかいをやくな。てめえこそこの島からだされると、また八神殿しんでんの床下ゆかしたで、お乞食こじきさまのまねをするより道がねえので、それで、おとなしくしていやがるンだろう。武田伊那丸たけだいなまるだッて、忍剣にんけんとかいうやつだって、龍太郎りゅうたろうという唐変木とうへんぼくだって、てめえの味方は、みんなロクでもねえ山乞食やまこじきばかりだ」

「うぬッ、伊那丸さまのことをよくも悪あしざまにいったな」

「オイオイ、どッちもでられないと思って、強そうなことをいうなよ、なぐれるものならなぐってごらんだ。お手々ててが痛いたくなるばかりだ」

「バカ! こんなほそい木連格子きつれごうしぐらい、破ろうと思えば破れるが、それでは、ご恩おんになった菊村きくむらさまにすまないから、おゆるしのあるまで、ジッとしんぼうしてはいっているのだ」

「ちぇッ! おつなことをおっしゃったよ。お腹なかの虫がチャンチャラおどりをしたいとサ」

「きッとか! 蛾次郎がじろう!」

「おどかすねえ、琵琶湖びわこの水をのんで、助かったばかりのところを」

「だからだまっていろというのだ」

「そういわれりゃなおさわぐぞ」

「勝手にしろい」

「ざまを見やがれ、へッこみやがって!」

「こいつ!」

と竹童ちくどうがわれをわすれて立ったとたんに、ヒョイと手をかけると格子こうしのとびらが、観音かんのんびらきにサッと開あいた。

「あッ――」

はずみを食くって、塔とうの口からころがりだしたせつなに、蛾次郎がじろうも仰天ぎょうてんして扉とをおした。すると、意外や、そこも容易よういにパッとひらいて、かごの鳥が舞うようにかれも表へとんででる。――

そうだ、菊村宮内きくむらくないは、さッき社家しゃけのほうへもどる時、いつものように、そとから錠じょうをおろしてゆかないようであった。なにか考えごとをしていて、ウッカリそれを忘れていたのだ。

それはいいが、さてまたここに一大事。

パッと両方の口からとびだした蛾次郎と竹童とは、王庭おうていに血戦けっせんをいどむ闘鶏とうけいのように、ジリジリとよりあって、いまにもつかみ合いそうなかたちをとった。

裾野すその以来――また、京都の八神殿しんでん以来――かれとこれとは、いよいよ怨うらみのふかい仇敵きゅうてきとなるばかりであった。ことに蛾次郎は、一ど徳川家とくがわけからあまい汁しるをすわされているので、その方ほうに肩をもち、竹童はそれを伊那丸いなまるとともに敵としている。また、いまはいずこの空へ飛んでいるかわからないが、あの大鷲おおわしをたがいにわが手におさめんとする競きそい人ても蛾次郎は竹童をめざし、竹童は蛾次郎の息のねをとめてしまわなければやまない。

ところが、蛾次郎も、近ごろは先せんのうちより、だいぶ強くなってきた。もともと彼は石投げの天才であって、智能ちのうの点はともかくも、糞度胸くそどきょうがつくとなると、どうして、容易よういにあなどりがたい。

ましてやいまは、竹童も般若丸はんにゃまるを宮内くないの手にあずけてあるし、蛾次郎もあけび巻まきの一腰ひとこしを取りあげられているから、この勝負こそ、まったく無手むてと無手。

「ウーム、よくもいまは広言こうげんをはいたな」

と、掌てにつばきをくれながら、竹童がジーッとせまると、蛾次郎もまた腕うでをまくりあげて、

「こん畜生ちくしょう、もう一ど琵琶湖びわこの水をくらいたいのか」

いきなり拳こぶしをかためて、電火のごとき力まかせに、グワンと相手の頬骨ほおぼねをなぐりつけていったが、なにをッ! と引っぱらって鞍馬くらまの竹童、パッと身をかわしたので、ふたりはすれちがいに位置を取りかえ、またそこで血ばしった眼をにらみ合った。

と――思うと蛾次郎は、ふいに五、六間けんほどとびさがって、足もとから小石をひろった。卑怯ひきょう! 飛礫つぶてをつかんだな! と見たので竹童も、おなじように大地のものを右手につかんだ。

だが、竹童のつかんだのは、石でもない、土でもない。

あたり一面に、雪かとばかり白く散っていた、糸桜いとざくらの花びらである。

花びらの武器ぶき? なんになるのか蛾次郎がじろうにはわからない。畜生ちくしょう、すこし血があがっていやがるなと見くびってひろいとった石飛礫いしつぶて、ピューッと敵の眉間みけんへ打ってはなすと、竹童すばやく身をしずめて指の先から一片ぺんの花をもみだして唇くちびるへあて、息をくれて、プーッと吹いたかと思うと、それは飛んで一ぴきの縞蜘蛛しまぐもとなり、つぎの飛礫をねらいかけていた蛾次郎の鼻へコビリついた。

これはかつて竹童が、人穴城ひとあなじょうへ使者としていったとき、呂宋兵衛るそんべえの前でやって見せたことのある初歩の幻術げんじゅつ、きわめて幼稚ようちなものであるが、蛾次郎ははじめてなのでおどろいた。

「わッ」

といって、おもわず顔へ手をやった。すでに体たいはみだれたのだ。得えたりと竹童、そこをねらって馳かけよりざま、さらにつかんでいた無数の花びらを、エエッと、力いッぱい蛾次郎の頭からたたきつけた。オオ落花らっかみじん、相手はふんぷんたる白点につつまれたであろうと見ると、それとはちがって、竹童の手からパッと生まれて飛んだのは、まッくろな羽に赤い渦うずのある鎌倉蝶々かまくらちょうちょう、――蛾次郎の目へ粉をはたいてすぐにどこかへ消えてしまった。

いよいようろたえた泣き虫の蛾次郎、たわいもなく竹童の足がらみにけたおされて、ギュッと喉笛のどぶえをしめつけられ、さらにうらみかさなる拳こぶしの雨が、ところきらわずに乱打らんだしてきそうなので、いまは強がりンぼの鼻柱はなばしらがくじけたらしく、

「たッ、たすけてーッ、神主かんぬしさま、神主さま」

最前、ここをだしてくれなければ、火をつけるぞと悪あくたれを吐ついていた、その弁天べんてんさまのほうへ、声をしぼって救いをよんだ。

二

その晩である。

瘤こぶだらけになった蛾次郎と、みみずばれをこしらえた竹童とが、菊村宮内きくむらくないの住居すまいのほうで、かた苦しくすわらされていた。

昼間、もう少し蛾次郎がやせがまんをしていたら、竹童のためにしめ殺されていたかもしれない。あのとき、すぐに宮内が馳かけつけて引き分けてくれたからこそ、かれの頭が多少のでこぼこを呈ていしただけですんでいる。

「なんとしても、ふたりは死ぬまで、敵となり仇かたきとなり、仲よくしてはくれないというのか。アア……どうもこまった因縁いんねんだの」

宮内は双方そうほうの顔を見くらべて、つくづくとこう嘆息たんそくした。

およそどんな者にでも、真心から熱い慈愛じあいをそそぎこめば、まがれる竹もまっすぐになり、ねじけた心も矯ためなおせると信じているかれだったが、竹童はとにかく、蛾次郎の横着おうちゃくと奸智かんちと強情ごうじょうには、すっかり手を焼いてしまった。

こういう性質たちの不良なものでは、日本に天邪鬼あまのじゃくという名があり、西洋にはキリストの弟子のうちに、ユダという男がいた。ユダの悪魔あくまぶりにはキリストも持てあましたし、十二使徒しとの人々も顰蹙ひんしゅくして、あいつはとても、真人間まにんげんにはなりませんといったくらいだ――という話を、宮内くないはいつか伴天連バテレンの説教せっきょうにきいたことがあるので、蛾次郎もそれに近い人間かなと考えた。

「では、なんともいたしかたがない。いつまでおまえたちを、この竹生島ちくぶしまへ鎖くさりでつないでおくわけにもゆかぬから、明日あしたはふたりをむこうの陸おかにおくってあげよう」

とうとう宮内もあきらめてこういいわたした。

「まことに、永いあいだ、手あついお世話になりました」

竹童は尋常じんじょうに礼れいをいったが、蛾次郎は、ヘン、お粥かゆばかり食くわせておきやがって、大きな顔をしていやがる――といわんばかり、面つらと瘤こぶをふくらましてそッぽを向いたままである。

「だが? ……」と宮内はまたなにか考えて、

「明日あしたまでにはまだだいぶ間まがある。たがいに顔を見ているとツイつかみ合いをやりたくなるから、向こうへゆくまでの間あいだ、これをかぶって双方そうほう口をきかぬことにしているがよい」

と、奥おくへいって持ってきたのは、ふるい二つの仮面めんである。あおい烏天狗からすてんぐの仮面めんを蛾次郎がじろうにわたし、白い尊みことの仮面めんを竹童にわたした。

それをかぶらせておいてから、宮内はも一つのほうの箱を開けてふたりの前に妙みょうなものをならべてみせた。

なにかと思って目をみはった蛾次郎が、

「オヤ、独楽こまだ!」と、すぐに手をだしそうになるのを、

「まあ、お待ち」

と宮内がそれをおさえて、じぶんの両手に一箇こずつ持ち、さて、ふたりの者へ、たのむようにいうには、

「この古代独楽ごまは、竹生島ちくぶしまの宮にあった火独楽ひごまと水独楽みずごまという珍めずらしいものだ。この火独楽を地に打ってまわせば、火焔かえんのもえて狂くるうかとばかりに見え、この水独楽を空くうにはなせば、サンサンとして雨のような玉露たまつゆがふる……」

「おもしろいな!」

説明をきいているうちに、蛾次郎、もう瘤こぶのいたさを忘れて盗ぬすんでもほしそうな様子をする。

「これこれ、そうおもしろいことばかり聞いてくれては、わしが話をする意味がなくなる。まだこの独楽にはふしぎな力がたくさんあって、たとえば、じぶんの迷まようことを問とわんとし、または指すべき方角をこころみる時に、この独楽をまわせば自然にそのほうへまわってゆく――、などということもあるが、あまり話すと、また蛾次郎がじろうが勘かんちがいをいたすから、もうそのほうのことはいうまい」

「おじさん、――じゃアなかった。神主かんぬしさま、もう蛾次郎も、けっして勘ちがいなんかしないことにいたします」

「わかったわかった、ところで竹童ちくどう」

「はい」

「この紅あかい火独楽ひごまはそなたに進上する」

「えッ!」

といったのは、もらった竹童ではなくって、それをながめた蛾次郎である。

「そ、それを竹童に? ……もったいないなあ。じゃおれにもこっちをくれるんだろう」

「やらないとはいわない。この青い水独楽みずごまは、すなわちおまえにあげようと思って、とうから考えていたくらいなのだ」

「ちぇッ、かたじけねえ」

独楽こまを押しいただいた蛾次郎は、そのままうしろへ引っくりかえって、鯱鉾しゃちほこだちでもやりたかったが、また叱しかられて取りあげられては大へんと、かたくにぎって踊おどりだしたいのをこらえていた。

「そこでな、ふたりの者」

きッとあらたまった宮内くないは、まず少年の心理をつかんでおいてから、その本道ほんどうを説とこうとする。

「こんどはわしのいうことをきいてくれる番だぞ。よいかな。明日あすこの島をでて、向こうの陸おかへあがってから、もうわしがそばにいないからよいと思って、その仮面めんをとるが早いか、喧嘩けんかや斬りあいをするのでは、今日きょうまでの宮内のこころは無むになってしまう」

「ごもっともでございます」

と蛾次郎がじろう、みょうなところでばかていねいな返辞へんじをした。笑いもしないで竹童ちくどうはまじめに、

「それで、宮内さまのおたのみというのは、いったいなんでございますか」

とかたずをのむ。

「ほかではないが、ふたりの遺恨いこんを、きょうからこの独楽こまにあずけてしまって、たがいに、討つか討たれるか、命いのちのやり取りをしようという時には、この独楽で勝負をしてもらいたい。そうすれば、独楽はくだけても、そなたたちのからだに怪我けがはできないから」

「わかりました」

「その儀ぎ、きっと承知しょうちしてくれるだろうな」

「じゃア、なんですか?」とまた蛾次郎が反問はんもんした。

「たとえば、わたしたちの争っている大鷲おおわしを、どっちのものにするかという時にも、つまり、この独楽こまのまわしッくらで、きめるんですか」

「そうだ、そればかりでなく、今日のような場合ばあいでも、腹がたったら独楽で勝った者のいいぶんを通すなり、または、あやまるということにしたら、なにもつかみあって湖水におぼれるまでの必要もなくなるであろう」

欲ほしいものは与えられ、愉快ゆかいな方法はおしえられて、なんで少年の心がおどり立たずにいよう。竹童ちくどうはむろんそれに異存いぞんもなし、蛾次郎がじろうも一言ごんの不平なく、きっとその約束を守りますといって宮内くないにちかった。

でふたりは、いいつけられた仮面めんをかぶり、あたえられた独楽こまをかたく抱だいて、奥おくの部屋へやに、今夜だけは仲なかよく寝こんでしまった。

割われたお仮面めん

一

死人しにんの顔のように青い月があった。

にらんでいるかと思うほど冴さえている。月も或ある夜はおそろしいものだ。

昼は蓬莱山ほうらいさんの絵ともみえた竹生島ちくぶしまが、いまは湖水から半身はんしんだしている巨魔きょまのごとく、松ふく風は、その息かと思われてものすごい。

まさに夜半やはんをすぎている。

ザブーン! と西浦にしうらの岩になにか当った。パッと散ったのは波光はこうである。百千の夜光珠やこうじゅとみえた飛沫しぶきである。だが、そこに、怪魚かいぎょのごとき影がおどっていた。舟だ、人だ。

「やッ」

とさけんだのは舟中しゅうちゅうの男だろう。ほかに人はだれもいない。またつづいて、やッ! という声がかかった、声というよりは気合いである。

ピューッと舟から空に走ったのは、鈎かぎのついた一本のなわ。ガリッというと手にもどって、上からザラザラと岩のかけらが落ちてくる。

エイッ、ガリッ! というこの物音、なんどくり返されたかわからない。そのうちに、

「しめた!」

という声。うまく投げた鈎のさきが岩松の根に引っからんだとみえる。

力をこめて手応てごたえをためし、よしと思うとその男のかげ、度胸どきょうよく乗ってきた小舟を蹴けながし、スルスルと一本綱づなへよじのぼりだした。

胆きもも太いが手ぎわもいい、たちまち三丈じょうあまりの絶壁ぜっぺきの上へみごとに手たぐりついて、竹生島ちくぶしまの樹木の中へヒラリと姿をひそませてしまった。

と。それからすぐに――。

弁天堂べんてんどうのわきにある菊村宮内きくむらくないの家の戸を、トントントンと根こんよくたたき起していたのはその男で、やがて手燭てしょくを持ってでてきた宮内くないと、たがいに顔を見合わせると、

「や」

「おお」

といったまま、中にはいって厳重げんじゅうに戸じまりをかい、奥おくの一室に席をしめて、声ひそやかに話しはじめた。

「どうなすった。こんどの合戦かっせんに、北国勢ほっこくぜいの軍師ぐんしであるそこもとが、かかる真夜中に落ちてくるようでは、いよいよ北きたノ庄しょうの城もあぶないとみえますな」

「おさっしのとおりまことにみじめな負けいくさ。ここへきて貴殿きでんに顔をあわすのも面目めんぼくないが、じつは、賤しずヶ岳たけの一戦に、この方ほうと佐久間盛政さくまもりまさとの意見が衝突しょうとついたし、そのためにいろいろな手ちがいを生んだので、いまさら越前えちぜんへももどれず……」

深夜の客は暗然あんぜんとして、話す間まに、その顔すらもあげなかった。宮内くないも、いまは浪人ろうにんの身であり、まったく弓矢をすてた心ではあるが、北庄城ほくしょうじょうにいたころの友が、かく負軍まけいくさで逃げこんできた姿をみたり、または旧主きゅうしゅの亡ほろびる消息しょうそくをつたえられては、さすがに一掬きくの涙が眼まなぞこにわきたってくる。

「オオ……ではあの我がのつよい佐久間どのと意見がちがって……なるほど、得えて、一国の亡びる時には、そういうふうに人心へヒビの入りやすいもので」

「のみならず、かれは賤ヶ岳をすてて、先に北ノ庄へ逃げかえり、このほうの軍配ぐんばいすべて乱脈らんみゃくをきわめたりと、勝家公かついえこうへざん言げんいたしたとやら」

「ウ、それはまたあまりなこと」

「でなくてさえ、味方の敗軍はいぐんに、いらだっている主君には、手もなくそれを信じて、身みどもを軍罰ぐんばつにかけよという命令をくだしました」

「や、では」

「北きたノ庄しょうへかえれば、軍罰に照らされて首を打たれるは必定ひつじょう。といって戦場にとどまれば、秀吉ひでよしの手におさえられて、生恥いきはじをかかねばならぬ窮地きゅうちに落ちたのでござる。で、ぜひなく、羽柴勢はしばぜいの目をくぐって、ここまで落ちのびて、まいったわけじゃ、ごめいわくでも、二、三日この島にかくまっておいてくださるまいか」

深沈しんちんとふけゆく座敷ざしきのうちに、こう湿しめッぽい密々話ひそひそばなし。ハテナ? ハテナ? なんだかどこかで、聞いたことのある声だぞと、亀かめの子のように、のこのこと蒲団ふとんの中から首をもたげだしたのは、独楽こまをもらったうれしさに昂奮こうふんして、つい寝つかれずにいた泣き虫の蛾次郎がじろう。

こういうことに出でッ会くわすと、がんらい、ジッとしていられない性分しょうぶん。よせばいいのに、ソロリ、ソロリと四ツン這ばいにはいだして、つぎの部屋へやの向こうがわの、線香せんこうのようにスーと明かりの立っているところを目あてに、

「だれだろう? そばできくと、よけいに聞きおぼえのある声だが……」

と、細目ほそめにすかして、烏天狗からすてんぐの仮面めんをつけたまま息を殺してさしのぞいた。

二

見てびっくりするくらいなら、のぞかなければいいものを、襖ふすまのすきへ仮面めんをつけたとたんに、

「あッ! こいツアいけねえ」

と仰天ぎょうてんして、蛾次郎がじろうみずから、そこにじぶんのいることを、となりの武士に知らしてしまった。

草木くさきのそよぎにも心をおくという、落武者おちむしゃの境遇きょうぐうにある者が、なんでそれを気づかずにいよう。

イヤ、当とうの蛾次郎よりははるかに胆きもをひやしたかもしれない。

「ヤ、だれか、となりへ!」

太刀をつかんでパッと立った。おそろしく背せのたかい武士。筋骨きんこつも太く、容貌ようぼうがまたなくすごいようにみえたが――オオなるほどこれには蛾次郎が仰天したのも無理むりではない。だれあろう、この落人おちゅうどこそ、柴田方しばたがたでは一方ぽうの軍師ぐんしとあおがれていた上部八風斎かんべはっぷうさい――すなわち、富士の裾野すそのにいた当時は、綽名あだなされて鏃師やじりしの鼻はなかけ卜斎ぼくさいといわれていた人物。

蛾次郎はそのころかれの弟子であった。じつはまだはっきりとお暇ひまもいただいてないのだから、ここで逢あったのはまずいというより運のつきだ。

「南無なむ三。とんでもねえやつが舞いこんできやがった。こいつアどうもたまらねえ」

と、バタバタと奥のほうへ逃げこんだので、八風斎はっぷうさいの鼻かけ卜斎ぼくさいは、さてこそ、秀吉ひでよしのまわし者でもあろうかと邪推じゃすいをまわして、そこの唐紙からかみを蹴けたおすばかりな勢い――間髪かんはつをいれずにあとを追いかけていった。

一足そくとびに二間けんほど馳かけぬけてくると、卜斎はなにかにドンとつまずいた。

「あッ」

といって、蒲団ふとんのなかから躍りだしたのは、尊みことの仮面めんをつけて寝ていた竹童ちくどうである。

だが卜斎は、その背せかっこうの似にているところから、これこそ、奥へ逃げこんだ小童こわっぱであろうと、拳こぶしをかためてなぐりつけた。

寝ねごみの不意をくったので、さすがの竹童もかわすひまなく、グワンと血管けっかんの破れるような激痛げきつうをかんじてぶッ倒たおれたが、とっさに枕まくらもとへおいて寝た、般若丸はんにゃまるを抜きはらって、かれの足もとをさッと薙なぎつける。

「うむ」

と卜斎一流の妖気ようきみなぎる含ふくみ気合いが、それをはねこえて壁ぎわへ身を貼はりつけると、

「オオ、なんじは鞍馬くらまの竹童だな」

らんらんとして眸ひとみを射いて、こなたのかげをすかしたものだ。ハッと思って、竹童は自分の顔に気がついた。

卜斎ぼくさいの鉄拳てっけんをくったせつなに、仮面めんは二つに割わられてしまった。そして二つに割られた仮面が、畳たたみの上に片目をあけて嘲笑あざわらっている。

「なんでおいらの寝ているところをぶンなぐった。裾野すそのにいた鏃鍛冶やじりかじ、顔は知っているが、怨うらみをうけるおぼえはない」

「ではなにか、今この方ほうが宮内くないと話をしていたのを、ぬすみ聞きしていたのは、きさまではなかったか」

「それは向こうに寝ていた泣き虫の蛾次郎がじろうだろう」

「や? ――蛾次郎もここにおったか。ちッ、ちくしょうめ」

と、そのほうへ走りだそうとしたが、卜斎、なにをフト思いなおしたかにわかに大刀の柄つかをつかんでジリジリと竹童のほうへよってきながら、

「いやいや、たとえ怨みがあろうとなかろうと、ここへおれが潜伏せんぷくしているということを知られた以上は、もうきさまも助けておけない」

「なにッ」竹童も身がまえを直なおした。

「秀吉ひでよしの陣へ内通されれば、八風斎はっぷうさいの運命うんめいにかかわる。気の毒だが生命いのちはもらうぞ――だめだだめだ! 鞍馬くらまの竹童ジリジリ二寸すんや三寸ずつ後退あとずさりしても、八風斎の殺剣さつけんがのがすものか、立って逃げればうしろ袈裟げさへひと浴あびせまいるぞ、――ジッとしていろ、運が悪いとあきらめて、そのままそこに、ジッとしていろ」

スラリと青光あおびかりの業物わざものを抜いた。

戦国時代の猛者もさが好んでさした、胴田貫どうたぬきの厚重あつがさねという刀である。竹童ぐらいな細い首なら、三つや四つならべておいても優ゆうに斬れるだろうと思われるほどな。――

そいつを抜ぬいて、鼻かけ卜斎ぼくさい、ダラリと右手みぎてにさげたのである。そして、

「ジッとしていろ!」

とおそろしい威迫いはくを感じる声で、ズカリとくるなり足をあげて、般若丸はんにゃまるを構かまえていた竹童の小手を横に蹴けった。しかも、その足力あしぢからがまたすばらしい、あッというと、般若丸はかれの手をもろくはなれて、ガラリと向こうへ飛ばされてしまった。

「これでおれの力量りきりょうはわかったろう、じたばたするなよ、とてもむだだ。――ジッとしていろ! ジッとしていろ! 痛いたくないように斬ってやる」

こういいながら胴田貫、おもむろに切きッさきを持ちあげて、ヌッと竹童のひとみへ直線にきたと思うと、パッと風を切って卜斎の頭上ずじょうにふりかぶられた。

なんで、これがジッとしていられよう。そのすきに鞍馬くらまの竹童、グッとうしろへ身を反そらしたが、落とした刀へは手がとどかず、立って逃げれば、われから卜斎の殺剣さつけんへはずみを加えてゆくようなものだし? ……

絶体絶命ぜったいぜつめい。

いまは、のがれんとするもその術すべはなく、この五体、ついに鮮麗せんれいな血をあびるのかと、おもわず胸をだきしめる、とその手のいったふところに、さっきの火独楽ひごまが指にさわった。

お小姓こしょうとんぼ組ぐみ

一

賤しずヶ岳たけの総そうくずれから、敵営てきえい、秀吉方ひでよしがたの目をかすめて、やっと世をはなれた竹生島ちくぶしまに、旧知きゅうちの菊村宮内きくむらくないをたよってきた――柴田しばたの落武者おちむしゃ、上部八風斎かんべはっぷうさいの鼻かけ卜斎ぼくさい。

草木くさきのそよぎにも、恟々きょうきょうと、心をおどろかす敗軍の落伍者らくごしゃが、身をかくまってもらおうと、弁天堂べんてんどうの神主かんぬし、宮内の社家しゃけにヒソヒソと密話みつわをかわしていると、止よせばよいのに、でしゃばりずきな泣き虫の蛾次郎がじろうが、ワザワザ寝床ねどこからはいだして、それを、ぬすみぎきしていたのを、卜斎、気取けどるや否いなや、おそろしい形相ぎょうそうで、かれを奥へ追いまくした。

南無なむ三――もとの主人卜斎だったかと、仰天ぎょうてんした蛾次郎は、すばやく風を食くらって逃げだした。けれど、その禍わざわいは、なにも知らずに寝こんでいた、鞍馬くらまの竹童ちくどうの身にふりかかって、すでに、自身のあるところを知られては、秀吉のほうへ、密告みっこくされるおそれがある、きさまも生かしてはおけぬ、目をつぶって、覚悟かくごをしろ、逃げようとしても、それは無駄むだだぞ――と、おそろしい威迫いはくの目をもって、胴田貫どうたぬきの大刀を面前にふりかぶった。

「――ジッとしていろ! ジッとしていろ。痛いたくないように斬ってやる!」

卜斎ぼくさいの足の拇指おやゆびが、蝮まむしのように、ジリジリと畳たたみをかんでつめよってくるのに、なんで、鞍馬くらまの竹童ちくどう、ジッと、その死剣しけんを待っていられるものか。そんな無意義むいぎな殺刀さっとうにあまんじる理由があろうか。

といって、身をまもる唯一ゆいつの愛刀、般若丸はんにゃまるはそのまえに、卜斎の足蹴あしげにはねとばされて、拾ひろいとって立つ間まはない。しかも、寸秒すんびょうの危機ききは目前もくぜん、おもわず、額ひたいや腋わきの下から、つめたい脂汗あぶらあせをしぼって、ハッと、ときめきの息を一つ吐はいたが――その絶体絶命ぜったいぜつめいのとっさ、ふと、指さきに触ふれたのは、さっき、菊村宮内からもらって、ふところに入れていた、希代きたいな火独楽ひごま! その火独楽だ。

二

宵よいに、神官しんかんの菊村宮内が竹童と蛾次郎がじろうをならべておいて、蛾次郎には青い水独楽みずごまをあたえ、竹童にはあかい火独楽をくれて――その時ふたりにいったことには、これは、竹生島ちくぶしまの弁天べんてんに、歳久としひさしく伝わっている奇蹟きせきの独楽こまだといった。

宮内は、この独楽をもって、仲のわるい二童子どうじの手をむすぼうとしたのである。だから、その奇蹟についてはあまり、多くを語らなかったが、火独楽ひごま水独楽、どっちも、なにかの不可思議力ふかしぎりょくを持つものにちがいない。

だが、――竹童の今は、しんに、間かん一髪ぱつをおく間まもない危機ききである。もとより、かれが、卜斎ぼくさいが大刀をふりかぶったとたんに、ふところの独楽こまをつかんだとはいえ、ふかい、冷静な、思慮しりょののちにそうしたのではない。寸鉄すんてつもおびていない自衛意志じえいいしが、おのずから独楽をつかませたのだ。

それが、たとえば一個の石にすぎなくとも、この場合ばあい、竹童ちくどうの手は、その石へふれていたにちがいない。

「なんできさまたちの刃やいばにたおれるものか!」

口にはださないが、竹童の顔筋肉がんきんにくはそういう風ふうに引きしまっていた。

そして、独楽をかたくにぎった。

遊戯ゆうぎに、まわすべき独楽なら、紐ひものこともかんがえるが、いまの場合ばあいそうでない。武器ぶきとして、目つぶしとして、敵が大刀へ風を切らせてくるとたんに、卜斎の眼玉へ、それをたたきつけようと気がまえているのだ。

卜斎も、竹童のたいどをみて、うかつにはそれをふりおろしてこない。ジリ、ジリ、と一寸すんにじりに寄よりながら息をはかり、気合いをかけたが最後、ただ一刀に、息いきの根ねをとめてしまおうとするらしい。

「まいるぞッ!」

と、いきなり魔獣まじゅうのような気合いがかかった。

はッ――として、竹童の五体も、おもわずその凄すさまじさにすくんでしまおうとしたせつな――

「ええッ」

とわめいた卜斎ぼくさいの大剣が、電火でんかのごとく竹童ちくどうの頭上におちてきた。あッ――といったのは刀下とうか一閃せんのさけび、どッと、血けむりを立てるかと思うと、必死の寸隙すんげきをねらって、竹童の右手めてがふところをでるやいなや、

「なにをッ」

と一声、待ちかまえていた独楽のつぶてを、パッと卜斎の眉間みけんへ投げつけた。

すると、まっ赤な火独楽ひごまは、文字どおり、一条じょうの火箭かせんをえがいて、しかも、ピュッとおそろしい唸うなりを立て、鼻かけ卜斎の顔へ食くいつくように飛んでいった。

「おお、これはッ?」

と、おどろいた卜斎、斬りすべった厚重あつがさねの太刀たちを持ちなおす間まもなく、火の玉のように宙ちゅうまわりをしてきた火焔独楽かえんごまをガッキと刀の鍔つばでうけたが、そのとたんに、独楽こまの金輪かなわと鍔つばのあいだから、まるで蛍籠ほたるかごでもブチ砕くだいたような、青白い火花が、鏘然そうぜんとして八方ぽうへ散った。

「うつッ……」

と、卜斎が、片手で眼をふさいだ間髪かんはつに、竹童はいちはやく、般若丸はんにゃまるの刀をひろって、バラバラッと廊下ろうかへでたが、それと一しょに、奇蹟きせきの火焔独楽、ポーンとはね返って、竹童の手てもとへ舞いもどってきた。

いかにもふしぎな魔独楽まごまの力よ!

とあやしまれたがのちによく見れば、独楽こまの金輪かなわの一端たんに、ほそい金環きんかんがついていて、その金環から数丈すうじょうの紐ひもが心棒しんぼうにまいてあるのだ。はねもどったのは、独楽こまそれ自身の魔力まりょくではなく、竹童ちくどうの帯おびに結んであった紐ひもの弾撥だんぱつ。手もとへおどり返ってきたのは、とうぜんなのであった。

三

竹童をとり逃にがして卜斎ぼくさいは、不意の燦光さんこうに目をいられて、一時は、あたりがボーッとなってしまったが、廊下ろうかを走ってゆく足音を聞きとめると同時に、

「うぬッ」

憤然ふんぜんとして、その真まッ暗くらな部屋へやからかけだした。

そして、いきなり廊下から、庭先にわさきへ降おりようとして、やみのなかにそれと見えた、沓脱石くつぬぎいしへ足をかけると、こはいかに、それは庭の踏石ふみいしではなくて、ふわりとしたものが、足の裏うらにやわらかくグラついたかと思うと、

「ぎゃッ」と、蛙かえるのようにつぶれてしまった。

それは、竹童より先ににげた泣き虫の蛾次郎がじろうで、いま、床下ゆかしたへもぐりこもうとしているところへ、卜斎の足音がしてきたので、そのまま、縁えんの下へ首をつっこんだなりに、石の真似まねをしていたものらしい。

あの勢いきおいで、大兵だいひょうな、卜斎に踏ふみつけられたのだから、蛾次郎もギャッといって、ぴしゃんこにつぶれたのはもっともだが。

おどろいたのは、むしろそれへ足を乗せた卜斎ぼくさいのほうで、まさか、やわらかい石だとは、夢ゆめにも思わなかったはずみから、よろよろとツンのめって、あやうく、向こうの梅うめの老木ろうぼくに頭をぶつけ、ふたたび、目から火のでるつらい思いをするところだった。

「やッ……おのれは蛾次郎がじろうだな」

気がつくと卜斎は、いきなり蛾次郎のえりがみをつかんで、ウンと、そとへ引きずりだそうとした。

蛾次郎は、半分もぐりこんだまま縁えんの下の土台どだいにかじりついて、

「ごめんなさい! 親方おやかた、親方!」

と土龍もぐらのように、でようとしない。

なにしろ蛾次郎は、この卜斎ほどおっかないものはないと心得こころえている。裾野すそのにいた時分から、気にいらないことがあると、すぐに鏃やじりをきたえる金槌かなづちで、頭をコーンとくるくらいはまだやさしいほう、ふいごで拳骨げんこつを食くったり、弓のおれでビシビシとどやされたおそろしさが、頭のしんにしみこんでいる。

しかもまだその当時とうじの、弟子でし師匠ししょうの関係を断たっているわけではなく、卜斎が北きたノ庄しょうへかえるとちゅう、目をくらまして逃にげだしていたところだから、見つけられたがさいご、こんどこそ、どんな目に遭あわされるかと、いきた空もないのである。

「たわけめ。でろ、ここへ!」

とどなりながら、卜斎ぼくさいはすこし苦笑くしょうをもらしてしまった。

いまでも、裾野当時すそのとうじの気持で、じぶんへあやまるのに、親方おやかた親方と呼よんだところが、いくぶんか正直しょうじきらしいと、おかしくなって、この蛾次郎には、竹童へ向かったような、ああいう本気にはなれなかった。

「かんべんしてください、親方、後生ごしょうです」

「でろと申もうすに!」

「あッ、苦くるしい……いまでます、いま……」

「このバカッ」

力まかせに引ッ張ぱりだして、イヤというほど叩たたきつけようとすると、蛾次郎、頬ほッぺたをおさえて飛とび退のきながら、

「親方おやかた、どうも、お久ひさしぶりでした」

ピョコンと、おじぎをして、たくみに、あとの拳骨げんこつを予防よぼうした。

「蛾次郎!」

「へいッ」

「きさまはだれにゆるされて、方々ほうぼうかってにとびまわっているんだ」

「もうしわけございません」

「まだ、きさまにひまをだしてはいないぞ」

「承知しょうちしています。これから、けっして気ままにあそんで歩きません。はい、親方の腰こしについております」

「また、なんのために、この竹生島ちくぶしまへなどきているのだ」

「琵琶湖びわこで土左衛門どざえもんになるところを、ここの神主かんぬしのやつが助けやがったんで……わたしがきたいと思ってきたところじゃありません」

「竹童ちくどうもか」

「そうです」

「武田伊那丸たけだいなまるやあの一党とうの者は、その後ご、どうしているか、なにか、うわさを聞いているだろう」

「あのなかの、小幡民部こばたみんぶや咲耶子さくやこや山県蔦之助やまがたつたのすけなどは、小太郎山こたろうざんのとりでに、留守番るすばんをしているそうです」

「そして、伊那丸は?」

「加賀見忍剣かがみにんけんと木隠龍太郎こがくれりゅうたろうをつれて、しばらく京都におりましたが、そのうちに、なんでも秀吉ひでよしの陣じんをとおって桑名くわなから東海道とうかいどうのほうへ帰っていったという話です。……けれども、それは、わたしが見たわけじゃありませんから、親方、ちがっていても、かんにんしてください」

と蛾次郎がじろうは、卜斎ぼくさいの顔色かおいろが、だんだん和やわらいでくるのを見ると、甘あまッたれたような調子ちょうしでしゃべりだしてくる。

「ウーム。秀吉は伊那丸に好意こういをよせて、暗あんに、かれを庇護ひごしているものとみえる。だが……」

というと、卜斎ぼくさいは、なにか自分の前途ぜんとについて、だいじな方針ほうしんをかんがえかけてきたとみえ、逃にげたる竹童ちくどうのことはともかく、どっかりと、庭石へ腰こしをおろして腕うでぐみをしてしまった。

「――だが、家康いえやすは伊那丸いなまるをにくんでいる。たしかに、かれを亡なき者にせねば、ある不安から離はなれられまい。伊那丸も家康を武田家たけだけの仇かたきとねらっているのは知れきったこと……」

「そ、その通りですよ、親方」

と、蛾次郎がじろうは、そばから、おちょぼ口をつぼめて、

「これからまた、富士山のまわりで、すさまじい戦いくさがあるとすりゃ、伊那丸と家康の喧嘩けんかでしょうよ。家康も東海道とうかいどうの名将だが、伊那丸のほうにいる忍剣にんけんや龍太郎りゅうたろうというやつも強いからな。それに、小太郎山こたろうざんにのこっている小幡民部こばたみんぶというやつが、たいへんな軍師ぐんしだそうで」

いいかけたところで、また、卜斎の顔色をみて、

「だが、親方には、かなわねえやきっと――」

と前言ぜんげんをあいまいにした。

「おれも柴田家しばたけから爪弾つまはじきをされてみれば、なんとか、ここで行ゆく末すえの方針を立てなければならない場合ばあいだが」

「はい、そうです」

と深いわけもわからぬくせに、卜斎ぼくさいが問とわず語がたりにつぶやくのへ、蛾次郎がじろう、いちいちあいづちをうって、じぶんも腕うでぐみのまねをしている。

「ウム」

それには相手にならないで、卜斎はなにかひとりでこううなずき、上に着ていた陣羽織じんばおりを脱ぬぎすてて、

「しばらくの間あいだ、またもとの鏃鍛冶やじりかじにばけて、世間せけんのなりゆきを見ているとしよう。そのうちには、なんとかいい運うんがひらけてくるだろう」

「じゃ親方おやかた、また裾野すそのの人無村ひとなしむらへかえって、テンカンテンカンやるんですか」

「どこに住すむかわからないが、てめえもこれからは、無断むだんでほうぼうとんであるくと承知しょうちしないぞ」

「へ、へい」

「どこまでもおれについていろ。そして一人にん前まえの鏃師やじりしになったら暇ひまをくれてやる。お、そんなことはとにかく、おれがここへきたことを、竹童ちくどうに知られてしまったから、もう永居ながいをしているのはぶっそうだ。鏃師卜斎にすがたをかえて、夜よの明けないうちに、竹生島ちくぶしまをでるとしよう」

卜斎は陣羽織をすててつぎに、手ばやく籠手こての具足ぐそくをとり、脛当すねあての鎖くさりを脚絆きゃはんにかえて、旅の鏃師らしいすがたにかわった。そして蛾次郎に、

「菊村宮内きくむらくないどのへ、ちょっとお暇いとまをつげてまいるから、おまえも、そのあいだに支度したくをして、ここに待まっているんだぞ」

と、いいのこして、そこを立とうとすると、なんだろう? 周囲しゅういの闇やみ――樹木じゅもくや笹ささや燈籠とうろうのかげに、チカチカとうごく数多あまたの閃光せんこう。

槍やりだ――槍の穂先ほさきだ。

いつのまにか、卜斎ぼくさいと蛾次郎がじろうのまわりには、十数槍すうそうの抜身ぬきみの穂尖ほさき、音もせずに、ただ光だけをギラギラさせて、芒すすきのように植うえならんでいた。

「さては、秀吉ひでよしの陣じんから、もう追手おってがまわってきたな」

卜斎ははやくも観念かんねんして、飾かざりをとった陣刀じんとうを脇差わきざしにぶっこみ、りゅうッ――と抜ぬくがはやいか、その槍襖やりぶすまの一角かくへ、われから血路けつろをひらきに走った。

四

「親方おやかた――ッ」

と泣きごえをだした蛾次郎は、そのとたんにいきなり、突つっかけてきた槍の柄えにむこうずねをたたかれ、ワッといって、打ぶッたおれた。

あとはおそらく、蛾次郎じしんにも、むちゅうであったにちがいない。とにかく、ひとりや半分の敵ではなく十数人――あるいは二、三十人もあったろうと思われる甲冑かっちゅうの武士ぶしが、なにも知らずにいるところへ、なにもいわずに、ズラリと槍の尖をそろえてきたのだから、胆きもは天外てんがいに吹ッとんでいる。

一どたおれた蛾次郎がじろうは本能的ほんのうてきにはねかえって、起きるが早いか、そばの大樹たいじゅへ、無我夢中むがむちゅうによじのぼった。

猿ましらのように梢こずえへのぼるとちゅうでも、秀吉方ひでよしがたの甲冑武者かっちゅうむしゃに、槍やりの柄えでピシリッと叩たたかれたが、それさえ、必死ひっしであったので、痛いたいともなんとも性しょうにこたえなかった。

そして、運よく大樹の枝先が、弁天堂べんてんどうの上へおおいかぶさっていたのを幸さいわいに、かれはヒラリと身をおどらして、枝から屋根へ飛びうつり、てんてんと影かげをおどらせて、やっと竹生島ちくぶしまの磯いそへかけ下おりてきた。

するといっぽうの急坂きゅうはんからも、血路けつろをひらいた卜斎ぼくさいが、血刀ちがたなを引っさげてこの磯へ目ざしてきたので、ふたりは前後ぜんごになって磯の岩石がんせきから岩石を飛びつたい、やがて、一艘そうの小舟を見つけだすとともに、それへ飛び乗って櫓ろをおっとり、粘墨ねんぼくのように黒い志賀しがノ浦うらの波なみを切って、いずこともなく逃にげのびてしまった。

それよりまえに、あやうく卜斎の殺刃さつじんをのがれて、堂どうの裏うらに姿すがたをかくしていた鞍馬くらまの竹童ちくどうは、ほど経へてあたりをうかがいながら、そっと、ようすをながめにでた。見ると、弁天堂のまえへ、大勢おおぜいの武士をつれて篝火かがりびを焚たかせている者は、かの賤しずヶ岳たけで勇名ゆうめいをはせた、加藤虎之助かとうとらのすけの臣しん、井上大九郎であることがわかった。

思いがけないところで、大九郎にあった竹童は、かれの口から、その後ごの伊那丸いなまるの消息しょうそくをくわしく知ることができた。

すなわち、武田伊那丸と従臣じゅうしんのふたりは、大九郎が桑名くわなの陣じんを引きはらうと同時に、秀吉ひでよしにわかれて小太郎山こたろうざんへかえるべく、徳川家とくがわけの城地じょうちへ危険きけんをおかして進んでいったという話。――

それを聞くと、竹童ちくどうは、すぐにあとをしたって、三人に追おいつき、ひとまず小太郎山のとりでへ帰ろうと決心けっしんした。そののちに、琵琶湖びわこの上で乗り落ちたまま行方ゆくえをうしなったクロをさがす方針ほうしんもかんがえ、また、一党とうの人々にも、久ひさしぶりで会あいたいと願った。あの、温厚おんこうにして深略しんりゃくのある小幡民部こばたみんぶ、あのやさしくて凛々りりしい咲耶子さくやこ、あの絶倫ぜつりんな槍術家そうじゅつかと弓の名人である、蔦之助つたのすけや巽小文治たつみこぶんじにもずいぶんながく会わなかった。あの人たちは、みなじぶんを心の底そこからいとしんでくれる、骨肉こつにくのようなやさしさと、温味あたたかみをもっている。

その人たちに久ひさしぶりで会おう。

小太郎山は、乱世らんせいの中にあってゆるがず、みだされずにある、義血ぎけつの兄弟たちの家うちだ。その家うちへ帰ろう。こう思うと矢やも楯たてもなく、竹童は、神官しんかんの菊村宮内きくむらくないに、きょうまでうけた親切しんせつの礼れいをのべ、井上大九郎の舟に送られて、ほのぼのと夜よの白しらみかけた竹生島ちくぶしまへ別れをつげた――。

もとより、辛苦しんくになれている竹童には、野に伏ふし樹下じゅかにねむることも、なんのいとうところではなく、また鞍馬くらまの谷たにで馴ならした足には、近江街道おうみかいどうの折所せっしょや東海道とうかいどうの山路やまじなども、もののかずにはならないので、なみの旅人たびびとのはかどるよりは数日もはやく里数りすうをとって、間まもなく、家康いえやすの領地りょうち、遠江とおとうみの国へ近づいてきた。

しかしそこまでいって、ハタと竹童ちくどうがとうわくした、というのは、いたるところの国境くにざかいに、徳川家とくがわけの関所せきしょがきびしく往来おうらいをかためていて、めったな者は通さないという風評ふうひょうであった。

で、やむなく、街道かいどうを遠とおくはなれて、人もとおらぬ山河さんがを越こえ、ようよう遠江の国へはいったが、こんな厳重げんじゅうさでは、さきに桑名くわなを立った伊那丸いなまるたちも、やすやす、無事ぶじにここを通れたとは思われない。なにかの危険きけんにであっているにちがいない。

「ああ、だれかに、ご安否あんぴをたずねてみたいが、めったなものに、そんなことをきけば、みずから人のうたがいを招まねくようなものだし……」

こう思いながら、鞍馬くらまの竹童は、野末にうすづく夕陽ゆうひをあびて、見わたすかぎり渺茫びょうぼうとした曠野こうやの夕ぐれをトボトボと歩いていた。

ここは、どこの野辺のべともわからないが、いま渡わたってきた川の瀬せには、都田川みやこだがわという杭くいが立っていた。

なお、はるかにあなたの野ののはてには、一抹まつ、霞かすみのように白い河原かわらがみえる。あとは、西をあおいでも、北を見ても、うっすらした山脈さんみゃくのうねりが黙思もくししているのみだ。

微風びふうもない晩春ばんしゅんの夕ぐれ、――ありやなしの霞をすかして、夕陽ゆうひの光が金色こんじきにかがやいている。いちめんの草にも、霞にも、竹童の肩かたにも――。

するとやがて、耀々ようようとした夕がすみのなかから、あまたの青竹と杉丸太すぎまるたをつんだ車が、ガラガラと竹童ちくどうのそばを通りぬけた。そのあとについて、八、九人の足軽あしがると十数名の人夫にんぷたちが、斧おのや、鉞まさかりや、木槌きづちなどをかついで、なにかザワザワと話しながら歩いてゆく。

すれちがった時に、なんの気もなく竹童がふりかえると、一ばんさいごについてゆく足軽が、一本の立て札ふだをかついでいる。

生なまあたらしいその高札こうさつの片面かためんに、なにか墨色すみいろもまざまざと書いてあったが、その文字のうちに、ふと、武田たけだと読めた一行ぎょうがあったので、竹童はハッと胸むねをさわがしたが、

「あ、もし」

と、呼よびとめておいて、つとめて冷静れいせいをよそおいながら、

「浜松のご城下じょうかへゆくには、これをまっすぐにゆけばいいんですか……」

と道にまよっているふりをして、そのあいだに、足軽が肩かたにかけている高札の文字を読もうとしたが、意地いじわるく、文字面もじめんの裏うらを向けていて、よく読むことができなかった。

「うむ、ご城下へは一本道だが、まだだいぶ道のりがあるぜ」

「じゃ、日が暮くれてしまいましょうね」

「いそいでゆきねえ。ぶっそうだから」

曠野こうやにさまよう子供と見て、その足軽は、さきへ青竹をつんでいった車やつれの人数からひとりおくれて、こまごまと、十字じ路ろの方角ほうがくや里数りすうをおしえてくれている。

「どうもありがとうございました」

竹童はその道しるべより、肩かたにかついでいる高札こうさつのことを、なんとかして聞きほじりたいがと苦慮くりょしたが、いきなりたずねだすのもさきの疑うたがいを買うであろうと、わざと空そらとぼけて、

「それでよく道はわかりました。ですけれど、おじさん、この広い原ッぱは、いったいなんという所なんでしょうね」

「おまえは、それも知らずに歩いているのか。子供ってえものはたわいのねえものだ。ここはおまえ、甲斐かいの信玄しんげんと家康いえやすさまとが、鎬しのぎをけずった有名な戦場せんじょうで、――ほれ、三方みかたヶ原はらというところだ」

「あ、ここが、三方ヶ原でございますか。――なるほど、広いもんだなあ。そして、おじさんたちは、やっぱり徳川とくがわさまのご家来けらいですか」

「そうよ、おれたちは、浜松城はままつじょうの足軽組あしがるぐみだ」

「いまごろから、あんな青竹や松明たいまつをたくさん車につんで、いったい、どこへおいでになりますので?」

「おれたちか……」足軽は、ちょッといやな顔をして、

「これから都田川みやこだがわの手まえまでいって、夜明よあかしで、人の死に場所ばしょをこしらえにかかるんだよ」

「へえ、人の死に場所を」

「うむ。つまり、刑場けいじょうのしたくにゆくんだ」

「ああ、それで、矢来やらいにする竹や丸太まるたや、獄門台ごくもんだいをつくる道具どうぐをかついで、みんながさっき向こうへいったんだな」

「そうだ、おまえも、こんなこわい話を聞いてしまうと、たださえさびしい三方みかたヶ原はらが、よけいにさびしくなって歩けなくなるぜ。だがまだいまのうちなら、夕陽ゆうひがキラキラしているからいい、はやく、いそいでゆくことにしねえ」

クルリとふり向くと、さきの者とは、だいぶ距離きょりができたのにびっくりして、足軽あしがるの男は、急にいそぎ足に別わかれかけた。

「あ、おじさん。もしもし」

竹童ちくどうは、あわててそれを呼びかえしたが、べつに、どういう口実こうじつもないので、とっさの機智きちを口からでまかせに、

「腰こしの手拭てぬぐいが落ちますよ」といった。

「ありがとう」

と、さきの男が、うっかり釣つりこまれている間あいだに、かれは、すかさず、矢やつぎ早ばやにさぐりをいれた。

「あの、いまおじさんがいった刑場で、いったいだれがいつ斬きられることになるんです」

「よくいろんなことをききたがるな。子供のおまえにそんなことを話してもしかたがねえが、男は一どは見ておくものだそうだから、あさっての夕方、都田川みやこだがわの竹矢来たけやらいのそとへ見にきねえ。この高札こうさつに書いてある通り、こんど徳川とくがわさまの手でつかまった、武田伊那丸たけだいなまるとその他ほか二人の者がバッサリとやられるのだから」

もう、うるさいと思ったか、こんどはそっけなくいいはなした。肩かたの高札を持ちかえると、ふり向きもせずにタッタとさきの人数を追おいかけていった。

五

ゆき別れた足軽あしがるのすがたが半町はんちょうばかり遠ざかると、生いける色もなく、そこに取りのこされた竹童は、

「ウウム……」

髪かみの毛をつかんだまま、よろよろと、草のなかへ腰こしをついて、

「た、たいへんだ」

身をゆすぶッて、もだえだした。

「伊那丸さまが――あとのふたりも? ――」

くわっと、眼をひらいて、宇宙うちゅうに眸ひとみをさまよわせたが、

「こうしてはおられない!」

また、ものぐるわしくそこを立った。

いても立ってもいられない焦燥しょうそうである。

その驚愕きょうがくとうろたえのさまは、鞍馬くらまの竹童ちくどうとして、いつにない取りみだしようだ。はね起きたが、その足を向けようとする方角ほうがくにも、迷まよいともだえがからんでみえる。

「アア、どうしたらいいだろう」

三方みかたヶ原はらは渺びょうとして、そこには、ただようようにうすれてゆく夕陽ゆうひの色があるばかりだ。

「はやく、小太郎山こたろうざんにのこっている、一党とうの人たちへ、この大事を知らせるのが、一ばんいい工夫くふうだけれど、そんなことに、四日かも五日もかかっていては間まに合いはしない。エエ、どうしたらいいだろうッ……」

歯はを食いしばったまま、湧わきたつ胸むねを、両手りょうてでギュッとだきしめた。

「どうして、伊那丸いなまるさまが……おまけに龍太郎りゅうたろうさまや忍剣にんけんさままでついていて、やみやみと、徳川家とくがわけの手へつかまっておしまいなされたのであろう。アア、だけれど、いまはそんなことを考えている間まなどない。おいらの頭の上へ降ふりかかってきた使命しめいは――どうして、はやくこのことを、小太郎山へ知らせてあげるか、どうしたら伊那丸さまをお助けすることができるか、この二つだ! この二つが目のまえの大事だ」

ひとり問とい、ひとり答えて、はては当面とうめんの大難だいなんにあたまも惑乱わくらんして、ぼうぜんと、そこに、腕うでぐみのまま立ちすくんでしまったのである。

すると、野原のどこからか、ワ――ッと、元気のいい声が、潮うしおのように近づいてきたかと思うと、やがて青々あおあおとした草の波なみから、おなじ年頃としごろの少年ばかりが二十人ほど、まっ黒になって、竹童ちくどうのほうへなだれてくる。

「や、なんだろう?」

ぼうぜんとしていた竹童は、その気配けはいに顔をあげたが、ようすがわからないので、いち早く、草のなかに身をふせてしまった。

姿すがたをかくして、眸ひとみだけをジッとそれへ向けていると、あまたの少年たちは、いずれも、前髪まえがみだちで、とんぼ模様もようのついたそろいの小袖こそで、おなじ色の袴はかまをうがち、なにか、大きな動物に綱つなをつけて、その動物の力にワイワイと引きずられてくる。

見ると、それはクロだ。

竹童の愛鷲あいしゅう――あの大きな鷲わしだ。

とんぼのついたそろいの小袖を着きているところでは、これこそ、浜松城はままつじょうで有名な、お小姓こしょうとんぼの少年たちにちがいはない。そして、このとんぼ組ぐみの餓鬼大将がきだいしょうとかげ口をいわれているものは、結城秀康ゆうきひでやすの子で家康いえやすには孫まごにあたる、徳川万千代とくがわまんちよである。

万千代は、いまもこのとんぼ組の小姓たちの先達せんだつとなって、しきりに大鷲おおわしの背せなかへ乗ろうとしては落ち、乗ろうとしては、翼つばさにハタかれて、ぶッたおれた。

足に結びつけた、綱つなにすがりついている多くの小姓も万千代も、手や足にすり傷きずをこしらえて血ちだらけになっているが、さすがに、戦国の少年、三河武士みかわぶしの卵たまごたちである。あくまで鷲と力をあらそって、自由にせずにはおかないふうだ。

竹童は、われを忘れて草の中から立っていた。

独楽こまだまし

一

草の嵐あらしにうすづく夕日。

日の暮くれるのも忘れてしまって、三方みかたヶ原はらの奥おくへ奥へ、鷲わしにひきずられてゆくとんぼ組ぐみのお小姓こしょうたち。

鷲をオモチャにしているのか、鷲にオモチャにされているのか、ともすると、あべこべに、空そらへつるしあげられそうになるのを、からくも、一本ぽん杉すぎの根ねッこへ、その手綱たづなを巻まきつけて食くいとめたとたんに、

「あア、くたびれた」

と、ヘトヘトにつかれたこえを合わせながら、

「休やすもう」

「休もう」

「休んでからまた飛ぼう!」

と、これでも鷲のつばさと一しょに、飛んできた気でいるのだからたわいない。

見ればみな、なつめのような眼をもった、十二、三から十五ぐらいまでの前髪まえがみ少年。浜松城はままつじょうのお小姓こしょうであれば、しかるべき家柄いえがらの息子むすこたちにはちがいないが、城下じょうかからこんなところまで、鷲わしと取っくんできたのだからたまらない、とんぼぢらしのおそろいの小袖こそでも、カギ裂ざきやら泥どろだらけ。

なかには、手や頬ほッぺたをすりむいて、ざくろみたいになっている者、鼻血をだしておさえている者、髷まげの草くさッ葉ぱがとれないでこまっているもの、脇差わきざしの鞘さやだけさしてすましているもの。――どれもこれも弟ていたりがたく兄けいたりがたき腕白顔わんぱくがおだ。さだめし、屋敷やしきへかえったのちには、母者人ははじゃびとからお小言こごとであろう。

お山の大将たいしょうおれひとり――という格かくで、中にまじっている徳川万千代とくがわまんちよは、みんなと一しょに、つなぎ止とめた大鷲おおわしを取りまきながら、

「やあ、金光きんぴかりの眼で、ギョロギョロとにらんでいるわ。怒おこるなおこるな、いまに餌えさをやるからな。余一よいち、余一、さっきの餌えさを持ってこい」

と、鞭むちをあげてさしまねいた。

「はい」

というと、とんぼ組ぐみの中でも一番チビなお小姓余一、にわとりの死んだのを、竹のさきにかけて、万千代の手へ渡わたした。

「おお、鷲のごちそう」

と一同にみせて、笑わらわせながら、万千代はそれを猛禽もうきんの鼻はなッ先へ持っていった。そして、くちばしのそばへぶらぶらさせたが鷲は横をむいて、その匂においすらかごうとしない。

業ごうを煮にやした万千代まんちよは、意地いじになって、

「こりゃ食くえ、食え。くれたものを、なぜ食わんか」

と、よけいに突つきつけると、うるさいとでも感じたか、金瞳黒羽きんどうこくうの大鷲おおわし、嵐あらしに吹かれたようにムラムラと満身まんしん、逆羽さかばねをたててきた。

と思うと――畳たたみ二枚まいほどは優ゆうにある両りょうの翼つばさが、ウワーッと上へひろがって、白い腋毛わきげが見えたから、びっくりしたお小姓こしょうとんぼ。

「そら――ッ」

とまわりを飛びはなれたが、偉大いだいなる猛禽もうきんのつばさが、たッたひと打ち、風をあおるとともに、笑止しょうし笑止しょうし、まるで豆人形まめにんぎょうでもフリまいたように、そこらの草へころがった。

「アー痛いたい」

「オーひどい」

やがてめいめい、腰こしをさすって起きあがってみると、鷲わしは杉すぎの根ねもとにケロリとして、とんぼ組ぐみの諸君しょくん、なにを踊おどっているんです、といわないばかりの様子である。

だが、えらいやつがいた。

たッたひとり、いまの羽風はかぜにも倒たおされずに、鷲のそばに突つっ立ったまま、ジッと腕うでぐみをしている少年。

お小姓こしょうとんぼのなかにも、あんな強胆ごうたんな者がいたかしら? とみんなが眼をみはって見ると、ちがッてるちがッてる、肩かたつぎのある筒袖つつそでに、よごれきった膝行袴たっつけを穿はき、なりにふさわぬ太刀たちを差さして、鷲わしにも負けない眼の持ち主ぬし。

浜松城はままつじょうの小姓組こしょうぐみには、こんなきたない小僧こぞうはいない。

「だれだ、あいつは?」

「いつのまに、どこから降ふってきおったのじゃ」

ぞろぞろと集あつまった。

そして、こんどは鷲わしよりも、この小僧に好奇こうきの目をそそいだ。けれど、そこに黙然もくねんと立った鞍馬くらまの竹童ちくどうは、じぶんをとり巻まいてジロジロと見る、小姓たちのあることなどは忘れはてて、

「オオ、おまえはクロじゃあないか」

と、心のそこから、いっぱいななつかしさを、無言むごんに呼よびかけているのである。――

ああ、ずいぶん久ひさしぶりだったねえ――

そう思うと、竹童は、なんだかボッと顔が赤くなる気がした。かれの愛着あいちゃくとあこがれは、不意ふいにめぐり会あったクロを見て、やさしく動悸どうきを打っていた。

そこに動物と人との、なんのへだたりもなく、

「おまえを蛾次郎がじろうにぬすまれてから、おいらはどんなに諸国しょこくをさがし歩いていたろう。波なみのあらい北の海、吹雪ふぶきのすさぶ橡とちノ木き峠とうげ、それから盲目めしいになってまで、京都の空へ向かっても、おいらは、クロよ、クロよと呼よんでいた。そのかいがあって、やっと、天てんヶ丘おかで蛾次郎がじろうとうばい合いをしたかと思うと、おまえはまた、ふたりを琵琶湖びわこへふりおとしたまま、どこかへ姿すがたを消けしてしまった――さあ、それからも竹生島ちくぶしまにいるあいだ、おいらは、朝となく夜となく、どれほど空を気にしていたか知れやしない……だがよかったなア、いいところでめぐり会あったなア。わかるかい、おぼえているかい? この鞍馬くらまの竹童の顔を……」

と、口にはださないが、熱あつい思慕しぼをこめて、ジイッとみつめているうちに、思いもうけぬ邂逅かいこうの情じょうが、ついには、滂沱ぼうだの涙なみだとなって目にあふれてくる。

そして、なにげなく愛撫あいぶの手が、クロの襟毛えりげへ伸のびようとすると、

「これッ」鞭むちをかまえながら、徳川万千代とくがわまんちよ、

「わしの大事な飼かい鳥どりへ、なんで手をふれるのじゃ」

「あ」

竹童はその声に、はじめてわれに返かえったように、万千代のすがたと、あたりに群むれているとんぼ組ぐみの少年たちを見まわした。

そして、だまって、頭をさげた。

「なんだ、おまえはッ。どこの子だ」

「わたくしは」

「あやしい小僧こぞうじゃ、敵国てきこくの間者かんじゃであろう。おじいさまのお城しろへつれて、役人の手へ渡わたしてくれる」

「アアもし、けっして、そんな者ではございません。わたくしは、たびたび東海道とうかいどうへもきております、伊吹村いぶきむらの独楽こままわしです」

「なに独楽まわしじゃ?」と、みんなどよめきだして、

「独楽まわしなら廻まわしてみろ! うそをついたら承知しょうちせんぞ」

と、腕うでまくりをして見せた。

「ハイ。独楽のご用ならおやすいこと、商売しょうばいですから、お望のぞみにまかせてまわします。ですが、わたくしが首尾しゅびよく芸げいをごらんにいれましたら、そのご褒美ほうびには、なにがいただけるでございましょう」

「鳥目ちょうもくを投げてやる」

「いえ、お鳥目はいりません。そのかわりに、ひとつのお願いがございますから」

「では、扇子せんすがほしいか、きれいな巾着きんちゃくがのぞみなのか」

「いえいえ、わたくしのお願いと申すのは、この鷲わしに乗らしていただきたいのです。はい、上まであがりましたら、すぐにまた降おりてまいりますから」

「これへ乗るッて」

万千代まんちよは目をまるくして、

「そんなことができるのか」

「できますとも。伊吹の山にいたころは、毎日、鷲や鷹たかをあい手にあそんでいたわたくしです」

たわいのないお小姓こしょうとんぼは、興きょうにそそられて、一も二もなくかれのことばを信しんじてしまった。そして竹童ちくどうにむかって、はやく独楽こまをまわせ、独楽をまわしたら鷲わしをかしてやる、とせがんだ。

「じゃ、まわしますから、ズッとそこを開ひらいてください」

かれはどこかの町で見かけた旅芸人たびげいにんの所作しょさを思いうかべて、わざと、興きょうをそえながら、杖つえでクルリと円形えんけいの線せんをえがいて、

「――そもそも独楽にもいろいろござります、古くは狛江こまえの高句麗こくりゴマ、島しまからわたった貝独楽べいごまも、五色しきにまわる天竺独楽てんじくごまも、みんな渡来とらいでございます。そこで日本独楽にほんごまのはじまりは、行成大納言ゆきなりだいなごん、小松こまつつぶりに村濃むらごの糸をそえまして、御所ごしょでまわしたのがヤンヤとはやりだしました初はじめ。さあそれからできましたこと、できましたこと、竹筒たけづつの半鐘独楽はんしょうごまをはじめとしまして、独楽鍛冶ごまかじもたくさんできました。陀羅だらゴマ銭ぜにゴマ真鍮しんちゅうゴマ、ぶんぶん鳴るのが神鳴かみなりゴマ、おどけて踊おどるが道化どうけゴマ、背せいのたかいは但馬たじまゴマ、名人独楽めいじんごまは金造きんぞうづくり、豆ゴマ、賭かけゴマ、坊主ぼうずゴマ、都みやこではやっておりまする。そこで手まえのあつかいますのは、近江おうみは琵琶湖びわこの竹生島ちくぶしまに、千年あまり伝つたわりました、希代きたいふしぎな火焔独楽かえんごま――はい、火焔独楽!」

と、ここに竹童ちくどうが、にわか芸人げいにんの口上こうじょうをうつして、弁べんにまかせてのべ立てると、万千代まんちよはじめ、とんぼ組ぐみ、パチパチと手をたたいて無性むしょうにうれしがってしまった。

だが、竹童は、真剣しんけんである。

口に道化どうけても肚はらのそこでは、たえず、伊那丸いなまるの危急ききゅうをあんじているのだ。

さきに、都田川みやこだがわの刑場けいじょうへ、したくにいそいでいったあの足軽あしがるのはなしが事実じじつならば――

武田伊那丸たけだいなまると忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろうとが、むなしく徳川家とくがわけの手に縛ばくされて、あさっての夕ぐれ、河原かわらの刑場に斬きられるという、あの高札こうさつが事実ならば――

じつに、武田一党とうの致命的ちめいてきな危難きなんは、目睫もくしょうにせまっているのだ。

竹童ちくどうの胸むねがなんで安かろうはずはない。かれは、一刻こくもはやく、この大へんを、小太郎山こたろうざんのとりでへしらせたいともだえている。どうしても、四、五日かかる道のりのある小太郎山へ、今夜のうちに、かけつけたいと苦念くねんしている。

とうてい、人の力でおよばぬことをなさんがために、竹童は心にもない大道芸人だいどうげいにんのまねをするのだ。見ているお小姓こしょうとんぼはおもしろかろうが、ああ、かれには涙なみだの芸げいであった。

二

「さあ、それから、それから――」

と、輪わになっている前髪まえがみたちは、待ちきれないで、あとをせがんだ。

きわどいところで、竹童はたくみにおッとりして、

「さ、火焔独楽かえんごまの曲きょくまわし、いよいよかかりますがそのまえに、ちょっと、おうかがいしたいことがございます。どうか、話してくださいまし」

「なんじゃ? 独楽こままわし」

「あの、近ごろ浜松はままつのご城下じょうかで、武田伊那丸たけだいなまるという方かたが徳川とくがわさまの手でつかまったそうですが、それは、ほんとでございますか」

「捕つかまったのはまことじゃ、家来けらいのやつふたりも一しょに」

「ああ、では……」

思わず、あおざめたかと思う顔を、むりに微笑びしょうさせて、

「やっぱり、うわさはまことでございましたか。それで、さだめし家康いえやすさまもご安心でございましょう。けれど伊那丸や家来のふたりも、なかなか智勇ちゆうのある者とききましたが、どうしてそんなに、たやすく捕まってしまったのでしょう?」

「いいではないか、そんなこと。早くそれより独楽をまわして見せい」

「はい、いままわします。ですけれど、じつはこのさきの都田川みやこだがわで、そんな高札こうさつを見ました時に、仲間なかまの者と賭かけをしたのでございます」

「じゃ、話してやるから、それがすんだら、すぐに火焔独楽かえんごまをまわすのじゃぞ」

「ええ、まわしますとも、まわしますとも」

「その武田伊那丸は、まえからほうぼうへ手配てはいをしていたが、なかなか捕まえることができなかった。するとこんど、桑名くわなのほうから、和田呂宋兵衛わだるそんべえという者が密訴みっそをしてきた。その者のことばで、伊那丸のとおる道がわかったから、関所せきしょに兵を伏ふせておいて、苦くもなくしばりあげたのじゃ。だから、あさっての太刀取たちとりは呂宋兵衛るそんべえが役やくをおおせつかって、都田川みやこだがわの刑場けいじょうで、その三人の首を斬きることになっている」

「ああ、そうですか。いや、それでよくわかりました」

と、さり気げなく聞いていたものの、竹童ちくどうの胸むねは早鐘はやがねをついている。

「そして、この大鷲おおわしは、どうしてまた、あなたがたのお手に入りましたか。浜松にも、めったにこんな大鷲は飛ばないでしょうに」

「この鷲わしか。――これもその呂宋兵衛が、桑名くわなから浜松へくるとちゅうで捕つかまえたのを、菊池半助きくちはんすけのところへ土産みやげに持ってきたのじゃ。それを万千代まんちよさまが、おねだりして、こうしてとんぼ組ぐみで飼かっているのじゃ。だから、めッたな者にはかさないが、おまえが上手じょうずに独楽こまをまわせば、万千代さまもかしてやろうとおっしゃる。サ、はやくまわしてみせい、はやく火焔独楽かえんごまの曲きょくまわしをやってみせい」

もうすっかり、竹童を旅の独楽まわしと思っているので小姓こしょうたちは、城内じょうないで聞きかじっていたことを、みんなベラベラしゃべってしまった。

事実じじつだ。伊那丸いなまるの遭難そうなんはまことであった。ああ、大事はついにきた。

「ウウム、もうこうしてはおられない!」

と竹童の眼はわれ知らずかッと燃もえた。

その真剣しんけんな気けぶりに、万千代や小姓たちが、少しあとへさがったのをしおとして、かれはまた、ふたたび芸げいにとりかかるような身構みがまえをキッと取り、

「では! 竹生島神伝ちくぶしましんでんの魔独楽まごま!」

と、こえ高たからかに叫さけんで――

「――小手こてしらべは剣つるぎの刃渡はわたりッー」

片手かたてに独楽こま――まわすと見せて、一方の手に、般若丸はんにゃまるの脇差わきざしを抜ぬきはなったかと思うと、杉すぎの根もとにつながれている、クロの綱つなをさッと斬きった。

紫電しでんのおどろきに、鷲わしは地をうってユラリ――と、空に足をちぢめた。

ふたたび帰らぬ高き上に。

「あ、あ、あッー」

と、不意ふいをくったとんぼ組ぐみの小姓こしょうたちは、旋風つむじにまかれた木この葉のように、睥睨へいげいする大鷲おおわしの腹はらの下で、こけつ、まろびつ、悲鳴ひめいをあげて、

「逃にがすな」

「いまの独楽まわしーッ」

「あッちへいった!」

「鷲も逃にげた!」

「それ」

「そらッ」

「追おッかけろ!」と走はしりだした。

見れば竹童もまッ先に馳かけてゆく。

竹童は鷲わしを追い、万千代まんちよは竹童を追い、小姓こしょうとんぼは万千代のあとからあとから――

三

いつか茜あかねいろの曠野こうやは、海のような青い黄昏たそがれとかわっていた。草をけって、追おいつ追われつする者たちには、十方ぽうなにものの障壁しょうへきもない。

すると不意ふいに、

さきへ走った竹童が、するどい気合きあいをあげて、なにやら、虚空こくうへ棒ぼうのようなものを投げあげた。

クルクルと螺旋らせんに舞まって、それが、空の藍あいへとけ入いったかと思うと、高いところで、かッ、という音がひびいた。そして、前の棒切ぼうきれが反落はんらくしてくるのと一しょに、クロの巨影きょえいもそれにつれて真ま一文字もんじに地へ降おりてきた。

そしてやがて。

「独楽こままわしのにせ者め」

「鷲をかえせ、鷲をかえせ」

声をそろえて、そこへ万千代まんちよたちのなだれてきたころには、すでに、地上に竹童のすがたもなく、大鷲おおわしの影かげもなかった。

ただ、あッ気けにとられていた眼へ、ふとうつったものはちょうどそのとき野末のずえをはなれた、大きな宵月よいづきの光に、なにやら知れぬものの影が、草の上をフワフワとさまよった――それだけであった。

おお、お小姓こしょうとんぼの坊ぼッちゃんたち!

三方みかたヶ原はらをあとにしながら下に月光の山川さんせんを見、あたりに銀鱗ぎんりんの雲を見ながら、鞍馬くらまの竹童ちくどうは鷲わしの上から叫さけぶのである。

これはもともとおいらの鷲わしだ。

おいらのものはおいらに帰かえる。なんのふしぎもないはなしだ。蛾次郎がじろうみたいに、ぬすんで逃にげるのとはわけがちがう。

独楽こまでだましたのは悪かったけれど、おとなしくクロを渡わたしてくれといっても、かせといってたのんでも、浜松城はままつじょうの腕白わんぱく坊ぼッちゃん、けっして、すなおには承知しょうちしないでしょう。だから、あんな詐術さじゅつをやりました。

それも武田たけだ一党とうのため。ああ、しかも伊那丸いなまるさまの危難きなんを知った日に、この鷲が、ふたたびじぶんの手にかえるとは、天がこの竹童ちくどうをあわれんでか、果心居士かしんこじさまのお護まもりであろうか。

なにしろ、おいらは、これからいそがなくってはならない身だ。久しぶりでこのクロを、じぶんひとりで、ほしいままにのってかけるのだが、いまは、その翼つばさの力さえなんだかおそい心地ここちがする。

クロよ、ひとはたきにとんでくれ。

小太郎山こたろうざんへ、小太郎山へ。

三

右少将徳川家康うしょうしょうとくがわいえやす、いつになく、ほころんだ顔をしている。ごきげんがよいのである。

常つねに、かれが気にしている秀吉ひでよしが、近ごろメキメキとはぶりをよくして、一挙きょに桑名くわなの滝川たきがわを陥おとし、軍をかえして北国ほっこくをつき、猛将もうしょう勝家かついえの本城ほんじょう、北きたノ庄しょうにせまって、抜ぬくべからざる勢力をきずき、北陸ほくりくの豪族ごうぞく前田利家まえだとしいえと仲なかをよくしたという間諜かんちょうもあった。

で、はなはだ、かれの気色きしょくがうるわしくない。

どこかで秀吉がつまずけかし、と祈いのっているのに、その反対はんたいなうわさばかりが飛んできて、ここしばらくの間あいだ、かれの心を楽しませぬのであった。

しかし、きょうはいたって和やわらかい眉目びもくである。

がんらい、家康という人、心のうちの喜怒哀楽きどあいらくを色にださない質たちである。いつも、むッつりと武者むしゃずわりをして、少し猫背ねこぜになりながら、寡言多聞かげんたぶんを心がけている。ひじょうに狡猾こうかつで気むずかしく、腹はらぐろい人相にんそうのようでもあり、ばかに柔和にゅうわであたたかい相好そうごうのようにも見える。だから、その顔を好すくものは深くしたしみ、忌いみきらうものはまたひどくきらう。

めずらしく、酒宴しゅえんをのべていた。

多くの近侍きんじや旗本はたもとをあいてに、ほがらかな座談ざだん。それが倦うむと、つづみの名人大倉六蔵おおくらろくぞうに、鼓つづみをうたせて聞きとれる。

そこへ、おそく酒宴しゅえんにまねかれた、菊池半助きくちはんすけが末席まっせきにすわった。隠密おんみつのものは、禄ろくは高いが士格しかくとしては下輩げはいなので、めったに、こういう席に招しょうじられることはない。

半助のすがたをチラリと見ると、

「鼓つづみをやめい」

と盃さかずきを取って、

「かれへ」

と、近侍きんじへ取りつがせた。

破格はかくな盃をいただいた半助へ、人々は羨望せんぼうの目を送った。そして、半助、なにかよほど手柄てがらをやったな、とささやいていた。

そういう様子をながめながら、家康いえやすはまた、近ちこう、とかれをまぢかく呼よんで、

「数日来すうじつらいのはたらき、まことに、過分かぶんである」

と賞ほめことばをあたえた。めったに、人を賞めない家康、これもあまりないことである。

「は」

とのみいって、半助は平伏へいふくしていた。

伊賀衆いがしゅうのなかでも、隠密の上手じょうずとは聞いたが、なんという光栄こうえいをもった男だろうと、人々の目は、いよいよかれと主君しゅくんとにそそがれていた。

「して、こんどのことに、偉功いこうを立てた、和田呂宋兵衛わだるそんべえは、いかがいたした」

「せっかく、ご酒宴しゅえんのお招まねきをうけましたが、まだ身分の定さだまらぬ浪人境界ろうにんきょうがいで、出席はおそれおおいと辞退じたいしましたので、手まえの屋敷やしきにのこしてまいりました」

「そうか、野武士のぶしでも、なかなか作法さほうを心得こころえている。そちの家うちに食客しょっかくしているあいだ、じゅうぶんにいたわってとらせろ。そのうちに、なにか、適宜てきぎな処置しょちをとってつかわす」

「かれが聞きましたなら、さだめし、ご恩おんに感泣かんきゅういたしましょう」

「ながらく捕とらえ得えなかった武田伊那丸たけだいなまる、またふたりの者まで、一網もうに召捕めしとり得たのは、いつにかれの訴うったえと、そちの手柄てがらじゃ」

「は、ご過賞かしょう、身にあまるしだいでござります」

「当日、都田川みやこだがわの刑場けいじょうで、伊那丸を斬きる太刀たちとり役やく、それも呂宋兵衛とそちとに申しつけてあるが、用意万端よういばんたん、手ぬかりはあるまいな」

「じゅうぶん、ご奉行ぶぎょうとともに、お打ち合せをいたしますつもり」

「矢来やらい、高札こうさつ、送り駕かご、また警固けいごの人数にんずなど、そのほうは?」

「いちいち、手配てはいずみでございます」

「またその日はうわさを聞きおよんで、あまたの領民りょうみんがあつまるにちがいない。甲賀組こうがぐみ、伊賀組いがぐみの者、残りなく狩かりだして、あやしい者の見張みはりに放はなちおくように」

「変装組へんそうぐみ百人ばかり、もう今日のうちに、ご領内りょうないへ散ちらしておきました」

「ウム、ではもう牢内ろうないの、武田伊那丸、加賀見忍剣かがみにんけん、木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、その三人を都田川にひきだして首を洗あらって斬きるばかりか」

「御意ぎょい。もはや、裾野すそのの雲は晴れました」

「甲斐かいざかいの憂惧うれいがされば、これで心を安やすらかにして、旗はたを中原ちゅうげんにこころざすことができるというもの。家康いえやすにとって、伊那丸はおそろしい癌がんであった。幼少ながら、かれの行ゆく末すえは浜松城はままつじょうの呪のろいであった。それを捕とらえ得えたのは近ごろの快事かいじ、いずれも斬刑ざんけいのすみしだいに、恩賞おんしょうにおよぶであろうが、その日のくるまでは、かならず油断ゆだんせまいぞ。よいか、半助はんすけ」

さては、家康のごきげんなわけは、伊那丸が捕とらえられたことであるか。と一同はうなずいて、徳川家とくがわけのため、暗雲あんうんの晴れた心地ここちがした。そして、城を退さがったものは、このうわさを城下じょうかにつたえて、その日のくるのを、心待こころまちにしていた。そして、かつて軍神いくさがみの信玄しんげんが、甲山こうざんの兵をあげて、梟雄きょうゆう家康いえやすへ、乾坤けんこん一擲てきの血戦けっせんをいどんだ三方みかたヶ原はら。

そのいわれのある古戦場こせんじょうで、その信玄の孫まごが、わずかふたりの従者じゅうしゃとともに、錆刀さびがたなで首を落とされるとは、なんと、あわれにもまた皮肉ひにくな因縁いんねんよ!

