Soranoha

木曽道中記

きそどうちゅうき

饗庭 篁村

第一囘

鐵道の進歩は非常の速力を以て鐵軌レールを延長のばし道路の修繕は縣官の功名心の爲に山を削り谷を埋うづむ今ま三四年せば卷烟草一本吸ひ盡さぬ間に蝦夷ゑぞ長崎へも到りヱヘンといふ響きのうちに奈良大和へも遊ぶべし况いはんや手近の温泉塲など樋とひをかけて東京へ引くは今の間まなるべし昔の人が須磨明石の月も枴おふごにかけてふり賣にやせんと冷評せしは實地となること日を待たじ故に地方漫遊のまた名所古跡一覽のと云ふ人は少し出立でたちを我慢して居ながら伊勢の大神宮へ賽錢あぐる便利を待つたが宜よささうなものといふ人もあれど篁村くわうそん一種の癖へきありて「容易に得る樂みは其の分量薄し」といふヘチ理屈を付け旅も少しは草臥くたびれて辛い事の有るのが興多しあまり徃來の便を極めぬうち日本中を漫遊し都府を懸隔かけへだちたる地の風俗を交まぜ混こぜにならぬうちに見聞けんもんし山河やまかはも形を改ため勝手の違はぬうち觀て置きて歴史など讀む參考ともしまた古時いにしへ旅行のたやすからざりし有樣の一斑をも窺ひ交通の不便はいかほどなりしかを知らんと願ふこと多時なりしが暇。金。連つれの三みつ折合ずそれがため志しばかりで左さのみ長旅はせず繪圖の上へ涎よだれを垂して日を送りしが今度其の三ツ備はりたればいでや時を失ふべからず先づ木曾名所を探り西京さいきやう大坂を囘めぐり有馬ありまの温泉より神戸へ出て須磨明石を眺め紀州へ入いりて高野山へ上のぼり和歌の浦にて一首詠み熊野本宮の湯に入いりてもとの小栗と本復しと拍子にかゝれば機關からくりの云立いひたてめけど少しは古物類も覗のぞく爲に奈良へ𢌞りて古寺古社に詣まうで名張越なばりごえをして伊勢地に入いり大廟にぬかづき二見ヶ浦で日の出を拜み此所このところお目とまれば鐵道にて東海道を歸るの豫算なるたけ歩いてといふ注文三十日の日づもりで行くか歸るか分からねど太華山人たいくわさんじん。幸田露伴かうだろはん。梅花道人ばいくわだうじんの三人が揃つて行かうといふを幸ひ四人男出立いでたちを定め維時これとき明治廿三年四月の廿六日に本願の幾分を果すはじめの日と先づ木曾街道を西京さして上る間の記を平つたく木曾道中記とはなづけぬこれは此行四人とも別々に紀行を書き幸田露伴子は獨得の健筆を大阪朝日新聞社へ出いだして「乘興記じようきようき」と名づけ梅花道人は「をかしき」といふを讀賣新聞へ掲げ太華山人は「四月の櫻」と題して沿道の風土人情を細こまかに觀察して東京公論へ載するにつきまぎれぬ爲にしたるなり此の旅行の相談まとまるやあたかも娘の子が芝居見物の前の晩の如く何事も手につかず假初かりそめにも三十日のことなればやりかけたる博覽會の評も歸つてからまた見直すとした處で四五日分は書き溜てザツト片を付けねばならず彼是かれこれの取まぎれに何處どこへも暇乞いとまごひには出ず廿五日出社の戻りに須藤南翠すどうなんすゐ氏に出會ぬ偖さて羨やましき事よ我も來年は京阪漫遊と思ひ立ぬせめても心床こゝろゆかしに汝おんみの行を送らん特ことに木曾とありては玉味噌と蕎麥そばのみならん京味を忘れぬ爲め通り三丁目の嶋村にて汲まんと和田鷹城子わだおうじやうしと共に勸められ南翠氏が濱路はまぢもどきに馬琴ばきんそつくりの送りの詞ことばに久しく飮まぬ醉ゑひを盡し歸りがけに幸堂かうだう氏にまた止められ泥の如くなりて家に戻り明日あすは朝の五時に總勢此こゝに會合すれば其の用意せよと云ふだけが確にて夢は早くも名所繪圖の中うちに跳をどり入ぬ

第二囘

博覽會開設につき地方の人士雲の如くに東京に簇集あつまりきたる之これに就て或人説をなして米價騰貴の原因として其の日々にち〱費す所の石數こくすうを擧げたるがよし夫それまでにあらずとも地方は輕く東京は重き不平均は生じたるならん我々四人反對に東京より地方へ出て釣合をよくせんと四月廿六日の朝上野の山を横ぎりて六時發横川行の滊車に乘らんと急ぎしに冗口むだぐちといふ魔がさして停車塲ステーシヨンへ着く此時おそく彼時かのとき迅はやく滊笛一聲上野の森に烟けぶりを殘して滊車はつれなく出いでにけり此こゝが風流だ此の失策が妙だと自みづから慰むるは朝寐せし一人にて風流ごかしに和なだめられ滊車に乘おくれるが何が風流ぞと怒つたところで可笑をかしくもなければ我も苦笑ひして此方こなたを見れば雜踏こみあひの中を飄然として行く後ろつき菊五郎おとはやに似たる通仕立つうじたての翁おきなあり誰ぞと見れば幸堂得知かうだうとくち氏なり偖さては我々の行を送らんとして此こゝに來て逢はぬに本意ほいなく歸るならん送る人を却つて我々が送るも新しからずやと詞ことばはかけず後うしろについて幸堂氏の家まで到り此こゝに新たに送別會を開きぬ我三人に萬よろづの失策皆な酒より生ず旅中は特ことにつゝしむべしと一句を示す

一徳利ひとゝくりあとは蛙かはづの聲に寐よ

また新らしく瀧澤鎭彦たきざはうづひこ幸堂得知の兩氏に送られ九時の滊車に乘り横川までは何事もなく午後一時三十分に着せしが是からが英雄競くらべ此碓氷嶺このうすひたふげが歩く邪魔にならば小脇に抱へて何處どこぞ空地へ置てやらうと下駄揃にて歩み出いだせしが始めのうちこそ小石を蹴散し洒落しやれ散したれ坂下驛さかもとえきを過るころより我輩はしばらく措おいて同行どうぎやう三人の鼻の穴次第に擴がり吐つく息角立かどたち洒落も追々おひ〱苦しくなり最もうどの位來たらうとの弱音よわね梅花道人序開きをなしぬ横川に滊車を下おりて直すぐに碓氷の馬車鐵道に乘れば一人前四十錢にて五時頃までには輕井澤へ着きまた直ちに信越の鐵道に乘れば追分より先の宿しゆく小田井をだゐ(停車塲ステーシヨンは御代田みよだといふ)まで行くべきなれど其處そこが四天王とも云いはるゝ豪傑鐵道馬車より歩いて早く着いて見せんとしかも舊道の峠を上のぼりかけしが梅花道人兎角とかくに行なづむ樣子に力餅の茶店に風を入れ此こゝにて下駄を捨てゝ道人と露伴子は草鞋わらじとなりしが我と太華山人は此の下駄は我々の池月摺墨いけづきするすみなり木曾の山々を踏み凹くぼませて京三條の大橋を踏轟ふみとゞろかせて見せんものと二人を見て麓より吹上る風より冷かに笑ひつゝ先んじて上のぼる上りて頂上に近くなれば氣候は大おほいに東京とは變りて山風寒さぶし木の間がくれに山櫻の咲出たる千蔭翁ちかげをうが歌の「夏山のしげみがおくのしづけさに心の散らぬ花もありけり」とあるも思ひ出られて嬉しく頻しきりに景色を褒め行くうち山人汗を雫しづくと流して大草臥おほくたびれとなれば露伴子は此こゝぞと旅通を顯して飛ぶが如くに上のぼる此こゝに至つて不思議にも始め弱りし梅花道人ムク〱と強くなり山も震ふばかり力聲を出いだしサア僕が君の荷を持たうしつかりして上のぼり玉へと矢庭に山人の荷物と自分の荷を合せて引かつぎエイ〱聲に上りしは目ざましきまで感心なり拙者は中弱ちうよわりの氣味にて少し足は重けれど初日に江戸ツ子が泣なきを入れたりと云れんは殘念なればはづむ鼻息を念じこらへてナニサ左樣さうでもないのサと平氣をつくろひ輕井澤に下おりて鶴屋といふに着き風呂の先陣へ名乘て勇ましく風呂へ行きしが直ちには跨またぎて湯に入いられず少しく顏をしはめたり

第三囘

風流は寒さぶいものとは三馬さんばが下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も上野かうづけが信濃しなのとなり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありて寒さぶさは十度も強しといふ前は碓氷後うしろは淺間の底冷そこびえに峠で流せし汗冷たく身輕を旨むねの旅出立たびでたちわな〱震ふばかりなり宿の女子をなご心得て二階座敷の居爐裡ゐろりに火を澤山入れながら夏の凉しき事を誇る蚊が出でぬとて西洋人が避暑に來るとて夫それが今の寒さぶさを凌ぐ足たしにはならず早く酒を持ち來たれ。畏かしこまりぬと答へばかりよくして中々なか〱持ち來らず飢うゑもし渇かはきもしたるなり先づ冷ひやにてよし酒だけをと頼めど持來らず徳利などに入るゝに及ばず有合す碗石わんいし五器ごきにも汲み來れと急せきてもいつかな持ち來らず四人爐を圍みて只風雅の骨髓に徹するを歎ずるのみ夜風いよ〱冷かなりトばかり有りて頓やがて膳部を繰り出いだし來りぬ續いて目方八百五十目といふ老鷄しかも雄をんどりにて齒に乘らざる豪傑鍋も現はれぬ是等の支度をせんには二時三時間經ちしも無理ならず斯く膳部取揃はぬに酒を出いだすは禮法に背くものと心得たる朴實これまた風雅の骨なり兎とも角かくも有合せもので先づ御酒ごしゆをと云ふは江戸臭くして却つて興味なし諸事旅は此事よと稱して箸を下くだすに味ひ頗すこぶる佳し勞つかれを忘れて汲みかはせしが初日ゆゑか人々身体に異常をおぼえて一徳利ひとゝくりと極きはめし數にも足らで盃を收めたり夜具よるのものも清くして取扱ひ丁寧なり寐衣ねまきとて袷あはせを出いだしたれど我はフラネルの單衣ひとへあればこれにて寐んと一枚を戻せしにいかに惡あしくは聞取りけん此袷汚きたなしと退けしと思ひ忽ち持ち行きて換へ來りしを見れば今仕立しと見ゆる八丈絹はちぢやうぎぬの小袖なり返せしは左る心にてはなし是が寐心よければ別に寐衣ねまきに及ばずと云しなりと詫てまた戻せしが是にても客を大切と思ふ志しは知られたり然らば寐ねまらんと蒲團に潛もぐり今日道々の景色に

