## プロローグ

「さて皆様、私はここで、嘘のような話を聴いて頂きたいのであります。話の真実性については、皆様の御判断に任せるとして、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>も<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>も、これは決して嘘ではないということだけは、当夜の盛大な結婚式に列席した方々は、証明して下さることと思います」

話し手の<ruby><rb>小塚金太郎</rb><rt>おのづかきんたろう</rt></ruby>は、<ruby><rb>斯</rb><rt>こ</rt></ruby>んな調子で始めました。名前はひどく世俗的で、手堅い商人かなんかのように響きますが、実はまだ若い作曲家で、と申しても近頃流行の流行歌の作曲者ではありません。芸術的で高踏的で、そして恐ろしく難解な曲をモリモリ作って、一部の人から騒がれている才人ですが、その小塚金太郎が物々しい枕を置いて、一体何を話そうというのでしょう。

「私は本当の音楽というものは、どれほど偉大な力を持っているかということに<ruby><rb>就</rb><rt>つい</rt></ruby>てお話したいのであります。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も昔から日本にも外国にも、音楽の奇蹟物語は、数え切れないほど<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しく伝えられておりますが、それは九十九パーセントまでは嘘八百で、信ずるに足るものは一つも無いと言ってよいのです。ところで、私がこれからお話しようとしていることだけは、私ばかりでなく、当夜の結婚式に列席した、二百何十人かの人が経験したことであり、決して神話や伝説の比ではありません。私は幾人かの友人達の迷惑を顧みず、この席上で発表しようと決意したのは、本当の音楽の力というものを、解って頂いた上に、私の親友――<ruby><rb>深沢深</rb><rt>ふかざわふかし</rt></ruby>君の偉大な天才と、その悲しき前生涯を知って頂きたいためであります」

## 一

<ruby><rb>左近倉平</rb><rt>さこんくらへい</rt></ruby>――この名前を聞いただけで、皆様はあああの男かと<ruby><rb>仰</rb><rt>おっ</rt></ruby>しゃるでしょう。左近倉平こそは、まことに世界的に知られた日本人の一人で、その数多い作曲のうちでも、優れたものの二つ三つ、例えば「お江戸ファンタジー」や「にっぽんシンフォニー」などは、早くも世界の音楽界に紹介され、日本にもこれだけの優れた大芸術があるかと、世界の音楽批評家を驚かしたという嬉しいニュースは、皆様もよく御存じのことと思います。

西洋音楽の手法を完全にマスターして、それに日本的な情緒を盛るということは、随分早くから企てられ、野心的な作曲家によって幾度か試みられましたが、思い付はさることながら、これがどうかすると安価な和洋合奏の化物になったり、お刺身にバタを塗って喰べるような変哲もないものになって、明治の中期から今日に至る半世紀の間に、佳作と見るべき小品、<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに二三を<ruby><rb>算</rb><rt>かぞ</rt></ruby>えるに過ぎなかったのであります。

日本という国は、ボヘミアのドヴォルシャークや、フィンランドのシベリウスや、<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>のムソルグスキーのような、本当の国民音楽家は、永久に現われないものだろうか、心ある人は歎きも悲しみもしておりました。当時の日本は軍艦の数や鉄砲の数ばかりを誇りとして、国民の血と肉とを盛った大芸術の出現しないことを、あまり淋しいとも思わなかったのです。

ところが、音楽界の長老で、日本の誇りといわれた天才左近倉平が今から三年ばかり前、続け様にこの二つの大曲を発表したのです。

「お江戸ファンタジー」の持つ華麗にして優艶な江戸情緒――それは歓楽極まって哀愁生ずるといった、まことに<ruby><rb>纏綿</rb><rt>てんめん</rt></ruby>たるもので、その主題として採り用いられたのは、幾つかの江戸小唄と、江戸浄瑠璃でしたが、それが巧みに消化され、変形されて、現代人の胸に<ruby><rb>沁々</rb><rt>しみじみ</rt></ruby>と訴えるものがあり、さながら三百年の江戸の栄華と、その凄まじい興亡の跡を描き尽したかの感があると言われました。

