◇

<ruby><rb>寛永</rb><rt>かんえい</rt></ruby>十六年四月十六日の早朝。<ruby><rb>陸奥国</rb><rt>むつのくに</rt></ruby><ruby><rb>会津</rb><rt>あいづ</rt></ruby>四十万石<ruby><rb>加藤式部少輔明成</rb><rt>かとうしきぶのしょうゆうあきなり</rt></ruby>の家士、<ruby><rb>弓削田宮内</rb><rt>ゆげだくない</rt></ruby>は若松城の南の方で、突然起った<ruby><rb>轟音</rb><rt>ごうおん</rt></ruby>に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すわ</span>と、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。この日宮内は頭痛がひどいので、小屋に引き<ruby><rb>籠</rb><rt>こも</rt></ruby>って養生していたのである。

宮内は骨細い生れつきで、<ruby><rb>襟首</rb><rt>えりくび</rt></ruby>のあたりは女かと思うばかり、<ruby><rb>和</rb><rt>やわら</rt></ruby>かい線をしていた。見るからに弱々しいのは姿ばかりではなく、実際に<ruby><rb>非力</rb><rt>ひりき</rt></ruby>であった。<ruby><rb>島原</rb><rt>しまばら</rt></ruby>の<ruby><rb>切支丹</rb><rt>きりしたん</rt></ruby><ruby><rb>退治</rb><rt>たいじ</rt></ruby>があって、<ruby><rb>血腥</rb><rt>ちなまぐさ</rt></ruby>い<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>が伝わったのは昨年のことである。大坂落城以来二十年余の今日では、天下泰平を誰しも望んではいたが、油断の出来る時節にはなっていなかった、それだけに一朝事ある場合に、優しい姿の宮内では、とても役にたつまいと<ruby><rb>軽</rb><rt>かろ</rt></ruby>しめられていた、宮内はそうした批評が、自分に下されていることを、勿論<ruby><rb>覚</rb><rt>さと</rt></ruby>っていた。しかし、武芸に長所を持たぬ上に、非力である自分の体を、どうすることも出来なかった。

押っ取り刀を宮内は、腰にさしながら小屋の外で、天地に<ruby><rb>轟</rb><rt>とどろ</rt></ruby>いた、今の音が、起ったらしく思われる<ruby><rb>南山</rb><rt>みなみやま</rt></ruby>の空を仰いだ、と直ぐ眼についたのは、<ruby><rb>脅</rb><rt>おびや</rt></ruby>かされて群れ乱れた<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しい<ruby><rb>禽</rb><rt>とり</rt></ruby>であった、緑につつまれた山も野もすてて、<ruby><rb>怖</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えて青空に彼等は狂っていた。宮内は南の空から東へ、それから北へ西へと眼を配った、脅かされて立った禽は、若松城の<ruby><rb>外曲輪</rb><rt>そとくるわ</rt></ruby>十六門のうち<ruby><rb>南町口</rb><rt>みなみまちぐち</rt></ruby>から南の方だけであった。その南の今の若松市外<ruby><rb>門田</rb><rt>もんでん</rt></ruby>村の一部、その頃はひと口に中野といった。その見当らしく思われた。

「いよいよ<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>ったのう」

胸を躍らした宮内は、眼を閉じてほっと息をついた。宮内には今の音が、何であるかの推測がついていたのである。

「母者、事が起った。恐らくは直ちに討手が差し向けられるに違いない。それに遅れてはうしろ指の種じゃ。宮内は一駈け<ruby><rb>仕</rb><rt>つかまつ</rt></ruby>る」

門口でこういい<ruby><rb>棄</rb><rt>す</rt></ruby>てて、城内めがけて<ruby><rb>驀地</rb><rt>まっしぐら</rt></ruby>に走り出した頃に、諸所の小屋から、同じような身分の士や、その妻子が外へ出て、くるくると空を仰いで騒ぎ出していた。

加藤式部少輔明成は、父<ruby><rb>嘉明</rb><rt>よしあき</rt></ruby>が<ruby><rb>卒</rb><rt>しゅつ</rt></ruby>し<ruby><rb>家督</rb><rt>かとく</rt></ruby>をついでから九年目になる、評判のよろしくないこの人は、四十万石の<ruby><rb>家中</rb><rt>かちゅう</rt></ruby>で<ruby><rb>河村権七</rb><rt>かわむらごんしち</rt></ruby>か<ruby><rb>堀主水</rb><rt>ほりもんど</rt></ruby>かといわれたほどの名臣、主水を憎んでいた。河村権七は先代が<ruby><rb>伊予</rb><rt>いよ</rt></ruby>の松山にいるとき死去し、今は加藤家自慢の家臣は、堀主水が唯一であった。その主水を明成は甚だしく嫌っているのだった。

君臣の間の離反は、事ごとに<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>を深くし、とうていまどかな結果はあるまいと、誰しも予想したとおり、主水は家老の職を<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>がれ、先代が依託した<ruby><rb>采配</rb><rt>さいはい</rt></ruby>まで召しあげられたのを機会に、この日一門残らず三百余人、隊列を整えて<ruby><rb>馬橋</rb><rt>まばし</rt></ruby>から南へ<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>をとり、中野で<ruby><rb>銃口</rb><rt>つつぐち</rt></ruby>を城に向け、三十<ruby><rb>梃</rb><rt>ちょう</rt></ruby>一時に放発して、君臣手ぎれの<ruby><rb>狼火</rb><rt>のろし</rt></ruby>に代えた。宮内が押っ取り刀で飛び出したのは、その銃声のためであった。

