## プロローグ

「徳川時代の大名生活のただれ切った馬鹿馬鹿しさは話しても話しても話し切れませんが、私にもその一つ、取って置きの面白い話があるのです」

話し手の<ruby><rb>宇佐美金太郎</rb><rt>うさみきんたろう</rt></ruby>は、こんな調子で始めました。飴の中から<ruby><rb>飛出</rb><rt>とびだ</rt></ruby>したような愉快な江戸っ子で、大柄の縞の背広は着ておりますが、その上から<ruby><rb>白木綿</rb><rt>しろもめん</rt></ruby>の三尺を締めて、背広に<ruby><rb>弥蔵</rb><rt>やぞう</rt></ruby>でもこさえたい人柄です。

「私の話は、大名が乞食になった話で、こいつは、<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>でお聴かせするのが<ruby><rb>勿体</rb><rt>もったい</rt></ruby>ないような筋です。――大名というのは、肥前島原四万石の城主、<ruby><rb>高力左近太夫高長</rb><rt>こうりきさこんだゆうたかなが</rt></ruby>の惣領で、同苗<ruby><rb>伊予守忠弘</rb><rt>いよのかみただひろ</rt></ruby>、水の垂れるような好い男、もっとも曾祖父は有名な高力<ruby><rb>与三右衛門清長</rb><rt>よざえもんきよなが</rt></ruby>といって、これが徳川家康の<ruby><rb>股肱</rb><rt>ここう</rt></ruby>、家康の若い頃、三河国の三奉行として『仏高力、鬼<ruby><rb>作左</rb><rt>さくざ</rt></ruby>、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">どちへんなし</span>の<ruby><rb>天野三郎兵衛</rb><rt>あまのさぶろべえ</rt></ruby>』といわれた名臣です」

宇佐美金太郎はなかなかの話術家です。

「枕が少し固くなりましたが、あとがグッと柔かくなりますから、<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>く我慢をしてお聴きを願います。――寛永十五年島原の<ruby><rb>切支丹</rb><rt>きりしたん</rt></ruby>宗徒の乱が平定したとき、祖父の<ruby><rb>摂津守忠房</rb><rt>せっつのかみただふさ</rt></ruby>島原城主として四万石を<ruby><rb>食</rb><rt>は</rt></ruby>みましたが、間もなく旅先で歿し、父の左近太夫高長その<ruby><rb>封</rb><rt>ほう</rt></ruby>を継ぎました。仏高力といわれた与三右衛門清長の孫の癖に、その政治が<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しくなかったらしく、徳川幕府の公の記録ともいうべき『寛政重修諸家譜』などを見ると、簡単に『家臣等の掟正しからず、下を苦しめ、その身の<ruby><rb>奢</rb><rt>おごり</rt></ruby>を極むること上聞に達し』とあるだけで、詳しいことは<ruby><rb>何</rb><rt>な</rt></ruby>んにもわかりませんが、ともかく、寛文八年には所領を没収されております。徳川の幕臣で明治の日本文壇に活躍した、史家の<ruby><rb>戸川残花</rb><rt>とがわざんか</rt></ruby>先生なども、『詳細なること後世に伝わらず、高長は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる行状なりしか知らずといえども<ruby><rb>云々</rb><rt>うんぬん</rt></ruby>』と書いております」

宇佐美金太郎の話はますます固くなりますが、本人は後の発展に自信を持ったものか、大した手加減もなく、グングンその筋を進めて行きます。

「――いや、わからない<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>で――わかっても幕府の編纂した系譜には<ruby><rb>明</rb><rt>あか</rt></ruby>らさまに書けない筈でありました。左近太夫高長は当主で名義人であったには相違ありませんが、<ruby><rb>此時</rb><rt>このとき</rt></ruby>最早六十歳を越し、中風で廃人も同様、国の政治や江戸藩邸の命令は、その惣領で、若くて美男で物好きで、インテリで、少し奇矯にさえ見えた伊予守忠弘が一手に<ruby><rb>引受</rb><rt>ひきう</rt></ruby>けて采配を<ruby><rb>揮</rb><rt>ふる</rt></ruby>っていたのです。これが恋の殉教者で、乞食志願者であったのですから、手の付けようがありません。甚だ高慢臭くて恐縮ですが、少しく日記の中から筋を抽出し、小説風に潤色してお話を進めることにいたしましょう」

話し手のプロローグはこれで<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く終りましたが、宇佐美金太郎君の引用癖考証癖は、これで完全に<ruby><rb>打切</rb><rt>うちき</rt></ruby>られたわけではありません。