「にっぽんシンフォニー」の方は、<ruby><rb>嘗</rb><rt>かつ</rt></ruby>ての御用作家達の日本を題材として作った作品のように、神がかり的な、誇大妄想的なものでは無く、素朴で謙虚で、そして限りなく美しくさえありました。戦争のために打ちひしがれた日本の姿、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みじめ</span>で愚劣で虚脱と<ruby><rb>自棄</rb><rt>やけ</rt></ruby>に陥った日本の国土に、新しいもの、正しいものが、愛と美との力に育まれて、スクスクと伸びて行く有様をこの上もない素直な心持で書いた曲でありました。

この二つの曲が、どんなに楽壇にセンセイションを捲き起したか、皆様もよく御存じのことでしょう。左近倉平は多智多才の作曲者で、今までも多くの小曲を発表し、わけても気の利いた歌曲は、流行歌手から小学生にまでも歌われ、その上左近倉平の持つ独特のジェスチュアが、評論家も歌い手も、聴衆までも眩惑して、作曲家といえば左近倉平、天才といえば左近倉平というのが、近頃の常識のようになっていることは、これも皆様の御存じの通りであります。

天才左近倉平は、その時四十五歳でした。<ruby><rb>年齢</rb><rt>とし</rt></ruby>よりは若く見える男で、背が高く、色が白く、<ruby><rb>眼許</rb><rt>めもと</rt></ruby>に不思議な愛嬌のある、女のような優しい口をきく男でした。わけてもそのコールマン髭は特色的で、髭の上半分を剃り下げた青々とした<ruby><rb>笹縁</rb><rt>ささべり</rt></ruby>が、或人は<ruby><rb>気障</rb><rt>きざ</rt></ruby>だと言いましたが、浮気な若い女達には、たまらない魅力であったらしいのです。

仕立の良い洋服、気の利いた持物、そして二十五パーセントまで外国語の<ruby><rb>交</rb><rt>まじ</rt></ruby>る話し振り、これが天才左近倉平の肖像画でした。

これだけ責め道具の揃った左近倉平が、どう間違ったところで、品行方正であるべき<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>はありません。左近倉平を<ruby><rb>繞</rb><rt>めぐ</rt></ruby>る<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かな<ruby><rb>噂話</rb><rt>ゴシップ</rt></ruby>のうち、一番興味が深くて、そして一番盛大だったのは、後から後から起って来る、スキャンダルであったと言っても誇張ではありません。

左近倉平の周囲に引っ切りなしに集まって来ている若い女達で、長いか短いか、<ruby><rb>濃</rb><rt>こまか</rt></ruby>いか<ruby><rb>淡</rb><rt>うす</rt></ruby>いか、兎も角も左近倉平に関係の無かったという人は、恐らく幾人も無かったでしょう。醜いのと才能の無いのは、左近倉平の方で相手にしませんでしたが、かりそめにも美しいか、賢いか、若い女らしい魅力が少しでもある限り、<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>窓へ入れて、錠をおろして置いても、左近倉平の冒涜の手を免れようは無かったのです。

フランツ・リストはいたるところ上流貴婦人の洪水に襲われて、<ruby><rb>欧羅巴</rb><rt>ヨーロッパ</rt></ruby>中を逃げ廻ったといわれております。

浮気な婦人達は、国から国へ、都市から都市へとリストを追っかけて歩き、リストの吸った<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>の吸いさしまでも集めたということですが、当のリストは案外正直で、執拗極まる女軍の襲撃にたまり兼ね、<ruby><rb>終</rb><rt>つい</rt></ruby>に僧院の中に逃れて、<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く女難を避けたと伝記は伝えております。

左近倉平に、リスト程の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たしなみ</span>があったら、すべては無事に納まったでしょうが、ドン・ファン気取りの倉平は、自分の男前と才能と魅力との前に、いかなる女も手もなく落ちて行くのが楽しみで、無恥にして残酷な遊戯を、四十五歳になるまでも続けていたのでした。楽壇雀はこれを形容して「左近倉平の往くところ、野に処女無し」などと言っておりました。不道徳なことを<ruby><rb>申上</rb><rt>もうしあ</rt></ruby>げてまことに恐縮ですが、私自身も左近倉平に好意を持っておらず、反対にこの<ruby><rb>恋の狩人</rb><rt>ラブ・ハンター</rt></ruby>の左近倉平の、悲惨な最後をお話し申上げて、世の無節操な男共の反省に備えようという婆心ですから、<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くの間御勘弁を願います。