と、気の毒どくがるささやきもあれば、心地ここちよげに嘲あざむ三河武士みかわぶしもある。

とにかく、春もくれかかる東海道とうかいどうの辻つじには、そのうわさが、なにかしら、人に無情むじょうを思わせた。

おのれの首くびを投なげる人ひと

一

すんだ笛ふえの音ねが流ながれてくる。

鬼き一管かんとか天彦あまひことかいう名笛めいてきの音ねのようだ。なんともいえない諧調かいちょうと余韻よいんがある。ことに、笛の音は、霧きりのない月明げつめいの夜ほど音ねがとおるものだ。ちょうど今夜もそんな晩ばん――。

そこは、白樺しらかばの林であった。

さらぬだに白い斑ふのある樺かばの木に、一本一本、あおじろい月光が横から射さしている。

笛がとぎれた時の、シーンとした静寂しじまと冷気れいきとは、まるで深海の底そこのようだ。けれど、事実じじつはおそろしい高地こうちなのだ。

小太郎山こたろうざんの中腹ちゅうふく、陣馬じんばヶ原はらの高原こうげんつづき。

かの、伊那丸いなまるの留守るすをあずかる帷幕いばくの人々、民部みんぶや蔦之助つたのすけや小文治こぶんじなどが、天嶮てんけんを擁ようしてたてこもるとりでの山。

笛は喨々りょうりょうとうむことなく、樺の林をさまよっている。やがて、そこに人かげがうごいた。見ればひとりの美少女である。長くたれた黒髪くろかみに、蘭らんの花をさしていた。

その人かげのあとから、幾年いくねんも朽くちつんだ落葉おちばをふんで、ガサ、ガサと、歩いてくる者があった。小具足こぐそくをまとった武士ぶしである。

七、八本の槍やりが、月光をくだいてギラギラとした。

「だれだッ!」

呼よびかけると、ひとりの手から、黄色い閃光せんこうが三角かく形けいに放射ほうしゃされた。

龕燈がんどうのあかりのなかに浮うきたった少女のすがたをみると、

「おお、咲耶子さくやこさま――」

と、目礼もくれいして、武士たちは、樺かばの林をぬけてしまった。とりでを見張みはる番士ばんしたちである。

そのうしろ姿すがたを、咲耶子はたのもしい思いで見おくった。ああして、寝ねずに、夜なか、あかつきもこの要害ようがいを見まわっている人々の忠実さに感謝かんしゃした。そして、まだこのとりでに雪ゆきのあるころ、山をくだって京都へ向かった伊那丸の上にも、どうぞ、この山のように無事ぶじがあるように――と祈いのった。

咲耶子は裾野すそのにいたころから、月の夜よに笛ふえをすさびながら歩くのが好すきであった。この小太郎山こたろうざんにきてからは、ことに白樺しらかばの林に、ほのかな蘭らんの香かのながれる道を、しずかに歩むのが好このましく、今夜も陣馬じんばの搦手からめてから、月にさそわれて、思わず夜よのふけるのを忘れてしまった。

「おお、ひえびえとしてきた。二子山ふたごやまに見えた月が、もうあんなに遠い谷間たにまにある。……あまり遅おそうなっては、さだめし、民部みんぶさまや小文治こぶんじさまがおあんじなされているかもしれぬ……」

そう思いながら、それでもまだ、帰かえる道をむなしく歩いていくことはおしそうに、狛笛こまぶえをとって、その歌口うたぐちを湿しめしはじめる。

するとどこかで、びゅうッ――という風のような音がした。だが、樺かばの梢こずえはゆれてもいなかった。野呂川のろがわのひびきにしては一しゅんである。いや、それは天地をゆく音ではなく、高いところをかすめた音響おんきょうにちがいなかった。

「なにかしら? ――」

咲耶子さくやこはいそいで林をかけぬけた。

陣馬じんばの高原こうげんには、さまざまな植物の花が、露つゆをふくんで黒々くろぐろと眠ねむっていた。ここに立てば、昼ひるは東の真正面まっしょうめんに富士ふじの銀影ぎんえいや裾野すそのの樹海じゅかいがひと目にながめられ、西には信濃しなのの山々、北には甲斐かいの盆地ぼんち、笛吹川ふえふきがわのうねり、村、町、城下じょうかの地点ちてんまでかぞえられる。

「耳のせいであったか、それとも、やはりただの風か? ……」

見まわした空には、なにものの影かげも見あたらなかった。ただ、しずかに黙もくしている、月はある、星はある。

ふたたび、狛笛こまぶえの音ねが高くすんだ。そして咲耶子が、われとわが吹く音色ねいろにじぶんをすら忘れかけたころ、さらにすさまじい一陣じんの疾風しっぷうが、月のふところをでて、小太郎山こたろうざんの真上まうえをびゅうッ――と旋回せんかいしはじめた。

「オオ!」

咲耶子さくやこは、笛ふえを唇くちからはなして、高く高くうちふった。

「――竹童ちくどうではないか! 鷲! 鷲! 竹童の鷲よ――」

おどり立つばかりに叫さけんだが、すぐにまた、笛を持ちなおして、息いきいッぱいに、空へ向かって高らかに吹く。

砦とりでの灯ひは、夜はまったく隠かくされてあるので、このあたりの重畳ちょうじょうたる山の起伏きふくに、どれが目ざす小太郎山こたろうざんか、宙ちゅうに迷まよいめぐっていた鞍馬くらまの竹童も、やっと、その音ねを聞きあてた。

こころみに鷲の上から、下界げかいへ向かって、声いっぱいに、

「咲耶子さまーッ」と呼よんでみる。

小手こてをかざしてみれば、いちめんの高原植物こうげんしょくぶつ、月光と露つゆに繚乱りょうらんたるなかに、ぽちりと、ひとりの少女のすがたが、ありありと立って見えた。

少女は笛で呼んでいる。

竹童もまた声をはって、

「咲耶子さまア。咲耶子さまアー」

巨大きょだいなる波紋はもんを宇宙うちゅうにえがきながら、だんだんに陣馬じんばの地上へくだってきた。

ただならぬ怪影かいえいを見つけた砦とりでの番士ばんしは、なにかとおどろいて、変へんを小幡民部こばたみんぶにつげた、その夜、自然城しぜんじょうの山曲輪やまぐるわには、巽小文治たつみこぶんじと山県蔦之助やまがたつたのすけも、虫の知らせか、しきりに伊那丸いなまるの安否あんぴや、随従ずいじゅうしていった忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろうから、なんの消息しょうそくもないことなどをうわさし合っているところであった。

二

三方みかたヶ原はらをとんで、夜の空をいそいだ鞍馬くらまの竹童ちくどうは、そうして、小太郎山こたろうざんの同志どうしへ、伊那丸の急変きゅうへんをもたらした。

かれは、かれの使命しめいをとげた。一念ねんを達たっした。

けれど、寝耳ねみみに水の変を聞いた、一党とうのものの驚おどろきはどんなであったか。なかにも、小幡民部こばたみんぶはその急報きゅうほうをうけるとともに、

「ううむ……」

と、深くうめいたまま、しばらく、いうべき言葉もなかったくらい。

山曲輪やまぐるわの一廓かく、評定場ひょうじょうばの扉とびらはかたくとざされた。

ひそやかに、そこへ集あつまった人々は、むろん、帷幕いばくの者ばかりで、民部を中心に、山県蔦之助やまがたつたのすけ、巽小文治たつみこぶんじ。そして、竹童はそのまえに疲つかれたからだをすえ、咲耶子はうちしおれて、紫蘭しらんのかおる黒髪くろかみを、あかい獣蝋じゅうろうの灯ひのそばにうつむけていた。

「竹童」

やがて、民部はおもおもしい顔かおをあげて、

「そちがさぐってきた、若君わかぎみのご異変いへん、また都田川みやこだがわの刑場けいじょうでおこなわれる時日じじつ、かならずまちがいのないことであろうな」

「たしかに、そういないこととぞんじます。その刑場けいじょうをつくる足軽あしがるのはなしや、またお小姓こしょうのいったこともみなピッタリと、合っております」

「すると、今宵こよいもやがて夜明けに近いから、のこる日は明日あすだけじゃ……」

さすが、甲州流こうしゅうりゅうの軍学家ぐんがっか、智謀ちぼうのたけた民部みんぶといえども、この急迫きゅうはくな処置しょちには、ほとんど困惑こんわくしたらしく、憂悶ゆうもんの色がそのおもてを暗くらくしている。

「若君わかぎみのご運命うんめいがそうなっては、もう、われわれもこの砦とりでをまもる意義いぎがない」

巽小文治たつみこぶんじは、悲痛ひつうなこえでいった。

「そうだ!」と蔦之助つたのすけも嘆声たんせいをあわせて、

「このうえは、砦とりでにのこる兵をあげて、小勢こぜいながら裾野すそのへくだり、怨敵おんてき家康いえやすの城地じょうちへ、さいごの一戦を」

みなまでいわせず、民部は首をよこにふった。

「そのとむらい合戦がっせんなら、すこしも、いそぐことはありますまい。いつでもできることじゃ」

「といって、むなしく、手をつかねておられましょうか」

「むろん、どうにか工夫くふうをせねばならぬ。しかし、人数をくりだして、とおく浜松はままつへ着つくころには、若君のお命いのちが、すでにないものと思わねばならぬ」

「おお、それもごもっとも」

と、蔦之助つたのすけはまた悶々もんもんとだまって、いまはただ、この民部の頭脳ずのうに、神のような明智めいちがひらめけかし、とジッと祈いのるよりほかはなかった。

「ともあれ、若君わかぎみのご一命めいや忍剣や龍太郎りゅうたろうを、いかにせば救すくいうるか、それが目睫もくしょうの大問題であると思う。いたずらに最後の決戦をいそいで、千や二千の小勢こぜいをもって、東海道とうかいどうを攻せめのぼったとて、とちゅうの出城でじろや関所せきしょでむなしく討死うちじにするのほかはない。それでは、きょうまでの臥薪甞胆がしんしょうたん、伊那丸君いなまるぎみのおこころざし、すべては水泡すいほうとなり、また世よの笑われぐさにすぎぬものとなる」

やはり民部の説せつは常識じょうしきであった。

あくまで伊那丸を中心とする一党とうが、その盟主めいしゅをうしなって、なんの最後の一戦がはなばなしかろう。どうしても、いかなる手段しゅだんをもって、石に噛かみついても! 伊那丸をたすけなければ意義いぎがない! 武士道ぶしどうがない。

はなやかならぬ、また勇ゆうにのみはやれぬ、軍師ぐんしのつらい立場たちばはそこにあるのだ。

「ああ策さくは一つしかない」やがて、かれは決然けつぜんといった。

「蔦之助つたのすけどの、小文治こぶんじどの、すぐに、旅たびのおしたくを!」

「や、われわれのみで? その他たの味方みかたは?」

「むしろ秘密ひみつに――」

と、民部は席せきをたって、太刀たちをはき、身ごしらえにかかった。

熟考じゅっこうの長さにひきかえて、意いを決けっするとすぐであった。蔦之助と小文治も、膝行袴たっつけの紐ひもをしめ、脇差わきざしをさし、手馴てなれの弓ゆみと、朱柄あかえの槍やりをそばへ取りよせた。

「民部みんぶさま……」

咲耶子さくやこと竹童ちくどうは、じぶんたちに指図さしずのないのを、やや不満ふまんに思って、おなじように身じたくをしようとしながら、

「わたしも」

「わたくしも」

一しょに立つと、民部はそれを制せいして、

「ふたりは、どうかとりでのるすを護まもっていてくれい。なお、われわれがおらぬ間まも、われわれがいるように見せかけて、こよい、三人が小太郎山こたろうざんをぬけだしたことは、かならず、敵てきにも味方みかたにも秘密ひみつにしておくように」

そういって、評定場ひょうじょうばの床ゆかを上げた。

まっくらな空洞うつろが口をあけた。

峡谷きょうこくの一方へひくくくだっていく間道かんどうである。

「では」と、そこへ足を入いれながら、民部はもういちど咲耶子と竹童をふりかえった。

「いまのたのみ、くれぐれも心得こころえてくれよ、なにごとも若君わかぎみのおためじゃ」

いなむこともならず、ふたりはさびしい目で見おくった。小文治こぶんじと蔦之助つたのすけは、目と目で別れをつげながら、民部につづいて、もくもくと間道の下へすがたを入いれる。

ドーンと、下から入口をふさいでしまわれると、山曲輪やまぐるわの一室しつにはもう、竹童と咲耶子、たッたふたりきりになってしまった。

それから二刻ふたときか、一刻いっときばかりの後のち――。

味方の目をしのんで、一散さんに、ふもとへ走っていった小幡民部こばたみんぶとほかふたりは、やがて、夜のしらしら明けに、麓ふもとの馬舎うまやから三頭とうの駿馬しゅんめをよりだして、ヒラリと、それへまたがった。

あいたいと、たなびく雲の高御座たかみくらに、富士ふじのすがたがゆうぜんとあおがれる。民部は、鞭むちをさして、

「ご両所りょうしょ!」と呼よんだ。

「竹童のしらせによると、若君が刑場けいじょうへひかれるのは、明日あすの夕方ということじゃ。きょう一日で、裾野すそのから東海道とうかいどうのなかばまではかどれば、その時刻じこくにようよう間まに合おうかと思う。いや、たとえ、駒こまとともに血ちを吐はくまでも、それまでに三方みかたヶ原はらへかけつけねばならぬ」

「おお、もとよりそれぐらいなこと、この場合ばあいになんのことでもござりませぬ。して、その時には?」

「なんの手段しゅだんをめぐらす時間もない。ただ、群集ぐんしゅうのなかにまぎれて、せつなに、矢来やらいのなかへ斬きりこみ、若君わかぎみをはじめふたりの盟友めいゆうを救すくいだすばかり」

「心得こころえました」

小文治こぶんじは腕うでをうならせて、朱柄あかえの槍やりをからぶりさせた。

さっさつたる朝の風が、駒こまのたてがみをこころよく吹ふき散ちらす。

ひゅうッ、と一鞭ひとむちあてると、三騎きはそのまま馬首ばしゅをそろえて、東へひがしへ疾走しっそうしていった。

やがて、やがて、渺茫びょうぼうとした裾野すそのと、はてなき碧落へきらくが目の前にめぐりまわってくる。

海のようだ。五月の裾野すその、五月の大気。

目のとどくかぎり、十何里なんり、ただ一色しょくの青ずすきが、うねうねと風のままに波に似にたる、波を立てている。

そのなかを、いとも小さな三騎きがはしっていく。

風にかくれ、風に見え、風をついて疾走する。

ああまだ東海道とうかいどうへはへだてがある。なお浜松はままつや三方みかたヶ原はらには間まがある。覚悟かくごのとおり、あの三騎は、とちゅうで血ちを吐はいてしまいはせぬだろうか。

かかる場合ばあいは、千里りをとぶ逸足いっそくももどかしく、一日の陽脚ひあしもまたたくひまである。すでにその日は、天龍川てんりゅうがわのほとりに暮くれた三騎のひとびと、はたして、翌日よくじつの午後までに、刑場けいじょうの矢来やらいぎわまで、馳かけつけることができるのであろうか?

三

ついに、その日、その時刻じこくはきた。

都田川みやこだがわの右岸うがんには、青竹あおだけをくんだ矢来やらいの先が、針はりの山のように見えている。そのまわりに、うわさを聞きつたえて集あつまった群集が、ヒシヒシと押おしていた。

夕ぐれの風が、矢来やらいの竹にカラカラとものさびしい音を鳴らすほか、むらがった大衆たいしゅうも、シーンとして、水のようにひそまっていた。

さっき、浜松はままつの城下じょうかから、三方みかたヶ原はらをとおっていった裸馬はだかうまには、まだおさない公達きんだちと、僧形そうぎょうの者と六部ぶのすがたがくくりつけられて、この刑場けいじょうへ運ばれてきたから、もうほどなく、首斬くびきりの役人が、太刀たちに水をそそぐであろうと、予想よそうするだけでも、みんなの息いきがつまってくる。

と――丁字形ていじけいに幕まくをはった矢来のすみの溜たまり場から、くろい服をまとった男が、のっそりと刑場のまン中にでてきて、ジロジロと矢来の周囲しゅういを見たり、天をあおいでなにかつぶやいているようす。

「おや、伴天連バテレンがきています」と、みんな、耳や口をよせあっていた。

すると、ややおくれて、矢来の死門しもんから三人の縄なわつきがひかれてきた。菊池半助きくちはんすけがその縄取なわとりのうしろから、おごそかに口をむすんでくる。

「ごくろうでした」

「そこもとにも」

と、伴天連と半助は、こう会釈えしゃくをして、すぐに刑吏けいりへさしずして、死座しざをつくらせ、血ちだまりの穴あなをほらせ、水柄杓みずびしゃくをはこばせる。

あなたには奉行ぶぎょう、検視けんしの役人などが、床几しょうぎをすえて、いそがしくはたらく下人げにんたちのようすをながめ、ときどき、なにか下役したやくへ注意をあたえている。

かけやを持ったひとりの男は、やがて、三ツの死のむしろのそばへ、三本の杭くいをコーン、コーンと打ちこんだ。

「それッ」と、菊池半助きくちはんすけが、時刻じこくをはかって目くばせする。

「武田伊那丸たけだいなまるッ、立て!」

まっ先の杭へ、あらあらしく引きずってきて、ギリギリ巻まきにいましめの端はしをからめつけた。

むしろの上にすえられた姿すがたは、悄然しょうぜんと、うつ向いていた。さすがな家康いえやすも、その身分みぶんを思ってか、衣服いふくは着つけたままの白綸子しろりんず、あきらかに、武田菱たけだびしの紋もんがみえて、前髪まえがみだちのすがたとともに、心なき群集ぐんしゅうの眼にも、あわれに、いたいたしい涙なみだをもよおさせる。

さらに、ひどかったのは、つぎの、法師ほうしすがたのものと、白衣びゃくえの人をあつかった刑吏けいりの待遇たいぐうである。打つ、蹴ける、あげくの果はてに、伊那丸と同じように引きすえて、何か、口あらくののしりちらした。そのふたりも、ついにはこらえかねて、刑吏にするどい言葉を返かえしていた。

だが、目は布ぬのをもってふさがれ、両手りょうては杭にしばりつけられている二人の怒声どせいは、むざんな役人たちの心に、ありふれた、世迷よまい言ごととしかひびかなかった。なお、矢来やらいのそとの群集には、そのありさまを見るだけで、ことばの意味いみは聞きとれない。

「罪人ざいにんどもの泣きほえるのを、いちいち取りあげていては果はてしがない。それッ、時刻じこくの過すぎぬうちに支度したくをせい」

こう、奉行役人ぶぎょうやくにんが、大きな声でどなったのは、だれの耳にもわかった。

「太刀取たちとりのお方かた――」

と、目くばせすると、それまで、小気味こきみよげに三人をにらんでいた伴天連風バテレンふうの怪人かいじんは、

「半助はんすけどのに、代理だいりをお願いいたしたい。この呂宋兵衛は、さきごろ桑名くわなで少し右腕みぎうでをいためておりますので……」

と、辞退じたいした。

その妖異よういなすがたをした者こそ、伊那丸いなまるの通過つうかを密告みっこくして、またうまうまと徳川家とくがわけのふところに食くい入いろうとして、猫ねこをかぶっている和田呂宋兵衛わだるそんべえである。

呂宋兵衛の辞退をきくと、半助は、だれも刑場けいじょうへでると、一種しゅの鬼気ききにおそわれる、その臆病風おくびょうかぜに見舞みまわれたなと、苦笑くしょうするさまで、

「さようか。では、不肖ふしょうですが、半助代刀だいとうをつかまつります」

と、奉行にもいって、刑吏けいりの手から、無作むづくりの大刀をうけとり、すぐに、鞘さやをはらった。

小柄杓こびしゃくの水を、サラサラと刃やいばにながして、その雫しずくのしたたる切きッさきを、まず、右の端はしにいた者の目の前につきつけて、

「忍剣にんけんッ!」

と、声をかけた。

白布はくふで、目をふさがれている法師ほうしすがたは、その時、顔をあげ、肩かたをゆすぶッて、なにやら、無念むねんそうに叫さけぼうとしたが、

「徳川家とくがわけに仇あだなすやつ、やがて、あとからいく伊那丸いなまるの先駆さきがけをしろッ」

という、半助のののしりに消けされ、それと同時に、戛然かつぜんと剣けんがひらめいた。

バサッ――と血ちしぶきが立った。

とたんに、俯うッ伏ぷせとなった死骸しがいの斬きり口から、百千の蚯蚓みみずが走りだすように血がながれた。矢来やらいのそとに息いきをのんでいた群集ぐんしゅうも、さすがに、目をそむけて、手につめたい汗あせをにぎりしめた。

「木隠龍太郎こがくれりゅうたろうッ――」

つづいて、こう叫さけぶ声がしたので、こわいもの見たさの眼をソッと向けてみると、袴はかまの裾すそに、返かえり血をつけた半助はんすけのすがたが、すさまじく斬きれた大刀へ、ふたたび手桶ておけの水をそそぎ直なおして、つぎの者へズカリと寄よっていったかと思うと、

「龍太郎ッ! 覚悟かくごは? ――」と、光流こうりゅうをふりかぶった。

「覚悟かくご? そんなものはないッ」

と、どなることばもおわらぬまに、風をきる刃やいばがはすかいに下おりて、白衣びゃくえの全身がまッ赤かになった。

あとは伊那丸ひとりだ。

菊池半助きくちはんすけはゆうゆうとして、三人目の成敗せいばいにかかろうとしている。

点々てんてんたる返かえり血は、夜叉やしゃのように、かれの腕うでや袖そでをいろどった。

哀寂あいじゃくな夕雲は、矢来やらいの上におもくたれて、一しゅん、そこを吹く風もハタと止やんだ。

ああ、ついに間まに合わなかった。

小幡民部こばたみんぶ。

山県蔦之助やまがたつたのすけ。

巽小文治たつみこぶんじ。

かれらはなにをしているのか!

いそぎにいそいで、小太郎山こたろうざんから疾駆しっくしてくるとちゅうで、馬もろとも、血を吐はいてぶったおれたのか。あるいは、もう、そのへんまで――三方みかたヶ原はらの北のへんまでは、きているのか!

それにしても、ああ、もう大事は過すぎてしまった。

一党とうになくてはならない盟友めいゆう、加賀見忍剣かがみにんけんはたおれている。木隠龍太郎こがくれりゅうたろうも血の中に俯うッ伏ぷしてしまっている。

と――思うまに菊池半助の無情むじょうな刃やいばは、颯然さつぜんと、伊那丸いなまるの襟えりもとへおちた。

四

目をおおうべし。

菊池半助が気をこめた刑刀けいとうは、一閃せん、ひゅッと虹光にじびかりをえがいて、伊那丸いなまるのすがたを血けむりにさせた。

「アーアー」

群集ぐんしゅうはただ、こう口からもらしただけであった。正視せいしするにしのびないで、なかには、矢来やらいにつかまったまま蒼あおざめた者すらある。

八双そう截鉄せってつの落剣らっけん! 異様いようなる血の音を立って、武田伊那丸たけだいなまるの首はバスッとまえにおちた。

胴どうはそのとたんに死座しざから前向きにガクッとつっぷしてしまう。あの小袖こそでにつけた武田菱たけだびしの紋もんも、朱しゅに染そまって、もうビクリともしなかった。

完全な死だ、完全な断刀だんとうだ! 家康いえやすもまた選よりによって斬きれる刀を、刑吏けいりへ授さずけたものとみえる。

忍剣を斬り、龍太郎の首をうち、いままた伊那丸を刑けいした半助は、さすがに斬りつかれがしたとみえて、滴々てきてきと、血流ちながしから赤い雫しずくのたるる刃やいばをさげて、ぽうッとしばらく立っていた。そのあたりの草いッぱい、曼珠沙華まんじゅしゃげという地獄花じごくばなが咲さいたように、三ツの死骸しがいの返かえり血ちが斑々はんはんとあかく燃もえている。

斬刑ざんけいがすんで、浜松城はままつじょうからきている奉行ぶぎょうや検死けんし役人などは、みな床几しょうぎを立ちはじめた。入いりみだれて立ちはたらく下人げにんたちの間あいだに、血なまぐさい陰風いんぷうが吹ふく。

ひとつ星ぼし、ふたつ星。……空は凄愴せいそうな暮色ぼしょくをもってきた。だが、矢来やらいのそとの群集ぐんしゅうは容易よういにそこをさろうとしない。

「ああ、いやな気持になった! はじめのうちはおもしろかったが、なんだかいまになって毛穴けあながゾーッとしてきやがった。へんなもんだなあ、人の斬きられるッていうものは」

矢来やらいにたかっている数多あまたの中で、こういった、ひとりの見物人けんぶつにんがある。

「親方おやかた! 親方はなんともないような顔をしていますね」

つれの男は太い口をむすんで、黙然もくねんと、刑場けいじょうのなかを見つめていた。革胴服かわどうふくにもんぺを穿はき、脇差わきざしをさした工匠風こうしょうふう、だれかと思うと、秀吉ひでよしの追捕ついぶをのがれて、竹生島ちくぶしまから落ちてきた上部八風斎かんべはっぷうさい、いまではもとにかえって鏃鍛冶やじりかじの鼻はなかけ卜斎ぼくさい。

しゃべっているのは蛾次郎がじろうだった。

「だけれど、考えてみると、伊那丸いなまるもかわいそうだな。ちょっと、旗上はたあげのまねをしたばかりで、もう首を斬きられちまった。忍剣にんけんも龍太郎りゅうたろうもとうとう冥土めいどのお相伴しょうばん。アアいやだいやだ死ぬなんて。ねえ親方、こういうところを見ると、やっぱり富士ふじの裾野すそのあたりで、テンカンテンカンと鏃やじりをたたいているのが一ばん安泰あんたいですね」

卜斎はそばのおしゃべりへ、耳もかさずに腕組うでぐみをしていた。

だが蛾次郎は、卜斎が返辞へんじをするとしないとにかかわらず、ひとり所感しょかんをのべている。

「これで、木から落ちた猿さるみたいに、ベソをかくのは竹童ちくどうだろう。この見物けんぶつのなかにあいつがいたら、いまの景色けしきをどんな顔して見ているだろうな……オヤ、もうおしまいかしら、役人がみんな幕まくのかげへはいってしまった――つまらねえな。ア! 非人ひにんがきたぞ非人が、三ツの死骸しがいをかたづけるんだな。やあいけねえ、伊那丸いなまるの首を河原かわらの方ほうへ持っていってしまやがった。ホウ、あんなところの台だいへ首をのせてどうするんだろう、龍太郎りゅうたろうの首も、忍剣にんけんの首も――アア、獄門ごくもんというのはあれかしら? 親方親方、あれですか、獄門にかけるッていうことは?」

指差ゆびさしをして卜斎ぼくさいの顔を見あげたが、その卜斎は、蛾次郎がじろうとは、まるで見当けんとうちがいなほうに目をすえているのであった。

さっきから、なにを見ているんだい親方は?

と――蛾次郎も卜斎の視線しせんにならってその方角ほうがくへ目をやってみると、竹矢来たけやらいの一角かく、そこはいまあらかたの弥次馬やじうまが獄門台ごくもんだいと掲示けいじの高札こうさつを見になだれさったあとで、ほのあかるい夕闇ゆうやみに、点々てんてんと、かぞえるほどの人しか残のこっていなかった。

卜斎は最前さいぜんから、そこばかりをじっとにらんでいた。横目づかいの白眼しろめで――

蛾次郎の注意もはじめて同じ焦点しょうてんへ向いた。

とたんに、

かれ蛾次郎の目の玉たまが、デングリかえるようにグルグルとうごいた。そしてその睫毛まつげがせわしなくパチパチと目まばたきをし、眉まゆに八の字じをこしらえた。なにか叫さけぼうとした唇くちびるが上下じょうげにゆがんだが、いう言葉さえ知らぬように、鼻はなの穴あなをひろげたまま、アングリと口をあいて茫然自失ぼうぜんじしつのていたらく……。

あたかも磁力じりょくにすいつけられてしまったよう。そも、泣き虫の蛾次郎がじろうおよび親方おやかたの卜斎ぼくさいまでが、なにを見てそんなにぼうぜんとしているのかと思えば――それも道理どうり、ふしぎ! イヤふしぎなどという生なまやさしい形容けいようをこえた、あるべからざる事実じじつが、そこに、顕然けんぜんとあったのである。

見れば北側きたがわの矢来やらいそと、人かげまばらなあとにのこって、なにかヒソヒソとささやき合ってる旅人たびびとがある。よくよく凝視ぎょうしするとおどろいたことには、それが、たったいま、刑場けいじょうのなかで首をおとされたはずの忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろう、伊那丸いなまるの主従しゅじゅう三人。

あやしいといってもこれほど怪異かいいなことはない。菊池半助きくちはんすけが、大衆環視たいしゅうかんしのなかでたしかに斬きった三人――しかもその血汐ちしおは、なおまざまざと刑場けいじょうの草をそめており、その首は都田川みやこだがわの獄門台ごくもんだいにのせられているのに!

その人間がここにいる。

話している。

笑わらっている。

ときどき、じぶんの首がのせられた獄門台のほうを見ている。

そして微笑びしょうする。

くすぐったいように――不審ふしんなように――ささやき、うなずき合っている。

五

卜斎ぼくさいが眼をはなさなかったのもあたりまえ。

蛾次郎がじろうが鼻はなから息いきを吸すったままぼうとあッけにとられてしまったのももっともだ。

人ちがいじゃないか?

とも思って、眼をこすって見なおしたが、やはり記憶きおくはいつわらない。どう見てもあの三人、菊池半助きくちはんすけにバサと斬きられた三ツの首の主ぬしにまぎれはない。

すなわち武田伊那丸たけだいなまるは、眉目びもくをあさく藺笠いがさにかくし、浮織琥珀うきおりこはくの膝行袴たっつけに、肩からななめへ武者結むしゃむすびの包つつみをかけ、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは白衣白鞘びゃくえしらさやのいつもの風姿なり、また加賀見忍剣かがみにんけんもありのままな雲水うんすいすがた、手には例れいの禅杖ぜんじょうをつっ立てている。

「ウーム……親方おやかた……」

蛾次郎はうなるように卜斎を見あげた。

「……はアて……」と卜斎もまたしきりに首をひねっていたが、

「どうもわからぬことがあるものだ。弥次馬やじうまにはなにもわかるまいが、わかる者から見ていると、世の中の裏表うらおもては、じつに奇妙きみょうだ。いや裏が表だか、表が裏だか、こう見ているとおれにさえわからなくなってくる」

「まったくです!」と蛾次郎も相槌あいづちをうって、

「斬きられた首が本ほんものの伊那丸か、見ている首が本ものか、なにがなんだか、さっぱりワケがわからなくなっちまった」

「そりゃもちろん、あっちのやつがにせ者だろう」

「テ、どっちがです?」

「矢来やらいのそとに立っているやつらよ」

「すると、生きてるほうの伊那丸いなまるですか」

「ウム、方々ほうぼうの落武者おちむしゃや浪人ろうにんで、飯めしの食くえない侍さむらいなどは、よく名のある者のすがたと偽名ぎめいをつかって、無智むちな在所ざいしょの者をたぶらかして歩く手輩てあいがずいぶんある。おおかたそんな者たちだろう」

「だって親方おやかた、それにしちゃ、あんまり似過にすぎているじゃありませんか。ちょっとそばへいって、わたしが目利めききをつけてきましょう」

「これッ、よけいなとこへ突つっ走るな」

「へい!」

「ばかめ、すぐに調子ちょうしに乗りおって!」

「でも……」

と蛾次郎がじろうは河豚ふぐのようにプーッとふくれた。――なにもそう頭からこんなことをガンと叱しからなくッたってよかりそうなもんだと。

と思ったが、卜斎ぼくさいに袖そでをひっぱられたので、気がついた。うしろに、いやな目つきをした町人ちょうにんが立っている。

うさん臭くさい目つきをして、じぶんたちの挙動きょどうに注意ちゅういしているらしい。蛾次郎がじろうは口をむすんで、あわてて夕星ゆうぼしへ顔をそらしながら、

「親方おやかた、そろそろ晩ばんになりましたネ」

と空そらとぼけた。

「もどろうかな、ご城下じょうかへ」

「帰りましょうよ。はやく、宿屋のご飯はんが食たべたい」

空の星がふえるのと反比例はんぴれいに、地上の人影ひとかげはぼつぼつへっていた。ふたりは矢来やらいのきわをはなれながら、それとなく気をつけたが、いつのまにか疑問ぎもんの三名は忽然こつねんとかげを消けして、あたりのどこにも見えなかった。まるでたったいま、ありありと見えたあの姿すがたが、まぼろしか? 人間の蜃気楼しんきろうでもあったかのように。

妖麗ようれいな夜霞よがすみをふいて、三方みかたヶ原はらの野末のずえから卵黄色らんこうしょくな夕月ゆうづきがのっとあがった。都田川みやこだがわのながれは刻々こっこくに水の色を研とぎかえてくる、――藍あい、黒、金、銀波ぎんぱ。

そして河原かわらはシーンとしてしまった。秋のようだ。虫でも啼なきそうだ。獄門台ごくもんだいの釘くぎに刺さされた三ツの首は、その月光に向かっても、睫毛まつげをふかくふさいでいた。

そばには生々なまなましい新木あらきの高札こうさつが立ってある。

いつぞやこの原の細道ほそみちで、足軽あしがるがになっていくのを竹童ちくどうがチラと見かけた、あの高札こうさつが打ってあるのだ。――といつの間まにか、その立札たてふだと獄門ごくもんの前へ、三ツの人影ひとかげが近づいている。

「わしの首級しゅきゅうがさらしてある」

こういったのは、伊那丸いなまるの首のまえに立った伊那丸である。

「これが拙者せっしゃの首でございますな」と龍太郎りゅうたろうも、おのれの首をながめて笑わらった。

「じぶんの首と対面たいめんして話をすることはおもしろい。これ忍剣にんけんの首! よくそちの面体めんていをわしに見せろ」

加賀見忍剣かがみにんけんは禅杖ぜんじょうを持ちかえ、いきなり、獄門台ごくもんだいの首のもとどりをつかんで月光に高くさし上げ、

「は、は、は、は。運うんのわるい弱虫の忍剣め、つぎの世には拙僧せっそうのような不死身ふじみを持って生まれかわってこい。喝かつ! 南無阿弥陀仏なむあみだぶつッ――」

ドボーンと都田川みやこだがわの流ながれへ首をほうりこんだ。

その水音があがったとたん。

獄門番ごくもんばんの寝ねるむしろ小屋ごやから、銀ぎんの鞭むちをたずさえた黒衣こくいの伴天連バテレン、豹ひょうのごとくおどりだして、

「計略けいりゃくッ、図ずにあたった!」と絶叫ぜっきょうした。

だれかと思えば、それこそ、和田呂宋兵衛わだるそんべえなのであった。

「ウウむ、網あみにかかった!」

と、呂宋兵衛の叫さけびにこたえてどなったのは、隠密頭おんみつがしらの菊池半助きくちはんすけ、いつのまにか、三人の背後はいごに姿すがたをあらわして、

「しめた! 伊那丸主従いなまるしゅじゅうのやつら、そこを去さらすな」

と四方へ叱咤しったする。

同時に、ピピピピピ……と二人が音ねをあわせて吹ふいた高呼笛たかよびこにつれて、河原かわらのかげや草むらの中から蝗いなごのように、わらわらとおどり立った百人の町人ちょうにん。これ、その日見物けんぶつのなかにまぎれこませておいた菊池半助配下はいかの伊賀衆いがしゅう、小具足こぐそく十手じっての腕うでぞろい、変装へんそう百人組ぐみの者たちであった。

さらに見れば、川向こうから三方みかたヶ原はらのおちこちには、いつか、秋霜しゅうそうのごとき槍やりと刀と人影ひとかげをもって、完全な人縄ひとなわを張はり、遠巻とおまきに二重じゅうのにげ道をふさいでいる。

鉱山掘夫かなやまほりの知らぬ山

一

そのおなじ日の落ちゆく陽脚ひあしをいそいで、まだ逆川さかさがわに夕照ゆうでりのあかあかと反映はんえいしていたころ、小夜さよの中山なかやま、日坂にっさかの急きゅうをさか落としに、松並木まつなみきのつづく掛川かけがわから袋井ふくろいの宿しゅくへと、あたかも鉄球てっきゅうがとぶように、砂塵さじんをついて疾走しっそうしていく悍馬かんばがあった。

くろく点々てんてんと、その数かず三頭とう。

いうまでもなく小太郎山こたろうざんから、伊那丸いなまるの急変きゅうへんに鞭むちをはげましてきた小幡民部こばたみんぶ、山県蔦之助やまがたつたのすけ、巽小文治たつみこぶんじの三勇士ゆうしである。

天龍てんりゅうの瀬せを乗っきって、遮しゃ二無む二笠井かさいの里さとへあがったのも夢心地ゆめごこち、ふと気がつくと、その時はもう西遠江にしとおとうみの連峰れんぽうの背に、ゆうよのない陽ひがふかく沈しずんで、刻こく一刻、一跳ちょう一足そくごとに、馬前ばぜんの暮色ぼしょくは濃こくなっていた。

「暮くれたぞ! 暮れたぞ!」

蔦之助つたのすけは鞭むちも折れろとばかり、ぴゅうッと馬背ばはいを打ってさけんだ。馬もはやいがより以上いじょうに、こころは三方みかたヶ原はらにいっている。

「刑場けいじょうはもう近い! 落胆らくたんするな、気をくじくな!」

と、民部みんぶはいよいよ手綱たづなに勢せいをつけて、そればかりはげましてきた。

しかし、ああしかし、その三方ヶ原の北端ほくたんをのぞんだ時には、もう夕刻ゆうこくとはいいがたい、すでに夜である。草と平たいらにうっすらとした月光さえ流れてきた。

すると原の道をちりぢりにくる人かげが見えだした。みな浜松はままつの城下じょうかへかえっていく見物人けんぶつにんである。それを見ると巽小文治たつみこぶんじは、

「ウウム、ざんねんッ――間まに合わなかった! もはや刑場けいじょうのことがすんだとみえて、みなあの通りにもどってくる」

と、歯はがみをして、われとわが膝ひざを、かかえている槍やりの柄えでなぐりつけた。

民部のようすもさすがに平色へいしょくではなかった。それを見ても、なお気をくじくなとははげましきれなかった。かれは、道々すれちがった町人ちょうにんに、都田川みやこだがわのもようをたずねたがそれは、みな伊那丸以下いなまるいかのものが、菊池半助きくちはんすけの斬刀ざんとうに命いのちをたたれて、その首級しゅきゅうも河原かわらの獄門ごくもんにさらしものとなった、という答こたえに一致ちしていた。

絶望ぜつぼう! 三人は馬から落ちるように草原へおりて、よろよろと腰こしをついてしまった。

民部みんぶはものをいわなかった。小文治も黙然もくねんとふかい息いきをつくのみだった。蔦之助もまた暗然あんぜんと言葉をわすれて、無情むじょうな星ほしのまたたきに涙なみだぐむばかり……

「ぜひがない! おれは一足ひとあしさきにごめんこうむる!」

小文治こぶんじはいきなり脇差わきざしをぬいて自分の腹はらへつき立てようとした。と一しょに蔦之助つたのすけも、

「おお、この期ごになってなんの生き甲斐がいがあろう。小文治、拙者せっしゃもともに若君わかぎみのお供ともをするぞッ」

と、同じく自害じがいの刃やいばを取りかける。

「これッ――」と、民部は叱しかりつけるような語気ごきで、左右さゆうにふたりの腕うでくびをつかみながら、

「なにをするのかッ!」

「おたずねはむしろ意外いがいにぞんじます」

「死のうという考えならしばらくお待ちなさい」

「すでに伊那丸君いなまるぎみがごさいごとわかった以上いじょうは、いさぎよくお供ともをして、臣下しんかの本分ほんぶんをまっとういたしとうござります」

「ご心情しんじょうはさもあること。しかしまだそのまえに、臣しんとしての役目がいくらものこされてある。都田川みやこだがわにかけられた御首級みしるしをうばって、浄地じょうちへおかくし申すこと。また刑刀けいとうをとった菊池半助きくちはんすけを討うって、いささか龍太郎りゅうたろうや忍剣にんけんの霊れいをなぐさめることも友情の一ツ。さらに、しばらくこらえて小太郎山こたろうざんの味方みかたをすぐり、怨敵おんてき家康いえやすに一矢しをむくいたのちに死ぬとも、けっして若君わかぎみのお供ともにおくれはいたしますまい」

民部のかんがえ方かたは、どういう絶望ぜつぼうの壁へきに打ぶつかっても、けっして狂くるうことがなかった。情熱じょうねつの一方に走りがちな蔦之助つたのすけや小文治こぶんじは、それに、反省はんせいされはげまされて、ふたたび馬の背せにとび乗った。

そしてふと。

夜色やしょくをこめた草原のはてを鞍上あんじょうから見ると――はるかに白々しらじらとみえる都田川みやこだがわのほとり、そこに、なんであろうか、一脈みゃくの殺気さっき、形なくうごく陣気じんきが民部に感じられた。

「はてな? ……」

眸ひとみをこらしてみつめていると、ときおり、面おもてをなでてくる微風びふうにまじってかすかな叫喚きょうかん……矢唸やうなり……呼子笛よびこぶえ……激闘げきとうの剣声けんせい。

二

「計策けいさくは図ずにあたったぞ!」

と呂宋兵衛るそんべえがさけび、しめたと菊池半助きくちはんすけがいったところからみると、きょう都田川みやこだがわでおこなわれた刑罪けいざいは、家康いえやすが呂宋兵衛と半助にふかくたくらませてやった、一つの計はかりごとであったことはうたがいもない。

すなわち家康は、さきに伊那丸いなまるの主従しゅじゅうが、桑名くわなからこの浜松はままつへはいってくるという呂宋兵衛の密告みっこくはきいたが、容易よういにそのすがたを見出みいだすことができないので、奉行所ぶぎょうしょの牢内ろうないにいる罪人ざいにんのうちから、同じ年ごろの僧侶そうりょと少年と六部ぶとをよりだし、服装ふくそうまでそれらしく似にかよわせて、わざとことごとしく斬きらせたのだ。

つまり、虚きょをつたえて実じつをさそう、ひとつの陥穽かんせいを作らせたのだ。そしてかならず、その日の見物けんぶつのうちには、まことの伊那丸いなまるや龍太郎りゅうたろうが入いりまじってくるにちがいないといった。で、群集ぐんしゅうのなかには、百人の伊賀衆いがしゅうを変装へんそうさせてまきちらし、片かたっぱしからその顔を改あらためていたのである。

はたして、伊那丸の主従しゅじゅうは、捕とらえられもせぬじぶんたちが、きょう刑場けいじょうで斬きられるといううわさを聞いて、奇異きいな感じに誘惑ゆうわくされた。

にせ首を斬らせて、まことの首を得えようと計はかったもくろみは、かれらにとって筋書すじがきどおりにいったのである。

もとより龍太郎も忍剣も、この奇怪きかいな事実じじつが、意味いみもないものだとは思わなかったが、そうまでの落とし穴あなとは気がつかなかった。

「あッ!」

と獄門台ごくもんだいのそばをはなれたときには、すでに、敵影てきえい八面めんに満みちている。

呂宋兵衛るそんべえは、今夜こそ伊那丸をとらえて、家康にひとつの功こうを立てようものと、銀鞭ぎんべんをふるってじぶんたちの一味み、丹羽昌仙にわしょうせんや早足はやあしの燕作えんさくや、二、三十人あまりの野武士のぶしたちを、獣使けものつかいのようにケシかけた。

菊池半助きくちはんすけはその側面そくめんにかかって、部下ぶかの変装組へんそうぐみに、激励げきれいの声をからした。軽捷けいしょうむひな伊賀者いがものばかりが、百人も小具足術こぐそくじゅつの十手てをとって、雨か、小石かのように、入れかわり立ち代かわり、三人の手足にまといついてくるには、野武士のぶしの大刀などよりも、むしろ防ぎなやむものだった。

龍太郎の戒刀かいとうは、四角かく八面めんに斬きって斬って、柄つかまで血汐ちしおになっていた。

一揮き風かぜをよび、一打だ颯血さっけつを立てるものは、加賀見忍剣かがみにんけんの禅杖ぜんじょうでなくてはならない。さきに身代みがわりの自分の首に引導いんどうを渡わたして、都田川みやこだがわへ水葬礼すいそうれいをおこなった快侠僧かいきょうそう、なんとその猛闘もうとうぶりの男々おおしさよ! 生命力せいめいりょくの絶倫ぜつりんなことよ!

見るまに、かれと龍太郎の犠牲にえとなる者のかずが知れなかった。そのふたりにまもられながら伊那丸いなまるも小太刀こだちをぬいて幾人いくにんか斬きった。だが、かれは敵てきをかけまわして浴あびせかけることはしない。身を守って、よりつく者を斬りたおすばかりであった。

それは、平時に民部みんぶの教えるところであった。民部は伊那丸を勇士ゆうし猛夫もうふの部類ぶるいには育てたくなかった。器うつわの大きな、徳とくのゆたかな、品位ひんいと天禀てんぴんのまろく融合ゆうごうした名将めいしょうにみがきあげたいと念ねんじている。

伊那丸はそうして最後を見ていた。

しずかに、覚悟かくごの機会きかいを待っていた。

いくら、追おっても斬りふせても、三方みかたヶ原はらからわいてでる敵の人数は、少しもへっていくとは見えない。

そして、都田川を背水はいすいにしいて、やや、半刻はんときあまりの苦戦をつづけていると、フイに、思いがけぬ方角ほうがくから、ワーッという乱声らんせいがあがった。

「それッ、獄門ごくもんの御首級みしるしをうばえ」

「うぬ、伊那丸いなまるさまのかたきの片かたわれ!」

と、馬首ばしゅをあげておどってきた影かげ! 黒々くろぐろとそこに見えた。

そのまッ先に乗りつけてきたのは、朱柄あかえの槍やりをもった巽小文治たつみこぶんじである。

「退どけどけどけ、邪魔じゃまするやつはこの槍やりを呑のますぞ」

とばかり、まっしぐらに獄門台の前まできたが、

「やッ、み首級がない!」

「なに、み首級がないと? さては逃にげたやつらが素早すばやくどこかへかくしたのだろう。それ、向こうの河原かわらに馳かけたやつを引きとらえてみろ!」

蔦之助つたのすけは馬上からそこの高札こうさつを引きぬいてふりかざし、どっと、十四、五間けんほどかけだしたが、あッ――と思うまに蔦之助、くぼの草かげから閃ひらめいた銀鞭ぎんべんにはらわれて、馬もろとも、ドーンともんどり打ってたおれてしまった。

「やッ、どうした?」

と、小文治が乗りつけてみると、ひとりの怪人かいじん、蔦之助を組くみふせて鋭利えいりな短刀をその胸板むないたへ突つきとおそうとしている。

「おのれ!」

くりだした槍。

黒衣こくいの影かげは、そのケラ首をつかんでふりかえった。

「あッ、呂宋兵衛るそんべえ」

とおどろいたせつなに、小文治こぶんじの馬も屏風びょうぶだおれにぶったおれた。朱柄あかえの槍先やりさきをつかんでいた呂宋兵衛も、それにつれてからだを浮うかした。

「得えたり!」

とはね起きた蔦之助つたのすけ、持ったる高札こうさつで黒衣の影かげに一撃げきをくらわせた。すごい声をあげたのは呂宋兵衛、したたかに肩かたを打たれたのだ。そして疾風しっぷうのごとく逃にげだした。

追おおうとすると横合よこあいから、小文治の馬腹ばふくをついた菊池半助きくちはんすけが、槍をしごいてさまたげた。

「よし、ひきうけた」

と朱柄の槍がからみあう。

黒樫くろがしの槍と朱柄の槍、せんせんと光を合わしてたたかっている。

それは小文治にまかせて、蔦之助は逃げる呂宋兵衛を追っていく、へんぺんと風をくぐって同じ色の闇やみにまぎれていく黒衣のはやさ、たちまち見うしなって河原かわらへくだると、不意ふいに、引っさげていた高札こうさつが、屋根板やねいたのようにくだけて手から飛んだ。

「何奴なにやつ?」と大刀をぬく。

相手に眼をつけるまもあらばこそ、ぶーんッとうなってくる鉄てつの禅杖ぜんじょう。

発矢はっし、火花ひばな!

「待てッ!」と、うしろで伊那丸いなまるがさけんだ。

「蔦之助つたのすけではないか! 忍剣にんけん、待て!」

「オオ加賀見かがみ――ヤヤ、そちらにおいで遊あそばすのは若君わかぎみ? ……」

とあっけにとられて立ちすくんでいると、そこへ奇遇きぐうにおどろきながら、小幡民部こばたみんぶと龍太郎りゅうたろうがうちつれて馳かけつけてくる。

小文治こぶんじも相手の半助をいっして、かなたこなたをさまよった後のち、やがて、ここの人かげを見つけて走ってきた。

はしなく落ちあった主従しゅじゅうは、かたく手をとって喜びあった。

どうしてここへ?

どうして生きて?

同じ問いが双方そうほうの口をついてかわされた。

三

嵐あらしのような声つなみがいくたびかくりかえされて、月は三方みかたヶ原はらの東から西へまわった。

渋面じゅうめんをつくった呂宋兵衛るそんべえと、にがりきった菊池半助きくちはんすけとが、片輪かたわや死骸しがいになった味方みかたのなかに立ってぼんやりと朝の光を見ていた。

敵てきはどうした! 敵は?

陽ひが高くあがったが、その行方ゆくえはついにわからなかった。

家康いえやすの不首尾ふしゅびな顔が思いやられる……

「どうするんだ、この復命ふくめいを?」

「どうするったッて、ありのままに申しあげて、おわびを願うよりほかにない」

「計略けいりゃくはうまくあたったんだが……」

「あんな助太刀すけだちがうしろを衝ついてこようとは思わなかったからなあ」

気をくさらして、疲つかれたからだをグッタリと草の上に投げあった。その顔へ、ブーンと虻あぶがなぶってくる。

「ちイッ……」

と半助は舌した打ちをした。

そのころ武田伊那丸たけだいなまるは、ゆらゆらと駒こまにゆられて、大井川おおいがわの上流、地蔵峠じぞうとうげにかかっていた。

五人の屈強くっきょうなるものが、その前後ぜんごにつきしたがっている。

この裏道うらみちをくるのにも、とちゅう、一、二ヵ所しょの山関やまぜきがあったが、小人数こにんずうの関守せきもりや、徳川家とくがわけの名もない小役人などは、この一行こうのまえには、鎧袖がいしゅう一触しょくの価あたいすらもない。

山路やまじの険けわしさはあるが、道は坦々たんたん、無人むじんの境きょうをすすむごとしだ。

武田たけだ一党とうのまえには、洋々ようようとしたひろい光明こうみょうが待っているかと感ぜられる。見よ! もう大根沢おおねざわの渓谷けいこくのあいだから、莞爾かんじとした富士ふじのかおが、伊那丸の無事ぶじをむかえているではないか。

立って地蔵峠じぞうとうげの頂いただきからふりかえると、もう三方みかたヶ原はらは遠とおくボカされて、ゆうべのことも夢ゆめのようだ。

あおい駿河するがの海岸線の一端たんには、家康いえやすの居城きょじょうが、松葉でつつんだ一個この菓子かしのごとく小さく望のぞまれる。

「さだめしいまごろは、あのむずかしい顔を一そうむずかしくしているだろう」

と思う想像そうぞうが、みんなの顔に、禁きんじえないほほえみをのぼせた。

なにか、今日ばかりは、はればれしい旅たびごこちがした。伊那丸いなまるも民部みんぶも、そして、龍太郎りゅうたろうやそのほかの者も。

そう思うこころの矢やさきへ、峠とうげの間道かんどうを、のんきな唄うたがとおっていった。崖がけの下へきた時に、小文治こぶんじがのぞいてみると、裾野すそので見おぼえのある鼻はなかけ卜斎ぼくさい、唄うたは、おともの蛾次郎がじろうが、大きな口を天へむかって開いているのだ。

「オヤ」

と、向こうで気がついて、すぐわき道へ影かげをかくしたので、一行こうの者もあえて追おわず、そのままさきをいそいでゆく。

そしてようよう、駿遠すんえんの山境さんきょうを踏破とうはしてきた。もとより旅人たびびともあまり通らぬ道、里数りすうはあまりはかどらない。服織はとりという二、三十戸この山村さんそん、みな素朴そぼくな山家者やまがものらしいので、その一軒けんへ伊勢いせの郷士ごうしといつわって宿やどをかりた。

はいった家は、その村の長おさの邸やしきらしい。

土着どちゃくの旧家きゅうからしい土塀どべいや樹木じゅもくが、母屋おもやを深くつつんでいた。

渓流けいりゅうへいってからだを洗あらい、宿の主あるじにひかれて、奥おくの一室しつへ落ちつくと、床とこに一幅ぷくの軸じくがかかっていた。それはその部屋へやへはいったとたんに、だれにもすぐ目についた。

伊那丸いなまるはサッと色をかえて、

「亭主ていしゅ」と案内あんないしてきた村長むらおさを見おろした。

「はい、なにかお気にさからいましたか」

「この石摺いしずりの軸はどうしてそちが手に入いれた」

「ああ、それは石摺りと申しますか。じつはわたしにもよく読めませず、へんなものだと思いましたが、このあいだ、村へまよってまいりました妙みょうな老人が、宿やどをかりた礼れいにといって、自分でかけてまいりましたので、そのままほッておいたのでござります」

「忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろう。これを見い!」

と伊那丸はさらに床とこの間まにちかづいて指さした。それまでは他ほかの者も、なにか、得体えたいの知れない、ただ岩いわの肌はだへ墨すみをつけてそれを転写てんしゃした碑文ひぶんかなにかと思っていた。が、そういわれてよく見ると、まっ黒な黒と白い筋すじのあいだに二行ぎょうの文字が刷すりだされてある。

「あッ!」龍太郎はぎょッとした。忍剣もふしぎにたえない面持おももちであった。

父子ふしの邂逅かいこうはむなしく

小太郎山こたろうざんの砦とりではあやうし

いつか、京都の舟岡山ふなおかやま、雷神らいじんの滝たきの岩頭がんとうに、果心居士かしんこじが彫ほりのこしていった二行ぎょうの予言よげん!

それが岩のしわ目と文字の痕あとをほの白く、そッくりそのまま、石摺いしずりに写うつってここにあるのではないか。

勝頼かつよりと伊那丸いなまるのことを、未然みぜんに暗示あんじした一行ぎょうの文字はいま思えばあたっていた。戦慄せんりつすべきもう一行ぎょうの予言よげん! 小太郎山こたろうざんの砦とりでがあやういとはどういうわけか? それは伊那丸にも民部みんぶにも、どうしてもわからなかった。

村長むらおさの話をきけば、数日前に、この家うちへとまって飄然ひょうぜんと去さったという妙みょうな老人というのこそ、どうやら果心居士であるような気がする。

四

躑躅つつじヶ崎さきの館たちというのは、甲府こうふの町に南面なんめんした平城ひらじろである。

平城というのは、天嶮てんけんによらず平地へいちにきずいた城塞じょうさいのことで、要害ようがいといっては、高さ一丈じょうばかりの芝土手しばどてと、清冽せいれつな水をあさく流した濠ほりがあるだけだ。

土手は南北百六間けん、三ツの郭くるわにわかれ、八門もんの石築いしづきに出入でいりを守まもられている。

青銅瓦せいどうがわらのご殿てんの屋根やね、樹林じゅりんからすいてみえる高楼たかどのづくりの朱しゅの勾欄こうらん、芝しばの土手どてにのびのびと枝ぶりを舞まわせている松のすがたなど城というよりは、まことに、館たちとよぶほうがふさわしい。

甲斐かいの土は一歩ぽも敵にふませぬ。

終生しゅうせいこのことばをもって通した信玄しんげんには、ものものしい要害ようがいは無用むようであった。けれど、勝頼かつよりが敗やぶれたのちは、その躑躅つつじヶ崎さきの館たちも、織田おだの代官だいかんの居邸きょていとなり、さらにそののち火事泥的かじどろてきに甲府こうふへ兵をだしてかすめとった小田原おだわらの北条氏直ほうじょううじなおが持主もちぬしにかわった。

氏直が甲府を手にいれたと知ると、家康いえやすは眉まゆをひそめた。

「もし小太郎山こたろうざんと甲府とが結むすびついたら? どうだろう?」

想像そうぞうするだけでもおそろしいことだと思った。

で、かれ一流りゅうの反間苦肉はんかんくにくの策さくをほどこし、奇兵きへいをだして、躑躅ヶ崎の館をうばった。それは、伊那丸いなまるが京都へいっているあいだのできごとであった。

大久保石見守長安おおくぼいわみのかみながやすは、家康の腹心ふくしんで、能役者のうやくしゃの子から金座奉行きんざぶぎょうに立身りっしんした男、ひじょうに才智さいちにたけ算盤そろばんにたっしている。家康はその石見守を甲府の代官とした。そして甲州こうしゅうには昔からの金坑きんこうがあるから、できうるかぎりの金塊きんかいを浜松におくれと命めいじた。

でなくてさえ強慾ごうよくな石見守は、私腹しふくをこやすためと家康のきげんをとるために、金坑掘夫ほりをやとって八方へ鉱脈こうみゃくをさぐらせる一方に、甲斐かいの百姓ひゃくしょう町人ちょうにんから、ビシビシと苛税かぜいをしぼりあげて、じぶんは躑躅ヶ崎の館で、むかしの信虎のぶとら時代もおよばぬほどなぜいたくをきわめている。

「畜生ちくしょうッ、あばれるか! 手向てむかいをすると耳をきるぞ! 脛すねをぶッぱらうぞ! 歩けッ、歩けッ、うぬ歩かんか」

腕うでまくりをした若侍わかざむらいが八、九人。

いま、躑躅つつじヶ崎さきの石門いしもんのなかへ、ひとりの百姓をしばりつけてきた。

「おとうさんを助けてくださいませ! もし、おとうさん、あやまってください、お武家ぶけさま、堪忍かんにんしてあげてくださいませ」

十五、六の女の子。その百姓の娘むすめらしい。人目ひとめもなく泣なきながら若侍の腕うでにすがりつくのを、

「えい、きさまも片かたわれだ!」と、大きな掌てのひらで頬ほおをなぐった。

娘はワーッと声をあげて泣く。百姓は気狂きちがいのように猛たける。それを仮借かしゃくなくズルズルと引きずってきて、やがて、大久保石見おおくぼいわみが酒宴しゅえんをしている庭先にわさきへすえた。

「なんだ、そのむさくるしい人間は?」

石見守は、近習きんじゅうに酌しゃくをさせながら、トロンとした眼で見おろした。若侍は膝ひざをついて、

「こいつ、ただいまご城下じょうかの辻つじで、信玄しんげんの碑ひのまえへ供物くもつをあげながら、徳川家とくがわけのことを悪あしざまにのろっておりました」

「斬きッてしまえ」

酒をふくみながら石見守いわみのかみはかんたんにいった。

「ついでに、あの信玄しんげんの石碑せきひなども、濠ほりのそこへ投げこんでしまうがいい。あんなものを辻にたてておくから、いつまでも百姓ひゃくしょうや町人ちょうにんめが、旧主きゅうしゅをわすれず新しい領主りょうしゅをうらみに思うのだ」

若侍わかざむらいはただちに刀を抜ぬいた。

石見守は盃さかずきを重かさねて見てもいなかったが、バッと音がしたので庭先にわさきへおもてを向けてみると、もう百姓と娘むすめの死骸しがいがふたところにつッ伏ぷしていた。

「殿とのさま!」

そこへ、ひとりの小侍こざむらいが、あわただしい足音をさせて、一封ぷうの早打状はやうちをもたらしてきた。

大きな黒印こくいんがすわっている。徳川家康とくがわいえやすの手状しゅじょうだ。

「おッ、なんだろう?」

かれも少し酒さけの気をさまして、いそがわしく封ふうを切った。またその下にも封緘ふうかんがしてある。よほど大事なことだなと思った。

「これ、伊部熊蔵いのべくまぞうをよべ、奥おくの鉱石庫かなぐらにいるはずじゃ」

その手紙を巻まきおさめながら、こういった石見守の顔色かおいろは尋常じんじょうでない。

鉱山目付かなやまめつけの伊部熊蔵、奥のほうから庭伝にわづたいにとんできた。大久保石見おおくぼいわみは酒席しゅせきにつっ立って、庭先にいる中戸川弥五郎なかどがわやごろうという若侍へ、

「その見ぎたない百姓と娘の死骸を、はやくどこかへ取りかたづけろ」

と苦々にがにがしくいいつけて、

「おお熊蔵、むこうへまわれ、浜松はままつからの早打状はやうちで、そちに申しつける急用ができた」

と、離室はなれのほうへ顎あごをさして、そのなかへ密談みつだんにすがたをかくしてしまった。そして半刻はんときばかりすると、伊部熊蔵いのべくまぞう、躑躅つつじヶ崎さきの館たちの外郭そとぐるわへ駈かけだしてきて、ピピピピと山笛やまぶえを吹いた。

鉱石庫かなぐらの外や内うちではたらいていた荒あらくれ男は、その山笛をきくと持っている槌つちも天秤てんびんもほうりなげて、ワラワラと熊蔵のいる土手どての下へあつまってきた。

「おい、すばらしい鉱脈こうみゃくが見つかったんだ」

熊蔵はこういって、鉱山掘夫かなやまほり一同の顔をジロリと見わたした。どれもこれも山男のようなたくましい筋肉きんにくと、獰猛どうもうな形相ぎょうそうをもっていて、尻切襦袢しりきりじゅばんへむすんだ三尺じゃく帯おびの腰こしには、一本ずつの山刀やまがたなと、一本ずつの鉱石槌かなづちをはさんでいる。鷲わしのくちばしのようにするどく曲まがってキラキラ光っている鉱山槌だ。

「ヘエ」と、みんなバカにしたような面つらがまえで、熊蔵のことばを冷笑れいしょうした。

「どうして素人しろうとにそんなものが見つかったんですえ?」

「素人? ふふん、貴様きさまたちみたいに、銅脈どうみゃくばかりさぐりあてる玄人くろうととはちがって、しかもこれは金鉱きんこうだ」

「ごじょうだんでしょう、めッたやたらに、そんな鉱山やまがあってたまるもんですか」

「いやうそではない、すぐにこれから、その鉱山やまへ出立しゅったつするのだ」

「まったくですか? そしていったいそりゃあだれが見つけた山なんで」

「浜松城はままつじょうのご主君しゅくん、右少将家康様うしょうしょういえやすさまだ!」

「? ……」

みんなあッけにとられてしまった。家康公いえやすこうが鉱山掘夫かなやまほりの玄人くろうとだとはのみこめない……という顔だ。

熊蔵くまぞうはすこしキッとなって、山目付やまめつけらしい威厳いげんをとった。

「で、これは家康公の直命じきめいにひとしいのだから、鉱山へいくとちゅうで、イヤの応おうのとしぶるやつは、ようしゃなく打ぶッた斬ぎるからさよう心得こころえろ」

「へい」

「頭数あたまかずは?」

「六十人ばかりで……」

「よし、向こうへいけば、まだ人数がいるはずだから、これだけでいいだろう。五足そくずつの草鞋わらじと三日分ぶんの焼米やきごめを腰こしにつけて、すぐに西門にしもんのお濠ほりぎわへ集あつまりなおせ!」

さて。

躑躅つつじヶ崎さきの館たちをでた六十人の鉱山掘夫。

伊部熊蔵いのべくまぞうにひかれて、甲府こうふの城下じょうかを西へ西へとすすみ、龍王街道りゅうおうかいどうから釜無川かまなしがわを駈かけわたり、やがて、山地さんちにさしかかった。

「どこだい、ここは」

「御勅使川みてしがわの裾すそじゃねえか」

「ふーむ、まだ山はあさいな」

「どうやら、ゆくさきは信濃しなのか飛騨ひだだぜ」

ドンドンドンドン、駈かけていく。

「沢さわへでたな」

「水びたしじゃ草鞋がたまらねえ」

「向こうの山は?」

「大唐松おおからまつよ」

「峠とうげへきたな、どこだいここは」

「べらぼうめ、鉱山掘夫かなやまほりがいちいち山の名をきくやつがあるものか。トノコヤ峠とうげ、雨池あまいけの下くだり勾配こうばい、ヌックと向こうに立っているのが、甲信駿こうしんすんの三国にまたがっている白根しらねヶ岳たけと鷲わしの巣す山やまだ」

「だが、オイ」

「なんだ」

「いったいどこまでいくんだろう」

「さあ、そいつはおれにもわからねえ、さきへいくお目付めつけの熊蔵くまぞうさまに聞いてみねえ」

「へんだな、妙みょうだな、だんだん鉱気かなけのねえ山へはいっていくぜ。打ぶつかるなア、水脈みずみゃくばかりだ」

しかり、鉱山掘夫かなやまほり六十人、その時、野呂川のろがわの流ながれに沿そって、上流かみへ上流へと足なみをそろえていた。

森々しんしんと深まさる檜ひのきの沢さわ、タッタとそろう足音が、思わず足を軽かるくさせる。

と思うと、伊部熊蔵いのべくまぞう、

「オイ、止とまれ」とうしろを向いた。

六十人の額ひたいからポッポと湯気ゆげがたっている。

そこは小太郎山こたろうざんのふもとであった。

山掘夫やまほり、山やまにからかわれる

一

「止まれ」

といわれた鉱山掘夫、汗あせをふきながらあたりを見て、みんなけげんな顔をしながら、伊部熊蔵のさしずをうたがった。

ばかにしてやがら! といわんばかりに、気の荒あらい山掘夫やまほりのひとりが、

「もし、熊蔵くまぞうさま!」と、突つっかかってきた。

「なんだ、雁六がんろく」

「ここは小太郎山こたろうざんじゃあねえんですか」

「そうだ、小太郎山の東麓とうろくだが、それがどうかいたしたか」

「どうかしたかもねエもんです、じょうだんじゃアねえ、いいかげんにしておくんなさい」

と小頭こがしらの雁六が腹はらをたてて、岩に腰こしをおろしてしまったので、以下いか六十人の山掘夫やまほりも、みんなブツブツ口小言くちこごとをつぶやきながら、ふて腐くされの煙草たばこやすみとでかけはじめた。

こんな日傭稼ひようかせぎなどになめられて、山目付やまめつけというお役目がつとまるものかと、伊部熊蔵いのべくまぞう、ひたいに青筋あおすじを立ってカンカンになりながら、

「こら! 山掘夫どもッ。だれのゆるしを得えて勝手に煙草休たばこやすみをするか。躑躅つつじヶ崎さきをでた時からきっといいわたしてあるとおり、拙者せっしゃの命めいにそむくことは大久保石見守おおくぼいわみのかみさまの命にそむくも同じこと、石見守さまのおいいつけにそむくことは、すなわち、家康公いえやすこうのご命令をないがしろにいたすも同様どうようだぞッ」

そういいながら、いきなり腰こしの刀をぬいて素すぶりをくれ、猛獣使もうじゅうつかいの鞭むちのように持った。

「いいつけを守まもって、すなおにはたらく者へは、後日ごじつ、じゅうぶんな褒美ほうびをくれるし、とやこう申すやつは斬きってすてるからさよう心得こころえろ」

「ですがお目付めつけさま、いくら働けといったところで、こんな鉱気かなけのないくそ山を、掘ほり返かえしたところでしようがありますまい」

「イヤこの山には金鉱きんこうの脈みゃくがある! すなわち家康公いえやすこうにとっての金脈きんみゃくがあるのだ! これからそれをさがしにかかるのだから、ずいぶん骨ほねを折るがよい。いまもいったとおり、首尾しゅびよくいけば莫大ばくだいなご褒美ほうびがある仕事だから」

「どうもさっぱり腑ふに落ちませんが、おそらく骨折ほねおり損ぞんのくたびれもうけでございましょう」

「よけいなことはいわんでもよい。さ、一服ぷく吸すったら八方ぽうへ手を分けて、まず第一に間道かんどうらしい洞穴ほらあなをさがしてみろ」

「ヘエ、洞穴を」

「ウム、洞穴だ! かならずどこかに頂上ちょうじょうへ抜ぬけでられる穴口あなぐちがあるはずだ」

「そしてそれをどうするんで?」

「いずれ要所ようしょ要所には、石扉せきひを閉たてたり岩石がんせきや組木くみきを組くんで、ふだんは通れぬ仕掛しかけになっているだろう。それをおまえたちの槌つちでいけるところまで掘ほりぬいていくのだ」

「へえ? ……そうして」

「そうして不意ふいにとりでの郭内くるわないにあらわれ、岩くだきの強薬ごうやくを爆発ばくはつさせて、砦とりでにるすいをしているやつらがあわてさわぐまに、小太郎山こたろうざんを乗っとってしまう! むろん、これだけの人数ではむずかしいが、砦とりでのなかにはまえまえから、こっちの味方みかたが諜者まわしものになって入いりこんでいるし、火薬かやくの爆音ばくおんをあいずとして、甲府表こうふおもてから、いちどきに家中かちゅうの者が攻せめかけてくる手はずとなっておるのだから、いわばわれわれは乗のっ取とりの先陣せんじん、願ねごうてもない誉ほまれをつとめるわけなのだ」

おどろいたのは小頭こがしらの雁六がんろく、ほか六十人の山掘夫やまほりたちである。

金脈きんみゃくだ金脈だというので、なにも知らずにきてみれば、命いのちがけの合戦かっせんをやるのだ。間道かんどうからもぐりこんで、とりでをかきまわすという危あぶない役目、鉱山かなやまの坑あなへ細曳ほそびき一本で吊つりさがるよりは、まだ危険きけんだ。

「こんなことならついてくるんではなかった」

と、いまさら臍ほぞをかんでも追おいつかない、後陣ごじんには石見守いわみのかみの家中かちゅうがうしろ巻まきをしているといえば、逃にげだしたところで、すぐと捕つかまって血祭ちまつりになるのは知れている。

「だが、こんな奥おくぶかい山地さんちに、だれのとりでがあるのであろうか」

と、そこで一同、はじめて麓ふもとから山を見あげて見たが、峨々ががたる岩脈がんみゃくと雲くものような樹林じゅりんの高さを仰あおぎうるばかりで、城しろらしい石垣いしがきも見えず、まして、ここに千も二千もの人数が、立てこもっているとは思われないほど、森々しんしんとして静かである。

二

ぜひなく観念かんねんした鉱山掘夫かなやまほりは、伊部熊蔵いのべくまぞうの指揮しきのもとに小太郎山こたろうざんの東のふもと、木や草をわけて八方へ散ちらかった。

なにせよ、荒仕事あらしごとと山には馴なれきった者ばかり、手に手に鷹たかのくちばしのように光る鉱石槌かなづちを持ち、木の根にひっかけ、崖がけによじ、清水しみずと岩脈がんみゃくのかたちをさっして、それらしい所をさがし廻まわっているうちに、ひとりが深い熊笹くまざさの沢さわの上で、

「あった! 間道かんどうが見つかった!」

と、大声でさけんだ。

小頭こがしらの雁六がんろくが、ピューッと口笛くちぶえを一つ吹ふくと、上から、下から伊部熊蔵いのべくまぞうをはじめすべての者のかげが、ワラワラとそこへ駈かけあつまった。

見ると、たけなす山葦やまあしと笹ささむらにかくれて、洞然どうぜんたる深い横穴よこあながある。

「これだ!」

と、熊蔵が、用意よういの松明たいまつを持たせて中にすすむと、清水にぬれて海獣かいじゅうの肌はだのようにヌルヌルした岩壁がんぺきを、無数むすうの沢蟹さわがにが走りまわったのに、ハッとした。

「雁六、この穴あなはどうだ?」

「掘ほったものです。しかも、まだ新しく掘った穴にちがいありません」

「ウム、それじゃてっきり、山曲輪やまぐるわへ通つうじる間道だろう、先を一つさぐってみてくれ」

「合点がってんです! オイ松明を持った野郎やろうはさきに立て」

あとからあとからと、山葦をわけてザワザワと中へはいった。そして、奥おくへすすめば、すすむほど、土質どしつの肌目きめがあらく新しくなってくる。ところどころに、土をくりぬいた段だんがあった。段をのぼると平地ひらちになり、平地をいくと段がきりこんである。

かくて、かなりの暗黒あんこくをうねっていくと、やがてゆきどまりの岸壁がんぺきにぶつかった。あらかじめこうあることとは、石見守いわみのかみからもいわれてきた熊蔵くまぞう、

「それッ」

というと、山ほりたち、合点がってんといっせいに腰こしの槌つちをひきぬいて、金脈きんみゃくだ金脈だ! 家康公いえやすこうから恩賞おんしょうのでる金脈だとばかり、たちまちそこを掘ほりぬけた。

荒鉱あらがねを掘ることを思えば、なんの造作ぞうさもないひと仕事。

抜ぬけると、カーッと陽ひが照てっていた。

小太郎山こたろうざん第一の峡かい!

孔雀くじゃくの背せなかを見るような燦鬱さんうつとして真まっさおな、檜林ひのきばやしの急傾斜きゅうけいしゃ、それが目の下に見おろされる。

「ウム、ちょうど山の二合ごう目めだ」

目のくらむような陽をあびて、狼群ろうぐんのように、はいかがんだ人数、向こうに見える次つぎの間道かんどうを目がけてゾロゾロゾロゾロはいこんだ。

さざえのなかをくぐるように、また二つめの間道をしばらくのぼると、山の五合目虚無僧壇こむそうだんとよぶところ、暗緑色あんりょくしょくの峡かいを隔へだてた向こうと、丸石まるいしを畳たたみあげた砦とりでの石垣いしがき、黒木くろきをくんだ曲輪くるわの建物たてものらしいのがチラリと見える。

だが、千仭じんの深さともたとうべき峡谷きょうこくには、向こうへわたる道もなく、蔦葛つたかずらの桟橋かけはしもない。

「オ、あれに三ツ目の間道かんどうがある」

伊部熊蔵いのべくまぞうがこういったので、みなそのあとからついていった。まさしく、こんどは間道らしい間道である。まっ赤かな松明たいまつをふり廻まわして、シトシトシトシトいそぎだした。と――こんどは段だんもなく、井戸いどのような深い穴口あなぐちへでた。そこに一本の鉄棒てつぼうが横たえられ、蔓梯子つるばしごがブラさがっている。

それより他ほかにいきようはないので、いずれまた、段々だんだんと上へのぼることになるのであろうと、一同はそれにすがって下おりていくと、その深いことはおどろくくらい――、下おりるとまたうねうねと道々がある、まるで富士ふじの胎内たいないくぐりという形かたちだ。

「はてな?」

と地中の闇やみを馳かけながら、小頭こがしらの雁六がんろくは首をかしげた。

「妙みょうだぞ、妙だぞ、いっこう上のぼりになってこない、なんだかだんだん下くだる」

「いやそんなはずはない、こういううちに、しぜんと頂上ちょうじょうのとりでの中にでるにちがいない」

と、伊部熊蔵はがえんぜない。ますます足を早めていった。

するといきなり眼の前に、ドウーッと真まっ白なものが光った。青い光線がひえびえと流れこんできた。見るとそれは岸きしをあらう渓流けいりゅうである。岩をかんで銀屑ぎんせつをちらす飛沫しぶきである。

岩壁がんぺきの一たんに、ふとい鉄環てっかんが打ちこんであり、環かんに一本の麻縄あさなわか結むすびつけてあった。で、その縄なわの端はしをながめやると、大きな丸太筏まるたいかだが三そう、水勢すいせいにもてあそばれてうかんでいる。

はてな? いよいよ、はてな? である。

熊蔵くまぞうも雁六がんろくも、すこし道順みちじゅんがわからなくなってきた。まえには渓流けいりゅう、うしろは暗黒あんこく!

「ままよ。いくところまでいって見ろ。つぎには第四の間道かんどうがあるだろう」

そう多寡たかをくくって、三そうの筏に飛びうつり、向こうへ渡わたろうとしたのであるが、思いのほか水足みずあしがはやく、鉄環の縄をきるやいな――ザアッと筏は下流かりゅうのほうへ押されてしまった。

そしてやっと、水勢のゆるい瀞とろへかかった時、向こう岸ぎしへはいあがって見ると、ああなんということだ!

見るとそこは、さっき一同が甲府こうふから指さしてきた時に、汗あせをしぼって一列に駈かけた野呂川のろがわの右岸うがんで、その胎内たいないの間道かんどうをくぐり、その絶頂ぜっちょうのとりでへでようとこころみた小太郎山こたろうざんそのものの姿すがたは、唖然あぜんとして立った六十人の眼のあなたに――。

かなり離はなれた渓流の向こうに、むらさきばんだ昼霞ひるがすみをたなびかせ、なにごとも知らぬさまに聳そびえている山の容かたちこそ、小太郎山ではないか。いま、げんに、その山の腹はらをくぐり登のぼっていたはずの山ではないか。

山掘夫やまほり、山にもてあそばる!

その時、穴あなに入るまえはらんらんとかがやいていた太陽が、もう西へまわって朱盆しゅぼんのように赤くくすんでいた。

毒水どくすいに酔よう砦とりで

一

その高原こうげんの一角かくに立てば、群山ぐんざんをめぐる雲のうみに、いま、しずもうとしている太陽の金環きんかんが、ほとんど自分の視線しせんよりは、ズッと低目ひくめなところに見える。

で――まッ赤かな逆光線ぎゃっこうせんの夕やけに照てらされている小太郎山こたろうざんの上、陣馬じんばヶ原はらいちめんは、不可思議ふかしぎな自然美しぜんびにもえあがっていた。

みやま菫すみれの濃こいむらさき色、白りんどうの気高けだかい花、天狗てんぐの錫杖しゃくじょうの松明たいまつをならべたような群生ぐんせい、そうかと思うと、弟切草おとぎりそうや茅ちがやの穂ほや、蘭科植物らんかしょくぶつのくさぐさなどが、あたかも南蛮絨毯なんばんじゅうたんを敷しきのべたように、すみきった大気たいきもみださぬほどな微風びふうになでられてあった。

「竹童ちくどうさアーん、竹童さアん! ……」

やがてだれかのこう呼よぶ声がする。

咲耶子さくやこであった。

彼女かのじょはいま、砦とりでの二の丸から、崖がけをよじてこの高原こうげんにのぼってきた。

「竹童ちくどうさアーん!」

二つの掌てを口にかざしながら、雲とも夕霧ゆうぎりともつかない白いものにボカされている果はてへ、声かぎり呼よび歩いてきた。返辞へんじがない。

つねに目なれている景色けしきではあるが、そこのうるわしいながめにも足もとの花にも、なんの魅力みりょくを感ぜずに咲耶子さくやこは、ひたすら、すがたの見えない竹童をあんじていた。

きょうの午ひるごろまでは、じぶんと一しょに、砦のおくの櫓やぐらに、きのうと同じように油断ゆだんなく小太郎山こたろうざんを見張みはっていたのに、いつのまにか櫓を下りていったきりかえってこない。

この四、五日のあいだは、小幡民部こばたみんぶをはじめその他ほかの人たちが、とおく三方みかたヶ原はらまで伊那丸いなまるの危急ききゅうを救すくいにかけつけているだいじな留守るす! その留守のあいだは、味方みかたの武士ぶしがこめている砦とはいえ、けっして油断をしてはならないのに、あの子はまアどこへいってしまったのだろう? ……

「ほんとに、竹童さんはまだ子供だ。もう日が暮くれようとしているのに――わたしにこんな心配しんぱいをさせて」

咲耶子は不安にたえぬように眉まゆをひそめた。

夕餉ゆうげどきに帰りを忘わすれてあそんでいる弟おとうとを、父や母が怒おこらぬうちにとハラハラしてさがす姉あねのような愛が、彼女の眼にこもっていた。

「竹童さアーん……」

そうして、自分の身の危険きけんを、一歩ぽ一歩とわすれていった。

「もしかすると?」

露つゆにぬれる草履ぞうりのグッショリと重おもくなったのも感じないで、例れいの樺かばの林のほうへかけだして見た。林のあさいところの木は、一本一本薄うすい夕陽ゆうひの紅べにになすられているが、奥おくのほうはもう宵よいのような闇やみがただよっている。

そこでもまた呼よんで見た。

五たび六たびも、あかずにかれの名をよんだ。

だが林の奥から、さびしい木魂こだまがかえってくるだけで、オーイと、あの快活かいかつな竹童の返辞へんじはしてこない。

「おや?」

咲耶子さくやこは妙みょうな音にきき耳を立てて、林のやみへ眸ひとみをこらした。なにか非常に大きな力が樹木じゅもくをゆすったように思える。

われをわすれ、樺の密林みつりんへ馳かけこんだ。見ると、なかでも大きな一本の樺の木に、あの竹童の飼かっている荒鷲あらわしがつながれてあった。その飼主かいぬしの名を呼んだので、羽ばたきをしたのであろうと、愛いとしく思えたが、

「おまえをかわいがっている竹童さんはどこへいったか?」

と、禽とりに聞いてみるよしもなかった。咲耶子はまたすごすごとそこをさった。

すると、大蛇おろちの背せなかのようなものが、笹ささを分けてザワザワと彼女かのじょについていく――それはかなりまえから先のかげをねめまわしていたのであるが、咲耶子さくやこは知らなかった。

林の道が三ツ股またにわかれているところへくると、その左右さゆうにも、ふたりの人間がかがんでいて、足音を聞くとともに、ムクッとうごいたよう……

「だれじゃッ?」

はげしくいって、キッと小脇差こわきざしに手をかけて立ちどまると、甲虫かぶとむしのような茶色ちゃいろの具足ぐそくをつけた侍さむらいが、いきなりおどりあがって左右から二本の槍やりをつき向けた。

「咲耶子! しずかにしろ」

「ヤッ、おまえたちは、外曲輪そとぐるわの番卒ばんそつではないか」

「ばかをいえ、おれたちは大久保長安おおくぼながやすさまからたのまれて、それとなくまえから野武士のぶしをよそおい、この砦とりでへさぐりに入っている黒川八十松くろかわやそまつ、団軍次郎だんぐんじろうという者、どうだ胆きもをつぶしたか」

「大久保長安? ――やや、すると、おまえたちは、慾よくに釣つられて敵てきの諜者まわしものに買われたのじゃな」

「知れたことだ! 武田伊那丸たけだいなまるは留守るす、小幡民部こばたみんぶもでていったこの砦とりでは、もう空巣同然あきすどうぜん、入いれ代かわってきょうからは、大久保石見守おおくぼいわみのかみさまが下さがり藤ふじの旗差物はたさしものと立てかわり、家康公いえやすこうのご支配しはいとなる。神妙しんみょうに縄なわにかかってしまえ!」

「なに、縄なわにかかれと?」

「オオ、甲府城こうふじょう躑躅つつじヶ崎さきまで曳ひいてこいという、石見守いわみのかみさまの厳命げんめい、悪くあがくとこの槍やりに血ちぶるいをさせるぞ」

「だまれ、たとえ伊那丸いなまるさまや一党とうのお方は留守るすであろうと、この咲耶子さくやこと竹童ちくどうが留守るすをあずかる以上いじょう、おまえたちに、なんで、おめおめと小太郎山こたろうざんを渡わたしてよいものか。侍さむらいのくせにして、慾に目がくらんで味方みかたを売る裏切うらぎりもの、多くの部下ぶかの見せしめのため、陣馬じんばヶ原はらで討うち首にしてあげる」

「なまいきなッ」

と、いわせも果はてず、ひとりが長槍ちょうそうをくりだしてくるのをかわして、咲耶子は手ばやく呼子笛よびこを吹きかけた。

と――うしろから地をはってきた曲者くせもの、跳とびかかってその喉首のどくびをしめあげる。だが、彼女も屈くっしはしない。裾野すそのにいたころは富士ふじの山大名やまだいみょうの娘むすめ――胡蝶陣こちょうじんの神技しんぎ――猛獣もうじゅうのような野武士のぶしのむれを自由自在じざいにうごかした咲耶子である。

手を廻まわしてその腕うでくびをつかんだかと思うと、あざやかに、大の男を肩越かたごしに投げた。

「うッ、おのれ」

と二本の槍やりは、風を吸すって十字の閃光せんこうをかく。

咲耶子は口にくわえた呼子笛を、力いッぱい、ピピピピピッ……と吹きたてながら、陣馬じんばヶ原はらのお花畑はなばたけへ走りだした。

二

だが、けんめいにふいた呼子笛よびこは、とおき砦とりでにいる味方みかたをまねくまえに、あたりの悪魔あくまを集めてしまった。

甲府こうふの代官だいかん大久保石見守おおくぼいわみのかみが、手をまわして入いれておいた裏切うらぎり者はすべてで十二人、彼女かのじょの走りだすさき、さけるさきに、槍やりを取って立ちふさがる。

砦とりでの一の曲輪くるわ、二の曲輪には、味方みかたの郎党ろうどうたちが二千人足たらずはいるので、その者たちに知らせさえすれば、わずかな裏切り者ぐらいはなんのぞうさもなく片かたづけてしまうのであろうが、この陣馬じんばの高原こうげんとそことは、平地へいちにしてちょうど十町ほどの距離きょりがあった。

咲耶子さくやこは、ともあれそこへ近づいて、味方みかたへこの急変きゅうへんを叫さけぼうとあせった。で、追おい走ってくる槍、横から突ついてかかる槍の穂ほを、翻身ほんしん、蝶ちょうのごとくかわしながら、白りんどうの花をけった。

「かれを二の丸へ近づけては一大事!」

と、追いまくした十二人の裏切り武士ぶし、そのなかでも剛力ごうりきをほこる神保大吉じんぼうだいきちは、九尺しゃく柄えの槍をしごいて、咲耶子のまえへ馳かけまわった。

彼女の手には尺しゃく四、五寸すんの小太刀こだちがひかる。

からりッと、槍やりと小太刀こだちがからみ合った。

小太刀は槍の柄えを断たちきれず、白い穂先ほさきが肩かたをかすめてうしろへ抜ぬける。

手てもとへもどして、穂ほみじかに構かまえなおした神保大吉じんぼうだいきちは、咲耶子さくやこが右へよれば右へ、左へよれば左へ、ジワジワとおしていった。

そのまに、黒川八十松くろかわやそまつ、団軍次郎だんぐんじろう、そのほかの者が、十二本の槍をそろえて、ドッ――と咲耶子の前後にかかる!

ああもういけない!

咲耶子は近よったひとりを斬きって、ふたたび、樺かばの林へかけこんだ。そこでは、密生みっせいしている木立こだちのために、十二人がいちどきに彼女を取り巻まくことができない。

団軍次郎と神保大吉は、それと見るや否いな、まっさきに林の細道ほそみちへふみこんだ。そして、咲耶子を道の尽つきるところまで追おいこんで、ここぞと、気合きあいをあわせて、二槍そう一緒しょに彼女の胸板むないたへ突ついていった。

「あッ!」

一槍ははらったが――もう一槍!

大吉の突つきだした大身おおみの槍は、かわす間まもなく、咲耶子の胸むねから白い顎あごへと!

しまった――と思うと。

不意ふいにどこからかブン――と虻あぶのようにうなってきたひとつの独楽こまが、槍のケラ首へくるくると巻まきついた。むろん、槍は独楽の紐ひもにひかれて、思わぬほうへたぐられてしまった。

「やッ?」

と神保大吉じんぼうだいきちは、あたりのほの暗ぐらさに、それを独楽こまともなんともさとらずに、力まかせに手もとへひく! と一方の独楽の紐ひもも、負けずおとらず剛力ごうりきをかけて引ッ張った。

すると、槍やりの柄えに巻きよじれた独楽、双方そうほうの力にガラガラッと火を吹いて虚空こくうにまわる――。

「おうッ!」

と目をおさえてたじろいだのは、あとからきた裏切うらぎり武士ぶしども。すでに林の夜は濃こく、あいての姿すがたもかすかにしか見えない闇やみ! そこに、一箇この炬火きょかが廻まわっている! いな、廻っているのは独楽なのだが、あたかも、太陽のコロナのごとく、独楽はブンブン火を吹きながらまわっているのだ。

青か赤かむらさきか? なんとも見定みさだめのつかない火の色、燿々ようようとめぐる火焔車かえんぐるまのように、虚空に円をえがいて馳かけだしてきた!

「あッ」

と八方に逃にげながら、その怪光かいこうをすかしてみると、独楽の持ち手はまぎれもない鞍馬くらまの竹童ちくどう。

「竹童だ! 竹童だ!」

だれの口からともなく戦慄せんりつの声がもれる。

「なに竹童? 多寡たかの知れた餓鬼がきではないか、うぬ、おれが槍先やりさきに突つっかけてやる」

神保大吉じんぼうだいきちはこう豪語ごうごして、ふたたび槍やりを持ちなおしたが、おそかった!

びゅうと――独楽こまの紐ひもがのびた。

「ひイッ」

と叫さけんだときは大吉だいきちの喉のどに、食くいついたような独楽の分銅ふんどう、ブーンとひとつ巻まきついて、ふれるところに火焔かえんをまわした。そして見るまにかれは顔を焼やかれて悶絶もんぜつした。

相手がたおれると火の魔独楽まごまは、生きてるように竹童の手へもどった。そしてブンブンかれの片手に廻まわされている、次にはどいつの喉首のどくびへ飛ぼうかと。

「オオ、竹童がもどって見えた」

咲耶子さくやこはよみがえったような心地ここちで、

「裏切うらぎり者じゃ! 徳川家とくがわけの諜者まわしものじゃ。竹童ッ! はやく味方みかたのものにこのことを」

「討うてッ、早くかたづけてしまえ」

のこる十一人のうちで、黒川八十松くろかわやそまつがしきりとわめきたった。

「こんな者に暇ひまどって、もし砦とりでのやつらに感づかれた日にはこっちの出道でみちをふさがれてしまうだろう――はやくそのふたりを殺ばらしてしまえ、もう生けどりにするなどといっていられる場合じゃない」

「おうッ」

「おおッ」

と叫さけぶと、槍やりぶすまはふたたび木立こだちのあいだにギラギラ光った。

裏切うらぎり者と聞いて竹童ちくどうも、スワ一大事が起おこったなと思った。林のなかでは使いにくい火独楽ひごま、めんどうとふところへ飛びこませて、

「咲耶子さくやこさま、ここは竹童がひきうけました。あなたははやく砦とりでのほうへ」

「いや、おまえが早く知らせておくれ」

「おいらは新手あらてだ!」

聞かばこそ、竹童。

般若丸はんにゃまるの一刀をぬいて、いきなり、むちゃに、ひとりを斬きった。

女性おんなの咲耶子をこの危地きちにのこしておいて、男たるものが、知らせに馳かけていくなんていやなこッた!