主水の率いる三百余人は、<ruby><rb>倉兼川</rb><rt>くらかねがわ</rt></ruby>を越えると直ぐ、橋を焼き落して日光街道を、<ruby><rb>蘆野原</rb><rt>あしのはら</rt></ruby>の関所を押して通り、<ruby><rb>二股山</rb><rt>ふたまたやま</rt></ruby>で<ruby><rb>槍</rb><rt>やり</rt></ruby><ruby><rb>薙刀</rb><rt>なぎなた</rt></ruby>鉄砲を棄てて関東へ向って行ってしまった。

弓削田宮内は城中へ駈け込みながら、自分の外には、駈けつける者のないのに驚いた。さすがに<ruby><rb>犇</rb><rt>ひし</rt></ruby>めいてはいるが、早急に討手の人馬が、城外へ押し出す様子は更になかった。宮内は手持ち<ruby><rb>無沙汰</rb><rt>ぶさた</rt></ruby>になって、ただうろうろと、その辺を歩く外にすることがなかった。

先ほどからといっても、宮内よりは大分遅く駈けつけた一人に、<ruby><rb>生島慎九郎</rb><rt>いくしましんくろう</rt></ruby>という血気の武士がいた。今はじめて宮内の色の白い顔に気がついた。それのみならず病気であることを知らなかったので、宮内の血色の良くない顔と、<ruby><rb>物憂</rb><rt>ものうれ</rt></ruby>わしげな眼つきとを見て、<ruby><rb>嘲</rb><rt>あざけ</rt></ruby>り笑いが顔にこみあげて出てきた。

「宮内、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おみ</span>は今頃<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く着到か」

いわでものことをと、慎九郎は直ぐ後悔した。殊に宮内には、触れたくない事情を慎九郎はもっていたのであるが、いってしまった後なので<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はた</span>と困った。折よく重役の<ruby><rb>評定</rb><rt>ひょうじょう</rt></ruby>がはじまって追討派と非追討派とが、今論争中だという報があったので、慎九郎はその方へ耳を傾け、宮内からなるべく遠ざかろうとしたかった。

宮内は逃さなかった。わざわざ慎九郎の<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>へきて、その<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>をひいて<ruby><rb>詰</rb><rt>なじ</rt></ruby>った、その顔つきは<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>さが先ほどよりはよほど濃くなっていた。

「前後をよく<ruby><rb>弁</rb><rt>わきま</rt></ruby>えてから物はいうものじゃ、第一の着到はかくいう弓削田宮内じゃ、お<ruby><rb>歴々</rb><rt>れきれき</rt></ruby>といえども、着到順から申せば皆後じゃ」

「なに、そうか、手柄じゃのう、したが<ruby><rb>生憎</rb><rt>あいにく</rt></ruby>と武芸下手でいかぬわい」

慎九郎は、男の<ruby><rb>面目</rb><rt>めんぼく</rt></ruby>として、殊に一人の女を争って勝利に誇る日が、目前に近づいている慎九郎だ、恋争いに敗れた宮内から、一本うち込まれて、閉口し放しでいられなかった。

◇

宮内が思いをかけた女は、<ruby><rb>矢作治部太夫</rb><rt>やはぎじぶだゆう</rt></ruby>の娘きいであった。そのきいには慎九郎も、熱心に執着して争った。

泰平の御代と、人は口癖にいっていたが、その泰平は<ruby><rb>的</rb><rt>あて</rt></ruby>にならない気がした頃のことだ、色の白い、骨細の<ruby><rb>優男</rb><rt>やさおとこ</rt></ruby>の宮内より、<ruby><rb>逞</rb><rt>たくま</rt></ruby>しい体をもって、力も人並以上あり、<ruby><rb>起居</rb><rt>たちい</rt></ruby>も雄々しい慎九郎の方が、治部太夫の娘の気に入った。

恋争いに敗北した宮内は、その原因が武勇の劣ったことにあると聞いて、口の<ruby><rb>傍</rb><rt>はた</rt></ruby>が<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りにひきつる気もちがした。

「武勇だって。武勇というものは、尋常無事のときにばかり知れるものかのう。きい殿は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えらい</span><ruby><rb>目利</rb><rt>めき</rt></ruby>き<ruby><rb>者</rb><rt>しゃ</rt></ruby>じゃ」

<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り出すようにいって、自分を慰めてはみたものの、自分の非力は知り過ぎるほど知っていた。力から武勇が生れ出るとは思わないが、亡父の<ruby><rb>甲</rb><rt>かぶと</rt></ruby>を<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>にのせただけで、首を自由にふることの出来なかった宮内は、心の底の方では、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あきらめ</span>をつけねばならぬと覚悟はしていた。しかしそれは思っただけで、恋争いの敗北の痛みは、<ruby><rb>臓腑</rb><rt>ぞうふ</rt></ruby>に深く刻みつけられた。

逆臣<ruby><rb>誅罰</rb><rt>ちゅうばつ</rt></ruby>の一番手に、幸いにも編入された宮内は、胸一つには抑え切れない<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しさを感じた。<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>で堀主水の三百余人に、追いつくか知らないが華々しく闘って、骨細者の非力とうたわれた腕から、どのくらいの<ruby><rb>斬</rb><rt>き</rt></ruby>れ味が出るかを見せつけてやろうと思った。そうしたら慎九郎にはいい見せつけになる、それよりは力を男選みの<ruby><rb>秤</rb><rt>はかり</rt></ruby>にかけた治部太夫の娘が、非力者の勇気を聞き知ったら、さぞ事の案外に<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>くだろうことを、宮内はまず空想して愉快に思った。しかし、宮内の空想は水で描いた画だった。追いかけた主水主従が、棄てて行った槍鉄砲などを、二股山で拾って引き返しただけで、討手の役は、その後立ち消えとなってしまった。