## 一

江戸の大火の恐しさは、関東の震火災から、ツイ先年の戦火災を御経験の方は、よくおわかりのことと思います。徳川時代にも幾度か恐しい大火がありましたが、そのうちで最もひどかったのは、明暦三年正月十八日、本郷丸山本妙寺から起った、いわゆる、振袖火事で、この<ruby><rb>因縁</rb><rt>ゆかり</rt></ruby>が怪談じみているのと、災禍の大きかったことは、まことに後人の肝を冷させるものがあります。

この時の延焼は八百余町に及び、江戸城の本丸、二ノ丸、三ノ丸を炎上し、焼死者実に十万七千人という数字です。その頃の江戸の人口は、恐らく五十万以上では無かったでしょうから、罹災等の比率は大変なものになります。その時引取手の無い死骸を本所牛島新田に埋め、その上に築いた<ruby><rb>伽藍</rb><rt>がらん</rt></ruby>がすなわち<ruby><rb>回向院</rb><rt>えこういん</rt></ruby>――そんなことはもう講釈種で皆様よくご存じのことと思います。

宇佐美金太郎の話は、いよいよ大掛りですが、調子は少し講釈師染みて、要領よく<ruby><rb>聴手</rb><rt>ききて</rt></ruby>の注意を掴んで行きます。

高力家の屋敷は半蔵門外で、そちらに当主の左近太夫高長は病を養っておりますが、御嫡の伊予守忠弘は神田松永町の中屋敷に、古文真宝に構えた用人<ruby><rb>朝倉忠左衛門</rb><rt>あさくらちゅうざえもん</rt></ruby>と一緒に住んでいるのでした。この朝倉忠左衛門は、まだ五十になったばかりの中老人ですが、慶元両度の戦に武功を立て、お家万代の<ruby><rb>礎石</rb><rt>いしずえ</rt></ruby>を据えたと信じている大変な<ruby><rb>親爺</rb><rt>おやじ</rt></ruby>で、口やかましい事と、腕っ節の強いことでは江戸屋敷中の評判者、父左近太夫がこれを若いインテリの<ruby><rb>倅</rb><rt>せがれ</rt></ruby>伊予守に付けて置いたのはまことにその人を得たものというべきであります。

明暦三年正月十八日の真昼、本郷丸山本妙寺の庭で焼いた<ruby><rb>呪</rb><rt>のろい</rt></ruby>の振袖が、一陣の狂風にあおられて寺の本堂の屋根に絡み、それが魔の火となって、見る見る本妙寺の七堂伽藍を焼き払い、火先は疾風に乗って、アッというまに本郷台から神田へと燃え下ったのです。高力家の中屋敷の面々も、最初は川向うの火事のような心持で眺めておりましたが、

「これは危い」なと気がついた時は、八方猛火の壁に囲まれて、中屋敷はまことに<ruby><rb>竃</rb><rt>かま</rt></ruby>の中に投げ込んだ一片の木の葉としか見えませんでした。

「若君様には、とにもかくにも、裏門外の川岸にお<ruby><rb>立退</rb><rt>たちの</rt></ruby>きを願います。<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>にはこの朝倉忠左衛門最後まで踏み<ruby><rb>止</rb><rt>とどま</rt></ruby>って、火の手と闘いますでございましょう」

「危いよ、爺や、一緒に逃げてはどうだ」

若君の伊予守忠弘は、手を取らぬばかりに勧めましたが、朝倉忠左衛門は頑として頭を振り、若くて元気な小者数人を号令して、襲いかかる焔の壁に取り組んで居ります。この時伊予守忠弘の左右に従った者は<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに青侍と御女中が二三人、それも雨の如く降る火の子に追われて、夕景過ぎ川の岸にポツンと立っているのは、伊予守たった一人になってしまいました。

雪模様の鉛色の空に、江戸の大半を焼く紅蓮の<ruby><rb>焔</rb><rt>ほのお</rt></ruby>が照り返して、梨地の様に降りしきる火の子、それを辛くも袖で払いながら、カッと左右から焼き立てられる火勢を避くるともなく忠弘は、真っ黒な水のほとりに近々と立っていたのです。

「ちょいと御武家様」

「――――」

どこからともなく、柔かくて静かで、そして愛撫するような声が聴えます。地獄絵巻のような凄まじい環境――死物狂いの絶叫と、焔の咆哮と、雪片に<ruby><rb>交</rb><rt>まじわ</rt></ruby>る火の粉の渦巻の中に、それはまたなんという、そぐわない、優しい声でしょう。

「御武家様、そこではお危うございます、宜しかったら――本当に宜しかったら、こちらへお<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でなさいませ」