行く春を追ふて木曾路の櫻かな

など考ふるに眼はさえて今宵は草臥くたびれに紀行も書ざりしが明日あすの泊りは早くして必らず二日分認したゝむべし四人別々に書く紀行拙者も貴公も同案にては可笑をかしからずハテ甘うまく書きたいもの何ぞ名案名趣向名句もせめて一二句は彼あれも斯かうして是もまたカウ〱グウ〱鼾いびきの音偖さてよく人は睡ねぶらるゝよ障子を洩りて領えりに入いる淺間の山の雪おろし弓なりに寐るつる屋の二階是等も何ぞの取合せと思ふ折しも下屋したや賑はしく馬士まご人足の醉ゑひたるならん祭文さいもんやら義太夫やら分らぬものを濁聲だみごゑ上げ其の合の手には飮ませじと云ふ酒を今ま一合注げ二合温めよと怒りつ狂ひつどしめくなり醉ゑひての上の有樣は彼も此もかはりはなし耻べきかな醉狂すゐきやう愼むべきかな暴飮

泥まみれこれが櫻の葩はなびらか

降りつゞく雨明日あすの空までの事を思へば水の流れもまた雨と枕に傳へて詫し夜はおそく明けぬ今日は輕井澤より越後直江津まで通る信越鐵道とかいふ鐵道に乘り追分驛の先小田井をだゐといふまで至らんと朝立出れば此ほとりは淺間の麓の廣野ひろのにて停車塲まで行く間灰の如き土にて草も短かし四方よもの山々に雉子きじ鶯の聲野には雲雀ひばりの所得顏ところえがほなる耳も目も榮耀を極めぬしかし芭蕉翁に「雲雀啼く中の拍子や雉子の聲」と先に出られたれば一句もなし

第四囘

朝靄あさもや山の腰をめぐりて高くあがらず淺間が嶽に殘る雪旭ひの光にきらめきたり滊車の走るに兩側を眺むる目いそがはし丘を堀割し跡にわずかに生出おひいでし躑躅つゝぢ岩にしがみ付て花二つ三つ削落けづりおとせし如き巖いはほの上に小松四五本立たてり其下に流るゝ水雪の解けて落おつるにや流早く石に礙さへられてまた元の雪と散るを面白しと云もきらぬうち雜木茂る林に入いる林を出いづればまた曠野ひろのにて燒石やけいし昔し噴出せしまゝなり開墾せんにも二三尺までは灰の如き土にて何も作りがたしとぞ此所こゝは輕井澤より沓掛くつかけ追分小田井の三宿の間なり四里程なれば忽ち小田井に着きて滊車を下りしが下りてグルリと𢌞つて見ると方角さらに分らずいづれが行先ゆくて歸る道と評議する顏を見て通りかゝりし學校教員らしき人御代田みよだへは斯う參られよと深切しんせつなり御代田とは小田井が改名せしなり一禮して其の如くに行く此ほとりの林の中に櫻咲き野にはシドメの色を飾り畑道は菫すみれ蒲公英たんぽゝ田には蓮花艸れんげさう紅きものを敷きつめたるやうなり

足元を花に氣遣へば揚雲雀あげひばり

宿しゆくは永くまばらに續きたり此こゝを過て岩村田いはむらたまでまだ四方よもの山遠く氣も廣々と田地開けたり岩村田よりやゝ山近くなり坂道もあり此こゝにていづれも足取重げなれば車を雇はんとせしが其の相談のうちに宿を出はなれたり梅花道人いかにしてか後おくれて到らず偖さてこそ弱りて跡へ殘りしならん足は長けれど役には立たゝず長足道怖こはし馬乘らぬとは此事だと無理を云ふうちオイ〱諸君の荷物を此方こつちへ出したり宜しい諸事僕が心得た先の宿しゆくで待つよと跡より驅來りて梅花道人手輕く三人の荷を取りて一まとめにするゆゑ是はいかにと怪しむ跡より鹽灘しほなだへの歸り車とて一挺來きたるこれ道人が一行に一足後おくれて密ひそかに一里半の丁塲をわずか六錢に掛合かけあひ此の拔掛は企てしなり昨日きのふ碓氷の働きと云ひ今ま此の素早さに三人の旅通先せんを取られて後生畏るべしと舌を吐くうち下り方のよき道なれば失敬と振り𢌞す帽子は忽ち森の陰となりぬ畜生侮あなどツて一番やられたよし左らば車が早きか我々の脛すねが達者か競爭を試みんと口には云しが汗のみ流れて足は重し平塚村といふに小高き森ありてよき松の樹多し四方晴れて風冷すゞしきに此の丘に上のぼれば雌松雄松が一ひとつになりし相生あひおひあり珍しき事かなと馬を曳きて通る男に聞けば女夫松めをとまつとて名高きものなりといふ丘の上に便々館湖鯉鮒べん〱くわんこりふの狂詠を彫りし碑あり業平なりひらも如何どうしたとかいふヘボ歌ゆゑ記臆をすべり落ぬ辷すべる赤土に下駄を腰の臺としてしばらく景色を眺め此丘一つ我物ならば此こゝに讀書の室しつを築き松風蘿月しようふうらげつを侶ともとして澄し込んものと又しても出來ぬ相談を始め勝地に到れば住んことを望み佳景にあへば一句してやらんと思ふ此等みな酒屋の前に涎よだれを垂し鰻屋の臭に指を啣くはへる類たぐひなり慾で滿ちたる人間とて何につけても夫それが出るには愛想が盡る人生居止きよしを營む竟つひに何人なんぴとの爲に卜ぼくするぞや眺望ながめがあつて清潔な所を拙者が家うちだと思へば宜いいハテ百年住み遂げる人は無いわサト痩我慢の悟りを開き此所このところの新築見合せとし田へ引く流に口を漱そゝぎ冗語むだを勞つかれの忘れ草笑聲わらひを伽とぎの野は長く駒の形付かたちつきたる石ありといふ駒形明神こまかたみやうじんの坂も過ぎ鹽灘しほなだへこそ着にけれ

第五囘

鹽灘しほなだにて早けれど晝餉ひるげしたゝむ空暗く雲重ければいさゝか雨を氣遣ふ虚に付け入り車に乘れと勸む八幡やはたの先に瓜生峠うりふたふげとてあり其麓までと極めて四挺の車を走らす此邊の車には眞棒しんばうに金輪かなわをつけ走るとき鳴り響きて人を避よけさするやうにして有り四挺の車に八やつの金輪リン〱カチヤ〱硝子屋びいどろやが夕立に急ぐやうなり鹽灘の宿しゆくを出はづれの阪道に瀧あり明神の杜もり心地も清すゞしく茂りたり瀧の流に水車みづぐるまを仕掛流ながれの末には杜若かきつばたなど咲き躑躅つゝぢ盛りなりわづかの處なれど風景よし笠翁りつをうの詩に山民習得ならひえて一身慵ものうし間かんに茅龕ばうがんに臥し倦うみて松に倚よる却かへつて辛勤しんきんを把とつて澗水かんすゐに貽おくる曉夜を分たず人に代つて舂うすづくとあるも此等のおもかげかしばしと立寄りたれど車なれば用捨ようしやなく駈け下くだる下れば即ち筑摩川ちくまがはにて水淺けれど勇ましく清く流れて川巾は隅田川ほどあり船橋掛る半なかば渡りて四方を見れば山々雨を含みて雲暗く水の響き凄じ斯かゝる折名乘りも出いでよ時鳥ほとゝぎす

驀地まつしぐら馬乘り入れん夏の川

筑摩川春ゆく水はすみにけり消て幾日いくかの峯の白雪とは順徳院じゆんとくゐんの御製ぎよせいとか大おほいなる石の上にて女衣きぬを濯あらふ波に捲き取とられずやと氣遣きづかはる向の岸の方かたに此川へ流れ入る流に水車みづぐるまを仕掛あり其下はよどみて水深げに青みたるに鵞鳥がてうの四五羽遊ぶさながら繪なり八幡を過ぎ金山かなやま阪下にて車は止る瓜生峠うりふたふげを越ゆるに四歳よつばかりの女子めのこ父に手を引かれて峠を下る身はならはしの者なるかな角摩川かくまがはといふを渡りて望月もちづきの宿しゆくに入いるよき家並やなみにていづれも金持らし此こゝは望月の駒と歌にも詠まるゝ牧の有し所にて宿しゆくの名も今は本牧ほんまきと記しあり。宿しゆくを通して市まちの中に清き流れありてこれを飮用のみゝづにも洗ひ物にも使ふごとし水切みづぎれにて五六丁も遠き井戸に汲くみに出る者これを見ばいかに羨しからん是より雁がんとり峠といふを越ゆ峠らしくなく眺望ながめよき阪なりいばら阪といふとか道々清き流を手に掬むすびては咽喉のどを濕うるほす人々戯れて休まんとする時には「ドウダ一杯やらうか」といふ此の一杯やらうが一丁ごとぐらゐになると餘程勞つかれたるなり蘆田あしだの宿しゆくより先に未だ峠あり石荒阪いしあれざかといふ名の如く石荒の急阪にて今までのうち第一等の難所なり阪の上へ到れば平なる所半丁ほどありて草がくれの水手に掬むすぶほども流れず下くだりて一丁ほど行けば此の水山の滴したゝりを合せて小流れとなる下るまた一二丁流は石に觸れて音あり又下る三四丁流れは岩に激して雪を散らす下ること又四五丁川となりて水聲雷らいの如し坂を下り終れば川巾廣く穩かに流れて左右の岸には山吹咲き亂れ鳥うたひ魚躍るはじめは道端のヒヨロ〱流れ末は四面の田地に灌そゝぐ河となる岩間洩る滴りも合あはする時は斯の如し小善とて嫌ふなかれ積めば則ち大善人小惡とて許ゆるすなかれ積めば即ち大惡人富は屋を潤うるほし徳は身を潤す富は少しき費つひへを省き少しき利を集めたるなり集りて富となれば屋を潤すばかりでなく人を潤し業を興す流れの及ぶところ皆な潤す徳は少しの善行を重ねたるなり其功徳そのこうとく身を潤すに止まらず人をして知しらず〱の間に善よきに導き逢ふ所觸るゝところ皆な徳に潤うるほはざるなし學問もまた斯の如し今日こんにち一事を知り明日みやうにちまた一事を知る集りて大知識大學者とはなるなり現に今ま此の水を見る自みづから省みて感深し草を藉しいてしばらく川に對す