## 二

私の親友深沢深は、<ruby><rb>何</rb><rt>な</rt></ruby>んの因果かこの怪しきドン・ファンなる左近倉平の助手を勤めていたのです。

音楽学校出の若い作曲家が、特別な資産でも無い限り、どんな生活をしなければならないか、私がここで申上げるまでも無いでしょう。<ruby><rb>少</rb><rt>すくな</rt></ruby>くとも当代の日本では、腕のある華やかな演奏家でない限り、学校の先生になるか、流行小唄を作るか、この二つより<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>に、生活の方法は無いと言っても<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>いのです。

たまたまその方面の才能があって、名ある管絃楽団の指揮者になるとか、映画の音楽を<ruby><rb>引受</rb><rt>ひきう</rt></ruby>けるとか、学校や会社団体などの合唱団を指揮するとか、いくらでも仕事はあるそうですが、それは宣伝力のある先輩やそれぞれの<ruby><rb>手蔓</rb><rt>てづる</rt></ruby>のある才人に占められて、弱気で<ruby><rb>真面目</rb><rt>まじめ</rt></ruby>で、世俗的な働きが無くて、そして、地味な仕事――<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>人に知られるかもわからない、芸術的なむずかしい大曲とばかり四つに組んでいる作曲家群は、なかなか容易なことでは浮かぶ瀬はないのです。

わが深沢深もその日当りの悪い作曲家の一人でした。<ruby><rb>併</rb><rt>しか</rt></ruby>し、深沢深の持っている才能は非凡で、その雄大な構成力や、奔放な空想は、少くとも日本の現代では比類の無いもので、機会と舞台をさえ<ruby><rb>具</rb><rt>そな</rt></ruby>えたなら、これは日本の新しい時代を代表する、第一線の作曲家になるのではあるまいかと、我々友人仲間では噂しておりました。

それが生活のためとはいいながら、既成大家で、<ruby><rb>恋の狩人</rb><rt>ラブ・ハンター</rt></ruby>で、我々若い作曲家仲間が、日頃叩き落そうとしていた楽壇の偶像、左近倉平の助手になったというのは、何んとしたことでしょう。

一時は腹立ち紛れに、深沢深にまで絶交状を叩き付けたりしましたが、そんな事は、長い間の友情の前には、何んの役にも立つものではなく、三月経たないうちに、元の悪友仲間の<ruby><rb>縒</rb><rt>より</rt></ruby>を戻して、暫くは無事な月日が流れて行きました。

ところで、この深沢深には、世間も友達も親達までも認めている美しい恋人がありました。世間並にこれを<ruby><rb>許婚</rb><rt>いいなずけ</rt></ruby>といった方が宜いかもわかりません。兎も角、近いうちに結婚することまで話が進んでおりましたが、深沢深は名代の<ruby><rb>素寒貧</rb><rt>すかんぴん</rt></ruby>で、アパートの四畳半に、七輪一つ枕一つの生活をしている有様ですから、急には結婚する費用もなく、結婚したところで、恋女房に食わせる当ても無かったのです。

尤もその恋人の<ruby><rb>三室銀子</rb><rt>みむろぎんこ</rt></ruby>は、その頃漸く世に知られかけて来たソプラノ歌手で、技巧は大したもので無かったにしても、その名前の通りの銀鈴を振るような声と、伸び切った<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しなやか</span>な<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>と、小娘らしい丸ぽちゃの顔が素晴らしい魅力で、その将来性は充分に約束されておりました。

この可愛らしい歌手が、<ruby><rb>三浦環</rb><rt>みうらたまき</rt></ruby>の若いときのように、恥かしそうなジェスチュアで、エリザベート・シェーマンのような綺麗な声を出すので、歌の上手下手は兎も角、これを目のあたり見て、自分の耳で聴いた人は、程度の差こそあれ、誰でも一応は三室銀子ファンにならずにはおられなかったのです。

銀子は時々深沢深のアパートを訪ねて来て、その発声法や、表情や、歌の細かい技巧に就て、いろいろの意見を求めておりました。それがまた、若い恋人達にとっては、引っ切り無しに逢っている口実にもなり、お互の必要性を強調する方法でもあったのです。

ある日――よく晴れた冬の午後、銀子はいつものように深沢深のアパートに来て、狭っ苦しい四畳半に膝を突き合せたまま、近頃稽古し始めた、ロバート・フランツのリードを歌って、深沢の忠告を聴いておりました。

アパートはどこでも高歌放吟を禁じておりますが、昼のうちは大概のことは大目に見られ、<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ銀子の声は、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも素直で美しかったので、アパートの隣人達も、好感こそ持て、あまり文句を言う人が無かったのです。