声は紛れもない足の下、真っ黒な水の中から起るではありませんか。

「舟の中か」

のぞくと脚下十数尺、火の粉の空を映した、真っ黒な夜の水に、形ばかりのとまを掛けた一艘の小舟、その<ruby><rb>舳</rb><rt>みよし</rt></ruby>に立って若い女が、喉のあたり白々と、焔に追われて危うく岸に立った、伊予守忠弘を見上げているのでした。

「左様でございます。そこはお危うございます。石垣の段々を伝わって、降りていらっしゃいませ」

「<ruby><rb>辱</rb><rt>かたじ</rt></ruby>けない」

今は遠慮も辞儀もありませんでした。伊予守忠弘は馴れぬ足つきで、石の段々を踏んで転げるように下へ――

「あっ、お危うございます」

舟の中から、十九歳の忠弘の身体を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やんわり</span>と抱き取ってくれたのは、なんと若いつる草のような感じのする異香<ruby><rb>馥郁</rb><rt>ふくいく</rt></ruby>たる女だったのです。

折から高力家の下屋敷は、朝倉忠左衛門以下幾人かの尊い生霊を呑んだまま、恐ろしい音と共に焼け落ちました。石垣の上に揚った巨大な火柱が、カッと中天の雪雲を焼くと、一瞬舟の中は真昼のように明るくなってしまいます。

「――――」

伊予守忠弘――十九歳になる四万石の若殿様は、危うく声を立てるところでした。

自分の屋敷の燃え落ちる焔の光の中に、実に運命的なものを見てしまったのです。

自分の弾みのついた<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>を<ruby><rb>受止</rb><rt>うけと</rt></ruby>めて、近々と寄せた女の顔、眉毛、唇――焔の色に燃えて、カッと赤くはなって居りましたが、それこそは、伊予守忠弘が日頃見慣れている、<ruby><rb>椎茸髱</rb><rt>しいたけたぼ</rt></ruby>に厚化粧で、笹紅を含んだ御守殿風の女とは、およそ対蹠的な存在でした。野生的で情熱的で脂っ気も<ruby><rb>白粉</rb><rt>おしろい</rt></ruby>っ気もない女の魅力というものを、十九歳の殿様は初めて身近に感じたのです。

年の頃は<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>そこそこ、色は少し浅黒い方、にっこりすると美しい歯並みが見えて、少しも<ruby><rb>鉄醤</rb><rt>おはぐろ</rt></ruby>臭くないのが、まず忠弘には嬉しい風俗でした。肩の当った木綿物らしい、ひどく粗末な<ruby><rb>袷</rb><rt>あわせ</rt></ruby>も、黒っぽい帯も、忠弘がかつて見たこともないほどお粗末なものですが、そのお粗末な装束に処女の体臭と、それから名香をたきしめたとしか思えぬ幽雅な匂いが漂って、十九歳の殿様をうっとりさせずにはおきません。

## 二

「兄を待って居りましたが、この火事に<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>を<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>がれて<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>かへ廻ったことと存じます、――いえ、いえ、火に巻かれて間違いを起すような人ではございません、――<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>も<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>も大川へ漕ぎ出して様子を見た上、深川の<ruby><rb>叔母</rb><rt>おば</rt></ruby>のところへでも参りましょう、――それとも御武家様、どこかへお送りいたしましょうか」

若い女はそういって立上ると、ともづなを解いた舟を中流に<ruby><rb>押出</rb><rt>おしだ</rt></ruby>します。

「私は舟は不得手だが――」

伊予守忠弘は、そういうのが精一杯でした。

「舟は私が漕ぎます、――恐れ入りますが、火の粉が飛んで来て、とまへ火が付きそうになりましたら、その水垢<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くみ</span>の長<ruby><rb>柄杓</rb><rt>ひしゃく</rt></ruby>で、水をお掛け下さいませ」

女は何んの躊躇もなく<ruby><rb>艪</rb><rt>ろ</rt></ruby>に寄ると、至って器用に漕ぎ始めながら、<ruby><rb>蟠</rb><rt>わだかま</rt></ruby>りのない調子で、――こう忠弘に用事をいいつけるのでした。従五位下伊予守忠弘<ruby><rb>臍</rb><rt>へそ</rt></ruby>の緒切って以来、人に物をいい付けられたのは、これが始めて、十九歳の殿様に取って、それが又、ゾクゾクするほど嬉しくてたまらなかったのです。

舟はやがて両岸の焔の<ruby><rb>屏風</rb><rt>びょうぶ</rt></ruby>を潜り抜け、おびただしい避難の舟の間を縫って一刻ほどの苦心の後漸く大川へ出ました。

「ここまで来ればもう大丈夫でございます」

女は艪を捨てて、忠弘の側に来て坐りました。たった一枚の<ruby><rb>薄縁</rb><rt>うすべり</rt></ruby>、後ろ手に両手を突いて、胸を反らせて大きい呼吸をする女の肩が、ともすれば男の肩に触れて――あッ、又あの馥郁たる異香が――