第六囘

石荒坂を過ぎ曲折して平地に出いづれば即ち長久保ながくぼなり宿しゆくの家並やなみよく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したれば此こゝより車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹でこぼこ多く乘る者は難儀なれど挽夫ひくものは躍るもガタツクも物とはせず風の如くに飛び行けば心づもりより時は早く午後三時半和田へ着し緑川といへる高大なる寒げなる家へ泊りたり和田峠は中仙道第一の高山また絶所難塲なりと聞けば窓押し開けて雲深き方かたをグツト睨み置き偖さて風呂に入いりて銘々一閑張いつかんばりの机を借り受け駄洒だじや中止紀行に取りかゝる宿の人此体このていを見て不審がる二時間ほどにして露伴子先まづ筆を收めたれば酒肴しゆかう見立掛り膳部申付役となる火の熾さかんなる圍爐裏ゐろりに足踏伸し鉛筆の後しりにて寶丹ほうたんと烟草の吹壳ふきがらをソクイに練り交ぜながら下物さかなは有るやと問ふ宿の女なしと淡泊無味に答ふデモ此邊の川で取れる岩魚いはなか何かあらうと押し返せば一遍聞合せて見ませうと立つ我々紀行並びに手紙等を書終り偖さていかに酒は來りしや大膳太夫だいぜんのたいふ殿と云へば露伴子ヂレ込み先刻さつき聞合せると云たばかりに沙汰なしとは酷ひどい奴だと烈しく手を叩けば緩ゆるやかに出來いできたる肴さかなはといきまけばまだ聞きゝに行た者が歸りませんと落付たり露伴堪こらへず其そは何處いづこまで聞にやりしぞ一時間も掛るにまだ戻らぬかと詞ことばを荒くすれば川へ聞きにやりましたまだ戻りませんと答ふ我輩不思議に思ひ傍らより口を出いだし川へ聞にやるとは如何なる事ぢやと問へば川へ魚を捕りに出いでし者あるべければ河原へ行き其の漁者について魚は有るや否やを問ふにて魚屋とて別にそれを貯へて賣る處はなしとの事に一同アツト顏を見合し暮て河原に漁者を尋ね尋ね當あてて魚の有りや無しやを問ひそれを我等に報じて而しかして後に調理にかゝられては一日二日の滯留にては味ふこと難かたかるべし肴の儀は取消しとすべし急ぎ膳をと頼めば頓やがて持ち來きたる膳部の外に摺芋すりいもに鷄卵たまごを掛けたるを下物さかなとして酒を持ち來り是は明日あす峠を目出度めでたく越え玉はんことを祝ことほぎたてまつるなり味なしとて許されて志しばかりを汲ませ玉へやといふ先に家の大おほいなるに合せ奮發したる茶代の高此こゝに至ツて光を放ちぬ併しかしながら此家は夫是それこれの事に拘はらず山を祝ふて酒を勸すゝむるが例なりと質朴にしてまた禮ありと稱たゝへ皆な快く汲む終りて梅花道人は足の勞つかれ甚だしければ按摩あんまを取らんとて呼よぶいろ〱弄なぶりて果は露伴子も揉ませながら按摩あんまに年を探らするも可笑をかしく我はこれを聞つゝ先に枕に就く

雨を呼ぶ蛙かはづよ明日は和田峠

降らぬやうに祈るぞと云しが山下やまおろしの風の音雨と聞なされて覺さむること度々たび〱なり果して夜半に雨來る彼方あちに寐がへり此方こちに寐がへり明日あす此こゝに滯留とならば我先づ河原へ出て漁者を尋ねんなど思ひ續くるうち夜は明けしが嬉しや雨も止みぬ馬二頭ひき曳き來り二方荒神にはうくわうじんといふものに二人づゝ乘すといふ繪に見話には聞しが自ら乘るは珍しく勇み乘りて立ち出いづれば雨の名殘の樹々の露領えりに冷たく宿しゆくを離るれば直すぐに山にて溪たにの流れも水嵩みづかさまして音高く昨夜ゆふべの雲はまだ山と別れず朝嵐身にこたへて寒さぶし

第七囘

身輕手輕と夫そればかりを專せんにしたる旅出立たびでたちなれば二方荒神の中に縮すくまりてまだ雨を持つ雲の中に上のぼる太華山人其の寒さぶさを察し袷羽織あはせばおりを貸さる我が羽織の上へ重ね被きても大きければ向ふ山風に吹き孕みて恰あたかも母衣ほろの如し後あとの馬の露伴梅花の兩子いろ〱に見立みたてて嘲あざみ笑ふ此こゝは信濃の山中やまなかなり見惡みにくしとて寒さぶさにかへられんや左云ふ君等の顏の色を見よと詞ことば戰かひ洒落も凍りて可笑をかしきは出ず峯には櫻溪たにには山吹唐松からまつの芽出めだしの緑鶯のをり〱ほのめかすなど取あつめたる景色旅の嬉しさ是なりと語りかはして

山響き谷こたへて後あとしづかなり雉子きじの聲

と無理を吐く羊膓やうちやうたる阪路さかみち進むが如くまた退もどるが如し馬をしばしと止めて元來きし方を顧みれば淺間の山はすでに下に見られて其身は白雲の上にあり昨日きのふ此山を見て一睨みして置きしが今日は昨日宿りし處を見んとして見えず何となく氣壯さかんになりて身に膓胃ある事を忘れたり此山路このやまぢ秋は左こそと青葉を紅くれなゐに默想し雪はいかにと又萬山を枯し盡して忽ち突兀とつこつ天際に聳ゆる銀しろがねの山を瞑思すつひに身ある事を忘れたり澤を傳ひ峯に上る隨分峻さかしき峠なれど馬にまかせて嶮けはしき事を知らず東もち屋村といふは峠の上にして人家四五軒あり名物の餡餅あんもちあり此こゝにて馬を下おり圍爐裏ゐろりの火に龜かゞみし手足を温めながら其名物を試む梅花道人物喰ものくひに於て豪傑の稱あり此こゝにてもまた人々に推尊せられて二盆ふたぼんの外我分わがぶんまでを啖くらひ盡すやがて此を出で是より下りなればとて例の鐵脚を踏み轟かす道人餡餅あんもち腹に入いりて重量おもみを増したるにや兎角に後しりへに下さがる露伴子は昨年此道中をせしとて甚だ通なり甞かつて出立しゆつたつの時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また洗馬せばに一人あり洗馬のは予われ未だ其比を見ざる眞に絶世の美人なり餅屋のはこれに亞つぐと物覺え惡き一行なれど是は皆々領裏えりうらにでも書留て置きしやよく覺えて夫それとなく此こゝより荷物を包み直し領えり掻き合せ蝙蝠傘かうもりがさに薄日を厭いとふ峠の上の平坦たひらなるを過ぎて下くだり口に至りて西の方かたを一望すれば眼界新たに曠はれて昨日きのふまでの景色と異なり群山皆な雌伏此の峠の外ほかに山と仰ぐべきなし何か自分が此山になつたやうな氣持にて傲然としてまた一睨みす下りは元は急にて上りより難儀なりしを御巡幸の節道を直し今は行人安樂なりといふ左れど尚ほ屈曲の險坂けんはん幾段なるや知らず古いにしへの險阻おもふべきなり下り終らんとする所即ち西もちや村なり此こゝは人家十餘軒ありて宿屋の前に女ども出いでてお休みな〱と客を呼ぶスハヤ尤物いうぶつは此中このうちに在るぞと三人鵜の目鷹の目見つけなば其所そこに入いらんとする樣子なり我は元より冷然として先に進み道のかたへの菫すみれ蕗ふきの薹たう蒲公英たんぽゝ茅花つばななど此こゝに殘のこんの春あるを賞して騷しき方かたは見もかへらず三人跡より喘あへぎ來りて無し〱影もなし大かたは此邊の貴家豪族が選び取て東京紳士の眞似をなし贋がん雪舟と共に床の間にあがめ置くなるべし憎むべし〱といふ

呼子鳥よぶこどりおぼつかないで尚床し

日も温かに鳥の聲も麗かなりぶらり〱と語りながら行くに足は勞つかれたり諏訪すはの湖水はまだ見えずや晝も近きにと云いふうち下しもの諏訪と記したる所に出いでたり旅宿やどやもあり此こゝならんと思へばこれは出村にてまだ一里といふ