そのようすを見て、咲耶子はぜひなく、一方の槍ぶすまをつきぬいて、お花畑はなばたけへ疾走しっそうした。そして、ひとりの男に、後うしろからあぶない投なげ槍やりをくわされたが、からくもかわして、すべり落ちるように、砦のおく、二の丸のうらへ降おりた。

だが。

降りたとたんに咲耶子は、

「あッ――大へん!」

と、はじめて、まっくらになった、とおい眼下がんかに気がついた。

いつか、あらゆる視界しかいには、夜のとばりがおりていた。ただはるかな麓ふもとのほうに、野呂川のろがわの水の蛇へびの皮かわのような光と、やや東北によって、きわめてかすかな赤い空あかりをみとめることができる。そこはおそらく、武田家たけだけの旧領地きゅうりょうち、いまは、徳川家とくがわけの代官支配だいかんしはいとなっている甲府新城こうふしんじょう躑躅つつじヶ崎さきの城下じょうかであろう。けれど、咲耶子さくやこをおどろかせたのは、水でもない、空でもない。

その甲府と小太郎山こたろうざんの中間ちゅうかんあたり、すなわち釜無川かまなしがわのほとり、韮崎にらさきの宿しゅくから御所山ごしょやまの裾すそあたりにかけて、半里あまりの長さにわたっている、人である、火である、野陣やじんの殺気さっきである。

「見張みはりの者ッ――」

櫓やぐらをあおいで絶叫ぜっきょうした。

「鐘かねを打て、鐘を打て! 番士ばんし、番士、門衛もんえいの番士たち! はやく貝かいをふいて武者むしゃだまりへ味方みかたをおあつめッ――」

狂気きょうきのようになって、咲耶子は武者ばしりの柵際さくぎわを呼よびまわった。けれど、どうしたのか、オウ! といって物ものの具ぐを引っかつぐ部下ぶかもなく、かんじんな櫓番やぐらばんのいるところさえ、無人むじんのようにシーンとしている。

それもそのはず。

かねて今宵こよいのことをもくろんでいる裏切うらぎり者は、夕方の炊事かしぎどきを見はからって、砦とりでの用水ようすい――山からひく掛樋かけひ、泉水せんすい、井戸いど、そのほかの貯水池ちょすいちへ、酔魚草すいぎょそう、とりかぶとなどという、毒草どくそうや毒薬どくやくをひそかに流ながしこんでおいたのであった。

竹童ちくどうはクロの餌えさとするものを狩かりにいっていたため、まだ夕方の食事をしていなかったし、咲耶子さくやこもかれをさがしにでて難なんをのがれていたが、それを知らずに飲み、毒水どくすいでたいた飯めしを食くったものは、おそらくちょうどいまが毒薬どくやくのまわってきた時分――

三

時刻じこくはそれより少し前のこと――。

かの、小太郎山こたろうざんの間道かんどうへかかって、首尾しゅびよく築城ちくじょうの迷道めいどうをさまよい、もとのところへ舞まいもどった伊部熊蔵いのべくまぞうと雁六がんろく、ほか六十人の金鉱山掘夫かなやまほりが、ぼんやりくたびれもうけをしていた時分なのである。

「ねエ、親方おやかた」

と、ばかに素すでかい声をして、

「こんな歌を知ってますか、こんな歌を?」

と、檜ひのきの沢さわを伝わりながら、ぴょいぴょい歩いてきた小僧こぞうがある。

「どんな歌を?」

と、いったのはその親方とみえるへんな顔をした人で――見ると鼻はなかけ卜斎ぼくさいだ。

「水晶掘すいしょうほりの歌ですよ、これから甲州こうしゅうへいこうっていうのに、水晶掘りの歌ぐらい知らなくっちゃ幅はばが利ききませんぜ、ひとつ歌ってみましょうか」

と、あいかわらずな泣き虫の蛾次郎がじろう。

鼻はなの穴あなを天てんじょうに向け、喉のどぼとけの奥おくまで夕やけの明りに見せて、声いッぱい、いい気になって、歌いだしたものである。

どうせ山の中だというふうに、卜斎ぼくさいもかまわずにほうっておくもんだから――。

水晶すいしょう!     水晶!

むらさき水晶ずいしょうは  お染そめにやンべ

お染そめかんざしに  挿さすよにサ

黒い水晶は    婆ばさまにやンべ

婆ばさまみがいて  お寺てらにあげて

文殊菩薩もんじゅぼさつの    入れ黒子ぼくろ

「なんだ、あいつは」

と、びっくりしてふりかえったのは、別べつなことでぼうとしていた金鉱山掘夫かなやまほりや熊蔵たち。

沢さわから平坦へいたんな道へとびあがったとたんに、大勢おおぜいのあらくれ男やさむらいが、ひとところにたむろをしていたので、蛾次郎がじろうも急に間まがわるそうな顔をして、でたらめな水晶掘すいしょうほりの歌をやめてしまった。

その蛾次郎はともかくも、卜斎の風体ふうてい人相にんそう、ひとくせありげに見えたので、伊部熊蔵いのべくまぞうは雁六がんろくに目くばせをして、

「オイ、待てまて」と呼よびとめた。

他郷たきょうに入いって争いさかいすべからず、利りある争いもかならず不利、――という諺ことわざは、むかしの案内記あんないきなどにはかならず記しるしていましめてあることだ。まして、相手が悪そうだから、卜斎ぼくさいも悪びれないで、

「はい」とすなおに腰こしをかがめた。

「どこへいくんだ、いまごろ?」

「甲府こうふへまいります」

「なにをしに?」

「ちかごろ、甲府のご新城しんじょうは、代だいがかわって、たいそう暮くらしよいといううわさを聞きましたので」

「じゃあ、きさまは、武田家たけだけの時分よりは、いまの徳川とくがわの御代みよをありがたいと思ってゆくのか」

「さようでございます。昔むかしからのご縁故えんこで、わたくしは、どこでもよいから、徳川さまのご領地りょうちに住みたいと願っております」

「ふウム……そうか……」

と伊部熊蔵いのべくまぞうはわるい気持がしないようすだ。卜斎の目から見れば、この山目付やまめつけらしい侍さむらいが、どこの大名だいみょうに属ぞくしている者かぐらいは、腰をかがめた時にわかりきっている。

「して、職業しょくぎょうはなんだ? じつは、この街道かいどうは、今日すこしぶっそうなことがあるから、さきへいっても通してくれるかどうかわからない」

「ヘエ、それはこまりましたナ」

と卜斎ぼくさい、ぺしゃんこな鼻に皺しわをよせて、

「わたくしは、もと富士ふじの裾野すそのにおりました鏃鍛冶やじりかじで、徳川とくがわさまのご家中かちゅうのお仕事をした者でございますから、なんとか、ひとつ無事ぶじに通れるようなおはからいをしてくださいませんか」

「ウム、それはしてやってもよいが」

と熊蔵くまぞうが、手形てがたを書いてやろうかと考えていると、雁六がんろくは、およしなさい、もし下手へたなまわし者でもあって、裏うらをかかれると大へんですぜ――というような目まぜをした。

「あ、いけないナ」

と卜斎は、その顔色かおいろで相手の肚はらを読みとおした。

で、こんどは如才じょさいなく、はなしの鉾先ほこさきをかえて、なんでぶっそうなのか、事情じじょうをさぐってみようと考えた。

「いいえ、なんでございます……もしごつごうが悪ければ、わたくしにいたしましても、命いのちが大事です。すこしあとへもどって、どこか安全な百姓家ひゃくしょうやにでも泊とめてもらいますで」

「ウム神妙しんみょうなやつだ。なろうことなら、そうしたほうがおまえたちのためだろう」

「ですからお武家ぶけさま、失礼しつれいなことをうかがいますが、あなたがたはいったいなんのために、こんなところで日が暮くれるのにたむろをしていらっしゃるんで? ……見れば、なにか、当惑とうわくそうなご様子にも思われますが」

「じつは、まことに少し当惑とうわくしておる」

「できることなら、ご相談に乗って進しんぜようじゃございませんか。見ればどなたもお若い方、およばずながらわたしの方が、年をとっているだけに、いくらかその功こうがないこともございません」

「じゃ聞いてみるが、鍛冶屋かじや」

「ヘイ」

「すこし商売ちがいな話だが、おまえの口ぶりでは、裾野すそのからこのへんのことはくわしそうだ。知っていたら教えてくれ」

「エエ、なんなりとおたずねくださいまし」

「この小太郎山こたろうざんだが――」

と雁六がんろくが指ゆびさしたので、蛾次郎がじろうはもとより卜斎ぼくさいも、思わずギョッとした感じをうけた。

このふたりが、ひとまず、甲府こうふへいって見ようという目的は、はじめから定きめてきたことであるけれど、じつをいうと、今日は道にまよって、どこを歩いているのか見当けんとうがつかずにいたところである。

伊那丸いなまるの一党とうが立てこもる小太郎山こたろうざんの砦とりでが、いま、立っている真上まうえだとは、夢ゆめにも知らずにいただけに、身の毛けを寒さむくしてしまった。

「ヘエ、ここがあの小太郎山? なアるほど」

とそらとぼけて、岩々がんがんと天そらを摩ましている山かげをあおぎながら、

「深いことは知りませんが、うわさにきけば、なんでもこの上には武田たけだの残党ざんとうがたてこもっている山城やまじろがありますそうで」

「そうだ! その砦へ抜ぬけるために、じつは非常に苦心くしんしているところじゃ」

「うえに人がいる以上いじょうは、かならずどこかに道がありましょう」

「あるにはむろんあるが、間道かんどうから不意ふいに中へでたいと思う」

「おやすいことではございませんか」

「それがなかなか見つからぬのじゃ」

「地相ちそう、岩脈がんみゃく、山骨さんこつ、樹姿じゅし、それらのものからよく観みると、どんな隠かくし道でもかならずわかるわけでございます。ことに、ここには野呂川のろがわがあり、そこへ落ちる山瀬やませの水もありますことゆえ、水理すいりを検討けんとうしてゆきましても、それくらいなことは、さぐりあたらぬはずはございません」

「おまえ、たいそうくわしいな」

「は、は、は、は、は」

卜斎ぼくさいもわれながらおかしくなって笑わらいだした。

柴田権六しばたごんろくに召使めしつかわれていたころは、つねに、攻せめようとする敵地てきちへ先へはいって、そこの地勢ちせい水理すいりをきわめておくのが自分の仕事であった。日本では何人と指ゆびを折られる築城ちくじょうの地学家ちがっか、これくらいなことは、表看板おもてかんばんの鏃やじりをたたくことよりたやすいこと。

で、卜斎は瞬間しゅんかんにかんがえた。

世間せけんはひろく歩いてみるものだ、――秀吉ひでよしにはにらまれている身の上、家康いえやすの恩顧おんこをうけるほかに生き道はないと考えていたら、これは、偶然ぐうぜんとはいえ、願ねがってもないことにぶつかったものだ。

「どうですナ、お武家ぶけさま」と、さて、じぶんから口を切って、

「それほどおこまりのものならば、ひとつ、わたくしがこの砦とりでのいただきへでられる道を、案内あんないしてあげようではございませんか」

「わかるか、きさまに」

「このふもとを、十町ばかり歩いてみれば、きっとさがしあててごらんにいれます」

「こりゃ天祐てんゆうだ! そちにその間道かんどうがわかるとならば、ぜひとも一つたずねてくれ」

「よろしゅうございます。では、しばらくそこで一服ぷく吸すってお待ちください。そして、わかりましたところから松明たいまつを空へ投げるといたしましょう。――これよ、蛾次がじ!」

「ヘイ」

「おまえ、あちらの方かたの持っている松明をお借かりして、わたしのあとからついておいで」

「親方おやかたア」

「なんだ」

「早く甲府こうふへゆきましょうヨ」

「待て待て、せっかく、ご一同のお困こまりだ、ひと働きしてあげよう」

「だっても……」

「なにが、だってもじゃ」

「おらア、もうお腹なかがペコペコなんだもの」

「たわけめ! なにをいうか」

むこうで人足にんそくたちが、焼やきするめと焼米やきごめを頬ほおばっているのを見て伊部熊蔵いのべくまぞう、それが欲ほしい謎なぞだろうとさっして、

「オイ、だれか、この鼻はなッたらしに、なにか食くい物ものをやってくれ」

といった。

蛾次郎がじろうはニヤニヤとなるのをかくしながら、

「親方、ここが小太郎山こたろうざんとはおどろきましたネ」

と思いだしたように小手こてをかざした。

緋ひおどし谷だにの少女しょうじょたち

一

扇縄おうぎなわの水の手――山城やまじろの貯水池ちょすいちをさして、そう呼よぶのである。

今。

小太郎山こたろうざんの砦とりでは毒どくにまわされていた。

その扇縄の区域へ、裏切うらぎり者がひそかに毒どくをしずめたので、夕方の兵糧時ひょうろうどきに、すべての者の腹中ふくちゅうへ、おそるべき酔魚草すいぎょそうの毒水どくすいがめぐっている。

竹童ちくどうをのこして、陣馬じんばヶ原はらお花畑はなばたけの危変きへんをのがれてきた咲耶子さくやこが、とりでの奥郭おくぐるわへとびおりざま、狂気きょうきのように、櫓番やぐらばんや武者むしゃだまりの侍さむらいへ、声をからして、呼よんでも叫さけんでも、ひとりとして、オオとへんじをする者がない。

夜は灯ひを滅めっしておく習慣しゅうかんの城塞じょうさいは、まッくらで、隠森いんしんとして、ただひとりさけびまわる彼女かのじょの声が木魂こだまするばかりだった。

「裏切り者がある。出合であえ! 出合え!」

なお、こう呼よび立てながら、咲耶子はおくの郭くるわから二の郭の中間ちゅうかん、桝形ますがたの柵さくまで走ってくると、とうぜん、そこに夜半よなかでも詰つめていなければならないはずの武士ぶしが、声もなく寂寞せきばくとして、木戸きどの口は開あけっぱなしになっていた。

はじめて、ここにも大事が湧わいているのを知って、咲耶子は、

「あッ」と、息いきをひいておどろいた。

見れば。

木戸きどの番小屋ばんごやの前に、七人の部下ぶかが槍やりをつかんだまま悶々もんもんとのた打っている。

また、向こうの柵さくのそばには、見まわりの三人組が三人とも、胸むねに一本ずつの短刀たんとうをうけて、重かさなり合ってころげている。

「や、や、これは? ……」

と井楼せいろうの梯子はしごを登のぼってみると、そこにも、眼を光らしていなければならないはずの見張役みはりやくが、やぐら柱ばしらの根もとに、爪つめを立ったまま、息いきが絶たえていた。

「毒どく! ……」

裏切うらぎり者のおそろしい詭計きけいをさとって、彼女は、慄然りつぜんとなる胸むねをだきしめた。

と同時に咲耶子さくやこはまた、自分と竹童の肩かたにあずけられている責任せきにんをつよく思う。

「もしも、一党とうの方々かたがたのかえらぬ留守るすに、このとりでを失うしなうようなことがあったら――」と。

そう考えるだけでも、ふさふさした黒髪くろかみが夜風よかぜに逆立さかだちそうだった。

「オオッ」とわれにかえると咲耶子。

「――この山城やまじろは三段だん郭ぐるわ、奥おくの砦とりでのものは毒水どくみずをのんでたおれたにしろ、まだ八合ごう目めの外城そとじろのものは、無事ぶじでなにも知らずにいるかも知れない」

そう気がついて、やぐら柱にかけてあった陣貝じんがいの紐ひもをはずし、金嵌きんかんの法螺貝ほらがいにくちびるをあてて、息いきのあるかぎり吹ふいてみる。

バウー……バウウウウ……ッ。

序破急じょはきゅうに甲音かんおん三声せい、揺韻よういんをゆるくひいて初甲しょかんの音ねにかえる、勘助流かんすけりゅう陣貝吹じんがいふき、「変ヘンアリ部ブニツクベシ」のあいずである。

だが、さけんで反応はんのうがなかったように、その貝かいがとおく八合ごう目めへ鳴りひびいていっても、外城そとじろの柵さくから、こたえ吹ぶきの合わせ貝がいが鳴ってこなかった。

「外城のものまでも、毒どくにまわされてしまったと見える、ああッ! ……」

絶望的ぜつぼうてきな声と一しょに、思わず陣貝じんがいをとり落とすと、井楼せいろうやぐらの下の岩へ、貝はみじんとなってくだけた。

「咲耶さくやさまッ」やぐらの下へだれかかけてきた。

「お、竹童ちくどう! ――竹童さん?」

「貝合図かいあいずは吹ふいてもムダです――扇縄おうぎなわの水の手へ、毒を流したものがあって、砦とりでの者はみなごろしになってしまった。アア、ここはもう死の城だ!」

かれの声は悲壮ひそうだった。

「そして、陣馬じんばヶ原はらにいたまわし者は?」

「斬きりちらして馳かけだしてきたんです――こっちのほうが心配しんぱいになるので」

「といっても……味方みかたはおまえとわたしふたりきりだ」

「たとえふたりきりになっても、この砦を敵てきの手には渡わたされない」

「よくいった! 死んでも敵へは渡せない! ……おやッ?」

「な、なんです」

と竹童ちくどうは、やぐら柱ばしらにすがって伸のびあがっている咲耶子さくやこのかげを下からあおいでいった。

「――外城そとじろの方には、まだ無事ぶじな味方みかたがいるらしい」

「えッ、なにか合図あいずがありますか」

「みだれた火の影かげがチラチラとうごきだして、上へ上へと押してくる」

「おお、しめた! じゃ、咲耶さま、早く!」

と手招てまねきした。

ばらばらと櫓梯子やぐらばしごを下おりると、ふたりは真ま一文字もんじに奥郭おくぐるわの内部ないぶへはいった。そして、岩壁がんぺき、洞窟どうくつを利用りようして建たてられてある、とりでの本丸ほんまるのなかへ走りこんだ。

具足部屋ぐそくべや、評定ひょうじょうの間ま、寝所しんじょ、みな広い床張ゆかばりで、そこには毒死どくしの侍さむらいもなくしんとしている。伊那丸いなまるの留守るすに錠口じょうぐちのさきからだれも人を入れなかったところなので――。

まッしぐらにぬけて、軍師ぐんしの部屋へやの扉とびらを開あけた。

ここも、小幡民部こばたみんぶと蔦之助つたのすけと小文治こぶんじの三人が、ひそかに、間道かんどうから影かげをかくして、三方みかたヶ原はらへ立っていったのちに、ぜったいに部下をのぞかせずに、三人の下山げざんを秘密ひみつにしていたところ。

ガラッと、厚あつい車戸くるまどを押おしあけて、そこへはいると、咲耶子と竹童は、まっくらな床板ゆかいたを手さぐりでなでまわした。

二

例れいの間道かんどうの口をたずねているらしい。

と。

指ゆびのかかるところがあった。

ここを開あければ、八合ごう目めの柵さく、三の砦とりで、すべての外城そとじろ一郭かくへはむろん、麓ふもとへでもどこへでも自由に通りぬけることができる。

ふたりはまず、八通つうの間道かんどうをぬけて、いま山の中腹ちゅうふくにみえた味方みかたを呼よびいれてこようとするつもり。

であったが? ……

「ヤッ、妙みょうな音?」

床板ゆかいたをめくりかかった竹童ちくどうが、ギョッとした目を咲耶子さくやこへ向けて、

「音がしますよ、妙な音が?」と、息いきをのんだ。

ふたりははうようにかがみこんだ、間道の蓋ふたへ耳をあててみた。いかにも妙みょうな物音がする。ダッダッダッと地の底を打つような音――ゴゴゴゴゴという騒音そうおん――それがだんだんに近づいてくる。

「味方みかたがくるんだ!」

竹童は信じることばに力をこめた。

「頂上ちょうじょうに裏切うらぎり者がでたのを知って、外城そとじろの者が一挙きょにやってくるんです。そうにちがいない」

「じゃ、なおのこと、早くここを開いておいて、篝火かがりをつけておこうね」

「いや、篝火は待ってみたほうがいいでしょう。どこにどんな裏切うらぎり者が鳴りをしずめているかも知れず、そいつらが、他ほかの柵さくや木戸きどの出丸でまるをやぶって、いっせいにさわぎだすと、いよいよ手におえなくなってしまいます」

とささやいていると、不意ふいに、間道かんどうの下から、ドン、ドン、ドン! とはげしく槍やりの石突いしづきでつきあげる者がある。

「味方みかたか?」

と竹童が床ゆかへ口をつけて呼よぶと、なにやらガヤガヤさわぐのがかすかに聞える。といっても、分厚ぶあつな蓋ふたがへだてているのでその意味いみはわからないが、なにせよ、人間の声がうずまいているのは想像そうぞうされる。

「味方みかたかッ?」

「おう!」

「外城そとじろの者かッ?」

「おウ! 早くお開あけください」

――野太のぶといこえが遠くのように聞えた。

「――砦とりでの内部に異端者いたんしゃがあらわれましたので、本城ほんじょうにも変事へんじはないかどうか、あんじて駈かけつけてまいりました。はやくお開あけください」

「よしッ、心得こころえた」

と、竹童、手をかけたが、開あかばこそ、石のような重さ、咲耶子さくやことともに力をそろえて、ウムと四、五寸すんほど持ちあげるとあとはすなおに、ギイと蝶番ちょうつがいがきしんで径けい三尺じゃく四方ほうの口がポンと開あく。

と、下からまっ赤かな火のかげが、開ひらいたなりに、パッと天井てんじょうへうつった。まるで四角かくな火柱ひばしらのように。

すると、そのあかい火光かこうのなかからまッさきに、

「それ、本丸ほんまるへでたぞ!」

とおどりだしたのは、胴服どうふくに膝行袴たっつけをはいた異形いぎょうな男――つづいて松明たいまつを口にくわえ、鎖くさりにすがって無む二無む三によじてきたのは、味方みかたと思いのほか、猿さるのような一少年。

「あッ、蛾次郎がじろう!」

「おう! 竹童」

と、せつな、火を発はっしたような驚愕きょうがくと驚愕。

異形な男は鼻はなかけ卜斎ぼくさいであった。

八通つうの間道かんどうをさまよって、小太郎山こたろうざんのふもとへぎゃくもどりをして、ウロウロしていた伊部熊蔵いのべくまぞうと小頭こがしらの雁六がんろくそのほかの鉱山掘夫かなやまほりをつれて、地脈ちみゃくをさぐり方向をあんじて、ついにこの城塞じょうさいの心臓しんぞうを突つきとめてきたのである。

「しまッた!」

と叫さけぶまに、もう見ている間まだ! 蛾次郎がじろうのあとから小頭こがしらの雁六がんろく、伊部熊蔵いのべくまぞう、そのほかあまたの山掘夫やまほりたち、防ふせぎようもなくヒラリヒラリととびあがって、たちまち軍師ぐんしの間まいッぱいになってしまった。

三

「おい、下にいろッ」

と、伊部熊蔵は竹童ちくどうの肩骨かたぼねをおした。

「…………」

竹童は肩をふってその手を突つっぱなした。咲耶子さくやこもすわらずに、まわりの者をにらんでいた。

瞬間しゅんかん、おそろしいだまりあいのうちに、双方そうほうの眼と眼だけがするどくからみあった。

とつぜん、ゲタゲタと笑わらいだしたのは蛾次郎がじろうで、

「おいおい竹童、あんまりびっくりしたんでぼうとしてしまったんじゃないか。いくら民部みんぶや蔦之助つたのすけがいるように見せかけていたッて、だめだだめだ、おれも親方おやかたも、ちゃんと三方みかたヶ原はらであいつらを見ているんだから。――もうあとの空巣あきすへは大久保長安おおくぼながやすさまの人数が、入いれ替かわりにふもとまで引っ越しにきているんだ。サ、おどきよおどきよ、どこへでも退散たいさんしなよ、もう小太郎山こたろうざんの砦とりでは、いまから徳川とくがわさまの持物もちものになる、おまえみたいに、京都でお菰こもをしてきたようなきたないやつは飼かっておけないんだ。サ、咲耶子さくやこも一しょに山を下おりてゆけ、ぐずぐずしていると、命いのちがねエぞ」

城攻しろぜめの一番乗りでもしたように、得意とくいな色をみせてどなった。

「だまれッ」たたきつけるように竹童が大喝だいかつした。

「だれが砦とりでをわたすッ、ここは伊那丸いなまるさまの小太郎山こたろうざんだ」

「生意気なまいきな」と熊蔵くまぞう、年のいかぬ者とみくびって、

「それ、あの舌したの長い小僧こぞうを、うしろ手に引ッちばッてしまえ」

「おうッ」

と顎あごのさきから二、三人の山掘夫やまほり、竹童の襟えりがみを取ろうとして飛びかかった。

と――、咲耶子の怜悧れいりな目がキラと横にながれた。ひとりは彼女の腕うでをもつかみにかかったが、ツイと身を横にひいて、すぐそばに、松明たいまつを持って立っていた山掘夫のひとりを、ふいに、部屋へやのすみへドンと突ついた。

「あッ――」

大だいの男が、もろくも腰こしをくじいて、松明を持ったままうしろへたおれた。

部屋へやのすみには、たくさんな火縄ひなわの束たばが釘くぎにかかっていた。そこへ、メラメラと火がはいあがった。

ドドドドドド……ッ――と地震ないのような轟音ごうおんは、その一瞬しゅんに、あたりを晦冥かいめいにしてしまった。

松明たいまつの火が火縄ひなわにうつり、その真下に積つんであった銃丸じゅうがんの箱はこから火薬かやくの威力いりょくを発はっしたのである。

しかし、火薬かやくも鉄砲てっぽうも、当時とうじまだ南海の蛮船ばんせんから日本へ渡来とらいしたばかりで、硝石しょうせきの発火力はっかりょくも、今のような、はげしいものではない。それに、火縄ひなわの下にあったのも二箱か三箱なので、火に吹かれたのは山掘夫やまほりの十二、三人、あとは悲鳴ひめいの声のあがったのを見ても、いのちだけは助かったらしい。

咲耶子さくやこと竹童ちくどうは、脱兎だっとのように、軍師ぐんしの間まのそとへ飛びだしていた。そして、そのあとから伊部熊蔵いのべくまぞうと卜斎ぼくさいなどが、黒けむりと一しょにはきだされて、ふたりのあとを追おいかけた。

まえの井楼せいろうの下まできたとき、咲耶子は足をとめた。

「ちッ……」

なにかいおうとしたらしいが、いまになって焔硝えんしょうにむせんで、あとのことばがでずにしまう。

竹童も、ハッとふとい息いきをついた。まッくろな煙けむりの柱はしらが、もくもくと宙天ちゅうてんにおどりあがっているのを見る。……

「わ、わたしは、少し思うところがあるから、ここに踏ふみとどまって、最後の力をつくします。竹童さん、おまえははやく樺かばの林へもどり、あすこにつないである鷲わしに乗って、ここを落ちておくれ、後生ごしょうです。早くここを、逃にげてください」

「に、逃げろッて?」

「ふたりとも、ここで斬きり死じにしてしまっては、民部みんぶさまへ事情じじょうを知らせる者がない」

「いやだ! いやだ、おいらは!」

生きのこった山掘夫やまほりどもが、もう向こうからワッワッとわめいてくるようすなのに、竹童は頑がんとそこをうごかないで、強くかぶりをふっていった。

「逃にげてゆくなんていやなこった、小太郎山こたろうざんをとられるものなら、おいらも砦とりでと一しょに斬り死する! どうして、そ、そんなことをいって、民部みんぶさまに会あわれるもんか」

「アア、この場合、そんなことをいって、わたしをこまらさないでおくれ、ネ、竹童さん」

「イヤだ! 落ちてゆくなら、おまえひとりで逃げてゆきな」

「ま、なにか考えちがいをしていますね」

「なぜ」

「落ちるといってもけっして卑怯ひきょうでも不義ふぎでもない。かえって、砦を枕まくらにして斬り死するより、立派りっぱなつとめをはたすんです。ここでふたりが一しょに最期さいごをとげてしまったら、だれが、この事情を一党とうの方かたにしらせますか」

「でも……おいらは、そんな役目は好すきじゃない」

「こうしている一刻こくが大事、たのむから、はやくクロを飛ばして」

「よし、おいらはすぐにまた帰ってくる」

「えッ、じゃ落ちてくれますか」

「クロを飛ばしていくなら一羽はばたきだ。一党とうの人を見つけたら、おいらはすぐに帰ってくる。咲耶子さくやこさま」

「エ? ……」

「それまで、樺かばの奥おくへかくれこんで、敵てきのやつに見つからないように」

「あ、大丈夫だいじょうぶ、死にはしません」

「きっとだぜ!」

「アア」

「きっとだぜ」

「エエ」

「短気たんきなことをしちゃいけないぜ」

「アア、加勢かせいのくるのを待っています」

「おうッ、それじゃいそいでいってくる!」

竹童ちくどうはヒラリと身をかえして、また以前いぜんのお花畑はなばたけから陣馬じんばヶ原はらを馳かけぬけて、愛鷲あいしゅうクロを飼かっておく深林しんりんのくぼへ走りこんだ。

四

「クロ……」

林のくぼは星ほしの光もなく真まっ暗くらだ。

「クロ! クロ!」

かれは口笛くちぶえをふいて返事へんじを待った。

鷲わしが返事をするわけもないが、いつも、かれがこの林間りんかんへ足を入いれれば、木この葉はをふむ音だけで、自分のきたことを知って、よろこばしげに、爽快そうかいな羽はばたきをするのがれいだ。

だのに? どうしたのだろう。

羽ばたきもなければ、ギャーッという啼声なきごえもしない。

「寝ねているのかしら?」

鷲もいまごろは眠ねむるであろうと竹童はかんがえた。

だがだんだんにおぼえのある喬木きょうぼくの根ッこにさぐりよって見ると、かれの想像そうぞうはまったくくつがえされて、そこには、最前さいぜんこのへんにあつまった城内じょうないの裏切うらぎり者、黒川八十松くろかわやそまつとほかふたりの者が、肉にくを裂さかれてぶッたおれ、しかも一つの死骸しがいには首がない。そうしてかんじんな鷲のすがたは影かげもかたちも見当みあたらない。

「やッ、逃にげたのかしら? 鎖くさりだけが残のこっている」

いかにも、太ふとい樺かばの根こぶには、鷲をつないでおいた鎖だけが残のこっている――そしてクロがいない――そして三人の侍さむらいが肉を裂かれている、この謎なぞをなんと解といていいか?

「わかった!」

征矢そやのごとく林を馳かけだした。

かれの目は怒いかりにつりあがっている。

血走ちばしった涙なみだをたたえて空をあおいだ……

だが空にもクロは見えなかった! 裏切うらぎり者の黒川八十松くろかわやそまつめ、あれが、自分によって飛行変現ひこうへんげんの自在じざいにつかわれる器うつわだと知って、逃にがしたのだ! 鎖くさりをきって空へはなしてしまったのだ。

人をのろわば穴あな二つ、あの猛禽もうきんの鎖くさりをきった三人は、立ちどころに、自分がはなした鷲わしの爪つめにつかまれて、四肢しを裂さかれてしまったのにそういない。

思いあわすと、きょうはまだ一回かいも、クロに餌えさをやっていない。その餌にすべき小鳥やけだものを狩かりにいって、ちょうど、陣馬じんばへ帰ってきた時に、今夜の騒動そうどうが起ったので、それなりにほうっておかれたクロは、さだめし飢うえていたであろうと思われる。

飢えた猛禽は、折おりからよき餌食えじきと、三人の荒武者あらむしゃの肉にくをさき、血ちをすすって、樺かばの林からぬけあがった。

「やっぱり、砦とりでを枕まくらに死ねというしらせだ」

かれはいつになく、その行方ゆくえを軽かるくあきらめて、ふたたび黒煙こくえんのとりでへ影かげをまぎれこませてきた。

「火をつけるな、松明たいまつをほうるな」

そこでは伊部熊蔵いのべくまぞうがさけんでいる。

「焼城やけじろをとるのは手柄てがらが小ちいせえ、生城いけじろをとるのは大武功だいぶこうとしてある。どうせもうこっちのものになる城しろだ、向こうの火もはやく伏ふせろ伏せろ」

と、火薬かやくから燃もえひろがりそうな奥郭おくぐるわへザッザと水をかけさせている。

一方では二十人ほど、手をわけて咲耶子さくやこのゆくえをさがし、また一方では鼻はなかけ卜斎ぼくさいが、腰こしに手をあてて城塞じょうさいのつくりを、しきりに見てまわっている。

と、れいの扇縄おうぎなわの水の手に、だれかかがみこんで、ザブザブと顔を洗あらいながら、ついでに、口を水面へのばして、チューッと吸すおうとしているやつがある。

見ると、泣き虫の蛾次郎がじろうだった。

「ばかッ」

卜斎にどなられて、蛾次郎は、すいこんだ水を思わずガッと吐はきだして、

「親方おやかた……?」

と、叱しかられるのをけげんそうに、

「な、なにが、ばかなんで」

「毒水どくみずだぞ、それは」

「げッ」

「すべて城しろをのっとったさいには、そこらに残のこっている食糧しょくりょうや水はけっして口にすべきものじゃあない」

「ヘエ、そうでしょうか」

ペッ、ペッ、口のつばきを吐はきちらして、こんどは、洗あらいかけていた焔硝えんしょういぶりの顔のしずくを両方りょうほうの袖そでで拭ふきまわしている……。

とたんに、

「卜斎ぼくさいッ、うごくな!」

馳かけだしてきた竹童ちくどう。

童髪どうはつかぜに立って夜叉やしゃのようだった。砦とりでとともに死のうと覚悟かくごをしている彼。

ひゅーッと、紫むらさきをかいて走ったのは般若丸はんにゃまるの飛閃ひせん! あッと、卜斎は首をすくめ、肩かたをはすにかわして、斬きりすべってきた竹童の腕うでをつかんだ。

「親方ッ、手をかすぜ」

蛾次郎がじろうはうしろから寄よって、あけび巻まきの山刀やまがたな、ザラザラと引っこ抜いて、スパーッと竹童の背せすじを斬きったつもり。

腕うでもなまくら、刀も赤錆あかさび、上着うわぎ一枚きれはしない。

「じゃまだ、どけッ」

つかんだ相手の腕くびをしめて、卜斎、

「ええッ!」

と吠ほえたかと思うと、おそろしい強力ごうりきで、ブーンと竹童のからだをふり、鞠まりでもとって投げるように、扇縄おうぎなわの水の手へ、かれの小さなからだをほうりこんだ。

ドボーン……と、まっ白な水柱みずばしらがあがった。まんまんとして毒水どくすいの波紋はもんがよれる。ガバ、ガバ、と二つ三つ苦くるしげな息いきをしているうちに、波紋にまかれ、竹童のかげは、青ぐろい池いけのそこへ見えなくなった。

五

ここは平和だ。あかるい朝。

まだ草の根には白い霧きりがからんでいる。

向こう側がわの傾斜けいしゃを見ると、芝しばを掃はいたようなやわらかさである。しかし、その傾斜は目がまわるほど深く、きわまるところに、白い渓流けいりゅうが淙々そうそうと鳴っている。

どこからとでもなく、このあたりいちめん、得えもいわれぬ好よいかおりにつつまれている。朝の陽ひが、ゆらゆらと峡かいのあいだから射さしてくると、つよい気高けだかい香気こうきが水蒸気すいじょうきのようにのぼって、ソヨとでも風があれば、恍惚こうこつと酔ようばかりな芳香ほうこうが鼻はなをうつ。

人の知らぬ小太郎山こたろうざんの峡をぬけて、奥おくへ奥へと二里りほどはいった裏山うらやま、ちょうど、白姫しらひめの峰みねと神仙しんせんヶ岳たけとの三山ざんにいだかれた谷間たにまで、その渓流にそった盆地ぼんちの一角かくを杣そまや猟師りょうしは、緋ひおどし谷だにとよんでいる。

緋おどし谷一帯たいは、ほとんど山百合やまゆりの花でうまっている。むしろ百合谷ゆりだにと呼よぶべきところだが、その盆地に特殊とくしゅな一部落ぶらくがあって、百合より名をなすゆえんとなっている。

渓流に架かっている蔦つたのかけ橋はし、そこを渡わたると部落の盆地、あなたに四、五軒けん、河かわべりに七、八軒、また傾斜けいしゃの山の背せにも八、九軒、煙けむりを立てている人家じんかがあった。そして、そこに住んでいるのは、みな十五、六から七、八の百合花ゆりそのままな乙女おとめたちばかりである。

修羅戦国しゅらせんごくの春秋しゅんじゅうをよそに、緋ひおどし谷だには平和である。比叡ひえい、根来ねごろの霊山れいざんを焼やきはらって惜おしまぬ荒武者あらむしゃのわらじにも、まだここの百合ゆりの花だけはふみにじられず、どこの家も小ぎれいで、まどには鳥籠とりかご、垣かきには野菊のぎく、のぞいてみれば、壁かべや床ゆかにも胡弓こきゅうや琴こと。

だが、知らぬものにはふしぎな郷さとだ。

林檎色りんごいろの頬ほおをした、健康そうな少女たちばかりすんで、いったい、なにを職業とし、父や兄や祖父そふなどはないものかしら?

まさか、女護にょごヶ谷だにでもあるまいに。

それは。

みんな冬にはかえる少女だ。雪ゆきを見れば甲府こうふへかえり、春になれば夏のすえまで、少女ばかりでこの谷にくらしている。

で、目的もくてきは? やはりかせぎにくるのである。そしてその一棟ひとむね一棟ひとむねで、みな職業がちがっているのもおもしろい。

河べりに近い家うちでは、糸や麻あさをさらしていた。そのとなりでは染物そめものをしている。また一軒けんでは鹿皮しかがわをなめし、小桜模様こざくらもよう、菖蒲紋しょうぶもん、そんな型かたおきをしている家うちもあった。

ここの渓流けいりゅうでは砂金さきんがとれる、砂金をうって鎧よろい小太刀こだちの金具かなぐをつくる少女があり、そうかと思うと、皮かわをついで絹糸きぬいとで、武具ぶぐの草摺くさずりをよろっている家うちも見える。とにかく、ここでは、革かわ、草摺くさずり、旗差物はたさしもの、幕まくの裁縫さいほう、鎧下着よろいしたぎ、あるいはこまかいつづれ錦にしき、そのほか武人ぶじんの衣裳いしょうにつく物や、陣具じんぐの類るいをつくるものばかりが棲すみ、そして、それがみなかわいい少女の手に製作せいさくされていた。

この渓谷けいこくの水が染物そめものによく適てきし、ここの温度おんどが革かわづくりによいせいだというか、とにかく、緋ひおどし谷だにの開闢かいびゃくは、信玄以来しんげんいらいのことである。

そこへ。

けさふとすがたを見せたのは、峡かいをつたって、小太郎山こたろうざんから眠ねむらずにきた咲耶子さくやこである。

向こうがわには、緋ひおどし谷の部落ぶらくをながめ、だれか渓流けいりゅうにくるのを待っていると、やがて二、三人の少女が染桶そめおけと糸のたばをかかえて、あかるい笑いをかわしながら、川床かわどこへ下おりてきたようす。

咲耶子は、ゆうべのことで、苦悶くもんの色のかくせぬ中にも、それを見ると、ニッコとして、帯おびのあいだの横笛よこぶえを抜ぬき、しずかに、歌口うたぐちをしめしだした。

鳴る!

ゆるい、笛の音ね、高い笛の音。

「おや?」

河原かわらのしろい顔が、みんな一しょにこっちを見た。

笛が――咲耶子さくやこのしろい手に高くあげられて、横に縦たてにうごいている。

合図あいずであろう!

それを見ると、少女のひとりがなにかさけんだ。それにおうじて、あなたこなたの家うちから、ワラワラワラ馳かけだしてくる。みんな同じ下さげがみの少女、みんな同じ年ごろの少女、みんな凜々りりしい紅頬こうきょうの少女。

みるまにちょうど三、四十人、蔦つたのかけ橋はしを踏ふみわたって、あたかも落花らっかの散ちるように、咲耶子のいる向こうの峡かいへ馳かけてくる!

笛は、早く早くと呼よんでいた。

緋ひおどし谷だにの胡蝶こちょうたち、胡蝶の陣じんを組くむのである。

汝なんじら! なにを笑わらうか?

一

蔦のかけ橋をいっさんにわたって、咲耶子のすがたをあてに走ってきた少女の群むれは、みるまに近づいて、さしまねかれた笛の下へ、グルリと、花輪はなわのように集あつまった。

「――まいりました、咲耶子さま」

「なにかご用でございますか」

「いつになくおわるい顔色」

「どうしました? 咲耶子さくやこさま」

「おっしゃってくださいまし、わたくしたちのする用を」

いきいきとした少女たちの眸ひとみ、みな、なつめのようにクルッとみはって――そしてまだ心配そうに、中央に立ついちばん背丈せいの高い人を見あげた。

小太郎山こたろうざんにすむ咲耶子と、そこから近い緋ひおどし谷だにの者たちとは、しぜん、いつのまにかしたしくなっていた。かれらはみな、咲耶子を山の女神めがみのようにしたい、咲耶子はまたみなを、妹のように愛していた。

ことに、かれらはすべて、おさない時から子守歌こもりうたにも信玄しんげんの威徳いとくをうたった血ちをもっている甲斐かいの少女だ。国はほろびても、その景慕けいぼや愛国の情熱じょうねつは、ちいさな胸むねに燃もえている。

げんに。

いま彼女たちが緋ひおどし谷だにでつくっている、具足ぐそくや幕まくや旗差物はたさしものや、あるいは革足袋かわたび、太刀金具たちかなぐ、刺繍ししゅう、染物そめものなどの陣用具じんようぐは、すべてそれ小太郎山こたろうざんのとりでへ贈おくるべきうつくしい奉仕ほうしだった。

――そのたのもしい少女は、ちょうど三、四十人ほどそこにいた。

咲耶子は夜来やらいの変事へんじをつぶさに話して、いまに、この谷へも、大久保長安おおくぼながやすの手勢てぜいがきて、小太郎山の砦とりでどうよう、ぞんぶんに蹂躪じゅうりんするであろうとつげた。

「――ですからおまえたちはすこしも早く、だいじな品物や、仕事の道具どうぐを取りまとめて、めいめいの郷さとへお帰りなさい。そして後日ごじつ、ふたたび小太郎山に武田菱たけだびしの旗印はたじるしを見たならば、またその時は、緋ひおどし谷だにへきておくれ、そして、仲なかよく刺繍ししゅうをしたり染物そめものをしておくれ。わたしは、それを知らせにきたのです」

意外いがい!

かなしい別れの言葉であった。

巴旦杏はたんきょうのようにかがやいていた少女たちの頬ほおは、みているまに白くあせて、眉まゆはかなしみに曇くもった。

袖そでをもって顔をおおう少女もある。

拭ふくのも忘れてあきらかに涙なみだの流るるにまかせている顔もある。

だが。

それはやがて、強い敵愾心てきがいしんとかわって、哀別あいべつをこばむ決心が、だれの唇くちからともなく、

「イエ!」

「イエ!」

「イエ!」

とはげしくほとばしり、みなそろってかぶりをふった。

「わたしたちは帰りません!」

ひとりの声が凜りんという。

「このまま郷さとへ逃にげかえって、父や兄に問とわれた時、なんと、小太郎山のことを話しましょう」

「あ……」

と咲耶子さくやこは、その純真じゅんしんな叫さけびに、魂たましいをつかまれてゆすぶられるように感じた。

「――砦とりでのさいごを見とどけとうございます。咲耶子さまのおさしずについて、なろうものなら戦います。家康いえやすの家来けらい大久保長安おおくぼながやす、あれはいま甲府こうふの民を苦しめている悪い代官だいかん、その手勢てぜいとたたかうことは、父や兄妹きょうだいの仇あだに向かうもおなじことです」

「…………」

「ねえ、咲耶子さま!」

「…………」

「つねに練ねりきたえている胡蝶こちょうの陣じんを組くみましょう。ふだん武芸ぶげいをはげむのも、こういう場合ばあいのためにではありませぬか」

「オ……」

「ここにいる残らずの者は、みな一ツ心じゃと申しております」

「オオ……」

その言葉を待っていた咲耶予の頬ほおは、思わずしらず、感激かんげきのなみだが玉たまとなってまろばった。

おなじ朝――時刻じこくはそれより一刻とき半はんほどまえのこと。

むろん、まだ夜は白しらみかけたばかり。

砦とりではゆうべの酸鼻さんびな空気をおどませて、輝かがやきのない朝をむかえていた。

伊部熊蔵いのべくまぞうや山掘夫やまほりどもや、あとからくりこんだ大久保おおくぼの手勢てぜいは、みな、貝殻虫かいがらむしのように、砦の建物たてものにもぐりこんで寝ねているようす。

ただ城楼じょうろう高きところ――下さがり藤ふじ大久保家おおくぼけの差物さしものと、淡墨色うすずみいろにまるく染そめた葵あおいの紋もんの旗はたじるしとが目あたらしく翩翻へんぽんとしている。

ピイッ! ピピピピッ。

一羽わの翡翠かわせみ。

いつもの朝のとおり、るり色の翼つばさをひるがえして、扇縄おうぎなわの水の手へとんできた。そして、翡翠かわせみがもつあの長いくちばしで、水に棲すむハヤというちいさな魚をねらいに降おりた。

――と思うと翡翠は、バッと水面をつばさでうっただけで、風にさらわれたようにすッとんでしまった。

名人の矢やに狂くるいはあるとも、翡翠が魚をくわえそこなうなんていうことはけっしてないのに。

と見ると、その朝にかぎって、扇形おうぎなりの貯水池ちょすいちには小さなハヤや大きな山女やまめが、白い腹はらを浮うかせて死んでいるのだ。あの強そうな赤い山蟹やまがにまで、へろへろして水ぎわに弱っていた。

「こりゃあいけねえ」

それを見て、水をすかしているふたりの士卒しそつがいった。大久保勢おおくぼぜいの兵糧方ひょうろうがた、飯めしや汁しるを煮炊にたきする身分の軽かるい兵である。

「ゆうべ水門すいもんを開あけておかなかったから、まだこの水の手には毒どくがよどんでいるんだ」

「それじゃ、朝の兵糧を炊くのにさっそくこまるぜ」

「――掃除そうじをして新しい水を入いれかえなけりゃ……」

「やっかいだな、こんなわるさをしやがって」

「城をとるやつは、兵糧方のこまることなんか眼中がんちゅうにはない。攻せめ取りさえすればいいんだから」

「そしてグウグウ寝ねていやがる」

「眼がさめると、おれたちがこしらえた汁しるや飯めしをたらふくくらって、自慢話じまんばなしでいばりちらす……考えてみると、兵糧方はわりがわるい」

「オイ、ぐちをこぼしてもしかたがねえ。早く水を代かえておこうじゃねえか」

「そうだ! 陽ひがのぼってきた」

ふたりは水の手の水門をのぞきこんだ。そして、かんぬきをぬいた。

「オヤ」

「どうした?」

「藻もがからんでいて開あかねんだ」

「あッ……おい、藻じゃねえぞそれは。死骸しがいだ! オオ土左衛門どざえもんだ」

「えッ、人間か?」

と、ひとりがかんぬきの先で突つきだした。

もくり……と毒水どくすいの波紋はもんがよれたかと思うと、俯うッ伏ぷせになった水死人すいしにんが水草みずぐさの根をゆらゆらとはなれる。

蒼あおぐろい透明とうめいのなかにたれている手が、ギヤマンをすかしたような色に見えた。それは、夜が明けようとするまえに、卜斎ぼくさいのためこの池いけに投げこまれた竹童ちくどうだ――手につかんでいるのは般若丸はんにゃまるの刀である。

浮ういている髪かみのさきから、ツイと、水馬みずすましが二、三匹びきおよいだ。

二

兵糧方ひょうろうがたの足軽あしがるが、水面に目をみはっていた時だ。

とつぜん。

あらしのような風の音が、宙ちゅうをうなってきたかと思うと、ふたりの目の前へ、空からなにか勢いよく落ちてきた。

「あッ」

ドボーン! ……と西瓜大すいかだいのくろい物?

いちど深く沈しずんでから、ボカッと、あわだった水面に浮うきあがってきたのを見ると、若わかい武士ぶしの生首なまくびだ。

胴どうのない生首は、胴をかくして立ち泳およぎをしている人間のように、グルリとまわって、足軽あしがるのほうへ顔を向けた。

「おッ……黒川八十松くろかわやそまつさまの首だ!」

驚おどろくまもあらず、ごうーッと一陣じんの強風きょうふうにのって、ひくく、黒雲のように、旋舞せんぶして降おりた大鷲おおわしがあった。

とたんに、扇縄おうぎなわの水の手一つからザアッと龍巻たつまきがふきあがったかと見れば、非あらず! いきなり鷲のくちばしが、竹童ちくどうの帯おびをくわえて宙ちゅうへ立ったのである。

高くつりあげられた竹童のからだから夕立ゆうだちのような水しずくが降ふる!

「あ、怪物かいぶつッ」

宙をとんだふたりの兵糧方ひょうろうがた。

早、腰こしをぬかさんばかり驚いて、具足ぐそくのままあっちこっちに寝ねている武士ぶしを起おこしてまわった。

「逆襲ぎゃくしゅう? ……」

「朝討あさうち?」

寝ねぼけまなこに得物えものをとった侍さむらいや山掘夫やまほりどもは、稀有けうの大鷲が少年をくわえて舞まいあがったと聞き、興味半分きょうみはんぶんにワラワラと貯水池ちょすいちのほうへ馳かけてきた。

だが――ゆうべ陣馬じんばヶ原はらで、おそろしい経験けいけんをなめているものは、

「あぶないぞ、油断ゆだんするな」

と、走りながら、周囲しゅういの者へせわしく話した。

扇縄おうぎなわの水の手へ、首となって落ちてきた黒川八十松くろかわやそまつは、城攻しろぜめの最中に、樺かばの林につないであった竹童ちくどうの鷲わしの鎖くさりを切ったのだ。そしてかえって、鷲のために食くいさかれて、非業ひごうな死をとげたのだ!

「あぶないぞ、あぶないぞ! あの鷲は敵てきと味方みかたをちゃんと見分みわけている。だから、八十松の首をくわえていたんだ。そして、竹童をすくいに降おりてきたんだ」

「気をつけろよ、うっかりしてあのすごい爪つめにつかまれるな」

注意をしながら駈かけてきた。

しかし――鷲わしの雄姿ゆうしは、もう貯水池のまわりには見えなかった。

「おッ、井楼櫓せいろうやぐらの屋根やねにやすんでいる」

とだれか見つけて、またいっせいにそのほうへ駈かけ向かっていく。

「わアーッ」

と諸声もろごえを合わせたので、翼つばさを休やすめていたクロは、さらに羽はねをうって舞まいあがった。けれど、さすがな大鷲おおわしも、二、三歳さいの嬰児あかごなら知らぬこと、竹童ほどな少年のからだをくわえてそう飛べるはずはない。

水面からそこへうつったのが極度きょくどの力であったろう。櫓やぐらの上を離はなれると、さすがに強い猛鷲もうしゅうも、むしろくわえている重量じゅうりょうに引かれこんでゆく形かたち。

みるまに、下へ――下へ――下へ――。

むこうの峰みねまでは渡わたりきれずに、千仭じんのふかさを思わす小太郎山こたろうざんの谷間たにまへとさがっていった。

と、見えたが、また。

ついに、くちばしでもちきれなくなったのか、とちゅうで、鷲わしと竹童ちくどうのかげは二つに別わかれてしまった。

落ちていった小さな黒点こくてんは、目にもとまらず直線ちょくせんに谷底たにそこへ、――そして狂くるった大鷲おおわしは、せつな! 筒つつをそろえて釣瓶つるべうちに撃うってはなした鉄砲組てっぽうぐみの弾たまけむりにくるまれて、一瞬しゅん、その怪影かいえいは見えなくなった。

三

「あ。竹童め、運うんのいいやつだ」

鉄砲組のうしろに立って、宙ちゅうを見ながら、こうつぶやいた人間がある。

蛾次郎がじろうをつれた鼻はなかけ卜斎ぼくさいだった。

聞きとがめてヒョイとうしろを向き、

「なぜで?」

とたずねたのは伊部熊蔵いのべくまぞう。

毒薬どくやくをながした水の手へ投げこまれ、そのうえにまた、鷲わしにくわえあげられて、千仭じんの谷間たにまへ落ちていった竹童が、どうして運うんがいいんだか、こんなわからない話はない――という顔で。

ところが卜斎ぼくさい、また同じ言葉をかさねて、

「まったく運の強いやつだよ」

と、少し、くやしそうな顔をした。

「なぜですな? 卜斎殿ぼくさいどの」

「あいつめ、いまに蘇生そせいします。運がいいじゃありませんか」

「へえ、あの竹童が」

「ゆうべは真まっくらでわからない。いずれ毒水どくみずを呑のんだろう、朝になったら念ねんのために、生死をたしかめにいこうと思っていたところなので」

「なるほど、竹童を投げこんだのは、貴公きこうでございましたな」

「ところがいま見るに、あの鷲が宙へつりあげた。それをもって見るに竹童め、わしが水の手へ投げこんだとたんに、杭くいか岩の角かどで脾腹ひばらをうち、気をうしなったにちがいない」

「ウ……ウム? ……」

「で、ついに、毒水どくみずを食くらわなかった。水を食らえば体重は倍ばいの上にもなるゆえ、けっして、いくら大鷲おおわしでもくわえて飛べたものじゃない」

「だが、あの谷間たにまへ落ちていっては、五体みじんとなったでしょう」

「イヤイヤ、あそこは深い檜谷ひのきだに、何百年も斧おのを入いれたことのない茂しげりだ。落ちても枝えだにかかるか深い灌木かんぼくの上にきまっている」

「そりゃいかん!」

伊部熊蔵いのべくまぞうはにわかにあわてだした。そして、それッと、周囲まわりの武士ぶしを指揮しきして、

「朝めしまえの一仕事に、竹童ちくどうのからだをさがしだせ」

といいつけた。

「はッ」

というと鉄砲組てっぽうぐみの中から五、六人、足軽あしがる十四、五人、山掘夫やまほり四、五人――小頭こがしらの雁六がんろくも一しょについて、まだ朝露あさつゆのふかい谷底たにそこへ降おりていった。

「おいおい、おいおい。そんな方角ほうがくじゃあない。もっと右の方だ、右の方の道を降おりろ。まだまだずッと沢さわの方――あの檜林ひのきばやしがこんもり茂しげっている向こうの谷だ」

熊蔵はあとにのこって煙管きせるをくわえ、その煙管で、しきりと上から方角をおしえている。

卜斎ぼくさいも崖がけッぷちに腰こしをかけて、大きな革かわの莨入たばこいれを引っぱりだした。煙管もがんこなかっこうである。もっともそのころは、まだ煙草たばこというものが南蛮なんばんから日本へ渡わたったばかりで、そういう道具どうぐもすこぶる原始的げんしてきなものだった。

すると、側そばにいた、蛾次郎がじろうのやつ。

「くッ、くくくく……うふッ……うふふふふ……」

と横を向いて笑わらいだした。

なにをおかしがるのかと伊部熊蔵いのべくまぞうがふりむくと、蛾次郎は口をおさえて、横にすましている卜斎ぼくさいをそッと指ゆびさした。

卜斎はなんにも知らず、がんこな煙管きせるを斜しゃにもって、スパリ、スパリ、とふかしている。

見ると、かれの鼻はなの穴あなから、ゆるい煙けむりがでるのである。だれにしたって、煙草たばこを吸すえば鼻の穴から煙が出る。なんのふしぎもありはしない。

だけれど、いったん鼻かけ卜斎先生ぼくさいせんせいが煙草の煙をすって吐はく段だんになると、一方の鼻の穴からは尋常じんじょうに紫煙しえんがはしり、一方の穴からでる煙はそッぽへ向かって噴出ふんしゅつする。

だから二本の煙が大股おおまたにひらいてでて、かたわの鼻はなが顔中にいばっているような壮観そうかんをあらわすのだった。

「な、なるほど。こいつはおそれいった鼻だ」

と、熊蔵も吹きだしたいのをがまんして、横を向きながら腹はらの皮かわをおさえた。

ゆうゆうと紫煙をふかしていた卜斎は、はなはだ、けしからん顔つきで、

(なんじら! なにを笑うか?)

と、口にはださないがギョロギョロした。

雲ゆきが悪い! 気がつかれては大たいへんだぞと、そういうことには敏感びんかんな蛾次郎がじろう、ポイと立って断崖だんがいのふちから谷をのぞきこみ、

「ウーム、みんな見えなくなった。いまに竹童ちくどうをかつぎあげてくるだろうな……」

と、つまらないひとりごと。

「親方おやかた」

「なんだ!」

はたしてごきげんがわるい。

「まだ兵糧ひょうろうをくばってきませんネ」

「寝ねるから起きるまで、食くうことばかりいってやがる」

「いえ、わたしゃなんともないけれど、親方が、定さだめしお腹なかがなんだろうと思って」

「よけいな心配しんぱいをするな」

「へい」

「それよりきさまも谷間たにまへ降おりて、なぜご一同と一しょにはたらかないか、なまけ者めが」

「オッ、帰ってきた!」

ジッと見おろしていた伊部熊蔵いのべくまぞうが、こう叫さけんで待ちうけていると、そこへ小頭こがしらの雁六がんろく、どうしたのか真まッ青さおになって、息いきをあえぎながら登のぼってきた。

「いかがいたした、ほかの者は?」

上がりきらぬうちから熊蔵くまぞうがこう急せくと、雁六がんろくは額ひたいのきずで、片目かために流れこむ血ちをおさえながら、

「た、大たいへんです」

うなるがごとき声だった。

「谷へ降おりた者は、ひとりのこらずみな殺しにされてしまった! 熊蔵さま、わ、わっしだけ、ようよう逃にげてきたんです」

「な、なんだッて」

熊蔵は、踏ふンがけている足もとが、地すべりしていったかとばかり驚おどろきにうたれて――。

「ど、どういう仔細しさいで? まさか、竹童ちくどうが」

「その竹童のからだをさがしに、だんだんうすぐらい檜谷ひのきだにへ降おりてゆくと、ピューッと、鵯ひよどりでも啼ないたような、笛ふえの音ねがしたんです」

「ウム、そして?」

「と一しょに、頭の上から疾風はやてのような手裏剣しゅりけんが飛んできて、バタバタと四、五人ふいに打ぶッたおれたので、あッといったがもうおそい。……檜ひのきの上や笹ささむらのなかから、ひらひら、ひらひら、まるで蝶々ちょうちょうのようなやつ、三、四十人の女です」

「女?」

「霧きりのように消きえる、またワッと蛾がのように舞まい立つ、それでふしぎな陣じんになっていて、こっちは煙けむにまかれたようです。逃にげる、ふせぐ、斬きり合う、火縄ひなわをつける、まごまごしているすきだってありゃしません。谷間へ落ちたり、渓流けいりゅうへすべりこんだり、かよわい女の切っさきに、大の男がさんざんのていです」

「ウーム、ちくしょう、咲耶子さくやこのしわざだなッ」

「そうだ!」

と、うしろでヌッと卜斎ぼくさいが立ちあがった。

「裾野すそのでいちど見たことがある。――謙信流けんしんりゅう、楠流くすのきりゅう、永沼流ながぬまりゅう、小早川流こばやかわりゅう、甲州流こうしゅうりゅう、孔明流こうめいりゅう、唐からの孫武陸子そんぶりくしの兵法にもない胡蝶こちょうの陣じん! あれは咲耶子さくやこが野武士のぶしで馴ならした得意とくいふしぎな陣法じんぽうですよ」

地蔵行者じぞうぎょうじゃの変かわった旅たび

一

木魂こだま! 木魂! 鉄砲てっぽう木魂。

つるべうちにぶっぱなした銃火じゅうかの轟音ごうおんは二倍ばいになってきこえた。

檜谷ひのきだにいちめんの暗緑色あんりょくしょくな木立こだちのあいだから、白い硝煙しょうえんが湯気ゆげのようにムクムクと大気たいきへのぼる。

むこうの峡かいで笛ふえが鳴った。

と。

もんぺを穿はき、白の髪止かみどめをしめた一団だんの少女たちが、ひとりの童わらべの手足をもってたすけあい、森もりから沢さわへ、沢から渓流けいりゅうへ、浅瀬あさせをわたってザブザブと峡の向こうへよじのぼる。

鳴る、鳴る、鳴る! 笛はまたさらに高音たかねをつづけて鳴る。

バラバラと峡のがけから細道ほそみちへ降おりてくる少女が見えた、上から手をのばして童わらべをうけとる。その敏捷びんしょうなことおどろくばかり、螺旋状らせんじょうの細道ほそみちを奥おくへ奥へと見ているうちに走りだした。

と思うとその半数はんすうは、どこかへこつぜんと見えなくなった。

「それッ」

「どこまでも追おい撃うちをかけろ」

渓流を越こえて追撃ついげきしてきたのは、伊部熊蔵いのべくまぞうと雁六がんろくをせんとうにした一隊たいである。

みな、谷川で火縄ひなわを濡ぬらしてしまったので、鉄砲てっぽうをすてて大刀をぬく。槍やりを持った者は石突いしづきをついてポンポンと石から石へ飛んであるく。こういう場合ばあいは、南蛮渡来なんばんとらいの新鋭しんえいな武器ぶきもかえって便べんがわるい。

道案内みちあんないは地学家ちがっかの鼻はなかけ卜斎ぼくさい、その腰こしについてあるくものは天下の泣き虫蛾次郎がじろうである。

蛾次郎はすばらしくこうふんしてしまった。司馬仲達しばちゅうたつを追おッかけまわす孔明こうめいのごとき高き気概きがい。なんだか、自分ひとりの威勢いせいのために、咲耶子さくやこの胡蝶こちょうの陣じんが逃にげくずれてゆくような気持がして――。

すると、不意ふいに――

峡かいの細道から三、四人、芋虫いもむしのように渓谷けいこくへころげ落ちた。あッ……と仰あおぐと、天を摩ます楢ならの木のてッぺんから、氷雨ひさめ! ピラピラピラ羽白はじろの細矢ほそやがとんでくる。

梢の葉がくれ、楢に花が咲さいたように、半弓はんきゅうを持った少女が十二、三人ほど見えた。

タジタジとあとへひいた熊蔵くまぞうの一隊たい、槍やりをそろえ、白刃はくじんをかこんで、下おりるところを待ちかまえたが一陣じん、楢の梢が暴風ぼうふうのようにゆすぶれたかと思うと、落花らっか? 胡蝶こちょう? 否いな、それよりも軽快けいかいに、彼女たちのすがたは枝えだから枝へとびうつり、つぎの樹きからつぎの樹へ、そしてついに思わぬところの崖がけへ――山千鳥やまちどりかとばかり散ちってしまった。

大久保長安おおくぼながやすの後詰ごづめの手勢てぜい、百人ばかりはべつな道から緋ひおどし谷だにへ向かっていた。

糸染川いとぞめがわと神仙川しんせんがわの合流ごうりゅうするところで、熊蔵の一隊と一つになり、聖地せいちのごとき百合ゆりの香花こうかを踏ふみあらし、もうもうとした塵ちりをあげて、れいの蔦つたのかけ橋はしまで殺到さっとうした。

「おお、こんなところに人家じんかがある」

「あの女雀めすずめどもの巣すであろう」

「それッ」

「片かたッぱしから火をかけてみな殺しにしてしまえ」

「いや、手捕てどりにして、とりでの下婢はしためにこき使ってやるのもよいぞ」

「かかれ!」

殺気さっきをみなぎらした百六、七十人の軍兵ぐんぴょうが、いちどきにドッとかかったので、蔦つたのかけ橋は弓ゆみなりにしなって左右にゆすぶれ、いまにも、ちぎれて渓谷けいこくへ人間をブチまけてしまうかと思われた。

人家へせまるとその人数が、ワアーッと鬨ときの声をあわせた。まんいち、計はかりごともやある? と武者声むしゃごえをたけらして、敵てきの反応はんのうをさぐるのだった。

すると――

討うってでる敵はなかったが、どこからともなく幽玄ゆうげんな妙音みょうおんをまろばしてくる八雲琴やくもごとの音ねがあった。

二

「やッ……琴ことの音ねがするッ?」

慄然りつぜんとして武者足むしゃあしがとまってしまった。

温熱おんねつのような殺気さっきは弾琴だんきんの音ねに吹きはらわれて、ただ、ぼうぜんとふしぎそうに耳をすます軍兵の眼ばかりが光り合う。

なぜ? 血ちを水のごとくに見る荒武者あらむしゃが、やさしい琴の音などにすくまってしまったのだろうか。

中にまじっていた卜斎ぼくさいは、そういぶかしく思ったが、それをあやしむ彼自身じしんが、すでに妙みょうな錯覚さっかくにとらわれて、疑心暗鬼ぎしんあんきを眼底がんていにかくしていたことを知らなかった。

ひとりこの時かまわずに、琴ことの音ねのする家のほうへかけだしていったのは、蛾次郎がじろうであった。

だが、かれの行動は、だれより勇敢ゆうかんといえるだろうか。それは問題としても、蛾次郎が来たままかけぬけていったのは、錯覚さっかくなどを起おこすほどこまかな神経しんけいを持ちあわせていない証拠しょうこにはなる。

(いい間諜かんちょうが行った)

というふうに一同は遠巻とおまきにしてながめている。

みんなが見ている!

蛾次郎はヤヤ得意とくいのようすだ。

ふりかえってニヤリと笑わらう。そして小高こだかいところへのぼった。

雅人がじんの住居すまいでもありそうな茅葺かやぶきの家、筧かけひの水が庭にわさきにせせらぐ。ここは甲山こうざんの奥おくなので、晩春ばんしゅんの花盛夏せいかの花、いちじにあたりをいろどって、拭ふきこまれた竹の縁えん、塵ちりもとめずにしずかである。

おくゆかしい萩垣根はぎがきね。そこから蛾次郎、鼻はなくそをほじりながら、背せのびをしてのぞきこんだ。

「あッ、人がいら……」

しかり、人がいる。

女性にょしょうである。うつくしい人。

琴台きんだいの上に乗せてあるのは、二絃げん焼桐やきぎりの八雲琴やくもごと、心しずかに奏かなでている。そして、ふと琴ことの手をやめ、蛾次郎がじろうのほうをふりかえった。

蛾次郎は自分の顔がポッと赤くなったかと思って、どぎまぎと眼をまよわせたが、また見直みなおすと、それどころじゃない、琴台の前にいるのは咲耶子さくやこではないか。

「あッ……」

首を引ッこめると、

「蛾次郎ですね」と、おちついた声。

「いいところへきてくれました。手勢てぜいをここへ呼よんできてください」

「あかといえ!」

蛾次郎、垣根かきねのそとで逃にげ腰ごしになりながら、

「そういくたびも、胡蝶陣こちょうじんの計略けいりゃくにひッかかってたまるもんかい」

「うそではない、もうどんなことをしてものがれぬところ、わたしは覚悟かくごをきめました。ほかの者を助けるためにね」

「じゃ、おめえひとりなのか」

「罪つみのない少女たちを、斬きり死じにさせるのはかわいそうです。あのひとたちの親兄弟おやきょうだいにすみません。だから……」

「ほんとか? まったくか?」

「この通り小袖こそでを着きかえ、髪かみをなおし、うすい化粧けしょうまでしているでしょう。これが覚悟かくごの証拠しょうこです。わたしを縄なわにかけて、甲府こうふへでも、浜松城はままつじょうへでも送おくってください」

すると、とつぜんに、

「神妙しんみょう!」

と、うしろから縄なわをまわした者がある。

裏口うらぐちからはいってきた卜斎ぼくさいであった。と――一しょに、ドカドカと槍やりや刀や鉄棒てつぼうをひっさげた武士ぶしのすがたが、庭へあふれこんできた。

「あ、待ってください」

「未練みれんをいうなッ」

「いえ……」

と、咲耶子さくやこは、ねじとられた手をしずかにもぎはなした。そして指ゆびの先の琴爪ことづめを抜ぬいて、高蒔絵たかまきえのしてある爪筥つめばこのなかへ、一つひとつていねいに入れた。

三

そこは甲府こうふの城下じょうかにでるとちゅうであった。

虹にじの松原まつばらの針葉樹しんようじゅのこまかい日蔭ひかげを、白い街道かいどうがひと筋すじにとおっている。

緋ひおどし谷だにの山間さんかんから、かわるがわるに手車てぐるまを組くんで竹童ちくどうを助けだしてきた少女たちは、その松原の横へはいって、しきりと彼を看護かんごしていた。

気絶きぜつしたがために、さいわいとあの毒水どくみずを呑のまなかった竹童ちくどうは、多少の傷きずや痛いたみはあったが、やがて真心まごころの介抱かいほうをうけて、かなりしっかりと気がついた。

「咲耶子さくやこさんは?」

息いきを吹ッかえすと、第一にでた問とい。

「小太郎山こたろうざんは? 咲耶子さんは?」

「咲耶子さんは……」

おうむ返がえしにそういって、少女たちは急にかなしい表情ひょうじょうにくもった。

「エ、どうしたい?」

「竹童さんを助けたいために、わざと緋ひおどし谷だににのこって、自分から敵てきの生捕いけどりになりましたの」

「なんだって?」

ぼうぜん――なにを見るのであろう竹童の目。

いっぱいな涙なみだになってしまった。

「さかさまだ! さかさまだ!」

かれはみなをおどろかせて叫さけびだした。

「おいらを助けるために、あのひとが捕つかまってゆくなんて、そ、そんな、さかさまごとがあるもんか」

「ですけれど、竹童さん」少女のひとりがなぐさめ顔に、

「わたくしたちも泣きながら、七里りの山路やまじを歩いたのです。もうおよばないことですから、このうえ、悲かなしいことをいわないでくださいまし」

つぎの少女が口をそえた。

「そのかわりに、あなたは体からだをしっかり癒なおして、伊那丸いなまるさまや民部みんぶさまに、小太郎山こたろうざんの砦とりでのしまつを、くわしくお告つげしてくれとおっしゃいました」

三番ばん目めの少女がつげた。

「そして、みなさまの救すいいの手を、敵てきのなかで待っていますと」

竹童はもうそういう言伝ことづてなどを、じッと、聞いていなかった。どこか、骨節ほねぶしがつよく痛いたむのであろう、キッと口をゆがめながら、松にすがって立ちあがった。

「あ、どこへ?」

「竹童さん、どこへ?」

「竹童さーん!」

呼よべどふり向きもしなかった。

「ア、ア、あッ……」

と、不安そうに見おくる少女たちの視界しかいをはなれて、とちゅうから、脱兎だっとのごとく駈かけてしまった。

肉体の生命せいめいが奇蹟的きせきてきに無事ぶじだったかわりに、あの少年の精神せいしんに狂気きょうきが与あたえられたのではないか? 少女たちは虹にじの松原まつばらからめいめいの都みやこへ帰った。

臥薪嘗胆がしんしょうたんの文字どおりに、伊那丸いなまると一党とうの士しが、ここ一年余よに、生命を賭としてきずきあげた小太郎山こたろうざんの孤城こじょう。そのただ一つの物から、再起さいきの旗印はたじるしを引きぬかれて、それに代かわる徳川家とくがわけの指物さしものが立ってからすでに半年。

天下は秋となった。

落寞らくばくとした甲山こうざんの秋よ、蕭々しょうしょうとした笛吹川ふえふきがわの秋よ。

国ほろびて山河さんがかわらずという。しかし、人の転変てんぺんはあまりにはなはだしい。たとえば、いま甲府こうふの城下じょうかを歩いて見ても、逢あうものはみな徳川系とくがわけいの武士ぶしばかりだ。

金鋲きんぴょうの駕かご、銀鞍ぎんあんの馬、躑躅つつじヶ崎さきの館たちに出入りする者、誇ほこりはかれらの上にのみある。隆々りゅうりゅうと東海から八方へ覇翼はよくをのばす徳川家とくがわけの一門もん、その勢いきおいのすばらしさったらない。

「おなじ武家ぶけに仕官しかんをするなら、足軽あしがるでも徳川家につけ」

当時とうじ、浪人仲間ろうにんなかまでそういったくらい。

ゴ――ン、ゴ――ン。

彼岸ひがんにちかい秋の町を、鉦かねをたたいて歩く男があった。そのゴ――ンというさびしい音ねは、いま、甲府塗師屋町こうふぬしやまちの四ツかどをでて、にぎやかで道のせまい盛さかり場ばの軒下のきしたをたどってくる。

かれの歩あゆむにつれ彼の手から、紙かみでつくった桃色ももいろの蓮華れんげの花片はなびらがひらひら往来おうらいへ散ちらばった。

その蓮華れんげのあとを慕したって、

「おじさん、紙おくれよ」

「おじさんおくれよ」

「紙をよ、紙をよ」

「紙をおくれよ、おじさん」

と、こまッかい町の子供が、二十日はつかねずみのようについてあるく。

どこの国からきた、どこのお寺てらの行人ぎょうにんであろうか、天蓋てんがいに瓔珞ようらくのたれたお厨子ずしを背せなかにせおい、胸むねには台だいをつって鉦かねと撞木しゅもくをのせてある。そして行乞ぎょうこつでえた銭ぜには、みなその鉦かねのなかにしずんでいた。

うしろへまわって、お厨子ずしをのぞくと、金泥きんでいのとびらが開あけてあって、なかには一基きの地蔵菩薩じぞうぼさつの像ぞうがすえてある。そのまえには、秋の草花、紅白こうはくのお餅もち、弄具おもちゃやよだれ掛かけやさまざまなお供物くもつが、いっぱいになるほどあがっている。

「ああ、そんなにまえへまわると、おじさんが歩けなくなるじゃないか」

こういって地蔵行者じぞうぎょうじゃは、小さい手に取りまかれながら、背なかあわせに負おぶっている地蔵菩薩じぞうぼさつとそっくりのような人のよい笑顔えがおをつくった。

「よウ、よウ、よウ、おじさんてば」

「紙おくれよ、さっきの紙をさ」

行者ぎょうじゃはニコニコ見まわして、

「いまあげるよ、あげるから、けんかをしちゃいけない、おとなしくして……」

ふところから刷すり物の紙をだして、仲なかよくひとりへ一枚ずつくばってあたえる。見ると、なるほど、子供が欲ほしがりそうな美しい刷り物。

むらさき色の地じへ、金泥きんでいで地蔵じぞうさまのおすがたが刷ってある。そしてそのわきには、こんな文句もんくが書いてあるのだ。

親おやのない子。家のない子。まずしい子。

地蔵行者じぞうぎょうじゃはそれをさがしてあるきます。

見つけて幸しあわせにしてやりたいとて歩きます。

教おしえてください。あわれな子を。

竹生島ちくぶしま可愛御堂かわいみどうの堂守どうもり

菊村宮内きくむらくない

「家へもって帰って、お父とうさんや姉ねえさんや兄にいさんにも見せておくれ。そして、かわいそうな子供がいたら教えておくれ。おじさんはまたあした、同じところを同じ時刻じこくにあるくから……。え? あさってかね、あさってはまたさきの町さ、わしは、そうして諸国しょこくをまわる旅人たびびとだもの」

ゴ――ン、ゴ――ン、ゴ――ン。

鉦かねをたたいてさきの町を流した。

地蔵経じぞうきょうを誦ずして門かどへたち、行乞ぎょうこつの銭ぜにや食たべ物は、知りえた不幸ふこうの子にわけてやる。ほんとに親おやも家もない子供は、自分の宿やどへつれて帰って、奉公口ほうこうぐちまでたずねてやる。

戦国の巷ちまたに見捨みすてられているおさない者のために、竹生島ちくぶしまの神官しんかん菊村宮内きくむらくない、とうとう琵琶湖びわこのそとへまででて、地蔵行者の愛をひろめようとした。

ちょうど、甲府こうふの城下じょうかへはいってから、二日ふつかか三日目みっかめの午ひるである。宮内は、馬場はずれの飯屋めしやの縄なわすだれを分けてはいった。

すると、そこのうすぐらい土間どまのすみに、生意気なまいきなかっこうをした少年がひとり、樽床几たるしょうぎにこしかけ、頬杖ほおづえをつきながら箸はしを持っていた。

「おい、おやじ」

と、その生意気なまいきが年上の亭主ていしゅにいう。

「なんだいこの魚さかなは? いくら山国の甲府こうふだって、もうちッと、気の利きいたものはないのかい」

「それはやまめといって、みなさまがおよろこびになるお魚でございますがね」

「みんな田舎者いなかものだからよ。おれなんか、京都であんまりぜいたくをしてきたせいか、こんな古ふるい物は食くえねえや、ベーッ、ベーッ、あー、まずい。なんかほかの食たべる物をだせやい」

「じゃ、こんにゃくとお芋いもはどうでございましょう」

「芋いもなんて下等かとうなものはきらいだよ」

「へえ、蓮根れんこん、焼豆腐やきどうふ、ほかには乾章魚ほしだこの煮にましたものぐらいで」

「ちっとも、おれの食慾しょくよくをそそらないぞ」

「さようですか」

「乾章魚をおだし、がまんして食たべてやるから」

と、箸はしで皿をつッころがした。

おそろしくいばった生意気なまいき、まるで大名だいみょうの息子むすこのようなことをいっている。やはり都会の少年の中には悪い癖くせがあるなと、菊村宮内きくむらくない、なんの気なしにひょいと見ると、都会の少年ではない裾野育すそのそだち――竹生島ちくぶしまではさんざんお粥かゆをうまがって食たべたかの蛾次郎がじろうだ。

「あれッ? ……」

と、蛾次郎は目をまろくして、菊村宮内の顔かおを見た。そして、しゃぶッていた箸で打つようなまねをしながら、

「めずらしいなア、エ、どうしたえ、大将たいしょう!」

宮内はあきれかえって、返辞へんじのしようもない顔つき。

永ながいあいだ薬餌やくじをとってもらった生命いのちの恩人おんじん――それは忘わすれてもいいにしろ、いきなり大人おとなをつかまえて頭から、大将! とは。

四

「おや、おまえは……」

宮内くないはさらに眼をまろくして、蛾次郎がじろうのまえにある一本の徳利とっくりと、かれのドス赤い顔とをじッと見くらべた。

「酒さけを飲んでいるな」

厳父げんぷのような言葉でいった。

「へへへへ」と蛾次郎は、さすがに、間まがわるそうにガリガリと頭をかいて、

「きょうはじめて、どんな味あじのものだか、ためしてみたんです」

「うまいか?」

「さっぱりおいしくねえや、なんだって、大人おとなはこんなものを飲むんだろうな」

「酒は狂水きょうすいという、頭のよい人をさえあやまらせる。ましてや、おまえのような低能児ていのうじがしたしめば、もう一人にん前まえの人間にはなれない。わしの見ている前ですてておしまい」

「ヘイ……」

「また、おまえはいま、たいそうぜいたくをいっていたな、もったいないことを忘わすれてはいけない。この戦国、いまの修羅しゅらの世の中には、飢うえて食しょくをさけんでも、ひと握にぎりの粟あわさえ得えられぬ人がある」

「はい、わかりました。えらい人に会あっちゃった!」

「だが蛾次郎がじろう、おまえ、近ごろはなにをしているな」

「親方の卜斎ぼくさいについて、甲府城こうふじょうのお長屋ながやに住すんでます」

「オオ、卜斎どのもこの土地へきているか」

「小太郎山こたろうざんで、すてきな手柄てがらを立てたんで。はい、それから大久保家おおくぼけの知遇ちぐうを得えました。元木もときがよければ末木うらきまで、おかげさまで蛾次郎も、近ごろ、ぼつぼつお小遣こづかいをいただきます」

「けっこう、けっこう」

宮内くないはわがことのようによろこばしかった。

「なるべく身をつめてむだづかいをせず、お金かねをだいじにもたなければいけない」

「お金を貯ためてどうするんだろう」

「あわれなものに恵めぐんでやるのじゃ。それほどいい気持のすることはない」

「な、なーんだ、つまらねえ」

と、乾章魚ほしだこをつまんで口の中へほうりこみ、飯めしを茶碗ちゃわんに盛もろうとしていると、門口かどぐちの縄なわすだれがバラッと動いた。

ぬッとはいってきた魁偉かいいの男おとこ、工匠袴こうしょうばかまをはいた鼻はなかけ卜斎である。ギョロッとなかを見まわして、

「亭主ていしゅ、うちの小僧こぞうはきておらなかったかい?」

ときく。

亭主ていしゅはうしろをふりむいた。見ると、蛾次郎がじろうは、茶碗ちゃわんとしゃもじを持ったまま、台だいの下へもぐりこんで、しきりにへんな目、しきりにかぶりをふっている。

「へえ、おりませんが」

「こまったやつだ……」

と、卜斎ぼくさいは舌打したうちをして、

「おれは見ないのでよく知らないが、城内じょうないの仲間ちゅうげんなどのうわさによると、近ごろ、蛾次郎のやつめ、この馬場ばばの近所で水独楽みずごまというのをまわし、芸人げいにんのまねをして、銭ぜにをもらっては買い食ぐいをして歩き廻まわっているそうだが」

「ははあ……」

と、亭主ははじめて知ったような顔をして、台の下にかがんでいる蛾次郎をちょッと見た。

たのむ、たのむ、たのむよ後生ごしょうだ。

蛾次郎は台の下で、飯めしつぶだらけな手をあわせて拝おがんでいる。と――その時、おりよく宮内くないが横から立って、

「卜斎どの」

と、声をかけてくれた。

「おお!」びっくりして――

「菊村きくむらどのじゃないか、あまり姿すがたがかわっているので、少しも気がつかなかった。どうしてこの甲府こうふへ?」

「でかけましょう、ご一しょに」

「おお、今夜は、わしの宅たくへきてお泊とまんなさい」

地蔵行者じぞうぎょうじゃと卜斎ぼくさいは、肩かたをならべて、飯屋めしやの軒のきをでていった。

蛾次郎がじろうは台だいの下からはいだして、

「アア天佑てんゆう」

お茶ちゃをかけて、じゃぶじゃぶと四、五はいの飯めしをかッこみ、ころあいをはかって、ソッと戸外おもてへ飛びだした。

久ひさしぶりで甲府こうふという都会のふんいきをかいだ蛾次郎には、さまざまな食たべ物の慾望よくぼう、みたいものや聞きたいものの誘惑ゆうわく、なにを見ても買いたい物、欲しいものだらけであった。だが、やかましやの親方おやかた卜斎ぼくさい、つねに小言こごとと拳骨げんこつをくださることはやぶさかでないが、なかなか蛾次郎の慾をまんぞくさせる小遣こづかいなどをくれるはずがない。

蛾次郎の不良性ふりょうせいは、そこから悪智あくちの芽めをふいて、ひとつの手段しゅだんを思いついた。かれは城下じょうかの馬場ばばはずれに立って、皿さらまわしの大道芸人だいどうげいにんの口上こうじょうをまね、れいの竹生島ちくぶしまで菊村宮内きくむらくないからもらってきた水独楽みずごまの曲廻きょくまわしをやりだした。ふしぎな独楽こまの乱舞らんぶを、かれの技力ぎりょくかと目をみはる往来おうらいの人や行路こうろの閑人ひまじんが、そこでバラバラと銭ぜにや拍手はくしゅを投げる。――蛾次郎、それをかき集あつめては、毎日、卜斎の家を留守るすにして、野天のてんの芝居しばいをみたり買かい食ぐいに日を暮くらしている。

きょうも、夕方ぢかくなるのを待って、柳やなぎのつじの鳥居とりいの下に立ち、竹生島神伝ちくぶしましんでんの魔独楽まごま! 水を降ふらす雨乞独楽あまごいごま! そう叫さけんで声をからし、半時はんときばかり人をあつめて、いざ小手こてしらべは虹渡にじわたりの独楽こま! 見物人けんぶつにんは傘かさのご用心! そんな口上こうじょうをはりあげて蛾次郎がじろう、いよいよ独楽こままわしの芸げいにとりかかろうとしていた。

と。

その群集ぐんしゅうのなかに立って、かれの挙動きょどうを凝視ぎょうししているふたりの浪人ろうにん――深編笠ふかあみがさに眉まゆをかくした者の半身はんしんすがたがまじって見えた。