堀主水が<ruby><rb>鎌倉</rb><rt>かまくら</rt></ruby>に<ruby><rb>蟄居</rb><rt>ちっきょ</rt></ruby>していると、江戸から早馬で注進があった日に、宮内と慎九郎とは、支配頭に呼び出されて、頭ごなしに<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>りつけられた。

「両人は<ruby><rb>私怨</rb><rt>しえん</rt></ruby>を<ruby><rb>挟</rb><rt>さしはさ</rt></ruby>み、<ruby><rb>果合</rb><rt>はたしあ</rt></ruby>いを約したという風聞だ、その虚実は今は問わぬが、只今の御家の<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>を拝したら、それどころではあるまい、くだらぬ騒ぎをして不忠を働くな、それよりは主君の御憤りを、一日も早くやすめ奉る心になれ、<ruby><rb>白癡</rb><rt>たわけ</rt></ruby>めがッ」

平身低頭して叱言を聞いていた二人のうちで宮内の方は素早く、その機会を<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えた。

「段々との<ruby><rb>御教誨</rb><rt>ごきょうかい</rt></ruby>有難く存じます、<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>きまして私、この度の逆臣退治につき、命投げ出し御奉公仕りたく、何分大役仰せつけ下されまするよう、願いあげまする」

「それでこそじゃ、追って申しあげる」

「私、お願い申しあげまする」

慎九郎は<ruby><rb>赧</rb><rt>あか</rt></ruby>くなって、いい出したが、軽く<ruby><rb>出端</rb><rt>でばな</rt></ruby>を押えつけられた。

「わかったわかった、それでこそ<ruby><rb>汝</rb><rt>おみ</rt></ruby>も当家の士じゃ」

宮内は<ruby><rb>高野山</rb><rt>こうやさん</rt></ruby>へ、探偵として入り込む内命をうけて喜んで<ruby><rb>出立</rb><rt>しゅったつ</rt></ruby>した。<ruby><rb>紀州</rb><rt>きしゅう</rt></ruby>の霊場には、鎌倉を去った堀主水が、身の危険を感じて登山しているのであった。

主水は高野を下山して、紀州家をたよって身を寄せた、加藤家と高野山の争いもそうであったが、紀州家を<ruby><rb>対手</rb><rt>あいて</rt></ruby>として、争いを起そうと決心した加藤家は、<ruby><rb>凄惨</rb><rt>せいさん</rt></ruby>な覚悟を据えた。

「四十万石を差しあげても、極悪の不臣堀主水の一類を<ruby><rb>誅</rb><rt>ちゅう</rt></ruby>さねばならぬ」

父の嘉明の<ruby><rb>小兵</rb><rt>こひょう</rt></ruby>に似ず、六尺豊かな加藤式部少輔明成は、<ruby><rb>足摺</rb><rt>あしず</rt></ruby>りして<ruby><rb>焦慮</rb><rt>あせ</rt></ruby>った。主がこの気もちだから、血気な士は<ruby><rb>逸</rb><rt>はや</rt></ruby>りきって、何かというと殺気立った。

そのうちに紀州を出た主水は、江戸に現れて旧主明成の罪条、二十一個条をあげて<ruby><rb>公儀</rb><rt>こうぎ</rt></ruby>に告訴した、明成の評判は余りよくなかったが、主の居城に発砲し、往来の橋を焼き、関所を押して通ったという<ruby><rb>廉</rb><rt>かど</rt></ruby>が、徳川家では許しておかれない事件だった。君臣の別を<ruby><rb>紊</rb><rt>みだ</rt></ruby>ることは、加藤家の問題ではなく、公儀自身に影響する問題であるとともに、<ruby><rb>黒書院</rb><rt>くろしょいん</rt></ruby>に居流れた人々の、立場は、加藤明成と皆同じであった。誰一人として主水と同じ立場に立って考える人はなかった。

寛永十八年三月二十一日、堀主水一類は旧主加藤明成に引き渡され、間もなく将軍は口すがら、主水等を極刑に行えと明成に命じた。主水兄弟三人は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うつつ</span><ruby><rb>責</rb><rt>ぜめ</rt></ruby>の末に<ruby><rb>斬殺</rb><rt>ざんさつ</rt></ruby>され、妻子も極刑に処せられた。

宮内はその頃になって、会津若松の小屋に帰ってきた、色こそ黒くなったが、<ruby><rb>優姿</rb><rt>やさすがた</rt></ruby>は足かけ三年の今でも、元と変るところが更になかった。

<ruby><rb>隠密</rb><rt>おんみつ</rt></ruby>をやって<ruby><rb>相模</rb><rt>さがみ</rt></ruby>から紀州へ、紀州から江戸へ出て<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>く休息し、やがて又相模へ主水の妻子の隠れ家を<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎ出しに行った。その永らくの間に、宮内は時々故郷の空を望んで、非力者の腕前が、君家の役に大分立っているのを自慢した。今度会津へ帰ってからも、そうした気もちを、胸一杯にもっていたが、慎九郎の噂を聞くと、今までの元気が一度に<ruby><rb>耗</rb><rt>へ</rt></ruby>った如く思った。