第八囘

旅にて聞くを厭いとふ詞ことば二つまだと餘なり初日碓氷うすひにて勞つかれしとき舊道へ入いるの道の標しるしを見るに輕井澤まで二里餘とあり喘あへぎ〱上のぼりてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋ひとつやの婆ばゝに聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽がつかりし偖さては是程に草臥くたびれて餘よだけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足を擦さすりたり又まだと云いふは頓やがて其處そこならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠の上のぼりは馬に乘りたれば野々宮高砂のゝみやたかさごなりしが下くだりは侮あなどりて遊び〱歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取はかどらぬこと不思議なるうへ下口おりくちはドカ〱と力も足に入いる故か空腹甚しく餡餅あんもち二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見𢌞す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅つゝぢ見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家まちやありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しや此こゝぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でも此こゝを越して夫それから諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立まへだちといふやうなものとの答へまだ付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子に揷したり蓮華草れんげさうを摘んだり道草は喰へど腹は脹ふくれず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば

飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよ

とダヽを捏こねるイヨ藤浪由縁之助ふぢなみゆかりのすけと聲をかけらるゝにまた取敢ず

術なさに倒るゝまでも菫すみれかな

と狂句すればイヨ忍月居士にんげつこじと云いふ此こゝに始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前すみれごぜんなることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたる詞ことばならんと悟りぬ兎角とかくいふうち入いりまじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すに俄にはかに足も輕かろく氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀ひばり鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲き溢こぼれたる此景色今まで何とて目には入いらざりしといぶかる頓やがて下しもの諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社みやしろなり上かみの諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しが夫それへは詣でず此宿このしゆくより上の諏訪はまだ三里もありと聞きけばなり正午ひる少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉鯰なまづなどにて小酌しながら偖さても今日半日の勞つかれの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗このはいは取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷したざしきに月琴げつきんの響き聞ゆ怪しの物の音ねや東京を出いでて未だ鳥の謠ひ奏づる外ほか人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花はんくわの地とて優しくも聞くものかな且つ其調そのしらべも拙なからず微かすめて唄ふに聲はさだかならねど人抦もさぞと慕はしきにいざや此こゝへ呼びて一曲を所望せん彼かの潯陽じんやうの江頭えのほとりならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴を彈ひくは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌さまかたちも温泉に濯あらひて清げならん年は幾許いくつぞ。ハイ九歳こゝのつでまだネカラ手が𢌞りません。此答へに一座唖然たり

第九囘

二方荒神の味を覺えて鹽尻峠しほじりたふげも馬に遊ばんと頼み置きて寐に就く温泉にて勞つかれを忘れ心よく睡ねぶりたれば夜の明けたるも知らず宿の者に催されて漸やうやくに眼を擦こすりながら浴室ふろに至れば門前に待ち詫びたる馬の高く嘶いなゝくにいよ〱慌て朝餉あさげの膳に向へば昨日きのふ鯉の濃汁こくしやうを褒めたればとて鍋ごと盛んに持ち出で勢ひに呑まれてか豪食の三傑詞ことばにも似ず椀の數少なし馬は何時頃より來り待つぞと問へば江戸のお客樣は氣短でお出いでなさるゆゑマダ來ぬかと叱られぬ爲め夜明前より門に來て居りました私共も四時から御膳の支度して御手の鳴るを待ちましたと云ふ諸事左樣さう來て貰ひたしさすがは下諏訪の龜屋なりと稱たゝへ土産みやげにとて贈られたる名物氷餅こほりもちを旅荷物の中うちへ入れて馬うまち遠どほであツたと馬士まごにも挨拶して此こゝを立ち出づ宿しゆくの朝景色何處いづこも勇ましく甲斐々々しく清々すが〱しきものなるが分きて此宿このしゆくは馬で心よく搖られ行く爲か面白し宿しゆくを離るれば諏訪の湖水朝霧立こめて空も雨を催もよひて寒さぶし馬士まごの道々語りて云ふ此宿も今は旅人りよじんを當にもなさず先づ養蠶一方なり田を作るも割に合はぬゆゑ皆な斯樣かやうに潰して畑となし豆を作るか桑を殖うゑるかなり元は隨分繁昌な所で有りましたがナア又曰く此の流れはアレ彼山あのやまの間を川に流れて天龍川に落ちますナニお前さん氷は張りますが馬は危ないので通行は致しません人は見當をつけて向ふの村へ何處どこでも行きます廣さは十三里と云ますが左樣さうはございません狐が渡るといふのも昔の話でハイ鯉や鮒ふな鰻は大層捕れますダガ十月から彼岸時分まで氷で漁は出來ませんナニサ兎は少し取れますが獸けだものは何處どこも此處こゝも開けたので一疋も居なくなりましたハイ遊廓なんテ見られたもんでは無いと矢鱈やたらと謙遜なりポクリ〱と鹽尻峠を上りながら晴た日だと是から富士が見えますと指さす顧みれば水面わずかに白く四方は朝霧にて山の形さへ定かならず此の鏡へ姿を寫す富士の俤おもかげさぞと胸に畫けば煙霧糢糊たる間一種の風景あり馬士まごまた云ふ昨夜ゆふべ私わしの方で大喧嘩が有りました湯の中で騷いだので大きに迷惑します一体湯を引いて湯塲を作るのは大分の入費で夫それは村から出し合て誰でも無代たゞで入いれますのだが此頃新道を作る人足が大勢入はいり込んで宜いい湯治塲へ行た氣で無代たゞで湯へ入はいり其上威張散して喧嘩を仕かけたので村の者は怖しがり女や年寄は最もう入はいらぬ位ですナント馬鹿々々しいではございませんか昨夜ゆふべの喧嘩も土方同士でイヤハヤ新道一件ではいろ〱な事がございます如何どうか人足の暴れるだけもせめて取締ツて貰ひたい金を出した湯の持主が隅へ小さくなツて何處どこの者か知れぬ奴が無代たゞで巾を利かせて歌など唄ツて騷ぐとはエライ話しだと不平を云ふ一体に新道には不平と見え馬も舊道行人ゆくひとも舊道なり只運送馬車のみ道は遠けれど平坦たひらゆゑ新道を驅けるとぞ此邊の屋作り皆な玄關搆へにて嚴いかめしく男も雪見袴ゆきみばかまとかいふものを着つけて古風なり松本道みちの追分あり此こゝより十五六里なりと午前九時鹽尻の宿しゆくへ着く

乘り捨し馬を繋ぐや散る李花すもゝ

此邊にては人の妻を呼びてお方かたと云ふ女働らき男樂する風ふうなり土地は桔梗きゝやうが原はらに續いて田畑多し

第十囘

鹽尻の茶店ちやゝの爐に暖まり温飩うどん掻込かつこみながら是よりなら井まで馬車一輛雇ふ掛合を始む直段ねだん忽ち出來たれど馬車を引來らず遲し〱と度々たび〱の催促に馬車屋にては頓やがてコチ〱と破こはれ馬車を繕つくろひ始めたりイヤハヤ客を見て釘を打つ危ない馬車に乘らるべきか外ほかに馬車なくば破談にすべしと云へばナニお客樣途中で破こはれるやうな事はございません破こはれても上の屋根だけですから轉ころがり落る程の事は有ませんサアお乘りなさいと二十三四の馬丁べつたう平氣なれば餘義なくこれに乘る二十三四の小慧こざかしき奴やつ客を客とも思はばこそ遊び半分にラツパを吹きて先を驅くガタ〱ゴロ〱隨分と烈し鹽尻を過れば一望の原野開墾年々とし〲にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗きゝやうヶ原はら雨持つ空暗く風慘いたはし六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫び鬨ときの聲必竟ひつきやう何の爲ぞ

田鼠たねずみや化なりおほせても草隱れ

興敗こうはいつひに夕鶉ゆふうづらの一悲鳴いつひめい草の葉に露置くを見れば小雨の降り來りしなり馬車を驅ること飛が如くなれば手帳へ字などなか〱書けず只破こはれかゝりし臺の横木に掴まりて落ても怪我のないやうにと心に祈るばかりなり忽ちに二里を馳はせ洗馬せばへ着く昔はよき驛しゆくなりしならん大きな宿屋荒果あれはてて憐あはれなり此こゝに木曾義仲馬洗うまあらひの水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅け出いだす此宿より美濃みのの國境くにさかひ馬籠まごめまでの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾に入いりしだけありて此これより景色けいしよく凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂おひしげる木皆な新たに生面を開きたりソレ彼あの瀧ホラ向ふの岩奇絶妙絶と云ふうちには四五反たんは馳せ過る馬車の無法むはふ飛とばせ下は藍なす深き淵かたへは削りなせる絶壁やうやくに車輪をのするだけの崕道がけみちを容赦も酙酌しんしやくもなく鞭を振つて追立るなれば其の危うさは目もくるめき心も消きゆるばかりなりあはれ斯かゝる景色けいしよく再びとは來られねば心のどかに杖を立て飽までに眺めんと思ふに其甲斐なし命一ツ全きを願ふばかり付燒刄つけやきばの英雄神色少し變じたり馬丁べつたうにあまりに烈し少し靜にせよと云へば斯かゝる所はハヅミに掛つて飛さねば却かへつて誤ちありナアニ此樣こんな所此こゝはまだいろはです是から先が些ちとばかり危ないのですと鼻唄の憎さよ坂を眞下まつくだりに下る時は泥犁でいりの底に落る如くまた急なる塲所を上のぼる時は直立して天に向ふ此こゝは危なし下おりんと云へど聞かぬ顏にていよ〱飛ばす山は恰も驅かけるが如く樹は飛が如くに見ゆ快と云いはば快爽と云ば爽なれどハツ〱と魂を驚かすあまり壽命の藥でもなし呉々くれ〲も重ね〱も木曾見物の風流才士は此こゝを馬車にて飛ぶべからず同行例の豪傑揃ひなれば一難所一急坂を過る時は拍手して快を呼ぶ馬丁べつたうます〱氣を得て驅けさすこといよ〱烈し一句を吐はかんと思ひ込みしに冗むだと仕たり瞬間に本山もとやまに着けど馬に水もかはず只走りに走る梅澤櫻澤などいふ絶景の地に清く廣やかの宿屋三四軒あり此こゝに一宿せざることの憾をしさよ山吹躑躅つゝぢ今を盛りにて仙境の想おもひあり聞く熱川にえがはには温泉の出いづる所ありと此等こゝらに暑を避けて其の湯に塵を洗そゝぐならば即身即仙とんだ樂しき事なるべきに