なにか、ささやき、なにか、微笑びしょうし合っている。

するとまた、そのうしろにかくれていた六部ぶの指ゆびが、前のさむらいの背せなかを軽かるくついて、ふりかえった顔となにかひそひそ話しているようす。

にわかごしらえの水独楽みずごままわしの太夫たゆう、いでや、独楽をまわそうとしてはでな口上をいったはいいが、ひょいと人輪ひとわのなかの浪人と六部ぶのすがたを見て、

「あッ! ……」

そういったきり足をすくませ、水独楽にあらぬ眼の玉を、グルリとさきにまわしてしまった。

諏訪神すわがみさまの禁厭灸まじないきゅう

一

さて、いよいよ本芸ほんげいにとりかかったところで、どうしたのか蛾次郎太夫がじろうだゆう、ふと妙みょうなことが気にかかっていたせいか、いつもあざやかにやる水独楽みずごま虹渡にじわたりの曲きょくまわしを、その日は、三どもやりそこなって、首尾しゅびよくドッという嘲笑ちょうしょうを、大道だいどうの見物人けんぶつにんからあびてしまった。

通力つうりきのある神伝しんでんの魔独楽まごま。

「こんなはずはないぞ。こんなはずはないぞ」

と、蛾次郎はドギマギしながら、いくども口上こうじょうをやりなおして、独楽こまを空に投げあげたが、水を降らせるどころか、廻まわりもしないで、石のように曲きょくもなくボカーンと自分の頭の上へ落ちてくるばかりだ。

だが、首尾しゅびよくゆかないでも、見物けんぶつのほうはワイワイいってうれしがった。

木戸銭きどせんをだしていない大道芸だいどうげいのせいでもあろうが、とかく人間は、かれの成功せいこうよりもかれの失敗しっぱいをよろこぶ傾向けいこうをたぶんにもっている。そして、それが群衆ぐんしゅうとなると、いっそう露骨ろこつにぶえんりょに爆発ばくはつしてくるのだった。

「イヨーッ、またしくじった」

「やりなおしの名人」

「小僧こぞう、いまにベソをかくぞ」

「どうしたい! 独楽こままわし」

「目がまわりそうだとさ。あんまり騒さわぐと泣きだすぜ」

「大将たいしょう、しっかりたのむよ」

とうぜん、出いずべきはずの弥次やじが、四方からワイワイと蛾次郎がじろうをひとりぜめに飛ぶので、さすがに、恥はずかしいことを知らぬ蛾次郎も、すっかりまいってしまって、三たびめの口上こうじょうは、自分でもなにをいっているのかわからないように、カーッと頭に血ちがあがってきた。

しかし、こうなるとかれもまた、意地いじでも見物けんぶつをあッと驚嘆きょうたんさせてやらなければしゃくである。第一、この水独楽みずごまがまわらないというわけはない。

「そうだ、おれがあいつに気をとられて、びくびくしながら、まわしているから、ほんとの精気せいきが独楽に乗りうつらないのだ」

蛾次郎にしてはいみじくも思いついたことである。いかにもそうにちがいなかった。かれはさいぜんから群集ぐんしゅうのうちにまじって、自分を見ているふたりの人物が気になってたまらないのである。

「よし、こんどは!」

と腹はらからかまえどりをきめて蛾次郎太夫がじろうだゆう、邪念じゃねんをはらって独楽こまを持ちなおし、恬然てんぜんとして四どめの口上こうじょうを反そり身みでのべたてた。

「エエ、エヘン」

見物けんぶつはまたかと、クスクス笑わらった。

「さて、最初さいしょの独楽こましらべ、小手こてしらべとしまして、空からまわし三たび首尾しゅびよく相すみましたから、いよいよこれから本ほんまわしの初芸はつげいに取りかかります」

「うまく逃にげ口上こうじょうをいってやがる」

「また四どめも小手しらべはごめんだぜ」

「早くやれ、文句もんくをいわずに」

第一印象いんしょうがわるかったので、太夫たゆうの人気はさんざんである。けれど蛾次郎は、ここでひとつ喝采かっさいをはくして見物けんぶつから銭ぜにを投げてもらわなければ、ここまでの努力どりょくも水の泡あわだし、かえりに空腹すきばらをかかえてもどらなければならないと思うと、しぜんと勇気ゆうきづいて、四面めん楚歌そかの弥次やじごえも馬の耳に念仏ねんぶつ。

「あいや、お立合たちあいのみなの衆しゅう!」

と、いちだん声をはりあげて、

「芸げいは気合きあいもの、独楽は生き物。いくら廻まわし手が名人でも、そうお葬式そうしきの饅頭まんじゅうに鴉からすがよってきたように、ガアガアさわがれていてはやりきれない。せんこくから見物けんぶつのなかで、おれのことを小僧こぞう小僧こぞうといっているようだが、大人おとなの癖くせにガアガアいうほうが、よッぽどみッともないや。いまにおれの気合きあいが乗って、この水独楽みずごまがブンとうなって見ろ、悪あくたれをいったその口がまがって、面目めんぼく名古屋なごやの乾大根ほしだいこん、尻尾しっぽを巻まいて逃にげだすだろう。オッといけない、首尾しゅびよく独楽こまがまわったからといって、逃にげだしたりあっけにとられたきりで、銭ぜにを投げるのを忘わすれてはいけないぜ、感心したものはえんりょなく一文もんでも二文でも投げるのさ。よろこびをうけて酬むくいることを知らざるは、人間にあらず馬なり、弥次馬やじうまなり。さあさあ弥次馬はあとへ引っこんで金持かねもちだけ前のほうへでてくださいよ。エエ、やり直なおしの魔独楽まごまは天津風あまつかぜ吹上ふきあげまわし、村雨下むらさめさがりとなって虹渡にじわたりの曲独楽きょくごま、首尾しゅびよくまわりましたらご喝采かっさい!」

とうとうとムダ口をしゃべって大人おとなの見物けんぶつをけむにまいた蛾次郎がじろうは、そこでヤッと気合いをだして、右手の独楽こまを虚空こくうへ高くなげた。

「ウウム、うまくいった」

と、こんどは蛾次郎もわれながらニタッとした。

風をきって一直線ちょくせんに手をはなれた独楽は、ゆくところまでゆくとビューッとうなりをあげて見物けんぶつの頭の上へ落下らっかしてきそうなようす。

「オオ?」

と、思わず、だれの目もそれに気をとられて、宙ちゅうに眼をつりあげて見ると、夕陽ゆうひにきらきらして星ほしがまわってくるかと思うばかりな一箇体こたいの金輪かなわの縁ふちから、雨か霧きりか、独楽の旋舞せんぶとともにシューッと時ならぬ村雨むらさめのような水ばしりがして、そのこまかい水粒すいりゅうと夕陽ゆうひの錯交さっこうは、口上こうじょうどおり七、八尺しゃくのみじかい虹にじをいくつも空へのこして、独楽こまはトーンと蛾次郎がじろうの足もとへ落ちてすんでいる。

群集ぐんしゅうは正直しょうじきにドッと賞讃しょうさんの手をはやした。そしてまわっているかいないかわからないほど澄すんでいる地上の魔独楽まごまに目をすえて押おし合ったが、蛾次郎は得意とくいになって独楽の心棒しんぼうを人差指ひとさしゆびの頭にすくいとり、ピョンと肩かたへ乗せたかと思うと、左の手から右の手へ衣紋えもんながしの軽かるいところをやって見せる。

見物けんぶつはもう手をたたくのも忘わすれて、ふしぎな独楽の魅力みりょくにすいこまれていた。独楽は生きもののように蛾次郎の自由になって、指頭しとうあるき、剣つるぎの刃はばしり、胸坂鼻越むなさかはなごえ背せすじすべり、手玉てだまにあつかわれてまわっていたが、ふたたび、蛾次郎がヤッと空へ飛ばしたとき、――オオ、どうしたのかとちゅうまで霧きりを散ちらしてきたその水独楽みずごま、かれの手へは帰かえらずに、忽然こつぜんと、どこかへ見えなくなってしまった。

「あれッ?」

と、独楽につれていた見物の眼は、ふッと、宙ちゅうにまよってウロウロした。おどろいたのは蛾次郎太夫がじろうだゆうで手のうちの玉たまをとられたという文字どおりに狼狽ろうばいして、

「おや、コマは? コマは?」

と見まわしたが、その時、フと、気がついて見ると、見物のなかから一本の紅あかい杖つえがスッと伸のびて、落ちてくる独楽をその尖端せんたんで受けとめたかと思うと、紅い棒ぼうを坂さかにしてたくみに独楽を手もとへすべらせ、ひょいとふところへしまいこんで、小憎こにくいほどな早芸はやげい、向こうへすまして歩きだしてゆくふたりの人聞があった。

「オッ?」

と、群集ぐんしゅうはあッけにとられ、蛾次郎がじろうは目をまるくしてあんぐりと口を開あいている。

横合よこあいから投げ独楽ごまをすくい奪とった紅あかい棒ぼうと見えたのは、朱漆しゅうるしをといだ九尺しゃく柄えの槍やりであった。

そして、独楽こまをふところに入れたのは、白衣びゃくえに戒刀かいとうを帯おびた道者笠どうじゃがさの六部ぶで、つれの侍さむらいにかりうけた朱柄あかえの槍をかえし、なにかクスクス笑わらいながら、あとのさわぎを知らぬ顔して、柳やなぎの馬場ばばから濠ほりばたのほうへスタスタと足を早めてゆく。

二

「ははははは」

人通りのない濠端ほりばたまでくると、朱柄の槍を杖つえについた、一方の侍が声をだして笑わらいだした。

「鏃鍛冶やじりかじの弟子小僧でしこぞう、さだめしびっくりしたことであろう」

と、蛾次郎のあの瞬間しゅんかんの顔つきを思いだしては、また笑わらった。

いかにも快活かいかつな笑いごえである。

それは、伊那丸いなまるの幕下ばっかで一番年のわかい巽小文治たつみこぶんじだった。つれの六部は、ニヤリとして口数くちかずをきかないが、たしかに木隠龍太郎こがくれりゅうたろうであるということは、ほの暗い濠ばたの夕闇ゆうやみにもわかる。

小文治こぶんじはなにものかを待つように、ときどきうしろをふりかえって、

「だがどうしたのだろう、まだ追おいかけてくるようすがないが」

と、つぶやいた。

「いや、こっちの足が少し早かったから、どこかの辻つじで見うしなって狼狽ろうばいしているのであろう。いまにきッと追おいかけてまいるにちがいない」

と、龍太郎りゅうたろうは濠ほりぎわの捨石すていしを見つけて、ゆったりとそこへ腰こしをおろした。

「けれど蛾次郎がじろうのやつも、われわれと知るとかえっておじけづいて、独楽こまよりは命いのちが大事と、あのまま泣寝入なきねいりに帰ってしまいはいたすまいか」

「なに、あの小僧こぞうは、白痴はくちのように見えて小こざかしいところがあり、悧巧りこうに見えて腑ふのぬけている点てんがある。まことに奇態きたいな性質、バカか賢かしこいのか、ぼんやり者かすばしッこいのか、つかみどころのないやつじゃ。われわれを怖おそれていることは事実だが、けっして、ほんとの敵てきと思われていないことはよくぞんじているから、いまに空そらとぼけた顔をして、独楽こまを取りかえしにくるにそういあるまい」

「なるほど」

と、小文治も槍やりにすがりながら、蛾次郎という小童しょうどうについてよく考えてみると、末すえおそろしいといっていいか、末たのもしくないといおうか、まったく判断はんだんに苦しむような性格的畸形児せいかくてききけいじであると思った。

「で、かれはいま、卜斎ぼくさいに召使めしつかわれて、この躑躅つつじヶ崎さきの長屋ながやにすんでいる。とすれば、いずれ内部ないぶのようすを多少ながら聞きかじっているにそういあるまいから、ここへきたところを捕つかまえて、いろいろその後ごのことをさぐって見ようと思う。それにはまず、この独楽こまを取りあげておいて、いうかいわぬかの責せめ道具どうぐにする。あいついかに横着者おうちゃくものとはいえ、まだ子供は子供、きっと独楽をもどして欲ほしさに、なにもかもしゃべりだすにちがいない――と考えたので、大人おとなげないが、横合よこあいからさらってきた」

「しかし、龍太郎りゅうたろう」

「うむ?」

「芸人げいにんなら種たねもあろうが、貴公きこう、どうしてあの独楽こまを、槍やりの石突いしづきですくい取ったか、あんな離はなれわざは本職ほんしょくの独楽まわしでもやれまいと思うが、ふしぎなかくし芸げいを持っておられるな」

「なあに、あれは人目ひとめをくらましたのだ」

「ほう……?」

「幼少ようしょうのとき、鞍馬くらまの僧正谷そうじょうがたにで果心居士かしんこじから教えられた幻術げんじゅつ。おそらく、あのくらいのことなら、弟弟子おとうとでしの竹童ちくどうにもできるであろう」

「はははは、そうだったか。ときに竹童といえば……」

「ウム、竹童……」

と龍太郎も同じようにつぶやく。

この名が一党とうの者の口にでるときは、だれの胸むねにもすえの弟を思うような愛念あいねんが一致ちするのもふしぎであった。

「どうしたろうなあ! 竹童ちくどうは」

いまも惆然ちゅうぜんとして小文治こぶんじがいう。

「緋ひおどし谷だにから里さとへ逃げた少女の話によると、咲耶子さくやこはこの躑躅つつじヶ崎さきへ捕とらわれていったとのことだが、竹童のゆくえについては、だれひとりとして知るものがない」

「拙者せっしゃの考えでは、小太郎山こたろうざんを仇かたきにうばわれたことを、じぶんひとりの責任せきにんのように感じて、それを深く恥はじ、どこぞへ姿すがたをかくしたのであろうと思う」

「竹童とすればそう考えそうだな」

「ある時機じきがくるまで、かれは、われわれの前にすがたを見せないかも知れぬ」

「それではなおさら心配しんぱいになるが」

「どうもぜひのないことだ」

「しかしまたことによると、この館たちに擒人とりことなっている咲耶子を助けだそうという考えで、この甲府こうふに潜伏せんぷくしているようにも考える」

「ウム、それなら、どこかでわれわれと落ちあう時機もあるだろう」

「どうかそうありたいものだ、勝敗しょうはいはいくさの常つね、小太郎山が敵方てきがたの手に落ちたのもぜひないことと伊那丸いなまるさまもあきらめておいで遊あそばす。また事実じじつは、竹童と咲耶子のおさない者とかよわい少女に、とりでの留守るすをあずけたほうがムリだったのじゃ。責せめは竹童よりむしろ一党とうの人々にある、どうかして、かれの無事ぶじを知りたいものだが……」

と、話はいつか打ちしずんでくる。

人の力でどうにもならないのは、皮肉ひにくな運命うんめいで、その運命をえて案外あんがいにくるわすものは、これまた人力の自由にならぬ時間というものである。竹童ちくどうと咲耶子さくやこをとりでにのこして、民部みんぶそのほかの人々が、三方みかたヶ原はらへ馳かけつけなかったら、あの時の伊那丸いなまるの運命はどうなったかわからない。

その危急ききゅうを切りぬけてきたかと思うと、一行伊那丸をいれて六人、富士ふじの裾野すそのまでかかってきた朝、かえるべき小太郎山こたろうざんのとりでに、あの夜明けの落城らくじょうのけむりをゆく手に見たのであった。

たった、半日、もしくは半夜の時間のちがいで――。

馳かけつけて見たところでもうおそい。

とりでの上には下さがり藤ふじの旗はたさし物と、葵あおいの印しるしが王座おうざをしめて戦勝せんしょうをほこっている。ふもとから野呂川のろがわの渓谷けいこくいったいは、大久保長安おおくぼながやすの手勢てぜいがギッシリ楯たてをうえていて、いかに無念むねんとおもっても、疲つかれきった六人の力で、それがどうなるはずもないのであった。

しかし、伊那丸はわりあいに力をおとさなかった。自分の落胆らくたんや失望しつぼうが、どれほど忠節ちゅうせつな人々の胸むねに反映はんえいするかをよく知っている。

「よし、しばらく小太郎山は大久保家へあずけておこう。そして自分たちが次つぎの乾坤けんこん一擲てきにのぞむ支度したくのために、一両年りょうねん、諸国しょこくを流浪るろうしてみるのも、またよい軍学修業ぐんがくしゅぎょうではないか」

こういって、小太郎山こたろうざんをすてたのである。いや、数年すうねんのあいだ、かりに敵手てきしゅへあずけて別わかれ去さる心であった。

旅たびの途中とちゅうで、煙草畑たばこばたけに葉をつんでいる少女に会あった。少女はついこのあいだ、緋ひおどし谷だにから里さとへ帰ってきた胡蝶陣こちょうじんのなかのひとり。

その少女のはなしで、前後ぜんごの事情じじょう、うらぎり者の毒水どくすいの詭計きけい、咲耶子さくやこのはたらいたことまたそのために捕とらわれとなったことなど、すべて明らかに知ることができた。

ただ一つ、わからないのが竹童ちくどうのゆくえ。

これには、伊那丸もいたく心をいためたが、いまは落人おちゅうどどうような境遇きょうぐうの公然こうぜんとふれをまわしてたずねることもならず、いつか、旅路たびじの蛍ほたるぐさに露つゆのしとどに深くなる秋を知りながら、まだもって、その消息しょうそくの一片ぺんも知ることができない。

こうして、伊那丸主従いなまるしゅじゅうは、信濃しなのの山を越こえて、善光寺平ぜんこうじだいらをめぐり、諏訪すわをこえて、また甲州路こうしゅうじへ足を踏ふみ入れた。

しかし、甲府こうふへはいるにさきだって、民部みんぶの献策けんさくによって六人は三組くみに分れることにした。なぜかといえば、小太郎山奪取こたろうざんだっしゅののち、徳川家とくがわけは大久保石見おおくぼいわみに命めいじて、いっそう伊那丸の追捕ついぶを厳命げんめいした。いたるところに、間者かんじゃや捕手とりてをふせているもようが見えたからである。

伊那丸いなまるは小幡民部こばたみんぶと。

山県蔦之助やまがたつたのすけは加賀見忍剣かがみにんけんと。

木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは巽小文治たつみこぶんじと。

こう二人ずつ三組くみにわかれて、甲府こうふの城下じょうかへまぎれこみ、大久保家おおくぼけの内状ないじょうをさぐったうえにて、間隙かんげきをはかって館たちのうちに捕とらわれている咲耶子さくやこをすくいだす目的もくてきをしめし合わせた。

しかし、躑躅つつじヶ崎さきの平城ひらじろは、厳重げんじゅうをきわめているうえに、さすがはむかし信玄しんげんじしんが縄張なわばりをした郭くるわだけあって、あさい外濠そとぼりを越こえて、向こうの石垣いしがきにすがるたよりもなかった。

で――一党とう六人の人々、むなしく、咲耶子の身をあんじながら、手をこまぬいて弱っていると、ここに思いがけない好時機こうじきが、近い日のうちにせまっているのを知った。

それは、なにかというと。

甲斐かいの東端とうたん、北武蔵きたむさしとの山境やまざかいにある、御岳神社みたけじんじゃの紅葉こうようの季節きせつにあたって、万樹紅焔まんじゅこうえんの広前ひろまえで、毎年おこなわれる兵学大講会へいがくだいこうえに、ことしは、大久保石見守長安おおくぼいわみのかみながやすが、家康いえやすの名代みょうだいとしてでかけるといううわさである。

で――小幡民部こばたみんぶは、

「若君わかぎみ、この機きを逸いっしてはなりません」

と、伊那丸に一策さくをさずけた。

それから間まもなく、忍剣にんけんと蔦之助つたのすけの組くみも、伊那丸いなまるも、甲府表こうふおもてからすがたを隠かくして、あいかわらず、躑躅つつじヶ崎さきのようすをうかがっているものは、龍太郎りゅうたろうと小文治こぶんじの一組になっていた。

その龍太郎は、御岳みたけ神社の兵学大講会へいがくだいこうえに長安ながやすがでかける日をねらって、咲耶子さくやこを救すくいだすつもりであるが、なろうことなら一日も早くと気をあせって、きょうも城下じょうかをそれとなく歩いているうちに、思いがけない蛾次郎がじろうというものを見つけて、おとりの独楽こまを取りあげてきた。

いまに、それを奪とりかえしに追おいかけてきたら、あの蛾次郎を独楽にまわして、ひとつ、さぐりをかけてみようと手ぐすね引いて待つのであったが、うわべは、心棒しんぼうがゆるんでいるように見えて、ときどき、大人おとなの鼻はなを明あかす横着独楽おうちゃくごま、こっちの腹はらを読んでいるのか、なかなかやってきそうもない。

三

水のきれいな甲斐かいの国、ことに秋の水は銘刀めいとうの深味ふかみある色にさえたとえられている。

ほの暗ぐらい宵闇よいやみのそこから、躑躅つつじヶ崎さきの濠ほりの流れは、だんだん透明とうめいに磨とぎだされてきた。眸ひとみをこらしてのぞきこむと、藻もにねむる魚うおのかげも、底そこの砂地すなじへうつってみえるかと思う。

その清冽せいれつは十五間けんほどの幅はばがある。

濠ほりの向こうはなまこ壁かべの築地ついじ、橋はしのあるところに巨大きょだいな石門がみえ土手芝どてしばの上には巨松きょしょうがおどりわだかまっている。松をすかしてチラチラ見えるいくつもの灯ひは、館たちの高楼こうろうであり武者長屋むしゃながやであり矢倉やぐらの狭間はざまであり、長安歓楽ながやすかんらくの奥殿おくでんのかがやきである。

二年前には、そこに、武田たけだ一族ぞくと伊那いな四郎勝頼かつよりの座ざをてらす燭しょくがあった。

十幾年いくねんかまえには、そこに、機山大居士信玄きざんだいこじしんげんの威風いふうにまたたいている短檠たんけいがおかれてあった。

いまはどうだ?

ながるる濠の水は春秋しゅんじゅうかわりなく、いまも、玲瓏れいろう秋の宵よいの半月にすんでいるが、人の手にともされる灯ひと、つがれる油あぶらは、おのずから転変てんぺんしている。

ものおもわしき秋の夜。

龍太郎りゅうたろうはなにげなくそこに眸ひとみをあげて、さっと露つゆをふらす濠ばたの柳やなぎに背せすじを寒さむくさせたが、その時、ふとはじめて気がついた一個この人かげが向こうにある。

どこの百姓ひゃくしょうの女房にょうぼうであろうか、櫛巻くしまきにしたほつれ毛げをなみだにぬらして、両袖りょうそでを顔かおにあてたまま濠にむかってさめざめと泣ないているようす……

月あかりを避さけているが、やつれた姿すがたがかげでもわかる。年は三十五、六、質朴しつぼくらしい木綿着物もめんぎもの、たくさんの子供をうんだ女と見えて、大きな乳ちちが着物の前をふくらましている。そして、裾すそのほうには女でも山国のものは穿はく、もんぺという盲目縞めくらじまの足ごしらえ、尻しりの切れた藁草履わらぞうりが、いっそうこの女の人の境遇きょうぐうを、いたいたしく感じさせていた。

「おや?」

と、小文治こぶんじは、直覚的ちょっかくてきにはね返った。

すべての空気が、この女が、いまにも濠ほりへ身を投げそうなことを教えたからである。

案あんの定じょう――女は泣きぬれた眼で、躑躅つつじヶ館たちを、うらめしげににらんでいたかと思うと、また、悲かなしげな声で、濠のそこへ良人おっとの名と、むすめの名らしい声を呼よびつづけた。

そして――あッ――と思うまに、手を合わせて、月光の水へ身をおどらせようとした。

「――待てッ」龍太郎りゅうたろうは飛鳥ひちょうのように馳かけて、女の体をうしろへ抱だきもどした。女は、なにか口走くちばしりながら、そのとたんに、ワッと柳やなぎの木の根もとへ泣きくずれてしまう。

「――見うけるところ、良人もあろうし、幾人いくにんかの子供もあろう人妻ひとづまではないか。なぜそんな短気たんきなことをいたす。苦くるしい事情じじょうがあろうにもしろ、浅慮千万せんりょせんばん……」

と、たしなめるように強くしかった。

返辞へんじはない。

しゅく、しゅく、と泣く声ばかりが、ふたりの足もとにうったえていた。

だが――やがてやっと事情を聞きとると、この女房にょうぼうの死ぬ気もちになったことを、ふたりはもっともだと思わずにいられなかった。

「ごしんせつに、ありがとうございます。わたしは、西山梨在にしやまなしざいの戸狩村とかりむらにいた勘蔵かんぞうという水晶掘すいしょうほりの女房にょうぼうでお時ときというもんでござります。はあ、子供も五人もございましたが、そのうち三人は亡なくなりました。ひとりの男の子はまだ小ちッけえうちに、伊勢いせまいりにいった途中とちゅうでかどわかされ、たったひとりのこっていた娘むすめは……その娘は……」

と、女は濠ほりを指ゆびさして、また泣なきじゃくった。

ちょうど、この夏、伊部熊蔵いのべくまぞうがこの躑躅つつじヶ崎さきに鉱山掘夫やまほりを勢せいぞろいして、小太郎山こたろうざんへでかけようとした同じ日のこと、信玄しんげんの石碑せきひへ、香華こうげをあげて拝おがんでいるところを見つけられたひとりの百姓ひゃくしょうが、この館たちのうちへ、若侍わかざむらいたちの無情むじょうな手にひきずられてきた。それを助けてくれと、泣きながら城内じょうないへついてきた娘むすめも、その百姓も、ちょうど酒宴しゅえんをしていた長安ながやすのよい酒さけの興味きょうみになって無慈悲むじひな手討てうちにあって殺されたが、その死骸しがいを投げすてられたと聞くこの濠ほりへ、いま身を投げようとした女は、そのときの百姓風な水晶掘すいしょうほり勘蔵の女房なのであった。

たったひとりの娘と良人を、無慈悲むじひな領主りょうしゅに殺されたお時ときは、すこし気がヘンになって、戸狩村からどこともなくさまよいだしていたが、あぶない命いのちをすくわれて、かの女じょはまた、気もくるわしく泣くのであった。

「にくむべき長安!」

小文治こぶんじは人ごとに思われなかった。

「泣くな泣くな」背せをなぜながらなぐさめて、

「泣いたところで、死んだ良人おっとも娘むすめも返かえりはしない。それよりは、おまえが伊勢いせまいりの時に、道中どうちゅうでかどわかされたという、すえの男の子をたずねだして、その子をたよりに暮くらすがよい」

「はい……だ、だが、旦那だんなさま、そんなことは、とても望のぞまれねえことなんでございます」

「いや、世間せけんには十年ぶり、二十年ぶりなどで、母子おやこがめぐり会あったなどということもめずらしくはない。一心にさがせばきっとわかるだろう。それに、何かその子に目印めじるしでもあれば、なお手がかりとなって、人からも教おしえてくれぬかぎりもない」

「ところが、百姓ひゃくしょうの悲かなしさで、べつに、証拠しょうこや印しるしになるようなものもありませず、ただ、……そうでがす……思いだしてみると、その子は、小ちッけえ時ときから癇持かんもちでがしたもンで、背骨せぼねの七ツ目の節ふしにはお諏訪すわさまの禁厭灸まじないきゅうがすえてごぜえます。はあ、そりゃ大でけえ、一ツ灸きゅうで他国たこくにはねえ灸ですから、目印めじるしといえば、そんなもンぐらいでございます」

「そうか、諏訪神社すわじんじゃの禁厭灸まじないきゅうよくおぼえておいて、拙者せっしゃたちも旅たびの間あいだには心がけておくようにいたそう」

龍太郎りゅうたろうが温情おんじょうをこめて、不遇ふぐうな女をなぐさめてやると、小文治こぶんじもおととしの春、まだ自分が浜名湖はまなこの漁師小屋りょうしごやにいて、母の死骸しがいをほうむる費用ひようもなく、舟にそれを乗せて湖水こすいに水葬すいそうしたことなどを思いうかべて、まだ子をたずねる母、尋たずねらるる子は、幸しあわせであるように考えられた。そして、かれもともどもそんな気持をかんでふくめるように話して、女の一途いちずな死を思いとまらせた。

やつれた女房にょうぼうは、感謝かんしゃの涙なみだにぬれながら、濠端ほりばたをすごすごと去さった。そして、ふたりの慰藉いしゃにはげまされて、これからは、まだ四ツのときに、伊勢いせもうでの道中どうちゅうではぐれたきりの末すえの子をさがしだすのを楽たのしみにします――と誓ちかうように首をさげていいのこした。

「さまざまだなあ、世の中は……」

うしろすがたを見送みおくりながら、ふたりの勇士ゆうしは、うるんだ眼を見あわせた。

すると、とつぜんうしろのほうから、わすれていた蛾次郎がじろうの声がして、そこへ馳かけてくるが早いか、

「やい、独楽こまどろぼう、独楽をかえせ」

と、飛んでもない鼻息はないきで、腕うでまくりをしてつめよった。

ああ、やっぱりこいつは低能ていのうだな。

小文治こぶんじはそう思って苦笑くしょうした。

盲目めくら、蛇へびに怖おじず――人もあろうに戒刀かいとうの名人めいじん龍太郎りゅうたろうと、血色塗ちいろぬりの槍やりをとって向こうところ敵てきなき小文治のまえに立って、泥棒どろぼうよばわり、腕うでまくりは、にくむべき値ねうちもない滑稽こっけいごとである。

「蛾次かッ」

と、待っていたように龍太郎がヌッと立つと、蛾次郎は逃にげ腰ごしを浮かしながら、

「泥棒どろぼう、泥棒、こ、こ、独楽こまをかえせ。独楽をかえせ」

と、どもりながら、手をだしたり、引っこめたりした。

馬糧小屋まぐさごやの奇遇きぐう

一

「――おまえは蛾次郎、この独楽がほしいというのか」

こう龍太郎がいってふところの独楽こまをだしてみせると、蛾次郎は飛びつきそうな眼色めいろをして、

「欲ほしいやイ! 返かえせッ」

と、打ってひびくように、泣き声でののしった。

「返してあげよう」

「か、か、返せッ!」

「そのかわりに、少しわしのたずねることに答えてもらいたい。そうしたら独楽もかえそう、おまえの望のぞむことにはなんなりと応おうじてやろう。どうじゃ、蛾次郎」

「ふウん……」

と、そこでかれの半信半疑はんしんはんぎが、やおら、腕うでぐみとなって、まじりまじりと落着おちつかない目で、小文治こぶんじと龍太郎の顔色を読み廻まわして、

「じゃア……」と相好そうごうをくずしかけたが、またにわかにするどくなって、首をふるように、

「あかをいえ! だれが、くそ、そんなウマい策てにだまされやしねエぞ。いいや! かえさなけりゃ待っていろ、代官陣屋だいかんじんやへいって、てめえたちのことをみんないってやるから」

蛾次郎がじろうにしてはくやしまぎれの不用意ふよういにでたことばであったかもしれないが、小文治はおどろいた。この甲府附近こうふふきんに、自分たちが入いりこんでいることを、まんいち、躑躅つつじヶ崎さき支配しはいの代官陣屋にでも密告みっこくされては、それこそ、三方にわかれて行動している伊那丸いなまるや党友とうゆうの一大事。

はッと思うまに蛾次郎は、身をひるがえしてもとの道へはしりかけた。やっては! と小文治もいささかあわて気味ぎみに、地についていた朱柄あかえの槍やりを片手かたてのばしにかれの脾腹ひばらへ。

「わッ」と、蛾次郎の声であった。

腰車こしぐるまをつかれて横ざまに、ドウと、もんどり打って倒れている。そして芋虫いもむしのようにころがったまま、ふたたび起きあがろうともしないようす。

しかし、かれの肉にくにふれた朱柄の先は、穂ほのほうではなくて石突いしづきであったから、突つきのばした片手の力ぐらいで、そう苦くもなく死んでしまうはずはないし、またよほど急所きゅうしょでもなければ、悶絶もんぜつするのも少しおかしい。

見ると、なるほど。

乞こう休やすんぜよ、である。ひっくりかえった蛾次郎がじろうは、ぽかんと眼をあいて、自分にいって聞かせている。

(大丈夫だいじょうぶだ、大丈夫だ。死にゃアしない、生きているぞおれは、たしかに生きている。その証拠しょうこには星ほしが見える。月だってありありと見えるじゃないか。だが今は、死んだかと思った。あぶねえあぶねえ、うっかり起き上がろうものなら、こんどは光ったほうで、グサリとほんとにやられるかもしれない)

こう考えて、死んだまねをしているらしい。いや、事実じじつは腰こしの蝶ちょうつがいがはずれて、にわかに、起きたくも起きられないでいるのかもしれない。

「手におえない小僧こぞうでございますな」

と、濠ほりばたのほうで小文治こぶんじがささやいた声さえも、かれはハッキリと耳に入れた。その話に、自分に対してべつだん深い殺意さついがないのだと覚さとると、蛾次郎がじろうははじめて、ホッと多寡たかをくくって、

「ちぇッ、おどかすない」

と、腰こしをさすって、そろそろ首をもたげだした。

二

迷子札まいごふだのような門鑑もんかんを番士ばんしにしめして、その夜、霜しもにあったキリギリスみたいに、ビッコをひいた蛾次郎がじろうが、よろよろと躑躅つつじヶ崎さきの郭内くるわないにあるお長屋ながやへ帰ってきたのは、もうだいぶな夜更よふけであった。

城内じょうないの長屋ながやというのは、館たちにつめている常備じょうびの侍さむらいや雑人ぞうにんたちの住居すまいで、重臣じゅうしんでも、一朝ちょう戦乱せんらんでもあって籠城ろうじょうとなるような場合ばあいには、城下の屋敷やしきからみな妻子眷族さいしけんぞくを引きあげてここに住まわせ、一国こく一郭かくのうちに大家族となって、何年でも敵てきと対峙たいじすることになる。

小太郎山こたろうざんからずるずるべったりに、鼻はなかけ卜斎ぼくさいはそのお長屋の一軒けんをちょうだいして、いまでは、大久保石見守おおくぼいわみのかみの身内みうちともつかず、躑躅ヶ崎の客分きゃくぶんともつかない格かくで、のんきに暮くらしているのである。

「もう寝ねたじぶんだろう」

とは、その卜斎をおそれる蛾次郎が、ビッコをひきながら道々みちみち考えもし、神かみに念ねんじるほどそうあれかしと願ねがってきたところで、お長屋の灯ひを見るとともに、また、

「起きていた日には大たいへんだぞ」

と、意気地いくじなく足がすくんでしまう。

で、いきなり門へははいらないで、そッと裏うらへまわってみたり、羽目板はめいたに耳をつけてみたり、窓まどの節穴ふしあなからのぞいたりしてみると、天なるかな命めいなるかな、寝ねているどころか、ふだんより大きな声をだして、あのガンガンした声が家やの内うちにひびいている。

「こいつはたまらないぞ」

蛾次郎がじろうはどうしようかと思った。

奥おくには客きゃくがきているのだ。昼間ひるま、飯屋めしやでぶつかった地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内きくむらくないを引っぱってきて、久ひさしぶりに夜よの更ふけるのを忘わすれて話しているあんばい。

とすると、宮内の口から、おれがあそこでお酒さけというものを飲んでみたこともしゃべったにちがいない。親方おやかたが、やってきた時、台だいの下にもぐりこんでいたことも、おもしろそうに話したろうな。おまけにおやじは、近ごろ、おれが水独楽みずごまをまわして小遣こづかい取りをしていることを、うすうす感づいているんだから、こんな夜更よふけに帰ろうものなら、それこそ、飛んで灯ひにいる夏の虫だ。親方のげんこつがおれの頭に富士山脈ふじさんみゃくをこしらえるか、弓ゆみの折れで百たたきの目に会あわされるか、どっちにしても椿事出来ちんじしゅったい、アア桑原くわばら桑原、桑原桑原。

こっそり、こっそり、蛾次郎は裏うらの暗くらやみに消きえてしまった。

どこへいったのかと思うと馬糧小屋まぐさごやだ。馬糧を盗ぬすみにはいる泥棒どろぼうはないから、そこだけは錠前じょうまえもなく、ギイと開あくと難なんなくかれを迎むかえいれてくれた。そしてまたソーッと閉しめておく。

もとよりなかはまッ暗くらだが、愉快ゆかいなことには、抱擁性ほうようせいのあるやわらかい麦藁むぎわらが、山のごとく積つんである。どうだい! すばらしい寝床ねどこじゃないか! と、蛾次郎がじろうはうれしくなってしまった。

火がなくッたって暖あたたかい、人間の親方おやかたはあんなに冷つめたくッてとげとげしているのに、どうして枯かれた麦藁むぎわらがこんなに暖かいものだろう。変へんだなア、だが、なにしろありがたい、ここはおいらの安全地帯あんぜんちたい、いいお住居すまいを見つけたものだ。

蛾次郎はかってなことを考えながら、いきなり麦藁の山へふんぞりかえった。やわらかいぞやわらかいぞ、お大名だいみょうの寝床ねどこだって、こんなに上等じょうとうじゃああるまいなあ、などと牧まきをとかれた山羊やぎみたいに、ワザとごろごろころがってみた。

「独楽こまもある」

ふところからだして、頬ほッぺたにおしつけた。

木隠龍太郎こがくれりゅうたろうからヤッとかえしてもらった独楽である。いつか蛾次郎にもこの独楽が、命いのちから二番目の大事なものになっている。かれがこの水独楽みずごまを愛すること、竹童ちくどうがかの火独楽ひごまをつねに大事にするのと愛念あいねんにおいて少しもかわりはないのであった。

「独楽よ、独楽よ」

独楽の心棒しんぼうは蛾次郎が頬ほおずりするあぶらをうけて、暗くらやみのなかでもまわりそうになった。なんだかこの独楽には霊れいがあっていきてるもののように思われる。いったい、独楽というものは、手でまわるのかしら? 心こころが打ちこまれてまわるのかしら?

疑問ぎもんはでたが、そうヒョッと、考えただけで、これは蛾次郎の智能ちのうでは解とけそうにもない。

いちじ、濠端ほりばたでひっくり返かえったかれが、この独楽こまをかえしてもらって無事ぶじに長屋ながやへもどってきたところを見ると、あれから龍太郎りゅうたろうの詰問きつもんにあって、小太郎山こたろうざんいらいのこと、躑躅つつじヶ崎さきの内情ないじょうなど、すっかり話してしまったことは、もううたがうまでもない。

もっとも、蛾次郎がじろうの身にとってみれば、甲府こうふ一城じょうの安危あんきよりは、この独楽一箇こが大事かも知れない。だれか、かれを悪童あくどうとよぶものぞ。独楽を頬ほッぺたに押おしつけたまま、馬糧まぐさのなかにやがてグウグウ寝入ねいりこんでしまったかれこそは、まことに、たわいのないものではないか。

だが、眼がさめると、こいつがいけない。

すぐにユダを発揮はっきし、天邪鬼あまのじゃくをまねる。

蛾次郎よ、永遠えいえんに寝ねていろ、馬糧のなかで。

三

四更こう。

月も三更こうまでを限かぎりとする。四更といってはもう夜半やはんをすぎて暁あかつきにちかいころ。

馬まぐさ小屋ごやの中の高いびきは、定さだめし心地ここちよい熟睡うまいにおちているだろう。お長屋ながやの灯ひもみんな消きえて、卜斎ぼくさいの家のなかも、主あるじのこえなく、客きゃくの笑わらいもたえて、シンとしてしまった。

月のゆくえはわからないが、空いちめんはいつまでも、月の水いろに明るく冴さえている。啼なかぬ雁かりがしずかに渡わたる、啼く雁よりも啼かぬ雁のなんと秋らしいものかげだろう。

と――躑躅つつじヶ崎さきの館たちの高楼こうろうにあたって、万籟ばんらいもねむり、死したようなこの時刻に、嚠喨りゅうりょうとふく笛ふえの音ねがある。

高音たかねではないが、このすんだ四更こうの無音界むおんかいには、それが、いつまでも消きえないほどゆるく流れまわって、すべてのものの眠ねむりをいっそう深くさせるようであった。

さらにまた、その音ねをもとめるような一点てんの孤影こえいが大空をめぐっていた。

雁か! 迷子まいごのはなれ雁がりか!

いや、雁にしては大きすぎる。あの翼つばさを見るがいい、遠とおいが、おそろしい力で風を呼よんでいる。

クロだ! 鷲わしだ!

おお、されば小太郎山こたろうざんのとりでから、この躑躅ヶ崎の高楼にとらわれてきている咲耶子さくやこが、悶々もんもんとして眠られぬ幽窓ゆうそうに、あの影かげをふと見つけて、狛笛こまぶえの歌口うたぐちに、クロよ、クロよ、と呼よぶ音ねであったろうか。

それとも、彼女が気をまぎらわすために吹いた笛が、ぐうぜん、しばらく行方ゆくえの知れなかったクロの慕したうところとなって、おぼえのある音色ねいろに、向こうからよってこようとしているのであろうか、いずれにしても、この音ね、あのかげ、おそらく天地に知る者のないことだろう。

と、思ったところが……である。

ちょうどその時刻、それまでは前後不覚ぜんごふかくであった馬糧小屋まぐさごやの蛾次郎がじろうの寝ねがおの上へ、草鞋わらじの裏うらからはがれたような一かたまりの土が、しかも開あいている口のあたりへ、グシャリと、落ちたものである。

いくら寝坊ねぼうのおん大将たいしょうにせよ、それで眼がさめないはずはなく、

「ゲッ、ペッ……」

と、寝ねぼけながら、ジャリジャリする口をこすったが、ふいと天井てんじょうをながめると、いっぱいな星ほしが見えたので、あッと驚おどろいて、さらにまた少し目をさました。

馬糧小屋にだって屋根やねはある。そんなに星ほしが見えるという法ほうはない。事実じじつ、よくよく目をあらためてみるとそれは星に似にて星の光ではなく、屋根うらの隙間すきまや節穴ふしあなが、あかるい空の光線こうせんをすかして、星のように見えたのであった。

だが? ……蛾次郎はジッと息いきを殺しはじめた。

星どころじゃない、節穴ふしあなどころの沙汰さたじゃアない。変へんなやつがいる! へんな人間が屋根うらの梁はりに、取ッついている!

闇やみに馴なれた蛾次郎のひとみには、ようようそこの屋根うらが、怪獣かいじゅうのような黒木くろきの梁はりに架かけまわされてあるのが薄うっすらわかった。あやしげな一個この人間にんげんは、蛾次郎がここへ入はいったとき、上へ身を避さけていたものであろう。今いまになって知れば、馬糧小屋の天井の梁はりにつかまって、ジッと、身動みうごきもしないでいる。

その足もとから落ちた土。……どうりで、ここへ寝ねころんだ時、イヤに、麦藁むぎわらの寝床ねどこがあたたかであり過すぎた。

「だが、誰だれだろう?」

すこし気味きみがわるくなった。

城内じょうないの者ならば、なにも、好このんであんなところにひそんでいる必要ひつようはあるまい。第一、なんだかその影かげも大人おとななみの人間にしてはすこし小さい。

「ははあ」

思い当あたったものがある。

奥庭おくにわで殿とのさまが飼かっている猿さる――あの三太郎猿さんたろうざるじゃないか、とすれば、抱だいて寝ねてやろうか、あいつはおもしろい。

と、蛾次郎がじろうがムックリと起きると、猿とみた梁の影ははなはだ猿らしくなく、きッとかまえをとって、上から蛾次郎のようすを見つめる。

しかも、腰こしのあたり、屋根の破やぶれをもれる光線こうせんに、チカッと光るのは刀かたなの鐺こじりではないか。

とたんに、

「おお!」

と蛾次郎は藁を散ちらして飛びあがった。

「やッ」

と、天井てんじょうの小さい人かげもりすのごとくべつな梁はりへ飛びうつった。

出会であったり! 火独楽ひごまと水独楽みずごま双方そうほうの持もち主ぬし、上にひそんでいたものこそ、どうして、いつどこからこの躑躅つつじヶ崎さきの郭くるわへしのびこんでいたのか、まぎれもあらぬ鞍馬くらまの竹童ちくどう。

その時、鷲わしをよぶ高楼こうろうの笛ふえはまだ、忍しのびやかに遠音とおねであった。

勘助流かんすけりゅう火合図ひあいず

一

奇遇きぐうといおうか、皮肉ひにくなぐうぜんといおうか、じつに人間の意表外いひょうがいにでることは、わずか十坪つぼか二十坪の天地にも、つねに待ちぶせているものだ。

近江おうみ竹生島ちくぶしまの可愛御堂かわいみどうでつかみあいの喧嘩けんかをやってから、菊村宮内きくむらくないに仲裁ちゅうさいをされ、その後ご、小太郎山落城こたろうざんらくじょうのまぎわに別わかれたまま、おたがいにその生死消息しょうそくをうたがいあっていた蛾次郎がじろうと竹童。

ところもあろうに、こんな馬糧まぐさだらけな馬糧小屋ごやのなかで、いきなりぶつかりあおうとは、両童子りょうどうじ、どっちも夢ゆめにも思わなかッたことにちがいない。

「おおッ!」

「やッ!」

とふたりのおどろき。

ピュッと水火両性すいかりょうせいがはじきあってとんだように、はねわかれた暗中あんちゅう二つのかげ。

双方そうほうしばしは天井てんじょうと馬糧まぐさのなかとで、息いきをこらし、らんらんたる眼光がんこうを睨ねめあっていたが、やがてこれこそ、梁はりの上から鞍馬くらまの竹童ちくどう、じッと彼かれなることを見さだめて、

「ウーム、おのれは、蛾次がじだなッ」

と、うめくがごとく叫さけんだ。

「そうよ!」

蛾次郎がじろうもすばやく水独楽みずごまをふところの奥おくにねじこみ、代かわりにあけび巻まきの錆刀さびがたなをもってかまえをとり、柄つかに手をかけて屋根裏やねうらの虚空こくうをにらみつけた。

「――下おりてこいッ!」

と声いッぱい。

あいかわらず鼻息はないきだけはすばらしい。

「オオ、ゆくぞ」

「ウム、こい、こんちくしょう」

とどなりかえしたが、ガサガサ……と腰こしの下の馬糧のワラがくずれるとともによろついて、もう蛾次郎の臆病風おくびょうかぜ、あたまの上へいつ落ちてくるかわからない敵てきのかわしかたをかんがえていた。

だが、これを勝負しょうぶの前兆ぜんちょうとはみられない。

蛾次郎がじろうの争闘力そうとうりょくは、いつも、この腕うでよりは口である。度胸どきょうよりは舌したである。三尺じゃくの剣つるぎよりは三寸ずんの毒舌どくぜつ、よく身をふせぎ敵てきを翻弄ほんろうし、ときには戦たたかわずして勝かつことがある。

「さあ、おりてこい、野のねずみめ!」

そろそろその舌したの鞘さやをはらって、蛾次郎、口ぎたなくののしった。

「うまく罠わなにかかりやがッたな。どう血ちまよったのかしらないが、自分から罠の袋ふくろへはいりこんでくるうすノロがあるか。かわいそうに、はいったはいいが、躑躅つつじヶ崎さきのご門内もんない、西へも東へもぬけだす工夫くふうがつかないで、メソメソべそをかいていやがったんだろう、ざまを見やがれ! いまにおれの親方おやかたや大久保おおくぼさまの侍さむらいたちを呼よんできてやるから、しばらくそこで宙乗ちゅうのりをして待っていろ」

「待てッ、蛾次公がじこう!」

「大きなことをいうない」

「うごくとゆるさぬぞ」

「なにを」

「この小屋こやをでてはいけない」

「伊那丸いなまるの間者かんじゃがまよいこみましたと、おくのご殿てんにどなってやるのだ。待っていろ、そこで!」

「おお、知らせるものなら知らせてみろ、この火独楽ひごまがスッ飛んで、その頭の鉢はちを木こッ葉ぱみじんにくだいてやるから」

「けッ……な、生意気なまいきな……」

とはいったが蛾次郎がじろう、上を見るとこわかった。思わずブルブルッと足がすくんだ。

まだ竹童ちくどうのこんな必死ひっしな顔をかれは見たことがない。梁はりのうえに身みをかがめ、片手かたてを横木よこぎにささえ、右手めてに火独楽ひごまをふりかぶって、うごかば、いまにも発矢はっしと投げつけそうな眼光がんこう。

二

いかにも蛾次郎が胴どうぶるいをおぼえたはずである。気はおもてにあらわる。今宵こよいこそはと最後の死をけっして、石門せきもん九ヵ所しょのかためを越こえ、易水えきすいをわたる荊軻けいかよりはなお悲壮ひそうな覚悟かくごをもって、この躑躅つつじヶ崎さきの館たちにしのびこんだ竹童であった。

「うごいてみろ」

と、かれは火独楽ひごまをつかんで、蛾次郎の頭蓋骨ずがいこつへたたきつけるつもり。

それでいけなければ般若丸はんにゃまるの晃刀こうとう、梁はりの上から抜ぬきざまに、一気き一刀とうの下もとにとび斬きり。

なお討うちそんじたら取ッ組くんで、きゃつの喉首のどくびを締しめあげても、この馬糧小屋まぐさごやのそとへかれをだしては、きょうまでの臥薪嘗胆がしんしょうたんは水のあわではないか――と思いこんでいる鞍馬くらまの竹童。

自分は決死、かれを見るや必殺ひっさつ。

この躑躅つつじヶ崎さきの高楼こうろうにとらわれている咲耶子さくやこをすくいださなければ、男として、鞍馬の竹童として、なんで生きてふたたび伊那丸いなまるや一党とうの人々とこの顔があわされようか。

そう考えてしのびこんだ胸中きょうちゅうの大だい一念ねん、おのずから燐りんのごとく眼脈がんみゃくに燃もえあがっているので、暗々あんあんたる屋根やねうらの梁はりに、そのものすごい形相ぎょうそうをあおいだ蛾次郎がじろうが、口ほどもなく一目め見みるなりブルブルと、膝ひざの蝶番ちょうつがいをはずしかけたのはもっともだった。

神伝しんでんの火独楽ひごまがいかにおそるべき魔力まりょくをもっているかということは、だれよりも同じ水独楽みずごまの持主もちぬし蛾次郎はよく知っているので、あいつを、頭の鉢はちへたたきつけられてたまるものじゃない――と思わずひるんだ。

ことに、じぶんは下、きゃつは上、足場あしばにおいて勝目かちめがない。

黙然もくねんとして刻一刻こくいっこく。

蟇がまがなめくじに魔術まじゅつをほどこしたごとく、じゅうぶんかれの気をのんでしまった竹童は、やがて、一尺しゃく二尺と梁の上をはいわたって、蛾次郎がじろうのすぐ脳天のうてんのところへ片足かたあしをブランと垂たらした。

「あッ!」

と、腰こしを立てたとたん、蛾次郎はその足に肩かたをけられた。どすん! と藁わらの山に腰をついたが、無意識むいしきに、ウヌ、とばかり竹童の足にしがみついて振ふりまわしたので、かれのからだも梁のうえから落とされて、藁のなかにころげ落おちる。

組くんだ!

まるで二匹ひきのりすのように、そこで取ッ組んだ蛾次郎がじろう竹童ちくどう。

つウ! えいッ! くそウ! と下になりゴミをかぶってもみあったが、弾力性だんりょくせいのある麦むぎワラの上なので、どっちもじゅうぶんに力がはいらず、目へチリをいれたり、ほこりを吸すいこんで、むせたりしているうちに、両童子りょうどうじ同体どうたいにゴロゴロゴロと馬糧まぐさのワラ山からワラをくずして九尺しゃくほど下へころがる。

富士ふじの須走すばしりとワラ山の雪崩なだれに、怪我人けがにんのあった例ためしはない。むろん、ころげ落おちた神童しんどうと畸童きどう、どっちも、そこでは健在けんざいだったが、落ちゆくまに、竹童ちくどうはかれの耳タブをギュッとつかみ、蛾次郎はあいての口中こうちゅうへ拇指おやゆび、もう一本、鼻はなのあなへ人差指ひとさしゆびを突つッこんでいた。

「ア痛いたッ」

と叫さけんだのはその拇指おやゆびを、竹童ちくどうの歯はにかまれたのであろう。胸むねをついて手をはなし、あけび巻まきの錆刀さびがたなをザラリと抜ぬきかける。

抜くより投げられているほうが早かった。

みごと、ドスン! と。

「隠密おんみつだ隠密だーッ。伊那丸いなまるの隠密が入いりこんできた。だれかきてくれッ――」

とそこで、蛾次郎が大声おおごえで呼よばわったので、竹童はぎょッとして、かれの悲鳴ひめいをふせぐべく、思わず、おどしにつかんでいた火独楽ひごまを、

「こッ、こいつめ!」

と、かれの横顔よこがおめがけてたたきつけた。

ひゅうッと火の閃条せんじょう!

魔力まりょくはそれをはなった持主もちぬしの怒気どきをうけて、ブウーンと独楽こまの心棒しんぼうに生命力せいめいりょくをよみがえらし、蛾次郎がじろうの顔へうなりをあげておどってきた。

「ひゃアッ!」

と抜ぬいたのは錆刀さびがたな、身をかわして火の閃条を切りはらったが、なんの手ごたえもなく、ジャリン! とふたたび鳴っておどる火焔かえんの車輪独楽しゃりんごま。

まるで竹童の手から狐火きつねびがふりだされるようだったが、いつもの頓智とんちに似にず、蛾次郎がふところにある水性すいせいのふせぎ独楽ごまに気がつかず、ただ、神魔しんまの火焔かえんに錆刀を振ふっていたずらに疲つかれたのは愚ぐのきわみだ。

「ええ! オオッ」

と目まばたきする間もなく、噛かみついてくる独楽の閃影せんえいに、蛾次郎はヘトヘトになって逃にげまわる。――そのするどい金輪かなわの火が一つコツンと頭にふれたらさいご、肉にくも骨ほねも持ってゆかれるのはうけあいである。

でも、まだ、じぶんのふせぎ独楽には気がつかずに、ただ、

「こいつはたまらない」

と無我夢中むがむちゅう。

いきなりあたりにある馬糧まぐさをかぶった。

土龍もぐらのように首を突つっこみ、積つんであるワラ山へ無我夢中むがむちゅうでもぐりこむ。

とたんに――ゴツンとなにか尻しりに当ったような気がしたが、痛いたくなかったのは首尾しゅびよくワラで防いだものだろう――とは蛾次郎がじろうが夢中の感覚かんかく、ワラ山に大地震おおじしんを起して、むこう側がわの戸口とぐちへ抜ぬけだそうとしたが、すわ、大へん。

「――南無なむ三!」竹童も色をうしなった。

ワラが赤くなった! ワラが赤くなった! 積つみあげてある馬糧まぐさのいちめんから、雨上あめあがりの火山かざんか、芋屋いもやの竈かまのように、むっくり……と白いけむりがゆらぎはじめた。

火独楽ひごまの焔ほのおが燃もえついたのだ。

うつったものは乾燥かんそうされたワラであるし、屋根やねうらの高い小屋の木組きぐみは、一瞬しゅんにして燃えあがるべくおあつらえにできている。

ド、ド、ド、ドッと蛾次郎の悲鳴ひめいが小屋の内部ないぶをたたきまわった。出口をさがしているのである。しかし火を見たとたんに、逆上ぎゃくじょうしている頭では、七間けん四方ばかりな羽目板はめいたに、一つの出口がなかなか見つからない。

そッちじゃない! こッちじゃない! と頭をぶつけまわっては、ワラ山にはいあがり、煙けむりにむせてはころげ落ちる。

かくてさわげばさわぐほど、火は散ちらかって一端たんから、パッと、一団だんの焔がたつ。

「しまッた――」

と竹童ちくどうも、いまは蛾次郎がじろうを相手にしているどころではなく、焔ほのおにカッとうつって見えた出口のところへ馳かけよって、五体の力を肩かたのさきに、グンとそこへ打ぶつけていった。

戸とはガッシリとして口を開あかない。

さては横よこにひく車戸くるまどかと、諸手もろてをかけて試こころみたが、ぎしッといっただけで一寸すんも開ひらかばこそ。

「オオ、これは?」

裾すそに燃もえつきそうな紅蓮ぐれんをうしろにして、押おしつ引きつ、満身まんしんの力をしぼったが、戸とはいぜんとして鉄壁てっぺきのようだ。

そればかりか、その時ふと耳についたのは、パチパチとはぜる内部の火の音ではなく、まさしく数十人の人足にんそくとおぼえられる物おとが、小屋の外部を嵐あらしのごとくめぐっている。

ああ、いけない。

甲館こうかん躑躅つつじヶ崎さきの詰侍つめざむらいが、すでに、ここの物音を聞きしって、そとをかためてしまったにそういない。

そして、ふしぎな火のはぜる音に、その原因げんいんをうたぐって、焼やけあがるのを待っているのだろう。

館やかたの側がわになってみれば、何千貫がんといっても多寡たかが馬糧まぐさで、焼やいても惜おしいものではあるまいが、でるにでられない蛾次郎と竹童こそ災難さいなんである。

どこへでも、一ヵ所、風穴かざあなができて見ろ、こんがりとした二つの骸骨しゃりこうべが、番士ばんしの六尺しゃく棒ぼうで掻かき分けてさがしだされるのはまたたく間まだ。

三

その高楼こうろうを源氏閣げんじかくという。

三層そうづくりのいただき、四方ほう屋根やね、千本ぼん廂びさし、垂木たるき、勾欄こうらんの外型そとがたち、または内部八畳じょうの書院しょいん、天井てんじょう、窓まどなどのありさま、すべて、藤原式ふじわらしきの源氏づくりにできているばかりでなく、金泥きんでいのふすまに信玄しんげんが今川家いまがわけから招まねきよせた、土佐名匠とさめいしょうの源氏五十四帖じょうの絵巻えまきの貼はりまぜがあるので、今にいたっても、大久保長安おおくぼながやすの家中かちゅうみな源氏閣とよんでいる。

やはり、甲館こうかんの濠ほりのうちで、躑躅つつじヶ崎さき七殿でんのうちの桜雲台おううんだい千畳じょう敷じきの広間ひろまの東につづいて建たってある。

さっき――といっても、わずかなまえ。

蛾次郎がじろうが竹童ちくどうのいるのを知らず、ワラ小屋で幸福こうふくないびきをかいていたころに、その源氏閣の上で、しのびやかに吹ふく佳人かじんの笛ふえの音ねがしていた。

「おお、あすこが濠ほりのさかい……」

咲耶子さくやこは欄らんによってのびあがった。昼ひるならばいうまでもなく、甲州盆地こうしゅうぼんちはそこから一眸ぼうのうちに見わたされて、帯おびのごとき笛吹川ふえふきがわ、とおい信濃境しなのざかいの山、すぐ目の下には城下じょうかの町や辻々つじつじの人どおりまでが、豆まめつぶのごとく見えるであろう。

が――いまは夜あけに近い闇やみ。

澄すんでいるとはいえ、月もどこかに、星明ほしあかりでは、ただ模糊もことしたものよりほかに下界げかいの識別しきべつがつかない。

しかし、彼女かのじょはそのうッすらとした夜霧よぎりの底そこから、やっと、この城郭じょうかくの境さかいをなす、外濠そとぼりの水をほのかに見出みいだしたのである。そして、しばらくはそこへ、ジッと目をつけて、手の横笛よこぶえをやすめている。

「まだ見えない」さびしくつぶやいて、なにかふかく思案しあんしていた。

「――高音たかねをだして吹ふけば、夜詰よづめの侍さむらいが眼をさますであろうし、いまの音ねぐらいでは、あの濠ほりの向こうへまではとどかぬであろうし……」

そういったが、彼女のまつ心に、それからまもなくポチと一つの明あかりがうつった。

北の石門せきもんにあたる外濠である。

霧きりににじんでその灯影ほかげが蛍ほたるのように明滅めいめつしていたかと思うと、その灯ひが横に一の字を描かく。

「オオ」

と、彼女は、微笑びしょうをもって、それへはるかな注意ちゅういをおくっている。――すると、その灯は消きえて、つぎにはやや青味あおみをもった灯が、ななめに、雨のような筋すじを三たびかいた。

つづいて――青赤あおあか二点てんの灯が、たがいちがいに手ばやく闇やみに文字をえがくがごとくうごいたが、それは軍学ぐんがくに心あるものでも、めったに意味いみを解とくものは少ない、勘助流かんすけりゅう火合図ひあいずの信号しんごうにそういない。

「……や、いまから夜明けの間まに……オオ、四十八人が……」

闇やみにかく灯ひの暗号あんごうを、咲耶子さくやこは熱心な目で読んでいたが、とつぜん、風にでも消けされたように、青あおい灯ひ、赤い灯、ふたつとも、いちじにパッと消きえてしまった。

と――同時に、彼女の耳ちかく、一陣じんの強風が虚空こくうから横なぐりに巻まいてくるのを感じた。そして、躑躅つつじヶ崎さきの建たちならぶ殿楼長屋でんろうながやのいらかの波なみへ、バラバラバラバラまッくろな落葉おちばのかげが雹ひょうのように降ふってくる!

彼女は知らなかった。

自分が最前さいぜん、濠ほりのあなたへ、忍しのびやかに吹いていた笛ふえの音ねが空をゆるく、妙たえに流れているあいだ、酔よえるように、しずかにこの源氏閣げんじかくの上を舞まっていた怪鳥けちょうのことを。

「あッ――」と、はじめて知る。

颯然さつぜんと目のまえへ降おりてきたのは、大鷲おおわしのクロである。

黒いちぎれ雲のように、彼女のまえをかすめて奥庭おくにわへ降りたかと思うと――地にはとまらないで、また、舞まいあがってきた。

しかし、それは彼女の目には見えないで、ただ、翼つばさの音にそう感じたのであるが、やがて、もっとはっきりした音が、バサッと、屋根瓦やねがわらを打つように聞えて、あとはシンとしずかになった。

こんがら・せいたか

一

まるで夢ゆめのようだ。一瞬しゅんの疾風はやて。

たしかに、竹童ちくどうの愛鷲あいしゅうクロのようだったが――見ちがいであったかしら? 幻まぼろしであったかしら? ――と咲耶子さくやこはあとのしずかななかで錯覚さっかくにとらわれた。

しかし、錯覚ではない。いまの名残なごりの吹ふきあおられた落葉おちばが、まだ一ひら二ひら宙ちゅうに舞まっているのでもわかる。鷲わしがこの源氏閣げんじかくの附近ふきんにおりたのは事実じじつにちがいない。

とすれば、どこへいったのかしら――と彼女かのじょが欄らんの南側みなみがわから奥庭おくにわの廂ひさしをのぞいていると、とつぜん、

キャッ! キッキッキ、キ、キ、キイ……

とけたたましい声をあげて、廂うらの垂木たるきをガリガリと走はしってきた小猿こざるが、咲耶子の肩かたにとびついて手をやるとまた足もとへとび、おそろしくなにかに恐怖きょうふしたらしく、彼女のまわりをグルグルまわりだした。

大久保長安おおくぼながやすが下のおく庭にわに飼かっておく三太郎猿さんたろうざる。

ときどき、源氏閣にはいあがってきて、幽閉ゆうへいされている咲耶子とは、いつのまにか仲なかよしになっていたが、今夜も、その仲なかよしの人のいる三層そうのうえの棟木むなぎへでもきて、腕枕うでまくらで寝ねていたものとみえる。

その三太郎がおどろいてとび降おりてきたところをみると、やはり、鷲わしはこの閣かくの屋根やねに翼つばさを止とめているのであろう――と咲耶子さくやこが欄らんに手をやって、屋根をふりあおぐと、

「もし、女のお方かた」

意外いがいや、上うえから人のこえが呼よぶ。

はッ……と咲耶子は胆きもをちぢめたふうである。さっきの火合図ひあいずで、明け方までに胸むねに一つの計画けいかくがあるので、不意ふいな人ごえに、思わず水をかけられたようになった。

「もし……」と、上ではふたたび呼んでいる。

「こんなところに降おりて、まことにどうにもならないでこまりました。しつれいながら、そこへ降りることをおゆるしくださらぬか」

見ると、屋根から下をのぞいているのは、色のしろい美少年。

金きんの元結もとゆいが前髪まえがみにチラチラしている、浅黄繻子あさぎじゅすの襟えりに、葡萄色ぶどういろの小袖こそで、夜目よめにもきらやかな裃かみしもすがた――そして朱房しゅぶさのついた丸紐まるひもを、胸むねのところで蝶ちょうにむすんでいるのは、背せなかへななめに持っている状筥じょうばこであるとみえる。

咲耶子はふしぎなものが、天から降りてきたように感かんじたが、とにかく、自分に異議いぎをいう権利けんりはないので、かれのたのみをゆるすと、この美少年、三太郎猿さんたろうざるほどのあざやかさではないが、垂木たるきにすがって欄の上へ、白足袋しろたびの爪先つまさきをたて、ヒラリと、源氏閣げんじかくの座敷ざしきのなかへはいってきた。

「――ありがとうございました。して、これから大久保おおくぼさまのご本殿ほんでんか、お表おもてへまいるには、どこに降おり口がありましょうか……」

「階段かいだんをおたずねになりますので? ……」

「さようです」

「この源氏閣げんじかくには、降おりる階段かいだんはございませぬ」

「えッ……」美少年はびっくりして、

「では、どうしてあなたはここへあがられましたか」

これは、いかにももっともな質問しつもんだった。

そのとうぜんな問といをうけて、咲耶子さくやこは返辞へんじに窮きゅうした。自分は捕とらわれの身なので、この閣かくのいただきにあげられ、階段かいだんをはずされてしまっているのだが、何者なにものとも知れないこの少年に、うかつにそんなことを口すべらせていいか、悪いか。

二

「いえ、この源氏閣にも、昼ひるになればまた、降りる口がないことはございませんが……」

咲耶子の返辞はずいぶんあいまいであった。

「ほウ……夜は下へ通つうじませんか」

「はい」

と、それでキッパリ話はなしをきって、

「したが、あなたはいったい、何者なにものでございますか、また、どうして屋根やねの上などから? ……」

「ああ、そうでした。いかにも、それをさきに申しあげなければ、さだめしご不審ふしんでございましょう」

と、中腰ちゅうごしでいた身がまえをなおして、咲耶子さくやこの前にしずかにすわった。

小屏風こびょうぶのかげに、銀の照てらしをつけた切燈台きりとうだいが、豆まめほどな灯明ほあかりを立てていた。それで見ると少年は、まだほんの十三、四歳さい、それでいて礼儀れいぎことばはまことに正しく、裃かみしもにみじかい刀かたなを二本差さしているすがたは、夢ゆめの国からきた使者ししゃのようである。

両手りょうてをついて、

「申しおくれました。わたくしは遠江とおとうみ浜松はままつにご在城ざいじょうの、徳川家康とくがわいえやすさまのおん内うちでお小姓こしょうとんぼ組ぐみのひとり、万千代まんちよづきの星川余一ほしかわよいちというものでござります」

「えッ、家康さまの家来けらい?」

「はい」

やはり敵方てきがたの片割かたわれであった。うかつなことをさきに口へもらさなくてよかったと、咲耶子は心のうちで思うのだった。

「余一とやら、それはうそでありましょう。お小姓とんぼ組のひとりとはいつわりにちがいありませぬ」

「なぜでございますか。わたくしは、万千代まんちよさまの組くみの小姓こしょうにちがいないのですのに」

小さな余一よいちは躍起やっきとなって、年上の咲耶子さくやこがたくみにかけたことばの綾あやにのせられていった。

「では、そのお小姓組こしょうぐみのおまえが、どうしてこんな屋根上やねうえから、おやかたのなかへはいろうとしますか」

「じつはわたくしは、鷲わしの背せなかに乗のってきたのでございます……」

「オオ、ではいま、空から真まっさかさまに降おりてきたあの怪鳥けちょうにのって……?」

「はい、浜松城はままつじょうをでてまいりましたのは宵よいでしたが、とちゅう空でおそろしい霧きりにまかれ、やッといまごろここに着つきましたが、ここへくると、またどこかで狛笛こまぶえの音ねがしていたせいか、ご門のほうへは降おりてゆかず、とうとうこの源氏閣げんじかくの屋根の上へ、翼つばさをやすめてしまいました」

「そして、その鷲はどうしましたか」

「閣上かくじょうの擬宝珠柱ぎぼうしゅばしらに結ゆいつけておきました」

「あの鷲は、いぜん、わたしもよそで見たことがありますが、どうしておまえのものになっているのか、わたしは、ふしぎでならない気がする」

「さればです――」

と余一は袴はかまの両膝りょうひざに手をあらため、小ざかしげな眼をパチッとさせて、

「あの金瞳きんどうの黒鷲くろわしともうしますものは、今年の春のくれつ方かた、三方みかたヶ原はらで万千代まんちよさまが、にせものの独楽こままわしにとられたものでござります。で、浜松のお城しろでも、万千代さまのおのぞみぞと、その後ご、諸処しょしょほうぼうへ足軽あしがるをかけらせ、鷲のゆくえをさがさせておりましたが、トンとすがたが見つかりません。しかるところ、さきごろ裾野すそのの猟人かりゅうどが、この黒鷲が落ちたところを生いけ捕どりましたとおとどけにおよんだので、見ると、どこでやられたのか、股ももと左のつばさの脇わきに、二ヵ所しょの鉄砲傷てっぽうきずをうけております。ヤレふびん、オオ、かわいそうなやつと、万千代さまはもうすもおろか、とんぼ組ぐみ一同が、浜松城はままつじょうのお庭にわに飼かって、医療手当いりょうてあてをしながら大事がりましたので、鷲もいつかみんなになれ、いまでは、わたしのようなチビでさえ、自由に使いこなせるようになりました」

と、ここで余一よいちはことばをきって、オオ、じぶんはなにをきかれて、なにを答えようとしていたのかと、かわいい首をすこし曲まげた。

「ああ、それから、今夜のわけでございます……。ふいに今夕こんゆう浜松城の大広間おおひろまでなにやらみなさまのこ評定ひょうじょう、――と見えますると、余一余一! こう万千代さまのお呼よびです。はッと、おんまえにかしこまりますと、すなわち、このご状筥じょうばこ――」

肩かたにまわして胸むねにむすんだ、紅あかい丸紐まるひもの房ふさをいじりながら、

「――この御書ごしょをとりいそいで、甲州こうしゅう躑躅つつじヶ崎さきの大久保石見守おおくぼいわみのかみの手もとへまでとどけよ、とのおおせにござります。これは名誉めいよなお使番つかいばん、クロを飼いならしていらい、鷲わしにのってお使つかいをするものは、とんぼ組ぐみの誉ほまれとしてありますので、わたしはほんとにうれしゅうございました」

「おお、それでよくわかりました。ではおまえは、お使番つかいばんになってこの館たちへ、家康いえやすさまの手紙を持ってきたのですね」

「すこしも早く石見守いわみのかみさまのお手へ、お渡わたししなければ役目がすみません。宿直とのいの方かたをお呼よびするには、どこから声をかけたものでございましょうか」

と小姓こしょうの星川余一ほしかわよいちはまた膝ひざを立てて、あたりを見まわすようすであったが、そんなものを呼ばれては大たいへん、これから夜明けまでのあいだに、彼女がなそうとする計画けいかくはやぶれてしまう。

といって、ここへ止とめおいてもこまるし、どうしたものか、と咲耶子さくやこがふと考かんがえまどっていると、――キイッ、キイッ、キイ、と、また三太郎猿さんたろうざるが勾欄こうらんの上をいったりきたりしながら、異常いじょうなあわてかたをしてさけびだした。

「あ、あれッ……」

三太郎のヘンな啼なきごえに余一も咲耶子も、その時はじめて、夜気やきのふかい館たちのあなた、外郭そとぐるわのあたりにあたって、しずかな変化へんかが起おこっているのに気がついた。

それはちょうど、館たちの北側きたがわにつづく馬廻うままわり役の長屋ながやの近くである。そこに建たっている屋根やねの高い馬糧小屋まぐさごやから蒸むれたせいろうのように白いけむりがスーとめぐっている。

はて、おかしい?

不審ふしんな目をみはると、余一はたちまち、

「な、なんだろう! あれは?」

お使者ししゃの格式かくしきをわすれて、お小姓こしょうとんぼマルだしの、子供らしい口ぶりになっていた。

「火事かじじゃないかしら」

「おう……ほんとに」

「火事だ、火事だ、みんな知らないのかなあ、ほら、ほら、ほら! 白い煙けむりがだんだんひどく噴ふいてくる」

と、三太郎猿さんたろうざるといっしょになって心配しんぱいしだした。

三

一ぽう、馬糧小屋まぐさごやのなかでは、竹童ちくどうと蛾次郎がじろう。

パチ、パチ、パチ、パチ……

火はわらの穂ほを食たべてゆくようにうつる。むーッとこもる熱気ねっきは刻一刻こくいっこくにたかまる。そして、むせるそばから煙は目めや鼻はなにしみて防ふせぎようもない。

カアーッと、あかいガラスで見るように、小屋いちめんが、まッ赤かに見えたかと思うと、火龍かりゅうは気味きみわるく舌したをひそめて、暗澹あんたんとまッ黒な渦うずをまいて、二つのおどる影かげも、煙のなかに見えなくなる。

斃たおれたかな?

と思っていると、また、パッと立つ炎ほのおの明あかりに、両童りょうどうのすがたが黒く浮うきだす。

けんめいに戸とを破やぶろうとして竹童ちくどうは、そこをうごかず、蛾次郎がじろうは、むちゅうになって、ほかの出口をさがしているのだ。焼やけ死ぬか、のがれだせるか、人間最高の努力どりょくをふりしぼる瞬間しゅんかんには、かれもこれも、おそろしい無言むごんであった。

するとその時、竹童は自分のうしろで、とつぜん、ヒーッという絶叫ぜっきょうを聞きいた。

見ると、もう血ちがあがってしまった蛾次郎が、

「あ熱つッ……あ熱つ……あ、つつ、つッ……」

着物きものにもえついた火をハタきながら、まるで気狂きちがいのようになって、もう逃にげ口ぐちのけんとうもつかず、盲目的もうもくてきにやわらかいワラ火の山へ向かって駈かけだそうとする。

「おいッ」われを忘わすれてとは、この時の竹童のこと。

「ばッ、ばかッ。そッちは火だ!」

と、蛾次郎の襟えりがみをつかんで引きとめた。いや、投げとめた。

そして、かれを地べたにころがして、袖そでや裾すそにもえついている火を消けしてやると、蛾次郎は煙けむりにむせながらはねおきて、こんどは竹童と一しょになって、戸をやぶるべく必死ひっしに力をあわせはじめた。

しかし、いぜんとして出口は開かれない。

ふたりの命いのちも早やあきらめなければなるまい。噴ふきあがった業火ごうかはふたりの無益むえきな努力どりょくをあざわらうもののごとく、ずッしりと黒く焦こげたワラ山から小屋の羽目板はめいたをなめずりまわしている。

心頭しんとうを滅めっすれば火も涼すずし――と快川和尚かいせんおしょうは恵林寺えりんじの楼門ろうもんでさけんだ。まけおしみではない、英僧えいそうにあらぬ蛾次郎がじろうでも、いまは、火のあついのを意識いしきしなくなった。

いやふたりはまだ、より以上いじょうふしぎなものを忘わすれていた。蛾次郎は竹童ちくどうを、竹童は蛾次郎を、あくまで敵てき、あくまで仇かたき! と思い合っているはずなのに、その憎念ぞうねんを瞬間しゅんかんスッカリ忘れてしまって、放ほっておけば、ひとりで火の中に飛びこんで死ぬのを抱だきとめたり、おたがいに髪かみの毛や袖そでに移うつる火を消けしあったり、そうしては、力をあわせて、けんめいに戸とを破やぶりにかかっているのだ。

ああ、竹童と蛾次郎とが、一つの目的もくてきへむかって、こんなに仲なかよく気きをあわせて必死ひっしになっているということが、きょうのいままでに、一どでもあったろうか。

なにしろ、ふたりはむちゅうだ、一念ねんだ、死にものぐるいだった。

一方がたおれれば戸をやぶる力が半分になる。

火に負まけるな!

この運命うんめいを突つきやぶれ!

死んでくれるな! 死んでくれるな!

あえて意識いしきしない共和きょうわと、たがいの援護えんごがそこに生まれた。裾すそをあおる炎ほのおの熱風ねっぷうよりは、もっと、もっと、つよい愛を渾力こんりきで投げあった。

ガラン!

縄なわが焼やけきれたか、すぐそばへ、火の粉こをちらして落ちてきた一本の松丸太まつまるた。

「オオ、蛾次がじ、これを持て」

「よしきたッ」

知恩院ちおんいんの大梵鐘だいぼんしょうでも撞つくように、気をそろえて、それへ手をかけあった両童子りょうどうじ、息いきと力をあわすやいな、

「ええッ!」

「おウッ――」

ドウン! と戸口へ突つッかけた。

「開あいたア!」

まさにこれ暁あかつきの声だ。

生命せいめいの絶叫ぜっきょうだ。

ガラガラガラッととつぜん、風と紅蓮ぐれんの争闘そうとうがはじまった下をくぐって、蛾次郎がじろうと竹童ちくどう、ほとんど同時に、打ちこわした所ところから小屋の外へ、頭の毛の火の粉こをはらっておどりだした。

必然ひつぜん。

その間髪かんはつには、ふたりの頭脳あたまに、助かッたぞッ――という歓呼かんこがあがったであろうが、結果は同じことだった。ただ業火ごうかの地獄じごくから八寒かん地獄じごくへ位置いちを代かえたにすぎなかった。

なぜ?

と――いうも迂遠うえんな話で、すでに最前さいぜんから小屋の外には、おびただしい人の足音が、なにかヒソヒソ囁ささやきながら嵐あらしの先駆せんくのごとく、ひそかにめぐりめぐっていた。

待ちかまえてやあがったのだろう――。

不動明王ふどうみょうおうに炎陣えんじんから蹴けとばされたこんがら、せいたかの両童子りょうどうじでもあるように、火だらけになってころげだしたふたりをそこに見るやいな、

「それッ、その者を」

「やるな!」

とばかりいっせいに寄よる氷雨ひさめと人影ひとかげ。

二どめの仰天ぎょうてん。あッと、起きあがろうとしたのもおそい!