「その『秋に』という歌は、淋しくて静かで良い歌だが、残念なことに<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>にはピアノが無いから、伴奏部との美しい調和や陰翳は味わいようは無い。ヴァイオリンではどうにも仕様が無いからなア」

深沢深は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも<ruby><rb>口惜</rb><rt>くや</rt></ruby>しそうに、今まで銀子のために助奏していたヴァイオリンを後の方へ押しやるのでした。

「いいわ、そのうちにしっかりお金を儲けてピアノを買いましょうよ」

銀子は大して屈託をした様子もなく、豊かな頬を<ruby><rb>綻</rb><rt>ほころ</rt></ruby>ばせて、恋人を激励するのです。

「結婚費用さえ出来そうも無いものが、ピアノまで容易に手が届きそうも無いぜ」

「でもいつかは買えるでしょう」

「ピアノさえあれば、銀子さんの歌がまだまだうまくなるぜ。左近先生のところへ一緒に行ってくれると、ピアノは三台もあるんだが――」

「でも私、左近先生は怖いんです。まだお逢いしたことはありませんが――」

「そりゃ、世間の評判さ、左近先生だって、まさかぼくのフィアンセを<ruby><rb>何</rb><rt>ど</rt></ruby>うしようとはなさるまい」

「でも」

三室銀子は自分の肩を<ruby><rb>犇</rb><rt>ひし</rt></ruby>と抱いて、処女らしい恐怖に身をふるわせるのです。

「まア、いい、もう一度歌ってくれないか、最初から」

「え、幾度でも歌うわ、――こんな工合ではどう？」

三室銀子は胸を張って、もう一度無伴奏のままフランツを歌い出しました。

<ruby><rb>谿間</rb><rt>たにま</rt></ruby>せせらぐ秋の水といおうか、草むらにすだく残りの<ruby><rb>蟲</rb><rt>むし</rt></ruby>の音といおうか、それは言いようもなく淋しく、やるせなく、そして美しい表現です。

## 三

不意に、パチパチと廊下で拍手の音がして、ノックもせずに、部屋の扉はスーッと開きました。

「ブラヴォー、お嬢さん、どうぞもう一度、いや、千度でも、全く素敵だッ」

そんな気取ったことを言って、扉の隙間に半身を現わしたのは、四十五六の男、――長身<ruby><rb>白皙</rb><rt>はくせき</rt></ruby>のコールマン髭ではありませんか。

「あ、左近先生」

深沢深は、つまみ食いを見付けられた小僧さんのようにドギマギしました。

「深沢君、紹介したまえ、――こんな素晴らしい歌い手を発見するということは、そうザラに転がっている幸運ではない。私はまさにジェニー・リンドを発見したのだ」

左近倉平の調子は、<ruby><rb>大袈裟</rb><rt>おおげさ</rt></ruby>で歯を浮かせます。こんな調子には馴れている深沢深は、さして驚いたわけではありませんが、<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>自分一人の胸に秘めて、やがての日を楽しみにしている<ruby><rb>許婚</rb><rt>いいなずけ</rt></ruby>を、評判のよくない先生に発見されたのは、まことに不愉快なことでしたが、<ruby><rb>今更</rb><rt>いまさら</rt></ruby>それを、どうすることも出来なかったのです。

「三室銀子さんといいます、――僕のフィアンセです。こちらは左近先生」

深沢深は、所有権の確立のために、こうはっきり断ったのでした。

「ホウ、それは<ruby><rb>羨</rb><rt>うらや</rt></ruby>ましいな、――だが、用心し給えよ、僕が横取りするかも知れないから――ハッハッハッ、失礼、失礼、三室さんそれは冗談です。怒っちゃいけませんよ」

左近倉平はからからと笑ったりするのです。この取って附けたような無造作らしさが、妙に若い女の好奇心を掴むのでしょう。

「どうぞ<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しく」

三室銀子はそれを気にする様子も無く、丁寧に挨拶するのを見ると、深沢深はいやな心持になって<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">そっぽ</span>を向いてしまいました。

「ピアノ無しの歌の稽古は乱暴だ、なぜ私の家に三室さんを案内しないのだね、深沢君」

「――――」

「その天分を窒息さしてはいけない、――それは芸術の重大な冒涜だよ、サア、銀子さん、深沢君も一緒に行こう。私が紹介して楽壇に送れば、三室銀子さんは、一ぺんに日本第一流の人気者になれるのだ」

左近倉平は本当に手を取らぬばかりでした。アパートの入口に待たせてあった自動車に、三室銀子を押し込めるように乗せると、自分はその後から<ruby><rb>飛乗</rb><rt>とびの</rt></ruby>って、深沢深を助手台に納めたまま、高円寺の家へ飛ばしたのです。

左近倉平の<ruby><rb>邸</rb><rt>やしき</rt></ruby>は、大会社の重役ほどの豪勢なものでした。親譲りの財産を持っていた上、見掛けよりは金儲けが上手で、音楽家にしては珍らしく、<ruby><rb>贅沢三昧</rb><rt>ぜいたくざんまい</rt></ruby>な暮しをしていたのです。

書斎に一つ、練習室に一つ、客間に一つ、三つのピアノのうち、客間に据えたシュタインウェイのコンサート・グランドの前に立たされた三室銀子はさすがに<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たじろぎ</span>ました。<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>の調度も、部屋の空気も、三室銀子が<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>て経験したこともないほど豪勢で、ホームスパンの<ruby><rb>平常着</rb><rt>ふだんぎ</rt></ruby>や、カールの崩れた髪や、伝線病の靴下などが、妙に気になってならなかったのです。

「さあ、歌って見ましょう、――フランツは<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あなた</span>のような若い人には地味過ぎていけない。他になんか、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おはこ</span>はありませんか、――シューベルトの、デュ・ビスト・ディ・ルウ？　よかろう、さあ」

左近倉平はグランド・ピアノの蓋を払って、静かに指を下しました。

<ruby><rb>斯</rb><rt>こ</rt></ruby>うなるともう、三室銀子は<ruby><rb>極</rb><rt>きま</rt></ruby>り悪さも、<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>の豪勢さも忘れてしまいました。精一杯に胸を張って、

――君こそは、わが安らい、――やさしき平和、――

と歌い出したのでした。

深沢深は客間の隅っこの安楽<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>にふんぞり返って、面白くない心持で聴いておりましたが、銀子の声の天分と、左近倉平の指導者としての優れた腕前には、<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>にさわっても承服しないわけには行かなかったのです。

## 四

その晩一緒に食事をして、<ruby><rb>晩</rb><rt>おそ</rt></ruby>くまで話し込んだ上、

「銀子さん、僕が送って行こう、大分晩いようだから」

深沢深の言い出したのを押えて、

「いや、晩くしたのはこの私のせいだ、私が車でお送りしよう」

自動車を呼んで銀子を乗せた左近倉平は、フィアンセの深沢深には眼もくれず、さっさと銀子の家まで行ったのです。

それからの事件の発展は、私の口からは語るに忍びないものがありますが、兎も角筋だけは通さなければなりません。

皆様がお察しの通り、左近倉平と三室銀子は、恐ろしい<ruby><rb>勢</rb><rt>いきおい</rt></ruby>で接近して行ったのです。四十五歳の定評のある男と、二十四歳のうぶな娘が、人の見る眼も、世上の噂も構わずに、両方から近づいて行って、三月経たないうちに、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>から見ても、二人は立派な恋人になり切っておりました。

それに対して深沢深の存在は、言いようもなく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みじめ</span>で影が薄くて、滑稽でさえありました。強い<ruby><rb>牡犬</rb><rt>おいぬ</rt></ruby>と強い<ruby><rb>牝犬</rb><rt>めいぬ</rt></ruby>の恋を追って歩く弱い牡犬のように、首と尻尾を垂れて、二人の姿を追って、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>までも、ウロウロ<ruby><rb>従</rb><rt>つ</rt></ruby>いて行く深沢深だったのです。

その間に三室銀子は花々しく楽壇にデビューし、その美しい声と、可憐な表情でたった一ぺんに、人気の絶頂に押し上げられました。左近倉平が伴奏を買って出たことは、兎角の噂を生んだにしても、二十世紀の初頭に名歌手エレナ・ゲルハルトが、名指揮者のニキシュの伴奏でデビューしたのと、ほぼ同じような効果を納めたことは言うまでもありません。

その頃から深沢深は、三室銀子と左近倉平を追うのをやめてしまいました。力およばないと覚って、諦めたのだろう――と、楽壇の雀共は噂をしましたが、深沢はアパートの四畳半に籠って、その頃から又三年前の熱心な作曲生活に入ったことは、私共深沢の友人達だけがよく知っている消息でした。

三室銀子の人気は、まさに日の出の勢で、半歳の後には、完全に若い歌い手達を征服して、リーデ歌いとしては、<ruby><rb>殆</rb><rt>ほと</rt></ruby>んど第一人者と言われるようになりました。続いて三室銀子の洋行説などが伝わり、左近倉平などという中老の作曲家が、その影身に添うようにウロウロすることが、三室銀子の人気に<ruby><rb>障</rb><rt>さわ</rt></ruby>るようにまで、世界が変って来たのです。

<ruby><rb>此儘</rb><rt>このまま</rt></ruby>で行ったら事情はどう発展したかわかりませんが、翌年の夏頃から銀子は次第にその美しい声をスポイルして、秋口にはもう舞台に立つことさえむつかしくなっておりました。

楽壇にデビューしてからたった一年、それは華々しくはあったが、短く<ruby><rb>儚</rb><rt>はか</rt></ruby>ない人気でした。「三室銀子は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>へ行く――」例のうるさい雀共がそう<ruby><rb>噂</rb><rt>さえず</rt></ruby>り交した時、当の三室銀子と左近倉平との結婚話が持ち上ったのです。

左近倉平は、それは四度目の結婚でした。

「畜生ッ、うまい事をやりやがる」「あの世へ行ったら、誰が一体左近倉平の左に座るだろう。俺は少くともあの男の結婚式に三度招待されたが」――そんな噂が、例のポマードをつけた雀共に、うるさく囀られました。

世間が<ruby><rb>無暗</rb><rt>むやみ</rt></ruby>に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やっかん</span>だのも無理のないことでした。その時左近倉平は四十六歳、頭のてっぺんはひどく薄くなって、<ruby><rb>両鬢</rb><rt>りょうびん</rt></ruby>に霜を降らせているのに、花嫁の銀子は美しい声を失って楽壇を退いたとはいうものの、可愛らしさに磨きがかかって、婿君の左近倉平の半分と言いたい、二十五になったばかりの、ピカピカする花嫁だったのです。

この噂を、深沢深は冷静に<ruby><rb>受取</rb><rt>うけと</rt></ruby>りました。そして諦め切った姿で、二人の婚礼の雑用をさばき、その頃<ruby><rb>流行</rb><rt>はや</rt></ruby>った音楽結婚の式を挙げるために、山ノ手ビルディングのホールまでも借り受け、飾付万端の指図までしておりました。

## 五

左近倉平と三室銀子の結婚式は、その日午後二時から、山ノ手ビルのホールでとり行われました。

会場に臨んだのは、楽壇関係者、友人、近親など、二百人も越えたでしょう。四度目の結婚では、さすがに神仏にも見放されたものか、むずかしい儀式は一切抜きにして、仲人の挨拶、当人達の宣誓があって、来賓の短い祝辞が二つ三つ、それが済むと――いや済むのを待っていたように、音楽結婚を特色づける数々の余興が始まったのです。

最初は左近倉平の指揮する管絃楽団を、友人<ruby><rb>某</rb><rt>なにがし</rt></ruby>が代って指揮して、「白鳥の騎士」の「結婚行進曲」の演奏があり、続いてソプラノ独唱と合唱の「結婚カンタータ」があり、そして最後に当日の呼びもの、新郎左近倉平の門弟を代表して、深沢深の祝賀演奏があるのでした。

新郎左近倉平と新婦の銀子は、舞台の右手に、大して臆した色もなく<ruby><rb>差控</rb><rt>さしひか</rt></ruby>えました。黒い<ruby><rb>燕尾服</rb><rt>えんびふく</rt></ruby>も、指揮馴れのしている倉平にはよく身につき、長いスカートを引いた、銀子の白いドレスも、背の高い可愛らしい銀子には、申し分のない映りようです。

正面には司会者某博士と、式当日だけ雇われた媒酌人夫妻、そして舞台の左手にはグランド・ピアノを据えて、この日の真打、深沢深の出演を待っております。

二百人余りの聴衆は、不思議な予感に囚えられて、一瞬<ruby><rb>固唾</rb><rt>かたず</rt></ruby>を呑みました。舞台左手から<ruby><rb>滄浪</rb><rt>そうろう</rt></ruby>としてモーニング姿の深沢深が出て来たのです。

その髪の毛は浅ましくも乱れ、その足取りは波を渡る聖フランシスのようでした。幹事の紹介につれて、操り人形のようにガックリお辞儀をした顔を、フラフラと挙げると、藍を塗ったような真っ青な顔に、血走った眼がギラギラと燃えているではありませんか。

舞台の隅には、番組を書いた紙が貼り出されております。「結婚ラプソディ、深沢深作曲、作曲者演奏」とありますが、曲はもとより今日が初演で、作曲者の深沢深は自分一人の胸に秘めて、まだ誰にもその片鱗をも示しておりません。

ドカリと椅子に腰をおろした深沢深は、首を<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>と振り<ruby><rb>鬣</rb><rt>たてがみ</rt></ruby>のような長髪をかき上げて、いきなり象牙の<ruby><rb>鍵</rb><rt>キイ</rt></ruby>に指をおろしました。

単純な可愛らしい数小節が走ります。それは<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>メンデルスゾーンの結婚行進曲にも似た、他愛もない甘さを持ったものですが、やがて第二段に入ると、弔いの鐘のような、不吉な連打が低音部に起り、それが高音部の可愛らしい旋律を呑んで、青空に<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>る夕立雲のように、曲全体をおどろおどろしきものにしてしまいました。

聴衆は固唾を呑みました。「こんな筈ではなかったが――」といった、予想外な気持と、いつ一と<ruby><rb>雷鳴</rb><rt>かみなり</rt></ruby>来るかも知れない不思議な予感に脅えたのです。

曲は暫く可憐な明朗な第一主題と、不気味で単純な第二主題との絡み合いになりました。<ruby><rb>貪婪</rb><rt>どんらん</rt></ruby>で執拗で薄黒くて不気味なくせに、不思議な媚を含んだ第二主題は、兎もすれば<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぎ逃げ廻る第一主題を圧倒して、曲の第二段は終ります。

続いて起る第三段は、更に悪魔的で、そして獰猛でさえありました。不吉な単純な音の連打と、悪魔の息吹のような、不協和音の大氾濫といった方が宜いかもわかりません。それは、正に世界の最後の日のために用意された、悪魔の大軍が、人間の罪を鳴らすために地獄の底から吹き送る音楽と言った方が適切だったでしょう。

深沢深の手は憑かれたもののように鍵盤の上に踊って、その長髪は牡獅子の鬣さながらに燃え上りました。ゆらゆらと動く上半身、<ruby><rb>真</rb><rt>ま</rt></ruby>っ<ruby><rb>蒼</rb><rt>さお</rt></ruby>になった顔、まさに冥府の音楽家が、人間を呪う姿と言っても差支えないものでしょう。

音楽は益々奔騰して、あらゆる呪いと<ruby><rb>怨嗟</rb><rt>えんさ</rt></ruby>と叱咤を続けました。それは人類への葬送行進曲であり、世界滅亡への前奏曲でもありました。

場内は死の如く静まり返っております。二百の聴衆は憑かれたもののように押し黙って、最早しわぶき一つするものも無く、まして<ruby><rb>立上</rb><rt>たちあが</rt></ruby>って、深沢深のこの不都合な演奏を止めようとする者もありません。

舞台の花嫁は、その身に着けた白のドレスよりも白くなって、恐怖と悔恨に、身動きもならず、花婿の左近倉平は起ったり、坐ったり、坐ったり、起ったり、手を出したり口を開いたり、機械人形の無意味な動きを続けております。

曲は益々熱を帯びて、百人の妖魔が、さながら空中に踊り狂うとばかり、鼓を鳴らして、<ruby><rb>此</rb><rt>こ</rt></ruby>の世の正しからざるもの、偽れるもの、汚れたるものにいどみかかります。場内の空気が深沢深の指の先に引き廻されて、この儘八寒地獄の底に叩き込まれるのではあるまいか？　――興奮はまさに最高潮に達しました。

この時、舞台の背後の<ruby><rb>人気</rb><rt>ひとけ</rt></ruby>の無かった筈の楽屋裏から、同じくピアノのいとも清らかな音が<ruby><rb>朗</rb><rt>ほがらか</rt></ruby>にと響き始めたのです。

それは、楽聖ヨハン・セバスチャン・バッハのあの神聖な「ハ長調の前奏曲と遁走曲」の、いとも控え目な、そして静かな調べではありませんか。

それは弱々しく、小さい音ではありましたが、その清らかな<ruby><rb>調</rb><rt>しらべ</rt></ruby>は次第次第に力を加え、やがて深沢深の演奏する邪悪な呪いの曲を引き千切り、支離滅裂に押えつけて、天楽のように高鳴るのです。