第十一囘

見上みあぐる山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下みおろせば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅つゝぢ石楠花しやくなげ其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐き烟けぶりを起す松唐松からまつ杉檜森々しん〱として雨ならずとも樹下このしたは濕うるほひたり此間このあひだに在りて始めて人間の氣息緩ゆるやかなるべきを無法飛とばせの馬車なれば(是よりして木曾の山中やまなかにも無法飛ぶのは馬車ではないか抔など定めて洒落始めしならん)下手へたな言文一致の詞ことばのやうにアツヱツ發矢はつしなど驚きて思はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川にえがはより奈良井の間の諏訪峠といふ所は車の片輪を綱にて結びて𢌞らぬやうにし片輪のみにて落し下すに石に軋きしりて火花を出いだす凄じさ譬たとへて云いはんやうもなし又本山もとやまと熱川にえがはの間なりし崕道がけみち崩くえて往來なり難きにより木曾川の河原へ下おり川を二度渡りかへして道へ出でる所などは會釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねて喘あへぐに流石さすがの我武者馬丁がむしやべつたうも術すべなくて己おのれ川中へ下り立ち四人を負ひて川原へ下おろし壳馬車からばしやにして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者崖の上より見下して乘り入れたる馬丁べつたうも強し下おりぬ客人も大膽やと賞ほめるか譏そしるか聲を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息を吐つき河原に立やすらひて四方を眺め崩くえたる崕道がけみちを見上みあぐるに夫婦連めをとづれの旅人たびゝと通りかゝり川へ下りんも危うし崖を越んも安からずと彳たゝずみ居しが頓やがて男は崩くえたる處ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固め二間餘のところ道をつけ偖さて立戻り蝙蝠傘かふもりがさの柄えの先を女に確しかと掴ませ危うくも渡り越して互にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々はや〱乘れ雨の來きたらんにと急せかれて心ならねど又馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しに違たがはずだん〱危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井へ着つきしは晝前なり是より直すぐに鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁べつたうは意氣揚々としてドウですお客樣一番鳥居峠を追立おつたてて見ませうかと云ふ我手を振りて是を願ひ下げ此こゝにて晝餉を認したゝめしが雨はいよ〱本降となりしゆゑ豫かねて梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽かつぱを取り出いだし支度だけ凛々敷りゝしく此所こゝを出れば胸を突くばかり直すぐに峠にて馬車の上に縮すくみたる足なればチト息ははづみたり此峠に古いにしへは棧橋かけはしありしとか思ふに今にして此嶮岨なれば棧橋かけはしは強あながち一ヶ所に限らず所々しよ〱に在しならん芭蕉の「かけはしや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の棧橋かけはしの所にては有まじ四五丁上のぼりかけて谷に寄たる方かたに土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど草深く道の跡も定さだかならで危あやふければ是を通道つうみちと名なづけ通と云れたがる者ならでは通らず梅花道人少し後おくれたるテレ隱しに忽ち此道に驅け上る危ないぞと聲を掛かくるうち姿は見えずナニ幾許いくらほど近いものかハアハア云つて此上あたりに休み居るならんト三人嘲あざみながら上のぼるに道人は居ず五六丁の間は屈曲をりまがりてもよく先が見えるに後影もなし若もしやは近きを貪りて谷へ轉げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帶を繋ぐとも屆くまじ如何いかゞはせんと谷底を覗き見ながら雨を凌しのぎて上のぼる

第十二囘

雲雀ひばりより上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽かつぱの裙すそよりまくり上げに降る此曲降きよくぶりを防がんやうなく只濡ひたぬれなるに脊はまた汗なり一里に足らぬ峠なれど急上きふのぼりの急下きふくだりなれば大辟易の形となりぬ頓やがて峠へ上りつきて餅屋にて云々しか〲の形なりの者は通らずやと聞けば先にお下くだりになりましたと云ふ偖さては梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心し下くだりとならば嶮しとて一跳ひとはねにせんものと雨を凌ぎつゝ勢ひをつけて下くだる下りてやゝ麓近くなりしとき篁村小石に躓つまづきはづみを打て三四間けし飛びしが鞍馬くらま育ちの御曹子を只散髮ざんぎりにした丈の拙者なればドツコイと傘を突き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の兩氏イヨ感心と褒めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリとせしが是より少々痛みを覺え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ無念なる下くだりきりては只の田甫道たんぼみち面白くもなくトボ〱としてやがて藪原やごはらに着く此こゝはヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛ろくゞしと世に名高き櫛の名所にて八五は即はち九四に同じといふ附會説こじつけせつありまだ午後の三時に及ばず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋ふくしまなり其所そこまで飛ばせよといふ議も出いでしが拙者左りの足が危あやしければイヤサ繁花はんくわの所より此の山間の宿やどに雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隱して云ふに左らばと此宿このしゆくに泊る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさなり脇に羽の生えた跡もなけれど偖さて宿に入いりて見れば家名いへなは忘れしが家居いへゐ廣く清らかにて隣りに大きな櫛店くしみせもあり宿しゆく中第一の大家とは知られぬ湯に入り名物の櫛を買ふうち頓やがて名代の蕎麥を持ち出いだす信濃路一体に輪嶋塗わじまぬり沈金彫ちんきんぼりの膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きなる黒椀に蕎麥を山と盛り汁つゆを同じく大椀に添へ山葵わさび大根葱ねぎ海苔のり等藥味も調とゝのひたり蕎麥は定めて太く黒きものならん汁つゆの醎からさもどれほどぞと侮あなどりたるこそ耻かしけれ篁村一廉いつかどの蕎麥通なれど未だ箸には掛けざる妙味切方も細く手際よく汁加减つゆかげん甚はだ佳よし思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の上の椀へヒラリと蕎麥一山飛び來りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を喰ひ盡さんとする此時遲く彼時かのとき早く又もヒラリと飛び込みたり是はと驚く後より左りに持つ椀へ汁つゆを波々なみ〱注つがれたりシヤ物々しと割箸のソゲを取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油斷に四椀目は早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飮食道に豪傑の稱ある梅花道人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよく〱見れば美くしき妻女清すゞしき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麥を手元へ引つけて呼吸きあひを量はかり若き女其後そのうしろにありて盛替々々續けたり今一人は汁注しるつぎを右に持ち中腰にて我々の後より油斷を見て汁つゆを注がんと搆へたり此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧げしが拙者は五椀目にて降參を呼よばはり投げ込みと欺だまし注つぎを恐れて兩椀に手早く蓋をして其上を確しつかと押へ漸く蕎麥責を脱のがれしが此時露伴子は七椀と退治和田の牡丹餅ぼたもちに梅花道人が辭してより久しく誰人の手にも落ちざりし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり

第十三囘

此の藪原は木曾の深山なれば上の山には鷹多く昔しは巣鷹を取る爲に役所をさへ置かれけるとか和田鳥居と過來つる目にはさしも深山みやまの中うちなりとは思はれず左りながら此宿このしゆくを過れば木曾川に沿ふての崖道にて景色いふばかりなくよし巴ともゑ御前山吹やまぶき御前の墓あり巴は越中ゑつちうにて終りしとも和田合戰の後のち木曾へ引籠りしとも傳へて沒所さだかならず思ふに此こゝは位牌所なるべし宮の腰に八幡宮あり義仲此の廣前ひろまへにて元服せしといふ宮の腰とは木曾が舘やかたの跡なればなりと土人今にして木曾樣義仲樣と敬うやまふ木曾が城跡といふは高き山ならねど三方山にて後に駒ヶ嶽聳へ前に木曾川あり此こゝに來きたる道東よりするも西よりするも嶮岨の固め諸所にあれば義仲粟津あはづの戰塲を脱のがれ此に籠こもりて時を窺はば鎌倉の治世覺束おぼつかなかるべし抔など語合ふ思おもへば治承ぢしようの昔し頼朝には北條時政といふ大山師おほやましが付き義經には奧州の秀衡ひでひらといふ大旦那だいだんなあり義仲には中三權頭兼遠ちうさんごんのかみかねとほといふわづかの後楯うしろだてのみなりしに心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍び上のぼつて平家の動靜を窺ひ今井樋口と心を合せ高倉宮の令旨りやうじを得るより雲の如く起り波の如く湧き越後に出で越前に𢌞り忽ち京都へ伐せめ上のぼり時めく平家を追下おひくだし朝日將軍の武名を輝かしき凡人にてはあらざりけり元暦げんりやく元年の春の雪粟津あはづの原に消えたれど首は六條の河原にさらされ尸かばねは原に埋うづめたれど名は末代に殘りけり

杜鵑とけん一聲しばしは空に物もなし

年はわづかに三十一此の英傑を討取て「信濃なる木曾の御料ごれうに汁かけて只一口に九郎義經」と云れたる義經もたゞ此年を去る四五年にて同じく三十一にて死す二人は骨折損にして皆な頼朝にシテやられぬ氣の毒至極の事共なり我が贔負ひいき役者を揉もみ消したる頼朝は憎けれどまた考へれば義仲には關白松殿の姫君のほか巴山吹などの艶福あり義經には京の君靜御前といふ意氣筋あり頼朝めは政子といふ嫉深しつふかのいけない女に恐れ入り偶々たま〱浮氣らしき事あれば三鱗みつうろこを逆立さかだてて怖こはい眼に睨まれ小さくなツて手を引きぬ嗚呼あゝ艶福なる者は必らず斯かくの如く不運なり女運なければ幸福なり讀者諸君それいづれをか執らんと思ひ玉ふナニ女運を右に幸福を左りに握りたい不埒ふらち至極の了簡れうけんお止めなさい〱我輩は謹んで艶福を天にかへしたてまつり少し欲氣よくげに聞ゆれど幸福一方と决定仕りぬ友人中には夫それは惜いお前が女運を捨すつるとなると此の情世界が甚だ寂莫せきばく最少し艶氣を出せかしと勸告せらるゝ向むきもあれどイヤ其の仰せは僻事ひがごとなり抑そもと堅く出て左樣な否いやらしき儀一切いつせつ謝絶諸事頼朝流の事と取極め政子崇拜主義となりぬ皆樣みなさんも是非饗庭黨あへばたうとなり玉へ世の中まことに穩かにて至極野氣のんきで第一は壽命の藥女は命を削るの鉋かんなかんなとをんなと音おん近きもこれまた自然の道理なり緋威ひをどしの鎧とめかし込み艶福がるといづれ仕舞しまひは深田へ馬を乘り入れて二進につちも三進さつちもいかなくなるか自腹の痛事あるべきなりオヽ怖こはやと悟る人は誠に好いい子といふべきなり抔などと横道の冗むだは措き此こゝを越せば山吹が淵巴が淵など云ふ所あり山吹まことに盛りにて岩にさへられて水が巴にめぐるも妙なり