すでに霜しもと植うえられた龍牙りゅうがの短刀たんとう、もしくはながき秋水しゅうすい、晃々こうこうたる剣陣けんじんを作って、すばやくふたりの逃にげ道をかこんでしまった。

三太郎猿さんたろうざるの早飛脚はやびきゃく

一

「ありがたい。味方みかたがそとに待っていた。館やかたのつよい武士ぶしたちが馳かけつけていた」

と、よろこんだのは、せつな、蛾次郎がじろうの生きかえった気持。

それとは反対はんたいに、

「しまった、もう敵てきの手がまわったか」

と絶望的ぜつぼうてきな驚おどろきにうたれたのは、とっさ、竹童ちくどうの感じたところで、いわゆる、一難なん去さってまた一難、もうとてものがれる術すべはないものと覚悟かくごをきめた。

ところが、果然かぜんその直覚ちょっかくはあべこべで、手に手に細身ほそみの刀、小太刀こだちを持ち、外に待ちかまえていた者たちは、館やかたの武士ぶしとも思われない黒の覆面ふくめん、黒のいでたち。

人数はおよそ三、四十人、しかもみな、柳やなぎの精せいか、梅うめの化身けしんか、声すずしく手は白く、覆面すがたに似合にあわないやさしいすがたの者ばかりで、甲こう、乙おつ、丙へい、丁てい、どの影かげもすべて一体たいの分身ぶんしんかと思われるほどみなおなじ背せかたちだ。

「それ、蛾次郎を生いけ捕どれ!」

なかのひとりがこうさけぶと、閃々せんせんたる小太刀の陣じんは霜しもの歯車はぐるまのように、かれのまわりをグルリとめぐって、有無うむをいわさず、蛾次郎を高手小手たかてこてにしばりあげる。

「や、燃もえあがった――」

「おくれては一大事」

「奥おくへ、奥へ」

すでに馬糧小屋まぐさごやの火は屋根やねから空へもえ抜ぬけて、あかあかとした反映はんえいが躑躅つつじヶ崎さき一帯たいの建物たてものを照てらした。

「蛾次郎がじろうはどうしましょうか」

「捨すててゆけ、この場合ばあいじゃ」

「捨ててゆくのもせっかく、おお、むこうの厩うまやの柱はしらへ、しばりつけて――」

「なにしろ、すこしも早く奥庭おくにわへ」

「源氏閣げんじかくへ、源氏閣へ!」

散りぢりに呼よびあい、叫びあいながら、柳姿りゅうしの覆面ふくめん三、四十人、芒すすきとそよぐ刃やいばをさげて、長屋門ながやもんの番士ばんしを斬きり、いっきに奥へはしり入いった。

「やッ、待まって」

と竹童ちくどうも不審ふしんのあまりその人々のあとを追おって、

「あなたがたは?」

と、息いきをせいてきく。

走りながら、覆面のひとりが、

「竹童さま、お忘わすれか」

次つぎにまた一つの顔がふりかえって、

「――お忘れか、お忘れか、虹にじの松原まつばらのお別わかれを」

さらに、足もやすめずまただれかが、

「わたくしたちは緋ひおどし谷だににいた乙女おとめのむれ!」

と明らかに名なのった。

そういわれれば覆面ふくめんながら、一つひとつにおぼえのある顔。

「いつか、虹にじの松原まつばらで、竹童ちくどうさまとお別わかれしてのち、里さとにかえって散ちりぢりになっていましたが、かねてのやくそく、わたくしたちの心のちかい、こよい外濠そとぼりにあつまりました」

「深い話はしていられませぬ、一刻こくも早くあのお方かたを」

「咲耶子さくやこさまをお救すくい申しに」

「竹童さまもまいられませ」

「力をそえてくださいませ」

「仔細しさいはあと――」

「かなたをさきに」

群むれをくずして走ってゆきながら、こんな端的たんてきなことばを口々に投げた。

さては、小太郎山こたろうざんから手当てあてされて、甲府こうふの城下じょうかにはいるまえ、虹にじの松原まつばらで礼れいもいわず置おきずてにして自分は馳かけだしてしまった、あの、優雅ゆうがにして機敏きびんな少女の工匠たくみたちであったか。

と知って。

竹童はその意外いがいさをよろこびもし、驚おどろきもしたが、なにを話すまもない馳けながらのこと。

「おっしゃるまでもないことです。もともと、咲耶子さまが捕とらわれたのは、わたしにも罪つみのあること、それゆえ自分もこの館たちに忍しのんでいましたが、ここで会あったのは神さまのお助け、およばずながら竹童も力を添そえます」

これだけいって、腰こしの般若丸はんにゃまるをひき抜ぬいたが、その刀身とうしんは、いきなりまっ赤かにひかって見えた。うしろの炎ほのおはもう高い火柱ひばしらとなっていた。

二

奥庭おくにわまでは白壁門しらかべもん、多門たもん、二ヵ所しょの難関なんかんがまだあって、そこへかかった時分には、いかに熟睡じゅくすいしていた侍さむらいや小者こものたちも眼をさまし、警鼓けいこ警板けいばんをたたき立て、十手じって、刺股さすまた、槍やり、陣太刀じんだち、半弓はんきゅう、袖搦そでがらみ、鉢はちワリ、鉄棒てつぼう、六尺しゃく棒ぼう、ありとあらゆる得物えものをとって、一時に、ワーッと侵入者しんにゅうしゃのゆく手を食くいとめにかかった。

血戦けっせんは開かれた。

もとより、人数のすくない少女たちのほうでは、初めからひそかに咲耶子さくやこを救すくいだす策略さくりゃくで来たのであるが、とちゅう、馬糧小屋まぐさごやにふしぎな煙けむりがもれていたため、その疑惑ぎわくにひまどって、ついに、こういう破目はめになったのは、まことにぜひないことであった。

及およばぬまでも、このうえは敵てきをむかえて、緋ひおどし谷だにで練ねりきたえた、胡蝶こちょうの陣じんを組くみほぐしつ、糸を染そめるほそい指に小太刀こだちをにぎり、死ぬまで、戦うよりほかに道がない。

さいわいに風がない。

小屋をぬいた炎ほのおの柱はしらはボウーッとまっすぐに立って、斬きりつ斬られつ、みだれあう黒い人かげの点在てんざいを見せる巨大きょだいな篝火かがりびのごとく燃もえている。そして、ほかの建物たてものへもさいわいと火がはってゆくようすも見えない。

「曲者くせものだぞ、曲者だぞ」

「火事だ、出火しゅっかだ」

「出合であえ! 出合え!」

詰侍つめざむらいの部屋へやや長屋ながやにいる常備じょうびの武士ぶしを、番士ばんしは声をからして起しまわる。たちまち、物ものの具ぐとって馳かけあつまる敵てきはかずを増ますばかり。

殷々いんいんたる警鼓けいこの音おと、ごウーッとふとい炎ほのおの息いき、人のさけび、剣つるぎのおめき、館たちの東西南北九ヵ所の門は、もうひとりも生きてはかえすまいぞと、戦時にひとしい非常の固かためがヒシヒシと手くばりされた。

すると。

その一方の土手どてむこう、外そとぼりをへだてた城外じょうがいの柳やなぎのかげに、耳に手をかざして、館のなかの騒音そうおんをジッと聞きいている者がある。

夜よな夜なこの外城そとじろの隙すきをうかがっていた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうと巽小文治たつみこぶんじのふたりだ。

「はて、ふしぎだのう……」

「内部の者があやまって、火災かさいを起してうろたえているのだろう」

「いや、それだけのさわぎではないようだ」

「じゃア、何者なにものか、われわれの仲間なかまのものが、咲耶子さくやこをすくい、また、小太郎山こたろうざんの雪辱せつじょくをしに、斬きりこんでいったのだろうか」

「なにか殺気さっきだっているが、伊那丸いなまるさまといい他ほかの者といい、ここへくれば、なんとかわれわれに手はずをなさるであろうから、どうもそうは考えられんな」

「では、なんだろう」

「石見守長安いわみのかみながやすの家中かちゅうで、うらぎり者が起ったか、でなければ、仲間同士どうしの争闘そうとうか」

「そうとすればおもしろいが――オヤ……」

と小文治こぶんじは足もとをすかすように、ほの明るく映はえている外濠そとぼりの水面すいめんをながめだす。

「――妙みょうな物ものが浮ういている」

「なんだ?」

「手組てぐみの筏いかだらしい――ヤ、そして、あの柳やなぎの木の根ねからむこうの堤どてへ、一本の綱つながわたしてあるぞ」

「ウーム、するとやッぱり、これは内部の仲間割なかまわれではないな」

「この筏は天佑てんゆうかも知れんぞ」

「ウム」

「渡わたりに舟ふねというものだ、なにはともあれ、こいつに乗って城内じょうないに入いりこんで見ようではないか」

「おお、よかろう!」

決然けつぜんというと龍太郎りゅうたろうは、柳やなぎの根へかけ寄よって、渡わたし綱づなにそえてあるともづなをこころみにグイと引ッぱってみた。

案あんのごとく、濠ほりのなかほどに浮ういていた手組てぐみの筏いかだは、かるく、こっちの岸きしへよってきた。手組の筏というのは、およそ、ゆく手に水路すいろのあるのをさっした場合ばあい、おのおの、九尺しゃくの桐丸太きりまるたを一本ずつたずさえていって、そくざに菱形筏ひしがたいかだをあんでは渡ってゆくことで、これは、越後流えちごりゅう、甲州流こうしゅうりゅう、長沼流ながぬまりゅうを問とわず、すべての陣法じんぽうにあるめずらしくもないことなのである。

ヒラリ――と龍太郎それへ乗る。

「白鷺しらさぎのようだな……」

小文治こぶんじはかれの姿すがたを形容けいようしながら、あとから飛びのって渡し綱をたよりに、グングン濠の水をあなたの芝土手しばどてへと横切ってゆく。

苦くもなく渡っておどりあがった。

なるほど、これでは三、四十人の覆面ふくめん少女が、やすやすと躑躅つつじヶ崎さきへ入いりこんだわけだが、まだ龍太郎には、この手組の菱筏ひしいかだが、だれに使用されたものか想像そうぞうはつかなかった。

三

ガバとはね起きた石見守いわみのかみ、大久保長安おおくぼながやすは、悪夢あくむにおびやかされたように、枕刀まくらがたなを引ッつかむなり、桜雲台本殿おううんだいほんでんの自身じしんの寝所しんじょから廊下ろうかへとびだした。

「桐井吾助きりいごすけ! 桐井吾助!」

足をふみ鳴らして宿直部屋とのいべやへ呼よびたてる。

「狩谷かりやはおらんかッ、狩谷軍太夫かりやぐんだゆうはおらぬか」

それにも返辞へんじはなく、殿中でんちゅう、ただなんとなくものさわがしいので、いまはジッとしていることもできないで、錠口じょうぐちまで足を早めながら、

「だれぞおらぬかッ。おお、伊部熊蔵いのべくまぞうはいかがいたした」

と呼び立ててくると、出合であい頭がしら。

まがり廊下の横合いから、サッと見えた真槍しんそうの燐光りんこう、ビクリッとして飛びのくと、

「や、これは殿との」

「なんじゃ、伊東十兵衛いとうじゅうべえではないか」

「はッ……」

ぴしゃりッ――と槍やりを廊下へ平ひらにおいて、老臣ろうしんの伊東十兵衛、あわててかれの前に膝ひざをついた。

「ものものしい庭にわの手のそうどう、ありゃなにごとじゃ、夜討ようちか?」

「いや、お案あんじなされますな、それほどな人数とも思われませぬ」

「領主りょうしゅの城郭じょうかくへ押おしかける盗賊とうぞくもあるまい。では、何者なにものが乱入らんにゅうしたのじゃ」

「よくは目的もくてきがわかりませぬが、ことによると、源氏閣げんじかくに監禁かんきんしておく女を、救すくいだしにきた命いのち知らずであるやも知れませぬ」

「咲耶子さくやこをうばい返しに? ウム、しゃらくさいやつめら! 浜松城はままつじょうへ護送ごそうするまでは大事な擒人とりこ、かならずぬかりがあってはならぬぞ」

「はッ」

「伊部熊蔵いのべくまぞうや宿直とのいの者はどうした」

「ご寝所しんじょに近づけては申しわけがないと、みな、この外側そとがわをかためております。なかにも伊部熊蔵は、腕うでのすぐれた若侍わかざむらいを選より、いちはやく白壁門しらかべもんへまいって斬きりふせいでおりますから、追おッつけ四十や五十人の浮浪人ふろうにんども、みなごろしにしてもどるでございましょう」

「そうか、しかしかんじんな、源氏閣げんじかくの方ほうは?」

「それはすぐこのご本殿ほんでんの階上うえ、三層そうまでの階段かいだんをみな取りはずしてございますうえに、あの池いけのほうにも、侍さむらいを伏ふせておきましたゆえ、これまた、ご安心でござります」

周到しゅうとうな老臣ろうしんが、臨機神速りんきしんそくな手くばりに、石見守いわみのかみが寝ねざめの驚愕きょうがくもやや鎮しずまって、ほッと、そこで胸むねをなでおろしたかと思うと、何者なにものであろうか、大廂おおびさしのそとがわからクルリと身軽みがるにかげをかすめて、廊下ろうかの切きり欄間らんまへしのびこんだあやしき諜者ちょうじゃが、いきなり、奇声きせいをあげて長安ながやすの肩かたへとびついた。

折もおりなので、石見守――。

はッ……と胆きもを冷ひやして曲者くせものの手をつかみ、まえへもんどり打たせて投げつけようとすると、伊東十兵衛いとうじゅうべえもスワとはねあがって、つかみ取った槍やりの穂ほに風をすわせ、石見守いわみのかみが投げつけたら、そこを立たせずに一突ひとつきと足をひらいた。が、曲者くせものは、長安ながやすの肩かたをはなれない。

鈎かぎのような手の爪つめで、しっかり襟えりもとへつかまっているので、十兵衛は槍をつきだしようがなく、あッと見ると、長安自身も、つかんだ曲者くせものの手の毛むくじゃらにあきれかえる。

「あぶないッ、突つくな」

「なんのこと――三太郎猿さんたろうざるでございましたか」

「人をおどろかすやつじゃ、放はなせ、いたずら者め」

「や、殿との。三太郎の襟首えりくびに、なにやら書状しょじょうが」

「なに、手紙が」

「は、りっぱな打紐うちひものお状筥じょうばこで」

「だれが猿さるめにこんなものを結ゆわいつけたのか? やア、こりゃいよいよもって不審ふしん千万ばん、浜松城はままつじょうお使番つかいばん常用じょうようの筥はこ、しかも紅房べにふさの掛紐かけひもであるところを見ると、ご主君しゅくん家康いえやすさまのお直書じきしょでなければならぬが」

「とにかく、ご開封かいふうを」

「ウム、猿さるめを抱だいてこい」

乱入者らんにゅうしゃのそうどうの方ほうも気にかかるが、これまた意外いがいな天あまくだりの状筥じょうばこ、とにかく一見けんしようと、長安ながやすはあたふたと居間いまへはいり、灯ともしびをかき立ててなかをひらく。

三太郎猿さんたろうざるはおうちゃくに、十兵衛じゅうべえの膝ひざを拝借はいしゃくしてもたれかかりながら、茶色ちゃいろの目をショボショボさせてながめている。

「十兵衛、どこかに、今宵こよいお使番つかいばんの方が見えておるのか」

「いや、さようなことは、表おもて役人からもうけたまわりませぬが」

「へんなこともあるものじゃ――まさしゅうこれは家康公いえやすこうのお手紙で、おまけに今夕こんゆうのお日附ひづけとなっている」

「いかに早足はやあしなお使番つかいばんでも、夕方からただいままでに、ここへ着くともうすのはふしぎなしだい。そして、御書ごしょの内容ないようは?」

「わしに、御岳みたけの軍学大講会ぐんがくだいこうえの総奉行そうぶぎょうを申しつくるというご沙汰さた。それと、ご評議ひょうぎの結果けっか、日取ひどりその他たの事項じこうご決定けっていに相あいなったお知らせである」

「ほウ……してお日取りは、いつごろに」

「十月七日から九日までの三日のあいだ」

「昨年よりは五日おくれでござりますな」

「そうなるかな。当年、軍学兵法の講論こうろん、大試合だいしあいに参加さんかする諸家しょけは、まずご当家とうけを筆頭ひっとうに、小田原おだわらの北条ほうじょう、加賀かがの前田まえだ、出陣中しゅつじんちゅうの豊臣家とよとみけ、奥州おうしゅうの伊達だて、そのほか三、四ヵ国のご予定よていとある。――だが、どうしてこのご状筥じょうばこが、猿さるめの首に結ゆわいつけてあったのか。その儀ぎ、なんとも腑ふに落ちないことである……」

「もし……そのご状筥じょうばこの紐ひものはしに、まだなにやら、紙片かみきれが結むすびつけてあるようにござりますが」

「ウム、これか」

と長安ながやすは、そういわれてなにげなく解といてみると、懐紙かいしをさいて蝶結ちょうむすびにでもしたような紙片しへん。

うっかり開あけると、破やぶれそうにまだ濡ぬれている墨色すみいろで、それは少年の筆ふでらしく、まことに稚拙ちせつな走り書がき。読みくだしてみると、その文言もんごんは――。

お小姓こしょうとんぼ組ぐみの星川余一ほしかわよいち、三太郎猿さんたろうざるにたくしてご依願いがん申もうしあげそろ。

お上様かみさまのお使いとして、ただいまこの源氏閣げんじかくの上に着城ちゃくじょういたしそろところ、あやしき女人にょにん居合いあわせ、あなたの火を見て、乗りまいりたるクロという鷲わしをうばい、屋上おくじょうより逃にげ去さらん気けぶりにてそろ。

大急ぎにてこの文ふみしたため、私もすぐあとより、屋根やねにのぼり組くみ止とめるかくごながら万まん一不覚ふかくをしては一大事にそろゆえ、若侍衆わかざむらいしゅう、一刻こくもはやくお出合であいありたく告つげ申もうしそろ。火急かきゅう火急。

星ほしに泣なく使者ししゃ

一

はるばる、遠江とおとうみの国から鷲わしにのってきたお小姓こしょうとんぼ組ぐみのお使番つかいばん――星川余一ほしかわよいちが、源氏閣げんじかくのうえに着城早々ちゃくじょうそうそう、なにかよほどな危険きけんに追迫ついはくされたらしく、機智きちの一策さく、三太郎猿さんたろうざるを利用して、石見守長安いわみのかみながやすのもとへ、火急かきゅう火急と、走り書がきにすくいをもとめてきた蝶ちょうむすびの早文はやぶみ。

読みおわるなり石見守は、いま、着座ちゃくざしたばかりの腰こしをうかしかけて、

「十兵衛じゅうべえ!」

そばにひかえている禿頭とくとうを呼よんで、

「だれもみな、表おもてのそうどうに走りだして、侍部屋さむらいべやには人のおらぬようすだが、それではならぬ、源氏閣の上にも思わぬ変事へんじじゃ、すぐ十名なり二十名なりを呼よびかえして、閣上かくじょうのようすを見につかわせ」

老臣ろうしんの伊東十兵衛も、わたされた早文の走り書がきを一見けんして、仰天ぎょうてんしながら、

「おッ、咲耶子さくやこのやつめが?」

「余一の乗ってきた鷲わしをうばって、監禁かんきんの閣かくをやぶり、こよいのそうどうにまぎれて逃にげのびようとしているらしい」

「ウーム、油断ゆだんのならぬ女め、捨すててはおけませぬ」

「早くせいッ、早くッ」

「はッ」

と、老臣ろうしんの伊東十兵衛いとうじゅうべえ、言下げんかに立ちかけたけれどイヤに膝ひざが重おもい。はてな、と思って気がついて見ると、使いをしてきた三太郎猿さんたろうざるが最前さいぜんからしたり顔をして、じぶんの膝にもたれている。

殿とのさまご寵愛ちょうあいのお猿さるさま、常つねからわがままいっぱいのくせがついているので、老臣の膝を脇息きょうそくのかわりにするぐらいなことは平気へいきだが、折もおり、十兵衛も気が立っているので長安ながやすの見ている前もかまわず、

「えい、邪魔じゃまなやつめ」

と、襟毛えりげつかんで、こッぴどくほうり投げてくれると、キャッ! とぎょうさんな啼なき声をあげたが三太郎猿、ちっとも驚おどろいたさまもなく、廊下ろうかのあなたにちょこんと両足りょうあしで立っていた。

「では、ごめんを」

屈かがみ腰ごしにツツとさがった老臣の伊東十兵衛は、袴はかまのひだをつまみあげ、いま、殿とののお室へやにはいる時は、脇部屋わきべやのそとにのこしておいた手槍てやりを持とうとして、そこを見ると、あるはずの槍がない。

ガラガラガラと妙みょうな音があなたへ馳かけてゆくのに、戸とまどいをした目をそらすと、見当みあたらないはず、長廊下ながろうかを向こうの方へ自分の槍やりが引きずられてゆく。

「ちッ、いたずら者め!」

腹立はらだたしげに、舌打したうちをして追おいかけると、それを持っていた三太郎猿さんたろうざるは、手をすべらして庭先にわさきへ槍やりを落としたので、十兵衛じゅうべえの方をふりかえると、ケン! と人を茶ちゃにした奇声きせいを発はっしながら、萩はぎの袖垣そでがきから老梅ろうばいの枝へと、軽業かるわざでも見せるように逃にげてしまった。

ところへ、白刃はくじんをさげて、表木戸おもてきどの方からここへ馳かけてきた侍さむらいが、

「お――こりゃご家老かろうのお槍やりではございませぬか」

ひろいとって庭先にわさきから手わたしてやると、

「ウム、伊部熊蔵いのべくまぞうか。よいところへきてくれた」

と、十兵衛、手みじかに石見守いわみのかみからいいつけられたことを話して、

「表おもての方も気がかりになるが、咲耶子さくやこをにがしては浜松城はままつじょうのほうへいいわけが立たんことになる。なにを打ちすてても、すぐ腕利うでききの若侍わかざむらいをつれて、源氏閣げんじかくの上へかけつけてくれい」

熊蔵としては、庭手にわて白壁門しらかべもんのほうの状況じょうきょうを主人しゅじんに告つげるつもりで、ここへきたのであったが、出合であいがしらに老臣ろうしんからそう急せかれて見ると、なにを話している間まもなく、

「すりゃ大たいへんです! 心得こころえました」

もとへ引っかえして、築山つきやまの一角かくから、れいの鉱山掘夫かなやまほりに使う山笛やまぶえというのを吹ふき立てると、たちまち、真まっ黒になるくらいな人数がワラワラとかれの周まわりを囲繞いにょうしてあつまった。

おまえと、おまえと、おまえと、おまえ。

なかで腕うでのすぐれていそうな顔を、伊部熊蔵いのべくまぞう、指さきで十二、三人ほどえりぬいて、

「源氏閣げんじかくへこい!」

自分がさきへバラバラと馳かけだしたが、また、ひょいとうしろの者たちをふりかえって、

「残のこったものは殿とののご寝所しんじょのほうを守まもれ、もう木戸きどや多門たもんの固かためにはじゅうぶん人数がそろったから、よも、やぶれをとるおそれはあるまい」

いいすてて桜雲台おううんだいへ馳かけてゆく。

桜雲台は躑躅つつじヶ崎さき七殿でんの中核ちゅうかくであって、源氏閣の建物たてものはその上にそびえている。

平常へいじょうは錠口じょうぐちより奥おく、平家来禁入ひらげらいきんにゅうの場所ばしょであるが、いま老臣十兵衛がさきにまわってふれてあったので、一同表方おもてがたで血戦けっせんしてきたままの土足どそく抜刀ぬきみの狼藉ろうぜきすがたで、螺旋状らせんじょうの梯子口はしごぐちから二層そう目めへかけ上がり、それより上は階段かいだんがはずされてあるので、鈎縄かぎなわ、あるいは数珠梯子じゅずばしごなどを投げかけ、われ一番ばん乗のりとよじのぼっていった。

…………

閣上かくじょうの源氏げんじの間まには、一穂すいの燈火ともしび、切燈台きりとうだいの油あぶらを吸すいつくして、ジジジと泣くように明滅めいめつしている。

あたりはさっきのままである。

ただ、銀泥色絵ぎんでいいろえの襖ふすまのまえには、蒔絵まきえの硯蓋すずりぶたの筆ふでが一本落ちてあって、そこにいるはずの咲耶子さくやこのすがたも見えず、お小姓こしょう星川余一ほしかわよいちのかげも見当みあたらなかった。

「おお、いない!」

数珠梯子から飛びあがった伊部熊蔵いのべくまぞうと伊東十兵衛いとうじゅうべえは、予期よきしていたことであったが、愕然がくぜんとして顔を見合みあわせた。

とたんに。

頭の上でガラガラと異様いようなものおとを聞いたかと思うと、四、五枚の青銅瓦せいどうがわらが、廂ひさしのはしから落ちてくるなり本殿ほんでん平屋ひらやの瓦かわらの上で、すさまじい金属音きんぞくおんを立てた。

そして、まさしく屋根やねの天てッ辺ぺん。

「お出合であいなさい! お出合いなされ! 大久保家おおくぼけのご家中かちゅうの方々かたがた、あやしいものが逃にげまするぞ、早く、早く、早くここへ!」

高きところに声を嗄からしている小姓余一の絶叫ぜっきょうが、一同の頭からけたたましく聞えてくる。

二

「あれだッ――お使者ししゃのこえ」

「おお、屋根やね、屋根の上!」

「のぼれ!」

「咲耶子さくやこを手捕りにして余一よいちを助けろ」

あわてきった十兵衛じゅうべえの指図さしずと熊蔵くまぞうの叱咤しったが、若侍わかざむらいたちの先駆さきがけをあおッた。

廂ひさしの上へぬけでるかくし階段かいだんをさがす者、欄間らんまに足をかけて釣龕燈つりがんどうの鎖くさりをつかみ、三太郎猿さんたろうざるのよくやる離はなれわざの亜流ありゅうをこころみて、屋根やねの上へはいあがろうとする者――咲耶子と余一とは、いったいどこから屋根上へのぼったのか血気けっきな若侍にしてもふしぎなくらい、この一番ばん乗のりは骨ほねが折れたが、あとになって心得こころえのある者に聞くと、すべてこういう楼閣ろうかくには、修築しゅうちく手入ていれなどの場合ばあいの用意よういに、工匠こうしょうが上下じょうげする足がかりが棟むねのコマ詰づめから角垂木かどたるきの間あいだにかくしてあるもので、みんな上へ上へと気ばかりあせっていたので、その工匠口こうしょうぐちにはすこしも気がつかなかった。

しかし――一せいにとはゆかないが、どうやらこうやら、ほど経へて、上に登ることは登りついた。そしてはじめて、ようすいかに――と坂さかになった屋根の端はしから首をだして打ちあおいで見ると、

「わアん、わアん……わ――ん……」

浜松城はままつじょうのお使者番ししゃばんは、満天まんてんの星ほしにくるまれた閣かくの尖端せんたん、擬宝珠ぎぼうしゅのそばで、手放てばなしに大声あげて泣いていた。

「あれッ?」

伊部熊蔵いのべくまぞうはあっけにとられた。

まさか浜松城はままつじょうの来使らいし星川余一ほしかわよいちなるものが、十三、四の子供だとは考えていなかったので。

立っては歩かれないくらい、勾配こうばいのきゅうな青銅瓦せいどうがわらの上をのしのしと無器用ぶきようにはいあがって、

「その方ほうはいったいだれであるか」

こう聞くと、余一は泣いている手をはなして、

「お小姓こしょうとんぼ組ぐみの星川余一ほしかわよいち……」

そう答えて、また声あらためて泣くのだった。

「なに、ではそこもとが、公書こうしょのお使者番ししゃばんとなってまいられた星川どのか」

「は、はい……」

「なにを泣いておられるのか、ただいま、三太郎猿さんたろうざるが首につけてきた知らせを見て、殿とのにもことのほかなおおどろき、そっこく、ご助勢じょせいをするためわれわれが、ここへ馳かけつけてまいったものを。おお、してしてこの閣かくに監禁かんきんしておいた咲耶子さくやこなる女をごぞんじないか、あれをにがしては一大事だから」

「だから……だからわたしが……早くお出合であいなさいと、あれほど呼よんでおりましたのに」

しゃくりあげて、余一はまたくやしそうに、オイオイと肩かたをゆすぶりながら、

「もうだめ! もうだめ! みんなの来ようがおそいから、わたしがここで一生しょうけんめいにおさえていた咲耶子さくやこは、とうとう擬宝珠ぎぼうしゅにつないでおいたクロをうばって、あれあれ、あれ向こうへ――」

「えッ」

「逃にげちゃった、逃げちゃった……。あのクロをなくしては、わたくしは、浜松城はままつじょうにいる万千代まんちよさまに、帰っておわびをすることばがございません」

余一よいちはそれで泣くのだった。

逃にげた! と聞いておどろいた熊蔵くまぞうや、張合はりあいぬけのした若侍わかざむらいたちが、半信半疑はんしんはんぎの目をさまよわせて、どこへ逃にげたのかと明け方にちかい八方の天地をながめまわすと――。

水色みずいろにすみわたった五更こうの空――そこに黒くまう一葉ようのかげもなく、ただ一閃せん、ピカッと熒惑星けいわくせいのそばの星ほしが、あおい弧線こせんをえがいて巽たつみから源次郎岳げんじろうだけの肩かたへながれた。

また、足もとを俯瞰みおろすと。

竹童ちくどうと蛾次郎がじろうの争闘そうとうから端たんをはっした馬糧小屋まぐさごやの出火しゅっかは、その小屋だけを焼やきつくして焔ほのおを沈しずめ、うすい白煙はくえんとまッ赤かな余燼よじんを、あなたの闇やみのそこに、まだチラチラと見せている。

「ウーム、おそかったか!」

と、熊蔵は、余一の泣くのがおかしくなった。

「ぜひがない。このうえは殿とのにありのままをおつげして、少しも早く、ほかへ手配てはいをつけるのがかんじんだ」

一同、手をむなしくして、屋根やねから降おりかけた時だった。下に待っていた老臣ろうしん伊東十兵衛いとうじゅうべえが、なにか意味いみの聞きとれない絶叫ぜっきょうをあげたかと思うと、二層そう目めの欄間らんまから、手槍てやりをつかんだまま仰向あおむけに、

「伊部いのべッ」

と救すくいを呼よびながら、二層目の屋根へ、袈裟けさがけになって斬きりおとされていった。

「やッ、ご家老かろうが」

「咲耶子さくやこをすくいだそうとして、とうとうここまで曲者くせものがなだれこんできたか。それ、なんでおくれをとっていることがある。降りろ、降りろ」

降りるのは苦くもなかった。

擬宝珠ぎぼうしゅに玉縄たまなわを結むすびつけ、ズル! ズルズルとつながってゆく。

一閃せん。

横に白刃はくじんの光流こうりゅうがその玉縄を下からすくったかと思うと、ぶらさがっていった四、五人が、束たばになってまッさかさまに下へ――。

「わアッ!」

というどよめきがあがる。人の惨死ざんしを見ると、人間は忘わすれていた兇暴きょうぼうな血ちがたけりだす。

こうなると、つねの怯者きょうしゃも勇士ゆうしになるものだ。伊部熊蔵いのべくまぞうはカッと怒いかって、中断ちゅうだんされた縄なわのはしから千本ぼん廂びさしの鎖くさりにすがって、ダッ――と源氏げんじの間まへ飛びこんだ。

見るとそこには。

今夜、躑躅つつじヶ崎さきの館たちへ斬きりこんだ覆面ふくめんの少女とはまるでちがったふたりの者のすがたがチラと見えた。一方は白い行衣ぎょうえをきて手に戒刀かいとうとおぼしき直刃すぐはの一刀とうを引っさげた男。またひとりは朱柄あかえ九尺しゃくの槍やりをかかえて、射いるがごとき眼をもった若者わかものである。

「いないぞ、ここには」

「さっきまで狛笛こまぶえの音ねがしていたのに」

「では、逃にげたのであろう」

「いや、いくら咲耶子さくやこでも、この堅固けんごをやぶっては逃げられまい」

「それならここにいそうなものだが」

「ふしぎだなあ」

「奥おくの部屋へやには」

「つぎの間まはない!」

「ではどこかに隠かくれ場所ばしょでも? ……」

早口に、こんな言葉をかわしながら、室内しつないの物をとりのけて、しきりとだれかをさがしているようす。

むろんそれは、手組てぐみの筏いかだにのって濠ほりをこえ、館たちのそうどうに乗じょうじて、ここへ潜入せんにゅうしてきた、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうと巽小文治たつみこぶんじのふたりである。

「おのれッ」

と、そこに思わぬ敵てきを見かけた伊部熊蔵いのべくまぞうは、いきなり小文治こぶんじのうしろ姿すがたを目がけて、思慮しりょなき刃やいばを飛ばしていった。

「うむッ」

といってその胸むなもとへ、石火せっかにのびてきた朱柄あかえの槍やりの石突いしづきは、かれの大刀が相手の身にふれぬうちに、かれの肋骨あばらの下を見舞みまった。

「ざんねんだが、咲耶子さくやこのすがたが見当みあたらなければぜひもない。このうえは、どうせのついでに、大久保長安おおくぼながやすの寝所しんじょを見つけて、きゃつの首を土産みやげに引きあげよう」

欄らんのまわりに影かげばかり見せて、ただワアワアとさわいでいる若侍わかざむらいたちを睥睨へいげいしながら、源氏閣げんじかくから桜雲台おううんだいの本殿ほんでんへもどってくると、そこへあまたの武士ぶしに追いつめられてきた乱髪らんぱつの小童しょうどうがあった。

「やッ、竹童ちくどう!」

咲耶子さくやこにあわぬ失望しつぼうは、そのうれしさにおぎなわれて、朱柄あかえの槍やりと鍔つばなしの戒刀かいとうは、なんのためらいもなくその渦巻うずまきのなかへおどった。

愛あいの旅人たびびと

一

うるわしい明あけ方がたの雲が、東を染そめてきた。

秋霜あきしもの下おりた山国のあさは、都みやこの冬よりはまだ寒さむい。白い息いきが人の鼻はなさきに凍こおりそうだ。

「お早はよう」

地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内きくむらくないは、お長屋ながやの釣瓶井戸つるべいどで、足軽あしがるたちと一しょに口をそそいでいた。

「ゆうべは、まことにひどいそうどうでございましたな、さだめしみなさんもおつかれでございましょう」

足軽たちに話しかけても、だれもウンとも返辞へんじをするものがなかった。かれらの眼色めいろはまだ夜の明けぬまえの異常いじょうな緊張きんちょうをもちつづけているらしい。

顔をしかめて向こう脛ずねの傷きずをあらっている者や、水をくんでゆく者や、たわしで洗あらい物をする者などで、井戸いどばたがこみ合っている。

宮内は早々そうそうそこをはなれて、

「なにしろ、大事にならなくってしあわせだった」

お長屋の屋根やねむこうに、まだ黄色く立ちのぼっている馬糧小屋まぐさごやの余煙よえんをながめて、ひとりごとをつぶやいた。

「あッ、神主かんぬしさん――。竹生島ちくぶしまの神主さん」

とつぜん、かれの足を止とめた者がある。

だれかと思って横をみると、ご殿てんの修築しゅうちくに使用する大石のたくさんつんである間あいだに、元気のない蛾次郎がじろうの顔かおがチラと見えた。

「おや、おまえは?」伸のびあがってのぞくと、

「お地蔵じぞうさま、後生ごしょうです」

「後生ですって、なにが後生なんじゃ。でておいでな、ここへ」

「それが、でられないんで、弱ってるんです」

「なんだ、しばりつけられているのか」

「ええ、ゆうべお館やかたへ乱入らんにゅうした、あの狼藉者ろうぜきもののためにしばられて、とうとうここで夜を明かしてしまったんで」

「おやおや、それはえらいお仕置しおきを食くったな」

宮内くないは人のいい笑わらい方をして、石置場いしおきばにしばられているかれの縄目なわめを解といてやったが、からだが自由になったとたんに、蛾次郎は、礼れいの言葉なぞはとにかくというふうに、いきなり向こうの馬糧小屋まぐさごやの焼やけ跡あとへすッ飛んでいった。

なんですッとんでいったかと思うと蛾次郎、そこでまだ、カッカと余燼よじんの火の色がはっている焼け跡にお尻しりをあぶって、

「オオ寒さむ、寒、寒、寒。……ああ、あったけえ、あったけえ、あったけえ」

歯はをがたがたと鳴らしながら、凍こおりきった血ちをあたためて、人心地ひとごこちを呼よびかえすのだった。

そこへひょッこり、親方おやかたの鼻はなかけ卜斎ぼくさいが、桜雲台おううんだいの方からもくもくともどってきた。

卜斎はジロリと蛾次郎がじろうの顔を見たが、べつに声もかけないで、菊村宮内きくむらくないのいる火のそばへよりながら、

「定さだめしゆうべはびっくりなすったであろう」

と話しかける。

「おどろきました。火事と思うと、すぐにあの乱入者らんにゅうものの剣つるぎの音でな。しかし、かくべつなこともなかったようで、まずお館やかたにとっては、大難だいなんが小難しょうなんでなによりともうすものです」

「どうして、意外いがいな被害ひがいなので」

「ほウ」

「いま、役人がしさいを書きあげているが、味方みかたの斬きりすてられた者二十四、五名、手負ておいは五十名をくだるまいとのことでござった。その上、ご老職ろうしょく伊東十兵衛いとうじゅうべえどのが、源氏閣げんじかくの上から袈裟斬けさぎりになって真下ましたへ落ち、鉱山目付かなやまめつけの伊部熊蔵いのべくまぞうどのも悶絶もんぜつしていたようなありさま、けれどもこれは命いのちに別条べつじょうなく助かりましたが」

「ほウ、そんなに? してここの主あるじ、大久保長安おおくぼながやすどののお身にはなにごともなくすみましたかな」

「いちじは曲者くせものに追おわれて、あやういところであったそうだが、ご寝所しんじょから壁返かべがえしのかくれ間まへひそんで、やっとのがれたという話、その間まに運うんよく夜が明けましたゆえ、曲者たちは濠ほりをこえて、いずこともなく逃にげうせたそうで」

「で、相手方あいてがたの死骸しがいは?」

「それがふしぎ、なかには手負ておいや死んだ者もあったろうに、逃にげるときにもち去さったか、一つもさきの死骸がのこってない」

「さりとは心がけのよい曲者、いったい、それはどこの者で」

「黒装束くろしょうぞくはみな緋ひおどし谷だににいた若い女子おなご、源氏閣げんじかくへ斬きりこんだ者は、武田伊那丸たけだいなまるの身内みうち、木隠こがくれ、巽たつみの両人りょうにんとあとでわかった。おお、それから鞍馬くらまの竹童ちくどう」

「えッ、竹童も」

宮内くないは久ひさしぶりであの好すきな少年を心にえがいた。

そしてその竹童も、無事ぶじにこの館たちをやぶって逃にげのびたと卜斎ぼくさいに聞きいて、敵てきでも味方みかたでもないが、なんとなくうれしくおぼえた。

虹色にじいろの陽ひが高くのぼってきた。

近国きんごくへうわさがもれては外聞がいぶんにかかわるというので、昨夜ゆうべのさわぎはいっさい秘密ひみつにするよう、家中かちゅう一統とうへ申もうし渡わたしがあって、ほどなく、躑躅つつじヶ崎さき一帯たい、つねの平静へいせいに返っていた。

午後には、重おもなる家臣が桜雲台おううんだいへ集まった。

けれど、それはゆうべの問題ではなく、もう日限にちげんの切迫せっぱくしてきた、御岳みたけの山における兵学大講会へいがくだいこうえの奉行ぶぎょうを命めいぜられた長安ながやすの下準備したじゅんびや手配てくばりの評議ひょうぎ。

その公書こうしょを浜松はままつからもたらしてきたお小姓こしょうとんぼ組ぐみの星川余一ほしかわよいちは、万千代まんちよさまへの申もうしわけに、鷲わしの行方ゆくえをつき止とめるまで、しばらく長安ながやすの詮議せんぎをたよりに、ここへ滞留たいりゅうしていることになる。

鷲といえば――。

余一のほかにだれも見とどけた者はないが、源氏閣げんじかくのてッぺんからすがたを消けした咲耶子さくやこは、いったいどこへいったのだろうか?

クロとともにかげを見えなくしたところからさっすれば、竹童ちくどうの鷲乗わしのりをうつしまねて、空へと、舞まって逃にげたよりほかに考えようがないが、あの絵えに見まほしき振袖ふりそですがたで、そんなあぶないはなれわざが、果はたして首尾しゅびよくいったろうか。

いや、心配しんぱいはあるまい。

かの女じょも裾野すそのの女性である。山大名やまだいみょうの娘むすめである。竹童のすること、蛾次郎がじろうでさえやること、余一すら乗りこなしてきた鷲――なんで乗れないことがあるものか。

そうあれば。

とにかく咲耶子の身には、ふたたび、うばわれた自由と希望きぼうがかえっているわけ。

カアーン……カアーン……カアーン

きょうも甲府こうふの町にのどかな鉦かねの音ね。

菊村宮内きくむらくないはおなじ日に、卜斎ぼくさいと別わかれを告つげ、花や供物くもつにかざられた笈摺おいずると、かがやく秋の陽ひを背せにして、きのうのごとく、地蔵菩薩じぞうぼさつの愛あいの旅たびにたっていった。

二

翌日よくじつは駒飼こまかいから笹子峠ささごとうげを越こえる。

甲府こうふを一とおり遍歴へんれきした宮内は、これから道を東にとって、武蔵むさしの国へはいるつもり。

これから武蔵へかかる山境やまざかいは、姥子うばこ、鳴滝なるたき、大菩薩だいぼさつ、小仏こぼとけ、御岳みたけ、四顧こ、山やままた山を見るばかりの道である。すきな子供のむれに取りまかれることがいたってまれだ。

阿弥陀街道あみだかいどうのながい半日に、かなり足の疲つかれをおぼえてきた宮内、

「おお、茶店ちゃみせがあるな」

立場たてばがわりに駒止こまどめの杭くいがうってある葭簀掛よしずがけの茶屋ちゃやを見かけて、

「少し休やすませてもらいます……」

と、なにげなく立ちよって、背せなかの笈おいを床几しょうぎの上へ安置あんちすると、土間どまのうちで荒々あらあらしい人声。

「女だからって、油断ゆだんもすきもありやしねえ!」

なにかと思って見ると、街道稼かいどうかせぎの荷物持にもつもちか馬方うまかたらしいならず者がふたり、黒鉄くろがねに毛けをはやしたような腕うでぶしをまくりあげて、

「――飛んでもねえいいがかりを吐ぬかしゃあがる。だれがてめえのような女乞食おんなこじきのビタ銭せんを、掏すったり抜ぬいたりするバカがあるものか、ものをぬすまれましたという人体にんていは、もう少しなりのきれいな人柄ひとがらのいうこッた、よくてめえの姿すがたや商売しょうばいと相談してこいッ」

おそろしいけんまくでどなりつけている。

そのふたりの毛脛けずねのあいだにはさまって、土間どまへ手をついたまま、わなわなおののいている女は、坂東ばんどう三十三ヵ所しょの札ふだをかけ、膝ひざのところへ菅笠すげがさと杖つえとを持った、三十四、五の女房にょうぼうである。

「いいえ、そうわるくお取りなすってはこまりますが、たしかに、駒飼こまかいの宿しゅくの辻堂つじどうで、ちょっと帯おびをしめ直なおしているあいだに、あなた方がたおふたりが、足もとへおいたわたしの金入かねいれをお持ちになってかけだしたので、悪気わるぎはないほんのいたずらをなされたのであろうと、ここまで追おってまいったのでございます。どうぞ、あの金かねがなくては、これからさきのながい旅たびができない身の上、かわいそうだと思って、お返かえしなすってくださいまし」

「この女めッ、だまっていりゃいい気になって、まるで人を盗ぬすっ人とのようにいやあがる」

「どういたしまして、けっしてそんな大だいそれたことを申すのでは」

「やかましいやいッ。てめえがおれたちに金入れを取られたといやあ、おれたちふたりは泥棒どろぼうだ。よくも人に濡衣ぬれぎぬを着きせやがった」

「あれッ、そのふところに見えます金入かねいれが、たしかに、わたしの持っていた包つつみでございます」

「飛んでもねえことをいうねえ。こりゃ、おれが甲府こうふの町でさる人からあずかってきた金入れだ。それを見やがってぶっそうないいがかり、どッちが白いか黒いか代官所だいかんしょへでてやるところだが、女巡礼おんなじゅんれいを大だいの男ふたりで相手にしたといわれるのも名折なおれだ。さ、命いのちだけを助けてやるから、サッサとでていきやがれ」

馬の草鞋わらじにもひとしい土足どそくが、むざんに女の肩かたをはげしくけった。

「これ、なにを無慈悲むじひなことをなさる」

菊村宮内きくむらくないはわれをわすれて、その女巡礼の身をかばいながら、

「ふびんではござらんか、かような巡礼道じゅんれいどうの人の持物もちものを巻まきあげて、それがどれほどおまえたちの幸福こうふくになるものじゃない。どうか、そんな手荒てあらなことをせずに返してあげておくれ」

「おやッ」

「こんちくしょうめ」

と、胸毛むなげをむきだして腕うでまくりをしなおしたふたりの道中稼どうちゅうかせぎ。

「横合よこあいから飛びだしゃあがって、なにをてめえなんぞの知ったことか。利きいたふうな文句もんくをつける以上いじょうは、この喧嘩けんかを買ってでるつもりか」

「はははは、飛んでもないことを。あなた方を相手にして、腕うでずくなどの争あらそいは、とてもわたしたちにはできないことです」

「じゃあ引ッこめ、引ッこめ! 鉦叩かねたたきのやせ行者ぎょうじゃめ」

「いや、引ッこめません」

「これでもかッ!」

いきなり一方の鉄拳てっけんが、風をうならせて宮内の横顔よこがおを見舞みまってきた。

「あぶない」

軽く身をかわした菊村宮内きくむらくない、その腕くびをつかみ取って、

「そんなめちゃをなさらずに、どうか、ゆるしてあげてください。その金財布かねざいふが、げんざい、あなた方の持物もちものでない証拠しょうこには、がらも色合いろあいも女物おんなものではありませぬか」

「えい、よけいな口をたたきやがると、こうしてくれるッ」

と、両方りょうほうから、猿臂えんぴをのばして襟えりもとをつかんでくる。

宮内はうしろへ身を押おされて、あやうくそとの葭簀よしずにつまずきかけたが、そこまで忍しのんでいたかれの顔色がサッと、するどく変かわったなと思うと、踵かかとをこらえてひねり腰ごしに、

「えいッ」ひとり矢やはずに投げつけた。

「野郎やろうッ」

「兄弟――ッ、仲間なかまのやつらを呼よんでこい」

「おうッ」

というとはねおきた一方の男は、脱兎だっとのごとく茶店ちゃみせのそとへ飛びだして、なにか大声で向こうの並木なみきへ手をふった。

と――見る間まに、くるわくるわ、どれもこれも一くせありげな道中人足どうちゅうにんそく、錆刀さびがたなや息杖いきづえを持ちこんで、

「なんだなんだ」

「その野郎やろうか」

「生意気なまいきな鉦叩かねたたき虫むしめ! ぞうさはねえ、その女も一しょにつまみだして、二本松の枝へさかづるしにつるしてぶんなぐれ」

理りも非ひもあったものではない。

まっ黒になって茶店ちゃみせの入口になだれこみ、あッと宮内くないがあきれるうちに、床几しょうぎの上にすえておいた地蔵菩薩じぞうぼさつの笈摺おいずるを、ひとりの男が土足どそくでガラガラとけおとした。

「ウーム……」

と、宮内くないのまなじりが朱しゅをそそいで引ッ裂さけた。

いかに、とるに足たらないあぶれ者とはいえ、一念ねんに自分の信仰しんこうする地蔵菩薩じぞうぼさつのお像すがたを、馬糞まぐそだらけな土足にかけられては、もうかんべんすることができない!

見そこなったな、この青蠅あおばえめ!

いまでこそ身は童幼どうようの友と親したしまれ、背せには地蔵じぞうの愛をせおい、軒のきごとの行乞ぎょうこつ、旅たびから旅をさすらい歩くながれ人びとにちがいないが、竹生島ちくぶしまに世をすてて可愛御堂かわいみどうの堂守どうもりとなる前までは、これでも、鬼柴田権六おにしばたごんろくの旗本はたもとで、戦塵裡せんじんりに人の生血いきちをすすりながら働きまわったおぼえもある菊村宮内きくむらくない。

「おのれ」

憤怒ふんぬはついにかれの手を、脇差わきざしの柄つかにふれさせて、今にも、目にもの見せてくれんずと、ぶるぶると、身をふるわせた。

「おや、なんでえ、それは」

「べらぼうめ、物乞ものごいがそんな錆刀さびがたななんぞをヒネクリまわしたところで、だれがしりごみするものか」

「さッ、でてこい、そとへ!」

「その錆刀の手うちを見てやろうじゃねえか」

宮内くないの血相けっそうには多少おどろいたが、多寡たかが地蔵じぞうさまを背負せおってあるく鉦かねたたき、なんの意気地いくじがあるものかと、頭から見くびって、思うぞんぶん、唾つばをとばして罵詈ばりするので、いまはもう、あのやさしい宮内の形相ぎょうそうも、血ちを見ねばしずまりそうもない殺気さっきを見せた。

だが。

かれはふと、そこへ蹴飛けとばされてきた地蔵菩薩じぞうぼさつのお像すがたに目をとめた。蹴けられても、足にかけられても、みじん、つねの柔和にゅうわなニコやかさとかわりのない愛のお顔。

「あッ……」

かれは、刀の柄つかにかけた手を縛しばりつけられたように、よろよろと、うしろへ身を引いた。

「誓ちかいをわすれた……ああ、悪かった」

そうつぶやくと、殺気さっきの形相ぎょうそうは一しゅんにさめて、かれの顔は地蔵じぞうのとうとい微笑びしょうに似にてきた。

「バカ野郎やろうめ」とたんに、

「なにを寝言ねごとをいってやがるんでッ」

ひとりの男の拳骨げんこつが、ガン! と頬骨ほおぼねのくだけるほど、宮内くないの横顔をはり飛ばした。

「さッ、でろ、でろッ、そとへ」

蹴ける、なぐる、突つき飛ばす。

宮内は甘あまんじてぞんぶんになった。

踏ふみつけられる土足どそくの下にも、地蔵菩薩じぞうぼさつと同じような微笑びしょうを失うしなってはならないぞと自分の心を叱しかっていた。カッと、吐はきつけられた痰たんつばをも、かれは、おとなしくふいていた。

かれには誓っていたことがある。

武士ぶしをすてて竹生島ちくぶしまにかくれた時、そして、地蔵菩薩じぞうぼさつの愛の旅たびに島しまをでたとき、かならず、終生しゅうせい刀かたなを抜ぬくまいぞと心にちかった。

いまは乱世らんせだ、血ちみどろの戦国である。

人は旅たびにある時も、町を歩あゆむにも、家に寝ねている間にも刀を肌身はだみにはなせない世の中だ。

けれど、人に愛をおしえ、不遇ふぐうな子の友だちとなり、人に弓矢ゆみや鉄砲てっぽういがいの人生を悟さとらせようと志こころざしている自分が、その刀をたのみにしたり、その殺生せっしょうをやったりしてはならない。どんなことがあっても、生涯しょうがい刀は抜ぬくまい、刀は差さしていても手をかけまい! 地蔵菩薩じぞうぼさつの愛の体得たいとくをけっしてわすれまい!

固かたくかたく、それを胸むねの誓ちかいとして、地蔵のみこころにむすびあわしている菊村宮内きくむらくない。

「げじげじめ」

「たわけ野郎やろう」

「ものもらい」

「ざまを見やがれ」

「くたばるまで蹴けころがしてやれ」

寄よってたかってなぐりつける、息杖いきづえや足蹴あしげの下に、いつか神気朦朧しんきもうろうとして空も見えなくなってしまった。

築城ちくじょうの縄取なわどり盗ぬすみ

一

ここに六万五千人の人間が、地上に一個この建築けんちくをもりあげるため、蟻ありのごとく土木どぼくに蝟集いしゅうしている。

これが人間業にんげんわざかとおどろかれるような巨城きょじょう。

もうあらかたできあがりに近づいて、秋晴あきばれの空に鮮あざやかな建築線けんちくせんをえがきだしている。

なんとすばらしい城しろだろう。その規模きぼの大きなこと、ローマの古城こじょうをもしのぐであろうし、その工芸美こうげいびの結構けっこうはバビロンの神殿しんでんにもおとりはしない。

武将ぶしょうの居城きょじょうとして、こんな大がかりなものは、まだ日本になかった。いや、当時とうじ、海外から日本にきていて、この工事こうじを見聞みききしたクラセとか、フェローのような、宣教師せんきょうしでも、みな舌したを巻まいて、その高大こうだいをつぶさに本国ほんごくへ通信していた。

そこは――摂州せっしゅう東成郡ひがしなりごおり石山いしやまの丘おか、すなわち、大坂城おおさかじょうの造営ぞうえいである。

城は本丸ほんまる、二ノ丸、三ノ丸にわかれ、中央ちゅうおうに八層そうの天主閣てんしゅかくが聳そびえていた、二重じゅう以下いかは惣塗そうぬりごめ、五重じゅうには廻廊かいろうをめぐらし、勾欄こうらんには鳳龍ほうりゅうの彫琢ちょうたく、千畳じょうじきには七宝しっぽうの柱はしら、間まごとに万宝ばんぽうをちりばめてあおげば棟瓦むねがわらまでことごとく金箔きんぱく。

大和川やまとがわ、淀川よどがわの二水すいをひいて濠ほりの長さを合計ごうけいすると三里り八町とかいうのだから、もって、いかにその大おおげさな築城ちくじょうかがわかるであろう。

「ほウ、またきょうも、だいぶ大石たいせきが集あつまってくるな」

と、秀吉ひでよしは、子供のようにごきげんがよい。

本丸ほんまるの庭先にわさきになる山芝やましばの高いところに床几しょうぎをすえこんで、浪華なにわの入江いりえをながめている。

派手はでな陣羽織じんばおりに、きらびやかな具足ぐそく。

服装ふくそうはりっぱだがからだの小さい秀吉、床几から立っても五尺しゃくせいぜいしかあるまい。それでいて、こんな大きな城をつくって、まだじぶんの住居すまいにはせまいような顔をしている。

片桐市正且元かたぎりいちのかみかつもと、床几のそばに膝ひざをついて、

「さようでござります。今日こんにちの入船にゅうせんは大和の筒井順慶つついじゅんけい、和泉いずみの中村孫兵次なかむらまごへいじ、茨木いばらきの中川藤兵衛なかがわとうべえ、そのほか姫路ひめじからも外濠そとぼりの大石が入港はいってまいりますはずで」

と、答えた。

「あの堺さかいのほうからくる船列せんれつは?」

「三好秀次みよしひでつぐからご寄進きしんの檜船ひのきぶねではないかと思われます」

「小田原おだわらの北条ほうじょうからも、伊豆石いずいしの寄進をいたしたいと、奉行ぶぎょうへ申しいであったそうだな」

「家康いえやすどのからもご領地りょうちの巨木きょぼくや人夫にんぷ、おびただしい合力ごうりきでございます」

「あはははは」

秀吉ひでよしはたわいのない笑わらい方をして、

「それではまるで、他人がこの城しろを築きずいてくれるようなものだ。なぜだ? なぜそんなにして秀吉の住居すまいをみんなして作つくってくれるのか」

と、いかにも空そらとぼけた質問しつもんをだして、そばにひかえている片桐かたぎり、福島ふくしま、脇坂安治わきざかやすはるなど、ツイせんだって賤しずヶ岳たけで七本ほん槍やりの名をあげた若い人たちをかえりみたが、またすぐに床几しょうぎから腰こしを立てて、

「ウウム、壮観そうかん、壮観」

と、港みなとのほうへ小手こてをかざした。

そこから見ると――

大坂おおさかはまだ三郷ごうとも、城下じょうかというほどな町を形成けいせいしていないが、急ごしらえの仮小屋かりごやが、まるで焼やけあとのようにできている。

そして、百川せんのすえに青々とすんだ浪華なにわの海には、山陰さんいん山陽さんよう五畿き東山とうさんの国々から、寄進きしんの巨材きょざい大石たいせきをつみこんでくる大名だいみょうの千石ごく船ぶねが、おのおの舳先へさきに紋所もんどころの旗はたをたてならべ、満帆まんぱんに風をはらんで、宛えんたる船陣せんじんをしながら、四方の海から整々せいせいと入江いりえへさして集まってくる。

なるほど壮観そうかんだ。

秀吉ひでよしの目がほそくなる。わかわかしい希望きぼうの権化ごんげのような顔にいッぱいな満足まんぞくがかがやく。

さきには、北きたノ庄しょうを攻せめて、一挙きょに柴田勝家しばたかついえの領地りょうちを攻略こうりゃくし、加賀かがへ進出しては尾山おやまの城しろに、前田利家まえだとしいえと盟めいをむすんで味方みかたにつけた。

永ながいあいだ、なにかにつけてじぶんの前途ぜんとをさまたげていた勝家かついえは自害じがいし、かれと策応さくおうしていた信長のぶながの遺子いし神戸信孝かんべのぶたか、勇猛ゆうもう佐久間盛政さくまもりまさ、毛受勝介めんじゅかつすけ、みな討死うちじにしてしまった。

伊勢いせの滝川一益たきがわかずますも、かぶとをぬいで降くだってくる。

破竹はちくの勢いとは、いまの秀吉のことであろう。京へ凱旋がいせんしてのち、七本ほん槍やりの連中れんちゅうをはじめ諸将しょしょうの下のものへまで、すべて、論功行賞ろんこうこうしょうをやったかれにはまた、朝廷ちょうていから、従じゅ四位い下げ参議さんぎに補ほせらるという、位官いかんのお沙汰さたがくだる。

毛利もうりも人質ひとじちをだして和わをねがう。

丹羽にわ、前田も、あまんじて麾下きかにひざまずく。

こうなると、ひそかに虎視眈々こしたんたんとしていた徳川家康とくがわいえやすも、いきおいかれのまえに意地いじを突つッぱってはいられないので、石川数正いしかわかずまさを戦捷せんしょうの使者に立てて贈おくりものをしてくる。

秀吉はそこで、

(人間てものは、まあ、そんなものサ)

というような顔をしていた。

そして、遠とおく走はせていた目を、すぐ真下ましたの作事場さくじば――内濠うちぼりのところにうつすと、そこには数千の人夫にんぷや工匠こうしょうが、朝顔あさがおのかこいのように縦横たてよこに組くまれた丸太足場まるたあしばで、エイヤエイヤと、諸声もろごえあわせて働いているのが見られた。

「市松いちまつ」

とつぜん、かれは床几しょうぎになおって、

「また使者が見えたぞ」といった。

「おう、さようで」

と、福島市松ふくしまいちまつも加藤孫一かとうまごいちも、みな主君しゅくんの指ゆびさすところへ目をやった。

見ると、なるほど、戦場せんじょうのようにこんざつしている桜門さくらもんの方角ほうがくから、ひとりの武将ぶしょうがふたりの従者じゅうしゃをつれ、作事奉行さくじぶぎょう筒井伊賀守つついいがのかみの家臣かしんの案内あんないにしたがって、こっちへ向かってくるすがたが小さく見える。

「いかにも見えまするなあ」

と孫一がいうと、片桐市正かたぎりいちのかみが、

「お上かみはお目がよくておいで遊あそばす」

と賞ほめあげた。

秀吉ひでよしは、そうさ! といわないばかりに胸むねをそらして、

「おろかなこと、この秀吉の目には、日本のはてまで見えておる」

笑わらいながら見得みえを切った。

二

かりに本丸ほんまるをかためている作事門さくじもんの柵さくぎわへ、その使者と筒井つついの家臣かしんとがきた。

「お開あけください」

「だれだ!」

番士ばんしは具足ぐそく、真槍しんそう、鉄砲てっぽう、すこしも戦時とかわらない。

もっとも、作事奉行さくじぶぎょうも棟梁とうりょうも工匠目付こうしょうめつけも、四方にかけあるいている使番つかいばんもすべて上かみは鎧装がいそう陣羽織じんばおり、下しもは小具足こぐそく、ことに人夫にんぷを使っているものなどは抜刀ばっとうをさげて指揮しきしているありさま。

(怠なまけるものは斬きる)

これが築城場ちくじょうばの宣言せんげんだ。

したがってここの空気は、賤しずヶ岳たけ、柳やなヶ瀬せの合戦かっせんの緊張きんちょうぶりとすこしもかわっていないのである。

「――作事奉行、筒井伊賀守つついいがのかみの家臣かしん、猪飼八兵衛いがいはちべえ」

と大声で答える。

「門鑑もんかん」

「いやお送おくりでござる――徳川とくがわどののお使者」

「徳川家とくがわけの使者? して何名なんめい」

「永井信濃守尚政ながいしなののかみなおまさと、つきそい両名りょうめい」

「そのものは?」

「水野源五郎みずのげんごろう」

「ウム、徳川殿とくがわどののお旗本はたもとでござるな。もう一名は」

「菊池半助きくちはんすけ」

「それだけでござるか」

「さよう」

「ごくろうでござッた」

案内あんないの猪飼八兵衛いがいはちべえはかけもどって、送おくりこまれた徳川家とくがわけの家臣かしん三名、槍やりぶすまの間をとおってひかえ所じょに待たされた。

やがてそれを、秀吉ひでよしのところへ知らせると、かれはもう心得こころえていて、福島市松ふくしまいちまつに出迎でむかえを命めいじる。

市松はガチャッ、ガチャッと歩くたびに陣太刀じんだちが具足ぐそくをたたく音をさせながら、巨石きょせきでたたみあげた石段いしだんをおりてきて、

「遠路えんろ浜松城はままつじょうからおこしのお使者、ごくろうです。福島市松ご案内あんない申もうしあげる。こちらへ」

うしろへ目くばせすると、かれが無む二の家来けらい可児才蔵かにさいぞう、

「いざ」

と三名のうしろについて、主人と首尾しゅびをつつんで秀吉ひでよしのいる本丸ほんまるの庭手にわてへあがっていった。

(はてな?)

そのとちゅうで可児才蔵かにさいぞうは、自分の目のまえに立ってゆく、少しちぢれ毛げのある男の襟えりもとを見つめながら、

(はて……どこかで見たことがある)

いくども首をひねって考えたが、どうも思いだすことができない。

徳川家とくがわけの使者ししゃについてきた侍さむらい、横顔よこがおをさしのぞくのも無礼ぶれいであるし、疑念ぎねんのあるものをやすやすと、主君の前へ近づけるのはなおのこと不安ふあんなはなし。

で――作事門さくじもんからついてきた番士ばんしに、ソッと耳をよせてきいてみると、

「あの方かたですか。あれはただいまたしか、菊池半助きくちはんすけとか名のりました」

「えッ、菊池?」

そうだ!

それで可児才蔵にも思い起すことができる。かれは徳川家の伊賀衆隠密組いがしゅうおんみつぐみの組頭くみがしらで、かつて富士ふじの人穴城ひとあなじょうへ、じぶんが主命しゅめいでようすをさぐりにいったとき、はじめてその名を知った男だ。

(これはいけない! 油断ゆだんのならない使者のお供ともだ)

かれがそう思いあたった時には、もう、秀吉のまえにきて、一同横列おうれつになっていた。

秀吉ひでよしは、ヤアと友だちを迎むかえるようにして、はなはだかんたんに、来意らいいをきく。

けれど、いくらかんたんにされても、なれなれしくあつかわれても、ひとりでに使者のからだは固かたくなってヤアに対たいして、オウというような円滑えんかつなへんじはできないで、

「左少将さしょうしょうさまにはいつもながら、ますますご健勝けんしょうのていに拝はいせられまして、かげながら主人しゅじん家康いえやすも祝着しゅうちゃくにぞんじあげておりまする」

などと形式けいしきばると、

「いや、ありがとう」

秀吉はたいへんやさしい声で、

「体からだはせわしいおかげでますます健固けんご、また、諸侯しょこうご寄進きしんのおちからで、どうやらわしの寝所ねどこもこのとおりできかかっている」

使者の永井信濃守ながいしなののかみは、肚はらのうちでひそかにあきれた。

(秀吉はウソばかりいっている。なんでこんな巨おおきな城しろが寝所ねどこなもんか、これはやがて、四国こく九州しゅうはおろか、東海道とうかいどう浜松はままつも小田原おだわらも、一呑ひとのみに併呑へいどんしようとする支度したくじゃないか)

そう考えたが、口にはだせない。

秀吉は人の考えなどにはとんじゃくしないふうで、いよいようち解とけたようすになって床几しょうぎをすすめ、

「時に、ご来意らいいは?」

「はッ」

信濃守しなののかみは、よそごとに散ちらしていた頭脳あたまを醒さまして、

「ほかではございませんが」

「ウム」

「くわしくは主人の書状しょじょうにつくしてござりますが、口上こうじょうをもって一通ひととおりお願い申しあげまする。それは」

「ウム」

「余事よじではございませんが、毎年、武田家たけだけの行事ぎょうじとして行われてまいりましたところの、武州ぶしゅう御岳みたけにおける兵法大講会へいほうだいこうえの試合しあいの儀ぎ」

「ウム、ウム」

「勝頼かつよりすでに亡ほろび、甲斐かいの領土りょうどは主人しゅじん家康いえやすの治下ちかとあいなっております」

「いかにも」

「そこで旧武田家きゅうたけだけの政弊悪政せいへいあくせいはこのさいつとめて廃はいしまするが、兵法奨励へいほうしょうれいの御岳大講会みたけだいこうえの行事ぎょうじだけは、なんとか保存ほぞんいたしたいと考えて、昨秋さくしゅうも形かたちばかりはやりましたが、当時とうじ諸国紛端しょこくふんたんの折から、まことに思わしゅうございませんでした」

「大きに、ああいう尚武しょうぶのふうはぜひのこしておきたい」

「で、本年は、甲府こうふの代官だいかん大久保長安おおくぼながやすにその総奉行そうぶぎょうを命めいじ、支度したくばんたん、力をつくしておこないたいと考えますゆえ、ぜひご当家とうけよりも、当日の大講会に何人なんぴとかご参加さんかくださるようにと、わざわざおすすめに、イヤ、お願いにまいったようなわけでござります」

「なるほど」

張合はりあいのないくらいかんたんにうなずいて、

「だれかつかわすであろう」

といったが、秀吉ひでよし、またちょっと考えて、

「だが待てよ……御岳みたけの大講会だいこうえともうすと、なにさま天下の評判ひょうばんごと、秀吉の家来けらいがまけてもこまるな」

「いや、けっして」

「当日とうじつ、兵法試合へいほうじあいのうち、軍学大論議ぐんがくだいろんぎのあることは、あれから甲州流こうしゅうりゅうの陣法じんぽうが生まれたというくらい有名ゆうめいなものだが、そのほか、武道ぶどうの試合しあいとしては、なんとなにか?」

「あえて、それに限かぎりをもうけませぬ」

「うむ、そうか」

「たとえば、武道ぶどうの表芸おもてげい、弓術きゅうじゅつ、剣法けんぽうはもちろんのこと、火術かじゅつ、棒術ぼうじゅつ、十手術じってじゅつ、鎖くさり、鉄球てっきゅう、手裏剣しゅりけんの飛道具とびどうぐもよし、あるいは築城ちくじょうの縄取なわどりくらべ、伊賀いが甲賀こうがの忍法しのびほうも試合にいれ、かの幻術げんじゅつと称しょうする一派ぱの技わざでも、自信のあるものは立合たちあいをゆるすつもりでございます」

信濃守しなののかみがしゃべっていると、丁ちょうッ、と秀吉よこ手を打って、

「いや、なかなかおもしろそうだな」

と、話のさきを折ッぺしょった。そして、

「ほんとうは、この秀吉が若ければ、自分ででかけたいところなのだが、まさか、そうもなるまい。イヤ、お使者の口上こうじょうあいわかった。いずれ当日とうじつまでにだれか人選じんせんして武州ぶしゅうへつかわすであろう。家康いえやすどのによろしくご返事を。どれ、一ツ外濠そとぼりの作事さくじを見まわろうか」

陣羽織じんばおりをきらめかせて立ちあがった。

信濃守しなののかみも目礼もくれいして宿所しゅくしょへかえる。

ところがその翌日よくじつ、秀吉は木の香かのあたらしい本丸ほんまるの一室しつへ、福島市松ふくしまいちまつをひとりだけ呼よんで、

「いかんわい」

と、おもしろくない顔をしてつぶやいた。

「なんでいけませんか」

市松にはわからない。

秀吉はときどき、尾張おわりの中村なかむらで村の餓鬼大将がきだいしょうだった時代のような言葉づかいを、ちょいちょいつかう。

もっともそれは、当時とうじからの腕白仲間わんぱくなかまの鍛冶屋かじやの虎之助とらのすけや桶屋おけやの市松などと、さしむかいでいる時にかぎってはいたが。

で――いまもその市松とふたりきりで対坐たいざしていたので、

「いかんぞ、いかんぞ、ゆだんもスキもなりはしない。まだすっかりできあがらぬうちに、この大坂城おおさかじょうの縄取なわどり構造こうぞうを浜松はままつの狸たぬきめが盗ぬすみおった」

と、水瓜すいかばたけへ泥棒どろぼうがはいったように、口をひんまげて考えこんだ。

ひとり探さがす子・ふたりの子

一

この摂津せっつの要害ようがいへ金城鉄壁きんじょうてっぺきをきずかれたのは、たしかに家康いえやすのほうにとってありがたくない目の上のこぶにはちがいない。

しかし、その家康が、いつこの大坂城の縄取なわどりをぬすんだというのか、福島市松ふくしまいちまつには主君のいうことがさっぱり解げせないふうで、へんな顔をしてきいていた。

「わからないと申すか、はてさて、魯鈍ろどんな頭よな」

と、秀吉ひでよしは、説明してやった。

「武州ぶしゅう御岳みたけの兵法大講会へいほうだいこうえについてわざわざ鄭重ていちょうに使いをよこしたのは、すこし妙みょうなと考えていたが、あれはの市松いちまつ、やっぱり家康めの策さくであった」

「ほう、ではかれの策略さくりゃくなので」

「というほどのことでもないが、まア用達ようたしのついでだな、転ころんでもただは起きないのが、あの男のもちまえ、きのうの使者三名のうちに、ひとり隠密おんみつの達者たっしゃなやつをまぜてよこした」

「伊賀者いがものを使者の人数にまぜてよこすは非礼ひれい千万ばん、どうしてそれがおわかりになりましたか」

「昨夜作事門さくじもんをのり越えて、本丸、二ノ丸のようすをうかがっていたやつがある。しかし、この方ほうにもすきがなかったので、じゅうぶん図面ずめんをうつしとることもできず、風のごとく逃にげうせたから、定さだめし遠州えんしゅうの使者も宿所しゅくしょをはらって、けさは早朝に帰国したのであろう」

「はてな、さようでございましょうか」

「魯鈍ろどん、魯鈍、そちはこんなにくわしく話されてもまだ感づかないのか」

「でも、あまりふしぎに思われますので」

「なにがふしぎ」

「お上かみには昨夜ご酒宴しゅえんで、いたくお酔よいあそばしました」

「ウーム、よいきげんだった」

「拙者せっしゃはつぎの宿直とのいの間まにひかえておりましたが、鼾声かんせい雷らいのごとく、夜明けまでお目ざめのようすもなかったのに、なんとしてそんなことがおわかりでございましょうや」

「ウム、一理りあるな、ではじつを申さねばなるまい、まことは昨夜その伊賀者いがものの潜入せんにゅうを知ったのはかの源次郎げんじろうが働きじゃ」

「源次郎と申しますと?」

「お、家臣かしんの者ではないから、そちはまだ知らぬとみえる。かの信州しんしゅう上田城うえだじょうから質子ちしとしてきている真田昌幸さなだまさゆきのせがれ源次郎がことじゃ」

「それなら、うわさにうけたまわっております」

「で――こんどの兵学大講会へいがくだいこうえだが、その真田源次郎、まだ二十歳はたちにならぬ若年じゃくねんものとはいえ、父昌幸、兄信幸のぶゆきにもまさる兵学者へいがくしゃ、一つあれをやろうと思うがどうだ」

「よろしかろうとぞんじます」

「それに加くわえて、そちの家来けらい可児才蔵かにさいぞう」

と、秀吉ひでよしはじゅんに指ゆびを折りだして、

「虎之助とらのすけのかわいがっておる井上大九郎いのうえだいくろう、この三名をつかわそう。日もはやせっぱくしておることゆえ、すぐ出立しゅったつさせるがよい」

豊臣家とよとみけの代表者だいひょうしゃとして、御岳みたけの兵法大講会に参加さんかする命めいがくだって、可児、井上、真田の三士しが大坂表おおさかおもてを発足ほっそくしたのは、その翌々日よくよくじつのことだった。

山崎やまざきの合戦かっせんで敵てきの生首なまくびを笹ささにとおしてかけあるくほどはたらいて、笹の才蔵といいはやされた可児。

壮漢そうかん木村又蔵きむらまたぞうとならんで、加藤かとうの龍虎りゅうこといわれている井上大九郎。

それについていった真田源次郎というのは、ついこのあいだ信州から質子として大坂へきたばかりの田舎者いなかもの、いたって無口むくちで、年も他のふたりよりは若く、ながい道中どうちゅうも、ただむッつりとして歩あるいているが、秀吉ひでよしの犀眼さいがんが、はやくも見こんでいるとおり、後年太閤たいこうが阿弥陀峰頭あみだほうとうの土と化かしてのち、孤立こりつの大坂城おおさかじょうをひとりで背負せおって、関東かんとうの老獪将軍ろうかいしょうぐん大御所おおごしょの肝きもをしばしば冷ひやした、稀世きせいの大軍師だいぐんし真田幸村さなだゆきむらとは、まったくこの源次郎だったのである。

だが、のちの大軍師だいぐんし幸村ゆきむらも、この時はまだ才蔵さいぞうよりも大九郎よりも後輩こうはいであったし、上田城うえだじょうの城主じょうしゅ昌幸まさゆきの子とはいいながら、質子ちしとしてきている身分みぶんなので、なにかにつけて肩身かたみがせまい。

大九郎は大酒家たいしゅかで、道中もときどき源次郎に世話せわをやかせてテコずらした。

才蔵は御岳みたけにつくまで、じゅうぶん腕うでをきたえておこうというので宿やどへつくと稽古槍けいこやりを借かりて、源次郎をワラ人形にんぎょうのように突つきたおす。

太刀たちを持っては大九郎にかなわず、槍をとっては才蔵に向かえなかった。それでも源次郎は謙遜無口で、よく大九郎のめんどうをみたり、才蔵に槍の教えをうけたりしながら、順路じゅんろ東海道とうかいどうの旅たびをはかどっていた。

浜松はままつの城下じょうかへついた晩ばん、

「一つ皮肉ひにくに、せんだって使者にまじってきた、菊池半助きくちはんすけをたずねて、一晩ひとばん泊とめてくれと申もうしこんで見ようじゃないか」

大九郎の発意ほついで、いたらこの間あいだのことを揶揄やゆしてやろうぐらいな考え、伊賀組いがぐみの屋敷やしきへおしかけていってみたが、

「運うんのいいやつめ」

と、大九郎だいくろうは門前もんぜんから苦笑くしょうしながらもどってきた。

もう菊池半助きくちはんすけも、家中かちゅうの人々とともに、武州ぶしゅう御岳みたけへ発足ほっそくしていて留守るすだった。

やむなく町へでて、ぶらぶら旅籠はたごをさがしていると、

「おや、可児才蔵かにさいぞうさまじゃござんせんか」

と前にかがんで、なれなれしく人の顔をのぞきこんだ町人ちょうにんがある。

「だれだ、その方ほうは」

「お忘れですかい、わっしゃあ裾野すそのでお目にかかったことがあります。へい、一ばん最初は釜無川かまなしがわの河原かわらでね」

「釜無川の河原で?」

「さようでございます。あの時あなたは、鳥刺とりさしの風ふうていで人穴城ひとあなじょうをご見物けんぶつにいらっしたんでがしょう。忘れやしません、わっしが河原で竹童ちくどうを取ッちめていると、そこへ飛んできて、ひどい目にあわせなすったじゃございませんか」

「おお、そうか」

「やっと思いだしましたね」

「それではきさまは、和田呂宋兵衛わだるそんべえの手下てした、早足はやあしの燕作えんさくだったか」

「その燕作でございますよ、どうも旦那だんな、お久ひさしぶりで……むかしは敵てきだの味方みかただのといっていましたが、いまはやっと、だいぶ天下もしずまりましたし、人穴城ひとあなじょうは焼やけっちまうし、家康いえやすさまと秀吉ひでよしさまも、仲なかよくつき合っているご時世じせいですから、こちとらなどは、なんの怨うらみもくそもありゃしません」

「そうだが、このさきはわからないが、とにかくいまのところでは天下平静へいせい、御岳みたけの兵学大講会へいがくだいこうえも、今年は定さだめしにぎわしかろう」

「お、じゃ、旦那方だんながたもおでかけですか」

「なにも能のうはないが、見物けんぶつにな」

「ごじょうだんでござんしょう」

燕作えんさくはイヤな笑わらいかたをして、

「おととい、呂宋兵衛るそんべえもあちらへでかけましたよ」

「ほう、あれもまいったか」

「家康いえやすさまのおさしずで、当日とうじつは、南蛮流なんばんりゅうの幻術げんじゅつを公開こうかいしてみせるそうで」

「あの、蚕婆かいこばばあはその後ごいかがいたしたな」

「あいかわらず、達者たっしゃなもんでございますよ、ただ裾野すそのにいたころとすこしちがってきたのは、呂宋兵衛にかぶれて、女修道者イルマンのくろい着物きものをきているぐらいなもンでげす」

「おまえはゆかないのか」

「わっしでございますか……」

と燕作はあたまに手をのせて――。

「わっしはまだごゆるりとあとからでかけますつもりで」

「そうゆうゆうと落ちついていると、もう試合しあいの当日とうじつに間まにあわなくなるぞ」

「なアに大丈夫だいじょうぶ、これでごンす」

と、燕作えんさくは足の膝ひざぶしをピッシャリとたたいて、

「孫悟空そんごくうじゃござんせんが、早足はやあしの燕作、一番あとからかけつけましても、こういう筋斗雲きんとうんがございますから……へへへへことによると、あとからいって、いずれあちらでわっしの方がお待ちするようなことになるかも知れませんて。……へい、じゃあごきげんよろしゅう、さようなら」

と、横町へかけこんだ。

二

織田おだと今川いまがわのほろびた後のちは、家康いえやすの領地りょうちざかいは小田原おだわらの北条氏直ほうじょううじなおととなり合って、碁盤ごばんの石の目をあさるように武州ぶしゅう甲州こうしゅう上州じょうしゅうあたりの空地あきちをたがいに競せりあっている。

その小田原でも、御岳みたけのうわさはたいへんなものだ。

徳川家とくがわけからでる和田呂宋兵衛わだるそんべえがきのう箱根はこねをとおった。お小姓こしょうとんぼ組ぐみの連中れんじゅうがうつくしい行列ぎょうれつで練ねりこんでいった。菊池半助きくちはんすけがいった。やれだれがとおった。なんのなにがしもくりこんでいったと、小田原城おだわらじょうの若ざむらいは血ちをわかしていた。

なんにつけても氏直は、いま、四隣りんへ虚勢きょせいを張はっているところだ。

「当家とうけの武芸ぶげいのほどをしめしてやれ」

と、これは秀吉ひでよしよりも大のり気で、すでに城内じょうないで数度すうどの下試合したじあいをやらせたうえ、家中かちゅうから選抜せんばつして武芸者ぶげいしゃ十名、鎖帷子組くさりかたびらぐみとなづけてめいめいにおなじよそおいをさせ、応援おうえんとして若ざむらい百二十人をそえ、示威じいどうどうとして、足柄裏街道あしがらうらかいどうから甲州路こうしゅうじをぬけて、武州ぶしゅう御岳みたけへ参加さんかすることになった。

「ほう、あれや小田原おだわらの北条ほうじょうだな」

その人数と、ちょうど位牌いはいヶ岳たけの追分おいわけでぶつかった井上大九郎いのうえだいくろう、つれのふたりをかえりみて、

「戦いくさにはあまりつよくない連中れんじゅうだから、せめて試合しあいに勝とうというんだろう」

大口おおぐちをあいて笑わらいながらいった。

「よせよせ、大九郎」

才蔵さいぞうは、道ばたに寄よって、その人数をわざとやり過すごしてから、

「大きな声をすると聞えるじゃないか」

「聞えたって、なあに、かまうもんか。なにかいったら賤しずヶ岳たけで、すこし食くい足たらなかった腰こしの刀ものに、生血いきちを馳走ちそうさせてやるさ」

「すぐそんな気になってはこまる。こんどの御岳はただの武者修行むしゃしゅぎょうやなにかとちがう。豊臣家とよとみけのおん名なをいただいてまいったことだから、もうすこし自重じちょうしてくれよ。え、大九郎」

と、可児才蔵かにさいぞうが肩かたをならべてゆきながら、酒さけの匂においのたえない井上大九郎に、しきりと意見いけんしていた。

いつもおとなしいのは真田源次郎さなだげんじろう。

ふたりの振分ふりわけまで自分の肩かたに持ってやって、もくもくとあるき、もくもくとあたりの山をながめ、時には立ちどまって、地理山川さんせんをふところ紙がみにうつしている。

さすが後年こうねん九度ど山やまに身をかくしても、隠然いんぜん天下におもきをなした大軍師だいぐんし幸村ゆきむら、わかい時から人の知らない心がけがあった。

ほどもなく、この人々も、小田原おだわらの人数も、甲州本街道こうしゅうほんかいどうを迂回うかいして、岩殿山いわどのやまに武田家滅亡たけだけめつぼうのあとをとむらいながら、御岳みたけへ、御岳へ、と近づいていった。

御岳ののぼり口には、いくつもの小屋や厩うまやや湯呑所ゆのみじょなどが建たっていた。いま山は紅葉もみじのまっさかりで、山腹さんぷく山上さんじょう、ところどころに鯨幕くじらまくやむらさきだんだら染ぞめの陣幕じんまくが、樹間じゅかんにひらめいて見える。

「伊達家諸士だてけしょし控所ひかえじょ」

「上杉家諸士うえすぎけしょし溜場たまりば」

「北条家ほうじょうけ休息小屋きゅうそくごや」

「徳川家家臣とくがわけかしん寄合場よりあいば」

などとその小屋にはいちいち木札きふだがうってあって、各所かくしょものものしいありさま、すでに明日あすとせまってきた大講会広前だいこうえひろまえの試合しあいのしたくやなにかに活気かっきだっていたが、いま、天下大半たいはんのあるじ、豊臣家とよとみけにはなんのしたくもなく、見物けんぶつにまじってぶらりとやってきた三名は、さしずめ、そこらの樹きのしたに蓙ござでもしいて一晩ひとばん明かすよりほかにしかたがない。

三

麓ふもとのすこし手まえにある御岳みたけの宿しゅくの町中まちなかも、あしたから三日にわたる山上さんじょうの盛観せいかんをみようとする諸国しょこく近郷きんごうの人々が、おびただしく入いりこんできていて、どこの旅籠はたごも人であふれ、民家みんかの軒のきに戸板といたをだして、そこに野宿のじゅくをする覚悟かくごのものが幾組いくくみとなく見うけられた。

カアーン、カアーン

鉦かねをたたきながら、そこを通る地蔵行者じぞうぎょうじゃがあった。

足でもいためているのか、笈おいを背負せおっているその地蔵行者は右の足でびっこをひいていた。

すこし歩いては休やすみ、すこしあるいては休みして、

カアーン、カアーン……と行乞ぎょうこつの鉦をあわれげにたたく。

「まだおからだがお痛いとうございますか」

こういって、いたいたしげに行者の足をみたのは、道づれになっている女の巡礼じゅんれい――坂東ばんどう三十三ヵ所しょの札ふだを背せなかにかけた女房にょうぼうである。

「いいや、もうたいしたことはございません」

菊村宮内きくむらくないはさびしく笑わらって、

「おまえさんこそ、きょうはだいぶ歩きましたから定さだめしつかれたであろうと、さっきから休やすみ場所ばしょをさがしているが、どうも、たいへんなこんざつで……」

「ご心配しんぱいくださいますな、けっして、わたしはなんともありゃしませんで。ハイ、行者ぎょうじゃさまわたしはきのうのことを思いますと世の中には、ありがたいお人もあるものと思わず涙なみだがこぼれてしようがありません」

「なにをいいなさる。あれしきのこと」

「わたしの難儀なんぎの身代みがわりになって、あの人足にんそくたちに、打たれるやら、蹴けられるやら、それでも、おまえさまは手出てだしもせず、ジッとがまんしていなすったから、とうとう気絶きぜつしてしまいなされた」

「それでも、死ななかったのは、お地蔵じぞうさまのお加護かごです」

「わたしの眼から見ますと、あなたさまのおからだに、あの時、後光ごこうがさしていたようでした」

「とんでもない、わたしはくだらない凡人ぼんじんですよ」

世間せけんに鬼おにはない。

いまもふたりが立ち話をしていたごとく、その男女のすがたを見かけると、とある町家まちやの軒下のきしたから、

「もしもし、お地蔵じぞうさん、ここへきてやすみなさいよ」

と、しんせつにいってくれるものがある。

「ありがとうぞんじます」

ふたりはていねいに腰こしをかがめてそこへはいり、笈おいをおろして茶ちゃの馳走ちそうになった。

ここにも、明日あすの御岳見物みたけけんぶつがどっさり話し合っていた。が、なにかの雑談ざつだんの端はしから、身の上をきかれて、女巡礼おんなじゅんれいは涙なみだをうかべながらうつ向いてしまった。

菊村宮内きくむらくないは、きのうはからず阿弥陀街道あみだかいどうの茶店ちゃみせで、この女房にょうぼうがわるい街道人足かいどうにんそくに迫害はくがいされているのをみかけて助けたことから、ここへくるまでのみちみちに、その身の上を聞いたので、

「わたしが代かわって――と申しては、まことにさしでがましいようでござるが、なるべく多くの人さまに、聞いていただいたほうが、この方かたのため、ぞんじているだけをお話しいたしますが」

と、人なかでは、口のきけない巡礼の女房にかわって、

「じつはこの女ひとは、甲州こうしゅうの水晶掘すいしょうほりの女房で、お時ときといいますが、わけがあって自分のひとりの児こをたずねあるいておるんです」

「へえ、子供をね……ふうむ……それやかわいそうなこった」

「どこかに、生きていれば十四、五になる男の児、おさない時に、伊勢参いせまいりのとちゅうではぐれたままなので、なんの証拠しょうこもなさそうですが、たッた一つ……」

「ふム、ふム」

と、一同の目は、お時ときと宮内くないにあつまった。

「――たッた一つある手がかりは、その児この背せなかに、お諏訪すわさまの禁厭まじないというてすえた、大きな虫の灸きゅうのあとがあることだけです」

「なるほど、背せなかにお諏訪すわさまの灸のあとがあれば、なんとか、いまに見つかるでしょう、あの灸点きゅうてんは甲府こうふの近郷きんごうでやっているほか、あまり他ほかの国にはあんな大きな灸きゅうは見ないからの」

「まア、力をおとしなさんな」

「坂東ばんどう三十三ヵ所しょの功力くりきでも、いまにきっと見つかりますよ」

と、郷土ごうどの人たちのことばは温あたたかく、わずかな金かねをさいて合力ごうりきしたり、握にぎり飯めしをとって茶ちゃをついでくれたりして、なぐさめてくれているうちに、いつか話がそれて、だれも気がつかないすきまだった。

宮内くないにもだまって、巡礼じゅんれいのお時は、そこの軒下のきしたから走りだしていた。

そして、さきへひとごみを追おいながら、せまい宿場しゅくばの人ごみを縫ぬってゆく。

「あの子じゃないかしら?」

と、お時は、さきへゆくひとりの少年をつけてゆくのだった。

いつも、それではあとでがっかりするが、ちょうど思うころの年ごろの少年を見ると、お時は、どうしても、あとを追わずにはいられない。

「あの子かしら?」

と思うと、その顔も、死んだおやじに似にているように見えてくるし、いまにもニッコリふりかえって、

「あッ! おッ母かさん!」

と飛びついてきやしまいかと思われるのだった。

「ああ、足が早い、足が早い、まあなんて足が早い子なんだろう。ちょっと、こっちをふり向いて、わたしに横顔よこがおでも見せてくれればいいのに」

捨すててきた宮内くないが心配しんぱいしていることも、いまはすっかり忘わすれてしまった。

――とも知らずに、さきへゆくのは十五、六のなりの大きな腕白小僧わんぱくこぞう。

ピキ、ピッピキ、トッピキピー

木この葉は笛ぶえをくちびるに当あてて、しきりと奇妙きみょうきてれつなちょうしで大人おとなをおどかしてゆく。

どこかへ買物かいものにいってきたものとみえて、片かたッぽの手にふろしきをさげている。そのふろしきがほとんど手にあるのを忘れて、

ピキ、ピッピキ、トッピキピー

木の葉笛で元気がいい。

「ああ、あれが自分の子だったら、どんなだろう」

お時ときも夢中むちゅうで追おいかけた。

そして、女の足では苦くるしいほどいそいで、やっとうしろから追いつきかけたお時ときは、横へまわるように馳かけぬけて、その少年の横顔よこがおをのぞきこんだ。

――見ればあまりいい顔だちではない。すこしばかり青い鼻汁はなじるをたらしかけている。けれど、お時の目には、やっぱり死んだおやじに似にていた。

なんとかして、話しかけてみたい。

こんどはその気持につりこまれて、また見えがくれにつけていった。

「ちぇッ、ずいぶんありゃアがるな、宿しゅくから麓ふもとまでは」

四ツ辻つじでそういって、木この葉は笛ぶえですこしかッたるくなった歯はぐきを、頬ほおの上からもんでいるところを見ると、それは鼻はなかけ卜斎ぼくさいのお供ともでこの御岳みたけへきて、ゆうべから麓ふもとの小屋に泊とまっている泣き虫蛾次郎がじろう。

「そうだ……」

なにがそうなのか、ひとりでコックリして、

「バカバカしいや、いまから帰ったって、また蛾次郎足をもめの腰こしをさすれのと、師匠ししょうにスリコ木ぎみたいにこき使われちゃまいってしまう。どこかですこし、うまい道草はねえかしらなあ」