慎九郎は主水の弟、<ruby><rb>多賀井又八郎</rb><rt>たがいまたはちろう</rt></ruby>の妻子を捉えに行き、大分武勇を示したというのだ。そればかりか、慎九郎ときいとは、互いに父となり母となっていた。子供は今年二歳だという。

◇

<ruby><rb>牛</rb><rt>うし</rt></ruby>ヶ<ruby><rb>墓</rb><rt>ばか</rt></ruby>のほとりの桜が咲いた。隠密の苦心を認める者より、慎九郎の腕前の方が、知合いの間柄では<ruby><rb>優</rb><rt>まさ</rt></ruby>るとされた、その噂で気を<ruby><rb>苛</rb><rt>いら</rt></ruby>だたせていた宮内は、桜見物に出てきても、一向面白くもなかった。

「きい殿でござったな、久方ぶりでござる」

桜狩の女のうちから、宮内は慎九郎の妻を偶然みつけ出した。

「これは弓削田様、いつもながらお健やかでお喜び申しあげまする」

若い母の色つやは、娘時代よりはずっと美しく、三年前よりは、肉づきまでが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふくよか</span>になっていた。宮内はそれをみると、慎んではいるつもりだが、<ruby><rb>妬心</rb><rt>としん</rt></ruby>がふいと芽を出した。

「おお、そこにいたか、あちらへ参れ」

急に現れてきた慎九郎は、宮内には<ruby><rb>一瞥</rb><rt>いちべつ</rt></ruby>もくれず、ただ妻にだけ口をきいた。

きいは一礼して去った。その後姿を見送っていた慎九郎は、宮内を眼中におかず、黙って立去ろうとした。

「慎九郎待て」

無言で小戻りしてきた慎九郎は、宮内の眼のところへ、自分の鼻が押しつくほどに近づけ、顔中の筋を一つも動かさずにいた。この男も<ruby><rb>妬</rb><rt>や</rt></ruby>いているのだ。

「目礼をしたのに何故答えぬ。宮内にはそうせずともよいのか」

「そこにいたのか、さらば、<ruby><rb>更</rb><rt>あらた</rt></ruby>めて目礼するぞ。これでよいか、あまり<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かぼそい</span>から<ruby><rb>見損</rb><rt>みそくね</rt></ruby>たのじゃ」

「それが<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>の作法か」

「<ruby><rb>生島</rb><rt>いくしま</rt></ruby>流儀じゃ、気に入らぬでも是非がない、ぬしある女の顔を、しげしげと<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めるのが<ruby><rb>武士</rb><rt>もののふ</rt></ruby>の作法と心得た奴に、慎九郎風の挨拶、気に入らぬかも知れぬのう」

「聞き棄てにならぬぞ。なに、ぬしある女の顔がどうしたというのじゃ、弓削田宮内が不義でも仕掛けたというのか、明白にいってくれ、余のこととは違うぞ、色情沙汰の悪名は名折れじゃ」

「いうは易いが、まあ自身に問うてみろ」

「なに」

「なんだ、宮内その<ruby><rb>拳</rb><rt>こぶし</rt></ruby>は何処へやる気だ、刀へかけるのなら、<ruby><rb>潔</rb><rt>いさぎよ</rt></ruby>くかけろ、慎九郎は非力者が相手じゃとて、遠慮はせぬ男じゃ」

「…………」

「<ruby><rb>細作</rb><rt>しのび</rt></ruby>は人並みに<ruby><rb>仕遂</rb><rt>しと</rt></ruby>げたが、抜き合わせたら十のうち十までケシ飛ぶこと請合の非力者の腕、滅多に拳を刀に近づけるなよ、危ないから」

宮内は慎九郎の、強げな体を今更らしく眺めた。同じく生をこの世に<ruby><rb>亨</rb><rt>う</rt></ruby>けて、一人は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もてはや</span>される力に<ruby><rb>充</rb><rt>み</rt></ruby>ちた体をもち、一人は女にまで<ruby><rb>蔑</rb><rt>さげす</rt></ruby>まれる弱々しい体をもっている、甚だしいこの差別を持って生れて来たのを、<ruby><rb>天賦</rb><rt>てんぷ</rt></ruby>だというだけで、手軽く<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あきらめ</span>をつけねばならぬことはどう考えてもわからない<ruby><rb>理</rb><rt>ことわり</rt></ruby>だった、――力を出そう、なんかしらの武器をとって、長所をつくろう。宮内は今までそれを怠ってはいなかったが、力はいつまでたっても出なかったのだ、武芸は何一つとして、人並みにはなれなかったのだ。

「宮内、泣いているな、こりゃ面白い」

「…………」

「抜き合わせて勝つ見込みがない、さりとて口惜しくもある。それで泣くのじゃな、はッはッはッ宮内よく聞けよ、武士は泣かぬものじゃ」

「<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にも、泣いた、泣いている、口惜しさに泣いているのじゃ」

「左程無念なら、遠慮はいらぬ、この場で、やろうか、慎九郎は<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>でも心得たとこそいえ、あすにせよとは決していわぬぞ」

「慎九郎などにはわからぬことじゃ、泣くのは自身を泣いているのじゃ、<ruby><rb>汝達</rb><rt>おみたち</rt></ruby>のことばかりで泣くのではない」

「<ruby><rb>口賢</rb><rt>くちかしこ</rt></ruby>くいい抜けるな、慎九郎は憎し、さりとて己れは非力でうち勝つ見込みはない、それで泣いているのじゃ、骨細男とはいえ<ruby><rb>武夫</rb><rt>もののふ</rt></ruby>じゃ、白昼、諸人の目前で泣く奴があるか」