昔し誰が影やうつせし苔清水

第十四囘

福嶋驛はもと關所ありて山村甚兵衞これを固め鐵砲と女を嚴しく改めしといふ昔から女と鐵砲は兎角とかくわざをする物と見えたり成程此宿このしゆくは繁花はんくわにて家數も多く作りて立派なり晝前なるに料理屋に三味線さみせんの音ありさだめて木曾の歌の古雅なるならんと立寄れば意氣がりて爪彈つめびきで春雨いらぬ事ながら何やら憎く思はれぬ道中筋の繁花な所といふと得て生意氣な風が吹て可厭いやな臭がしたがる者なり賢くも昨夜ゆふべの宿を藪原にとりし事よと獨り思ふ此こゝには通運會社あれば持重りの手荷物を東京へ送らんと荷拵へして頼めば目方を量るも賃銀を定むるも掛りの男居ずして知れがたし先拂ひにして下されよとの事にそれにて頼みしが此等より東京へ出すには一旦いつたん松本まで持ちかへるゆゑ日數ひかず十四五日は掛るといふ果して東京へは二十日目に屆きたり雨は上りたれど昨日きのふよりの降ふりに道は惡し宿しゆくの中ほどに橋ありこれを渡り終らんとする末の一足後うしろを向いて冗むだを云ながら左を踏み出すと橋板より土は一寸ばかり低くガクリと落せしが鳥居嶺とりゐたふげのドツコイ此こゝに打て出で俄にはかに足痛みて歩きがたし左れども乘るべき車はなし橋際に立徃生もならず傘と痩我慢を杖にして顏を皺しかめて歩く此時の体相ていさう諸君みなさんにお目にかけずに仕合せサ惡い時にはいけない事が續くもので福嶋から二里ばかりの道は木曾とは思はれぬ只の田甫たんぼの泥濘ぬかるみにて下駄の齒は泥に吸ひつかれて運ぶに重く傘の先は深くはまりて拔くに力が入いる程ゆゑ痛みはいよ〱強く人々に後おくれて泣たい苦しみ梅花道人さすがに見捨がたくや立戻りて勢ひをつけるに外見みえを捨てその蝙蝠傘かうもりがさを借り遂に兩杖となりたるぞ憐あはれなる道は捗取はかどらねど時が經てば腹は减りてまた苦を重ぬるを道人勇みをつけて一軒の茶店ある所まで連れ行き此こゝにて待たれよ我は先へ行きて車を見つけ迎ひによこすべければと頼もしく云いはるれどたつきも知らぬ山中やまなかに一人殘されては車を待つ間の心細さいかならんナニ是式これしきと力足を踏めば倒るゝばかりの痛み歩き自慢の中下駄ちうげたも此時ばかりは弱り入りそろり〱とまた出かけしが頓やがて山川の景色凡ならぬ所に出いでたり問はねど知るゝ木曾の棧橋かけはしこれ此行第一の處ハテ絶景やと勇みつきて進めば川に臨のぞみて作りかけたる茶屋の店に腰打掛け太華露伴大得意に酒を飮み居たり人の苦みも知らず顏にと怨めば先へ來たは御座所をしつらへる爲めに先づ一杯ナント此景色はと云はれて何も打忘れ山を見ては褒めて一杯川を見ては褒めて一杯岩が妙だ一杯水が不思議だ一杯と景色を下物さかなに飮むほどに空腹すきばらではあり大醉おほよひとなり是から一里や二里何の譯はない足が痛ければ轉げても行く此こゝさへ此の絶景だものかねて音に聞き繪で惚れて居る寐覺ねざめの臨川寺りんせんじはどんなで有らう足が痛んで行倒ゆきだふれになるとも此の勝地に葬はうぶられゝば本望だ出かけやう〱と酒が云いはする付元氣つけげんき上松あげまつから車をよこすから爰こゝに待まちなと云ふを聞かず亭主大きに世話であつたなと大勇みで飛び出しは出たものゝ痛みは先より尚強し一丁行きては立止り景色を褒めてはまた休む醉ゑひは苦しみに消されて早く醒め今は跡の茶屋へも戻れず先へも行かれず氣の毒な事を見てお痛足いたあしやと云ふ事は此時よりや始りけん

第十五囘

名下めいか虚士きよし無しなど云へど名のみは當にならぬ世なり木曾道中第一の名所は寐覺ねざめの里の臨川寺りんせんじと現うつゝにも覺え名所圖繪の繪にて其概略そのあらましを知たかぶり岩があつて溪たにがあつて蕎麥が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずりて上松あげまつも過ぎしが頓やがて右手の草原くさはらの細道に寐覺ねざめの床とこ浦嶋の舊跡と記せし杭くひあるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門を入いれば此こゝ即ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべきにあらず此の前後の勝景に比べては寧むしろ俗境といふべし小僧人の入いり來きたるを見るより忽ち出で來りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが猿が踊を跳をどツた古跡だなどゝ茶かした云立いひたてに一人前五厘と掴み込む田舍の道者魂消たまげた顏にて財布を探るも氣の毒なり一行は座ゐながらにして名所を知るの大通なる上露伴子といふ先達せんだつあり云立を並べんとする小僧の口を塞ぎ座敷を借らんと云入いひいれしに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大藏おほくらの卿きやう五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓さくわを饗す兎も角も此こゝは書入かきいれの名所なり俗境なりとて偖さて止むべきかは一杯酌みて浦嶋殿の近付ちかづきとならんと上の旅人宿はたごやへいそぎ酒さけ肴さかなを持來れと命じ夫それより寺内を漫歩そゞろあるきしまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狹く棧橋かけはしより太いたく劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如く對面の山倐忽たちまち有無いうむまた面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を投げて川の向ふへ屆くものを好子いゝこといふ競技をはじめしが酒は一時間過てもまだ來ず茶に醉ふてかフラ〱と露伴子は睡ねぶり梅花道人は欠伸あくびするに我は見兼ね太華山人と共に旅人宿はたごやへ催促と出かけしに直ぢきに門前にて只今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きて寒さぶきを覺ゆるに寧いつそ宿にて飮むまいかと割籠わりごの支度を座敷へ取寄せ寺に殘りし二人を呼び飮みかけたるまではよかりしが篁村醉ゑひの𢌞りに分からぬ事を云出したり平生よく分わけの分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不感心な事を仕出かすアヽ酒は嚴禁すべきものなり聞く英國のチヤーチル卿は國中こくちうの酒屋を皆な廢し醉漢のたまく共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチル氏だから元より下戸だらう抔などと茶かさずに誰人も酒は禁じたきものなり偖さて酒を飮みて湯に入いり湯より上りて酒を飮み大グズとなりて此座可笑をかしからず泊りを先の宿しゆくにして飮み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴衣ゆかたのまゝ夜中やちうに飛出したり處は木曾の山中やまなかなり雨あがりに道は惡し行先は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語たはごとにて矢鱈やたらと豪傑がる拙者は我慢の跡押あとおしあれど連累まきぞへとなりし梅花道人こそ氣の毒なれコレサ危ないイヽサ承知だよと受答へに醉も定めて醒めしならん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへし臑すねまで泥の尻からげ浴衣がけで荷物はないグズ醉の旅人たびゝとなれば驚き呆れて車の梶棒を下に置き顏打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり

第十六囘

とかうして車に乘れば醉と勞つかれにウト〱と睡ねぶりかけしがガタリと車は止りて旦那此こゝが小野の瀧でござりますと云ふ心得たりと下おり立しが泥濘ぬかりみちに下駄は立たゝずバタリと轉べば後より下りし梅花道人またバタリ泥に手を突きコリヤ歩かれぬと叫わめくを車夫二人手を取り跡押あとおしせし車夫の女房二ふたつの提灯てうちんを左右の手に持ち瀧のほとりに指上げたり瀧は高きにあらねど昨日きのふ今日けふの雨に水勢を増しさながら大河を倒さかさまに落すが如し衣袂いべい皆な濕うるほひてそゞろ寒さぶきを覺ゆれば見分けんぶん確かに相濟んだと車夫の手を拂ひて車に乘ればまたガタ〱とすさまじき崖道がけみちを押し上り押し下くだし夜の十時過ぎ須原すはらの宿やどりへ着き車夫を厚く勞ねぎらいて戻し是より風呂を新たに焚き酒の下物さかなを調するなど宿の者は騷ぐうち其そを待つ程もなく我は座敷に倒れて熟醉うまゐしたれば梅花道人如何いかなる妙狂言ありしかそれは知らず

此の須原は花漬トロヽ汁の名物なり翌朝鰻のブツ〱切の馳走になり一陶いつたうの勇氣をかりて車にて出づ細雨濛々まう〱たれど景色を見脱みおとさんが惜ければ母衣ほろは掛けず今井四郎の城跡といふあり此間右は木曾川漲みなぎり流れ左りは連山峨々がゝたる崖がけなるが左りの山を劈つんざいて横に一大河の流れて木曾川へ入るあり此の棧橋かけはしの上より車を停とゞめて川面かはづらを見やれば誠に魂を冷す關山とて峻さかしき坂あり一人此こゝを守れば萬夫も越えがたしと見ゆる絶所にて景色けいしよくもよし車夫いろ〱名所話しをなす喘あへぎながら語ものいふが苦しげなれば此方こなたより此こゝはなどゝ問とはん時のほか話しかけるに及ばずと云へど左れど國自慢に苦しげながら又不問語とはずがたりするも可笑をかし野尻を過ぎ三戸野みとのにて檜笠ひのきがさをもとめ蝙蝠傘かうもりがさにかへて被きる此こゝにて一句あるべきと梅花道人の云へば