「疲れたであろうな」

伊予守には名君が臣下をいたわるというよりは、幼い弟が姉に甘えるような調子がありました。

「馴れないものですから、――こんなに」

忠弘の前に<ruby><rb>差出</rb><rt>さしだ</rt></ruby>して、パッと開いた女の<ruby><rb>両掌</rb><rt>りょうて</rt></ruby>は、ひどい血まめで痛々しく<ruby><rb>脹</rb><rt>は</rt></ruby>れ上って居ります。

「痛いだろうな」

「気が張っておりますから、大したことはございません、――でもいい<ruby><rb>按排</rb><rt>あんばい</rt></ruby>でございました。今頃まで<ruby><rb>愚図愚図</rb><rt>ぐずぐず</rt></ruby>していたら、どんな事になったかわかりません」

女はそういって、思い出したように、潜り抜けて来た焔の壁――江戸を焼き立てている紅蓮の劫火を顧みて、そっと衿をかき合わせるのです。

<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby><ruby><rb>緩</rb><rt>ゆる</rt></ruby>い引き汐で、舟は放って置いても静かに<ruby><rb>永代</rb><rt>えいたい</rt></ruby>の方へ流れております。水の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>一パイの避難船ですが、まださすがにこの辺までは燃え拡がらず、明日の運命を知らぬ江戸の町人達は、さすが不安にさいなまれながらも日本橋、築地あたりは、まだ立退きの支度もしてはおりません。

「御夕食はお済みでございますか」

女は何やら風呂敷を解きながら、忠弘に訊ねました。

「いや、昼の食事もしなかった」

出火のドサクサに紛れて、忠弘は昼の膳も取らなかったのです。

「兄の弁当がございます、召し上っては下さいませんか、精一杯綺麗に作った<ruby><rb>積</rb><rt>つも</rt></ruby>りですが」

女は風呂敷の中から、二つ重ねの小さい重箱を出して上の一つを伊予守忠弘にすすめるのでした。

「辱けない、御造作に預かる」

忠弘はそう四角几帳面に礼を言って、弁当の箸を取るほど打ちとけていたのです。

<ruby><rb>素</rb><rt>もと</rt></ruby>より簡素な食事で、大名の倅の忠弘から見れば、これで人間が生きて行くのが不思議な位ですが、<ruby><rb>餓</rb><rt>ひも</rt></ruby>じい時の何んとやらで、<ruby><rb>沢庵</rb><rt>たくあん</rt></ruby>の尻尾も照り<ruby><rb>田作</rb><rt>ごまめ</rt></ruby>も、時に取っての珍味でないものはありません。

食事が済むと、女は立ってもう一度櫓に寄りました。あの凄まじい豆の手で漕ぐのかと思うと、考えただけでも、寒気がしますが、女の辛抱強さはまことに非凡で、恐ろしい努力の後、永代の深川寄りの岸に着けたのは、その夜もやがて<ruby><rb>亥刻</rb><rt>いつつ</rt></ruby>半（十一時）過ぎる頃でした。

振り返ると本郷から神田の空へかけて、まだ燃えさかる焔を映して真赤、咆え狂う北風に煽られて、この劫火はいつ消えるとも見当はつきません。

「いらっしゃる<ruby><rb>当</rb><rt>あて</rt></ruby>が無ければ、八幡前の私の叔母の家へ参りましょう。それは気の置けない人ですが」

「左様いたそうか」

伊予守忠弘は、今ではこの女の意志に<ruby><rb>引摺</rb><rt>ひきず</rt></ruby>られる<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>はありません。山の手一円の火の海で避難者の気違い染みた奔流が、あらゆる道という道を封じているので、これを押し切って、半蔵門外の上屋敷に<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>け付けることなどは思いも寄らなかったのです。

八幡前はさすがに静かでした。とある狭い路地を入って、薄暗い格子戸の前に立った女は、暫く叩いたり、声をかけたり、格子を押したり引いたりしておりましたが、

「叔母さんは留守かしら、随分<ruby><rb>呑気</rb><rt>のんき</rt></ruby>ねえ」

薄暗い中で忠弘を顧みて<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">にっこり</span>すると、そのまま裏へ廻って、案内知ったお勝手口から入り、表へ突き抜けて格子をあけてくれました。

伊予守忠弘はこうして生れて初めて、町人の貧し気な家の中に招じ入れられたのです。女が火打箱を捜して灯を点けて、炭を起して湯を沸し、熱いお茶を淹れてくれるまで、忠弘は煎餅になった座布団の上で、神妙に待っておりました。

「寒かったでしょう、まず熱いお茶を召し上って下さい――私も頂きますわ」

女は<ruby><rb>行灯</rb><rt>あんどん</rt></ruby>を中にして、忠弘と相対しました。静かに見るとこの女の素性はますますわからなくなります。色の浅黒さと、眼元の涼しさと、そして聡明らしさから来る抜群の魅力と、健康と野性と、情熱で醸し出された不思議の肉感が、若い殿様をグイグイと<ruby><rb>捕虜</rb><rt>とりこ</rt></ruby>にしてゆきます。

「叔母さんはこの騒ぎに驚いて、どっかへ行ってしまったのでしょう。でも構いませんわ、御都合の宜しい時まで、ゆっくり泊っていらっしゃいませ」

「辱けない、が、お前の兄とやらは？」

「浅草の裏に家がありますが、<ruby><rb>彼方</rb><rt>あっち</rt></ruby>も火になった様子です。いずれここへ参りますでしょう」

話が尽きると、若い二人は継穂もなく黙り込んでしまいました。それにこの女の様子が、見れば見るほど腑に落ちないところがあります。<ruby><rb>身扮</rb><rt>みなり</rt></ruby>は恐ろしく粗末ですが言葉には武家育ちの匂いがあり、<ruby><rb>取</rb><rt>とり</rt></ruby>なしはテキパキとして、勝れた気性を見せますが、顔や<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>の表情は娘々して、ナイーヴな魅力を発散するのです。

どうかしたらこの見る影もない粗末な着物に、名ある香でも焚きしめているのでは無いでしょうか、忠弘はそんな事まで考えているのでした。

## 三

火事は<ruby><rb>翌</rb><rt>あく</rt></ruby>る日も燃え続け、江戸城の本丸まで焼いて、三日目の正月二十日に漸く鎮まりました。その<ruby><rb>翌</rb><rt>あく</rt></ruby>る日の二十一日<ruby><rb>迄</rb><rt>まで</rt></ruby>三日三晩、伊予守忠弘は、八幡前の小さい町家に、素性も知れぬ美しい女とたった二人差向いで暮さなければならなかったのです。

叔母さんは<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>へか行ったまま帰らず、兄とやらもその<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>姿を見せず、二人は全く途方に暮れながら、ここに籠って、江戸の町々の秩序と町人武家共の常識を取戻すのを待つ外はなかったのでした。

その三日三晩の間、この若い二人の男女は、どんな生活をしていたことか、それは歴史も伝説も伝えてはおりません。<ruby><rb>但</rb><rt>ただ</rt></ruby>し、二人共純潔であるにしては、あまりにも若く、そしてあまりにも美しく、周囲の事情と境遇が、あまりにも刺戟的であったことは事実でした。

四日目の朝、形ばかりの食事を済ませると、

「<ruby><rb>芳江</rb><rt>よしえ</rt></ruby>」

「ハイ」

「私はもう帰らなければならぬが」

当然来なければならぬ時が来たのです。大火が納まって、江戸の町々が元の静けさに返ると、伊予守忠弘は、幸いその辺は劫火を免れたという半蔵門外の上屋敷に駆け付けて、病める父左近太夫を見舞わなければならなかったのです。

「又、いつお目にかかれるでしょうか」

「いつでも、お前の望む時来よう、イヤ、それより、明日にもお前を屋敷に引取ろう」

「お屋敷と<ruby><rb>仰</rb><rt>おっ</rt></ruby>しゃるのは」

「松永町の焼けたのは中屋敷、――上屋敷は半蔵門外にある、高力左近太夫――それは私の父親、私は伊予守忠弘」

「えッ」

何気なくいう忠弘の言葉を聴くと、芳江はサッと顔色を変えました。

「ところで、お前も唯の町人の娘ではないようだ、親は？　兄は？　何んと申す」

「それはあの」

「そして家は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>だ」

「それは<ruby><rb>申上</rb><rt>もうしあ</rt></ruby>げ兼ねますが」

「何んという」

それは思いも寄らぬ気まずい別れでした。忠弘の身分が、並々ならぬことは、芳江も大方察していたようですが、それが肥前島原四万石の城主、高力左近太夫の跡取で、伊予守忠弘と名乗られると、俄然として態度を変えてしまったのです。

その理由が何んであったか、どんなに訊ねても芳江の口を開ける<ruby><rb>由</rb><rt>よし</rt></ruby>もなく、強いて問えば、シクシクと泣き出すだけ、その痛々しい涙を見ると、伊予守忠弘も押して責め問う気力も無くなります。

その日の昼過ぎ、漸く心を取直した芳江に送られて、忠弘は半蔵門外の上屋敷に帰りました。

三宅坂まで行ったのは、もう夕暮。

「では、ここでお<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>いたします」

高力家上屋敷の門を遠く眺めて、芳江は立ち止りました。

「<ruby><rb>悪</rb><rt>あ</rt></ruby>しゅうは取計らわぬ、屋敷へ参らぬか、私のためには命の恩人のお前を、父上も憎うは<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>すまい」

忠弘は未練らしく足を留めます。

「いえ、私はお屋敷の門を潜れる身分ではございません。さらばで<ruby><rb>御座</rb><rt>ござ</rt></ruby>います、――<ruby><rb>果敢</rb><rt>はか</rt></ruby>ない御縁でございました、――でも、芳江のことを、<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>までもお忘れ下さいませんように」

「何を申すのだ、お前を一人帰してなるものか、一緒に来るがよい」

「いえいえ二人はどうせ無い縁でございます」

争う二人、――大名の若君と、町の<ruby><rb>賤</rb><rt>しず</rt></ruby>か<ruby><rb>女</rb><rt>の</rt></ruby>と、その不思議な図は、丁度通りかかった高力家の家来達によって掻き乱されてしまいました。

「あ、若殿」

「御無事で」

バラバラと駆け寄る人々、それを合図のように、芳江の姿は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>ともなく町の薄暗がりの中に隠れてしまいました。

## 四

伊予守忠弘は、こうして禁断の<ruby><rb>果実</rb><rt>このみ</rt></ruby>を味わったのです。忠弘には<ruby><rb>絹姫</rb><rt>きぬひめ</rt></ruby>という<ruby><rb>従兄妹</rb><rt>いとこ</rt></ruby>同士の<ruby><rb>許婚</rb><rt>いいなずげ</rt></ruby>があり、朝夕顔を合わせておりますが、絹姫の絵に描いたような端麗な美しさも、<ruby><rb>取済</rb><rt>とりすま</rt></ruby>したお行儀のよさも、学問諸芸の並々ならぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たしなみ</span>も、最早興味をひく対象ではなく、忠弘はその日から、芳江の情熱と野性と、そして不思議な聡明さに魅了されて、白日の夢を追う痴漢になり切ってしまったのです。

父の左近太夫は中風で生ける屍も同様、やかましやの老臣朝倉忠左衛門は火事の時死んで、高力の江戸屋敷に<ruby><rb>最早</rb><rt>もは</rt></ruby>や若殿忠弘を押える者はありません。

若殿は無事御帰還の騒ぎが一段落になった三日目、

「命の恩人を捜すのだから」

という名義で、忠弘は心ききたる家臣を深川八幡前の家へやって見ました。が、待ちに待ったその復命は、まことにもって予想外だったのです。

「恐れながら申上げます。深川八幡前の、御申付の家に参り、お<ruby><rb>鳥</rb><rt>とり</rt></ruby>と申す女に逢いました。賃仕事などをして細々とその日その日を送っている後家だと申すことでございます――が」

「そんな事はどうでもよい、そのお鳥の家に芳江と申す姪が居る筈だが」

「それがおりません」

「何んと申す」

「お鳥が申しますには、私には姪も甥もございません、五六日前から山の手の<ruby><rb>知合</rb><rt>しりあい</rt></ruby>の家へ泊り込みで仕事の手伝に行っている留守中、御近所の衆のお話では、若い女と男と二人で入り込み、夫婦気取りで泊っていたと申しますが、別に紛失物も無いので、御届もいたしません、――姪などと、<ruby><rb>飛</rb><rt>と</rt></ruby>んでもない、私は芳江という名を聴くのも初めてで、――と<ruby><rb>斯様</rb><rt>かよう</rt></ruby>に申します」

報告はまことに予想外でしたが、重ねて幾人家来をやって訊ねさしても、返事は同じことです。

そればかりでなく、高力家の捜索があまり<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うるさく</span>なると、叔母のお鳥もささやかな世帯を畳んで、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>ともなく引越してしまい、あとは全く捜しようも無い有様になってしまいました。

高力伊予守忠弘の悩みが、どんなに深刻なものであったか、この人の性格が純なだけに思いやられます。椎茸髱、<ruby><rb>白粉</rb><rt>おしろい</rt></ruby>、笹紅の御守殿に取かこまれ、<ruby><rb>許婚</rb><rt>いいなずけ</rt></ruby>の絹姫の<ruby><rb>﨟</rb><rt>ろう</rt></ruby>たき姿を見ながら、忠弘は悩みに悩みました。

可愛らしい<ruby><rb>掌</rb><rt>て</rt></ruby>を<ruby><rb>肉刺</rb><rt>まめ</rt></ruby>だらけにして、火の粉の中を漕ぎ抜けたあの女――継の当った木綿物を着ているくせに、名香の匂いを持った不思議な娘、野蛮な情熱と、聡明さとを兼ね備えた芳江――忠弘はその幻を追って、夜も昼も、うつらうつらと考え続けていたのです。

その時、近臣の一人、<ruby><rb>岡崎十次郎</rb><rt>おかざきじゅうじろう</rt></ruby>という者が現われました。放縦で、少し虚無的で、そして才気の鋭いこの男は、早くも若殿忠弘の悩みを察して、芳江兄妹の探索に乗り出してくれたのです。

「若殿、――芳江兄弟が見付かりました、深川の叔母お鳥の引越し先を捜し出し、当人に逢って、脅かしと金で引出したのでございますが――」

「どこだ、芳江はどこにいる」

皆まで聴かずに忠弘は<ruby><rb>乗出</rb><rt>のりだ</rt></ruby>します。

「芳江兄弟の隠れ家は突きとめましたが、大変な身分の者でございます。御関係はお家の<ruby><rb>瑕理</rb><rt>きず</rt></ruby>ともなりましょう、このままお思い止まり遊ばすよう、私からお願いいたします」

虚無的な岡崎十次郎がこんな事をいうのですから、それは余っ程変った素性でなければなりません。

「構わぬ、申せ――<ruby><rb>断</rb><rt>た</rt></ruby>って申せ」

高力忠弘はもう前後の考えもありませんでした。

「いたし方御座いません、申上げますが――芳江とその兄<ruby><rb>宗次郎</rb><rt>そうじろう</rt></ruby>は、非人頭、<ruby><rb>車善七</rb><rt>くるまぜんしち</rt></ruby>の配下に御座ります」

「えっ」

忠弘が驚いたのも無理はありません。その当時の<ruby><rb>暴戻</rb><rt>ぼうれい</rt></ruby>な制度や社会通念のために、人別を抜かれて非人の配下になったものが、世間からどんな屈辱的な待遇を受けていたか、恐らく今の人の想像も及ばないところでしょう。

「もっとも以前は身分ある者と聴きました。切支丹とやらの引っ掛りで人別を抜かれ、非人の配下にされたとやらで、袖乞いをするほど暮しに困るわけでもなく、心静かに釣などをして暮している<ruby><rb>相</rb><rt>そう</rt></ruby>でございます」

「――――」

「しかし、非人はやはり非人に相違御座いません、御掛り合い遊ばさぬのが上分別と存じます」

岡崎十次郎、<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>と通り世間並の<ruby><rb>諌</rb><rt>いまし</rt></ruby>めはしましたが、そんな<ruby><rb>生温</rb><rt>なまぬる</rt></ruby>いことで、諦める忠弘では無かったのです。

添い遂げることの出来ない相手と判ると、その思いは一段でした。遂には、

「その兄の宗次郎とやらを呼べ、<ruby><rb>直々</rb><rt>じきじき</rt></ruby>に逢って、元の身分に返せるものなら返してやる」

忠弘の乗出しようは尋常で無かったのですが、当時の大名屋敷が、どんな事情があるにしても、いや、いかなる強力な暴君といえども、非人を屋敷に<ruby><rb>呼入</rb><rt>よびい</rt></ruby>れることなどは思いも寄らなかったのです。万々一そんな事が大公儀の耳へ入ったら、踵をめぐらす<ruby><rb>遑</rb><rt>いとま</rt></ruby>もなく、家祿を没収されて幾百千人の家臣は路頭に迷うことでしょう。

「それはなりません、非人乞食を御屋敷に呼び入れるなどは<ruby><rb>以</rb><rt>もっ</rt></ruby>ての外で」

こうなると、多勢の家来の方が強く、まごまごしたら伊予守忠弘、詰め腹を切らされるかもわからない情勢だったのです。

## 五

残る手段はたった一つ、岡崎十次郎を案内に、浅草<ruby><rb>田圃</rb><rt>たんぼ</rt></ruby>に、宗次郎芳江兄弟の隠れ家を襲う外はありません。

若くて一本調子で、少し破壊的な考えの持主だった、伊予守忠弘は、早速実行に取りかかりました。

浅草田圃の夜、虫の音に取囲まれたような、凄まじくも風流な宗次郎の小屋へ、四万石の大名が芳江を訪れたのは、振袖火事から九ヶ月目、秋も終りのある夜のことです。

兄の宗次郎は、その時唐物の香炉に、銀葉を置いて、秘蔵の名香をたきながら、静かに歌書を<ruby><rb>繙</rb><rt>ひもと</rt></ruby>き、妹の芳江はその側で、兄の冬物のつくろいなどをしておりました。

「御免」

入って行った二人、――伊予守忠弘とその家来岡崎十次郎の顔を見て、兄妹はさすがに逃げもならず、互いに顔を見合せましたが、思い直した様子でいんぎんに迎えました。

兄の宗次郎というのは、三十前後の総髪、<ruby><rb>身扮</rb><rt>みなり</rt></ruby>は至って粗末ですが、見るからに智的な人物、岡崎十次郎が主人に代って来意を申入れたのに対して、

「大名の屋敷に非人が立入られないならば、非人の小屋に大名の立入るのも不都合では御座らぬか、お互いに<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>のつかぬうちに、<ruby><rb>速</rb><rt>すみや</rt></ruby>かに御立去りを願い<ruby><rb>度</rb><rt>た</rt></ruby>い」

剣もほろろの挨拶です。が、それに構わず、

「芳江」

「――――」

「芳江」

忠弘の声に引寄せられたように、芳江はその手の中に飛込んで泣いているのでした。

「お帰りを願いたい、でなければ、伊予守様も非人の仲間になられて、此小屋に入られては<ruby><rb>如何</rb><rt>いかが</rt></ruby>。――何を隠そうこの<ruby><rb>黒川</rb><rt>くろかわ</rt></ruby>宗次郎は、御領地島原の郷士、島原の乱後新領主高力様の苛政に<ruby><rb>煩</rb><rt>わずら</rt></ruby>わされ、切支丹軍徒を<ruby><rb>匿</rb><rt>かく</rt></ruby>まった罪とやらで人別を抜かれ、非人頭配下に落された者で御座る。御領主高力様御惣領の伊予守様が、我々仲間に入られれば誠に本望、黒川の祖先もさぞ苦笑いをいたすことで御座ろう」

「――――」

若い二人の恋愛情景を横目に、黒川宗次郎の長広舌は続くのです。

「見得も、義理も、付き合いも無い、乞食の暮しの<ruby><rb>長閑</rb><rt>のどか</rt></ruby>さはこの通り。行きたいところに行き、帰りたい時に帰り、橋の下も堂宮の縁の下もわが家にして、権勢にも富貴にも<ruby><rb>阿</rb><rt>おもね</rt></ruby>らぬ境遇の気楽さは食祿と家名に縛られて、牢獄の中にいる大名に比べて、どちらが本当の幸せであろう。それで三度の食事と風流には事欠かず、香もたけば歌も詠む」

「――――」

「仲間の者の義理堅さ、青天井の下に援け合う暮しの晴々しさは、権謀と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">きっ</span><ruby><rb>詐</rb><rt>さ</rt></ruby>に浮身をやつす、大名高家とは雲泥の違いで御座るぞ。ここには不義もなく不信もなく奸臣も無く、暴君も無い――」

月影の<ruby><rb>漏</rb><rt>もれ</rt></ruby>る小屋の中、一枚の<ruby><rb>莚</rb><rt>むしろ</rt></ruby>を分けて坐った<ruby><rb>兄妹</rb><rt>きょうだい</rt></ruby>は、四万石の大名の倅にこう存分の事をいうのでした。

「よし、私も非人乞食になろう、――十次郎、<ruby><rb>其方</rb><rt>そのほう</rt></ruby>は屋敷へ帰れ、高力の家は弟の<ruby><rb>秀長</rb><rt>ひでなが</rt></ruby>に立てさせるのだぞ」

伊予守忠弘は、ひた泣きに泣き<ruby><rb>濡</rb><rt>ぬれ</rt></ruby>る芳江の手を取りながら、敢然としてこういい切るのでした。

## フィナーレ

「此後の事はどうなったか――と仰しゃるのですか、寛文八年高力家は所領没収、左近太夫高長は仙台に、伊予守忠弘は出羽の庄内藩に預けられたというだけで十分でしょう。それは十七年後の貞享二年のことです。――身分の<ruby><rb>隔</rb><rt>へだた</rt></ruby>りの為に思う男女が添い遂げられないなどは今から考えると馬鹿馬鹿しい話ですが、ツイ此間まで日本という国では華族の結婚にさえ妙な制限があったではありませんか。まして遠い徳川時代、浄瑠璃読本にまでなった、<ruby><rb>座光寺源三郎</rb><rt>ざこうじげんざぶろう</rt></ruby>が、鳥追い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おこよ</span>と夫婦になって命までも失ったというのも、決して無理ではありません。――思えば暴虐極まる制度が随分長く続いたものですね。私はこういった旧制度の犠牲者達、命も身分も<ruby><rb>投出</rb><rt>なげだ</rt></ruby>した恋の戦士達に同情したい心持で一パイです。大名の子が乞食非人を志願したところで、今から考えると何んの変哲もないことですが、二百八十年前の人の心になって見ると、それは十分奇談としての値打があると思います」

宇佐美金太郎の話はこう終りました。