「何とでもいえ――が慎九郎、非力者とうたわれたこの宮内が、生死を賭けて争う場に臨んでも、果して平常の如き非力者であろうか」

「妙なことをいう奴じゃ」

「実地にやったことはないのじゃ、なれども、宮内は固く思っている、すわというとき、宮内は決して<ruby><rb>怯者</rb><rt>きょうしゃ</rt></ruby>でない、むしろ大胆不敵の男になれる、如何ばかりの勇士でも、宮内は必ず仕止めてみせる」

「兵学の講釈を、宮内から聞くとは思わなかった。それほど自慢の心があるなら、勇士を仕止めてみろよ」

「うむ――追ってはそういうときもくるに違いない、まあ<ruby><rb>後々</rb><rt>のちのち</rt></ruby>をみておれ」

宮内はプイと立去った。

◇

その翌年の春、宮内の母が亡くなって、小屋の起居は宮内一人の淋しい朝夕となった。

寛永十九年の秋の訪れが、この雪の早い国にもうやって来た。やがて峰々から吹いてくる風が、<ruby><rb>雪</rb><rt>ゆき</rt></ruby><ruby><rb>霙</rb><rt>みぞれ</rt></ruby>の先触れをして、冬籠りの支度は<ruby><rb>何処</rb><rt>いずく</rt></ruby>の家でも、たいていもう整った。

槍の名手と評判があった、矢作治部太夫は、今日は寒さがちと<ruby><rb>酷</rb><rt>きび</rt></ruby>しいので、城中から下がってくると直ぐ、好きな酒をちびちびと飲みはじめた。そこへ弓削田宮内が訪れて来た。

「宮内がきた、どう思ってきたのか――ま、是非がない、ここへ通せ」

この四年ばかりの間というもの、宮内は治部太夫を訪れたことがない、治部太夫の娘きいが、望んで生島慎九郎に<ruby><rb>嫁</rb><rt>とつ</rt></ruby>いでからは、宮内にとって治部太夫は、<ruby><rb>躓</rb><rt>つまず</rt></ruby>かせた路端の石ころだった。

「珍しいのう弓削田氏、取り乱しているが、ここへ御座れ、いやその後はトンと無沙汰じゃ」

額が<ruby><rb>禿</rb><rt>は</rt></ruby>げあがった、この<ruby><rb>大兵</rb><rt>たいひょう</rt></ruby>な老人は、<ruby><rb>疎</rb><rt>まばら</rt></ruby>にはなったが丈夫そうな歯を<ruby><rb>剥</rb><rt>む</rt></ruby>き出して、元気よく宮内を待遇した。

宮内は<ruby><rb>沈鬱</rb><rt>ちんうつ</rt></ruby>な顔つきで、世間話を口重そうに語り出した。

「時に、今日の来訪は、何用じゃのう」

杯を下にして治部太夫は、家人が今出て行った後をチラと見てから尋ねた。

「は、矢作殿、――御家はこの後どうなりましょう」

「どう、どうなるとは何事だのう」

「主水一類を誅し終って二年になります」

「おお二年になる」

「御家は安泰でござりましょうか」

「はて、何故事新しげにそのようなことを尋ねるのじゃのう、会津四十万石、大盤石の如く御当家は千代八千代じゃ」

「それは<ruby><rb>浅見</rb><rt>せんけん</rt></ruby>じゃ、やがて御当家は御<ruby><rb>取潰</rb><rt>とりつぶ</rt></ruby>し、これは免れぬ御運じゃ」

「<ruby><rb>不祥</rb><rt>ふしょう</rt></ruby>なことをいうな、口を慎め、――いらぬことをいう男じゃ」

「主水一類と四十万石引換えにと、式部少輔殿が申された、その始末がやがてつけられましょう」

「口を慎め、主君を式部少輔殿とは何事じゃ」

「二年の後か三年の後か、加藤家御取潰しはとにかくに近年のうちにありましょう」

「こ<ruby><rb>奴</rb><rt>いつ</rt></ruby>、乱心したな」

「治部太夫殿、お互いに浪々の身と、不運は目前に迫っている。当節柄じゃ、名ある浪人ですら仕官の<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>がない、餓死する浪人もなかなかに多い、宮内は武芸<ruby><rb>不鍛錬</rb><rt>ふたんれん</rt></ruby>の非力者故、まず以て仕官の途はない、治部太夫殿は槍の名人、が、老いているからこれも仕官の途はまあない」

「黙れ、黙れこ奴、黙らぬか」

「黙らぬ、いうだけのことはいうのじゃ、武士の<ruby><rb>本文</rb><rt>ほんもん</rt></ruby>によって、二君に仕えず、<ruby><rb>清節</rb><rt>せいせつ</rt></ruby>を<ruby><rb>完</rb><rt>まっと</rt></ruby>うする外にお互いの途はない」

「さ、黙ってしまえ、黙らぬと合点せぬぞ」

「してみればこの世にお互いは用がない、治部太夫殿、この世に用のない老人殿、宮内の無心を<ruby><rb>肯入</rb><rt>ききい</rt></ruby>れてくれ」