ピキピッピッキ、トッピッピである。

そこで蛾次郎は四ツ辻をうろうろまわって、なにか見世物小屋みせものごやでもないかと、月つきノ宮みや神社じんじゃの境内けいだいへはいろうとした。

――と蛾次郎がじろう、ぎょろりと目をすえて、

「いけねえ、またへんなところでぶつかってしまったぞ」

急きゅうに尻尾しっぽを巻まいたようすで、あとへもどると、とつぜん馳かけ足になってどこかへ姿すがたをかくしてしまった。

「おやッ、あの子は」

と、お時ときは手のうちの玉たまをとられたように、あッけにとられて失望しつぼうしたが、その目のまえに、すぐと、また同じような少年がひとり、月つきノ宮みやの境内けいだいから勢いきおいよくかけだしてきて、

「――蛾次だ!」

と、石の狛犬こまいぬのそばに立って、背せのびをしながら、逃にげたもののうしろ姿を見おくっているようす。

すがたも似にている、年かっこうもたいして違ちがうまい、ただ蛾次郎よりは少し背せがひくく眼まなざしや口くちもとに凜りんとしたところがある。

それもお時にははじめてみる少年――かの鞍馬くらまの竹童ちくどうだった。

だが、子をたずね迷まようお時の目には、ものかげからジイッと飽あかずに見ていると、ああ煩悩ぼんのうは実げにもふしぎ、この少年こそ、あるいは自分の子ではないか、あのお諏訪すわさまの灸きゅうのあとが背せなかにあるのではあるまいかと、迷まよえばまようほど思われてくるのであった。

兵法大講会へいほうだいこうえ

一

勢いきおいよく、月ノ宮の境内けいだいからかけだしてきた竹童ちくどうは、自分と入いれかわりに、そこをすッ飛ぶように逃にげだしていったうしろ姿すがたへ、

「やッ、あいつめ!」

石の狛犬こまいぬに手をかけて伸のびあがりながら――。

「蛾次がじだ、蛾次公こうだ」

と、棗なつめのような目をクルッとさせて、いつまでもそこに見おくっていた。

そして、かれの姿が、犬ころのように、宿場しゅくばのはてへ見えなくなると、竹童はもうそれを放念ほうねんしたごとく、

「はてな、伊那丸いなまるさまやほかのかたがた……もうお見えになりそうなものだが」

と、つぶやいて、べつな方角ほうがくへさまよわせた眸ひとみを、ふと、狛犬のうしろにむけた。

と――そのかげに見なれない巡礼じゅんれいすがたのおばさんがボンヤリと立っていて、自分のほうを穴あなのあくほど見つめていたので、竹童はボッと顔をあかく染そめ、あわてて眸をひッこめたが、お時ときのほうはものいいたげな微笑びしょうを送おくりながら、

「坊ぼう、おまえは、いくつだネ?」

と、そばへ寄よってきた。

竹童はきまりが悪そうに、もじもじとあとへ足を引っこめた。見たこともない坂東ばんどうめぐ巡りの巡礼女じゅんれいおんなが、いきなり年をきいたりジロジロと顔ばかり見つめてくるのが、なんとなくうす気味きみのわるいようでもあった。

「いくツ? おめえは今年いくつになったえ?」

「…………」

「家うちはどこ?」

「…………」

「この御岳みたけのまわりかい、それとも、もっと遠とおい在郷ざいごうかね?」

「…………」

竹童は小指こゆびの爪つめをかんでいる。

だれにでも、打てばひびく調子ちょうしで、鮮明率直せんめいそっちょくなことばのでるかれも、そのやさしい問いには一句くも返辞へんじができないで、ただふしぎな巡礼のおばさんよと、あいての身なりをながめ入いるのみだった。

子をたずねる愛執あいしゅうの闇やみ、生みのわが子をさがしあるく母性ぼせいのまよいに、ふしぎな錯覚さっかくを起しているお時ときは、相手のはにかみにも気がつかず、ただ(もしやこの子が)と思う一途いちずに、

「じゃあおめえは、両親ふたおやを持っているかね。――ほんとの父とっつァんを知ってるけえ? おめえを生んだおッ母かさんはどこにいる?」

絶たえて忘れていた一つのさびしさが、そのだしぬけなお時ときのことばに、ハッと、竹童ちくどうの胸むねをうってきた。

ほろほろと

啼なくやまどりの声きけば

父かとぞおもう

母かとぞおもう

竹童はだれかに聞いたこの歌一つをおぼえていて、父を思うとき、母をおもうとき、寝床ねどこのなかや森もりのかげでひとりこの歌をくり返かえしくり返ししていると、いつもひとりでに涙なみだがでてきた。

かれは、生まれながらにして、父母ちちははを知らない。

もの心ついたころから、鞍馬くらまの奥おくの僧正谷そうじょうがたにで果心居士かしんこじにそだてられ、友とするものは猿さるや鹿しかやむささびや怪鳥けちょうのたぐい、師しとあおぐ人も果心居士、父とうやまう人も居士、母とあまえる人も居士であった。

「おいらは、木の股またから生まれたんだ」

ついこの間あいだうちまで、かれはこう信じていた。

しかし、やがて僧正谷そうじょうがたにから実世間じつせけんのなかへもまれだしてみて、はじめて、人間には両親ふたおやのあることを知った。

父は六臂ぴ三面めんの神よりも力づよき柱はしら――、母は情体愛語じょうたいあいごの女菩薩にょぼさつよりもやさしい守まもり――その二つのものが人間には橋はしの下に生まれる子にもあるのを知った。

「だのに、なぜおいらには、それがないのかしら?」

この疑問ぎもんがすすんで、竹童ちくどうもいつのころからか、じぶんの父は何人なんぴとか、自分の母はたれなのかと、人知れずしきりに思うようになっていた。

二

「それにおるのは竹童ではないか。竹童、竹童!」

不意ふいに、かれの幻想げんそうとうつつな耳をさます声があった。

お時ときに親を問とわれて、夢ゆめでもみるように、なにかボウと考えこみ、石の狛犬こまいぬとならんで指ゆびの爪つめをかんでいた竹童は、近よる足音にハッとして目をそらした。

――と、かれの顔いッぱいに、意外いがいなよろこびにぶつかッた表情ひょうじょうが笑わらいかがやいて、

「オオ、民部みんぶさま! や、伊那丸いなまるさまも」

と、手をあげて迎むかえる。

森の小道でも抜ぬけてきたか、とつぜんそこへ姿すがたをみせた人々は、民部みんぶをさきに、伊那丸いなまるをなかに、うしろに山県蔦之助やまがたつたのすけと加賀見忍剣かがみにんけんのふたりをしたがえた旅装たびよそおいの一行こう四名。

「竹童、よく達者たっしゃでいたな」

と、蔦之助が手をにぎる。

忍剣も肩かたへ手をのせて、

「小太郎山こたろうざんの変へんいらい、そちの消息しょうそくがたえていたので、若君わかぎみをはじめ一党とうの人たちが、どれほど、しんぱいしていたかわからぬ」

「あの、砦とりでの留守番役るすばんやくを仰おおせつかって、みなさまの帰らないうちに、あんなことになったもんですから……」

「もうそのことはいうな。おわびはわれわれからすんでおる。しかし、きさまどうしてこんなところにボンヤリと立っていたのだ」

「明日あしたはいよいよ御岳みたけの大講会だいこうえ、その前日ぜんじつには月つきノ宮みやの森で、みなさまが落ち合うことになっているおやくそくだったそうですから、それで待ちどおしくッて、さっきからここに立っていたんです」

「ふム、きょうのやくそくをぞんじておるならば、龍太郎りゅうたろう、小文治こぶんじのふたりと一しょになっていたのか」

「はい、おふたりは先について、森の垢離堂こりどうでお待ちです」

「そうか。ではすぐにそこへまいろうではないか」

と、伊那丸いなまるが藺笠いがさの前をさしうつ向けてさきに立つ。

それにつづいて、忍剣にんけん、民部みんぶ、蔦之助つたのすけの三人が久ひさしぶりで邂逅かいこうした竹童ちくどうをなかに、みなが弟のごとく取りかこんで、親したしげな話をかわしながら、月つきノ宮みやの境内けいだいふかくしずしずとあゆみ去さってゆく。

あとには、ホウ、ホウ、と山鳩やまばとの啼なくのがさびしげに……

そして、ひとりぼッち、あとに取りのこされた巡礼じゅんれいのお時ときは、孤寂こじゃくなかげをションボリたたずませて、去さる者のうしろ姿すがたをのびあがりながら、

「アア……あの子もちがっていたのかしら?」

とつぶやいて、どこかに聞えるあわれっぽい鳩笛はとぶえの音ねに、なんとはなく涙なみだをさそわれて、垢あかじみた旅衣たびごろもの袖そでに、思わずホロホロと涙をこぼした。

「おう、そこにいましたね、お時ときさん。いや、息いきがきれた息がきれた。不意ふいに人をうっちゃってこんなところへきてしまうのはひどいじゃないか、いくらあとから呼よび返かえしてもふり向きもしないで」

と、そこへ追おいついてきたのは、あの慈顔じがんに笑えみをうかべた地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内きくむらくない。

「ああ、宮内さま」

「おや、泣ないていましたな」

「まだ目のさきにチラチラする。ほんとに瓜うり二つじゃ、あんなよう似にた子供が、どうしてわしの子でないのかしら」

「いやいや、おさな顔はかわるもの、似たというものはあてになりません」

「でも、なんだか、あのふたりのどッちかは、わしの子にちがいないような気がしてなんねえのでがす」

「じゃ、おまえさんの尋たずねる手がかり、あのお諏訪すわさまの禁厭灸まじないきゅうが、その子の背せなかにあるのでも見たのですか」

「いいえ、そら、どうやらとんと知らんけれど……」

「では――迷まよいでしょう。おそらくそれは親心おやごころの煩悩ぼんのうでしょう。――迷いの霧きりをへだてて見れば、枯かれ木も花と見え、縁えんなき他人ひとさまの子供でも、自分の子かと見えてくるのが、人情にんじょうのとうぜん。――まあまあ、そう気が短みじこうては、自身のからだをやつれさすばかり、それでは永ながい年月としつきに、わが子をさがそうという巡礼じゅんれいの旅たびがつづきません。ただひたすら、めぐりあう日は神仏しんぶつのお胸むねにまかせて、坂東ばんどう三十三ヵ所しょのみ霊たまに祈いのりをおかけなさい。……わたしも幸さいわい、地蔵愛じぞうあいの遍歴者へんれきしゃ、およばぬながらも同行どうぎょうになって、ともどもさがして進しんぜましょうから」

と、宮内くないはお時ときをなぐさめた。

そしてふたりは、月ノ宮の御籠堂おこもりどうに笈おいをおろしたが、古莚ふるむしろにつめたい夢ゆめのむすばれぬまま、啼なくこおろぎとともに夜よもすがら詠歌えいかをささげて、秋の長夜ながよを明かしていた。

三

塩市しおいちと馬市うまいちと盆ぼんの草市くさいちが一しょくたにやってきたように、夜になると、御岳みたけふもとの宿しゅくは提灯ちょうちんの鈴すずなり、なにがなにやら、くろい人の雑沓ざっとうとまッ赤かな灯ひであった。

諸国しょこく諸道しょどうからここに雲集うんしゅうした人々は、あすの日を待ちかまえて、空を気にしたり、足ごしらえの用意よういをしたり、またはその日の予想よそうや往年おうねんの思い出ばなしなどで、どこの宿屋やどやもすしづめのさわぎ。

「よウ、京都の葵祭あおいまつりにも人出ひとではあるが、この甲斐かいの山奥やまおくへ、こんなに人間が集あつまってくるたあ豪勢ごうせいなもンだなあ……」

と、その町なかの一軒けんの旗亭きていの二階かいで、窓まどから首をだして、のんきに下をながめている男が感心していた。

なるほど、往来おうらいをみていると、宿やどをとれずにかけあっている田舎武士いなかざむらいや、酒気しゅきをおびている町人ちょうにんや、連つれをよんでいる百姓ひゃくしょうや、えッさえッさと早駕はやかごで、おくればせに遠地えんちから馳かけつけてくる試合しあいの参加者さんかしゃ。

そうかと思うと、鮨売すしうりの声やもろこし団子だんごや味噌田楽みそでんがくの食くい物屋、悠長ゆうちょうに尺八しゃくはちをながしてあるく虚無僧こむそうがあるかと思えば、鄙ひなびた楽器がっきをかき鳴らしてゆく旅芸人たびげいにんの笠かさのむれ――。

なかでも一ばん売れているのは四ツ辻つじの松明売たいまつうりだ。

「夜があけてから山をのぼってゆくようじゃ、とてもいい場所ばしょで見物けんぶつはできないぞ」

というので、気のはやい連中れんじゅうが十七文もんの松明たいまつをふりたて、その晩ばんのうちからドンドンドンドン御岳みたけの山へかかってゆく。

それが麓ふもとから見ると、狐火きつねびのように美しい。

「ウーム、どうでい、ありゃあ。まるで大文字山だいもんじやまの火祭ひまつりのようだな」

この男、京都にいたことがあるとみえて、旗亭きていの二階かいから首をだして、そのながめを大文字山の火祭に見立みたてた。

だれかと思うと、早足はやあしの燕作えんさくだ。

と――燕作、

「おッ、連中がやってきた」

と、そこから店の軒下のきしたをのぞいて、あわてて首を引っこめたが、次つぎの部屋へやへヒョイときて、

「お頭かしら。きましたぜ、おそろいで」

「ウム」

と、うなずいたのは和田呂宋兵衛わだるそんべえである。

蚕婆かいこばばあと丹羽昌仙にわしょうせんのふたりを相手に、さいぜんから酒さけを飲みながら、だれかのくるのを待ちあわせていたらしい。

「一同、ご微行びこうだろうな」

「へい、ぞろぞろと編笠あみがさが七ツばかり、いま、階下したの門口かどぐちへはいってきました」

「じゃあ、お迎むかえに」

と目くばせすると、丹羽昌仙にわしょうせんが立ちあがって階下したへ降おりてゆく。

間まもなくそこへあがってきたのは、隠密組おんみつぐみの菊池半助きくちはんすけ、おなじ組下くみしたの綿貫三八わたぬきさんぱち、それに今度の兵学大講会へいがくだいこうえに試合目付しあいめつけとして働いている大久保長安おおくぼながやすの家臣かしんが四、五人――ただし、そのなかには客分格きゃくぶんかくの鼻はなかけ卜斎ぼくさいがまじっていて、そのまたうしろには泣き虫の蛾次郎がじろう、鼻をふいてひかえていた。

そこでゾロリと車座くるまざになった。

ここに首を寄よせあつめたものは、みな徳川家とくがわけの息いきがかかっている者ばかり。なにかしらないが、話はあしたの相談そうだんとみえて、一間ひとまをピッタリ閉しめきった。

「およそ、明日あすの試合順しあいじゅんはきまりましたかな」

と、呂宋兵衛るそんべえがしきりに気にかけている。

かれはこんどの大講会で、南蛮流幻術なんばんりゅうげんじゅつの秘法ひほうをもって、日本伝来にほんでんらいの道士どうしがやる法術ほうじゅつの幼稚拙劣ようちせつれつなことを公衆こうしゅうにしめしてやると、浜松はままつを立ってくるとき、家康いえやすのまえで豪語ごうごしてきた。

首尾しゅびよくゆけば、この機会きかいに大禄たいろくで家康にめしかかえられそうだし、まずくゆくと、またぞろ、態ていよく追おいはらわれて、もとの野衾のぶすまに立ちかえらなければならない。

で、非常な緊張きんちょうぶりだ。

それにつれて芋蔓いもづるの出世しゅっせをゆめみている丹羽昌仙にわしょうせんも、吹針ふきばりの蚕婆かいこばばあも、はれの御岳みたけでそれぞれ武名ぶめいをあげる算段さんだん、今から用意よういおさおさおこたりないところである。

「いや、試合順しあいじゅんはきまりませぬ。御岳みたけの兵法大講会へいほうだいこうえの主旨しゅしは、世にかくれたる人材じんざいをひろいだすのが目的もくてきでもござれば」

と、大久保家おおくぼけの家臣かしんが釈明しゃくめいした。

丹羽昌仙がつぎに小声こごえで、

「なるほど、では当日とうじつには、だいぶ飛とび入いりもございますな」

「ただいまのところ、表向おもてむき大講会奉行所だいこうえぶぎょうしょまで参加さんかを申しだしてあるものはこれだけであるが、当日とうじつにいたって、かくれた麒麟きりん、蛟龍こうりゅうのたぐいが、ぞくぞくとあらわれる見こみです」

と、席せきの中央ちゅうおうへ、多くの兵学者へいがくしゃや武芸者ぶげいしゃの名をしるした着到帳ちゃくとうちょうをくりひろげた。

「ふウむ……」

と、呂宋兵衛るそんべえをはじめ、卜斎ぼくさい、半助はんすけ、一同の首がそれに伸のびて順々じゅんじゅんにひろい読みしてゆくと、自署じしょされた有名ゆうめい無名むめいのうちに、ちょッと目につくものだけでも大へんなもの。

まず軍学部ぐんがくぶでは――

氏隆流うじたかりゅう  岡本鴻雲斎おかもとこううんさい(浪人ろうにん)

謙信けんしん三徳とく流りゅう  大道寺友仙だいどうじゆうせん(上杉家うえすぎけ)

早雲流相伝そううんりゅうそうでん  沢崎主水さわざきもんど(北条家ほうじょうけ)

楠流後学くすのきりゅうこうがく  三木道八みきどうはち(浪人ろうにん)

孔明流こうめいりゅう  真田源次郎さなだげんじろう(豊臣家とよとみけ)

そのほか異流いりゅうもさまざまに署名しょめいがあったが、ひとり甲州流こうしゅうりゅうを標榜ひょうぼうする軍学者ぐんがくしゃだけが見あたらない。

これは武田家たけだけの滅亡めつぼうをまのあたりに見ているので、その亜流ありゅうをきらった人気にんきのあらわれともみられる。

つぎに、剣道部けんどうぶの着到順ちゃくとうじゅんは、

一羽う流りゅう  諸岡一羽もろおかいちう(浪人ろうにん)

愛洲陰流あいずかげりゅう  疋田浮月斎ひきだふげつさい(虚無僧こむそう)

吉岡流よしおかりゅう  祇園藤次ぎおんとうじ(京都町人きょうとちょうにん)

一刀とう流りゅう  慈音じおん(鎌倉地福寺学僧かまくらじふくじがくそう)

心貫流しんかんりゅう  丸目文之進まるめぶんのしん(伊達家だてけ)

などで、ちょっと端はしからみてもその階級かいきゅうさまざまで人数ももっとも多いけれど、射術しゃじゅつ、馬術ばじゅつの方になると、およそ世上せじょうに定評ていひょうのある一流りゅうの人やその門下もんかの名が多い。

しかし築城家ちくじょうかのほうはどうだろうと、鼻はなかけ卜斎ぼくさいはそこに目をすいつけ、呂宋兵衛るそんべえは法術部ほうじゅつぶを気にし、菊池半助きくちはんすけがそれと同じように忍法部にんぽうぶの試合相手しあいあいての名をながめているのは、とうぜんな人情にんじょうだった。

その忍法部に署名しょめいされているものは――

百地流ももちりゅう  霧隠才蔵きりがくれさいぞう(浪人ろうにん)

魔風流まかぜりゅう  魔風来太郎まかぜらいたろう(伊賀郷士いがごうし)

同流どうりゅう  永井源五郎ながいげんごろう(浪人)

愛洲移香流あいずいこうりゅう  天狗太郎てんぐたろう(浪人)

戸沢流とざわりゅう  猿飛佐助さるとびさすけ(浪人)

甲賀流こうがりゅう  虎若丸とらわかまる(甲賀郷士こうがごうし)

などという人々で、その名を見るからに菊池半助のこんどの試合しあいはすこぶる苦境くきょうにあるらしく、

「ウーム、猿飛もきているか……」

と、うめくようにいって顎あごをおさえたままかがんでいる。

では、築城術ちくじょうじゅつの論議試合ろんぎじあいと目もくされている方などは、その人がすくないかと思うと、これにも相当そうとうきこえた人物の名が見えるのはさすがに戦国の学風によるものか、

天鼓流てんこりゅう  村上賛之丞むらかみさんのじょう(越後領えちごりょう)

八車しゃ流りゅう  牧野雷堂まきのらいどう(四国こく領りょう)

月花流げっかりゅう  柳川佐太夫やながわさだゆう(熊本領くまもとりょう)

もっともこのうちには、城しろの工匠こうしょうか、地水縄取ちすいなわどりの専門家せんもんかとかがまじっているが、上部八風斎かんべはっぷうさいの鼻はなかけ卜斎ぼくさいにしても、この人々と築城論試合ちくじょうろんじあいをして勝抜かちぬきにいいやぶることは、なかなか楽とは思われない。

ただ、さすがに人のないのは、法術師ほうじゅつし幻術家げんじゅつかの部ぶで、ここにはたッたひとりの名がぽつんと記しるされてあるばかりで、しかもその名が聞いたこともない。

役小角後学えんのしょうかくこうがく  烏龍道人うりゅうどうにん(信州しんしゅう黒姫くろひめ)

という人物。

こんな者は試合しあいにもおよばず、南蛮流幻術なんばんりゅうげんじゅつの息いき一つで吹ふきとばしてもすむことと、呂宋兵衛るそんべえはすっかり安心してしまった。

けれど大講会当日だいこうえとうじつの試合しあいはこれだけではない。まだ火術かじゅつ、小具足術こぐそくじゅつ、槍やり、薙刀なぎなた、鎖くさり、手裏剣しゅりけん、棒ぼう、武技ぶぎという武技、術じゅつという術じゅつ、あらゆるものがふくまれているのだから、はたして、たった三日のあいだに、それだけの試合しあいができるかどうかもうたがわしい。

晴はれのあしたを前にして、なにを密議みつぎするのか、その晩ばん、徳川とくがわばたけの者ばかりが、首を集あつめておそくまで声をひそめていた。

そしてついに、その日はきたのである。

暁雲ぎょううんをやぶる明けがたの一番太鼓だいこ。

御岳みたけのいただきからとうとうとながれてきた――。

四

雲表うんぴょうをぬいて南に見えるのは富士ふじである。

甲斐かいの連山れんざんや秩父ちちぶの峻峰しゅんぽうも、みなこの晴れの日を審議しんぎするもののように御岳のまわりをめぐっていた。

頂上ちょうじょうには蔵王大権現ざおうだいごんげんのみ社やしろ。

遠いむかし――武神ぶしん日本武尊やまとたけるのみことが東征とうせいのお帰りに、地鎮じちんとして鉄甲てっこうを埋いけておかれたというその神地しんちは、いま、燃もえんばかりな紅葉もみじのまッさかりだ。

それを正面のたかき石段いしだんにあおいで、ひろい平地へいちの周囲しゅういも、またそれからながめおろされる渓谷けいこくも、四顧この山も沢さわも万樹ばんじゅ鮮紅せんこうに染そめられて、晩秋ばんしゅうの大気たいきはすみきッている。

と――。

頂上の神前しんぜんで二ばん太鼓が鳴った。

さわやかな秋風が、一陣、まッさかさまに吹ふいて、地上の紅葉もみじを天空てんくうへさらってゆく。

広前ひろまえにはりめぐらした鯨幕くじらまく、また別わかれわかれに陣じんどった諸家しょけの定紋幕じょうもんまくが波なみのようにハタハタと風をうつ。

大講会だいこうえ第一日の朝――。

群集ぐんしゅうはこのさわやかな試合場しあいじょうの周囲しゅういに、木この葉はのようにしずまっていた。三番ばん太鼓だいこを待っていた。

そのなかに伊那丸いなまるのすがたが見える。

そばには帷幕いばくの人、小幡民部こばたみんぶ、木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、山県蔦之助やまがたつたのすけ、巽小文治たつみこぶんじ、加賀見忍剣かがみにんけん、鞍馬くらまの竹童ちくどうみな一ツところにならんでいた。

ただ咲耶子さくやこのすがたが見えない。

源氏閣げんじかくのうえから大鷲おおわしの羽風はかぜとともに姿すがたをかくした咲耶子はどうしたろうか?

それはきょうまでの日に、竹童、龍太郎、小文治の三人が八方くまなくそうさくしてみたけれど、その消息しょうそくが得えられなかったので、やむをえず伊那丸いなまるとのやくそくもあるので、いちじ断念だんねんして、参会さんかいしたのであった。

「まだ大講会は開かれませんか」

小文治が民部にはなしかける。

「三番太鼓がなるのを合図あいずとして、あの祭壇さいだんで御岳みたけの神官しんかんとあまたの御岳行者みたけぎょうじゃが式しきをやる。そして、黄母衣きほろ、赤母衣あかほろ、白母衣しろほろの三騎きが試合場しあいじょうを一巡じゅんし、大講会だいこうえ第一番の試合番組しあいばんぐみをふれてくると間まもなく貝かいあいずと同時に、あの祭壇さいだんの下にある大講会のむしろへ論客ろんかくがあがって、築城論議ちくじょうろんぎをやることと思われる」

「ほウ、では、最初は築城試合ちくじょうじあいでございますかな」

「昨年はそうであったとうけたまわる」

「陣法じんぽう勝負などの場合ばあいは、やはり、論議だけでございましょうか」

「足軽あしがる何百人ずつを借用しゃくようして、じっさいの陣じんあらそいになる場合もある」

「壮観そうかんでござりましょうな」

と、小文治はわかわかしい目をした。

伊那丸いなまるはふたりの話を小耳こみみにはさんで、

「わしのおさないころは、なおさかんなものであった」

と、とおい思い出を呼よぶ。

「さようでござりましょうとも、信玄公しんげんこうご在世ざいせいのころからくらべれば比較ひかくにならないと、町人ちょうにんたちもささやいております」

忍剣にんけんも恵林寺えりんじにいたころ、一年ひととせ、その盛時せいじを見たことがあるので追憶ついおくがふかい。

「おもえばむねんしごくな!」

とつぜん、龍太郎りゅうたろうがこうふんした口調くちょうで、

「お家いえの行事ぎょうじもいまは徳川とくがわに奉行ぶぎょうされて、御岳みたけの神前しんぜんに武田菱たけだびしの幕まく一はり見えませぬ」

と、つよくいった。

「しかし、かりにお家いえのかたちは滅尽めつじんするとも、ここに武田たけだの人あることを知らせてくれたい」

と蔦之助つたのすけもそれに応おうじる。

忍剣にんけんは伊那丸いなまるの前へズッとよって、なにかうごかぬ決意けついをしながら、

「若君わかぎみ、昨夜もお願いいたしたとおり、兵法大講会へいほうだいこうえは故信玄公こしんげんこうが甲斐かいの武風ぶふうをあくまで天下にしめされた行事ぎょうじ、われわれが生涯しょうがいの思い出ともいたしとう存ぞんじますゆえ、なにとぞ大講会参加さんかの一闘士とうしとして飛びいりおゆるしくださいますよう」

と、熱願ねつがんした。

それは一同の希望きぼうで、ゆうべも月ノ宮の垢離堂こりどうで、血気けっきの面々めんめんがみな口をそろえていうには、自分たちも闘士として出場しゅつじょうし、この秋の徳川家司宰とくがわけしさいのもとにおこなわれる大講会をして木こッ葉ぱ微塵みじんにしてやろうではないか――という意気いきがあがった。

「痛快つうかいだ!」

「武田家の大行事だいぎょうじを徳川家に踏襲とうしゅうされるよりは、この秋かぎり根絶こんぜつさせろ」

「それこそわれわれの願うところ、ぜひとも試合しあいにでる」

「武ぶをもって横行おうこうするやからの顔色がんしょくをなくしてやろうぞ」

「武田は亡ほろびても人ほろびずと、天下に名のりをあげることにもなる」

と、やむにやまれぬ鉄血てっけつの士しが、膝ひざをまげて伊那丸にすがる。

だが伊那丸いなまるは――ゆうべもいまも、

「ゆるす!」

という一言ひとことを、かれらの熱望ねつぼうにたいしてよういにあたえないで、

「……だが、冷静れいせいにこうしてながめているのもおもしろかろう」

と、微笑びしょうしているばかり。

柳やなぎに風である。

君きみながらお憎にくい態度たいど! とひそかに思いうらまれる。

また、小幡民部こばたみんぶもあまり興味をもたない顔つきで、とりなしてくれるようすがない、それが他ほかの者をしていっそうジリジリさせた。

腕うで鳴なり肉にくうずく思いをのむとはこれだろう。

龍太郎りゅうたろうしかり、小文治こぶんじしかり、蔦之助つたのすけも忍剣にんけんも、髀肉ひにくの嘆たんをもらしながら、四本の鎖くさりでとめられた四疋ひきの豹ひょうのような眼光がんこうをそろえて両肱りょうひじを張はっている。

いきなり鳴った! その時である。

ドウ――、ドウーン……

耳をうつ、天空てんくうのこえ。

これ、待ちに待った三番ばん太鼓だいこと知られたから、御岳広前みたけひろまえの紅葉こうようのあいだにまッ黒にうずくまっている数万の群集ぐんしゅうが一どきに、ワーッと声をあわせたが、さすが霊山れいざんの神前しんぜん、ことに厳粛げんしゅくきわまる武神ぶしん武人ぶじんの大行事だいぎょうじ、おのずから人の襟えりをたださしめて、一しゅんののちは、まるで山雨さんう一過かして万樹ばんじゅのいろの改あらたまったように、シーンと鳴りしずまったまま、その空気だけが冴さえかえってきた。

と――。

美妙びみょうな楽奏がくそうが、ながれてくる。

あおいでみると、神かんさびた杉すぎこだちの御山みやまの、黒髪くろかみを分けたように見えるたかい石段いしだんのうえから、衣冠いかんの神官しんかん、緑衣りょくいの伶人れいじん、それにつづいてあまたの御岳行人みたけぎょうにんが白衣びゃくえをそろえて粛々しゅくしゅくと広前ひろまえへ降おりてくる。

白木しらきの祭壇さいだんには四方ほう笹ざさの葉がそよぎ、御霊鏡みたまかがみが、白日はくじつのように光っている。

伶人は座ざにつき、白衣の行人はしろい列れつを壇だんの下へひらく。

ゆるい和笛わてきの音ねにつれて、笙しょう、ひちりき、和琴わごんの交響こうきょうが水のせせらぐごとく鳴りかなでる。

のりとをあげた祭壇の神官、そのとき、バサッと幣へいをきって、直垂ひたたれの袖そでをたくしあげ、四方へ弦つるをならす式しきをおこなってから紫白しはくふた色いろの細こまかい紙片しへんをつかんで、壇だんの上から試合しあいの広庭ひろにわへ雪ゆきのようにまきちらす。

――この大講会だいこうえに血ちを見るなかれ!

――この大講会に邪兵じゃへいをうごかすなかれ!

という意味いみをふくむ神地しんちきよめの式しきである。

この式がすむと同時に、大講会三日のあいだは、ぜったいにこの場ばでは平常へいじょうの敵味方てきみかたをわすれ、仇あだなく怨うらみなく、たとえ隣国りんごくと交戦中こうせんちゅうでも、三日間かんは兵戈へいかをおさめて待つというのが武門ぶもんのとうぜんとされている。

黄色いけむりが空へ走った。

狼火のろしである。

群集ぐんしゅうの目がそれへつりあがると、また、寂せきとした大地を、かつかつと駆かける馬蹄ばていの音がおこっていた。

三騎きの騎馬武者きばむしゃ――。

これははなやかな甲冑かっちゅう陣太刀じんだちのよそおいで、黄母衣きほろ、白母衣しろほろ、赤母衣あかほろ、を背せにながし、ゆるい虹にじのように場内じょうないを一周しゅうした。

これ、母衣組目付ほろぐみめつけの番組ぶれで、すべて武田流たけだりゅうの作法さほうどおりにおこなわれるものと見える。

さて。

いよいよ第一日の一番ばん試合しあいは、太子流たいしりゅうの強弓ごうきゅうをひく氏家十左衛門うじいえじゅうざえもんと、大和流やまとりゅうの軟弓なんきゅうをとっての名人めいじん長谷川監物はせがわけんもつとの射術しゃじゅつくらべで口火くちびを切ることになった。

従来じゅうらいは築城試合ちくじょうじあいがさきであったが、弓ゆみは兵家へいかの表道具おもてどうぐ、これがほんとだという意見いけんがある、あまり信玄しんげんの遺風いふうをまねているのは、徳川家とくがわけとしても権威けんいにかかわるという議論ぎろんがあって、総奉行そうぶぎょうの大久保長安おおくぼながやすもこのほうの案あんをとった。

「オオ、始まったな」

「ウーム。どうも指ゆびをくわえているのはざんねんだな」

と、忍剣にんけんや龍太郎りゅうたろうは、底光そこびかりのする眼光をいよいよ研とぎすましている。

これを冷静れいせいにみるという伊那丸いなまるのことばは、余人よじんなら知らずこの血ちの気けの多い人たちへは、無理むりないましめ。

ことに山県蔦之助やまがたつたのすけは、弓術きゅうじゅつは自分の畑はたけのものであるし、じしん得意とくいとする代々木流よよぎりゅうも、久ひさしく、日輪巻にちりんまきの弓ゆみへ矢やつがえをして、腕うでのスジを思うさまのばしたことがないから、ひと一ばい熱心に見入みいるのも道理どうりなわけ。

「ウーム……」

とうなりながら、胸むねに弦音つるおとを鳴らせ、口もきかずに腕うでばかりさすっているようすは、はたからみてもなんとも気の毒どくらしかった。

虚空こくうに飛とんだ栴檀刀せんだんとう

一

太子流たいしりゅうの作法さほう。

大和流やまとりゅうの礼射れいしゃ。

それにはじまって、両派りょうはの射術しゃじゅつくらべが、矢やうなり勇いさましく、試合しあいの口火くちびをきった。

午ひるすぎになって、西京さいきょうの大家たいか大坪道禅おおつぼどうぜんの馬術ばじゅつ、母衣流ほろながしの見ごとな式しきをはじめとし、一門の騎士きしが鐙あぶみをならして秘ひをあらそい、ほかに剣道組けんどうぐみから数番の手合てあわせが開始されたが、すでに薄暮はくぼの時刻がせまって、その日の御岳みたけは平和裡へいわりに第一日のおわりを告つげた。

兵法大講会へいほうだいこうえ第だい二日目め。

大衆たいしゅうはみなこの二日目に、多大な期待きたいをかけていた。

最初の日は、あんがい、儀式作法ぎしきさほうの、目にきらびやかな番組ばかりが多く、龍攘虎搏りゅうじょうこはくともいうべき予期よきしていた火のでるような試合しあいがなかったので。

果然かぜん――前の日よりもすさまじい群衆ぐんしゅうの怒濤どとうが、御岳の頂上ちょうじょうへ矢来押やらいおしにつめかけた。

武田伊那丸たけだいなまるや民部みんぶをはじめ、あの一党とうのひとびと、また鞍馬くらまの竹童ちくどうも、その熱風のようなふんいきのなかにくるまされて、きょうはジッとかたずをのみ合っている。

清浄せいじょうな砂すなをしきつめて塵ちりもとめない試合場しあいじょうの中央ちゅうおうに、とみれば、黒皮くろかわの陣羽織じんばおりをつけた魁偉かいいな男と、菖蒲しょうぶいろの陣羽織をきた一名の若者とが、西と東のたまり場ばからしずしずと歩あゆみだしている。

ぼウーと陣貝じんがいがなった。

とうとうたる太鼓たいこ、三段だんに打ちひびいたとき、れいの三色の母衣武者ほろむしゃが、

「築城試合ちくじょうじあい、築城試合」

要所ようしょの控ひかえ所じょへ伝令でんれいする。

黒革くろかわの陣羽織じんばおり、これなん、もと柴田家しばたけの浪人ろうにん上部八風斎かんべはっぷうさいこと、あだ名はれいの鼻はなかけ卜斎ぼくさいでとおる人物。

菖蒲色しょうぶいろの若者をたれかと見れば、越後えちご上杉家うえすぎけの家来けらい、天鼓流てんこりゅうの築城家ちくじょうか村上賛之丞むらかみさんのじょう。

ふたりは床几しょうぎについてむかいあった。

これは腕うでの試合しあいではない。

舌したの試合である。築城学論議ちくじょうがくろんぎである。

群集ぐんしゅうは目よりも耳をすました。

水を打ったようにしずまって、論議いかにと咳声しわぶきもしない。

鼻かけ卜斎の上部八風斎、やおら肩かたをはり、軍扇ぐんせんいかめしく膝ひざについて声たかく、

「築城に四相そうあり、いかに?」

と、第一問をだした。

村上賛之丞、莞爾かんじとして、

「兵法へいほうに申す、小河しょうが東ひがしにあるを田沢でんたくといい、流水りゅうすい南みなみにあるを青龍せいりゅうとよび、西に道あるを朱雀すじゃくと名なづけ、北に山あるを玄武げんぶ、林あるを白虎びゃっこと称しょうす」

「して、地形ちけいをえらぶには」

「北高南低ほっこうなんていは城塞じょうさいの善地ぜんち、水は南西にあるを利りありと信しんず」

「三段だんの嶮けんと申す儀ぎは」

「天嶮てんけん、地嶮ちけん、人嶮じんけんのこと」

「山城やまじろの見立みたては」

「地性ちせい水質すいしつによること、空論くうろんにては申されぬ」

とはねつけて、こんどは賛之丞さんのじょうから卜斎ぼくさいにむかって反問はんもんをあびせかけた。

「いかに? たとえばこの御岳みたけの山に一城じょうをきずく節せつは?」

「むろん山城なれどいただきをきらい、中庸ちゅうようの地相ちそうに郭くるわをひかえ、梅沢うめざわのすそに出丸でまるをきずき、大丹波おおたんばには望楼ぼうろうをおき、多摩たまの長流ちょうりゅうを濠ほりとして、沢井さわい、二俣尾ふたまたおに木戸きどをそなえれば、武蔵野原むさしのはらに満みつる兵もめったに落とすことはできない」

「あいやしかし!」

と、賛之丞、いちだんこえを張りあげて、

「かりに、甲州路こうしゅうじより乱入らんにゅうする兵ありとすれば、一手ては必定ひつじょう、天目山てんもくざんより仙元せんげんの高きによって御岳みたけを俯瞰ふかんするものにそういござらん、その場合ばあいは?」

「陰山陽向いんさんようこうのそなえ」

「ウーム、そのくばりは」

「全山ぜんざんを城地じょうちと見なし、十七町ちょうを外郭そとぐるわとし、龍眼りゅうがんの地に本丸ほんまるをきずき、虎口ここうに八門、懸崖けんがいに雁木坂がんぎざか、五行ぎょうの柱はしらは樹林じゅりんにてつつみ、城望じょうぼうのやぐらは黒渋くろしぶにて塗ぬりかくし、天目山や仙元峠せんげんとうげなどより一目にのぞかれるような縄取なわどりはせぬ」

と、鼻はなかけ卜斎ぼくさい、懸河けんがの弁べんをふるってとうとうと一息いきにいった。

卜斎ぼくさいの前身ぜんしんを知らずに、かれをただの鏃鍛冶やじりかじとばかり思っていた、大久保長安おおくぼながやすの家来けらいたちは、少々あッけにとられている顔つき。

だが卜斎の返答へんとうが雄弁ゆうべんだけで、ところどころうまくごま化かしているのをつらにくくおもった村上賛之丞むらかみさんのじょうは、やや激げきして、

「さらば問とわん」と開ひらきなおり、

「以上いじょうの縄取なわどりによれば、多摩たまの長流ちょうりゅうを唯一ゆいつのたのみとし、武蔵野むさしのの平地へいちと上流の敵てきにのみ備そなえをおかるるお考えのようにぞんずるが、かりに、御岳みたけの裏うらにあたる御前山おんまえさんへ奇兵きへいをさし向け、西風に乗じょうじて火をはなたば、前方の嶮けんは城兵じょうへいの墓穴はかあな、とりでも自滅じめつのほかはあるまいと思うがいかに」

と、つッこんだ。

卜斎、カラカラとあざ笑わらって、

「お若わかい! お若い! およそ築城の縄取りをなすにあたって、後方こうほうの破やぶれを思わぬ者やあらん」

「しからば火攻かこうの防ふせぎは」

「要所ようしょを伐林ばつりんするまでのこと」

「樹木じゅもくを伐きるときは、城しろの血脈けつみゃくたる水の手に水がれのおそれがあろう」

「扇縄おうぎなわの一かくに、雨水うすいをたくわえておくまでのこと」

「大夏たいかの旱魃かんばつに、もし籠城ろうじょうとなったおりは」

「掛樋かけひをもってうら山より秋川あきがわの水をひくときは、城しろの水の手に水がれはござるまい」

「兵法へいほうにいわく、天水てんすい危城きじょうを保たもつべし、工水こうすい名城めいじょうも保つべからず。――人体じんたいの血脈けつみゃくともみるべき大事な一城じょうの水を、掛樋でよばんなどとは築城ちくじょうの逆法ぎゃくほう」

「いや、逆法ではない」

「逆法とぞんずるッ」

「貴殿きでんの尊奉そんぽうなさる越後えちごの天鼓流てんこりゅうでは、まだ作事さくじや築工ちっこうに時勢じせいおくれのところがあるゆえ、それを逆法と思われるかも知らぬが、自分の信しんずる越前えちぜん……」

と、いいかけて、卜斎ぼくさい、グッとつまった。

――越前北きたノ庄しょうの城をじっさいにきずいたわが八風流はっぷうりゅうでは! と、ここで卜斎、大見得おおみえをきっていばりたかったところなのであるが、なぜか、グッ……とまっ赤かになって、絶句ぜっくした。

それをいうと、柴田勝家しばたかついえの遺臣いしんという、自分の前身ぜんしんが暴露ばくろする。

ほろびた柴田の残臣ざんしんを、まだねらっている者もたくさんあるし、ことに豊臣家とよとみけの者のいるところで、それをいうのは禁物きんもつだ。

賛之丞さんのじょうは、ここぞとばかり、発矢はっしと軍扇ぐんせんを握にぎりながら、

「ご自身の信しんずるご流名りゅうめいはなにか」と、攻せめ立てた。

「う……」と、卜斎いよいよタジタジして、

「いや、わしは信じる」

「なにを」

「逆法ぎゃくほうではない、けっして。逆法とはいわさん」

と、すこぶるあいまいにゴマ化かしたが、そのたいどにろうばいのようすがじゅうぶんに見えたから、一時じに静かな空気を破やぶって、ドッという嘲声ちょうせいがわき返かえり、さしも強情ごうじょうな卜斎ぼくさい、ついに、半分紛失ふんしつしている小鼻こばなのわきへ、タラタラと脂汗あぶらあせをながしてしまった。

二

「築城論ちくじょうろん、うち切り」

奉行ぶぎょうの声がかかったので、卜斎はからくも引分ひきわけのていで引きさがったが、群集ぐんしゅうは正直しょうじきである。村上賛之丞むらかみさんのじょうのたまり場ばへむかって歓呼かんこを浴あびせた。

八車しゃ流りゅうの築城家ちくじょうか牧野雷堂まきのらいどう。

それと――。

月花流げっかりゅうの柳川左太夫やながわさだゆう。

このふたりの論争ろんそうも、綿密めんみつな築城法ちくじょうほうのことから意見いけんが衝突しょうとつし、城しろの間道埋設かんどうまいせつの要点ようてんで、かなり論争ろんそうに火花をちらし合ったが、ついに八車しゃ流りゅうの敗北はいぼくとなって、月花流げっかりゅうの熊本方くまもとがたでは、白扇はくせんをふって勝ちどきをあげた。

だが、見物けんぶつは少々たいくつした。

築城試合ちくじょうじあいも、じっさいに縄取なわどりの早さでも腕競うでくらべしてくれればありがたいが、議論ぎろんだけでは吾人ごじんには少しむずかし過すぎて肩かたがはるぞ、という顔つき。

ところが――。

そのあとですぐに、万雷ばんらいのごとき拍手はくしゅがおこった。

相州そうしゅう鎌倉地福寺かまくらじふくじの学僧がくそう、一刀とう流りゅうの剣けんの妙手みょうしゅとして聞えた慈音じおんという坊ぼうさんのすがたが見えたからである。

対手あいては?

心貫流しんかんりゅうの丸目文之進まるめぶんのしんだろう。イヤ、吉岡流よしおかりゅうの祇園藤次ぎおんとうじだろう。なアに諸岡一羽もろおかいちうなら慈音じおんとちょうどいい勝負、などと衆人しゅうじんの下馬評げばひょうからして、この方ほうは活気かっきが立つ。

思いきや、時にあなたなる西側にしがわの鯨幕くじらまくをしぼって、すらりと姿すがたをあらわした壮漢そうかんの手には、遠目とおめにもチカッと光る真槍しんそうが持たれていた。

「笹ささの才蔵さいぞう! 笹の才蔵!」

だれいうとなく喧伝けんでんした。

山崎やまざきの合戦かっせんで、敵てきの首が腰こしにつけきれず、笹ささにさして実検じっけんにそなえたというので、可児かにというよりも、笹ささの才蔵さいぞうの名のほうが民間みんかんには親したしみがある。

すなわち、こんど秀吉ひでよしのいいつけで、井上大九郎いのうえだいくろう、真田源次郎さなだげんじろうと共ともに、わずか三人きりで豊臣家とよとみけを代表だいひょうしてきた可児才蔵だ。

才蔵の槍やりは黒樫くろがしの宗旦そうたんみがき。抜ぬき身である。水が垂たれそうだ。

それを持って、すずしそうに、歩あるいてくる。

白布しらぬのの汗止あせどめ、キッチリとうしろに結むすび、思いきって袴はかまを高くひっからげた姿すがた――群集ぐんしゅうのむかえる眼にも涼すずしかった。

黙礼もくれいした。

地福寺じふくじの慈音じおんと笹ささの才蔵さいぞう。

慈音はむろん僧形そうぎょうである。

手には、タラリと長い木剣ぼっけん。

木剣とはいいながら枇杷びわ二尺しゃく八寸すんの薄刃うすばであるから、それは、真剣しんけんにもひとしいものだ。

ひょっと、わき見をしていた者が見なおすと、もうそこにパッと砂すなが立っている。

才蔵は槍やりをひくめにつけて慈音じおんに迫せまらんとし、慈音の両眼りょうがんは中段にとった枇杷刀びわとうのミネにすわっている。

見物けんぶつはハッと息いきをのんだが、そのとき、あなたの幔幕まんまくやこなたの鯨幕くじらまくのうちで、しゅんかん、ワーッという侍さむらいたちの声があがった。

これ、槍術家そうじゅつかがわの者と、剣道方けんどうがたの者とが、しぜん、おのれのよるところへおもわず発はっした声援せいえんと思われたが、それも、ただ一刻こくにして、パッタリとしずまる。

おお、その時だ!

才蔵の手がサッと槍をかくした。見ゆるは指ゆびと穂先ほさきだけである。

パン! と慈音の肩かたの上でとつぜんな音がした。

三

槍やりは高くのびて、一条じょうの光、ななめにたたきかわされている。

才蔵さいぞうのひく手の早さ。

ぶンとうなったのは二どめの突つき、まえの槍やりの寸法すんぽうが倍ばいにのびていったように慈音じおんの胸板むないたへ走ったが、

「かッ!」

と、口をむすんだ地福寺じふくじの慈音、それをはずしたとたんに黒い鸞らんが舞まったかのごとく、刀とうをふりかざして才蔵の手もとへおどった。

だが! おそかった。

笹ささの才蔵はうしろへ身をはね、白い槍やりの穂先ほさきが墨染すみぞめの袖そでをぬって、慈音のきき手をくるわせた。

明らかに勝負だった。

やぶれた慈音は、衣紋えもんをただして溜たまりへさがる。

にわかにわいたのは剣道組けんどうぐみ。

試合目付しあいめつけを通つうじて、笹ささの才蔵へもう一勝負しょうぶとある。

そして、愛洲陰流あいずかげりゅうの疋田浮月斎ひきだふげつさいが雪辱せつじょくにでたが敗やぶれ、香取流かとりりゅうのなにがしがまた敗れ、いよいよ試合しあいがコジれだして、なにかただならぬ凶雲きょううんを、この結末けつまつが招まねきはしまいかとあんじられるほど、一種しゅの殺気さっきが群集ぐんしゅうの心理しんりをあっして、四番ばん試合じあい、五番試合をいいつのる者も、それをぼうかんしている立場たちばの者も、なんとなく荒あらッぽい気分に熱ねっしてきた。

「すこしおもしろくなってきたな」

「ウーム、こうこなくっちゃ、御岳みたけの兵法大講会へいほうだいこうえらしくない」

と、ニッコリ顔を見あわせていたのは、その空気の一角かくにあって、四囲いのどよめきを愉快ゆかいがっていた忍剣にんけんと龍太郎りゅうたろう。

小幡民部こばたみんぶはあいかわらずいたって無表情むひょうじょうにながめているし、伊那丸いなまるも冷静れいせいなること、すこしも変かわっていなかったが、うるさいのは竹童ちくどう。

「強つよいなあ、才蔵さいぞうさまはまったく強い。あれは福島市松ふくしまいちまつの家来けらいでおいらはあのおじさんを知っている! あのおじさんと口をきいたことがある!」

と、ひとりごとにこうふんしている。

ざんねんそうに、腕うでをさすっていたのは、朱柄あかえの槍やりをかついでいる巽小文治たつみこぶんじで、

「ウーン、おれも試合しあいにでてみたい!」

「だめだ」と、蔦之助つたのすけが、それをうけて、

「どうしても、若君わかぎみからお許ゆるしがでない」

「もういちど、お願ねがいして見ようじゃないか」

「じゃ、貴公きこうがいって見たまえ」

「蔦之助、おまえから一ツお願いしてみてくれ、たのむ、拙者せっしゃはもうがまんができない」

と、コソコソささやいているのを耳にはさんだ忍剣にんけん、じつは、自分じしんが、だれよりもさっきから腕うでをウズかせていたおりなので、

「民部みんぶさま、蔦之助つたのすけや小文治こぶんじが、あのように申していることゆえ、なんとか若君わかぎみにおすがりして、試合しあいに加くわわることお許ゆるしくださるよう、一つお取りなしを願いたいものでござるが……」

民部は、忍剣の心を読んでいるように苦笑くしょうして、

「さあ、なんとおっしゃるか、おそばにおいで遊あそばすから、おのおのがたじしんでお願いしてみたらよかろう」

と、しごくアッサリしている。

「いかんわい」

と、忍剣は頭をかいて、龍太郎りゅうたろうの脇わきの下をソッと突つッついた。

「おい、後生ごしょうだ」

「なにが?」

「尊公そんこうから若君へお願いしてくれ。だれにしたって、ここで一番日ごろの鬱憤うっぷんを晴はらして、腕うでの夜泣よなきをなぐさめてやりたいのは、人情にんじょうじゃないか」

「そりゃ、拙者せっしゃにしても、木隠流こがくれりゅうの戒刀かいとうをおもうぞんぶんふるってみたいのはやまやまだが」

「だから……尊公そんこうから若君へちょっと」

「む……ウ……」

と、口のうちで返辞へんじをしたが、冷々れいれいと、あらぬかたへ眸ひとみをむけている伊那丸いなまるの顔を見ると、どうも、いいにくそうにして、貴公きこうがいいたまえ、イヤおまえがいえ、とたがいになすり合っているばかり。

そんなことに、ふと目をはなしていたが、試合場しあいじょうのさわぎはいよいよ紛乱ふんらんして、母衣馬ほろうまや目付めつけがものものしくかけまわり、なにか、番組急変ばんぐみきゅうへんの太鼓たいこらしい合図あいずが、ふいに、ドーンと鳴ったので、忍剣にんけんも小文治こぶんじも、ハッと、口をつぐんでそのほうへ目をやった。

――と見ると、笹ささの才蔵さいぞうは、うしろ姿すがたをこっちに向けて、勝ちすてに豊臣家とよとみけの幕まくかげへ引ッこもうとしている。

一方で怒号どごうがきこえた。

将棋しょうぎだおしにやぶれた剣道方けんどうがた。

その溜たまり場ばの幕が嵐あらしのようにゆれて、なにか、渦うずになった人間がもめている。

「待てッ。――可児才蔵かにさいぞうまてッ」

制止せいしする目付役めつけやくをふりもぎって、とつぜん、かれのうしろ姿を追いかけた慓悍ひょうかんなる男があった。――これ祇園藤次ぎおんとうじだった。

すわ!

遺恨試合いこんじあい!

「待てまてッ! 才蔵さいぞうッ、もう一勝負ひとしょうぶ」

藤次とうじは吉岡流小太刀よしおかりゅうこだちの使つかい手て。

右手めてに白みがきの栴檀刀せんだんとうを引ッさげていた。

自分の控ひかえ場ばまで帰って、いま、幕まくの裾すそに手をかけようとしていた才蔵、

「よし!」

いうが早いか、槍やりを持ちなおして、敢然かんぜんと試合場しあいじょうのほうへ帰ってきたが、まだ礼れいもすまないうちに血気けっきばしった祇園藤次ぎおんとうじが、颯然さつぜんとおどりかかった。

立合たちあいの奉行ぶぎょうと目付めつけが、なにか、制止せいしするような声をかけたが、騎虎きこ、耳にも入らばこそ。

「ひきょう、作法さほうを知らぬか!」

と、しかりつけて、サッと槍を手もとに吸すう。

藤次はギクッとして、胸板むないたを守まもった。

小太刀、ピッタリと青眼せいがんの不動体ふどうたいに。

だが、一閃せん! かまえは割われて祇園藤次、タジタジッとあとへさがった。それを、食くいつめてゆく才蔵の足の拇指おやゆび。

それは真槍しんそうだ。

遺恨試合いこんじあいとなった以上いじょう、突つくであろう、肉にくを! 脾腹ひばらを!

やわか! と必死ひっしな藤次、うしろの溜たまりでは仲間なかまの者は、ワーッと熱風ねっぷうのような声援せいえんを送おくったが、だめ、だめ、だめ、一尺しゃく、二尺、三尺――すでに七、八尺、槍やりに追おいつめられた祇園藤次ぎおんとうじ、

「ムムッ、おのれ!」

捨すて身にでて、われからバッと、反撥的はんぱつてきに打ちこんだ。

そのとたんに、

突つくよと見えた才蔵さいぞうの槍やりが、片手かたてなぐりに藤次の体たいをはらったが、パキン! というすさまじい音と一しょに、かれの手にあった尺しゃく三、四寸の白栴檀しろせんだんの小太刀こだちが、槍ではねられた勢いきおいをくって、クルクルクルッととんぼのぼりに虚空こくうへ向かってすッ飛んだ。

そして、藤次は?

才蔵は?

この勝敗しょうはいは?

いや、ところが群集ぐんしゅうは一せつなに、試合しあいの結果けっかをその脳裡のうりから押おッぽりわすれて、

「あ! あ! あ! あ! あッ!」

と、空へ目をつってしまった。

小太刀のちいさくなる空へ――。

読者どくしゃよ。

次つぎにおこる驚天動地きょうてんどうちの争闘そうとう。御岳山上みたけさんじょうにおけるこの篇へんの大眼目だいがんもくを描えがくために、あえて、ここに緩慢かんまんな数行すうぎょうをついやす筆者ひっしゃの作心さくしんの支度したくをゆるしたまえ。

はしなくも、遺恨試合いこんじあいとなった激怒げきどのハズミに、才蔵さいぞうの槍やりの勢いきおいで、虚空こくうにとばされた白栴檀しろせんだんの木太刀きだちが、そのとき、つつがなく地上に落ちてかえってくれば、なんのことはなかったのである。

たとえ、才蔵さいぞう一身いっしんに一部ぶの嫉視しっしはのこっても、のちに現出げんしゅつしたような、意外いがいな大事にはならなかったであろう。

また、若き人たちの血気けっきを、ことなかれと、きょくりょくおさえ止とめていた伊那丸いなまるや民部みんぶも、なんのくろうなく、大講会だいこうえ二日か目めの行事ぎょうじを見納みおさめしたにちがいない。

しかし、不測ふそくな変事へんじは、いつも、こうして意表外いひょうがいなところから顔をだす。

――この大講会だいこうえに血ちを見るなかれ!

――この大講会に邪兵じゃへいをうごかすなかれ!

神官しんかんは祭壇さいだんにこう祈祷きとうしたが、あのハズミで飛んだ一片ぺんの木太刀きだちが、まッたく予想よそうもせぬ風雲ふううんを地上から迎むかえにいったものになろうとは、おそらく、御岳みたけの神の叡智えいちにもわからないのがほんとうであろう。

美女びじょ天てんに遊あそぶ

一

さて。

空に高くとばされた栴檀せんだんの木太刀きだち。

そのゆくえにつられて、いっせいに、空へ上うわむきになった群集ぐんしゅうのひとみは――ハッと一しゅんに、なにか異様いようなものにつきあたったかのように、

「あッ、あれ――」

と、妙みょうな顔つきになった。

魂たましいを抜ぬかれた顔。

あッ気けにとられた目。

現うつつ――無我むが――夢中むちゅう――の群集ぐんしゅう。

とたんに、

ドウーッという空鳴そらなりが宇宙うちゅうをひくく走った。

そして、幕まくのごときまッ黒な怪物かいぶつが、日輪にちりんの光を雄大ゆうだいな翼つばさのかげにかくし、クルルッ――と巻まきあがっていった栴檀刀せんだんとうを目がけて、どこからかまるで魔風まかぜのように翔かけおりてきたかと見ると、

ガツン

とばかりその嘴くちばしが、本能的ほんのうてきに空の木太刀きだちをくわえ取った。

「鷲わし」

ぼうぜんたる錯覚さっかくをドヤしつけられたしゅんかんに、

「オオうッ」

「あれよ、あれよ、あれ! ……」

どよめき立った数万すうまんの大衆たいしゅうは、その時まるでホジクリだされた虫のごとく、地上にあってまッ黒に蠢動しゅんどうし、ただ囂々ごうごう、ただ喧々けんけん、なにがなにやら、叫さけぶこえ、喚わめくこえ、それともうもうたる黄塵こうじんの万丈ばんじょう。

ただ、試合しあいにばかり気をうばわれていた人々は、それよりほんの少しまえに、御岳みたけの西方、御前山おんまえさんの森から舞まいあがったこの怪物かいぶつのかげが、浅黄色あさぎいろにすみわたった空にゆるやかな弧こをえがきつつあったのを万人ばんにんが万人、すこしも気がつかなかったのである。

またいくども、ひろい試合場しあいじょうの砂地すなじや、自分たちの顔に、その偉大いだいな怪影かいえいが太陽たいようをかすめるごとに、とおり魔まのような影かげを投げていたのも、まったく知らずにいた。

地上の人間が、ただ、アレヨアレヨとあぶくのごとく沸騰ふっとうして、手の舞まい足の踏ふむところを知らずにいるのにひきかえて、いま、一ぴきの虫でもくわえたように、するどい嘴くちばしに木太刀きだちをさらった大鷲おおわしは、ゆうゆうと茶褐色ちゃかっしょくの腹毛はらげを見せて、そこを去さらんともせず、高くも舞わず、御岳みたけの空を旋回せんかいしている。

時に、光線こうせんのかげんで、そのまッ黒なつばさの艶つやを射いるような金色きんいろの瞳ひとみまでがありありと見えた。

いや、それだけならいい! それだけの事実じじつだったなら、まだ地上の人々も、こうまでは胆きもをつぶさなかったにちがいない。

「あッ、帯おびがさがっている!」

「女の帯」

「赤い袖そでが見える」

「女が乗っているんだッ……女が、女が」

「ど、ど、どこに?」

「鷲わしのうえに――女が、女が!」

熱病ねつびょうのように叫さけびあった。

気ちがいのように指ゆびを向けた。

その時。

押おしつもまれつする人波ひとなみのあいだから、泳およぐように顔をだした鞍馬くらまの竹童ちくどうは、忍剣にんけんや小文治こぶんじなどの、仲間なかまの者までむちゅうになって押おしのけながら、

「あッ……た、大へん」

「竹童ッ、あぶないッ」

だれかがとめたが、突つきとばして、

「それどころじゃない、あれ! あれは咲耶子さくやこ」

「えッ、咲耶子ッ?」

「咲耶さんです、咲耶さんです! 躑躅つつじヶ崎さきの源氏閣げんじかくからどこかへ逃にげた咲耶子さんにちがいない」

「ウーム、そう申せば女らしい人かげがみえる」

と、木隠こがくれや小幡民部こばたみんぶも、その大鷲おおわしにはおぼえがあるが、どうして咲耶子さくやこが、ここの空へ舞まってきたのか、ただただふしぎな思いにうたれるのみだった。

「竹童、さわぐまい」

伊那丸いなまるは、周囲しゅういをはばかってこういった。

だが竹童、いまは、その声も耳にはいらなかった。かれはいつのまにか抱だきとめていた蔦之助つたのすけの手をもぎはなして、

「クロ! クロ! 咲耶子さん――」

われをわすれて雑鬧ざっとうのなかを走ってゆく。

ところが、ここにまた。

かれと同じように、そのクロの名をよんで、右往左往うおうさおうにみだれ立った試合場しあいじょうのなかをかけめぐりつつ、手をふっている二少年がある。

ひとりは、さいぜん、村上賛之丞むらかみさんのじょうと築城問答ちくじょうもんどうをやってしゅびよくその鼻はなをへこまされた鼻はなかけ卜斎ぼくさいのお供とも、すなわち泣き虫の蛾次郎がじろうである。

「やアーい、やアーい」

蛾次はむちゅうだ。大さわぎだ。

クロはかれにも二無なき親友である。

どこの溜たまり場ばにもぐっていたのか、かれはクロを見るやいな、目の色かえて、めくら滅法めっぽうに試合場しあいじょうへおどりだし、

「おれのクロだ、おれのクロだ! やアーい、ちくしょうッ、やアーいッ、クロ!」

とどかぬものに飛びあがって、ひとりであばれまわっている。

と――同じように、

「あれ、あれ、あれ。あの鷲わしかえせ! あの鷲かえせ!」

と、訴うったえるごとく、泣くごとく、狂気きょうきになって叫さけんでいたのは、先さきつかた、躑躅つつじヶ崎さきの館たちの、かの源氏閣閣上げんじかくかくじょうにおいて、咲耶子さくやこのために、その鷲をうばわれた浜松城はままつじょうの小さきお使番つかいばん星川余一ほしかわよいちだった。

それと見るやまた、葵紋あおいもんの幔幕まんまくをはりめぐらした徳川家とくがわけ控ひかえどころの帳とばりのうちでも、

「おお、余一がさわいでいるぞ」

「余一が失なくしたクロはあれじゃ」

「あの鷲わし逃にがすなッ」

と、群雀ぐんじゃくのように叫さけびあってる。

「それッ」

と、そこの葵の幕を切っておとし、巣すをやぶった蜂はちの子このごとくわれ先にと飛びだしてきたのは、はるばる浜松はままつから見物けんぶつにきていたきれいな一隊たい。

家康いえやすの孫まご、徳川万千代とくがわまんちよを餓鬼大将がきだいしょうといただく、お小姓こしょうとんぼ組ぐみの面々めんめんである。

二

あなたのできごと。

ここのそうどう。

それらはすべて大鷲出現おおわししゅつげんのせつなにおける、ほんの、目まばたきする間まの現象げんしょうでしかない。

もはや、兵法大講会へいほうだいこうえは、この意外いがいな椿事ちんじのため、その神聖しんせいと森厳しんげんをかきみだされて、どうにも収拾しゅうしゅうすることができなくなった。

奉行ぶぎょうを無能むのうというなかれ。目付役人めつけやくにんの狼狽ろうばいをののしるも、また無理むりである。

群集ぐんしゅうの心理しんりが、かく落ちつかなくなったものを、にわかに鎮撫ちんぶすることは、とうてい容易よういなことではない。

心あるものはそれをあんじていた。

「どうなるであろうか。このさわぎが」――と、

しかるに、ここに泉州せんしゅう堺さかいの住人じゅうにん、一火流いっかりゅうの石火矢いしびやと又助流またすけりゅうの砲術ほうじゅつをもって、畿内きないに有名な鐘巻一火かねまきいっかという火術家かじゅつか。

一門の門弟もんてい四、五十人をひき具ぐして、おなじく、御岳山上みたけさんじょうの一端たんに、短銃たんじゅう打ぶッちがえの定紋じょうもんをつけた幕まくをはりめぐらし、そのうちにひかえて、すでに火術試合かじゅつじあいの申し出いでをしている一組ひとくみだったが、大鷲出現のこのさわぎに、いみじくも、そこだけは申し合わせたように、ヒッソリしていた。

「こういうおりがまたとあろうか。鐘巻一火かねまきいっかの秘技ひぎを衆人しゅうじんに知らしめるのは、この時だ」

と、一火いっかは幕まくのうちにたって、新渡来しんとらい又助式またすけしきの鉄砲てっぽうをキッとつかんだ。

「先生、火縄ひなわ!」

と、早くもその心をよんで、門下もんかのひとりが火縄を吹ふいてわたす。

一火の眼は宙ちゅうに吸いつけられている。

いま――。

鷲わしはふもとの多摩川たまがわへ、水でも飲のみに降おりるように、ななめにさがりかけたところだった。

だが、翼つばさをかえすと、しゅんかんに、また、目前もくぜんに近よってくる。

おそるべきその羽風はかぜ! ただ、目にながめたところでは、それはいかにもゆるやかで、泉いずみをおよぐ魚うおのかげみたいに、あおい太虚たいきょをしずかに舞まいめぐっているとしか見えないのだが、サア――ッと、頭上にきたかと思うと、あなたこなたの鯨幕くじらまくは一せい風をはらみ、地上の紅葉こうようは逆さかしまに吹ふきあげられて、さんさんと黒く、さんさんと紅あかく、卍まんじをえがき、旋風つむじとなって狂う。

「うぬッ、奇きッ怪かいな女め」

鐘巻一火の腕うでに、ピタッと、鉄砲てっぽうの筒つつがすわりついた。

ドーン!

御岳みたけの岩根いわねをゆるがすような轟音ごうおん。

これも全山ぜんざんの人には、寝耳ねみみに水のおどろきであったろう。

ゴーッと遠い音波おんぱをひびかせて、峰みね谷々たにだにの木魂こだまがひびき返かえってきたあとから、ふたたび、山海嘯やまつなみにも似にた喊声かんせいのどよめき。

見よ、

鷲わしは、まッさかさまに墜おちてきた。

――うつくしい女の帯おびを尾おにひいて。

文殊菩薩もんじゅぼさつとほか四菩薩ぼさつ

一

鐘巻一火かねまきいっかの鉄砲てっぽうは狙ねらいをあやまたなかった。

どこかにあたったにちがいない。その証拠しょうこには、くるった大鷲おおわしは、地上十四、五尺しゃくのところまでおちてきた。

だが。

とつぜんそこで、クルッと巨大きょだいなからだをまわしたと思うと、あッとあきれる人声をあとに、鷲わしは天目山てんもくざんの方角ほうがくへむかって、一直線ちょくせん――弩どをはなれた鉄箭てっせんのように飛んでしまった。

しかし。

人々の眼は、その行方ゆくえに気をうばわれているよりも、とつぜん試合場しあいじょうの南のすみへ、

「それ」

と、なだれをうってあつまった人かげへ、なにごとかと、あたらしい驚目きょうもくをみはっている。

「お医師いし! お医師衆しゅう!」

と、そこでさわぐこえがする。

あなたの控ひかえ所じょへ出張でばっていた典医衆てんいしゅうは、なにがなにやらわからないが、とにかく、呼よび立つこえがしきりなので、薬籠やくろうをかかえてその人なかへかけつけた。

だが、その典医たちがくるよりも、鐘巻一火かねまきいっかが門下もんかの壮士そうし一隊たいをしたがえてそこへ飛んできたほうが一足ひとあしばかり早かったのである。

そして、口々に、

「ごめん」

「ごめん、ごめん」

こういいつつ、一火をはじめ白袴しろばかまの門下もんかたちが、あたりの役人を押おしわけて前へすすんできたかと思うと、地上に気をうしなってたおれていた美女びじょのからだを、てんぐるまにかつぎあげて、自分たちの溜たまり場ばへ電光石火でんこうせっかにひっかえし、鉄砲てっぽうぶッちがえの定紋じょうもんを張はりまわしたなかに鳴りをしずめてしまった。

「おう――」

それをながめた竹童ちくどうが、試合場しあいじょうの中央ちゅうおうで飛びあがるように手をふると、あなたにいた木隠こがくれ、巽たつみ、加賀見かがみ、山県やまがたの四人、矢来やらいの木戸口きどぐちから一散さんにそこへかけだしてきて、

「竹童。いま鷲わしから落ちたのは、たしかに咲耶子さくやこにそういないか」

と、息いきをせいていう。

「たしかにそうです。咲耶さまです。――その咲耶さんが鉄砲てっぽうにうたれたから、鷲わしのほうは怪我けがもなく逃にげてしまったんです」

「えッ、鉄砲に撃うたれた?」

「あの幕張まくばりの中へかついでいった侍さむらいの袴はかまが、血ちにあかく染そまりましたから、それにそういないと思います。龍太郎りゅうたろうさま、はやく、あれへいって咲耶子さまを取りかえしてください」

「そうか!」

「おお」

というと、もう忍剣にんけんは例れいの鉄杖てつじょうを小脇こわきにして、鐘巻一火かねまきいっかの幕前まくまえへいきおいこんで馳かけだしていた。

なにがさて、髀肉ひにくの嘆たんをもらしながら、伊那丸いなまるのゆるしがでぬため、いままでジッと腕うでをさすっていた人々、鎖くさりをとかれた獅子ししのような勢いきおいだ。

竹童もあとにつづいて馳かけだしながら、口にはださないが心のうちで、

(さあこい! おいらのおじさんたちの男らしさを見てくれ!)

そんな誇ほこりがどこかにあった。

すると、ほとんど同時のこと。

咲耶子さくやこをてんぐるまにして引きあげてきた鐘巻一火かねまきいっかのあとを追おって、そこへ殺到さっとうした人々がある。

大講会総奉行だいこうえそうぶぎょうの大久保石見守長安おおくぼいわみのかみながやす、その家臣かしん、その目付役めつけやく、その介添役かいぞえやく、等とう、等、等。

いきなり一火の溜たまり場ばへドカドカと入ろうとすると、なかから姿すがたをあらわした鐘巻一火じしんと、屈強くっきょうな門弟もんていが、帳とばりの入口にたちはだかって、

「やあ狼藉者ろうぜきもの、どこへゆく!」

と、大手おおでをひろげた。

徳川家とくがわけの重臣じゅうしん、甲州こうしゅう躑躅つつじヶ崎さきの城主じょうしゅ、大講会総奉行、それらの肩書かたがきを威光いこうにきている長安は、

「どこへまいろうと仔細しさいはない。身みは総奉行の大久保石見守じゃ」

と言下げんかに肩かたをそびやかしていった。

「だまれッ」

一火いっかは武術家気質ぶじゅつかかたぎ、とどろくような雷声らいせいで、

「ここは鐘巻かねまきの陣地じんちもどうよう、鉄砲紋てっぽうもんを張はりまわしたこのなかへ、むだんで一歩たりと踏ふみこんで見よ、渡来とらいの短銃たんじゅうをもって応対おうたい申すぞ」

「聞きずてにならぬ暴言ぼうげん、用ようがあればこそ幕内まくうちへとおる。それは奉行ぶぎょうの役権やっけんじゃ。役儀やくぎの権けんをもって通とおるになんのふしぎがあろう。どけどけ」

「いや、奉行であろうが、目付衆めつけしゅうであろうが、試合しあいのことならとにかく、意味いみもなく、われわれの陣地を踏ふますことはならん。用があるならそこでいえ」

「ウーム、強たって通とおさんとあらばぜひがない。では、ただいま奥おくへにないこんだ婦人ふじんをこれへだしてもらいたい」

一火は聞くとカラカラと笑わらって、

「総奉行そうぶぎょうたる貴殿きでんが、不審ふしんなことをもうされるものかな。大講会だいこうえの空を飛行ひこうして、試合しあいの心をみだす奇怪きかいな女を、拙者せっしゃが一火流いっかりゅうの砲術ほうじゅつをもって撃うち落とし、かく衆人しゅうじんのさわぎを取りしずめたものを、なんでその女をわたせなどと見当けんとうちがいなご抗議こうぎを持ちこまれるのか。――それよりはすこしも早く、つぎの試合しあいの支度したくでもいそがれるが、そこもとの役目ではないかとぞんずる」

「さような指図さしずはうけんでもよろしい!」

石見守いわみのかみは額ひたいに青筋あおすじを立てて、

「あの者は、源氏閣げんじかくの上より逃亡とうぼうして、その後ごゆくえ知れずになっていた咲耶子さくやこという不敵ふてきな女、ことに、浜松城はままつじょうに差さし立てることになっている罪人ざいにんじゃ。わたさぬとあれば、徳川家とくがわけの武威ぶいのほどを示しめしても申しうけるがどうじゃ!」

いうことばの終るのを待たず、

「血ちまような、石見守いわみのかみッ」と、一火いっかは激越げきえつに、

「汝なんじ、総奉行そうぶぎょうという重き役目にありながら、じしんから大講会だいこうえのやくそくを破やぶってもよいものか。――この御岳みたけ三日みっかのあいだは、兵を動かすなかれ、血ちを流すなかれ、仇国きゅうこくとの兵火へいかもやめよという掟おきての下もとに行おこなわれることは、ここにあつまる天下の武門ぶもん、百姓ひゃくしょう町人ちょうにんもあまねく知るところ。――それを、弓矢ゆみやにかけてもと申したいまの一言ごん、それは正気しょうきか! おどかしか! 見ごと取れるものなら武力をもって取ってみろ」

これは理りのとうぜん。

石見守長安いわみのかみながやすは、ハッと醒さめたような顔色になった。そして自分の過言かごんに気がついたらしく、

「いや鐘巻かねまき先生」

と、急にたいどをかえて、

「不肖ふしょう、奉行ぶぎょうの身をもって、混乱こんらんのなかとはいえ、過激かげきに似にたことばを発はっしたのは、重々じゅうじゅうなあやまり、どうかお気持をとりなおしていただきたい」

「そう尋常じんじょうに仰おおせあるなら、なにも、このほうとて、威猛高いたけだかになる理由りゆうはない」

「ところで、ただいまもうした咲耶子さくやこという女は、なにか、そこもとのほうで捕とらえておく必要ひつようがおありなのか」

「いやいや、じぶんとしては、さいぜんからの騒擾そうじょうをしずめる手段しゅだんとして、やむなく発砲はっぽうしたまでのこと、それゆえ、女の左の腕うでをねらって、一命めいにはさわりのないように、はじめから用意よういしておる」

「ならば、あの鷲わしのからだをねらってうったほうがよかったであろうに」

「あれほどの大鷲おおわしが、一発ぱつの弾たまでおちてくるはずはない。さすれば、女は谷たにへふりおとされ、二ツの生命いのちを傷きずつけることになる。これも、御岳みたけ三日みっかの神文しんもんの約やくを守まもればこそ」

「さすがは一火いっか先生、それほどまでのご用意よういがあろうとは、石見守いわみのかみも敬服けいふくにたえませんです。いずれこのことは大講会閉会だいこうえへいかいののちに主君しゅくん家康公いえやすこうにもうしあげて、なにかの形かたちでご表彰ひょうしょういたしたいと思うが……」

と、長安ながやすは老獪ろうかいな弁舌べんぜつで、単純たんじゅんな武芸者肌ぶげいしゃはだの一火を、たくみにおだてあげ、さてまた、

「そちらにご不用なあの咲耶子さくやこ、右のしだいゆえ、どうかこのほうへお下さげ渡しを願いたい」

と、ものやさしく奥おくの手をだした。

するととつぜん、ことばの横から、

「イヤ、待ッた!」

ずんと鉄杖てつじょうを大地について、加賀見忍剣かがみにんけんがそれへでてきた。

二

忍剣にんけんのうしろには木隠龍太郎こがくれりゅうたろう、山県蔦之助やまがたつたのすけ、巽小文治たつみこぶんじ、竹童ちくどうなど、いずれも非凡ひぼんな面構つらがまえをして突つッ立っている。

長安ながやすは、まさかそれが、小太郎山こたろうざんの残党ざんとう、伊那丸幕下いなまるばっかの者であろうとは夢ゆめにも知らず、

「なにッ?」

と、五人のすがたへ賤いやしめるような目をくれて、

「何者なにものだ! きさまたちは」

きッとなって、睨ねめつけた。

忍剣はおちつきはらって、

「拙僧せっそうは西方さいほうの国より大心衆生たいしんしゅじょうの人間界にんげんかいに化現けげんした釈迦しゃかの弟子でし、文殊菩薩もんじゅぼさつという男。――またうしろにいるのは、勢至菩薩せいしぼさつ、弥勒菩薩みろくぼさつ、虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ、大日菩薩だいにちぼさつの人々であるが……」

あまりでたらめなことばに、あい手があッけにとられているのを見くだしながら、忍剣はきまじめに、

「ただいま、われらとしたしい勢至菩薩が、鷲わしにのって天行てんこうしつつ、この試合場しあいじょうをながめているうち、一火殿いっかどのの鉄砲てっぽうに傷きずつけられたようすゆえ、一同そろって見舞みまいにまいったのでござる。それを浜松城はままつじょうへ差さし立てる罪人ざいにんなどとは、飛んでもないあやまり、どうか、あの婦人ふじんは吾々われわれのほうへお渡わたしを願ねがいたい」

(こやつ、気狂きちがいにそういない)

石見守いわみのかみは相手にせず、一火いっかへ向かって、

「いざ、こうしてひまどられては、かんじんな試合しあいの順序じゅんじょがおくれるばかり。どうか、あれなる咲耶子さくやこは縄なわつきとして自分のほうへ渡されたい」

「いやいや、いかに人間界にんげんかいに化現けげんしている身とはいえ、勢至菩薩せいしぼさつを縄なわつきなどになされては、あとの仏罰ぶつばつがおそろしかろう。あの婦人はわれわれ五人へ渡したまえ」

「ふらちな売僧まいすめ、文殊菩薩もんじゅぼさつの勢至菩薩のと、だれがさようなたわごとを信しんじようか。あいや一火先生いっかせんせい、ぜひ、咲耶子はこの長安ながやすのほうへ」

「イヤ、ぜひともわれわれ五菩薩ぼさつへ」

「いいや、長安が申しうける」

「なんのだんじて拙僧せっそうがもらいうけた!」

双方そうほう、いいつのって、鐘巻一火かねまきいっかのとばりのまえを一寸すんたりとひく色がない。

これが、御岳神文みたけしんもんの三日みっかでなければ、とっくに、長安ながやすも家来けらいに顎あごをしゃくって抜刀ばっとうを命めいじたであろうし、気のみじかい忍剣にんけんの禅杖ぜんじょうが、ブンと石見守の頬骨ほおぼねをおさきにくだいていたかもしれない。

だが、幸こうか不幸か、なにしろ、血ちを見るなかれの場所ばしょであり、三日である。

その善ぜんと悪あくたるを問とわず、さきに神文の約やくをやぶれば天下の武芸者ぶげいしゃにその信しんを失うしなわなければならない。

で、これはどこまで、押おし根気こんきの懸合かけあいだ。

弱よわったのは、鐘巻一火かねまきいっか。

かれが大久保長安おおくぼながやすにいったことばは、すこしもうそのないところである。かれが一火流いっかりゅうの手のうちを見せようとはかってした行為こういの目的もくてきはたっしている。

咲耶子さくやこのからだはかれに用ようがない。内心ないしんでは、渡わたしてやってもいいと考えている。

しかし、長安のほうに渡すのが至当しとうか、五菩薩ぼさつの仮名けみょうをつかってでてきた者にわたしたほうがいいものか、双方そうほうのあいだにはさまって、まったくとうわくの顔色だ。

しかも、五人の偽菩薩にせぼさつの顔色をジロリと見ると、もし自分が石見守いわみのかみに加担かたんして、いな、と一言ごんに突つッぱねれば、どういう手段しゅだんにもうったえかねない底意そこいがよめる。

そこは、一火もひとかどの武芸者ぶげいしゃ、

(ウム、これは大難事だいなんじ、うかつに軍配ぐんばいをあげられないぞ)

早くもさっしたから、よけいにこの難問題なんもんだいの決断けつだんがつかなかった。

一方、群集ぐんしゅうのほうでは、矢来越やらいごしに遠見とおみなので、こうした事情じじょうが、そこに起っているとはわからない。ただいつまでも試合場しあいじょうの中央ちゅうおうが大きな空虚くうきょになりッぱなしとなって、人ばかり右往左往うおうさおうしているので、さかんにガヤガヤもめている。

すると、鐘巻一火。

そうほうの仲なかに板挟いたばさみとなって、ややしばらく、腕うでをくんでしまったが、やがて、大久保おおくぼがたの者と忍剣にんけんたちの両方りょうほうへ対たいして、

「お望のぞみの咲耶子さくやことやらのからだは、何時なんどきにても、苦情くじょうなくお渡わたし申すことにいたそう」

等分とうぶんにいって、クルリと、幕まくのすそをまくりあげた。――そして、

「お渡しすることはお渡しいたすが……ただしでござる、いずれへお渡しいたすのが正義せいぎなりや、一火いっかもホトホトとうわくつかまつるしだい、ついては、ざんじ休息きゅうそくのうえ、門弟もんていたちとも評議ひょうぎをかさねてあらためてご返答へんとうをいたす考え、失礼しつれいながらしばらくそれにてお待ち願いたい」

ハラリと帳とばりをおろすと、幕まくのかげへ引ッこんでしまった。

三

この場合ばあいにのんきしごくな――。

と思うまもなく鐘巻一火かねまきいっかは、また、幕をしぼってあらわれた。

解決かいけつがついたか、まえのとうわくな気色けしきが晴はれている。

「咲耶子さくやこが気がつきましたぞ」

双方そうほうへむかっていった。

「おう、では大たいしたけがもないか」

「腕うでの鉄砲傷てっぽうきずは急所きゅうしょがそれておるし、ただいま、門人もんじんに手当てあてをさせておるゆえ、べつだんなこともないようでござる」

そういってから――さて――と言葉をあらためて、

「ただいまのこと、一同評議ひょうぎの結果けっか、これはやはり御岳みたけの神慮しんりょにおまかせいたすのがとうぜんであろうという意見いけんに一決けつしたが、双方そうほうごいぞんはないであろうか」

「神慮にまかすという意味いみは、神籤みくじでも引いて決きめようということであるか」

と、長安ながやすは不満ふまんな色をたたえた。

「いや、神籤よりは武道試合ぶどうしあいの日のできごと、やはり、武技ぶぎをもって神慮に問うのが自然しぜんであろう」

「なるほど!」

忍剣にんけんは、よし、というふうにうなずいて、

「では、われわれと大久保家おおくぼけの臣しんと、武技をたたかわせたうえに、その勝ったるほうへ、咲耶子さくやこを渡わたしてくださるというのですな」

「いかにも。石見守いわみのかみどの、ご賛否さんぴはいかが」

「ウム。よろしい!」

かれも、いさぎよく承知しょうちした。

が――すぐにあわてた調子ちょうしで、

「イヤ待った、それには、条件じょうけんがある」

「ふム、条件とは?」

「じしんが総奉行そうぶぎょうたり、重おもなる家臣かしんが目付めつけたる役目上やくめじょう、大久保家では、このたびの試合しあいにいっさい何人なんぴともだしておらぬ。それゆえ、主君しゅくんご直参じきさん、浜松城はままつじょうの人々に、その代試合だいじあいをいらいするが、その件けん、異存いぞんがあるならしょうちできぬ」

「なに、徳川家直参とくがわけじきさんのものに代試合をたのまれるとか、それは、願ってもないこと、当方とうほうに異存はない」

「では一火いっかどの、かならず、違約いやくなしという、神文血判しんもんけっぱんをしてほしい」

「誓紙せいしの支度したくは暇ひまどるばかり、それよりも武門ぶもんの金打きんちょう、おうたがいあるな」

「お。では浪人ろうにんども、あちらの空部屋あきべやへさがって試合しあいの用意よういをせい」

長安ながやすは奉行ぶぎょうの床几席しょうぎせきへ大股おおまたにあるいていって、あたりの家臣かしんと額ひたいをあつめ、また徳川家の者がひかえている溜たまりへ使いを走らせた。

見物けんぶつはそういう内情ないじょうは知らない。ただ、床几席しょうぎせきに奉行のすがたが見えたし、検証けんしょうの位置いちに鐘巻一火かねまきいっかがひかえたので、

「さあ……」

と、にわかに空気をかえて、つぎの試合を期待きたいした。

「うまくいったな」

「思おもう壺つぼと申もうしていいな」

龍太郎りゅうたろうや小文治こぶんじは、顔を見あわせ微笑びしょうした。長安は空部屋をさがして支度したくせよといったが、見渡みわたしたところ、みなどうどうたる大名紋だいみょうもんの幔幕まんまくばかりで、そんなところはありそうもなく、五人の勇士ゆうしも、それには、ちょッと立往生たちおうじょうしていると、

「ご浪士ろうし、ご浪士」

と、うしろで、呼よぶ者がある。

見ると、さいぜん、栴檀刀せんだんとうをハネ飛ばした、すばらしい槍やりの使い手、可児才蔵かにさいぞうであった。

「支度したくの場所ばしょにおこまりのごようす、おいやでなくばこの幕まくのうちへ」

と、五三の桐きりのとばりをあげて、ニッコと五人を目でまねいた。

紅白こうはくの鞠盗まりぬすみ

一

だれかは知らぬが、おりにふれて、相身あいみたがいの武門ぶもんのなさけ、ゆかしくもうれしい、人の言葉である。

飛び入りというのでもなく、意外いがいなことから、ここに咲耶子さくやこの身をとるか、渡わたすかの試合しあいとなった一同が、支度の場所もなくとうわくしているところへ、五三の桐の幕のかげから、

「これへ」と、さしまねいた親切しんせつな武士ぶし。

忍剣にんけん、龍太郎りゅうたろう、小文治こぶんじ、蔦之助つたのすけ、竹童ちくどうの五人は、時にとって炎暑えんしょをしのぐ一樹じゅの蔭かげともありがたく思いながら、

「ご芳志ほうしにあまえて、しばらくのあいだ、幕まくの一ぐうを拝借はいしゃくつかまつります」

しずかにくぐってなかへ通り、隅すみにのべてあるむしろの上へ、めいめいつつましくすわりこんだ。

すると、そこにまっ赤かな顔をして、ゆうゆうと酒さけを飲んでいた豪放ごうほうらしい侍さむらいがある。一同をながめると、莞爾かんじとして迎むかえながら、

「失礼しつれいだが、お祝いわいに、一献こんまいろう」

と、忍剣にんけんへ茶碗ちゃわんを持たせて、酒の入っているらしい壺つぼを取りあげた。

「や、これはかたじけないが、じぶんは見らるるとおり僧形そうぎょうの身、幼少ようしょうから酒の味あじを知ったことがない、兄貴あにき、かわってくれ」

と、龍太郎りゅうたろうへ茶碗をゆずると、龍太郎もあやまって、

「武術ぶじゅつに酒気しゅきのあるのは禁物きんもつということ、未熟者みじゅくものにとってはことにだいじな試合しあい、もし不覚ふかくがあってはもの笑わらいのたねとも相あいなるから、まず、お志こころざしだけをうけて、お祝いわいはあとでちょうだいいたす」

と、当あたりさわりなくいって、茶碗を返した。

「あはははは、なるほど、まだ前祝まえいわいは少し早いな、では後祝あといわいにいたして、じぶんがご一同に代かわり、まず幸さいさきを祝福しゅくふくしておく」

と、侍はらいらくに笑わらって、ひとり酌つぎ、ひとり飲んで、しきりと愉快ゆかいがっている。

冷水れいすいをたたえた手桶ておけに小柄杓こびしゃく、それに、汗あせどめの白布はくふをそえてはこんできた若い武士ぶしがある。一同にその使用をすすめたのち、

「拙者せっしゃは大坂城おおさかじょうに質ちとしておる真田源次郎さなだげんじろうという若輩者じゃくはいもの、どうかお見知みしりおきを」

と、ていねいに名のった。

「や、では秀吉公ひでよしこうの」

と忍剣にんけんや龍太郎りゅうたろうは、はじめて、五三の桐きりの紋もんどころに思いあわせて、

「真田源次郎どのとおおせあると、上田うえだの城主じょうしゅ真田昌幸さなだまさゆきどののご一子し、秀吉公の手もとで養やしなわれているとうわさにききましたが、その源次郎どのでござるか」

「お恥はずかしゅうぞんじます」

と、源次郎はあくまでけんそんであった。

「やあ、さてはやはりそうであったか。これはお見それいたしました。わたしこそは、なにをかくしましょう、故勝頼公こかつよりこうのわすれがたみ、武田伊那丸君たけだいなまるぎみの付人つきびと、恵林寺えりんじの禅僧ぜんそう加賀見忍剣かがみにんけんともうしますもの」

「じぶんは、おなじく伊那丸さまの微臣びしん、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうという者」

「拙者せっしゃは、山県蔦之助やまがたつたのすけです」

礼れいにたいしては礼をもって酬むくう。

巽小文治たつみこぶんじや鞍馬くらまの竹童ちくどうも、そのことばについてじゅんじゅんに姓名せいめいを明かしていくと、最初さいしょに、幕まくのかげから手招てまねきした可児才蔵かにさいぞうもそれへきて話しかけ、酒さけをのんでいた侍さむらいも、井上大九郎いのうえだいくろうと名のりあった。

いつか伊那丸いなまるが京都から東へ帰るとき、秀吉ひでよしは桑名くわなの陣中じんちゅうにしたしく迎むかえて、道中どうちゅうの保護ほごをしてくれたのみか、御旗みはた楯無たてなしの家宝かほうまで伊那丸の手へかえしてくれた。

それいらい、伊那丸も一党とうの者も、豊臣家とよとみけにたいしてしぜんといい感じを持っていた。おそらく、秀吉は武田家たけだけの味方みかたではあるまいが、悪意あくいある敵てきではないと信しんじてきた。

おもえば、ふしぎな縁えんでもある。

桑名でああいう援護えんごをうけて、またまた、この御岳みたけでも、同じ五三の桐きりの幕まくのかげに、武士ぶしの情なさけをうけようとは。

二

大九郎と可児才蔵かにさいぞうは、桑名の陣で、忍剣にんけんのおもざしを見おぼえていたといった。

そういわれれば忍剣にも、思いだされることである。あのとき、秀吉に侍じしていた、あまたの武将ぶしょうや侍のなかに、たしかに、大九郎のすがたも見えた。可児才蔵の顔もあった。

怪傑かいけつと怪傑、勇士ゆうしと勇士、五三の桐の幕のなかには渾然こんぜんとうちとけ合って、意気いきりんりんたるものがある。

――試合場しあいじょうのほうは、さきほどから、きわだってしずかになっていた。群集ぐんしゅうも鳴りをしずめて、次つぎの展開てんかいを待ちかまえているのであろう。

ところへ、駒こまをとばしてきた一騎きの使者、ヒラリと降おりて、そとから桐紋きりもんの幕まくをたくしあげて、はいってきた。

試合しあいの前のうちあわせである。

徳川家とくがわけからは五名の闘士とうしの名をあげてきた。そして、勝ち抜ぬきでは勝敗しょうはいに果しがないから、おのおの一番勝負として、点数てんすう勝越かちこしのほうのものが咲耶子さくやこの身を引きとるというやくそくを条件じょうけんにかぞえてある。

「承知しょうちした」

もとより、こっちにも異議いぎはなかった。

「では、試合にさきだって、伝令でんれいの者が、各所かくしょの溜たまりの人々へ、番組ばんぐみを予告よこくするのが定例じょうれいでござるゆえ、そちらの闘士をきめて、この下へご記名きめい願ねがいたい」

と、使者は、徳川家でえらびだす闘士の名をしるした奉書ほうしょをそれへひろげた。

見ると、なんという皮肉ひにく。

ふつうの武技ぶぎでは、どういう敗辱はいじょくをまねこうも知れずと、大久保長安おおくぼながやすらが、わざと相手をこまらそうとたくらんだ卑劣ひれつな心事しんじがあきらかに読めている。

なぜかといえば、その人選じんせんはとにかく、争あらそうべき焦点しょうてんにはこちらになんの相談そうだんもなく、こういう無類むるいな部門分ぶもんわけをして、勝手かってな註文ちゅうもんをつけてきたのである。

一番忍法にんぽう  御方みかた 隠密組おんみつぐみ 菊池半助きくちはんすけ

相手方あいてがた     未定みてい

二番遠矢とおや  御方 河内流かわちりゅう 加賀爪伝内かがづめでんない

相手方        同

三番吹針ふきばり  御方 宗門御抱老女しゅうもんおかかえろうじょ 修道者イルマン

相手方        同

四番幻術げんじゅつ  御方 南蛮流なんばんりゅう 和田呂宋兵衛わだるそんべえ

相手方        同

五番遠駆とおがけ  御方 浜松足軽組はままつあしがるぐみ 燕作えんさく

相手方        同

定さだめ

以上いじょう五試合しあいのこと。

右のうち吹針には他たの武技ぶぎをもって試合することを得う、また遠駆けには相手方、騎乗きじょう徒歩かちいずれにても随意ずいいたるべきもの也なり。

大講会総奉行だいこうえそうぶぎょう

大久保石見守おおくぼいわみのかみ(花押かきはん)

試合検証しあいけんしょう

鐘巻一火かねまきいっか

三

正当せいとうな武芸ぶげいとはいわれぬ、幻術げんじゅつや遠駆とおがけなどの試合しあいを提示ていじしてきたのを見ると、一同は、かれらのひきょうな心底しんていを観破かんぱして、一言ごんのもとに、それをはねつけようと思った。

しかし、考えてみると、自分たちはここで晴はれがましい武名ぶめいを大衆たいしゅうに売ろうというのではない。

咲耶子さくやこの一身を救えばいいのだ。

かれをやぶってかれの毒手どくしゅに同志どうしのひとりを渡わたさなければ、それでいい。つまりここで徳川家とくがわけの代表者だいひょうしゃとあらそうのはその方便ほうべんでしかないわけだ。

で、忍剣にんけんは、男らしくいった。

「このさい、なにをぐずぐずいったところでしかたがないから、さきの註文ちゅうもんどおり快諾かいだくしてやって、そのかわりに、木こッ葉ぱみじんにしてやろうじゃないか」

「ウム、かれらの策さくにのせられると思えば不愉快ふゆかいだが、得物えものやわざは末葉まつようのこと、承知しょうちしてくれよう」

と、龍太郎りゅうたろうもうなずいて、他の者の同意どういをたしかめたうえ、けつぜんと、徳川がたの使者ししゃにこたえた。

「ご提示ていじの定書さだめがき、いかにも承知しょうちいたした」

使者ししゃは一礼れいして、

「さっそくのご承引しょういんかたじけなくぞんじます」

と、いったが、いまの書きつけをさしだして、

「では、この試合しあいの部門ぶもんに、なにびとがなんの立合たちあいにご出場しゅつじょうになるか、流名りゅうめいとご姓名せいめいとを、正直しょうじきにお書き入れねがいとうござる」

「あいや、われらもとより浪々無住ろうろうむじゅうのともがらである。名のるほどの姓名流名を持ち合わせておらぬ者ゆえ、さいぜん申したとおり、文殊もんじゅとでも大日菩薩だいにちぼさつとでも、いいようにお書き入れください」

「大講会だいこうえの規おきてとして、そうはまいりませぬ。ご本名ほんみょうをお認したためなきうちは、これを諸侯しょこうの控ひかえ所じょへ伝令でんれいすることもならず、ご奉行ぶぎょうとしても、役儀やくぎがら試合を命めいじるわけにもゆきませぬ」

「どうしよう、忍剣にんけん」

と、龍太郎りゅうたろうは、また一方へ相談そうだんを向けた。

「そうだな、われわれはどうなっても、いっこう仔細しさいはないが、まんいち若君わかぎみにごめいわくがかかってはならぬし……」

「しかし、大講会三日のあいだは、血ちを見ることをゆるさぬ誓ちかいがある。かまわぬから本名を記しるしてやろうじゃないか。どうだろう、蔦之助つたのすけ」

「すでに、豊臣家とよとみけのほうにも打ち明けたこと、拙者せっしゃも、名のって仔細はあるまいと思う」

小文治こぶんじも同意どういした。

そこで一同は、作戦をこらすために、かたすみへ寄よって凝議ぎょうぎをしたうえ、おのおの国籍こくせき本名ほんみょうをあからさまに記入きにゅうしてやった。

(きゃつ、あれを見ると、きっとびっくりするにちがいないぞ)

こう思っていると、案あんの定じょう、使者は五人の記名きめいと姿すがたとを見くらべて、がくぜんと目をまるくしたまま、あとの文句もんくもいわず、幕まくのそとへ飛びだしていった。

さらに。それからかれ以上いじょうに仰天ぎょうてんしたのは、使者がもたらしてきたことによって、はじめてことの真相しんそうを知った大久保石見守おおくぼいわみのかみであり、和田呂宋兵衛わだるそんべえであり、そのほか徳川家とくがわけに籍せきをおくものすべてであった。

「さては」と、だれの顔色もかわった。

「咲耶子さくやこをわたせと、けしきばんで、あれへなだれこんできた理由りゆうがわかった。多寡たかの知れた僧侶そうりょや浪人者ろうにんものと見くびって、わざと、家中かちゅうの侍さむらいをださず、呂宋兵衛や吹針ふきばりの婆ばばあをあの番組のなかにいれて翻弄ほんろうしてやろうと思ったのだが、そうと知ったら、もう一工夫ひとくふうするのであった」

と、石見守には、後悔こうかいのようすがあった。

けれど、すでに、時刻じこくはせまる、検証けんしょうの鐘巻一火かねまきいっかは床几しょうぎにつく、見物けんぶつは鳴りをしずめて立合たちあいを待ちかまえている。……悔くいておよばぬ場合ばあいである。

ただこのうえは、まんがいちにも、かれに敗やぶれをとらぬことだ。まかりちがって、正当せいとうなやくそくのもとに試合しあいして、どうどうと、かれに咲耶子さくやこを持ってゆかれるようなことがあった日には、それこそ石見守いわみのかみの立場たちばがない。かれの失態しったいはなんとしてもまぬがれない。

で、長安ながやすはやっきとなった。

菊池半助きくちはんすけも、すわこそと、呂宋兵衛るそんべえにここの大事をささやいていた。

かかるまに、支度したくの陣貝じんがいがしずかに鳴りわたる。……とうとうたる太鼓たいこ……型かたのごとき黄母衣きほろ、赤母衣あかほろ、白母衣しろほろの伝令でんれい三騎きが、番外ばんがいの五番試合じあいを各所かくしょの控ひかえ所じょへふれて、虹にじのように試合場しあいじょうのまわりを一巡じゅんする……

水をうったように、群集ぐんしゅうのこえと黄塵こうじんがしずまって、ふたたび、御岳みたけの広前ひろまえに森厳しんげんな空気がひっそりと下おりてきた。

大雨たいう一過かのおもむきである。

次つぎにきたるべきものは、嵐あらしか、雷いかずちか。

試合ははじまった。

浜松城の隠密組菊池半助がいつのまにか広前の中央ちゅうおうにすッくと立っているのが見える。得物えものをもたず、たすきや鉢巻はちまきもしていないので、この番外試合ばんがいじあいのいきさつを知らない一般ぱんの群集ぐんしゅうには、ちょっと気抜きぬけがさせられたようすで、ふしんそうに見とれている。

相手方あいてがたは、やがて、あなたのすみにある豊臣家とよとみけの桐紋きりもんの幕まくをあげて歩あゆみだしてきた。

これもどうように、なんの支度したくらしいよそおいもしていない。ただ、いささか観衆かんしゅうの好奇心こうきしんをみたしたのは、それが白衣びゃくえに白鞘しろさやの太刀たちをさした六部ぶらしい風采ふうさいだけであった。

忍法試合にんぽうじあい?

かかる白日はくじつの下もと、万人衆目ばんにんしゅうもくのあるなかで、忍術にんじゅつの秘法ひほうをどう争あらそうのだろうか。争うとすればどうするのだろうか?

ことの真相しんそうを知らない場外じょうがいの見物人けんぶつにんは、いろいろ妙みょうな顔をしているし、事情じじょうを知っている人々は、大鷲おおわしの背せから捨すてられた美少女びしょうじょの一身が、いずれに奪とるか奪られるかと、じッとかたずをのみはじめた。

いままでの、意地いじや興味きょうみなど超越ちょうえつして、ある運命うんめいとものすごい殺気さっきをはらみかけた番外ばんがい五番ばん試合じあいは、こうしてまさにその火蓋ひぶたを切られようとしている。

四

伊賀流いがりゅうの忍者にんじゃ菊池半助きくちはんすけと、果心居士かしんこじのおしえをうけた木隠龍太郎とが、双方そうほう、水のごとくたいしたとき、しずかな耳を突つきぬくように、一声せい、短笛たんてきの音ねがつよく流れた。

と、同時に。

あなたの葵紋あおいもんの幕まくのうちに、花壇かだんのように、盛もりあがっていたお小姓こしょうとんぼ組ぐみの一隊たいが、とんぼ模様もようそろいの小袖こそでをひるがえし、サッと試合場の一方に走りくずれてきて、三十六人が十二名ずつ三行ぎょうにわかれ、目にもあざやかな隊伍たいごをつくった。

「鶴翼かくよく!」

と、朱房しゅぶさの鞭むちをふったのは、それを指揮しきする徳川万千代とくがわまんちよであった。

三段だんの隊伍は、中央ちゅうおうからまッ二ツに割われて、たちまち鶴翼の陣形をつくる。

「奉行ぶぎょう、これでよいか」

と万千代は、とくいらしく床几しょうぎの席せきへむかっていう。

石見守いわみのかみは、一顆かのあかい鞠まりをだして万千代の手にわたした。すると検証けんしょうの鐘巻一火かねまきいっかも、おなじように一つの白い鞠を星川余一ほしかわよいちの手にあずける。

そこでふたたび、鞭をあげると、とんぼ組ぐみの隊伍は、そのまましずかに進んで、ころあいなところで、鳥雲ちょううんの陣じんにくずれ、また魚鱗ぎょりんの形かたちにむすび、しきりと厳重げんじゅうな陣立じんだてを編あもうとくふうしているようすであったが、やがて八門の陣をシックリと編あんで、あたかも将軍しょうぐんの寝間ねまをまもる衛兵えいへいのように、三十六人が屹然きつぜんとわかれて立った。

その、陣形の中宮ちゅうぐうに、白球はっきゅうをもった星川余一と、紅球こうきゅうを持った万千代まんちよとが、ゆだんのない顔をして立つと、菊池半助きくちはんすけはその紅球をとって、もとの場所へかえることを、また木隠龍太郎こがくれりゅうたろうは一方の白球を取ることを、試合目付しあいめつけから命じられた。

これは伊賀流いがりゅうの忍しのびをほこる半助にも、木隠にも、おそろしい難事なんじだろうと思われる。およそ忍術にんじゅつというものも夜陰やいんなればこそ鼠行そぎょうの法ほうもおこなわれ、木あればこそ木遁もくとん、火あればこそ火遁かとんの術じゅつもやれようが、この白昼はくちゅう、この試合場しあいじょうのなかで、しかも三十六人のとんぼ組ぐみの小姓こしょうたちが八門もんの陣じんを組くんでまもっている鞠まりを、どうして、気づかれずに自分の手へとってもとの場所ばしょへかえるだろうか。

「いざ!」

「目をかすめて、忍しのべるものなら忍んでみよ」

という風ふうに、お小姓とんぼの面々めんめんは、ゆだんのない目をみはった。

両士りょうしは、サッと左右さゆうにわかれて、八門の陣のすきをうかがう。

――といっても、そこには木蔭こかげがあるわけではなく、身をかくす家があるのでもないから、もとよりどう手をくだす法ほうもないらしい。

木隠こがくれが右へまわれば右へ、半助が左側さそくをねらえば左側の目ばしこい小姓たちの眼が光ってうごく。

すると、菊池半助きくちはんすけは、とつぜんとんぼ組の陣形じんけいのまわりを、疾風しっぷうのようにぐるぐるまわりだした。

かれらはその迅はやさに目まいがしてきたように、ただアッ――と、あッけにとられている。その姿すがたはいよいよ加速度かそくどに早くなって、ついには、小姓たちの目にも遠くからながめている人々の目にも、それが半助か、一片ぺんのくろい布ぬのがつむじ風かぜでめぐっているのか、ほとんど目にもとまらないほど迅速じんそくになってきた。

それに、すべての者の視線しせんがうばわれているまに、いままで、一方に立っていた木隠の姿すがたがこつぜんと消きえている。

「や、さては」

と、小姓こしょうの面々めんめんがハッと身をかためていると、八門もんの陣じんの一方に、白いものがヒラリとおどった。

「それ」

と、心もちそのほうへ、一同のからだがズズとよりつめてゆくと、非あらず! そこへ散ちったのは数枚のふところ紙がみで、みなの視線しせんが、それにみだされて散らかったせつな、陣じんの中宮ちゅうぐうにいた星川余一ほしかわよいちが、風で貼はりついた一枚の白紙はくしを片手で取りのけながら、

「あッ、しまった」

と、とんきょうにさけんだ。

五

余一の声におどろいて、万千代まんちよもひょいとろうばいした。とたんに、だれかが、かれの肘ひじを足もとからトンと突ついた。

「あッ」

といったが、肘をつかれたはずみに、赤い鞠まりはかれの掌てをはなれて、ポンと飛びあがった。

それへ、烏猫からすねこのような人かげが、いきなり飛びかかったかと思うと、

「えいッ!」

と、ほとんど一しょに耳をうった二声ふたこえの気合きあい。

陣じんをくずした小姓組こしょうぐみの者をいつのまにかとびこえたのであろう、木隠こがくれは白球はっきゅうを手に、菊池半助きくちはんすけは紅球こうきゅうを手にして、最初さいしょの位置いちに立っている。

忍法試合にんぽうじあい紅白こうはく鞠盗まりぬすみの試合しあいは瞬間しゅんかんだった。

この鞠ぬすみは伊賀流いがりゅうと甲賀流こうがりゅうのものが、かつて信長のぶながの在世ざいせい当時、安土城あづちじょうで試合をしたこともあるし、それよりいぜんには、仙洞御所せんとうごしょのお庭さきで月卿雲客げっけいうんかくの前で、叡覧えいらんに供きょうしたこともあって、のちには、公卿くげたちのあいだに、これを蹴鞠けまりでまねした遊戯ゆうぎさえのこったほどである。

さて。

余事よじはとにかく、いまの試合はいずれに軍配ぐんばいがあげられるものだろうか?

むろん、検証役けんしょうやくの鐘巻一火かねまきいっかは、床几しょうぎから立ちあがって、

「同点。忍法試合にんぽうじあい勝負なし!」

と、鉄扇てっせんをふるって、奉行目付ぶぎょうめつけへいったことである。

衆目しゅうもく、それに異議いぎはなかった。

菊池半助は、勝負なしのものわかれに、無念むねんそうな白眼はくがんを相手に投げ、そうほう、無言むごんのままにらみわかれた。

「わーッ……」

と崩くずれたのはお小姓こしょうとんぼである。万千代まんちよをはじめ余一よいちその他たのもの、試合しあいがおわると、いっせいにもとの幕まくうちへ、引きあげてゆく。

そして、遠雷えんらいのような群衆ぐんしゅうのどよめきが、あとしばらくのあいだ、空に消きえなかった。

――と思うと、すでに二番ばん試合じあいの合図あいずが、息いきもつかずとうとうと鳴りわたって、清新せいしんな緊張きんちょうと、まえにもまさる厳粛げんしゅくな空気を、そこにシーンとすみかえらせてきた。

と見れば。

片肌かたはだをおとした凛々りりしいふたりの射手いては、もう支度したくのできている場所ばしょに身がまえをつくって、弓懸ゆがけをしめ、気息きそくをただし、左手にあたえられた強弓ごうきゅうを取って、合図、いまやと待ちうけている。

この遠矢とおやくらべ、番つがえた矢やよりほかに代矢かえやのない、一本ぽん試合じあいのだいじな競射きょうしゃである。

的まとは?

おお、その的として、示しめされたものがまたおそろしく遠方だ。じッと、眸ひとみをこらさなければ、それとはたしかに見きわめがつかないくらい。

谷たにをへだてた前方に、高からぬ峰みねがそびえている。その白鳥しらとりの峰の七合ごう目めあたりに、古い丸木まるきの鳥居とりいが見える。鳥居はその幽邃ゆうすいな白鳥神社しらとりじんじゃ奥おくの院いんの印しるしで、それまではだれにでも一目でわかるが、遠矢の的と示されたものは、その鳥居の正面にかかっている額がくだった。

御岳みたけの中腹ちゅうふくをくだり、渓流けいりゅうをこえ、沢さわをわたり、そして向こうの白鳥のみねの七合目までいくには、おそらく二十八、九町ちょうもあろうが、この御岳みたけの一端たんにたって直線ちょくせんに対峙たいじすれば、そのいくぶんの一の距離きょりしかあるまい。

しかし、せまい山と山とのあいだには、風がないような日でも、ふだんに寒冷かんれいな気流きりゅうがあって、よほどな射手いてが、よほどな矢やをおくらぬかぎり、その気流のさからいをうけずに的まとへあたるということはありえないだろう。などと、弓道きゅうどうにこころえのある傍観者ぼうかんしゃは、はやくも、各藩かくはんのひかえ所じょで下馬評げばひょうまちまちである。

だが、

射手いてにはじゅうぶんな自信があるものか、やがて、弓作法ゆみさほうおごそかにすますと、徳川家方とくがわけがたの射手加賀爪伝内かがづめでんない、伊那丸方いなまるがたの山県蔦之助やまがたつたのすけ、そうほうおもむろに足を踏ふみひらいて、矢番やつがえガッキリとかませ、白鳥しらとりのみねの樹間じゅかんにみえる大鳥居おおとりいの懸額かけがくを、キッと横ににらんだ。

幕裏まくうらにひそむ妖術師ようじゅつし

一

山県蔦之助は人もしる代々木流よよぎりゅうの達人たつじん。

大津おおつのまちにその弓道の道場をひらいていたころには、八坂やさかの塔とうの怪人かいじんを射いるいぜんから、今為朝いまためともとはやされていた人。またかつて竹童ちくどうが、大鷲おおわしクロの背せをかりて鞍馬くらまの僧正谷そうじょうがたにから高尾山たかおさんへつかいしたとちゅうにも、かれの誤解ごかいをうけて、そのおそろしい強弓ごうきゅうの矢やに見まわれ、ほとんど立ち往生おうじょうして地上におとされたことがある。

その代々木流よよぎりゅうの臂力ひりょくをためさぬことも、蔦之助つたのすけにとっては、久ひさしいものだ。

弓ゆみをひく者がながらく弓を持たずにいると病気になるとさえいう。

蔦之助も、めぐりぞ会あったこの晴はれの場所ばしょで、いま、鏑籐日輪巻かぶらとうにちりんまきの強弓ごうきゅうにピッタリと矢筈やはずをかましたしゅんかん、なんともいえない爽快そうかいな気持が胸むねいっぱいにひらけてきた。

くわッとはるかな的まとを見、弦絃げんげん二つに割わって、キリッ、キリッと、しずかに満まんをしぼりこんでゆく。

河内流かわちりゅうの加賀爪伝内かがづめでんない、これも徳川家とくがわけではすぐれた射術家しゃじゅつからしい。

りっぱだ。蔦之助のそばに立って、蔦之助のかまえに見おとりがしない。

しぼりこんだ弓と人とが、ほとんど同じかたちになって、鏃やじりのさきが、弓身きゅうしんのそとにあますところのないまで引き強められていったしゅんかん――

声をのんでひッそりとしずまりかえった場じょうの内外は、無人むじんのごとくどよみを沈しずめて、息いきづまるような空気をつくっていた。

すると、ひとり、矢来やらいのそとの群衆ぐんしゅうのなかで、

「民部みんぶ、こまったことになったものだの」

と、ささやいた人があった。

さいぜん、竹童ちくどうが鷲わしにつられて走ったのをきっかけに、とめるまもなく、一党とうのひとびとが矢来やらいをこえてこういう事態じたいをひきおこしたので、その成行なりゆきをあんじている武田伊那丸たけだいなまると小幡民部こばたみんぶのふたりである。

民部も、あなたへ眼をはなたず、

「ただ、天祐てんゆうを祈いのっているのほかございませぬ」

と、ことばすくなく答えた。

「お……いまとなっては、もう手をくだす術すべもない」

「若君わかぎみ」

民部は、しいて伊那丸の憂うれいをはげますようにいった。

「――おあんじなされますな、たとえ、いかなる波瀾はらんを生みましょうとも、かれらのことでござります」

「うム……」

「かれらのことです、かれらのことでござります。けっして、汚名おめいをさらすような結果を招まねきはいたしますまい」

そうはいったが、そういうかれじしんが、人しれず手に汗あせをにぎりしめているのであった。

――と、目をみはる間まもなかった。

あまたの人の口から、あッ……と軽かるいこえがいちようにもらされたかと見ると、すでに、しぼりこまれた二弓きゅうはブンと弓ゆがえりを打って、ひょうッと、弦つるをはなれた二すじの矢やが、風を切ってまッすぐに走っている。

「やッ?」

とたんに、射手いての山県蔦之助やまがたつたのすけは、弦つるをはなした右手めてをそのまま、サッと顔色かおいろをかえてしまった。

耳を聾ろうせんばかりのどよめきが、土用波どようなみのように見物人けんぶつにんをもみあげた。なにかののしるような声、嘲笑ちょうしょうするようなわめき、それらが嵐あらしのごとく、かれをとりまいた心地ここちがした。

「遠矢とおや一本ぽん試合じあい、徳川家加賀爪伝内とくがわけかがづめでんないどのが的まとをとったり!」

と、鐘巻一火かねまきいっかは検証けんしょうの床几しょうぎからさけんだ。

意外いがい。

蔦之助は敗やぶれたらしい。

今為朝いまためともの矢やはどうしたか? あのたしかな代々木流よよぎりゅうの矢がどうして狂くるったのであろうか。

二

鐘巻一火の叫さけんだのは、けっして不公平ふこうへいでもうそでもなかった。加賀爪伝内の切ってはなった黒鷹くろたかの石打羽いしうちの矢やは、まさしく、白鳥しらとりの峰みねの大鳥居おおとりいの額がくぶちに刺ささっているのに、それにひきかえて蔦之助つたのすけの射いた妻羽白つまはじろの矢やは弓勢ゆんぜいが弱よわかったため、谷間たにまの気流きりゅうをうけてそれたのか、あるいは弦切つるぎれの微妙びみょうな指さきに、なにかのおちどがあったのだろうか、とにかく、白鳥の峰へとどかぬうち、霧きりのごとく影かげを消けして、どこへ落ちたかそれていったか、肉眼にくがんでは見えなくなった。

お小姓こしょうとんぼ組ぐみをはじめ、徳川方とくがわがたの者とそれに心をあわす溜たまり場ばでは、わッといちじに凱歌がいかをあげた。

無念むねんや、山県蔦之助やまがたつたのすけは、試合目付しあいめつけの退場たいじょうの命めいと、その嘲笑ちょうしょうにおくられて、悄然しょうぜんとそこをひかなければならなくなった。

すると――。

それよりほんのわずかまえに、試合しあいの勝敗しょうはいが心配しんぱいのあまり、桐紋きりもんの幕まくのうしろから、そッと抜ぬけだしていた鞍馬くらまの竹童ちくどうは、なにげなく、諸国しょこくの剣士けんしのひかえ所じょの裏うらをまわって、蔦之助の姿すがたが、もっとも近く見えるところからすきみをしていた。

ところが、竹童の信念しんねんはくつがえされて、弓ゆみをとっては神技かみわざといわれている蔦之助が、どうだろう、この不覚ふかく? このみにくい敗やぶれ方かた!

「ちぇッ」

というと、鞍馬の竹童は、くやし涙なみだがにじみだして、思わずそこへすわりたくなってしまった。

あの徳川方とくがわがたのものの嘲笑ちょうしょうが伊那丸いなまるさまや民部みんぶさまの耳にどんなにいたく聞えるだろう。あなたにいる豊臣家とよとみけの人々や、忍剣にんけんや小文治こぶんじが、それをどんなにつらく見つめたろう。

竹童ちくどうは腰こしのささえをはずされたように、うしろへよろけた。

そして、

「ああ、ざんねんだ……」

と太ふとい息いきをついたが、ふと気がついてみると、そこは奉行ぶぎょう小屋の裏手うらてらしく、すぐ向こうから十数間すうけんのあいだには、ズッと鯨幕くじらまくがはりめぐらしてあって、一方の帳とばりには黒く染そめぬいた葵あおいの紋印もんじるしが大きく風をはらんでいる。

「あッ、ここは徳川家とくがわけの陣地じんちだな」

竹童はびっくりして、あわててそこを立ち去ろうとしたが、見ると! そこから数歩すうほ向こうに、この人なき陣幕じんまくのうしろにかくれて、あやしげな黒衣こくいの男が、じっと立ちすくんでいるのを見た。

何者なにものだろう?

そしてなにをしているのだろうか。

おそろしく背丈せいのたかい男である。裾すそまでスラリとくろの帯おびなしの服ふくの着きながし、胸むねには、ペルシャ猫ねこの眼のごとくキラキラ光る白金はっきんの十字じ架かをたらしている。そして、祈いのるがごとく、口を閉とじ、眼をふさぎ、指ゆびで印いんをむすんでいる。

「やッ、呂宋兵衛るそんべえだ」

あぶなく、喉のどをやぶってでそうな声を、竹童は自分の手で自分の口をおさえた。

「やつめ、あんなところで、なにをしているのだろう? ……おおあのおそろしい顔はどうだ。あの他念たねんのない形相ぎょうそうをする時は、いつも、呂宋兵衛がとくいの南蛮流なんばんりゅうの幻術げんじゅつをやるときだ」

身をひそめながら、かれの眼はらんらんとその不解ふかいな疑惑ぎわくにむかって、錐きりのごときするどさを研とぎすましてきた。

読めた!

かれの心臓しんぞうは、ドキッとしめつけられたようなあえぎをうつ。

さては、もしや?

怪人かいじん呂宋兵衛がこの幕まくのうらにしのんでいて、石見守いわみのかみと腹はらをあわせ、かれ一流りゅうの邪法じゃほうをおこなって、試合場しあいじょうに一道どうの悪気あっきをおくり、衆人しゅうじんの眼をげんわくさせているのではないかしら?

そして、そのために、いまのような意外いがいな勝敗しょうはいが、なにびとにも気づかれずに信しんじられているのではないのかしら?

と――竹童はわれをわすれて、なお死人のごとく、印いんをむすんで、つッ立っている怪人呂宋兵衛の黒いすそへソロ、ソロ、とはいよっていった。

三

なんと久ひさしぶりに見る憎悪ぞうおの敵てきのすがただろう。

竹童の手は、無意識むいしきに、般若丸はんにゃまるの柄つかをかたくにぎりしめていた。

たとえ、斃たおせないまでも、不意ふいをうって、かれの邪法じゃほうの気念きねんをやぶってやろう。

そう無意識の意志いしがうごいていった。

そうして、気配けはいをしのばせながら、足もとによりついてくる者があるのも知らないで、呂宋兵衛るそんべえはいぜんとして目をとじたままだった。かれはかれじしんのむすぶ幻術げんじゅつの妖気ようきに酔よっているもののようである。

しめた!

竹童の胸むねは大きな波なみにあおられた。

だが、般若丸の名刀が、鞘さやを脱だっしようとしたしゅんかんに、はッと気がついたのは(血ちを見るなかれ)という御岳みたけ三日みっかの神誓ちかいである。もしや自分の軽かるはずみが、伊那丸いなまるさまの身にめいわくとなってかかってはならないということだった。

といって、この怨敵おんてきを!

みすみす目のまえにこうしている一党とうの仇敵きゅうてき、咲耶子さくやこにとっては敵かたきのこの悪魔あくまを、なんで見のがしていいものだろうか。

柄つかにまよった手は、いきなりふところにすべりこんだ。かれの指ゆびにふれたのは、竹生島神伝ちくぶしましんでんの火独楽ひごま! それであった。

それを、ふところにつかんで、いきなり、パッと立ちあがるや否いな、鞍馬くらまの竹童ちくどう、

「うぬッ」

と、独楽こまをまッこうにふりあげた。

ぶン! と、うなった火焔独楽かえんごま。

たしかに呂宋兵衛るそんべえのからだのどこかに、焔ほのおをあげて噛かみついたにちがいない。あッと、相手の驚愕きょうがくした声が竹童の耳にも聞きとれた。

だが、とたんに――。

独楽は竹童のふところに飛んでかえって、かれ自身もまた、アッ――と片手かたてで顔をかくしたまま、あぶなくそこへたおれかかる。

見れば、えりもとから鬢びんの毛けに、霜柱しもばしらが植うわったように、無数むすうの針はりが指ゆびにさわった。

それにおどろいて身をひるがえすと、

「この餓鬼がき」

大きなこうもりにふさわしい黒衣こくいの老女ろうじょが、さッとすがって、うしろから竹童を抱だきすくめ、

「呂宋兵衛さま! 呂宋兵衛さま」

と、しわがれた声で助勢じょせいをもとめる。

「お、そいつは、鞍馬くらまの洟はなッたらしだな」

「わしも、人無村ひとなしむらや京都で二、三ど見たことがある。竹童というて、伊那丸いなまるの手さきになってあるく童わっぱじゃ」

「おのれ、野良犬のらいぬのように、こんなところへなにしにウロウロしてきやがったか。この御岳みたけでは、殺すわけにもゆかないが、うム、こうしてやる」

まえに寄よってくると、呂宋兵衛るそんべえ、煙草たばこ色のウブ毛がいっぱい生はえている大きなてのひらで、竹童の横顔よこがおを、みみず腫ばれに腫れあがるほど、三つ四つ打ちつづけた。

それにもあきたらず、最後さいごに、喉笛のどぶえでもしめつけられたか、かれのからだをかかえていた蚕婆かいこばばあが手をはなすと、グッタリと地上にたおれてうッ伏ぷせになった。

「ふん……」

と、せせら笑わらいながら、

「婆ばばあ、こっちへはいっていろ」

一方の幕まくをあげて、呂宋兵衛がすばやく影かげをかくすと、老女修道者ろうじょイルマンとなって、たえず彼についている吹針の蚕婆も、ニヤリと歯はをむきながらそのあとから腰こしをかがめかけた。

と、その弱腰よわごしへ、一本の鉄杖てつじょうの先が、

「これ」と、かるく突ついた。

かるく突いたが、くろがねの杖つえである。力を入いれないようでも忍剣にんけんが突いたのである。

「うッ……」

というなり蚕婆かいこばばあは、甲羅こうらをつぶされた亀かめの子のように、グシャッと幕まくの裾すそにへたばってしまった。

その陣幕じんまくをはらいあげて、忍剣にんけんは、蚕婆には見むきもせず、飛足ひそくを跳とばしておどりこむなり、稲妻いなずまのように次つぎのとばりの間まへ、チラと逃にげこんだ黒衣こくいの袖そでを、グッとつかんだ。

「悪伴天連あくバテレン呂宋兵衛るそんべえ、待て!」

四

「なにッ」

というと銀ぎんの鞭むちが、びゅッと、忍剣の腕うでをつよく打ちかえしてきた。

――まさしく和田呂宋兵衛わだるそんべえである。逃にがしてはならない。忍剣はそう思った。

じつをいうと、かれがここへ馳かけつけてきたのは、山県蔦之助やまがたつたのすけの遠矢とおやの敗北はいぼくがなんとも、ふしんな負けかたであり、解げしかねる点てんが多々たたあるので、徳川方とくがわがたの勝ちと叫さけんだ検証けんしょうの一火いっかや目付役めつけやくの者に、一苦情ひとくじょう持ちこむため、いきおいこんで駈けだしてきたのだ。

もとより、ここで呂宋兵衛と出会であおうとは、夢ゆめにも予感よかんをもたないのだった。

しかし、竹童が締しめたおされたのも目撃もくげきしたし、その魁異かいいな妖人ようじんのすがたは、夢寐むびにも忘わすれていない仇敵きゅうてきである。

なには措おいても、見のがせないやつ!

「おのれ」

ふりつけてきた、銀ぎんの細鞭ほそむちをかわしながら、なお、忍剣にんけんは片手かたてにつかんだ黒衣こくいの袖そでをはなさない。

呂宋兵衛るそんべえはぜったい絶命ぜつめい――。

「御岳みたけだ!」と、叫さけんだ。

御岳だぞといったのは、血ちを見るなかれの神文しんもんの誓ちかいをふりまわして、卑怯ひきょうに相手をためらわそうとしたものである。

「だまれ、妖賊ようぞく」忍剣は耳もかさない。

引きもどそうとする力、逃こげこもうとする力、とうぜん、ベリッと黒衣こくいの袖そでがほころびた。

ちぎれた布ぬのの一片ぺんは、忍剣の手につかまれたまま、よろよろと二、三歩ぽよろけたが、野幕のまくの帳とばりのあいだなので鉄杖てつじょうのあつかいも自由にゆかず、みすみす、黒豹くろひょうのように逃にげこんでゆくうしろすがたに、

「待て、待て」

と叫さけびながら、手に残のこった黒い布ぬのをほうり捨すてると、そのはずみに妙みょうな粘力ねんりょくを腕うでに感じたので、思わず、オヤとふりかえると、その肩かたさきへ、いったん地にすてた黒衣くろぬのがフワッと勢いきおいよく跳とびついてきた。

「やッ」と、肩かたをすかした。

その首くびッ玉たまをおどりこえて、目の前へ、軽業師かるわざしのようにモンドリ打ったものを見ると、どうだろう、思いがけない、まッくろな烏猫からすねこ、くびわに銀玉ぎんぎょくの鎖くさりをかけ、十字じ架かをつけているではないか。

その銀玉の鎖と十字架をチリチリチリ……と鳴らしながら、幕まくのすそをかわいらしく馳かけだしたので、

「蛮流ばんりゅうの妖術師ようじゅつしめ、さては、うまく姿すがたをかえたな」

鉄杖てつじょうを持って追おいまわすと、猫ねこはなおチリチリと逃にげだして、とつぜん、向こうのすみに、萩はぎや桔梗ききょうや秋草のたぐいを入れ交まぜに、挿いけこんである大きな壺つぼの口くちへ、ポンと、飛びこんでしまった。

と見て、忍剣にんけんは、

「得えたり!」

と、いきなり鉄杖を槍やりのようにしごいて、大瓶おおがめの横ッ腹ぱらへガンと勢いよく突つッかけた。

瓶かめはくだけ、秋草はとんだ。

みじんになった陶物すえものの破片はへんを越えて、どッ、泉いずみをきったような清水しみずがあふれだしたことはむろんだが、猫ねこもでなければ呂宋兵衛るそんべえの正物しょうぶつもあらわれなかった。

水に足をひたされて、ハッとわれにかえれば、これは野陣のじんの人々の飲料水いんりょうすいである。反間はんかんの敵てきに毒どくを混こんじられないようにわざと、花壺はなつぼに見せかけておいた生命いのちの水にちがいない。

「逃にがした……」

なにか、忍剣にんけんのあたまは、そのとき、霧きりがかかっているような心地ここちだった。そして、ぼうぜんとしていると、張はりまわした幕まくに、ソヨソヨと小波さざなみのような微風びふうがうごいて、その幕のかげあたりを、聞きなれない南蛮歌なんばんかの調子ちょうしで、口笛くちぶえをふいて通ってゆくものがある。

「あッ」

銀ぎんの鞭むちの音がする。

そして、

「あははははははは……」

まぎれもない、怪人かいじん和田呂宋兵衛わだるそんべえの人をバカにしたような笑わらいごえだ。

神馬しんめ草薙くさなぎと早足はやあしの男

一

あざ笑う声はする。

銀ぎんの鞭むちが幕まくのうしろを歩あるいている。

だが、霧きりのようなじゃまな幕、それにさえぎられて、けんとうもつかねば、すがたも見えない。

忍剣にんけんは地だんだを踏ふんで、幕の波なみをさぐりかけた。しかし、瓶かめの水が表おもてのほうへいっさんに流れだしていったため、それにおどろいた徳川家とくがわけの諸士しょしや、溜たまり場ばのむしろを水びたしにされて跳とびあがった、れいの菊池半助きくちはんすけ、鼻はなかけ卜斎ぼくさい、泣き虫の蛾次郎がじろう、そのほかお小姓こしょうとんぼの連中れんじゅうまでが、総立そうだちになって、裏手うらてへまわってきそうな気けぶり。

「これはいかん」忍剣は、早くも執着しゅうじゃくをすてて、

「またいいおりもあろうというもの、ここで、きょうの試合しあいをめちゃめちゃにしては、咲耶子さくやこを無難ぶなんに取り返すことができなくなろう」

と、分別ふんべつした。

で、ひらりともとの場所ばしょへかえってくるなり、そこにたおれている竹童ちくどうをこわきに抱だいた。

竹童はいちじの昏倒こんとうで、

「あッ、忍剣さま」

すぐに、目をひらいて、かれのたくましい腕うでのなかに自由になった。

おのれの居場所いばしょに馳かけもどってきてみると、一方そこでも、なにやら問題がおこっている最中さいちゅうである。

総奉行そうぶぎょうの大久保長安おおくぼながやすと、検証けんしょうの鐘巻一火かねまきいっかが自身じしんできて、なにかしきりと高声こうせいで弁べんじているのだ。

いま、いきなり飛びこんではまずいと思ったので、忍剣にんけんがそッとようすをきいていると、

「いや、ただいまの遠矢とおやは、あくまで蔦之助つたのすけが勝ったものと信じます。鐘巻どのも一流りゅうの火術家かじゅつかでありながら、あの的先まとさきにお眼が届とどかぬとは心ぼそいしだいでもあり、また、検証けんしょうの床几しょうぎにつかれながら、徳川家とくがわけへ勝ち名のりをあげられたのは早計そうけいしごくかとかんがえます」

これは、山県蔦之助自身やまがたつたのすけじしんと、木隠こがくれと巽たつみとが、一しょになって主張しゅちょうしていることばの要点ようてんだった。

「したが、加賀爪伝内かがづめでんないの遠矢が、額がくぶちにりっぱに立っているのに、貴公きこうの矢が鳥居とおいの柱はしらにも立っていないのはどうしたしだいか、これ、弓勢ゆんぜいたらずして、矢走やばしりのとちゅうから、谷間たにまへおちた証拠しょうこではあるまいか」

というのは、徳川方とくがわがたの強弁きょうべんだった。

それにたいして、蔦之助は笑いをなげて、

「いや、自分の弦つるをはなれた矢やが、谷間へ落ちたものか、的まとを射当いあてたものかぐらいなことは、弓ゆがえりのとたんに、この手もとへ感じるものでござる。たとえば、鐘巻どのの鉄砲てっぽうにしても、その実感じっかんにお覚おぼえがあろうが」

「ウムなるほど……それはたしかに一理りがある」

一火はさすがに、そのことばを反駁はんばくしなかった。

だが、奉行ぶぎょうの石見守いわみのかみや目付めつけたちは、どうしてもその説せつだけではがえんぜない。また、蔦之助つたのすけとしても、事実じじつにおいて、その矢やが的先まとさきに見えないのであるから、それ以上いじょう、なんと理由りゆうづけて力説りきせつすることもできないのであった。

「では、この勝負は、ざんじ自分がおあずかり申すとしよう。そのかわりに……」

と、鐘巻一火かねまきいっかは中にはさまってこまりはてたあげく、窮余きゅうよの一策さくを持ちだして、

「最後さいごの勝負、遠駆とおがけのおりに、あの大鳥居おおとりいをめあてとして馳かけさせ、そうほう、その矢を持ちかえってくるとしたらどうであろうか。――とすれば、同時に遠矢とおやの勝敗しょうはいも歴然れきぜんと分明ぶんみょういたすことになる」

二

名案めいあんだった。

それはよかろう――というので、すくその紛糾ふんきゅうは解決かいけつしたが、ここにまた番組変更へんこうのやむないことができたというのは、そこへ徳川家とくがわけの侍さむらいがとんできて、

「例れいの、老女修道者ろうじょイルマンでございますが、たッたいま、何者なにものかにしたたか腰こしをうたれて熱ねつをはっし、ひどくうめいておりますので、吹針ふきばりの試合しあいにはでられぬようすでござります」

という急報きゅうほうである。

忍剣にんけんは、かげで、それをおかしく聞いていた。

石見守いわみのかみの腹はらでは、吹針ふきばりの試合しあいではしょせんあの老女ろうじょに勝目かちめはないと考えていたので、この出来事できごとはもっけのさいわいと思った。

で、その試合しあいを取り消けすことを申しでたので、龍太郎りゅうたろうや忍剣もかたすみで相談そうだんのうえ、あらためて、こういう返答へんとうをかれにあたえた。

「――されば、幻術試合げんじゅつしあいの相手にでる竹童ちくどうも、きょうはすこし気分のすぐれぬようすであるから、いっそ二番の勝負を取り消して、最終さいしゅうの遠駆試合とおがけじあい一番にて、やくそくどおり咲耶子さくやこをお渡わたしあるか否いなか、乾坤けんこん一擲てきの勝負を決きめるならば、それにご同意どういいたしてもさしつかえはござらん」

「なるほど」石見守は考えていた。

ところが、徳川家とくがわけの者たちは、それを聞くと、むしろ僥倖ぎょうこうのように気勢きせいをあげて、

「遠駆とおがけの一番ばん試合じあいで、勝敗しょうはいを決きめることは当方とうほうで、望のぞむところ、たしかに承知しょうちした。さらば、すぐそちらでもおしたくを」

と、石見守になにやらささやいて、わいわいと引ひき揚あげていった。

かれらの目算もくさんでは、この一番こそ、疑うたがうまでもない勝味かちみのあるものと信しんじているのだ。天下歩あゆむことにかけて、たれか、早足はやあしの燕作えんさくにまさる人間があるはずはない。

そう信じているからこそ、最初さいしょにしめした、試合掟しあいおきてにも、相手方がたは騎乗きじょうでも徒歩かちでも勝手かってしだいと傲語ごうごしたのだ。

この嶮峻けんしゅんな山路やまじの遠駆とおがけに、騎馬きばをえらべば愚おろかである。人間の足より難儀なんぎにきまっているのだ、そうかといって、徒歩かちなればおそらくわが早足はやあしの燕作えんさくをうしろにする足の持もち人てはないわけになる。

――という腹はらが徳川とくがわがたの作戦さくせん。

(どうでるか、相手方のやつは?)

なかば、安心しているので、興味きょうみをもって待ちかまえていると、すでに、支度したくができていたものか、遠駆けにえらばれた巽小文治たつみこぶんじ、朱柄あかえの槍やりを山県蔦之助やまがたつたのすけの手にあずけて、

「どうッ、どうッ」

一頭とうの白馬はくばをひいて、試合場しあいじょうへあらわれた。

なんと毛なみの美うるわしい馬だろうと――それにはなみいるものが、ちょッと気をうばわれたが、よく見ると、名馬のはずだ、これは御岳みたけ神社の御厩みうまやに飼かわれてある「草薙くさなぎ」とよぶ神馬しんめである。

しかし、徳川家とくがわけの者や、諸藩しょはんのものは、この嶮路けんろの遠駆けに、馬をひきだしてきた無智むちをわらった。

「どうだい」

と、嘲笑ちょうしょう半分に、うわさするものがある。

「これから御岳の中腹ちゅうふくまで降おりて、渓谷けいこくをわたり、それから白鳥しらとりの峰みねの大鳥居おおとりいまでいってかえってくるという遠駆けに、いくら名馬の手綱たづなをとったところで、しょせん、どうにもなりゃあしまい」

「まるで、山を舟で越こえようというのとおなじ無謀むぼうな沙汰さただ」

「しかし、あいつ、おそろしく自信のあるような顔をしているな」

「ふうていもかわっている、杣そまか、野武士のぶしか、百姓ひゃくしょうか、見当けんとうのつかぬような青あお二才さいだ」

「なにしろ、どう敗まけるか、その敗けぶりをみてやろう」

小文治こぶんじの耳にも、こんな悪評あくひょうが、チラチラ耳に入らぬでもなかった。けれど、かれは黙笑もくしょうしている。うすら笑わらいすると、その頬ほおには、ちいさな笑えくぼができて、愛らしい若者だった。

三

一方。

これはまた、おそろしく雲の上でも飛びそうなすがたででてきたのは、早足はやあしの燕作えんさく。

「やあ、ごくろうさま」

小文治のすがたを見ると、町人ちょうにんらしく、腰こしをまげた。

ちょっと、いままでの試合しあいと目先めさきがかわったので、見物けんぶつはよろこんだ。大きな弥次やじのこえが、高い樹きの上ではりあげている。

「お役人さま、念ねんのために、よくうかがっておきますがね」

と、燕作えんさくは、よくしゃべる。

「なんでござんしょうか――この遠駆とおがけの勝負の眼目がんもくは、つまり、あの白鳥しらとりの峰みねの大鳥居おおとりいまでいって、さっきの遠矢とおやを、一本ずつ持って帰けえってくりゃあよろしいンですね」

「そうじゃ」

と、試合目付しあいめつけがそうほうへくわしく説明した。

「――それと、さいぜん、勝負あずけとなっている遠矢のあたりの証拠しょうこを持ちかえってもらいたい」

「ようがす、じゃ、あっしは、あの額がくのふちを引ッぱずして持ってくりゃいいんだ。そして、相手方あいてがたより一足ひとあしでも早く、この試合場しあいじょうへ持ってきて、それを検証けんしょうの床几しょうぎのおかたに手渡てわたしすりゃあ勝ちというわけなんでございましょう。……なアんだぞうさもねえ、それならとちゅうで、さんざん煙草たばこを吸すって帰けえってこられまさ」

と、浮うわッ調子ちょうしな町人ちょうにんことばで、おそろしく大言たいげんをはいた。

小文治こぶんじは、そら耳で聞きながら、一つかみ草をとって馬に飼かいながら、ニコニコ笑わらっていた。

「旦那だんな、支度したくはまだですか」

燕作の足は、もう、やたらにピクピクしてきたふう。

「おお、よいぞ」

というと、巽小文治たつみこぶんじ、ひらりと神馬しんめ草薙くさなぎの鞍くらつぼにかるく飛びのった。

「待った!」

と、目付めつけの人々はあわてて、そこから合図あいずの手をあげると、ドウーンと三流みながれの太鼓たいこが鳴りこむ。

なお、いざ! というのはまだである。

太鼓は三色みいろの母衣武者ほろむしゃが、試合場しあいじょうの左右から正面へむかってかけだす報しらせだった。そこには、矢来やらいと二重じゅうに結ゆいまわされた柵さくがある。柵の周囲しゅういの群集ぐんしゅうを追おいはらうと、そこのひろい城戸きどが八文字もんじにあいて、御岳山道みたけさんどうの正面のみちが、試合場からズッとゆきぬけに口をあいた形かたちになる。

――刻とき、すでに七刻ななつごろの陽脚ひあし。

満山まんざんのもみじに、しずかな午後の陽のいろが、こころもち紅くれないを濃こくしてきた。

おりこそあれ、短笛たんてきの音ね。

ここに、最後の勝敗しょうはいをけっする、騎馬きば徒歩かち、遠駆とおがけの試合しあいの矢声やごえはかけられた。

わーッと、いう声におくられて、正面の城戸を走りだした白馬はくば草薙くさなぎと、天下無類てんかむるいの早足はやあしの持主もちぬし、もう、御岳の広前ひろまえから真まッさかさまに、その姿すがたを見えなくしてしまった。

神かみは欺あざむくべからず

一

いくら天下の早足はやあしとじまんをする燕作えんさくでも、騎手のりては巽小文治たつみこぶんじ、馬は逸足いっそくの御岳みたけの草薙くさなぎ、それを相手に足くらべをしたところで、もとよりおよぶわけはなく、勝とうというのが押おしのつよい量見りょうけん。

――と見物けんぶつの者は、はじめからこの早駆はやがけ勝負の結果けっかを見くびっていたが、はたして、その予想よそうははずれなかった。

試合場しあいじょうの城戸きどから、八町ちょう参道さんどうとよぶ広ひろい平坦へいたんな坂さかをかけおりてゆくうちに、燕作の小粒こつぶなからだはみるみるうちに追おい越こされて、とてもこれは、比較ひかくにはならないと思われるほど、そうほうの間あいだにかくだんな距離きょりができてしまった。

だがしかし――燕作の肚はらにはりっぱに勝算しょうさんがたっていた。

「見ていてくれ、ほんとの勝負はこれからさ」

と、たかをくくっているのだ。

そして八町参道をまたたくまにかけ降おりると、道はふた手にさけて一方はふもと、一方は白鳥越しらとりごえ甲州裏街道こうしゅううらかいどうの方角ほうがくにあたる。

その裏街道のほうへさきの小文治が勢いきおいよくまがった。

「ふふん……」と燕作は、それを見ながらあとからかけて、

「さあ、奴やっこさんが泡あわを吹ふくのはこれからだぞ。そこで燕作さまは、このへんでじゅうぶん一息ひといきいれてゆくとしようか」

腰こしの手拭てぬぐいをとって風車かざぐるまにまわしながら、一汗ひとあせふいて、またもやあとからかけだした。

一方、いそぎにいそいでいった小文治こぶんじは、やがて道のせばまるにつれて、樹木じゅもくや蔓草つるくさに駒こまの足掻あがきをじゃまされて、しだいに立場たちばがわるくなってきた。

この早駆はやがけ勝負のまえには、奉行ぶぎょうの方から騎乗随意きじょうずいいといってきたくらいであるから、とうぜん、騎馬きばの往来おうらいは自由なところと考えていたが、このあんばいだと、前途ぜんとはしょせん馬で押おしとおすことはできないかも知れない。

「はかられたな」

と小文治は早くも心のうちでさとったが、要ようするに地理不案内ちりふあんないからきたおちど、いまさら引っかえすわけにはゆかないことは知れきっているので、

「ままよ」

と強情ごうじょうに、樹々きぎにせばめられている細ほそい道へと、むりやりに馬をすすめていった。

が、そこには我武者がむしゃにかけとばしても、たちまちまた一つの難関なんかんがあった。なんの沢さわというか知らないが、おそろしく急きゅうな傾斜けいしゃで、その下には幅はばのひろい渓流けいりゅうがまッ白な泡あわをたてて流れている。

まよった。――小文治はまよわざるを得えなかった。

手綱たづなにそうとう要意よういと覚悟かくごをもてば、自分とて、こんなところを乗のり落とすことができないではないが、帰る場合ばあいにどうしよう?

ほかに登のぼる道があればいいが、ないとすると、この傾斜けいしゃでは、馬を乗りあげることがむずかしい。それに、下に見える渓流けいりゅうもはたして騎馬きばで越こせるかどうか?

「ウーム、さては大久保おおくぼをはじめ徳川家とくがわけのやつばらめ、あらかじめ地の理りをしらべておいて、うまうまと最後さいごの勝負でこっちに一ぱい食くわせたのだ。……はてざんねんなわけ、どうしてやろうか」

と、名馬草薙くさなぎの足もそこよりは進すすみえずに、手綱たづなをむなしくして、馬上にぼうぜんと考えこんでしまっていると、そこへ飛んできた早足はやあしの燕作えんさくが、

「ああ、やっと追おいついた」と、ふりかえって、

「おい大将たいしょう、失礼しつれいだけれど、お先へごめんこうむりますぜ」

尻しりをたたくようなかっこうを見せて、ぴょんと、傾斜けいしゃの崖がけッぷちへかかった。

「あッ」

と、われにかえって歯はがみをする小文治こぶんじを、

「まあ、ごゆっくり」

と見かえして、そういうが早いか、燕作のからだは、岩いわに着物きものをきせてころがしたように、そこから沢さわの下の水辺みずべまで一いきにザザザザザとかけおりてしまった。

二

もうまよっている場合ばあいではない。

小文治こぶんじは馬をすてた。

あたりの喬木きょうぼくへ手綱たづなをくくりつけておいて、燕作えんさくのあとから、これも飛鳥ひちょうのように沢さわへおりた。

降おりてみると燕作はもう渓流けいりゅうの岩いわをとんで、ひらりと対岸たいがんへあがっている。小文治が河かわの向こうへ渡わたりついた時には、やはり同じ距離きょりだけをさきへのばして、こんどはスタスタと登のぼりにかかった。

「お、白鳥しらとりの山へかかってきたのだな」

かれは気が気ではなかった。

まだ一里りも二里もさきがある勝負なら、なんとかそれだけの距離を取りかえすことができようが、たしかここから十二、三町ちょうのぼった中腹ちゅうふくがれいの大鳥居おおとりいだ。

「おのれ、燕作ごとき素町人すちょうにんにおくれをとって一党とうの人々に顔向けがなろうか」

早駆はやがけとはいい条じょう、ことここに立ちいたってみれば、武芸以上ぶげいいじょうの必死ひっしだった。いや、そんな意地いじよりも名誉心めいよしんよりも、まんいち自分が敗やぶれでもした時には、いやでも応おうでも、咲耶子さくやこの身を徳川家とくがわけの手にわたさなければならない。

いわば一党の人の然諾ぜんだくと咲耶子の運命うんめいとは二つながら、かかって自分の双肩そうけんにあるのだ。敗れてなるものか、おくれてなるものか。

彼はややあせった。

汗あせは全身をぬらしてくる。呼吸こきゅうはつまる。

それにひきかえて燕作えんさくのほうを見ると、さすがはこいつ足馴あしなれたもので、少しもあせるようすがなく、まるで平地を歩あゆむように、スラスラと十二、三町ちょうの登のぼりを踏ふみすすんでゆく。

すると、ほどなく彼の前に、七、八段だんの幅はばのひろい石垣いしがきがあらわれて、巨人きょじんがふんばった脚あしのような大鳥居おおとりいの根ねもとがそこに見られたのである。

「おっ、やっと着ついたぞ」

さすがな燕作も、そこでは、ホッとしたように息いきついて、山下さんかへ小手をかざしてみたが、まだ小文治こぶんじの姿すがたは見えない。

で、安心したらしく、

「ヘン、どんなものだい」

というふうに胸むねをひろげて、また手拭てぬぐいを風車かざぐるまにまわした。

「おっと、そうはいっても、まだまだやっと勝負はこれで半分みち。あの額がくの縁ふちに刺ささッている矢やを抜ぬきとって、もとの試合場しあいじょうまで帰り着かねえうちは、まだほんとに勝ったものとはいえない」

つぶやきながら、大鳥居の上を見あげた。

それへよじのぼる気か、燕作が、ペタと蝉せみのように丸木まるきの鳥居へ取ッついたが、待てよ、とすこし考えて――。

「こいつあ損そんだ、わりに合わねえ」

と不意ふいにべつの矢やをさがしはじめた。

上の額縁がくぶちに刺ささっている矢は、さいぜん、徳川家とくがわけの射手いて加賀爪伝内かがづめでんないがはなした遠矢とおやで、かれも徳川方とくがわがたのひとりである以上いじょう、とうぜんその矢やをぬいて、持ちかえるのがほんとなのだが、この登のぼりにくい鳥居とりいにかじりついてすべったり落ちたりしているよりは、どこか、そこらに落ちている山県蔦之助やまがたつたのすけの矢やをひろっていったほうが、時間においてはるかに得策とくさくだと、あいかわらずずるい考えを起おこしたものなのである。

で、鳥居とりいをくぐって、およそな見当けんとうのところをしきりにさがしはじめたが、さあこの矢やのほうにも一難なんがある。

加賀爪の矢は的まとの中心にこそあたらなかったが、その額がくの縁ふちへ適中てきちゅうしたので、あのとおりあからさまに鳥居の上にとまっているが、的を射いそんじた蔦之助の矢のほうは、それをそれたわけなので、どこまですッ飛んでしまったか、その距離きょりと方角ほうがくにいたっては燕作えんさくにもちょっと想像そうぞうがつかないのだ。

「おやおや、そうは問屋とんやでおろさねえときたね。じゃ、やっぱり尋常じんじょうに、あの上のやつを抜ぬいて引っかえそうか」

と、急きゅうに考えなおした燕作。

なんの気もなく、まえの大鳥居おおとりいの根ねもとのほうへふたたび足を向けかえてゆくと、その足のつまさきが、なにやら妙みょうなものに蹴けつまずいたと思ったので、ヒョイと見ると、嵯峨天皇風さがてんのうふうの字体じたいで「白鳥霊社しらとりれいしゃ」と彫ほってある四角な古い欅板けやきいただった。

「あれッ?」

といったまま燕作えんさくは、それと鳥居とりいの上とを見くらべてあいた口がふさがらない。

なぜかといえば――

その板はまさしく大鳥居おおとりいの上にかけてあるべきはずの額がくなんである。だのに……と思ってよくよく宙ちゅうと大地の品しなとを見くらべてみると、鳥居の上には神額しんがくの縁ふちだけがのこっていて、なかの板だけがここへ落とされてあることがわかった。

ではなんで落ちたか――ということは燕作にはもう疑問ぎもんとするにたらなかった。証拠しょうこは歴然れきぜん、そこに落ちている神額の中板なかいたの「白鳥霊社しらとりれいしゃ」の霊れいという文字を見ごとに突つきさしていた一本の矢や! 見るまでもないが手にとってみると、はたしてさいぜんの試合しあいに、山県蔦之助やまがたつたのすけが日輪巻にちりんまきの弓ゆみから切ってはなした白鷹しらたかの塗矢ぬりやにちがいはないのである。

「ああ、こりゃあ大たいへんだ」

燕作はいままでの道を歩あるき損そんじたように、ガッカリしてつぶやいた。

先刻さっきの遠矢試合とおやじあいでは河内流かわちりゅうの加賀爪伝内かがづめでんないが勝点しょうてんをとって、蔦之助は負けということになっていたが、いま、その遠矢の的場まとばであるこの大鳥居の裾すそに立ってみると、これはあきらかに伝内の負けで蔦之助の勝ちだ。

伝内の矢は額の中心をはずして、わずかにその縁にとまっているにすぎないが、蔦之助の矢は神額のまッただなかを射いて、その板もろとも下へ落ちてしまったのだ。

そのために、御岳みたけの試合場しあいじょうから見ると、だれの目にもそれたように思われたが、この実際じっさいがわかるとなれば、大たいへんな番狂ばんくるわせで、おれが早駆はやがけに勝ったところで、きょうの勝負は五分五分ごぶごぶなわけだ、と燕作えんさくはすっかり気がくさってしまった。

と――もう下のほうから、巽小文治たつみこぶんじが息いきをあえぎつつ登のぼってくるすがたが見えはじめた。

「ええ、きやがった」

燕作はさきに着いていながら、まごまごしてしまったが、にわかになにか思いついて、

「そうだ、なにも心配しんぱいすることはねえ。おれがここでこの額板がくいたを見つけたからこそ、蔦之助つたのすけのあたりがわかったようなものの、なあに、このままどこかへかくしておけば、相手のやつらも気がつくことはないのだ」

矢やはぬいて自分の腰こしにはさみ、神額しんがくの板いたは、人の気づかぬような雑木帯ぞうきたいの崖がけへ目がけて力まかせにほうりすてた。

「ウム、これでよし」

いこうとすると、何者か、

「待て! 燕作えんさく」

「あッ……」

かれはなにものも見なかったであろう。

ふりむいたとたんに、天地がグルリとまわったように感じた。そしてえりがみをはなされた時には、脾腹ひばらをうって、鳥居とりいの下に気をうしなっていた。

三

わずかの間まをおいて、そこへ、燕作えんさくに追おいこされた小文治こぶんじが息いきをきって登のぼってきた。

しかし、ふしぎなことには、たったいま何者なにものかに投げられて、大鳥居おおとりいの下で気をうしなった燕作のからだが、どこへ片かたづけられたのか、そこに見えなくなっていた。

そういう変事へんじがあったのは知らないが、小文治はふしんにおもった。あとから登ってくるみちみちにも、くだってくる燕作に出会であうだろうと思っていたのに、ここへきても、その姿すがたが見えない。

「ひきょうなやつ、さては、このうえにも自分をだしぬくためにどこか近いぬけ道をまわっていったな」

いわゆる、負けた者のくそ落ちつきではないけれど、小文治もこうなるうえは、この遠駆とおがけの勝敗しょうはいを天意てんいにまかせるよりほかはないとかんねんをきめた。

全能ぜんのう全力ぜんりょくを正当せいとうにつくしてみて、それでも敗やぶれれば、まことに是非ぜひのないわけだ。男らしく、一党とうの人の前へでて、罪つみを謝しゃするよりほかにみちはない。

と、覚悟かくごをきめてしまったので、かれもぞんがい元気をたもっていた。

そこで、しずかに、持ちかえる矢やをさがすと、蔦之助つたのすけの矢は見あたらないで、大鳥居の額縁がくぶちに刺ささっている加賀爪伝内かがづめでんないの矢が目にとまった。

かれはハタととうわくして、

「どうしてあれを取ろうか」

と腕うでをくんで考えた。

一ぽうを見ると、そこにすばらしく大きい椋むくの大木たいぼくがある。その高い梢こずえの一端たんがちょうど、鳥居とりいの横木よこぎにかかっているので、

「そうだ」

駆かけ寄よってそれへよじのぼろうとすると、

「小文治こぶんじ、小文治」

不意ふいに、どこかで自分を呼よぶものがある。

――が、どこを見まわしても、人らしいかげはあたりの鬱蒼うっそうにも見えないのである。

「耳のせいか?」

かれはそう思った。ふたたび椋の幹みきに抱だきついて、大鳥居おおとりいの横木へわたろうと考えた。

「――いまわしが降おりてゆくから、くるにはおよばんよ、そこで待っているがいい」

「や? ……」

耳のせいではない。

だれだろう、何者なにものだろう、この白鳥しらとりの峰みねでなれなれしく話しかける人間は?

かれの目はしきりにうごいて、うしろの樹立こだちをすかしたり暗緑あんりょくな境内けいだいを見まわしたりしたが、ついに、そこからなにものも見いだすことはできなかった。――たださいぜんから明らかに知っていて、べつに気にも止とめなかったのは、鳥居とりいの横木よこぎにうずくまっている一羽わの灰色はいいろの鳥だった。

ところが、かれの鼻はなのさきへ、上から額縁がくぶちの矢やが抜ぬけて、ポーンと落ちてきたので、眸ひとみをこめて見なおすと、その灰色のかげが鳥ではないのがはじめてわかった。

衣ころものような物をきている人間だ。鳥居の横木に腰こしをおろし、杖つえのようなものを持っているあんばい。

矢やを落として、するすると横木の端はしへはいだしてきた。

銀ぎんのような髯ひげが頤あごからたれて風をうけているのが、そのときには、下からもありありと仰あおがれた。老人ろうじんはやがて椋むくの梢こずえにすがって、蜘蛛くもがさがるようにスルスルと降おりてきた。

「あッ、あなたは果心居士かしんこじ先生」

「小文治こぶんじ、ひさしく相見あいみなかったの」

「どうして、あんなところに」

「まあよい、そこへすわれ」

すわって話しこむどころの場合ばあいではないが、ついぞここしばらくのあいだ、一党とうの人に影かげもすがたも見せないでいた果心居士が、こつぜんと、そこに立ったのであるから、小文治もぼうぜんとして、思わず、腰こしをついてしまった。

「きょうはえらいさわぎだったな」

居士こじはいつもかわりのない童顔どうがんに明るい微笑びしょうを波なみのようにたたえて、

「わしも、すこしあんじられたので、きょうは早くからあれに腰こしをすえて見物けんぶつしていたのじゃ」

と、鳥居とりいの上を指ゆびさした。

「えッ、では、先生には、あの鳥居の上から御岳みたけの試合しあいをながめておいであそばしたので」

「よく見える。あたかも鞍馬くらまの上から加茂かもの競馬けいばを見るようにな」

「して、いつこの武州ぶしゅうへ」

「ゆうべ、なにげなくれいの亀卜きぼくの易えきをこころみたところが、どうもはなはだおもしろくない卦面けめんのしらせじゃ。そこでにわかに思い立って、きょうぶらりとやってきたが、はたしてこのさわぎ……」

小文治は居士の話にいろいろな疑念ぎねんをはさんだ。亀卜の易とはなにか? また京きょうの鞍馬山から武州まで、きょうぶらりとやってきたというのも、自分の聞きちがいのような気がした。

けれど、かれがそんなことに頭をそらしているうちに、居士はずんずんとさきの話をいいつづけていて、

「で、なによりあんじられたのは、万が一にも、咲耶子さくやこの身を徳川家とくがわけのほうへとられると、おそらく、ふたたび助けだすことができまいということであった。なぜといえば、家康いえやすの心のうちには、いよいよ邪計じゃけいの萌きざしがみえる。――武田たけだの残党ざんとうを憎にくむことが、いぜんよりもはなはだしい。そして、秀吉ひでよしと覇はをあらそううえにも、つねに背後はいごの気がかりになる伊那丸君いなまるぎみやそれに加担かたんのものを、どんな犠牲ぎせいを払はらっても、根絶ねだやしにしなければならぬと、ひそかに支度したくをしつつあるのだから」

老骨ろうこつとは思われない若々しい居士こじの語韻ごいんのうちに、仙味せんみといおうか、童音どうおんといおうか、おのずからの気禀きひんがあるので、小文治こぶんじはつつしんで聞いていたが、話がとぎれると、遠駆とおがけ試合じあいの決勝けっしょうが気にかかって、じッと落ち着いてはいられない気がする。

「もし、果心居士かしんこじ先生」

たまらなくなって、腰こしを浮うかしかけた。

「なんじゃ」

「せっかく、お話中ではございますが、ご承知しょうちのとおり、わたしはいま遠駆けのとちゅう、この矢やをもっていっこくも早く試合場しあいじょうへもどりませぬと……」

「ウムぞんじておる」

「でも、ただいまも仰おおせられたとおり、まんいち不覚ふかくをとりますと咲耶子さくやこの身を」

「それはわかっている。まあよい」

わかっているといいながら、小文治のワクワクしている胸むねのうちもさっしなく、居士はゆうぜんと椋むくの木の根ねに腰をすえて、目を半眼はんがんにとじ、頤あごの銀髯ぎんぜんをやわらかになでている。

四

気が気ではないのに、居士こじはまだことばを切らないで、

「わしがみるところでは、世はいよいよ乱みだれるだろう、いくさは諸国しょこくにおこって絶たえないであろう、人間はますます殺伐さつばつになり、人情にんじょう美風びふうはすたれるだろう。なげかわしいが天行てんこうのめぐりあわせ、まことにぜひないわけである」

と、空をあおいでそういった。

ああ悠長ゆうちょうな。

小文治こぶんじがことばをはさもうとすると、そこをまた、

「伊那丸君いなまるぎみにもよく言伝ことづてをしてくれよ。よいか、ますます自重じちょうあそばすようにと」

「は、心得こころえました」

いい機しおと、小文治が立ちかけると、

「あ、待て」

またか、――そう思わずにいられないで、

「さきをいそぎますゆえ、なにとぞ、このまま失礼しつれいごめんくださいまし」

と、そこに落ちている矢やをひろって右手めてにつかむと、居士も、やっと腰こしをあげて、

「小文治、その品しなばかりでは心もとない、いずれこの空がまッ赤かに夕焼ゆうやけするころには、御岳みたけの山も流血りゅうけつに染そまるだろう。――戈ほこをうごかすなかれ、血ちをみるなかれの神文しんもんもとうていいまの人心には守まもられる気づかいがない。見ろ――」

手をあげた居士こじの指ゆびが、そこから対山たいざんの中腹ちゅうふくをゆびさした。

「あれを見ろ、小文治こぶんじ。みだれた凶雲きょううんと殺気さっきにみなぎっている」

「では、兵法大講会へいほうだいこうえの第二日も、いよいよ無事ぶじにはおさまりませぬか」

「おそらく、三日目みっかめを待たず、今夕こんせきかぎりでめちゃめちゃになるだろう。おう、おまえも早くゆくがいい、そして、まんいちの用意よういに、これを証拠しょうこに持ちかえるがよかろう」

そういって、居士こじがかれにあたえたのは、さいぜん、燕作えんさくがどこかへ投げすてた額板がくいただった。

蔦之助つたのすけの遠矢とおやがけっして敗やぶれたのではないと聞かされて、小文治はこおどりして、

「では、ごめんを」

と、下山げざんの道へ走りだした。

「おお、せくなよ。急せいてあとの不覚ふかくをとるなよ」

見送みおくりながら、居士は白鳥しらとりの奥おくの院いんのほうへ風のごとく立ち去った。

しばらくすると、草むらのなかから、

「ウーン……ア痛いて、アイテテテテ」

と腰こしをさすりながら起きあがった燕作が、夢ゆめのような顔をしてのこのこでてきた。

「どうしたんだろう? おれはいったい」

あたりをみると、いつか夕暮ゆうぐれらしい色が、森や草にはっていた。梢こずえにすいてみえる空の色も、丹たんの刷毛はけでたたいたように、まだらな紅べにに染そまっている。

「あッ……ささささ、さア、大たいへん!」

はじかれたように思いだして、大鳥居おおとりいの上を見ると、南無なむ三、そこに立っていた矢やはすでにぬき取られてあるではないか。

「ちぇッ、出だしぬかれたぞ、小文治こぶんじのやつに」

わくわくと自分の腰こしに手をやってみる。

さいぜん、帯おびへさした、蔦之助つたのすけの矢やはたしかにあった。

「ウム、野郎やろうめ。まだあいつの足では御岳みたけの試合場しあいじょうまでは行きつきはしめえ。……なんの見ていやがれ、早足はやあしの燕作えんさくが一世せ一代だいにすッ飛んでくれるから」

足と腰こしの骨ほねを二つ三つたたくと、孫悟空そんごくうが急用きゅうようにでかけたように、燕作のからだは鳥居のまえから見ているうちに小さくなっていった。

いや、その早いことといったらない。まるで足が地についていないようである。

またたく間まにもとの渓流けいりゅうにかかってきた。

ここは谷間たにあいのせいか、いちだんと暮色ぼしょくが濃こくなって、もう夕闇ゆうやみがとっぷりとこめていたから燕作は泣きだしたくなった。

「ええ、大たいへん」

もしこの遠駆とおがけにおくれを取ったら、あの呂宋兵衛るそんべえがおれをただはおくまい。菊池半助きくちはんすけや大久保長安おおくぼながやすなども、さだめしあとで怒おこるだろう。いや、おこられるだけならまだいいが、勝ったら百両りょうといわれた褒美ほうびもフイなら、第一、天下の早足はやあしの名まえがすたる。

意地いじでも欲よくでも勝たなければならない。

「ええ、間道かんどうをゆけ、間道を」

とうとう燕作えんさく、ここまで試合しあいをつづけてきて、最後にさもしい町人根性ちょうにんこんじょうをだした。それを他人たにんに知られたら、ひきょうな立合たちあいといわれて、徳川家とくがわけの名をけがすことになるが、いまはそんなことを顧慮こりょしていることはできない。

ただ、なんでもかでも、早くかえり着くことにあせった燕作は、やくそくの道をふまず、沢さわをひだりにまわって、八町ちょう参道さんどうへ半分でぬけられる近道をいそぎだした。

「おう、しめた」

五

そこへ抜ぬけてでると、さきにいそいでゆく小文治こぶんじの騎馬きばすがたがすぐ目のまえに見えた。

にわかに元気づいた燕作が、一町ちょう半はんばかり、死身しにみになって踵かかとをけると、こいつどこまで足が達者たっしゃに生まれた男だろう、神馬しんめ草薙くさなぎとほとんど互角ごかくな早さで、長くのびた燕作の首と、泡あわをかんだ馬の顔が、わずか一間けんか二間の差さを、たがいに抜ぬきつ抜ぬかれつして、八町ちょうばかりの坦道たんどうを、見るまに、二町走り三町走り、六町走り、アア、あとわずかと試合場しあいじょうの城戸きどまで、たッた二、三十間けん――。

わッーという声の波なみが、馬と人とを同時に抱だきこんだ。

燕作えんさくは、かけ着ついたというよりも、自分のからだを城戸のなかへほうりこんで、

「遠駆とおがけ一番!」

たおれながら腰こしの矢やを高くさしあげた。

それがさきか、かれが次着じちゃくか、ほとんど燕作のさけびと同時に、馬もろとも、おどりこんだ小文治こぶんじの口からも、同じように、

「一番!」

と絶叫ぜっきょうされた。

すると、すぐに審判しんぱんの床几しょうぎにいた鐘巻一火かねまきいっかの口から、

「巽小文治たつみこぶんじどの、遠駆け一番」

とあきらかな軍配ぐんばいがあがった。

「ちーイッ」

と口をゆがめて歯はぎしりをしたまま、早足の燕作は、腰こしを立てる気力きりょくもなく、なにかわけのわからないことを叫さけびつづけた。

小文治一番――と聞いて色めき立ったのは、かれの朋友ほうゆうたちで、

「それ、このうえは、約束やくそくのとおり一火どのから咲耶子さくやこを申しうけよう」

と、忍剣にんけんをはじめ龍太郎りゅうたろうに蔦之助つたのすけや竹童ちくどうなどが、審判の床几にいる鐘巻一火のところへかけ集あつまってくると、いちじ色をうしなった徳川家とくがわけのほうからも、大久保石見守おおくぼいわみのかみ、菊池半助きくちはんすけ、鼻はなかけ卜斎ぼくさい、和田呂宋兵衛わだるそんべえ。そのほかおびただしい人数ひとかずが、ドッと流れだしてきて、

「検証けんしょうの一火いっかどの、軍配ぐんばいがちがうぞ」

と抗議こうぎをもちこんだ。

一火は公平なたいどで、

「なんで拙者せっしゃの検証がちがうといわれるか」

色をなして突つッ立った。

されば石見守は一火の左の手につかんでいる矢やを指さして、

「それはだれが持ちかえった矢であるか」

「これは小文治こぶんじどの。またこちらは燕作えんさくの持ってきた矢であるが、それがどうかしたといわれるので」

「ちがう。この遠駆とおがけは勝負なしじゃ」

「なぜ?」

「小文治は蔦之助つたのすけの矢やを取ってかえるべきがとうぜん、また燕作は、伝内でんないの矢やを持ちかえらねばならぬはずじゃ。それを双方そうほう心得こころえちがいをして、かくべつべつに取りちがえてきた以上いじょう、この遠駆とおがけ試合じあいは、やりなおしか、互角ごかくとするよりほかはありますまい」

ひきょうな苦情くじょうである。

負けたがゆえに理りのないところへ理をつけた難癖なんくせである。

かりにも、武門ぶもんの塵ちりをはいて行おこなわれた試合しあいのうえに唾棄だきすべききたない心がけだ。

忍剣にんけんや龍太郎りゅうたろうの面上めんじょうには、みるまに、青い怒気どきがのぼった。

その禅杖ぜんじょう、その戒刀かいとうは、いまにも長安ながやすの細首ほそくびへ飛びかかろうとしているふうだったが、かれの周囲しゅういにも、菊池半助きくちはんすけや、呂宋兵衛るそんべえが、眼をくばって護まもっている。

ただ、こまったのは鐘巻一火かねまきいっかである。

かれは双方そうほうの板挟いたばさみとなって、この場合ばあいをどう処置しょちしていいのか、ほとんど、とうわくしてしまった。

それを是ぜとするか非ひとするか、自分の唇くちびるをでる、ただ一句くで、どんな兇刃きょうじんがものの弾はずみで御岳みたけの神前しんぜんを血ちの海としないかぎりもない。

「うーむ。これはどうしたものか」

両方りょうほうのあいだに立って、かれがとうわくの腕うでぐみをかたくむすんだ時、

「いや、しばらく」

一党とうの人々を押おしなだめて、それへでてきたのは遠駆とおがけ試合じあいの当とうの本人である巽小文治たつみこぶんじ。

黒々とひとくせある顔をならべた先せんぽうの者をずッと見まわして、

「――いかに浜松城はままつじょうの武士ぶしども、たとえ、いまの遠駆けを勝敗なしとしたところで、もう咲耶子さくやこはこっちへもらいうけたぞ。人はあざむき得うるとも神はあざむくべからず、疑うたがわしくば首をあつめて、とくとこれを見るがいい」

と、例れいの鳥居とりいの額板がくいたをかれらの目のまえにつきだした。

刑罰けいばつの千年ねん山毛欅ぶな

一

もう、ぜひの議論ぎろんにはおよばない。

すべては「白鳥霊社しらとりれいしゃ」の額板が、雄弁ゆうべんに解決かいけつをつけていた。

それには、りっぱに、蔦之助つたのすけの射いあてた矢やあとがある。かれの寃えんはそそがれた。そして、競射きょうしゃに不当ふとうな勝点しょうてんをうばっていた徳川家とくがわけは、一敗ぱい地にまみれてしまった。