深沢深は幾度かそれを迎え討つように、気違い染みた演奏を続けましたが、<ruby><rb>終</rb><rt>しまい</rt></ruby>には朗々と場内一パイに響き渡るバッハの音楽に圧倒されて、指を休めたまま<ruby><rb>凝</rb><rt>じ</rt></ruby>っと聴き入る外はなかったのです。

幾度か繰り返したバッハの音楽の、最後の一小節が終ると、

「俺は負けた」

深沢深はガクリと肩を落しましたが、新郎新婦の方を一と眼、ハッと気を<ruby><rb>取直</rb><rt>とりなお</rt></ruby>して、獅子の鬣の毛がライオンの頭のようにユラユラと逆立ったと見るや、ピアノの上に、バタリと上半身を俯伏せました。

「あッ、血」

どっと象牙の鍵盤をひたした<ruby><rb>碧血</rb><rt>へきけつ</rt></ruby>――

振り上げた深沢深の顔から胸へ、一杯の血が流れているのです。

ピアノを離れた深沢深は、その儘聴衆の方を向いて立上りました。そして、驚き呆れる聴衆に向ってこう言うのでした。

「私はこの儘死ぬかも知れない、――ひどい喀血だ、――が、死ぬ前に一言、芸術の神聖のために言って置く、――『お江戸ファンタジー』と『にっぽんシンフォニー』の二曲は、あれは左近倉平の作曲でなない、――左近倉平は山師でペテン男で、小器用な小唄は作れるが、本格の大曲などを作れる人間ではない、――あれは<ruby><rb>皆</rb><rt>み</rt></ruby>んなこの深沢深の作曲したものだ。左近倉平はそれを、この深沢の貧乏につけ込んで、一曲五十円ずつで買い取ったのだ。ただ併し、発表の名誉は左近倉平のものでも、芸術そのものはこの深沢深のものだ。丁度花嫁銀子の肉体は左近倉平のものでも、あの魂はおれのものだと同じように――だがおれはもうだめだ」

そう言いかけた深沢沢は、二度目の喀血に力尽きて、舞台の上に<ruby><rb>崩折</rb><rt>くずお</rt></ruby>れてしまいました。

## フィナーレ

「それから、どうなったかと仰しゃるのですか、――それは皆様も大方御存じでしょう。左近倉平は一ぺんに名声を失って、行方不明になり、銀子はそれっ切り夫のある寡婦になってしまいました。

深沢深は我々友人達の介抱で、ひどい喀血でしたが<ruby><rb>幸</rb><rt>さいわい</rt></ruby>に助かって、今は湘南のある別荘で静養しておりますが、もう心身共に健康を取り戻して、次の大作に取りかかっております。

もう一つ、舞台裏の稽古ピアノで、バッハの『前奏曲と遁走曲＝ハ長調』を弾いたのが誰だと仰しゃるのですか？　――それは今日まで秘密になっておりましたが、実は左近倉平の二度目の夫人で、左近倉平に捨てられた女流ピアニストの<ruby><rb>伊井法子</rb><rt>いいのりこ</rt></ruby>その人だったのです。伊井法子は左近倉平に騙され捨てられて、その一生をめちゃめちゃにしてしまったが、なんとかして前の夫の倉平に反省させ、<ruby><rb>犠牲</rb><rt>いけにえ</rt></ruby>の花嫁銀子にも傷をつけず、復讐の鬼になっている深沢深も助けたいと思い、楽屋に駆け込んで、あの神聖な曲を弾いたのだそうです。

伊井法子は、前夫の左近倉平が、三室銀子に楽壇を断念させて、自分の懐へ飛込んで来るように、特殊の水銀剤を呑ませて、あの美しい声をつぶさした、恐ろしい秘密まで知っているのでした。

深沢深は驚くべき天才でした。私は併し『呪いの曲、結婚ラプソディ』の出来栄えをほめ称えるためにこの話を申し上げるのではありません。私は実にこの世の中にはヨハン・セバスチャン・バッハの音楽のような、神聖なものがあるということを知って頂きたかったのです」

話し手の小塚金太郎は、呆気にとられている聴衆の顔を見渡しながら、満足そうに壇を下るのでした。