「<ruby><rb>白癡</rb><rt>たわけ</rt></ruby>ッ、あの槍が眼につかぬか」

「望ましい、どうか手に<ruby><rb>執</rb><rt>と</rt></ruby>ってくれ」

「こ奴、治部太夫の名槍の<ruby><rb>錆</rb><rt>さび</rt></ruby>になりたいのか」

「槍を執っては家中無敵の老武者を、一刀両断にしてみたいのじゃ、非力者の力を試みたいのじゃ」

「白癡た奴め、よしッ」

<ruby><rb>瓦破</rb><rt>がば</rt></ruby>と<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>った治部太夫は、身軽く躍りあがって槍をとった。槍<ruby><rb>鞘</rb><rt>ざや</rt></ruby>はケシ飛んで、蒼白い<ruby><rb>燦</rb><rt>きらめ</rt></ruby>きが穂先四寸に放たれた。

「老人ここへこい、家の中は槍には不便じゃ」

大刀を抱いて、宮内は、草の生い茂っている前の空地へ出た。

「非力者め、小癪なッ」

空地へ<ruby><rb>悠々</rb><rt>ゆうゆう</rt></ruby>と出て行った治部太夫は、刺して<ruby><rb>誉</rb><rt>ほま</rt></ruby>れになる対手ではないが、娘きいの嫁入り以来、<ruby><rb>婿</rb><rt>むこ</rt></ruby>の慎九郎と不和な宮内だけに、今こうして身の力量をも顧みずに、争いを挑んできた<ruby><rb>遺恨</rb><rt>いこん</rt></ruby>の種はわかっていた。<ruby><rb>田楽刺</rb><rt>でんがくざ</rt></ruby>しにしてやることが、<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って娘夫婦のためだと思った。故に老巧な治部太夫は、必殺の構えをつけた、<ruby><rb>鶏</rb><rt>にわとり</rt></ruby>を<ruby><rb>割</rb><rt>さ</rt></ruby>くに牛刀をつかう恨みを、心のうちに感じながらも、着実に進退した。

宮内は大刀を抜いて、有名な槍の名手に対して、はじめて自分の予想が、ピタと思い当った、宮内はまことに大胆不敵になり得ているのだ。槍の先から恐怖を感ずることがない、赤ぐろい治部太夫の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まじろぎ</span>もせぬ眼の光に脅迫を<ruby><rb>些</rb><rt>すこし</rt></ruby>も感じていない、平常とただ違うのは呼吸の<ruby><rb>紊</rb><rt>みだ</rt></ruby>れだけだ、それも気がつくとほどなく、平調に復しかけてきた。

「この上するべきことは、身を殺させて敵を刺すそれ一つ、<ruby><rb>一途</rb><rt>いちず</rt></ruby>に――それッ」

突くと見せる治部太夫の虚に、宮内はヒタと進んで刺されようとした、<ruby><rb>間髪</rb><rt>かんはつ</rt></ruby>を<ruby><rb>容</rb><rt>い</rt></ruby>れず、事の意外に気を打たれた治部太夫が、愕いたその<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>に、非力者宮内の太刀は<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えた。

斬れ味は技よりも気だ、宮内の斬れ味はその気によった自然の技だった。

◇

宮内は治部太夫を殺してから、直ぐ滝沢峠を<ruby><rb>迂廻</rb><rt>うかい</rt></ruby>して逃亡した。

旅から旅を歩いているうちに、宮内は<ruby><rb>加賀国</rb><rt>かがのくに</rt></ruby><ruby><rb>小松</rb><rt>こまつ</rt></ruby>で豊かな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くらし</span>の家へ<ruby><rb>入夫</rb><rt>にゅうふ</rt></ruby>した。

寛永二十年五月三日、加藤式部少輔明成は、病気のためという<ruby><rb>名目</rb><rt>みょうもく</rt></ruby>で、四十万石の<ruby><rb>封土</rb><rt>ほうど</rt></ruby>を、表面は還納だが、実は没収されてしまった。その後へは山形から保科肥後守正之が入部した。

この説を宮内は、加賀の小松で聞いた。

豊かな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くらし</span>の女と別れて、逃亡以来四年目に宮内は会津の城下へ帰ったが、加藤家時代とはうって変って、士気も振い、風俗も大分質素になりかかっていた。

「生島慎九郎という者をご存じはないか」

宮内はこう聞き歩いたが知れなかった、浪人して西の方へ旅立ったともいい、明成の子加藤<ruby><rb>内蔵之助明友</rb><rt>くらのすけあきとも</rt></ruby>に<ruby><rb>随</rb><rt>したが</rt></ruby>って、<ruby><rb>岩見国</rb><rt>いわみのくに</rt></ruby><ruby><rb>吉永</rb><rt>よしなが</rt></ruby>（一万石）へ行ったともいい、病死したともいい、どれが本当か皆目知れなかった。

城下から西北へ一里、<ruby><rb>鶴沼川</rb><rt>つるぬまがわ</rt></ruby>の近くに<ruby><rb>神指城趾</rb><rt>こうざしじょうし</rt></ruby>がある、今は<ruby><rb>趾</rb><rt>あと</rt></ruby>ばかりがそれかと思われるのみ、<ruby><rb>越後街道</rb><rt>えちごかいどう</rt></ruby>を行く人の眼に、土地の栄枯を<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かに語るに過ぎない。そこに一棟の家を買って宮内は住んだ、なんと思ったか越後街道に札をたてて、「当所に加藤家浪人弓削田宮内住居」と記しておいた。