土産つとにして凉しと云はん人は誰

と口早に云てこれを笠の裏に書かゝんとせしが茶店の亭主仔細らしき顏して二人が姿を見上げ見下みおろし小首傾かたぶけ痛はしやいかなる雲の上人の抔など云出ん樣子なればチヤクと其笠に姿を隱し車に乘る表に立たちて見るもの子供まじりに十四五人あり梅花道人我身に受けてグツト氣張り車やれと異おつな調子なり妻籠つまごの宿しゆくにて晝餉認したゝむ馬籠まごめの峠なれば車は二人曳にんびきならでは行かず夫それもなか〱遲し馬にて越させ玉へと宿やどの主の心付けに荷を付けて中津川なかつがはより來りし馬二頭ありしを幸ひこれに乘る元より駄馬なれば鞍も麁末そまつに蒲團などもなし宿の主才角さいかくして後うしろより馬の桐油とうゆをかけて我々を包む簑虫の變化ばけものの如し共に一笑して此こゝを出づ此には雌雄めをの瀧たき鯉岩烏帽子岩ゑぼしいはなどあり飯田とかへ通路ありとて駄荷多く集つどひて賑し左れど旅人りよじんなどは一向になし晝の宿に西洋人二人通辯ボーイ等五六人居たるのみ此峠は木曾の御坂みさかと歌にも詠む所にて左のみ嶮しからず景色穩やかにてよし古いにしへ西京より東あづまへ向ひて來んには此の峠こそ木曾に入いるはじめなれば偖さてこそ都人みやこびとの目に珍しく賞したるならん東より西をさして行かんには此の峠など小さき坂とも見做すべし風越かぜごしの峰みねといふも此あたりだと聞しかど馬士まごねから知らず却かへつて此山にて明治の始め豪賊を捕へたりなどあらぬ事を誇る時に不思議や馬の太腹我腰のあたりに鷄とりの啼聲す顧みれば鷄とりはなく若き男葉付の竹を杖にして莞爾にこつき居たり

第十七囘

今の世に客かくを愛する孟甞君まうしやうくんなし有らば此人や上客じやうかくの一人ならん年ごろ廿一二痩て脊せい低く色白く眼は小さけれど瞳流れず口早にて細き聲の男馬士まごの友と見え後先に話ながら來りしが忽ち小指を口に當ると思ふト鷄にはとりの鳴なく音ねをなす其の妙なること二三度は誠の鷄とりと聞捨て四五度目に至り怪しや人家なき此の山中にと氣付きて始めて此男の徒いたづらと知りしなり東京に猫八とて犬猫より鷄とり烏の眞似をする者あれど汝おんみの絶技に比ぶべくもなしと褒めるに氣を得てや雄をんどりが餌ゑを見付て雌めんどりを呼ぶ聲怖しき物を見て叫ぶ聲などいろ〱の曲を盡す二人は興に入りいろ〱話かければ彼も鼻をうごめかして白山はくさんの祭禮に勇を振ひて女連をんなづれの敵を驚かせしこと親父に追出されて信州の友を尋ね矢鱈やたら婦人に思ひ付かれしこと智計を以て錢ぜになしに旅せしこと伊勢參宮に人違ひの騷動など細やかに話す話すに條理すぢみちあらねども其の樣子其の身振面白く可笑をかしく腹を抱へて馬より落ちんとせり馬士まごもまた客の悦ぶに共に悦び鶴さん此前の喧嘩に組打した事を話して聞せなされと云ふさすが才子の鶴的此の組打は語りて其身に不利益と思ひしにや苦にがみて他を云ふもまた可笑をかし終つひに我輩問ひて此地の流行唄はやりうたに及びしに彼また委くはしく答へて木曾と美濃と音調の差たがひあることを論じ名古屋はまた異なりと例證に唄ひ分けて聞す其聲亮々りやう〱として岩走る水梢を吹く風に和くわす唄ひ終つて忽ち見えず梅花道人鞍を打て歎じて曰く山川秀絶の氣凝こりて斯かゝる男子を出いだす此人若もし東京に出いでて學ぶこと多年ならばいかなる英傑とならんも知れずと我輩曰く斯かゝる奇才子は宜しく此の山間に生涯を終りて奇を丘壑きうがくに埋うづむべし然らずして東京へ出いでてなまじひに學問をせば猾智かつち狡才かうさい賄賂を取るにあらねば其の周旋人を煽おだてる公事師くじしとならずば小股をすくふ才取さいとり。我家を遊樓おやまやにして時めく人を取込む紳士か左らずば長官の御手の付し引物ひけものを頂く屬官とならん名節を汚けがし面目を泥にし只其類の小人せうじんに富貴ふうきを羨まるゝに止まるべし清唳せいるゐ孤潔此の鶴公の名を如何いかにせんと此時また忽然と鶴的鞍に傍そひて歩み來きたる見れば馬の沓くつを十足ほど彼かの竹杖に括くゝし付けて肩にしたり我馬士わがまご問ふて曰く鶴さん大層沓くつを買かはしつたな煮付て晩飯の代りに喰ふかよと鶴的莞爾くわんじとしイヤ喰て仕舞しまはぬ爲に買た今日馬を追て十八錢取つたが彼所あすこの婆ばゝの茶屋で強飯こはめしを二盆やつたから跡が五錢ほきやない是を持て居ると歸るまでにまた何ぞやつて一文なしにして又親父にどやされるが落おちだから皆みんな馬の沓を買てしまつたホラよと是を親父の前へ出せば睨まれる事はないワと此答へを聞て我輩大おほいに驚けり己おのれの心己れが嗜欲に克かたざるを知り罪を犯せし後に悔くゆとも犯さゞる前に復かへらざるを知り浪費せざる前に早く物と換へて其災ひを未前みぜんに防ぐ智といふべし歸りて父の温顏を見るを悦ぶ孝といふべし生知せいちの君子九皋きうかうに鳴て聲天にきこゆる鶴殿を惡あしくも見あやまり狡才猾智の人とせしこそ悔くやしけれ誠や馬を相して痩たるに失ひ人を相して貧きに失ふアヽ悞あやまちぬと悔くゆるにつけても昨夜の泊り醉狂に乘じて太華氏露伴子に引別れたる事の面おもなさよ今日は先に中津川に待ち酒肴しゆかうを取設け置て過あやまちの償ひとせんと心に思ひて中津川の橋力はしりきに着けば一封の置手紙あり即ち兩氏の名にして西京にて會せんとあり憮然として出いだすべき詞ことばなし

第十八囘

中津川は美濃の國なり國境くにざかひは馬籠まごめと落合の間の十石こく峠たふげといふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴じゆんぼくの風ふうは木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語ことばも岐阜と名古屋半交はんまぜとなり姿形すがたかたちも見よげになれり氣候も山を離れて大に暖かみを覺ふ昨日車中より見たる畑の麥はわづかに穗を出いだしたるのみなりしが今日こんにち馬上に見れば風に波寄る程に伸びたり山を出いでたる目には何事も都めくに特ことに此の橋力はしりきといふは中山道なかせんだう第一といふべき評判の上旅籠屋じやうはたごやにて座敷も廣く取扱ひも屆き酒もよく肴もよし近年料理屋より今の業に轉じ專心一意の勉強に斯く繁昌をなすなりといふ昨夜は醉にまぎれたれば何ともなかりしが今宵は梅花子と兩人相對して燈火ともしびも暗きやうに覺え盃をさすにも淋さみしく話も途絶勝とだえがちなれば梅花道人忽ち大勇猛心を振り起しイザヤ他の酒樓に上りて此の憂悶を散ずべし豫かねて此こゝにて大盛宴を開く積つもりならずや我輩勞つかれたりと云へどよく露伴太華の代理として三人分を飮むべしと云ふこれに勵はげまされて何樓とかへ上のぼり歌妓うたひめありと聞て木曾の唄をたしかに聞ざるも殘念なればと夫それを呼びて謠うたはすに名古屋の者なれば正眞の木曾調子にはゆかずと謙遜して偖さて唄ふ其唄

木曾のナア木曾の御嶽山おんたけさんは夏でも寒さぶい袷あはせやりたや袷やりたや足袋たび添へて

木曾のナア木曾の御山おやまはお月を抱きやる私わしも抱たや私わしも抱たやお十七じふしちを

隨分無骨ぶこつなる調子にて始はフト吹出すやうなれど嶮しき山坂峠をば上り下りに唄ふものなれば濁だみたる節ふしも無理ならず其文句に至りては率直にして深切しんせつありのまゝにして興あり始の歌木曾の山の寒さぶきを案じ夏とて谷間に雪あるに郎をとこは單衣ひとへぎぬにて上のぼられぬ梢の雫しづく巖いはほの滴したゝり何とてそれにて凌しのがれん袷あはせを贈りまゐらせたやとの情彼かの孤閨を守る婦をんなが夫が遠征の先へ新衣を裁したてて送んとし思おもへば定さだめて勞つかれに痩せ昔の腰圍こしまはりにはあるまじと衣きぬを裁たゝんとして躊躇するにも似たり而しかしてこれは丁寧ていねい尚ほ足袋に及ぶ爪先までも心の屆きし事といふべし又次の歌は想ふ人を月に寄せたるにて木曾の山月つきを抱いだくの語は彼かの杜工部とこうぶが四更山吐月しかうやまつきをはくと詠じたると異意同調ともいふべきなり其の謠ふ間の拍子取りにはトコセイ。ヨイサといふ實げに麓より見上げて胸を衝くばかりの鳥居峠など上らんに右の手の竹杖に岩角を突き斯く唄はゞ其の勞つかれを忘るゝ事もあるべし我輩越後に赴きしとき米山よねやまを越えて後に新潟にて米山節を聞しが其の音節調子重おもきを負ふて米山を越こゆるによく適かなひたり拍子詞へうしことばにソイ〱といふは嶮しけれども高からぬゴロタ石の坂を登るを見るが如し所によりて囃はやし詞ことばの斯く變るは面白し此の外ほかにいろ〱歌あれど今作り添へたるものにて卑俗聽くに堪たへず諸國風俗唄の古きにはよきが多し是等取調べて惡あしきは捨てよきを殘さば假名の詩經が出來やうも知れず一話一言の中うちなりしが諸國の唄を集め出いだせしうちに遠州邊の唄とて

魚は水に住む鳥は木にとまる人は情なさけの下に住む

といふがありしと覺ゆ「鴨ぞ鳴くなる川よどにして」の古歌に心は同じにして只俗なるのみ俗なるゆゑ人に通ず俚歌りかは輕んずべきものにあらずと昨夜ゆふべに懲りて此夜は眞面目なり

第十九囘

中津川の宿しゆくを立たゝんとするに左の足痛みて一歩も引きがたしコハ口惜くちをしと我手に揉もみつ擦さすりつして漸やく五六町は我慢したれど終つひに堪こらへきれずして車乘詰のりづめの貴族旅となりぬ雨は上りたれど昨日きのふも一昨日をとゝひも降り續きたる泥濘ぬかるみに車の輪を沒する程の所あり何卒なにとぞ小山の上を少しの間歩き玉ひてと車夫の乞ふに心得たりと下りては見たれどなまじ車に足を縮すくめたる爲め痛み強くわづかに蝙蝠傘かうもりがさを力に右の足のみにて飛び〱に歩く苦しさ云いはん方なし小松交りの躑躅つゝぢの花の美しきも目には入いらず十間歩くを一里とも二里とも思ひなせど痛き顏をしては梅花道人の案じ玉ふが氣の毒なればわざと顏の皺を伸ばし洒落など云いはんとすれど滿足に出るは稀なれば今日は大層洒落が苦しいネと云るゝ辛さ笑ふさへ足に響く心地す大井を過ぎて新街道大釜戸おほかまどといふより御嶽みたけへ出づ元は大井より大久手おほくて細久手ほそくてを經て御嶽みたけへ出いでしなれど高からねど山阪多きゆゑ釜戸かまどの方かたを街道となせしなりと如何いかばかりの事かあらん見渡すかぎり木曾に馴れし眼には丘といふぐらゐの山のみ道をかゆる程の必要あらんやと口には云しが此足に山阪は恐れる運よく此街道を𢌞る事よと腹には思ひたりうとふ阪の下り口を例の通り下おろされて澁々歩くと跡先になりて二十六七の羽織着たる男頻しきりに二人の姿を眺めしが頓やがて道人の前へ一揖いついふして失禮ながら其の革提かばんは東京で何程ぐらゐ致しますと問かけしが其の樣子アヽ欲しやこれを提さげなば定めて村人の驚き羨まんにと思ふ氣色けしきなりまた頓やがて我に近づき先ほど見上げましたが珍しい蝙蝠傘かうもりがさ彈はぢきがなしでよく左樣に開閉ひろげすぼめが出來ます嘸さぞ高い品でござりませうと是も亦片手に握りて見たき顏の色に我はヱヘンとして斯樣かやうな物は東京に住む者が流行はやりに逐はれて馬鹿の看板に致すなり地方の人は鰐皮の革提かばんの代りに布袋を提げパテンの蝙蝠かうもりを揷かざさずして竹の子笠を被きる誠に清くして安樂の生涯羨ましき限りなり衣服調度の美を競ふは必竟ひつきやう自分の心を慰むる爲ならず人に羨まれん感服されんといふ爲なり其爲に心を苦ますること幾許いくばくか知れず惡事も此念より芽を出いだし壽命も是より縮まるなり此の江戸風が地方に流れ込むは昨年の洪水より怖しきものと思ひ玉へと云へば膽きもの潰れた顏をして足早に行過しも可笑をかし御嶽みたけの宿しゆくにて晝食ちうじきす此に可兒寺かにでらまた鬼の首塚などありと聞けど足痛ければ素通りと極きめて車を走らす是より山の頂の大岩道を行く下されること數度なり左右の松山にヂイ〱と濁りし聲に啼く虫あり何ぞと聞ば松虫と答ふ山に掛れば數万本の松皆赤枯れて火に燒けたる如し又問へば松虫が皆な喰ひ枯せしなりといふ松に此虫が生わけば滿山枯し盡さねば止やまず其形は毛虫の如くにて憎むべきものなりと云ふ嗚呼あゝ松に生じ松によりて育ちながら新芽を喰ひ盡して其松をあはれに枯し却つて其身はヂイ〱と濁聲だみごゑを放つて得意を鳴らす其名を聞けばおとなしやかに松虫といふ汝に似たる人間もまた世になきには非ざりけり數百万本の松の芽を徒いたづらに喰ひ盡しむしり取り名は美しく毛だらけにてヂイ〱と濁聲だみごゑに得意を鳴らすもの嗚呼なきにはあらざりけり枯るゝ松こそ哀なれ

第二十囘

中納言行平卿ゆきひらきやうの墓ありといふ少し縁續きなれど參らず伏見を經て太田川にかゝる大河なり木曾の棧橋かけはし太田の渡りと古く謠ひて中山道中やかましき所なり河を越して太田に泊る宿狹けれど給仕の娘摺足すりあしにて茶ちやつた待遇もてなしなり翌日雨降れど昨日きのふの車夫を雇ひ置きたれば車爭ひなくして無事に出立す母衣ほろを掛くれば四方の景色見えず掛けねば濡れるといふ難あり着物や荷物は濡てもまた乾かすべし景色は再び會ひがたからんと决着していかに濡るゝも母衣ほろをかけず道は平坦たひらの繩手なわてにてしかも下り目ゆゑ雨に拘はらずよく走る此邊は官林の松林あり彼かの松虫に喰枯されて何百万本か新たに小松を植付け虫取役を付け置かるゝとぞ同じ虫でも蠶かひこの如く人に益し國を富とますあれば此かく樹を枯して損を與たふるものあり實げに世はさま〲なりと獨り歎じて前面むかふを見れば徃來は道惡き爲めに避けてか車の行くを先に除よけてか林の傍わきの草原くさはらを濡れつゝ來きたる母子おやこあり母をやは三十四五ならんが貧苦に窶やつれて四十餘にも見ゆるが脊に三歳みつばかりの子を負ひたり後うしろに歩むは六歳むつばかりの女の子にて下駄を履きたり母は縁ふちのほつれし竹の子笠を被かぶりたるが何故にや腮おとがひの濡るゝまで仰向きたり思へばこれ脊せなの子を濡らさじと小さき笠を後うしろへ掩おほふ爲なりしまだ其下にも跡あとの子を入れんとにや後うしろさまに右の手を出いだして娘子むすめの手を引かんとすれど子供はスネてか又は脊に負はれし弟おとゝを羨みてや兩手を胸に縮めて寒げにかぢけ行くのみ泣なく聲こゑはなし涙は雨に洗はれしなるべし此の母の心は如何ならん夫は死せしか病やみて破屋の中に臥すか何いづれに行かんとし又何をなさんとするや胸に飮む熱き涙に雨を冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふに褸つゞれの單衣ひとへ裾すそ短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだも堪こらゆべし二人の子供を何とせん憐れにも亦いぢらしき有樣よと思ふうち母子おやこの歩みは遲けれど驅ける車の早ければ見顧みかへりても見えずなりぬ此母子このおやこの境界きやうがいはいかならん影の如く是に伴ひて見たしまた成し遂とげらるゝものならば力をも添へてやりたし嗚呼此の脊に負はるゝ子跡あとより歩む娘今より十年の後はいかになりて在るや二十年の後は何となるべきや人生れて貧賤なればとて生涯それにて果はつるにあらず𢌞まはり合せさへよくば富貴ふうきの者となりて雨に戀しきみのゝ國に昔し苦みし事を笑ふて語る時あらんも知れずよし貧賤に終るとて此の母子おやこの慈愛ありなまじ富貴にして却つて財物ざいもつを爭ひ兄弟親子しんし疎遠になり敵かたき同士と摺れ合ふよりは幸福なりなど思ひつゞくるうち鵜沼うぬまも過ぎて加納かなふに着きしが此間このあひだの景色川あり山あり觀音坂といふ邊など誠に面白き所なりし岐阜の停車塲ステーシヨンの手前の料理店に入いりて晝を認したゝめ是より我は足の痛み強ければ一人東京へ歸らんと云ひ梅花道人は太華氏露伴氏の跡を追ふて西京に赴むくといふ終つひに此こゝにて別杯を酌みかはし

左らばとて分つ袂に桐の雨

幸ひに西も東も午後一時何分とか時間に差たがひ少なきゆゑ共に停車塲ステーシヨンに入り道人は西我は東煙は同じ空に靡なびけど滊車は走る道を異にして我は其夜靜岡に泊り待つと告來し大坂の友には今年の秋と契ちぎり翌日また滊車にて根岸の古巣へ飛び歸りぬ

底本 / Source edition

底本:「明治文學全集 94 明治紀行文學集」筑摩書房
1974(昭和49)年1月30日第1刷発行
底本の親本:「むら竹 第二十卷」春陽堂
1890(明治23)年12月
初出:「東京朝日新聞」
1890(明治23)年5月3日~7月3日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「石荒阪」と「石荒坂」、「居爐裡」と「圍爐裏」、「險阻」と「嶮岨」、「桔梗《きゝやう》が原《はら》」と「桔梗《きゝやう》ヶ|原《はら》」、「※[#「てへん+丙」、第4水準2-13-2]」と「柄」の混在は底本の通りです。
※「國境」に対するルビの「くにさかひ」と「くにざかひ」の混在は、底本通りです。
入力:古山惠一郎
校正:岡村和彦
2019年5月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/056014_000374/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/056014_000374/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/056014_000374/

饗庭 篁村「木曽道中記」(旧字旧仮名)、底本『明治文學全集 94 明治紀行文學集』筑摩書房、1974年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 056014_000374, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite