Soranoha

深夜の峠にて

しんやのとうげにて

中原 中也

峠の頂上を過ぎると私は十歩も歩まぬうちに、いきなり蹲み込んでしまつた。木の葉が偶にそよいでゐる。土は湿つてゐて、腰を下ろすことは出来ない。一寸横に寄つて径傍みちばたの草を撫でてみたが、それもビシヨ〱だ。新聞紙も何もないので私は遂に諦めて蹲むだけに満足する。四里の道を歩いたこととて、足は脹れぼツたい。

私は茲で何も作文の稽古をしようとは思はない。こまごまと情景を描いたりして諸君を退屈させようとは思はない。然しかうして今私は峠の途中に蹲んでゐて、まことにしみじみとした気持だし、それとなく此の世の、何といはうか哀愁が思ひ遣られもするのだ。が、まあどつちにしても好い気持で、而も此の好い気持たるやどうお伝へのしやうもない。言葉が如何に現実にとつてまどろつこしいものであるかは、諸君も先刻御承知であらうし、恐らく諸君が考へてゐられる以上にそれは事実だ。

中には、それはおまへの今ゐるのが何の変哲もない峠道のことで、闇夜のことだし草一本満足には見えぬ有様だからだらうなぞ思ふ人もあるかも知れぬ。成程草一本満足には見えぬ。然し材料の少いことが表現の困難だとは限らぬし、私の今感じてゐる好い気持は、どうしても好い気持であるには相違ないのだ。

それが仮りに私の気温のせゐだとしても、何のせゐだとしても、この好い気持はこの好い気持であつて、これを努力して造型してお目に懸けることくらゐは出来るとしても極めて可及的可能なことでしかない。――されば私は筆を投ずる! 私はかの記述といふものの愚劣を思ふ。人類は、あんまり孤独の内包性を無視して来たのだと思ふ。

底本 / Source edition

底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
※()内の編者によるルビは省略しました。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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書誌 / Bibliography
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中原 中也「深夜の峠にて」(新字旧仮名)、底本『新編中原中也全集 第四巻 評論・小説』角川書店、2003年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 055775_000026, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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