加賀の女は宮内に未練があった、人をよこして金や品物を届けた、宮内も会津神指に居を定めてから、二度小松へ旅をした。

寛永二十一年十二月十六日<ruby><rb>正保</rb><rt>しょうほう</rt></ruby>と年号が改められたその翌年、会津の春は日ごとに色めいてきた三月十五日の昼、越後街道に現れたのは、生島慎九郎とその妻きいの両人であった。主家が衰えて永の<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>となった夫婦は、仕官の途を求め歩いたが、武士の失業者が<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しいその頃だけに、未だに衣食の<ruby><rb>資</rb><rt>しろ</rt></ruby>を掴めず、夫婦の服装にも顔の色にも、苦労の<ruby><rb>垢</rb><rt>あか</rt></ruby>や<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>が多かった。

夫婦は「当所に加藤家浪人弓削田宮内住居」の札を見つけて驚喜した、雨風に<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>されて、札は<ruby><rb>心許</rb><rt>こころもと</rt></ruby>なく古びていたが、夫婦は意気込んで、ところの者に尋ねた。

「あい、その人なら、直ぐ近くじゃ、こなた知合いか、それなら案内してあげましょうに」

「いやいやそれには及びませぬ、してその人は家内多勢かな」

「宮内さんただ一人さ、外に<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さんが一人いるだけですよ」

<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>の仇、父の仇は一人住居だ、まず討ちとるのに困難はない、殊に宮内は非力者だ――夫婦は顔を見合せて、久振りに笑った。

「ちと<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>あって、宮内殿に我々夫婦がきたということは知らせたくない。それに訪れるとしても帰途でござるから、沙汰なしに願いたい」

「あい、黙っておりましょう」

とその人はいったが、却って念を押されたために、宮内にそのことを知らせた。

宮内は蒼白い顔を、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひきつら</span>せて笑った。知らせてくれた男には、惜しげもなく品物をくれてやった。その後で<ruby><rb>老僕</rb><rt>ろうぼく</rt></ruby>を呼んで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">そわそわ</span>といいつけた。

「<ruby><rb>予</rb><rt>かね</rt></ruby>て買ってあった<ruby><rb>柴</rb><rt>しば</rt></ruby>を、この家の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">めぐり</span>へ<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>び出してくれ、わしも手伝うから」

「わし一人でやります、あすまでかかれば、一本残らず搬び出せますから」

「いやそう悠々とはしておられぬのじゃ、ちと思い立ったことがあるのでな」

「はあ、それにしても、柴を持出して、どうするのでござりますのう」

「今にわかる、面白いことなのじゃ」

主従二人は、精を出して買い<ruby><rb>貯</rb><rt>たくわ</rt></ruby>えた夥しい柴を、家の四方へ積んだ。

「これでよい、思いの外に早く片づいた、それからのう、今にわしを尋ねて浪人夫婦が参るはずじゃが、お前は門の前の、あの<ruby><rb>濠</rb><rt>ほり</rt></ruby>の向うにいて宮内は只今<ruby><rb>外出</rb><rt>そとで</rt></ruby>しているが、直ぐ戻ってくるから待っていてくれといえ、いいか、濠のところでいうのじゃぞ、あれから内へは、わしがよいといわぬ間は、なんとしても入れてはならぬ――それから、予てくれるといっておいた物は、<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>の畑に出しておくから、<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>にとるがよい」

「あれ、何事か起るのでござりますか、わしにはお暇が出るのでござりますか」

「まあそうだ、爺、もし食うに困るようであったら加賀へ行け、あの女は爺の一人ぐらいは置いてくれる」

「でござりますが、それはどういうわけで」

「聞くなよ、わしもいいはしない」

◇

生島慎九郎夫婦は、城下へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って旧故の人を訪れ、先年討たれた矢作治部太夫の<ruby><rb>仇討</rb><rt>あだうち</rt></ruby>を、今日神指でするから、証拠人として成行きを見届けてくれと頼んだ。頼まれたのは、<ruby><rb>蒲生家</rb><rt>がもうけ</rt></ruby>の浪人で今は<ruby><rb>商人</rb><rt>あきうど</rt></ruby>となった、七日町の<ruby><rb>植木才蔵</rb><rt>うえきさいぞう</rt></ruby>という人であった。快く<ruby><rb>引請</rb><rt>ひきう</rt></ruby>けた。

本望を遂げるのは、今からではどうしても夕刻だ、<ruby><rb>或</rb><rt>ある</rt></ruby>いは夜に入るかも知れないと思われた。しかし急いで七日町を出た。慎九郎もきいも、身軽に<ruby><rb>出立</rb><rt>いでた</rt></ruby>っていた、植木才蔵も助太刀の用意をしていた。

上杉氏が築いた神指城は平城で、<ruby><rb>天嶮</rb><rt>てんけん</rt></ruby>の要害ではなかった、廃棄されて久しい今では、ただみる平凡な田園だった。

宮内の命を<ruby><rb>恪守</rb><rt>かくしゅ</rt></ruby>して、先刻から昔の外濠、今は無名の流れの<ruby><rb>傍</rb><rt>はと</rt></ruby>りに、老僕はただ一人、木の<ruby><rb>伐株</rb><rt>きりかぶ</rt></ruby>に<ruby><rb>尻</rb><rt>しり</rt></ruby>をかけていた。やがて老僕の眼の前に男二人女一人が現れた。

日はもう落ちて、赤い光が北の空の白い立つ雲まで染めていた。家の中に宮内はいるはずだが、コトリとも音がしなかった。

「弓削田宮内の家はここじゃのう」

強そうな慎九郎は、<ruby><rb>逸</rb><rt>はや</rt></ruby>りきった口調で、老僕に尋ねた。

「はい。だが、只今は外出しておられます」

「なに、不在じゃ」

慎九郎は眼を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぱちり</span>とさせた、妻きいは夫の顔をみて、<ruby><rb>太息</rb><rt>といき</rt></ruby>を<ruby><rb>吐</rb><rt>つ</rt></ruby>いた。

「不在でもよろしい、生島氏、とにかく、中へ」

<ruby><rb>敏</rb><rt>さと</rt></ruby>い植木才蔵は抜からず助言した。

「門から内へ這入られては困る、主人は他出してござる、ご不在と申すになんでも這入るとは、お人柄にも似ぬことでござります」

「<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>け、何で袖を押える、放さぬと痛い目させるぞ」

<ruby><rb>焦慮</rb><rt>あせり</rt></ruby>気味の慎九郎は、老僕の押えた袖を、<ruby><rb>癇</rb><rt>かん</rt></ruby>強く振り払った、袖は<ruby><rb>綻</rb><rt>ほころ</rt></ruby>びてビリッと泣いた。

「きい殿、慎九郎殿に続きめされ、この老人はわしが支えております」

才蔵は老僕を後から押えつけた。

門から、一足踏み入れると、慎九郎はハッとした。眼の前の板屋の四方に、積み重ねられた柴は、いっせいに<ruby><rb>焔</rb><rt>ほのお</rt></ruby>と煙を毒々しく吐きあげていた、夕暮だけに光は四方に及んでいた。

「おッ、火をかけた」

<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>をつんざくかと聞ゆる慎九郎の声に、門前で押し合っていた才蔵は、老僕を突き退けて飛んできた。焔は<ruby><rb>凄</rb><rt>すさま</rt></ruby>じく大小無数の毒舌をいよいよ吐いていた。

「火をかけて逃げ去りおったに<ruby><rb>極</rb><rt>きわま</rt></ruby>った」

才蔵はそう感じたのだ。

「なるほど、<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はから</span>れた。まだ遠く逃げ延びもしまい、追いかけよう」

妻きいは蒼くなって、一語も発せず、夫の後について歩いた。

「うわッ火事じゃ、火事だあ」

<ruby><rb>消魂</rb><rt>けたたま</rt></ruby>しく叫んで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のめり</span>そうになって走って行く老僕に眼もくれず、三人は家の周囲を駈けめぐったが、中へ踏み込むことは出来なかった。そのうちに、きいが消魂しく叫んだ。

「屋根の上に、あれ、人が、人が」

慎九郎は血走る眼で<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだ、板屋を下から突き破ったものか、乱髪になった男が一人、大刀一本を腰に<ruby><rb>横</rb><rt>よこた</rt></ruby>えて、四方からのぼる、焔と煙の中に閉じこめられ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すっく</span>、と起とうとしては起ち得ず、再び起とうとして起ち得ず、とうとう棟に腰をかけた姿が、落ちて行った日の光より赤い、焔の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かがやき</span>に照らし出された。

「あれは宮内じゃ、きい、彼奴じゃ、<ruby><rb>敵</rb><rt>かたき</rt></ruby>じゃ」

慎九郎は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たたら</span>を踏んで、焔の外側を<ruby><rb>走</rb><rt>は</rt></ruby>せめぐった。

「<ruby><rb>卑怯者</rb><rt>ひきょうもの</rt></ruby>ッ、宮内の卑怯者ッ」

<ruby><rb>甲走</rb><rt>かんばし</rt></ruby>るきいの声は、焔と煙とを<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、板屋の棟にいる宮内に届いた、宮内はゲラゲラと、精力を一途に集めたような、笑い声を上から浴せかけて<ruby><rb>酬</rb><rt>むく</rt></ruby>いた。

「命が惜しいか、逃げ損ねてその<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>か、非力者のその<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ざま</span>、何事じゃ、卑怯者ッ」

慎九郎は踏み込む<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たより</span>があれば、炎を衝いて駈け込みそうに、ぐるぐると走り歩いた。きいと才蔵は、そうはさせまいと<ruby><rb>跟</rb><rt>つ</rt></ruby>いて歩いた。

焔は次第に高く毒舌を吐いた、黒煙は板屋を包んで峰の如く宙にのぼった。

日は全く暮れてしまった。<ruby><rb>盤木</rb><rt>ばんぎ</rt></ruby>を叩く音が<ruby><rb>息忙</rb><rt>いきせわ</rt></ruby>しなく、頻りに流れていた。

風が不思議な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いたずら</span>をして見せた。高くのぼっていた黒煙が、吹きなびかされて板屋の上は、金色に<ruby><rb>映</rb><rt>は</rt></ruby>え冴えて見えた。

宮内はまだ、そこに死んでいるのではなかった、大刀を<ruby><rb>杖</rb><rt>つえ</rt></ruby>に、棟を<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>いで突っ起ったが、乱髪を一とふり振った。

「敵を討てまい、この敵が討てまい」

焔と煙が宮内を包んだ。地上の三人は息をのんで、ただ棒立ちになって仰いだ。

やがて風の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いたずら</span>が又はじまった。宮内は<ruby><rb>棟木</rb><rt>むなぎ</rt></ruby>に抱きついてはいたが、まだ死んでない証拠に、乱髪を一ふり振った、しかしその髪の毛は焼けて短かくなっていた。

「死んでも討たれてはやらぬ！」

人間の声が、これほどに高く響きが強いものか、慎九郎夫婦も才蔵も、耳許で怒鳴られたように聞いた。

棟は、ほどなく焼け落ちた。

血を塗ったように赤い、十五日の月がのぼった。ぶすぶすと<ruby><rb>余焔</rb><rt>よえん</rt></ruby>はまだ尽きない。