いくら、横車よこぐるまを押おそうとする徳川方とくがわがたの者でも、その証拠しょうこを小文治こぶんじにつきつけられては、二の句くをつぐ者もなかった。

検証役けんしょうやくの鐘巻一火かねまきいっかは、公平こうへいに、最後さいごの断だんをくだして、蔦之助や小文治たちにいった。

「おやくそくであるから、咲耶子さくやこのからだは、おのおのたちへお渡わたしいたすことにする。いざ、こちらへきてください」

さきに立って、自分のたまり場ばである幕まくのほうへみちびこうとすると、いまいましげに睨ねめつけていた大久保石見守おおくぼいわみのかみが、

「まだ疑うたがわしきふしがある。待て、咲耶子さくやこを渡わたすのはしばらく待て」

と、みれんらしくどなった。

蔦之助つたのすけや小文治こぶんじは、ふんぜんと色をなして、

「なに、このうえにも、なにか苦情くじょうがあるというのか」

「おお、第一、あやしいのは額板がくいた。なるほど、白鳥霊社しらとりれいしゃと彫ほってあるにはちがいないが、はたしてこの矢やあとが蔦之助の矢かどうか、それもにわかにたしかとはうけとれない。ことに、まだ大講会だいこうえ第三日の試合しあいも明日あすにのこっていることゆえ、咲耶子の身を処決しょけつするのは、あしたにのばしてもさしつかえあるまい。そのあいだに、いま申した疑問ぎもんの点てんをとうほうでもじゅうぶんに取り調しらべておくから、それまで待てと申すのだ」

いかにも無理むりな、智恵ちえのない、いいぶんだ。

一火いっかは、取るにたらないことばと聞きながして、さっさと引きあげようとしたが、徳川家とくがわけのほうからは一刻こくましに味方みかたがあつまって、わざとことをもつれさせるように、石見守いわみのかみの尾おについて、ごうごうと苦情くじょうの声援せいえんをあげだした。

「不当ふとうだ」

と、一火の肩かたをつく者がある。

「そっちに、やましいところがないならば、なぜ明日まで待てぬというか」

と、雑魚ざこのようにむらがってきて、龍太郎りゅうたろうや蔦之助たちの歩行ほこうをじゃまするやからもある。

これが「血ちをみるなかれ」――刃傷禁断にんじょうきんだんの御岳みたけの神前しんぜんでなければ、こんな雑魚ざこどもに、かってな熱ねつをふかせておくのではないが――と四人もジリジリ思ったろうし、はらはらして、そばにいた竹童ちくどうも、歯はぎしりをかんで、ながめていた。

蛾次郎がじろうも、卜斎ぼくさいのうしろから首をだしていた。

そして、一人にん前まえに徳川家とくがわけの肩かたを持って、

「なんだ、そんなばかな法ほうがあるもンか。やれやれ、やッつけろ」

ケシかけるような弥次やじをとばしたので、卜斎に、ぴしゃりとお出額でこをたたかれて、だまってしまった。

なにしろ、はてしがつかないさわぎだ。

刀のぬけない場所ばしょだけに、いたずらに声ばかり高く、理非りひもめちゃくちゃにののしる声が、一火いっかと龍太郎以下りゅうたろういかの者を取りまいて、身うごきもさせない。

すわ、なにかことこそはじまったぞ! とそれへ加くわえて、上杉家うえすぎけ、北条家ほうじょうけ、前田家まえだけ、伊達家だてけ、そのほかの溜たまり場ばからも数知かずしれない剣士けんしたちがかけあつまってくる。

むろん、鐘巻一火かねまきいっかの門人もんじんたちも、ただは見ていなかった。もし、師しの身にまちがいがあってはと控ひかえ場ばの幕まくを空からにして、こぞって、そこへ飛んできた。

すると。

渡わたせ、渡さぬ、の苦情くじょうが、そこに人渦ひとうずをまいてもめているすきに、石見守いわみのかみの目くばせで、呂宋兵衛るそんべえと菊池半助きくちはんすけのふたりが、ぷいと、どこかへ姿すがたを消けしたことを、だれひとり気づいた者がない。

伊賀者頭いがものがしらの菊池半助きくちはんすけ、あのりすのような挙動きょどうをして、どこへいったのかと思うと、やがてひとり、鐘巻一火かねまきいっかのひかえ場ばのうらへきて、鉄砲てっぽうぶッちがえの幕まくのすきから、なかのようすをのぞいていた。

そとのさわぎに、門人もんじんすべてではらって、幕まくのうちには人影ひとかげもない。

ただ、咲耶子さくやこひとりだけが、柱にもたれて休やすんでいた。

「ウム、いるな」

こううなずくと半助は、幕まくをあげて、いきなりそこへ飛びこんだ。

とたんに、あッ――と洩もれた咲耶子の声が、糸を切ったように、中途ちゅうとからポツンときれて、それっきり、あとはなんの音もしなかった。

二

竹たけで網代あじろにあんだ駕籠かごである。山をとばすには軽かるくってくっきょうな品物。それへ、さいぜん、忍剣にんけんの鉄杖てつじょうで腰骨こしぼねをドンとやられた、蚕婆かいこばばあが乗のっていた。

あの、こうもりのつばさのような、女修道者イルマンの着るくろい服ふくをかぶって、青い顔をして乗っていた。

「婆ばあさん、痛いたいかい?」

のぞきこんだのは燕作えんさくである。

蚕婆は、腰こしをさすって、

「ウーム、痛いたい」

と、顔をしかめた。

「いまに楽らくにしてやるよ、おめえだけさきに浜松はままつへ帰るんだ。ご城下じょうかにかえれば、湯ゆもある医者いしゃもある、なにもそんなに心配しんぱいすることはねえ」

ところへ、ばたばたと足音がしてくる。

葵紋あおいもんの幕まくをあげて、あわただしくかけこんできたのは、菊池半助きくちはんすけであった。

右のこわきに、咲耶子さくやこのからだを引っかかえていた。不意ふいに、当身あてみをうけたのであろう、彼女かのじょは力のない四肢しをグッタリとのばしていた。

「呂宋兵衛るそんべえ、呂宋兵衛」

「お」

もう一挺ちょうの駕籠かごのなかに、和田呂宋兵衛わだるそんべえがかくれていた。ひらりと飛びだして――。

「半助さま、ごくろうでしたな」

「む。いい首尾しゅびだったので、なんの苦くもなくさらってきた」

「お早いのには、呂宋兵衛も舌したを巻まきましたよ。さすがは、伊賀者頭いがものがしらでお扶持ふちをもらっているだけのお値打ねうちはある」

「おだてるな。して、支度したくは」

「このとおり。なん時でも」

「では、一刻こくもはやいがいいぞ。おい燕作えんさく、ちょっと手をかせ」

呂宋兵衛るそんべえが身をぬいた空駕籠からかごのなかへ、咲耶子さくやこのからだを押おしこんで、その、人目ひとめにつく身なりの上へ、蚕婆かいこばばあと同じくろい服ふくをふわりとかぶせた。

「さ、これでいい」

と半助が合図あいずをすると、わらじをむすんでいた駕籠の者が、ばらばらと寄よって二つの駕籠をかつぎあげた。――呂宋兵衛はすぐと、

「おれと菊池きくちさまは、あとから見えがくれについてゆくから燕作えんさく、てめえはなにしろ駕籠について、御岳みたけのうら道をグングンとかけとばし、浜松はままつのご城下じょうかへいそいでゆけ」

と、手をふった。

…………

紛擾ふんじょうをきわめている一方では、徳川方とくがわがたのそんな奸計かんけいを、夢ゆめにも知ろうはずがない。

どっちも引ひかずに争あらそっていたが、審判しんぱんの公平こうへいと、他藩たはんの輿論よろんには勝てない。で、とうとう石見守いわみのかみも我がを折った。ぜひがない、随意ずいいにするがいいと、兜かぶとをぬいだような顔をして、苦情くじょうの紛争ふんそうにけりをつけた。

「見たことか」

と、小文治こぶんじは小きみよく思った。

で、鐘巻一火かねまきいっかの溜たまり場ばへ、凱歌がいかを奏そうしてひきあげてきたはいいが、それほどまで争奪そうだつの焦点しょうてんとなっていた、かんじんな咲耶子その者のすがたが、いつのまにか失うしなわれていた。

門人もんじんたちはおどろいて、

「たったいままで、ここに手当てあてをうけて、しずかによりかかっておられたのに」

と、血ちまなこで四方をさがし歩いたが、かげも形かたちも見えなかった。

一火いっかはもうしわけがないと、龍太郎りゅうたろうや忍剣にんけんたちのまえに両手りょうてをついて謝罪しゃざいした。ふかく責せめれば、腹はらを切ってもわびそうな気色けしきなので、四人はぼうぜんと顔を見あわせたのみで、一火を責せめる気にもなれない。

「計はかったのだ。長安ながやすめの、はかりごとだ!」

と、小文治こぶんじが唇くちびるをかみしめて叫さけぶと、蔦之助つたのすけも、

「そうだ! なんのかのと、時刻ときをうつしてさわがせたのは、このすきをうかがうための徳川方とくがわがたの策さくだったのだ。おそらく咲耶子さくやこの身は、きゃつらに、奪うばい去さられたにそういない」

龍太郎は黙然もくねんとうなだれていたが、

「われわれがあさはかだったのだ。かれらを正ただしい武門ぶもんの人間とかんがえて、試合しあいや争論そうろんに汗あせをながしたのがおろかであった。これまでの力をつくしながら、咲耶子をとられたものならぜひがない、いちおう、ここを退ひいて、またあとの分別ふんべつをつけるとしよう」

そういわなければ、一火の立場たちばがあるまいとさっして、かれが他の三人に目まぜをすると、忍剣はなにもいわずに、鉄杖てつじょうをこわきにかかえて、まえの場所ばしょへかけもどった。

その顔色をチラと見て、龍太郎りゅうたろうは追おいすがりながら、

「忍剣にんけん! きさまは色をかえて、どこへゆこうとするのだ」

息いきぜわしく、袖そでをつかんだ。

ふりはらって、ただ一言ごん、

「はなせ!」

と語気ごきがするどい。

「いや、はなさん。おれははなさん」

「なんで、おれのすることをさまたげるのだ」

「きさまは、その引っかかえている禅杖ぜんじょうで、きょうの鬱憤うっぷんを晴はらそうという気だろう」

「知れたことだ。この晴はれがましい、大講会だいこうえの広前ひろまえで、かたく、約やくをむすんだ試合しあいながら、さまざまに難癖なんくせをつけたあげく、その裏うらをかいて、咲耶子さくやこのすがたを隠かくしてしまうという言語道断ごんごどうだんな行おこないを、だまってこのまま見て引っこめるか。――龍太郎! おぬしは退ひくなら、退くがいい、おれは徳川家とくがわけの蛆虫うじむしめらを、ただ一匹ぴきでも、この御岳みたけから下へおろすことはできない」

かれの額ひたいには、炎ほのおのような青筋あおすじがうねっていた。かつて、忍剣の形相ぎょうそうが、こうまですごくさえたことを、龍太郎も見たことがないくらい。

「こらえろ! こらえてくれ、忍剣! この山の掟おきてを知らぬか、兵法大講会へいほうだいこうえ三日の間あいだは、たとえどんなことがあっても血ちを見るなかれという、きびしい山の禁断きんだんを知らぬかッ」

「ええ、もうその堪忍かんにんはしつくした。これ以上いじょうのこらえはできない」

「だからきさまの短慮たんりょを、伊那丸いなまるさまも民部みんぶどのも、へいぜいから心配しんぱいするのだ。もしものことをしでかしてみろ、きさまばかりではない。友だちのおれたちがこまる。こらえろ、こらえろ。よ! 忍剣にんけん」

「ウーム、こらえたいが、だめだッ。もうだめだッ! はなせそこを」

龍太郎を突つきのけて走りだしたかれの前には、もう、どんな力のものでも、さえぎることができそうもなかった。

三

石見守長安いわみのかみながやすは、やぐらの者に、あわてて貝かいの音ねを高く吹ふかせた。忘れていたが、いつか、とっぷりと日がくれていたのだ。

が、――貝かいの合図あいずを待たずに、群集ぐんしゅうは、あのもめごとのうちに、のこらず山をくだったらしい。

「まず、大講会だいこうえの二日も、これですんだというもの。ウーム、つかれた。これこれ足軽あしがる、篝火かがりを焚たけ夜よるの篝火を」

こういいながら、狩屋建かりやだての奉行小屋ぶぎょうごやへはいると、かれはすぐに平服へいふくに着きかえて、炉ろばたへ床几しょうぎを運はこばせた。

そこへ、菊池半助きくちはんすけと呂宋兵衛るそんべえがチラと顔をみせた。そして、なにかささやいたが、

「ふ……そうか」

と、うなずいた長安ながやすの笑顔えがおを見ると、ふたりはすぐ、影かげをけした。さっきの駕籠かごのあとを追おって夜道をいそいだようすである。

やがて、どッと、にぎやかな笑わらいがそこらではずみだした。奉行小屋ぶぎょうごやと棟むねつづきの目付小屋めつけごやでも、詰侍つめざむらいのかり屋やでも足軽あしがるの溜たまりでも、また浜松城はままつじょうのもののいる幕まくのうちでも。

長安の奇計きけいが、ひそかに、耳から耳へ伝つたえられて、どッと、はやしたものだろう。あっちでもこっちでも、ドカドカと篝火かがりをもやして、急きゅうに、徳川方とくがわがたの空気が陽気ようきになりだした。

が――しかし。

そう見えたのもつかの間まで、とつぜん、奉行小屋ぶぎょうごやの柱はしらが、すさまじい音をして折れたかと思うと、血ちか、肉にくか、白木しらきの羽目板はめいたへまッ赤かなものが、牡丹ぼたんのように飛びちった。

「狼藉者ろうぜきものッ」

という声が、そこで聞えた。

一瞬しゅんのうちに、おそろしいこんらんの幕まくがあいた。逃にげる、わめく、得物えものをとる。そして、同志討どうしうちが随所ずいしょにはじまる。

修羅しゅらだ。たちまち、あたりは血ちの瓶かめを割わったようだ。

立ちふさがる侍さむらいや足軽あしがるを、二振ふたふり三振り鉄杖てつじょうでたたき伏ふせて、加賀見忍剣かがみにんけんは夜叉やしゃのように、奉行小屋ぶぎょうごやの奥おくへおどりこんでいった。

生なまはんかな得物えものをとって、それを食い止とめようとする業わざは、かえって、かれの鉄杖てつじょうに、勢いきおいを加くわえるようなものだった。そして、そのまえに立ったものは、みんな血ちヘドを吐はくか、手足の骨ほねをくじいて、まんぞくに逃にげきることはできなかった。

「なに、なに? なにが起ったのだ」

石見守いわみのかみは、はじめ、その物音を足軽部屋あしがるべやのいさかいかなにかと心得こころえたものらしかったが、そこへ、

「忍剣がッ。忍剣があばれこんできたッ」

血ちに染そまった武士ぶしたちが、なだれを打ってころげこんできたので、そばにいた四、五人の家臣かしんと一しょに、

「さては」

と、にわかに度どをうしなってしまった。

だが、かれとしては、張はらざるを得えない虚勢きょせいをはって、

「ええ、多寡たかの知れた乞食坊主こじきぼうずのひとりぐらいに、この狼狽ろうばいはなにごとだ、取りかこんで、からめ捕とってしまえッ」

と、叱咤しったした。

しかし――そのことばと一しょに、目のまえの炉ろのなかへ、ひとりの試合役人しあいやくにんが逆さかとんぼを打って灰神楽はいかぐらをあげたのを見ると、かれはけつまずきそうになって、狩屋建かりやだての小屋の裏うらへ逃にげだしていた。

「待てッ、長安ながやす」

放はなたれた豹ひょうのごとく、その姿すがたを目がけて、忍剣にんけんの跳躯ちょうくがパッとうしろを追おう。

「あッ」

と、かれがひきょうな声をうわずらしたせつな、狩屋建の板戸いたどや廂ひさしが木こッぱになって、メキメキと飛びちった。

「ウーム、徳川家とくがわけの衆しゅう、浜松はままつの衆、出合であえッ、出合えッ、狼藉者ろうぜきものだ、狼藉だ」

見栄みえもなく、むちゅうでさけびながら、幕まくのすそをくぐッて浜松城はままつじょうの剣士けんしたちがいる溜たまり場ばへ四つンばいに逃にげこんだ。

朱槍しゅやり、黒槍くろやり、樫かしみがきの槍、とたんに、幕まくをはらって忍剣をつつんだ。

「売僧まいすッ、御岳みたけ三日の掟おきてを知らぬか」

「だまれ、武門ぶもんの誓約せいやくさえふみにじる非武士ひぶしどもに、御岳の神約しんやくを口にする資格しかくはない」

言下げんかに鉄杖てつじょうを見まっていった。

霜しもとならべて、つきかかる槍やりも、乱離らんりとなって折れとんだ。葵紋あおいもんの幔幕まんまくへ、霧きりのような、血汐ちしおを吹ふッかけて、見るまに、いくつかの死骸しがいが虚空こくうをつかむ。

いかれる獅子ししのまえにはなにものの阻害そがいもない。忍剣はいま、さながら羅刹らせつだ、夜叉やしゃだ、奸譎かんけつな非武士ひぶしの卑劣ひれつを忿怒ふんぬする天魔神てんましんのすがただ。

ふだんは、無口むくちのほうで、伊那丸いなまるにたいしては柔順じゅうじゅんであり、友情にもろい男であり、小事しょうじにこだわらず、その、鉄杖てつじょうに殺風さっぷうを呼よぶことも滅多めったにしない男であるが、いったん、そのまなじりを紅べにに裂さいたときには、百槍そう千甲こうの敵てきも食くいとめることができないし、かれの友だちでも、手がつけられない忍剣にんけんだった。

その忍剣が、堪忍かんにんをやぶって、鉄杖と鉄腕てつわんのつづくかぎり、あばれまわるのであるから、ほッたて小屋どうような狩屋建かりやだては片っぱしからぶちこわされ、召捕めしとろうとする、新手あらても新手も、猛猪もうちょに蹴けちらされる木この葉はのように四離りし、散滅さんめつして、手負ておいの数かずをふやすばかり。

このさわぎとともに、徳川家以外とくがわけいがいの溜たまり場ばのものは、かれらの横暴おうぼうをひそかに不快ふかいに思っていたので、みな見て見ぬふりして山をおりてしまった。

で、手にあました浜松城はままつじょうの武士ぶしや、石見守いわみのかみから訴うったえたものであろう、御岳神社みたけじんじゃの衛士えじたちが数十人、ご神縄しんじょうと称しょうする注連縄しめなわを手にもって、

「ひかえろ! ひかえろ! ひかえろ!」

と叫さけびながら、松明たいまつをふって、石段いしだんの上からさっとうした。

これを、神縛しんばくの討手うってという。

神のお縄なわをあずかって、神庭しんていの狼藉者ろうぜきものを捕縛ほばくする使いである。理非りひはともあれ、御岳みたけの掟おきて「血ちを見るなかれ」の誓ちかいをやぶった忍剣にたいして、とうぜん、そのご神縄しんじょうがくだったのである。

四

「ああ、しまった!」

龍太郎りゅうたろうをはじめ、蔦之助つたのすけや小文治こぶんじや、そして竹童ちくどうたちは、忍剣にんけんが堪忍かんにんをやぶって力にうったえたのをむりとは思わないが、こまったことになったと、嘆声たんせいをあげていた。

すでに、かれが忍従にんじゅうの鎖くさりをきって走った以上いじょう、それを止とめることもできないし、かれに加勢かせいすることもできない。

拱手きょうしゅして傍観ぼうかんする? それも、友情としてしのびないではないか。

「どうしたものだろう」

龍太郎は、自分の難儀なんぎよりもとうわくした。

だが――その人たちよりも、もっと驚おどろいたのは、群集ぐんしゅうの去さったあとで、矢来やらいのそとにあんじてながめていた、小幡民部こばたみんぶである、武田伊那丸たけだいなまるである。

アア、ついに大事をひきおこした――。

ふたりの面おもてには、うれいがみちていた。

もし、こういうことでもあってはと、一党とうの者が矢来やらいのうちへ足を踏ふみいれることをかたくいましめていたのに――といまさらの悔くいも追おいつかない。

「民部、民部」

ものにさわがない伊那丸いなまるが、とつぜん、矢来やらいをやぶって、かけだしながら、

「はやくこい、捨すててはおけまいぞ」

と、龍太郎りゅうたろうたちのとうわくしているそばへきた。

「オオ、若君わかぎみ」

「忍剣にんけんの身の一大事じゃ」

「われわれのふつつか、おわびの申もうしあげようもございませぬ」

「そんなことは、いまさら、申すにはおよばない。なにせい、忍剣の身を」

「は、はい。……しかし、若わかさままでが、ここに姿すがたをおだしになっては、どんな禍わざわいがふりかかるかも知れませぬから、どうか、民部みんぶどのは若君わかぎみのお供ともをして、ここを、お立退たちのきくださいまし、あとの儀ぎは、われわれたちで、どうなりと処置しょちしてまいります」

一同が、おそるおそるいうことばへ、伊那丸は、強くかぶりをふって、

「かれの安危あんきがわからぬうちに、自分ばかり退のくことはできない。オオ!」

伊那丸が、オオといった声につれて、かなたに、ワーッという鬨ときの声がどよめいた。ふりかえると、その時だった。

殺到さっとうした、御岳みたけの衛士えじ数十人が、手に手に、ご神縄しんじょうと松明たいまつをもち、

「しずまれ! しずまれ!」

「神使しんしであるぞ。ご神縛しんばくの使いであるぞ」

「ひかえろッ」

「しずまれ!」

と叫さけびながら、血ちまみれの人渦ひとうずのなかへ、まっ白な列れつを雪ゆきのように散ちらかしていった。

「あッ、あれは? ――」

「御岳みたけのご神縛しんばくです――ご神縛がくだったのです」

「ぜひがないこととなった。したが、忍剣にんけんを他人手ひとでに召めし捕とられるのは、なんともざんねん。かれとしても本意ほんいであるまい。民部みんぶ、民部」

「はッ」

「わしに代かわって、おまえが御神縄ごしんじょうをうけて忍剣を、捕とりおさえてこい」

泣いて馬謖ばしょくをきる伊那丸いなまるの心とよめたので、

「はッ、かしこまりました」

と、小幡民部こばたみんぶは、涙なみだをふるッて、かけだした。

そして、群鷺ぐんろのごとくそこへ襲よせていた衛士えじたちを割わッていって、

「あいや、御岳みたけの舎人とねりたちに申しあげる。狼藉者ろうぜきものは手まえの友人ゆえ、この方ほうにて取りおさえますから、しばらくの間、そのご神縄を拝借はいしゃくいたします」

と叫さけんで、ひとりの衛士えじの縄なわをかりて修羅王しゅらおうのように暴あばれている加賀見忍剣かがみにんけんの前へつかつかと寄よっていった。

常つねには、一飯ぱん一衣いを分けあって起き伏ふしする友であるが、いまは、御岳の神縄をかりて捕りおさえにきた小幡民部。

その縄なわを右手につかんで、

「忍剣にんけん」

としずかに呼よびかけた。

五

忍剣は、ハッとしたようすで、

「おう、民部みんぶどのか」

と、炎ほのおのような息いきをついた。

「伊那丸君いなまるぎみのおいいつけを受けて、若君わかぎみの代かわりとしてまいった小幡民部こばたみんぶだ。神の掟おきてをやぶった科者とがもの、すみやかにご神縛しんばくにつけいッ」

言下げんかに、ガランと地を掘ほって、かれの足もとへ血ちみどろの鉄杖てつじょうが投げだされた。

そして忍剣は、すなおに、うしろへ手をまわして、

「民部どの、ご心配しんぱいをかけました。いざ……」

と、大地へ坐すわりこんだ。

注連しめのついた荒縄あらなわがギリギリとかれの腕うでへまわされた。民部はこのあいだに、なにか、いってやりたかったけれど、胸むねがいっぱいで、かれにあたえることばを知らなかった。

忍剣のからだは縄つきのまま、民部の手から、御岳みたけの神官しんかんにわたされた。

それを見ると、逃にげまわっていた徳川家とくがわけの者たちが、また蠅はえのように集あつまって神官しんかんを取りまき、忍剣をわたせ、殺傷さっしょうの罪人ざいにんを徳川へわたせと喧騒けんそうした。

神官は、だんじて、それをこばんで、

「科人とがにんはご神刑しんけいにかけます。ご領地りょうちのできごとなら知らぬこと、ご神縛しんばくの科人は当山とうざんのならいによって罰ばっします」

そして、一同に退去たいきょを命めいじた。

血ちをながした以上いじょう、大講会だいこうえの中止ちゅうしはやむをえないことだが、徳川家の武士ぶしや石見守いわみのかみの家来けらいたちは、まだ騒然そうぜんとむれて、そこを去さらなかった。

神官はまた、法ほうによって、伊那丸いなまるや民部や、龍太郎りゅうたろうやすべて、忍剣と道づれである者を六人とも、垢離堂こりどうに拉らっして、謹慎きんしんすべきように命めいじた。これも、掟おきてとあればいなむことができない。――およそ、戦国の世よには、神ほど尊敬そんけいされたものはなく、神の力、神の法ほど、うごかすことのできないものと、信しんじられたものはなかった。どんな合戦かっせんも、一枚まいの、熊野権現くまのごんげんの誓紙せいしで、矛ほこを収おさめることができた。神をなかだちにして誓ちかえば、大坂城おおさかじょうの濠ほりさえうずめた。

町人ちょうにんですら、神文血判しんもんけっぱんは、命以上いのちいじょうのものだった。

まして、武門ぶもんの人は、ぜったいに、神に服ふくし、敬神けいしんを心としていた。

連累れんるいのものとして、伊那丸たちが、垢離堂に監禁かんきんされたのを見ると、さすが、がやがやさわいでいた徳川家の侍さむらいたちも、いくぶんか気がすんだと見えて、死骸しがいをかたづけ、血汐ちしおに砂すなをまき、大講会だいこうえにつかった屋舎おくしゃをこわして、夜の明けがたに、ひとり、のこらず、御岳みたけの山からおりてしまった。

不首尾ふしゅびながら、翌日よくじつは、大久保長安おおくぼながやすはふもとの町から甲府こうふへかえる行列ぎょうれつを仕立したてた。

ところが、そのとちゅうで――。

なにか、長安から耳打みみうちをされた鼻はなかけ卜斎ぼくさいが、ある宿場しゅくばで行列ぎょうれつがやすんだ時、

「お、ちょいとこっちへきな」

と、蛾次郎がじろうをものかげへ手招てまねきした。

いつになく、たいそうやさしく手招きされたので、蛾次郎はすぐうれしくなってしまった。

「なんですか、親方おやかた」

「まあ、こッちへおいで」

「もっと歩あるくんですか」

「ウム、殿とのさまの駕籠かごがご休息きゅうそくになっているうちに、なにか食たべたいものでも食くわせてやろうと思ってさ」

「へ、へ、へ、へ、すみませんね、親方」

「なにがいいな?」

「どんなうまいものがあるか、ずッと、この宿場しゅくばを見てあるきましょうか」

「そんなに手間てまをとっちゃいられないよ。おれは、石見守いわみのかみさまの駕籠がたつと、一しょに、甲府こうふの躑躅つつじヶ崎さきへ帰らなけりゃならない」

「じゃ、あそこにしましょう。あそこの家うちの……」

と、指ゆびさした。

餅もちや団子だんごや強飯こわめしがならんでいる。

そこへはいって、奥おくのひくい板いたの間まへ腰こしかけた。

「いくらでもおあがりよ。腹はらの虫が承知しょうちするほど」

ことわるまでもないこと、むろん、蛾次郎がじろうもその気でパクついている。

六

ほどのいいところを見はからって、卜斎ぼくさいが、

「時にな、蛾次公」

と、声をひそめた。

蛾次郎はグビリと頬張ほおばっていたあんころをのみくだして、

「へ?」

と、ほかにも用ようがあるのかというような顔をした。

「おまえはたしか、石投いしなげの名人だったな。ほかのことにかけては、ドジでも、つぶてを打たすと、すばらしく上手じょうずだった」

「親方あ――」と、蛾次郎は、卜斎の顔をゆびさして笑わらいながら、

「いまごろになって、あんなことをいってら。裾野すそのにいたじぶん釜無川かまなしがわの下で、毎日おいらが捕とってきて親方おやかたに食たべさせた、あの鮠はやだの岩魚いわなだのは、みんな、石でピューッとやって捕ったんですぜ。ねエ、親方、河原かわらの小石をこう持つでしょう、こう指ゆびのあいだにはさんでネ、魚のやつが、白い腹はらをチラリと見せたところをねらって、スポーンと食くらわしてやるんです。どんな速はやい魚さかなだって蛾次がじさんの石からそれたことはありませんよ。こんど親方にもその秘伝ひでんを教えてやろうか。ところが、どうして、その石の持ち方が、あれでもなかなかむずかしいんでね、だから、だれだかいいましたよ、蛾次は石投げの天才てんさいだってね」

「もういい、もういい」

と、卜斎ぼくさいは手をふって、

「わかったよ、わかったよ。まったくおまえは石投げの天才だ」

「はい、天才だそうでございます」

「だからたぶん、飛道具とびどうぐを持たせたら、きっと巧者こうしゃだろうと思うんだが……」

「なんにかけたって、下手へたなものはありませんよ。ところで親方、塩ッぱいほうのお団子だんごを、もう一皿ひとさらもらってようございますか」

「ああいいよ。たくさんお食たべ。……じゃおまえ、こういうものを使えるかい」

「へ、なにをで」

「これさ……」

と卜斎ぼくさいが、羽織はおりの裏うらから種子島たねがしまの短銃たんじゅうをだした。

「親方おやかた、鉄砲てっぽうでしょう、それは」

「ウン、スペインわたりの短筒たんづつだ。どうだ欲しくないか」

「だって、くれやしないでしょう」

「おまえにやらないこともないさ。まだこのほかに、殿とのさまからくだされものもたくさんある」

「わたしにですか」

と、蛾次郎がじろうは目をパチパチさせて、急きゅうに膝ひざッこの前をあわせた。

「おまえもはや十六歳さい、たしか、そうだろう。もうここ二、三年で元服げんぷくをしてさ、一人にん前まえの鍛冶かじなり、一人前の侍さむらいなりになる心がけをしなくってはいけない。それには、なにかいい機会きかいをつかまえて、その機きをのがさず手がらをあらわすことがかんじんだ」

「はい、あらわします」

「それも、うわの空ではだめだ、目がけたことに向かったら、命いのちをすててかかる気ごみでなければだめだよ」

「だって親方おやかた、やる仕事がないんだもの」

「あるさ、おれはおまえを見こんで、その大功たいこうをあらわす仕事をひきうけてきたんだ。おまえというものを、石見守いわみのかみさまにみとめさせようと思ってな。どうだ、どうだ蛾次、奮発ふんぱつして一つやってみるか。だけれど、イヤならむりとはいわないよ、ほかに、望のぞみ手はたくさんあるし、それに、この鉄砲てっぽうで、ドンと一発ぱつやればそれでいい仕事なんだから……」

なにをいいふくめられたか、蛾次郎がじろうは、卜斎ぼくさいから、銀鋲ぎんびょうのスペイン短銃たんじゅうと一両りょうほどの金子きんすをもらって、すっかり仕事をのみこんでしまった。

「いいか、いまもいったとおり、石見守いわみのかみさまのおいいつけなのだ。大久保家おおくぼけの侍衆さむらいしゅうでは、もし、見つかった時にぐあいがわるい。で、おまえなら、なあに、どこの小僧こぞうがいたずらをしたかですむ。それに、二十一日のあいだにやりさえすればいいんだから、立派りっぱに一つうち止とめてこい。もし、なまけぐせをだしおって、やり損そんじなどした時には、それこそ、この卜斎より石見守さまがその細首ほそくびをつけてはおくまいぞ」

すこしあとの文句もんくがすごいな――と蛾次郎は思ったが、卜斎はそういいのこすと、かれをおきのこしてそこをかけだし、石見守の行列ぎょうれつへついていった。

「なんだ、ぞうさはねえや」

蛾次郎は、短銃をふところへしまいこんだ。なかで、なにかカチャリといったので、さぐってみると肌身はだみはなさない秘蔵ひぞうの水独楽みずごまだ。

「じゃまだな」

と、また短銃をだして、手拭てぬぐいにクルクルとくるんだ。そいつを、ボロ鞘ざやの刀と一しょに腰こしへさして、大小だいしょうを差さしたように気取きどりながら、

「オイ、亭主おやじさん、おつりをくんな」

と、もらったばかりの銀銭ぎんせんを餅屋もちやの台だいへほうりだした。

そのつり銭せんを巾着きんちゃくにいれて、そとへ飛びだそうとすると出合であいがしらに、カアーンという鉦かねの音ねが不意ふいに鳴ったので、

「あ。びッくりした」

と、よこを見た。

七、八軒けんさきの横町よこちょうから、地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内きくむらくないが、れいの地蔵尊じぞうそんの笈摺おいずるを背負せおって、こっちへ向かってくるのが見える。

「こいつはいけねえや、竹生島ちくぶしまのおやじに会あうと、またなにか、小やかましいお説教せっきょうを聞かされるにちがいない」

こうつぶやいて、かれが、横を向きながら、ぷいと向こうへそれようとすると、おなじ宿場しゅくばの軒のきをながしていた坂東巡礼ばんどうじゅんれいの三十七、八ぐらいな女――わが子をたずねて坂東めぐりをして歩あるくお時ときという女房にょうぼうが、

「あッ。あの子! あの子!」

と、目をすえて、よってきた。

いつか、月ノ宮の鳥居とりいの下で見たこともあるが、蛾次郎がじろうは、ただの物貰ものもらいとしか思わないので、いまの餅屋のおつりのうちから鐚銭びたせんを一枚なげて、

「ほれ、やるよ」

と、あとも見ずに、あなたの小道こみちへ、すたこらとかけだしてしまった。

七

いつのまにか、竹童ちくどうのすがたが見えなくなった。

伊那丸以下いなまるいかのひとびとは、あのそうどうのあった晩ばんから、御岳みたけの一舎しゃに謹慎きんしんして、神前しんぜんをけがした罪つみを謝しゃすために、かわるがわる垢離堂こりどうの前で水垢離みずごりをとった。

それまでのあいだに、竹童の姿すがたが洩もれている。

「どこへいったろう? もしや、徳川家とくがわけの者に、捕とらわれていったのではないか」

一同が、ひそかに心配しんぱいしていると、翌朝よくあさのこと、垢離堂の石井戸いしいどのそばに、竹にはさんだ紙片かみきれが立っていた。

マタ鷲ワシヲサガシニマイリマス。クロハワタシヲコイシガッテイマス。ワタシモクロガコイシクテナリマセン。

民部ミンブサマカラ若君ワカギミヘ申シアゲテクダサイマシ。ワガママナコトデス。

置手紙おきてがみには、竹童の文字もじで、こう書いてあった。

「かれのことだ。それならあんじることはない」

むしろ、一党とうの人は、それで愁眉しゅうびをひらいていた。しかし、愁眉のひらかれぬ気がかりは、ご神罰しんばつに刑けいせられている忍剣にんけんの身の上――。

轟々ごうごうと空に風の鳴る夜、シトシトと肌はださむい小雨こさめが杉山すぎやまに降おりてくる朝、だれもがきっとかれの身を考えた。

「ああ、どうしているだろう、忍剣にんけんは」――と。

だが、いくらどうあんじたところで、ここ二十一日間は、そのようすを見ることもできない。また、かれをすくう方法ほうほうもぜったいにない。

忍剣はいま、神刑しんけいに梟かけられているのだ。

二十一日間のおそろしい神刑。

そこは、御岳みたけの神殿しんでんから、まだ二里り半はんもある深山みやまの絶顛ぜってんに近いところ。

山は冠かむりヶ岳たけとよぶ。

急峻きゅうしゅんで、大樹たいじゅと岩層がんそうが、天工てんこうの奇きをきわめているから、岳中がくちゅう自然しぜんと瀑布ばくふや渓流けいりゅうがおおい。あるところは、右にも滝たき、左にも滝、そして、渓流の瀞とろに朽くちたおれている腐木ふぼくの上を、貂てんや、むささびや、りすなどが、山葡萄やまぶどうをあらそっているのを昼ひるでも見る。

御岳の神領しんりょうであるから、斧おのをいれる杣そまもなかった。そこに、ご神刑の千年ねん山毛欅ぶなとよぶ大木たいぼくがあった。

おそろしく太い山毛欅だ。幾抱いくかかえあるかわからないような老木ろうぼくだ。まるで、青羅紗あおラシャの服ふくでもきているように、一面に厚あつぼったい苔こけがついていた。

どこまで高いかとあおむいてみると、四方の樹林じゅりんをつきぬいて、奇怪きかいな枝えだをはっている。白い霧きりがきたときは、その木の半分以上はんぶんいじょうは、まさに雲表うんぴょうに立っている。

「血ちをみるなかれ」の誓文せいもんをやぶった科とがで、加賀見忍剣かがみにんけんはその神刑しんけいの山毛欅ぶなの高い上にしばられていた。

足はわずかに木のこぶにささえ、からだは注連縄しめなわで巻まかれたまま、礫はりつけのように木の幹みきへしばりつけられた。目はもちろん、白い布ぬので、かくされていてかえってよいかも知れなかった。十数丈すうじょうの樹上じゅじょうから目をひらけば、甲斐かい、秩父ちちぶ、上毛じょうもうの平野へいや、関かん八州しゅう、雲の上から見る気がして、目がくらむかもわからない。

が、忍剣である。快川和尚かいせんおしょうの三十棒ぼうで鍛きたえあげられたかれである。目をひらけば、絶景ぜっけい! と叫さけぶだろう。それくらいな胆気たんきはある、きっと、それくらいな胆きもはすわっている。

しかし、いくら大胆だいたんな忍剣でも、この深岳しんがくの霧きりにふかれて、二十一日間も飲まず食くわずで、そのままそうしておられるであろうか。心は禅ぜんに入いって、耐たえるとしても、人間の肉体にくたいがもつだろうか。

大雨おおあめがふる日もある。暴風ぼうふうが幹みきをゆすぶる晩ばんもある。雷鳴らいめいや雷気らいきが山を裂さくような場合ばあいもあるにちがいない。

ことに寒さむい! まだ麓ふもとのもみじは浅あさいが、このへんの冷気れいきは、身にしみるほどではないか。

また、その山毛欅が枝をはっている下をのぞくと、気のちぢむような断崖だんがいだ。幅はばはせまいが、嵐弦らんげんの滝たきとよぶ百尺しゃくほどの水がドウッと落下らっかしている。もし、二十一日の間に、風雨ふううにあって、山毛欅ぶなの枝がおれたらどうだろう。かれのからだをささえている縄なわがすり切れたらどうなるだろう。

そうだ、すべてのことが、忍剣にんけんの生命せいめいを、髪かみの毛一すじで持たしてあるのだ。それが神刑しんけいなのだ。

まんがいち、二十一日目に神官しんかんがきてみて、細ほそい息いきでもかよっていれば、神に謝罪しゃざいがかなったものとして、罪つみをゆるされて手当てあてをする、しかしここ四、五十年のあいだに、ご神木しんぼくの山毛欅に梟かけられたもので、助かった者はないということだ。

――すると、三日、四日、五日とすぎて、ちょうど八日目のこと。

千年ねん山毛欅ぶなの枝えだから枝を、ひらり、ひらり、ひらり、とよじのぼっていったものがある。

見るまに、十数丈すうじょうのたかい樹上じゅじょうにのぼった。そして、忍剣のそばの枝に取ッついた。

おかしいことには、なにか、忍剣の耳へはなしかけているふうに見える。だが、それは一匹ぴきの猿さるなのである。猿が話しかけるのはすこしへんだ。忍剣には、あの三太郎猿さんたろうざるにも知己ちきがないはずであった。

八

目隠めかくしをされているので、忍剣はそばへきた者を見ることができない。

それをからかいにきた山猿やまざるか? 山猿のいたずらか? いやそうでもない、やはり、猿さるが忍剣にんけんにささやくのであった。

「忍剣さま、さだめし、おひもじいことでしょう。早くこようと思いましたが、この山には道がありません。一つの小道こみちには神官しんかんの見張小屋みはりごやが建たっています、それでおそくなりました。なにしろ二十一日間、ものを食たべないでは夜の寒気かんきや雨の日に耐たえきれません。さ、これを食べてください、よくかんでのんでください、あとで水を持ってまいりますから」

忍剣の口へ、ふしぎな味あじのするものを入れた――木の実みでもない、穀物こくもつでもない、菓子かしでもない、餅もちでもない。

しかし、その味あじのいいことは、なんともいえないほどだ。忍剣は、まだかつて、こんな味のいいものを食たべたことがなかった。

「おまえはだれだ」

「いまにわかります」

「でも」

「不安ふあんなものではありませんから」

「いまのはなんだ」

「なんということもありません。この山に生はえている、葡萄ぶどう、苔桃こけもも、若老わかおい、しゃくなげの芽め、それに栗くりだの柿かきだの、仙人草せんにんそうの根ねだの、いろんなものをすこしの焼米やきごめと搗つき交まぜたのでございます。一日に、これ一つ食たべれば、体からだも、あたたかく、けっして、飢うえるようなことはありません」

「危険きけんをおかして、どうしておまえは、そんなものをわしに運はこんでくれるのか」

こうきいた時には、もう下へ降おりていた。忍剣にんけんには、それが見えない。

翌日よくじつ、小雨こさめが降ふった。

なにか木この葉はでつくった蓑みののようなものが、彼のからだに着きせられた。その時から、忍剣がなにをきいても、猿さるは返辞へんじをしなかった。

そして、おなじ味あじの食物たべものが、毎朝、一片ひときれずつ木の上へはこばれてゆくこともかわらなかった。

昨日きのうも今日も、山は天気つづきである。

空の青さといッたらない。樹林じゅりんの梢こずえをすいて見える清澄せいちょうな秋の空の青さ――

うつくしい朝陽あさひの光線こうせんが、ほそい梢から、木の根ねの苔こけから、滝壺たきつぼの底そこの水の底まで少しずつゆきわたっている。鵯ひよ、文鳥ぶんちょう、駒鳥こまどり、遊仙鳥ゆうせんちょう、そんな小禽ことりが、紅葉もみじを蹴けちらして歌いあった。朝きげんのいい栗鼠りす、はしゃぎ者のむささび、雨ぎらいの貂てん、などが尻しッ尾ぽを振ふりながら餌えさをあさりに出だした。そこらに山葡萄やまぶどうは腐くさるほどなっている。栗くりの実みはいたるところに割われている。プーンと醗酵はっこうしている花梨かりんの実み、熟うれた柿かきは岩のあいだに落ちて、あまい酒さけになっている。鳥も吸すえ、栗鼠りすものめ、蜂はちもはこべと――。

今朝けさのここは楽園らくえんだ。

神木しんぼくの上に梟かけられている忍剣をのぞいては、すべての生物いきものに、天国そのままな秋の朝だ。

ところへ――。

無心むしんな禽獣きんじゅうをおどろかす人間の口笛くちぶえが、下のほうからきこえてきた。

これも、ほがらかな秋を謳歌おうかする人間か、きいていても筋肉きんにくがピクピクしてきそうな口笛だ。健康けんこうな両足りょうあしで、軽快けいかいな歩調ほちょうで、やってくるのがわかるような口笛だ。

「ああ、ずいぶん登のぼらせやがるな。まだかい! ご神刑しんけいの山毛欅ぶなッていうのは」

だれもいないと思って、思うさま太でッかい声でひとりごとをいった。――それは、泣き虫の蛾次郎がじろうだった。

九

喉のどがかわいているとみえて、蛾次郎はそこで一息ひといきつくと、岩層がんそうのあいだから滴々てきてきと落ちている清水しみずへ顔をさかさまにして、口をあいた。

「オオ、つめたい!」

袖そでで口を横にふいて、また数十歩ぽのぼりだした。

すると、かれのまえに、裾野すそのの樹海じゅかいでも見たこともないような、山毛欅の喬木きょうぼくが天を魔まして立っていた。蛾次郎はそう思った。まるでばけものみたいな大きな木だなアと。

「おや?」

見ると、その千年ねん山毛欅ぶなの根ねッこに、石橋山いしばしやまで頼朝よりともが身をかくしたような洞穴うつろがある。そのまッ暗くらな洞穴のなかで、なにか、コトリと音がした。コトコトとかすかにきこえたものがあった。

「啄木鳥きつつきかしら? それとも、狐きつねかな?」

足をすくめて考えた。が――音はそれっきり止やんでしまった。

しかし、そこでなにげなく、ヒョイと樹上じゅじょうを見あげたせつなに、かれは目の玉をグルグルとさせて、

「ウーム、これだ、これだ! この樹きにちげエねえ」

と、うなってしまった。

数歩すうほ、うしろへとびのいて、帯おびのあいだに差さしこんできた銀鋲ぎんびょうの短銃たんじゅうを右手めてにつかんだ。

「はアん……おるわエ」

手をかざして樹上をあおぐと、たしかに、神刑しんけいにかかっている忍剣にんけんのすがたが小さく目にとまった。

そこで蛾次郎がじろうは、大久保長安おおくぼながやすから卜斎ぼくさいにつたえられた秘命ひめいを思いだして、うなずいた。

「親方おやかたがいったのはこいつだな、これを撃うちとめてこいといういいつけか。なアんだ、こんなものなら朝飯あさめしまえにただ一発ぱつだ。それで、おいらの出世しゅっせとなりゃ、ありがた山のほととぎすさ」

火縄ひなわの支度したくをしはじめた。

「できたぞ」

岩のかげへ身をくっして片足かたあしをおって、短銃たんじゅうの筒先つつさきをキッとかまえた。

じッと、ねらいをつける……忍剣にんけんのすがたへ。

忍剣は身の危険きけんを知るよしもなかった。おそらくかれは、故快川和尚こかいせんおしょうの最期さいごのことば――心頭しんとうを滅却めっきゃくすれば火もまた涼すずし――の禅機ぜんきをあじわって、二十一日の刑けいをけっして長いとも思っておるまい。

ねらいは定まッた。

火縄ひなわの火がチリチリと散ったせつなに、蛾次郎がじろうの指ゆびさきは、すでに、短銃たんじゅうの引金ひきがねを引こうとした。

とたんだった。

「わッ」

と、蛾次は短銃たんじゅうをおッぽりだして、自分の顔をおさえてしまった。そして、ベッ……と顔をしかめながら突つッ立った。

なにやら、甘酸あまずッぱいものが、かれの顔じゅうにコビリついて、ふいてもふいてもしまつがつかない。

――どこから飛んできたものだろうか、熟柿じゅくしのすえたのが、顔の真まン中で、グシャッとつぶれた。

柿かきの目つぶし!

「ちくしょう、猿さるのいたずらだな」

と蛾次郎がじろうは、いまいましく思ったが、まごまごしていると火縄ひなわの火がきえる。

かれは、またあわてて短銃たんじゅうを取りなおした。

そして、

「こんどこそは!」

と、立ちがまえにねらいをすまして、ズドンと火ぶたを切ってはなそうとしたが、その一せつな、山毛欅ぶなの洞穴うつろから跳とびだしたひとりの怪人かいじんが、電火でんかのごときすばやさで、かれの胸板むないたを敢然かんぜんとついてきた。

不意ふいをくッて、

「あッ――」

と、よろめいた蛾次は、むちゅうで、相手のえりがみをつかむ。

かれの手がつかんだのは、やわらかい獣けものの毛だった。怪人は猿さるの毛皮けがわをかぶっていた。

「てめえだな、いまのしわざはッ」

かれは、短銃を逆手さかてにして、三つ四つ、毛皮の上からなぐりつけた。

相手はビクとも感じない。グングンと自分の喉のどをしめつけてきた。蛾次は内心ないしん、こいつは強いぞとおどろいた。

「この野郎やろう、うっかりしちゃあいられるもンか」

猛然もうぜんと勇ゆうを鼓こして、じゃまになる喉のどの腕うでをふりほどいた。

ピシャリと、敵てきの平手ひらてが、すぐに蛾次郎がじろうの頬ほっペタを張はりつけたが、蛾次もまた、足をあげてさきの脛すねを蹴けとばした。

精せいいッぱいな弾力だんりょくを交換こうかんして、ふたりはうしろへよろけあった。

そのはずみに、相手のかぶっていた獣けものの皮かわが、勢いきおいよく、蛾次郎の手に引きはがれたので、

「あッ、てめえかッ」

と、かれははじめて、相手の全姿ぜんしをみてぎょうてんした。

菊亭家きくていけの密使みっし

一

「やッ。てめえは、竹童ちくどうだな」

と、蛾次郎はひるみをもった声でさけんだ。

かれが、こうぎょうてんしたせつなに、猿さるの毛皮けがわであたまから身をかくしていた鞍馬くらまの竹童は、

「オオ」

と、その全姿ぜんしをあらわすとともに、とびついて、蛾次郎がじろうの手にある短銃たんじゅうをもぎとろうとした。

いったん、よろけ合った二つのからだは、闘鶏師とうけいしにケシかけられた猛禽もうきんのように、また、肩かたと肩を咬かみあって、組くんずほぐれつの争あらそいをおこした。

この間あいだうちから、千年ねん山毛欅ぶなの洞穴うつろの中にかくれて、毎朝、喬木きょうぼくの上によじあがり神刑しんけいにかけられている忍剣にんけんの口へ、食餌しょくじをはこんでいた猿さると見えたのは、まったく、竹童ちくどうなのであった。一党とうのうちでも長兄ちょうけいのようにしたっている忍剣が、むごい神縄しんじょうにかけられて山へ送りやられた時から、この洞穴にしのびこんでいた。

そうして、忍剣と苦くをともにしながら、忍剣のいのちを守まもっていたかれである。なんで、敵方てきがたの旨むねをふくんで忍剣を殺ころそうとしてきた蛾次郎に、むざと奇功きこうをあげさせるものではない。――ぼつぜんと怒いかりを発はっした竹童はあい手が、樹上じゅじょうの忍剣へ、狙撃そげきの引金ひきがねをひこうとするすきへむかって、かんぜんとおどりかかってきたのである。

しかもそれが、蛾次郎であるとわかったので、かれはもうきょうこそこの天邪鬼あまのじゃくを、だんじて、生かしておくことではないぞと怒いかった。蛾次郎もまた、だいじな出世しゅっせのいとぐちをつかもうとする矢やさきへ、またぞろ竹童がじゃまをしにでたので、目的もくてきをはたすまえに、かれの息いきのねをとめてしまわなければならぬと、すごい勢いきおいで応酬おうしゅうしていった。

まったく人まぜをせぬ格闘かくとうがつづいた。

上になり下にころげして、たがいに致命的ちめいてきな急所きゅうしょをおさえつけようとしているうちに、蛾次郎がじろうは竹童のからだへ足業あしわざをかけて、その手てもとをぬけるや否いな、パッとかけはなれて、

「くるかッ」

と、短銃たんじゅうの筒つつさきを竹童にむけた。

「なにを」

竹童の目にはなにもののおそれもなかった。

蛾次郎はあわてた。かれの狡獪こうかいなそら脅おどしは効果こうかがなかった。火縄ひなわはいまの格闘かくとうでふみけされてしまったので、筒口つつぐちをむけてもにわかの役には立たないのである。

で、蛾次郎の立場たちばは悪くなった。

彼はひどくろうばいして、いきなり短銃を相手の顔かおへ投げつけ、ばらばらと逃にげだした。

それを肩かたのそとにこさして、一躍やくすると、竹童の手には、優越ゆうえつをしめす般若丸はんにゃまるのひらめきが持たれている。

彼は、逃げだした相手をおいかけて、

「ひきょうだぞ。――ひきょうだぞ、蛾次郎」

と、叫さけんでとぶ。

さんざん逃げまわった蛾次郎は、ついに、とんでもない危地きちに自分からかけこんでしまった。そこは、嵐弦らんげんの滝たきの崖がけッぷちで、あきらかなゆきどまりである。

彼は、目がくらんでしまった。

ただそこに大きな楢ならの木があって、断崖だんがいの空間にのぞんで屈曲くっきょくしていた。バリバリというと蛾次郎がじろうは、幹みきをはってその横枝よこえだへうつっていた。

しかし、そこもホッとする安全地帯あんぜんちたいにはならない。すぐ血眼ちまなこになった竹童ちくどうが、おなじ幹みきをよじのぼって、般若丸はんにゃまるの刀で楢の小枝をはらいながら、ジリジリとせまってきた。

追おいつめられた手長猿てながざるのように、蛾次郎のほうは、だんだん危険きけんな枝へはいうつって、いくら竹童でも、もうここまではこられまいと安心していたが、ふいに、竹童の体重たいじゅうがおなじ枝へのしかかったとたんに――生木なまきの股またに虫蝕折むしおれでもしかけていたのだろうか、ボキッと、あまりにもろい音がした。

かなり大きな枝であった。それが、ふたりの体からだとともに、ザーッとふかい樹間じゅかんの空くうをおちていった。あッというまさえなく、すべては一しゅんのまに、思いきッた解決かいけつをとげた。

やがて、嵐弦らんげんの滝たきの深湍しんたんに、白い水のおどりあがったのが見えた。そして、しばらくは消きえぬ泡沫ほうまつの上へ、落葉樹らくようじゅの黄色い葉や楢の実みがバラバラと降ふってやまなかった。

二

山はまたもとの静寂しじまにかえって、坩堝るつぼをでたような陽ひが、樹林じゅりんの上の秋の自然しぜんをかがやき照てらした。

ほどなくまた――そこへふたりの旅人たびびとが仲なかよく話しながらのぼってきた。ひとりは年配ねんぱいな女で、坂東ばんどう三十三ヵ所しょを巡礼じゅんれいして歩あるくものらしく、ひとりは天蓋てんがいのついた笈おいを背負せおっている。

「山の道というものは、まようたらさいげんがない。もうこうなっては急がないことだ、そのうちにはだれか山家やまがのものにゆきあうであろう。……だが、お時ときさん、女の足ではさだめしおつかれなすッたろうな」

「いいえ、すこしも」

「急せいてはいけませんよ。息いきを平調たいらにもっておあるきなさいよ。道にまよった時はなおのこと、山は気を落ちつけて歩くにかぎります」

地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内きくむらくないと、坂東巡礼のお時とであった。ほんの旅先たびさきの道づれであるが、ふたりの仲のよいことは、おなじ家にすむ家族かぞくといえどもない美しさだった。

お時は宮内の身のまわりのこまかい世話せわを見、宮内はつねにお時の心ぼそい旅をはげまして、どうかしてこの女房にょうぼうのたずねている、まことの子供をさがしあててやりたいと祈いのっている。

あらためていうまでもなく、ここは御岳みたけのお止山とめやまで、足踏あしぶみのならないところだのに、ふたりはその禁制きんせいを気づかずに、どこの山境やまざかいから迷まよいこんできたのであろう。

と、宮内は腰こしをかがめて、なにかふしんそうな顔をしながらひろいとった。

「こんなところに、南蛮なんばんわたりの短銃たんじゅうがおちている……」

「宮内くないさま、まだこのへんに、草履ぞうりだの、紙だのいろいろなものが落ちておりますよ」

「なるほど」

「だれの持物もちものなんだろう?」

お時は、草履の小さいのが気にかかった。

「どれ、どれ」

宮内はそこに笈おいをおろして、踏ふみ散ちらしてある落葉おちばのあとをたどっていった。そして、例れいの楢ならの木きの断崖だんがいから深いところの水面をのぞいてみて、

「オオ、お時さん、大へんだ、大へんだ、だれか山家やまがの子らしい者が水に浮ういている」

「えッ、子供が」

こういう場合ばあいにかぎらず、子供ときくと、すぐ顔色を変かえるのがお時のくせになっていた。

「あのようすでは、まだ水へはまってから、いくらも時がたっていない。わしは、ここから藤ふじづるにすがって、ふたりの子を助けてくるから、お時さんは、わしが帰るまで、この楢の木のそばをはなれてはなりませんぞ」

どうして、この絶壁ぜっぺきを下おりるかと見ていると、宮内は、さすがに根ねが武士ぶしだけに、いざとなると、おそろしいほど胆気たんきがすわっている。かれは、あけびや藤の蔓つるをたぐって、またたくまにすべり降おりた。

とちゅうまでさがってゆくと、なにか足がかりがあったのであろう、かれの姿すがたは、忽然こつぜんと、木きの葉のなかにかくれた。――と思うとまた、滝たきの水沫すいまつがたちこめている岩層がんそうの淵ふちにそって、水面を注意ちゅういしながらかける宮内くないの小さい影かげが見いだされた。

三

どこか上品じょうひんで、ものごしのしずかな旅たびの侍さむらいが、森閑しんかんとしている御岳みたけの社家しゃけの玄関げんかんにたって、取次とりつぎを介かいしてこう申し入いれた。

「当社とうしゃの神主かんぬし、長谷川右近はせがわうこんどのにお目にかかりたく参さんじました。――じぶんは、京都きょうと菊亭公きくていこうの雑掌ざっしょう、園部一学そのべいちがくというものです」

わかい神官しんかんたちを相手に、奥おくで笙しょうをふいていた長谷川右近は、

「はてな、菊亭右大臣家きくていうだいじんけから、なんのお使いであろう」

ふしんに思ったが、倉皇そうこうと客間きゃくまへとおした。そこで、会あってみた一学という人は、なるほど、温雅おんがで京風きょうふうなよそおいをした、りっぱな人物であった。

「さっそくにうかがいまするが」

「は。ご用向きは?」

主客しゅかくとも、心もち膝ひざをよせ合った。

「ほかでもございませぬが、さきごろ、当社とうしゃの広前ひろまえで行おこなわれました兵法大講会へいほうだいこうえのみぎり、信玄公しんげんこうのお孫まご、武田伊那丸たけだいなまるさまとそのほかの浪人衆ろうにんしゅうが、おしのびにて見物けんぶつに入りまじっていた由よしを里さとのうわさに聞きましたが、その後ごのおゆくえをごぞんじなさいますまいか。――信玄公しんげんこうのご在世ざいせいまで、代々だいだい武田家たけだけより社領しゃりょうのご寄進きしんもあったこの山のことゆえ、もしや、ご承知しょうちもあろうかと、おうかがいにでましたしだいで」

そう聞くと、神主かんぬしの長谷川右近はせがわうこんは、初耳はつみみのように目をみはって、

「ほ。ではあの時、信玄公のお孫まご、伊那丸いなまるさまがご見物けんぶつのなかにおられましたか」

と、あべこべに園部一学そのべいちがくへ質問しつもんした。

「では、ご承知ないので?」

「いや、ただいまが初耳、それと知っておりましたら、もとのご縁故えんこも浅あさからぬこと、ぜひおひきとめ申すのであったに」

「それでは、おゆくえもわかりますまいな」

「さらに承知いたしませぬが。……その伊那丸さまのお年ごろは」

「天目山てんもくざんにて、お父上ちちうえとともにお果はてあそばした太郎信勝たろうのぶかつさまよりお一つ下――本年ほんねんお十六歳さいにわたらせられる」

「して、お付人つきびとは?」

「いずれも、わざと姿すがたをかえておりますが、小幡民部こばたみんぶはかたがたしい武芸者風ぶげいしゃふう、巽小文治たつみこぶんじと申すはもと浜名湖はまなこの船夫せんぷの子とかにて目じるしには常つねに朱柄あかえの槍やりをたずさえております。また浪人風ろうにんふうの山県蔦之助やまがたつたのすけ、六部ぶ姿すがたの龍太郎りゅうたろう、わけても恵林寺えりんじの弟子僧でしそう加賀見忍剣かがみにんけんと申すものは、武田家滅亡たけだけめつぼういらい、寸時すんじもおそばを離はなれることなくおつきそい申しておる忠節ちゅうせつな男……」

話しているうちに神主かんぬし長谷川右近はせがわうこんの顔が、発作的ほっさてきな病気でもおこしたように、ワナワナと唇くちびるをふるわせて、まったく土気色つちけいろになってしまった。――と急きゅうに座ざをたって、

「しばらくの間、中座ちゅうざごめんを」

足も畳たたみにつかぬようすで、奥おくの座敷ざしきへかくれこんだ。

とりのこされた一学いちがくは、なにか、急病きゅうびょうで不快ふかいでも起したのかと思っていたが、それから、待てどくらせど、神主の返辞へんじもなければ神官しんかんたちの応接おうせつもない。

一方、神主の右近は、目もくらむばかりの驚おどろき方かたであった。一学の話によれば、さきごろ、ご神縄しんじょうにかけて山毛欅ぶなの上にしばりつけた怪僧かいそうは加賀見忍剣かがみにんけんであり、同時に、それいらい、垢離堂こりどうの板いたの間まに二十一日にち間かんの謹慎きんしんをまもっている人々こそまさしく信玄公しんげんこうのお孫まご、伊那丸君いなまるぎみであり、おつきの人々であると気がついたからである。御岳みたけの人々は、それが武田家たけだけの御曹子おんぞうしとは、まったく知らずにご神縄をくだしたのであったらしい。神官たちはにわかに凝議ぎょうぎして、その善後策ぜんごさくに沈鬱ちんうつな空気をつくった。

「夢ゆめにも知らぬご無礼ぶれい、ふかくおわびをしたら、おとがめもあるまい。このうえは、いっこくもはやく、あの垢離堂から社家しゃけへおうつし申しあげ、また、付人つきびとの忍剣とやらの神縛しんばくもといて謝罪しゃざいするよりほかに手段しゅだんはなかろう」

いつまで応接のないのはそのためであった。

神官たちが垢離堂へ迎むかえに立ったあとで、右近はやっと一学のまえへでてきた。そして、あからさまに事情じじょうをのべて謝罪のとりなしをたのむのだった。

「ほ。それでは、若君わかぎみは当社とうしゃにおいで遊あそばしましたのか」

「武田家たけだけからは、世々よよ、あつき社領しゃりょうをたまわり、亡家ぼうかののちも、けっしておろそかには思いませぬものを、なんとも面目めんぼくない大失態だいしったい」

「いや、まったく知らずにしたことなれば、寛大かんだいな若君、おとがめはありますまい。なんにしても、ここでお目にかかることができれば、自分もはるばるの使いとしてきてなによりの僥倖ぎょうこうです」

間まもなく、清掃せいそうした社家しゃけの客殿きゃくでんへ、錦繍きんしゅうのしとねがおかれた。

垢離場こりばの板敷いたじきにワラの円座えんざをしいて、数日つつしんでいた人々は、いちやくあたたかい部屋へやとうやうやしいもてなしに迎むかえられてきた。

一党とうの人々は、神官しんかんたちが平ひらあやまりにあやまる事情をきいて、一場じょうの滑稽事こっけいじのように笑わらっていった。

また伊那丸いなまるも、それをとがめるどころではなく、自分の手飼てがいの者が神庭しんていをけがしたのであるから、主しゅたる自分の謹慎きんしんするのはとうぜんであって、まだ二十一日にみたないうちにゆるしを賜たもうのは、神に対してむしろ心苦しいとさえいうのであった。

で、御岳みたけの神官たちは、ホッとした。

「ときに、若君をたずねて、はるばる都からまいられたお方かたがござります」

右近うこんはおそるおそる、菊亭家きくていけの使いの由よしを伊那丸にとりついだ。

「通とおせ」

こういってやると、おりかえしての返辞へんじが、

「ひそかなご用件ようけんとやらで、清浄せいじょうな、神殿しんでんにおいて、若君わかぎみとただふたりだけでお目にかかりたいと申しますが」

という腑ふに落ちないことばである。

民部みんぶも龍太郎りゅうたろうも、一党とうの人々は、見しらぬ旅たびの侍さむらいに油断ゆだんはならないとたぶんな懐疑かいぎをもった。

伊那丸いなまるはかんがえて、

「したが、かりそめにも、菊亭右大臣家きくていうだいじんけはわしの伯母おばさまのご縁えんづきなされた家いえがら、おうたがい申してはすまぬことだ。わしひとりで神殿しんでんにおいてその者に会あいましょう」

と、ふたたび右近うこんを介かいして、その旨むねをいいやった。

冷気れいきのこもったうすぐらい拝殿はいでんに、二つの円座えんざが設もうけられた。伊那丸と園部一学そのべいちがくがそこに対座たいざしたとき、杉戸すぎとのそとには、木隠龍太郎こがくれりゅうたろうや蔦之助つたのすけや小文治こぶんじなどが、大刀をつかんで、よそながら主君しゅくんの身を守まもっている気けぶりであった。

が――伊那丸は、京都からきたという一学をみると、すぐに、かれがあやしげな者でないことを信しんじた。

「若君わかぎみはもうお忘れでございましょうが、去年きょねん、お父上ちちうえの勝頼かつよりさまに似にた僧侶そうりょをおしたいなされて菊亭家きくていけへお越こしあそばしたことを」

「オオ」

「そのおり、よそながら一学いちがくは、おすがたを拝はいしておりましたが、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長せいちょう……」

そういって畏おそるおそる伊那丸いなまるを見上げながら、

「右大臣家うだいじんけにおいて、常つねに、おうわさ申しあげております」

「菊亭晴季公きくていはるすえこうにも、いつも、お変かわりなくお暮くらしであるか」

「世は戦塵濛々せんじんもうもう、九重ここのえの奥おくもなんとなくあわただしく、日ごとご君側くんそくの奉仕ほうしに、少しのおひまもないていにお見うけ申しまする」

「それは祝着しゅうちゃくである。そして、とくにそちがわしを尋たずねてきた用向ようむきとはなんであるな」

「右大臣家へのご托使たくしにござります」

「托使? ……では晴季公よりのご用でもないのか」

「さればです!」

と、一学はさらにパッと威儀いぎをあらためて、

「お嗽口すすぎを」

と目じらせをして立った。

ただごとではない――と伊那丸もすぐに席せきを立った。

そして、清水せいすいをくんで手洗ちょうず、嗽口をすまし、あらためて席へもどってくる。

一学いちがくもおなじようにすすぎをおえ、神殿しんでんの龕がんにみ灯あかしをともした。ふとみると、そこに禁裡きんりのみ印しるしのある状筥じょうばこがうやうやしく三ぼうの上にのせられてある。

「はッ」

と、伊那丸いなまるは衝うたれたように平伏へいふくした。

「密勅みっちょくです」

一学いちがくの声は、低ひくいが、おごそかである。

伊那丸は夢ゆめかと思った。国なく、家なく、武力もない自分になんの密勅であろうか。

かれは五体のおののくようにおそれ多さを感じた。

べつに一学に托たくせられてきた菊亭晴季きくていはるすえの書状しょじょうからさきに黙読もくどくした。

菊亭家きくていけと武田家たけだけとは、ふかい血縁けつえんのある家すじである。その晴季からなんの便たよりであろうかという点てんも、伊那丸には、胸むねおどろしく感じられる。

読みくだしてゆくうちに、伊那丸の目はいっぱいな涙なみだになった。義憤ぎふんと悔恨かいこんの血ちが交互こうごに頬ほおを熱あつくした。

伊那丸よ――

菊亭晴季の文はこう書きだしてある。さらにその文意ぶんいをくだいてここにしるせば、こういう愛国的あいこくてきな長文ちょうぶんであった。

伊那丸よ。

都みやこでも近ごろはそなたのうわさをしばしば耳にする。勇いさましいことである。けなげなことである。そなたは、貧まずしくとも、信玄公しんげんこうの名をはずかしめない。

わしは、かげながらよろこんでおる。

だが、そなたはも早や、元服げんぷくの若者である。一人にん前まえの武士もののふとなるべきだ。いつまで小さな私怨しえんにとらわれているばかりが真まことの武士もののふでもなかろう。眼まなこをひろい世の中にみひらいてたもれ。

この一年有半ゆうはんの歳月さいげつに、そなたはいまの世相せそうをよくながめ得えたであろう。どうであった戦国の浮世うきよは。わけても百姓ひゃくしょう町人ちょうにん――いやそれよりもっと貧しい民たみたちの苦くるしみはどうであろう。

また、あるいはそなたも知らぬであろうが、畏おそれ多いことながら、いまの御所ごしょのお模様もようは、その貧しい人々よりもまさるものがある。いや、おんみずからのご不自由ふじゆうよりも、戦乱せんらんのちまたに飢うえひしがれている民のうえにご宸念しんねんを休やすませられたことがない。

わしは、朝暮ちょうぼに、御座みざちかく奉仕ほうししているので、まのあたりにそのおんなやみをみて、涙なみだのたえぬくらいである。畏れ多いおうわさであるが、御所ごしょの御簾みすはほつれて秋風のふせぎもなく、供御くごのものにさえことかく事ことがめずらしくない。

それだになお、君きみは民草たみくさの塗炭とたんにお心さえ休やすまったことがない。なんと浅あさましい戦乱のすがたではないか。

なぜいまの世よがこんなに悪いのか。それを、そなたにいうのは孟子もうしに法ほうを説とくようなものだが、武家ぶけの罪つみである、群雄割拠ぐんゆうかっきょして領土りょうどと領土のあばきあいの他ほか、なにごとも忘れている兵家へいかの罪でなければならぬ。

秀吉ひでよし、家康いえやすをはじめ、加賀かがの前田まえだ、毛利もうり、伊達だて、上杉うえすぎ、北条ほうじょう、長曾我部ちょうそかべ、みなそれぞれ名器めいきの武将ぶしょうであるけれど、かれらはじぶんの功こうをいそぐ以外いがいに、上かみも下しもも、なにものもかえりみているゆとりがない。天下統とう一の先駆さきがけにあせって、戦たたかって勝つという信条しんじょうの下もとには、どんな犠牲ぎせいも惜おしまない。

これでは民草たみくさも枯かれるわけである。お上かみのご宸念しんねんのたえない道理どうりである。気をわるくするかもしれないが、そなたの祖父そふ信玄しんげんほどの人物も、そのひとりだといわなければならない。

伊那丸よ。そなたもその仲間なかまにまじって、領土をあらそう武門ぶもんで終おわりたいか。わたしは、そなたを見こんで、願ねがいがある。よく考えてたもれ、大事な秋ときだ。

そなたが、うしなった甲斐かいの領土の甲斐源氏かいげんじの家いえを再興さいこうしたいという願望がんぼうは、まさしく孝こうである、正義せいぎである、男子のなすべき事業じぎょうである。だが、考えてたもれ、今は天下大事てんかだいじな秋ときである。

いまこそは何人なんぴとでもあれ、自我じがの名利みょうりをすて、世よのため、あわれな民衆みんしゅうのために、野心やしんの群雄とならず、領土慾りょうどよくに割拠しない、まことの武士もののふがあらわれなければならない秋ときだ。まことの人がこの麻あさのごとく乱みだれた世を少しでも助けなければならない秋ときだ。

聡明そうめいなるそなたにこれ以上いじょうの多言たごんは要ようすまいと思う。切せつに、そなたの反省はんせいをたのむ。そしてそなたが祖父そふ機山きざんより以上いじょうな武士もののふの業ぎょうをとげんことを祈いのる。秀吉ひでよし、家康いえやすの上に出いずるところに刮眼かつがんすることを祈る。

また、かくいうも、このことばは自分ひとりの言げんばかりではない。ある夜、高野こうやをひそかに下くだられた某それがしとよぶ御僧みそうのすすめもあるのである。また、折おりふし訪おとずれた白髯はくぜんの高士こうしの意見いけんもここに加くわわっているのである。その高野の僧の名は明かしがたいが、高士の名はあかしてもよい。それは、鞍馬くらまの隠士いんし僧正谷そうじょうがたにの果心居士かしんこじである。

文ぶんはこれでおわっている。

伊那丸いなまるは狭せまい暗黒あんこくから暁天ぎょうてんへみちびかれて、自分の真しんにゆくべき道を教おしえられたような心地ここちがした。

故郷ふるさとへ、西にしの都みやこへ

一

お時ときは、楢ならの木の幹みきにつかまりながら、ふかい絶壁ぜっぺきの下を、こわごわのぞいていた。

(どこの子供か知らないが、どうか、助かってくれればいい)

彼女かのじょは、じぶんの身の上にひきくらべて、そう祈いのらずにはいられなかった。

下を見ると、目がまわりそうなので、あまり崖がけっぷちには進みえないで、救すくいにいった宮内くないのようすも、仔細しさいに見ていることはできないが、ときどき木この葉はのすきまから、かれの活動が遠望えんぼうされた。

「オオ、水からあげたような……」

お時ときの顔に、わがことのようなよろこびの笑えくぼがのぼった。すると、とつぜんに、

「これッ。――どこからこの山へはいりこんだ」

お時は、だれか力のある腕うでぷしで、そこからうしろへ引きもどされた。

「あッ……」

彼女はふるえ上がって、大地へ平蜘蛛ひらぐものように手をついた。

そこには、御岳みたけの神官しんかんらしい人々が、山支度やまじたくをして立っていた。

「ここは、許しがなくてはのぼれぬ、お止山とめやまということを知らんか」

「ち……ちッとも、ぞんじませんで、道にまよってきてしもうたのでござります」

「見れば、質朴しつぼくそうな坂東巡ばんどうめぐりの者、道にまよってきたものならば、深くはとがめないが、一応おう吟味ぎんみの上でなくては放はなしてやるわけにはゆかない。しばらくそこでひかえていろ」

こういうと、若い神官たちは、べつになにかいそぐ目的もくてきがあるらしく、ばらばらと千年ねん山毛欅ぶなの根ねもとへかけあつまった。

三人ほどの者が、袖そでをからげて山毛欅ぶなの上へよじのぼっていった。そして、ご神刑しんけいにかかっている、忍剣にんけんのいましめを解とき、抱だくようにして下おろしてきた。

さだめし、疲つかれているだろうと思ったところが、案あんに相違そういして、忍剣はすこしも衰おとろえていなかった。それもそのはずなのであるが、神官しんかんは理由りゆうを知らないので、いよいよふしぎな怪僧かいそうであると、舌したをまいておどろいた。

「まだ、二十一日には満みつまいに」

と、忍剣は、きょうの赦免しゃめんが、夢ゆめのようであるらしい。

が、事情じじょうをきいて、心から欣よろこばしそうな色が、さすがに、その面おもてを生々いきいきとさせた。

一足ひとあしおくれて、御岳みたけの奥おくの院いんからここへ越えてきた人々があった。それは、神主かんぬしの長谷川右近はせがわうこんを道案内みちあんないとして忍剣にんけん健在けんざいなりや否いなや――と一刻こくをあらそって、迎むかえに見えた一党とうの朋友ほうゆうたちである。

そのなかに、伊那丸いなまるのすがたを見出みいだしたので、忍剣は、思いやりの深い主君しゅくんの心がわかって、無言むごんのうちに涙なみだがうかんだ。

かれの健在けんざいを祝福しゅくふくしあうと、人々はすぐに、

「忍剣、すぐに京都へいそぐのだぞ」

と、活気かっきづけるようにいった。

「えッ、都みやこへ」

「くわしいことは、あとで若君わかぎみからお話があろうが、きょうからわれわれは、甲州土着こうしゅうどちゃくの武士ぶしという心を捨すてることになったのだ」

「なぜ?」

明らかに不平ふへいが、かれの顔色かおいろにうごいた。

が、一党とうの友の顔は、みな、いつもにも増まして晴はれやかに見えた。

「甲州武士こうしゅうぶしなどというせまい気持をすてて、まことの神州武士しんしゅうぶしとなるのだからいいじゃないか。われらの愛国あいこくは甲斐かいではなくなった。日本にほんだ。かがやきのある神州しんしゅう扶桑ふそうの国だ」

「そして?」

忍剣にんけんには、友のことばが不意ふいにきこえた。まだじゅうぶんに胸むねに落ちないらしい。

「あおぐは一天てんの帝みかど」

「それは、だれにしてもそうではないか。いまさらこと改あらためていうことはないだろう」

「いや、戦国の武将ぶしょうたちは、みんなそれを忘れている。もうひとつ忘れていることがある。それは貧まずしい下々しもじもの民たみだ。われらの味方みかたするのはその人たちだ」

「どうしてにわかに京都へのぼることになったのか」

「菊亭右大臣きくていうだいじんさまのおはからいで、畏おそれ多くも、あるご内意ないいがくだったのだ」

「えッ、若君わかぎみへ」

「しかし、それはきわめて秘密ひみつなことだ」

「では都から密使みっしが見えられたのか」

「とにかく、若君わかぎみは、はじめておおらかな正義せいぎの天地を自由に馳駆ちくする秋ときがきたと、非常ひじょうなおよろこびで、以後いごは武田残党たけだざんとうの名をすてて、われわれ一味みの党名とうめいも、天馬侠党てんまきょうとうとよぶことにきまったのだ。きょうは赦免しゃめんになったきさまもくわえて、天馬侠第一声をここにあげたのだ」

熱血僧ねっけつそう忍剣にんけんは、だんだんと聞いてゆくうちに、その耳朶じだを杏桃すもものように赤くしてきた。王室おうしつの御衰微ごすいびをなげくことと、戦国の馬塵ばじんにふみつけられてかえりみられない貧まずしい者をあわれむ心はつねに、この人々の胸むねに燃もえているところだった。

「じゃ、きょうすぐに、これから都へのぼるのか」

「多少の支度したくもあるから、きょうというわけにはゆくまいが、いっこくも早く、菊亭右大臣きくていうだいじんにお会あいして、なにかのことをうかがったうえ、密詔みっしょうのご勅答ちょくとうを申しあげたいという若君のおことばだ」

「なるほど。だが、これだけではまだ天馬侠の侠友きょうゆうがひとりもれているぞ」

「民部みんぶどのもおられる、龍太郎りゅうたろう、小文治こぶんじ、蔦之助つたのすけ、すべての者がそろっているが……あ、咲耶子さくやこか」

「咲耶子もそうだが、竹童ちくどうが欠かけているのではないか」

「オ。その竹童は、また鷲わしをさがすといって、どこかへひとりで立ち去さった」

「いや、うそだ」

と、忍剣はやや興奮的こうふんてきに首をふって、

「おれはきょうまで、こうして、少しも疲つかれずにいたのは、まったく、かれが苦心惨憺くしんさんたんして、朝ごとに食しょくを口にいれてくれたおかげだ。どこかそこらにいるにちがいないからさがしてくれ」

と、大声でいった。

御岳みたけの神官しんかんたちはおどろいた。

けれど、伊那丸いなまるや党とうの人々たちは、その話をきいて、なんだか涙なみだぐましくさえなった。しかし、いくらあたりをたずねても、かれのすがたが見えないので、落胆らくたんしているところへ、崖がけの細道ほそみちをかきわけて、菊村宮内きくむらくないが、水から助けあげたふたりの少年をつれてあがってきた。

「おっ、いた!」

期きせずして、かれの周囲しゅういを、一同のものがドッと取りまいた、ただそのようすを、さびしそうにながめていたのは、坂東巡礼ばんどうじゅんれいのお時ときであった。

二

あの楢ならの枝から落ちて、ふしぎにふたりはかすり傷きずもなかった。その奇蹟きせきを、地蔵行者じぞうぎょうじゃの菊村宮内は、竹生島神伝ちくぶしましんでんの独楽こま、火独楽ひごまと水独楽みずごまをめいめいがふところに持っていた功力くりきであるといって、その由来ゆらいをつぶさに話した。

本来ほんらい、蛾次郎がじろうは泣いても吠ほえてもここでその首を、侠党きょうとうの士しにもらわれなければならないのであるが、独楽こまの由来ゆらいの話から、いくぶんその情じょうを酌量しゃくりょうされて、宮内くないの命乞いのちごいにその首だけはやっとつながった。

そのうちに神官しんかんのひとりが、どこからか、ふたりの丈たけに合いそうな着物きものをもらってきてくれた。なにしろ、衣服いふくがぬれていては、山を下おりるにしても、とちゅうの寒さむさにたえられない。

「さあ、着きるがよい」

裾すそのみじかい着物と膝行袴たっつけが、一枚ずつ公平こうへいにわたされた。あのおしゃべりの蛾次郎も、口をきく元気もなく、ただいくつもおじぎをつづけて、ぬれた着物をそれに着かえた。

すると――そのようすを、研とぎすましたような眼まなざしで、ジーッと見つめていた巡礼じゅんれいのお時ときが、とつぜん、気でも狂くるったように、

「オオ、おらの子だ! おらの子だ!」

と、おどろく蛾次郎の首根くびねッこにかじりついて、人まえもなく、ワッと声をあげてうれし泣なきに泣きたおれた。

宮内も、がくぜんとそこへ飛びよって、

「お時さん、どうして? どうして?」

人ごととは思えないで問といただした。

「灸きゅうがある! 灸がある! これ宮内さま、この子の背せなかを見てやってください。いつかわたしが話したように、わしの村でしかすえないお諏訪すわさまの禁厭灸まじないきゅうのあとがある。そのわしの村でも、この背骨せぼねの節ふしの四ツ目めに、癲癇てんかんの灸きゅうをすえたのは、おらの子だけでございます」

「じゃ、この蛾次郎がじろうが、三つの時に、伊勢詣いせまいりのとちゅうで迷子まいごにしたおまえさんの子であったのか」

「それにちがいありません。ああ、親子おやこの血ちはあらそわれない、やっぱりわしにはなんとなく、虫の知らせがありましたに……」

と、蛾次郎のからだを抱だきしめて、あまやかな女親おんなおやの涙なみだをとめどなく流すのだった。

蛾次郎はただキョトキョトして、お時ときの手をすこしこばむように尻しりごみしていたが、宮内くないからじゅんじゅんと自分の母であることを話されると、東海道とうかいどうで、鼻はなかけ卜斎ぼくさいにひろわれたという幼おさな話を思いだして、

「じゃ、おめえが、ほんとのおれのおッ母かさんだったのかい」

と、はじめて、お時の顔を真正面まっしょうめんに見つめた。

「オオ、坊ぼうや!」

「ワーッ……」

と、そのとたんに、蛾次郎は、一世せ一代だいの泣き声をあげてお時のひざにそのきたない顔を、むちゃくちゃにコスリつけていった。

お時もうれし泣きに抱きしめた。

牝牛めうしの乳ちちのように甘あまい女親おんなおやの涙なみだのなかに、邪気じゃきも、慾よくも、なにもなく、身をひたりこんだ蛾次郎がじろうのすがたを見ていると、だれもかれに少しの憎にくしみも持てなかった。

竹童ちくどうですら、敵意てきいをわすれて、ぼんやりとその情景じょうけいをながめていた。

だが、かれの親おやはどこにいる?

竹童は、さびしかろ。

侠党きょうとう七士しの人々が、御岳みたけのすそ、北多摩きたたまのふもとから青毛あおげ、月毛つきげ、黒鹿毛くろかげの馬首ばしゅをならべて、銀ぎんのすすきの波なみをうつ秋の武蔵野むさしのを西へさして去さったのは、その翌々日よくよくじつのことであった。

おなじ日に、泣き虫の蛾次郎は、母親のお時ときに手をひかれて、坂東何番ばんどうなんばんかのお札所ふだしょへお礼れいまいりにのぼっていった。

そして、ひと巡めぐりの巡礼じゅんれいをすましたら、ふるさとの村むらへ帰るだろう。

うららかな秋の陽ひの下もとに立って、まぶしそうに見ていた菊村宮内きくむらくないは、消きえてゆく七騎きのかげと、手をひかれてゆく母と子と、そのどッちを見おくっても、いい気持がした。

そして、かれもまた、カアーン、カアーンと、地蔵菩薩じぞうぼさつに鉦かねを手向たむけながら、すすきを分わける旅人たびびとのひとりとなって、いずこともなく歩きだした。

底本 / Source edition

底本:「神州天馬侠(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年12月11日第1刷発行
2012(平成24)年1月10日第16刷発行
「神州天馬侠(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年12月11日第1刷発行
2012(平成24)年6月1日第15刷発行
「神州天馬侠(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年1月11日第1刷発行
2011(平成23)年5月6日第16刷発行
初出:「少年倶楽部」
1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ーー」は2倍の大きさで作られた長音記号です。「ーー」と「――」の混在は、底本通りです。
※「卦面」に対するルビの「かめん」と「けめん」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2017年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/056145_001562/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/056145_001562/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/056145_001562/

吉川 英治「神州天馬侠」(新字新仮名)、底本『神州天馬侠(一)』吉川英治歴史時代文庫、講談社、1989年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056145_001562, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite